『近代日蓮論』解題

 

 

近代日本にとって日蓮とは何か 

 

丸山 照雄

およそ百年余を経過した明治期以後の日本において、宗教史の側面からも、社会思想史のうえでも、一定の意味をもち、あるいは論議の対象となった「日蓮論」をふりかえり、総括的にとらえなおしてみようと私が思いたったのは、いずれかの「日蓮論」によって触発されたからではなかった。もちろん「日蓮論」の系譜は、日本近代における独自の問題領域を示すものであることは諒解しているつもりだが、あえてそれを具体的な形にまとめて提出しようとしたのは、別な角度からの発想があったからである。

現在もおびただしい量をもって書きつがれ、かつ近代思想史のうえの明瞭なひとつの径をなしている「親鸞論」の存在は、日本近代にとっていかなる意味をもつものなのか、そのことをあらためて検討してみる必要があるのではないか、という問題意識が、先行的に私のなかに芽生えていたのである。その「親鸞論」の性格と意味を浮き彫りにしていくためには、さまざまな照射の方法があるだろうが、問題をそれとして位置づけるためには、対称にあるともみられる「日蓮論」をひとまずおさえておくことが、私としては望ましいことであった。

「親鸞論」と「日蓮論」を対置することは、あまりにも常識的すぎる発想でもあるのだが、しかし両「論」の関係は、けっして単純なものではないのである。もし、これに「道元論」「法然論」を加え、鎌倉新仏教評価の「論」を合わせて考察すれば、「日本近代」の性格と内容を、宗教史の角度から総括的にとらえなおす問題の構造が、それなりのものとして見えてくるのではないかと思うのである。

そのようなわけで、私の内面では「親鸞論」への関心の深まりを媒介としたかたちで、総括「日蓮論」が浮かびあがってきたのであった。

しかし、これはあくまでも私個人の問題意識であって、「日蓮論」を読む視点も、関心のあり方も、さまざまなものがあって当然である。多様な論議の起こることが望まれるわけである。

それにしても、ことわっておかなければならないと思うのは、「日蓮」という存在の真実に迫るためには、「近代日蓮論」をなぞることによってでは、おそらく目的に到達することはできないだろう、ということである。

日蓮遺文に関する実証的な研究はそれなりの進歩をとげており、日蓮の宗教理念の世界へのアプローチ、を試みる場合でも、その前提となるべき実証作業を踏まえずには不可能である。残念なことに「近代日蓮論」として収録されている論文のほとんど(日蓮概説として冒頭に収めた茂田井教亨師の論文は、現代数学の到達点を踏まえて近年記述されたものであり、「近代日蓮論」の範疇に入らない)は、文献上の問題を考慮するいとまをもたずに執筆されたものであり、それぞれの時代の日蓮研究の限界を背負っているのである。むしろ論者の心情の表現であることが多く、場合によっては通俗的日蓮理解の情緒的評価を前提としている場合もみられる。そこには論者の思想の表現はあっても、日蓮そのものが語られているとは限らない。過去に日蓮研究者などの手によって「近代日蓮論」がまとめられなかった理由のひとつには、日蓮理解に資するところが少ないと判断されたからではなかろうか。したがって、「近代日蓮論」の読み方は、別な角度からなされねばならないだろう。つまり、日本の近代思想史・民衆精神史・宗教史を検討するうえての不可欠の文献としてである。

親鸞.道元などにかかわる多産な論述に比較した場合、知識人と呼ばれる人々の間で、日蓮への関心を示した者はまれであった。しかし逆に、日蓮の名をもって語られ伝えられたものが、民衆の宗教心情におよぼした影響、政治・社会思想に与えたインパクトは、きわめておおきなものがあった。今日でも日蓮系(または法華経系)新宗教の下に組織された膨大な人口を念頭におけば、日蓮の宗教によって触発されて起こった「亜日蓮仏教」(=題目教団として一括される)の広がりは、現代社会にとって重大な意味をもっていることに気づくだろう。つまり、そこに内包されているネガ・ポジ両様の「亜日蓮論」(法華経主義や日蓮仏教を否定した題目教団が多数存在するにいたった)は、現代においても少なからざる問題性をはらんで生きているのである。それらの源流と再生構造をたずねようとした場合、本書の総括「日蓮論」は、一定の視角からのこたえを用意しているはずである。また、これらの現象を通して「日蓮理解」の近代(本来は日蓮信仰の民衆史によるのだが)における通俗化された普及そのものが、知識人の生理的拒否反応を誘い、日蓮を遠ざけしめた理由にもなっていることを知ることができるであろう。

