本箱

 

ここには、私の気を引いた論文や雑誌等の読後感想・意見等を載せていくつもりです。

ですから、ジャンルは多様に亘ると思いますので、アホカ?などと思わないで下さい。

 

タイトル

解説

読後感想等々

宗教消滅

島田裕巳

日本の宗教に異変が起きている。

かつて隆盛を誇った新興宗教は、入信者を減らし、衰退の一途をたどっている。 著者は、毎年恒例のPL学園の花火が「地味に」なっていることから、日本の新興宗教の衰退を察知。 日本の新興宗教の衰退は、なにを意味するのか――。

本書は、世界と日本の宗教が衰退している現象を読み解きながら、 それを経済・資本主義とからめて宗教の未来を予測する。

共同体を解体しつくした資本主義は、宗教さえも解体し、どこへ行きつくか。 拠り所をなくした人はどうなっていくのか。 ポスト資本主義の社会を「宗教」から読み解く野心的な1冊。

矢張り!と納得させられました。

ほんとうの法華経

ある書評に「過去にここまで法華経を深掘りした対談はあっただろうか。あらゆる宗教思想に精通した橋爪氏の激しい追求に対し、 法華経の翻訳家でもある植木氏が判例を用いながら巧みな解釈を提示していく。法華経の真の理解を深めたい方は読んで損はなし。」とは全く同感である。

法華経であれば、鳩摩羅什や竺法護によって翻訳された(解釈された)法華経訳がポップなんでしょうが、果たしてその解釈は正しいといえるのだろうか? 植木氏はそんな疑念から、法華経のサンスクリット語原典を最初から翻訳し直すという大作業に取り掛かる。 結果的に、誤訳の発見や思想の深掘りができたことで、編纂当時の歴史的背景をより浮かび上がらせることに成功した。 従来より精緻な解釈が可能になったわけだ。「何事も真摯な追求心がなければ本質は見抜けない。」そんなメッセージを本書から受け取った気がする。

面白い!
 

興風紀要

 

 

 ことの起こりは、一年間の研学の成果を恥ずかしながら発表しようという単純なもので、今号は時局がら、在勤教師会の破折論文を収録することが中心となった。

  しかし、本来目的とするところは、富士大石寺法門を、宗内外の資料を幅広く見聞、解読、探求することによって、実証的に論証しようというものである。

  その一過程として、当家伝統法門の思想基盤になっている鎌倉、室町期の天台ならびに東大寺関係文書の解読を、数人の所員によって地道に進めている。おいおい研究論文と共に、宗学研鑽に資する生史料の紹介等を行っていく予定であり、読者諸氏には様々な御意見、御叱責を熱望する次第である。

川澄法門の前座として、どうぞ

 

寺院消滅

          鵜飼秀徳

 

 

「主丸儲け」「寺は金持ち」というイメージは強いが、日本のお寺は、かつてないほどの危機に瀕している。菩提寺がなくなり、お墓もなくなってしまった――。こんな事態が現実になろうとしている。中でも地方のお寺の事態は深刻だ。高齢化や過疎は檀家の減少につながり、寺の経営を直撃する問題となっている。寺では食べていけないことから、地方の寺では、住職の跡継ぎがいない。しかし、寺は地域住民の大切なお墓を管理しなければならないため、簡単に廃寺にしたり、寺を移転したりすることはできないのが現実だ。一方、都会で働くビジネスパーソンにとって、お寺やお墓は遠い存在であり、お寺との付き合いは「面倒」で「お金がかかる」ばかり。できれば「自分の代からはもう、お寺とは付き合い合いたくない」と、葬儀は無宗教で行い、お墓もいらない、散骨で十分という人も増えている。経営の危機に瀕するお寺と、お寺やお墓はもういらないと言う現代人。この問題の根底には、人々のお寺に対する不信感が横たわっている。僧侶は、宗教者としての役割を本当に果たしてきたのか。檀家や現代人が求める「宗教」のあり方に応えることができているのか。地方崩壊の根底に横たわる寺の消滅問題について、日経ビジネスの記者が全国の寺や檀家を取材し、徹底的にルポ。芥川賞作家の玄侑宗久氏らのインタビューを交えてこの問題に迫る。お寺やお墓、そして地域の縁を守ろうと必死で努力する僧侶たちの姿と、今だからこそ、仏教に「救い」を求めて集まる現代人の姿が見えてくる。

意識はいつ生まれるのか

ジュリオトニーノ

 

「意識が脳科学最大のナゾだった。それは万人にいつでもあるのに、その正体がわからない。そのナゾをついに解いたトノーニの『φ(ファイ)理論が今世界を席巻している!」 脳は意識を生み出すが、コンピューターは意識を生み出さない。では両者の違いはどこにあるのか。クリストフ・コッホが「意識に関して唯一、真に有望な基礎理論」と評した、意識の謎を解明するトノーニの「統合情報理論」を紹介。わくわくするようなエピソード満載でわかりやすく語られる脳科学の最先端

【本書が挑む脳科学最前線の脅威の事例】 

・脳幹に傷を負い植物状態に見えるロックトイン症候群患者(映画「潜水服は蝶の夢を見るか」の主人公)。彼らの意識の有無はどう診断すればいいのか?

