川澄勲全文集  

 

 

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阡陌陟記(一)

阡陌陟記(二)

阡陌陟記(三)

阡陌陟記(四)

阡陌陟記(五)

仏道雑記(六)

仏道雑記(七)

仏道雑記(八)

仏道雑記(九)

 

阡陌陟記(十)

阡陌陟記(十一)

阡陌陟記(十二)

阡陌陟記(十三)

阡陌陟記(十四)

阡陌陟記(十五)

阡陌陟記(十六)

阡陌陟記(十七)

 

大石寺法門と日蓮正宗伝統法義(一)

大石寺法門と日蓮正宗伝統法義(二)

大石寺法門と日蓮正宗伝統法義(三)

大石寺法門と日蓮正宗伝統法義(四)

大石寺法門(一)

大石寺法門(二)

大石寺法門(三)

大石寺法門(四)

大石寺法門(五)

大石寺法門(六)

 

 

 


 

阡陌陟記(一) せんぱくしょうき

 
 註 陟の字は原文では、「こざとへん」に、歩「あるく」と書く。漢字にはないので「陟」の字を充てました。
 

 
明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る
 
六巻抄と文段抄
 
六巻抄の大綱
 
本尊・本仏
 
五百塵点劫と五百塵点劫の当初
 
直授相承
 
化儀の折伏
 
あとがき  

 

 序
 この小録を名付けて阡陌陟記とする。東西南北わたりあるきと訓むのであるが、実は四維上下を求めて陟記する意を含めている。東西南北は仏の領する所、四維上下の一隅は上行菩薩の知らす所の意、前者は在世正像末の末法、後者を滅後末法の意を含めることにする。今各項目を断片として文字にしてみた。この中から何か新しく、而も古い富士の伝統に立った法門を考えだしてもらいたい。 昭和五十五年十二月 臥龍山房
 
 明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る
 宗祖は開目抄に「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此は魂魄佐渡の国に至りて云云」と、御自身の事を仰せである。これを以て当家では宗祖の発迹顕本とする。然るに龍之口法難を指して宗祖が発迹顕本したとするのは何れの文証に依るかなどと聞くのは、その事自体愚であると云わねばならない。宗祖に発迹顕本と受けとれる様な文証があるとしても、発迹顕本の刹那そのものについての文証などある筈がない。天台の自解仏乗に文証を求めるのと同じで、文証のないところが宗祖独自の境界と云えるのである。
 そもそも宗祖が龍之口に於いて発迹顕本したと思うのは弟子の得分であり、これを師弟子の法門と云う。「魂魄佐渡に至る」を単に文章の綾として見るか、この一点を捉えて宗祖の発迹顕本と考えていくかでは、結果として天地雲泥の開きがある。この一文を法門として捉えるなら、そこに一宗の根源を求める事も出来る。ここに御書の読み方の重要性がある。
 法門の世界に於いては文証の介在する余地はない。あるのは感得だけである。感得は受持と同じ様な意味であり、文の底に秘して沈めた法門を知るためにはこの感得以外に方法がない。弟子が師の内証、即ち文の底に秘して沈めた法門を感得した時、そこに戒壇の本尊を感じ、本仏日蓮大聖人を見る事ができる。自解仏乗というのもまたこのような境界を云うのであろう。
 かかる意味に於いて感得は師弟子の法門の中にしか存在しない。而も師弟子の法門は文証の通用する流転門の世界ではない。唯仏与仏乃能究尽の還滅門の世界での話である事を知らねばならない。


 六巻抄と文段抄
 安国論及び観心本尊抄等の文段抄と六巻抄とは寛師法門の極意である。従来この文段抄は唯単に御書の注釈書として扱われていた様であるが、それにしてはいかにも量が少なすぎる。結論を言えば、文段抄は決して単なる御書の注釈書というようなものではない。寛師の一つの構想のもとにかかれた法門書である。
 六巻抄については初めから法門書として著作されているので取りくむ上においても全く違和感を感じないが、初学の者が文段抄を文段に名をかりた法門書である事に気づく迄にはかなりの修行を要する。
 六巻抄が法門書として表から戒壇の本尊の題目を明らめ、師匠分としての本仏を説くに対して、文段抄は本尊に秘められ乍ら、而も大きな役割をし、その半分を領有している弟子分を文段の語をかりながら裏から説いており、ここには弟子分のあり方が明示されている様である。
 その構成については、先ず安国論をあげてこれを課題とし、これについて一念三千の法門に関連した御書をもって、弟子分としての安国論に説かれる折伏の受け止め方、行じ方を示しながら、更に本尊の中に於ける弟子の意義を闡明されているのである。一言半句の法門書としての示しもなく、而も甚深のものを現す、ここに寛師法門の深さがある。
 客殿の客とは大聖人の客分の意であるといわれているが、これは弟子分のことを意味している。即ちこの文段抄の奥底に示された弟子分である。師分は表から、弟子分は裏から明されたのであり、五字の妙法に南無する処の七字の妙法の集団を意味している。この師弟相寄った処が客殿である。寛師の法門で表せば、弟子は文段抄であり、師は六巻抄である。客殿の事の法門に対すれば、文段抄・六巻抄は理の法門である。事理揃って客殿に相対する時、一箇すれば戒壇の本尊となる。
 その弟子分とは弥四郎国重と同じ内容である。もし弥四郎国重が対告衆であるとすれば、その本尊は一機一縁の本尊でしかない。弥四郎国重は弟子分の惣名代として本尊の客座、即ち弟子分を領有している事を示されているものであって、これを日興跡条々事でいえば自余の大衆であり、御伝土代でいえば記者道師に当るものである。
 御伝土代は現在史伝部としての扱いを受けているが、決して史伝書という類の書ではない。六巻抄の第六当家三衣抄の最後の三祖に対する観念が三祖の伝記という形で表わされているのであって、明らかに法門書である。本尊に於ける師の領域の解説書と考えねばならない。
 ところで文段抄八部の内、先ず安国論を中心課題として立てる方法は観心本尊抄の冒頭に止観第五の文を挙げるのと同じで、これを詮じる事によって本尊が現ずるようになっているものと思われる。形式的な思惟方法とでもいうのか、古来より取られている方法で、椙生枕の双紙などは本尊抄と同じく止観第五の一念三千の文より始まっており、本尊抄と全同の文である事に留意しなければならない。民衆所持の本法を本尊に昇華させるための方法といえる。止観第五一念三千の文の他には円頓章、止観明静前代未聞などの文を中心課題とする方法があるが、ただ円頓章や止観明静前代未聞などの方法は本尊抄の方法とは結論が真反対の側に出るようになっている。
 さて宗開三の三祖は順次日月星辰にあてられ、三祖目師が宗開両祖を頭に戴く時、明星となって而も推功有在の故に功徳は宗祖に還元される。ここにいう目師とは所謂歴史上の目師のみならず、既に道師以下の人々、即ち弟子分に一箇した処の目師を指す。そして人をとれば日蓮大聖人といい、法をとれば戒壇の本尊といい、これを人法体一というのである。
 この文段抄及び六巻抄に示されたものは、先にも云う如く、実には道師の御伝土代と記者道師との師弟を理論的に明らめたものである。そして有師の化儀抄は、その師弟一箇・人法一箇の本尊の用の部分に重点をおいて本尊の実体を説いたものであり、逆に御伝土代は本尊の体を説いたものと云える。この意味からいえば、寛師の両抄は体用一箇の処で、体、用を離れず、用、体を離れざる境界に於いて、更に両師の抄を詳細にせられたものであり、体・用・一箇と、この三をもって本因実義を明し、本尊の真意義を説いたものと解さなければならない。
 六巻抄の内、唯第二文底秘沈抄のみによって、前後の連絡を無視して三秘を解し、戒壇の本尊を明らめようとしても、そこには本尊の出現する何の下地もない事を了知しなければならない。強いて三秘相即の本尊を見るとしても、それは未だ応仏智の領域に属するものであって、末法の愚悪・無智の凡夫を救う本尊ではない。何となれば未だ慈悲の外にあるが故である。
 六巻抄で見ると宗祖の慈悲は、三重秘伝抄の最後に秘された撰時抄の広宣流布の文が依義判文抄の冒頭に示されている事からみても、文底秘沈抄を除外して依義判文抄に流れている。ここに文底秘沈抄の意を読みとらねばならない。慈悲のない処に末法の衆生救済の意義があろう筈がない。日蓮大聖人とは報恩抄に仰せの如く、慈悲の上にのみありうるものである。
 清澄山で虚空蔵菩薩に祈った知恵は未だ応仏の領域に於ける知恵である。安国論の折伏を一往応仏世界の智に比し、これを受けとめる弟子、この弟子の側からこれを報仏の智と受け止める。ここにも文段抄の意義を了知すべき処がある。師は既に修行充ちて折伏の資格が備っているが故に折伏を行ずる。弟子は未修行の故に外相に摂受と受けとめ、その折伏を自行に向ける。これが現実の弟子の在り方であろう。これを捉えて末法に於ける己心の一念三千の上に成じる戒壇の本尊の意義を明らかにする意味が含められたもの、これが文段抄の意図する処である。末法に於ける修行の在り方を示しながら、戒壇の本尊があくまで内証にあるものであって、外相のみが本尊ではないという意義を闡明されようとした処がほのかに見える。ここに寛師の甚深の意を見る。


 六巻抄の大綱
 寛師は第一三重秘伝抄の冒頭にまず開目抄の文底秘沈の文を挙げ、これを六巻抄の総題とし、この文の底を詮ずる事によって、日蓮大聖人及び戒壇の本尊の中に於ける師に当る部分を闡明されている。以下全て己心の一念三千の上に於いて論ぜられていることを銘記することが肝要である。
 当家に於いて本門事の戒壇という場合、己心の上の仏国土に建立されるべき戒壇である。この意味で従来使用していた国立戒壇も己心の仏国立戒壇と解さなければならない。ところがこれが己心から抜け出ると、本尊・題目も自ら己心の外へ出ることになる。もともと信の上の仏国土に建立される筈の国立戒壇が信を離れ、己心の外、即ち外相に置きかえられて考えられる時、本来の宗義とは似て非なる日本国立戒壇論という田中智学流の異義が生じてくる。この時既に三秘は各別となり、建築物としての戒壇建立の要求へと進むのである。こうなるともはや三秘同時の建立ではなくなってしまう。しかし法門の上に説かれる戒壇は三秘相即であるが故に三秘同時の建立でなければならない筈であって、これをまた刹那成道とも云うのであるが、三秘各別の日本国立戒壇論には決して刹那成道はありえない。建物としての戒壇は刹那に建立する事は不可能だからである。戒壇を建物として考える時、それは既に己心の外にあるが故に流転門といえる。本尊も題目もこれと同じである。
 また久成の定恵出現して、幾百年後に至って始めて戒壇が建立されるという考え方がある。これもまた完全に流転門の戒壇であって、三秘同時の建立を唱える還滅門の領域ではない。そしてこの戒壇建立に引き続いて、いつとも知れぬ広宣流布を目ざして長い年月を送ってゆく時、果して一人残らず信仰するという広宣流布の時があるであろうか。勿論宗旨は還滅門に於ける己心の広宣流布を本義とするとしても、宗教分としての一人一人の弘通を否定するのではない。けれども宗旨を忘れ、宗教分のみの広宣流布を追求するとすれば本末転倒といわねばならない。要するに問題は滅後末法の真実、即ち宗旨分の広宣流布がどこまで把握されているかという事である。
 而も三秘同時の建立といえば、客殿がその意味を持っているし、御宝蔵の蔵の字には、字の中に三秘同時建立の戒壇の本尊の意味を含められている。また御授戒もそうであるし、朝々の丑寅勤行も同様である。更に御会式にしても三秘同時建立である。大小様々の姿に表わされてはいても、内容が全く一である事は云うまでもない。
 さて広宣流布といえば、昔は正月十六日と盆の十六日の地獄の釜の蓋の開く日を広宣流布の日と定めて、一人残らずという広宣流布を祝福していた。正月には富士宮から万歳が来て不開門の前で広宣流布を祝い、次に二天門の左裏で、御宝蔵に向って一回、同じく丑寅(御先師の墓)に向って一回、都合三回祝福をしていたようである。この日は云うまでもなく不開門の開く日で、開く事は即ち勅使が参向したのであり、従って客殿には紫宸殿の御本尊がかけられ、天皇も信仰されたことになる。所謂王臣一同広宣流布を祝福した事を意味し、また盆の十六日は地獄の釜の蓋の開く日であり、天下に一人の罪人のない日、これを捉えて天下万民の広宣流布を祝ったのであろう。前者が王臣一同、後者は天下万民の広布を即時に実現していると考えねばならない。
 毎年その年の広宣流布を前もって実現する事は己心の広布である。この己心の三秘建立、広宣流布が外相へ転じ、己心が失なわれる時、民衆仏法から色相荘厳の貴族仏教へと変身するのである。今日の混乱も全く法門が己心から外相へ出た結果であるといわねばならない。己心に法門が建立されれば独一である。しかし一歩でも外相へ出ると、それは独善でしかない。独善はもはや法門ではない。大石寺法門は全て己心に建立されている事をまず覚知する必要があるようだ。
 ところで六巻抄は、六巻でありながら実は七巻である。七巻とは六巻抄の最後にほのかに見える弟子分の処を指す。この六・七は日興上人の領域であり、現実に日興上人は六日の終り七日の初めに遷化されている。また客殿の猊座の位置も六・七の中間である。この数字からしても六・七が師の意味である事はいうまでもない。この六・七は開山日興上人に於ける在滅の中間にあたる。宗祖は十二・十三に在滅の中間があり、ここに云う中間とは即ち丑寅の成道の意である。この処にも何故寛師が六巻抄としたか、その意味がわかると思う。
 次に六巻抄の構成を云えば、前述の如く六巻抄は文底秘沈の一念三千を詮ずる事を総課題としている。三重秘伝抄に於いてはこの一念三千を第七義種脱相対の一念三千の処で久遠名字の妙法として現わされるが、「当体抄・勘文抄今且く之を秘す」とあって、未だその正体を明らかにしていない。これが明らかになるのは第五当流行事抄まで待たねばならない。
 三重秘伝抄は文底秘沈の一念三千を十義に開いて説明しているが、その第十義は末法流布の大法を示すのである。第十義の最後、時節の処が「撰時抄云々」とされ、ここに秘された撰時抄の文が現れるのは、第二文底秘沈抄を通りこして第三依義判文抄の冒頭であり、この撰時抄の広宣流布の文、即ち遠霑妙道が第四・第五・第六と通じて流れ、第三以下の課題となっている。報恩抄に説かれる「日蓮が慈悲」を寛師はこの遠霑妙道を以て示されたのであり、この慈悲はすでに報身如来の慈悲である。なぜならば永遠に絶える事がないからである。そしてこの慈悲を衆生が受けとめる時、日蓮大聖人といい、戒壇の本尊といわれる姿を以て現れるのである。日蓮大聖人とは弟子の立場から嘆ずる言葉なのである。
 さて依義判文抄は三重秘伝抄を受けて、「三学倶伝名曰妙法」によって、久遠名字の妙法とは戒定恵の三学である事を示し、これによって第三では戒を説き、第四では本尊、第五の終りに近づいて当体抄勘文抄の全文が明らかにされる時、久遠名字の妙法は戒壇・本尊を摂した題目としてその正体が顕わされる。ここから更に第六に至って宗開三の三祖を以て三学にあて、次いで三衣にあて、その用を説いている。何れも久遠名字の妙法である事に変りはない。
 そこで文底秘沈抄の位置付けをいえば、此抄は文底秘沈の一念三千が依義判文抄以下で三秘として説かれていく前段階として、基礎知識の為三秘の名義を一往示したまでで、その為に態と定戒恵の順で説かれている。本尊は三学倶伝の妙法であるが故に、常に戒定恵でなければ本尊として昇華する事ができない。したがって文底秘沈抄とは一念三千の文の底に秘められた定戒恵の三について、個々の名義を説明した単なる注釈書と解さなければならない。この故に寛師は遠霑妙道の流れからはずしたのである。
 仮にここに三秘を建立すると、当然三秘各別となる。定戒恵であるが故である。日本国立戒壇論にしても、久成の定恵出現して幾百年後に戒壇が建立されるというような理論は、共にこの文底秘沈抄に三秘を建立した結果の誤りである。読みの浅さが寛師の意とは全く逆に出た見本であるといえよう。遠霑妙道の流れからはずれ、戒壇の本尊に決して昇華する事のない文底秘沈抄の三秘を以て、日蓮大聖人・戒壇の本尊と解してみても、それは解者の読みそこないとしかいいようがない。
 真実の本尊は第六当家三衣抄の最後に至って、弟子がわずかに登場する、これを文段抄を以て補うとき、初めて師弟子が現われ、師弟一箇して大聖人・戒壇の本尊となる、これが寛師の意図した処である。文底秘沈抄とは文底秘沈の三秘の名義を説明した注釈書である事をまず以て知っておかなければならない。
 そこで今、宗門唯一の最高権威を持つ法門注釈書である正宗要義を見ると、文底秘沈抄は宗旨論であるとしている。宗旨を論じている抄であるという事は三秘の根源をここに立てているのだろうか。ちなみに当家三衣抄は資具論であるという。もし本気でこのように考えているとすれば見当違いも甚しい。定戒恵によって各別に説かれた三秘を以て、戒壇の本尊の要素である戒定恵に強引にくっ付けてみても、これは決して戒壇の本尊として昇華する事がない。かかる報身如来の慈悲の無い本尊・三秘は他門と何ら区別がない。文底秘沈抄は三秘各別を説いている。しかし戒壇の本尊は三秘即一でなければならない。どの様な方法をもってしても各別を即一とし、相即とする事は不可能である。三秘各別の文底秘沈抄を以て、当家の宗旨論としている処に今の大石寺法門の最大の矛盾がある。昨今の問題の本当の原因はここにある様な気がする。
 余談になるが、宗教は勿論の事、一人の人間に於いても自己矛盾には極端に弱い一面をもっている。他人に対しては恫喝は利いても、自心に対しては決して通用するものではない。こうした自己矛盾が崩壊へつながる最大の要因である事が多い。互いに警戒すべきは自己矛盾である。
 さて話題を六巻抄へもどすと、当流行事抄の終りに近づいて三重秘伝抄で秘された当体・勘文両抄の全文が示される時、同趣一根して久遠名字の妙法が現じ、戒壇・本尊を摂した題目が現われる。これは三千が一念に収まる姿であり、これに対して当家三衣抄は姿をかえて一念が三千に開く姿をとっている。ここにまた重要な示しがある事を知らねばならない。
 当流行事抄に示された題目は、既に五字七字の意味を持っている。これを一言摂尽の妙法という。この一言摂尽の妙法とは熱原三烈士の最後の口唱の題目であるともいわれている。この口唱の題目が縁にふれて戒壇の本尊と昇華していったとすれば、これは報身如来の慈悲の徳用、遠霑妙道の功用とする事もできる。
 文底秘沈の一念三千の法門は、三学に始まって更に戒壇・本尊を摂してここに題目と現われた。これは三秘相即の題目そのものであり、当体・勘文両抄に縁じて明らめられた久遠名字の妙法である。そしてこの久遠名字の妙法である題目が、宗開三の三祖に縁じて、そこに大石寺独自の本尊が明らかにされ、法をとれば戒壇の本尊、人をとれば日蓮大聖人となって現われる。この本尊の内、その師の部分について詳細に説明してあるのが当家三衣抄であり、既に文段抄に説かれた弟子分と共に、師弟一箇して戒壇の本尊と現われ、日蓮大聖人と現ずるのである。
 ところが現在の宗門のように、本尊が管長一人に摂まるという様な状況になると、そこに種々様々の権力が生じ、俗身の貫主本仏論という様な異流義が横行するようになるのである。これらはまさに流転門の極みである。己心の法門が還滅門という本地を離れて、外相だけが強調されてくると、左は右、即ち民衆仏法は色相荘厳の貴族仏教となり、最低は最高、即ち教弥実位弥下が教弥権位弥高となって、本末転倒する事になる。現実には東南の空に出る明星は、法門では東北の隅の地下となる。流転と還滅が真反対になる事は本尊に示されている通りである。
 大石寺法門は本来還滅に立った法門である故に、今こそ本地を再確認することが最要である。時のしからしむる処というべきか。これが師弟各の得分ということではなかろうか。六巻抄にしても語句の注釈だけでは深い意図は伺い知れない。何をおいてもその大綱をつかむ事が先決である。


 本尊・本仏
 正宗要義における本尊観・本仏観、即ち宇宙混沌の時、その大霊である本法を悟った自受用報身が、鎌倉時代に生まれた日蓮であるというような事は、少なくとも六巻抄の中にはその片鱗すら見当らない。当家の云う本法とは、釈尊の因行果徳の二法を自然に具足した一言摂尽の妙法、即ち上行菩薩所持の本法を指して云う。どこにも宇宙の大霊などと云うが如き真言的な要素はない。この上行所持の本法とは文底秘沈の一念三千、つまり久遠名字の妙法と寛師は説かれているのである。これらは全て左尊右卑の還滅門に立てる処の法門である。
 ただこのような本来の本仏・本尊観を以て、下化衆生、衆生教化に向う時、そこに教、即ち下に被らしめる為、一往右尊左卑の立場を取るのは至極当然の事である。この意味では「御本尊はありがたい」式の方法でもよいであろう。しかしこれはあくまで宗教分の話であって、これが宗旨分として昇華するとき、そこに既に本来の宗旨分が忘れられ、右尊左卑の立場を取って説かれたものが、そのまま左尊右卑の法門として他宗門と対する事になると、流転門にはあり得ない法門が出来上ることになり、流転・還滅両門から説明しがたい法門となる。これが現在の本尊観・本仏観であるといわねばならない。随って本来当家の法門書である御伝土代、化儀抄、文段抄、六巻抄等をもってしても結局何ら解釈がつけられないという事になるのである。
 もともと少数の而も信に固った信者を対象にした宗教分が、こんどは極多の信者を背景に宗旨分として他宗に向う。この時到底他門として受け入れられるようなものでない事は云うまでもない。信者の数が増えるに従って、法門を左尊右卑の原点に還すことが用意されていれば、今程他から異義をはさまれる事もなかったに違いない。独一の法門が信者対象のまま宗外に出た為に、恐らく独善に陥ったものと思われる。今日の管長の横暴もすべてもこの独善に端を発している事はまちがいない。速やかに独善を捨てて、流転還滅の時をあやまたず、本来の本仏・本尊観に立ち還るべきである。さすれば貫主本仏的な現在の状況を打破する事もできるであろう。
 宗旨を法前仏後に建立している大石寺としては、決して管長一人に権力が集中するはずがないのである。この現実をなくすにはまず自らの法門の立脚基盤を明らめる事が必要であろう。これなくして今の問題の根本的な解決策はありえない。力を以て力に対抗すれば力の強い方が勝つ。しかしどんなに力が強かろうと法力には及ばない。法を以て力に対さなければならない。それにはまず法門の再建が肝要である。
 法門を再建するとき何がもっとも大事であるかというと、「仏法を学せん法はまず時を習うべし」の如く仏教の時ではなく、仏法の時を知る事が不可欠である。仏法の時とは何か。それは流転と還滅、己心と外相のたて分けを知るという事である。仏教の時とは現実の時間、流転の時である。還滅に於ける時とは、己心の一念である。仏教に於ける流転の時を以て、仏法に宗旨を立てようとしてもどだい不可能である。


 五百塵点劫と五百塵点劫の当初
 五百塵点劫とは過去遠々より未来永々に続いてゆく無限の時を指す。無始無終の時のことであり、寿量品に説かれる処、これを迹仏の寿命という、所謂流転に属する時である。これに対して当初はこの迹仏の寿命を受持する事によって凡俗の己心の一念に納めたもので、一日一日を積みかさねた時間ではなく、時空を超越した処の、無始にも非ず、無終にも非ずという還滅門の時を云う。これを本仏の寿命という。この時は云うまでもなく時節の長短を問題にしない。
 ところが正宗要義ではこの五百塵点と当初の違いがはっきりしていないばかりか、むしろ五百塵点の延長線上の時を当初と考えているようである。しかし五百塵点とは本来無始無終を意味するものであって、これでは五百塵点も当初と差別がない。ここに宇宙の大霊なる思想が生まれるのであろうが、この無差別が己心に建立された日蓮大聖人という人徳と合体する時、鎌倉に生まれた凡僧日蓮が釈尊より遥か昔に生まれた本仏という当家本来の宗義とは似て非なる異義ができる。このような異義を以て他宗に対してみても既に論争以前の問題として相手にされない事になるばかりか、矛盾をつかれても、それが矛盾であるという事さえもわからないという失態を演じる事になる。折伏教典の程度を少しあげた様な正宗要義を以て、他宗に対しても論争の対象にはならない。もしなるとすれば負けるのは必至である。なぜならば大石寺本来の法門ではないからである。鎌倉に生まれた宗祖がどうしてインド応誕の釈尊よりも古い本仏なのか、この単純にしてかつ素朴な疑問に対して一言を以て答えられるかどうか疑わしい。
 一口に本仏といっても、当家に云う本仏と、釈尊に云う本仏とでは全くその定義が違うことをこの正宗要義の作者は知っているか。釈尊仏教の本仏が流転門にたてるに対し、当家は左尊右卑の還滅門にたてる、即ち師弟子の法門によって本仏が誕生するしくみになっているのである。したがってまず本仏にしても釈尊仏教に云う本仏観を以て当家に云う日蓮大聖人という本仏を説明しようとする時、大変な矛盾をはらむことになる。つまり本仏とは断惑である。しかし当家は未断惑の上行菩薩を本仏とする事は道師や有師によって明らかである。また当家は師弟同時の成道を説く。しかし正宗要義の如く宗祖即ち師一人が本仏であるとすれば、すでに師弟同時の成道ではなくなってしまう。こうなるともはや貴族仏教であり、民衆仏法ではない。
 五百塵点と当初、久遠と元初、何れも外相と己心、三千と一念、流転と還滅の相違である。当初・元初に流転門の時が附与された処に法門の混乱の始まりがある。そしてまたこれが今日の混乱の最大の原因でもある。すべては時の混乱によるといえる。宗祖は「夫れ仏法を学せん法は、必らず先ず時をならうべし」と仰せである。


 直授相承
 有師が「信と云い血脈と云い法水と云うは同じ事なり」と仰せの如く、相承とは師弟子の法門の上に立つ信の事であり、弟子も己心の一念に於いては師と同じものを本来所持している事を、一往教の立場を以て、師の側から相承という。一閻浮提惣与もこれと同じで、師弟一箇して出現する本尊を一往師の側から惣与というのである。
 三大秘法抄に「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せし也」とあるが、この口決相承も同じ事であって、直接師の口から伝えるのではない。還滅門の己心の一念に於ける話であって、時空を超えたものである。師弟相寄って本尊を成じ、刹那成道するというのも全くこれと同じ意味である。
 代々の御相承も現実の金口嫡々というような相承よりは、互いの己心の一念三千の上の相承が本意である。面倒な事務的なものではなく、無言の相承こそ真実といえる。血脈相承とは直授が本義であり、例えば血脈の如く、例えば写瓶の如きものである。したがって何時、何処で、どのように受けたかという事は愚な話であるといわねばならない。また宗の内外から途中で血脈が切れているとか、御相承がなかったとかという様な事がいわれているが、御相承などは本来内証にかかわるものであり、外相にこだわるのは低次元な争いである。
 天台にも霊山聴衆とか、直授とかいう事がある。これは所謂内証相承であり、この内証相承こそ真実の相承であると考えなければならない。当家の三秘即一の相承も当然内証相承でなければならない。教相に相承を立てることは最も慎まなければならない。師弟子の法門もここに極まるというべきか。但しこれも貫主に信があっての話である。信が云云されるような貫主と、法門としての直授相承とは全く無縁である。この時にはその半分を領掌している弟子が師弟子をただして法門をとりもどさなければならないのは遺誡の通りである。


 化儀の折伏
 本尊抄文段に「今望化儀折伏以法体折伏仍名摂受也」とある。これは本尊抄の「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って云云」の文に対する解説であるが、これは寛師の考えではない。他門の人師の本尊抄の注釈である。この説に対して寛師は「或復兼判順縁広布時歟云云」と注し、これが誰かわからないが、化儀の折伏・法体の折伏即ち摂受に対する寛師の解釈である。
 ここに云う「順縁広布の時」とは所謂釈尊仏教の事を意味している。つまり釈尊仏教の摂折の考え方でいけば宗祖の法体の折伏も摂受であるという意味である。しかし当家は法門を逆縁の広布に立てている事を知らなければならない。ただ逆縁の時の折伏のあり方については寛師はここでは何も云われていない。しかしともかく化儀の折伏に望んで宗祖の折伏は摂受であるとする説に対しては、それは釈尊仏教の話であると一蹴された事は文章からいって確かである。ところが創価学会では、この何れの師ともわからない説を寛師の説と勘違いして、ここに学会の折伏基盤をおいて、学会こそが化儀の折伏を現じているとしているのであるが、いかにも学会らしい初歩的なミスである。
 さて末法の折伏のあり方とは不軽菩薩の行をする事である。この修行のしかたに二がある。即ち師の修行と弟子の修行である。順逆で云えば師ば順、弟子は逆である。師の折伏とは宗祖の一代の行であり、安国論を以てその代表とすべきものである。この師の折伏、安国論の姿勢をそのまま弟子が行ずるという事になると、師弟の混乱であり、時節の混乱という事になる。
 師とは修行の備わったことを意味し、弟子は未修行である。未修行の弟子が師と同じ折伏をする時、師弟の混乱が始まる。全く僭越であるといわざるをえない。未修行のものが師を称する事は、理即の凡夫が仏を称するのと同じである。師弟子の道をただす、これが当家の法門である。
 寛師の文段抄における弟子のあり方は、折伏即ち宗祖の安国論を自己に向け、修行を積む事によって徳を備え、その徳によって他を教化する事を示している。無言の徳を以て折伏する、これが弟子の最高の折伏である。したがって己心に折伏を行じ、外相は徳を以て教化即ち一往摂受の形をとるのである。ここに云う摂受とは世間に迎合する事ではない、折伏の上の摂受である。ここに摂折同時の化他が示されるのである。
 文段抄の構成の上に於いて、弟子は師の安国論を己心に受けとめ、鎌倉当時の師の修行を今日の弟子の修行の糧とする事を明かしているのであるが、ここに文字だけを追えば単なる御書の解説書としてしか見れない文段抄の読み方の重要性がある。寛師法門の深さの一端を知る事ができる。
 ともかく弟子が誤って師の修行を取れば、結果は当然下剋上という事になる。本尊抄文段を我田引水ではなく、素直に読み、寛師の判定の意味をよく理解せねばならない。この数行についての寛師の判断はわずか数字である。ここに勘違いした理由があるのであろうが、全てを寛師の文とすれば、道が自ら曲がるのは当然である。文の底に秘められた弟子の修行のあり方を引き出すための、準備をされたまでというのがこの数行の真意であろう。
 文段抄であるが故に全部が寛師の文であり、意志であるとするのは、あまりにも幼稚な誤謬である。それにしても宗門でこのような初歩的なミスを野放しにしているのは、いったいどういう事であろう。まさか学会と同じ間違いをしているのではあるまい。
 師弟子の混乱と時節が法門を狂わしめる元凶である。管長及び学会の暴走もここに尽きる。師弟子の法門とは、戒壇の本尊を中心として展開する法門、即ち第三の法門の謂である。因果倶時、師弟一箇の処を本尊というか。以 上

あとがき
 巻一は一往ここで止めることにする。続いて今日の問題の根本的な原因である法門の乱れについて、時の混乱、正宗要義の問題点、六巻抄各巻の読み方等、巻二、巻三と書いてゆきたいと思う。

 

   

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阡陌陟記(二)


 目 録
 
文段抄の読み
 
久遠実成と久遠元初、五百塵点と当初
 
御華水
 
分身散影ということ
 
戒壇の本尊を否定するということ
 
日興跡条々事
 
逆次の読み


 文段抄の読み
 文段抄において、戒壇の本尊の内、弟子分について説かれているのではないかということについて、今改めて再考してみたいと思う。まず安国論をあげ、ついで一念三千法門に関する御書七抄をとりあげ、安国論を己心の一念三千の上に解釈をしていることは、一見了解できるところである。師弟子の法門からみて、向いあった弟子の側から、即ち師の右を左と見るところからして、師の折伏を弟子は摂受と受けとめるべきことを明示されている。その摂受とは外相を摂受とし、師の折伏を弟子は内面に向けることを示されているのではないかと考えられる。
 師は既に修行が足りているが故に折伏は可能であるが、弟子はそれ以前に、まず自ら修行すべきであることを示されているのではなかろうか。これが師弟子の道をただす所以であろう。師、弟子を正すのではなく、法門として師弟子の道を糾す、即ち糾明すると考えた方が、少しは筋が通るように思う。師、弟子を正すとはむしろ孔孟の道に近い感が強い。宗祖は所化もって同体なりとも、又師弟共に仏道を成ぜんともいわれている。報恩抄の師弟からしても、師、弟子を正すという訓みが、あまりにも現実から離れすぎている感が深い。その故に大石寺法門の埒外にあると云える。
 さて、一念三千の法門をもって解釈された安国論の内に弟子の意を含めて更に六巻抄の初行に至り、文の底に秘して沈めた一念三千から三重相伝を経て、第七義の終りには久遠名字の妙法の語があらわれる。これが一切万法の至極であり、所謂上行所持の本法である。そして以下巻を追って戒壇の本尊と本仏の師の部分が明らめられ、終って再び文段抄に立ち還るとき、弟子の部分が表に顕われて、戒壇の本尊と本仏の師弟がそろい、理についてその全貌が顕わされるものと思う。
 文段抄の五重相対は一応宗教分として扱われているので、量は多いがその直後に久遠名字の妙法が出ていない。つまり量の多いことは浅いことを示し、少ない三重秘伝が反って深い意味をもち、更に一になれば即ち久遠名字の妙法という意であろう。正宗要義は内容が同じであるということで略されているが、格別な意をもって別な角度から深く解釈すべきではなかろうか。文段抄も従来ただ文段としての意味しか説かれていないが、一念三千の筋を通して、六巻抄を経て立ち還れば最高の法門書となる。ここに解釈の浅深がある。
 大石寺では久遠元初の法をもって本とたて、その本から迹を垂れたのが釈尊であるとする。即ち法前仏後の立て方である。そして本法所在の所に信の一字をもって仏国土を建立する。その国土に三秘が建立されるので、もとより寸尺高下を以て注記する必要のない国土で、文段・六巻両抄はこの世界の中に展開することをまず知るべきである。本仏もまたここを住所としていることはいうまでもない。その元の国土の意が薄れて本仏が日本国に移動するとき、今の混乱が生じる。これが時節の混乱である。
 師、弟子の道を正すと読めば流転門とするさえ、かなりな抵抗がある。師、弟子の道を糾すとよめば更に異様な感じを受ける。しかし師弟子の道を糾すと読めば上行の世界即ち還滅の師弟であると考えるのに何の抵抗もない。やはり読みの浅深ということであろうか。たとえ浅いものでも極力深く読みとることは又師弟子の道の一分というべきである。師弟子の道の混乱は互いの信頼感を失うことにもなる。預めこの語を示された御深意をかみしめてみることも、あながち無駄なことでもあるまい。
 時の乱れは法の乱れである。久遠実成と久遠元初、五百塵点と当初の乱れ、更に左尊右卑・右尊左卑の不可解な語、これも大いに時に関係がある。印度においては東面して主座は釈尊、客座は上行。日本では上行の世であるから主座が上行で、法門の上においてこの主座に日蓮・日興・日目の三祖、客座に自余の大衆が坐し、四世日道は宗開三の三祖と師弟を成じる。これが今猊座にあたる位置で丑寅(六・七)の中間であり、ここに師弟の座が定まる。これが戒壇の本尊の真実の師弟の姿であると思われる。何れにしてもこの法門は上行主座、釈尊隠居という前提にたっての法門である。大石寺には今も隠居法門ということばのみがかすかに残っているが、実際には今の吾々にはこの痕跡のみでも貴重な資料である。
 客殿の南面の本尊は妙法を中心に、向って左に釈尊、右に多宝、即ち右尊左卑であって、これに上行等が向いあって右に上行、左に浄行が北面している。この上行を釈尊の側からいえば釈尊の左にあたる。上行が主座についた時、上行を称して左尊右卑という。客殿は左尊右卑の中心に建立されて、しかもその内部は師弟向いあった姿をもって表されている。そこで本尊・客殿を通じて、客殿の弟子の座にいる衆生・弟子は常に下座を一歩も出ていない。そして師が南面することも亦残されている。ここに複雑な時の切かえがある。上行主座とは新しい時の展開であり、ここからが上行の世界、大石寺法門の領域である。師弟交替の時を示された処に意義がある。このような意義を含めて左尊右卑・右尊左卑の語があるものと思う。


 久遠実成と久遠元初、五百塵点と当初
 この語もあまりはっきりした区別があるのかどうかわからない。またまた当初と元初が互いに置き換えられていた処もあったように思う。また垂迹された釈尊自ら説き明かされた久遠実成と五百塵点とは、本法の領域ではない。本法に法門を立てる大石寺でこの境目を誤ると極端な混乱が生じるが、実際にどこまで理解されているのかどうかということになると、大分疑問があるように思われる。久遠の妙法と久遠名字の妙法も同様ではないかと思う。時の混乱は自他の差別を失うことにもなりかねない危険をひかえていることに留意すべきである。
 仏法と仏教。本法に法門(宗旨)を立てる大石寺としては、特にこの区別をはっきりさせなければならない。これまた相当の混乱がある。大石寺ではもとより法前仏後をとっているために、他宗とは左右が反対になる。その法門を信者に向ける場合、おおむね流転形をとり、結論の本仏・本尊のみをもって教化するのは当然であるが、自他門とは、左右前後の相違があるのは当然である。随って求めに応じてその相違点を明確にする用意がなければならない。今はその説明が出来ないまま、その分まで含めて自義のみを主張しているとすれば、危険極りないというべきである。堂々と胸を張って自義を主張してもらいたいものである。時節の混乱は自らの足元さえも見失うようなことがあるかもしれない。
 他門のものを読み且つ習うような時には、必らず前もって、右を左に、実成を元初に切りかえて読みとる余裕が欲しいものである。読み乍ら切りかえるためには、かなりの修練が必要であることはいうまでもないが、自他の混乱を防ぐためにも、自説を正しく主張するためにも是非十分の用意をなされたいと思う。
 本末究竟という語があるが、自分では専ら本法と滅後末法との究竟に用いている。上行所持の本法と日蓮が己心の一念三千の滅後末法との本末究竟の上に建立されているのが大石寺法門である。迹門の上に日蓮が己心の一念三千法門が建立されても覆いのためにつつみかくされる懸念が多分にある。
 中世の民衆思想を高揚せしめたものは、この己心の一念三千の法力魔力による末法思想であって、決して在世の末法ではない。在世の時には制約があるが、滅後末法には時空を超える性格を備えている。ここに三世超過の法門を生じる下地がある。三世超過とは流転門から還滅門に入った処をさしている。ここに建立された法門、それが大石寺法門である。久遠名字の妙法もまたここにある。仏は三世に亘って大石のほとりで法華経を説くという。その三世を超過した処に法を立てているという意味をもって大石寺と名付けられている。経の一語をもって寺名とするのとは大分規模が違う。大いに胸を膨らましてもらいたい。
 正宗要義の中に以上のような混乱がないといいきれるであろうか。「その深意は釈尊一代の教法を久遠において括る本地の妙法である」(正宗要義七十一頁)この久遠の語は実成をさしているものと思われる。時の混乱がありや否や、御深意は如何。
 「久遠の妙法に即する人として元初自受用身の再誕日蓮自身を」(同九十頁)久遠とは釈尊の領域であって元初自受用身の出現する処ではない。論を進める前に時の整理が先決である。久遠に即する人とは、誰を指しているのであろう。本尊・本仏とは純一無雑を身上とするものと信じていたが、この文による久遠元初の自受用身の再誕日蓮は混沌とした感じである。この久遠の妙法というのは、六巻抄の久遠名字の妙法(三重秘伝抄、第七義末)にあたるものではないかと思われるが、そこまで立ち入って考えるのは、著者の領域を侵害することにもなりかねない。久遠に即する人とは最短距離にいるのは断惑の上行であるが、この人も久遠元初の人とは別人のようである。何れにしても余程思い切った飛躍を必要としているであろう。
 「久遠の名字凡夫」(同三十六頁)
久遠の名字凡夫と久遠名字の凡夫では天隔の相違がある。前の二項と合して必らずしも誤植ではなさそうに思われる。
 「無始無終」(同九十六頁)「むしむしゅう」と読むのであろうが、これでは今一つ意味がはっきりしない。仮にこれを中諦読みとすれば、「始めもなく終りもなし」は空諦読みという感じで、「無始にもあらず無終にもあらず」と読めば仮諦読みということが出来る。前の二には何となく時間の匂いがあるが、後の一には時間もなければ空間もない。大石寺法門がこの第三の仮諦読みの上にたっていることは自ら明らかである。空諦読みの上に大石寺法門を建立しようとしても、無理な相談であろう。
 「したがって本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるのが本門の題目である」(同百十八頁)これは全く信者向けの放送であって、これを要義とすること自体混乱の極地である。左尊右卑に建立された法門が、信者向けに右尊左卑の姿をもってあらわされた一例である。これが宗義の座に着けば、右にもあらず左にもあらざる混乱を生じることは、火を見るよりも明らかである。一をもって他を識るべきか。


 御華水
 「戌亥の方から水流れ、辰巳の方へ流れ去る、かかるいみじき処」、そのいみじき処とは、鬼門と裏門の両袖に囲まれた現世の寂光土を指している。戌亥の方には、日蓮が慈悲の水を汲み上げる御華水がある。この白蓮池の水は不断に日蓮の慈悲の水として明星池に至り、更に辰巳に向って一閻浮提に流れ去っている。「水の流れ絶えざるは日蓮が慈悲広大をあらわす」という法水であり大白水である。この法水を汲み乍ら、寿量品の色も変わらぬ命脉を保ち続けてゆく、時空を超えた処に法脉が伝持されている。その法脉とは法水と血脉である。法水とか血脉とかいうものは、この様な形で表されるのが真実であろう。これが外相に出、人間臭を帯びてくると、色々と複雑な問題が起って、元の一念三千法門とは、凡そ縁もゆかりもなくなって、血相を変えて骨肉相争うことにもなる。これもまた血脉論議には違いないが、本来の血脉とは己心の一念三千法門の上にある処の法水であり、血脉であることに帰着すべきである。 
 世間の親子の如く血脉を相承ける、相承とは信の上にあるべきもので、相は師、承は資、これを重ねて師資相承という。金口がこれに加わって、これを師弟子の法門という。流れ絶えざる水は法主のものであり、受ける衆生からいえば、地下をしみ通ってくる日蓮が慈悲そのものである。血脉とは外相をいえば慈悲である。「戌亥の方」の御書は今も大石寺の御宝蔵に格護されている。 戌亥の方は俗間でも台所や蔵を設ける処、寺院では一般に庫裏のある所で、直接生活に結びつく所でもある。衆生の心を潤す基点がここに設けられることは、世間即仏法の故であろうか。
 昔、凡情に堪えかねた寺僧は、ここに内妻を囲っていた。薄暗い処に、心の暗さをかくして蓄える妻、これを梵妻と書いて、だいこくと呼んだ。今もその呼称は残されている。そしてこの戌亥の方を領有するのが大黒天である。黒衣に大きな袋を背負って福徳を授ける神である。この梵妻も恐らく末寺に限られたものであろう。大石寺では、明治の頃には、日没以後は炊事の人等も帰り、女人の山内通行は日の出まで厳重に禁ぜられていたようである。
 日蓮が慈悲の水とは清浄の法水に付く語であり、一に還帰することである。その故に唯授一人法水瀉瓶は明星池において行われているように思われる。本尊書写という事もこの意味をもっているものと思われる。本尊書写とは法水瀉瓶である。その中に流れる法水、ここに血脉がある。
 唯授一人は師につくもの、法水瀉瓶は弟子につくもの、師弟相寄って血脉は受けつがれている。これが師弟子の法門である。流れ絶えざる水の、止るかに見える明星池において行われる、本法授受の儀式、これが真実の血脉相承であろう。客殿にある師弟一箇の上に成じた本仏日蓮大聖人の影も形もない姿、それは明星池に写してのみ文字と現れる。それが本尊書写であって、これまた法主の慈悲の一分であろう。この様にしてみれば、形こそ違え、その内証をいえば丑寅勤行と全く同じである。
 明星出るの時、それが本尊書写の時であろう。この明星池に写った本尊が二十余年であり、写す側が三十余年、師弟相寄って本尊と現ずる。この意味からしても、二十余年・三十余年は厳然と区別されるべきである。この様な血脉が信の外に出ると、他宗門から血脉云云と云われることにもなる。先ず自らが確認すべきである。
 さてさて、大白水変じて大黒水となるのも、時の混乱の然らしむる所である。御華水とは水の用の一面であって、その体をいえば泉である。泉とは白水と書く。白蓮水である。若し大黒水ともなれば、事の寂光土変じて即時に瓦礫・荊棘の土となり、法水即時に断絶ということにもなる。白水も黒水も常に凡眼には同色の水である。しかも時あって白となり黒となる。これを妙という。妙名不可思議の故である。
 今の妻帯は明治政府の許可したもので、宗祖や釈尊の関知しないところである。そこには自ら節度というものがあるのではなかろうか。旧仏教の中では政府の許可が出た以後、現在でも極少数の人々の中で古い伝統が守られていると聞いている。そこに宗教人の良識が伺える。宗祖は過去の法主、今の法主こそ真実の本仏、日蓮大聖人の再誕ということになれば、法主の垂範は、宗義の上において公然と許可を与えたことになる。親鸞についで第二番となる。これまた時のしからしむるところか。
 法主の独一の強さが、誤って外相に出れば異様な暴力となる。反抗する力のないことを見越して暴力を振うのは殿様芸である。慈悲変じて暴力となる。雛僧の哀れさよ。言い様のない哀しさ。昭和の御時世に、誠に沙汰の限りである。暴力法主と世界最高の宗教、何とも奇妙なとり合せである。追いつめられた者の暴力、それはやがて自らを孤独に追いやるであろう。法力によって、一日も早く自らを暴力から解放することを望んでやまない。


 分身散影ということ
 近頃分身散影という語が一部で盛んに流行しているようであるが、少なくとも大石寺法門では全く前代未聞に属する説で、或は後の中古天台のどこかで使われていた語の直輸入ではないかとも思われる。一閻浮提総与という語には、外相からいえば本尊一体、唯一人の本仏の本における、常寂光土の成仏を示されているものと解される。文の底に秘して沈められた一念三千の上に、三秘を即時に建立する法門を立てる大石寺において、分身散影というような語は、信心を二途にする危険が多分にある。本尊は唯寂光土にあり、それより分身が出て成道せしめることが、広宣流布の中の本尊流布ということになれば、分身成道となり、迹門の成道と同じ形であり、時の混乱によって刹那成道の意が甚だしく薄らいでくる。そして一旦成道したものが一閻浮提総与の本尊の本に馳せ参じてくるということになれば、徳川の封建政治に似て、文底寂光一土の成道でもない、文上寂光土の成道でもない、異様な成道となる危険がある。
 文底一念三千の法門に分身があるという新説には、まず一閻浮提総与の語を否定し、反って迹門を称揚する危険が内在しないであろうか。しかも迹にあらず、本にあらず、成道の孤児になる危険が多分にはらまれている様に思われる。
 散影とは本果の仏より垂迹する形をとるが、一閻浮提総与の本尊は、実には師弟相寄って建立されている本因の本尊であって、本果に止まるものではない。しかも散影の語は、この本因の本尊が本果に止まったことを意味する。また下化衆生の形をとるために仏と同じ姿にもなる。そして末法万年を目指して散影する。その万年が終ればまた次の万年とひろがって止ることを知らないということになれば、最早完全な三秘各別の世界である。また題目も久遠名字の妙法から口唱の題目に格下げになる。このようなことは宗教分としては一応容認されるとしても、それは宗旨分が確立されている上での事である。宗教分が宗旨分を含めて混雑されると、これは大変なことになる。
 己心に散影成道の必要があるのであろうか。若し己心の外に成道を考えるならば、一閻浮提総与の語に背くことにもなる。一閻浮提総与の本尊を受け乍ら、何故重ねて散影本尊を受ける必要があるのか。このようなことは全て時の混乱にその本源があると見るべきであろうか。現在の危険を防ぐためには、まず宗旨・宗教の分離、確認がさしせまった問題ではなかろうか。


 戒壇の本尊を否定するということ
 本尊は既に師弟一箇の本尊である。その本尊が本果に止って、それより師弟各別の本尊として散影するとき、当然弟子は本尊造立に不参加となる。若し成道があっても迹門の成道と同じ貌になり、民衆仏法の資格が失われてくることになる。その様な危険を避けるために、文底秘沈抄では義の戒壇の語を用いられたのではなかろうか。ここには修行がある。この戒壇の語は逆次によめば三秘相即の戒壇をもっているし、そこには本尊造立に参加する衆生の修行が前提となっているが、散影の本尊では、本尊が完成したものであるために、その様な修行が皆無であることを知るべきである。
 散影の語には仏前法後臭が強いが、戒壇の本尊は法前仏後の上に建立されている。これが宗旨の根本になっている所が大石寺法門の特徴でもある。近代の本尊・本仏の解釈が、多分に仏前法後流に動きつつあることも、また気掛りなことであるが、それに気付いていないことは更におそろしいことである。散影の一語の中に、以上の様な危険をはらんでいることを、先ず提唱するものである。


 日興跡条々事
 正宗聖典には、日興上人御教示として最初に「日興跡条々事」があげられている。重要なものである割合に、内容的に詳細にされていないように思われる。難解な点がその検討をはばんでいたのではなかろうか。そこで今私なりに解釈してご批判を仰ぎたいと思う。第一条の、「本門寺建立の時は」の文は、このまま読めば遠い将来という風にも読めるが、「日本国」以下及び第二条以下を仔細に見ると、己心の法門として受けとめることが、最も適切ではないかと考えられる。またそのまま客殿にあてはまる内容をもっている。
 日本国乃至一閻浮提の山寺の半分は日目嫡子分としてこれを領有し、余の半分を大衆が領掌するとは、客殿を一閻浮提として、嫡子分と客分とが折半している姿であって、客殿が己心の一念三千の法門として三秘相即の姿を表している証拠でもある。外相を見れば戒壇であり、中に満ちた題目は奥深くまします本尊である。ここに三秘が具現されている。それが客殿ということになっているものと思われる。これが第一条の意味ではないかと思う。
 第二条の「日興が身に充て給わる」とは、宗祖が自筆をもって日興に授与されたものともとれないことはないが、この文章からすれば、日興自身を本尊に宛て示されたともとれる。道師の日興伝の、「その時大聖人御感あって日興上人と御本尊にあそばすのみならず」の文と合して見れば、むしろ日興上人自身を本尊とせられたと解する方が素直ではないかと思われる。これが弘安二年の本尊とすれば、己心の一念三千の法門を伝授されたことになり、貌をもって示せば奥深くまします本尊となることは、客殿に示された通りであり、更に御宝蔵に移せば戒壇の御本尊ともなる。現在は逆に表示されているが、本は一閻浮提総与ということかもしれない。
 総与という語がこの第一条から出ているとも考えられる。もし真実総与ということになれば一機一縁の本尊になる恐れがないとはいえない。「御下文」とは園城寺申状を指しているのであろうが、これも文字通り戒壇を建築物をもって造るという意味ではなく、建築物の無用な己心の戒壇を示されたものと考えたい。園城寺が御教書によって戒壇を建立したが、直ちに毀されて現在ない。そのない処をとりあげて己心の戒壇にあてはめていると思われる。従って第二条もまた本尊及び戒壇は己心に建立される戒壇と見ることが出来る。
 第一条は題目即ち恵、第二条は定戒、即ち恵定戒となって目師の作用を示されているものと考えられる。三衣抄の数珠の意と同じである。戒定恵・定戒恵・恵定戒の三が具備されて居り、やがてこれが六巻抄の三衣抄によって宗開三にあて、三衣にあててくわしく示される。そのもとの姿がここに明示されているように思われる。これが第一条・第二条の大綱ではないかと思う。
 第三条は、前二条が法門の上の目師を示されたのに対し、現実の貫主としての目師の立場を示されたものではないかと思われる。これによって三秘相即の本尊と目師の意義乃至歴代上人の内証を明示されたものと考えることが出来る。
 「右日目は」とは結文として置かれたものであり、特に後代のために信行を示されているものと思う。ただ学については内に秘められているが、道師の目師伝では巧於難問答ということで取り上げられている。問答は学を消化した上で始めて可能なことで、総じていえば、道師は学の在り方について明示されているものと受けとることが出来る。以上一言でいえば、本尊と信行(学)について後代に示されたものと考えることが至当ではないかと思う。
 また第一条及び第二条を滅後に充て、第三条を在世にあてるとき、滅後は客殿、在世は御影堂とすることも出来る。何れも己心の一念三千の法門であることはいうまでもない。第一条では、目師と大衆との間が師弟子の法門であることを示されている。一閻浮提とは熱原三烈士の唱えた最後の題目と日興の唱える題目とが一箇した貌であり、五字七字の題目の師弟一箇のすがたでもある。言い換えれば、久遠名字の妙法でもあれば、師弟成道の貌でもある。この様な甚深の法門、宗旨の根本を示されたものが、従来どのように読みとられて来たかということについては、筆者は寡聞にして未だ曾つて聞いたこともないし、未だ一回も眼福に接したこともない。若しこのようなものが、他門において文字通り読まれると、北山本門寺日要によって訴えられたような事件にもなる。他宗門から誤読される以前に、自宗としての読みを確立する必要がある。
 六巻抄の中で第二の文底秘沈抄のみが最も重要であるといっても、あとに五巻が残っている。第一を序文とするならば、結論は第六にある筈である。そこに何となく読みの浅さがあるように思う。六巻抄を、若し御書にあてて見るならば、第一は開目抄のごとく、第二は本尊抄のごとくであって、第三の撰時抄、第四・第五の本尊・報恩両抄及び最後の当体義抄が、第六に至ってこれらの諸抄の再現されることによってその真実が発揮されるごとく、第二に三秘の名義は説かれていても、未だ三秘相即の本尊として、その力を発揮するようなものは具備されていないように思われる。ただ名義を説かれているのみであって、その故に定戒恵の順に説かれている。定戒恵と戒定恵と恵定戒と、各その用きが違っていることはいうまでもない。ここに相伝物乃至この条々事、或は六巻抄などの読みのむつかしさがあるのではなかろうか。
 一閻浮提総与という語も、世界最高という語も、ともにこの日興跡条々事より起ったものであろう。世界最高の世界とは己心の世界のことであって、現世を指しているものではない。その世界最高とは独一本門のことであって、流転門に解すべきものではない。日興跡条々事が己心の法門である証拠として、第一条が最も顕著である。これを見る限り、宗旨としては上代より今に至るまで一貫しているといえる。近代その本が失われたのか、流転門のみにその跡をのこしていることは遺憾である。
 弘安二年の本尊が日興体具とすれば、日興跡条々事は戒壇の本尊に先行するものと見ることも出来る。譲座本尊から見ても、また興師の考え方としてもうなずけるものがある。今のごとく戒壇の本尊を真蹟とすることについては、他門から色々難がある。やはり日興体具の本尊として受け留る度量が必要なのではなかろうか。
 日興跡条々事が、日興体具の本尊とその内証、及びその具現の方法を示されたものとすれば、譲座本尊の意味も明らかになってくる。主師の日目嫡子分の語もまたその意味が理解し易いし、客殿という当家独自の意義も明らかになる。目師を師とし、自余の大衆を弟子として丑寅成道をとなえる本源が、この条々事によって始まることもわかる。道師の三師伝も法門書としてこの条々事に大いに関係がある。というよりは、むしろこの条々事を解説されたものとする方が適当かもしれない。宗・開・三祖と四世の間、即ち祖と世の中間に師弟一箇を見ることが、宗旨の根本になっているように思われる。
 また第一条は左・大石寺、第二条は中・富士山(多宝不二「富士」大日蓮華山)、第三条は右・(御影堂)北山本門寺とすれば、ここには隠居法門の原型を見ることが出来る。また化儀抄も一連のものとして「日有仰曰」として、師弟子の法門として見れば、具体的なものが示されているかもしれない。
 主師の客殿図も簡単に師弟子の法門を一紙に示されていて、やはり相伝書の意味をもっているように思われる。最後に六巻抄はこれらのものの解説書として、一より六に至って、一念三千から久遠元初、そして宗開三を戒壇の本尊のうち、師としていることを、その法門を詳細に解明されているが、その根本は日興跡条々事と全く同一である。他門から批難されるように、日蓮一人を本仏としている様なところは全く見当らない。寧ろ見る者の読み誤りが今の様な日蓮本仏論を作り上げた感が深い。
 御書を心肝に染めて読むということが云われるが、問題は何を根本にするかということである。師弟子の法門を根本とすれば当然久遠元初においてこれを読むことになるが、そのためには、はっきりと元初と実成の区別が必要である。この区別を付けずに読めば、当然そこには時節の混乱があることは末法相応抄に示されたごとくである。実成は順次にあり、元初は逆次にたっている。前は右尊左卑であり、後は左尊右卑である。化儀の広布についても、寛師にはそのような指摘があるのではなかろうか。逆次にある本仏や戒壇の本尊が実成或は中間(ちゅうかん)で読まれるなら、それは法門の混乱である。自門に対する誡めである。
 条々事も三師伝も化儀抄も六巻抄も、一貫して本尊が師弟相寄って造立されることを示されているし、入信第一日の御授戒もそうである。これは、師、弟子を正す法門ではない。無差別の中に自ら差別の立てられた師弟子の法門である。そこに互為主伴ということも成り立つものである。師、弟子をただすとは師弟各別の法門であり、流転門である。時節の混乱の最たるものであろう。
 師弟子の法門は仏法にある。時を誤れば、仏法にあるべきものが仏教のような形をとる。流転にあらず還滅にあらず、他宗の理解の他にあることはいうまでもない。まず自ら時節を糾し明らめることが肝要である。これが大石寺法門を知る第一歩である。
六巻抄は師、文段抄は弟子、この両抄合して本仏の姿を解明された、条々事を詳細にされたと見るのが、今の自分の考え方である。
 今まで右尊左卑であったものが、上行の代が来ると左尊右卑となる。逆次のよみに依る故である。大石寺法門の根本はここに立てられている。仏最後の涅槃経は滅後を示されたものであり、秋の落穂拾いといわれている。法華経において、尚且つ取り残されたものを救済する方法は、仏の領域の外である。それを上行に託されたものであろう。ここに一切皆成仏の意義がある。一閻浮提総与の中にも、そのような意味を含めているであろう。ここに師弟子の法門の故里がある。

 その法門はまず宝塔品に事始まる。ここからが元初の世界である。開目抄も、下巻の始めの宝塔品の処から状況が変っている。六巻抄でも第二を過ぎて第三に始めて宝塔品が引かれる。法門の故里がここにある故である。第一に示された久遠名字の妙法も、ここにおいて始めて戒定恵と示され、最後宗開三の三祖と四世道師の師弟が成じることになり、そして大石寺法門としての本仏及び戒壇の本尊が誕生することになる。これ全く逆次のよみによってのみ成り立つものである。宝塔品の仲介なしでは大石寺法門は成り立たないであろう。この意味においても、文底秘沈抄には宝塔品のような、三秘の根本にふれるものが引かれていないことに留意すべきである。
 次に文段抄ではまず安国論を取り上げ、これに対して一念三千及び三秘を説かれた御書をもって、安国論を一念三千法門として説き明かそうとせられた点が考えられる。そして師の外部に対してなされた折伏を、弟子は己心の法門として内面に折伏を成じることを示されているのではないかと思う。
 天文法乱以後、京都においても安国論の折伏をそのまま他宗に向けることについては、必然的に反省をせまられていた様に思われる。辰師の化儀の折伏なども、周辺の情勢に対処する中に生じた便法の様に見える処もある。造像読誦論なども同様の意味を持っているのかも知れない。寛師はそこを捉えて時節の混乱といわれているようであるが、或は己心に解することを忘れた愚を指摘せられたのかもしれない。慶長の頃の不受不施派の祖日奥の消息の中にも、安国論を己心に読むように示されているものもある。そこに時の流れが感ぜられる。
 師の右は弟子の左という原則の中で、弟子の道を示されているのが文段抄ではないかと考えられる。御書の一々文々を註釈されて教相を表に出し乍ら、内面で弟子のあり方、殊に本尊の中の弟子分について説き明かさんとせられているのではないかと思う。御書の註釈書としてはあまりにも少なすぎる。当時既に録内啓蒙も出版されている。やはり別個なところに目標があったものと考えたい。
 このような構想は、所謂元禄文化が終った頃から始められているようにみえる。寛師が出家した頃は、俊師が精師造像の四菩薩を廃毀して、そのために北山日要に訴えられ、やっとの思いで取り潰しをのがれた頃であった。出家早々身をもって体験している筈である。そして元禄も終って、いよいよ正徳三年開目抄の講を始められている。その講義の道中において六巻抄と文段抄の構想がねられたものであろう。元禄文化の影の中には宗教界の暗い一面も映っていたにちがいない。両面のきびしい情況の中から、この様な発想がなされたのではなかろうか。すでに要法寺教学に何の不審ももたなくなった時期であったのかもしれない。今の昭和元禄は彼に数倍、数十倍して宗門にせまって来ている。一人の寛師の出る時が来ているのかもしれない。
 日興跡条々事の第一条は、日本国乃至一閻浮提を領有するものは、日目と自余の大衆、即ち師弟二人となっていて、座主目師一人の領有するものではない。目師の再誕といわれる歴代法主もまた、自余の大衆と折半して一閻浮提を領有していることであろう。若しこれが一人に固定すると、そこには異様な権力を生じる。その故に民衆宗教として二人を指定されたものであろう。宗祖日蓮は生まれながらにして本仏ではない。俗世においては只の凡僧である。宗開三と道師と相寄って師弟子の法門を成じる。この久遠名字の妙法の世界においてのみ、本仏として誕生するものである。改めてこのあたりの事を、心を鎮めて考え直す時がせまって来ているのではなかろうか。昭和元禄のあと、今こそ最もそれに相応しい時と思われる。


 逆次のよみ
 上に度々逆次の読みという語を使っているが、御書にもあって格別新造語というわけではない。順次とは、法華経でいえば一から八に至る読みで、悟りでいえば樹下の成道であり、流転門である。この様な悟りは釈尊のみのものであって、民衆にあるものではない。ないでは民衆に救いがない。そこに登場するのが逆次の読みであり悟りである。涅槃経から逆次に法華経宝塔品に至り、寿量文底ということで二十八品尽く文底寿量品という。そこには久遠名字の妙法があり、三学もあれば三秘もある還滅門の世界である。逆次に読めば釈尊の悟りと隣り合わせである。
 受持即観心という。そこに民衆の悟り、刹那成道がある。釈尊の悟りにも樹下の成道と涅槃の悟りがある。前は生の悟り、後は死の悟り、その生死の中間にあるのが刹那成道であり丑寅成道である。生死の中間、これを明暗来去同時という。受持即観心の民衆成道である。民衆成道の前にある釈尊の悟りの境界、これが覚りの仏であり、釈尊の覚る以前の実仏、これが無作三身であり、本仏である。これによると覚りの仏、及びその受持が民衆成道の必須条件となっている。
 釈尊の覚り以前の実仏、即ち覚前の実仏は民衆一人一人の己心の中に秘蔵されている。これが本仏であり、三秘である。この三秘密を蔵している故に秘密蔵ともいい、又御宝蔵ともいう。蔵は眼をもって確かめられても、三秘は秘密であるが故に心をもって知る以外に方法がない。ここに蔵の意義がある。心眼を開いて蔵の奥底の三秘を確認すること、それが民衆成道である。釈尊と上行、上行と日蓮、日蓮と弟子檀那の三重の秘伝の中に民衆の成道がある。逆次の読みは、流転から還滅に至る時の転換に意義がある。時を知れば、そこには即時に仏法の世界がある筈である。
 以上六巻抄に至るまで、本尊・本仏については専ら本因の追求に終始している様に見えるが、正宗要義を見る限りでは本果の立場から説かれているように思われるのは何故であろうか。宗門当局の権威ある書として、見る側としてはどうしても宗旨の側からよむのは当然であると思うが、読んだ限りでは宗教分の匂いが強い。必らずしも文章の罪ばかりではないであろう。要義という語からして宗旨分と見るのは当然であるが、内容的には正宗教義的であることは否めない。
 一旦定められた宗旨分を本として、そこから本果の姿をとって本尊・本仏が説明されると、どうしても下化衆生の形をとることになる。所謂説教流である。宗旨分は本尊・本仏が如何なる内容であるか、如何にして出来上ってゆくのかを追求してゆく。そこに本因の本因たる所以がある。その本因を既成事実として解明し、敷衍してゆくとき、どうしても本果の形をとらざるを得ない。そこに要義のむずかしさがある。出来れば要義を二部に分けて示してもらいたい。しかし本来の姿からいえば、真俗共に宗旨分を追求して行く処に宗門本来の行く手があるように思われる。
 文底秘沈抄自体、本果的であるし、これを依拠とする限り本果的なものになることも止むを得ないというべきであろうか。六巻抄全体の中での文底秘沈抄の位置づけを先行すべきである。師弟ともに仏道を成ぜんとは、あくまで師弟子の法門の追求に、師弟相寄って励むところに意義があると思う。要義のような形をとりながら、宗旨分を先行さすことは非常に困難な問題であることはいうまでもないが、宗旨の立て方が他門と異る以上、その分を別個に分かり易く先に説き、しかる後にこれをもって宗教分を説けば、まぎれ易さを防ぐことが出来るのではなかろうか。

 

   

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 阡陌陟記(三)


 目 録
 
戒壇の本尊について
 
大衆不在の丑寅勤行
 
「師弟子をただす」について
 
精  師
 
自受用身について
 
久遠即末法
 
煩悩即菩提
 
不改本位の成道


 戒壇の本尊について 
 一つの戒壇の本尊について現在二の解釈がある。一は遥拝式、二は直拝式である。古来客殿においては遥拝式によっており、今は正本堂においては直拝式をとり、次第に直拝一本になりつつある様に見える。遥拝式は本因のごとく、現在の解釈はともかく、そこには明らかに本因修行を伺うことが出来るが、直拝式にはそれがない。他門と同じく本果に修行を見る様な結果になって来て、法門の上からは、全く修行が失われることになり、成道についても大きな疑問が生じて来る。大石寺においては、修行とは本因に限っている故である。若し本果に修行を見る様になれば、法門を立て直さなければならないし、久遠元初の自受用身もまた姿を消さざるを得ないであろう。色々と困難な問題にぶつかるのは必然である。簡単に本尊の解釈のみを変えて、事竟るというようなものではない。宗制は何れの解釈によっているのであろうか。甚だ不明朗である。
 本尊とは天の日月のごとく、元よりその解釈は一でなければならなぬ。客殿の威力も次第に失われつつある様であるが、やはり宗門当局の解釈の故であろうか。何れにしても二の解釈があることは衆生の迷いの根源である。当局は須らく二者択一すべきである。本尊の二つの解釈は衆生の迷惑であるばかりでなく、宗門二分につながるものである。宗門当局の解釈の上に、本尊は既に微妙にその作きを示されていると見るのは考え過ぎであろうか。一体二頭は衆生の迷いの本源であることを了知すべきである。
 丑寅勤行においては、正本堂に移った本尊を遥拝しているのか、御宝蔵を遥拝しているのか。御宝蔵から出た本尊は既に遥拝の理由はない。蔵中の三秘密であるが故に遥拝もその意義はあるし、三秘即一もその中に示されている。丑寅勤行に何故遥拝が必要なのか。直拝していないことは間違いないであろう。昼は直拝、夜は遥拝ということでは甚だ不明朗である。今まで遥拝式であったものが、急に直拝式になったことは、師弟共に仏道を成ぜんといい、師弟の法門といわれてきた中から、師のみが成道をとげて、弟子は永遠に成道から外されたのではなかろうかという疑問も起る。もし弟子にも成道があるというならば、法門の根本的な立て直しが必要である。蔵中の本尊が正なのか蔵外が正なのか。蔵の中にあれば本因であろうが、蔵外に出れば本果の姿をとっても、しかも本果の本尊ではない。既に本因でもない。所謂時節の混乱ということになり、必然的に二頭の本尊という事にならざるを得ない。
 五百塵点の延長線上に当初を見てもそこは流転門の領域であり、久遠実成の延長線上に元初の本尊を建立したと思ってみても本果の領域である。本因の本尊は本因修行によって建立されるものであり、本果の本尊もまた修行の結果として建立される。ただ修行を本因にとるか本果にとるかの違いで浅深が定まるが、本因に建立されたものが、本因の修行を失って本果に至っても、既にそこには何らの修行がない、時節の混乱の上に建立された本尊とならざるを得ない。先ず本尊の解釈を定めるべきであろう。
 客殿の奥深く安置する本尊を内に秘めて戒壇の本尊は外現しているものと思う。御宝蔵に安置されている間は、その裏付けを持っていた筈であり、そこには遥拝式をとってこられているが、直拝式となると、少なくとも客殿の奥深くある本尊とは無縁と解せざるを得ない。大石寺で日蓮が魂というのはこの姿の見えない本尊をさしている筈であるが、直拝式になると、今唱えられているように、直筆をもって授与された処に日蓮が魂を見ることになり、師弟相寄って成じた本尊に魂を見るのとは大いに異なり、どうしても本果に近い解釈にならざるを得ない。
 一人の師の魂か、師弟相寄った処の師弟の魂かという相違が、直拝か遥拝かということに現れるものと考えられる。本尊が二頭になれば信もまた二頭となり、弟子檀那も二分されるのは当然の結果である。明治独立の時はっきりと文字をもって宗祖直筆直授を謳ったものが、漸く八十年を経て直拝となり、直筆の意義も表面に現れてその結果が出た感じである。直筆をもって一閻浮提の衆生に授与されたものであれば一機一縁の本尊となり、本尊の造立も既に終って本果の姿をとることになるが、師弟相寄って刹那成道する根本の貌を示されたものとすれば、本因修行もあり、未来永々に亘って造立される本尊ということになり、開山と三烈士の間の師弟成道の貌を根本として宗祖が印可されたものと解される。そして一閻浮提総与とは、一切の民衆が本来所持している久遠名字の妙法の荒玉が、縁にふれて師の力によって師弟一箇の成道をとげる意味を現わして来る。
 本因をとるか本果によるか、答えは自ら分明である。今の混乱は全く本尊の解釈に依るものであり、今こそ「自余の大衆」も自らの意義を主張しなければ、大衆の成道は永遠に失われるのではないかと思われる。本因成道に示された慈悲も今正に失われんとしている。今こそ師弟子の法門を糾す時である。本因造立か本果帰入か。ここには両頭は許されない。大衆自身が自らの意志によって何れかにきめることが今の最要の課題であると考える。


 大衆不在の丑寅勤行
 日興跡条々事に依れば、客座の自余の大衆は、弟子分として一閻浮提の半分を領しているし、戒壇の本尊においてもその半分は弟子の領有と見える。これが客殿の上に表わされて、嫡子分・弟子分相寄って丑寅勤行が不断に続けられて来た。刹那の上の不断である。この師弟相寄って成ずる処のものが一閻浮提最高の本尊である。あくまで己心の境界である。それが世界最高と変ってゆくのは、実は本尊の解釈の転移の結果である。
 客殿は己心の上にあるべき仏国土であり一閻浮提であって、現実の世界ではない。そこにすりかえがある。自受用報身であるべき日蓮が一挙に鎌倉に生れた日蓮の俗身に変ってゆくのと同じ轍である。今の民衆には自受用報身になる道は封じられているようであるが、頂点にある者にはその危険は多分に残されている。ここに民衆宗教の危険がひそんでいる。
 今、客殿においては一人の自余の大衆の参加もなく、ただ嫡子分のみによって丑寅勤行が行われているようであるが、大衆不在の丑寅勤行とはどの様な意味をもっているか。一方的に排除された大衆ということになれば、戒壇の本尊から弥四郎国重が抹殺されたのと同じ意味である。どのように理解すべきか。何れにしても宗門始まって以来の大事件である。上代から伝えられて来た信仰が根本から変改され、丑寅勤行も法主一人の勤行となれば、六壺がここに移動したごとくになって、客殿の意味も失われて、本因修行とは全く無縁になり下ることになる。而も本果に堕してもそこには修行がない。滅後七百年、全くもって驚天動地の大転換といわざるを得ない。刹那成道をいかにして取り返すか。焦点はここに絞られて来る。


 「師弟子をただす」について
 「このお手紙の結論は『この法門は師弟子を正して仏になり候』の一文にあることは明瞭である。師弟子の序列を無視して、大聖人の直弟子と名乗ることを誡められたことも、『師弟子を正す』ことに主眼があるのではないか。」(宗務院発行「久保川論文の妄説を破す」五三頁)。この解釈でいう「師弟子を正して仏になり候」を師弟の序列を正す意にとっているものと思われる。その意をもってすれば三尺去って師の影をふまざる流の孔孟の教を一歩も出るものではない。世俗の師弟をそのまま法門とする解釈の低俗さを示している。これは仏法・仏教の外の話であって、如何にも不用意な混乱である。師弟子を正し、而る後に師弟子の法門を糾せば、そこには大石寺法門の領域がある。儒教をもって序列を定めることは仏法の初門ではあっても、法門の世界ではあくまで互為主伴であり、無差別である。その無差別の中に差別を見るところに、法門の糾明もある。
 ただすを正すと一方的に定めるところに、今の宗門の姿勢が示されている。流転門でよめば「正」が正しいかもしれないが、還滅門に法を建立する大石寺では、正はその座位を定めたまでであって、法門そのものについては、「糾」でなでればならない。師弟相寄って修行する処に本因修行がある。もし師弟子の序列を正す処に成道を見るとしても、それは与えて言ってもあくまで本果の修行であって、未だ民衆参加の門戸はとざされている。序列を正すという解釈が宗務院から明示された中には、現在の宗門の姿勢が既に貴族仏教に変貌しつつある、或は貴族仏教化したことを示す証拠である。本因に出来上ったものを本果で解する。まことに危険一ぱいと言わざるを得ない。その様な法門の矛盾が果して乗り切れるであろうか。大いに疑を持たざるを得ない。
 開山の消息を何も好き好んで世俗に持ちこんで解釈する必要はない。師の咳払い一つも法門をもって理解するのが弟子の得分である。師弟の序列を正した処は、客殿の嫡子分と弟子分の座配(日興跡条々事参照)であって、この師弟相寄った処、これが一閻浮提である。そこには既に寿量品の文の底に秘して沈めた一念三千の法門の領域でもある。この一念三千の世界において、師弟子の道を糾せば成道があることは丑寅勤行によって示され続けられて来た処である。それを何故師弟子の序列を正して成道すると解するのか。正してみても、客殿から大衆が失われては、師弟子相寄っての本因修行もあり得ないであろう。法主絶対優位の上に立った解釈は大いに結構ではあっても、それは裏においては、同時に伝統の法門の切り崩し作業をやっていることを自ら確認すべきであろう。
 この消息の主眼が「師弟子を正す」ことであっても、尚且つそこには文底ということもある。この文をもって御深意を探ってゆくのが弟子の道である。弘安二年の本尊と客殿(師弟子)とこの三を一点にあつめて見る時、どうしても正すではなく、糾すに真実があるように思えてならない。
 「(久保川師云く)日興上人は法水を流す血脈の管は、法主と大衆の二本を用意し、法主の管が故障して通らなくなった時、破れて汚水が流れ込む時、法水は自動的に大衆の管を使って流れるように万全の工夫を施されたのであって、此処に興尊の深謀遠慮があり、現実にそれが効を奏しているのである。血脈は法主だけが継承したという考えは間違いであり、大衆も又血脈相承の要員であったことを知るべきである。」(同書八六頁、久保川論文引用部分)
 久保川師のいう法主の血脈は流転門をさし、大衆の血脈は還滅門を指していることは明らかである。それを不用意に、流転還滅をこえて世俗流な私見の前に解釈した処の、自らの低俗さが引き起した混乱であって、自己陶酔とでもいうべきであろうか。或は何かの意図があってこの様な混乱を求めたのか。水島先生乃至当局の御深意の程は知るべくもない。遥か雲の上の出来事であるが、その様な雲上人の動きとは別個に、既に大地の上には別な上求菩提の世界が開けている。これを究知すれば先覚者といわれ、知らなければ只の雲上人である。本来民衆の座に居るべきものが、誤って雲上人の座についても、所詮は居すべき処でないことは初めから定まっている。しかもそれを打ち消さんとする処に欺瞞がある。これが哀しい凡俗の一面である。
 処で、法主に流れる一本の管とは、本来法主は一であるから管でつなぐ必要がない境界である。それが実は大衆の管であって、それより撰ばれて貫主が生ずる処は流転門である。貫主の場合は管の必要がある。これが血脉の脉々と流転する姿である。法主をとれば本来流れる必要がない処に流転の流れを見るので、これが血脉における流転還滅の相違である。今は一人の法主の中に必要なものと必要でないものとの二つの血脉が、色々な混乱を生じている。これ全く名義の混乱の故である。
 一年に二日、春の花見と秋の月見、一年を春の花見、秋の月見に収めて還滅門を現わして法主の本地を示し、それより貫主が出生して流転門において最高位に登ることを表している相伝の甚深の意は踏みにじられて、流転門の貫主の血脉のみが法主と混ぜられて論じられている。貫主も羲農の世にかえれば一人の法主であって、そこには今のような法水・血脉を論ずる必要のない世界である。しかも還滅にあるべき法主の血脉が流転において論じられているのが現状である。法主と貫主の名義の混乱が、今の混乱の本源である。羲農の世とは一人の権力者のいない世界である。そこに法門が建立されていることを了知すべきである。
 久保川師の云う大衆の管とは、法主に支えられた管であって、ここから次の目師も誕生する。それが貫主である。貫主の管とは流転を表し、大衆の管とは還滅を表す。しかも相伝に支えられた法門であることを、水島先生に知ってもらいたい。徒らに自らの感情のみをもって、外相のみをとらえて解決出来るものではない。それが法門の世界であることを知れば、入門も叶うというものである。
 「『次上』なる珍妙な語は日本語にはない。」(同書五四頁)天台学については宗門随一をもって任ずる水島師のお言葉とも思えない。中国語にはないと言うべき所がつい日本語とでたのか、或は印刷のミスかと思ってみたが、どうもそうでもないらしい。それはともかく、結果は自分の読書範囲の狭さを露呈したまでのことである。自信の深い天台学であるから、もっと広く深く探り読めば、尚完璧であると思う。次上なる日本語に出くわすまで読むことをおすすめする。日用語を日本語と意識して使う必要がないように、「次上」という語は日本語として常に使われている。自分の知らない語は全て日本語ではないという心意気、大いに見上げたものであるが、奥の方から水島派の教祖的本仏論の香がほのかにただよってくるようである。
「静まれ、静まれ」「この青蓮華が眼にうつらぬか」「只今御本仏のご誕生なるぞ」という声が聞こえそうである。何故このような雰囲気を人に与えるのか。その辺を一度反省するのもあながち無駄になことでもあるまい。次上という語が日本語としてふんだんにつかわれているのを充分見届けた上で、日本語であるかないかの発言を期待していることを申し添えておく。法主を擁護するのあまり大衆を軽視する結果、法主一人が本仏の境界に押し上げられ、大衆とは遥か離れた結果を生じたとき、法主自ら「お前等とは境界が違う」というような発言が出る。そこは客殿に示された一閻浮提の境界でもなく、完全な師弟各別の世界となって、法主自ら師弟相寄った本因修行を放棄するような、思わぬ結果を生じて来ることになる。
 外相に出た御相承を重視するのあまり、「師弟共に仏道を成ぜん」といわれた宗祖の慈悲も塵芥のごとくに捨て去られ、衆生救済の御深意の上に立てられる筈の御相承も、全く無意味なものになってくる。御相承の真実はあくまで内証にあるものと考えるべきではなかろうか。法主上人を仏界に押し上げ大衆と離してしまっては、最早日蓮も上行日蓮ではなくなるのではないか。御相承とは、根本は上行日蓮の上に立ったものであるとの理解は誤りというべきであろうか。貫主を上げるのは結構であるが、法主を上げることが果して宗祖の御意に忠実であるといえるであろうか。ものには節度がある。旱天の慈雨も度を過せば民の患いとなる。昔源実朝は連日の豪雨に「八大竜王雨やめたまへ」と、竜王をしかりとばしている。追随も度を過せば、同じ大衆から成道を奪うことにもなる。「久保川論文の妄説を破す」三師等に、法門の本源にさかのぼって、静かに黙思することを求めたいものである。
 「この御手紙」(同書五三頁)法主に忠誠を誓う御やさしい気持ちがこの御手紙という一語に示されているのかもしれないが、御深意の程は誠に測りがたい。日蓮門下では、宗祖開山は勿論のこと、歴代の場合でも殆んど消息の語が使われている。有師のいう一人の師範の意味で、仮名書のものを消息といわれているのであろう。史家は一般に書状という。末弟として御手紙とは、少々穿ったいい方ではなかろうか。師弟子を正す意味で殊更お手紙と使われたものか、理解しがたいものがある。法門として受けとめるとき、派祖のものは当然の事として御消息と受けとめるべきではないかと思う。手紙とするか消息とするか、元より受け取る側の自由ではあるが、結果はおのずと違ったものが出て来る。今は破文全体の雰囲気からして、手紙の語が最もふさわしい様に思われる。ありあまった学の深さが、自然とお手紙という語を選んだものと受けとめたい。それだけに貴族的な香が、ふくよかにただよっている感じである。


 精 師
 「久保川論文の妄説を破す」書において、何れも精師の相承の問題を取り上げているが、寛永九年、十年及び一四年に至る間において、委員会で訂正を決定して再版をしたところ、殆んど肝心な処が未訂正のまま出版されたため、再度の訂正については問題があるので、宗務院の発表となったものである。三師の取り上げたものは、何れも未訂正のものを取り出しているようである。阿部教学部長のもとで、大村現教学部長ら六人の手によって訂正される筈であった。当然大村師もそのいきさつは承知の筈であるが、何故未訂正のものを史料とした論に、あのような讃辞を呈するのであろうか。訂正の草稿は、皆さん持っている筈である。当時の委員会の雰囲気からしても、この様な問題が、日蓮正宗々務院の側から提起される様な筋合のものではない。何れが勝っても、宗門としてプラスになるものでもない。その様な問題は、寧ろ回避することが良識というものではなかろうか。まして大村教学部長もその訂正者の一人である。一度当時の訂正委員会の雰囲気を想い起してもらいたいものである。大量のものが世間にばらまかれておれば、他宗門の専門家は既に入手研究済みであろう。その辺りを見廻した上で論議を進めることが、責任あるやり方ではなかろうか。
 室町以前と慶長頃から寛永の精師の頃とでは、相承の持つ雰囲気も可成り相違している様に思われる。そこに時の流れがある。今の精師に関する相承論議もまた、時の流れの中に取り上げられた意義を見るべきであろうか。本来この様な問題は、当局側の取り上げる問題ではないと思う。それを敢えて取り上げたところに、現実に相承の持つ意義が微妙に而も大きく変貌しつつあることを、示していると見るべきであろうか。


 自受用身について
 三重秘伝抄の注解(宗学要集第三巻五四頁)「人法体一とは、名は一つで義は広いのであるが今は凡身と一念三千との人法一箇、宗祖大聖と妙法との人法体一とを取るのである、併し此義は凡情に超絶するから諸門家多く此を肯定せずして此の人法を隔離し空漠の理想に走り仏祖の命根を割くような有様に陥っておる。」この文によれば、宗祖の俗体を人として、久遠名字の妙法の法と人法一箇して戒壇の本尊が出来ているように見える。この考え方は、今も正宗教義として根本となり骨格を形成している。学会教学即正宗教学の根本の考え方がそこにあって、外相へ向けて発展しているものと思われる。宗祖の俗体そのものが自受用身ではないことは、六巻抄を繙くまでもなく、釈尊においても明らかな処である。即ち自受用身の所在が明らかでない。
 自受用身の住所が明らかでなければ、久遠名字の妙法も同じくその住所が明らかでない。これがやがて宇宙の大霊に日蓮本仏を求める要因になっているのではなかろうか。己心に入らなければ、人法が己心の外にあるのは当然である。その外を何れに求めるか、このあたりで、ぼやけてゆくのではなかろうか。
 宗旨の根本である自受用身と久遠名字の妙法の住所がはっきりしないということは、時節の混乱の故によるところで、その間隙をついて私心が混入することになる。本仏が無闇矢鱈に出現するということになれば、最早理即本覚の世界であって、法主自ら陣頭に立ってその深境に堕ち行くことになる。実には自受用身は語の上にのみ存在するような感じである。
 体、用を離れず、用、体を離れず、不即不離の関係にあるのが、自受用身の人と久遠名字の妙法の法である。一が己心の外に出れば、他もまた外に出るのは当然である。そうかといって、いきなり宗祖の俗身を自受用身とするには、世俗と仏法と、あまりに時節が違いすぎる。しかし自受用身が世俗に立てられれば、久遠名字の妙法も世俗にある筈である。この人法が戒壇の本尊の内証であるというのが、今の正宗教義の根本である。今混乱の時、自受用身をあくまで己心に住在せしめることが、何よりの最要事であることを提言したい。己心を離れて三秘相即を考えること自体既に異流儀である。
 戒壇の本尊の内証は日蓮が魂であるということには同感である。要はその内証である。己心の外に自受用身が出れば、その内証は空である。漠然と日蓮が魂と言っても、それは俗世間のいうところの魂であって、魂魄佐渡に至った魂でもなければ、己心の一念三千の上に建立された人法一箇の魂魄でもない。真実の魂魄の居なくなった処へ俗の偽の魂魄が入り変ったようなものである。真実の裏付けがあってこそ本尊といえるものである。このことを銘記すべきである。六巻抄であれほど懇切丁寧にとかれた自受用報身如来が、いつしか宗祖の外相一辺にその痕跡を残していると見る外はない。全く現在の正宗教義と些かの区別も見当らないのは遺憾の極みである。今の教義の故里がここにある様に思えてならない。


 久遠即末法
 久遠に即して末法、即ち久遠の中に末法を見ることで、久遠の末法の中に刹那に滅後己心の末法を見ることである。久遠は五百塵点であり、末法は五百塵点の当初である。久遠は流転、末法は還滅。久遠は修行、末法は成道である。久遠を迹門とたて末法を本門と立て、そこに宗旨を見るのが大石寺の立て方で、これを師弟子の法門という。いう所の本仏日蓮大聖人とは、己心の滅後末法の中にのみある所の本仏である。この本法とは実は上行所持であるが、これは人に約して本仏という。従って本仏とは自受用報身如来であり、特に日蓮の己心において、日蓮大聖人といい、本仏といい、また自受用報身如来ともいう。全て内証について号けるところの尊称である。今宗門では約身の故に、自受用報身を日蓮の外相の身に直結させて本仏をとり出しているように思われるは如何。


 煩悩即菩提
 煩悩は流転、菩提は還滅である。煩悩のみの充満している凡慮の世界の中に、即時に受持即観心を成ずること、煩悩に即して菩提である。その凡愚の体を改めず、即時に己心の成道を実現することであって、これが刹那成道である。凡身が生きたままの成道とは、刹那に限るものである。


 不改本位の成道
 凡身の体を改めず、受持即観心を実現し、刹那成道を現ずること、これが五字七字の妙法の体である。これを凡身即仏身ともいい、即身成仏ともいう。無限の修行の中にあって、成道は刹那に限られる。これが凡慮の成道の姿である。

 

   

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 阡陌陟記(四)

 
 
目 録
 
はしがき
 
霧迫むる北海ひゞけ法の声
 
在家不信の輩
 
戒壇の本尊の解釈の混乱
 
信行学ということ
 
増上慢ということ
 
浅識謗法ということ
 
新本仏の誕生
 
不軽々視と肉身本仏論の意義


 はしがき
 七月の教師講習会における数時間のご指南が大日蓮に発表されるのと時を同じくして、院達は大慈大悲の日顕上人とあおりたて、内事部もまた同じような通達を出している。結句は一人の「在家不信の輩」に対しての怨念と憎悪の成果である。怨憎会苦ということもある。怨憎が重なればやがて自ら苦に遭遇することを諭しているものゝように思われる。怨念では大慈大悲にはつながらない。静かに自らを省みて、法門の良さを再発見することに意欲を燃やすときではなかろうか。
 「御指南」は盛んに不軽菩薩を下し「日蓮紹継不軽跡」を肉身本仏を出すことによって報身如来を抹消せんとしておる。正に新本仏誕生前夜の狂走曲という感じである。大石寺においては大慈大悲の言葉を使用できるのは昔から本仏に限られて居り、自分では本仏と言った覚えがないということは、不軽菩薩や報身如来の抹消を意図しているように感じさせる。誠に不思議な構図である。
 噂によると既に日蓮承継上行跡に変っているようであるが、上行菩薩は本法所持の人といわれて居るように行動力はすべて不軽の領域に属するもので、日蓮承継上行跡では反って上行の内蔵した大慈大悲を封じ込めることになる。法華の行者とは不軽菩薩の跡を承継する考えとの事である。宗祖の遺された御書そのものは行者としての成果であり、内臓された処に上行菩薩の一面が示されていると見るべきであろう。上行菩薩は行者というにはあまりにも尊貴すぎる。日蓮承継上行跡では上げすぎて、反って日蓮本仏抹消の魔力を持っているように見える。以上の三つと大慈大悲とを並べてみれば、どう考え直しても新本仏誕生前夜という疑念を消すことは困難である。
 一人の在家不信の輩の抹消という目標が思わぬ方向に突走って、宗祖本仏否定につながったように見える。果して元の軌道にかえせるかどうか、「御指南」によって一の矢は既に弦を離れた。二の矢をもってこれを射落とせるかどうか、このあたりに側近者の会通の技倆を期待したいものである。法主自ら本仏や本尊を否定しようかというような時に、今更去年の阡陌陟記を破折しても何の意味もない。在勤教師会の労作にしてみても同様である。阡陌陟記はたゞ誘いをかけたまでゞあって、話に乗ってきたからにはその否定論議について釈明ではなく、充分な会通をしてもらいたい。会通以前に阡陌陟記について、どのような破折をしても無意味である。宗祖本仏の否定、戒壇の本尊の否定、これらの会通がすべてに先行することを改めて強調しておく。


 霧迫むる北海ひゞけ法の声  越 洋
 霧にせめられている北海よ、この法の声に応えてちと元気をだせよというのか。霧がせめている北海よ海鳴りをおこせよ、この法の声によってというのか。てにをはが不足しているためにその意味がとりにくい。迫むるという語も異様である。字書によれば迫まるとよむのが正常の様である。今こゝに来てみれば北海は霧に迫めたてられている。今命がけで唱えた口唱本果の題目によって、北海よお前は安全であるぞともとれる発句調である。何となしものゝ哀れを催す一句ではある。既に宗務院も院達をもって日顕上人の大慈大悲と公式に発表しているとき、報身如来の誕生を祝福して北海の底は温水に充ち溢れ、それが今霧となって北海道を掩い、やがて日本国から更に世界中を温かく包まんとしていると読めば本仏誕生の自賛の辞である。
 大慈大悲という語は、六巻抄の末文にしても観念文にしても、久遠元初の自受用報身に限られているようである。逆に言えばこの語が用いられたときは本仏と解釈するのが順当のようであるが、「御指南」では自分は本仏とは言っていないというが、吾々は自受用報身如来が人語を発するとは思っていない。本仏の振舞いという語もあるように、その振舞いを見て本仏と感じるまでゝ本仏の語を冠するのは弟子に限られている。
 院達が大慈大悲の語を用いたことは、宗務院が公式に御本仏と認めた証拠である。その本仏の仏徳をもって北海の冷霧を即時に暖かい霧にきりかえてみては如何であろう。これは己心の世界にのみ許されるところである。尤も宗務院の院達は少々気がかりではあるが。坐ながらにして七つの洋を越えることが出来るのも己心本仏の境界であって、元より自受用報身如来の領する所であるが、文字通り航空機に乗って洋を越えるとなると話は別問題である。己心の世界と現実の世界が混乱すると、色々と不可解な問題が派生する恐れがある。己心にあって七つの洋を掌握すれば広宣流布である。これは信の一字をもって即時に実現可能な境界であるが、一歩体外に出れば複雑になってくることは既に皆様も経験済みである。


 在家不信の輩
 今度院達によって、在家不信の輩と明言確認されたことについては、大いに感激して居る。輩の字はやからと読む。他宗の者に対して内緒で不相伝の輩というのと同じ発想であって、己心の世界を誤って外相に直結した成果であり、時節の混乱の故であることはいうまでもない。
 本因にたてられた法門が本果と現われるようなことになれば、即時に本因修行が失われて改めて忽然と本果の修行がたてられる。本尊が本果と定められゝば修行も本果のそれとなり、題目修行が表に立って成道を求めるようなことにもなる。口唱の題目が本果妙の領域にあることは永師も既に示されており、本因の題目が一言摂尽の題目であることは当流行事抄の末文に示されている通り、これが大石寺の本因修行の題目であり、いうまでもなく観念文の領域である。そしてその観念の功力によって師弟一箇の成道を遂げることが出来る。これが信の一字をもって得た処の本尊、即ち三秘相即の本尊の境界である。
 遥拝式の本尊には、その遥か彼方に真実の本尊がある。こゝに丑寅勤行の意義もあれば、不改本位の成道ということも成り立つのであるが、これに対して直拝式の場合は、弘安二年書写の本尊を対境として既に成じた本尊に対して境智冥合することであり、衆生をして本位を改めることなく成道せしむることも出来なければ、師弟一箇して本尊を成じることもない本果の成道となる。大石寺法門が本果に成道を認めないことは、先刻ご承知の筈である。
 弘安二年書写といわれる本尊が本因の本尊といわれてきたのは、遥拝ということでその命脈を保っていたもので、今のようにその大勢が直拝に移行してくると口唱の題目といゝ、信の在りかたといゝ、すべて本果の本尊としての条件が備わっている。そのような中にあって、肝心の部分については殆んど本因の立場から説明されていて、そこから日蓮の肉身が本仏であるという様な、本因本果を超越した珍説が生れてくる。本果の処へ本因の法門出生の証明が下りてくるとき、自受用身の外相が日蓮の外相と一つになってこのような珍説が生れてくるのであるが、本来は宗祖の肉身が本因に至って自受用身になり、始めて本仏日蓮が誕生するのであり、宗祖の肉身が本仏であるというような「御指南」では、却って他宗に好餌を与える以外の何物でもない。こゝまでくれば最早、大石寺法門の領域ではない。
 法門とは宗旨の中に宗教を認める処に立てられているものであって、今のように宗教のあとに宗旨をみるようなものではない。宗教の五箇を説いて後に宗旨の三箇をたてる方法は本果の領域である。大石寺法門では依義判文抄のごとく、宗旨のあとに宗教を説くことが最要の条件のようである。
 本因から修行が失われるとき、本果の処において本来の大石寺法門とは凡そ似ても似つかぬ本仏が誕生する。その修行とは受持を指す。これを受持即持戒という。個々の戒律のみでなく、釈尊一代説教は全て受持に摂められて上行の世界を迎えるもので、隠居法門といわれるのもこの受持に依ってのみ成り立つのであって、こゝに厳粛な時節の交替がある。本因を本果におろすことは時節の混乱であって、そこに本仏が本果の処に登場するような珍説が生れてくる間隙がある。威力を失った本仏が本果の処に誕生してみても、最早もとの本仏ではなく滅・不滅といわれる丑寅の滅後末法の法門でもない。本果にもあらず本因にもあらず、五百塵点の延長線上に当初を考えるのと全く軌を一にしている。
 久遠実成に成道を見るか、久遠元初に法門を立てるかということは古来からの常軌である。この受持即持戒の上に受持即観心の世界がある。受持の修行を持ったとき、始めて上行の滅後末法の世界が出現する。口唱の題目が一言に摂尽されるのもこの時であり、同時に観念文の領域が開ける。受持なくして流転門から還滅門に越えることは出来ない。当流行事抄の最後、一言摂尽の題目が次の当家三衣抄に至って受持即観心と開けた処に大石寺独自の法門がある。
 御授戒は受持の儀式であって、受持によって始めて弟子の頂上に、而もその位置を改めることなく一言摂尽の妙法が出現することを示しており、知不知に関わらず衆生が成道できるところに本仏の大慈大悲がある。これが丑寅の成道である。弘安二年に完成した本尊を遥拝しながら師弟相寄って、しかも刹那刹那に成道を遂げるのであって、弘安二年の本尊に向って自らの本位を改めて成道するのではない。本位を改めた成道とはいうまでもなく本果の成道であり、永遠の成道に通じるものである。煩悩の中にあって刹那に成道する煩悩即菩提の境界ではない。この処では、命がけであげる題目や口唱の題目も通用するが、本因は一言の題目のみが通用する世界である。
 一閻浮提総与の衆生とはいうまでもなく一人にまとめられた一切衆生である。時空を超えた処に一人の一切衆生がある。こゝには信の一字をもって即時に広宣流布する境界があり、それが己心の法門の領域である。弘安二年の本尊を受持し、わが身に体達した時始めて開けてゆくところの境界である。院達のいう不信の輩という信とは天地の相違がある。不信の輩といい命がけの題目といい、外相は威勢のいい割に何となしに虚しさが感ぜられるのは本因を捨去した故であろうか。これを称して独善という。少なくとも独一本門の境界ではないところに現在の大石寺法門が解釈されていることは間違いない。
 信心すれば金が儲かる、拝めば病気が治るという戦後の時代は既に終って、信者達は真実に本因の本尊を求めているように見える。あらかじめこれを察知できるものは宗教家としては最高であるが、現在の宗門は既に信者が先を越している感じである。上からの強要だけではいつまでも信者を引っ張ってゆくことは出来ない。民衆は常に何物かを求めてゆく本性を持ちあわせている。盛んに写経が流行しているのも、何か大きな新しい指導を求めている民衆の姿ではなかろうか。
 宗祖の法門は七百年過ぎた今も当時と同じく民衆の要求に応えていることに変わりはない。開目抄に始まる一念三千の法門が六巻抄に受けとめられて、当家三衣抄に終るまでを師の開目とし、これを受持し観念することによって師弟一箇の開目がある。その開目とは即ち、一言摂尽の題目の上に開けてゆく本因の成道である。理即の上の凡夫は受持と観念の処に修行がある。「持つや否や、持ち奉る可し」ということは受持の儀式であり、結果として弟子の頂上にまず南無妙法蓮華経が出現することを示している。これが師弟一箇の成道であり、丑寅の成道である。
 直拝の本尊の場合には本来の意味での観念の必要はない。ここでは題目を口唱することが修行であって、一言摂尽の題目の必要がない。命がけで唱える題目は本果妙の領域であるが、現在のような解釈の中にあって、もし一言摂尽を得んがための口唱題目であれば、弟子の頂上に出現した題目は本仏の命である。命がけではなく、本仏の命にかえる題目が訛ったような感じが強い。これが受持と観念の修行の上にある口唱の題目であり、本因修行は寧ろ受持と観念にあることを知らなければばならない。今の宗門には、このあたりの立て分けが迫られているように見える。言い替えれば本因本果の確認である。
 不信の輩の信は、本果口唱の題目のところを指している感じが強い。これが現実の師弟一箇の題目の解釈と思われる。命がけの題目といえばまことに威勢がよいが外相に止まりやすい嫌いがある。不信の輩といえばこれまた威勢はよいが、一閻浮提総与の意とは遥かな隔りがある。総与した筈の一切衆生に何故不信の輩が居るのか。法華の立場から己心の上に一方的に授与された本尊は、相手方の信不信には関わりのないものであって、本果に処して不信ということは自らの本因不信を露呈するまでである。時節の不理解を反省してみてはどうだろう。この不信の輩は文字通り命を張って六巻抄を探ったこともあった。六巻抄の内容については宗門人以上に深い信をもっているつもりである。
 己心にあるべき法門を外相にのみ考えるところ、ここに独善がある。独善とは独一本門から修行が失われたときに陥るべき宿命の境界である。この様な語が院達をもって表明されたことは、逆にいえば基本的には本果に法門を立てながら、しかも説明部分のみに本因を含んでいることを示しているものと解される。一語を麁末にすることは全体を崩すことに通じる恐れがあるかもしれない。
 威勢のよさを外相に求める時代は既に過去の事である。宗祖の威勢のよさを己心の上に見て、守り続けてきた宗門本来の在り方に立ち還るべき時、そこに七百年遠忌も終った元年の意義がある。民衆もまた静かな宗祖の姿を求めているとき、端なくもこの様な院達や「御指南」が全く逆行するかたちで発表されてしまった。信者の求めているものを予め察知して与えるところに指導者の意義がある。信者に先行されては指導ということはありえない。五字の題目があってこそ七字の題目は生じる。南無の二字の意義を考え直してみることも、あながち無駄なことでもあるまい。
 院達や御指南には在家という語が使われているが、在家とは仏教や或は大石寺の側からいう語であって、この不信の輩は本来仏教には関係のない処に居る者である。これを一方的に在家不信の輩ということは一閻浮提総与と同じ発想である。在家という語の使い方には多分に本因的な面があるが、今の宗門の「総与」という語の理解の仕方から「不信」の語を見れば、本因に対して甚だ否定的である。本因の意で使われているのか本果で使われているのか、直接本尊に関わりのある語だけに今少し慎重な配慮があってもよいと思われる。


 戒壇の本尊の解釈の混乱
 さてその不信の信であるが、信とは宗門の定めた現在の解釈の上で戒壇の本尊を信じないという信、乃至大石寺法門の信仰をしないという意味で使われたものと思う。しかし、今の様な状況の中で戒壇の本尊を信じろといわれてみても、一体どの戒壇の本尊を信じたらよいのか迷わざるを得ない。その本尊については数種の解釈がある。本尊とは一であるということは分って居ても、天に五つの日、六つの日が出現すれば無知の凡夫にはそれを判別する能力はあろうわけもない。宗門は本尊の解釈を統一することが必要である。
 本尊が二頭になることは信ずるものゝ悩みであり、迷惑の基である。信じろという前にまず本尊の解釈を一に統べるべきである。今試みにその解釈を拾ってみるとしよう。第一には遥拝か直拝かの問題である。遥拝は本因成道につながり、直拝は本果の成道につながる要素をもっている。本因をとるのか本果によるのか。まずこれを定める必要がある。次には宗制宗規による定恵戒の本尊によるのか、文底秘沈抄による定戒恵の本尊によるのか。定戒恵は一代聖教大意にも説かれているが、定恵戒の本尊とは未見未聞に属するものである。これは時節の混乱がこの様な語を迫ったものと思う。
 定恵は在世に、戒は滅後に委ねる。その戒壇が七百遠忌も迫った時漸く出来上った。しかも正本堂を表に、極く内々に国立戒壇という名の戒壇であるということであれば、建長以後二十余年、及び滅後六百九十年の間は完全に戒壇はなかった。しかも現在も他に対しては戒壇はないということのようである。これによる限り、日蓮一期の弘法乃至滅後七百年、日蓮には全く戒壇はなかった。あるのはたゞ本尊と題目のみであるということになる。これも宗門の公式な表明であってみれば、日蓮の法門は戒の必要がないのであろうかというような素朴な疑問がおこる。三秘相即の戒壇の本尊と、御書や宗制宗規等による本尊題目のみという解釈との矛盾をどのようにして会通するのであろうか。
 本門心底抄によれば、本門の戒壇の中に納まっているのは久成の定恵ということであってみれば、本門も久成の本門というように解される。三秘相即の本尊は滅後末法即ち己心の上に建立されたものであるが、戒壇として建立された正本堂と定恵とは三秘各別であり別時建立である。こゝには元初と実成について未会通の問題が残っておる。何れにしても直拝の本尊の中にはこの様に二つの解釈の本尊が存在していることは事実である。この外に更に宗制宗規によるものか、文底秘沈抄によるのかということもある。二つの異った解釈のものがしかも二種類同時に存在することは許されないであろう。この上に更に拝めば金が儲かる式の低俗な仏教的な解釈の本尊があり、それらが複雑にからみあって現在の解釈が成り立っているようである。
 本尊は純一無雑をもって尊しとすることは独一の語に示されている通りである。それがこの様に複雑にからみあってくると、どれが本尊なのか、信じろといわれていてもどの本尊を信じてよいのか。本尊を信じようとするとき、まず与えられるのが迷いであっては、凡俗としては素直に信ずることも出来ないのが現状である。しかも本果の本尊の説明は殆ど本因の本尊の説明の横すべりであってみれば猶更である。本果に成道を求めるなら、そこには納得のゆくような裏付けのある法門が欲しいものである。本因にもあらず本果にもあらざる本尊を信ずることは出来ないというのが不信の輩の偽らざる心情である。
 本尊は必らず一の解釈の上に成り立つものでなければならない。宗祖の場合も一であったに違いない。それが六派に分れたことは根本は微妙な解釈がその様な結果を招いたものであろう。更に不可解なことは正本堂建立後、これは御遺命によって建立された戒壇であるということであるから、戒壇の中には当然本尊と題目が納まっている筈であり、その本尊とは戒壇の本尊であることはいうまでもない。そして題目は口唱の題目の様に見受けられる。それが戒壇の本尊というときは、この本尊だけが取り上げられて三秘相即の本尊ということになり、同時に正本堂は消失する。正本堂をいう時には戒壇の本尊はたゞの本尊となり、題目も口唱の題目に変わるという早業が行われていることは全く時節の混乱による故である。
 各別に建立された正本堂即ち、戒壇の中に納まっているのは、いうまでもなく久成の定恵であり、戒壇の本尊に納まっている三秘は本因にある筈である。本果と本因、流転と還滅、この一事実をみても時節の混乱の一つの様相がわかると思う。一つの本尊が或る時には本果、あるときには本因というような御都合主義では困惑するというのが実状である。
 院達も内事部の通達も、また「御指南」も言葉の威勢のよさのみが先行して、世界最高の宗教を自認する日蓮正宗のものとしてはいかにも品格が悪い。威勢のよさは却って哀愁を思わせるものである。強烈な言葉で修飾する代わりに、戒壇の本尊の解釈を統一する必要に迫られている時ではなかろうか。遥拝か直拝か、久成か元初か、宗制宗規によるか文底秘沈抄によるか、まずこれらのものを整理統合して一に定めなければならない。周辺の状況からしても今やこの一点に絞られているようにみえる。出来なければいつまでも否定的な状態が続くのも止むを得ないことであろう。
 なお世界最高の宗教というのも、実には己心の法門の上に建立された仏国土において最高最尊のものであって、これは外から見れば宗旨というべきもので現実の宗教ではない。内に強いものが秘められて居れば、言葉は柔かくとも強烈な言葉よりははるかに相手に迫るものがあるのではなかろうか。この際とくに時節の混乱の排除と本尊の解釈の統一をされることを、恐れながら御進言申し上げておく。
 世間にも空威張りということがあるが、今の院達や御指南を指しているとみるのは僻目であろうか。あまりに言葉が強烈であれば軍国調の日蓮となり、反って己心の法門を立てる大石寺の伝統に真向からそむくような恐れも多分にある。本因のシンの強さが外相に現われると、日蓮の肉身と合体して軍国調の荒法師日蓮が誕生する恐れがある。己心に建立された本仏はあくまで静寂の中にかまえた心(シン)の強さが身上であると自分では考えておる。
 己心の法門の中には不信の輩というようなお下劣な言葉が生れる下地はないものと確く信じて居る。唱題修行は永師の云われるごとく、あくまで本果の修行であり外相の修行である。この修行を取違えるとき、強い下劣な言葉さえ使えば己れが優位に立っている様な錯覚が生じるのであろうか。静かに本因修行の何者であるか、その反省を迫られているのが現状ではなかろうか。
 日顕上人の大慈大悲といえば、少くとも法門的には日顕大聖人の出現と受けとめざるを得ない。上から下にくだす慈悲の中には民衆への救済はない。やはり宗祖の如く大地の底を這い浸透してゆく慈悲こそ民衆に最も親近感を与えることは、民衆と同座しているが故の親近感である。民衆を離すことが自分を優位に上げるものでもなく、寧ろ身を下すことこそ自分を優位におくものであることは教弥実位弥下の力用である。
 自ら高位を強調する必要は毛頭もない。自分の位を低めることは弟子の側から見れば反って最高に居するもので、自分で最高を主張すると弟子の側から見れば最低に見えるものである。師の左尊右卑の処に建立されていることを自覚することが肝要である。遥かに高い処から、「お前達とは境界が違う、さがれさがれ」ということは虚空為座であり、明らかに本果妙に身を処している証拠である。法主自ら本果に法門を立てることを強調している姿であるが、法門とは古来のものを見ても本因に立てられたものに限って言われているようで、当方でいう処の法門の語も本因に限定していることを了解しておいてもらいたい。
 時節が混乱すれば本仏は即時に虚空に座をしめることになる。こちらでは観念文の理論付けをする事が宗門流の観念論と考えており、この観念文を唱えるときには上行乃至本仏は大地の底に居すが、それが西洋流な観念論にすりかえられた本果と一同すると同時に、本仏は虚空に座をしめることになる。宗門人は盛んに観念論の語を使っているようであるが、その言葉の魔術は他を屈伏せしめる前に、自らがそのとりこになっていることを示しているようにみえる。書かれたもの文字となったものが忠実にそれを証明しているようにみえる。虚空は本仏の住処ではないことを確認することが今の要諦であることを知るべきである。
 虚空為座は文の上の話、文底が家の最も忌むところであることを確認することが必要である。宗門の最高権威のお歴々に、この様なことを求めなければならない程、法門が天に昇っているように思われる。世間では信用が地に落ちたといえば最低を意味するが、法門では大地の底にあるといえば最高を現わす。若し虚空に本仏があるといえば上げた様で最低に下したことになる。今この様な時節の混乱が果して行われていないと云いきれるであろうか。世界最高の宗教の語も誤って虚空に現じているという感が深い。
 只一人の他人を、宗務院や法主がいくら声を大にして罵ってみても、今日の混乱がおさまるわけのものでもない。既に二,三,四,五の日が出現しているような状況である。何をおいても時節の混乱を解消し戒壇の本尊の解釈を統一する事が先決である。六巻抄の著作される直前の状況も、慶長以来の時節の混乱が重なっていたであろうことは容易に想像出来る。六巻抄はこの時節の混乱を克服して本尊の解釈を一におさめるための作業であった。御指南もその病源を察らかにして、新六巻抄の著作に専念される時が来ていることを察知しては如何だろうか。
 寛師の文段抄の構成についての私見は已前記したことがあるが、宗祖の安国論の折伏は開目抄已前のもので、寧ろ外相に主眼がおかれた中で行われたものであり、これに対して弟子の折伏は開目抄已後のものであるから、当然己心の上の折伏が主とならなければならない。内証の折伏が主で、外相の上の折伏は従になる。宗祖の内証の処に宗を立てる日蓮正宗の折伏が、本因のところに折伏を立てるのは当然であって、この本因を確認した上で折伏を行ずべき弟子の基本的な態度を示されたものと解したい。今の様に本尊が本果のところに解釈されてくると、折伏もまた本因を離れて本果のところに解釈されてくるし、そこに微妙な混乱が生じてくるようである。
 本因の中に本果を見るか、本果の中に本因を見るか。混乱は常に後者のところに生じるものである。単に本因本果だけでは危険なものがある。こゝに内証と外用とか、流転と還滅というように二重三重の枠が必要になってくる。内証に法門を立てゝ居ると思ってもそれは立て前のことであり、本因のごとくである。立て前と本音が不即不離の処に法門の世界がある。若し本果が本因を支配するようなことになれば、最早法門とはいえない。現実はこれと同じような状況にある。声を荒げる前に静かに内証を反省することを望みたい。


 信行学ということ
 門下一般に使われている語で、学行信に対して逆次に考えられたもの、天台の迹門に対して本門の意を現わしているものと思うが、逆次に示されたところは本因本果の区別をもって考えられたものであろう。本因に法門を立てる大石寺は勿論、他門下でも例外なく御都合主義の中で利用されている。信とそれに行とこの二つがあればよい。学は最後になっているからやらなくてもよい、いや学をやる者は信心が薄くなるからやってはいけない、という様に変わってきている。一般に学が軽んぜられているのは事実である。これは解釈の誤りであって、本来の意義が消え去ったとき、新しく自分等の都合のよい解釈が付けられたためであって、信は不信の輩の信、行は題目にその痕跡が残され、長い間学が忘れられているのが現状である。
 信とは信仰の信ではなく、寧ろ本法即ち上行所伝の法のところにあるものであって、戒定恵の三、乃至三秘を含めた信であると解すべきものであり、行とは不軽の行であり、学とは法門の故里から垂迹した釈尊の領知するところである。上行の法即ち信と、不軽の行と、釈尊の学との意をもって信行学が成り立っているように思われる。
 上行所伝の法が宗祖によって本尊と現わされ、不軽の行が題目に集約されるとき本尊を信じて南無妙法蓮華経を唱えることが信行具足ということになり、本果の仏釈尊は己心に法門を立てる日蓮門下には必要がない、学はいらないというような展開がおこなわれたものであろう。逆にみれば、ない筈の他門下にも宗祖の法門が本因に立てられたことを認めているようにも見える。
 読んで捨てる方便寿量及び口唱の題目が必要なように、捨てるための学は他門以上に必要なことはいうまでもない。それを初めから学を捨てゝ信行のみでやろうという処に大きな誤算があったということが出来よう。学が軽んぜられてくると信行は自ら低俗になってくることは否めない。
 在世末法に法門を立てる他宗門では必らず釈尊は必要であるが(過去においては学は軽んぜられているようである)、この釈尊を受持した処、己心の滅後末法に法門を立てる大石寺では上行菩薩と不軽菩薩のみというもので、はっきりと信行学に法門の立処が示されている。
 しかしながら、今の様に本尊を本果と立てるときは、行も口唱の題目と変わっているように学も当然復活する必要がある。本果に法門を立てるなら、捨てる以前の学が必要であることはいうまでもない。法門のみが流転門に下り、学の考え方のみが還滅門に止まっている処に今の矛盾がある。
 本因に法門を立てる処では、他門以上に本果の上の学の必要がある。捨てる量が多ければ多いほど深さが加わる筈である。巧於難問答と同じように捨てるための学がおろそかになれば問答に勝てないのと同じである。そこに本因に法門を立てる宗門のむづかしさがある。
 学はいらない、学をやれば信がおかしくなるというような考え方は、少くとも大石寺では通用しないように思われる。捨てた量が多ければ多いほど、信行乃至所持の法門に深みも加われば、重みも増すというもので、今覚えたものを羅列してみても問答の場には使いものにならないということではなかろうか。不信の輩といわれてみても、当方ではそのような処に信を立てゝいないので、なかなか歯車はかみあわないと思う。大きな教団として一人の不信の輩ぐらい、無言で切り捨てるだけの蓄えが必要なのではなかろうか。金で切り捨てられないところに法門の妙味がある。
 なお今の信行学には、いうまでもなく時節の混乱が先行している。巧於難問答は三祖目師已来の伝統であることは已にご承知の通りである。問答の用意のために学をすることは折伏行でもあれば、摂受行にも通じるものがある。このように見れば、宗祖、開山、目師を信・行・学にあてはめて考えてみることも可能なように思われる。道師の目師伝が青年期の問答の、しかも直前で打ち止められていることも、学の必要さを要求されているとすれば大いに意義があると思う。
 三師伝を信行学にあてはめてみるとき。信行学の在り方、考え方が最も理解しやすい。信行学が法門として整備されたのは三師伝をもって初見とみたい。六巻抄で当家三衣抄が宗祖・開山・三祖をもって三衣に配されたのも、根本は同じ考えの中で行われたものであろう。この根本とは戒定恵の三学であることはいうまでもない。学問のための学ではなく、折伏のための学、摂折二門同時のための学を要求されているのが目師伝であるという考えは誤りであろうか。弟子の立場から、宗開三を三学にあて三秘にあて三宝にあてることは当然あってよいと思う。これらは何れも信の立場からであろうが、また行の立場から信行学にあてはめて考えられたとしても、一向に差支えないと思う。
 法門の上では師弟一箇の上に成り立っている本仏も、現実の信仰の上からすれば宗祖一人が本仏になっている。これでは他宗に対しては弱さがある。この故に本果を打ち破って本因の処、師弟一箇の処に本仏を確認することが必要になって、更に三宝・三秘・三学などもその中におさめられたところに三衣抄の妙がある。そして時に当って、本果から再び本因を取り返したのが六巻抄であった。本因から本果への転移は今日も行われて最悪の状態を迎えているようにさえ思われる今の様相である。
 結論だけをもち出して他宗門に対しても、お互いに信仰の根本に相違があって見れば、理解出来ないのは当然である。そこには信行学の学でない学、宗門の現実に即した学が要求されてくる。これに対して宗門においてどれだけの対応策が用意されているのであろうか。言葉を荒げて調子を上げてみても、実が伴わなければ所詮無駄であることを自覚すべきであろう。
 本因の位置づけのための理をどの様に立てるのかということも、今の最要の問題の一つである。宗門を総動員して不信の輩を決定付ける前に、もっともっと大きな問題を考え直すべきである。世界最高の宗教をもって自負する日蓮正宗としては、院達や御指南にあまりにも軽率な語の連続である。信行学の語なども今少し慎重に考え直してみる必要があるのではなかろうか。
 たかゞ在家不信の輩一人位、それほど宗門をあげて目くじらを立てる価値もあるまいと思うが、いかがなものであろう。自行化他ということもある。自行が化他に先行することを了知すべきである。化他が先行しては迫力が伴わないのはいうまでもないことである。自行さえ充分であれば、一人の不信の輩など格別歯牙にかける事もあるまい。


 増上慢ということ
 知っている限りの語が列べられた感じであるが、正宗の内とか仏教の信奉者であればこの様な語が通用することもあろうが、これは御指摘のごとく不信の輩であってみれば、通用しない筈である。一方的に正宗の立場から批判することは、外から見れば通用しにくいであろうが、内からいえば、お気付きになってはいないようであるが、これは己心の一念三千法門のよさであり特徴でもある。他には関係なく一方的に結論を下す考え方であって、不信の輩もそうである様に、増上慢という語も「御指南」がいきりたてるほど他人には通用しがたい面がある。この様な考え方は寧ろ内証の法門の上に使われるとき、その威力を発揮できるものであって、誤っても現世において他人に使うべき語ではない。
 もしこの様な考え方が内証の上に実現されるなら、広宣流布も一人一人の頭数を数える必要はなく、格別日本人の三分の一と定めることもない。一方的に己心の世界から、全世界の者一人残らず折伏完了、今刹那に一閻浮提に広布したということも出来た筈であるが、己心の法門が後退し、世俗との混雑の中では広布はいかにも後代に見送られたような状態である。
 この様な法門の上にとなえられる広宣流布の時にこそ、不信の輩・増上慢的な発想を生かしてもらいたい。必要なときに姿を消し、そうでない時に顔を出してくること地体あべこべである。法門の世界のことは法門の上に処理するのが常識であるとは、今更取り上げるまでもなく充分御承知の筈である。何れにしても不信の輩とか増上慢などという語は品の良いものでないことを理解してもらいたい。


 浅識謗法ということ
 寡聞にして未だこの様な語を聞いた覚えもないが、もしかしたら浅識誹謗をもじって使ったのではないかと考えてみても、どうも理解しいくい所がある。他宗の者がその宗門のことに関して浅識であっても、格別謗法という程のものでもあるまい。極く普通のことで、寧ろそれを取り上げる方がよほど謗法ではないかと思っている。
 法華経を謗り、宗祖の法門を下すことがあれば謗法であるかもしれないが、これは少くとも仏教徒についていえる語であって、他人の浅識を謗法ときめつけるのは、少し見当違いではなかろうか。
 若し一の引用文を示されてその出処が判らず、数ヶ月も探した挙句やっと見付けたものが、実は宗門の最重要書の中に引かれていたものであったとすれば、その地位、職掌によっては浅識謗法ということは充分成り立つであろう。だが他人が法華経を知らないから、宗門の法門を知らないから謗法であるというようなことはご遠慮申し上げたい。この様な考え方は、寧ろ広宣流布の定義付けの時に使った方が適当である。
 さて、上代にあっては宗旨分を主として進められてきた布教活動が、南北朝の末期の頃から、周辺の情勢の中で次第に主体が宗教分に移行し、自行から化他に移っていったともみえる時代、謗法思想の内容も宗祖の頃から大きく変って来たのではなかろうか。さきの浅識謗法なども周囲の情勢の中に生れたものとすれば謗法思想展開史の中の一資料ということになるかもしれない。その頃の謗法思想を代表するのが久遠成日親や行学日朝である。
 南北朝の末期から室町の初期にかけては、天台宗や日蓮宗では盛んに古いものが書写され、やがてそれが間もなく新しい著作となってゆく時代である。南北朝の混乱の後をうけて宗教自身の自行の時期という感じであって、その蓄えをもって次の時代に対処してゆこうという態度が見える。その様な中にあって布教の面でも宗旨一本から宗教へ移行していったと見られないであろうか。時代的には時師の終りから有師一代という時期である。
宗旨分として信行学が解釈されたのが三師伝であるとすれば、化儀抄は宗教分として信行学が新しく解釈されているようにみえる。しかし宗旨の中において前は宗旨分をとり、後は宗教分に重点が置かれたことはいうまでもない。化儀抄という題名が何時付けられたのかは別問題としても本仏の振舞いとして、上行を内に秘めて不軽の行を表に現わした感じである。
 有師の前の頃にどのような事があったのか、歴史的な事実については知るよしもないが、宗旨分から宗教分へと移ってゆく飛躍の時代であったことは、当然考えて差支えないと思う。そして六巻抄もまた信行学を基盤としてその解明をなされたものであり、或は本果的な解釈に堕した法門を再び本因の座に据えるところに主眼をおかれていたものと思われる。今の時代も本尊が本果の座に移りつゝあるような時、再び本因の座に据える時が迫っているのではないかと思われる。
 三師伝、化儀抄、六巻抄とそれぞれの時代背景の中で信行学が法門として解釈され、本尊を一に絞る役割を果しているように思われる。今またその様なときが迫っているとすれば改めて法門としての信行学を考え直す必要がある。法門を離れた信行学は本果、或は本果の外に堕する恐れが充分ある。現に信心と口唱のみがあれば学はいらないという様なことになって、却って災いの種になっている様にさえみえる。この際、当局でも一度法門としての信行学を見直してみることも、あながち無駄なことではないと思う。そこらあたりに今の危機を突破する一つの秘密があるかもしれない。
 三師伝と三衣抄を並べてみても、三師については同じとは思っても内容的な触れ合いが見当らない。三師伝は伝記形式によるために、法門としての真実がつかみにくい処があり、三衣抄は三衣に心を奪われて、法門としての意義が掌握出来なかったことが、従来の解釈によく現われている。そこへ信行学を持ち込むと仔細に難問が解決する。三衣の意義も即時に解決すれば、三学も三秘も理解出来るし、逆次に三重秘伝抄の初文、文の底に秘して沈めた一念三千の法門を見れば、信行学もまたそこを故里にしているのではないかという疑念も湧いてくる。信行学を媒体としたところに、大石寺独自の三祖一体の上の本尊、即ち戒壇本尊説が成り立っているのではないかという理解も可能である。このようにしてあまりにも法門介入し、重要部分を構成しているために却って疎外視され、埒外にあってかすかに命脈を保っているというのが信行学の内証ということではなかろうか。


 新本仏の誕生
 「御指南」では宗祖の肉身が御本仏ということになっているが、この様な珍謬な説は滅後七百年来未曾有のことであり、こゝに阿部教学の真随を見る様な気がする。六巻抄でわざわざ否定されているものを何故持ち出したのであろうか。或は本仏の低俗化の成果というべきか、自らを本仏にするための布石とでもいうべきか、法門としては容易ならざる事である。
 福重本仏論では、大地の底にあるべき本仏の住所を虚空に定められている。底下の凡夫の行くことの出来ない処であっては、凡夫との距離はますます遠のいてゆく結果となり、師弟一箇の法門とは凡そ無縁のものになってくる。
 観念論の成果が民衆との間に隙を生じ、己心の法門を忘れさせる結果となった。そして改めて己心が我心になりかわったとき、法主本仏論も顕われようということであろう。自分で本仏と言った覚えはないといっておるが、これはまことに御尤もな話であるが、今宗祖の肉身本仏論が出たところは、虚空為座という感じが深い。大地の底にあるべき本仏が虚空に上っては境界が違うのも当然なことである。
 宗祖を上げすぎた結果が肉身を本仏と見立てるようになったとしても、これでは本仏の誕生は七百六十年を越えることは出来ない。あまりにも幼稚な発想である。釈尊入滅後二千年近くなって誕生した本仏ということを自ら確認しながら、どの様にしてこの関門を乗り越えようとするのか。本仏出生のところである己心の世界を捨てさっては鎌倉に生れた本仏は時空を超えることは出来ないであろう。感情の赴くまゝに口をついて出た肉身本仏論では、途端に破綻が待っていたということであろう。口に五百塵点を唱えてみても、当初を称してみても一向に無縁であり、寧ろ仏教や仏法の世界を遠く離れた感じが強い。このような処には受持もなければ修行もない荒凡夫の世界ということ以外、何物でもない。
 五百塵点の当初や久遠元初を取り返さなければ本仏が出現しないということは、観念文を通してみても、「御指南」の掲載されている大日蓮にあった慶讃文を見ても当然判る筈である。肉身本仏論は己心を捨離した処に出て来るものであって、却って宗祖を下して世間の俗信の中に投ぜしめる危険がある。異流義的な性格が次第に濃度を増している。他宗の人達がこれをどの様に受けとめるか、たまには側近の優秀な頭脳を寄せ集めて、周辺から見直してみてはどうであろう。
 三千を一に寄せた処から、一を基盤として三千に開くのが順序である。初の義を捨てゝたゞ一から開けば、その一は我心に近いが故に大きな危険を持っていることを知るべきである。
 受持即持戒から受持即観心に至るのが順序であり、どちらも受持が前提条件である。受持とは釈尊一代五十年の説法の全てを含めたものであることはいうまでもない。その上に大石寺の法門も成り立って居る筈である。そこに受持の意味がある。
 信行学の学は釈尊一代の結果をこの一字に集めたものと考えて差支えないと思う。その学の上に上行所伝の法門と、これを行じる不軽菩薩とのコンビの世界が開けることを示されているもので、信行学とまとめたとき既に時が替わって己心に移り、久遠元初の世界が開けることを示されている。時の変換を見ずにはこの法門は成り立たない。
 肉身本仏論は時の変換なしに五百塵点を無制限に延長した時、来るべくして来、迎えるべくして迎えた宿命の結果であると判ぜられる。本因にも非ず本果にも非ざる境界を住処とするところに、肉身本仏論が初めて成り立つということであろうか。法門と世俗とは左右の違い目があるから、世俗部分が多くなればなるほど俗信的となり、極端に多くなれば即時に三鳥派や蓮門教のようなものになる可能性を多分に内蔵している。そこに大石寺法門の危険性がある。
 己心の上に建立されている法門を我心に切り替えて、自ら墓穴を掘る必要はさらさらないと思う。歌を忘れたカナリヤに歌を思い起こさすことは所詮無理なのかもしれない。しかし思い起こさなければ、そこには終末が待っている筈である。何としても己心の法門を取り返してもらう許りであることを強調する。
 この様な中にあって、改めて信行学をもって三師伝や化儀抄、そして六巻抄を見るとき、そこには案じの外に本仏の故里を見出すことが出来るのではなかろうか。肉身本仏論では始中末が肉身に集中するために、肉身が亡びるときはそれで終りである。そのために肉身の継承者が必然的に要求される。そこに法主本仏論の出る下地が充分備わっていると思う。
 信を上行、行を不軽とたて、釈尊を学とみるとき、そこには肉身では得られない悟りの世界がある。それが己心の一念三千の法門である。肉身に本仏を立てながら、そこに時空を超えた世界を見出そうとすることは、全く児戯以外の何物でもない。
 三師伝や、六巻抄等については信行学を媒介として本仏を見出すことが、最も誤りのない方法ではなかろうか。そこには上行も不軽も、そして釈尊も必らず確認する必要があるからである。
 「御指南」を見て最も痛切に感じることは、本仏の出生をどこに求めているのかということである。事はそれほど低い処にあるように見える。宗祖の肉身を明らさまに本仏と見るというようなことは、今までの宗門には曾てなかったことではないかと思う。その様な危険を犯してまで宗祖肉身本仏論を口にする必要がどこにあるのか。肉身本仏論は他宗から邪教の烙印をおされる恐れを多分に持っているし、内では伝統の法門を一挙に捨去する内容を含んでおるものである。これらをも知らず、うっかり肉身本仏論の御指南、これ以上の浅識謗法がまたとあろうか。
 「御指南」には痛烈に不軽菩薩を下している処がある。この様な言葉が時の貫主の口から出たとは、いくら不信の輩といえども考えたくない。上行は本法所持の人であり、不軽は行をもって体とする人である。法華の行者ということは、内に上行を秘めながら外に不軽の行を行ずるものゝ謂である。不軽菩薩を下すことは上行菩薩を下すことであり、不軽菩薩に対して否定的であることは上行菩薩にもまた否定的であることである。
 上行菩薩は本法を所持していても行がなく、不軽菩薩は行があっても本法を持たない。この菩薩は一体不離であり、不軽菩薩を下すことはそのまゝ上行を下すことである。「日蓮大聖人の化儀・化法」という化儀は不軽の行であり、化法とは上行の法というふうに自分では理解して居る。化儀抄という名は外相に付けた書名であって、その内容からいえば化法抄といっても差支えのないものであろう。化儀・化法一体の処に、仰曰くの意義が深くおさめられているのであろう。
 御指南では化儀の語の出処が明らかにされていない。「不軽菩薩のように二十四字をもって町の人々を礼拝するのか」と。これから見れば、不軽は二十四字をもって町の人々を礼拝することのみに限定して考えているようであるが、誠にお粗末といわざるを得ない。これでは日蓮紹継不軽跡、法華の行者というような語も理解出来ないであろう。二十四字云々の語はあまりにも飛躍がありすぎて、今の引用に一向不向きなようで反って宗祖や不軽を下しているような印象がぬぐえない。「不軽菩薩の行法を行っていくことが慈悲の折伏―中略― 観念論に過ぎません」と。これでは宗祖の折伏も観念論ということであろう。不軽の礼拝行を否定しながら宗祖の化儀を取り上げることのほうがより観念論的であり、肉身本仏論と相俟って反って宗祖を虚空に座せしめ、宗門が孤立化する危険を犯しているのではなかろうか。
 流転・還滅両門についてもいろいろ難を加えられているが、小乗的な理解についての学の深さには大いに敬意を表したいが、やはり時節の混乱が全体を掩い隠しているようである。「法華経の文意によって開会すれば」といっても、不軽菩薩の二十四字については一向に開会されていないように見える。上行所伝の妙法に南無するのは不軽の行によるところであるし、本尊の中心の南無は不軽の行で妙法蓮華経は上行所伝の本法であり、日蓮花押は体具の意味である。
 不軽菩薩が本尊の面に載せられていないことも少し考えてみては如何であろうか。あまり馴れ過ぎて気が付いていないのかもしれないが、こゝらあたりに師弟一箇の法門の原型が秘められている。小乗や文上のみに深みを増しても、時の変り目が判別出来ないようでは中間が途絶えてしまって、色も変わらぬ寿量品というわけにもゆくまい。忽然として鎌倉の時代に本仏が誕生して、釈尊より遥か遠い昔に生まれたといってみても、余程の人でない限り容易に理解を示さないのは当然である。ごり押しは孤立につながることを理解しながら、法門を正常に理解するために先ず時についての穿鑿を始めることを奨めたい。
 昔から法華の独善ということが言われているが、受持のなさと時節の混乱が根本になっているのではないかと思う。「御指南」も何となしにそのような空気が充満している。肉身本仏論では受持の入り込む余地はない筈であるが、そこへ忽然として小乗教の語句が出て、天台、妙楽の引用文が連々と引かれてくる。時には諸教や法華経が引かれてくる。受持のないところにこれらの語句や文が引用されても、全く無意味である。肉身本仏論こそ最高の観念論である。受持の修行が失われ、時節の混乱が生じた時、遂にたどるべき宿命の道とでもいうべきか、新しい肉身本仏論が展開しているようである。今その観念論の盤上に大石寺法門は、例えば世間の凡俗の如く、一人の人間の中に正邪善悪の両面を兼合しているようなところがある。
 修行と良識があればその人は常に正であり善であるが、一度この二つが失われるときには即時に邪となり悪となる危険をもっている。これは他宗には例をみないところで、邪悪に堕することを防ぐためには極端な修行が要求される。それが受持である。信行学のごとく、信行は学の上に成り立っている。学とは釈尊一代の説法の結果である。それを受持したときに上行と不軽との師弟子の法門が成り立っている姿をこの三文字に示されているように思う。そこには明らかに受持と時節の変り目が示されている。この二つが大石寺法門を支える二本柱でもある。
 学と行が完全な姿で作動しておれば、肉身本仏論などというような未曾有の本仏論は出現しなかったであろう。この肉身本仏論と不軽軽視乃至否定がどのような相関々係にあるのか。日蓮紹継不軽跡といわれた不軽を軽視しながら、而も宗祖を不軽に関係のない処で異様にもち上げて、肉身本仏にまで異常発展せしめ法門的には反って宗祖本仏否定の方角にもち込んでいる。浅識謗法か浅識誹謗か、否むしろ浅識破仏法といゝたいほどのものである。不信も増上慢も浅識謗法も、全ては我が身に立ち還ってくることを予知して、即ち未萌を知って「不信の輩」に向けられたものであろうか。
 今は相承について色々と問題が起っているようであるが、元より在家不信の輩の云々することではない。やはり本人が間違いないということを信用するのが最も良い方法かもしれない。しかしこゝには一つの疑問がある。宗祖直伝の相承を受けている者が、宗祖の最も信頼する不軽の行を何故これほどに下すのであろう。二十四字の礼拝行のみをもって考えるのは文上読みの哀しさである。宗祖自ら日蓮紹継不軽跡といゝ、法華経の行者といわれているのも全てはこの二十四字に発するものである。折伏行もまたこの中に含まれている筈である。その不軽菩薩を下すことは、明らかに宗祖に対する不信であり不知恩であり、また増上慢であると言わざるを得ない。自分から間違いなく相承を受けているという者が、果してこの様な言葉を発するものであろうか。宗祖直伝の相承を受けながら、しかも一方でこれを否定するような不信の言葉を発することは、反って相承を受けたことを自ら否定するように受けとめられても止むを得ない。千慮の一失とは正にこのようなことを指すのであろうか。
 「御指南」には、折伏についても云々されていたようであるが、今の折伏の出処依拠が立正安国論に始まることは宗門人にも異論のないことゝ思う。再三再四繰り返しているように、こゝにも時節の混乱がある。宗門では開目抄を宗祖の発迹顕本とたて、文底秘沈の一念三千に宗旨が建立されていることについても異論はないと思う。これに対して立正安国論は開目抄以前に著わされたものであり、当然未顕本の時のものであることはいうまでもない。宗祖の顕本以後に法門を建立する大石寺において、未顕本の時のものをそのまゝ持ち込むことは左右の混乱を生じる恐れがある。
 宗祖は未顕本の時、修行の道中において折伏を行ぜられたもので、宗祖に局っていえば流転門であり、本果に属するものである。顕本以後に法門を立てる大石寺に於いて、未顕本の時のものをそのまま行じることは時節の混乱そのものである。発迹顕本以前の宗祖の出生の処は安房国であり、発迹顕本日蓮の誕生は佐渡国であることはいうまでもないところであり、三師伝や産湯記が安房国としているのは、還滅門の立場から流転門に妥協点を見出したまでゝあって、これを流転門からのみ見る者には色々不快の念を懐かしめることも、時節の混乱の故に止むを得ないことであろう。顕本日蓮の折伏は立正安国論ではなく、身延入山以後において真実を見出すべきである。
 己心の法門を受持する末弟は、己心に摂折二門同時の建立の上に折伏が論ぜられ行ぜられることは当然である。それが文段抄における立正安国論の扱い方である。あの様にして逆次に読めば立正安国論もまた己心折伏の御書となる。一度己心において摂折二門同時の修行をすることは自行であり、そこに備わった徳をもって化他に転ずることが理想の様に思われる。顕本以前と顕本以後とでは折伏の様相も自ら変ってくるのは当然であって、本尊の開顕は顕本日蓮の折伏の姿であるし、弟子の養成をされたことも折伏行の一分である。そこから再び立正安国論に立還った時には、或は顕本以前の安国論のような折伏もあるかもしれないが、そこには必らず両門の妥協点を見出すことが先決となる。
 因果倶時とか色心不二などという倶時不二の語には、文底が家の還滅と流転両門の妥協点の原型を示されているのではなかろうか。こちらが文底が家の流転を言う処を、小乗教の流転をもちだしても反論にはならない。文底の法門を口に唱え、本因に法門を立てる以上は、流転還滅もまた文底で称えてもらいたい。いくら三大部を引いても時の切り替えがなければ何等の意味もない。所詮は去年の暦に過ぎない。この様な基本的態度に関しては、二十年前のそれといさゝかの変わり様も見当らない。時節をこちらに合わせた上で反論せられることを希望したい。
 法門は感情の上に成り立っているものではないから、冷静に判断してもらいたい。但し肉身本仏論から感情が直に発散するのは止むを得ないことながら、佐渡に到った魂魄に対してはどのように連絡をつけるのか、おそらくこれは不可能であろう。いくら繰り返してみても本尊の解釈は不可能である。肉身本仏論はどう見直してみても暴走気味であることを自覚し軌道を修正した上で、もう一度法門の線に乗った処で「御指南」を拝見したい。


 不軽々視と肉身本仏論の意義
 今回の御指南は何といっても不軽々視と肉身本仏論に尽きるということが出来る。不軽々視はやがて宗祖への蔑りとなり、本尊否定にもつながるものをもっているし、肉身本仏論は文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門の根本否定でもある。更に戒壇の本尊を真向から否定しており、七百年伝持されてきた大石寺法門を根本から揺さぶるものといえる。
 己心の一念三千に法門を建立する大石寺では、六巻抄を見ても化儀抄を見ても判る様に、本仏とは久遠元初の自受用報身を指していることは今更言うまでもない。本尊も本仏もまた法門の全ては自受用報身如来から発生している。その報身を否定するような肉身本仏論が、何故に宗門の機関紙大日蓮に載せられたのであろうか。側近の人達はこれをもって本仏や本尊に対する讃辞とでも考えているのであろうか。しかも、それが白昼堂々と時の法主の口から僧衆を前に御指南として発表されたことは誠に正視に堪えがたい処である。
 また「御指南」の載った大日蓮九月号にある慶讃文の中の宗祖と本尊を合して一とすれば、大体自受用報身如来と理解しているであろうことは好意的に解釈することが出来る。六巻抄でも自受用報身であることはいうまでもない。しかしながら肉身本仏論においては、本仏を報身に限ることは不可能である。強いて求めるとなれば応身ということになるが、応仏・迹仏は既に釈尊に占められているし、肉身をそのまゝ應身とすることも出来ないであろうし、どうみても三身をもって解することは無理である。しかし、三身に振り当てられない本仏とは一体どのような内容をもっているというのであろうか。
 大石寺法門では、本仏といえば報身というふうに理解して居ったが、「御指南」の肉身本仏は三身の内では何れに配当されるのであろうか。若し三身に配当出来ない本仏ということになれば邪神といわざるを得ない。平安末期から鎌倉初期にかけて、法華の教主が応身か報身かという事が盛んに論議されているが、宗祖は報身をとられたものと信じている。
 新版肉身本仏を何れに配当するか、或は思い切って変化身とでもするか。何れかに決めなければ本仏の語は使えないのではないか。相承を受けた法主としてはあまりにもお粗末すぎる発想である。しかも肉身本仏と戒壇の本尊との関連において、充分な成算があるのであろうか。三身にも連絡のつかない肉身本仏ということになれば、日蓮が魂といっても世間通途の凡俗の魂と全く同様であって、勿論「本仏の魂魄」というようなものでもあるまい。戒壇の本尊から本仏の魂魄が消え去れば只の板という外はない。法主自ら御相承を受けたと力説するとき、僅か一人の在家を罵る前に、自らの不信を反省し、破仏破法の誡めとすることを進言する。一人の在家不信の輩に燃やした執念が、予想もしなかった大きな伏勢に出食わした感じである。宗祖や本尊と同列で下されることについては、異様な感激を催しているものであることを申し添えておくものである。
 
若し宗門側に反論の用意があるようであれば、一度出された「御指南」を半年余りで内に引っ込めることも出来ないであろうから、徹底的に文底の法門、或は六巻抄や御書に会通した上で、これをもって反論してもらいたい。時の立て方によれば、即時に右は左に、左は右に変るからその点よく気を配っていたゞきたいと思う。同じく折伏といっても、宗祖の顕本以前と以後では内外の相違があるので、若し表に出す場合にはうちに法門を確認する必要がある。
 たゞ漠然と宗教の五箇を説いてみても、それが身延のものでは何の意味もない。これは教から法に至り、宗教から宗旨に至るために説かれたものであってみれば、大石寺の法門としてはそれほど必要なものではない。正宗要義はこの宗教の五箇を説いているが、六巻抄では宗旨の三箇のあとに宗教の五箇が説かれ、ここには明らかに時の相違が示されている。従ってこの五箇は時の一字に集約されているように見える。文上が家の宗教の五箇が、そのまゝ文底が家に持ち込まれる処に時節の混乱がある。
 時が異なれば内容的にも大いに異なるために、正宗要義の序は六巻抄では教法流布の先後となっている。これは法前仏後を出すためで、これが決まれば教も機も時も国も既に己心の一念三千法門ということで決っておるために、法が先であることを確認されたものであろう。教機時国序では本果というか、文の上に宗旨が建立されるようになっていることは、身延に説かれていることを見てもわかる。この五箇をもって大石寺法門の宗教の五箇とすれば混乱を生じるのは当然である。
 六巻抄の宗教の五箇は逆次に理解するのが最も良い方法である。久遠元初に法を立てれば、国も時も機も教も同時に決まってくる。他に対しては宗旨宗教と逆であり、自に於いては逆次に読むようになっている。これは六巻抄の読み方の一例になると思う。正宗要義よりは遥かに深いものがある。正宗要義の深さとは深さの系譜が違っていることを気付いていないのではなかろうか。

 

   

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 阡陌陟記(五)


 目 録
 
笑 語 録 上
 
笑 語 録 下


 笑語録 上
 長生きしたお陰で、計らずも今日大村先生の迷言を知る栄に浴することが出来た。題して「現時の誤った教学観について」という。しかし事実は二十年間宗門の一角で言い続けられてきたものが、やむにやまれぬ宗内事情から、たまたま公式発表になったまでゝ格別驚く程のものでもない。こちらでは、追いつめられた意志表示と受けとめておる。なりふり構っていられないという、苦悩というか悲壮感というか、それらが色々と混雑しているさまがありありと窺える発言である。それにしても内容のお粗末さ、誠に驚き入った次第である。
 大石寺では、教学観という語は宗内にはあまり見かけない語である。一見、卒論にでもなりそうな雰囲気をもっているが、この内容では卒論さえ覚つかない感じである。その発想は同志から既に聞き知っていたので格別新鮮味もない。むしろ先生の浅識に驚いておる。秘密は宗旨の身上である。それを事前に反対派に漏らす寛容さ、誠に見上げたものである。しかしその内容の低俗さは誠に恐れ入りました。しかしながら十年を経て大村先生の教学の深さを確認出来たことは望外の悦びである。
 一、公式の場で「信仰のない川澄勲のとんでもない邪義」などと、いくら声を大にしてお下劣な言語を弄してみても、過ぎ去った時は再び帰るものではないことをご存知であろうか。宗義は時を根本としておることくらい、既にご承知のことゝ思っていたが、先生の発言を一見した処、全く時の観念が欠如しているのではないかという感が強い。時を忘れて大石寺法門は成り立たない。ましてそのような処に本尊が建立されるわけのものではない。
 標題の教学観の教学の語は、大石寺法門の教学とは時が違っているように見える。何か感違いしているのではなかろうか。「川澄の教学」と「川澄教学」では少々意味は違ってくるが、当方では教学とは考えていないので、格別自分が小突かれているような感じは全くない。折角悲壮な決意をもってしても、一向に痛痒を感じていないことを御存知であろうか。徒らに糟糠に執してみても悪口雑言を尽しても、決して過ぎさった時が帰ってくるものでもない。しかも新しい時は既に始動を始めている。この時を知り且つ捉えるためには、まず教学の語義について考え直してもらいたい。大村先生の使っている教学の語意には、衆生救済の意義が含まれているかどうかということになれば、法門の上から見て大きな疑問を持たざるを得ない。他宗門の語意のまゝでは、反って禍の基になる恐れさえあることを承知してもらいたい。
 御書を心肝に染めた大村先生の悪口雑言は反って心肝に染めていない証拠と見える。心肝に染めるということは、徳と顕われた時に初めて言える語である。悪口雑言は染めていない明証である。一言いえば現われ備わると思うのは事行の法門の分野ではない。しかし心肝に染めたというくらいであれば、畑は違っても悪口雑言の文証くらいは用意しているであろう。これは言う処の教学の分野である。文証の無い悪口雑言は全く児戯に等しく、破壊力につながらないことは充分わかっていると思う。しかしながら一宗の教学部長が、恥も外聞もかなぐりすてゝこのような悪口雑言を吐くことは、余程逼迫した事情があるものとお察し申し上げる。それはそれとして、もっと標題に即した内容をもって、姿勢を正して破折してもらいたいものである。これでは筋違いと申し上げる外にお返しの言葉も見当らない。
 言う処の教学では「戒壇の大御本尊」の証明は不可能である。口に「大聖人様の御魂魄」と言っても、師弟一箇の成道につながる証明は出来ないであろう。今の教学をもってこれらの語を証明しようとすれば反って埒外にとび出して肉体本仏論となる可能性は充分備わっている。教学部長は何をおいても自宗独自の教学の語の定義付けをすることが根本である。元々宗の立て方が違うのであるから、教学のみ他門から持ちこんでみても衆生救済につながるものではない。救済がなければ衆生は迷惑する。迷惑とは迷い且つ惑うことである。その迷惑を取り去るのが救済である筈の処を、反って迷惑を与えるような結果、全くアベコベの結果が生じることは、未だ宗門独自の教学を発見していない証拠である。
 悪口雑言する前に為すべきこと、考えるべきことは山積みしているということではなかろうか。その一つ一つを解決することが混乱を静める最高の良薬ということのようである。最早、法主や教学部長の独善には付いては行けないというのが民衆の声ではなかろうか。若し三年前に今日あることが予知出来ておれば大村先生も先覚者の一分であるが、今疑問を突き付けられてそれさえ分別出来ないのでは困りものである。民衆に先を越されては指導出来ない道理で、そこに厳しい修行が要求される理由がある。
 一、「日蓮正宗は潰滅し、更に、無慈悲にも一切衆生は永久に無間大城を栖とせざるを得ない」。全く仰せの通りである。その師の堕つる処、弟子も亦堕つ。御書を心肝に染めて堕獄をのがれることがカンジンである。せめて本仏や本尊が本因にたてられておることくらい、知っておくことが必要不可欠であろう。正邪は民衆が決するもの、しかも民衆は既に動き始めている。この厳粛な事実を、心を静めて熟視することが肝要である。今のような「教学観」の中では、どう読んでみても文底秘沈抄の三秘各別が限度である。しかも、本果にもあらず本因にもあらざる三秘各別の本尊であって、戒壇の本尊までには遥かな道のりがあることを知るべきである。
 一、「そして宗門のなかで― 中略 ― 宗教分にあるとして批判し」何回読み直してみても難解である。何が言いたいのか一向に要領がつかみにくいが、今強いて言えば、宗門行政や教学、創価学会の活動はすべて宗旨ということであろうか、或はこれらの背景に秘密の宗旨分があるのか、どうも分らない。これだけ口汚くのゝしるなら、正しいと称する教学を標識してもらいたい。何等の基準になるものも示さずに、一方的に語を荒くすることは卑劣であろう。法をもって聞かれた時には法をもって答えるのが順序である。法に酬うるに暴をもってするとは有識者のすることではない。
 もともと宗旨とするものが無いというのか、或は、あなたのところの宗旨はと聞かれたとき、宗旨は日蓮正宗ですという程度の宗旨であるのか。それでは建長五年宗旨建立の宗旨と全く同様であって、戒壇の本尊とは関係がない。教学が見当違いであることは判るが、肝心の宗旨が見当らなければ、折角の迷調子も理解の仕様がない。今少し筋を通してもらいたい。しかし本仏を虚空の上、遥か彼方に据えていることだけは理解出来る。大地の上に居す民衆と、虚空中に住する本仏や本尊では、なかなか一致点を見出すことは至難の業である。大村教学の神髄とはこのようなところであろうか。これで「狂った学」といわれても、狂っているのはそちらですよと提言したくなる。もう少し頭を静めて対処してもらいたい。
 嘉名早立というが、口を極めて顕を誉め称える故に寿顕というか。しかし寿顕教学では本尊も本仏も、これを証明することは不可能である。信の一字をもって自分がそう信じるだけで、真実の信の一字とは言えない。自分以外がみな狂って見えるのも教学が貧困の故であろう。まともに本尊や本仏の裏付けが出来る教学を身につける必要がある。宗祖についても、自分一人のみしか通じない特異な解釈をし、それがやがて法主本仏論を生む原因にもなってくる。制約がないための暴走の故である。このようなことは狂人の世界にのみ通用する発想である。追いつめられて漸く到達した幻想の極地とでもいうか、これでは到底共に論ずることは出来ない。たゞ一日も早く悪夢から醒めてもらいたい計りである。
 大村教学はしばらくおく。戒壇の本尊の解釈も、言うように直筆ということになれば勿論一機一縁の本尊であり、本果に居すことは間違いないところである。しかし本来戒壇の本尊はあくまで本因のところに建立されているので、結果としてはそこまで持ってゆかざるを得ない、その空白を埋めてきたのが「無相伝の輩」の語であった。本果と決められた後も、戦前までは信心の語の中に本因の部分を補うものがあって、他宗には通じなくても宗内には結構通用していたのではないかと思う。それが戦後になると信心の語の内容が随分と変って、本因を補う部分が消滅した感じである。そこに或る種の破綻があったのではなかろうか。しかし今の時は「無相伝の輩」などというような、大時代的な語では他宗門には通用しない。時を誤れば孤立するまでゝある。今こそ己心に建立された本因の正体を見極め、他宗門にもその建て方を知ってもらう時ではなかろうか。
 己心は俗世間を刹那に断じたところに最高があり、そこに建立された本尊もまた最尊であるが、それを誤って外相において世俗に出て最高最尊ときめこむのは時節の混乱である。その混乱が世界最高の本尊、世界最高の宗教というところまで発展してきたのが現状である。既に宗旨・宗教の両面から孤立化が進んでいることは、今度の大村教学にも明らかなところである。もう狂学などと言っておれる時ではない。今こそ自力をもって本来の良さを確認する時であると思う。罵って事が解決するならそれもよかろうが、最早そのような時は既に過ぎ去っている。原点であるところの時を捉えることが、今の最要事であることを強調する。
 今他宗門から質問をあびせられたとしたら、大村教学でどこまで答えが返せるであろうか。思えばお寒いことである。一日三省といゝ、九思一言ということもある。他を罵る前に自らを反省してもらいたい。そして一言といえども九思の上に発するように心掛けてもらいたい。そしてその一言をもって他宗門を得心せしめるような大村教学を確立することが目下の急務である。太平の夢も既に終っているというのが現実である。お前のあたまはでこぼこあたまでは、他宗門の人達は素直には引き下ってはくれないであろう。
 今度の大村発言によれば、本仏と本尊は根本であり、法主の指南によるということのみで、その依って来たるところは全く示されていない。これは信者相手の常の説法である。川澄相手の様子はかけらもない。この程度のものをもって他宗相手に応待するつもりであろうか。たゞ拝めば金が儲かる、病気が直るというのは過去の話である。また流転門・還滅門・宗教分・宗旨分何れにも属さないということであれば、仏教としては失格である。もっと根を下してその根本を明らかにした上で論議を進めてもらいたい。
 不信の輩とか信心がないとか言いながら、信者なみの話ではどうも調子が出て来ない。根本々々と唱えれば、即時に根本が現われるような童話の世界ではない。七百年の伝統の上に乗ったところに根本を考えてもらいたい。口先だけで根本を唱え、本仏を考える時には、肉体本仏に暴走するかもしれない。凡身はそのまゝ本仏と現われ、真の本仏は虚空の上、大日如来・ビルサナ仏の遥か彼方に遠のいてゆく。正宗要義の五百塵点の当初も久遠元初も、実はこのようなところに考えているようである。これを大石寺教学と頂けという方が無理である。これを称して独善という。
 独一には自ら人の寄ってくる徳がある。その徳が即ち本仏の徳である。独善の住処は虚空にあるが故に孤独なのかもしれない。もっと民衆の寄ってくるような、独一の法門を確認してもらいたい。そういうことが根本につながる唯一の近路である。大地を離れて根本を見出そうとすること自体異状である。民衆救済を念じるなら、その根本を大地の底に見出すことが先決である。何故ならば、そこは上行菩薩の住処であるからである。
 一、「かつて宗門にも関係した、全く信仰の無い川澄勲のとんでもない邪義」。口で虚勢を張るばかりが能ではない。正邪は民衆の判断することくらい分っていると思う。大村先生は教学部長になって以来、既に三年近くを経過しているがいまだに一冊の著書があることを聞かないし、阿部さんも十年間で大石寺蔵の御真蹟集の外には一冊の著書もなかった。そして十年目に自ら申し出て作ったのが日蓮正宗要義である。其の間実に十年の日子を要した大著で、これが二十年間における唯一の著作である。それに比べて「全く信仰の無い川澄」が手掛けたものに、昭和新定御書三巻・大石寺版法華経・学林版六巻抄、今も本尊の前に安置しておる折本の法華経二十八品等、何れも筆者の作ったもので、折本の法華経及び要品は筆者の書写に関るものである。これだけの悪口雑言を吐くくらいであれば、早々に集結せしめて火中に投ずべきであろうが、未だにその様な話が耳に入らないのは不思議である。その他録内啓蒙や明暦本三大部の復刻などもその内の一つである。その間、教学部からは大石寺蔵の御書の写真版が出版されたのみであった。これは原稿の作成段階で、誤読や返り点・送りがなの誤りを含めて三百字近くひろった様に記憶しておる。これは確かに教学部の出版であった。また富士年表の草稿も筆者のものによって始まり、年表の作成を日達上人に進言したのも筆者である。
 むかし大村先生の名論文が発表されたことがあった。長い伝統の中に信ぜられてきた戒壇の本尊と熱原三烈士との関係、それは十二日を中心にしての事であった。戒壇の本尊の十二日はおそらく法門の上に決められたものであろう。仮に十五日であっても、幕府の断罪決定の日を十二日とし、法門の上に一致点を求めたのかも知れない。現実の日時と相違があっても格別問題にする程のものでもあるまい。これが問題になったのは、本尊を宗制宗規をもって宗祖直筆と定めた以後の事ではないかと思う。宗祖直筆と定めた処に問題があったので、法門として定められたものは法門として解決を委ねるべきであった。
 熱原三烈士の最後の力強い題目が昇華して戒壇の本尊と顕われたということは、そこには長い信仰の歴史があった。その最後の題目とは一言摂尽の題目即ち師弟一箇の題目であり、六巻抄では第五の終りに至ってこれを明されている。何故こゝに気がつかなかったのであろうか。そして現実は法門に勝っていたことを証明する羽目になった。
 堀上人も開山の徳治の本尊を三十三回忌の追善とし、翌年四月と定め十二日とは切り離したいような気配が伺えるが、この本尊は三十三回忌としては一ケ年のずれがあるし、三十三回忌というよりは鎌倉法難の関わりのなかで見た方が史料に忠実なようである。今も阿部さんの処では未解決の難題であろう。淳師の時も同様である。第三の難が阿部さんの時に来ないとは保証し難いと思う。幸い今は十五日説を決定付けた大村教学部長であるから、十余年以前から準備は出来ているので、その点不安はないが、戒壇の本尊開顕の日と三烈士の処刑の日が、国柱会説を頼りとして切り離されたことは返す返す遺憾な事である。大村先生は信心深いから格別関心もないとは、誠にお目出たいことである。不信の輩が遺憾といい、深信の高僧が無関心とは不思議な世の中である。全くアベコベである。
 本尊の前のお供餅には、十二因縁と三烈士処刑の日との二つを含めているように考えられる。しかし十五日と決まった以後は十二因縁とは全く無縁となるが、本尊の十二日のみは依然として残っている。本尊の威力も戸惑いの貌であろうか。十五日と決めたくらいなら、餅の数も十五箇に改めてはどうであろう。三烈士を切り離した戒壇の本尊は完全に本果に落ち、師弟子の法門も消えた。そして三烈士の処刑日を十五日とすれば、身延側はその目的を達したことになるから、再びこれについて突いてくることはないであろう。しかし、これをもって大村教学の勝利ということができるであろうか。
 一、「邪義・狂った学」。その根底になるものを明示してもらいたい。何の根底も示さずに狂った学とは、児戯に等しいざれ言である。ただ「大聖人様の御魂魄である本門戒壇の大御本尊が根本」といっても、その内容を具体的に示さなければ、その掛け声だけが根本になる。即ち内容が空ではお話にならないということである。自分では御魂魄と唱えれば御魂魄が現前し、根本といえば即時に根本が現前に展開するのかもしれない。それでは困る。文字をもって示されたい。「宗門における政治と宗教、及び創価学会の過去の実績との関係」というのもよかろうし、正宗要義から大村教学として分り易く要点をまとめても結構、ともかく大村教学の根本を示してもらいたい。
 教学観などといっておるので、自らの教学は整備しているものと思われるが、内蔵されたのでは何の意味もない。大村先生の俗心に秘蔵されたのでは、本仏もその威力を発揮することが出来ないであろう。表に出しにくい構想があって「狂った学」とか「邪義」とか罵ってみても、何の威力もないことくらい既に分っていると思うが。或はたゞその周辺を幻影のごとき宗旨・宗教がとりまいているというのであろうか。何となく幻覚症状的である。一方的に破折したといってみても、結うて楽しむ髪結の正月である。せいぜい独善の境界でしかない。その様な雰囲気にあっては、流転門・還滅門・宗教分・宗旨分なども既に過去のものとなり、寛師なども昔人になっているのではなかろうか。一層のこと南無広宣流布大法位を中央に、向って左に南無日蓮大聖人、右に南無戒壇大御本尊と配して新しい本尊を奠定すれば一段と飛躍がとげられ、案外素直に宗祖も本尊も中央の本尊に収まるかもしれない。仮にその様なものを心中に画いてみれば、大村先生の教学観とかいうものも理解出来るような気がする。しかし幻想の世界から抜け出るまでには、かなりの時間がかゝるかもしれない。南無広宣流布大法位。
 大村先生よ、寛師の六巻抄を抹殺する前に十回程書写してみては如何であろう。そこには案外道が開けるかもしれない。大村先生のものを読んでいると、何となし上行の世もすでに終ったような気になる。実に不思議である。昨年来、己心の法門を抹殺しようとした努力のせいか、今度の発言には表面には己心の文字は完全に消えたが、未だ内容には至っていないようである。それなりに飛躍したのであろうが、吉と出るか凶と顕われるかは明日の課題である。
 御書を心肝に染めてといえば即時に御書が心肝に染まる。狂った学といえば即時に狂った学になる。広宣流布達成といえば即時に広宣流布達成となる。何となしに大村先生のものを見ておると、こちらまで呪術的というか幻想的というか、その様な世界にまきこまれてしまいそうである。己心の法門否定の中に、自ずと開けた不思議の境界であろうか、これが一年間の成果であるとは、まさかお気付きにはなっていないであろう。こゝまでくれば広宣流布宗でも発足させれば、七百年の伝統を捨てることによって、邪義というも狂った学というも自由であるし、どの様な本尊を建立しようと、他宗はそこまでは関わりを持たないであろう。「かゝる邪義が通るならば大聖人の御法義は完全に崩壊し、日蓮正宗は潰滅する」という御見通し実にお見事である。
 昨年は何回か己心の語について攻勢を示したが、指摘せられて気が付いたのか、以後は一向無沙汰である。教学部長は率先して御書を心肝に染めることをお進めする。始めから戒壇の本尊が己心の一念三千法門の上に建立されていることは周知の事実であると思っていたが、今は己心を離れて本尊を考えていることが明らかになった。これは大きな収穫である。今度の大村発言には、己心の語は見当らないが、内容的には殆ど変わっていない。己心による側とこれを否定する側と、論争の結果は自ら定っている筈である。己心では分りにくいから心にしろといわれてみても、皆さんも今更釈尊に帰る事も出来まいと思うが、或は心も己心も二つながら上行の所知とでも思っていたのであろうか、誠に恐れ入った次第である。
 僅か三頁の短文の中に川澄の文字が十三回も見える異様さ、誠に狂気の沙汰である。宗祖は既に戦いの終ったことを明示せしめられたと解釈すべきであろうか。十二・十三の境、それは丑寅成道の時である。偶然とはいえ十三の数字は奇妙である。「これ」の語を加えると十四となる。誠に不思議な数字の秘密である。更に大村説を加えるとお望みの十五となり、既に大村教学の行く手を示しているようにさえ見える。
 「狂った学」といわれてもピンとこない。宗門の最高部に属するほどの人達が、昨年は己心の法門について一齊に攻勢を示したが、口に宗祖の魂魄といゝ戒壇の本尊といゝながら、己心の一念三千法門をはずして何程の意味があろう。こちらが己心の一念三千の法門を主張し、宗門が一齊に批難攻撃を加えるという、全く常識では考えられないことが白昼公然と行われた。これはいうまでもなく宗祖や本尊を滅せんとする貌である。
 しかし今も宗門が存続しているところを見ると、一念三千法門に替る宗旨分は既に定められているのであろう。その正体を明示せられたい。問題は本尊の外相ではない。その内容にあることはいうまでもない。本尊を解釈する新基準、一念三千法門に替る新法門とは一体どのようなものであるのか。宗旨をもたない宗教は成り立つ筈もない。しかも己心の一念三千法門は既に否定したのであるから、新宗旨を明らかにするということは当然の責務ではなかろうか。
 宗祖から己心の法門を抜き取れば、即時に法滅することは当然である。悩乱というか狂態というか、それが今度の大村発言である。「狂った学」というならば、十二日を十五日と変えた熱原三烈士の処刑日に関する大村論文こそがその極地であろう。戒壇の本尊の十二・十三の法門は既に滅した。いわずとしれた法滅である。要は内証の問題である。しかし外相において消滅させたと思っても、一人の有信の者があれば必らずどこかの隅に、己心の法門は残ってゆくであろう。それがこの法門の身上である。
 混乱の時機には宗門の中ではなかなか真実は保ちがたいのが常識である。そこで横合いから法門の存続を手伝ったまでゝ、信心深いと自称する人や高僧の中にこそ師子身中の虫がいるということを、宗祖はどこかで示されているようである。語がなければ狂学というのは愚者のいうことである。御書を心肝に染めることを進言する。心肝に染めて、尚且つ元のまゝの引用文の出処が必要であるとは、どのように染めたのであろうか。必らず御書の底は己心の法門で埋まっていることに気付くであろう。
 己心とは凡俗と宗祖の出会いのところに光を発する。それが師弟子の法門といわれるものである。三人四人同座して読む勿れとは、師弟とは必らず二人である。それを逆の姿をもって表現されたまでゝ、十人同座していても法門の上では二人の同座である。師弟子の法門の意を表わされたまでゝ、時には文の底から読み直して見ることも必要である。
 開目抄によれば魂魄は宗祖一人のものであるが、七百年前入滅の時から開目抄を見れば、魂魄とは師弟一箇の上に成じるものである。現在は次第に宗祖一人に詰められているようであるが、再び師弟子の法門を取り返すことが目下の急務のように思われる。己心の法門が師弟一箇と現われた時、始めて師弟子の法門となる。これを事行の南無妙法蓮華経という。大石寺法門はこゝを根本と立てゝいるように思われる。根本について大村先生の御高説を拝聴出来れば光栄である。
 
一、「時節に不利」この時節の語は不安定である。勿論時節に不利な文証を使う筈はない。時節に関わりなく使えば混乱は必至である。それは仏法の初門であるくらい心得ておいてもらわないと困る。この文面から察するに、それさえ出来ていないようである。信仰心はなくとも「御書や歴代上人」のものは大村先生よりは数多く、深く見ているつもりである。しかし「先師上人の信仰、布教、広宣流布達成への情熱などは一切無視して」それの依って来る本源を探っておるのであって、結果論のみを拾い集め、その本源を無視する先生方とは自ら反対の立場にあることを理解してもらいたい。
 己心の一念を切り捨てよという先生方と、己心の法門に集中しておる我々と、その考え方が違ってくることは止むを得ない。本尊にしても、既に完成した本尊について、それを遥か高い処に据えて信じ且つ仰ぐ先生方と、大地の上にある師弟一箇の本尊の正体を探り求めてゆくものと、同座に事を論じること自体誤っておることを理解してもらいたい。信仰は本果に属するものであり、こちらはその本源である本因の側に探りを入れておるものである。
 大石寺法門が他宗に例を見ない立て方であれば他宗まかせにするわけにもゆくまい。自分のことは自分でしましょうということくらい、三才児でも心得ておる。自分の事は自分でするのが五十過ぎた老僧の進み行うべき道ではなかろうか。自分に理解出来ないからといって、邪義だ、狂学だといえば事が解決するとでも思っているのであろうか。全く狂気の沙汰である。
 立正安国論には、「貪着利養与白衣説法」と法華経の文が引かれており、利養のために白衣に法を説くことを厳重に誡められておる。宗祖の誡である。そして論の最後に引かれた仁王経の文の少し前の処には白衣説法のことが説かれている。立正安国会の御真蹟集の花厳経等要文には仁王経が引かれている。その中に「又云比丘地立白衣高座兵奴為○都非吾法」と。そしてこの後に、まもなく法滅するであろうと説かれている。この部分は略されているが、原典を見れば今の引用文が文底にあることは理解出来ると思う。こゝに安国論の読みのむづかしさがある。寛師の読みのお示しも、この危険について警告されているのかもしれない。
 後学のため仁王経を一度読んでみてはどうであろう。これらの仁王経や像法決疑経の文は、十余年以前宗門から追われる時、日達上人の手に直接お渡しゝたのが最後であった。教学部長というような要職にある人は、御書の引用文や抜書くらい、一度や二度その原典の全部、もしくはせめてその一巻くらい読破しておく用意があって然るべきだと思う。註経などに引かれている中国や平安・鎌倉期の著作類等、三大部の本末など一通り目を通しておけば、相手に出処を要求する必要もないと思う。
 一語を見てもすぐ出処が浮ぶような教学部長であってほしい。そのような蓄えをもって高座すれば、自らその人徳も光を増すであろう。方便・寿量や口唱の題目のように、読んで捨てる修行をしてもらいたい。蓄えがあれば今度のような発言をしなくてよかったであろう。行体のみが僧侶の修行ではない。読んで捨てる修行をもっともっと積んで欲しい。
 強烈で下劣な言語を弄することは、自らの修行の貧困さを明らかに公表したゞけのものである以外の何物でもない。蓄えさえあれば己心の法門を捨てろといゝながら「大聖人様の御魂魄である本門戒壇の大御本尊」などという極端な矛盾にぶつかることもなかったと思う。これこそ浅識謗法の極地である。宗門あげて己心の法門を捨てろといわれたのには、物に動じない宗祖もさすがに驚かれたであろう。
 さて安国論では、有徳王は未来世においてアシュク仏の第一の弟子となり、覚徳比丘は第二の弟子となるという処を、学会では有徳王を池田会長、覚徳比丘を日達上人にあてはめているというような話を聞いたことがあるが、宗祖は三大秘法抄で、有徳王・覚徳比丘の乃往を今に現わした時、題名のごとく三秘と現われるとの御示しである。この三秘とはいうまでもなく南無妙法蓮華経である。他の御書においても、覚徳比丘と不軽菩薩とはその行において全く同じの考えのように見える。即ち滅後末法においては、覚徳比丘は不軽菩薩と現われ、有徳王は上行菩薩と現われるという解釈のようである。これが第一・第二の意義である。
 更にいえば第一有徳王とは法前仏後であり、有徳王・覚徳比丘の乃往は仏前法後であるが、滅後末法となる時、第一有徳王・第二覚徳比丘となる。これがその真実であるを思われる。この故に日蓮紹継不軽跡も生じる。法に対して宗祖は行において自身を第二と決められた。この法行二人相寄って南無妙法蓮華経と出現したものと思う。そして、これが宗祖の己心に収った処を日蓮体具の南無妙法蓮華経という。これで有徳王・覚徳比丘の話も完全に終った。
 今の宗門では己心の法門には否定的のようであるが、若し己心の法門がなければ、有徳王・覚徳比丘の話はいつ現世に再現するかもしれない。己心の法門がなければ、魂魄も戒壇の本尊もあり得ないし、また上行の世も来ないであろう。若し己心を外して本仏があるとすれば、凡身そのまゝ仏となり本仏となる。これが肉体本仏論の根拠となるものであって、理即本覚と全く同じである。どのような感覚で肉体本仏論を称えるのであろうか。
 今我々がいう国とは法行二人の住処をさし、土をば寂光土という。その国土の上に建立されたのが戒壇の本尊である。この法門を還滅門といゝ、その内証を宗旨分という。「根本」とはこゝを指していうもので、己心の法門を除いてどこに根本を求めようとするのか。まずその根拠を示してもらいたい。 
 有徳王・覚徳比丘の乃往は宗祖己心の上に顕現したと考えることは、宗門人としては当然すぎる程当然のことである。これがどうして、第一有徳王即ち池田会長と考えられたのであろう。若し事実であれば時節の混乱の所作である。筆者の聞き損じであれば幸いである。阿部・大村教学の立処はこの混乱以後に属するものであろう。
 安国の国が己心の仏国土であることに異論はないとは思うけれども、一部には日本国土のみを考えている向きもあるかもしれない。天台や妙楽は諸の権教をもって国土としており、守護国界章・立正安国論・守護国家論などには、同時にこの三の国土が含まれているのであろう。だが若し日本国土のみが取り上げられるなら、これは時節の混乱である。恐らく阿部・大村教学にもこのような混乱を内蔵しているのではないかと思う。それを根本として伝統の教学を称し、他を指して邪義・狂学などと悪口雑言の限りを尽す。これは法門と俗世との混乱である。その成果が「現時の誤った教学観について」として顕れたものである。他に悪口雑言を浴びせる前には、まず自説の明拠を示すべきである。明拠の無いものを邪偽という。
 なお国土についていえば、宗祖は殆どの場合釈尊の御領国という考えが根本になっている。念仏無間は、釈尊御領国の民を西方の弥陀の領土へ移す故に堕無間であり、真言亡国は御領国の民を虚空住在の大日如来の処へ移動させる故に亡国である。念仏無間はその行為に対して、真言亡国は元の御領国についていわれたまでゝ、内容的には全く同じものである。大地の上に居す民衆はそこが定められた住処であり、そこは釈尊の御領国であるという考えの上に論ぜられているものであって、これを日本国土の上に論じるのは筋違いである。
 時が移り上行出現する時、己心の寂光土が建立される。この土に建立されているのが戒壇の本尊で、これが根本の本尊であり、これを戒壇の本尊と称しておる。そしてそこから姿を現じたのが今の板本尊である。前者は本因であり、また師弟一箇の本尊であるが、後者は同じく師弟一箇ではあるが、本果の姿をとっているために師の授与ということに変りやすいものをもっておる。それが直筆ということになったものである。今大村先生が信心とか信仰とかいうのはこの本尊を目指しておる。これは信仰の意味からしても、他宗門のものと外相においては殆ど変らない。「根本」と称しておるのは、本来は現在殆ど消えかゝっている本因の本尊のことであるが、現実には大勢は板本尊に変っておる。誠に微妙な転移である。
 当方のいうのは本因の本尊であって、今の信仰の対象であるところの、本果の本尊については全く考えていない。歯車は本因の場においてのみ、かみ合うことを理解してもらいたい。この意味において「根本」をどこに立てるかということが根本になってくる。師弟一箇をとるか師一人によるかという意味では、大村教学の「根本」が板本尊におかれておることは間違いのない事実である。この短い文章からそれだけは明らかにしている。これは望外の収穫であった。次には、もう一歩細かい点について「根本」の裏付けになる部分を明らかにしてもらいたい。一々文々について記すつもりであったが、今回はこれで止める。後半分は、時がくれば書くようなことがあるかもしれない。まずは肘を枕にして記すというべきか。呵々


