A Time to Chant

 

 

 

この本は以下の章によって構成されている長編の研究論文と言えるものである。この中から、要旨と思える所を以下に紹介していきましょう。

あわせて、ここに著者のプロフィールも紹介しておきます。

 

Bryan R Wilson(ブライアン・ウイルソン)

1926年、イギリスに生まれる。ロンドン大学で学んだ後ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスで社会学のph.Dを取得(1955)。当該年度の最優秀学位論文と認めらハチントン・メダルを授与される。その後、カリフォルニア大学バークレー校で研究し、アメリカの学者との交流を深める。イギリスのリーズ大学(1955-62)で社会学を教えた後オックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジのフェロー(1963-1993)、同大学社会学教授(Reader)となる。1971-75年に国際宗教社会学会の会長を務める。1985年、オックスフォード大学より文学博士号を授与され、1993年に定年退官した。雛、オール・ソウルズ・カレッジ名誉研究員。さまざまなセクトや少翻派宗教運動の広範な現地調査を行いながら、ウェーバー流の「現世への態度」を基準とするセクト類型論を構築するなど、実証的な宗教社会学の発展に大きく寄与した。研究領域はセクト運動、世悟化論、大学教育論に及び、多数の著書・論文がある。

 

Karel Dobbelaere(カレル・ドベラーレ)

1933年、ベルギーに生まれる。ベルギーのルーベン・カトリック大学に学んだ後、カリフォルニア大学バークレー校に留学。1966年に「カトリシズムの社会学的研究」と題する論文で母校から博士号を取得。以来、ルーベン大学で教鞭をとり、現在、同大学教授として、社会学・宗教社会学を教える。1983-91年には国際宗教社会学会の会長を務め、1993年からはベルギー王立アカデミーの会員でもある。その間、オックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジの客員研究員、日本の南山大学宗教文化研究所の客員研究員など、各地で研究を行う。世俗化論・宗教組織論の領域で宗教社会学の発展に寄与する。カトリック教会などが学校や病院などの独自の社会内構造を構成する点に注目した宗教制度の「柱状化」理論で有名。

 

 

コンテンツ


日本語版への序文

序文

1.    序論

2.    イギリスSGIの規模と体制

3.    出会い、魅了、そして改宗

4.    信仰経歴

5.    メンバー――その家族と友人

6.    イギリスSGIの社会構造

7.    価値創造者たちの価値

8.    会員と組織

9.    日蓮仏教の実践

10.  唱題によって達成されたもの

 エピローグ

 付論 日蓮正宗と創価学会の分裂

原注

訳註

訳者あとがき

参考文献

  


 

日本語版への序文

 

ここ数10年の間、イギリス国民は、他の西洋世界の人々と同様に、世界を舞台にした日本の芸術、文学、学問、文化の重要性の高まりをますます意識するようになっています。車からカメラに至るあらゆる日本製品と接する機会が増えるにつれ、日本文化や日本社会における他の側面や所産を認識する西洋人も現れてきました。ヨーロッパにおける日本の影響を見るうえで、日本の宗教や精神上の理念およびその実践についての知識の増大は、まだ日本製品の流入の影響ほど顕著ではないものの、決して小さいものではありません。ゆるぎない覇権を握っていた頃の西欧列強が、キリスト教という宗教文化を世界各地に輸出していたように、日本経済や産業が世界的規模で優勢を誇っている今日、日本の宗教、特に日本の仏教に多へのヨーロッパ人が興味を示したとしても、それは何ら驚くことではありません。日本のビジネスマンその他がヨーロッパを訪れる必要佳が増すにつれ、彼らは自分たちの宗教文化をも携えてやって来ました。これら初期の使者たちの努力や実例を目にした人々の中から改宗者が現れ、そして次第に、多くのヨーロッパ人が日本からもたらされた新しい宗教に対する理解を深めていき、ある時には改宗していったのです。

しかし、キリスト教のこれまでの流布の仕方と、今日の日本仏教の海外における成功との間には、注目すべき顕著な違いが見られます。キリスト教的西洋世界が経済や文化を支配していた頃、海外に派遣された宣教師たちの大部分が専従の聖職者であったのに対し、日本から新しい信仰をもたらした使者の多くは、宗教を専従の仕事としない在家信徒であり、在家運動の一般会員でした。キリスト教全自身、躊躇しつつ、時には不承不承に、一般信徒へより重要な役割を与へる必要性を感じ始めていたときでもあり、日本からもたらされた新しい宗教運動の信徒中心主義の展開は時宜を得たもので、このことが成功の一つの要素となっているのかもしれません。

おそらくヨーロッパ人にとって新しいこれらの宗教運動の中で、最も成功をおさめ、最も熱意にあふれ、最もよく組織され、そして現在ではヨーロッパ各国にしっかりした足場を築いているのが創価学会です。イギリスにおけるこの運動の拡大していく規模と影響や、エコロジー問題、難民問題、世界平和の推進といったような顕著な社会問題との関わり合いなどが、社会学者であるわれわれの興味を引くものでした。われわれが眼前にしたのは異国風の形態の宗教であり、それはほとんどのイギリス国民が抱いていた既存の宗教観とは相いれない、新しく奇妙な唱題の実践を提唱し、多くの人々が人生や世界についての宗教的理解に不可欠なものと見なしていた命題や観念の一部を否定する信念体系を説くものでした。そしてそれは拡大の一途をたどっていきました。社会学者は社会変動の過程についての学問的説明を探求しますが、ここイギリスでは、多くの人々の人生観や価値観の最も深淵な側面に影響を与えずにはおかない宗教的信念に重要な変化が起こっていたのです。このような変動の進展をどのように理解し、説明すべきなのか。さらに改宗の結果はどうであったのか。これらを詳らかにしようとすることは、われわれ社会学者にとってきわめて重要な学問的挑戦でありました。

その学問的解明に向けての最初の重要なステップとして、われわれは社会学の専門的立場から、実際にその運動の渦中にいる人々への調査を実施しました。的確な質問項目であって欲しいと願いつつ実施した調査への彼らの回答が、この変動過程についてのわれわれの理解を形成する基本データとなっています。われわれの調査実施手順および調査結果については、後続の各章で説明してありますが、イギリスのメンバーの証言が、彼ら自身にとって信者仲間への励ましとしても重要であると同様に、イギリスにおける創価学会の成長が意味するものは何かを公正に中立的、客観的な方法で解釈することがわれわれにとっても重要であるとの信念から、彼ら自身の言葉で語ってもらいました。

イギリス創価学会はまだ小さな運動ですが、規模の面でも社会一般への影響という面でも、今後さらに成長していくものと思われます。われわれはこの運動がまだ若く、メンバーのかなりの割合を調査することが比較的容易にできる段階を捉えることができました。イギリスでメンバーとなった人々が事実上第一世代の改宗者である、この若く生き生きとした運動の初期の姿について、われわれが描いたものの重要性については、おそらく歴史が判断を下すことでありましょう。このような見地からの研究が日本の社会学者のみならず、広く一般社会の人々の関心を喚起することをわれわれは希望しています。全く異なる文化的背景を持つイギリス人の新入信者が、近代的な在家信徒運動として現れた日本古来の信仰にどのように適応し、彼らの人生をどのように再解釈し、宗教的に見いだされた新たな責任をいかに担っていったのかを解明するための手掛りを提供できれば、と思います。イギリスのメンバーが抱えている問題は日本の創価学会員が抱えている問題とは異なるかもしれません。一例として彼らは日蓮正宗の僧侶に関連した問題を深く考える必要がないことが挙げられますが、一方他の面では、両国のメンバーの経験にはおそらく密接な相似性が見られるかもしれません。いずれにせよ、本書が信徒のみならず、この運動のメンバーではない他の日本人にとっても、創価学会が日本国内だけではなくより広い世界で疑いなく重要性を増しつつある社会現象であることを理解するための一助となることを望んでやみません。

1994年9月

ブライアン・ウィルソン

カレル・ドベラーレ

 

 


 

 

1 序論

 

日本の在家仏教徒の組織である創価学会(価値創造の会)は、今日、世界で最も急速に発展している宗教運動の一つである。そのメンバーはヨーロッパのすべての国々に、また南北アメリカ、オーストラリア・ニュージーランド諸島、大部分のアジア諸国、そしてアフリカのいくつかの国々にも見いだすことができる。しかし、50年前には創価学会は二、三百人の小さな組織であったうえ、会員はすべて日本に住んでいた。この会を構成する在家の会員は、13世紀に日蓮が説いた仏教の信奉者であり、日蓮の教えを継承するさまざまな流れの一つである弟子・日興の系譜につながる僧職集団・日蓮正宗の信徒となっていた。日蓮正宗には創価学会の設立以前からの信徒集団(法華講)があり、両者はいまでも別個のものである。しかし、日本で数百万人、海外で数十万人のメンバー・会員を擁する創価学会(国際的には創価学会インターナショナル、略称SGIと称しており、最近では各国の組織を…SGIと呼ぶ)は、その数において日蓮正宗の他の信徒数をはるかにしのいでいる。さらに、多くの日本人がアメリカ合衆国や南米などに永住者として、また一時滞在のビジネスマンとして多くの国々に居住するようになったとき、彼らは彼らの宗教をも携えていった。SGIも当初はそのようにして海外にメンバーが生まれていった。その信仰が命じる熱心な布教によって、多くの外国人がさまざまな国において入信していくにつれ、その運動はその国の地域文化にさらに深く適応していき、日本的な要素が次第に薄れていくまでになった。今日、海外の組織においてはSGIが解釈する日蓮の教えを、彼らの宗教的確信の唯一の源泉としてもっぱら学びつつも、他方、それぞれの国民的伝統を啓発する運動を展開している。

現在、SGIはますます広く知られた運動となっている。国際平和のための支援活動やエコロジカルな問題への関心の喚起、教育への献身と多くの学校への図書贈呈などの滋善活動、音楽や舞踊などの文化の振興など、さまざまな平和・教育・文化活動が多くの人々に認められてきている。しかしながら、この運動は他の何よりも、イギリスのメージャー〔前〕首相やフランスの故ミッテラン大統領にはじまり、故周恩来やゴルバチョフ氏に至る多くの政治家や公的人物との会談を行っている、池田大作SGI会長が果たしている役割を抜きに語ることはできないであろう。こうした諸活動は、一般世間にとってはSGIの高尚な姿として映るが、他方、メンバーにとっては、世界の出来事のなかで彼らの運動が妥当性と影響力と潜在的可能性をもっている証明となる。

世界における現在のSGIの姿は、日蓮正宗の僧侶が寺院で行う、西洋人にとっては理解しがたい秘儀的な儀礼とは、全く対照的である。しかしながら、日蓮がその教えの中でもっとも大切で重大なものとして説いた、法華経の題目を唱えること(唱題)、聖なる曼陀羅、すなわち御本尊を拝することは、SGIメンバーによって熱心に実践されており、この点において僧侶と信徒は一つである。しかし運動や組織のスタイルや現実世界への関与、そしておそらく全体の哲学的方向性においては、SGIの在家仏教徒たちは、いかなる種類の僧侶的イメージとも遠くかけ離れている。彼らは通常の世俗の世界に生きており、仏教の実践を世俗世界での生活をもっとも確かに支えるものと見なしている。彼らは、いわゆる現世逃避的禁欲という理念を完全に否定する。メンバーの外向的な生き方、SGI運動の活発な諸活動は一般の人々が思い描く「仏教徒」というものが誤りであることを示している。一般のステレオタイプ化された仏教徒のイメージは、SGIの在家メンバーよりも日蓮正宗の僧侶の姿により近いであろう。SGIのメンバーは現代世界に適合し、実践されている仏教を代表するものといえる。

西洋人が伝統的に抱いている仏教信仰のイメージとSGIの姿が異なっているとすれば、創価学会と日蓮正宗との関係それ自体も、社会学者や比較宗教学者にとっての重要な研究テーマとなる。しかし、その問題は本研究で扱う課題ではない。この研究は、そうした論議を扱うのではなく、無作為抽出による質問票調査とインタビューに基づいてイギリスにおける創価学全メンバーの真実の姿を描いていくことである。SGI運動のような、外国に発生した宗教運動が、ある社会の不特定の人々に受け入れられているという事実そのものが、本質的に重要な社会現象である。その運動の輪郭を描き、その運動の魅力の原因を探り、発展のパターンをたどることが、われわれの中心的な関心である。いかにして、このような宗教運動が定着したか、いかにしてそれが現代イギリス社会において盛んになったかを探求することで、現在のある運動が今日の社会的条件や環境とどのように関係しているかという一般的問題への仮説的分析が可能になる。しかしながらまず最初に、SGIという仏教の歴史、そのイギリスでの発展の経過、その信仰実践による功徳と、主張されている内容を明らかにしていく必要があるだろう。

 

―――――日蓮と法華経

日蓮正宗は日本の大乗仏教教団の一つであり、その起源は鎌倉時代の僧・日蓮(1222-82)にさかのぼる。日蓮の仏教がイギリスに紹介されたのは1960年代の初期であり、在家信徒の運動体である創価学会の会員によってであった。それ以来、その仏教信仰はイギリスにおいて成功している宗教運動の一つとなった。イギリスの会員は、僧侶集団である日蓮正宗と結びついた在家信徒団体の創価学会に実際は入会したのであるが、最近まで、イギリス日蓮正宗という呼称のもとに組織されていた。つまり、本来の信徒団体の名称ではなく、僧侶集団の名称を踏襲していたのである。1991(平成3)年に、イギリスのメンバーたちは彼らの運動体の名称を「イギリス・創価学会インターナショナル」と改める手続きを行い、信徒団体・創価学会と本質的に一体であることを明確にした。創価学会は日蓮正宗が継承してきた日蓮の教えを戦後の日本で広めるために出現したが、1991年、日蓮正宗の現法主によって組織全体として破門された。(一部を除く)聖職者と(きわめて多数の)在家信徒との間で起こった劇的な対立と分裂の顛末は、巻末の付論(日蓮正宗と創価学会の分裂)に記してある。しかしなが。らわれわれの当面の目的は、イギリスにおいて発展しているこの運動の魅力、結果、社会的意義を理解するための背景として、日本での歴史をたどり、その教理の意味するところを明らかにすることである。

中国から日本に伝えられた大乗仏教は、日蓮を含む信奉者たちによって、ビルマ〔現ミャンマー〕やタイ、カンボジア、スリランカにおいて見いだされる仏教よりも、本質的にはるかに慈悲深い教えであると主張されたために、「大いなる乗り物」(大乗仏教)と称されている。それに対し他方は主として修行僧のみを救済するものであったが故に、「小さな乗り物」(小乗仏教)と呼ばれるようになった。大乗仏教は総じて、すみやかな救済の可能性をすべての人々に広げたが、そのため小乗仏教は大乗仏教徒によって、複雑な無数の戒律を守ることが救済のために必要と説く、戒律中心の教えであると考えられた。それらの戒律の遵守は過酷なものであったため、修行僧として遁世した者のみがなし得ることであった。大乗仏教の伝統によれば、これらの戒律は特定の時代の特定の聴衆のためのものであり、ゴータマ.ブッダ(釈迦牟尼)自身によって後に否定された教えであるとされた。このように仏陀の教理が進化していったという解釈は、釈迦牟尼に帰するさまざまな教典の釈義者である、中国の天台による論釈の中に見いだすことができる。日本仏教には彼の名をとった有力な宗派・天台宗がある。天台は特に、釈迦牟尼の最後の教典とされる法華経に、彼の教えの決定的に重要な事柄が述べられていると主張した。釈迦牟尼は、聴衆の状況〔境涯〕が変化するにつれて彼の教えの一部を変更していったと考えられている。ということは、彼の初期の教えは、その聴衆には理解不能であったが故に、究極の教理は明らかにされなかったということになる。しかしながら、大乗仏教徒の主張によれば、釈迦牟尼は衆生に成道への方途を教えることに一生を捧げたのであり、そのため自分自身の入涅槃をも遅らせたのであるから、小乗仏教を信奉する戒律を説いていたときですら、釈迦はさらに深い慈悲の精神において、つまり大乗仏教の伝統において実際は行動していたということになる。

多くの近代仏教学者は、法華経を釈迦牟尼が実際に説いたか否かをめぐって論争し、後代の作とする見解が通説となった。しかしそれでもなお、法華経における救済概念は大乗的に普遍化され強化されているので、それは仏陀の説法の最高の表現形態であると見なす人々へ、強い影響力を及ぼし続けたという事実は変わることがなかった。法華経への導入部分〔開経〕である無量義経においては、釈迦牟尼は他者を救済したいと願って法華経を読誦するものは「至高の悟りが直ちに」得られ、「六波羅密を行じなくとも、それを行じたのと同じ功徳が得られるであろう」と約束したとされている。六波羅密とは救済のための六つの方法であり、慈悲を施す〔布施〕、戒律を守る〔持戒〕、忍耐〔忍辱〕、勤勉に励む〔精進〕、瞑想〔禅〕、智恵の獲得である。これらは十劫の間、実践されなければならない。しかし、この無量義経の段階でも、究極の法は暗示されただけであって、いまだ明らかにされてはいなかった。その明白な提示は、法華経においてさえ部分的であり、最終的な提示は日蓮の出現を待たなければならなかった。

日蓮によれば、法華経が全体を通してめざしたものは、人々が仏陀の慈悲に依存することなく、「自己自身に内在する至高の智恵」に基づいて生きていくことであった。この教説は、日蓮以前に庶民に広がった日本の大乗仏教の一つである浄土宗の中心教義、すなわち阿弥陀仏の慈悲による救い(死後の浄土往生)を強調し、各人の内在的な力や責任を否定する考え方に挑戦するものであった。日蓮に信従する者たちは、次のように主張した。「仏法が説く真の幸福の地は、この世から遠く離れたところに見いだされるのではない。それは、真実の法が彼ら自身の生命の内にあるのだということを人々が確信したとき、この社会の現実の中に創造されるのである」と。

釈迦牟尼の最後の教えは、すべての人々に仏性を成就せしめること〔成仏〕に集約されていた。すなわち、すべての人間は仏陀になれるのであり、それは合理的な手段によってではなく、ただ信仰によってのみ成就されるのである。法華経は、「すべての人々は善人であれ悪人であれ、男であれ女であれ、知識人であれ、ただの農民であれ成道への潜在力を本来有しており、この一生のうちに仏陀となれることを説いた唯一の経典」であった。かくして、以前のすべての仏説は単なる予備的、または仮の教えと見なされ、それゆえ末法と予言された現代には適していない教えと見なされた。末法には、法華経のみが「貧り、怒り、愚かの三毒によって腐敗した」末法の衆生を救う力があるのである。

日蓮によれば、法華経第十六の寿量品において、釈迦牟尼が初めて仏となったのはゴータマ自身が生きていた時代のインドにおいてではなく、遠い過去においてであったことが明かされているという。しかし、彼がいかなる法によって成道したかは、法華経においても明らかにされなかった。その法が明らかにされるのは、地涌の菩薩の頭領である上行菩薩の再誕を待たなければならなかった。日蓮は、それこそ「寿量品の文底に秘し沈められていた深秘の法または南無妙法蓮華経である」と宣言することで、自らを上行菩薩〔の再誕〕であるとした。南無妙法蓮華経とは、法華経の題目である。この法がこれまで明らかにされなかったのは、「〔正法、像法時代の〕人々は法華経の教えを正しく実践すれば、〔成仏の究極の法である〕「南無妙法蓮華経」を了解することができたからである。…ただし、釈迦牟尼の教えのすべてを性格に実践するには、ある途方もない資格を必要としたが、それを身に付けた人間はきわめて少なかった。末法にはいると(釈迦仏法で成仏が)可能な資質を持った人間は皆無となる」。それゆえに、すべての人々が成仏できるようにこの法を顕すことで、日蓮は末法、すなわち社会一般が衰退すると預言された時代の仏として自己を顕したのである。

法華経への祈りを表現する「南無妙法蓮華経」という句は、一大秘法であると言われ、また、それが〔末法における〕「真実の法」であるとも言われて、真の崇拝対象である「御本尊」をも指している。それは多数の漢字と二つのサンスクリット文字で書かれ、多くの仏陀の名前や成仏の法の全体が表現されている掛け軸風の曼陀羅である。したがって、日蓮正宗の仏法の基本的実践は御本尊へ向かって南無妙法蓮華経と唱えることである。この実践が、末法である現代に成道する特別な方法である。それ故に日蓮は、「釈迦の仏教が成仏には不適当となった末法に、すべての人々を成仏させうる」仏陀なのである。この仏教は、教理と実践の両方において完全なものであると考えられている。「この御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人はだれでも、一切の悪業を断ち切り、成仏することができる。それ故、日蓮正宗の仏法において最も大切なことは、信仰の対象である『御本尊』の確立なのである」

日蓮は、御本尊を顕すことが自らの生命を描き記していることにほかならないと主張し、「人と法とは一体である〔人法一箇〕」と説いた。日蓮仏法の実践において最も重要な対象は、神ではなく、仏性という信仰者に内在する本質であるという点にある。それは、個人の内部にすでに現存しているのである。したがって、しばしば言われるように、御本尊とは各人の生命のうちにある仏性を映しだす鏡のようなものである。「観心の本尊」という文句、すなわち、「自らの心(または生命)を観察するための信仰対象」という意味の句がそれに適用される。それについて、次のように言われている。

もし、御本尊という「鏡」がなかったなら、われわれは宿業を変えたり成仏することはできない。なぜなら、南無妙法蓮華経と唱えることそれ自体は、はっきりとした功徳という形で福運を生むが、〔御本尊を通して〕われわれの生命のうちに不幸を生み出す根本的な宿業があることを見つめられないならば、その不幸に挑戦し、宿業を変えていこうという勇気を奮い起こすことはできないからだ。たとえば、唱題によって素晴らしい伴侶を見つけることができるかもしれないが、もしあなたが嫉妬深い性格のままであれば、二人の関係はすぐに気むずかしいものになってしまうであろう。……この変転絶え間ない世界にあって、われわれの行動の根本的な原因を反省するために自身の仏性を何度でも引き出すことは、御本尊が体現している不変の仏性を絶えず参照していくことによってのみ可能になるのである。

  この引用のうちに、現代の運動における御本尊の役割がすでに描かれている。この説明から、信徒にとって、その前に端座して噌題するための、正しく認可された複製の御本尊をいただくことがいかに重要であるかを理解することができる。1990(平成2)年から91(同39年にかけての大分裂までは、日蓮正宗の法主によって書写された御本尊の小さな複製版が、それを護持し噌題することを誓ったすべての信徒に授与された。その御本尊をいただいた信徒は、各自の家庭で仏壇の中にその御本尊を安置し、そこが実質的な聖なる場所となる。複製の御本尊は唱題のための焦点になる。もっとも、唱題はいかなる場所でも、いかなる時にでも行いうるので、御本尊が唱題のために不可欠というわけでもない。

法華経から導きだされ、日蓮仏教が広めている基本教義「三大秘法」のうち、第一の南無妙法蓮華経の題目と第二の御本尊のほかに、第三として根本の大御本尊が奉られる「戒壇」がある。日蓮が最初に題目を唱えたのは1253(建長5)年であり、大御本尊は1279(弘安2)年に建立された。しかしながら、この御本尊を安置するにふさわしい戒壇の建立は後世に託され、1972(昭和47)年、富士山麓の日蓮正宗総本山大石寺に在家信徒団体創価学会による特別な偉業とたたえられている正本堂が建立された。創価学会は、また、仏法僧の三宝について規定しており、法宝は一大秘法である南無妙法蓮華経それ自体、仏宝は日蓮、僧宝は二祖日興上人である。日興は、他の五人の高弟たちの変節に直面したが、ただ一人、日蓮の真実の教えを守ったといわれている。

日蓮は存命中に大乗仏教の流れをくむ日本の他宗を激しく批判しながら、自身の教理を広めていった。彼は数々の迫害にあったが、それらはすべて法華経の予言を確かなものとし、永遠の仏〔久遠本仏〕としての地位を正当化するものと見なされた。日本の仏教は一般に、それ以前の仏教では限定されていた救済対象の範囲をさらに広げ、そしてより容易なものとした。釈迦牟尼が展開した教理はしばしば難解であり、成仏のために要求される条件は英雄的な過酷さを伴っていた。日蓮は仏教信仰の大衆化という日本的潮流のただ中にあって、即身成仏や顕益を強調する点において、他の誰よりも進んでいた。法華経の題目、すなわち単純な句である「南無妙法蓮華経」についての日蓮の主張は、〔成仏への〕救済力はこのただ一つの形式のなかに集約されており、この力は宇宙の普遍的な法に帰するということにつきる。唱題は個人の仏性を開くと信じられている。仏性とは意識の高度な状態であり、宇宙を支配する法と生命のリズムを調和させる。唱題はまさに実際の行動であるので、法華経の〔理論的な〕学習は、少なくとも初めの頃は、信徒には不要なものと見なされている。必要なことは、「題目」をただひたすら唱えることである。イギリスSGIが発行する英字機関誌に、次のように説かれている。「日蓮大聖人の教えを実践するにあたって、……法華経の学習は、われわれが信仰を深め、一生のうちに成仏するためには必ずしも必要ではない。むしろ、日蓮大聖人の教えをマスターし、法華経を正しい歴史的視点から捉えられるようになってから、学ぶべきである」。日蓮自身も、この立場を支持するよう訴えている。「今末法に入りぬれば、余経も法華経も詮なし、ただ南無妙法蓮華経なるべし。かう申し出して候もわたくしの計にはあらず。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり。此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゆしきひが事なり」

 

―― ――― 創価学会と日蓮正宗の発展

日蓮正宗は、日蓮の死後その教えを継承しつつも、さまざまに分裂しながら発展した31派のうちの1つであり、そのなかでも最大の教団であったわけではない。この教団は明治維新(1868年)後の早い段階で、他の日蓮系宗派との強制的合同の危機に直面したり、また政府によるさらに厳しい方針に抵抗したこともあったが、日興門流の他寺と合同し、しばらくの間は日蓮宗興門派と公称することを余儀なくされた。1921(大正元)年、〔興門派から独立して日蓮宗富士派と称していた大石寺派は、〕現在の「日蓮正宗」と公称することになった。1940(昭和15)年、政府は再び日蓮系教団の合同を画策し、その時にも日蓮正宗には政府から強い圧力がかかった。しかし、この時までに日蓮正宗は〔後に創価学会として発展する〕新しい在家信徒を獲得しており、当時は少数であったその信徒集団によって日蓮正宗の歴史は大きな影響を受けることになった。

1920年代、教師で教育学者でもあった牧口常三郎(1871 - 1944)が日蓮正宗に入信した。その時すでに、彼はある改革主義的な教育理念を提唱していた。ある伝記作者は次のように論じている。

(日蓮正宗への入信以前に)彼の〔教育理論の〕基本概念と理念は形成されていた。……結論からいえば、彼が入信して数年後、1930年代の中頃から日蓮正宗の教義が彼の思想の重要な要素となるにいたった。…(しかし)ほぼ1929年(昭和4)から33(昭和8)年にかけて、彼の主要著作である『創価教育学体系』を編纂したときには、牧口の思想に日蓮正宗の信仰はそれほど重要な影響を与えていなかった。…事実、彼の理論体系における価値哲学や価値創造などの基本概念は、1903(明治36)年に出版された『人生地理学』のなかに萌芽的な形態で表現されているのである。

牧口は、利.美.善の三つの根本価値を強調する。それらは、それぞれ物質的、精神的、利他的な欲求の充足を意味する。彼はカントの価値論における「真」を「利」に置き換えたが、それは、「真」は単に事実であっ価値ではなく、それ自体で幸福を促すものでもなく、究極の目的であると考えたからであった。このような考えは、後年、牧口が日蓮正宗に属する仏教信徒の教育団体を結成するうえで、日蓮の教えから導き出した理念と一体となって重要な意味を持つことになる。

牧口の創価教育学会は、正式には1937(昭和12)年に結成された。それは、元来、教育上の新たな価値の創造をめざした教育改革のための組織であった。当初の会員数はわずか60名であったが、次第に増え、1940(昭和15)年の同会の集会には300から400名が参加するようになった。翌年、同会は雑誌『価値創造』を発刊したが、そこには純粋に教育学上の問題のみならず、日蓮正宗の宗教理念への信仰が表明されていた。病気が治ったという体験談や痛みの全くない分娩をした母親の主張などが、紙面を飾るようになった。1943(昭和18)年、時の戦時政府は伊勢神宮の大麻〔天照大神の護符〕を祭ることを命じたが、牧口はそれを日蓮正宗の信仰を汚すものと見なして拒絶し、結局、当局により逮捕され、彼の弟子であり学会組織の後継者となる戸田城聖(1900-58)とともに投獄されて、1944(昭和19)年、獄中で死去した。

第二次大戦終了後、戸田は創価教育学会を、今日、創価学会(価値創造の会)として知られている日蓮正宗の信徒団体として再建し、指導するようになった。その頃から僧侶と発展する信徒団体との間にいくつかの摩擦は生じたが、1958(昭和33)年に戸田が亡くなるときには、それらの問題も解決したように見えた。戸田の会長在任中、彼は強力な布教方法によって、1951(昭和26)年の約500世帯から目標として掲げた75万世帯へと組織を拡大した。創価学会は日本の国内で顕著な影響力のある社会的存在となり、日蓮正宗の運動をも蘇生させた。その発展は「折伏」と呼ばれる改宗理論の成果でもあった。戸田が採用したこの方法は、必ずしも創価学会が発明した新機軸ではない。「歴史的に、仏教の教えのなかには二つの基本的な布教方法があった。『摂受』と『折伏』である」。「折伏」とは、日蓮によれば「仏法を誹誘する邪な人間の多い」日本のような、末法の仏教国において必要な非妥協的な勧誘方法である。他方、「摂受」とは、対話や例示による、より穏やかで懐柔的な接近法であり、特に非仏教国にふさわしい方法である。いうまでもなく日蓮は彼の大儀への信奉者を獲得するためには非妥協的な方法が適切と認めた。彼は「仏教と法華経についての自らの解釈こそが唯一の真の信仰であると主張することにおいて、戦闘的であった」。他の形態の仏教は、すべて偽りであり、堕落し、邪悪であった。戸田も、このような考え方を認めているようである。

 彼は、折伏の実践がもたらす現世利益について、会員にしばしば語った。1951(昭和26)年8月3日、彼は聴衆に向かって、「諸君は確信を持って折伏を実践しなさい。いま、折伏をやらなければ、諸君は決して幸福になれないと言わざるをえない」と語った。また、1954(昭和29)年の9月1日には、次のように説明している。「なぜ、折伏をしなければならないか。それは創価学会を大きくするためではなく、あなたがたが幸せになるためである。…世間には、貧乏と病気で苦しんでいる人々がたくさんいる。彼らを真の幸福に導くには、彼らを折伏するしかないのである。家で祈っていれば十分じゃないかという人が、あなた方のなかにもいるかもしれない。しかし、折伏を実践しなければ、何の功徳も得られない。折伏を忘れた信者には・功徳はない」

3代会長池田大作(1928-)の指導のもとで、創価学会は発展を続け、1990(平成2)年には日本で800万世帯以上、海外で数十万人の会員を擁するまでになり、世界的な規模で活動を展開している。池田はまた幅広い文化活動をも推進している。二つの美術館を創設したのをはじめ、〔民主音楽協会を設立して〕クラシック音楽や舞踊、演劇などの公演活動を推進し、〔幼稚園から高等学校までの〕学校を各地に建て、東京には海外にもキャンパスをもつ創価大学を創立した。そればかりでなく、「公明党」という政党を設立して自立させ、それは短期間のうちに、日本の議会における塞3党にまで発展した。創価学会は日本の新宗教運動のなかで最大の規模であるばかりでなく、日本社会全体に強い影響力を持つ団体となった。その結果、日本のメディアのなかに激しい敵意を生みだすことにもなったと言わざるをえないが、その主たる原因は、池田会長のもとで幾分修正されたのではあるが、折伏という布教方法にあった。

日蓮仏教が西洋諸国に紹介されたのは、第2次大戦後、一時的にまたは恒久的に海外に住むことになった日本人信徒の活動を通してであった。アメリカ合衆国の場合には、米軍兵士の日本人花嫁が明らかに重要な役割を果たした。そして、イギリスやヨーロッパにおいては、典型的にはイギリスに支店を出した日本企業の日本人雇用者や日本に勤務したイギリス人ビジネスマンの日本人妻などによって、この信仰が伝えられた。西洋における創価学会の発展にとっては、今世紀前半、他のさまざまなタイプの仏教への回心者や布教者によって西洋に生まれた仏教への関心以上に、日本からの信徒の移住が大きな要因であった。さまざまな仏教の浸透は、最初は小乗仏教であり、次にチベット仏教、タントラ、そして禅などであった。イギリスに初めて仏教が布教されたのは神智学会の指導者を通してである。神智学や(1926年にイギリスで初めて設立された仏教布教団体であるマハ・ボディ・ソサエティ、さらにクリスマス.バンフリーズによるイギリス仏教会などは、その雰囲気や教え、一般的性格などが大きく異なっているので日蓮仏教の先駆けとはほとんどいえない。しかし、第二次大戦後の時代になってくると、さまざまな仏教各派に属する西洋の信徒は次第に折衷主義的立場を取り始め、それらの諸分派は西洋仏教として融合するようになってきた。そして「涅槃への逃避を拒否して、現在のこの場での悟りにますます関心を集中するようになってきたのである」。西洋文化へ調和的に対応していこうとするこの傾向は、創価学会のイギリスヘの浸透に直接関連してはいないが、ある点ではその定着を予想する下地を示している。そしてたしかに、日蓮仏教に最終的な満足を発見した人々の何人かは、それら他の仏教のいくつかを経験しているのである。

 

 

――――― イギリスにおけるSGI組織と活動

創価学会はイギリスにおいて、最大の支持者をもち、もっとも急速に成長している仏教教団であることは間違いない。1960(昭和35)年、池田大作第三代会長の就任直後、アメリカを訪問した彼はアメリカに支部を結成し、海外での活動の端緒を開いた。翌年、池田はヨーロッパ9ヵ国を訪れたがその時がイギリスでの運動の出発であった。当時のメンバーはわずか2名であった。10年ほどでアメリカのメンバー数は一万人を越え、1988年には25万人のメンバーを擁するといわれるようになった。その段階で、ヨーロッパでは約二万人が創価学会の会合に参加しており、そのうちイギリスでは約四千人であった。以来、会員数は増加している。日本の創価学会に関する比較的初期の研究によれば、信仰によって得た功徳の第一位に病気が治ったことがあげられているが、西洋のメンバーの場合は、この信仰の実践によって得た主要な恩恵は目的観の確立であると報告されている。アメリカでのある調査によると、メンバーが創価学会の信仰に惹かれた理由は、「キリスト教の場合、個人の運命が神の手に委ねられているのに対して、各人がこの信仰実践によって自分の運命を自分自身で変えていけることを教えてくれた」からであると述べている。そのほか、「仏教は現実的で科学的思考と両立する」「その論理は、キリスト教が演線的であるのに対し、帰納的である」「死後の問題よりも、いま、ここでいかに生きるかということの大切さを強調する」などが指摘されたという。これまで、この東洋の宗教のどのような特質がイギリスのメンバーに魅力になっているのかを示す調査はなかったので、本書はその幾分かを明らかにしようとするものである。

イギリスの創価学会は初期にはロンドンを中心に発展し、地方にはほとんどメンバーがいなかった。しかし徐々にではあるが、個々人の直接の接触を通して、ロンドン以外の地域にも広がっていった。サザンプトンをはじめとして、ポーツマスやブリストル、グラスゴー、エディンバラ、バーミンガム、リヴァプール、オックスフォード、ブライトン、リーズなどにメンバーが増え、他の市や小さな町にも見うけられるようになり、後章に示すように全国的に分布するようになった。その組織は、小さな地域グループが幾分大きい地区に結合し、いくつかの地区が集まって支部となる。この支部が諸活動の主たる核となるが、支部はさらに地方ごとの本部として連結され、これらの本部が全国センターから直接指示を受ける。このセンターはいまはバークシャーのタプロー・コートに置かれている。メンバーはすべて支部レベル以下の各種活動に参加する。支部は通常50から100名ほどの人数で構成されている。したがって、SGIの組織は権威主義的な位階制を成しているかのように見えるが、それはメンバー数との関係で構成されているのであって、権威のパターンを意味するのではない。メンバーはグループや地区、支部の各レベルと容易にまた自由に連携をとれ、たしかに全国レベルのリーダーへの尊敬は表現されるが、打ち解けた形式的でない人間関係が漲っている。

メンバーは、以上の地域ごとの原則に従うのみでなく、また共通の関心事や職務に応じて集まるよう奨励されている。そのようにして生まれたいくつかの専門的文化グループがある。弁護士や科学者のグループ、教師、実業家、シェフなどのグループ、さらに医師や看護婦、その他の病院勤務者による健康グループまである。この種のグループはほぼ隔月か3ヵ月ごとに集まり、講演会やセミナーなどを通して仏教の諸原理をそれぞれの分野に適用しようと試みている。「教育グループと健康グループは、その活動を通してそれらの同業者仲間に、ある種のインパクトを与えた」と言われている。また、民族や国民として共通の背景をもつ人々が集まって作る「伝統グループ」がある。その中にはインド人のグループ、南アジア人、東ヨーロッパ人、南アフリカ人のグループ、そしてアフリカやカリブの人々のためのアビビンマグループなどがある。これらのグループの目的は、異なった民族的背景をもった新しいメンバーがSGI運動へ溶け込んでいけるよう補助することであるが、また、それぞれのグループでは、機会が許せば、彼らの歌やダンスを推進する独自の文化的関心に基づく活動をも行っている。芸術関係の一部門はそうした活動を支援し、より広い規模で展開して運動全体のために役立てている。

イギリスの創価学会は、また、その目的を推進するためのさまざまなパターンの奉仕活動にメンバーを参加させており、それらはメンバーの時間や労力の自発的貢献に大きく依存している。奉仕の機会は、男子部メンバーによる「価値創造グループ」と女子部による「ライラック・グループ」として組織化されている。「価値創造グループ」は各会館の警備、安全管理、構内の整備などを日常的に担当しており、また大きな行事の時には、参加者の通行や交通の規制を行う。ライラックのチームも似たような任務を期待されるが、多くは女性の通常の仕事に近い種類の業務――受付、訪問者の案内、御本尊への供えものの確認など――である。イギリスの本部があるタプロー・コートも受付や安全管理から、清掃や建物補修、生け花などにいたるまで、(しばしば、自分の休暇の一部を使いながら)1週間ほど滞在して奉仕してくれるボランティアに多くを依存している。この奉仕活動は、日本語の「警備」という用語で知られているが、それを担うメンバーに組織の一翼を担っているという強い意識を与え、諸活動のテンポがより早いといわれる、国内中心地での勤行会などに参加する機会を提供する。この奉仕活動の規模を示すために、一つの例を挙げてみよう。1989年に池田SGI会長が訪英したとき、125名の壮年部員が車両部隊に参加し、いつものように自分の車を使って訪問者の送迎を行った。この場合も、いつもどおりガソリン代は支払われるが、それ以外は全くの無償奉仕であった。仏法のために尽くすという意義のもとでメンバーの専門的文化的関心を包みこみ、善意や技能、時間、エネルギーの提供をうける多様な方法で、創価学会はメンバー個人との一体感を維持しており、彼らの信仰以外の関心や意向を運動体の目標に同化させ、その価値と融合させているのである。

創価学会のメンバーは、その実践の大半を家庭で行うが、会合もまた重要であり、誠実なメンバーによって担われることが期待されている通常のプログラムには、毎月の多くの会合への出席や参加が含まれている。グループ座談会、地区の会合、そして支部の会合は毎月の行事であり、性や年齢によって区分される壮年部や婦人部、男子部、女子部などの各部のための別個の会合もある。企画のための協議会や、特別の行事を企画したり支援するための会合もある。したがって、出席を義務づける会衆構造はないが、熱心なメンバーは、その地元のグループ座談会や地区の会合や、さらに広い地域にわたる支部や本部での会合などで、頻繁に他の仲間と会うことになる。かくして、信仰実践の多くは個人的なものであるが、日蓮仏教の信徒はかなり広い地域にわたる友人を得ることになる。グループや地区、支部、または各部における座談会や勉強会は、それら個人相互の関係を密にしたり、支えあう機会となる。これらの会合は、法華経の方便品第二の一部と寿量品第十六の全体を復唱する「勤行」と南無妙法蓮華経の「題目」を唱える唱題によって始まり、それは約30分かかる。その後、わりあい緩やかに企画された会合が、通常は仏壇が安置された地域リーダーの部屋で行われる。唱題が終了すると御本尊〔を安置した仏壇〕は閉じられ、椅子に座ったり、日本スタイルの正座をして唱題していた参加者は、椅子や床に座りながら輪になる。

出席者は唱題の導師を務めていた人物によって、各自が自己紹介するように勧められる。ファースト.ネームで呼ぶのが普通であり、各自はひと言ふた言自分を紹介し、通常、何年ほど信仰を続けているかを述べる。これらの事柄のほとんどは、他の出席者の大半は知っているが、それは最小隈のフォーマルな手続きである。その後は、議論のテーマが決まっていて、地域リーダーによって簡潔に紹介されることもあるが、会合はよりくだけた形式となる。テーマは他の発言や貢献を束縛するものではなく、メンバーはそのような議論の機会を、自分なりの目的や意図で生かしていく。あるメンバーは、それを「自分の心を開き」、体験を語り合っていく良い機会と見なす。短い発言のなかで、御本尊の力や実践の価値、信仰仲間の応援や支援のありがたさなどの、ある種の証言が語られていく。特に、それらが恐れや、時には怒りの状態を個人が克服していく方法と関連づけて語られることが多い。そして、きわめてしばしば、他者への先入観や偏見を乗り越え、積極的に近づいていく勇気を得たことが強調される。もし同じ仏教徒としての信仰がなかったら、全くのよそ者か共通点をほとんど見いだせなかったかもしれない人々、そして全く気の合わない仲間と見なしたかもしれない人物に対しても、自分の感情を完全にオープンにできるという美徳がそこに存在するようである。このような態度は、キリスト教の、特にプロテスタント諸団体の告白集会に潜在している態度とある類似点がある。しかし、また大きな相違も存在する。そのひとつは、創価学会の会合では服装や振る舞いが告白集会ほど画一化されていない点である。同じ志をもった人々、つまり信仰への献身を共有しているが故に特別に受け入れられている人々との会合には、安心と満足が満ちているが、その共同意識は決して特定の道徳的な規制や禁止命令によって生み出されたものではない。仏教徒たちは自分が利己的な考えや怒り、不寛容な思考にとらわれていたことを「告白」するが、それは、仏教の慈悲、積極的思考、そして広い善意などを勧める高度に抽象的な教えに照らしながら行われる。このことは、飲酒や(おそらく喫煙も)、不誠実、性的放縦、他人への中傷などの行為を禁ずるキリスト教の戒律とは、対照的である。創価学会のメンバーは、そのような特定の道徳的強制は是認しない。彼らの体験談は、日蓮の教えに説かれたように、主として精神のあり方に関係したものであり、定められた行動規則に違反したかどうかではない。

創価学会の会合は、信仰を熱心に勧めるというよりも、むしろまったく会話的、座談的な雰囲気である。メンバーたちは、ときどき、参加しているゲストの興味をそそろうとして、仏教の教えをもったいぶって話す人に対して、あからさまに嫌悪の情を表現することがある。各種の会合は、体験や意見を共有する場のようであり、地位を決定したり、何かの結論を出そうとしたりする場ではない。見解の相違は未決定のままに残され、それ以上追求されることもない。人為的な満場一致を作りだそうとはしないのである。むしろ、特に仏教徒でない人々から、挑戦的な意見が出されることを歓迎する。そのような機会は、信仰を妨げることにはならず、仏教の諸理念の対語の機会であるとともに、信仰の自己確証の機会であるととらえられている。支部レベルの集会は、大半のメンバーが購入していて会合に持参してくる月刊誌『UKエクスプレス』の記事の一つを読むことから始まる。その選ばれた記事は、日蓮の教えを扱ったものであることが多く、一節ごとに読み上げられ、支部長によって解説が加えられる。この点において、支部の集会は、「エホバの証人」の「ものみの塔」集会に似ている面もある。しかし、記事を読み上げて講義する部分が、ものみの塔のように質問と回答という形式に組織されていないところが異なっている。そのかわり、多くの出席者が、その記事の内容について、支部長が現代的な実践や生活に即したメッセージを述べつつ詳細に説いていく間、熱心にメモを取っている。その講義の終了後、参加者たちは小集団に分かれて討議を始めるが、討議のテーマは必ずしも講義内容から引き出されたものではない。

各種の会合は学習の機金でもあり、学習は信仰と実践を補う大切なものと見なされている。しかし、学習は「学問の勉強と同じではない。なぜなら、さまざまなSGIの組織で日蓮の遺文集である『御書』の月例講義や定例の学習会が行われているが、単純化すれば、それらは『御書』の深い意味を各自が次第次第に吸収するために、遺文の一行一行を読んでいくだけであるから」。たしかに、リーダーたちは『御書』や法華経のさまざまな部分をよく知っており、またさらに池田大作会長の著作についても通暁しているが、「それらについての専門的知識は、法律や医薬、その他の分野の専門的知識と同様に、仏教においては個人の幸福を何ら保証するものではない。池田会長も次のように述べている。『仏教の教理についていかに多くのことを知っていたとしても、あなたの実践が弱ければ、その信心は偏ったものである』。学習は、信仰を得て確信を深めるための一つの方法であり、また「仏陀の眼で…・まずわれわれの生命のうちに存する問題を見つめ、・…それまでは見えなかった災厄を克服して前進していく」ことを学ぶことである。このように学習とは、自分自身を認識することから始まって、より広い社会に関する認識を高めていく過程であると考えられている。池田会長は、次のようにも述べている。「日蓮大聖人の教えについて完全に知っていなければ、その人の実践は自己中心的なものになり、仏教を我見で解釈するようになるであろう」。

