死の体験

臨死現象の探究

カール・ベッカー

 

はじめに

 最近、日本において臨死体験や脳死問題が話題になっている。筆者は20年前の学生時代からこのような問題を研究してきたが、ようやく日本でも、これらのテーマを学問的な視点から考察できる時代になった。

 本書では、大きく分けて、一つの観点から死と死後の問題を考察している。第1章から第3章は、いわゆる臨死体験というテーマを中心にし、その内容、特色、分析、学術的な論争などを具体的に紹介する。さらに深く臨死体験を理解するために、第4章から第7章では、体外離脱、出現物、そして科学者の超常現象研究に対する理解と批判を探る。超常現象の研究と論争が日本ではまだ定着していないことから、これは西洋的な現象に見えるかもしれないが、昔から日本人も同じような超常現象を体験してきていることを忘れてはならない。東洋的な体験と解釈を再検討する意味で、第8章から第10章では、東洋仏教での瞑想体験、臨死体験、そしてチベットの「死者の書』を考察する。終章では、研究の実践的な応用とその意義を紹介しようと試みた。

 学生時代から「なぜ死を研究するのか」と、たびたび自分に問うてきた。その理由は、まず、10代の頃から親戚や友人の死を多く目にしてきたらである。シカゴ大学付属高校の同級生の中には、交通事故や麻薬、拳銃などで若くして命を失った者がいる。大学時代には、癌や飛行機墜落事故、ベトナム戦争などで、何人もの友人を失った。

 教鞭をとるようになって、恩師や先輩、親戚や友人の死を見てきた。筑波大学においても、交通事故死や自殺に出会い、また憎むべき殺害によって、教え子のみならず教官までが命を絶たれた。毎日、人は亡くなっているし、死はだれもが避けることのできない運命だが、それでも、日常的で当然であるというわけでは決してない。死に出会うたびに哀惜の念でいっぱいになるし、彼らの死によって命の尊さを学ばされたといえるだろう。

 命の尊さは何らかの結論であってはならず、あくまでも出発点に過ぎないのである。つまり、人生が有限であるからこそ、人生をいかに生きるべきかという課題が生じるのである。端的にいうと、哲学や倫理学は生き方を反省し再検討する学問である。だから、死の研究は決して暗い研究ではなく、「生」への積極的な問いかけなのである。

 長年、日本で勉強する機会と、多くの日本人の友人に恵まれた筆者は、日本に骨を埋めたいとまで思っている。なぜそこまで思うようになったかといういきさつは、別の著書で述べたことがあるが、日本の伝統的な思想が、現代社会に重要な貢献ができると確信しているからである。しかしながら、日本の現在の医療システムは、表面的に西洋の模倣をし、日本の伝統的な側面や人間的な側面を失いつつある。したがって、日本で死にたいとは思っても、病院では死にたくないという気持ちになるのも当然だろう。きわめて勝手な考えだが、筆者が命をまっとうするまでに、少しでも自然な死に方が、病院でもできるようになっていてほしいものである。であるから、学者としてのみならず、一人の人間としても、常に日本の医療のありかたと死についで考えている。命の尊さ、生きかたの大切さ、そして日本的な死にかたを現在に至るまで学んできたが、さらに今後も考えていきたいと思っている。

学問的に死と来世観についての研究を進める上で、数多くの方々のお世話になってきた。この場を借りて、感謝の念を表わしたいと思う。まず、大学院時代からの宗教学の指導教官である、京都大学の長谷正当先生からは、浄土思想について多くのご教示を賜った。また、東京大学の木村清幸先生と上野学園大学の坂東性純先生からは、お二人がハワイ大学に滞在しておられた時に、日本の宗教や親鸞に関して貴重な助言をいただいた。筑波大学で筆者が宗教学を教える機会に恵まれたのは、荒木美智雄先生のおかげである。またその頃、同大学の哲学思想学系にいらした湯浅泰雄先生、小川圭治先生、そして在任中の川崎信定先生、竹村牧男先生、宗教心理学研究所の本山博先生にも貴重な助言やお言葉をいただいた。国際日本文化研究センターにおいて筆者が共同研究を行なった際、梅原猛先生、久野昭先生、伊東俊太郎先生にも大変お世話になつた。立花隆先生、遠藤周作先生、中川米造先生との対談によっても、多くのことを学んだ。

 

1  臨死体験

 

人間の中には、死ぬまぎわに、美しいあの世へ導いてくれる神のような菩薩が来迎する体験をする者がいる。また、一時的に死亡してあの世へ行き、蘇生した際にその体験を語る者も稀にいる。このような体験は、中国や日本における浄土教や、浄土真宗だけではなく、その他の多くの宗派の人々にも見られる現象である。浄土教や浄土思想がこのような体験を生んだというよりも、これらの体験そのものが浄土思想の根源をなしている、といえるのではないだろうか。本章では浄土宗、浄土真宗などの特定の宗派に限らず、臨死体験を幅広い視野から扱いたいと思う。なお臨死体験とは、前に述べたような死ぬまぎわに見るヴィジョンや、一時的に死亡した後に蘇生し、語られる体験を意味する。

あの世の体験談は、浄土教が日本に伝来する以前にも数多く書き遺されている。例えば、行基と智光の有名な話が挙げられる。行基と智光はお互いに競いあっていたが、天平16年(744)11月に行基が大僧正に任命された。ショックを受けた智光はその直後に下痢を起こし、1カ月後に死亡した。死ぬまぎわに智光は、9日間は死体を火葬しないよう弟子たちに命じたが、その9日間のうちに、地獄を巡った。そこには、行基が死後に住むことになっている黄金の御殿と、その北側に智光が罰を受ける場所とがあった。そして、智光自身の意思とは無関係に、彼は火・熱による厳しい罰を受けさせられる。その罰が9日間続いた後、智光は現世に戻され、行基と出会う。智光は地獄での体験の一部始終を行基に話し、彼に対して織悔する。これを聞いた行基は喜び、智光も以後は嫉妬することをやめ、両者ともいっそう教化に励んだ、と『日本霊異記』に記されている。

 この話では、極楽と地獄が共存しており、それを目撃した人間が、甦った後にその光景を語っている。死亡状態にあった9日間、智光がどのような昏睡状態にあったのかは定かでないが、それにこだわる必要はないだろう。むしろ、本人の医学的な病状よりも、心理的な状態が重視されている点と、智光の体験が本人だけではなく、周囲の者にも心理的に強い影響を与えた点が、この話の眼目である。そして、人物名、年代、場所などがこのように明記された話は、『日本霊異記』のみならず、『日本往生極楽記』などの「往生伝」や、『扶桑略記』などの仏教的な古典に数多く収録されている。

 一般的に、このような話は単なる説話や迷信として扱われてきた。しかし最近の臨死体験の研究によって、きわめて類似した体験が西洋でも数多く見られることが明らかになってきた。このような他界体験・臨死体験は、近年、日本でも再検討されるようになってきている。

「日本民俗学の父」と呼ばれる柳田国男も、20世紀における臨死体験を数多く収集している。

典型的な臨死体験には、以下の8つの要素が挙げられる。すなわち、

()トンネル

()花園

()三途の川

()人生に対する反省責二@三署一

()死者との出会い

()菩薩との出会い

()気分の高揚、あるいは病気の治癒

()地獄の体験

である。

 これらは『観無量寿経』や『阿弥陀経』の中に見出せる現象である。特に、『観無量寿経』には典型的な臨死体験が多く収められているが、この経典は少なくとも5世紀には完成していた。

そして、『観無量寿経』を知る知らないにかかわらず、多くの中国人や日本人が同様の臨死体験をしていたことは明らかである。

 本章では、最近記録された臨死体験に注目したい。なお、それらを取り上げるにあたっては、前述した8つの要素の順に話を進めていく。

 

  1 トンネルの体験

昭和60年10月21日、歌手のフランク永井氏は首吊り自殺を図った。夫人が発見したときにはすでに手遅れ同然だったが、さまざまな人々の努力によって氏は一命をとりとめた。氏によると、首を吊った瞬間に呼吸困難となり、視界が一瞬真っ赤になった後、真っ黒になったという。空中に歪んだ自分の顔が見え、次第に奇妙な音が聞こえ始めた。その音は次第に大きくなり、氏は暗い穴のようなトンネルの中に吸い込まれていった。そして急に上昇し、浮遊しながら自由に壁や扉を通り抜け、下界の様子を見ることができたという。肉体との繋がりを断たれて柔らかい光に包まれ、再び急上昇した。ふと気づくと、平地に立っていた。前方の花園から美しい音楽とともに今は亡き肉親や友人の声が聞こえ、懐かしさと会いたい気持ちに駆られ、そちらへ歩き出した。そこには渡ると死に、引き返すと生き返るという三途の川があり、氏は何らかの力によって引き戻され、蘇生したのである。

 永井氏は最近この話を友人の丹波哲郎氏に語ったのだが、この話の中に、いくつかの典型的な臨死体験の要素を見出すことができる。暗いトンネル、柔らかい光、花園、三途の川はいうまでもない。むろん、永井氏は自殺を図った際にこのような体験を期待してはおらず、また浄土教の信者だったわけでもない。にもかかわらず、前記の体験をし、甦った後にその体験を語っているのである。アメリカでは、トンネル体験が花園体験よりも多く記録されている。しかし、日本ではなぜか花園の体験の方が多いようである。

 

  2 花園の体験

 中岡俊哉氏は以下のような体験をしている。終戦後も5年ほど中国大陸に残った氏は、ある日、火薬を積んだ車で移動していた。その車が突然転覆して大爆発を起こしたため、12時間も死の世界をさまよい、その間に極楽を体験した。氏によると、そこは美しい花園で、そこにいる人々はみな楽しそうに見えたという。また橋の架かった川があり、渡ろうとすると、すでに亡くなったはずの伯父たちに「渡るな」と言われ、追いかえされ、この世へ生き返って来たのである。

 この体験は40年近くも前のことだが、中岡氏はこれときわめて類似した最近の事例を記録している。例えば、昭和62年5月28日、静岡県に住む54歳のM氏は、車を待っている際に暴験走車に援ねられ、16時間後に息を引き取った。しかし、医師が死亡を確認してから11時間半後に身体は動きだし、蘇生したのである。