 笑語録 下
 一、「行体面」。「信心のない人」の「人」は、周辺とは不釣合なほど弱気にみえる。いかにも原稿執筆者と目される人の側面を表わしていて、ほゝえましい語である。さてこの行体という語義が理解出来がたい。「現御法主上人の御指南や行政」が「行体面」ということのようであるが、信心のない者にはほとんど分らない。行政とは俗臭紛々として聞きづらい。六巻抄にも文段抄にも、ついぞ見かけない語である。「御指南や行政」を行体とすることも初耳である。ドンチャン騒ぎは行体にはいるのか、はいらないのか。宗門が発展した時期を無視することは行体面についていうこと、信者への本尊流布等は時の法主の行体面の顕われという意味のようである。
 本尊流布は宗門の解釈によると広宣流布と同じように見えるが、そうであれば広宣流布は法主の行体面の結果ということになる。これまた古来聞きなれない語意であり、語義である。こゝまでのことは川澄についてのようであるが、当人には全く記憶にない所で、批難のために作られた新語のように見える。挙げる処の精師の時は三鳥日秀を通した懸念があるし、明治は異流義の吸収による発展の時、最後は宗教法人創価学会による発展の時期である。
 上代は、数字の上では微々たる信者数であったが、法門の上では最高に発展した時代であったように見える。己心の一念三千法門は一人単位で信の一字をもって広宣流布が常に実現しておる。この法門が強い程、信者の数は数は増えない。また千人も万人も、法の立場からいえば常に一人である。これが本来の考え方であることを忘れたのであろうか。もし数の立場からすれば、数は多いほどよいことになる。法の立て方からすれば、数量は関係のない所、法は世と共に常に考え方が動いてゆくということは頂きかねる処である。
 日寛上人の行体面は題目を唱えることのようである。「僧侶の実践面、行体面」はどのように違うのであろうか。門外漢にはこの項目は難解である。「誤った教学観」とどのような関連があってこゝに登場したのか、一向に分明でない。法主に何故、行体の語を使うのか。何となし他宗門流な感じをうける。或は時節の混乱の故か、こちらの悩乱の故かどうも分らない。関係ないかもしれないが、とりあえず法体は上行の一面、行体は不軽の一面ということで理解することゝする。しかし一年以上たって、まだ当方のいっていることが内証だけに限定していることを理解出来ないとは恐れ入りました。この項、見当違いであることを重ねて申し上げておく。
 一、「更に本題の」。本題とは「現時の誤った教学観」と思われるが、更にとは異様である。また本題なら中心課題であるからもっと前に出した方が適当であろう。「更に」の必要は尚更いらない。本論の出し方が遅いと全体の間がぬけてくるし、自然と迫力に欠ける。これも川澄の考え方とは言いながら、そちらの考え方のような気がする。「申しております」のはそちらではないか。「祖と世の違いを強調いたしております」とは、これまた見当違いも甚だしい。祖と世の違いについては、年表委員会において委員長や早瀬道応さんの発表で取りきめになったことくらい、後入りとはいえ年表委員であり、今は時めく大石寺の教学部長を勤める大村先生の発言としては、誠にお粗末この上もないことである。年表の取りきめなど詳細に承知しておいて然るべきことである。全く自分の不明を公表してしまったこと、誠にお気の毒な次第である。人を責めたつもりの処が、反って我が身に振り懸ったまでゝ全体を一貫している思想の一つのあらわれと思う。批難があれば早瀬重役を責めたらよい。こちらに持ってくるのは筋違いというもの、これを疝気筋という。
 祖と世の違いを教わったのは御両所であるが、祖と世の違いを理解出来たのは十年近くたってからであった。以前に既にふれたと思うが、これは法門の世界に属するため、教学部長さんには理解出来ないのも御尤もであると思う。この全文もこれが分らないための己義・邪説ということであろう。人を責める前にまず自分自身に反省し、少し勉強する気になることをお進めする。要職に居てその宗の法門が全くわからないとは、驚き入った次第と申し上げておく。「唯授一人」か「唯受一人」か。このあとの四行は理解出来ず。
 一、「本尊書写は」。以下四行は「川澄の論旨」といわれるが、当人には一向に記憶がない。むしろ大村先生の論旨ではないかと思う。新論を作っては川澄に押しつけ批難されることは甚だ迷惑である。「血脈」以下の四行も同じく大村先生の意見かと思われる。もう少し日本語の文章の勉強をし直すことをお進めする。当人にその様な文章があれば、コピーして発表してもらいたい。阡陌陟記の巻数と頁数とを教えてもらってもよい。勝手に自分の文章を作って批難したのでは、一向に破折にならないことくらい知っておいた方が賢明である。さかしらだては反って大村(オゝソン)になる。要慎々々。
 一、「かつて神主」。学のあるところを示そうとしたのであろうか、或は最高のいやしみを示そうとの意であろうか。近来は長い間この語は使われていない。時々刻々に語は変化していくものである。鎌倉の時代に使われたから、今も使われていると思うのは浅識である。こちらは僧侶は今も使われているからその語を使っている。死語を以て人をさげすむことは、反って我が身の教養のひくさを示すまでゝある。川澄と呼びすてにしてみた処で、自分の格式が上るものでもない。この一文を通じて先生方の文章の理解度の低さと、それにも増して大石寺法門に対する無理解さが、実に鮮明に画かれている。これが教学部長の口から闡明された喜びは百回川澄を連呼された以上の悦びである。
 こちらの信は本因の立場からいうもの、そちらの信心は本果からはみ出したあたりの語。宗教人として自らを責め、内容を豊かにするためにもっともっと勉強してもらいたい。それが修行である。僧侶が題目を唱えることを自慢すること自体笑うべきである。勉強して蓄えが豊かになれば、それは徳である。そこには無言の徳化がある。いくらドンチャン騒ぎをしても、それは徳につながるものではない。反って心を貧困にさせるまでゝある。無言で人を教化出来る徳の蓄積こそ、宗祖への報恩の第一歩である。
 書籍は積み重ねるだけが能ではない。問答のためには莫大な蓄積が必要である。方便・寿量を誦んで捨てよというのは、極意の処を取り出すためである。唱えた題目を捨てなければ一言摂尽の題目がないし、一言摂尽の題目がなければ成道もない。そのために捨てるのであって、問答の用意のために莫大なものを読んでも、未消化では反って混乱の因になるまでゝある。消化して新しく出発するところにその意義がある。これこそ嫡子分としての目師の管領するところである。それを法門として示されたのが、御伝土代の目師伝の最後の切り止め方である。それが飽くまで史伝書といゝ張るようではお話にならない。
 方便・寿量を読んですてることも、莫大な書籍を読むことも、やがては成道につながる一つ一つの登山道である。それくらいのことは不信の輩に指摘されるまでもなく、自解しておいてもおかしくない事である。それを注意されてもなお且つ反対する、その心根が哀れである。本は捨てるために読むということは上代からの考え方であり、法門の一分である。そして三千を一に収めるための作業でもある。一に収まれば徳となって、変幻自在の働きを示すことが出来る。
 本は読まなくてもよい、勉強もしなくてよい、信心だけがあればよいという考えの中に、今度の発言が行われたようである。それでは説得力がない。全く犬の遠吠えと同じであって、何等の恐威をも感じさせないことを、この発言は如実に示している。巧利的な自己満足的な考えというか、独善的な発想が勉強しなくてもよいという方角を選んだのであろう。それがやがて信心のみを強調するようになった。信者はそれでよいが、僧侶には蓄えが教化力につながることは前にも述べたとおりである。それがなければ指導に事欠くまでゝある。
 現状は悪い意味での蓄積が飽和状態を呼び起した結果の顕われではなかろうか。大村先生の信心の考え方など、最高の好例である。記憶にあるありったけの言語を引き並べての雑言、行儀の悪さは天下一品である。これこそ行体の一面であろう。天と地、天月と水月との違いであるが、水月に実の思いを馳せることは愚者の特権である。「かゝる邪義が通るならば大聖人の御法義は完全に崩壊し、日蓮正宗は潰滅」するとは、なかなかの透徹した見通し、敬服の至りと申し上げたい。何れが正か邪か、たゞ宗祖の御裁断を待つのみ。
 一、「教学部に一結して」。教学部に破折論文起草委員が一堂に集ってというつもりであろうが、あまり日本語の文章には見かけない使い方である。これでは意志が充分伝わりにくいのではないか。この程度で邪義を破折しても、どれだけその意とするところを伝えることが出来ようか、大いに疑問のあるところである。破折する前に、もっと文章の理解力を深めてもらいたい。文章を理解するためには、まず法門を知ることが先決である。そのためには十年二十年の年月が必要であることは、この不信の輩の経験である。半分にしても五年十年は必要である。
 長生きして得心のゆくような破折を受けたいものである。しばらく破折などというような事は考えずに、法門の研鑚一途に邁進することをお進めしたい。急いでは事を仕損じるということもある。十年の間、十人二十人の人が真剣にやれば、或は折伏の必要のない境界に至ることが出来るかもしれない。今後とも次々に宗学研鑽の基本になるものを出すつもりであるから、遠慮なく大いに利用してもらいたい。破折はしばらく棚上げすることを重ねて申し上げておく。
 折角良師に目見え、厳愛の義を具す法華を学しながら、しかも大らかな文底法門に身を委ね、どうしてこのような悲壮感を思わせる下司な言葉を並べるのであろうか。何としても理解し難いところである。十ケ年が程、みっちりと法門の勉強をした上で、改めて大らかに法論を戦わすことを提言する。阿部・大村両先生の処で既に結論が出ておるのだから、平僧の分際でこれを破ることは出来ぬだろうし、当方も阿部・大村御両人の結論を得ればこれ以上望む必要もないので、その暇があれば止暇断眠、更に時を費やして法門の研鑽をしてほしい。もし今度の大村発言の原稿作成者がいるなら、その人も仮面をぬいでやってもらいたい。覆面で悪口雑言を吐くような事は、賢人のとらざるところである。

   

 

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 仏道雑記(六)


目  録
 
ア  行
  
悪口雑言
  
安国論
  
一機一縁の本尊
  
一言摂尽の題目
  
一言多言
 
カ  行
  
観念文
  
観念論
  
鬼門
  
逆次の読み
  
客殿
  
客殿の座配
  
巧於難問答


はしがき
 最初からいえば一年十ヶ月、漸く阡陌陟記の時も終った処で、今度は少し方角をかえて、そこに使った語句について考え直すことにした。仏道寺の寺号に因んで仏道雑記と名付ける。世間でいうような高級な仏道には遥かに及ばないけれども、末法無戒の中にあって全くの無では救いがないので、この中から新らしく何程かの有を見い出してもらいたいというわけで、雑草のごとく、時がくれば消えてゆくことを承知の上で書き記すことにした。読み終って何か一つでも身に付けば光栄である。与えられたものを守るのではなく、最後成道は自分の手でというのが真実である。これを自力という。
 愚悪の凡夫とは雑草のような根強さをもっている。一度下種されたものは、決して消えることのない根強さである。春がくれば春草を生やし、夏がくれば夏草を生やす。みな聖人の所感である。ここに久遠下種を見るということか。悪の字に含まれている巧まざる根強さ、それが民衆の身上である。仏法もまたそのごとく、消そうとしても消すことのできない一念の強さをもっている。この一念とは己心の一念三千法門の一念である。自分の力でつかむもので、決して他から押しつけられるものではない。自力をもってつかむところに刹那成道の意義がある。
 正しい信心をしなさいと言われても具体的には示されていない。去年八月の御指南からも遂に正しい信心を見つけることはできなかった。雑草のごときこの雑記の文字の消え去った後に、ほんとうの正しい信心が浮ぶかも知れない。次の芽の生ぜんとして未だ芽ぶかざるところ、そこに正しい信心がある。成道も本尊も魂魄も、何れも皆そこを住処としておる。己心の法門の極談のところである。
この雑録は断片の極談の集積であるから、一項目だけとらえて、余は自分で拡大してもらってもよい。項目は異なっても内容は殆んど同じのようなことが多いから、適当に取捨してもらいたい。何れ最後には全部捨てなければ新らしい芽は生じない。捨てるための資料として使って戴きたい。いくら方便品を読んでも、捨てなければ寿量品には入れないし、寿量品を捨てなければ題目には入れないということである。その口唱の題目を捨てなければ一言の題目を手中にすることは出来ない。成道はこの一言摂尽の題目の処にあるというのが伝統の考え方であり、宗旨もまたここに建立されておる。ここに信を立てるとき、即時に自受用報身が出現するということで、信を立てるとは己心の法門を建立することである。信をもって根本とするとはこの事である。
 教の時は積み重ねることに意義があるが、法の場合はその積み重ねを捨てるところに功徳がある。学はいらないというのは法の上についていうことで、それを誤って教の上に考えているところに今の誤りがある。教と法との混乱である。時節の混乱というのもこのところである。若しこの愚草が、教法、因果の判別の助けとなるようなことがあれば、望外の幸いである。まずはこの愚草を縁として、第一には末寺の住職と信者の師弟相寄って是非正邪をきめて戴きたい。次には本山であるが、今は除外して後日に委ねたい。そして第三には己心中の本仏とは自分自身という事のようである。ここにも三重の秘密がある。つまりは一対一の師弟であって、三人四人同座する余地はない。ここに真実の成道があり、信の一字もまたこの一点に立てるべきであると思う。生来の頭のにぶさが文章の展開をはばんでいるようであるが、これだけは是非御勘弁願うこととして自序に替えることにする。昭和五十七年十月


 
ア  行
 悪口雑言
 昭和五十七年五月の支院長会議における大村発言も、思えば誠にお気の毒に堪えないところがある。四十余年の修行の程は、あの一瞬の言語によって全てを知ることが出来た。そして大石寺教学の深さも明らかにされたことは予想外の収穫であった。時空を超えた浦島太郎の海底における修行も、現在の土に帰った安心の中に一切の禁断を去った時、己心の世界は終末を迎えて一切空に帰し、煙と化した。大村さんの四十余年の修行も一瞬にして一切は煙霧と化した。大地の上行の修行も僅かな心の隙に乗じられた貌である。 
 竜樹菩薩の領する海底の法華を修行したであろう浦島太郎の譚は、法華の修行のむずかしさを表しているのかもしれない。この譚も己心の一念三千法門に近いように思われる。四十余年の修行も煙霧と化せば元のもくあみである。文の底の法華の修行のむずかしさは、今目前において如実に示された。とってもって修行の糧にすれば、即時に刹那成道も具現するであろう。自ら堕落の道をえらびながら、しかも末法修行の極意の処を示した勇気は実に見上げたものである。
 法華経によれば、悪口罵詈され、杖木瓦石をうけた不軽菩薩は正法故の打擲であった。宗門当局が声を大にして悪口雑言しているさまは、いかにも正法不信の故と受けとめざるを得ない。自ら正法放棄を宣伝しているのであろうか。仏は三世に亘って法華経を説くといわれる。今は大石寺と名付けて三世超過の法華経を説いている筈の大石寺であって見れば、文底はその身上である。その大石寺が宗門を挙げて悪口雑言に変身した事実を、どのように受けとめるべきか。昔も今も真実の攻め道具は悪口雑言に限るようである。何れが信か何れが不信か、考えさせるところがある。
 仏法は時を選定することから始まる。時を捨てては、折角海中にあって修行した浦島太郎も、玉手箱の蓋をあけては時が消え去って、一念三千法門も止りようがない。覚前の実仏ということもある。覚める前の実仏と覚めた後の実仏とは、自らその世界が違っている。覚前の実仏は玉手箱に収めながら現実の生活の中に共存せしめるところに刹那成道もあろうというものである。今回の雑言は玉手箱の蓋をあけたような感じである。己心の一念三千法門も一抹の煙霧と化して天に登ったかに見えた。詮ずるところ時のとり方のあやまりであろうか。
 玉手箱とは如来蔵であり秘密蔵である。ここらに考えさせられるものが山積みしているようである。修行の次第によっては竜王の頷下の玉も手にすることも出来る。しかしながら、天の青きと睫の近きはこれを見ずという。頷下の玉は自分の頷下にあるということかもしれない。その頷下の玉も一瞬紐をゆるめると即時に煙と化すかもしれない。
 求道の疲れをいやすためには、時に童心に帰ってお伽話でも考え直してみれば案外真実を見出だすことがあるかもしれない。童心というか幼稚というか、そこに基盤をおいて信を教えているのは案外お伽話なのかもしれない。その信とは壮年期の信ではなく、年をとって童心に立ち還った時に初めて表われる信である。長い流転の落ち付く先、それはいうまでもなく還滅の世界である。生活の疲れを癒してくれるのもこの世界である。お伽話が還滅に真実を見出だしたのも生活の知恵であろうか。悪口雑言にはどうみても還滅はありえない。このような処へどうして上行菩薩を迎えることが出来ようか。


 安国論
 安国という語は、国家を安んずるという意にとって、特に外相の一面のみが強くとり上げられ、折伏と一つになって、専ら他宗に対している面が強い。久遠成院日親も当時の日蓮宗の人達もそうであったし、国柱会もまた安国論や折伏を強くとり上げて他宗に対し、また世俗に対したようである。大石寺もまた明治以来国柱会理論を素直にうけ、殊に国立戒壇論については新しく解釈を加えて自宗のものとしている面が強い。それは今も続いて返って大きな災いの基になっているのではないかと思う。創価学会では折伏や国立戒旦は完全に表道具になって、遂に戒旦の建立というところまでいった。それが今の正本堂である。一寸勇み足というところであろう。
 明治の日蓮像は博多の浜の像が代表している。「我日本の柱とならん」の語と一つになった折伏日蓮は、宗の内外を問わず固定したものになっている。その様な中にあって、宗祖以来己心に法門を立ててきた大石寺が、一番にこれに同じた事は、何としても理解しにくいところである。明治という時期は法門については、のっぴきならぬ大転換の時期であった。内証から外相への転換である。しかも一旦薄らいだ内証の法門が、改めて外相において動きを始めた。そのために本来の法門とは似てもつかぬようなものになった。今の肉体本仏論など最も好い例である。
 法門一切について再検の時が逼っているようである。六巻抄に批難をかける向きもあるようではあるが、実は明治以来の解釈がそのような結果を招いたように思われる。文段抄を見た範囲では、折伏は内方へ向けられている感じが強い。六巻抄では本仏も、肉体本仏論については強く否定されている。それにも拘らず今の解釈は真反対に結果を急いでいるように見えるのは何故であろう。宗門当局が己心の法門を捨てろという程の御時勢のしからしめるところであろうか。何れにしても結果論である。立入って深くその根源を探る必要がある。
 古来安国論のみによって一宗建立或は存続という例は殆んど見当らない。後代の門弟が使う場合には、三秘建立以後の眼をもって見直す必要がある。佐前の安国論そのままでは宗旨の裏付けがない。それが内々では宗旨として動いているように見えるし、他宗門からもそのように受けとめられてきている。宗旨の押さえのなかったところに問題があったと思う。
 精師のとき三鳥派が現われ、後に堅樹派が出て一部は合流して居るようであるが、徳川幕府の続いている間は一応外部にあったが、明治以後は帰一して大石寺の信徒となって、その数からいっても主客が変ったように見える。最近は創価学会が外部にありながら強い力をもって宗門に臨んで来た。徳川明治と分れていたものが一になった感じである。そのような中で法門の解釈も大きく変貌し、逸脱していったようである。
 二百年以前の寛師の法門でさえ、今の宗門から探りあてることは困難な状態である。やはり再建の鍵は寛師の処にある。この鍵をもって上代を伺うのが唯一の方法ではないかと思われる。寛師は安国論を理解するに付いて、開目抄以後の己心の一念三千法門に直接関係あるもののみをもって文段抄を形成されている。註釈は方便であって、真実は逆次の読みの中で安国論を理解しようという意図がありありと見える。過去の経験から割り出されたものであろうが、後の解釈は真反対な方角に進んでいった。いきつく処までいった感じである。このような時、寛師の線に沿って今一度安国論を読み直してみてはどうであろう。そこには必らず救いがあるに違いない。所謂逆次の読みである。
 己心の法門から安国論を読めば折伏は内に摂受は外に、しかもその摂受は、内へ向けられた折伏によって、おのおの分相応に備わった徳によって行われるものである。二百年前に最良の方法を示されている。学も捨去することなく、徳を完成するための手段に使えばよい。とりかすは大いに捨てるべきである。逆次の結果が今の混乱を招いている。やはり読みの浅さということであろう。深い法門を浅く読む必要はさらさらない。
 己心から読めば国もまた仏国土となる。己心の法門以前のものとして読めば、その折伏と国とが合体して国立戒旦論にまで発展していくようなことにもなる。それでは、末法に戒旦が建立されて虎を市に放つような危険があることは、既に宗祖が警告を発せられている。市の方は知らないが、法門は大分餓虎に食いあらされたようである。今一度二百年前に立ち還って安国論を読み直すことが何より先決であろう。内にあれば独一であっても、己心を外れて外相に出れば独善となる。独善はやがてわが身に立還って災いを及ぼすことは、既に眼前の現実に付いて理解出来る筈である。前車の轍を繰り返すのは愚者のすることで、賢明なる宗門人のとるべき方法ではない。
 安国論の段階では、宗祖でさえ宗旨の建立は出来ていなかった程であるから、後人がここに一宗を建立することは以っての外である。若し出来ても、それは仏の爾前経のごときものであって、現当二世の衆生救済には遥かに縁遠いものであろう。今いわれておる肉体本仏論も、安国論の解釈の中から異状発生したのかもしれない。このような本仏論は、宗祖を讃めるといえども宗祖の心を死す様なものであって、いずれ遠からず泡沫のごとく消えさってゆくであろう。もっと根底のある本仏論を考えたほうが賢明なのではなかろうか。本仏論は一瞬の思い付きの中で生れるような浅薄なものであってはならない。


 一機一縁の本尊
 己心の一念三千法門の上に建立された滅後末法の本尊を、師弟結縁の印に与えられたものが、一機一縁の本尊であって、所謂直筆の本尊である。己心の本尊に対しては外相である。佐渡始顕の本尊とか本尊開顕とかいわれる語は内証本因に属するものではないかと思う。本因のところから一人々々の衆生に与えられたところは、どうしても本果である。戒旦の本尊も本来は本因内証の立場をとっているが、今の解釈では本果外相といわざるを得ない。実際の扱い方から見ても、本因の意味は失われているように見える。
 宗教は、出発当初は民衆宗教といっても日がたてば貴族仏教となる。教が先行すればやむを得ないことである。内証に始まったものが外相に向うのもまた止むを得ない。その内証とは法である。常にこの法が堅持されておればそのようなこともないがその妙法を持つことは至難の業である。此経難持という語は、内証まで持ちこんで理解すべきであろう。
 三人四人同座する勿れとは、法を持つのは師弟二人に限るということで、教は逆に数が多い方がよい。三人四人とは多数の意である。法を正しく持つには二人に限る。羲農の世とは師弟一ケの処にあるのかもしれない。師弟子の法門とは内証の意味を持っている。己心の法門で若し内証が弱まれば貴族仏教に変ってゆく。大石寺においても、民衆仏教というのは昔語りの中だけに残っているのみで、それほど内証の法門を持つことは至難の業である。
 天に上りゆく霧を地上に止めることは出来ないし、雨を大空に止めることもまた出来ない。これが流転の世界であるが、己心の法門では刹那を捉えるために、反ってこのようなことも可能になる。時が切りかえられるなら、不可能は即時に可能になる。大石寺はこの己心の法門に宗旨を建立しているが、現在は内証の法門は殆んど消えさって外相のみとなり、時々内証の法門が時を外れて外相に表われる。ここに独善の世界が開ける。これ全く時節の混乱をなす業である。
 一機一縁の本尊とは外相にあり、戒旦の本尊は内証本因の処に建立されており、宗門の内でもその真実は次第に薄れている。御宝蔵にあれば内証といえるが、御宝蔵から外に出て、これを内証の本尊ということは殆んど不可能である。


 一言摂尽の題目
 口唱本果の題目を一言に摂じ尽すという意味である。一言摂尽の題目とは久遠名字の妙法のことで、六巻抄では発端は、文の底に秘して沈めた一念三千の法門から始まり、第一の七義で久遠名字の妙法の名義をあげ、第五巻の最後に至って漸く一言摂尽の意義を明めている。五巻分の結語である。この一言摂尽の題目が、客殿において事に行ぜられる時、事行の南無妙法蓮華経といわれ、大聖人の魂魄ともいわれ、また戒旦の本尊ともなる師弟一ケの南無妙法蓮華経である。刹那成道とは師弟一ケの成道である。そして常に止まることを知らない本因の成道である。
 相伝には、処刑された熱原三烈士が唱えた最後の力強い題目といい、その題目が昇華して戒旦の本尊となったということであるが、立ち入って見れば同じことで、ただ表現の違いのみということのようである。最後というも数限りなく唱えた題目が最後ということになれば、唱えた題目はそのままであり、本果の題目となって戒旦の本尊につながらない。また六巻抄にわざわざ一言摂尽の題目といわれてみても、その意味がはっきりつかめないまま、其の真価を発揮することが出来なかった。どちらも戒旦の本尊につながらないまま、今は戒旦の本尊も本果扱いになっている。要は解釈の問題ではないかとおもう。相伝類を解釈する時、この一言摂尽の語は大いに参考にしなければならない。折角の相伝も解釈のつかないまま、反って敬遠されているものも多いように見える。大いに参考にして未解の部分を解明して日の目を見せてもらいたいと思う。
 方便品を読んで捨て、寿量品を読んで捨て、口唱本果の題目を捨てたところに一言摂尽の題目がある。読んで捨て唱えて捨てる、その捨てるところに修行があるように見える。他門では題目修行といえば唱えることであるが、そこに本因が家の修行との違い目がある。宗制宗規によって真蹟と定められた本尊は文底本因妙の意味を失ったように見える。
 紙幅の本尊は文上であり、それを板に摺りつけることによってその姿を移したところは文底である。摺形木は逆さ文字を彫るが、板本尊はこれとは逆に紙本尊から板に、しかも右文字をそのまま右文字に移している処に何かがありそうである。文底本因の一つの表わし方であろう。そして板本尊は、上代において宗祖・開山・有師に限られていた。そこにも何かがありそうである。板本尊には文底本因妙の行者という意味を含んでいるかもしれない。もっともっと深く探りを入れなければならない。
 真蹟と定めるのは、その内容について真実という意味のほうが濃い筈のものが文字について真蹟というように変っていったのではなかろうか。文字に示されたものが全部ということであれば、格別文底を名乗る必要もない。熱原三烈士の唱えた最後の題目といっても、人によっては色々な解釈がある。相伝というものは、文字を仮りて或る意味を表わすもので、そのままずばり書けば色々に受けとられ、次々に移動するものであるから、移動しないために文字の底が使われているのかもしれない。そして文底の意味は己心の上に理解することが最良の方法のようである。しかし、当時は極くありふれたことでも、時がたつに従って次第に忘れられた時、我見によって新解釈が付けられる。過去一年半を振り返って見る時、現実の問題として理解することが出来る。そして本仏もとうとう肉体本仏にまで行きついてしまった。最高の経験である。
 六巻抄のうち、五巻までも費して説かれた一言摂尽の題目も、今は殆んど忘れさられて、別なところから解釈が付けられているのが現在の戒旦の本尊である。己心の法門が消え、師弟子の法門が失われてくれば、戒旦の本尊の意義も変り、成道も変ってくるのは当然のことである。戒旦の本尊の解釈を永遠に狂わせないために作られた板本尊の意義が失われると、残るのは迷い許りということになる。それ程真実を伝えることはむずかしい。一言摂尽の題目は、久遠名字の妙法が次の行動に移らんとした気配を指しているところにあるのではないかと思う。


 一言多言
 昔、浄土宗で争われた一念多念の問題は、今一言多言となって眼前の大問題となっている。一念か三千か、三千か一念かということである。そこにはそのまま本因か本果かの問題がある。三千が一念に収まるのはものの順序であるが、一念が三千に開いてしかも一念を忘れた時には事が面倒になる。一言の意義が失われた後、多言に新義を取り付け、しかも一言の意義がそこに付けられてくるという形をとってくると異様な混乱を生じてくる。
 一言とは本因であり多言とは本果である。一言あっての多言であるのは大石寺法門の特徴である。逆次のたて方によるが故である。多言の題目は、一言に摂尽されて始めて修行ということが出来る。現世利益も一言摂尽の時は成道と同義であっても、現世利益となっては最早法門の領域ではない。
 主師までは一言であったものが、昌師以後は恐らく多言に変ったのではないかと思う。精師の時三鳥派が出たのも多言の虚を衝かれた感じである。その後、永師寛師によって一言に帰せしめられたが、明治以後異流義が大石寺に帰一したために、三鳥派もまた自然と信徒になった。その間に再び多言となって現在に至っている。寛師の考えは完全に崩れたようである。明治発展の基礎は専ら異流義の帰入によるものである。今は多言を名乗る者が正統派であって、一言の根本である己心の法門を称揚する者が狂学と言われる御時勢である。これは法門のアベコベである。
 今の課題は、如何にして一言の題目を取り返すかという一事に集約されるように思う。昔は時の法主が急先鋒であっただけに事はやり易かったが、今は全く状況が逆である。そこに色々の困難がひかえている。何とか宗門当局のお知恵を拝借したいところである。
 僧俗一致といっても多言の場合は本果であるが故にその間に優劣があるが、一言では、唱えればそのまま師弟一ケであり僧俗一致である。また法をいえば久遠名字の妙法であり、処をいえば本仏所住の処である。自受用報身如来は常にここを住処として、本法をもって慈悲を施されている。多言の題目を読んで捨てれば一言の題目となる。一言の題目は大石寺法門の根本であることを、改めて確認することが混乱鎮静の極意ということであろう。


 観念文
 観念文は口先きで唱えるものではなく、心中深く念ずるものである。六巻抄を一言にまとめた語である。この語をもって客殿で念ずれば、六巻抄を理解したと同じ威力を発揮するのではないかと思う。成仏には不可欠のもののようである。観念文は目に一丁字もないものに対する仏の慈悲なのかも知れない。例えば、三門をくぐればその中は本仏の領知する所で、参道を行くことは仏道を行じることになり、客殿に到れば既に準備完了ということになる。やはり慈悲の一分と解すべきであると思う。文底が家の慈悲は、このような貌で表されるのかもしれない。知ったものは慈悲と受取るであろうし、知らないものには決して押し付けがましいことはしないという表われであろう。そこに無差別の成道があろうというものである。
 今はその慈悲が次第に押し付けがましい方角に変りつつある。これでは末法の慈悲ということは出来ない。この観念文を唱えると、本尊は自ずと南西に向きをかえ、衆生は東北に向って成道の準備完了ということになる。南向きの本尊、北向きの衆生の貌は成道に関する限り、とられていない。成道は必らず丑寅に限るということになっている。南向きは迹仏の時に限るというのが大石寺古来の立て方のように見える。師弟一ケの成道は丑寅に限るということであろう。


 観念論
 宗内ではあまり聞きなれない語であるが、同じ宗門人では平僧から無相伝の輩ともいいかねて作り出された新造語であろうが、内容的には無相伝の輩と同じ意味であろう。独善的な匂いを多分に持っておるところは奇妙である。観念文に付いての論ならまだ救いがあるが、これでは無用の広学を披露したまでで、今の論議には全く関りのないことである。お気の毒という外はない。六巻抄では一回もお目にかかった事のない語、今度始めて宗門の学匠に依って使われたものであるが、明治以来そのような語が使われてもよい雰囲気は充分備わっていたようである。
 本仏を虚空に押し上げるのも、久遠元初を虚空に考えるのも、観念論的な雰囲気の所産と考えるのが近道のように思われる。自分達の心のどこかに内蔵されたものが噴出した感じである。文底の法門を外道で証明された程の驚きである。西洋哲学の影響は己心の法門を唱える大石寺には深刻なものがある。今の優秀な学匠も又同様ではなかろうか。宗門をあげて己心はおかしいというのは、偽らざる証明であろう。仏教哲学という語が出来たのもその頃であるが、今は仏法哲学という語も通用する御時勢である。隙をみて己心の法門を取り返すことを考えた方が賢明である。


 鬼 門
 前々から朝日門といわれていたものを、日達上人に申上げた処、早速鬼門と決められた記憶がある。朝日に向っているから朝日門と改名するよう、阿部さんに申上げる勇気のある人はいないのであろうか。一見東に向いているようではあるが、門の下の石畳のゆがみと、昔あった橋に至る間のゆがみを真直ぐに復原すれば、富士山を指している。法門の上からは正しく鬼門の方を指している。鬼面から見ても丑寅を指していることは明らかである。今、裏門といわれているのは裏鬼門を表わして表裏をなしている。若し朝日門というなら、裏門は夕日門というべきである。中へ向けば多宝富士大日蓮華山であり、外を見れば丑寅である。丑寅法門を立てている標識である。これを朝日門としたのでは、法門としての意義は全く失われてしまう。この鬼面のにらむ所丑寅法門の住処である。しかし朝日門と変っても、鬼面が降されていなかったのは、せめてもの救いであった。
 富士山から霊山に至る間には、今も成道の線が引かれている。大石寺を現世の霊山といわれてきたのも、多宝富士大日蓮華山大石寺についての得名である。逆次に読めば現世の富士山から過去の霊山へということであろう。この一線と交って有明寺から地下を通って御華水に出て明星池に止まり、それより東南に水が流れている。この水の絶えざるは日蓮が慈悲広大を表わすということである。流転とは、流れ転ずることである。それを不断と捉えたとき、この水が慈悲と名付けられている。不断の中心は明星池である。お華水から水は流入し、東南に向って常に流れているが、明星池は常に静止の状態にある。ここを還滅門とたて、そこに魂魄がうつり、本尊が出生することになっている。その明星池を主宰しているのが古僧・有師ということではなかろうか。


 逆次の読み
 経についてのみ逆次の読みがあるというわけではない。本果が順なら本因は逆であるし、文上が順なら文底は逆である。教相が順なら法門は逆であり、あらゆる大石寺法門は全て逆次になっている。順は右尊左卑であり逆は左尊右卑である。下化衆生が順なら上求菩提は逆である。上求菩提に法門を求めるのは順序であるが、宗教の立場から教化ということになれば下化衆生にならざるを得ない。この時本因にあるべき逆次の法門が忘れられると、つい下化衆生に根を下すことになり、遂に本果の形をとることになる。これが法門の狂いの根元になる。独一が独善にかわるのもこの時である。要は本因が確実に持たれていることが条件である。
 此経難持といわれるが、この文は文底法門について特にその感が強い。現在は教学が主というわけでないし、宗門側がそれ程教学が強いというわけでもないが、法門が消えたために教学が強いように見える中で、本果のみはがっちりと根を下したかに見えるが、本因から落ちると本果には止りにくい宿命がある。
 題目も一言摂尽の題目から始まって口唱の題目を唱えるなら一言摂尽の題目といえるが、現状は多言の題目の方が強そうである。題目もまた逆次に限る。逆次は一言、順次は多言である。しかも成道は一言摂尽の題目に限られている。それにも拘らず宗門は多言を取り上げていることは誠に不可解といわざるを得ない。


 客 殿
 衆生は大聖人のお客様であるとか、客殿は正式の対面所であるということがいい伝えられている。主師の本尊図の嫡子分・客座というのと全く同じである。主師の図がこのように言い伝えられたものであろう。嫡子分は主座に居り衆生は客座にある。そして師と弟子とで客殿が出来ている。客殿とは客座の衆生に名を得ているところは本因の表示である。師弟子の法門が事相に示された処である。これに対して御影堂は本果を表わし、本因の客殿に至って、やがて顕現する因果倶時の貌の一分を表わしているようである。
 因果倶時とは丑寅成道の姿であり、御宝蔵である。また御影堂を北山に置き変えると本果、大石寺は本因、富士山が因果倶時を表わすこともある。御影堂は在世を表わすが故に万年救護の本尊により、客殿は丑寅成道によって顕現される戒旦の本尊の故に滅後をとる。その本尊を納める処が御宝蔵である。この三堂一寺となって大石寺ということではなかろうか。
 此の三堂をとりまいて叡山の三塔九院を十二に納めて塔中十二ケ坊としているように思われる。このようなところに迹本の差別をつけているように見える。その上、十二ケ坊の主は開山門下ではあるが、後から見てこの人がと思われる人も何人か名前が見える。十二にしろ、その坊主にしろ現実とは関係無く己心の上に建立されたものである。随って塔の数が二十になっても呼称は塔中十二ケ坊であることに変りはない。明治になって何回か他の七山の長になろうとしたけれども、結局成功することもなく日蓮正宗として独立した。己心の法門を現実にかえそうとした処に無理があったのであろう。そういう夢は、今も間違いなく伝わっている。越洋という名もまたそのような背景を持っている。
 万年救護の本尊は文上本果であり、それを板に写し取れば文字通り文底である。文底という意味を表わすための方法として板本尊が使われたので、真偽の問題とは自ら別である。板本尊は、紙幅の本尊を文上とした時に文底であり本因であるものが、己心の法門が失われると現実のものとなって真偽が争われる。これは時節の混乱の故である。後代に至って保存のためとか、紙幅の本尊が痛んだためとか、或は威儀のためとかいわれるのとは、問題は自ら別なところにある。上代は、板本尊は宗祖・開山・有師に限られていた。そこには文底において共通する何物かが秘められているようである。
 また客殿の南半分は弟子分の座即ち客座であり、北半分が嫡子分の座であるが、実は南半分は六分であり、六・七の中間に猊座がある。六・七は直接ではないかもしれないが、開山入滅の日と関りがありそうである。十二・十三の半分六・七は開山の性格を表わしているものと思われる。そして猊座の向いている方角は成道の場を示している。本尊は南向き、衆生は北面であるが、成道は時の貫主の主導によって丑寅へ向いて成道する。これが刹那成道であり、本因成道である。本尊南面は本果の成道であるから、大石寺では古来これはとらないことになっている。御宝蔵の場合は丑寅成道であるが、正本堂となれば北面成道ということになり、大石寺法門によって説明することは困難である。現実のものとしてこれを裏付け証明することは更に困難である。これまた時節の混乱の故である。
 困難といえば、今の十二角堂(開山堂)などもその一例である。若杉の密林を背景に建てられた朱塗りの十二角堂は、誠に優雅そのものではあっても、幽邃という感じは全くない。昔は三師塔の奥にあったもので、塔中の墓地にも、奥まった処に小さな堂があって、三十五日の供養を終ってその堂に塔婆が納められるようになっていた。今のように三師塔や一般の墓地の前に十二角堂が進出したことは法門の上では絶対に証明出来ない。昔、寛師が六巻抄の草稿を焼かれた妙覚の前というのは、この十二角堂の事ではないかと思っておる。この中に納められている塔婆は、少し時代が下って一二の例外はあるけれども、大体三十五日の日付けが記されている。魂魄としておさまるものは客殿におさまっている筈である。その余のものがおさまる最も相応しい位置は三師塔の奥まった処ではなかろうか。それが墓地の前まで進出したということは誠に異様である。法門的には触れがたいものがある。法門を離れて現実世界に現れた混乱の一例である。進出という語は使ったけれども、おさまるべき処におさまっていない感じで寧ろ迷いといいたいところである。今、塔中の塔婆はどのような形で、どこにおさまっているのであろうか。一寸気掛りなものが残されている。
 客殿には嫡子分と客座の中間に猊座が設けられて丑寅の方角に向っており、丑寅の中間に勤行し成道する。これを刹那成道という。煩悩にみちみちた現世にあって、刹那に菩提世界を成じるところに客殿の意義がある。御本尊は客殿の奥深くましますということは、刹那に成じた師弟一ケの貌であり、これを大聖人の魂魄という。魂魄とは宗祖一人についていうのではない。大聖人というのも、師弟子の法門によって顕現された師弟一ケの魂魄の事である。
 「魂魄佐渡に至る」という魂魄は宗祖一人であるが、今は滅後に法門をたてるので師弟子の上に成じた魂魄をとる。佐渡流罪の時、波の彼方に浮んだ南無妙法蓮華経は宗祖一人の魂魄を表わしているが、大石寺の明星池に浮ぶ魂魄は客殿に現じた師弟一ケの魂魄に限られている。若し誤って宗祖一人と決めるときは、宗祖に付いては在世を取ることになるので、大石寺の魂魄を本因とする立場からいえば本果となる。随って法門も希望するせんに拘らず本果と現われることは必至である。今の考え方が全て本果のごとき貌をとっているのもそのためで、しかもその本果にあらず、外道的な雰囲気を多分に持っておる。そのために戒旦の本尊といいながら、色々な貌を現ずるような結果になる。本因にとれば一であるが、本果になれば三千に開く恐れは十分にある。今の混乱は本尊の解釈が多いための混乱ともいえるが、その根本は時節の混乱である。客殿のすがたをよく注視すれば、自ら解決の方法は見いだせる筈である。


 客殿の座配
 中央の本尊を、主師は譲座本尊といい、精師は御座替り本尊という。譲座の語には釈尊から上行、上行から日蓮ということも含めて歴代に無理なしに考えられるが、精師の御座替りには、前貫主から現貫主へという意味しか感ぜられない。主師の場合は法門という感じが強いが、精師には法門というものは一向に見当らない。主師の本因に対して一挙に世話という感じを受ける。一言の題目から多言に移った時が微妙に反映しているようにも見える。この一幅の本尊は明瞭に大石寺の隠居法門を表している。
 客殿における師弟成道の儀式を、別に隠居法門と名付けるということのようである。隠居法門は貴族仏教から民衆仏教へ移った証明であるし、仏教から仏法への転移のあかしである。流転門から還滅門へ移ったしるしでもあり、客殿の儀式が己心の法門である証明でもある。御座替りではそのようなものは、なにも見当らない。無意識の中に三百余年この語が使われていたことについては少なからず抵抗を感ぜざるを得ない。
 この本尊の中央の南無妙法蓮華経を日蓮体具の妙法という。宗祖己心所具の妙法であり、向って右が興師、隠居座、左が目師、嫡子分である。木像もこれと同じく左が目師(中央は宗祖)、右が興師であり、また左が猊座、右隠居座である。伝えられるように向って左が宗祖であれば、妙法蓮華経とは各別であり、己心の法門顕現以前のことであって見れば、宗祖を本仏ということは出来ない。また興師も現職中に隠居したことになるし、目師も三祖として法門の座には登場していない。これでは何の意味もない。色々と不都合が競り合っているまま、何の一貫性も見当らない。己心の法門を立てる大石寺客殿の意味は皆無であるところは、どこかが狂っているためであろう。これでは釈尊から上行への授受もはっきりしないし、上行から宗祖への授受は未だ行われていない。宗祖が中央の題目と一つになって始めて授受が終り、本仏誕生ということも出来る。
 向って左に宗祖の座がある間は未だ迹仏の世といわざるを得ない。木像一体にしても、法門の上から深重に決めるべきである。もし左が宗祖の木像ということになれば、客殿は右尊左卑となり、客殿の座配も早々に替えなければならない。勿論丑寅成道もなくなれば、戒旦の本尊も顕現しないし、大聖人の魂魄が生じるわけもない。一切の法門は空に帰することになる。これはもっての外の大混乱の出来ということになる。今までは法門の力が強かったために辛うじて過ぎてきたということであろう。
 譲座本尊の一つの大事は受持の秘められていることである。客殿へ参じるための御授戒では、持つや否や、持ち奉るということで弟子の頭上に妙法五字が出現することを示されておるところを見ると、客殿でも受持は重要な意味を持っている筈である。受ける側からいえばそれぞれに受持がある。釈尊以来の受持、宗祖以来の受持は、いうまでもなく久遠名字の妙法の受持であり、そこに丑寅成道もあろうというものである。さて向って左の木像には、現職としては三世超過の意と三祖一体を表わされているように思う。何れにしても三祖目師と解釈するのが最も当を得ていると思う。
 八品隆師の本門弘経抄(真蹟現存)には、大石寺が、曼荼羅を奉掲せず、中央に日蓮大士の像を祀っているのは謗法中の大謗法だというような事を記しているが、これは有師と同時代の記録であり、当時は中央に宗祖向って右に開山左に目師という貌は出来上っていたのではないかと思う。その後今のような貌となり、それとは関係なく左尊右卑ということで目師の処を宗祖左尊とした。左尊右卑の考え方が法門と離れ、真意不明のまま、向って左を宗祖、右を開山とした結果であろう。
 蓮興目の場合は流転門、蓮目興は還滅門として左尊右卑となり、中央宗祖、向って左目師、右興師となり、法門としてはこの次第により、法臈次第は蓮興目の次第によっているものと思われる。これは寧ろ本果のように見えるが、本因は蓮目興が正しいようである。中央に宗祖を認めないというのは、勇み足というにはあまりにも足跡が大きすぎる。真実が消えて新しく解釈を付けた時の恐ろしさの見本である。向かって左に宗祖がいては、最早や法門の領域では何とも解釈の付けようもないところである。現在この様な解釈の誤りは宗内の随所に充ち溢れている。本因が消え還滅門が失われ、しかもそれが何かの為に再現された時歩むべき宿命の道のように思われる。


 巧於難問答
 この難問を解釈するためには、不断の行と学とが必要なことはいうまでもないが、これは目師の領知して今に伝えられる建前になっている。大村教学部長が「古来史伝書」といい張っている道師の目師伝に明らかである。「古来」といっても史伝書といわれたのは正宗聖典であると思われるが、古来というにはあまりにも近すぎる。
 御伝土代・御伝草案の二語をもって前後はくくられていて、これを草稿と読むにはいささか抵抗がある。若しも草稿ならば尾題の必要はなかったと思う。この語によって、この一巻が完成していることを示されていると解してはどうであろう。未完成の完成、本因の法門書の一つの表現方法として御伝土代・御伝草案の語を使われたので、これを今の感覚をもって草稿と読むのは、少し浅識が過ぎはしないか。六百年の空間を再現して読み直す必要がある。
 行学絶えなば仏法あるべからずが目師伝の中に再現されている。巧於難問答のためには不断の学が不可欠であるし、これを捨てなければ難問を巧みにさばくことは出来ない。捨てるための行と学とを説かれているものと解したい。ささやかな質問に答が返ってこないのは、巧於難問答の行者とはいえない。学は広い方がよい。それを捨てることによって深さが備わるというものである。いかに消化するかが勝敗を決するところで要は深さである。いくら引用文を巧みに集めても、未消化では何の威力にもならない。不断の学は自らの徳を養うことにもなり、その徳はやがて無言の折伏となり、無言の教化ともなる。「境界が違う」だけでは一向に教化にはならない。宗祖が高い処からそのような語を発せられたことは未だ聞いたことがない。師弟同座が宗義の根本であると思うが、そこには深く蓄えられた徳が多ければ多い程、座を低める事が出来る筈である。

   

 

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 仏道雑記(七)


 目 録 (カ 行)
 
久遠元初の自受用報身
 
久遠元初と実成
 
久遠即末法
 
久遠名字の妙法
 
久成の定恵
 
口唱の題目
 
化儀抄
 
下化衆生(上求菩提)
 
外相
 
仮諦読み
 
血脉相承
 
還滅門
 
互為主伴
 
広宣流布
 
虚空為座
 
国立戒旦
 
五字七字の妙法
 
去年の暦


 久遠元初の自受用報身
 今の阿部さんは何を感違いしてか肉体本仏論を唱えているが、寛師は久遠元初の自受用身とは蓮祖聖人の御事なりといわれており、宗祖の肉体が本仏でない事は、別に項目を設けて説かれている。一度氣を静めて六巻抄を読むことをお進めしたい。この語は、師弟一ケの己心の法門の上に成じておるもので、師弟の上に成じた処の客殿の中に充満する魂魄の別名である。今の解釈のように宗祖の肉体そのものでもなければ宗祖一個人のものでもない。今、宗門が捨てろという己心の一念三千法門の上にのみ成じるものである。
 心も同じだから心にしろといわれても、それは迹仏の世界であって、大石寺法門とは境界が違う。天台理の一念三千でも、心の処にある筈もあるまい。少し大石寺法門を勉強してもらいたい。他宗を邪と定める前に、正とは何かということを学した方が賢明である。これがものの順序というものである。
 生きながら即時に煩悩を出離し、菩提を成じた処にのみ生じるのが自受用報身如来である。出離とは、三災を離れ四劫を出でたる境界に到ることを意味する。そして刹那に仏と同じ境界に到ることが出来る。その処を常住の寂光土という。大石寺を現世の寂光土というのも、刹那の謂である。生きながら己心の法門の上に未来を成ずるところは煩悩即菩提である。現世利益もまたここにある。これを即身成仏という。真実に死んだ後の即身成仏は大石寺法門にはない。
 法門の上でいう即身成仏は刹那成道に限る。今は生きての成道から死後の成道へと、殆んど他宗と区別のつかない処に移っているようである。現世利益(りやく)とは即身成仏と同じ意味合いで、受持の一行によってのみ成じるもので、未来成道が抜けたとき現世利益(りえき)に堕すが、これは最早大石寺法門の領域ではない。今の阿部さんの苦悩も、このあたりに深い根差しがある。まずは現世利益について考え直す必要がある。
 未来を取り返さなければ現世利益の世は来ない。未来を持たないものは宗教としては失格であって、所謂俗信と区別することは出来ない。現当二世とは、現とは過現未を受持した上の現で、己心の法門の上にあるべきもの、万円札の乱舞する現世ではない。当とは弥勒の世であって、これを現世に迎えたところ黄金渦巻く世界であるが、何れも己心の法門の上の話である。それを現世に持ちこんでは破滅必至である。これは法門の側からいうことである。そこには法門の上の節操がある。
 己心の法門を捨てよと言っているが、本仏や本尊等都合の好い法門だけは捨てたくないでは、あまりにも虫が好すぎる。宗門が、己心の法門だけは捨てたくない、金や権力だけは捨てよということであれば、こちらも無条件で賛成するが、今は次第に夢の世界は終りつつあるというのが現実の姿のようである。夢よ永遠にというのは凡俗の浅ましさである。万円札の乱舞する現と流転門の現と弥勒当来の還滅門の現と、この三現一実となって万円札の現が現われている。法門はそれを真向から否定する還滅門に建立されている。法門の監視は次第に厳しさを増しているというのが現実のように思われる。
 お会式では宗祖が滅不滅を成じるといわれている。流転の滅をふまえて還滅の不滅を成じる。滅は悲しく不滅は喜ばしい。所謂悲喜交々という中で喜に至って目出度しということである。この身を自受用報身如来という。常時には丑寅成道という師弟一ケの成道であり、師弟ともに仏道を成じた姿の謂である。師一人が滅不滅を成じたと思うのは早計である。滅不滅とは滅にもあらず不滅にもあらざる境界、即ち丑寅の中間である。暗終って明未だ動かざるところ、ここに民衆の成道がある。
 仏には樹下の成道と滅後涅槃の成道があるが、大石寺法門ではこれを一つにして、生きながら死を迎えて成道する、これが刹那成道であるが、宗門あげて己心の法門を否定しているようでは、刹那成道や即身成仏があるとは思えない。これは容易ならぬ大問題である。久遠元初の自受用報身如来も出番がない。これでは大石寺法門が成り立つわけもない。追い立てられてつい本心が出たというか、無教学、無法門、無節操の至り、全く弁解の余地はないと思う。
 今の肉身本仏論に至っては、自ら宗教界を離脱したことを表明したようなものであって、時節の混乱という以外、いいようもないところである。己心を忘れ本因を捨てた為に、還滅門にあるべきものが、一挙に外道に飛び出した感じである。そこには受持もなければ未来もない。我心のみの世界といいたいところである。僅かな解釈の誤りは、やがて衆生の成道を奪うことにもなりかねない。一語々々を今少し深重に扱ってもらいたい。


 久遠元初と実成
 元初は還滅門、実成は流転門、本法・本門と垂迹・迹門、元初は己心にあるが故に時空を超え、実成は五百塵点をこつこつと経上ってゆく応仏昇進の仏の領域である。その迹仏世界の受持によって元初己心の世界は成り立っており、自受用報身もそこを住処としておる。百尺の竿頭一歩を進めるという語があるが、百尺竿頭までは手足をもってたしかめながら登ってゆけても、次の一歩は同じ方法では行けない。しかし時の切替えがあれば道の必要はない。大阪から東京までは新幹線で行けても、越洋するためには航空機なり船舶による以外に名案がない。もしありとすれば己心の越洋である。正宗要義の元初の解釈は新幹線に乗って海上を突走っているごとしとでもいうべきか。越洋どころの騒ぎではない。
 五百塵点はどれ程延長しても五百塵点を一歩も出るものではない。もし延長線上に元初を求めるなら、いつまでたっても己心に摂することは出来ないし、本仏の出現もあり得ない。結局は虚空住在ということになり、仏にもあらず本仏にもあらずということになり、遂には肉体本仏論ということにもなる。元初は本因、実成は本果にあるが、そのような説の中では、大石寺法門の本因は一切成り立たない。まず時空を断つことが必要である。断った後の連絡を受け持つのが受持である。若し断ち切ることが出来なければ、大石寺の一切衆生は永遠に成道の道を閉ぢられることになる。
 正宗要義説のようであれば、一言摂尽の題目など思いもよらぬこと、いくら題目に精根を尽しても、成道とは凡そ縁遠い修行である。題目は一言に摂尽された処に己心の世界がある。そこから立ち還って見たとき、口唱の題目は初めて本因修行ということになる。口唱本果の題目を捨て、速かに一言摂尽の題目によって成仏を期してもらいたいものである。


 久遠即末法
 久遠に即して末法といえば、久遠も末法も共に迹仏世界のものと思われるけれども、実には久遠元初に即して滅後末法と解すべきである。応仏在世の末法を取れば久遠もまた実成となる。久遠を元初に取れば、末法は即時に滅後となり、己心の一念三千法門の世界が展開する。何をおいても真先に時を定めることが肝要である。時さえきまれば自ら成道の道も開けようというものである。久遠元初というも滅後末法というも、己心の法門であることに変りはない。時空のわずらわしさを断ち切った境界である。若し誤って久遠実成の延長線上に末法を取れば、滅後末法にはほど遠く、成道や現世利益とは全く無縁になりきってしまう筈である。
 いくら声を大にして己心を捨てろといわれてみても、中々捨てきれないところが妙である。自分は捨てているからお前達も捨てろ、この異流義めがといわれても、己心の法門を立てるやつは狂学者だといわれても、そう簡単に捨てるわけにはゆかない。おどしやすかしで左右されるのは真実の己心の法門ではない。この強情さが実は独一本門の最高最尊の身上である。一言摂尽の題目は好んでこのような境界にその真価を発揮するものである。久遠即末法とは、刹那成道や本仏、或は本尊を取りまく周辺の雰囲気を指しているというべきか。


 久遠名字の妙法
 三重秘伝抄第七義の終りに、久遠名字の妙法とはその体いかん。答う、当体抄勘文抄等往いてこれを勘うべし云云、とあり、第五に至って両抄の文が示されている。当体義抄の当体とは久遠名字の妙法であることは明らかである。当体・勘文両抄は久遠名字の妙法を明らめるための抄で、その方法が六巻抄には詳細にされている。つづめてしまえば一言の妙法であっても、委しくすれば六巻抄程のものが必要であるから、六巻抄を見られたい。これも御書の解釈の方法の一つである。
 一々文々の解釈と違って、ある一点をとりあげるやり方は、法門に限るのかもしれない。近頃の引用文の扱い方とは大分違う。当体・勘文両抄に内蔵された久遠名字の妙法に己心の法門の極意を見られているようである。真偽とは全く別箇なところに真実を見出だしている。そしてこれをもって開目抄・本尊抄・撰時抄・報恩抄等の御書を委しくされている。その点当体義抄等には未完成という一面があるし、それだけに本因の面が強く感じられる。数多く引用文を集めるのは本果流であって、法門穿鑿にはそれほど必要でないし、反って危険な場合の方が多い。それよりか寛師のこの方法を学んで深く求める方が賢明である。これこそ文底が家のとるべき逆次の方法であると思う。
 久遠名字の妙法とは、己心の法門の上に建立された一言摂尽の題目と全く同じものであろう。本仏も本尊も一切の法門も、全べてこの妙法に含まれている。師弟一箇のところに成じるもので、別に五字七字の妙法といわれる。五字とは上行の法、七字とは不軽の行、この法行二人によって中央の題目は出来ておる。そのもとをとれば久遠名字の妙法である。六巻抄全体、この久遠名字の妙法の最も懇切な解説書であると思う。


 久成の定恵
 久成とは久遠実成であるから、大石寺法門から見れば迹門である。久成の定恵既に出現しぬ、本門の戒旦あにたたざらんやというとき、この本門を久成とするか、また三学のうち戒のみを戒旦として文底本門と見るかといえば、久成の本門と見るのが順序であろう。
 己心独一本門に建立される戒旦には建造物は不要である。世界一の宗教建造物ということで、内々国立戒旦の意をもって建造された正本堂は、末法の戒旦としては甚だ不合理である。末法に入って戒旦を建立することは虎を市に放つごとしといわれた語との会通は不可能であろうし、己心の戒旦としては建築物が容れられる筈もない。何れの末法にしても会通することは困難である。そのような戒旦では、在滅何れの末法に配することも出来ない。仏法にもあらず、仏教にもあらずとすれば、外道の中に建立する以外に方法はあるまい。
 三大秘法抄によって戒旦を建立すれば、本尊抄等の己心の戒旦は捨てなければならない。文永建治の間に出来た御書を捨てて、三大秘法抄を取り上げることは出来ないであろう。この三大秘法抄を解釈するについて、実は本門心底抄の働きが大きかったように思われる。三位日順の著となっているこの抄には八品日隆著の本門弘経抄の「寸尺高下注記する能わず」等の文と殆んど全同に近い文がある。隆師といえば有師と同時代であるが、文章全体の調子からいえば、大分時代が下るような感じである。もともと大石寺には関係なく、むしろ北山本門寺と学頭坊遺跡との争いの中で謀作された辺が強い。北山本門寺内での本家争いの中に出来たものを、大石寺がそっくり戴いたところに問題がある。しかし現実にはこの抄をもって三大秘法抄を解釈する依拠とし、文字をそのままに外相に解釈したところに根本の誤りがあった。
 戒旦を己心に建立すべきか己心を捨てて建立すべきか、その辺の見境いがついていなかったのが混乱の原因である。今も本尊抄に依るか三大秘法抄によるか、戒旦建立については未解決のまま持ち越されている。三大秘法抄を己心の上に解釈し直さなければ解決の時はないと思う。三大秘法の語は己心の外にはありえない。若し外に出れば顕法であって、秘法の意味は消失する。その秘法の意味は蔵の一字の中に内含されて来た。今は三大秘法抄の解釈につれて秘法も次第に顕法に替りつつあるように見える。秘法が顕法になれば、虎を市に放ったごとき混乱が来ることは、宗祖の予言を待つまでもないことである。
 法門は人の固執如何に関わらず、真直ぐに進んでいるようである。戒旦建立について、史料として二ケ相承も使われていたように記憶する。六月号だったか、大日蓮に尾林論文の三大秘法抄にある「戒旦・戒法」の戒法であるが、これはその意味合いからして戒旦の法の法ではない。むしろ伝戒の法の法であろう。念のため依義判文抄の発端のあたりを読めば了解出来ると思う。伝戒の法とは師弟子の法門である。この法をもって戒旦を修飾するのは学匠としてはどうかと思う。
 二ケ相承のこの語は、滅後に関わるものから出ていることに留意しなければならない。若し己心にこれを受けとめるなら、それは滅後であり、富士山の頂上に戒旦をたてるまでもなく、多宝富士大日蓮華山に建立ずみである。まず時を明確にすべきである。尾林論文の様に戒旦・戒法となれば四大秘法である。戒法そのものを明確にすることが先決である。戒法は三大秘法とは別箇なものであることに留意すべきである。三大秘法抄や二ケ相承は外相一辺で解釈すれば、必らず災いはわが身に立ち還るようなものを持っているように思われる。もう一度内証の法門として見直し、考え直す必要に迫られているのではなかろうか。
 久成の定恵既に出現しぬはどうみても文上であるが、本門の戒旦と出たところを文底として、久成の定恵を文底と切れ替えれば戒定恵となって己心の法門となる。そうなれば本門心底抄も三大秘法抄も依拠とすることも可能である。現文のままで文底の文証とすることは、今のように戒旦が文上に出るのは止むを得ないことである。何か一工夫する知恵はないものか、学匠の知恵を期待したいものである。


 口唱の題目
 同じく題目を唱えていても、宗々によって色々と内容が異っている。宗門によって、題目は数を上げさえすれば成道出来るというたて方の所ではそれでよいが、大石寺では数をあげた題目を一言に摂尽しなければ成道出来ないという厳しい約束がある。己心の法門による故である。六巻抄第一から第五に至るまでは一言摂尽の題目を説かれたもの、第六はその一言摂尽の題目を開いて三祖一体とし、更に戒旦の本尊と展開する直前で筆を止めてあるのではないかとも考えられる。
 口では三祖一体といわれるけれども、客殿の向って左に宗祖の木像が居る範囲では、眼で三祖一体をたしかめるもはどこにもないというのが実状である。現在は空文化している三祖一体、誠にさびしい限りである。中央に宗祖が在ってこそ三祖一体であるが、向って左が宗祖であれば宗開両祖は別体であり、目師は一格下って別体となる。この一事を見ても向って左が宗祖でないことは明らかである。
 この三祖一体のところが一言摂尽の題目であり、久遠名字の妙法であり、自受用報身如来でもある。多言の題目のままではそこまで到達する事は不可能であろう。三祖一体とは己心の法門の上に建立されているものであって、そこに時節の転換がある。これをまた本因の題目という。本因妙の行者日蓮というのも、ここのところを指していう語である。
 多言の題目はそのままでは本果の領域に属するもので、一応己心の外にある。そこで方便品を誦んで捨て、寿量品を誦んで捨て、口唱の題目を誦んで捨てたその功徳によって始めて本因の題目ということが出来る。この本因の題目から立ち還ったとき、本果口唱の題目は始めて修行ということが出来る。経上ってゆくところを題目修行ということは、大石寺法門の取らざるところである。それにも関らず、今は宗門あげて口唱の題目、多言の題目全盛の時代である。
 題目が多言であることは本尊もまた解釈が多様になることは尤もなことである。本尊を一にするためには、まず題目を一にすることは至極当り前もことである。他門でいう朝日森であげた題目でさえ、一言高らかに上げたという印象を強く受ける程である。一言の題目にこそ、今の混乱を静める秘曲があるように思われる。口唱の題目も、そのままであれば本果であるし、最後に一言となれば本因の題目となる。まとまれば久遠名字の妙法であっても、多言に終れば成仏の種となることは出来ない。本来は衆生一人々々が決めることではないが、宗門が口唱本果の題目にある時には、自分のことは自分でするのが賢明な方法ということであろう。
 一言と多言は古来の争いであり、大石寺においても主師は一言、昌師以後は多言に変っているのではないかと思う。精師は三鳥派にその虚を突かれた感じである。後の堅樹派には身延の僧も同志のようである。寛師は百年続いた多言の題目を一言に摂める所に力を集中されている。しかしこれらの両派は、外部にありながら何程かの関係を保って来たが、明治御一新と同時に宗門に帰一した。これが大勢を占めるに従って、次第に題目もまた多言に替っていったまま現在に至っているように思われる。余程心を引きしめない限り、題目は多言になりやすいものを持っておるということであろう。
 多言か一言か、昔も今も同じような争いが続いている。今の宗門では一言への復帰を叫ぶものを異流義といい狂学という御時勢である。全くアベコベである。浄土宗の一念多念は、多念から一念に収まってゆくものであったが、今の宗門では一言から多言に開いておる。そこに本質的に本因から本果に至る内容を持っておる。それだけに厄介である。現場では、本因は常に忘れられやすい弱点を持っておる。これを押えるところに本因修行がある。受持というのもこの意味を持っているように見える。
 釈尊本果の修行を本因と受けとめるところに受持の修行がある。受持の一行とは本因修行とうけとめることが出来る。今その意味の受持が果してあるであろうか。消えれば本果に移るのも止むを得ない事かもしれない。凡情が強ければ強い程一言は多言に替りやすいし、本仏は虚空に強く押し上げられるであろう。世間は、尊貴であるから虚空へ上げたがるし、法門は、尊貴であるから大地の底を住処としておるということである。


 化儀抄
 化儀抄はもと無題で、「日有仰曰」に始まっており、化儀抄の名は明治大正の頃に付けられたのではないかと思われる。外相にとって化儀抄と付けられたものであろうが、強いてつけるなら化法抄の方が相応しいようにも思われる。元のごとく「日有仰曰」なら有師がそのまま感ぜられる。仰曰ならば化儀化法両面を含んでいるし、そのまま有師の両面に触れられる感じがある。化法は内証のごとく化儀は外相のごとく、化儀の面が強くなれば下化衆生的になり、内証の一面が薄らいでくるが、日有仰曰であればどうしても本因よりになって、少しでも本仏や本法が探りやすくなるように思われる。
 表にあらわれた化儀を通して、その依って来たる処の本法を探る方法はないものであろうか。法門書として捉えることが出来れば、その頃の空白をうづめることも出来るし、六巻抄へのつながりもつかめるであろう。一挙に内証にはいれる名案はないものであろうか。ただ化儀の抄としてのみ見るには、あまりにも気掛りなように思われてならない。


 下化衆生(上求菩提)
 仏の側から下化衆生といい、衆生の側から上求菩提という。高座説法とはいっても、本来師弟同座しているのが民衆仏教のたて前であるから、無差別の中に差別を立てているだけである筈である。それが反って極端な差別を立ててくるから不思議である。そうなれば最早民衆仏教ではない。無であるべきものが有に変じ、有差別の中の有差別という姿をとっているのが現状である。無差別の中に有差別を見るのは民衆仏教の美徳である。そして師弟ともに仏道を成ぜんということになれば、いうまでもなく師弟ともに上求菩提ということになる。その上とは己心の一念三千の上のことである。
 宗祖を上げすぎるのもよくないし、自ら上がりすぎるのもあまり見上げたものではない。宗祖をあげすぎて肉体本仏ということになれば、反って宗祖の心を死(ころ)すことになる。少くともこのような考え方は、己心の一念三千法門からは出てこない。どうしてこのような論が起るのか、子細にその出生を究める必要があると思う。宗祖を異様に上げておいて、その間隙に乗じて、お前達とは境界が違うということになれば、師弟ともどもの上求菩提は全く消え去るであろう。


 外 相
 内証に対しては外用とするのかもしれないが、自分では相貌・形貌と同じ使い方をしておる。相・形は目をもって判別出来る相(すがた)形(かたち)であり、貌は心をもって判じることの出来る時に使われる。しかし本尊の相貌という時の相は貌の意味であるし、自受用身の身は貌の意味に使われている。久遠名字の妙法の体・心に対して身と使われるので、身心ともに貌に属している。若し誤って身を相形にとれば、やがて肉体本仏論にまで発展する恐れが充分にある。本尊の相貌の相を重点的にとれば、書写された本尊についてのことになり、貌にとれば書写以前の本尊、即ち形を表わす以前のものとなる。前は本果であり、後は本因を表わす。
 師弟一ケの処に成じた刹那成道のときの本尊は本因であり、戒旦の本尊として相を表わせば本果ということになる。本因の中での本因本果である。この本因が忘れられるとき、その本果の本尊から新らしい発展が始まる。今の宗門では、この本因の本尊は殆んど忘れ去られようとしているように思われる。そうなれば、本果と表わされた本尊の証明・説明はいよいよ困難となり、自然に新らしい解釈が付けられるようになる。常に原点を正しく把握しておくことが肝要である。


 仮諦読み
 天台には空諦・仮諦・中諦の三種のよみがあるが大石寺では仮諦読みをとっている。空諦読みの場合は釈尊が主となり、仮諦読みの場合は民衆が強く打ち出されることになる。「上行等の四菩薩の脇士となるべし」は仮諦読みであるが、のが省かれると空諦読みとなる。のを入れてよむのは古来大石寺の読み方で、曾谷殿御書の釈尊が上行に世を譲って隠居された意と同じであるが、のを省くと曾谷殿御書の意を無視しなければならない。
 釈尊が譲座し上行が当主になれば、法体は妙法五字であるが、それが出来ないところに四十五字の法体も出てくる必要がある。終始己心の上に説かれた法門が、最後に釈尊不譲座のためにその真実が発揮されず、上行所伝の妙法五字が陰に隠されたために四十五字をもって法体としたのではなかろうか。これでは本尊抄の意を尽したとは言えないであろう。この四十五字の法体は久成の釈尊の法体であるから、民衆仏教には程遠いところがある。四十五字が本尊になるためには少々巨離があるようで、折角説き出された己心の法門も、上行所伝の妙法五字も単なる理の法門に終った感じである。その点大石寺とは根本的にたて方が違っている。
 報恩抄のの字と撰時抄の時と、曾谷殿御書の釈尊の隠居と、この三をもって逆次に本尊抄を読めば、妙法五字は上行所伝のものとしてその真実を発揮出来るし、本尊となる力も出てくる。客殿の譲座本尊も釈尊から上行への譲座を、まず考えなければならない。それでないと左尊右卑とはいえない。
 阿部さんはこの四十五字の法体には少なからず興味を持っていられるが、反って本尊の解釈の混乱を招く原因になっているように見える。四十五字の法体を捨てて、速かに妙法五字に帰一することを提言したい。そのためにの字を確認してもらいたい。「四十五字の法体」をもって大石寺のとなえる上行菩薩につなげることは出来ない相談である。他門では上行出現の直前で釈尊に切りかえられるし、大石寺では上行から戒旦の本尊に替るところは確認されていない。今確認されているのは眼でたしかめられる戒旦の板本尊であって、師弟一ケの上に成じた本因の本尊については未確認のようである。どちらも上行出現のところは避けようとしているのであろうか。しかも阿部さんが四十五字の法体について得々と語るのは、いかにも解し難いところである。上行の出現を確認しなければ衆生の成道も空振りに終らなければならないであろう。


 血脉相承
 血脉は諸人平等に相承けて持っておるものを、聖人(久遠元初の自受用報身)から承けたという貌をとっている。己心の上にいわれることである。従って、そこには既に師弟一ケの相承も成じている。ここのところを内証仏法血脉というのではなかろうか。それに対して今の血脉は、前貫主と次の貫主との間の師弟の相承であり、外相の相承に近いところがある。内証では「一人の法主」を中心に考えられておるので、一人の信者でもあれば血脉が絶えたとはいわれない。しかし外相一辺になれば、時に切れるのも至極当り前の事である。それが切れることなく金口嫡々が続いているといえるのは、実は内証の事であるにも関らず、内証では殆んど消滅しているのが現状である。久保川師のいう地下の一系はこの相承を指しておる筈である。
 宗門では外相に出た歴代の相承に内証を当てはめているところに無理がある。外相の相承を内証の辺をもって解釈すれば切れていないということは出来るが、これは法門の大勢が内証におかれていることが条件になるので、現状では出来ない相談である。本因が忘れられて本果に相承が移った今ではどうしても無理がある。
 明治になって貫主が法主になると更に状況が変ってくるが、「法主一人」の外相が次々に時の貫主として出現しているのが元の意味であると、貫主が法主ということになれば、「一人の法主」を乗りこえるような貌で法主本仏論が出てくる。その法主本仏とは、本来「一人の法主」を指している筈のものが、微妙に変化して来たもので、あくまで法門とは関りのない話である。
 自分が受けていなければ、大石寺の相承が切れる、だから自分が承けたことを承知せよとは論理の飛躍である。たとえ三年飛んでも内証の相承は一向に切れていない筈である。この様な考えは、阿部さんが外相一辺の相承にのみ執している証拠であり、このような考えが根底にある限り、家中抄をもって他門から責められては、返事は出来ないであろう。
 家中抄は史実の上に記述されたもので、切れた処は切れたようになっておるが、御伝土代は内証の辺に立っておるので、未来際に及ぶまで御相承は切れていないと受けとめざるを得ない。そこに史伝書でない証拠がある。これを史伝書と読んでは相承の難問の解決は覚束ない。教学部長も大いに眼をひらくべきである。


 還滅門
 還滅門とは上行左尊右卑の処を指し、流転門とは釈尊右尊左卑のところをいう。去年夏の御指南の流転還滅は文上の所談であって、文底己心の法門に対しては一向破責には当らない。文底己心の法門とは宗祖一代の御書に示されたものを逆次に読んで一語に表わしたもので、一言の妙旨に必敵するものと確信しておる。逆次に読まなければ時節の混乱を防ぎきれないために此のような語を使っておる。
 御書の一文がばらばらに使われると時節をはずれる恐れがある。それでは教相面には強いかもしれないが、法門には非常に弱い面が避けられない。饒舌は反って災の種となることを知っておくべきである。いくら引用文を竝べて見ても、時をもって統一されなければ災の種になることを警戒してもらいたい。勝敗は引用文の多寡ではない。文上初心の語をもって文底極意の処をあらわすのは法門の常談である。
 他門の辞書には大石寺法門の解説まではしていない。これをそのまま自宗のものとして受けとめるのは浅識謗法である。せめて血脉観位ははっきりと己心の法門の上に確認しておくことは目下の急務である。そうかといって血脉観だけを切り離すわけにもゆくまい。やはり全体を一糸も乱さず己心の法門に統一しなければならない。これが今宗門に与えた最大の課題ということであろう。


 互為主伴
 難解の語をもって威張れば自分が偉いと思えるのは法門錯誤である。人の力を自分のものと思い誤って威張る程浅間しいものはない。己心の法門とは凡そ縁遠いものである。世間では師は上座にあり弟子は下座に居るのは常のことであるが、法門では師弟は常に同座しているのが原則である。そして時に師となり弟子となる。これを互為主伴という。本来無差別である。大石寺には昔からその様な法門はないというかもしれないが、貴族仏教に意欲を燃している現在、それも止むを得ないが、それでは末法の慈悲とはいえない。横の慈悲がない。横の慈悲は大地の底を侵透するがごとく、また水の流れ絶えざるがごとくといわれている。
 御書を心肝に染めてという語が盛んに使われているが、威張る材料とし、また便乗型という感じが強いところは内証を忘れている故であろう。弟子として心肝に染めることは、師に成り替って御書を使うことではない。それは右尊左卑型であって互為主伴とはいえない。弟子の立場に立って御書を心肝に染めることが肝要である。
 己心の法門が、ある時には取り上げられ、ある時には弊履のごとく捨てられたのでは諸人の迷惑である。引用文ははっきりとそのあたりを決めて使わないと宗祖に成り替る危険を持っておる。更めて互為主伴を考え直してみることも、必らずしも無駄にもあたるまい。


 広宣流布
 法門が文底に出生したものであれば、広宣流布もまた文底で考えるべきである。法門は己心に、現実には反って外相に現れるでは裏付けを持たない弱みがある。このような矛盾は、反って災いの本になるのではなかろうか。宗門としての自己矛盾である。凡そ純一無雑とは縁遠いものである。不二とか一如とかいう境界ではない。独一もまた例外ではない。法門はこの純一無雑の処を住処としている筈であるが、現実はいかにも法門と離れ過ぎているように見える。一言であるべき題目が多言となっているのも一例である。
 広宣流布は一言の題目の上にあるもので、成道の語と殆んど同じではないかと思う。そこを基盤として外相に出るべきものが、いつのまにか本所を忘れて外相において特異な発展をしているのが現在の考え方である。外相のみに考えられると種々の摩擦も起るし、自己矛盾にも遭遇しようというものである。そのあたりから外道に飛び出す危険も多分に在るというのが、大石寺法門の実際である。
 己心を忘れると即時に矛盾と危険にぶっつかる特性がある。広宣流布の陰にかくれて、成道というようなことは殆んど影をひそめているように見える。本来は成道することは、己心の仏国土からいえば広宣流布であるが、これが独立して外相に出たために本尊や成道の性格を替えているようである。
 六月号の大日蓮に掲載された尾林論文は、その意志が形の上に表わされたように解される。中央に戒旦を配し、向って右が本尊、左が題目であるが、中央に一寸感違いしているような戒法と戒旦をおいている処は、今の広宣流布に対する考が示されているようである。戒旦が広宣流布と合体して、かつての戒旦の本尊を上廻った感じである。本尊には三秘を含めているということであるが、結果としては格下げされた感じが強い。向って左は題目流布、右は本尊流布ということで、中央の戒旦の広宣流布は中にあって、本尊と題目の流布の全分をそれぞれ担当しているように見える。現実に即した考えの現われ、誠に偽わりのないところであろうか。戒旦に法門を付けるとすれば、真実には本尊となるが、今は外相に出た広宣流布と戒旦とが一つになっている処に異様さがある。これで本果の法門といえるかどうか、大いに疑念をいだかざるを得ない。
 最近の大白法の阿部さんの説法の中に一言とあったが、一言摂尽は大石寺のとるところで、これは大地の底にあるもの、一言は言われているように宇宙に遍満するものを含めたもの、もし一言を取れば本尊も本仏も虚空住在となる。即ち宇宙に遍満する円仏を本仏と仰ぐようにもなる。真実の本仏は大地の底にあるように思うが、阿部さん如何でしょうか。
 広宣流布もまた宇宙に本拠をおいているのであろうか。題目流布も、元をいえば一言が多言に開くところであり、本尊流布も戒旦の本尊から一人一人に本尊が授与されるとき、微妙に一から多に変って、題目と同じく多に意欲を燃すようになると、本因にあるべきものが忘れられ、改めて中央に戒旦が登場してくるようになる。ここでは文底秘沈抄の定戒恵とは違った趣きが周辺にあるが、両者緊密の関係にあると思うのは考えすぎであろうか。
 一にあり乍ら多を唱え、最後一言摂尽の題目のところに広宣流布がある、そしてそれが戒旦の本尊であるという考え方、それは本末究竟の姿である。尾林論文の図では本末究竟に相当する部分は堅固に秘しているように見える。師弟各別の考え方が自然とにじみ出たということであろうか。尾林論文、大村発言、そして大橋問答抄と、そこには今の宗門の苦悩のあとがありありと伺える。最後は川澄に全ての責任を転嫁して、宗門当局は一人いい子になって上ろうとしているのであろうか。これでは不信の輩ときめつけるのと全く同巧異曲といわざるを得ない。


 虚空為座
 いうまでもなく迹仏の領域であるが、近代の本仏論には虚空を座とするような解釈が目に付く。本仏を上げすぎて虚空へ上げてしまえば、まことに美談の様ではあるけれども、そこには本仏の存在は既にない。今は上げすぎて「肉体が本仏」と称して見ても、これまた本仏ではない。本仏でないものを本仏と拝し、人にもすすめるのはどうしたものであろう。本因は大地の底にあり、本果は虚空にある。虚空住在の久成の仏は迹仏の域を脱することは出来ない。時節が厳重に隔てている故である。
 正宗要義は五百塵点の延長線上に当初を求めているようであるから、そこに本仏の住処を求めるのは当然であるが、元はといえば時節の混乱によって起ったものである。本仏が虚空に上れば造像・一経読誦の方が調子がよさそうに見える。本仏が安房の海辺に生れ、或は虚空に住するでは聞く方が混乱する。御書の引用文をもって本仏の虚空住在を証明することは至難の業とも思われる。本仏の誕生を開目抄に求めるようにしておけば、今のような混乱は避けられるように思われる。魂魄を虚空に見るのは世間の常であるが、仏法ではこれを大地の底に見るということのようである。魂が主か魄が主かの違い目である。


 国立戒旦
 国土に二の解釈があり、一つは己心の仏国土という国、今一つは日本国という国である。諸経を国といい、その王を国王といい、また小王とするに対し、法華経を諸経中王とし、国をまた大国という。これに対して己心の仏国土があり、また常寂光土という。釈尊にも同じく仏国土があり常寂光土がある。これらの国土に対して日本国土があって更に複雑になっている。伝教では、或る程度は己心の仏国土も加わっているであろうし、宗祖の場合も安国論では極微小部分は入っているかもしれないが、大部分は日本国土であろう。しかし開目抄已後になると、場合によっては己心の仏国土計りのときもあろうし、一概にはいえない場合もあると思う。
 「国主この法を立てらるべば」という時は、日本国主ではなく、仏国土の主として自分自身を考えた方がよいように思われる。また滅後末法に法門をたてる大石寺としては、日本国主を想定するには無理がある。つまりは己々に主となり、集まっては時の貫主であると考えるのが最も素直ではないかと思う。日本国主とするのは少し飛躍があり過ぎて、法門的な裏付けが出来にくい。殊に己心と日本国ではあまりにも離れ過ぎている感が深い。
 国立戒旦とは三堂一時に建立し、三秘即時に建立するのも、信の一字の上の建立である。いつの頃から今のような世出世の混乱が起きたのであろうか。現在も相変らず同じような混乱が続いてますます複雑になっている。広宣流布などもその一例ということではなかろうか。開宗以来己心の法門を説きながら、弘安最後に至って建造物を伴った戒旦の建物こそ真実であるということになれば、大混乱必至である。本尊抄を中心に己心の戒旦を建立して来た宗祖が、いよいよ弘安の終りになって、建築物による戒旦こそ自分の真意であると遺命されることもあるまい。己心の戒旦をもってこのような戒旦を破されることはあっても、最後になって己心の戒旦を破せられるようなことはあるまい。
 末法に入って戒旦を建立することは虎を市に放つがごとしといわれておることは、末法に入っては既に戒旦の意味も、受戒から持戒に変って戒律の戒から持戒の戒、伝戒の戒に変っている証拠ではなかろうか。末寺には受戒の儀式はあっても、客殿では受戒の儀式はない。戒そのものが大いに変っているところに留意すれば、戒旦建立の是非は自ら判然とするであろう。
 国立戒旦として出発した正本堂は、新らしい広宣流布の道場として再出発しているのではなかろうかとさえ思われる。尾林論文の戒旦・戒法の戒は二つながら伝戒の戒の方がふさわしいように思われる。特に戒法とは師弟子の法と解すべきである。二ケ相承も末法の伝戒の方法としての師弟子の法門を示されているのではなかろうか。師弟子在滅共に師資・経巻の二相承を含んでいるように思われる。更めて二ケ相承の内容を深く探る必要がある。


 五字七字の妙法
 五字とは上行、七字とは不軽である。五字に南無を加えて七字となる。この法行二人をもって法華経は尽くされている。上行は師、不軽は弟子、宗祖はここのところをとって、法華経とは師弟子の法門であるというふうに解されているように思われる。開山の「この法門」とは師承によるところで、今、師弟子の法門というのはこの意によっている。宗祖が己心をもって読みとられたところであろう。本尊抄の送り状に、師弟共に仏道を成ぜんといわれるのも、また三人四人同座するなかれといわれるのも所詮は師弟二人の意味であろう。己心の法門とは、いいかえれば師弟子の法門のようである。
 五字七字の妙法とは一言摂尽の妙法であり、久遠名字の妙法であり、また本因の妙法である。その五字七字の妙法を事に行ずるところに戒旦の本尊の出現がある。ここの処を日興と熱原三烈士の師弟の処で委しくされている。三烈士の唱えた最後の力強い題目とは弟子の題目である。日興と三烈士ということは、宗門として師弟の代表格である。そこに戒旦の本尊は成じておるもので、以来七百年絶えることなく戒旦の本尊と全同のものが顕現されている。それが丑寅勤行である。宗祖の真蹟を写したとは意味が違う。已来知る知らんにかかわらず、戒旦の本尊は師弟子の法門を示されて来ているのである。今は師弟子が法門から離れて、時には師、弟子をただすというような使い方さえ平気で通る程になっておる。これでは師弟一ケとはいいようもない変りようである。
 若し戒旦の本尊が宗祖一人によって顕現されたものであれば、一機一縁の本尊であり、本果の本尊となり、他の本尊と何の変りもなくなってしまう。この本尊を本因ということは、全ての本尊を一処に集めてその原点を求め、そこに師弟を見、そこを本尊の本因と定めており、それより出生したものについては本果といわれているものと思う。宗祖のうちでは本果にあたる御影堂に万年救護の本尊が安置され、本果の本尊というのもその故である。妙本寺の万年救護の本尊も同じく本果を表わしているもので、真偽をもって云々するようなものではない。また宗祖一人の因果の差別を表わすところは、法門の意によるものである。
 今真偽をもって万年救護の本尊を尊んでいる向きもあるが、これは古来からの信仰のすがたを忘れて、他宗門なみに真偽のみを問題にし外相に堕した結果である。大石寺の本因の本尊を中心とし、そのもとで富士門下では一般に本果の本尊をもって師弟因果を表わし、且つ分裂を避けてきたものである。今は大石寺の本尊も宗制宗規によれば本果の本尊と解釈されており、今また万年救護の本尊が富士門一結の本尊のあり方を離れて、真偽のみをもって名乗り出ている。これらは師弟因果の根本を乱すもので、信の根本を揺がす問題である。時は既に動いており、戒旦の本尊もまた動きつつあるようである。しかも宗門当局の意志の中にあって動きを見せていることは無気味である。
 一機一縁の本尊と定めることは、顕現の時も固定し、以後の出現もなくなり、時々刻々に、刹那に成道を得るというような意味はなくなり、師弟一ケの成道でもなくなる。また不改本位の成道もなくなれば、今までとは別な定義付けをしなければ、成道そのものも危なくなって来る。今の宗門当局を中核として、改めて成道や本尊等の定義付けを急がなければ、信者達から成道を奪うようなことにもなりかねない。法門は一筋通すことが肝心である。本因か本果か、或は因果の外か、このけぢめを付ける処から始めるべきである。
 盛んに文証ということがいわれているが、文証をもって探れるのは本果までであって、誤って本因に手を出せば逆手を取られる危険もある。宗門の肝心のところを探るためには、必要であっても読んで捨てるためのものであり、結局は感に頼る以外に方法はない。しかも本因は非常に消えやすい性格をもっている。眼に映る処のみに集中した結果は、本尊の性格さえも替えつつあるようである。
 本果の追求には止るところをしらぬようなものがあるが、法門の追求には案外反対のようである。特に本因を本果に変える性格は大いに警戒すべきである。法門のたて方が全く他門と異っているためである。近来の教学が今のように本尊の性格を替えたのであろう。今日の学では本尊を落ちつけることは可成り無理な相談のようである。尾林論文の三秘の図で見る限り、本尊は脇にあって広宣事務の一部を担当しているようにしか見えないのは、今日学の成果であろうか。
 本因には常に立還って見るとき、そこには刹那に時空を越えた世界が成じる。刹那成道にも案外そのようなものを持っているのかもしれない。その立還った処に本因の本尊を見、これを戒旦の本尊という。三秘が含まれているとわざわざ断っている尾林論文の三秘図では、本尊は右脇におさまっている。昔は戒旦の本尊として三秘が含まれていたということであろう。若し今も三秘を含んでいるなら、当然中央におさまって、その下に三秘を図示する筈である。今中央にあるのは広宣流布に輝く戒旦であるような図である。
 文底秘沈抄の本尊は、三秘を含んだ本尊ではない。若し本尊に三秘を含んでいるなら、戒旦にも題目にもそれぞれ含んでいる筈であるが、文底秘沈抄では互具を論ずる程のものでもあるまい。若し互具を論ずるなら、本尊として顕現されたものに限るであろう。この尾林論文では本尊のみ三秘を含み、戒旦と題目とは単一でいる。つまり時節の異ったものが、たまたま並んだという感じで、これでははたらきを起すようなこともあるまい。もし三秘を含んだ本尊がそのような処へ並ぶときは、本尊の格下げと見る以外に方法はない。この様な横に連絡のないものを只並べられたのでは、尾林さんの頭脳の程も疑いたくなる。何がいいたいのか、いいたい処は一筋通してもらいたいものである。
 さて、六巻抄では五字七字の妙法については第五の終りで、本尊七ケ口伝を引いて明らめてあり、そしてすぐに一言摂尽の題目につながっている。最初の勘文・当体両抄且らくこれを秘すより、ここに至って久遠名字の妙法とそれを明らめるために本尊七ケ口伝を引用し、同時に五字七字の妙法を明らかにされている。これを見てもこの久遠名字の妙法と五字七字の妙法が全同であることは判る。そしてこれを客殿において事に行ずれば、そこには戒旦の本尊が出現する。それを刹那成道とも丑寅成道ともいうのである。


 去年の暦
 年が改まれば去年の暦は無用となるが、その内証の辺をとれば、去年の三才児は今年は四才である。そこに受持があり修行がある。これが真実の世間即仏法であって、仏法の世界をそのまま世間に結び付けようというのではない。世間にあるものを仏法によって法門付けて世間に返せば本末究竟である。今年上行とたてるのは大石寺のたて方である。釈尊をたてるところを邪ときめ付けることは、やがて自分が邪といわれることにも通じる。今の御時勢に、是非正邪をいうことこそ去年の暦というべきである。去年の暦の語の中に釈尊から上行への譲座、即ち流転門から還滅門への変り目を知ることこそ肝要であると思う。

 

   

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 仏道雑記(八)


 明けましておめでとう御座います。
己心の一念三千法門を狂学と唱え狂った皆さん、今年の初夢は吉と出たか凶と出たか、是非、伺いたい思います。一日は一陽来復といい、太陽が此の土に来たり復する日であり、二日は地の若水を汲んで合せて天地の恩徳を謝する日である。来復とは還帰と同じであって、還帰した処は一言摂尽である。一年二年三年と向うへ進んでゆくのではない。元日の中に一切の日、一切の年を含んでいるという意味である。

 元初の一日これを元日という。還滅門である。二日は若水を汲んで地の徳を謝し、自らの寿命を昨年の二日に帰す。天地の不老不死は自らの不老不死、そこに寿の長遠を見ようというものである。法華経では父少子老の譬をもって寿の長遠を表わしている。客殿の木像もまた同様である。父少は本因・還滅門を表わし、子老は本果・流転門を表わしているように見える。所謂本因本果の法門である。韓国の高僧が来朝して聖徳太子にお目にかゝったとき、いきなり、「お父さん、おなつかしゅう御座います。」といった話がある。太子には父少の要素があったものか、法華流布の願望がこめられているようであり、何れも魂魄の上の話である。
 さて、開目抄には有名な、魂魄佐渡にいたるという語がある。宗祖はこゝに己心の一念三千法門をたて、大石寺はこれを宗として一宗を建立しておる。この聖語には寿の長遠という意味が充溢しているように見える。こゝに一宗を建立したことは宗門の長遠の祝福の意をもっているのであろう。しかも今の宗門当局はこれを狂学と称してこの法門の抹消をたくらんでいるかに見える。七百年続いた宗門の長遠を断ち切ろうというのであろうか。何とも解せないところである。長寿は万人の望むところ、宗務当局は何故短寿を求めるのであろうか。或はもっと立派な法門でも見つかったというのであろうか。雲の上のお話は一向に無縁のものである。さてさて宗祖直々の御判断、如何なものでしょうか。昭和五十八年一月


 目 録(カ行)
 
魂魄佐渡にいたる
 
己心
 
己心の広布
 
御伝土代
 
五百塵点の当初
 
御宝蔵


 魂魄佐渡にいたる
 幕府に捕えられ、頸の座に乗せられる煩悩世界にありながら、しかも即時に煩悩を断って、魂魄の世界に生きる。そこに己心の一念三千の世界がある。大石寺法門の根本の考え方が示されている。俗身を断った処から魂魄へとは、釈尊の世から上行の世への開覚であり、世間即仏法への開目である。仏教から仏法への展開であって、生きながら死を迎えての成道である。この悟りの開けた処即ち開目である。
 己心を捨てろといわれても、心の上に上行の世を迎えることは出来ない。本尊に釈迦・多宝とあるように、釈迦は色、多宝は心を表わすようになっており、色心各別である。この故に色心一如という。その色心一如が現実に表われるのは上行の時であって、そこは一如という必要のない境界である。ここに大石寺の法門はたてられておる。そして釈尊の隠居があれば、あとは上行の世である。佐渡の深雪は釈尊の隠居を具現し、即時に娑婆世界の黒土を遮断して清浄な仏国土を建立した。己心の法門の上の出来事である。
 開目とは、真実は心から己心への開目の意であろう。本尊もまたそれを表わされているようである。心でもよいということは釈尊の仏教への還帰である。既に大石寺の上層部にその様な気運が満ち溢れている証左であろうか。上行未確認のまま釈尊への転向をはかっているのであろうか。開目とは、衆生が生きながら成道出来る即身成仏を指すようであるが、今は専ら死後の成道に移っているようである。
 開目抄のあと本尊抄も顕わされ、更に撰時抄も顕わされてその時を子細に示されて仏法が誕生する。そして報恩抄・法華取要抄などによって、それが逆次によるものであることが示され、更に四信五品抄や曾谷殿御書等が内容的に随時随所に働いて宗祖独自の己心の法門が建立されていると見るのが開目抄の読みである。
 魂魄佐渡に至ってやがて己心の上に本尊が顕現した処、それはそのまま客殿の丑寅勤行に具現されている。それが大石寺法門である。またこれが隠居法門であり、師弟子の法門であり、本因修行でもある。勤行によって、知らず識らずの間に御書をそのままに行じておるのが丑寅勤行である。これは開山をはじめ上代の方々の智慧であり、これを後代の者から望めば報身如来の慈悲ということである。中観論の知恵では末法の慈悲にはつながらないであろう。
 三門をくぐれば中は本仏の直に領知する処、その道を行くことは仏道を行ずるに等しい。しかも道は平仮名の「く」の字の連続である。そしてたどり着いた時には自らは丑寅の方角に向いている。見かけは北面でも「く」の字を直せば丑寅に向くようになっている。いよいよ本番の本因修行に入る前の抜苦なのかもしれない。ともかくも御先師方の慈悲と受けとめるべきであろう。何れも皆、事を事に行じているといえるものである。これは現在の丑寅勤行には関係ないことかもしれない昔語りである。そのような目に見えない慈悲は次第に消えていっているように見える。そのような中で大橋教授は盛んに仏教の基礎学として中観論をやったということを吹聴しておる。若しそのような暇があれば、仏法の基礎学をやって見てはどうであろう。
 客殿とは御書の意をそのまま事に行ずる処で、魂魄の上に本尊を自力によって確認するための場である。そこに戒旦の本尊の意がある。この故に本因の本尊といわれる。その意味では、宗祖の書写されたものは、宗祖についていえば本果である。丁度客殿に対する御影堂と同じ意味である。それが日蓮正宗発足のとき急に宗祖直筆という事になった。宗制宗規の定める処である。本因から本果へ、これは容易ならざる転換であって、教義の根本に触れる大問題である。果して早々に身延側から攻撃が来ているが、寛師が説く処の本仏は本尊とともに双方共に充分理解されていなかったために、結果的には寧ろよかったのかもしれないが、未だに余燼はくすぶっているようである。しかも自分の方で予防線を張っている間に、似てもつかぬ方角に、急激に変貌しつつあるというのが現状のように見える。本尊の解釈の転移はそのまま宗義につながるところがある。専ら守勢に立ち廻ったための変貌である。
 さて、最近篤志家があって大日蓮と暁鐘を贈ってくれたので大橋問答抄を読む機会に恵まれた。一見、黙殺ときめていたが、何か書いた方がよかろうということで書くことにした。大橋教授が心配している阡陌陟記の四・五は使わないで欠号にしておいて、今回は仏道雑記の中に繰り入れることにした。どのようなジジョウがあったのか知らないが、阡陌陟記の第一号を出してから一年八ケ月目とは、随分のんびりしたものである。拝見したのは二年目である。
 宗門に何となしに異様な雰囲気を感じて書き始めたのは丁度三年前の元旦で、三ケ月程の間、時々引き出しては書いておいたものを、十二月になって改めて書いたのが阡陌陟記第一号であった。全部で七十冊ばかり配ったので、それ程蔓延するという程の数ではない。以後といえども、百を越えるような事はなかった。教授の破折も内容に魅力があれば、阡陌陟記に数倍数十倍して蔓延するであろう。
 大橋モンドがどこまで蔓延するか、これが勝負所である。委細は民衆の判断にまかす。所で、見ると夏の講習会の資料のようであるが、この問答抄がどのように講ぜられたのか考えるだけでも愉快な面がある。大村発言のあと、尾林論文、大橋モンドと大体己心の一念三千法門を狂学とすることにおいては一致しているので、時局法義研鑽委員会もこれを基本としてその対策を研鑽したものと思われる。いかにも泥縄式である。そして半ケ年の間、宗内の優秀な頭脳を集めて日夜研鑽の成果として発表されたものを見ても、余り威圧を感じさせるものがない。全く大橋モンドと大同小異である。長い間御苦労様でした。四人の言う処を一所に集めてみて、大体の見当もついた。何となし夢も終末に近づいたという感じである。そのような中で、ゆがめられた大橋問答抄、今これを菱形モンドと名付けることにする。鈴木主水の忍ぶ恋路にあらずとも、さてはかないことよといいたい処である。この菱形主水は何となし人造くさい処がある。技倆不足は否めないところであろう。その根本が何であろうか、大橋教授に誘われるままに私見を記してみることにした。夢の開題とでも申上げておく。
 金が前か玉が前か、法が先か仏が先かということは古来の諍いであるが、大石寺では法前仏後を取っているので、玉が前である。つまり玉子が先で鶏が後である。下種仏法ということがこれを表している。本因の本尊というのもそれであるが、今の大橋説は金が先で玉が後、仏が前で法が後であるから、順序からいえば、釈尊をたてるようになっておるので、そこで本仏を語ることは出来ない相談である。
 大橋説は本尊を対境として成道する貌である。これでは師弟一箇の成道ということは出来ない。その座が違い境界が異っているためで、つまり師弟各別の成道である。師弟共に仏道を成ぜんの聖語とは凡そ掛け離れたものである。本尊を本果と定めた以後、盛んに師弟各別の成道に意欲を燃している。この面では次第に身延派に近付いて来ている。近代的な学問のなせる業であろうか。
 久遠名字の妙法はいつの間にか久遠実成の妙法に変って、唱える題目の修行によって成道するという形をとり、数をあげることが要求されるようになるが、これは既に本仏所住の境界ではない。いうなれば未だ迹門の境界である。当方はここの所までを流転門といい、還滅門とは法前仏後のところを指しておる。師弟子の法門はこの還滅門のところにたてられるものである。本尊が本果と解された時には、師弟子の法門では不都合である。還滅門をきらうのも、自らが流転門、つまり釈尊を立てておる偽らざる証拠であろう。
 宗門が六巻抄及びそこから引き出したと思われる語については狂気のごとくこれをきらっているが、これは明治以来何回か身延から攻撃をうけながら、未だ一回の満足な返しもなされていないための恐怖心の故であろう。いずれ六巻抄や寛師についても厳しい質問があったであろう。自宗の研究不足な処を突かれた感じであるが、今は専ら頬かむり主義で押し通そうとしておる。寝た子を起こすな流の中で六巻抄は全く黙殺されようとしておるのが現状である。それが反って法門の混乱に拍車をかけている。
 自他の混乱は本仏の出生さえ危くしているように見える。今の本仏論は全く夢のうちの話にすぎない。魂魄の上にたてられたものこそ真実の本仏論である。世間では魂魄は青白いというが、法門では青蓮華といい報身如来といわれている。これが魂魄であり、客殿に充満しているのもこの魂魄即ち師弟の魂魄であり、これが明星池に写ってやがて文字と変って戒旦の本尊となるという貌をとられている。唯授一人の相承もまた魂魄の上にあるものである。今では血脈観も相承も論じられている場所が違っている。これでは魂魄を外した方に弱味がある。師・法主は宗祖一人に限る。魂魄の上の師・法主ということによるが故である。若しそれを外れると独走狂走の可能性は充分ある。
 己心の一念三千法門を狂学といい、六巻抄からにじみ出た語は悉く否定しようとしている。昔、身延派から攻撃を受けた時の古疵が痛むというのであろうか。被害妄想的な後遺症のなせる業である。寛師が詳師に六巻抄を渡たす時、この六巻抄は師子王の如しといわれたということであるが、未だに師子王の力を発揮するような研究はなされていないようで、その研究不足が反って色々な不安を生んで来るのではなかろうか。師子王は決して自分から攻撃を開始することもなく、常に泰然自若としておるが、今の阿部さんは、暁鐘によれば身延等の偽日蓮宗などといっておる。或は他宗を邪宗と称することも、つまりは自身(心)の不安のなせる業と考えざるを得ない。一宗を代表する者の言葉として、何ともお気の毒に堪えない。
 院達だったか内事部の達しだったか今は忘れたが、不信の輩という語を使っていたことがあったが、これなども蓄えのなさ、教学のなさからくる心の不安を包みかくす言葉であろう。このような語の必要のない程宗学を研鑽されることを望んでおきたい。不信の輩という語にはその後は一回もお目にかからないが、多少なりとも生長した印であろうか。川澄を狂っているといい、己心の法門を狂学というのも、実は自身(心)の不安をかくすための言葉である。こちらのいう処が狂学なら、寛師も宗祖も狂学を唱えたことになる。宗祖を狂っていると称したのは他宗門の僧俗であり、この人等が杖木瓦石の難に値わせたのであり、宗祖を頸の座に乗せたのも流罪に処したのも時の権力者幕府のなせる業であった。
 今の阿部さんは、己心の法門を唱えるものを、まるで大根葉を切って捨てるごとく切り、その数既に二百に近いという。狂学の末の狂態である。宗祖以後、己心の法門の故に幕府から頸の座に乗せられた人はなかったように思う。久遠成院日親や不受不施の日奥さへ頸の座には乗せられていない。門下で一挙にこれだけ大量の首切りは空前絶後である。永遠に門下史を飾るであろう。お取り巻きの中から何故一言の諌止がなかったのであろうか。誠に奇妙至極の事である。
 狂学などということは止めて、宗門人も六巻抄が師子王の威力を発揮するまで追求してみてはどうであろう。無闇に他宗の悪口をいうようなことは決して教えていない筈である。お臍を上に向けている間に、世上がどのように変化して来ているのか判らない。今の大石寺には第二の末法が到来しておる。ここ一両年の変りようは、一年が二百年にも匹敵するようにさえ思われる程である。
 大橋教授も日蓮正宗中観論派などというような事は考えない方がよい。中観論をどれ程研究して見ても、それによって今の大石寺の混乱はいささかも救われるものではない。若しいう程自信があるなら、伝教大師のごとく七大寺の帰伏状を取ってくるとよい。大橋教授は仏法を仏教に切り換えるための基礎学として中観論を研究したということであろうか、凡そ無駄な努力である。そのような暇があれが、寧ろ仏法の基礎学を研究した方が遥かに賢明である。
 天台大師は中国古来の思想と法華経との融合に成功して新らしい解釈を出し、これをもって南三北七の諸師を帰伏せしめた。その中には竜樹家の人も何人か居たことであろう。それを受けた妙楽もまたこれを大きく発展せしめ、更に伝教から日蓮と末法の世を迎えて発展していった。
 弘決外典抄が出来たのは末法に入る直前ではなかったかと思う。いよいよ末法を迎えて改めて外典の再検をねらったのではなかろうか。宗祖には貞観政要の写本もあり、御書の中にも可成りな数の外典が使われているようにも見える。所謂随方毘尼である。外典を根本資料として仏教からの脱皮をはかり、そこに仏法を建立した。それがまとまった処で己心の一念三千法門と称えられている。その意味では己心の法門には大きな抱擁力を持っている。そのくせ今の大石寺は妙に頑な狭い一面のみを強調しているのは、どこかが狂っているのであろう。大いに考え直さなければならない問題である。
 身延の行学院日朝には合譬集という著作があるが、仏法家としては必見の書である。カントやアインシュタインのものと違って、見れば即刻裨益せられる所が大であると思う。弘決外典抄や合譬集の真意義を知ることが今の最要事のように思われる。中観論によることなど考えるだけで無駄である。
 証真や四明流には己心の一念三千法門を天台個人に限定しようとしている面が強い。これを外に向けて発展させようとしたのは、恐らく従義流であったであろう。この故に宗祖の真蹟集の中には、証真や四明流のものは一回も引用されていない。仏法をとる宗祖としては当然のことである。合譬集が出来たことは、まだまだ日蓮門下には従義流のものが残っていた証拠ともいえる。恐らく仏法的な要求の中で作られていったものであろう。これをもって四明化した天台宗と対決しようとしたのではなかろうか。
 大橋教授は古文書の解読を職人芸とさげすんでいるが、己心の法門は職人芸という語では抹消できないであろう。亨師六十年の成果である富士宗学全集はたかだか職人芸の所産であり、それに引きくらべて自分は中観論研究の大家であるといいたいのであろうか。自分等の出来ない本を次々に作ってもらってさえ、有りがたいとも思わぬ大橋さんのこと、内心何を考えているか、余人の伺えるものではない。職人芸ということで自分を優位に置こうとする魂胆、実に見下げ果てざるを得ないものがある。まして己心の一念三千法門を狂学と罵詈した罪は永劫を経とも消ゆる期はないであろう。
 大橋さんは大学を出ているということについては常々自慢しているが、出身は立正大学であったように聞いておる。今阿部さんの周辺をとりまいておるのは、若手の創価大学出身者の外は殆んど立正大学の出で占められている。今の僧侶の大半も立正出身者である。立正大学の教育を受け始めて以来五十余年、これだけの出身者が揃えば必らず教育成果は上っている筈である。大橋さんの中観論や大村さんの狂学もその一例と見るべきであろう。
 こちらは始めから教学とはいわず、大概は法門という語によっておる。法前仏後によるためであるが、宗門は仏前法後による故に教学の語によっておる。釈尊か上行か、混雑の結果であると思う。今がその最後の岐路なのかも知れない。上行から釈尊への逆転である。既に教学部は上行所伝の法門を狂学と称する迄に至っている現状である。七百年前はこれに依って今の宗門が建立され、本尊も本仏も一切の宗義はここに建立されて多くの衆生もまた成道を遂げて来たものが、滅後七百年過ぎた処で早々と狂学の烙印を押されてしまった。
 今の本仏や本尊は何を根本に建立されているのであろう。大村さんと阿部さんの責任において必らず定められているに違いない。若しこれが発表されるなら、その内容如何によっては大橋さんのいう蔓延は中止せしめることが出来るであろう。しかし七百年の間守り伝えて来た己心の一念三千法門を、一言に狂学ときめつける法力は実に見上げたものである。必らずとって替るものがあっての事と信じたい。あれから半年、大村さんはどうしているのか。そろそろ宗祖に責め立てられる時が来たのではなかろうか。狂学の語をもってこちらを抹殺するのは至極簡単であっても、即刻宗祖と交代していることに気が付かなかったとは迂闊千万であった。誠にお気の毒に堪えない。
 大橋さんも、しばらく中観論やアインシュタイン等をやめて、この一点に絞って思惟してはどうであろう。一旦打ち消した己心の法門をどの様に蘇生せしめるか。再生敗種の極理を事に現じてもらいたい。ここは宗門人の知恵の見せ所、成功すれば末法の慈悲に通じるであろう。この慈悲を通して本仏や報身如来の在否を確認したいと考えておる。出来なければ衆生成道の道は永遠に閉ぢられるかもしれない。法主や教学部長が率先し、これに宗門有数の知恵者が大勢集会して衆生の成道を断ったということになっては、他宗の聞こえも如何なものであろう。このあたりで一切を水に流して魂魄から再出発する処に眼を付けることを提言する。魂魄こそ再生敗種の根源であると信じておる。批難をこちらへ向ける前に自ら反省すべきではないか。
 孔子は九思に一言という。責任ある立場にある人は、もっともっと思惟すべきではなかろうか。思惟こそ大石寺法門の身上である。阿諛迎合は大石寺の最も恥ずべきところである。阿部さんを一言をもって諌止せしめるなら、大橋さんにも大いに敬意を表したいと思う。今年は猪年である。記者も猪年の生まれである。大橋さんも同じ猪年ではないかと思っておる。昔無作三身について膝詰めの講義を聞いた時、相当にツバキの洗礼を受けたことがある。その時、この人は猪年生まれではないかなあと思った。ツバキを縁として今も親近感を持っていることだけ申上げておく。今皆さんが狂学と称しておる己心の一念三千法門も御相承も、全て魂魄の上に出来上がっている事を確認することが最緊要事であることを重ねて申上げておく。


 己 心
 宗祖の魂魄佐渡に至り一念三千法門を建立した境界であって、久遠元初とも、五百塵点の当初ともいわれ、本仏の住する内証の世界である。また本法ともいわれ、釈尊はここより垂迹したことによって迹門といわれ、上行所持の法はこの本法を指しておる。大石寺はここに建立された己心の一念三千をもって宗をたてており、所謂時空を超えた世界である。これをもって本門という。衆生の成道もここにあり、丑寅の成道ともいわれる。大石寺法門の中で最も重要な処である。
 去年春頃、阡陌陟記に追求されて第一声をあげたのは、己心でも心でもよい、己心を捨てろということであった。そして一年二ケ月後には狂学という処までになった。これが責任ある宗門当局の答であって、今も狂学の線は続いておる。己心といえば宗祖の御魂魄であり御命である。これが師弟子の法門となって師弟の魂魄となり、客殿に充満しているのである。そしてまた師弟の命でもある。これを捨てよとはよくぞいえたものである。どこから狂学という発想がでたのであろう。誠に凡慮を絶した境界である。本仏も本尊もまた衆生の成道も、一切の法門はここを本源として発っていることは宗門当局に解っていない筈もあるまいに、それほど分かりにくくなっているのであろうか。
 例の言論問題の時、総攻撃するために諸宗の学者が、宗制宗規を始め色々と研究しようとした事があったが、何をいっているのか一向に要領を得なかったということがある。そのため止むを得ず手を引いたのであった。それ程複雑怪奇な大石寺法門である。今の宗門当局者も、筋を通して他宗の者に理解せしめることは不可能であろう。しかし結果としては反ってそのために攻撃を避けられたのである。その法門を捨てることは外濠内濠を自らの手で埋めるに等しい程のことである。
 宗門が己心の法門を捨てるなら、宗祖本仏論など一たまりもない。詰められては本仏論など口に出せる筈もない。狂学といい、捨てよというからには、これにかわるものは用意出来た上でのことであろう。今までは自宗でも分らないほどであるから他宗の人には分る筈がない。しかし反ってそれが幸いして救われて来たのである。次の時が来る前に整備して、他宗門から批難攻撃の必要のない程に研究整束するのは、今の時を除いては再び来ないであろう。やれ狂学だ、それ捨てよ等といっている時ではない。己心の法門を捨てては本仏も本尊も在り得るわけもない。捨てることは自滅につながること位、常々心得ておいてもらいたい。
 他宗の学者が大勢よって研究しても分らない。自宗でも分らない。それが信者にはすぐ理解出来、しかも僅かの間に七百五十万の信者数までふくれ上ったことは、全くもって不思議千万といわざるを得ない。他宗向けと信者向けと、内外の区別でもあるというのであろうか。さてさて、今となって己心を捨てよ、狂学だなどということになると、益々迷惑するのは他宗である。また攻撃目標を失うことになる。しかし法門の底の深さの程は充分に計られる恐れはある。高価な代償である。
 今阿部さんの周辺を取巻いているいるのは、大半は立正出身者である。その人等が大石寺法門と近代仏教学の融合を計った失敗の結果が、己心を捨てよ、狂学だなどということになったのであろうか。若しそうであるとすれば、その様なことは、他宗門は既に経験ずみである。失った己心を取返す方法はないかという他宗と、百年過ぎて始めて伝統の己心の法門を捨てよという大石寺と、あまりにも違い過ぎる。何を好んで己心の法門を捨てよというのであろうか。そこには自分達は既に捨てているんだということがほの見えるようである。立正教育五十年の勝利といえるのかもしれない。仏法の近代仏教化が一歩踏み出そうとした処で取り返しのつかない失策をした。再びこのような考えは起さないで、じっくりと原点に返って思惟を巡らすべきである。そこは民衆健在の処であり、本仏所住の処でもある。
 一番近代化を斥っているのは本仏なのかもしれない。師弟子は不都合だ、流転門、還滅門という語は古来宗門にはないなどと言っている間に、真実の本尊や本仏は遥かに離れ去って行っているようである。仏法の近代仏教化というようなことは絶対にありえない事である。己心を失った仏法が、仏教に止まることが出来るかどうか、これ又大きな疑問を持たざるを得ない。仏法家には仏法以外に行く手はあり得ないと思う。


 己心の広布
 己心の仏国土における広布であって、文底が家の広布は専らここにある。一人が信ずれば、その仏国土に居る衆生は一人残らず信者となって一糸乱さぬ広宣流布が実現する。それを確認した上で、余れば弟子旦那に施すという慈悲心から、一人二人のものでも信者にしようというのが本来の在り方ではなかろうか。己心を忘れたノルマ調はいつか行きづまるものである。しかし今の大石寺の近代的な仏教観には通じない。何故かといえば、それは仏法的な考え方が強いからである。従って金とは全く縁のない故に、今の宗門人の最も斥う処である。法を守るか金を取るか、大石寺にとって今が最後の正念場である。
 丑寅の成道というのも己心の広布であり、三秘同時の建立という境界も実は己心の広布の別名である。その意味からしても、今の戒旦建立は各別の上の所作であって、会通困難である。奈良平安期の時とは戒の解釈も違えば戒法自体も異っている。昨年の尾林論文の中央におかれた戒旦戒法の戒であるが、この戒法は師弟相寄って持つや否やという状況をさしておるもので、「戒法と謂っぱこれなり」の戒法が誤って使われたものである。
 今戒法を担当しておるのは末寺であって、本寺は成道を担当しておる筈である。像法の受戒の法が滅後末法に法を立てる文底家にそのまま通じるものではない。実際に正本堂で受戒の儀式は行われていないのが実状であって、これは六壷の担当する処である。得度、新説ともに六壷であって、昔の受戒はここで行われており、信者の受戒は末寺の担当で、正本堂では受戒の儀式は一切行われていない。三大秘法抄にいう戒旦を己心の戒旦とすれば、個々の受戒という意味も消えて、奈良平安期の戒法も時節の変化の中に包まれて、何の抵抗もなしに収まる筈である。
 戒の移りかわり、文上と文底との相違、その様なものが忘れられた上の混乱が今正本堂の上に集中している。戒や戒法の見直しが次第に必要になって来ているのではなかろうか。己心の広布に立って全てを洗い直し考え直す時が来ているようである。長引けば長引く程、被害を受けるのは法であって、ますます教が羽を広げて来る危険がある。法を失った大石寺法門など凡そ意味のないものである。


 御伝土代
 この書は四世道師の著作で、それぞれ表題と尾題が付けられておる。以前こちらで法門書と称した処、大村教学部長から、古来史伝書といわれているとの発言があった。史伝書の文字をもって分別せられたのは、正宗聖典が最初の様であるし、それ以前は富士宗学全集で史伝部に配属されていたのではないかと思う。何れにしても古来というには余りにも若過ぎる。徳川時代及びそれ以前に史伝書といわれた例は、恐らく皆無ではないかと思う。
 土代・草案ともに草稿の意味ではあるが、わざわざ法門書ではないかといっておるものを、他宗のことばを借りて史伝書であると口汚く罵ることもあるまい。何の気配のないものであっても、一往の疑問を投げかけて見てもおかしい事ではあるまい。実際に史伝書とするには余りにも疑問が多いから、法門書ではないかと持ちかけたものである。これが史伝書であれば、他宗としては誠に好都合であるが、若し法門書であれば大石寺としては非常に好都合である。伝えられるような戒旦本尊説も殆んど後代と同じであるし、その外についても道師の時には殆んど同じものであったことになるし、目師伝にしても、伝記としては二十そこそこで終っていて不都合であるが、法門書とすれば巧於難問答で終っていて、しかもその法門は大石寺法門の中で今も重要な意味をもって伝えられているようである。たまたま大村さんが気が付いていないまでである。真実に草稿であるなら尾題の必要はない筈である。
 目前の大切な法門を捨ててまで、他宗に同ずることもあるまい。先方から見れば、まことに組し易い相手である。先方では史伝書をわざわざ法門書とする必要はないとの意見のようである。しかし、若し法門書ということになれば、四世であるだけに相当な威力を持ってくる。内容的にも上行や戒旦の本尊についても、こちらが正常であればある程大きな力を発揮することになる。身延の追求についても十分に応答出来るように思われる。それ程内容の豊富なものを、わざわざ史伝書として棚上げする必要はさらさらあるまいと思う。水谷さん、担当して研究してみてはどうでしょう。御門下最古の整束した法門書ということが証明出来れば、身延派も無闇に攻撃はかけられないと思う。ここの処は自宗本意に考えるべきである。
 五十年間受けた教育の成果が、このような守勢に廻らしめるのであろうか。伝記であれば本果ということになるが、御伝土代には本因的な雰囲気が濃厚であることは、法門書の故であろう。一度子細に検討して見ることをお進めする。そこには必らず身延退散の妙薬が見つかるであろう。九連城の名玉も磨き人が当を得なければ名玉にはならない。璞玉では威力は発揮出来ない。大橋先生は職人芸と下す前に、自分で卞和が九連城の名玉を磨き上げて見てはどうであろう。これが末弟の責務ではなかろうか。逃げながら大声をあげてみても、所詮は酔余の一声である。それによって法門に気魄がはいることもあるまい。日興上人は酔余の一声を聞いて富士に大石寺を建立したといわれている。同じ一声なら鶴の一声を望みたい。
 今では三祖一体ということは客殿にさえ残されていない。これが一番はっきりしているのは御伝土代である。各巻を独立して見た時には出にくいが、一にまとめて見れば三祖一体そのものである。三祖一体というのは道師の処から始まっているのかもしれない。それが最も順当なように思われる。これによって三祖が法門として再生するようのも考えられる。
 熱原三烈士は御伝土代では二十四人であるが、興師の真蹟では二十人である。二十四に、も一つ十二を加えれば三十六である。本法流転還滅メめて三十六は三の十二因縁の標示であって、法華文底の意をもっている。文底極意の処、それが戒旦の本尊である。日興上人と上人号したまうとは、上人号は今も受け継がれているし、三烈士の最後の力強い題目が戒旦の本尊になったということも、今に云い伝えられている。
 今一番必要に迫られているものは、少し気を付けてよめば、御伝土代には根本になるものが殆んど整束しているようである。四世だけに強い力をもっている。目師伝にしても、目師の伝記とは見えない。しかし行学絶えなば仏法あるべからずの辺から見れば、充分納得出来るものを持っておる。行学と問答、それは目師の身上であり、色々な形で伝えられているようである。
 興師・三烈士・戒旦の本尊と明星池の間には、互いに深いつながりを持っており、互いに不足分を補っているところがある。興師は宗祖に対して子老の立場を取り、目師は四世以下に対して父少の立場を取り、それによって法寿の長遠を祝福し、同時に法の深遠なことが自然と顕わされている。探ればどのようなものが隠されているかもしれないというようなものを持っているのが御伝土代である。
 史伝書としてしまえば、戒旦の本尊の発生起源を求めることも困難となる。そのような中で自然と本果化してゆくのではなかろうか。眼に映じた処を根本にすれば、自他ともに理解しやすい利点がある。しかし本因を捨てた弱さは本果に止ることは出来なかった。本因を純粋に持つことは難中の難であることは、日蓮正宗要義を見ても一目瞭然である。誠に雑踏の中にあるがごとく、凡そ純一無雑とはいい得ないものがある。日達上人が序文を下されなかったのも、御尤もな事といいたい。時の御法主の序文のないものは、公式には宗義書とはいえない。阡陌陟記や興風或は事の法門等と変りはないと思う。
 法華経を何をもって解釈するかというと、宗祖のごとく中国思想を根本とするのが最良の方法である。カントや中観論から仏法を求め本因を索めることは恐らくは不可能であろう。一旦は和融したように見えても、やがてそれが本となって災禍に転じることは、今の大石寺がこれを如実に証明しておる。正本堂建立についても、何かそのようなものがあって出発しているのではなかろうか。しかしよく見ると、今では広宣流布の旗印が主になって、その中で正本堂が運営されているようにさえ見える。記主はこれを法門の逸脱と理解しておる。本因の本尊が完全に理解されておれば、このような事はなかったであろう。
 福を転じて災となすことは至極簡単であるが、今の災を福に転ずることは、それ程簡単なものではない。寧ろ不可能事に近い。昔興師は酔余の一声を聞いて富士に大石寺を建立された先例がある。金銀珠玉の中に埋まりながら少し宛改革しようというような事は、考えない方が良い。若しそこに救われる道を求めるなら、それは昔の身延離山の教訓なきものに等しい。法はもともと孤独である。決して追いつめられた孤独ではない。それは本来無の境界である。そこには必らず救いがあるように思われる。その為には先ず過去の絆を断つことが必要であるが、如何なものであろう。金玉に取り囲まれながら本因の本尊や本法を守護することは、恐らくは不可能ではなかろうか。
 御伝土代から何を求めるか。そこには必らず莫大な口伝や相伝の根本になるものが秘められているに違いない。或は云い伝えだけにしか残されていない考え方もあると思う。そこらあたりはカントや中観論の領域ではない。大石寺では、よい意味での口伝形式を伝えているが、法門の性格が自然にそのような方向に進ましめたのであろう。目師伝では読んで捨てることが教えられている。行学絶えなば仏法あるべからずといわれているが、読んで捨てることが仏法をして絶えざらしめる最良の方法ということであろう。それに依って法の深部にも到達出来る。五千・七千の経巻や経釈を読んで捨てた処に一言の妙法も生じようというものである。改めて御伝土代を法門書として読み直すことを提言しておきたい。


 五百塵点の当初
 釈尊は法華経寿量品において、過去五百塵点に成道したことを明された。これを久遠実成という。大石寺では久遠元初をとり、五百塵点の当初をとる。元初であるから実成より古いわけでもないし、当初であるから五百塵点より遠い昔というわけでもない。元初というも当初というも時間の上に考えられているものではない。魂魄佐渡に至るという魂魄の上にのみ考えられるものである。即ち己心の世界である。還滅門というのはここを指しておる。これに対して時空の上に考えておる久遠実成や五百塵点の世界を流転門と称しておる。
 大石寺は法前仏後の故に、本法に対して垂迹とたて、釈尊はここにおいて教を説くといい、また本果という。上行は本法所持の人といい、法について論ぜられている。依義判文抄で教法流布の先後といわれているのは、教流布が先か法流布が先かということで、上行をとれば法流布が先であることはいうまでもない。その故に教流布の釈尊を垂迹とたてる。即ち教流布は後である。略挙経題玄収一部の妙法蓮華経は釈尊にあるもの。これに対して一言摂尽の題目を本法即ち本因とたてる。今の宗門では本果の題目に依っているようで、ここでは必らず数を上げることを要求される。戒旦の本尊もまた本果にある。そのためにあげる題目も自然と本果になるのであろう。
 衆生の生きながらの成道は必らず本因の題目に限り、死後の成道は本果の題目に限る。これは法門の定める処であって、人力をもって勝手に動かせるものではない。今のように題目が本果になれば、生きながらの成道が失せるのは当然のことといわなければならない。戒旦の本尊は本因の本尊として生きながらの成道を示しているものである。戒旦の本尊は師弟一箇の成道をそのまま本尊に顕わしたものであって、本尊を対境として成道を遂げようというものではない。対境ということになると本果の本尊である。これでは法門が根本から崩れ、己心も即時に失われることになる。やはり明治仏教の功罪ということであろう。己心を失った大石寺法門とは、凡そ意味のないものである。
 正宗要義は、五百塵点の延長線上に元初を求めようとしているようであるが、これはどこまで延して見ても流転門である。そこで還滅門に限られている本仏や戒旦の本尊を論じたのでは、他宗門の人に理解出来る筈もない。はっきりと元初本因を立てて本仏や本尊を論じることを即時に実行してもらいたい。それでないと、他宗の人々と対当に論じることは出来ないと思う。吾等ごとき愚者が一見してさえ疑問の多い正宗要義を成程とうなずく他宗の学者は、恐らくは皆無であろう。正宗要義改訂委員会でも設置して、真実の法門を求めて研鑽することを望みたい。心でも己心でもよいというものではない。信をもって根本となすという信は必らず己心の上にあるべきもので、釈尊でも上行でもよい、釈尊にしろというようなことは大石寺では未だ曾って見ざる処聞かざる処である。


 御宝蔵
 三大秘法の法を収めている故に御宝蔵といわれる。同時に収められている本尊類、其の他の真蹟類も三大秘法を含んだ意をもって収められているのであろう。心の臓、肝の臓といっても、心も肝も目で見ることは出来ない。臓を見て始めて心や肝と知ることが出来ると同じく、三秘も蔵によって始めてこれを知ることが出来る。そのための蔵である。戒旦の本尊が収まっていたから御宝蔵というのではなく、三大秘法が収まっているから御宝蔵といわれるものである。今は戒旦の本尊は既に御動座になって空家同然であるが、今もって丑寅勤行は行われている。前後の連絡は付け難いのではないか。昔より丑寅勤行は御宝蔵の本尊に対して行なわれて来ている筈であるが、戒旦の本尊も、昼は正本堂、夜は御宝蔵では御忙しい限りである。
 丑寅勤行は何れの本尊の前で行じられているのであろうか。法門的にはっきりさせなければならない問題である。時局法義研鑽委員会の最大の目標はここにあるのではなかろうか。身延追求の影に追われながら吾等を目標にするのは目前の問題である。その一番手っ取り早く、しかも何とか納得出来る考え方は、正本堂の本尊を今一度本果の本尊として再確認し、御宝蔵には三大秘法を確認すること、即ちここに本因の本尊を見ることにして、一つの妥協点を求める方法はどうであろうか。
 御宝蔵の三大秘法には絶対に動座がないということを公表してはどうであろう。原点に立ち還って解決点を見出すことが最要である。現状では御宝蔵は空家であるから、御本尊も、昼は正本堂にあって本果の本尊、夜は御宝蔵にあって本因の本尊と断ぜざるを得ない。何を措いても、本尊の目に見えない部分についての解決が迫られているのではなかろうか。少し理を通せば、己心の広宣流布も再生することが出来る。その中(うち)時を見て精師の時のごとく戒旦の本尊も御帰還になるということは出来ない相談であろうか。歴史は繰り返すといわれるが、今の粉本はそこに示されているようにも思われる。
 六巻抄は御帰座のあとに、動座すべきでない理由を説き出されているものと考えられる。相手になって戴ければ、時局法義研鑽委員長さんの直の御意を拝聴したい。戒旦の本尊を明星池に映った魂魄の処で拝するか、興師が墨を流した後のところで拝するか。所詮は因果の違目、流転門か還滅門かの相違である。何をおいても法門の立処を判然させることが肝要である。

 

 

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 仏道雑記(九)


 目 録(サ行)
 
さかしらだて
 
最高最尊
 
在世の末法
 
在滅の中間(一)
 
在滅の中間(二)
 
左尊右卑
 
三学
 
三世超過
 
あとがき「大黒喜道の論文を破す」を哀む (昭和五十八年五月一日)


 さかしらだて
 本来自分には全く関係のない処へ横合いから口を出し、宗門から異様な悪口雑言を受けることは全く無用なさかしらだてなのかもしれない。たまには自分でも反省することもある。阡陌陟記を止めたのもその様な意味もあった。都大路の東西南北を陟り歩いて、最後丑寅の一隅を見付けるまでが目標であった。師弟一ケの成道の場を見付ければ、それで一応目的は達したので五巻で止めることにしたが、そこまで来て捨ておくことも出来ないので、次は成道を目標にして始めたのが仏道雑記である。自分に無関係の事で憎しみを受け、しかも今の異常性格がつかめるなら無上の喜びであると思っておる。
 丑寅の一隅と成道と、それが最大目標であることはいうまでもないことで、その中心になるのが戒旦の本尊であり、その根本になるのが己心の一念三千法門であることは先刻御承知の筈。而も今の宗門はその己心を捨てろというところまで来てしまっている。
 己心の本尊を捨てろということは、昨年六月頃の尾林論文にも裏付けがあるようで、中央の広宣流布、向って右の本尊流布、向って左の題目流布がそれである。説明によると、本尊には、もとは三秘を含んでいたということであるから、戒旦の本尊を指しているものと解されるが、今はただの本尊と成り下って流布を担当しているという意味であろう。(もとはという本尊は最後に載せられておる)。変形した三秘という感じであるが、それぞれ流布が付いておる処は異様である。しかし中央の戒旦に威力を持たしていることは分る。もとはということは、向って右からの本尊戒旦題目には内々ではもとの戒旦の本尊の意味を含めているものと思われる。つまり新本尊という意味であろう。しかももとの本尊は隠居座についている処も異様で、もとの本尊は元のまま正本堂にあり、その上に新本尊が出来た感じである。宗制宗規の本果の本尊から正本堂、更に国立戒旦正本堂から広宣流布へ、しかも中央の戒旦広宣流布には昔の戒旦の本尊を思わせるものがあるとはすごい三段飛躍である。
 本因であるべき戒旦の本尊に衆生の成道を立てる法門が、遂に衆生を置き去りにして、一人の、作られた本仏のために利用されるところまで来てしまった。最早や民衆宗教といえるようなものではない。許されざる飛躍である。一度本因を捨てると行き着く処まで行くという危険な中に宗を建立しているのが今の大石寺である。このような中で本因を受持し、守護することは至難が中の至難といわなければならない。一将功成って万卒枯るというが、枯れることも知らないで広宣流布という名の下に踊らされている衆生は哀れである。
 一年半計り前、院達で「不信の輩」ときめ付けられたことがあるが、未だに覆面相のままである。御書には覆面教というのがあるが、どのような意味であろうか。昔、山の荒法師は、薙刀を持つ身を恥じてか、白布をもって頭を裹み、更にその布をもって頬かぶりをしておるが、面舌だけは隠していない処は余程良心的である。戒壇の本尊や正本堂がいつの間にか広宣流布にすり替えられるのも覆面の中の作業であろうが、事、本尊に関する限り、白昼に大衆や信者の前に筋を通して公開すべきではないか。
 尾林論文を見る限りでは一向に戒旦の本尊や正本堂が見当らない。何とも不思議千万な事である。本尊という常識も大分変って来たようであるが、信者がどのように対応するか、一つの見物である。もうこの辺りで久遠名字の妙法に探りの手を入れるべきではなかろうか。尾林さん程の学匠の論文から戒旦の本尊が見出せないとは大変なことであると思う。何となし痕跡だけが残されている感じである。阡陌陟記の追求を避けるためについついこのような結果が出たというのであろうか。
 宗祖以来の伝統的な立て前からいって、民衆を捨て去っては宗門は成り立たないであろう。去年去々年の結果はこの一事に覆う処なく現われている。誠に虎を市に放ったごとき荒れようであるといわざるを得ない。己心の一念三千法門を狂学に堕した罪障が既にこのような姿で現われたということであろう。哀れむべく、愍れむべし。しかし、よく考えて見ると、大村さん等がやれ狂人だやれ狂学だといっている間も休まず、阿部さんは毎夜丑寅勤行を休むことなく続けているようで、一時は数人であったものが、今は千人以上の人等が勤行しているように聞いておる。
 昔から丑寅勤行は御宝蔵に収まる戒旦の本尊に向って題目を上げていたということであるが、今は御宝蔵の本尊は正本堂に遷っていて、戒旦の本尊に関する限り空家同然である。その空家を承知の上で勤行をしておるということは、既に阿部さんは、内証では影も形もない真実己心の一念三千の処にある三大秘法を確認した上で、夜毎の丑寅勤行を勤めているのではなかろうか。而し取巻き連は相変らず狂人だ狂学だといって気勢を上げている時であるから、しばらく時を待つことにして黙々と勤行を続けているものと解釈したい。若しそうであれば明らかに御法主上人猊下の御慈悲を目のあたりに見ることが出来る。親の心子知らず、やれ狂人だ狂学だと騒いでいる方が余程馬鹿である。これが馬鹿騒ぎというものである。阿部さんの内証には既に善い兆が現われ始めているとすれば、宗門あげて本に帰る日も、それ程遠いことではないかもしれない。
 今阿部さんが毎夜勤行を勤めておる本尊こそ真正の本尊である。いつまでも失本心ではこまる。師弟相寄って心ゆくまで勤行もし、成道もとげてもらいたいものである。尾林論文の中に戒壇の本尊の貌が見えないこと自体、その先兆と観ることは出来ない相談でもないと思う。阿部さんが丑寅勤行をしていることは、御宝蔵には今も厳然と本因の戒旦の本尊が坐すことを前提としたものであり、事を事に行じている姿と考えたい。
 本因の種は既に時を感じて新らしい芽をふき始めているようであり、内証に立ち還ろうとしている兆が既に感ぜられる。しかし、今のように外相をとれば本尊の動座は当然である。御相承もまた外相のみに依れば中断するのは当り前の事である。しかし内証真実の相承には中断というような事はありえない。それと同様に戒旦の本尊も外相をとったための動座であって、その時には火にも焼けず水にも漂うことのない本尊は、御宝蔵に鎮座ましましておる。今阿部さんが題目を上げておる本尊とはこの真実真正の本尊と思えてならない。狂学と唱えている人達如何でしょうか。この本尊を信じないものこそ「不信の輩」というべきではなかろうか。
 信とは己心の一念三千法門の上に建立されるもの、「不信の輩」の信とは格段の相違があることを承知してもらいたい。若し阿部さんが己心に建立された本尊を認めなければ、丑寅勤行は何を対照に唱題しているのであろうかと反問したい。若し本尊不在の処へ題目をあげて功徳があり成道があるといえば、民衆に対し衆生に対して許されざる欺瞞である。既に戒旦の本尊は昼の本尊となっていて丑寅の本尊ではないと思う。
 遥拝は御宝蔵に限っていること位先刻御承知の筈である。法門の立て方からして正本堂の遥拝は出来ない相談であろう。あべさんの丑寅勤行を事行の法門の上に解せば全て円満解決であるが、ただ漠然と題目を上げているわけでもあるまいと思う。しかしながら現実は周囲をはばかって口に出せないのではないかとご推察申上げる。その心境を称して明暗来去同時という。これは明に向って既に動こうとする気配を見せた処、即ち丑寅勤行そのものである。数年の丑寅勤行の功徳は今漸くその実を顕わさんとしているというべきか。己心の三秘の珠玉は既にその輝きを現わさんとしているとすれば、誠に喜ばしい限りである。
 聞く所に依ると、山内には暴力団がつめかけて学会の青年部と文字通り眤み合いを続けており、連日八木さんに面会を求めておるが、八木さんは懸命に逃げ廻っているそうである。折角仏縁を求めているものに何故後を見せるのであろう。目師の末弟として優雅な日々を送っている八木さんは、折角道師が説かれた目師伝の巧於難問答の真意を忘れたのであろうか。求めてでも難問答に遭遇して腕を磨きたいというのは、大石寺の光輝ある伝統のように承知していたが、今は少々勝手が違って来ておる。三十年四十年修行した妙法の功力を一点に集めて、一言高らかに唱題をもって一喝すれば、必らずや相手方もその題目の前にひれ伏して、信者であるものは甦生もし、信者でないものは信者になるかもしれない。仏縁を求めているものを避けるのは無慈悲ではなかろうか。順逆の両縁同時完了を期すべきである。
 一人を救えないものに万人を救う資格はない。両者があい対している中で、もし現世の寂光土と信じられておる山内を血で染めるような事になれば、それは宗門の破滅に通じるものである。巧於難問答という程のこともあるまいに、一度逢って、一言もって翻意せしめて自らの技倆を試みてはどうであろう。阡陌陟記が尚不充分であったことは反省しているが、宗門の高僧には、いついかなる時でも存分に力を発揮する用意は備えられている筈である。一人を救える者には万人を救うことはやさしいが、万人を救う者に一人を救うことは中々至難の業である。色々と難問が山積みしている中で、巧於難問答の小手調べに、先方の希望通り面接した上で、一言をもって相手の口を封じて見るのも一興であろう。そして三十年来の最優秀の学匠の座から巧於難問答の行者への脱皮を計る時が今来ている。今正是其時ということではなかろうか。
 学匠にはそれ程時を必要としないが、末法の行者ということになれば時が不可欠である。やはり外用と内証、流転還滅両門の相違ということであろうか。宗祖以来、行者ということが重視されている所に伝統もある。そして己心へのつながりもあるが、近代の仏教学には文献と己心とを置き替えているような点、大石寺としては大いに警戒の必要がある。それにも関らず現在の風潮は、他宗門よりは遥かに遅れて、今頃明治の頃の再現を夢見ているような所さえ見える。その結果として己心が急激に薄れて来たようで、近代仏教学と大石寺法門との和融こそ巧於難問答中の随一であろう。そして今程己心の失われた中では、六巻抄は全く荷厄介至極である。
 その六巻抄をいかにして現実に活かすか、これまた難問題である。六巻抄の中味を窺えば己心の一念三千法門そのものであり、捨ててしまえば問題はないが、簡単に捨てきれない処が妙であり、妙法である。取捨得宜不可一向という。取捨は在滅によって異なり、また像末によっても異なるもである。まずは滅後己心をもって根本とすべきであるというのが大石寺法門である。今これがどこまで守られているかといえば、誠にお寒い次第といわざるを得ない。己心を如何にして取り返すか、これが今与えられた最大の課題ということではなかろうか。
 さて暁鐘証正月号の大橋問答を見る機会に恵まれたので追加することにした。宗制宗規が大聖人の御真蹟と称したことは、既に公然と己心が失われた印であろう。今己心を捨てろというのも宗制宗規の定める処によって言っておるものと思われる。滅後七百年になって明了に己心を捨てることを要求するようになったことは、全くの驚きである。去々年夏の「御指南」そして十ヶ月計りたって大村さんの悪口罵詈、これは己心を捨てたものの狂態であるが、今振り返って見れば、正信会の首切りの前哨戦としての川澄擯斥であったものと見える。尾林論文、大橋問答抄、高橋報告書、何れも己心を捨てた上での話である。己心を捨てたために本尊も異様な方角に変っているようである。
 七百年守られて来た民衆宗教の線も、いよいよ終末が来たようである。末法転時とでもいうべきか。像法転時はそのまま像法が連続するが、末法転時は終末を意味するのではなかろうか。己心を捨てることは民衆仏教の捨棄であり即時に新貴族仏教に転ずるであろう。その新貴族仏教とは所謂新興宗教である。何とも大きな転換の時機である。
 暁鐘正月号の大橋問答抄に「御本尊は一機一縁の産物であって、本因でなく本果に属し、迹だといっているのです。ここでは通じない議論です」という文がある。記主のいっておるのは宗制宗規の定める処について本果といっておるので、文章の意味が理解出来ないようでは反論の資格はない。何回となく繰り返しても判らないとはお気の毒という外はない。しかしここに至っても、大橋さんの心の片隅に戒旦の本尊が本因であるということがかすれかすれでも残っていることを知ったのは大きな収穫であった。しかしこの本因の語には何等の裏付けもない、かなたの夢物語の中の語である。記主はその本因の本尊を取返してもらうために憎まれ役を自ら買って出ておるのである。
 名実ともに消え失せた本因が本果の上にか外道の中にか、忽然と現じてくる。本仏にしてもそうであるし、三秘にしてもそのような感が深い。今度現われたときには何の裏付けのないものが登場する、全く幻影に等しいものである。先程の大橋さんの文はよくその間の消息を示している。これが今の大石寺の最大の泣き処である。これでは他宗の学者に理解出来ないのは当然であって、自分等にも既に理解の外に遠のいているものである。
 大橋さんが自分に都合の悪い処を消して人を批難しようと思っても、その手に乗るわけにはゆかない。これでは真面目に話をするわけにもゆくまい。或る意味では大石寺一流の伝統的な方法といえるかもしれない。己心を捨てると色々な処へ障害が現われるものである。大橋さんは戒旦の本尊を本因と知りながら何故本因の意義を探らないのであろう。
 拝めば金がもうかる、病気が治るとは、本因の本尊には凡そ縁のないことのようである。金や病気とは別箇な処で本尊の真の姿を見出すべきである。金や病気と現われる前に本因の本尊の担当する領域がある。自力というも同じことであろう。金や病気となれば本果の領域である。自力を唱えながら気が付かぬ間に他力に変っている。互いに大きな力に頼ろうとするところは、宗門全体が他力的になっている故であろう。今は本尊も頼るためにあるということになって、信者に対して自力を授け導く意味は見当らない。そのような中で見付けたのが金であったということなのか。己心の世界には金は無縁である。金がない処には自ら己心も立ち還って来るのが真実であろう。
 「『己心から抜け出す云云』といって、心が色へ変化することに優劣を見てはならないのです。」と。これも大橋問答中の一文であるが、頭の弱さは、この一文なかなか理解しにくい甚深の法門のようである。己心から抜けだすという語は使っていたかもしれないが、次の文章とどうつながるのであろうか。心とは己心のつもりであろうが、心が色に変化するというのも難解である。今私見をいえば、戒旦の本尊から万円札へうつる時、優劣をつけてはいけない。万円札も本尊も優劣がないという意味であろうか。己心の弥勒の黄金が現世の万円札に変るとき優劣をつけてはいけないという意味か。そうなれば人間の弱さ、いつの間にか万円札に飛びつくのは至極当り前のことである。万円札を積み上げられるとき、己心の弥勒の黄金をもって拒むのは法門の世界である。大橋理論では即刻万円札に飛びつく自分の弱みを理論付けようとしているのか、記主には一向に理解出来にくいところである。
 己心を抜け出すというのは、己心の上に成じた法門をもって、或は本因の本尊を忘れて万円札に飛びつくことを言ったかもしれない。大橋さんの文意は戒壇の本尊の意も、自分等が私有物として万円札を積み重ねることも、内證は全く同じで一向に不都合はないということが言いたいのか。少々飛躍が過ぎるのだはなかろうか。或は後めたさがこのような論議を作ったのであろうと理解しておくことにする。しかしながら己心の本尊が万円札に奪われるようなことは、あってはならないことです。色心不二の解釈の一端に自らの学の深さを表わそうとしているのであろうが、このような考えが宗門を窮地に追い込もうとしているのかもしれない。この様な理論が成り立てば、いか程万円札にうつつを抜かしても罪悪感というものは起らないであろう。このように見ると己心の一念三千法門よりは、色心不二の方が遥かに優勢である。大橋さんの技倆には全く敬服の他はない。作礼而去、作礼而去。


 最高最尊
 中古天台では上行菩薩を称して高貴の人といっておる。大石寺法門はその上行の処に立てられておる故に最高であり、戒旦の本尊は最尊である。己心を離れ本因を忘れては成り立たない話である。しかも世界最高といい、世界最尊という。本来己心の上に建立された一閻浮提という世界が現実の世界に切り替えられて、本因にあるべきものが、本因を忘れて外相の現実世界につながってゆく。本果というべきか、外道というべきか。内証己心にあるべきものが、いつの間にか外相のみに止まり、しかも根も葉も失われた本因の法門が忽然と再現される。そこに最高最尊が考えられる。
 不信の輩もそうであるし、謗法もそうである。大石寺のみが正宗で他宗は皆邪宗であり、自を真とすれば他はすべて偽であるという考え方、本因にあるべきものが、本果や外道の処で改めて再現されているのが大石寺法門の現実である。折伏も内証己心にあるべきものが、すべて他に向って発動する。他宗の学者も、この飛躍は中々理解出来ないように見える。勿論分る筈のないものである。そこに周辺を遮断する空白の場がある。若し己心の確認がなければ孤独の道を進む以外、善い方法はないであろう。このような事に付いては、以前は知らない、少くとも明治以来の伝統であることは色々な文献がこれを証明しておる。
 六巻抄のような本因己心の考え方は既に失われて、最高最尊だけが新らしく別の世界で芽ぶいているとしか考えられないものがある。やはり孤高が保てなかったのであろう。本因にあれば独一であっても、保てなければ独善に堕す以外に道はない。今の大石寺法門には、独一といえるようなものは何物も見当らない。しかも宗門当局者は今に独一をもって任じているようである。そこに悲劇がある。
 最高最尊の上行は大地の底にあるというが、俗世間から見れば最低の処である。そこで今の大石寺は上行や本仏を虚空に押し上げて最高と思っている。これは時節の混乱のなせる業である。これなども本因の法門がそのまま俗世間に結ばれた一例である。虚空に押し上げられた最高は右尊左卑の世界であるし、大地の底に最高を見るのは左尊右卑の世界、即ち己心本因の領域である。案外このような簡単な事が理解されていない。そこに根本の誤りがある。少なくとも他宗門の人等に理解出来る法門であってほしいものである。


 在世の末法
 今在世の末法というのは第一には釈尊の末法を指し、次に宗祖の滅後の中で御影堂の場合を在世と云うこともある。在世の末法を称して流転門といい、宗祖の末法即ち上行の末法を還滅門と称しておる。古来宗門ではこの様な語は使われていないということで抹消しようとしているが、肉身本仏論などは内外ともに古来その例はない。また観念論という語も見かけたことがない。まして己心でも心でもよい、己心を捨てて心にせよなどという語も宗祖以来全く見かけない処である。
 宗門があわてて使った語は殆んど新語計りで満たされている。内容的にも全く目新らしいものばかりで、余程無理をしないと今宗門が使っているような意味は出ないであろう。人の非を挙げる前に、まず自分等の使う語が古来使われているかどうかということを反省した方が余程賢明である。御書のどこかにも、人の悪をいうこと勿れということが引かれていたように思う。人の悪のみを拾うことは君子のとらざるところである。皆さん方は記主とは遥かに境界の違う人等ばかりであるから、今少し品格のよい処を示してもらいたい。しかし他宗のものが未消化のまま使われると、色々と混乱を来たす恐れがある。も少し慎重に扱ってもらいたい。
 客殿は左尊右卑、御影堂は右尊左卑という姿は残されているが、御影堂の本尊は、本来は紙本尊の方が正しいのではないかと思われる。これらに対して客殿の本尊を安置する御宝蔵の戒旦の本尊は、紙幅の本尊の文底を写し取った板本尊が正しいようである。板本尊には写し取るところに文底の意味がこめられているようである。板本尊を見れば文底に法門を立てていることが即刻わかるようになっていたものであろう。鏡像円融の理そのままである。
 写す時は凡形があるから鏡像は出来るが、写ってしまえば鏡像が本で、反って凡形が仮りの姿になるのと同じである。やはり時節の転換を知ることが第一である。この時凡形を流転門とたて、鏡像のところを本因といい、上行ともいう。時節を外しては仏法はありえないところが妙である。つまり己心の一念三千法門の境界である。これを還滅門とたてる。文字は借り物である。要は内容をいかに忠実に表わすかが問題である。
 広宣流布にしても謗法にしても宗祖にその語はあっても、今いう処の内容とは遥かに異なっておる。言葉さえ同じなら、内容はどのように摺りかえても自由なのであろうか。むしろ内容の摺りかえこそ慎むべきではなかろうか。このような中で、結局は自分でも分らない、他人は尚更ら理解出来ない法門に成ってゆくのであろう。内容こそ本法そのものである。上行を捨て、本法を捨て、更に己心の一念三千法門を捨てて、新らしく宗義を作るような事は考えないようにしてもらいたい。
 随方毘尼はその発端において厳重な約束事があることを知らなければならない。行き当りばったりの改変は諸人の迷惑である。宗門としては、御影堂式の在世の末法を立てるのが唯一の方法であること位承知しておくべきである。連日の改変は法門の領域ではない。


 在滅の中間(一)
 生死というも丑寅というも同じものである。法門では死んで生じ、滅して生があるということである。釈尊の在世が終って上行の世が始まらんとする処が中間である。これが宗祖一人に具現されるのが開目抄の「魂魄佐渡に至る」という処である。宗祖では滅して後に生じること、釈尊でいえば涅槃の悟りであり、衆生は専ら生きながら涅槃の悟りを得るという中で、大石寺法門が建立されている。
 丑寅の成道とは凡俗の生きながらの成道であるが、今では殆んど死後の成道に変って、生きながらの成道は既に過去のものになり切っておる。許されざる改変である。死後の成道には格別己心の法門の必要もない。己心が失われても成道に支障があるという程でもない。今はその線に乗って宗義が建立されているように見える。
 竜之口において凡身の頸を切られた事は死であり、佐渡に至って魂魄の開目をされた事は生である。生きながら死を迎えて生をとる、これが大石寺の悟りである。これを成道という。ここに大石寺法門の根源がある。今は次第に釈尊の成道に近ずきつつあることは、己心を失っている証拠と見るのは記主の僻目であろうか。
 己心を失った大石寺法門の行手は自ら定まっていると思う。去年去々年の論文を見ても、根本は己心を捨てる処にあったように感じられる。最近の大橋問答抄にも己心が失われているために、一貫性が欠けているというか、一向迫力がない。中観論を研究した成果か、カントやアインシュタインに深入りしたためか、それは分らない。何れにしても己心を取り返す事が目下の急務である。あわてて他宗のものを拾って見ても、時節が違えば決してプラスになるものではない。己心を忘失した大石寺法門程無意味なものはない。
 今若い世代が、左から右へそして真剣に宗教を求めているといわれているが、それは実際には宗教ではなく宗旨ではなかろうか。大橋教学では若い世代に魅力を持たせるようなことはあるまい。鎌倉の頃のように現在大きな民衆思想の転換期が来ているようなことを感じる。まず必要なのは、当時と同じように己心に限るのではなかろうか。今の若い世代が在り来りの宗教に救いを求めるようなことはあるまい。在来の宗教で救えると思うのは宗教家のひとりよがりかもしれない。然も今の若い世代は案外遥かに深いものを求めているのかもしれない。そのためには、まず己心の法門を与えることが、思惟につながる最良の方法であると思われる。
 宗祖の己心の法門の深部を探れば、今日・未来にも通じるものがある。それを探り蓄える必要があるのではなかろうか。今の宗門の考え方の中に、未来を引き起すものがあるとは思えない。それは己心を失った代償ということであろう。既にひとりよがりの宗教の時代の終った事を確認することが今の最要事であるように思う。大橋さんいかがでしょうか。


 在滅の中間(二)
 生死の中間ともいわれ丑寅の中間ともいわれる明暗来去同時の処である。生きながら在世から滅後へ、そして死から生へ移る処に成道がある。今は命数尽きた死のみに成道が限られておるが、大石寺では生きながらの成道が主となっており、これを他門からは、からかい半分に現世利益宗教と称している。本来のものが消えてその旗印が鮮明を欠いたために此の様に映るのであろう。本因部分が薄らいだためである。今は現世利益宗教的になり切っている感じである。
 生きながら死へ、その死から生への処に中間がある。始めの生は流転門であり、後の生は還滅門である。死から生へとは魂魄の上にのみ考えられるもの、丑寅勤行はこの境界においてなされている。師弟相寄った勤行は魂魄の上の所作であり、そこに成ずる師弟一ケの魂魄をさして大聖人ともいい、本仏ともいわれている。言葉を換えれば丑寅の成道ともいわれるものである。これを称して師弟子の法門といっておる。大きく包めば己心の一念三千法門のうちにあるものである。
 「心から色への変化」ということを大橋さんは言うが、変化というものは同じく流転門にあるものには通じるが、上行のように始めから色心各別でない時には通用しない語である。その変化という語の中で、己心の上に建立された戒旦の本尊が色々に変化して万円札に変えられる処は実に巧妙である。しかし、ここにも既に限界が逼ったようである。大橋さんにこのような理論付けがあるとは全く気が付かなかった。これでは罪悪感が起らないのも当然である。しかしながら、これをもって己心の法門に入れることは出来ない相談である。宗祖もこのような変化は予想されていなかったかもしれない。
 法は無尽蔵であり、変幻自在であるとはいいながら、そこには厳重な制約が設けられている筈である。上行をとれば、変化ということはありえないと確信しておる。しかし戒旦の本尊から万円札へと変化する姿が、その一部分でも示されたことは、今度の大橋問答抄の功績と考えたい。永年の氷塊も一時に溶けた感じである。以上の大橋問答は、余談であるが本来の丑寅の中間の意味が薄れた時に起きる新発想というべきか。本因がはっきり掌握されておれば、このような変化はありえない筈である。
 丑寅の中間、在滅の中間は大石寺法門の中核をなす部分、全てはこの一点に集中されている。竜の口の頸の座から魂魄佐渡に至るところ、全く刹那である。そこに生死の中間がある。これをこつこつと時間を勘定するのは愚人のする事である。本尊抄、撰時抄、報恩抄其の他の御書が出来ても、逆次に読めば刹那の上の所作である。竜の口でもない、佐渡でもない、中間佐渡の海上に浮んだ波の上の妙法には明らかに中間の意味を持っておるが、これは同じく中間であっても宗祖一人に限られており、大石寺はこれを師弟の上に移して中間を考える処に仏法の意義があり、此が他門との大きな相違点でもある。
 波の上に浮かんだ五字の題目は一言摂尽の題目である。大石寺ではこれを同じく波の上でも明星池に限って考えられておる。そしてここに師弟子の法門が確立されておる。師弟子の法門という語は古来から宗門にはないといいきっておる向きもあるが、これは外相の一辺に捉われて真実内証の法門を忘れたもののいうことである。毎朝の勤行にこれを行じ乍ら、それと気が付かないとは、何と申上げてよいやら、返す言葉も見当らない。まことに迂闊千万と申しあげたい。事行の法門とはうっかり見落すようになっているのかもしれない。
 元より己心の法門は上行出世の上にのみ成り立つもので、釈尊隠居によって上行が出現し、師弟子の法門がたつ。正面の本尊を譲座本尊というのは釈尊が隠居して上行に譲座する意味も含めている。ここに隠居法門といわれる所以がある。
 釈尊の左下座は、上行では左上座にあたる。この故に客殿は左尊右卑をとることになっている。そして本因の本尊も出現する。これまた左尊右卑であるが、今は南向きの本尊を対境として成道することになっていて、釈尊の時と全く同じであるから迹門形であり、師弟各別の成道となっているが、本因の本尊は丑寅に向く衆生と正対して師弟一ケの成道をすることになっている。今は未申に向く本尊は全く忘れられている。何れから見ても今は本果の本尊の条件を満たしているようで、本果ではここには通じないといっても、本因といえるものは何一つないのが現状である。天から降ったか地から涌いたか、思い出したように本因だといっても、こちらには通じない。先ず本因の本尊としての条件を満たさなければならない。
 本尊が本因でなければ本仏もまたあり得ない。そこを強引に本仏をいえば、宗祖肉身本仏論の登場ということにもなる。これまた真実の本仏ではない。本尊のためにも本仏のためにも、また衆生の成道のためにも、成程本因の本尊だといえる条件を具備せしめるためにも、法門を一筋通すことが肝要である。ただし、己心を捨てては、本尊を本因とすることは絶対にありえないことだけは承知していてもらいたい。
 己心の法門を捨てて本因の本尊を称え、本仏を口にすることは全く最低の欺誑であると確信する。折角忘れずに本因の本尊を口にするなら、本因の本尊が出られるような雰囲気作りをすることが、大橋教授の崇高な使命というべきではなかろうか。拝めば金がもうかる式の本尊をやめなければ、本因の本尊を称える資格はないものと信じておる。
 今は隠居法門ということも既に昔語りになりつつあるのではなかろうか。釈尊が隠居して上行が出現する処、ここに丑寅の中間、在滅の中間がある。上行が出現すれば魂魄の世である。ここに己心の法門も成り立つもので、何をおいても時節の交替を確認することが先決である。五百塵点の延長線上には当初は在り得ない。在滅の中間の処に本因がある。その処において師弟一ケの魂魄の上に成じるのが戒壇の本尊である。これを知ることが仏法を知ることでもある。
 本果の本尊とは完成した意味があるが、本因の本尊には常に完成する時がない。常に未完の完を求めてゆくところに真実がある。末法万年はおろか、尽未来際に至るまで、もうこれで完成したという時はない。永遠の生命の一つの表現方法であろう。所謂寿命長遠である。ここに宗門の理想が秘められているものと思う。
 暁鐘正月号では、阡陌陟記の己心を破折するため天台の三法妙をあげ、そのうちの心法妙と己心・久遠名字の妙法・大曼荼羅は全く同じであると断じている。そういうことになれば戒旦の本尊に仏・衆生の二法妙さえなく、心法妙のみと全同ということになる。このような是三有差別は戴き兼ねる。己心にも久遠名字の妙法にも、また本尊にもこの三は含まれていると思っていたのは誤りであろうか。依義判文抄でも是三無差別の中で本尊に繰り入れられているように見える。これまた寛師の誤りであろうか。
 天台は理の法門というが、これは時節を判別したときにいわれているように見える。天台は像法即ち右尊左卑ということが強く作いた時にいわれれる語ではなかろうか。
 心法妙すなわち久遠名字の妙法・己心・本尊といわれても突嗟に返事も出来かねる程の驚きである。心法妙から広宣流布をどのように引き出してくるのか。或は理屈ぬきですなわちと定め込むつもりであろうか、何とも理解しがたい処である。久遠名字の妙法などをそのように単純に至極簡単に解釈してよいものか、反問したいものである。これでは六巻抄の必要のないことも何とか理解(わかり)そうである。況んや心法妙すなわち大曼荼羅というような考えは宗祖の慈悲を無にするに等しいものである。宗祖の慈悲を消すことは最悪の誹謗に当るであろう。しかしこのような考えの中には一宗建立出来るものはあるかもしれない。
 宗祖の本尊は滅後末法に建立されたものであるから、天台の心法妙に本尊を立てるなら格別異流義でもあるまいし、大手を振って一宗建立は可能である。学会には利用価値があるかもしれない。像法の心法妙に一宗を建立するなら、日蓮門下から異義を申立てられることもあるまい。この発想は大石寺流にはなじまないが、一宗建立の要素はたしかに具備しているように見える。既成仏教並みにするか単なる新興宗教とするか、それは技倆次第である。


 左尊右卑
 右尊左卑か左尊右卑かということは、人をいえば釈迦か上行かということで、相からいえば上行は左尊右卑ということになる。流転門か還滅門かというのと同じである。六巻抄でこれが論ぜられる時には、既に上行出現の準備万端整った処である。右尊左卑に釈尊と宗祖の区別がある。宗祖では御影堂にこれが表わされている。今の宗門ではこの語は全く消えてしまって、ただ結論だけが残っているようで、肝心の本因にあたる部分は消滅している。大橋さんにも左尊右卑の意義は理解されていないであろう。
 本因の本尊といっても、それを証明するものは何物も見当らない。むしろ否定する素材のみではないかと思われる。法門の座に乗って来ない根本はそこにあることを自覚しなければならない。文段抄でも六巻抄でも、少し心を静めて読めば簡単に且つ正確に理解出来るように解説されておる。これが理解出来ないでは、上行を論じる資格はないも同然である。六巻抄では肝心の時節が省略されているので一寸理解しにくい面があるが、第一よりそこに至るまでのもの、特に第三以後のところから時節を取り上げてそこに当てはめれば、間違いなく理解出来るようになっておる。上行の出現が確認出来なければ釈尊に帰るのは当然といわなければならない。本仏が虚空へ上るのも、その辺りの混乱が原因になっている。大石寺法門の中では重要な働を持っておるものの一つである。
 本尊では釈尊と上行が向い合っている図である。釈尊は右上座であり、上行は左下座に当る。多宝も左下座に当っている。多宝は在世の下座であるが、しかし釈尊が譲座して隠居すれば滅後となって上行の世となり左上座となる。釈尊の左は在世では下座であるが、譲座があれば左上座となる。ここに左右の交替がある。これからが左尊右卑の世である。
 大橋さんの暁鐘正月号の「心が色へ変化することに優劣をみてはならないのです」は不可能である。「へんか」か「へんげ」かルビを付けた方が親切であるし、心も色も註がほしい。それでないと一向要領を得ない。しかしここでは、「己心を抜け出す云云」とあるから、心に己心の意味を持たせて、上行が色相に出て作を示すところ、即ち今の宗門の考え方、行動を表わそうとしているのかもしれない。しかし、今の宗門を見ると心が色に「変げ」している線をとっているようにも思われる。
 釈尊から上行への変り目を「へんか」というのも戴けないし、「へんげ」とあっては尚更異様な感にうたれる。心から色では多宝から釈尊へあてはめるわけにもゆかない。やはり上行の上に立てられた己心の法門が今のような解釈になった処が、「変げ」というに一番相応しいようである。内証から外相へのときには「変か」ではない。何故ならば、上行は色心不二であるから、「変か」には格別の意味をもっておるのではなかろうか。もう一歩立ち入って説明を加えてもらいたい。或は宗門の現況を自ら「へんげ」と認めているのであろうか。一寸中途半端である。
 右尊左卑の釈尊は南面であるが、左尊右卑の上行は西南面というのが大石寺法門の立て方のようである。丑寅から未申に至る鬼門の線は諸仏の成道する処、中国でも重要な一線である。この線を中心に仏法は開けてゆくのかも知れない。仏教は南北をとり、仏法は東北、西南をとる。これは大きな違い目であるが、今は再び南北に変っているようにさえ見える。
 仏法から仏教へ、これは心から色への「変げ」と考えられないこともない。「現世利やく」が「現世利えき」に移るところは、たしかに心が色に「変げ」した形相である。どこか心の片隅に残った一片の良心に押しだされて秘事がついうっかり表に出てしまったということであろうか。左尊右卑については以上の外格別名案も浮ばないので、今までのものを見直していただきたい。最後に、左尊右卑の法門を右尊左卑に解釈することは、やがてわが身を責めるような結果を招くことになるかもしれないことを記しておきたい。「心から色へへんげ」という発想によって開眼させられたことについては、大いに敬意を表したいと思う。


 三 学
 依義判文抄には伝教の学生式問答の、三学倶伝名曰妙法の語が引かれている。三学倶伝の三学とは戒定恵の順に列んだ時に限る。これを根本法華とも、本法とも、また久遠名字の妙法ともいう。所謂上行所伝の妙法である。六巻抄がここに引かれたことは、文の底に秘して沈めた一念三千法門、また久遠名字の妙法を明らめるための用意に供せられたものである。
 三学倶伝には寿の長遠を秘めている。依義判文抄が遠霑妙道で括られているのもそのためである。三学は三秘となり、更に宗開三に配せられ、師弟一箇して戒旦の本尊にまで発展してゆくもので、この意味からして戒旦の本尊には無限の長寿を含められているものと考えられる。広宣流布の理想形というものが秘められている。しかしながら、今いう所の広宣流布とは連絡はなさそうである。これは解釈があまりに外相に出過ぎたためであろう。戒壇の本尊の貌が師弟一箇して具現されるなら、それは広宣流布である。広宣流布も今では法門からいえば大分逸脱しているのではなかろうか。
 久遠名字の妙法を修行の面からいうときに一言摂尽の題目という。この修行の面について戒旦の本尊もあれば広宣流布もある。そこには修行が不可欠である。修行が重んぜられる理由もまたここに根差しているのであろう。久遠名字の妙法と一言摂尽の妙法と、真実の師弟はそこに立てられているのかもしれない。それを根本として宗を建立しているのが日蓮正宗である。
 宗祖直筆の本尊から始まって、その本源を遥かに思惟した中に戒旦の本尊に示された理想像がある。これが本因の本尊といわれる正体ではなかろうか。拝めば金がもうかる式の本尊とは遥かな隔りがある。根本のものが消えては本因の本尊ということは出来ない。今は同趣一根を忘れて枝葉のみの繁茂に酔っていると言うきらいが有るのではなかろうか。同趣一根とは本因を表わしているように見える。即ち久遠名字の妙法である。枝葉と一根とは常に不即不離でなければならない。所謂もちつもたれつという処である。


 三世超過
 三世とは釈尊の過現未のこと、これを流転門として己心に還滅門を立てるのが大石寺法門の根本であり、ここを本因としている。それを忘れて、或る時何の前振れもなく突如として本因世界を具現しようとするのが今の大石寺の立て方である。これを己心を抜け出しと評しておるのであるが、大橋さんは反対に受けとっているように見える。自分では大地に根を下しているつもりでも、それは浮草と全く同じで、水中に根を下しているまでである。そこで波のうねうね生いしげって波の上を浮動しながら、誘う水あらばいなんとぞ思うということになる。その誘いに乗ったために今の混乱をまねいたのであろう。
 本因の法門は大地に根を下す処に意義がある。本因をたてながら空中に根を下そうと思うこと自体浮草のごときであるというのが、寛師の警告の真意ではなかろうか。己心に建立された法門に居りながら或る時突然己心の世界から抜け出てしまえば浮草同然で、その浮草の別名を根なし草という。当方の書いた己心を拾い上げることさえ、大橋さんは少なからず恐怖を感じているようであるが、誰がそのような恐怖感を起させているのであろうか。恐れることも恥かしがることもいらない。一日も早く己心の世界に立ち還ってもらいたい。そこには還滅門が門を開き双手を挙げて歓迎しているであろう。
 流転門から還滅門に至る間をつなぐのが受持であるが、今は時に釈尊を黙殺しようとしているように見えることさえある。その隙に釈尊の流転門の処に急いで還滅門を建立する。このような傾向があるのではなかろうか。突如として戒旦の本尊が本因らしく現われる下地は、そのあたりにあるように思えてならない。そのような中で民衆不在の下地も培われてゆくし、急に思いうかべて現世利益をとれば、他宗門から現世利益宗だと下げすまれる。そこには本来の宗教から逸脱しているという意を持っているであろう。
 過去をも未来をも失っては宗教ではないといっておるのかもしれない。自らは世界最高の宗教といいながら、他宗からは最低にも入れてくれない程の違いようである。多少の反省があっても決しておかしくないと思う。詭弁を弄することはあまり人聞きのよいものではない。有識の者のとらざる所である。
 受持即観心という。大橋さんなら受持は即ち観心なりと読むのであろうが、ここは受持に即して観心と読むべきである。釈尊の流転門を受持した処に上行の還滅門があるという意で、若し即ちと読めば、受持した後は釈尊は無用の長物となる恐れが充分備わっておる。釈尊無用論などは即の読みから始まっているようにもとれる。受持に即して、即ち受持した世界に観心を見るということは、煩悩世界の中に菩提を見る煩悩即菩提と同じく、煩悩という世界を否定していないが、即ちと読めば釈尊流転門の否定というようなものを持ってくる。そして自分等では上行の世と思いながら、新流転門を作ることになる。今の宗門にそのようなものが無いといえるであろうか。少くとも大橋説にはそれが充分に伺えるものを持っておる。現実には五百塵点にありながら本因をいうために延長線上に当初を考える。これなどもその一例ではなかろうか。本処には妥協は一切ありえない筈である。折角当初といい元初を称しても、それでは根なし草のごとくで、所詮は釈尊世界から脱することは出来ない相談である。このあたりから今の大石寺の法門的な体質が伺えるということかもしれない。