メンバーは、時々行われる宿泊施設での研修に参加することを奨励される。こうした研修は主要地域で夏に一週間行われ、実践上の課題の指導のみでなく、実践を裏付ける哲学の学習と指導を受ける機会である。研修コースは壮婦男女などの各部ごとに組まれ、メンバーはしばしば休暇の一週間をそれに参加するため使う。参加希望者に対しては、日蓮教学に関する試験が行われる。こうした研修会のかわりに、またはそれに加えて、彼らはフランス南部のトレッツにあるSGIヨーロッパ・センターでのさまざまな研修に参加することもできる。これらの研修は休暇というにはほど遠く、集中的な学習と志気を高めるための研修会であると、しばしば語られる。1990年冬から翌年にかけての日蓮正宗との分裂までは、熱心なメンバーは戒壇大御本尊にお目通りし、題目をあげるために総本山大石寺を訪れたが、それは学習の機会というより、信仰のためのはるかに真剣な献身であり、繰り返し行われたこの巡礼は信仰の深まりを証明する行為と見なされた。

創価学会内部で主催される記念式典や特別の儀式行事はわずかしかなく、日蓮の誕生日などを除けば、特別の儀礼を行ったりはしない。むしろ、全メンバーが参加する行事が時おり行われる。年次総会はスピーチや体験発表、そして「決意表明」などとともに、合唱やバンド演奏などが組み込まれ、このような運動のなかで頻繁に生まれる祝祭的な雰囲気は、集会の会場の巧みな選択――近年の総会はロンドン・パラティウムで行われた――によってさらに強められる。このほか文化祭やコンサート、展示会、そして祭典などが行われ、それらは時には全国規模で、また時には支部レベルで催される。その機会にメンバーたちは音楽や舞踊、演劇、視覚芸術などでの才能を表現するよう励まされる。定期的ではないが、高度な舞台芸術の公演も行われる。1980年代半ばに、ハマースミス・オデオンで二週間(連続ではない)にわたって上演されたミューシカル「アリス」がそれにあたる。脚本から演出、舞台装置、配役、出演はすべてメンバーによるものであり、収益の一部は国際的な慈善団体に寄付された。あるメンバーは、そうした活動について次のようにコメントしている。「それぞれの国ではその国の文化的伝統の枠内で活動を進めるべきであるという仏教の『随方毘尼』という教えに従って、イギリスSGIは独自の方法で活動を展開しているのです」。このような行事には、教会の集会に見られるしかつめらしさのようなものは全くなく、それは、他の宗教団体の集会によく見られる政策や方針の伝達や教義の提示などをこえた、自由な魂の祝典である。

この運動体には、バークシャーのクプローにある全国センターとサリー州のリッチモンドにある旧本部以外には、まだ恒久的な施設はない。日本の創価学会に見られるような文化会館を各地に建てる予定もまだない。したがって、個々のメンバーと運動全体を結びつけるものは、地域グループから全国規模へと責任範囲が広がっていくように組織された小グループである。キリスト教会の財政基盤になっている会衆的活動がないため、イギリスSGIには集金機能はない。大部分の活動がメンバーの自宅で行われることもあって、施設を借りたり維持するための寄付の呼びかけはない。では、イギリスSGIの財政、運動資金は、どのようになっているのであろうか。SGIと日蓮正宗との決別以前には、僧侶によって新しいメンバーに「御本尊」の複製を授与し、入信を認める儀式である「御授戒」のときに、ある種の寄付(御供養)がなされたが、その供養金は総本山のためであり、また僧侶の訪英のための費用にあてられると強調されていた。イギリスの運動は、まず事実上すべてのメンバーが購入する機関誌『UKエクスプレス』の予約購読料によってまかなわれている。また、タブローとリッチモンドに開いている販売店での、「御本尊」を安置するための仏壇、仏具、装飾品の販売がある。仏壇の値段は千ポンドを越えるものもあるが、新しいメンバーが選ぶ仏壇の平均値段は、すべての仏具込みで五〇ポンドぐらいのものである。初期には、イギリスでの活動に対して日本の創価学会からの助成金が出ていたが、現在、イギリスSGIは「広宣流布の全活動を自らの責任において遂行している」と主張している。

これらの方法による財政的支援以外に、メンバーは、希望するならば、3ヵ月ごとに行われる「広宣流布」基金への寄付をする資格があることを理解している。多くの宗教運動と同様、この寄付は強制的なものではなく、額も定められていないし、寄付の仕方は全くのプライベートであるが、メンバーは信仰が深まった段階で、この基金に定期的に参加するように期待されている。現在、イギリスSGIでは30から40パーセントのメンバーが、この基金に参加しておらず、ここ数年同じような割合である。リーダーたちは、これら基金に参加していない人々は若いメンバーか入会の新しいメンバーであろうと考えている。

 仏教では、二種類の供養について説いている。すなわち、「法の供養」と「財の供養」である。前者は、自分自身の実践と日蓮大聖人の仏法の偉大さを人々に説くために、時間やエネルギーを使い、尽力することである。後者は、物質的な供養であり、御本尊への供えものを買うとか、活動のためガソ代や交通費を費やしたり、機関誌を自分や友人のために購入したり、また広布基金に参加することなどである。……そのような努力、すなわち供養を通して、われわれは自身の仏性を磨き、人生において真実の幸福に達するための福運を積むのである。これが供養の功徳である。

 大切なのは供養の額ではなく、供養しようという態度であり、その態度が因果の理法によって供養者が受ける功徳を決定するのであると言われている。その功徳とは精神的なものか、物質的なものか、または両方である。この供養に対する報いの約束は、キリスト教の多くのプロテスタント教会において、信徒に、収入の十分の一を献金すればより大きな報いが返ると奨励しているが、よく似ていて興味深い。

 

  ――――― 実践とその目的

 日蓮仏教の信徒の宗教的実践は、日々心ゆくまで南無妙法蓮華経という題目を唱える「噌題」と、朝と晩に法華経の主要な二つの章を繰り返し読誦する「勤行」とからなる。勤行で読誦するのは、法華経方便品第二の一部と寿量品第十六の全体である。方便品では、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界(または十の意識の状態)と十如(生命の十要素)とが説明される。寿量品では、末法の未来に法華経を説く人々〔地涌の菩薩〕を明らかにし、また一大秘法である「南無妙法蓮華経」が、隠された形でではあるが、説かれている。「これら二つの品には、法華経全体の二八品の真髄が含まれている。・…釈迦仏法では法華経が最高の経であり、それ自身に以前のすべての教えが含まれていると見なされているがゆえに、方便晶と寿量品を繰り返し読誦することで、八万法蔵の仏教の教えをすべて包含することになるのである」一。方便品と寿量品は漢文の音読で唱えられるが、内容の理解は必ずしも要求されない。「経文の何々の意味を理解し覚えることは深い悟りによるのであり、読誦によって功徳を得るためには必ずしも必要ではない」のである。

勤行は、およそ30分ほどかかる。勤行の間、メンバーは、手にキリスト教で使うロザリオに似た数珠をかけ、時には集中力を高めるために、それを軽く合わせてこする。通常、勤行は自分の家で、一人でか、または家族とともに行われる。勤行を欠かさず行うことは、かなりの努力を要するといわれる。「勤行がわれわれの生命状態を高める力をもっていることは、勤行を行おうとするたびに起こってくる否定的な反応によって十分証明される。この否定的な力は、もう一度寝ようとか、本当は欲しくないのにコーヒーをもう一杯飲みたいとか、実にさまざまな形をとって現れる。この反応は、まさに、その日のいの始まりを告げるシグナルであり、……来るべき実際の闘いから目をそらし、自分を守ろうとする悪魔的な生命の力が引き起こす小さな抵抗にほかならない」。勤行の目的は、「一日を自分の手に掌握する」ことであり、それによって「自分自身や皆にもある消極性に挑戦し」、積極的に生きる仏界の力によって一日を行動することにある。この個人的な勤行の実践に加えて、メンバーの会合の際に集団で行われる勤行もある。題目を唱えることは、各人に潜在している仏性を顕現させる、さらに重要な実践である。経文は南無妙法蓮華経の重要性を説明し、または少なくとも示唆してはいるが、信仰者の主観的意識状態や客観的な生活環境の両者に影響を及ぼしうるのは、唱題という行為である。この行為についての基礎的な説明では、次のように解説されている。「南無妙法蓮華経が意味するものや、『生命と他のすべての現象との相互依存関係』について説明する三世間論、その他この本において説明されている述語や理論について、あなたがたが正確に理解していようといまいと、南無妙法蓮華経という一句を唱えることで偉大な功徳が得られるのです。それはちょうど、コンピュータの仕組みや理論を知らなくとも、電源を入れ、ボタンを押すだけで、その力を引き出せることと同じなのです」

日蓮の教義における因果の理法を証明するものとして、規則正しい噌題による物質的また精神的な功徳、もしくは最近のSGI運動のなかでは必ずしも頻繁に語られるわけではないが、牧口常三郎が論じた利他的な功徳が主張される。功徳には、二つのタイプがある。顕益と冥益である。「実践を通して体験する内面の変化は、冥益と呼ばれる」。それは明白なものではなく、次第次第に得るものである。「顕益とは、われわれの生活状況が、よりよい人間関係の形成であるとか、財政状態の向上などのように、現実に良くなっていくことである。……顕益が現れないということは、自分自身の何ものかが変わらなくてはならないことを示している」。しかしながら、これらの功徳については、その深意を正しく理解しなければならない。すなわち、「われわれの身に起こった顕益の価値を真に感謝できるのは、われわれの内なる生命において、智恵や希望、勇気、忍耐、そしてユーモアなど、精神的な強さなどの冥益を獲得していった場合のみである」。したがって、少なくとも長い目で見た場合、より重要なものと考えられているのは冥益である。明らかに奇跡的な物質的功徳が得られたときも、「それは決して奇跡なのではなく、あなたの回りが、あなたの唱題にただちに反応した結果なのである」と説かれる。しかし、顕益は精神的重要性ばかりではなく、信仰の正しさを、特に新入信者に証明するものでもある。だからこそ、メンバーは特定目的のために唱題をする。「われわれは、勤行唱題するときにはっきりとした目標や願いを立てなさいと指導される。…それらの願いは、唱題の初めにはきわめて自己中心的な願いであることがよくあるが、それは実践には功徳があるということを証明する重要な第一歩なのである。その証拠を一度手にすれば、われわれの実践の目標は次第に外へと向かい、他の人々の幸福のための実践やわれわれの弱点、失敗の克服へと向かっていくのである」

この仏法は人々に彼らの生命とその環境を統御する機会を与えると考えられており、したがって次のような主張がなされる。「大多数の人々がこの仏法を実践すれば、その結果は社会全体に現れるであろう。すなはち、犯罪率は低くなり、麻薬やアルコールの乱用および離婚は少なくなり、経済力と生活水準が向上し、人々はさらに健康となり、より有意義な人生への展望が開けていくであろう」このような主張は、東洋の諸宗教に少なからず見かけることができ、新宗教の「超越瞑想」が新聞に掲載する広告などでしばしば主張する内容と一致する。しかし、日蓮仏教徒は彼らの社会的楽観主義を独自なものと見なしている。それはイギリスのリーダーによる次のようなな記述に表れている。「世界のすべての主要な宗教のなかで、日蓮大聖人の仏法のみが、人類が、終末における神秘的なハルマゲドンの決戦の炎のなかに減びていくのではなく、直面している多くの問題を克服する方途を学ぶまでに成長していくことを予見している」

この仏教の救済論においては、唱題が重視されているが、それは物質的な利益を生み、精神的態度を向上させるばかりではなく、個人の運命を変えると信じられているからである。業についての教説によれば、個々人の現在の人生は過去の一切の生を原因とする結果である。不運や体質、気質などのすべては、過去や前世において生み出された原因による。南無妙法蓮華経と唱えることによって、「その者の業の束縛は次第に弱まり、最後には完全に断ち切ることができる」。個人の生命とその環境は一体であるという「依正不二」論によれば、われわれの気性や運不運が業によって決定されるばかりでなく、「われわれの人生の物質的環境や人間関係も――自分の親との関係さえも――が、われわれ自身がつくった過去の因によって決定される」。業のある側面は変えやすく、意志のカによって弱めることができるが、南無妙法蓮華経のみが悪い業からの完全なる解放を可能にするのである。メンバーは、「南無妙法蓮華経と唱えること、またこの題目に基づいた行動は、最悪の宿業さえ善根に変えられる最良の善因である」と教えられる。法華経は、それ以前の仏教の業論をくつがえし、この世において積んだ善因は、その後の人生のなかで必ず明らかな結果を生むと説いた。さまざまな機会における唱題は将来に結果を生む善根をつくりだす行為であると考えられており、また、顕益は信仰を支える上での証明となるものであるが、絶え間ない着実な唱題こそが、「生命のあらゆる領域を、あなたの真の本質である仏界によって満たしていく。すなわち生命が智恵、勇気、慈悲、純粋、そして尽きることのない豊かな生命力によって満たされていくのである」。このような生命状態になることを「人間革命」と呼ぶ。この用語は、日蓮ではなく、創価学会が生み出した言葉である。

これまで述べてきたように、唱題は、それ自体が内在的な力を秘めていると信じられているが、唱題が最も効果的に作用するのは、崇拝対象である「御本尊」と対面しながらなされる場合である。各自が自己の生命の実相を観察し、自身に仏性が働いているのを垣間見ることができる能力を獲得するのは、御本尊の働きによる。その時、「たくえば、あなたがたは、自分がかつてなかったような慈悲に満ちた、…より力強く生命力に満ちた存在となっていることを見いだすだろう」。日蓮は弟子たちに、仏陀はどこかよそにいるのではなく、自己の中にいるのであると教えた。そして、自身の内なる仏陀を題したのが御本尊であった。御本尊は神ではなく、また呪術的な形式でもない。それは、むしろ「鏡のようなものであり、はじめは曇って汚れているように見えるが、唱題によって磨かれていくにつれ、次第に、あなた自身の内に存在する仏陀の生命を映し出しているのが見えてくる」。大石寺に奉ってある根本の大御本尊と同じく、信徒が入信し信仰を保ち続ける決意を最初に固める儀式である、「御授戒」の際に受ける、複製の形木御本尊も大切に護持されなければならない。会員は次のように指導される。「御本尊を大切にりなさい。……われわれの生命には、否定的な衝動と積極的な衝動との二つがある。毎日、朝夕二回の勤行と唱題によって、生命の否定的な側面をコントロールしていかなければならない。御本尊をいかに扱うかは、すなわち、自分自身をいかに扱っているかということであり、自分自身の扱いは、即、他人の扱いにほかならない」のである。したがって、御本尊は尊敬を持って扱われなければならず、そうすれば、「自然のうちに、大いなる福運に恵まれるが、御本尊を敬わず粗末に扱うならば、自分の生命に対して極悪の行為をなしていることになり、やがて大きな苦難に見舞われるのである」。

信徒にとって御本尊がいかに大切であるかは、イギリスの新しいメンバーに対して、御授戒として知らている儀式を通して、何年もの間、強調されてきた。そのときには、日蓮正宗の僧侶が日本から来訪し、大御本尊を小さく複製した御本尊を新しいメンバー一人一人こ授けていった。複製の本尊ではあっても、大御本尊に対するのと同じ献身と護持が要求された。御本尊をいただいたメンバーは、自分の家で扉のついた仏壇に御本尊を安置し、勤行と唱題の時に扉を開いて御本尊を拝するようにするのが一般的である。仏壇の脇には、常緑樹が飾られる。イギリスのメンバーにとって、総本山大石寺に登山するとき以外に日蓮正宗の僧侶に会うのは、おそらくこの御授戒のときだけであったが、御授戒の儀式にはきわめて重大な意義がこめられていた。イギリスにおけるSGI運動は、これ以外に聖職者との関係はほとんどなかったのである。

イギリスで2年ごとに行われてきた御授戒が、最後に行われたのは1990年11月であったが、それは日蓮正宗と創価学全の対立が始まる数週間前であった。そのとき、訪れた僧侶の福田毅道師は、これからは三宝に帰依するようにとメンバーに述べた。三宝とは、第一に仏陀であり、今日では日蓮大聖人である。第二は法宝であり、三大秘法総在の御本尊である。そして第三に「僧宝であり、それは日蓮大聖人から三大秘法を直接伝授された唯一人の二祖日興上人であり、第三祖日目上人である。そして、さらには日蓮大聖人以来の血脈を今日に至るまで受け継ぎ、守ってきた歴代法主である」。その儀式の中で、御本尊を受けたメンバーは、他のすべての信仰や祈りをやめ、それらの信仰対象物を放棄し、南無妙法蓮華経のみを奉ずることに同意するよう求められた。また、信徒は「特別の供養」を期待されたが、「その一部は総本山大石寺への供養であり、一部は訪問した僧侶の旅費の一部にあてられる。……しかしながら、われわれは御本尊を購買したわけでは決してない。御本尊は、われわれが護持し、唱題し続けるかぎり、法主からわれわれに貸与されているのである」。1990年に御授戒に出席し御本尊を受けたメンバーが支払った総額は、12ポンドであった。

日蓮正宗と創価学会の関係が破綻して以来、SGIへ忠実に従った信徒への僧侶による御授戒は行われなくなり、新しいメンバーへの御本尊の授与はなくなった。新メンバーは、すでに授与されている所へ行って御本尊へ噌題しなければならない。崇拝対象である御本尊の授与がなくなってしまったことが、いかなる影響をもたらすかはまだ不明であるが、唱題が向けられるべき対象としての御本尊の重要性は現在でも変わらない。

信徒が行うべき三つの実践――勤行唱題、教学、そして布教――のうち、イギリスのメンバーには第一の実践が明らかに優先されている。「もし日蓮大聖人が、法華経がすべての諸経の中で最も重要であると述べているのなら、なぜ、それをわれわれは学習しないのですか」という質問に対して、イギリスSGIの機関誌できわめて率直に答えている。その回答によれば、法華経は何よりも適切に読まれなければならず、〔御本尊に対座することで〕われわれは正しい出会いをしているという。この回答に加えて、さらに本質的な説明がなされる。法華経は釈迦牟尼自身の悟りの体験を明らかにしたが、彼がいかにして悟りを開いたか、すなわち成道したかを明らかにすることには失敗している。さらに釈迦は、仏法が滅尽するとき、すなわち末法には、法華経は他の暫定的な教えとともに、民衆が苦難を乗り越える助けとなる力を失うと指摘した。その時、根本の一大秘法を掲げた偉大なる師が現れる。その師は、日蓮という人格において現れた永遠の仏〔久遠仏〕である。釈迦牟尼が末法にはいかにして成道するかを説き明かせなかったのに対し、日蓮は自身の実践を通して成仏の道を明らかにした。なぜなら宗教の正しさ、浅探を証す基準である文証、理証、現証の「三証」なかでも、現証が最も重い要だからである。日蓮仏教の正当性を明らかにする文献上の証明〔文証〕は「法華経」であり、理論的な証明〔理証〕は日蓮自身の著作である『御書』である。しかし、「最終的には、三証のうちで最も重要なのは現証であり、それは教えを実践したときに現れる実際の結果である」。

しかし、このような主張がなされるからといって、創価学会のメンバーが学習を避けていると想像するのは間違いである。教学研修の諸コースが整っており、教理の理解を深めるための教学試験が行われている。永く信仰を続けているメンバーは彼らの信仰を主張したり弁護するのに、日蓮の『御書』や法華経を実に巧みに引用することができる。教学は決して無視されているわけではなく、その意義は、「信心とは実践である」と強調されるように、完全に実践的献身としてある信仰を補助するものとされている。したがってメンバーたちは、現代の日常生活のあり方に最も適した信仰であると主張している。

他の人々へこの教えを説くこと、すなわち布教はどのようになされているのだろうか。たしかに、法を説く実践はこの信仰に不可欠なもの、各人をさらに幸福にする道と見なされている。戸田城聖によって宣言された「折伏」による強力な布教への呼びかけを、すでに見てきた。その強い調子は当時に比べ幾分弱まったとはいえ、折伏への意欲はまだ持続している。法華経の第二〇章にあたる不軽菩薩品には、すべての人々に備わっている仏性は尊敬に値すると断言されているが、「不軽菩薩の例は、他の人々をいかなる相違に関わらず尊敬することは、仏法の道理にかなっていることを教えている。しかしながら、人を尊敬することと、誤った宗教的信念や教義を批判することなく許容することとは別である。われわれは他の人々を尊敬するが故に、人々を真理から遠ざけ、不幸に陥れる誤った信仰や教義を打ち砕かなければならないのである」。日本での初期の折伏運動に比べ、イギリスの創価学会の書物では他者に法を説く必要性としての「折伏」はあくどさの少ない表現で語られている。イギリスでの中心者であった〔故〕リチャード・コーストン理事長が執筆した300ぺージにおよぶ日蓮仏教を語った本にも、「折伏」については一度しか触れておらず、またそれもきわめて控えめな表現で訳注されている。彼は次のように記している。「この仏法を実践して得た功徳を、特にわれわれ自身の人間革命の姿として示していくことが、すなわち折伏である。そのとき、人々は南無妙法蓮華経の力を次第に確信していくのである。……日蓮仏教は、仏教が世界に広まる広宣流布を、全く自然で平和的な方法によって達成されるものと見なしている」。さらに、「日蓮仏教徒は、したがって、この仏法の実践を他人に強制する必要もなければ、他の宗教や哲学を信奉している人々に対し不寛容になる必要もない」と述べている。

宗教体系が一連の道徳的命令を含んでいることは、一般的な特徴である。したがって実際、宗教が呪術と異なるのは、ある道徳概念を命じているかどうかによると論じられることもある。多くの宗教的な伝統の中でも、信仰に身を捧げたことによって得られる究極の、そして時には永遠におよぶ報いは、その道徳的にふさわしい態度や行為によるものとして描かれる。ユダヤ教やキリスト教においては、このような道徳的命令は要求されている行動を定め、また特に、何をしてはならないかを指示する成文形式で公にされる。この点に関して、日蓮仏教は全く異なっている。ある一般的な規範や方針は命じられるが、それらは自身の仏性を自覚していくにつれて信仰者の内に自然に生まれてくることが期待されており、特定の道徳的訓戒として教化されたり、ましてや特定の明白な行為を望ましいとか受け入れ難いと定める条文によって命令されたりはしない。事実、日蓮の教えは、はっきりとした道徳的方針が要求するような行動についての評価や判断を避けている。そのような態度は、「私の地区のリーダーを尊敬できない」と言う質問者への助言の中に、明確に表れている。「因果の理法によって、…私たちは善悪などの価値判断を優先させたり、他人を誹訪中傷する傾向があります。…その結果、当然の報いとして自分自身が不幸になったり、落胆したり、おそらく自暴自棄になったりするのです。忘れてはならない大切なことは、リーダーがどんな失敗をしようとも、失敗はその人自身の問題だということです。あなたの問題は、他人を誹誘したり、価値判断を優先する態度が、あなたの不幸を生み出しているということです」。運命論に似ている業の教説を用いて、筆者は続ける。「そのようなリーダーがいるグループにあなたがいるということは、それ自体があなたの宿業なのです。そのリーダーは、何事にも批判的なあなた自身の性格が生みだす不幸の、単なる外的な要因にすぎません。それを克服するためにあなたが成すべきことは、問題が何であれ、リーダーを支持することです。そして彼または彼女のために題目をあげることです。…・それができないときは、妨害しているわれわれ自身の欠点を反省し、その欠点を克服するために唱題すべきです」。他者を誹誇中傷することは、自身に悪い結果をもたらす原因と見なされている。また、他者への誹訪中傷も非難されるべきものではなく(なぜなら、それ自体が価値判断することになってしまうから)、私利私欲がいまだ克服されていない状態と見なされる。

人間はすべて仏陀と成りうる能力を秘めているが、誰にでも十界の生命状態または意識状態が存在する。その下級の状態は、地獄であり、飢え〔餓鬼〕、獣性〔畜生〕、そして怒り〔修羅〕である。そのそれぞれの生命状態が、瞬間瞬間に活発になる。しかし、ひとたび、自身の仏性を顕現し始めれば、低い生命状態を抑制したり否定しようとしなくてもよい。われわれの仏性が、地獄かち菩薩にいたる九界の肯定的な側面を自然に顕現させ、自分や他人にとって創造的な価値を生みだすように働くからである。これが、日蓮仏教には人間の行為を規制する戒律や規則が不要な理由である。そのかわり、自分自身の仏性について、またそれをいかにして顕現し、われわれの生命の中で優勢にするかという点について、ますます深く学ばなければならない。煙草を吸うか否か、酒を飲むかどうか、肉類を食べるかどうかなど、どのように実際に生きていくかは、全くあなた自身の判断に委ねられているのである。

 このように、日蓮仏教には寛容性が内在する。行動を判定するための客観的な基準がないだけでなく、そのような判断の仕方自体が信仰の精神に反するのである。しても良いこととしてはならないことの道徳的行動を具体的に定める条文は、仏教的でない処理の仕方であり、キリスト教における神の恩恵の教説に類似していると見なされて否定される。もっとも、新約聖書の『ガラテヤ人への手紙』第三章でキリスト教徒に勧告している内容とは、それほど異なっているともいえないのであるが。その一方、おそらく「慈悲」がその最も卓越したものであろうが、そうした高度に抽象的な美徳の強調は、他面では、キリスト教の禁欲倫理と正反対の快楽主義を認めることにもなる。創価学会のメンバーは、自分自身の努力によって生活様式を変えるように強制されてはいない。生活の仕方が、ある意味で不十分なものと認められた場合、唱題することが最も適切な行動である。その方法によれば、低い生命状態は抑圧されたり否定されることなく、より良い生命状態を実現するうちに変容し、または、そのために役立てられさえする。

実際には、明らかにある種の行動は、善悪の道徳的価値判断ということではなくとも、健全ではない、満足しがたい行為と見なされる。喫煙や飲酒は、それ自体は問題ではないが、アルコール中毒や薬物中毒を克服する苦闘を経験したメンバーの証言からは、一定の道徳に基づく非難でないとしても、そのような中毒状態は望ましくないという暗黙の道徳的合意をはっきりと読みとることができる。機関誌などに掲載された体験談に、中毒を克服したとか大酒飲みを克服できたという主張が少なくないことから、それは明らかである。にもかかわらず、自分自身の生活に独力で責任をとる必要性、個人の責任の強調は、それらの問題に関する決定や判断はその人自身の課題であることを示している。この種の具体的な課題に関して、SGIという集団が定めた社会倫理はない。メンバーの生活や信仰を調べるために家庭指導を行ったかどうかと尋ねられたときの、二人の地域本部長の以下の返答からもそれは明らかである。二人とも、そのような目的で家庭指導はしなかったと否定し、その一人は次のように答えている。「私は、いつもメンバーが指導を求めてきたときに家庭指導をしており、したがって、家庭を訪問して実際に行うことは、信仰実践や生活についての語し合いです。彼らの実践や他の行動について調べたりはしません」。もう一人の本部長は、つけ加えて、「もしわれわれが、何か悪いことをやっているのではないかと思っただけで誰かを訪れたりすれば、良くない側面ばかりが目につくだけでしょうし、おそらく事態をさらに悪くするでしょう」。このような語の脈絡から、「悪いこと」は本質的に実践、特に勤行の最中に誤りを犯すことに関係しており、道徳的問題ではないことが明らかである。

以上のことから、そこには罪という概念の入る余地もない。リチャード・コーストン氏は、次のように述べている。「この信仰において真に偉大な点の一つは、われわれは自身の弱さや、醜くく感じる人生の他の面について罪と感じる必要のないことです。……われわれはいまだ、仏法から見れば、不幸を生みだす原因となる衝動をもっていますが、そうした衝動も否定的に働くのでなく、積極的な意義を持った働きへとなっていくのです。…日蓮大聖人の仏法は、否定的な衝動や傾向を抑制するのではなく、それを全体として変えていくのです」。この立場の根底にある心理学は、伝統的なキリスト教とは正反対である。罪の概念もなければ、特定の行動形式を抑圧する命令もなく、避けることのできない因果の理法が存在しているという深い信仰のみがある。このような理解こそが、まさに自己統御への意志を生み出す。そしてメンバーは、その意志が実践の力によって達成されると信じているのである。自己を統御するメカニズムとして、罪に依存することはない。もし、罪の意識が西洋の社会や文化を統制する特定の役割を暗黙のうちに果たしているとすると、仏教信仰によって同じことが支持されることはありえない。

慈悲、智恵、勇気など、繰り返し表明される抽象的な美徳への献身は、決して単なるレトリックではない。われわれはすでに、日蓮仏教はきわめて実践的な宗教であり、唱題がもたらす経験的証拠によってそれが証明されているという主張が高く評価されていることを見てきた。これらの美徳は日常生活の中で働くと考えられており、それらの増大は、日々の経験の中に仏界が顕現する成仏へ向かう姿の一部である。

 仏界と通常の生命との間には、相互依存の関係がある。…それは三つの重要な語句で表現される。そのひとつは「煩悩即菩提」であり、文字どおりに「普通の生命に宿る欲望は、同時に悟りである」という意味である。第二には、「生死即涅槃」であり、「苦難と死は涅槃(または成道)」を意味し、第三の即身成仏は「同一の身が仏陀となる」ことを文字どおり意味する。…「即」は、仏界は天上や彼岸の姿ではなく、日々の生命の質のことであるという意義を強める概念である。単純化して言えば、われわれはこの仏法を聖人や超人になるために実践するのではなく、人間的な問題を解決することができる偉大な人間になるために実践するのである。

これらの考え方の背後にあるきわめて強い個人主義的な基調は、それらの考え方が支配的であるシステム内部の社会統制の可能性を最小にしてしまう。すべての個人は自分自身に対して責任を持たなければならず、因果の理法への理解に基づいて自分自身の業を統御し、生活に対する業の影響が良からぬときには、影響を緩和するために唱題しなければならない。しかし、この個人主義の哲学によっては、運動の内部において秩序と協同を維持するのが困難になるのではないかと思われるかもしれない。すなわち、善意と個人的な功徳のための唱題に依存しているだけでは内部の団結を維持し、統一ある行動を行うのに不十分なのではないだろうか。他人へ干渉せず、道徳的価値判断を避けて各人の短所は業によると考えることは、その傾向をさらに強めることになるだろう。イギリスの副理事長がこれらの問題について講演したように、寛容へ向かう強い要求が生まれている。「本部長として、……私は、私の管轄する支部長たちとある活動方針を決定するが、実行の段階では彼らのうちの何人かはよくやるが何人かはそれほどでなく、ある人は全くやっていないのをしばしば発見する。だからといって、私が『あなた方はきちんとやっていない』と、ただ単に言うのは良いことではない。いつもたくさんの題目をあげ、すべては彼らの最善の結果なのだと受け入れることが、私の責任なのです。彼らがどうしてもできないことは、彼らの業です。そして、彼らがやらなかったことで私が困るなら、それは私の業なのです」

すでに見てきたように、日蓮仏教は寛大で楽観的な、かっ積極的な志向性を持った宗教である。しかし、あらゆる宗教は人生における不運や、特に病気や死に対して、〔なぜそれがほかならぬ自分に起こったのかという点について〕何らかの説明を与えなければならない。日蓮仏教は、このような出来事に対しても、上述の一般的傾向と一致した反応を示す。完全に健康であるかどうかは、日々の実践によって生命のすべての側面が調和しているかどうかにかかっている。戸田城聖は、真の健康は生命がこの信仰実践に基づいたときにのみ実現すると断言しており、池田は科学的な治療の役割を認めながら、より慎重に次のように語っている。「あなたがその生命を唱題によって強めながら、その基礎の上に科学の力をフルに用いることで、襲いかかるすべての病の障害を見事に克服していくことを希望しています」。しかしまた、次のようにも主張されている。もし、ある病気の原因が宿業にあるなら、断固たる実践のみがその状況を打開しうると。しかしながら、明らかに否定的な他のすべての現象と同じように、この場合も逆転してとらえることができる。日蓮は「病は、仏法を求める道心を起こさせようとする仏の慈悲のはからいである」と説いたが、イギリス人のある解説者は「信仰と実践によって克服できない病気はない」と断言しつつ、池田会長のより慎重な次のような言葉を紹介している。「私どもは、病気にかかっているからといって、その人の信心が弱いなどと判断すべきではありません。……病気は、悪い宿業を根絶し、宿命をよりよい方向へ変化させたときに、誰にでも起こることなのです」

輪廻の教えの故に、死についての仏教の見解は独特であり、人を絶望させるものではない。死は、業の定めるところに従って起こるものであると主張される。すなわち、「誰かが死を迎えるのは時がきたからである、と認識する必要がある」と論じられており、それはこの人生において可能な最大の価値を創造したときである。死を迎える正しい時は、「業によって決められている」。「この世に遺された人々にとっても、また亡くなった人にとっては永遠の生命が次の人生の中で開始される時であるという意味においても、死は永遠の生命の一部であり、長い目で見れば価値を創造する」のであるから、死は意味あるものとして積極的にとらえられている。にもかかわらず、会員は自分たち自身のためにも、また死が近づいた人のためにも延命させようと唱題するが、それは「力強く唱題することにより、自分の一生を永続きさせ、また死の瞬間に大いなる喜びを覚えることができるからである」。おそらく、死の影響についての解釈は、各人が自分自身の死に前もって対処することよりも、遺族への影響により強調点がおかれているといえよう。「もし一人の全員が突然亡くなっても、それに影響されず、遺族が信仰を続けるならば、やがて、死者も遺族もすべてが、功徳を得ることでしょう。最初は衝撃や悲しみを覚えるでしょうが、それが過ぎれば、永遠の生命についてより深く理解するようになるでしょうし、信仰をさらに強め、自分自身の生命状態をはるかに高めることでしょう。それが変毒為薬なのです」。この教えによってメンバーは身近な親族の死を平静に見つめることができるようになる。戸田は死について、「悪い宿業を消し去る、比較的小さな困難にすぎない」とさえ言っている。このように、おそらく人間の経験の中で最も深く傷つく出来事に関してさえ、仏教徒のこうした応答は積極的であり、楽観的な世界観を一貫して信頼していく支えとなっているのである。

病気や死を合む「不運」についても、以上のように順応的に説明される。それはどんな宗教哲学においても同様であろうが、日蓮仏教はさらにその先に進む。クリスチャン・サイエンスと同様に、悪の存在は否定しないが、日蓮仏教は一貫して、悪と見えるものでも良い利益をもたらすものへと転換し、より広い宗教的摂理のなかで一定の役割を果たすものと論じられている。この傾向は、信仰を失ったときの問題を扱う際に、明瞭に現れる。イギリスの機関誌では、次のように述べられている。

日蓮仏教においては人生における何ものも、それ自体が本質的に善であるとか一悪であるとかいうものはない。また、すべてのものは否定的な働きと肯定的で積極的な働きの両面があると説く。「疑い」も同様である。…疑いはきわめて有益にもなりうるのである。疑うことによって、一見魅力的に見えながら、実はきわめて有害な状況へと突き進んでしまう危険から、あなたを守ることもある。…他方で、疑うことであなた自身の福運を見失うこともある。……では、どのようにして判断すればよいのだろうか。答えは単純であり、あなた自身の疑いについて題目をあげることである。唱題によって、その疑いが仏界の智慧に基づくものか、それとも単に自分の恐怖が生む働きかを見極めることができるのである。

したがって、「疑い」を検証する基準は、真剣に唱題するという実践であり、それによって自身の精神的、情緒的な動きを明らかにし、仏界の智恵を獲得することが期待されている。この検証の法廷に持ち込まれるのは、日常生活における諸決断についての疑いばかりではない。「信仰の実践それ自体についての根本的な疑問」などの、信仰上の疑いについても同様に適用される。「その場合に大切なのは、それらの疑問が実は、悟りへの旅路を邪魔するさまざまな障害物である『三障四魔』の現れであると気づくことである」。キリスト教徒であるなら、それを「悪魔のたくらみ」と同じものと考えたくなるであろうし、こうした障害を克服する方途も、キリスト教徒が彼ら自身の言葉で語る提案と、それほど大きく異なっているわけではない。質問に対する次のような回答が掲載されていた。「疑いは人生において必ず生じるものであり、また信仰を実践していくうえでも避けられないものです。…仏法の力に対する疑いは、時間をかけて着実に実践していくことによってのみ、解答が得られるのです。事実、何百万人もの普通の人々が、勤行と噌題、教学、布教の三つの実践を持続することによって、次第にかつ自然に、日蓮大聖人の仏法の功徳を受け、自身の人生を明確にとらえられたということを発見しているのです」。神への祈りによって疑いを克服するよう命じられるキリスト教徒が、その克服の証拠として考えるのが内面における感情の変化のみであるのに対し、創価学会のメンバーは彼らの信仰の実践的性格を強調し、彼らの信仰の正しさと疑問の解消の証拠として、具体的な功徳を期待するのである。

メンバーが信仰への疑いと困難を経験した場合、通常は信仰の正しさへの保証を再び求めようとするが、そのような保証は、信仰の実践についての理解が深まっていないメンバーに対するリーダーによる各レベルごとの体系的な指導によって与えられる。それは地域ごとの会合で与えられるが、メンバーはまた自分の個人的な問題について相談するために、自分の属するグループや地域の、または問題によっては、どんなレベルの指導者にも直接合うことができる。個人指導によって与られるものは、ドグマを再度強調するようなものでも、道徳的な命令を訓戒調で表明するようなものでもない。リーダーたちは、「信仰に関する指導を、『御書』に基づいて行う。…すなわち、メンバーがその指導を通して実践へと向かうように啓発する。しかし、最終的に、彼または彼女が実行するかどうかは、完全に個人の責任においてである」。リーダーは苦難を引き起こしている業の特徴について説明する。彼はメンバーに対して常に、唱題を忍耐強く続けていくように勧め、信仰にさらに献身していくよう、そして御本尊の前では自分の心を素直に開いていくよう励ます。御本尊という鏡の前で自分の心を開くことは、内面の意識を変化させ、より積極的な精神のあり方をめざす主体性と、自分の生命とその環境に対する責任を担っていく確固たる態度に影響を及ぼすのである。

信仰についての総合的な指導と、日蓮の著作および池田大作会長の著作を学習し論議していくことは、異なった理解の段階にいるメンバーたちを結びつける重要な絆を形成し、組織全体に「師弟不二」と呼ばれる信仰体験に基づく結合の環を構築する。この原理の英語(master-disciple,two yet not two)への文字通りの訳、「師匠と弟子は、二人であって、二人でない」が暗に意味するように、師匠と弟子は精神的に一体であるべきと考えられている。したがって、創価学会は哲学的には明らかに個人主義と平等正義に立っているにもかかわらず、信仰における古参原理が仲間意識と結びついており、その結合には神秘的な要素がある。人と法とは一体であるという「人法一箇」の原理によって、理論的には南無妙法蓮華経または御本尊が師である。しかし日蓮は、御本尊は自身の生命を描き現したものであると宣言しているのであるから、日蓮が師である。日蓮の一文を引用しつつ、池田は「法華経を信じ、実践する人は、釈迦牟尼仏と等しい存在である」と語ったが、さらに、日蓮仏法は「すべての人々を平等へと、仏陀と一般の生きとし生けるものが皆等しく一つとなる状態へと導いていくのである」と述べた。責任の担い方の差異にかかわらず、彼らはすべて自身の仏性を活性化するために御本尊に南無妙法蓮華経と唱えるが故に、等しく一体である。

 この師弟不二の原理は、牧口常三郎の弟子としての戸田城聖、戸田の弟子としての池田大作という関係にも適用される。

 池田会長の恩師、戸田城聖第二代会長に対する絶対の信頼は、われわれの人間革命と世界平和をめざす日々の活動の源泉となる。池田会長から啓発を受けて、…・われわれは、日々のわれわれ自身の努力と御本尊との関係を通して、社会におけるわれわれの役割を果たしていくのである。彼の言葉、行動は権威や権力、または生命についての単なる知識を表明しているわけではない。むしろ彼の努力、尽力は、彼自身の経験と結びつきながら、すべての個々人が真に偉大な人間存在になりうる可能性を秘めていることを証明しているのである。

 このような合理的説明は、池田が得ている広範囲な名声を個人崇拝と見なして批判する人々を納得させないかもしれないが、(少なくとも大多数の)SGIメンバーが抱く池田への注目を正当に表現しているように思われる。

 

 


 

3 出会い、魅了、そして改宗

 

 

人々が新しい宗教運動に最初に出会い、心をひきつけられ、最終的に改宗するまでのパターンはさまざまであるが、出会いがあり、興味をひかれ、入信を決意するという道すじはつねにある。本章では、献身的で確信に満ちたメンバーたちが、この道すじをどのようにたどってきたのかを明らかにしたい。つまり、彼らがどのような状況の下で日蓮仏教と初めて出会い、この信仰あるいは運動の特徴のうちで特に何に興味をひかれたのか、また、「興味を抱いた新来者」が熱心なメンバーになった場合、最初に感じた魅力がその後も献身を喚起する要因となり続けているかどうか、といった点である。

すべての新しい宗教は(少なくとも初期には、また通常その後も長く、共通して)発展を望むものであるが、そのためには、新しい人々が既存のメンバーと知り合ったり、その宗教の実践や哲学を知ったりするために好都合な機会を設けなければならないのは明らかである。改宗者たちの目的は似通っているが、全員に共通するパターンはない。さまざまな運動があり、人々が最初にある宗教に出会う典型的な形も運動ごとに異なっている。出会い方は、その宗教の形態やイデオロギーのもつ本質的な特徴によるが、同時に、各宗教組織がその存在や教義を社会に知らせるために意識的に行う戦略によるところもきわめて大きい。もちろん、それらの戦略、形態や組織が似通っていることはあるだろう。あらゆる宗教は、個人の幸福感を高める役割を果たすものであるから、改宗を目的とするものはどれも、メンバーにつねに布教を強く勧めるだろう。一般に宗教団体は、新メンバーを募る際に、個人対個人の対話や人的ネットワークを活用することが多い。しかし、その程度はさまざまである。「サイェントロジー教会」のような、どちらかというと特定の個人を介さない精神療法などの技術を提供する運動は、個人による紹介よりも、印刷物や広告に重きを置く傾向がある。また、共同生活を行う宗教集団や、それほどではなくても集団としての統一をめざす運動は、参加する可能性のある者に、共同生活を支えることによる利益をできるだけ多く訴えようとするかもしれない。他方、SGIのような、どちらかといえば個人主義的な志向をもつ運動は、前世紀のプロテスタント運動を特徴づける信仰復興のための伝道集会のような大規模な集会や集団的儀式よりも、1対1の関係や個人による紹介に依存する傾向がある。そのようなわれわれの予測は、今回の調査結果によって確認された。

展示やコンサート、運動の宣伝、イギリスに存在する諸組織を紹介するさまざまなメディアなどの、個人によらない媒体を通してイギリス創価学会に出会った人は、調査した標本会員のわずか6パーセントであった。94パーセントは、メンバーとの交際を通じて運動と出会っている。メンバーを紹介した人のうちで最も多いのは友人であり、約42パーセントに達する。23パーセントの人は、配偶者や家族内メンバーを通じて出会っている。残りの人は知り合いから最初の情報を提供されている。知り合いの中でも、特に仕事仲間や学生仲間が多いが、14パーセントの人は偶然に知っ合った人に紹介されている。イギリスのメンバーが創価学会に出会うきっかけとなった人たちの中で、日本人は6パーセントしか占めていない。イギリスの初期のメンバーは日本人の永住者や一時的移住者、あるいは日本企業のイギリス支社で働く日本人であったが、この数字は、時間の経過とともに日本人メシバーの直接的な影響力が薄れてきたことを示している。もはや「折伏」を実践するのは日本人だけではない。イギリス人以外のメンバーもかなりいるが、それにもかかわらず、この運動はイギリス社会に着実に根を張ってきているのである。

配偶者や友人、親戚による紹介が多いが、それ以外にも、思いがけない偶然の出会いが改宗へと導くこともある。メンバーたちは、さまざまな予期せぬ状況の下で日蓮仏教に最初に出会ったと回答している。たとえば、「ナイトクラブやコペンハーゲンの夕食会」で、または「パブ」で出会った見知らぬ客を通じてであった。「ホームレスだった時にパブで1人の男性に会いました。彼はその晩、私に予備の寝室を使わせてくれました。彼の家で私は、今でこそ知っている御本尊なるものに出会ったのです」といった具合である。1人の精神治療家は、次のように詳述している。「友人の母親がパーティーでメンバーに会いました。それを聞いた時、私は興味をそそられ、知ってみたくなったのです。仏教徒がパーティーに行くなんて考えてもみなかったからです」と。少なくとも3人の回答者が、テレビ番組によってこの運動を知った。題目を聞いて魅力を感じた人も1人か2人いた。ポスターを見たという人もいた。リッチモンドにあるSGIの店に入った時という人も3人いた。そのうちの1人の女性は、「娘のクリスマスプレゼントにそこで仏像を買えると思った」から入ったのだと述べている。旅行中に――インドで、ロサンゼルスで、列車の中で、車に乗せてもらって――活動に出会った人もいた。また、工芸、窯業、演劇の学校の教師が人々に仏教を伝えていった。さらに、仕事上の顧客に折伏された人もいれば、もっと偶然に、「仕事でタクシーを運転しているときに、若い美しい女性に教えられた」という人もいた。ある特定の場所が、この仏教に出会うのに他よりも好都合であったことは確かである。それは、たとえば次にあげる例のように、治療センターに言及した例が多いことからもわかる。「東西自然食食事法センターで病気について相談していた時」、「自然食食事法ダイエットについての懇談の際…その後の『対話』の時」、「健康問題について診療してもらった自然療法医」、「補助的療法のための医療センターを通じて」、「代用薬をもらいに行った個人病院で、患者として」、「占星術の講習の際、個人教師を通じて」、「心霊画法の講義の際、芸術家は現れなかったが、3人の(創価学会)メンバーが日蓮正宗について話した」。そして、「私の主治医が唱題は有益であると言い、連絡すべき人の名を教えてくれた(彼は日蓮正宗を知らなかった)」といったものである。

ナイトクラブ、工芸や演劇のクラス、そして代替医療センターというような場所は、伝統的キリスト教が多様性に富んでいるといっても、その信仰へ導かれる場所ではなかった。しかしこれらの回答から、創価学会はうまく統合された「カルト的雰囲気」を構成していると推論するのは誤りである。上述した回答からの引用が示すように、いろいろな精神哲学、治療学的哲学や代用哲学をかじってきたメンバーがいるのは確かである。しかし、多くのメンバーは、以下に見るように、創価学会自体が布教を始めた1960年代初期以降にイギリスで盛んになった新宗教団体に関わった宗教的体験はもっていないのである。

