宗教と近代国家をめぐって

小杉泰

はじめに

現代世界において宗教がどのような意味を持つかを考える上で、国家と宗教の関係は避けて通れないものであろう。中世を「宗教の時代」であるとするならば、近現代を「国家の時代」とすることもできる。近代国家というものは、宗教を人間生活のある部分に押し込め、公的な空間を世俗的な領域とする働きを持ってきた。宗教それ自体は、人間個々人の悩みや苦しみが無くならない限り、続くかもしれない、しかし、宗教が政治的な理念を導いたり、公的な共同体の屋台骨を提供する時代は終わった、というのがその前提的な認識であった。宗教性が濃厚なアジア、アフリカですら、近代化が進んでいくならば、宗教の政治的、社会的役割は低減し、宗教は次第に個人の内面だけを司るものになっていくと、かつては信じられていた。

脱宗教化を支えるもう一つの柱は、人間生活における経済、特に貨幣経済の隆盛であろう。資本主義が世界市場を生み出し、グローバル化が進む中で、生活の事実上の世俗化が進行する。それは、たとえばイスラームの盟主とされるサウジアラビアですら例外ではない。巨大な石油ダラーがもたらす消費生活が、伝統的な生活様式とそこに織り込まれた価値システムを解体していくのである。おそらく、私たちは伝統的な町を訪れると、それがキリスト教であれイスラームであれ、あるいはヒンドゥーや仏教の世界であれ、町並みに表現された宗教を前提とする世界観を――非宗教的な部分にさえも――感じることができる。しかし、近代的な産品が溢れる街からは、そのような雰囲気は失われていく。それもまぎれもない世俗化であろう。

ところが、このような自明視されていたパラダイムが、近年大きく揺るがされるようになった。それは、第一に、宗教復興の現象が世界の各地で起こったからである。それは、しばしば、世俗化への反動と考えられるが、実際には世俗化のゆえに宗教復興が進む現象も観察され、一種のパラドクスとなっている。第二に、冷戦の終焉によって、世界が平和にならなかっただけではなく、多くの地域において民族・宗教紛争が生まれたことである。ナショナリズムの復興も全く予期されなかったことであり、またそこにおける宗教的アイデンティティの再登場も予想を裏切るものであった。

世俗的近代国家は、中世的な宗教戦争に対する一つの解決策と考えられてきた。しかし、民族・宗教紛争を前にして、その解決策は限界を見せているようであるし、また、宗教復興を望む人々は「近代国家」を拒否しているようにも見える。本章では、宗教と国家の問題について若干の考察を行ってみたい。

   

1節 イラン革命と政教一元論の衝撃

数ある宗教復興の現象の中でも、国際的にもっとも大きな衝撃を与えたのは、1979年に起きたイラン・イスラーム革命であろう。この革命は、それまでの民族主義、社会主義を中心とする革命のパラダイムに挑戦するのみならず、近代的な世俗国家をイスラームによって革命する、というテーゼによって、国際的な「常識」に大胆に挑戦した。

近代化によって次第に衰えるはずのイスラームが、「突如」として息を吹き返したこと、70年代に石油の富をふんだんに使って行われた近代化が、様々な矛盾を生み、それへの反動として宗教革命がもたらされたことは、大きな驚きをもって受け止められた。さらに、革命政権がそれなりの安定を示すと、近代化の結果誕生した中間層がイスラーム国家であっても近代的な経営を行うことを可能ならしめていることが明らかになり、いっそうの驚きを誘った。ターバンを巻いたムッラー(宗教者)たちがイスラームを主張すること自体は、何ら驚くに値しない。問題はむしろ、近代化し、高等教育を受け、西洋的な技術や能力を身につけた人々が、アイデンティティにおいて宗教回帰し、イスラーム体制を支えるという事態にあった。近代化、世俗化が結果において宗教を強める、というパラドクスの発見であった。

その後のイスラーム世界各地での報告から、イスラーム復興が、イランに(あるいはシーア派に)特殊な現象ではなく、広範に見られることがわかるようになったが、それと共に、近代化、世俗化がポジティブ、ネガティブの両面でイスラーム復興を推進することが次第に明らかとなった。崇教復興には伝統の再活性化という面も存在するが、医師、技師、弁護士といった近代的な職業人がイスラーム復興を推進する事態は、それとは全く異なっている。