 あとがき「大黒喜道の論文を破す」を哀む
 エビ談義に次のような文がある。「三重秘伝抄の注解には『人法体一とは、名は一つで義は広いのであるが、今は凡身と一念三千との人法一箇、宗祖大聖と妙法との人法体一とを取るのである。併し此義は凡情に超絶するから諸門家多く此を肯定せずして此の人法を隔離し空漠の理想に走り仏祖の命根を割くやうな有様に陥っておる』と記され、久遠名字の妙法を法本尊、凡身の宗祖を人本尊と配されているのはどうでせうか。」と。寛師はわざわざ宗祖の肉身は本仏でないといわれ、注解は凡身が本仏であると称しておる。亨師在世中に訂正されたわけでもなく、一貫して通用しておる。これが明治教学の根本をなしておるものである。
 根本が違えば明治教学と別立するのは当然のことである。寛師は煩悩即菩提の菩提の処に凡身を見、注解は煩悩即菩提の中には煩悩の処に凡身を見、大橋説は煩悩即菩提の外に凡身を見ているようである。次いでの如く仏法、仏教、外道と見られそうである。特に第三の場合は或る時忽然と仏法や仏教の凡身が出現しておる処がある。
 己心の法門においては、自受用報身と久遠名字の妙法とは一箇するが、凡身では遺憾ながら時節が違う。竜の口で凡身を断った後に、魂魄の上に己心の一念三千法門が建立されていることを想起すべきである。凡身・宗祖に、今一つ注釈が必要であったのであろうが、今さらこれを取り上げることは出来ない相談である。注解からエビ談義と、どうやら行きつく処まで行った感じである。すっきりと寛師の処へ帰ることが最も無難な方法である。上行不在の処へ本仏論をたてて見ても所詮無駄な努力である。
 「宗祖の身体即ち彼等の言う宗祖の肉身も一念三千即ち妙法蓮華経の当体なのですね。はい、色心不二、身土不二ですから一仏(宗祖)の体内においては己心も肉体と一体不二で優劣の差違は無いのです。」即の使い方は大橋流であるが、即ちとはイコールの意で、この解釈も優劣に差違がないという中で考えられたものであろう。凡身に即して一念三千・久遠名字の妙法と表現する方が大石寺法門には相応しい方法ではないかと思われる。さて、「彼等のいう肉身」の肉身は阿部説によったもので、吾々は只の一回も宗祖の肉身が本仏であると言った覚えはない。完全なすりかえである。先生がいかように天台学の深さを見せようとしても、所詮は天台学であり肉身本仏論である。「彼等の言う」などというような、見えすいたすりかえはやらない方が賢明である。
 「一仏(宗祖)の体内においては、己心も肉体も一体不二云云」と。先生の談義は一仏出現の時は未だ到来していない時であるし、一仏の体内において肉体が論ぜられるのも異様である。またこの「己心」もここでは心の方がよさそうである。一つとして素直に使われているものはない。全く時節の混乱の見本のようなものである。これが大橋教学の骨子であるとは、まことに恐れ入った次第である。一仏の体内といいながら肉身が出る。このような肉身が出る処は体内ではない筈である。体内とは一体どのような処を指しているのであろうか。
 「己心の法というのは、むしろ天台的ではありませんか。そうです」と。己心が天台的であるなら、未だ一仏出現已前である。これでは宗祖を一仏と定めることは出来ない。一仏とは上行出現を確認した上での語であって、肉体とは全く無縁のものである。これでは邪という方が適当なようである。しかし己心を捨てたために肉体がかわって出るのは当然すぎる程のことである。正邪の境目もこのあたりにありそうである。
 吾々には、大橋教授がどこに根本を求めているのか、一向に理解することが出来ない。或は先生一人のみに理解る法門なのであろうか。これでは説得力がない。己心が天台的であれば、肉体もまた一体不二の故に天台的である。宗祖本仏論とは天台的な宗祖の上に建立されるものであることを明しているのがこのエビ談義である。
 己心や肉体が天台的であれば宗祖は迹門的であり、大石寺法門も迹門的であり文上の所談ということになる。これでは丑寅勤行も衆生の成道も、また戒壇の本尊もすべてその所在を失うことになる。信者に向けては上行の末法を説きながら、裏付けがとれるのは像法までということでは、邪道というより外いいようもないところである。大橋説に果して成道があるのであろうか。説主が宗学研究の最高位におる教授の直説であって見れば、一応宗門を代表する説と見るべきである。そこに空恐ろしさがある。
 上行の時に出生した法門を迹門に接いで下種仏法を称してみても花が咲くわけでもあるまい。竹の株に枯木を乗せて花が咲いたと喜んでみても、所詮は木中の花である。凡俗にはこの花を楽しむような下地は何物もない。ない者にも楽しめるような方法を授けた上で、師弟共に楽しもうという処に師弟子の法門は立てられている。その方法も授けないでは威張る資格は毛頭もあるまい。その上に無相伝の輩では、民衆はどこに救いを求めたらよいのであろうか。
 今度のエビ談義は、大石寺教学の泣き処を残りなく明らかにしている。吾々でさえ口にしにくい処まで明らかにされている処は大橋先生の御慈悲と受けとめたい。所詮天台学を暗記しただけでは救いがない。ゆっくりと落ち付いて、充分に消化してからでなければ、反って身の災いになるのが落である。今度は信者向けでない、責任のある処を御披露願いたいものである。
 一見した処、七ケ月間のエビ談義では、宗祖の懐中から己心の一念三千法門を抜き取るのが目的のようである。上行の消えた教義では、時も種熟脱を超えることも出来ないのは当然であるし、自受用身の語は使っても応仏昇進の自受用身である。しかもそれに気が付かないとは信者衆の悲劇である。今の大橋さんは臆面もなく脱談義の処に本仏の出現を夢みておるのである。まことにはた迷惑な話である。己心の法門を天台的と言う大橋さんは、ほんとうにそう信じているのであろうか。
 「そこでは時、即ち種熟脱が問題になってくるでしょう。」「無作三身・自受用身」と。以上は何れも迹仏世界の事であるが、大橋さんは上行の時と信じ切っているようである。自受用身は応仏昇進の自受用身であって、久遠元初の自受用身ではない。大橋さんは応仏昇進の自受用身に本仏を見ているのであろう。さりとは心細い限りである。当家からいえば無作三身の方が優で自受用身が劣である。この無作三身は上行の世がくれば即時に久遠元初の自受用報身と現ずるからである。この故に覚前の実仏といわれる。覚とはさめるとよむ。そのさめるとは上行の世を迎えることである。長い間無作三身の研究にはげんでいた大橋さんは、上行の世に無作三身が出現するとでも思っているのであろうか。以っての外の誤算である。像法の世を立てる故に応仏昇進の自受用身が出、種熟脱の時が問題になる。ここにも許されがたい時節の混乱がある。
 今度は天台の三無差別のうち、心法妙のみを取り出して即ち「大曼荼羅」と称しておる。これでは上行も宗祖もその必要は毛頭ない。ないついでに時もない。最早仏法でもなければ仏教でもない。大橋さんはそのような危険を敢えて犯しつつあるのである。それが宗門の機関紙である大日蓮に堂々と掲載されておる。他宗の人等の目には宗門の教学が既にそのような方角に進んでいると読むかもしれない。他宗がどのように捉えるか、まことに無気味である。大橋さんよ、正継会とでも日蓮正継宗とでも銘打って、一日も早く一宗建立の道へ進むのが最良の方法ではなかろうか。(かわすみ)  

 

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 阡陌陟記(十)


 
はしがき
 
三学倶伝名曰妙法
 
本仏の寿命
 
三大秘法抄
 
あとがき


 はしがき
 今年二月号の大日蓮は、三重秘伝抄の注解と大橋エビ談義・水島説法と、三箇の本仏論が勢揃いしたところ、実に壮観であった。大日蓮に載せられる以上、当然子細に検討されたことと思う。専門の時局法義研鑽委員会の面々も研鑚の務を果していることであろう。しかも三月号・四月号と、一切大橋論文を否定していないところを見ると、今の宗門では正式に宗祖の一念三千を天台的即ち迹門流と認めたものと解される。若し異論があれば即刻粉砕すべきである。異様さを指摘されて弁解したのでは手遅れである。宗祖の一念三千を迹門流・天台的と定めた以上、今後本仏や戒壇の本尊などということは無益であると思う。宗門の機関紙に、一方では宗祖を迹門流とし、一方では本仏とせられたのでは諸人が迷惑する許りである。宗祖迹仏説を認めた宗門はまことに大らかなものである。
 さて、注解で人法一箇とされた法の一念三千は、大橋先生によって無惨にも天台流と下され、残された人即ち凡夫のみによって本仏が出現したという論である。荒凡夫が何の修行もなく、いきなり本仏として登場するところは、所謂中古天台にもない異様さである。いかなる場合でも優劣をつけてはいけませんという論がその虚をつかれた感じである。荒凡夫が本仏を称しても、肝心の衆生救済はあり得ないであろう。荒凡夫がどのようにして本仏になったのか、まずその極意の処を明すべきである。膝詰め談判の講義によるものであるなら、潔くその秘密を公開して諸人に安心を与えるべきである。そのような処に優劣をつけてはいけません。釈尊の時にもあらず、上行の時にもあらず、大橋独自の時であろう。
 釈尊の時は迹仏といい、上行の時は本仏という。今の時は迹本仏と称すべきか。時を外れては仏法とはいえない。大橋さんのまず習学すべきものは上行の時を了知することである。仏法に時がないのは人に魂がないのと同じである。時を知ることが仏法の入門につながることを改めて確認して貰いたいものである。若し先生独自の時の上にたつ論であれば大橋本仏誕生につながる危険をもっておるし、面々各々皆本仏ということにもなる。万円札の氾濫がこのような安易な本仏の誕生を誘発したのであろうか。世間に処しながらいかにして世間を遮断するかという処に仏法の極意はあると思うが、今の大橋先生は真反対で、仏法の中に処りながら如何にして仏法を遮断するかということに腐心しているように見える。すべてはこれ全く金のなすわざである。心が小乗にあれば宿業も自らその力を発揮出来ようというものである。
 次に水島説法では、人法体一である筈の本仏は、法宝と仏宝は別扱いを受けておる。法宝の位置に仏宝が移った時始めて本仏の力が発揮されるもので、未だ人法体別の域を脱していない感じである。人法体一を立てるためには必ず久遠名字の妙法を明らめなければならない。これを除外しているために本仏がその座に落付きかねている状態で、何となし釈尊の世界に本仏が出現するような無理があるのではなかろうか。上行世界は未だ開けていないという感が深い。丑寅の中間では丑の刻という処ではなかろうか。
 六巻抄では仏法僧は久遠名字の妙法・一言摂尽の題目以前に説かれている。この以前であれば釈尊に摂せられる恐れがある。以後をとらなければ上行と結ぶことは困難であろう。また観念文に仏法僧があるからということは時節の混乱のなす業である。座配の理解は当流行事抄によるのが順序ではないかと思う。観念文の仏法僧は第六の三祖一体の後にあることに留意すべきであろう。真実の本仏は第六の終った処で結論が出されているもので、第五の最後以前の仏法僧をもって客殿の座配に擬することは、時節の混乱を招く恐れが充分に備わっていると見なければならない。
 観念文の仏法僧は事行に属するものである。大橋説には背くけれども、事と事行の間に優劣差別を見なければ混乱が起きるということではなかろうか。事は師について説かれるものであり、事行は弟子が登場したところから始まるものである。その事を事に行ずるとき真実の本仏が出現する。
 第五の終りの本仏、第六の三祖一体の上の本仏、そして丑寅勤行の上に成ぜられた本仏、ここにも三重がある。最後の本仏は師弟一箇の成道であり、同時に真実甚深の本仏であり、これが明星池に写れば戒壇の本尊と現ずる。ここにもまた三重秘伝がありそうである。
 師弟一箇の法門が、師、弟子を正すと解釈されることは内証と外用の混乱であり、仏法から仏教への後退である。そのような処に成道があると思えないし、同時に本仏や本尊についても同様な懸念がある。師弟一箇の法門の意義が薄れると同時に、成仏も本仏も本尊もその性格というか内容というか、それは希望の如何に関らず日夜に変っているように思われる。どのようにしてこの流転を止めるか。これが今与えられた最大の課題ということではなかろうか。
 ひとつの師弟子についても、師弟一箇の法門として見れば上行所伝の法門であり、師、弟子を正す流に読めば俗世間的であるし、無優劣と見れば単なる観念論となる。師弟ひとつ読むにしても時を撰ぶことは必要である。大橋先生が何れの時をつかんでいるのか理解のしようがないというのが実状である。
 師弟子の法門なくして丑寅勤行は無意味である。衆生の成道も本仏も本尊も師弟子の法門があって始めて成ずるものである。これが失われたために本仏や本尊が忽然と現われるもので、若し成道を願うならその本尊を対境として成就する以外に方法がないが、これはいうまでもなく上行の放棄を意味するものである。
 師弟に優劣を認めないということになれば、理即・名字即の必要もなくなるかわりに成道等も一切なくなる筈である。「凡夫と一念三千」の語もこのような考え方の中で解釈されているとすれば、凡夫は名字即にもあらず理即にもあらず、ただ世間並みな荒凡夫となって、成道などとは凡そかけ離れた凡夫ということになる。凡夫も一念三千も宗祖大聖も妙法蓮華経も、何をおいても上行の時を確認することが先決である。時が決っていないから宗祖の一念三千は天台的だということにもなる。まずは罪障が現れて来たというべきか。誠に甚深の罪障のようである。
 凡夫と一念三千の人法一箇とあれば、当然凡夫は理即・名字即の含まれた師弟を表わしていると読むべき処を、今は只の凡夫とみたために時節の混乱が起こり、上行世界を離れた処に本仏や本尊が出現することにもなる。そのような処に肉身本仏論も発生するのであろう。これは許されざる妥協である。そして本尊もまた法門とは関係なく現われて、板本尊のみが世界最高最尊ということにもなる。最後に顕われるべきものが最初に現われると、流転から還滅に移って、信仰の形態も無意識の中に変わることになる。ここでは凡夫即極とか生きながらの成道ということは全く失われることになる。
 凡夫とあれば理屈ぬきで師弟と読み、理即名字と読むのは仏法家の初門である。仏法は初心の処にある。末法の初めが純円であるというのは、この初心の処を指しているのである。それが滅後末法である。七百年の年月が積み重なってくると、いつのまにか在世の末法に帰るのは人情であるが最早そこは純円とは凡そ縁遠い世界である。常に滅後第一日即ち十月十三日が純円の日と定められ、そこから一切の法門が出生している。その十三日が魂魄佐渡に至る日である。従って一応外相をとれば十月十三日ということになるが、よくよく純円の日と定めるべきである。
 大橋流の無優劣の観念論には衆生の成道が抹消される処が第一の難題である。二ケ年以前、己心を捨てろという処から事が始まって、一念三千法門は天台的だというところまで来た。学の深い処を示した宗門の代表的な見解と厳粛に受けとめておる。しかし、宗祖の一念三千法門を天台的迹門流と極めつけたからには、再び本仏や本尊の語を使うためには、まずその裏付けになるものを明確にすべきであって、大日蓮としては当然の責務である。一冊の機関紙の中に或る人は御本仏といい、或る人は一念三千は天台的だといい、また一人の談義に両面があったのでは、他門の評価もあまりよいところには収まらないであろう。
 己心を捨てろ、観念論、狂学、そして天台的と、筋は通っている。宗祖の一念三千を自らも捨て、他にも捨てさせようとしているうちに、とうとう自分等だけが捨ててしまった。一念三千法門によって宗祖の命は永遠に保たれているが、これを捨てることは宗祖の命根を断つことであり、師弟のつながりを放棄することでもある。言い換えれば本仏や戒壇の本尊に対する絶縁状でもある。さて新本仏や新本尊はどこにどのように収まるのであろうか。
 時局法義研鑽委員会も結果が出たのであろうが、本仏や本尊が変われば改めて届出も必要であるし、中々御多忙なことである。新本仏は何れ生き仏であろうが、一念三千の法門に優るものが果して見付かったであろうか、速かに全貌を発表してもらいたいものである。二ケ年に亘る成果にしては、いかにも浅薄な感じである。こうも簡単に捨てられるものとは夢想も及ばないことであった。人に捨てさせようとしているうちに、待ち切れずに自分等が先に捨てる羽目になったとはお粗末千万である。今捨てた一念三千の珠玉は、いうまでもなく御相承そのものである。受けたものを捨てたのか、なかったから裏付けを急いだのか吾々の関わり知ることでないことは勿論である。
 恵心僧都は権の位であったが、今の大橋さんは大僧都である。権僧都より偉いということはよく承知しておる。それにしても優秀な弟子のないことは解しがたい処である。弟子がなければ一代仏である。今から一念発起して記主の年までやれば十二ケ年ある。そろそろ弟子の養成に眼を向けてはどうであろう。そうすれば恵心僧都以上に後世評価されるかもしれない。折角優秀な頭脳を持ちながら、このまま一代仏で朽ち果てることはまことに忍びがたい。優秀な弟子や同志が多ければ多い程宗門もまた安泰である。そして一日も早く己心の一念三千の珠玉を取り返してもらいたいものである。
 他宗では本尊が顕われた時にはそれぞれの経文が既に用意されておるが、大石寺で本尊が先に顕現されると裏付けされる経文がない。もし法華経に依れば本尊の内容も自ら文上的になる。ここが文底が家のむずかしさで、そのために六巻抄ではまず文の底に秘した一念三千をあげ、これを詮じることによって本尊を顕現するという方法がとられているが、今は教学に対する考え方が他宗なみになったせいか、本尊が先に現われるような形をとるために、反って一念三千がお粗末に扱われているようである。
 六巻抄では一念三千を詮じることによって、やがて衆生の成道もあれば本仏や本尊が現われる。つまり宗義と教学が密着しておるが、今は大橋教学が示すように宗義と全く遊離しておる。他宗の教学をそのまま受け入れた結果である。大石寺では立て方が違うために、他宗なみなやり方では真反対に出るのは当然で、宗義と教学が遊離すると当然邪宗に向う危険がある。
 大橋さんの頭脳がいくら優秀でも、カントやアインシュタイン、阿含経や中観論から直に本仏や戒壇の本尊を取り出すことは出来ないであろう。一切の書物を引用しても混乱を招くだけで、返って邪に走る危険を多分に持っていることは、長い長い談義がこれを証明している通りである。しかし御本人が案外そのように考えていないのは、気がまめなせいであろう。やはり文底が家の教学には自らなる道があることを知ることが肝要である。
 一念三千を詮じるとは修行の謂である。その修行の上に現われるのが、衆生の成道、本仏本尊である。ここに次いでのごとく根本の戒定慧があるように見える。今これを仮に修行に約した戒定慧と名付ける。そして次には三祖一体に約した当家三衣抄の戒定慧、第三が法に約した戒定慧であり、この九が三となり、三が一となって宗祖の上に人法一箇の本尊と顕われる。それが戒壇の本尊であろう。己心の一念三千法門を捨棄した向きには、全く関係のない事ではあると思うけれども、敢えて私見を申し上げておく。


 三学倶伝名曰妙法
 体、用を離れず、用、体を離れずということがあるが、三学は体のごとく倶伝は用のごとく、体用の間に全く優劣はない。しかし同じく三学といっても、釈尊の三学と上行の三学には明らかな優劣がある。これは時が違うためで、大橋教学はここの処を無優劣と立てて全体を律せんとしている。立ててはいけない処に優劣を立て、立てなければいけない処に立てない悪いくせがある。このようなことはあってはいけないことです。アインシュタインと上行を同列におくのも一例である。上行所伝の無作三身と自受用報身の混乱など、立てるべき処で優劣を付けないための混乱である。カントや阿含経、釈尊や上行を一切の時を除いて同時に論じようというのが主目的のようである。
 己心の一念三千を天台的といいながら一仏(宗祖)が出現し、本仏が現われ、或いは戒壇の本尊が顕現される混乱が目前に展開されているのが大橋教学の特徴である。明らかに上行一本に絞られた大石寺法門の世界ではない先生独自の境界である。恐らくは衆生の成道とは無縁の世界であろう。己心の一念三千が天台的であるというが、前後から見ると天台大師を指しているようにも思われる処もありながら、或る時には所謂中古天台を指しているような面もある。他宗門の活字本に知恵を付けられた教学が、いかに危険なことであるか、大橋さんは無意識の中にそれを身をもって教えている。これは貴重な教訓である。似せていう時には時節はいらないが、少なくとも今の場合は時節を心得た上で仏法について論じてもらいたいものである。
 天台優宗祖劣と判じては衆生の成道は元より、本仏も本尊も成りたたない。一方では狂学といいながら他面では天台的としているが、根本は己心の一念三千を捨てろということのようである。宗門には既に己心の一念三千に替るものが用意された上での発言であると理解しておきたい。己心の一念三千法門を天台的といいながら一仏(宗祖)といい日蓮本仏を唱えている。最早日蓮の二字とも無縁の処まできているように思われるが。相承といえば必ず一念三千法門の上にのみ成り立つものであろうが、己心の一念三千を捨ててしまえば、相承とは無関係になる。訴えた側もあざやかに背負い投げをくった形である。さてどう対処するつもりであろうか。
 大橋さんは「無作三身・自受用身」と中黒で結んでいるが、どう見ても釈尊の領域を一歩も出ていないのが現実である。大橋先生の本仏は無作三身のように見える。このあたりに混乱の本源を秘めている。文底秘沈抄の三秘がいきなり本尊と現われたり本仏となるところに根源がある。無作三身は像法に限られているにも関わらず、いきなり滅後末法に出現する。また久遠実成を論じながら何の理りもなしに久遠元初に摺り変えられて本仏と現われる。つまり許されざる飛躍が平気で行われているのが大橋談義である。その空白をうめるために六巻抄では三学倶伝名曰妙法から説き起されて久遠名字の妙法が明らめられ、一言摂尽の妙法ともなって本仏や本尊出現の土壌が作られているが、先生の談義では一切省略されている。
 先生のいう無作三身は上行の像法における呼称であって、自受用身は応仏昇進の自受用身で久遠実成の仏である。久遠名字の妙法のところでは上行と自受用報身とは本来体一であるが、先生のいう無作三身と自受用身とは全く別体である。これも許されざる誤算である。その別体のものを体一と読みとったところに大橋談義の無理がある。
 若し伝教が末法に生れ合わせて居れば無作三身を唱える必要はなかったであろう。「末法太有近」といっても上行の出現はまだ二百五十年も後の事である。止むに止まれぬ苦衷が無作三身を生み出したのかも知れない。恵心はあと二・三十年と末法を目前にして一乗要決を残して入滅したが、既に己心においては日本一州円機純一の境界即ち滅後末法をば具現せしめて入滅したであろう。折角末法に生れ合わせながら在滅をいかに抜け出るかに苦労しているのとは遥かな相違がある。
 三学倶伝については六巻抄のうち、第三から第五の終りまで詳細に説かれているので、念のため一度読むことをおすすめしておく。折角末法に生れながらあくまで像法を守らなければならない天台宗徒の苦衷と、末法に入って素直に末法と受とめられる日蓮宗徒とを同一に扱っては困る。大橋さんはその末法の外で談義をしているのではなかろうか。
 六巻抄では一念三千について論じながら最後に衆生の成道と本仏と本尊とが同時に具現され、宗義と教学が不即不離の関係にあるが、大橋談義では本尊本仏は既成され、一念三千とは別個であり、教学はカントやアインシュタイン、阿含経や中観論など、本尊や本仏の顕現に一向無関係なものが取り上げられている。これでは教学ともいい難い。尤も更めて衆生の成道や本仏や本尊の詮議をする必要もないために、自然と宗義と教学が分離していったのであろう。しかしこの両者が別行動をとる時には、常に危険と同居していることを確認する必要がある。若し怠るようなことがあれば即時に邪に走るようなことになるかもしれない。
 文底秘沈抄を直に本仏や本尊へつなげた場合は、倶伝にあらずして別伝となって、結果としては流転門におさまらざるを得ない。そのために上行までは至らず、釈尊の世界に本仏が出、戒壇の本尊が顕われるようなことにもなる。全く時節の混乱である。今の大橋談義はこのような混乱の中で、釈尊にもあらず上行にもあらざる世界における談義ということのようである。流転還滅両門の混乱による結果であって大橋さんのみに通用する御法門である。
 三学別伝となれば題目も口唱に真実が移ることも止むを得ない。上げる題目が口唱の題目であれば、数を上げることに意義があるのは当然であるが、一言に摂尽する期がない。一言に摂尽しなければ久遠名字の妙法ともいわれない。これでは流転門を一歩も出られない筈で、ラセン法門的な臭いが濃厚である。ラセン法門は無始無終的であり、流転門であることに変りはない。この流転の中にあって刹那に一点を捉えるときに始めて刹那成道があらわれる。これを称して還滅門という。煩悩即菩提である。煩悩を否定して菩提を求めるのではない。大橋談義では菩提の一面が忘れられているのではなかろうか。
 刹那を捉えることが出来なければ、成仏もなければ本仏や本尊の出現がないのは当然である。それを捉えることが出来るのは己心の一念三千法門以外にはない筈である。しかも大橋さんはこの一念三千を天台的と卑下して捨て去っている。この己心の一念三千を日蓮に限定したところに一宗が建立されていることは、大橋さんといえども知らなかったとは言えないであろう。そろそろ還暦も近づいているのであろう。還暦は六十年を刹那に摂めた貌であって、宗門ではこれを仏法の立場から還滅と立てておる。我身に振りむけて還滅を見直してみることも無駄なことではあるまい。
 還滅は終末ではない。久末一同というのもこの処にあるが、この久末をどう捉えるかによって流転還滅両門も分れようというものである。還暦とは竹の節目のごとくであることにお気付きであろうか。大橋さん自身にしても、流転門の痕跡は残っていても、不惑のごとく還暦もまたその痕跡を残さない処が妙であり、妙法もまたこのような処にあるということではなかろうか。睫毛の近きと天の青きとはこれを見ずとは、このようなことを指しているのであろう。そこに見出したものこそ久遠名字の妙法ということである。本仏の慈悲とはこのようなものではなかろうか。


 本仏の寿命
 本仏の寿命(いのち)とか大聖人の寿(いのち)とかいう語は常に見聞する処であるが、本仏以上にいう処の寿命ははっきりしていない。何が寿命かと問えば寿の長遠という答が返って来るであろう。長寿は万人の皆欲する処で、福禄寿といえば金と長寿と、これだけあれば所願満足天下太平である。五十六億七千万歳さきの弥勒を迎え、我が身が弥勒となればこの願は目前である。
 大石寺の信者は弥勒であるともいわれておる。ここに現世安穏がある。いうまでもなく己心の世界であるが、今はこれが現実のものとなっている処に色々な問題を生じている。法華経寿量品の文の底から現れた己心の一念三千法門、そこから見れば全くの夢幻の世界である。現のように見えるのは凡夫の浅間しさであって、決して現の話ではない。金の渦巻くことが現実と思っていても、やがて夢中の話であったことに気付く時もあろう。あくまで夢中の権果である。それに気付けば、そこには真実の悟りがある。その長寿とは久遠名字の妙法である。本仏の慈悲も案外このような処にあるかもしれない。
 たった一言の五字七字の妙法、師(名字即)弟(理即)一箇のところに真実の本仏の慈悲がある。その弟子の報恩が師の処に相寄って今いわれている本仏の寿命が出ているように思われるが、今の宗門ではこのような三重もなく、一挙に本仏が鎌倉に誕生している。三重の秘伝が抜けたためであろう。久遠名字の妙法の一つの現われ、それが末法本仏の慈悲である。唯金につかっておれば溺れる恐れも充分ある。そろそろ本心に立ち帰る時が来ているのではなかろうか。
 久遠名字の妙法の処は一切の福も禄も寿も寄った処、民衆の帰結する処である。昔の人はここに本仏を見たものであろう。本仏の寿命、或は本仏の慈悲というも、それは民衆の尽きることのない願望である。現世に渦巻く金はまた消えることもある。それでは本仏の寿命ということは出来ない。今は夢と現実の取り合わせが真反対になっている。そこに大きな危険を孕んでおる。
 本仏の寿命とは慈悲である。お会式もそうであれば、毎朝の丑寅勤行もそうであるし、お華水から流れる水も、止まった明星池も、辰巳の方へ流れ去る水も、全て本仏の寿命の現われである。水の流れ絶えざるは日蓮が慈悲広大をあらわすといわれる慈悲、これこそ久遠名字の妙法である。末法の慈悲はただ両手を差し延べて受けるものではないことは、丑寅勤行に秘められている通りである。ここに自行の所以もあれば修行の意義もある。
 早く本仏の寿命を取り返さなければ大変なことになるかもしれない。それは本仏の寿命に対する反省から始まるということであろう。本仏の慈悲は世俗の金権に抵抗する処に真実があるし、それを寿(いのち)として長寿を保っている。そこに己心の世界がある。己心を捨てろといい、狂学と称し天台的だということは、あまりにも世俗臭さが強すぎる。これこそ自分等が己心の法門を捨て、本仏の慈悲を認めていない証拠であろう。大橋さんも一度本仏の寿命や慈悲について反省することは、決して無駄ではないことを進言しておく。
 本仏とは本法の別名である。仏という故に宗祖に仏宝を充てたために、法宝の妙法と仏宝の宗祖が各別になっているのが大日蓮二月号の水島説法である。当流行事抄の終った後の仏法僧を使わなければ意味がない。折角三宝を使いながら久遠名字の妙法におさめることが出来ず、人法体一は成じていない。注解の、宗祖大聖と妙法との人法体一は、結果的には否定されておるのは時節の混乱のためである。久遠名字の妙法を成じた処が未確認の故である。未確認のまま唱える題目は口唱の題目といわざるを得ない。未だ一言摂尽の題目までには遥かな距りがあるようである。
 己心の一念三千が観念論と見えている間は、成道の道もいよいよ遥かなりというべきか。仏の言葉は假りても上行の世には仏は不出現である。若し本仏が出現すれば本法そのものである。己心の一念三千法門を観念論とみては、本仏出現はあり得ないし、本仏もまた観念論の域を脱することは出来ないであろう。本仏本尊出現の処が乃至所顕では困る。この乃至は流転門から還滅門に遷る時の乃至であることに留意してもらいたい。煙霧のごとき乃至では、余人をして満足せしめることは出来ないであろう。
 今の本仏や本尊は霧中に忽然と浮び上った感じが強い。己心の法門が忘れられたための故であろうか。今の時勢は宗門一人が満足しただけではなく、他をして得心せしめるものが必要になっていることを知らなければ、ついに宗教界の孤児になるようなことにも成りかねない。釈尊から上行への変り目については殆んど空白の状態ではなかろうか。水島説法及び大橋談義共にそのようなことを教えてくれているようである。宗義とこれを裏付けるための教学が、次第に離ればなれになったための天然自然の結果ということであろう。しかしその次に来るものには大いに警戒の必要がある。これまた今与えられている大きな課題である。
 水島説法にいう処の仏法僧では中央の妙法と宗祖が各別になり、開山は登座せずして隠居座につき、目師は未だ登座せず、伝えられるような三祖一体とは遥かに程遠いものとなる。三祖一体の時初めて大石寺の法門といえる状態であるにも関わらず、仏法僧によって三祖一体を表わさなければならなくなったために色々と無理を生じているようである。久遠名字の妙法が完結する以前の仏法僧をもって、以後に擬せんとした故の謬である。本仏であるから仏を充てたということであろうが、本仏とは本法であるが故に中央の妙法に充てるべきである。水島説法こそ己心の一念三千法門から遊離した観念論のように思えてならない。己れの非を他に押し付けるような事は智者の最も恥じる処である。
 「在世の本門と末法の始とは一同に純円なり」と。大橋さんがどのような解釈を付けているのか知るよしもないが、寛師は受持即観心という。在世の本門は受持することによって即時に己心の上に末法の始と顕われる。その始とは丑寅成道である。衆生はここにおいて成道を遂げ、本仏や本尊も同時に顕現されるものである。毎朝毎朝の丑寅勤行には常に末法の始が具現され、純円の法楽を悦ぶものである。純円こそ真実である。この故に純円一実(純円はもっぱら実なり)といわれている。その勤行の所に本仏の寿の長遠もあろうというものである。
 己心の一念三千を天台的とそしることは、宗祖に対する挑戦であると同時に、「魂魄佐渡に至る」の放棄である。己心の一念三千に勝るものでも見付かったとでもいうのであろうか。こちらは衆生の成道も本仏も本尊も、一切の法門を放棄する重大な発言であると受け止めている。
 昨年六月頃の尾林論文に示されたものは、己心の一念三千法門を捨去した後の本尊図とも見られる。魂魄とは関係のない処が妙である。元の本尊は既に隠居座にあり、中央には戒法と戒壇とが一つになって法らしさを装い、向って左には題目流布となっており、広宣流布を本尊化しようとしている意図がありありと見える。向って右から定戒恵というところは文底秘沈抄に似た処もあるが、しかし衆生の成道をどこに求めようとするのか、果してこれで本仏が出現出来るかどうか、大いに疑わしい限りである。
 況んや本尊は昔から本因という事に定まっている。広宣流布をどのようにして本因と定めることが出来るか。これまたむづかしい課題である。或は本因にもあらず本果にもあらざる本尊を求めようとしているのであろうか。像法の世に定められた本尊は今もって改めがたいのが叡山の本尊である。一旦本因と定められた本尊を、都合によって本因の座から離れて頂くことは、恐らくは不可能な事ではないであろうか。ここが各々方の技倆の見せどころであろう。
 お会式は一年の始、丑寅勤行は一日の始に本仏の誕生を祝福する日、七百遠忌は七百年の年月を流転門において数えながら、しかも刹那に本仏の誕生をみる。これは還滅門である。流転門還滅門という語は古来宗門には使われていないという事であるが、これに替る語も一向に示されない。それどころか一念三千法門は天台的だとか狂学という御示しである。これでは本仏も誕生の道を断たれたと同然である。そのような中で御会式を祝福してみても全く無意義である。諸先生方の発言は、本仏の寿命を断絶せしめる重大な意義をもっておる。口に本仏の寿命を唱える前に事行をもってまずこれを証明し、しかる後に口をもって説くべきである。これが事行が家の順序である。
 未断惑の上行を確認した時こそ本仏誕生の時である。これを刹那成道という。半偈成道を受持することによって刹那成道もあれば本仏の誕生もあり得るもので、全ては魂魄の上の所作であり、己心の一念三千の法門の上にのみ成り立つものである。これが確認出来れば即時に本仏は目前に出現されるであろう。これがまた本仏の慈悲というべきものである。


 三大秘法抄
 いよいよ追いつめられて、ついうっかりと己心の一念三千法門を天台的とやってしまった。天台的といえば迹門流である。本仏や戒壇の本尊出現以前の話である。このような発言をする前には、まず本仏の出生を明確にするのがものの順序である。しかしこの一声が上げられては、いかなる日蓮正宗の学匠といえども、本仏や戒壇の本尊に会通することは不可能であろう。ただし新本仏新本尊の出現については論の外であることはいうまでもない。愚弄するつもりがついうっかり口が滑ったということであろうか、或は本心が滲み出たということであろうか。何れにしても宗祖の法門を迹門と極めつけることは穏かでない。他宗の聞こえもいかがなものであろう。大橋説が大日蓮に堂々と掲載された以上、現在の宗門の正式な見解と見なければならない。迹門と極めた以上、本仏の語も御遠慮願いたいものである。
 六巻抄によれば、文の底に秘して沈めた一念三千法門を詮じることによって、まず衆生の成道があり、それはまた師弟一箇の成道であり、客殿に充満する本仏でもある。これを明星池に写す時、魂魄は文字と変わって本尊と現われる。これが戒壇の本尊である。今やかましい相承もその本源は明星池の処にある。言葉をかえていえば、ここは本仏の寿命のこりかたまった処であり、また本仏の慈悲の本源でもある。
 天台止観の心法妙から直に本因の本尊を求めようとする大橋説に依る限りでは、衆生の成道も本仏や本尊の出現も一切あり得ない。いくら追いつめられたにしても、一寸お粗末過ぎたのではなかろうか。あくまで正本堂を守りたい一念があのような発言をせしめたのであろう。六巻抄を見る限りでは建造物の必要があるとは見えないし、化儀抄や三師伝も未断惑の上行と思われるので、ここでも建造物の必要はなさそうである。しかし当時根拠になった三大秘法抄や本門心底抄には案外大橋談義の割り込める透間があるのかもしれない。
 開目抄、本尊抄、撰時抄、報恩抄、取要抄、曾谷抄、四信五品抄等の御書と三大秘法抄とは、根本において時節が違うようで、「魂魄佐渡に至る」に始まった一連の御書は明らかに上行の領域であるが、三大秘法抄ではついぞ上行を伺い知るものは見当らない。その上行とは三師伝のごとく未断惑の上行である。今の大橋談義の仏は断未断とは無関係のようで、天台の己心の一念三千は、心仏及衆生是三無差別の上に立てられているが、大橋談義では心法妙からいきなり本仏が出現している。いかにも耳新しい処がある。建立された国立戒壇即ち正本堂から新しい法門の発展している中でこのような考えが起っているのであろうか。
 正本堂が建立されて先ず戒壇のみが別立し、自然と本尊も題目も各別となった。昔の信者は御戒壇様ともいえば御本尊様ともいっておる。一つにすれば戒壇の本尊の題目であるが、正本堂が建造されてみれば、戒壇へおさめる本尊という結果になった。八百万信者の総歓喜の中で祝福されながら出来た正本堂ではあったが、結果としては三秘各別の基となった。そして本尊も本果の本尊という処へ決着がついた。
 今振り還って見れば御戒壇様と唱えていた信者の処にこそ真実があったようである。法門の厳しさである。魂魄佐渡に至るという宗祖独自の己心の一念三千法門の上に建立された戒壇が、建造物をもって建立せよと遺命されたということになれば、開目抄等の諸御書に説かれたところは方便ということになる。しかも三大秘法抄から本仏や戒壇の本尊を見出すことは中々困難な業である。果して両者の会通が出来るかどうか。誠に難中の難といわざるを得ない。
 三大秘法抄は初文が結要付属であり、能居の教主は本有無作三身であり、その三身とは「五百塵点の当初以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是也」と示されている処から察するに、無作三身は「迹門十四品と異」なる本門即ち虚空会の釈尊の世界に居ることになり、当初の語も五百塵点の内にあり、久遠実成の時を示されて、即ち虚空会の上行を表わされている。この上行では本仏には程遠い処がある。三大秘法抄の時は虚空会の処に立てられているために、当然結要付属が重視され無作三身が出る。このところは御義口伝と同様のように見える。
 伝教のいう覚前の実仏とは像法の代のものであるが、三大秘法抄や御義口伝の無作三身は末法の代に使われている。つまり無作三身の世は終って既に自受用報身の出るべき時である。既に開目抄において己心の一念三千を確認された事は、在世から滅後への展開であり、在世像末の末から滅後末法へ移って、十年の間法門はそこで展開している。それが最後になって像末の無作三身が出るということは、いかにも解しがたい処である。
 無作三身とは覚める前の三身であって、滅後末法とは既に覚めた状態であるから自受用報身と現われる。若し無作三身を使うなら時節の確認が必要である。時節が混乱すれば予想もしない方角に発展し、果ては本仏や本尊まで本果の処へ追いやるようなことにもなりかねない。そのことは既に六巻抄が警告されている通りである。
 無作三身とは自受用報身が未だ眠りに着いている時の呼称であって、像の代に限っての実仏である。随って関東天台で使われる無作三身は世は末法を迎えても、表面的には像法に依らざるを得なかった苦衷の表われである。若し無作三身を使うなら、予め像から末へ切り替えた後に使わなければ、その災いはすべてわが身に振りかかって来るのは当然といわなければならない。
 御戒壇様といえば三秘を含めていた本尊も、戒壇が別立すれば戒壇堂(正本堂)におさめられる本尊となり、結果として三秘各別の処へ結論付けられるのは当然である。全ては時節の混乱のなせる業である。これを避けるためには久遠実成を元初へ、無作三身を自受用報身に切りかえるための作業が必要である。つまり時節の転換があって始めて大石寺法門の領域に入るということが忘れられている。
 大日蓮の五月号には二年半目、時局法義研鑽委員会発足以来十ケ月目、ようやく阡陌の語を天台から見付けて口汚く罵詈しておる。これも全く同じ考え方で、いかに像法天台にしがみつくかという処で論ぜられているが、阡陌陟記の阡陌は、伝教から宗祖へ、宗祖から大石寺へ、即ち一貫して上行世界の中で考えようとしているので、天台にしがみついているお歴々とは根本から考えが違っておる。今さら天台説を教えられてみても、時節が違えば去年(こぞ)の暦という外はない。この一言をみても今の教学が、いかに宗義と離れているかということが解る。これは思わぬ収穫である。当家を明らめることなくして他家を学んだものの等しく陥る宿命の道であることを自ら理解してもらいたい。
 大石寺では五百塵点と当初の区別ははっきりつけられているようであるが、この抄の当初は五百塵点の意で使われている。総勘文抄の当初も同様のようで、これを使う時にその区別を付けないと混乱を生じる。この抄では「大覚世尊久遠実成の当初」と使われて、釈尊久遠実成の処が五百塵点の当初となっていて、明らかに流転門の処を指しておるが、大石寺では久遠元初と五百塵点の当初とが還滅門として扱われている。
 「大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千也、今日蓮が時に感じ此法門を広宣流布する也」と。この文にしても、道師や有師、寛師、また興師以下歴代の解釈抜きでは理解しにくいように思う。「無作三身・自受用身」の大橋談義の語も三大秘法抄や御義口伝と大体同じ時にあるようであるが、ここから未断惑の上行出現を求め得られるかどうか大いに疑問がある。初文に結要付属の文を挙げられている処を見ても断惑の上行の処へおさまりそうである。この抄から未断惑の上行自受用報身を求めることは至難の技ではなかろうか。
 「勅宣並びに御教書を申下して(中略)大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇也」の一文は、直接戒壇建立に関わる文であるが、大凡の処、門下では室町の頃には天経を設けて朝の勤行が行われていたのではないかと思う。(それ以前は知らない。)化儀抄にも主師の図にも天経の語が見えるし、保田にも天経は土壇の上で片膝を付いて行われていたようである。諸天善神に朝の祈りをあげれば、梵天帝釈も感応して行者の立っておる土壇に来下して踏み給うのは当然で、ここの処をこのように修飾された文をもって表現されているのではなかろうか。このように見れば勅宣並びに御教書に、それ程深く関わりを持つこともなく戒壇は刹那に建立され、行が終れば元の土壇である。
 今も大石寺の二天門の北で盆経をしているのは、古い時代の天経の跡であろう。正月十六日に富士宮の万歳が広宣流布を祝福したのも、また盆の十六日に御先師の旧墓地に向って方便自我偈を挙げるのもこの位置である。一面からいえば、宗祖に向い御先師に向って孝養のためのお経をあげたものであろう。意義は消えても行事だけは昔ながらに伝えられているところは本仏の寿とでもいうべきか。
 鎌倉においては、宗祖は末法に入って戒壇を建立することは「虎を市に放つがごとし」といわれている処を見れば、戒壇は建立しない方に賛成すべきである。若しこの抄が云われているように後の作であるとすれば、南北朝の時機は互いに勅宣並に御教書を申し請けて戒壇を建立し、互いに武力をもって焼打ちを繰り返している時機である。それを眼のあたりにしながら、自分等もその争乱の中へ加わりたい願ったであろうか。そのような混乱の中で、宗祖の己心の戒壇を現世に顕わす方法としては中国の天経を取り入れ、これによって素直に戒壇建立が行われたのではなかろうか。己心の戒壇なれば勅宣も御教書も即時に信の一字をもって申し請けることも出来ようというものである。戦乱の中を生きぬいて来た宗門人の生活の知恵とでもいうべきか。
 慶長の終り頃、不受不施の日奥は行者所住の処が戒壇であるというようなことを書かれておるが、寛師が破折した要法寺日辰の説と同じで、或は天経が発展した説かもしれない。寛師はこれに対して戒壇の本尊を通して本来の己心の戒壇を主張されているように思われる。文底秘沈抄の戒壇説の中には案外そのような歴史的な背景が秘められているのかもしれない。
 文底秘沈抄の文の底に何が秘沈されているのか。時局法義研鑽委員会も本来の法門の研鑚に意欲を燃やすべきではなかろうか。十ケ月掛りでやっと十一頁の成果とは誠にお寒い限りである。大勢の優秀な頭脳を集めて十一頁の成果とあれば、もっと実のあるところを示してもらいたい。子供の喧嘩は負けた方が悪口をいうことになっておる。こちらが依っておる六巻抄や化儀抄また三師伝をもって破折してこそ真実の破折である。歴代の著を除外するなどということは口にすべき事ではない。
 また本門心底抄の「久成の定恵」の語や「本門の戒壇あに立たざらんや」の語も久遠実成であり五百塵点であって、大石寺法門から見て未だ本仏や戒壇の本尊を顕現する時とはいえない。むしろ一尊四士に相応しい時節というべきである。しかも本仏が出、戒壇の本尊があるという矛盾の中で、最近急激にその性格が変わりつつある。開目抄・本尊抄を主とするか、三大秘法抄を主とするか。正本堂を目前にして次第に三大秘法抄に移行した結果が既に表面にあらわれ始めたのであろうか。まさか時局法義研鑽委員会も正本堂死守のために作られたわけでもあるまい。時局の二字を省いて本来の法義の研鑚に方向転換してはどうであろう。若し三大秘法抄が完全に会通出来れば時局の二字も悲壮感から解放される時である。


 あとがき
 この一巻、一向にまとまりが付かず、冗長に終ったことをお詫びしたい。丁度書き終った処でたまたま六百五十遠忌記念出版の二祖・三祖の正伝を拝見する機会に恵まれたので、目を通している間にふと「弟子分本尊分与目録」という文字が目についた。亨師と淳師の両説を集めたもので一寸総花的な感じがする。原稿作成者のお人柄がしのばれる造語であり、この一巻全体もそのような雰囲気が充満しているようで、興味深いものがある。原本の分の一字が「弟子分」と「分与」と二回読まれている処は奇妙である。
記主は、「弟子分に申し与える本尊の事」と読んでおる。「与申」は与え申すではなく、申し与えると読むのが正しいように思う。宗祖在世中なら宗祖に申し上げて御下附を受けて与え、滅後であれば御影にその由を申し上げて、しかる後にこれを与うという意味に取るべきであると思う。本文中にも御書の中でもそのような読み方になっていたように記憶しておる。与え申すでは宗祖とは無関係な行為となる恐れがある。また「与申」を申し与えると読むのは当時の一般の通例であったように、これもほのかな記憶がある。しかしながら信者向けとして見る限りでは中々立派で見事な出来栄えである。
 また正伝一三四頁二行目に波木井謗法をあげた「二、久成の釈尊の木像を破る」と、次頁引用の原殿書の文によると、興師の真意は一尊四士造立ということになり、この事はかつて身延側から追求された事がある。信者向けに書かれたものであっても誤解される危険は充分備えているように思える。これでは一尊四士を造立し、御本尊を御影堂に移した精師の考え方は正しかったということになる。
 原殿書には問題があるのではなかろうか。一尊四士の造立なくして正本堂にお移し申し上げた本尊は第二項に該当するように見える。ここに言う通りであれば速やかに一尊四士を造り副えるべきである。これならば時節の混乱も自然に解消されるであろうし、三ケの子細にうち、第二の科を遁れることも出来るというものである。この正伝、法門的には種々様々の矛盾を抱えていることだけは間違いない。信者だけを対象として書いても、出版された以上色々な読み手があることは知っておくべきである。
 大日蓮五月号に山田何がしの破文と称するものが載っておるが、全員が完了するまでには時間がかかりすぎる嫌いがある。一層のこと富士学報を発刊して全員の論文を載せた方が効果的の様に思われるので進言する。悪口雑言に塗りつぶしておる処は当然答えなければいけない処であろう。これを悪口雑言によってごまかし、阡陌などの語句のみを取り上げて頭のよさを誇示しようとしておるが、この一文の真実は、当の相手をはずして宗内向けに作成された鎮壓のための、完全なすりかえである。鎮文肝文(ちんぷんかんぷん)とでもいうべきもので、富士一流の破文の構図であることに間違いはない。大なり小なり宗務院関係のものが全て共通している処も面白い。
 以前は他宗が相手であったが、今回は宗内問題であるために、宗門が法門に関して受身に立ちながら一向に理解されていない。答が返せないために悪口と顕われているもので、宗内に対して法門の貧困を訴えている語であってみれば、その心情や誠に涙を催すものがある。株杭の註を引き、或は忠尋を引いているのも宗内向けの鎮静剤である。しかし事が宗内の問題であるために、従来の経験をそのまま持ちこんでは返って被害を深めるだけで、宗門人の法義の深さを露呈するような結果が出ておる。
 成果を相手に渡さない宗外向けの時は常に自分等だけが優位であったが、今度は反って逆に出て、そして法門の混乱のみが表面に現われる結果になった。山田勝劣論の誤算の根源も案外このあたりにあるのではなかろうか。全ては長い間に培れた体質の為す業であるとあきらめてもらいたい。しかしこの山田何がしという人は一向気まめな人のように受けとめておる。当方向けであれば株杭の出処まで教えてもらう必要はない。その様な暇があれば山田の何(か)がしにならないように気を付けた方がよい。呵々。

 

   

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 阡陌陟記(十一)

 


 
三重秘伝抄

 前号では三大秘法抄について私見を述べたが念のため今一度繰り返すことにした。阡陌の二字について意見が出されたのは三年後であった。それからすれば二、三十年後でないと返答は見ることは出来ないということになる。何とか百歳までも生きてその時を待ちたいものである。悪口罵詈も度重なると法門のなさ、その深さが次第に分って来たが、それによってどれだけの信者の足を止めることが出来たか、時に反省する事も無益なことではあるまい。
 大勢の優秀な頭脳を集めて研鑽した一年間の成果が、示されたように一人の不信の輩への悪口罵詈では信者もついて来ないであろう。今の信者は既に肝心の法門については可成り考える力を備えて来ているようで、或る面ではお歴々より上に居るのかもしれない。悪口罵詈とは独善の成果である。法門のなさがこのようなところへ走らしめたのであろう。研鑽ノート程度のものでもよい。一頁分のものをもって口を封じてもらいたい。教義の面から口を封じるのが順序ではなかろうか。只悪口雑言計りでは自身が虚空の彼方へ押し上げられるかもしれない。昔の浄土宗との争いでは互いに武装するところまで行ってしまった。今の悪口雑言が何につながるか、一度気を落ちつけて考え直す時が既に来ているように思う。
 最近三ケ月に亘って阿部さんは法華初心成仏抄の説法を続けていたが、幸いにその最後の大日蓮を見ることが出来た。見れば盛んに己心を取り上げている。これには驚いた。つい最近まで己心を捨てろ、一念三千を捨てよと言っていたように思っていたが、これには驚いた。しかし考えるまでもなく当然の成り行きである。それにも関らず、阿部さんによって任命された時局法義研鑽委員会の面々は、相替らずこれを狂学と称して悪口雑言を繰り返してをる。それも一冊の大日蓮誌の中の記録である。これは脱れる術もない師敵対であり、今一歩進めて見れば自界叛逆の現われと見ることも出来る。しかし今の阿部さんの立場から、いつまでも狂学と称しておることが出来ないのは当然であるが、いささか時期を失している感がないでもない。何れにしても結構なことには違いない。師は本因へ志向、弟子は本果を固執するということになれば、今首の座の最短距離に居るのは大村さんや委員会のお歴々である。その用意をしておいた方が賢明なようである。
 時局法義研鑽が一人の不信の輩に対する悪口雑言の研鑽であった事は大日蓮誌の記録する処で、宗務院の公式記録として後代に受けつがれてゆくであろう。僅かに残っていた古い時代の法門を完全に拭い去るための研鑽であったのであろうか。しかしながら大日蓮六月号を見る限りでは、既にそのような時代は終ったかに見える。目まぐるしく動く時に乗り遅れない心掛けこそ肝要である。巡る因果は矢車のというが、何れが前何れが後ということが判らなければ前後不覚である。これでは衆生救済のあろう筈もない。その巡る矢車の因果をどのようにして乗り越えるか、そこに法門の極意もあろうというものである。そこにまた己心の一念三千法門の意義がある。悪口雑言は巡る因果の矢車の中にのみ存在するものと心得ておる。
 矢車のような因果をどのようにして超過するか、これは釈尊当時も宗祖の頃も今も、全く替ることのない民衆の念願である。そのような中で宗祖は戒壇の本尊を示された。その本尊には即時にこれを停止(ちょうじ)せしめる秘密をもっておるにも拘らず、委員会の面々はこれを拒み続けているようである。その本尊の停止のはたらき、それを事に行じるのが丑寅勤行である。事を事に行ずるとはこのことを指しておるのであろう。今はその本尊の故に矢車がさらに拍車をかけられているのではないかとさえ見える。本尊に金儲けをお願いする前に、このような因果を止めることをお願いすべきである。
 以前聞いた処によると、歴代上人のものは除外して専ら御書によって反撥することのようであったが、今度悪口雑言が始まって見ると、鮮やかに前言を翻えして寛師の文段抄や僅かながら六巻抄も使っておる。現在程度のものを書くにも一年余の年月が必要であったということを自ら証明しているとは奇妙である。守株の語について学のある事を示していたが、それにはそれなりの背景が必要であって、安部さんの心の動きさえ分らないでは孤立の外はあるまい。法門が二頭になっては諸人の迷惑である。そのような事がいつまでも通用するものではない。
 本果に本仏を立てて見ても所詮無駄である。既に本尊から己心の一念三千を取り去った本尊は只の樟板であって、本仏の寿命のないものを本尊と崇めることもまた無駄である。煩悩即菩提という。樟板という煩悩の中にありながら刹那に菩提という本尊を成じる。衆生に当てはめれば刹那成道といわれ、本仏もまたそこに出現する。それが今では一度出現すれば本仏も本尊も永遠に存在するようなかたちとなったために、衆生の成道もまた生きながらの成道から死後の成道となり、煩悩即菩提の世界から次第に離れて本果に逆転しているような感じをうける。
 一度出現した本尊を永遠と見るのは一念三千の故であって、原則としては刹那成道であることに変りはない。今はその原因が忘れられたために樟板を重に一念三千が軽に置きかえられているように見える。そして在世にはない筈の宗祖本仏が出現していることになっている。若し本仏が出現すれば滅後末法であるが純一無雑というのはそこを指していると思われる。流転門から還滅門への切りかえが出来なければ時節の混乱を生じることになる。もっと頭を働かして切り替えをすることが唯一の時局法義研鑽の道ではなかろうか。阿部さんは既にその方角に向って動こうとしておる。成功するしないは別問題であるが、そうしなければ本仏の寿命は断絶以外にない。厳しい岐路である。師の心弟子知らず、当方への対応に目が眩んで師敵対の深みに這入りこんでいることは、大日蓮六月号に既に明了に証明されておる通りである。
 法華初心成仏抄とはどのような御書であるか。試みに系年を見ると建治三年三月となっており、四信五品抄の前月におかれておる。成程己心の文字はあるけれども一念三千の語も内容も一向に伺うことが出来ない。古来異見のある御書のようで、四信五品抄の直前におかれる理由が見当らない。宗門には優秀な文献学者がお揃いであるから、愚人の立入る余地は毛頭ないが、今私なりに受けた感じでは、或いは行儀のよい浄土破ではなかろうかというところである。
 説法では行住坐臥に題目を唱えるところを取り上げた意味もあろうが、初めに一乗要決の「日本一州円機純一」等の文を引き、最後には「行住坐臥」の口唱の題目へ収めているところは、前後共に一乗要決の文に依ってをることがわかる。往生要集による念仏の成道に対して一乗要決による法華の題目による成道を唱えている事がわかる。あまり類例のない浄土破である。初めの引用を見れば上行世界が説かれているように見えるようではあるが、最後にはそうでなかったことが分る。初めの引用だけ見れば建治三年の系年もうなずけるが、それにしては後半があまりにも弱すぎるきらいがある。
 往生要集による多念の浄土成仏に対して、法華の行住坐臥の数限りない唱題こそ真実の成道であることを主眼に、多念に対して多言の題目の主張である。多念の浄土を黙殺しての題目の主張である。「日本一州円機純一」の語によって建治三年と定められたとすれば少々無理がある。今のように一言の題目から宗門の大勢が多言にうつっているときには利用価値の高い御書である。しかし浄土破にもこのような静かな破折があることは、委員会の御尊師方も大いに見習うべきであろう。気勢をあげるばかりが能でないことを知ってもらいたい。
 阿部さんの己心は既に今の悪口雑言方式に対して警告を発しているのではなかろうか。すでに時は流れ過ぎてをる。委員会の諸公よ、少し感を働かして一船に乗り遅れないように心掛けることが肝要である。これほどの師の心の動きを未萌に補足する弟子のないことは、阿部さんも不幸な人である。時局といえば追いつめられた感じが強い。時局を改めて本来の二字を取り上げては如何なものであろう。本来の法義のない時局法義では全く無意味である。非を認めて即時に改めることの出来るものは聖人君子である。阡陌の二字を研究公表するまでに三年半かかったが、次の三年半は全員で六巻抄を中心とした本来の法義研鑽に取り組んでみてはどうであろう。そこには必ず救いがあると思う。
 「年来あまりに法にすぎてそしり悪口せし事が忽に翻へりがたくて信ずる由をせず」と。あまりに悪口が過ぎると阿部さんの己心の説に同調出来ず、反って師敵対の罪を犯すことにもなる。正式に任命された委員会諸公の悪口はあまり行儀のよいものではない。反って宗内から顰蹙を買う恐れがあるのではなかろうか。天下の岡ッ引おれ一人では宗内にも通用しにくい時代が来ているように見える。
 一乗要決の恵心僧都は権僧都でありながらあれだけの大きな足跡を残してをる。今の委員会諸公の中には権大僧都、いや大僧都も居るのかもしれない。天下の大僧都・権大僧都が大勢よって悪口罵詈に明け暮れたのでは格好がつくまい。少しは恵心僧都とまではゆかなくても現世を利し後世を益するような事でも考えてみてはどうであろう。ただし、利すとは万円札とは関係ないこと、況や事理とは全く無関係であることはいうまでもない。
 顛倒不知とは恐ろしい事である。前の法華初心成仏抄に「伝教大師此人を破し給う言に、雖讃法華経還死法華心と責給」という文があるが、此人とは法相得一ということである。慈恩と得一の誤りは一寸気掛りなので申し添えておく。
 時局法義研鑽委員の一年有余の研鑽が悪口の二字ということでは人聞きもいかがであろう。悪口の研鑚なら委員会を開く必要もあるまい。各々別々にガァガァワィワィいえば事が足りる筈である。ガァガァワィワィなら凡俗の方が余程極意を心得てをる。格別僧都クラスの集会の必要もない。恵心を上回るような高位の人等が集会するのであれば、せめて宗内の現在を益する成果を示してもらいたいものである。それが反って本仏や本尊の解釈を誤っているような疑念を抱かしめる結果に至っては、何んと申し上げてよいやら、その言葉さえ見当らない。やはり本仏や本尊の解釈を安定したものにするのが高僧達の目下の急務ではなかろうか。
 当方を黙殺しながら一言もって封じる教学を身に付けてもらいたい。ここ数ヶ月の悪口雑言の中で深さの程も大体明らかになったようで、丁度方向転換する時が来ている。今正是其時という処である。仏法を学せんとする者はまず時を習うべきで、時が分らなければ悪口の域を脱することは困難と思われる。悪口を繰り返すことは、ただ衆生の成道や本仏・本尊の姿がぼやけてくるのみで、決して賢明な方法ではないことを知らなければならない。そして謙虚に本来の法門の研鑽に励んでもらいたい。
 互いに一つの時節に立ったときに法論は成り立つもので、現状では法論が出来るまでには遥かな道程があるように見えてならない。世間の動きに逆行するような悪口罵詈方式では中々仏法はつかみにくいのかもしれない。
 「法華経の行者は貧道なるゆへに、国こぞってこれをいやしみ候はん時、不軽菩薩のごとく、賢愛論師がごとく申つをらば身命に及ぶべし」と。この文、中々意味深長である。今のような状勢の中では世界最高のダイヤモンドの数珠も登場しかねない。或いは衆生不在の中の所作ということか。正宗の僧侶は富者なる故に、国こぞってこれをいやしみというような事になっては大変である。これを未萌におさえるのは只修行に頼る以外はない。このように宗祖のところは一貫して貧道であるが、今となってどうしてこうも法華経の行者の処へ金が吹きよせるのであろう。よくよく反省すべき時である。
 法門が正常であり教学が豊かであれば金の方が敬遠するであろう。やはり教学の貧困に帰する以外解答はなさそうである。己心の法門と万円札と、この因果関係を証明することは、古伝の大石寺法門では全く不可能である。時局法義を本来法義に改めて研鑚活動に入ることにしてもらいたい。そして思惟に徹する法門を取り返してもらいたい計りである。そこに宗門の真面目もあろうというものである。その上で心ゆくまで法論をたたかわすのが常道であると思う。たたかわすべき法門もない異域での口論は凡そ無駄なことである。お互いに無駄なもとは止めませう。
 法華経の行者は貧道であるという事は外相について説かれているのであるから、当然外相に依るべきものを、貧を富に置きかえ、本仏のように内証に依るべきものは外相に依っておる。これは身勝手というものである。不受不施の日奥は、法華経の行者は身を貧道に処(を)くことと同時に、自ら法門のなさを貧道として自省に用いてをるが、取って持って大いに反省に資すべきである。法華経の行者が富者を誇ることは、さて何ものを表示しているのであろうか。日本に渡って千余年の間、今日程法華経の行者が金に取り憑かれた事もあるまい。これでは法門が退散するのも無理からぬことである。
 研鑽ノート第一号の水某主(みずぼうず)の記録も悪口の繰り返しで、あまりの内容のなさにあきれてをる。いくら繰り返して見ても去る者の足止めにはなりそうもない。何れも大同小異である。山田何がしの狂態もやがて後の学匠の厳しい批判の矢面に立たされることは、それほど遠い時機ではないであろう。余りに法に外れた悪口はやがて身に逼ることを知っておくべきである。
 「伝教大師御本意円宗為弘日本、但定慧存生弘之円戒死後顕之、為事相故一重大難有之歟」と。また「於円慧円定者弘宣之円戒未弘之、(中略)天台未弘円頓戒弘宣之、所謂叡山円頓大戒是也」と。また「像法の末に伝教大師日本に出現して天台大師の円慧円定の二法を我朝に弘通せしむるのみならず、円頓の大戒場叡山に建立して日本一州皆同く円戒の地になして(後略)」と。初めは冨木殿御返事(新定九九九)、中は南部六郎三郎殿御返事(新定一OO三)、終は撰時抄(新定一二四六)である。円慧・円定・円戒の三は天台の定められたもの、この迹門の三学をもってそのまま宗祖の三秘に置きかえることは時節の混乱であって、像末と在滅との二重の混乱である。
 迹門の三学がいきなり滅後末法の三秘として出現し、事の法門扱いを受けたために、遂に戒壇の本尊と真向から対決するような形になってしまった。一は本果、一は本因であって見れば、本果に采配が上るのは止むをえない処である。迹門の三学が本門の三秘をつつみこんで、しかも三秘の用を示すようになったために、本尊も本果の本尊となり、御宝蔵を住所とするに堪えられなくなった。今はこの不祥事を広宣流布と称してをる。
 若し今のような貌で三秘各別の中で戒壇のみが取り上げられた場合、弘安二年三秘総在の本因の本尊として建立された戒壇の本尊は、弘安五年に三大秘法抄が著わされると、三秘総在の本尊の威力は終り、以後は三秘各別の本尊として七百年を経て来たことになる。しかも各別であるにも拘らず総在といい続けて来たことになっては穏やかではない。そして滅後七百年に初めて戒壇が建立されて三秘が揃ったことになる。しかも戒壇の本尊は其の間は三秘総在の本尊として信仰されている。これは方便というだけで解決するにはあまりにも問題が大きすぎる。しかもそれに付いて得心のいくような説明はされていない。これでは本因本果二頭になっていると考えざるを得ない。
 純円一実というにも無理がありすぎる。一実とは本因の本尊を指しているようである。純一無雑とはこの本尊に付けられるべき語ではなかろうか。これこそ時局法義として解決を逼られている問題である。悪口のみで乗り越えるような甘い考えは捨てて本因の本尊に集中する方法を研鑽すべきである。本尊に直接関係の深い己心についても已に問題は起きつつある。
 一ケ年余時局法義の研鑽に精魂を尽くした審議の結果が、只一人の不信の輩への悪口雑言のみで、戒壇の本尊に本因の本尊として落着いて戴ける審議は全くなかったようである。法門の立て方からして本因の本尊におさまらなければ、衆生成道もなければまた本仏も本尊もありえないということである。本果に本尊を立てるなら根本から全てを改めなければならない。これは恐らく不可能であろう。なれば可能な道は唯一ということである。
 「この菩薩蒙仏勅近在大地下」と。この菩薩が大地の下に在ってこそ上行世界は具現出来得るものである。地下とは衆生住所の処である。法門はここのところに己心の一念三千をたてている。宗祖滅後間もない頃の天台の口伝には、ここの処を衆生に本仏があると捉えてをる。凡僧の凡の字はここの処を指す語である。凡の一字には既に本仏の意味を含めて使われてをり、今の感覚とはあまりにもかけ離れている。今でも地下を『じげ』と読むときにはその部落を称してをる処を見ると、一結の意味があるように見える。
 「不軽菩薩於所見人見仏身」という文があるが、この菩薩は固有の形をもっているものではなく、時々刻々に衆生の処に姿を現わすという意味で、天台の口伝と全く同義である。この不軽の彼方に上行が居るということである。そのような意味合から本仏の振舞いという語もある。所見の人の振舞いはそのまま本仏の姿であるという意味であろう。本仏が姿を現わして振舞うわけではない。この語など古いものを伝えているようである。
 池上本門寺でお会式の時御影に袈裟衣を掛けるのは、このような意味をもって本仏の出現を祝福する儀式のように見える。本仏の振舞いが秘められているのかもしれない。本来のものが消えたまま儀式だけが無言で古い姿を伝えている一例である。時局法義研鑽委員という厳めしい肩書きをもった面々の振舞いの上に不軽を見、その奥底に上行を見れば、戒壇の本尊がどのように解釈されているか、一目瞭然ということではなかろうか。そうかといってお歴々を御本仏と申し上げているわけではないから間違いは御無用に願いたい。
 三大秘法抄の三秘は像法の三学をそのまま宗祖の三秘に置き替えたまでで、そのための混乱である。宗祖は時に当って妙法五字をもって世の混乱を鎮められたが、今は時節之混乱の五字によって宗祖の法門を混乱せしめている。宗門を正常にかえすためにはまず時を習わなければならない。時を誤っては上行といえども出現することは不可能である。一方で出現を礙(さ)えながら一方では上行出現後の処で話が進んでいるという今の在り方では、他宗門の人は何としても理解しないであろう。古は上行が貌を表わすか表わさないかということであったが、後には形を表わした上行を木像絵像にするかしないかということに移って来ている。その辺に複雑のものを控えてをる。
 不用意に他宗門のものを引用しては混乱を招くのみで、委員会の面々の時節抜きの引用は改めて混乱に拍車をかけている。他宗門のものを引用する前には心の準備が必要であるにも拘らず、一向にそれがなされていない。悪口は時節を踏まえた上でないと一向に反論にならない事を知っておいてもらいたい。語句の反撥は凡そ無意味なもので、罪障は全て自身に降りかかってくるであろう。
 末法に入って戒壇を建立することは虎を市に放つがごとしといわれた真蹟と、時節の混乱の上にある三大秘法抄の戒壇とを同時に扱うことには無理がある。三大秘法抄による戒壇の建立は虎を市に放ったような混乱を起しておることは否みがたい事実である。特に無作三身の語のある御書は大いに警戒しなければならない。
 今の混乱は戒壇の本尊の内容まで替えようとしている。尾林論文に現われた中央戒壇、向って右本尊、向かって左題目などという新本尊など最も好い一例である。そこまで麻痺せしめる力を持っておるのが時節である。世間のように時世(ときよ)と時節と軽くいなすわけにもゆかない処ガ妙である。
 覚前の実仏は像法にあってこそ実仏であって、末法に入って実仏ぶりを発揮したのでは前後不覚の混乱を起すことは当然といわなければならない。覚後の実仏とは上行菩薩であり自受用報身如来である。覚前の実仏の時は本仏出現以前であることに留意しなければならない。
 所謂中古天台には止観勝法華劣ということが考えられているが、これは像法の時のことである。止観は天台一人に限り、法華は略挙経題玄収一部の妙法五字であるが、大石寺は止観・法華を摂入した上で己心の一念三千が取り上げられ、ここで初めて名字の凡夫と理即の凡夫とが登場することになっている。末法であってみれば当然ここでは上行も出てくる筈であるが、同じことをいいながら天台では本尊薬師如来との関係で上行の出現は困るので、像法転時をとってをるために、凡夫の成道も宗祖とは異った処へおさまることになり、そのために己心の一念三千法門もまた止観一部の中に鎮め込まれるようになった。三大秘法抄には、この二種の己心の一念三千が同居しているように見えるが、これは見るものの僻目ということであろうか。
 一は本果であり一は本因であるところに今の混乱の根源があるのではなかろうか。もしこれが本因の一に整理されるなら、時局法義研鑽委員会から時局の二字が消滅する日である。法門が二頭になっているために時局の二字が必要になっているのではなかろうか。阡陌とか守株とか、そのような語句の解釈をする前に時を一本に絞らなければ全ては蛇足に終る公算が強いことを御存知であろうか。
 今のような貌で三大秘法抄が真蹟として取り上げられた場合、即時に三大秘法抄の三秘は弘安五年に遡って解釈されなければならない。その時三秘総在の本尊として七百年来信仰され続けてきた弘安二年の本尊はどのように会通されるのであろうか。厳密にいえば満三ケ年間でその任務は完全に終り、あとは三大秘法抄の三秘が受け継ぐこととなるが、ただ便宜のために三秘総在を称えて来たということでは収まり憎いと思うが、降って涌いたような三秘各別の本尊等の三秘、法門の立て方からしてそこに本仏の生命があるとも思えない。
 三秘各別は本仏出現以前のこと。弘安五年以後の本仏の生命をどのようにして証明するか。寧ろ本仏の生命は既に弘安五年をもって断絶したことの証明になりはにないか。時局法義研鑽委員会はこの会通をどのようにするか。ここに全智全能を傾け、若し出来なければ潔く三大秘法抄を排棄すべきである。
 現状では若し会通が出来なければ戒壇の本尊排棄につながるものを持ってをる。やはり時の厳しさということである。今その決断の時が来たのである。これ以上頬かぶりすることは出来ない相談であろう。狂っているとか狂学だといって片付くような問題でもない。一年中頭を下にして天の橋立の股のぞきをしてをるわけにもゆくまい。犬が西むきゃ尾は東というのは昔も今も変りはない。年中頭を下にしているものには天が下にあり地は上にあるし、太陽は朝下がって夕陽は上がるということにもなる。大村さんといえども股のぞきしながらこれからさき五十年も言い続けるには生命が持つまい。限界は一日も早く見付けた方が賢明である。そして速かに本来の本尊を見出すべきである。それが教学担当者に課せられた責務ということではなかろうか。
 いくら己心を捨てろといっても三ケ年を過ごすことが出来なかった現実に注目すべきである。戒壇の本尊の生命を三ケ年余と決める三大秘法抄説、阡陌陟記を書き始めて三ケ年余、三ケ年余を経て大きく揺れ動きながらも、阿部さん自身は既に己心の一念三千の法門に向けて動き始めたようにさえ見える。さて決断がどうでるか、見極めたいものである。しかしながらこれが宗祖の御慈悲というものではなかろうか。今後二ケ年、メて三ケ年間悪口が続けられるなら大いに敬意を表したいものである。委員会も発足以来一ケ年余、そろそろ大きく方針を転換する時が来ているように見える。どれだけの成果が上ったか、反省会を開いて見るのも無駄なことではあるまい。
 外典には未萌を知るを聖人といい、内典には三世を知るを聖人というということであるが、大石寺の法門では未萌と三世とともに知るを大聖人と称してをる。大は報身をあらわすともいわれている。その大とは一大事因縁の大で、一往応中論三の報身であるが、受持することによって時が移り、報中論三の報身となり、名字凡夫の処に収まっているようで、これが久遠元初の自受用報身如来である。本尊抄の副状は、名字の師と理即の弟子相寄って師弟一箇の成道を遂げた処に出現する報身であると解すべきである。
 今いう処の大聖人は内証を忘れて外相のみに執着した姿であるが、これは専ら信仰信心の上にのみあるべきものであるにも拘らず、内証外相同時に使われたために外相一辺に集中し、為に本尊が別立して反って本果の様相を呈し、本仏の語のみをとって法門とは凡そかけ離れた処に肉身本仏論が登場する破目になった。本仏本尊は飽くまで内証について称えるべきものであって、余れば弟子檀那に手向ける体(てい)のものである。
 師弟一箇の処に成じたものが師一人の処に集中すれば、迹仏と違って暴走のおそれが充分ある。それを押えるために師弟一箇の法門が立てられたものであって、民衆仏法を立てる以上不可欠のもののようであるが、口汚く師弟一箇を否定しておるのが現状である。一つには産湯記の極く一部の文の上から始まったのかもしれないが、信心の上に始まったものは飽くまで信力の上におかないと、他宗門から説明を求められても解答は出来ない。
 信不信はまず宗内でいうべきものである。不信の輩というようなお下劣な語を使う必要のない法門を常に用意し身に付けておく必要がある。備えがないから下司口もたたきたくなるものである。筆者も好い経験をさせて貰ったが、一日も早くそのような語を使う必要のない境界に立至ってもらいたい。この語のために平僧が一返に本仏になる危険も含まれておることも承知して貰いたい。言葉の恐ろしさである。
 一ケ年余の研鑽がどこまで成果を挙げたか、不信の輩という語を必要としない処まできたのか、是非成果を拝見したいものである。しかしながらノートから想像する限りではますます悪い方向に進んでいると判ぜざるを得ない。ただ悪口雑言のみでは心ある信者も考えざるを得ないであろう。その時声を大にして高座から大聖人と叫んでみても、反ってくるのはうつろな響きのみである。一人の不信の輩など捨ておいて、有信の信者に目を向けてゆくべき秋(とき)である。これも時を知ることの一分である。刻々に移り替ってゆく時を追うていたのでは法門は成り立たない。若し止めることが出来れば、そこは還滅の世界であって、そこに本仏や本尊も在すということである。
 「伝教大師云、依憑仏説莫信口伝等云云」と。この文は「新来の真言家は筆受の相承を泯し」たことに関わる語であるが、この口伝の語は大石寺法門を批難する時に使われている場合も可成り多いようである。ここでは法華経と真言の事相を対比しているようである。また宗門で盛んな相承という語は、この語を含めながら霊山直授相承の方が強い。本尊抄の副状の文や霊山一会儼然未散の場合は、師弟の間に即時に霊山の儀式を具現せしめることによって刹那成道を成じることになっているようで、今の相承も本来は霊山直授の方が本番であったように思われる。今は信者とは別の処に限定されているようにさえ見える。時と共に押し移ってきたのであろうか。本仏や本尊の推移には一歩先んじているようである。
 これは話が少々別になるが、同じく戒壇の本尊といっても本尊抄によるか三大秘法抄によるかでは随分変ってくる。本尊抄の場合は弟子の立場から本因の本尊と立てることは可能であるが、三大秘法抄の場合は本有無作三身が能説の教主であるだけに本因の本尊は立てられない。そこで三秘各別と出るのは止むを得ないことである。そうかといって本因の本尊を捨て去ることも出来ない。結局三大秘法抄による戒壇建立によって明らさまに本尊が二頭になった。こらが唯一の成果である。さてその次に何が控えてをるか。誠に物騒千万である。
 本尊が二頭になっては、「在世の本門と末法の始とは一同に純円なり」といわれても、しっくりと解釈することは出来ないのではなかろうか。やはり時の先行が不可欠である。純一無雑というものから遠ざからざるを得ない。こうなれば本尊の説明は信心世界から一歩も出ることが出来ないということにもなる。いくら悪口雑言をくり返してみても本尊が一本に収まるものでもない。反ってその威信を失墜することになる。このままうやむやに捨ておくことは伝統の法門に対する冒涜であり、一種の自殺行為である。本格的に本果をとることとなれば一切の法門は即刻立て直さなければならない。これは今の委員会の手におえるものではない。やはり本因の古に復ることが最も容易く且つ誤りのない方法であると思う。
 面子はほんの一瞬のもの、本尊の寿命は永遠である。本尊や本仏の寿命を見すててまで面子を保つ必要はさらさらあるまい。本果を取れば本仏の寿命は七百年前に遡って断絶することにもなりかねない。誤りを認めるのは一時の恥、しかしそれは敗種も必ず芽を出す時である。今決断の時が来ているように思えてならない。小人閑居して不善をなすというが、分不相応な金が不善を強制している。貧道であるべき行者に何故このように金が吹き付けたのであろう。法門の狂いが根本であることには間違いはない。何としても祖命違背の罪は免れがたいところであろう。今その代償を厳しく要求されているというのが実状ではなかろうか。
 「乞願歴一見末輩師弟共詣霊山浄土拝見三仏顔貌」と。本尊抄の副状である。歴一見末輩の末は真蹟では来である処を、一見を歴るの末輩と読むために直したのであろうが、末輩の語は外には其の例が見当らず、宗祖の真蹟としては強すぎるようにも思えるし、送り状としては本文の上行は当然ここにも出て来るべきであるにも拘らず一向に現われない。これは読み方に問題があるように思われる。丁度二十年前、御書編纂のとき大きな疑問を持ちながら、名案のないまま昭定に従ってこのような読みにしたのであった。報恩抄と本尊抄とこの送状と都合三ケ処のうち、報恩抄は上行等の四菩薩のと、「の」の字を入れ、本尊抄は従来読まれていたものによって上行を出すことには成功したが、この送状からはどうしても上行が現れないために疑問がとけずにをったのであった。
 送り状であるから、今度は、本文を拝読するための最重要の処はここに示されるべきであるという考えから色々と考えた末、漸く次のような読みにたどりついた。即ち、「一たび見来(げんらい)を歴るの輩」である。こう読めば来の字を直す必要もなく、次下の文と合せて見れば大きく上行が現れるのではないかと思う。そして「師弟共に」も当然師弟一箇の法門へつながるし、詣霊山等の文も滅後間もない頃の天台の口伝では、このような文のときは、霊山会の儀式を師弟の間に招来して師弟一箇の成道をする、つまり刹那成道を遂げるようになってをる。
 ここの処ではどうしても上行を確認することが必要であるし、それによった古伝の法門は凡そ裏付けが出来るというものである。滅後或る空白期間があった後、改めて返点や送仮名を付された時、上行を消すために昭定のような読み方が始まった。それは本尊抄から上行の姿が薄くなるのと同時ではなかったのだろうか。若しここで上行が出なければ法門の影は全くなくなってしまう。若し上行が出れば大石寺法門の裏付けができるという重要な処でもある。委員会に更にこれを上回る名案があれば拝聴したいものである。
 他宗の読みをそのまま持ち込むのは引用文の通例であるが、この送り状のような場合には自宗独自の読みがあってもおかしくはないのではなかろうか。迹仏をとる場合には話は別である。三大秘法抄による場合にも格別必要はあるまいと思う。何故なら、三大秘法抄は本有無作三身を教主と立てるので、つまりは迹仏を立てることと変りはないからである。三大秘法抄によれば本仏は出ないであろうし、本尊は三秘各別の本果となり、即身成仏は死後の成道ということになる。そうなれば丑寅勤行の意味もなくなる。また久遠名字の妙法や一言摂尽の題目はなくなり、一切の法門は全て変って来る。また本因の本尊のみに通用する初座の勤行の観念文も替えなければならないし、一々対処することは恐らくは不可能なことではなかろうか。決断は一日片時も早い方がよいということである。末代幼稚の頸にかけさしめたもうという文も、弟子の立場から読めば総与ということになるし、副状に上行を見れば本文では上行がもっとはっきり現れるであろう。
 成道を迹仏によるか上行によるかを決める重要な鍵は案外副状の処に秘められているのかも知れない。また別の面からいえば、宗祖のごとく従義流によるか、後の天台のごとく四明流によるかということにもなるが、内容的には四明流によれば迹仏世界から脱れることは出来ないであろう。また大橋先生が大日蓮に発表したごとく、天台勝正宗劣の法門も当然である。四明流によるが故である。また宗門随一の天台学者を自称する水島さんの教学からは、恐らく本仏や戒壇の本尊の証明は出来ない相談である。若し証明するとすれば専ら信心による強要以外に方法はないであろう。どこかで信心教学という文字を見たような記憶があるような気もするが、これは今いう処の教学とは全く別世界に属するものである。
 己心を捨てろ、心でいいんだということは、正宗でもよい、天台宗でもよいということで、正宗を捨てろという響きをもっていることは大橋論文によって証明ずみである。このようなことも何れの天台教学に依るかという処から始まって居るのである。四明流の天台学で大石寺教学を割り出そうとしても、最後は信心という事で強要する以外好い方法はないであろう。しかし信心によって証明したものを他宗門まで通用させようというような事は考えない方がよい。教学と信心のはざまに喘いでおっては巧於難問答の行者ということも出来ないであろう。
 教学研鑽の場へ信心を持ち込んでみても一向に解決出来ることではない。万一解決出来たとしても、それは独善の所作である。真実にそれを求めるなら名字即の位といわれる信の一字による他はない。そこは己心の一念三千が既に占めているからである。悪口は低俗な信によっている事を自ら証明している事に気が付けば、そこには新しい方法も見付かるかもしれない。次上という語は日本語にはないという広言を切る前に、せめて真蹟現存の御書や六巻抄を、ただの一度でも読んでおくべきであった。信心の勢いで押し切ろうとしても所詮は無理な相談である。こちらでは信心が教学を上回った一例として、寧ろ哀みをもって受け取っているまでである。
 今は時局法義の研鑽に励んでいるようであるが、実には本来の法義は遥か彼方にあることを御存知なのであろうか。追いつめられた悲壮感から一日も早く脱却することが肝要である。それは名字即の位の信のみが解決し得る問題である。信心の信はそのあとに在るべきものであるにも拘らず、今は信心の信のみによって解決しようとしているのが実情である。そこには時節の混乱に通じるものを持っておる。己心を捨てろ、己心の一念三千は天台流だと大見えを切って見ても、それはますます戒壇の本尊を孤立せしめるまでである。
 信心の信のみが名字即の位の信に先行すると次々に本仏が出現する可能性もある。大石寺法門の持つ最も危険な部分である。このような中で肉身本仏論も考えられる。仏法から遥かに逸脱している証拠である。誤りを知ってよく改めることの出来るものは聖人君主であり、知り乍らあくまで固執しようとするのは愚人である。ともかくも時局法義といえば感情が先に立つのはやむを得ない。それは信心の信が先行するからである。法門はそのような感情を押え切った処に成り立っておる。時局の二字が冠せられておる間は、抜本的な解決策は見当らないように思えてならない。名は体を表すという。先ず時局の二字の中から本仏の寿命を見出すことは至難中の至難である。本仏の寿命を離れて法義を研鑽する事自体無理である。時局法義といえども本来の法義を取得出来なければ無駄な事である。似ているようで大きく違っておることが疝気筋であることに気付くことを願っておくことにする。


 三重秘伝抄
 六巻抄の第一に置かれている三重秘伝抄には一向に三重秘伝が見当らないが、正宗要義ではいとも簡単に相対を秘伝と摺りかえておる。内容は相対のままで、これでは勝手に改作したことになるし、著作者の意志を踏みにじったことにもなりはしないか、一寸気掛りなところである。若し同じであるなら題名と同じく三重秘伝となっている筈である。権実も本迹も種脱も文上の所談であるが、法門は種の上に展開するもの、こらが下種仏法ともいわれる文底の法門である。もとより上行の領知する処である。
 相対を秘伝に摺りかえることは、文上の語をそのまま文底と読むことになり、迹仏の所談をそのまま文底と読むことになって大変な混乱が出る。本果をそのまま本因と解釈することは許されざる飛躍である。今その部分をうめようとしているのが信心であり悪口雑言である。迹仏から上行へ変ってゆく処がどれだけ解明されているであろうか。
 三重秘伝とは結論のところ、即ち事を事に行ずる処にあるべきものと思う。丑寅勤行の最後、師弟一箇の成道とは事を事に行ずる処であり、先ず衆生の成道、そして本仏、その本仏を明星池に写した時本尊と現れる、この三箇が三重秘伝ということではなかろうか。元をいえば寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千である。名義も異なり、いかにも別物のようには見えても元は一、結果を見れば三のようではあるけれども実は一である処に秘伝がある。恐らくこれが三重秘伝ではなかろうか。上行の領知する本因の場、ここには本仏の寿命が満ちあふれている。この三、秘伝というに最もふさわしいものである。
 三重の相対は爾前権迹から種脱に至り、文の底に秘して沈めた己心の一念三千を明らめんとして、まず種に落付ける処、これからが大石寺の法門である。相対はその前提として取り出されたものであろう。そこで現されるのが久遠名字の妙法である。相対とは大きく時節が違っておる。六巻抄の最初において時節の混乱を起していては、素直に本仏や本尊の解明が出来ないのも無理からぬことである。己心を捨てろということも何となし理解されそうである。
 三重相対が三重秘伝におきかえられると、しばらくこれを秘すという久遠名字の妙法が久遠実成の妙法に置きかえられるのは当然であって、ただ口唱の題目のみが大きく浮び上ってくる。そして最後に久遠実成の妙法が何の裏付けもなしに、突然本仏や戒壇の本尊が出現するのである。これでは己心の一念三千をすすめる者が狂人に見えるのも、やむを得ない事と御理解申し上げる。本因の本尊が本果にかわり、本仏が肉身そのものに成り下ってゆくのも、根本はここにあるのかもしれない。これは時節の混乱の一例である。
 「智者大師仏教をあきらめさせ給のみならず、妙法蓮華経の五字の蔵より一念三千の如意宝珠を取出して、三国の一切衆生に普く与え給へり」と。これは兄弟抄(新定一一八五)の文である。或る人がいうには、天台は妙法から己心の一念三千の法門を出し、当家は己心の一念三千から妙法を出したというのが常識であると。親鷄は卵を産むが、卵が親鷄を産んだわけではない。産むのは常に親鷄である。説法の座ではこのような事はあっても教学の場に持ち込むには時節がこれをはばんでおる。妙法が己心の一念三千を生ずる事は両家とも変りはない。
 六巻抄の第一行が一念三千法門であり、第五に至って久遠名字の妙法が現われるからそのような説が出たのかもしれない。しかし初行は問答体でいえば問に相当する部分であって、つまり総課題である。問と答の境目をとって読めば或はそのような考えもあるかもしれない。第一から第五に至る処を捉えても、第一の第七義の最後を捉えて見ても、一見そのような説の成り立ちそうな処はある。しかし第五から第六に移れば状況は別である。ここでは久遠名字の妙法から己心の一念三千法門が出されておる。法門としては全体に眼を通した上で、妙法から己心の一念三千が生じたと考えるのが素直なようである。
 御宝蔵という蔵から御開扉という儀式によって一念三千の宝珠が現れるという建前ではなかろうか。しかし今のように楠板に本尊が固定すると、その本尊から題目が生じるということも考えられるが、これは飽くまで信心の境界であり、口唱の題目であることに注意しなければならない。六巻抄全体を見れば妙法蓮華経から己心の一念三千が生じる線は決して崩されていない。丑寅勤行まで含めて見ても妙法から本仏や本尊という己心の一念三千が生じていることに変りはない。極く一部を捉えて全体を判断すると時に真反対に出ることもある。これは解者の私見というべきである。従来六巻抄は断片的にのみ読まれたために、全体像がつかみにくく、一念三千が妙法を生ずるというような説が出たのではなかろうか。
 時をはずしては他から異様な目で見られる。時を習わずして仏法を名乗ること地体無理であるにもかかわらず、殆んど省られていない。そのために宗祖が生まれながらにして本仏になってゆくので、産湯記にしても、文字だけを読めばそのように取れる処はあるが、報身如来の誕生を祝福していることが分らなければ、百害あって一利なしということになる。仏法にもあらず、仏教にもあらざる処で宗祖本仏が語られる故である。
 時を見ることは釈尊をはっきり意識することで、その時の替り目の処に受持がある。その受持によって始めて仏法を語る資格が出来る。そこに修行がある。題目修行は目前のもの、時と修行がなければ他門のものと全く変りはない。今は専ら口唱の題目のみが行われていて、その題目をあげないから不信の輩だというのがお歴々の考え方のようであるが、それは仏法とは凡そかけ離れた処で熟している。同じ信でも名字即の位であるべきものが、一挙に信仰・信心の処へ引き下げられて考えられているからである。時を忘れた仏法というものは全くあり得ないものである。
 時局法義とは根本は時節の研鑽にあると気が付くなら、そこには仏法の蘇える下地は出来たということである。その時節を外すことを研鑽したのではただ混乱を増す計りである。時を知ることは仏法を称するものの教養である。その上に宗門独自の教学も成りたつもの、何れが先か知らないけれども、無学無教養はやがて無節操を生むようなことにも成りかねない。
 上げ過ぎては本仏の心を死す事にもなるし、ついうっかりと本仏を私物化するような事が起きないとも予測出来ない。その危険を押えるために時を習うことが必要なのである。従来通り戒壇の本尊を本因とするか、三大秘法抄によって本果と決めるか。今となっては容易ならぬ問題である。これも根本は時節の混乱によるものといわざるを得ない。これが今与えららた最大の課題である。悪口雑言は無学無教養無節操の成果と受けとめて置くことにする。
 前号から続いて今号の中でも常に同じ事を繰り返したが、これは三年余りかかって目標を表に出す時が来たためで、必ずしも年寄りの繰り言とのみでは片付けてもらいたくない。相手方の深さを測定しながら、漸くそれを表わす時が来たということである。それほど照準を合わせにくかったというのが実情である。この号から改めて第一号を振り返って見てもらうと、何を目標にしていたかも自ら理解出来ると思う。第一号を見て第十一号を予測出来る人は聖人である。それも分らず右往左往している向きは、凡そ聖人とは無縁のものどもである。最初現われた、己心を捨てろという語が、真向から戒壇の本尊を否定することとは気付かなかったとは全く迂闊千万なことという外はない。

 

   

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 阡陌陟記(十二)


 此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王、行摂受時成僧弘持正法。近頃大日蓮の研鑽ノートの水島記者が、余程うれしかったと見えて珍しく二頁に渡って法主の文字があった事を載せてをるのを見た。しかし二年も三年も経って見つけてみても、今さらニュース価値は皆無であることに気が付かないとは記者としては失格である。しかも拾い上げたものは何れも内証に関するもの、当方でいうのは外相に現れた処を言ってをるので、格別驚く程のことではない。仮令寛師に抜書があっても、二十六世法主日寛となければ凡そ意味がない。本来内証にあるべきものが誤って表面に出たというのが当方で指摘した主旨である。よく文章の意味を理解しないと、折角三年の年月を費して拾ってみても、一片のニュース価値もないものになることぐらい心得ておいてもらいたい。万一二十六世日寛というものがあったとしても、この短文によって、追いつめられた形勢を逆転させる程のものでもない。只言うて一人楽しむ価値しかない。追いつめられたものの独楽図である。この様な小策に明け暮れ、三年もの年月を費やすひまがあるなら、「此四菩薩」等の引用文を見直すべきである。
 今更、法主の語を見付けてみても格別威力がないということは、既に時が通り過ぎているからである。これでは去年の暦ほどの威力もないというのが実状である。しかし、同じ古暦でも三百年五百年のものであれば、改めて別な意味で価値も生じて来る。これが時の意義である。言う処の仏法とはこのような時空を越えた処に真実を見付けようというものであって、三年前のものをそのまま持ち出して見ても時は既に過ぎ去った後で、それでは何の威力にもつながらないのは当然である。大石寺法門は其のような文の上の所談でないことをお忘れなのであろうか。
 さてこの引用の一文、古いことや他宗門の解釈については一向不案内であるが、本来文底を読みとるべきものが、文上に限定され、しかも「此四菩薩」の四字が排除されて読まれた処に新しい問題を提供し混乱せしめた原因があった。或る意図を持って読まれた事は分るが、委員会の面々も高座から下りて改めて読み直してもらいたいと思う。何れにしても学会躍進の根本はこの解釈による処が大であったという事ではなかろうか。
 発端に此四菩薩とあるからには、折伏摂受各別のものではなく、上行の内外の両面が説かれていることは一見して分る。それが此四菩薩を省いて折伏摂受を並べたために勝劣ということになり、俗勝僧劣という結果になった。これは特異な解釈である。内証・外用各別の論理であって、僧俗一致と云う語もまた同じ時の上に考えられているのであろうが、本来は色心不二のごとく一ケと見るべきである。僧俗一致というのは個々の姿を保ちながらより合った姿であり、相対のごとく文上の所談である。此四菩薩を省いたために文上と文底と、流転と還滅との両面に混乱を来したのであって、全く時節の混乱以外の何ものでもない。時節の混乱の恐ろしさである。
 次上という語は日本語にないと大見得を切った公正さんよ、この語がいかに宗祖を褊(さみ)するか御存知なのであろうか。そのような独り決めた虚空座から下りて、吾々と同じ地下(ぢげ)に立って謙虚に且つ公正に判断してもらいたい。それが出来てこそ公正さんの公正たる所以があるというものである。
 長い間此四菩薩を省いた解釈が罷り通って来たが、既に時は移りつつある。その時の移り替りを如何にして未萌に捉えるか、そこに宗教家の本分があろうというものではなかろうか。駅長勿驚時変改の駅長さんでは困る。委員会の面々が如何に過ぎ去った夢を追うて見ても所詮は無駄である。未萌を知る大聖人の末弟が過去の夢のみを追うことは宗祖の教えに背反することでもある。未萌を知るということを凡俗の上に仮に解すれば、未来に夢をふくらますということかもしれない。このあたりで悪口雑言の世界から大きく一歩踏み出してもらいたい。左するか右するか、重ねて最も公正な判断を期待しておきたいものである。
 さてこの一文をどのように解するか、今私見をもって記することにする。即ち此四菩薩とあるから次の文は上行の貌として折伏は外用の面、摂受は内証の面を示されていることは先にも記した通りである。末法は折伏の時というのも実は上行の外用の一面であっても、上行を除いて折伏だけを取ると、この引用文とつなげた場合、折伏優位と出るのは当然である。特にこの引用文の場合、此四菩薩を除いて考えること地体無理である。今改めて冷静に且つ公正に考え直す時が来ているということではなかろうか。今正是其時とは現在の時を指しているものと考えたい。
 折伏は俗を表し、摂受は僧を表す。俗は弟子であり、僧は師である。共に凡俗が本体である。弟子は理即、師は名字即、この師弟一ケした処に法華経の極意を見ようとするのが文底法門であるというように自分では考えてをる。そこに師弟子の法門の根深さがある。この師弟子の法門というのは、法華経の文の底の法門、上行所伝の法門と考えざるを得ないものがある。即ち師の名字即、弟子の理即に絞られた法門である。それにも拘らず、時局法義研鑽委員の中にはこれを否定してうれしがっている者がある。全くその良識の程を疑わざるを得ない。このようにして見ると、師弟子の法門を否定することは、そのまま上行の否定、宗祖本仏の否定につながるものを持ってをる。
 この一文、僧侶は明らかに正法を弘持することを明示されてをる。それが摂受なのである。「此四菩薩」を省いて他宗門の摂受折伏がそのまま文底が家に持ち込まれた故の誤りであろうか。文上・文底の誤り、在滅の誤り、それが時節の混乱なのである。以前、流転門・還滅門に対して他宗門の流転・還滅を持ち出したのと同じ轍である。口には文底を唱えながら、内容的には文上が家と一向に変っていないと云うことである。隠し蔽うことの出来ない弱さである。己心の一念三千法門は天台流だといい、己心を捨てろ心にせよというのと全く同じ考えであることが分る。そのような中でこそ大石寺にもあらず他宗門にもあらざる法門が発展してゆくのであろう。これを正常に返すのは時の確認以外名案はなさそうである。「夫れ仏法を学せん法は、必ず先づ時をならうべし」という撰時抄の発端の文の重みが、今更のごとく感ぜられる。
 「此四菩薩」等の文は、僧侶の正法弘持を条件に僧の処に俗が摂入されているように考えられる。しかもその俗は宗祖を凡僧というような法門の上の俗であって、法門を離れた只の凡俗ではない。ここで摂入というのはそれが還滅門にあることをいう。そこにおいて師弟が論ぜられるとき、これを師弟一ケと云う。即ち名字即・理即、それはいうまでもなく上行領知の世界である。師弟一ケの上に見る僧俗はそのまま本仏の振舞でもある。師弟共に凡夫である。現在は僧俗が還滅門を離れた処で解釈されたために俗勝僧劣という結果が出たのであって、これは明らかに時節の混乱によるものである。
 「弘持正法」とは上行所伝の本法を紹継する意、これが弘持正法であり摂受である。今の時局法義研鑽委員会にどれだけ正法が弘持されているのであろうか。虚空会の上行はそこでは真実を発揮することが出来ないので本拠に帰った。それが隠居である。釈尊隠居はすべてを上行に渡すことをいい、上行の隠居は虚空会から本拠に帰って還滅門に入ったことをいう。同じ隠居でありながら流転門から還滅門へ移る事が隠居なのである。
 今いわれている隠居法門がどこで理解されているのであろうか。恐らくは語句だけが形骸として残されているのであろう。そのために上行が充分に活躍することが出来ない。上行は本法所持が先行しているため、世が末法に入れば全てが還滅門であるために状況が変って折伏が表に出るような貌になる。流転門にあるときとは大いに相違がある。それは時節による相違である。この辺に流転・還滅両門の混雑がある。これはあくまで上行一人に関わることで、現実の俗と僧とに分けて考えることとは各別である。
 僧勝俗劣は釈尊以来の大原則であり、俗勝僧劣は還滅門から流転門を立還って見たときにのみ使われるべき語、この時節が忘れられた時に使われるものとは別物であるにも拘らず、今は全くかえり見ようという気配が見当らない。それどころか流転・還滅両門の語さえ抹消しようという程の御時勢である。門の字があるとないとは天地の相違である。そのような中で己心が消され、己心の一念三千法門を消し去ろうとしてをるが、これは自ら流転門への復帰を願っているとしか考えようのないことである。上行、本仏、本尊、衆生の成道等、全ての法門の抛棄につながる程の大事とは一向に御存知ないのであろうか。不信の輩といい、悪口雑言を並べて見ても解決する問題ではない。閑かに胸に手を当てて考えて見れば、何れが狂ってをるか明了になるであろう。
 この引用文には今の病の本源に付いて思い当る節があるかもしれない。法主の語があったと言って歓ぶような時でない事にも又気付くことがあるかもしれない。そのような事でもあれば、それは本仏の御慈悲というものである。悪口をもって消し去る事の出来ない処にあるのが上行所伝の本法である。消したと思えばまた生じる。それは法の無尽蔵の故である。いくら高座で奇麗言を並べて見ても、悪口の程は大日蓮誌に公式に記録されてをる。後代に必ず批判の対照になることは必至であると思うとお気の毒に堪えない。
 大日蓮六月号には、山田時局法義研鑽委員会御尊師の名調子が載せられていた。その中で宗祖と師弟一ケの成道を遂げるとは以っての外だというご意見を拝見した。つまり宗祖は虚空に住在する、ということが背景になってをることは当然考えなければならない。しかしながら、宗祖は師弟共に仏道を成ぜんといわれ、開山はこの師弟子の法門といわれてをる。何を根拠にしてこれらを否定するのであろうか。
 今も上行の再誕日蓮ということは生きていると思う。しかし師弟子の法門の否定はそのまま上行・上行の再誕日蓮即ち、本仏の否定につながることを考えているのであろうか。山田御尊師の御脳の程を疑わざるを得ない一文である。どこかで御脳を損じて居るのではないかと思わせる迷文である。このような語を指して酔余の一声というのであろうか。何れにしてもこの一声おだやかではない。上行が虚空に居ったのは虚空会の一瞬である。それを上行再誕日蓮にまで押しひろげることは宗祖を誣(し)うるものである。そのような処に本仏が出れるわけでもあるまい。少し時節を考えるとよい。一つ間違うとこのような落し穴が待ってをることに留意してもらいたい。
 大地の底から召し出された上行は虚空会に参会した後、本処に帰って大地の下に居している筈である。そこから大地の上に再誕した。当時宮廷では三位以上を殿上人(でんじょうびと)、四位以下を地下人(じげにん)と称した。その地下人のもう一つ下に居るのが民衆である。ここは地の下であり地下(ぢげ)である。上行の再誕日蓮も共に民衆と同座している意味である。宗祖を虚空へ押し上げることは流転門へ押し返すこと、これを浅識謗法という。
 上行再誕日蓮、即ち本仏を虚空に押し上げ、大宇宙の真理云云ということになると、聞いている側では大日如来の世界の事をちらっと思い起さしめるから不思議である。これに西洋流なものが一枚加わって、三者一体の処に虚空住在の法門が出き上っているのかもしれない。三祖一体の法門は飽くまで地下にあるべきものなのである。虚空の本仏は独善に名を得るものである。正法を弘持することなくして其の由を称するのは独善である。委員会の実力者水島先生や山田某などは其れを代表する者である。虚空に上行・本仏を求めておるのは明らかにこれを証明してをる。本仏が虚空に住することは虚空会以外では考えられない。
 本仏が凡僧の師弟相寄った処に現ずる処は丑寅勤行を静かに思えば明らかであるにも拘らず、今は常住の戒壇の板本尊が考えられるために、即ち本果の本尊となったために本仏は一人に固定し、信仰の形態が不知不識の間に変化して、本仏の出現し得るような状態ではなくなっている。これを未萌に止めるのが師弟子の法門である。上行所伝の法門とは師弟子の法門を指しているのであろう。そこに宗を立てているのが大石寺である。師弟子の法門を否定することは宗祖を本仏の座から下すことである。己心や己心の一念三千を否定することも全く同じである。
 上行を虚空に押し上げてしまえば、そこは迹仏の世である。これでは末法の初めの上行は迹仏世界に摂入され、末法の初に出現すべき上行は未だ出現せず、従って本仏もまた出現していないということになる。今のような状況では凡僧などということは文字の上にのみ存在してをると考えざるを得ない。これは今まで発表されたものから見た時局法義研鑽委員会の性格判断であり、何れも資料として大日蓮誌に記録されてをる。
 小乗小仏要文中の図によれば、報身仏は蓮華座にあり、法身仏が虚空座に居してをる。末法の初が来れば蓮華座を取り除いた処、それは自受用報身如来の住処である。それにも拘らず今は報身如来と法身如来とが同じ虚空に住座しているようにも見える。二仏並座である。虚空会の儀式に多宝仏の座の南の下座に大日如来が居るというのも流転門から還滅門に替って行くための不可欠の儀式であろう。そして迹仏所説の法門一切の付属を受けて上行は大地の下に還って、そこを住処とするのである。
 多宝仏の下座にをる大日如来は、両界の大日如来よりは一格上に居えられているような感じである。これを不二の大日という。これが多宝不二即ち多宝富士であり、その座を蓮華座というというような発想が底流にあるようにもみえる。富士山が多宝富士大日蓮華山と替ってゆく中で虚空会の多宝の下座にをる大日は説明し尽されているのであろう。富士山は高い山に冠せられた名であるが、多宝不二大日蓮華山になると山の高さから、内容の深さに変っている。これが時節の変化である。富士山から現実の高さが除かれた処、それが上行の住処である。
 虚空は富士山よりは遥かに高い処であるが、多宝富士大日蓮華山には高さをもって計り切れない深さがあり遠さがある。その深遠なる処を己心に見出そうとするところに大石寺法門のよさがあろうというものではなかろうか。今は寸尺をもって計らなければ承知しない処まで来ている。それは竹杖尊者が釈尊の身量を寸尺をもって計ろうとした愚と全く変りはない。在世は今にありとといっても、多宝富士大日蓮華山を寸尺を以って計るような愚は即刻止めてもらいたい。在世においても釈尊の身量を寸尺をもって計ることは出来なかった。況や滅後末法においておやである。時節にかなった計り方を見付けることこそ目下の最大の急務である。
 末法己心の報身如来が虚空を住処としてをる、というような御書があれば是れ一見したい。御書に明文がなければ早々に取り下げるのが順序である。強いて説けば邪義であり、珍説である。悪口雑言の援護によって強行しようというような事は、考えない方が賢明なのではなかろうか。ここが思案の遣りどころである。説く法が真実なら援護は極力排除すべきである。悪口は法門ではないということを、先ず知ってもらいたい。悪口を繰り返せば曲ったものが直ぐになるというものでもない。水島先生は只珍説というけれども、根拠を明そうとはしない。これこそ珍中の珍である。
 大地の下に居る上行を本とする名字即の仏が、虚空に上ってまで名字即の位が保てるであろうか。衆生不在の虚空にあっては全くその意味がないことをお分りであろうか。師弟子の法門を否定するのは名字即の否定にもつながるが、今は目前に既成された本仏の語のみに執着して、一向その内容にふれようとはしない。本尊にしても同様である。その間に内容的には思わぬ方向に発展しているような状態とお見受け申し上げてをる。宗祖を讃むと雖も宗祖の心を死す。本仏の心とは己心の一念三千である。それはいうまでもなく久遠名字の妙法からにじみ出たものであってみれば、知らなかったで済むようなものでもない。既に行動に移されているからである。
 「此四菩薩」等の文、内証をいえば己心の一念三千であり、これを師弟子の法門と読んだ時、上行の行動が始まる。ここが末法の初ということである。只折伏・摂受の勝劣のみに限ることなく、法門に遡って考え直してみる時である。この一文の読み誤りが俗勝僧劣というような結果を生じているのであるから、これを正すためにも師弟子の法門を極めなければならない。出来るか出来ないか何とも大きな課題である。一人の不信の輩を捉えて悪口雑言を繰り返しているようなことは、今後はもう宗祖からお許しは出ないであろう。尻に付いた火は消さなければならない。これは何ともまた大きな課題で、諸先生方の技倆の程、疾くと拝見したいものである。
 以前にも書いた事があるが、文段抄は、安国論以外は何れも一念三千に関わる御書のみで占められている。若し「此四菩薩」等の文を僧侶自身について見る時、本来正法を弘持すべき僧侶としてどのように折伏を行じるかといえば、安国論の折伏のごとく、それを自身に振り向けて一念三千法門を明らめることにある。摂受を成じるための折伏、文段抄の構成はそのようなことを指示されているのではなかろうか。内に充実するものがあれば、その徳は自ら他に向って成じることにもなる。
 現在の時局法義研鑽委員には、悪口の蓄えはあっても正法弘持に関わるような貯えがあるようには見えない。こうなれば折伏をやる側がどうしても有利になるのは当然であるといわなければならない。学会がこの文を取り上げたことは、他宗門に対すると同時に僧侶に対しては最も有効な方法であった。これを克服する方法は正法を弘持する摂受を確実に実行することである。時局法義という語はいかにも追いつめられた一夜漬の法義、という感じが強い。昨年以前には全く宗門の中では使われなかった語である。
 「此四菩薩」の文を上行としてみれば内証外用の両面であり、宗義としてみれば師弟それぞれの分を示されたもの、一人の僧侶の立場からこれをみれば正法弘持のためには折伏は不可欠である。このような摂受を持ったときの宗門は安泰である。賢王・愚王は世間へ持ち出す前に法門として充分に理解しておかなければならない。
 「此四菩薩」というのも迹仏世界の事ではない。全ては己心の一念三千の上に展開する法門である。若しこれを世間に持ち出すためには必ず正法弘持がなければならない。摂受なくして折伏が行なわれると暴走の危険は充分に備わってをるということである。ここでは、たまたま王という語が使われたけれども、寧ろ只の凡俗と受けとめるべきであろう。知った者は賢王であり、知らない者は愚王である。いくら口汚く大きな声を張り上げてみても内証の深みに通じるものではない。
 時局法義というような未見今見の語に浮身をやつす隙があれば、速に本来の法義に眼を向けるべきである。本因をとるか本果によるか、戒壇の本尊によるか三秘抄の各別の本尊によるか。これさえ決しかねてをる。時局法義研鑽とは凡そ無駄のきわまりである。時局によって左右されるようなものは本尊とは言えない。何れの本尊を取るかというような時、今更法主の語が見付かったからと喜んでみても、それによって天下の形勢が一変するようなことでもあるまい。この本尊の問題、捨ておいては伊豆の潮のごとくである。いかにして脱出するか、それは自分自身の決める事である。
 三ケ年も過ぎて法主の語があったと喜ぶのは御自由である、と申し上げるしかない。持つべき法門のなかったことが、自らあらわになったことだけは分る。今は水島先生も一ケ月一頁というのが限量のようであるが、これでは三百六十頁の本にするには三十年の年月を要する。随分気の長い話である。ゆっくりと道中を楽しんでもらいたい。限量の語、阡陌や守株のごとくその出処を御教示願えれば光栄である。研鑽ノートも数回重ねられたが、これはいくら重ねて見ても明日へつながるものではない。只過去の夢を楽しむ程のものでしかない。宗教家が過去を追う程無駄なことはない。覚前(さめるまえ)の実仏では末法の世に通じる筈もないことだけでも知ってもらいたいと念じてをる。
 山田先生は本人がいうだけあって、全く断片であると喜んでいたが、三年半過ぎた今漸くここまでたどり着いた。それは何れの本尊によるべきかということである。己心の一念三千の法門をもって宗を立てる日蓮正宗にあって、何れの本尊を撰ぶかということである。初は五・六に分れた本尊を挙げ、今は本因によるか本果によるかという処まで来た。
 これは一念三千法門の中で本末究竟しようとする姿である。そのための断片であった。断片のための断片とは、山田先生のものや研鑽ノートのようなものを指す。一念三千法門の外で論じられて居るので、これでは最終的には本末究竟の期はないであろう。
 阡陌陟記が断片と映るようでは、その深さの程も予想がつこうというものである。本因・本果の区別をつけることも重要な課題の一つであることを留意してもらいたい。いくら悪口雑言を繰り返してみても、それによって己心の一念三千法門の難問が解決するものでないことぐらいは知っておいてもらいたい。
 「国主此の法をたてらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり」。「国主信心あらんの後始てこれを申すべき秘蔵の法門なり」と。初めは二ケ相承、後は当体義抄送状の文であるが、非常によく似た処がある。国主の語は他の御書では見掛けた記憶がない。初めに富士山、次にはアンモ山、終り大石寺即ち大日蓮華山へ収まった。つまり仏意に依って己心に収まったのである。それを日蓮正宗大石寺へ収まったとみた処から新しい発展が始まった。そこから己心に根を下すことなく、外相に出てしまったために新しい混乱が始まったように見受けられる。
 今の正本堂が若し二ケ相承を根拠として建立されたものであれば、富士山本門寺戒壇と称せられるのが順当である。一時大本門寺という寺号が浮かび上った程であった。この意味からすれば、この二ケ相承は北山の香りが残っているような気のする処もある。多宝不二大日蓮華山を山号とする大石寺とは少々隔たりがあるようである。戒壇建立のあたりは三大秘法抄のような処もある。若しそうであるとすれば本有無作三身の領知する処であって、久遠元初の自受用報身を根元とする大石寺とは凡そ無縁の存在ということになる。法門的に解決されなければならないものが、今も未整理のままになっている様な感じを受ける。時節の整理が必要なのである。未整理の故に結果として本果の方に動いていったのではなかろうか。時はどこまでも無表情のまま行動を興し続けるものである。
 無作三身に依るか久遠元初の自受用報身に依るか、今改めて確認の必要に逼まられている最大の問題である。今の時局法義が何れの仏に根拠を於いてをるのか。若しかするとこの二仏の外でやっているのではなかろうか、そのような感じさえ与えるものがある。時節が外れたために収拾がつかなくなった結果、悪口によって糊塗しようという方向に向っているのではなかろうか。何か虚しさのみが感じられる委員会の成果である。
 この二ケ相承は、もともと大石寺のものではなかったのかもしれない。他門のものを無造作に取り入れたために思わぬ混乱に巻き込まれた、というのが実状ではなかろうか。この二ケ相承、肝心の処で文上を読みとったために、更に混乱が尾を引いたということである。文底が家の国主とは信者である。その己心に建立される閻浮国家の国主であれば、日本国の元首や議会を持ち出す必要もなく、即刻名字即の位の信の上で解決出来る問題である。このあたりに大きな計算違いがあったように見える。
 己心の戒壇であれば建築物の必要もない三秘同時の建立であって、戒壇の本尊と何等矛盾するものではない。宗祖の虎を市に放つが如しといわれた語に背く必要もない。時が先行してをればこのような混乱は起きなかったと思われる。己心を捨てろ、己心の一念三千法門は天台流だというのも、その誤りを正当化するための作(はたら)きなのかもしれない。
 国立戒壇という語が万一古い時代にあったとしてもそれは民衆の夢である。それが明治の文明開化の波にのって現実の問題として表れて来た。文明開化、つづめると文化であるが、大石寺法門には本来として文化の波には乗ってはいけない宿命を持っているようである。文化が先ずねらったのは己心の一念三千法門であった。そして今も己心を捨てろという処まできた。これは如何にしてこれを取り返すかということである。個性の失われた中で他宗門の活字本による知識の吸収は、甚だ危険なものを持ってをる。活字を通して自他の区別がなくなるような事はないであろうか。
 「眉近不見、自禍不知是謂」。眉は近けれども見えず、自の禍は知らずとはこの謂かと。此の語は「此四菩薩」の文や二ケ相承の文に限らず、何れの文、何れの時にも通じるものがある。悪口のみによって今の難問が解決出来ると思うことも、この一文は既にお見通しである。難問とは他から仕向けられたもの計りではない。自らの抱えた難問をいかに解決するか。それが出来るのも巧於難問答の行者であることは、身をもって目師が教えられているが、眉近不見の故に一向分っていない。
 研鑽ノート(一)に、寛師がわざわざ項を設けて宗祖の肉身は本仏でないというものを、肉身こそ本仏だ、というのもやがて自禍となって我が身にふりかかってくる。委員会の研鑽目標がどこにあるか、凡そ見当も付けられようというものである。宗祖が生まれながらにして本仏というのは信心の上にのみ成り立つもので、それを他宗へ押し付けること自体無謀である。時局法義が信心教学の上に安座しようとすることは、此の上ない危険をはらんでいる。
 長い修行の後、開目抄において魂魄佐渡に至り己心の一念三千の上に刹那成道を遂げた。これは本仏の境界である。そして誕生の時から生まれながらにして本仏であるというのは信心の世界。これを還滅門において考えているのは産湯記である。凡俗の誕生ではなく、自受用報身の誕生である。これを世俗の話の中で本仏誕生というのが今の本仏誕生の真実であるとすれば、ますます孤立化に拍車をかけるであろう。委員会の方向性を示すものとして興味ある意見といわなければならない。
 何故に興味があるか、何れ委悉にする時もあると思うが、以前流転門・還滅門と書いた処、宗門には古来その様な語はないという御託宣であった。そして流転・還滅の二語を他宗門の語によって説明された。又聞く処によると、最近も貴族仏教という語は宗門では古来使われていないというような意見が出ていたようである。少なくとも寛師以前にはその様な話の必要のない時代であったが、明治以降一般に新しい教学が発展して近来可成りな量のものが吸収されたため、純粋な大石寺教学もつかみにくい状態となった。それに加えて、ここ二三年は特にそれが目立って来た。そのために流転門・還滅門と云わなければ自他の区別が付け難くなった。そのために使った語であるが、これに対して流転門・還滅門の語は、還滅門を忘れ流転の一門のみに絞った向きには異様に聞こえるかもしれない。しかし逆にみれば、教学については自他の区別を必要としない処まで落ちて来ているともいえる。
 貴族仏教にしても既に変ってしまえば貴族仏教の語も必要はない。既に自禍となって現れているのである。流転門が主力になった今、転化の裏付け用のために寛師の文にしても、また御書の文にしても解釈の切り替え作業が行われているように思われてならない。師弟子を糾すを、師が弟子を正すと読むのも貴族仏教化のための一こまである。
 本仏も本尊も既に大勢は本果ということになっているが、今の作業の中で御書や六巻抄の文をもってこれが証明出来るかどうか。これはやらない方が遥かに賢明といわなければならない。悪口雑言もそのような難作業の中で自らにじみ出るためいきと受け止められぬこともない。そのような無駄な努力をするより、一挙に宗祖に還ることの方が余程楽でもあり、遥かに確率は高い。自禍はやがて自禍を生む。まずは自らの足元を見つめることが肝要である。次々に資料が公表されると研究対照になる問題である。山田論文も非常に面白い内容を持っていることだけは記しておく。
 宗旨分・宗教分という語も古来使われていないということのようであるが、そのような中で宗旨・宗教の語が他宗門のものによって証明されると状況は一変する。丑寅勤行において衆生成道・本仏・本尊と成じる処は本因中の本因であり、これが宗旨分である。これを日蓮正宗の立場からいうとき本尊・本仏・衆生成道となるのは本因中の本果である。これを宗教分と称してをる。そこには自ら内容について説明も必要であるが、その中では時が最も重要な位置を占めている。
 今は本因中の本因と、本因中の本果のうち本果のみが残った処で迹門と変ったために、この三何れも不安定になってをる。だがそのような本果が果して存在するかどうか、大きな疑問がある。その疑問を打ち消してをるのは、実は信心である。確乎とした教学の裏付けもなしに信心のみによって本尊や本仏を考えることは、危険極まりないものを内存してをるということである。もう一歩出れば鰯の頭も信心からという危険が待ち構えているような状態である。そこで必要なのが名字即の位の信である。
 本因中の本因も、本因中の本果も、何れも名字即の位の上にのみ考えるべきものである。衆生の成道も本仏も本尊も、何れも一同に名字即の位の上に成じてをるもの、この確認を怠れば信は只の信になって信心信仰に移ってゆく。そこにはこのような衆生の成道・本仏・本尊とは全く別なものが登場してくることになって宗門そのものの性格を変えてくることになる。そのような中にあって宗旨分・宗教分という語が必要なのである。しかし現在の信のあり方の中では無用の長物と思われることも止むを得ないことである。
 今は流転門・還滅門、宗旨分・宗教分というような語が必要でない程変っているということなのである。今一度、冷静且つ公正に振り還って視てもらいたい。若し冷静を欠くなら公正は即時に不公正となる恐れも充分に備えているものである。昔から槍術の修行のむずかしさは引き際にあるといわれている。時局法義研鑽委員会の引き際のお手並、とくと拝見したいものである。浅識にして一向に存知しないけれども、或は孫子の兵法にも引き際については説かれでいるのではなかろうか。
 「此四菩薩」等の文による自禍は今の宗門に自禍となって忍びよっている。事が上行に関わるだけに厄介なようである。悪口で片付けられるような問題ではない。少し視野を広げて視る必要に逼られているようである。悪口を並べ、或は宗門には古来そのような語は使われていないという蔭で、宗義の近代化が進められているようにも思われる。それは本因から本果への転向である。これが貴族仏教化そのものなのである。
 「万事期霊山浄土」、「互為師弟歟」、「事々期霊山」と。次いでのごとく冨木殿御返事(新定八四五)、弁殿御消息(新定八七四)、大学三郎殿御書(新定一三一一)の何れも末文に使われている語で、内容的には本尊抄の副状と同じ意味であろう。単に宗祖に浄土思想があったとか、霊山往詣思想があったというものではなく、消息の度に師弟一ケの成道を喚起しているもののように思われる。今は師一人、即ち名字即による本仏が考えられているが、名字即と理即、師弟一ケの上の本仏を考えるのが大石寺法門の骨子になっている。
 成道も本仏も本尊も師弟一ケの上に成じるというのが丑寅勤行の根本的な考え方であろう。今は師は既に成道を終り、弟子のみがその本仏によって成道を遂げるという貌になってをる。これは本仏が虚空に押し上げられたためである。時局法義研鑽委員には強く師弟一ケの成道を否定している向きがある。これは現在はあるけれども古くはなかった新説である。このような中で本仏や本尊の内証も変えられつつあり、その作業をしているのが委員会である。
 大石寺本来の法義を捨てて他宗門と同調しようとしても、根本が違うために成道や本仏そして本尊の解釈が中途半端になるのがおちである。「弘持正法」を忘れた言動からは決して救いが生まれるものではない。自分一人が救われさえすればそれで好いというようなものは明らかに失格である。如何にして正法を弘持するか、法義の研鑽はまずそこから始めるべきである。
 誤まって宗祖を虚空に押し上げてしまった結果は、師弟一ケの成道を明らさまに否定する処まで来てしまった。誠に度し難い堕落である。宗祖を虚空へ押し上げることは、その教を実にあらずときめることであり、地下にあってこそ教は実であるといえるものである。高い処にあって尊まれるのは迹仏世界の事である。今はそこに意欲を燃やしているのであろう。「雖讃法華経還死法華心」という語は、今は「雖讃本仏還死本仏心」となって委員会に当てはめられそうである。
 本来、姿のない上行に姿を意識したのが事の始まりである。上行が虚空にあったのは虚空会の時に限られている。末法に入って上行が虚空に住在することは凡そ考えられないことである。御書に、そのような文証があれば是非お眼にかかりたい。上行が地下(ぢげ)にあってこそ民衆も救われ、民衆仏教ということも出来る。虚空に在りながら互為師弟ということは在り得ない。互とは師弟が同じ処に居る姿を示されたものであって、師弟共に地下(ぢげ)に常住することを示されたものである。
 伝教の時は像法であるから心の奥底に秘められ覚前の実仏ということで、無作三身という名をもって上行の存在を示されたが、末法以後も像法転時ということで今も無作三身は生きているであろう。しかし宗門では宗祖が上行出現を確認された以後は、無作三身の名は消えている筈である。その無作三身が昭和四十年頃になって突如として名乗り出たのであるから、これでは天が地となり、地が天となる程大混乱が来るのは必至である。それが国立戒壇の意を内秘した正本堂である。本仏ではなく無作三身の掌握下に建立された処に異様さがある。これ全く時節の混乱によるものである。つまりこの無作三身と本仏とが今の宗門に同時に存在しているという事になる。
 無作三身による本尊と、本仏による本尊と、何れを択ぶべきか宗門始まって以来の大問題である。少くとも現状では両方を認めるような形になってをることだけは間違いない。無作三身による本尊をとれば像法転時ということになるが、恐らく本仏との妥協は不可能であることはいうまでもないであろう。時局もここに限定して研鑽すれば、委員会の意義も有ろうというものである。
 大石寺には今も常住御本尊という語が使われて、戒壇の本尊と区別されてをる。常住とは本尊が己心の一念三千と現れた本果の姿を指し、しかも戒壇の本尊のように再び妙法蓮華経に還ることのないところをもって名付けられているのである。これに対して戒壇の本尊は開扉があれば己心の一念三千の本尊と出現し、閉扉の時は即時に妙法蓮華経の蔵におさまるということで、本因の本尊ということになっている。そこには明らかに本因の中の本因・本果の区別が示されている。今では語としての本因は残っていても、考え方の中では殆んど常住の本尊と同じく、本果に変っているのではなかろうか。本因であれば閉扉の後は妙法五字に収まる処が、そのようなものも消えて楠板に常住する考えが強まっている。
 真蹟であるといい、楠板という考えが強くなると、常住の本尊との区別が付けにくくなる。そこには越ゆべからざる埒がある筈である。その埒が崩れると更に常住の本尊との区別がつかなくなる。現在の状況から見て、可也り常住化しているのではないかと見受けられる。その陰で無作三身の力が次第に強まっているのではなかろうかということが考えさせられる。
 無作三身のもとで三秘を考えることは御法度である。もし考えられたとしても、それは内に秘められた三秘である。その無作三身のもとに現れた三秘をどのように会通し、本因の戒壇の本尊に摂入するか、これまた大きな課題であるといわなければならない。委員会のお手並拝見という処である。宗祖の厳しい監視の下での作業、果して成算がありや否やといいたい処である。或はこの難問が捌(さば)き切れないところに悪口雑言の発せられる理由もあるのであろうか。今は或る種の憐れみをもって理解してをることを知っておいてもらいたい。
 「此菩薩蒙仏勅近在大地下」と。上行再誕日蓮であるなら、宗祖は大地下に居すべきである。名字の仏が虚空に上れば衆生とは無縁になるまでである。それにも拘らず何故、虚空大宇宙に押し上げるのであろうか。虚空に上った本仏は最早末法の本仏とはいえない。宗門の上行は既に釈尊から付属を受け隠居した末法の上行である。この文のある限り本仏を虚空に押し上げることは出来ない相談である。
 付属の時の五百塵点の釈尊は虚空住在であり、そこに隠居された。付属を受けて隠居した本因の上行と、付属を与えて隠居した本果の釈尊と、共に隠居である。大石寺の隠居法門もこの二つの隠居を含んでいると思う。そこに受持の重みがある。隠居したから無用だといってしまえば肝心の修行がなくなる。
 受持即観心には釈尊から上行への、時の変化がある。己心の一念三千の成道は受持によって始まる事が示されているようである。長い釈尊の修行を受持して始めて刹那成道もありうるもので、一往見た処仏前のようではあるが、仏後というのは、実はここの処を指している。そして上行は一往法後となり、本末究竟した処に法前仏後も成り立っているようである。本法所持の人という上行は法前の処を表わし、本仏もまたここに位置するものである。今は本仏に修行を認めていないようであるが、このようにして見ると、本仏にも修行を考えるべきではなかろうか。そして凡僧から本仏への替り目、それは産湯記に委しく示されているようである。
 今の本仏の出現は余りにも簡略され過ぎてをる。産湯記も含めて本仏誕生の儀式は丑寅勤行によって表わし、隠居法門と密接な関連の中で行われる厳粛な儀式である。今は丑寅勤行の意義も殆んどあるかなしかに薄らいで来ているのが実情である。戒壇の本尊の本果化・常住化と無関係とは云えないであろう。
 四信五品抄には「以信代恵、信恵因、名字即位也」といわれているが、大日蓮六月号の山田説では、「名字即位也」は全く捨てさられて、只信心信仰に限ってをる。これでは自作の新説に過ぎない。時局法義研鑽の成果という事か、或は戒壇の本尊を本果と見、常住と読みとった故か。これが一年有余の成果とは恐れ入る外はない。威勢よくぶった後から、この様な大事が現われてくるとは御本人も御存知あるまい。こと戒壇の本尊に関する限り山田説は早々に考え直すべきである。山田論文にはこのような容易ならざる問題も含まれているようであるから、いずれゆっくりと研究したいと思ってをる。委員会の目指すところも出ているのかもしれない。何れにしても研究資料としては十二分に価値あるものと考えてをる。
 水島先生の「次上」の語にしても、一度でも御書を読んでいたなら、あそこまで口を極めて宗祖をこき下すこともなかったであろう。宗祖に対し最高の暴言であり誹謗である。一度落付いて御書の精読をお奨めする。今一段利口になること請け合いである。御書の一文も宗門により、時代により、また人によって色々に解釈されるものである。大石寺も今はその激動の中にあるようで、前項にあげた以信代恵の文などもその一例である。信心信仰のみによって読むような雰囲気は、既に宗門に充満しているのであろう。時の然らしめる処という外はない。これに異論を唱えるものは反逆児ということになる。これまた御時勢である。だが何れが正しいかという事になると後人に委ねる外はない。
 本尊抄に「石中の火、木中の花」という大論の文を引かれているが、一見上行の意を含められていることが分る。眼の中に火があり、たまたま何かにおでこをぶっつけると火が出ることがある。又怒り、恨み色々な火が含まれていて、時には燃えあがることもある。それが眼中の火である。上行の姿を見ることは殆んど不可能ではあるが、己心の一念三千法門によれば見ることも出来る。信という名字即の位もまたその辺りにあると思われる。本仏もまた眼をもってたしかめることは出来ないが、今は肉眼をもって見ようとしている。そのために肉身本仏論が登場したが、これは仏法の話を世俗の上に持ち込んだまでで、いうまでもなく時節の混乱による堕落である。原則として仏法のことは仏法の中で解決しなければならない。仏法の話を世俗の悪口で解決しようとするのと大同小異である。
 ある御書に「石中の民」という語があり、これを「いそなかの民」と読ませている。何時そのような読み方に替ったのか知らないが、この御書が真蹟であるなら、恐らくはその間百年乃至百五十年の年月は経ているであろう。ここでは漁夫・旃陀羅・賤民の意味となっている。海人は底下の凡夫の意味はあっても、旃陀羅・賤民とは違った処で使われているのかもしれない。老荘流の漁礁は遥かに高潔な処で使われている。何となし時代の流れを感じさせる語ではある。没落小領主の漁民と、本来として世俗の底辺に淡々と生きてをる漁夫とは、天地の相違がある。没落領主的発想が固定するのは室町初頭のころではなかろうか。これは全くの私見であるが、これに対して老荘の漁礁的発想は宗祖以前に既に安定した位置を持っていたのではないかと思う。
 室町初頭或は少し遡るにしても少々産湯記にも関りのあることであるから「委員会のお歴々からお叱りを受けるかも知れないが」産湯記のようなものは何時誰が作ろうと一向差支えはなく、直接内容に触れることが重要である。寧ろ日興記とした処に反ってほほえましさがある。現在一番重要なのはこの内容と思われる節である。案外そこには救いの手があるかもしれない。口の暴力では一向に自らの救いにもならない。師弟共に仏道を成ぜんといわれた宗祖の慈悲を拒否することは、師に対する不信であり、暴力である。師は本仏であるから成道の必要はないとでも思っているのであろうか。年季の入った感違いには打つ手がないと言う外はない。この号でもまた同じことを繰り返すことになったが、出来れば次号ではもう一度繰り返したいと思ってをることを申し添えて筆を止めたい。

 

   

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 阡陌陟記(十三)


 「大村教学の断面から」大日蓮十月号に、今夏の教師講習会の「御指南」と研鑽成果の「報告」なるものが載せられていて、子細にとはいえないが、ともかく拝読の栄に浴した。御両人共弁惑観心抄の名前を持ち出してをる。こちらが言い出すのが待ち切れなかったのであろう。最初、心も己心も同じだ、己心を捨てろといい出してから二年半、一向に安定の兆しが見えない。大橋さんは心を天台の心法妙に求め、己心の一念三千を天台流ときめつけたが、大村さんは著者不明の仏教辞典に依って心と己心を同義と決め、「故に心と己心とを隔てることは誤りであります」とか「いたずらに己心という言葉を使うべきではないのであります」などといってをるが、どうも主旨が徹底しない処がある。
 二人で出処が一致していないのは弱みである。雑阿含経を引いて学のある処を示しながら、ここでは雑阿含説に讃意を表してをるし、次には華厳経を引き、更に「いわゆる」と語意不明の語を冠して大毘婆沙論を引いて、いかに学が深いかを示してをる。「相変らず資料の孫引き」等という位であるから、雑阿含経は阿含経典から、華厳と毘婆沙は大正蔵から直に引用していることになってをる。華厳から毘婆沙までは、そう簡単には読めないであろうが、いつ大村さんはこの様にむずかしいものを読みこなす力を付けたのであろう。
 孫引きもしないで大正蔵から直接国訳して引ける技倆は大したものである。さすがに日蓮正宗の教学部長をする位の力は充分過ぎる程備わっている。実力の程は正信会や在勤教師会の人達の面前で、指定する場所を国訳なみに読んで含蓄の深さを示してもらいたいものである。人に孫引きというからには、自分は直引きしているに違いない。是非とも証明してもらいたい。「その後の論調は明らかに低下し、悪口讒謗に変ってきてはをりますが」などといってをる。大村さんの場合はやや低下気味、内容的には益々乱れがひどくなっている。日蓮正宗の教学部長としては正常な発言であって、決して悪口讒謗などというものはあり得ないということであろう。
 「軽々に論じてはならない」と言っている間に、本尊は信心の世界のみに閉じこめられて、「師弟ともに仏道を成ぜん」といわれている宗祖の慈悲を無にして、一切師弟一箇の成道を無視したのでは、有師や寛師を理解することは出来ないし、本尊の故里を明らめることもあり得ないであろう。毎朝の丑寅勤行もただ化儀として無意味の中で行事が繰り返されているのみで、そこには衆生の成道もなければ本仏や本尊も現われないでは困りものである。
 「御書のなかには心という文字を衆生のものとして述べられているところもありますが日蓮大聖人の己心である大御本尊の当体と、見思未断の我々凡夫の己心とは、天地雲泥の相違があることは申すまでもありません」。これでは説法調である。信者相手の説法調をもち出しても一向お話しには乗れない。寛師は三衣抄の初文、左伝の引用の中に甚深のものを秘められているように見える。現在は本仏は天に、見思未断の凡夫は地にと分られてをるので、このような説も成り立つのであろうが、六巻抄にはそのように解せられるようなものは見当らない。
 久遠元初の妙法に己心を見るなら、己心は一であって、二と思えるのは実は師弟の相違である。大村説によれば大聖人専用の己心と見思未断の凡夫の己心とは別物ということになる。これでは応仏昇進の自受用身と区別が付かなくなる。師弟一箇が消えると同時にこのような新説が登場して来たのであろうか。実に微妙な関連を持っておるようである。先には軽々に己心は論じてはならないといいながら、ここでは自ら衆生の己心を論じてをる。即ち「見思未断の凡夫の己心」などというのは自語相違も甚だしいものである。
 「天地雲泥の相違」というが、それは本仏を虚空に押し上げた後の事である。吾々は大地の下にある本仏を取ってをるので、その意味では天地雲泥の相違があるが、己心がそうであるとは法門からの逸脱ではないかと申し上げたい。天地雲泥と決めた上で師弟一箇がありえないのは当然といわなければならない。何れの御書によって天地雲泥と立てるのか、是非とも明示してもらいたい。
 「底下の凡心」凡心とは凡夫の己心という意味であろうが、底下の凡心を見思未断の凡夫の己心と見るのは全く浅識に依る処で、御書に依る限り上行の己心と読むべきである。上行が虚空に上るのは釈尊によって大地の底から召し出された時に限ってをり、用事がすめば元の大地に隠れ居る筈である。従って末法の上行は大地の下に居る筈である。底下の凡心と称して上行を除いた凡夫だけに限ることは出来ない。あくまで主役は上行である。今度は山田を含めて一度も上行が出て来ないのは既に上行が消えている証拠であろう。
 名字の凡僧といえば上行再誕日蓮という凡僧である。凡にはむしろ上行の意味の方が強い。そして常に凡夫と同居してをる処に意義がある。そこで別けられるのが名字即の師と理即の弟子であり、共に凡夫である処が重要なのである。底下といい大地の下というのも所詮は大地の上である。その凡夫の振舞いの中に不軽を見、上行を見ようという処に法門は成り立っている。底下の凡心が見思未断の凡夫のみの己心では最早や法門の境界ではない。大村教学の誤算はここに根本があるように見える。法門の上の凡と世俗の凡とは明らかに区別しなければならない。法行二人というのも凡夫の上にいわれていることである。それが法華経の行者であると自分では解釈してをる。
 大石寺の古伝の法門は、大村さんの考えている処よりは遥かに深い処にあるようである。悪口雑言によって自分自身の正当化を計る前に、も少し深い処へ眼を付けるべきである。共に仏道を成ぜんといわれたものを各別と受けとめるのは、決して師に対して忠実とはいえない。それは信心と法門との混乱の中で行われている作業である。日達上人の「一般日蓮宗の人々」等の文は、ここには一向関係のないもの、切文の見本のようなものである。
 大村説には名字即・理即の外で論ぜられているようである。戒壇の本尊に向うときでも成道のためには理即の凡夫を確認することは第一条件であるように思うが、大村説は名字即・理即の外の成道という以外に考えようがない。ただ信心の上の成道ということであろうか。現在のような貌で本尊や本仏が固定してくると、迹仏世界と同じように名字即や理即の必要は全くない世界に到達してくる。文底から文上へ、これは容易ならざる激動である。今その詰を急いでいるようであるが、成功はまず覚束ないと見ざるを得ないとはお気の毒に堪えない。
 底下の凡夫とは名字即・理即相寄って出来てをることを何故認めないのであろうか。大村説を見る限りでは名字即も忘れられているようにしか見えない。大石寺法門の中で名字即・理即を除外して果して成道といえるであろうか。成道も本仏も本尊も全て信心の上にあるもので、これ以外は全て邪であり珍であり愚であるということで、誠に狭く頑なな処、恐らくは他に類例を見ないであろう。心・己心にしても二年半の間右往左往して未だに落付かずに流転を続けてをる。大村さんの己心の説明はいかにも苦しそうである。心にしても大橋さんは天台の心法妙により、大村さんは己心も心も共に著者不明の仏教辞典によってをるが、何れも法華文底が家のものでない事は共通してをる。
 「己心とは、煩悩をもちながら、御本尊を信じて妙法を口唱する衆生の心にも通じる」と。刹那成道は、煩悩を持ちながら、しかも刹那に煩悩を遮断した処に成ずるものであるが、大村説では煩悩と菩提が同処同時に存在することになって、即の意味は全く失われている。大石寺法門とは全く異質なものであって、これでは丑寅勤行も遥拝もその必要はなくなってしまうであろう。現在は大村説のごとく本尊を信じて題目を唱えることによって成道するということに変っているようであるが、少なくとも六巻抄によってこれを裏付けることは不可能である。或は弁惑観心抄によって裏付け出来るとでもいうのであろうか。六巻抄で見る限りでは、本仏の寿命は朝々の丑寅勤行に依って成じる成道・本仏・本尊の処即ち事を事に行じた処にのみあるようである。そして一年に一回の節目が御会式なのである。
 「いわゆる仏法において、心はどのように説かれて来たかと申しますと」。このいわゆるも意味不明で、「仏法」とは仏教の誤り、大石寺では雑阿含経や華厳経などは仏法とはいわれていないようである。これは法と教の混乱である。法は上行所伝の法、これを施すのが教であって迹仏の領知する処である。これに依って大石寺では古来法前仏後と立てられている。雑阿含経まで仏法と称したのではけじめが付かないのではなかろうか。
 「いわゆる末法の今日、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が御出現あそばされ、御身に備えられた妙法を本門戒壇の大御本尊と御図顕あそばされた以上、当家における己心とは、大聖人の己心を外しては論じられない」と。よくいわゆるの語が使われるが、何れも次の文とはあまり関係のない語である。ここではむしろ必要がない。「久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が御出現あそばされ」とは、宗内に限ればこれでも通用するが、今は一応他宗を念頭においた方がよい様に思われる。「御身に備えられた妙法を本門の戒壇と御図顕」とは信心の上にいわれる語、本門の戒壇と御図顕とは楠板の本尊を宗祖直筆とする語で、大正初めより常に他宗から異見を受けながら、未だにすっきりと返事はされていないし、六巻抄にも宗祖直筆とはいわれていない。むしろもう一重深い処で解せられている。
 御図顕といってしまえば万年救護の本尊に及ぶべくもない。図顕の彼方に丑寅勤行によって顕現される本尊を捉えなければ自ら墓穴を掘るようなものである。真偽の問題が重ねて起きるのは必至である。図顕云云を超えたところに真実を示しているのが丑寅勤行であることを確認してもらいたい。信心をもって自分等は信じても他宗門に通用するものではない。このような考えは一応撤回して速かに六巻抄に立ち還り、心を静めて読み直すべきである。これ以外によい方法はないと思う。鎌倉に生まれた日蓮大聖人と自受用報身を混乱せしめることは信心の上にのみ許されることであって、己心の一念三千法門の上に論じる大聖人とは自ら異なるものである。法門が消えて信心の上に再び復活したものは本来の法門とは別種であることを信じるべきである。宗門伝統の法門とは己心の法に限らなければならない。
 「戒壇の御本尊について」の項の、「御本尊の御威光O大邪見というべき」とは、大村説の根本を示しておる。批判してはいけないという隠れ蓑の下で己心の一念三千法門は姿を消して、幻影のみが巾をきかせている迷説の実体を、遺憾なく表わしてをる。次の「日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ奉りO」等とは尚それを明らさまにしてをる。「唯一の成仏道」とは何れの宗の成仏道、何れの宗の真の還滅門であるか。しかしながらここまで来て、「還滅門」を認めたことは大村先生一生の不覚であった。流転門も同様である。自ら大石寺の法門として還滅門・流転門の語を認めたことは中々面白い処である。今後は大石寺にこの両門がないということは取り止めてもらいたい。このようなものを「宗門伝統の法門」と称することは何を根拠とした発想であろうか。
 「妙法を唱えることが唯一の成仏道」とは流転門の成道であり弟子のみの成道である。宗祖は生まれながらにして本仏であるから成道の必要がないということであろうが、師弟共に仏道を成ぜんといわれている語意を踏みにじるものである事だけは承知しておいてもらいたい。これに背くものはむしろ大謗法というべきではなかろうか。大村先生いかがでせうか。いうところの「真の還滅門」とは流転門であり、流転門から還滅門に至る間は、常々の修行により法を受持することによって僧としての摂受を守り、これによって信者の不足を補いながら、師弟一箇の成道を遂げるのが真の伝統の法門といえるものと確信してをる。衆生のみの成道が固定すると「妙法を唱えることが唯一の成仏道である」と考えるのは当然の結果である。根本の考え方が本仏から離れて既に迹仏的になっていることの表示である。大毘婆沙論や仏教大辞典を頼み過ぎた当然の成り行きである。
 心と己心の解釈を「仏教大辞典」に頼んでみても、そこに大石寺法門が説かれているわけでもない。いよいよ困り果てた結果爾前権迹に最後の決定を仰がなければならないとは悲劇である。それにも拘らず、本仏や本尊は変貌を続けて行くのである。せめてこの決定位は六巻抄や丑寅勤行から逆次に探り出すのが弟子たるものの責務ではなかろうか。いくら珍説邪説と叫んでみても大村説が正と転ずるものではない。最後の決定を他宗に委ねる位なら、初めから邪宗などといわぬ方がよい。昔から判者は遥か上位の人のすることである。自ら他宗の優位性を素直に認めているものと理解しておくことにする。
 「流転門とは煩悩によって生死流転する苦しみの方面で、いわば迷いの世界の方向であります」。ここでも自らのものとして流転門の語を使ってをる。流転・還滅を説くつもりが、いつのまにか流転門と変ってをるとはお気の毒である。やはり真実の強さに引かれたということであろうか。文上の所談をもって文底の法門を律するようなことはやらないに越したことはない。「卑下する」とは自身の我見であり私見である。それでは客殿と御影堂の立て別けは出来ないであろう。尤も大村説から察する処、現在はその必要のない処まで来ているというのが真実のようである。
 吾々が流転門・還滅門と立てるのは、客殿と御影堂の姿を区別しようとするもので、大毘婆沙論や仏教大辞典の説にあるような流転・還滅ではない。めくら、蛇に動ぜず流な事は法門ではとらない処である。流転門・還滅門を口汚く破すといいながら、文証とは関係なく持ち出した「真の還滅門」とは、当方のいう処の流転門にも劣る程のものである。最後に両門を認める位なら、さざわざ門の字を破す必要もなかったのではないか。いうところの流転門は門の字のいらない流転である。何かちぐはぐしたものがある。しかしここで大村教学の成仏観を明かにしたことは大いに評価に価いする。
 「日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ奉り、唯授一人の血脈相承に随順して本門戒壇の大御本尊を至心に信じ」とは答にはなっていない。本因の本尊とは関係のない事である。唯授一人の血脈相承に随順しとは一向その意味が通じない。しかし次の文と共に本仏観・本尊観は明らかである。今の宗門の考え方が六巻抄といかに異なっているかという事は理解することが出来る。しかしながら何に照してこれを宗門伝統の法門というのであろうか。これでは時節の混乱ということも出来かねる程の混乱振りである。
 「流転門とは煩悩によって流転する苦しみの方面で、いわば迷いの世界であります」。大毘婆沙論や仏教大辞典から得た知識であって、古伝の法門とは凡そ縁のないことである。大聖人一人の上で、客殿は左尊右卑、御影堂は右尊左卑といわれ、客殿は戒壇の本尊、御影堂は万年救護の本尊ということに決まっていた。これが古伝の解釈であったが、今は御宝蔵が本尊不在であるから、客殿は何を本尊としているのであろうか。むしろ本尊不在と解するのが順当である。いくら文証好きでも爾前の文証を持ちこめば混乱は必至である。これで客殿と御影堂の区別を表わすことは出来ない相談である。文明開化の波にのって個性が失われ画一化されてゆく世俗と共に、大石寺法門も次第に他宗と区別が失われつつあるということだあろうか。区別があるのは信心の上にのみ残されている姿である。今度の講習会のものを見て痛切にそのようなものが感ぜられる。
 「御歴代上人に当てはめて流転門と卑下することは」とは大村さんの解釈に過ぎない。「これに過ぎる不知恩、大謗法は無いと断ずる」のは先生の独り相撲でしかない。「大御本尊を衆生が遥拝する」等と解釈するのも大村流であって、それは解釈する者の自由であるが、教学の深さの程度が表われていていかにも面白い解釈である。「底下の凡心」の解釈と大いに関係がある。このような解釈の中で成道も本仏も次第に本果化し信心化して、本因の意義が失われてゆくのである。丑寅勤行も只題目を唱える事にのみ意義を見ているのであろう。師弟一箇を失った成道は山田説によれば一生入妙覚と変貌する。これはどうみても死後の成道であって、生きながらの刹那成道とは全く無縁の解釈である。その結果本仏や本尊を空に浮かすことこそ不知恩であり大謗法であるといわなければならない。衆生には全く文字通りの迷惑法門である。
 「伝統の法門」の根拠をどこに求めるか。弁惑観心抄によるか、六巻抄をとるか。今はここに焦点が集まったようである。御両人が同時にその書名を挙げたことには大いに意義があろう。法門を一々に検討し、しかる後に何れかを定めるべきである。功を急ぐ必要はさらさらないと思う。本尊についても大村先生は専ら「大御本尊を信ぜず」一点張りであるが、吾々は本因の本尊とはどのようなものか、丑寅勤行や遥拝、明星口伝及びその他の口伝相伝類、或いは客殿や御影堂の意義などを、六巻抄や化儀抄などによって解釈しようとしているのである。それに対して大村教学ではそのようなものに一切関係なく、ただ信心のみによって解釈しようとし、不足の部分は全て悪口雑言まかせということのようである。折角気取って引用したものも、こちらの言うこととは無関係のところで力んでいる。すでに衆生の断は下りつつあるように見える。
 今度は阿部さんも大村さんも六巻抄のうち依義判文抄を切文的に使っているが、山田は専ら文段抄に限られていた。それだけ研鑽が前進したということか。六巻抄は全体を一言にまとめてからでないと大きな力にはならないであろうが、吾々は大村さんにそのようなものを期待する考えは毛頭持合わせていない。最終的には互いに主張する伝統の法門を箇条書きにして、膝を交えて明日のため子細に検討することが最も望ましいのではなかろうか。既に専門委員会も作られて一年半を迎えようとしているのであるから、準備万端整っているであろうし、一度話合いの場を作って見てはどうであろう。徒らに混乱の渦に巻き込まれていては救いがない。時局法義研鑽委員会もこの輪廻流転から抜け出すための方策を考える時が来ていることを自覚すべきである。
 「久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が御出現あそばされ、御身に備えられた妙法を本門戒壇の大御本尊と御図顕遊ばされた」。何回くり返してみても分らない。僧としては正法護持のために本因の追求に力を尽くすことが最高の任務であって、摂受の意味はそこにあると思う。本果だけを云い張って見ても一向に迫力にもつながらない。しかもこの本果はいかにも迹仏的である。大村教学の喜ぶ流転そのものである。吾々はこれと区別するために流転門と称しているので、これは本因を確認した上で還滅門の中に流転門を称えているのである。本因を忘れるならそれこそ只の流転である。その流転をもってこちらへ押し付けるのは時節の混乱という以外何物でもない。この引用の文が分らないのも原因はそこにある。これでは宗祖は生れながらにして本仏ということになる。これは信心の領域である。
 御図顕とは戒壇の本尊は真蹟ということになり、そこに真偽の問題が起きることは過去の歴史の示す処である。本尊が現実世界に引き下された処から新しい問題が展開してをる。御図顕とは宗内においてのみ通じる処で、これを機会に他宗門から追求されないような、伝統の法義の上にたった法門として、法義として発足すべきである。しかし遺憾ながら今はこれをもって根本宗義と考えられているのである。今後の報告もこの考えの上に成り立ってをることは事実である。不信の輩といいながら、信者向けのものを押し付けられては迷惑である。法門に関しては信者扱いでは困る。これこそ迷惑法門である。不信の輩という位なら、あくまで法門の上で扱ってもらいたい。
 戒壇の本尊に対する信仰は寛師の時代と変っているとは思えないが、六巻抄からは信心のみを押し付けようというものは一切感じられない。飽くまで本因の追求に終始している。そこの戒壇の本尊の真実が秘められてをる。それにも拘らず大村教学ではここまで変って来たのである。これでは理解しようとすることが無理である。
 「御身に備えられた妙法」も、六巻抄では法門として委しく説かれているが、大村教学ではこの語が全部である。六巻抄は、今引用の文について六巻を費されているが、大村教学では僅かに五十余字である。六巻を五十余字とは実に見上げた技倆であると申し上げたい処ではあるが、意外にもそこには落し穴があった。五十余字にまとめられると、そこから新しい出発があることは避けがたいであろう。大村教学とはこの様なものであると理解してをく。
 六巻抄を信心の面から五十余字にまとめたということであろう。もし法門の立場からまとめられたものであれば、当方は即時に口を閉じるであろう。信心一本と法門一本では一向に歯車はかみ合いそうにもないのが現実である。吾々は図顕以前、大村教学は図顕以後ということでは無理からぬ話である。しかしながら、このような中で信者は常に高いものを求めようとしていることだけは考えておくべきである。それが法を守り伝える者の責務ということではなかろうか。
 六巻抄が事行の法門という意味で丑寅勤行と遥拝に集約されていることは間違いない事実であろう。つまり四字六字にまとめられている。本仏や本尊が丑寅勤行から始まるか、図顕された処から考えるか、ここが因果の別れ道である。寿顕とは丑寅勤行の処に依拠を求めているのではなかろうか。名は体を顕すというが、寿顕さんいかがでせうか。大石寺法門からみて図顕の処に長寿があるかどうか、大いに疑問を持たざるを得ない。
 本仏の寿の長遠を顕わすのは大村さんが得度した時から定まった運命である。それを抛棄しようというのはどうも頂けない。「じゅ」と「ず」とは土地柄によっては区別の付かないところもある。しかし寿が図に変っては大変である。その名の示すごとく、あくまで本仏の寿の長遠を顕わす方角へ進んでもらいたい。そのために丑寅勤行をもう一度心静かに考え直してもらいたい。
 本因の本尊をとれば丑寅勤行を消すことは出来ないが、一向に反響がないところをみると既に寿の長遠は消されているからであろう。上行の名が出ないのと大いに関係があるのであろう。そして思い出したように本因の本尊を称えることがあるが、それは言葉の上にのみかすかに残っているもので、実際は本果の上の扱いである。
 古伝もそうであるように寛師は本因の本尊を称揚されてをるが、今の大村教学では本果に限ってをる。大村教学では戒壇の本尊に向って至心に妙法を唱えることになってをるが、丑寅勤行の時は遥拝の後に成道がある。そして続いて本仏本尊が出現するが、大村教学では本仏本尊は常住ということになって、成道だけが本果の中で残されてをる。これでは成道も本仏も本尊も、何れも本果である。これが或る時何の裏付けもなしに突如として本因といわれる。実に不可思議なことである。この本因と称する処が信心の信の一字によって解決されてしまうのである。そこから当方の説を理解することは一切あり得ない。そのような中で珍説・邪説・迷説・愚説等と、凡そ字書にある限りの語が使われるのである。こうなれば悪口雑言も法門の一分なのかもしれない。本因であるべきものを本因といわれた時、強引に打ち消すための特異な法門であろうか。何とも理解しがたい処である。
 今度の講習会で大村教学の本尊観・本仏観・成仏観など余す処なく明らかにされたことは望外の喜びである。時局法義の根本はここに立てられているのであろう。古伝の本因の意は既に消されている。その本源の一部を示しているのが今引用する処の一文である。「大御本尊を至心に信じ」とは「総与」を認めた上なのか、認めないのか。総与とは無関係のように思われる。若し総与を認めるなら本因をとるべきである。
 「妙法を唱えることが唯一の成仏道である」とは他門の成道と全く同じである。唱える本果の妙法と久遠元初の名字の妙法との区別はないのであろうか。本末究竟しなければ久遠元初の妙法は得られない。時が違っては南無することもあり得ない。口唱の題目はいつまでたっても口唱の題目である。これが何故成仏道といえるのであろうか。若し強いて成仏道ということであれば、山田引用の一生入妙覚と全同ということになる。六巻抄とは明らかに異なってをる。これでは伝統の法義とはいえないであろう。大村教学では仏道を成ずる意味での伝統の法義ではなさそうである。一言摂尽の処に仏道を成ずるのとは大違いである。他門流の口唱の題目こそ「真の還滅門」とは恐れ入った次第である。これでは到底本仏や本尊の出現出来る状態ではない。
「日蓮大聖人の己心である大御本尊の当体と見思未断の我々凡夫の己心とは天地雲泥の相違がある」引用の取要抄文段は無作三身に譬えて仮りに師弟に差別をつけられてをるが、大村さんは己心について天地雲泥の相違をいいながら、師弟の相違を説かれたものをもって摺りかえようとしてをる。己心はあくまで無差別である。同じく底下の凡夫である。天地雲泥の相違では「師弟共に仏道を成」ずることはありえない。この文段の引用は凡そ見当違いである。師弟の違いは名字即と理即であって、天と地と、雲と泥に譬える必要は更にない。本因が失われたためか、底下の凡夫の解釈の誤りの中で、宗祖を天・雲に、只の凡夫を地・泥に譬えるようになったのであろう。
 大村教学では宗祖は天に、衆生は地にというのが骨子になってをる。信仰信心の上では成り立っても、古伝の法門としては失格である。「底下の凡心を内証と一体視することは、とんでもない間違い」とは自分のことを言ってをるのであろうと理解する。宗祖と只の凡夫とは比較出来ても、己心について自受用報身と只の凡心と比較することは無理である。共に自受用報身の時は名字即・理即をもって区別されていると思う。責任ある大村教学をもって明示せられたい。丁と出るか半と出るか、三衣抄の初めの左伝をもって判じてもらいたい。
 己心に天地雲泥の相違があるとは未だ曾って聞いた事がない。全く珍聞に属する処である。自受用報身が天に居るということもまた奇聞といわなければならない。このような想定の上で師弟一箇を崩そうとしている。それが今の大村教学の根底になってをるものとお見受けした。己心に天地雲泥の差別があるということであれば御書を初め、有師・寛師からその文をもって示されたい。差別がないというのが邪説・珍説であれば、宗祖も有師・寛師もこの難は免れることは出来ないであろう。是非ともその文証を示してもらいたい。己心の天地雲泥を言いながら数行後には「我々の立場」と替えてをる。己心は内証にあり、立場は外相に属するもの、これを同列に論じるのは論理の飛躍である。これでは読む者が混乱を起こすから、このようなことは止めてもらいたい。
 引用の取要抄の文段は覚前の実仏である無作三身に譬えてあるので、このまま不用意に引用すると像法に出る恐れがある。今の技倆では使わない方が賢明であろう。しかもこの文に師弟の己心が説かれているとは驚き入った珍説である。派手に引用している文は、殆んど関係のないものが大半であって、引けばよいでは一向に威力にはつながらない事だけは知ってをいてもらいたい。どうも「不埒な言動を起こす輩の出現」とは大村さん自身をさしているのではなかろうか。
 大村教学は既に埒外に出てをる。埒とは競馬の時に築かれる土塁ということのようであるが、それを越えると観衆に危険がある。法門も定められた埒内に居なければならない。それにも拘らず、この報告は可成りな逸脱がある。これは既に埒を越えている証拠である。不埒とは今の大村教学の性格を一言で示していて、甚だ興味深いものがある。何ものかに依存した権力主義的な教学とは独善の中にのみ通用する教学である。先の己心といい、今の不埒といい、しかも信仰の上にたった独善の中にあって異様な差別を現わしている。いつの頃から、どこからそのような考えに変ってゆくのか、これまた興味のある問題である。
 正宗要義では三衣抄は三衣のみについて説かれているということであるが、引用の左伝が読み切れなかったためにこのような説が出たのであろう。恐らく明治以来の古伝ではないかと思う。このような説が第五と第六の間に立てられると、六巻一抄であるべきものが各別となり切文的に解釈されるようになる。第五で一言摂尽された題目とは久遠名字の妙法であるが、それを受けて展開してゆくのは第六である。しかも完全にこれを遮断したのは「左伝」の引用文であって、これが全く解釈不能であったために寛師の意図とは真反対に出てしまった。大村教学もこれが読めないために師弟の己心が格段の相違と出たのかもしれない。これでは久遠元初が理解されているとはいえない。
 言葉には三祖一体の語があっても、今三祖一体を表わすものは何ものも残っていない。三衣とは三祖一体を表わすもの、今は宗内どこを見てもそれを表するものはない。昔三祖一体と読まれたものが、左伝の解釈が付かなくなったために三衣抄から法門的価値を奪い去ったのではなかろうか。六巻抄の中では最も重要であるにも拘らず、最も軽くあしらわれている理由もそこにある。そのために久遠名字の妙法と丑寅勤行の連絡が付かなくなって、戒壇の本尊が信心のみによる独走を始めたのではないかと思う。
 寛師の意図は六巻抄は戒壇の本尊の理にあたる部分であるが、これが左伝が読めなかったために完全に遮断された。そして六巻抄が切文的に使われて独走の裏付けのような形になっている。左伝の解釈が付かなかったために戒壇の本尊の裏付けがなくなったのである。そのような中で信心教学のような形で本因から本果へと移ったのであろう。こうなっては久遠実成の自受用報身と全く同じである。六巻抄が部分的・断片的に捉えられたために、本来秘められるべきものが表に出、表にあるべきものが内にひそんだような形になった。若し三衣抄が充分理解されていたなら、状況は真反対に出ていたのではないかと思う。
 本来御宝蔵の奥深く坐(おわ)すべき本尊は表に出てしまった。御宝蔵とは久遠名字の妙法の別号である。閉扉されたとき、戒壇の本尊は即時に妙法の故里に帰るのであるが、今はその故里がないという処まで発展してきた。それは左伝があまりにも難解であったためではなかろうか。ともかく結果としては本尊は御宝蔵から御動座になったのである。大村教学が六巻抄を敬遠する意味も、出発点からいえば案外このような処にあるのかもしれない。やれ狂学だ珍説だ邪説だという前に一度反省してもらいたい。このままでは批難は全て六巻抄に向けられているといわざるを得ない。これでは六巻抄と戒壇の本尊とはますます離れてゆくのみである。
 文段抄では、安国論の折伏を吾が身に振り向けて刻苦勉励させようとせられたであろう親心も、今は踏みにじられて天下泰平を謳っている処を突きまくられているような事になった。他門教学の勉強は簡単に出来ても、六巻抄の解明には長い年月が必要である。一夜漬けではどうにもならないということだけでも理解してもらいたい。悪口を並べたてたから解決されるというものでもない。そこには越ゆべからざる年輪の差が控えているのである。
 さて六巻抄を一言で読めば丑寅の法門ということで、これを事に行ずるのが丑寅勤行である。その勤行によって三重秘伝である成仏もあれば本仏も本尊も出現する。しかし今は丑寅勤行は六巻抄とも関係ないし、成道・本仏・本尊とも関係のない処におかれて、丑寅の法門等の五は全く各別状態である。
 六巻抄があまりにも難解すぎて理解出来なかったために法門書として読みとることが出来なかった。その中で更に難解なのが左伝である。更めて大村さんの抜群の信心力をもって明快な解明を示してもらいたいことをお願いしておく。限りない憎悪からにじみ出た今の悪口雑言の中から、ようやく二十数年を経て左伝の秘密に気がついたのである。余は皆さんにお委せする。皆さんの善知識ぶりには大いに敬意を表したいと思う。この功徳は全て阿部さんや大村さんの一身に帰したい事を念願してをると申し上げておく。
 大村さんが「不埒な言動を起こす輩」と読んだところは丑寅勤行に関するもの、引用の日達上人の文は、自分自身が本尊だと考えるものについていわれているので、格別引用するには当らない。この文意が理解出来ないのであろうか。そのような中で丑寅勤行の意義は完全に失われている。これは今の大村教学の大きな泣き処である。自分等の誤りを自らの手で御披露に及んだとはお気の毒なことである。成道や本尊や本仏の意義が変ってしまえば止むを得ないことであろう。他を衝いた心算で自分をさんざんに批難してをるのがその辺りの文章である。大謗法を犯しているのは自分自身ではないか。
 大村さんは大御本尊に対する絶対信というが、こちらはその本尊がどのようにして出来上るのか、どのような内容を持っているかということを六巻抄によって言っているのである。大村さんのいうような信仰信心一本に絞った処は、六巻抄では見当らない。正しい信仰を持つための用意に主眼が置かれている。吾々もまたそれを受けとめようとしているのである。大村さんはただ信仰信心のみに絞るために、本の本尊がつかめないまま、本因であるべきものが本果に変りながらそれさえ気付いていない。そのような事のないように、本尊を不動不変に安(お)きたいという寛師のお考えとは全く裏腹に出てをるのが先生方の今の考えである。
「川澄勲の自分勝手な考え」かどうか。気を落付けて六巻抄を一度読むことをお進めする。ことは法門の話である。阿部さんが「川澄勲という人間」「川澄」を何回叫んでも、狂った狂ったと二十回くり返して見ても、山田が川澄勲を一回、川澄を二十七回絶叫してみても、大村さんが川澄勲を一回、邪説を十回くり返してみても狂った法門を正常にかえす妙薬にはならない。あきらめて六巻抄を読むことこそ肝要である。叫びつづけている間に出るべきものは出てしまったので、いまさら気取る必要もあるまい。いずれが悩乱しているかは後人の判断にまかせたい。
 六巻抄は信心のみを強調したものでないことだけは間違いのないようにしてもらいたい。信心の上によめば切文的になって被害は必ず我身に振りかかって来ることは必至である。六巻を通して読めば必ず丑寅勤行に通じる道は開けるものであることを確信をもってお進めする。悪口雑言は一回限りならそれなりの意味もあるが、あまり繰り返すと御所持の法門を疑いたくなるものであることに御注意願いたい。それよりか早急に法門について話し合いが出来るようになってもらいたい。
 いかめしく時局法義研鑽委員会が発足してから一年余、御指南の前半と大村教学部長の報告が大日蓮十月号に掲載された。発表されたものを見ると時局法義とは川澄の悪口に限定されていた。教師講習会は法義の研鑽が主眼のように聞いていたが、文字を見る限りでは信者を対照にした信心教学に終始しているように見える。教師講習会に主席する人等は、今更ら信心を云云する必要のない方々ばかりである筈である。全部が憂宗護法会の面々かどうかしらないが、少くとも理非分別は充分にわきまえている人達であると思っていたが、発表された内容は実に案外であった。どうも信者と間違っているのではないかと思わせる内容である。しかも今まで秘せられていた教学の秘処も明らさまになった。これでどこまで集った教師が満足し反響を示したのであろうか真に疑わざるを得ない。
 一年有余優秀な頭脳を集めて研鑽した処は、実は川澄の悪口雑言の資料集めのための会合であった。直営の研究会ならもっと内容の充実した、たまにはうなる様なものも欲しい処であるが、何とも拍子抜けの体たらくである。折角の引用文も大半は見当違いであっては一向に迫力につながらない。なかには、「日蓮大聖人の己心である大御本尊の当体とO」のように、自分の言っていることとは全く無関係の引用文もある。自分の言ってをることが理解出来ないのか、引用した文段の意味が分からないのか、これなどは間違いなく文章の上で判別出来るものである。そして後の説明もまた連絡がつかず見当違いである。一年有余をかけて研鑚したのであるから、ぴったり合った引用をしてもらいたい。悪口専用の引き方ということであろうか、いかにも教師を低く見過ぎているようである。
 一年有余を費して大勢の委員の検討した悪口であれば、もっと高級なものにしてもらいたかった。いわれた側で何をいわれているか戸惑うような含みのあるものであってほしいものである。一人の不信の輩のいうこと位捨ておいて、それを遥かに上回る法門をもって一言で抑えることの出来る立場にある人達である。そのような鮮かな処を見せてもらいたい。世俗でも容易にお目にかかれないような悪口雑言を並べたてたのでは、中々教師の人達もついて行けなかったのではないかとお察ししてをる。言われている当人が見ても怒るどころか哀れみを催す程のものである。数多い教師の中には、炎天の中を馳せ参じた割に、成果の余りにも少なかったことを歎じている向きも少なからずあったのではなかろうか。対川澄悪口専門委員会としては余りにも低調すぎた嫌いは免れないであろう。このようなことは一部会で事が足りることである。こちらは悪口雑言の中から戴くべきものは戴いたので、悪口の方はこれと相殺することにしてをる。これは望外の収穫であった。明年もまた同じことを繰り返すつもりであろうが、恐らくその様な愚をくりかえすようなことは出来ないのではなかろうか。来年はまた来年の風が吹く。まずは今年の収穫をゆっくりと噛みしめることにする。
 若し明年もまた悪口委員会が開催されるのであれば、引用文は余程注意して引いてもらいたい。山田引用の一念三千法門など長過ぎて一生入妙覚まで引いてしまったために、結果としては大石寺の成道を迹門に位置づけるような破目になった。山田一生入不覚である。尤も自分等の考えと一致したのでそこまで引いたなかもしれないが、刹那成道とは凡そ縁のない成道である。文段抄も余程気を付けて引かないと六巻抄とは反対に出る恐れは充分にある。引用文に引かれて或る時は迹門、或る時は爾前権教となって、収拾のつかなくなることもある。
 己心を仏教辞典に求めると、とんでもない結果を招く。引用文に引かれたものが時節の上に大混乱を来してをる例は数限りなくあっても、肝心の大石寺法門は完全に姿を隠してをる。折角引用しながら引用文のために大石寺法門を引き離してをる場合が多い。明年は少し気を付けて引いてもらいたい。出来れば明年は引用分のいらない処で大いに論じてもらいたいと思う。
 当方は原則として引用文を使わない方針で、文章は六巻抄を私に解釈した処をもって作ってをるつもりであって、基本方針が違ってをるが、よく探ってもらえば、それぞれに出処は持ってをるつもりである。派手に引用文を以って厳り、反ってそれに足を引かれるような危険は避けてをるために、皆さん方から見れば狂った考えとも、自分勝手な考えともとれる場合があると思う。しかしながら力不足を引用文をもって補うと、意志に反した方角に走る恐れがある。爾前のものを引いて文底に収めるには、大村さん程の人にしても尚技倆不足を思わせるものがある。幼稚な引用は反って主張をぼやけさせる危険のあることを承知しておいてもらいたい。
 毘婆沙を直に引用したように思わせても、決してその手には乗らない。それよりか、本因の本尊をとるか本果によるか、まずそれを決めてもらいたい。そして弁惑観心抄ばかりによらず六巻抄を読み、且つ考えて悪口の必要のない処まで理解してもらいたい。信心教学にはもう限界が来てをる。これをもって他宗門と手を握るようなことは、地体無理である。法門の根底をしっかり固めた上での信心教学なら、大地の上に根を張ることも出来るというものである。それが出来なければ孤立化もまた止むを得ないことである。口に本因の本尊といいながら本果或いはそれ以下の証明をし、行じたのでは一向筋が通らない。内外共に本因であってこそ、大御本尊の威力も倍増しようというものである。
 在勤教師会の人達は、信を本因に立てるが故に、大村さんのような信心一本の信に不信を持ってをるのである。絶待信によるか絶対信によるか、それが大きな岐路になっているようである。悪口は自らの浅さをあらわにするもの、この隠しようのない世界に呻吟することこそ、「大御本尊の妙用・御仏智」であると理解してをる。「大御本尊に対する絶対信」を要求する前に、大御本尊の大御本尊たる所以を明らかにすることが先決である。これは信心のみではどうにもならない世界である。それでも委員の人達は御書や文段抄に親しむ機会に恵まれたことを祝福申し上げたい。
 御書は全集によっているが、これは活字本の高祖遺文録を底本とし、漢文の部分のみを仮名交りに直されたもので、真蹟対照の縮刷遺文とは異なってをるかもしれないので、それなりの配慮が必要であることを記しておく。また法華経開結は、本文は筆者が手掛けたもの、開結の方は学会で後から加えたものであり、底本を異にしておるために読みが違ってをる場合もあるから、これまた注意が肝要である。本来なら三部経の読みは統一すべきものである。新しく編集してみてはどうであろう。(つづく)

