明日の日本仏教

 

上原 專禄

 

過ぎ去った昨日、現に我々が生きている今日のことでも、はっきりわからないことが多いのに、どうなるかわかりもしない明日を問題にするなどということはもってのほかだ、という考え方もあるだろう。しかし、どうなるかわからないのが明日であればこそ、それを問題にせざるをえない、とするのが宗教の立場というものであり、ことに仏教の立場というものではあるまいか。

 

 明日を問題にすることへの、より深い疑問は、宗教というもの、ことに仏教というものは歴史的時期によって、この意味や在り方にちがいがあるべきものだろうか、という疑問だろう。政治と経済、社会と文化、それらは昨日という歴史的時期、今日という歴史的時代によって、違った意味や在り方を示してきたし、明日という新しい歴史的時期になれば、またいままでのものとはちがった新しい意味や在り方をもつようになるだろう。しかし、宗教ばかりは――ことに、仏教ばかりは――政治や経済、社会や文化の時代的差異をたちこえた、なにか永遠にかわらない意味や在り方をなすべきではなかろうか、こういう疑問が、とくに仏教の明日的在り方を問題にしようとするものにたいして、提起されるでもあろう。こうした疑問は、ちょっとみると常識的であるようだが、じつは、仏教教理の面からしても、仏教史の伝統の面からしても、相当深い根拠がある、とおもう。過去・現在・未来の三世を説くのは、仏教教説の常道ではあるけれども、そこでいう過去・現在・未来というものは歴史的時期や歴史的時代のことではない。過現当の三世は、本来、輪廻転生の思想や観念において理解されるべきものであって、連続した時間を通してなにか一つの意味が実現されてゆくその諸段落を意味するものでは、けっしてないだろう。こうした諸段落としての過去・現在・未来の思想や観念は、ユダヤ教やキリスト教やイスラムの教理には深く存在しているけれども、ヒンドゥー教や仏教には、存在しない、というべきだろう。ただ正法・像法・末法の三法を想定し、とくに当代を末法として自覚する意識の構造のうちに、仏教として可能であるかぎりの、ギリギリの歴史意識や時代観念というものが存在はした。しかし、正像末の区別は、主として、仏教信仰の形式と内容のちがいに着眼した時代別であって、現世的なものとしての政治や経済、社会や文化の違いを問題とした時代別であったわけではなかろう。いずれにしても、世外に立つことを本旨としてきた仏教では、現世的なものの時代的相違などというものにたいしては、超然たる態度をとるのが普通だった、といえよう。だから、昨日・今日という歴史的時期と区別された、明日という歴史的時代にかかわって、仏教の意味味や在り方を問題にしようとするその基本的態度が疑われるのには一理も、二理もある、といえるわけだ。

こうした疑問を、仏教教理の面から、あるいは仏教史の伝統の面から、解いてゆくことは、普通想像されている以上に、はるかに困難な仕事だ、と私はおもう。この疑問は、より一般的なかたちになおすと、仏教信仰と歴史意識とを結合させることができるかどうか、結合させることができるとすれば、それはどういう仕方においてであろうか、という問題になるだろう。そして、ある意味では、この問題は、仏教的なものとキリスト教的・西欧的なものとは、いったい結びつく可能性があるのかないのか、という問題であるだろう。ところで、いまの日本の仏教界の大勢をみるとこの疑問なり、問題なりが、きびしくは意識されておらず、なにかあいまいなかたちをとって、便宜的に処置されているように、私にはおもえるのである。仏教では、現世的な歴史的時代などというものを考慮におくべきではない、というようなさっぱりした見解や態度が示されているわけでもなければ、いままでの仏教教理や信仰伝統を超越して、今日から明日へかけての現代というものへの歴史的自覚のうちに、仏教信仰を定着させようとする意識的努力がなされているわけでもない。だいたい仏教界の情勢についで暗い私のことだから、認識不足や誤解もあるだろうが、これが日本仏教の今日の姿ではあるまいか。もしそうだとしたら、明日の日本仏教は、そのようなものであってはこまる、という素朴な感想が生れてくる。

 