 M氏によると、死後の世界は安楽界で、気持ちのよい美しい所だったという。そこには見ず知らずの多くの霊がいて、楽しく話をしており、その霊に、水仙のような花が咲く平地に案内されたという。キラキラと金色に輝く動物が、大勢の雲とともにに道筋を示してくれ、M氏たちはそれに従って進んだ。その後、空からこまかい煙のように垂れるものにつかまると、M氏たちは水の流れていない川に到着した。それは三途の川のようだったという。そばにあった石のようなものに腰をおろしたM氏は、ポカポカとして気持ちがよくなり、目を閉じた。すると、名前を呼ばれ、目を覚ますとこの世だった、というのである。

 また、昭和62年4月17日、群馬県に住む40歳の男性が、帰宅途中の午後6時過ぎに、柱の下敷きになっている子供を助けようとして、自らもその下敷きになって死亡した。しかしその晩、通夜の最中にこの男性は蘇生したのである。彼によると、死亡してから蘇生するまでの間、建物が並ぶ音のない世界で人々に迎えられ、建物の中では、老人や子供が輪になって浮かぶように花の上に坐っていたという。甘い花の香りに満ちた暖かい内部は透明で、彼自身、自由にいくつもの建物の内部に入ることができた。実際に花の上に坐ってみると、体が浮くようだったという。やがて、建物から出て外を歩いていると、急に足が重くなり、その拍子に彼は気を失った。そして、目を開けると自分の通夜だったという。

 以上のような花のイメージや花園、花の上に坐るという体験は、日本人の臨死体験に多く見られる現象の一つである。

 

  3  三途の川の体験

 三途の川の体験は、すべてが本人の期待やそれまでの教育によるとはいえない。ここでは特に、子供の例を取り上げてみよう。例えば、ナショナル証券の増田氏(59歳)は、小学3年生のときに兵庫県宝塚市の自宅で、こたつの中で眠り込んでしまったときのことを次のように語っている。

 気がついてみると、大勢の人々が目の前で次々に川を渡って歩いていくので自分も渡ろうとすると、番人に「お前は帰れ」と言われたという。怖くなった増田氏は必死に走って逃げた。また、上空にある穴のようなものからたくさんの顔が氏を見ていたという。実際には、増田氏は煉炭こたつで一酸化炭素中毒になっていた。たくさんの顔が見ていたというのは、氏の両親が医者を呼んで、みなが心配して彼を見おろしていたのだった。それ以来、神が存在するような気がする、と増田氏は言っている。

 また、私の教え子である筑波大生の姉のMさんは、4、5歳の頃に小児喘息で危篤状態になったが、幸い人工呼吸で命を取りとめた。危篤状態に陥っていた際、Mさんは川の流れる花畑にいて、川向こうから女の子に遊ばないかと誘われだそうである。注目すべき点は、この時点ではMさんは三途の川の話など知らなかったことである。以上のような事例から、三途の川の体験は本人の期待や教育によるものではないことがわかる。

 

  4  人生に対する反省

 前に述べた行基と智光の話によれば、地獄では罰を受けることがあるというが、むしろ自らを省みる体験が多いように思われる。例えば、東京に住む会社員の青島輝和氏(46歳)は、26歳のときに交通事故で重傷を負い、収容された病院で臨死体験をした。氏の乗っていた車は夜中にスリップ事故を起こしてガードレールに激突し、病院に運ばれた際、氏は全身骨折で体がグチャグチャだった。気がつくと、横たわっている自分の姿と、周囲の人々が自分を手当てしている光景を見ていたという。なお氏が語った人々の衣服や様子などは事実と一致している。医者が「もうダメだ」と言い、両親は葬式の準備を始めた。話しかけても誰も気づいてはくれず、大変腹立たしかったそうである。次の光景では、灰色の雲の中にいて、その中心に開いた深い真っ黒な穴の中へ引きずりこまれていった。体が凍るような寒さだったが、もがいても無駄だった。すると急に体が楽になり、今度は明るくて美しい自然の中を飛び跳ねていたという。そして氏は、2歳頃からその当時までのことを夢のように思い出した。多くは楽しいことではなく、悪い思い出だったそうである。その後、花が咲き、太陽のような光がもっとも強くなったときに、青島氏の意識は戻った。事故からちょうど3日目のことだった。

 この話のように、自らの人生を顧みて善悪を反省するというのは、臨死体験の中に多く見られる。なお最後の審判を期待するキリスト教国では、この分野の研究はかって否定されたこともあったが、あまりに多くの体験が報告されているので、最近では教会側も否定はできなくなってきている。

 

  5  死者との出会い

臨死体験が実際にあるのなら、それはあの世のもので、生きている人間ではなく、すでに死亡した人間に出会うのが当然だろう。平成元年に私が調査した例を挙げる。4年前にN君(18歳)はスクールバスを降りた直後に車に撥ねられ、半年近くも意識不明で入院した。N君の話によると、彼は3回ほど暗いトンネルから長い川に出て、船でその川を遡り、向こう岸にある花園で遊ぼうとしたそうである。しかし、船を降りて花園で遊ぼうとするたびに、あるお婆さんに叱られ、「帰れ、帰れ」と命じられた。N君は顔を隠したり、お婆さんに見つからないようにして遊ぼうとしたが、そのたびに捕まり、3回も川を下る羽目になったという。そして、長い間暗いトンネルの中で待たされたあげく、ようやく意識を回復した。

 N君の母親は、彼の話に出てくるお婆さんに特に興味を持った。なぜなら、N君の話すお婆さんの動作や話しぶりが、彼女の祖母に非常に似ていたからである。そこで、N君の母親が彼女の祖母の写真を見せると、N君は「この人だ」と言ったという。つまり、N君は覚えているはずもない彼の曾祖母に、あの世で出会ったことになる。

 また、アメリカでは次のような事例も記録されている。死亡状態に陥り甦ったA氏は、あの世でB氏に出会った、と周囲の人々に語った。それを聞いた人々は、B氏は元気に存命しているはずだと答えたが、実際にはB氏はすでに死亡していたことが後に証明されたのである。つまり、A氏は超心理、超能力的な現象によって、一般にはまだ知られていなかった情報を入手したといえるだろう。十分には分析できないが、このような事例はきわめて興味深い。

 

  6  菩薩との出会い

 菩薩という言葉は古めかしいかもしれないが、菩薩は仏教の説話にのみ登場するわけではない。昭和50年月18日、青森県に住む田沢ヤスさんは、入院して2日目に死亡した。しかし、10時間後に蘇生し、その間に見た死後の世界について語った。田沢さんは自分の死体が車で運ばれるのをはっきりと見たが、次第にそれは小さくなり、最後には見えなくなったという。次に、三途の川のような川の岸辺を歩いていくうちに祖父母に出会い、「来ちゃだめ、来るんじゃないよ」と言われたので、川を渡るのをやめた。しばらく川岸を歩いていると、道が次第に狭くなり、気がつくと炎のようなものの上を歩いていた。そして、足を滑らした時に、菩薩が「あなたにもう一度、命を授けましょう」と言いながら、手を差しのべて助けてくれたそうである。その後、声のする方へ歩いていくと、体がすーっと浮き上がる感じがし、その瞬間に目が覚めて甦った。

 このような体験は、高齢者に限られたものではない。例えば、筑波大生の一人は次のように書いてくれた。

 「私には、子供の頃から五流修験道の行を続けている幼なじみの友人がいます。彼は小学生の頃からお経をあげたり、お札を作ってみんなに配ったりしていました。その彼が中学2年生の時に腎臓の病気にかかったのです。かなりの重病だったらしくて、死ぬか生きるかのせとぎわを数日間さまよったそうです。その際に、彼の枕元に仏(確か観音だったと思います)が立たれて、彼を助けてくれたということでした。それ以来、彼には不思議な力が与えられました。夢の中だけではなく、現実の世界でも、神や仏の姿を見ることができ、その言葉をみんなに話し、力を借りられるようになったのです。私は生物学を学んで科学者になりたいと思っていますが、彼のように、科学では治療でさない病が治癒したりするさまざまな現象をみると、やはり神仏を信じずにはいられなくなるのです」

 この話からもわかるように、若者にも菩薩と出会う体験はあるのである。これはアメリカでも非常に注目されているのだが、本人はもちろんのこと、周囲の人々も、その人の臨死体験によって、より神秘的、宗教的な世界を信じるようになる傾向がある。

 

  7 気分の高揚、あるいは病気の治癒

 人間は死ぬ直前に臨死体験をするので、体験をしている間は気分がすぐれないのは当然である。

しかし、不思議なことに、脇死体験をした人々の一部は、甦ってからは、以前よりも健康な生活を送っている。例として、私の演習に参加している筑波大生の祖母の例を挙げてみよう。

 「私が大学2年の夏休みに起きたできごとでした。祖母の具合が悪く、17日間眠ることさえできないで入院したと聞き、私は急いで帰省しました。帰宅してみると、詰めかけた親戚の人々はもう諦めていたが、祖母は奇跡的に命を取りとめた、と聞かされました。祖母は痰が喉に詰まって呼吸困難となり、看護婦の発見が1分でも遅れていたら助からなかったとのことでした。祖母が気を失ってから意識が戻るまで夢を見ていた、と回復してから話してくれました。その夢の中で、若い頃の友人に出会ったというのです。その人はもうこの世にはなく、その人の所へ行ってはいけないと強く思ったそうです。その後、私は病院に寝泊まりして、祖母を看病しました。祖母は驚くほど健康を回復し、薬がなくても以前と同じように睡眠がとれるようになりました」

 このような現象を奇跡と名づけるつもりはないが、この体験は、1500年前の中国浄土思想の高僧、曇鸞(476〜542)の話と非常に似通っている。つまり、曇鸞も、老齢になってから一時的に危篤状態に陥り、あの世の夢を見たのだった。回復した後、曇鸞は長い巡礼を始め、途中でボーディルチに出会う。この出会いによって、中国北部に浄土思想が伝えられたとされている。

 この二つの話の共通点は、両者とも重病を患っている際にあの世を一時的に見、甦った後は病気になる以前よりも健康になったことである。

 