・麻酔薬を投与するとなぜ意識が失われるのか? 麻酔時に意識が醒めてしまうとどうなるのか(1000人に1人はそうなる)

・右脳と左脳をつなぐ脳梁を切断する(スプリットブレイン。てんかん治療で行われることがある)と、1つの脳のなかに意識が2つ生まれる!?

TVでトノーニを知り、読んでみました。

ユニークですが、納得させられる理論です。

 

教皇フランシスコの挑戦

闇から光へ

 

 

(内容紹介)では「世界中の驚きと歓喜のうちに誕生した新教皇フランシスコ。だが、歓喜の光にはまた闇もつきまとう。カトリックの総本山バチカンの複雑怪奇な権力構造と山積するスキャンダル。アルゼンチンの軍事政権時代、管区長としてスラムで働く司祭2人を修道会から追放し、拷問部隊の餌食になることを許した疑惑。さまざまな関係者の思惑が渦巻くなかで、新教皇はカトリック教会を光へと導くことができるのか。英国のバチカン専門家で社会派のジャーナリストが、多角的なインタビューも含めて、教皇庁の内幕や世界情勢、アルゼンチンの国内政治を丹念に取材し、新教皇の半生と現在、今後に待ち受ける試練をドキュメント・タッチで描く。」となっている。単なる「よいしょ本」ではなく、戦後の教会の動きが良く分かり、大変参考となった。特に「開放の神学」の現実。保守の権化;バチカンや独裁軍事国家のもとで理想に燃えることが如何困難か!

バチカンも本山も同じ「ムジナ」だが、フランシスコの生き様をみると、遥かに気高く感じた。

 

 

 

法話・聖訓一百題

堀慈琳

堀慈琳(後の堀日享上人)が御書・法華経・日興上人等の御消息の中から私達の信行の金言となるべく御文をもとに、著述されたものです。大正・昭和の初期の時代背景等も読み取れ、且つ時代を超えた説法は素晴らしい信仰の指南書です。

興立院さんの賜物です。
2050年の世界

英「エコノミスト」誌は予測する

「2050年までを見通すことで現在を理解出来る」とあるが、如何!

私の関心のある「信仰」の章を先ず載せました。そして、「予言はなぜ当たらないか」を章も!

更に追加して、他の章も載せることにしました。ご期待ください!

必読!
創価学会と平和主義

(書店の売文句):公明党が賛成した集団的自衛権。しかしそれは名ばかりのものにすぎない。閣議決定を骨抜きにしたのは、創価学会の平和主義だった。「公明党」「創価学会」と聞いた瞬間、思考停止してしまう人が多いが、目を凝らしてよく見てみよう。はたして、その「平和主義」は本物か?組織の論理と「池田大作」の思想に、知の怪物が迫る。

一寸違う見方からの評論・・・なかなか面白い! キリスト教とユダヤ教との対比が参考になった。

SGIに関する記載で、初期キリスト教の布教との対比が面白い。大石寺は當にユダヤ教そのもの!

 

徳一と最澄

 

「徳一は奈良朝期、藤原仲麻呂の子として生れ、法相学者として世に立ち、伝教大師最澄の天台宗開祖にあたりこれを批判、論破。東国に赴して信仰元始再興を志し、東国の化主として長く景慕された。本書は、わずかに伝えられるこの像を徹底的に検証し、徳一とはいかなる人物であったのか、天台・真言に抗して主張した彼の正義とは何であったのかを探るとともに、東国からの仏教史ひいては日本史を捉え直す、情熱溢れる試みである。」との本の説明である。

図書館で偶然見つけました。

新旧仏教の覇権争いとも見えますね。之は當に輪廻!