ある年齢層に属する人々、またはあるタイプの結婚状況にいる人々が、新しい宗教に出会う機会が高い可能性がある。今回の調査結果は、以下の事実を示している。すなわち、配偶者や家族のメンバーを通じて運動を知った人は、30歳以上が21パーセントなのに対して30歳未満は30パーセントであり、友人を通じてSGIに出会った人は、40歳以上が37パーセントなのに対して、40歳未満は46パーセントであった。改宗年齢が30歳以上の場合、この信仰へ誘うのに友人や家族以外の人物がより重要な役割を演じている(若いグループは17パーセントなのに対し、年長グループでは32パーセントに達している)。

独身者に特徴的なのは、もちろん、家族よりも友人から紹介されていることである(家族36パーセントに対し、友人48パーセント)。結婚、同棲あるいは同性愛にかかわらず2人で生活していた人は、ふつう家庭内の人物(しばしば配偶者)によって運動に誘われる割合が独身者より高い(独身者16パーセントに対し、31パーセント)。メディアの果たす役割は、年齢のカテゴリーにおいても、婚姻形態のカテゴリーにおいても違いはなかった。

 

l         ―― 魅力の源泉

メンバーたちがどのようにして献身的になったかを説明する上で、彼らが最初にSGIに出会った状況はその1つの側面にすぎない。もっと重要なのは、入会希望者が、誘われた新しい信仰の何に魅力を感じたかである。回答者の3分の1以上が、彼らをひきつけたものは「メンバーの特性〔人柄〕」であったと答えている。彼らはしばしば、出会ったメンバーの誠実さや正直さ、友情、幸福、他人に対する開放性そして形式ばらない行為について特筆している。それらに深い感銘を受けたのである。彼らは歓迎されていると感じ、眼前にいるメンバーたちの特性はその宗教的信念と実践によって培われたものだと考えた。このことは非常に重要なので、質問票とインタビューでの回答を引用するのは有意義である。たとえば35歳の音楽家が、「出会った人々とその背後にある哲学に深い感銘を受けました」と簡潔に語っているのが代表的な例である。フリージャーナリストの女性は、活動を始めた頃の私は、何かにおびえ孤立していました。仕事がうまくいっていなかったのです。SGIの人たちは、それを理解してくれ、気づかい、同情してくれました。それによって私は解放され、自由を感ずることができたのです」と告白している。

より詳細にコメントしている人もいる。32歳のオペラ歌手は、次のように述べている。「私が出会った人々の生命状態、人生に誠実に挑戦している希望と喜びに満ちた人々に魅力を感じました。私は、そのような挑戦をしたことがなかったのです。最初は、それらの人々と哲学に魅力を感じ、実践には魅力をじませんでした。私は理論好きで、書物を読みたかったのです。そして、彼らの信仰を信じるようになりました。また、この団体には多くの異なった国の人がいて、すべてが包みこまれているように思えました」と述べている。大学を卒業してウェイターの仕事をしていた人は、「出会ったメンバーたちが魅力的でした。最初にイギリス創価学会について語ってくれた男性、それから信仰を実践していた友人のガールフレンドに深い感銘を受けました。彼女は活発な人で、生命の中に何か躍動するものがあったのです。それから、働いていたレストランの所有者X氏との出会いがありました。私をひきつけたのは、これらの人々の強い生命力、特にレストランの経営の仕方や家族の世話の仕方でした。普通の人とは違っていたのです」と回答している。また、修士号をもつコミュニティ・ワーカ―は、次のように語っている。「初めはそれを理解することはできませんでした。私の理解力を超えていたのです。本当に感銘を受けたのは、彼らが会合で自分の生活について語る姿でした。私は、それを体験した瞬間に、そのようにさせたものが何であれ、信じたのです」。このように、見知らぬ人に率直に快く話す態度が、結婚生活に破綻していた41歳の女性秘書を感動させている。彼女は語っている。「初めは人々の開放性に魅力を感じました。彼らは会合で、見知らぬ人々に、痛ましい私的な体験について赤裸々に話していました。私はそれに感動したのです。彼らは笑い、笑い声と喜びが溢れていました。私が見てきた他の宗教はみな、とても重苦しいものでした」。このように、ある者は哲学的側面をきわめて難解だと感じ、その一方で、そうした知的な基盤をより多く求める人々もいたが、両者に等しく感銘を与えたのはメンバーの話しぶりや人柄、開放性や率直さであった。

バイオリンの製作と修復に携わる34歳の男性は、歓迎されるなかで自信を回復していった。

最初に私の心をひきつけたのは、メンバーたちの包容力と信頼でした。第1印象は…あるがままの私が完全に受け入れられたということでした。心の壁を破って〔題目の〕言葉を唱えるのはむずかしかったのですが、仲間に入れてもらったと感じたら簡単に行うことができました。私は、幼い頃から自信をもてませんでした。それで、受け入れられたということは私にとって重大なことだったのです。……私はこれまでこの信仰の実践を疑ったことはありません。大きな理由は、信仰を始めた時に出会った人々を信頼していることです。……その人たちがいなかったならば、実践を疑ったことでしょう。しかし重要なのは、私が出会った人々こそが仏法の証明だったことです。

もちろん、新来者に対する温かい歓迎は、創価学会のみを特徴づけるものではない。ほとんどの宗教団体が、来訪者を歓迎するために格別の努力をするものだからである。多くの新しい宗教団体の魅力の1部となっているのが、こうした「求められている」という感覚であり、これが新来者に通じていく。こうした温かさの経験と信頼感以上に、創価学会員の際立った特質……記述するのは難しいが……を認める人もいる。40歳代の小売店主の女性が述べたように、その魅力は「メンバーの確信に満ちた見解と『輝く』顔つき」にある。金細工師である若い女性は、「活動するよう勧めてくれた人の人生への取り組み方」に魅力があるとし、次のように述べている。「彼女を初めて見たとき、彼女は庭の草取りの最中でした。私たちは話をしませんでしたし、彼女は私が見ていることに気づきませんでした。しかし、私は彼女はどこか違うと感じ、それが何なのか、私もそのようになれるのかどうかを知りたいと思ったのです」と。回答者たちは、インタビューとアンケートの中で、こうした点について何度も繰り返し述べている。フリーの通訳である30歳の女性は「私を紹介してくれた人は私が賞賛し、自分も持ちたいと願っていた得がたい資質……彼の行動に現れたある種の自由さ……をもっていました」と指摘している。こうした特質は、もっぱら女性が男性に、また男性が女性にだけ示すわけではない。40歳の男性海洋生物学者は、創価学会の魅力を、「紹介者である仕事仲間の生活の質」にあるとしている。こうしたものを客観的な特質として表現できた人もいた。たとえば、40歳の書店経営者の男性はそれを、「数年にわたって友人であるメンバーたちの友情、誠実さや高潔さ」と表現している。

この運動にひきつけられた人の中には、メンバーの生活の質に魅力を見いだすだけでなく、知り合いや親戚が実践の結果として示した変化に魅力を感じた人もいた。たとえば、歯科医のある男性は、それを「私の兄弟の生活の質の向上」と表現している。また、自営の操り人形師である40歳の女性は、彼女をひきつけたものは「子供の頃からの友人の気性に、はっきり分かる決定的な変化があったこと」であるとした。25歳の中学校教師がこの運動に魅力を感じたのは、「私よりちょうど1年前から題目をあげ始めた2人の兄弟の変化に気づいたからです。彼らは以前よりはるかに幸せになり、生活に積極的になったように見えました」という。女性のビデオ・プロデューサーは、次のように断言した。「私は、組織としての日蓮正宗には魅力を感じませんでした……むしろ実践にひきつけられたのです。というのも、私の長年の友人の境遇が信じられないほど変化したからです。アリス(ハマースミスのオデオン座でイギリス創価学会が上演したミュージカル・ショー)以後は、組織も以前よりは受け入れられるようになりました」。主婦である別の女性は、「紹介者の御夫婦の夫に現れた変化」にひかれ、「重要なことは、1銭も要求されなかったことです」と付け加えている。

アンケートの回答者の約20パーセントは、規則正しい唱題と「御本尊」によって得られたと理解されている直接的で「実際的な功徳」に心を動かされたと述べている。特に彼らが期待したものは、富、健康およびさまざまな物質的な恵みであった。この人たちは、題目があたかも魔法同然に作用するという確信を抱いていた。とりわけ、何らかの困難な問題に直面している人たちは、しばしば唱題がその問題を何らかの形で即座に解決してくれるという希望や期待をもってこの運動にひかれている。フリーのジャーナリストである若い女性は、「活動により物質的功徳を得るという期待」に魅力を感じたと断言している。シルクスクリーン作家である33歳の男性は、「不治の病気を直す可能性」が魅力であるとした。事務職員である40歳の独身女性は、「功徳という考え方が気に入ったし、本当はもっと自信をもちたかったのです」と述べている。また、ある人々にとって、功徳は厳密に物質的なものというよりは心理的なものであった。62歳の女性芸術家は当初、「ひどい精神的かつ物質的苦しみに悩まされている人生に回答を与えるという、たやすい『魔術的』方法」への期待から実践へと誘われた。58歳の大工は、「心がずたずたになっていた時に題目が与えてくれた、精神力と心の平穏が気に入りました。題目は私を自己破壊から守り、戦う意志と自分を信じる力を与えてくれたのです」と述べている。退職した63歳の女性は、「題目の力を信じました。私は数年間癌をわずらっており、生命力が落ちていました。初めて参加した会合で題目を1時間唱えました。唱題が終った時、私はふたたび生命力がふつふつと湧いてくるのを感じたのです」と回答している。また、〔この信仰に最終的には〕幻滅を感じたある独身の女優は唱題に魅力を感じ、「その時間いた『功徳』の売り込み口上が私をも救ってくれるだろうと信じ、期待もしました。しかし、結果はそうではありませんでした」と主張した。(今回の調査のサンプルは、創価学会によって誠実なメンバーと見なされている人々から抽出されたものなので、当然のことながら、この運動に興味を持った後にそれ以外の思想をもち、幻滅をしたという人の回答はほとんどないが、あっても偶然にすぎない。)

回答者の約16パーセントは、当初、「組織それ自体の特徴」に好意的な印象をもったために参加したとしている。特に、儀式の簡素さ、唱題の美学的な魅力、個人が仲介者なしに儀式活動に携われることや、何人かが述べたように、自らの生活と「業」に責任を負えることを魅力としている。30代の女性事務弁護士は、「唱題の響きと会合の雰囲気に魅力を感じました。私が会ったリーダーたちから、積極的な姿勢や何か力強いもの、気くばりや『徳』を感じました」と回答している。しばしば、指導性のあり方それ自体も魅力となっている。たとえば、44歳の美術教師は、「聖職者やグルをもたないことにひかれました。私は、英雄崇拝をよいものとは思いません。寄付をすることが悟りへの道であると巧みに示すような富裕な組織にもつねに疑いをもっていました。イギリス創価学会に寄付するよう私たちに圧力をかけるものはいません。寄付の機会はありますが、圧力はないのです。……この信仰は、日常生活の中で悟りを得るための実践的な道です」と回答している。映画編集者である28歳の女性は、彼女の興味を特にひいたものは「組織と指導性の純正さです。位階制といったものがないことが気に入りました。組織内における責任と地位は、獲得するものというよりは、むしろ与えられるものでした」と主張している。ちょうど50歳を越えたばかりの男性行政官は、「運動内部のみごとな組織」に魅力を感じており、イギリスのリーダーは「人々を大いに奮い立たせてくれる」と述べている。大学卒の22歳の別の公務員は、「メンバーたちは、気どりのない正直な人々で、ともに悩み苦しむ人々でした。随方毘尼という原理があります。これは、御本尊を受持すること以外は、生活様式を変える必要はない(変えたいと望むならば変えてもいいが)ことを意味します。またリーダーたちも、高みにあるわけでも聖人君子であるわけでもないということです。彼らはパブに行ったり、近所づきあいします。言い換えれば、彼らは普通の人々なのです仏陀も普通の人なのです」と回答している。

さらに、1部の回答者にとっては、別の特徴がこの運動の主な魅力となっていた。メンバーの道徳的な自由が人々の心をひきつけたのである。現代、すなわち末法の時代において、日蓮仏教は、道徳律は個人の問題であり個人に責任があると教えているが、それがこの運動に、宗教団体には珍しいほどの寛容と許容の精神を与えることになった。またこのことが、メンバーになりそうな人々に共感を与える源となっていることはまちがいない。この点については、さまざまな回答者が詳しく述べている。地方警察を管轄する中央機関の監督官は、日蓮仏法に魅力を感じたのは「裁きというものがなく、罪もありません。メンバーたちは、幸福で面倒見がよさそうに見えました。自分自身の生活に責任を負うという考えが気に入ったのです」と回答している。男性の美術教師は、道徳問題に対する態度に魅力を感じた。「罪は存在しないとの考え方が、私たちが入会を考えた時の重要な理由でした」と回答している。女性の映画編集者も同様の点を指摘した。すなわち、「私にとって大きな魅力だったのは、仏教には規則や規制がない……十戒がない……という点でした。……この哲学は、まさに因果律に基づいたものでした。過去の行為に関係なく、今この瞬間から自分の宿命を転換できるのです」と。技術専門学校で職を探している25歳の人は、次のように言明した。「すべてのものが受け入れられるのです。私は、キリスト教を信じなければキリスト教によって悪く運命づけられるという考えに悩まされていました。『神はあなたを救うためにここにおわします』という言葉が私を悩ませたのです。日蓮正宗は、自分で自分を救済すべきだと言います。何が善であり何が悪であるかを言える人はいません。善と悪を見分けるのはあなたなのです」と。38歳の女性教師は、外から押しつけられる法則がない、その哲学に関心をもち、何をなすべきかを命令されるのはいやだ」と回答した。42歳の女優兼歌手も同様の指摘をし、「強制的な道徳律がないこと」が魅力であったとしている。アナリスト・プログラマーの男性は、「この宗教がいかなる規則や条件または審判も提示しない一方で、宿命転換の機会を提示していることが気に入りました」と報告している。ビデオ製作の資格をもつ大学卒の25歳の女性は、「規則が存在しないことと、メンバーがとても自信にあふれていること」に魅了された。同性愛者であることを宣言した人にとっては、特定の道徳律がないことは特別の魅力であった。37歳の男性写真家は「活動によってもたらされる驚くべき功徳」を主張し、「個人の性行為――特に同性愛――に対する彼ら(創価学会)の態度はとても肯定的です。つまり、『それは罪ではない』とするのです」と主張した。大学卒で31歳の女装したキャバレーのダンサーは、魅力を次のように述べている。「この運動は、私を実践している同性愛者として受け入れてくれているようです。同性愛者だからという理由で、悪いとか不正であるセか、罪深いとか邪悪であるとかと感じさせられたことはありません。29歳の劇場照明技師は、性に関する「業」を転換するため、そして「自分の同性愛的な部分に対し、楽になり安心感をもてるようになるために」唱題してきたと回答している。また、同性愛関係の中で生活している精神科の看護士は、次のように述べている。

私にとって創価学会に出会ったことは、体にぴったりあったジャケットとかコートを贈ってもらったようなものです。この思想が、私がすでに抱いていた哲学と一致することがわかったのです。つまり、異なる人種間の交渉や同性間の交渉といった、一般社会の標準的規範とは全く合わないものも受け入れてくれるのです。彼らは誠実で情愛があります。また、題目を唱えないのは悪いと言われたり、唱えないと罰があたると言われたりすることもありません。むしろ、「唱題するのはよいことであり、報いられるでしょう」といった具合に言われます。説得であって強制ではないのです。これが、他の宗教と異なるありがたい点です。

同性愛者でない人たちも、この信仰によって日々の生活が保証されるのを歓迎していた。たとえば、35歳の男性音楽家は、自分の気持ちを次のように記録した。「私が魅力を感じたのは、堅苦しさがないことでした。私の女友達は、「西洋仏教友会」という宗派の信徒でした。そこでは性的関係はよくないことと信じられています。彼らは自らこの世界から身をひくのです。私は日常生活からかけ離れていたその考えに賛成できませんでした。それが活動を毎日の生活の一部とするイギリス創価学会とは大きく異なっていた点でした」

さらに別の魅力の要因について指摘する人々もいる。彼らにとっては個人に生命力を与え、個人と宇宙との統一を確立することが主要な長所であった。また、組織内に感じた民主主義の精神や、メンバー間の平等主義の強調……それは時として個人の自律を強調するものとして言及された……に魅力を見いだした人もいる。また、この宗教には神がいないことに当初から感動したと述べたメンバーがいたが、このような点に消極的ではあるが比較しながら魅力を感じる者もいた。

回答者の14パーセントが、実践の結果として「個人の幸福と自信への見通し」を得たと指摘した。すでに見た回答者の引用から明らかなように、人生を自分でコントロールしたいという願望がメンバーの間に広く見られ、信仰実践によってそれが可能になるという点こそ、この運動が特に強調したことであった。これらの回答は、自己変革や世界に対する態度の根本的な変化、および内面的源泉の解放の可能性を意味した。実際に、「イギリス創価学会が私を幸福にしてくれる。私は人生を楽しんでいる」と回答した人々がいたのである。

調査サンプルの約8パーセントは、日蓮仏教の根本的な魅力は因果の理法の教義がもたらす「知的満足」にあるとした。業の理念は人生に意味と目的を与える。つまり、それは現世の意味を了解させ、疑問に答えるのである。神義論についての説得力ある説明は、何人かの人々の最初の興味をひきつけている。

この運動の魅力を、その「倫理思想」に見いだした者も、少数ではあるがいた。彼らは、日蓮仏教がきわめて重大な倫理的問題に貢献していると考え、特に、世界平和および社会変革に向けての強力な主張に深く感銘を受けていた。環境省で働いている独身青年は、われわれに語った。「私は、コーストン氏が著した本を見つけました。その本には多くの問題に対する答えが記されていました。……私自身が考えて出した答えと一致していたのです。……その本には、人間性に希望を見いだし、人々は平和と調和の中で共生できること、そしてそのための現実的な方法があることが基本的に述べられていました。私はその現実性に魅力を感じたのです。それは、とても率直でシンプルなものに思われました。すべてあなたの責任だというわけです。唱題があなたの業を転換するのです」。「社会参加」の機会、特にこの運動がしばしば支援してきた文化的イベントを評価する人も同じく少数ながらいた。たとえば、29歳のフリーの市場調査員はそれを次のように説明した。「妹が、ミュージカル『アリス』に出演しました(1986年)。彼女はプロの女優でも歌手でもありません。ステージの上の彼女や他の1人ひとりを見ていて、私は自分の人生のために行動を起こし、責任を負うよう啓発されたのです」。この種のイベントについては、運動やメンバーについて高く評価される他の特徴を語る際に、いつも言及されている。

避けられないことではあるが、筋違いと思われるようを理由でひきつけられた人々もいた。しかし結果としては、彼らが当初思い描いていたより豊かな体験をすることになる。たとえば、航空会社のマーケティング・オフィサーの例がある。彼は日本人女性を妻にもち、後にイギリスSGIの副理事長になったが、彼は、「私が望んだ(愛した)女性がとても確信をもっていた」ためにひきつけられた。40歳の失業中の元営業部長は、「ティナ・ターナーが、人生における根深い問題を解決するためにいかに実践したかについて記した著書を読んで」深い感銘を受けた。34歳の女性事務員は「活動の自由」に魅力を感じ、「私は人生をよりよい方向に変えたかったのです。多くの有名人が実践し、幸福で成功しているように思えました。私が望んだのはそれだったのです」と回答している。また最初は懐疑的で、まったく魅力を感じなかったけれども、あれやこれやで実践を始めた人もいた。劇場の舞台マネージャーの場合もそれである。彼は、「まったく魅力を感じませんでしたが、『ともかくやってみよう』と勧められたのです」と述べている。癌が治ったと主張する年金生活者の女性は、「唱題はたわごとだと思っていました。〔私は〕効果がないことを証明するために唱題を始めたのです」と回答している。一方、民生委員のある女性は、「妹を満足させるために唱題を始めたのですが、効果があったのです!」と述べている。

改宗者たちを初めにひきつけた事柄は、メンバーの社会的カテゴリーが異なっても、それほど相違はなかった。1951年以降に生まれた人たちは、メンバーたちや組織の特徴に深い感銘を受けたが、それ以前に生まれた人たちは、実際的な功徳や教義が与える知的満足を指摘する傾向があった。しかし、これら2つの年齢層間の相違は小さいものであった。若い女性たちは、メンバーの人柄に特にひかれていた。

質問への回答が、過去の宗教的背景に関連する場合には、この運動にひかれた状況にもいくらか相違が見られた。以前に何の宗教にも入っていなかったり、宗教的環境の中で育てられなかった人々は、圧倒的にメンバーの特性に魅力を感じている。敬愛な仏教徒としての性格が、彼らに深い感銘を与えたのである。こうした点で、従来宗教と無関係であったこれらの改宗者の場合は、以前にキリスト教会に属していた人たちの場合とは対照的であった。キリスト教会に属していた人たちが心をひかれるのは、メンバーの気質よりはむしろ、仏教の実践によって得られる直接的な功徳の約束や、確信と幸福を得られるであろうという期待なのである。幼少期の教育のおかげで一般的なキリスト教の背景をもってはいるが、特定の教会には属したことがない人たちは、彼らをひきつけたものは宗教組織としてのSGIの特徴であるとはっきり述べる傾向があった。かつての宗教的関わりとの相関関係で、これらの態度の相違に意味を読みとりすぎるのは危険であろう。しかし、これまで献身的で確信をもって信仰している人と関わったことのない人々にとって、日蓮仏教徒との出会いは、それが、単に仏教徒であったからだけではなく、少なくとも彼らがきわめて宗教的であったという理由で啓発的だったのである。献身的な宗教家と交わりのあったかつてのキリスト教徒たちは、おそらく、新たに知り合った人々の宗教的態度にはそれほど深い感銘は受けなかったであろう。しかし、別のものを発見したのである。それは、この新しい信仰はやってみる価値があると確信させるもの、すなわち、キリスト教が明確には約束をしなかった、あるいは少なくとも必ずしも与えようとしなかった、直接的な功徳である。

 

l         ―― 魅了から改宗へ

ある運動の特徴のうちで、最初の段階で加入見込み者に好印象を与えたものが、必ずしもその後も重要な魅力となり続けるわけではない。新しいメンバーは当初受け入れたイデオロギーや加入した組織について次第に異なった評価をしていくなかで、社会化の過程が生じるが、この過程は、さまざまな状況の中で刺激を受けることになる。運動が実現しえない約束や期待によって人々の参加を誘っていた場合、指導者たちは新たに獲得した信奉者の関心の焦点を意識的にか、あるいは欺いてさえ別のものに向けさせようとするかもしれない。また、運動の指導者たちが、新三者がより高い目標のすばらしさと不思議さを感得できるように導くこと、すなわち新三者の再教育を自らの務めと考えている場合には、異なったパターンが起こる。信仰の経験が浅い者の前にはわざと「固い肉」は置かないというキリスト教の例は、その典型であろう。第3の可能性は、改宗者自身が無意識のうちに自らの信仰の至高の目標についての考えを転換させる場合である。つまり、直接的でおそらく自己本位的な、また物質的な目標を、より究極的で霊的な充足をめざす方向へ転換する過程である。これらのどの場合でも、新しい信仰体系とそれを支える組織に見いだした最初の魅力が転移したり、また時には放棄されることを示している。

創価学会について得た知識からも、このような転移がある程度認められた。というのも、この運動は世界平和の推進へ長期にわたって献身していくことをきわめて積極的に表明していたからである。こうした目標は広く受け入れられるかもしれないが、おそらく人々が外来の宗教を信奉する際の最も強い最初の動機とはならないだろう(というのも、世界平和という目的を熱心に主張する機関は他にもあるし、そうした機関においては、日蓮仏教の場合とは違って、世界平和とは明らかに無関係であったり異質であったりする要素によって拘束されることはないからである)。改宗見込み者の想像力をいっそう容易にそして即座に捕らえることができるのは、むしろ、実際に役立つ信仰、問題を解決する信仰、そしてどんな願いでもかなう唱題といった約束であろう。問題は、本来は呪術的なこうした約束が長期にわたる献身を持続させることができるかどうか、あるいは、信仰を堅く保つことが呪術的可能性の再定義をともなうかどうかである。われわれは、メンバーがこの運動に持続的にかかわった後に、自らの目標や運動の目標そして彼ら自身についての理解がどの程度変化したかを明らかにしようとした。

調査が示すところによれば、最初に新しいメンバーをひきつけた事柄が、調査が行われた時点でもかなりの程度、魅力の源泉となつ続けていることが明らかとなった。しかしまた、〈表7〉が示すように、回答者がこの宗教に現在魅力を感じている点として指摘した項目には、いくつかの重要な転移も見られた。

 メンバーの約53パーセントは、この運動に当初ひかれた事柄が、今も魅力となり続けているとした。それでも、新メンバーをひきつけた主要な要因、すなわち「メンバーの人柄」の比率がかなり下がって入る点が注目される。依然としてこの項目をSGIの重要な魅力としている人は、最初にに選んだ人のうちのわずか3分の1であった。つまり、入会時には「メンバーの人柄」は37パーセントをひきつけていたのに対して、それがなお現時点での魅力であると考えているのはわずか14パーセントなのである。当初この特質に感動した個人が、ひとたびメンバーとなってしまえば、その重要性は低下するのである。「メンバーの人柄」を当初の魅力として指摘していない人たちのうちで、それを現在の魅力の1部であるとする者はほとんどいない。したがって、ひとたびメンバーになると、運動の魅力は「メンバーの人柄」に通常は依存しなくなるといえるだろう。

新しいメンバーは、他のメンバーと親しくなるにつれて、彼らの精神的特質を当然のことと思うようになったのだろうか。それとも、メンバーたちも当初考えたほど大多数の人々と異なるわけではないことに気づき、迷いからさめたのであろうか。インタビューの中に、それを示す証言が見られる。たとえば42歳の民生委員は、「組織の中には、つきあいたくないと思うようなメンバーもいます。でも、その人とつきあえるよう闘わなくてはなりません。一緒にやれるようになるまで1、2年はかかるでしょう」と認めている。彼は「多くの人と関係し、世間を知ること自体が功徳である」という考えに従ったのである。地方都市の市会議員でもある40代後半の女性秘書は、「1部のメンバーは、時々私をいらいらさせます。『なぜあんな人がリーダーになったのだろう』と考えてしまいます。好きになれません」と認めている。他方では、同志たちの「信頼と信念」に依然として魅了され続けている人もいる。離婚歴のある専門学校の教室助手は、「私が出会った仏教徒のユーモア――寛大さ――、多く青年たち、さまざまな国籍、あらゆる職業のメンバー、そしてロウソクをともし、膝まずき、線香を焚き、唱題する儀式のロマンティックな世界」に最初に関心をもった後、それらすべてを「さらに深遠なもの」と見るようになった。しかし、なお「私が出会うすばらしいメンバーたち」にもひきっけられていた。しかし、当初はメンバーの人柄に関心をもった改宗者のほとんどが、後に彼らの献身を要求するより重要な、あるいはより中心的な事柄を発見したと述べている。

この運動の魅力の源泉のうち、何らかの程度「メンバーの人柄」にとって代わったものは、まず第1にこの運動と教義のもつ「倫理的動機づけ」であった。しかし同時に、「個人の幸福と確信」、「組織の特徴」および「実際的な功徳」の重要性も増大した。「個人の幸福と確信」と「組織の特徴」の項目は、最も増加率が高かった。

これらの回答から、この組織が改宗者を再社会化することにかなりの成功をおさめていることが明らかになる。布教を行う組織がともかくも成功している場合には、「メンバーの人柄」や「実際的な功徳」といった魅力をもつことは当然であり自明のことである。現在のメンバーの人柄に魅力がなかったならば、そのイデオロギーが際立って魅惑的であることに気づかないかぎり、新たな未来の改宗者が、興味をひかれることはないだろう。同様に、人々は、特定の一連の信仰と活動を行うことによって生み出される即座の功徳であれ、時間のかかる功徳であれ「実際的な功徳」への期待に刺激されるものである。信者に功徳を与えない宗教や、将来の期待についての約束を提供しない宗教はまれである。特に日蓮仏教は、遠く離れた来世においてではなく、この人生と現世において功徳を与えることを強調する。しかし、SGIは、メンバーであり続ける新入会者たちを新たに方向づけ、SGIが勧める倫理的見解を受け入れさせることができたのである。たとえそれらが、新入会者にとっての当初の主たる魅力ではなかったとしても。メンバーたちは、創価学会運動が強調する目的を次第に支持するようになり、その目的を自分の目的としたのである。このようにして、彼らは、次にあげるような目的に単に同意するのではなく、自発的に承認するようになる。すなわち世界平和に貢献すること、その目的を心の平和を達成することによって推進すること、自分自身の行動や自分の所属する社会とその将来に責任を負うこと、個人の変革の必要性を第1義としながら社会変革を促進すること、他人を尊敬するよう啓発することなどである。

こうしたさまざまな動機づけは同時に支持されることが多く、個人的志向や、倫理的志向、利他的な志向などが混じり合って現れる。たとえば、高齢者介護に携わる62歳の女性は、初めは「呪術的な」考えにひかれたが、後にそれに代わって、「自分の行動のすべてを日々主体的にコントロールしているのが分かること、どんな目的でも必ず達成できるのが分かること、自分たちの運動を通して世界平和を達成できるのが確信できること」に魅力を感じた。20代の女性ジャーナリストは、最初は物質的功徳に関心をもったが、今では、人のために役立ち世界平和のために働き、幸せになることによって、人間としての可能性を実現するという期待」に打ち込んでいる。「アリス」に出演した妹の演技に刺激された市場調査員は、今では「世界平和がこの運動の最も重要な特徴であり、私のどんな活動もイギリス創価学会とSGIがもつこの目的に貢献している」ことを実感している。シルクスクリーン作家も、同様の点を指摘している。すなわち、最初は病気を治すことに関心をもっていたが、今では、「社会と世界を誇れるものに変えてゆくというSGIの役割に魅力を感じます。そして、私たちがそうした変革に責任を負っているのを知ることが、考えうる最も偉大な喜びの1つなのです」。

こうした再社会化は、メンバーを「生命力」と時に呼ばれるものに近づけさせることによって、組織に対する確信を与えることもある。この運動の魅力の一部は、簡素な儀式、道徳的自由の奨励、および寛容の促進にある。メンバーたちは、民主主義的で平等主義的な、また女性に幅広い機会を与えるような在家組織に属していると認識しており、それを高く評価している。22歳の女子学生は、次のように主張している。「私は、人間が悟達の境地に近づく前には男性に生まれ変わらなければならないと理解していたので、つねに仏教を拒否してきました。日蓮正宗を知ってそうではないと学んだので、もっといろいろ知りたいと思ったのが最初の動機です」と回答している。この運動の指導者である池田大作氏――しばしば「先生」と呼ばれる――に強く傾倒する人もいた。たとえば、44歳の店主は、最初はメンバーに魅力を感じたが、今では「池田会長の指導と指導性、リーダーたちのたゆまない激励、また組織において創造的になる機会」がそれにとって代わったと回答している。労働党の地方議員である37歳の男性は、「私がとても魅力があると感じるのは、〔池田〕先生が具体化してくれている実践に取り組むことです。しかし、そうした魅力的なものは、私たちすべてがもっているのです」と明言している。教義の深遠さを高く評価する男性の自治体職員も、特に「リーダーたちの楽天主義や、積極的な態度と行動力」を賞賛している。

しかし、すべてのメンバーが躊躇なく組織に魅力を感じたわけではない。29歳の女性芸術家は、功徳を知ったにもかかわらず活動をやめてしまった。その理由を次のように述べている。「イギリス創価学会よりもよいと言える宗教に出会ったことはありません。……私がイギリス創価学会の組織に抱く唯一の不満は、他の宗教団体と協力しようとしない点です」と。美容師の男性はもっと批判的であった。すなわち、「日蓮正宗〔の信仰〕は、創価学会という1つの組織によって統制されているが、素晴らしいものです。しかし、創価学会は完全なものではないので、私は疑いを抱かざるをえないのです。また、池田会長を取りまく個人崇拝は、日蓮の教義に反し、まったく好ましくないと感じています」と回答している。それでも彼は、唱題によるきわめてはっきりした功徳を認めてはいた。

この運動に参加した結果、メンバーが得たものは、この仏教、とくに唱題は実際に効力があるという感覚であった。唱題は彼らの抱える問題の解決に役立ち、心の浄化の助けとなり、健康や成功、富を得させると考えられた。彼らは、幸福感と信頼感が増したと感じ、自分自身に責任を負いつつ自らの生活を自分で管理していると感じ、自己の内なる可能性を解放させる力をもったと感じたと証言している。52歳の行政職員は、次のように述べている。「私がうれしく思い、誇りに思っているのは、活動の結果、生命が安定し一貫してきたこと、つまり感情の起伏が小さくなったことです。また、守られているとも感じます。この運動の最も魅力的な特質は、21世紀への挑戦です」と。

積極的な態度をとれるようになるという指摘は、しばしばなされている。アナリスト・プログラマーの男性は述べている。「この運動は、人間として成長し、社会全体に貢献し、喜びをもって積極的に生きることを学び続ける力を与えてくれます」と。年金受給者の女性も同じように、「世界平和の創造に努力し、人間的な成長と幸福を達成することができ、不幸な目にあったときも問題を解決し、勝利できるのが分かる」と述べている。40歳の主婦は、「どんな悲観的な体験も、積極的な体験へと転換できたこと感じた」とに満足していると明言した。ゲイであることを宣言し、自助的なエイズ関連の慈善行為に自発的に携わっている42歳のジェネラルマネジャーは、「実践が教える規律」に魅力があると明言している。また41歳の作家(現在はコック兼皿洗い)は、メンバーの積極的態度に関心をもったが、今では「日常生活における日々の規律、自己認識の感覚の高まり、諸問題に直面してそれらを処理する際の精神の明快さ」に魅力を感じていると述べている。これに関連して、援助と保護という課題がある。独身の女性事務響員は、現在の彼女にとっての魅力は、「会合に行って、私が抱えている問題について話すことができるが、それを審判されることがないことです。安心感をおぼえます。また、助けを必要とすればいつでも助けてもらえると感じます。悩みを『変毒為薬』できると知り、大きな希望が湧いてきます」と明確に述べている。独身の男性写真家が活動を始めたのは、「どれほどこの活動が会員たちを支援してくれるかこを知り、また「自分自身の生活に責任を負うことが可能な力」を悟ったためであった。

これらのさまざまな特徴のほかに、メンバーたちは現在、この運動のイデオロギーに大きな魅力を感じていると主張している。そのイデオロギーは、因果の理法の理解を通して人生の意味と目的を示し、なぜ不運に陥るのかを説明し、当然のことながら熱心な唱題で不運を巧みに逃れる方法を示すことによって、知的満足を与えたのである。これらすべての項目は、最初に魅力があるとされた後にも長く魅力を持続している特質であり、アンケートに回答した多くの人々にとって相変わらず重要なものであった。以上に述べた諸要因の合計は、メンバーとなった動機の80パーセント以上を出かている。

また、「倫理的動機づけ」が、この運動にひき続き魅力を感じる強い原因となっており、「個人の幸福と確信」ほど多くはないがしばしば主張されている。イギリス創価学会のもつ「倫理的動機づけ」に魅力を感じたと語ったメンバーのすべてが、この特質に関心をもち続けていた。日蓮仏教のこうした面の魅力を主張する者は15パーセント増加しているが、この数は特に、第1に「メンバーの人柄」から、第2に「実際的な功徳」から移行したものである。もちろん、倫理的な関心の強調、特に非暴力と世界平和への関与(一般的な平和主義という形では表現されなくても)は、イギリス本部のみならず、日本で出版されたSGIの英語版出版物の中でくり返し述べられている。これらの目的は、池田SGI会長の活動とスピーチによって国際的な運動の正面にすえられている。長年にわたるメンバーは、力強く主張されるこれらの目的を支持する中で、この運動が国際的な影響力や政治的でさえある影響力をもとうとして行う努力を鋭く自覚するようになる。こうした関与は、新しい改宗者にとってはあまり意味を持たないかもしれないが、この運動の目的の中できわめて顕著な点であり、それゆえ、多くの長年にわたるメンバーが主張した動機として際立っている。「個人の幸福と確信」は(「倫理的動機づけ」「実際的な功徳」「組織の特徴」と共に)、現在ほとんどのメンバーをひきつけているものである。最初にこの項目に刺激を受けた人の3分の2が、今もこれを魅力としてあげている。この項目に最も関心がある者の数は増加したが、その増加分は、イギリス創価学会を知ったときに「メンバーの人柄」あるいは「実際的な功徳」にひかれたと答えた人々から移行したものであった。これらのメンバーの動機は、物質的な理由から、いわゆる心理的(あるいはまさに精神的な)関心に移行したのである。

それにもかかわらず、「実際的な功徳」は今なお重要な項目である。たとえば、1人の秘書は、「この運動が価値があるという証拠を、生活の中で実際に受け取ることができました。このことが、昔も今も私にとって教えの最も魅力的な部分なのです」と明言している。退職した別の女性は、「当初感じた驚きは、今では教義の深遠さと、現在の生活の中での実践によって支えられています」と思い起こしている。イスラエルで生まれた事務弁護土の女性は、「実践が価値創造の手段として実際的な適用性をもつこと」を評価している。ケンブリッジ大学経済学部出身で25歳の投資銀行に勤める女性は、最初は唱題の音と響きや、「宇宙と結びつく」感覚にひかれ、またこの運動が論理的であり、キリスト教が答えられなかった問題に答えられたことに魅力を感じた。今では信仰がより深まり、「実践を正しく行うかぎり、効果があることが分かります」と述べている。

それでも、「実際的な功徳」への期待にひきつけられたメンバーの約50パーセントが、今では倫理的態度や個人の幸福への関心を認めるなど、非物質的な事柄へも関心を向けていたのである。「組織の特徴」を魅力的な点としてあげた人数は、彼らがメンバーとなった時とほとんど変わらなかったが、もともとこの理由によって関心を呼び起こされた人の3分の1はさらに別の魅力を感じた点をあげるようになった。「組織の特徴」という魅力は、もっぱら「メンバーの人柄」の魅力と入れ替わる形で増大してきた。つまり、彼らが賞賛するものが、最初に彼らをひきつけたメンバーたちの誠意、誠実、親切、幸福、形式ばらないところや開放性といった個人的特質から、組織自体がもつ民主主義的・平等主義的精神へと変わってきたのである。「知的側面」もまた、新しいメンバーが感じた関心と、調査したメンバーの現在の評価とを比べると、重要性を増してきた。当初、「組織の特徴こと「メンバーの人柄」を主要な魅力と見なしていた人々が、「知的側面」という項目をいっそう高く評価するようになっているのである。

以上のすべての結果をまとめると、メンバーの約50パーセントが現在心理的かつ知的な関心に動機づけられて活動していることになるが、この数字は、これらの項目に最初に興味をもったメンバーの2倍となっている。「メンバーの人柄」または組織、さらにこの運動が後援する社会的活動への賞賛によって代表される社会的諸要因は、SGIへ所属する魅力の中で依然として重要な部分を占めており、3分の1のメンバーの心をひきつけている(当初は56パーセントであった)。また、この新しい宗教を実践することによって得られる「実際的な功徳」に依然として動機づけられている者も、18パーセント以上いた。

若い女性メンバーは、入会当初、「メンバーの人柄」によってSGIにひかれた者が多かったため、この運動の何に最初に魅力を感じ、後に何に感じたかという点で最も大きく変化する傾向があった。また外部からの圧力も、彼らが信じる仏教の正しさをより受け入たやすいものにする努力を促したので、家族や友人のような身近な人々から否定的な反応を受けた者は、この宗教で最も魅力的と見なした特徴を置きかえる傾向が最も強かった。近親者や親友に宗教的帰属の変更や宗教を始めることを非難された人々は、単に「メンバーの人柄」といったことだけでその理由を正当化することは困難である。それらを正当化しうるのは、倫理的方向づけや、人間的信頼と幸福の増大などである。このような場合、外部からの圧力は、倫理的特性をよりいっそう支持し、またそれを信仰を継続する正当な理由とするよう、強く促すことになった。

こうした変化の過程は、自己中心的で個人的な関心事が、他人が論難しようのない普遍的な志向へと変形される過程として描くことができる。該当するメンバーたちは、外部からの批判に直面した場合、それに対する心理的な防衛規制を、「良き人々」とともに活動しているという王張から、「良き信条」を得るために集まったのだという主張に変化させたのである。おそらく彼らは、その過程において純粋に個人的な満足というものを超越することに幸福を見いだし、すでに見たように、それによって躊躍なく自らの宗教的信念への確信を深めたのであろう。この変化は、また、サービス業に携わるメンバーと、運動内で比較的重い責任と高い立場をひき受けているメンバーに最も目立った特徴でもあった。

 

l         ―― 業、危機、改宗

宗教的理念と実践の魅力、組織の魅力、またそれらに献身する人々の魅力は、支持者の忠誠を獲得する際の誘因になると考えられる。しかしながら、運動に興味をもった者のすべてが実際に入会するわけではない。入会しない人々には入会を妨げる要因があるとしても、入会する人々には入会を促す強い促進要因がしばしば働いている。入会を促す要因のいくつかはきわめて一般的なもので、潜在的入会者が抱く、ある宗教哲学や精神療法へと向かわせるような性向や切実な欲求であり、それらが偶然の機会に接触をもたらすのである。他方、別の刺激はある特定の精神的救済へと、より明確に向がわせるかもしれない。ある宗教システムが提供するものが、その個人の背景にある状況や一時的要求に適合する場合もあろう。それは、改宗する可能性のある者に、かっての経験にぴったり合ったものを示し、またその人を悩ませた問題に対する説得力のある理由と適用の方法を示すことによって人生の新しい方向づけを受け入れやすくするのである。日蓮仏教徒の間では、さまざまな入会を促す要因、明らかに偶然な出会い、また背後の状況と欲求そして魅力との幸運な一致などが、引用した多くの話の中に認められた。それらの中で重要なのは宿命、孤独、人生の危機、そして深刻な緊急事態という意識であった。

仏教徒自身は、社会学的に分析できるこれらの要因を「業」として躊躇なく受け入れることができた。その個人は、「題目」という神秘的な力と出会うために一定の経験を経るよう予め運命づけられていたのである。危機、トラウマ(精神的外傷)、人間関係の破綻、病気などのさまざまな不運もすべて、ひとたびそれらが各人に仏性を見知する可能性を教えるためのものであったと認識されれば、遡及的に再解釈されうるのである。つまり、日蓮の教義に出会ったならば、さまざまな促進要因は、不運を装った祝福となり、信仰の受容を促すものになるのである。その信仰は、過去の苦難を相対化し、時には転換したり、その原因を取り除くだけでなく、新しい信仰へと促した難問がいかなるものであろうとも、それからの救済をはるかに超えた多くの功徳を期待させるのである。

われわれはイギリス創価学会と出会う以前の状況についても質問した。当然のことながら、最初の接触は全くの偶然で、精神的ガイダンスを即座にかつ切実に必要としていたわけではない人々もいた。しかし、明らかに難問や不安を抱えていた人もおり、彼らはまさにその必要を満たす信仰をただちに受け入れている。フィンランド生まれで大学中退の33歳の音楽家は、偶然ではあるがほとんど運命的ともいえる仏教に向けての「漂流」について詳しく述べている。

最初の出会いは、(たぶん1980年代初めに)テレビでコーストン氏を見たことです。その時は実践し始めたわけではありませんが、彼の誠実性をいつも思い出していました。2度目に出会ったのは、バス停にいたときでした。若い女性の車が目の前で故障し、その女性が日蓮正宗について話してきたのです。そのときも活動は始めませんでした。3度目は、1985年か86年の『サンデー・タイムズ』のカラーの付録に載っていた記事でした。資料を送ってくれるよう手紙を出すと、紹介雑誌が届きました。でも、「組織的」な宗教に恐れを感じたために入会はしませんでした。4度目は、ナイトクラブである人が話してくれたときでした。その時私は、いずれ何やかやでまたこの宗教に出会うだろうそれならば今入会してもいいだろうと悟ったのです。1988年2月のことでした。

この宗教との最初の接触を、直接的な功徳に結びつけて考える人もいた。フリーの女性ファッション.ジャーナリストは、次のように回答している。「活動を始めた頃はとても孤独でした。でも、イギリス創価学会の1員になって、孤独から解放されました。たくさんの友人と知人がいると感じたのです」。少数派の宗教の多くは、共通のイデオロギーを共に分かちあう人々を引き寄せる過程で、付随的機能として、仲間や安定した人間関係を提供する。イギリスSGIも、参加すべき集会の場所が固定されていないにもかかわらず、その例外ではない。メンバーは、少人数の会合や小さめのグループの会合に定期的に参加する機会をもつが、こうした会合は、人間同士のつながりの薄い大きな集会と比べて、いっそう温かく充実した交流の場を提供する。29歳で独身の男性会計事務員は、述べている。「僕が障害と感じていたのは、人間関係でした。若い頃から2年ごとに違った場所で生活し、いつも引越していたせいでしょうか、友達はいなくなりました。僕は、だれとも親しくなれませんでした。この信仰を実践し始めてから、人々と親しくなれ、うれしく思っています」と。32歳の女性オペラ歌手も、喪失感について語っている。「私は、劇団仲間と巡業をしていましたが、その中の1人が実践していたのです。私は、その哲学に深い感銘を受けました。いつも考えていたすべてのことが、1つに融合しました。私は女優として仕事をしてきましたが、人生の方向が見えないと感じていました。人生にどう対処してよいのかわからなかったのです。交友関係もありませんでした。すべてを失った感じてした。回りの環境に影響されやすく、無気力だったのです」

SGI組織の理念その他を学ぶ前に唱題を教えられ、それに挑戦して確信をつかんだ人もいた。唱題は、彼らが生活の中で一貫して感じていた必要性に呼応したのである。この活動がもつ宗教的な意義や、功徳がもたらされる原理について知る以前にさえ、自動的に功徳を得たと主張した人もいた。

35歳の男性音楽家の場合もそうである。彼は次のように述べている。

息子の通う学校で、同級生の親から日蓮仏教を紹介されたというか、少なくともそれについて聞かされました。仏教徒であるという彼女に、私は2、3の質問をしました。その話に、私は非常に感銘を受けました。別にそれを探していたわけではありません。当時私は、感情的にかなり不安定でした。恋人と別れ、どう生きてゆこうかと悩んでいたのです。入会しなくても自分が望むように実践すればよい(と、この新たな知人は私に語りました)。私は、ただ試してみようと唱題を始めました。1人だけで唱題しました。3ヵ月間、組織があることを知らずに、家で1人で唱題したのです。私は、唱題によって情緒的安定を得るという多くの功徳を得ました。そして、以前より積極的になったのです。