  8  地獄の体験

 すべての臨死体験が楽しいものとは限らない。智光のように地獄を体験した事例が、現在においても報告されている。群馬県に住む30代のBさんは原因不明の病気にかかり、3年近くも闘病した後に死亡した。そのBさんが一度、17時間にわたって危篤状態に陥り、意識を回復した後に、死後の世界を次のように語った。あの世で気がつくと、Bさんは鬼のような者たちに尋問所に連れていかれた。そこでは10人ぐらいの男女がすでに残酷な尋問を受けていた。彼らは腕や足を引きちぎられて悲鳴をあげていたが、死ぬことはできず、いつまでも苦しんでいた。Bさん自身も逃げ出そうとしたが、押さえつけられていて、目を逸らすこともできなかったという。その時、すでに事故死していた高校時代の友人が、腕をもぎ取られて天空から落ちてきて、Bさんにぶつかり、Bさんは気を失った。そして、目が覚めたら意識を取り戻していたそうである。

この話は昭和63年のものであるが、少なくとも、地獄で苦しんでいる様子と助かった様子とは、1200年前の行基と智光の話によく似ているといえるだろう。

 以上に述べた臨死体験の話は、宗教学者や仏教徒にとって、どのような意味を持っているのだろうか。まず、体験談はすべて現代に起こった話であり、昔のものではないその結果、これらの体験談は、仏教の古典といわれる書物の再検討の必要性を示しているように思われる。つまり、これまで迷信、説話として片づけられてきた話の中には、本当に起こったことが含まれている可能性が高いのである。したがって、仏教の古典すべてをそのまま文字通りに解釈する必要はないだろうが、改めて検討してみる価値はあるように思われる。特に、人物名、年代、場所、目撃者などが明記されている記録は、注目すべきである。

 しかしながら、これらの体験の意味を検討するには、さらに多くの体験談を資料として収集しなければならない。いかなる人間がいかなる臨死体験をするのか、各自の期待や受けた教育は、体験にどの程度の影響を与えるのか、病状と体験には関連性があるのか、日頃の行ないや家の信仰にも体験は左右されるのかなどの疑問を解く鎮が、これらの体験談には数多く含まれているからである。

 しかし、臨死体験の話を収集しただけでは、単なる資料の羅列で終わってしまう。つまり、それらの話の共通点や、相違点、心理的要因などを考察することによって、初めて研究の対象になるのである。しかも、数多くの事例を収集しなければ、統計学的に信頼性のあるものにはならない。逆にいうと、臨死体験談の収集が、今後このような分野の研究を進める必須条件なのである。

浄土教の信者ならば、臨死体験は自らの信仰を裏づけるものになるかもしれない。しかし、学者としては、そこまでの結論を下すことはできない。ましてや、この臨死体験が永久に続くとはいえない。例えば経典にも、浄土は永久の地ではなく、あくまでも涅槃までの仮の瞑想の場であると記されている。また、死ぬ時にすべての人間がこのような臨死体験をするわけでもない。経典にも、信仰心あつく、常に善行をした者のみが極楽に往生できると記されている。なお現在の臨死体験談がどの程度経典に記されている条件を満たしているかは、資料不足で現在の時点では結論を出すことはできない。

 さらに、このような臨死体験をした人々には、死に対する恐怖がまったくなくなり、彼らが「生」に、より深い意味を見出しているという事実に注目すべきである。臨死体験は夢にも似て、いるが、夢とは異なり、体験した人の人生を大きく変えてしまう力を持っているのである。例えば、以前には宗教に何の興味も示さなかった者が、体験後に急に教会や寺院へ通うようになったり、逆に何の疑問も持たずに宗教を信仰していた者が、その教えを疑いだしたりしている。

昭和63年に亡くなったオハイオ州立マイアミ大学教授のチャールズ・ブリンは、臨死体験の効果をもっとも深く研究した学者だった。彼の研究によると、臨死体験者の価値観は、それ以前とはまったく異なって、かって重視していた富や名誉などには関心がなくなり、かわりに寛容心、愛他的精神、人間や世界に対する関心が深まるそうである。そのために、医師や看護婦、家族や社会の理解が得られず、現実に再び適応するのに一種のカルチャー・ショックを感じる者も少なくはないという。つまり、自分の価値観を大きく変えた臨死体験と社会の価値観との接点を見出すために、蘇生した患者は精神的に苦しむことになる。したがって、これに応じた新しいカウンセリングが必要になるかもしれない。また、そのために新たな心理学的な統計作業も不可欠だろう。

その一方で、臨死体験から得られる知識は、臨床カウンセリングにも応用できるだろう。死の恐怖に苛まれる患者に対して、臨死体験談を話したり読ませたりするだけでも、恐怖感が和らぎ、安定した精神状態で治療を受けられるからである。また逆に、自殺防止のガウンセリングヘの応用も可能である。なぜなら、何もない所へ逃げたい、存在したくない、と思っている自殺願望者に臨死体験談を語ることは、自殺防止に効果的だからである。これに関しては、コネティカット大学のグレイソン教授も指摘している。つまり、臨死体験談をカウンセリングに利用することは、他界の存在の有無や患者の信仰の有無に関係なく、心理的に好ましい結果を患者に与えるように思われる。臨死体験談が、無や空の状態を恐れている者にも、また求めている者にも、いま一度自らを再考する機会を与えるからだろう。

 誰もがここに述べたような臨死体験をするという保証はまったくないが、こういった体験をする人々は今後も絶えることはないだろう。臨死体験があってこそ、かって中国や日本で浄土思想が盛んに信仰されてきたのである。そして、高齢化社会を迎えた現在こそ、死の体験の情報を多く収集し、分析する価値がますます増大しているのではないかと考えるのである。

 以上、本章では臨死体験の全体像を考察したが、実例の紹介のみでは臨死体験がどういうものなのか実態がつかみにくいだろう。とりわけ、一見夢や幻覚のような話が多いために、臨死体験の研究は長い間軽視されてきた。臨死体験の真実性を証明するには、体験に登場する事物をさらに詳細に分析しなければならないのである。

 

 

第7章  科学と超常現象の接点

 

 古典文学研究や超常現象研究の中には、臨死体験に関する記録が多数見られる。しかし、現代の科学教育を受けた者は、そのような記録を無視する傾向にある。研究の最先端にいない科学者たちも、臨死体験や超能力が現代科学に反するかのような見方をしている。これは重大な問題である。300年の間、西洋の著名な哲学者や科学者は、実験と観察を通じて、この宇宙を理解しようと努めてきた。彼らの生んだ科学は偉大なる体系であり、有力な価値観でもある。また、科学の方法論はほぼ全世界に広まり、一貫したものになっている。

 もし、本書の観点が現代科学に根本的に反するなら、科学の方法論にかなうように本書を修正しなければならないだろう。しかし、現代科学と、臨死体験などの超常現象は、はたして相矛盾しているのだろうか。本章では、科学的方法論の代表として、最先端の物理学を用いることにする。物理学の方法や結論が、本章の結論と対立するか否かを詳しく検討していきたい。そして、超常現象に反論する科学者たちの心理や社会的な背景に関する考察も行なう。

 

 1 現代物理学の宇宙観

 現代物理学の宇宙観は絶えず進化しているが、ニコラス・マックスウエルが提言するように、西洋科学史は以下の5段階に区分することができる。

  ()アリストテレス理論 ――紀元前四世紀から2000年の間、西洋科学を支配した理論(パラダイム)であり、この理論によると、それぞれの可能性や欲望を果たすために、万物は目的論的に行動するのである。つまり、科学的アニミズムのように、万物には魂があり、その魂の意図によって、行動パターンはすべて説明されるとした。

(2)デカルト理論 ――17世紀の理論で、万物の魂を否定し、物はすべて機械のようなもので、万物の行動や相互作用は、機械的な接触によると考えられた。この理論では、物体と物体がぶつかりあうことによって、全宇宙の構造と行動パターンが説明できるとされた。

 ()ニュートン・へルムホルツ理論 ――17世紀末にニュートンが考案し、19世紀に入りへルムホルツが本格的に理論化した理論で、物体と物体はぶつかりあうことが不可能であり、物の行動や相互作用はすべて引力と斥力によるとした。重力、磁力、電磁力などがこの理論の基盤となり、20世紀初期まで大きな影響力を持った。    

()アインシュタイン理論(相対性理論) ――1921年にアインシュタインがノーベル賞を受賞したのは、デカル卜の物体に基づく理論やへルムホルツのエネルギーに基づく理論を捨て、全現象を場の位置関係によって説明できると証明したからである。アインシュタインは、究極的にすべての場に位置関係を持つ統一された一つの原則によって万物は説明できると信じていたが、人間も必ず限定された場から出発せざるをえないという意味も、この理論には含まれていた。

 ()ハイゼンべルク=フォンノイマン理論(不確定性原理) ――第2次世界大戦後に発展した理論で、宇宙の根源にある要素は、客観的な研究が不可能な素粒子であるとした。そして、素粒子が研究できない理由は、人間や機械の限界ではなく、物体やエネルギキーの行動そのものが確率で表示できないからであるとした。

 なお各段階において、科学者は全宇宙の現象を特有のパラダイムで統一的に解釈したのだが、次の段階に移行するために、古い段階のパラダイムを否定せざるをえないという歴史が綴り返されてきたのである。したがって、新しいパラダイムに移行すること自体が革命的なできごとで、普通の人間には非常に困難なことだった。さらに注目すべきことに、物理学の最先端にいる研究者を除けば、一般の科学者は、現在でもデカルト理論のレベルで宇宙を解釈する傾向にある。すなわち、原子をバスケットボールであるかのように考えたり、空間をXYZ軸のデカルト座標で測定できると考え、目に見えないものも、目に見えるものと同様の行動や、相互作用を起こすと解釈しているようである。        

 事実はといえば、過去100年以上の間、デカルト式理論の不適切な点が指摘され続けている。

 しかし、ー般教育のレベルでは、科学の著しい変化に対応しきれていないのである。したがって、臨死体験が科学の対象領域であるか否かを考えるには、デカルト式科学ではなく、現代科学ではどこまで理論が進んでいるのか、という認識が必要になるのである。