日興上人身延離山史

正しく物事を理解するのは難しい事だということを再認識致しました。又、力が無くては広報・周知することも出来ない事も再認識しました。

書棚からいつの間にか出てきました。
 

不軽菩薩の利益を今に

山上弘道

 

既存の広宣流布観に明快乎つ平明に疑問を呈し、現代及び未来の広宣流布は不軽菩薩の行った「逆縁の広宣流布」とした。

今まで、本のタイトルは知っていたが、実際に手に取ることは無かったので、本棚の奥よりヒョイと姿を見せたのは何かの縁でしょう。

 

 

天文法華一揆

今谷明

天文元年(1532)、守護大名細川晴元が実権を握る室町幕府の内紛を契機に、一向一揆(浄土真宗)が暴徒と化し、畿内が内乱の様相を呈するに至ったとき、晴元被官の守護大名らとともに法華一揆(日蓮宗)もこれを制圧し、浄土真宗の総本山山科本願寺を焼き討ちにした。以後、京都を舞台に、幕府、守護大名、比叡山、一向一揆が入り乱れて争うなかで、京都町衆とともにあった法華一揆は一大勢力として戦国期京都の自治を担ったのである。本書は、その戦歴を辿り、ついには天文法華の乱(1536)で京都が焼尽、法華一揆が壊滅するまでを描く。

物語風で分り易い

荒旅に立つ -日蓮-

佐木秋夫

佐木秋夫氏の「荒旅に立つー日蓮ー」は、昭和23年の刊行となっているが、じつは、1937年に刊行されたもの再版である。しかし戦前の執筆にもかかわらず、内容の斬新なのは、氏が、戦前からマルクス主義者として、唯物史観の立場をとっていたためであろう。いずれにしても、日蓮研究に唯物史観的方法をとり入れた最初の著作として、本書は特異な光彩を放ち、唯物論者のすぐれた仏教研究書の一つに数えられてよい。佐木氏は、まず伝説的要素があまりに深く滲み渡っている日蓮史料の整理の必要を痛感し、現存真筆に準ずるものにより、次に古伝記により、さいごに、現在の種々の日蓮伝や、一般のいわゆる御遺文によるなどして、方法を実証的に手堅くおしすすめ、史観で史実をゆがめるような点はない。

たしかに日蓮には、そういう事実はみとめられるけれども、彼の思想の内面的な掘り下げを通じて、歴史的状況との噛み合いをほぐしてゆく努力が、まだ、本書ではじゅうぶんでなく、史料的にも教学者の業績に多く無批判に依存しているので、方法の斬新さにもかかわらず、宗教的人物の評伝書として説得力に弱いうらみをもっている。

戸頃氏の評
 

金沢法難の群像

 

金沢の人達の信仰が講のあり方を示唆してくれる有意義な資料です。 皆様も再読を
イワン・イリッチの死

トルストイ

この本のすごさは、うわさでは聞いていたものの……
実際に読んでみて、大文豪・トルストイの実力を改めて思い知らされることになった。
「臨終のことを習って、その後に他のことを学べ」との先哲の言葉がある。
まさに、この『イワン・イリッチの死』は、人生上の究極の大問題である「死」に対して、トルストイが真っ向勝負を挑んだ作品である。
一官吏であるイワン・イリッチが、不治の病に陥り、「死」の淵に向かう恐怖と苦痛、そして最後に受容と救済に向かう状況と心理の変化を、克明に描いている。
あたかも、トルストイ自身が、一度、臨終を体験したかのように。
いや、体験したとしても、並の作家では、ここまでの描写は無理であろう。
それにしても、何という傑作であろうか。
世俗的で表層的な幸福、虚栄、家族への憎しみと折り合い、そうした日常の感覚から、死との格闘という非日常の世界へと次第に引きずりこまれていく。
苦痛の原因を、自身の生活が間違いだったからなのでは、との懐疑を抱いたり、打ち消したりしながら。
そして、最後の最後に待ち受けている、根源的な救済とは
……
この書は、わずか
102ページの短い小説ながら、100ページ付近からの、死の瞬間に向かう極限状態での主人公の心理描写は、圧巻である。
文学が生み出した「至宝」と言っても過言ではないほどの素晴らしい下りである。
実際の「死」を経験して、作品に残した作家は、もちろん誰もいない。
だが、「死」をここまでリアルな感覚で予測し、形にした作家が、他にいるだろうか。
やがて確実に死を迎える私たち「人間」にとって、生と死の意味を考える上で、非常に有意義な読書体験になることは、間違いないと確信する。

レビュー引用

(我が意を得たり!)