「近代日蓮論」によって語られているものは、おそらく日蓮を媒介として、いかなる思想家が、いかなる形で時代精神を表現したかという一事に約されるであろう。もちろん、そのような思想表白は親鸞・道元だとの場合も同じことであるが、その現われ方において、驚くほどの率直さが読みとれるところに「日蓮論」の特徴があるといえるだろう。ほとんどそこでは、日蓮その人とかかわりのない主観的自己主張の論となっている例を見ることもできる。そして、今日の「亜日蓮論」においても、その事情は同じである。

親鸞においてもっとも典型的ともいえる求心的な反復反芻の思惟構造に対して、日蓮の宗教的思惟は、螺旋的展開深化の構造をもち、問題の範囲は法然・親鷺の「撰択」による集中ではなく、マンダラに象徴されるように「包括」主義である。それゆえに論者は、それぞれの主観によって実に多様な解釈を生みだすことができ、対立と矛盾の日蓮像が各人によって描かれることになる。日蓮像の多様性と相互矛盾は、同時代の仏者と比して、まれにみるものであるといっていいだろう。

このことをもってしても明らかなように、日蓮認識はきわめて難解なものであり、一般的な手続きをもってしては、その像の全貌に迫ることはできないし、教理解明もできないだろう。近・現代の「日蓮論」を通観するならば、日蓮認識への営みは、いまだ暗中模索の過程にあることを実感せざるをえないのである。少なくとも、対象と認識主体との関係において、心情主義は排されなければならないし、「方法」上の問題の自覚は最低限必要であるだろう。この二条をふまえる構えがないかぎり、日蓮そのものに迫ることも、その宗教世界に、現代の問題を問いかけ、応答を得ようとすることも、不可能である。その事情は「親鸞論」「道元論」の場合においてもまったく同じことなのだが、「日蓮論」の場合は、もっとも顕著に、その矛盾が表現されているのだといえよう。主観主義による思いいれの教学や心情的思想表現が生みだすものは、自己に即して対象としての日蓮を規定するということである。宗教的心情の傾斜は対象を尊重崇拝しているかにみえながら、実は自己の願望や主観に寸尺を合わせて対象を矮小化することになりかねない。この百年間の、このような試行錯誤に対して、反省があってもいい時期ではないだろうか。

親鸞や道元などの場合には、教理表現において、一定の抽象レベルを保っていることにたすけられて、それを語る「論」に自己破綻が目だたないのである。本来は日蓮と同様に、その教理を歴史現実の所産として、歴史へ還してとらえなおさねばならないはずである。その手続きを省いても、一見「歴史を超え」て理解し、交通し得るものとされてきたのは、明らかな錯覚である。

日蓮の場合は、自らが生きた時代と、対告者の個別的な生活現実へのかかわりを通して、教理展開がなされてきた。そのなまなましい歴史現実を捨象してしまえば、日蓮の宗教的生命は洞渇してしまう。概念化をはかり、教条化へ向かった日蓮教学がおちいった先は、歴史現実との対応のなかでいきづいていた日蓮の宗教生命を断つことであった。その教条的教学が「歴史」をいかに処理したかといえば、「日蓮の世界の伝記化」である。日蓮は「伝記」と「伝説」の虚構のなかに埋没せしめられたのである。それは、日蓮自身の「自己認識」とはほど遠いものであった。「日蓮論」において示された「破綻」とは、そのことを指すのである。

日蓮遺文に直接ふれることを通して、容易に日蓮の世界へ「直参」が可能であると考えたのが、近代日蓮讃仰者の一貫した姿勢であった。「読む」ことの「方法」についての反省はほとんどみられない。日蓮の言葉の直訳によって、錯誤のうえに錯誤が重ねられたのである。

鎌倉時代(十三世紀日本)とはいかなる時代であるのか、日蓮においてはいかなる時代として受けとめられていたのか、そのことを把握することを抜きにして、日蓮がめざした宗教世界の意味は解明できないであろう。と同時に、鎌倉新仏教総体への評価もなし得ないはずであるし、現代においてそれがいかなる必然性をもって、意味と意義をもつのであるかも、明らかにならないのである。