 現代科学でいう「もの」とは、人間の五感で感じるものではなく、想像を絶するほど小さなものである。現代物理学者の道具は、直径30キロメートルの加速機などで、目に見えないものに対して目に見えないカをかける機械である。また科学における「観察」とは、コンピューターを使って、影響や変化を何億倍にも拡大して初めて、目に見える形になるものを研究することである。素粒子の存在でさえ不確定で、むしろ実験データの不可思議な変化や異常を説明するために、理論上仮定された言葉にすぎないといえる。ある素粒子が、観察されたこともないのに他の説明上不可欠であるために認められる一方で、仮説のために存在を否定される素粒子もある。いずれにせよ、宇宙の「もの」や過程のすべてが観察できうるという概念はすでに時代錯誤なのである。

伝統的な科学の対象と現代科学の対象とがあまりにも異なるので、両科学における法則が著しく異なっても当然だろう。バートも以下のように述べている。

 

伝統科学は、肉眼で観察可能な物や過程を根拠にし、科学の原理や自然法則を考えた。しかし、現代科学の基本的概念は、あまりにも人間の五感や観察からかけ離れているために、伝統的な法則を適用しようとする試みは滑稽である。

 

 科学が進歩すればするほど、科学が対象にする「もの」や、「もの」を支配するとされる「原理」は人間の常識を越えるという認識が徐々に普及してきた。同様に、科学の根底にある前提も崩れてきている。特に、ハイゼンべルクの不確定性理論は、科学という学問を大きく揺るがした。ハイゼンべルク自身は、理論物理学をよりどころに、目に見えない生命力のような存在を否定できない段階に至っていると語っている。また、マーゲノウも以下のように述べている

 

科学において、「絶対的」な真理はもはや考えられない。過去には絶対的と思われた因果関係、エネルギー保存の法則などのような基本的な概念でさえ、疑うべき対象になってしまった。そして、自然と超自然の区別も時代錯誤的になり、役に立たなくなっている。

 

 今世紀の初期にドボロイとシュレーデインガーが、波動力学によって、物質は物ではないということを証明した。そして、デイラックは、宇宙は穴だらけであり、この穴からマイナスの質量を持つ反物質が突然現われたりすると証明した。トンプソンの有名な実験は、同時に二つの別個の穴を同一の電子が通る現象に注目し、江崎の実験は、電子がA地点からB地点へ到達する際に、電子は必ずしもAB間の空間を通るとは限らないことを示唆した。ファインマンの実験は、陽電子という素粒子は時間を越えて過去に移動できる事実を示した。そして、リーマン幾何学と量子物理学においては、宇宙空間の歪みによって、平行線が出会ったり、四角形が円形になったりすることも起こると考えられている。

 因果関係や客観性というような前提でさえ疑われるのなら、現代科学はどのような立場に立っているのだろうか。少なくとも、19世紀の科学万能思想から離れつつあることば確かである。現代の物理学者は「真理」の話をしなくなり、知識や観察の限界の話をするようになった。ニューサイエンスはドグマではなく、以前の科学よりもはるかに柔軟な姿勢をとっている。最近の科学者は、事実や法則ではなく、確率や一貫性の程度を重視している。例えば、現代物理学者と古代神秘主義者が、宇宙観を語る際、非常に類似した言葉を用いて表現することを、ルシャーンは発見した。また、カプラーやズカフは、道教や仏教と最新の物理学との類似点を強調している。実は、素粒子研究に使用される確率論や方法論は、ESPや体外離脱実験で使用される確率論や方法論と類似しているのである。

 過去10年の間、西洋の物理学者や科学哲学者は、超心理学をいっそう参考とし、従来の宇宙観を再検討している。機械で測定不能なものや異なる次元についで否定する科学者は少数派となりつつある。むしろ、この3次元の空間と時間以外に、まったく別の次元に空間と時間が存在しうるとさえ考えられている。マッハは、理論的な次元の研究をかなり試みたが、出現物のように、ものが突然現われたり消えたりすることが事実ならば、それは観察が不可能な他の次元の存在を証明する証拠になると考えた。出現物の現象だけではなく、ゼナーダイオードやファインマンの陽電子研究の中にも、ものが突然消える現象は見出せる。

 このような現象に対して、最先端に立つ物理学者は、ハイパースペース(他次元空間)という仮説を提言した。なお、この仮説は物理学や超心理学において非常に有力な説である。むろん、物理学者と超心理学者が対象にする現象は異なるが、両分野の学者の基本的な姿勢と、彼らの宇宙観がかなり類似していることは興味深い。

 以上のような科学の理論的発展に基づいて、西洋の超心理学者は超心理学の現象や法則を解釈しようと試みている。オカルトや宗教的な領域とはまったく異なり、20世紀の科学的な方法論を利用し、超常現象を解明しようとしているのである。しかし哲学的に分析すると、超心理学者も、いわゆる二元論者とー元論者とに二分される。ここでいうー元論者は、決して唯物論者でない。前述したように、宇宙を物によって説明しようとする試みは前世紀にすでに廃れたのであであるから、一元論者とは、物質やエネルギーの研究と同様の方法や理論によって、究極的には出現物を解明できると主張する者を指す。

 他方、二元論者とは、物理学の対象と心理学の対象は根本的に違う現象であるとし、ESPや臨死体験は原則的に物理学の対象にはなりえないと考える者のことである。二元論者は、物理による現象と意識による現象が同類でないのなら、同様の方法では解明できないとしている。例えば、音楽の例を取り上げると、物理学で分析される音波や鼓膜と脳の反応は物理的過程であり、他者からも観察可能な現象である。それに対し、音楽がイメージとして心の中で再現される場合は、そのイメージや思い出によって、人は感動したり、悲しくなったりする。このような心の体験をいくら物理的に測定しようとしても、内面的な意識の問題であるために測定は不可能である。この意味において、物理学の対象と心理学の対象は異なると二元論者は主張するのである。

 超心理学者の間では、たとえ意見の相違が生じても、唯物論のみでは超常現象はもちろんのこと、物理的な現象でさえ十分に説明できないというコンセンサスが確立されている。したがって、現代科学では人間が経験する現象すべてを説明することはできないと認識しているといえる。また、物理学と超心理学の対象が異なるために研究上の摩擦は生じない、と両学問領域に携わる研究者は語ってる。

 伝統的な宇宙観では、体外離脱や出現物が説明できなかったために、すべての超常現象は幻覚と見なされることもあつた。つまり、理論によって人間の体験が否定されたのである。しかし、ニューサイエンスでは、あくまでも体験や現象が重視され、あらゆる現象が考慮された上で、理論が検討されている。逆にいえば、体外離脱や出現物を許容しない理論は再検討されなければならないのである。当然のことながら、超常現象を研究するためには科学的な実験、情報の収集、理論的な分析などが必要になる。現在の科学で超常現象がすべて解明されなくとも、超常現象自体をすべて人間の幻想であると片づけてしまってはならないのである。しかし、最先端の物理学者がこの事実を認めているのに、生物学者や医学者は従来のデカル卜式パラダイムに固執する傾向が強いのである。

 

  2 超常現象は科学ではないのか            

 超常現象を批判する科学者は、主に生物学の領域に属する者が多い。超常現象研究を科学として認めなし理由として、以下の三つの点を挙げている。すなわち、()反復性の問題、2)理論不足の問題、(3)確率論の問題、である。これらの問題はすべて科学の方法論にとって重要なので、以下で詳細に取り上げ、科学者がどう解釈しているのかを考察してみょう。

 

 1 反復性の問題

 反復性理論に基づいた批判は、科学には反復性が不可欠だと強調する立場を前提としている。より厳密にいうと、同じ状況において同様の実験を行えば、同様の結果が得られるはずであるという考え方である。この立場に立つ科学者は科学は実験者の期待や場所、文化、時代などには影響されない、とまで述べている。さらに、自然科学にとって反復性は不可欠な概念であり、自然の法則でさえ、反復性に基づくとまでいう科学者もいる。A・フルーは言語学の立場からこの反復性理論を擁護しているが、他の学者は心理学や科学史の立場から反復性の必要性を主張している。その結果、超常現象に反復性が見られないため、科学ではないと批判される。10名の人間をまったく同じ状況に置いても、理由は分からないが、出現物を目撃したり体外離脱を経験したりする者の数はごく限られている。また、前章などで述べたように、カメラを使用しても同じ現象を何度も繰り返し撮影できるとは限らない。このような事実から、超常現象の研究は何ひとつ科学的証拠を挙げけることができないばかりか、根本的に科学とみなされるべきではない、といわれてしまうのである。では、反復性を根拠とした批判は本当些妥当なのだろうか。

まず、方法論的な問題を考える際に、科学を実験科学と史実的科学という二種類に区別する必要がある。とうぜん実験科学には反復性を期待できるが、史実的科学では対象となる事実が歴史上1度しか起こらないので、反復性は重要な概念ではない。史実的科学の典型的な例としては、天文学、地質学、火山学、考古学などが挙げられる。例えば、地震を実験室で再現することばできない。つまり、地震を研究するために、高性能のセンサーなどの機材を備えても、あらかじめ地震を予知したり、研究のために人工的に地震を起こすことば不可能なのである。また、地震を観察することは一回しかできない。科学哲学者スクリべンも以下のように述べている。

 

史実的科学にとって反復性はもっとも重要な問題ではないことを、まず認識しなければならない。例えば、リスボンの大震災を再現することは不可能であっても、起きたという歴史的事実はきわめて明確である。反復性を得ることができれば好ましいが、それが不可能な場合、史実を重視する以外に研究方法はない。科学のすべてにおいて繰り返しを要する実験が不可欠であるとは断言できないのである。

 

 このように、地震、津波、星の爆発などは一度しか起こらず、歴史上一度しか観察することができないという非反復性を特徴としている。しかし、その非反復性によって現象自体が無意味になるわけでも、現象の研究が科学という学問でなくなるわけでもない。史実的科学とまったく同様に、出現物、体外離脱、臨死体験などは反復性のない現象であり、現象や体験の予測は不可能である。しかし、非反復性はそれらの現象の研究を批判する根拠とはならないのである。                       

むろん、史実的科学でも実証的な方法はいくつかある。例えば、ある現象を徹底的に調査するために、できるだけ多くの観察者の発言を考慮し、関係する諸情報を詳細に検討するのも一つの方法だろう。あるいは、同様の現象を数多く観察した上で、その相違点と共通点を分析する方法もある。このようにいずれの方法が最適かについて議論の余地があるとしても、史実的科学が科学であることは周知の事実である。                      