他の事例と同様に、この事例で明らかなのは、必然性という考え方とならんで、人生の危機という要素と、それに対処するための手段という魅力である。

俳優の訓練をうけてきた独身男性の会計事務員は、次のように述べている。

唱題を始める以前、私は何かを探し求めていました。6カ月の間、「積極的思考」を試みました。ロンドンに来る前は、ブリストルで友達の厄介になって暮らしていました。(演劇にも交友にも飲酒にも)どこにも出かけませんでした。すべてに喜びを感じなかったのです。私は、積極的思考を通して自分を高め、酒を飲むことをやめました。そして以前より自信に満ち、幸せになりました。イギリス創価学会の会員と話し合ったときには、明らかにぴったりするものを感じました。それ〔積極的思考〕は、彼らの仏教に似ていたのです。友人に「君がやっているものがまさに仏教なんだよ」と言われ、仏教について知りたくなりました。

彼は、1人で唱題した後、会合に参加した。続けて次のように説明している。

実践を始めたとき、私はそれが宗教であるとは思いませんでした。宗教とは(歌や儀式などのような)時代遅れのものと考えていたからです。しかし、この実践は機能的で、現実的で、実体的でした。意味をもっていたのです。私は最初、イギリス創価学会が何なのかわかりませんでした。イギリス創価学会は、とても実践的で、功徳や生命力を増すという目的をもっています。私は、その理論を理解することによって、人々を理解することができました(私は、精神分析に興味をもっていました)。――しかし、唱題は、精神分析とは物理的に異なるものでした。唱題が作用するのがわかります。――私自身の姿が向上したのです。精神分析は、この信仰に至る私個人の旅路だったのです。私の人生は、次第にここへと引き寄せられてきたのです。偶然ということはありません。実践し、何冊かの本を読み、メンバーと会いました。私の人生は、仏教を知ることにあったのです。

この積極的思考家と同じように、日蓮仏教を知る前に、長年にわたる肉体的・心理的諸問題の解決方法を他の療法に求めた人もいる。財産管理人や、病院の雑役夫、牛乳配達人などのさまざまな経歴をもつ会計士は、次のような経験をした。

1983年、私は人生に挫折してしまいました。私の会社が倒産したのです。私は離婚し、子供たちは母親のもとへ行きました。私の人生が、なぜこうなってしまったのかと問い続け、…人々と自分自身を助けたいとの願いをもつようになりました。それで、支払い不能者として6ヵ月間服役した後、1983年から86年にかけて催眠術と心理学を通して心について研究し、カウンセラーの資格を取得したのです。また、収入を得るために音楽を演奏するかたわら、心理学を学びました。1986年には、カウンセラーおよび催眠術療法士として仕事をしていました。もともと私は、自分が受けた訓練に満足していませんでした。学んだことを試してみましたが、まったく効果がなかったのです。それで、さらに家族療法や神経言語学プログラミングなどのさまざまのタイプの心理療法の訓練を受けました。そして、自助・自立のプログラムを作成したのです。人間は自らの問題を解決する可能性をもっているという考えから出発しました。このプログラムを試してみて、状況を調査しました。すると効果があり、肯定的な反応が返ってきました。次に私は、1つのものが欠けているのを悟りました。つまり、宇宙は根本的に音と響きであり、すべてのものは振動であるということです。変化する時には音を立てなければならないのです。そして私はこの信仰――捜し求めていた音――に出会いました。1年目は、1つのフレーズ(南無妙法蓮華経)があらゆることを解決するとは信じられませんでしたが、実践を続けました。

すべての人々がそうだというわけではないが、長期にわたる危機や急激に襲う危機の状況が、新たな宗教を受け入れる人々の遠因となるのは珍しくない。眼科医であるメンバーは、自らの人生に危機がなかったことが、事実上、この信仰を受け入れる際の障害となったことを認めている。

ガールフレンドが入会し、私にも勧めました。私は疑いを抱き、敵意をもちましたが、ついに1983年に実践を始めました。唱題をしなければ、なりたいものになれないということを理解するために始めたのです。私は医者の資格を取得しており、個人的な危機には直面していませんでした。そのような危機がなかったので、変わることは困難でした。……1983年から86年の3年間で知ったことは、実践しなければこの信仰は私の役に立たないということでした。問題は、知識から信仰への移行でした。「活用」したいならば、「実践」しなければならないということを受け入れるのは難しいことだったのです。

このように、望ましくない状況に促されて信仰を始めたのではないメンバーが、考えながら回答してきた例は、そう多くはない。

こうした問題をめぐる質問に答えたメンバーの多くは、アンケート形式であろうと、インタビュー形式であろうと、もっとドラマチックな内容を述べている。独学の音楽家で、2回離婚歴がある50歳のアメリカ人男性は、次のように明言している。

重大な家庭問題がありました。妻と離婚して、別の女性と再婚しようとしていたのです。唱題とイギリス創価学会の活動によって、私は力強さを感じました。私は、日常生活の中で私を助けてくれるものを探し求めていたのです。1987年、私は日蓮正宗に入会する準備ができましたが、もっと前にもしようと思えばできたのです。もしもっと以前に出会い、入会できていたならば、エホバの証人の信者であった最初の妻と英に暮らし続けたでしょう。私は、日蓮正宗の話を聞いてから1週間もたたないうちに唱題を始め、けっしてやめませんでした。何かを必要としていたのです。

ほとんどのメンバーが「人間関係」に言及するが、その場合は主として婚姻関係やパートナーとの関係を指している。たぶんこれが、最も頻繁に報告された危機の形態であろう。教師の資格をもつ女性は、その状況を次のように描いている。

私には3人の子供がいます。彼らの母親は保護監督権を失い、祖母が養育してきました。私は継母として引き継いたのです。家族としてはとても不安定で、子供たちと夫は私にもたれかかってきました。私は、依存しすぎる夫と子供たちを見捨てたいと思いました。困難な立場に追い込まれたと感じたのです。私たちは安価な松材のアンティークの商売をやっていました。私は、何年も教師としての仕事をしていませんでした。私には、仕事も将来性もなかったのです。ふたたび困難な立場に追い込まれたと感じました。それで教会(高教会派)に行きましたが、低教会派出身の私には異質なものに感じられました。教会は私に何も示してくれなかったのです。絶望の中で、私は題目を唱え始めました。……失うものは何もありませんでした。

結婚における不和はしばしば起こる問題であるが、他の問題を解決したいと求めた者もいた。たとえば、自分に向かない仕事についているのではないかと感じて、つねに危機に直面していた財産鑑定人の場合がそれである。日蓮仏教に出会うまで、彼はストレス解消の方法として「超越瞑想」を実践していた。「私はたくさんのストレスを経験してきました。……ストレスは、自分に合わない仕事をしていたことからきていました。私は財産鑑定人で……約5年間、商業財産を取り扱ってきました。私は、間違った職業を選んでしまったのです。その仕事が私を変えてしまったし、その仕事が好きではなかったのです。この仕事を首尾よくやっていけるとは思えず、それが自信を失わせました。私の周囲には、教師である友人たちがいましたが、彼らはまな、仕事に太いに満足しているようでした。」日蓮仏法を信奉した彼は、教職課程を受けて転職するという決意を固めた(後に明らかになるように、SGIメンバーで教職や看護職についている人の割合は、不均衡なほど多い)。

相互に関係のある諸問題が集まったような場合もある。現在は夫と別居しているオーストリア人のホテル受付係は、「1989年にこの実践に出会いました。夫と生活していた私は、部屋を借りに来たフランス人女性に唱題のことを紹介されたのです。私の生活レベルはどん底状態にありました。私は、いつも恐れていました。……仲間と話し合うのを恐れていたのです。……又、両親について罪の意識を抱いていました。……両親とはほとんど心が通わなかったからです。人間関係や金銭の面で最低の状態にあり、自分自身を受け入れたくなかったし、自分の行動に責任を負ってもいませんでした」と回答している。悩みを抱いた未亡人である若いフランス人女性は、次のように説明している。精神分裂病の夫が自殺した後で、「肉体的にも精神的にも病気になました」。彼女は唱題を聞くやいなや感動し、それが「流浪の終着点」のようだだと感じた。それで、「すぐに唱題を始めました。仕事の後にほんの5分間、題目を唱えたのです。唱題は大いに助けになりました。背景については何も知りませんでしたが、それで十分だったのです。……私は、生涯題目を増え続けます」

若い男性のギター教師は、次のように語っている。

私は、初めてイギリス創価学会と出会った時、自暴自棄になっていて、とても不幸で、とても孤独で、とても貧しかったのです。心理状態がよくありませんでした。私はとても内向的で、目的も方向性ももっていませんでした。そのような状態は非常に長く続いていました。何かを求めていたのです。もしイギリス創価学会がなかったならば、他のものでもよかったのかもしれません。私は、たくさんのドラッグ――幻覚剤――を常用していました。演劇学校を中退し、付き合いがうまくいかず、貧困が不幸を生み出していたのです。すると母が唱題することを勧めてくれました。「願いをこめて唱題しなさい」と母は言いました。私は、唱題はなんとなく有効だなと思っていました。なぜなら母が大きく変わったからです。……挫折を味わった母が急に明るく輝いてきたのを、私は見たのです。私は、「唱題が母に効くのに、そして大金を払う必要もないのに、自分がやらずにいることはないのではないか」と自問しました。すぐに驚くべき功徳がありました。私はとても疑い深がったし、世をすねていたので、唱題は、気のせいで効き目があるように思わせる「ニセ薬」だと悪口を言いました。けれども、唱題をしている間はよい気分になるのです。それが題目を理想化することだとしても、唱題は私の目的にぴったりするものでした。私は気にかけませんでした。ともかく唱題は効いたのです。

すでに題目をあげてはいたが本気で骨組んでいなかったメンバーの中には、唱題すると、この哲学を検証し真剣に取り組むようになるためには現実の危機が必要であると知った者もいた。中年の音楽教師は次のように回答している。

まん中の息子が5年前(1986年)に実践を始めました。彼は私を会合に連れていき、私も、最初の会合後ではありませんが、唱題を始めたのです。私は唱題が自分に役立つとは考えていませんでした。すると、私の小さな世界が崩壊したのです。……長年にわたる人間関係が破綻し、激怒して題目を唱え始めました。私はその怒りを恐れていました。その怒りを鎮めるために唱題し、2〜3週間たちました。すると、怒りは深い悲しみに変わりました。・・…ある日、真っ白な壁に向かつて唱題をしているとき、その思いは頂点に達し、またどん底に達しました。その時私の中で何か不思議な感覚がはじけたのです。私は光を感じ、怒りは消え去りました。……すばしい転換点でした。翌日起きたとき、私はふたたび自分自身を取り戻していました。

この事例では、唱題が治療法となっている。すなわち唱題は、平静さを回復させる働きがあると信じられており、精神的痛手の契機となった状況の変化に順応させる触媒であり、生命を平常状態に戻す媒介者だったのである。

 以前に登場したことがある42歳のコミュニティ・ワーカーの男性は、娘が生命の危機に陥った際に、より真剣に新しい信仰に頼っていった。

私は多少なりとも喝題をしていましたが、真っ向から挑戦したのは、娘が生まれる際に、生命が危ぶまれる状況に直面したときでした。自宅で出産する予定でしたが、状況が非常に悪化し、病院へ行かなければなりませんでした。帝王切開の話が出ました。心の中で何かがひらめきました。ちょうどその頃、私は題目をあまり唱えていませんでしたが、唱えなければならないと悟ったのです。そのことは、私を雷のように打ちました。後に私は、仏教の視点、つまり生前と死後の生命の連続性や、業を通して結びつけられている身内の絆といった視点から考えて、娘の使命は、危機状況を通して父親に重要なものを教えることだったのだと悟りました。この体験が、私に題目を真剣に唱えるよう教えてくれたのです。私は、勤行を習い始め、定期的に会合に出席するようになりました。

このような特殊な事例は、不運な出来事や体験……本書で促進要因と呼ぶもの……と、仏教が状況を変えるために行うことの間の関係について、SGIメンバーがどのように理解しているかを明らかにする。すでに仏教徒となった人にとって、このようなエピソードが必要とされるのは、改宗をもたらすためではなく、かかわり合いを強めるためである。入会した後に生ずるトラウマや危機は、最初に真剣な改宗を促した危機に劣らず、SGIを説明するレパートリーの中に蓄積されている。ひき続いて起こる危機の起源も同じく「業」であり、これらの危機が果たす機能は、ある程度活動から遠ざかっていた者を、ふたたび活動に専念するよう刺激することにある。

新しい精神療法のシステムを信奉するよう促す要因は、人によってさまざまであるが、それらの要因のすべては、新しい信仰が提供する内容と特別な関連があった。何人かが認めるように、また他の事例において推論されうるように、その信仰は何か他のものでもよかったのかもしれない。実際、あるメンバーにとっては、より効果的で、より説得力があり、より知的に理解しやすい宗教的イデオロギーが現れるまでは、それは何か他のもの――「超越瞑想」や、漠然と「積極的思考」と呼ばれるもの――だったのである。この種の仏教を信奉するよう促したトラウマの本質を考えれば、信徒たちが、人間的な再生のために新しい信仰を全面的に信ずる一方で、信仰の持続を正当化するために別の課題や動機を認めるようになるのは驚くべきことではない。

日蓮仏教への改宗は、特定のキリスト教諸派への改宗と同じように説明できる点もある(それは、小さなセクトにおいて際立って明白である。というのも、そこでは、主流教会内の信徒の通常の体験と比べて、信徒のかかわり合いはより深く、信仰を開始するときの状況もいっそう危機的な傾向があるからである)。それにもかかわらず、SGIへの改宗には異なる面もある。その相違は、日蓮仏教が実践的な宗教であり、唱題に実効性があり、ただちによい結果をもたらすと信じている点にある。こうした実用主義的な特徴が、SGIがいかなる特殊な危機にも対応できる要因となっている。SGIは、より直接的で具体的な結果を主張し、ゆっくりと性格を転換させるとか敬虔さを獲得するとかという点には依存しない。こうした唱題の効果の即時性の強調や実証の強調は、SGIへの改宗がキリスト教徒が予期したり経験したりするものとは異なっていることを示すものである。

 

 

 

 

 


 

 

4 信仰経歴

 

 

さまざまな宗教運動は、社会の人々の関心や時間、エネルギー、そしておそらくは資産などを引きつける上で、相互に競合しているとしばしば言われる。一部の折衷主義的なカルト運動を除いて、ほとんど全ての宗教組織が排他的な面をもち、宗教団体というものは本質的にライバル関係にあるという考えを助長している。それぞれが真理の独占を主張し、信徒にただ一つの組織に専心すべきであると要求しているのである。多くのあまり正統派でないセクトの激しい布教方針は、こうした印象をさらに強めている。ある意味では、このような捉え方は正しい。しかしまた、ある社会の大部分の人々が強い信仰心を持っている場合、他の宗教にひかれて現在の宗教教義や加盟教団を捨て去る者はほとんどいないというのも事実である。反対に、少数の者だけが何らかの種類の宗教に属しているような社会にあっては、新しい宗教運動は主として宗教に加入していない人々の間に常に新しい改宗者を期待できるであろう。SGIが経験したのは、このようなことだったと思われる。

 われわれの調査結果から、イギリスの日蓮仏教は主要なキリスト教会や他の宗教団体とほとんど直接的な競合関係になかったことは明らかである。回答者の実に76パーセントの人が、イギリス創価学全に入会する以前に他の宗教組織に属していたことは一切なかったと述べている。つまり、仏教は、かって他の宗教に忠誠心を抱いていた人々を引き離して新たな信者を得たのではなく、むしろ、宗教に関与していなかった者を新入信者として得たのである。何らかの宗教的背景を持つ人ですら、日蓮仏教に出会う以前に信仰を失っていたり、捨てていたようである。しかし、回答者の過半数の人々がイギリス創価学会に入会する以前から自分は宗教的な人間であったと考えているのに対し、47パーセントの人がそうではなかったと答えている。

 以前にキリスト教会に所属していた少数の人々のうち、調査対象となった標本会員の8パーセントがローマ・カトリックに、6パーセントがイギリス国教会に属しており、12パーセントが国教徒であった。2バーセントの人々が教派を特定せずにキリスト教会に属していたと記しているが、これは教会所属があいまいであったことを示している。標本会員の中には、以前ユダヤ教徒であった者(2パーセント)、新宗教運動のメンバーでった者(2パーセント)が含まれていた。ほかに何らかの宗教に加入していた経験を持つ者は、ギリシャ正教、イスラム教、そして日蓮仏教以外の仏教などである。以上のような分布から見て、一般にSGIのメンバーは霊的世界を探検する宗教的探求者ではなかったようである。何らかの宗教団体に属していたことのある少数の者も、特に熱烈な宗教心のある人々というわけではない。こうした調査結果によれば、創価学会は一般に「折伏」を熱心に推進してはいるが、この新しい宗教は少なくとも他の信仰を持つ者に改宗を迫る脅威となっていたとは思われない。

 質問票に対する回答やインタビューには、既成のキリスト教団体からの突然の改宗と見られるようなケースは含まれていない。以下に明らかなように、日蓮仏教に出会う以前に宗教的に活動的であった人々は、何らかの東洋系の宗教的実践に携わっていた人々である。キリス卜教の伝統を何らかの背景に持った人々の語ることは、キリスト教信仰には満足できなかったこと、そして日蓮仏教に出会うかなり以前に信仰を捨て去っていたということである。奇妙なことに、最も詳細な話をしてくれたのはイギリス以外の土地で生まれた人々であった。そのうちの一人、離婚した予備校の女性教師は次のように語っている。

私はカトリック教徒としてフランスで育ち、18歳までカトリックの儀式はすべて経験しました。その後、家を出てイギリスヘやってきました。10年前、私はキリスト教が自分のものだとは感じられなかったので、信仰をやめました。・・・私はその信仰に幻滅したため、カトリック教徒とかキリスト教徒ではいたくなかったのです。機会あるごとに熱心に祈っていましたが、何ら答えは得られませんでした。それで失望したのです、カトりックの環境の中で厳しく育てられましたので、その教育を捨て去ることは容易なことではありませんでした。私が感じていた罪の意識と苦悩は、カトリックの信仰に深く根ざしたものでした。人は喜びを理解するには苦難を経験しなければならない、さもなければ神の意志に反することになり、さらに罪を負うと信じていたものでした。それに対して仏教では、自分や他人を責めるのではなく、自らの人生に対して100パーセントの責住を自らが負っていくように説いています。カトリック教徒として、私は責任を外に転嫁することにたけてしまい、私自身の過ちであれば自分を責め、他人の過ちであれば彼らを批判するようになってしまいました。キリスト教は罪を自分や他人に対して外在化した形で負わせますが、それによって人は自分や他人に対して怒りを持つことになってしまいます。

 この若い女性にとって、仏教は一種の精神的な解放であった。仏教は自らの人生に対してその個人が責任を持つよう、はっきリと厳しく要求するが、すでに見たように、実際にはその要求にはいかなる非難や制裁も伴わない。

 過去にカトリック教徒であったもう一人の女性も、同様な見方をしている、ホテルの応接係であり、インタビューを行ったときは29歳で、夫とは別居状態にあった、彼女はオーストリアにいた頃のことを思い出しながら、次のように語った。

私は厳しいローマ・カトリックの家庭で育てられました、しかし、人々の態度がとても偽善的でカトリック教に魅力を感じたことは一度もありませんでした。16歳の時に私は家を離れて女子修道院(学校)で3年間過ごしましたが、決して幸せではありませんでした。人々と親しく交わることができないのです。シスターたちからは何のサポートもありませんでした。今、私は具体的な目標にむけて唱題していますが、私のローマ・カトリックのしつけのせいで罪の意識が頭をもたげてきます。具体的な目標というものはカトリックにはふさわしくないので」す、仏教の方がずっと融通がきいて堅苦しさがありません。仏教はとても古いい教えですか、まるで今日書かかれたものであるかのように語ることができます。キリスト教の場合、語れることはあまりありません。まるで死者の手のようです。私の母などはカトリック信仰に専心し、祈りましたが、それでも不幸せで、それは家族みんなにも波及しました。キリスト教の本質的な部分に誤りはないかもしれませんが、生きかえらせる必要があります。あまりにも多くの権威主義がはびこっていますし、シスターたちも幸せそうにはとても見えません――望まないことに身を捧げているようで。

 プロテスタントだった者も同じように悩んでいた思い出を持っている。職業としてのセラピスト養成専門学校の39歳の男性教師は次のように語ってくれた。

僕はテネシーで、バプティストの伝統、といっても全くの福音主義というわけではないのですが、一応そうした伝統の中で育ちました。高校の最後の学年からカレッシの1年のころに、僕は熱心なクリスチャンでした。1970−72年の間、バイブル・カレッジにも.通いましたが、同時に他の宗教についての本も読んでいました・・・・・そうするうちに、バプティストの信仰の偏狭さに気づいたのです。僕はもう続けることはできないい思いました、クラスで一度、イエス・キリストはブッダの生まれ変わりてはないかと言ったことかありますが、誰もそのことについて話したがりませんでした。結局、僕はガールフレンドと寝ていたということでカレッジをやめさせられました。それから僕はテネシー大学へ通いましたが、そのころは全く宗教活勅には加わらず、ドラッグをいろいろし試していました

彼は日蓮仏教を紹介されるまで、「冥想やヨガを続けていた。・・・ヨガの調息をやっていたのは、ドラッグに頼らないで意識の転換を図る方法に関心を持っていたから」である。

もう一人、50歳のアメリカ人は二度の離婚経験を持ち、自分のバントを持っている。彼はかってバプティストだったが、その後「エホバの証人」の信徒となった。しかし、「それらは私に何の功徳ももたらしませんでした。日蓮仏教では、私は身をいれて信仰できたし、功徳も得ることができました。自分の生活をコントロールできるようにもなり、自分自身の価値も見いたしています。私がバプティストとして日曜日にだけ教会に行っていたように、キリスト教は週に一度の宗教でしたかが仏教は毎日の宗教です」。

 3人目のアメリカ人、数学の学位を持つ経営分析家の女性は、遠回わりをして仏教に出会った。

私は末日聖徒イエス・キリスト教会改革派(モルモン教改革派)でキリスト教を信仰していましたが、そこでは、この教会の外に救済はないと教えていました。しかし、教会の外にも良い人たちはいたのです。私の教会は飲酒に関する規律など、大変厳格でした。1971年に、日常生活のリズムを正し、平衡感覚を保ちたいと、超越瞑想を始めました。それば私の気分を良してくれました――コンピュータ業務はとてもストレスがたまるものですから、神に祈るよりもずっと効果がありました。私は超越瞑想を1年ほど続けました。それから1974年にはグルジェフの教えのことも知り、1974―7年の間、私はグルジェフ協会の、一員でした。私はお定まりの祈祷文や儀式を持つような、組織化された宗教に反発していたのです。ある時、グルジェフのグループで出会ったある女性が題目を唱え始め、「試してみなさい!」と始めたのです。彼女が題□を唱えているとき、私は気分が悪くなりました.、やってみることに抵抗していたのです。しかし、私はそこに力強ささも感じていました、私は求めていたと思うのですが、心を閉ざしてしまっていたのです。

 これらのケースから明らかなように、治癒力のある信仰の探求が、人々をキリスト数的伝統がら創価学会の仏教へ導いていく一つの強力な要素である。ある場合には、それは厳密な意味での宗教的探求というよりも、たとえ熱心に信仰していたとしても、元の信仰でははっきリとした治癒効果がほとんどないとわかった人々が、そうした効果を顕著にもたらすタイプの宗教的実践にひきつけられたということにほかならない。このような人々にとっては、ほかにもさまざまな途中下車駅があった。フリーの画家である中年女性はその経験を詳しく語ってくれたが、それは個人的な心の傷を抱えながらの精神的探求の経験であった。

姉が私に日蓮仏教を紹介してくれました。2度目の結婚がうまくいっていなかったので、姉は私に題目をあげるように勧めてくれていたのです。唱題をすると、はっきりとした結果が現われできました。私は自分に自信が持てるようになり。また・・・…楽観的になりました。私はアイルランド人の修道女に育てられたのですが、罪の意識に捕らわれていて、2度目の結婚が破綻したとき、自分の罪が責められているのだと思いました、私はカトリックを25歳まで熱心に信仰していました。結婚したものの、受胎調節で問題を抱えており、恐怖心からミサに通いました。その時「もし、私が地獄へ行くというのなら、その危険もいとわない」と祈っていました。根本的には、私の魂は死んでいました。その後3年間、私は宗教には関わりませんでし。それから、イスラムのスゥブドを知りました。精神的な支えとなる何かが必要だったのです。私は其処で行われていることは好きではありませんでした――彼らは「なせるがままに」というのです。2年半ほど続けましたが、人々は集会のあとにはぶっきらぼうになり、しあわせそうではありませでした。私はスゥブドもやめましたが、やめることに対してもこの恐怖心(自らをさいなむ罪の意識)は付きまとっていました。33歳のとき、私はある男性と恋に落ちましたか、自分でもその情熱が理解できませんでした。それを理解したくてユシグ心理分析を受けにいきました。人生で最悪の時期だったと思います・・・わたしは病的なまでに嫉妬深くなっていきました。わたしはドラッグで病気になってしまい、ひどい鬱状態に落ちこんでしまいました。そして3週間、入院しました。その1月ほど前から題目をあげ始めていたのですが・・・こうした出来事が本当に厳しい危機をもたらしました。私はだめになってしまいました。自分のアイテンティも失ってしまいました。仏教が私を救ってくれたのです。自殺さえしょうとしたこの私を。

 結婚の失敗とそれに伴う心理的な混乱、そしてそうした状況について精神的な解釈を宗教的にしたり、軽くしようとする一連の行動がほかのノンバーにも見受けられる。きわめて良く似た事態がもう一人の女性にも起こっており、彼女は自分の過去を次のように語った

私の結婚は破れ、残されたのは18ヵ月になる赤ん坊でした。私は何かいい宗教はないかと探し求めました。19歳から20歳のころ、チベット仏教につい読んでみました。そのとき私が理解したことは、人生とは縁の遠い涅槃についてでした。それは私を失望せました。20代には、心霊主義の教会に通いました。聖霊が宿るように折りながら心霊主義な瞑想にふけリました。20代の始めごろ、妖術やエジプト魔術に興味を持っている人に出会い、私もそれにひかれました。そのころドラッグ(マリファナ〕にも手を出していましたか、ユングの自伝も読みました。この本が私をドラッグによる堕落への道から救ってくれました。私はユニグの本を読み漁り、18ヵ月の間、精神分析にも通いました。以前のどの宗教も私を幸にはしてくれませんでした。これまでさまざまな宗教の話し介いに参加することはできましたが、むなしさ残るだけで、満たされることはありませんでした。

 日蓮仏教は、超越瞑想やヨガのような特殊なイデオロギーを強調する心理療法的なカルトとして直接かつ第一義的に存在しているわけではないが、それでも、人々に確信と生命力を与えていこうという主張は、心理的治療を行う代理人として機能している。前述の信仰経歴についての短い説明で碓かめられたように、SGIがその信徒に対して主張する実際的な利益のうち、柿神的な弾力性、回復力は決して小さいものではない。また、熱心な信徒のごく一部ではあるが、心霊主義,もしくは擬似心霊主義的カルトや心理療法の体験の両者を経験したのちに、SGIに自らの道を見いだしたメンバーバーがいたとしても驚くごとではない。32歳の男性ダンサーは、2年間、超越瞑想をやっていたが、それを捨てて「自分の人生へのより深い理解」を捜し求めていた。彼の兄は自殺しようとしていたがあり、それがきっかけとなって、本人も精神的な滋養が必要となった。彼は「人生に飽きてしまった」と感じ、禅にも興味を持ったが、実際にやってみたことはなかった。彼は日蓮仏教を同僚のダンサーに紹介されるとすぐ実践し始め、それはたやすかったという、「私は捜し求めて準備を整え、すでに始める用意ができていたのです」。超越瞑想が創価学会の仏教信仰にいたる道となったケースはほかにもある。すでに登場した33歳の、かつて測量技師で教師に転職した男性の場合もそうである。彼は自分の信仰遍歴を次のように語った。

小さな測量会社で働いていた時に超越瞑想に入会しました。・・・私はなかなか身を落ちつけることができませんでしたが、あるひどい1日のあと、「あなたはストレスを感じていませんか」と書かれた一枚の紙切れが郵便受けに入っていたのです、冥想するだけでストレスか解消するというので、ある講演にすすんで行ってみました・・・集まっていた人たちは本当にいい人たちでした、彼らと一緒にいると、以前感じていたような孤独を感じませんでした。居心地か良かったのです。日蓮仏教を始めてからは、超越瞑想をやめました。・・・超越瞑想では他の人々との接触が大変多くちょうどそのころ自分の測量技師としての仕事に不安を感じていたのですが、自分を取り戻すことができたのです。

 もう一人、教員で、40代の前半にSGIに入会した男性は、それまでかなり広範にわたって心霊療法を探求していたが、人間関係に関する深刻な個人的危機に陥ってはいなかった。イングランド地方に移り住む際に親から受け継いだウェールズ・メソジスト信仰を捨てたあと、どのような宗教にも入ったことはなかった。「私は簡単な瞑想をやろうとしたこともありましたし、1960年代には、麻薬やLSDをやったこともあります。クリシュナムルティに出会い、今でも興味を持っています・・・彼は正しいことを言っていたし、それは実際的で気取りのないものでした。彼は何か特別なものを発散させていましたが、私はグル(霊的指導者)を求めていたわけではありません。つまり、マハリシ某を私が拒否したのは、そのグル的な要素のためです。冥想するこ自体は良いと思うのですが」。これは、ほかの場合と比べると穏やかな精神的な遍歴である。26歳のギター教師の場合も、それほど異なっていない。

私はこれまで宗教的な経験をしていません、以前は、私は誰も好きになれませんでした。皆も私のことを避けていたし・・・ヨガや太極拳をやったことがありますが、それを宗教的なものだとは考えていませんでした。サイコ・サイバネティクスをやったこともあります。あのアルファ.状態に身を置くというやつです。私はその修業所でかなりの効果を得ていましたし、唱題というのも同じようなものだろうと思っていました。――でも、唱題によって人は根本的に変革されていのです。サイコ・サイバネティクスは表に現れる兆候にしか対処できません。題目をあげていると、人は決して後戻りすることがないのです。他の宗教は周辺的な活動でしかありません。仏教は真の原因と取り組みます。・・・私はイキリス創価学会を欲していたわけではありません。なんらかの実践を求めていたのであり、それでヨガや太極拳をやったわけです。サイエントロシストの祖母は、変化した私の姿に感動しています。それで祖母はサイ工ントロシストたちから私とは一切関わらないように言われていました――が、それは無理なことでした。彼女は私のやっていることに賛同して、自分の人年を改善するために祖母自身かサイユントロジーに費やしているようなお金を注ぎ込む必要はない、などとも言っていました。・・・彼女は私のやってることは良いことだと言っています。私は、他の人々か実践しているものをサポートすべきたと思うので、祖母にもサイエントロシジーでがんばるように励ましていますが、サイ工ントロシストは決して終着点には到達しないのです。いつもその上のコースかあるのですから。

 何人かのメンバーは1、2の現代的な療法運動とか、積極思考について何らかの知識を持っていたが、当然のこととしてはるかに多くの人々がキリスト教的環境(少なくとも名目上は)に育ったというだけの理由で、キリスト教を経験している。精神的な指導を意識的に捜し求める回答者たちにとって、キリスト教は一度は選択肢の一つであったし、場合によっては今もそうであリ続けている。したがって、私たちはインタビューをした人々と質問票に答えてもらった人々の両方に対して、キリスト教と現在の信仰との違いをどのように理解しているかをたずねてみた。彼らの全てがキリスト教についてよく知っていると答えたわけではないが、もちろん直接経験している者もいた。29歳の大卒者は次のように述べた、

私は、私の眼前にあったようなキリスト教には満足していませんでした。キリスト教では苦難を通して教えが示されますが、それは自分の人生に責任をとることを奨励するものではあリませんでした。また、最後の審判があり、人々はそこから逃れることはできません――キリストヘの批判と罪は、そこで裁かれるのです・・・十戒やさまざまな規律と権威がさらに存在します。キリスト教の信仰は神の存在、私たちの外にある権威者を前提としています。日蓮正宗では、常に私たち自身が信仰の権威です。・・・3つの実践も成仏のためのガイド・ラインであり、規則だからといって罰を伴うものではありません。

 ある既婚の看護婦は、キリスト教は規則に縛られた宗教であるという、本質的には同様な考えを抱いていた。彼女は、「私には先週教会で堅信礼をうけたいとこがいます――そのとき仏は彼女につきそって行きました。教会で彼らが言っていることを聞いて、私は気づきました。仏教では、自分自身が自分の支配者なのであると――たとえば、もしあなたがお酒をのみ過ぎたとしても、誰も何も言わない、ということです。」教会では、これをすべきでない、あれをすべきでない、と言い立てられます。・・・彼らは彼ら自身の外側にある何かに頼りながら、自らの人生を選り分けているのです。教会は人に道徳的態度を押しつけますが、仏教では、自分の人生は自分自身で責任をとる生き方を説いているのです」。と語った。

 以下に述べるキリスト教の二つの特徴は回答者によって、.彼らの現実についての捉え方と一致せず、キリスト教が劣っていることを示す項目としてたびたび指摘された。その二つとは、崇拝の対象として外在する神の存在を信じることが要求される点と、道徳的規則を通じて罪の問題を教え込むことである。刑務所で教官をしてる一人の女性は、仏教とキリスト教の相違点を次のように捉えた。「仏教は外在する崇拝の対象を持ちません(彼女は、この外在性を強調していた)。罪の問題はキリスト教に特有だと思います、仏教には罪はありません。自分に対して責任を取ることは必要ですが、罪に捕らわれる生き方は建設的ではありません、私はキリスト教徒として育てられたので、未だに罪の意識に苦しめられています」。この同答者や先に引用した二人の元カトリック教徒は、幼児期に教えこまれた罪の意識を、結果としてキリスト教に魅力を感じなくなった最も重要な理由としている。もちろん彼らは、全く異なった宗教を発見した現在、キリスト教徒として受けた教育を回顧的に眺めていた。その新しい宗教の神義論では罪という観念を排除し、自分を尊敬する大切さを説いていた。キリスト教に対する再評価、中でも罪の概念への非離は、日蓮仏教を実践し始めて得た、自らの経験に対する再解釈の成果であった。たしかに、それはたびたび繰り返されるテーマであった。

 ある女性画家は、焦点を違えてさらに強く批判した。「キリスト教では、神は私たちの外にあって、私たちは劣ったものです。私たちは神を喜ばせなければならず、自らの罪を神に対して弁明せねばならないのです。そうしているかぎり、神は私たちに列して優しい存在です。私どもは子供であり、神は親です。良い子にしているかぎり、オーケーなのです。しかし、仏教では問題を自分自身の内に求め、自分自身に付して責任を取っていくのです」

 また、ある眼科医は次のように語った。

私はキリスト教を捨てました。北アイルランドでは戦闘が続き、暴力が公然化し、常態となり、無差別なものとなっていました。私は宗教的な教えがそうしたことに対処する力を全く欠いていることに衝撃を受けました。キリスト教では、その効果が現れるためには、神やキリストの存在を信じなけれはなりません。そこには人間と全能な神との間の相互関係が隠されています・・・それは不平等なものです。仏教では、すべての人々が仏界を湧現させることができます。仏界に達するために、高位の人を通さなければならないということもありません。この宗教は人間主義的であり、有神論的な宗教より良いものです。

 他の人々にとっても、日蓮仏教自らの強力な主張と、彼らが自分たちの宗教を実践的宗教であり、持続的な献身が生み出す具体的かつ心理的な功徳によって検証され証明され得る宗教である等々と弁護して語る内容と、大きく隔たってはいなかった。この点において日蓮仏教はキリスト教と異なっていると考えられており、キリスト教は若年層や比較的若い中年層にとっては現代の生活や社会の日常的な現実からかけ離れているように映っている。大学の学位を二つ持つ、コミュニティ・ソーシャル・ワーカーはそれについて典型的な意見を表明している。「私は自分のことを宗教的な人間だとは思っていません。『宗教性』という言葉は『汝よりも神聖なるもの』に包まれた何物かを暗示しています。私には、そうしたものは理解できません。私は結婚していますし、子供もいます。生活にはお金がかかります。・・・しかし、キリスト教はそうしたことと何のかかわりもありません。私は自分のことを、理論と実践をふまえた教義を持つ明快な仏教の教えに基づいて、自分の人生をより豊かに進んでいると考えています。仏教は日常生活の1部なのです」

若いギター教師も同様な指摘をした。

キリスト教を経験してみる必要性もありますが、しかし、それは有益な実践ではありませんし、効果があるようにも思われません。キリスト教徒たちは幸せそうには見えませんし、満たされているようにも思われません・・・神と仏性を同一視することはできません、彼らはまさに内面の慈悲を理解しなければなりません。キリスト教徒は慈悲を哀れみとします。彼らは苦難について多くを語っていますが、・・・彼らは自分自身をむち打っているのであって、その苦しみを成長の糧としたり、自分の人生を開いて行く契機としたり、性格を改善していくチャンスとして考えたりはしません。宗教的な実践から生じる苦難は常に健全であり、苦難そのものを減じていく価値の源泉です。キリスト教徒の態度は、まさに果てしなき苦悩といった感があります。人は罪深く悪しき者で、私たちが許されるか否かは神の一存にあるというものです。キリスト教は先駆的または仮の仏教といえるでしょう。私は事実として、唱題のほうが教会に行くよりも、ずっと有益であると考えています。

 私たちは、仏教とキリスト教の相違をどのように捉えているのかをメンバーに直接たずねながら、この二つの宗教の比較を行ってきたか、多くのノンバーにとって、この二つの宗教の相違はすでに十分に認識されており、実際、地区や支部等のさまざまな会合の中で、彼らの多くが感じていたこれらの宗教の本質を定式化して描き出していた。SGIメンバーの大部分はキリスト教会に持続的に関わってきた直接の経験を持ってはいないが、1部のメンバーはそうした経験を持っており、彼らはキリスト教信仰とイギリス社会の大多数の人々が共通に抱き、公的にも表現されている一般的な宗教認識との両方に迫ることができた。どのような少数派の宗教もその宗教的規範との関連で信徒たちに理解されなければならず、その場合、その規範はイギリス社会の総体的な世俗性や主要なキりスト教会およびその教義との比較を必要とする。少数者は自らを正当化しなければならず、その成員たちは教義や指導性の上での主だった相違点に関する高い意識を必要とする。

 すでに見てきたように、メンバーのおよそ半分は、自分は過去に宗教的経験をしていないと見なしている。残りのメンバーのうちの約半分に当たる28パーセントのメンバーは、何らかのキリスト教的背景を持っていると答えている。その大部分の人々、すなわち全体の19パーセントに当たる人たちが、具体的なキリスト教会に所属していたことがあった。そして残りの全体の四分の一に当たる人々は、特定のキリスト教会に関わりはなかったものの、自分を宗教的な人間であると見なしていた。これらの人々のうち全体の約8パーセントがSGIに入会する以前がら、何らかの人生の意味や、何人かの言葉を借りれば真理を捜し求めていたと述べていた。6パーセントが宗教に関心をもっていたと単純に答えたのに対して、4パーセントの人は彼ら自身が宗教的と見なす生命力や、ある意味での根元的な秩序といったものを以前から信じていたと表明している。こうした回答全体から言えることは、メンバーの4人に1人は、具体的に何らかの宗教に加入してはいなくても、人生について宗教的に解釈しようとする自覚的て積極的な態度をとっていた。もちろん、この約25パーセントにあたる回答者は現在、イギリス創価学会のメンバーであるので、とりわけ自分のことをこの運動に出会う以前から意味や真理を求めていた人間だと考えているのかもしれない。しかしながら、こうした解釈は合理化しすぎているがもしれず、実際の調査結果が示していることは、宗教的な背景を持っていたと主張した人々が28パーセントにとどまっている(このうち、全体の24パーセントが、一つないしそれ以上の宗教組織に所属していたことがある)のに対し、残りりの人々は宗教に対して中立的または無関心であったということしある、明らかに、彼らが創価学会の仏教に改宗したということをもって、全員が宗教に対してそもそも開放的であったのだと「過去にさかのぼって」言うこともできるであろうが、しかし、彼ら自身の評価では、彼らの半数は、SGIに入会する前にはいかな宗教的信仰や実践にも携わっていなかった。つまり、回答者の何人かは宗教的な意味を求めていたというが、少なくとも彼らの半分は、そうではなかったのであり、したがって、そうした精神的探求心が改宗の前提条件として必ずしも必要なわけではないという主張が支持されることになる。

 47パーセントにのぼるメンバーが、SGIに入会する以前は信心深いタイプではなかったという自己認識を持っていることに閉して、性別と年齢との観点からいくつかの考察を行うことができる。まず、男性より女性のほうが、キリスト教的背景があると答えたのであるから、男性のほうが以前は非宗教的であったかなリ大きな部分を占めている。専業主婦のほうが、仕事を持つ女性より宗教団体に属していた傾向が強く、仕事を持つ女性が宗教的であったと主張している場合でも、一般的にキリスト教的背景があったという主張以上のものではなかった。しかしながら、結局のところ、いかな宗教団体にも加わったことがないと答えたのは若年層の人々であった。すなわち30歳以下の層の60パーセントがそう答えているのに付し、第2次世界大戦終了以前に生まれた45歳以上のメンバーでは、29パーセントに留まっている。

 

l ――入会する以前の他の仏教との出会

 

 日蓮仏教はすでに示したように大乗仏教のきわだった形態であり、いくつかの重要な点において、小乗仏教の伝統の中心的な性徴を否定している。しかしながら、何人かのメンバーはイギリス創価学会と出会う以前に、仏教の考えカや実肢の基本的な原理や、仏教の一般的伝統における救済についての考え方などをすでに知っていたという意味で、非公式に、または意図しないで仏教との交流をすでに経験している可能性もあった。したがって私たちは、メンバーに日蓮仏教に紹介される以前に仏教の経験があるかどうかをたずねてみた。約38パーセントという驚くほど高い割合の者が、イギリス創価学会に入会する以前に何らかの仏教に出会っていたと述べた。そのうち12パーセントが仏教の多様な形態についての知識を持っており、中でも禅やチベット仏教がもっとも頻繁に言及されていた。4パーセントがチベット仏教のみに、12パーセントが禅のみに関係をもったことがある。残りの10パーセントのうち、その大部分は宗派を特定せず、ただ一般的に仏教と述べていたが、少数ではあるが、小乗仏教について語ったり、イギリスでの仏教運動である西洋仏教友会を知っていた。当然のことながら、以前に仏教の他の形態についての知識を持っていた人々は、必ずしも自分を非宗教的だと規定した人々てはなかった。かといって以前キリスト教会に属していたメンバーでもなかった。仏教についてなんらかの経験を持っていた人々というのは、ただ一般的な意味でのキリスト教的な背景を持っていたと答えたような人たちであり、また「宗教に対して開かれた姿勢を持っている」と自認していたような人々、すなわち、宗教への関心は持っていたが、特定の宗教団体に加入したことはなかった人々が多かった。こうした人々は回答者の老年層にも若年層にも(1950年以前に生まれた人と1951年以降に生まれた人で両者を分けるとして)見てとることができる。教育に関する背景も、またこの点に影響している。大学生は仏教に出会う可能性をより多く持っており、このことは特により高度な学位を求める人――すなわち22歳以降も研究を続けるような人々――に当てはまる。この連関もまた老年層若年層、両者に当てはまる。したがって、結論的には、彼らの年齢には関わりなく、これまでの宗教への関心や宗教との関係、そして教育面での背景が、この仏教に出会う「素因をつくっている」ということができるであろう。仏教との出会いは、メンバー構成の職業分布にも反映している。たとえば、看護婦、医者、教師のように人の世話をする専門的職業に従事するような者や画家や芸術家などのほうが、他の職業に従事する者よりも、すでに仏教を経験していた割合が高かった。いかなる種類の仏教であろうとイギリス人にとっては依然外来の宗教であり、文献を通して、仏教の〔教理や哲学などの〕知的側面が主に強調されて広く知られた宗教であるため、仏教のことを何らかの形で知った人々が知的、美的、またときには心理学的な関心を伴う職業や研究に従事する者であったとしても驚くごとではない。

 他のさまざまな仏教についての以前の知識や深い理解が、どの程度イギリス創価学会への人会を促進したのか容易には断言できないし、またさまざまな事例におけるそうした知識の深さを評価することもできない。インタビューからは2つの相異なる回答が返ってきた、職業としてのセラピストを養成する男性教員は熱心に関わリながらも幾分かの疑いを抱いていた。彼は次のように語った。

私は懐疑的な態度をとり続けています。仏教の歴史についてかなり知っていますし、日蓮がその中でどのように自分を位置づけたかも理解しています。日蓮は深遠な人物だと思いますが、同時に彼は一匹狼でもあります。彼は慈悲や知恵について語りますが――釈尊は違う見方をしています。「この男は何者なのだ」と私は自問しています。昔の大乗経典も読んでみました。日蓮はそれらの大乗経典に対して明らかに批判的です。彼は、自分はそれらの教えよりも優れていると言っています。「こうした姿勢は傲慢ではないのか」と私は自問しています。しかし、私は池田先生や歴代会長、また他のリーダーたちの指導や著作に対してますます多くの一体感を持つことができます。ある昔のリーダーはこう言っています。「勤行をしているとき、凡夫と本仏(これは御本尊に具現されています)は、始まりのない時を越えて、互いに向き合って座しているのです」と。実際、これが勤行をしているときの中心的な感覚です。何ものもこれを証明することはできません――これは私自身の生命についての直観なのであり、私という存在の実体には始まりも終わりもないとい嘉実についての直観なのです。

もし仏教に関する広範な知識がさまざまな疑問を生むとすれば、教義の形而上学的、哲学的な側面について評価できなければ、事態はますます悪くなる。1人の男性ミュージシャンは西洋仏教友会の経験を持つが、決してその教義や実践に魅せられることはなかった。彼は、日蓮仏教の実践の簡潔さを認めはするが、その教えについては疑問を持っていた。