イラン革命およびより広範なイスラーム復興が提示した問題は、現象自体が近代国家のパラダイムからは説明されえないというだけではない。近代国家が与件としている世俗主義の前提が、実は西洋的な文脈で出てきたものであって、非西洋社会の現象を分析する上で、むしろ障害となっているのではないか、という疑問が呈されるようになった。革命後のイランを「政教一致」「神権政」と表現することは、欧米メディアでは普通であるが、もともとイスラーム世界は西洋的な認識とは異なる政教観を持っている。彼らの認識を、西洋的なパターンで政教を分けて考えない、という意味で「政教一元論」と呼ぶことができる。西洋的なパターンとは政教二元論であり、それはローマ帝国とキリスト教の二元的起源にまでさかのぼる。法のレベルでは、これはローマ法(市民法)と教会法の二元論をもたらした。西洋で、「政教一致」「政教分離」「神権政」という場合、この二元論的な認識を前提としている。ところが、イスラーム世界では、宗教と国家、聖と俗と分けるよりも、法と権力、天啓的法と人間的共同体、法学者と統治者といった区分で考えるのである。

このような人間なり、社会・国家なりにっいて根本的な違いを無視して、西洋的な近代国家観を当てはめると、「時代錯誤」であるとか「非民主的な文化」であるといった、無理解に基づく判断が強調されることになる。これは異文化に対する誤解、というべきものであり、国際化時代の望ましいアプローチではないであろう。

実は、よく考えてみれば、西洋的な政教二元論がどこでも自明なものとして受け入れられているわけではない。アジアやアフリカでは、そうではない伝統の方がふつうの場所も多いのである。また、生活のすべてを律する法、という考え方にしても、イスラームだけではなく、ヒンドゥーにも見られるし、宗教から国際社会を傭回敢するならば、私たちが染まっている近代西洋的なメガネを外した方が、実態を理解する早道かもしれないのである。

言いかえると、近代化・世俗化のパラダイムからは理解しがたい現象が、過去2030年の問に宗教復興として起きてきたが、それはパラダイム自体が持っている偏狭さを示すものでもあったのである。非西洋諸国は、第二次世界大戦後、植民地・半植民地からの独立・自立を主要な課題としていた。その時点では、独立、主権国家、民族主義、反植民地闘争などが主要なキータームであり、それらはすべて「年代」の枠組みで理解しうるものであった。ところが、宗教復興によって非西洋的な文化の特質がはっきりと表面に現れるようになった。そうだとすれば、そのような面を理解する努力こそが、グローバル時代にふさわしい態度ではないだろうか。

   

2節 冷戦の終焉と民族・宗教紛争

冷戦体制の終焉がなぜ、民族・宗教紛争の激発を伴ったかについては、さまざまな解釈がなされてきたが、本章の文脈では三つの点が重要と思われる。一つは、冷戦体制がそれぞれの陣営において、「国民国家体制」を堅持する形で上からの締め付けを行っていたことが、民族問題がそれまで厳しく管理

されていた理由であり、その拘束性が外れた(そのような締め付けの必要性がなくなった)ことによって、国家の枠組みと摩擦を起こすような諸要素が活性化したことであろう。それまでの国家管理になじまないエスニックな要素、宗教的な要素が、いわば自己主張を始めたために、国際システムの脆弱な部分で紛争が頻発するようになったと考えられる。第二に、宗教と対立する勢力の後退があげられる。東西両陣営を考えた場合に、どちらがより反宗教的であったかは明らかであろう。社会主義陣営の崩壊は、宗教と対抗する勢力の大幅な後退を意味している。第三に、第二の点と密接に結びつくことであるが、東西冷戦がある局面において、東側陣営に対する宗教諸勢力の闘争という面を持っていた点が重要であろう。バチカンの「東方政策」、アフガニスタンにおける反ソ・イスラーム・ゲリラ、ロシアでの正教会の復活などはその代表例であるが、宗教復興が東側陣営の弱体化に影響したとすれば、その延長上に、冷戦後のいっそうの宗教復興があっても何ら不思議はない。

しかし、なぜ、それが紛争につながるのであろうか。宗教復興するだけならば、紛争が生じる必要はない。実際、これに答えるように、宗教復興のほとんどは平和裏のそれであり、紛争が起こっているのは一部に過ぎない、という議論がなされている。宗教復興がどこでも紛争や対立と結びついていると主張するならば、誇張の誇りを免れ得ないであろう。

実際問題として、ここにも、認識上の問題を指摘しうる。つまり、「文明の衝突」論の中で、宗教が紛争の基本要因とされているという問題である。「文明の衝突」論は、冷戦終焉後の紛争がどのようなものになるかというモチーフで述べられたものであり、宗教がいかなる役割を果たすか、という基本問題を考察するものではない。現に、宗教が紛争の原因となるとの認識は、仏教世界では一般的に縁遠い主張であろうし、「文明の衝突」論にしても、地中海を挟んだ地域では論じられても、東南アジアではあてはまらないであろう。東南アジア、東アジアの歴史を見た場合に、たとえばイスラームと他の宗教が衝突、対立してきたという事実はない。

