僧 侶

 

現代に於ける不思議な存在・・・・僧侶・・・・について議論を深めたい!!

序論として、川澄先生の発言を紹介しましょう。次のリンクは私が先生の論文より適当にピックアップしたものです。

川澄語録


次に、芝川に載っていた記事の一部を紹介します。「偽僧侶」の記事をベースにした僧侶論で、智学氏は今の世には僧侶なぞ存在せず、古でいう優婆塞しかいないと論じておりますが・・・

偽僧侶


梅樟忠夫氏が面白いことを論じておりますので、参考に。

中世情報革命 


箸休めの話題として、司馬遼太郎の一文を紹介しましょう。

箸休め  


田中智学氏が「宗門之維新」の中で「今のいわゆる僧は古のいわゆる優婆塞なり」と主張しておりました。そうですね! 今の世に僧侶等いないのかもしれません。

今のいわゆる僧は古のいわゆる優婆塞なり  


或る論文集の中に、所謂、創価学会等の云う王仏妙合?を現実世界に実現している国:タイの実情を報告しているものがありました。やはり、池田氏に良く似た人物がそのような社会にすら出現するのですね。「他山の石」として参考にして下さい

現代タイ国における仏教の諸相  


司馬さんが医師達の前で講演したものに手を加えて作品。ところどころに辛辣な批判がちりばめてありますので、一寸紹介します。

いまのままでは、せっかくの日本仏教も、未開時代以来の民間信仰が衣をきてお経を読んでいるだけにすぎない、ともいえます。私が、自分が脳死した場合、不特定の他者に臓器を提供したいと思っても、それはあくまでも自分の信念の範囲内での判断であって、千数百年も持ってきた日本仏教の倫理的慣習に従ってそうするわけではありません。日本仏教は、おどろくべきことに、こんにちなお、臓器移植について何の意見も言ってくれてはいないのです。

「ひょっとしたら、十三世紀以後、怠けつづけた日本の仏教界のほうに問題があるのではないでしょうか。いまになって、日本の古代以来の精神風土と対決――それも医者がせねばならぬというのは悲惨ですね」

日本で土俗化した仏教にあっては、死骸をホトケとしたものですから、哲学的思考はいっさい吹きとび、否も応もなしに、死体そのものが宗教になってしまったのです。宗教は、証明不要の世界です。日本の仏教が十三世紀から停滞しているといわれるのも、死体崇拝にあるのでしょう。

心と形

 


 

 

 

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