その教えは信じられないほど複雑です。輪廻という考え方は難しいと思います。日蓮は来世に関心を持つよう説いていますが、私にとってそれは困難です。私は今のこの人生に関心を持っているのです。教義の神秘的な側面が一番難しいのですが、それを理解するには私の知識は限られています・・・学問的に言えば、日蓮は仏教や東洋の伝統にあまりに深く染まっています。私はこの教えを信仰することはできますが、それは完全な信仰心というものではなく、判断を停止したようなものとしてです。私が見いだしうる唯一の道はとにかく実践してみることであり、現在の人生の中で証明してみることです。全てをやってみていますが、もし深くたずねられたら、納得のいくように答えることはできないでしょう。

 

――他の東洋系宗教に関する知識

 

 新しい宗教運動はカルト的環境の中で展開するとしばしば言われてきた。この言葉が意味しているのはそうした新宗教の組織に参加するのは、そのよう宗教をさまざまな形で知っている人々であるとか、比較的安易に次から次へと渡リ歩く人々、または異国風の哲学に「ちょこちょこ手を出す」ような人であることが多いということである。1960年代の西洋諸国における新しい宗教運動の激増は、霊的・宗教的活動におけるある種の実験を、特に若者たちの間で促すことになった。多くの新宗教運動は、ある意味ではライバルでさえある他の新宗教運動とともに、一般の人々の関心をひくために自らを紹介する機会を設けた。たとえば実際に、ロンドンでは霊と心と肉体の祝祭として毎年行われたこともあった。しかしイギリス創価学会はそうした機会に参加したことはなかった、カルト的環境の中で顕著であった、人間の潜在的可能性を重視する団体や精神療法的な団体、ニューエイジの諸団体のようなきわめて多様な新宗教と比較して、この独自な形態を持つ仏教は、より排他的な傾向を持っていた、宗祖である日蓮自身も敵対する仏教者の教えを強く批判していたし、「折伏」の原理も他の信仰は害毒であるという仮定に基づいている。しかしこうした志向性を持つにもかかわらず、日蓮仏教もいくつかの他の新宗教運動に共通して見られる一般的な特徴を有しており、したがってイギリス創価学会に入会した人々がどの程度他の東洋系宗教について知っていたかは興味深い問題であった。私たちはすでに引用したメンバーからの宗教的経歴に関する説明のうちにそのいくつかの例を見てきたが、外来の信仰体系との出会いがもつ意義を統計的に確かめてみることは大切である。

 回答者の61パーセントが東洋系宗教についての経験は一切ないと答えたのに対し、20パーセントが1,2の東洋系宗教と出会ったと答えており、さらに11パーセントの人が他の新宗教運動に関するいくらかの知識を持っていた。東洋系宗教を幾分経験したことのある人たちのうち、調査対象となった標本会貴の11パーセントがそうした団体を一つ以上知っていたと主張し、具体的には4パーセントの人がヒンドゥ教を、2バーセントが道教を、1パーセントがイスラム教を挙げた。驚くべきことではないが、大学で教育を受けた者ほど東洋系宗教に出会う傾向が強かった。

 新宗教にいくらかの関わりを持っていた者のうち、標本会員全体の3パーセントが、これらの運動の多様性について言及している。最も多く指摘されていたのは超越瞑想で2バーセント、続いてヨガ、ハレ・クリシュナ、スーフィズム、ディヴァイン・ライト・ミッションであり、これらを合わせると4パーセントになる。メンバーの中には、他の運動の経験を持つ者もいた。スゥブド、易教、サイババ、クリシュナムルティ、ラマ・クリシュナ・べーダンタ、統一教会、グルジェフィズム、バハーイ教は、それぞれ一度ずつ指摘されていた。バグワン・ラジニーシ教は2度名前が挙がった。これらの運動を知る確率は、一般の人々よりもおそらく高いが、それでも異例なほど高いというわけではない。こうしたメンバーの多くが、宗教的経験に対する自らの開放性について語っていたし、またこれらの多様な新宗教運動も活発で人目にづくものであり、人々の参加を望んでいた。彼らが結果として日蓮仏教を喜んで求めていったことをもって、彼らが新しい宗教への実地体験を受け入れやすい状態にあったのだとすれば、彼らが以前にさまざまな宗教を経験する割合が高かったことも当然であると考えられる。

 日蓮仏教に改宗する前に、他の仏教や東洋系宗教に出会ったことのある人々を一つのカテゴリーとして見ると、他の仏教との出会いについて、われわれが見いたしたことが確かであるか否かはっきりするであろう〈表8〉。

 ここで明らかになることは、ある宗教的背景を持ちつつも、いかなる宗教組織にも所属していなかった人々や、宗教的な指導性を求めていた人々が、特に東洋系宗教や新宗教に出会っているということである。このカテゴリーの中では、男性の方が女性よりもそうした経験をもっていた。この結果は教育水準とも関連している。大学教育まで受けた者ほど何らかの東洋系宗教に出会っているのである。このことは、それまでは宗教的でなかったと述べた人たちも同様である。教育が持つ影響力は、すでに仏教について見てきたように年配層と同様に若い層にもあてはまる。

 

 

l    ――日本の物事に対する関心

 

 創価学会は宗教運動としてその起源を日本に持つばかりでなく、その哲学、実践のスタイル、中心組織の配置に関しても、明らかに日本的である。日蓮正宗という僧侶集団と在家の制価当支去との分裂にもかかわらず、日本はいまだ聖なる施設の所在地であり、かつては巡礼の地であった。そしてその運動体の呼称からして、われわれの回答者が参加した当時の日蓮正宗という呼称、そして今の創価学会、ともに日本語のままである。メンバーたちは彼らの信仰上の語彙の一部として多くの日本的な概念を用いており、またそれを日本語のままで表現している。とりわけ、唱題の際に用いられる祈りの言葉は日本語であり、勤行は日本語の発音にしたがって復唱されている。これらのものは、いずれもイギリス流に切り替えようと試みられたことはなかった。こうしたことのすべてが、運動全体にはっきりとした日本的な色彩を与えている。SGIは全メンバーがそれぞれ何らかの役割を見いたせるようなさまざまな祭典や芸術察などを精力的に推進しており、そこでは各国の文化的伝統から導きだしたテーマを表現するよう奨励しているが、日本的な色彩が完全になくなってはいない。

  したがって、日本文化にすでに何らかの興味をもっていたことによって、メンバーがどの程度日本の宗教にひかれたのかを問うことは適切なことである。日本について何らかの知識を持つ人や、日本人や日本文化・生活様式などをすでに賛美していた人たちにとって、この運動が何らかの特別な魅力を持っていたであろうことは想像に難くない。もちろん私たちは、すでに入会していた日木人の配偶者(たいていは妻であるが)によって改宗させられ、それによって日本に魅力を感じるようになった数名のメンバーの存在に気づいていたが、実際にはイギリスでのそうした例は少数であった。私たちの質問はもっと一般的なもので、日本的な仏教へ至る通路となったであろう、日本の事物に対する一連の関心がどのように生まれたかを明らかにしようとするものであった。

 質問への回答のうち、55パーセントがイギリス創価学会に入会する以前は日本の事物には何の興味もなかったと答えている。何らかの興味を持っていた人のうちの大部分――回答者全休の38パーセントにあたる――が芸術への関心を持っていたが、日本文化のそれ以外の分野に興味を持っていた人は7パーセントにすぎなかった。芸術以外の分野では、日本のビジネスの方法について述べた者もいたが、とくに焦点が当たっていたのは和食についてであった。何人かは日本人の精神性やライフスタイル、歴史に興味を持っていた。しかし、日本の事物に以前から関心を持っていた人たちの間で支配的であったのは、やはり芸術に対するものであり、具体的には絵画や彫刻、書、舞台芸術、音楽、舞踊、演劇、そして映画などであった。文学や武術に対しての関心は低がった。またある人たちは日本の物質文化の側面、たとえば陶磁器や建築、服師内装、庭園などに関心を持っていたと答えていた。これらの関心はメンバー間でランダムに分布していたが、特定の対象に対する関心は、特定の分野で専門的な訓練を受けた人たちの間で顕著であった。すなわち、舞台芸術とかグラフィック・アートに従事する人々は、同じ分野の日本的な表現に関心を強く持っていた。

 日本の文化やライフスタイルヘ関心を持つ度合いが、SGIメンバーになろうとした人々の方がイギリス人全体より高かったかどうか知る手段を、われわれは持ち合わせていない。しかし、一般的な観測から言って、日蓮仏教徒の45パーセントは日本に何らかの関心を持っているが、イギリス人一般の関心がそれに匹敵することはありそうにない。日本のものとしては舞踊や古楽、演劇、そして絵画よりも広い関心が持たれている映画ですら、イギリスにあっては明らかに少数者の嗜好であり、その愛好者が国民の半数にすらなることはなかった。調査結果を文字通り受けとるとすれは、日本の事物への関心のほうが、日本の宗教に対してより開かれた姿勢を示していると推定することができるであろう。おそらく、創価学会が日本的なものに限らずに文化的表現を重視し舞台芸術や美術を強く奨励することが日本文化のそうした側面に触れる機会をメンバーに広く与えることになり、こうした関心がさらに増大されているといえるだろう。

 メンバーたちには日蓮仏教がとりわけ日本的な仏教だとは考えられていない。強いて言えば、大部分のメンバーは、この宗教が継承している日本的な伝統やスタイルよりも、来るべき「広宣流布」のときにおける全人類のための宗教であるはずだ、という普遍的な願望を強調するであろう。しかし、あるメンバーにとっては日蓮仏教はあまりにも日本的であった。ある女性はインタビューの際、次のように語った。「日蓮仏教は日本の仏教です。それを一体どうしたらイギリスの生活様式に移しかえられるというのでしょうか。たしかに国際的なものになりつつあります、私は創価学会に日木的な魅力や文化的価値を見いだしています。その中でも、細かい点への配慮や家族への献身などには私も好感を抱いています。しかし、そのほかのものは嫌いです……彼らは個人というものをあまり尊重しないように思われます。個性を発揮する本当の場所がないのです。こうした日本的な精神風土は私にとって理解しがたいものです。それは異なる文化です・・・私はそれは仏教ではないと感じています」、32歳のある男性ダンサーは男女別の組織編成に疑問を持っていた、「それは日本の創価学会がもたらした性差別だと思いました。われわれは成長してわれわれ自身のアイデンティティを確立しなければなりません。あまりにも日本文化の影響が大きすぎるのです」

 メンバーからの批判を受けるSGIの諸特徴は、しばしばそれが日本的なものであるということと結びつけて考えられている。たとえば組織編成について男女を分けるという制限が加わっているが、それは明らかに東洋的なものだと見なされている。また、奉仕活動を行う青年明文グループに、一見してそれとわかるようなユニフォームを着用させることは日本の影響だと考えられている。師弟の関係という日本的概念もイギリスの全てのメンバーが容易に受け入れられるような文化的特性ではなく、回答者の内の何人かは師弟関係の原理によって、池田大作SGI会長に向けられる尊敬について、熱狂的とはいえなかった。

 しかしながら、こうした意見はたしかに少数意見であり、イギリスにおけるSGI運動も、他の西洋諸国の場合と同じように、その活動のスタイルをイギリス文化に適応させるように多くの努力を重ねている。世界のいたる所でSGIは音楽やダンス、ときには演劇や体育祭的な祭典を推進するために時間とエネルギーを注いでいるが、これらの場ではその地域の文化的スタイルや特色を重視し、また実際、賛美してもいる。イギリスSGIは歴史的にも有名なかっては貴族のものであった別荘を本部とし、そのリーダーは生粋のイギリス人である。一方、アメリカやフランスではリーダーたちは日本出身だが、その国の市民権を獲得している。もしSGIが未だに西洋社会に十分に根づいていないとしても、SGIがこれら西洋文化の中で運動を展開してきた歴史はまだわずか30年ばかりであり、それは中東の諸宗教が流布されたさまざまな地域で完全に文化的に変容するのに要した数世紀の時間と比較しうるものではない、という事を思い出す必要があるであろう。

 

 


 

 

9 日蓮仏教の実践

 

 

創価学会のメンバーと日蓮仏教にとって重要な活動は、メンバーが語っているように、「実践」である。彼らは、ある人がメンバーになるとか、メンバーをやめるということよりも、実践し始めたとか、実践をやめたという言い方をよくする。すでに見たように、実践はSGI運動に重要なものであり、通常、家庭での、あるいは純粋に個人的な活動として義務づけられている。メンバーはさまざまな会合におけるグループでの実践を喜んではいるが、何にもまして基本的で重要な活動は、朝と夜の個人的な実践である。実践とは「題目」を唱えること(唱題)であり、「法華経」の決められた部分を繰り返し唱える「勤行」を行うことである。勤行は日本語の教典を朗唱することであり、急いでも30分はかかるが、それを全てのメンバーが習う。会合では約10分間、「南無妙法蓮華経」と繰り返し唱えるが、個人が行うときは実践する者の意向によってそれ以上長く続くこともある。もし、人々が問題を抱えていたり、慰めを求めているならば、彼らは唱題する時間を増やし、時には1時間以上続けるかもしれないが、普通に期待される時間はそれよりかなり少ない。ある熱心な信徒の唱題時間は、普通に期待される量をかなり越えていた。彼女は次のように記している。

 

 私はとても忙しい毎日です。5時から5時半の間に起き、朝50分の題目をあげ、夜は会合に行きます。家に帰ってくる時間は、午後10時になることもあります。それから食事をし、すべてをやり終えて、2時に寝ます。普通、一日に1時間唱題していますが、普段は家にいないので、これ以上はなかなかできません。それで、週末に2時間の題目をあげて不足分を「満たす」のです。

 

唱題をどのくらい行っているかを回答者に語ってもらった。約51パーセントは、ほとんど間違いなく、朝と夜の一日2回唱題すると主張した。さらに2パーセントは時には欠かすことを認めた。週に少なくとも10回(14回のうち)実践していると報告したのは、28パーセントであった。さらに、8パーセントは週に最低7回実践していると主張した。これらを合計すると、メンバーの90パーセントが平均して最低でも一日一回の実践をしていることになり、会員の半数以上は一日に2回実践していることになる。これ以外のメンバーは、このレベルの実行を維持できていなかった、週一回の唱題さえしていなかったのは、約4パーセントであった。3パーセントは、週に2回はどうにか行っていた。さらに3パーセントは、週に少なくとも4回は唱題していると語った。

長く続けているメンバーは唱題を安定して遂行していたし、より長く運動にいればいるほど、より一層毎日忠実に唱題するようになっている。最近入ったメンバーの間では、このような主張はわずかであった。その割合を〈表26〉に表示してある。

最近の入信者の中には、まだ完全には関わっていない人々、今後やめそうな人々がいたことは明らかである。古くからのメンバーは毎日または頻繁に唱題を持続していなくても、組織にとどまる傾向にあった。しかしここで一言注意しておかなければならない点は、質問票を書き終えて返送してきた人々の中で、最も熱心に関与しているメンバーの返送率は高く、当然のことながら、それほど熱心でない人々の間に見られるものより高い実践率の主張が示されることがあり得るということである。したがって、毎日実践しているメンバーが、53パーセントという結果は、組織の実態以上の数値かもしれない。しかし、そのような仮説をチェックする手段はない。他方、匿名の質問票は、名声を得るためや、少なくとも面子を失わないために大げさな回答を書こうという誘惑を許さない道具である。この事実と宗教団体の会員の間に一般的にある誠実さというものが、回答者が誇張していないことの保証になる。

 勤行と唱題の高い実践率は、メンバーである友人の割合から測定される、運動にどの程度統合されているかに大いに影響されている。運動内での社会的結合は献身度を強めると考えられるが、われわれは内部における友情と唱題する回数との間の相関性を発見した。たとえば、SGIメンバーである友人が数人しかいない場合、毎日唱題していると主張した者は40パーセントに過ぎないということがわかった。大多数の、あるいは全部の友人が運動内にいる場合、毎日唱題している者は63パーセントに達したが、それに比べるときわめて低い割合である、逆に言えば、週に最大で3回しか唱題していない人々の大半は、友人がSGIに全くいないか、あるいはほとんどいない人々であり、その割合は約70パーセントであった。

 これらの大まかな結果以外に、これらの発見に関する年齢の影響を見ることも可能である。これらの関係は1950年以前に生まれた人々にはないことが明らかになったが、1950年以降に生まれた人々には明白であった。特に若いメンバー層は、実践が団体内の友人の有無に強く影響されていることは明らかである、この年齢層では、会員に友人がいない場合、毎日唱題する者は約30パーセントしかいなかったか、友人のほとんどがSGIメンバーの場合には、71パーセントが毎日の唱題に励んでいるという、はっきり異なった結果が出た。友人がSGIにいない者や、同輩メンバーの中にいない者、または会員の友人が少数の者は、週に多くて3回しか唱題しない人々の大多数(ほぼ75パーセント)を形成していることも明らかになった。

 友人の重要性が規則正しく日々の実践を行うよう励ますものであるとすれば、友人と家族が共に個人の第一次人間関係を構成する場合を除き、家族の影響が調査結果に現れてこないことは驚くべきことであ

る。われわれの発見に年齢を加味すれば、第一次関係内にSGIメンバーの影響がない人々は、あまり頻繁に実践しないという傾向が読みとれる(表27)

 このように、日蓮仏教はまさに個人的な実践であり、また組織として創価学会は他の多くの宗教団体ほど共同的でも会衆的でもないが、同輩の信者からの支援が信仰への献身と遂行を維持する上で、かなりの重要性をもっているようである。このことは、友人による支援に関して特に当てはまる。運動内に家族がいない人々は、新しい宗教を採用する際におそらく自分自身で決めており、そのような個人は近親者の直接の参加がない状態では、友人によりいっそう依存するようになるであろう。大部分のメンバーは実際に個人相互の接触を通して日蓮仏教を知ったのであり、友人ができる可能性は運動の魅力の中でも重要な要素であって、そのような友人は仏教が家族共通の関心でない場合には、ますます重要な存在になると思われる。

 

 

 ●―――研修と登山

 

唱題という日常的な実践は、この仏教宗派への関与を示す最も重要な指標である。それはすでに見たように、会員である期間の長さと運動内の第一次人間関係の有無に関係しているようである。しかし、SGIメンバーには信仰を表明する他の方法がある。それは特に研修に多くの時間を費やすこと、そして日蓮正宗と在家組織(創価学会)との関係が続いていたかぎりでは、根本の大御本尊を拝するために総本山大石寺へ巡礼(以下、登山と表記)することである。調査した人々の約27パーセントは、大石寺登山を経験していた。この数の3分の1(サンブル総数の9パーセント)は、2回以上登山したことがあった。この旅行にはかなりの出費がかさみ、全てのメンバーにできるものではなかったが、それでもなお、当時それは多くのメンバーにとって目標であった。特に失業中のメンバーにとっては、そのような旅費を調達することは明らかに不可能であった。彼らの15パーセントだけが、その誉れある旅行をしたことがあった。2回登山したことがあるパーセンテージが最も高かったのは、自営業者であり、その13パーセントが2回以上行ったことがあった。彼らには行くための時間と資金があったのである。19歳前に教育を終えた(あるいはまだ学生である)人々のうち、78パーセントは登山したことがなく、それ以上の学歴を有する場合は、69パーセントが登山してなかった。

会員である期間の長さと大石寺訪問の見込みとの間に関係があることは、容易に理解できよう。しかし、その見込みと運動への個人の関与の程度との間に関連性はない。つまり、登山はかなりの出費であり少数の者しか実現できないので、登山を、関与の度合いを計る指標とすることはできない。

大部分のメンバーは、その費用を工面するために貯金をしなければならず、その達成にはかなりの時間を要したのである。

しかしながら、SGIのヨーロッパ・センターがあるトレッツヘの訪問に関しては、事情が異なる。訪問の目的は研修を受けることであり、51パーセントのメンバーがトレッツに行ったことがあり、その約22パーセントは2回以上行っていた。男性より女性の方が多く(女性約51パーセントに対して男性44パーセント)、35歳から44歳までのメンバーがそれ以外の年齢層のメンバーより多く行っていた(57パーセントに対して47パーセント)が、これらの要因はわずかしか影響していなかった。運動内に友人がいる程度と会員である期間の長さは、より高い相関係数を生み出している。SGIに親しい友人がいない者の71パーセント、運動内に少数の友人しかいない者の61パーセントは、トレッツを訪問したことがなかった。残りのうち、約35パーセントは行ったことがなく、約65パーセントが行っていた。運動内にほとんどすべての友人がいる者の大多数は2回かそれ以上、そして親しい友人の半数がメンバーである者の大部分は、少なくとも一回はトレッツに行っている。

年齢集団間の相違に関する友人の影響は、40歳以上の集団とそれ以下の共用の双方に等しく強いようである。第一次関係の影響は、友人の影響についてすでに明らかになっていることを補強するだけである。友人と家族がSGIメンバーである比率が大きくなるにつれ、それだけトレッツ訪問の機会も増大している。同様に、長くメンバーであればあるほど、より多くトレッツを訪問している、8年以上組織にいる人々の43パーセントは、2回以上トレッツ行きの経験があり、32パーセントが1回あり、そして25パーセントは全くなかった。5年から8年のメンバーの18パーセントは、2回以上の訪問経験があり、32バーセ)トは一回、46パーセントは一回もなかった。メンバーになって5年未満の者のうち、6パーセントだけが1回以下トレッツを経験しており、19パーセントが一回、7パーセントはまだ行ったことがなかった。

予想通り、運動への関与を示すさまざまな基準は、互いに密接に結び付いていた。組織内の役職とトレッツ訪問率の間に高い相関性があったことは理解できる。リーダーは教えをより深く理解し、指導を与える人々を助けることができるよう期待されている。彼らにとって、トレッツでの研修はそのような理解を深める機会であり、それは、彼らが担っている役職を確かなものにし、組織内でのより高い位置への任命の道を開くものであった。役職と奉仕任務とは最も低い相関性しかなく、これは一方が他方を排除する傾向にあるからと仮定できるだろう。つまり、高いリーダーシップを示す人々は、彼らの位置が課す業務ですでに十分に多忙なのである。彼らは、ガイドや受付、案内係、紅茶とソフトドリンクの配布係として行動する創価班やライラック・グループといった奉仕任務に携わるようには期待されておらず、他にやるべきことがあったのである。奉仕任務とは、一般メンバーのためのものであり、おそらくは公式のリーダーシップを担う位置に向かう一つのスナッフなのである。トレッツは組織内である程度の役職にすでに就いているメンバーのための機会でもあった。実践は、役職、トレッツ訪問、奉仕任務と高い相関関係にあった。

奉仕任務に最も多くの時間を捧げる人々とリーダー役を占めている人々は、日々の規則的な実践に最も献身する人々でもあった。

古くからのメンバーでもSGIの活動へわずかしか関与していない者もいれば、新しいメンバーできわめて熱心に遂行している者もいるが、活動への関与の度合いを検討してみると、全体としては、長く運動に関与していればいるほど、より広範囲の活動に関与するようになっていることが明らかになる。親しい友人仲間の影響は、この場合にもきわめて強かった。親しい友人関係がメンバーによって囲まれていればいるほど、個人はより深く活動に関与している傾向にあり、奉仕任務にさらに多く従事し、ますます組織の責任職に就くようになり、日々の実践にますます励み、トレッツに行く機会も多かった(時には二回以上)。おそらく、一人を除く回答者のすべてが改宗者であり、年上の身内が会員内には通常いないという事実を反映しているからであろうが、運動への関与に家族はあまり影響していないようであった。回答者は、家族集団内で子供よりも親である者が圧倒的に多く、したがって他の家族成員の影響を受けることは少なかったのである。友人の影響と比べ、(家族と友人をひとまとめにした)第一次集団の影響はほとんどなく、また奉仕任務を引き受ける度合いへの影響もなかった。これは、責任ある役職に就くための個人的な関与の度合いや日々の実践率、トレッツに行った回数などに関して、友人の有無の影響と同じ程度であった。友人と第一次関係の影響は、(1950年以前に生まれた〕年配のメンバーが責任職に就く度合いに対して最も高かった。実践の場合ではそうではなく、一般に第一次関係の影響はどの年齢集団にもそれほど異なる影響を及ぼしていないが、(40歳以下の)若いメンバーがどの程度実践するかは、友人の存在に影響されやすかった。

第一次関係の影響の研究で夫婦か独身かを対照すると、メンバーが責任ある役職に就く度合いや日々の実践率、トレッツ訪問の回数について異なったパターンが明らかになった。第一次関係は、夫婦で暮らしている人々が就く役職に影響していた。メンバーの周りにメンバーである友人や家族が多いほど、役職を避けることは少なく(63パーセントに対して21パーセント)、ますます支部レベル以上の権威ある地位に就くようになった(6パーセントに対して24パーセント)。実践に関しては、第一次関係に最も影響されているのは独身で暮らしている人々である。少数のメンバーしか周囲にいない人々のうち、約40パーセントが日々の実践を行っていると主張した。しかし、親しい仲間の大多数がSGIメンバーである場合、その割合は77パーセントであった。

 トレッツ訪問の問題は、様子が違ってくる。夫婦も独身者も、ともにトレッツ訪問に関しては第一次関係からの影響をかなり受けていた。家族内や友人間にSGIメンバーが多くいる人々には、トレッツに行ったことがない者は少ない。このうちの夫婦者の場合、32パーセントが行ったことがなかった(これに対して、近親者や友人にメンバーがほとんどいない場合は、78パーセントが行ったことがなかった)。SGIメンバーである親戚や友人に囲まれている独身者の場合、23パーセントは訪問したことがなかった(これに対し、家族と友人の支援がない人々の場合は、66パーセントであった)。もちろん、トレッツ訪問は集団行動であり、人々は集団として旅行する。トレッツ研修に参加しようとする意欲は、同じ希望をもつ友人の影響によっていっそう促され、集団で行こうと決定することがよく見られる。メンバーである家族や友人に囲まれている独身のメンバーは、既婚のメンバーの場合よりも行く度合い高かった。第一次関係の影響力は、社会的レベルでの直接的な誘因として明らかに作用しているのである。

 

 

●――唱題の理論的根拠     

 

日蓮仏教の救済論的次元について述べるとすれば、題目を唱えることが個人を救済へと導く基本的な必要条件であり、本書事例に即した言葉にすれば、彼および彼女の仏界を実現する基本的な活動であると言えよう、唱題するのはそのためであり、すでに見てきたように、メンバーの大多数が毎日、そしてその多くが毎日二回唱題し、それを仏界に達するための手段であると受けとめている。しかしながら、哲学的観念が何であれ、救済とは、実際には、いくつかに分けることが可能な経験であり、その前触れや前兆、または本物の経験が断片的に実現されていくものであろう。仏教徒自身は、仏性の成就へ向かうという明快な概念があるが、また、その方途には段階があることも認めている。キリスト教における同心のダマスコ街道モデルとは異なり、それは一つの劇的な行動や意識の突然の拡大で得られるものではない。この完全な成道の達成という抽象的な概念は別として、他宗教の信者と同様に、この宗教の信者もまた、自分が選んだ救済論的な目的に向かう道筋でさまざまな功徳を得ようとする。創価学会では、そのような功徳は明確な約束の一部である。創価学会が主張する価値創造は、「美」「善」とともに「利」を実現されるべき三位一体の中に入れており、したがって、救済、すなわち仏界ヘ至る諸段階の証拠には、個人的な幸福の増大、他人とのよリよい経験、物質的財産の望みどおりの享受、そしてよい生計を立て、家族をもち、レジャーの時間を楽しむ機会を伴う安定した生活環境の達成といった事柄が含まれるのである。功徳が信仰の実践によってもたらされると、かなリ直接的に約束されている運動においては、唱題が、少なくともあるメンバーにとっては、特別に欲しいものを獲得するための実際的行動と考えられていることは驚くべきことではない。英語の機関紙では、この点について明確に述べている。「もちろん、われわれに信仰の持続を励ますために実践の実証が必要である。この理由で、たとえわれわれが特定の目標を、ある改善したいと望む具体的な手活上の領域を心に想い描いて唱題をしても、それはよいことなのである。何を目標に唱題するかは全くわれわれ自身の問題であるが、ある種の目標はわれわれ自身の向上を計るのに役に立つという意味で重要なのである」。

しかし、いかなる洗練された宗教も、つまり万能薬を機械的に唱えるだけで自動的にまたは即効的に報われるという原始的で呪術的な考えから脱却したどんな宗教も、特定の儀礼行為がもたらす物質的な功徳を保証することだけでは長く存続できないことは明らかである。進歩した宗教の特徴は、呪術的なものが倫理的なものに取って代わられている点にある。一連の儀礼的な行為、呪文、祈り、懇願などから特定の結果が生じるであろうという信念は、そのような行為と祈りとがよりいっそう広い一般化された善をもたらすであろうという観念に次第に置き換えられていく。儀礼行為がもたらす利益は、他者と向き合った個々の儀礼執行者だけが有する特典と考えられることがなくなり、信仰共同体全体またはそれを越えた世間一般に帰するものとなる。公共の善という理念が、私的な利得という理念に取って代わり、功徳の観念は特殊主義的なものではなくなる。そして「宗教」というものは明らかに「呪術」であるものを乗り越えて進歩するとともに、信仰によって得られる功徳も着実に普遍化されていくのである。こうした発展と関連して、儀礼や祈りによって成就するものは、特定の客観的な状況の変化を引き起こすことではなく、主観的な態度の変容をもたらすことであるといふ考え方もまた形成される。最終的に、祈りや儀礼を(特に共同で)行う人々がその帰結と考えられる出来事を再解釈し始め、やがて、儀礼の実行によっても目指した特定の目標が達成できなかったことを、目指した目標の成就よりも良い結果が実際は得られており、それ故に信仰の真実と恩恵が証明されたのだと再評価するようになっていく。このようにして、呪術的観念は捨て去られ、宗教的信念に取って代わられるのである。一度、特別な良い結果が期待できたとなると、次第に、いかなる結果でもそれは良いものと考えられたり、ある場合には、他のいかなる結果よりも良いものと見なされるようになる。諸々の結果は再解釈され、特定の目標の実現の失敗はある種の成功として合理化されるようになる、その結果、呪術はいかなる具体的な結果が生ずるべきかという先人観に囚われているのに対し、宗教にとって功徳とは何かという問題かより率直な疑問として残される。宗教が進化するにつれ、不都合な経験は再評価され、それはしばしば、形を使えた祝福と見なされることもある。要求された儀礼的実践を実行することは、いまや、邪な精神によ.りて企てられた弱点と見なされるか、自己中心的な観念やあらかじめ決められたシナリオを不当に吹き込まれた行為と見なされ、それは儀礼を依頼するものには魅力的かもしれないが、神の意志や摂理の命令とは調和しないもの、または日蓮仏教の場合でいえば、普遍的な法の働きと調和しないものと見なされる。

これらすべての可能性を仮定すれば、唱題の有効性が判断される基準は、必ずしも唱題する者が想い描くとおりのものとは限らない。唱題によって成就したものの、少なくともその一部は信者の状況認識の変化であるはずなので、その証拠を通常の経験科学的検査基準で考えるのは妥当ではない、多くの創価学会のメンバーは彼らの実践の呪術的な意味あいを認識し、割り引いて考えるくらいに洗練されているが、それでも依然として、以下で論証するように、唱題は特定の目的を直接的に実現しうるという豊富で多様な証言がある。そこには、唱題の実践はきわめて直接的な方法で、明白で予期したとおりの、そして全く意図どおりの結果をしばしばもたらしたという多くの確信が含まれているのである。

 われわれは、メンバーが唱題活動をどのように考えているのかをたずねた。唱題する目的は何か。SGI運動自体のためか、自分自身のためか、または他人のために唱題したのか、目標は個入的なものであったのか、諸々の結果は経験的に検討できたか、唱題の目標が達成されたかどうかを、どのように評価したのか、得られた主要な功徳は何であったか。日蓮仏教徒に対する以上の質問は、キリスト教徒に祈りについて質問するよりも、適切な問いであった。なぜなら、キリスト教の祈りよりも、唱題はこの仏教徒たちの宗教的活動の本質的な部分を構成するものであり、唱題は各人の信仰活動においてきわめて多くの時間を費やす典型的に個人的な修行でさえあるからである、何かを懇願する祈りは明確に特定できる目的に向けられているが、それにもかかわらず、これらの目的は、少なくとも共同で祈る時には、一般的な、また時には形而上学的な言葉で表現される傾向にある。また個人的になされる場合には、その願いの感情的な条件に特に関連しているであろう。平和のためや苦しむ人々のための、また病んでいる人々などへの、一般的な祈りは、神の直接的な介在を願う期待と同じように、敬虔な希望としてなされる。それらの祈りが課題となっているケースと経験的にはどんなに関係がなくとも、それについて「何かしている」という意識を与えることによって、祈る者の感情を鎮める大さな働きをしている。しかし、この仏教徒たちは物事の原因についての異なった概念と彼らの唱題の結果に関してよりプラグマティックな期待をもっている。彼らは唱題を単に敬愛な祈りと見なすだけでなく、形而上学的な秩序のなかで影響力を及ぼすものと考えている。彼らの考えによれば、唱題とは目的をもって行いうるもの、つまり宿業を変えることによって個々の具体的な結果をもたらしうるある状況へと向かわせるものである。しかしながら、こうした解釈に対する主観的な要素もある。SGIメンバーは唱題によって、よりはっきりと自分自身を自覚したり、現実に気づいたり、個人的な問題についてのより明確な見解を得られるようになると認めているが、このような理解は、唱題が物事を変え、結果をともない、具体的な結果を実現するために用いることができるという総体的な哲学的見解から逸脱しているわけではない。

 

 

――何のための唱題か

 

 数年前、イギリスのメンバーの一行が、根本の大御本尊の前で唱題するために大石寺を訪れたとき、イギリスのリーダーは「ショッピング・リスト」(願いごとリスト)を御本尊の前に持ち込まないよう忠告した。なかば冗談であったその忠告は、しかしながら、メンバーがその機会をむしろ彼ら自身の個人的問題の解決を助けたり、あるいはしばしば物質的な要求をかなえてくれる狭い意味での価値創造の機会と見なす傾向にあったことを認めるものであった。われわれは質問票への回答者に、今まで特定の目標のために唱題したことがあるかどうかたずねたが、わずか4パーセントのみが今までそうした唱題はしていないと答えたにすぎない。それでは、メンバーの96パーセントが唱題の目標としてきたものは何であったのだろうか?

 メンバーに唱題を鼓舞させた最も多い2つの目標は、仕事とより良い人間関係であり、これらの関心について語ったメンバーは各々52パーセントであった、特に求められたのは、仕事、あるいはより良い仕事を見つけることや、学業における良い結果であった。これらの問題は人間のいかなる集団でも焦点となる強い関心かもしれないが、すでに述べたように、われわれの回答者の場合は自営業者の割合がきわめて高いため、さらに強調されているかもしれない。彼らにとって仕事は、彼ら自身の努力や才能、幸運のみにそれほど頼らない人々の仕事より冒険的であるからである。グラフィック・アートや舞台芸術、工芸など特殊な技術を要する職業に従事している者が多いという事実もまた、多くの実践者に良い仕事の機会をつかみたいという願いを最重要事項として抱かせていたのであろう。

インタビューの中で頻繁に語られた、よい人間関係という、言葉で一般に表現される問題もまた、メンバーが何よりも大切に考えている関心事であった。この問題で唱題していると断言した52バーセントのメンバーの全てが、最も緊急な問題を彼らのパートナーとの関係であると見なしたわけではなく、何人かは両親や同僚との関係に関心があったが、パートナーとの関係について論及した例が最も典型的であった。かなりの割合のメンバーが正式に結婚しておらず、独身か「結婚同様の生活」をしていたので、パ―ナーとの人間関係は、実際に結婚している場合よりも、ある意味でよりデリケートであるか緊張にさらされたものであった。比較のために、キリスト教徒たちが何のために祈るのかを知りうるかぎり考察するならば、祈りの共通の目的としてよリ良い人間関係のためという言葉ではっきリと語られることは、SGIメンバーの唱題の場合よりはるかに少ないと思われる。このことは個人相互の関係についてのより明確な自覚に関係しているのであろうが、またさらに、よりよい関係を心から願って唱題するという行為自体が、人間関係は個人の態度と精神に大きく依存するのだという考えをつねに強く意識させることになり、それらの関係に影響を与えていくのであろう。人間の心の状態への関心と、人間の意識のレベルを高揚させることができるという理念とが、日蓮仏教においてはキリスト教より顕在的に追求されている。よりよい人関係、そして、おそらく特によりよい男女関係が、キリスト教徒の集団の場合よりも、この仏教徒とそのサブカルチャーにおける、より重要な関心事なのである,

これら具体的な個人的目標の中で、3番目に多く語られた唱題目標は、さまざまな物質的な功徳であり、メンバーの約45パーセントが行っていた。ここには、アパートを見つける助けとなったという直接的な物質的要求から、より一般的な種類の願望充足の追及まで、多様な目標が掲げられていた。新しい車を手に入れるために唱題する者もいれば、宝くじにあたることを祈る者もいたが、多くは単にお金が欲しいと唱題しており、中には目ざましい結果が出たと主張する者がいる。願っていた物質的功徳をもたらす唱題の力を、最も劇的に証言しているのは、44歳の男性美術教師が詳述した次のエピソードである。

 

 人は物質的なものと精神的なものを分けて考えがちですか、何かを求めれば、それが実現するということが明らかになったのです、私はまず第一にお金のために唱題しましたが、そのことに罪を感じています。「何が欲しいのか」と考えたとき、まず、家の問題を片付けるお金が欲しかったのです。よくある抵当の話です。家の増築を完成するのに、われわれには数千ポンドが必要でした。家をもう一度抵当に入れて、お金をつくるべきだったでしょうが、私は、いくつかの賭け事に参加しようと考えました。以前やったことはなかったのですが、DIYの店に行きました。そこでは、テキサス・ホームのゴールド・バーを賞品として提供していたからです・・・3回行きましたが、一度「タイ・ブレーカー」にあたり、それについて何か好きなことを言わなければなりませんでした。そして勝ったのです。そのとき妻は病気で、われわれは家を2番抵当に入れようとしていたのですが、その抵当設定を告げる子紙と、ゴールド・バーの当選通知とが同時に届いたのです。ゴールド・バーで7千ポンドを得たのです。・・・ロンドンのヒルトンホテルに行きました。休暇を一日とらなければならなかったからです。われわれはお金が欲しいと唱題し、そして得たのです。われわれは、その日その日に何が物を得るために唱題を信じている人もいることを知りましたが、唱題をすればするほど、ますます、自分と友人にとって最良の事柄のために唱題すべきであるということも、すぐに分かるようになりました。今でもごくたまに特定の物を願って唱題しますが・・・いつも実現します。

 

アパート、車、お金、仕事といったさまざまな物質的な目標の追求は、唱題を最も呪術的に利用する行為であったが、それはまた価値創造の理念を最も文字通りに解釈したものでもあり、宿業を変えるために法華経に祈ることの直接的な結果としての功徳の体験でもあった。

物質的な功徳を得るために唱題するのと同じくらい頻繁に、個人的な健康と幸福を願って噌題することをメンバーは思い立っており、それは約44パーセントを占めていた。これらのより一般化された目標は、唱題の効能に対する呪術的な態度とは異なる宗教的な態度によりいっそう近づいており、願いの具体性が欠けている点で、人間の諸環境に影響を与える超自然的な力の追求という、より倫理的な指導性に合致している、唱題という行為自体が、求められている諸々の成果を多少とも達成することもまた明らかである。もし、唱題が幸福の増進に本質的に有効であり、肉体的な健康ではなくとも、少なくとも健康的で積極的な精神的態度を鼓舞するのであれば、そうした諸結果は明らかに生まれてくるであろう。

 

 

―――変化と未来のための唱題

 

 これまで述べたすべての事柄はメンバー個人が各自で探求する目標であり、そうした目標が圧倒的に多いということは、日蓮仏教が個人主義的な志向性を強くもっている宗教であることを反映している、すなわち、人は自分自身で責任をとり、唱題は、それのみによるわけではないが、自己変革に強力な役割を果たす、御本尊を自身の人格(個性)を写し出す鏡とすることによって、自分の真のアイデンティティを実現し、宿業を克服し、現実と折り合うことができるが、これらのすべてがメンバーの心を占める重要事だとすれば、日蓮仏教がいかに自己改善と自助自立とに焦点を合わせたものであるがを示している。同じような一般的特徴は次の事実によっても理解できる、つまり、全員て題目を朗唱する集団礼拝の場合でさえ、すべてのやりとりは実践者個人と御本尊との間で行われ、実践者相互の間ではないという事実である、もちろん、すべての唱題が各自の個人的状況に向けられているのではなく、他者の幸福に向くこともある。しかし、他者の幸福という最も一般的な関心は、個人的な目標よりもずっとわずかしか報告されておらず、その報占の割合は、実際、半分以下であった。それでも、約21パーセントが他者の幸福のために唱題したことがあると断言している。他者に対する利他的な目標は、唱題する者にさらなる善意、すなわち他者の健康への祈りを生じさせている。14パーセントが、この目標のために唱題したことがあった。

 回答者の19パーセントは、本質的には個人的な他の目標、すなわち彼らの態度の変化を祈って唱題したことがあった。この目的は、幸福の追及と同様に、個人に唱題を促す動機と最も密接かつ主観的に関係していると言えよう。変化への願望があり、その目的に向けて何らかの行為をしたという事実、そしてそのような一歩を踏み出したという満足感は、それだけで、変化が生まれているのを確信させるのに十分であろう。もちろん、唱題の効果が幻想だと言おうとしているのではなく――それは、われわれが判断すべき点ではない――、この場合の手段と目的とが複雑に絡み作った性質を記録しようとしているたけである。個人が心から態度を変えたいと願ったとしても、本人の決意のみではなかなかできないものである。唱題によって目標に向けての具体的な一歩を踏み出し、そして、この行為が自己変革の達成に役に立つと確信するならば、それはまきにそのとおりになるであろう。

 さまざまな物質的功徳を望みながら、迷いからさめた一人の女性のメンバーは、「私は学校をやめたときと同じように、今の私には変化への希望はないと分かりました。唱題はすべて、私に物事をあるがままに受け入れさせるものでした」と嘆いていた。ある26歳の保母は、収入と住居を得るために唱題してきた、「私はいつも、苦しみやすすり泣き、愚痴の大きな原因である、悪い、悪い、悪い宿業と私の人間関係を変えるために唱題してきました。私は、自分自身を大切にし、慈悲のために大きな生命と他人を助けるために唱題します」。彼女は「不可能と思えたときに」、仕事と住む場所を手に入れたのであった。

これからもっと大事な問題に取り組むつもりです。最善のものは、目立たない功徳〔冥益〕です。私は、人間関係がなぜうまくいがないのが分かり始めていますし、今この問題に本気で挑戦しています。私は自分が自分をどの程度卑下していたのか分かりましたので、それを変え、魅力的で他者への共感をもてる生活を送る決意をしています。私は外向的になりつつあり、そうなれば、そこに私の本当の可能性が開けるでしょうし、環境が変わらなくとも、ほんとうの幸せといったものがあるでしょう。実践する前は、私はまったく味わいのない水のような存在でしたが、今、勇気や決心といったものを発見し自分を形成しています。・・・すみません、ちょっと話しすぎましたか。

創価学会の団体としての関心は、その発行物で頻繁に論じられているが、その論議の中心は21世紀における「広宣流布」という目標である。しかし驚いたことに、そうした目標はメンバーの唱題の目標としては強い関心の的ではなく、わずか18パーセントがSGI運動とその目的のために唱題したことがあると答えたにすぎない。これはメンバーが、社会や政治の革新、そして最終的には世界の刷新を生み出す基盤として、第一に自己変容〔人間革命〕に信頼を置いているからであろう。もしわれわれの特徴づけが正しいならば、こうした志向性は、信仰に基づく関心は個人的なものであり、団体としての成果は補助的なものに過ぎないということを、また改めて強調するものである。それはまた次のように言えるであろう。たとえばキリスト教の場合よりもはるかに強く、組織というものは真理(信仰または成道)へと促す単なる乗り物、媒介物にすぎないと見なされており、信仰のイデオロギー的中核を構成する教理や実践ほど関心の焦点や支持の対象とはなっていないということである。

 しかしながら、組織の内部構造に最も深く結びついている人々にとっては、その組織は重要な関心事の一つに違いない。高い位置にいるリーダーたちは、組織に奉仕し、何らかの集合体としての努力を推進し、そして社会的、文化的な行事に人々をまとめていくために時間とエネルギーを捧げている。これらのリーダーたちにとって、創価学会インターナショナルは、なくても済む単なる組織的な外殻というわけではない。それは、日蓮仏教自体の実践と目標と密接に結びついた、独自の生命とリズムをもったものである。運動の内部でこうした階層を構成する人々は、組織的な配置の重要性を最も鋭く認識する人々あり、また、日蓮仏教と広宣流布がこれらの組織における人間関係や諸活動に依存していることに最もよく気がついている人々である。したがって、個人がSGI内でより大きな責任職に就けはつくほど、運動の目標の推進のためにますます唱題を捧げるようになることは驚くべきことではない。反対に、組織のための特別な任務に何ら就いていない人々は、この種の目標のためには全く唱題しようとはしなかった。このことは、任務に就いていない人々の94パーセントに当てはまった。対照的に、より規則的に唱題するメンバーであるほど、彼らのうちのますます高いパーセンテ-ジの人々が運動の目標のために唱題していた。このことは、毎日唱題している人々の23パーセントに当てはまったが、最高で週3回しか唱題しない者の場合、わずか2パーセントであった。われわれがすでに評価したように、組織への深い関わりは、運動のための高い唱題率と関連しており、また親友の中に何人の仏教徒がいるがにも大きく影響されているので、仏教徒の友人の割合が増えれば増えるほど、ますます連動のために唱題するようになるのである。

 

―――唱題と自覚

 

大多数のメンバーは、物質的、感情的、精神的な、また人間関係に関する広く多様な功徳を求めて唱題していた。彼らの要求の性質と、どの程度それが実現したと彼らが認識しているかについては以下下で考察するが、唱題の効力についての問題はさておき、質問票の回答とメンバーへのインタビューから、唱題はさまざまな目標をかなえ、メンバーはその重要性を異なった仕方でさまざまに解釈していたことは明らかであった。彼らが何のために唱題したのか、そこには特定の目標が含まれていたのかたずねたとき、メンバーの反応はさまざまであった。ある一人の眼科医は次のように語った。「私は特定の事柄や短期的な目標のためには唱題しませんでした。そういったことは私にとっては意味をなさないからです、眼の手術をしていますが、それがいつも心にあるものですから、手術の成功を祈って唱題します。唱題のときに心に浮かぶものは、何であれ、それについて祈りますが、あまり特定しないようにしています」。ある精神科の看護婦も、また短期的な目標を否定した。ほんとうにたまにはそうするけど、それば「困ったときの神頼み』だと思います。というのも、何かを求めるときに祈ることは、緊急事態の時には非常電話をかけるけど、それ以外のときには救急隊のことなど考えないようなものですから」

他の人々は、多かれ少なかれ、唱題はそれ自体のためであり、特定しない功徳のためであると主張しながらも、特定の目標のためにも唱題していた。たとえば、ある35歳の独身女性教師は、「私は唱題するとき、考えないようにします。唱題に集中し、仕事で充実した一日であるように祈ります、私の学校の年配の経営者のため、彼らを支援するため、私の家族の幸福のため、・・・私が住んでいる地域のコミュニティのために唱題します。最初は、たとえば仕事や住居、家賃と食費にあてるお金といった具体的で物質的なことを願って唱題しました、・・・今は、周囲の状況を理解するためや、次のステップをどうすべきかを決めるために唱題します」と語った。

修士号をもった男性の民生委員は、次のように述べている。

私はただ唱題するために唱題します、神秘の理法に覚醒しなければならず、そのためにのみしばしば唱題します。ほかのときは、その月や週に達成したい特定の目的のために唱題しますし、その日にやらねばならないこと、・・・仕事や会合のこと、学校での娘のこと、人員削減で看護婦の仕事が脅かきれている妻のことといった具体的なことのために唱題します。また、研修会に参加している人のためとか、車のノッキング音が消えるようにとか(南無妙法蓮華経は偉大なエンシニアなのです)、屋根裏に床をどうやって張るか、あるいは銀行の借り越しをどうするかといった陳腐なことのためにも唱題します。

ただ「唱題するため」に唱題するというのは、誰でもか抱いている実践の概念ではなかった。農業大学で講師をしているる男性は、それを「唱題する動機がなければならない。ある種の目標なしには唱題できない。もし目標が・・・実現しないならば、唱題し続けるのは不可能だ」と表現した。彼や他のノンバーは、何のために唱題しているのかについて明確であった。ある女性の映像・テレビ編集者は、次のように主張した。「私はなかなかできないと思ったが、特に何かのために唱題するように言われました。実証のために唱題することは難しいと思っていたのですが、多額のお金が必要となったとき、それは避けられなくなりました。私はお金のために期限をつけて唱題しました。愚かではありましたが、他に方法がなかったのです。しかし、期限の翌日、お金が手に入ったのです。オフィスの8人が次の日、私といっしょに唱題を始めました。これは、まさに強烈な体験でした。それは物質的レベルの体験でしたが、私自身の内面では、それは異なって感じられました」。総本山の大御本尊に唱題するときは、「ションビング・リスト」をもって行かないようにと言われた一人である若い教師は「私たちは特定の目標のために唱題します、だから願っている多くのことがあります・・・最も重要なことは、自分の生活と広宣流布のために感謝をもって唱題することです。でも、人間は自分の生活のために何物かを欲するという人間的な要素というものがつねにあるものです。もし私か心から広宣流布のために実践しているならば、私の目標はきわめて自然に、落ち着くべきところに落ちつくのです」と述べた。

メンバーは一般に、物質的功徳の追及を受け入れることに何ら疑いをもっておらず、実際に、時々この信仰体系を試すためにもそうしていたが、この方法については両義的な意見が見られた。2回結婚した失業中の女性画家は、「たとえば、まともな仕事につきたいといった願いのために唱題しました、車のような物質的なもののために唱題するのには疑問がありますが、そうします。不思議な縁で、いい車が手に入りました。いい車、まともな車が欲しいし唱題しましたが、私のすべてをかけて唱題したわけではありませんでしたが、それヘと導かれました。でも、私は広宣流布のため、私と他人の利益のためにも唱題します」と述べている。環境庁に勤めている若い男性は、唱題がもつ「目標へと志向させる性質」について説明した。「当座は、私は何ものかを願って唱題します。一般的には心に何かを浮かべて唱題するのですが、時にはただ唱題のための唱題をすることもあります。現在は、自然農法関係の仕事に何とか就きたいと唱題していますし、両親の家を出てガールフレンドと引っ越したいこと、人間革命をすること、そして実践の実証としては、自分の持つ割増し賞金付き債券が高くなることなどを願って唱題しています」。他の人々の場合、唱題は今手がけている仕事に刺激を与えるために行われている。47歳のある女性秘書は「もし困難な状況が生じれば、その状況から最善の結果を得るため唱題します。たとえば、イギリス国教徒である母が14日後に来ることになっていますが、母に日蓮仏教をどう説明するか唱題します。また、金曜日には会合で教学を教えていましたが、うまくできるようにと唱題しました。息子が失業していたので、唱題するように言いました。その結果、思いもよらない仕事が見つかりました。懐疑的ですが、そこには何かがあると彼は考えています」

唱題の治療的な功徳が、その適用のすべてではないが、病気の回復を願って唱題する多くの事例が示しているのレと同じように、メンバーは特に緊急事態が発生すると唱題しようとする、自称、自然農法論者の若者は、次のように詳しく述べている.