 

   

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 阡陌陟記(十四)


 「己心・内証と言って、己心と内証を同列に扱っておりますが、内証とは内面の証(さとり)であり、仏の境界を指す言葉でありますから、大聖人の己心に限って言えば内証と同等のものではありますが、底下の凡心を内証と一体視することは、とんでもない間違いであります」。大村教学では己心と内証とは別に扱うようになっている。「内証とは内面の証であり、仏の境界を指す言葉」というのは、他宗門の字書に紛動せられている証拠である。本仏を迹仏と同じような仏と定めたために、この語が何の抵抗もなく受け入れられるのであろう。この時名字即の意味は完全に消される。このような語は本因が家では最も警戒しなければならない。このために本仏の性格が替えられるためである。
 迹仏の内証から己心の一念三千を引き出したのは天台大師であった。これを理の法門という。大石寺ではその己心の一念三千から本仏の内証を見ようというのである。これが事の法門である。これは迹仏の内証と同等ではない。妙覚と名字即の位との違目がある。しかも今は殆んど妙覚の扱いとなっていることは、この引用文の示す如くである。同列に扱っておるというのは師弟の差別を云わんがためで、己心・内証とは少々違って来ている。違いがあるといっても名字即と理即の相違であり、しかもこの二が一箇した処に内証が表わされる。一箇した内証に差別があろう筈もない。これを師弟一箇もしないで天地雲泥と差別したために内証と底下の凡心との間に差別が出来たのである。己心と内証と、文字に見れば異なってをるが、内容からいえば同列に扱って差支えないと思う。どこで捉えるかの相異ではなかろうか。
 「底下の凡心」とは専ら衆生の心を指してをるようであるが、もともと上行を示したもの、今は本仏が虚空住在となったために衆生に限られるようになった。信心教学の成果である。信者向けにはこれでよいとしても、教師向けには通用しない。法を伝持する者、護持する者の立場から、底下を上行と解する必要がある。底下にある本仏の内証と虚空にある本仏の内証では文字通りの差別を生ずるのは必至である。内証を迹仏に同じ、本仏を虚空に押し上げることこそ、とんでもない間違いであります。
 内証とは迹仏の内面の証でもなければ仏の境界でもない。衆生成仏の姿そのものである。己心も内証も全く二而不二である。師弟相寄った処、成道があり、本仏・本尊が顕現される。師弟一箇の法門は特に三重秘伝の三を確認し顕現する力にすぐれている。それが丑寅勤行である。己心内証と語は異なっても、目くじらを立てて分ける必要はない。差別があるのはむしろ迹仏世界の所談ではなかろうか。
 この項は大村教学の本尊観を示してをる。宗祖一人が永遠の仏としての本仏ということである。古い処ではあまり見なれない処であって全くの新説である。この新説の中に果して上行の存在が確認出来るかどうか、甚だ興味を誘われるものがある。若し上行不在であれば像法の世であり迹仏世界である。とても本仏や久遠元初の自受用報身の出現し得るような状況ではない。しかもそのような処に突如として日蓮本仏が出現するのである。まことに不思議千万なことである。最初の引用文にも、その雰囲気は十二分に備えられてをる。そのような処にあって本仏や本尊が安定するわけでもあるまい。まずはその辺の大整理が必要である。
 事行をいう大石寺の法門で師弟相寄って行ぜられる丑寅勤行を除いては本仏の出現する場がない。その出現した本仏の裏付けをするのが教義である。この重要な処が、案外簡単に信心で片付けられているのである。これでは信心のないものに分る筈もない。分らなければ不信の輩ということで片付ける。信心とは誠に便利なものである。信心さえあればどのような法門も難問も立処(たちどころ)に解決する力を備えてをるのである。今の大村教学の基盤はここに居(す)えられているので、中々余人の伺い難いのも、実はその故である。あまり根を居えると孤立化する危険を生じる恐れがある。この節、分りやすい宗教への脱皮が一番望まれているときである。今当面している課題の随一ということであろう。これを拒否しているのが本仏論である。
 これは何れ後述するつもりであるが、今度の一連のものの中で難問題は互いに相寄って大体明されたように見える。大村さんの代表する教学の根本に関わるものが明されたことは、今後の研究について大きな指針となるであろう。実はそちらが先に口火を切って来るのを待っていたのである。大いに敬意を表したいと思う。これが古伝の法論の定石ということなのである。
 日達上人の引用文も解釈を誤っていて、前後の解説とは全く関係がない。むしろ自分自身に振り向けるべきものである。自分自身が本尊だと決めこんだのは大村さん自身である。文章を読む時の心のたかぶりが、このような異様な方角へと進ませたのであろうが、根本は本仏の立て方に始まっている。これは皆さんに共通していえることである。これでは寛師を真向から敵に廻すことになって、今の教学陣ではとても歯の立つようなものではない。
 さて法論に持ち込むためには、相手方の文章文理を正常に理解しなければならない。今度の場合、吾々には関係のない処で力んでいるのが目立っている。予め設定されたものへ強引にくっつけようとしている努力だけは分る。寛師が日辰を冷笑しているものを、寛師の直説と読みとって自宗の法門とした化儀の折伏・法体の折伏などもその好例である。いくら力を入れてみても所詮は辰説であることには変りはない。日達上人の引用文も、大村さんのような解釈が出来るかどうか大いに疑問がある。本尊は軽々しく論じてはならないと大安座をきめこんでいる間にとんでもない方角に進んでいった。
 本仏を誤れば本尊がかわるのは当然である。そのために宗義が根本からかわってしまったのである。その歪められたものを六巻抄などによって正常に復そうとすることを、増上慢とか堕地獄とか大謗法とかいうことで難じておるのがこの報告である。重ねていうが、底下の凡心とは底下の凡夫の心ということであろうが、底下の凡夫が宗祖や上行を除いた衆生のみに限定された例が御書にあるであろうか。尤もこれは文章の解釈次第であって一概にはいえない。「宗教分・宗旨分、流転門・還滅門、己心・内証と外相等について、その悩乱ぶりを述べてまいりました」。何れも悩乱ぶりときめつけるためには遥かな道程がある。とても破折といえるようなものではない反って自らの悩乱振りを証明したことに終わっている。
 さて更めて皆さん方の御説を拝見して見ると、一向に上行菩薩は消されて、いきなり久遠元初の自受用身日蓮大聖人ということになっているのが特徴である。これは本仏の立て方であって、委しくは大橋説に見えてをる。長い間上行の再誕日蓮といわれて来たものが、今はいきなり久遠元初の自受用身日蓮大聖人である。これについては何等の得心のいく説明はない。ただ信じろということが全部である。既に限界は通りすぎているのである。
 今は久遠元初の自受用身や日蓮大聖人、そしてこれをどのようにして連絡付けるか、これが要求されている時である。昔は他門から、今は自宗内部からその要求が高まって来ているのである。最早信じろで収まるような状態ではない。不信の輩や無相伝の輩で収められる時機は終ったのである。それにも拘らず悪口雑言のみによって宗内を固めようとしている。もっと視野を広げて処理しなければ大変なことになる。それ程、数字がふくれているのである。
 教義が、ふくれ上る信者の数に付いて行けなかった。しかも教学に関する限り常に昔の夢を追うている。それが極端に表われているのが今度の発表である。信者数に応じた教学、それを上廻る教学が持続出来ることが、宗門存続の最低条件であると思う。今はその提言を強引に拒もうとしているのである。そのような中で次第に孤立化が進んでいることに気が付かないのであろうか。まことにお寒い限りである。
 従義流に根本を立てる宗門が権力を振り廻してみても、底下の凡夫は必ず打ち反してくるであろう。いくら貴族権力者を気取ってみても所詮は底下の凡夫である。この法門は貴族権力者を最も嫌うくせがあるのを御存知ないのであろうか。法が保ちたければ身を底下に処くことである。そこには必ず救いがある。大地の下に居るべき上行が民衆のみを残して虚空に上ったのでは民衆の救いがあろう筈もない。今は皆さん天上志向のようであるが、これでは救ったと思っても自分自身のみの救いであって民衆の救いにはならない。通力を失ってはいつ大地に投げ出されるかもしれない。
 上行が影を消した中で、久遠元初の自受用身や日蓮大聖人の語意を考えざるを得ない処まで来ている。上行を大地に止めるために必要のあった本因の語も、今では全く必要のなくなった御時勢となった。これは法門との訣別ということかも知れない。恐ろしいことである。今回の聞くに絶えない悪口雑言、袈裟も衣も投げすてたような狂態、それは上行への訣別の挽歌とでもいうべきものである。一旦上行が消えると法門の内容が大きく変貌することは、一連の文字の上に余す処なく表わされている。全く無謀という外はない。これでは戒壇の本尊の常住化を防ぐすべもない。遥拝とは全く無縁の世界へ行ってしまったのである。
 上行と日蓮ががっちり手を組んでをれば、上行再誕日蓮は大地の下に在る筈であるが、現在は虚空住在である。しかもそれを証明しようとやっきになってをる。本仏がこのように考えられ、本尊が本果とならば、師弟一箇の法門が厄介視されるようになるのは当然の成り行きといわねばならない。この法門を強引に否定することによって成道の意義も、古伝の法門も全く失われてしまったのである。そのような中で新しく古伝の法門が登場するようになる。弁惑観心抄か注解三重秘伝抄か、或は皆さん挙げていないけれども量師の宝冊か、まずそのあたりを考えなければならない。そして裏付けを失った本仏が突如として顕われるのである。
 今いわれる本仏が果して真の本仏か或は幻影なのか。若し幻影であれば本仏は次々に数限りなく顕れる筈である。現世において肉身本仏であった宗祖は、今や三世常住の肉身本仏となった。大橋さんが色々と詭弁を弄してをるが、これは肉体本仏の裏付けのつもりであろう。これはユークリット幾何学をもってしても証明は不可能であろう。つまらぬ理屈を並べるより、一度六巻抄を読んでみれば、少しは利口になれるかもしれない。
 大橋さんや皆さんは父母果縛の肉身と久遠元初の自受用身や己心の一念三千の法を同列に並べているのである。これこそ時節の混乱の見本のようなものである。何となし幻の世界に引入れられたようで無気味である。本仏も夢や幻では困りものである。現(うつつ)とは肉身を指すものではない。今では戒壇の本尊を信じるか信じないかが判定基準になってをるが、このような不安定な状態では本尊の内容はどこまで変ってゆくかわからない。吾々はその本尊がどのようにして顕われたのかを知りたいのである。これが分れば自ら本尊は本因の本尊として安定してくる。そのために六巻抄に依っているのである。
 弁惑観心抄に本因の本尊として安定出来るようなものがあるのであろうか。信心の信のみによって顕われた本尊が果して本因に居すことが出来るであろうか。大いに考えなければならない問題である。名字即の位の信か信心の信か。大日蓮十月号及び富士学報の大橋、並びに山田説による限り、信心の信に統一されていると見なければならない。これが今の宗門を代表する見解であり教学である。これを総じて大村教学と称してをるのである。
 信心の上に法門が立てられると、引用文との間にあまり関係がなくなる。不足分は信心で補われるからである。今回は特にそれが目に付く。それだけあわてているということであろうか、或は悪口のための引用の故であろうか。衆生の成道、本仏、本尊は大石寺独自の法門であるが、今は次第に他宗・他門に近づいて来たように見える。本因が失われている証拠である。以前にも劣らぬ激動が起っていることは最も警戒しなければならない。
 大日蓮十月号を追うようにして富士学報十二号が出た。その冒頭にいつに変らぬ大橋さんの名調子が載っていた。内容は何れも大同小異であって、定められた三重秘伝を新しく立て直し、これを証明しているようであるが、これ程無駄な努力はあるまい。若しそれが証明される日があれば、それは宗門の壊滅する日であるかもしれない。時局法義として阡陌陟記から探り出した数項目のために二年数ヶ月も手かせ足かせを箝められて身動きもならず、それ以外に研究を向けることが出来なかった。定めたものへ当て箝めるための努力であることについては、三重秘伝と全く同じ方法であって、法門のたて方とは相反する方法である。そのために法門へ向けて視野を広げることも出来ず、詢にせせこましい、かたくななものになってしまった。大橋さんが委員かどうかは知らないが、その内容はその一員と全く変りはない。何れにしても現在の大石寺教学の代表的な意見である。然し内容的には一向に見晴えはしない。説いていることも筋が通らない中で、最も秘すべきものを一挙に明らかにしたのは大橋さん一代の大失策であった。肉体本仏論がここに明されたのである。これは他の御三方にもこれ程はっきりしたものはなかった。これは今回の中での大収穫であった。
 大橋さんのものは、肝心の法門に関する部分の処は支離滅裂で、いかにも低調そのものであるが、その周辺は急に調子を挙げてくるくせがある。その中にユークリット幾何学・アインシュタイン・カントなどが出てくるのであるが、吾々には読みながら素直に受けとれるような頭脳は持ち合わせていない。そこでこの部分は常に省いて読むことにしている。そのために反って法門の狂いが鮮明になる利点がある。法門の部分と調子を上げた処との中間の違和感が全体の調子を崩しているのである。中間の捉え方のまずさである。そのために文章に余韻がのこされないのである。一切の書を読んだと自称する大橋さんにしてはいかにも幼稚である。学がありすぎて反って災いの種になったのが今度の論文である。これだけ調子を上げられると、信者さんが逃げだすのではなかろうか。この論文全く大橋さんの独走である。
 「末法の鎌倉時代に誕生した、形質の伴なった大聖人を、久遠元初の自受用身では無いと言って居るのである」。「注解三重秘伝抄は堀日亨上人のものである。亨師は宗祖凡身と一念三千の法との人法一体が本宗の法義の根幹であると言うに、本書では、宗祖の俗体と一念三千の法との分離を企だて、宗祖以外に別に、自受用身ありとしている。此れが邪義邪説でなくて何であろう」。これによって大橋教学の本仏観は残る処なく明らかにされている。富士学報の冒頭をかざる圧巻ともいうべき大橋論文の一部分である。大石寺の現在の本仏観がこのような形で鮮明された意義は大きいと思う。公式に発表されたものとお見受けした。大橋さんは堀日亨上人のものというが、これは日応上人著として明治三十七年六月十三日に発行されたもので、亨師著として出版されたものは未見である。その書は今も図書館に一部だけ現存している筈である。一度応師の著となったものを、大橋さんの一存で著者を変更することは少し度が過ぎているように思うが、それにはそれなりの理由が必要である。
 前回「膝詰談判の講義を受けた」ということであったから、当時何かその理由を聞いたのであろうか。序にそれを発表してもらいたい。大石寺では未だ曾ってこのような事は一例もないことである。さて膝詰談判の講義とは、膝詰談判ということについてその沿革・意義・方法などの伝授を受けたのであろうが、どうも不信の輩にはどうにも分り兼ねる文章である。応師のものを理由もなしに亨師としたのでは、大橋説の信用にも関わることである。これでは信者衆も中々付いて行けないのではなかろうか。それより十年前には弁惑観心抄が出版されている。明治二十七年六月三日である。
 鎌倉に生まれた宗祖の俗体そのものは本仏でないというのは六巻抄の説であって、決して吾々が言い出したものではない。大橋さんは六巻抄を読んでいないと見える。大橋説によれば、六巻抄の説は邪儀・邪説ということになる。大橋さんよ、それについてなんと弁解するつもりであろうか。何れに従うべきか。吾々は寛師によったまでである。大橋さんがあくまで邪義・邪説を固執するのであれば、歯車は永遠に噛み合うことはない。これは最も不幸なことである。
 今の法門の根本は亨師によって教義として編成された本仏論から始まっているようである。これが大正元年には戒壇の本尊の真蹟説にまで発展していったものと思う。ユークリット幾何学で誤魔化そうとしてもその手にはのらない。法門には法門をもって答えるのが順序である。寛師はユークリットなど御存知なかったであろう。摺りかえるためにこのようなものが使われるのであろうが、吾々には一向に理解出来ないところである。
 この肉身本仏論は著者名によると応師説であるが、今は亨師説として、大村教学の根源をなすものとして受け継がれている。このような説がいつ始まったのか、これは興味のある問題である。宗祖肉身本仏論と、生まれながらにして本仏であるという事とは全く同じもので、信仰信心の信の一字の上に建立されるものであり、若しかしたら宝冊の辺にその胚胎があるのかも知れない。
 私かに想像する処によると応師の本仏論は他門から相当な攻撃を受けたのではないかと思う。それが明治であるか大正以後であるかは分らないが、大体において肉身本仏論が根本になっているのではないかと思う。それが今また表面に出て、ここまで発展したのである。このような説を出すからには十分な裏付けを持たなければならないが、遺憾ながら過去においては他門の攻撃をはねかえしたと思われるものは見当らない。
 十分に話し合えるようなものをもって対応しなければならない。これからは一方的に悪口雑言を並べて、「完膚なきまでに破した」というようなことは通用しない。邪説だと連呼すれば即時に邪説となるような魔法使い的な考えは速かに捨てるべきである。今回の大橋さんに、カントやアインシュタインが出て来なかったのは、せめてもの救いであった。
 注解三重秘伝抄が出て八年後には戒壇の本尊は真蹟と謳われ、更に一両年後には立正大学の諸先生に迫られて遂に公開の止むなきに至ったのである。十年刻みである。そこに何かがあったであろうことは容易に想像することが出来る。亨師説は俗身を人と立てることによって応仏昇進の自受用身へと近づいていった。そして寛師の久遠元初の自受用身と離れるようになった。
 名義は久遠元初の自受用身といいながら、実際には応仏昇進の自受用身そのものである。時節の混乱の見本のようなものである。最初から俗身を本仏と考えた当然の結果である。このような本仏論は既に過去何回か攻撃を受けながら、未だに解決されないままになっている。混乱のみが残って来て、今攻撃を受けても恐らくは満足な回答は出来ないであろう。吾々はこれ以上愚を繰り返してもらいたくないから、悪口雑言の中で寛師の本仏論を叫んでいるのである。
 久遠元初の自受用身をたてるなら、人法共に同じ滅後末法の中に立てるべきである。人は在世末法に、法は滅後末法では他宗には通用しない。人法共に滅後末法の中に立ててこそ本仏と称せられるものである。そして題目も今は口唱の題目であるが、これも一言摂尽の題目でなければならない。時節の混乱は築壇を己心の建立と何ら変らないとまでいうのである。宗祖は末法に戒壇を建立することは虎を市に放つがごとしといわれている。これは築壇を誡められたものであり、明らかに戒壇建立は己心に限ることを示されてをる。しかも真蹟は今に現存しているのである。
 己心の戒壇と築壇を同一視するとは、どのようにして会通が出来ているのであろうか。俗身と一念三千を同じ場に置くのと同一手法である。在滅の混乱は最も恐れなければならない。少なくとも六巻抄に依る限りでは一念三千法門の内に入れることは出来ないであろう。六巻抄では久遠名字の妙法に至る前に整理されていることに留意すべきである。若し誤れば独善となって法門としてはその資格を失うことになる。
 己心の法門の項にも最後に邪義・邪説の語が出てをるが、大橋説では時節を混乱することが正義・正説ということのようである。肉体本仏論を正当化するための苦しい答弁であって、恐らくは誰れもこれを大石寺法門と認めるものは居ないであろう。信心によって決めた本仏を法門まで昇華するための強引な手段である。ただ自身の孤立化を急いでいるに過ぎない事を気が付かないのであろうか。徒らに阿含経典を引く前に、まず当家を知ることが肝要である。
 「色心は不二一体であって、そこに勝劣を見るが如きはあってはならないのである」。大橋さんの色心は元来異質なものであって、色心不二といえるようなものではない。寛師は滅後の身(色)と滅後の法(心)をもって色心不二を立てられているのである。在世の色と滅後の心をもって色心不二を立てるのは無謀この上ないやり方である。いくら立派な引用文を引いて来ても賛成することは出来ない。時が違えば勝劣を見るのは当然である。肉体本仏論を蔑視することも止むを得ないことといわなければならない。
 宗祖は仏法を学せん法はまず時を習うべしといわれてをるが、大橋さんは余程時が嫌いと見える。時を学すということは時を知ることである。穏師にも知時抄というものがある。時を外したものに仏法を論ずる資格はない。自分では時節を混乱しているとは思わないのであろうが。天台は迹門、当家は本門、天台は文上、当家は文底、天台は理、当家は事などといわれるのも時の上に付いていわれるもので、もし時を外せば区別はつかなくなる。天台は仏教、当家は仏法というのも時によるものである。殊に仏家に時が大切なことは御書に示されている通りである。
 大橋さんは時間を委しく説いているが、これまた時節の混乱である。「時間を知るには、必ず空間即ち場所・国土が必要である」というが、学がないので折角ながら理解出来かねるが、これもまた時節の混乱、或は摺りかえの用意のようである。論ずる所は仏法にも仏教にも関係のない時のようにも思われる。この項も批難するために、そして自説を主張するために作られたもののように見える。仏法の時とどれだけ関連があるのか吾々の理解の外にあるようである。しかし大橋さんの腹算用では、空間を虚空・場所、国土は鎌倉時代の日本国とあてはめるつもりの下準備のように見える。結論が先にあって、これを証明する筈の論理はこれと無関係の中にあり、ただ相手を煙に巻くことが目標のように見える。委員の皆さん大体何れの方も似たり依ったりのやり方のようである。そして書いている間に自説に溺れて、まず時節が混乱して来るのではなかろうか。
 「己心・観念は久遠名字の妙法ではない。久遠名字の妙法は人法一体で、時・処・位が存在する」という中で己心・観念がまず捨てられる。そして人法一体の人は己心の一念三千法門を離れた処に新しく立てられるのである。そこで自受用身が宗祖の肉身に摺りかえられる時、人法一体は何の裏付けもないものが現れるのである。それを信仰信心の信をもって正真正銘のものと思いこみ、他説は一切認めないのが大橋説の根底にある。独善の法門は本来が孤独である。これ程立派な論理を持ちながら賛同者が少ないのは、立て方の根本に問題があるのである。しかもこれは大橋さん個人に限らず、皆さんも大体同じ処に立ってものを考えてをるように見える。今の大石寺法門の危機も根本はそこにあると思う。
 「久遠名字の妙法は人法一箇」と言った次の瞬間異質のものが現実の人法一箇として現れる。その中間で作(はたら)いてをるのが信心なのである。そして一切は信心の信が解決するという不思議な法門である。孤高を楽しむ筈のものが誤って孤独に陥った姿である。大橋さんには特にそれが濃厚に表われているようである。師弟一箇にしても真向から反対してをるが、その論理では客殿の名義どころか、客の一字を解明することも出来ないし、中の座配一つにしても理解出来ないであろう。まして丑寅勤行などわかる筈はない。
 世俗の学問の中で師弟一箇を説明する隙があれば、化儀に表わされるものの本源を探るべきである。それが大石寺教学の在り方である。客殿は外からいえば弟子が主体であるが、中へ入れば師が主体となってをる。これ一つ捉えても大橋説では解明することは出来ないであろう。法門が逆次の処に立てられて居るのであれば、教学もまた逆次の方法を取るべきである。
 当家よりは台家、台家よりは阿含、阿含よりはカント・アインシュタイン、そこから一挙に信心の信により当家に馳せ上がって来ようというのが大橋法門の根本になっているように見える。随分無理な立て方である。夢の浮橋を馳せ上がろうということであろう。夢覚めての後、もしも大きな立派な橋が掛って居れば、夢は正夢ということである。
 大橋本仏論が宗祖の俗身と一念三千の法との人法一箇であるのに対して、寛師は俗身の内証である久遠名字の妙法において自受用報身と一念三千との人法一箇である違いがある。大石寺の解釈による煩悩即菩提、刹那成道、或は丑寅勤行の時の本仏の出現は一致してをる。この法門が実際には師弟相寄った処で行われてをるが、大橋本仏論では時の異なる煩悩と菩提との中で、人法一箇を成ずることになり、刹那成道ではなく、むしろ半偈成道の貌をとっているので、勿論丑寅勤行とは関係なく出現し、しかも勤行以前の出現になる。そのために師弟一箇の法門は必要ないのであろう。
 一旦成道すれば再び凡身に帰ることもない、しかも生まれながらにして成道しているということである。そのくせ宗旨の建立などということもいわれるが、寛師は魂魄佐渡に至るという時に成道をみておられる。この成道を忘れたとき、信心の信の一字の上に本仏が立てられる。これは名字即の位の信と、信心の信とが混乱した結果ではなかろうか。この二つの信は常に両存しながら使い分けられなければならないものである。そして妙法も大橋説では口唱の題目であって、他門下の題目と全く区別がつかない。寛師は久遠名字の妙法を明らめた後に一言摂尽を表わされている。
 口唱の題目には迹門的なものを持ってをる。口唱の題目を誦んで捨てる処に題目修行があるのではなかろうか。誦んで捨てなければ一言摂尽の妙法は顕われない。これが久遠名字の妙法である。大橋説では始めから久遠名字の妙法である。恐らくこれは説明出来ないのではなかろうか。
 信心の上に立てられた肉身本仏論では上行も、名字即・理即も、師弟一箇も、全く必要のない処に突如として本仏が出現するのである。従って一言摂尽の妙法も久遠名字の妙法も、本仏出現のためには格別必要なものでもない。本仏は信心の信の一字をもって即時に俗世に出現するのである。詢に不思議千万なことである。成道と本仏と本尊の三は常に同時に考えなければならないが、大橋説では本仏のみが先に出現し、しかる後に本尊が顕わされ、最後に成道ということになり、三は各別となる。これまた迹門形であり、仏前法後である。大橋さんが法前仏後を否定するのは、自分の考えが仏前法後をとっているからである。中々に隠し切れない処が妙である。
 次に、無作三身については繰り返し自分の意見は述べてをるが、また取り上げてをる。以前に己心の一念三千法門は天台流だといい切ったが、その時は心法妙をもって心を説いていたように記憶してをる。今度は「末法下種の本有無作三身自受用報身宗祖大聖人の心法」となっている。この心法も前回のものによると、天台の心法妙の心法がそのまま持ち込まれているように見える。末法下種を末法と見れば、次文の像法の本有無作三身とも合致しないし、自受用報身も応仏昇進の線が濃くなる。その次の宗祖大聖人はそのまま滅後末法にある。像法は覚前の実仏の無作三身、末法は応仏昇進の自受用身と久遠元初の自受用報身とが混在してをって、時節が全く混乱している。
 これでみるとどうしても本有無作三身を末法と考えなければならない。そうすれば自受用報身も久遠元初の中で考えれれる。末法になれば下種する本有無作三身は即ち像法では夢中の権果であり、覚前の実仏である上行菩薩とでも解釈するか。しかしながら、大橋さんが上行菩薩は迹仏の眷属ということに定めてをるので、それから見て大橋説には末法の上行菩薩の存在はあり得ない。既に消されているようであるが、若し今も上行の再誕日蓮という語が生きてをれば、釈尊の眷属上行の再誕日蓮ということになって、「末法下種の本有無作三身自受用報身宗祖大聖人」と時節が接近して来る。この語を滅後末法と考えるためには、信心の信による飛躍が不可欠のようである。在滅何れにしても上行の存在が不明瞭であることはどうも頂けない。
 この己心の法門の項には盛んに無作三身が引かれているが、これは無作三身をもって末法出現の三身と解したためである。もう一度像か末かを研究してもらいたいと思う。阿部さんにも二度引かれていた。このあたりに像末の混乱がひそんでいるのではなかろうか。何れにしても文証ずきの皆さんであるから、御真蹟に末法出現の無作三身の語が欲しい処である。しかし御真蹟には不思議と引用文以外には無作三身の語は使われていない。
 覚前の実仏が覚後に至っても依然として実仏である根拠は非常に薄弱である。信心の上には簡単に解決されても、このような語には、もっと根拠のはっきりしたものがなければ、反って本仏が不安定になる。覚める前の実仏をそのまま覚めた後に持ちこむのは明らかに時節の混乱である。大橋さんが時節を消そうとしている涙ぐましい努力も分からないことはないが、若しこれを認めるなら仏法は成りたたないであろう。寛師は応仏昇進の自受用身と久遠元初の自受用身は特に混乱のないように誡められているのである。それを破棄するためにはそれ相応に理由がなければならない。大橋さんにどれだけの用意があるというのであろうか。
 大橋説に依れば無作三身と久遠元初の自受用身とが同時に現ずることになる。これは像末の混乱である。宗祖を覚前の実仏にあてることには反対である。覚前にはさめる前とさとる前の二つの読みが伝えられている。富士門でも一度さめる前とよんだものを見た事がある。さめるとは末法を指しているようである。像法転時の中でこのような読みが出て来たのかも知れない。
 南北朝の始め頃叡山が四明流になった頃、古い流れの中にあった従義流は関東に下ることになった。宗祖もまた同じ流れであって、四明流に収まることもなく、末法上行の出現を目指したものであった。しかし関東天台では叡山が四明流になったために表向きは像法に依らざるを得なくなったが、教義の性格上どうしても末法を完全に捨てることは出来ず、そのような中でさめるという読みが行われたのではなかろうか。そこでは無作三身は久遠元初の自受用身の意味を持たせて使われたのであろう。しかし日蓮門下では堂々と末法をとっているのであるから、遠慮なしに自受用報身を使えばよい筈である。
 門下で無作三身を使うのは四明流の天台に依った処に始まったのであろう。談林でも細草などのような処では従義の集解により、四明流による処では集註に依ってをった。徳川の頃でも勝劣派は集解によって居ったのである。上代にはもっと厳しかったと思う。
 大橋さんはさとりの前と読んでいるのであろう。時節に関係がないからである。覚前の実仏とは恐らく像法の上行を指していたのであろう。大石寺で無作三身をとることは全く必要のないことである。覚めれば遠慮なしに久遠元初の自受用報身によればよい筈である。或る時は無作三身、或る時は自受用報身では本仏が二人になる恐れがある。若し無作三身に依れば本仏日蓮大聖人は像法出現ということになる。こう言えば時節の混乱は分かってもらえると思う。そろそろ無作三身と決別する時が来ているのではなかろうか。
 無作三身と自受用報身との混乱は、やがて応仏昇進の自受用身と久遠元初の自受用報身との混乱となる事は、大橋教学の示す処である。昔、寛師に破折された日辰の混乱に近づいて来たようである。大橋さんが「時節」を云云したのは要法寺流に同化するための方便なのかもしれない。日辰のは、天文法乱のあと、天台宗から追いつめられた時の苦しい方便であって、そのために門下寺院は救われたのである。今の混乱は決して宗門の救いになることはない。凡そ無駄なことではなかろうか。大橋教学には筋の通った処がないので、一向制圧する力がない。
 無作三身は常々皆さん方の一番嫌ってをる中古天台の中では特に癖のある危険な語である。それが本仏論ではそれも忘れて無作三身をとるのである。中古天台では像法の枠内で使われているので危険はないが、末法に宗を立てる処では像末の混乱を招く恐れが充分にある。あまり使わない方が賢明である。御義口伝や三大秘法抄には無作三身が使われているが、真蹟には引用文以外は一切使われていない。
 「形質の伴なった大聖人を久遠元初の自受用身では無いと言って居る」。形質はかたちすがたと読むのであろう。形質に無限の巾を持たせている。俗身が七百年過ぎても依然として生き続けているということか、本仏という語か、或は楠板の本尊か。大橋さんは己心の一念三千は天台流としてをるので本仏の生命は絶えたことになってをる。本尊にしても形質に宛てるためには、それ相当の説明が必要である。只信心のみで解決してもらっては、はた迷惑である。
 大橋さんは宗祖の俗身を人と立ててをるが、寛師は自受用報身を人と立てておられるので、これであれば時節の混乱はない。宗祖の在世と滅後の生命を断絶することなく守るのは一念三千法門に限る。簡単に宗祖の俗身といっても、今の俗身を何に求めるかを判然としなければ信用することは出来ない。何が形質なのか分らないけれども、何となし応身臭い処もある。
 宗祖の俗身に一念三千の法を摂入して本仏を現ずるのが大橋本仏論の特徴であり、その余は信心以外には解決のしようのないものである。その根本が明治三十七年六月十三日発行の応師著注解三重秘伝抄である。弁惑観心抄から十年後である。今の大橋説では丑寅勤行を初め大石寺法門の大半は連絡が付かない筈である。これでは寛師の六巻抄を否定するのは当然といわなければならない。それが今の大橋教学であり、大村教学なのである。
 どうしても寛師を通して古に復らなければならない時である。注解の説は表向きには本仏論にはならずに終ったようで、これが今のように公然と現われたのは大橋さんが始めてであると思う。大橋本仏論が表に出れば、いつかは必ず他門から扣(たた)かれるであろうことは覚悟しておいた方がよい。
 大日蓮十月号を中にして、前に山田あり後に大橋あって、大体定められた項目について出るものは出たという感じである。しかしここまで云ってしまえば次回への展開は出来にくいであろう。今一番よい方法はこの本仏論を捨てることである。そこには新しい真実の道が開けるであろう。予め結論を用意しておいて、それにあてはまらなければ珍説邪説では法論とはいえない。結局はその浅さが追いつめられるようなことになるのかもしれない。
 「ここにいう所の己心の一念三千とは、善意に取って言えば、本尊中央の妙法五字、久遠名字の妙法で、末法下種本有無作の三身、自受用報身如来の内証、即宗祖大聖人の心法である」。言いたい放題の悪口雑言を撒きちらされて、今さら善意の施しを受けるつもりはない。「本尊中央の妙法五字、久遠名字の妙法で」というのは南無と日蓮(花押)を省いた妙法五字即ち他門でいう中央首題の、主題を妙法に替えたままであって、これは久遠名字の妙法ではない。吾々はそのようなことを言った覚えはない。
 「末法下種本有無作の三身」以下、「心法である」に至るの文も随分ひどい要約である。とても善意の解釈といえるものではない。しかし大橋さんの考えが明らさまに出ていることは有りがたい。吾々は決して無作三身と自受用報身とを混雑するようなことはしていない。これは大橋さん独自の解釈である。このような要約をせられたのではこちらが迷惑する。口に善意を称しながら六巻抄を下し師弟一箇を否定するのは御人がわるい。中央の妙法が心法のみか或は色心二法か。どうやら色法は影をひそめているようである。一読再読さらに真意がつかめない。
 「自受用報身O、」の「、」と次の即とはどのような関係にあるのか、即はどのような意味か。わざわざ「、」を打った真意はどこにあるのか。「、即」の意味は不可解である。中央の五字が久遠名字の妙法であるためには唱える弟子の七字が必要である。五字七字の妙法が一箇した処は久遠名字の妙法であり、日蓮(花押)が加わって自受用報身即宗祖大聖人ということのように思うが、「内証、即」と「心法」の間で色法が消されている。
 寛師に「自受用報身如来の内証、即宗祖大聖人の心法」の意があるかどうか、自分では分り兼ねる。自受用報身の内証か、上行菩薩の内証か、上行菩薩の内証が自受用報身なのか、或は自受用報身の内証が宗祖の心法と同じなのか。若し自受用報身の内証について、久遠名字の妙法を考えるときは色法に重点をおくべきではなかろうか。その色と一念三千の法の処で人法一箇が説かれ色心不二が説かれている。
 大橋本仏論では宗祖俗身を人とし、一念三千の法を人に摂入した処に人法一箇を考えておる。今引用の文には真意が述べられておるのであろうが、この項は最も難解であるために折角の真意は一向につかめない。後半はいよいよ迷宮入りである。しかし大橋さんが新定御書を使ってくれていることには大いに敬意を表したい。この要約のような意であれば戒壇の本尊や本仏の寿命の解釈にも差し障りがある。心法が抜けてをる故である。心法のみに本仏を理解しようとしているのは、何とも無理がある。或る時には色心二法を説き、或る時は心法のみでは、低い方に流れて行くのは理の当然である。
 大橋さんは凡身そのままで一念三千の法と一如するが、寛師は凡身を刹那に遮断した処に自受用報身と一念三千の法との人法一箇を成ずるのである。大橋説の煩悩身と一念三千の法との一箇は全く異質なものである。煩悩即菩提の解釈の相違による処である。この大橋説では丑寅勤行の真意がつかめないのも当然といわざるを得ない。
 「上行は黄巻赤軸の法華経の教主本果の釈尊の眷属である。久遠名字の妙法は宗祖日蓮大聖人の所顕の法である」。釈尊の弟子の上行だけしか認めない説は大失策である。大石寺では久遠名字の妙法も宗祖大聖人の所顕の法も、その上行が付属を受けて隠居した処から始まってをる。これを認めなければ大聖人が空中からか地下からか、何の前触れもなしに忽然と現われることになる。これでは仏教を名乗ることも出来かねるのではなかろうか。或はこの間を信心で補っているのか、これでは他宗他門は承知しないであろう。
 肝心の本仏出現の処が空白状態ではお話にはならない。隠居法門は隠居した上行の再生する姿である。上行再誕の四字が消えてしまえば本仏が忽然と出現するのは当然である。その本仏の所顕の法が久遠名字の妙法ではますます分からなくなる。宗祖の俗身と一念三千の法の人法一箇による本仏出現と何等変る処のない妙法説であり、妙説である。大橋さんによれば二十一字で久遠名字の妙法は解釈されているが、寛師は五巻を費やされている。二十一字にまとめた大橋さんの技倆に敬意を表すべきであろうか。これは上行が消えた後の話である。ただ信心のみによって理解出来る法門ということである。
 大橋説によれば、六巻抄で久遠名字の妙法から本仏や本尊を顕わすのは邪説で、本仏から本尊が現われるのが正説のようである。寛師は法前仏後であり、大橋さんのは仏前法後である。「注解は堀日亨上人のものである。(中略)これが邪義邪説でなくて何であろう」。これは寛師の説を邪義邪説ときめこんでいるのである。先生にかかっては寛師も面子丸潰れである。「法前仏後なる言葉を発明した」。発明したかどうか、一切の書を読んだと豪語する大橋さんも大正蔵だけは除いていることが分かる。今の本仏論に固執する前に六巻抄を一度ゆっくり読んでみることを御進めする。
 釈尊の時耆婆という名医があった。それ程の名医があるからには末法のために何か残しているに違いないと思って漸く探りあてたのが転換の語である。追いつめられた時には本仏論の転換こそ最高の妙薬である。自らも救われ宗門も救われることが出来る。この耆婆の残した妙薬を味しめて再生敗種を期してもらいたい。悪口によって法門の上に起きた大病が救われるものでもないことを体験してもらいたいと念願してをく。
 「御指南」の中で何回か「末法万年の御化導」という語が使われているが、何れも戒壇の本尊に関わる語である。伝統の法門で末法万年の化導を担当するのは御影堂安置の万年救護の本尊で、古くは末寺もそうであったし、富士門でも守られていたようである。今の御指南は戒壇の本尊を御影堂の本尊と混乱せしめている。宗祖として外相に現わされた右尊左卑の姿で左尊右卑の本尊が解釈され、客殿に一結する左尊右卑の戒壇の本尊は完全に忘れ去られている。戒壇の本尊が末法万年の化導の本尊と解釈されるのはいつの頃であろうか。本仏が俗身と一念三千の法と人法一箇するのと内容的には殆んど同じのように見える。
 戒壇の本尊から本来の意義が失われ、新しく末法万年の化導の意義が加えられたのが今の戒壇の本尊の意義である。六巻抄は本来の戒壇の本尊、本因の本尊としての意義を明らめてをるもので、決して万年の救護・末法万年の化導については触れていない。末法万年の化導ということは本尊を本果とよんでをる証拠である。そこには成道の姿も迹仏的となり、本仏を顕現する力は完全に喪失するのは当然である。本仏は大橋さんが担当して明らかにし、本尊はこの解釈によって明らかになった。何れも時節は大体において一致してをり、六巻抄とは遥に隔たった処で解釈されてをる。これが現在の法門の骨子になってをるものである。
 末法万年に御化導といえば、言葉の上ではいかにも有りがたいようではあるが、内容は万年救護の本尊と全く変り無いところまで来ているのが御指南に現われた本尊の意義である。これではどうしても本仏や本尊が先に現われ、しかる後に法が付せられるようになる。またここでは真蹟ということも一つの必要条件になるであろう。戒壇の本尊が真蹟と称せられるのと、大いに関係があるようにも思われる。大橋説の本仏、末法万年の御化導の本尊、続いて御真蹟という図になってをる。
 一閻浮提総与は本因にあり、万年救護は本果を現わされているところに本仏を見るべきであろう。今の解釈では自行という面が影をひそめていることだけは分かるような気がする。そして次第に本果に移行している。その意味では万年の御化導の持つ意義は興味深いものがある。まことに大橋説本仏義とともに不即不離のものであることを確認することが出来た。狂った狂った川澄が狂ったと言ってをる間に、どうやら狂いはこのあたりにおさまったようである。(つづく)  

   

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 阡陌陟記(十五)


 「色心の二法は別々なものであるということならば、それは外道の法ではありませんか」。内証己心と外相とを分けたことについての反論で、大日蓮十月号に載せられたものである。ここで注意しなければならないことは外相の扱い方である。肉身本仏論では肉身を外相として一念三千の法との人法一箇とたて、これを色心不二とも称しているようであるが、寛師はその様な本仏論は否定され、自受用身を外相として人法一箇した処に本仏を立てられている。これが根本の違いである。
 丑寅勤行の成道・本仏・本尊の三何れも肉身について考えられているものではない。大石寺法門独自のものとしての煩悩即菩提の考え方の上に現わされたもの、所謂刹那成道である。肉身を刹那に遮断して、自受用身と一念三千の法との人法一箇を成じるものであって、衆生の肉身が仏に成るというのではない。そのうえ刹那成道は衆生のみに止まり、本仏・本尊は刹那の上に寿の長遠を見、それによって一見久遠のような姿はとっているけれども、根本は刹那成道と全同である。寛師の本仏はこの線に立っている。吾々はここに伝統の法門を見るが、山田のいう伝統法門は肉身本仏論のところに根本をおいている。ここに二つの伝統法門が現われたのである。
 刹那成道は刹那に肉身をはずす処に特徴があるが、天台玄旨壇秘抄ではこのあたりは微妙である。肉身が外されなければ大きな危険を持っているといわなければならない。正邪の境い目はこの肉体の扱い方一つにかかっているようである。今のような本仏を立てながら、しかも本尊に向って唱題をし、成道する今の考えの中で衆生の肉体はどのような扱いをうけているのであろうか。
 若し肉身をもって成道するということであれば、伝えられる蓮華往生とそれ程変りはないことになる。明治初年の蓮門教にも恐らくこのようなものがあったのではなかろうか。短期間に天下の邪教として消されていった中には、どうも衆生の肉身成道があったのではないかと思われる。大石寺では肉身成道は一応宗祖一人に限られているようではあるが、法門的な裏付けがあっての事とは思えない。これは寛師の本仏と明治の本仏との大きな違い目である。
 今も肉身本仏的な考えは生きつづけているのである。衆生成道が肉身成道なのか、或は別個なのか。その内容を一重立入って御示し給わることが出来れば大変光栄である。衆生が若し肉身成道を遂げるなら本仏ということにもなる。これは当然考えなければならない問題である。肉身本仏論が正であれば、寛師の説は邪であり、丑寅勤行の刹那成道や煩悩即菩提の意義も改めなければならない。凡そ両存ということはあり得ないことである。法門が二頭になるからである。それにも拘らず今は堂々と両存する不思議さである。肉身をとるか自受用身に依るか、早急に決めなければならない問題である。
 阿部さんも色心不二を唱え、寛師もまた色心不二である。阿部さんは別々とすることを外道の説というが、肉身については寛師も丑寅の成道も別個の扱いであって、宗祖といえども特例ではない。これを外道の説と下すことが出来るのであろうか。丑寅勤行では衆生の成道も本仏も、また本尊も例外なく刹那成道の貌を取っている。しかし今は本仏に対する考えが変ったために刹那成道というような考えは完全に拭い去られた。
 阿部さんの色心不二は自受用身を消した上で、肉身と法との異質の色心不二である処は似て非なる処、むしろ外道の法というべきであろう。もとより不二をもって表わせるようなものではない。これをもって見ても法門が根本から変ったことがわかる。即ち本因から本果への移行である処に重大な意義を持っている。容易ならざる遺産である事には間違いのない事である。寛師を邪説と極め込むこともまた容易ならざる事ではあるが、寛師も肉身本仏論の前には、次第に影が細っているように見えてならない。
 山田の引いてをった開目抄の文段、子丑の時頸はねられぬは、法門の上では今も常に生き続けている。そこに寛師の考えは成り立っているのであるが、今は頸は入滅まできられた事はないということであろう。そして魂魄もまた同じ扱いを受けているということになれば、文の底に秘して沈められたことの意味が薄れるのはやむを得ないことである。そして残された一念三千は、現状は大橋さんのものを見ても天台と大差ないところへ堕しているようであって、そこから新しい展開が始まっている。
 皆さんの成果を見てもその中には三重相対の区別があるようにも見えない。時には大橋さんのように、幾何学が主導権を握っているのではないかと思われることさえある。とも角時節の混乱は可成り深部にくいこんでいるところは、とても純一無雑といえるようなものではない。三重秘伝抄が文の底に秘して沈めた一念三千法門を説いていることは、示された通りであるが、それを承知の上で何故俗身が登場するのであろうか、大橋さんや阿部さんは何も感じないのであろうか。全く不思議な感覚である。
 富士学報は大日蓮を追うようにして発表されたが、その冒頭に大橋さんのいつに変らぬ名調子が載っている。それによると、「三重秘伝抄注解は堀日亨上人のものである。亨師は宗祖凡身と一念三千の法との人法一体が、本宗の法義の根幹であると言うに、本書では、宗祖の俗体と一念三千の法との分離を企だて、宗祖以外に別に、自受用身ありとしている」として、その前に長々と阡陌陟記を引用している。次には山田の「川澄が深く読み取っていると自負してやまない、日寛上人の文段(開目抄)に『一、子丑の時に頸はねられぬ文。当に知るべし、この文の元意は蓮祖大聖は名字凡夫の御身の当体、全くこれ久遠元初の自受用身と成り給い、内証真身の成道を唱え、末法下種の本仏と顕われたまう明文なり』と述べられている」。大橋さんの文と山田引用の文とによって大体変ってゆく道程がわかる。肉体本仏論を死守することによって「本宗の法義」を守ろうとして、これを別に伝統の法門とも称している。若し守れなければ、現在の教義は根底から崩れる。そのために一致団結して死守しようとしているのである。
 大橋さんは阡陌陟記三を引いて「邪義邪説の典型的姿が顕出されている」としてをるが、大橋説に依る限り、寛師も邪義邪説の批難は脱れがたいところである。順序として寛師から亨師のものを読むべきであるにも拘らず、亨師の注解を根本として寛師を批判するような説に讃意を表するわけにはゆかない。如何に大橋さんが口角泡を飛ばそうとも、その本末顛倒の話に乗ることは出来ない。
 「本書では宗祖の俗体と一念三千の法との分離を企だて、宗祖以外に別に自受用身有りとしている」と。企だてているのは寛師である。知らずして言ったというわけにも行くまい。念のため一度六巻抄を通して読むことをお勧めする。寛師の説を邪義邪説といい、丑寅の成道をもまた邪義邪説ということは穏かでない。知らぬが仏ということもあるが、知らぬ存ぜぬで通るような問題ではない。是非一度読んでもらいたい。
 
寛師も大分大橋さんには苦笑の御様子である。世間では大橋さんのようなのをタコノクソという。少し頭の中のものを出さないと肝心のものが入りにくい。しかし実際には肉身本仏論が寛師説とし通用し、且つ他門から批難の的となっているのではないかと思う。是非訂正しなければならない大問題である。
 山田引用の文は明らかに「名字凡夫の御身の当体」となっている。しかも本文は「子丑の時に頸はねられぬ」となっているのである。俗体の頸は已にはねられた後のことである。名字凡夫の当体が何故肉身といえるのであろうか。本文は子丑の時に頸はねられ、註は寅の始め、即ち丑寅の中間が表わされているのである。名字凡夫の御身を凡身とよみ、俗身俗体とみた処に現在の肉身本仏論は成り立っていると思う。亨師の凡身には名字即の凡身、上行再誕日蓮と受けとれるものは充分備えてをる。しかし大橋説では俗身となって解釈が固定している。も一つ大橋説に深さが欲しい処である。山田引用の意も同じ解釈であると思う。
 大橋さんから亨師・寛師の順に読んだ時に現在の肉身本仏論が成り立ってゆく。その意味において両先生の引用文及び文は大いに興味の深いものがある。しかし再三いうように、頸はねられた後にどうして頸のつながっている俗身があるのか、吾々にはどうしても理解出来ない処である。いつどのようにしてつながったのか、大橋さんの解釈を求めたい。
 「還滅門と流転門」の項にも最後に邪義邪説の語が使われているが、これは「上行は、黄巻赤軸の法華経の教主釈尊本果の釈尊の眷属」と決めた故に表われた邪義邪説の語である。大橋さんは虚空会の上行だけしか考えていないらしい。若しそうであれば、戒壇の本尊の南無妙法蓮華経日蓮在御判の妙法五字は迹仏授与の題目ということになる。未断惑の上行を認めないでは、大石寺法門は成り立たないであろうし、断惑の上行の処には本仏は出現しないであろう。迹仏授与の南無妙法蓮華経では身延を邪宗というような事は以っての外である。
 一閻浮提総与迹仏所持の本法南無妙法蓮華経日蓮在御判、皆さんこれで分りますか。日蓮体具の五字七字の妙法が本果の妙法ということになっては、体具の日蓮在御判は下剋上の意味を持って来る。迹仏世界に在る故である。本因の戒壇の本尊は、滅後七百年改めて本果の本尊と確認されたとあっては大変である。大橋理論によって裏付けされた意義は重大といわなければならない。
 本法所持の上行は未断惑であるにも拘らず、上行を断惑一本に絞ったのが抑もの誤算であった。未断惑では自受用身と一念三千の法との人法一箇であるが、断惑の上行所持の法を本法とすることは殆んど不可能である。時節が大きくはばむ故である。上行再誕日蓮では、己心の一念三千の上にまず人法一箇を成じ、しかるのちに宗祖の己心にあることを確認して、後に宗祖の肉体を感ずるもので、そこには未断惑の上行は必須条件である。
 上行再誕日蓮とは未断惑上行の再誕日蓮という意味である。これは名字凡夫とも凡夫ともいわれる。これがいきなり俗体となっては最早断未断を論じる境界ではない。それがいかにも未断惑の上行のような顔をして登場する処に大橋理論の真実が秘められているようである。そのくせ一切の手続を省いて一念三千の法と宗祖の肉体とを結び付けるのである。その非を認めて即時に改めることが出来るのは聖人君子である。
 寛師所説の本仏へ帰ることが唯一の残された良策ではないかと思う。今これを超えて新境地を開拓することは、所詮無理な相談である。ここ一両年を振り還って見ても一挙にここまで来たのである。七百年を三年に縮めようとしたけれども、そこには肝心の手続きが抜けて居たのであった。ものには順序がある。宗祖が本仏であるといっても、手続きを踏んだ本仏には重みがあるが、大橋本仏論に一向にそれがないのは、恐らくは越階の故であろう。越階は仏法の最も嫌う処であることは御存じであろうか。
 ユークリッド幾何学からは、どのようにひねくり回して見ても本仏も出なければ、また衆生の救済もあり得ない。大橋さんは何か感違いしているのではなかろうか。衆生の救済を消滅せしめるようなものは持ち出さないでもらいたい。民衆は常に救済のある方に流れてゆくのは天然自然の現象である。天地の理にかなった処にあるのが仏法である。大橋さんがそこを外れる努力をしているとは吾々は考えたくない。
 「宗祖の俗体を切り離してしまった、不生不滅の久遠名字の妙法は観念だけであって、死体に外ならない。そんなものは自受用身でも無作三身の法でもないのである」。随分思い切った逆説である。寛師の宗祖本仏は色々と理を尽した後に、報恩という中で信仰の上から称えられるものであるが、この大橋説では本仏の押し売りである。押し売りは売ったあとから崩れてゆくのが常識である。いかにも濫妨な理である。これで信者が耳を傾けてくれるとでも思っているのであろうか。或は追いつめられて前後不覚の体ということか。これでは信者はついて来てくれないであろう。
 宗祖の俗体を切り離した不生不滅の久遠名字の妙法が只の観念だけであるか、死体であるか、一度心を静めて六巻抄を読んで見ることである。俗体が先に立てば本仏の寿の長遠は立ち処に消えるかもしれない。先に本仏の寿の長遠を確認した上で宗祖の肉身と連絡した処に本仏の意義がある。
 大橋さんは久遠名字の妙法を物体とでも考えているのであろうか。久遠名字の妙法の死体には未だ一度もお目にかかった事がない。無作三身も自受用身も、それぞれ俗身を持った上の話では中々歯車はかみ合わない。それにしてもここまで明らかに書いたものは、大橋さんのものでは始めてお目にかかった。随分思い切った論理である。とても学林教授の理論と頂けるようなものではない。しかしよく考えてみれば、これは偽らざる隠された本仏論の真実なのかもしれない。しかし吾々には、これを仏教の理とも仏法とも受けとめられるようなものでないことだけは申し上げておくことにする。
 後を前につけ前を後につけた大橋理論とは、前後不覚を地で行くものである。一か八か、背水の陣を引いての展開と拝見した。久遠名字の妙法は死体となって消滅した。宗祖の肉身は今も生命を存続しているというのが大橋説の根本になっている。自受用報身をしての独自の生命は断絶し、俗身の中に辛じて生き延びている久遠名字の妙法ということである。どうもその前に為すべきものが抜けている感じである。間(あいだ)が抜けている。このようなことを昔から間が抜けているというのである。抜くべからざるものが抜けている謂である。
 久遠名字の妙法は死体、宗祖本仏のみが生体という中で展開しているのが大橋本仏論である。そのような中で宗祖の俗身はいつまでも生き続けているということである。凡情を絶した境界であるということはいうまでもない処であるが、今は凡情を絶せざる境界において、いかに本仏を考えるかということが要求されている。そこに時の移り変りがあろうというものである。
 理に先だって本仏が出るか、理に遅れて本仏が出現するか、これが正邪の岐れ路になっているようであるが、遺憾ながら大橋本仏論では先ず本仏が出ているのである。このような中でどこまで本仏が守り通せるか。今の必死の形相は、いかに守り難いかということを面に表わしているものと解さざるを得ない。悪口雑言は偽らざる告白であると受けとめておることを承知しておいてもらいたい。
 また先の体具の語について、認めていないといえばそれまでであるが、若し日蓮体具を認めているのであれば、体外に具しているのか体内に具しているのかという問題がある。体外に具しているのであれば俗身ということでよいが、若し体内に具しているのであれば、自受用身と考えた方がよさそうである。己心の一念三千法門において自受用身と一念三千の法と人法一箇する事に格別異論はないが、俗身と一念三千の法とは一箇することは困難である。
 宗祖の己心の一念三千の姿といわれている戒壇の本尊において、中央の五字七字の妙法を自受用身と見るか宗祖の肉身・俗身と見るか、これまた決断をせまられている問題である。古くから宗祖の己心の一念三千の姿といわれている以上、自受用身と考えるのが至当であると思う。戒壇の本尊においては肉身の入る余地は見当らない。
 一念三千の法と人法一箇する人が、自受用身か俗身かをたしかめるのは、まず戒壇の本尊に当てはめて見るのが最もよい方法であると思うが、ここでは自受用身に采配が上がりそうである。俗身と一念三千の法が人法一箇することについて、何かたしかな文証があるのであろうか。是非示してもらいたいと思う。筆者はこのような文証はないものと信じてをる。
 大橋さんが上行を本果の釈尊の眷属と決めたかげには、こちらのいう未断惑の上行を消すための意味を持っているのであろう。いきなり肉身本仏出現には、最早未断惑の上行の必要はなくなったのである。他門の攻勢に堪えかねて考えついたものか、宗義が変えられたために必要がなくなったのか、最近上行が姿を消したことは気掛りなことである。
 法門の違い目は上行の断未断による処で、未断惑の上行と文底法門とは切っても切れない深い縁がある。未断惑の上行を消せば、同時に法門が文上に出るのは止むを得ないことであるが、その時文底に定められた法門が文上で語られると、聞いている方では益々分らなくなる。文底にもあらず文上にもあらざる法門が登場するためである。
 久遠名字の妙法といわれる本法を宗祖に伝えるために、上行の再誕日蓮という事がいわれて来たのであるが、生まれながらにして本仏、しかも前世以来の本仏が出現することになると、本法伝持の意味は全く必要がなくなってくる。そのような中で、自然に未断惑の上行は消されてゆくのであろう。一念三千の法のみは残されているようではあるが、自受用身は大分影が薄くなって来て、肉身本仏と交替しているように見える。一口に肉身本仏といっても、影では法門の交替が行われているのである。
 未断惑の上行が確認される時には、生まれながらにしての本仏誕生、即ち生身の本仏の誕生の必要もなくなり、本来の刹那成道の姿に立ち還ることが出来るのではなかろうか。本仏は刹那成道の故に長寿を称えることが出来るのであろう。宗祖一人が本仏になってゆくのは自ら別問題である。戒壇の本尊に手を合わせながら、しかもその性格内容をしらずしらずの間に変えてゆく、これまた不信の輩というべきか。こうなれば始めから手を合わせない不信の輩が、反ってその性格内容については有信の者ということにもなる。これも本を尋ねて見れば案外時節の混乱にあるのかもしれない。信か不信か、只一面のみを見て早急に定める必要もないということである。
 さてさて、過去世において肉身常住であった本仏に未断惑の上行の必要のないことはわかる。勿論久遠名字の妙法も自受用身も不要なこともわかるような気がするが、何故一念三千の法だけが必要なのであろうか。これだけはどうしても納得することが出来ない。註解の本仏は過去世にまでは遡ってはいないようである。阿部説の戒壇の本尊の中央の五字七字の妙法在御判は、どこへどうおさまるのであろうか。本尊に対する新しい解釈が要求される時が来ているようである。
 悪口雑言だけでは信者衆も気を落ち付けることも出来ないであろう。顕われた処から逆算すれば、今の宗門では上行を消すことに真剣になっているように見える。しかしながら、未断惑の上行を外してどこに己心の一念三千を求めようとするのであろうか。現在の宗門の考え方をもって法門として組織することは、六巻抄に倍して困難な業ではないかと思われる。悪口雑言が法門でないことだけは知っておいてもらいたい。
 さて、この宗祖肉身本仏論については、他門から近代可成り痛烈な批難を受けてをりながら、未だに満足な回答は送達されていないのが実状ではなかろうか。しかもそれがいかにも寛師の本仏論のごとくに受け止められているのである。今また日蓮正宗の長がこれを唱え、守らんがために悪口雑言の先頭を切っての導師である。このような導師を務めた人は、他宗門には希有の事ではなかろうか。
 寛師が久遠名字の妙法を説くために五巻を費されたのは、明らかに宗祖の肉身と切り離すためである。その上に本仏が出現するのである。理屈抜きで、いきなり肉身本仏が登場するのとは天地の違いである。大橋さんがいくら死体といっても久遠名字の妙法は依然として生きてもをれば、自受用身もまた健在である。肉身は消えることはあっても自受用身を消すことは出来ない。以っての外の悪言である。悪夢なら早く目を醒ますことである。
 本尊の性格内容まで変えてしまっては諸人の迷惑である。折角残された六巻抄、兎も角通して一度読むことである。無作三身は覚前の実仏ではあっても覚後の実仏ではない。せめて夢覚(さ)める前と覚めての後位の差別は付けるべきである。時代は既に寛師の本仏論を要求しているのである。予めこれを事前に察知するのが宗教家である。信者の要求が感知できないようでは宗教家の資格喪失である。
 今年夏の教師講習会は一人の不信の輩に対する悪口雑言の競演会であったことは記録の示す通りである。しかも宗祖肉身本仏論を背景にした熱演であある。宗門がいかに結束しても寛師の本仏論を崩すことは困難である。それにも拘らず今は肉身本仏論一辺倒である。炎熱の中の熱演、まことにお暑い事であったことと御推察申し上げる。富士学報に載せられた大橋教授の本仏論は、何といっても今の教学陣を代表する重味を持ってをることは事実である。それだけに今少し深みのある、お行儀のよいもので在りたかった。悪口を並べさえすれば法門の勝利というわけにゆかない処が妙である。
 註解の「今は凡身」の語は、寛師の「子丑の時に頸はねられぬ」の註の文と考え合わせる時は、俗身よりは上行と考えるべきである。数十年を経て今日初めて現われたものであれば当然上行とすべきものであるが、七八十年の歴史はこれを拒んでいるのである。過去において俗身本仏は他門に対しても威力はなかったようである。思い切って、凡身とは未断惑の上行であると宗義をもって宣言してみてはどうであろう。寛師以前は凡身を内に見、幕末から明治以降は外に向けられているようにも見える。
 上行の内外相対は法門の性格を変えてきた。折伏を内に向けるか外に向けるかの相違である。己心の一念三千を表に出して一宗を持続することは至難中の至難の業である。若し己心の一念三千法門をもって一宗を持続するためには、内に向ける以外に方法はないように見える。寛師が安国論の折伏を内に向けようとして文段抄をまとめられた意味も、真意はそこにあったのではなかろうか。いくら外に出そうとしても、いつか後退していることは歴史の示す通りである。折伏が表に出切った処で京の二十一ケ本山が焼き打ちにあった天文法乱は好個の一例である。結果は心ならずも法門を変えざるを得なくなったのである。
 内秘の折伏、外現の摂受というのが最も自然の方法のように見える。今の肉身本仏論は外現の折伏、内秘の摂受である処、全くあべこべである。そこに危険なものが孕まれているのである。一歩先んじて寛師の本仏論に切りかえるのが最良の方法であると確信してをる。歴史を振り返って見て明日の行く手を決めるべきである。前車の轍を踏むのはあまり賢明な方法ではない。
 己心の本仏が三世超過と考えられるのは至極当然のことであるが、一転して肉身本仏三世常住ということになると異様な抵抗を感じる。他門の教学専門家が見ても、成程とうなづくような説明付きでないと困る。降って涌いたようなものでは理解の仕様がない。あまり新語は使わないに越したことはない。若し使うとすれば、誰れもが納得出来るような解説を付けるべきである。三世常住と三世超過と、何とか調整することは出来ないのであろうか。若し三世超過であれば、上行ということで肉身を消すことも出来るかも知れない。いずれにしても三世常住が吾々の理解の境を遥かに超えるものであることは間違いないものである。
 己心の一念三千法門では本仏の寿命は永遠であるが、肉身本仏では必ずしも永遠とはいえない。そのような中にあって、苦しまぎれに考えついたのが三世常住の本仏論のようである。迹仏世界を通りすぎて、外俗の世界の本仏出世である。出されては消える運命の中に出た宿命の本仏論としか、いいようのないものである。仏法即世法の中にあって、突如として世法のみが名乗り出た姿であるということも云えるものである。一応他門下の理解を計算に入れた上で考え出すべきものである。他門超過の発想は必ず宗門を孤立化する恐れのあることを知らなければならない。
 「久遠名字の妙法は断じて、末法出現の宗祖を離れて外に自受用身として存在しないのである」。これは専ら大橋個人の特殊な信仰の上にのみ通用する語であって仏法とか仏教とかいえる境界にあるものではない。全く時節を、よくいえば超過、悪くいえば忘れ去った処に立てられているものである。大橋さんがいくら努力してみても、ユークリット幾何学でその空白を埋められるようなものではない。これは大橋教学の最大の誤算である。仏法を知らんとするにはまず時を学さなければならない。しかも大橋教学は時を消除する処から始まるのである。信心信仰の上にのみ立った本仏はいつ邪教に走るかもしれない。止めるすべもない暴走が待ち受けているのである。そしてやがては自分が本仏に取ってかわる危険を充分に備えていることは世間一般の通例である。このような中では、大橋本仏がいつ出現してもおかしくない。
 俗身と久遠名字の妙法との間には明らかに一線が画されているのが六巻抄である。六巻抄では俗身から久遠名字の妙法を分離するために五巻を費されているのであるが、大橋本仏論では三重秘伝抄の半分にも達しない処で本仏出現を迎えるのである。個人感情の中で、ただ信仰の上に信心の上に立てられる本仏と、理を尽した後に本仏を見、更に丑寅勤行を経た後に、信仰信心の上に報恩という中で考えられる本仏との間には遥かな隔りがある。あまりにも省略が強すぎるようである。やはり浅深の違いということか。大橋さんが己心の一念三千を認めようとしないのは、省略の障礙によるというのが大きな理由のように思われる。
 「然りとすれば、全くの己心、観念で、久遠名字の妙法は対応する仏の無い、真言法身に外ならない事になり」。ここにいう己心・観念は、最初皆さんが使っていたものと同じである。また久遠名字の妙法に何故対応する仏が必要なのであろうか。久遠名字の妙法を法とし、対応する仏を求めて人とした上で人法一箇するのは大橋教学独自のものである。ここでは法の中に自受用身を含めてをり、自受用身の項目では法を一念三千の法とし、自受用身を俗身と一箇せしめて人としてをる。自受用身が人の場合と法の場合と、二様の解釈がこの短い論文にある。何れを真実とすべきか。自受用身が人か法か、久遠名字の妙法は一念三千のみによっているのか、自受用身を含めているのか、肝心の処は模糊としたままである。これでは大橋論文を信用することは出来ない。これから見ると、久遠名字の妙法さえ分っていないのではなかろうか、と思わざるを得ない。この講義を聞く生徒がどこまで理解出来るか、大いに疑問を持たざるを得ない、そのような不安定な中で大橋本仏論は組成されているのである。本仏論が先に決定したために、反ってこのような不安定な状態を引き起こす要因になっているように思う。
 山田が、「川澄が深く読み取っていると自負してやまない、日寛上人の文段(開目抄)に」というが、やまないの下に読点があれば文段につながってゆく。文段は二十年以前一二回程度しかよんでいない。六巻抄は「この文の元意」を究めているので、その意味で吾々は六巻抄に依っているのである。
 大橋さんは、宗祖の名字凡夫の当体即ち肉身が久遠元初の自受用身という解釈であるために本仏が本因に出にくい処がある。吾々は宗祖の肉身が何故自受用身なのか知りたいのである。俗身と一念三千の法とは一箇するようなものではない。それにも拘らず、今は未断惑の上行も影も殆んど消えて日蓮本仏一本に絞られている。未断惑の上行が確認されている時と消えた時とでは本仏の意義に天地の相違が出る。仏法かどうかという境目もそのあたりにあるのかもしれない。未断惑の上行が薄れる程、肉身本仏が濃くなるということである。
 大橋さんはこの上行を断惑と判じて消しているが、これも一つの方法であろう。宗祖本仏に絞るために、あらゆる方法が講ぜられている。特にここ一両年、目に付く処である。そして遂に三世常住の肉身本仏まで出てくるのであって、これが仏法の範疇にはいるかどうか、真剣に考えなければならない問題である。戒壇の本尊が万年化導すると考えられる裏には、未断惑の上行が消えていることを考えなければならない。今は未断惑上行担当の法門が肉身本仏へ移動を開始しているとでも解すべきか。恐ろしい大移動である。
 一旦学会の発展とともに成長した本仏論が再び大石寺に還元し、とうとう三世常住まで発展したのである。三世を流転しながら発展して来た本仏は、どの様にして常住を続けるのであろうか。三世超過なら肉身の解釈の仕様があるかもしれないが、三世常住では、そのまま素直に流転を受けとめる外、名案もあるまい。これは完全に流転であって、このような時には流転門という必要はない。この辺で門の字を理解してもらいたいと思う。宗旨分・宗教分、流転門・還滅門等の課題を設定して一挙に潰滅しようとしたもくろみは、完全にはずれたようであった。
 法門の厳しさの前には、権勢をほこる大村教学も全く無力であった。内方へ導くための働きかけを度外視してこれを拒み、外相の一片のみを捉えて課題を設定し、内に向うべき文段の文を断片的に利用し、外相にのみ捉えて本仏や本尊の裏付けのために使ったのであったが、ものの見事に思惑は外れたようである。論じてをる処を見ても一向外相一辺倒である。これでは内証の法門を捉えられないのも無理からぬ事である。その根本になるのが本仏の捉え方ではないかと思う。
 宗教として一念三千法門を表に出して成功した例は殆んどない。不用意に表に出せば必ず被害は吾が身に帰ってくることは、天文法難を見ても明らかである。そこには越ゆべからざる厳しい約束事があるようである。時には過去の歴史を振り返って見ることも必要である。寛師も文段抄の構成にそれを示されているように、一念三千法門は常に己心にあるべきものであって若し誤って表に出す時は必ず一悶着あるように思われる。内に持つむずかしさがこの法門に付きまとっているように見える。信者の数が増えることは表に出ることである。その上で法を本のごとく持つことは至難中の至難、殆んど不可能に近いのではなかろうか。そのような中で極く自然な形で今のような本仏論が要求されて来たのかもしれない。しかし今は既に時が移りつつあることをまず知らなければならない。
 「最後に」という語は三年前の最後という意を含めて今年の「御指南」を締めくくる部分であるが、久遠元初の自受用身の語が本因妙抄以外にはないことを明らかにしてをる。御書にない事にそれ程力を入れる事もあるまい。寛師が依義判文抄を設けられた意を思えば、今の場合格別問題にする必要もあるまいと思う。或は万一身延側から攻勢に出られた時の用意のために狂った狂ったを連発し、これらは全く川澄一個人の考えであって、宗門は関係がないことをいいたいのであろうか。昔富士年表のとき十二日を十五日に改めたのと同じ発想である。
 宗義の根本に関わる問題で、他門の攻撃を予想して熱原三烈士の処刑日を変える必要は更にない。これは直接戒壇の本尊の開顕とつながるもの、十二十三の中間は丑寅の中間にも関わるもので、成道や本仏・本尊とは深いつながりの中にあるものである。十五日と定める事によって法門とのつながりは全く失われた事になる。これは他門からの攻撃を予想した上での無用の杞憂であった。
 阿部さんは何でも物体として見なければ承知しない癖がある。本尊も物体、妙法を唱える声も色という考え方である。本因の本尊の時は本尊も題目も戒壇もすべて物体の扱いはされていない。宗を立てた根本もそこにある。それが十二・十三や丑寅勤行と直接関連があると思う。成道も三秘もそこに根本が置かれているのである。それが内証己心を破すために「南無妙法蓮華経と唱える声」まで色相とした。而も「と唱える声」という無用の語を加えて外相としたのである。「と唱える声」の前を捉えるのが本因が家の考え方であって、「と唱える声」は場違いである。一言摂尽の題目には色声があるわけではない。しかしこれはあまり問題にされていない。今は唱える題目の声と楠板の本尊が結ばれているのである。
 他門の攻勢を警戒する前に、自門の法門の変貌を誡める事が遥かに必要なのである。本仏も宗祖の肉身と一念三千の法との人法一箇という処に固定し、自受用身が宗祖の肉身と合体して色相の本仏を出現せしめている変わり様である。他門を警戒するよりは、このような誤りを犯さないようにした方が遥かに賢明である。
 阿部さんがここで自受用身を取り上げた事は、他門から六巻抄の本仏論が批難された事に遠因があるのかも知れないが、それは寛師のいう自受用身でも本仏でもない。もとはといえば肉身本仏論である。それを本に返すことこそ必要にせまられている問題なのである。枝葉ばかりを警戒してもそれで乗り切れるわけでもない。それよりか邪宗という語を止めた方が遥かに紳士的である。
 「それ以外は全くありません」と力を入れている本因妙抄の文は、「これは久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直に唱う」となっている。これは前文の台家に対して自宗を言ったもの、その「これは」が省略せられたために自受用報身が主語になって、この様な異様の意味を作り出したもので、「直ちに」はじきにと読む語である。当家は久遠元初の自受用報身である無作本有の妙法を直(じき)に唱えるという意味で、自受用報身が無作本有の妙法を即時に唱えるとは、常識では到底考えられない解釈である。三年間の御指南もこの一瞬に泡沫に同じた感じである。「無作本有の妙法を明らかに唱える、南無妙法蓮華経と唱える仏様なのです」。よくもここまで変えられたものである。宗祖肉身本仏が先に出世し、後から自受用身が出たための混乱であろうか、色身に力を入れすぎた結果か。本因の本尊が万年の化導をするのと全く同じ発想であって、到底不信の輩の理解出来るような境界ではない。
 「妙法蓮華経と唱える仏様」、「文底下種の仏身をお示し」、「この仏様はまさしく妙法の当体」と三様に出ているが。何れを信ずるべきか。迷いは後を引いているようである。一寸仏様という語も気掛りである。「身延派の連中」を批難する前に自分の考えを整理した方がよい。この前後では、肝心の不信の輩は全く黙殺されてしまっているようであるが、御指南を受けた人等はほんとうに理解出来たのであろうか。分った人には是非詳細な解釈をしてもらいたい。
 声高らかに唱題修行をする自受用身とは一体誰を指すのであろう。日頃信心をいう人等は信の一字をもって理解出来たのであろうか。未曾有の珍説であることだけは分るというのが精一杯である。これで「完膚なきまでに」といわれて見ても一向に感激は涌いてこない。蚊にさわられた程の痛痒も感じていないのが実状である。久遠元初の自受用報身の解釈については、御指南として大村さんも委員会の面々も一斉に聞いている筈であるが、誰一人異様にも気付かずに活字になってしまったのである。これでは反って他門のエサにせられるかもしれない。
 阿部さんの自受用身の御指南は、いままで指南して来た処一切を打ち消す程の威力がある。活字になった処を見ると御取巻きの面々もまたこれ以下と考えざるを得ない。川澄が狂った狂ったと言っている間に、自分の方が先に狂ったということか。いかに優秀な技倆を持っていても、この自受用身の会通は出来ないであろう。本文を勝手に換えて新解釈を付ける程危険なことはない。これでは始めから引用文は引かない方がよい。優秀な頭脳を持った人等の雲集する中で、何故これが防げなかったのか、不思議な事である。
 四十五字の法体の事を川澄の狂っている証拠に使わんとした発想もまた児戯に等しいもの、格別気にも留めていない。そのような方法を取らなければならない周辺の状況こそ、あわれという外はない。これは誠に哀しいことである。王女も蓄種を懐妊すれば高貴とはいえない。阿部さんが高貴であるから、口から生ずる法がみんな高貴というわけではない。法の高貴な事こそ肝要である。法主が高貴であるから法が高貴であるというのは今の考え方である。
 六巻抄は法前仏後を根本としているので、大橋さんは真向から反対である。今は本仏(人)を先に立てているので仏前法後の姿をとってをる。これは本仏が先に立てられた結果であるところは人重法軽の感じが強い。
 内証己心を破すために、自受用報身が南無妙法蓮華経と唱える処まで来た。自受用身とは久遠名字の妙法であり、妙法蓮華経の五字である。その五字そのものである自受用身が五字七字の妙法を唱えるようになったのが、今度の御指南のまとめであり結語である。これで見れば自受用身とは一人で五字七字の妙法を修行する行者ということになる。たまたま宗祖と自受用身との違い目が表に出たための混乱である。宗祖の俗身が大きく表にあらわれた結果である。宗祖が自受用身に向けて一箇すれば、このような混乱は防げたであろうが、今は宗祖の肉身に自受用身が小さくはいっているために思わぬ結果が出たのであろう。それが御法主上人の御指南ということでは再び訂正はきかない。ここに固定した新解釈が誕生したことの意義は甚だ深いものがある。
 「この仏様はまさしく妙法の当体であり」ということで、妙法の当体が妙法蓮華経と唱え、南無妙法蓮華経と唱えるのである。唱える方も唱えられる方も共に妙法の当体である。そして五字七字の妙法の区別もなくなったのである。やはり法門とは実に判らないものである。人、法を作る、何んぞ法あらんやということも、一度味わい直してみる必要がありそうである。この唱え唱えられる中には元より師弟の必要は更にない処である。しかし文底法門を立てるためには自受用身は不可欠である。これが外相一辺に出たために色々と問題を起こしているのが現実である。若し真実に内証己心におさめるためのものであれば、他宗を邪宗という事もあるまい。
 折伏を内方に向けるために考え出された六巻抄であることは、当時の状況をみれば直ぐに分ることである。寛師は貞享から明和に至る約六十年のうち、元禄二年以後四十年間を大石寺にあったのである。六十年間というのは、妙蓮寺・西山本門寺を中心にして富士五山は三鳥派一件のさ中にあって、特に大石寺は危険な状態にあった時である。そのような中にあって出来た六巻抄、特に本仏論が、今いわれているようなものが出せる筈もない、そのような幕府の厳しい監視下にあって文段抄も六巻抄も出来ているのである。一言宗祖の肉身が本仏だといえば即時に宗門は破滅である。延宝以来三鳥派の宗祖本仏には悩まされ続けて来た大石寺であると思う。そのような厳しい状況下で著わされた六巻抄であることを、まず脳裏にきざみ付けておいて読み且つ考えるべきである。
 もしこれが実行されるなら、他宗を邪宗ということもあるまい。しかし一旦外に出てしまえば色々な混乱を巻き起こすのは一念三千法門の弱い一面である。その先導をしたのが肉身本仏論ということかもしれない。今は六巻抄の法門を、いかにして内におさめるかを追求してゆく時が来ていることを、まず自分に言い聞かせる時代である。そのためには本仏にも自受用身にも大いにその活躍を期待すべきであると思う。只外方のみに考える事は禁断という外はない。(おわり)

 

 

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 阡陌陟記(十六)


 最初阡陌陟記をもって己心の一念三千を提起した時まず返って来た語は、己心でも心でも同じだ、己心は判りにくいから心にしろということであって。つまり心の一念三千にしろ、心の一念三千なら自分達にも理解出来るということである。しかし、己心の一念三千とは宗祖の魂魄の呼称であるから、弟子が勝手に替えるわけにはいかない。まして心の一念三千とは何れの門下にも曾つて使われた例がない。天台・伝教以来全くその例を見ないところである。
 心の一念三千をもって宗祖の御魂と考えるなら、本仏も戒壇の本尊も立ち処に性格が破綻するであろう。しかし、心にしろという処を見ると、現在の宗門が心の一念三千の上に本仏や戒壇の本尊を考えていることは間違いのない事実であろう。己心は判りにくいが心なら判るということであるが、心の一念三千の処には、久遠名字の妙法もなければ久遠元初の自受用身も不在である。それにもかかわらず本仏を唱え戒壇の本尊を唱える不思議さ、真に奇妙至極である。これは宗義の根本に関わる問題であるから、己心と心の同じである理由を明示してもらわなければ簡単に信用する事は出来ない。確実に文証をもって示してもらいたい。
 六巻抄には高僧伝の文を引いて、一心とは万法の惣体となっているが、これは迹門の時である。これをそのまま文底が家に持ちこんで、心とは久遠名字の妙法即ち万法の惣体とたてるなら、或いは、心の一念三千も成り立つのかもしれない。心と己心が何故同じなのか、時局法義研鑽委員会はまずそこの処を明らかにすべきである。己心を心に切りかえる処に時局の意義もあろうというものである。
 表向きは己心を立てながら裏では心の一念三千で読んだ処に、他宗門をして不可解の歎を発さしめる根本原因がある。三世常住の肉身本仏論も心の一念三千の上には成り立つのかもしれない。しかし己心の一念三千の上には一向にあり得ないところである。若し肉身と心の上に色心不二を立てるなら、むしろ絵像木像を取るべきである。それを阻んでいるのが己心の一念三千である。一層の事楠材の祖師像を造って見てはどうであろう。本尊のみを楠板に刻んで本仏像を作らないのは片手落ちのように見える。楠材の祖師像をもって三世常住の肉身本仏を表わすことが出来れば阿部説も成り立つかもしれない。
 時局法義の法義は己心にあり、これを心に切りかえようとする処に時局の二字が必要なのであろう。もともとこの二字は己心の上にあるものである。まことに涙ぐましい努力といわなければならない。その無理が悪口雑言と表われたのである。時に山田論文にはありありと表わされていて、非常に興味深いものを持っている。色々と教えられる処の多かった事について、予め大いに敬意を表しておきたいと思う。
 折伏という名の元に盛んに他宗を下してみたが、おのおの時機相応の本尊に依っているために根底から覆すことは出来なかった。結局今となっては自宗にはねかえり、反って自宗の本尊の不安定を来しているのではないかとさえ見える節がある。本尊の解釈が変ったために時節と本尊との間にずれが生じたのではないかと思う。本尊が変れば本仏もまた変って来る。その根源が心の一念三千によっている処は、まず動かない所であろう。
 戒壇の本尊は他宗門と異なり、滅後末法の時をもって建立の時期としているのである。それにも関わらず、今は在世末法の時と考えられているようである。それも心の一念三千という特異な法門の上での結果である。三世常住の肉身本仏論も心の一念三千の上にのみ考えられるものである。宗祖以前の諸宗では本尊と作者・筆者とは各別であったが、宗祖の時代は、大石寺のごとく宗祖を信仰の対照とする宗門も現れるようになった。これは根本を己心の一念三千とするためで、宗祖の本因が一幅の本尊の上に本因・本果を成じているためである。
 本仏とは本因をたてたときの未断惑の上行であって、委しくは御伝土代の日興伝に示されているが、現在の本仏観では理解しにくいのではないかと思う。この本因・本果も仏教辞典などによる理解は困難なのかもしれない。宗祖の本因とそこに現われた本果と、それが一体となって本尊と現じた処を信仰の対照としているのである。このような中で書写というような特別なことが考えられた。恐らく三十余年という形式がこれに属し、二十余年の本尊は書写の外に置かれていたというような事も考えられる。この様な中で本因部分を特に深く取り上げているのが戒壇の本尊である。
 十年以前には本因の本尊とか大聖人の己心の一念三千であるとか、よく耳にしていたことであるが、今では大分消えていったようである。その変り様があまりにも急激な事には驚かざるを得ない。或は法門として本因への決別ということかもしれない。別していえば己心から心への展開である。心と時局の二字と、切っても切れない深い縁につながっているようである。
 本因から本果への逆転を、宗義として裏付けようとしているのが時局法義研鑽委員会の真実の仕事のように思われてならない。各々一回限りの悪口雑言の中で、この目標は一応の結論を見たのではなかろうか。今の沈黙をどのように解すべきか。しかし肝心の本仏や本尊が満足されているとは思えない。それが今の不安定につながっているかもしれない。時局法義研鑽委員会がいくら優秀な頭脳を寄せ集めてみても、心の一念三千をもって戒壇の本尊のあかしを立てることは出来ない相談である。
 昔は衆生の成道はそのまま本仏の出現であり本尊の顕現であったが、今は既に出現を終った本尊に向って成仏を願うのである。その姿は爾前迹門の諸宗と全く変りがなくなった。戒壇の本尊に三秘が収まっていると称しても、元の戒壇は別立し正本堂となっているのである。己心の一念三千の上に建立された三秘を含めた本尊と、三秘各別を説く御書による戒壇とが、今大石寺法門の上に同座したための異変である。そのために複雑な様相を呈して来たのである。これは己心の二字に依ることによって即時に解決する問題であるが、捨ておいては大変なことになることは必至である。
 本尊抄に説かれる本尊に三秘が含まれていることは今更ら言う必要もないことである。この滅後の本尊と在世の本尊との相尅が始まっているのである。既に滅後末法に納まるべき時が来ているのである。戒壇即ち正本堂の依拠となってをる三大秘法抄は明らかに三秘各別をもって説かれてをり、本尊と題目を建立された已後七百余年を経て戒壇建立ということでは、魂魄の上の建立とはいい難いものがある。つまり在世の形をとっているので、己心の上に三秘同時に建立された本尊抄の本尊と同日に論ずるには如何にも無理がある。己心の一念三千法門をたてる大石寺法門では本尊抄によって三秘は同時に建立ずみである。若し三大秘法抄によって戒壇を建立すれば、本尊抄の否定につながる危険を持っているのではなかろうか。
 戒壇の本尊といえば戒壇は既に建立ずみの筈である。熱原の三人を惣名代として、その魂魄の上に三秘は建立ずみである。そのあたりをもっともっと明確にすべきであると思う。ここにもまた大きな時節の混乱が秘められている。広宣流布とか令法久住とかいうことも、一度己心に納めて、しかる後に改めて外に出すべきであろう。まずは本因の上に確認し、余れば弟子檀那にはぶくのがものの順序である。本因の確認なくして世俗に押し出すことは最も危険なことである。
 寛師の文段抄構成の意図も、まず己心に確認することが明らかである。内面の充実こそ今最も求められている処である。宗祖以来の大原則は今において益々必要さを増している。余るものもないのに弟子檀那へというようなことは考えない方が賢明である。自他門の解釈や委員会の面々の御意見を先に知るべきであったが、文字通りの解釈だけでは通用しにくい面がある。
 己心の法門であるから折伏は内へ、そしてその努力によって培われた徳をもって弟子檀那へ施したいという意味に解してみてはどうであろうか。或は、己心の法門を内に向けた処は上行であり体であるし、弟子檀那とは不軽即ち用を表わすとすれば師弟子の法門の表示とも考えられる。このような語は始めから文の底を読むように出来ているように見える。
 師弟一箇の成道は本尊抄の副状にも明らかであるが、山田論文では散々な目にこき下された。己心の一念三千法門の上の話を、異様な程に虚空に押し上げられた宗祖本仏論をもって批難することは、威勢は好いけれどもその良識を疑わざるを得ない。まして宗祖自ら師弟共に仏道を成ぜんといわれているのであるから、御本仏日蓮大聖人と共に成道を願うのは以っての外だと決めつけるのは、ちと見当違いという処である。
 上げすぎては未断惑の上行とは益々離れる計りである。この上行は大地の底を住所としていることをお忘れなのであろうか。上げれば上げる程虚空住在の線が濃くなって、己心の法門とは益々遠ざかってゆくのが上行菩薩である。未断惑の上行は虚空ではその真実の威力を失うことになっているのである。高く上げさえすれば好いというのも、心の一念三千によった結果であろうか。
 宗門が未断惑の上行によっていることは御伝土代に示されている通りであるが、山田論文の上行は断惑の線が非常に濃い嫌いがある。この上行はとらないのが古伝であるが、今の伝統宗義と称するものは未断惑の上行でないことは論旨に明らかであり、そのために言葉の荒い割に内容が伴わないものとお見受けした。心の一念三千の上にたった山田論文と己心の一念三千とでは歯車がかみ合うことはあるまい。断惑の上行は本仏とはいわないようである。今の御本仏日蓮大聖人が何れの上行かということは、吾々のような他宗者(よそもん)には一向に知りがたい処である。或は断・未断の外に今一人の上行がいるのか、これまた知りがたい処である。
 法門は古伝によって定めなければならない。戒壇の本尊は本尊抄によって建立されていることは大体理解出来るし、先にも言ったように三秘同時の建立である。そこへ三大秘法抄による戒壇が建立されたので、元の本尊の力が弱まって、断・未断の上行のけじめが付かなくなった。このような情況の中で本尊と本仏の不安定が起きているのではなかろうか。
 折伏を内に行ずればそこには未断惑の上行も見出せるであろうし、本尊もまた魂魄の上に出現する用意は出来るであろう。そこに至って始めて本仏も本尊も安定する時を得ることが出来るのである。己心の上に建立する戒壇と己心の外に建立する戒壇と、何れか一に統一しなければならない時が迫っているのである。時局法義研鑽委員会も大いに眼を開いて心か己心か、断か未断か、三大秘法抄か本尊抄か、何れか一を択んでもらいたい。これが委員会のまず手掛けるべき最大の課題ではないかと思われる。徒らな悪口雑言は決して宗門を救うものでないことを申し上げてをく。
 水島さんも非常の折柄、徒らに大日蓮の二頁の枠内に閉じこもるのはいかがなものであろう。あれでは格別読んでいる人もあるまいと思われる。まだ若い身空で隠居をきめこむこともあるまい。早く奈落の底から這い上がって桧舞台に立ち、久保川論文を破した当時を想い起こして大いに論じてもらいたい。そして心の一念三千の理を明らかにしてもらいたい。その時には、若し言い分でもあれば大いに反論申すかもしれない。奈落の底からの通信では、どこにどうして御座るやら一向に正体がつかめない。一度といわず二度でも三度でも大日蓮を借り切って論じてもらいたい。あたら有能な学匠を二頁の枠に閉じこめるのは如何にも無惨である。大いに先生の奮起を望みたい。
 阡陌陟記第十五巻も既に御高覧の栄に浴していることと思っているが一向に反論を見ないのはどうした事であろうか。或は言語の道も絶えたというのか、実に心細い限りである。ところでしばらく間があいたが、また第十六巻を続けることにした。三ケ年を経過してみて、返って来たのは少々見当違いの語釈のみであって、これでは何の痛痒も感じない。むしろ一言をもって己心の一念三千を堂々と破してもらいたいものである。
 爾前迹門の解釈の利用では肝心の受持は生かされず、反って自らが爾前迹門へ追い帰される危険がある。爾前迹門の解釈を利用しての反論は、反って自説に矛盾を増す計りであることを御存知置き願いたい。そして理由のない悪口雑言は自口を塞ぐものであることも併せて御存知置き願いたい。己心と心とでは何としても歯車のかみ合うこともあるまい。互いが己心に立ってこそ法論ということも出来るというものである。
 己心の一念三千が還滅に法を立てていることは周知の通りであるが、心の一念三千が何れに法を立てているかについては、今まで一向に知る機会はなかった。流転か還滅の外か、是非ともその時を明示してもらいたい。無時ではお話しに乗れないからである。滅後末法でないことは分るが、いう処の本仏や本尊は法華経の文の上には出現しないし、未断惑の上行は虚空を住処とするものではない。三世常住の肉身本仏は何れの上行によっているのであろうか、断か未断か、或は第三の上行か、次ぎ次ぎに疑問は山積みしているのである。
 己心に立てられている本仏は刹那に出現し、肉体も常住という語もいらない還滅の世界に出現するが故に寿命長遠といわれる。丑寅勤行の時に出現するのがこの本仏である。常住と本仏と、これは全く相反するものであるにも拘らず、今は三世常住の肉身本仏と一語の中に収められている不思議さである。時に関りのない世界のことなのかもしれない。何れにしても本仏というからには、その本地と現の住処は明してもらわなければならない。信仰の対象である以上、最低限二ケ条は明らかにしてもらいたい。
 註解(三重秘伝抄)の本仏論も肉身本仏論として心の一念三千を考えさせるものがある。或はこの本仏論が更に発展していったようにも見える。文底法門としては刹那に肉身を遮断することが不可欠の条件のようであるが、近代は己心の本仏が肉身に摂入されて宗祖肉身本仏が成じている。寛師の本仏は肉身を遮断し、今の本仏は肉身が主役となっている。何とも解し難い相違である。
 己心の本仏と心の本仏、このあたりからも大きな問題を提供して来そうな気配である。己心の一念三千の法と肉身との人法一箇とはいかにも無理がある。己心の上にある法と俗身とでは時節が全く異なるものであるから、凡そ人法一箇ということは出来ない。一念三千の法とは久遠元初の自受用身と久遠名字の妙法との一箇を称せられているように考えているが、誤っているであろうか。
 色心不二をそのまま本仏にあてはめることには少々無理があるようである。文上の時の色は文底に至った時既に遮断されているからである。そこに一念三千の法は成じている。それが何の予告もなしに遮断した筈の肉身と一念三千の法が、色心不二の上に人法一箇を成じては困惑も当然といわなければならない。それが更に三世常住の四字を冠せられたのであるから驚きである。何とか理解しようと努力はしてみたが到底浅智の及ぶ処ではない。時局法義研鑽委員会ではどのように理解しているのであろうか。これまた明らかにしてもらいたいものの一つである。大石寺の建前からして今では法門として堂々と通用している筈である。それが一片の理解もなしに大手を振って罷り通ったのでは困惑至極という外はない。委員会諸師の理解の程を是非拝聴したいものである。
 寛師は己心の一念三千法門の上に宗祖の肉身は本仏でないといわれているが、今は肉身こそ本仏となって来た。心の一念三千とはこのようなものかと理解してをる。己心でも心でも同じだ、心にしろという真意は、案外この辺を目標にしていたのかもしれない。若し心の一念三千が成り立つなら三世常住の肉身本仏論は成り立つかもしれない。山田先生も悪口の云いっぱなしは無責任である。迷惑心を起こさしめないような責任ある御教示を賜わりたいと思う。
 三ケ年を振り返ってみて、これが心の一念三千なのかという処である。その程度の理解はしているけれども、それが世間に通用するものとはさらさら思っていない。宗義が今程複雑な様相を呈した事は過去に全く見当らない。長い間戒壇の本尊に秘められた宗義一本であったものが、三大秘法抄と本門心底抄の三秘が加わって二本立てになっているが、この二本の三秘と相容れないものをもっておる。現状では三大秘法抄の力が勝っているのではないかとさえ思われるものがある。
 他門では白蓮日興は晩年にはむしろ本迹一致に近付いたというような解釈の様であるが、興師のものとしてこれに関るものは僅かに消息の一、二点に過ぎない。他は全て日興作と称するもの計りであって、無条件に取り上げ兼ねるもの計りで、これらはそれ以前に厳重な資料判断をしなければならない。そこで今はこれらを全て除外して御伝土代を根本としているのである。
 教学史として広範囲に亘る場合と一宗の宗義に関わる場合とでは資料の取り方も自ら異なってくるものである。その意味において興師の一、二の消息と御伝土代を根本資料としているのである。意味は消失しても事行の法門として残っているものについて最も理解しやすいからである。その興師及び御伝土代の己心の一念三千に対する考えには、宗祖以来現代に至るまで一貫している処がある。
 法華経の文の上について興師が本迹一致であったかどうか、吾々はそれを判ずる様な資料には未だお目に掛かる機会に恵まれていないので、文の上について云云する資格はないものと判断し、専ら己心の一念三千法門について論じてをるのである。その意味で三大秘法抄も除外せざるを得ないのである。
 本尊抄と戒壇の本尊と現代に伝えられているものと、この三つの上に一貫性を見出せるものを基準としていることを理解してをいてもらいたい。若し本門心底抄を取り上げるなら、宗開両祖も加わって複雑な様相を呈するようなことにもなるので、今は本因の本尊を判ずる根本資料として御伝土代を取り上げたので、教相面ではどのように判ぜられるかということは吾々の関知することではない。
 本迹一致であっても勝劣であっても、本因の本尊には全く関係のないことで、一致とか勝劣では判じがたいものがある。本因の本尊を知るためには文上か文底かということが適切なようである。カントやアインシュタインは文底には最も弱い筈であるが、それにも拘らず大橋さんが異様な執着を見せ、この両者を使っていることは、何とかして阿含の突端とカントやアインシュタインの中間に元初を見出そうとしているのではないかとさえ思わせるものがある。元初は己心の一念三千の領域に属するものであって心の一念三千には全く必要のないもの、云う所の本仏の本地はどうも久遠元初とも思えない面がある。もし元初を求めようとしているのであれば、いらない努力と申し上げたい程である。
 大橋さんの三ケ年間の結論として書かれた富士学報の冒頭の論文はかなり力が入っているが、少々己心の一念三千から外れていることは遺憾至極といわざるを得ない。そのために一向に迫って来るものがない。既に本仏や本尊は出現しているのであるから、宗門側としては久遠名字の妙法の詮議の必要は感じていないのではなかろうか。
 本仏は三重秘伝抄の前半で早々と出現し、三秘も文底秘沈抄で既に顕現されているのが宗門の考え方の様であるが、六巻抄で一応明されるのは第五の終りである。つまり六巻抄としては序論のあたりであって第六を終っても未だに明されないものが早々と出現を終ったのであるから異様である。
 師弟各別の上に明された本仏や本尊がどれ程の威力を持っているであろうか。そこに己心と心の違い目がはっきりと現われている。今のような立て方の中では第三の依義判文抄の必要はなくなり、事を事に行ずる肝心の丑寅勤行との関連もなくなり、反って本仏や本尊が不安定の座に居えられる事にもなる。
 六巻抄では巻を終っても本仏や本尊は顕われないし勤行を終っても姿を見ることは出来ない。御宝蔵には只久遠名字の妙法のみである。この妙法が遥拝の時姿を現わす処が宗祖の己心の一念三千といわれている。これでは困るということで、俗眼でたしかめられるようにすると、今度はそれを境に情況が一変し、凡眼をもってたしかめられるものが真実に変って来るのである。法門はそのような事のない様に本因を唱えているのである。
 御伝土代に説かれる本尊は専ら本因についてであるが、今は本因が薄らいだために御伝土代の評価も変って只の史伝書となり下ったのである。御伝土代一巻はすべて本因に依って固められているのである。明治の文明開化は御伝土代から本因を奪い去った。これも時の流れということであろう。このために本仏や本尊に対する考え方が大きく変貌した。つまり己心から心への転化が始まったのである。以来百年、己心に還るべきか、このまま心の道を進むべきか、比べようもない大きな岐路に立たされているのである。今の混乱は起こるべくして起ったという処に眼を向けるべきである。
 明を取るべきか暗にしがみつくべきか、併しながら法門は明暗来去同時の処を指し示しているのである。これを丑寅の法門という。七百年の伝統はこの刹那のためであったということになれば、そこには再生敗種義も成じようというものである。己心の法門には焦種にさえ芽をふかしめる力を持っているのである。今正是其時とは正しく焦種が芽を切る時であるということを確認してもらいたい。刹那成道といわれるのも案外この様な処にあるのかもしれない。そのために周辺の煩わしさを遮断する必要がある。これを頸切られ畢んぬという語で総称されているのであろう。その点、頸を切られずして本仏と顕われる三世常住の肉身本仏論は全く異様の一語に尽きるといわなければならない。
 客殿に満ち溢れているといわれているものは、時に本尊であり、また時に本仏ともいわれるもの、全ては魂魄の上に成じているものである。これこそ末代幼稚の頸に懸けさせたもうた処の一念三千の珠である。これらの本仏や本尊は決して姿を現じるようなものではない。明星池に写してもその姿を現わすようなことはない。それが本因の本尊であり本仏なのである。最後に日興が墨を流した時始めて本尊と顕われる処の師弟の法門である。師は体を表わし弟子は用を示している。体は用を離れず用は体を離れざる処、これが師弟一箇の姿である。今の師弟の常識で理解出来ないのも無理からぬ事である。
 書写の本尊が三十余年に限るというのも、師弟子の法門の一つの表われであろう。本仏や本尊は今の宗門の考え方とは凡そかけ離れた処にあり、そこから新しい解釈が生まれているのである。本因というべきか本果とするべきか、いやいや実には本因本果の外にあるように思えてならない。ここの処は迷うことなく今一度本因の本尊・本仏を確認する時が来ているのである。そして事行の意味を考え直してもらいたい。狂いに狂ったのは案外阡陌陟記の記主でなかった事に気の付くこともあるかもしれない。
 丑寅勤行の時本仏や本尊を感得出来るのは思惟の成果である。一方的に現われている本尊には思惟の必要があるとは思えない。本尊が先に顕現されていることになれば、師弟の法門も成道の姿も全て信仰の形態は根本から変って来る。そして本尊や本仏に対する考え方も同様である。そして宗旨から宗教へと大転換するのである。そこでは明治をもって伝統法義の根元とすることについては何等の抵抗も感ぜられていないのである。山田論文の本宗の伝統法義という語も、如上の意味で理解することにしてをく。
 本尊抄の末文は、一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内にこの珠を裹み、末代幼稚の頸にかけさしめたもうという語をもって締めくくられている。本尊抄一巻はここを基点として弟子達の上に開けてゆくのではないかと思う。他門下でこの一文がどのように扱われているのか、無学にしてこれを識る機会もないが、大石寺で戒壇の本尊といわれている本尊の本因部分はこの一文に根本が置かれているのではないかと思う。
 末代幼稚の頸にかけさしめたもうという語が一閻浮提総与となるのは受ける側の語、受持の姿勢を示されたまでであって、本因の上の表現である。それが今では、楠板の本尊が一閻浮提の一切衆生を授与者として大石寺に授与されたということになったから複雑になったまでで、本因ということで処理されるなら格別問題になる程のことでもなさそうである。結句は己心の上に解されるか、心の一念三千の上に理解するかの相違である。
 己心の上に示されたものであれば己心の上に受けとめるのがものの順序というものである。これを心で受けとめようとした処に無理があって、真蹟をもって日興に授与されたということになれば、その本尊を格護する大石寺は現世の総本山ということにまで発展する。これは己心で出来たものを心の上に解したための異状発展の結果である。このような発展を世間では暴走と称する。今はそれが極限まで来ているようにさえ思われる。宗祖が誡められた、虎を市に放つが如きことが自宗門の中において現実化したのである。処理は一日も早いにこした事はない。それがこの末文の、仏の大慈悲に答える唯一の道である。
 五字の内にこの珠を裹みの語は、昔は妙法五字を袋の内につつみとして理解し易く直されていた。大石寺で丑寅勤行といわれている事行の法門は、末代幼稚にこの五字を体得せしめる儀式として仕組まれたもので、これを確認することが衆生の成道と解されていたが、今は妙法五字の蔵められた御宝蔵から正本堂に本尊が移ってしまった。といってもそれは楠板を指しているのではない。この末文の妙法五字が移ったのである。己心から心への移り変りの処が問題なのである。
 三大秘法抄による三秘が本尊抄の三秘を上回ったということになれば、最初出生の根本義であった本尊抄の三秘と先に挙げた末文の意義は完全に消え失せた事にもなる。今は何れの文によって戒壇の本尊の裏付けとするのであろうか。吾々の最も知りたい処である。己心の一念三千、師弟子の法門は全てこの末文に集結されている。ここから逆次に読めば本尊抄一巻は全て戒壇の本尊の裏付けということにもなる。逆次に読んだ結果をまとめたのが御伝土代一巻である。この一巻はただ己心の一念三千の用の一面に依るもので、未断惑の上行も説かれている。頸を切られた熱原の愚痴の者どもの魂魄が本尊になった。そこに未断惑の上行を見られているように思われるが、ここには現在いわれている様な意味はどこにも見当らない。ここに受けるものの厳粛な態度を読み習いたいと思う。
 本来宗旨であるべき本尊をもって宗教をかねることのむずかしさ、そしてそれに対処する方法も示されているように見える。今は狂った狂った、狂いに狂ったと囃立てながら、戒壇の本尊の裏付けの一つ一つを剥ぎ取ろうという算段なのであろうか。どう見ても己心の一念三千法門が正常に運営されているとは思えない。己心の一念三千を宗門に取り返してもらうように奨めることが何故狂っているのであろうか。奨めている己心の一念三千は本尊抄によるところのもの、これを強引に拒否しようとしている心の一念三千は何れの御書に依るのであろうか。阿部さん自身の口からこの様な言葉が出る背景には、必ず御書や其の他の強い背景を持っての話であろう。このような時に凡夫並みのお下劣な個人感情は無用である。何故ならば戒壇の本尊とは魂魄の上の所談であるからである。
 しかしながら、今の宗門が大きな拠り処としている三大秘法抄は、三位日順の本門心底抄に久遠実成の定慧と限定しているところを見ると、この三秘を魂魄の上の所作と見るには、大石寺の宗義としては些か抵抗がある。それにも拘らず、今は三大秘法抄の三秘が次第に力を増しつつあるというような感じである。両雄並び立たず、天に二の日なしともいわれている。ここに阿部さんの大きな決断が迫られているということではなかろうか。
 宗祖は頸に懸けられていることを教えられ、開山はこの確認方法として丑寅勤行を遺されているのであるから、宗門の有信を自称する方々は、不信のやからが見付けた頸の己心の一念三千の珠を感得してもらいたい。有信の故に見えず、不信の故に見えるというのは、信そのものが違っているのかも知れない。定まった本尊に向って上げる題目に依る信とは、各別の処にある信によらなければ見えないのかもしれない。また川澄流勝劣法門といわれるかもしれないが、現実には二つの信を認めざるを得ないのが実状である。今不信のやからの所持しているのは己心の上の信であると申し上げてをきたい。これを勝劣と称するのは捉え方の低さの故といわざるを得ない。静かに反省をすすめたいところである。
 「仏大慈悲を起こし」という仏とはどのような仏であろうか、釈迦如来か阿弥陀仏か、いやいやビルサナ仏だろうなどと云うのは無用の勘ぐりである。この仏とは大慈悲なのである。用をもってその体をあらわされたまでであって、実にはこれが本仏なのである。これを別に未断惑の上行とも申し上げるのである。滅後末法の仏とは慈悲をもってその体を表わすことになっている。つまり本尊抄の末文は未断惑の上行の出現を確認されたものである。記主はこのように考えてをる。これをうけて御伝土代はまず未断惑の上行を確認し、而る後に魂魄の上に戒壇の本尊を建立されているのである。随ってこれは姿がないのが原則である。姿のない処に本因の意義がある。何れにしても御伝土代の戒壇の本尊は楠板の本尊以前のこと、即ち仏の大慈悲そのものと考えれば、まず間違いのない処ではなかろうか。
 楠板の本尊の前に仏の大慈悲を読みとるか、楠板の後に大慈悲を見るかで状況は真反対に出てくるが、今は専ら後に読みとっている処が問題なのである。後に読めば凡情の割り込む余地は十分にある。そして本因部分が消えるに従って凡情一本に絞られてゆくのである。現状は、本尊に即刻「仏大慈悲」の処まで御帰還を願う以外に好い方法はないのではなかろうか。
 己心の一念三千の上に、七百余年の年月を刹那に捉えるなら、即刻「仏大慈悲」の処まで還るのは至極簡単なことである。ただ阿部さんの決断を待つばかりである。まず自分が「仏大慈悲」をうけ、余れば弟子檀那にはぶくなら、それは阿部さんの大慈悲ということにもなる。これこそ万人の望むところではないかと密かに考えてをることを側近のお歴々の処まで申し上げたいと思う。
 法主といえば、「仏大慈悲」、本仏の大慈悲、本尊の大慈悲、総じては末法に入って始めて己心の一念三千を説き始めた宗祖の大慈悲を受け継いでいる筈であるが、その法主が一挙に二百名の者の頸を切って、これで大慈悲といえるのであろうか。度し難き者を済ってこそ大慈悲を事に行じたといえるところである。
 山田の論文の冒頭に、「狂った異説」というのは己心の一念三千であるが、今は己心の一念三千も既に「狂った異説」となり、これを唱える者も迷僧邪僧となり、しかもそれが今は宗門の定説となっているのである。己心の一念三千がここまで下されたことは、宗祖滅後七百年他門下にもその例を見ない。狂っているのは自身の方ではないか。
 「本宗の伝統法義に異をとなえ」という伝統法義とは、先にいうごとく心の一念三千を根底としているものであって、今はこれを正とし、己心の一念三千をもって邪説としているのである。これがほんとのアベコベである。これだけみても、御本仏日蓮大聖人とか戒壇の御本尊とか唱える資格があるとも思えない。己心の一念三千とは宗祖の御魂であり、戒壇の御本尊そのものである。よくもこれだけ下せたものである。己心の一念三千がそれ程邪説なら堂々と宗祖を破すべきである。こちらを珍説と称して悪口雑言を重ねるのは御門違いである。
 既に数ケ月、自らの意志に背いて沈黙を続けさせられているのは、全く己心の一念三千が動き始めている証拠である。何れが珍説か珍無類の独特の解釈か、それが決められる時が来ているのである。度胸があればもう一度宗祖の御魂をこき下してみるとよい。同じ大慈悲であれば、その様なことは到底考え及びも付かない筈である。
 先日或る信者から福重師の本仏論を示された。見るとそこには流転門・還滅門の語が使われている。阿部さんや大村さんに教えてあげてもらいたい。そして流転門・還滅門の語は福重師の日蓮本仏論に使われていることを確認した上で訂正論文を山田先生の手で発表してもらいたい。阡陌の二字についても同様である。誤りを知って訂正出来る人こそ高徳の僧といえる。自ら宣伝しなくとも人は崇めてくれるであろう。日蓮本仏論がこれほど読まれていないとは全く意外であった。
 「この『戒壇の本尊』とは正本堂安置の大御本尊ではなく、己心に感得する戒壇の本尊という意味で使っている」と。ここまでくれば言語道断、お気の毒という外はない。遺憾なく心の一念三千を露わにしている。明らかな己心の一念三千の否定であり、御伝土代に説かれた戒壇の本尊に対する逆説である。己心に感得する戒壇や己心の一念三千を否定しながら、しかも「正本堂御安置の大御本尊」にみに真実を求めようとしている。これが今の心の一念三千による本尊観であることを明らかにしている処は大いに珍重に価する。このような事が堂々と大日蓮誌上に発表出来る度胸は実に見上げたものである。それは、己心の一念三千などというのは既に珍説の部類に入っている証拠である。
 一連の反撥文は全て己心の一念三千排撃に集中しているとは全くの驚きである。この消え失せた己心の一念三千をどのような方法をもって再確認するか、沈黙の後の最大の課題はこの一点にあると見なければならない。そこには必然的に体質の改善が要求されるのである。しかし体質は一夜にして変えられるものではないが、ここに唯一の方法がある。それが山田先生のいう珍説中の極説即ち刹那成道である。半偈の成道を無駄にすることなく、体質改善も同時に可能のようである。それが己心の一念三千法門である。只信の一字をもって得られる処は至極簡単ではあるが、今山田先生の考えているような信心の信では到底及びもつかないこと位は予め知って置かなければならない。
 刹那半偈の成道を唱えながら、それとも知らず悪口雑言を繰り返したのでは刹那成道も寄りつけない。それを寄せ付ける信が必要なのである。信者の信とは大いに異なっている処が妙である。山田先生なら差あたって珍妙というかもしれない。しかもこの珍妙の語には最高と最低とを兼ね備えているから尚更妙である。今いう処の珍妙とは己心の一念三千にあるべきもの、山田先生のいう珍妙は最低お下劣の処を指している。そこに行き違いがある。信の一字もまた同様であるということが解れば、それは解決に第一歩を踏み出したことでもある。
 宗門随一の優秀論文といわれるだけあって、五月の鯉の吹き流し、見掛けは立派でも腹がないのが玉に疵、腹中の玉とは己心の一念三千の珠である。頸に懸けさせたもうた珠も一向に見当らないのは残念至極であるが、宗門の考え方がそこにあるとすれば止むを得ないことである。己心の一念三千をいかにこき下しているかが選択基準となっているのであればこれまた止むを得ないこと、時の然らしむこととあきらめる外はあるまい。
 他宗門のものを読む前に、もっと自家のものを読み返した方がよい。阡陌の二字を見ていないようでは開目抄を読んだとは云えまいし、福重師の日蓮本仏論に至っては阿部さんも大村さんも、そして委員会の面々悉く読んでいないとは真に驚き入った次第である。阡陌陟記を下した筈のものはすべて吾が身に振りかかっているのである。これ全く偽らざる現象ということであろう。
 今では己心の一念三千と本仏や本尊は全く分離されているために、己心の一念三千をこき下すことがそれ程罪悪とも考えられない程時は移っているのである。他宗の人の解釈には眼を向けず、大いに御伝土代を前後左右から読み直してもらいたい。そして以後においてその内容がどのように影響を与えているかということが分れば、わざわざ己心の一念三千をこれ程まで下すこともなかったのではなかろうか。
 今では己心の一念三千をいかにこき下すかという事が教学測定の基準になっているとは全く驚き入った次第である。正しく山田論文はそれを如実に証明して余りあるものがある。吾々はこの論文が優秀の名のもとに大日蓮に掲載されたことに大いに意義を感じているものである。しかし己心の一念三千がそれ程狂った異説であり迷邪の説であるなら、それをもって阡陌陟記を破すのは御門違いというものである。ここは即刻対告衆を変えて改めて破折をやるべきである。宗祖がこの優秀論文をどのように御覧になっているであろうか、真に興味尽きないものがある。

 

 

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 阡陌陟記(十七)


 
刊行にあたって

 悪口雑言を受けながら阡陌陟記も既に第十七巻を数える所まで来た。そろそろ宗祖から厳しい詮議を受けているのかと思うと誠に同情に堪えない。緒戦から己心の一念三千を敵に廻したところに誤算があった。進めば進む程宗祖や戒壇の本尊への攻撃となり、衆生成道への否定に向う羽目になったのである。
 「仏大慈悲をもって」と示された妙法五字とはいうまでもなく一念三千の珠である。開山がこれを衆生自身が確認する方法として事行に示されたのが丑寅勤行である。宗門がいくら否定的であっても朝々の刹那成道は繰り返されて来ているのであるから、もっと立ち入ってその内容を確実に捉えた方が賢明である。いくら否定しようと思っても否定出来るものではないことは、充分経験された事と思う。そこに不可思議の不可思議たる所以がある。
 成道とは頸にかけられた妙法五字の珠を確認することであり、それがそのまま、本仏・本尊の開顕ともいわれるものであって、宗義もまたそこに建立されているのである。しかし今は新しい文明開化の流れにのって拭い去られてしまった。一言にいえば己心の喪失である。これが元兇となって問題をこじらせているのである。時局法義研鑽委員会の最大の課題はこの一点に集まって、これを取り返すか、そのまま流し捨てるか、二者択一の処まで追いつめられて来ているのである。それにも拘らず、大勢は流し捨てる方角に進みつつあることは、過去三ケ年の結果があまりにも明了に証明している。それが本仏や本尊の抛棄につながることを承知なのであろうか。
 己心の上に書かれた御書を心をもって読めば結果が反対に出るのは当然である。これでは御書の文を悪しく利用しているということにもなりかねない。皆さんの引用文好みの中には案外そのような底心があるのかもしれない。引用文のみに頼る前に思惟を考えてみてはどうであろう。折角引用されているものを見ても、可成り見当違いのものも含まれているように見える。引用文の多寡が勝敗優劣を定めるものでない事位は知ってをくべきである。無定見の引用文は却って敵に足を引っぱられる恐れがあることは経験ずみであると思う。
 他家を学んで当家を学ばざる態度はあまり見上げたものではない。古伝の法門争いともなれば、先に己心の一念三千を捉えた側に采配が上がるのはいうまでもないことである。その点、委員会は大きく立ち遅れたようで、それが二百人の首切りにもつながるようにもなった。これはどう見ても御法主上人の大慈悲といえるようなものではない。むしろ切られた側から、即ち魂魄の上に立って見れば大慈悲ということも出来る。
 宗祖の側からみれば、竜の口の頸の座に乗せられたから魂魄の世界も開け、また本尊も開顕されたということである。若し頸の座がなければ魂魄の世界も開けず、戒壇の本尊も顕現されなかったかもしれないということになれば、幕府こそ大慈悲の権化ということにもなる。しかし外相に大慈悲を標榜する御法主上人が首切り役人の座に着いたのでは、何としても格好が付かない。これでは師弟共に仏道を成ぜんというような大慈悲は全く影をひそめてしまって、一介の権力者に成り下っている姿という外はない。
 「狂った異説を唱え」たということが唯一の理由のようであるが、己心の一念三千を唱えるのが「狂った異説」であるというようなことは宗門開闢以来の大珍説であるとは考えないのであろうか。今は心が正、己心が邪という中でものが考えられているのである。しかしどこが狂っているのか何故異説なのか、その理由も示さないで使われても賛成は出来ない。このままでは宗祖も異説邪説の親玉にも成り兼ねない。山田時局法義研鑽委員は責任をもってその理由を明示すべきである。
 お追従が法門でないこと位は知っておいてもらいたい。末法に入って己心の一念三千を唱える者があらゆる迫害を受けることは宗祖お示しの通りである。加害者側に立った阿部さんこそお気の毒である。これも因果の廻り合わせであろう。切られた二百人のものは、栄誉であるが、切った側は国家権力を頼んで最後の仕上げを急いでいるというのが宗門側の現実の事行の姿である。この一事を見ても何れに真実が伝わっているか明了である。
 己心の一念三千は刹那に一切の国家権力を遮断した処に建立されているということを思い起こしてもらいたい。頸を切られるという事は、全ての世俗に関わるものを遮断した事を含めている。それが何の前触れもなく俗身が復活すれば、他もこれにならうのは当然である。そうなれがまず金と権力が表面に出て、反って法門が押し込められる。そして衆生の救済など奇麗さっぱり忘れ果てられるのである。本来全く縁のない筈の金と権力が支配する中で、己心の一念三千を持つことは至難中の至難事である。しかし結果はやがて皆さんが孤独に追いやられるような事になるかもしれない。予め警戒してをくに越したことはない。
 長い間本因の本尊であったものが本果の本尊として確認されたのは、日蓮正宗の宗制宗規が出来た時である。この時点で直筆ということに決められたのが始まりである。ここで宗祖から授与されたということになって、丑寅勤行の意義も失われ、成道も次第に他門流に近付いていったのである。本果の本尊と同時に広宣流布もまた世俗の上に出ることになった。今唱えられているのがそれである。
 本来自分自身の徳を高めるためのものが、それを取りやめ、全てが外に向けられるようになった。宗勢の拡張にはつながっても、本因の抛棄は容易な事ではない。そして心の一念三千が完成した。心は文の上、一念三千は文の底、つまり文の上において文の底の一念三千が生かされることになった。今の本仏や本尊はここで解釈されるため、我心と紙一重という危険な状態に置かれている。
 一口に本果とはいっても釈尊を指すものでもなければ、天台のいう本果でもない。これは魂魄の上に建立された己心の一念三千の上の本果である。必ず厳重な時の立て分けが必要であるにも拘らず、今の本果は無時の状態に置かれているのである。そのために三世常住の肉身本仏などということが考えられるのである。
 仏法を口にするためには、まず時を学さなければならない。鷄が丑寅の中間が来れば必ず時を知らせるのは、若しかしたら未断惑の上行の所作なのかもしれない。畜生すらなを時を知る、況や人倫をや。これは鷄の方が一枚役者が上の証拠なのである。鷄は畜生の故に知時の極意を体得しているのである。若し時が早すぎるときは、鶏の宵鳴きといって不祥の部類に入れられる。そこで鶏も余程のことがない限り時を間違えるような事はない。宗祖もまた時を誤らせないために本尊抄の次に撰時抄を説かれている。時を誤れば本尊もまた不安定になって魂魄から外れて一挙に俗世に立ち帰るのである。今の混乱は全く時にあてられた結果なのである。
 昔、末法に入った時は、しばらくして己心の末法によってその混乱を静めたのであったが、今末法において己心の末法をすてて「心」に立ち帰った時、この混乱を静める力のある第二の末法の時が用意されているようにも見受けられないのが現状である。時局法義研鑽委員会も第一目標であった悪口雑言も既に終ったのである。新しく第二の末法の時を見付けるか、本の己心の末法に立ち帰るか、速かな時の選定を迫られている。次の目標はここにをくべきであって、徒らな遷延は許されないであろう。ここが技倆の見せ処である。大勢の信者達もその一点を注目しているのであるという自覚を持ってもらいたい。
 水島さん程の智者が己心の一念三千の時をも弁えずに久保川論文を破したのが、そもそもの間違いのもとであった。こちらは残されているから拾ったまでであって、決して川澄流勝劣法門を建立しようというような大それた考えはない。疑心暗鬼は無用である。そのような隙があれば、己心の一念三千の時を上廻るような時を考え出すべきであって、その時には記主も潔く火中に筆を投じる覚悟を用意してをる。
 未だに研鑽ノートも続けているようであるが、無時のノート程無駄なものはない。無時と無定見とは紙一重である。すでにノートの時代は終っているのである。続けることは御自由であっても、それはやがて自分を孤独に追いこむのがをちであること位は心得てをいてもらいたい。それとも毎月二ページの原稿を書くことに意義があるというのであろうか。
 以前院達をもって不信の輩ときめ付けられた時、戒壇の本尊の解釈を一本に絞って、信じられるような状況にしてもらいたいとお願いしてをいたけれども、その後一向に改められた形跡はない。只の一度の返答もなく、返って来たのは悪口雑言のみであった。実はこれが返答なのかもしれない。この悪口雑言でも分る様に、ここ数年はいよいよ法門的には混乱が倍加しているように見える。
 本仏も本因なのか本果なのか或は因果の外なのか一向につかみにくいが、本仏ともなれば何れか上行の時を決めなければならない。その時因果の外の上行をどのようにして求めるのであろうか。未断惑の上行と定められたものを勝手に断惑とし、或は上行不在としたのでは諸人の迷惑である。本因と定められたものは本因に帰すのが順序である。三世常住の肉身本仏論などは、恐らく無時の処にのみ通用するものであろう。
 予め時を定めなければ仏法というわけにはゆかない。これが宗祖以来の伝統である。自分一人にのみ通用するものをもって時を称することは、民衆には全く関係のないことである。元来仏法という語が大石寺法門で使われる場合は、「頸を切られ畢んぬ」という境界にあって、刹那に俗世を遮断された状況の時に限られているにも拘らず、今は俗世と仏法とが密着している状態の中で使われている。本仏が虚空の中に考えられるのもその一例である。
 本因の本尊とは先にもいうように、その本源は本尊抄に求められている。時代により宗によって色々な読み方、受けとめ方があるが、その点御伝土代は真筆現存という意味において優れた位置にあることは間違いのない事実であるが、今は他門に紛動せられてか、或はその深意がつかめないためか、只の史伝書としか認められていないが、この一巻には明らかに上代の御書の読み方、またそこから一宗の宗義の根本が固められていく状態が詳細に示されているようである。
 御伝とは御伝記ではなく、御相伝と解すべきであろう。御相伝の土代、つまり大石寺法門の根本は全てこの一巻の中に秘められているものと考えるべきである。滅後七百年、この御伝土代もいよいよ読み切れなくなった。今の混乱も根本はそこに基因しているものと考えられる。この一巻を通して改めて御書の読み方を考え直してもらいたい。昭和五十九年の眼のみをもって御伝土代を見ても、それでは御伝記と読むのが精一杯ということであろう。一連の「正伝」類は法門のないのが特徴であるが、御伝土代を同列において考えるような事は避けた方がよい。
 滅後七百年間を振り返って見て、法門的な大きな危機があった。第一回は有師の化儀抄の出来る前、第二回目は六巻抄の出来る前、何れも御伝土代が出動された様にも思われる。第一回は御伝土代に定められた戒壇の本尊の護持の方法について細かく示され、時代に合わせてその本尊の内容についても具体的に、且つ細部に亘っている。しかしそこで何があったのか一切不明である。
 化儀抄は日住が「日有の仰」を書き留め、次の鎮師に渡すための、いわば聞き書であるが、何故これが必要であったかという事情について知る資料は一切見当らない。しかし時師の時には三大秘法抄や本門心底抄、本因妙抄や境智根源口決などの写本が残されているが、これを法門として取り入れられたかどうかについては一切不明である。そして阿・影両師の時に至っては全く雲をつかむような状態であるが、何か容易ならざる考え方が起ったのかも知れない。それが化儀抄の現れる原因になっていることは想像出来る。今は化儀抄といわれているが、内容的には御伝土代に定められた本尊像の再確認にあったように思われる。
 時師と久遠成日親師と殆ど時を同じうして三大秘法抄を写されているのも不思議であるし、本門心底抄がこれに関わりをもっていることも事実である。三秘を久遠実成と定めている処から、その本門も未だ法華経の色相を離れかねているようにも思われる。本迹論争の中の所産ではあっても、魂魄の上に建立された御伝土代の本尊とは遥な距離がある。或る一時期他門下から色々なものが流入したために起きた混乱が化儀抄を必要としたのかもしれない。
 時師には写本はあっても使われた形跡がないので立入って考えることは出来ない。ただ本門心底抄が自ら久遠実成としているものを、現在は久遠元初と読みとったために混乱が後に尾を引くような結果になった。所謂時節の混乱である。遥に五百年を隔ててその混乱が再現されたのであろうか。魂魄の外にある本門心底抄の三秘が、魂魄の上にある御伝土代の三秘を覆いかくすような時を迎えて今の正本堂が建立されたことを想起してもらいたい。事実は、久遠実成の妙法が久遠名字の妙法を上回った結果が現れたのである。この厳しい現実を処理することも、時局法義研鑽委員会としては重大な課題であると思う。
 御伝土代を通した本尊抄による三秘か、本門心底抄を通した三大秘法抄の三秘か、現在はこの二つの三秘即ち本尊が同居しているが、本尊の同座は在り得ないことである。つまり何れか一に絞らなければならない。殊に本門心底抄には学頭遺跡と本寺との混乱の間に著作された可能性も考えなければならない。その本門心底抄が御伝土代を上回ったのであるから問題が複雑になっているのである。この本門心底抄が開山在世中というような事になれば尚更である。事が法門に直接関わりのある問題だけに、未整理のまま取り上げられた処に問題は始まっているのであることを知らなければならない。
 ともかく本尊を一本に絞ることから始めなければ難問は永遠に解決することはあり得ないと思う。そのために戒壇の本尊を原点に返す必要がある。そしてその持つ意義を改めて考え直す必要に迫られているのである。今の宗門の考えを根本から考え直さなければ、本尊を一本に絞ることも、恐らくは不可能であろう。本因の本尊の意義がいよいよ消え失せた処で三大秘法抄が登場していることを想起しなければならない。
 大橋さんはカントやアインシュタインに心酔しているが、どのようにして法門に結び付けているのであろうか。しかしカント教学には己心を奪い取る特性を持っていることについては既に定評がある。大橋さんが、己心の一念三千が理解出来ない原因もカント教学の被害が出ているのであろう。大石寺など最も大きな被害を受けてをる。もともと本因に宗を立てている宗門で本因を去り己心を失っては宗は成り立たない筈である。そこで似たような処で心の一念三千を立てているが、己心とではあまりにも時が違いすぎる。しかし一旦失った本因を再び元の如く取り返せるかどうか、これは殆んど不可能に近いのではなかろうか。
 カントやアインシュタインの研究をする時間があれば、一度謝霊運の詩でも繙くとよい。そしてその思想でもまとめるなら大いに敬意を表したいと思ってをる。大橋さんは一切の書を読んでいるということであるから、その詩文などは既に研究ずみの事とは思っている。羅什訳の法華経を依経としながら、この人が現実に漢訳を完成した事は案外御存知ないのかもしれない。法華経の寿量品の文の底に己心の一念三千の珠を沈めてをいたのは、恐らくはこの人ではなかろうか。それにも拘らず謝霊運という人は完全に忘れ去られている。尤もこの人は金に夢中になるようなことは決して教えてはいない。一度字書を引くなり文選でも読み、その上で法華経を一気に読むとよい。その時は、大橋さんの英知は必ず何ものかを見出すであろう。是非大橋さんにやって頂きたいと思っている。
 或る意味では、この人程日本人の思想に偉大な影響を及ぼした人も稀ではなかろうか。それも全て影武者としての仕事である。平安から鎌倉・南北朝、更に続いて以後長い間民衆思想を盛り上げ、民衆を救って来たのは、何としてもこの人を第一に推すべきであろう。それにも拘らず謝霊運の思想研究がなされた事は未だ聞いた事がない。一切の書を読んだ余力をもってこれを成し遂げられるなら、その功は永久に輝くことであろう。カントやアインシュタインについては、大橋さんより少々頭のよい人がやっているかもしれないのでそちらへまかせ、是非この研究をやってもらいたい。若し謝霊運の研究が出来上がるなら、本因に法を立てる大石寺法門は大いに益されるであろう。そして必ず己心の己の字を取り返してくれることであろう。
 カントの影響を受け始めてから既に百年という年月が経過しようとしている時、己の字を取り返す時が来ている。心の一念三千といえば一見法華経に関係があるように見えて、実には無縁のものである。最初から己心の一念三千で来ているものは己の字があってこそ、その意義も整束されるものである。是非大橋さんの余沢を戴きたい。
 阿含経の一行を見て一切経を読んだということのないように。一切経にのの字を加えるなら一切の経ともなるし、経を書の字に換えて一切の書となっても、人は決して承知するものではないこと位は知ってをいてもらいたい。しかし、一応敬意を表して出処は挙げないので、そこは一切の書を読んだ時の記憶を呼び起こして頂きたい。
 山田論文は伝統の法義を称していたけれども、どうやら心の一念三千を指しているものと解してをる。六巻抄の伝統法義が己心の一念三千によっていることは冒頭に示されている通りであるが、山田論文には終始これが示されていない。当方が出処を明さないことを批難しているけれども、自分の事は別座にをいているのは頂けない。別の意をもって使うならその出処を明してもらいたい。記主が出処を挙げないのは法門によるためで、そこは教学と混同しないようにしてもらいたい。力のない者が引用文を引くと時節の混乱の恐れがある。それを避けているのも一つの理由である。引用文は引きさえすればよいというものではない。
 山田論文が時節の混乱なのか無時なのか一向に要領を得ない。これこそ迷惑法門である。自らも迷い他をも惑わすもの、新造語は使い過ぎるときざになるものであること位は承知してをいてもらいたい。
 己の一字を悪口をもって消滅させようというのは無理である。大地の底に根ざした上行所伝の法門が今芽ぶかんとしているのである。これ全く時の然らしめるものであって、これを一片の悪口をもって消滅させようというような心得違いは起こさない方がよい。若し百年をもって伝統といえば、開山以後六百年の間の諸先師は伝統から除外されることにもなる。これは穏かな考えではない。伝統の正体とは己心の一念三千である。心の一念三千をもって宗祖の御魂と称しても、それは只言う者のみの愉悦に過ぎない。御先師方を外すことのないような伝統を打ち立ててこそ悪口雑言もその意義があろうというものである。
 山田論文を信ずるなら、伝統の証明が出来るのは百年間のみ、それが時あって忽然として七百年の伝統といわれると迷わざるを得ない。論主は何をもってこの空白を埋めているのであろうか。是非拝聴したいところである。伝統の色法についていう時は七百年を上に付け、心法をいう時は下に法義の二字を付けることによって、伝統に色心二法を使い分けているようにも見える。そうなれば後の百年は色心不二と立てているのかもしれないが詳細は不明である。しかし六百年の間のものを宗義と認めないのは何とも不可解という外はない。
 それにしても優秀論文として採択された以上、それなりの理由があったに違いない。只川澄の文字が多かっただけでもなさそうであるし、構成されたものを見ても一向に迫力がない。これは論旨に一貫性を欠いているためであろう。負けた子供が逃げ逃げ口を荒しているのと何等変りはない。そこで気が付いたのが文の底に秘められた心の一念三千であった。これは今回の宗門側の第一声と合致している。その点について優秀に値したものということが出来る。己心の一念三千を抹殺して心の一念三千に切り替える作業が宗門側の共感を得たのであろう。伝統の法義というのも心の一念三千に依りながら、いつの間にか己心の一念三千に見せようという努力が優秀と認められたのであろう。
 己心の一念三千といえば宗祖の御魂であり、楠板にあらざる戒壇の本尊そのものであることは、御伝土代以来一貫している処であるが、今は専ら心の一念三千が宗祖の魂魄であると改めの作業が始まっているのである。しかし、己心の一念三千は消してしまった、心の一念三千は宗祖の御魂にはなり得なかった時には、次に何が控えているのであろう。今そのような危険な作業が行なわれているのである。このような事は余程の自信がないと始めるべきで事ではない。失敗すれば宗祖本仏論や戒壇の本尊の抹殺に直結してくる。それを承知の上で次の本仏や本尊の構想は出来上がっているのであろうか。しかしこの二つが根本から変れば上代に向って伝統を唱える事も出来ないであろうし、六巻抄もまた伝統から完全に外されることになる。つまり未曾有の新義建立ということになる。しかも己心の時と同じ語が使われるのであれば、尚更混乱に拍車をかけることになる。しかしこのような大事を一片の恫喝だけで結末をつけようとしても無理である。
 掘っても掘っても分らないような処から築き上げてゆかなければ成功は覚束ない。一見底の底まで見通しのきくような作業は余り巧妙とはいえない。方便・寿量を読んで一切の経を読み一切の書を読んだという誇大妄想的な発想と、どこかに共通点がある。何れにしても山田教学的な発想をもっての新義建立は、反って自滅に追いこまれることは必至である。成功さすためには、目にも見えない、心眼をもっても知ることの出来ない未断惑の上行を抹消するところから始めなければならない難作業であることを自覚しなければならない。一旦消えている未断惑の上行を想い起こすことさえ、今の宗門にとっては容易ならざる難事である。それを完全に思い浮かべた上での作業である。時局法義研鑽委員の頭脳では少々不足であるとお見受けしていることを申し上げてをきたい。
 大村さんは口をつぐむ最後の言葉として「ヤユ」と称しているが、本来は勝者の立場にあるものの使う言葉である。それが二頁のノートに夢を託して口を閉じた後を指して使われると、どう考えても自嘲としか受けとめられない。恐らくこのような使用例は他に類を求めることは出来ないであろう。当方の口を封じ、新義建立の上改めて使い直してもらいたい。
 大橋さんは昔の「万巻」を「一切の本」と言いかえているがこれまた自嘲気味である。やけのやんぱち日焼けのなすび的な発想であることはお互いに共通している処がある。このような幼稚なというか、口の中でモゴモゴッとして一切の本を読了したというような超人的な発想は、決して大橋教学の深さを表わすものでもなければ、吾々が忍者の一抹の煙に巻かれるような事もあるまい。その点は安心してもらいたい。富士学報以後一向に拝見の栄に浴していないので、次を待ちわびていることを申し上げてをく。
 仏は大慈悲をもって一閻浮提の衆生の頸に懸けたまい、宗祖は大慈悲をもってこれを教えられているにも拘らず、今は殆ど忘れられている。これで宗祖に孝といえるであろうか。本仏や本尊が先に出現し、これに向って題目を唱えることによって成道する方式では大慈悲というには何か物足りないものがある。大慈悲の大には、以一大事因縁故出現於世の意は充分含まれている。つまり大の字は報身如来の意味をもって、しかも内に十二因縁を含めている。これで始めて大慈悲ということが出来るし、この辺りに未断惑の上行が考えられているように思われる。
 本尊に向って唱題することは信に限るが、本尊抄の末文では信不信を論ぜず一切の一閻浮提人に授与されていることは読んでの通りであるが、今は信ずる者に限定するために不信の輩という語も罷り通っているのである。非常に狭い処に限られてくる見本のようなものである。其の点丑寅勤行には大慈悲につながるものを持っている。この場合は衆生の成道が先で、続いて本仏本尊の出現であるが、実にはこの三は同時である。これを事行の法門という。
 事を事に行ずることも含めた処で己心の一念三千法門といわれ、また上行所伝の法門ともいわれる。つまり未断惑の上行の領する処である。今の在り方からすれば、本尊抄の大慈悲は慈悲と受けとめられているようである。未断惑の世界にあるべきものが断惑世界で解され、しかも自らは未断惑を未確認のまま断惑と蔑んでいるのである。久遠元初から久遠実成への後退、その後で三大秘法抄が大きく作られているようである。
 広宣流布という語も、本尊抄の場合は内へ、三大秘法抄の時には外へ働く力を備えている。何れも統一という事を持っていることは同じであるけれども、もし三大秘法抄によれば宗教界の統一乃至盟主という事も自ら考えられるであろうし、世間についていえば世界国家の統一というような夢を呼び起こすかもしれない。南北朝末から室町末に至る結果を見れば自ら理解出来るであろう。近い処では軍閥も恐らく同じであろうが、何れも百年を限度としているのも奇妙な符号である。
 三大秘法抄に秘められた働きを警戒すべき時が、今大石寺にも訪れようとしているのではなかろうか。三大秘法抄を根本としてそこに信を立て、これを修飾するために出来上がったのが信心教学であって、信と学とが切り離されている。信をもって根本となす信は己心の一念三千の上に立てたものであるが、今云われている信は心の一念三千の上に立てられ、しかも実権をもっているのが信心教学である。その相違が悪口雑言教学の上に表われたのである。悪口雑言を云うことを目的として研鑽された教学なのである。それが終れば結局残るのは空しさだけということである。つまり信をもって根本となす処の信の教学ではなかったということである。二回三回と繰り返して見ても結果は同じことで、反って深味に堕ちこむようなことになる。
 大村教学も脱皮の時を迎えているということであろう。本仏は悪口雑言の罷り通る俗世には不在である。そのような世界は既に頸の座の時に切り捨てられた上で、次の刹那成道の時にのみ存在する筈であるにも拘らず、今は本仏と本尊が悪口雑言と混在する世界に法を建立しようとしているのである。凡そ魂魄とは無縁の処で考えようとしているのである。そこには自ら悪口雑言の活躍の場があるが、決して純円一実の世界とはいえない。その世界とは一切無差別であり、貴賎も老少も男女も、一切の差別のない世界、即ち魂魄の世界であり、宗祖は頸の座という処から導き出されて、そこで一切の法門は語り出されているのである。悪口雑言の通用する世界は既に遮断されている筈であるにも拘らず、今は忽然と復活している。つまりそこは本仏や本尊の所住する処でないということなのである。そこに越ゆべからざる一線がある。吾々はこれを越えた処を時節の混乱と称している。しかしながら現実はその一線を越えているのである。三大秘法抄にはこのような力があるのであろう。速かに魂魄の本処に帰って本仏や本尊を考えてもらいたいと思う。
 三大秘法抄に依る本仏や本尊については三ケ年の間に充分表明されたものと思われる。宗を挙げての悪口雑言も結局はそれを証明したものであろうとする以外、考えようのない処である。仏教大辞典に依って見ても本仏や本尊を裏付けすることは出来なかった。ここは本尊抄に依る以外には適当な方法はない。その意味において御伝土代を見直さなければならない時が来ているのである。しかし、御伝土代が史伝書と思われる間は無理な相談である。その頭の切り替えこそ時局の名に相応しいものであると、他処(よそ)ながら御心痛申し上げている。採る採らないは宗門自身の定めることではあるが、本尊抄に依って興っているものは、本尊抄に依って証明するのが最高の、しかも最も間違いのない方法であると思う。
 時局法義研鑽委員会も早々に悪口部門を閉鎖して御伝土代の法義研鑽に向けて再発足してもらいたい。ここには必ず道が啓けるものと確信している。その道とは人も救われ、自らも救われることである。何はさておいても、委員会自身が救われなければ、人に施すことも出来ない。余れば弟子檀那にはぶこうということを、まず自分達の手で経験してもらいたい。しかし、悪口雑言をもって余徳という事が出来ない事位は知ってをいてもらいたい。
 己心の一念三千の世界には、悪口は決して通用するものでないことは皆さん既に経験ずみの通りである。その経験を生かして己心を取り返してもらいたい。宗祖が魂魄の上に立てられた己心の一念三千、即ち妙法五字であり、これが久遠名字の妙法である。その珠は信不信には関係なく末代幼稚の頸に懸けられているのであるから、今慈悲といえば、これを確認せしめることが第一である。その己心を心と定めたのでは、恐らく成道にはつながらないであろう。丑寅勤行は己心の一念三千の時は大いに意義はあっても、心ともなれば別問題である。
 御宝蔵の妙法五字が久遠名字の妙法であることは御伝土代によって理解することは出来ても、正本堂の妙法五字を久遠名字の妙法と理解することは出来ない。若し三大秘法抄や本門心底抄によれば久遠実成の妙法と理解せざるを得ない。即ち本仏や本尊とは無縁の妙法である。正本堂御安置の戒壇の御本尊といわれて見ても、それ程威力は感じることは出来ない。心の一念三千の上に建立された本尊であることだけしか分らない。ここでは既に御伝土代に示された本尊抄による戒壇の本尊とは遥かな相違がある故である。何はさてをいても正本堂に久遠名字の妙法が存在することを証明しなければならない。何によってこれを証明するか、これは時に当っての大問題である。果して大村教学陣にこれを証明する自信があるのかどうか。若し出来なければ久遠実成の妙法の上に建立されているものと解さざるを得ない。
 御宝蔵にあれば本因の本尊ということは分る。それは久遠名字の妙法の意をもって読みとる故である。久遠名字の妙法が消えれば本尊の性格が変るのは当然の成り行きである。本尊抄によるか三大秘法抄によるか、久遠名字の妙法によるか久遠実成によるか。それに依って戒壇の本尊の性格も自動的に決まるものである。現在の処、正本堂の妙法を久遠名字の妙法と証明するものはなさそうである。これまた今差し当っての大問題である。自分で「正本堂御安置の戒壇の本尊」と決めこんでみても、簡単に宗祖の賛同を得ることは出来ないであろう。何れの妙法を根底として発言したのか、その辺の処は是非明らかにしてもらいたい。
 三ケ年を振り返って見て、得たものといえば悪口雑言だけ、これが大村教学の全部であるとすれば、如何にも寂しい限りである。三大秘法抄を根本とした教学も来る処まで来たという感じは、やがて荒寥として孤独を迎えることになるかもしれない。三大秘法抄の持つ特異な性格がこのような結果をもたらしたように思われる。
 今が最後の切り替えの時というのは、三大秘法抄から本尊抄への意味であって、そこには同じ孤独であっても名誉ある孤独である。現実には難問山積みという状態である。しかし、そこでは最早三世常住肉身本仏を唱える必要もなければ、本因の本尊も亦健在であり、その意味において宗祖の魂魄は健在なのである。魂魄を介在して時空を越えているということである。ここに故里を見出すことが、今の大村教学の与えられた最大の課題ではないかと密かに考えている。
 悪口が教学でも宗義でもなかったことを知ってもらいたい。悪口のための時局法義研鑽のみでは後世への聞こえもいかがであろうか、少々気掛りな処である。何はともあれ、今の教学には、仏が大慈悲をもって懸けさしめたもうた妙法五字の珠を、自力を持って確認する方法は影をひそめているとしか考えようがない。そこに教学・宗義の大転換が要求されているのである。
 本尊に向って境智冥合することは迹門の成道と何等変りはない。口には文底の刹那成道を唱え乍ら事実は爾前迹門の諸宗と何等変りがない。それでは諸宗を下すことも出来ない。半偈成道によるか刹那成道を立てるか、これだけは、はっきりさせなければ困る。半偈成道は受持即観心からいえば受持に相当する処であって、決して刹那成道ではない。今はこの辺りにも不明朗な処がありそうである。不明朗な故に文上に帰れば、そこには只時節の混乱が待ち受けている。若し理の法門が、事を事に行じた成果と混乱するようなことになれば大変である。不明朗とはここの処を指しているのである。
 同じ即身成仏でも、生き乍ら成道するのか、死して後に成道するのかの分れ目であるが、今の在り方からすれば死語の成道といわざるを得ない。口には生き乍らの成道を唱えながら、いよいよとなれば死後の成道でなければ認めないという矛盾の中で今の成道観は成り立っているように見える。肝心の処で一貫性がない事は弱い。何としても本因の本尊に合致する成道観を確立することが目下の最大の急務であることは間違いのない処である。
 宗義の示す処は生き乍らの成道でありながら、教学はこれを証明することが出来ないというのが偽りのない処、一日も早くこの間隙を埋めるために大いに力を尽すべきである。その上で尚且つ余りがあれば、悪口雑言も大いに歓迎したいと思う。本尊抄に始まっている宗義と、三大秘法抄による現在の教学との間隙、つまり矛盾であるが、見方を変えて見れば、現在は本尊抄による本尊と三大秘法抄によって定義付けられた本尊とが、同時に存在している。
 折伏にしても本尊抄に依れば内に向い、三大秘法抄による時は外に向うが、今は本因が消えて専ら本果一本になっている。本因本果倶時から本果一本に移ったために、本の宗義と教義とが極端に違って、つまり別立するようになった。そして爾前迹門の語義がそのまま通用するようになり、それに牽かれて新しい教義が立てられようとしているのである。時節の混乱がもたらした結果である。
 魂魄の上に建立されたものが専ら世俗の上に解釈されようとしているが、これは魂魄を確認した上で世俗の上に持ち出すべきであるにも拘らず、本因であるべき魂魄が忘れられているのである。因果倶時ではなく、両者が変幻自在に雑然と交錯した状態に置かれている。ここから次ぎ次ぎに新しい問題が起きている。振り返って見ても、折角取り上げながら、語句の解釈一つにしても爾前化が目立っていることは、宗義を裏付ける教学から、新教学によって教義を造り、そこから新宗義建立の方向に進みつつあることを示している。つまり教前宗後とでもいうか、仏前法後の状態に移って来ているのである。やはり本来の法前仏後の処まで帰るべきである。本因の本尊の故里へ帰ることのみが自らを救い他を済うことに通じるものであることを知らなければならない。時局法義研鑽委員会三ケ年の成果は、本因の本尊から離れるためのものであったことと拝見してをる。魂魄の上には悪口雑言は通用しないこと位は知ってもらったものと喜んでいることを申し上げてをく。


 刊行にあたって
 今回、阡陌陟記を広く世に問うにあたって、その序を改めることにしたい。丁度、天皇の御即位の御大礼を眼のあたりにすることが出来たので、常に記している師弟子の法門、その他己心の一念三千法門及びそこにある開目抄等に示されている文底秘沈の語に含まれるものについては、今は身延説に随従してそれを受け、一切邪義と決める以外には認めないようである。そこに含まれた平和そのものも一切認めないようである。
 実際に天皇の御言葉そのものは、開目抄や本尊抄に含まれているものとそれ程変りはなかったようで、そこに含まれているものは師弟子の法門そのものであり、表徴天皇という語が新聞紙上に出ていたようであるが、反って悪しく理解されているように思われる節があった。そこに含まれた文底秘沈の己心の一念三千法門の師弟子の法門を説き出されているもののようであった。そこにあるものは既に以前アメリカもそこから平和を感得していたものである。それを再びとり出した創価学会の名誉会長の論文は平和賞をもらったことがある。
 昭和天皇の御心を心として等と仰せのあたりにはたしかに師弟子の法門が秘められているようであり、それが根本におかれているようであった。それを根本の法として天皇という御名号は成り立っているようである。その法に仮りに人格・神格を附与して出来たのが天皇という現人神ではないかと思われる。半分は国民であり、また衆生であるようである。また国民の心を導く法力は案外天皇ということになっているのかも知れない。
 そのような考えの根本になっているものは、南宋の地に残された古い越の国の思想なのかも知れない。その思想の上に説き出されているのが羅什訳の法華経である。それを今の法花経の姿に訳出したのが謝霊運ということのようである。その地に留学してその思想を学びとったのが伝教大師であり、日蓮はそこから極意の処を学びとったようである。後世に伝わった、北宋に移った天台を伝えた慈覚大師の台密流の天台とは自ら異っているようである。
 大石寺でも明治・大正以後は、客殿の御前机の法花経十巻は慈覚本によったもので、内容的には台密に近いものであったようで、今は山家点によっているので宗門は反ってこれを斥っているようである。今の考え方では慈覚点に近いように思う。大石寺版の点は山家点と照合して見たいと考えている。島地大等師の赤本といわれているものは山家点を厳しく照合されているようである。それと今の大石寺版との間に多少ミスがあるのではないかと思われる。濁点及び漢呉音の間に多少の出入りがあるのではないかと思う。表徴天皇とは師弟子の法門及びそこに秘められた平和の夢を指しているようにも思われる。今少しまなこを開くべきではなかろうか。
 アインシュタインが遺言として遺した、次の世紀を救う思想ではないかと言う指摘は、今宗門が邪義と称している文底秘沈の己心の一念三千法門のようである。この考えならカメリカも韓国も、その示した平和を即時に読みとったので、これを邪義と決めつけたのは大石寺宗門のみであり、身延でも又斥っているようである。
 その天台が揚子江を渡って、北宋の地に再成長した四明教学が日本に渡ってきたのは平安末期であったようで、日蓮の法門可被申用事にはこれを「京なめり」と称してきらっている、それは文永六年のことである。それを取り入れる事によって天台教義は柔らかくなったようで、天正の頃には文底秘沈の語は開目抄から消されたようで、主師父母の三徳もそこから消されたようである。そしてやわらかくそこに出来たのが三大秘法抄である。
 それをもって本尊抄の三秘を解されて六巻抄の文底秘沈抄は全く骨抜きされているようであり、現在は骨抜きされた処でそこに結論を持ちこまれて居り、定められた第六の結論は意味不明のまま切りすてられたようで、今は第二文底秘沈の語を抹消したままそこに結論を持ちこんでいるようであり、そこから色々と災いの種が散らかっているようである。つまり、第六当家三衣抄引用の左伝の註が理解出来ないまま結論を急いだための誤りのようである。
 文底秘沈の語の解説のために六巻抄を新しく編集されたものであり、第六に結論があるのは当然である。何故それを第二に結論を持ちこんでのであろうか。これは双方の学者の千慮の一失ということであろう。それが今の教義を作りあげたのである。その底に流れる南宋、越の地の思想の処に今の天皇に対する根本の考え方が控えているように思われる。
 最近の新聞紙上に、越の地にあって「呉越会」が作られて国際的な規模の中で古の越の地の思想研究も始められているということである。左伝の註は明蔵の中の「釈門章服儀応法記」の中にある引用文で、天正の頃、深草元政が抜刷したものを寛師は利用されていたようであるが、不受不施日奥もこの意をもって対馬において最後訣別の呉音による詩を作っていたようで、これは後に漢音をもって読み下されており、呉音のよみは甥の日箋が伝えていたようである。双方を伝えた処、不受不施であしざまにののしられたことがあった。その頃までは呉音で詩を作られていたのではなかろうか。
 今は楠正成の旗印といわれている「非理法権天」も読み下しかねているようである。正成という武人はこれを白文で充分に理解していたのであろう、奥ゆかしさを持っていたのではないかと思う。天台は天を実としていたので天の法に従っていたようで、これに対して四明流は一般に非理の法といわれていたようで、開目抄にはその語がある。御書を修正して読まれたい。非理の法、即ち四明流の天台(台密)の法では、天を権の意(かりの意)と使っていたようで、伝教の伝えた天台理の法門では専ら天を実としていたようである。
 当家三衣抄では、三衣について左伝の註をもって解されたこととしているようである。その中に天子は明らかに十二章と示されている。そして古くは土壇の上に土足で上って天の諸天善神に向って経を上げていたようで、これを天経と称していたのは天正の頃までではなかったのではなかろうか。今はその土壇は正本堂と変っているように思う。古の土壇は今の東の坊の東あたりにあったようである。これも世のうつり変りである。その土壇のあとは今は跡形もなくなっている。土壇では御開扉料を取ることは出来ないであろう。五十億の世界の人々を一堂に入れての御開扉料は一回にすれば兆単位からのものがはいる、これは何とも魅力がある。さて輸送はどうなるのであろうか。これに本尊下附を加えれば一寸計算は出来ないであろう。
 大石寺の開山興師は、本尊抄を見るなりこの師弟子の法門はといわれたようである。それは二十世紀を終った処で邪義ということになり終ったようである。次の世紀はこれを読む処から始まるであろう。
 天皇と師弟子の法門とは全く無関係のようであり、余り立ち入っては説かれていないけれども、御自身、そこに師弟子の法門をお感じになっているのではなかろうか。聞いた側ではどうしてもそこから師弟子の法門が感じられるのである。天皇も亦それらのものは生来として備えられているように思えてならない。
 大石寺では既に堀上人の立正での科外講義のために、本因百六ヶ抄及び相伝ものについては殆ど二本線をもって消されているようである。そこには本仏も本法も否定されている感じであり、師弟子の法門を消しては久遠元初の自受用報身如来も出ないであろう。明治以来、この法門の出生については説明されていないようである。
 久遠元初や当初について宗門当局の詳細な説明を求めたいものである。これを明らかにするためには本因妙抄等の復活が不可欠のように思う。真蹟でないと逃げれば至極簡単である。近来はあまり詳しくは説明されていない、時局法義研究という悲壮感の中で詳細な説明を承りたいものである。時局法義研鑽委員会も組織されて数年になるが、一向に結論が出された形跡もない全くのしり切れトンボである。時局の示すものは戦争なのではなかろうか。それは自滅につながるものであり、それでは民衆は救われない。
 本因百六ケ抄を消してあとに何が残るであろうか。以前、大日蓮に第三十四回研究会の課題として出ていた「本因が家の本因、本果について論ぜよ」という課題があったが、本因が家とは本因妙抄を認めていて始めて使える資格があるのではないかと思う。本因本果と称しても本因は既に真蹟でないと消されている、本果のみである。昔本因で出されたものは今は専ら本果をもって解されているようであり、本因が家も本因本果も使う資格は失われているようである。これでは余りにも無責任なのではなかろうか。そこに悲劇が待っているのではなかろうか。
 本仏の出生、久遠元初や五百塵点の当初についても詳しく示されたいものである。それらのものの出生を消した処に時局法義をみつめているのであろうか。只そこにあるものは悲壮感のみということのようであって、全く無茶苦茶という感じである。少しは筋を通すべきではなかろうか、時局法義研鑽委員会の成果は川澄への悪口雑言に限ったようである。その結果がわが身に降りかかってくることを警戒してもらいたい。
 委員会の司会者の言は文底秘沈の語を絶対に抹消することを要求しているようであった。即ち厳重な身延側の管理の中で委員会は開かれているようであった。マッカーサー命令下にあった戦後の日本と同じ状況下におかれている委員会のようである。今は身延の管理下におかれているようである。そのような中で四十五字の法体説を堂々と唱えているのである。どこまで自主性をもっているのであろうか。そのような中で時局法義研鑽委員会は進められているのである。
 結論は初めから定められているのではなかろうか。そのような中で川澄の主張は堪えがたいもののようである。先方としては堀上人の科外講義は予想以上の大成功を収めたようである。身延側としても絶大な自信を持ったようである。それは今も続いているのである。何れ吸収するつもりなのではなかろうか、何れは合同を申し込んでくるであろう。その時には断り切れるものは持ち合わせはないであろうと思われる。
 最早や本仏も本尊も本来のものは殆んどその姿は失われているのではなかろうか、ただその形骸が残されているのみである。それは科外講義以来のものである。大正十二年以来、長年月を経ているのである。御先師方とすれば明治教学の成果である。漸く目標を仕止めたということではないかと思う。宗門としてもこれをすり抜けるためには相当な覚悟が必要なのではなかろうか。
 この左伝の註は内容的には重要な意味を持っているものではないかと思うが、これは近代はまったく理解されていないようである。高御蔵はその理の高さを表明しているようである。三衣抄は近代は僧侶のために説かれたものということで、吾々には無用のものとして殆ど切り捨てられていたようである。これで六巻抄の意図せられたものは完全に失われたようである。全体を総括する最重要なものであったのである。
 これのために開目抄や本尊抄の最重要な部分も切り捨てられたことであろう。それを知らずに切り捨てた処全く気はまめなということである。それは知らぬが故の強さなのである。天正の頃には十分にそれは理解されていたようである。それが今の宗門のお歴々には邪義と映っているようである。今となっては何の益にもならないものになりさがっているのである。
 同じく身延系の人でも深草元政や不受不施日奥は十分すぎる程理解していたようである。宗門も人の口車にのって他人の悪口を唱える前に些かでも反省を加えてはどうなのであろうか。その説かれる処が実は天の法であったのである。そこに天下を安んぜしめるアメリカもとび付くような平和の法が秘められていたのである。知らぬ強さが悪口をくり返して邪義と称しているのである。そのうちきついお叱りをうけることは必至ではないかと思う。随分お気を付け下さい。
 天皇は師にあたる法に付けられたもののごとく、弟子は国民である。師弟相寄って一国を成じているようである。今の宗門は身延にそそのかされて興師のいう師弟子の法門は認めないようにしているようである。開目抄も本尊抄も六巻抄も極力認めないようにしているようである。
 当家三衣抄に引用されている左伝の註から師弟子の法門が出ている事は大体において間違いないのではなかろうか。それ程のものをいかにも鮮かに切って捨てたものではある。この左伝の註に古い越の国の思想の珠玉が横溢しているに違いなと思う。海の彼方の人等にいとも簡単に理解出来るものが、何故宗門人には理解出来ないのであろうか。分らないことの随一である。世界広布や平和もその左伝の註の処でとけば世界の人にもよく理解されるのではなかろうか。
 一人でも多くの人々を済度することを考えることにしてみてはどうであろう。三秘抄の解釈を拾って改めて六巻抄の御指示にならって、開目抄や本尊抄に改めて取り組むべき時が来ているのではなかろうか。学会がうけた平和賞のよって来たる本源は師弟子の法門であり、左伝の註によっている所であり、詳しくは当家三衣抄(正宗聖典=九五六)を参照せられたい。出来ればこれを利用して印刷していただきたいと思う。
 これ程重要なものを含んでいる当家三衣抄はいとも鮮かに切り捨てられたようである。何とも不思議千万な事である。そこに自ら備わる学の深さも窺えるということではなかろうか。時局法義と銘打ったのは身延の攻めの恐しさに、つい恐怖感が表面に出てしまったということであろうとお察し申し上げておきたいと思う。
 流れ絶えざるは日蓮が慈悲広大を表わすといわれるが、聞く処によれば今は御華水は水が枯れているという話である。既に慈悲が絶えているかもしれない警告が既に発せられているのではなかろうか。法門としての文底の己心の一念三千法門が消えたのと同じ事なのではなかろうか。それは何物をもって代用するのであろうか。川澄に対する口を極めた悪口雑言の結果が表面にあらわれ始めたということであろうか。或は己心の一念三千法門を天台迹門的と下した罪障が表面にあらわれたということであろうか。それらの暴言は身延に攻め立てられて自然ににじみ出た本音であってか、忠誠を誓いたい本心が自然に天台流と出て現われたものと定めておくことにする。
 他門の差配を受けず独自の境地を延ばすことは出来ないのであろうか。大橋先生独自のよさはどこにどう忘れ果てたのであろうか。天台迹門的と口を極めて宗祖をののしっても、決しておほめに与るようなことはあるまいと思う。まずは精々長生きしてもらいたい。  平成三年二月二十五日    川 澄  勲 序す  

 

 

 

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大石寺法門と日蓮正宗伝統法義

 

大石寺法門と日蓮正宗伝統法義(一)
大石寺法門と日蓮正宗伝統法義(二)

 

 

 大石寺法門と日蓮正宗伝統法義
 過去六ケ年の間、それ程大きな障りがあったわけでもなく、比較的順調に当初の目的を達成することが出来た。そこで阡陌陟記もここで一応取りやめることにした。そして改めて衆生の成道と本尊と本仏について考えてみることにした。この中には己心の本尊が邪義かどうかということも含めてみたいと思っている。
 今まで大日蓮に載せられた処では、それ程反論めいたものもなく、ただ悪口雑言のみが残ったまでであった処へ出たのが、己心の本尊の邪義を破せよという論題であった。さすがに行きつくところまで行った感じである。一寸飛躍が強すぎたように思われる。大日蓮の悪口と富士学林の雑言では、とても理を尽したと言えるようなものではない。そして護法局の発足である。いかにもあわただしいものがある。今少し内容的に検討乃至反発して欲しい処であった。そこで今度は表題のようなものについて検討してみることにした。夏の論文集も富士学報として既に出版されているのではないかと思っているが、現宗門の本尊観として権威のあるものとなろう。
 過去を振り返ってみて、反論は常に悪口雑言のみで、本論のないものであったが、今度の富士学報もあまり変り栄えのしないものであろうとは想像している。一応反論の形はとっていても、正宗独自のやり方の中で、相手方に示さないのが原則である。変形した己心のような感じを持っている処は妙である。大日蓮の悪口雑言方式と何等変りのないところだけは一貫性を持っている。そして常に相手を間違えている処は面白い。己心の本尊が邪義であるなら観心本尊抄にかけ合ってもらえばよいし、二重構造や蝙蝠論法なら六巻抄のかかりである。それを当方へ持ちこむのは筋違いというものである。相手を間違わないようにしてもらいたい。開目抄や本尊抄、また六巻抄ではあまり口ぎたなく罵りにくいので川澄に摺りかえたということであろうか。何れにしても結果は同じことである。あまり知恵のある方法とはいえない。
 御当代自ら陣頭に立っての本尊抄破折には興味尽きないものがある。是非々々成果を拝見したいと思う。しかしながら、これをもっての強引な護法局の出帆には甚だ危険なものを感じている。これを追いかけるように大日蓮十一月号には山田論文が発表されたので、「大石寺法門」と「伝統法義」とを、三師伝を通して比較検討してみることにした。
 宗門側にも正信会側にも共々に本尊や本仏を見直してもらいたい。擯出し擯出されても本尊観や広宣流布観は一向に変りはないのであるから、郷愁が起っても不思議はない。むしろ争いが起きている方が不思議な位である。同じ本尊観の中で、どこまで争いが続けられるのであろうか。現状では本尊を格護している側に絶対的な強みがあるのは自明の理である。
或る意味では正信会も大きな岐路に立っているといわなければならない。そのための資料になれば幸いである。護法局の発足と時を同じうして山田論文が発表された陰には、何程かの意図があるのかもしれない。水島さんも早くカッコを除いてもらって、師匠ゆずりの名前が使えるような身分になってもらいたい。カッコ水島ではあまりカッコが好いとはいえない。川 澄   勲

 


 

 

 大石寺法門と日蓮正宗伝統法義(一)


 
「伝統法義」について
 
「偽の大石寺法門」について
 
あとがき
 
付録(一)
 
付録(二)