明治以後の数多い「日蓮論」のなかには、宗教者としての鋭い感性によって、日蓮の宗教の真実を発見し、表現に成功した文章をみいだすことができるが、それはあくまでも直感によって導きだされたものであるために、過ちをただす点でも、全体像を求めるうえでも、弱点をもっていた。その結果、「日蓮論」のほとんどにいいうることは、表現のボルテージの高さに比して、非讃仰者、非信仰者への説得力に欠けるという事実である。今日においても、日蓮へのイメージは「日本的仏教」「民族宗教化した仏教」「もっとも日本人的仏教者」であり、ナショナリズムの宗教としての理解が定着している。その極端な例が超国家主義の先駆としての日蓮という解釈であろう。これらの過誤は、すべて「直感」にもとづく「直参」教学が生みだしたものであった。

 

近・現代の代表的な「日蓮論」の叙述者を挙げると、およそ次のような人々の名前が数えられるのではないだろうか。(本書収録者を除く)

清水竜山、山川智応、姉碕正治、本多日生、浅井要麟、小林一郎、鈴木一成、姉尾義郎、望月歓厚、里見岸雄、藤井日達、牧口常三郎、室住一妙、執行海秀、田村芳朗、戸萸重基(教学者、讃仰者、運動家など)

植村正久、村上専精、矢内原忠雄、増谷文雄、大野達之助、家永三郎、佐木秋夫(仏教他派、キリスト者、学者など)〈順不同〉

右に名をつらねた人々の他にも、日蓮の宗教にかかわって論じられた多くの論述があると思われるが、編者として一応念頭においたのは、以上のような人々であった。文学者の作品に日蓮が素材としてとりあげられた例もあるが、それらはここでの範囲に入らないだろう。

右に列挙した人々の他に、重要な「日蓮論」として、上原専禄の講演・論文・著書などがある。いま私は上原専禄の名前を、右の諸家と並べて記す心境にない。私情といえばそれまでであるが、日蓮研究の歴史のうえでも、その宗教継承のうえでも、格別の位置を占めるものであり、「日蓮論」の画期をなすものだと考えるのである。一般的にはほとんど論及されたためしもなく、日蓮に関する研究書や啓蒙書などにも、その名前も文献も挙げられたためしがないのである。これは研究者らが、意図的にその文献を掲げることを避けているものとしか思えないのである。少なくとも1965、66年に行なわれた「岩波講演」以後に発表された諸論は、日蓮研究者にとっては不可避の視座を提起したものであり、特に方法論上の総括的な問題の提出は、研究者らが、なんらかの応答を示すのが当然である。日蓮研究にたずさわっている専門家たち―― 仏教学者、教学者、歴史学者ら ―― のいずれもが、上原専禄の「日蓮論」を注意深く回避し、無視し通そうとしている、その不自然な状況が、逆にその存在の重さを実証しているともいえるだろう。私の個人的事情もあって、その論文の一端を収録することをも断念せざるをえなかったのは、まことに残念であるが、本書の内容を解読するためにも、並読されることを希望したい。『死者・生者―日蓮認識への発想と視点―』(未来社)、『クレタの壷―世界史像形成への試読―』(評論杜)などである。また、方法論上の問題は、『日本の思想・日蓮集別冊』(筑摩書房)収録の「日蓮認識の諸問題」と、『本願寺教団』(学芸書林)所収の「親鸞認識の方法」を合わせ読むことによって、その基本的な構造を知ることができるであろう。

本書を通しても明らかに読みとれることだと思われるが、この百年間に記述された論著のなかで、代表的な「日蓮論」と目されるものが、日蓮の宗教に拠った人々のものではないという事実は、いかように解釈したらいいのだろうか。例えば真宗大谷派の僧侶であり、真宗近代教学の祖でもあった曽我量深、無教会派をたてたクリスチャンの内村鑑三、その後継者である矢内原忠雄など、異教・他宗派の立場の「日蓮論」が、むしろ時代を超え、立場の相違を超えて共感を生むであろう普遍性を内包しているのである。平和運動によって知られるところとなった「日本山妙法寺」(教団)の創唱者である藤井日達は、熊本の真宗門徒の家庭に育ったが、内村鑑三の「日蓮論」にふれて仏教修学の志をたて、出家したと語っている。現代仏教を代表する僧侶といえる藤井日達が、日蓮讃仰者の著わした「日蓮論」によってではなく、キリスト者の「日蓮論」によってその人生を決していったという事実が、もっとも象徴的にその事情を物語っていよう。