去年の秋に一度、学校の友人とヒッピー風の一人の少女とマッシュルーム狩り――あの魔法のマッシュルーム狩に行ってきた。私は、彼女も以前にそのマッシュルームを食べたことがあると思っていた。それを食べて、みんなが愉快になったとき、突然、彼女は「何が起こるの」と聞いてきた。私はその質問に驚いたが、彼女は不安になった。彼女はマッシュルームが何をもたらすのか知らなかったのである。彼女は興奮してしまい、私たちは救急車を呼ぶ羽目になった。自分もトリップしていたんだけれど、彼女を歩かせているうちに救急車がやって来て、彼女は病院に運ばれていった。私はマッシュルームの効果を押さえながら、自分で帰りました。すべてのことがとても心配になり、唱題を始めたのです。そして、すべてがうまくいきました。・・・私はあの経験から多くのことを学びました。一つの例として、必要なときには、信仰は頭の中で「題目」を唱えることで、人を助けることができるということです。頭がきちんとするならば、環境全体もきちんとするのです。

 もちろん、それほど劇的ではない状況下においても、他人のために唱題することはある。未亡人となり、後に離婚したある女性は報告している。「私には、家族と平和のため、広宣流布のため、私が知っている病気の人々のためといった長いリストがあり、そういう事柄のために唱題しています。私は歌の教師をしていますが、発作を持った人々に話し方を教える方法を開発してきました。だから彼らのためにも、また困っている人々のためにも唱題します」

 唱題にはまた、個人の自覚を高める働きがあり、その力は唱題する際に向き合う御本尊から生じるものである。高等専門学校での職を待っているある若い女性は、どのように自覚が高まるか述べた。「実践するとき、苦しくてつらいことが脳裏に浮かびます。私は、自分の生命の恐ろしさを見るようになりました。実践は大きな負担となります。日常生活でのほんとうに多くの事柄について・・・可能なかぎりベストの仕事をすること、他者の生命を尊敬すること、仕事や家族をもち、将来の結婚の用意をすることなどのために唱題します。どんな問題のためにも唱題することができるのです。・・・そうすることで、自分自身をさらに理解するのです」。自然農法を始めようとしている若い男性は、要点をもっとはっきりとさせた。「唱題は自分の宿業を変えます。唱題すればするほど、ますます宿業が現れるようになり、抜け出すまでは、人生はまるで下り坂を下っているかのようです。もし前世で蓄えられた汚い生命が現れてくる時に信仰をやめれば、それからもその屑をもったままであり、それを乗り越えさせるものは何もないのです。信仰によって、それを乗り越えられることが分かるのです。もしやめれば、希望はありません」。若い会計事務員は、同様の脈絡で以下のことを理解した。「実践は人の性格の恐ろしい要素を引き出します。・・・それらを変えなければなりませんが、なかなか勇気がわきません。問題を抱えれば抱えるほど、唱題がいっそう困難になります。唱題すると変わっていくのを感じます。決意をなくすのと同じようなものです。・・・それでも唱題を続け、行動を起こすことで、他の人々の激励を受けながら克服していきます。落ち込んでいるとき、唱題は恐ろしいのですが、やり続けなければなりません」

御本尊の前での唱題から生じるカは、人間の生命状態を映し出す装置として繰り返し語られる。したがって、それは仏性を実現する源泉ではあるが、また個人が仏性の実現に至るまでの距離を初めてはっきりさせる効果もある。結婚生活が破綻してしまったある若い女性は、そのことを表現した。「入信したばかりのころには、・・・私は一人で唱題したものでした。他人といっしょに唱題しなければならなかったとき、問題が起こるので、やめた人々がいました。そこで、私は御本尊との良い関係を築こうとしました。そうし始めたとき、御本尊の前で挫折してしまったのです。不幸や悲しみ、内向的な態度が現れはじめました。私は、片親であることのフラストレーションと心配から解放されなければならなかったのです」

御本尊に向かっての唱題の究極的な功徳は、もちろん運動とその信奉者による決定的なメッセージである。刑務所で教えているある女性は述べている。「日蓮仏教の本質は、私自身の御本尊との関係であり、まさに私が、この深秘の法といかなる関係を形成するかにあるのです。御本尊は外的な崇拝対象ではありません。それは私たち皆が、そしてすべてのものが有する仏性の表象なのです。唱題で、私は自分自身の仏性を引き出すのです」もう一人の女性教師は、同じように語った。

私の宗教の本質は、御本尊への私の実践です。・・・それが根本であり、その他のことはそこから生じるのです。・・・私の生活の最も根本的な部分であり、創造性と知恵の源泉です。御本尊はこの力の源を私自身の内から発現させ、それを積極的に活用することを許してくれます。御本尊なしでは同じようにはできなかったでしょう。私は唱題すると霊感を強く感じ、知恵がわいてくるのが分がります。私は態度を変えることができ、積極的になれるのです。

唱題のカへの全面的な信仰と御本尊との関係を確立し維持するための実践の重要性が、メンバーが何としても実践を維持できるようにという励ましになっている。女性の映画・テレビ編集者が認めたように。「私には実践が困難でした。規律と一貫性という大きな問題があったからです。実践は自らを省みさせ、怠慢であったり消極的であるのをやめなければなりません。それは時には苦闘です。支えとは思えません。とてもつらいものです。自分の消極性とまさに格闘しなければならないのです」

 この実践をやめることの代償は、ギター教師をしていた若い男性の経験によれば、かなりのもののようであった。

私は時々唱題をやめていました。私は実践のある段階にきて、劇場でのいい仕事を見つけました。クラシック・ギターを教えましたが、生徒を獲得するために唱題したものでした。しかし、10人の生徒が見つかったとき、唱題をやめようと決めたのです。唱題は成功するための道具でしたから。私は勤行唱題の時に使う鐘と仏具を人にあげてしまい、それからバイクに乗ったのです。4時間後、目覚めたときは病院に寝かされておリ、右腕に怪我をしていました。唱題は物事を確実にするための一つの方法なのです。私は自身の生命を大事にしていますが、もし唱題していなければ、大切にできないでしょう。あの体験は私にとって大きな教訓でした。それは私を強くし、一貫性をもたせるようにしてくれたのです。

物質的な要求が満たされたなら信仰をやめようという誘惑について、ある女性教師は「私が知っているやめた人々の中には、実践を続けるのがあまりに難しいと分かってやめた人々もいるが、この信仰を即時的な欲望を満たすために利用し、一度成就したなら続けることに意味を感じなかった者が一人が二人います」と解説した。反対に、要求がかなえられなかったために実践をやめた人々もいる。ある女性のビジネス・アナリストが指摘した状況によれば、「無関心と怠慢のためにやめた人々がいます。彼らには生活をよくしようという強い欲求がありません。彼ら(彼女ら)は物質的な功徳、あるいはボーイ・フレンドのために唱題し、それがかなえられなかったら、やめるのです」

こうした事例から、単純に物質的な動機で行う人々、または個人的な利益のみを求める人々によって行われる場合でさえも、唱題が本質的に効果的であると考えられていることは明らかである。実際、ただ一度、南無妙法蓮華経と唱えただけでも良い結果を生み出す原因になると、しばしば暗に語られる。池田大作SGI会長は、「一生という長い視野に立てば、信心に基づいた祈りは必ずかなう」と強調した。明らかに、重要なのは「信心に基づいた」という言葉である。同時に彼は、「何があろうと粘り強く勤行をやり抜き、題目を唱え続けていこう」とメンバーを激励する一方、祈念は成功のための単なる形式ではないと、信仰心(信心)の大切さを強調した。「『信心」は形式や儀式とは無関係である。それは、その人の心、精神に依るのである。大切なのは、信心の確信である」。

 

 

 


 

10 唱題によって達成されたもの

 

 

 日蓮仏教の根本的活動であり信仰の焦点としての唱題は、創価学会インターナショナルの教理の要点が集約されたものである、唱題の力を信じることは、この信仰の不可欠な要素である。これは時間を要し、それ自体、何度も繰り返して行う、まさに型にはまった行為である。メンバーたちは唱題の効用を信じなければならず、さもなければ日蓮仏教徒であり続ける根拠をほとんど失なってしまうであろう。それでは一体、メンバーは唱題することによって何が達成されると信じているのであろうか。特定の目標を持って唱題しているメンバーは全体の96パーセントにあたるが、そのうち、そううした目標が達成されていないと答えたのはわずか3パーセントであった、つまり、93パーセントはそうした目標が達成されたと信じていたのである、唱題の効果は明らかである、

 しかしながら、唱題に効果があると信じていた人々の間には、当然のことながら、その認識の仕方についてのさまざまな違いがあった。呪術的でさえある、きわめて直接的な期待を持ったものも者もいた。何を目標達成として考えるかということは、明らかに本人が置かれた状況をどう解釈しているかという問題と関連しており、したがって、唱題が何らかの結果をもたらしたと確信している人たちに対して、どのようにして彼らの目標が達成されたのかをたずねてみた。

過半数にあたる約55パーセントの人たちが、祈っていたことがそのまま成就したしたと信じていた。

唱題の(あまり実体性のない精神的心理的利益とは区別される)「顕著な功徳」〔顕益)いう言葉でしばしば述べられていた、切実な願いの達成にもさまざまな形があった。ある警察のサポート・スタッフの監督官は「破産することを免れ、薬物の(麻薬中毒者更生会に出会い)使用を止めることができました」と述べ、同時にあまりはっきりとは述べなかったが、兄弟の命も救われた主張している。

すでに記したとおり、お金や仕事、昇進や住居の獲得や個人的な人間関係の改善などはしばしば語られたことである。

大学で文学の講師をするある女性は、経済的な援助を祈っていたが、3000ポンドの贈与を受けたという。

金細工師である23歳のある女性は「関係者すべてのために、速やかで、容易で、誰も傷つくことのないような離婚ができるように、また木曜日までに銀行口座に、3000ポンド入るように」祈っていた。そうして起こったことは「担当していた事務弁護士から結婚証明書が法律的に有効でないことを発見しました、また、父が電話をかけてきて早めのクリスマスプレゼントとしていくらかお金を贈ろうと思っているんだというのです、さらには、おばあちゃんから翌日の郵便で小切手をもらい、あげくは私の仕事から賃金といっしょに3000ポントの臨時ボーナスもらったのです(これらすべてか木曜日までに起こったのです)と語った。つまリこの例のように、一般的な経済的問題、職業上の問題、住環境に関する目標などと同じく非常に具体的な心要性が、唱題をする対象となってきたのである。

同様にフリーの市場調査員をしている女性は「一度で自動車免許を合格すること、両親や姉を憎まないようになれること、自分の家を持つこと、タバコをやめること」を祈って唱題した。そして、結果として「神経質にならずに自動車免許を一度でパスすることができたし、タバコもやめました。亡き両親と姉に感謝の題目を唱えることで、姉との間にすばらしい絆を作ることかできました。私の両親はすでに生まれ変わっていて、幸せに暮らし、お題目もあげていると確信してます。私も今ではきれいな自分の家も手に入れました」と。

ある女性の年全受給者は唱題する際の目標を次のように列挙してくれた。

1、継父の健康回復のため。2、自殺をしそうなある友人のため。3、人生の伴侶を見つけられるように。4、自分の健康。5、寝室・居間兼用のみすぼらしい貸家に代えて、きれいな家を持つこと。6、雌の黒ペキニーズ、買うと3000ポンドかかるのですが、以前飼っていたペキニ-ズが死んだとき、とても傷つき悲しかったのです。唱題の結果としては、まず1について、彼は回復しました。2について、友人は自殺しようと試みたのですがすぐに先見され・・・今では回復しています。3について、これはまだです。4について、治癒しました。5につい、こぎれいな家を手に入れ、家具を備え付けるのに十分な資金も得ました、6について、3ヵ月かかリましたが、交配の終わった雌で、飼い主が新しい飼い主をさがしていたので、ただた"ったのです。さらにはその育て主との友好も深まリ、しばしば家にやってきては犬たちと戯れています。

大卒で芸術家の、労働党議員である男性は「私自身の政治的目標を達成るため、また個展を開き、絵も売れるようにまた画商と画廊がつくように。自分の成長の可能性を実現するため、また、人々が成仏できるように」題目を上げていた。彼は、「強力な多数派を制して」地方議員なり、「ある有名なドイツ美術のギャラリーで展覧会を開くこともでき、ここ数年内に売った以上に多くの絵画を売ることもできました。自分の画廊はまだですが画商を得ることはてきました」と語った。

メンバーたちの主張には、長期間にわたって劇的な結果を得たというものから、束の間のできごとのような体験までさまざまである。前者の例として、歌の教師をしながらオペラ歌手を目指している女性がいる。何か特定の目標を持って唱題をしているのがたずねた際、彼女は「はい.第1に、長いあいだこじれたままになっている人間関係の問題を解決し、それを何らかの価値のあるものにできるように祈っていました。2番目に、5年以内に(何の知識や経験ももたず始めたのですが)オペラ歌手になることです」と答えた。そして、それらの願いいは上実現Lたのであろうか。

 はい。1番目について、関係は完全に改善して、いまではお互いにもっとも大切な友人となっています。私たちにとっては仲違いしていたことも意味のあったことだと思います。いまでは彼も題目を上げるようになったんです! 2番目について、トレーニングを1995年に始め、楽譜の読み方を学び、イタリア語、フランス語、ドイツ語で歌えるように練習したのですが、今ではオペラ歌手としての仕事を始めるまでになりました。先生たちも、私がこんな短期間に声楽の成長を見せたことに驚いています。また資会の面でも、私が研究を続けることかできるようにと、周囲の人々から、毎日、信じられないような援助を受けています。なかには3年に渡るレッスン料に匹敵する6000ポンドもの援助もありました。私がこうしたことを成し遂げてこられたのは、御本尊に対する信仰の実践の結果であると、疑いなく言い切ることかでききます。

対照的に、フリーランスのヘア・ドレッサーは次のように詳述した。

私が破産し、お金が全然なかった時、最初の私の目標は7杯のビールがタダで飲めるハブでのくじに当選することでした。私には本当にそれが必要だったのです。私は一生懸命に唱題をし、そして七回目に引き当てました。他に当選した者は誰もいませんでした。このことは重要な第一歩でした。私の最初の体験なのです。その後すぐに、私は銀行に残っていた最後の40ポンドで自分の家に仏壇を安置しました、私はこれ以上困窮しないように、そし御本尊に私の人生をゆだねますと祈って唱題をしました。一週間後、私は貸した覚えのないし700ポンドの小切手を郵便で受け取ったのです。

重要な功徳が、外部の観察者には些細なことと思われる偶発的なエヒソードとともにしばしは語られたが、そうした体験のいずれもメンバーたちにはただちにこの実践の有効性を示す証拠であると見なされているようであった。地域のダンス・プロジェクトを経営している女性ダンス教師は、自分の具体的な目標を次のように列挙した。

1、十分な収入の増大。2、突然私のもとを去ってしまった恋人との和解、3、個人的生活、特につらく長い結婚生活の解決。4、シーズン中で混んでいても近いうちにりゾート地へ行く飛行機と宿泊の手配ができること。その結果として、まず1について、私は(他の応募者たちよりもわずかな資格しか持っていなかったのにもかがわらず)4倍の収入になる新しい仕事を手に入れました。3について、私と夫との関係はとてもよくなり、恐らく私たちは別れるでしょうが、もはや言い争うこともなく、お互いをとても尊重しあっています、2について、私の恋人は帰ってきました。私たちの感情は変わってはいませんでしたが、私はもはや不誠実な関係を続けるつもりはありませんでした。私たちはもうつきあうことはありませんが、改めてよい友達になり、このことで私はもう2度と苦しめられることはなくなったのです。4について、多くの旅行合杜からとても無理だと言われましたが希望した日の飛行機の座席を2つ手に入れ、きらに割安の料金で私たち2人は6日間、別荘を借りることができたのです。

いくぶん低い割合であったが、回答者の中には、唱題の効果による利益をあまり大きく主張せず、彼らの目標には成就したものも、しなかったものもあったと考えているか、あるいは彼らの目標はまだ成就してはいないが、はっきりとした進展の兆しがあると信じている者もいた。標本全体の約5パーセントにあたるごく少数の者は、自分の目標がどのような仕方で実現したか明らかにしておらず、12バーセントは、彼らの目論見どおりの仕方で目標が達成したのではなく、唱題が彼らの目標に付する態度に変化を及ぼす過程があったこと、あるいは彼らに自分の目標を変える必要があると理解させたという認識を持っていた。

 

 

―――予期せぬ方法と変化した目標

 

唱題をして願った目標が期待したどおりには実現しなかったと報告したメンバーの何人かは、それにもかかわらずその経験を肯定的に考えていた。ある22歳の公務員は次のように記した、「私はミュージシャンとしての成功や、奔放でエキサイティングな性生活やその他の似たような欲望に方向づけられた物事のために、唱題をしていました。このように書くと、私は単なる物質主義者かもしれませんね。私はまた、尊敬や感謝を学ぶことで、自分の両親との入間関係を改善したいと唱題しましたし、私の友人が唱題を始めるようにとしばしば祈っていたのです」と。これらの目標が達成したかという問いには次のように記された。「私の期待していたとおりにはならなかったというのが簡単な答えです。私の考えでは、物事が計画どおりにいかなかった時でさえ、私は何かを成し遂げているのです。私の限られた頭脳では宇宙のリズムである広宣流布を推進する上で何が正しい事なのかわかるはずがないということを認めようではありませんか。私はすでにミュージシャンとしての福運をある程度積み、私の兄弟や何人かの友人たちは唱題を始め、そして両親は時には人間的に見えます。これからどうなるか報告し続けます」

もう一人の大学卒の男性アーティストは、唱題の同じような結果を認めていた。結果は期待とは違っていたが、それらは唱題によるものだということを彼は疑っていなかった。彼は「仏教徒としての活動目標の達成から、友人の幸福や、重大な意志決定までの全てのこと」を唱題しながら祈っており、次のように続けた。

 私の祈っていた全てのことが実現したか、たとえ非常にゆっくりとではあっても変化しはじめています。・・・このような目標はめったに計画や期待通りにはいきませんが、私が到達したいと願っていた所に最後にはたどり着くか、全く期待もしていなかった功徳を得ていたのです。それはある意味で、バスでどこかへ旅行した者が一連の異常な出来事によって、結局は(より快適で値段も同じな)列車で同じ所へたどりつくようなものです。あるいは、全てを失ってしまったかのような状況の中にいる自分を発見した者が、自分の態度を再評価した後に、この「困難な」状況こそが、すばらしい報償へ真っ直ぐに導いてくれるということを発見するようなものです。

 当初は、願っていた目標とズレていると思われたことに対し、同じように満足しているという報告が、安定したレスビアンの生活を送っているある大卒の女性工芸技術者からもなされている。彼女の目標は「第1に、生命の永遠性を理解し経験すること。第2に、充実したレズビアン関係を唯立すること。第3に、他者に役立つような慈悲の心が発達すること。そして第4に、経済的安定を確立すること」であった。そして次のことを成就した。「1について。とても言葉にはできない自由と喜びの経験。2について。イエス。最初に考えていた人とは全く違う人とですが。3について。母親が安らかに臨終するのに役立つことができました。4について。私の全く予想していなかった方法で経済的な安定を得ました。以上のことは全て長期的な目標でしたから、達成にはある程度の時間がかかりました。…-必ずしも最初に望んでいた方法によってではありませんが、唱題の結果は常に、関わっている全ての人々により良い方法で実現するのです」と。2つの学位を持ち、現在はパーマカルチャー・デザインを専攻する学生である33歳のある母親は、自らを「グリーン・アナーキスト〔環境無政府主義者〕」であると語っていたが、お金が入るよう唱題して500ポンドを贈られたことがあった。彼女はすでに実現したさまざまな目標は「私の思考能力を超える全く違ったやり方で実現しました。唱題をすることで物事を成り行きに任せ、私は結果をコントロールしようとしなくなりました。そうすると事態は驚くべき、かつ思ってもみなかった方法で解決していくのです。人間関係が変化したり、予想もしないところから支援がきたり、思いもよらない機会が実現したりするのです」と語った。

 目標の実現方法が、全く予期しないものであっただけではなく、それらの目標自体も、唱題の結果として再検討されていくのである。メンバーたちは、唱題は自覚を高め、それゆえに最も価値のあると思っていた夢や目的が、結果的に望ましくないものと認識される時もあると信じている。ある24歳の臨時雇いの事務員は、彼女が祈っていた(車や仕事や健康などの)目標のほとんどは実現したが、実現しなかったものは私の人生や私自身に適したものではないことが分かりました」と語った。同じ再解釈は、ケンブリッジ大学の学位を持つ、投資銀行のある女性行員によってもなされていた。彼女の多くの目標の大部分はすでに実現していたが、「それは私の決意や信仰によるものです。もちろん本当は幸せのためにはならないことを祈っていたら、たいていその願いは実現しないか期待した通りにはならないでしょう。後になって、求めていたことが実現しなかった理由を理解し、幸せになるために本当に必要なものを手に入れるでしょう。私たちが望むことと、幸せになるために本当に必要なこととの間には違いがあり、唱題はこのことを理解し、必要なことを達成するのに役立つのです」と語った。

 時には、予期せぬ結果は、達成しようとしていた特定の目標の失敗を埋め合わせることになるという考えによって、失望を乗り越えることがある。女装キャバレーの舞台芸人の31歳の男性は、「私の母と父がフットボール賭博に勝つように祈っていたが負けてしまった。だけど私の義理の妹が妊娠したのです。そのことは両親にとっては本当に良かったのです。なぜなち、妹も私、同性愛者だったので、弟の奥さんだけが、私の両親に孫の顔を見せることの出来そうな唯一の人だったから」と語った。同様の論理で、「3年ものあいだ、昔のボーイ・フレンドが帰ってくるようにと祈っていた」あるフリーランスのファッション・ジャーナリストは、「彼は戻っできませんでしたが、今は、そのことで傷つくこともなく、もう苦しい思いをすることもありません」と語った。

 小学校教師をしているある女性は、次のことのために唱題をしていた。「第1に、夫が戻ってくるように。第2に、瀕死の状態にあった父の回復。第3に、イギリス創価学会が参加していた大事なコミュニティ・イベントが、その時は雨が降っていたのですが晴天で迎えられるように」と彼女は自分の目標は達成されたと考えていた。

 けれども、それは私の予期していたのとは全く違ったやり方によってでした。1について。実際には、私は夫とやり直すことは最善の道ではないことを理解し、私たちは今離婚手統きをしているところです。しかし、私はこれが一番良いことで、それに対処することができることに幸せを感じています。2について。私の父は回復しませんでしたが、父の死に方や私たちが経験した親密さなどの全ては、『良いこと」でした。一年が経っていますが、私は父を失ってしまったとは思っていません。もしもこの信心がながったとしたら、そしてもし私が10年前と同じ人間であったら、私はこれらの2つの経験にどのように対処できたのが想像もつきません。3について。まさに私たちが勤行を終えたとたん、雨は止みました。

 大学の演劇科を卒業した失業中のある女性は、たとえ彼女の祈っていた目標が「いつも全く期待していなかったやり方で実現したとしても」、それにもかかわらず、彼女は目標は実現したと、次のようはに確信していた。「それはまるで責任逃れのようですが、たとえば、私は、両親の入信や、人間関係上の問題として誰が私のパートナーであるかを『確認すること』などのいくつかの特定の目標に失敗しました。しかし、私はこの論理的な矛盾にもかかわらず、努力と決意を維持することができました。私はいつも満足しています。物事は良くなっていますし、そして最も大事なことに、どのような分野に取り組んでいようとも、幸せになるために本当に必要なことを感じ取ることができるのです。それが自分の目標に向かい続けるように励ますのです」と語った。大卒で失業中の23歳のほかの女性は、彼女の目標には達成されたものもあったし、そうでないものもあり、「そのことは、私に、人全ては偶然の一致に基づいて起こりうる(物事は唱題の結果ではなく、偶然の一致の結果として起こること)という結論をもたらした」と感じていた。それは熱心なメンバーとしてはとてもまれな結論である。

 少数の回答者は次のようなことを記していた。彼らがまだ自分のさまざまな目標をかかげて唱題しているか、あることを願って唱題したが、実際には他のことが達成され、それを自分の唱題の結果であると見なしている。あるいは、彼らが自分の目標を達成したのは、ただ唱題によってのみではなく、他の手段も取り入れだからである、と。唱題によってさまざまな願いがかなったと主張する花屋を営むある女性は次のよう表現していた、「これは長くなるので、質問票の限られたスペースに軽々しく、あるいはおまじないのように聞こえないように書くことは難しいです」それは人生の他のものと同じように努力すべきもので、その点で唱題は私にとって大きな『特別賞与」なのです」と。長年のあいだ躁鬱病を患っていたある者にとっては、直接的な治癒よりも、むしろ正しい診断を得たことが功徳であった。「三年前、実際に私は診察と適切な治療を受けました。私はまだ、予防用の薬を服用していますが、私は躁鬱病から劇的に回復しました」と。シナリオ作家である、33歳のある男性は、破産し借金に苦しめられていた頃、経済的安定、父親との良い人間関係(借金を返済したらすぐに)大石寺を訪問すること、そしてプロの作家になることなどを祈りていた、彼は父親との関係を修復することができ、そして「リストに挙げた他の目標の全てが、それらを実現するための加恵と勇気を得るために御本尊へ噌題することによって実現したのです。それにはしばらく時間がかかり、なかには数年かかったものもあリます。だから、魔術などではありません」。教師をしているある男性は、20代の頃に自分の目標が、一般的にいって「自分が予期しなかった方法はで実現した。つまり、こういうことです。私は特定の目標に対して唱題し、さらにその達成に役立ちそうなどのような行動でもとろうとしました」。

 

 

―――健康と人間関係に対する目標

 

 以上のような妥協やすりかえ、あるいは唱題に帰せられた結果は他の手段を使って容易に達成されたとする、きわめてわずかな割合によって示された認識とは対照的に、同答者のほほ87パーセントは唱題が彼らの個人的な目標を実現させる確がな方途であることに信頼をおいていた。残りの人々は、唱題を目標達成へのある間接的な方法であると考えていた、彼らの哲学によれば、客観的目標は、ありる程度主観的な性質によると考えられている、二つの特別な関心事が存在した、健康と人間関係に関する問題がそれである。当然のことながら、個々の実践者自身のものであれ、家族や友人のものであれ、個人の健康は多くの人々にとって重大な関心の的であり、メンバーのうちの多くが唱題によって病気が治ったと証言した。ただし、その全てが心理学的な性格を持つ事例というわけではなかった。一方で、憂鬱症がいくつかの例であげられれば、他方では喘息や湿疹が、そして少なくとも6人の回答者が完全にあるいは部分的に癌を治癒したと主張し5人の癲癇、その他リューマチ性関節炎、肺腫瘍、多発性硬化症、さまざまな薬物依存症やアルコール中毒などがあった。

 修士号を持つある女性公務員は「自分の健康の回復と憂鬱症や自殺傾向に打ち勝つために唱題を」し、そして「今では健康を取り戻し、憂鬱症を完全に克服し」ていた。70歳に近いある未亡人は、「9年前の肝臓癌を含めて、手術不可能な癌を3回経験しました。文字通り命をかけて唱題しました。3ヵ月後、腫瘍は消えていました」と語った。最近グリーティング・カードのデザイナーとしてして自立したある女性教師は「アルコiル中毒から逃れるために唱題をしました。それには時間と沢山の題目が必要でしたが、完全ではありませんが克服しました。私は子宮内膜症(不妊の原因なる病気)を患っていましたが、他にも子供が欲しかったので唱題をしていました。それもまた実現したのです」と。語った。ある大工は、「ひどく患い、動くこともできず、老衰しつつある91歳になる年老いた母機の健康と安らぎ」を求めて唱題し、「今では彼女は頭がさえ、週毎により元気になりている」と語ったりある総支配人は、「深くかつ意義のある生活を共にしていたゲイ関係にあったパートナーが(生きている間)ひどい衰弱性の病―彼はエイズと診断されていました―に対処できるように」と唱題をしていた。そして彼は「私のパートナ―は生命を脅かす病と精一杯闘って生きる、心神的にきわめて有効な力を発現し、死ぬ間際まで他をうらやむこともなく、やり残したという悔いもなく、とても幸紬そうに死んでいった」ことを報告した。

 とりわけ夫やパートナーとの人間関係上の問題は、唱題の目標として健康上の問題よりもより一般的でさえあった。行楽期に夏休みの仕事を得たある女性は「結婚当初のように、私の結婚生活に愛と友情とが再び甦るようにと唱題をし」ていた。そして「それは私の生活に蘇りました.、脇に追いやり、当たり前のものと見なしていた深い愛情がよみがえったのです。結婚後19年、今、私の結婚生活は、今までで一番幸福です」と語った。60歳を越えるある女性アーティストは、ほかのことといっしょに、「人生で出会ったある男性」について唱題していた。彼女はこう付け加えた。「私が16歳の時に出会ったその男性はアメリカ人で、1年後には再び会うことも噂を聞くこともなくなっていました。私が彼について唱題を始めると、40年も経っているのに、突然彼から手紙がきたのです。私は私たちがいっしょになれるように唱題をしました(彼はカリフォルニアに住むお金のないアメりカ人だったのです)。唱題を始めてから1年後、私たちはサン紙のチラ・ブラックという番組によって面会を果たしました。〔この信仰から得た功徳として〕書くことがありすぎて何から書くべきか分からないくらいです」。内科医の受付けをしているある女性は、「しばしば物質的な事柄について唱題をしていましたが、最も大きな功徳は、調和のとれた円満な結婚生活を創リ上げることと私の父親に対する憎しみと恐れに打ち勝つことを祈ってきたこと」だった。彼女と彼女の夫は「同じ人生の使命に立ち向かわなければならないことと、お互いに自分自身について責任があるということの2つを理解するようになりました。私は暴力的な人間であった私の父親への恐れと憎しみを克服し、徐々に父娘関係を創り上げることができたのです」

 唱題によって悲劇的な状況でさえ、時にそれを補って余りあるものとなっていた。コミュニティ・ワーカーのある女性は「本当に死んでしまえばよいと望んでいた、私に離婚という辛い時期を経験させた前夫の幸福を祈ること」が自分の目標であると記していた。彼女は彼女の唱題によって次のような状況になったと信じていた。「前夫と私はよい人間関係を楽しみ、彼の恋人私はとても親しくなり、私の娘と彼女の息子はとてもよい友達になったのです、私の娘は、前夫の恋人の息子のGと出会ったことをとても喜んでおり、私たちが離婚しなければこのことは起こらなかったのです」。

今ある人間関係の修復や再建と同じくらいに、新しい人間関係への期待もメンバーたちの関心事である(訪問販売をする)パーティ・プランの女性マネージャーは、「広宣流布という人生の目標を分かち合い、そして失敗した結婚(もちろんそれは私が悪かったのだと思っています)の後、自分を尊敬できるように」と唱題をしていた。後に彼女は「私を愛し、私の全てを受け入れてくれる男性と結婚(そんなことができるとは思わなかった)している,ある女性の事務弁護上は、唱題によって「悪い人間関係を続けることはないという答えを掴みました。・・・私は今、誰が私の広宣流布のパートナーであるのかを来年中に知ることができるように唱題をしているところ」だった。

 

 

―――唱題の主観的効果

 

 自分の態度を変える必要があるという認識は、多くのメンバーたちが主張した唱題による顕皆でない功徳〔冥益〕においても強調されていた、ある女性事務弁護士は、「自分の怒りを理解するようになりました。・・・私と問題を起こしたことのある人々に何かひどい出来事が起こるように唱題していました。ところが、彼らに対する私の態度は変化しました。『ひどい』出来事は起こらなかったのです!」と語った。「自分が憎んでいた人に対して平静で寛容でいられるように」祈っていた女子学生は、「彼のために祈るのを自分に強いることで、実際私は苦しかったけれど、それが人を憎むことによる自分の苦しみを止める唯一の方法であることを知ったのです。いろいろなことがまだ完壁に解決してはいませんが、私はもう憎しみによって私自身を傷つけることはありません」と告白した。

 公務員である別の女性は唱題によって、「自分の不幸な子供のころを理解し始め・・・〔そして〕また私が対処するのに苦しんでいた職場の人間関係の問題についても唱題を行って」いた。彼女は次のように付け加えた。

唱題によって、今では宿業について理解しています。つまり、私の両親のもとに生まれること自分が選んだのだということや、アルコール中毒であった父がどんなに苦しんだのかを理解しているのです。父が属し、父が育った環境について、そして父はできる最大のことを私にしてくれたのだということを今では理解しています。そして私は今では愛と尊敬とともに彼のことを考えるようになりました。(父は私が十代のときに亡くなっており、私は、私のみならず母や弟や妹にも苦労をかけていたことで、いつも彼を憎んでいました。)今では私は一日に一回、彼のためには特別に祈り、仕事の上の問題も約一年間苦闘した末に解決しています。私は本当に私の嫌っていた同僚のことを考えられるように祈っていました。それは本当に実現して状況は全く好転し、今では喜びをもって出勤しています。

 科学資料館の営業部長である女性は、仕事や収入に対して再び挑戦してゆく意欲を得ているが、今では彼女の態度は以前と比べて次のように違っている。「変化を達成するためにしなければならないことは不平をいうことによって時間を無駄にすることではなく(不平をいうこと自体と戦わなければならないけれど)根本的な次元からそれに取りかかることなのです」。運動により積極的に参加していたメンバーとより消極的であったメンバーとのあいだには、唱題と目標達成とのつながりなりについての考え方に大きな違いはないが、唱題の効果について疑っていた者も認められた。運動のための奉仕活動に携わっておらず、また職も持たず、相対的にいってほとんど(多くて週3回しか)実践を行ってないそれらのメンバーたちは、特定の目的の達成に唱題が効果的であるとする理念に対してして、最も懐疑的あるいは否定的な人々であった。もちろんわれわれはそのような相関関係から、懐疑主義がそれ自体、目標が達成しなかったことによるのか、あるいは懐疑的であったたから唱題のためにほとんど時間を割かなかったのかを決定することはできない、けれども御本尊を部分的、あるいは全く信じていないということは、唱題に怠惰であることやその運動に深く参加していないことの両方に原因しているということがいえるであろう。

 たとえ特定の目標の実現可能性について彼らがどのように考えていようとも、SGIのきわめて大多数の者があらゆる種類のいわゆる冥益を生み出す力として唱題を考えていたのである。唱題は彼らの信仰や、彼らがはっきりと献身している活動や、彼らの仏教徒としてのアイデンティティを引き出し、またさらに個人としてのアイデンティティを主張するための言動力なのである。その場合に、精神的かつ心理学的な功徳を彼らはどのように表現する傾向があるのだろうか? 彼らは、ぼとんとがそれぞれ同義であるか、容易に一致するきわめて多様な用語を使用してい。約39パーセントが功徳を、自己コントロール、自己決定、自己改善、自らの人生を引き受ける能カ、問題を扱う能力などの用語に加えて、自信、勇気、強さ、安定性、自尊心の増大として理解していた。

 このような客観的な変化はある44歳の美術教師によって、次のようにうまく表現されていた。「私が気づいたのは、もしあなたがある期間信仰に献身したなら、他の人々が気がつくような何かがあなたにも起こるということです。それは学校の子供たちが『最高」とが「幸せ」とかあなたに言ってくることです。彼らはそれを感じているのです。あなたが真剣な唱題をたくさん行ったなら、・・・おそらく2,3日がかるでしょうが・・・…唱題を行うほど、人々や状況に対して審判を下さなくなるのです。自分の内部で何が起こっているのかは分かりませんが、公平で私心がなくなります。成長が加速され、昨夜の自分より大きな人間になっていることを感じます。自信、自己コントロール、責任の感覚などのテーマは繰り返し述べられた。22歳の行政事務の公務員は次のように書いた。「私はほとんどの人に対してもっと寛容になっていた。扱いにくい事柄に対して怒りを感じたり責任逃れの行動をとらなくなり、より安定した人間になったと何人かの人は指摘している。明らかに私は、かつてなかったほど私の生活を刺激的なものと考えるようになった。仏法は私に、もし人生を楽しみたいと本当に望むならば、人生としっかり取り組まなければならないということを示してくれたのです。このことはもはや私を恐れで満たすことはく、全く反対のもので満たしています」と。

 二度の離婚経験を持つ50歳のアメリカ人のバンドリーダーは次のように詳しく語った。

信仰を実践することの功徳は幸福になることであり、自分の生命が、そして同じように他の人々の生命も一大秘法であるということを自覚することです。自らの生命をコントロールできると信じること、そしてすべての生命を尊敬できるようになることなのです。私は私をトラブルに巻き込んだ欲望をコントロールすることを学びました。私は自分の欲望を追求してきましたが、もしもそれらの欲望が私や他人に対して何の価値も生み出さないならば、それは良くないことなのです。欲望は私の欠点で、私には女性に対する情愛が深いという性的な宿業があるのです、しかしこの信仰の実践によって、多くの機会があったにもかかわらず、私はそれをコントロールできるようになりました。私は私の人生のこの大きな変化は何なのだろうかと問いました(それらの欲望それ自体は悪いことではなく、それらは宿業なのです)。このように私は宿業を仏界の生命へと.転換することができました。またそれは年をとったことや異性と出会う機会がなかったことの結果などではありません。この信仰の実践によって今私は欲望をうまく扱うことができるのです。

ミュージカルの仕事に携わっている36歳の女性は、彼女の信仰実践の功徳を「なぜ、私が人生で困難を経験してきたのかという理由についての考え方が全く変わリったことです。たとえば自分の行いの責任は自分がとらなければならないと考えるようになりました。この信仰は、どこで私が間違ったのかをはっきりと理解するために確実に役立ち、より苦痛の少ない方向へ変化することを可能にしたのです」と考えていた。また32歳の男性のダンサーも「責任感が大きくなると…自己コントロールも強くなります。私は自分自身や他人のことなど考えずに、実に享楽主義的な生活を送っていたのです」と強調し、「麻薬を使うこと、憂鬱感、自己蔑視などの自己破壊的な仰向に気づき、それらと戦う方法である力」を獲得したと付け加えた。

以上の事例によって描かれたような大部分のメンバーたちにとって、明らかに唱題は単なる表出的な行為以上のものである。それは感謝や尊敬や献身を表現する慣習的な意味での単なる崇拝の行為ではない。その行為は、御本尊との対面行為以上のものとしてとらえられており、客観的に観察が可能であるような力を解き放つものである。熱心な信者たちにとって、それは敬意の表現であるとともに一種の療法であった。それは生まれながらにして持つ権利を主張し、潜在能力を引き出し、そして至高の力あるいは宇宙作用の一部となる方法であった。人間の依存性を主張することや神頼みとは正反対のものであり、断固とした、そして自己生成的なものであると主張される力なのである。

SGIへ入会した者のすべてが、唱題の治癒的な功徳を証明できるわけではないとは予想した通りであり、あらゆる宗教体系の場合と同じようにSGIの場合にも、回答者をメンバー・リストから選んだのではあるが、この信仰への反対の声があった。回答者たちのうち7名が、何らかの理由でメンバーをやめており、(全部ではないが)そのほとんどの者が唱題もやめてしまったと記していた。やめてしまったある男子学生は「信心してから、自分の環境をコントロールすることかできるという信念を失ってしまった」ことがやめた理由であると言明した。彼の「異性メンバーと幸せな関係を得ること」という唱題の目的は実現しなかったが、彼はそれが唱題をやめてしまった理由であるかどうかについてはハッキリと記してはいなかった。ある退職した看護婦は、信仰をやめてしまったにもかかわらず、彼女の以前の信仰実践によって精力的になったり、思考が明晰になったりして率直に自分を語れるように強くなったなどのさまざまな功徳を証言していた。彼女の夫は唱題を批判していたのだが、夫や子供との関係を改善することができた。信仰実践を全くやめてしまったある40歳の男性教師は、主要な功徳は「りラックスすること」であり、また最初の魅力は単に「ある集団に属すること」であったと考えていた。ある映写技師は単に(日本人である)妻の機嫌をとるため」にSGIに加人していた。ある50歳の装飾兼建築業者はまだ週に1,2度は唱題をおこなっていたが、もはや自分をメンバーであるとは考えていなかった。希望ということが彼にとって魅力的であリ、また憂鬱感に打ち勝つために唱題していたが、彼はそれを達成することがなかった。

信仰をやめてしまったメンバーのなかで最も、辛辣であったのはある若い女性の法科学生であり、彼女は自分の経験に基づいて、唱題には功徳があるという理念を否定していた。彼女は次のように書いている。