このような素朴な感想――だから、それはまだ思想にもなっていないし、いわんや理論などには遠いものだが――に立つと、いままでの仏教教理や、仏教史の伝統ではどう扱かわれてきたか、という問題を別にして今日から明日へかけての現代というものが、いわばなまのままで、問題になってくる。逆にいえば今日から明日にかけての現代をなまのままで、問題としてすなおにうけとる立場に立つと、ほかのたくさんの問題といっしょに、この現代というものを仏教ではどううけとめるつもりか、という右の問題がおこつてくるわけだ。つまり、いままでの仏教教理とか仏教史の伝統とかを前提にして、あたらしい歴史的時代としての現代をどう理解し、その現代にどう接触すべきかを問う立場ではなく、逆に、時代へのなまの問題意識を出発点として、いままでの仏教教理や仏教史の伝統の意味や価値を問おうとするのが、私のいまの立場なのだ。そのような素朴な立場は、学者でもなければ、特別に仏教者でもないところの、国民的で大衆的な立場だ、と思うが、そうした国民的・大衆的立場で、今日から明日へかけての現代というものが荷なっている多くの困難な問題について考え、かつ苦しんでゆく、その困難な問題の解決にすこしでも役だつものなら、なんでも使いたい、という気持になってくる。そこで、仏教というものが役にたたないかどうかをあらためて問うことにもなり、それを問いただしてゆくと、仏教というものが、いや、日本の仏教界というものが、歴史的時代にたいしてきわめてあいまいな態度しかとっていないことが発見され、同時に、それではこまる、という感想がおこってくる、という順序だ。こういうと、仏教界では、そうした点であいまいなのが、仏教というもので、あいまいなのがかえってよろしい、というような意見もおこるだろう。しかし、この意見に、私は賛成できない。なぜなら、仏教がそういうあいまいな態度をいままでとることができたのは、仏教が存在してきたいままでの歴史的時代が、それをゆるしたからにほかならないのであって、今日から明日にかけての現代という困難で厳しい歴史的時代は、そういうあいまいな態度をとうていゆるさない、と考えられるからだ。こういう考え方は、もう仏教の教理も信仰も行持も、そのすべてを存在させたり、存在させなくなつたりするものは、歴史的時代にほかならない、という考え方を前提にしている。こうした考え方は、仏教者にとってはつらい考え方であるかもしれない。しかし政治も経済も社会も文化も、みないままでの意味や在り方が疑問になっているとき、ひとり仏教だけが除外例でありうるはずはない。仏教はありがたいものなのだから、どんな時代になっても、ありがたいものにしておこう、というような独善的な考え方や、いくらかは時代のなやみにたいしてつきあってゆこう、というような便宜的な考え方を、根こそぎひっくりかえそうとするのが現代なのだ。なにか気にそまぬ点はあっても、思いきって現代の問題をなまのままに感じとり、なにかいい分めいたものがあっても、はだかになってなまの問題を荷なってゆく国民的・大衆的な立場まで、仏教というものが降りてこないと、明日の日本には仏教が存在する余地などなくなるだろう。それがいやさに、しぶしぶ現代につきあおうというなら、そんな仏教はこちらの方でごめんをこうむろう、というのも現代のきびしさの一つだろう。

こうしたことも、結局は、素朴な感想の一つにほかならないのだが、いやおうなしのそうした感想に立つと、いままでの日本仏教の在り方というものが、あらためて反省されてくるし、その反省を通して日本仏教の明日の在り方についでの注文もおこってくる、というものだ。

 