 

昭和天皇の軍事思想と戦略 

山田朗

統帥権を有し旧日本軍の最高指導者であった天皇。本書は、主に十五年戦争当時の昭和天皇の軍事指導に焦点を当て、当時の天皇が、どの程度のレベルの軍事情報を把握し、どのように作戦展開に関与したかを、一次資料にあたり実証的に明らかにしている。
本書に依れば、昭和天皇は戦争中も一貫して十分な質と量の情報を把握していたし、また、天皇自身「
を攻めてはどうか」と下問するかたちで,積極的に軍事指導に関与したこともあった。
もちろん、軍部が「独走」したこともあったが、その「独走」が成果を挙げる限りでは、昭和天皇は一貫してその「独走」を追認し称賛したのだった。
「昭和天皇は傀儡として扱われ何も知らされていなかった」「軍部が独走しただけで天皇は戦争遂行に何ら関与していない」式の、昭和天皇戦争責任免罪論は、本書の観点からは否定されている。
また、明治憲法に、天皇の無答責とその裏返しとしての内閣の輔弼責任が規定されている点を挙げて、昭和天皇に法的責任を問えないとする見解があるが、著者は終章で、そもそも統帥権が内閣とは独立していた点を挙げ、このような見解の無理を難じている。この点は論議を呼ぶかもしれない。

レビュー引用

(我が意を得たり!)

昭和天皇

ハーバート・ビックス

難解かもしれませんが、未来を担う若い人々に読んで欲しいと思います。この書物は、とくに新たな史料が発見されたわけでも新しい視点でとらえたものではありません。最終的に日米開戦を熟慮の末決定して首相(東条)に伝達したのはほかならぬ昭和天皇だということも、『木戸日記』でも明らかです。このことは疑義の余地はありません。戦争でない不法な戦闘行為(「日中戦争」)を指導した昭和天皇の命令・判断が、結果的に何十万にも中国人を虐殺したことも同様です。しかし、アメリカ人研究者として日本人研究者とはことなる「自由」を得ているだけに(たとえば、日本人で同様のことを述べると脅迫されます)、昭和天皇を理解するうえで貴重な概説書だと思います。

 

一読を!

娘と話す

  国家 

   のしくみってなに?

 

レジス・ドブレ

 本書は、フランスの哲学者レジス・ドブレが、そのタイトルどおりに、娘との対話という形式をとりながら、フランスの「共和国の理念」をさまざまな角度から語ったものだ。

 対話という形式ゆえに、たしかに読みやすいことは読みやすい。しかし、わずか100ページ余りで、共和制とは何か? 統一国家、連邦国家とは何か? 民主主義、市民、法の支配とは何か? なぜ政教分離の原則なのか?……が濃密に、息つく間もなく展開される。現代フランス社会にたち現れているさまざまな政治問題、さらには国際政治の諸問題を取り上げつつ、また1789年フランス革命に立ち戻りつつ、17歳の娘に説いていく。

 たとえば、移民問題で始まる父と娘の対話は、「ほかの人と違う人間でいる権利」と「自分だけが違う権利を持つとの主張」の違いに及び、さらに「国境」「市場」の問題にまで及ぶ。娘は「そんなら、「友愛」の看板を下ろしたら?」と。とうとうフランス革命のスローガン「自由、平等、友愛」にまで辿り着く。ドプレは答える。

「この三つのモットーはお互いにほかの二つを必要としているんだ。どれも、ひとつだけでは成り立たないんだよ。いちぱん強い者が制限のない自由を手にしたらどうなるだろう。鶏小屋に入った狐みたいなものだ(金持ちはますます金持ちになり、貧乏人は刑務所に行くような自由主義の国のことを考えてみるといい)。個人の利益や自由を無視してなにがなんでも平等を追求しようとすれば、兵舎の中庭にようになってしまう(共産主義国家を考えてみるといい)。だが、基準も規則も国境もない友愛は、混沌の中の原子のでたらめなぶつかり合いのようなものだ。この三つは、個人の権利と全体の利益のつりあいをうまく保っているんだよ」

 「国を弱らせるには二つの道がある。……片方はわたしたちの権利の話しかしない。権利リストを長々と書き連ねるが、わたしたちの義務についてはひとことも言わない。……もう片方はわたしたちの義務についてだけ語る。権利や自由は知らないふりだ。……最初の例が19685月、「禁止することを禁止する」がモットーとされた時代だ。第二の例は1940年の春、「仕事、家族、祖国」の時代……

「国家は人々を幸せにするためにあるんじゃない。……それはただ、わたしたちの不一致をできるだけうまく、というより、できるだけ害が少なくなるように、調整できるようにするたの協定なんだ。……善のかたまりのように見える体制には用心したほうがいい」

 そして「おわりに」で、ドブレは本書の企図を次のように披露してみせる。過去を鋭く感じとることは将来への予感である。この古い国の歴史を振り返ってほしい。ルネッサンスからレジスタンスまで、フランス革命とパリーコミューンも含め、若者の決起は強い懐旧の思いからはじまった。歴史とカレンダーを混同する「現実主義者」が時代遅れと考える過去の美徳への回帰か、いつかは前進への刺激となる。革新者は過去を忘れない」