 次に、科学の根本を問う理論的な問題を考えてみても、反復性は必ずしも科学にとって不可欠な要素ではないことが分かる。むしろ、不可欠であると考えるパラダイムは前述したデカルト式のパラダイムで、パラダイムの基礎になつた物理学自体、100年ほど前に反復性をすでに重視しなくなった。最近の実験科学においても、絶対数よりも確率の方が重視されている。つまり、同様の実験を繰り返し行なっても、まつたく同ーの数値が得られると期待する者はいなくなったのである。また、医学においては、物理的に測定不能な患者の気分や願望、信念などの影響が広く認識されている。同じ薬を20名の患者に投与しても、病状への効果は気分、願望、信念などによって十人十色である。要するに、人間の心理に関係が深ければ深いほど、実験室で得られるような厳密な反復性のある結果を得ることはできなくなるのである。しかし、何度も述べているように、それによって研究が科学的ではないということにはならないのである。

 さらに、超常現象にも広義の意味で反復性があることも述べておきたい。数多くの研究者が臨死体験や出現物に関する発言をそれぞれ個別に研究すれば、より客観的に事実を把握することが可能であろう。また、体外離脱実験で見られるように、複数の被験者を使って、同様の結果を得た例もある。さらに、臨死体験研究の中で、文化や個人差を越えて同様な体験談が収集されているが、この事実こそ臨死体験研究の科学的な仮説の基礎になるのである。結論から述べると、考古学や医学に劣らない程度の反復性は、超心理学研究にもあるということである。つまり、化学ほどの反復性はないとしても、超常現象研究が科学的な研究であることに何ら変わりはないのである。

 

 2 理論不足の問題

 理論不足に関する批判は、理論化できない事実は無意味であり、疑わしい、という論拠に基づいている。この立場では、仮説を試すことが科学的方法論の根源であるとされている。科学にとって単なる事実は科学として受け入れがたく、仮説や理論として体系づけることができてはじめて、事実は科学の対象となるという。つまり、理論にも仮説にも属さない事実は科学的事実としては認められないことになる。そして、臨死体験や出現物、体外離脱といった現象は、科学的仮説や理論の裏づけを十分に持たないために、科学的な対象とすべきではないとされてしまうのである。では、このような批判はどの程度妥当か、そして超常現象にどの程度いえることなのかを考察してみよう。         

 第一に、事実以前に理論が存在しなければならないという条件は、科学にとって決して必然的ではない。特に、生物学、地質学、天文学などの自然科学の領域では、標本、情報、写真などをまず収集してはじめて、仮説を立てる過程に至るのである。むろん、仮説が立てられた後は新しい資料を仮説と比較検討し、仮説の是非を問うのであるが、ここで注目すべき点は、仮説が成立する以前に事実が存在する点である。多数の事実がどう関連しあい、いかなる意味を持つのかという点を考慮する以前に、より多くの事実を収集しなければならないのである。この事実収集が科学的であるか否かを決定するのは、理論の有無ではなく、むしろ収集の過程における研究の厳密度、客観性、規模などである。そのように考えると、事実以前に理論がないことを理由に、科学の領域から超常現象を排除することはできなくなる。                     

 第二に、科学でいう「説明」の多くは、過程の叙述にすぎないのである。例えば、ダーウィンは動物の事例を数多く収集した後、それらを原始的なものからさらに進化したものの順に並べ、その順列を進化と名づけた。しかし、進化という名称をつけても、収集された事実自体が変化するわけではなく、また名称によって進化が証明されるわけでもない。つまり、存在するものはあくまでも事実と名称でしかないのである。あるいは、ニュートンが物体が落下する事実を多く目撃したことから重力の法則を唱えたが、重力という力が真に存在するかどうかは、現在でさえ判明していない。重力の波動、素粒子、磁場はいずれも、捜し求めても見つけられないだろう。しかも、分子以下のレベルでは重力は働かないことは周知の通りだし、遠く離れた星々の間で重力が作用しているのかという問題は、まだ解明されていない。いいかえると、実際に存在するのは、物体とその運動パターンであり、そのパターンの一貫性が重力と仮に名づけられているのである。重力という名称によって、現象自体を解明したことにはならないが、その名称を用いて科学者たちはさまざまな説明を試みているのである。また、現象に名称を与えることで、人間は現象を理解したかのような錯覚を起こし、心理的に安心する傾向にある。スクリンべンは以下のように述べている。

 

説明不能な現象が多く存在する事実は、物理学においても広く認められるようになった

・・・長い年月をかけて行なわれた詳細な記述や丹念な叙述に触れただけで、科学者は理解できたかのような錯覚を起こす。説明されていない現象を、すでに説明された現象に譬えて関連づけることが不可能な場合でも、科学的な感覚には何の影響もなく、単に〔科学者の〕美意識に沿わないだけなのである。

 

 具体例をもう一つ考えてみよう。仮にAという物体がXという過程を経る時点で収縮するとしよう。この過程はどのように説明できるだろうか。まず、Xによって収縮する物体の仲間にAが属するという説明ができるだろう。あるいは、Aを収縮するYという過程にXが属するといえるかもしれない。しかし、いずれも現象のメカニズムを明らかにしうる説明ではなく、あくまでも比喩的な譬えにすぎない。さらに、分子の構造を考慮したメカニズムの説明も可能である。Aの分子はXを経ない限り、ある一定の距離を保っているが、Xを経ることによってその距離が縮みA全体が収縮するという説明である。そして、これを科学的な説明であるという科学者は少なくはないだろう。しかし、Xを経るとなぜ分子間の距離が縮むのかと問われた場合、さらに他の説明を持ち出さねばならなくなる。究極的にこのような説明は無限の後退であり、なぜという問いに対する説明の中に、新たななぜという問いが替んでいるのである。いずれの説明も、最終的には「宇宙はこのようになっているのだ」ということで終わってしまうだろう。                  

 以上のことを超常現象に適用してみよう。むろん、臨死体験や出現物は十分に説明された現象ではない。さらに多くのデータの収集や詳細な叙述が必要であり、他の現象に譬えたり、関連づけたりすることができれば、いっそう好ましいだろう。しかし、超常現象が現在よりも理解されるようになったとしても、必ずしもより詳細な「説明」ができるとは限らない。りんごを落下させたのは重力であるというように、トンネル体験を起こしたのは臨死体験である、という説明になってしまう可能性もある。しかし、それ以上の説明が不可能になったとしても、科学的な理解は可能であるとされる時代が来るかもしれない。

 第三に、超常現象に関する科学的な説明はないわけではない。確かに超常現象に関する仮説は唯物論的宇宙観とは相反するが、必ずしも古い宇宙観の方が正しいとはいえないのである。天動説や進化論、相対性理論などが発表された際も、当時の科学界はそれらの理論を激しく非難した。

しかし、現象のレベルで考えると、超常現象と通常現象には何の相反する関係もない。スクリべンも以下のように述べている。

 

超常現象と科学が発見した事実との間には何の矛盾も見られない。矛盾があるとすれば、それは現象間での矛盾ではなく、自然法則と思われている定説と、現象との間での矛盾である。矛盾がある場合、現象自体よりも、人間の作った定説の妥当性の方を疑うべきである。現代の自然法則やその法則を裏づける現象を組み合わせたとしても、超常現象を否定することはできない。科学からいえることは、実証がない限り超常現象を信じなくてよいということだけである。しかし、超常現象の場合、実証例が多数あるのである。

 

 超常現象の説明の例としては、体外離脱によって出現物が別の場所に現われたり、生存者が臨死体験の中で知りえないはずの情報を得るのは、体験者が一時的に他界へ行ってきたからである、という説明が挙げられる。そして、これらの説明こそ、科学が望むのもであろう。このような説明が批判を受ける場合、それは科学的な説明でないからではなく、古い科学の宇宙観では説明できないからなのである。少々説明が長くなってしまったが、理論不足による批判は結局のところ、確固たる論として成り立たないのである。

 

 3 確率輸の問題

 時として、数多くの実証例に基づいた法則が事実に適用できない場合があるが、実証例に裏づけられた法則の妥当性が疑われることはめったにないといえる。よくある例は、化学の教室で、学生が行なった実験で出た数値と、教材で期待される数値とがかなり食い違うことである。その際に、教材が誤っているのかと疑われるよりも、学生の実験の仕方に問題があったのではないかと疑われる確率が高い。ある法則に対して例外が生じれば、その法則を再検討するよりも、観察が誤っていたと推測する方が妥当とされるのである。このような理論を超常現象に適用すると、物理的もしくは心理的な法則を重視し、それに該当しない現象を錯覚あるいはインチキと判断する確率が高くなる。

 以上の確率論に対して、化学教室での例は超常現象には適用できないことを、まず述べておきたい。その理由は多いが、化学教室での実験にはいえても超常現象にはいえない点が少なくとも三点ある。すなわち、()教室の場合は、現象も法則もすでによく知られている、()あらゆる要因が限定され、無関係な要因はできるかぎり排除されている、()行なわれる実験は、証明しようとする法則に該当するという事が事前に知られている、という三点である。確かに以上の条件が成立すれば、科学的な法則よりも学生の実験の数値を疑う方が当然だろう。ところが、超常現象研究では、(1)現象も法則も十分に解明されていない、(2)との要因が重要か、またどれを排除すべきかという点が明確でない、(3))超常現象がどの法則に該当するかが判明していない、という問題点があるのである。

 より適当な例を考えてみよう。哺乳類は胎生であるという法則があるが、生物を学んでいる学生が、胎生のサメや卵生のカモノハシの例を発見したとすれば、どうなるだろうか。まず、哺乳類の定義を修正し、胎生・卵生という範疇を削除することが可能だろう。あるいは、その法則を守りつつも、カモノハシを例外として認めることも可能だろう。確かに、胎生のサメや卵生のカモノハシは、確率の上ではきわめて珍しい例外である。しかし、確率がいくら低いとはいえ、例外的な現象が確認された際は、それに関する情報を無視するわけにはいかない。超常現象もたいへん珍しい例外的な現象ではあるが、その例外性は現象を無視する根拠にはならないのである。

 デイヴィッド・ヒュームは、確率論を根拠に、歴史的な超常現象批判を行なった哲学者である。

なお、「奇跡は自然法則に反する」というヒュームの言葉は有名である。自然法則はどのような人間よりも絶対性や一貫性を持ち、奇跡が起こったと思われる場合は、奇跡が自然法則に反するよりも、人間の妄想や作為である確率の方がつねに高い、とヒュームは強調した。したがって、ヒユームは、奇跡(超常現象)の存在を一切認めなかった。ヒュームの反論は現時点ではどう解釈すべきなのだろうか。