第一に、日本仏教は、いままでどこに存在していたか、それについで考えてみる。飛鳥時代に、仏教が日本ヘつたわってきてから、今日にいたるまで、仏教は寺院を中心として存在してきた、といえるだろう。寺院が中心であるといっても平安朝末期までの古い仏教と、平安朝の末期から鎌倉時代の中期にかけて成立したあたらしい仏教とではその意味もかたちもちがうけれども、寺院に仏教の中心があったことには、かわりはあるまい。それも奈良・平安時代には、堂塔伽藍を建立すること、建立された堂塔などで仏事を勤行すること、そこであるいは祈祷がおこなわれ、あるいは読経がおこなわれ、あるいは礼拝がおこなわれること、そういう今日から見れば外面的で外形的にすぎぬと考えられるでもあろうことのうちに、仏教とそれへの信仰が存在していた、とみられるだろう。しかるに、平安末期から鎌倉中期にかけてのあたらしい仏教では、信仰の内面性が強調されるようになってきた。法然しかり、栄西しかつ、日蓮しかりであるが、とくに親鸞や道元になると、他力・自力の区別はあるが、ひとしく信仰の内面性が強調されるようになってきた。信仰は寺院のなかにあるのではなく、ひとりひとりの心のなかにあるべきだ、ということになってきたわけだ。しかし、浄土真宗にせよ、曹洞・臨済の両禅宗にせよ、日蓮宗にせよ、新仏教が宗門宗派のかたちをとるようになると、どのあたらしい宗門でも、鎌倉以前の古い仏教とあまりかわらぬかたちをとるようになり、ことに室町時代にはいると、どの宗派も、またまた寺院仏教になってしまった、といえるだろう。その伝統が今日までつづいていて、教義や修行の原理にはおおきいちがいがあるにもかかわらず、奈良・平安時代以来の古い仏教の諸宗も、鎌倉時代以来の新しい仏教の諸宗派もほとんどかわらぬ寺院仏教に、今日ではなっている。ことに檀家の平信者の立場からすれば、めいめいの安心や解脱の問題をお寺にあずけてしまって、お寺まいりや、年忌年忌の回向というものと、信仰というものとを同一視するような状態になってしまった。

もとより、仏教信仰のこうした形式化や外面化にたいしては、平安末期から鎌倉中期にかけて、厳しい批判や内省がおこなわれたように、明治以後にも、信仰の内面性を強調する動きが、とくに浄土真宗や禅宗や日蓮宗では、いろいろのかたちで生じてきた。そのなかでもキリスト教(とくにプロテスタンテイズム)の信仰形態にすくなからぬ刺戟を受けて、信仰の内面性を強調するようになったものは、浄土真宗であっただろう。また禅宗の方面では、曹洞と臨済とでいくぶんのちがいはあるとおもうが、哲学的で、思弁的なその一面が、明治・大正のインテリゲンチアの思索的傾向に投じ、それが逆に禅思想の内面化をうながすようなこともあって、禅宗もひとりひとりの心に生きるべきだ、と考えられるようになってきた。仏教というものが単なる思想、単なる哲学とおもいこまれるような傾向を、私自身はあまりおもしろいとはおもわないが、それは私だけの感想としておこう。いずれにしても、明治・大正いらい、仏教信仰の内面化が、ある程度までおこなわれるようになってきたのは、一つの歴史的事実である。そして、こういうあたらしい傾向に立っている人たちは、仏教信仰というものを、寺院などのなかにあるべきものではなく、ひとりひとりの心のなかにあるべきものだ、というふうに主張してきた。そして、そのひとりひとりが、あるいは救われ、あるいは悟ることが、眼目である、という考え方を、そのひとたちは、陰に陽に弁護していた、とおもう。

ところで、こうしたありかたの仏教や仏教信仰は、いったいどういうはたらきを日本人の心理と生活のうえにおよぼしていただろうか。仏教の新旧で、はたらきかたはちがうし、新仏教のなかでも、宗派のちがいにしたがって、そのはたらきも同一ではないが、総じていえることは、日本の仏教というものは、日本人の目を社会生活の不安、矛盾というような問題からそらす作用を演じてきた、ということだろう。もとより、それは仏教のはたらきにおける消極面のことで、積極的な作用は、日本人に世外の慰安を与えてきた、ということだろう。「慰安」などというと、不謹慎なようだが、歴史的現実として社会生活の不安や矛盾を、どうにもならないものだ、と観念させ、そのおいつめられた意識を、世外にさそって、そこで意識の緊迫性を解消させる、という仕事を、仏教はやってきた、といえるだろう。このことは、いわゆる寺院仏教の場合でも、ひとりひとりのこころを問題とする内面的仏教の場合でも、すこしもちがわない。寺まいりや、そこでの読経や礼拝のうちに「法悦」をもとめる信者のこころが、たとえば歌舞伎見物のうちに一種の、やはり「法悦」を味わおうとする観客のこころに通じたものがあるとすれば、ひとりかぎりの観想や念仏三昧に「法悦」をもとめる仏教人のこころは、茶室でひとり香をきいたり、茶をたのしんだりする茶人の「法悦」にかわらぬものではあるまいか。要するにいままでの仏教は歌舞伎のようなものであり、茶道のようなものであつた、といえばいいすぎだろうか。