 「伝統法義」について
 護法局が阡陌陟記を振り切るようにしてあわただしく発足したのは夏の頃であったが、三ケ月後には山田論文が堂々と大日蓮の十一月号に発表された。夏には己心の本尊の邪義についてこれを破した。共に護法局発足について不可欠のもののようである。本尊についても広宣流布についても昔のままである処は、何となく悲壮感をただよわせている。しかしこの山田論文は、護法局の発足に最も相応しいものには違いない。一人孤軍奮闘している山田先生に大いに敬意を表したい。この論文の主眼が第二項の文の底に秘沈せられているものと拝見した。以下山田論文より引用。
 (1)「彼等にかかると、御歴代上人の御指南のいくつかは、彼等の最も得意とする二重構造の邪義に見えてしまうらしい。その二重構造とは、宗旨分と宗教分、内証・己心と外相、流転門と還滅門などと名付けた二つのものに立て分け、使い分けることであり、その二つのものの中で、より重要な一方を等閑にする現宗門の在り方は、教義の解釈においても、布教・教化の活動面においても、富士の立義に全く違背していると言うのである」と。
 (2)「その後に台頭してきたのは、川澄勲の『阡陌陟記』にその原形が見られる。彼の独創による『大石寺法門』と称する、二重構造を持った邪説である。この川澄に影響された在勤教師会と自ら名乗るグル−プによって、それがさらに拡大解釈され、富士の立義の全てはその二重構造の意義を持つ法門・法義であるとの邪見を育てあげたのである」と。更に続いて
 (3)「しかし本来の富士の立義には、本地内証と垂迹外用、文上と文底、付文と元意等の種脱の勝劣を判ずる法門があり、その勝劣法門の一切は、日寛上人によって完全に説き尽くされているのである。大聖人の仏法では何故この勝劣を厳しく判ずるかといえば、勝は劣を兼ねるが、劣は勝を兼ねないとの意味から、比べる二つのもののうち、いずれが勝れ、いずれが劣るかを正しく知らなければ法門・法義に迷うからである」と。続いて更に
 (4)「彼等の邪説は、この種脱の勝劣法門に形を似せているが、その内容は全く異なり、種脱を判ずるものではなく、大聖人の下種の法門・法義のことごとくを、宗教分と宗旨分、流転門と還滅門、内証・己心と外相などの二つに分断して、その一方を根本(勝)とし、他の一方を枝葉(劣)として勝劣を論じたものであり、その論法をもってすれば、現宗門はすべてにおいて勝を捨てて劣を取っており、富士の立義から遠くはずれているということになるらしいのである。自称正信会(自称在勤教師会をも含む)は、こうして現宗門の在り方を否定し批難するために、にわかに創り出した川澄の偽の大石寺法門・蝙蝠論法を時を得たりと取り出して、それを富士の立義と称し遮二無二、現宗門のすべての在り方に当てはめ、批難を始めたに過ぎない」と。
 (5)「日寛上人の『撰時抄愚記』には、『凡そ末法下種の正体とは久遠名字の妙法、事の一念三千なり。これ則ち文底甚深の大事、蓮祖弘通の最要なり(乃至)当に知るべし、正境とは本門戒壇の本尊の御事なり(乃至)久遠名字の妙法、事の一念三千、何ぞ外にこれを求めんや』と仰せられ、本門戒壇の大御本尊と久遠名字の妙法、事の一念三千とは全く一なることを示されているのである。しかもまた『取要抄文段』には「『無作三身の宝号』等とは、久遠名字の釈尊の宝号をも南無妙法蓮華経というなり(乃至)また蓮祖聖人の宝号をも南無妙法蓮華経というなり(乃至)『事の三大事』とは無作三身の宝号、南無妙法蓮華経とは即ちこれ人法体一の本門の本尊なりとも仰せられ、久遠名字の釈尊(久遠元初自受用身)と蓮祖聖人の宝号をともに南無妙法蓮華経といい、その南無妙法蓮華経とは、人法体一の本門の本尊の御事なることを明かされているのである。故にこの両文は彼の二重構造の邪論を粉砕してあまりあるものであろう」と。
 右の引用は山田説であるが撰時抄愚記や取要抄文段が解説付きで発表された事は未だかつてなかった事である。「伝統法義」においては秘中の秘に属するのも、知らずに公開したものか知って発表したものか、余程の決意があるものと拝見した。以前の言論問題の時、諸宗の学者がつまったのは、実はこの処であった筈である。それが今堂々と大日蓮の誌上に公開されたのである。解説なども初めて知る処も多い。その意味で重大なものを持っているが、恐らくは山田先生も御存じなかったであろうと思う。念のため申し上げておく。
 今度の破文、一見した処、やや内容に立ち入った感を与えるようなものもあるが、再読すればそうでもない事に気が付くのである。依然として五年半余続けられた悪口雑言方式と何等異なる処はない。只少しばかり方向転換したに過ぎない。秘密の公開は追われる者の苦悩の表われに過ぎない。長い間見当を付けていたものが自信を得たことは大いに敬意を表しておくことにする。
 現実には外相一辺の悪口雑言方式から抜け出すためには、余程の決意が必要であるにも拘らず、見た限りでは一向にそのようなものが見当らないとは心細い限りである。しかも通していえることは、いかにも曾つての後遺症が濃厚なことであるが、御本人はこれまた一向御存じないのであろう。それは既に体質となって成長しているからである。このあたりでそろそろ法門に切りかえなければ、身に染みた悪口雑言方式から抜け切れないであろうことは、過去の経験が明白にこれを示している。
 今度は阡陌陟記は除外したようであるが、その原因はどこにあるのであろうか。二重構造や蝙蝠論法などと新造語を使ってみても、内容的には寛師への破折としか思えない。ただ当方をだしに使っているに過ぎない。そのために迫力が伴わないのである。六巻抄を遠ざけようとする苦難の故の新造語としか思えない。今度は方針を替えたためか、第一回目のようなお下劣な威勢もない。何となく拍子抜けの体である。しかし、今度のような方法で勝ったと思ってみても、ただ自分がそう思うだけであって、一向他を屈伏させることは出来ないであろう。只近来の方式の繰り返しに過ぎない。今また自分がその常道に進んでいったまでである。
 昔から法論は即問即答が原則であることは御存知の通りであるが、五年半を経過してこのような状態では、お話にもならない。結果は当時出ている筈である。しかも今また同じことを繰り返すことは愚のきわまりである。凡そ破折などとは遥かな隔たりのあるものである。法論は敗者が悪口を言いたてるのは古来の定法である。しかしながら、根本においては時が違っていたために法論までには至らなかったというのが実感である。このような中での、「私曲の蝙蝠論法たる『富士の立義』を破す」の題名では、どう見ても法論の結論といえるようなものではない。多少の前進は身につけてもらいたい処である。
 こちらが滅後末法に時を定めている時、山田流では世俗的な種脱一致方式に時を求めようとしているようでは、中々歯車はかみ合わない筈である。そのくせ、「大聖人の仏法」とか「大聖人の下種の法門・法義」などというのである。これらの語を見ると、いかにも滅後末法に時を立てているようであるが、堂々と己心の本尊を否定する処を見ると、現在は全面的に滅後末法の時は否定しているようである。本仏の出現出来る「時」の否定である。これは大変なことであるが、しかも本仏は出現しているのである。
 大聖人という語は既に本仏の意味を持っているが、滅後末法の時を外して何れの時に出現するのであろうか。今度の論文で見る限りでは種脱一致の処のように思われる。脱の処へ種を持ちこんでこの一致は成じている。種の詮じられた結果である本仏が脱の処に出現するのである。これが山田流自称伝統法義の本仏である。種脱といい勝劣というのはどう見ても教相の範囲であるが、そこに教相・観心を超過した本仏が出現し、下種の法門・法義が論じられるのである。
 法門というのも、吾々は己心の上にのみ使っているけれども、今度の論文では教相にのみ使っている。これまた紛らわしい限りである。従って法義の語も種脱一致の処で使われている。そのために他宗から大石寺法門が理解しにくいのである。いうまでもなく時節の混乱である。真夏のかんかん照りに雪が降るようなものである。今度の論文では、その辺の処は実に懇切に明らかにせられている。そしてその根元は引用の愚記と文段の解釈にあるようである。ここから出るべからざるものも出ているようである。
 三重秘伝抄の、「種脱相対して一念三千」のあとに註解では本仏が出現し、同時に本尊もまた顕現されるのと一轍である。六巻抄では第五の終りに至って一応の理を終り、いよいよ出現は丑寅勤行というのに較べると、いかにも簡単明瞭な事ではある。山田法門の仏法・法義・法門などの語もまた、この処で使われているのであろう。それだけに理解しにくい面が多いのである。時節の混乱といい兼ねるような新時建立の上の所説である。
 理を通して理解出来るようなものではない。そのために信が要求されるのである。信心以外には理解のあり得ない境界である。ここに信を起さないものを不信の輩とも無相伝の輩ともいうようである。自を正とし他を邪とする考え方も、根本はここにあるものと思われる。そしていきなり自分が本仏になってもよい下地も備わっているようである。
 引用の妙密上人御消息も、自説を正とし、他を邪と定めるためのものであるが、二重構造というも蝙蝠論法というも、六巻抄の語のみが対象になっているのは面白いところである。どうみても、この破折が成功しているとは思えないのも、少し相手が悪いのではなかろうか。論主の眼には寛師のものが全て種脱の勝劣法門と映るらしい。この語もまた種脱法門の中で造り出された新語のようであって、未だ一度もお目に掛ったことのないものである。
 説によると勝劣を判ずることに宗祖の真実があるという解釈のようであるが、六巻抄は常に種に付いて論を進められている処は、見ないことにしているのであろうか。種脱のみ論じて、どのようにして成道や本尊、本仏を求めることが出来るのであろうか。或は読み方がそこに固定しているために読み難い、理解しにくいのが原因して六巻抄を見捨てたということであろうか。
 先生程の優秀な頭脳をもってしても、種脱勝劣法門として六巻抄を読んでは、何物も取り出し得ないのも無理はない。それは頭脳の罪ではない。方法を誤まったまでである。法門書は法門書として読まなければ、何一つ取り出すことは出来ないであろう。況や文段抄に六巻抄を摂入するをやといいたい処であるが、今の山田説はそのような中で作られているのである。そして二重構造とか蝙蝠論法とかいう語が造られているのである。
 この新語にどれだけの威力があるというのであろうか。しかもこのようなものを作っている背後にあるのが種脱一致法門である。これが一度発動すれば前後不覚になって一切の恩讐をも乗り越えることは、既に経験ずみである。全てはこの法門のなせる業である。その意味では正信会もまた有資格者であることに変りはない。自分一人が正となり、相手方をば邪と決めた後の行動であるだけに、本人には自覚のないこところに難がある。今では双方から発動している状態である。
 ここまで来れば、種脱一致の処で握手するのが最も好ましい方法ではないかと思う。この法門の中で起きたことであるだけに、ここで起きた語には理解しにくいものを持っている。他宗が理解を示さないのも、実は出発点がここにあるからである。今度の山田論文は、この甚深の秘密を明らかにした処に意義がある。本尊や本仏が忽然と出現して活動を開始するのもここである。その秘密の処が明かされたことは、量り知れないものがある。
 しかし御当人は一向にその事には気付いていないであろうと想像しているが、今度それが種脱一致の法門であるということは明かさなかったので、私にこのような語を付けたまでである。もし本名があるなら、これまた公表してもらいたい。大利益を受けることはいうまでもないことである。今の護法局の発想もまたそこを起点としているのであることは、山田論文が明かした処から容易に理解することが出来る。この公開を機に、自分を必らず正・勝とおき、他を邪・劣とするような考え方から脱皮してもらいたいことを進言することにする。
 「以上はきわめて大雑把なとらえ方であり、多くの疎漏があることは当然としても、個々の問題を論破する前に、彼等の邪説がいかなる構造をもち、何を目的としたものであるか」を知る上において非常に参考になるものであることには間違いはない。山田法門のいう伝統法義もこの種脱一致が故里であり、今の本尊、本仏もここに示された撰時抄愚記、取要抄文段の或る解釈の上に可能なようである。
 「川澄の偽の大石寺法門・蝙蝠論法」もまたここを故郷として造り出された独自の構造を持っている。即ち古伝の大石寺法門を偽と判じ、六巻抄に取り上げた重要な作きをもった語を蝙蝠論法と下せるのも、全ては種脱一致法門のなせる業である。これを見ても信じることが、いかに恐ろしいものであるかが分かる。そして自分以外の考え方は全て邪と映ずるのである。
 魔法のお城とでもいえるような処、一切の山田流の伝統法門は、ここで自由自在に造り出される不思議なお城である。それが今大日蓮に公開されたのである。秘密が公開されては伝統法門もその威力は単なる幻に過ぎない。これほどの大事を頼みもしないのに公開する度胸は実にお見事である。吾々はこの部分に付いては、ただ明治教学というだけで、極力避けて来たのであったが、今は宗門から公開されたのである。
 明治教学の意味も改めて考え直してもらいたい。「大石寺法門」では、これ以後について除外しており、以後は論外において来たのであった。この部分が山田説の「伝統法義」の説く処である。吾々は、今もこれを大石寺法門とする意志は毛頭持ち合せていない。伝統というからには、飽くまで上代への連絡が必要である。そのために伝統そのものの内容を記さなければならない。只口先だけで伝統法義といわれても、信用することは到底出来ない相談である。
 引用文(4)の意からすれば、種脱の勝劣法門を伝統法義の最高位におき、種脱を判ずることが最後目標であり、種脱を判じさえすれば即刻本尊も本仏も思うままに出現する仕組みになっているようで、種の上についての詮義は一切認めない方針のように見える。そのために六巻抄の必要は更になかったようで、宗旨分・宗教分、流転門・還滅門、内証・己心と外相などは二重構造の対象になっているが、福重師もこれらの語を使っているために、破折の対象として既に用意されていたものか、最初に出てきたのは、これらの語についての反論であった。それが遂に二重構造の邪説という名のもとに全貌を明らかにしたのである。何となく、以前から用意されていたような感じを与えるものがある。
 福重師の日蓮本仏論も、伝統法義とは相納れないものがあったためであろうか。伝統法義の本仏は撰時抄愚記の、「久遠名字の妙法と事の一念三千」から、人法一箇することによって簡単に出てくる仕組みになっていて、種の上での詮義の必要もなく、種脱の勝劣を判ずるのみで事足りる故である。そこには依義判文抄以下の四抄の必要は更にない。そのために今は二重構造とか蝙蝠論法とかの新語をもって邪義と決めて抹殺しているのが山田説の骨子になっているように思われる。
 この山田説には多分に魔法的な発想をもっているのが特徴である。寛師が最も苦心せられた本尊・本仏に関する部分は簡単に抹殺されているのである。これでは道師へのつながりも、本尊抄へのつながりも全く見当らない。そして衆生の成道もまた法門的には完全に抹殺されるのである。これは現宗門の考え方と全く変りはない。このような中で六巻抄の必要がないのは、当然すぎる程当然なことである。
 六巻抄で利用されているのは、三重秘伝抄のうち、「種脱相対して一念三千」のみで、次の「事理相対して一念三千」の中間あたりで、撰時抄愚記と取要抄文段の「久遠名字の妙法と事の一念三千」によって本仏が出現し、文底秘沈抄がここに持ちこまれて本尊も顕現される仕組みになっているので、第三以下が不要になってくるのである。これでは本尊も本仏もその内容まで伺い知ることは出来ない相談である。これが山田説の本尊・本仏である。しかも、それが種脱相対という教相判釈の中で出現するのであってみれば、出たものが脱に居すようになるのは当然である。つまり本仏が迹仏世界に出現するという異様な事態が起るのであるが、この問題について未だ解決された話は聞かない。
 本尊と同じく迹仏世界にあるとすれば、広宣流布もまたそこで考えられていることは容易に想像する事が出来る。その上の護法局の発足である。山田論文もまたその裏付けになるものであろう。説明されているのは迹仏世界までであって、本仏世界の本尊・本仏については何等の説明も加えられていないというのが実状である。迹仏世界は受持で終って、本仏世界での穿鑿が必要であるにも拘らず、これについては一向になされていないのである。これが山田論文に示されている処である。悪口雑言の必要のないような本仏や本尊を用意することが目下の急務である。法門が整備された時は、自然と大日蓮から悪口雑言が消える日である。一日も早くそのような時を迎えてもらいたい。
 伝統法義をすてて己心に法を立てるなら、いうまでもなく本仏世界の出現であるが、己心の本尊が邪義と思える間は、待っても待っても本仏世界は来ないであろう。残る処はまだ五十六億七千万歳に近い。その無仏世界をどの様にして過すというのであろうか。一層のこと像法転時とやってみてはどうであろう。これが最も簡便な方法のようである。しかし、本尊も本仏も究極の処は、長い年月を、衆生が無事に過ごすために出来たものであって、住職がその日その日を安穏に過ごすためのものではなさそうである。残った長年月はお前達の好きなようにしろでは、あまりにも無慈悲である。今の本尊や本仏の解釈からは殆ど本のような意味は消えているようにみえる。真向から滅後末法に法を立てる宗門として、本尊の上に、何とか無事に無仏の世を終らせてやろうというようなものが、今どこに残っているであろうか。しかも、今では己心の本尊は邪義という説も出る始末であるが、開目抄や本尊抄で見る限りでは己心を消すわけにはいかない。
 己心とは、本仏が衆生に長年月を過ごさせるために長寿を授けられたもの、これこそ本仏の慈悲といえるものである。真蹟の本尊ということでは、五十六億七千万歳を過ごすのは無理である。これは且らく措くとして、山田説の本尊や本仏の中に、どのようにして長寿が秘められているのであろうか。本因の本尊には未来に向けて無限に開く長寿を持っているが、いまの本尊は一機一縁である。そこから久遠の長寿を取り出すことは出来にくい相談である。これをもって本仏の慈悲を証明することは出来ないのではなかろうか。
 山田説の本尊にはどうも長寿が見当らない。途方もない長年月を越えるための慈悲はありそうにもない。もし脱の処に建立された本尊には一切皆無であり、従って無慈悲といわざるを得ない。本尊の解釈のどこに長寿を示しているのであろう。長寿のない本尊の解釈は戒壇の本尊については失格という外はない。解釈のやり直しをした方が早道のようである。
 この戒壇の本尊は、己心以外に長寿を説明する方法はなさそうである。しかし、自称伝統法義では、五十六億七千万歳の間の長寿の証明は、不可能であるとお見受けした。本尊がその長寿を失っては、それこそ無意味である。どのようにして長寿を証明するのか。少くとも今いう処の伝統法義の中には一向に見当りそうもない。そこには法門の立て方に問題があるようである。
 撰時抄愚記に久遠名字の妙法や事の一念三千の語があるからといっても、そのまま長寿を説いているとはいえない。特にこの語は六巻抄の中心課題であり、本尊も本仏ともいわれるものであるから、六巻抄で改めて説かれ、そして順を追うて長寿が付せられるのである。その中で本尊とも本仏とも表わされるが、最終的には衆生の成道の中で現われるものである。その衆生の成道が現われる所で長寿が自ら説かれるのであるが、山田説の中には、これらのものは一向に見当らない。愚記ではそのようなものは一切説かれていないから現われないのである。この辺で感違いしては困る。説の中で長寿がないというのはその故である。
 愚記では名義をあげたまでで、これに作きが付されるのが六巻抄である。何はともあれ長寿を見出してもらいたい。あまり気勢を挙げる必要はない。今必要なのは末法の時と長寿であることを銘記しておいてもらいたいのである。こちらが滅後末法に時を定めているとき、種脱一致法門に時を求めてみても仏法の時は決して現われない。そこには仏教の時以外には現れない。これでは一向に歯車のかみ合う筈もない。ここに根本の違い目がある。
 「大聖人の仏法」というからには、その仏法の時を具現してもらいたい。折角蝙蝠の文を引き出したのであれば、ついでに「二重構造の邪説」の語も御書から引き出してもらいたい。今のような引き方は、自説の新義の裏付けに利用したのみ、大きく筋を外れているといわなけらばならない。出発点において既にこのような無理があるが、これがこの一篇を通しているのである。しかし、二重構造という新造語の説明もなく、邪義についての解説もない処を見ると、ただ自分がそう思ったに過ぎない。これは御書を利用して真実らしく見せようという、それ地体、明らかに御書の冒涜である。これでは法論までには遥かな道程がある。
 この新造語に含まれたものは、福重師の本仏論破折のために用意していたものか、分とか門を付けたのを利用して六巻抄を破折しようとしたものか、必らずしも阡陌陟記のみが対象でなかったのかもしれない。宗旨分・宗教分等の三語のもが何故二重構造の邪義なのか、まずこの証明をしてもらいたい。種脱一致の処に安着するためには、この三語は邪魔になるかもしれない。寛師が種脱を振り切って出るのは、この三語による処が大きいようである。依義判文抄以下を黙殺するためにも破折が必要なのかもしれない。それは自説が種脱相対の領域を一歩も離れていないという有力な証拠である。
 種のみについて詮義するためには、この三語を捨てることは出来ないであろう。六巻抄ではその後に本尊や本仏は出現するのであるが、山田説では文底秘沈抄以前に出現完了している。そのために、種脱一致の眼をもって二重構造の邪義と下したものとしか考えられない。しかし、文底秘沈抄以前に本尊や本仏が出現しても、これをもって真実とすることはできない。
 末法の本尊、末法の本仏として長寿が付与されていないには第一の難点である。結論を発端に持ちこんでも、これでは長寿があるとはいえない。迹仏の寿命はそのままでは本仏の寿命というわけにはいかない。そのために開目抄に始まって本尊抄や特に撰時抄に時が説かれるのであるが、今の山田説には一向に末法本仏の寿命が現われた形迹がない。いう所の「二重構造の邪義」の宗旨分・宗教分等の語は本仏の寿命を証明するために使われる語である。とても邪義といえるようなものではない。
 前回の時は漢光類聚とか中古天台という語があったが、この中古天台の語は、叡山が中国天台へ移った以後、日本天台を中古天台と称したもので、宗祖もまた日本天台を代表する人である以上、宗祖に対する誹謗が感ぜられるのは遺憾である。末法に入って以後、像法を取るか末法に突入するか叡山でも大きな問題であったと思われるが、遂に像法転時という中で像法を取ったようである。そのために薬師如来は今も本尊と崇められているのである。若し末法突入を宣言するなら、本尊の威力は即時に消滅するからである。今の山田説には、妥協にならない処に妥協を求めようとしているようにも見える。中古天台という語は、中国天台に本拠を移した後に出来た語である。中古天台の語縁に引かれて像法に帰らないことが肝要である。蝙蝠は案外そのような処に居るのかもしれない。
 引用文を引き誤ると反って逆効果となるものである。或る時は獣、或る時は鳥と、欲望に飛び廻るためには、この御書は解り易いが、この御書の意は、在滅或は種脱についての混乱を誡められているように思われるが、思うものの罪であろうか。本来滅後に在るべき本仏を在世に見、下種本因にあるべき本尊を本果とすることは、明暗処を異にした好例である。このような時に引用するのに最も相応しい御書であるが、今の引用文は如何なものであろうか。どうも逆のように見える処は、反って自縄自縛の危険を持っているともいえるものがある。これは、他人を誹謗するために使った引用文が、反って我が身に逼ったといえるもの、少し気を付けて引いてもらいたい。
 宗旨分・宗教分などと並んだ処が二重構造なら、本因本果も色心も本迹も種脱も、また本尊本仏も二重構造というべきである。どう見ても宗旨分等の三のみを二重構造という理由は、いかにも薄弱である。二重構造という語は、自ら時節を混乱せしめた上で使うなら、それはそれなりに成り立つのかもしれない。本因であるべき本尊を本果とすれば、唱える題目も多言となるし、脱の処に種の結論である本尊・本仏を持ちこむなら伝統法義は成り立つかもしれない。山田説の伝統法義はこのような処にあるようである。これが種脱一致の法門なのである。
 次に引用の「川澄勲の阡陌陟記」(2)以下は、寛師の法門を種脱と判ずるための序文である。ここでは「本来の富士の立義」として、本地内証と垂迹外用、文上と文底、付文と元意等、勝劣法門と名付けているが、いう所の法門とは種脱判釈の前の処に法門をおいている。判釈はここでは脱に属するもの、即ち教相である。その教相の前にある法門なのである。これは、吾々の使う法門の語とはあまりにも離れている。教相観心の次に出るものを大石寺法門、略して法門というのに対し、脱の教相の前に法門の語が出るのである。これでは見る者が逆を生じるのも止むを得ないことである。また種脱判をも法門と称している。伝統法義というのも、ここを指しているようである。このようにしてみると、法門という語と教相とは同じ処で語られている。山田教学はここに立てられていることが分る。このような処で法門の語が使われるので紛らわしいのである。つまり種脱の区別がつかないように見える。その故に種脱一致というようなことが考えられるのであろう。
 文上文底についても、寛師が勝劣法門として、種脱勝劣を判ずるのみに終始しているような印象を与える考えであるが、寛師はそのあとは文底について論じられている。これが法門なのである。山田が法門というものについては真実に法門といえるようなものは一向に見当らない。全く紛らわしい限りである。この程度の教学の持ち主が大石寺東之坊の住職であり、時局法義研鑽委員とは、誠にもって驚き入った次第である。
 「本来の富士の立義」とは、文上と文底、付文と元意などというようなものではなく、文底・元意について富士の立義があるのではなかろうか。二つ並べた処は未だ法門とも立義ともいえないようである。しかも、ここに勝劣法門を立て、これを立義とすることは、未聞に属するものである。種脱判なら教相に入れるのが順当のようである。このあたりの処は文段抄の領域であって、六巻抄ではあまり見掛けないところ、これは六巻抄が法門書として組み立てられているためである。
 所詮山田法門は、文段抄を根本として法門書とし、三重秘伝抄をその結論として法義と立て、ここに本仏を見、さらに久遠名字の妙法と事の一念三千と意同の故に、「種脱相対して一念三千」のあとに本尊を立てているようである。日蓮正宗の「伝統法義」と称するのもそこに建立されているのである。そこの処は実は脱の場であり、種の上に詮じられた本尊や本仏が持ちこまれているのであるが、脱の処からいえば、未だ本尊や本仏出現以前のことである。即ち迹仏世界にある脱の処に、本仏世界の本尊や本仏が、何の前触れもなく出現する不思議さである。その時、「時」を取り去ったところに自称「伝統法義」が建立されるのである。
 理を尽くして理解出来るものではなく、ただ信ずることのみが唯一の理解につながるのである。これが種脱一致と思われる伝統法義なのである。これでは本迹一致が種脱一致に摺りかえられたまでで、ここでは久遠名字の妙法もその名義をあげられたのみで、委しくは当体・勘文両抄が出されるまでお預けである。その両抄が全貌を示すのは当流行事抄まで待たなけばならない。それが早々と秘された直後に、丑寅勤行の時に出現する本尊・本仏が出現するのである。或は名義のみは出ることが出来るかもしれないが、到底はたらきを持っているようなものでもなければ、長寿を持っているようなものでもない。しかも今の立て方では、その本尊や本仏がはたらきを示しているのである。何とも理解しがたい処である。
 長寿を身につけない本尊・本仏ほど、末法において無意味なものはない筈である。大聖人の下種仏法というのもまたここに立てられているようであり、伝統法義と内容的には同一のもののようである。脱の世界に種の本尊や本仏が現ずることは、最低の時節の混乱である。どのような方法をとってみてもこれを証明することは出来ないであろう。ここの処が他宗門の難解の処であるが、今度の山田論文は、そこの秘密を明らかにしたのである。しかしながら、それは勝劣ではあるが、余は簡単に一致に到ることが出来る。一昨年の大橋論文も大体においてはこの線によっているので、大いに参考になるものである。そしてこの考え方によって解釈された寛師の法門が他宗から批難を受けている。本仏論などもその一例である。
 六巻抄は極小部分については解されているが、法門書として、通しての扱いは受けていない嫌いがある。伝統法義でも同様であって、基礎になる処はすべて文段抄によっており、そのために引用する文も全て文段抄に限られている。その中で根本になるのが撰時抄愚記及び取要抄文段のようであるが、これらは引用文(5)に示しておいた。この両抄が基本になって種脱一致の法門が作られるのである。法門・法義というのも、ここに立てられている。それが伝統法義であって、どうみても教相と観心との混乱は免れない処である。
 一見した処、次々に時の混乱が重畳していることが分る。この法門がもう一つ発展すれば、三世常住の肉身本仏論にまで発展することも出来るし、自受用身の唱題も考えられるようである。そして日蓮正宗要義もこの種脱一致の上に成り立っているように思われる。「にわかに創り出した川澄の偽の大石寺法門・蝙蝠論法」、果して成り立つかどうか、誠に興味深いものがある。
 六巻抄のうち第一第二を文段抄に付してはじき出された伝統法義、しかしながら六巻抄の法門は第三以下に納められているが、文段抄には法門書でないために、衆生の成道や本尊や本仏は説かれていない。そこからこれらの法門をどのようにして引き出すのであろうか。六巻抄のように、まとまったものを引き出すことは困難であろう。たとえあっても、それは切文的なものに過ぎない。六巻抄を何故法門書として認めないのであろうか、吾々には一向に理解出来難い処である。「川澄の偽の大石寺法門」といえば即時に偽になるということもあるまい。あまり幼稚な発想はしない方がよい。大人は大人らしく理をもって偽に堕すべきである。
 阡陌の二字は御書にないと大見得を切ってみても、それは開目抄を読んでいないことを露呈したに過ぎない。久保川論文を破す文が、十日もたたない内に訂正版を出した水島論文と揆を一にしている。両者お揃いの欺瞞、枕を並べて打死の体である。宗門を代表する御両所よ、どのような話し合いになっているのであろうか、一言耳元でささやいてもらいたいものである。或は種脱法門からの異状発生であろうか、不信の輩には一向理解の出来ない処である。
 この不信の輩という語も、本来は戒壇の本尊を信心して題目を挙げない者にいう語ではなく、種脱一致の処、即ち脱の処に発生した語、この法門を無条件で信じない者にいう語であった。また無相伝というのも同様である。それが一転して本来の法門の処で使われるようになったものである。学を斥い蔑むのもまた同様である。当家は信心の宗旨であるから学はいらないというように変換していくのである。このような中で、色々な分子がからみ合って出来たのが山田法門である。それだけに一筋縄ではいかないものを持っているために、到底愚人の理解出来るようなものではない。しかし今度その秘密甚深の処が大日蓮に公表されたのであるから、ここは一歩進めて訂正すべき箇所は訂正した方が賢明なようである。発表を終って尚且つそのままにする位なら公開すべきではなかった。このままでは将来自のためにならないことは必至である。一日も決断の早いことを希望しておくことにする。
 独善超過の故か、あまりにガーガーいわれるので山田何がしとした処、なにがしと読まれているようなので、訂正しておきたい。これは何況(がきょう)のがのつもりで使ったので、若しなにと読んでいる向きは、がと訂正していただきたい。川澄の大石寺法門が偽か山田の種脱一致法門が偽か、判断は第三者に委ねることにするが、且らく時間を貸して頂きたい。冥を顕といい脱を種といい教相を観心と考えるのが真と言えるであろうか。到底凡愚の思慮の及ぶ処ではない。
 種脱一致の処に法門を立てるなら依義判文抄以下が無価値になるのは当然であるが、折角説かれているのであるから、全抄を通してからでないと真実が現われるようなこともあるまい。早々と三重秘伝抄も終らないうちに本尊や本仏が出たのでは、寛師の苦労も水の泡である。是非今一度第三以下を読み直すことをお奨めする。山田御尊師の英智は必らずそこに真の本尊や本仏のあることを発見するであろう。
 現実では本尊や本仏の出生が明らかでない憾みがある。末法の本尊や本仏はまずその出生を明らめなければならない。その出生を明かすことが衆生との密着の第一歩であると思う。現状は衆生を遥かに離れた処に置かれている事は、どう見ても脱に近い処としか思えない。しかも口には種を論じ行ずるのである。その辺りに修正を求められているのではなかろうか。そのために本尊や本仏の出生を知ること、知る努力をすることが極度に要求されているのである。これが不明のために衆生の成道も消え、そして新しい成道が現われるのであるが、死後の成道については、大石寺法門の立場からすれば殆ど不可能ではないかと思う。詳細な処は後段に述べることにする。
 死後の成道は迹仏の担当する処であり、仏教の世界であるが、大石寺では昔から仏法をとっており、滅後末法の世界であり、これが己心である。輪廻などは仏教の中に説かれるものであって、仏法にはそのようなものはあり得ない。若しあるとすれば受持の中にのみあるものである。今は迹仏世界の仏法と本仏世界の仏法とが極度に混乱を来たしているようである。つまりは仏前法後と法前仏後の上での仏法の混乱ということである。そのような中で、次第に法前仏後が仏前法後に組みこまれようとしている気配が感ぜられる。在滅の混乱が急速に進みつつあるようである。これも種脱一致の法門の後日譚ということであろうか。
 今の大石寺では、生前の成道が消えて死後の成道が盛んになった。只死後については法門的な裏付けもなく、あるのは生前のみである。それが丑寅勤行の成道であるが、現実では二本立てになっている。これが二重構造である。生前に成道を遂げたものが、死ぬと地獄や餓鬼道に堕ちているかもしれない不安が出る。そのために塔婆供養が盛んに行われるのである。このうち、死後の成道には裏付けを持たない。また本来として輪廻観もあれば、業や宿業といわれるものもある。即ち迹仏世界である。仏法もまた仏前法後のものはあるが、現在は二つの仏法が混在している。それらのものを収めているのが種脱一致という世界であるが、「川澄の偽の大石寺法門」には、成道は生前に限り、仏法もまた法前仏後の仏法の一つである。従って輪廻や業・宿業などの入りこむ余地のない処である。
 二つの間にはこのような違い目があるが、伝統法義では、本来相納れない二つの成道が混在しており、そして大石寺法門は偽の烙印を押されて消滅しつつあるのである。爾前迹門の成道が入りこんできたための混乱である。このような中で今では成道そのものが一番怪しげになっているように思われる。そして成道が不安定になると、その中に出てくる本尊や本仏が不安定になるのは当然のことといわなければならない。そして敏感に信者へも響くのである。そのような中で今のような状態が導き出されてきたのであって、そこに根深さが感ぜられるのである。
 次に「池田令道の研究ノートについて」の中で人法一箇の人を宗祖の俗身を指す解釈をとり、「元初の自受用身と久遠名字の妙法の人法体一のことであると、蝙蝠論法の用語こそは使っていないが、意味においては得意の二重構造の使い分けを用いていることに変りはない」としているが、人の解釈が俗身であるにも拘らず、これを自受用身と見るのが蝙蝠論法であり、二重構造であるとの意を明瞭にしている。この人を俗身と見るのが種脱一致法門の見方であり、伝統法義がこの解釈に依っていることを示している。
 人をいきなり俗身と読むのであるが、寛師の末法相応抄に説かれたことに対する反発であって、この二重構造や蝙蝠論法が寛師を目指しているのが分る。この人を俗身と読むのは、種脱一致法門では常識のようであるが、他人には一向に通用しないところ、自受用身を人と読むのは邪、これをひとと読み俗身と見るのが正ということである。今では殆ど宗内の常識になっているのであろう。即ち伝統法義の常識である。日蓮本仏も寛師とは違って俗身の上に成り立っているのである。この意味からも六巻抄は排除しなければならないのである。
 二重構造等とは、川澄に名を仮りて実は寛師の意見を排除するのが、ねらいのように見える。他宗を邪宗というのも同じ発想である。種脱一致法門と伝統法義とは全く同じものであることが、今の引用文には最も明らかである。このように自説の根本になっているものを、何故このような簡単に公開するのか、吾々には一向理解し難い処である。
 伝統法義の日蓮本仏論と六巻抄のそれとの違いは、前者は撰時抄愚記の「久遠名字の妙法と事の一念三千」からそのまま出ているのに対し、後者では「種脱相対して一念三千」にその名義を出した後、漸く第五に至ってその全貌が示される。それ程の巻数を費しているのである。これを同列に扱うことさえどうかと思われるのに、六巻抄を捨てて、何の解説も加えられていないものから、いきなり日蓮本仏論を出すのである。しかも今はこの本仏論が全てであり、更にそこから発展して三世常住の肉身本仏論さえ登場している時、六巻抄の本仏論を消さなければ、自分等の本仏論の存在が危うくなってきたのである。そこに必至の形相があらわに出ているのである。
 末法相応抄には肉身は本仏でないといわれており、吾々はこれによったのであるが、山田説は六巻抄には見向きもせず、専ら愚記の「久遠名字の妙法と事の一念三千」の語のみに依っているのである。同じ本仏論でも、「大石寺法門」と「伝統法義」とではこのような違いを持っているのである。是非は読む人にお委せする。二重構造とか蝙蝠論法などと言うだけでは、とても六巻抄が消し切れるものではない。文段抄のあと数年を経て特に法門書として編集された六巻抄を捨てて、一々文々の解釈をされた文段抄による真意は一体どこにあるのであろうか。
 難解の故か変形させにくい為か、その真意を知るよしもないが、六巻抄から肉身本仏論をだすことは不可能であることは一見すれば分ることである。しかもこのような文段抄から出た本仏論が、他宗に六巻抄の説として理解されているところに寛師に批難が向けられる下地がある。そして今度は日蓮正宗の本仏論の出生に関する資料が発表されたのである。常識からいって、とても人前に公開するようなものではないが、一向無関心の体である。一体何を考えているのであろうか。伝統法義の中では、これらの文段抄の文は重大な作きを持っているが、それが斯くも易々と発表されたのである。
 肉身本仏論と戒壇本尊真蹟論とは、肉身という面では互いに相通じるものがある。この愚記の文のあとに註を加えて、「本門戒壇の大御本尊と久遠名字の妙法、事の一念三千とは全く一なることを示されている」として取要抄を引き、「その南無妙法蓮華経とは人法体一の本門の本尊の御事なることを明かされているのである」と結論を出してはいるが、人法の人の解釈は、この六巻抄では自受用身を指しており、山田説は専らひと即ち俗身と解しているために、ここから大きく展開するのである。それが伝統法義でもある。
 六巻抄から逆次に読めば、文段抄から俗身そのものを取ることは不可能であるが、文段抄のみによるときは、その人の考えによっては俗身ととれないこともない。しかも俗身と読まれたのである。その上に時局法義研鑽委員である当人が、それに関する甚深秘密の法を今初めて明かしたのである。今度の山田論文はそれ程事重大な意義を持っているのである。そして俗身即ち肉身と一念三千の法とが人法一箇を成じた。即ち時の全く異なったものが一箇したのである。この時を知ってか、山田説では極端に時を斥うようである。そのために次第に仏法から遠ざかっているのではないかと受けとめられるのである。
 これに対し六巻抄では、自受用身と一念三千の法と、全く同じ時の上に本仏が説かれている。これでは山田がいかに器量人でも、理において寛師を乗り越えることは出来ない。そこで川澄に名を仮りて出たのが、「二重構造の邪義」という語である。只管に怨念をもって陥れたのであるが、成功したかどうかは、今少時(しばら)く時間が必要なようである。そのうち自ら誤をさとる時もそれ程遠い将来ではないであろう。悪口雑言する隙があれば、静かに時を考えることも無駄なことでもあるまい。
 前述の通り、戒壇の本尊と本仏とは、共に久遠名字の妙法、事の一念三千であるから、本仏が肉身であれば、本尊も真蹟でありたいのは人情である。そして肉身本仏論、真蹟本尊論が座を並べるようになるのである。身に約して日蓮本仏といい、法に約して戒壇の本尊である。そして共に宗祖の己心の一念三千であるが、今は己心を認めないことになっている。魂魄佐渡に至って本尊と化したのであるが、今は魂魄(己心)を認めないで、しかも本尊や本仏が出現することの出来る御時勢なのである。そのような本尊は、何を拠り処として顕現されるのであろうか。是非知りたい処である。
 今の解釈では久遠名字の妙法と事の一念三千さえあれば、一言の詮義もなく即刻誕生ということであるが、六巻抄では、理は尽してはあるが本尊の誕生は丑寅勤行に譲られているように思われる。これから立ち返ってみて、一言の詮義もなくして本尊の顕現があるとは到底考え及びもつかない処である。山田説では、どのような秘説を持っているのであろうか。信心のみによって顕現されるというようなことがあるとは、どうしても信じることは出来ないというのが今の吾々の心境である。
 今度の山田説は、五年半余の追求によって、遂に隠し切れなくなって、永遠に秘すべき処を公開してしまった。即ち考え方の根本を明らかにしたのであって、それだけに重大な意味を持っている。恐らく伝統法義も、これ以上の展開は出来ないのではないかと思う。そして残された道は唯一つ、道師へ帰る以外によい方法はない。その上で宗開三へ帰るのみである。そのために六巻抄へ帰ることが必要なのである。
 吾々は山田先生の知恵が寛師を上回っているとは決して思っていない。六巻抄は山田論文のように、僅かの頁数の中に一切の秘密を公開してしまうのとは、深さにおいて根本的に違っている。一見底の底まで見えるような論文を書いたものの浅識にその罪を帰すべきである。筆者も身近かな処から被害を受けつつあることは自覚しているが、正信会もその体質においては何等の変りはない。そのあたりに革正の本源があるようである。それであれば覚醒運動も大いに意義があろうというものである。正信会も山田論文に反対することは出来ないであろう。今望む処は、この論文の示す処に随って自ら反省し革正を期すべきであると思う。そこに目標を置くなら、覚醒運動の大義名分も明らかになることであろう。
 一度本処に立ち返ることである。世間ではこれを反省という。立ち返ることは久遠元初をとらえること、本仏もまたここに在る筈である。それを文字でもって示されているのが道師の三師伝である。三祖を師とし、自らを弟子として法門的に組織されたのがこの師弟子の法門である。「大石寺法門」の語は、ここに根本を見ようとしているのであって、「伝統法義」とは根本的に違っているのである。それを知るために覚醒してもらいたいものである。眼前の覚醒は永遠の覚醒でないことに眼を注いでもらいたい。
 最初目標は六・七年たつと、既に眼前から消滅しているのである。それをいつまで追うて見ても単なる幻想に過ぎない。既に実像は消滅しているのである。このあたり、己心・魂魄への切り換えの時が来ていると見なければならない。頭の切り換えがなければ、あとは一日一日本山側が盛り返して来るのを待つばかりである。そこに反省が必要なのである。立ち帰ることのない批難は、反って吾が身に迫ってくるようなことになるかもしれない。自分は常に正、他は全て邪というような「伝統法義」方式はすでに終末が来ていることを知ることから始めなければならない。これが目下の急務である。
 文段抄を根本とする「伝統法義」方式からの脱皮乃至覚醒が目下の急務である。山田論文の文の底には既にそれを指し示しているように見える。そこから明日は開けていくのである。六巻抄の抛棄は寛師の孤立であり、大石寺の孤立であり、また自分自身の孤立でもある。正信会でも広宣流布が目標の一つにあげられているが、その発生源は宗門と全く同じ処のようである。覚醒の眼は、まずこの辺りへ向けてもらいたい処である。

 「偽の大石寺法門」について
 偽の字は種脱一致の「伝統法義」を真と決めた処から出ているものであるから、ここでは「大石寺法門」を探ってみたいと思う。私曲の「蝙蝠論法」吾が身を打つむちとならなければ幸いということに決めておく。三師伝の冒頭に「日蓮聖人は本地はこれ地涌千界上行菩薩の後身也、垂迹は則ちあわの国ながさの郡東条片海の郷海人が子也」と書き出されている。後世には再誕となるが、ここでは後身である。高貴であるために後身として、再誕は匂わせるようにしたものであろうか、或は凡身の中に上行を含めているのであろうか。何れにしても含みを持っている処は妙である。しかし後人が読めば本仏ともとれる処である。
 そして誕生はあわの国ではあるが、これも垂迹ということである。伝記としては門下最古ということであるが、果して伝記のみとして受け取って好いものかどうか、色々な問題点を持っている。特に法門書として見る場合、後身の語は気掛りである。そして海人を、伝記とするならあまでよいが、若しかいじんとよめば、文殊菩薩・竜宮・竜樹などについて、註法華経に引かれているのも気掛りである(まとめて後に引くことにする)。
 老子は生まれながらにして八十歳ということであるが、釈尊入滅同時の誕生である。即ち胎内に処(を)ること八十年とは随分長い話である。これは老子、即ち老いた子から出た発想である。これからすれば、あまの子がかいじんの子になることも、それ程おかしい事ではない。その意をもって海人と使われたのではなかろうか。一般には海士と使われる処である。若しあまであれば海辺に誕生であるが、かいじんとなると文殊菩薩が登場する。註法華経に、或義云、釈尊滅後初五百年(解脱堅固時也)小乗教興、諸大乗経皆移竜宮、後五百年大乗興、竜樹菩薩入海取経文。そしてこの経を海中に沈めたのは文殊菩薩のようである。
 若し海士の子であれば、竜の所持している頷下の玉を持ってくることも出来る。海中からもたらした一念三千の珠、それは長寿そのものである。文の底に秘して沈めた一念三千の珠そのものである。開目抄の文も註法華経から出た発想なのかもしれない。末代幼稚の頸に懸けさしめたもうた珠は、実は海中からもたらした珠なのかもしれない。海中にあって得た珠とは長寿そのものである。末法を乗り切るためには、どうしても欠くことの出来ない珠である。
 五十六億七千万歳の長年月を越えられる長寿の珠が必要なのである。そして文殊と観音は、釈尊の九代以前から互為主伴しているのであるから、釈尊に長寿と大慈大悲を献じたのも、上行菩薩に長寿と大慈大悲を献じたのも、共にこの両菩薩であったと思われる。これによって始めて上行菩薩がこの二つを具えることが出来るのである。そして献じた宗祖もまた後身としてこの二つを具すことが出来るのであろう。このようにして無理もなく本仏誕生という手筈になっているのではなかろうか。本仏には長寿が不可欠であることは以上のごとくである。
 親鸞が三帖和讃に文殊を取り上げたのも、末法の仏としては阿弥陀仏といえども長寿の必要があったためである。しかし、天台の薬師如来はこの長寿を手中にすることが出来なかったために、末法に入ることも出来ず、止むなく像法転時となったのであろう。末法の初の百年二百年は、如何にして長寿を手中にするかという問題に終始していたのではないかと思う。浄土宗に一念義が起った頃は、漸くまとまりかけた頃なのであろう。そうして日蓮の開目抄に至って結果が出たということである。それが開目ではなかろうか。伝教と得一の論争に始まる長い年月をかけた結果である。ここで始めて二乗作仏も成りたち、衆生もまた長寿に参加することが出来たのである。
 一方的に仏が授与するのであって、信不信・知不知とは関係のないところで、日本に限れば三千万総参加である。その理をもって戒壇の本尊は発想されている故に、一閻浮提総与という語もあり得るのである。戒壇の本尊は一閻浮提一切衆生総参加の意をもっており、授与の間には一息入れる必要がある。それがいきなり宗祖から授与されたということになったので。事が面倒になったのである。
 個々に授与される本尊も、この末法を乗り越える大事業に参加した手形の意味が第一なのかも知れない。戒壇の本尊では一人残らず参加しているように見える。本尊抄の末文でも授与というよりは総参加の意をもって解釈した方が理解しやすい面がある。つまり末法を乗り越えるための長寿獲得については、一切衆生を外すわけにはいかない。この一切衆生を一人の衆生に摂めることが出来れば長寿完了である。それが出来たのが開目抄であり本尊抄である。それが次の段階で本来の本尊に変っていくのであって、ここには一つの切り目が必要である。
 一切衆生を一人の衆生に摂めるためには、どうしても己心の法門が必要なのであった。像法に固着した天台の理の一念三千、末法に参加した事の一念三千、そこには末法を乗りこえるための長寿の有無が理事の差別を作ったのであろう。迹・本のみでは分りにくいのは、この長寿が秘されているためであろう。そして長寿はいつのまにか表面から消えていくのであるが、本尊としてはこれは本因にあたる部分である。
 総参加する者の所住はいうまでもなく戒壇である。この戒壇は長寿の上に建立されているものであって、建築物の意は毛頭も含まれていない。この戒壇は総参加の理を表明されているように思われるが、若し長寿が抜ける時は複雑に変化するようである。戒壇も本尊も題目も、一度長寿を大前提として考え直すなら、戒壇に建築物の必要のないことはわかるであろう。広宣流布もまた真意はここにあるというべきである。それは法華経の行者が、長い末法を乗り越えるための長寿の中心であり、根本であるという意が、一幅の本尊の中に秘めてあるというのが本尊抄述作の意味であろう。
 伝教・得一論争が日蓮によって解決されたという意は、二乗作仏の問題も解決して長寿も手中に摂め、伝教以来の難問も無事に解決して朗らかに船出することの出来る悦を表わしたものであろう。これが第一の広宣流布のような気がするが、今の護法局の広宣流布には、どう見てもこのような大らかさと悦びがない。それは第一に長寿を失っているためであろう。しかしながら己心の本尊が邪義といわれている間は長寿はあり得ない。
 宗門の法門は長寿を己心に見出だす処に始まり、そこに終っているようであるが、今の宗門は己心は一切認めないのである。長寿と己心は宗祖の根本になっているにも拘らず、今の宗門はこの二つは一切認めないというのである。それでは本尊も戒壇も題目も、新義建立以外に方法がない。そのような処に広宣流布もまた考えられているのである。正信会の広宣流布もまたこれを一歩も出るものではない。護法局の広宣流布は、どうみても難航必至である。
 これにくらべて、三師伝には明らかに長寿がある。これが全部を占めているのである。そのような中で戒壇の本尊や衆生の成道、また本仏も説かれているのであるが、今は長寿を抜き去ったために解明不能になったように思われる。御書が出来上がる前夜の秘密の大半は長寿にあったように思われるし、それを忠実に伝えているのが三師伝であり、六巻抄である。長寿を捨てて六巻抄を解することが不可能であることは、既に宗門が事に示している通りである。広宣流布の行きづまりも原因はそこに伏在しているようである。種脱一致の伝統法義で乗り越えられるようなものでもない。正信会もまた同じ処で行きづまろうとしているとは、愚な話である。必らず長寿を身につけなければ解決するような問題ではない。
 悪口雑言のみで解決出来るものではない。悪口は種脱一致の処に本拠がある。ここに本拠をおくなら昨日の師も恩者も即時に愚者となり敵人となるようなものをもっており、常に自分一人のみが正であり真であり、他は全く邪であり偽であるという不思議な境界である。こちらも、その境界が悪口雑言を発しているのであろうと、善意に解釈しているので、決してその人を憎んでいない。これは全く長寿を見出した功徳であろうと思っている。
 三師伝から長寿が消えるなら、それは唯の伝記でしかない。弟子が長寿を消し、不信の輩が長寿を見出す不思議さ、全くアベコベの世の中である。しかしながら、等分に賜与された宝珠であるから、不信の輩のみが独占する理由もないので、受け取る用意が出来れば、いつでもお渡しするつもりである。その上で等分賜与の宝珠を守っていきたいと思う。これが本因部分である。その時は本因の本尊の話もまた復活する日であるが、これを強力に阻んでいるのが「伝統法義」である。これを飽くまで守ろうとしていることについては、護法局も正信会も全く一致している。これが第一の関門であって、そこから当方へ対する批難もまた起るのである。このような宿命に対しては吾々は反発する勇気は毛頭も持ち合わせていない。
 昨日の師は今日も師、昨日の恩者は今日も恩者というような境界にいてもらいたいものである。それでこそ白烏の恩を黒烏に報ずることも出来るのである。これが衆生への報恩というものである。師に対する報恩がなくなれば衆生に対する報恩もまた消失する道理である。宗祖の衆生に対する報恩とは、末法を無事に過ごすためには、一切衆生以外には頼るものがなかったためであろう。そこに衆生への報恩が大きく取りあげられてくるのである。これは長寿の中でのみ考えられることであるが、今は末法に対する緊迫感は皆無である。そのような中で長寿を再現するようなことは、到底あり得ないことである。種脱一致という発想は末法を意識しない処にのみ起り得るものである。長寿が見えないのも無理からぬことといわなければならない。
 三師伝が三祖一体を取り出したのも、六巻抄で三衣抄がこれを受けついだのも、長寿を現わさんがためである。久遠の文字さえあれば長寿があるというものではない。大石寺法門と伝統法義の相違は長寿の有無の一語に尽きる。長寿を持たない伝統法義こそ真であり正であるということが、山田説の根本義になっている。広宣流布を目指して護法局が出帆する時こそ長寿が必要なのである。本の広宣流布は長寿の上に成り立っていることを想い起すべきである。五十六億七千万歳を一挙に乗り越えるための長寿である。それを即時に完了した処に広宣流布も唱えられたであろう。それが後代宗教として取り上げられるとき、本来の意味が失われ、やがて今のような広宣流布観が成立していったのであろう。
 宗旨としての広宣流布と宗教として出発した広宣流布の相違は、長寿の一点にのみ限られているのである。後者によって立っているのが伝統法義であり、お互いに相入れざるものを持っているのは、今となっては宿命という外はない。この意味で「偽」といわれても、ただ哀れみをもって迎える以外好い方法がないというのが偽らざる心境である。伝統法義が二重構造とか蝙蝠論法と称するのも、長寿を失った処に基点をおいた者の挽歌といわざるを得ない。是非は後代の批判に委ねるばかりである。
 このような中で戒壇の本尊が真蹟と決められたのであるが、先に述べたように、長寿を外して解釈することは出来ないと思う。大正以来七十年、すっきりと説明はつけられていない。少し遡って百年間、一向に解答は出されぬまま、ここまで来たのである。そろそろ明確に定義付けすべき時であり、護法局はその上で発足すべきであると思う。時局法義などという語には、追いつめられたものの悲壮感は感ぜられるけれども、一向に安定感がない。それよりか刹那に永世不滅の法義を建立して安定を取り返した上で、護法局を発足してもらいたい。己心の法門は刹那に永世不滅の法義を建立することも可能なのである。
 己心に建立された本尊は己心の上に解釈され運営されてこそ、その真味が発揮されようというものである。時局法義研鑽委員会の諸公がいくら知恵を絞ってみても、伝統法義ではどうにも手の施しようがないというのが実状ではなかろうか。既に阡陌陟記も取り止めることにしたので、時局法義研鑽委員会も当の相手を失ったのであるから、名前を変えて新発足した方が賢明なように思う。こちらも格別解答を要求しているわけでもないから、気楽に考えてもらいたいと思っている。それよりかその次に表われた問題について考えてもらいたいのである。とりあえず六年間の成果だけは発表してもらいたい。それだけで充分である。
 山田説によると、川澄に名を仮りて福重師の本仏論を破し、更に文段抄によって六巻抄を破折しようというつもりのようであるが、平僧の分際として、そのような大それた考えは起さない方がよい。とても出来ない相談である。川澄一人のみに対する悪口雑言のようにはいかないのは、見え透いたことである。このようなことは相手に悟られないようにするのが常識である。せめてそれ位は知っておいてもらいたいと思う。
 どう見ても寛師が蝙蝠とは思えないし、その説が二重構造とも見えない。或は罪障がそのような言を発せしめたというのであろうか。何とも不可解である。殊にその辺りが長寿の発端といえるようなものもあるということになると尚更である。大石寺法門を根底から揺るがそうというつもりなのであろうか。他の例からすれば種脱勝劣法門という処であろうが、この部分だけ取り上げて二重構造とか蝙蝠法門というのは、外に何か深い考えがあっての事であろうか。六巻抄で長寿の発端といえば、依義判文抄以外に見当らない。それ程長寿を斥う理由は何に起因しているのであろうか。ついでにその理由を公開してもらえるなら光栄この上ないことである。
 六巻抄では、三師伝の初文が開いて第一から第五に至り、第六は大体に本文と同じく三祖一体を形をかえて説かれたものであろうが、内容的には全く変りはない。三重秘伝抄の初文も、これまた全巻にかかるものであることも三師伝と同様である。ここは開目抄の文を直にひかれ、三師伝は意訳されたものであろう。寿量海中に沈められた法華経、そして海中から一念三千の珠をもたらした宗祖を想定すれば非常に判り易い。既にこの時点で長寿と大慈大悲をもっているのである。そして第五当流行事抄の終りに至って長寿も明かされている。道師の一行はこのようにして、五巻を費して法門的に明かされているのである。これがその大綱であり、次に三衣に約して三祖一体が明かされて、いよいよ長寿が明かされるのである。
 また宗開三については明星に約することもある。日は宗祖、月は開山、星辰は三祖となり、一箇すれば明星である。その明星を浮かべるのが明星池であり、空の明星が池に浮かぶ時、明星は池中深く沈み、そこから宗祖の手によって池上に浮かぶ時、これを宗祖の己心の一念三千といい、これに二祖が墨を流すと本尊と現われるということになっている。池上に浮かんだ珠は既に長寿を持っている。そのために海が必要なのである。
 明星池では池上に浮かんだ珠と、丑寅勤行によって得た一念三千の珠とが合体して浮かぶようになっている。それが戒壇の本尊である。明星と丑寅勤行の二つによって本尊を現ずるような仕組みになっていて、本尊と現われるのは丑寅勤行による処が大である。これによってみても、三祖一体が長寿を持っていることは間違いのない処である。尚関連の資料はこの最後に引用することにする。この本尊と御宝蔵の妙法とは全く同じであり、これを書写する時は、三十余年に限ることになっているが、今は拡大解釈されて、末寺の本尊も三十余年となって衆生授与の本尊並みの扱いになっている。本来は化導の本尊である御影堂の本尊の二十余年であったのかもしれない。
 御影堂の本尊も末寺の本尊も、共に授与書はない。散影の意味を持っているためであろう。従ってこれは二十余年であり、書写の本尊とは区別された方が理解されやすい。昔は御宝蔵の二十余年の本因の本尊から授与の本尊が書写されていたが、今は御宝蔵ではなく、正本堂安置の御真蹟と称する本尊から、衆生授与の本尊が出生しているようである。本果の本尊から次々に本尊を生み出す不可思議さである。不信の輩にはどうにも理解出来にくい処である。
 本因の本尊は衆生授与の本尊のために是非共必要なものであるが、己心の本尊は邪義ということで切り捨てられたが、両本尊ともに等しく宗祖の己心の一念三千であるというのが古伝のようである。しかし山田説によれば、事の一念三千の本尊と呼ぶのが正義なのかもしれないが、この事は、事理相対した時の事であって、これをもって己心に代用するのは少々無理があるように思われる。戒壇の本尊とは事を事に行じた処の一念三千というのが正しいようである。
 愚記には己心の字がないから、事の一念三千が正義ということは、ちと了簡が狭すぎる。六巻抄では事の一念三千から直に本尊が現ずるのではなく、事行の一念三千から出ているのである。そして久遠名字の妙法と同列に並ぶのは、六巻抄では事行の一念三千である。第五の終りで明かされた久遠名字の妙法と事理相対の事の一念三千を同列に並べることは出来ないであろう。愚記では通用しても六巻抄では通用しない。
 文段抄では第五の事行の一念三千は未だ示されていない。これをもって己心の一念三千とするのは、どうみても無理である。しかし、山田説によれば、愚記の事の一念三千を最高位にあるとして戒壇の本尊と等しく扱っているようであるが、この事をもって己心に擬することは出来ない相談である。ただし、文段抄一本に絞って事の一念三千を見れば、六巻抄のような煩わしさもなく、至極簡単ではあるが、これは六巻抄の素材程のものであることに留意しなければならない。しかし、文段抄を根本とする限り、六巻抄は邪義・邪説といわれそうである。六巻抄の抛棄が先か、己心の本尊を邪義と定めたのが先か、先後は知らないけれども、内容的には密接な関係がありそうである。
 己心の本尊が邪義と決められた陰には、大いに文段抄の活躍があったであろうことは容易に想像することが出来る。しかしながら、若し撰時抄愚記の久遠名字の妙法と事の一念三千が結論であるなら、寛師は、わざわざ六巻抄を著わされる必要はなかったであろう。山田先生は何か感違いしているのではなかろうか。六巻抄では特に久遠名字の妙法と事の一念三千を厳しく詮義されていることを思い合わすべきである。いうまでもなく、衆生の成道や本尊・本仏に直結しているからである。これらのものは相対の上に出たものではなく、種のみを詮じることによって出たものであって勝劣法門ではない。文上・文底の勝劣を決め、種脱の勝劣を決めさえすれば、即時に戒壇の本尊や本仏が出る山田説とは、あまりにも違いすぎる。これが山田自称の「伝統法義」である。
 文段抄は一々文々の註釈を主眼とするものであって、法門を詮じられたものではない。しかし、文段抄をもって法門書と見るなら、六巻抄が無用になるのは止むを得ないことである。山田説が何故六巻抄を斥うかということについては、且らく触れないことにして置くが、三衣抄は六巻抄の結論であって、ただ単に僧侶のためにのみ三衣を説かれたと思うのは、あまりにも皮相すぎる。これでは、六巻抄を捨てるのも無理からぬことである。
 今、仔細に六巻抄を検討すると、僧侶のみのために三衣を説いたということは全く見当らない。もしそうであれば、わざわざ当家独自の三衣という必要はない。この一語をもってしても、法門書ではないかと疑えるものは充分備えている。結局はこの巻で衆生が見出だせなかったために、そのような処へ結論が収まったのではないかと思われる。その衆生は冒頭に引く左伝に出ている。それを仏の側から見れば一切衆生であり、閻浮の衆生である。その上に三衣を見れば、三師伝と何等変りはない。そこに無限の長寿が秘められている。その意味で三師伝とは全く同一である。しかし文段抄を根本として三衣抄を見れば、破格の格下げも止むを得ないことである。
 寛師のものでいえば、文段抄は、六巻抄に対しては右尊左卑の立場にある。ここから六巻抄を読めば六巻抄もまた右尊左卑となり、狂いの全てはそこから起るのである。そして戒壇と本尊と題目が別立し、戒壇は建築物により、本尊は真蹟となり、題目も口唱となる。つまりは迹門形をとるような結果になった。結論からいえば時節の混乱によって始まるもの、それだけに、気が付かない間に事が進展するのである。御書には撰時抄があり、六巻抄には末法相応抄がある。これらは、時の混乱を誡められたものであるが、皮肉なことに、今は撰時抄愚記によって混乱が起きているのである。これはどう見ても解釈の誤りという外はない。
 開目抄や本尊抄では、世俗の凡俗を捉えて一切衆生と見、そこに成道があり、本尊や本仏が建立されているところは、三師伝や六巻抄と何等変りはない。ここに伝統の根元を見るなら、「伝統法義」に対して異論はないが、出発点において時節の混乱を持っているものに賛意を表するわけにはいかない。悪口雑言だけでこの混乱は静まるものではないことを了知すべきである。正信会もまた同じ混乱を持っている。そこに疵の深さがあるといわなければならない。百年河清を俟つというべきか。そのような眼をもって見れば何等の価値のないもの、むしろ六巻抄による被害の面のみが強いのではなかろうか。
 文段抄では一閻浮提総与も戒壇も永遠に解決する事のない問題であって、むしろ重圧のみが覆い被って来るであろう。このような処から解釈されたものが被害をもたらしていることに留意すべきである。それにも拘らず、宗門側も正信会側も、一向にそれに対して排除の努力をしようとしないのである。そのような中にあって行き詰まるのは当然である。忠言耳に逆らったものか、今は双方から目標にせられているように感ざられるようになった。これが六年間の成果である。一度一念三千の法門を唱えるなら、必らず擯出はどこまでも絶えることなく続くようになっていることを、身をもって体験したのである。
 三秘は一宗の衆生のためにのみ建立されたものでもない。ただ末法を乗り越えるために、民衆のために建立されたものである。そこにまず長寿が見出され、しかる後に宗門に振り向けられるものである。そこに己心の法門の大らかさがあるが、今は一宗のみに限定されたために己心の法門も大らかさも、遂に消される羽目になったのである。他門では、滅後すぐにも消えたようなものが、文字の上には未だにそのまま残っている。三師伝から逆次に開目抄や本尊抄を読めば、その前夜の状況が歴然としているが、一宗建立という名のもとに門下からは既に消え去っていったのである。時と共に去ったのである。今の宗門はそれを消すために悪戦苦闘しているが、昔は長寿を見出すために悪戦を繰返したのである。そして僅かに残された唯一の法門も今は消滅の一途をたどっている。今消滅しては再び復元するようなこともないかもしれない。
 末法と長寿、そこを故里として宗門は誕生しているのである。末法を乗り越えるためには一切衆生の力を借りる以外に方法はない。その衆生を一にするために己心の法門が必要なのであった。その己心の法門を邪義という名のもとに捨去しようとしているのである。このようなものは一般にも余り残っていないのであろうが、今、或る種の欲望の前に消されようとしているのである。結果は既に出たと同様である。殆ど時間の必要のない処まで来ているのである。
 伝教・得一によって起された長寿の問題も、かすかに残った大石寺の長寿のあとも全て歴史の上から消されるのも、ただ時間の問題である。起すのも時、支えるのも時、消すのもまた時である。しかも三種三様の時の然らしめる処である。流転の時には勝てないということであろう。そこには金と力がある故である。このようにして還滅の時は消されていくのである。三衣抄もまた同じ運命をたどっていったのであった。三衣抄の三祖一体の説を内に秘めて、逆次に撰時抄愚記に立還るなら、戒壇の本尊も現われるが、山田説による限り不可能なことである。悪口雑言によって捉えられるようなものではない。若し強引につなげるなら、そこには似てもつかぬものが出現するであろう。
 逆次に読むべきものを順次に読み、結論のみを持ちこめば、自分のみが正となって、他は必らず邪となる。今は専らそれによっているのである。これが種脱一致法門の宿命である。そこには脱からの受持もなければ順次による修行もない。受持のない処に持戒もなければ観心があるわけもない。衆生の成道が見当らないのも当然のことである。成道がなければ本尊も本仏も出現するような事もあり得ない。それは法門の仕組みがそのような事になっているからである。
 蝙蝠子のものを何度読み返してみても成道が見あたらないのは、受持がないからである。正を邪といい、邪を正というのは蝙蝠子の立て方である。脱を主、種を従と見たのでは、文段抄が主、六巻抄が従と見えるのは当然である。吾々が脱を従、種を主とするのとは真反対の処に山田説は成り立っているのである。それを当方へ押し付け、六巻抄へあてはめて邪義邪説と言うのである。
 三師伝や六巻抄では到底理解することの出来ない異様な深さを持っているのが山田法門即ち「伝統法義」なのである。そこに二重構造や蝙蝠論法が成り立っている。そのために理解出来ないのである。このような自説を証明するために引かれた御書であったが、結果は逆に出たようである。これでは、戦わずして敗北するのも止むを得ない処である。
 文段抄勝、六巻抄劣の二重構造説が、故意によるものか無智によるものか、何とも判じがたい法門である。尤も蝙蝠法門というに相応しいものである。しかし、この両語は即製という感じを持っている弱みがある。浅さが身上というわけでもあるまいに、今一つ深さが欲しい処である。「蝙蝠が昼を夜と見るがごとく、正邪を顛倒して現宗門を誹毀讒謗する彼等の言動は止むべくもないであろう」とは、自らを評して余りある語である。以て冥すべきか。
 発端の文は、己心の一念三千の処に長寿と大慈大悲を具備せしめ、宗祖が本仏であるという意味を暗に持たせているのが三師伝の意図する処であり、ただ本仏のみを口唱する今の在り方には何の裏付けを持っていない。口に御本仏日蓮大聖人と唱えるだけでは、真の本仏というわけにはいかない。三祖を一体として更にその上に一体を立て、弟子がこれに加わって師弟の法門を成じると、そこには無限の長寿が続いていくのである。その弟子が一体の処に加わって真の本仏が成じるのであろう。
 衆生の長寿がなければ宗祖の長寿を証明することは出来ない。そのための衆生であり、弟子であるにも拘らず、今は一切このような事は認めないところに「伝統法義」は成り立っているのである。宗祖一人が本仏になれば却って衆生は邪魔になる道理、末寺の住職一人のみ偉くなると、衆生はどうしても遥か下に下されるようになるのと同じ理である。その辺りで迹仏と同じような状態になるのであろうが、これも既に限界に来ているように見える。本の本仏がどのように成り立っているかを知るために、もう一度三師伝を読み直すべきである。そこには必らず丑寅勤行の意味も詳されているのであろう。
 三師伝の本仏は宗旨に関わるものが主であり、今の本仏論はただ信心の上にのみ成り立っている。そこに天地雲泥の相違を生じたのであろうが、この意は、開目抄や本尊抄からこれを見出だすことは出来ないが、三師伝の本仏はそのまま諸御書に通じるものを持っているし、また六巻抄もこれをそのまま受け継いでいるのである。今の本仏論では、本尊も本仏も証明することは出来ないし衆生の成道を確認することも出来ない。そして丑寅勤行の意義など、何一つそれを理解することは出来ないであろう。
 成道とか成仏とかいわれるけれども、何が成道なのか、これまた判然としないものの一つである。しかも衆生は専ら成道を求めているのである。せめてその定義付けだけでもしてこれに応えるべきではなかろうか。山田が称する処の「伝統法義」では自説による以外、三師伝や六巻抄、また丑寅勤行に示された「大石寺法門」による成道・本尊・本仏等の証明は不可能事であるとお見受けしている。信心の二字がなければ解決することは困難であろう。信心のみを強要する前に、僧侶の立場から解決して置くのが順序である。それが出来ない処から悪口雑言は発せられるのである。備えさえあれば一言の悪口も必要としないであろう。これは正信会の面々も決して例外ではない。
 信を正しくするためには、「伝統法義」の信では充分とはいえない。そのために伝統法義的信からの脱出が必要なのである。それが具現出来てこそ正信といえる資格が備わったといえるのである。正信とは、まず三師伝に説かれた無限の長寿と戒壇の本尊と本仏が具備されたものを指すのではなかろうか。求められたなら即時に相手方を満足させられる、成道や本尊・本仏の解説も用意された上での事であると思う。現状では一閻浮提総与にしても、相手方の満足するような解答は望み薄なのではなかろうか。名は体を表わすといわれているように、その名を辱しめない用意が必要なのではなかろうか。
 「伝統法義」という名に背くは異流義ということになるかもしれないが、それはどこに基準を置くかによって決まるものである。自分は常に正であり、他は必らず邪であるという種脱一致方式では異流義ということも、或は成り立つかもしれない。即ち正と邪との争いではなく、正と正との争いが決める事のようである。その正の根本になるものが三師伝の文の底に秘せられていることは、ほぼ間違いはないものと確信している。格別阿部さんと二人で争っているわけでもない。ただ願う処は、正信会には正信の珠を、護法局には護法の珠を献じたい計りであることを御了知願いたいのである。同じ一つの珠であることがお判りにならないのであろうか。今一つ、視野を拡げて見てもらいたい処である。ただ望む処は、せせこましい妙法から、大らかな妙法への脱皮であることを理解してもらいたいのである。
 大石寺で、師弟子が初めて法門として建立されたのは三師伝に依る処である。吾々のいう師弟子の法門とはこれを指しているのであって、「伝統法義」といえどもこれを斥う理由は毛程もないと思う。それにも拘らず、皆さん揃ってこれを斥うのは、世俗の師弟と感違いしているからであろう。それならば斥う理由は充分にあるが、あまりにも時節の混乱であるといわなければならない。三師伝の三祖一体は、師弟子の法門として丑寅勤行にもつながり、成道や本尊・本仏とも表われるもの、すべては長寿の表示である。そして戒定恵や三秘が秘められていることは、六巻抄から逆に知るべきであろう。
 御伝土代とは御相伝の土代即ち根本と解すべきもので、口伝えに伝えられる殆どのものは、この中から出ているようである。伝記に形を仮りた相伝書が、時代と共にその本意を失い、只の史伝書となったのが今の解釈である。三師各々の伝には、それぞれ十二・十三を持っている処は、内に本尊や本仏を秘めている証拠である。発端の文は伝記に形を仮り、宗祖から本仏、興師から本尊、目師から成道を導き出し、最後に、一本に収められる。これが宗祖本仏であるが、今は宗祖伝の処に一体の上に成じた本尊や本仏を考えているようである。朗師の耳引法門といわれるものは、興師と目師のそれぞれの担当部門を明らかにしたものであろう。
 次に、貞応元年二月十六日誕生というが、二月十五日釈尊入滅に対して十六日誕生は、十五日の夜即ち十六日午前三時であり、入滅と同時誕生の意を持っている。ここではまた魂魄の上の誕生の意をもっているのではなかろうか。三祖一体も魂魄の上で考えるのが最も理解し易いように思われる。単なる史実のみをもって作られたというだけでは理解出来にくいものを持っている。そこに御伝土代(三師伝)の深い用意がある。そしてこの三師伝によって大石寺法門としての三祖一体は出来上がったのである。
 そして三祖の上に一体と現れたもの、それが久遠名字の妙法とも事行の一念三千ともいわれ、また本尊とも本仏ともいわれるものである。総じていえば己心の一念三千に摂まるべきものである。それが今度邪義と決定したのである。誠に宗門始まって以来の大事件である。己心の本尊も遂に邪義と決定したのである。阿部さんの御深意のほどは、到底不信の輩の測り知ることの出来ないものである。そして宗祖の己心の一念三千も始めて心の一念三千となり了ったのである。そして、それを追うようにして発表されたのが山田論文である。そこに甚深の御深意があろうというものである。
 宗門は撰時抄愚記の久遠名字の妙法と事の一念三千以外には、本尊本仏は一切認めない方針のようである。この両語は何等の解説もない全くの単孤であって、それ程威力を具えているとも思われない。同じ寛師は、この二語については、六巻抄では第一から第五に至るまでを費されているが、山田の伝統法義では文段抄(愚記)をとって六巻抄を捨てているのである。何としてもその真意は測り難いものをもっている。それが山田論文なのである。
 両語合せて十三字、これが全部なのである。この中に一切の伝統法義は全部収められているということなのである。不信の輩にはどうしても理解することはできない。ただの一度の詮義もなしに、いきなり戒壇の本尊や本仏が現ずる不思議さは、信心以外には理解の方法がない。その信心も或る特殊な信心が必要なのである。その詳細は、今度の山田論文によって余す処なく公開された。そこにこの論文の真価を見ているのである。今、復背に敵を受け、悪口を受けている理由も、これによって得心出来るものがある。そこには偽りのない体質がにじみ出ているのである。
 寛師は、この両語については第一から第五に至るまでと、これを受けて第六では三衣に約して三祖一体の意を明らかにして、事行の一念三千の理を詳かにし、次いで事を事に行ずる丑寅勤行に至る理を詳細にされているのである。それが山田論文によれば、三重秘伝抄の種脱相対と事理相対の中間に本尊も本仏も出現するのである。そのために丑寅勤行の意義とも連絡が付かなくなったのである。そして本尊本仏の出生が薄れ、反ってその出生を信心の中に見なければならなくなったのである。これを比べてみても、「伝統法義」と「大石寺法門」との差違は明瞭である。山田論文は一人いきりながら、反ってその差違を明瞭にしたのである。所詮は自らの誤りを責めたてたのみであった。時局法義委員が大日蓮に載せたのであるから、宗門の公式見解としての条件は具備している筈である。それだけに重大である。
 山田論文が破折の基礎になるものとした二重構造とか蝙蝠法門とかいう新義は、俗身本仏論を出すための方便として六巻抄を破すのが目標のように見えるが、今一つ隠して論を進めるべきであった。一見底の底まで見透しのきくようなやり方は、あまり賢明な方法とはいえない。三師伝からは俗身と一念三千の法をつなぐようなものは、一切見付けることは出来ない。俗身と一念三千の法との一箇は、長寿を真向から切り斫くものである。俗身を一旦切り捨てなければ、時に拒まれて一箇することはあり得ない。
 本仏の寿命とは無限の長寿と同じ意味であり、戒壇の本尊にも長寿の意は伝え残されているが、今では、これを証明するにはあまりにも弱々しい感じである。本尊本仏ともに、もとは長寿がもっとはっきりしていて、伝統法義はそこに真実建立されていたのであろうが、今は肝心の長寿は、かすかにその痕を止めているのみで、とても長寿を思い浮かべるようなものではない。この長寿を中心として、開目抄や本尊抄を初めとする諸御書から、三師伝、六巻抄と受け継がれるのである。そこに血脉もあろうというものである。
 長寿がなければ血脉も相承もまた無用である。今の山田論文は長寿を捨てるための努力のようでもある。三世常住の肉身本仏論も、撰時抄愚記の文の解釈を基点としたものであろうが、長寿は三世常住の肉身の処で消されてしまっているために一貫性が見えないのである。若しこれが自受用身であるなら、長寿は一貫性を持ってくる。そのために己心の法門が必要なのである。今はその己心も邪義という名のもとに葬り去られたのである。
 戒壇の本尊も、戒壇の二字に長寿が秘められているが、もし己心を捨てるなら、戒壇はただの建造物による像法の戒壇に堕ちるのは、当然のことといわなければならない。広宣流布といえども、法門としては長寿・己心の上にのみあり得るものであって、己心の外の戒壇と異なるのは自明の理である。このようにして見ても長寿がいかに大石寺法門と深いつながりを持っているかが判る。しかも山田論文に依る限り、これほど重要な長寿を捨て去ろうとする努力だけしか見えないのである。これが自称する処の「伝統法義」なのである。
 「御書を心肝にそめて」ということがよくいわれるが、これは何れの門下にも通じることで、若し身延流の読みによって心肝にそめたのでは大変である。暗記と心肝にそめてとは自ら別問題であるにも拘らず、今はこの辺りにも混乱があるのではなかろうか。大石流の法門には自ら規制がある。その第一関門が三師伝に示されている。それが三師伝であり師弟子の法門であり、そこに示されているのが長寿であって、これが根本になっているのであるが、今はその何れもが忘れられている。何をもって心肝に染めているのであろうか。これが第一の疑問である。
 万一身延流によって心肝に染めるなら、法門地体が大きく変ってくるのは当然である。そのような中で崩れているようなことはないであろうか。これは大きな気掛りである。国柱会理念によれば国柱会よりになるのは当然のことであり、そこに種々なものが寄り合って新教学を作っているのではなかろうか。それが第二の疑問である。山田論文には何かしら、これに応えるものを持っているように思われる。その意味では大きな資料価値を持っているのである。それを資料として本来の師弟子の法門に立還るべきである。
 世俗の師弟から長寿を見出すのは困難であるが、師弟子の法門は長寿によって成り立っているのである。今は長寿を捨てるために師弟子の法門に攻撃を加えているのであろうか。これは第三の疑問であるが、挙げればきりがない。しかしながら、長寿を失った大石寺法門程無意味なものはないというのは如上の理由による処である。法華経が寿量品を説くのも、最終的には衆生の寿を一にまとめるためである。一になれば長寿である。それをするのが己心の法門である。
 寿量品の文の底に秘して沈めたとは寿量海中に沈めたことであって、それによって長寿を得た処が己心の一念三千の宝珠である。宗祖は海中よりその宝珠を持ってくるのである。その故に長寿を持っており、大慈悲をも具えているからして本仏ともいうのである。その本仏に長寿がなくなれば、いうまでもなく本仏失格である。それにも拘らず、今は師弟共に本仏の寿命を消す努力のみを重ねている中で、三世常住の肉身本仏論には、本仏の寿命が、どこか心の片隅に残っているものとして微笑ましい限りである。
 流石に阿部さんには心掛りなことであろうが、少々筋違いのために寿命を見付けることは困難なようにお見受けした。親の心子知らず、このようなこととも知らず、山田論文は異様なまで消すための努力を続けているのである。山田論文が最高の依拠としている久遠名字の妙法と事の一念三千とは、成道及び本尊や本仏が未だ詮じられる以前のものであるにも拘らず、これを詮じ終って後の扱いをしたために起った混乱である。これまた時節の混乱というべきものである。悪口雑言のみを以て解決しようというような心得違いは、しないようにした方がよい。
 三師伝を受けて六巻抄では三衣抄で師弟子の法門が説かれているが、これは至極簡単に消し去られ、丑寅勤行からも同様である。三衣抄は六巻抄の結論であって、ここで始めて衆生の成道が説かれるが、これも同時に消されたのであろう。そして本尊も本仏もまた消されたのである。結果として、本尊や本仏の説明が付かなくなったものと思われる。そのために出生抜きの本尊本仏が考えられてくるのである。そのような中で、今の本尊観・本仏観が出来ているのであるが、成道観については全く不明ではあるが、ないというのが真実ではなかろうか。ここには長寿を失った後のものによって考えられているであろうことは、容易に想像出来る処である。
 三衣抄の袈裟の終りにはその功徳が説かれているが、そこに登場するのが竜である。その諸竜のいる処が竜宮である。ここから見返すときは、三師伝の初文にも文殊や竜樹・竜女も登場しているのかもしれない。袈裟の功能は竜女の成道にもつながっているのである。そして竜女の成道は衆生の成道にもつながるものである。これは三祖一体した処の本仏の処でその功能を説かれたものであって、三衣抄はここで衆生の成道を説かれているのであろうと思われる。又、目師にあたる数珠の処で成道が説かれていることも当然考えなければならない。開目抄も二乗作仏が説かれているが、出来上がるまでには、文殊や竜樹、また竜女や竜宮などが登場していることは、容易に想像出来る。そこには長寿があるためである。
 二乗作仏は伝教以来の懸案であったが、開目抄によってこの難問も解決して無事に末法を乗り越える自信もついた。それが開目ということであろう。文殊の活躍も大きかったことであろう。三師伝に海人というのは暗に文殊を指しているのかもしれない。この菩薩は海の長寿を持っている。寿量品の文の底とは、文殊の担当する海を指しているように思われる。即ち寿量海中である。そして互為主伴の観音の大慈大悲大悲も受けて、これを上行に献じ、献じた功徳によって自分もこの二つを得たのであろう。それによって、本仏の資格も備わったのである。
 長寿と慈悲について後身ということが成り立っているのではなかろうか。二乗作仏に間しては、註経には大量のものが引かれており、これを消化することによって開目抄がまず出来上がり、ついでに本尊抄が出来た。これが開目であり、また開覚でもある。これを見て道師は、宗祖を本仏と見ることになったのではなかろうか。三師伝の初文は弟子としての立場から宗祖を見た率直な姿が現わされているのであろう。そして寛師もまたこの文意を受け継がれているが、伝統法義に二乗作仏が一向に見えないのは、どのような理由によるのであろうか。衆生成道は論外におかれたためであろうか。
 二乗作仏を忘れた大石寺法門など、あろう筈もない。しかしながら、山田説にはどう見ても二乗作仏は一向に見当らないようである。或は種脱一致の故に現われないのであろうか。その眼から吾々を見るときは、最も不都合な輩ということであろう。或は衆生成道を捨てさせるためか、長寿を捨てさせるためか、一向にその真意の程はつかみにくい。滅後七百年もたてば、衆生成道も長寿も次第にその必要がなくなっていくのであろうか。それだけ末法という「時」に対する感覚が鈍化したということであろう。全く時のしからしめる処という外はない。
 三祖一体の上に建立された師弟子の法門が失われてくると、自力による成道や、本尊本仏の確認は出来にくくなるのであろう。そして今は本尊の解釈も次第に他力化しているように思われる。今はどれだけ丑寅成道や刹那成道の意義が把握されているのであろうか、甚だ疑わしい限りである。そして本尊の意義も急激に変り、成道もまた死後に移りつつあるというのが実状である。脱に摂められた種の上に立てられた成道の具現である。山田説と現実の成道とは全く一致している。これこそ事に表われた一念三千というべきである。
 六年以前、第一回の反発の時、己心も心も同じだから心にしろといわれた心の一念三千とは「事の一念三千」をいうのか、「久遠名字の妙法と事の一念三千」との「人法一箇」した処を指すのか、未だに明らかでないが、六年の歳月は政治的な勝利に了ったようで、正信会も「心」の処へ固まったようにみえる。その結果として法門から長寿が失われていったのであろう。三人四人同座して己心の一念三千の法門を守ることが、いかに困難なことであるかということを痛感した。
 正信会の今年度の目標が、心の一念三千の処に立てられていることは一見明了である。これは正信会指導者の政治的な勝利の表示である。そのような中で阡陌陟記に対する怨嗟の声は深まっていくであろうことを感じている。それも次第に身近に迫ってきているようである。今年はいよいよそのテンポも早まることであろう。ここまで来て今さら三師伝へ立ち返ることも出来ないであろう。そこには衆生成道が根本に置かれているからである。
 いうまでもなく三祖一体の上に成じた己心の一念三千であって、それが天台との大きな違い目である。この法門が事行に具現されるのが丑寅勤行であるが、今は勤行に入る周辺の雰囲気があるかどうか甚だ疑わしい処である。そして三祖一体の上に成じた本仏と、今の本仏の間には遥かな相違があるが、次第に古い方から消えていくのである。これが山田論文にあらわれたのである。これは己心の本仏が消されて心の本仏の登場を唱えているしるしであろう。今は護法局も正信会も共にこの一点に集結しつつあるように見える。そして妙密上人御返事の引用によって逆を正とし、正を逆とすることを策しているが、これでは正常な引用とは頂きかねるものがある。
 道師は本仏の語を使うことなく、しかも十二分にその意を表わされている語がある。それが未断惑である。頸の座から魂魄佐渡に至る処、己心をも余す処なく一語に収められている。そして後身にもこのようなものを含んでいるのである。そこに道師の深さがある。一言でいえば長寿であるが、あの手この手でこれも殆ど消されていったようである。残るところは、ただ本寺の長寿であるが、これは流転の長寿であって、法門の長寿とは自ら違ったものである。
 心の一念三千には本来長寿を受け入れがたいものがあるようである。擯出した側も擯出された側も期せずして一致したのである。そして己心が惜しげもなく捨てられた処で妥協が行われたのかもしれない。昨秋或る人から談所が行きづまったことを伝えられた。これは己心の法門に対する別離宣言と受けとめている。つまり自分が心の法門に移行したことを表明したものであろう。偽りのない告白である。そして己心も心も同じだ、心にしろという処へ帰っての宣言である処は、どうみても政治的な敗北という外はない。
 六年もたって負けるのであれば始めから負けていた方が余程賢明であった筈であるが、同じ体質のものが一つになるのは、至極当り前のことである。今その宣言を耳にしたのである。その陰から悪口が溢れ出てくるのである。いかにも有為転変の厳しい世の中であることを思わせるものがある。そして利と慾との中にあって法門が次々に消されていくのであるが、法門はまた不可解な方向へ向けて一歩前進することになった。
 この己心の一念三千法門は宗門ではどうしても守り切れないものを持っているのであろうか。一語も使わずしてその意を尽くすのと、最高に尽してもその意を表わせないのと、また悪口雑言を振り捲いても表わせないのと、本仏についてもこれ程まで違うのである。どこが違っているのであろうか。結局は己心と心の違いということのようである。
 大石寺法門は、竜の口の頸の座から魂魄佐渡に至るまでを、道師が己心に受けとめた処から始まっている。その故に、何れの巻も十二・十三が根本になっている。十二・十三は丑寅の中間を表わし、諸仏成道の時でもある。この時刻が事を事に行ずる処の丑寅勤行であり、刹那成道もまたこの時刻に限られている。これによって末代幼稚の頸に懸けさしめたもうた一念三千の珠を、衆生自身の手によって確認することが出来るのである。その儀式が丑寅勤行である。恐らく道師の頃から始まっているのであろう。
 山田説が現在のように文段抄のみに執着する限り、「文上と文底、付文元意」などと、自称勝劣法門を一歩も離れることは出来ないであろう。しかし、ここの処を法門と名付けるのは少々セッカチである。ここはまだ教相の段階である。六巻抄を根本とするまでは、このような珍説から抜け出ることは出来ないであろう。種のみの上に展開した時に始めて法門といえるのである。山田説は自ら明らかにしているように種脱相対を一歩も出ていないといえる。而もこれを最高と信じ、正と立てるのである。信者から一口御尊師といわれると世界一の僧侶と思うのと同じ轍である。御尊師の語は、その時によって千差万別に使われるものである。たまには反省が必要である。
 法門は反省の上に、即ち逆次の読みの処に立てられている。文段抄から六巻抄に到り、更に文段抄に帰るなら本末究竟することもあるが、始めから文段抄のみでは、久遠名字の妙法や事の一念三千から本尊や本仏を現ずることは出来ない。これが山田論法の最大の弱みである。しかもないものをあるといわなければならない処に無理がある。所詮は夢中の権果である。そのような中で邪義邪説という語も飛び出すのである。何とはなしに雲の彼方から聞えているような響きをもっているのも異様である。
 六巻抄で久遠名字の妙法や事の一念三千が明かされるのは第五当流行事抄であるが、山田論文では早々と何の詮義もなく、第一三重秘伝抄の種脱相対の一念三千を説かれた直後に登場して同じ作きを示すようになっている。そのために六巻抄の大半を黙殺するようになるのであろう。これであれば、六巻抄も第三以下は全く必要はない。
 未だ法門として詮義は一も行われていないのが、山田説引用の久遠名字の妙法と事の一念三千である。次に取要抄文段から人法一箇の四字を取り出せば、そこには即刻本仏の誕生があり、次いで三秘の出現即ち戒壇の本尊の顕現である。何れも法門としての穿鑿は一向に行われず、素材即本尊本仏の出現である。これでは詮じるための教学は全く必要がないのは当然である。そのような処から学はいらないという語も生まれているのかもしれない。そして必要なのはそれを信ずることのみである。水島ノートが無疑曰信をやっていたが、あれはここの処へのみ必要な語と思われる。つまりは心の一念三千の上の無疑曰信ということであろう。
 第五の終りで明かされるのは理にあたるもので、更に第六で三衣から三祖一体に摂められた上で、いよいよ成道や本尊や本仏が顕わされるのは丑寅勤行をまたなければならない。ここで始めて法門としての威力が発揮されるような仕組みになっているのが六巻抄である。文段抄の一語をもって、即刻本尊本仏の出現とは、到底考え及びもつかない大顛倒である。しかも吾々を顛倒と称して責任の転嫁を謀るとは、山田御尊師もいよいよ御人が悪い。
 このように分れるのも、一つは註解の「凡身」と「凡情」の解釈に始まるような処もある。即ち凡身を愚悪の凡夫・名字の凡夫と読み、凡情の凡を俗身・肉身と読むなら格別混乱はなかったように思われるが、山田説では「凡身」を俗身・肉身と読んでいることは間違いのない処、今の宗義もまたここに固定しているようである。そこから異状発展したのが実状のようである。山田論文はこの辺の消息を明らかにしているものと思う。現宗門の基礎的な考え方は、余す処なく現わされている。それだけにこの論文は重要な意味を持っているのである。
 凡身を俗身と読むようなことは、最も避けなければならないものの一つである。俗身の上に本尊・本仏が成じているのが山田論文の最大の特徴であることを銘記したい。そしてこの二つは寿命を持ち合せていないのが次の特徴であるが、寿命を持たない本尊・本仏ほど無意味なものはない。恐らくは、これが心の一念三千法門に建立される処の本尊・本仏ということであろう。若し俗身にあらずして自受用身に建立されるなら、長寿も自ら備えられる。これが己心の一念三千の上の本尊であり、本仏である。
 ここが「伝統法義」と「大石寺法門」との大きな違い目なのであるが、それにも拘らず宗内では、心の一念三千法門は圧倒的な強さを持っているのである。折伏や広宣流布もまたこのような本尊や本仏のもとで考えられているのである。そこには、己心の法門の上に立てられた広宣流布のように、寿命を期待することは出来ないであろう。同じ考えの中に立って、同じく折伏と広宣流布をやれば、本尊を格護した側に強みがあるのは分り切ったこと、そうなれば一層のこと帰一して目標に向えば、効果も大いに上がるように思われる。
 山田法門の特徴は、他門には比較的馴染の少い久遠名字の妙法とか名字凡夫とかいう語の中で至極単純な操作が行われ、いきなりそれが俗身に現じると宗祖本仏ともなれば、戒壇の本尊ともなり、広宣流布も行われるということである。今度の山田論文には、極意の処が余す処なく明らかにされたのである。この中には宗門人も知らないものも含まれているかもしれない。宗門人も繰り返して読めば、必らず益する処があると思われる。
 八品隆師は本門弘経抄に、大石寺は釈尊を祀らず、宗祖のみを祀っていることを批難しているが、これは中央に宗祖、左右に興目両祖を配してあったものと思われる。即ち三師伝の三祖一体の姿を表わしたものと推察することが出来るが、いつの頃から今のような形になったのか不明である。前が三祖一体として木像を祀り、後に本尊を掲げて一体の処に本仏を表わしていたものか、委しい配置は分らないが隆師の証明は資料価値充分である。
 今の客殿配置から本仏を求めることは困難であるが、古くは一見、他門の人にも本尊配置から本仏が解るようになっていたのではないかと思われる。隆師のものは宗門にない部分である。今のように御本仏日蓮大聖人の盛んな時代には、配置もまたそのように在りたいものであるが、山田論文では、二祖・三祖を見出だすことは不可能である。そのような中で宗祖のみが本仏の語義を伝えているようである。本仏も三祖一体から次第に一人に限られて来たようであるが、三秘も三祖各別の時それぞれに配されて事行の法門にのっているように見えるが、三秘がその力を表わすためにも、三祖一体は必らず不可欠のものではなかろうか。この辺は道師は中々慎重である。
 道師には三秘を別に取り出す必要がなかったのかもしれない。扱い方の相違である。今は三祖一体は消えて専ら三秘一本という処は真反対になっている。これでは表われるものも反対に出るのは止むを得ないことである。三祖一体の線が薄れることは長寿が失われる懸念がある。長寿は必らず己心にあるもの、今は己心さえ邪義と決まっている時勢である。心の上には長寿は在り得ないものである。「伝統法義」の難問は何といっても長寿である。長寿がなければ上行菩薩も無意味である。本仏宗祖に寿命がなければこれを本仏といえないかもしれない。
 「伝統法義」はどのようにして長寿を取得するつもりであろうか。悪口雑言をもって得られるようなものでないこと位は知っておくべきである。寿命は目に見えないもの、目に見えないものは捨ててしまえでは困りものである。人の寿命も中々顔を見ることはないが、目に見えないから捨ててしまっては大変である。本仏の寿命も同じである。これは、必らず何かの方法で確認しなければならないものである。「伝統法義」は、どのようにして見付けるつもりであろうか。技倆の程是非拝見したいものである。
 無疑曰信ということについて、カッコ水島が何か書いていたようであったが、疑いを持つことを極端に斥っていた。「伝統法義」では一切疑を持つことは許されないということは分る。ただ信ずることのみが必要なのであるが、疑いのない処に前進はない。次々に疑問を出し、いよいよ疑いのなくなった処で無疑曰信とやった方が人聞きもよい。大いに疑いを利用して前進をかちとってもらいたい。
 当家は信心の宗旨だということで学を捨てることは、種脱一致の処に本尊や本仏を立てるためのものである。宗旨や宗教の場でいうものではないにも拘らず、宗学の処で利用されて来たために逆効果が出たようにも見受けられる。今も昔も学を斥うことには変らないのであるが、あわてて他門の教学を頼んだ時、混乱に巻きこまれることは、既に最近よく見かけるところである。不断の努力こそ肝要である。教学を持たない信心のみの宗門が成り立つであろうか。静かに昭和六十年代の教学を考え直してもらいたい。
 いつも引用文を示さないと批難を受けるので、今度は少し引くことにした。主として三師伝の初行の文のうち、特に「垂迹」以下に拘わるものであるが、同時に開目抄及び六巻抄の文にもかかわるもの、何れも註法華経からのものである。
 文句一云、後五百歳遠霑妙道、
 記云、且拠大教可流行時、
 記云、然後五百且従一往故云五百、
 仁王経云、八十年(天台疏云正法始衰)八百年(像法澆偽)八千年(末法将盡)無仏無法無僧時此経三法付属諸国王四部弟子受持読誦説法義修七賢行十善行化一切衆生、
 道液疏云、八十年者五部諍論初興時滅正法之萌時八百年者空有諍興滅像法F萌時八千年者末法之興也、
 輔正文云、十六羅漢伝持正法至于未来人寿六万歳時正法無息増至七万歳正法永滅文、
 守云、正像稍過已末法太有近法華一乗機今正是其時何以得知安楽行品末世法滅時也、
 又云、小乗権教禅定堅固已過文、
 或義云、(百光房慶暹律師懺法式云)
 釈尊滅後初五百年(解脱堅固時也)小乗教興諸大乗経皆移竜宮後五百年大乗興竜樹菩薩入海取経文、
 玄七云、従本垂迹々中始成仏時亦有業願通応中間所化亦有四種文殊観音調達等或称為師或称弟子於惑者未了若払中間無非是迹則迹本可解若執疑本二義倶失、
 竹七云、次迹文中云、文殊観音或為師為弟子者文殊昔為妙光菩薩教化燈明八王子是八王子相次授記其最後者名曰燃燈々々既是釈迦之師妙光乃成釈迦九代祖師観音経中釈迦過去於正法明如来所学修道法正法明如来即観音本身故知文殊観音並曽為師調達即是阿私陀仙具如今経如是等人却為弟子、
 記九云、南師従此為流通者意以四信々解功徳亦属流通不須必至滅後五品文殊等者如迹門入海教化通経豈必在於仏滅後耶(以下略)、


 あとがき
 この一巻、辛うじて書き終ることが出来た。一挙に言い尽くすことも出来ないので、出来れば続けて書きたいと思っている。初め「索隠」と題するつもりであったが、第二巻を書く自信がなかったので、表題のように改めた。しかし、今また第二巻が続きそうなので、元に復して「索隠」第一とすることにした。阡陌陟記よりは少し深い処が探れるなら幸甚である。山田論文が如何に重大な内容を含んでいるか、この一巻を座右に置きながら熟読してもらいたいと思う。悪口雑言を厭わず再び書きおくる事にしたことを申しそえてあとがきとする。尚、付録(一)、(二)は阡陌陟記に予定していたものである。  川澄しるす  

 付録(一)
 国立戒旦の構想から戒旦へ、そしていよいよ完成した時は仮名と、既に三転した正本堂も、その後未だに仮名のまゝであるということは、三大秘法抄による発想が強力な民衆の抵抗に遭ったためである。同時に使われた三位日順の本門心底抄には一見して三大秘法抄と密接な関係があることが分る。何れも文底己心の一念三千法門とは懸かな距離があり、文上に依っている処、何となし勝劣流に近いものを持っているようにさえ見える。日興筆記ということで特に重要視される御義口伝とも或る種の共通点を持っているような感じである。
 現在の処三大秘法抄が最初に現われるのは時師の写本であって、やゝ遅れて久遠成院日親のものがこれに続いているが、若し日順著の本門心底抄が真作ということになれば、その内容からして三大秘法抄は南北朝の初の頃まで引き上げられることにもなりかねない。これには色々な問題が絡んでくるので、時師の写本に近い頃という処が妥当であり、順師作も学頭遺跡で謀作されたと見るのが妥当のように思われる。
 秋山新九郎に相承が渡ったことゝ遺跡の語とは大いに関係があるようには思われるが、それが何時であるかということについては、一向に分らないのが実状である。それ以後は北山の本寺との争いの中で日順作というものが現われる可能性があり、大半は遺跡で作られたものではないかと思わせるものがある。これらのものは学頭遺跡と本山との争い、つまり北山本門寺内部の争いに限定して考えるべき資料ではないかと思われる。それを或は遺跡を北山本門寺、本寺を大石寺と定めている人もあるが、これは戴きがたい処である。
 その頃は遺跡側は勝劣派、本寺側は一致派と、日興門流とは異なった教義の中で鎬をけずっていたのではなかろうか。そのような中で現れた一つが本門心底抄なのかもしれない。本門の心の底の抄、つまり法華経の文の上の迹門と本門、一致に対する勝劣流を主張した処に心底の意味があるようにも見える。これをいきなり文の底の己心の一念三千とするには些か無理がある。心底の語にどこまで魂魄といえるものがあるか、恐らくこれを見出だすことは至難の業ではなかろうか。
 日興門流で出来た注釈書であって見れば、若し大石寺が使うためには、御伝土代のように魂魄の上に記されたことが必須条件になる。こゝでは会通は利かない。使う前に己心の一念三千の上に記されたものかどうかということを定めなければならない。その点三大秘法抄といゝ、本門心底抄といゝ、どうも無理が目立つようである。時局法義研鑽委員会にも改めてその辺の研究をしてもらいたい。
 若し北山本門寺内の一致勝劣の成果をもって魂魄の上に建立された己心の一念三千の戒壇にあてはめて戒旦を建立するためには、色々と厳しい条件がある。恐らくは越えがたいものであろう。若し大石寺の戒旦が、法門も異なる日興門流の著作をもって建立されるなら、大石寺の法門を乱すことは避けがたいところ、大石寺の戒旦建立は必らず御伝土代を依拠とすることが必須条件であるということを頭の中に置いた上で、委員会にも研究してもらいたい。
 日順著作といわれるものを使う場合には余程研究が必要であるにも拘らず、従来準備段階にあたる処は全く空白のまゝである。学頭遺跡説に依って建立されたとしか思えない正本堂を大石寺のものとするためには、容易ならざる困難がある。時局法義の研鑽はまずこの会通から始めるべきである。自他の区別を付けるためにも第一に手掛けてもらいたい。大いに委員会の技倆を期待したいものである。
 大石寺正本堂として一筋通った会通を考え出してもらいたいと思う。そうでないと十月十二日を十五日に変えたように本尊や本仏の解釈を変えなければならないことにもなる。これが行われて初めて本尊が移される条件が満たされる。委員会は責任をもってそれを発表してもらいたい。今の成道は本因の上に立てられたもの、本尊も本仏も同様である。それが本因を離れるためには、内外に知らせるために成文化が必要であると思う。御宝蔵・客殿・御影堂をもって一体となし、一つの働きを表わされていたのは本因による故であったが、今は一の正本堂がこれを受けているのであるから、信仰形態も当然変っている筈である。それを裏付けるための教義が必要なのである。悪口雑言はそれ以後にしてもらいたい。
 丑寅勤行は魂魄の上の己心の一念三千を認めた時初めてその意義もあり、威力も発揮される。心の一念三千では全く無意義である。成道一つにしても、どのような時に成道といえるのか、それさえも定まっていない。本尊も本仏も同様である。そのために常に浮動している。三世常住肉身本仏論もその一例である。本尊が正本堂に移ったことゝ大いに関連があると思う。現在正本堂に本尊が移った以上、それを裏付ける宗義は不可欠である。
 以前は御宝蔵にあることによって本因の本尊であることが示されていたが、それに準じて考えてみれば今は本果を取っているのであろう。そして本仏も本果の処に考えなければならないが、本果の処に本仏の出現を考えることは、恐らくは不可能であろう。そのような中に肉身本仏論の出る胚胎があるものと思われる。成道もそれにならって死後の成道ということになる。死後に決まれば刹那成道の領域ではなくなる。本尊の住処が変ることは宗義全般に直接関連がある。悪口雑言は時局法義研鑽委員会の考えを一つにまとめるために必要があったのかもしれない。次ぎは一本にまとまった処で、宗義を一本にまとめる処へ向って踏み切ってもらいたい。
 事が三大秘法抄から始まっていることは大体間違いあるまい。明治になってその発想が宗門に入りかけた以後を明治教学の時期とし、その内容について明治教学と称しているのである。宗義を直接揺がしたのは三大秘法抄であって、カントに依る影響を直に受けるような教学は大石寺には初めからありもせず、終に育たなかったということである。後には這入ったような節もあるけれども、結局それは三大秘法抄の解釈の中に溶けこんでしまって、そこから直接宗義に影響をもって来ているように思われる。
 戒旦の本尊が正本堂へ移るのも三大秘法抄の威力に屈したということである。本尊抄から三大秘法抄への移行が事に顕われたまでゞあるが、それの教義的な裏付けは必らずなければならない。十二日から十五日への移行とそれ程変りはない。十二日には充分の裏付はあるが、十五日となると、いくら御書を探って見てもその日は出てこない。結局十五日と決めるのは人の智恵である。法によって十二日と決められたものを人智によって十五日と決めた処は人重法軽とも受けとめられる。人の智恵が法を上廻った処で十五日と決められたのである。世俗の情が法を上廻った処に注目しなければならない。しかも国柱会の説を全面的に取り入れた上で本尊の開顕が決められたことは、魂魄の上に建立された己心の一念三千の抛棄にもつながるものを持っていることを考えなければならない。
 熱原の三人が頸の座に上った処は法門の領域であるが、実際に処刑された事とは、自ら別問題であるにも拘らず、今は正反対になって斬られた事にのみその意義を見出だそうとしているのである。考え方が外相に移りゆく一例であるとすれば興味深いものがある。内にあるべきものを外へ、それが三大秘法抄の特異な秘められた働きである。一時は派手にあっても、再び内へ向わせられた時には防ぎようのないものを持っていることは、室町末期の歴史の示す通りである。その愚を繰り返すのは、避けた方が賢明なようである。沈黙はいかにも消極的である。敢為こそ今求められている処ではないかと思う。その敢為とは内面への反省である。己心の一念三千にはその様なものを持っているのではないかと思う。
 最近読んだ蘇東坡詩集の中に閻立本の職貢の図と題した詩があった。その発端の句に、貞観之徳来万邦、浩如滄海呑河江というのがある。後に七句が続いている。宗祖にも貞観政要の写本があるし、平安以来可成り読まれたもののようであるが、法華の徳の浩きことは一切の江河を受け入れ乍ら潮は一向に増減がない、一切諸法を摂めた久遠名字の妙法、そこから始まった己心の一念三千は大海の潮の如く無表情である。しかもこれを施すことは徳化に限るということを読みとられたのではないかと思う。法華から世俗への通路である。そこに貞観政要を写された意義があるのではなかろうか。法華と末代愚悪の凡夫の中間においてみれば徳化の意義も鮮明である。何とか写本の意味も分るような気がする。
 身延隠栖以後は専ら徳化に遷ったということである。宗祖の隠遁は世俗から身を引いて、改めて己心の一念三千による民衆への徳化の処に意義を見出すべきではなかろうか。竜の口の頸の座に始まった己心の一念三千法門、それは民衆との魂魄の触れ合いである。それが隠栖によって具現化されたのであろう。世俗から己心の世界に遷ることは隠遁と同じようなものをもっている。隠遁に二義あることを知らなければならない。宗門も宗祖のような敢為を具現化するような隠遁に踏み切ってもらいたい。その意味で、大村さんも勇気を出して十五日から十二日へ、即ち世俗から魂魄への切りかえの第一歩を踏み出してもらいたい。そこから自他の救済も出てこようというものである。
 昔から難解の随一とされている太平記も、よく見れば貞観政要の日本版というような処もある。治乱興亡を説きながら最後中夏の処は己心の世界である。民衆はそこに自らの救済を求めようとしている。それが民衆思想の抬頭につながってゆくのであろう。平安時代から親しまれてきた文選や貞観政要は、末法に入って二百年余りも過ぎて新しく芽ぶいた。その先駆をなしたのが日蓮ということになれば、己心の一念三千も大いに意義があろうが、太平記の出来た頃には、反って日蓮門下では大分変形して、僅かに大石寺のみがその命脈を伝えていたようであったが、今は己心の一念三千を捨てることに苦労しているようにさえ見える。流転の現相という外には考えようがない。そして頸を切られ畢った筈の頸が再び蘇って複雑な様相を呈しているのである。一筋だけでは理解出来ない理由もそこにある。
 日蓮宗は一般に現世的であるといわれているが、今は世俗的である。現世的といわれた理由は成仏・成道を、他宗と異って現世に求めている処によるものと思う。生きての成道である。魂魄の上に己心の一念三千を立て、そこに刹那成道をたてる。これが師弟子の法門ともいわれているものである。しかし今は専ら死後の成道をとっているので、現世的という理由はない。像法の故に表に出せなかった仏教の内面は末法に生まれた日蓮によって受け継がれたが、滅後七百年目には、眼の色を変えた宗門自身の手で打ち消された。そして心の一念三千が新しく生れたのである。
 初めの頃、己心の一念三千を観念論と下しているものがあったようであるが、これは俗書の読み過ぎ、未消化の故である。最近も宗外の人の言として聞いた事がある。こちらが観念論なら、そちらはカネ論である。それだけに俗臭が濃厚である。この俗臭を押えた処、即ち魂魄の上に建立されているのが己心の一念三千である。天台によって完成したこの法門は更に妙楽によって磨をかけられて日本の仏教に伝えられた。その隠された一面が末法と共に日蓮に依って表面に出たのである。
 成道を生前に求めるか死後とするか。これは特に末法に入って以後の大きな論争の一つではなかったかと思う。生前説を支えたのは従義流であり、死後の説をとったのは四明流であり、結局天台宗は四明流を取ることによって死後の成道に収まった。そのために仏教の夢はあえなく夢中の権果として消えていったのである。註法華経及び御書に只の一回も四明流のものが引かれていないのは奇妙である。生前の成道は滅後七百年、辛うじて法門として伝えられて来たが、今の宗門は生前の成道を否定するために悪口雑言の声を張り上げたものゝ、結局は一回限りということで目下は沈黙を守っている。
 カネ談義の陰に隠れて、法門の上にのみかすかにその命脈を保っていた魂魄の上に建立された刹那成道であったが、それを持とうとしているのが擯斥処分により頸の座に居えられた人等のみというに至っては、何ともお寒い限りである。宗門は時局法義研鑽委員会を組織して、抹消した後の裏付けを急いでいるようであるが、進展しているのかどうか、沈黙の美徳の影にかくれて一向に不案内である。
 漢光類聚をもって中古天台と下し、それをもって己心の一念三千や宗旨分宗教分の語を消そうとたくらむことは、それが大日蓮に載せられた以上、宗義が今の天台宗や日蓮宗と同じく、成道が死後に定められた有力な証拠である。仏教の隠された半面や日蓮の己心の一念三千にある生前の刹那成道とは完全に訣別された。そこに大きな意義がる。在世の末法には、本因の本尊や本仏は在り得ない。そして三秘も各別となって迹門形を取ることになる。今度の悪口雑言はそれを証明して余りあるものがある。既に本尊義も成道観も変えられた以上、素直にそれを文字をもって証明することが最大の責務であると思う。
 聞いた処によると、大日蓮では未だに多言多言(ブツブツ)とやっているのが載せられているとのことであるが、ブツブツとは迹仏の意、そこには久遠名字の妙法の意はない。唱える道中はいかにも多言であるが、唱え終わって立還って見れば一言である。多言には死後の成道がある。唱えることを修行と見るか、受持を修行と立てるかの相違であるが、修行即観心とはいわない。受持即観心をとるのは古伝である。己心の一念三千法門に依る故である。
 多言は死を見て初めて完結し、そこに成道を見ようというもの、唱える題目も略挙経題玄収一部による。つまりは一部読誦と同じ境界にあるものであって、久遠実成の範疇を一歩も出るものではない。どう見ても半偈成道と同族である。そのような処に御本仏日蓮大聖人が出現するのである。つまり竜の口の頸の座以前の話である。本仏の出現は必らず魂魄の上に成じるのは古伝の法門であるが、今の伝統の宗義は明らかにこれを否定している。このブツブツはその誤りを再確認しているまでゞある。若し迹仏世界に本因の本尊や本仏の出現があるというなら、理をもって文字の上でこれを証明してもらいたいものである。
 悪口雑言という結論が出た後でのノートほど無意味なものはない。去年の暦が今の用にたたないことは既に御存知のことゝ思っている。元来、研究ノートというものには未完成という謙虚さを含めているもので、もしこれが完成以後に使われることになれば、それは傲慢さと虚しさを表わすことになるかもしれない。多言がお好きなら毎号二十頁四十頁のものでも発表してもらいたい。毎月二頁ではこちらとしてもお相手のしようもないというのが実状である。二頁ではどうしても多言と受けとめることは出来ない。唱題は一言、研究ノートは多言でありたいと願っていることを承知しておいてもらいたい。不信の輩には、何度見返しても本尊の中央の題目は一言としか眼に映らないのである。口唱の題目は多言、裏付けになるものは一言ではどうも戴きかねていると申し上げる外によい手段(てだて)はない。
 多言を取り上げて一言を否定することは、久遠名字の妙法や自受用報身如来や未断惑の上行を否定することである。しかも御本仏日蓮大聖人が出現し、本因の本尊が顕現される法門である。多言によれば迹仏世界に還ったようではあるが、一言を否定しているので本仏世界ではない。只ブツブツと言うだけで、どのような仏か一向明らかにしていない。
 迹仏には迹仏の時があり、本仏には本仏の時があるが、ブツブツには肝心の時がない。つまり無時の仏である。迹仏にもあらず本仏にもあらざる新仏の誕生である。その新仏は時に水島本仏となる可能性をも秘めているから無気味である。長い間大日蓮に連載されていることは、宗門自信の考えの中にそのようなものが内在しているのかもしれない。そのような本仏の出現を夢みているのではないかとも考えられる。時が必要なのは特に仏法を立てんがためである。無時の処に出現するのは理即本仏の部類に属するもの、水島ノートのねらいは案外このあたりにあるのかもしれない。
 中世において理即本覚というようなことが実際に考えられていたのかどうか、少くとも大石寺法門から見れば、そのような事は考えられない。これは判ずる者が名字即の仏を見落しているためなのかもしれない。しかし今の水島本仏は自ら理即本覚に依ろうとしている処は最早や仏法の領域ではない。師弟子の法門として見れば名字妙覚を切り離すことは出来ない。等覚一転入于理即は名字妙覚のための準備段階なのかもしれない。結論を見るのは読む者の誤りであって、成道の時の未断惑の上行が見落された嫌がある。反対の立場から故意に見落されたということかもしれない。
 今の宗門では師弟子の法門は認めないが、その代りとして予め本仏を用意している。即ち迹仏世界と同じ成道の姿を取っている処は、本仏世界にはないものを持っている。これは一つの難点である。こゝから頸の座に付くことのない本仏が俗身から誕生するのである。魂魄の上にあらざる本仏の誕生である。三世常住の肉身本仏は、どう見ても頸の座に上ったとはいえない難がある。
 大石寺法門の特徴としてどうしても挙げなければならないものに成道の先行がある。成道という条件が付けられることは師弟子の法門によることを表したものであり、名字妙覚によることを示されたものと解されるが、今の宗門では成道は本尊や本仏が出現した後に、別個に考えられている。こゝで本尊や本仏が少しでもぼやけると、そのまゝ理即本覚につながる恐れがある。その意味では水島本仏がいつ誕生しても決しておかしくない条件はそろっているのである。
 丑寅勤行では先ず衆生の成道、そして本因の本尊、本仏と続いている。これが師弟子の法門として理即の凡夫一人のみの本仏出現を防いでいるのであるが、今は全面的に否定されている。そこに法門の暴走がある。以上は多言一言によって教えられた処である。その点は水島ノートにもそれなりの意義を持っていることに敬意を表したいと思う。水島ノートも使い方によっては大いに啓蒙される処がある。どこでどの様に分析されているか、たまには考えて見ることも無駄なことではないのではなかろうか。いつもいつもブツブツといわず、たまには表舞台に立って堂々と論じてもらいたいと思っている。その為めにはまず多言一言を弁える事が先決である。これを弁えることもしないで本仏を称えても無駄である。
 たまには三大秘法抄を忘れ六巻抄を読むことをお奨めする。次ぎ上という語は日本語にはないといえば威勢はよいが、本尊抄や六巻抄に使われていては悲劇である。自ら六巻抄や本尊抄さえ読んでいないことを証明したまでゞある。もし無いならもう一度言ってもらいたい。阡陌の二字が御書にないという者は開目抄を読んでいないということで、これでは頸の座や魂魄の持つ意味が分らないのも御尤もな事であるが、本仏や本因の本尊を語る資格があるとはいえない。開目抄や本尊抄を読んだことがないではお話しにならない。一度読めば五年や十年は記憶に残るものである。優秀な頭脳をもって時局法義研鑽委員に撰ばれている御尊師よ、是非開目抄や本尊抄位は読んでおいてもらいたい。読んで、忘れては亦読むでは一向に前進がない。兎も角一度読んだものはせめて十年位は忘れないようにした方が得策である。
 初の頃、憂宗護法会とかいう会名を聞いたことがあったが、会長の名前も一向聞いたこともないし、会報が出版されたことも聞かない。現在も在るのかどうか一向に消息が分らない全くの幻の会である。宗の護法を憂うる会、その法に二あり、一は心の一念三千、二は己心の一念三千である。宗が心の一念三千の法を護ることを憂うる会なら正信会と同じであるが、その法を己心の一念三千とすれば全く反対になる。
 宗を憂え法を護る会にしても法が問題である。本尊抄による法なのか、三大秘法抄による法なのか、肝心の処はぼやけている。法が二つに分れている会は、まずその法を明らかにする必要がある。もし心の一念三千ということになれば大村さんも腹背に敵を受けることにもなり、容易ならぬことである。両釈を踏まえた処は実に妙の至極である。大いにその技倆を称讃したいと思う。
 宗を憂え心の一念三千の法を護っているのは時局法義研鑽委員会の面々とは思っているが、同じ心の一念三千の法でも、宗の心の一念三千の法を護ることを憂うる会となると状況は一変する。このような名前を付ける時は、その読み方と法の解釈を添えた方が紛らわしくない。会員の皆さんは何れの読みをとっているのであろうか。何れにしても、こゝまで来ればしばらく鳴りを静めているのが良策のように思われる。あまり功をあせって旗色を鮮明にすれば水島・山田両委員の二の舞を演ずるようなことにもなりかねない。
 先生方も己心の一念三千の教えのごとく、目前の煩らわしさを遮断し、魂魄の上でものを考えて居れば、今のように追い込まれるようなことはなかったのかも知れない。あまりにも浅はか過ぎたようである。「頸の座」の意義がつかめていなかったのが根本である。そのために本仏に対し、己心の一念三千に対して弓を引くような結果を招いたのである。目に見えない法門の世界の出来事である。父は長柄の人柱、余計な事を云い出した為めに狙い打ちを仕掛けられたのである。こちらもそろそろ種切れが近付いたので、沈黙を破って大いに紙面を賑わすことを望んでおきたい。しかし今まで発表された御両所のもののみでも勉強にはなったので、その点は大いに敬意を表したいと思う。
 今は白烏の恩を黒烏に報じたい一念のみである。魂魄の上では御両所もまた白烏ということも出来る。しかし今一番残念なことは、皆さん方が専ら外相によって、一向に魂魄を認めようとしないことである。その生処を認めないで本仏を称えて見ても、何等の意味を持たないことは云うまでもない。衆生の成道も本尊も本仏も全て魂魄の上に建立されていることは、常々繰り返している通りであるが、それを一向に認めようとはしない。それでは色々と無理がある。成道と本尊と本仏とが各別になり、順序が逆さまになる難があり、迹仏世界に逆転して一切の法門が空に帰す恐れがある。
 生前に、刹那に成道を求めることは宗祖以来の伝統であったが、遂にこれを抛棄して死後の成道に還帰することになった。これでは他宗と全く同じであって、本因の本尊や本仏とは全く無縁の世界である。それでは魂魄は一切認めないのかというとそうでもない。彼岸や盆の塔婆供養は中々盛んであるが、つまり成道や又本因の本尊、本仏について魂魄を認めないということである。それが三世常住肉身本仏論である。
 世間一般でも仏教全般でも魂魄を認めていることには変りはない。只認め方が違うのである。本仏の常住の生命は魂魄の上にのみ認められ、そこから発展昇華して一宗の法門となったもので、己心の一念三千が魂魄の上に現じたことは開目抄や本尊抄其の他の御書に示されている通りであるが、宗門は今となって其れを認めようとしない。その点、心の一念三千はむしろ現世専門であって本より死後に亘るようなものでもなく、一念三千の必要もないものであって心のみで充分である。魂魄とはいわれても、開目抄の魂魄とは遥かな相違がある。
 迹仏と本仏の魂魄の違い目、それを定めるのが時節であるが、今はその時節さえ認めようとしないのであるから、迹仏世界への還帰は止むを得ないことである。時節を抜き去った処で仏法を称して見ても仏教の中に摂入されるまでゞある。大石寺で仏法といわれているのは刹那に現世の一切を遮断した己心の一念三千の上に限られているが、今では仏法も仏教もそれ程の区別は認めていないようである。彼岸の塔婆供養まで仏法に含めるのはどうかと思う。
 宗祖において流転還滅の両門を立てなければ還って混乱の原因になる恐れが充分にある。宗祖に仏教的な部分の多いのは当然であるが、これを己心の一念三千に収めた処で仏法といわれるのが原則のようである。拡大されたものが仏法といわれても差支えはないが、原則と拡大とには自ら差別を設けなければならない。あまり拡大されると迹仏と区別もつかなくなり、反って俗世に煩いされる恐れもある。これを前後不覚という。覚前の実仏と覚後の本仏の境目だけは付けなければならない。多言のみに執着して本仏を得たと思っている人はこの部類に入るべきであろう。
 仏教をもって仏法と思い誤っている人も案外多いのではなかろうか。仏法を知らんとすれば多言と一言の区別を付けることも身近かな方法かもしれない。それを定めた上で他宗の辞書を見ないと、気が付いた時には抜き差しならない処へはめ込まれて、爾前権教から一歩も抜け出すことも出来ないということになるかもしれない。一言の上の流転を称して流転門といゝ、還滅を還滅門と称しているが、多言一言の区別もなく流転還滅と使えば多言に采配が上るのは当然である。そのような中で爾前迹門の教相が急激に他から入りつゝあるということであろう。
 ないからあわてゝ読む、読むから入るでは混乱するばかりである。今必要なのはこれらのものを取捨選択する思惟であるが、三年間を振り返って見て、それ程の思惟力があるとは思えない。今皆さんがやっている処は読んで捨てる中の微塵部分である。仏法は次ぎの思惟に始まるものであること位は御理解願いたい。今は捨てるための学問に専念する時である。今得た一語をもち出して見ても、たゞ跳ね返されるのがおちである。沈黙の間に捨てるための学問に専念してもらいたい。御伝土代の目師伝はこれを述べられているのであろう。水島さんは伝記の専門家ではあるが、も一つ奥を読んで、そこに思惟が要求されていることを読み取ってもらいたいものである。
 口に文底を称えながら文証を示さないといっておる向きもあるが、それは文上家の物真似である。文を捨てた後に思惟があることを知らないためで、自分が文上家と同じ処を目標に努力しているということであろうが、文上家に根を下すためにはもう少し明晰な頭脳が必要なのかも知れない。そこは素早く通り過ぎて一日も早く思惟の境界に到達することである。目師伝には決して文証は要求されていない。人に文証を要求すると、反って腹の底、お脳の中を探られる恐れがあること位は承知しておいてもらいたい。いくら文証が好きであっても、著作年代、真偽共に不明では文証の価値はない。今日の場合、若し文証を使うなら確実なものをもって破折すべきである事位は心得ておいてもらいたい。
 「忠尋(1065〜1138)は台家における恵心流の始祖・源信より下って四代目の学匠。忠尋の著作といわる『漢光類聚』に宗旨分・宗教分の語が初めて使用され、これらの判釈によって台家はますます混迷の度を深め、本師伝教大師の教えに違背した。たゞし『漢光類聚』を忠尋の説と認めない説も数多い」と。以上は山田論文の末尾、漢光類聚の註の全文であるが、著者もはっきりしないものをもって破文に使うのは非常識である。宗旨分・宗教分の語が初めて使用され、これらの判釈によって台家はますます混迷の度を深め、本師伝教大師の教えに違背した。どのように混迷の度を深めたのか、どのように教えに違背したのか、立ち入って具体的に示してもらいたい。
 阡陌陟記が宗旨分・宗教分の語を使ったためにどれだけ宗門が混迷の度を加えたか、どれだけ宗祖の教えに違背したかということがいゝたいのであろうが、この註の文はそのまゝ当方へは通用しない。混迷の根源は寧ろ本尊抄から三大秘法抄へ移行したことにある。そのために己心の己の字が失われて心の一念三千となった。そのために成道も死後に移り、戒旦も別立し題目も一言から多言となり、本尊も迹門形をとるようになった。漠然と吾々に対して混迷というより、以上のような混迷の方がより具体的である。この混迷を処置することがより賢明である。
 忠尋以下の文は恐らく天台学者のものから引用したものと思われるが、明示していない処を見ると自分で研究をまとめたのかもしれない。そうとすれば大した頭脳である。可成りな量の原典・原本を読んだものであろう。その努力に対しては大いに敬意を表しておきたい。但し遺憾なことには、この註の文の作者が己心の一念三千の嫌いなことである。その点宗門人の共鳴を得たのであろうが、本因の本尊や本仏に違背するような解説の註文はあまり感心出来ない。本師伝教大師の教えについては、宗祖の解釈に従うのがものゝ順序というものである。像法一本では伝教の内証は読めない。末法に夢を托した伝教の教えこそ宗祖の受け継がれたものである。それが一言で云えば己心の一念三千であると解すべきである。
 妙楽・伝教を介して天台を見るか、除外して天台・日蓮とつなげるか。この註の文は後者によっているように見える。前者を取るのは従義流であり、後者をとるのは四明流である。その意味において四明流による現在の天台宗と今の宗門とは根本において全く同一であって、詮じつめれば像法と出ることは必至である。これは己心の一念三千を認めないものゝ罪である。
 妙楽・伝教を通じて仏教は民衆のものとなった。その根本は魂魄の上に現われた己心の一念三千に依るものである。しかも今の宗門はこれを持とうというものに悪口雑言をもって酬うているのである。少くとも真蹟の御書の中から、己心の一念三千を否定するものを見出すことは不可能ではないかと思う。まして己心の一念三千を持つものには悪口雑言をもって酬いよという文は皆無である。宗門は何れの御書をもって強行しようとしているのであろうか。このような時こそ文証は必要なのである。己心の一念三千を捨てゝ心の一念三千にしろという文証があれば、後学のため是非お目にかゝりたいものである。
 忠尋の死後十八年目には保元の乱が起り、南都北嶺、園城寺と延暦寺、互いに焼いたり焼かれたりしている物騒な時代である。天台においても現在正統天台と称している四明流と異端と決められている従義流とが争っている。その従義の流れを汲んでいるのが宗祖である。自身では根本大師門人といわれる位であるから正統派をもって任じていられた。伝教の己心の一念三千法門を受け継ぐことが正統ということであった。七百年前の人がそのように判断されているのであるが、その後時が変って従義流は異端者ということになったので、宗祖も亦異端者である。しかし己心の一念三千については、今の宗門は天台宗と同じ正統派に属することになり、この法門を持つことを奨める吾々が反って異端者扱いを受けているのである。
 註法華経や御書には、証真や四明のもの、また天台四教儀などは一回も引かれていない。完全に黙殺されているのである。この忠尋の註は今の天台宗に属するかもしれない学匠の作である。考え方においては宗祖と反対の立場にいる人の作であることが分る。それが日蓮正宗の僧侶なのである。当時の争いは戒旦を背景にした権力争いで、これは南北朝の頃までも続いて、最後に三大秘法抄をもって門下にも戒旦建立を狙っていた宗門があったのかもしれないし、また単なる理の主張であったのかもしれないが、大石寺でなかったことは間違いない事実である。
 末法に入って戒旦を建立することは虎を市に放つがこときという状態は目前に展開していたのであったが、思いもかけず滅後七百年を経て三大秘法抄による戒旦が大石寺に建立されたのである。それも本尊抄を依拠としたものであれば止むを得ないが、三大秘法抄では真蹟を見るまでは賛成するわけにはいかない。戒旦問題は他宗他門では既に五百年以前に終結しているのである。
 末法に入って長い年月を経た今、何故戒旦の必要があるのであろうか。虎を市に放った如き被害は反って吾が身に降りかゝって来るかもしれない。少くとも己心の一念三千法門では建造物の必要はない。一であるべき三秘が各別になり、同時に久遠名字の妙法も消滅し、また本因の本尊も本仏も消えなければならない。これではあまりにも犠牲が大きすぎる。創立七百年を前に、縦横から三大秘法抄について検討討議する委員会でも設けてみてはどうであろう。
 山田註の原本の作者は証真や四明のごとく天台の像法を目指したものであり、今吾々のいう処は妙楽・伝教から宗祖へつながる像法を指しており、同じく像法といっても二流あることを知らなければならない。そこに文上と文底の相違がある。或る時は中村仏教大辞典の時により、或る時は天台の時によって見ても、結局宗祖につながる時に依らなければ無駄な努力となり、時節の混乱のみが残って問題の解決にはならない。宗祖の処から改めて妙楽・伝教の研究を独自の眼をもって追求すべきであると思う。註は原本の時にとりこめられて日蓮正宗本来の時を忘れている一例である。独自の境地を開拓しなければ反って混乱を増すばかりである。そこは本尊抄の時は勿論、三大秘法抄の時もない境界であるにも拘らず、それを自宗の時と感違いしているのである。
 他宗の教相をそのまゝ忠実に受け入れる程危険なものはない。山田註の文はその危険を如実に示しているのである。そのような処に根底を置く者が珍重されているのが今の御時勢である。仏法を学せんとする為には先ず時を知ることが肝要である。鶏鳥は丑寅の時刻が来れば必らず時を告げるものである。時節のない処に仏法を求めようとすること程無駄なことはない。若し時が理解出来るような事でもあれば、今までの努力がいかに無駄なものであったかということに気付くであろう。時を外れた悪口雑言は一向破折に当らない事を知ってもらいたい。
 一言ごとに日蓮正宗の古伝の宗義から離れていっている事に何故気が付かないのであろうか。阡陌陟記を衝くことは己心の一念三千を御魂とする宗祖を下すことであり、本因の本尊を否定することである。その人等がやがて孤独に追いやられることは必至である。既にそのきざしが見え始めているようにさえ見える。そのような隙があれば、最近西山本門寺の関係の僧長谷川日善という人が何やら書いているが、用意がなければ中々答えられそうにもない、この応答でも考えておくことである。
 戒旦の本尊の天台大師・伝教大師の位置が何故入れかえられているのか、明快に即時に返答出来る用意位はあってもよいと思うが、外相一辺倒では恐らく返答にはならないであろう。これに答えるためにもまず己心の一念三千は捨てきれないであろう。これを確認した上で日蓮正宗が何れの時を根本として宗を建立しているのかを考えなければならない。これがものゝ順序というものである。時が刻々に変転したのでは本尊も本仏も安定する時がない。これはそのまゝ信者の不安定にもつながってゆくものである。後退混乱のための努力は一日も早く打ち切るべきである。
 近い将来再び登場するであろうが、興師の本尊の脇書にある本門寺の解釈も、今少しはっきりしたものを予め用意しておく必要があると思う。準備不足のまゝ使うと反って後に問題を残すような事になるかもしれない。これも亦時局法義研鑽委員会の大きな課題である。事と次第によっては、再び一言申し入れなければならないかもしれない。  

 付録(二)
 『日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ奉り、唯授一人の血脉相承に随順して本門戒旦の大御本尊を至心に信じ、妙法を唱えることが唯一の成仏道であり、真の還滅門であります』と。この文は一年前の教師講習会における教学部長の訓示を大日蓮に載せられたものであるが、阿部さんや某々委員及び別人格の大村さんは還滅門の門の字には絶対反対で、還滅の解釈については専ら中村大辞典に依存しているが、ここでは信用の立場をとっているから不可解である。本仏と相承と本尊の三を示し、これを信じないものを不信の輩と称するのである。明治以来、当家は信心の宗旨であるから学はいらないといわれて来たが、信の宗旨であるべきものが信心となって、信行学が解せられ、むしろ僧が俗に引寄せられる形をとった。それが更に信心教学というところまで発展したのである。引用の文は信心教学の極談である。信者に対するものであれば当然であるが、教師を対照としているだけに尚更不可解である。それほど信心教学が地に着いているのである。
 僧俗共に信心のみでは如何なものであろう。僧は信、俗は信心のところに宗門は成り立っているように思うのが常識である。大石寺で教学といえば、根本は本法から本仏や本尊を導き出し、それを衆生の成道につなげるものと考えていたが、今は信心に教学が必要な時代なのである。つまり僧俗一致の教学である。信行学の信が信心のみに解されたために信者優位という処へ納まったのであろうか。六巻抄は本来の信の教学を示され、法前仏後の意義を闡明にされている。これを充分に理解した上で、信者に向って信心のみでよい、学はいらないというべき処である。
 最後成道の時、或は口唱の題目を始めた時は既に学の境界から全く離れている魂魄の世界、信の境界であるにも拘らず、時節の混乱が頸のつながった世界を呼び起すのである。つまり在滅の混乱が信と信心との区別を見失わせているようである。終始一貫、学が入らないというのではない。方便品を読んで捨てることにより、受持によって滅後の世界に到ることが出来る。捨てるための学は他宗以上に必要なのである。ここに受持即観心の世界も開けるのである。受持即観心とは在世から滅後への転換の中で使われている語である。題目修行がそのまま観心ということではない。それにもかかわらず最初引用の文はこのように唱題がそのまま成道につながる説であるところは、迹門と全く同じである。
 昔から信心は信者の領域に属するもの、教学は僧侶のものという考えが通例である。六巻抄は信の教学即ち己心の一念三千法門に密着するものであり、本尊・本仏の顕現に直接関わるものであるが、信心教学は心の一念三千の側にあるもので、ここには本尊や本仏が既に顕現されていることが条件になっている。そのために成道のみが切り離されるのである。そして心の一念三千には本尊や本仏を生み出す力もなければ、唯授一人の相承を生み出すものでもない。唱える題目にそのような働きがなければ本尊も本仏もどこからか借り出さなければならない。そこでどのようにして顕現されるかという事には一切触れず、いきなり信心しなさいということになり、結局は成道も本尊も本仏も根底からその意義が変えられることになる。今の成仏観は遺憾なくこの引用文に示されている。少くとも己心の法門にはこのような成仏観は成り立たないであろうし、本仏も既に消え去っているし、本因によってたつ戒旦の本尊も恐らくは在り得ないであろう。
 迹仏世界と違って成道も本尊も本仏も同時である処に種が家の特徴がある。対境という本尊は、やがて遥拝という中へ摂入されるものと信じている。対境のみに終始するのであれば、迹仏的という外はない。己心の法門では末代の幼稚が自らの手で頸にかけられた己心の一念三千の珠を確認した時が成道であり、その時同時に出現するのが本尊であり本仏であるということのようである。今は本尊の前において唱題することが成道であって、本仏とも各別である。即ちこの三おのおの別ということである。
 引用文は、己心の己の字が消えたための矛盾を遺憾なく明らさまにしている。この三は他門には全く例のない処である。それだけに一筋通した処で自他のために明らかにする必要に迫られている。この引用文によれば、迹仏世界に本仏が出現し、本因の本尊が出現していることになるが、これでは他宗門は到底承知しないであろう。本因の本尊や本仏は、本仏世界即ち魂魄以外に出現しない約束をお忘れであろうか。
 今では本仏が宗祖一人へ固定されることによって、衆生は完全に本因の座から外され、本仏などとは以っての外ということになった。七百年という年月が宗祖との格差をつけたのであろう。本因をとれば師弟共に仏道を成じることは時空を越えてあり得るが、己心の法門が消され、七百年の年月が現実のものとして確認されると、師弟一箇の成道は考え難くなるのは止むを得ないことである。
 一方では七百年以前入滅されていることを確認しながら、片方では本来の法門の立て方からして、本仏は常に吾々と共に生き続けているということも同時に考えなければならない。そこに本仏の肉身三世常住論も出ようというものであるが、これなども心の一念三千法門によったための、未消化の故の矛盾であろうが、全ては因果の混雑、時節の混乱が根元になっているように思われる。己心の法門によって成り立っているものを信心教学をもって理解しようとすること自体無理である。本仏にしても然り、成道にしてもまた同様である。
 今度宗門に護法局が発足し、広宣流布を専門に担当することになったようである。もともと戒旦は遠い昔に建立ずみなのかもしれないし、そこに戒旦の本尊という名義も現われたのかも知れない。しかも肝心の本因が消えるとそのまま本果の上に建立が考えられるようになる。今の正本堂なども好例である。若しこれが本因の上にのみ考えられ、己心の法門の中で消化されているのであれば、滅後七百年も経って始めて戒旦建立というようなことはなかったであろう。
 時師には三大秘法抄の門下最古の写本があるが、一向に戒旦建立のことは見当らない。自他門共にそのような働きは見当らない。一見御遺命による戒旦建立を叫ばしめる三大秘法抄を写しながら、一向にそのような働きがないのは如何にも不思議である。本門心底抄の写本もあるが、何故写されたのか分らない。現在正本堂建立の依拠になっているものは、三大秘法抄の外は大半北山本門寺系のものではないかとさえ思われるもので、そこに問題を後に持ち越すものがあったのではないかと思う。処で時師の扱いについて一つ気掛りなことは、多宝不二大日蓮華山の山号である。もし時師の建立であれば、多宝不二大日蓮華山大石寺は己心の戒旦の名号と受取るに十分なものを備えている。門下一般にしても案外己心の戒旦は建立されていたのかもしれない。
 多宝と不二の、不二の大日の蓮華山大石寺は現にある大石寺をそのまま己心に収めるものであるから、新しく建造する必要もない。たとえ国立戒旦であっても己心の戒旦であるから他宗他門の割り込む余地もないもの、五百年も遡ると、今とは大分考えが違っていたのかも知れない。時代からいっても時師にそのような考え方があってもおかしくない時である。時師はこのような考えの中で、写本されたものを消化されていたのではなかろうか。山田御尊師の御意見は如何でしょうか。世間では建てたり焼かれたりしている時に、これなら批難もなければ焼かれる恐れもない。実に鮮かな建立である。己心に建立された戒旦はますます法門を固めるが、一旦外相に建立されると、本尊や本仏の性格を根こそぎ変えてくるのとは大違いである。もう一度多宝不二大日蓮華山の功能を見直してみてはどうであろう。
 多宝不二大日蓮華山は一語であって、大日蓮華山だけでは多宝と離れて本尊とのつながりがない。すでに報恩抄でもその大日は示されて居り、その不二の大日が山号と表われているのである。多宝の下座に居る大日は、金剛胎蔵両界の大日の上に居る大日で、これを不二の大日という。大日蓮華山のみでは何れの大日であるかも決めかねる。面倒でも山号は元通りに使ってもらいたいものである。両界の大日は多宝と不二ではないことに御留意願いたい。
 時師の時に建立ずみの戒旦を、改めて建造することはいかにも無用である。時局法義研鑽委員会も一度は検討してみては如何でしょう。これなれば内外共に無事円満におさまるようである。御伝土代も六巻抄も共に戒旦は己心に建立されている。この三回の戒旦、つまりは開目抄におさまるということではなかろうか。静かに考え直してもらいたい。そこには必らず大らかな救いが待っているのであろう。しかし、この戒旦にも一つの難がある。それは決して金が動かないことである。それだけに時空を越えて安定したものを持っているが、今のような御時勢では宗門側・正信会の区別なく不向きである。
 その意味では金に意慾を燃やす限り今の戒旦は最良最高ということである。しかしながら只一日一日目前を追うことのみが種が家の全部ということになっては、救われるのは僧侶のみということになり、本来の民衆救済とは全く無縁になる。今はそのような処に根を下ろそうとしているとしか思えない。このような中で己心の法門が嫌われるのは至極当り前のことである。いかにしてこれを封じこめるかということは、正信会側にも大きな課題になっているように思われる。既に己心の法門をもって邪義という処まで来ているのである。民衆はどこに救いを求めたらよいのであろうか。
 不二の大日に付いては、室町末期には既に消えていたのか、何れの注釈書も困じ果てていることは、録内啓蒙に明らかである。文永の頃にあったものが室町の終り頃には完全に消えている一例である。己心の法門も既に末弟の慾望の中で消え去ろうとしているのである。そこには一人や二人の力では防ぎ切れないものがある。これが時世と御書に挑戦することになっているが、その後どのように会通されているのであろうか。護法局は充分な会通を付した上で発足したものと思うが、時を無視することは、滅後七百年再び像法に立ち帰るに等しいものがある。己心から在世へ、そして像法時代への還帰である。希望すると否とにかかわらず結果は決まっているのである。これは容易ならざる混乱である。
 色々な面から己心の戒旦は五百年以前既に建立ずみと考えるのが最高の方策である。富士山は凡眼をもって見るもの、多宝不二大日蓮華山は己心の上に観ずるもの、己心が失われた時、己心をもって観ずることはこれこそ出来ない相談である。一閻浮提総与という語が最もよくこれを表わしているが、この語を己心から外した時、一閻浮提は即時に日本となり世界となるのである。日本乃至一閻浮提が何の前ぶれもなく日本乃至世界となるのと全く同工異曲である。
 一閻浮提が己心を外れたためにこの問題もこじれている。己心の上にあるべきものは、己心にあってこそその真味を発揮出きるものである。己心の戒旦大石寺に収められる本尊が己心の一閻浮提の一切の民衆に総与されたからといって、それほど眼くじらを立てることもあるまいに、己心を忘れたところで問題はこじれているのである。これまた近代他宗に対して明解な返事はなされていない。追われる立場に立っては、中々返せる問題ではない。今の宗門が己心を取り返すなら、これ程簡単なことはないが、現状のまま、宗門の責任のもとに護法局を発足させる程危険なことはない。己心の上に宗旨を建立されているだけに、他宗にはない危険なものが内在しているのである。
 日本乃至世界という語はあまり聞きなれない語、広宣流布は即刻即時に一人残らずというのが原則である。心の上に果してそのような広宣流布がありうるであろうか。本来一の中に多を収めるべきものが逆に解された上の広宣流布であるだけに、前途はまことに多難といわざるを得ない。この点は他門下では理の法門として解決済みなのではなかろうか。若し己心の法門であれば刹那に解決する程のものであるが、心の上の時節というものであろう。
 有明寺の洞窟も今はその意義も全く消えているが、もしかしたら、ここは娑婆から冥界に入る通路になっていたのかもしれない。そしてお華水に至り再び娑婆世界へ出る。その娑婆とは娑婆即寂光の都である。その地の底で何があったのか。そこは未断惑の上行の占有する処である。洞窟の中に黄金が埋められているというわけではない。そこは寧ろ魂魄の世界であり、己心の法門の故里なのである。その故里とは未断惑の上行所住の処、いうまでもなく大石寺法門の故里である。再び娑婆世界に現われた時は慈悲の水であった。戌亥の方から水流れ、辰巳の方へ流れ去る、かかるいみじきところとはこの娑婆即寂光の都である。ここにあるものは只慈悲のみ、決してそれは現ナマではない筈である。慈悲が何故現ナマと交替したのか、そこに己心から心への転換がある。
 宗旨一本であった道師の時代、そして時師から有師に至る時代は宗旨を内に秘めながら宗教に移る時代、有師には西北から東南に至る線上に新建立の寺々がある。御伝土代に示された制約の中での展開である。新しい飛躍のために一見不可解な写本類が時師の手によってなされたということではなかろうか。以後も貧にあえぎながら室町期は無事に己心の法門は守り続けられて来たのであった。今はその己心の法門を邪説と公言する処まで来ているのである。この現実を宗祖はどのように眺められているのであろうか。しかしこのような事は余り考えないほうが好いのかもしれない。
 眼前の大石寺をもって内に己心の戒旦を表明しているものとすれば、客殿もまた戒旦の意を持っている。山号が無意味に付けられたものでもあるまい。また今の大日蓮華山では真言に頭を抑えられている感じであって多宝との連絡も付かないし、己心の法門とも本尊とも全く無関係になる。名は体を表わすといわれるが、その意味でも山号は重要である。末法に入って戒旦を建立することは虎を市に放つが如しといわれている。今の戒旦は真向からこの法門として一歩外に出ればまことに難中の難事である。況んや法主を総裁とし総監を局長に任命したことは容易なことではない。外道と罵り邪義と叫びながらの出帆である処は、己心とは全く無縁のところである。己心を離れた広宣流布とは一体どのようなものであろうか。
 日蓮正宗の大本山である保田妙本寺には今も真蹟の不動愛染感見記が格護されている。大日如来より二十三代嫡々相承と記され、生身の不動・愛染の図が書かれているが、これによれば自ら大日如来嫡々相承を確認されているし、真言宗でもこれを認めて記録に載せられているということである。建長五年には立宗、翌年には大日如来二十三代の相承をうけているということである。若しこれをもって帰一を求められた時にはどのようにお断りするであろうか。川澄外道といえばそれで破折完了というような簡単にはゆかないであろう。相手が真言宗であってみればなかなかの難問題である。これまた時局法義研鑽委員会の課題には最も相応しいものである。予め回答の内見を指し許されるなら光栄至極である。是非是非拝見したいものである。
 このうち愛染の図には三足の烏が画かれ、不動の図には兎が画かれ、保田妙本寺では本尊なみの扱いをされているとのことである。日月口伝として、また「とうの口伝」として重要な意味を持っており、大石寺法門としても深部に食いこんでいるようである。以前にあった明星池及び関連のものには、そのまま本仏や戒旦の本尊につながるものを持っていて、明星池を外しては本尊の理解も出来ない程である。そして衆生の成道にも抜き難いものを持っているのである。池の有無には関係なく己心の上に厳然として存在している程であるが、さてどこまで関心を寄せられているであろうか。
 日月口伝とは、日月を各五畫として妙法蓮華経を当て、合せて十字、これを「トウの口伝」といい、また不動愛染の図から「兎烏の口伝」ともいう。日の妙法、月の妙法、四六時中妙法である。森羅万象悉く妙法ということであろう。その不動愛染は西北から東南に至る線にあり、本尊の中央の南無妙法蓮華経日蓮在御判は東北から西南に通じている。その交叉する処に多宝不二大日蓮華山大石寺という戒旦が建立されている。戌亥の方から水流れ、辰巳の方へ流れ去る、かかるいみじき処、そこに大石寺がある。それはまた客殿でもあれば御宝蔵でもあり、また明星池でもある。つまりは己心の上に建立された常寂光土である。
 四天王は東西南北を護り、南無妙法蓮華経と日月の線は四維を通っている。四方四維で四方八方、これに天地上下を加えて十二方となる。天地四方四維上下である。戌亥から辰巳に通じる線、その彼方にあるのが南閻浮提であり、そこが末法愚悪の凡夫所住の処である。そして西北の庫裏と辰巳に近い御影堂とは、常に縁を求める者のために開放されていたが、今は特にこの両方面は警戒が厳重なようである。これでは縁にふれて入信する者のための通路は完全に遮断されたも同然である。閻浮の衆生のための通路、成道のための道は塞がれたのであって、広宣流布という語をどのように理解したらよいのであろうか。以前の御影堂への通行にはそれぞれ法門的な裏付けをもっていたが、今の通行禁止には一向そのようなものは見当らない。日一日と厳重さを加えていく中には、一切を包含する久遠名字の妙法、即ち本法の大らかさは微塵も見当らない。そのようななかですでに法主南面は実現し、有差別の世界も確立されているのではないかとも思われる。
 さて本尊の愛染は向って左、不動は向って右ということであるが、日の神天照太神は向って右の座にあり、三足の烏とは反対になる。これは生身の故に右尊左卑を表わされているためであろう。とすれば、左尊右卑となれば左右が入れ替らなければならない。読む時には愛染に向って右、不動は向って左とみなければならない。未断惑の上行は北面、断惑の上行は南面である。生身の二字がどのような意味を持っているのか分らないが、法華来入直前の愚悪の凡夫の意味を含めているのではなかろうかというようなことも考えられる。はっきりしたものを示して貰いたいと思う。右尊左卑の不動愛染と左尊右卑の不動愛染、時を除外しては考えられないようである。
 北面の未断惑の上行のときは師弟共に北面であり、師弟共に名字即であるが、現在は師弟向い合った処で考えられている。そのために師は上位、弟子は下座、師は名字即、弟子は理即ということであるが、これでは純円一実ということは出来ない。こちらはこのような処を指して流転門と称しており、師弟同座の処を還滅門と称しているのである。ただ流転還滅では反って迹仏世界との区別がつきにくいのではなかろうか。唯批難するだけでなく、門にかわる適切な語を示した上で批難してもらいたい。尤も己心を捨てた向きにはその必要がないかもしれない。法門の立て方が門の必要を感じさせないということで理解することにしておく。
 左の不動(月)は西北、地下を表わし、右の愛染(日)は東南、南閻浮提を意味し、その中間に明星池・大石寺が置かれているとは考えられないであろうか。その大石寺とは己心の上に建立された戒旦であり、本尊であり、また題目でもある。つまり久遠名字の妙法であり、本法であるということかもしれない。今の戒旦の本尊はどうしても物体と考えられ易い。その点、己心に建立された本尊にはそのような必要は全くない。戒旦の本尊を物体と見た時、これを収める戒旦が必要になるのは当然の事であるが、その前に既に己心が心に移っているのである。
 戒旦の意味の正本堂安置の戒旦の本尊とは、少々御丁寧過ぎるようである。これこそ己心の失われている証拠である。本因の本尊をわざわざ物体扱いにする事もあるまいと思うが、心の一念三千ということであれば止むを得ないことであろう。戒旦の本尊を収めるための戒旦の建立は必然的に三秘各別を要求し、同時に滅後末法を在世像末に帰す働きを持っており、本仏もまた即時に消滅し、成道も迹仏世界の成道に還元することになって、法門的には全く潰滅状態になる。それが眼前のありさまである。胴はそのままで頸のすげかえをしてみても、いつまでも生き通せるものではない。そこに今の誤算がある。
 己心の法門を嫌っているのは頸を切った側ばかりかと思っていたが、切られた側も何等変る処はない。そこには妥協点が残されている。一方は顕わに他方は密に、顕密同時に己心の法門には反対のようである。ここは宗義をはっきりと四明流に切り替えた上で次の発展を期すべきである。一言でいえば本仏も戒旦の本尊も捨てることである。この二は迹門流に切り替えることの出来ないもの、絶対に妥協のありえないものである。爾前迹門と本門と、時の異なったものが、しかも爾前迹門の場で妥協するようなことは始めから考えない方がよい。策士策に溺れるとは哀れという外はない。魂魄を捨てて妥協するほどみじめなものはない。引用文の縁に引かれてここまで来てしまったが、簡単に見える引用文にも色々と複雑さをもっているようである。
 一多相即ということであるが、一の中に多を見るのは大石寺法門であるが、他門では多の後に一を見ようということのようである。種脱の相違である。さてこの引用文、一見信心教学の極談であり珠玉である。ただこれが教師講習会の訓示であるということには些か抵抗がある。若し信者衆を対象にしたものであれば何もいうことはない。これで見る限りでは一向に僧俗の区別が見えないのは異様である。教化する側と教化される側には、それなりの差別があって然るべきではなかろうか。信心教学という語は、恐らくは中村大辞典でも見出だしにくいのではなかろうか。
 当家は信心の宗旨だから学はいらない、信心と行だけでよいというような事は常々聞かされて来たが、それが横辷りして信心教学にまで発展したのではなかろうか。而し信心の宗旨とは実は信の宗旨、或は信に宗旨を立てるというべきところを、いきなり信心まで飛躍した処に行き過ぎがあり、そして学は惜し気もなく捨てられたのであった。本来学行信、信行学とあるべきものが信行学のみを採られたもので、始めの学行信は順次、後は逆次の読みである。始めの学は信を決めるためのもの、後の学は法を明らめ、本尊や本仏を明らめるためのもの、各その働は異なっている中で、学はいらないと軽視されながら、学は二つ共に捨てられたのであった。そして今は信心教学が宗門に充満するようになった。本来信心には教学の必要はないものであるが、今は初後は消えて第三の教学が新興したのであるから大変である。しかし宗門の信心教学では信の教学に対抗出来ないことは、ここ数年来経験ずみのことと思う。教学の相違がこのような結果を招いたのである。心の上に立てられたものと己心の上に立てられたものとの相違である。既に結果は出た。根本から立て直さなければ、法論の筋には乗って来ないであろう。
 三年四年を振り返ってみても、本尊や本仏の裏付けは完全に消え去って、新説をもって修飾することも出来ず、ただ己心の法門を心に切り換えたまでのこと、そのために本尊が不安定なのである。それだけに或る時には異様な程の働きを示すこともある。しかし何としても本尊が不安定なことは致命傷である。大村さんを始め委員の面々が、いくら智恵を集めてみても、舎利弗程の智恵であっても、時に適わぬ智恵では一人の外道の法力には勝れる筈もない。愚悪の凡夫を自覚しているが故にその法が勝っているのである。末法に入っていくら智恵を競ってみても、いかに無駄なことであるかということは充分理解出来たと思う。末法適時という語を改めて味わい直してもらいたい。智恵の通用するのは此の世に限る、在世に限るということなのである。
 南条殿御書の、口中は正覚の砌り、喉は転法輪の処というのは明らかに心の領域である。心から出ていく声が主役であって、未だ一念三千の境界ではない。この心が丹田に下りて種脱も現われ、一念三千の法となるのである。心は胸間にあるもの、己心は丹田にあるものと自分では理解している。心の一念三千は、丹田と胸間が混雑しているようである。つまり在世と滅後の混乱である。己心の己の字を省いた心の法門の泣き処はそこにある。心に法を立てるときには当然智恵の領域であり、末法適時には遥かな道程があることを再確認してもらいたい。
 喉を通って声が威力を発揮するのは声聞までであり、以下は専ら慈悲によることになっていることは既に御存知の通りである。宗門が声に頼っている処はいかにも在世なみである。果して宗祖の意志に適うや否や。現世に対する色々な慾望が在世志向という結果をもたらしたのであろうか。只遺憾なことには、法門は魂魄の上に、滅後に立てられている。このような在世と滅後は同時に存在することはあり得ないもの、今その二者択一を迫られているのである。しかし、己心の法門を邪義と決めこんだ処は、或は在世一本に絞るための意志表示であろうか。何が秘められているのであろうか、愚悪の外道には何とも理解の出来ない処である。その時滅後の衆生はどうすればよいのか。これこそ宗門始まって以来の難問である。
 知らしむべからず因らしむべしという衆生不在方式の中で在世還帰はどんどん進行しているようである。これが心の一念三千法門である。己心も心も同じだから己心を捨てて心にしろといわれてみても、これを裏付けするものは何物もない。是非共信じさせたいなら、予め御書を作っておくべきであった。流石にこの説は一回限りであったが、いつの間にか己心の法門は邪義という処まで来てしまった。一向止まる処を知らない有様である。
 法門が己心から心に移ると成道本尊本仏が根本的に変って来る。そして内にあるべきものが外に出、末法は在世に返り、一切衆生の恩などということは、いつの間にか忘れ果てられ、成道と同時に現われた本尊や本仏は常住という処に落付くようになって、在世とも滅後とも付かない、異様な姿を現じる。即ち詮じつめてみれば時節の混乱となって収拾が付かなくなるということである。そして口唱の題目によってのみ成道を求めるようなことにもなることは冒頭の引用文に残る処なく示されている。そして色々な矛盾の中に追い込まれるようになり、一言摂尽の題目による成道をとりながら、解釈は専ら口唱多言の題目によるということである。在世か滅後か、まことに不明朗である。或は在滅同時の成道を遂げようというのか、甚深の程は実に計りがたいものがある。
 眼前に常住する本尊を対境として上げる口唱の題目と、一言に収めた題目と、これによる成道を同時に遂げようというのである。在世か滅後か、まずこれを決めることが根本である。在世に本因の本尊や本仏が同時に存在することは、己心の法門では絶対にあり得ないことである。まず第一の難問であるが、正信会でも恐らくは変りはないのではなかろうか。何れにしても成道と本尊本仏とは完全に切り離されている。そして名字即の凡夫である衆生は理即ときめられるのではなかろうか。
 肉身本仏の三世常住を考えるのは人の智恵であるが、果して本仏がこれを御嘉納になるかどうか、大いに考え直してもらいたいところである。肉身本仏の三世常住は法門そのものを本果的に革める力を持っている。法を心に改めるなら、まず成道の理を本果の処に確立した後にしなければ、衆生の成道が忘れられる恐れがあるのではなかろうか。口に成道といえば即時完了というわけのものでもなかろう。も一つ詰のほしい処である。現在のような形の中では完全に刹那成道は消えて死後の成道といわざるを得ない。希望の如何にかかわらず死後の成道に革められているのが現実である。
 刹那成道といい御授戒の持つや否や等という唱え言といい、何れもお歴々の最も嫌いな中古天台独自のもの、ついでに中古天台という名のもとに切り捨ててはどうであろう。都合の好い時は知らぬ顏をし、都合の悪い時には悪口雑言では一向に筋が通らない。その時の都合次第で革められて一番迷惑するのは衆生である。せめて成道位は一筋通ったものを確立する責任があるのではなかろうか。
 大聖人の大の字も一大事因縁の大であり報身如来を表わすということであるが、これを中古天台と決めつけたのでは解釈は付かない。まさか大日蓮華の大、大日如来の大とするわけにもいくまい。この大の字一字を見ても己心の法によっていることは明らかであるが、心ではただ大きい意味としかみえない。心の法門では格別大を用いなければならない理由も見当らない。己心の法門であってこそ大の意義もあろうというものである。
 今使われている本仏という語もまた中古天台に故里があるのではなかろうか。他門が使うからという理由だけで使い、けなすから自分もけなそうというのでは、いかにも浅薄である。殊更脱が家の説に紛動せられることもあるまい。それよりか一つでも種が家独自のものを探り出す方が余程賢明ではなかろうか。他宗の口うつしのみでは自宗の理解も出来ないということである。立て方が種と脱と真反対にあるだけに無意味な模倣は必らず避けなければならない。被害は必らず我が身に振りかかって来るからである。
 中古天台といわれたからといってあわてることもあるまいに、古疵がうずくということであろうか。悪夢なら一日も早く忘れることである。熱原の愚癡のものどもの処刑を十五日と定め、戒旦の本尊と切り離そうとしたのも同じ理である。十五日なら己心とは無関係になるが、これなども寧ろ後々の被害の方が大きいのではなかろうか。これでは本仏の誕生を祝福する十二日とは完全に切り離され、御伝土代に明示された本尊の出現の意義も失われ、次々に分断される破目になる。ただ他宗に調子を合せたことが、これほど大きな被害をもたらしたのである。
 お前の弟子分は忠尋と同じではないかということであるが、弟子分帳か分与帳か、当時弟子分という語は使われていたようであるが、分与申を分ち与え申すと読むのか、ヽヽ分に申し与うと読むのか教えてもらいたい。与申は申し与うと読むのが一般の例のようである。忠尋を引いたついでに亨師の弟子分帳も痛烈に破してもらわないと片手落ちになる。亨師の弟子分帳の誤読を破すという論文をものにしてみてはどうであろうか。身近かな処に弟子分と読んだ人があるのを忘れないようにしてもらいたい。ここで中古天台ではないかということは、明治以来何回か大石寺が他門からいわれていることで、それを知らずに当方へ振り向けたまでであり、も一つ古い処では天文法乱のあと、諸門下が天台から言われたもの、それを明治大正の頃、大石寺へ振り向けたものであり、三回目にこちらへ向けたまでのものであって、それほど威力を感じる程のものではない。今になって己心を捨てて心に変えてみても本仏が顕われるわけでもなければ、本因の本尊が現われるわけでもない。あまり人の口車には乗らない方が賢明である。そこに一夜漬の学匠の弱さがある。気取りは禁物である。
 真実学匠なら一日に一度は信の処に住してもらいたい。僧侶は信心一本では成り立たないからである。当家は信心の宗旨であるということは、本来信者向けの語であるが、僧俗一致して信心のみでは、己心の法門を保つことは困難である。信心教学という処まで発展して来た結果が、己心から己の字を奪い去ったということか。心から本仏や本尊を求めることは出来ず、終始一貫して各別である。これでは本仏の慈悲ということはあり得ないのではなかろうか。
 今慈悲の語が出たので余談ながらお伺いしたいが、山田御尊師は迹仏の慈悲をそのまま本仏の慈悲と感違いしているのではなかろうか。或は己心が心にかわった時の心の上の慈悲、一口に慈悲といってもこの三を考えなければならない。その中で心の上の慈悲が迹にもあらず本にもあらざる第三の慈悲ということになるといよいよ複雑である。現在はこの第三の慈悲の盛んな時代である。
 己心が心にかわると魂魄が失われ、心即ち現実世界の上に本仏の常住が考えられる。これが信心教学である。ここには本果とは自ら別なものがある。勿論他宗門が信用するようなこともあるまい。そこに孤独が待っている。しかもこれを支えているのが金力という処が異状なのである。これが心の一念三千法門の行きつく処なのかもしれない。
 色心不二といっても、頸のつながっている時と魂魄では大違いである。魂魄の上では色心不二も既に受持の中に収められている。それが生々しく現われるのが心の法門であって、そこに三世常住の本仏が誕生する。それだけに信ずることが必須条件になっているのである。不信の輩に信じられるようなものではない。そして魂魄の上の己心の法門を奨めるものには外道の語をもって酬えているのである。狂った狂った、狂いに狂ったというのも全く同義語である。師弟相寄り相呼応した一箇の姿である。この麗しい師弟子の前には、宗祖の魂魄といえども全く顔色なしということである。何れが狂っているか、判断は一切世間にお任せすることにする。
 今の宗門を支配している信心教学は、本来教学の必要のない信心と教学が一つになったもの、しかし一つになれば教学が先行して新しい信心を造るようになる。そして、当初の信心とは似てもつかぬ内容をもって来るようになってくる。三世常住の肉身本仏論もまたその成果の一つであろう。しかしこの信心教学、具眼の者には一向不向きな処が玉に疵である。
 大石寺で教学といえば法前仏後の上に限られていて、つまりは久遠名字の妙法から成道や本尊・本仏を導き出すためのものであるにも拘らず、それらのものには一切触れず、全て既存扱いで、一点に絞られるべきのものが反対に開かれ、開かれすぎて収拾がつかないということにもなりかねない。ここ数年を振り返ってみても開かれっぱなしを証明しており、遂に外道とか己心の法門の邪義とかいう処まで発展したのである。ここまで来ては宗祖へ還る道は自らの手で塞いでしまった。もう一歩も後へ引き返すわけにもいくまい。只前進あるのみということでは、徒らに悲壮感をそそるだけでのこと、宗祖へ還る道を塞いでしまっては、本仏の常住を唱える資格は抛棄したものと判ぜざるを得ない。
 己心の法門の故に本仏は常住なのである。常住とは魂魄の上に限ると読んだのは誤りであろうか。しかし邪義と決めた以上今さら己心を取り上げることも出来ないであろうし、心の上に常住を見ることは殆ど自殺行為に等しいものがある。どうやら行きつく処まで行った感じである。声を大にすればする程時間が短縮されているのを御存知ないのであろうか。そうした事から最後には自ら口を閉じざるを得なくなっているようである。教の立て方、取り上げ方がこのような結果をもたらしたのであろうが、この信心教学の被害を一番強く受けたのは衆生の成道であり、本尊・本仏のように思われる。そして宗祖へ還る道さえも塞いでしまったのである。全ては信心教学に帰するように思われる。
 法前仏後でありながら教のみが先行したのは法が常に不安定な状態に置かれている、つまり宗旨と宗教とが各別になったために、宗教が宗旨を上廻った処に事の始まりがあるようである。己心が心となった今、宗門挙げて憎しみを一身に受けている貌である。本法に続くべき教学が信心に付せられたために本法の影が薄くなり、逆に信心が本法に替わるようなこともあるのかもしれない。
 心の一念三千の処は、元より本尊や本仏の住処ではない。しかもその名義まで捨てかねた姿が最初引用の文である。ここには混乱の様がまざまざと示されている。偽らざる真情を吐露された処、大いに掬すべきものがある。後世どのように分析されても、宗門を利するようなものは出ないであろう。本因にもあらあず、本果にもあらず、一種独特の訓示はまことに興味深いものがある。
 護法局と冒頭の引用文とは、内容的には何等の区別もないものとお見受けする。つまり引用文を事に行じたとき護法局となるように思われる。解説によると折伏専門局のようである。即ち折伏進行(振興)局である。さてその旗印であるが、今度は化儀の折伏法体の折伏というわけにもいかないであろう。もし強引に使えば要法寺の辰師への敗北を意味することになる。何を旗印にするのであろうか。あの文章は最初見せられた時、一見寛師は笑っているようだと答えたが、次々に調べた処辰師そのものを明らかに笑っていたのであった。どう見ても寛師の自説と見える文章ではなかった。しかも長い間寛師の直説として使われて来たのであるから驚きであるが、今度は使うことは出来ないであろう。しかし士気を鼓舞するためにも是非旗印は必要であるが、今度は何を使われるのであろうか。
 また最近聞いた処によると、長い蓄積の末に書かれた久保川師に対する破分も、次上の部分は出版早々、旬日も経ずして訂正版を出したそうで、今度始めてお目にかかることが出来たが、早々に訂正文を出すようでは、破分としては完全な失格とお見受けした。訂正箇所は次上の部分に限るわけでもないと思う。一層のこと全巻訂正に踏み切った方が賢明ではなかろうか。全巻訂正が出来なければ廃棄処分も一つの方法である。阡陌の二字も宗祖に陳謝の上、訂正してもらいたい。弟子分の字も亨師への破折を先にしてもらいたい、弱い者いじめははた迷惑と申し上げたい。しかし宗祖や御先師を含めた破折はあまり体裁の好いものではない。無学無見識、少々度が過ぎている。今後は必らず慎しんでもらいたいことを堅く申し上げておくことにして一応筆を止めることにする。

 

 

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 大石寺法門と日蓮正宗伝統法義 (二)