 ヒュームは、自然法則はすべて知りつくされており、すべての現象はその自然法則を適用できるという前提に立っていた。「奇跡は起こりえない」というヒュームの発言を文字通り受け入れるとすれば、超常現象は奇跡ではなく、法則に従うといわざるをえない。仮に、超常現象は奇跡ではなく、自然法則に従うと認められれば、自然法則は知りつくされているという前提は崩れる。しかも、全自然現象が究極的に何らかの法則に従うという点に関しても、多くの疑問が投げかけられている。また、全現象が法則に従うとしても、その法則が現時点での法則と同一であるとは限らない。このように考えると、奇跡は起りえないとすること自体は差し支えないが、それによって超常現象を奇跡として無視するのは不自然であるといえる。自然現象の一部として研究の対象にすることこそ、自然な帰結であろう。

 ヒュームに対する反論の可能性がもう一つある。すなわち、奇跡は起こりうるということである。むろん、自然法則は神が創造した絶対的なものではなく、人間の作った仮説にすぎないことは、現代科学の常識である。自然法則は法ではなく、現象の類似性からまれた仮説にすぎないとい観点から考えると、自然法則に反する現象が起こる可能性はつねにあるといえる。現在の時点で科学によるー般化に反する現象も、人間の妄想や作為であるとは決して断言できないのである。ファヤラベンドは、「−貫性を期待する自己欺瞞」という論文の中で、ヒュームを徹底的に批判している。また、哲学者のドゥカースは次のように述べている。

 

ある現象は不可能である、というだんげんは、当時の科学の形而上学的な信条に基づいている。

未解明の事象や影響を認める能力を持っていないことは、科学者の職業病である。

いずれにせよ、発生する確率の低さを根拠に奇跡を否定する理論は、以上の考察から成立しないことは明らかである。

超常現象は科学的ではないという批判を論破してきたが、以下では科学的である側面をより前面に出して考察を行なってみよう。次のような原則は、あらゆる科学に不可欠である。

(1)現象領域の限定

()観察する要因の選択

()操作上の用語の定義

(4)「現象自体の本質」ではなく、機能や他の現象との関連性の追求

()相互作用の一貫性の模索

()矛盾のない理論の構築

 この科学の必須条件は、出現物、体外離脱、臨死体験などの研究にもおおいに適用できる。したがって、少なくとも医学や心理学に劣らない程度に科学の方法を利用することで、超常現象研究は科学の学問として成立するだろう。

 

 3  超常現象への抵抗

 20世紀に限っても、超常現象の事例は数え切れないほど記録されている。宇宙飛行士や、ノーベル賞受賞者、一流の哲学者及び科学者が、それらの研究の実績を評価している。また、前述したように、事例の収集や分析が、科学的な方法を持つニューサイエンスの分野になる可能性も高い。にもかかわらず、多くの人々は超常現象をオカルト、迷信、宗教などと混同し、軽視する傾向にある。科学者の中でも、生物学者は超常現象に特に懐疑的である。論理的な反論を記してきたが、超常現象研究に対する抵抗は、決して論理に基づいたものばかりではない。むしろ、さまざまな抵抗の主流は、感情的もしくは宗教的な根拠に端を発している。ヘルムホルツのような偉大な科学者でさえも、超常現象に関して次のように断言した。

 

たとえ英国王立協会員のすべてが超常現象を認める宣誓供述書に署名し、自分自身が実際に体で超常現象を体験したとしても、私は現象を信じない。

 科学者であるヘルムホルツのこのような断言は、哲学的には価値を持たないばかりか、非常に非科学的な発言といえる。しかし、逆にいえば、多くの科学者が自らの偏見に無意識だったり、認めなかった中で、ヘルムホルツは自身の偏見を明らかに認識していたことになる。では、なぜ有能な学者がこのような盲目的な偏見を持っていたのだろうか。以下では、(1)心理的、(2)思想教育的、(3)宗教的、(4)社会的、という四種類の抵抗に関する要因や妥当性を検討する。

 

  1  認知的不協和に対する心理的抵抗

 認知的不協和とは、期待に反する事実を無意識のうちに無視あるいは否定することを意味する。典型的な研究としては、1950年代のブルーナーとポストマンのカード実験が挙げられる。瞬間露出器を利用して、トランプのカードのイメージを被験者に瞬間的に見せ、瞬間的に見たカードが何だったのかを報告してもらった。なお、カードの中には赤いスペードや黒いハートのように、通常のカードと微妙に異なるものも含まれていた。ほとんどの被験者は異例なカードには気づかず、すべてを普通のカードとして認識した。例えば、赤いスペードを赤いハートあるいは黒いスペードと呼び、異例のカードに両方の要素が含まれていたことまでは気づかなかった。異例なカードに気づいた被験者は、意表をつかれて怒ったり、当惑したりした。

このような実験の結果、ブルーナーとポストマンは、人間には本能的に変則を嫌う傾向があり、そのために事実を無意識のうちに誤認してしまう、という結論をくだした。つまり、認識の体系に該当しない事物を受容するよりも、期待通りの認識をするように潜在意識が五感の知覚を歪めてしまうのである。この認知的不協和理論に基づいて、科学哲学者クーンも、新しく発見された事実は、現存の理論に従うように歪曲されてしまうと述べている。

 認知的不協和は、人間の記憶と体験の解釈にも大きな影響を与える。心理学者のウィリアム.ジェームスは、大変明確な超常現象を目撃したが、目撃後4日たってそれを記録し、記録の最後に次のように告白している。

 

4日を経て考えてみると、この現象があまりにも確率に反するので、私の理性は目撃し事実を強く否定しようとしているように思える……日常社会で超常現象が突然起こったことを目撃したにもかかわらず、以前と同様の目で私は自然を見ている。私の習慣的な考え方が、私の宇宙観を崩そうとする現象を排除しようとしているのが、自分でも分かる。

 

ジェームスは、自分の内部で起こった認知的不協和による心理的な抑圧を正直に認めているが、目撃した現象に基づいて自分の宇宙観を再構築するほどの余裕はなかったようである。臨死体験者の中にも同様の問題が見られる。例えば、1953年にデトロイトの医者であるエルンスト・ローデンは臨死体験をし、その中で大変魅力的な天国を訪れたことから天国へ行けると信じ、死なせてもらえるように願った。しかし、30年経ってからその経験を全面的に再解釈し、医学的な見地から、死後の世界を否定するに至った。ここにおいても、体験と理論が異なる際に、理論を再検討するよりも体験を否定するという認知的不協和の傾向が明らかに見られる。

 このように、人間がものを認知する時には、五感による情報よりも、深層心理にある前提や期待の方が大きな影響を及ぼすことが証明されている。著名な心理学者や医者でさえ、ローデンのように自分の超常的体験を軽視し、従来の宇宙観に沿うよう、無意識のうちに再解釈してしまうのである。ましてや超常的体験を経験していない人問にとって、そのような体験をなんらかの錯覚やインチキだとしか思えないのも当然である。科学者になるための教育を受けた者は理論の一貫性を重んじるが、超常現象が通常の現象とあまりにも異なり、一貫性が見られないために、超常現象を積極的に排除しようとする。これも認知的不協和の典型的な事例であり、自分の信条と矛盾する現象を無意識のうちに排除してしまう自己防衛的な人間の機能ともいえる。しかし、宇宙の真実を探求する際に盲点の原因となる迷信を排除しなければならないように、真実の探求を妨げる固定観念をも排除する必要がある。

 

        パラダイムの転換に対する思想的教育

  一般に、科学者は自分の研究と直接関係し、研究を有利にする理論を積極的に勉強するが、その他の理論にはきわめて無関心である。具体的な例を挙げると、現在の天文学者は地動説を勉強するが、なぜ天動説が長期にわたって支持されたのかに関しては、ほとんど考えることはない。また、現在の日本では西洋医学がもっとも治療効果のある医学とされているが、西洋医学の教育の中では、漢方、鐵灸、気功などの東洋医学はほとんど無視される。しかし、西洋医学は人間を「もの」と見なすので、物理的な原因による怪我や病気を治療するには適しているが、ストレスや緊張といった心理的な原因による病気に対しては、西洋医学よりも東洋医学の方が効果的なはずである。にもかかわらず、科学にも流行が見られ、西洋医学が流行しているかぎり、東洋医学の有効性は正しく評価されないのである。

 先にも述べたように、科学者は科学の歴史的変遷をあまり勉強しないし、たとえ勉強するとしても自分の研究と直接関係のあるものしか扱わない。また、科学者は、自分の科学理論の妥当性と優越性をたえず強調する傾向にある。クーンは次のように述べている。

 

科学界は、長い年月と努力によって一貫性のある宇宙観と方法論を確立する。そして、その宇宙観と方法論を次世代の科学者に教えこみ、忠実に継承することをなかば強制する。これは科学界の典型的な特徴の一つであり、科学の教育と方法論に大きな影響を与えている。

 

科学者が学ぶ事実や実験以上に、パラダイムと呼ばれる宇宙観と方法論の方が深い意味を持つ。教材や限られた実験を通じて、一つの宇宙観であるパラダイムを身につけると、そのパラダイムが最善かつ唯一のパラダイムである、と科学者は見なすのである。科学者は理性のみならず感情的な側面からもパラダイムを信奉するようになり、仮にパラダイムの中に客観性を望むことはあっても、パラダイム自体を客観的に検討することなど許されなくなるのである。そして、現代科よりもいっそう優れたパラダイムがあるという概念は、科学界すべてによって拒否されてしまう。なぜならば、パラダイム革命は、単なる思想の変革ではなく、むしろ新たな宇宙観への宗教的回心に近い心理的な変革だからである。このように考えると、自分の宇宙観を変更するよりも、宇宙観にあわない情報を無視しようとする科学者の心理も理解できるだろう。