日蓮正宗についての私の経験には私が最初望んでいたような実際上の功徳はまったくあリませんでした。残念ですが、実際に実現などしない組織のマーケティング・イメージに私がだまされたのだと考えています。・・・それが私の役にたつと確信をもっていなかったら良かったのにと思っています。実践を始めてから同じような影響を経験した他のノンバーを見てきたので、私はこの信仰がすべての人に適しているとは思いません。・・・その影響は破壊的なもので実践を始めるとただちに私を襲いました。だから私はある仏教徒たちがいうように「偶然なこと」だとは思っていません。私は悪夢のような性質の健康上の問題に陥り、精神的健康を害しついには最悪の状態になりました。私はかなりの不眠症といっしょに恐慌状態と妄想に襲われたので、精神的健康の問題を治すことができませんでした、病状は全く仕事のできない状態にまで進み、私は仕事を締めました。私の苦痛を知った他の人々は唱題の結果として私が病気になったと考えました。彼らは私にやめるようにいいました(彼らは仏教徒ではありませんでした)。仏教徒たちは私に続けるようにいい、じきに良くなるといいました、輪廻転生についての彼らの信仰によると、私には、「前世」からずっと背負ってきた償わなければならない特に重い宿業があるということでした。たとえその通りであるとしも、前世についてどんな証拠があるというのでしょう?誰もそれを証明することなどできません。それは、私の経験してきたストレスを、他の技術、たとえは今実践している超越瞑想ほどには、和らげてくれるとは感じられませんでした。また、とりわけ、私がいくつかの重要なことを信仰実践のために犠牲にしていたことが分かったので、それが忙しい生活様式にとってはあまりにも時間がかかりすぎ、実際的ではないということもまた分かりました。・・・私が何を経験していたのかを理解できなかった他の仏教徒たちからは、十分な支援も手助けもありませんでした。この信仰が私にとってまったく役に立たないと感じた時、やめるべきだと思ったなら、実践をやめるべきだと彼らは勧めませんでした。また、私は古いいメンバーの多くのアプローチは狂信的で強情であると考えました。結局、私はすべての時間をそれにあてる単なる機械になってしまい、中道はないようでした。私はその組織が、組織の人々が私たちに信じ込ませようとしていたほど有益なものであるとは思いません。他の人々にとっては実際にそれは有益に機能しているのでしょうか、情緒的に悪化し、私が経験したような(生活上の混乱などの)問題で傷ついている人々がいることを私は知っています。私はただうまくつきあっている人たちの一員でありたいと思っただけなのです。結局のところ、抜け出すために助けが必要でした。・・・私は「洗脳」にのめり込んでしまい、それなしにはどうすることもできないと感じていました。中毒のようなものになっていました。私の性質は唱題によって与えられる刺激に対処するにはあまりにも神経質すぎると言ってくれた仲介者に助けられました。私はもともと心霊力が強く、仏教によってさらに過敏にな.リてしまったのです。

それは私には必要のないものでした、また、私は狂信が嫌いでしたし、信仰を始めた頃に必要以上に多く唱題をするよう励ますために何人かのメンバーが使っていた強制的な要素や策略が嫌いでした。このように私が直面した問題を経験した人々が他にもおり、その多くは副作用により、わずかな期問で実践をやめています。ある意味では、「洗脳」テクニックを使うカルト宗教に似通ったところがありました。

このような否定的な反応はメンバーたちのあいだでは明らかにまれな事例であるが、たとえこの事例において、唱題の効果が大多数の者たちとは対照的に有害なものと考えられていたとしても、こうした評価は同時に唱題が客観的な帰結をもたらすと理解されていたことを示すものでもあった。客観的帰結をほとんど主張せず、あるいはより客観的ではない帰結(それらはすべて有益なものであった)を主張したほぼ20パーセントにのぼる他のメンバーたちは、彼らの体験に関するより主観主義的な解釈を強調した。能力の変化をあまり主張せず、彼らは唱題を態度上の変化をもたらすことや、楽観主義、希望、そして目的感を獲得する方法であると理解していた。全ての献身的なメンバーがそうするように、彼らは唱題を仏性の実現へ到る道であると考えているが、唱題とは特定の才能や能力を外部から授けるものというよりも、むしろ自己の内的な変化を起こす力である点を強調していた。このような評価をうまく表現している多くの回答があった。ある35歳の女性教師は次のように話っている。

日蓮仏教は私の人生を変化させました。私の人生に対する態度は変わりました。主要な点は、人生から何かを受け取ることではなく、人生に貢献したいと望むようになったことです。この変化は頼り無さの感覚を取り除きました。私はさまざまな状況の中で、状況の犠牲者となるよりも積極的な何かができると感じています。たとえば、多くの人々が不安でしかも無力であった湾岸戦争の時であっても。人々の生命状態の低さが(殺人や破壊などの)動物的な怒りを発現しているのだということがすぐに理解できました。〔低い生命の状態に〕とらわれた状態で、人々は自分自身を浪費しているのです。けれども、それは長い目で見れば何の役にも立ちません。唱題によって、こうした状況は解決することができます。・・・私は平和な環境を作り上げることに役に立つことができるのです。

 水泳と柔道のインストラターであ女性は、自らを「より幸福になりました。どういうことかというと、私は困難に対してそれを克服できるという信念を持って積極的な態度で臨むのです。私の夫との人間関係上の問題も100パーセント改善されました。私はあまりイライラすることもなくなり、いっしょに生活するのが楽になりました」と語った。

全く同じような調子で、ある35歳のミュージシャンは次のように語った。

私は自分自身や他人に対するさまざまな否定的な態度を変えることができました。、私は、私には自分の生命に対する責任、より良き生命状態でいることに対する責任や、他の人々に対する責任があることを理解しました。より積極的なやり方で、あらゆる面で功徳を受けました。人々は、あなたは積極的な思考でもってこれらを行うことができると言いました。それは役に立つのですが最終的には行動を起こさなければなりません。積極的思考は外的な環境の犠牲になることもありますが、日蓮正宗は自らの責任でこれに立ち向かうのです。人は、自分の周りの環境に対しても責任があるのです。なぜなら、人はそれらを変えることができるのですから。つまり、責任は、第一にそしてほとんど私自身にあるということなのです。

 臨時雇いの秘書は自分の受けた功徳を「希望です。・・・(タバコ以外の)全ての薬物を止めることができました。たとえどんなに悪いものに思えたとしても、実践を続けるならば、私はそれらに打ち勝てるのだと知ったことです。真の友人を持ったことや、人々に耳を傾けられるようになったことです」と、理解していた。また他の臨時雇いの事務職員は、簡単明瞭に「私はたとえ問題に直面してもあまり思い悩むことがなくなったことに気づきました。思い悩む代わりに、私はそれらについて唱題を行うのです」と語った。一方、ある失業中のセールス・マネージャーが「目的感やアイデンティティ、また自分の生命の情緒的成長や主観的質の向上」を得たことを語り、またセント・ルシア出身の編集長は、彼女が「より寛容になることを学んだ」と述べた。

それらの二つのテーマは、次のように語ったあるキューバ人女性の会計秘書によって結び何けられていた。

この信仰は、私をよりオープンにしてくれ、私の視野をとても大きく広げてくれたのです。私は家にいてもいつも偏見を持った警官の存在を感じていました。なぜなら、彼らはよくやって来ては私の兄弟たちを連れて行ったからです。私は警官の姿を見るといつも逃げていました。唱題を始めたとき、私は、全ての人には役目があるということが分かりました。全ての人が人種差別主義者であるわけではなく、彼らもそうでないということが分かったのです。それは私の視野を広げました。ホモ・セクシュアルやゲイの人々も私と同じ人間だということが分がりました。私の人間関係上の問題も変わりました。私は非常に愛情の深い人間です。しかし愛情を持ち過ぎるいこともあります。私は毎晩毎晩ボーイフレンドといっしょに過ごしていました。今、私はバランはスを大切にして、恋人と過ごすために自分のしたいことまで放棄してしまうべきではないということを知っています。・・・今はボーイフレンドに対して嫉妬深くはありません。人間関係とは、ちようど自分の演じるひとつのステージのようなものです。私は沢山の魅力的な男性たちと出会いますが、私は友達として彼らに接することができるのです。彼らを恋人にする必要はないのです。

 

 

―――実践による実証

 

メンバーたちが、これこそまさに唱題による一番大きな功徳であると見なして強調した点の違いを、メンバー構成上の他の変数へと関連づけようとすることは無理なことであろう。功徳の評価の仕方は、他のやり方を否定しようと意図したものではなく、単に個々人の優先事項の順序にしたがっただけにすぎない。つまり、そうした功徳についての自らの評価を、他のメンバーの評価を否定するために主張しようとしたメンバーはほとんどいながったのである。メンバーたちの信念は、一般的に、唱題はあらゆる種類の功徳を成就するというものであり、信仰歴の長いメンバーたちほど、いわゆる冥益に対する理解を深めている傾向はあるが、彼らでさえ唱題がきわめて広範囲にわたる物質的な利益を生み出しうることをも否定しようとはしなかった。実証が重要なものであると考えられており、それは主観的状態の変化よりも、具体的目標の実現の場合により容易に認められた。勤行や唱題などの儀礼を真面目に実践する者にとって、両種の功徳――実に、あらゆる種類の功徳――か生じるのは当然のことであった。

客観的な功徳をいちばん大事なものと見なし、また特定の物事に対する物理的なカの増大という点から、功徳について語った人たちがやはりいる。すなわち、心理的健康と同様に身体的健康、富や幸運に関する問題、結婚の成功や難局を乗り越える能力などを含むさまざまな功徳についてである。職業療法士の養成学校に勤める39歳の教師は、よりよき健康について次のように語った。

〔日蓮仏教を紹介されたころの〕私は、家に帰っても働き続け、酒も飲み過ぎて全く不調でした。道を見失っていました。つまり、バランスのとれたものの見方ができなかったのです。唱題が釣り合いのとれたものの見方を与えてくれたので、私はもう働き過ぎることはなくなりました。また、別のことも起こりました。私は、いつも記憶力と集中力の障害に悩まされていました。それらは周期的なもので、2週間のうち、いつも10日間は憂鬱で内向的になっていたのです。唱題を〔一時的にですが〕やめてしまった時に、それは再発しました。6週間唱題をさぼってしまった後に、私は再び唱題を始めました。それ以来、2度と再発しませんでした。私は精神的にずっと健康になり、うまく集中できています。・・・それが、この信仰の実践から得た最大の功徳です。私は、数年にわたりカウンセリングに通っていました。それは効果があったのですが、私は(2人の子供と家のために)お金に逼迫しており、唱題はカウンセリングよりお金がかかりません。唱題は健康的でした。唱題をすると気分がとてもすぐれ、記憶の減退はなくなりました。私は力強さと集中力を感じました。・・・また、私たちには息子がいるのですが、私はその息子に真夜中によく起こされたものでした。唱題によって、私はやっと一人前の大人になれました。以前は、息子のことを不快に思い怒りを感じていました。私は息子の頭を壁にぶつけたり、息子の頭に枕を押しつけたりしていました。私は怒りをコントロールすることができず、それを息子にぶつけていたので、ますます息子を泣かせてしまっていたのです。唱題を始めてわずか一週間後には、私は自分の子供たちの世話をできる精神的な強さを得ていたのです。

美術品の管理をするある女性は、「私は、四週間のうち二週間は欝状態にあったものでしたが、今はほとんど鬱になることがなくなった」ことを詳しく語った。42歳のある女性教師は「まず最初に、唱題よってアルコール中毒を完全に克服しました」と述べた。また、エアロビクスのインストラクターとして働く、自己修練を積んだプロのダンサー兼モデルは、「完全に健康になり、(もちろん、普通の)セックスが上達した」と主張した。ある「深刻な破壊的傾向のあった」民生委員の男性は、「私は特に平静であるとはいえませんが、入信した頃よりも安定しています。私は、自分の生命が持つさまざまな傾向性を変えたのです。それらは怒りに基づいたものでした。私は必ずしもそれらを克服しているわけではありませんが、きわめて強い支配力を持ったエゴがあり、それがどのように人の生命を束縛し歪めてしまうかということに気づいています」と語った。

 また、特別に護られた体験をしたとする主張も見られた。あるフリーの女性ジャーナりストは、「何年にもわたって、私は自分の宿業を変えてきました。私はいつも護られていると感じています。危険のある状況では、それはすごいことでした、私はアパートの地階に住んでいましたが引っ越すことになり、別の若い女性がそこへ入居しました。彼女は泥棒に3回も入られたのです。私は入られたことはありませんでした。私は御本尊に護られていたのです。格別な守護の必要なとき、御本尊はいつも守ってくれるのです。私はブリストル〔英国イングランド南西部の港市〕の真ん中で車の窓を開けたままにしてしまったことがありましたが、翌朝になってもどこも壊されておらず何も盗まれていなかったのです」と語った。カリブ人の若い女性秘書は、より劇的なエピソードを詳しく語った。彼女は、日本に登山(これは参詣することか?)に行くメンバーの一行をしぶしぶ見送りに行ったことがあったが、後で、行ってよかったと思った。見送りの後、彼女はボーイフレンドに会うために地下鉄の駅へ行ったが、その時(彼女はウォークマンを聴いていたので)警告を聞き逃してしまった。彼女はナイフや瓶を持った〔英国の極右団体である〕ナショナル・フロントの支持者たちでいっぱいのプラットホームにいる自分に気がついた。「私は唱題をしながら彼らの間を歩いて行きました。私は『護られているのを忘れないで』と心のなかで言い続けました。彼らは瓶を投げつけたり、私を突き飛ばしたりしました。私が歩き続けていると、金髪で、ちょうど私と同じようなジャケットを着たひとりの男性現れ、『やあ、ダーリン。今晩の食事はどこにしようか?』と声をかけてくれ、私の手を取ってプラットホームから連れ出してくれました。その後、彼はどこかへ行ってしまいました。彼は私を護っていた仏教の守護神である諸天善神だったのです。このようなことが、私がヒースロー空港へ一行を見送りに行ったときに起こったのです」

 他の人々は、生命の調和感、心の平穏、喜びの経験、バランス感覚などの習得を含む、さまざまな安心の獲得を主張した。回答者の約21パーセントが、言及したこれらの結果は、現在は高齢者介護にたずさわっている62歳の女性芸術家の次のような言葉に典型的に示されている。「私は25年間続いた貧困から逃れることができました。今、仕事をしています。今、私は幸せです。私は他人と分かり合うことができるのです。私は、今では生命は永遠であるということを知っています。何度も何度も生まれ変わるであろうということを知っているので、私は、死を恐れていませんし、後悔することなく死ねるでしょう」

サンプルの10パーセントが、とりわけ自己理解に関するものや洞察の深化といった加知的な功徳を経験したと主張した。36歳のある眼科医は、「感情的」なものとして抽きながらも、知的な言葉で功徳を表現している。

 私は、人は何らかの信仰を持ち得ることが分かったことに慰めを感じています。私の経歴からは、信仰や信念は理性に対立する理解しにくい考え方です。信念は理性的思考の喪失に等しいのです。・・・私は、信じるに足る何かがあると感じますが、かといって文化的理想を取り下けたり、科学的進歩を否定する必要はないのです。ある哲学的な観点からみれば、信仰は、主観/客観、観察者/被観察者という矛盾を容易にします。そうした矛盾を論じることを許容し、理性と感情の両者を考慮している宗教をもつことは、人に安心を与えるのです。・・・日蓮正宗は、私の要求を満たしています。・・・私にとって,宗教とは日々の出水事から自身を守る防御装なのです。

カリブ人の会計事務員は、新しい宗教への加入にともなう知的満足を表明しながら、仏教と以前のキリスト教での経験とを比べた。

日蓮正宗の教義は私にも理解することができます、ほかのいろいろな仏教諸派の教義は理解できませんが、日蓮仏教は,きちんと私に説明してくれました。・・・私は(文字どおリではありませんが)子供のように育てられ、教義が意味しているものや教義を日常生活にいかに結びつけるのかを教わりました。決して独力でなしえたわけではありません。私は、いつでも地区リーダーのところに行って「分かりません」と」言うことができたのです。地区リーダーたちは、すべてを納得するまで説明してくれました。教会に通っていた頃、私は座りって、牧師が言うことを聞いていたものでした。牧師が言ったことが理解できないことかよくありました。・・・私は、教会では決して納得することはありませんでした。もしも、教会で分からないという事を何か言ったとしたら、「質問してはいけません。私は今説教中なのです」ということになったでしょう。けれども、日蓮正宗では誰もがたずねることができ、誰も「静がに」とは言わないでしょう。、私は、いつでも私の質問に答えてもらってきたのです。

 ごく少数の、ちょうど3パーセントの回答者は彼らが獲得し、明らかに功徳とみなしている利他心、慈悲、他人への配慮の高まりなどを含む、いくつかの美徳を挙げた。これらの態度や性向に関する変化は、必ずしもそれらを得ようという意識的な追及の結果ではなく、通常は偶発的に身について行った。グルーブによって大きな支えを得たことや、新しい友人を得たこと、それに人間関係の改善などに唱題を結びつけていたのは調査対象者のわずか1パーセントであった。さまざまな職歴を持つある経理士は「私が困っていたとき、メンバーたちは私の生活を情緒的に支えてくれました、しばしば、私は混乱した精神状態にありました。そんなときに、そこに支援があったのです」と語った。「2度目の結婚に失敗した後、42歳で新しい人生を築き始めた」水泳の男性インストラクターは、「支が必要なとき、私を支えてくれた素晴らしい人々から」さまざまな利益を得ていた。そのような支援は、秘書をするある女性にも訪れていた。それは「共通点が何もなかったので、出会う機会のなかったであろう広範なサークルのメンバーとのより良い人間関係を形成すること」によって功徳を受けたときであった。彼女は「私たちは、共に闘い、互いに支え合い、一緒に唱題するのです」と語った。唱題はメンバーたちをひとつに結びつける精神態度をもたらし、それゆえグループの支援という一見すると偶発的な功徳を生みだしているのである。なぜならば唱題するという共通の原因がなければ、多くのメンバーはSGIに入信した他の人々と自分とを結び付けるものをあまリ見いだせなかったであろうから。レストランの女性オーナーは、「会合などの活動へ参加することによって、過度の薬物使用という不健康な環境から逃れることができたという事実」を功徳と考えてていた。グルーブ沽動に対するこうした評価は比較的少なかったが、いうまでもなく信者同上の支援は、高度の献身を求めるいかなる宗教同体においても経験されうることである。その他の証言からも、多くのメンバーにとって、グループの会合における経験の共有は宗教生活の重要な側面であり、問題点.抱えた人々、に一種の集団療法の機能を果たしていることは疑いない。よリ一般的にいえば、多くのメンバーはグループによる支援をある利得と認めたのであろうが、この場合の同答者たちは、唱題の功徳についての特定の質問に対し回答しているのである。全体的には、同答者の約82バーセントは、唱題を自身の感性や性向の変化と関連づけていたが、唱題の結果として社会的利益について述べたのは、約4パーセントだけであった。

 日蓮の仏教における唱題は、キリスト教において祈りと儀礼行為の両者がもたらすのと類似の機能を果たしている。もちろん、いくつかの重要な違いがある。すなわち、祈りは、時には対話になぞらえられ、また、明らかにある存在者に向って呼びかけるものであり、多様な形態をとっている。祈りはまた、明らかな指導性をもっている。それは、一連の決まり文句の中に信仰心からの発話を形式化させたものであるかもしれない。あるいは、自発的に懇願すること、感謝を捧げろこと、熱心な訓戒をする(時には、神を説き、時には祈ることを勧め、時には聴取者でも観察者でもない社会一般に対する訓戒を述べる)ことであるかもしれない。題目と勤行は、形式化された祈リに最も近いものである。たとえ唱題に精神的に込められた懇願的なまたは指導的な要素が何であれ、題目でメンバーか特定の目標を追い求めるときには、それらは特にはっきりと表現されているわけではない。このように、唱題は、キリスト教的用語で、一般に考えられている祈りよりも、むしろ儀礼に近いものである、そしてたとえそうであるとしても、この儀礼的な唱題は、ほとんどの場合、純粋に私的な行為として遂行されている。

 けれども、社会的に認められた特定の帰結をもたらす象徴的行為であるとは見なされていないとう点で、唱題は多くの儀礼行為とは異なっている。多くの儀礼は、厳格な手順にそって執行され、それらの手順には象徴的な意義がこめられており、性質、地位、あるいは関係の変化が達成されたと主張される宣言的発語行為なのである.。それゆえそれは(船の命名式、橋の開通式、その他の就任式などと同様に)洗礼、結婚、吉日、赦罪などの秘跡的行為と同じである。認知的な現象は同じであるが、状況の感情的・評価的な要素において表現された「霊的な」条件が変容したと宣言され、信じられる。

「信仰は認められた」「正しく男と妻とを結婚させたと宣言する」「汝の罪は許された」などのような、儀礼参加者の本質的な条件に適した宣言がなされる。これらの宣言が、参加者や一般社会によって信じられているかぎり、儀礼は「機能している」のである。これらの発語行為を行うことによって認知や人間関係の評価を補強し強化するのに用いられている。唱題は、それが行われる文脈、時間の長さ、頻度などの点で高度に形式化されているが、このような特定の、また象徴的な変容をもたらすものとは考えられてはいない。しかしながらすでに考察してきたように、唱題は個有の偉大な力を備えていると信徒たちには信じられている。「題目」でもって法華経全体を念ずることの核心は、個人の宿業を改善すること――悪い業の影響を減らし、実践者が現在と将来についてのより良い展望を持つことを助けること――である。唱題は、因果の法則に従って自動的に作用すると考えられており、このことは日蓮仏教の基本的な哲学的前提である。唱題は究極的には世界全体に有益をもたらすと主張されているが、第一義的には社会一般とはほとんど関係してはおらず、むしろ唱題する者の個人的な状況に関係しているのである。熱心に唱題し、より目覚めた個人として、ますます自らの仏性を実現していく人々が十分に増えた時にのみ、社会制度や社会構造の性格を徐々に変容させる効果が生み出されるのである。

 唱題することは日蓮の仏教にとって根木的なものである。その宗教が存続するか衰退するかは、唱題によって達成されるもの次第である。イキりスSGIのメンバーは、唱題が達成したものについて自信に満ちた主張をし、彼らの主張が真実であることを実証する多くの実例をあげている。キリスト教や他の仏教諸派とは異なり、彼らが暗黙のうちに祈っている神義論は、不確定の来世に延期されるような功徳には依存してはいない。そのような功徳は、未来にまた生まれる場所でも得れるであろう。しかし、今世における功徳こそが強調されているのであり、必ずしもいま現在得られなくても少なくともまもなく功徳は得られるのである。しかしながら、どのような宗教的信念であっても、その効力のかなりの部分は、主観的な傾向性を変える力に、確信と希望を与え、日々の経験を、人生とその意味についての別の見地がら再解釈することにあるのである。これらの点において、創価一学会のイギリス人メンバーたちが示すように、日蓮の仏教は明らかに成功していると言えるであろう。

 

 

 

 

 


 

 エピローグ

 

 

1960年代初頭以来、さまざまな新宗教運動がイギリス社会(そして他の西洋社会)へきわめて広範囲に流入してきたが、そのため、それらの一つの運動の出現と発展について説明する場合にも、往々にしてむしろ一般的な分析と説明しかなされていない。国民一般にとって、イギリスSGIも表面上は単にそうした一般的理論が適用される異国生まれの新しい多くの運動の一つにすぎない。これらの一般的説明は、まず、その社会に古くからあった信念や慣習のパターンがすでに崩壊したことを訴える。つまり、伝統的な宗教制度やイデオロギーへの懐疑が増大し、科学的一そしてしばしば科学万能主義的)思考が広まり、これまで少なくとも観念の上や理想としては一貫し統一されていた道徳と習慣の体系がバラバラに崩壊してしまった、というのである。そして、これらの諸状況が、かつてないほど広く簡単に利用できる多くの新しい宗教的形態の受容を促した。マスメディアの発達や海外旅行の機会の急増、そして他の諸文化に容易に接することができるようになったことなどが、異国情緒への嗜好を刺激した。もっとも、当初は異国的であったものも、結局はそれほど異質でない、より親しみあるものへと変形していったのであるが。より根本的には、そこには社会構造の変容があったとされる。つまり近代社会において(居住地や職場などの)移動性が増大し、労働のパターンが変化した。そして過去数世紀の間に、権威についての新たな概念が発展し民主化の過程が進んだ。それらは伝統的な政治装置と教会組織の両者に挑戦していったのである。

このような諸要因は新宗教が広まる全般的な説明には確かに役立つが、新宗教が実際に発展していくメカニズムや人々を引きつける理由を正しく認識するには、そのような大ざっぱな歴史的変化のプロセスについての認識のみでは不十分である。ある一つの運動の(またはある一定の顕著な特徴を共有している諸運動の集合の)伸長を説明するためには、運動に参加している人々の生活環境、人間関係、参加の動機および出会いについてのより精密な分析が必要である。より満足のいく説明を探し出すためには、その運動の政策や意思決定の過程のみでなく、個々の信徒同士のコミュニケーションの全ネットワークについても考察していかなければならない。

われわれの研究は、イギリスSGIの展開についての歴史を描こうとしたものではなく、むしろ、この宗教運動にどのような人々が、どのようにして出会い、ひかれていったのか、その主だったプロセスを描き、また信仰への献身がどのようにして惹起され支えられていったのかを描き出そうとしたものである。これらの議論のすべては、イギリスSGIの人々が報告してくれた宗教上の体験のいくつかの型と関連づけながら検討された。したがって、われわれはSGI運動を、年代順のまたは歴史的な分析の観点からよりも、彼らの典型的な社会的応答パターンとの関連で考察していったのである。この個人主義的な分析様式は、質問票調査による統計学的な情報によって、より幅広い社会学的考察と関連づけられているが、ここで、創価学会が運動を展開した現代イギリスの一般的な社全的状況についてのより一般的な考察とわれわれの研究結果との関係について、たとえ仮説的であっても、要約して指摘しておくことが適切であろう。

SGI運動が成長してきたこの数10年間は、物質的な富が増大した比較的豊かな時代であった。その時代はまた、19世紀後期から20世紀初頭にかけて発展した生産業を典型とする産業社会から、消費が優位を占める消費社会へと経済が著しく方向転換した時期でもあった。生産業中心社会の、すなわち初期および発達途上の資本主義の倫理は、資本の蓄積、すなわち労働体制により多くの資本を供給し、ついでに、その生産過程を経済学者が「拡大再生産」と指摘するような方向へと展開させる努力に適合したものであった。このような目標の達成のためには、勤労倫理が中心的役割をになう道徳秩序が求められ、人々は生産に身をささげ、かつ消費を最小限に押さえることを要求され、自らの経済的満足は後回しにせざるを得なかった。自己抑制と欠乏の甘受、そしておそらく欠乏に耐えうることさえもが必要とされた原理であった。節約と可能なかぎりの貯蓄が、経済行動とさらに道徳的行動の根本原理であったのである。

西洋社会に浸透したキリスト教倫理が、このような方向づけに保証を与えたことは明らかである。それは欠乏や剥奪の状態から、また貧困や飢餓、疫病、戦争などの状況の中から生み出された倫理であった。それは、人々がこのような危険な状況に順応することを助ける諸原理を提唱した。またそれは、人々に寛容、抑制、忍耐、辛抱強さ、労働を含む義務への献身を教えた。やがてそれらは、それ自体で本質的に気高い倫理として賞賛されるようになった。キリスト教は従順、自発性、権威の尊重、そして自分の天職への精励などをその教えの一部として明示的に説いたが、他方、それは社会的な地位や秩序、統制の様式を強化する潜在的な機能を社会全体に対して担っていたのである。禁欲主義がキリスト教の道徳的勧告の核心にあったが、それは死後に救済されるための適切な準備と考えられた。現世は苦難の涙に満ちた憂き世であり、欲求の満足は来世(彼岸)でのみ得られるものであった。キリスト教の救済論の図式は、個人的満足や放縦をあとまわしにするためのモデルであり、それは生産力の向上を追求している社会の中で勃興しつつあった資本主義が必要とするものうまく適合していたのである。

自制は、個人の生活における道徳的秩序を事実上規定する要石であったのみならず、政治的国家の中に形成された社会それ自体の要求でもあった。マルクスやその他の急進主義者が考えたように、国家は抑圧の機関であり、市民の行動基準を規定して広範囲にわたるさまざまな行動を愁禁止しつつ、市民を国家の統制下に置くように組織された。キリスト教の指導の下で、国家は秩序を維持するための精巧な装置へと進化し、市民の放縦や自堕落な行動や好色を諌め、そしてあらゆる種類の社会無秩序や性的不品行をも取り締まるようになった。温情主義的国家は、共同の利益や社会的結合、価値の合意などを尊重してはいるが、その統制への関心をより柔軟かっ温和に表現したものにすぎない。その極端がつ誇張された表現形態は、強制的支配に訴え、かつその社会的高潔さを生物学的または民族的前提に基づかせることで出現したナチズムに見いだすことができる)。このような国家主権中心主義は次第に衰退し従来の社会的権威が失われはじmw、そして人々への統制を維持しようとする諸政策が放棄されるようにになってきたが、こうした動向は生産志向の経済体制から消費志向のそれへの転換と広く一致している。生産者中心の社会は、西洋の初期の資本主義においてさえ、「顧客は、どんな色の車でも、それが黒であるかぎり買うものだ」というヘンリー・フォードの言葉が的確にその特徴を要約しているように、市場経済というよりも一種の統制経済であった。消費者の選択が市場経済の基盤となったため、消費中心の経済への転換は個人の行動を規制しないように要求した。この自由放任主義経済の発達が、続いて自由放任主義道徳体系を必然的にもたらしたのである。ある種の道徳的規制がすたれるにつれ、選択の自由を積極的に賞賛する哲学――自由放任論が発展した(その誇張された表現として、それは周知のように自由意志論となり、あらゆる道徳規制を放棄したのである)。

明らかに、キリスト教の古い禁欲倫理は新しい経済秩序には不適合であった。その倫理は、耐乏、義務への一意専心の献身、真摯な目的などを要素とした役割モデルをもち、また時間や努力、その他の資源は、ただ神の配慮においてのみ正しく用いられると認めていた。それに対し、消費中心主義は需要を刺激し、自己の欲求を満足させるよう人々を誘い、購買を、しかもいますぐ買うようにかきたてることによって成り立っている。禁欲主義は社会の経済的繁栄それ自体を支持するエートスとは相容れなかった。新しい社会秩序は快楽主義や放縦、享楽のあくなき追求などを促す倫理、すなわち「消費の正当化」を必要とした。広告産業と娯楽産業の中に、まさにこのような価値体系を促進する手段が見いだされた。これらの媒体は、それ自体が伝統的キリスト教のメッセージを突き崩す装置であったが、まもなく、その説得能力と伝達メディアの管理統制において教会をはるかにしのぐ力を持つようになった。新しい世代の人々は、旧来の伝統宗教の古びたメッセージはもはや彼らの期待や生活経験と矛盾することを見いだした。選択する権利と自分が満足する権利を信ずるよう奨励された新世代の人々は、抑制、礼儀正しさ、忍耐、そして欲求充足をあとまわしにする必要性などを強調する教えが、次第に彼らの性向と遊離していくことを知った。国家に対する義務、または共同の利益のための行動といった理念よりも、自分の願望の実現を追求することや生活を心ゆくまで楽しむ欲望が優位を占めるようになった。天国における報償であれ地獄での懲罰であれ、そうした死後の世界への信仰が弱まっていくにつれ、人々は現在の生活からすべての役に立つものを獲得することにひたすら専念するようになった。このような状況の下で、楽しみは唯一この世においてしか手に入らないという強い信念が発達したが、人々は現世の生活を永続させ、または繰り返したいという願望から、肉体の再生という観念に次第に惹かれていったのである。

ここ数10年の間に全ての西洋諸国で行われた多くの調査が示すように、人格神の存在を信じる人々がますます減少しており、それは以上に述べた展開と一致している。それに代わって、非人格的な生命力または霊という観念が、現代思想に次第に容認されてきている。多くの、特により高い教育を受けた人々にとっては、神の擬人化されたモデルそれ自体が時代錯誤となってきている。生命および宇宙についての科学的説明は、抽象的原理と経験的証拠に訴えることで、それらについての古来の由緒ある説明を先進社会においてはまずます信憑性のないものとしてきた。社会の諸システムが、現代の社会生活のきわめて多くの領域において人格的個人にとって代わり、影響を及ぼすようになってきたため、同様の傾向が精神的領域に影響を及ぼしたとしても、また、人々の道徳観の変化にともなって、これらの思潮が伝統的な信仰や社会構造、人間関係を加速度的に腐食させ、崩壊させていったとしても驚くべきことではない。

簡単に輪郭を描いただけであるが、以上が、1960年代以降、西洋社会に新宗教が出現した社会的文脈の諸様相である。しかしながら、これらの新宗教運動の全てが新しい時代と歩調を合わせていたわけではない。いくつかの運動は、新たな宗教的原理を伴っているにもかかわらず、古い修業の方法を再び強調している。統一教会はそのような運動であり、キリスト教の伝統外ではクリシュナ意識国際協会がそうである。この二宗教は、ある超越的な原因のために自己を犠牲にすることを要求し続けており、禁欲主義、自己否定、苦行、至高の存在へのひたむきな奉仕による自己実現などを説いた。しかし、その他の多くの運動は、むしろ、すばらしい新世界を讃えて道徳律や禁欲的修行への要求を放棄し、現世における楽しみや幸福、願望の成就の追求を是認したのであった。多岐にわたる多くの運動は、このような目標を掲げている。さまざまな「ヒューマン・ポテンシャル運動」(人間潜在能力開発運動)や「積極的思考体系」の唱道者たちによるいくつかの運動は、同様の目標を疑似宗教的な用語でもって掲げたにすぎず、彼らが本質的に合理的であると王張する方法による目標追求を力説した。瞑想のテクニックを提供する人々や組織のような、宗教であることを否定した他の運動もまた、完全なる成就を達成するというきわめて類似した目標に向けての、より神秘的な手段を説いてまわった。しかし他の運動はたとえばラジニーシ運動があげられるが、快楽主義を認めることと奉仕と犠牲のある種の命令とを結びつけた師弟関係という古代的なパターンに関係づけることで現世的な願望の追求を容認している。

創価学会インターナショナル(SGI)は、〔法華経などの〕古代の経典を信仰の源泉としつつも、その固有の用語で「末法」という、われわれ自身が生きる現代に、なお特別の関連性をもつメッセージを有している。そのメッセージが適切であることは、今日の一般的な経済的社会的自由の風潮と、創価学会が道徳律を放棄し、信奉者が自由に彼ら自身の責任の取り方を発見できるような一般的で抽象的な倫理的原則を支持することとが符合している点に明らかである。創価学会の寛容な倫理、個人的幸福を追求することの是認、および個人的願望の成就を強調することなどは、キリスト教国でなくなったイギリスの世俗的なエートスを実質上支持していることになる。SGIメンバーの多くを、個人の自由と自己表現の要求がきわめて重視されるマスメディアや娯楽産業、芸術的職業などの従事者に見いだすことができるが、その事実からも、SGIの運動が入会者のさまざまな経験に適合し、要求に応えうる新しい倫理観をもった運動であるとの印象を強めている。このようなメンバーの職業上の経験は、生産者中心社会における製造業などの第一次産業に従事する者の経験とは根本的に異なり、消費への関心を主として表現していく倫理観にはるかに大きく関係している。もしかりにメディアや広告、娯楽産業に従事する人々が禁欲主義を認めたとしたなら、それは驚くべきことであろう。彼らは、きわめて当然のこととして、開放的で寛容な社会の諸価値を信奉しているはずなのである。

イギリスSGIは、したがって、個人の行動に関する考え方が時代の動向に適合した運動である。この運動は、その道徳的態度を、全く異なった起源を持ち、全く異なった哲学用語で自らを表現している他の新宗教運動や宗教に類する運動と共有している。エスト運動(後にフォーラムズ・ネットワークと呼ばれた)のウェルナー・エアハルトは、各人が自分の人生に勝利するためは「責任を負う」ことが根本的に求められると主張したが、それは自分自身が自分の全ての行為の原因であり、また自分に対してなされる全てのことの原因であることを認めるからにほかならない。周囲の世界が個人の唱題に反応する――まさに応答するのである――との主張は、日蓮の哲学の核心であるが、そこにおいても、個人は過去に現在の状態を決定する原因を作ったのであるから、彼自身の現在の境遇に対する責任は自らが全面的に負わねばならないと考えられている。そのような過去の宿業に囚われた状態を転換するために彼は唱題しなければならず、そうすることによって、また自分の主観的傾向性のみならず外的で客観的な諸力と思われるものをも統制し、影響を及ぼしていくのである。唱題しているかぎり、彼は犠牲者になる必要はなく、また自分を犠牲者と見なしてもいけない。この主張には、サイユントロジーによる約束、すなわち、サイユントロジーの訓練過程の修了者は自分自身の外的環境の「原因」とならなければならないという主張や、イグゼシス運動による類似の主張と明らかに共鳴するものがある。エアハルトが、瞑想は「無意識から生ずる悪霊」を人々が受け入れ、歓迎して(無化する)一つの方法であると宣言したのと同様に、創価学会は、邪悪な心は御本尊の前で、しっかり御本尊を見つめつつ唱題することによって客観化され、超克されると主張する。ヒューマン・ポテンシャル運動もまた、SGIと同様、他人を値踏みしたり、他人に責任を転嫁したり、恥や罪の感情に溺れたりする性癖を捨て去ろうとする。

これらの強力な道徳的方向づけは、さらに創価学会が信奉する存在論によって補強される。仏教と近代科学の諸理論との適合性は、さまざまな仏教徒によって主張されている。たしかに、業と輪廻の概念は科学がその正当性を立証しうる範囲をはるかに越えたものではあるが、物質世界から人間の心理に至る全てのものを説明するために仏教が提供する多くの一般命題は、キリスト教による人間と白然との解釈よりも、合理的な科学とはるかに容易に両立しうるものであると言える。キリスト教の場合、それらは神の任意の行為と自然法則を無視する奇跡とに依存することで保証されているにすぎない。原因と結果の原理は、科学にとって基本であると同様に、仏教による物事の解釈図式としても重要である。仏教においては、因果関係などの具体的な結びつきを特定するのは容易ではなく、事実、業が作用する長い時間の尺度では、特定するのは不可能である。しかし、いかに含意的にそれらが選択されたようでも、(一方での)抽象的な原理への依存と(他方での)経験的事実への言及という点で、科学と仏教は類似している。業は個人を他者と社会に結びつけ、さらにアイデンティティや偶然、運、運命、宿命という永遠の問題に関して「意味を了解」せしめる。業の理論は、あらゆるレベルの問題に有効な包括的な説明概念であると主張されるが、誠実な努力によって業の転換も可能となる。創価学会の信奉者は、法華経に祈ることによって業を制御し管理することができ、自分自身の生活と環境に責任を負い、そして自らの仏性を悟ることができると信じている。――そして、これらすべては唱題という価値ある行為を通して可能となるのである。

もしこれらの傾向の類似性を考えれば、宗教教義や固有の儀礼においては異なる創価学会、サイエントロジー、エスト、イグゼシスなどのさまざまな潜在能力開発運動が、ここ数十年の間に出現し発展していることは、決して偶然の出来事ではない。また、その類似性は、個人的な遺徳領域の問題には慎重で断定を避けるという共通の傾向だけではない。これらの運動はすべて多かれ少なかれ、個人を超えて政治的問題となっている道徳政策に対する関心を表明している。いくつかの潜在能力開発運動は、さまざまな社会運動を推進するよう主張している――サイエントロジーの場合の麻薬常用からの更生、フォーラムズ・ネットワークの絶食計画、また、信奉者の活動のきわめて重要な副産物は犯罪やその他の種類の社会的病理を減少させて一般市民の福利を増進することにあるという超越瞑想に代表される主張などである。しかしこのような問題において、創価学会はおそらく今日の他の新宗教をはるかに凌駕しているおり、世界平和、エコロジーの問題、難民救済および教育.文化計画への関心を促す運動を展開している。したがって、個人的な道徳規範は末法といわれる現代においてはもはや適切ではないと見なされるが、上述のような諸問題への関心を一例とする「政治道徳」と呼ばれるものへの参加は強い関心の的となっている。その上、創価学会の運動は、個人的な行動の問題どこれら社会的政治的でグローバルな課題とを区別してとらえる点において、多くの人々、特に若者たちが共通に抱いている考えと一致しているのである。

創価学会はまた、初期の積極的思考が目標として表明したような、唱題は「無限の時間と調和」しようと努める受け身なものではなく、もっと積極的な意味を持つと主張する点で、現代の他の運動と異なっている。それは超越瞑想における単なるゆるやかな瞑想や真言の確信を超えるものである。それは、ヒューマン・ポテンシャル運動の「あらかじめ定めた命令によりプログラムを口ードして運動するブート・ストラップ式」哲学の例よりも、ある客観的な媒介物――普遍的法――とのはるかに積極的な相互作用にかかわっていると思われる。多くの創価学会メンバーにとって、噌題は単に毎日習慣的に繰り返して行う機械的な行為ではない。メンバーたちは少なくとも、唱題を呪術的な一形式、すなわち自動的にものごとを正しい方向に向かわせる儀礼とは見なしていない。実際に、唱題の実践は御本尊との関係を確立するための意識的で慎重な努力として認識されており、それは実質的には誘導された心理療法の一形態に等しい。より深い信仰に裏付けられたメンバーは、時々、御本尊への唱題によって到達した「高められた自覚」について語っていた。彼らは、怒り(修羅界)と動物的本能(畜生界)にふけって、いかに低級な意識状態に自由な支配権を与える傾向にあるか、その結果、いかに苦しんだかを悟っている。もっと鋭敏な実践家は、自分の行動によっていかにして「自らの堕落を客観化する」ようになったかを認識している。彼らは自らの性格の最も魅力的でない側面を自覚し、それに正面からぶつかっていったのである。数人のメンバーは、唱題はまさに足のしびれる辛い経験であること、そして少なくとも何人かは、信仰を始めたころ唱題は一人の時しかできなかった、なぜなら問題に正面からぶつかっていく経験はあまりにも精神的な衝撃が大きく、他人と一緒では不可能だったからであると明かしてくれた。しかし、そのような個人のレベルでの経験が、たとえ頻繁に起こったり持続したとしても、メンバーがいつも全く孤独の中で実践したり.SGIが提供する親身な支援や教学の解説を通してのカウンセリングがなかったなら、信仰の持続には耐えられないであろう。

このようなメンバーや組織からの支援は、二つの形態で行われる。すなわち、組織のさまざまな段階での会合または座談会と、それぞれの段階のリーダーによる指導である。すでに見てきたように、会合はメンバーに対して集団による支持を与えるのに役立つ。さまざまな会合は信仰体験や証言、そしてある意味での告白を相互に分かち合う機会である。座談会はどちらかというと非公式な場であり、それほど形式が定まってはいない。そこでは未入会者や一時的なゲストも含めて、出席者全員が自己紹介し、自分自身について語るようあらゆる激励がなされる。自由なリーダーシップの下でのそうした場において、各個人のさまざまな体験――御本尊の前での主観的な体験や、日常の世界での困難の克服などの客観的な体験など――が、SGI運動でよく使われる用語へと翻訳され、解釈されていく。偶発的な出来事や「不意の災難」は、業の哲学に照らして再解釈されて意味を与えられ、そして、仏法の世界がいかに作用するかについての共通の理解が伝達され、共有され、お互いの間で強められていく。唱題によってひき起こされた自己を見つめ直すつらい体験ですら、今や人々の理解の輪の中に置きなおされて特殊なものではなくなり、効果的に処理されていくのである。

指導は、さまざまな形でSGIのモットーとなっている。概念としては、それは日本的な文化、すなわち入信者と「折伏」によって入信させた者との間の関係から発展した一つの人間関係のパターンである、師匠と弟子の関係に負うところが大きい。SGIにおいては、このような関係の序列は、階段状に積み重なった組織の中で制度化されている。リーダーたちは、通常、彼らが指導するメンバーよりも信仰歴の長い人々であり、彼らは会合での論議をリードしたり、個々のメンバーに助言を与えることができる。リーダーを信頼する必要性について、総体的にはSGIの中で明確に主張されている。もっとも、その主張を、用語の強い意味において「カリスマ的なものによって吹き込まれた指導のハイアラーキー」と述べるのは行き過ぎであろう。これまで見てきたようにイギリスでは、イギリスSGIの理事長に対する賞賛が少なからず見られ、また例外はあるものの、池田大作SGI会長への賞賛がより強く表現されることもあるが、一部のメンバーは地域のリーダーを尊敬するのが難しいと考えているからである。

質問票への回答者の一部は、彼らの支部や地区のリーダーへの賞賛を自発的に表明しており、またきわめて多くの割合のメンバーが、SGIに最初にひかれたのは、彼らが出会ったメンバーたちの生活スタイルや振る舞い、人格であると答えているが、その一方で、さまざまなレベルでのリーダーへの批判や失望、そして不満などが時おり述べられているのである。メンバーたちは個人的な指導をしばしば求めたり、また会合などで自由に指導を受けているが、指導に当たった全ての人が無条件の尊敬をかちえているわけではない。したがってある意味では、リーダーたちは師弟不二の原理に従って、メンバーに対する模範的行動を「役割モデル」として演じているが、かといって、この行動パターンが普遍的に見られるわけでは決してなく、イギリスにおいてはアメリカでの事例が示すほど明白ではない。弟子の役割についてイギリスのメンバーが暖味で多義的な基準しかもっていないということは、イギリスSGIは過度に組織化され統制されているという(時として日本の創価学会に向けられている)非難を免れることになろう。

それでもなお、指導の強調は一定の価値を組織全体に体系的に浸透させることを確実なものにする。各々の段階のリーダーは――19世紀の学校での相互に監視しあう体制をしのばせる方法で――メンバー歴の長くない人々を指導する責任を負う。この制度は、信徒の階梯的な組織構造における権威を補強する一方で、民主主義的行動の理念にも従わせるという利点を持っている。各段階のリーダーたちは一つの連鎖をなしており、かつそれぞれの指導の背後には、運動全体の権威やその会長の権威、そして究極的には覚者日蓮の教義と助言および旦蓮が説いた普遍的法理の権威がひかえているのである。

実際に指導は、しばしばメンバーにその体験を了解させる働きをし、不運な生の現実、不安や不確実さと、御本尊という「鏡」の前での実践において主観の中で生じることもある疑念との両者を、新たに解釈しなおすうえで役に立っている。それらの疑念は、信仰に対する自信のなさばかりでなく、唱題の実際的な効果とも関係している。一部のメンバーは、ある特定の結果はある現実の原因によって生じたのか、あるいはむしろ偶然の一致による出来事ではないのかと問いながら、彼らの疑念を公然と表明した。知的な疑問の場合は日々の生活で起こる不運な出来事の体験よりも解決が困難なのではあろうが、リーダーたちはメンバーにさらに唱題に励むよう激励することで、そうした疑念に対処しているようであろ。災難は、成長とさらなる献身の好機として、また唱題の力における達しい回復力と確信を証明する機会として再評価される。業の教義はこのような再評価を促し、ほぼ完全に近い神義論を提供する。SGIのメッセージは、まさに唱題によって主観的心理状態を変えることにより、状況や出来事をよい方向へ効果的に向かわせることができるというものである。日常生活の中でだれもが経験する災難や不運に対して、人々は挫折感を味わったり、憤激したり、または諦める。また、実際的行動に向かったり、状況の再解釈を行うなどさまざまな反応をする。そのような一連の反応の中で一創価学会は実際的な行動を避けるわけでは決してないが、まず状況の再解釈を要求する。その際、リーダーの指導はメンバーたちの主観的な態度を日々の出来事により積極的に対処する方向へと転換させるうえで、しばしば決定的な働きをするのである。

