中世情報革命

 

 室町期は、日本の情報史において、最初の革命的転換があった時代である。情報概念で日本史 を裁断すれば、日本は古代からかなりの程度発達した情報社会だったということは、これまで述 べてきたとおりである。鎌倉期には、交通・通信という血管・神経系統の組織は、ほぼ全国を覆う にいたっており、知的情報の取り扱いにおいてもすでに大量の専門家群を擁していた。僧侶がまさにそれであった。

にもかかわらず、古代的性格の残存している社会は、基本的には物の世界であり、物の生産関 係においてのみ、支配・被支配の体制的秩序が作られていた。それは、徹頭徹尾、物にたずさわ るプロデューサー(生産者)の体系だった。ところが、中世室町期に初めて、プロデューサーと異質な イソフォーマー(情報伝達者)なるものが大量に出てきたのである。

商人も、その一つにかぞえていいかもしれない。彼らは当時、国内的には座や市を、国際的に は日明貿易を契機として、大勃興したのである。しかし、彼らは物の流通業者であり、情報革命 においては量的拡大という意味しかもたない。質的な変換をなしとげたのは、物の世界の体制的 秩序から逸脱した人々、すなわち遁世の群れであったのだ。

日本社会において、法治主義が体制の明らかだ枠組みとたったのは、鎌倉時代、北条泰時の 「御成敗式目」という武家法以来のことである。それが室町時代にいたると、農村における惣、部 市における町衆という、下からの民家の共同体意識の興隆の結果として、民事においても法治主 義が浸透してきた。

ところで、このような法治主義社会において、前提となるのは文字であり、証文や捷書を読み 書きする能力がなけれは、それはただちに物質的な損害を意味することになる、この時代に、全 国的にリテラシー(識字能力)が飛躍的にたかまったと思われる証拠がいくつかある。

この時代の文書から判定すると、すでに各地の村落共同体が、民事訴訟を争い、しかもその経 緯をみずから記録するところまできているのである。

すでに全国的に広まっていた天神信仰が、その性格を変換してゆくのが、この時代である。そ れまでは天神は自然神であり農耕神であるが、室町期にはその神は具体的な菅原道真という人格 神に収斂してゆく。

そのとき、道真は文教の神として読み込まれ、村々の天神様に迎えられたのだった。このこと はとりもなおさず、当時の社会に、リテラシー向上の道具として文教神を求める要請があったの だと思われる。

生身の人間として、このようなリテラシーの社会的需要にこたえて輩出したのが、阿弥といわ れる遁世の群れであった。彼らは村落共同体の秩序から脱落し、流動化するとともに、独自の情 報的価値体系をつくりだしていったのであった。

阿弥とは遊行の一遍上人を祖とする時宗の信徒の称号だったということは、林屋辰三郎氏が論 証されたことである。同氏の説に依拠していうのだが、阿弥たちは初め、主に従軍僧として戦役 で武士に従っていたが、やがて武士のために芸やまじない、さらには医術をも提供するようにな る。このころの芸能人としては、連歌師が知られているが、その他「早歌うたい」とか「放下」 「鉢叩」など現在では得体のはっきりしない職業に従事している者もいた。だがこれらはすべて 阿弥、すなわち遁世して僧形に身を変えていた者であることは確かである。

現在でいえば、彼らは芸術家、芸能人、文筆家、学者、医者、宗教家などに当たる。今日考え てみると、これらの職業はすべて「先生」と呼ばれている人々である。つまり、先生とは、現世 的支配のヒエラルキーから身をそらせ、自己の才能と責任において自立するところの情報専従業 者のことである。それがそっくり室町期には阿弥と呼ばれていたのである。「先生」はまさに「阿 弥」の後身である。今日、歌手も大学教授も同じく「先生」と呼ばれることに抵抗を示す人もあ るが、それはあたらない。歴史的には、どちらも同じ輝かしき情報革命をになった阿弥の伝統を 共有しているのだから。たわむれにいえば、美空ひばりは「美そ阿弥」であり、わたしならさし づめ「梅阿弥」というところであろうか。

阿弥の集団からは、戦国時代ののち、日本史の画期をつくる人物がかなり生み出される。豊臣 秀吉と徳川家康もそうである。秀吉の父親は竹阿弥といい、家康は徳阿弥という河原者の子孫で ある。彼らのマネジャーとしての才能は、阿弥という自由情報専従業者の系譜の上にあるといっ ても、あながち的はずれではないだろう。

彼らの出るまでの体制は、もっぱら土地所有者というプロデューサーの系譜の上に築かれてい た。だが、室町期、イソフォーマーとして登場した持たざる者、遁世の系譜は、自分の才能をた よりに、十六、七世紀には秀吉・家康を生み、政界にまで進出したのである。ここにおいて、プ ロデューサー対イソフォーマーという分化は、支配者における「プロプライアター(所有者)」対 「マネジャー(経営者)」という機能分化に発展し、今日の財界にまで受け継がれることになる。

阿弥の系譜から出ながら、権力と密着し、あるいはみずからが権力化していった一つの新しい 形態がそこにはある。

 

 

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