では、バルカンの問題はどうなのか、と問われるかもしれない。ボスニア、コソボの紛争はどうなのか、と。あるいは、ロシア領内のチェチェン、ダゲスタンなどの問題はどうなのか、と。おそらく、これについては二つのことが指摘されうるであろう。第一に、これらの地域は、冷戦の終焉によってそれまでのシステムが解体し、にもかかわらず新しいシステムが成立していないか、安定していない地域であること。したがって、システムの変容が続く中で、それまで封じ込められてきた宗教もまた、表出して、紛争の一要素となっているのであろう。第二に、これらの事例では、宗教アイデンティティが民族アイデンティティと重なったり、混ざり合ったりしている点である。要するに、歴史的に存在する民族紛争に宗教的要素が色濃く出ているのである。それ自体、従来の民族論が世俗的な傾斜が強かったことに対するアンチ・テーゼの側面を持っている。

宗教復興が、政治・社会における宗教の再登場を意味するならば、その登場が平和に寄与する面だけに限られることはありえない。「文明の衝突」論に陥ったり紛争の側面を強調しすぎるのは避けるとしても、紛争の局面も十分に分析できるようにする必要が認められるであろう。

   

3      国民国家と領域主権国家

上に述べてきたように、これまでの「近代国家」のあり方は、近年の宗教復興に直面して理念と現実の両方において、摩擦を生んでいる。「国民国家」システムの揺らぎが語られることも多い。しかし、近代国家の限界から、国民国家の解体へと議論を一気に飛躍させるわけにはいかない。

現存する国がすべて、国民国家なり民族国家(ネーション・ステート)であるという擬制には、国際法的な根拠がある。それは、民族自決権がすべての国の主権の前提だからである。ある国なり民族的集団が「民族」であるとすれば、当然自決権を持つことができ、独立国家を有する権利を持つ、というのが、現在の国際社会の基本ルールであろう。したがって、実際に独立している国はすべて民族国家(ないしは国民国家)であることになる。これは、多くの国が多民族国家であり、国民意識が成熟していない国も少なくないことを考えれば、確かに単なる虚構という面を持っている。しかし、ここに至ったのが人類の植民主義に対する長い闘いの成果であることを考えると、安易に否定すべきものではない。

また、擬制としての側面は、何も近年になって急に明らかになったわけではない。国民国家の揺らぎは、擬制としての有用性が限界に達したこと、そしてEUのように、実際にその揺らぎを超えようとする試みがなされてきたことに由来するが、その一方で、「領域主権国家」としての側面はいっそう安定してきているように思われる。国連にしても、機構改革の呼びかけなど、現状の問題を指摘する声が聞かれるが、国家をメンバーとする「社会」としての国際社会を代表する存在としては、これまでになく、安定性を高めているように思われる。新しい国が分離したり独立した場合、他国の承認を取り付け、国連に加盟することで国として一人前とみなされるというルールは、完全に成熟したように思われるからである。

世界的な宗教復興は、「国民国家」の揺らぎを加速する面を持っているが、「領域主権国家」については、必ずしもそうではない。宗教が国境を超えることを考えれば、これは奇妙なことのようでもあるが、国境を超える代表例と言えるイスラームの場合ですら、この観察は当てはまる。

世界中のイスラーム教徒が単一の共同体(ウンマ)をなす、という観念は、イスラームの教義体系の中でも重要な位置を占めているが、ウンマの政治的表現としてのイスラーム諸国会議機構(OIC)は、領域主権国家の連合体である。同機構が設立された30年前には、「主権国家の分立はウンマの分裂であり、OICはその分裂を隠蔽または容認する非イスラーム的存在である」との批判があったことを思えば、今日のOICがイスラーム世界を代表する存在として認められていることは大きな変化であろう。

言うまでもなく、OIC以外に宗教を紐帯とする国家による国際機構は存在せず、これ自体がイスラームの政教一元論的な理念を体現しているとも言えるが、OICの隆盛はイスラーム復興と共振するものである。したがって、その存在は、領域主権国家と宗教復興が互いに対立するものでないことを示している。しかし、これをもって、イスラームと「国民国家」の理念が融和すると論じることはできないであちう。上に触れた「諸国の分立はウンマの分裂」との議論は、イスラーム的紐帯に替えて民族的紐帯による国家形成をすることへの批判であり、それが薄らいだのは、国民国家の「擬制性」が次第に露わにあり、実在するのは領土を持つ主権国家にすぎないという認識が広がったからである。

世界的に見て、「国民国家」が揺らいでいようとも、国家そのものは存在も役割もおおむね認められているであろう。21世紀の最初を眺望した時に、公共財の提供者であり、市場のバランサーであるところの国家が衰退する(衰退すべき)という議論は見あたらないように思われる。仮に国家の役割を肯定的にとらえるとするならば、今後の宗教と国家の関係はどのようなものと構想されうるであろうか。