わかりやすい!
戦争という見世物

木下 直之

明治271894)年12月の東京は、日清戦争勝利の祝賀ムードに包まれていた。本書はそんな時代にタイムスリップして、当時の社会情勢を観察する体裁ではじまる。

 戦争は娯楽だった−といったら不謹慎と怒られるかもしれないが、現実にそうだったのだから仕方がない。戦争は多くの国にとって現在も、正義や名誉や国民の生命財産を守る最終的解決手段と考えられている。それに戦争は、何よりの景気刺激策であり、国威発揚、国民統合に便利だった。国民も、勝ち戦なら歓迎した。

 近代日本が経験した最初の本格的対外戦争だった日清戦争は、終始、日本側優勢で進んだ。メディアも日本軍の勇猛果敢、戦果の大きさを華々しく書き立てた。戦地は日本本土を離れた外地で、一般庶民は戦争を報道や誇張された講談や演劇などを通して「物語」として受容した。

 それにしても、市井の人々のはしゃぎぶりは凄(すさ)まじい。彼らは祝捷(しゅくしょう)大会を見物し、万歳三唱に声を合わせ、分捕り品の陳列を眺めては、戦争に参加した気分を味わった。

 各業界では、それまでの不景気を吹き飛ばすかのように、祝捷に因(ちな)んだ便乗商品を売り出した。手品師や時代遅れの剣客も、この機会にイベントに参加して気勢を上げている。軍歌や「祝捷踊」も作られ、宴会で歌ったり踊ったりの騒ぎもあった。

 新聞雑誌は、記事や特集号、専門雑誌を出すだけでなく、祝賀大会に直接かかわっている。都新聞が清国皇帝のイメージを喚起する龍(りゅう)の切首のハリボテ山車を引き出せば、自由新聞社は大陸征伐の大先達である秀吉の千成瓢箪(せんなりびょうたん)を思わせる提灯(ちょうちん)飾りを繰り出した。

 日清戦争の報道では「事実」そのものより「物語」が人気を博した。しかもその痕跡は今も、風化しながらも全国各地に残存している。もしかしたら、われわれの精神の底流にも、それは残っているのかもしれない。

勝ち戦なら戦争は好きという国民のエゴ

誰も戦争を教えてくれなかった

古市憲寿

誰も戦争を教えてくれなかった。だから僕は、旅を始めた。
広島、パールハーバー、南京、アウシュビッツ、香港、瀋陽、沖縄、シンガポール、朝鮮半島
38度線、ローマ、関ヶ原、東京……
「若者論」の専門家と思われている
28歳社会学者、そして「戦争を知らない平和ボケ」世代でもある古市憲寿が、世界の「戦争の記憶」を歩く。
「若者」と「戦争」の距離は遠いのか、戦勝国と敗戦国の「戦争の語り方」は違うのか、
「戦争、ダメ、絶対」と「戦争の記憶を残そう」の関係は歪んでいるのでは
――
「戦争を知らない」のはいったい誰なのか、
3年間にわたる徹底的な取材と考察で明らかにする、古市憲寿、28歳の代表作!

大事なことを再確認!

語り継ぐこと&話しあうこと

パール判事の日本無罪論

田中正明

この本は歴史に対してのみならず、現在にこそ有益な広い視野・大切な知識を与えてくれます。

この本はあくまで日本の東京裁判においての無実を訴える本であり、決して戦争の正当性・無実を訴えるものではありません。
本の中でもパール判事は日本への同情や、戦争の正当性・無実を訴える為ではなく、法の下の世界平和の為に判決を下したと書かれています。

この本を単に「日本は無実」だとか「戦争を正当化している」など、狭い範囲で捉えず、その当時の世界の流れ・状況を読み取り、現在においても世界が無法状態である事、善悪では割り切れない現実を学び、パール判事が言われた事の意味を全ての人に知って頂きたいです。

ある人のレビューです。
平和の宣言

ラダビノード パール著

下中彌三郎氏が本書の「序」にパール博士の判決文の内容と博士の意志を要約して記しています。
「日本が戦争をはじめざるを得なかったのは、インドシナからシナへとなだれ込んだ西半球の侵略が、日本人八千万人の生存をあやうくするまでにのしかかってきて、日本が生きるためにそうせざるを得なかった。それは、日本人のこらずの意志であった。軍人や政治家は、国民意志を行動にうつしたまでであった。日本に、日本人に罪はない。」
実際に本書を読む限り、パール博士の発言や行動から、東京裁判に関する氏の判断は明らかに「日本無罪論」であったことがわかります。
また当時、原爆が生み出され、しかも簡単に使用されてしまったことで、「核戦争による人類の絶滅」に対する恐怖が現在以上にリアルであったことが本書を読むことで理解できます。
「平和をつらぬくためには、尊い血が流されなくてはならないだろう。しかし、肉体は亡ぼされても、魂を奪うことはできない。剣によって栄える国は剣によって亡びる。平和の魂だけが神の心であり、永生の魂である。どうせ戦いによって死ぬ命なら、われわれは平和のために死のうではないか」
戦後
63年経ち、平和主義発祥の地のインドですら核を保有している今日、この氏の言葉は多くの人に空虚に響くかもしれません。しかし、平和を希求することは命がけであるという意味においては、現在のチベットやウィグルの状況を見ても明らかです。現在にも通じる部分があると思います。また、私たち日本人が「戦争をしない」「平和を守る」ということを、どこまで真剣に考えているか省みる必要もあると思いました。
近現代史を学ぶ上で本書は重要な文献です。世代を超えて読み継いでもらいたい本です。復刊されて本当に良かったと思います。

