まえがき

本書は正法山広宣寺(大阪市阿倍野区=簗瀬明道住職)の機関誌『聖道』(昭和62年6月〜平成4年12月)に連載させて戴いた「日有上人聞書を拝して」を元にして、加筆訂正し、さらに若干の新編を加えて成ったものであります。

本書の目的は、日有上人の聞書を通して『富士門流の信仰と化儀』すなわち〈富士の立義〉を明らかにすることにありましたが、その試みがどれだけ成功し納得し得るものになったかは読者の御批判を仰ぐほかはありません。

ただ此処に書き留めて記念としたいことが二つあります。その一つは、執筆に際して根源的な力を与え続けてくれた他ならぬ日有上人の次の仰せに関してであります。

「堂舎僧坊ハ仏法ニ非ズ、又智慧才覚モ仏法ニ非ズ、多人数モ仏法ニ非ズ。堂塔ガ仏法ナラハ三井寺・山門等仏法タルヘシ、又多人数仏法ナラハ市町皆仏法ナルヘシ、智慧才覚カ仏法ナラハ天台宗等ニ若干ノ智者アリ是レ又仏法ニ非ル也。仍信心無二ニシテ筋目ヲ違ヘズ仏法修行スルヲ仏道修行広宣流布トハ云フ也」

創価学会の伸張期の昭和40年に出家し、最盛期(昭和47年の正本堂建立の頃)に学生であった私にとって、創価学会が主張した「舎衛の三億」論や「広宣流布=事の戒壇=正本堂」の図式と、日有上人のこの仰せは何処をどう結べば矛盾なく一本の線となるか、不思議でなりませんでした。

日有上人は「堂舎僧坊」の象徴のような正本堂や「多人数」の見本のような舎衛の三億論を「仏法に非ず」と否定されているし、〈富士の立義〉は日蓮正宗や創価学会の異常なまでの経済的発展や驕った繁栄をはっきりと拒絶している。この仰せを拝して、そんな思いに強く駆られました。それ以後、事ある毎に日有上人の聞書を拝して、宗門・学会の信仰のあり方や教義理解の誤りを見いだしては、現今の混迷の深さを思い知らされるのでした。そして考えがまとまるにつれて、様々な法門上の誤りは近年の宗門・学会の歪んだ広宣流布観から派生していると確信するようになりました。本尊観、成仏観、修行観など、いずれも富士門流では逆縁の衆生に根本を置いていたものが順縁の広宣流布に限られてしまったために悉く変質してしまったのです。

「信心無ニニシテ筋目ヲ違ヘズ仏法修行スルヲ仏道修行広宣流布トハ云フ也」

 この御文に示された「広宣流布」の法門的な意義、「信心無無二ニシテ筋目ヲ違ヘズ」の具体的なあり方を考究するために本書の執筆が始まったといっても過言ではありません。その意味でも、この日有上人の仰せに私は特別な感慨を持っています。

二つ目のことは、南条日住師が化儀抄の終わりを、

「仰せに曰く、二人とは然るべからざる由に侯。此の上意の趣きを守り行住座臥に拝見有るべく候。朝夕日有上人に対談と信力候ばば冥慮爾るべく候」

と結ばれたことに関してです。幼かった日鎮上人はおそらく行住座臥に化儀抄を拝することによって、ありし日の「日有上人」と朝夕の「対談」を実現し、〈富士の立義〉を体得されたことと思います。たしかに諸聞書の日有上人の仰せを虚心坦懐に拝していると、日有上人の肉声を微かに聞き取ったのではないかと思うことがあります。その時の喜びは警えようもありません。宗門・学会問題という、考えてみればまことに小さな枠組みを離れて、刹那に〈富士の立義〉に参入した思いが致します。

 その意味において、本書執筆の動機は一つ目の宗門・学会問題に根ざしていましたが、連載の続くに従って、私の興味は日有上人の仰せ=〈富士の立義〉そのものへ移行して行きました。大げさに言えば、自分自身の生き死にの問題や現代社会の混迷に対して、富士の立義が必ず何かの解答を与えてくれるそんな思いを強く自覚するようになりました。これは私にとって大いに意義のあることでした。