田中智学によって主張された日蓮主義(本多日生も加えねばならないが)の論説が、明治・大正・昭和にわたって多くの人々に強烈な影響を与え、高山樗牛、宮澤賢治をはじめ、仏教社会主義を唱えた妹尾義郎や数多くの右翼思想家や職業軍人にまで及ぶ日蓮讃仰者を生みだし、在家主義仏教運動(日蓮系新宗教)を牽引した事実は認めなければならない、が、その思想は体制のイデオロギーの限界でしか生きることはできなかった。つまり、日本帝国主義の消長にからめとられる命運を負っていたのである。しかし、異教・他宗の人々の「日蓮論」は、それを超えうるものをもっていたといえよう。そのへだたりがなぜ生まれたのかについて、いま詳述するいとまはないが、日本近代の思想史・精神史の問題としての「日蓮論」がもつ重要な意味がそこにあると私は考える。

本書編集にあたって代表的教学者の論がまったく収録できなかった理由は、紙幅の限界にもよるが、みるべき「日蓮論」がなかったことも原因のひとつである。ほとんどが伝記的記述にたよるため、長大な啓蒙書の形をとっていて「論」とはなりえていない。講義形式の解説や研究論文では本書の内容にそぐわぬにわけで、結局のところ、教学者は、「日蓮論」をほとんど書いていない、ということになる。このことは、日蓮教学の伝統的スタイルと発想を示していて、興味深い問題である。

日蓮教学に限った問題ではないが、宗派教学はほとんどすべてが閉塞的な教団内の隠語的世界を形づくっていて、開かれた言葉で教義解説も思索もなしえていない。教団内の特定者間において通ずる文脈と熟語を使用して、厚い壁を形づくっているのである。宗派ナショナリズムに依拠する彼らは、その壁を取り払おうとする努力さえしていない。その発想のスタイルと文体と特殊概念自体が、前提的に封建教団の思想性を内包しているといっていいだろう。このような教学の構造のなかから、非信仰者に通じうる「日蓮論」や「親鸞論」が生まれてくるわけはない。思いいれと白已満足の教説のみが多産されているのが現実である。いいかえれば、教学者にみるべき「日蓮論」が生まれなかった理由のひとつは、教団外の大衆に向かって語りかけることがなかったからであろう。

 

日蓮認識のたださるべき諸傾向について、上原専禄は五つの項目を挙げて批判しているが、現に行なわれている「日蓮論」「日蓮理解」をとらえなおすうえでも大切な視点なので紹介しておくことにする。

……改めるというか、深めるというのか、補うというのか、そこが大変むずかしいところですね。日蓮認識の方法とか日蓮研究の方法というのは、ぜんぜん熟していないのです。方法として確立しているわけでもない。うまくない日蓮認識として、過去に五種類ぐらいあるのじゃないかと思います。第一は神秘主義的な日蓮信心というもの。やはり今後の日蓮評価のあり方としては、否定されなければならないのじゃな

いか。第二は教条主義的な日蓮信仰というもの。これは止揚されなければならないのじゃないか。第三は政治主義的な日蓮評価。例えば日蓮を国家主義の元祖というように考えたり、あるいは民主主義の元祖のように考えたり、日蓮の名において民主政治が行なわれるとかというのはおかしい。政治主義的日蓮評価というものはいけない。第四は教養主義的日蓮礼讃ですね。これは、たまたま日本のインテリの中には親鸞や道元を好む人が多いのですけれど、日蓮礼讃の人もあると思うのです。日蓮の教えというものは教養の一部になるようなものとは違う。ある意味では、教養なんていうことを否定するものです。教養主義的な日蓮礼讃というものはやめなければならない。最後に、学問主義的な日蓮理解。少なくとも自分は、そのような日蓮理解や評価はすべきじゃないと考えております。

(『日本の思想・日蓮集』別冊)

このあとに、「日蓮認識」「日蓮評価」、のゆがみと欠陥を克服していくための「方法」の大綱が述べられているのであるが、その点は長くなるので、ここでは触れない。しかし、右に数えられた五項目の問題だけをみても、行なわれている日蓮信仰と日蓮理解のすべてがふくまれているのである。この状況を克服していくためには、その課題を担っていく実践性をもった認識主体が形成されなければならないであろう。上原専禄は自らその課題をおのれに課して生きぬいたのであった。