ある人のレビュー
アメリカの鏡・日本

1949年日本占領連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本での翻訳出版を禁じた衝撃の書。
終戦直後、「アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と主張したアメリカの女性歴史家ヘレン・ミアーズ。日米関係が軋む今日、日本人必読の書!
日本語版刊行にあたって(白子 英城[アイネックス社長])
 戦後50年のいま、われわれ日本人は、現代の歴史を日本中心の観点だけでなく、アジア、ヨーロッパ、アメリカを同じ時間帯で見すえるグローバルな視点から、なぜそうなったのか、をもう一度考え、議論し、そして現代史を総括しなければならないと思う。それによって、われわれ日本人が、過去にやってきたことで、何が悪かったのか、何が正しかったのかをしっかりと理解しなければならない。

衝撃の書!!
日米開戦の真実

大川周明&佐藤優

ペリー来航以降、アメリカで継承された「太平洋制覇」戦略、モンロー主義の矛盾、執拗な満蒙への介入、在米邦人の排斥、そしてイギリス植民地政策の実態緻密にして冷静な分析から導き出された「戦わねばならぬ理由」がそこにはあった。真珠湾攻撃直後、NHKラジオで放送され、ベストセラー書にもなった開戦理由を全文掲載!『国家の罠』著者・佐藤優が、戦時政府を代弁した「当時最高水準の知性」に挑む。

必読の書!!

三教指帰 空海

空海24歳の著作だそうだ。一読して、天賦の才と感心した!

是非文庫本でも一読を!
世界の99%を貧困にする経済

[]ジョセフ・E・スティグリッツ

リーマン・ショックによる大量失業の惨状を尻目に、巨額のボーナスを手にしながら罪にも問われぬ銀行家たち。人々は大いに怒って、ウォール街に抗議行動に出た。それがやがて不平等を問う運動へと発展する。掲げられたスローガンが「我々は99%」だ。
 すっかり世界的な流行語になったこの標語の大本(おおもと)こそ、ノーベル経済学賞受賞者でもある著者の「1%の1%による1%のための政治」を批判した雑誌論文だ。
 米国の所得増はもっぱら1%層に偏っている。それが中流層を空洞化させ、極貧世帯の急増を招いている。だがこれまで、富裕層に集まる富が下層へしたたり落ちれば経済全体が潤う、という「おこぼれ効果」論が幅をきかせてきた。著者は「それは機能しない」と斬り捨てる。
 しかもこの不平等の階層化が進み、逆転も難しくなってきた。米国が「機会均等の国」といわれるのは、おとぎ話にすぎないともいう。
 米国では近年、市場さえ正しく機能すれば経済はうまくいく、という自由市場主義に席巻されてきた。著者のように、市場の限界を認め、「持てる者と持たざる者のギャップが狭まる社会」を理想に掲げる経済学者はまれだった。未曽有の経済危機はその傾向を一変させるかもしれない。
 本書では、共和党の大統領候補ロムニー氏や保守派らが主張する、緊縮財政、社会保障の縮小、富裕層減税の継続などに真っ向から反対している。耳を傾ける米国民は、以前より格段に多いはずだ。
 それでも著者は今後の米国政治を楽観していない。なにしろ4年前、オバマ政権の誕生にいったんは見いだした希望のともしびは、いまや「ゆらゆらと消えなずんでいる」。
 日本にも警告する。いまは米国より平等で公正な経済と社会がある。しかし、その過去の成功が今後も続くと当然視するな、というのだ。こちらもカギは「政治」である。

 

大いに考えさせられました

宗教と近代国家をめぐって

重箱の隅を突付き合う様な宗義論争も大事かもしれないが、世間様との付き合いはより重要なことでしょう。政治・文化・経済との係り方などもっと研鑽する必要があるのではないでしょうか?  そうでないと、カトリックの神学論争の二の舞になりますよ。関係者各位!!