 

4      現代世界は宗教を必要としているか

人類社会の価値体系は多様であり、人類の進歩とともに、それがいっそう保障される方向で、国際的なシステムも成長して行くべきであろう。そうであるとするならば、国家も、多元的な価値の実現を可能ならしめるように機能すべきと考えられる。

本章の初めにも論じたように、近代国家は、宗教について醍観念ともいえる処方鐘を用意していた。昨今の宗教復興によって、そのような「近代性」が世界的に見て偏ったものであったこと、近代化・世俗化を万能の方策とするような国家システムをもはや信ずるわけにはいかないこと、などが明らかとなった。宗教は、中世にあったような国家の後ろ盾を失ったが、価値体系をめぐる現代の自由な競争において、その有効性を示した、と評価することができるであろう。

たとえば一昨今の国際ニュースの中でバチカンの「世界戦略」という言葉も聞かれるが、これは60年代の第二バチカン公会議以降に顕著になった新しいコミットメントの現れである。消極的な意味で宗教の枠内にとどまるのではなく、カトリック教会が、ポジティブな意味で現代人の生活に密接に関わっ

ていこうとする姿勢から、政治や社会への積極的な関わりが出てくる。カトリックの枠内でも、ラテンアメリカやフィリピンに見られる「解放の神学」のように、社会・経済的な改革に関わる思想が人々の支持を受けることがある。政治面での宗教の復興は、イスラーム革命だけの特許ではないであろう。

宗教界が現代的な問題に積極的に関わることの意義は、臓器移植やクローン人間といった問題にも見られる。このような倫理的な問題を、世俗主義的な「科学的思考」や市場の論理だけで決められないことは明らかであり、社会の側でも、宗教からの有意な発言を歓迎する向きが、各国で認められる。

近代国家が、かつて「近代」なり「世俗国家」なりのイデオロギー性を帯びていたとすれば、むしろ、これからの現代国家は、その点において柔軟な構造を持つべきであろう。確かに、ヨーロッパは宗教戦争の負の遺産から近代国家を成立させたのであり、近代国家が脆弱な時代にはその「近代性」「世俗性」を強調することにも意味はあったかもしれない。しかし、それが必要な時代はすでに過ぎたのであり、国家も、社会の中の他の機構と同様に、市民・国民にとって有為な機能を果たすことが第一であるとすれば、国民が持つ宗教性(もし、それが国民の選択であるとすれば)にも柔軟に対応する必要がある。

特に、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの場合、宗教性が負の遺産であるとは(西洋的な予見にこだわるのでなければ)決して言えないであろう。いや、それは北アメリカの事例を見ても、同じように言えそうである。「近代」を過ぎてもなお、インターネット時代になってもなお、宗教は意味ある存在として生き延びていると評価するのが穏当であるように思われる。

現代世界は宗教を必要としているか、という節のタイトルに即して言えば、一つはっきりしていることは、「必要としていない」という命題に立脚し、それを証明しようとした近代国家の路線は限界に至ったということであろう。宗教は必要である、という命題の下に進む必要はないが、より多様でより豊かな人類社会を希求すべき21世紀において、宗教もまた重要なアクターとして有為な価値観を提供するとしたら、それを拒絶すべき理由はないであろう。必要なことは、多文化的で、多元的な状況に対応して、それを安全に運営できる社会システムであり、世俗主義あるいはその逆の宗教主義といったドグマを追求することではないように思われる。

   

おわりに

世界的に宗教は復興しつつある、と判断することはできるであろうか。宗教復興が、世俗性を理念とする「近代国家」の問題を、世界的に明らかにした、と言ってしまってよいのであろうか。近代化による宗教の衰退を単線的に信じた、かっての過ちから言えば、宗教の復興を単線的に予測することも間違いであろう。いずれの社会現象も必然性によって生起するわけではない以上、地域的・歴史的に異なる個別の事情もあり、世界を丸く括って議論することはできないのは当然である。しかし、その上で総括するならば、本プロジェクトを通じて検討したさまざまな事例は、宗教の生命力、再生力について、より多くのことを語っているように思われた。

おそらく、国際的に見れば、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの多くの地域において、宗教性を維持するという決意が明らかに見られる、と判断できそうである。さまざまな傾向はあるが、総じて判断するならば、宗教復興が21世紀の最初の2030年は続くと推測することは可能であろう。そうであ

るならば、グローバルな国際的システムとしては、宗教と共存できるものを構想する必要がある。

宗教にどのような役割を与えるかは、それぞれの地域や国で異なる考え方がありうるであろうが、少なくとも、それぞれの考え方を包摂して、宗教的、文化的共存が可能となるような地球社会が、21世紀に期待されるのではないだろうか。

 

 

 

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