だが、今日の日本の大衆のなかに流布している日蓮の像は、教団やその周辺の者たちによってつくりだされた「教義」と「伝記」で形づくられており、その日蓮理解を改めることは容易なことではない。たとえば「伝記」といわれるものも、「伝説」と区別のつかない形で再生されてきたのである。「伝説」にもいにろいろな種類があって、民衆のつくりだした、いってみれば民衆精神史のうえで重要なものもあるし、寺の転宗の理由づけや創建にかかわって創作されたものもある。民衆精神史とのかかわりでみるかぎり「伝説」をいちずに退けるような立場を私はとらないが、しかし、日蓮の生涯を解き明かしていくためには、史実と伝説は最低限、区分されねばならないだろう。いまや日蓮系宗教の主流は「神秘主義」であり、その内容は修験宗と化している。その歪曲を正当化するために、伝説化した伝記が利用され、ますます虚構の世界を拡げているのである。この伝説伝記と教条的教学は相互補完の関係にあって、心ある大衆を日蓮から遠ざけしめる結果になる。さらに、このような信仰をおおっているのが政治主義的な日蓮解釈であり、仏教の教理概念がいつの間にか党派政治の〈言語〉になっていたというような、笑うに笑えない陳腐な現象がすでに起こつ.ているのである。

日蓮の行実とかかわりのない伝説をもって日蓮がイメージされている現象は、大衆のみならず知識人にまでおよんでおり、仏教教学者や僧侶までも、その虚構にとり込まれている場合をしばしば知って驚くのである。ことほどに、日蓮認識・日蓮理解はたちおくれているのである。また歴史学者らによって客観的に描かれた記述は、宗教性を無視したものとなり、ときには現状の日蓮信仰への批判を、鎌倉時代を生きた日蓮その人へおしつけようとする場合もみられる。これは客観の装いをした恣意的作文といわねばならない。

日蓮認識にまつわる問題を数えあげていけば際限のない捏造と歪曲の実態を洗いたさねばならなくなるだろう。にもかかわらず、近代日本の思想史・社会史のなかで一定の意味をもった「日蓮論」をここに集めて、日蓮理解と釈意の歩みを見とどけることは、近代への批判的視座を確立していくうえで是非とも必要な作業である。日蓮を敬して遠ざけた知識人の姿勢は、近代の「知性」なるものが内包する横着な恣意性を映しだしている現象かもしれないのである。日蓮の宗教世界が明かされていく過程で、それらのことも照射しなおされることとなるだろう。そのためには、いまだ端緒に就いたばかりの日蓮研究・日蓮認識の営みにおいて、速やかな進展をみることが望まれるわけである。いうまでもなく私自身の課題と責任もそこにあるのだと覚悟しているのである。

本書の編集を意図した最初の契機となった「親鸞論」への関心も、実は日本近代の知識人の生みだした「人文主義」「教養主義」によるところの独善と恣意性を根底から洗いなおそうというひそかな意図があったからである。「日蓮論」の系譜は荒々しい論者の情念の表現と白已主張でしかなく、日蓮その人が十三世紀日本社会に生きて、思惟し、信心を確立した、その内面世界へたち返り、その時代と生涯を追体験しようとする過程を踏んでいない。にもかかわらず、これらの「日蓮論」に愛惜を禁じえないのである。それは、内村鑑三、曽我量深、矢内原忠雄などのそれが、近代主義への批判を「信仰」を砦として、頑強に維持しているからではないだろうか。また田中智学に関しても、政治思想の視角からの教条的イデオロギー批判をもって片づけることに反対である。田中智学の思想は、もっと深いところで、日蓮門流の悲劇と時代の悲痛を表白していると考えるからである。開明的近代教学を求めて文献学などをとり入れ、ヨーロッパ学の洗礼を受けた真宗の場合に比して、日蓮主義運動は明治政権の宗教政策の枠組みのなかで格闘をつづけていた。田中智学を規定したものは日蓮の教団の貧しい現実であり、明治「国家」そのものであった。その悲劇は、智学一人に負わせるべきものではないだろう。同様に、日蓮教学のたちおくれは、智学の運命と等しかった。そして百年を経過したいま、日蓮研究は一挙にそのおくれた時を縮め、未熟さを克服する期に来たのだといえよう。

 

 

 

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