箸休め
商人と宗教

鎌倉時代の或る見方・視点。情報と貨幣の流布が大きく文化を変えていく要素であることを認識できないと、現代をも見誤ってしまう。

現世利益か
合理化の時代

陰陽道というのは、もともとは陰陽五行説に基づく自然哲学であり、また天文・暦算に関する科学ないしは技術であったとの論説は面白いものです。

陰陽道について
強国論より 

中世ヨーロッパの宗教事情が鋭く描かれております。プロテスタントとカトリックの差がその後の社会・経済にどのように影響していったか?

是非全文を読まれたし!
蓮如と三河

代々浄土真宗とのことの司馬さんの作品です。横のつながりの大事さが理解できます。

 
教皇の手文庫

戦争終了時のバチカンの秘話を現代南米の情勢をからめて、解き明かす話。この作者らしくうまく仕上げている。相変わらず日本人は出さないが、日系ブラジル人神父を活躍させるとの書評。別の書評では面白さ35点。

教皇を頂点としているカトリック教団を支えている財政的な・外交政治面のカラクリを理解することが出来た。

ある面、大変重要な情報か?
日蓮身延入山考  

專禄さんの著作。学者でないと書けない、日蓮の心理・行動を冷徹な頭脳で良く精査/検証した論文。

面白いの一言。
A Time to Chant 

この本は、イギリス創価学会に関する研究論文である。著者は、知名な宗教学者であるブライアン・ウィルソン氏とカレル・ドベラール氏である。

この著名な二人の学者の目に見えた「日蓮仏法」とはどのようなものであったろうか。読み進む内に、大きな共感を多々覚えたので、皆様にも紹介することとしました。ここでは、本論文の結論とも言える序論の一部とエピローグを収録しました。関心ある方は、図書館等にて借りるなどして是非全文お読みください。

ある種の宗教改革か
新しい価値観に対応を  

ガルブレイス教授の新聞投稿論文であり、――真の「幸福」を成功の尺度に――との指摘は流石なものである。日本の茶道では一服頂くのにもたっぷりと時間を費やして作法/雰囲気等其の全てを楽しむという世界に誇る文化を持っている。

少欲知足
良く生きるための哲学

行政職につくということが市民が一人でも多く「幸福」になれるよう社会の運営に携わることだとすれば、ひとにとって「幸福」とは何かという基本的なフィロソフィーがなければ仕事はできない。そのために、たとえばフランスでは、「哲学」の学習を上級公務員志願者に義務づけている。

流石フランス!!
老年をたのしむ

[老年とはどうやら悪い年齢とは限らないようだぞ、もしかすると人生の一番いい時かもしれないぞ、とあるころからわたしは考えるようになった]という書き出しで始まる文章。ガルブレイスに通じる薀蓄ある論文。

ソウかも知れない?
Next Society

その大きな流れが、ネクスト・ソサエティの到来である。若年人口の減少であり、労働力人口の多様化であり、製造業の変身であり、企業とそのトップマネジメントの機能、構造、形態の変容である。急激な変化と乱気流の時代にあっては、大きな流れにのった戦略をもってしても成功が保証されるわけではない。しかし、それなくして成功はありえない。

 
近代日本にとって日蓮とは何か

日蓮教学に限った問題ではないが、宗派教学はほとんどすべてが閉塞的な教団内の隠語的世界を形づくっていて、開かれた言葉で教義解説も思索もなしえていない。教団内の特定者間において通ずる文脈と熟語を使用して、厚い壁を形づくっているのである。宗派ナショナリズムに依拠する彼らは、その壁を取り払おうとする努力さえしていない。その発想のスタイルと文体と特殊概念自体が、前提的に封建教団の思想性を内包しているといっていいだろう。このような教学の構造のなかから、非信仰者に通じうる「日蓮論」や「親鸞論」が生まれてくるわけはない。思いいれと白已満足の教説のみが多産されているのが現実である。いいかえれば、教学者にみるべき「日蓮論」が生まれなかった理由のひとつは、教団外の大衆に向かって語りかけることがなかったからであろう。

全くその通り。

 

天台法華思想の系譜

「天台思想というのは、日本の仏教の基礎になった思想だと思うのですけれども、ほとんどの日本人は天台の思想について何も知らないのではないでしょうか。これほど日本の文化に大きな影響を与えていながら、日本人は天台の教義というものをほとんど考えてみたことがない。そういう意味でいうと、日本精神史の背骨みたいなところが、全然研究されていないといえるのではないでしょうか。」との質問で対話が開始されています。

日蓮も知らなければ、それ以上に天台も知らないのが現状です。
心と形

司馬さん特有の語り口で、仏教のこころとキリスト教のこころの違いについて文化論を展開しています。信長を前にしての日乗とルイス・フロイスによる法論の場面設定などは流石作家ですね。