もっとも、本書における私の思考は枝から枝へ、時に脱線気味に展開し、それに従って各章の叙述も中途半端な形で終っているところが少なくありません。偏にそれは私白身の勉強不足の結果ではありますが、それでも何事も言い出さなければ始まらないと考え、未熟なままに提出し今後の議論の材料と致しました。

 また本書は、上述のように日有上人聞書の種々の仰せに心引かれて、上人を鑚仰する気持ちで書き継いたものですが、執筆に際しては門流意識にとらわれず、できる限り文献・史料に忠実に論述することを心掛けました。それゆえ、近年の日蓮正宗が金看板にしている所謂「二箇相承」などに関しても、日蓮門下上代史の中で再考し率直に試論を述べました。読者の忌悼のない御意見を戴ければ幸いです。

その他全般にわたって問題提起多くして答え少なしの感は免れませんが、それについては今後も粘り強く研鑽、考究し、自分なりの解答を見いだしていきたいと思います。宗の内外を問わず、拙論に対する多くの御指摘、御叱正を頂戴したく切にお願い申し上げます。

なお、本書が拙いながらも、こうした一書として刊行できましたのは『聖道』誌の連載を快諾して下さった簗瀬明道尊師の御厚意と拙論に暖かい激励と叱咤の声を寄せられた広宣寺法華講の皆様のお陰であります。記して心からの謝意を表します。また執筆時に多くの方々からお受けした学恩に心より感謝致します。

平成5年7月22日

池田令道

 

 

 


 

 

目次

まえがき

凡例

第1章  富士門流の化儀

1.          本書の目的[聞書拾遺・歴全1−425]

            はじめに  「我ガ申スコト私ニアラズ」  伝承と体現

2.          化儀について考える[御物語聴聞抄第三十七段・歴全1−335]

            法体と化儀  姿形の一瞬の力  御影堂と客殿の役割の相違  起請の化儀

 

章  富士門流の成仏観

1.          「後生成.仏ナリト云フ事意得ズ」[運陽房雑々聞書・歴全1−377]

            富士門の実践的な教え  生きながらの成道  能持の人の外に所持の法を置ず  信の源是れ大切なり

2.          「汚穢不浄ヲ厭ハズ」[聞書拾遺・歴全1−425]

            中世の触穢思想  「手水ウガヒヲセズトモ」 臨終正念のこと

 

第3章  富士門流の平等親

1.          ものさしで測れない世界[化儀抄第二条・歴全1−340]

             ものさしで測れない世界  他者と競い合わない世界  小善成仏の教え  平等ということ

2.          無縁の世界[連陽房雑々聞書・歴全1−380]

             世俗の縁を離れること=無縁  有縁と無縁の相克  もう一つの無縁

3.          不受不施思想と「公界ノ大道」[化儀抄第二十五条・歴全1−345]

                仏性院日奥師と不受不施思想  上代における不受不施  公界の道について  再び当家における平等観とは

4.          広宣流布の考え方[化儀抄第十四条・歴全1−343

              「無主」ということ アジール――平和領域 当家における〈無縁の思想〉  稚児を先とする化儀 〈不開門開く〉の意義

 

第4章  富士門流の謗法観

1.          神天上法門について[化儀抄第七十六条・歴全1−358]

            神天上法門と〈五一相違〉  「法門ノ大綱」ということ  諌暁八幡抄の教え

2.          信仰と生活[化儀抄第百七条・歴全1−364]

            仏事作善と世事仁義  仏具道具の扱い  帰命句の掛け軸  他宗他門の人の参詣  寄付行為

第5章  師弟子の法門

1.          さまざまな師弟[化儀抄第四条・歴全1−341]

            受戒の意味  田舎の小師と弟子檀那の師弟  師弟共に三毒強盛の教え  貫首と末寺師弟の関係

2.          「師弟共ニ三毒強盛・・・・」 [下野阿闇梨聞書・歴全1−393]