科学者自身も、時にはこのような科学者の傾向を自認する。超常現象の情報を呈示された一人の数学者は、「それが本当ならば、私はすべてを捨てて、一からやり直さなければならなくなる」と言った。客観的に見れば、数学と超常現象との間には何の矛盾もないはずだが、個人の宇宙観と専門である数学とがいかに分離不能なものとして考えられているかが、この例にはよく表われている。また、ルシャーンは、「西洋文明はデカルト式で、機械的な宇宙に対して非常に深い信仰を持っている文明である。したがって、機械的でない宇宙の側面を見せられると、我々はたいへんな不安や恐怖を抱くのであると述べている。

 超常現象に対する科学界の反対の姿勢は、理性的とはいえない。超常現象研究をする際に数学や科学などを否定する必要がないのと同様に、数学や科学を研究する際に超常現象を否定する必要もない。対立や反対があるとすれば、それはむしろ科学者にパラダイムを修正する精神的な余裕がないことに起因するだろう。最先端の物理学者は科学の不確定性を受け入れていて、超常現象に関しても好意的な態度を示している。つまり、出現物の存在や死後の存続でさえ多次元理論と矛盾しないのである。他方、超常現象に対する抵抗の大半は、生物学や社会学方面からのものである。

 では、なぜ科学者は抵抗けるのだろうか。生物学者は、生物に関してあたかもすべてを知一でいるかのように自負している。もし生物を知るために、内面的、精神的な研究の方が重要になれば、現時点までの理解では不十分になってしまうからである。また、社会科学者も数学や統計学を用いて社会の運動や変化を理解しようとするために、統計学で測定不能な力が裏で影響を与えていると認めた場合、現在の社会学理論は根底から覆されることになるだろう。だから、彼らは超常現象に強く抵抗するのである。本来ならば、外面から見る生物学や社会学と、個人的な体験を内面から見る超常現象との間には何の対立もなく、両側面を考慮してはじめて人間と宇宙の把握ができるはずである。しかし、科学者の間では、自分の学問領域のパラダイムをすべての学問点や現象に通用させようとする傾向があまりにも強いので、超常現象研究は否定されてしまうのである。

 

  3 異端に対する宗教的な抵抗

 何千年もの昔から、東洋と西洋の両方において、臨死体験のような現象が記録され続けてきた。西洋のユダヤ教、キリスト教、イスラームなどの教義においては、そのような体験を語った者は弾圧され、超常現象研究は禁止されてきた。禁止された理由は、超常現象が錯覚や迷信だからではなく、現象の存在を認めながらも、悪魔の業や人間の罪を招くものとして否定されたからである。現在では、宗教自体は人間の宇宙観を以前ほど支配していないが、多くの人々は死や他界に対して深い信仰を持っている。例えば、「死後には何もない」という信仰であったり、「万人は死後仏になる」というものであったりする。超常現象研究の実証によって、自分の死に関する考え方が覆されてしまう可能性があるために、現代人の深層心理にある信仰にも、超常現象はそぐわないのである。

 確かに、この数世紀の間、科学の発見と進歩によって、数多くの迷信が信じられなくなった。しかし、そのために現代の科学者たちは、現代科学で説明不能な現象をすべて迷信や偶然として軽視してしまう傾向にあるのである。科学者は人々が科学で説明できない現象に興味を示した場合は、それをオカルト・ブームと名づけ、迷信の暗黒時代への逆戻りであると恐れるのである。この意味においても、科学者は超常現象研究に対して否定的な態度を取る。

 プリンスの研究によると、ファラデー、ティンタール、ハックスレイなどの著名な科学者たちは、超常現象についての報告や実証でさえ否定した。そして、これらの科学者たちは、超常現象を研究しようとするライバルを中傷したり、研究の業績を歪曲するなどして、心理的な妨害を行なったことが知られている。別の研究では、ある超常現象が起こったと仮定し、それをどう解釈するか、という内容のアンケートを多くの科学者に送った。回答を分析した結果、ほとんどの科学者は超常現象が起こるなど想像もできないとし、考えるだけ時間の無駄だと答えた。したがって、このアンケート調査は、科学者たちの信仰的な偏見を明確にしているといえる。

このような科学者たちと同様に、信心深い人も死後の意識の存続に関する研究を否定する傾向にある。来世を信じる信者が来世を証明しようとする研究を否定することは、一見奇妙な現象に思われるが、理由は、臨死体験研究などで証明される「他界」と宗教の教義における来世との間に相違が生じると不都合だからである。

 歴史的に、天文学のコペルニクスやガリレオ、生物学のダーウィンやハックスレイたちが宗教的な弾圧を受けたのと同様に、教義として信じられていた宇宙観を覆す新しい研究も、決して歓迎されない。むろん、宗教的な反対は論理的ではなく、いずれ客観的な研究によって論破されるだろう。しかし、現在のところ、超常現象研究への反対の中には、このような宗教的な側面もあるのである。

 

4  醐笑を恐れる社会的な抵抗

 以上で見てきたように、趨常現象研究を否定する動機は、科学的な根拠よりも心理的、宗教的な側面が大きいのである。超常現象研究は、方法論や仮説の構造に致命的な欠陥があるのではなく、むしろ社会的な圧力によって、新しい学問としてまだ確立されていないのである。ヘイウッドは次のような結論をくだしている。

 

自分の宇宙観の崩壊を恐れてガリレオの望遠鏡で天体を見ることを拒んだ人のように、科学の教育を受けた現代人のほとんどは、嘲笑を恐れて超常現象に関する情報を無視する。

 

 世論の嘲笑を恐れ、ダーウィンは『種の起源』の出版を20年ほど延期した。アメリカの哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームスも、超心理学研究によってそれまでに築いた名声を失うのではないかと恐れた。

 この恐れは単なる妄想ではない。W・ニフイヒは、深層心理学研究の権威として知られているが、アメリカの科学界では受け入れられにくい仮説を立てた際、刑務所に送られ、彼の出版物は処分されてしまった。脳の研究でノーベル賞を受賞したジョン・エックルズ博士も、意識が脳以外に存在しうるという理論を立てると、大きな反発を受けた。また、臨死体験研究の開拓者であるキューブラー・ロス博士やレイ・ムーディ博士も、一時的にではあったが精神病者扱いされた。嘲笑への恐れは科学の理論とは無関係であっても、実際に新しい研究の開発を停滞させる原因になるのである。

 したがって、超常現象研究は非常に微妙な立場に置かれているといえる。一見新興宗教やオカルト・ブームに近いように思われるし、最悪の場合はオカルトの非科学的な団体に悪用される可能性もある。そのため、超常現象研究は、あえて宗教やオカルトの領域から離れ、新しい科学的な研究領域として確立されなければならないのである。しかし、宗教やオカルトから距離を置けば置くほど、そのような団体からの経済的な援助を失うことにもなる。そして、どれほど宗教から離れて客観的な研究をしようとしても、伝統的な科学の領域からの嘲笑や抑圧を受けることは避けられない。新しい研究領域として確立されるためには、今後も長い年月をかけ、出版やマスコミを通じて信懸性の高い情報の収集と公開を行なう以外にないだろう。

 

 

終 章

 

 歴史をさかのぼれば、臨死体験談は少なくとも2000年も前から地中海地方で記録されていた。東洋においても、中国では仏教が伝来した5世紀あたりから、日本では平安時代から、体験談は数多く記録されている。しかし、臨死体験が学問の研究対象として扱われるようになったのは、つい最近のことである。臨死体験研究の発祥地であるアメリカでさえも、本格的な研究が始まってからわずか20年しかたっていない。日本では、1990年代に入って、社会の高齢化と、脳死に関連した問題への関心がますます高まつた結果、ようやく臨死体験研究が学問として認識されるようになったといえる。

 死の研究ほど、多くの学問領域にまたがる学際的な学問はないだろう。なぜならば、死の研究は、人間の存在そのものを問う研究であり、臨床医学、心理学、社会学、哲学、宗教学などの幅広い知識が必要だからである。しかし、伝統的な学問の領域に当てはまらなくとも、死の研究が学問として成立しないわけではない。すべての学問には対象があり、対象を研究する分析があり、その分析を考察する方法がある。臨死体験研究では、対象は人間の体験であり、忠実に体験談を収集する以外に研究する方法はない。しかし、単なる体験談の収集に終わってしまえば、学問とはいえないだろう。あらゆる角度から体験談の内容や状況などを分析しなければならないのである。たえず宗教的な信仰や、個人の好み、偏見などを回避するように心がけ、最先端にいる研究者たちが、臨死体験の真相と意義を論じあい、論争することを通して解明していかなければならないのである。

 臨死体験研究によって、死後の世界――少なくとも最初の数時間――が解明できるだろう、と主張するキューブラー・ロスのような学者がいる。逆に、いかに臨死体験を研究しても死後のことは解明できないが、人間の深層心理をより理解するために研究を重視しているという学者もいる。学問としての歴史が浅いために、何らかの結論をここで出すことば時期尚早である。なお、国際臨死体験研究会の本部が収集している事例は数千例にも及び、軽視できないほどの数になっている。しかし、毎年亡くなる何千万人もの死亡人口と比較すると、臨死体験談を語る人の数はわずかである。したがって、このわずかなデータに基づいて「すべての人間は死亡したらこうなる」と断言するのは危険である。現在の時点では、日本で確認されている臨死体験はわずか数十例にしかすぎないので、さらに多くの実例を収集しなければならないだろう。では、データが少ないという理由から、臨死体験談を応用することはまったく不可能なのであろうか。実は、応用は十分可能なのである。例えば、今の段階でも、カウンセリングの分野において、臨死体験談は大いに利用できるのである。具体的に、自殺防止カウンセリングと末期患者の死への恐怖に対するカウンセリングの例を取り上げてみよう。

 

1 自殺防止のカウンセリング

 過去4年間、筆者は筑波大学において「死」についでの講義を担当してきた。筑波研究学園都市はかっては自殺が多い場所として知られていたが、さいわい文化的施設が増加し、住民自身の都市への帰属感が高まるにつれて、最近では全国平均程度の自殺率になっている。しかし、いずれの大学でも自殺を考える学生がいることは事実で、筑波大学も決してその例外ではない。

 筆者の研究室を訪れる学生は多いが、中には単なる学問的な相談ではなく、筆者が講義で扱っていることもあってか、「死」にまつわる相談をする者もいる。そのような訪問者には、講義の受講生のみならず、面識のない学生や、学生の友人、家族までもが含まれる。訪問を多く受けるようになり、表情や言葉から、訪問者が自殺を考えているのだということが、話を開き始めてすぐに分かるようになった。