己心をお忘れなく
まだ見ぬ故郷

長部日出雄さんの作品。戦国キリシタンの高山左近の生涯を描いた作品。偶然と云うか司馬さんの「心と形」にも出てきます日乗とルイス・フロイスによる法論も山場の一つとして話を盛り上げております。
ある書評によりますと「
右近の生涯を描いた作品というよりも、くキリスト教が布教された戦国時代を描いた内容に近かったので、あまり宗教の臭いはなく、よくある戦国時代を描いた歴史小説として、とても読み易かったです。宗教を強く押した作品ではなく、キリスト教徒になった右近という武将を描き、偉人ともいえる人物を美化する事なく描く作家さんに好感が持てました。」

イエズス会の神父の真面目な姿には、心惹かれるものがあります。

 「法華経を生きる」

  (石原 慎太郎)

なかなかに面白い内容でした。アノ慎太郎がこのようなものをよく書いたな〜と思わせるものでした。幾つかの書評を以下に紹介しましょう。

難しい内容だが、もうちょっと仏教のことを真剣に考えてみようと考えさせられる内容である。

仏教はこの世で最も優れた宗教だ、人間のみが優れた生物だ、とかいう記述が多少鼻につくが、基本的に氏の法華経の解釈や、現代宗教界への問題意識など共感できることのほうが多い。

政治家として、文学者として、ヨットマンとして充実した人生を送る著者ならではの豊富な実体験に基づく視点と、仏典に止まらず哲学・天文学・物理学に及ぶ縦横無尽な引用はさすがですね。国会議員に立候補した際に票をもらうために霊友会に入門するなど生臭い話も隠すことなく披露しながら、法華経観とその背後にある人間観を余すところなく記しています。うん、予想を遙かに超えて面白い。既成仏教への反発じみたものや、霊的能力へのトンデモっ気のある信仰など、ちょっと引いてしまう部分もあるけれど、そうした事柄を気にならなくさせてしまうくらい、魅力に溢れていますね。

人は見掛けに因らないと言いますが確かですね・・
近代日本の日蓮主義運動

大谷栄一

本多日生上人、田中智学居士の活動を通じて明治・大正期の日蓮主義運動の全貌に迫った『近代日本の日蓮主義運動』を刊行し、2001年度日本宗教学会賞、また、中村元賞を受賞された、 大谷栄一博士(東洋大学講師・社会学)の博士号取得論文「近代日本の『国家と宗教』の研究−1880〜1920年代の日蓮主義運動の場合」である。
時代を動かした巨大な運動について、原資料にあたりつつ、近代の日本社会を動かした「宗教」と「国家」の関係にも言及する稀代の研究は各方面より高い評価を受けています。

参考に為った

マオ 

誰も知らなかった毛沢東

ユン・チアン

中国近現代史を根底から覆す衝撃の話題作

建国の英雄か、恐怖の独裁者か。

20世紀の中国を白日にさらす

伝説から真実へ、神話から史実へ−虚飾のヴェールを剥ぐ話題の書

衝撃の書!!

良く調べてる・・・

「立正安国論」と私

專禄さんの問題認識・・・よく理解できます

  
明日の日本仏教

続けて、專禄さんの問題提起・・・同感です

納得!!
「大衆的インテリ」の未来像

インテリという呼称は遠い昔のものか?

專禄さんが自責の念に駆られて書いた懺悔録とも言えるものです。

忸怩たるものが!
死の体験

カール・ベッカー教授の労作です。臨死研究のパイオニアに敬礼!!

命の尊さは何らかの結論であってはならず、あくまでも出発点に過ぎないのである。つまり、人生が有限であるからこそ、人生をいかに生きるべきかという課題が生じるのである。端的にいうと、哲学や倫理学は生き方を反省し再検討する学問である。だから、死の研究は決して暗い研究ではなく、「生」への積極的な問いかけなのである。

素晴しいの一言
チベット死者の書

遠い昔、NHKTVで見たものと同じ内容と思われるもの。

その当時は「死」について余り感心が無かったようだが、今読んでみると色々な感想が湧き上がる。

瞑想=観心 

当然だが、生き物は生まれたら死ぬ
これからの「正義」の話をしよう

哲学は、机上の空論では断じてない。金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。アリストテレス、ロック、カント、ベンサム、ミル、ロールズ、そしてノージックといった古今の哲学者たちは、これらにどう取り組んだのだろう。彼らの考えを吟味することで、見えてくるものがきっとあるはずだ。

私もTVで観て感激しました。

人を惹き付ける名講義と言えるでしょう

日蓮を現代にどう生かすか

專禄さんの終生の重要な課題・・・どう生かすか!

只、崇めるでなく!

 

 

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