合理化の時代

海棹忠夫

怨霊あるいは御霊の観念は、日本の思想史において、どういう意味を持つものであろうか。

怨霊は、非業の死を遂げた人物の怨念が凝り固まって、生きている人間にとりついて、祟りをするのである。そしてしばしば、恐ろしい疫病の原因となって、広く一般民衆に災害をもたらす。災厄を免れるためには、御霊会を催して、死者の怨霊を慰めねばならないのである。

日本古来のものの考え方からいうと、こういう怨霊の思想は、どうも少しおかしいような気がする。日本の神様は、おおむねもっとサッパリしていて、「うらみ」や「たたり」が人格的レベルにおいて発動することは、あまりなさそうに思われる。「けがれ」の観念はあるけれど、これは非人格的なバクテリアによる汚染のようなもので、「おはらい」つまり一種の消毒によってきれいになる。固有信仰のなかに、もちろん生霊あるいは死霊についての観念はあるけれども、これほどに個性的・人格的であり、これほどに高度の呪術性を持つにいたるには、何か外からの思想的影響を強く受けたのではないだろうか。

それは何かというと、わたしはやはり、陰陽道であり、ひいてはその背景をなす道教の伝来ということを考えたい。

日本の仏教の伝来については、繰り返し説かれるが、道教の伝来とその影響については、あまりいわれないのは、どうしたことか。しかし、道教の存在がはやくから知られていたことは、明らかである。空海の留学前二十四歳の作品「三義指帰」というのは、一種の比較宗教論であるが、そこでは道教が、儒教・仏教と並んで考察されているのである。道教それ自体は、日本に体系的に導入されなかったが、留学生たちは、現地において習俗化している道教のことはよく知っていたはずである。戦後のアメリカ留学生が、それぞれ専門の学術のほかに、たくさんのアメリカ的生活習慣を日本に持ち帰ったように、当時の留学生の持って帰った旅行カバンのなかにも少々本筋でないものまで、たくさん詰め込まれていたとしても不思議ではない。そのなかで、とくに重要なのが、陰陽道であった。

陰陽道というのは、もともとは陰陽五行説に基づく自然哲学であり、また天文・暦算に関する科学ないしは技術であった。奈良時代に日本に伝えられ、やがて律令制のなかの官僚の一種として、陰陽師というものがおかれ、疫病・動乱だとの予知、原因の探究、処置の判断までをつかさどる呪術者となっていった。いわば、防災科学技術者である。陰陽道をもって道教そのものというわけにはゆかないが、その祭式の多くのものは道教起源であり、両者の結びつきは非常に深い。

呪術はもう一つの科学である。現代文明に連なる近代科学のコースとは別に、呪術のコースは連綿として続いている。

呪術は日本ばかりでなく、世界中のあらゆる社会にいまもあるが、最も高度に発展した呪術的社会はアフリカである。そこでは、クスリが重要な呪術的技術になっており、政治・経済・文化などあらゆる社会現象に対応するクスリが用意されているのである。アフリカ政治ひとつを理解するにも、クスリを媒介とした呪術の体系がわからなくては解明されないだろう、とわたしは思っている。

ところで、日本でも卑弥呼の時代から呪術は開発されていたが、それが技術として前面に押し出されてくるのは、平安時代である。日常生活のさまざまな行動は、多くは呪術によって決定された。そのとき、呪術というのは、いわば合理的な技術の体系であったのだ。御霊に対抗するための御霊会なども、もちろんそのようた呪術的技術の一種であった。そして、古代的で素朴な日本人の精神に、高度に洗練された合理的技術の体系を供給したのが、外来の陰陽道ないしはその背景としての道教であった、とみるのである。

御霊の歴史をみると、道真、将門あたりをヤマとして、あとは大きな御霊は出現しない。その盛衰は、陰陽道の盛衰とほぼ一致している。その後この系統の技術は民間にもぐり、今日まで続いている。結婚、葬式の日取りにおける大安・友引・仏滅、また鬼門・恵方などの方位の問題、丙午などの干支と運勢など、みんな陰陽道の現代的残存である。

怨霊に対する対抗呪術の体系は、しかし、陰陽道だけではなかった。もう一つは仏教であった。仏教もその教義の高度の理解のほかに、一般には、一種の科学技術の体系として受容されていたことは間違いない。仏教においても、死霊をしずめるための技術が盛んに開発され、陰陽道と競い合った。いわば、どちらのマジナイがよくきくかという、マジナイ合戦であった。これを、道教対仏教の思想闘争とみるならば、このたたかいにおいて、道教は完全に敗退したのである。空也上人の大キャンペーンにおける念仏の声は、仏教勝利のテーマソングであったであろうか。それまであいまいであった死霊の管理機能は、以後、決定的に仏教に帰属することとなったのである。

もともと御霊出現は、古代から中世への過渡期における日本社会の体系整備、すなわち合理化の過程において現われた現象である。とくに、王位継承の制度が合理化されるとともに、そこからはみ出した失意の王子たちの死霊が「御霊」化したのであった。その死霊さえも仏教の体系的技術による管理を受けることとたる。合理化は死後の世界にまで貫し、御霊は鎮圧されてゆくのである。

 

注記

『三教指帰』 三巻。空海の著。儒・道・仏三教のうち、仏教が一番すぐれたものであるという宗教的寓意小説。延暦16年(797)完成。別本に「聾瞽指帰」二巻がある。

恵方 古くは正月の神の来臨する方角。のちに暦術がはいって、その年の徳神のいる方角をいう

 

 

 

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