 カウンセリングには様々なアプローチの方法があり、すべての学生に対して同様のことはいえないが、まず第一に、学生の話を注意深く聞くことが不可欠である。次に、現実生活の問題点は何なのか、どうすれば本人が生きる意味を見出せるのかを、一緒に考えなければならない。問題解決の方法や生きる意義を本人が見つけることができれば、自殺を断念する方向に向かうだろう。

しかし、場合によっては、次の話が大変に効果があることもある。

 それは、レイモンド・ムーデイらがまとめた自殺未遂者の臨死体験談である。一般の臨死体験者が明るく魅力的な他界を体験するのに対し、自殺未遂者の大部分はまったく異なる体験をする。これは「闇の体験」と呼ばれ、真っ暗な大宇宙の真ん中に置かれているような感覚で、一筋の光も見えないという。動こうと思えば動けるが、どれだけ動いても何ものにも遭遇しない。そして、「この世」で経験したことがないほどの淋しさを味わう。時間がたつにつれて、この状態が永遠に続くのではないかという絶望感に襲われる。

 このような未遂者が実際に意識を失っていた時間は長くとも数時間であるが、本人たちはその数時間を計り知れないほど長い期間に感じている。自殺を図る現代人のほとんどは、挫折感、恥辱感、孤独感、無力感に陥って自殺を考える。しかし、これらのどの感情よりも「闇の体験」の方が圧倒的に淋しく絶望的なのである。このような臨死体験を記憶する自殺未遂者のほとんどは、「闇の体験」を恐れて、二度と自殺を試みようとはしない。

 むろん、筆者は学生に向かって、「自殺すればこうなるのだ」と断言することはできない。しかし、未遂者の臨死体験談を伝えるだけでも、学生に大きな影響を与えるようである。どれほど人生が絶望的に見えても、自殺を図つたらその闇の中に置かれるのだと想像するだけで、自殺を考えることをやめ、もう少し積極的に生きてみょうと考えてくれるようである。このような自殺防止のカウンセリングクはアメリカでも利用され、効果を上げている。日本においても、自殺を考えている人々に臨死体験研究を知ってもらい、考え直してもらいたいものである。気持ちがどん底に落ちた人間にも、自殺未遂の臨死体験談は何らかの励ましになるだろう。

 

2 末期患者に対するカウンセリング

現在、都会に住む日本人の80パーセント近くは、病院で亡くなる運命にある。それ以外の10パーセントの人は事故死で、事故現場や救急車の中で息を引き取る。住み慣れた畳の上で死にたいと思っていても、自宅で死ぬことのできる日本人はわずかなのである。地方でも都会化が進むにつれて、この傾向は強まる一方である。たいていの人は消毒薬の匂いのする病院の一室に置かれ、マスクをつけた見ず知らずの者護婦に監視され、たくさんの管を繋がれたまま次第に意識不明になっていく。誰もこのような死に方を好まないが、昭和天皇でさえもこのような治療を受け、崩御されたのである。では、なぜこのような状況になってしまったのだろうか。

病院で亡くなることは、日本の伝統に反し、西洋文化の一種の模倣といえるだろう。わずかの蘭学を除いて、日本が本格的に西洋医学の知識を導入し始めたのは、100年ほど前のことである。森鴎外のような軍医がドイツなどに留学し、当時のヨーロッパの病院のシステムを日本に紹介した。そのシステムは、肉体を治療する医者と、精神を支えるカウンセラーという二本の柱から構成されていた しかし ヨーロッパのカウンセラーが、神父や牧師、宗教関係のポランティアの人々だったために、日本人はカウンセリングにはキリスト教的な側面が強いと判断し、取り入れようとはしなかつた。その結果、日本では前者の医療技術のみが発達し、カウンセリングの領域は定着しなかった。なお、筆者は日本がキリスト教に基づくカウンセリングを模倣すべきだと述べているのではなく、日本独自の思想に基づいたカウンセリングクを発達させることが望ましい、と考えているのである。

 一般的に医学は病気を治療し、死と闘う技術であると考えられている。助かる可能性がある限り、このような考え方は当然のことだが、不治の患者に対しては必ずしも最善だとはいえない。他方、カウンセリングは精神を安定させ、場合によっては、患者が死を受け入れる心構えができるように助ける。しかし、医師が患者の死と闘っていると感じている場合は、医師にとって患者の死は敗北を意味する。したがって、医師は患者の死期が近いことを認識しようとしないため、患者をめぐって妙な芝居が生じるのである。

 多くの末期患者は、死亡するしばらく前に死を予感する。人に告げられなくとも、もうすぐ死ぬのだと自然に分かるのである。そして、死ぬのかと思うと、患者はそれまで思いもよらなかった死についで、さまざまな考えをめぐらし、その話をしたくなるのである。しかし、医師をはじめ周囲の人間は、「死ぬはずはない」、「がんばれ」などと言って、患者の死期が近づいている事実を隠そうとする。その結果、患者はいっそう孤独感を覚え、不安になるのである。

現在、日本では末期癌の患者に死の告知をするか否かに関して、盛んに論じられている。しかし、告知の問題よりも、それをどうやって患者に伝えるかということの方がより重要だろう。日本の医師が患者と話す時間は、一回につき平均して100秒であるといわれている。その短時間で「がんばって、元気を出せ」と言われても、「あなたには見込みがない」と言われても、患者の精神に対して良い影響を与えはしない。むろん、アメリカにおいても、医師が患者と話せる時間はわずか数分である。しかし、医師が患者に死の告知をする場合は、その患者のカウンセラーである神父や牧師と相談をする。「この人にはあと2週間しか残されていない、私は患者の精神状態や家族のことを詳しくは知らないし、調べる時間もない。お願いだから、患者にふさわしい告知をしてくれないか」と、医師は言えるのである。カウンセラーが長い時間をかけて患者の悩みを聞いていると、必ずといってよいほど、死が話題にのぼる。場合によっては、カウンセラーが何も言わなくとも、患者に死の覚悟ができていることもある。逆に、患者が死を強く否定している場合もあるが、カウンセラーは話をしながら、その患者に告知する最善の方法を考えることができる。つまり、前に述べたように、問題は告知をするか否かではなく、どのように告知するか、なのである。

 患者にとって、自分の死を深く認識する時点から、実際に亡くなるまでの数週間は、精神的に重要な時期である。キューブラー・ロスも指摘するように、多くの患者は死に対してさまざまな感情的段階を経なければ、安心して死ねないのである。患者によって段階の順序と深さは異なるが、たいていの場合、()死の告知を信じず否定、()生活を改善することによって長生きができると思うなど、時間を得ようとする「取り引き」、()「悪いこともしていないのになぜ私が」という怒り、()死に直面して感じる恐怖、という4段階を経て、()死を受容した安楽な状態である最後の段階に至るのである。この5段階を経験するためには話しあう時間が必要であり、逆に話しあいが持てなければ患者は安心できず、途中の段階で亡くなることが多い。この意味からも、末期患者に対するカウンセリングの重要性は明らかである。

 ある日本のカウンセラーは、末期患者にも生きがいを見出すようにと指導をする。しかし、この方法は死に直面することの回避に過ぎない。カウンセラーと患者の双方にとって、死を考えることは決して楽しいことではないが、末期患者がもっとも考えなければならないことなのである。残されたわずかの日々に「生きがい」を考えても、大した意味はないのである。むしろ、その時間を利用して、遺言を残したり、雑用を処理したり、知人にお詫びやお礼をすることが大切だろう。これは当然のように思われるが、ほとんどの日本の末期患者はそのようなことさえせずに亡くなってしまうのである。

 死への恐怖を克服するためには話しあいが重要であることは前に述べたが、まず聞き手になってくれるカウンセラーが必要である。患者に話をする機会を与えるだけでも、患者は大きな安らぎを得る。事実、平安時代から戦国時代にかけては、仏教の僧侶が臨終に立ち会い、聞き手の役割を果たしていた。しかし、江戸時代に入ると、この習慣は次第に廃れ、僧侶は葬儀のみを担当するようになった。

 キューブラー・ロスのように、末期患者の体験談を聞いていて臨死体験談を耳にするカウンセラーもいる。カウンセラーは死んでいく患者に対して死後についての説教はできないが、臨死体験の話をすることばできる。実際に臨死体験を知ることで、精神的に安定した末期患者の事例が多く報告されているし、筆者自身もそのような患者を個人的に知っている。今後、日本においても末期患者のためのカウンセリングが重視されていくだろうが、その際にも臨死体験談は重要な役割を果たすことができるだろう。

 カウンセリングを要する自殺願望者や末期患者だけではなく、我々一般の者にも臨死体験は大切な教訓となるといえるだろう。なぜならば、臨死体験者の多くは、体験によって価値観が大きく変わり、以前とまったく異なる人生を歩むからである。つまり、営利よりも福祉、娯楽よりもボランティア、名誉よりも博愛を重視するようになるのである。例えば、退職して修道院に入った臨死体験者もいる。この価値観の変化をもたらしたのは、主に臨死体験中に経験したライフ・レヴュー(人生の反省)である。自らの人生を素直に振り返ると、心から誇りに思うことは案外富や名声と関係ないと悟るという。そして、富や名声のためばかりに過ごした人生が虚しく思え、より充実した生き方を求めるのである。

 臨死体験をしたことのない我々にとつても、このような発言は大切な警告であるといえるだろう。ことに近年の日本では、学校に入学した時点から退職するまで、人の価値が成績や偏差値、給料、地位などで測られ、それのみのために生きているような錯覚を覚える。臨死体験を待とも、私たちは人生を振り返らなければならないのである。人間にとって家族や友だちの笑顔、綺麗な水や空気、美しい夕焼けなどの方が、どんな現世の利益よりも大切だということば明らかである。

 これも臨死体験研究が絶えず私たちに送っているメッセージである。人は必ず死ぬ。人生が有限であるからこそ、与えられた時間と才能をいかに生かすかが、一人一人の課題となるのである。仮に何らかの来世が存在したとしても、この人生、この一日は、一度しかない。したがって、一日一日を誇りに思えるよう、「人間」として生きなければならない。いまわのきわから戻ってきた臨死体験者に関する研究は、我々にとっても、生きていく上で不可欠な手がかりになるに違いないのである。

 

 

 

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