 
はしがき
 
広宣流布
 
むすび

 はしがき
 今年正月号の大日蓮にはカッコ水島が飽きもせず、いまだにノートを連載しているが、いかにも困惑しているのが手にとれるようである。教化は人を頼まず自分でやればよい。だいぶ弱気の体である。六年前軽く破した処、以来一向に反論もない。そして以後は相変らずカッコに閉じ込められたままで、これでは御相手をするわけにもゆかず、黙殺を続けてきたが、久し振りに取り上げてみることにした。一人で書き、一人で読み、一人悦に入る処、誠に独楽園というべきか。孤独の味は如何でしょうか。早く名前の使える身分になって大いに破折してもらいたい。一回限りで破折するようなものを書いてもらいたい。得意の種脱一致の伝統法門をもって破し、法門を明らかにして、延引になっている他宗門への返事に替えてみるのも亦一興ではなかろうか。次上という語は日本語にはないといきってみても、本尊抄にあるのも知らないではカッコウもつくまい。結果は自らカッコを付けられ、未だにそのままである。抜き放って見たら竹光では申し開きもなるまい。時局に限らず大いに研鑚の実を挙げてもらいたい。
 「真実の『十界互具』について」の中に、「こういっては可哀相だが、彼は日本語の理解がかなり乏しいようだ。たとえば『万葉集』に『燈火を月夜にたぐへその影を見む』という歌があるが、伊芸は恐らくちんぷんかんぷんなのではあるまいか。この歌は『月明かりに燈火を添えてその姿を見るであろう』という意味であって、ここにいう影とは実像そのものである。ふつうにも『月影』といえば、『月のかげり』ではなく、『月の光』あるいは『月』そのものを指すことぐらい常識ではないかー中略ー明星直見の『日蓮が影』とは大聖人の当体を指していう言葉で、後者の意味として用いているのである」と。見かけは中々威勢はよいが、中身がないのが玉に瑕である。人を誘いこむようなものがない為に教化に通じない。それでも今回は「次上」のように宗祖にあたらなかったのは勿怪の幸いであった。次上の語は日本語にはないと大見得を切った陰から、にょっきり宗祖が現われたのではカッコウがつくまい。そのために今にカッコの中に閉じめられる羽目になったのである。それほどの失言、一片の良識をもち合せているなら、一度は陳謝すべきであるにもかかわらず、未だにその事のあったことは聞かない。頬かぶりとは少し人が好すぎるようである。
 次上の語も知らなかったでは本尊抄を始めとして御書を読んだともいえないであろうし、理解の程も知れたものである。山田とて似たようなもの、その山田と水島と相寄って種脱一致法門の上に伝統法義を称しているのが、今の山島派教学である。これが日蓮正宗伝統法義であることは既に繰り返しているところである。引用の万葉集の歌、どこで拾い出したのか知らないが、その理解の程は残る処なく表わされている。ハッタリは学問ではないが、これが山島学派の特質なのかもしれない。専ら種脱一致方式に依る処であろう。
 註のうち、姿まではどこからか拾い出したのであろうが、姿を影にすりかえた処は大失敗であった。ほととぎすの姿が影であって、決して月の影を指しているのではない。月夜はこのような場合にはつくよと読み、月よとは書かないのが常識である。月と読んだために明かりが出たのであるが、このあたりも自分で修正しているようにも思われる。そして次では早々に姿を月の影とすりかえている処は無智、無恥の見本のようなものである。ほととぎすの声を聞き、その姿を見ようとしたのであって、月影を見るために燈火を持ち出したのではない。もしそうであれば「たぐへて」の語はいらない。この先生は日本語の理解は出来ていない。しかし山島語にはこのような理解があるのかもしれないが、この山島語は日本語としては未公認であることに注意したい。
 月夜に燈火を添えてではなく、燈火を月夜に伴なえてであって(月影がうすいとき)いう処の日本語の理解とは大きく開いているようであり、いつのまにかほととぎすが月影にすりかえられている処が種脱一致方式で、次の瞬間自分一人が虚空住在と出る。このようにして水島本仏出現も亦可能なのである。もともとこの歌の下の句だけを引くのも異様である。前の句は、ほととぎすこよ鳴き渡れ(燈火を)であり、万葉集第十八に載せられたものであるが、水島の薄学はそれを知らないであろう。そしてほととぎすの姿とも知らず月そのものと読んだとは笑うに笑えないお粗末さ、このようなところをチンプンカンプンというのである。
 学者のところでは、「今夜は月が出ていないので」ということを前提として解されている。またたぐへは見なす、見立てるの意に解されている。もし、つくよとルビを付けておけば「月影といえば月のかげりではなく、月の光あるいは月そのものを指すぐらい常識ではないか」などという必要はなかったのである。つきよとつくよの区別もつけられないものが、万葉集など引くなどとは以っての外である。また「見ん」を「見るであろう」と理解したのも古来その例を聞かない。その意味では、山島語が日本語になるまでには、まだまだ時間がかかりそうである。一応種脱一致方式ということで理解しておくことにする。
 尤もこのような引用の仕方をする場合には、月影を月光(つきかげ)と読むことはあってもよいと思う。その時は光(かげ)を内蔵されたものとみることによって己心の一念三千を表わすことは可能である。御宝蔵に納まった光、それは本仏そのものということなら、大いにあってよいと思う。これならば法門としては充分成り立つけれども、今のように己心を邪義と決めては出来ない相談である。なれぬ手付きで引き出した万葉集も思わぬ奇妙奇天連な結果に終った。大いに気を付けて引用してもらいたい。そして奇しくも月の光に付いて心の一念三千に依っていることを明したに止まったとは、正しく宿命の致す処であろう。
 これに依って心の一念三千による水島教学が、月の光の耀く処のみに法を立てていることが分る。これは言わずとしれた本果であるが、法義は内蔵された光の処に己心の法門をみ、ここに本因を立てるのである。本仏が所在する処もここであり、本因の本尊といわれる戒壇の本尊もまたそこを住所とするのである。この丑寅の中間は日月の中間であり、あるのは明星許りということである。今度の出番はお日様である。明星の働きによって日も動こうというもの、それは光の動きである。この内蔵された光について本因の法門は立てられているが、水島法門は専ら月の光耀く処に法門を立てているようで、これはどうみても迹門である。この万葉集の引用はそこの処を明して妙である。
 しかし明星直見の場へ鎌倉出現の宗祖が毎朝池の面に生身を現わすというのが水島発想の極意の処である。未だかつてこの宗祖の姿を直見した話も聞かない。またこれを確認出来るような事行の法門も残されていない。むしろ反対に、明星直見口伝は己心の法門のみの領域のようであるが、今は一切己心の法門は認めないのであるから、いよいよその威力を失ったのであろう。そこへ登場するのが、水島の宗祖生身出現説である。浮んでくるなり真正面から墨を掛けて本尊顕現・本仏誕生と祝福するのである。これなども己心の上の話が心の上に表わされたもの、種が脱に移し表わされた姿である。そのような特技を持っているのが種脱一致法門である。今はこの法門の全盛時代なのである。
 開目抄や本尊抄、その他の御書で説かれた己心の法門は全て邪義と決定された、その背景にこの種脱一致法門が働いているのである。その第一線部隊を山田・水島が担当している。今はこれを促(つづ)めて山島派と称することにした。これが今の宗門を代表して活躍している山島派であって、いう処は全て宗門の代弁であるということが出来る。
 明星直見口伝は、池に天の明星を映し、その日月星辰は地中深く入って一念三千の珠をもって浮び、丑寅勤行によってえた成果と一箇して戒旦の本尊と現われ本仏と現われる処は己心の一念三千法門である。ここに生身の本仏が現われるのは顛倒である。水島説はこれ以前に本仏は既に常住しているとしており、生身の本仏が出現するという解釈であり、明星とは全く関係のないものである。己心を外しての解釈は到底あり得ないであろう。
 ここでは池の面に二祖が墨を流した時初めて本尊が現われる。そのために書写は日興に限るということであるが、己心の法門の外で説かれるために言うていることが一向に要領を得ない。本尊の現われる処を本仏として、本尊は一向に現われない。本尊が現われなければこの口伝は意味がないし、本尊書写を規制するものがなければ勝手次第となる。そうなれば相承の本源も危なげである。水島説による限り、本尊書写は自由に誰れが書写してもよい、相承は始めからなかったということになる。己心の一念三千法門を明星口伝から抜き取った結果はこのようになるのである。
 今は明星池の本尊以前に楠板の本尊があるし、本仏も三世常住であるからこの池の必要もなくなったという安易さの中で、意外にも本尊書写や相承の否定が表に出たのである。書写が自由になれば書写したための謗法は当然無罪放免ということにもなるが、相承勝手次第ということではいよいよ事が厄介である。ここの処は、三世常住の生身の本仏の出現だけは取り下げた方がよいのではないか。取りあえず苦言を呈しておくことにする。これは山島派行き過ぎの一場面である。
 気取った割に万葉歌の引用は不成功だったし、明星口伝もあまり好い結果とはいえない。これがその実体である。今はこの二人が阿部さんの両脇にいて或る一面を担当しているのであるが、大分追いつめられた感じが文の面に表われている。さてこの次は何が出るのであろうか、気掛りなことではある。あわてて教学の勉強もしているようであるが、覚えたことを即刻使うような事をせず、少し間をおいて使った方がよい。急ぐと時節の混乱もある。そろそろ眼に付く時がきたようである。種脱勝劣の説明などは信者用に廻した方が好い。こちらへ向けるのは少々見当違い、いかにもあわてているのが目に映るようである。
 「宗祖大聖人の御当体即大曼荼羅」といっても、御当体の解釈が問題なのである。大聖人の肉体即大曼荼羅なのか自受用身が即大曼荼羅なのか浮動しているようであるが、今は己心は否定されて、何とか肉身へ落付いた感じである。或る人は楠板が宗祖の肉身であると言い切っている。これがどこまで説得力を持っているつもりであろうか。この人は信心に限定して話を進めているようにみえる。時に付いて出合いにくい面があるのが難点である。そのためにしばらく敬遠することにしておく。己心や魂魄を一切認めない種脱一致法門では、大曼荼羅即ち楠板の本尊を宗祖の肉身そのものとするのであろうが、これでは仏法の領域とはいえない。しかも仏法といい本仏というのが種脱一致法方式なのである。これが実は伝統法義の根本になっている。水島法門もまたそこに基盤をおいているのであるから、その意味で敬遠せざるを得ないのである。
 「第一条と第二条はよいとしても第三条は思わず我が眼を疑うばかりの珍説である」と。思わず我が心、種脱一致法門を疑うなら「我が眼を疑う」必要はない。どうもこの先生は日本語の理解は出来ていないようにみえる。万葉集の引用をみても如何に見当違いのすきな御人かという事がわかる。「我が尻をいわずたらいを小さがり」という古川柳そのままである。水島こそ珍説の大元締である。そのよって来たる処が種脱一致法門であり、これを母胎とする伝統法義である。これを人に約して山島派と称するのである。
 「寛尊が前文で仰せられる『蓮祖大聖人』の語は、内証や己心ではなく、『十界悉く日蓮なり、故に日蓮判と主付給えり』と明言されているように、鎌倉出現凡身の大聖人である」と。これ以前の己心や内証は消されているのであるから、鎌倉出現の凡身と見るのは当然である。これは世俗と仏法との間に起きたもので、外道と仏法の混乱であり、種脱一致の今一つ発展したもの、当人以外には理解出来ないようになっている。これの分るものは信心が深いということになる。そのために寒い寒中の氷を割って七百年の間宗祖は明星池の底から浮いてくることにもなる。そして戒旦の本尊の出現を否定し本尊書写や相承を否定するような大珍妙説が、宗門機関紙の中で堂々と論じられるのである。編輯者は何故気付かなかったのであろうか。己心を捨てたもののみに通用する珍妙の珍説である。これまた種脱一致法門の自ら成せる功能である。これが今宗門随一の学匠と称せられる者の程度である。この種脱一致法門は遠からず宗門に孤独をもたらすかもしれない。御用心召されよ。
 寛師が、鎌倉出現凡身の大聖人と明言されていると読むのは自由であるが、これを俗身と読むために前もって己心を捨てたのであろうが、大石寺法門の領域でないことは事実である。これが若し徳川の時代であれば、大石寺は消滅していることは間違いない処である。己心の上に出来たものを、脱を通り越して世俗で解するのである。とても正常に時が動いているとも思えない。しかしながら今の種脱一致法門はこのように、時を消した上で作動する特技を持っているのである。
 山田といい水島といい、信者向けの話を持ち出す悪いくせがある。その時の誤りが本尊出現や書写・相承の否定につながってくるようにみえる。今更言っても分ることもあるまいが、今少し時に対して慎重であってほしいものである。この「真実の十界互具について」は、水島の日本語の理解力が如何に低いかということが分ったのが唯一の収穫であって、その内容については一向にチンプンカンプン、一貫性がない。これでは教化力にはつながらない。も少し程度を上げることに努めた方が好いようである。折角ながら宗門の品格を下げたのが唯一の収穫であったとは、誠に御苦労なことであった。今二人に共通して言えることは、或るあせりが芽ぶいてきたことである。全体を通してそのようなものを感じさせるものがあるのは何故であろうか。
 水島には十界互具がそのまま宗祖の肉身と映る不思議な眼を具えている。十界がどのような顏をしているのか、是非お目にかかりたい。この人は余程の神通力を備えているのであろう。本尊抄によってみても、十界はなかなか肉眼で見えるものではない。若し見たいなら己心を通す以外に方法はない。今は己心を捨てて肉眼をもって見る人の話である。本仏であるから見えるのであろうか。各の実像を写真にして見せてもらいたい。日本語の理解力の異状さがこのような話を発せしめるのであろうか。摩訶不思議なことである。
 ここにいう十界は本尊抄から引用されたもので、宗祖一人に限ったものではなく、汎く愚悪の凡夫即ち二乗の己心に具わったもので、二乗の成仏するさま、それが本尊本仏と現われるところを事行に示す用意のものであって、密接に丑寅勤行に連絡しているようにみえる。ここから見れば本尊抄も二乗作仏の姿を現わされたということも出来、それが三師伝を通して丑寅勤行につながっているようである。事行の法門としては丑寅勤行は最高位にあるもの、その解説ということも出来る。しかし己心を捨てた向きには理解することは無理である。
 本尊抄から本尊を取り出す方法を知る上には、三師伝や本尊七ケ相伝、丑寅勤行の理解が必要であり、その本尊とは本因にあるもの、戒旦の本尊もまたここに現ずるもので、今の解釈とは随分開きがある。但しこの本尊は己心のない処には出現されないであろう。そして同時に現われるのが本仏であり、この二の生みの親が衆生の成道即ち二乗作仏に収まるようである。その意味では開目抄に始まることは間違いのないことであるが、今は魂魄佐渡に至ることも、大地に魂魄の足が着いた処で己心の一念三千法門が開いたことも認めないのである。どうして本尊や本仏が現われるのであろうか。到底不信の輩の理解の及ぶ処ではない。
 己心の外に顕現される本尊や本仏は信心以外では理解出来ないようになっているのである。そのために二乗の成道が忘れられていくのである。この己心の法門は、己心を離れると途端に世俗的な信仰と区別がつかなくなるような面を持っていることに注意しなければならない。高低浅深を同時に具備しているのである。そこに扱いのむずかしさがあろうというものである。その点では山島派教学は、次第に世俗に近付きつつあるとも言えるし、二重構造、蝙蝠論法も最もあてはまりやすいような状態にあることは確かである。
 吾々には、己心を捨てて大石寺法門が成り立つことはありえないというのが信条である。己心の法門を離れることを第一条とする宗門とは、発端から相容れないものを持っているのである。己心を離れた十界互具とは肉身そのものであるとは、特殊な信心による以外には理解出来ないものであるが、今の宗門はそこまで至ったのであるが果して本処に帰る日があるであろうか、甚だ疑わしい処である。
 山島派の書いたものにも既に或る「かげり」が見えているのは、己心を捨てたものの弱さである。大分戦いにも疲れが見える。あれ程威勢のよい山田調も、三回目には何となく厭戦気分を蔽いきれない処まできているように見える。己心相手の、宗祖を向うに廻しての戦いは、疲れないのが不思議である。今から弱気を出さないで、十回も二十回も頑張ってもらいたい。今は最も手軽な健康法と思ってお相手することにしている。己心の法門には格別対告衆の必要もない利点があるが、大いに頑張ってもらいたいと念願している。
 御両人共まだ若いのであるから、己心を外した山島学派完成を目指して大いに頑張ってもらいたい。盛んに攻撃を加えてはいるが、あまりにも時が違い過ぎているために、おどし鉄砲程の威力もないのが実状である。一発必殺をねらってもらいたい。覚えたての爾前迹門流ではあまり威力にはつながらないものと心得てもらいたい。そのような隙があれば、まず仏法に必要な「時を学す」べきである。時を外して大聖人の仏法、御本仏大聖人といっても、それは単なる言葉の遊びであって、何等の威力もないものであることに留意してもらいたい。気勢を挙げる割には効果がないのはそのためである。
 「蓮祖大聖人の語は内証や己心ではなく」と。今試みに日蓮正宗要義を見ると、
 八十二頁に「己心の妙義を観ずる行法として迹門の一念三千を示されたのである。したがって己心と仏心の相違はあっても」。 
 八十九頁に「末法出現の本仏日蓮大聖人はその己心に具えられる事の一念三千の当体たる南無妙法蓮華経を本尊に顕示し」。
 百五十八頁に「末法弘通の本主本仏として妙法を己心に具えられる境界よりすれば」。
 同じ頁に「本尊の体が大聖人の己心にあることを知らず」。
 百六十四頁に「本仏大聖人の己心所具の妙法であることが、結要付属の筋目と本因妙の法相法義により知られる」。
 百七十六頁に「但己心の妙法を観ぜよという釈なり」。
 百八十九頁に「その元意は地水火風の四大本有の妙法蓮華経の五字を己心に所持し(中略)四菩薩造立とは大聖人己心に久遠以来具わり給う四菩薩の顕示であり」。
 百九十五頁に「下種本因妙凡夫即極の本仏の己心に具わる事の一念三千の大曼荼羅本尊」等があり、これ等のものには己心を邪義という意は全く見当らない。それから数年後には、己心が邪義といわれるようになったのである。一方で七百年の伝統をほこりながら、何故このような裏腹の変りようをするのであろうか。これでは僧俗共について行けないのではなかろうか。
 今は己心も邪義、己心の本尊も邪義ということである。何れを信じたらよいのであろうか。これでは迷わない方がどうかしている。皆さんも頭を静めて読み直してもらいたい。今は潔く正宗要義に帰るべきである。皆さんは正宗要義を見ていないのであろうか、或は読んですぐ忘れたというのであろうか。これに照してみても明星池に宗祖が肉身をにょっきり現わすのは頂けない。或はここ六年間は法門の激動期ということであろうか。何れにしてもあまりの変りようである。書いた人も既に忘れ去ったというのであろうか。誠に常識を逸した事であり他宗の聞えもどうかと思われる。このあたりでもう一度思い返してみてはどうであろう。案外そこには救いの道が開けるかもしれない。
 さて、水島がいくら内証や己心でないといきってみても、正宗要義は明らかに己心を認めている。これでは師敵対の罪をのがれることは出来ない。口にいくら伝統法門を唱えてみても、心に内証や己心を捨てては師敵対である。これからすれば、種脱一致法門も師敵対の上に成り立っているようにもみえる。御両処如何でしょうか。また鎌倉出現の大聖人といえば、最初出現の時一回だけのように思われるが、何才の出現をとるのか、毎日一回宛の出現か、一日何回出現するのか、その辺も明らかにしてもらいたい。魂魄の上の出現であれば随時随処の出現も考えることも出来るが、考えが少し粗雑すぎるのは何故であろうか。
 正宗要義もこれだけ己心を立てながら、これでも邪義といえるのであろうか。未だ正宗要義が廃棄になったようには聞いていない処をみると、現在もそのまま通用しているものと解される。己心の本仏であれば元より長寿であるが肉身の本仏は六十年、いかにも短寿である。その肉身本仏が常住であるためには、どこかで摺り替えの必要がある。そこで働くのが種脱一致である。しかも毎朝毎朝の摺り替えである。水島説の本仏は昭和六十年出現であるが、さすがに聞いたことのない珍説である。或いは苦しまぎれの出現ということか、一向に解しがたい処である。
 肉身本仏の七百年間の出現は珍中の珍である。しかしながら若し己心の本仏であれば、たとえ宗祖一人に限っても出現は自由であることは、いうまでもないことで、己心は本仏の寿命を持つためにも必要なのである。ここ数年、本仏の寿命ということも聞いたこともないが、己心と共に既に失われたのかもしれない。心に替って以後は死後化したのであろうか。水島説の生身の本仏の出現が一回か多数回か、珍説中から引き出すことは困難であるが、何となくお人柄が滲み出ていて面白そうである。もともと時のない処に本仏を立てようというのであるから、無理からぬことではある。
 今は人の都合によって法門も自由に替えられる御時勢なのである。昔の仏の大きな願望は、今は僧侶の欲望に摺り替えられているが、鎌倉出現の宗祖を己心の上に見るか、ただ俗身肉身の上にのみ見るかということになると、今の宗門が後者によっていることは、水島説に明らかである。これの方が万事につけて自分等に好都合なためであろう。そして御本仏という言葉の氾濫である。そのような中で本仏の真実は失われつつあるということであろうか。
 宗祖の俗身肉身を本義とする伝統法義は二人の代表によって守られているが、正宗要義の主張する処とは大いに反している。即ち師敵対であるし異端者でもあれば異流義でもあることは、その主張する処から見て動かせないところである。本仏について只一回限りの出現は脱のごとく、次々の出現は種のごとくである。その種を脱に持ちこんだとき、水島説は成り立っている。それを自ら伝統法門とも伝統法義とも称しており、明星池の口伝が一回限りの出現を説いていないに拘らず、肝心の処でぼやかしている。明星池は丑寅勤行のために毎朝毎朝の出現が必要なのであるが、水島説は一回限りの感じである。
 明星池は毎朝毎朝己心の一念三千の姿が映る処、そこに本仏の寿命もあれば本尊の寿命もあるが、そこにずぶぬれの宗祖が浮んだのでは格好は付かない。も少し外の言い方を考えておいた方がよい。ここは書写と相承の故里であり、そして本尊と本仏を収めた処に成道もある。ここばかりは肉身出現ではどうにも救いがない。これは水島先生一世一代の大失策である。後世までの語り草として受けつがれていくであろう。
 成道・本尊・本仏の三は三師伝・六巻抄と丑寅勤行では事行の法門として伝えられてきたが、今は三秘がこれにかわったようである。そして本尊のみが少し変形して三秘と合体し、成道は本因から本果へ移り、本仏は別扱いとなって、三学即ち戒定恵から離れるようになった。時代による法門の移りかわりである。納まった処は戒旦・本尊・題目である。伝統法義は三秘により、大石寺法門は三学による成道・本尊・本仏という違い目が結果として現われたのである。
 三秘か三学かという中で、三学は本因により、二乗作仏が根本になっているが、三秘にこれがあるかどうか、これは考えさせられる問題である。今どれだけ二乗作仏のあとが残されているであろうか。伝教もそうであるように、二乗作仏と三学とは密接な関係にあるようである。
 久遠名字の妙法もまた三学に深いつながりを持っているように思われる。この点、伝統法義はどのように考えているのであろうか。事の一念三千もまた三学につながっているようにみえる。再考を要する処ではなかろうか。この二は、むしろ三学につなげ、成道・本尊・本仏となるべきもののようであるが、今は専ら三秘につなげられるかもしれないが、六巻抄をもって三秘にはつながらないようである。伝統法義もこの辺に計算違いがあるのではなかろうか。肉身本仏が明星池に現われるのも、或はこの裏付けなのかもしれない。伝統法義が六巻抄を斥うのも、そのあたりに真実がありそうである。
 三学によるか三秘によるか、始めに還るためには三学によらなければならないことはいうまでもない処である。今も丑寅勤行では三学は守り続けられているのである。事行の故に元のままに三学は守られているのである。四世道師以来、これだけは正しく守り伝えられているようである。三秘を根本とする伝統法義は、まことに弱さ一ぱいという処である。己心も心も同じだということも遡ればここまで来るかもしれない。
 内証も己心もさらりと捨てては長寿もあり得ない。己心も内証も共に秘密蔵の意を持っている。御宝蔵もまた秘密蔵であるが、今はその意味は完全に失われるようになった。秘密蔵にあるのは実は三学であった。この意味をもっての御宝蔵が真実の意義であると思う。伝統法義主にも大いに再考を求めたいところである。
 大石寺法門と伝統法義との根本の違いが、三学と三秘による処であることは間違いのない事実であろうと思う。その作きにおいて大きな開きを持っているのである。悪口が次第に弱まっていくのも、実はこの相違によるものと思う。伝統法義が己心を斥うのも、本来三秘には己心の必要がない故かもしれない。しかし三学には是非なくてはならないもののようである。
 久遠名字の妙法から本尊や本仏が表わされるためには必らず己心の一念三千の必要なことは、丑寅勤行や明星口伝でこれを証明されているが、生身の本仏が法門で現われる以前に出ることは不自然であるし、丑寅勤行でも生身の本仏は現われない。これを明星口伝の時にのみ現われるのは水島一人の私見という外はない。明星池に本仏が現われるのは己心の一念三千に限っていることは丑寅勤行という事行の法門がこれを示している。肉身本仏の出現については何の根拠もない全くの私見という外はない。このあたりで何か巧らんでいるのであろう。法門は法門としての扱いこそ肝要である。本尊の顕現と肉身本仏の出現を同時に扱うのは時節の混乱の最たるものである。
 三秘には本尊や本仏を顕わす力がないから予めこの用意をする必要がある。逆にこの用意をしたことは三秘によっている証拠ということが出来る。その点、三学には成道や本尊・本仏を顕現する力があるのでその用意をする必要がない。ただ己心の一念三千のみで事足りるのである。三秘の場合は己心の一念三千の必要はなさそうである。これが三秘と三学の相違する処である。明星口伝の水島の解釈は三秘によっていることを明らかにしているのである。しかし、ここは三学によるのが最も当を得た方法のようである。これまで明かす必要はなさそうに思う。正宗要義が滅後をとっているものを、わざわざ在世に切り替える必要はないように思うが、少くとも己心の法門については師敵対の罪を脱れることは出来ないであろう。
 不信の輩に指摘されて悪口雑言を吐くのも余り体裁のよいことではない。それよりか不断の勉強が肝要である。今頃戒旦の本尊を鎌倉に出生した宗祖の肉身といっても誰一人相手になってくれる人もあるまい。本尊七箇相伝は七箇相寄って一つの意味を持っているもの、それを一箇条ずつに分け、更に細分してみても何の意味もない。そのような中で衆生の成道、本仏の寿命も失われ、本尊の真実の意義や長寿も、また相承出生の処も消されて、肝心なものは全て消失された。これが今年正月号の大日蓮に載せられた水島ノートの成果である。全て合すれば二乗作仏に依って起るものであるが、殆どその真実は失われたようにみえる。何となく山島派のねらいも分るような気がする。差し当って内証・己心を捨てた代償であるが、これらのものを復活することは不可能に近いのではないかと思われる。
 成道や本尊・本仏等は三学によるもの、言葉を換えるなら二乗作仏に関わるものであって、内証・己心を外しては在り得ないもの、それを自力をもって獲得するのが丑寅勤行であり、この故に事行の法門といわれている。そしてその本尊を凡眼をもって確認するために明星直見の口伝があるが、水島の涙ぐましい努力は全てを消失したかにみえる。昨年十一月号の山田論文も目標の一つではなかろうか。これを逆に水島は寝言と称している。真実寝言と思えるなら一言で眠りを醒ましたら好いではないか。それも出来ないでボソボソやってみても、ホンにお前は屁のようだ。それはやるだけ無駄な事である。教化がしたければカッコを外してもらうことである。その上で二、三十頁でもよい。大いに教化の実を上げてもらいたい。カッコに隠れての発言は余り見上げたものではない。
 「大御本尊を信じない」というが、一閻浮提総与の語には信不信の跡はない。あると見るのは低さを表わすのみである。ただそこからは哀れさのみが伝わってくる。一閻浮提の意義は全く解っていない。一閻浮提総与の語から不信の輩が出てくるようでは、その程度は知れたものである。も少し知能の程度を上げる努力をした方がよい。しかしこれだけは、爾前迹門の語句を暗記することとは別個の問題であることに注意することが肝要である。己心を捨てた中で、この意の心をつかむことは殆ど奇蹟なのかもしれない。
 長い己心との戦いも漸く終末が近づいたような感じであるが、勝敗は後日に委ねることとする。不信の輩という語も己心を失ったものの専用語なのかもしれない。輩で足りなければ徒輩でも徒々輩でもよい。大いに新語を作って自ら娯しむことである。しかし院達にこのような語を使うことはあまり感心した事ではない。いかにもお下劣であるからである。
 戒旦の本尊の戒旦の二字は信不信の外にあるようにみえる。末代幼稚の頸に懸けさしめたもうたものも同様である。この三は何れも信不信とは関係はなさそうである。それを殊更信不信の上にのみ解した処に今の誤りがある。先の戒旦の本尊の戒旦は、現在の戒旦とは別個である。これは三秘の戒旦であって、三学から出た戒旦ではない。何れ山島派がわけのわからぬことを言うであろうが、大いに反撥してもらいたい。一つであるべき戒旦の本尊が、三秘によって解釈されたために戒旦と本尊の二つになったもので、今は信不信にみによって解されるのは当然である。これは時の相違、混乱による結果である。
 山島派の所論は無時の処で論じられているようである。いう処の伝統法義は時のないのが大きな特徴である。開目抄・本尊抄及び取要抄には何れもはっきりした時があるが、三大秘法抄にはそれがない。真蹟から真蹟のない御書へ移った時に時が失われた。今の伝統法義は三大秘法抄によって立てているようにみえる。そのために時がはっきりしないのである。
 水島の「真実の十界互具について」も時がないための混乱とお見受けした。時が決まらなければ仏法とはいえない。今はその条件のそろわないものを仏法と称しており、宗門の大勢は殆どそこに本拠が置かれているようである。委しくは山島派御両人の記す処に明らかである。そのために二乗作仏が消されることになったものと思われる。この二乗作仏を本源として展開しているのが大石寺法門であるが、今は伝統法義と交替しているというのが真実のようである。しかし、これもすでに限界が見えたようで、さて次をどうするか、これは容易ならぬ難問であるが、今度はまず時を定めた上で次の行動に移ってもらいたい。
 目前の時ばかり追うては法門は成り立たない。それは時が流転にあるからである。流転門還滅門を難じている間に自分達のみ流転の処に大あぐらをかいて、ケリがついたようである。まずは流転の居心地でも、ゆっくりと楽しんでもらうことである。独り酌ム三杯ノ妙ということもある。大いに広宣流布の味にでも酔ってもらいたい。これなら他宗門も何も言わないであろう。
 くれぐれも院達をもって「不信の輩」などという人聞きのわるい言葉は使わないようにしてもらいたい。そのような隙があれば、むしろ教学そのものを、このようなお下劣な言葉を必要としない処まで向上せしめる努力をすべきである。「不信の輩」にはやがて独善につながってゆくものを秘めているものである。おわかりでしょうか。その影に不知恩が待っているということなのである。
 阿部さんの説法の中に「在家」という語があったが、こちらは本来仏教には無関係であるが、その者に在家というのは的はずれである。現実には信不信の外にある語である。一方的に在家と呼んでいるのみである。一閻浮提総与と同じような意味で使っている。時を誤っている処だけが目につく談である。
 寝言と言いながら、その寝言に追いまくられて、六箇年の間只の一度の反撃も叶わず、カッコの陰にかくれてボソボソモソモソを続けているのは、いかにもみっともない。これが公の機関紙かと思わせるような、お下劣な語を集めて綴られているのである。他宗の人はこれを見て日蓮正宗の偽りのない姿と見るであろうが、寝言なら一言をもって破すべきである。大言はその上にするものである。
 折角書きながら主旨は一向に徹底しないのが水島ノートである。とても人前に出せるような代物ではない。しかもこれが二十回を迎えたのである。正宗教学の深さには、他宗の人も嘸かし堪能したことであろう。しかも世界最高の宗教と自称するのである。そして広宣流布を唱えているのである。「大御本尊を信受せずして」などという前に、自分達がまず正確に内容を把握することである。ただ大御本尊のみでは信受のしようがない。一歩進めて内容の説明をしてもらいたい。それを望みたいのである。
 一閻浮提総与の意味さえ分っていないようにみえる。これでは信受せよという方が無理である。この戒旦の本尊に二、一は一閻浮提総与という本尊であり、二は「折伏・広宣流布」につながる本尊であるが、前は文底己心にあり、後は文上にあるもの、本来なら他宗他門に押しつけるのは一の本尊でなければならない。それにも拘らず他に押しつけるのは二である。そこに時の混乱からくる摩擦があるのである。一は信不信の外にあるもの、これに対して二は信を強く要求するようになっている。ここに折伏の必要もあり、その上で広宣流布を唱えようというのである。
 広宣流布が文底から文上に移ったのであるが、その陰に種脱一致の考えが大きく働いているようである。今は「一閻浮提総与」さえ他宗へ押し付けようというのである。この種に在るべき語が脱の上で働きを示そうとするのである。種に在れば広宣流布と同意であるが、信不信の外では即刻完了である。つまり己心の上の広宣流布であり、他の事行の法門と同じである。それが文上に移った処に問題が起っているのであるが、種脱一致によるための混乱である。
 今は文上を唱える者程忠実な御僧侶であり御尊師ということになっている。この意味では水島・山田両御尊師は広宣流布功労文化章にも値いする働きをしているといわなければならない。大石寺法門で文上一本の広宣流布が過去においてどこまで推進されていたかどうかは一向に存知していない。しかし六年かかって一人の不信の輩の教化も出来ないものは、少くとも広宣流布に関しては明らかに失格である。悪口雑言は広宣流布のうちにははいっていないものと心得てもらいたい。
 信不信を取るなら、信にはいれるように理をもって説き明かすべきである。それが出来ないから悪口雑言が口を衝いて出るのである。しかし今は無条件で信心に入ることのみを要求しているように見える。信心に入れるためには第一には徳化である。それによって縁を生じるのが本来の在り方である。そのために以前は御影堂がその役割をしていたのであるが、今はその意味は全く失われている。
 昔の客殿の不開門は東南にあり、その東南に山門がある。ここには閻浮の無縁の衆生をして縁に触れさせるための配慮があったが、その意味は今は跡形もなく消え失せているのである。ここに時の移り変りを感じさせるものがある。時が変れば今の悪口雑言も広宣流布といわれるようになるのかもしれない。それ程今は烈しく変っているのである。
 過去六箇年、大日蓮に残された記録を見ても、古いものを消すために如何に努力しているかが分る。第一の筆頭が己心を消して心に替えようということである。昔の下剋上に似た処がある。これによって新興勢力も浮び上がることが出来る。そして古い伝統を亡して、新しく伝統を唱えるのである。昔も今もあまり変りばえのない処が妙である。そして今盛んに伝統法義を宣伝中なのである。そこでこちらは「大石寺法門」を名乗ったのである。いずれは図表にでもしたいと考えているが、面白いものが出来るのではないかと思っている。
 今伝統法義といわれてみても、何がどうなのか全く見当も付かない程で、悪口を浴びせられて始めて気が付くようなことも多い。水島ノートも今まで見たこともなかったが、若し拾えば可成りな量があるのではなあろうか。考え方の根本となるものは大半出ているのかもしれない。一度反論を受けて以後、未だ一回の反論もない。ただカッコの中に隠れているのみである。そして六巻抄を打ちすてて専ら文段抄にのみ頼ってボソボソモソモソやっているのである。元はといえば六巻抄が難解の故と察している。これに対して文段抄は比較的に理解しやすい面がある。それが先生方の共鳴を得た根本であろう。そして時の主張が弱いために便乗しやすい一面がある。特に今のような主張の厳しい人等のためには、色々と好都合な面が多いのであろう。
 最近は専ら文段抄によって、六巻抄による吾々を破折しようとしているが、結果はあまれ好くないのではないかと思う。しかもこれを裏付けるために爾前迹門に頼っていては尚更である。それは結果的には、爾前迹門をもって文底己心の法門を破すことになるからである。それは反って文底法門を自分の手で破折するような事になるからである。しかし現実には文底法門を打ち破ることに全力を集中しているのかもしれない。皆さんの甚深の処は到底不信の輩の凡智の窺いがたい処であることだけは申し上げておくことにする。
 今度も文段抄が非常に多い。そのためか無作三身の語も多いが、六巻抄ではこの語は大分整理される。そして時に付いても遥かに高い処におかれている。そのために種脱一致法門では利用価値が落ちてくるのであろう。無作三身にしても、文段抄では幅を持たせてある処が利用し易いのかもしれないが、結果的には不安定をもたらしたのではないかと思われる。そして本仏も本尊もそこで解されるために、これまた不安定になる。伝統法義の故里はここにあるのである。
 御両所の法門は出発点において時が不安定であるために、反論は専ら悪口雑言になるのである。敗北を認めたものには悪口雑言のみが救いの主である。むしろ悪口雑言のいらない処でやってもらいたい。若し六巻抄による日が来れば悪口は即座に消滅するであろう。時をはずれ、時を失った反論は何等の威力のないものであることを承知してもらいたい。
 還俗といいながら二行おいては不敬・師敵対という。それも一連の文章の中のことである。還俗したものに不敬や師敵対が関係ないことに気が付かないのであろうか。どうもこの仁は日本語は特別不得手なようである。しかしながら、不敬も師敵対も、正宗要義の証明する処では、水島自身に成りおわったようで、既に前もって引用している通りである。人の悪をいう前に自分のことを詳細にした方がよい。自分の善のみをいうのは愚者の採る所である。
 「次上」という語は日本語にはないと大見得を切ったまではよかったが、それはやがて宗祖を打つ笞となり、我が身に振りかかってきたし、今度の「日本語の理解が乏しい」となじった結果は、これまた甚だよくなかった。種脱一致法門にはこのような独走独善的なものが充溢しているのであろうか。さりとは恐ろしいことである。万葉歌も折角引くのであれば、も少し理解してからの方がよかった。万葉人には種脱一致法門は不向きなようである。万葉集もこれを機縁に十年程読めば少しは理解出来るかもしれない。自慢の日本語も、二回共悪口も出ない程の惨敗とは、御気の毒なことであった。あまりいきり過ぎないことが肝要である。
 「この聖意を喋々する資格がない」のは、己心の一念三千を認めないもののために言う語である。人のことまで心配せず、自分自身に得心のいくまでよく言い聞かせるに限る。己心の法門を認めないものに明星直見の口伝を喋々する資格はない。「日蓮が影」とは己心の一念三千の姿であるが、種脱一致法門ではこれを物体として捉える不思議な魔力を具えているのであろう。このノートでいう御当体は俗身を指しているか己心なのか一切不明である。一々俗身か己心かのが註釈が必要である。
 御書では五字七字の妙法と使われるが、ここでは唱える者と唱えられる者とは別人であって師弟でもないようである。法門としての師弟は認めないが、世俗的な場合に限って師弟を認める。これは差別をつけるためである。法門では無差別を表明するために使われる。純円一実の境界を示すためであるが、伝統法義では差別の時に限っている。己心の法門では本尊出現には必らず師弟が不可欠であるが伝統法義にはその必要がない。明星口伝で己心を認めず師弟を認めなければ本尊が現われるようなことはない、本尊が現われなければ本尊書写は自由であり、相承もありえない。本尊書写の自由化時代である。
 吾々がいう師弟は本尊出現直前にあり、伝統法義では出現以後に限っている。これまた大きな相違である。楠板の本尊が重点的に取り上げられる故である。これは本尊についての因果の相違である。師弟も山田流にいえば二重構造ということになるし、本尊もまた二重構造である。時の混乱がこのように二重構造と現われるのである。時さえ一に収まればこのような事の起るようなことはない。
 さて水島流の師弟では、本因の本尊は永遠に出現するようなことはないということのようである。「本尊が衆生の信心(題目)から生ずる」とはその程度の低さを見せつけたまでであり、本尊出現以後の話をもって出現以前に擬らえたものの誤りがある。これでは文底法門が理解出来ないのも御尤もなことである。
 山島派の説は本尊顕現以後に限られるので師弟の法門の必要がなく、同時に本尊も本果に変るのである。ただし、この本尊は弘安二年直筆の戒旦の本尊に限られる本果の本尊が根本になっているが、三学による本因の本尊は既に抹殺された以後のことである。元は師弟があって本尊を生じているが、今は本尊があって後に師弟を生じる。これが真実のアベコベである。ただ始めの本尊は本因であり後の本尊は本果であるために、このような混乱が起ったのである。或いは種脱一致法門の影響による所であろう。この法門では衆生に対する報恩などは一切ありえない処に気を付けなければならない。
 鎌倉へ生まれた宗祖が生れながらにして本仏であるなら、本仏の寿命は僅か六十年である。それが七百年を経て生きながら明星池に出現するのである。どうしてそのような事が考えられるのであろうか。これでは三学による成道・本尊・本仏は必要なくなり、本因は消えて刹那成道も消え本因の本尊もなくなり、本仏も本因から消えて、古伝の法門は一切姿を消すことになり、全て本果と交替となる。種脱一致法門では否応なしにこのようになる。当然丑寅勤行も消えている筈であるが、これは今に形だけが辛うじて残っており、しかもその意義は既に消失しているのである。
 今、水島や山田が必死に悪口雑言を繰り返しているのは、全くこの種脱一致法門を推進するためである。そのような中で、本来の三学による法門は消えて新来の三秘に切り替えられているのである。よそもんがこれ程までに憎まれながら探っているのも、少しでも正常なものを信じてもらいたいためばかりである。力によって消されていくのは時の然らしめるもの、これはやむを得ないとしても、法の力によってこの法門を再生する日が必らず来るであろう。宗門が消そうとし、他人が存続を願うというのが、この己心の法門の真実であろうか。これこそほんとのアベコベである。
 明星池に宗祖の肉身が出現して本仏・本尊が顕現されるのであれば、今までいわれてきた「熱原の三人の愚癡のものども」と本尊の関係はどのようになったのであろうか、十年前には他宗を警戒したのか、わざわざ十月十五日と処刑日を改めたのであったが、今は全く無関係になったのか、山島派でもこれについては一切触れていない。或る時には大いに関係があり、或る時には全く無関係、その時次第ということになっているのであろうか、一向にその消息は耳にはいってこない。
 大橋さんも楠板は宗祖の肉身そのものであると言い張っているが、一般にそのような考えに変ってきたのであろうか。そのような中で水島が明星池の本仏・本尊の出現即ち宗祖の肉身出現に力を入れているのであろうか。或いは己心の追求をかわすための苦肉の策として急に思いついたのであろうか。楠板変じて金(きん)になるということはあるが、宗祖の肉身化して楠板となるとは、余り聞いたこともない発想である。
 熱原の三人については、三師伝には法門の立場から詳細に説かれているし、今さら抹殺というわけにもいかないと思うが、今のような情勢の中では、肉身本仏論の発展次第ではどのようになるかわからない。水島の明星直見口伝の言い分も気掛りな処が多い。今、熱原の三人が本尊に関して、どのような扱いを受けているのであろうか、大いに気掛りな問題ではある。
 三師伝では本因の本尊であるために、楠板や、真蹟かどうかについては一切触れられていない。この点について現在は使い難いのであろうか。しかしながら、ここには二乗作仏も明らかであるし、三学からきた本尊でもあり、一宗の信者のみを対象としたものでもない。一閻浮提総与という内容も十分に具わっている。それだけに今では反って使いにくいということであろうか。現在どのようになっているのか、是非知りたいと思う。
 本仏が寒中に五センチの氷を割って水にもぬれず七百年以前そのままの姿を顕わした、これは奇蹟奇瑞であるかもしれないが、少くとも七百年の伝統を誇る大石寺のいうことではない。きのうや今日出来た新興宗教ならそれなりに奇蹟も教義の代りになるかもしれないが、大石寺がそんな事をいえば反って逆手に取られるであろう。あまり見上げた発想とはいえない。それは七百年の伝統を踏みにじるものでしかない。これは本仏や本尊に迷うもののいうことである。このようなことは、少くとも日蓮正宗の僧侶として口にすべきではない。
 奇蹟のみを追うて本仏を讃えるような事は、最も低俗な人間のする事、考えることである。七百年の伝統を誇りたいなら、本尊も本仏も伝統の法義をもって、己心の法門をもって証明しなければならない。それをただ奇瑞奇蹟のみをもって人を驚かそうとしても、今日の信者は、恐らくはついてきてくれないであろう。話を綜合してみて、結局は本尊や本仏が不安定であることだけは分るが、このような発想で乗り越えようというのは、余りにも低俗すぎるというより外にいうべき言葉もない。本仏の肉身三世常住と全く軌を一にしているようである。
 本仏の肉身三世常住も、ただ奇蹟のみを望むことなく、己心の法門をもって証明しなければならない。それでこそ七百年の伝統も称えられるというものである。それにしても最近新興宗教を思わせるようなものが次第に増えてきたことは、何としても気掛りな事である。或いは奇蹟をもって体をかわそうとしているのであろうか。若しそうであれば余り賢明な方法とはいえない。宗祖に関する奇蹟等は上代にあるものに限った方がよい。余り新しいものが出ると新興宗教めいてくる。最近それが増えたように思う。或いは内部に何か起りつつあるのであろうか。
 悪口はそれぞれ二回位で終り、次は今徐々に露われつつあるということか。山田と水島、各担当区域が違ってはいるようであろうが、いずれ目標は一つであろう。時局法義研鑽の成果も、事行をもって発表しているようにみえる。水島の変りようも目につくし、山田も悪口は二回で終り、三回、四回は正信会報へ向けているが、或は教学の爾前迹門化をめざしているということか、その中で文段抄をもって擬装をはかっているのではないかとさえ思わせるものがある。いずれにしても余りよい方角とはいえない。
 今になっての教学の他門化はどうかと思う。しかも結論を急ぎすぎている感じもある。しばらく状況まちということにする。或いは山田、水島を中心として新法門新教義を目論んでいるのか、それにしては少々力不足ということであろう。あまり奇想天外の事を持ち出されては、余計な事の一つも考えてみたくなる。ともかく己心の一念三千を取り返すことである。そして三師伝を中心に再出発することである。そして種脱一致法門の必要のないようなものを、革めて新開発することである。
 種脱一致の法門がすでに限界がきていることは、最近の動きの中で遺憾なく示されている。まず第一にすべき事は種脱一致法門からの脱皮である。奇蹟のみをもって本仏を証明しようとすることは、自ら墓穴を掘るようなことになりはしないか。賢明な水島先生の一考を煩わしたい処である。「熱原の三人」の人等も既に本尊座から下ろされようとしているかにみえる処は、宗祖肉身本仏と交替する時がきたということであろう。どこかで激動は既に起りつつあるということか。誠に無気味なことではある。
 水島の癡言(たわごと)は、結局は本尊書写の相承と成道・本尊・本仏の否定に終始しているが、これが真実の十界互具ということである。寝言がつい外にもれたために本人は気付いていないのであろう。戒旦の本尊を否定することは最高の師敵対と思うが、成道も本仏もまた否定しているのである。その罪は永劫を経とも消える期はないであろう。  

 広宣流布
 五十九年八月宗門に護法局が設置され、改めて世界広布が取り上げられることになった。そして今年は正信会の目標は折伏と広宣流布、学会は「開拓の年」ということで、何れも広宣流布をめざしているが、このうち開拓の年には多分に事行の法門的な雰囲気を持っている。護法局は既に開始しているのであろうが、一向にその後の情報はない。正信会もどれだけの見通しがあるのか、これまた不明である。このうち開拓の年のみは法門的には成功したものと思われる。一番上がりである。
 折伏・広宣流布のためにはその行動力、実行力が不可欠であるが、今どれだけの貯えがあるのであろうか。宗門がこれを行動に移すためには法門的な裏付けが必要であるが、これは中々の難問である。以前の学会にはそれなりの裏付けを持っていたが、宗門では事行の法門として示されているのは、まず最初に広宣流布完了を祝福している。正月十六日・七月十六日には不開門を開いて広宣流布お目出とうと祝福し、一年一回の祝福は十月十三日であり、毎朝の祝福は丑寅勤行によるもの、何れも前祝いである。また目師の再誕を祝うのも春秋二回ではあるが毎朝及び一年一回については前に准じている。
 頸の座から魂魄佐渡に到れば己心の一念三千は建立されて広宣流布完了であるし、本尊が開顕されても書写されても広宣流布完了である。完了の処に無始にもあらず無終にもあらざる境界をみるとき、己心の法門の上の広宣流布は完了するのである。丑寅勤行も事行の法門として完了を祝福しているのである。衆生は成道し、自行により自力によって同時に本尊も本仏も顕われる。これが法門として受けつがれてきた広宣流布の在り方である。つまり己心の法門としての祝福に広宣流布の意義をみている。これが真実の伝統法義即ち事行の法門のように思われる。これに対して一人一人を折伏して広宣流布ということになると、どうしても迹仏世界の在り方に近い。そして一人残らず世界中の人を折伏することは不可能である。そこで法門の上では一閻浮提の一切衆生を対象に即時に完了し、祝福して後、世界中ということにするのである。そのあたりが法門の世界である。それを始めから世界中一人残らずというのは己心の法門では未だかつてないことである。
 現実世界ではあり得ないことを可能にするのが己心の世界である。大石寺法門はそこに立てられているのである。生身の本仏が池底から浮び上がってくるのとは話は全く逆である。水島も次第に頭の中が混乱して、こんなことさえ判別がつき難くなってきているようにみえる。可能なことをわざわざ不可能にして苦しんでいるのであるから、これでは本仏も慈悲の施しようもないであろう。法門にもない方式をもっての広宣流布への旅、、いつ果てるとも分らぬ旅は、ただ困難のみが待ち受けているであろう。いっその事前祝いでもして出発してはどうであろう。このような時には事行の法門に限る。三様の広宣流布を祝福しながら文の上の広宣流布に乗り出すのが昔からの定法であったようである。文の上のみの広宣流布というのは、あまり聞かない処である。
 本仏の慈悲は事行の時最もよく具現され、広宣流布は、本仏の慈悲を除いては実現不可能なのではなかろうか。そこでこの慈悲を受ける方法を考えなければならない。それが己心の法門の受持なのである。若し己心の法門を除くなら殆ど広宣流布はありえないのではなかろうか。これは事行の法門の示す処である。その事行の法門を代表するのが丑寅勤行である。ここでは成道も本尊も本仏も全て広宣流布そのものを表わしている。これらは魂魄の上に成じたものであるが、正信会の目標の広宣流布は経の上、即ち迹門のようにみえる。
 事行に表わされているものは己心にあり、完了を前もって祝福するが、経の上の広宣流布は最後に完了するために長年月が必要である。心の上の広宣流布というべきであろう。つまり事行の法門にはなり得ないもので、在世末法の広宣流布である。池上本門寺の御影が太っているのも、痩せ衰えた姿を知っている人等の強っての願望であろうが、そこには広宣流布を感じさせるものがある。太った中身は慈悲なのかもしれない。外相の痩せたことは、内証では太ったことであろうが、今は御影以上に太った人もあるが、慈悲の方はどうなっているのであろうか。太った分だけ慈悲に廻せるなら広宣流布請け合いである。
 発想の転換をしてみてはどうであろうか。広宣流布は昔から徳化に限られている。一人教化すれば、その人の主宰する一閻浮提の衆生は一人残らず即時に広宣流布する。これはその人の徳化の至極する処である。徳化をめざすことも大いに意義あることではなかろうか。カッコ水島も、人に教化を依頼するよりは、無言で教化出来るような修行を積んでみてはどうであろうか。そうなればあまり中身のなさを宣伝する必要もあるまいと思う。悪口雑言では一人の教化も出来ない。一人の教化も出来ないようでは、まずは失格という外はない。
 昔の客殿には、東南にあたって不開門があった。そして正月十六日にこの門が開けられた時は即座に一閻浮提広宣流布であり、これで半年分の前祝は完了である。この広宣流布であれば他宗から何をいわれることもない。意味は大分薄れた事ではあろうが、行事のみは昔ながらに行われている。これが種が家の真実の広宣流布の姿である。お会式に申状を読むのも、或いは広宣流布の表示なのかもしれない。これも恐らくは前祝のしるしであろう。意味は分からなくなっても色々な形で広宣流布は祝福され続けている。そこに種が家の種たる所以が秘められているのである。これに比べると、迹門の広宣流布には完了を祝福する時がない。しかも今その広宣流布の旅が始まったのである。
 昔、精師の時には広宣流布という事で、新しく造営された今の御影堂を本堂と称し、天王堂と垂迹堂を造り副えて三堂とし、戒旦の本尊を本堂に移されていた。これはいうまでもなく広宣流布の姿である。三堂一時に建立されたのである。その後御宝蔵に遷されていたが、今また正本堂が建立されて十年余りも経過した。一そうのこと、前例のように三堂一時に建立して広宣流布を祝福してはどうであろう。
 昔の天王堂・垂迹堂は昭和の始め頃まで残っていたようであったが、この史料によれば、天王・垂迹の二堂が出来れば自動的に広宣流布となり、富士山本門寺と名乗るようになっている。今も同じ史料が使われているのであるから、格別他に向って公表する必要もない。極く内輪で広宣流布の祝福をしてみてはどうであろう。これなら他宗から抗議のくる筈もない。そして一日一時でも自分達だけで本門寺と名付けるだけで事が足りるので、これ程簡単なことはない。
 御宝蔵から戒旦の本尊が動座されるのは、広宣流布の時に限られているようであるが、今は動座は既に終ったのである。思い切って広宣流布に踏み切り、一閻浮提に向って高らかに宣言すべきであると思う。不開門を開いて宣言すれば一閻浮提のみに即刻とどろきわたるのである。正信会も天王・垂迹の二堂を御寄進すれば、阿部さんも早速御嘉納になると思う。そして共々に一閻浮提に向って広宣流布の宣言祝福をしてみてはどうであろうか。それはお会式の日でもよい。そして以後は毎年一度広宣流布を祝うなら、既に己心の法門の上では七百年来続けられているのであって、そこには何の抵抗もなく法門的には受け入れられる。そしてまずは目出たし目出たしということに相成ることであろう。
 御宝蔵からの本尊の動座については今一つ丑寅勤行の時にもある。同じく広宣流布であるけれども、これは遥拝によるものである。そして久遠名字の妙法が事の一念三千として客殿に現われるのである。これが法門の上の動座である。これによって衆生の成道も完了し、本尊・本仏も現ずるのである。即ち広宣流布である。
 今では法門の上の広宣流布は何れも薄れてきたが、反って外相の広宣流布のみに意欲を燃やしているようである。しかし外相一辺倒の広宣流布については、古い処では見かけた記憶がないのは淋しいことではある。若しこれを行うには、以前のように、柱となる化儀の広宣流布、法体の広宣流布のようなものが必要になるが、その支えになるものは一もない。そして法門の支えになるものもないでは、この道はますます困難になるのは分り切ったことである。遂行のためには犠牲的精神が必要であるが、正信会にはそれに相当するものが見当らない。それでは遂行することは、むずかしいように思われる。それよりか二堂建立の方が無難のように思う。
 五十六億七千万歳の間、広宣流布を待ち続けるということは容易なことではない。五十年の人生では夢にもならない年数である。そのような意味では唱えることに意義があるのかもしれない。それならば、一層のこと始めから広宣流布完了を祝福した上で外相に移したほうが好い。これが上代からとられた方法であった。まずこれに勝る方法は中々見つかりにくいのではなかろうか。
 先に正本堂に本尊を遷座しておいて、あとはのんびり広宣流布というのは筋が通らない。広宣流布したから動座するのであるが、今の考えはアベコベである。動座は既に完了を意味しているのである。今から五箇年間、創立七百年の年まで、毎年お会式に広宣流布完了を祝い続けるのが最も好い方法のように思われる。これならば目前に完了を確かめることも出来る。あまり経の文にこだわり過ぎると、迹門の擒になる恐れがある。用心するに越したことはない。何はともあれ、己心を取り返して広宣流布を祝福することである。
 三師伝も六巻抄も、事行の法門として丑寅勤行に結論が出されていることは間違いはあるまい。事の法門としての六巻抄、事行の法門としての丑寅勤行、両々相いまって大石寺法門を造っているので、三師伝も何等変りはない。「本仏の振舞い」という語もこの雰囲気において最もふさわしい語である。二乗作仏から生れた語であろう。若しこれを宗祖一人に固定して考えると、大いに意味は変ってくるであろう。
 「伝統法義」では、一応事行の法門の語は使うであろうが、一向に本尊も本仏も現われない。これは成道が迹仏世界に移っているためである。そして今の本尊も本仏も自行自力の上に顕現されたものではないというのである。この伝統法義には文の上の広宣流布も在って好いようにも思われる。時に共通した点があるためであろう。この伝統法義は成道が迹仏世界に移ったために、今、本尊や本仏が動き初めたのではないかと思わせるものがある。肉身本仏三世常住論などもその一例である。水島の明星直見口伝に出る肉身本仏も一連の激動の中に現われたもので、氷山の一角というべきものかもしれない。
 楠板が宗祖の肉身そのものでは理解することは出来ない。やはり法門の介在が必要なのであるが、大橋説は宗祖の肉身イコ−ル楠板であるが、水島説の、宗祖が水中から浮上するのもどうも頂けない。これらは己心を離れた本尊・本仏の動きの一例である。暗中模索という処である。初めの悪口雑言方式では逃げ切れず、ようやくここまできたのであるが、山島方式では簡単に逃げ切れないであろう。ますます深みにはまるだけである。昨年十一月以後包みきれなくなったようである。成道は死後に、本尊は宗祖の肉身である楠板の本尊、本仏は三世常住の肉身本仏と、丑寅勤行では己心の上に成じ現ずるものが、現状はこのような状態である。これでは何れの時と決めることも出来ない。時節の混乱であるという以外にいいようがない。
 久遠名字の妙法をもって本仏をたてるためには法前仏後でなければならないが、水島説によると三世常住の本仏が前で本法は後に廻されている。即ち仏前法後であるから、迹門形という結果が出るのであろう。一箇処かわしただけでは逃げ切れないであろう。折角久遠名字の妙法や事の一念三千を持ち出してみても、仏前法後と表わしたのは解釈の誤りによるところ、これでは逃げ切れないであろう。久遠名字の妙法を仏と解したための混乱とお見受けしたが、若し法と解するなら解決する道も開けるであろう。御宝蔵は久遠名字の妙法を蔵するが、この法から本尊や本仏が出生していることは御存知ないのだろうか。これではまことに前途多難であるといわなければならない。
 種脱一致方式による伝統法義では観念の上に出現した本仏と久遠名字の妙法とが人法一箇して戒旦の本尊が出来上がっているのであろうか。若しそうであるとすれば、丑寅勤行により顕現される本尊とは異なっている。同じ本尊でも、二乗作仏による成道から現われる本尊と、本仏日蓮大聖人から顕現される本尊を同一視することは出来ない。大石寺法門と伝統法義とでは本尊の内証が大きく異なってくる。そこで大石寺法門でいう広宣流布と伝統法義のいう広宣流布とが、一方は己心から他方は心からということにもなる。
 本仏日蓮大聖人という時、その出生を明らかにしていないのが伝統法義であるが、ただ観念の中で定められたもので、以前よく皆さんが言っていた観念論と何等変りはない。己心の法門や三学を消しては本仏は現われにくい。そこで観念によって作られていくのであろうか。本仏は法門的な出生を明かす処にその威力を発揮出来るということではなかろうか。その出生を明かしていない処が最大の難点である。広宣流布もまた無関係ではなさそうに思われる。今宗門をあげてその広宣流布に向って発進したのである。一旦肉身を離れて魂魄の上に成じた本仏が、今は肉身を離れては考えられない処まできたのである。そして本尊もまたそのような処で考えられている。しかも今あわてて爾前迹門の知識を吸収しようとしている。
 仏法にいるのか仏教なのかそれとも外にいるのか一向に分らない。そのような処に種脱一致法門が考えられているのではなかろうか。一言で言えば時節の混乱であるが、今はそれが本尊や本仏の上にも現われようとする兆しが見える処まできたようで、これらについては、大日蓮を見ただけで容易に分るまでになったのである。そして解釈も毎号毎号変っているようである。己心の法門以外に、この動きを封じることは出来ないであろうが、今は宗門あげてこれを邪義と決めてしまったのである。開目抄も本尊抄もが邪義と決まったことと同じである。そして今は本仏も本尊も、宗祖の肉身とぴったり寄りそうたのである。
 最近数箇月間の動きは、肉身本仏、肉身本尊を不動のものとしたように思われる。守りに徹したということであろうが、それだけ己心の本仏、己心の本尊と離れてしまったという感じである。ここまできてしまっては再び己心を取り返すような事もあるまい。山田・水島御両人の涙ぐましい努力の成果である。或いは護法局出発と時を同じうして始まったのかもしれない。これで伝統法義も今年が出発点となって広宣流布と同時発足と歩調を揃えたのである。正信会の広宣流布もまたこれに歩調を合せるのであろうか。法花文底と宗祖の肉身と、これが一箇して現われたのが肉身本仏であり肉身本尊ということで収まりがついたということであろうか。これは新版種脱一致方式である。是非次の動きを注視したいものである。
 肉身本仏三世常住を巡るあわただしい動きも第一段階は終ったようにみえるが、この中で水島の明星直見口伝の解説は見事な失敗であった。事の始まりは万葉歌の引用にあった。もすこし、日本語の勉強をした方がよさそうである。どうも水島が日本語の自慢をした時は必らず失敗をしている。二度あることは三度あるという。是非その時を期待したいと思う。
 「唯授一人嫡々相承」を否定したのは水島自身であり、明星直見口伝の解説は何よりの証拠である。その低俗さは本尊や本仏さえ極めかねて右往左往しているのである。かれこれいう前にその出生や内容等を明らかにすべきである。それも出来かねて観念論呼ばわりは、その御脳の程も疑いたくなるというものである。文底を唱えながら肉体にこだわりすぎると、仏教の外へはみ出す恐れがある。すべてが滅後にたてられている大石寺法門で己心を否定することは自殺行為に等しいものである事は、明星直見口伝が好い例である。本仏や本尊の出現を願いながらこれを否定し、しかもそれさえ気付かないということにもなる。己心を捨てたものの行くべき道を示して余りあるものがある。
 この己心の一念三千法門を語れば数々見擯出にあい、悪口罵詈せられることは宗祖も示されている通りであり、宗門から被害を受けることは尚更正しいことを証明しているのであって、逆に宗門自身が狂っているからである。長い間己心の法門を伝え守ってきた宗門が、今は血相をかえて己心の攻撃に終始しているのである。それ程狂っているのである。
 今の宗門で最も恐ろしいのは己心の法門のようである。何故このように己心の法門を恐れるのであろうか。いうまでもなく、それは自ら狂い乱れていることを知っているからであろう。それを認めた上での悪口であり罵詈である。何れにしてもここまで認めさせた事は大成功であり、大勝利であった。しかし何れそのうち、再出発、己心の法門の恩恵に浴することも、それ程遠い将来とは思えない。山田や水島の書いたものには、そのようなものが明らかに文の底に漂いはじめているように見える。
 今の正宗教学を代表する御両人の教学も大分底をついたのか、盛んに他宗のものを読みはじめているように思われるが、現状では時の混乱以外大した収穫も得られないのではなかろうか。他門の知識の吸収のみに踊らず、思惟を始めてみてはどうであろう。そこには必らず思いあたるものがあると思う。悪口のみで己心の法門はつぶせるものではない。現実は悪口した方が危なげになっているのではないか。これは法門の力作用(はたらき)による処である。
 今は宗祖一人にみが本仏となったために、どんどん空中に上っていくが、そのために民衆から本仏は抜き去られている。宗祖は生れながらにして本仏であるから、本尊抄の副状のように師弟共に仏道を成じる必要はなくなった。そこで師弟が極端に嫌われるようになったが、これで祖意に忠実といえるであろうか。今は反対に師弟一箇を認めないものが宗門に忠実なことになっているのである。勿論宗門でも一切認めない。こうしてみると、宗祖との師弟のきずなは自ら断っているようである。弟子が一方的に師弟のきずなを断った形であるが、これはどうも頂けない図である。しかしながらこの師弟一箇は常に宗門の大きな攻撃目標になっているのである。
 今ではただ世間並みな師弟のみは、差別のために別扱いになっている。本尊七箇相承から二乗作仏を除くことは、本尊抄や開目抄からこれを除くのと同じである。それにも関わらずカッコ水島はそのために涙ぐましい努力を重ねているが、所詮は無駄なことである。気が付くなら早い方がよい。そうなれば信者も救われることになる。二乗作仏を除いて成道を唱えてみても、そのようなことがある筈もない。それは自行でもなければ自力でもない。今の他力成道即ち死後の成道は二乗作仏を斥った結果である。そのために丑寅勤行では二乗作仏即ち、成道の次に戒旦の本尊が顕現されるのである。
 戒旦の本尊とは一切衆生皆成仏の印である。今は三秘によるようになったためか、戒旦と本尊との二つに別れている。ここでは最早二乗作仏とは無縁となっている。そのために次第に迹門流に移りつつある。これは解釈がそのような結果を生むのである。迹門には未だ二乗作仏はなかったが、そのような処へ本仏が住するのが現在の大石寺の法門であり、これが即ち種脱一致の法門である。これこそ観念論の部類に入るものではなかろうか。この法門を立てんがために二乗作仏も師弟一箇の法門も、また己心の法門も斥われるのである。今はこれがいかに正常であるかということを証明するために、宗門はヤッキになっているのである。その急先鋒が水島と山田である。そして二乗作仏にかけた宗祖の夢は、今無慙に打ち砕かれようとしているのである。時局法義研鑽委員会はこのために腐心しているようである。またその成果は大日蓮に発表されているが、今にまとめて発表されることであろう。何れ日蓮正宗要義も改編され、御書や三師伝、また六巻抄などからは、到底想像も出来ないような新日蓮正宗要義が発刊されるものと期待しているのである。
 今大日蓮に発表されるところを見ていると、爾前迹門の諸宗と兌協折衷をはかっているのではなかろうかと思うこともある。今は皆さんも大いに他宗の教学の研究に余念がないようにみえるが、その成果も何れまとめられることであろう。ただその時は時節の混乱だけは防いでもらいたい。筆者は山田、水島等の諸先生のように学がないからはっきりともいいかねるが、大石寺法門は己心を外して爾前教からみると、つい観念論と思える処があるかもしれない。そのような時は一度反省して、己心の法門の眼をもって見直しすべきである。誤りはこのような処から起るかもしれない。
 爾前迹門の学者の言葉をもって、いきなり大石寺法門に押しつけてみても、成功する時ばかりはないかもしれない。しかし己心を捨てた時には同じものに映ることは、大いにありうることと思われる。時の確認こそ肝要である。観念論ということは何回か聞かされてきたが、出処は同じ本であったのかもしれない。よくよく大石寺法門と比べてもらいたい。但しその時は、時については厳重に守った上で研究してもらいたい。
 吾々の立場からいえば、本尊や本仏の出生の明らかでない方が観念論のような気がしてならない。風の如くに来る本仏は、その内証の辺をはっきりさせることは困難であるし、出生がはっきりしなければ時を決めることも出来ない。また種脱一致方式によれば脱にいるようでもあり、種かと思われるような処もある。脱の人がこれを見れば観念論というのは、余程の篤志家なのかもしれない。無学の者には何が観念論かそれさえ分らない。しかしこの語は昔はなかった語ではないかと思う。いつから使われるようになったか、これ又是非知りたい処である。学のある処を示してもらいたい。
 今は宗祖一本に絞られてきたが何となく暴走気味である。以前には毎朝毎朝の生身の本仏が池の中からズブ漏れで浮び上がるようなことはなかったが、到頭ここまできてしまった。これは肉身本仏三世常住論の行きつく果てである。このようなことを検討しているのが時局法義研鑽委員会であり、重要な問題については水島ノートも二十二回を数えたので大凡その目的とする処も見当が付こうというものである。また山田論文もあるので、何の目的で何が論じられているかということについては、大凡見通しを付けている。そのような中で本仏の解釈もここまできたのである。結果は本仏も本尊も衆生の成道も、本尊書写も、そこに始まる相承も一切を否定する結果が出た。これは研鑽成果即ち予定の進行なのかもしれない。そして、それらについては検討ずみのものをもって入れ替えることによって、新教義をもって新発足ということであろうか。
 四十年間に出来たものが新しく宗門の教義に入れられるための研鑽委員会が、今も英智を尽くして検討中なのである。その中でまず目障りになるのが己心の法門ということであろう。大きな問題は既に水島ノートに発表ずみであるから、新発足する宗門の性格も次第に分明になってきたように思われる。悪口雑言もそれを生み出す時の苦痛の声ということであろう。今はそのように受けとめておく。そして一往出来上がったのが伝統法義である。細かい点は目下検討中で、今はこの四字が錦の御旗というところであろうか。似たようではあっても、それ以前のものとは一挙に変えられて、根本はどうしても学会教学よりになるであろう。
 同じ本仏でも六巻抄と明治、大正、昭和戦前と戦後では大きな開きがあるが、今は戦後の本仏の結実期を迎えているように思えないこともない。それが水島、山田活躍の場である。筆者も、明治以来の教義を守る立場から正信会側から批難を受けていることとは思うが、も少し視野を広げてもらいたい処である。未だ安定はしないけれども、本尊や本仏について大分進行中であることは、大日蓮を見れば一目瞭然である。何れも落ち着く処までには時間が掛りそうである。阿部さんの肉身本仏論は一応失敗に終ったようであるが、そのうちまた次が出るかもしれない。その前に宗祖の立てられたもののうち、何が後に至って本仏になったのか、その辺の研究をしてもらいたい。これは今の肉身本仏論を防ぐ力を持っているであろう。
 今では始めから宗祖を本仏と定めた上で、その周辺を整えようとしているようで、これでは根底が浅い。そのために池の表面に根が浮び上がったのであって、それが正月早々の水島本仏論である。これは始めから水面に根が浮ぶようになっているのである。これでは水にういた浮草同然である。これが真実の宿命というものである。本仏が厚い氷を割って水面に浮んだ処でこの本仏論も一巻の終りということであった。この見通しさえつかないとはお粗末至極である。しかしこの本仏論は援護のためであるから、結論の必要はなかったので、始めから茶番劇として仕組まれたものであろう。
 本仏も折角浮いてはみたものの、水の上では止まりようがなかったのであろうか。島は宿の意味があるように思う。つまり水島とは水の宿という意味のような思われるが、日本語の大家の御判断はどう出るであろうか。水宿ではあまりにも淡々としすぎて、今の御尊師の心境にはふさわしくない。むしろ金島、金塊島に改めては如何でしょうか。そして水は宗祖日蓮にも譬える。即ち本仏の宿泊の処でもあれば、両々相まってその真面目さを発揮することにも相成る次第である。一層のこと改名に踏切ってはどのようなものであろうか。
 さて、本仏であるが、今のような本仏の考え方では、仏が法に先行している感じを人に与える。即ち変形した仏前法後が一人の本仏の中で実現しているのである。それが自ずと表に滲み出ている感じで、それを根本として日蓮正宗が建立されているように思われる。或いはそのための最後の努力をしているのが水島、山田ではなかろうか。そのように受けとめている。今期せずして仏前法後の形を取るようになったというのは天然自然の欲求であろう。その現われた処は自ら迹門形となっているから不思議である。
 日蓮本仏を仏と見るか法と見るか。それは本仏の解釈に全てがかかっている。仏とあるから人と見るのは自然の情である。外相をそのままとるか、その内証の辺をとって法と見るか、六巻抄の末法相応抄ではそれを指示されているのであるが、今は形に表われたものを主とする処から、本仏は宗祖の肉身そのものに限定された。これが六巻抄との大きな相違である。今、宗門はその方角で動いており、今のような肉身本仏論も出来上がったのである。仕上げ段階に入って水島、山田が総仕上げに努力している。その成果が毎号大日蓮に載せられているのである。何れまとめて逆次に読んでみたいと考えているが、しばらく待てば本人が分析して出るかもしれない。今少し時を待つことにする。
 宗祖が水の底から浮いてくることは、本仏を仏と見、肉身と見ている証拠である。若し己心が生かされておれば、このような事はなかったであろうが、ここに法から仏への転化がある。法前仏後が消されて、殆ど自然の形の中で仏前法後の形をとるようになったのである。今では仏前法後以外は一切認めないという中で、爾前迹門の教義は、これまた自然の形で内部に浸透しつつあり、何となく同化を索しているのではないかというような印象を与えるのである。盛んに爾前の諸宗の教義を覚えては自慢しているのも自然に溢れ出たものであろうが、それだけに危険を内含しているものとみなければならない。只一日も早く落ち着くことを願うばかりである。とも角も今は肉身本仏三世常住論に落ち着いたというのか、そして諸法はそこから出生しているのである。
 種脱一致法門は肉身本仏三世常住の処から出生し、伝統法義もまたそこから出生している。それが今後の大石寺法門となるものであるが、吾々のいう大石寺法門とは全く無関係のものである。そして己心の法門を唱えた宗祖も、これを受け継がれた御先師とも関係は断絶して、全く新しい日蓮正宗が発足することになる。今、時局法義研鑽委員会はその最後の仕上げを急いでいることであろう。山島派はそこを本拠としている処に意義を持っているのである。これほどまで言を尽くしても容れられないのであれば、何れ手を引くようになるであろう。既に限界が過ぎていることを自覚しなければならない。これ皆、時のしからしめる処である。教義がここまできて尚且つ止まることを知らないのも時である。宗祖が撰時抄の冒頭に示された時も観念論ということで消されるのも時間の問題ということであろう。そのうち正信会も本に帰り共々に種脱一致方式の広宣流布をやる日も、それ程遠い将来のことではないかもしれない。


 むすび
 六巻抄に当家三衣抄を置かれた事は、格別三衣を説くためではない。僧侶が三衣を身にまとうのは外相のこと、衆生は己心に三衣をまとうのである。その三衣こそ真実であり、体である。これに対して外相に着けた処は用を示したものである。体は用を離れず、用は体を離れざる処、そこには一人の衆生の上にも三衣を通して師弟子の法門があるし、現実の師と弟子の間を通して衆生一人一人にも師弟子の法門がある。そこに真の成道がある。これが二乗作仏の姿である。他によって仏の位を受けるものではなく、自力による成道即ち刹那成道である。
 三師伝に示された道師の意図を三衣抄を通して解すべきである。伝統法義では成道は死後にとるので専ら迹仏によるが、大石寺法門は刹那成道即ち生前によるために師弟子の法門が必要なのである。伝統法義のたて方は二乗作仏に背く処は宗祖の掟にそむくものであり、宗祖に対する真向からの反撃である。これは山田説の第一の難処である。
 六巻抄で衆生の成道が出るのは三衣抄のみであるが、その衆生とは、第一には左伝の引用に示されるように一般民衆であり、仏教徒のみが対象ではない。中国へ仏教が渡る以前の民衆である。大石寺が必らずしも自宗の信者のみを対象としていないのと同じである。一閻浮提総与と同じ理である。そして次に自宗の信者である。一人一人を折伏入信させるものでもない。それが今は全く逆に、他宗には例をみない程ガリガリしているのである。これは法門の立て方が替ったためである。山田や水島の説はこれを代表して大日蓮を賑わしている。それは宗門の真実の声である。道師や寛師の説がどうしてこのように替えられたのか。これでは色も変らぬ寿量品というわけにもいくまい。
 六巻抄から見て、三師伝では、宗開三は一箇し一体となって道師及び衆生を常に覆っている。決して三師と各別ではない。三衣のごとく常に身を覆っているところに師弟一箇の成道もある。今の宗門の考えとは全く真反対である。二乗作仏により三学によるのが三師伝や三衣抄であるが、今は三大秘法抄と三秘によるために色々と相違が出たようである。今のたて方は宗開三を宗祖にかえて本仏と立て、不即不離どころか遠い虚空の彼方へ離してしまったのである。あまりにも世俗の師弟にこだわり過ぎたためである。自分一人を高い処におくためにこのような事が考えられたのかもしれないが、反って今の宗門の視野の狭さを表わしているに過ぎない。法門の上に立てられた師弟と世俗一辺の師弟とは同じものではない。そこに大きな計算違いがあったのであろう。
 山田や水島のものを見ても本仏ではないかと思わせるものがあるが、今少し修行を積んでからにした方がよさそうで、いかにも危な気である。いつ足元をすくわれるかわからない状態である。今になって急に師弟を否定してみても、反って自分を窮地におとしいれるのみである。世俗の師弟のみでは、三師伝や三衣抄は読み切れる筈もない。法門の上に読んでこそ、その意味も見出だし得ようというものである。これ程慈悲に満ちた師弟子の法門も、山田にかかっては簡単に抹殺されるのであるが、われわれは決して山田をそれほど偉いとは思っていない。悪口を重ねる前に自分の低俗さを恥ずべきである。その悪口を拾えば基礎になるものも見当がつくであろう。そのうち、最も斥っているのは己心と師弟であるから、若し新編成されるならこれ等のものは除外され、心を中心とし、文段抄を中心として爾前迹門から語句の解釈を取り出した上で、教義も種脱一致方式を更に拡大するようになるかもしれない。
 諸宗を綜合した処で新教義を考えているのかもしれない。水島の正月のノートが自信満々といえば空虚そのものであるし、山田の昨年十一月以来のものは、新教義即ち伝統法義の方向を示して余りあるものがある。この悪口の対象になったものは全て除外されるであろう。悪口は良心の呵責に堪えかねて出た自然の成り行きであるが、大凡の内容の見当は付きそうに思われる。戒旦の本尊から熱原の三人、そして結論は肉身本仏常住論から出た本尊と、大きく三転しているし、本仏も三学・己心の上のものから三秘となり心となって、それを総括する本仏も遂に肉身本仏出現まで、内容的には三転して、今ようやく落ち着きを取り返そうとしているその根本は、本尊も本仏も肉身本仏論である。いかに低俗な発想であるかということは一目瞭然たるものがある。
 今己心の法門を捨てては、七百年の伝統と仏教世界から後退しなければならないことは必至である。そのような中で次第に悪口が強くなっているのは、完成が近付いた証しであるかもしれない。本尊・本仏の激動図であるが簡単に落ち着くようなこともあるまい。阿部総裁の元で時局法義研鑽委員会は鋭意完成を急いでいるであろう。水島、山田のものには見込み発車のための切り捨てもあるかもしれない。悪口の動きからして教義の中心になるものに付いては既に終ったであろうことは容易に想像出来る。この改編教義の完成は宗体そのものの転換である。宗教のうちへ止まれるかどうか、見ものである。伝統法義を捨てながら伝統法義を唱えることは、これまた至難の業といわなければならない。
 正宗要義では「大聖人の己心に具えられた妙法が本尊として開顕され」たものが、十年を経ずして自ら邪義として切り捨て、新しく肉身本仏三世常住論となり、更に本尊にまで発展する激動が続いているのである。その間五、六年位のようである。一体どこへ落ち着こうというのであろうか。富士学報の十二月号は一箇月後に刷り上がっているが、昨年の成果は未だに発刊されていないのは、どのような理由によるのであろうか。余り時が過ぎると出しにくくなるのではなかろうか。
 「己心も心も同じだから心にしろ」から始まって、己心が邪義となるまでに六年かかっている。師弟もまた同様であるが、この二は大石寺法門を生み出す原動力になっている。それが宗門のねらいうちに遭遇しているのである。伝統法義の生みの親であるこの二つが今槍玉に挙げられているのである。新しいものが出来ると古いものを消すのは大石寺の悪い癖である。そして新しいものが古いものを含める、つまり下剋上方式である。本果になると本因を消していくが、時折り思い出したように本因を名乗るのである。そして実際には本果に移っている。このようなものが一貫して残って、色々な面に現われているようで、今、はからずも身をもって体験することが出来た。
 己心を捨てながら己心によって出来たものを取っているのが伝統法義である。それだけに不可解なものを持っているのである。今また新作業が始まっているようであるが、それはただ歴史の繰り返しに過ぎない無駄な作業である。しかもやがて新法門が登場して新旧の交替が行われるのであるが、中々人前に発表するようなことも望むほうが無理である。
 一宗にあって法義といえば伝統法義の四字のみでは、宗門を維持することも困難であると思われる。今はそのような状況に追いこまれようとしているのである。そこで使われるのが「とやら」である。それは「と」と、「やから」「やつら」などがつづまったやからが一つになったものであって、多分に封建的な意味をもっている。法門に負けて、ようやく「とやら」に生きがいを求めようという成金趣味をも多分に持っている。この語を使い、やからを使う以外に救いがなくなっている有力な証拠である。そこまで落ちこんでいるのである。そこで出るのが悪口である。早く悪口の必要のない伝統法義を作ったほうがよい。
 大聖人の下種仏法といっても、それを作るのは己心の法門と師弟であって、心にはそれを造り出すことは出来る筈もない。ただその語があるのみで中身が伴わないものである。種と脱と両道かける種脱一致法門では、いつまでも逃げ切れるものでもない。最後には自分が自分を攻めるような事にもなりかねない。すでに山田も自分の悪口に攻めたてられているし、水島も同様である。すべて己心の法門の働きである。悪口はただ我が身の攻め道具と化しているのである。今まで威勢よく放った悪口が、今まとまって宗祖にあたり始めたようである。
 身に三衣をまといながら、宗祖や開山・三祖、道師や寛師への悪口が許されるわけもない。水島も思わず知らず本仏や戒旦の本尊の出現を阻止し、相承を否定しておりながら、尚且つ気が付かない罪障の深さである。二人の考えは既に限界を越えている。心の上に法門を建立しようとしてもそれは飽くまで迹仏世界での所作であり、本仏世界に通用するようなものではない。すでに道は塞がれているのである。無時の上に仏法をたてようと思っても、それは出来ない相談である。僅か四頁のものでありながら一向に筋が通らないのは時がないためであるが、それでも仏法を名乗っている始末である。
 宇宙は仏法の住処ではない。時を定めてこそ仏法はあり得るもので、天の明星そのものは仏法の範疇とはいえない。一旦水底に沈んで、そこから浮上した処に己心の一念三千法門は立てられる。そしてそこに本尊を見本仏を見るのは古来の法義であるが、今は生身の宗祖は認めても、己心の一念三千は認めようとはしないのである。大日蓮正月号の水島ノートはそのような意味である。これを認めるのは邪義であり珍説であり狂学ということになっている。それもここ数年の間のことである。これらは自分等のことであるが、目前を胡麻化すために吾々に当てている処は良心の呵責に依る処である。
 悪いことは全て他へ押し付ける児戯に等しい方法を取っているのが山島派のやり方であって、それによって自分等の正しいことを辛うじて保っているのである。全く言葉の上にのみ限られている。山島派二人は共に学会青年部の出身と思われるが、その当時の夢を保ちながら己心や師弟子の法門に反対し、三学に反対しながら三秘によって種脱一致法門を主張する意図が、何を目的としているのであろうか。正信会の人等の反省を促がしたい処である。金に欲望が向いている限り、抗し切れないものがあることは過去に経験済みであるが、今またそれを繰り返しながら、やがて山島派の思う壷にはまっていくのであろう。それ程周到な計画を持っているようにも思われる。結局は帰参へ落ち着くであろうと推察しているのである。今の悪口も、実は敵は本能寺にありということではなかろうか。
 最近では爾前迹門のあたりから盛んに引用して悪口の種にし裏付けにしているが、そのために時に対する良心が失われたのである。これが次の問題を引き起している。そして夢中の権果を求めて右往左往してみても、所詮は迹仏の境界を一歩も出るものではない。そこの処で最も不明瞭になるのが、成道・本尊・本仏の三である。次第に覚前の実仏に近付きつつあるというのが筆者の実感であるが、正信会は恐らくは反対意見であろうと想像している。すでに勝敗は決まったと見るべきであろうか。山島派の構想が上廻ったということであろう。筋も骨もない処が先生方の身上であるが、正月早々、本仏も本尊も、本尊書写も、そこに始まる相承も、一挙に粉砕した水島の技倆の程は実にお見事という外はない。己心と師弟の両法門の否定は、ここに至って結実したのであるが、それが権果であるか実果であるかは今後の時間の中で分る。今急いで決める必要はない。
 本仏は既に虚空遥か彼方に住している。そして本仏の寿命は本仏の生命ともいわれ、仏法もまた虚空遥か彼方に住在しておりながら、民衆や衆生は依然として地上にうごめいている中で懸かな隔たりが出来た。山島派が爾前迹門の文の引用に浮き身をやつすのと無関係とはいえない。衆生を引き離すためには、このような過程が必要なので、その上で御両人が本仏に近付いていくのである。型通りな処を追いかけていることは、数年の大日蓮の文の上に歴然としている。その故に悪口にもめげず、反対してきたのであったが、あまり深追いはやらないことにした。匙を投げたのである。ここで大転換をしたいと考えている。しかしあまり虚空に滞在すると、そこは迹仏の領域である。そして上行は自然と断惑と出る。迹仏境界が次第に濃やかになる根元もそこにあるのである。
 今は未断惑の上行が入る余地はなくなった。これでは二乗作仏が消えるのは当然であるが、二乗作仏が失せては、開目抄や本尊抄、取要抄との連絡が絶えることになり、そこに三大秘法抄が大きく浮ぶのである。今の日蓮正宗伝統法義はここを根本として目下建設中ということであろう。水島ノートに依れば、時局法義研鑽委員会は黙々とこの作業に従っているものと思われる。その中で重要なものを取出しているのが水島ノートであるとすれば、委員会も阿部総裁の元で何を研究し何を目標としているか、凡そ見当も付こうというものである。只可哀そうなのは華やかな表舞台に登場出来ない水島である。奈落の業はまだまだ続くのであろうか。一応法門の厳しさの故と解しておくことにする。
 仏法を立てるためには未断惑の上行は必らずなければならないが、今はこれを阻止することにのみ意欲を燃やしているのである。そして時を消すことに専念している。委員会の目標も恐らくは、この辺りにあるのであろう。今は時には関係なく断惑を未断惑と読んでいるのみであるから、断惑の上行がそのまま未断惑の作きを示すために混乱しているようにも見える。誤まって時を超えたための混乱である。そのために居住は迹仏の領域を一歩も出ていないのである。
 宗祖は魂魄佐渡に到ると明示されている。到るとは大地に足が着いた意味であって、そこに己心の一念三千法門がある。それにも拘らず、今はその魂魄は虚空住在である。世俗でも魂魄は空中に浮遊するようになっている処から、仏教にそして世俗に近付かんとしているということであろうか。これによって根の深さがわかる。総裁の意向はそのまま委員会で慎重審議されて伝統法義の完成を目ざしているのであろうが、これは山田・水島発表のものから想像する以外に方法はない。しかし、それがあまり好ましい方向へ進んでいるとは義理にも言えるものではない。決めた法門がその方向を定めているためであろうが、そうそう柳の下にどじょうがいるわけでもあるまい。
 雨は天から降るもので、降った雨は水蒸気となって再び上り、やがて雲となって浮遊し、また雨となって下る。今の宗門は水蒸気の処に本門を立てて本因を見、雨を本果と立てているように見えるが、この本因を本果のうちに入れ、更に本因を立てる。この本因の処が大石寺法門所住の処である。丑寅法門はここにあるが、己心の世界であるために今の日蓮正宗と伝統法義には都合の悪い処である。しかも仏法はここにその所在を限られているのである。そのために水蒸気の動き始めた処に山田伝統法義は立てられるので紛らわしくなっている。つまりは虚空に仏法が存在するようなことにもなるのである。仏法があれば本仏もまたそこを住処とするような異様な状態が起ってくる。
 今では山島派は専ら虚空志向とお見受けした。そのために大地の上に居す宗祖をも下に見下ろす事態も生じるのである。御両処の偉く威張るのも、実はその理由に依るのであろう。しかし虚空に本仏が住するなどということは、恐らくは証明出来ないであろう。若し本仏が虚空に上れば即時に本仏の資格は消滅する。しかも今は本仏が虚空に住在している不思議さである。山島派はそこに法門を建立しようとしているのである。そして虚空を住処としながら生身の本仏は毎朝毎朝水の底からニョッキリと顔を出そうというのである。それが生身・肉身であるだけに異状発想である。三世常住肉身本仏論もそのような処にあるのであって、誠に麗わしい師弟一箇の姿である。新版師弟一箇の法門も、このようなことは許されるのであろうか。そして本仏を虚空に住在せしめるためには専ら悪口戦法によっているのも、師弟一箇の変型版であると同時に、二人に与えられた課題である。二人は只忠実な信奉者というのみであるが、その陰で何が巧まれているのであろうか。
 悪口は我が身のための攻め道具である。一度位は反省してみても無駄なことでもあるまい。他門の人は宗門の教学の在り方、深さについては、大日蓮を通して子細に理解した事であろう。その功績については莫大なものがあったことと思う。水島も三月号では浅井円道師に対して「無相伝ながら」とやっているが、この語は六年の間には見たことはなかったが、これも正宗独自の語であるが、実際に探ってみても、現在の処は他に対して無相伝といえるようなものは見当らない。或いは種脱一致法門については当然あってもよいと思うけれども、肝心の己心の法門については今は邪義の烙印を押されているし、三学についても、無相伝はむしろ現宗門であると思う。
 一切の伝統法義を捨てて、今は新伝統法義を作るために爾前迹門の勉強中ということであろう。当家の分らぬ前に爾前のみに浮き身をやつせば、出来上がったものは無相伝どころか無時節のものが出来る。このやり方については既に失敗の経験ずみであるにも拘らず、今また同じ愚を繰り返そうとしているのである。失敗を承知の上で強引にやるのも、己心の法門に対抗するためとは、何ともお気の毒なことである。さてその「相伝」とは何をさしているのであろうか。伝統法義と同じように、全てはその語のみということであろうか。
 真実伝統といえるようなものは、自分達の手で既に抛棄済みのようである。ないものをあると錯覚して大声を張り上げる処は山島派の最も特技とする処である。この無相伝の語も、実には種脱一致法門の処で、その誤りを隠すために考えられた語なのかもしれない。今悪口をやるのと同じようなものを持っているように思われる。若しそうでなければ、一々箇条書にして示してもらいたい。只無相伝のみでは、その人の品性をおとすのみであることに気付いてもらいたい。どう見ても水島が相伝をうけているようには思えない。
 一閻浮提総与なら、信不信に拘らず、一人残らず受けている筈である。しかしこの総与は三秘についていわれたものではなく、三学の上に解釈すべきである。若し三秘とすれば不信の輩という語も同時に存在するであろう。これらの語は、三学が消えて三秘に替った以後に出来たものであろうが、元より箇条書にして示した後に、使うべき語である。不信の輩・無相伝の輩・徒輩・とやら(というやつら)など、法門の解釈の誤りから生じた副産物とでもいうか、独善家の偽らざる表示といわざるを得ない。しかしながら、今の皆さんの心境を遺憾なく表わして妙である。
 無相伝の語は誤って三秘の上に考えられたものであると解釈しておくことにする。しかし、無相伝の輩と一喝するのは、余り見上げた方法ではない。己心の法門のように、もっと大らかさが欲しいものである。こちらは悪口で鍛えられているのでこの語に驚くようなことはない。恐らく世間の人々も同様ではないかと思う。あまり使わないのに越したことはない。宗門の品格も下がれば、孤独に陥いる危険があるかもしれない。世界最高の宗教とやらを自称したいなら、まずお行儀をよくするのが一番である。
 時局法義研鑽委員会も、総裁以下全員無相伝家の恩恵を受けたものばかりであろう。少しは恩義を感じてもおかしくないに、一人虚空の上からその師に向って無相伝などとは人聞きが悪い。恩を感じないものを不知恩の者という。畜生すら尚恩を知る、況んや人倫をや。何況んや日蓮正宗の僧侶をや。不知恩に付いては宗祖は厳しく誡められているのをお忘れであろうか。ここにも三学から三秘に替えたための被害が出ていることは知らないのであろうか。三学を知らないことが、不知恩につながっているように思われる。三学には決してそのようなものは持っていないが、三秘には僅かの解釈の異なりが、即刻独善に追いこむようなものを持っているようにみえる。
 先生方は、元が三学に依っていることさえ知らないのであろう。あわれむべし。三秘には己心の法門を捨てさせる程の力を具えているのである。三秘では三学倶伝名曰妙法へつながることもあるまい、また久遠名字の妙法につなげることもあるまい。これは必らず三学による処である。それを三秘としたために時の混乱をきたしているのである。伝教は三秘倶伝名曰妙法とはいわれていない。三学は本因のごとく、三秘は本果のごとくという処に根本的な相違があるので、これを改めない限り、真実の正常さに帰ることは困難である。
 三学を取り返すなら、己心も労せずして元の座に帰るであろう。今の宗門が己心を斥う根本原因は三秘に始まっているのである。三秘には成道や本尊や本仏を生み出す力はない。そこに無理がある。戒旦の本尊は三学から出生するものであって、三秘からは決して生じない。三秘から生じたと思っても今は戒旦と本尊と題目の三に収まっているのは何よりの証拠である。そしてある時は戒旦の本尊とも称えているが、その時だけは理屈抜きで三学に依っているのであり、普通には三秘による本尊即ち本果の本尊に依っているのである。そのために本尊が不安定な状態になっているのであるが、一向に気が付いていない。根本の時が失われているのである。その心の苛だちが時に悪口と表われているのであるから、疵はまことに深いといわなければならない。
 爾前迹門の引用では一向に疵をいやすことは出来ないであろう。しかし三秘による混乱を増すためには十分の力を発揮することは考えられる。それさえ気が付かず、今頃になって爾前教の研究を始めようとしているのである。そして一語を見付けては悪口に利用している始末である。文上の左は文底が家の右になることにも気付いていないようであっては、その成果が上がらないのは当然といわなければならない。これが成功しないことは過去において経験ずみであるにも拘らず、今また改めて始めようとしているのである。それを始めるまでに数年を要したのであるが、それは見当違いである。それでは三学には力及ばないであろう。山田や水島が力を入れてみても筋違いである。これを疝気筋という。それでは反って混乱を増すばかりである。そろそろ筋を通さないと取り返しのつかないことになるのではなかろうか。真実の伝統は三学に根を下ろしたものでなければならない。そちらから狂学と見えるのが真実の教学である。それが文上と文底の違いである。
 口に文底を唱えながら文上にのみ終始しているのが山島教学である。これが種脱一致法門であるが、今までにも何回か失敗は繰り返されているので、今更これで成功するようなことは、どう見てもあるとは思えない。それを飽くまで突っぱろうというところに、御両人の悲壮感が充ち溢れているのである。何故このように結論を急ぐのか、三学を捨てたがるのか、一向にその真意は分らない。三学に依れば末寺の数は増えないかもしれない。そのために三秘に依ろうとしているのであろうか。それにしても、山田や水島が、宗祖や道師・寛師の定められ守られてきた三学を破す理由にはならないと思う。悪口や爾前教の引用文では到底太刀打ちは出来ないであろう。今頃諸経要集を得々と引くようでは、悪口はいつまでも絶えないであろう。一層のこと爾前経専門に三、四十年やってみてはどうであろうか。
 三学による戒旦の本尊の解釈も一閻浮提総与も、三秘ではごまかしきれない。三学に依って出来たものは、三学に依る以外に解釈出来ないことが解らないのであろうか。種脱一致法門はそのような困惑の中で出来たものであるが、反って疑問を大きくしたのみであった。三学による広宣流布は最初に完了を宣し、三秘による広宣流布は最後に完了することは、現在の考え方と同じである。三学は本因にあり三秘は本果となる。三学によって出来たものを三秘によって解釈すれば自然と本果と現われるようである。無意識の中でそのようになるので、当人も知らない位いであるから、勿論他人には尚更不可解である。己心は心となり、無差別の師弟は有差別となり、己心の法門は全て観念論となる。そこに仏法を唱えるためには予め時が必要なのであるが、今は時がないために当方のいうことが理解出来ないのである。三学がそのまま三秘となっただけでなく、爾前教そのものがそのまま文底法門につなげられるので、いよいよ自分も分らなければ他も分らないということになり、無相伝の輩、不信の輩という語も出るのである。
 悪口も同じく、自分で捌き切れなくなった時にのみ出る語で、直接相手方に対して使われることはない。時の混乱がこのような語を作らしめたのである。そして平僧の分斉で、法門は何一つ分っていないものが誤って天上し、法主が宗内のものに対するとは懸かに倍して、しかも他人に対して威張るのであるから、誠にコッケイ千万である。三学が誤って三秘に解される時に、そのようなことが起るので、当人はほんとうに自分では本仏になりきっているのであるが、本当の本仏はそのような事は決して起さない。
 山田、水島の御両人は世間でいう虎の威を仮る狐である。そのために自分の教学の程度を明らかにしている処は哀れという外はない。これもみな、三学を三秘と誤解した処から始まっているのである。そこで程度の低さのみが目につくのである。それが今の宗門を代表する学匠である。そのために万葉集の下の句を知っただけで、即時に天下が取れたような思想の持主となって珍噴漢者が誕生するのである。御両人共最近は珍説噴説絶えることもない状況である。
 三学が三秘に誤られているために、この法門では裏付けの必要がない特質をもっている。三秘からは出てこないものが法門らしい形をとっているのみである。それが現実のようである。伝統法義は以上のような意味も判らず只この四字が全部であるというのが真実のようである。この次は「三学の邪義を破せよ」とでもやってみると面白いと思う。山島説はこれより事が始まっているのである。これだけが日蓮正宗伝統法義といわれているのである。山田や水島の善知識に誘われて、今二十五年を経て漸く三学を突き止めることが出来たのは、全く両善知識の高徳の致す処である。大いに敬意を表して擱筆することにする。

 


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 大石寺法門と日蓮正宗伝統法義 (三)


 
はしがき
 
山田珍愚論について
 
三学か三秘か
 
あとがき

 はしがき
 化儀抄第五十七条に「法華宗の大綱の義理を背く人をば謗法と申すなり、謗とは乖背の別名なるが故なり、門徒の僧俗の中に加様の人ある時は、再三私にて教訓して用いずんば師範の方へ披露すべきなり、その義なくんば与同罪遁れがたき故なり云云」。「法華宗の大綱の義理」とは何を指しているのか、今仮りに師弟子の法門とすれば、既に興師も「この師弟子の法門は」と決めて居られるので大綱ということが出来る。また三学も己心の一念三千法門もこれに当ると思う。内容的に同じものであるが、今のように三秘をもって解釈すれば、師、弟子を糾すとなるが、実には師弟子を正す、即ち師弟子の法門を正すことで、三秘では孔孟の教と変りはない。それに対して三学の時は師弟同座であり無差別である。今は階級差別を付けるために三秘が使われているように見える。三学の模様は第一条の「貴賎道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり」に背く事になる。朝野遠近も貴賎老少も一同に無差別と立てるのも法華宗の大綱と思われるが、三秘によれば真向から第一条に背くことになる。今は有差別が根本になっているのである。
 師弟有差別の処に純円一実の世界はあり得ない。この世界は三学の境界にあり、己心の一念三千法門の上に建立されるもの、最後の一乗要決はその縁起を示されたもので、化儀抄も首尾一貫してこの境界に立って示されているものと思われる。これはそのまま二乗作仏の極意でもある。引用の意は空過致悔を誡められたもので、二乗作仏であり三学であり、また己心の法門でもある。
 有師を中興の祖と仰ぐのは化儀抄によるということであるが、いうまでもなく三学であることは六巻抄も同様である。それを両抄とも三秘によるために行き悩んでいるのである。若し三秘によれば昌師から辰師へ、そして尊師に至るのは当然であって、有師を中興から外さなければならない。三秘によれば二乗作仏も三学も己心の法門も、それ程必要なものではなくなるので、現在は何れも消されているのである。
 有師や寛師を中興の祖と仰ぐなら、三秘をすてて三学によらなければならないのは当然である。現状では開目抄や本尊抄や取要抄につなげることは至難の業である。せいぜい三大秘法抄までであって、事行の法門としての丑寅勤行にもつながらないのである。このように拾ってみると、どうも「法華宗の大綱の義理を背」いているようにみえる。そうなれば宗門あげて謗法ということにもなる。これでは師範に申上げる術さえ見当らない。御両処の見解はいかがでしょうか。師弟有差別法門と衆生成道との義理、是非御明示願いたい。若し自ら謗法を侵しているのであれば、他宗他人を謗法呼ばわりするのもどうかと思われる。ここには不信の輩とか川澄狂学というだけでは凌ぎ切れないものがみえる。「私にて教訓して用いずんば師範の方へ披露すべきなり」とはいかがでしょうか。悪口雑言の前に自ら反省すべき時がきているように思われる。
 「典拠」というが、三学を三秘に切り替えたことについては何一つ声明はない。このような時にこそ典拠は必要なのである。事行の法門を見れば即時に分るがそれさえなされていない。三学は事行の法門をもって知るのが最も順当のように思われる。本仏や本尊も撰時抄愚記や取要抄文段のみでは不充分で、典拠とするなら六巻抄を引くべきである。
 久遠名字の妙法と事の一念三千と人法一箇のみでは本仏や本尊は現われない。特に自受用報身如来が肉身であるということについては何一つ典拠を示していない。自分がそのように思ったまでで、これについては他宗他門から長い間疑問を投げかけられたままであり、山田の被害妄想の根拠はそこにあるのであるが、今回もこれについては何一つ答えがない。それが被害妄想となり、悪口雑言と表われているのである。若しその典拠を示すことが出来るなら悪口は忽ちに消滅するであろう。このような時こそ典拠は必要なのであるが、一向に解消するための努力はなされていない。
 内部にあってはそれ程必要のない事でも、一旦外部に対した場合にはそうもゆかない。それが大石寺の本尊本仏である。何の用意もなしに外部に出したための混乱が、今、山田の被害妄想の根元になっているので、根が深いのである。筋を通してこの典拠を示すべきである。それを捨て置いてそれ程必要のない語の解釈のために爾前迹門のものから引き出す事は無用である。末端のみにこだわらず、根本の根拠を明かすことこそ肝要である。
 伝統法義といえばいかにも尤もらしいが、三秘に依っているために要法寺の辰師につながりそうである。主師につなげるためには三学に依る伝統法義を立てなければならない。語は同じでも内容が全く異るからである。寛師の場合でも、三学に依る時は六巻抄に限られるが、三秘では依拠にはならない。そこで文段抄に依るのである。本尊本仏も文段抄に依る処を見ると、三秘によって出されていることが現であるが、充分得心のいくように出ないためには特に信心の必要があるのである。これでは自行自力とは縁遠い話である。
 自行であり事行の法門である丑寅勤行では不覚不知の中で、自力によって本尊や本仏を得るような仕組みになっているのである。これは三学に依っているために、知るもよし知らぬもよしということになっているのである。自力によるかよらないか、三学か三秘かということなのである。今は三秘によるために、次第に迹門形になってゆき、そして種の痕迹だけを脱に移して種脱一致方式が極く自然な姿で成り立つのである。
 三学から三秘に転向したのは慶長の頃であろうが、山田は何の典拠も理由も示さず三秘に変っていっているのである。しかもそれさえ知らないで、わけのわからぬことを書いているのみ、格別相手には関係のないことである。或は書くことのみに意義があるのかもしれない。それは追いつめられたものの最後の特権である。さて事行の法門には典拠どころか、その意味さえ伝えられていないものもある。典拠の必要のない時にこれを用い、入り用の時に示さないのが「とやら」法門である。これをアベコベ法門という。
 二乗作仏や三学を捨て、己心の法門を邪義と決める時にこそ典拠は必要なのである。口には学はいらない、信心だけでいいと広言を切りながら、慌てて爾前迹門から拾い集めて典拠に使っているが、そのようなものは無用である。追いつめられて急に学の必要が生じたのであろうか。それにしても爾前迹門に応援を求めるのは、あまり人聞きのよい話ではない。平常から用意していない証拠である。


 山田珍愚論について
 大日蓮六十年三月号の山田が珍愚論を見るに、「我等衆生の信の一字の処即ち己心の仏国土に戒旦本尊は建立されたなどという馬鹿げた結論を出すのは、難思境智の妙法を根本的に誤解しているからにほかならない。まして『我等己心中の戒旦本尊が究竟中の究竟で、本尊はその相貌を顕わしたもの』と言うに至っては、逆も逆、百六ケ抄の『唱え奉る妙法・仏界は本・唱うる我等九界は迹なり』との仰せを、まったく正反対ととったものであると言わざるを得ない」と。続く六行許りは省略した。「馬鹿げた結論」とはよく言えたものである。何故そのように見えるかといえば、二乗作仏を捨てて三学を消し、己心の法門を邪義と破しているために他ならない。自ら隠す処なく明かしている処は神妙の至りである。頭かくして尻かくさずとは、よく言ったものである。
 二乗作仏と三学と己心の法門は、宗祖の根本の大事である。それを惜しげもなく切り捨てたために「馬鹿げた結論」とみえるのである。深さの程が残る処なく現われている処は面白い。阡陌の二字は御書にないと広言を切ったが、それは開目抄を読んでいないことを証明したに過ぎない。「逆も逆」とは三学を捨て三秘に依った者の目にはそのように映るのである。三秘を正と決めれば三学は逆である。素直な処は興味深いものがある。「唱え奉る妙法・仏界は本・唱うる我等九界は迹なり」の「妙法・」の・は意味がとりにくい。この意味は、二乗作仏・三学・己心の法門を除外して、本迹についていわれているようで、引用文としては余り適当とはいえない。しかし、この文によれば「馬鹿げた結論」と読めるかもしれないが、些か時を異にしているようである。
 二乗作仏を根本とし、己心の中に仏界と九界を見なければ、「馬鹿げた結論」とみえるのは当たり前のことである。己心の外でみれば迹門そのままであるからである。二乗作仏や三学や己心の法門を除く方が余程馬鹿げている。この故に珍愚論というのである。根本の処まで人に見せるのは馬鹿げた話であり、これが「とやら」山田一流のやり方である。「不解・不信の輩が慢心して、いかにも解ったようなことを言う」のが自分自身であることには気が付かないのであろうか。
 二乗作仏や三学や己心の法門を捨てる方がよほど「でたらめ」である。二乗作仏や三学によって出来たものを、迹門的な三秘で読む方がよほど「でたらめ」である。そこに現われるものは、迹門とあまり変りないものであろう。本仏を、迹仏と同じ世界で見るために、迹仏の延長線上に見えるので、迹仏と何等変りはない。五百塵点の延長線上に当初を見ても、所詮は迹仏世界を一歩も出るものではない。これが時節の混乱である。
 山田が説によると、開目抄・本尊抄・取要抄等は「馬鹿げた」御書の代表格ということになるし、撰時抄・報恩抄などもまた、その仲間入りである。ただ三大秘法のみが「馬鹿げ」ていないのみである。「逆も逆」、このようになるのである。大日蓮に載っている処を見ると、これが今の宗門の代表的な意見ということになる。宗祖も山田にかかっては全く顔色なしということである。そのくせ御本仏日蓮大聖人、日蓮大聖人の仏法などというのであるから、不信の輩には全く解らない。口には御本仏とか仏法といいながら、それらを出生するものは一切否定するのであるから、尚更解らない。ほんとに馬鹿げた話である。何故このような事になったのかといえば、ただ三学を三秘に切り替えたためである。
 山田は自分を正として、「逆も逆」と逃げきろうとしているけれども、それは反逆・背信に等しいものである。三秘では本尊も本仏も、自力をもって求めることは無理である。現状ではその出生を求めることの出来ない弱みを持っているのである。丑寅勤行により、自力をもって求めるようなことは出来ない。これが三学と三秘との大きな違いである。それにも拘らず三秘をとっているのである。いくら「馬鹿げた結論」と声を大にしてみても、自分自身の馬鹿さ加減が解消するわけでもない。悪口はそのようななかから出る溜息なのである。
 四回の愚論を通して、現在の宗門の基本的な考え方は大体明らかにされた。これは論者の功である。何れその内に分析する時もくるかもしれない。これは水島ノートと共に有力な資料である。この調子では出るものは出尽した感じであって、余はこれが適当に運営され、その時々によって爾前迹門の解説書として、天台学概論・中村仏教語大辞典があれば出来上がるようである。三学で出来たものを三秘に解釈する中で、種脱一致法門が出来ているので、ここに深みを求めることは出来ないようである。頼みもしないのに、どんどん秘密部分を明かすことは、実に馬鹿げたことであると思わないのであろうか。
 宗祖三十五ケ年の労苦はまず開目抄に集約され開化を始めたのであるが、山田は三抄から二乗作仏と三学と己心の法門を摘み取ったのである。魂魄の外に置かれてしまったのである。或は魂魄が虚空に置き換えられるようなことになれば、どうしても迹仏に近付くことになる。時の切り替えが必要なのである。
 釈尊一代のうち、成道以前は無仏の世界であり、釈尊成道に依って始めて一仏が出現することになる。本仏を迹仏に擬して一仏出現といわれるのもこの故である。そのまま無仏の世の世界を取れば依然として迹仏世界であるが、今はその辺に基本が置かれて不得要領になっている処に伝統法義の根本が立てられている。迹仏世界が抜けきれないのもそのためである。その無仏の世界を魂魄の上に別個に取り出す時、そこに仏法の世界が具現する。そこでまず時が必要なのである。大石寺法門はここに根拠を置いている処が根本の違い目である。ここで必要になるのが受持である。受持即持戒、受持即観心といわれるように、受持が全ての基本であり、受持の処に戒も戒旦も成じるので、これを建築物に擬らえるのは無理である。
 受持を事に担当しているのは末寺でそこに持戒を見る時、本寺は観心を担当することになっている。これは本来平等であって、ただ竹に上下の節ある如き差別のみが存することは、化儀抄第一条そのままである。これがまた丑寅勤行の姿でもあり、事に行ぜられた時の姿でもある。今の本末関係は差別の表示ということのように見える。
 一仏出現という語もよく使われるが、これも受持と己心の法門の上にのみ在るものであるが、今はそれとは関係なく、宗祖本仏の権威付けのために使われている。しかし末法無仏の世界に一仏が出現するのであるから、これが全くの無時では困る処がある。これらは己心の法門にのみ通用することであり、三学には通じてもそのまま三秘には持ち込めない。そこに厳しい時の障壁があるからである。それにも関らず伝統法義はイコ−ルで結んでいることを示している。これが混乱の根本原因になっている。これを時節の混乱とも時の混乱とも称しているのである。所謂無時の状態である。仏法もない無法地帯でもある。
 仏法が、時を撰び出すことによって始めて成り立つことは撰時抄の初文に明らかであるが、山田が説には撰時がないのが玉に瑕である。今からでもよい、速かに時を取り返すことである。時さえ定まれば三学もまたその時に依って取り返すことが出来るであろうが、三秘には何れの時にも通じるものがあるので、今はたまたま無時の三秘をとっており、伝統法義もそこに建立されているのである。そのために二乗作仏や三学や己心の法門が依り付きにくいのでる。同じ中央の題目であっても、この境界から見るものと、三学によるものとでは、その深さにおいて大きな相違がある。三秘による中央の題目から本仏を求めることは出来ても、それをもって三学による本仏と同等に扱うことは出来ないであろう。そこで三秘によるものは虚空に上り、三学に依る時は大地にあるということになる。
 大石寺は現世の寂光土といわれてきたのも、本仏が所住する故のことである。今のように本仏が虚空を住処とするようになれば、虚空こそ現在の寂光土といわなければならない。山田先生は如何御考えでしょうか。「唱え奉る妙法・」は三秘とも三学とも考えられるものである。「逆も逆」いくら逆立ちしながら足下に虚空があるといわれても、吾々はその話に乗るようなことはしないつもりである。事の法門とは大地に足が付いているところ、虚空に足がついている間は理の法門から離れることは出来ないであろう。足がどこに着いているかが事理の別れ道である。「逆も逆」とは虚空に足が着いていると思うものだけに通じる話である処が珍妙である。この処、余程始めに時をしっかり踏まえてから読まないと、つい引き込まれる恐れもある。この愚論も時の貴重な事を教えていることについては、貴むべし、貴むべし。
 「結論のでたらめなものは、当然、始中に誤りがない筈はないからである」と。「結論のでたらめ」とは、三学を捨てて三秘によった処から始まっている。始めに誤りがあるから中終がでたらめになっていることを自ら証明する処は、なかなか正直である。始中終でたらめである。「結論がでたらめ」と思える程狂っているのである。そのために、出るものは悪口ばかりということである。狂っているから人をして迷惑せしめる。この故に迷惑法門である。三学を知らず三秘のみに頼っている処は自らも迷惑しているようにみえる。読む者の最も気を付けなければならないのはこの一点にある。これが分れば「逆も逆」の意味もまた氷解するであろうし、いう処がいかに「でたらめ」であるかも分る。そしてこちらのいうことが、いかに正中の正であるかということも自然に理解出来るであろう。
 同じく三月号に「また性懲りもなく阡陌陟記とやらを書き続け、誰彼の別なく己を批判するものには、何が何でも悪態を吐き返す主義の川澄にこそ被害妄想の言葉はふさわしいものである。己の心がそうだから人の心もかくあらんと邪推するような真似は、すればするほど自らの墓穴を深くするだけである」。せんびゃくはせんぱくと読む。格別気取る必要はない。阡陌の二字は開目抄に出ている意味を用いたのであるが、山田は阡陌の二字は御書にないという。この「とやら」師は開目抄は読まないのであろう。また罵辱(ばにく)も少し耳障りで、これもめにくの方がよさそうである。「性懲りもなく」も、格別性懲りするような破折は一回も受けたことはない。お行儀の悪い悪口雑言では性懲りする理由にも当らない。また批判といえるようなものでもない。
 「何が何でも悪態を吐き返す主義」は日蓮正宗のお歴々の事である。これらの語も、自らを必ず正、他を必ず邪と定めているもののいう語、法門の誤りがこのような語を誘発しているものと思う。被害妄想もそちらのこと、「何が何でも」人に押し付けなければ気が済まないのも、元はといえば法門の誤りから発っている。特定した被害妄想の意味が分っていないようである。ただの一度も破折を受けないものが被害妄想を起す必要はない。全くの摺り替えである。
 悪口雑言こそ被害妄想の現われである。二十数巻を続けている間に只の一度の反撥もない。あるのは悪口雑言ばかりであるが、今は大分足元が乱れてきたようである。被害妄想も弥々本格化したものとお見受けした。それは、元はといえば三学を三秘にすり替えた処から始まっているのである。「己の心」以下は自分によくいい聞かせてやるとよい。二十数巻の破折が終るまでお預けにしておくことにする。そのような被害妄想に悩まされる隙があるなら、宗門の法門から何故二乗作仏や三学、己心の法門を抜き去ったのか、その理由でも明らめた方がよい。それで理が通れば、或は被害妄想を受けるような事になるかもしれない。しばらくお預けにしておくことにする。
 「自ら墓穴を」掘るようなことはやめるに越した事はない。本仏や本尊の出生さえ分らないでは、被害妄想に陥るのもまたやむを得ないことなのかもしれない。三秘には本仏や本尊を出生する力はない。一体どこでどのようにして出生したのであろうか。そちらの悪口雑言によって被害妄想を起すような事は、絶対にあり得ないから、是非御安心願いたい。しかし川澄と被害妄想が何故くっついたのか、言われた側では一向に分らない。今少し委しくしてもらいたい。これから推してみると、大分頭の中が混乱していることだけは理解出来る。これが「私の読後の率直な感想である」。
 「伝統への回帰について」の中に阿部さんの説法として「たしかに宗門の純粋の法義化儀のうえからするならば、日精上人御一代において、その根本のところは別として、末寺などに関する指導等のなかに、やはり要法寺門流の系統からの考えに基づいた形での、宗門本来の純粋な化儀と異なった状態があったと思います」と引いている。これをうけて「一時期・一部分に限られたわずかな資料や文献のみをもとに、あたかもそれが御一代全般にわたるかのように作為をほどこした、品の悪い歴史小説まがいの研究ノートに」と。前々からいうように、主師から昌師へうつるときに何かあったことは想像するに難くない。当然辰師の教学は三秘の解釈と共に入り、精師の頃には根を下ろしていたことも当然考えてよいと思う。
 三秘については、今の御影堂を本堂とし、天王堂と垂迹堂をこれに作り副えて三堂として本尊を本堂に移された。これは当時広宣流布を祝福された印である。己心の戒旦が外に出て外相の広宣流布があったことは、三学から三秘にうつったためであろう。根本の考えが変った印であると思う。「根本のところは別として」とはなっているが、三秘に関してはここに示された通りである。三学から三秘に移った処は根本に関わるもののように思われるが、この外に根本となるものが、何があるのであろうか。
 「末寺に関する指導等」が具体的にどのようなものを指すのか知らないが、これは寧ろ枝葉に属するものであろう。「純粋の法義化儀」とは三学によるものと思うが精師の代には既に三秘によっていたのではないかと思う。三鳥派が出たのも、それを生みだすものがあったのかもしれない。三学からは三鳥派は出にくいように思う。三秘によっていることについては、現在と同じであったと思う。
 化儀抄は三学によっているものであるから、これを三秘をもって解釈することは出来ないであろう。先に引いた例のように、三学によって解すべきものである。今の所では法門書としては、それほど立ち入った解釈は付けられていない。これは三秘によるためである。化儀抄を作られたことによって中興の祖と仰ぐとのようであるが、三学によって解してこそ、その意義も自ら表われるであろう。
 「伝統への回帰」は三学を主にして上代への回帰を目指しているので、三秘に依っては主師以前に帰ることは出来ない。三秘を主張する向きには理解しがたいのは無理からぬことである。山田説では要法寺の辰師を通して尊師へ帰るのが最も近道である。三学を立てない限り、主師を通して上代へ帰ることは出来ない相談である。これさえ分らず、只批難反論を繰り返してみても、それ程の意義があるとも思えない。
 「自己矛盾」とは三学を三秘としたための矛盾であるが、その根元を指摘されると、あらん限りの悪口雑言を繰り返している処、誠に天下の壮観である。これまた自己矛盾によって起っているのである。本来三学に依っていることさえ気が付かないから指摘したまでであって、主師から道師へ帰るためには、三学に依る以外には方法はない。「末寺の指導」は既に三秘に変った上でのことと思う。
 「要法寺門流の系統からの考え」とは三秘を指しているのであろう。「宗門の純粋な化儀」とは内容的に複雑である。寛師以後でも要法寺化儀とは常に密着したものがある。大石寺の化儀といえるのは三学による場合に限るが、三秘による解釈の中で有師化儀抄が使われていたことは充分諾けるが、これまた複雑である。ここらにも自己矛盾の遠因があるのかもしれないし、被害妄想もそこに関係がありそうである。その腹中の悩みを川澄に押し付けようとするのは、いかにも小児的な発想であるといわざるを得ない。
 「一時期・一部分」で逃げきろうとするのは幼稚である。既に認めた以上、量の多い少ないは逃げ口上である。周辺の資料は出していないまでで、六巻抄もこれを裏付けるものであり、家中抄も子細に見ればこれまた資料である。三秘で固まった時代、新しく固める必要があったのかもしれない。量師の時にも出来たし、今また新家中抄の話を聞くことがある。不思議と三秘がそれぞれ強まった時代であるが、主師以前の三学を主とした時代にはその必要がなかったということであろう。
 家中抄の出来た背景はどうであったか。資料の多寡だけで逃げるのは非常識である。寧ろ根本になった法門的な内容に注目すべきである。それは今も続いている処を見ると、いかに根強いかがわかる。家中抄も新しく固定した法門的思想の中で書かれた処に意義があるのであろう。優秀な頭脳をもって分析すれば、家中抄のみでも充分であると思う。末寺の指導の上に表われることは、内に秘められた根本があるためである。そのあたりの研究をしてもらいたい。提灯持ちは最後には行き詰まるような事になるかもしれない。道中随分気を付けて行ってもらいたい。

 三学か三秘か
 昔開山されて以来三百年間は二乗作仏と三学と己心の法門が一丸となって主師の時代までは間違いなく受け継がれてきたが、昌師の代からは三秘に変ったものと思われる。開目抄も本尊抄も取要抄もこれを根本としている。つまり宗祖以来の直伝は、ひとり大石寺のみ伝えてきたものであろうが、それを三秘に譲り、後、寛師が復活を計られるまで続いた。その後間もなく再び三秘に変って、遂に現在に至っているようである。
 依義判文抄に引かれているように、学生式問答には、三学倶伝名曰妙法といわれているが、これは二乗作仏とは不即不離の関係にあるもの、本尊の中央の題目も大いに関係があり、師弟一箇の姿をとっているものと思う。久遠名字の妙法も、三学倶伝名曰妙法の妙法であるが、今は三秘に変ったために、三秘の立場から解釈されているが、久遠名字の妙法には程遠いようである。この妙法を三学の外に求めることは出来ないし、二乗作仏以外にあるとも思えない。しかも今は三秘に求めようとしているのである。そして三秘によりながら久遠名字の妙法と事の一念三千をもって本仏や本尊を取り出しているのである。これが三学以外で求め得られないことは、事行の法門である丑寅勤行が最も明瞭に示している通りである。それにも拘らず今は三秘をとりながら本仏や本尊が出されている。
 三秘とは戒旦・本尊・題目に限られていて、本仏や本尊(戒旦)が出るようにはなっていないのである。そのために、何故かと問われた時には悪口雑言をもってこれに替えるのが「とやら」師の常套手段である。本尊や本仏は、決して悪口によって導き出されるものでないことを知ることが入門の第一歩である。これでみても、いかに「とやら」教学が行き詰っているかということが分る。今の難問は、久遠名字の妙法と事の一念三千を三秘と連絡付けることである。若しそれが出来なければ、本尊や本仏は未だに出現していないことになるであろう。三学によりながらそれを表に出さないようなことはしない方がよい。本尊や本仏の出生だけは是非明らかにすべきでる。宗門を代表する「とやら」学匠は、或は他宗他門に対して答えなければならない時がくるかもしれない。若し出来なければ被害妄想の原因になるかもしれないであろう。よくよく思惟しておくに限る。
 三秘による時は、戒旦・本尊・題目は初めから出ているが、三学によれば戒定恵だけである。それを三秘と同じように本尊・本仏を挙げてはいるが、恵が除かれていて、最後まで現われない。三学による中、成道のみが除外され、これのみは迹仏に委ねられているのである。詮じて始めて出るものを初めから本尊・本仏と表わしたので、本尊が或る時は本因の本尊、或る時は本果の真蹟本尊として固定することなく本因本果に跨っている処から本尊・本仏の不安定が始まって、楠板が肉身と信じられたり、肉身が三世常住であったり、明星池の底から滅後七百年過ぎて宗祖が肉身を表わしたりする。このような事は七百年の間はなかった事、ここ数年の間に次々に考えられた事であり、本尊の不安定さがそのまま現われたものである。三秘に依る限り、いつまでも続くであろう。
 丑寅勤行において事行に示された成道(恵)・本尊(定)・本仏(戒)とは似てもつかぬようなものが、同じ名義をもって表わされている。これは三学を意識の外においたための結果と思われる。ここでは水島の「真の十界互具について」に登場すべき成道・本尊・本仏は何一つない。己心の法門が働かないからである。そこで本尊の顕現も書写も相承も一挙に消されるのである。三学が忘れられたための自然の成り行きと考えざるを得ない。
 三秘をもって本尊・本仏を求めることは所詮出来ない相談のようである。これでは客殿の意味もなく、その働きも全く無意味である。客殿の客の字は嫡子分の主に対する客の意味であって、末寺から受戒を終えてきた衆生であり、客分であって、客殿を成道の場とする法門にとっては最も重要な儀式であることが示されている。これは主師の客殿図に示されたもので、三学の極談であり、ここでは御宝蔵と客殿と明星池をもって構成されている。これに対して末寺は受戒を担当している処は、戒旦の機能は充分働いており、本山に戒旦を作っても戒を授けるわけでもない。つまり無意味である。
 外から見れば他宗なみの末寺も、己心の法門において、三学の立場からすれば、既に戒旦は建立ずみであり、充分にその意義も尽してきているのである。その意味が消えたために本山に戒旦の必要が生じたもので、これでは「末法に入って戒旦を建立すれば虎を市に放つが如し」という誡めを踏みにじるものである。本寺の戒旦は或は三大秘法抄から出るのかもしれないが、ここは真蹟に従うべきである。既に化儀抄にも、前にあげたものから充分伺える処から、上代より末寺の戒旦の意義は充分確認されていたものであろう。
 あまり研究されていないようではあるが、三学の立場から化儀抄や主師の客殿図を見直すべきである。そこには必ず末寺の意義も理解出来るものがあると思う。但し三秘のみでは理解出来ないことはいうまでもない。これは世の移りかわりがこのような結果を招いたのである。末寺が戒旦と思えるようになれば真蹟に背く必要もないが、三大秘法抄によって戒旦を建立すれば、必ず一度は越えなければならない難関である。三学を捨ててまで何故三大秘法抄や三秘を採る必要があるのであろうか。己心の法門に立返るなら、末寺は即刻戒旦にもなり、本仏の客分を預かる処ともなって無事円満解決することはいうまでもない。
 あまり三秘に力が入り過ぎると要法寺への道を急ぐことにもなりかねない。ここが思案のやり処であるが、今また要法寺への道を突進しようとしているようにみえる。大石寺としては最も危険な、しかも是非避けなければならない道なのである。寛師が阻止されようとしても叶わなかった程、それ程魅力があるのであろう。
 広宣流布も三学によれば先ず初めに完了であるが、三秘によれば最後に完了ということになる。それだけに宗門としては信者を引っぱってゆくには好都合であるが、それにも拘らず主師まで三学によってきたのである。しかし今はかすかに事行の法門にこれを伝えるのみで、殆どその意味は忘れられているのが実情である。そして宗を挙げて三秘一本になり終ったのである。その推進隊長が山田、水島御両人である。
 そして阿部さんの方にも弘安五年究竟説が登場してきたようであるが、発足以来音信不通の護法局と大きな関係があるのかもしれない。しかし今まで弘安二年の戒旦の本尊の究竟説は何回か出されていたようであるが、一度も成功したと思われるような事はなかった。これは三学の上に出来たものを三秘で考えようとしたための失敗であった。所詮は時の誤りである。
 道師の説かれたものは己心の境地、そこにおける究竟であるが、三秘に依ったために、これを現実世界の究竟と考えたための失敗であって、今また同じ失敗を繰り返そうとしているのである。己心に説かれたものは己心でなければ理解出来ないのは当然である。これなどは、三学から三秘への移行を遺憾なく表わしたもの、再び同じ愚をくり返すことになるであろう。究竟とは開目・本尊・取要の三抄を己心の境界から表明されたものである。今いう究竟が己心を失うことによって生じた語であることに何故気が付かないのであろうか。
 折角内田百間の随筆を読んだことを吹聴しながら、自らの反省につなげないようでは、読まない方がましである。時節の混乱の反省の資に使ってこそ、その意味もあろうというものである。先生の読みの程度を知る好材料ということである。万葉集の歌も、だれかの随筆によったための誤りが表に出たのかもしれない。自慢の日本語も大体その程度の智恵であろうことは容易に想像のつく処である。
 この本尊の解釈は、三学によって出たものが三秘に変ってゆく時の一つの在り方を示したもので、本仏にも同じようなものをもっているのであろう。そして成道は迹仏によって死後の成道となるが、迹仏にあっても声聞・縁覚は生きながらの成道に在るものであろう。それを二乗にもあてはめようというのが二乗作仏ではないかと思う。そのための刹那成道であるが、今は成道は昔ながらの迹仏による成道へ移された。これは最大の後退であり、三学から三秘へ移行した結果である。そのくせ本仏といい、大聖人の仏法というのであるから、最高の時節の混乱という外はない。そのために本仏が迹本両界に出現するのである。
 迹仏の場合は一仏出現によって無仏の世界は終るのであるが、大石寺でも一仏出現という語が使われている。しかしここでは依然として無仏の世界は続いているのであるが、一仏出現の語が宗祖に当てはめられるとき、つい無仏の世界が終ったのかというようなことを、ふと思わせるようなものがある。紛らわしいものを持った語である。何程かの隠された意図を持っているのかもしれないが、これは本仏の語が人のみに使われているのであろうが、本来は法と考えるべきであろう。今はこの本仏が肉身俗身の上にのみ考えられているのである。これまた陰に三学から三秘への移行の力が働いているのであろう。一仏出現などという語は、実は人を迷わすものを持っているのである。最近では大橋さんによって使われたのが一回あった程度である。紛らわしい語をもってあまり人を驚かさないようにしてもらいたい。これは三秘によった時、このように解釈されたのではないかと思う。
 本仏や本尊は三学と三秘と両様のものが混在しているのではないかと思われる。本因と本果との本尊もまた混在している。そのために迹仏世界に戒旦の本尊が出現するようなことにもなるし、本仏が現ずるようなこともある。三学が消されて三秘に移った時、三学によって現われたものが、そのまま三秘に受けつがれたために複雑になり、そのために、他門から見て非常に理解しにくいものになっているのである。言う方が分っていないのであるから聞いている方に分る筈がない。
 山田には「伝統法義」があって「伝統への回帰」を拒んでいるのであるが、その「伝統法義」とは四字が全部のように思われる。宗祖へ帰れとか開山へ帰れとか言っても只掛け声だけで宗祖や開山へ帰ることは出来ない。そのために今三学を取り出したのであるが、山田説は三秘を目当てにしているのであろう。
 化儀抄には名字の初心の語があり、宗祖のは末法の初という語があるが、何れも純円一実の境界を指されているのであろう。朝野遠近貴賎老少一切無差別の境界であり、己心の一念三千の出処、これが名字の初心であり、滅後末法の始であり、また三学の基点でもある。今、山田が強烈に破しているのも、実はこの一点である。若しこれを破すことが出来るなら、山田の「伝統法義」は成り立つであろう。そのために必至の形相を露わにして悪口雑言をくり返しているのであるが、破してしまえば帰るべき目標は自ら消滅するであろう。そこに登場するのが三秘である。
 山田の「伝統法義」は三秘に名字初心や末法の初を見ているのであろう。しかし大石寺法門は三学の上に建立されているのであって、名字の初心も三学の時も処も全く同じであり、己心の法門はここに建立されているのである。これが魂魄の世界であることはいうまでもない。今宗門が拒み続けているのもこの一点である。目前の正本堂を守るためには三学は最も不都合であるということであろう。今の伝統法義が三秘に立てられているために、三学を破さなければならないようになっているのである。
 しかし、化儀抄や六巻抄、ことに第三以後には三秘を取り出せるようなものは見当らない。主師の客殿図も間違いなく三学を表わされている。そうならば、二論議抄のあたりにたどりつく以外に方法はないであろう。そして同じ辰師の本尊抄見聞にもまた大いに啓蒙される処があるであろう。折伏を大きく推進したのもこの注釈による処であった。これもこちらが指摘するまで寛師の説と信じられていたのである。それほど大きな影響を与えていたのである。
 三秘をとれば辰師の影響を振り切ることは難かしい事と思う。折伏がそうであれば、今の広宣流布もその影響を考えないわけにはゆかない。主師以前には、どう探してみても、そのような三秘は見当らない。あるのは三学ばかりということである。ここに三秘の道の厳しさがあろうというものである。
 正信会の今年度の目標である折伏は、結局は学会の経験を踏襲する以外に名案は浮ばないであろう。つまりは要法寺の辰師流のものをそのまま頂くことになると、辰師は近代の折伏の祖ということになる。山田がいうように、信者が増え末寺が増えることが宗門の発展ということになれば、辰師を折伏の祖と仰ぐのは当然である。四百十遠忌を盛大に行わなければ申し訳ないであろう。それは三秘をとるものの宿命というべきものである。
 一方ではこき下しながら、他方では全面的に頼り切なければならない。そのような矛盾こそ真実の「自己矛盾」である。このようななかに正信会の折伏や広宣流布が置かれているのである。阿部総裁の元で合同の辰師報恩謝徳協議会でも設けて報恩謝徳に擬してはどうであろう。これは最も有意義なことである。化儀抄にも、歌を作る者は人麿の恩徳を謝すように教えられている。折伏をやるものが辰師の恩徳を謝すのは当然の事と思われる。しかも今の大石寺では常に自分を最高位におくために、報恩謝徳というようなものは一切持ち合せていない。一番きらいなのが報恩のようである。そのために恩を仇で返すような事も平気で行われているのである。常に自分が中心である様な単純な一面を持っている。
 山田が「究竟中の究竟」を持ち出していたと思ったら、阿部さんも出したようである。委員会で決まったものであろう。大体その線へ向けて動き出した処は、結論を急いでいるのであろう。しかし、この語は三学の側にあるもので、これを三秘で解釈することは出来ない相談であることは、既に経験ずみの筈である。これをもって振り切るような事を考えずに、もうこのあたりで抜本的な解決をして置かないと、悔いを千載に残すことにもなる。化儀抄は一乗要決を引いて、「若し終に手を空しくせば後悔何んぞ追わん」と誡められている。「夕死の恨みを遺」さないためにも、三秘に出発する強引な解釈は止めた方がよい。三秘による本尊は虚空中にあり、三学に拠る戒旦の本尊は常に大地に根ざしている違いがある。
 究竟中の究竟を虚空中に見ようというのが山田説であるが、これは慶長以後のことであろうが、大地の上に、愚悪の凡夫の己心に見ようというのは宗祖以来の伝統である。ここに二乗作仏も三学も己心の法門も同時に存在する、それが大地の上なのである。随って、その本尊は信不信の外で論ぜられるものであり、一般民衆を対象とされたものであるが、三秘の本尊は信の上にのみ論ぜられるものである。そのために戒旦の本尊は本因と立て、三秘の本尊は本果となるが、究竟中の究竟は本果の処に本因を持ち込んで、本因を強調している。そこに大きな時節の混乱があるので、このような説は最終的には通用しないであろう。種脱一致法門の故里は案外ここにあるのかもしれない。
 三師伝では三学の上に取り上げられたもの、本来は二乗作仏が先行しているのであるが、山田説は本果の三秘による本尊に早変りしているのである。いかにも忍者流である。そのために二乗作仏が切り捨てられるのである。三大秘法抄にはこのようなことは許されるかもしれないが、開目抄や本尊抄、取要抄では許されないであろう。そこで、これらの御書が三大秘法抄の下で読まれて、まず二乗作仏が消え、本尊も戒旦の本尊から本果の本尊となり、しかも戒旦の本尊を唱える時今いう処の「究竟中の究竟」の本尊が考え出されるのであるが、この戒旦の本尊の究竟中の究竟は、二乗作仏を除いてはあり得ないものである。
 道師は開目抄等の三抄を次いでの如く戒定恵にあてて三学を見、久遠名字の妙法を見てこれを三祖にあてた上で師弟子の法門を立てられたものと思われる。この三祖がよって一体と現われている。三祖というも一体というも同じだというものもこの語の中には含まれている。それが金口嫡々の相承であり師資の相承であるとすれば、己心の法門の上には充分成り立つものであるが、次第に外相一本に限られてくると、文字に書かれたものが重要視されるようになってくる。それが今の相承観であって、明星直見の口伝などに示された古い相承は、平僧水島の一言で至極簡単に抹殺されるのである。そして次第に三秘の相承の形をとるようになるのである。そして二乗作仏から一人の権威の表徴と変ってゆき、その代償として三学による二乗作仏即ち成道も本尊も本仏も本来の姿から離れて、改めて三秘の元に誕生するのである。
 成道も釈尊による成道の姿を取ってはいるが、滅後末法を根本とし、無仏の考え方を取っている以上、釈尊に依る死後の成道については問題が残されているように思うが、究竟中の究竟派では解決ずみであろうか。三秘の上にこの語を取り上げると、否応なしに開目抄等の三抄と真向から衝突するが、これも未解決のままのようである。この語を取り上げるためには、それ以前に山積みしている難問の解決をしなければならないが、これは三学以外には妙薬はありそうにもない。永遠に解決出来ない問題であろう。現状のまま若しこれが解決出来るなら山田御尊師は生き仏であり、即刻御法主上人として猊座に着く資格は充分に備わったことにもなる。目出度し目出度し。誠にお目出たい限りである。
 三学に依って出た三秘が、三学をすてて迹門流に解釈されて出来たのが三大秘法抄なのかもしれない。三秘から出たものには迹門の匂いの濃いものが多い。その三大秘法抄を中心に盛り上がった日蓮法華宗は遂に天文法乱を起した。そして天台宗のために焼き払われ京洛を追われることになったが、天台宗は教義を変えることを要求して京洛の元の地に帰ることを拒んだ。そのためにやむなく教義を変える中にあって、最も活躍したのが要法寺の辰師であった。そして遂に元の地に帰ることを認めたのである。恐らく百八十度の転換がなされたことは容易に想像出来る。
 その教学は辰師の寂後二十年許りで大石寺に入ってきたのである。そこで主師まで続いた三学は新来の三秘と交替することになり、教学について新しい局面を迎えることになった。そして三秘を主体とした教義教学は今に続いているのであるが、三学を伝えている事行の法門はあるかなしかになって、これを狂学と称する処までに至ったにである。内容からいえば三学であり、そこには二乗作仏や己心の法門も含まれている。
 開目抄や本尊抄、そして取要抄その他の重要な御書全て未究竟であり、三大秘法抄のみが究竟というのが阿部さんの御託宣である。これは当方に対する反撥がこのような暴走を巻き起したのではないかと思う。同時にここには戒旦の建立が秘められているので、正本堂の裏付けのためであろう。今は山田、水島両学匠もここを目指して、無い理屈を捏ね廻してはいるが、何となし浮き足たった処が文面に満ち溢れている。
 正本堂と護法局、折伏と広宣流布、次第に全てをこの一点に集中してきているように思われる。そして最後は究竟中の究竟としての戒旦の本尊に集中させようとしているが、古伝の大石寺法門、即ち三学による法門からいえば、殆ど自殺行為に等しいものと思われる。道師にも有師にも主師にも、また六巻抄にもそれを裏付けるものは何一つない。若しあるとすれば文底秘沈抄一巻のみであるが、前々から言うように、これは三学に反対のために取り上げられたと見るのが、最も妥当な見方ではないかと思う。その故に今は依義判文抄以下は全く見向きもせられず、最近の動きは、文段抄によって三秘即ち戒旦・本尊・題目を裏付けようとしている。今のような状態であれば、寛師も前後十ケ年の年月を費して、六巻抄を著わす必要はなかった。それだけに今の考え方が異様な感じを与えるのである。
 最近は阿部さん以下水島も山田も、共々に三学を捨てることのみに集中しているようであるが、阿部さんの御教示の如くであれば、御書は三大秘法抄のみで事足りることになり、開目抄や本尊抄などは、未究竟の中で至極簡単に切り捨てられるのである。今その教学の最後の仕上げを急いでいるものとお見受けした。狂学に二字を加えて暴走狂学の語を献上したい程である。
 阿部さんがいくら本尊抄を未究竟と下しても、三大秘法抄には究竟の本尊を顕現する力は見当らない。これは三秘による故である。その三秘を顕現するのは専ら三学に依るところ、その故に主師までは三学により、寛師も依義判文抄から当家三衣抄までは、三学の復活を計られたのであるが、今阿部さんによって宗祖以来の三学に断が下されようとしているのである。誠に歴史的な壮挙であるといわなければならない。つまりは宗祖への挑戦であり、左右両脇に控えているのが水島、山田の両人である。
 この三人相依ってみても、とても文殊の智恵に及ぶべくもない知恵者の集団である。この三人の知恵をもって、開目抄や本尊抄の二乗作仏や三学、そして己心の法門を邪義と破すことが出来るかどうか、これが第一の難関である。とっぷりと拝見させて頂くことにしよう。若し成功すれば狂学と極めつけることも出来るし、また阿部教学の確立でもある。これは川澄狂学と称して独り悦にふけるようにはいかないであろう。宗祖に悪口雑言を浴びせるわけにもゆかないであろう。どのような方法をとるのであろうか、これは天下の見物である。若し成功するようなことでもあれば、こちらは速かに退散しなければならない。大いに力を竭して腕のある処を見せてもらいたいと思う。若し成功すれば、それこそ天下第一の智者であり、勇士である。門下の諸宗も即刻阿部さんの傘下に馳せ参じて来ること請け合いである。今その戦いが始まらんとしているのである。
 昌師から三代目精師の代には江戸の末寺には一尊四士が登場する処まできた。そして家中抄も辰師流の三秘の中で古伝の三学に関しても大幅に手心を加えられたであろう。新しく三秘を宣伝するためには、当然あってよい筈のものである。その意味では大分割引して見なければならないものもあるかもしれない。とも角精師によって三秘の基礎が固められたことは否みがたい処であろうと思われる。そのような中で三鳥派も出ているのである。そして九代百年の間は辰師流の三秘一色になっていたであろう。外からは幕府の圧力もあって六巻抄を作らざるを得なかったであろうことは容易に想像出来る処である。
 第四末法相応抄が二論議抄の返答書になっていることは、詳師の写本に示されているが、末法相応抄では造像読誦について時節の混乱即ち末法不適時が挙げられている。そして宗祖の肉身本仏について、誤りであることもはっきりと示されていることは、時節の混乱の意をあらわされているのであるが、今はこれを振り切って、己心の本仏は邪義で、肉身本仏こそ正義ということになった。随分と変るものである。
 宗祖や末法相応抄の記述に背向(そむ)いてまで、何故肉身本仏三世常住論を出さなけらばならないのであろうか。ついうっかりというわけでもあるまい。いかにも不可解なことである。これでは六巻抄を読んだとは義理にもいえない。その後一向に修正されることもなく、破棄されたわけでもない。益々この線は強められている。暴走というより外、いいようのない、大きな脱線である。今は宗門の公式な本仏論ではあるが、仏法からの大きな逸脱である。三秘に依り過ぎたための、たどるべき宿命と理解することにしておく。
 三秘には初めから本仏はない。三大秘法抄もまた同様であるが、所詮は三秘による文段抄の読み誤りがこのような結果をもたらしたのかもしれない。何とも恐ろしいことではある。そして一方では盛んに奇蹟が強調されているのもまた不思議なことである。七百年の伝統を誇る陰から奇蹟の誕生も気掛かりなことである。一体何処へ逃避しようというのであろうか。究竟中の究竟の本尊として本尊抄を未究竟と決め、弘安五年の三大秘法抄の本尊を最後究竟の本尊とするのも、何となし奇蹟譚とした方が分りやすいように思われる。
 以前は、戒旦の本尊を究竟中の究竟といわれたのを見たような記憶があるが、三大秘法抄の本尊にこのような讃辞があったかどうか、全く記憶がない。今回のことが初見ではなかろうか。しかし、ここでは本尊抄を未究竟と証明しなければならないが、山田・水島の教学陣でこれが出来るのであろうか。涙ぐましい努力をしているのは分るけれども、鶏が歌うて夜は長し。夜明けがあるのかどうか、それさえ今の調子では覚束ない。門下では七百年の間この難事業をいい出したものもなければ、具現したものもない。阿部さんは今その難事業を始めたのである。その勇気は大いに買わなければならない。成否は全て「とやら」山田、水島御両人の腕次第ということである。どのようにしてこれを具現化するつもりであろうか。何を賭けているのであろうか。
 さて、もう一度本尊について繰り返すことにする。三大秘法抄の本尊は三秘各別の上にあり、本尊抄の本尊は三学にあるもの即ち戒定恵の側にあるもの、そこには戒旦本尊題目の三秘と戒定恵の三学の区別がある。今は三秘を正、三学を謗とし、しかも三学は既に消されている中で起った話である。中央の題目を久遠名字の妙法とするのは三学に限る。三秘は三秘倶伝妙曰妙法といわないので、今の場合に充てはめることは出来ない。
 事の一念三千も三学に限るものであって、三秘に充てて考えることできない。それにも拘らず山田説では撰時抄愚記の両語をもって何の詮ずる処もなく本仏と決め、これに取要抄文段の人法一箇をもって即刻本尊を顕現している。これでは自分がそう思うだけである。今は三秘一本に絞られたために、三秘のもとで成道と本尊・本仏を立てなければならないので、理屈抜きでこのような方法を取ったのであろう。三大秘法抄を究竟中の究竟と立てるために、自然とこのような事になったのであろう。これは、その前にあるべき三学が消され、出たものがそっくり三秘に受けつがれたためであるが、これでは未だ本尊や本仏が出現しているとはいえない。そのために成道も迹仏のもとにあって死後の成道をとるのであるが、そこでは本仏も、戒旦の本尊も出現することは出来ない。
 しかし今では迹仏世界で、しかもそこに本仏も本尊も出現している不思議さであるが、同じ時に両存することは最大の時節の混乱である。少くとも三学の立場に立った大石寺法門では考えられないことである。しかし三秘を立てる現宗門では、そのような事には一切触れないようである。そして文段抄から何の詮ずることもなく、あっという間に本尊も本仏も出現している。そのために信心が異様に要求されるのである。しかし、どう見ても三秘には本尊や本仏を生み出す力はないが、三学には三秘を生み出す力は勿論、成道・本尊・本仏を生み出す力は充分備えているのである。
 いう処の本尊も本仏も時節の混乱の結果であるが、今はこれが正で、三学に依るのが邪であり狂であるということになっているのである。一律に中央の題目を久遠名字の妙法とするのも時節の混乱であれば、三学と三秘の混乱でもある。事の一念三千も三学にあるものであるが、山田説では三秘のものとして扱っている。その上に三秘の処に本尊や本仏が出現しているのであるが、十界互具も同様の扱いで、三秘の上では本尊に現わされた十界互具の説明は出来ないであろう。若しするなら三学の領域である。これまた時節の混乱ということである。
 日辰の化儀の折伏法体の折伏も時節の混乱であれば、これを誤って寛師のものと読んだのもまた時節の混乱のためである。全てが時節の混乱の渦の中にあるのである。三大秘法抄を究竟中の究竟と決め、本尊抄を未究竟と切り捨てるのも、これまた時節の混乱の故である。それが三学を捨てて三秘をとった処から始まっているのである。そのために、三大秘法抄が最高の扱いを受けるようなことにもなるのである。そのような中では三学によって出来た化儀抄も六巻抄も、そして三師伝さえも全くその価値を見出すことが出来ないのである。最近は再び混乱に速度を加えてきているようである。
 山島派の説も、時節の混乱を糾せば、あとには水泡ほどのものさえ残らないであろう。これこそ、うたかたの浮説である。そろそろ、うたかた談義も払い下げる時がきているのではなかろうか。三重秘伝抄から出す本仏や本尊を、三学の本仏や本尊と同日に扱うのも時節の混乱のなせる業である。末法相応抄の時節の混乱も、必ずしも辰師の二論議抄のみを指しているものでもあるまい。むしろこれをもって直には肉身本仏を誡められたものと受けとめたい。
 滅後末法に法を立てながら、肉身本仏を立てることは混乱中の大混乱である。しかも今はますます肉身本仏に磨きがかかってきているのである。しかしながら肉身本仏は既に三秘の領域さえ通り越した境界に出現するもののように思われるが、皆さんはそのような事は考えないのであろうか。追いつめられた挙句、肉身本仏や奇蹟のみを求めるようになるのは、既に宗門が危険な方角に進みつつあることの表示ではなかろうか。
 日蓮正宗には信心教学という語があるが、信者の方で出来た教学が宗門に入って主力となるといえば、現在の教学はそれに当っている。山島派の説もそれに相当するのであろう。その説く処は理を通してわかるものでもなく、信心のみがよく理解せしめるもので、前にあげた三秘にしても、三秘には出る筈のないものが、しかも大きく働くので、信心以外には理解する方法がないが、これを三学から見れば即時に理解出来るから不思議である。
 始め三学で出来たものが、新しく三秘が入ってきたために三学が消され、そこに表わされていたものが三秘に入ってきたために、その部分については理の外にある。それを信心をもって分ったことにする。信心教学とはそのような処に始まっているのかもしれない。これであれば三学さえ本に返れば、信心の二字を消して、ただ教学だけで事足りることになる。
 長年月をかけて三学から三秘への移行が行われたのであろう。そして三学については跡形もなく消されている。そのために成道も本尊も本仏もともに理解しにくいものになったのである。これは現在では丑寅勤行には当初の三学によって現われるところを伝えているが、信心教学では本の処に立ち返って探ることが出来ない難点がある。そして本の姿を探ることを最も嫌悪するようなものが残された。
 本を探るものに対しては不信の輩を始めとして、有りとあらゆる悪口雑言をあびせるのであるが、これも実には信心教学から滲み出たものかもしれない。そのためにその意図する処がつかみにくいのであるが、今漸く三学を捉えることが出来たので、安心して教学に専念してもらいたい。難問を信心によって解決するような必要はなくなったのであるから、大いに教学に励んでもらいたい。もう川澄狂学などというような人聞きの悪い語を使う必要もなくなったのである。信心教学も既に四百年の年月がかけられているだけに、素直に三学に帰ることも簡単ではないにしても、これだけは是非実行してもらいたいと思う。
 三秘にある宗門人から一斉攻撃を受けても各別何の痛痒も感じないのは、いうまでもなく当方が三学の処にいるためである。これが甚深の秘密なのである。寄せては返される高師が浜の仇浪の物真似は、早く止めた方がよい。仇とは無駄の意味である。もし三学を破したいなら開目抄・本尊抄と順を踏んでやってもらいたい。己心の法門を破すことは三学を破すことであり、三学を破すことは二乗作仏を否定することである。今の宗門に二乗作仏即ち衆生の成道がないのは、己心や三学を認めないからである。そのくせ本尊や本仏は己心や三学、そして二乗作仏を前提としたものである。
 水島流無疑曰信説は三秘のみを信じて三学を認めないところにその端を発しているのである。これでは三学に立ち向うことは出来ないのも道理である。そのうち被害が我が身に振り懸ってくるようなことにもなるかもしれない。御用心召されよ。折角「真実の十界互具について」論じてみても、三秘家には活用の場もない理の法門である。真実に使えるような三学に替えなければ無駄なことであることさえ分らないのであろうか。
 虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動恵、これが戒定恵の三学である。虚空の動ぜざるが如き戒定恵である筈のものであるが、実にはどこへ行ったのか影も形もない。誠に白雲のごとき霧のごとくであり、そこへ三秘が早変りしてその座を占めたのである。不思議な変身といわなければならない。本来ならば、三学、戒・定・恵、成道・本尊・本仏、三秘、戒旦・本尊・題目となるべきものが、成道・本尊・本仏までが三秘以下と交替し、三秘の中にちょいちょい現われるので、どうみてもその出生が明らかであるとはいえないのが、今の成道・本尊・本仏である。
 一宗としてその中心であるべき本尊が不安定なのである。そして本仏も時に迹仏世界へ登場するために、時もまた不安定である。これが宗門の表に出ているのが偽わりのない姿である。どうしても三学を確認し、この安定を計るのが先決問題であるが、自宗の法門としての三学が、どのようなものかということさえ、今は記憶の外に出てしまっているのではなかろうか。水島ノートが一閻浮提総与を三秘によって解決しようとしていたのは面白い発想であった。三秘による限り永遠に解決される期はないであろう。
 今の宗門は三秘を根本としているが、六巻抄では第二文底秘沈抄のみに説かれ、三秘は再び出てこない処を見ると、それ程重要な扱いをされているようにも見えない。第三以下は全て三学に限られている。ここで文底秘沈抄が何故取り上げられたのか、一考を要する問題ではないかと思う。当時の状況は、昌師以来入ってきたであろう三秘も百年以上を経過してじっくり根を下ろしていたのであろうし、外には三鳥派について幕府の眼の光っていた時代である。内外から三秘による逼め苦があったのではないかと思う。
 本来なら寛師が猊座に着くべき処に、急ぎ宥師を迎えたのであった。宥師が近衛家の猶子ということで急場を凌いだのではなかったのではなかろうか。さてその急場とは何であったか。これは想像する他はない。或は文段の講義を聞いた人等が宗祖の俗身をそのまま本仏と聞き損じ、それが宣伝されて幕史の耳に入って事が面倒になったのではなかろうかということである。現在でも肉身本仏論は文段抄によって起っているが、六巻抄の第四では、肉身本仏については明らかに否定されている。これは第三に始まった三学の中にあるもので、文段抄の文を三秘をもって解する時、肉身本仏論が起っているように見える。
 文段の文も、三学をもって読めば肉身本仏は出ないであろうが、三秘で読めば肉身本仏と出ることに変りはないようである。幕史の追求を受けて寛師も苦しくなり、宗祖の肉身は本仏でない事を明らめる必要に迫られたのではなかろうか。そして出来たのが第四の文である。これは明瞭にその理由が示されている。それにも拘らず今は肉身本仏三世常住論にまで発展したのである。そして近代は、第三以下第六の終りまでは殆ど読まれていないようである。これも故あっての事であろう。若し第四末法相応抄を読めば、今のような本仏論は唱えられなかったであろう。結局、三秘をもって文段抄を読むことによって今の本仏論まで発展したものと考えざるを得ない。
 文段抄には時がきびしくないために、自分の意見をもって読みやすいように出来ているためであろうが、六巻抄では時が厳しいために取りつきにくい面があったものと思われる。そのために今でも六巻抄は全く読まれていないのであろう。最近は全て文段抄のみが引用されている。三秘によれば文段抄、三学によれば六巻抄ということになる。今ではそのために真向から対立の余儀なきに至っているのである。攻める宗門方は文段抄、受ける方は六巻抄ということで、結局は三秘と三学の争いということになっているのである。少し眼を遷せば開目抄、本尊抄その他の御書と三大秘法抄の対決ということも出来る。阿部さんは本尊抄を未究竟、三大秘法抄を究竟中の究竟と最高位においているのである。この問題もいよいよ絞られてきたということである。
 三学を取れば主師から有師に遡れるし、三秘を取れば要法寺の辰師を中興とせざるを得ない。これはなかなか厳しい問題であるが、つまりは尊門の系列ということになるのである。化儀の折伏法体の折伏もまた辰師を祖とするものである。要法寺とは、昌師以来切っても切れない深い縁が出来たようである。さて中興の祖をどう選ぶべきか。教義的には辰師につながっている事は現実が証明している通りであるが、有師・道師へのつながりは、誠に稀薄であるといわざるを得ない。このような時を迎えて更めて文底秘沈抄の意義を考え直してもらいたいと思う。
 寛師が三秘を主張するためとすれば、構成があまりにも不自然である。どうしても三学によることを主張されたと見るのが最も妥当なようである。そして第六はそのまま丑寅勤行につながっているのである。若し三秘によるのであれば、依義判文抄以下の述作は全く必要のない事であると思われる。当時の状況からしても、配置からしても、寛師の主張が三秘にあったとは到底考えることは出来ないと思う。そして今では六巻抄も依義判文抄以下は全く省かれているのが現実である。そのために、文底に立てられたものが文上に、己心が心に、滅後末法が像法に、滅後が在世というように反対に現われる場合が多い。それが周辺との摩擦を起しているのである。右であるべき世俗に、己心の左がそのままに出るための非合法的な意味合いによるためである。しかし、あまり強く出過ぎたために反って修正の方向の中で混乱を招きつつあるように見える。そして三学から三秘への修正が行われて、己心の法門が益々消滅の一途をたどっているのである。
 今は、事行の法門のみが辛うじて三学の名残りを伝えているようである。そこに持つことの難さがある。そこで事行では受持が大きな比重を持ってくるのである。仏法は受持から始まっているともいえる程である。受持即持戒、受持即観心なども好例であるが、今では受持の意味も大分変ってきて、それ程深い意味がなくなり、末寺の授戒の儀式も、本山に戒旦が出来ると、末寺が担当していたものは本山に吸収され、中央集権的な意味合いの中で本山の統制力を教化することにもなる。そして本来無差別の中に立てられたものが、次第に差別を持つようになってくるのである。これも三学が三秘に替った印である。
 やはり三秘にはどうしても迹門的なものを持っているのであろう。今となっては三学も、ただ遠い昔の語り草というところに落ちつきそうである。これが大石寺法門の宿命なのかもしれない。結果的には「二重構造」になって、充分に迹門に帰ることも出来ない、そうかといって文底己心の法門でもない。これをどのように妥協せしめるか、今直面している最大の課題ということであろう。外相では妥協は簡単ではあるが、法門としての調整には問題が残るであろうことは、慶長以来四百年、未だにその調整が成功しているとは見えないことをみても、充分これを察することが出来る。それ程の難問と取り組んでいるなかで悪口雑言が出ているのである。現宗門の偽らざる溜息であると承知している。
 三重秘伝抄の種脱相対のあと事理の一念三千の処で本仏・本尊を出すのは、方法としては簡単ではあるが、ここで鮮やかに第三以下の三学を切り捨てた処に問題が残されているようである。三秘と三学との調整不十分が根本課題を残しているのであろう。去年十一月号大日蓮の山田説でも、これは全く未解決のままの船出であった。今後益々大きく問題化するであろう。そして成道の意義や、本尊・本仏の出生については全く除外されたままになっているのである。まずこれを明らかにして宗門の性格・宗義等をはっきりさせる事が第一ではないかと思う。それにも拘らず、「とやら」学匠は一向に無関心のようである。そして只無駄に「とやら」を繰り返しているのみで、いかにも空しさ一杯ということである。一筋通っていないために内容が乏しいのである。
 以前身延側から色々と疑問を投げかけられた中に、興師は、最終的には一尊四士が目標ではなかったかと問われたように聞いているが、この時資料としたのが原殿書と、今度山田が引いた百六ケ抄であった。特に百六ケ抄などは少し遠慮した方がよい。しかし、今の考えの中にはこれを斥う理由がないから引用したのであろう。これなど、その深さの程を明して面白いもので、それ程要法寺に近いのである。これらの資料によれば一尊四士の願いがあったのであろうといわれても致し方がない。今の肉身本仏論などは、寧ろ一尊四士の変形したものではないかとさえ思わせるものがある。これなども、もっと整理する必要があるのではなかろうか。時節の混乱がどんどん変えてゆくのであろう。逃げの一手の中で予想もつかない方向に変ってゆくのである。「とやら」を連発している間に、いつの間にか足が大地を離れるのであろうが、思えば恐ろしいことである。何はともあれ、足を大地に着けることが法門を考える上において最も大切な事ではあるが、「とやら」の陰にかくれて足が何となし浮いてきた感じである。世間では、これを浮き足だつというのである。
 さて明治教学といえばまた反撥を受けるかもしれないが、一言申し上げることにする。慶長に要法寺教学が金と政治力を背景に入ってきた。そして精師の時には江戸の四ケ寺に一尊四士も造立されたが、そこには辰師新建立の三秘が入ってきた筈であるが、それがどのようなものであったか、後世どのように影響を与えたか等については、全く研究の発表されたものにお目にかかったことがない。文底秘沈抄もそのまま三秘の説として受け入れられたまでで、三秘について批判乃至破折のためではないかというような意見はついぞ見当らない。今に至るまで受け入れ一本に絞られているのである。しかもこの一巻のみを独立解釈した上での受け留めであるために、文段抄の文証的な扱いのように見える。その文段抄は特異な三秘の解釈のみを基本として固められたものであることに注意しなければならない。
 要法寺から入った辰師のものを基本として、それから出た三鳥派流のもの、そして国柱会の特異な解釈による三大秘法抄からの三秘、その三様の三秘が明治になって、僅かに残った三学を根底とするものとが一つになって明治教学の姿をとってきたのではないかと思う。飽くまで主導権は三秘にあり、成道・本尊・本仏その他三学に始まったものが三秘によって解釈されたために異様な発展をしたのではないかと思う。己心の法門の中から最高最尊がそのまま外相に結びついて宗門を最高位に押し上げ、世界広布というような発想にもなってくる。本来は己心の法門として内にあるべきものである。
 信者に対しては今も昔ながらに、知らしむべからず依らしむべし流であり、その意味で阡陌陟記の出版について迷惑しているのであろう。その自分達も読まない、信者にも見せない、日蓮正宗の伝統法義は絶対に正しい、世界最高の教義であるということのみが空転しているのである。虚を突かれて立ち上がりもならず、今漸く天台学概論や中村仏教語大辞典によって反撃しようとしているが、こちらは所謂文底法門を見て居るので、折角ながら両書とは方角が違っているので、反って被害はお手元に帰るようなことになるかもしれない。
 文上と文底では左右相反するから注意が肝要である。文上をやりながら文底と思っているのが「とやら」の特徴である。この根源は三学と三秘の混乱に始まっているのである。しかしながら、今気がついてもどうにもならないということであろうか。せめて成道・本尊・本仏の三のみは上代のものを求めるべきであろう。知らしむべからず依らしむべし流の法門からは、開目抄や本尊抄等のような二乗作仏など、その痕迹すら見当らない。大地から足は離れたけれども虚空には手が届かないということであろうか。
 戒旦の本尊も三学であれば一であるが、三秘によるために二になり、題目を加えて三秘となっている。本尊が或る時は一、或る時は二の扱いになっているために不安が付きまとうのである。戒旦の本尊は本因、三秘の本尊は本果という基本線から外れているのも気がついていない程である。足が空にういた処で力んでいるのが、水島・山田の「とやら」教学である。「とやら」の必要のない教学を立てるべきである。大地に足がつけば「とやら」は無用のものとなる日であるが、虚勢を張るためには必要な語ではある。
 知らしむべからず依らしむべし流の教学に民衆がどこまでついて来てくれるか、正信会にも大きな課題である。愚人であるからチョロマカせば、即時に賢人となるのが民衆である。これが三秘の立場から考えられる時、信者ともいわれるが、本来は信不信の外にある民衆が教化の対象であったが、時の変化が衆生に限定するようになったのである。
 六年間を振り返ってみて、何を主張し何がまとまったかということになると一向に分らない。どうやら「とやら」だけが残ったということか。教義宗義の上には新しい発展もなく、そうかといって古いものが堀り出されたわけでもない。これまた中身のない「伝統法義」四字のみということでは、誠に淋しい限りである。時局法義研鑽委員会も、そろそろ成果をまとめて発表する時がきているように思われる。時局法義研鑽委員会ノートに出てくるものは、委員会で尽く研鑽を重ねているものと思っているが、一度正委員の詳細な発表を期待したい。正宗要義風にまとめてもらえるなら尚読みやすいと思う。筋のない断片では理解することも困難である。是非委員会の成果をまとめてもらいたい。
 山田が喜んで断片を拾い上げていたことがあったが、これは三学を根本とした上での断片であり、一点に寄せるためのものであった。結果としては山田のものは内外ともに断片で終ったようである。今度も最後に附録として載せることにした。何れも大日蓮によるものである。これで宗門側の意見はまとまっていると思う。この資料によって是非の判断を下してもらいたいと念願していることを申し添えておく。


 あとがき
 今の山田は、一文を引用する毎に一歩ずつ文上に地歩を占めている。水島もチンプンカンプンの連続であるが、御本人が気がついていない処が妙である。本人の気がつかない処で三学は失われている、それだけに哀れであるという外はない。二人には三学などという語は生まれて始めて見る語であろう。勿論法門の上でどのように重要な意義を持っているかなどとは、夢にも思ってみなかったであろう。最初入信の時からして無かったのであるから、無理もないことである。
 水島も無疑曰信をやっているが、いつまでも信者の立場からやらず、僧侶になったのであれば、僧侶の立場から考え直した方がよい。少しは頭の切り替えの必要がある。半僧半俗の考え方では中途半端ということになる。それでは指導力に欠けることになるし、充分にその義を尽すことは出来ないであろう。僧の信は三学にあるべきもの、俗の信は三秘にあるものであり、所謂信心である。今は混乱して同列に扱っているようにみえる。信に関しては押し並べて三秘の信によっている。これも三秘偏重による誤りである。
 今は天台学概論や中村仏教語大辞典の読み過ぎが時節の混乱を招く大きな要因になっているようである。そのために次第に差別が付かなくなり、捌き切れないために自然と悪口雑言が口を衝いて出るのであろうが、自業自得の致す処であろう。教誡のごとく、当家が分る迄しばらく他家を遠慮した方がよさそうである。時の混乱をきたしていることは既に敗北を意味している。しかしあまりの無時に無法者になる恐れもある。かたがたよく気をつけることである。しかし、あまりに三秘を立てすぎると京なめりの恐れもあり、故里を要法寺としなければならないことになるかもしれない。辰師へは帰れても主師へ帰ることは出来ないということである。文底秘沈抄の三秘を取り上げて、三学を捨てたための無時無法のなせる業であるということがお分りなのであろうか。無時無法は蝙蝠論法を生じる恐れもある。
 「とやら」の説く処が口ぎたない割に迫力に欠けているのは、三秘をもって三学を破そうとするためで、これでは追い返されるのは当然である。入信以来三秘一本でやってきたために、三学は全く脳裡になかったのである。これでは中々勝利にはつながらない。そろそろ三学に切り替える時期が迫っている事を知らなければならない。そうでないと、機関誌を益々お行儀の悪いものにするのみである。
 今では己心の法門を破折することが宗門に忠節を尽す所以と心得ているのか、或は三大秘法抄を破された怨念が爆発したのか、昨年夏以来の反撥は異様であった。しかし護法局発足以来のことは、一には三大秘法抄擁護のためと思われる節が多いことが目につく。特に十一月以来は最高潮に達している。そして一挙に己心の法門の破折を巧らんでいることはよく分る。しかしながら、二乗作仏と三学と己心の法門の三は全く不即不離の関係にあるので、今の己心の法門の破折は、既に二乗作仏と三学が消されているためなのかもしれない。言いたい放題をいっているが、それがどのような罪にあたるか、考えた事があるのであろうか。知らない程強いものはない。しかし、今となっては何となし手遅れの感じが強い。そのうち宗祖のお叱りを受けるようになるかもしれない。
 破折のために、立ち直りのために三年の年月が必要であったようであるが、それは単に書くためのみであって、真実立ち直りといえるようなものではなかった。反って追いつめられる羽目になった。二乗作仏も三学も己心の法門も全く失なわれた虚を衝かれたために、ただ右往左往するのみで、反撥の糸口さえ見つからなかった三年・五年であったが、漸く見つけたものは、勝利につながるものは、一もなかったのであった。しかし十一月以降のものも決して反論といえるようなものではない。ただ悪口の方向を替えたのみである。それ程威力を与えるものではない。闘士交替、悪口について新造語作りから出直すことにしてみてはどうであろうか。狂学・珍説・邪説と数限りない新造語を並べてみても、それ程の効果もなく、唯何となく話が愚邪々々したのみであって、これでは結論には、到底至るべくもないというのが実感である。

 

 

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 大石寺法門と日蓮正宗伝統法義(四)