            智者の法門と愚者の法門  両者の法義上の相違   「師弟共ニ……」の二つの意味

3.          本末関係と師弟[化儀抄第六十条・歴全1−353]

            他門と富士門との本末関係の比較  化儀抄にみられる本末関係

4.          富士門上代の師弟[化儀抄第六十六条・歴全1−355]

            六門徒について  「二箇相承」の考察  〈師弟子の法門〉と末寺の師弟

5.          日興上人・日目上人の師弟[聞書拾遺・歴全1−422]

            走湯山について  修験道について  修験道の欠点

6.          日興上人の弟子たち[御物語聴聞抄・歴全1−334]

            甲州・寂日坊日華師について  柏尾寺と七覚山  小室妙法寺の縁起  日興門流の教線

 

第6章  富士門流の修行と不軽菩薩

1.          不軽菩薩の修行[化儀抄第三十五条・歴全1−348]

            不軽菩薩の礼拝行  大聖人の不軽観

2.          当家の薄墨衣[下野阿闇梨聞書・歴全1−391]

            不軽菩薩と当家の法衣  低位を表す衣  折伏を表す衣

 

第7章     富士門流の本尊観

1.          人法本尊について[化儀抄第三十三条・歴全1−347]

            富士門と他門との異義  人法本尊  五一の相違について

2.          未断惑の上行菩薩[連陽房雑々聞書・歴全1−374]

            報恩抄の読みについて  二人の上行菩薩

3.          曼茶羅本尊の意義[連陽房雑々聞書・歴全1−376]

           曼茶羅本尊は何を表わすか  師弟一箇と本尊授与

 

第8章  富士門流の報恩観

1.          本門下種と迹円熟益の恩徳[化儀抄第十五条・歴全1−343]

            二つのことがら  富士門流と一致派の相違  台当の違目

2.          釜や臼の恩徳[化儀抄第四十七条・歴全1−351]

           他宗の人への報恩  報恩ということ  釜や臼への報恩

3.          善根は消えない[御物語聴聞抄・歴全1−324]

          「他宗当家ニ帰スル時」  野にも山にもなしておけ  回向ということ

 

第9章  富士門流の本迹法門

1.          当家の本迹法門[雑々聞書・歴全1−415、下野阿闇梨聞書・同399]

           「信心ノ処」と「余ノ解行証」  本迹法門と師弟子の法門との関連

2.          他門との相違「下野阿闇梨聞書・歴全1−403」

            一乗坊との問答背景  京都日蓮門下の本迹法門  当家の本迹法門との対比

 

第10章  富士門流の勤行

1.          日月自行の勤行[連陽房雑々聞書・歴全1−377]

            丑寅勤行  虚空蔵求聞持法  諸堂々参と勤行次第  天拝の淵源  天拝の意義

2.          勤行と供養の御経の相違[連陽房雑々聞書・歴全1−372]

            御影堂と客殿の座配について  「凡夫大聖ノ為二法ヲ説ク」

 

第11章  和様と唐様・戒律の持破

1.        唐土の法を取らず[化儀抄第三十四条・歴全1−348頁]

         「唐土ノ法」「唐様」   「和字たるべき事」について  律衣から素絹衣へ

2.        戒律の持破を問わず[御物語聴聞抄・歴全1−325]

          玄妙日什師  富士門と什門との交渉  「高祖ノ御本意至極ノ仏法」  戒律の持破について

 

第12章  日有上人の御事跡

1.          日有上人の諸国行脚「御物語聴聞抄・歴全1−321」

            禅僧との法門談義  諸国行脚の僧  有師伝説  セクトを越えて

2.          日有上人の御事跡

            生年・出家・修学・天奏  問答・説法・法門談義  杉山隠棲・入寂

 

第13章  補遺

1.          諸聞書の文献的、書誌的考察

            化儀抄  御物語聴聞抄  連陽房雑々聞書  下野阿閣梨聞書  日拾聞書  雑々聞書  聞書拾遺

2.          今後の日有上人研究の課題

            日有上人の法門の特色  墓参の化儀と師弟子の法門  富士の立義に対する他門の批判  日有上人と抄本寺日要師