他のさまざまな宗教運動や精神療法運動と並んで、SGIを創発的結社の一つと見なすことが適当であろう。それはアレックス・ド・ドックヴィルやエミール・デュルケーム以来、次第に非人間的になっていく社会、とりわけ国家として維持される制度と個人との間を仲介する自発的組織と認められているものである。個人の存在意義を確認してくれる支援組織の必要性を最も痛切に感じている人々は、組織化された関係の網の目に組み込まれている度合いが最も少なく、彼らは因習的な制度上の取り決めに最も束縛されない社会領域に見いだせる。SGIメンバーのかなりの割合が自営業や芸術家、個人の小さな企業家、専門家、または何らかの独立した代理店などを営む人々である事実、さらに多くのメンバーが結婚での失敗や人間関係の破綻を経験しているように思われる事実は、この運動が果たしている役割を示唆していよう。SGIはまたメンバーの確保に明らかに成功しているが、それは単にメンバーを支援する指導や相談などのカウンセリングを積極的に行っているからではなく、この実用主義の基準がSGI運動がその正当性を導きだす形而上学的な上位体系と結合している事実に帰することができよう。この点において、ヒューマン・ポテンシャル運動の一部が強い忠誠心を、特にその運動の運営スタッフにリクルートした人々から引き出しえているとしても、SGI運動はさらに優れている。SGIは古代の宗教的智恵、および古来からの宗教が伝統的に信徒に喚起させようとしてきた崇敬の態度とを、現代の実践にも完全に適用可能であると強く説く積極的倫理――彼らはそれを「生命力を高める」倫理と考えているが――と結びつけているのである。

さまざまな段階における系統的な指導の提供と地域ごとに予定された会合の開催は、さもなければ無定形な信者(より適切には「実践者」と言うべきであろうが)集団でしかないメンバーたちを相互に結びつける働きをしている。(それに比べ)日蓮正宗には、明確な会衆組織がなく、信徒と一体となって実施されるべき儀式もない。聖職についての概念自体も、キリスト教の聖職者が担う秘蹟的役割に込められている意味と異なっている。さらに西洋のSGI組織に関してより重要なことは、日蓮正宗の僧侶は、1990年から91年にかけての分裂以前でさえ日本においてのみ活動し、また少なくともイギリスにおいては、ほとんど訪れることもなく、必要不可欠とされた儀式(他の仏教宗派と同じように、日蓮正宗の僧侶が最近まで創価学メンバーを含む信徒に対し行っていた葬式や戒名の付与といった日本における伝統的な儀式)さえ行っていない、遠い存在であったという事実である。SGIが展開してきた組織形態は、創価学会自身が創造したものであって、日蓮仏教に固有のものでも日蓮正宗という宗派のそれでもない。創価学会が生み出した遺産をSGI運動が継承しているとすれば、「指導」の重要な機能は、日本の社会組織に広く見られる特徴としての「親―子」モデルの上に築かれた運動に緊密な結びつきを与え、階段状に積み重なった公式の組織を補強してきたことにある。

何人かの回答から確かなように、また日蓮の教えからも明らかに裏付けされるように、唱題はたとえ御本尊がなくともそれ自体で効力があるということが、南無妙法蓮華経の哲学である。メンバーの中には、SGI(または当時の呼称ではNSKU)について何かを知る前に唱題を始めた者もおり、彼らによるとそれは効果的で、少なくとも彼ら自身に満足のいく結果をもたらしている。一人、二人のもっと懐疑的な信徒によれば、彼らは真面目に「実践した」が、組織にはそれほど魅了されなかったという。さらに数名の回答によって、その種の情報は補強された。彼らはいかなる種類の組織をも期待せず、ただ不承不承それを受け入れただけであるという。宗教の危険性の一つは、とりわけ専門家による仲介がすべて省かれ、個人が「自分自身の救済を苦心して成就せよ」と命じられ、かつ個人にそれを行う完全な力があると見なしている宗教の場合、個人の信仰と活動が、その宗教の公式な組織構造から独立してしまい、そうした組織は無駄なものであると考えられてしまうことである。この点についてデビッド・スノウは、アメリカ日蓮正宗(現在は、アメリカ創価学会)との関連で明言している。彼は次のように記している。

南無妙法蓮華経を唱えるといった、一見呪術的な儀礼に携わるだけで日常生活の中で個人的利益または利得が実現すると個人に約束する運動は、彼らの陣営内に「無賃乗客」の群を生みだす危険を冒すことになる。つまり、ある真言のようなものを自分の家の中に閉じこもって復唱するだけで肉体的、物質的、精神的な功徳が絶え間なくもたらされるなら、その運動が世界平和といった「公共の利益」の一部をなすような大きな目標を達成する必要があるのだろうかと考えているような人々である。かくしてアメリカ日蓮正宗のような運動は、集団行動の必要性とその行動への参加の有用性の両者をメンバーに納得させなければならないという課題に直面しているのである。

個人的実践と組織との間の関係が希薄のように見えるにもかかわらず、SGIは「無賃乗客」にはほとんど遭遇していないようである。もっとも、個人の私的な信仰と実践の本質からして、そのようなメンバーを発見するのは困難であるかもしれないが。他方、幾人かのメンバーは、当初、組織に敵対的な態度をとっていたが、やがてSGIの組織を受け入れ、ついに熱心に献身するようになった回心を経験しており、彼らは最終的に宗教における組織と集団的秩序とが必要不可欠であることを深く認識するようになった。SGIには時間と精力を喜んで捧げようとする多くのメンバーがおり、彼らの証言から、SGIは唱題を行うメンバーに対する奉仕と支援を行うとともに、彼らが組織に奉仕する機金をも提供することによって、「無賃乗客」の問題をかなりの程度解決しているように思われる。

宗教団体としてSGIは、宗教的イデオロギーと組織との関係に関する西欧の伝統的な考え方とは大きく異なる新しいタイプの組織構造を代表している。日蓮自身は伝統的な日本寺院の臣従関係と僧侶による祭祀の執行が存続していくことを想定していたに違いないが、日蓮仏法の理念はSGIのもとで現代的形態をとり、個人主義的な方向へ難なく適応していった。日蓮正宗と創価学会の分裂は、宗教理念がそれを掲げた最初の組織からいかに容易に自立し得るものであるか、またいかに効果的に、それがより現代的で合理的に考案され統合された組織によって支持され得るかを示している。SGIのような公式の組織が世界平和や環境保護、教育と文化の推進などのような、(個人の信仰活動とは)関係のない目的のように見える公共的目標を掲げるのは、おそらく必然的なことであろう。とはいえ、そのような目標が唱題の実践と安易に結びつき、目標の達成は少なくとも部分的にはメンバーによる唱題の結果であるされる。スノウの主張とは反対に、より高次の目的へ献身することでメンバーを相互に結びつけ、さらに唱題する目的に社会的次元を付加するこうした協同目標がなければ、運動が団結を維持するのはむしろ困難だと言いうるであろう。にもかかわらず、唱題のような実践は、それ自体として数珠以外になにも必要としない自己療法の手段として広まったかもしれないし、そのためには精巧ないかなる組織も不必要であったかもしれないと想像できないことはない。新しい御本尊が下付されたとき、明らかにその「御本尊」は唱題を正統な実践行為として正当化する働きをしたし、「法華経」の複製本は信仰に論理的な正当性を与えた。これらはSGI運動が真正であることを認証し、特別のアイデンティティを授ける要素であるが、それらは中央集権化された合理的で位階制的な構造を持つ強固な組織という装置がなくとも流布できたかもしれないのである。創価学会と日蓮正宗との分裂以来、新しいメンバーが個人用の御本尊を授与されなくても唱題している姿を見るにつけ、これらの仏具が組織に対して与える影響がいかに限られたものであるかを理解することができるであろう。心霊主義やニューエイジ運動、異教信仰、ドルイド教といった心霊的教団や、それと極端に隔たってはいない菜食主義者やアルコール中毒者更生会の運動などは、その普及のための組織としてはもっと緩い形態で十分である。しかしながらSGIは、西洋のセクトについて定義される特徴には当てはまらないが、これらの普及団体よりはるかに凝集性の高い、機構がしっかり整備され組織化された団体である。SGIが、呪術へ接近する手段を与える機関としてでなく、宗教とし

てその独特な弾力性を獲得しているのは、私的な唱題という儀礼行為ばかりでなく、まさに公共の利益を擁護し実際的な社会活動へ献身している点にこそある。唱題は、全く私的に専念する事柄から、メンバーたちが明確に定められた社会的目的への献身を表明し強化するための伸介の働きをするものへと高められている。それは、個人的な、時としてとるに足らない功徳を求める懇願――これらはメンバーに唱題を勧める最初の段階では有意義であるかもしれないが――を超越する諸目的や大志を宣言する際の祈りと類似してくるのである。

SGIは、中央からの堅固な統制体制を維持するとともに、一般信徒を最大限に運動に参加させるのに成功している。一般の信徒メンバーは、意義ある何ものかを自分自身のために、また彼の親族や友人などの関係者のために、SGI運動のために、そして世界のために行っていると実感できるのである。唱題はこれらすべての事柄に影響を与えると考えられている。メンバーたちは彼らの運動の民主主義的、人類平等主義的特徴をしばしば激賞するが、それは仏性は全ての人がもっているという彼らの信仰に一致する。それと矛盾するように、部外者は時として、池田大作SGI会長に向けられる崇敬の態度や、公的な行事で制服を着た男子および女子の役員(創価班やライラック・グループのメンバーなど)による訓練の行き届いたサービスにいたる運動のあらゆる局面に権威主義的なもののみを見る。しかしながら、池田会長への尊敬および熱心なサービスは、たとえそのような一致した行動をするように強い期待があるとしても(それは実際、あらゆる宗教運動に同様に見られるのであるが)、間違いなく自発的なものであり、強制されたものではない。それらの態度は、メンバーたちが強く感じている要求を反映していると思われる。すなわち、原因(the cause)に寄与することによって得られる満足感と指導者を信頼することによる安心感が存在するのである。指導者の信望(カリスマとまでは言わなくとも)は、たとえそれが慎重に案出され譲られているとしても、疑いもなく大部分の信奉者たちによる熱心な献身がもたらしたものなのである。これらの組織的特徴は、唱題に帰因するものと認められている心理的かつ物質的なより明白な諸機能と同様に、認められてしかるべきである。

SGIは以上のように、イデオロギーや組織の面で、現代イギリス社会のより幅広い思想的潮流の変化の過程と密接に共鳴していることは明らかである。擬人化された神への不信の増大、伝統的で形式的な宗教団体はある意味では抜け殻となった信仰内容を虚しく主張しているにすぎないという意識、信仰とその実践のプライベートな性質の強調など、これら全てが、形式化や制度化のより少ない信仰のあり方への道を開いている。命令的な道徳律の廃止あるいは放棄、救済の媒介物としての禁欲的倫理の拒否、個人の行動のすべての事柄に関して各人が満足することの大切さの強調、楽しみを追求することは正当な哲学的営みであり、恥や罪の意識を持つ必要のない日常生活での当然の態度であると一般的に支持していることは、今日の西洋的価値観の特徴的な様相であり、SGIはそれを自発的に反映しているのである。個人の自律、個人の責任というの意識の溺養、そして自己自身の努力への依存(実際上のものであれ精神療法的なものであれ)など、すべては社会主義が死滅した後の世界で発展している進取の気性に富む文化に適合しているのである。

これまで述べてきた全ての方法で、またおそらくは他の方法でも、SGIによって発展してきた日蓮仏教は今日の若い世代の願望と彼らの物事の理解の仕方にみごとに適合している。古来の信仰を現代的形式で表現することによって、SGIは今日の若者の性向の多くに正当性を与えている。革新が伝統によって裏打ちされているのである。13世紀の経典が20世紀にふさわしいものとなったとき、聖なる秘法は日常生活の実用主義的論理に難なく適合する。現代文化のさまざまな主題が古代の寓話と連動し、今日盛んに論議されている課題への解決が、古来の儀礼の中で、かつ現代の実際的な方法によって提出されるのである。ひたむきなメンバーたちは断言するであろう。SGIは時にかなった信仰である。唱題の時がやってきたのだ、と。

 


 

 

付論   日蓮正宗と創価学会の分裂   1990(平成2)年ー1991(平成3)年

中野毅訳・補筆

 

宗教における新しい運動は、その性格上、在家信徒のイニシアティブによって生まれる傾向がある。それらの運動は、聖職者の欠陥と見なされたものへの反発として、またはっきりと表現された形であれ暗黙にであれ、聖職者による支配への挑戦として、しばしば起こってきた。実際、そうした挑戦は、通常、信仰の源泉により自由に接する機会を求めて起こっており、聖職者のみが完全に理解できると主張していた難解な教義と複雑な諸儀礼への不信を伴っていた。在家信徒は、聖職者階級が宗教的助けを施す際によく用いる儀礼などの装置の少ない、もっと直接的な宗教的助けを求めようとするのである。意識的にせよ無意識的にせよ、在家信徒による運動は、宗教的な努力がどこに向けられるべきなのか、再考することを求める(たとえば、儀礼の遂行よりも「信仰」の強調というように)。聖職者は伝統的な正統性を維持しようとし、聖なる物と場所の管理人となる。彼らは、独特な修行方法、剃髪、服装、儀礼的な慣習によって、彼らが信心と称するものを区別し、俗的で穢れの原因であるとさえ彼らがしばしば見なす一般人や日常的な事柄から距離を置こうとする。そのような状況の下で、在家信徒はしばしば、厄介な問題から身を守る新しい方法と、(それぞれの文化においてさまざまな形態で考えられている)救済を再保証してくれる新しい源泉を求めざるをえなくなる。もし、在家信徒のために欠くことのできないサービスを提供していると主張し、そのようないわゆる宗教的な力を独占的に行使する聖職者自身が冷笑的になったり、堕落したり、放縦になったりすれば、聖職者と信徒との志向性の相違はますます増大するであろう。このような過程によって魔法からさめた信徒は、救済を助けると主張する他の競争相手の機関に頼るか、宗教的な問題を自分自身の手に取り戻そうとするのである。

抽象的に概説された以上の過程は、プロテスタンティズムの歴史に顕著な、さまざまな歴史的事例に当てはまる。宗教改革は、はじめは在家信徒の運動ではなかったが、すべての信徒が聖職者になり得るという万人司祭説が在家信徒の熱望と合致したのであり、その後の異議を唱える運動や分派的な運動は、救済の恩恵にあずかる、より直接的な方法と、信徒が宗教的経験を得るためのより大きな機会とを求めたのである。聖職者と一般の信者との間のこのような闘争は、決してキリスト教の歴史に限られたものではなく、さまざまな宗教的系譜において発生している。

したがって、活気に満ち、急速に成長している新興の信徒運動と、その信徒運動が結びついている聖職者カースト制に統制されている旧来の宗教教団との間に緊張が起こることは、何ら驚くべきことではない。聖職者の多くは世襲によるものであり、彼らは「救済」にとって重要な職務と役割を独占していたが、僧侶集団と信徒集団とのそれぞれが、当初は互いに多くのものを得ていたといえる。創価学会と日蓮正宗の関係においても同じであり、創価学会は日蓮正宗に資金を与え、老朽化した寺院を修復し、新しい建物を寄進した。その代償は、創価学全の会員に(時には創価学会員でない信者に対しても)御本尊の複製を授与し、葬儀や追善法要、日本のさまざまな仏教宗派の僧侶によって行われる典型的な儀式である戒名の授与などの執行によって、会員の宗教的実践を正当化することであった。しかしながら、そのような相互依存関係にあっても、対照的な二つの宗教組織の間に起こる固有の緊張は解消されなかった。それぞれの組織は、その出現時に優勢であった社会的条件の文化的影響を強く受けていた。日蓮正宗は、日本が外の世界から隔絶していた数世紀における狭く制限された視野しかもたない、保守的で小さい隔離された団体であった。創価学会は近代的条件に適合した一つの信仰復興運動であり、当初から拡張政策をとり、また海外での布教の展開と会員の獲得を速やかに達成していった。日蓮正宗の特徴は、権威主義的で地位を重視し、階級制的であった。在家信徒の組織である創価学会は大衆主義、平等主義であり、僧職という概念に特有な地位の相違といったものを認めなかった。ここでは輪郭を簡単に記すことしかできないが、両者の分裂の歴史は、その根底にあるこれらの傾向を正確に描き出している。

日蓮正宗と創価学会との摩擦は、この在家運動の当初から起こっていた。戦時中の日本政府が、全ての仏教寺院と在家信者の家に神宮大麻を祀るよう要求したとき、創価学会のリーダーであった牧口と戸田はそれを拒んだが、日蓮正宗の僧侶たちは(総本山大石寺の大坊に神棚を祀ったときと同様に)権力者をなだめるためにそれを受け入れた。そのときに、両者の相違は明らかになった。この聖職者の裏切りは、何人かの学会員の心に深く刻み込まれた。彼らは真の信仰を守る点ではるかに熱烈であったとして、僧侶よりも初代と二代の創価学会会長を支持することができたのである。1943(昭和18)年、政府の命令に従わなかったために牧口と戸田は投獄され、1944(昭和19)年、牧口は獄中で死去した。1952(昭和27)年、一度破門されたにもかかわらず、戦後復職していた一人の日蓮正宗僧侶を幾人かの創価学会員が詰問する事件が起こった。その僧侶は、政府の命令によって要求された神宮大麻の拝受を宗門にそそのかした人物であった。しかしその事件のあと、宗門は日蓮正宗の信徒代表を意味する大講頭の地位と総本山に登山する権利を剥奪すると、戸田を脅したのである。このような時でさえ、宗門にとっての関心事は、信徒の力がどのくらい大きくなったかという点であり、信徒に対する僧侶の優位をいかに守るかということでしかなかった。

1977-9(昭和52-4)年の摩擦の噴出においては、状況はより複雑となった。これは、宗門が「52年路線」と呼んでいるものに創価学会が進んだ時期である。宗門は、池田創価学会会長が1976(昭和51)年11月と1977(昭和52)年1月の講演で展開した考えに強く反発した(この講演は『池田会長、仏教史観を語る』と題した小冊子として聖教新聞社が刊行・配布したが、日蓮正宗からの抗議によって後に廃刊となった)。そのなかで、池田は僧俗の役割と定義について御書を引用しつつ論じ、「創価学会は在家、出家の両方に通ずる役割を果たしている」と結んだのである。彼はさらに、真の出家であるかどうかを決定するのは、剃髪や僧衣ではなく、内なる心と態度であると主張した。多くの民衆が苦難を乗り越えるのを助けようと決意した人々はみな、「出家か在家かを問わず」、また外面的な形態に関係なく、「精神においては出世間の人々」なのである。彼は大荘厳法門経を引用しながら、僧衣を着ることによってではなく、有情の心を不純なものから解放する働きによって、人は現世を離れる、すなわち出世間が可能になるという趣旨を語った。彼は諸経典を引用しながら僧侶だけではなく、仏法に献身しているいかなる在家信徒もまた供養を受けることができると主張した。さらに彼は、特に創価学会のために次のように結んだ。「私たち創価学会もまた大法師の名に含め〔られ〕、今日における真実の出家という意義になってくるのであります。日達上人猊下も『有髪無髪を問わず、戒壇の大御本尊を南無妙法蓮華経と拝し奉るすべての人が、和合僧の一団となってわれわれ僧侶とともに、その和合僧の一員であるということになるのでございます』とはっきり申されている。すなわち出家も在家も全く同格であるとの言であります」。池田はさらに、創価学会の会館と研修所は、「近代における寺院」であると述べ、そして柔らかい調子で次のように付け加えた。「日蓮正宗の寺院は、御授戒、葬儀、法事という重要な儀式を中心とした場であり、これに加えて、広布の法城たる会館があることによって、はじめて進歩と躍動の『開かれた宗教』の勃興があることを銘記していただきたいのであります」。彼は、あまりにも保守的で静的な因襲的宗教の受動的なあり方を非難したが、それこそ、創価学会が「新しいタイプの組織を創っている」理由であった。

この主張は、ますます成功しつつある創価学会運動の雰囲気を表していた。そのなかで信仰への新しいダイナミックなあり方を求めて大胆な主張がなされたが、それは日蓮正宗の停滞した固定的なスタイルヘの挑戦であるとともに、古色蒼然としたものに対して「現代性」が、儀礼に対して「信仰」が、伝統的な習慣に対して「合理的な方法と手続き」が取って代わるプログラムを提示したものであった。池田は日達上人の言明を引用しているが、それは日蓮正宗の僧侶全体にとっては、あまりにも先進的な内容であったため、彼ら宗教的専門家と平等の地位にあると見なされる信徒による「第三の教団」を作ろうという、この大胆な主張には怖れを感じる以外になかった。もし彼ら信徒がさらに進んで儀礼を執り行う役割までも担うようになれば、僧侶たちはその特別な地位と生計との両方を失うと感じたであろう。

創価学会のリーダーは、この期間のことを次のように書いている。

(創価学会が日蓮正宗に寄進して大石寺に建てた大本堂である「正本堂」建立以降は)宗教運動についても『広布第二章』と銘打ち、大聖人の仏法を社会により広く一深く浸透せしめるための新しい展開を開始したのであります。そこで教学的にも『生命論』を中心に、大聖人の仏法を社会と時代に一段と大きく開いていく展開を積極的に進め、多くの人々の共鳴を得る方向を目指したのであります。もとより、この『広布第二章』の展開を通し、学会のいっそうの発展と布教の一段の拡大こそ、それまで以上の宗門外護に通ずると確信したからであります。いわゆる『52年問題』というのは、こうした学会の『広布第二章』の真意を宗門側が正しく理解せず、学会の会館建設や教学の展開あるいは宗教法人上での整備などの措置について、あたかも学会が日蓮正宗から『独立』するための布石ではないか、と疑念し、それが拡大していったところから生じた問題であります。それは、宗門の『保守』と、広宣流布への積極的展開を図る学会の『革新』との間に生じた摩擦であったと言えましょう」

宗門はこうした創価学会の発展に対して異なった見方をとっていたが、結局、学会の目的は宗門を支配し、傘下におさめようとしているのだと断定した。彼らは、創価学会の初期の活動、時に第2代会長戸田城聖の苦闘を聖人伝風に綴った小説『人間革命』が「現代の御書」であると論じられ、会員に勧められていたと信じた。また、日蓮正宗とは別の創価仏法という概念が導入され、さまざまな賛嘆の言葉が法主ではなく池田大作に向けられ、創価学会は宗門を介さずに日蓮と「御書」に直結する団体であるという考えを推進していると信じた。彼らは、創価学会の全館が寺院と同等のものとされている点を非難し、また学会のリーダーが結婚や法要の儀式を行っているとさえ主張した。何人かの僧侶は精力的に批判活動を行い、激しい論争の末、日達上人は創価学会が正宗の伝統教義から逸脱しているとの訓戒を出すに至った。

1978(昭和53年)、創価学会は日蓮正宗との和解を目指すことを決め、指摘されたいくつかの「過ち」を認めることになった。同年6月30日、創価学会教学部は「教学上の基本問題」と題する見解を聖教新聞に発表し、宗門から指摘のあった問題点を正した。その中で、御本尊を通して日蓮と直結することを強調したり、自己と御本尊との境地冥合(一体化)という表現を使用することは、今後は傲慢な表現と見なすことを彼らは確認した。なぜなら、日蓮との結びつきは伝統教義では法主を経由する必要があるからであった。また今後は、戸田会長による悟りが日蓮のそれと同等であること、あるいは戸田が日蓮仏教とは異なる仏教の創始者であると示唆するような言明を避けることになった。また創価学会の会長が本仏であるとか、「久遠の師」であるというような主張もしないことにした。宗門から離れて独自の仏教を創りたそうという意図はなかったのである。彼らは、在家者が供養を受けた先例があるという、以前の主張をも撤回したのである。

さらに同年11月7日、創価学会は総本山大石寺で代表幹部会を開催し、和解への意志を再度表明した。北条浩理事長(当時)は、次のように言明した。「数年間の流れのなかに、学会の独自性と社会的存在基盤を追及するあまり、創価学会の前提たる日蓮正宗の信徒団体としての基本および伝統法義についての意識が、会内において、しだいに希薄化していたことも否めません。…宗教のもつ現代的役割のうえから、在家の使命の側面を掘り下げて展開したのであります。しかし、そのことが、宗門、寺院、僧侶を軽視する方向へと進んでしまったことも事実であります。…今、このことを総括するに、問題を起こした背景に、宗門の伝統、法義解釈、化義等に対する配慮の欠如があったことを率直に認めなければなりません」

北条は、寺院参詣を学会のメンバーに奨励すること、また寺院の活動と重なる会館での宗教的行事を自粛することを約束した。創価学会の辻副会長は、創価学会が何体かの紙幅御本尊を適正な文書による手続きなしに、木彫御本尊へ「不用意に模刻した」ことを謝罪した。もっとも、この御本尊模刻は日達上人によって認定されていたのではある。また彼は、代々の創価学会会長へのますます強くなる尊敬の念が、「会長を称賛する行き過ぎた表現」を会員の間に生み出したことを認めた。

これらの撤回に応えて、法主日達もまた和解を受け入れる旨の挨拶を行い、いくつかの軋轢がこの騒ぎを招いたことを認めた。彼は、創価学会が方針を変える新しい決定を下したことを喜び、さらに次のように述べた。「宗門においては若い僧侶が多く、指導力が足りなくて信徒の皆様に御不満を招く場合もあるかと思いますが、僧侶も寺も、信徒の皆様の温かい御支援と理解と思いやりがあれば、より立派に育つものであります」。彼は、寺院を中傷する在家信徒を批判しつつも、以下のことを認めた。「この30年間、学会はまことに奇跡的な大発展を遂げられた。そのために今日の我が宗門の繁栄が築かれたことは歴史的な事実であり、その功績は仏教史に残るべき、まことに輝かしいものであります。しかし、その陰に、宗門の僧侶挙っての支援と協力があったことを忘れないでいただきたいのです。体制的には、学会の発展に十分ついていけない部分があり、依存することも多かったが幸い人材も次第に育ったので、今後は宗門としてなすべきことは自ら責任をもって果たしていく決意であります」。法主は、大衆社会で展開している大規模でダイナミックな創価学会運動と、古くからの作法と全く異なったリズムに従って運営されている半ば修道院的な宗門との間に生じた緊張の構造的な源泉に、明らかに気づいていたのである。

創価学会によるこれらの撤回と問題を緩和しようとする態度にもかかわらず、イデオロギー(教義)の統制や信徒の統制、供養の統制にかかわる問題の対立が残っていた。摩擦が続き、1979(昭和54)年4月、池田大作は創価学会会長と在家の筆頭代表である総講頭とを辞任することになった。日達法主は同年7月に死去し、阿部日顕が新法主に就任した。彼は極度に反創価学会的な僧侶をなだめようと試みたが失敗し、1980(昭和55)年8月、201人の僧侶が禁止命令に反して、創価学会に対するデモンストレーションを行い、創価学会インターナショナル(SGI)会長という池田の新しい地位を剥奪することを要求した。彼らは、日達の後継者である日顕法主の正統性にも挑戦した。この「正信会」と呼ばれる僧侶たちは、僧籍を剥奪され破門された。日本の一部の新聞は、異論を持つ創価学会職員の批判を掲載して論争をあおり立てた。この職員は、池田がまるで日蓮の生まれ変わりであるかのごとく振る舞っていると証言し、また、創価学会が御本尊の模刻を命令したという嫌疑を繰り返した。さらに、創価学会員は御授戒を受け御本尊を授与してもらうために末寺に行き、在家信徒として登録されなければならないにもかかわらず、日蓮正宗の信者という自覚がほとんどないと批判した。

これらの対立が止んでいなかったことは、1990(平成2)年にかつての諸問題がさらに蒸し返されて回顧的な相互批判が起こったことから明らかである。しかし、その間の数年間は、多くの創価学会のメンバーにとって両者の関係は解決されたように見えた。これは、イギリスの一般メンバーの印象においても明らかにそうであった。1990(平成2)年11月(この研究のための調査準備が最終段階に入っていた時期であったが)、2年に一度の御授戒がロンドンで行われ、「イギリス創価学会会報」の見出しを飾っていた。この御授戒について、イギリスSGI理事長は「あなたの人生にとって深遠で、きわめて重要なことです」と記し、彼はその執行を許可してくれた法主に感謝した。「イギリス創価学会のメンバーはみな、御本尊を授持しなければならない」ということが、一般に主張されていたのである。しかしながら一方では、この信仰は実践を始めたその日から各人がただちに仏界を湧現できる信仰であるというような、日蓮正宗僧侶の役割の範囲を限定する発言も同時にあった。「この直接性は、聖職者が信者と…祈りの対象との間を媒介する位置を占めている他の宗教とは対照的です」。宗門の役割は、御書の教えを純粋に維持し、御授戒や他の儀式を行うことであった。他方、「創価学会が60年前に創立できたのは、宗門による幾世紀にもわたる献身と支援があったればこそである」という、1978(昭和53)年の法主による指摘を反映しているところもあった。

1990(平成2)年12月に勃発した宗門と創価学会首脳部との相互非難を、ここで詳細に追跡することはできないが、それは日蓮正宗の宗務総監が、同年11月16日の第35回本部幹部会における講演で池田SGI会長が異教的な意見を述べたと非難したときに始まった。その講演の録音テープをもっていると、指導的な僧侶たちは主張したのである。この最初の非難に続いて、創価学会側がそれを「名誉毀損」であると見なし、強烈な不信感と怒りの申し立てを行い、その後もたれた両組織のリーダー間での会合で白熱した論議が表明された。後に、日蓮正宗は録音テープの反訳の誤りを認め、最初に指摘したいくつかの非難も結果として撤回したが、その時にはすでに賽は投げられ、宗門と、大多数の在家信者を抱える創価学会との間の明らかな分裂を示す段階に至った。

池田と創価学会に対して向けられた主な非難はかなり多様であり、取るに足らないものや本来あり得ないものも含まれていたが、それら全ては、創価学会のリーダーシップに対する宗門の根深い不信を証明していた。しかし結果としては、僧侶の行為に対する在家の不満の表明へと導くものであった。池田の講演に関連した第一の告発は、池田が法主に批判的であったということであった。それは、彼が(浄土真宗の開祖である)親鸞と日蓮とを比較し、(他の仏教教団の教えを拒絶する原理である)「四箇の格言」の妥当性を否定したと申し立てた。また、神への引喩を含んだベートーベンの「歓喜の歌」を歌うよう信者に熱心に薦めることで、彼は仏教にあらざる教えを称賛するのと等しく振る舞ったとされた。さらに、布教における正しい形態である「折伏」を退け、「摂受」という次第に誘引する方法を好んだと批判されたのである。

同年12月27日、日蓮正宗は臨時宗会を突然開催し、信徒代表に関する宗規をあっという間に改定し、池田から「総講頭」――教団に所属する全ての在家組織の長――の地位を即座に奪いとり、創価学会の他のリーダーたちを「大講頭」から解任した。ところが、この池田総講頭、秋谷大講頭らの事実上の解任処分の理由が「四箇の格言」と「折伏」について伝統教義を逸脱した等の批判であったにもかかわらず、この2問題に関する批判は、その根拠となる録音テープの反訳に誤りがあったことが明らかとなり、翌91(平成3)年1月15日に撤回されてしまった。しかし、その後の創価学会側からの度重なる抗議にもかかわらず、解任処分は撤回されることはなかった。

特定の問題に限定されていた初期の告発は、すぐに非難と制裁の応酬へとエスカレートしていった。大石寺への参詣登山を以後SGIには許可しない、登山を希望するものは「檀徒」として末寺に登録すれば可能であるという日蓮正宗からの広告が、1991(平成3)年1月5日に日本の新聞に掲載された。しかしながら、この創価学会員の登山禁止の結果はただちに現れ、大石寺側は7月の登山シーズンの18日間には、今までであったなら百万人以上の登山客を期待できたのに対し、五千人しか期待できなくなった。11月には、この対立のあおりを受けて地元の輸送会社が赤字となったと報道され、翌92(平成4)年の2月には、大石寺への登山客があまりにも劇的に落ち込んだので、富士宮駅との間を往復するバス路線が廃止になったと報道された。古くからの問題も再燃した。1月6日、10日に総本山大石寺で開かれた日蓮正宗教師指導会における説法で、日顕法主は、池田会長(当時)は創価学会がその建築費の大半を負担して建設した「正本堂」を「末法における本門の戒壇」であると勝手に宣言し、法主の権限を侵す不敬の罪を犯したと批判したのである。創価学会は、それ以前に全く同じ趣旨の宣言が日達上人によってなされたことを引き合いに出して、その正当性を主張した。3月に入ると、日蓮正宗は、池田SGI会長が海外のメンバーの指導に責任を負う唯一の人物であるという承認を撤回し、またSGI以外に海外の信者組織を認めないという既存の方針も取り消した。総本山は、いわゆる「檀徒」運動を組織する使命を帯びた僧侶を海外に派遣し、それによってイギリスと、スペイン創価学会のリーダーを含む他のヨーロッパ諸国の幾人かのメンバーが脱会した。7月には、創価学会が去る5月に「会員のために独自の葬儀を行う予定であると発表した」と報じられ、さらに11月には、創価学全は「日蓮正宗の僧侶を出席させない結婚式と葬儀を催すことで、日蓮正宗の規則を破り始めた」と報道された。同月、本山は創価学会に解散勧告書を提出することを決定したがが、池田を破門する措置をとるだろうという推測が流れ、2,3日後の記事には、学全は「日蓮正宗の法主を追放する運動を展開する」と述べられていた。11月28日、創価学会が日蓮正宗の教えを完全に逸脱したという理由で、創価学会を日蓮正宗から破門することが決定された。

事件の新しい展開は、宗門に異議を唱える何人かの僧侶が、本山と法主、その運営体制への批判合戦に加わったときに始まった。法主日顕は、競争相手の禅宗の寺院によって管理されている家墓地に豪華な墓碑を建立し、その寺に供養をしたとして非難された。彼はまた、豪壮な自宅の建設を計画していると批判された。他の僧侶たちも、ゴルフとナイトクラブ通いに熱中していると非難された。異議を唱える僧侶から出された告発のリストには、日蓮正宗は血族関係によって僧侶を差別し、由緒ある家系につながる僧侶は条件の良い寺院を割り当てられ、他方、そうしたつながりのない者は遠隔地に飛ばされるという非難が加わった。またある者は、日蓮正宗が「この論争を意図的に引き起こした」と強く主張した。本山で修行を積んだことのある元僧侶のベルギー人、クラウド・ウーターズは、酔っぱらった僧侶がしばしば行った「素早い勤行」や、精神的な堕落、世捨て人的な冷笑そして法主日顕のかんしゃくの噴出などについて報告した。

この1年間に、少数の僧侶が日蓮正宗から離脱した。最初は家族が創価学会員である僧侶が主であったが、後に離脱者は創価学会に関係のない僧侶へと広がった。その中には日達前法主の息子を含む、名高い僧侶もいた。さらに、宗門に残った僧侶たちも加わった「憂宗護法同盟」という暗に日顕に反対する団体も結成された。1992(平成4)年10月、その数は500人にのぼると報告された(僧侶の全体は約1,300人と考えられる)。僧侶の離脱に伴って、いくつかの寺院は同じく日蓮正宗から脱退したが、1993(平成5)年2月までに、それは25ヶ寺にのぼると報告された。そうこうしている間に、より一層不名誉な出来事が暴露された。新しい入信者のために海外で初めて行われた御授戒の儀式の際、(当時、日蓮正宗教学部長であった)日顕が売春婦へ料金を払わなかった問題で警察の世語になったことが、アメリカのシアトル在住の1メンバーから報告されたのである。日顕は、この情報を公表したメンバーを嘘つきであると断言したが、その結果、そのメンバーはアメリカで日顕に対する名誉棄損訴訟を起こし、現在係争中である。

1991(平成3)年12月28日、創価学全は約1,400万人の日本人と200万を越える海外の人々の署名とともに日顕法主の退座要求書を提出した。その中で、彼は偽善者として批判されたが、それは、この年の新年のメッセージで日顕が池田を称賛していたからであった。このメッセージが語られたちょうどその頃に、日顕を含む古参の僧侶が池田を打ち倒す陰謀を企てていたのである。その日顕は今、邪義を唱えた罪と、自らは全く誤りがなく絶対的であると宣言した罪で告発された。同時に、歴代の法主や日蓮自身の教えでさえも単なる「部分の教え」と見なすことを、公式の講演で僧侶に言わせたことで告発された。退座要求書は、また、創価学全が日蓮正宗に対して正本堂のみでなく、意義深い大講堂と大客殿を大石寺に建立・寄進し、敷地内のさまざまな施設や約350の末寺をも寄進してきたことを思い起こさせた。同時に創価学会員は、1990(平成2)年3月に、事前に打診することもなく宗門が大石寺の御開扉料を値上げしようとした事実を、初めて知らされた。彼らは塔婆供養料に関してもすでに疑問を抱いていたのであるが、これらの供養料の値上げ要求に対して、1990年7月以前から、創価学会首脳部が、宗門にぜいたくな生活をやめるよう要求していたことが明らかになったのである。

塔婆問題は、いまや日本の全員にとって重要な争点となった。創価学会会長・秋谷栄之助は、今まで「私たち一般の信者は、宗門がかかえている諸問題を黙って見るようにしてきました」と語った。彼はマルチン・ルターによる宗教改革を引き合いに出しながら、僧侶の贅沢について批判した。「同様に、宗門は、もし十分な数の塔婆供養をすれば……故人の罪は消えると言っていた。そして彼らは、亡くなった家族それぞれに塔婆を立てなければならないと、見境いもなく日本中を言い歩いています。……なかには、8本もの塔婆供養を行うよう強要された方もいました。塔婆を立てた後に、僧侶は、故人の全ての罪は償われたと言うでしょうが、これは金儲けの手段以外の何ものでもありません」。

事件を再検討する中で、創価学会の首脳部は、宗門当局は、池田を失脚させて在家信徒に直接権威を行使しようとする「C作戦」と命名された陰謀を、1990(平成2)年7月から画策していたと結論を下した。問題の核心は、僧侶と在家信者との地位に関することであった。創価学会は、両者はその重要さにおいて平等であると宣言したが、日蓮正宗の僧侶は、その主張に対し傲慢で信徒の団結と三宝を破壊するものと見なした。しかしながら、創価学会は、宗門は「御本尊と在家信徒との間の媒介する必要不可欠な存在として自らを確立しようと」目論み、その目的のために、「信徒にとって聖職者が無くてはならなくなるように考案されたさまざまな儀式」を編み出してきた。だからこそ、彼らの関心は、収入の大半をもたらす塔婆や他の儀式へ向かったのであると強く主張した。彼らはまた、分裂の理由とされたものが、1990(平成2)年11月16日の池田の講演に対する異議申し立てから、「正本堂」を本門の戒壇と見なした1968(昭和43)年の池田の証言へと変わってきたことにも注目した。この問題については、創価学会は現在、全くの捏造であると見なしている。なぜなら、池田は当時の日達法主によってなされた同様の認定を繰り返しただけであり、また日顕自身も以前に断言していたからである。日顕はその後、自分のかつての声明を覆したのである。

秋谷はまた、1977(昭和52)年の対立以降の学会側の和解をめざす政策と池田会長(当時)の辞任は、ひたすら宗門との分裂を避けるためのものであったと見なし、「学会が謝罪し仏法を説明する方法を変更する道を選択したのは、広宣流布という偉大な運動をただただ守るためでありました」と主張した。いまや、学会の首脳部は、以前の謝罪と譲歩を撤回した。特に、8体の紙幅の御本尊を木彫へと模刻したことについて、そのような模刻は「よく行われる行為」であると考えた日達上人の認可のもとに行われたことを主張して、いささかも誤っていなかったと彼らは断言した。1978(昭和53)年に公表された『教学上の基本問題について』という文書で述べられたさまざまな譲歩が撤回された。その文書は今では、宗門からの威嚇と宗門との団結を維持したいという学会の強い願望によって作成されたものにすぎないと見なされている。

この分裂劇を特徴づける、複雑で入り組んだ批判と反批判の過程の何が正しく何が誤りであるかは別として、根本的な問題は明確である。創価学会は、在家主義の精神に基づき、日蓮の教えを現代世界における日常生活に活かし実践していこうと献身している外向的な大衆運動である。日蓮正宗の僧侶集団は、本質的に古未の儀礼と半ば修道院的な体制に閉じこもっており、その権威を守ることと特定の聖なる教えや場所、物の独占に関心が向けられている。日蓮正宗は、祖先崇拝に関連するさまざまな要素を含む伝統的な日本仏教の多くの属性を遺したままであり、したがって、葬儀や追悼的事物、儀式を強調し、これらを在家信徒にとって無くてはならない行為として組み込んできた。宗門は、創価学会の近代性そのものを疑っていたのであり、創価学会運動が推進してきた大衆向けの文化的活動や、創価学会が掲げる社会的政治的関心を疑いの眼で見てきたのである。他方、創価学会としては、僧侶たちが奨励してきた葬儀や代々の先祖の霊を尊崇するという日本の伝統的儀礼の執行に多額の費用がかかりすぎるとリーダーたちが感じながらも、その批判を最近まで押さえ込んできた。僧侶の品行や態度に対する不信と批判は、これまで首脳部同士の会議で時折り控えめに表明されてはいたが、今やあからさまな批判となり、日本宗教の基底部にある諸前提が、時として聖職者に対するマルクス主義的な批判を思わせるような口調で暴き出されるようになった。たしかに、この鋭い挑戦は創価学会をさらに世俗的な社会との協調へとより直接的に向かわせ、儀礼主義からの脱皮をもたらし、それによってさらに、創価学会が本来有していた信仰の伝統を再活性化させることになった。

1992(平成4)年に、イギリス日蓮正宗(NSUK)という古い名称をイギリス創価学会インターナショナル(SGI-UK)という名称に変えるために必要な法的手続きを取ったイギリスのSGIメンバーにとって、宗門は彼らの仏教信仰の経験にとって必要不可欠な部分でもなければ、目立った要素でもなかった。葬儀と法要やその儀式に必要な付属物のすべてが日本から輸出されていたわけではなく、イギリスや、また日蓮正宗の聖職者のいない他の西洋諸国では、日蓮仏教の実践はそのような文化的に馴染みのない事柄からは自由であった。宗門の儀礼中心主義や聖職者中心主義の主張が、たとえ日本で、聖職者と信徒とは平等であるという創価学全の主張によって挑戦されたとしても、そのような主張は、イギリスでは「御授戒」の機会を除けば、ほとんど当てはまらなかった。イギリスのメンバーは組織内の定期刊行物によって論争を知らされ、人によっては動揺するような経験であるこの事件についての説明もなされた。イギリスの幹部は、その問題は何ら新しいものではなくて「数百年前に」さかのぼるものであり、また日本の宗教に特有のもので、「日蓮正宗内の問題であるばかりでなく、日本における仏教の歴史の根幹にあった問題である」と説明した。西洋における日蓮仏教は、イギリスのリーダーが次のように論評したように、日本に比べてはるかに世俗化された運営方法にすでに順応していた。「ここイギリスでは、僧侶と会うことは滅多にありませんし、……私たちは末寺の運堂の方法と役割についてはほとんど知りません。……私たちは日本のメンバーが絶え間なく遭遇していた、寄付の要求や『信者』に対する冷淡で時には傲慢な態度には、出会ってはいないのです」

イギリスにおける在家の信者に対する僧侶の唯一重要な職務は、「御授戒」の執行であった。御授戒は必ずしも全員になる場合の必要不可欠な儀礼であったわけではないが、たとえそれが、儀礼主義的な宗教の基準から見れば簡潔なものであり、複雑な儀式的手順や法衣、または重要な付属品によって飾られたものではなくとも、入信を正当化する機会となっていた。日蓮正宗との不和が発生してからは、SGIのメンバーであることは証明書の発行によって認定されることになったが、それは聖なる儀礼の執行から合理的な手続きへの目に見える変化であり、それ自体、世俗化を示す証拠である。

儀式は廃止することができたが、御本尊についての難しい問題が残っている。新しくメンバーとなる人々が以前に受け取っていた複製の御本尊は、法主の権威のもとに発行されており、法主の聖なる手によって筆写され、そこから多くの複製御本尊が木版過程を経て印刷されていた。法主のみが、そのような模写をする権能を与えられていた。分裂にともなって、SGIメンバーとして日蓮正宗との関係を断った人々には、法主によって認定された御本尊はもはや手に入らなくなった。それでも、御本尊は実践の中心にあり、個人が自らの仏界を実現するための媒介であり、唱題を通して自らの生活を振り返り、自分の精神を知ることができる鏡であった。どこにおいても、唱題だけでもそれ自体に力があると常に認められていたが、その一方で、御本尊は信仰行為を完結させる常に重要な要素でもあった。もちろん、古くからのメンバーはこれまで通り自分の御本尊を活用できるし、新しいメンバーは会合や各会館で御本尊を知るようになるであろう。御本尊は実践を正当化するのに役立ってきた。そして、いかなる意味においても、御本尊が何かに取って代わられるとか、創価学会の信仰の中心的な位置を失うということは考えられない。しかし、信仰心や精神的態度の重要性が再び強調されると予期することはできる。イギリスのメンバーは「日蓮の時代には、多くの信徒は家庭に御本尊を持ってはいなかった」ことを思い起こしてきた。そして、「もちろん、メンバーが御本尊を引き続きいただければ良い」と認めつつも、その一方でまた、「結局、信仰がなければ家に御本尊があっても無意味です。もっとも重要なのは、その人の信仰そのものなのです。私たちの信仰は、たとえ私たちが御本尊の授与を拒否されても不動です」と強調している。創価学会が、日蓮仏教への信仰と御本尊とを引き続き重要であると考えていることは、1991(平成3)年12月の世界中の1,6249,368人のメンバーによる法主日顕への退座要求書の中でも強調されていた。

 

〔本付論は、原著者の了解のもとに、中野が、出来事の時間的経過に沿って内容を整理、修正した。〕

 

 

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