 
「山法山規について」を読む
 
大杉山有明寺のこと

 「山法山規について」を読む
 大日蓮五月号に総監の巻頭言が載せられていた。題して「山法山規について」という。なかなか意味深重にしてつかみにくいものであった。巻頭言と水島ノートと、何となし真反対のような感じであるが、そうなれば水島や山田も苦境に立つのではなかろうか。しばらく静観ということにする。山法山規とは聞くからに古めかしさを持っている。しかし記された処を見る限りでは、その内容がそれ程はっきりとつかまれているようにも思えない。「条文はないが」というのは、三学に始まった事行の法門を指しているのではなかろうかというのが私の意見である。そうなれば、これは開創当初からあるもので、つまり七百年の伝統というのは、実は山法山規を指しているのであろう。事行の法門として、また条文としてその姿を表わすこともなく、しかも強く山内を規制している処は、どうみても己心の法門が事行として働いているためであろう。己心も心も同じだから己心を捨てろといっても、心にはそのような力はない。己心であればこそ、この働きを持つことが出来るのである。
 「御本仏の振舞」ということも、子細に見れば山法山規の中に入っているであろうし、丑寅勤行や己心の法門の上に建立された色々な法門は全てこの中に含まれ、しかも知らず識らずの間に既に実行している。そのために条文化する必要はないのであろう。化儀抄が本か山法山規が本か、何れにしても不即不離の関係にあることは間違いないと思う。条文化せられるものは化儀抄となり、文字に表現しにくいものは山法山規となる。共に三学に依って始まっている事は間違いあるまい。その点、三秘には山法山規を生み出す力はないように思われる。そこは三学と三秘の規模の違いである。山田が伝統法義も実際には山法山規ということであろう。それならば本人が知らないだけで充分に備わっていることになるが、本人が三秘のみを考えているなら、それはないに等しいものである。
 「逆も逆」というのは実には山法山規の生みの親、三学のことである。山法山規を卑下する罪何にか比せん。三秘には遺憾ながら山法山規に通じるものはない。そのために伝統法義の中身がないのである。その点大石寺法門には悉皆整束しているのである。いうまでもなく、金口嫡々の相承も唯授一人の御法主上人も、戒旦の本尊も、御本仏大聖人も全て含まれているものである。そのために具体的に、必要に応じて出すことが出来るが、伝統法義にはただ四字のみで、中身は全くないのであろう。そのために山田がいくら悪口雑言を繰り返してみても壊滅せしめることが出来ないのである。その辺の違い目をよく明らめ、弁えてもらいたい。所詮は三秘と三学の貫禄の相違なのである。お分りでしょうか。それは山法山規を誹謗した罪障なのかも知れない。言い換えれば宗祖誹謗の罪にも相当るであろう。一々文々是誹謗である。
 今度巻頭言に山法山規を取り上げてきたことには甚深なものを持っているものと思われる。最後の一行を加えて、知ってか知らずか、三学・己心に立ち返ろうとしているようにさえ見える。本文が三秘によって終始していることは、止むを得ないところなのかもしれない。何れその内に明らかになると思われるので、今は初後について三学と読みとっておきたいと思う。
 今まで山田や水島は走狗となって己心の法門に、さんざん毒付いてきたが、総監が山法山規によろうとしている陰には必ず法主の裏付けがあるに違いない。御両人も大分形勢が悪くなってきたようである。今度は全て師敵対の中でやらなければならない。しかし宗門が山法山規に気がついた事は何よりの重畳である。己心の法門も三学も二乗作仏も一気に取り返そうということであろうか。しかし実際にはそう簡単にはゆかないことはいうまでもないが、その初心が大切である。その気持だけは巻頭言に十分伺えるように思われる。
 戒旦の本尊が本因であることも、宗祖の己心の一念三千であることも、恐らくは山法山規には含まれているのであろう。それほど山法山規は大らかなものであって、元より条文をもって伝えるものとは性格が違うようである。師弟一箇して作り上げている処、自行であり自力である。しらずしらず取り上げた興師の御消息も当然といわなければならない。この故に山法山規は師弟子の法門であることは、ここに巻頭言が証明している通りである。恐らくこの最後の一行も知り尽した上使われたものではないかもしれない。そこに甚深なものがある。この文の扱い方からすれば、今まで山田や水島の説とは真反対、逆も逆ということになる。今度は巻頭言「山法山規について」を破す大論文でもものしてみてはどうであろう。これは悪口雑言も言いごたえがある。時の移り替りがこのような巻頭言となって表れたのであろう。どうやら水島や山田の時は既に過去のものとなったようである。早く切り替えないと一船に乗り遅れることになる。ただ御両人の決断を望みたい処である。
 時は常に作らなければならないし、来た時は必ず捉えなければならない。己心の法門はこのようなことを教えているように思う。この時は必ず眼に見えない特質をもっている。それだけに捉えにくいのである。山法山規とはこのような時の中にあるものである。これに対して三秘による場合には条文に示すことが出来る。そのために今は姿の見えるものに限られるようになったのかもしれない。己心なども目に見えないために消されるのである。
 久遠名字の妙法や事の一念三千は、三学や己心を離れた処で取り上げられている。或は三秘の上に見ているのではないかというような感じを与えるのは、昨年十一月号(大日蓮)の山田論文であった。何をおいても三学か三秘かを決めなければならない。本来三秘では久遠名字の妙法や事の一念三千を表わすことは無理である。殊に三大秘法抄による三秘からこれらのものを求めることは出来ないであろう。しかし、山田説には初めから三学も己心もないのであるから、強引に三秘に求めていることは間違いない処であろう。そのような中で山田式種脱一致法門が考えられ作られているのであろう。その無理な処が悪口雑言となって表われているのである。これも四回で一応終末を迎えて、宗祖を誹謗した処は頬かぶりということであろう。
 しかし、これ程までに批難攻撃したのであれば、せめて一度位は宗祖に向って陳謝の誠を捧げなければならない。水島にも一度の陳謝があったことは聞かない。山田も阡陌の二字は御書にないと言い切ったままである。一切自分の誤りは認めないという方針なのであろうか。これでは行きつまるのは当然である。既にその時が来た。その時を知ることから、やがて仏法は開けて行くのである。時は自ら捉えなければならない。それが己心のひらめきである。しかし、その時を捉える努力は一向になされていない。そのために御両人の法門に発展がない。これは発展がないというよりは、本当は見当違いといいたい処なのである。そのために成果が表われないのである。
 いくら自分を最高位において愉悦してみても、それは単なる独善に過ぎない。そこに待っているのは孤独のみということであろう。時のない弱さが孤独に追い遣るのである。三学や己心の法門には、求めてもそのような事は見当らない。これ全く時の然らしめる処である。時を獲て己心の法門に切り替えする時が来ているようである。その故に重ね重ねすすめているのである。三秘に根本を置いている間は山法山規は大き過ぎて捉えがたい。御両人などは夢にもこのようなものは考えたことはなかったのであろう。水島や山田にはチンプンカンプンなのではなかろうか。その逆も逆、チンプンカンプンの中にこそ真実があるのである。
 七百年の信仰というだけでは山法山規は具体的にはつかめない。それは巻頭言に明している通りであるが、当方では「大石寺法門と日蓮正宗伝統法義(一)」で既にその序論に入っているのである。ここに一歩の遅れがあった。そして山法山規の蒐集についても既に始めているのである。余り遅れては追い付きにくいであろうから、ここに記しておくことにする。三学や己心の法門は知る知らんに関らず山法山規は既に山内に充満しているのである。三秘をいかに駆使してみても到底戦い抜けるものではない。それを知ることもまた時を知ることである。さすがに総監ともなると、水島や山田とは格式に相違がある。それが自然とその職掌がら法を求める方角に進んだのであろう。とりあえず仏意ということとしておくことにする。人の真価は最後に表われるものである。その最後に悪口をもって三学や己心を打ち破ろうなどとは、もっての外の悪見である、悪い量見である。仏意の程恐るべし、恐るべし。
 同じ大日蓮で巻頭言と水島ノートでは「逆も逆、真反対」である。これでは巻頭言に依るのは当然である。水島がいくらいきってみても哀れという外はない。総監相手では悪口雑言もままならぬであろう。報恩抄の説法を後に控えていては尚更厄介である。早く引かないとその期がなくなるかもしれない。水島もって如何となす。今度の大日蓮では、どう見ても師敵対の難を免れることは出来ないであろう。今、総監は改めて山法山規がどのようなものか確認しようとしているのである。この巻頭言、簡にして要、相当な決意の程が伺える。ここで確認するなら一応危機は突破したと見てよいと思う。三学か三秘か、実に四百年来の難問であったが、漸く三学に踏み切ったということである。これなれば六巻抄へも化儀抄へも帰ることは出来る。まずは目出たし目出たしである。今後、山田水島の鋭い筆鋒がどこへ向けられるであろうか。
 七百年の伝統といえば、いうまでもなく三学と己心である。三師伝も化儀抄も六巻抄も等しく己心であり三学である。山法山規もまた同様である。六巻抄に至っては、第三で一回、第四第五第六で一回、そして第六で更に一回、都合三回三学が繰り返され、その上で事行の法門としての丑寅勤行に至るのである。しかも近代は第三以下は全く省みられなかった。それが三秘に依ったためであることは間違いのない処である。とも角宗門が三学に踏み切ったことは何より重畳である。筆者はこの巻頭言をそのように受けとめている。今後の動きを注視したいと思う。
 七百年の間、宗祖の残された己心の法門を、これ程までに下したものは、水島山田を除いては外に見当らないであろう。あまりにもみじめな敗北である。無限の長寿の上にあるべき法門の上で、二ケ年とは点にも当らない。その二ケ年先の見通しがつかなかったのである。これでは信者の指導など以っての外である。根底になるものが無かったということであろう。もう一度根底からやり直さないと、今の教学で立ち直ることはむずかしいであろう。
 己心の法門から、もっともっと大らかな法門を汲みとってもらいたい。日蓮正宗の僧侶であるなら、せめて百年二百年の見通しを付けた上で法門を立てるべきである。二年や三年で行きつまるようでは全く論らうわけにもゆかない。一人で御自由にやってもらいたい。折角力んでみたけれども、只一人の不信の輩の教化も出来ず、挙句の果てに反って折伏される破目になったとは、何ともお気の毒に堪えない。つまり肝心の法門が不足していたためである。その法門とは三学であり、己心の法門である。三秘をもって勝ち抜けると思った処に大きな誤算があったのである。これを教訓として大いに己心の法門を身につけてもらいたい。
 折角伝統法義と銘打ってみても中身がなければ意味がない。中身は必ず三学でなければならない。三秘は久遠名字の妙法には中々つながらない。委しくは常に繰り返している通りである。御両人は三学から出る本尊と三秘から出る本尊の区別がついていない。因果時節の混乱である。ここには明らかな差別が必要なのである。それを必要のない師弟の処に厳重な差別を設けている。それでは純円一実とも己心の法門ともいうことは出来ない。これは三秘からきた大きな誤りであろう。これでは名字初心とは全く無縁といわなければならない。
 名字初心の処から再出発することである。これだけが唯一の救いである。そこには必ず三学も己心の法門もあるからである。そこにおいて初めて戒旦の本尊にもお目通り出来るのである。一閻浮提総与の意味も、三秘に居ては絶対に解釈することは出来ない。まず時を知ることから始めることが肝要である。時のない処で仏法を称え、本仏をどこまで高く虚空に上げてみても、最初からそこは本仏の住処でないことを知らなければならない。その辺、御両人も大分見当違いをしているようである。まずは出直すに越した良策はないということである。
 宇宙に生命を求め、そこに仏法を見ようということは、少くとも大石寺法門の領域ではない。大石寺法門で仏法を称するためには、まず己心を通さなければならない。開目抄や本尊抄その他の御書から出ている仏法は、少くとも宇宙空間に法を求めるものではない。その生命も己心の上に浄化して始めて仏法といえるもので、無限の長寿であってもそれは宇宙空間の長寿とは別箇のものである。
 久遠名字の妙法や事の一念三千も、山田の伝統法義では宇宙の生命に結論を求めているのであろう。己心を認めないものに仏法などあろう筈もない。己心の戒旦を邪義というものが宇宙空間に建築物を求めるのは当然の成りゆきであって、大石寺法門を大きく逸脱している何よりの証拠である。これでは末法に入って戒旦を建造することになって、虎を市に放つごとしといわれた宗祖の叱責を脱れることは出来ないであろう。そして結果的には七百年の間なかった本寺に授戒の作きが新しく現われることにもなる。これは法門の改造であり新転換であって、最早七百年の伝統とは無縁のものになる。
 山田がいう伝統法門は自身が宇宙伝授の法をもって称しているのであろうか。その故に内容を公開することが出来ないのではなかろうか。己心を外れて久遠名字の妙法や事の一念三千法門はあり得ない。しかも山田は己心を外してそこに伝統法義を称している処を見ると、仏法もまたそこに建立し、戒旦もまたそこに建立しようということであろう。その戒旦が今正本堂と称されているのであろうか。これが御両人の狙う処であろう。
 六巻抄の第三以後は、久遠名字の妙法や事の一念三千が己心の法門であることを明されている。そして第五で明されたときは、結果は本尊に現わされているが、本仏の明される第四では、この両語は出ていない。即ち久遠名字の妙法と事の一念三千は順次に見る場合には未だ六巻抄には現われていない。未だ現われていない語から本仏を求めることは、どのような秘密の作きによるのであろうか。本仏は全てに先行するような大切なものである。その出生が模糊としているのでは全ての法門がぼやけてくる。何を措いても本尊や本仏の出生は明らかにしなければならない。それにも拘らず、伝統法義は一切これに関知しないのである。
 本尊本仏のはっきりしない処に仏法を称してみても、それは只空中に声ありということであろう。先生方の悪口雑言は、そのような中で現われるべくして出た悲痛なうめきであると理解している。仏法を称しながら、しかも本仏の出生を明かすことが出来ないのである。これで仏法を称する資格があるといえるであろうか。種脱一致法門の本仏は一体何れの処から出生したのであろうか。宇宙からといっても絞り込みが大変である。絞り込まなければ本仏とはなり得ない。
 己心の戒旦を邪義と称しても、正本堂こそ真実の戒旦というためには御書の障壁があまりにも大きすぎる。少くとも取要抄の三秘のあり方から見て、戒旦のみが建造物として現われるようなことはあるまい。むしろこの三秘は、三学の上に現われた戒旦の本尊の中に納まるべきもので、三秘の本尊よりは遥かに大きな規模の戒旦の本尊の内証を明されたものであるが、今は戒旦の本尊と三秘の本尊とが自由自在に交雑して使われている。三学と己心の存在が薄れたためである。
 取要抄の三秘の中の戒旦は建造物に変ずるようなことはあり得ないであろう。戒旦の本尊の中に戒旦・本尊・題目の三が収まっているのは取要抄の意であるが、今は三秘の本尊の中に他の二が収まっているという解釈の方が強いようである。戒旦の本尊がはっきりしないために、このような解釈が出るのであろう。これは五年間の成果の中に明らかである。少くとも取要抄の三秘から戒旦のもを独立顕現することは出来ないであろう。これは己心の上に現われている故である。正本堂の裏付けに取要抄の三秘が使えないことは、何としても大きな痛手である。
 種脱一致法門は本仏出生の秘密を明さなければ、法門として登場することは出来ないであろう。ここが腕の見せ処である。御本仏日蓮大聖人の前の段階であり、第一関門ともいえる処である。山田がいう処の仏法とは新仏法であり、新本仏である。誠に紛らわしい限りである。その新仏法や新本仏が宇宙空間に誕生しても、それは大石寺法門とは全く関係のないものである。それは風のごとくに起り、風のごとく消えて去っていった山田法門が、何より証明している通りである。僅か二年、五年で影も形もなくなってゆくようなものは、仏法とも本仏ともいうことは出来ない。それ程山田法門は根拠が薄弱であったのである。それでもあの威勢のよさはつい巻こまれる処がある。台風一過とでもいう処であろうか。民衆が大地の上に立っていることを忘れたのが、本の始まりであろう。
 やがて山田法門は霧のごとくに消えさってゆくであろうが、大日蓮の上には記録として残されてゆくのである。それをもって山田水島ももって冥すべきである。チンプンカンプンなのは、本尊と本仏の居所が違っていることである。お気付きであろうか。出来ることなら同じ所にあって同じ法門を語りたいものである。法門はゆとりをもって語る処に意義があるのではなかろうか。追いつめられた緊迫感の中で法門を語り考えること地体無理である。
 さて、この巻頭言をどのように受け取ればよいのか、一応自分としては素直に受けたいことは前述の通りであるが、しかし宗門には水島山田というような種脱一致法門を持っているものが居るので、或る種の警戒は必要であると思う。摺り替えのきかないことが確認できるまで最終的決定はおあずけということにしておきたい。報恩抄説法をもってこれを読むか、水島ノートをもって読むかでは真反対の結果が出るからである。しばらく時を待った方が賢明かもしれない。最後の興師の引用文も、以前のように師、弟子ではなく、師弟子の法門の意味に使われているようには思われる。しかし、同じ大日蓮には師、弟子を正す派のノートも載せられているのであるから、且らく結論は時を待ちたいと思う。
 信仰という語が何回か使われているが、この語は信者側に立った語ではあるけれども、巻頭言からすれば「仰」の字の必要はないと思う。ここでは信仰の根元になるものに触れているのであるから、「信」のみの方が権威があるのではなかろうか。使われた信仰の意義は、むしろ信仰以前のものを決めようとしているように思われる。宗旨に関わる問題ではないかと思う。山法山規が力を発揮しているのは僧侶に関わるものが強いようである。本来宗旨は不動であるが、宗教は時により人によって多少の動きがあっても或る程度許される面がある。巻頭言はその意味で、宗旨に関わるものと解したい。信仰といわれると急に気合を抜かれたような感じを受ける。特に当方では専ら己心を唱えているのであるから、一気合抜かれた感じである。しかし今の三秘の扱い方からすれば信仰の方が似つかわしいようである。そのために信仰の語が自然と使われたのかもしれない。
 「唯授一人の血脉法水御所持の御法主上人」の語も、三学の立場から使われているのであれば異論はないが、もし従前通り三秘の立場から使われているのであれば、大いに異論を申し上げなければならない。御法主上人の御指南といわれても、三学を基本とした御指南と三秘による場合とでは真反対に出る場合がある。
 「大聖人の仏法を正しく拝」するためには、三学に依らなければならない。山法山規は三学に依るもので、信仰を山法山規とすることには大いに異論がある。三学の陰で己心の法門が作いている処に大石寺法門の特異性がある。今はそれが失われたために問題がこじれているのである。そして大勢が宗旨から宗教に移り、信仰が宗門を掩って来ているのである。そしてその極限の処で己心の法門が邪義という処まで来た。己心の法門を邪義と決めるためには宗祖との対決が必要である。御本仏日蓮大聖人の仏法といい、日蓮正宗を称しながら己心の法門を邪義と決めることは出来る筈もない。先にそれらのものを捨棄したあとに、邪義というべきである。
 若し己心の法門が邪義であるなら、大石寺法門は即時に消滅するであろう。本仏も本尊も成道も戒旦も題目も、そして一切の法門は即時に消滅し、二三の御書を除いた外は一切無縁になるであろう。それはそのまま新義建立であり、新宗開創である。今宗門はその道を選ぼうとしているのであろうか。その代表戦士が水島山田である。これは余程思い切った決意、悲壮感がなければ出来ない仕事である。しかし最新情報と巻頭言と併せ考える時は、必ずしもそうとばかりはいえない。むしろ今三学よりに帰ろうとしているのではないかとさえ思われる。
 三秘一本に絞られても、三学を立てる以外にはその出生を明すことが出来ない。それが戒旦の本尊・本仏等である。三秘を立てるためには、まず出生を明す処から始めなければならない。水島山田はどこに出生を求めているのであろうか。それが決まらないから本尊や本仏が不安定になってくるのである。本尊が不安定であれば宗門もまた不安定になるのは当然である。それは三学を三秘に切りかえた処から始まっているのである。しかしこの巻頭言と新情報によれば、既に宗門も三学復帰に切り替えたのではないかとも思われる面が強い。唯授一人も血脉も御法主上人も、三学以外では出そうもないものであるとすれば、三学への復帰は当然のことである。今ようやくそこに気付いたのである。気が付けば成道も本尊も本仏も健在なのである。
 今、三秘に終止符が打たれようとしている。そのために水島山田の悪態があったのである。復帰が決れば万々歳である。それにしても思い切った悪態を付いたものである。しかし山田の悪態は反って宗門が三学に帰るきっかけとなったようにも思われる。これは計り知れない大きな功績といわなければならない。逆即是順ということであろう。しかし迷惑しているのは御当人なのかもしれない。これが真実の迷惑法門である。山田教学も少し程度を上げた方がよさそうに思う。
 「山法山規の由って来たる基本精神」とは不可解の一語に尽きる。これは山法山規が解った以後のことである。この語を理解するためには、まず山法山規を知らなければならない。その意をもって山法山規について少しでも理解する努力をしてみたいと思う。これは今の三秘とは全く無縁のものであることに留意してもらいたい。
 「正法正義を広宣流布すべき」とは、三学からいえば内に向けられるべきものではないかと思う。それが外に向けられたのは三秘によったためであり、仏に仕えるものとしては内徳を積むことが先決であり、それによって徳化も成ずるものであるが、今は一向にそれが欠げている難があるのは専ら三秘によったためで、理がそのまま外に出たためであろうが、法門的には一旦事行として内にあって消化した上で外に出すべきもののようである。宗門としては山法山規がそのような役割を担当しているのではないかと思われる。
 三学を一旦事行の法門として見た処に山法山規がある。そのために実行して居りながら知らない、それが事行の法門である。文底の語とも密接な関係をもっているかもしれない。それを、いきなり外に出すために左右が反対になる。「逆も逆」というのがそれである。これは三秘の法門が逆であることを自ら告白していることに外ならない。つまり山法山規不在の故の語である。そのために内にあるべき三秘がいきなり外に出て、周辺と摩擦が始まるのである。それを避けるために山法山規が設けられているのかもしれない。これは山内に限られている処に意義があるものと思う。
 今は三秘が山法山規の力を掩いかくしているのである。山法山規に気が付いた事は、何としても大きな収穫であった。時をいえば正しく丑寅の中間である。山法山規もまたその丑寅の中間を本拠としているであろうし、己心の法門もまたそこを本拠として宗を建立しているのである。「正法正義を広宣流布すべし」とは己心の法門と解すべきであるにも拘らず、今では外相のみに解されている。或は受持の処かもしれないし、丑寅勤行もそうあるかもしれない。他に向う前に自ら確認する処に意義があるが、今は折伏も広宣流布も全て文の上をとっている。三秘による解釈が文の上即ち迹門形となって表われたのであろう。法門としては内に向うべきものと思われる。
 正月・七月の十六日の広宣流布など内に向けられたもので、その時は初めに完了を祝福している。これが己心の広宣流布の特徴である。これに対して今は専ら事後をとっている。文の上に依っているためである。三学によるものは文底となり、三秘に依るときは文上となって終りが祝福の時となるが、殆どその時はあり得ないものと思われる。末法の初とか名字初心とかいわれるときは必ず初に限られているのは己心の法門に依るためである。全て己心の法門に依っている大石寺法門に、初めがないのは何より不審といわなければならない。
 正法正義も外相のみではなかなか決めにくい面があるが、己心の上では即刻決めることができる。勿論他宗と摩擦を起すようなことはない。それを踏まえて後に徳化に依るのが己心の法門であり、山法山規ということがいえるのではなかろうか。山法山規は目に見えない処に特徴があり、しかも知不知に拘らず既に実行済である処は事行の法門に最もふさわしいものである。これは初めから条文にはならないもののようである。しかも目に見えないために、三秘の影響を受けることもなく、七百年続いているのである。
 明星池に浮んだ宗祖の姿を見るものはあっても、山法山規を目でたしかめることは出来ないであろう。これ全く己心に依る故である。若し宗門が三学に依るような事になれば、或る程度のものは見ることが出来るかもしれない。しかし、何が山法山規なのか、まずそれを決めなければならないけれども、条文で表わすものでもなければ、目で見るようなものでもない。それは己心のみが能く見るようになっているのであろう。三秘によってこれを目でたしかめることは到底出来ない相談である。刹那成道もこれを目でたしかめることは出来ないのである。本尊・本仏ともに己心をもってたしかめる以外、よい方法は見当らないことをもって、全てを了知すべきである。
 三学は体のごとく、己心の法門は用のごとく、一箇した処は師弟子の法門ということも出来る。三秘に在りながら目をもってたしかめることは到底出来ないであろう。体用から上行不軽、そして世間並みな師弟と、師弟子の法門は拡がっているように見えるが、今は世間並みな処に限って師弟子が考えられているために、法門としての昇華が拒まれている処は、三秘によるためである。
 三学には、知っていながら内に秘めている処にそのよさがある。取要抄の三秘はこの意であるが、ここでいう三秘とは三大秘法抄及び慶長以来の三秘を指している。即ち現在行われている三秘である。受持即持戒、受持即観心といわれる受持は三学によるもので、内に在って修行ともなるものである。謙虚をもって徳とするもの、水島や山田にはこれが第一に不足しているのは三秘による故である。これはやがて孤独に追い込まれるようになるかもしれない。若し三学によれば孤高に居すことになる筈である。
 口汚く罵り騒ぐのは内秘の徳のないことを宣伝しているもの、明らかに山法山規違反である。二十四回に亘ったノートが、内容的に如何に空虚であったかということは、誰が見ても明々白々である。一向に宗門の役には立っていないようである。今三学に出合っては星月の光を失ったごとくである。長い間御苦労なことであった。三秘による成果である。そこに孤独が待っているのである。
 道師の諌暁八幡抄の裏書の、「隠遁の思あり」とは、宗是として永遠に守るべき孤高の意であろう。そのまま主師まで持ち続けられ、後に寛師が六巻抄に復活の意を示されたけれども、あまり長続きはしなかった。道師は、宗祖身延隠栖の意をこのように受け止め、そこに宗是を確立されたのであろうが、今は跡形もなく消え去ってしまっているのが現実である。その故に他処ながら復活を叫んでいるのである。しかしながら、表面的には三秘になり切ったけれども、山法山規は潮のごとく増減もなく持ち続けられているが、只それに気付かないばかりである。そして三秘のみを叫び続けているのである。
 ノートの第八回目に己心の戒旦を邪義と決めているのは、明らかに山法山規違反である。「末法に入って戒旦を建立するのは虎を市に放つごとし」といわれた御真蹟の御書を踏みにじるものである。三秘によって強引に乗り越えようとしたけれども、三学の前には全く無力であったようである。厳しい「時」の障壁は越えがたかったということである。さて三秘の中で出発した護法局はどうなるのであろう。これは文の上に表われた広宣流布が主目標であるが、主師以前や六巻抄の広宣流布は文の底に秘して沈められたものであり、相違があまりにも大きすぎる。どのように会通するつもりであろうか。最後の決断の時もいよいよ迫ってきているようにみえる。今は只山法山規によってのみ法門が持たれているようである。目下の急務は山法山規を確認することのみである。
 異体同心という語が好んで使われる反面、師弟一箇の語は極端に斥われている。師弟一箇は三学によっているものと思われるが、異体同心は三秘の方に好都合なのか、近来は僧俗一致などと共に盛んに使われている。巻頭言ではどのような意をもって使われているのであろうか。山法山規以外の語は殆ど三秘による時の語が使われている。その点意味の取りにくい処がある。をいをい判るようになるとは思うけれども、いかにも巻頭言には意味深重なものを持っているようである。
 「かつ唯授一人の御法主上人の御指南によってのみ大聖人の仏法を正しく拝し、信心修行をして行くことができることを考えてみる」とはどうみても三秘によっているとしか思えないが、若し山法山規乃至三学の立場から読めば、これまたそのまま通じるものを持っている。言語文章の魔術とでもいうべきか。三学によるか三秘によるかでは、解釈は真反対に出る恐れもある。本来は三学から出ているものであるが、今は専ら三秘によって使われているので、簡単に決めることは困難ではないかと思う。山法山規の本で使われているのであれば、格別異論のあろう筈はない。「唯授一人」も、今の考えのような三秘からは出るわけもない。これは必ず三学によってのみ出る語であるし、「大聖人の仏法」も同様であるが、今はこれらを生み出す力のない三秘の処で使用されている処に異様さがある。これはいうまでもなく種脱一致方式の所産である。説明の消えた部分は専ら山法山規がこれを補っているのであろう。
 「唯授一人の御法主上人」が三秘の上に使われるなら、極端な差別を生じるが、これでは化儀抄第一条及び引用の一乗要決の趣意にも背くことになるし、己心の法門にも背向くことにもなる。やはり無差別の上に使うべきものである。宗旨は無差別であるが、宗教のみが先行すると極端な差別をとるようになるのは、時の混乱によるためであろう。宗旨は必ず確認しなければならない。そうなれば無差別の上に一応差別をみることになるので極端な差別を生じる恐れはない。そのために三学が必要なのである。己心の法門には決して差別を生じるような事はない。
 「大聖人の仏法を正しく拝」するためには、まず時を学さねばならない。時が決まらなければ仏法はあり得ない。今最も必要なのは時であるが、三秘にそのような時があるとも思えないが、何によって時の在ることを証明するのであろうか。何をおいても己心の法門の確認が先決である。そうすれば自ら山法山規も働き、仏法といえる状況にもなるであろう。今の時はどう見ても在世末法の時である。速かに滅後末法の時に切り替えなければならない。そのために己心の法門が必要なのである。好意を持ってみれば、「山法山規について」と最後の一行からは、三学によっているようにも受けとめられるものがあるが、真意はどこにあるのであろうか。
 三秘の上に成り立っている種脱一致法門には、どうみても時があるとはいえない。二つの相異った時が同時に存在し、そこに法門を建立するのは無理である。種脱一致法門の最大の難は時の無い事である。そのために本尊や本仏が不安定なのである。仏法を唱える前に必ず時を決めなければならないことは、撰時抄に示されている通りである。三秘からこのような時を見出すことは、恐らくは出来ないであろう。
 大聖人の大も報身如来を表わすといわれている処を見ると、仏法と同じく滅後末法の上に成り立っている語である。共に己心の法門によってのみ生じる語であることに留意しなければならない。己心を邪義と決めては、本仏も本尊も出生の場を失うことになる。そこで既に出現しているものを理屈抜きで脱の場へ持ち込んでくるのが種脱一致法門である。結果的には脱の世界にあって本仏や戒旦の本尊が出現するようになる。これは時が失われたから、そのような事が可能に思われるのである。暴走はここから始まるのである。ここで若し三学がきっちりとして居ればそのような事はないが、三秘は一本になりやすい性格を持っているようである。
 止むに止まれぬ日本魂と一脈相通じるものがある。これも南北朝の頃、己心の法門が地下にもぐり、孔孟の教と合体したあと己心の法門が失われて孔孟の教の上に再現される時に出来上がるのかもしれない。それが最高頂に達した頃、三大秘法抄も出ているようにいわれている。そして民衆思想の台頭も殆ど同時であるが、何れも己心の法門を根本としていることは同様である。
 この法門をもって一宗を建立しているのが大石寺である。その点では、どうしても三秘一本に絞られやすいものを内在しているようであるが、それでも三百年間は何んとかそのまま持ち続けられたようである。そして三学を再興しようとしたのが六巻抄である。その意味は文段抄には薄弱なようである。そのために三秘をもってよめば三秘として使えるのである。ここ数年大いに利用され、一本に絞られたのもそのためであるが、結果的にはますます三学離れが強くなり、今では辛うじて山法山規が規制しているのみであるが、これも既に限界に達しているように見える。
 山法山規といえども三秘による暴走は止められないということである。左するか右するか、今その岐路に立っているのである。最後の時を迎えて、宗門は三学の方にかえる通を撰んだものと、今回の巻頭言を読みたいものである。三学には鎮静するものを持ち、三秘には暴走するようなものを持っている。三秘の率が少しでも多くなると暴走が始まるように思われる。そのために戒旦の本尊も三秘も長い間御宝蔵の奥深く収められていたのであるが、遂に押え切れなくなって御宝蔵から動座されたのである。そこには目に見えない時が動いているのである。この時に気が付かなかったのは、何んとしても迂濶という外はない。今は三学の時即ち滅後末法の時に帰る最後の機会のように思われる。大いに眼を開いてもらいたい処である。
 水島や山田は飽くまで現状維持の方針のようであるが誠に危険一杯というより外、いいようのないところである。いつまで続くということであろうか。やはり自分としては、宗門が三学に踏み切ったと見られない理由も、そこにあるのである。三秘をそのまま続けるか三学に帰るか、道は二つであるが、必ず一を撰ばなければならない。ここが思案の遣り処である。いうまでもなく本仏や本尊、そして成道のはっきりした処の道を撰ぶのは当然のことである。「夫れ仏法を学せん法は必ずまず時をならうべし」と云云。
 最近の或る話によると、僅か十人許りの信者が抜けたことで、何か事をこじらそうとしている向きがあるということであるが、今年度は正信会も宗門もともに折伏と広宣流布を目標としているようであれば、十人抜ければ百人千人と増やせば、反って災い転じて福となり、正信会の目標の線にも添うことになる。折伏広宣流布をすることもなく、ただ抜けた事のみを慨くのはどのようなものであろう。災があるから福があるんだということは、法華の折伏精神に法っているが、ただ慨くのみでは、所属団体の基本方針にも背反することにもなる。このような時こそ大いに勉強する必要がある。そして徳を磨けば信者は自ら周辺を取り囲むことにもなる。折伏は外へ向ける前に、内に於いて完成させることが先決である。今まで三秘一本でやってきたのが災の本源になっているようである。最後には宗義にも関係なく我が身一人の欲望のみに絞られてくる。それは今宗門が迎えようとしていたものと全く替りはない。
 速かに三学に切りかえるなら、明らかな光明も得られようというものである。いつまでも三秘の中にいても光明を見出だすことはあり得ないであろう。その光明を捉えるために徳を培うことが必要なのである。既に宗門も三学に山法山規に切り替えようとしている時、少し時代錯誤という感じがあるのではなかろうか。既に時は替ったのである。その時を作るのは、実は僧侶自身でなければならないと思うが、これは全く逆である。まず頭の切りかえから始めてもらいたい。そして無言の折伏が出来る程その徳を磨いてもらいたいと思う。徳が備われば信者は自ら蝟集するものである。今は徳化の折伏を迎えようとしているのである。何はともあれ、他に依存することなく、自らの力をもって開拓してもらいたい。
 大石寺の信者には常に求めようという欲求が他宗よりは強い。それは本来の宗義において答えられるものであるが、三秘にはそれに付いて答えられるものがあるかどうか、これは考えさせる問題である。そのためにも三学に帰らなければならないのである。三学には必ず自らの力で要求を満たすものを持っているからである。正宗僧侶の本来の在り方もまたそこに在るのではなかろうか。大いに眼を開いてもらいたい。
 「山法山規について」の巻頭言は異体同心を取り上げて宗内の結束を固めようとしているが、ここは宗義の根本を三学に置いた上での事とお見受けした。異体とは体各別である。それを前提として同心と称しているので、三秘で使った方がふさわしい面があるが、今回は三学と受け止めて差支えないのではないかと思う。それ程巻頭言全体に三学の雰囲気が満ちているのである。そのような中でこそ唯授一人とか異体同心も生きて来ようというもの、三秘の中ではその真実を発揮することは困難である。最後の一行も山法山規と合して、大体において三学の側にあるものと考えられる。三秘で読めば師弟各別となり迹門に近付くことになり、三学の上に読めば師弟一箇となる。まず時が先行することが条件である。
 三秘の場合は、どうしても宗旨につなげることは困難である。宗教を本とし、仏前法後の中で展開するために、迹門形をとるようになってくると遂に時節の混乱を招き、肉身本仏論にまで発展することは末法相応抄に示された如くである。そして迹門形をとりながら、しかも迹門に本仏が出現するようなことにもなるのである。今の宗門の伝統法義は時節の混乱の一語に尽きるものと思われる。悪口雑言はそこを本拠として出ているのである。山法山規により三学によってその本源が除かれるなら、悪口は即時に消滅すること請合いである。
 御両人も時節の混乱のために、自分が何を言っているのか分らないのではなかろうか。若し宗門が巻頭言の処に帰るなら、御両人は何れに落ち付くつもりであろうか。或は掌を返すように三学に帰るつもりであろうか。とっくりとその帰向のさきを拝見したいものである。巻頭言も、今いうが如くであれば既に戦は終ったのである。しばらく二人の出方待ちという処である。とりあえず、大日蓮の六月号を待たなければならない。今日六月四日、既に発行されているかもしれない。
 化儀抄の第一条と最後の一乗要決の文、或は涅槃経の文の二箇条を読めば、化儀抄全体は法華文底を示されたもの、即ち己心の法門として純円一実の処、無差別の意をもって読まなければならない。「山法山規について」も同様である。今もこのような型は初めて高座をゆるされる時のものとして厳重に残されている読み捨ての文であることが、これまた山法山規の中に加えられている。第一回目の時は必ず読み捨ての文が要求されている。その初の一字に意義があるように思われるが、その内容については一切不明である。或は逆次の読みの意も含められているようにも思われるし、初めと終のみでもその意は充分に達せられていて妙である。
 詳しいことは不明のまま昔ながらに守られているのである。古い天台のものや相伝書と思われるものにも常に使われている手法である。最後の文意が分らなければ全体の意味が分りにくい場合もある。ここは宗門としての或る相伝をもっているかもしれない。既に山法山規として活用されているのであるから、あまり根掘り葉掘りすることもあるまい。意味不明のまま絶えることなく受け継がれる処に山法山規として既に役目は充分果しているのである。
 巻頭言の最後の文もまたその一例なのかもしれない。その意味でも、ここは師弟子の法門即ち三学と読まなければならない処である。師、弟子を糾すでは差別が目障りである。それは三秘をもって読むためである。そのために肝心の文底法門が消されるのである。順次に読めば文上であり、逆次に読めば文底である。それが山法山規として儀式化された処に読み捨て文の意義があるのかもしれない。
 新説免許の時、文底法門に拠るべき処が儀式化されたとすれば、師弟子の法門は間違いなく今も伝えられている。これを新説免許一回限りで、次の日から三秘では己心の法門というわけにはゆかない。文底極意の処を捨ててしまっては困りものである。第一回は師弟子法門受持を本仏・本尊の御前に誓っている姿ではなかろうか。一回限りでは久末一同ともいえない。広宣流布と同じく第一回目即ち初の処に意義がある。本末究竟の一つの現われなのかもしれない。余程の改革がない限り、いつまでも続けられることであろう。
 水島や山田の考え方には、新説免許の日の誓いはかけらも残されていない。それ程受持は困難なのである。しかも己心の法門では受持は完了している程の大らかさを持っているのである。この意をもって「一閻浮提総与」の解釈をすれば、或は可能なのかもしれない。山法山規にも、このような大らかさを持っているのであろう。そのために条文化の必要は全くないものと解されるのである。
 巻頭言も、知ってか知らずか、このような型にはまっていることは興味深いものがある。ここまでくれば、「とやら」の必要もないであろう。「とやら」や「輩」に夢を求めてみても、所詮は夢中の権果を一歩も出るものではない。凡そ法門とは無縁の世界であることには、まだ気が付かないのであろうか。
 今振り返って見て、御両人が如何に智恵の無駄遣いをしていたかが分る。そのような隙があれば、荘周胡蝶の夢をいかにして事行の法門化するか、ということに智恵を廻した方が遥かに優れていたようである。先生方も少しはこの巻頭言を見習うとよい。既に三学に向って心が動き初めた印なのかもしれない。委しくは是非御両人の註を見たい処である。
 二十四回のノートにも、頷けるものは只の一回もなかった。満足したのは当人のみということでは一向救いがない。益々深みにはまって流転々々ではどうにもならない。これでは本法に立ち還ることも出来なければ、本末究竟も無縁である。いくら力んでみても流転の中に本仏や本尊が顕現されるわけでもない。所詮は無駄な努力である。それよりかこの巻頭言を縁に速かに三学に立ち還ってもらいたい。そして己心の法門を見出だして流転を抜け切ることである。
 五百塵点はいくら繰り返しても五百塵点である。そこには二乗作仏もない。ここに本仏が出現するなどということは考えない方がよい。十二因縁はいくら繰り返してみても、流転を一歩も出るものではない。山田法門はそのような中に立てられているのであるから、還滅が逆も逆、真反対に見えるのである。水にくるくる水車、くるくる廻れ水車、廻るばかりが能ではない。その水車も刹那に捉えるならこれを止めることも出来る。そこに己心の世界がある。山田の智恵は、自分が同じように廻って水車が止まったとしようとしているのであろうか。これは出来ない相談である。吾々はそのような幻想には付いてゆけない。ただ覚めるのを待つのみ、不覚仁の御相手は真平である。大日蓮の訂正破棄は出来ないから、あまり品格を下げるようなことはしないことである。
 同じ五月号には水島の不軽論も載っているが、これまた見当違いである。三秘によっているための在滅の混乱であろう。「逆も逆」方式である。文上の所論をもって文底と感違いしているのである。今水島が依って立てている三秘説は辰師の説なのかもしれない。時を除外した説をもって文底に擬することは出来ないであろう。不軽を論じるなら、まず時を定めるべきである。下しながら而も辰師の説の擒になることは、どうも頂けない。
 文上の所談を一歩も出ていないのが水島説く処の不軽である。どうもこの人には文上を文底と読む悪い癖があるように思われる。その基本になる三秘観がどのようなものかということになると、全く雲をつかむようである。辰師流のものが根本になっていることは想像出来るが、その後三鳥派や異流義派などのものも影響を与えているであろうし、明治以降も独自の発展があったことも容易に理解出来るが、詳細を知ることは容易でない。そこに水島山田独自の三秘観がある。本人にも信じることよりの外、理解することも出来ないのではなかろうか。ただ三学や己心の法門でないことは事実である。ここまでくると、個人的な発展の可能性があるし、そこに水島と山田の間にも異りがあるようである。
 今はただ己心の法門や三学でないことをもって考えることにしているようで、この意味で、凡そ仏法とは言い難いのである。それらの考え方をもって綴られてきたのが水島ノートである。逆次に読めばはっきり出るとは思うけれども、今はその必要も認められないので、委しくは後の研究家にまかせることにする。その独自の三秘も既に行き詰まりがきたように思われる故である。
 末法相応抄の趣意とは真反対の処にあるのが以上の三秘観である。そこに己心の戒旦を邪義とする異様な説も登場出来るのである。そして「三大秘法の根源たる本門戒旦の大御本尊」の中の戒旦へ直々つなげるのである。しかしこの戒旦は「大御本尊」の修飾語であって、別立するようなものではない。即ち三大秘法の根源たる本尊が基本であって、三大秘法以下は全部本尊にかかっている語である。そのあたりに何かくしゃくしゃしたものを内蔵しているのであろう。
 三学でよめば「戒旦の本尊」そのものであるが、三秘でよむために複雑になるのである。戒旦・本尊・題目の中央の本尊の処に結果は現われているのが現実であることは、三学と三秘の、時の混乱によるところである。在世と滅後の混乱である。末法相応抄はこの在滅の混乱を誡められているのである。この在滅に背いては、六巻抄は読めない筈である。六巻抄に見向きもせず、専ら文段抄による理由もそこにあるのであろうが、文段抄は六巻抄から立ち還って見る時、初めてその真実が現れるものである。そのあたりに読み損じがあるようである。
 時のない仏法など始めからあるわけもない。しかも水島山田説は時を無視した処に仏法を立てようとしているのである。それが自ら今の困惑を招いたのである。悪口許りで乗り切れない理由もそこにあるのである。その時を知ることが即ち仏法なのである。時のない処に仏法を見ようと思うこと地体無理である。末法相応抄の文の底をじっくりと見直し読み直してもらいたい。当時の三秘を切り返すために、寛師は時をもって対処せられたのである。肉身本仏は末法相応抄からは出る筈もない。肉身本仏は三秘から、自受用報身は三学からというのが御深意であると思われる。自受用報身は弟子が決めるものであるが、肉身本仏には最初に宗祖自身の決めたものがなければならない。
 「三大秘法の根源たる本門戒旦の大御本尊」を三学で読めば本尊は戒旦の本尊であり本因の本尊であるが、三秘で読めば本果の本尊となって中央の本尊は戒旦と題目の二を収めることになる。今はこの意によっており、水島もこれに依っているのである。取要抄からは三学から三秘が出ているが、この三秘が独立して三大秘法抄となれば、三学が消えてくる、そのような中で消えた筈の三学が働く時に今の三秘説がなり立っているように見える。
 本来文上の所談であるにも拘らず、影の三学を生かして文底と解する、それが今の三秘である。陰の操作は一切表にあらわれないのである。種脱一致方式と何等異る処がない。そのために文上と文底とも区別が付かない。そのような中で水島説は展開しているのである。見れば文上に出ているのに、御本人は文底と信じているのである。そして流転を繰り返している時、阿部さんは既に三学に立ち還ろうとしている。二十四回で終るのかもしれない。そこに流転の哀しさがある。同じ大日蓮の始は三学、終は三秘という異様なことになった。これはどうみても師敵対である。活字をもって師敵対が眼前に展開したことは、大日蓮始まって以来の大事件である。御本人はどう受けとめているのであろうか。
 「唯授一人の血脉御所持の御法主上人」、「御法主上人御一人」、「唯授一人の御法主上人」などと、日顕上人が出ていない処は興味深いものがある。大分の配慮があったものと思われる。この「御法主上人」は三学の上に捉えようとしているこのとがわかる。それは師弟一箇の法門である。三秘は必ず師弟各別を要求するが、ここには師弟一箇と見られるものをもっている処に苦心の跡が見られる。山田や水島はどのように解しているのであろうか。
 不動なるものをもって本尊となすという語を見たような気がするが一向に思い出せない。或は自分でそう思っただけなのかもしれない。岩盤・巌窟に仏像を彫刻するのも一つにはそのような意味を持っているであろうし、長寿を求めようとしている処もある。金仏も亦その意は同じであろう。大石寺の楠板の本尊も、楠変じて金となるという処が大切なのである。今は何故か金は金でも銭と変じたようである。寛師には勝れたるを本尊となすべしという語があったかもしれないが、不動もまた勝の内に入るべきものであろう。今の本尊の解釈には、不動という面は欠けているようである。長寿と不動とは非常に近しい間柄にあると思われる。
 今最大の課題は、戒旦の本尊を本位に還すことである。本来己心の法門の中で刹那に成じた本尊は一切の恩讎を越えた処にあるもので、世俗の煩わしさから抜け切った処にある筈のものであるが、今は世俗の唯中に置かれているような面が強い。世俗の煩わしさを超過している筈の本尊が俗の中に利用されているようにさえ見える。そして世俗の中に強く置かれている。
 己心に立ち還れば本尊は実に大らかであるし、山法山規にも大らかさがある。これは己心の法門としての証拠であるが、これが一旦三秘によって外相一本になると真反対となるので、今真反対に出ているようなことは、全く考えられていないのではないかと思う。あまりにも世俗的な問題に利用され過ぎているようである。この本尊を本位に返すには己心の法門を取り返す以外によい方法はない。もし取返すことが出来るなら一切の難問は即時に解決である。これほど簡単なことはない。それが出来ないから色々と混雑しているのであるが、これも最後の時が来ているということではなかろうか。
 刹那に出生した本尊は刹那の処にいるのが最もふさわしいことであるが、三学が三秘に変わったための混乱であるなら、三秘を除けば即時に安定することはいうまでもない。金を守ることも重要であるが、それにも増して本尊を本のまま守ることは更に重要である。色も変わらぬ寿量品とは本尊に関わることであると思う。利のみを追求することは己心の法門の領域ではない。その点は、三秘には大きな幅を持っているようであるが、宗運を賭してまでそこに集中することはないように思う。しかも利のみを追求しようとする「とやら」は、飽きもせず性懲りもせず猪突を繰り返しているのである。
 法門の時と現実の時も分らないでは、何をかいわんやという事である。止まれば前には三秘の時があり、後には三学の時が迫っている。時の板挟みを、どのようにして抜けきるつもりであろうか。時の混乱もここまできているのである。悪口のみで抜け切れないことは既に体験ずみであろう。下司の智恵をもって仏智恵に勝っているなどとは、考える程愚である。自らの限界を知ることのみが、よくこの苦境を乗り越える唯一の方法である。悟りもまたこのような処にあろうというものである。つまりは時を知ることである。時を知ることによって始めて仏法の悟りも開けようというものである。
 浮動する本尊を安定すること、それは自らの悟りであり民衆の悟りにもつながるものであろう。これが今差し迫っての問題である。そのために三学や己心の法門が必要なのである。この二によって始めて三秘が出ていることは取要抄に示されている通りである。三大秘法抄にはその出生が明らかにされていない。そして成道も本尊も本仏も、何れも出生については不明である。本因に宗を建立する日蓮正宗で、本因に属する肝心の部分が不明では、その根本が明朗を欠くことになる。
 今は三秘が根本になっているが、古くは三学が根本であった。そしてその根本となる部分については充分に絞られているので、そこには一宗建立の下地は充分に具備しているが、今の三秘については絞りが充分とはいえない。その上、三学も当然必要であるにも拘らず、これまた不充分である。三秘によって宗を建立するためには、それだけの絞りを用意しなければならない。
 三秘をもって正宗が建立されていると思えるのは、隠れた山法山規によるための故である。今のような貌の三秘や本仏本尊のみで宗が建立されるとも思えない。山法山規といえば、当然三学・己心の法門が控えている。今のように三秘のみで一宗を建立することは出来ないであろう。邪義という名のもとに抹殺しては、三秘は孤独になって、宗の存続は困難になるのではなかろうか。
 己心を捨てれば即時に文上に法門を建立することにもなる。それでは、口にいくら文底法門を唱えてみても矛盾のみが残ることにもなる。矛盾は宗の建立には最も障りになるものである。宗門はそのようなことは言わないのであろうか。三秘は本尊の出生を明かすこともなければ、次を出生せしめるものも持っていない。その点で、三秘のみによる一宗建立は出来にくいように思う。その意味で、今は隠された山法山規を確認することが最低限必要なのである。その最後の時にあたってこんどの巻頭言を見たことは、仏意という外はない。
 山法山規は穿鑿すれば一宗存続するに必要なものは充分に備わっているので、あとはそれを確認することのみである。これが分れば、そこには仏法の世界もまた自ら開けようというものである。つまり時が自然とつかめたのである。そのために己心の法門も自然に開けるので、こんどは己心の法門を邪義というわけにはゆかないであろう。次は三学と三秘との比重が変ってくると、まずは安泰ということである。お判りでしょうか。真実山法山規が捉えられたのであれば格別何もいうことはない。しかし水島や山田の悪口雑言では、一歩も引き下がることは出来ない。真俗の混乱は避けてもらいたい。これまた時節の混乱の故である。時がつかめても時の感じもないであろうが、改めてじっくりと時の重みを味わってもらいたい。それが上代に通じる唯一の道であることも味しめてもらいたい。当家が分ってから台家を学べという当家とは、まず時を知ることから始まるものと思う。
 平家物語(岩波日本古典文学大系本上ノ一四四)を読んでいた処、次のようなものが目に付いた。即ち「大師は当山によぢのぼって四明の教法を此の所にひろめ給しよりこのかた」と。この「四明の教法」がどのような意味をもって使われているのであろうか。叡山が四明流に固まった以後、知礼の教法の意味をもっているとすれば非常に興味が深い。平家物語が出来た最初が鎌倉初期ということであれば、当時叡山では四明流が大きく根を張っていたことになり、その教養をもった天台僧の手になったということになる。伝えられるように、従義流は初めから関東を基盤にしていたことも考えられる。内容的にも従義流と思われるものは、全体を見ても見当らない。やはり当時の叡山が四明流の教法で大勢を占めていた証明になるものと受けとめたい。
 宗祖が「京なめり」というのも四明流であり、「根本大師門人」と称しながら従義流に絞った意味も理解し易いと思う。そのような中で、この「四明の教法」の語は貴重な数少い資料の一つである。関東と京と、従義と四明と、各土地柄がそのような色分けをしたのであろう。宗祖のような考え方は、四明流の中では育たないと思う。何れをとるかということは伝教以来の懸案であったが、一乗要決までは同じ線であったのではないかと思われるが、その直後末法に入ってから急に論議に熱がこもってきて、更に曇鸞も加わって複雑になったのではなかろうか。
 法勝寺の御八講では証真が大きな力を持っているようであるが、大勢が四明によっているためであろう。法勝寺などの六勝寺が従義流というようなことは始めから考えられない。法隆寺や興福寺からもこれに加わっている処からすれば、奈良も次第に四明流に同化されたであろうと思われる。そうなれば従義流は関東を基盤とすることは当然のことで、関東人の気風にも最も叶っていたであろう。京の方面にあって、地下に従義流が拡がってゆくのは元弘以後のことではないかと思われる。
 大石寺が今三秘一本に絞っているのも、多分に京なめり風なものを持っている。本は従義流であっても解釈された結果は四明流に近い処がある。三大秘法抄が大きく発展したのも京であった。そこに取要抄の三秘が三大秘法抄に発展してゆく下地があったのかもしれない。大石寺に現在入っているのは京で発展した三秘である。滅後三百年三秘について京なめりが大石寺に入って今に続いているのである。この点京なめりについて反省の必要があると思う。大石寺は京なめりになりて候ぞということになっては、宗祖に対して誠に申訳ないことであろう。
 宗祖は一貫して従義流によっていることは、註経も御書も同様であって、四明知礼及びそれを伝える弟子等については一回も引用がないし、証真も同様である。それがいつの間にか四明をもって解されるようになったのである。そのために門下の教義が大きく変化したので、解釈の付けにくくなったものも少なからずあると思う。そうして古いものが次々に消されてゆくのである。
 さて、叡山が四明流に変った中で最も大きな問題は、日本における眼前の末法放棄である。その中にあって叡山では像法転時という語も生れて、これは今も続いている。法門の上では像法の延長である。これに対して法然は目前の末法はとらなかったけれども、曇鸞を受けることによって末法に入っている。この点は叡山とは少し趣が異っている。しかし浄土宗にはまもなく一念義が起ってきて、その頃には滅後末法の考えが表われたのであろう。その点一貫して滅後末法をとったのは宗祖一人のみであった。しかし、日蓮正宗が滅後末法によっているか在世末法をとっているか、むしろ表われた処では迹門流なものが少なからず目に付くようである。これは一番弱い処である。速かに滅後を根本とする処へ落着いてもらいたいものである。
 三つの時が混然とすると、信ずる者も迷惑することにもなる。何をおいてもまず時を一つにする処から始めなければならない。今の宗義は時について全く捉えがたいのである。時がばらばらであるために、水島山田の説が一向に筋が通らない。つまりそのために言葉のみに片よって内容について迫力が伴わないのである。内外相応して始めて迫力にもつながってくるのである。一言でこれを時節の混乱という。
 四明流の盛んであった叡山に宗祖が勉学のために登ったということも、何んとなし時の流れに相反するものがあるように思われる。むしろ教義そのものが変っていることの表示と見るべきではなかろうか。詳細は分らないにしても、以上は平家物語が出来た頃には、叡山には四明流が盛んであった資料にはなると思う。
 また法然の多念義は僅かの間に一念義を生じるようなことになったが、多念義は曇鸞からの直伝と思われる。これに対して一念義は、一乗要決から逆次に往生要集を見た時、出ているのではないかと思われる。その点では一乗要決の純円一実に直結している久遠名字の妙法との間には可成りな距りがある。
 六巻抄に示された一言摂尽の題目と、略挙経題玄収一部の題目との違いは、一念義と多念義にはそのままあてはまるものであるが、法華から出た一言摂尽の題目と、法華から出た一乗要決を経て往生要集によった一念義との間には少々の違いがある。そこに一念義が己心の法門を守り切れなかった問題を含んでいるのではなかろうか。
 そして最後に一乗要決を捨てて往生要集一本に絞るようになり、いつのまにか浄土の法門から己心の法門が消えて痕迹のみが残り、己心の弥陀が別な意味で使われるようになったということではなかろうか。三学に依った大石寺が三秘に変って痕迹のみが残っているのと、やや似たようなものを持っている。唯心の浄土が次第に西方の浄土に移動することも、根本はそこにあるし、急激に貴族化したのも、その部分は大石寺の今の在り方と似通ったものがある。
 只違う処は己心のとり方と依経による違いであるが、そのために本仏エネルギ−の出方もまた違ってきて複雑である。しかし何れも己心の法門が姿を変えて別な処で異状発展することには共通したものを持っている。己心の法門を元のまま保ち続けることが如何に困難であるかということは、余す処なく両者ともこれを示している。
 大石寺は今己心の法門に帰ろうという姿勢が表わされたようには見えるが、これは中々至難の業ではある。しかし帰らなければならないのである。現状を続けるか己心の法門によって三学を立てるか、民衆救済の意は三学から出発していることに意を向けて考え直すべきであろう。民衆とは信者以外の一般大衆を指していることは、一閻浮提総与の一語の中に最もよく表わされている。しかし今は三秘によるために、民衆の語には極端に反対しているようであるが、それは対告衆が自然と替っていったのである、そしてそこにおいて今のような異状発展が起ったので、決して法門の上の正当な発展とはいえないものがある。譬えば、己心の窓口が壊れたための異状発展とでもいうべきであろう。
 七百年の伝統を唱えるなら本来の三学・己心の法門に帰り、そこにおいてまず本尊や本仏の出生のところを確認すべきである。それが成道といわれるものである。今最もボヤケているのが本尊と本仏である。特に本因にあたる部分についてである。あまりボヤケるとここには或る種の危険を伴っているだけに警戒しなければならないのである。その根本のところは己心の異動による処であるから、当事者には全く分らないのが真実であろう。既に信不信のみの処に根を下しているからである。若しそこで金が渦巻いても決して不審の念は全く起ってこないのである。それはそれとしても、ここは恩讎を乗り越えて己心の世界に立ち還らなければならない。己心の世界とは既に恩讎を乗り越えた処にあるものである。刹那に恩讎を乗り越えた処に大石寺法門は成り立っているが、三秘には何となく世間の情臭を感じさせるものを持っているようである。
 山田や水島には、法門が三学により創り出されているなどということは夢にも思ってみなかった事であろう。そのために悪口雑言の限りを尽くしたのであろう。そこは善意をもって解釈することにしておく。己心に帰るか心に止まるかは自由である。己心も心も同じであるから心に止まろうというのであれば気の向くままにすればよい。若し同じであれば宗祖はわざわざ己心の字を使う必要はなかったであろう。若し心と同じならその「典拠」を示すべきである。己心のない処には山法山規はあり得ないであろう。御両人は山法山規違背の罪を犯しているのではなかろうか。若し犯しているのであれば、一日も早く気が付くに越したことはないが、その罪障の深さは、容易には気が付かないであろう。
 とも角総監が山法山規に疑を持ったことは水島流の無疑曰信ではない。その疑を次ぎ次ぎに解決して、一の疑もなくなった処で無疑曰信とするのは己心の法門の常道である。始めからの信のみに無疑曰信を立てるのは、心の法門に限るのであろうが、それは吾々には関係のないことである。しかし、水島流の無疑曰信には、盲信心に通じるようなものを持っている。も少し程度を上げないと、反って他宗から底の程を一度に見抜かれる恐れもある。その程度のものが毎号大日蓮に二十四回も連載されたのである。全く冷汗ものである。今年の暑さ凌ぎに、一度は目を通してみたいとは思っているが、なかなか実現しそうにもない。
 無疑曰信も巻頭言の一言によって見事に破折されたことは、何としても痛快極まりない処である。主張する処は真反対であるから、大いに悪口をもって酬いてもらいたい。二十四回に亘る極意の連載が一言をもって破折されたことを肝に銘じるべきである。結局は悪口だけはいつまでも大日蓮と共に残ってゆくであろう。批判は後代に委ねることにする。若し水島や山田の技倆が優れているなら、再び三秘が宗内を蔽うようなことがあるかもしれないが、三秘に依る限り上代へ帰ることは出来ないであろう。伝統法義を唱えてみても実が伴わないのは、筋を外れているからである。
 伝統法義とは三学と己心の法門によって出来ているもの、それが事行の法門ともなり、山法山規ともなって伝統法義となっているのである。宗門からいえば山法山規なら、衆生の側からいえば事行の法門である。決して別物ではない。しかも無意識の中に既に実行済みなのであって、ただ文字として整束したものがないだけである。束縛力については、文字には遥かに勝るものをもって、昔も今も同じように保ち続けられているのである。
 今程三秘の盛んな時でも何の影響もなく三学が続いてきたことは全く山法山規の力による処である。この山法山規は、世俗の金とは別に全く厳然と存在し、今後も存続するであろう。これが山法山規の長寿である。しかしながら、今の三秘にはその長寿が見当らない。これが第一の泣き処である。本尊にしても本仏にしても、何れも己心の法門から現じたものは必ず長寿を備えていることに意を留めてもらいたい。その長寿とは魂魄の上に刹那に成じた処の長寿であり、そこに宗を建立しているのが大石寺法門である。そこが日蓮正宗伝統法義との大きな違い目である。つまりは三学と三秘との違い目でもある。
 水島山田説が二ケ年の生命に終ったことは、依って立った三秘による故である。伝統法義もその生命が二ケ年しかもたなかったことは、余りにも短命であった。宗祖の義が正しく伝えられていなかったことを自ら証明して余りあるものがある。山法山規には派手な処は何もないが、七百年来昔ながらに伝わっているのである。それは三学に依って起ったものであるが、三秘の場合は或る時期に三学を切り捨てている処がある。そのために三秘の出生を明らめるこのと出来ない弱みがあり、それが二ケ年という短命に終った直接原因となっているので、声を大にしただけでは長寿につながらなかったのである。長寿を持たない本仏や本尊は凡そ無意味である。
 水島山田説も、厳しい時の前には崩壊せざるを得なかったことは、全て時の然らしめた処である。始めて三秘が伝えられて以来四百年間、今漸くその終末を迎えた処に大きな意義がある。「阡陌陟記」を書き始めた目的もそこに置いていたのであった。そして「大石寺法門と日蓮正宗伝統法義」に至ってその終末を見たのである。今立ち還って見れば、水島山田御両人の協力が大きな推進力になっていた。大いに敬意を表したいと思う。しかし、今後はその優秀な頭脳を山法山規や三学の研鑽に振り向けてもらいたい。所詮「時局法義研鑽」という名の三秘研究は、本来の宗義にはつながらなかったのである。
 己心も心も同じだという処から始まったが、結局別という結論が出た。三学を遮断することさえなければ、或はそのような事も与えていえばあるかもしれないが、三大秘法抄に始まる三秘では少々無理がある。己心は仏法の中にあるが、心をどこに見るか、仏法のようでもあるし、仏教ともいえる、また外道のようでもある。も一つ絞りの足りない処が気掛りである。仏法には何としても絞り切ることが条件である。現実のあり方からみて、心から三学を求めることには無理があると思う。大石寺法門は己心の法門の上に成り立っていることを自ら証明しているものと解釈しておくことにする。これであれば、三学や山法山規を除きさえすれば、三秘以後についてのみみれば一貫性を持っているようではある。しかし大石寺法門として七百年の伝統を誇るためには三学は不可欠である。
 三学から出るのは成道・本尊・本仏であって、三秘からこの三を求めることの出来ないのは最大の難点である。三秘による場合これをどこに求めているのであろうか。今の姿は他力に依っているようにしか見えない。自行自力によって始めて成道等の三を求められるのが大石寺法門の大きな特徴である。己心も心も同じと読んだ処に読みの浅さがある。若し真実同じなら、宗祖はわざわざ己心の文字を使われる必要はなかった筈である。
 水島流無疑曰信は明らかに三学を否定している。それは三秘によって始まった信心の上にのみいえることで、吾々は三学による信の上に無疑曰信を読んでいるので、始めから出処を異にしている。つまり、三秘による信心について水島説は成りたつものであり、信者を対象とした話をもって宗義と見ようとしている処に無理があるのである。法華取要抄に依る三秘によるのであれば、このような大きな誤りはなかったであろう。今は始まりが三大秘法抄によったために抜き差しならぬ混乱に巻きこまれたのである。尤もらしく引用文をもって盛んに批難をしているようではあるが、根本が信仰信心に依っているために、三学を崩す処までは行けそうにもないというのが現実である。恐らくは止まる処を知らないであろう。止まれば必ず敗北である。
 門下一般では三大秘法抄には疑問を持たれているし、大石寺法門にも根本的に相容れないものを持っている。作成された時期も南北朝の終った頃というのが一般の評である。四明流の考え方が根本になっているためか、運営される初期にその影響があったのか、宗祖の御真蹟に依るものとは大きく違ってくる。つまり宗祖の考え方の根本は従義によるものであり、これが古くは伝教にもつながって二乗作仏や三学、そして己心の法門とも現われるものであるが、三大秘法抄にはこれらのものが現われる下地がない。従義流を根本とした取要抄の三秘が、後世盛んになった四明流の考え方の中にあって出来たのが三大秘法抄であり、時流に投じるものもあって大きく浮上したものと思われる。それ程当時は四明流が本流を称し、力を持っていたのである。
 水島ノートには性懲りもせず、まだ中古天台などと書いているが、今もまだ日蓮正宗の中には根を張っているのである。六巻抄には、伝法護国論や玄旨壇秘抄から出たもの、等海口伝や天台名匠口決も引かれている。これらのものを捨ておいて目前のもののみ破してみても、反って自分が窮地に陥るのがおちである。破折するなら一念三千即自受用身、自受用身即一念三千、刹那半偈の成道からまず破折をすべきである。それも出来ないで横を向いてもそもそやって見ても、一向に威力にならない。それは筋に一貫性を欠いでいるからである。日蓮正宗伝統法義は、その一貫性がないのが身上である。伝統法義を称するためには三学による法義が必要であって、信仰信心の上に伝統法義を称してみても本よりそのようなものがあるわけでもない。実態がないにもかかわらず、信仰信心の上について、それがあるように思っているまでである。
 伝統法義は必ず三学に始まったものでなければならない。三学による時は戒旦の本尊は「定」であるが、三秘の場合は「定」が開いたもの、それが戒旦・本尊・題目と現われるのであるが、今は常に三学による戒旦の本尊と三秘の本尊とが混乱している。つまり三秘による場合は始めから成道と本仏は除かれている。時が異る故である。そして三秘によりながら、しかも三学によるものを扱う無理をしているのである。
 六巻抄では戒旦・本尊・題目の文字は使われているが、それが三学によるものであることは見れば分る。そして本仏も本尊も成道も全て三学によって証されている。三秘の名目を敢えて使われていることは、特に当時実際に使われていたもので、それをもって反って三学を明らめようとされたのかもしれない。名目が同じであるから、六巻抄が三秘を説かれていると考えるのは読みの浅さである。
 第一の初行には成道・本尊・本仏の三を含んでおり、最後まで一貫しているのは三学に限っている。これを三秘のために使ってみても、結果はこま切れになるばかりで、衆生の成道も本尊や本仏の出生すら明らかにすることはできない。そのような中で、当宗は信心の宗旨であるとか、種脱一致方式が登場するのである。これは正常に成道等を証明出来ないために、自然発生したものであると思う。信仰信心のみで七百年の間宗義を守ることは不可能である。その不可能を可能ならしめたのは、目に見えない山法山規の賜という外はない。これは本仏の慈悲と考えるのが最もよいと思う。本仏の慈悲もまた目に見えないのが特徴である。
 文選第十三に「小智は自ら私して、彼を賤しんで我を貴す」という一句がある。今日の水島山田のために残されたのかもしれない。なかなか意味深長である。先生方が盛んに三秘から出た信心のみに執着しようとしているとき、宗門は既に山法山規への復帰をめざしているようである。先生方も一船に乗り遅れないようにしてもらいたい。山法山規への復帰はそのまま三学や己心の法門への復帰である。いうまでもなく種脱一致法門への訣別である。
 大綱を取れば三学であるが、細かくいえば山法山規である。若し復帰が事実であれば誠にお目出たい限りである。これで御宝蔵に本尊が還るなら万事解決である。同時に本尊もまた本因の本尊の働を示すであろう。他処事ながら、この一事のみを夢に見て先生方の悪口雑言をも甘んじて受けてきたのである。しかし、今の決め手はその悪口のなかに含まれていたのであった。実に皮肉なことである。これがほんとうの自縄自縛である。
 歴代上人ということで強引に押し切ろうとしたけれども三学・己心の法門の勝に決まったようである。三秘に対する三学の勝利である。三学に勝る法門が見付かれば大いに攻勢をかけてもらいたい。文底が家を代表するような学匠が、他宗教相の文のみ見ていたのでは勝目もあるまい。文の底を読むように心掛けることが第一である。当流行事抄に「境智冥合豈自受用身に非ずや」とか「境智冥合は自受用身なり」等とあるのも、文底の読み方の一例である。
 今は板本尊について境智冥合が固定しているが、これは他宗門とそれ程変りがあるとも思えない。文上家そのままであるが当流行事抄では戒旦の本尊が顕現するための準備として自受用身が出されているのである。この自受用身と久遠名字の妙法とが、また境智冥合して戒旦の本尊が顕われることになっているが、これは本因に属するもので、今はその次の第三番目の境智冥合のみを取って、第一第二は忘れられているのである。第三になれば他宗と全く変りはない。これが他宗と異るところといえるのは、第一第二の本因が確認された時に限るのである。撰時抄愚記の山田が引用の文には第一第二のようなものは見当らないし、取要抄文段の人法一箇も隠された部分を確認しなければ、本尊とは現われにくいであろう。
 引用の十二字・十六字のみをもって戒旦の本尊を称するには少し無理である。そのために信心が必要なのである。信心をもって信用する必要のない本尊こそ真実の本尊である。そのために境智冥合が文底において生かされているのが当流行事抄である。結局山田の説では戒旦の本尊を現わすことは出来ない。そのために別な処から板本尊が出現して、戒旦の本尊を受け継ぐような形になって、或る時は本因或る時は本果と、時の混乱が始まるのであるが、戒旦の本尊は、他の本尊以上に時の安定が必要である。しかしながら、三大秘法抄による三秘では時が始めから違っている弱みがある。
 山田説の久遠名字の妙法と事の一念三千のみでは、時が認められない。それが人法一箇しても同様である。本尊の出現には必ず時を明らめなければならないにも拘らず、山田説には全くそれが見当らない。これでは本尊がその力を発揮することは出来ないであろう。戒旦の本尊出現の前の境智冥合こそ必ず必要なものであるが、今は板本尊に対する時にのみ境智冥合が唱えられているのである。山田法門はこれを明して妙であるが、その不足分を陰で補っているのが、山法山規である。しかし、このような事で山法山規に御面倒をかけるのは、寧ろ恥ずべきことではなかろうか。本来は理をもって明らむべき筋合のもので、その先を山法山規に委ねるのが常識ということではなかろうか。それにしても、本尊本仏の長寿を見付けようとする努力は見なければならないであろう。これで本尊が御宝蔵に還されるなら、本因の本尊の働きも正常であろう。とも角六巻抄では十二字十六字をもってのみ本仏や本尊が出されていないことに注意すべきである。
 山田説は、十二字十六字以外は信心をもって本仏本尊の出現を見ようとしているのである。肉身本仏も、決めるのは弟子であっても、信心のみでは他宗の人は承知しないであろう。本尊も楠板が宗祖の肉身であることは、信心以外には理解出来ないであろう。その部分こそ最も理の必要な処であり、文底といわれる中でも重要な部分である。その肝心の部分が信心ということで解決されているのが山田法門であり、信心という名のもとに、一瞬法門の世界から離れて信心にうつり、本仏本尊を出現せしめる早業である。本仏本尊出現のための信心は最も避けなければならない処である。信者に限られた信心が一瞬法門世界を代行するやり方である。
 山田の十六字は、六巻抄では第一から第五の終りに至るまで担当しているのである。六巻抄の五巻分であれば、十巻十五巻を費しても尚不足があるのではなかろうか。六巻抄で使われている境智冥合には、文底が家の引用文の扱い方も示されているのである。引用文を引いてその持っている時に捉えられる程危険な事はない。その見本が水島山田のものには充分備わっているのである。そのためにしらずしらず文上に近ずくのである。これが時の混乱である。
 今は文底に説かれた境智冥合が、専ら文の上に、信心の上に移動しているのが現実である。この場合には、二つの境智冥合が同時に必要である。若し文底が失われるなら、他宗に同ずることになる。これが時の混乱である。信心という名の文上に出ている処に異様さを持っているのである。とも角時局というような短い時を目標にせず、本仏や本尊の持っている長寿をめざすことである。時局の時には目前に展開する時の意味がある。文の上ともいえない現実味を多分に持っていることに留意してもらいたい。時局の二字の必要のない法義の研鑽に励んでもらいたいことを念じて止まない。
 大石寺には、日蓮大聖人・御本仏日蓮大聖人など独自の語をもっていて、今では殆ど専用語になっているが、案外その内容についてははっきりしていない。ただ信心用語という感じである。これらの語にも境智冥合の意も師弟の意も共に含まれている筈であるが、今は信心の上に宗祖一人のために固定して使われているのである。文底で出来たものが信心という時にのみ使われるために、元来その世界には理を説いて理解せしめる必要のない世界であるから、何の抵抗もなく理が消えて結果だけが残ることになって、信心のないものには一向に理解出来ないのである。ここに不信の輩などという異様な語が登場する下地があるのである。自分等のみに通じる信心専用語「不信の輩」というような語は避けて、極力理を尽すべきである。
 本来孤高を楽しむべきものが、気が付いてみたら孤独であったでは救われない。己心の法門とは孤高の処に真実を見出だすべきではなかろうかと、自分では密かに考えている。山田水島方式は益々宗門に孤独をもたらすであろう。
 信心によって本仏・本尊等の宗義を立て、しかして後に裏付けになる教相の文を集める。これを一応種脱一致法門と名付けてはいるが、実には如上のごとくであることは、二ケ年を振り返ってみれば御両人のものは明らかにこれを証明している。伝統法義の四字もここにあるのである。これでは三学や己心の法門の入る余地のないことはいうまでもない事である。また引用文の解釈が逆に出るのも当然である。それが反って他が逆に見え真反対に思えるので、元を尋ねてみれば源は以上のような処から発っているのである。源を正さなければ、やればやる程逆効果となるのは必至である。そのような中で、いまだに水島ノートは同じことを繰り返している哀れさである。何故このような事に気が付かないのであろうか。特に最近は暴走気味である。いよいよ時の混乱による独走に拍車がかかってきたようにお見受けしている。
 教相によって教義や宗義即ち本仏や本尊が出される場合は、それ程の危険はないが、信心のみによってそれらが先に定められた場合は、教相との間にそれ程密な関係が生じない。両者に時による規制がないのが根本原因ではないかと思う。そこに、いう処の信心教学の危険さが秘められているのである。信心とは本仏や本尊を定める時を指しており、法門による規制が欠けているのである。これが日蓮正宗の教義が理解されにくい根本原因であり、肝心の処になると飛躍するのであるが、実はその部分が法門的な裏付けの最も必要な部分である。飛躍とは信心によって行われるのである。伝統法義は信心によって伸縮自在という徳を持っている。そこには誠に窺い知れないものがあるようである。
 今は三学が消されて三秘のみが大きく飛躍している時である。つまり本仏や本尊が顕現されるために最も必要な滅後末法の時は、三学や己心と共に消されており、しかもそこに本仏や本尊が出現する。そのために出生が明らかでない。そして三秘の出現である。同じ三秘でも六巻抄に出るのは三学による取要抄の三秘であるが、今の三秘は三大秘法抄に依るものである。三学によるかよらないかということが次の問題に関わってくるのである。
 三学による時は内秘であるが、三秘のみの場合は外現一本となる。内にあるべきものが外のみに限られるのである。それが今の三秘である。これが分れば異状の一端も窺うことが出来るかもしれないが、今となっては無理なようである。滅後末法にあるべきものが外相に出て在世末法となっている。そのために現世に戒旦の建立が考えられるのである。
 厳重な宗祖の御遺訓に背いてまで戒旦の建立をするのも、在滅の時の混乱による処である。そのために題目も在世となり、現世の中で一人々々を折伏する広宣流布方式、即ち在世末法の方式となるのである。そして本尊もまたその時に居すことになる。即ち今の三秘は全て在世末法の時に収まっているのである。現在の日蓮正宗の教義が在世末法のみに建立されている動かしがたい証拠である。
 正信会の折伏広宣流布も例外ではなく、在世の上に立てられていることは間違いのない処である。そのために広宣流布の意義も大きく変るが、水島や山田は在世と決めた末法に、宗祖の滅後末法と定められたものから引用するのであるから、結果は真反対に出るのである。その間に生じる矛盾は信心の二字の中で至極簡単に処理するのである。しかし外から見れば、折角引用しながら、在滅の時の矛盾のみが眼につくのである。逆も逆と叫んでみても、一向に悲鳴としか聞えない理由も、実はそこにあるのである。
 在滅の混乱は日蓮正宗の最も弱点となっているのである。正信会も或る時は滅後、或る時は在世、いまだにその時を定めかねているが、滅後末法の時は本仏や本尊の住処であることをお忘れであろうか。山法山規は無言で滅後末法の時を指し示しているのである。それにも拘らず山田説は久遠名字の妙法と事の一念三千、及び人法一箇の十六字をもって本仏本尊を顕現している。己心の法門も消されて滅後末法の時でない処へ本仏本尊が出現しているのである。その二重構造が時の混乱なのである。その二重構造とは山田の定める処で、亦の名を蝙蝠論法という。その非を正としてそれを当方へ転嫁し非とし、邪と決めようとしたのが昨年十一月の論であったが、これは見事に逆目に出たようであった。
 信心を根本として御書の文を引用すれば、文底がそのまま文上で働くことになり、宗祖の意志とは真反対に世上に向けられることになり、反って世間に迷惑を与えるような事にもなりかねない。己心の法門は内に秘められて始めて深い徳ともなるものであり、そして外に出た時には誠に大らかなものになるのである。その意味では、今の通用方法に誤りがある。それが信心方式なのかもしれない。左がそのまま世間の右の中に出れば摩擦は避けがたい処であろう。若しそれが徳と顕われて世間に出るなら、摩擦は一切起り得ないのである。宗祖が貞観政要を写された意図もそこにあったと思われる。
 法華の折伏は徳化に限るということであろう。即ち無言の折伏をもって最上としているようである。広宣流布もまた無言の折伏徳化の処に真実を見出すべきである。これなら宗祖のお叱りを受けるようなこともあるまい。声を荒げて悪口雑言をすることは決して折伏につながるようなものではない。人を折伏する前に我が身を折伏することを教えているのが己心の法門であると思う。皆さんもまずこれを実行することが第一である。これが文底法門の極意の処であると思う。
 日蓮正宗の御僧侶は、何をおいても他を無言で折伏出来るような仏徳を備えてこそ、始めて宗祖の忠実な御弟子と名乗ることが出来るのではなかろうか。その意味では、水島山田は失格第一号の資格は十分に備えているようである。そのためには、今のような紛らわしい信心教学を捨てなければならない。そして法門として文底法門を一点に絞らなければならない。現在はそれが絞り切れないために本仏や本尊が浮動しているように思われる。信心以前に絞らなければならない問題である。信心のみを唱えてみても、受け継ぐことは出来たとしても、次に伝えることは困難である。
 七百年の伝統を絶やさないためには、まず法門が不可欠である。信心のみをもって七百年存続したと思うのは信者の特権であるが、陰にあって法門の代りをしてきたのが山法山規なのである。今こそこれを確認すべき時が来たのである。そのためにも己心の法門は欠ぐことは出来ないものである。時をいえば滅後末法である。この処に初めて仏法という世界もありうるので、水島山田の説は一切入り込む余地のない処である。滅後末法の時が分れば、悪口雑言の必要は即時に消滅するのであるが、現状ではなかなか仏法世界もあらわれそうにない。精々悪口雑言を繰り返すことである。そのような処で伝統法義を唱えることこそ迷惑法門である。
 前後四回に亘る迷論こそ迷惑法門の極談であると理解している。在世にありながら滅後末法を望んだために「逆も逆真反対」と見えたのである。滅後末法に立てられた法門も在世の眼をもってみれば逆に見えるのである。陰すはしから現われているのである。それが迷惑法門であり、しかも自は常に正、他は必ず邪と立てることこそ迷であり惑である。まず自分自身の迷惑をもって人に押し付けようとする、それこそ迷惑法門の極談である。結局自分の迷惑の極限がきた処で口を閉じたものと思われる。「自ら墓穴を掘」ったのは自分自身であったことにお気付きであろうか。法門は久遠の長寿をめざしてもらいたい。時もない、長寿もないというような処で大石寺の法門を論じることこそ迷惑法門である。二ケ年で跡形もなく消え去っては、長寿とは義理にもいえない。それは滅後末法の時がなかったからである。
 事行の法門といわれる大石寺法門では、まず成道が先行している。愚悪の凡夫の成道についてである。その成道に次いで本尊・本仏と現われる。事の法門としてその理を説く時には本仏・本尊・成道の順序であるが、事行では逆次によるのである。巻頭言の最後に引かれた文も、新説の時と同じく逆次によっている。これは滅後末法の時に限っているやり方であって、末法の始とか名字の初心などといわれているものは全て始・初のみをとっており、正月十六日の広宣流布もまた始をとっている処は滅後末法の時によっている証であるが、今の広宣流布には始の祝福が抜けている。これは在世末法の時によっているためである。一は脱により一は種によっては、混乱を起す基となるように思われる。これは三秘によったためか信心の故か、三学による広宣流布とは真反対に出ているようである。護法局は三学には非ずして三秘の上に建立されているということが出来る。つまり三学とは正反対に出ているのである。広宣流布も法門を主とし、山法山規の上に建立すべきものではなかろうか。敢えて苦言を呈しておきたいと思う。
 「七百年来の信仰」がどのような意味をもっているのか、直ぐには理解しにくいが、「山法山規について」の中の一語である処は僧侶が対象になっているのであろう。「信仰」とは現在の考え方が信仰信心に徹しているために、ついこのような語が使われたのであろう。信心一本の現在から三秘・三学と遡っている七百年で、変り方が大きいために、三学から見ればそのまま頂きかねるものがあるが、今は七百年を信仰のみできたものと考えているかもしれない。それだけに異様な響きを持っている語であるが、ここは三学による教義と読むべきであろう。信仰といえば、どうしても信者のことが頭の中に浮んでくるのである。山法山規であれば僧侶のみを対象にした方が解りやすく紛らわしくない。
 信行学の信であれば三学から出たものであるが、この信は信者に信仰信心を起さしめる根源にあたるもののようである。僧侶をもって信仰の対象とするのは、何となし筋違いのように思われる。「信仰の根本」も、信の根本としてみてはどうであろう。今は三学が消えて三秘となり、そこから発った信心が基本になっているので理解出来にくい語が多い。気持ちを察した処では信心よりは三学の方が適当なように思われる。
 信行学を「行学絶えなば仏法あるべからず」をもって解すれば、行学は何れも仏法の内にあるものであり、三学・己心の上に解すべきものであるが、当家は信心の宗旨である、学はいらない、行のみでよいと解釈されているのが現実であるが、これでは仏法や仏教といえるものでもない。ただ信心のみで解されたもので、いかにも低俗の譏りは免れることは出来ない。
 「この本尊は信の一字をもって得たり」という場合でも、信を仏法の処に決めて読めば、出た本尊は本因の戒旦の本尊であるが、信心の上に解釈すればその本尊は本果と現れる。あまりにもその差が大きすぎるが、現在では信心の上に解されているようである。しかもその本尊が戒旦の本尊と称されるのである。そこに許されざる飛躍がある。今この飛躍の整理の必要に迫られているのである。そこに混乱の極限が感ぜられる。即ち仏法をとるのか信心一本なのか、ここでは只高下宛然だけでは済まされないものがある。本尊を信心の前に見るのか信心のあとに見るのか、境智冥合にも通じるものがある。
 一つの引用文も使い方によれば文底となるが、現状では文上と現われている。これでは仏教からもはみ出す恐れがある。これは信心のみが強調されたときの恐ろしさである。この時こそ己心の法門が必要なのである。己心の法門を邪義と決めて信心のみに絞れば、仏法からも仏教からもはみ出すのは当然である。それは根源を失ったものの宿命である。今そのような岐路に立っているものと思われる。六巻抄の境智冥合の扱いを一度見直して、文底を出す処を感得するとよい。しかし、今の境智冥合は出現した本尊に限って解釈されているのである。これは信心の上に解されたものと思う。現在の解釈の前に更に六巻抄の解釈が必要であるが、今はこれは完全に忘れられている。
 文底を把握してこそ文上はあり得るものであるが、現状は文底が把握されているといえる状態ではない。大石寺のような法門の立て方では、特に二重構造の必要があるが、山田が何故これを斥うのか。或は文底を忘れて文上の信仰信心にのみ生きているためであろうか。しかしこれは非常に危険である。文底法門が忘れられて文上に移ると、そこには暴走の危険を十分に備えていると見なければならない。山田や水島の威勢のよいのもそこに一脉相通じるものがあるためであろう。是非文底を一度捉えてもらいたい。そして少し頭を冷すことである。次々に引用文を引いてはいるが、文底法門を文上に出すためには役立っているようである。今一つ引用文の扱いに工夫がなければ、現状では逆効果のようである。その内、山法山規も邪義の中に繰入れられるようになるかもしれない。
 
信心に基準をおいた伝統法義は、自分の考えを正として他を邪義と決める至極単純な方法により、それを御書やその他の引用文をもって修飾するために、信心の処がなかなか分りにくい点に妙があるが、分ってしまえばその辺りから破綻が始まるかもしれない。若し始まれば、その糸のほつれを止めることは困難であろう。悪口雑言のみではこれを止めることは思いもよらぬことである。水島ノートも二年余りかかって、そこに至る道を箇条書にし具体化したことは、将来改めて研究を始める者のためには大いに役立つことであろう。信心という名の教学をもってノートを逆次に読めば、時を超えて、いつでも研究は出来る。その意味での成果として見るなら、その功績は大なりといわなければならない。
 発端における教学部長の讃辞も結果は出たようであるが、それがヤユであったかどうかは自ら別問題である。そして逆次に見れば、自分等の痛い処のみを羅列したように見える。後世のため二十五箇条として別冊にしてもらいたい。当方では黙殺することにした。引用文の扱い方一つがここまできたのである。六巻抄の扱い方を再検して、まず文底を出し、しかる後に文上に移ってゆく後を探って見るのも無駄なことではあるまい。そうなれば、信心のみで教学や宗義が独走するようなこともあるまいと思う。己心が消されると、法門が信心の上にのみ独走することは充分考えられる。独走はその師を越えることでもある。ノートはその機微を明している処に意義がある。そのために法門の裏付けもなくなってゆくのである。
 「御本仏日蓮大聖人以来の嫡々付法唯授一人の血脉法水御所持の御法主上人」は、何れの語も全て三学から出ているものであるが、今は三秘の上に或は信心の上に解釈され運営されているのであって、個々の語句については一向に理解の外に置かれているものと思われる。そして本仏も信心の上に現われたものが中心であるから、そこには水島本仏の誕生する下地も十分に備わっているのである。他宗他門が反対する本仏も実は信心の上に現われたものであって、己心の法門の上に現じた本仏にはそれ程反対する必要はあるまいと思われる。
 己心の法門が不都合であるというのは、見解の相違ということで理解出来るが、その中から本仏のみを引き出して反対するのは筋が通らない。他宗門は、信心の上に現われた本仏について反対しているのである。そのために信心の上に現われた本仏そのものを、宗門側が確認しなければならない。それが出来なければ、不信の輩というような語が必要になってくるのである。水島や山田のものには常に消えることなく使われている。信心を根本として宗義を立て、しかる後に文証と称するものを集めて体裁を整えているのである。初に時が決っていないために、次々に時節の混乱が起って、遂には収拾がつかなくなるのである。そのために己心の法門では最初に時を定めて後、仏法ということになっているが、今の仏法に果して時があるかどうかといえば、誠に疑わしい限りである。混乱は既にそこから始まっている。それ程根が深いのである。
 事行とは事に行ずること、事行の法門とは事の法門を事に行ずることであり、その根本になるのが丑寅勤行である。山法山規も行ずる方からいえば事行の法門であるが、規矩の方からこの名が使われているのであろう。文選に、「此の夙知に資り、降りて経志に従う」という句がある。経志とは「礼記、学記に『一年にして経を離れて志を弁ずるを視る』という。大学に入り満一年で経書の章句を断絶し、その義を敷衍して日常の行為に応用すること」という註釈が付けられているものがある。諸橋大辞典には、「経志、経典を学ぶ志 ( 顏延之、皇太子釈典会作詩 ) 、資此夙知、降従経志」とあるが釈典は文選では釈奠となっている。文選の注によれば事行の法門と甚だ近しいものがある。このような処から事行の法門という発想が出たのではなかろうか。水島の学が深いことはよく承知しているが、どのような解釈をしているのであろうか。是非その出処等についても御高説を承りたい。しかし、この事行の法門という語は信心の上でどのような解釈が付けられているのか、これまた是非知りたいと思う。
 先の引用文が三秘から出ていることは文のごとくであるが、「三大秘法の根源たる本門戒旦の大御本尊」も、戒旦の本尊が三秘から出されていることを示すものである。これは、三大秘法の根源たる戒旦の本尊とは三学によるものでなければ、戒旦・本尊・題目の三を収めているとはいえない。前後の関係からみて、この根源の本尊が本因ではなく、本果の本尊をさしていることは間違いはないと思う。はっきりと本因と出なければ、その中に三秘を含んでいるとはいえないであろう。これまた未整理の部類に属するもので、非常に紛らわしいものを持っている。
 この引用文でいう「本門戒旦の大御本尊」とは三秘の戒旦・本尊・題目のうちの本尊のことであり、それが如何にも三学の感じを与えるように使われている処に在滅の混乱がある。三秘の本尊の意味をもって三学の本尊が使われている。前は己心の法門であり、後はむしろ信心にあるもの、そこに紛らわしさを持っているのであるが、このような方法こそまず避けなければならないと思う。しかし、今は三学によってくる本尊は殆ど忘れられて、これがそのまま三秘となっているのであるから、格別何の不都合もないのであろう。信心の中でこのような作業が行われているのである。或は三学にあるべき本仏や本尊が信仰信心の中で三秘に置き換えられる、そのために理解しにくいのである。
 水島山田説が理解しにくいのは、根本を信心において法義を立てているためである。これが真実理解出来るのは同じ信心に居るものに限られているのは当然であって、余人の窺い知れるようなものではない。そのくせ当人では十分に筋を通しているつもりであるから尚更分りにくいのである。巻頭言も、標題と初の八行と終わりの一行の外は三秘のようであるが、実には特異な信心の上に展開しているのであるから、この部分が表に出ると真反対に出る恐れがある。その点は要警戒である。一見迹門流なものを持っているのである。信心の上に法義を建立する方法も既に或る結果がきているように思われる。そこには色々な矛盾が山積してきたのであって、ノートのように一語半語の語義のすり替えでは、どうにもならない処まできているのである。悪口雑言をもってしても越えられなかったことは既に経験ずみである。今は矛盾のみがひしめき合っているのである。
 聖人 ( せいじん ) は時を感じて出現し、麟もまた時を感じて出現する。その意を文底をもって解する時、宗祖も時を感じて世に出現した。その時は滅後末法の時であり、これを聖人 ( しょうにん ) という。この意をもって引用され会通されるのは常識であるが、今はいきなり明星池の底から本仏が出現し、やがて本尊も顕現されるのである。何となくルール違反を感じさせるものがある。そこへゆくと、せいじんがしょうにんになることについては、それ程の抵抗は感じない。先に挙げた経志なども事行の法門に連絡してみても格別抵抗もないが、水島山田の引用文には、少し無理が目立ち過ぎるようである。それは信心によるために、私見が強く出過ぎるためではなかろうか。つまりは己心の世界を外れているということであろう。
 未萌を知るを聖人というのもしょう人と読まれて仏法に使われているが、時を知る聖人とともに、民衆と同座していることは同じである。民衆の中から一人抽ん出て時を感じるものがあれば聖人である。昔から親鸞・日蓮は聖人の方が圧倒的に多いように思う。その点、上人には何となし別世界にあるような感じを与えるものがある。しかも今は日蓮大聖人が虚空在住となっている処は、いかにも異様である。解釈の上からいえば、既に上人の扱いをしているためであろうか。大聖人といい本仏といい、まず時を感じることも未萌を知ることも、それ程必要なことでもなさそうに思われる。
 やはり現状は、時の混乱の責から脱れがたいものがあるようである。特に水島山田説には時というものは全く感じとることは出来ない程であるにも拘らず、伝統法義を称しているのであるから、いよいよ不可解である。三学に始まったものが三秘により、更に信心に変ったために時が失われたようである。今の急務は失われた時を取り返すことである。折角引用文を出しても反って時の混乱に拍車をかける始末である。寛師の引用文には文底が出るが、水島山田のものは反って時の混乱を助長している。これは技倆の相違であるから止むを得ないことで、寧ろ引かない方がよい。引用文は引きさえすればよいというものではない。折角引くのであれば、文上を避けて文底に出るような研究をした方がよい。そうすれば時の混乱だけでも避けられると思う。
 法門は一宗の根本になるものであるから、些かの矛盾も許されない。法門に一筋通すことが当家を知ることであり、その上で台家をやることである。教相が先行することは大石寺のとらない処である。その点では日蓮正宗伝統法義とは逆のやり方のようである。「逆も逆真反対」というのは根本はここにあるのである。実は、「逆も逆真反対」の方が正常なのであることを知ってもらいたい。そして最後の決定権は三学でもなければ三秘でもない信心が持っているのである。例えば閨房政治とはこのようなものであろうか。全ての法義は信心の中で最終決定をうけているのである。それが日蓮正宗伝統法義なのである。
 信心といえば裁判所でさえ敬遠するような別世界である。そしてこれが分らなければ「不信の輩」と決めつけるのであるから尚更始末がわるい。そのような輩にも、自己矛盾は大きな脅威となってきているようである。悪口雑言だけでは乗り切れなかったようである。そしてその返りは既に我が身にせまっているということではなかろうか。結局相手方には何の痛痒も与えることも出来なかったようである。これが五年間の成果である。
 「とやら」という語は、一見した処幼児的な発想が気掛りになる。或る意味では時局法義研鑽委員会の成果であった。五ケ年の間にそこまで上りつめたのである。委員会独自の山法山規というようなものであろうか。考えていることが凝結した処、その全貌はこの一語に収まっている。追いつめられて、遣り場のない鬱憤がこの一点に結集したのである。或はうらみつらみも収められているものであるが、「とやら」以後は新造語も現われない処を見ると、どうやらこの方面もすでに行きつまったものとみえる。これは信心のみによって立てられた伝統法義の弱さの一面である。
 引用文も引きさえすればよいというものではない。無計画に引けば反って我が身の責め道具になるものである。信心は宗義ではない。その信心が宗義を建立し、それをもって宗祖以来の三学・己心の法門を破し去ろうというのであるから、随分乱暴な話である。投げ鎗な語である。しかし鎗は逃げ逃げ投げても相手に中るものではない。この期になって「とやら」一語をもって起死回生出来るものでもない。反ってこの語の中に水島山田教学の極意の処が全て含まれている処に大きな意義を持っているのである。所持の教義の深さが自然とこの一語に収まったのであろう。
 信心が三学や己心の法門と肩を竝べようとした時、自然と「とやら」という語に凝り固まったのであろう。深い苦悩を秘めていることであろう。最近はあまり目に付かなくなったように思われる。己心の法門と「とやら」と、いかにも奇妙な対照である。あまりにもその隔りが大きすぎる。これではお話にもなるまい。絞り切った処が仏法の遥か外であった。つまり相手を見失った戸惑いが、このような新造語を造ったということであろう。何ともお気の毒なことではある。
 今度の巻頭言の山法山規には、御両処もいよいよ大きな隔りをもってきたようである。いくら唱えてみても、とやらには何の救いも見当らないということである。しかしこの一語が、その教学の出生或はその方向を教え且つ示していることは、大いに興味のあることである。信心による教学が最高潮に達した時、自然と口に出たのが「とやら」という語であると受け止めておくことにする。しかしこのような語が自然と発生する処は、日蓮正宗の体質の最も弱い部分であることを自ら暴露しているのである。
 水島ノートがいくら声を大にして己心の戒旦を邪義と称しても、それは信心教学の上のことであって、三学には一向に通じない。己心の法門とは関係ないことである。若し真実邪義と思えるなら、開目抄・本尊抄・取要抄を始めとして、じっくり宗祖への破折と取りくんでもらいたい。もしそれが成功した暁には改めて邪義と受け入れることにする。何れにしても五七十年先の話である。筋が通れば、もし健在であれば受けとめることにしておく。その時は水島も百歳をとっくに過ぎた老僧になっているであろう。何はともあれ、これは宗祖の己心の戒旦を破折した後にしてもらいたい。それがものの順序というものである。
 末法に入って戒旦の建立が出来るのは己心に限られている。在世の末法に戒旦を建立することは「虎を市に放つごとし」と誡められている。取要抄の三秘も己心に現われたものである。三学の処に現われた戒旦の本尊に含まれていることを示されている。この三秘は別立するようなものではない。これから戒旦のみを取り出すことは、恐らくは不可能であろう。これが第一の難関である。水島ノートが己心の戒旦を邪義ときめてみても二ケ年はもたなかったのである。弥勒出現までの五十六億七千万歳のうちの二ケ年足らず、一ケ年半の生命であった。短命とも言えない程である。短命というためには一千万歳単位の歳月が必要である。それ程狂っているのである。そのような中であくまで自を正とし他を邪と決めた上で展開しているのが水島山田のいい分である。これを種脱一致法門と名付けるのである。これもどうやら行き付くところまで往った感じであるが、さて次はどこへ行くというのであろうか。
 久遠実成の時をもって久遠名字の妙法に連絡付けることは出来なかったようで、種脱一致方式にも一つの破綻を迎えたようである。時の混乱に追われ追われてきたのであった。さてさて、このあとどのような成算を持っているのであろうか。ここらあたりで大村教学部長も、己心の法門を唱えることが何故邪義なのか、何故狂学なのか、久しぶりに沈黙を破って、改めてその理由を説明すべきであろう。狂ったといえば即時に他が狂うような魔法の世界ではない処で、理を通して得心のゆくような説明をしてもらいたい。一宗の教学部長として悪口雑言の言い放しは無責任である。しかし、信心の処に宗義を建立する立場からいえば、三学や己心の法門は邪義ということになるかもしれない。しかしながら、信心には本仏や戒旦の本尊を生み出すようなものは何物も見あたらない。勿論久遠名字の妙法や事の一念三千があるわけでもない。どのようにして信心に宗義を建立するのであろうか。是非々々その甚深の処を明してもらいたい。
 巻頭言を私に解釈した処では大村教学部長の考えとは真反対のように思われる。山法山規を取り上げようとしている処は、いうまでもなく己心の法門や三学に帰ろうとしているのである。教学部長が邪義と称して反対したのでは、宗義に関することであるだけに由々しき一大事である。今でも相変らず狂学と思っているのであろうか。宗義がどこに建立されているのか、そのようなことには無関心なのであろうか、是非御高説を拝聴したいと考えている。もし宗門が山法山規をめざしているのであれば、教学最高責任者との間は不統一ということにもなる。これはウヤムヤでは過ごしにくいのではなかろうか。是非教学部長の意見の欲しい処である。
 大村さんよ、沈黙をもって返答に替えるようなことは、やらないでもらいたい。金口嫡々の相承が三秘や信心から出るわけもない。これは必ず三学であり己心の法門に依らなければならない。それをいうことが何故邪義なのか、狂学なのか、全く分らない処である。三秘をもってしては山法山規も解釈は付かないであろう。そして教学部長の意見からすれば、三師伝も化儀抄も邪義ということになりそうである。総監説は山法山規に、教学部長説はこれを邪義という。宗義の対立は全く無気味である。
 今宗門を、目に見えない処で大きく包んでいるのは山法山規である。教学部長といえども、その規縛から脱れることは出来ないであろう。今その決断をせまられているようである。そのような中で、巻頭言は山法山規を撰び出したように思われる。三学には三秘は含まれているけれども、三秘にはそのようなことはあり得ない。それ程規模が違うのである。大村さんは依然として三学を狂学と称しているのであろうか。若しそうであれば、まず手始めに開目抄・本尊抄・取要抄その他の重要な御書を破さなければならないであろう。これは川澄教学と一言できめつけるように簡単にはゆかないであろう。それが完了した処で三大秘法抄を取り上げるなら、他宗の人も得心するであろう。
 何れに依るにしても、一度整理する時がきているように思う。そして宗の依って立つ処を明確にすべきである。既に宗内からそのような機運が盛り上がろうとしているようにさえ見える。これ即ち時である。時は必ず自ら捉えるものである。若し捉えることが出来るなら、そこには自然と仏法も現われるであろう。その時とはいうまでもなく滅後末法の時である。三大秘法抄から三秘が出るのは分るが、ここから本仏や本尊そして成道を取り出すことは、今の教学部長の技倆をもってしても出来ないように思う。ここはどうしても本仏や本尊を生み出す力をもっているものに依らなければならない。そのために三学が不可欠なのである。若し三秘にそのような力があるなら具体的に示すべきである。これは教学部長の手では無理なのではなかろうか。若し自信があれば是非明示してもらいたい。
 昨年の大日蓮十一月号に発表された山田論文の本仏・本尊出現の処は、他宗の学者からは充分理解を示された事と思うが、肝心の不信の輩には、不信の故に一向に理解することは出来なかった。或は日本語の理解の不足の故かと自ら恥じ入っている次第である。今少しくだいて説明されることを望みたい。本仏・本尊の出生の処は出来るだけ簡にして明なる処をもって示してもらいたい。折角の高説も理解出来なければ意味がない。殊に不信の輩に理解出来るようなものこそ必要であると思う。しかし、ここの処は信心の上に出て後、法義となっているようであるから、不信の輩に理解出来るようには、なっていないのかもしれない。何れにしても複雑な法義ではある。しかし、信心によって出来ているのであれば自宗に限るべきであるのに、それを他宗に、或は不信の輩に押し付けようとするのは、些か筋違いということではなかろうか。ここらあたりは是非共自他の区別の欲しい処である。
 一閻浮提総与も本来の戒旦の本尊として三学が確認されているなら実に大らかであるが、三学が失われて三秘となり、それが信心一本に絞られると左が右となり、一般民衆を対象としたものが信者に限定されてくる。それが或る時突然他宗に対するのであるから、左で生れたものが右となって他宗に向うことになり、理屈抜きで強烈な反対に遇うので、中での動きについては自も分らない、勿論他に分る筈もない。お互い分らぬままに衝突する羽目になっているのであるから、まず自宗が正常に、三学の処に帰るべきである。
 今は信心に本尊が建立されているために、他宗に対して、信者に対すると同じように強制しようとしているのである。そして或る時突然宗祖直筆ということになり、そこで一閻浮提総与が働を起すのである。本因の本尊であるべきものが、何の前触れもなく本果になったのである。そこで門下に強制力を発揮するようなことになったのであるが、実には、三学の処で立てられたものが信心の処で他宗他門に向った、その陰の動きが問題なのである。これが三学に帰り山法山規に帰るなら、元の大らかさを取り返すことになり、一切の摩擦からも開放されるのである。その陰で働き混乱を生じせしめたのも、ただ時の混乱のみということである。
 本の時に帰ることのみが目下の課題である。そこには、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土がある。これが本時の娑婆世界である。これが己心の世界である。妙法五字を頸に懸けさしめ給うたのは日蓮正宗の大村教学部長でもなければ、水島や山田でもない。それを横合から名乗り出たのであるから、おかしいので、分れば早々に引っ込むべきである。頸に懸けさしめ給うた処は信不信の外にある、それが信に限られている処に異様さがあるのである。この時の対象は一般民衆であり、一閻浮提総与の語もここの処で解すべきである。これは三学では可能である。この三学にあるべき語が三秘を通り越した信心の処で外に現れたのであるから大変なのである。そのために左にあるべきものが右になったのである。鏡像に立てられた本因の本尊が、元の写した処の姿に変っているのである。そこに時の混乱がある。
 本因の本尊は己心にあるべきもの、それが或る時突然娑婆世界に立還って本因を名乗ったのである。そのために説明することさえ出来ない中で、本仏も本因の本尊の本因部分も次第に虚空をめざしているのではなかろうか。そこに原因不明の困惑が生じているのである。最もよい方法はその根源を取り除くことである。それはただ三学を取り返すだけで事足りるのである。水島や山田説が地に付かないのも、熱病患者の踊りの故であろうか。大村教学部長は、その熱にうかれた足を大地に付けてやる立場にあると思われるが、本人が共々に浮かれたのでは救いのありようがない。このような時にあたって「山法山規について」は、日蓮正宗に大石を投じた程の威力を持っているかもしれない。やがてその威力を発揮する時もくることであろう。
 ノートがいくらいきって見ても三秘や信心で理解出来なかったことは大日蓮にあらわである。これは三学でなければ解し得ないものである。それさえわからずに一人いきって見ても、それは孤独を示した以外何物でもない。戒旦の本尊や本仏は必ず三学にあるべきもの、水島山田がいかに詭弁を弄しても、三秘や信心の処にその出現を求めることは出来ないものである。
 本尊や本仏は必ず末法の始に居すべきもの、末法の後を追う程無駄なことはない。その末法の始とは滅後末法の処、己心の法門はそこに建立されているのである。本仏も戒旦の本尊もまたそこを住処としているのである。その本処を忘れた処から問題はこじれてきている。それ程根が深いのである。しかし今の大村教学では、本仏や本尊の出生を明らめることは出来ないであろう。これは最大の難点である。狂学というのも邪義邪説というのも、ただ自らの苦しみを他に転嫁しようとあえいでいるまでであって、言われている側では一向に何の痛痒も感じていない。むしろ一片の憐を持ち合わせている程である。
 今は三学と信心を切り離すことから始めなければならない。この混雑のために、信心が三学を乗り越えて、やがて三学の影が薄れたのである。まず法門を信心に先行さすべきである。政教分離である。それのみが唯一の方法である。信心のみが独走すると、結果はあまり芳しい方向には向わないであろう。しかも今は世俗が法門に勝っている中で伝統法義を称しているのである。
 信心が法門に勝っている処に日蓮正宗伝統法義が立てられている。そこに異状さがあるのである。そこから己心の法門を見、三学を見たとき、「逆も逆真反対」ということになる。まず自分が逆に居ることに気が付かなければ、全く救いようがないというのが現実である。俗僧同共して狂学と見えるのである。そこから見た時、己心の法門は狂学と見えるのである。正邪もまたそこに立てられ、自を正と定めた時、自以外のものは全て邪と映るという考え方の中で、他宗をもって邪宗と称するのである。若し三学に法が立てられていることが分れば、他宗を邪宗というような必要は氷解するであろう。
 まず自らの姿勢を正すことである。自ら正に帰れば、他に向って邪を唱える必要はなくなると思う。そして己心の法門の大らかさに帰ることが出来る。一方的に総与という大らかさである。そこに己心の法門は立てられているのである。つまり信不信以前の処に立てられている、そこに本因の本尊の意義もある。それが信不信となると極端な本果と現われる。今の伝統法義と称するものはそこに立てられ、しかも時あって本因が顔を出すこともあるのであるから、いよいよ複雑なのである。
 時局法義の語には現在の考えのもを正として強引に推進しようというものがあるが、そこは本来の法義に立ち還って静かに反省すべきであると思う。時局法義の根本は信心にあり、その信心の上に本仏も本尊も考えられていることについて大いに反省の必要があると思う。そこには必ず新しい道が開けるのである。その新しい道とはとりも直さず己心の法門である。そこに三学への道が開けるというものである。いくら狂学といい邪義と称しても一向に道が開けないことは、まだお分りにならないのであろうか。不信の輩などということは止めて、一度話を信不信以前へ帰すことである。そこから出直すのが最も早道であると信じる。是非教学部長の賛成を得たいことを申上げておくことにする。
 山田教学では、久遠名字の妙法と事の一念三千法門の語によって本仏が出、これを人法と読んだ時人法一箇して本尊が出ているが、六巻抄では先ず本尊が先に出ている。つまり法前仏後であり、本尊の出た後に本仏が出るのではないかと思う。これから見ると山田説は仏前法後の形をとることになる。六巻抄は巻を追えば同じであるけれども、丑寅勤行を中にしてみる時、即ち逆次に読めば法前仏後であり、三師伝も同様であるが、山田説には逆次に入る処がない。そのために「逆も逆」というような事にもなるのである。三秘や信心による場合は逆次の読みを求めることが出来ない弱さがある。そのためにも三秘はさけなければならないと思う。
 水島は己心の戒旦を邪義と称しているが、三大秘法抄の戒旦から取要抄の戒旦を見たときは邪義となるという意味であろう。ここでは三学から三秘と出てくるのである。邪義ということは、戒旦は三大秘法抄に限るということであろう。取要抄は信用出来ないという意味と承知した。三大秘法抄の戒旦は三秘によるもので、初めから戒旦であるが、取要抄は三学のうち、「定」に初まる本尊から開いた三秘のうちの戒旦であって、これを同じに扱うことは出来ない。これをただ信心ということで解決しているのが水島山田法門である。信心をもって解決出来るようなものではない。そこで信心という方法がとられたのである。従って通常の信心とは全く異ったもので、一般には理解出来るようなものではない。そのような中で三秘が考えられているので、この信心を持たないものには理解出来ないようになっている。その意味で究竟中の究竟という処まで引き上げられてゆくのである。これ以上の三大秘法抄を引き上げる方法は見当らないであろう。その中で題目だけは口唱に収まっているようである。つまり究竟からは外されているように見える。そして戒旦は結局在世の戒旦に収まったのが現実の姿であってみれば、本尊もまた在世の処ということに収まるであろう。
 究竟中の究竟の本尊を含めて、残らず在世末法に収まって見れば、己心とは「逆も逆真反対」の処に出たのである。これでは収まる処へ収まったともいえない。そこから見たとき、己心の法門は邪義と見えるのである。そして久遠名字の妙法も事の一念三千も共にそこから外されるのである。これは全て信心の中での作業である。通常の信心とは別世界にあるものである。この無理を信じさせるために極端に信心された結果は、三秘何れも迹仏世界即ち在世末法に出たので、そのために色々な摩擦が起きているのである。
 正本堂に含まれた三は何れも在世末法の表示ということである。そして己心の上に建立された三秘が在世で働きを始めるのであるから事が面倒になったのである。世界最高といい、一閻浮提総与といい、或は広宣流布といわれる文底己心に建立されたものも、処を替えて文上在世に出てくるのであるから、いよいよ事が面倒になってくるのである。これが時節の混乱である。その陰に信心があるのである。正信会の正信の二字には、このような日蓮正宗の信心の意をもって正信の二字を選ばれたのであろうか、己心に建立された法門を正しく信じようというのであろうか、お見受けした処前者に収まりそうである。
 在世或は世俗の中で首を切ったり切られたりでは、いかにも俗臭紛々といいたい処である。若し己心の法門の中でのやり取りであれば、これは法論であるが、今のような調子では法論ともいえない。結局は裁判沙汰というのが落ちである。しかし、いかに裁判所といえども、大石寺の己心の法門まで裁くわけにもゆかないであろう。切った方も切られた方も共に己心に大法を備えているのであるから、裁きはその大法に任せた方が賢明なのではなかろうか。この喧嘩、どちらが負けても宗開三や御当代以前の金口嫡々相承の唯授一人の恥ということである。己心の法門をもって裁ける名判官は居ないのであろうか。水島も、よそ事に手出しをするというけれども、一人でも他人不信の輩が口出しをして呉れることは大いに感謝すべきである。悪口雑言などとは以っての外である。
 始めから法門の依って来る処も知らないでは、裁判所も手が付けられないのは当然である。もともと師弟子の法門の乱れから始まっているのである。師、弟子をただす法門では解決されるべくもない。師弟子の法門の乱れは師弟相寄って糾し正すのが最もよい方法である。師は体のごとく弟子は用のごとく、体は用を離れず、用は体を離れざる処に師弟子の法門がある。法門の原点である。それは本尊抄副状の末文三行にも示されている通りである。そこから戒旦の本尊も本仏も発生しているように見える。そして本尊抄末文の、末代幼稚の頸にかけさしめたもうた妙法五字がはたらきを始めるのである。これを本仏とも成道ともいう。それは各々のはたらきに付いて付けられた名である。この頸にかけてもらった妙法が正常に働けば、格別裁判所まで持ち込む必要もなく、若し本法なら至極簡単に片付くほどのものである。
 乱れは法を失った処より起るということではなかろうか。折角頸にかけてもらっているのであれば、遠慮なく大いに活用すべきである。今こそ活用して妙法の功力を事行に受けとめるべきである。裁判所へ持ち込む前に何故この珠にふれて見なかったのであろうか。この妙法五字の珠こそ、内に成道も本尊も本仏も含んでいる長寿の珠なのである。一度呉越同舟、一船にのってお互いの頸にかけられた妙法五字の珠を探り合って見てはどうであろう。人の頸の珠は案外手に触れることがあるかもしれない。
 先ず相手の頸をなでて見ることである。若し手に触れるようなことがあれば、これこそ手掛りである。そうなれば、宗祖も寒中の氷を割って明星池の底から顔を出す必要もなくなる。ただ水島の役割は一つ一つ消えてゆくであろう。しかしこれも止むを得ない。人の悪のみを拾うのは法華の行者として失格である。始めから善のみを取り上げるなら悪を唱える必要はない。それを水島や山田は人の悪のみをねらっているのである。人の悪のみをいうのはむしろ提婆精神である。法華の行者は人の善をいうことによって、人の悪をいう必要のない処に居すべきである。それが分れば今正是其時である。そこには自ら己心の世界も開けるのである。
 伝教引用の意も滅後末法の時を指しているのであろう。現世に出れば人の悪のみを拾うのは愚俗の常である。水島山田が人の悪口のみを唱えるのは、自らの愚俗ぶりを宣伝しているのみであって、一向法華の行者とはいえないものがある。このあたりでそろそろ人の善を拾う方向に転向することを考えてみるのも万更無駄なことでもあるまい。人の悪のみを拾い、悪口雑言のみを声を大にして宣伝するのは、如何なる文証によっているのであろう。肝心の時に文証を挙げないのは、先生方の一流の戦法である。文証もなく他の悪のみを拾うのは邪義に堕在するのではなかろうか。
 己心の戒旦を邪義ときめつけるのは至極簡単ではあるが、三大秘法抄をもって真蹟現存或は曾存といわれる御書を破折することは、恐らくは、水島御尊師の教学をもってしても不可能ではないかと思う。「邪義」は破折完了までお預けとする。それまでは文証はないものと決めておくことにしておく。それよりか、真蹟をもって邪義ときめてもらいたい。信心をもって最終決定を急ぐのは場違いであることを知ってもらいたい。先生方は信心を文証とでも思っているのであろうか。何とも解し難いところである。
 今度巻頭言には、本尊についても本因と本果の区別を付けようとしているのではないかと思う。楠板の本尊が、或る時は本因であり、或る時は本果となることがある。はっきりと区別が出来ていない。時の混乱が常に付きまとうているが、宗義の根本になるものであるから、まず第一にはっきりすべきであると思う。巻頭言にも何かそのあたりに一つの意図が動いているのではなかろうか。
 七百年の伝統法義を言うためには本因の本尊であることを確認しなければならない。まず手始めに己心の法門を確認することである。そして三学や二乗作仏を手中にすることである。これで始めて七百年の伝統を称することも出来るのである。今その時がきたのであろうか。山田説や水島ノートには、どうみても年月が不足している。そして三学にあるべき成道や本尊・本仏は一切三秘の中に含めている。三学が消されているために、三学へ帰る道を塞いでいるのであるから事が少々面倒である。それにもまして三秘には異様な執着を持っているから、これまた色々と障害があることであろう。しかし法を守るためには一度は乗り越えなければならない道である。その上で七百年の伝統を称えてもらいたい。
 三大秘法抄と立正安国論をもってすれば、どうしても博多の浜の日蓮像になりやすい。今の水島像はその再来ということであろう。それが事に現われたのが水島ノートである。臆面もなく己心の法門には真向から対立しているのである。さてさて本尊や本仏をどこから求め出そうとしているのであろうか。振り上げた右手を、さてどこへ始末をするのであろうか。己心に法門を立てる大石寺法門の中にあって、このような水島像は最もふさわしくないものの一つである。その中からどのようにして本仏や戒旦の本尊を見出だそうとするのであろうか。恐らくは衆生の成道も本尊も本仏も、一切を抛棄したものの姿であろう。法であるべきものが金に替えられた姿の現われであろう。そこには時局法義もありそうである。どのような文によって法を金に替えたのか、ここは最も引用文の欲しい処である。
 法門の根本を変える時に、その理由も引用文も示さないのが水島一流のやり方である。肝心の処は信心の二字をもって解決されているのであろう。その点法門というにふさわしいものでない。次第に、作られた威勢のよさも、色あせてきた感じである。いつまで宗祖の教に反抗出来るか、それも既に限界を過ぎた感じである。いよいよ最後の切り替え時がきているように見える。水島も最後の一人ということか。法を捨てるための最後の勇士ということであろうか。宗祖がどこまで応援の手を差しのべられるか、恐らくはそのような事はありえないであろう。
 世間にも、百年河清をまつということがある。河清とは河が清むと読む。黄濁した水の流れが清むことであるが、現状では河清を求めるようなことは、夢の遥か彼方に追いやられているのであろう。時を待つべきのみ。時が来ればまた仏法の取り返せる日があるかもしれないが、今捉えている時は仏法を失わしめる時であることを知らなければならない。
 本仏や本尊を信心から取り出そうとしても、信心そのものにはそれを生み出す力は持っていない、持っている三学とは出発点で既に断絶があるのである。そこに気が付かないのが水島が説である。そのために本仏や本尊との密着がないので、あせればあせる程ますます離れるのである。何ともお気の毒なことである。一層のこと虚空に本尊や本仏を見、そこに生命を見るなら、伝統をすてさえすれば、それなりに通用するであろうが、己心の法門では、本仏や本尊は大地の上に出生するのであるから、自ら別個のものということになる。
 言葉は同じでも全く異質のものが水島説の中では動いているのである。これを正とすれば己心の法門が邪義となるのは当然である。日蓮大聖人といっても全く別個なものであるだけに紛らわしい限りである。この日蓮大聖人は金に縁の深い人らしいが、己心の法門の側にある日蓮大聖人は金には無縁である処が根本の違い目である。一方は新規建立であり伝統が見当らない。そこで伝統法義の四字のみを言い張るが、一向に四字以上にはふえそうにない。何れを取るか、法によるか金をとるか、必ずこれは両立しないもののようであることは、既に経験済みである。何れをとるかはとるものの自由である。
 世俗が宗教を上廻ったために金が法門を乗り越えたのである。つまり学問が宗教を乗り越え、哲学が宗教を越えた結果、本尊や本仏の出生をもぼやかしたということもあるであろう。哲学は本尊まで絞り込む力は持っていない。知らぬまにその学問が宗門を襲ったのであろうか。今となって見れば大石寺も大きな被害を受けている。哲学と宗教、それは哲学の方が遥かに大きな力を持っている。宗教を支える人等が文明開化の中で世俗の知恵が付き過ぎたために、本来の法門が守れなくなったのであろう。
 大石寺の法門の支えになっているのは中国思想の中でも、老荘の流れを汲んだ隠遁思想と思われる。これは宗祖以来の伝統であるが、明治以来の文明開化の波にはなすすべもなかった。最も重要な部分を一挙に崩されたのであろう。それが信心という形の中で明治以来今も受けつがれているのである。文明開化は世俗と仏教を近付け、更に上廻らしめたのである。これから宗教自信の苦悩が始まるのであろう。ただ大石寺はその代表格であるというまでである。
 中国思想の中には一つの宗教を作るような、絞りこめるようなものを持っているようであるが、明治以降入ってきた西洋哲学には、本来そのようなものはないのではなかろうかと思うが、真実が吾々に分るものでもない。ここは学のある人が充満している宗門に是非の判断を委せたいと思う。しかし、その理はともあれ、とりあえず金との縁は一日も早く断ち切り、而る後にその理を探ることである。大石寺と明治の文明開化と金と、この三が奇妙につながっている。しかもつながる可からざるものがつながっているのであって、将来ともプラスになるようなことはあるまいと思う。
 中国思想と西洋哲学が大石寺を舞台に争った時、結局被害を受けたのは大石寺であった。そして西洋哲学の最も嫌いな己心の法門を捨てる羽目になった。これは大石寺法門の中では最上最尊の珠玉であり、隠遁思想とも直結しているものであるが、今最も嫌われているのが己心の法門である。宗門こぞって邪義として親の仇讎のように悪口を繰り返しているのである。西洋文明の前には、己心の法門も全くなすすべがなかった。その代償として金が入ったのであるが、これは己心の法門を失った以上に恐ろしいものである。
 宗門が己心の法門を邪義と称してはばからない程西洋哲学の思想は大石寺を毒しているのであるが、当事者には恐らくは分らないであろう。己心の法門がなくなれば本仏も本尊もその意義は消滅するであろう。三学や己心の法門はその親の方である。その親を遠慮会釈もなく切り捨てて得々としているのは如何なものであろう。これでは報恩を説く資格はない。或は親が確認出来ないためにこのような結果が出たとすれば、これは不勉強の至りである。大石寺法門の中で親を忘れるというのは主師親の三徳に背くことにもなる。これ亦容易ならぬことである。
 何とか親の恩を知る気を起す方法はないのであろうか。最も手近かな方法は己心の法門や三学を取り返すことであるが、今となってはこれも容易なことではあるまい。これでは山法山規の慈悲の手にも限界があろうというものである。水島先生も少し西洋哲学の研究が過ぎたのではなかろうか。少し冷却期間をおいて、その間に二三十年中国の老荘思想の研究をやってみてはどうであろう。そうすれば少しでも考え方が変ってくるかもしれない。このままでは見ている方の息がつまりそうである。
 また水島山田の教学には時がないのも大きな特徴であるが、これは西洋哲学を基調にするためなのかもしれない。仏法は時が決まって始めて存在するもののようであるが、時がない処で仏法をいい、本仏・本尊を唱えるのであるから、何とも異様である。これに対して老荘の流れの中には時が大きな位置を占めているのであろう。隠遁思想とは切っても切れないものを持っているように思われる。己心の法門は時をもって老荘思想につながっているようである。
 遁世にもただ世俗の中でのみ受けとめるものと、世俗を超過した処で受けとめるものとで、両極端の大きな相違が出ているが、宗祖などは世俗超過の中で受けとめた代表格ということであろう。己心をもって法門を立てるのも、佐渡流罪から竜の口の法難を逆次に捉えた時、魂魄佐渡に至るとなる。つまり逆次の読みによって流罪から最高の悦びを見出している。逆即是順ということであろうが、その順は既に魂魄の世界に開けているのである。文上から即時に文底に移っていて、苦はそのまま楽と啓けるのである。
 流罪をそのまま楽と切りかえることは、己心の法門でなければ出来ないであろう。その時、苦の時と楽の時との間に世俗と仏法の時の相違が示されているが、己心を認めない向きには、格別何の感興も湧かないことであろう。しかし、ここで己心を認めなければ他門と何等変ることもない。しかし今は一切己心の法門は認めないのが日蓮正宗の伝統法義であるから、大石寺法門と分離して考えなければならないのである。これも根本をいえば、時のしからしめるところである。
 若し魂魄佐渡に至った処で時がなければ衆生の成道もなければ、本仏・本尊も顕われなかったことであろう。しかし口では認めないといいながら、本仏・本尊は結構使われているのであるが、現状では己心の上に成じた成道・本尊・本仏とは一応断絶することになっており、今のように本仏・本尊というときにも、その出生が明らかに出来ないきらいがある。今はこの本仏・本尊によっているのである。そこに信心の必要が生じてくるのであろう。これでは肝心の時が違ってくるし、ことに後の時には、時によって本尊・本仏が出現したとはいえないであろう。
 聖人とは時を感じて出生するものではなかろうか。或は聖人は時には関係なく出現するのであろうか。時のない処に聖人が出現しても本仏とはいえないし、また文証によっているともいえない。水島説には、どうも肝心の処へくると文証を除く悪いくせがある。そのくせ必要のない処で引いて、引かなければ文底と読めるものを、引用文のために反って文上に決めることも多い。これらもみな時がはっきり意識されていないための結果である。
 引用文は自分の力相応なものを引いた方がよさそうである。若しヤユするためにこのような方法を取っているのであれば、全く児戯に等しいものである。決して学の深さを表わすことにはなっていないので、早々に改めた方がよい。それよりか時を知る方法でも考えた方が遥かに勝っているからである。時のない処でいくら仏法を称し本仏を唱えてみても、誰れもそのような話にのるものがない事位は知っておいた方がよい。
 西洋哲学をもって己心の法門を見ても、邪義と映るのが精一杯の処である。開目抄に「われ日本国の柱とならん」といわれているのは、開目抄が己心の法門を説かれている以上、己心をもって解するのは当然であるが、それを「われ日蓮正宗の柱とならん」とでも摺り替えているのか、御両人が右手を挙げていきってみても、既に行きつまっているのは目に見えている。何となし振り上げた右腕のやり場に困っているようにみえる。
 解釈がいかに浅薄であったかということも体験したであろう。どうやら結果は逆に出たようである。威勢よく右手をあげたのがそもそも誤りであったので、これはその意気をもって自分自身を折伏し修行した上で、その徳をももって人に対すれば、口をもって折伏する必要もなく、追いつめられて悪口雑言をもって宗門の機関紙をにぎわす必要もなく折伏は出来たかもしれない。これを徳化という。己心の法門を立てる大石寺法門では徳化が身上である。これなら他宗他門と摩擦が起きることもなかった。その己心の法門がそのまま現世に出た時の誤りが、今吾が身を責めているのである。これこそ「逆も逆」という処、御書の意とは真反対に外へ出たのである。
 いきればいきる程深みにはまるのであろう。いまさら抜きも指しもならないであろう。どうもこれは文明開化の被害ということに収まりそうである。詮じつめると西洋哲学の被害ということになりそうである。その学問の世界から大石寺の己心の法門を見れば邪義とも見えるであろうし、その時学問が吸収されて外相に出る下地が出来るのである。
 口に文底を称しながら表われているのは全て文上である。文底文上同時というわけにもゆかない。そして文上に絞られた時、こがねの仇花が咲いたのであるが、己心の法門のこがねは弥勒のこがねであった。こがね違いであったのである。その現のこがねに夢中になっている間に己心の法門は早々に引きあげようとしているのである。御両人はその仇花のこがねの中に己心の法門を見ようとしているのであろうか。実はその中で本仏や戒旦の本尊の語が利用されているのみである。
 弥勒のこがねを取り返すために、最後の努力をしてみる勇気は起きないのであろうか。今正是其時である。己心の法門として滅後末法の時、この「時」こそ救いの手なのではなかろうか。しかし今となっては宗門挙って反対するであろうことは必至である。それは人おのおのの好みであるから、弥勒のこがねをとるも現のこがねをとるも自由である。ただ現のこがねの処には永遠の長寿のないことだけは誰が見ても分ることである。長寿がなければ本仏も本尊もないことは既にお分かりであろうと思う。その長寿は刹那に建立される己心の法門にのみあるというのが、大石寺法門の根源になっている。
 五十六億七千万歳の長年月を刹那に己心に収めた処に大石寺法門は建立されているのであるが、日蓮正宗伝統法義の長寿は六十年の現寿を持った宗祖の寿命を、何の理由もなしに引き延ばそうとしているのである。長寿を感違いしているようである。そのような中で、明星池に毎朝宗祖のなま身が浮ぶというような、子供もだまされない珍説が出るのである。これはどう見ても自説の破綻を宣伝しているとしか思えない。これが、宗門を代表する水島が大日蓮の誌上に載せている長寿の解釈である。これでは文上というにも見当違いである。邪説という程のものでもあるまい。これは仏法でもなければ仏教でもない、世俗では勿論あるまい。この長寿は一体どこの世界のものであろうか。誠に夢のような話である。長寿に関する限り、これ以上逃げることも出来ないであろう。後は断崖絶壁であることは分っているのであろうか。先生方も今少し智恵の使い方の工夫があってもよいと思われる。このような長寿に、宗門は何の異論もないのであろうか。
 長寿のない処に、本仏や本尊は考えないことである。水島は本仏や本尊の消し役を仰せ付かっているのであろうか。とりあえずそのように解釈することにしておくこととする。池の中から寒中の丑寅の時刻に宗祖がニュッと顔を出すというようなことは、何れの文証によるのであろうか。筆者は寡聞にして未だ見たことも聞いたこともない、誠に珍聞罕聞に属するものである。天下の大奇聞であり大奇蹟譚である。七百年も経った今、何故このような奇蹟譚の必要があるのであろうか。そこに何者かが内在しているように思えてならないのである。水島がいきり立った挙句、いよいよ最後になって本仏の長寿を否定したことは第一の収穫であったし、本尊の顕現を阻んだことは第二の収穫であった。困惑の果てに本仏や本尊の長寿を認めなかったのである。
 以前に大村さんは、本尊については一切触れてはならないというようなことを書いていたような記憶があるが、いざ蓋をあけて見たらこのような状況である。これでは蓋をあけるのを拒む理由もわかる。臭い物に蓋をしたその中身がくさっていたのである。これではどうにも手が付けられない筈である。それを今水島が明したのである。明してみれば本仏に寿命のない事であった。これではどうにも手が付けられないのは当然である。そして己心の法門を否定した結果は本尊の顕現をも拒否する結果になった。結局は自分の手で金口嫡々の相承も唯授一人の相承をも否定するようなものが、機関紙に白昼堂々と発表されたのである。大日蓮はこれ程の重大事を、何故発表以前に阻止出来なかったのであろうか。寿命がなければ、本仏とも本尊ともいえないと思う。
 久遠名字の妙法にも久遠元初にも無限の長寿が根底におかれているのである。その長寿を大日蓮は認めないというのである。そして或る時突如として肉身が池上に現じ、しかもそれが本仏なのである。本仏は必ず己心の上に現ずるもの、それが池の底から本仏が七百年目に肉身を現ずるのであるから不可解である。漫画ならそのようなこともあり得るであろう。本仏はそこまで格下げされているのであるが、それだけ只の夢幻の世界に近づいたのであろう。水島の世界は現世を脱れようとして、ついそこの深みにはまった感じである。そこには時がない。
 同じ夢幻であっても、それが魂魄の上に現ずれば、それは己心の法門である。そこでは必ず時が先行するのである。仏法の世界はそこに開けるのであるが、寒氷を割って本仏が肉身を見せるなどという事が、世界最高の宗教をもって自ら任じる日蓮正宗の機関紙に、堂々と発表されているのである。他宗の人等も、開いた口を塞ぐのに骨を折ったことであろう。今の本仏とはこのような処で考えられているのである。これでは一人前の宗教界の仲間入りはむずかしいであろう。本仏が落ち付きを取り返すことが今最も要求されているのである。水島の漫画的な発想による本仏をもって、日蓮正宗の本仏に居えることは危険極まりないことである。況んや大石寺法門の本仏とは似ても付かぬものである。しかも今は水島発想の本仏が宗内を横行しようとしているのである。何はともあれ、まず本仏に落ちつきを取り返してもらうことである。
 如上のような本仏をもって七百年の伝統を口にすることは、以っての外のことである。しかし、己心の法門を邪義と思える間は、本仏はまたしても肉身を見せることであろう。これはいうまでもなく、自ら日蓮正宗を宗教界から後退せしめるものである。文明開化がこのような発想を導き出したというわけではないと思っている。またそうでなかったことを願っている。しかし希望するとせんに拘らず結果はこのように出ているのである。あくまでこれは水島一人の夢の世界の出来事であると考えたいと思う。前後不覚である。前後がわかれば、このようなチンプンカンプンなことは考えられなかったであろう。前後不覚の体、まことに恐れ入りました。
 「牽引附会を止めて御先師の御指南を正しく拝すべし」という論文が大日蓮に載ったことがあったが、外にもこの牽強附会の語は一二回見たことはあるし、その余の主旨は一貫しているようであるが、三秘を根本としては主師以前には帰ることは出来ないし、勿論宗祖に帰ることは出来ない。反って三秘を根本とし、或は信心によって宗旨を立てることこそ牽強附会である。六巻抄が復活を計られたけれども成功しなかった。それ程三秘の根は深いのである。
 三秘によることこそ牽強附会である。この故に成道も本尊も本仏も消えかかっており、僅かに命脉を保っているのは専ら山法山規による処である。未確認のまま、裏の血脉の中で命脉は保たれている状態である。これが民衆の手中にある血脉である。この血脉がなければ、宗祖以来の三学・己心の法門は絶えていたであろう。その時のために事行の法門・山法山規は用意されていたのである。水島や山田が悪口の限りを尽しても消し切れない真実の理由はそこにあるのである。宗祖は既に七百年後、水島・山田等が出ることは予知して山法山規を用意されていたのである。
 「御先師の御指南を正しく拝すべし」という語には、非常に重大な重みを持っている。若し三学をつかんでいなかったなら、一言で吹っ飛ばされていたであろう。この主旨は錦の御旗として何回となく繰り返されてきたが、今回は一向にその利き目がなかった。つまり三学が三秘に勝ったのである。この厳粛な事実を謙虚に受けとめてもらいたい。
 昌師以来、要法寺の辰師流の三秘が入ったことを黙殺することは出来ないであろう。それが主流になっているのが日蓮正宗の教学である。そこに大石寺法門との違いがある。三学と三秘との相違である。そして三学は己心の法門と離れることは出来ないが、三秘には必ずしも必要とはいえない。それが遂に己心の法門が邪義という処まできたのである。
 恐らく三秘には久遠名字の妙法も事の一念三千もないであろうし、本仏も戒旦の本尊もないであろう。これを裏で補ってきたのが山法山規なのである。もしこれがなければ横の戒旦・本尊・題目のみであって豎の線が欠げることになる。横豎と言われる位であるから、横のみをもって一宗建立は出来ないであろう。今はこのあたりを総括して信心ということで、そこに宗が建立されているように見える。
 本来の法門では三学が豎の部分を担当しているのである。宗門の学匠が何故それに気が付かないのであろうか。それでも六月号には、山法山規は邪義だという説が載らなかったのは、せめてもの救いであるが、そのうち始まるかもしれない。筆者は、山法山規のみが唯一の、しかも最後の救いの手ではないかと考えている。そしてそこから上代へ帰る手だてを冷静に考える時がくれば、それは真実宗門が立ち直る時であると思う。
 文段抄ばかり読まずに、少し六巻抄へ眼を向けることである。六巻抄が読めるようになった時は、今のような三秘から抜け出た日である。それが三学に帰るための第一歩となるであろう。四百年という長い年月を経ているのであるから、今すぐというわけにもいかないかもしれないが、現状は長い時間を待つわけにもゆくまい。何れ帰らなければならない宿命であるとすれば、一日でも早い方がよい。ここは思い切りが肝心である。その上で三学の法門の深く広い大らかさを、心ゆくまで堪能してもらいたい。そうなれば機関紙上にお下劣な文言を使う必要も自らなくなるであろう。言葉はその人柄を最もよく表わすものである。お下劣な言葉を使ったから、その人がえらいというわけでもない。あまり見当違いをしない方が賢明である。御尊師といわれる程の人は、常に冷静であってほしいものである。
 「牽強附会を止め」は、宗祖以後主師までの御先師には依るなという意味をもっているものと思われる。専ら三秘に依った御先師に限るということであろう。それでも本仏や本尊は三秘からは出ない筈であるが、これをどのように扱うつもりであろう。これについては一切明らかにしていない。宗旨にあたる部分が全く不明朗である。六巻抄もその第一行に己心の法門が挙げられているので、三学を除いて三秘のみをとり上げることは出来ないであろう。そのために始めから遠慮して、専ら文段抄のみによっているのであろう。
 牽強附会とは三学によって出生したものを、強引に三秘と決めるところに使う語のようである。三学によるものは三学によってこそ、その真実も理解出来るというものである。三学によるものは全て宗旨であるが、今では三秘の中に宗旨と宗教を含めている。これはどうしても、一応の処は分離しなければならない。この引用の一文には、常識ではどうしても理解できないものをもっている。そこを理解するために信心が必要なのである。そしてこれが理解出来ないものを不信の輩といい、無相伝の輩ともいうのであり、信者が本尊に信を致すのとは自ら別問題である。
 三秘一本に絞ってこの論文を見れば一々御尤もであるが、三学の立場から見れば真反対という外はない。そこで何れを根本にしているかということが根本になるのである。それを誤っては、いかなる名調子も無意味である。こちらが宗旨を論じようという時に、時局法義研鑽委員会の発表したものは三秘乃至信心に依ったもののみである。そのために歯車がかみ合わないのである。七百年の伝統を誇るためには、まず宗旨を明らかにしなければならない。その確認が必要なのであるが、これについては一切触れず、専ら三秘のみに終始しているのである。戒旦・本尊・題目が宗旨の形をとっているようであるが、これは三学の宗旨に対しては、宗教のうちにあるようである。或はこれらの三を宗旨として教相に属するものをもって宗教を立てるのであろうか。不信の輩には一向に理解出来ない処である。
 三秘によって宗旨を立てる時には「時」の必要はないが、三学に依る場合には「時」は必ず必要である。これが大きな違い目である。この「時」の確認がないために、時に文上であり時に文底となっているのである。広宣流布も現在の解釈では文上をとっており、三学の場合は文底をとっているのである。それが自由自在に文上文底が出たのでは諸人の迷惑である。今の日蓮正宗伝統法義では文上文底が自由自在に出ているのである。他宗から理解出来にくいのもそのためであり、これを時の混乱と称しているのである。時の整理が今時の最大の課題という理由もまたそこにあるのである。それが出来れば、本仏も本尊もまたすっきりとするであろう。これは悪口雑言のみでは所詮片付かない問題である。何れにしても、宗祖が三学に宗旨を建立されている以上、これに随うのが順序である。そこに日蓮正宗伝統法義の無理がある。
 三学をすて己心の法門を邪義と決めて、開目抄や本尊抄等の御書を読んでみても、大した意義があるわけでもない。使ったとしても切文的に使う以外に方法もあるまい。山田が切文的というのは予防線を張っているのであろう。三秘をもって読めるのは、三大秘法抄位であろう。切文的というのは他宗からそのように言われたことを、こちらへ振り向けようとしているのであり、中古天台の語と全く同じやり方である。三学が勝手に三秘に切り替えられていることも知らず、そのために三学に依ることを主張するものに対して、恥ずかしげもなく狂学の語を以ってするのである。
 牽強附会の語も、三学を三秘に切り替えた処から起っているのである。「逆も逆真反対」の好例である。自らの非を他に押し付けようとする最も卑劣な方法である。それらは、やがて我が身にせまってくることであろう。若し三学へ立ち還ることが出来るなら、そのような批難の大半は無用のものとなるであろう。恐らくは三学を捨てていることさえ気が付いていないのであろう。何れが正しいか、山法山規に照らして見るのが最も身近かな方法である。これは三学によっているからである。
 三秘を捨てない限り、山法山規さえ見出すことは困難である。今となっては、山法山規も一つ一つ丹念に引き出して置かなければ、山法山規も無意味なものに堕すであろう。三学によるものが目に見えないことは、山法山規が最もよく証明している。法門は目に見えないものこそ真実なのである。山法山規は上代から、三秘は中古からというのが偽りのない処である。今漸く山法山規に気が付いたのである。
 三秘はあくまで内秘の処に意義があるにも拘らず、それが誤って三顕となった処に周囲との摩擦が起っているのである。三大秘法抄の三秘には始めからそのようなものがあるのかもしれない。もし三秘を取るなら取要抄の三秘に依るべきである。三学の影にあって内秘を守っているのは取要抄の三秘であって、これは始めから内秘の本領を守っているのである。山田が渾身の力を振り絞って悪口を繰り返してみたけれども、四回が限度であったようである。これも三秘によった宿命である。重ねて繰り返すと次には破滅が待っている危険もある。三秘をもって三学を破すようなことは考えないことである。
 山田の悪口雑言も、今度の巻頭言には一言をもって破折されているようであるが、御本人は案外気が付いていないのかもしれない。今水島がまずやらなければならないことは巻頭言を破折することである。黙殺されていることにさえ気が付いていないのであろうか。巻頭言には既に必要な「時」が備わっているようである。これこそ大きな前進である。山田や水島も、ここまで来て全く色褪せた感じである。同じ号の水島のノートが、いかにもうつろに感じられるのもその「時」のせいであろう。水島程の才子も、どうやら「時」に乗り遅れたというところであろう。今となっては最早取り返しのつかない処まで来てしまったのである。
 大地の上にじっくりと腰を下している本仏が、いつの間にか虚空高く上げられたようである。これも三秘のなせる業であって、民衆との距離もいよいよ大きく開いてきた。そして今はその虚空の中に仏法を求めようとする気配さえ見える。昔は海中深く長寿を求めていたようであったが、今は虚空の中に長寿を求めようとしているのである。同じ長寿でも内容的には大きな開きがあるのであろう。
 仏法の求めている長寿は海中深くにあるようである。昔から空中に宝珠を求得した話はあまり聞かないのもそのせいであろうが、今は宝珠も海中から虚空中に移りつつあるようである。これも文明開化による処であろう。宝珠といえば長寿を意味している。つまり虚空に長寿を求めようということなのである。これでは文殊菩薩も竜女も竜樹も必要がない。さて虚空で長寿を担当していうのは誰であろうか。これは新たな疑問である。文殊は虚空の長寿までは担当していないように思われる。末法に入って虚空の長寿を担当するのは誰の菩薩であろうか。まずこの菩薩を決めなければならない。この文証を求めることは容易な業ではない。
 本仏はその出現に、時の切り替えによって長寿を得ているが、又別に出現以後文殊によって長寿をうけるという、二重に長寿をうけているようである。しかし大地の上に居している本仏が虚空に上れば、その長寿は自然と消滅する理ではなかろうか。妙楽も、宇宙の大霊は本仏でないと称しているし、宗門としては魂魄佐渡に至るといわれているのであるから、大地の上に本仏を見るべきであろうと思う。若し虚空に本仏を見るなら、それは宗祖の画かれた本仏とはいえない。
 虚空に本仏が上るのは、一つには信心の上に画かれたためであり、一つには西洋哲学の影響に依る処であろう。何れも己心の法門の埒外に出た結果がこのように本仏を虚空に押し上げたのであろう。目で見る虚空が己心の法門を上廻った結果と思われる。学問が法門を上廻ったのである。そのために自然と魂魄世界が後退し、現実世界が取って替ったのである。今魂魄や己心の法門をさげすむのも、このような処に原因があるのであろう。これは最早大石寺法門の領域ではない。むしろここの処は日蓮正宗伝統法義の領域である。これらは殆ど無意識の中に、このように変っているのである。そして今はこれこそ正義ということになり、己心の法門が反って邪義と決めつけられている。これこそ顛倒であり、「逆も逆真反対」なのである。根本の立て方の相違がこのような結果を迎えているのである。そうかといって大石寺法門で特別に西洋哲学研究が行われたわけでもない。むしろ全体的には、他宗で研究された成果についての影響が大きかったであろう。その影響下で新発足したのではないかと思う。
 西洋哲学と仏教が合体した処で、その影響を受けたのが日蓮正宗の基礎になっているのでないかと思う。そこに他力的なものが多分にある。そして三学や己心の法門になり替って三秘が大きく浮上したのであり、その理の通じにくい処が信心という名のもとにどんどん進行した上で、日蓮正宗が建立されたということではなかろうか。余り近過ぎて反って糢糊としているのであるが、今水島や山田の唱える教学の故里は、そのような処にあるのではなかろうか。三学に帰り、己心の法門を取り返すためには、そのあたりのいきさつを探ってみる必要があるように思う。
 徒らにいきり立つだけで解決する時代は既に終っているのである。反省する必要に迫まられているのではなかろうか。御先師に背くというだけで乗り切れたのは既に過去のことである。ここに抜本的な策の確立の必要があるように思われるが、格別興味を呼び起すには至らないのであろうか。人並みはずれて優秀な頭脳をもった御両人が近代教育を受けながら、またまた文の上に止まったのでは困りものである。その頭脳をもって文の底に振り向ける事を考えることは出来ないのであろうか。
 本仏が大地に居していることを前提として、大石寺は現世の寂光土であるといわれてきたが、今のように本仏が虚空を住処とするようになると、寂光土は虚空に移ることになる。そして若し本仏と本尊が不即不離であるなら、戒旦の本尊もまた虚空住在となる。本尊は何れを住処としているのであろうか。若し正本堂を住処とするのであれば、本仏は虚空に本尊は正本堂となり、不即不離ではなくなる。何れが真実なのであろうか。山田御尊師の御意見はどうでしょうか。或は離れていても不離なのであろうか。
 昔は本仏も本尊も大石寺を住処としていたために現世の寂光土といわれたのであろうが、今は取り消しになったのであろうか、大分不安定になっている。明星池に肉顏を見せる本仏は、毎朝々々虚空から通勤ということであろうか。大地の底からであろうか、大地の上であろうか、その住処がはっきりしない。これは寂光土が安定していない証拠である。今は只あり合せの本仏論であるから宗義ということも出来ない程のものである。逃げ逃げ放った一弾、まともに的を外れたようである。反ってそれが吾が身に振りかかって致命傷になったのではなかろうか。これでは金口嫡々唯授一人にもつながらない。肝心の豎ではない。豎につながらないものは宗義ともいえない。
 肉身本仏が場所を間違えて出たために、金口嫡々につながる豎の線を崩したのである。この時局法義研鑽委員の説を見ると、当人は金口嫡々唯授一人の相承は否定しているようである。本尊書写の意義もふっとばした。つまり宗義の根本は、ここに示された処では否定されたも同然である。これは三学を消すための涙ぐましい努力の一つである。ここが水島の智恵の限界ということである。時局法義研鑽委員会はそのような事を研鑽しているのであろう。水島ノートからはそのように伺える。その中、自分で日蓮正宗を否定するようになるかもしれない。
 取りあえず本仏・本尊・成道も、金口嫡々唯授一人の相承も、水島の努力によって抹消されたということで、余は新義建立のみという処まで来たのであろう。ここまで来て消し切れないのが山法山規である。これは今のような方法では消すことは出来ない。このようなことの起ることを予想して手を打ってある、これが山法山規であり事行の法門である。宗門側からいえば山法山規であり、また衆生の立場からいえば事行の法門であって、両面の見方の相違である。
 化儀化法を表とすれば山法山規は裏を表わすもの、詢とに表裏一体ということである。影も形もなかったために、水島教学のねらう処とはならなかったのである。この山法山規のみは昔も今も全く変っていない。今更ながら上代の配慮の深さが分ったような気がする。これを知らしめたのは専ら水島教学の低俗さによる処、その功のみは賞しておくことにする。このような時は肉身は遮断しなければならない。世間でも、その罪を憎んで人を憎まずということがある。己心の法門は決して人までにくむようなことはしない。刹那に俗身を遮断して法のみを論じるので、自分等も世間でも既に実行済みである。山法山規もまたこのようなものである。時には仏法と世間との橋渡し役を務めている場合もあろう。
 己心の法門の大らかさは、その罪を憎んでその人を憎まざる体のものである。戒旦の本尊も本来はそのような処にあるべきものであるが、現実には真反対の処で解されているのである。三秘による解釈が、戒旦の本尊を次第にせせこましいものにしているようである。ここの処について、大いなる反省を求めたいのである。
 己心の法門といえば、宗門の中でも毛ぎらいする向きも多いが、事実は世間にあっては自分等も已に実行済みである場合が多い。その基本形をとって法門として造られているもので、本来は親しみの多い筈のものである。法華経に既にそのようなものを持っている。特に羅什訳にはその辺が強いのではないかと思う。それをもう一歩民衆に近ずけたのが己心の法門である。宗門が血相かえて反対しているようなものではない。原点について宗門人がもっと理解を示すべきである。
 人の悪口を言うな、善を言えということも中国から伝来して世間には遍満しており、これも法華経には説かれているように思うが、今となって宗門を代表するような人等の口から出たのは悪口のみであった。世間では遠の昔に消え失せた程のものの再現であった。宗門人の教養の程を伺わせるに十分なもので、文上文底共に一挙にその教を打ち破る程のものであった。腹立つ以前のことである。世俗の怒りを一挙に打ち破った処は、己心の法門のように刹那に世俗を遮断した効果は十分である。
 法門の極意は既に実行済みである。只当人がそれを知らないまでである。山法山規もまたこのように気が付いていないだけで、必要な部分は既に実行済みなのである。これを捉えて或る時は世間即仏法という。この意味では、仏法の重要な部分は世間法では無意識の中に実行されているということが出来る。そこに即の意味がある。平僧が虚空に座を占めようとする程無駄な努力はない。無駄な努力はやめましょう。もっと周辺を見廻せば、いくらでも己心の法門を事に教えてくるものは充満している筈である。とってもって大いに教養の足しにし、余れば弟子旦那の方に廻すべきである。
 爾前迹門の教義は一時中断した方が利口な手かもしれない。その前に自家の法門を理解し、一筋通すことが先決である。そして余力が出来た時には、台家も他家も大いにやってもらいたい。自家を捨ておいて他家にのみ浮身をやつすのは如何なものであろうか。他家のむずかしい語を暗記する前に、もっと身近かな問題に取り組んでみたらどうであろう。先生方のやり方、少々本末転倒のきらいがあるのではなかろうか。追いつめられて爾前迹門から切り返しをはかっても、時の障壁が越えられないなら、始めからやらない方がよい。今となっては浮足だっただけが唯一の収穫であったように思える。
 中古天台という語は、今も像法にいる天台宗の側から出ている語であり、他門のものは在世末法に基準を置いているもの、今はそれをそのまま通用させようとしている処に無理がある。それは時を失ったためである。時を失っては仏法は在り得ない。そのために本仏が虚空住在ということにもなる。本仏が虚空に住在する必要のないような時を確立する処から始めなければならない。若し時のない処をもって仏法と称するなら、それは最も大きな見当違いということになる。
 仏法の前に時を見るのは宗祖の教えであるが、今は後に見ているのであろう。そこに大きな違いがある。境智冥合を本尊顕現の前に見るか後に見るかというのと全く同じ意味である。時は自分で定めるものである。今の結果から見ると、皆さんは時を消すために努力しているとしか思えない。これが数年間を振り返ってみた偽らざる意見である。
 時局法義研鑽委員会、いかにも悲壮感を思わせるものがある。戦後四十年、どこかに感覚のずれが目につく。大らかな己心の法門の性格を、時局の二字が真反対に変えているのである。それが日蓮正宗伝統法義という体質である。三学を捨てて三秘にうつり、その三秘から信心にうつり、信心の上に新しい法門らしきものが生じているが、その信心とは三学類似のものであって、通常の信心ではない。そこから日蓮正宗伝統法義が異状発生し発展しているようである。その信心は三学の上に生じた信心ではない。信仰信心という信心でもない。法門を作り出すための信心で、法門を作り出す力を附与しているようであり、そこから日蓮正宗伝統法義が作り出されている。そのためにその内容がはっきりしないのである。
 七百年もたって宗祖が明星池の底からニョッキリと肉身を見せるのもこの信心の力である。山田法門もこの信心教学による処であるから、互いの言うことが一向に連絡がつかない、行きあたりばったりというのもそのためであって、一度追及されると返事が出来ない特性をもっているのである。次上という語は日本語にはないと大見得が切れるのも、その信心教学の魔力による処である。ただ感情の赴くままに法門らしく装ったものが誕生するのである。そして常に自分を最高位に置き、自らを正とし他を邪と決める。世間はこれを独善というが、日蓮正宗伝統法義は門下の独善の中では最上位にいるものであろう。
 昔から法華の独善ということは言われているが、実際には信者にあっていわれるのではなかろうか。今の日蓮正宗伝統法義は、本来信者の側にあるべき信心の名をもって信心教学を立てている処には、一脉相通じるものを持っている。そこに独善的なものは充分用意されているであろう。個人であるべきものが宗門の上で働いているのであるから、何とも不可解なのである。特にここ五年来の独走はすさまじいものをもっている。五年のうちの最後の二年は明治百年を遥かに凌ぐ程の異様さである。そこに限界が来ていることを自ら知るべきである。これ以上の暴走は身の危険につながるであろうことを知らなければならない。
 内容的には独善も己心の法門の上にあるべきものであるが、己心を離れて外相に出た時に独善といわれるのである。己心の場合は刹那に俗世を遮断しているのであるから世間とは無関係であるが、刹那を忘れたとき独善となる。左にあるべき己心の世界が、そのまま右にあるべき世間に出るのであるから当然摩擦が起きるのである。今の日蓮正宗には多分にそのようなものを持っている。そのために寛師は文段抄でも、その危険を誡められて、立正安国論を中心として、他は皆己心の法門のある御書を撰ばれたのであろう。
 内秘を示されたものが外現と解されて実行されているのが今の在り方である。内秘であるべきものが外現と解されては危険極まりないものである。己心を離れて三大秘法抄となり、それが安国論の推進によって外現と出る時に、三秘から信心へ替っているように思われる。昔から三大秘法抄と安国論は常に一箇して働いている。恐らく三大秘法抄自身には働く力は持っていないのではなかろうか。そのために安国論と離れることが出来ないのであろうか。室町期もそうであったし、国柱会も、大石寺も明治以来及び戦後も、三大秘法抄と安国論とは常に離れることはなかったのである。この二抄も己心の法門に収まれば天下太平ということであろう。
 大石寺法門が一歩己心を離れると、そこには危険一ぱいということである。そのような中で山法山規がどの様な働きをしているのであろうか。或はそれを通して世間へ出るのかもしれない。緩衝の役目をしているのかもしれない。戒旦の本尊の授与書にしても、相手方には関係なく自分の方で一方的に総与というのであるが、今は真蹟でこのように御示しであるということになったから面倒なのである。内秘が外現と解されたのであるから大変なのである。己心にあるべきものは、己心に解するのが最も好い方法なのである。
 本因の本尊が本果と解されたために摩擦が起きたのであるが、御当人は解釈の変化に気が付いていない処に異様な問題が内在しているのである。内面からいえば時の混乱である。滅後の時が在世と替っているのである。何れも末法であり、今でも在滅の混乱は多いようである。滅後に立てられたものが何の予告もなしに在世と現われる場合が多い。仏法は滅後に仏教は在世と立てるのは大石寺の考え方であるが、今はこのような区別は全く失われているのであるから、非常に気が付きにくい。そこに独善の下地は充分備わっているのである。根が深いだけに訂正は困難である。しかしまず手掛けなければならない課題であると思う。
 一口に体質の改善といってもそれ程簡単なものではない。ことに自分の体質を異状と思えるまでには或る年月が必要である。阡陌陟記を書き初めたのも、実はその体質が異状であることを自覚してもらうためであった。そのために選ばれた戦士のために、さんざんなめにこき下される羽目になったのであるが、こちらでは、これによって適当に評価しているので、お互いに相殺ということであろう。問題はこれからなのである。そのためにはまず自分自身の体質の異状を自覚しなければならない。その体質の依ってくる処も同時に知らなければならない。それが目下の緊要事である。しかし現実には自分が追いつめたつもりでいるかもしれない。それは信心という名の法門から導き出されるものであろう。ここはあきれて見ている方が賢明なのかもしれない。それ程特異な体質を持っているのである。
 水島や山田のいう処では、衆生を本仏とは以っての外の邪義だということであるが、客殿の客の字は宗祖を主とした時に初めてその意義があるが、衆生の本仏を認めない今の考え方では客殿よりは本堂とした方が適当なように思われる。衆生を客とすることは、本仏について主客を見ているためであるが、三学が三秘となり更に信心となった今は全く無関係である。
 客人の接待のためであれば、御宝蔵の正面を外した方がよい。それは成道とは関係がなくなるからである。今ではその意味のお客様の方が大切であるからである。しかし口伝えには、衆生は大聖人のお客様だということがいわれている。これは衆生も亦本仏の半分を担当しているという意味であろう。御本仏の振舞ということも衆生が本仏であることを認めている証である。これらも山法山規かもしれない。このようにして本仏の意義の温存をはかられたのであろう。
 昔から一夜番は真夜中を御華水から水を汲んで、お華に水を注ぐことになっているが、恐らくはこのお水取り行事は毎朝の丑寅勤行と関連して、本仏本尊の寿命を永遠ならしめる行事であろうが、信心教学をもってしては一向解釈はつかないと思う。三学以外で解釈することは出来ないであろう。お前机の上が本尊と衆生との許された出合いの場である。
 本尊の側からみれば、華香燈明は本尊そのものであり、衆生の側からすれば、この三は信仰心のほとばしり出たものである。このようにみれば、この御前机の上は生仏一如の境界を事に表わされたともいうことが出来る。それらの意義は殆ど消えているとは思われるけれども、行事は絶える事なく続けられているのである。そしてこれを陰で支えているのが山法山規であるが、その真実の意義さえ失われている。実はそこに真実があるのかもしれない。或は法門が甚深秘密に立てられている表示とすることも出来るであろう。しかしここには、必要に応じていつでも説明出来る用意はあった方がよいと思う。
 大石寺は現世の寂光土というが、今の立て方では説明は出来ないであろうが、これを理解するためには師弟一箇の成道、衆生が本仏であるということは欠がすことは出来ないが、今は共にみとめないのが宗門の基本方針である。信心教学では都合が悪いのはわかるが、客殿の名義は残っていても、正本堂という仮名には合致もせず連絡はつかないであろう。御宝蔵の意義も秘密の意義に立っているものであるが、正本堂はこれに反して顕露の意をもって建立されている。これでは、法門的にはどこへ持っていっても衝突を起すであろう。己心の法門を捨てたために法門が顕露に立ったのであって、一切の矛盾の根元はそこにあるのである。
 正本堂と山法山規とは最初から相容れないものがある。恐らく目に見えない法門を根底から切り捨てることは出来ないであろう。そして複雑化した矛盾の中で黒白も分らぬようなことにもなりかねない。己心の上に立てられた広宣流布が己心を外れた時、今のような広宣流布が文上に現われるので、そこには法門的な裏付けは何一つないであろう。これは三秘に変った以後のことである。ここは自力から他力への変り目でもある。しかし事が秘密裡に行われるために、今に気がついていない。文底から文上への移行である。文底の語は残っていても現実には文上一本であるが、実際には文上とも言えないものも多いようである。
 文底か文上か、まずこれを決めなければならない。言と行は一致しなければならないが、現状は一致しているとは言えない。まずこれを整理しなければならない。正本堂には法門の矛盾が満ち満ちているように見える。法門の矛盾の中に造られたのが正本堂である。正本堂には底の知れない大きな矛盾を抱えているのであろう。やがてここは目に見えない法門と途方もない大建造物との間の戦いの場となるかもしれない。しかも法門の矛盾は目に見えないだけに尚更厄介である。
 今宗門では矛盾との戦いが真っ盛りである。しかもそれに気付かない処で熾烈な戦いが行われているのである。それとは己心と心であり内秘と外現であり、また御宝蔵・客殿・御影堂と正本堂とのことでもある。つまり三学によるか三秘によるかということの戦でもある。それだけに深刻さを持っているのである。宗門内における内面の矛盾は最も警戒しなければならないものである。外からの攻撃に対しては強いけれども、内部矛盾について最も弱いのが宗教である。それが今始まっているのである。水島山田の強気も、すでにその戦が始まっている証拠である。それを乗り越えるために悪口雑言をくり返しているのであるが、恐らくは効果は上がらないことであろう。さて次の対策をどこに立てようとしているのか、是非伺いたいものである。
 一方では山法山規を出しておりながら、他の一面では大石寺版の折本法華経を廃そうという動きが耳に入って来ている。下剋上方式は今も健在なのであろうか。このような事があってもよい下地は充分にあるから、廃されても格別不思議でもない。巻頭言をそのまま素直に受け入れ難い理由もそこにある。日達上人の七周忌を前にしてそのような情報が入るのも気掛りな処である。その意味ではしばらくの静観も止むを得ないことである。
 現実には、現世の寂光土といえるようものは、どこにも見当らない。「逆も逆全く真反対」であるにもかかわらず、依然として「現世の寂光土」という語は健在なのである。現状ではこの裏付けは、恐らくは出来ないであろうが、実際にはこの裏付けをしているのは山法山規である。その山法山規さえも次第に彼方にかすみつつあるように思われる。
 三学に出来たものを三秘から見れば逆であることは当然である。「逆も逆全く真反対」というのは三秘からの見方を正当化し、自を正とすることを正当化しようとする涙ぐましい努力のあらわれである。他は全て邪、自分のみが正というのが山田のいいたい処であるが、実はこのようなことは口にしてはならないことなのである。人を「逆も逆」という前に三秘がどこまで遡れるかを探って見るべきである。そして自分が「逆も逆」の立場にあることがわかれば、或は立ち上がりにつながるかもしれない。
 人を逆と見るのは前にいうように法華の独善的なものをもっているのであるが、これは法門が衆生の処に出た時、始まった語である。宗門自身には恐らくありえないであろう。しかし今のような日蓮正宗の宗義のたて方では、宗門に独善があるのも無理からぬことである。それは宗義の立て方が異様なためである。今の宗門の立て方には、反省の入る余地はないが、三学には常にそれを取り入れている。つまり立ち還るというのがそれであるが、今は三秘によるためにそのようなものが失われようとしているのである。
 立ち還って見れば、現世の寂光土というようなものも、たしかに残っているようであるが、実はそれは山法山規による処である。現実には山法山規がこれを担当しているのであるが、表には決して表われないのが山法山規の美徳なのである。これは己心の法門であるが故である。目に見えないものは信じないのとは全く逆である。目に見えないものこそ真実である。目に見えたものこそ真実であるという考えは、大石寺法門には見当らない。
 内秘を本としながら、時に外現する方式で、これが御宝蔵形式の中に示されている。そして外現した時を広宣流布と称してはいるが、今の解釈は外現一本に絞られた状態である。そのために広宣流布完了を現わしているが、実際には今から広宣流布を目ざすことになったために、止むを得ず迹門流に替って来たのである。根本になる法門の考えが替ったために、それが外相に現われたのである。
 御宝蔵も世間的なものを捉えて甚深な意味を表わしている処は、何れの法門も共通したものをもっているが、正本堂は外現のみによって内秘を捨てた姿である。問題はここから始まっているのである。山田のいう二重構造である。法門の二重構造であるがために矛盾の本源になっているのである。山田もそれを知ってか知らないでかは知らないが、本能的に二重構造をとも角当方へ押し付けようとしているのであろうが、それは何となし或る種の罪悪感があるのかもしれない。
 しかし本来は二重構造が基本である。内秘があれば外現がある。御宝蔵も客殿もまたそれを証明しているが、これらは外現一本の一重構造の立て方では、大石寺法門は成りたっていない。反って二重構造が正常なのであるが、これが異様に見えるのは、見る者の時の誤りのためである。時の誤りを自ら認めているのである。時が正常でないために、正常なものが逆に見えるので、差しあたって勉強不足ということである。まず時がなければ仏法は在り得ないことは撰時抄に示された通りであるが、山田水島法門は時のない処で仏法を称しているのである。そのために法門が自由自在に動き廻るのである。そしてやがて人が廻っているように思えてくる。実はそのあたりで悪口をやっているので、一向に威力にはつながらないのである。まず何をおいても自分が止まる処から始めてもらわないと話には乗れないのが実状である。
 現在は、御宝蔵・客殿・御影堂と正本堂の二重構造になっているが、これは法門の偽りのない姿の具現されたものである。天に二の日は在り得ないごとく、宗門に二の法門が在り得ないことはいうまでもないことである。両雄並び立たずという諺もある。早い処で一に納めた方がよいようである。両雄共にたおれては困りものである。ここまで来れば、後から割りこんで来た側がまず矛を収めるのが最も好い方法である。
 正本堂は出来て十三年、法門的には正常に運営されているものとは思えない。ここは専ら山法山規による運営に頼っているのである。十三というのは素に帰る時である。今正是其時である。その今正是其時とは己心の法門即ち滅後末法の表示である。若し一であれば次の十二があり、また次の十二となる。今は正しく滅後末法の時によれという御指示が出ているものと思われるが、皆さんの解釈は如何でしょうか。この瀬戸を越えられるかどうか、今その瀬戸の際に立っているのである。結論は自力による処である。
 瀬戸とは海面の浅く狭くなった処、それを乗り越える拠点、それを瀬戸際という。瀬戸を越えなければ遠い迂回路へ出なければならない。左するか右するか、そこに瀬戸際があるのである。ここは、正信会も共々に瀬戸を乗り切ってもらいたい処である。しかし、正信会というも護法会というも、その内面を見れば何等の区別は見当らない。区別は外相によるのみである。法門的な自覚がなければ、別立する意義もないように思われる。法門の誤を正すために正信会を名乗るのであれば筋は通るが、信が同じ処に立てられているのであれば、護法会の方が遥かに優位である。
 宗門に対して異論を唱えるなら、まず法門の筋を立てなければ、ただ絶対反対ではあまりにも無定見である。正信会も当方のいうことについては大分反対があるのではなかろうか。ここは反対があるのが当然である。信心に法門を立てようとしていることについては、正信会も護法会も何一つ替りがない。現実に法門については既に護法会の掌握下に入っているのと同様である。むしろ別に居ることの方が理解に苦しむ処である。
 三学から三秘、三秘から信心と、そこに現在の教学がある。これが信心教学といわれているもので、一種異様な雰囲気をもっている教学であるが、これが教学といえるかどうかということになると、大きな疑問を抱かざるを得ない。弥勒の金が三回目には完全に世俗の金になり切っている。そうなれば本来の衆生救済は失われて、救われるのは僧侶ばかりということにもなりかねない。これは「逆も逆」である。今はこの信心教学の中に僧も俗も居るので、己心の法門とは全く逆のような状態であり、そこに体質も出来上がっているので、或る時には凄い拒否反応を起すことは何回か経験しており、いまも正信会・護法会の中には根強く残っているであろう。これがために視野を拡げることが出来ないのである。この辺にも独善の要素があるかもしれない。
 本来の己心の法門には表に立っての独善はあり得ないが、信心教学には十分その用意はあるようである。独善は本寺にあるべき法門が移動した時、それが表に現われるのは信者の処であり、宗門に逆輸入された時、独善的なものを持って帰るのであろう。そして個人感情が先行するようになる。このような処に今の教学は置かれているようである。そのために教学に筋を立てる必要は更にない。これについては水島山田教学が余す処なく証明している通りである。これは護法会も正信会も全同である。そして常に自分を高位においているので、自分に都合の悪い時には猛烈な拒否反応を起すので、それが不信用を起しているのである。自分自身からいえば孤独につながるであろう。それが今の信心教学と称せられるものの一面である。
 信心と教学と、これを一語につなげるのはむずかしいものがあるのではなかろうか。現状はあまり好い結果は出ていないようである。正信会もこの教学から解放されなければならない時が来ているのであるが、現実には一向に無関心のようであり、むしろ宗門側の方が反って関心をもってきたようである。まごまごしていると一船に乗りおくれるようなことになるかもしれない。阡陌陟記が逆に出たということであろうか、信心教学にそのようなものが秘められているのであろうか、所詮は読む者の決めることである。吾々の考えの及びがたい領域があるようである。

 大杉山有明寺のこと
 一見有明寺という語には何かしら分りにくいものがあるが、宗門や正信会ではどのように理解しているのであろうか、どうも皆さん無関心のように見える。信心教学ではどのような解釈をしているのであろうか。或は有師に関する部分が理解の外におかれているのではなかろうか。これも三秘や信心では理解出来ないものを含んでいるように思われる。明ありでは分らない。或は大杉と有明即ち明星ありではどうであろう。その洞窟から地下に入れば冥界である。上行の世界である。それを迎えるのが逆さ杉であれば、虚空の明星ではなく地下の明星をとっていることになる。そこには寿命をもった水が御華水となっている。その水が流れて、戌亥の方から辰巳の方に至れば「日蓮が慈悲を表わす」ことであり、御華水として汲み上げて客殿に至れば、それは本尊の長寿を表わすことになる。そして明星池において本仏と本尊が一箇するのである。
 久遠名字の妙法と事の一念三千とが人法一箇する処が成道であり本尊であり、亦本仏でもある。そしてそこにおいて本因の本尊も現われ、書写も現われて金口嫡々唯授一人の相承も現われる。即ち何れも長寿を持っている。明星は天から来れば丑寅であるが、逆をとるために戌亥となって、御華水の処に明星が現われる。その明星が有明寺の洞窟から入ってゆくことをもって有明寺と名付けられているのではなかろうか。御華水への明星の出現を予言する意をもっているのではなかろうか。
 虚空から直に丑寅に明星が下りるのは天台宗の一部の寺には今も残されているが、大石寺ではこれとは逆に戌亥をとっているのである。その意味では大杉も有明も共に明星に関わるものである。事行の法門はこれを中心として大きく開けているようである。丑寅勤行も、明星口伝も、また事行の法門であり、宗門側からいえば山法山規である。ここは肉身本仏の顏を出すような処ではない。見当もここまで違えばお笑い草である。それが今宗門を代表する学者の意見である。
 本尊の長寿を祝福するのは御前机の上であり、そこには華と香と燈明がある。この三は本尊の働きを示されているが、衆生がこの三を行ずれば、そこには即時に生仏一如が具現するのである。その処がお前机である。丑寅勤行に本尊の現われる処も御前机であろう。師弟一箇の法門はここに結実するのである。そして明星池に写った処、そこは本仏の住処となっているのであろう。明星口伝はそこで本尊や本仏を宗祖一人に切りかえているのではないかと思う。しかしこれは己心の法門の中での所作であり、その本は三学であり二乗作仏である。本因をいえば二乗作仏であり、本尊・本仏の出現であるが、本果をとって宗祖一人に収められるということではなかろうか。
 大石寺法門の極秘の処は全て有明から明星池の辺りに集中しているように見える。その明星池の水は東南に流れて一閻浮提に至り宗祖の慈悲を被らしめる仕組になっている。余れば弟子旦那へという慈悲の流れである。御書が事行に示されているのである。大らかな慈悲の流れであるが、今の慈悲は、これに比べると何となし押し付けがましい処が気に掛るようである。これも本因の面が薄らいだためのように思われる。
 本仏の慈悲は岸辺にそだつ草のごとく、慈悲は強要しないようである。慈悲と思うも関係ないと思うのも判断は相手まかせ、その大らかさが特徴のようである。草がどう受けとめているか、これは草に聞かなければ分らないことである。受けたといえば、これはいうまでもなく草木の成仏である。草木成仏は、一方的に強制されたのでは分りにくいものである。これは本仏にしても本尊にしても、そのようなものを持っているのではなかろうか。そこに師弟子の法門というような、お互いに持ちよるというものが必要なのではなかろうか。これなら不信の輩にも充分理解出来るものがある。
 有無を言わせず、只信じろといわれても、不信の輩には通用しない。信用しないから悪口雑言を繰り返してみても、折伏効果が現われないのは、強制することに法門的な欠隔があるように思われる。始めから本筋を離れているということであろう。水島御尊師と宗祖とでは大分の開きがあるように思われる。如何でしょうか。異論があれば大いに論じてもらいたい。長々と続けたノートには、只の一回も以上のような大らかな慈悲を見出すことは出来なかったのである。これは水島のみに限らず、諸師何れも例外ではなかった。そこに吾々は限りない寂しさを感じているのである。所詮悪口雑言は法門ではなかったというのが今の結論である。悪口雑言が宗教の領域でないということだけは分った。これは大きな収穫であった。これを諸の御尊師方の御慈悲と頂くことにしておくことにする。その陰にあって甚深な教学の一端を窺い知ることが出来たことは望外の悦びであった。大いに敬意を表したいと思う。
 無学のように、無智にもまた二つある。絞っても絞っても出ない無智と、絞る必要のない無智とである。前は文上のごとく、後は文底のごとくである。菜種油を絞る時、絞って出なくなれば捨てなければならない。無い智恵は絞っても出ないのは当り前である。それは時を誤っている故である。たまたま出ても文上の智恵では使いものにはならない。無智の境界で智を使ってもらいたい。
 ノートには、一頁の半分に満たない処にも矛盾が現われている時がある。それが次第に度を増して来ているようであっては、一向にヤユにはならない。誰もその矛盾を教えてやるものもないのであろうか。何ともお気の毒なことである。見捨てられた孤独とはこのような状態をいうのであろうか。無智も愚俗の智の及ばないようなものであって欲しいものである。事行の法門といい山法山規というも、実はこのような境界にあるものであろう。末法本仏の慈悲もまた変りはないであろうが、それを受けるためには時が必要である。時さえ決まれば、先生方のような智は無用なのでる。ここでも時を大きく誤っている。
 「中古天台」を称する天台学者のものも、大石寺法門とは根本的に時が違っている。恐らくそれは像法の眼をもって滅後末法を見ているのであろう。それをそのまま流用するために時の混乱が出て、結局は自分が像法に閉じ込められるのである。それが今の水島山田の置かれている境界である。それを即時に滅後末法とするために信心が必要なのであるが、そのような信心は、時とは全く無関係であるにも拘らず、それが分らないから盛んに使っているのである。それが水島山田教学なのである。
 大石寺法門は滅後末法の時の上に建立されているのであるが、今は無時の処に建立されているものと思われる。そのために滅後が在世に出ても気が付かないのである。これでは左に立てられたものがそのまま右と出るのであるから、摩擦は当然起る筈である。それを避けるために己心の法門が用意されているのであるが、今はこれさえ邪義となっているのである。これでは時の混乱がない方が不思議である。
 昔、中国の斉の世に孔稚珪という人があった。この人が北山の山霊になりかわって移文(廻文)を立てて、曾つてこの山に隠遁していた人が或る時突然節を替えて役人となり、今でいう県知事となった。それが今この北山に来ようという時、その変節をなじって山の草木に呼びかけたもののようである。水島山田先生も大日蓮華山から廻文を付けられないように、念のため一度北山移文をよく読んでみるとよい。山霊から廻文を付けられたらことである。山中に立て札を立てられてはこまるであろう。
 宗祖の身延隠遁の意義でも考え直してみるとよい。今は山霊も大分お怒りの体にお見受けした。百關助Mを読む余暇に「北山移文」の一篇を読むと頭の掃除にはなるが、今となっては読みにくいかもしれない。大石寺法門の故里は案外そのような処にあるかもしれない。大日蓮華山の山霊の御叱りを受ける前に一度よく読んでおくことである。山霊は虚空に居るのではなく、山の地の底を住処としているのであろう。日本では一般に山の神といわれている。地主神である。叡山の日吉神社のごときであり、一度この山の神が怒れば、いかなる者も手が付けられない、非常に恐れられていたもので、昔は家庭には一人ずつ居たものである。
 とも角一度北山移文を味わってみるとよい。北山の山霊は、金と権力に走ったもとの隠遁者の無節操ぶりを怒っているのである。そして、その汚れた足でこの清浄な土を踏んでもらいたくないと言っているのである。またこの一篇の示すように、法門は非常に立て難い処に立てられていることもわかる。それだけに持ちがたいのである。それがどういう風の吹き廻しか、黄金の吹き寄せの唯中にいるのである。大日蓮華山の山霊が廻文を出さないのが不思議である。この廻文、吾々が気が付かない処で、すでに出ていて、そのために混乱が起こっているのかもしれない。甚深の処、到底不信の輩のよく聞知する処ではない。  昭和六十年八月六日   川 澄  勲

 

 

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 大石寺法門 (一)


 

 
卞和の璞玉
 
和氏
 
開目抄
 
久遠元初
 

 
忠孝
 
戒定恵
 
二の大事
 
丑寅勤行
 
文底
 
天と虚空・天道・天命
 
水島ノートの終結  


 

 五十九年八月廿一日発行の富士学報第十三号を、一年ぶりに見ることが出来たが、注意されてよく見るといずれも五十七年の成果である。その中に優秀論文として山田・水島の二篇がのっていた。これによると、五十八年度・五十九年度のものは未刊ということになる。随分のんびりしたものである。水島の優秀論文には「大聖人の己心」と「己心も心も同じ」というのがあるが、翌五十八年の水島ノートでは「己心の法門は邪義、己心の戒旦は邪義」ということに変ってきている。ここでは大聖人の己心は消されているのであろう。これでは大聖人の己心は一年間の生命であった。随分の変転である。
 己心の法門も我心の在り方によって正ともなれば邪ともなる。いかにあわてているかということが歴然としている。男の子は落ち付きが肝心である。それが六十年となると邪義ともいい兼ねるようになった。つまり二年三年の見通しが利かなかったということである。開目抄や本尊抄の己心も遂に棚上げされたのである。これを見てもいかにあわてているかということが分る。宗義の根本になる己心の法門は全く暗中模索である。このようなことは相手に知らせるものではないと思うが、それさえ出来なかったのである。その「己心は邪義」という中で日蓮正宗伝統法義が唱えられているのであるから、その内容を把握することは、恐らくは不可能なことであろう。
 水島優秀論文では、観心の基礎になる処は、全て現代の天台学者の論文のみで組み立てられているようである。そして臆面もなく四明を天台の正当と認めていることは、そこに記している通りである。この天台諸師のものを根本として、後に寛師のもの等を引いているが、前のものからは本仏や本因の本尊は出る筈もない。これでは只並べて見ただけで何の意味もないことである。つまりは天台学者の観心の中に寛師のものが摂されるのは当然である。これは観心に付いては天台の阿流化したことを表明した以外何物でもない。これが五十七年度の富士学林の成果ということである。
 これが翌年に至って己心を邪義と決める根底になるのであろう。しかし、己心を邪義と決めては、本仏も本因の本尊も出ようがない、仏法も出番がないということになれば、仏教に帰るか、仏法も仏教も飛び出すか、二つに一つの方法しかない。今その岐路に立っているのである。この論文は、そこの処を明して妙である。大聖人の己心といい、己心も心も同じといい、己心は邪義という。これでは信者衆も迷惑である。大聖人の己心を邪義というのと何等変りがないからである。
 さて、己心も心も同じだという理論がどのようにして起きるのであろうか。この語は阡陌陟記第一巻に対する反揆の第一声であったが、いかに困惑しているか、その表情があらわである。思いもかけず口を突いて出た偽らざる真情であろう。これを水島論文も受け続いでいる処を見ると、日蓮正宗伝統法義の根底になっていることは慥かなようである。六年間今も続いているように思う。山田がいう処の蝙蝠論法流である。これが本仏論を分りにくくしているのかもしれない。若しこれが分るとすれば信心以外には方法はない。若しこれが分らなければ不相伝の輩・不信の輩である。そのくせ自分等は信心によってのみ分る超過方式によっているのである。それが日蓮正宗教学なのである。
 さて、不可解な「己心も心も同じだ」という語がどのようにして出来たのか、一応考えて見なければならない問題である。即ち戒定恵の上に仏法を成じ、魂魄の上に己心の一念三千を見出だした処に本来の大石寺法門が成り立ち、そこに本仏も本尊も現われるのである。その戒定恵の三学がいつの間にか三秘に成り替る時、即時に仏教に還ると、そこには肉身が待っていて、肉身を遮断した処に出来た己心の法門に再び肉身が添うことになり、肉身本仏論が唱えられるのである。そのあたりで己心と俗身の区別がつかなくなった時、己心が心に替り、己心に成じたものは消えることなく、仏教の時の中でその働きを示すようになると、観心も天台のものの方が分りやすくなり、次第に法門も迹門化し、迹仏世界で本仏がその存在を主張するようになり、抜さしならぬ時の混乱に陥って、果ては肉身本尊論も出るのである。
 本仏も本因の本尊も、共に仏法を外れては成り立たないものであるにも拘らず、迹仏世界に根を下そうとする、それが正宗教学の基礎になっている。水島論文はその様な中で、天台の観心をもって正宗教学の観心に置きかえようとしているが、僅か三ケ年で抛棄の止むなきに至った。ここ二三年爾前迹門を移入して教学の完成を目指して来たが、結局は時の壁にはばまれて、何れも成功する処までには至らなかった。そして事の始まる前の折伏と広宣流布に立帰って再出発の余儀なきに至ったのである。すべては仏法の時を失った処に起因しているのであるが、当人は時に関しては一向に無関心のようである。そのあたりで仏法と仏教とが混乱した結果が、次第に仏教寄りになっているのである。仏教に下りると亦俗世との間の区別も付きにくくなっているような面も起っている。このようにして、本来の法門とは似ても付かないようなことにもなるのである。独善というのはこのような処を指しているのであろう。
 本来は独一である。これは独りをもっぱらにすると読むべきであろうか。独善はいつか孤独におちいる危険を多分に持っているように思われる。最も警戒しなければならないところである。今の宗門はここに大胡座をかいているのである。世界最高と自称する日蓮正宗の教学は、ここに建立されているように思われる。世界とは仏法世界のことであり、ここは最低のない最高であることに注意しなければならない。末法の始と同じく、終りはすでに摂入済みなのであることに注意しなければならない。自分を最高と決め、相手を最低と決めることは、自を正、他を邪とするのと同じ考え方である。
 今は他宗というべき処を必ず邪宗と称している。これなども元を尋ねると時の混乱に依って起こった語であろう。今は自を正ときめて己心を唱えるものを邪と定めているのである。この正邪の決め方は一種独特の超過方式を持っているのである。他を邪宗というけれども、それ程悪気をもって言っているわけではない。只自分一人が威張りたいという事のみであるが、そこには仏法で出来たものがかすかに残っているためであろう。仏法に帰ってしまえば他宗を邪宗と決める必要は即時に氷解するのである。
 己心も心も同じだという時、己心を邪義と決めるなら、当然心も邪義ということになる。これでは本仏も本因の本尊も邪義から遁れることは出来ない。また久遠名字の妙法も事の一念三千も邪義ということになる。教学部長の手元には、これに対する副案は既に出来上がっているであろうか。己心も邪義、心も邪義ということになれば、大石寺法門、日蓮正宗の宗義悉く邪義ということになる。これは水島山田御両名も予定にはなかったのかもしれない。しかし、これでは今まで発表した処もまた邪義ということになる。このようなことが何故事前に分らなかったのであろう。こうなれば、どうしても御脳の程も疑わざるを得ない。とも角も開目抄や本尊抄や取要抄等の一連の御書は、特例を以って邪義から除くようにしておいた方が無難である。また時局法義研鑽委員会がやってきた事も邪義の研鑽であったし、教義一切を邪義と決めた上で一宗建立しているということになれば、これは大変なことである。そうなれば今度決まった折伏と広宣流布も、自宗の教義全般を邪と決めた上での事であろうか。
 「己心も心も同じだから心にしろ」とは、それ程深い思慮の中でいわれたのではないかもしれない。追いつめられた中でとっさに出た逃げ口上であったのかもしれない。思わぬ処に伏勢があるとは宗門も気が付かなかったのであろう。このようにして見ると、己心を邪義ときめることは一から出直しである。今までの反撃悪口雑言は、一応無に帰した方が賢明かもしれない。こうなれば、己心と心は別だ、己心に帰ろうということも出来る。
 己心も心も同じだというてから、己心の法門は邪義だというまでに二三年かかっている。恐らく前言を忘れたということであろう。己心や戒定恵の三学や仏法を忘れていたのであろうか、不信の輩には分らないことばかりである。その様な中で肉身本仏も考えられているのである。これを正とすべきか邪というべきか、楠板を肉身と見、心と見た時に肉身本仏論が成り立つのであろうか、一向に理解することは出来ない。己心の法門を邪義と決めた水島法門が心の上に建立されているなら、これまた邪義という外ない。己心を邪義と決めれば心もまた邪義である。二十八回のノート悉く邪義である。水島もって如何んとなす。
 水島には「大聖人の己心」と「己心も心も同じ」と「己心は邪義」というのと、三種の己心がある。結局己心も心も邪義の処に収まるであろう。これが三年間の成果である。一体己心について何がいいたかったのであろうか。今となっては空に帰したということである。ただ己心も心も邪義ということで、心にしこりを残したであろう。山田も水島も出だしは威勢はよかったけれど結果はあまりよい方ではなかった。結局は自分等のための責め道具のみを残した。ここまでくれば最初の「己心も心も同じだ、心にしろ」というのは意外に大きな障碍を残したことになる。今後は時局法義研鑽委員会も、自ら蒔いた種を除くために全力を挙げなければならないであろう。
 「観心の基礎的研究」は、四明流を天台正統教学と決めた上で、現代の天台学者の説を拾い集めたものであって、大石寺教学とは一向に無関係である。たとえ寛師のものを挙げてみても、天台教学が強い上、寛師の根源になるものがはっきりしないために、結局は天台学の力に引かれて、結果は迹門に出るであろう。これでは正宗教学の根本は天台のものということになって、仏法とは遥かに隔りのあるものになる。現在の正宗教学のありのままを明しているとすれば興味を引かれるものがある。
 戒定恵の三学を忘れ、己心を邪義と決めては仏法が成り立つ筈もない。仏法はただ語として残っているのみということである。根本は時が失われていることに起因しているのである。今振り返って見ても、水島教学は時がないのが特徴である。そのために折角引き乍ら元の引用文の時に執着するために仏法に入ることも出来ず、反って混乱を起している。時の切り替えが出来ない位なら、文は引かない方が遥かに勝れている。そのために今行き詰ったのである。
 現状では、仏法を語るのは時機尚早ということである。そのあたりに反省の必要がある。筋が通らないのもその故である。横計りに力が入りすぎて、肝心の竪の一線が抜けているのである。横とは所謂台家であり、理の法門のこと、一念三千でいえば理にあたるところ、大石寺法門は事に立てられているのである。事理の差別は言いかえれば仏法と仏教の相違である。
 三学に依るか三秘によるか、今は三秘に依ったために時の混乱が起っているのである。一旦己心も心も同じだといったのも根本はそこにあるのである。それが三年もたたない内に己心は邪義といい出したのである。余程の顛動があったのであろう。水島ノートも二十八回で終わり、一切を空に帰せしめ、何の前進もなく再び折伏と広宣流布に立ち帰ることになった。これなら初めから黙っていた方が余程賢明であった。見通しが二年半はもたなかったのである。そして一切は振り出しに返ることになった。その間、教学の深さの程は余す処なく拝見することが出来た。返す返す光栄に思っている。
 水島教学の観心は四明流を根本としているが、大石寺法門とは違っていて、宗祖のような己心は一切認めない。そして仏法は殆ど語のみを残して仏教に移り、そこで仏法を唱えるのであるから、聞く者に異様な感を与えるのである。仏教を世法に移して仏法は建立されている。それをそのままにして仏教に帰ろうとするために、他宗の拒否反応に遭遇するのである。つまり時の混乱という以外、云い様のない処である。僅か五六年の間に色々と極意の処を授かったことは大いに謝さなければならない。何れ本処に立ち還らなければならない時が来ているようである。その本処こそ現世の寂光土なのである。
 己心の法門を邪義といい出したため、遂に己心を認めない四明流に根を下したようである。宗祖の三学や己心、そして仏法の意義が消えたために起ったことである。己心が邪義なら開目抄や本尊抄など所謂十大部は在り得ないであろう。若しそうでないというなら、それらの御書から文証を示すべきであろう。このような肝心の時に文証を示さないのは水島一流のやり方である。
 本仏や本因の本尊は大石寺法門の圧巻であるが、一歩仏法を出ては恐らくは成り立たないであろう。そこに時が不可欠なのである。開目抄や本尊抄が集約されて仏法の上に建立されている。それを今は仏教的な眼をもってのみ理解しようとしているのである。これは戒定恵が忘れられたためであろう。これでは他宗もなかなか理解を示さないであろう。そこで出るのが不相伝の輩であり不信の輩である。充分に相手を得心せしめることが出来るなら、そのような異様な語は必要はない筈である。それが今も生きていることは、自分達の力では説明出来ないことを暗に示しているものと思う。このような語こそ、宗門にとって最も不名誉な恥ずべき語である。筆者など何回となく経験している処である。時局法義研鑽委員会も、このような語を使わないですむような教学を確立することこそ目下の大急務である。
 己心を邪義と決めるための委員会程無駄なことはない。成果が布教叢書一巻ということは何よりもよくこれを証明している。そして本のままの折伏と広宣流布に立ち返ったのである。しかも己心の法門をすて、教学は四明流を正統と仰いで、全面的にこれに依存することを公表した。それが唯一の委員会の収穫であった。この教学に依る限り、本仏や本因の本尊が現ずるようなことはないであろう。これは今後に大きな課題を残したことになる。最早悪口雑言の舞台は終った。そして今最悪の道を自ら選んだのである。前途誠に多難といわざるを得ない。
 山田が伝統法義を称していたのも、実は四明流に自信を持っていたのかもしれない。これでは自称伝統法義も破綻必至ということであろう。繰り返しノートに載せていた不軽菩薩も遂に仏法には連絡が付かないまま終結したようである。いよいよ困じ果てた時、何故四明流に走ったのであろうか。前世の宿業とでもいうべきか。今後は四明教学の上に仏法を語るようなことが公然と行われるかもしれない。四明教学の上で本仏や本因の本尊が山法山規のごとく語られるなら、双手を挙げて拍手を送りたいと思う。数年の研鑽は、四明教学に至ってその成果を現わしたということであろう。  