歌舞伎がわるいはずはなく、茶もいけないという道理もないから、日本の仏教が、歌舞伎見物や茶三昧のようなはたらきを、今後もつづけたとしても、むやみにそれを否定するわけにもゆくまい。しかし、そうだとはなしがわかってみると、仏教というものも、しかつめらしいかたちをしているだけで、なんともたわいのないことになる。そればかりか、そうした仏教のはたらきが度をすごすと、社会にとって実害を意味するようにもなってくる。仏教というものに本来冷淡なら、度をすごしてはこまりものだ、と警戒するだけで、話をおわってしまってよいわけだか、仏教にたいしていくらかでも期待があり、いくらかでもりっぱにはたらけるはずだ、と考えている人間にとっては、これで話をしまいにするわけにはいくまい。今日の仏教としては、大いにめいわくでもあろうが、すこし注文をつけてみたい。

 

これからの日本仏教、明日の日本仏教は、寺院のなかに存在しているものでもなければ、ひとりひ とつのこころのうちに存在しているものでもなく、ドロドロしたこの現実の社会生活のまっただなかに存在しているものに、なれないものだろうか。社会などというものは実存するものではなく、個人がつくりだした影のようなものだから、そこに仏教を存在させることなど、とうていできない相談だ、というひとがあるなら、ひとりひとりのこころなどというものは、そのように実存的なものだろうか、と私は反問しだいのだ。仏教哲学の、いろはのような理窟をこねまわすのはやめにするが、ひとりひとりのこころなど、あてにもなにも、なるものではなかろう。ひとりひとりのこころなどを甘やかすから、せっかくの仏教が宗教でなくなってしまい、思想や哲学まがいのものに転落してしまうのだ。幅も奥行もきまっており、かたちも中味もきまっている「こころ」などというものが、あらかじめ存在していて、それが社会はどうの、仏教はどうのと考えたり、寸法をはかったりするのではなく、問題で充満している社会の歴史的現実によって、幅も、奥行も、形式も、内容も、意味も、理由も与えられるものとして、「こころ」は、自分自身を意識するだけのはなしではあるまいか。理窟はやめよう。明日の日本仏教は、そうした「こころ」などのうちに、たよりない存在をもつことをやめにして、その「こころ」を規定する歴史的現実のまっただなかに自己の存在をもとう、とするわけにはゆかないものか、と私はいいたいのだ。ところで、明日の日本仏教は、ドロドロしたこの現実のまっただなかに存在するようになれば、それでよい、というのではない。ひとくちにいえばこの現実の社会生活の不安と矛盾として要約されるだろうところの困難な諸問題を、まさに問題としてうけとめるものとして、存在してほしいものだ。問題をどううけとめるか、そのまえに、なにを問題として意識するか、そのしかたのうちに、もう、日本仏教の新しい教理と信仰形態が生れてくるだろう。歴史的現実をかたちづくっている諸問題の意味や構造を、どう理解するか、という問題は、歴史学をもふくめた社会科学の問題であるにちがいないが、そうした問題の理解や把握には、いわゆる社会科学的方法以外のものとしての、仏教的方法というものがあっても、よいだろう。だいぶん先のことをいっているので、話がわかつにくいかもしれないが、本来ヨーロッパでうまれ、そこで成長してきた社会科学の観察方法や認識方法を消化した仏教的観察力法が生みだされることのうちにも、日本仏教の新しいすがたが望見されるだろう、と私はいいたいのだ。もとより明日の日本仏教も、歴史的現実をかたちづくっている諸問題の、単なる認識や理解に終るべきものではない。そんなことに終ってしまえば、仏教は一種の学問になってしまうだけの話だ。「問題をうけとめる」というからには、単なる認識や理解に終ることなく、問題の実際的解決のために、仏教ははたらかなければならない。そのはたらきかたを、ここで想像することは、私にはもとよつ不可能である。しかし、日本の仏教が、かって寺院から、ひとりひとりのこころのなかへと、居をうつしたように、ひとりひとりのこころのなかから、このドロドロの現実の社会生活へと居場所をかえるようになったら、そこで仏教がどうはたらけばよいか、という問題にもおのずから答えがでてくるだろう、と私は楽観している。

 

――1956.10.28――

 

 

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