 卞和の璞玉
 これは全くの余談であるが、たまたま大日蓮に粛道さんのものが載っていたので少し補足することにした。出処が省略されているが、委しくは東大寺凝然の三国仏法伝通縁起ではないかと思う。原出処は韓非子の和氏に依ったもので、多少粉飾されている処もあるので全文を引用することにする。これは学習研究社版中国の古典によったもので、初めにその解説も引用させて頂くことにする。韓非が主張する「法術」について、これが君主に受け入れられることの如何に困難であるかの説話である。卞和が「法術の士」に、名玉が「法術」にたとえられている。名玉の璞を只の石と鑑定した玉工とは君側の「大臣や近習」などという御取巻であろうと。以上はその要約である。宗祖の引用もこの意味と思うが、粛道さんが今の時機にわざわざこれを引用したのがどのような意味か知らないが、時節柄興味深いものがある。しかし折角持ち出されて見ても、見る側では一向に無関心であろう。悪口雑言は一時の自己陶酔でしかない。既に内部からも卞和の警告が出ている時、とってもって反省の資に供すべきである。

 和氏
 楚人和氏、璞玉を楚山の中に得、奉じてこれを脂、に献ず。脂、玉人をしてこれを相せしむ。玉人曰く「石なり」と。王、和をもって誑となして、その左足をきる。脂、薨じ、武王位に即くに及び、和またその璞を奉じてこれを武王に献ず。武王玉人をしてこれを相せしむ。又曰く「石なり」と。王また和をもって誑となして、その右足をきる。武王薨じ文王位に即く。和すなわちその璞を抱いて楚山の下に哭す。三日三夜、泣尽きてこれに継ぐに血をもってす。王これを聞き、人をしてその故を問はしむ。曰く「天下のあしきらるる者は多し。子なんぞ哭するの悲しげなりや」と。和曰く「吾あしきられたるを悲しむにあらざるなり。夫の宝玉にしてこれに題するに石をもってし、貞士にしてこれに名づくるに誑をもってすることを悲しむ。これが悲しむ所以なり」と。王すなわち玉人をしてその璞を理めしめて宝を得たり。遂に命じて「和氏の璧」と曰う。それ珠玉は人主の急とする所なり。和は璞を献じて未だ美ならずと雖も、未だ人主の害とならざるなり。然れどもなを両足を斬られて宝すなわち論ぜらる。宝を論ずるはかくのごとくそれ難きなり。今人主の法術におけるや、未だ必ずしも和璧の急ならざるなり。而して群臣士民の私邪を禁ず。しからば則ち有道者のりくせられざるや、特帝王の璞未だ献ぜられざるのみ。主、術を用うれば則ち大臣断をほしいままにするを得ず、近習あえて重を売らず。官、法を行えば則ち浮萌は耕農に趨き、而して游士は戦陳に危し。則ち法術はすなわち群臣士民の禍とする所なり。人主よく大臣の議に倍き、民萌の誹を越え、独り道言に周するにあらずんば、則ち法術の士は死亡に至ると雖も、道必ず論ぜられざらんと。
 皆さんにも是非右の和氏の一篇を読んで頂きたいと思って引用した。大村さんや水島・山田御両処にも読んでもらいたい。大日蓮に卞和の璞玉が取り上げられたことは、偶然とばかりはいえないのかもしれない。何ともいえない甚深のものが感ぜられる。玉は地上にあるもの、珠は水中にあるものをいう。石中の玉を見出だすことは至難の業であるが、それにもまして海の中の一念三千の珠を見出だすことは更に困難である。宗祖の譬意もここにあるのかもしれない。委細は想像する外はない。この寿量海中の珠は己心の眼をもってのみ見ることが出来る。見出だすことの困難さは卞和の璧にも劣らぬものであろう。今は己心の法門を邪義としている。これでは一念三千の珠も見出だすことは至難の業といわなければならない。心もまた邪義ということになれば尚更である。どこまで行けば邪義の声が消えるのであろうか。誠に日暮れて道遠しというべきか。
 粛道さんも序に解説を加えておくべきであったと思うが、今は私意をもって引用したまでである。きらってもきらっても赤子に乳を含ませようとする母親の慈悲と一脉相通じるものがあるが、共に御書には譬として出ている処である。或はこの中には末法の本仏の慈悲を示されているのかも知れない。しかし、金が出来たから御利益を受けた、これこそ御本仏の御慈悲だというのとは遥かな隔りがあるといわなければならない。今はこのような慈悲を口にする御尊師が非常に多いということを、よく耳にすることが多い。滅後末法の慈悲を、そのまま俗世に振り向けた時、このような慈悲になるのであろう。これまた時の混乱のなせるわざである。水島が行き詰りも根本はこのあたりにあるのかもしれない。ここは卞和や赤子に乳を含ませる母親の慈悲を取り返すことが一番の近道ではあるが、そこまでの頭の切りかえは、現状では出来ないであろう。
 末法の本仏の慈悲が卞和や母親の処に秘められていることが分れば、それは仏法である。まずこれを知ることが何より先決であると思う。水島御尊師がいくら御利益法門を強調してみても、そこに旧に倍した発展があるかどうか、甚だ疑わしい処である。何としても御利益法門をもって末法の慈悲とすることは滅後末法には不向きのようである。
 仏法と御利益法門程相離れ、質の異ったものはないであろう。しかも今はこれを同時に扱っているのであるから驚きである。開目抄は「仏法は時に依るべし」と結んであるが、これは相異った時が一箇した扱をしているのであるから、今は時を抜き去ることのみに専念している。今まで水島や山田の論じた処は全てこれをもって行動の根拠としているのである。そのために三ケ年を満ずることもなく、自ら口を閉ぢざるを得なくなったのである。水島ノートの最後をかざった不軽菩薩の迷論も、時の混乱を最もよく表わしたものである。即ち滅後末法の時と像法の時との混乱であるが、これは完敗に終ったようである。このようなことで頽勢が挽回出来るものではない。
 二年有余のノートも結局時の混乱の中に消え去ったのである。悪口雑言は最もよくこれを証明しているものと思われる。更によく見直して見ると、滅後末法の時による仏法と在世像法による仏教の時と、更にその二を引かえた世俗の時と、この三が混雑しているのである。そのような中で肉身本仏が登場する。このために他宗の人には尚更理解出来ない。それがやがて独善となり孤独の道に通じてゆくのである。己心の法門の孤独は独一であり、独りをもっぱらにする処は孤高に等しいもの、これは光栄ある孤独である。
 水島の観心の基礎的研究は四明を天台の正統と仰ぎ定め、現代の学者の成果を寄せ集めた上の「観心」であり、そこに本仏や本因の本尊を求めようとしているのである。そして仏教の時の中にあって、時々思い出したように、しかも何の予告もなしに仏法の時に切りかえられる。そのような中で不軽と上行が処を異にしてくるのである。厳密に云えば何れの時にも属していない。結局は世俗の時にあるとしか思えない。そこに水島教学が展開しているのである。もしそこで論じるなら、本仏や本尊はまず取り下げるべきである。これらは必ず仏法の時を確認した時始めて論ずるべきものである。
 成道は爾前迹門に、本仏や本尊はこの優秀論文が示すように迹門に居るのである。しかしながら四明流から仏法の己心を求めることは出来ないであろう。そのために或る時は己心を正義とし、或る時は邪義とするのである。これは法門の上の不節操である。法門はいうまでもなく節操が身上である。その節操とは時をもって代表されるものであることは今更いうまでもないことである。これが初手から守られていないのであるから大変なのである。これを明了にしたのが優秀論文であった。要するに従来の信心教学を、四明教学をもって裏付けた上で、伝統教学に昇格させようとしているようにさえ見える。優秀論文はその秘密を示しているが、これはどう見ても完全な失敗であった。論文発表後一ケ年で早々と終末が来たのである。さて次は何をもって伝統法義と称するのであろうか。
 いくらあせっても、四明流から元初や久遠名字の妙法を求めることは出来ない相談である。そこで裏工作の中での仏法が登場するのであるが、これが異様に不明朗な印象を与えているのである。宗祖が伝教の二乗作仏と三学倶伝の妙法を根本とし、従義流に拠っている以上、四明流に拠る水島教学が成功するようなことがありえないことは、水島ノートが二年四ケ月で終末を迎えたことが最もよくこれを証明している。これは事に表われた姿である。宗祖の根本義である己心の法門を邪義という邪説が、いつまでも続くわけのものでもあるまい。そして宗祖に背いている以上ますます宗義を離れるばかりである。そうかといって、残された文字を四明流に切りかえるには、水島・山田を主体とする教学陣ではあまりにも力不足である。
 山田は去年の夏過ぎ以来半年もたなかった脆さであった。その後再起をねらっているのかどうか、一向消息不明であるし、今また水島も全く生気を失っているようである。昨年論文が公表された以後一ケ年の生命であった。これでは単なる一時の思い付きという外はない。どのように詭弁を弄してみても、御両人の教学をもって宗を保つことは困難なようである。これを知り得たことが唯一の収穫であった。水島教学も所詮は信心教学を一歩も出るものではなかったことは、自ら証明して余りあるものがある。さて次はどのような教学をもって立とうとしているのであろうか。今は既に上にいうような教学によって成り立った体質の改革を迫られているように思われるが、案外無関心なのかもしれない。
 優秀論文は脱迹を振り切って、もとの迹門に還帰しようとしたことは、文の面にあまりにも明了である。これを優秀と認めることは、宗門地体そこに根を下しているからである。それが自然の姿でそこに表われたものであろう。言いかえれば、宗祖の教えを如何に切り替えるか、如何に振りきるかという中での一幕であったが、これは見事に失敗したようである。この優秀論文に依る限り、迹仏尊崇の中に終始するのが最も順当であり、その掌握下にあって仏法を唱えようという処にねらいを付けているように見える。信心教学に始めて教理的な裏付けをするつもりであったように見えるけれども、見事な失敗であった。もっと教学を深めて、その上で再挑戦した方がよさそうである。
 信心教学に対しては優秀であっても、古伝の法門とは少し格式が違ったようである。しかしこの論文が現在の宗学よりは優秀であることを説明したことは、それなりに大いに意義はあったと思う。吾々もその功績のみは認めざるを得ない。この境界からすれば、己心の法門が邪義と思えるのも当然である。今でも邪義の線は充分守られていることであろう。しかし、護法局や正本堂を守るためには迹仏世界に居ることは不可欠である。このねらいのみは間違いなかったようである。正本堂を守るための護法局の教学的な裏付けが、極く自然に四明教学にたどりついたのは、全く人智を超えた不思議な一致であった。若し不思議一致派とでも称するなら教義を更えることも自由に出来るのではなかろうか。  

 開目抄
 「外典を仏法の初門となす」、「内典わたらば戒定恵を知り易からしめんがため」とは開目抄の文であり、孔子の話になっているが、鎌倉の時は外典も内典も既に渡っているのであるから、これは譬喩である。実際には内典特に法華経を外典に摂入し、既に世法として世間に流布している孔孟や老荘の思想から戒定恵を取り出したのが開目抄であった。そして戒定恵を確認した処に始めて仏法が成じた。ここに仏法の時が出来たのである。最後に「仏法は時に依るべし」と結ばれていたものは、撰時抄では冒頭に置かれて、仏法の時を明されている。この時は開目抄に必要な時であるが今は殆ど時が無視されたために、仏法に止まることがむづかしくなっているようである。その代理として悪口雑言が登場したのであったが、結果は仏法の時を乗り越えることは出来なかった。そのために後退の止むなきに至った。水島優秀論文も時の障壁にはね返されたようである。
 仏法の語は使っていても天台迹門に落ち付かざるを得なかった。己心を邪義というのも、結局は戒定恵の三学が仏法として確認されなかったためである。凡そ戒定恵のない仏法など始めから考えないほうがよい。宗門にも仏法の語は盛んに使われているが、肝心の戒定恵不在の仏法であるために、本仏も本尊も迹仏世界から脱し切れないように見える。それは水島論文が観心の依拠を天台学に依存しきったことでもわかる。或る時は本仏世界に或る時は迹仏世界に、常に仏法と仏教の間を往返しているような、不安定な状態に置かれていることは、仏法の時が確認されていないために起っているのである。己心が邪義と思えるのは時が安定していない何よりの証拠である。ここ数年特にそれが目立って来た。
 開目とは伝教の「三学倶伝名曰妙法」を確認した処から始まっているのではなかろうか。これによって仏法の時が確認されたのである。即ちこれ以前は仏教の時によっていたので、これを「仏の爾前教のごとく思し召せ」といわれている。これは時についていわれているのである。仏法の開目をされた開目抄を、仏教をもって解明することは恐らくは出来ないであろう。また、三学を離れた三秘をもって解明することも同様である。そのために最近は何となく疎遠になっているように見える。
 十大部を通しているのは戒定恵の三学のようであるが、それだけ宗教色が稀薄である。その点、思想として見た方がよいように思われる。つまり一宗建立以前の色彩が濃い処がある。これは戒定恵が一筋通っているためであろう。優秀論文が三ケ年を出ることもなく自滅したのも戒定恵の威力に屈したのである。
 開目抄の根本になっているのが戒定恵の三学であり、これが開けば成道とも本尊とも本仏ともなるのである。本仏は開目抄から、本尊は本尊抄から、成道は取要抄から出るし、これが序でのように戒定恵となっており、本尊抄も取要抄も、撰時抄や報恩抄もまた開目抄に内在しているのである。それ程の規模を具えているのが開目抄であるが、現状はあまり大き過ぎて反って手が付けられないというのが実状ではなかろうか。六ケ年を振り反って見ても使えないのか、使いこなす力がなかったためか、全く疎外されていたようである。尤もこれらの御書を、三秘をもって解明することは出来る筈もない。それ程の厳しさを持っているのである。反撃するなら、今度は開目抄をもってやってもらいたい。これなら即時に屈伏するようなこともあるかもしれない。念のため内々申上げておくことにする。
 開目抄は何といっても根本になっているのは戒定恵の三学である。それによって仏法も建立され、成道・本尊・本仏もそこを出処とし、また久遠元初も久遠名字の妙法も事の一念三千も、また己心もそこにある。一乗要決の純円一実の境界もまたそこを故里としているのである。今は法門の立て方によってバラバラである。既に己心は邪義と決定しているが、己心を否定すれば上に挙げたものは全て成り立たないであろう。己心が邪義ということは、開目抄や本尊抄をいくら探しても見当らない。
 何故己心が邪義なのか、何れの御書に依ったのか、得心のゆくような出処を示してもらいたい。出処も示さず只邪義といっても、それは邪偽という外はない。仏法以外の時によれば己心も邪義といえるかもしれないが、仏法を根本とする宗門が己心を邪義と詈ることは殆ど自殺行為に等しいものである。今の教学はむしろ、そのようなことが平気でいえる処まで来ているということであろう。
 化儀抄も三学に依っているために難解であるし、三師伝も六巻抄も同様である。三学によって出来ているものは、三学に依らなければ解明することは不可能である。三師伝を伝記としてみてもそれ程利用価値があるということもない。戒定恵の三学をもって読んで始めてその真意義は現われる。その戒定恵も三祖一体も、今に山法山規の上には明らかに伝承されているのである。そして諌暁八幡抄の裏書とも相通じるものであり、その翌年迄には八幡抄と同じく戒定恵を根本として三師伝は著わされているのである。外相一辺のみに頼っては折角の三師伝の意図も台なしである。これらはすべて開目抄に源を発しているのである。しかし今となっては己心は最も目障りな存在のようである。これ併しながら時世と時節ということであろう。
 今最も邪魔になっているのは己心である。それ程法門が狂っているのである。それを逆に当方へ向けて川澄狂学という処は誠に幼稚極まるもので、とても仏法の上の発想と云えるようなものではない。そして次上や阡陌の二字は御書にはないというのである。お粗末も少々度を越している。今まではその様な恫喝もまかり通って来たのであろうが、遂に阻止される羽目になった。これは全く戒定恵の三学の力用である。この力用の前には先生方の強引さも、何のなすすべもなかったのである。
 阡陌とは仏法所住の処である。戒定恵はそこから出現しているのである。その意をもってまず阡陌をあげ、三学を取り出したのである。拒む力があまりにも見当違いであった。そのために後退を余儀なくされたので、この辺の反省が必要である。この「大石寺法門」から逆次に読めば、意図した処は明了に理解出来ると思う。
 昨年来盛んに使われていた伝統法義は、戒定恵の三学と己心を捨て、仏法の外で仏法を唱えようとした、その内容は結局現在の学者の成果である天台学そのものであった。これに三秘を私加して伝統法義を称していたようであったが、整備する処まで行かなかった。未だ夢の域を脱することは出来なかった。その間に瓦解の止むなきに至ったのである。この伝統法義は、いかにして宗祖離れを決定付けるかということも大きな主眼ではなかったかというようなことを思わせるものがある。これも見事に失敗したようで、僅か半年間の夢に終った。一見読み取られるようなものは極力避けた方が賢明である。戒定恵の三学を取り返さなければ法論にはなり得ない。「観心の基礎的研究」も、見方によれば帰伏状といえる程のものである。仏法には遥かな隔りを持っている。
 日蓮を宗祖と仰ぐ以上、戒定恵の三学と己心と、そして仏法は守らなければならない。これは最後の責務である。滅後七百年を過ぎて捨てようとしても、山法山規はこれを許されないであろう。現に今回の後退もそれに依ったものと思われる。今も昔ながらに強力に作らいているのである。最初から仏教を立てているのとは異なっているのであるから、今さら他門の傘下に馳せ参じる必要も意義もないように思う。飽くまで孤壘を守ることに意義を見出すべきではなかろうか。四百年以前三秘が入り、最近また色々と努力したけれども成功することは出来なかった。それは全く山法山規の力用による処である。更めてこれを確認することが最も無難な方法であると思う。
 己心は邪義といわれてきたが、三学や仏法を邪義とはいわなかったことはせめてもの救いである。迹門に観心をたててみても仏法の語や本尊・本仏を捨てるわけにもゆかないであろう。結局は仏法にもあらず仏教にもあらざるものが出来るのが「おち」である。山田水島法門も結局退くべくして退いたということである。思い付きの教学では成功は覚束ない。成功させるためには遥かに強力な陣容を整えなければならない。
 己心を邪義といえば三学も仏法も邪義、本仏も本尊も、そこから現われている法門は一切邪義ということにもなる。しかし本仏や本因の本尊は迹門では成り立たないであろうし、どんなことがあっても、仏教の中にあって仏法を称するようなことは、他宗は一切認めないであろう。いよいよ変ってしまえば、そこは仏法家の落ち付く処ではないということを体験しなければならない。若し仏教に落ち付くためには、まず本仏と本因の本尊を捨てなければならない。何れを擇ぶか、そこには自ら行手は決まっていると思う。
 開目抄以後の御書や主師以前のもの及び六巻抄などが三学や己心を根本としていることは否みがたい処であるが、それが何故急に邪義ということになったのか。学林もそれについて「基礎的研究」をすれば、「観心の基礎的研究」より遥かに有意義なこと請合いである。継続課題として取り組んでみてはどうであろう。必ず反省の基礎資料になるであろう。邪義というだけで己心が邪義となって早々に退散するわけのものでもない。
 一日に三省とか九思に一言などということは、今最も必要なことである。この儒教の教を初門として老荘の隠遁思想の中に三学を見出だせば、そこには仏法があり己心の道も開けるのである。そこに法華経の必要がある。その法華経が文上であり、そこに見出だした仏法が文底である。寿量文底とはこの仏法の処に見るべきものである。そこには戒定恵の三学・己心、久遠元初・五百塵点の当初、そして本仏・本尊・成道など、大石寺法門のすべてがそこには包含されているのである。
 外典を初門とするとは、儒教から入って道教に至る処である。そこにあって法華を逆次に読むのである。そこに仏法がある。儒教があったから仏法も出来たのである。そのために儒教や道教の思徳を感謝しなければならない。有師が歌を作るものは人麿の恩徳を謝せよといわれるのもその意である。そこに報恩があり、これを知らないものを不知恩という。今は時が確認されないまま大聖人の仏法という語のみが盛んであるが、その語を安心して使うためには外典に対する報恩から始めるのが順序のように思われる。そのために「仏法は時に依るべし」となるのである。時を知ることもまた報恩の一分であり、そこに仏法もありうるのであるが、今はそのような意味での報恩は全く影をひそめているようである。そして仏法という語のみが残っているのである。それで果して宗祖に通じるであろうか。
 開目抄その他の御書は厳重に時を要求されている。それにも拘らず、水島優秀論文が代表するように、今は全く時が不在なのである。そこで語られる仏法とは一体どのようなものをさすのであろうか。全く空をつかむようなもので、それを裏付けるものは何一つ説明するわけではない。只信心しなさいということが全部であっては信用するわけにはゆかない。そこは不信の輩にも得心するような説明が必要である。時のない仏法とは、山田の言葉を借りるなら発明教学というべきである。自分の心のうずきが、つい川澄の発明教学と出たのであろう。既に宗門では実行ずみである。真実己心が邪義であるなら、まず開目抄や本尊抄から破折しなければならない。これを捨ておいて川澄を邪義とか狂学とかいうのは反って自分の狂っていることを示すのみである。何の威力にもならないものである。
 富士学報十三号七十四頁に山田が珍妙な事を書いている。「これ等を一読して感ずることは、彼はこよなく、世にいう仏教学者を尊敬し、その論文の多くは、島地大等、硲慈弘、田村芳朗、佐藤哲英、塩入良道などの所説を引用し、素材とし、思索したところに論の展開をしていることである。いかにも研究のためとはいえ、台家一式であり」と。よくもぬけぬけとこのようなことが言えたものである。その事はまず自分に言い聞かすことであり、次は水島に教えてやることである。今は引用文ではなく教義そのものが既に天台化しつつある時である。それ程よく分っているなら、まず自分の反省の資に供するがよい。今では天台では物足らず爾前経まで無差別に取り入れている。その辺りの反省から始めるとよい。この人は、宗祖もいわれたこともない御尊師を称せられて、つい夢中になって自分が使っており、水島が全面的に引用していることさえ忘れたのであろうか。一度自分のものを見直すとよい。反って我が身の攻め道具になるばかりである。
 「観心の基礎的研究」について水島をこき下すことも出来ないので田原師を引合いに出し、遠巻きに川澄に当てようとしているまでである。いかにも低俗そのものである。已に自分は天台学者に限らず爾前の学者の辺りまで手をのばしているが、御尊師は何をやろうと御自由なのであろうか。しかしこの十三号からは何一つ得るものはなかった。ただ川澄勲や川澄が僅かに目に映ったのみであった。流転門や還滅門は根本は中村元仏教語大辞典に依っている、この外についても全て他宗の丸写しであり、これでは一向に威力にはならない。天台や爾前のものについては人後に落ちることなく使っている山田である。一片の反省があってもよいのではなかろうか。
 二月以来、半年以上を経過したが、未だに何の音沙汰もない。威勢よく反撃せられる日を待ちわびているのである。遠回しではなく、今度は直撃を待つことにする。今自分で伝統法門と考えているものが、何れの宗の説によっているのか、それさえ分っていないのではないか。無闇に他の批判をする前に、少しでも本来のものに近づく努力をしなければならない。これこそ今宗門に与えられた最大の課題である。この十三号のあと盛んに伝統法義を口にするようになるが、実は富士学報十三号に載せられたものをもって伝統法義と称しているのではなかろうか。この優秀論文の作者が選ばれて川澄折破に廻されたようであったが、両人共成功することは出来なかった。そして山田はその後三回のみで一向に音沙汰がなくなって既に半年以上を経過している。底の浅さには驚き入る外はない。本来の大石寺法門の持ち合せもなく、ただ他宗門のものを寄せ集めたのみでは御尤もなことである。
 水島は四明流を天台の正統と讃歎しているけれども、宗祖には一回の引用もない。これは宗祖に対する反抗と受取らざるを得ない。即ち大石寺法門に対する訣別を意味している。勢の赴く処つい四明流に援けを求めたということであろうが、山田は宗門側の使うことについては一切触れず、反対派が使うことについては極端に斥っている。これでは正常な神経の持ち主とはいえない。これも誤った独善流である。僅か二篇の論文にも一貫したものが見当らないのは学報の最も弱い処である。これでは烏合的な意味合しかない。発表した矢先から崩れ去るのも当然である。
 勝止観劣法華と止観勝法華劣とはどのように使い分けているのであろうか。このような新造語を使う場合は、その違い目を明示してもらいたい。止観に勝れ法華に劣ると読むとすれば何を指しているのであろうか。或は勝れた止観、劣った法華とよむのか、せめて読みだけでも明してもらいたい。勝止観は十三頁、止観勝は十五頁にある。若し宗門を指しているとすれば何れの宗か。学報に載っている処を見ると宗門公認と思われる。また水島論文は、どう見ても天台への帰伏状である。像法には戒旦は必要であっても、「外典を初門とした」仏法では全く無縁のものである。仏法とは刹那に仏教の規縛を離れた処に立てられているようであるが、今では一宗建立の後、仏教の中に建立されているような感じである。つまり迹仏世界に建立されているようである。
 水島論文はどう見ても天台の阿流志願のようである、中古天台の語の使い過ぎが、つい天台讃歎に走ったのであろう。これでは自他宗の区別が出来ているとはいえない。この面のみは不思議と常に一貫しているようである。何れにしても、他宗の教学を無条件で取り入れることは帰伏を意味している。その前に必ず仏教と仏法の区別だけは付けておいた方がよい。それにも拘らず、いまは全く無関心のように見える。本来仏教というべきものも仏法といわれている場合も多い。全く無差別のようであるが、ここの処は必ず差別が必要である。法門は有差別により、仏教と仏法とは無差別では意味が分らない。「仏法は時に依るべし」という時が何をさしているのか、今はそこから考え直さなければならない処まで来ているのである。
 仏法と仏教の混乱、これは時節の混乱であるが、水島論文は「時」を無視した処に出来ているのである。時がなければ無法であり、仏法ということは出来ない筈であるにも拘らず、今は専らここにおいて仏法が唱えられているのである。これでは本仏日蓮は迹仏世界から脱することは出来ない。しかもそれを脱していると見るのであるから始末が悪い。脱迹とか下種とか云ってもこれまた一向にはっきりしない。種とは何を指しているのであろうか。
 下種仏法という語もふんだんに使われている。今自分では戒定恵を衆生一人一人の己心に見出すことが仏法であり、下種と考えている。仏教を世法に摂入することによって戒定恵を見出だすこと、それが下種であり、そこに仏法も成じるのであるから、その根本になるのは戒定恵を見出だすことである。それを確認した処で愚悪の凡夫という語も使われるのであろう。この語も亦仏法の上に使われてこそ、その意義もあろうというものである。もし本仏の語が迹仏世界で使われるなら、それはやがて下尅上ともなるであろう。この時を確認することが開目である。
 開目に対しては盲目の語がある。「爾前経と思し召せ」といわれたのは盲目の意である。宗祖の眼をもって見れば、迹門もまた盲目のようである。今山田や水島が居るのは盲目の世界のようである。そこを抜け出るために時を知ることが必要なのであるが、何故かその努力は一向になされていないようである。水島には、開目の意義がどこにあるのか、チンプンカンプンなのではなかろうか。あちらへ寄りこちらへ寄る犬の道中では、この道は中々抜け切れないのではなかろうか。誠に中有をさまようている如くである。一日も早くそこから脱出することを念じて止まない。
 仏法はもともと信不信の外にあるようである。そのために一方的に一閻浮提総与ということが出来るのであるが、この語は仏教の立場からは理解出来ないところがある。一宗建立以後の眼をもってしては、どうにも解釈出来ないであろうが、一向に信不信にこだわっているようである。不信の輩という語は、自分の時の誤りを明らさまにしている誠に恥ずべき語である。仏法に居ることが確認されるなら、このような語は自ら無用になるであろう。
 仏法をはっきりさせた上で一宗建立のことは考えないと不相伝の輩、不信の輩というような語が出る恐れは十分にある。重ね重ね不信の輩といわれてきたが、言うた人等が仏法が分っていなかったためと解釈している。不得心なら何回でも繰り返してもらいたい。むかし一閻浮提総与の語を仏法の外で解釈して大混乱が起ったことがあるが、今に一向に改められていないようである。これは真実に仏法が確認できるまでは不可能なことと思われる。それまではそっとしておくことである。
 妙密上人御消息の「日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず」というのは、仏法の立場からいわれているものと思われる。仏法は本来一宗建立には不向きなように出来ているように思われる。一宗建立以後の眼をもってしては中々理解しにくいものである。録外ではあっても、これは開目抄の真実を伝えているように思われるが、今ではあまり都合のよい御書とはいえない。しかしこの御消息の文は仏法の真実の意義、在り方を示されているものというべきである。これは十大部にも通じるもののように思われる。何れも宗教というよりは思想という方が適当に思われる。仏法というのは、つまりは思想なのかもしれない。そこに宗祖の真実があるように思われる。やはり仏教家というよりは思想家と見た方がその考え方もより大きく、より深く出るであろう。
 仏法として見た時は本因の本尊は実に大らかであるが、今は本果の本尊とするために、妙にせせこましく感じられる。山法山規が大らかさを持っているのも仏法による故であろう。そのような中で、山田、水島法門はこよなくガリガリしている。それだけ仏教臭が強いのであろうが、これはあまり感心したことではない。これでは一人虚空に上がって孤独になるのがおちである。
 一往末法の危機感が過ぎたのは開目抄が著作された以後のことではなかろうか。仏家から出された末法思想も、往生要集のおどしも、利きすぎて反って逆効果となり、大混乱を来たし、僧侶も民衆もただ右往左往するばかりで、なすすべもなかったのが実状のようである。其の後百年近くたって始めて法然は浄土宗を立てた。これは末法に入るのが五百年も早い、平安末期では既に六百年を経ている曇鸞の浄土教であるが、これによるには、余りにも目前の末法が厳しかった。兎も角もこれで末法に喘ぐ衆生への救済の道は開かれた。
 そして法然の多念義に対して、在世中に一念義も盛んになり、その中で親鸞は一念義をもって浄土真宗を立てた。これには多分に一乗要決に依っている処があるように思われるが、浄土を立てるために、己心の弥陀、唯心の浄土は立てたが、戒定恵の三学を取り上げることが出来なかった。そのために滅後末法に今一歩という処が残された。それは依経の厳しさである。そのために戒定恵に収まるべき処が西方浄土に決まったのである。もし親鸞に戒定恵の三学があれば、現在においても己心の弥陀、唯心の浄土が安定していたのではないかと思われる。
 そして続いて出た日蓮は、開目抄に至って戒定恵をもって現世に己心の法門を開拓し、衆生に密着することが出来た。三回目に漸くその道が開けたのである。これが伝教に密着している三学と二乗作仏である。いくら末法に入って二乗作仏があっても、戒定恵の三学がなければ衆生の成道にはつながらない。そこに仏法の世界が必要なのである。学生式問答は末法の用意として説かれたものであった。その上で二乗作仏の論争が行われたのである。一念義が出たのは恐らくは悲痛な民衆の欲求であった故と思う。そして多念義も一念義も日蓮の戒定恵の三学に収まったのであろう。これで一応の落ち付きを取り戻したのではなかろうか。
 いまの宗門の情勢も何となく末法当初の形相を思わせるものがある。一番必要なのは、まず戒定恵の三学を確認することであるが、今、水島山田がわけのわからない事を竝べているのも、唯戒定恵に反対するためのようである。しかし、それにかわる強力なものを提示しているわけでもない。せいぜい絶対反対的なものでしかない。若し反対するなら、戒定恵を上廻るようなものを用意してから反対しなければ、何の効果も現われないであろう。ただ思い付きだけで葬り去ろうというのは、あまりにも人が好いといわなければならない。ここは一度振り出しに戻って、改めて戒定恵を胸に抱いてから再出発してもらいたい。
 「われ日本の柱とならん、われ日本の眼目とならん、われ日本の大船とならん等とちかいし願」とは、日本とは日本国家ではない、日本の諸人と読むべきである。若し日本国家と読めば国家権力にもつながり、ひいては金権社会にもつながる恐れがある。そこで戒定恵が必要なのである。国柱会にはこの戒定恵がなかったように思われるし、今の宗門も考え方の上では多分にこれを受け入れている。山田水島法門は最もよくこれを表わしている。これを排除することが目下の急務である。悪口雑言も三学の欠除した処から始まっているのである。ここは謙虚に反省した方がよい。
 最後の「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」とある語をもって、「われ日本の柱とならん」等の文を解さなければ、その意を伺うことは出来ないであろう。日本を日本国家とすれば日蓮は大忠臣ということにもなるが、これは全く関係のないことである。若し金力の権化と見れば、願ずることによって莫大な金が入ってくる。これが大聖人の功徳であるというのは水島ノートに示している如くであるが、これは開目抄とは全く関係のない事である。
 一人の偉大な思想家としての日蓮の一面を探ることは、御利益一辺倒の今の宗門には大鉄槌となるかもしれない。われ日蓮正宗の鉄槌とならんという様な篤志家は出ないものであろうか。何はともあれ、戒定恵の三学を取り返すことこそ、今最も要求されていることである。水島も大きく後退したのであるから、今度は三学をもって立ち上がってもらいたい。目前のみを追うのは最早宗教の分野ではないことを自覚してもらいたいと思う。敢えて苦言を呈することにする。
 日蓮が一宗の元祖となり、宗祖と仰がれるのは、入滅以後のことではなかろうか。本仏といわれるのは、むしろ一宗の元祖以前についていわれる語ではなかろうか。これが一宗建立以後に限られると、釈尊を乗りこえなければならないようにもなる。仏教の功徳を世法に持ちこんだ処、即ち仏法に限られるなら、戒定恵の三学の中で本仏を唱えても、それは宗祖一人に限るものでもなく、衆生ともどものものであるから、それ程当り障りのあるものでもない。それが一宗建立以後一人に限られて他宗に対した時、問題はこじれるのである。
 本仏はあくまで愚悪の凡夫の境においてのみ見るべきものではなかろうか。それが今は一宗の元祖としてのみ本仏を唱えるのであるから、問題を複雑にしているのである。これなども時の混乱という外はない。開目抄には、一宗の元祖として民衆の救済に向ったというような処は見当らない。一往仏法に絞ってから見直す時が来ているのである。しかも仏教の眼をもって見ては殆ど利用価値は見出だせないかもしれない。そこに開目抄の真実があるように思われる。本尊抄にしても、本果の本尊を見出だすよりは、本因の本尊を求める方がよりたやすいようで、そこに共通点がある。これは考えなければならない処である。
 今の大石寺法門即ち日蓮正宗伝統法義には仏法の上にあるべき本仏が、そのまま仏教に移って外に表われている。そこに内外・左右・在滅の混乱が起っている。これが最も大きな時の混乱である。まずこの修正から始めなければ治まりにくいであろう。なかなか難治ということである。仏法の上で本仏・本尊とはいっても、教のように上から下に被らしめるものでもないから、その意において遥かな相違があり、仏法では成道も本尊も本仏も全て自行により自力によってこれを得るのが原則のようである。それが一宗建立以後は全く逆になっている。そこで今の正は昔の邪であり、今の邪は昔の正であり、正邪が理屈抜きで逆になっている。そのために他宗からは何としても分りにくいのである。
 言葉だけは残っているが、今では自力も自行も全く必要のない状況である。そして成道も本尊も本仏も、仏教と同じように専ら上から下に被らしめる姿をとっている。これが本来のものでない事は、開目抄を繙けば誠に明々了々たるものがある。今こそ開目抄を見直す時である。時局法義ではなく、宗祖の根本の思想としての開目抄を見直す時である。
 昔はおどしが過ぎて反って仏家は手放しの状態であったが、今は仏家が太平の夢になれすぎて本来の救済を抛棄しているのではないかと思う。しかし何れも源は仏家にあることは間違いない。昔、日蓮は諸宗に超えて立ち上った。その仏法を伝えている筈の日蓮正宗は、今こそ立ち上る時であるにも拘らず、一向にそのような気配が見えないのは、何かを失っているためかもしれない。しかし本来ならばこれを伝えている筈であるが、日蓮正宗伝統法義は強引にこれを拒もうとしている。これは本来の仏法を失っているためであろう。この節こそ戒定恵の三学の働らく時であるにも拘らず一向にそれを忘れているのである。その内宗祖に強力なパンチを見舞われるようなことになるかもしれない。精々お気を付け遊ばせ。
 「この本尊は信の一字をもって得たり」といわれているが、「この本尊」とは仏法にあるもの即ち本因の本尊であるべきものが、仏教の立場から本果の本尊と解されているために、色々と混乱が起きているのであるが、仏法に顕われた本尊は必ず仏法で解さなければならない。所謂己心の本尊であるにもかかわらず、己心の外で解されたために、ついに己心が邪義ということにもなれば、仏法に真向から反対するようにもなる。これではどう見ても宗祖違背の罪を遁れることは出来ない。これが迹仏世界の仏教で解されるようになると、尽く宗祖と反対に出る。そのために他宗が受けいれないのである。
 もともと仏教とは仏法の処にあるものを指し、本果ともいわれ、宗門が鬼の首を取ったようにいっておる流転門であり、還滅門は仏法にあるものである。それが一挙に迹仏世界で解されるようになると、中村元仏教語大辞典によって、完全に迹仏世界の仏教に根を下すことにもなる。これは仏法の処にある仏教と、本来の仏教、即ち迹仏世界の仏教との混乱であって、今は混乱した処を正と見、仏法の処を邪と見るのが基本になっているのである。何れも迹仏世界の語がそのまま使われるが、内容は真反対になる。そこにも仏法のむずかしさがある。流転門というのは仏法について使っているのである。中村大辞典は仏法で使っている意味の解説まではしていない筈である。
 仏教と仏法との区別が消えたために時の混乱が起って収拾が付かなくなったのが水島山田法門である。そのために手を引かざるを得なくなったのである。他宗他門のものに大石寺法門の仏法用語の解説まではしていないことを、第一に心掛けなければならない。時局法義研鑽委員会はその区別を失ったために、研鑽のつもりが結果的には混乱となり終ったのである。そして破折するつもりが、反って破折される破目になった。そこに時の厳しさがある。その違い目が悪口雑言に走らしめたのである。流転門還滅門も一度は仏法の処で考えて見ることである。
 そして本尊が仏教で考えられるようになると、即刻仏教の上の本果となり、迹仏世界の本尊と区別が付かなくなり、そこで仏法の本尊を唱えるのであるから異様である。そして「信」も心の一字を加えて信心となり、信心のみが異様に強調されるのである。この信の一字も、もともと仏法の処にあるものであるから、当然世法の処で解さなければならない。例えば信念の信のごときものである。信念の処に仏教を摂入されては信となり、そこに仏法でいう本因の本尊が出来ているのであるが、今はこれらのものが忘れられて、迹仏世界の仏教の上にのみ考えられているために、何れともつかないようなことになっているのである。
 外典を仏法の初門とするということを、改めて考え直さなければならない。信は外典の処にあるもの、それが仏教と一箇して仏法で使われているのである。そして戒定恵もまたそこにある。その戒定恵の中でのみ解すべき「信の一字」であるが、今はそのあたりが最も糢糊としているのである。対境としての本尊を信心の上に自分のものにする以前の話である。ここに仏法もあれば本因もあるのである。しかし、呉々も迹仏世界の仏法や本因と混乱しないようにしてもらいたい。他宗他門の辞書には文底が家の語義までは載せていないことに注意してもらいたい。流転門還滅門をもって悪口を並べて見ても、それは全く当方とは関係のない事、反って宗門側の深さの程を明らさまにする外、何者でもないことに注意することが肝要である。
 「信の一字をもって得」た本尊とは、本因の本尊であり、一閻浮提総与の本尊であり、対告衆も信不信以前の民衆であることに、呉々も注意をすることが肝要である。信仰者対照の本尊ではなく、それぞれの民衆一人々々の己心に収まっている本尊である。それを指摘されているのである。それが「客殿の奥深くまします本尊」であり、その本尊は昔のままにあり、又御宝蔵は客殿の奥深くと同義語であろう。今の宗門の考えでは、御宝蔵は空家同然と同じ処に収まりそうである。
 御宝蔵の本尊の在不在はその立て方によって決まる処、今のように本果一本になれば、御宝蔵の意義、その作用は殆ど消滅しているものと見なければならない。仏法による御宝蔵の意味は失われて、専ら他宗の御宝蔵と変りのない意味になっている。客殿も又その肝心の意味は失われるようになった。他宗と同じ意になるのは当然といわなければならない。宗門人の意志とは関係なく自動的に動くだけに厄介である。語が同じであるということだけで他宗の辞書を頼ることは、最も警戒しなければならない。
 本仏も、もともと仏法に建立されているものが、一宗建立後は仏教の処で解されて居り、戒旦もまた同様である。そして今は像法或は在世末法の処で解されているが、この様な場合はそれぞれの処に出来ているのである。そこに悪口雑言の出る下地がある。自分で解っていないから、十分に説明が付かないのである。開目抄に説かれる仏法を知るためには、刹那でもよい、今の仏教的な考えを捨てなければならない。何れが不信の輩かということになれば、開目抄の仏法については、むしろ宗門側のようである。
 水島優秀論文は現代の天台学者のものを拾い集めているのみで、仏法とそれほど密着しているものではない。そのために折角意慾を燃やしてみても、仏法や文底或は本仏や下種仏法などの語さえはっきりと解しかねている。これは時を誤っているためである。時のない処でいくらいきり立ってみても無駄なことである。水島法門は大勢からいえば、像法を一歩も出ていないようである。それでいて仏法の語を使うのであるから解りにくいのである。
 「観心の基礎的研究」ということであれば、観心本尊抄の観心のように思われるが、宗祖のは如来滅後五五百歳始、即ち滅後末法の始の観心の本尊の抄である。水島のは脱のようであるし、宗祖のは種である。つまり大きく種脱の相違となって現われている処は彼脱此種である。これでは本因の本尊とはいえない。結局は脱の処に種の本尊が出現したことになり、所詮は仏教の中でのことになる。このために予め時を定めることが必要なのである。しかも今の山田水島には全く時が見当ないのである。これで、どのようにして滅後末法を表わそうというのであろうか。
 仏法を何によって顕わそうというのであろうか。時のない処に滅後末法や仏法があるわけではない。開目抄や撰時抄に示されたように、何をおいてもまず時を決めなければならない。仏法を語るものには、何をおいてもまず時を決めなければならない。もし時を決めなければ、即時に仏法から外れる恐れは多分にある。
 宗教に力が入りすぎると、仏法の時は嫌われるものと思われる。つまり水島説はあまりにも宗教に力が入りすぎているのである。宗教家日蓮のみに力が入りすぎた結果ということである。ここでは多数の、無限の信者が要求されるが、思想家の立場からすれば一人が単位である。愚悪の凡夫というのも、戒定恵をとるも、帰する処は一人であることに留意しなければならない。
 仏法を立てるなら一人であり、仏教を立てるなら異様に多数を要求される。即ち仏法は文底にあり、仏教は文上にあるための相違である。もっと根本的な整備が必要である。とても時局法義というような、目前のみを糊塗するような考え方では、ますます混乱を来たすのみであることを知らなければならない。両者が競えば現実世界をふまえているだけに、仏教の方に多分の強みがあるであろう。
 一をとるか多をとるか、今その重大な岐路にたっていることを反省する時である。そして視野を改めて時局法義研鑽委員会も、時局の二字を除いて再発足しなければならない時である。観心も戒定恵の三学や己心の上に建立されていることを確認したものでなければ、開目抄や本尊抄とは、ますます離れてゆくことは必至である。そこに明日の行く手が待っているということである。
 山法山規には古い仏法の在り方を残しているが、現状では解明出来にくいようである。下種仏法・大聖人の仏法といっても、不信の輩を理解させるような説明は出来ない。そこで全く次元の違う説明がなされるのである。事といい事行というもまた同様である。これらが戒定恵の三学の上に成り立っていることを基礎としなければ、その語のもつ微妙な働きは理解することは出来ない。山法山規とはそのような中で理解しなければならないものである。もしこれが分れば、上代以来、陰にあって連綿と伝えられている仏法の意義は氷解されるであろう。そこには一人々々の衆生を救済するものもある筈である。
 知らしむべからず依らしむべし流の時代は既に終った事を自覚することから始めねばならない。徒らに死兒の齢を数えるような事は、やる程無駄なことである。その仏法を踏まえて新発足してもらいたい念願ばかりである。宗門の英智をもってすれば、必ず山法山規は解明出来る筈であるにも拘らず、今は悪口雑言をもって懸命にこれを阻止しようとして来たのであるが、現実はやや後退気味のように見える。これも時が既に移りつつある何よりの証拠である。
 先覚者は予めその時の動きを察知しなければならない。水島に時がつかめるなら、それは御尊師と申上げなければならない。七百年伝えられたものは七千年七万年と無限に続けなければならない。そのためには七万年を刹那に収める処から始めるのが最も好い方法ではないかと思う。仏法にはそれを教えているように思われる。それをがっちりと踏まえた上で宗教に出るべきである。山田は嫌うけれども二重構造である。
 仏法とは思想である。これが安定しておれば、仏教も自然と安定することになるように思われるが、現状は肝心の仏法があるかなしかの不安定さである。まずここから改めなければならない。これが今の宗門のまず手掛けなければならない処である。それが分れば即刻時空を超えられる境界を獲得することも可能である。信者に智恵を付けるなというようなことを言わず、信者から智恵を借りる度胸こそ、仏法を解明する唯一の方法である。そこに世法即仏法もあるのではなかろうか。
 御尊師の仏法は天台学者の観心を基礎としているようであるが、このような危険は避けなければならない。ますます開目抄や本尊抄を離れ、一閻浮提総与の意味もつかみにくくなる。そして宗学の像法化の速進を助けるのみである。この論文を優秀と決める宗門も同じ処に居るのであろうと想像することが出来る。これらは像末、文上文底の時の混乱を残る処なく現わしているのである。
 撰時抄では冒頭に「仏法を学せん法はまず時を習うべし」と示されているにも拘らず、これに背いて時をないがしろにした結果は、反って仏法からはみ出したようにさえ見える。そしてますます天台教学に意慾を燃やすようになった。この優秀論文こそ時の混乱の見本というべきである。そして下化衆生と出るのである。これは現在の正宗教学の偽らざる一面でもある。時の決まらぬ前に仏法があるわけでもない。本仏や本尊が現われるわけでもない。しかし本仏や本尊が論ぜられるのであるから不可解なのである。
 観心本尊抄の観心の二字は仏法の上に理解されなければならないものであるにも拘らず、この論文では仏教の上の理解に力を注いでいる。これは天台の学び過ぎであり、古来最も誡められた処である。当家の理解なしに台家の理解のみに走った証拠であり、その結果が今の後退につながったのである。これを教訓として、再びこのような愚を繰り返さないようにすることこそ今の肝要である。
 古来十大部といわれている御書は戒定恵の三学と時が根本になっているが、今はこの二つとも忘れられた中で、しかも仏法を称えているのであるから分らない。まずここから改めなければならない。これが目下の最緊要事である。仏教にも観心もあれば己心もある。仏法で使われる語は殆ど仏教に始まるもの計りである。それが真反対の意味に使われるのであるから、時を決めることから始めなければならないのである。
 大地の上にあるものが、仏教をとれば虚空に上り易くなる。仏法は虚空にあるものが大地に下りた処に立てられている。ここに天地の違いがあるのである。これを知ることが仏法の初門のようである。虚空には凡そ仏法の存在することもあるまいと思う。若し本仏が虚空に考えられるような事があれば、時の混乱といわざるを得ない。本仏は虚空を住処とはしない特性がある。
 宗門では民衆とか民衆仏教の語を極端に斥っているようである。これは既に仏法から仏教に移っている何よりの証拠であるが、一閻浮提総与の本尊は一般民衆を対照にしているものであり、決して信者を対照にしたものではない。本尊抄では一宗建立以前の境界で説かれているが、それを一宗建立以後の眼をもって読むために衆生と映るまでである。
 本尊抄はこのように本因の本尊を説かれている。そのために終わりに近付く程使いにくくなって、殆ど使われていない。しかし最後の処はどう見ても本因の本尊であり、一閻浮提総与の本尊である。そのために、今のように本果に移ると都合が悪いのである。戒定恵の定であり、仏法の上に建立されているものである。今のように本果に移ると使いにくくなり、色々な面で最も都合のよい三大秘法抄に移ってゆくのである。これらの御書が六ケ年の間に一度も引用されなかったことは、最もよくこれを証明している。再び戒定恵の三学に帰るようになれば大いに使われることであろう。
 安国論はよく使われていたが戒定恵の立場からでなく、専ら三秘の上で利用されていたものであって、少し筋を離れた処で使われており、所謂切り文的な扱いであった。決して本筋の法門として使われたものではなかったことに留意しなければならない。開目抄から逆次に読んだものでなければ、本筋の扱とはいえない。その切り文的な扱とは、一宗建立以後の眼をもって読むことをいう。山田がよく使っていたのは三秘の意をもって使っていたようである。また六巻抄が使いにくいのも三秘をもって読むためであり、それでは第一第二など極く限られた範囲だけしか読むことが出来ず、全巻に目を通した上での引用は出来ない。そのために仏法を知ることも戒定恵を求めることも出来ないのである。
 六巻抄は仏法や戒定恵をもって読まなければ無意味なものでしかない。己心を邪義と決めながら読むとは、もっての外のことである。もし誤って三秘をもって読めば、結局は寛師が他門から批難を受けるような事にもなりかねない。山田説によれば、三重秘伝抄から本仏や本尊が出ているが、ここでは久遠名字の妙法も事の一念三千も未だ説かれていない。それにも拘らず早々と久遠名字の妙法と事の一念三千から本仏や本尊が出ているのである。これでは本仏や本尊が、その作きを示すことが出来ないのは、いうまでもない処である。これなども、六巻抄でそのように出ているとなれば、十分批難の対照になるものを備えている。最も慎まなければならないものの一つであると思う。
 仏法で出来ているものを仏教の立場から読めば、左で出来たものを右でよむ事になるので危険であるが、仏法は仏教以前のことである。水島ノートが最後に載せた、本尊を信じることが出来なかったから、功徳がなかったという御利益法門は、自分では仏法と思っていても、これまた仏教以前の問題である。同じく仏教と称しても、前の仏教は仏法の中にあるものを指し、後は一般仏教の意であり、ここで以前といえば、仏教の外、宗教以前の意味をもって使っているので、混乱のないようにしてもらいたい。
 御利益法門のみでは宗教には入れないというのが、他宗の考え方である。仏法から仏教へ、そして仏教としても宗教としても、その埒外へ出たということである。これは大石寺法門では最も警戒しなければならない処である。他門の教学に頼りすぎると仏法の力が失せて、必ずこのようになるものを持っている。現在はこの悪い面のみが表に出易い時である。そのために仏法そのものを明らめなければならないのである。他宗に例のない立て方であるから、宗門独自のものを確立しなければ、宗教以前の処へ飛び出す危険を多分に持っているのである。
 十大部は特に仏法が主眼になっているようであるから、まず始めに仏法として充分に理解することが必要である。これがなければ必ず他に迷惑を及ぼし、自に被害が廻って来るので警戒が必要なのである。時局法義研鑽委員会は、あわてて爾前迹門に取り付こうとしているために、反って宗義を変えたのである。どうやらその第一歩の踏み出しを誤っているようである。己心の法門を邪義と決めれば、仏法からも仏教からもはみ出す危険は十二分に備えていると見なければならない。
 富士学報十三号の論文作成者は、開目抄はあまり読んでいないようである。次上、阡陌の語などがないというのが最もよくこれを証明している。一度よく読んで、その意義を知らなければならない。そこには仏法の意義も詳しく説かれ、戒定恵を根本として説き出されていることも明了に示されている。それを知り、且つ忠実に実行することが末弟の責務である。それを大巾に外れているのであるから、問題がこぢれるのである。
 「孔子が、此の土に賢聖なし、西方に浮図という者あり、此れ聖人なりといいて、外典を仏法の初門となせしこれなり。礼楽等を教えて、内典わたらば戒定恵を知り易からせんがため、王臣を教えて尊卑を定めしめ、父母を教えて孝の高きをしらしめ、師匠を教えて帰依をしらしむ」とあり。続いて、妙楽と天台、止観と弘決が引かれているが、孔子から、帰依をしらしむまでの文を、ただ孔子の意を伝えられたものとして読めばそれまでであるが、ここまでは、ただそれだけではあるまい。若しこれを譬喩として読めば、開目抄述作の意図は明了に示されている筈である。
 外典を仏法の初門としたのは宗祖自身である。外典は既に渡って居り、眼前の世法に仏教を摂じ入れて、この文と同じやり方の中で仏法という新しい型が実現しているのである。最後の「仏法は時に依るべし」という文も共に考え合わせるべきである。ここでは明らかに仏法と仏教の区別がなされているのである。くどくどしく繰り返すようではあるけれども、ここの処が最も大切な処である。今はこの仏教の処を仏法と称しているのである。そのために不用意に迹仏世界に移るのである。
 「内典わたらば戒定恵を知り易からせんがため」とは、実には開目抄も戒定恵を知らしめんがためである。開目抄の戒定恵は即ち仏法に限るということである。孔子に托して実は開目抄述作の意を明されているのである。伝教の「三学倶伝名曰妙法」の意をもって解すべきであり、依義判文抄も当然開目抄の意をもって解さなければならない。そこに次の本仏・本尊・成道の意義があるのである。
 仏法と三学と己心とは常に相離れることの出来ないものであるにも拘らず、今は己心が邪義となったために、この三と相離れるようになったのである。これでは仏法の語も法門的には無意味になっているのである。世法即仏法も世法に即して仏法であり、世法にあって始めて仏法が成り立っているのであるが、今は迹仏世界において仏法が考えられているのである。
 現実の世間を刹那に遮断した処、即ち魂魄の上に仏法が成じているのである。そのために迹仏世界に帰るためには左を右に切りかえなければならない。それがそのまま迹仏世界に出るのであるから、他宗との間に常に摩擦を生じているのである。そして独一であるべきものが独善と現われるのである。そのために二ケ年半経った処で、仏法からも仏教からも飛び出した処が、水島法門に現われている。久遠名字の妙法も事の一念三千もここで解さなければならない。
 この戒定恵の三学とは恵心の純円一実と同義であると思う。宗祖が愚悪の凡夫と表現されるのも、亦同じ処と思われるので、戒定恵の三学と読みとらなければならない。貴賎老少老若男女の差別のない処である。刹那に俗身世俗を離れた境界であるが、今は俗身世俗の中でこれを考えているように見える。これは今の宗門の最大の難点であるが、一言でいえば時の混乱に依る処である。以上のように、己心が邪義などとは到底口に出せるようなものではないが、今は邪義と決めた上で己心の上に現われた法門を使っているのである。それこそ邪義というべきである。爾前迹門に宗を建立している他宗とは、正邪については全く関係のない処、邪はむしろ自宗にあるものとして大いに反省すべきである。
 純円一実の処、戒定恵に建立された本尊は己心の本尊である。これが本因の本尊であるが、今は己心を邪義というからには、本因の本尊については全面的に否定している、つまり本尊抄は結論が本因の本尊に収まっている処を見ると、そのまま本果の本尊の裏付けには些か無理があるかもしれない。この境界にあって一閻浮提総与の解説は絶対不可能である。
 現在のような本尊の解釈は、本尊抄からは出にくいのではなかろうか。そのような中で、肉身本仏論が明星池の底から顏を出すのである。これでは譬喩ともいえない。全く噴飯物である。これは本仏の証明が出来ないという有力な証拠である。その奥の深さを遺憾なく露呈しているものである。いくら威張って見ても気負って見ても、その奥の深さまで隠すことは出来なかったのである。このあたりでは、可成り行きつまっているようである。
 この本尊抄の本尊は、もともと信仰のために造られたのではないかもしれない。民衆の一人々々の己心に戒定恵の三学が生れながらに備わっていることを指し示されたことは間違いないと思う。そのために自行や自力が必要なのであろうが、今は自行や自力は殆ど陰をひそめ、専ら他力に替っているように見える。これは法門の立て方そのものが替っている証拠であると思う。そのために替っていることにさえ気が付かないのではなかろうか。
 寛師が附せられた本尊抄の読みも、その意をもって読めば、己心の上に現じた滅後末法の始の本尊ということであろう。始の字は己心の法門の場合は始のみで、末法の始、名字即の初心などと使われて、終の字は必要がないようである。即ち始の中に既に摂入されているが、特に己心の外の場合は終に重点が移るので、始と終とが使われるのではないかと思う。滅後末法の始という己心そのものが実は本尊であり本仏である。そこは在世の本尊では考えられなかったことで、同じく本尊ではあっても、そこには在滅の相違がある。この区別をすることが不可欠の条件であるが、今は滅後の本尊を在世とするための因果の問題が生じているために、充分に他宗を得心せしめるような解釈が出来ないようである。
 己心を観ずるなら、戒定恵の上に衆生皆各々備えているものであるが、今は己心としてこれを認めないから、自力をもって本尊や本仏を出現せしめることが出来なくなっており、反って己心を奨めるものに対して珍説・狂学・邪義などと悪口の限りを尽さなければなくなって、果ては宗祖を罵る結果となり、口をつぐまざるを得なくなったのである。これで報恩といえるであろうか。その報恩とは、戒定恵の上に成じている報恩であって、ただ世間の報恩とは異っているが、今は報恩も文上一片の解釈のみに終っているように見える。
 衆生がすべて戒定恵を具備しているから、本尊も本仏も当然そこにある。それを一閻浮提総与という語をもって表わしているので、そこには外典について戒定恵についての報恩がある。このあたりで大きく意味が変ってゆくのではなかろうか。仏教そのものの中での総与ではなく、仏教を摂入して出来た仏法の上、即ち戒定恵の上の報恩をまず見なければならない。しかし、己心を捨てることは戒定恵や仏法を捨てることである。本来仏法の上にあるべき報恩が、ただ世俗の上のみの報恩に限定されると、本来の意味が理解出来なくなるのは当然である。その時、自の見解を正と立てるのである。正邪はそのような処にまず立てられるのである。
 対告衆の現われる以前に正邪が立てられているので、相手が出れば、それをあてはめるのみで事足りる仕組みになっているようである。一宗建立以前のものを、建立以後の眼をもってみるとき、時の相違がこのような結果をもたらすのかもしれない。これは、建立以前の処へ自らを近付ける以外、よい解決方法は見当らないと思う。それが事の法門の領域である。他宗の人等に理解してもらうためには、仏法の在り方、その意義を明らかにしなければならない。若しそれが可能であれば、他宗の人等も即時に理解するであろう。
 衆生一人々々が具備しているという一閻浮提総与の意義が、本仏日蓮が総与したことに変るために複雑になっているので、総与した仏は世法でいえば天から授与されたという程の意味であろうが、それが一人の本仏日蓮と固定すると、状況は一変して他宗門の理解の外に出るのである。これは仏法と仏教の混乱から事が始まっているのであるが、この混乱は仏法からも仏教からも離れるような危険を内蔵しているようにさえ見える。一日も早く気が付くに越したことはない。
 水島も既に行きつまったのであるから、早速反省をしてみてはどうであろう。現時点から開目抄まで逆次に読み返すことである。若しこれが出来るなら、そこには自ら道は開けるであろう。これが闇夜の光明である。ここで立ち返ることは既に法門の教える処である。苦を楽に、闇夜を光明に切りかえることは、既に法華の極意ということになっているのである。今となって筆を抛つことは愚者の択ぶ処である。
 大石寺では常に本因という語が使われているが、これは仏教ではなく、仏法の立場から使われている。開目抄や本尊抄に限らず、十大部といわれるものには、共通して備えているように思われるもので、恐らく御書全体として一貫しているのではなかろうか。つまり仏教としての立場ではなく、これを支えるものとして、内に秘められた思想として見るべきものではなかろうか。
 外相一辺倒になれば、内に秘められたものから消えるのは止むを得ない処で、本尊も既に正本堂に移されて、本来の本尊は消えたごとくであるが、今は、むしろ御宝蔵の内秘の本尊の出現すべき時が来ているように思われる。一見した処本尊が移されたことは間違いないことではあるが、今は消えた筈の御宝蔵の本因の本尊が既に光を増しつつあるのではないかとさえ思われる。ここには何の変哲もなく、山法山規や相伝の、「本尊は客殿の奥深くまします」ということが今蘇りつつあるように感じられる。実に不思議なことである。久しく忘れられた本因の本尊は必ず復活しなければならない。この裏付けがあって初めて本果の本尊の意義もある。これが個々別々になっては、共にその威力が半減するのは当然のことである。宗門には、御宝蔵の本因の本尊が光を増しつつあるのが目に映らないであろうか。
 「客殿の奥深くまします本尊」が、文字になった時には、「客殿の奥深く安置の本尊」となって、これが今の戒旦の本尊を指していることは間違いないが、相伝でいう処はいうまでもなく本因の本尊である。その故に御宝蔵といわれる。その御宝蔵とは一切秘密蔵であるが、今ではその秘密が顕現された処で、尚且つ秘密を称しているのである。これは他人には分らない秘密の転移である。本果に移っておりながら、しかも時々本因を唱えるのであるから、分らないのである。長い間これでまかり通って来たのであるが、今こそ精算の時を迎えて困惑しているのである。しかしこの苦難は必ず乗り越えなければならない処である。
 本尊抄も信仰の対照としての本尊を示されたものではなく、むしろ思想の一面をこのような形で表わされたのではないかと思う。つまり紙幅の本尊の裏付けになるものではないが、今は反ってその裏付けのみとして読まれているために、その真価が発揮出来ない斥いがあるのではなかろうか。そのために終りの部分及び副状がそのままの残されている状態である。事の法門というのも思想という考えをもって読めば混乱を避ける手段になるかもしれない。
 本因の本尊は信仰のみをもって解すべきものでもない。仏法もまた同様である。そのために真実が捉えにくいように思われる。水島が最後に盛んに力んでいた不軽菩薩も、本因の処で解すべきものを、誤って本果の処で解したために思わぬ深みにはまりこんだのである。仏法で解すべきものを、仏教で解したための混乱であって、ここは必ず仏法で解さなければならない処である。最初から一宗建立以後の眼をもって読み始めた処で、仏法と真反対に出ている。そのために結論として後退の止むなきに至ったのである。一言でいえば時の混乱による処、水島ノートはこれについては奇妙に一貫性を持っている。その故の後退であった。
 水島は一宗建立を建長五年と決めているようであるが、御書からもそのようには出てこないし、三師伝にも見当らない。何時の頃か他門から移入したものであろう。凡そ仏法とは似合わしからぬものである。同じ録外でも妙密上人御消息は大いに味わってみる必要がある。一度は、宗祖には一宗建立の意志がなかったものとし、新しい思想的なものにねらいがあったものとして研究する必要があると思う。宗旨建立は弟子達の真情が結集されたとみても、一向差支えないものである。
 「日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず」という宗祖を画いて読めば、不軽菩薩をわざわざ像法に止める必要はなかった筈である。また開目抄等の御書も一段と読み易く且つ理解し易くなると思う。先生も一度鉾を収めて考え直して見てはどうであろうか。そこには必ず泥沼から這い上れる秘術があると思う。あまり強情を張っていると、大日蓮に毎号掲載されているだけに、宗門の公式見解と考えざるを得なくなる。即ち像法爾前の経々の混乱した中で現在の宗義が建立されているものと考えざるを得ない。
 六巻抄を一宗建立以前、即ち戒定恵の処から読めば理解し易いが、今のように混乱した処からは理解しにくいであろうことは常に繰り返している通りである。思想として、宗教を外して読めば、開目抄や本尊抄等の御書の忠実な解説書であり、終始その線は厳重に守られている。
 六巻抄が理解出来ない理由は、一宗建立以後の眼をもって読んでいるためである。本仏といい文底といい、下種仏法といい久遠名字の妙法といいながら、それがどこでいわれ、どのような意味をもっているのか、それが分らなければ、求められてもそれに答えられないでは困りものである。そのために他宗の者に対して、「不信の輩が」では答えにはならない。そこは噛んで含めるように答えなければならないが、今それが出来るとは思えない。結局不信の輩・不相伝の輩という処へ収める以外、あまり名案もなさそうに見える。
 今は現在を守ることのみに専念している。信者を無智に追い込んでゆく以外、あまり名案はなさそうである。世俗の中に立てられている仏法の中で、世人を無智に追いこむことは、自らを無智と決めることである。結局は自分等だけが無智の中に取り残されることになるであろう。世人の智の向上は抑えることは出来ない。これでは文化に逆行するのみである。決してそれは仏法の繁栄とはいえない。今の宗門や正信会はその道を歩もうとしているように見える。開目抄等の御書の教とは逆方向に進みつつあるようである。不信の輩から見れば頑愚としか考えようのない処である。
 三師伝も、宗門の伝記学者は伝記の線から一歩も引けないであろう。これは向上を望まないものの宿命である。そのために宗祖から現代につながっている戒定恵や己心の確認も出来ないのである。これを外していくら伝統法義を唱えてみても伝統法義とは遥かに程遠いもので、結局は中味のない伝統法義になるのが落ちである。中味が把握出来てをれば殊更伝統法義という必要はない。そこに事行の法門の意味がある。これは分っているから口にする必要がないことを表わしているが、今はそれがなくなったから伝統法義の語が必要になっているのである。中味があれば事行で事足りるのである。
 宗義は事行を通して自他に示すようになっているのである。中味がなくなると伝統法義と同様に、口に下種仏法を唱えても、これについて何の一言の解説も出来ない。そこで出るのが、信心しなさいという語である。それを当方で説明すれば、不信の輩の書いたものは読むなということになるのである。現在は仏法の世界に出来た語は、何一つ理解出来るような説明は出来ない処まで来ているのである。そこでは信心のみが有力な武器であったが、今はそれさえ通用しにくくなりつつあるのである。
 いつまで信心のみが通用するつもりであろうか。信心のみに頼れば御利益に収るのは当然のことである。そのような宗教から一日も早く脱皮することが目下の急務である。本尊と功徳・御利益なども、角度をかえて見直すことも無用なことでもあるまい。水島が最後の本音も本尊と功徳に収まったようである。二年半たらず強情を張ったのも、目標はそこにあったようである。その低俗さが限界となって表われ、不本意ながら手を引かざるを得なくなったのである。
 あまりにも次元が低すぎて、これでは文の底に秘して沈めた一念三千を捉えることは無理である。文の底も、時には爾前経にあったり、時には迹門であったり、一向にその住処も時も明らかでない。そのために迹仏世界に本仏日蓮大聖人の仏法が登場するのである。誠に噴飯ものである。これでは格別文底を唱える必要はない。また本仏日蓮大聖人といえば、即時に仏法の世界が現ずるものでもない。この語から見ても、文上の処に文底を称しているので、当人以外には理解出来ないのである。そのために文上と文底、仏教と仏法の区別をしなければならない。
 仏法を立てるなら、まずその時を決めなければならない。時が立てられないなら、仏法の語は使うべきではない。仏法を唱えながら仏教のみでやってゆくのであるから、その矛盾に倒されない方が不思議である。それほど矛盾に充ち満ちているのである。このような中で開目抄の二の大事である二乗作仏や久遠実成が考えられないのも当然のことである。二乗作仏は衆生成道に、久遠実成は久遠元初に、そこに戒定恵の三学が必要なのである。この管を通して仏法が成じる、それは即ち己心の境界である。今は己心を認めないのであるから、二乗作仏と久遠実成はもとのままの迹門でありながら、時に仏法を唱え、衆生成道や久遠元初を唱えているのである。その居る処は迹仏世界を一歩も出ていないのである。
 仏法といわれるのも文底といわれるのも、時も処も全く同じであるが、迹仏世界即ち仏教では時が全く違っているのである。そこで現在は或る時は文底といい、或る時は文上というも、全く区別がないのが実状である。二十八回に亘る水島ノートには明了にこれを示している。しかもそこに堂々と本仏が登場するのである。同じ世界に本仏が登場するのであるから、どうしても迹仏を越えなければならない。これでは受持がない。受持がなければ下尅上である。
 結局実成の遥か彼方に元初を見るのであるが、それは迹仏世界の中でのことである。これは、時をもって別世界に出なければ説明することの出来ない部分である。正宗要義でも全く区別は付けられていない。つまり下尅上方式を一歩も出ることなく本仏を説明しようとしているのである。このような世界は魂魄の世界であるにもかかわらず己心は一切認めない。そして鎌倉に現じた本仏日蓮の肉体は現在も昔のまま存在しているというのであるから、普通の精神状態で分らないのは当り前である。それに不相伝の輩とも称して罵るのであるから、言われた方も何の感興さえわかないのである。それほど時が違っているのである。
 本仏を唱えるなら迹仏との区別もいるし、仏法を唱えるなら仏教との区別がいるにも拘らず、それには一向無関心である。これでは理解せよという方が無理である。若し時が分るようなことでもあれば、大いに反撃してもらいたい。時がないから受持がない。そのために迹仏を乗りこえるようなことにもなるのであって、大石寺法門では、受持は大きな役割りをしているようである。迹仏を乗り越えるためには、受持をもって別世界に出なければならない。そして世俗の中に仏法を建立するのが最良の方法ということになっているようである。開目抄や本尊抄等の御書は、その詳細を明されているのである。
 三師伝が戒定恵を根本としているのも、其の意を受け継いでいる処は仏法の相承である。それは今も変ることなく受け継がれているのであるが、今は三秘も加わって二本立てになっており、仏法即ち戒定恵の方は殆ど意識からは遥かに遠ざかっているようである。しかし己心が邪義と思える間は、その復活は恐らくは出来ないことであろう。己心を捨ててこれを理解する方法は、信心以外に適当な方法はないであろう。理をもってはどうにも説明出来ないから、理屈抜きで信用して信心せよということなのである。
 信心するためには理をもって理解することが条件であるが、今はそれは言わないことになっている。無疑曰信がこのような時に利用されることは水島ノートが示している通りである。これは私曲をもって利用しようとしたまでで、むしろ悪用という方が適当である。その部分は、仏法に帰れば十分に説明も出来る部分である。十分に理を尽した上で信心に入るのが世間の通例である。しかし考えて見ると、その意味が理解出来ない、説明出来ないから信心しろ、信心すれば本尊が必ず功徳を下される。このような考えが水島教学の根本になっているように見える。全く面目次第もないことである。
 功徳はなくても信心を呼び起すようなものが必要であると思うが、如何なものであろうか。仏法を立てるなら信心は世法の中に立てるべきもの、今の功徳のみを求めるのとは天地の違いがあるが、今は一宗建立以後の眼をもって仏法の信を解釈するために思わぬ落し穴にはまりこんだということであろうか。今の信心は仏教の上の信心ではあるが、それも可成り低俗な処に目標がおかれているように見える。何れにしても、一日も早く仏法の上の信を見出だすことが肝要である。
 今のような信心では、この本尊は信の一字をもって得たりということは出来ないであろう。仏法の上の信は本来方向性が異っているのである。それが、今は理屈抜きで仏教に切りかえられた処で混乱が始まっているのである。そして本尊についても、利をもって信心を誘う以外に方法がないようになっているのである。その本尊には、本因の本尊といえるようなものは何物も残っていないのである。そのような中で自力が消えてゆくのである。自力というようなことは、近代は全くその影をひそめてしまっているのも、本尊の解釈の中での出来事である。そのような中で本尊に対する信心のみが強調されているのである。そして如来滅後五五百歳始観心本尊抄は己心を邪義と決めた時、即時に如来在世観心本尊抄に成り替るのである。
 「観心の基礎的研究」は像法の観心に切り替えるための作業であったが、見事に失敗に終ったようである。結局は二ケ年半しか持たなかったことが、何よりもよくこれを証明している。本因の本尊を本果に切り替えるためには、観心の解釈を替えなければならない。己心を邪義と決め、観心を像法にとれば、本果に切り替えられるつもりであったのであろうが、どう見ても結果的に成功したとはいえない。どこかに計算違いがあったのであろう。しかし戒定恵に同時に存在する本仏をそのままにしたのは、失敗の原因の一つと云えるかもしれない。
 本仏は仏法に、本尊は仏教にとなっては、戒と定の時が異なって別個となり、三学の意義も失われることにもなる。これは予想外の大事である。そのために宗祖が強力に拒んだのであろう。しかし本尊や観心の解釈を変え、己心を否定しながら、本因の本尊や本仏は依然として登場していたのであるから、何とも不可解なことである。そのために「観心の基礎的研究」も案外生命が短かかったのである。長寿とは凡そ無縁のものであった。そこに先生の教学が現わになっているのである。このような考えは文底ではない、また文上でもない。さてどのように命名したらよいのであろうか。
 現状では久遠名字の妙法も事の一念三千も理をもって裏付けることは出来ないようである。そのために、ここにも信心が必要なのである。その信心の中で本仏も本尊も誕生しているものとお見受けした。しかしこの本尊は信の一字をもって得べきもの、本仏もまた同様である。是非々々信の一字を求得してもらいたいものである。上のような考えの中では戒定恵の三学もそれ程必要なものとも思えない。三学は文底にあってのみ働くのであるから、文上に移れば自然と疎んぜられるのも止むを得ないことである。文底が家では一宗建立以前の処でこれらのものを把握しておかなければならない。これが怠慢になると、時の混乱に犯され易いことになる。若しそのようになれば、文底も文上も、世間も爾前迹門も全くその区別がなくなるのである。
 ここ数年、宗門はいよいよ混乱に拍車をかけたようである。その理論付けに追われながら、結果的に何一つ取り上げることは出来なかったのである。最後に上行と不軽は分断したけれども、これで果して本仏が出現出来るであろうか。これでは本仏出現の道は永遠に断たれるのではなかろうか。尤も今では本仏や本尊が新らしく出現する必要のない立て方のようであるから、このような事も案外無関心なのかもしれない。
 既に本仏や本尊は出現し終っているという考えが根本になっているので、山法山規や三師伝、開目抄や本尊抄等に示され、丑寅勤行に示されているような、時々刻々に出現する本仏や本尊の必要がなくなって、迹仏世界の大勢のように、一回限りの出現に絞られているようである。それだけ文上化しているのである。そのために不軽と上行とが分断されたのかもしれない。
 法門の立て方の変化は、色々な姿をもって表われるものである。これらは、全て時局法義研鑽委員会の一貫した研究成果である。しかしながら、本仏は一宗建立以前の処で、思想として確認しておかなければ、一宗建立以後の眼をもってしては到底迹仏との混乱を避けることは出来ないであろう。観心の基礎的研究は、その間の消息を遺憾なく明らかにしている。そのために仏法は一旦仏教の範疇を離れて、世俗の中に建立されているのであって、そのために時が必要なのである。しかも今は殊更時の確認を斥っているようである。そのような中で五十七年度の富士学林の優秀論文が出来ているのである。
 開目抄には戒定恵の三学を知るために、中国の古い時代のもの数多く引かれているが、それらのものは既に日本にも渡って来て居り、忠も孝も日本のものになり切っているのである。その中へ仏教を摂入して仏法が出来ているのであり、その時に戒定恵の確認があり、そこに初めて本仏や本因の本尊が現ずるので、語は同じでも、その内容は大きく違っているのである。そして本仏や本尊も時々刻々の出現に限られているようである。若しここで時が失われるなら、仏法に出現さたものは、何の抵抗もなく仏教に出現出来るのである。しかし、そこには大きな混乱が待っている。それを避けるために時を確認することが不可欠なのである。今はその時の確認がないために、仏法と仏教の間を自由に往復するのである。これが宗門の最大の難点である。いかに奇麗事を並べて見ても、これでは仏法を唱え、本仏・本尊を唱える資格があるとはいえないと思う。凡そ時を忘れた仏法などありうる筈もないのである。
 三師伝では開目抄を根本としてこれを戒に配し、宗祖に充てている。入信の日の授戒に、持つや否やといわれる戒は恐らくこの戒を意味しているのであろう。この戒も現状では全く不明である。授戒の時には持つや否やと念を押しながら、開目抄を保たれている形迹は全く見当らない。戒は一宗の根本になるものである。時局法義研鑽委員会も戒位は探っておくべきである。戒が何ものか分らないでは、怠慢のそしりは免かれがたいであろう。常々どのような戒を以って授戒しているのであろうか、是非詳細を公表してもらいたい。
 水島山田はどのような戒を授けているのであろうか。今では開目抄の戒も戒定恵の戒も、遥かに遠い記憶の彼方に置かれているように見える。独自の意味も分らずに中古天台のものを流用しても何の意味も持たない。それこそ天台の阿流である。授戒の時の語だけは特別に中古天台流でないことになっているのであろうか。若し、法華本門の戒を持つや否やということであれば、末法無戒は在世のみに限り、滅後には依然として戒は残っている、その戒とは具体的にどのように考えているのであろうか。しかし仏法は必ずしも仏教の戒に束縛されることもないと思われる。それでは大石寺がいう処の本門の戒とは、一体どのようなものであろうか。これは是非その秘密を明らかにしてもらいたい。その戒も分らずに持つや否やということは、もっての外の欺慢である。
 伝教は梵網戒をとっているし、天台にも梵網戒疏がある。しかも梵網経は羅什訳ということである。何程かの関連はありそうであるが、何故伝教が梵網戒を選んだかという事については今に不明のように聞いている。しかし伝教程の人が理由もなしにこれを採ったとは考えられない。結局これは或る時期に教義の根本が大きく変ったために、伝教の考えが故意に替えられ、新教義の立場から強力に押さえたために、意味不明になったのではなかろうか。二乗永不成仏をとる奈良では梵網戒はこまるであろうし、伝教は梵網戒をとりながら二乗永不成仏については大いに攻撃を加えている。これは戒定恵を民衆から見出だすためである。衆生が生き乍ら成道するためには、この三は絶対不可欠のものである。
 伝教の夢は目前に近付いた末法について、いかにして衆生成道を裏付けるかという処に集中した中で、二乗永不成仏を破し、そのために梵網戒と戒定恵の三学が用意されたが、いよいよ末法に入って二百余年、初めて日蓮によって再び日の目を見るようになった。しかし、当時の天台宗ではすでに伝教の考えは大きく後退を余儀なくされていたのであろう。日蓮はこれを京なめりと称して最も斥っているのである。此経難持は衆生の成道も大いに関係があるかもしれない。衆生が生きて成道するか、死んだ後に成道するかということについて、日蓮は他宗を攻撃したのであろう。これから見ると、天台宗は当時二乗永不成仏を採っていたように思われる。その末法の衆生成道のために二乗作仏と梵網戒と戒定恵の三学の必要があったのである。
 委細については、開目抄に明されている通りであるが、今の宗門は衆生成道は認めない処にいるように見える。そのために死後の成道を強く取り上げているのである。正信会も不信の輩の書いたものを見せない方向で動いていることは生前の衆生成道を認めない方針は宗門と全く同じである。共に生前の成道を認めない、成道は死後に限るというのは何故であろうか。これは上代には全く見られなかった事である。
 開目抄や本尊抄等の諸御書は専ら生前の成道を説かれているようであるが、今は、それとは裏腹に死後の成道に限られているのである。何故そのように真反対に出たかということに付いては、今となっては詳細にすることには、大きな障碍があるものと見なければならない。二乗作仏は末法の衆生の生前の成道には不可欠なもののようであるが、今はそれ程必要もないようである。つまり爾前迹門に返っているのである。二年半の成果は否応なしにその間のあせりの模様を浮き彫りにしている。何となしそのまま死後の成道に収まることであろう。しかし生前の成道に帰らなければ、仏法の処で出来ている語については、いつまでも矛盾に付きまとわれるであろう。
 伝教が何故梵網戒によったのか、今は宗門が真面目に考えなければならないことである。他人ごととして捨て置けるようなものではないことだけでも自覚してもらいたいと思う。改めて梵網戒と開目抄との関連を見直してもらいたい処である。末法太有近の語も、伝教がいかに、来るべき末法に心を痛めているかをよく表わしているが、事実は回避されたように見えるし、日蓮の心痛もまた体よく避けられたようである。宗門の現実はそのように出ているのである。
 仏教が戒定恵によって受けとめられた時、受けた側が主体となる、そして新らしいものが出来る、それが仏法であるが、鏡像が主体となるのとよく似ている。映る前は人が主であり、人が居るから像が映るのであるが、映ってしまえば元の人は迹となり、映像が本となる。そこから話が始まってゆくのである。本地垂迹説による八幡もこれと同じく、本地は釈尊であるが、八幡大菩薩と垂迹した時、それが応神天皇であったということで、仏教の話が世俗に移るのである。そして日本国は応神天皇の領する処と替る。そこに本迹の切り替えがある。垂迹の八幡だけでは弱い処がある。世俗の中で世法が仏教を受け入れた時仏法が出来るが、その時仏教から仏法への移行交替が重要なのである。垂迹八幡も仏法も水鏡の御影といわれるものも、その発想からいえば同じことである。
 時の転換は必ず必要なものであるが、今の宗門では最も斥われているものの一つである。そのために仏法への転換がはばまれているのである。そして次第に古いからの中へ帰ってゆくのである。その転換によって新らしい世界を見出だすようになるが、これは極端にいえば、このような考えは、伝教・日蓮のみに限られたように見える。最も永く伝えたと思われた大石寺が、今は強く反撥しているでは、誠に心淋しい限りである。しかし不信の輩と称して見ても、悪口雑言をいくら重ねてみても結果的には拒み切ることも出来ず、反って自分等の方が後退の止むなきに至ったことは、どうやら当方の言い分に幾分の強みがあったためであろう。それは、実には宗祖が復活を希望しているためなのかもしれない。是非の判断は時の成り行きに任せる外はない。
 とも角も開目抄の開の字の意義をゆっくり考えてみることである。開も皆も同じだ皆にしろではいただき兼ねる。何を指して開目といわれているのか、これが分れば、そこには立ち上れる何者かがあるかもしれない。しかし己心を邪義というからには戒定恵も邪義の筈であるし、仏法も亦邪義といわなければならない。それにも拘らず、仏法の語のみは盛んに使われている。何とも解し難い処である。何故この三を各別に考えるのか、その理由を是非明らかにしてもらいたい。ただ邪義・珍説とばかりいわず、大村教学の権威ある処を示すべきである。口に伝統法義を唱えながら、その内容も源流も示すことなく手を引かざるを得なかった事は、それは只己心を邪義と決め、戒定恵を忘れたことに起因しているのである。
 時局法義的な感覚で出来た観心の基礎的研究では、四明流の観心に基礎を置かなければならないであろう。しかしそこに本仏や本尊を求めることは出来ない。それは戒定恵がない故である。そのために必ず本尊や本仏は他から移入しなければならない。その筋からいえば、本仏は迹仏に、本尊は薬師如来を崇めなければ、他から矛盾を指摘されるであろう。今の伝統法義はその様な処に立てようとしているのである。宗祖が最も斥った処へ何故収まらなければならないのであろうか。最早や時局法義を目指す時は終った。何一つ捉えることもなく終ったのである。更めて時を撰び時を知らなければならない時が来ているのである。滅後七百年、何となく像法復帰の兆しが見えるとは何とも解し難い処である。このような時にこそ撰時が必要なのである。そして仏法の時を確認してもらいたい。これのみが目下の急務である。
 台家のみが先行すれば、当家が失われるのは古来の誡めであるが、今は宗門自身が当家を押えて台家一本に絞って新らしく伝統法義とかいうものを編成しようとしている不思議さである。もしそこから本仏や本尊が出現するなら、天下一の大不思議である。時局法義研鑽委員会は、そこを目指して来たが、一向に道が開けたようには見えない間に行きつまったようである。現状では久遠名字の妙法も、その在処や出処を求めることは出来ないであろうが、本仏や本尊はそこから出現するのである。これについては、伝教も委細にはされていない。ただ開目抄のみがこれを明されている。或は十大部と云うことも可能である。しかし、今の天台宗の教義からはこれを求めることは出来ないであろう。
 三師伝も六巻抄も戒定恵の三学を根本としているが、今は三学を三秘に摺りかえているために、本仏や本尊の出現には至らないように見える。三秘はもと三学の中の定から出ているが、今は古来戒の扱いを受けてきた三学の戒は消えて、三秘の戒旦がこれに入れ替っているようである。そして題目もまた三学から三秘に移っている。三学がその作きを三秘に奪われた感じである。しかし、結果としては本仏や本尊の出処を求めることが出来なくなったのである。三秘が異様に大きく扱われたために三学の座を奪ったのである。これはどうしても本来の姿に返さなければならない。これ又下尅上方式に叶っている故である。
 今いう処の三秘は余程与えて見ないと定から出ているとはいえない。根本は徳川の初めに流入した時にそのようなものを既に秘めていたのである。戒旦の本尊はそのような中で解される間に、いつの間にか本果と顕われたのである。そして、時々思い出したように本因の本尊が顔を出すのである。しかし、本因の本尊は必ず三学の定から出なければならない。それが三秘に出生し本果と顕われたために、御宝蔵の秘から正本堂の顕となった。顕となれば像法と判じる以外によい方法はない。色々な面で、像法という点では一致しているようである。
 元をいえば三秘が独立して、新しい解釈をする中で四明流の解釈が大いに働いている。今、「観心の基礎的研究」が現代の天台学者の考え方によって出来ているのは、いかにも行くべくして行ったという感じである。つまり故里に帰ったのであるから、案外抵抗がなかったのであろう。それは本尊抄の観心とは遥かに殊ったものである。水島もこの観心を基礎にしてやって来たが、結局は三ケ年を越えることは出来なかったのである。今一度出直しをすることである。熾んな意気に燃えて三秘と本尊の擁護に出たけれども、格別成功したとも言えない。三秘では、成功することは、まず覚束ないであろう。三秘のみでは仏法ともいえないし、仏教でもない。そこに独走の危険をはらんでいるのである。
 われ日本の柱とならんといっても、三学にあっては宗祖は右手を振り上げることもあるまい。水島法門では本仏が右手を振り上げていきり立っていることにもなる。戒定恵に居すべき本仏が、現在において右拳を振り上げては格好もつくまいと思うが、これも三秘によった故なのかもしれない。三秘を信奉する向きには、至極当然なことなのかもしれない。三学の方から見れば、われ日本の諸人の柱とならんと読む方が穏かなように思われる。一宗建立以前の眼をもって読めば、このように読んだ方がよいようである。ただし、肉身本仏流な眼をもってしては、恐らくは読み切れないであろう。開目抄によって宗祖が自身を本仏と覚知したということは、弟子のみのいえることではなかろうか。  

 久遠元初
 本来は仏法の処にあるべきもの、戒定恵の三学の上に考えられるものであるが、時の混乱の中にあって、今は迹仏の久遠実成の処で、その延長線上で考えられているために、久遠元初の自受用報身の性格が不明朗になっている。これと同じく、五百塵点の当初も五百塵点の彼方に考えられている。つまり仏法にあるべきものが仏教の処で考えられているのである。そのために仏法そのものが不明朗になるのである。極く初歩的な誤りであるが、そのために次の混乱を招き、本仏が迹仏世界に出現することにもなるのである。正宗要義もこれと全く変りはない。
 外典を初門として戒定恵を見出だすことが出来れば、そこは仏法の世界である。その戒定恵の三学の処に久遠元初がある。これが忘れられた処で今の伝統法義が考えられているのである。つまりは迹仏世界なのである。そこに本仏が出るのであるから、他宗門の人等が承知しないのである。本仏はあくまで本仏世界に出なければならない。言い換えれば文底である。文底とは仏法の世界であるが、それが文上に出て文底を唱えるのであるから異様なのである。明治以降は大体この線で来ている様である。言葉では文底であっても事実は文上にあるのである。久遠元初が仏法に限るということも分らなくなっているということである。
 世間に出ながら、その世間世俗を刹那に遮断して己心の世界を成じる、それが魂魄の世界であり、俗身を遮断するのであるが、今は俗身が再び登場して本仏が出現する無理がある。時節の混乱である。本仏は俗身肉身を刹那に遮断したときに始めて出現することが忘れられているのである。本法も久遠元初も、本仏も本因の本尊も、仏法も戒定恵の三学も、この魂魄世界を除いては、ありえないものであるが、今は魂魄の上に成じた己心は邪義として一切認めない。しかも如上のような己心の上に成じたものは無条件で認めている。これでは法門の資格を備えているとは云えない。結局援けを天台迹門に求めようとしたのであったが、自説を裏付けることは出来なかったのである。若し読むなら開目抄を充分に理解した以後にやるべきであった。台家が先行したために当家が崩れたのである。その危険があるために、古来これを誡められているのである。
 横のみに力が入り過ぎて竪の線が消えたのである。竪が消えたために宗祖への連絡が付かなくなった。これが三ケ年の成果である。そこに不信の輩の割り込む余地があったのである。信不信に力が入り過ぎたために戒定恵にあるべき信が消えた。そこに悲劇の本源があったのである。その信は久遠元初の処にあるべきもの、信不信は久遠実成の処にあるもの、しかも一宗建立以後にあり、文上に属するもの、これをもって文底の信を同列に置くことは、最も慎まなければならない処である。本果も戒定恵の処でとればよいものを、迹仏の処でとったために思わぬ不覚を取ったのである。久遠元初がどこにあるかということが忘れられていた処に、事の始りがあったのである。
 仏法の上の本因本果と、仏教のそれとが混乱したのが根本の原因である。戒旦の本尊もこの混乱の中で考えられているようである。その中にあって仏法を称し本仏を唱えるのである。これを唱えるためには、まず仏法を確認することが必要なのである。それが時を知ることである。本尊は軽々しく論ずべきでないということだけでは逃げ切れるものではない。今少し責任を感じるべきである。仏法にあるべきものを仏教に持ちこんで置いて、軽々しく論ずべきでないとは、あまりにも無責任である。これでは黙っているわけにもゆかない。本尊は仏法にあってこそ正常といえるのである。そのために逃げきれなかったのである。むしろ反省の資に供すべきである。
 信不信のみでは解決出来ない処に戒旦の本尊は置かれているのであるが、三秘によったために些か食い違いが生じたのであろう。今では久遠元初や仏法が専ら三秘の上に考えられているのではないかと思う。そこに大きな誤算が生じている。事は戒定恵の三学から始まっているのである。それが何のことわりもなしに、三秘になっているために久遠元初も久遠名字の妙法もはっきりしない。そのために成道も本尊も本仏もまたすっきりとしないまま、文底と文上の間を往返しているのである。
 何を措いても、外典を初門とした仏法の意を知らなければならない。そうすれば戒定恵を失うこともない。そこには必ず久遠元初もすっきりと現われるのである。像法の観心ではいくら詮じてみても仏法が出るような事はあるまい。これでは仏教の力に圧倒されるのは当然の事といわなければならない。これは思わぬ誤算であった。  

 戒
 何を戒と称しているのか、委しくは開目抄の項を参照せられたい。仏教語大辞典の戒の解釈をそのまま御授戒の戒にあてはめることは出来ないであろうし、中古天台の本門の戒そのままともゆかない。仏教にはない戒が新しく出来ている。それが御授戒の戒である。仏法ともなれば、文字は同じでもその内容はすっかり異なっているのである。
 法華本門の戒を持つや否やと。その語は二帖抄等と全く同じであるが、その戒の意義を同じとすれば中古天台の阿流といわれても止むを得ない。語は中古天台のままであっても内容が違っているのである。大石寺ではその戒を戒定恵の戒にとり、開目抄に当てはめている。また宗開三に当てるなら宗祖ともなる。それが仏法家の戒であることは、三師伝の如くであり、そこに独自の戒が成り立っているので、最早戒律の意味の戒からは大きく脱皮しているのである。
 御授戒ではどのような戒を意識して持つや否やと唱えているのであろうか。教学部の解釈はどの様に決められているのであろうか。御授戒の戒はこの意味であるというものがあるのであろうか。それとも只口移しのみで内容には触れないのであろうか。しかしこれは重要なことである。入信第一日にはこの戒を受け、これによって客殿の客の資格も附与されるのであるから、ただ漠然と爾前迹門の戒を受けたのでは、丑寅勤行への参加も如何なものであろう。どうしてもそれにふさわしい戒が必要なように思われる。その意味では開目抄を戒とみることは抜群の発想である。
 入信第一日に仏法を確認しているのである。これは山法山規による処であるから、格別理をもって知る必要もない、事に行ずれば充分理解したということであろう。そして知らず識らず仏法に投じる仕組みになっているのではなかろうか。この山法山規や事行の考え方は、現実の教学部の考え方とは別の処で今に受け続がれているようである。これは仏法の一筋である。
 本因の本尊も本仏も、そこには昔ながらのものが伝えられている。これは時空を越えた処にあるものである。その故に長寿である。滅後末法が始をとるのも意はそこにあるかもしれない。現在は終をとるために自然に在世末法に出るのであろう。ここでは己心の法門も必要がなくなっているのである。己心に立てられた広宣流布は始をとり、今の広宣流布は終を目指している。そこに自ら在滅の異りが表われているのである。自然に発露された処、全く偽りのないものである。
 授戒とは戒を授けることであるが、戒が何か分らないでは授戒は全く無意義である。まず教学部において戒とはこのようなものであるという定義付けが必要であると思うが、教学部長は定義付けのないのが戒であるということなのであろうか、これまた是非伺いたい処である。戒とは形の上に表わされたものにいう名である。一応は語の上で説明を加えるべきものではなかろうか。しかし、不信の輩が何を申上げるかということであれば、強いて求めるつもりはない。しかし信者から疑問を投げかけられた時には信心しなさいということで解決しているようである。それで解決すれば、それが信者といわれるのである。信心は全ての疑問を解決する最高の武器である。そのような中で、水島流無疑曰信もその威力を発揮することが出来るのである。
 御尊師も戒について定見を持って、持つや否やとやっているわけではないであろう。しかしこれは何としても大きな欺慢であると思う。況んや入信第一日に於いてをやである。一方では無戒といい、他方では有戒である。これでは信ずる者と雖も多少の困惑が残るであろう。このような疑問を除いてこそ、無疑曰信もありうるのではなかろうか。これまた御尊師の再考を煩わしたいところである。
 とに角信心しろ、信心すれば功徳がある御利益があるでは、少し低俗すぎるようである。ここは宗教として大きく前進する必要にせまられているように思われる。わざわざ時局法義研鑽委員会を発足させ、宗を挙げて一人の不信の輩を折伏しようとしたけれども、遂に成功しなかった。大いに反省しなければならない処である。
 伝教は梵網戒によっているが、宗祖はこれに代るものとして開目抄を述作し、この中に必要な戒を示されている。それが忠孝など外典によるものである。世間に行われているものを媒とし、戒としての戒定恵を見出だし、そこに仏法を成じたのである。梵網戒は外典による忠孝などに置きかえられているのである。道師は開目抄を戒とし、ここから本仏を出されているようである。恐らく末法の戒であり、在世末法については無戒といわれているのであろう。法華本門の戒とはこの開目抄を指しているのであろう。
 成道のために戒が入り用なことは、滅後といえども変りはないものと思う。恐らく末法の戒とは開目抄をさしているのであろう。恐らく山法山規でも開目抄は戒として扱われているであろう。この戒によって入信も確認され、丑寅勤行の参加も許されるのである。この戒を持つことは開目抄を持つことであり、本仏を持つことであり、宗祖を持つことでもある。これが戒としての扱いを受けていることは、丑寅勤行に参加する度に授戒を受けていることでも明了である。即ち事行の法門であり、また山法山規でもあると思う。これは大石寺独自の戒である。末法無戒とは時が異なっていることに留意しなければならない。  

 忠 孝
 丁蘭は孝、比干・公胤は忠の代表的な扱いである。その他尹寿・務成・太公望なども挙げられているが、ただ俗世の忠孝を称揚するのが目的ではなく、これらの忠孝を中心としてこれに内典を摂入することによって、俗世の民衆から戒定恵を見出だし、そこに新らしく仏法を建立するのが開目抄の目的である。外典を仏教にとり入れるのではなく、外典に仏教を取り入れた処に特徴がある。
 理の上で外典に仏教を取り入れて仏法を成じ、これを事行に移したのが大石寺法門であり、これが山法山規として永く伝えられてきたものと思う。つまりこれが戒ともなって強く宗門を規制しているようである。本来としてその意義を示されたものではなく、事行によって無言の中に規制の中にはめられている無言の戒ではないかと思われる。深く沈められているためにその意を知ることもなく、ただ山法山規とのみ残ったようにも思われる。要は事行で事足りるということであろう。
 根本を忠孝におかれていることは、開目抄の冒頭に示されたことでも明らかである。つまり民衆に忠孝の道を分り易くするために仏法の道を開拓されたのが、開目抄述作の目的であり、これに依って安国や護国を考えられていたのではなかろうか。国家権力の中にあって守るのではなく、それを形成する民衆に、忠孝を、仏教の立場から解釈した仏法によって教えるものである。安国・護国の意義もそこにあるのであろう。直接民衆と仏教を結ぶのではない。そこに思想としての意義があるように思われる。伝教の守護章もここに目標があったようである。そのために戒定恵の三学の必要があった。暗に民衆の主体性を出そうとしたようにも思われる。これが国家権力につながれば、日蓮は大忠臣ということにもなるが、三学がある限り、それは無理なのである。
 民衆という語を宗門は斥うけれども、一切の民衆を対告衆とした処に一閻浮提総与もある。しかし仏法の語は仏教では釈尊一人に収まるように、それが宗祖一人について考えられる時に、一切衆生とかわると、一閻浮提総与の意味も自ずから変ってくるのである。これはあくまで従として考えるべきで、主役は一切の民衆でなければならないが、今は逆になっている。ここに独善となる要素もある。仏教的な考えの中で宗祖一人が本仏となることは、色々と次の危険が生じる恐れもある。
 尭舜などを引用しながら民衆が主体であることを強調されている処も、或は元初の意をもっているのかも知れない。宗祖自身が忠臣孝子であるというのではなく、民衆の立場を明すために、仏法を建立するために、戒定恵を見出だすための語と解すべきではなかろうか。父母の孝養ということも、末法以後は一般にも特に取り上げられているようにも思われるが、これらも単なる親孝行のみではないかもしれない。或る面では民衆思想が既に盛り上がってきている証左と見るべきではなかろうか。楠正成が大忠臣、子の正行は大孝などもその一例であるが、鎌倉から南北朝の頃は、案外忠孝が論じられた時代なのかもしれない。それが母体となって、次の民衆思想が盛り上がって来たということは考えられないであろうか。
 忠孝は単なる忠孝でもなさそうである。忠には国家権力につながっていくものと民衆につながるものとの二つがある。天皇家の祭祀には孝の一面がある。忠孝は双方に通じるものを持っている。鎌倉から南北朝の頃、陰で忠孝がどのように動いていたか。これは興味のある問題である。忠と孝はその後長く伝えられてきている。孝は国の大本ということもあったようであるが、宗門もまた孝が大本になっていることは充分考えてよいと思う。
 主に対しては忠、師に対しては信、親に対しては孝、主師親は開目抄の冒頭の語、これまた戒定恵の三学を見出だし仏法を成じるための第一声のようである。そして最後は主師父母となっている処は、一人々々の民衆を指し、これに対して主師親は多数の民衆を表わしているのかもしてない。
 忠孝と隠遁と、この二つが大石寺法門の根本となっているかもしれない。時局法義よりはこの根本法門を探ることの方が、より重要なことである。今は忠孝と戒定恵と仏法の三が各独立しているように見えるが、この三は常に一の処に収まらなければならない。忠孝も戒定恵も、時々は考えてみないと、反って仏法が不安定になる恐れがある。本仏や本尊の解釈が変ってゆくのも案外そのあたりに根源があるのかもしれない。今の戒定恵は殆ど仏法とは関係がなくなっているようである。
 仏法と戒定恵、それは梵と漢と和の三を和の中で融合するのが目標であったようにも見える。「御書は和字に限る」というのも、その辺りの消息を伝えているのかも知れない。これは仏法の上に使われているように見える。印度から東漸する時は仏教であるが、月氏に帰るときは仏法ということになっている。仏教を民衆のものとしようとする意図が見える。これは戒定恵を除いては考えられないことである。
 末法に入って二百年、漸く立ち上りの気配が見えた。その先頭に立ったのが日蓮である。思想的な立ち上りである。我れ日本の柱とならん等というのも、専ら思想的な立ち上りの意を表わしているように思われるが、見方によればそのまま国家権力につなげられるものも持っているのである。今の大石寺では、忠孝は何れにつながっているであろうか。開目抄とは相反する方向に出ているのではなかろうか、気掛りな処である。
 忠孝は所謂民衆思想の抬頭の根元になっているようである。それを裏付けているのが戒定恵であり、これを通して新らしい民衆思想へつながっているようである。一方では伝教から、また従義のあたりからその思想が流れこんで開目抄が出来ているように見える。その点四明流にはそのようなものは見当らない。やはり従義には民衆を主体とした考え方が根本となっているが、この考え方は一宗建立にはつながらない。従義流からは一宗建立した例は見当らない。それを承知の上で日蓮は従義流によっているのである。
 日蓮宗が出来るためには、どうしても従義から四明に変らざるを得なかったのである。結局は一宗建立以前の、一つの思想として開目抄を見なければ、その真実はつかみにくいと思う。忠孝の意味が捉えにくいのが根本になっているためである。一宗建立以後になると、忠孝の意味が大巾に変るためである。開目抄と忠孝、そして民衆と、この三は切っても切れない深い関係をもっているようであるが、今では一宗建立のために、その影が異様に薄れたように思われる。今こそ仏法を確認する時であるが、これこそ「今正是其時」である。
 伝教の戒定恵も「今正是其時」の処で大きな飛躍があったのではなかろうか。これは仏法へ出るための常道のようである。しかし、親鸞には戒定恵が見当らないようである。己心は取り上げたけれども三学がはっきりと出なかったために後退を余儀なくされたのではなかろうか。つまり仏法へは今一歩という処であった。時のしからしめる処か、依経の故か、そこに時の流れが大きく働いたという外はない。  

 戒定恵
 他の殆どの項目と同じように開目抄の項と重複するが別項とした。同項を参照せられたい。伝教は、三学倶伝名曰妙法といわれている。大石寺法門即ち仏法の根源になっているもの、また十大部も同様である。戒定恵を捉えることによって、始めて仏法を称することが出来る。そこで仏法に時が必要なのである。戒定恵は世法の中に、即ち外典の処に仏教を摂入したとき始めて現われるもので、仏教に外典を持ち込んで解するものではない。今では仏法を反って仏教に持ち込んでいるようである。これでは御利益に頼る外はない。
 本尊を拝めば功徳があるという水島は、その功徳によって莫大な御利益を頂いたのであろうが、肝心の論争では何一つとる処もなく、何の功徳をうけることもなく早々の退散である。これでは本仏や本因の本尊の功徳をうけたのは不信の輩ということになる。それほど信心しながら、論争について功徳が受けられなかったのは何故であろうか。一度後学のために反省してみるとよい。論争は法についてのものである故であろう。法門と功徳を混乱させることは最も慎まなければならないことである。事行の体験いかがでせうか。
 伝教の時は、像法の故に戒定恵もその働きを起こすことはなかったが、末法ではその働きは莫大である。それにも拘らず今は無関心のようである。戒定恵の三学については今に水島から何の反応もない。これは他宗に参考になり、或はそのまま使えるものがないために手間取っているのかもしれない。これ又虚を衝かれた故に、右往左往に手間取っているのであろう。そのために、早急な立ち上りは望めないと思っている。
 開目抄に「外典を仏法の初門となす、内典わたらば戒定恵を知り易からしめんがため」ということは、既に民衆自身がもっている忠とか孝とかいうようなものを始めとして、中国的なもの、日本的なもの、色々の思想として世間にあるものを根本として、内典即ち法華経をもって割りだしたもの、それが戒定恵である。どうしても法華の受持がなければ出来ないものである。文上の法華に対してこれを寿量文底の法華という。これが仏法である。ここに己心の一念三千もあれば、久遠名字の妙法もあり、事の一念三千もある。久遠元初といわれるものもまたここにあり、また本仏や本尊もここにあれば、成道といわれるものもここにある。これは仏法の上での成道であって、迹仏世界の成道とは別物であるにも拘らず、今は時の混乱によって迹仏世界即ち仏教の成道と混乱しているのである。
 本仏や本尊・成道も、共に民衆の処即ち戒定恵にあるものであるが、今は本仏は宗祖一人に、本因の本尊は本果の本尊と現われて正本堂に、成道は仏教にというように変っているのである。そのため民衆の手から離れてしまっている。つまり仏法が再び仏教の処に帰ったような形になり、しかもそこで仏法で出来たものを唱えるのである。これでは他宗門が受け入れる筈もない。何をおいてもこの辺りをはっきりと分ける必要がある。
 世俗にあって仏法は建立されているけれども、最終的には俗世・俗身を離れた魂魄の上に仏法は成り立っている。若し仏法を左とすれば仏教は右である。仏教に帰って仏法を語れば、左右の衝突は必至である。このような中に日蓮正宗は建立されているように見える。ここははっきりと仏法の時の上にあって仏法を唱えなければ増々混乱を来たし、孤独化は必至である。若し仏教に帰るなら、仏法で出来たものは全て消さなければならない。何としても左右の区別を付けることが最要事である。
 仏法家かと思えば仏教家のようでもあり、仏教家かと思うと仏法家のようでもある。何れか一方に決めなければ、反って自ら墓穴を掘るに等しい事にもなる。仏法を唱えるためにはまず時を学すべしということである。時が決まらなければ仏法はあり得ない。仏法を唱えながら像法の不軽や上行がそのまま滅後末法に出たのでは困りものである。仏法の時にあって、不軽がどのような姿をとっているか、これも考えてみなければならないことである。
 日蓮紹継不軽跡も水島ノートで見出しだけは見たことがあるが、これは必ず仏法世界で受けとめなければならない。若しこれを仏教世界で受けとめるなら、必ず大きな混乱を起すであろう。水島説は仏教世界で解釈していたものであろう。文上文底は言葉のあやではない。不軽菩薩が文底でどのような貌をとるか。日蓮紹継不軽跡とあるからといって、必ずしも宗祖に限るわけではないかも知れない。本仏・本尊が民衆の己心にあれば、この宗祖は民衆の己心にあるかもしれない。まず時を確認した上で日蓮が宗祖なのか民衆なのか、それを決めた上で不軽を論じなければならないと思う。若し不用意にこれを論じるときは仏教に立ち帰る危険は多分にあるといわなければならない。
 水島説の不軽はどこで論じているのであろうか。文底と文上、仏法と仏教の混乱の恐れはないのであろうか。それを防ぐためにまず戒定恵を確認することである。これが大石寺法門の故里であるが、日蓮正宗に故里はどこにあるのであろうか。伝統法義では本仏や本尊の故里をどこに決めているのであろう。三秘では故里としては少し弱過ぎる。久遠名字の妙法も事の一念三千もその出生の処は明されていなかった。しかも山田は本仏や本尊を出していたのである。それだけに不安定なものをもっている。
 一宗建立以前のものを、一宗建立以後の解釈をもってしたために混乱が起きている。そのためにあわてて裏付けのために天台学者の研究成果にすがりついたために更に混乱を深めたようである。その結果として収拾が付かなくなった。そのために敗退の止むなきに至ったのが真相のように思われる。
 日蓮紹継不軽跡が迹仏世界で考えられると、釈尊の遥か後に出た宗祖が、或る時突然釈尊の遥か以前に誕生し、そこで不軽の跡を紹継するようなことにもなり、前後の区別がつかなくなる。仏法という別世界に誕生した本仏と釈尊の遥か後に生れた宗祖とが一箇すると、遥か後に生れた者が、何の理由もなしに遥か前に生れたことになる。これは今も最も説明出来ない部分であり、しかも時の混乱によってこのような事になる。そして鎌倉に生れた宗祖がいきなり釈尊より遥かに遠い時代に生れ、そこから肉身を保ち続けたことにもなる。今吾々の常識では考えられないことが考えられるのである。伝統法義とはこのようなものかもしれない。
 今はそのような事が平気で考えられている不思議さである。このようなものを正常に世間通用の処に返すのが重要な課題ではないかと思う。慎重に戒定恵の処から考え直す時が来ているのである。戒定恵から始めるなら、このような雲をつかむような話も姿を消すのではなかろうか。そして正法といえば必ず自分の唱えるところは正法となる、正法であるというような考えを起す必要もなくなるが、それ以前に戒定恵を忘れ、己心の法門を邪義と決めることが何故正義なのか、己心の法門を唱え戒定恵の復活を叫ぶのが何故魔の所為なのか、ここは文証をもって魔説であることを証明しなければならない。悪口雑言は証明の出来ない苦渋の声の響を持っているようである。
 己心の法門が邪義であるということは、開目抄や本尊抄・取要抄其の他の十大部、及び御書を捨てるに等しいと思うが、それでも己心の法門を捨てることが正義なのであろうか。己心を捨てることは戒定恵を抛つことである。これを正義とすることは難が中の難ではなかろうか。悪口雑言は文証ではない。十大部の内から、切文でもよい己心が邪義であると証明しなければならない。二ケ年半の間、このような証明は一度もなかった。相手を魔とするのは常套手段であるが、いよいよ万策尽きたという感じを与えるものである。
 日蓮正宗の僧が正といえば邪も即時に正となる、正は必ず邪となるというようなことが根本に置かれているが、どうもこれは正常な考えとはいえないように思われる。己心を邪とするために天台宗の観心をもってしようとしているのであろうが、開目抄や本尊抄の観心は戒定恵の門を通っている観心である。これが仏法にいう処の己心の法門である。仏教の観心と仏法の観心とは同一視すべきではない。
 台家から当家に入るためには、開目抄に示された時が必要であり、まず戒定恵の出来上る処を明さなければならない。ただ羅列されたものを消化するようなことは、現状では出来ないであろう。理はあっても、それが事行につながるものでなければ無用である。世俗に仏教が持ち込まれた時、天台の観心が当家の観心に替る、その在り方を示されたのが開目抄であり本尊抄であるが、肝心に切り替えの処を省かれたのでは、分る筈もない。そして相手が理解しなければ不相伝の輩であり不信の輩であり、結句は魔の所説ということになる。何となく原始的ではあるが、これは元初ではない。ここは考え違いのないようにしてもらいたい。
 カーッと上った時に、己心は邪義だとやったのは一生の不覚であった。蓄がなかったためである。戒定恵にはこのようなものさえ消化する能力がある。一切を戒定恵に浄化してもらって、改めてすっきりとした処で再出発というわけにはゆかないのであろうか、悪口雑言が魔に替ったことは、事態がそれだけ深刻になったのであろう。とも角そのように受けとめて置くことにする。
 御本尊に手を合さなかったから功徳がないというけれども、当方は台家から大石寺法門となる境目を探ろうとしているのである。そこには本仏や本尊や仏法はあるけれども、今いう処とは全く異ったものである。つまり一宗建立以前のものである。それを明らめることが出来れば、今のものと比較することが出来るが、現状は今のものが全部である。そのために浮動するのである。それは余りにも離れ過ぎているために、今となっては後へは引けない、ただ前進あるのみということのようにお見受けした。世間ではこれを猪突という。これは天下の日蓮正宗としては、あまり好ましい事とはいえない。
 邪とか魔とか云ってみても、所詮は日蓮正宗発展の邪魔になる以外、何ものでもないということをまず弁えるべきであろう。相手が邪と見え魔と見えるのは自分の境界の低いことを示している。そのような語の必要のない処まで自分を向上させなければ、解決の期はないであろう。それほどキズは深いのである。何はともあれ、今は開目抄の全体像をつかむことである。それが深みに落ちこむのを止める唯一の方法のようであるが、現状は、開目抄とは真反対の方向に進んでいるのではなかろうか。そこに反省の場があるのである。開目抄へ帰る事を何も恥かしがる必要もあるまいと思う。
 未萌を知るを聖人という。大聖人の大は報身如来を表わすといい、聖人はもと外典に依る処である。ここにも外典と内典の融和の姿が表わされている。しかもその大は、方便品の一大事因縁の大の意をもっているといわれている。そのことは所謂中古天台と同じであるが、結局はそれを受けとめる時が違うのである。若しこれを仏教で受けとめるなら、或は邪といわれるかもしれないが、仏法はこれを世俗の上に受けとめて建立されているのである。これが十如実相の受けとめ方の一つではなかろうか。ここが俗世への連絡口である。その意をもって常日頃方便・寿量を唱えているものと思う。
 日蓮正宗が仏教の中に終始止まるのであれば方便読誦は無用に属するであろう。大聖人の大はそれを突破したしるしである。そこに仏法の境界が開けているのである。大は仏法の時を示されている処にその意義があるのである。これは御本仏であるから大聖人という以前の段階である。今はこのあたりのことは、殆ど記憶から外れているのではなかろうか。これは本因に属しているが、今は専ら本果に依っているために、自然に解釈が変って来ているのである。つまり立ち帰り振り返って見る逆次の読みは、どこかに置き忘れたということであろう。
 大石寺のように仏法を立てる処では、他宗のもので間に合わすわけにもいかないから、常にその立処というか、その発端の辺は明確に把握しておかなければならない。しかも今特別に不明了なのがこのあたりである。十如実相から開目抄に至る間、そこが問題なのである。即ち今最も不明了な部分である。それを探るものには、あらゆる悪口雑言を投げかけ、邪説・珍説・魔説などとこれを阻止しようとしているのである。しかし悪口は所詮悪口である。反ってその都度自分等が窮地に追いこまれるのみである。魔説などとは、いよいよ追いつめられた者の使う語であることを弁えてもらいたい。
 文底とは十如実相に事始まって、開目抄に事畢る、そこに仏法が表われるということのように思われる。文底の二字のみでは他をして理解せしめることは出来ない。ただ不相伝の輩のみでは説得力に欠けているようである。宝塔品に事始まり(中略)神力嘱累に事畢るというのは、文底所在の処を示されているのであろう。仏法はここに文底を示されているように見える。今までの所、阿部さんには、文底についての明確な示しはなかったように思う。
 文底とはどのようなものか、どこにあるのか、具体的な明示が欲しい処である。ただ文底の二字のみをもって信用することは、吾々には出来にくい。たとえ御法主上人のお言葉といえども返上するの外はない。魔説同様である。ただ信用しろ信心しろでは単なる言葉の濫用に過ぎない。この信が信念の信か仁義礼智信の信か、本源はこの信の処にあるかもしれない。何れの信に用と心がついたのか、用心用心。そのあたりの処も御相承の上から明らかにしてもらいたい処である。吾々は高座から声をかけられても、遺憾ながらそのような境界にないことは、既に御承知の不信の輩であることを申し上げておきたいと思う。
 さて、僅か二ケ年半で、あれ程いきり立っていた水島が急に敗北を認めて後退し、阿部さんもまた何やらボソボソやっている。それがどこに原因があるかといえば、根本は戒定恵をすてて、己心を邪義としたことにある。一言でいえば、己心を邪義とすることは、それ程現在の法義が狂っていることを証明したことにもなる。己心の法門を奨めるものを狂った狂った、狂いに狂った、あれは狂学だという程狂っているということである。これ程たしかな証明は又とあるまい。それらは宗門の機関紙大日蓮に堂々と発表されているのである。そして今ボソボソやっているのは、相手のいない処で不相伝の輩、不信の輩とやっている事の姿である。
 相手に、以前のように大きな声が上げられない処まで来ているのである。惨憺たる敗北である。法門に対しては法門をもって答えるのが常識である。それにも拘わらず暴をもって答えたのが宗門ではどうも格好がつかない。同じ仏法の時の上にあってこそ法論も成り立つもの、これは大分の見当違いであったようである。ここに直接の敗因があったのではないかと思う。
 六年間を振り返ってみて、只の一回も戒定恵の語は出なかった。御本尊とか御本仏日蓮大聖人の仏法と、口には唱えてみても、その中に戒定恵を思わせるものは全く見当らなかったのである。それだけ語義が違っていたのである。そこでは信心のみが根本に置かれていたのであった。戒定恵を目指したものと、信心のみを根本にしたものと、遂に合致することもなく終った。そして当方が得たのは悪口のみであった。慈悲を与える筈のものが悪口のみを与えたのでは、逆縁も結び兼ねる。一閻浮提総与のような、大らかなものが欲しい処である。それを与えてこそ末法の慈悲といえるであろう。
 仏法から後退したものと仏法を唱えるものと、所詮は教は法を越えることは出来なかった。法前仏後は大石寺法門の根源の一つである。宗門が何故これが捉えられなかったのであろうか。これは吾々の最も解しがたい処である。本仏も本尊も、其の他一切の仏法はこの法前仏後の処で組み立てられている。これがなければ下種仏法は成り立たない。
 今は宗義が全て仏前法後の中で解釈されて正宗教義が作られている。そのために色々な矛盾が複雑にからみあってくるので、そこでは爾前経もそれ程区別を立てる必要はないようで、中村仏教語大辞典が大いに利用されたのも仏前法後がそのような扱いを許したのであろう。結果としては弥々大石寺法門が解らなくなったようである。そのために止むを得ず、水島御尊師程の学匠も後退せざるを得なかったのである。
 この線に居る限り、再び反撃の日はありえないであろう。改めるなら一日も早い方がよい。弁士交替である。御尊師と仰がれる人が、古文書を少しかじった職人芸の前に枕を並べて討死とは、どのように解したらよいのであろうか。尊きが故に虚空に居を移した故であろうか。もし戒旦の本尊に手を合せて居れば一言で跳ね飛ばされていたであろう。御尊師方のものは全て、戒定恵をいかにして捨てるかという処に集中している。
 大日蓮の九月号によれば、以前のままの折伏と広宣流布に出発するようである。仏法の広宣流布と仏教の広宣流布の異りだけは一度でも考えてみるとよい。仏法の広宣流布は己心の上にあるもの、必ず完了が先に立っている。これは始の中に終を含めているからである。伝統の上にはこれを取ってをる。滅後末法に法が建立されている故であるが、再出発の広宣流布は在世末法による処、そこに在滅の異りがあることだけは知っておかなければならない。
 三師伝では、三祖と戒定恵とは離れられないようであるし、序のごとく開目・本尊・取要の三抄があてはめられて三祖一体を成じている。六巻抄もまた戒定恵を根本として仏法の意を明されている。三師伝では開目抄から本仏、本尊抄から本尊、取要抄から成道となってをり、六巻抄も三衣をもって三祖一体を示し、同時に戒定恵に配することによって本仏・本尊・成道ということは変りないと思う。これが上代からの戒定恵の解釈であろうと思われる。そして丑寅勤行につながっているので、山法山規から事行の法門につながっているさまがよくわかる。それにも拘らず、水島教学からは戒定恵の香をかぐことは出来なかった。
 仏教は戒定恵を媒として仏法となった。しかし戒定恵のない仏法とは、一体どのようなものであろうか。まことに空虚そのもののような感じである。終結篇は何やらボソボソやっているようではあるけれど、みみずの戯言、小犬の寝言のようで、一向に要領を得ない。戒定恵を他宗の辞書によってみても、仏法家のための解釈は出ていないであろう。今は戒定恵の意義は殆ど消え失せているように思われる。それをどのように復活するか、その方法でも考えた方が余程賢明である。
 戒定恵や己心の法門など始めから考えない方がよいと匙を投げた、三学や己心には一向無関心のようである。既に仏教に根を下している故であろう。文化の波の中にあっては、いよいよ仏法は持ちがたいということを自ら認めたのであろう。優秀論文は天台化の方向を最も好く表わしているように見える。これも時の流れということで理解することにするより外に、格別よい智恵も浮ばない。  

 二の大事
 開目抄では、二乗作仏と久遠実成が二の大事として挙げられている。仏法の立場から見て二の大事である。これは戒定恵を求めるためには殊更重要であり、世法に摂入されると民衆の成道や本仏・本尊も現われ、久遠元初も出れば、そこには仏法の世界が開けるので、文底では殊に重要な意義を持っているようである。内典の極意のところである。法華経の上にのみ解すると迹門に根を下す恐れがあるが、今どれだけ重要視されているのか、詳細は知るべくもない。しかし仏法に求めるためには必ずなくてはならないものである。開目抄の中でも特に大きな要目であろう。
 今のように、天台教学に基盤をおきながら仏法を論じることは、凡そあり得ないことである。天台教学に帰るのは自由ではあっても、最早そこには成道もなければ本仏も本尊も永久に現われるようなことはないであろう。これらの三つは自動的に消滅することは必至である。この問題をどのように考えているのであろうか。しかし現実には天台の教学に頼りながら、本仏等の三は昔のままである。これでは誰が見ても混乱していることは分るであろう。天台教義を捨てるか、本仏等を捨てるか、二者択一を迫られている。これこそ真の時局法義ではなかろうか。双方を取ろうとしているのは、少し虫がよすぎるように思われる。
 現状は無策の一語に尽きるようである。本仏等の三を捨てることは余りにも代償が大き過ぎるように思われるが、どのように考えているのであろうか。宝玉を捨てて瓦礫を取ることは、あまり賢明な方法とはいえない。次上や阡陌の文字は御書にないという位であるから、開目抄や本尊抄等の諸御書はあまり読まれていないのであろう。しかし三大秘法抄から成道や本仏・本尊を求めることは、何としても至難の業であろう。  

 丑寅勤行
 連綿として続いて来た丑寅勤行とは、一体どのような意味を持っているのであろうか。どうもはっきりしたものがあるのかどうか分らない。宗門ではどのような定義付けがあるのであろうか。今では、昼は正本堂、夜は客殿ということで、丑寅勤行は夜の部である。昼は板本尊を中心としているが、夜の本尊はどのようになっているのであろうか。
 宗門では楠板の本尊だけしか認めていないようであるが、丑寅勤行は何れの本尊によっているのであろう。昼夜共に板本尊なのか、それとも夜は本因の本尊として御宝蔵に鎮座の本尊なのか。昼は本果の本尊、夜は本因の本尊として御宝蔵の本尊に向って勤行しているのであろうか。この本尊は客殿の奥深くまします本尊として、その姿を直々に拝することの出来ない本尊である。どうもこの本尊に向って勤行しているように思われるが、宗門の解釈は戒旦の本尊なのであろう。もしそうであれば、戒旦本尊も御いそがしい事である。
 さて勤行はどちらの本尊に向って行われているのであろうか、気掛りな事である。本尊不在の御宝蔵に向って勤行しているわけでもあるまい。若し戒旦の本尊に向って勤行しているのであれば、本因の行に欠けることになりはしないか。これでは衆生の成道は在り得ないかもしれない。つまり本果は徳につながるもの、現在の法門は果徳のみを受持していることになる。
 因行を除いて果徳のみを受持するのは、昼間の勤行に属するものである。丑寅は特に因行に重点が置かれている。本果の行では、成道・本尊・本仏にはつながらない難点がある。この本因の行を修するものが本因の行者である。本果の行のみでは、果徳はあっても本因に属するものはなくなるであろう。因行果徳の二法を受持し、修行するのは丑寅勤行に限るようである。これまた戒定恵を知るためには重要な行事である。
 事行とは本因の行を修すること、その故にここに成道・本尊・本仏も現ずるのである。これを事行の法門というのも本因修行の別語である。そのために六巻抄では、その前段として戒定恵の三学が説かれるのであって、果徳を得るためのものではない。因行の大体は丑寅勤行に表わされている。それは本因の本尊に限るようである。本果の本尊の前の修行は果徳を得るのが目的ということになる。そのあたりから戒旦の本尊の功徳が強調されて来るのであろう。しかし本果の行をもって事行にはつながらない。
 事行の法門というからには、必ず本因の行でなければならぬと思われるけれども、現在は、この因行はただ山法山規の上に残されているのみである。今はその陰に「本因の行者日蓮」を避けようとするものが隠されているのではなかろうか。これらについては水島からも、何の反応も示さなかった。四明を本流と仰ぐ水島教学では、無疑曰信ということのように思われる。「本尊について軽々しく論じるべきでない」とは既にこのあたりが不明朗になっているのを含んでいるようである。つまり分らないという意で、盲信心といわれても止むを得ないであろう。低俗化はその辺りに始まっている。
 仏法にのみ現ずるものが本果にのみ現じても何の疑いも持たないのである。水島教学はそのような処に成り立っている無疑曰信教学である。ここ数年間は、その虚を衝かれていよいよ仏法離れが盛んとなり、次第に仏教に根を下して来たように見える。しかし迹門に安住したのでは成道も本尊も本仏も、そして丑寅勤行も即刻捨てなければならない。結局は仏法にもあらず仏教にもあらざる処へ落ち付くのであろうか。これは丑寅の中間(ちゅうげん)ではなく中間(ちゅうかん)である。これによって一挙に大石寺法門の特徴である個性が失われることになる。これは大変なことである。しかし、数の増えた事のみ喜ぶためには、最も好い方法なのかもしれないが、最早法門といえるようなものではない。
 法門とは本因に重点を置いて使っているのである。そのために日蓮正宗伝統法義とは根本的に違っているのである。数の増えた事を喜ぶのはあくまで外相一片の興隆であり、真の興隆は法門の確立された時に限る。即ち三人四人同座するなかれであり、一を単位とする時である。一を根本とするためには本因でなければならないし、多を取るためには本果に依らなければならない。宗祖は常に本因を指し示されているようであり、法門もまた長い間それが守られてきた、それが真の伝統法義である。山法山規は地下にひそんでこれを伝えているのであろう。
 去年の夏の富士学報十三号はいかにもこれを如実に示して妙である。何れも生々しい現在の天台教学そのものであり、大勢はここまで来たのである。天台教学へ逃げこむ以外に方法がなかったのであろう。自信をもって威張っている処は、何れも天台教学そのままである。仏法に属するものが失われたために、天台教学に頼る以外に救いがなくなったことを示している。
 台家は後回しにして、まず当家を知れとは古来からの誡めであるが、今は逆も逆、真反対に出た処で、やっと水島も引き際を見つけたのであろうが、この水際作戦義理にも鮮かとはいえない。法門の上には何一つ成果は残らなかった。天台を丸写しにしてもそれは天台の観心でしかない。逆次の読みを忘れたのであろうか。寛師のものを挙げてみても、一向に連絡は付いていない。結局は迹門に引入されるのが落ちである。迹門の上に文底法門が建立されては大石寺法門とはいえない。しかし、丑寅勤行は天台教学をもって証明するわけにもゆかないので、これは全く無関心である。
 日蓮正宗伝統法義は大体迹門に出終ったようであるが、山法山規は独り古伝を伝えている。これは、その正体が不明であるために、周辺とは関係なく仏法を伝えているようである。事行に現われた処から逆次に想像する以外に方法はないようである。このあたりにも本因の行が事行に現わされる意味を伝えるのであろう。
 丑寅勤行は本因、正本堂の勤行は本果ということで両立するのであろうが、以前は御影堂が本果を表していたようで、今は本果が二分されたので、意味の通じない処も目に立つようである。御影堂の本果は仏法の中の本果であるが、正本堂の本果は一寸複雑な処を持っているようで、吾々不信の輩には一向に理解出来ないものがある。或は何かの拍子に迹門につながるものが頭をもたげるかもしれない。さて、丑寅といえば今の午前三時、丑寅の中間であり、諸仏成道の時である。それを仏法に移して行じる処は、釈尊の因行果徳の二法のうち、特に因行を主に行じているのであろう。諸仏の成道が衆生に変る処である。受持の上の行である。
 成道には必ず戒がいる、その授戒は末寺の擔当する処である。末法無戒といいながら、法華本門の戒を持つや否やと唱えているその戒とは、開目抄であり宗祖であろうというのが自分の今の解釈である。末法無戒の戒は在世の戒を指すもの、今の戒は仏法の戒である。同じく戒とはいいながら、そこに大きな相違いがある。宗門ではどのような意味をもって、法華本門の戒を解しているのであろうか。教学部長の統一見解はどのようになっているのであろうか、是非知りたい処である。
 持つや否やといいながら戒の意味は知らないでは、どうも頂きかねる。このような処も信心で解釈するのであろうか。信心気のある者には戒の意味が分っても、不信の輩には一向に分らないということである。これから折伏大行進も始まるようであるが、入信第一日の授戒の戒の意義位は、はっきりと決めておいてはどうであろう。これは教学部長の掛りのように思う。分らないまま、持つや否やというのは、入信第一日最初の欺慢ではなかろうか。
 無仏の世界といいながら一仏出現というのも戒と似ている処がある。これも他宗から衝かれそうな処である。このような紛らわしい語を使う時には時の変り目をまず示さなければならない。若し不用意に使って他からせめられた時には、忽ちに口を閉ぢなければならない。口を閉ぢれば敗者である。一仏の意義、仏の意義を説明しておいて使うべきである。信心しろ、不信の輩というだけでは充分とはいえない。
 末法無仏は在世についていわれること、一仏出現とは滅後末法即ち仏法に依るところ、そして、その一仏がいきなり本仏日蓮と出たのでは、当然異論が出るであろう。そこは順序をもって説明しておかなければ誤解の基になる。共に明らかにしてもらいたい処である。大村教学部長の頭の冴えを見せてもらいたい処である。これは教学を狂学と替えただけではすまされない、自宗の問題であることを知っておいてもらいたい。このような時には、天台教学は反って邪魔になるのではなかろうか。
 これは余談に亘ってしまったが、丑寅勤行とはどのような意味が含まれているのであろうか。これは山法山規の上の事行の法門であるだけに、始めから理に相当する部分は抜けていて、只事を事に行ずれば、その意味は充分に達せられるようになっているのかもしれない。しかし今まではそれでよかったとしても、今は昔のままでは通用しないかもしれない。そこは随方毘尼ということもある。世の中が進めば、少しは方針もかえてよいと思う。とも角理解出来るような説明は用意すべきではないかと思う。
 そこで、不相伝の輩・不信の輩といわれるのを承知で私見を記したい。仏教の諸仏成道という行事を仏法の上に移し、即ち宗祖の上に行じられた竜の口の頸の座から魂魄佐渡に至り、更に身延九ケ年から池上に終るまで、十二ケ年の宗祖の行功をそのまま我が身に移して刹那に再現している処に丑寅勤行の意義がある。宗祖の行功を我が身に具現することは、宗祖と同じ働きを示すこと、刹那に限って可能なのである。そして今に至るまで宗祖の行功絶える事なく再現され続けているのである。そこに釈尊の因行果徳も現われ、成道もあれば本尊・本仏も現われるのであろう。戒旦の本尊に向って題目を唱えるのは、仏法の中での仏教の在り方である。
 外典に内典を摂入して戒定恵を得、宗祖の受け止めた釈尊の因行果徳の二法を、竜の口以後十二ケ年の行功をそのままに、丑寅の中間に具現するもので、最も厳粛な行事であると思われるが、今は宗義の変貌によって、その意義さえ理解の外に置かれたのではなかろうか。法門の一切はここに集中しているのではないかと思う。この時の本尊は必ず本因に限っている。いうまでもなく本因修行を表わさんがためである。果徳とは衆生成道を指しているのであろう。これらの意義は殆ど消え失せて、何の意義もなく繰り返しているのみである。天台教学に意慾を燃やしては、益々混沌としてくるであろう。
 丑寅勤行に関しては、水島教学からは一言の反撥もなかった。現在の教学はそこに余す処なく表わされているのである。恐らく未だに何の究明もなされていないのであろう。今の教学が続く限り、その意義は益々薄れてゆくであろう。丑寅勤行は山法山規に属しているために、その意味不明のまま、昔ながらのものが伝えられて長寿を示しているが、今の教学は常に動いている。本仏が肉身に替るのも、仏法の埒外に出たためである。そして己心に建立されたものとは似てもつかぬものが出るのである。教義が替るために宗義そのものが変るのである。そのような処に水島教学は立てられている。
 今のように目まぐるしく変っては、長寿などとは全く縁もゆかりもなくなっている。そして追われる程常に浮動している。これでは本仏も腰を落ち付けて長寿などとは言っていられないであろう。これも一面には元初と実成の区別がついていないためである。そして鎌倉に生れた日蓮が、釈尊より遥かに遠い昔に生れたということにもなるのである。これは正宗要義の教学が迹門を一歩も抜け切っていない何よりの証拠である。百尺の竿頭から一歩も進んでいないことを証明している。
 仏法は一歩を進めるために世法に出ているのである。そのために受持が必要なのである。受持によって新らしい世界に出られることは、蝉がからを脱ぐのと同じであるが、今のように、からをきたまま空中に飛び立つような法門には永続性がない。何をおいてもからを脱ぐことを考えなければならない。いつまでそこにしがみ付いていても下種の境界に至るようなことはあるまい。口に唱えるだけでは下種の世界は開けないということである。
 丑寅勤行は、知るも知らぬも宗祖十二ケ年の行功を身をもって行じ、体得している処に意義があるのである。異論があれば真向から否定して反論を加えることである。言葉を換えていえば開目抄や取要抄を事に行じている姿であるが、今では切文的に扱っているために、意義が消えたのであろう。そして開目抄なども、法門的には殆ど使いにくくなっているのであるが、反ってそこから逆襲を企てているようにさえ見える。何れにしても、一日も早く脱皮することである。
 今の宗門では常に行じてきた丑寅勤行を忘れて、ただ伝記のみに力をいれているが、これは遠い過去に追いやる力はあっても、丑寅勤行のように、常に衆生と共にあるというようなものはない。そこであわてて出たのが三世常住の肉身本仏なのかもしれない。これは俗世にもない珍聞である。少しは反省があってもよい処ではなかろうか。
 本尊に手を合わすことがなかったから功徳がなかったというのは信不信を別立した以後の事、少々次元が違っている、無時の処の話である。何を好んで、わざわざ時をはずそうとするのであろうか。丑寅勤行は常に開目を求めているのである。開目とは戒定恵を知り得て、仏法世界に向って脱皮することである。それを事に行じている処に丑寅勤行があると思う。若し誤りがあれば反論を加えてもらいたい。
 水島終戦の弁は、いかにも気の抜けたビール然としている。一度は伝統法義の事書き数ケ条でも発表してもらいたかった。引き際が鮮かであったとは、義理にもいうことは出来ない。ただ天台教学に援けを求めて逃げこんだという印象のみが残っている計りである。  

 文 底
 大石寺では昔から文底という語がよく使われるが、今、文底がどのように解されているのか、一向に分らない。文の底に秘して沈めた一念三千から出たであろう文底は文上に対する語であり、文上とは法華経の文の上即ち迹仏世界を指し、文底とは法華経の文の底に秘して沈められた一念三千であり、宗門が邪義として最も斥う己心の法門である。これは戒定恵から出ているもの、仏法の中核をなすものである。何故これが邪義といわれるのか一向にその語の出処は明らかでない。
 水島が終結篇に、大聖人が「普賢・文殊等の(中略)修多羅と合する者は録して之を用いよ文無く義無きは信受すべからず文」と仰せられ、日寛上人も「文証無きは悉く是れ邪義なり」などと引いているが、これほどよく知っているなら、己心の法門を邪義とする文証を何故引かないのであろうか。この終結篇の文は自責の念にかられて思わず引いてしまったということであろう。思わぬ処で最後に尻尾を出したということである。
 しかし何回となく己心を邪義と称してはいるが、己心を邪義と決めることは戒定恵の三学に反対することであり、仏法を真向から否定することである。仏法を否定しては文底もあり得ない。今は宗門を挙げて己心の法門を邪義と決めている。これでは本仏も本因の本尊も顕われることは出来ない。文証の一つも挙げず、ただ「己心の法門は邪義」、「己心の戒旦は邪義」では自語相違も甚だしいものである。宗門が一存でうっかりと決めたのか、水島が勝手に決めたのか、必ず詳細は文証に示さなければならない。職人芸には水島法門とは相容れないものがある。
 現在の日蓮正宗教学は、己心を邪義と決めた上で宗義を建立しているのであろう。これでは下種仏法などというものは存在する余地はなさそうである。御本仏日蓮大聖人の仏法などというものは、己心の法門を邪義と決めては、全くあり得ないものである。何をもって己心に交替させているのであろう。これが発表出来なければ、水島教学こそ邪義そのものである。これが言いたくて、宗祖や寛師の文を引いたのであろうか。己心の法門を邪義と決めては、本仏や本尊も、あらゆる大石寺法門は成りたたない。大石寺法門の壊滅である。既にこれに替る新義は建立されているのであろう。早々に天下に公表しなければならない。
 思い付いただけが宗義の根本になっているのであろうか。己心が邪義ということに決まれば、御書の大半は邪説ということにもなる。これは大変な事である。それなら邪義ではない御書を編集しなければならない。今度は御尊師芸でやることである。これは古文書を全くやったことのない者でやるとよい。糊と鋏だけで充分出来ることである。糊鋏芸である。これで開目抄や本尊抄が破折出来るなら見物である。大いに破折の実を挙げてもらいたい。  

 天と虚空・天道・天命
 天をもって虚空を表わす時はそらとも読み、又天道の意味をもって使う場合もあれば、天命の意味をもって使う場合もある。天道とは天然自然の道である。自然の理、天道は親無し、常に善人に与すというのは老子の語、この時は公正な意味をもっている(大字典)。天命はめぐり合せ、運命、天の命令などの意をもって使われる(大字典)。虚空・天道・天命の三の意をもっている。このうち虚空は天にあり、天道・天命は常に人と共にあるようである。大地の上にあるように見える。若しこれに仏教的な要素が世俗に消化される時は戒定恵となる。仏法はそのような中に在るように思われる。
 常に民衆と離れることもなく不即不離である。このような処に本仏の原点を見ることは出来ないであろうか。これは宗祖一人に収まった本仏ではなく、民衆一人々々の己心にある本仏である。一宗建立以後は意味が変ってくるが、今は水島の説のごとく、極く最近急上昇した説によっているために、宗祖は本仏として鎌倉に誕生し、本仏は肉身と共に三世常住であるというのが、阿部さんの説であり日蓮正宗の説でもある。急上昇した本仏は虚空に出生したように見えるが、時に明星池からその肉身を現わすのである。いかにも幻想的な発想である。この本仏は虚空に居して飛行自在であるが、開目抄で説かれている本仏は大地の上に居しているように思われる。これが一人に収まる時、虚空に転ずるのかもしれない。戒定恵や己心が失われたために虚空に転じたのであるが、最早や刹那成道は完全に失われ、仏法から後退したのである。即ち本仏境界は畢ったのである。
 本仏は必ず大地の上に居しながら刹那に本仏境界に至るのであるが、虚空の本仏は大石寺法門には説かれていないようである。そこで迹仏世界にあって本仏を唱える下尅上方式が始まるのである。戒定恵や己心が健在であれば、このようなことにはならなかったであろうが、迹仏世界にあって見れば己心が最も邪魔になる存在である。そこで邪義といい魔法と称してこれを排するために、今年夏も力を入れていたようである。虚空に本仏が出現するためには、必ず新仏法を建立しなければならない。これは全く異った仏法であるからである。
 水島ノートも新仏法建立のための事書であったかも知れないけれども、一回としてうなずけるものはなかった。今振り返って見れば、これが日蓮正宗伝統法義のつもりであったのかもしれない。僅かに二十八回、即ち二十八ケ条である。法華三十六ケ条には尚不足している。二十八ケ条をもってしては、新本仏建立にはちとお粗末であるが、これは再検すれば、その目標や時々刻々の移り変りは明らかに出ていることであろう。それがまとまったとき新本仏誕生ということであろうが、その新本仏とは肉身本仏ではなかったのか。しかしこの発想はいかにも兒戯に等しいものである。このために、反って窮地に追い込まれたのである。僅か一・二回の生命であった。あとは地下にあって持続しているのであろうか。しかし、肉身本仏論は未見の珍説であることは間違いのない処、後世の語り草・笑い草になる事は請合いである。この本仏は、前後を加えても二年半の生命であった。末法の本仏としては余りにも短命であった。
 己心を邪義とした処は中々の威勢であったが、二ケ年半続かなかったのである。そして自ら敗戦の弁を語らなければならなかったのは、所詮は天命に背いたためであろう。その天命とは本仏の命である。誤って天を虚空と読み損じた処に根源があるのかもしれない、本仏の解釈の相違による処である。いくら悪口雑言を繰り返してみても本仏の長寿は返ってこない。今は本仏の長寿を取り返す時である。悪口雑言は所詮仏法ではなかったのである。自ら撰んだ道ではあったが、ここはあきらめてもらう以外に方法はない。
 宗門を代表する大村教学よりも、川澄狂学の方に采配は上ったようである。これまた天の命である。天命は悪口には加担しないことになっているようである。一宗あげて己心の法門を邪義とすることは、どうみても正法正義とはいえない。天道を背いては、あまり長続きはしない。今は静かに反省するときである。悪口も饒舌も法門には関係のない事である。あまり数にはこだわらない事である。三人四人同座するなかれと、これは数を競うなという御示しである。
 本仏を仏教的な見方のみをもってすれば、即時に迹仏世界に還帰するのは当然のことである。一度仏法世界からはみ出してみて、改めて天台教学のすごさに驚いている。その吸収の成果が「観心の基礎的研究」であったが、これは自ら天台の阿流であることを表明したのみであった。これをもって仏法への還帰は不可能なことである。

 水島ノートの終結
 山田は気勢のあがった処でサット引き上げたが、水島はそのあと半年以上もその時を得られなかった。「久保川論文を破す」の時の威勢はどこへやら、実に涙を誘うような引き上げであった。これを見ても、時がいかに貴いかが分る。そして底の底まで教学を洗いざらしにしてしまったのであるが、最もへたな方法である。その記した処を見ても全面的な敗北を自ら認めている気の毒さである。
 今までの処を序論として、漸く本論の糸口を見付けた処へ急なお引取りで、何とも手持無沙汰である。しかし、折角出来た荒原稿であるから清書することにした。二十八回まで引延ばしたのであれば、ついでに三十六回まで引延ばすべきであった。これなら本法・流転・還滅の十二因縁合せて法華三十六ケ条ということもあるが、二十八では最後を全うすることが出来なかったということである。戦は引き際が大切であるが、どうやら引き際を誤ったようである。これでは、次の新教学を作るのが大変である。どこからどう手を付けるのであろうか。
 今後は相手のない処で独り法を求めてゆきたいと思う。三ケ年の間あまり古伝の法門には触れなかったようで、専ら近代の教学についてのみ論じたようであったが、教のみが先行して法が伴わないままの終結であった。法門の立て方からいえば、法の先行が不可欠であったのである。そして最後のとりでが守り切れなかったようであるが、三年以前へ逆戻りである。それなら始めから黙殺した方が賢明であった。何故その道を撰ばなかったのであろうか、何とも理解に苦しむ処である。
 広宣流布も追いつめられた中での再出発である。苦しい船出である。山法山規や戒定恵・己心の法門、仏法を捨てての再出帆という羽目を招いたのである。どこまで続けられることであろうか。再出帆のための護法局法門は、去年八月の富士学報ということであろう。これが日蓮正宗教学の全部ということであろう。昨年は新教義、今年は新布教叢書、これをもって準備完了ということであろう。
 迹門に教を求めたけれども、本門の法に到ることが出来なかったまま無念の敗退、同情の外はない。勝ったつもりで、ここで打ち切るのも一つの方法である。二ケ年半の間に痛い処秘すべき処も出尽したようであるから、これ以上当方には資料の必要もない。混沌とした教義の程は残らず明らかにされたのである。充分の収穫があった。この敗退がどこまで蔽い隠せるであろうか、これはなかなかの難題である。
 折角山法山規を取り出しながら、これに依ることが出来ず、一日も早く終戦を迎えたい一念から、誰にも分らないという譬喩に使ったのであろうか、ただ振り切るためのみということのようである。しかし山法山規は戒定恵の三学に根本があるので、分らないというのは偽りのない処である。三秘によるものは含まれていないであろう。但し、山法山規は開目抄等の十大部を根底とするものであり、戒定恵を根本とする限り一々取り上げる必要もなく事行の法門として解決ずみのものと思われる。格別箇条書にするような性格のものではないのであろう。これが分らないということは、反って戒定恵の三学が失われていることを自ら証明していることに外ならない。三秘の箇条書とは事が異なっているようである。たまたま箇条書として示された有師の化儀抄は時の特殊事情によったものである。箇条書になっているから三秘で読もうというのは筋違いである。
 三学とは仏法の上に出来た山法山規の意であり、三秘による読みは一宗建立以後に属するもの、今はこの両者が混沌としているのである。そのような中で、一宗建立以前に属する三学によるもの、即ち、仏法の側が弥々薄れてきているのである。三学の、法門としての力の程は、恐らくは気が付いていなかったのであろう。そのために三ケ年の間十大部からの引用が出来なかったのであるし、攻撃に何等の威力も表われず、反って自ら早々と敗退の止むなきに至ったのである。
 三秘によっているために「不信の輩」が通用するように思っているのみで、信不信以前の三学に依っているものには全く関係のないことであった。三学が仏法の根源であることに気が付かなかったことは、何としても迂濶千万なことであった。とも角、開目抄や本尊抄・取要抄を読むことである。そこには次上や阡陌の語は使われている。読んでいないから記憶に残らなかったのである。三学に対して三秘を持ち出してみても、それは何等の威力にもつながらないことを改めて知るべきである。
 今は仏前法後をとっている。それは本仏が前、本法が後であるが、本法が前、本仏が後の法前仏後でなければ、戒定恵は立てられないように見える。迹仏世界と同じ形になるために、反って金力・権力志向となる、そして衆生不在の貌となるのである。そして本仏と衆生との巨離が益々開くのであるが、戒定恵にあっては、本来は本仏は衆生所持の本法の中にあるものであるが、三秘によるために、そこからは本仏は現われない。そのために何れからか持ちこむようになるのであるが、三学の場合はその中から本仏も出現するようになっており、その出生が明らかなのである。
 しかし三秘からは一切本仏は出現するようなことはない。それは本法がないからである。そのために大地を捨てて虚空に本仏を求めるような事にもなるのである。本仏や本尊の出処を明らかにすることが今の急務であるが、現状では無理なようである。今は面子にかけても三学によることは出来ないであろう。三学は一が単位であるし、今の三秘からは多数と出る。多に執着を持つ限り三学に依る事は出来ないであろう。
 衆生の本仏も宗祖の本仏も共に肉身は刹那に遮断された処にあるものであるが、今は宗祖の肉身本仏に依っていることは信心のみに限られたためである。衆生から宗祖への交替の陰には、三学から三秘への交替がある。これは一宗建立以後のことであり、信心一本に絞られた宗祖の本仏が肉身本仏まで発展したのであるが、開目抄や本尊抄からは到底考えられない処である。
 追いつめられた感情だけが本仏を作り出している感じである。即ち信心のみが本仏を作り出しているということである。このようなことは、宗教としては最も危険な状態にあるといわなければならない、最も避けなければならない処である。ここでは殆ど教学の必要のない世界であるからである。思い切って開目抄の戒定恵の三学に立ち返って、改めて再出発すべきであるが、今となってはそれも出来ないであろう。
 新布教叢書が、どのような高度な内容をもっているのか知るよしもないが、噂によれば可成り低俗なもののようである。終結篇が力を入れているようなものでもなさそうである。水島ノート二十八ケ条、三学にもあらず三秘にもあらず、その外で出来ているようである。水島二十八ケ条と名付け後代の規範として出版しておいてはどうであろう。終結篇は、さすがに疲れ切った処が現わであって、見るからに涙を誘うものがある。悪口雑言時代には到底夢にも考えられないことである。しかし今は目前にこれを見ているのである。栄枯盛衰は今眼前にある。捲土重来、次回は悪口の必要のない教学をもって攻めてもらいたいと念願しておく。その時は五年十年先きの勝利を見通した上で始めてもらいたい。僅か二年四ケ月で弓矢を投げ出すようなことはしないことである。改めて水島ノートは二年四ケ月で壊滅したことを銘記しておく。

 

 

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 大石寺法門(二)


 

 
正信会報三十六号巻頭言及び論説について
 
本尊
 
擯出の事
 
神本仏迹か仏本神迹か
 
法華経の行者日蓮
 
仏前法後資料
 
堕獄ということ
 
末法無戒
 
依法不依人
 
不信の輩
 


 序
 悪口の縁に牽かれてまた「大石寺法門」を書いてみることにした。今までは仏法の創始者としての日蓮像を一応の目標としてきたのであるが、今度は将来思想家日蓮につなげられる処へ、僅かながら目標を変更した。仏法も思想も見る場所による相違のように思われるが、結局同じものではないかと思う。同じことを繰り返し書くようなこともあるかもしれないが、これは予め御容赦願っておきたいと思う。未整理のまま、筆の赴くままに載せるので、読みづらい点も併せて御容赦願っておきたいと思う。
 二年四ケ月を振り返ってみて、今の宗門の考え方の基本になるものは大凡分ったように思う。宗教家日蓮については、七百年の間各門下において、それぞれ充分に研究し尽されて居り、今さら割り込む余地はない。そこで今度は残された思想家の面について、一歩でも近づく努力をしてみたいと思う。今はそのための素材探しということである。将来研究家が出て、一行半句でも取り上げられるようなことでもあれば光栄である。
 大石寺では最初は仏法に依っていたのであるが、今はただその語のみが残って、内容の辺は全く失われているように見える。殆ど仏教に変っているので少し立ち入ると仏教になっていることは「観心の基礎的研究」に明らかな通りである。説明部分は全て他宗の教義に依っているのである。仏法を説明するための独自の宗学はきれいさっぱりと失われているのである。そのために迹仏世界を大手を振って本仏が罷り通るということも平気なのである。
 大石寺では上代三百年間は仏法で通し、今も山法山規にはその名残りを止めているので、出来るだけ拾い上げたいと思っているが、宗門では始めから不明として拾い上げる努力をする気持ちは更になさそうである。長い間伝えられてきた己心の法門も遂に邪義と決まったが、山法山規はすべて己心の法門に限られていて、迹門の入る余地はないようである。本仏も邪義、本尊も邪義ということであろう。日蓮が法門は全く邪義と決まったのである。これを裏付けるように出たのが阿部さんの三世常住の肉身本仏論であった。即ち肉身本仏こそ真実という意のようである。姿を持たない己心の本仏は邪義という意味であろう。
 この己心の法門である本因の本尊も邪義となり、その代りに本果の本尊こそ真実ということに決まった。これでは主師親の三徳も戒定恵の三学も亦その中に含まれていることであろう。これだけ取ってしまえば、あとに残る大石寺法門は皆無ということになる。随分思い切りのよいものである。一体何を考えているのであろうか。これでは、こちらで考えてみても分らないのは当然である。己心の法門が消されるなら自受用報身が消えることはいうまでもないことであり、そうして迹仏世界に還帰したのである。そのくせ依然として本仏や本因の本尊を称え、久遠元初や五百塵点の当初を称しているのである。筋の通るものは何一つない。そのような中で、出るのは悪口雑言ばかりである。ただ調子のみを上げてみても、実が伴わなければ何の意味もない。これではいくら力んでみても誰一人民衆は相手になってくれないのではなかろうか。
 世界広布を目指すならそれなりの蓄が必要である。まず徳を養うことを第一に始めてもらいたい。三世常住の肉身本仏論に民衆がどれだけ応えてくれるであろうか、独自のものといえばこれのみである。世界広布についてどれだけの威力をもっているであろうか。これでは到底他宗の賛同を得るようなことは、あり得ないであろう。己心の法門を斥い過ぎたためにこのような本仏に取り付いたのであろう。とても本仏といえるようなものではない。この本仏を中心において世界広布を目指そうというのであろうか。これは後の世までの語り草になることだけは間違いのない処であろう。殆ど思い付き程度のものである。そのために出処を明らかにすることが出来ない。山田や水島の低俗な思い付きに振り廻された感じである。そして思い付きの中で己心の法門も七百余年を経て遂に抹殺されるに至ったのである。
 寛師の頃を除いて徳川三百年の間における時の混乱が、明治になってから知らず識らずの間に迹仏世界に帰ってしまったのである。そこには己心の法門は全く見当らない。これを称えるものには容赦なく邪義と浴せるのである。それが宗祖のものともしらず邪義という語が出るのである。宗祖のものは全く理解されていない。今使っている本仏や仏法は別系統に属するものであろう。その出生が不明なのが特徴である。その出生は学によってのみ明められるものであるが、今はその学は一切認めないことになっている。全く不思議な法門である。ただそれを信ずる処にのみ宗は建立されているのである。
 何れにしても応仏を教主と仰ぎながら、報仏に依らなければ現われることのない本仏をもって根本と仰いでいる異状さである。もともとは相手を回避した中でそのように出たのであろうが、今はそれも忘れられているようである。仏教概観が応仏を教主としていることは間違いのない処である。そこには自受用報身は一向現われる雰囲気は見当らないようである。ここからどのようにして報仏を導き出すのであろうか。そしてそこにあって本仏や仏法を唱え、己心を邪義と称えているのである。何をもって正義としているのであろう。裏付けをもたない正義とは凡そ無意味なものである。何が故に正しいのか、まずこれを明かさなければならない。ただ正しいから正しいでは世間は素直には受け入れてくれないであろう。世間はそれを要求しているのである。
 日蓮門下であるなら、正しいという根源は己心の法門にあるように思う。若しこれが邪義であるなら、余は一切邪義である。三世常住の肉身本仏論は誰が見ても正義といえるようなものではない。しかし今は三世常住の本仏を正義と決めているのであろう。一切の法門はそこから出生しているものと思われる。三世超過なら語義としては理解出来るが三世常住では支離滅裂という外はない。そこに御本仏日蓮大聖人が住在しているのでは、何としても理解することは出来ない。そのような処は初めから仏法の所在ではないからである。そのような中で次第に本仏が虚空に住処を移していくのではなかろうか。
 今の処、仏法の出そうな処は初めから除かれているようである。そして迹仏世界で本仏が語られているのである。このような事は一日も早く改めるべきである。前々から他から指摘されている処であるから、改めるべきは改めなければ他宗も共に論ずるわけにもゆかないであろう。報仏をとった上で論ずるなら、応報についての論議になり、諍いも軌道に乗ってくるであろう。その上で正邪を論ずればよいと思う。現状では、それを論じる雰囲気は整っていないようである。在世末法を担当するのは応仏であり、滅後末法を担当するのは報仏である。その滅後末法は己心の法門の上に初めて開けるものであるが、己心の法門を邪義と決めては滅後末法の世もこなければ報仏の出れる筈もない。まずこのあたりの整理が大きな課題になっているのである。
 水島法門では、自らを正義と決めるのは少し早過ぎるようである。たとえ阿部さんの裏付けをもってしても、何の力にもならないであろう。在世において本仏が考えられているために、何れにも通じない本仏である。それを正義ときめて他を邪義とするのである。蓋を閉じた貝の中の話である。別世界での話である。浦島太郎の玉手箱のようなもの、若し誤って蓋を開けるなら即時に白煙と化すようなものをもっているのである。それは時が違っているのである。
 応身をもって教主とすることは仏法からの大きな後退である。しかも出る筈のない本仏を盛んに称している処に無理がある。報仏を立てるためには仏法に依らなければならない。そのために仏教や応仏と離れなければならない。そこに受持が必要なのであるが、今のように迹門に法を立てるのであれば受持の必要はない。そのかわり、迹仏世界の戒や修行はそれぞれ必要である。そして本仏の語も使うことは出来ないであろう。この辺りに異様な時の混乱がある。そのために法門も亦混乱しているのである。まず受持によって愚悪の凡夫のみの仏法世界を作らなければならない。そこが報仏世界なのである。そして自力によって本仏を得、本因の本尊を得ることが出来、成仏を得ることも出来るのである。
 梵網戒では滅後末法の戒とはいえないようである。自受用報身如来は己心にのみ刹那に出現するものであり、三世常住に、現世に在るものではない。況んや明星池を住処とするものではない。このあたりは大分見当が違っているようである。そして受持の時には特に久遠実成と二乗作仏が必要である。これと衆生が本来所持している一念三千とが合して己心の一念三千法門が出来るのであろう。現状では開目抄の「二の大事」は一向に作いていないようである。開目抄とは関係のない処で考えられているように見える。そこで己心の法門が邪義と思えるのである。
 「二の大事」といわれる程のものであるから余程重要なものと思われるが、現状ではそれ程の大事とも扱われていないようである。むしろ天台教学を暗記することが大事の扱いを受けているようである。それだけ宗学の姿勢が変ってきたのである。今では応仏を教主と仰ぐために自然と「二の大事」と疎遠になったのかもしれない。そして報仏とも遠ざかってゆくのである。開目抄がわざわざ「二の大事」を取り上げたことは、衆生の現世の成道と関わりのあることで、死後の成道であれば格別必要はない事である。今は専ら死後の成道によっているようである。死後であれば「二の大事」のいらないことは勿論である。「仏法は時に依るべし」とは現世成道のためにこそ必要な語である。時が決まらなければ現世成道はあり得ないからである。
 仏教概論では応仏によっているので「二の大事」の必要はないようである。水島が口汚く悪口雑言を振りまいていたのも、この図を裏付けるのが目的であったようである。そこには一貫性をもっているように見える。折角時局法義研鑽委員会を作ったのであるから応報二仏位は立て別けておいた方がよいように思うが、結果は応仏と決まったようである。法華の教主を報仏と決めることは、大石寺では七百年の歴史を持っているが、今になって応仏と決めたのでは申し訳も立たないであろう。これでは他宗との区別もつかない。とても、邪宗などといえる状況ではない。
 二年四ケ月の成果は、明治教学に秘められていた応仏についてそれぞれの作きを表に現わした処にその意義がある。正宗要義の五百塵点の当初や久遠元初も応仏世界において論じられているので、そこに特に信心が要求されてきたのであろう。何れにしても大通智勝仏の範疇を一歩も越えるものではない。正宗要義も水島教学も、所詮は仏教概論の中での所作である。ここで仏法や本仏を論じるためには、必ず迹仏を乗り越えなければならない難点がある。そのために或る時は応仏、或る時は報仏となるのも止むを得ない事である。山田がいう処の二重構造である。これもそろそろ整理して、報仏一本に絞る時が来ているのではなかろうか。
 報仏に取り決めた上ではっきりと己心の法門によって立つ時が来ているようである。いつまでも己心の法門を邪義としたのでは宗門は成り立ちにくいように思われる。応仏をとりながらの仏法は架空の像に等しいものである。長い沈黙の仕事始めに報仏に取り決めることから始めてはどうであろう。何としても迹門から抜け出ることが最大の難問である。今は迹門にいることさえ気が付いていないのではなかろうか。しかも迹門に宗を立てる処を盛んに邪宗と呼ばわっているのである。まず何をおいても、自宗の依って立つ処をしらなければならない。
 根本を天台においているために、最終的には天台教学に頼らざるを得なかったのである。無意識の中に理の法門に走ったのである。その結果として事を事に行ずる法門が混沌としてきたのである。この事を事に行ずる者が法華経の行者であり、本因妙の行者であるが、今は理を事に行ずる者とでもなっているのであろうか。これでは理であることには変りはない。そのために、自然と天台を頼るようになる。時局法義研鑽委員会も天台教学を頼りに発足し、これをもって一挙に当方を追いつめるつもりであったであろうが、これは少し読みが甘すぎたようであった。そして反って追い詰められる羽目になったのは、教学部に誤算があったのであろう。直前には自信の程を見せて散々に悪口を並べていた教学部長も、いざ蓋をあけてみたら大逆転となってほうほうの体たらくで二の句も続かなかったか、今に何のいらえもない仕末である。今一度威勢の好い教学の程を示してもらいたいものである。
 第一に口を閉じたのは教学部長であった。己心の法門が何故狂学なのか、御書の文証をもって論じてもらいたいと思う。大日蓮には、狂った狂った狂いに狂ったという名調子もあったが、当時己心の法門を狂ったとする考えが首脳部の処で充満していたのであろう。それを後になって水島が己心の法門を邪義として発表したものであろう。これは今も変ることなく守り続けられていることであろう。しっかりと貝の蓋をしておくことである。
 迹門にありながら本仏を称えることは、口先だけで唱えるのと何等変りはない。もとは世俗にあって唱えられたが、今は仏教にあって称えているのである。世俗とは仏法のことである。時が違うために左が右となり、下が上となり、民衆が貴族に自動的に変ってくるために、自分では殆ど気が付かないで、常に欲望のみが先行するのである。そして自を王侯の座に居て見ても一向に実が伴わないのが難点である。その座を保つために己心の法門が邪魔になってくるのである。
 今では己心の法門に定められた法門とは真反対の処に居るようである。その時逆も逆真反対という語が自然と口を突いて出るのである。そしてそれを正義、他即ち己心の法門を邪義と決めるのである。そのような中で時局法義という語も自然と考え付くのである。それだけに悲壮感を思わせるものがある。個人の欲望を守るための悲壮感である。それも破局の時が来たようである。それは序破急の破である。破がなければ序はいつまでも序であり、急を迎える日がない。
 開目抄も御書全体からいえば破の役割をしているかもしれないし、一抄の中にも序破急と伺えるものが強いことは、本尊抄とて例外ではない。標釈結では次の飛躍につながってゆかない難がある。開目抄や本尊抄の迫力は専ら序破急による処であろう。礼楽先に馳せて真道後に啓くというのも、序破急によれば真道の意義も大きく浮び上るようである。楽には特に世俗の風俗を変える力を持っているようである。これをもって改めて取り上げたいと思う。
 宗祖は三十余年の仏教を捨てたために新しく仏法が開けたのであるが、今はどこでどうなったのか、再び仏教にしがみついている。今一度仏教を捨てなければ仏法に立ち帰る期はないと思う。捨てるということは極意の処だけをとって他を捨てることである。そのために次の飛躍が待っているのである。礼楽は風俗を引きかえて仏法を理解出来るような状態に変えるのである。今の仏教を捨てなければ仏法の啓ける時はないのであろう。開目抄は貞観政要の百姓(ひゃくせい)を王座に居える処から始まっているのではないかと思う。特に礼楽先に馳せは、漢の武帝・宣帝の政治を引いているのかもしれない。逆次の読みである。逆次の読みという発想も、本源はここらあたりにあるのではなかろうか。
 逆次に読めば百姓は最も王座に近い処に居るのである。これが真実の慈悲なのかもしれない。それが己心の法門ともなれば即時に自力をもって成道が具現出来るのであるが、今はこれを僧のみの上に具現しようとした処に破局があったのかもしれない。これは対告衆を取り違えているのである。対告衆はあくまで百姓であり民衆であったのである。僧では些か計算違いのように見える。一筋道が違っていたのである。礼楽の礼は徳につながるものを持っているようである。楽は三味線や太鼓ではない。これは風俗は代えても徳につながるようなものは持っていないようである。今度は仏法と三味線の倫理というような論文でもものしてみてはどうであろう。時局というにふさわしいものを持っているのではなかろうか。
 今では観音や弥陀を別立して拝することは謗法ということになっているが、諌暁八幡抄によれば戒定恵を含めていない法華経や題目を唱えることが謗法と決めつけられているようである。題目でも戒定恵を含んでいなければ、いくら命がけで上げても、それは謗法ということになるかもしれない。要は中身の問題である。数さえ上げれば功徳があるというものでもない。衆生の成道につながるものはただ一の題目である。一言摂尽というのも同じ意である。仏法は一の題目により、仏教は多の題目によるということであろう。そして知らず識らず仏教に移って行くのであろう。
 宗門がどのように決めているのか知るよしもないが、諌暁八幡抄の考え方は今も通用してよいと思うが、現実には一向に生かされていないようである。戒定恵を含んでいないということに付いては、自他宗に何の区別も見当らない。諌暁八幡抄はその威力を失ったのであろうか。戒定恵を確認した処が極上々ということは間違いのない処であると思うが、阿部さんの上げている題目を謗法といえば早速お叱りを被るであろうが、別立するのが謗法であるという考えは必ずしも仏法のものとはいえない処がある。反って他門のものが入った後、自他の区別が失われた上で謗法というようになった。そこには何か新要素が入っているようにも見える。他宗をいきなり謗法のやからと称するけれども、理由は薄弱なようである。戒定恵を含んでいないということでは格別自宗に資格があるわけでもないようである。ここはお互いに謗法のようである。何をもって謗法と称するのか基準になるものを制定しておいた方がよいのではなかろうか。
 他宗謗法の輩ではあまりにも漠然とし過ぎているようである。少し責任のある処を見せてはどうであろう。この語はもと南北朝の頃、門下が一般に四明教学に移った頃、天台に対していわれたのが始まりではないかと思う。自宗を優位におくために始まった語である。それが後になって大石寺に移入されたのではなかろうか。その時他の教学も一緒に入ってきたのであろう。若しそうとすれば明治が近いかもしれない、差し当って明治に咲いた仇花ということであろう。法門的には格別関わりのあるものではない。そこで己心の法門の或る部分と合体して他宗謗法の輩というような語が出来てゆくのであるが、己心の法門そのものはこの頃から次第に影が薄らいでゆくようになり、そして明治教学としての形が出来てゆくようである。主役は他門の教学と思われる。そしてそのまま今も応仏が根底にあるのである。応仏を見る限り、他宗との区別は出来ない処に法門が立てられている。
 今は三大秘法抄の三秘は認めても、取要抄の三秘や開目抄の戒定恵の三学を認めているようには思われない。時による変換ということであろう。観音の場合は観音を祀る他宗が対象になっているが、戒定恵の三学では仏教が対象になっている。謗法の基準が違ってきているのである。法門とは常に世と共に推移するもののようである。仏法は世俗にあって一閻浮提総与と大らかであるが、仏教ともなると、まず自宗の信者として引き入れた後に救いをかけようということになる。そのために折伏が殊更必要なのである。
 仏法は初めから世俗の煩わしさを断っているのであるが、今の大石寺では世俗の煩わしさのみが還って極度に高調しているように見える。そこに色々と不可解なものが登場してくるのである。私の欲望も又、その中に入っていることはいうまでもない。そのような中に今の宗門はおかれているのであるが、民衆は既に仏法の大らかさを求め始めているように思われる。今の仏教の在り方にはそっぽを向こうとしているのではなかろうか。お互いの考え方が両極端にきているのである。ここは自ら高位に居ると思っているものが反省しなければならない処である。このあたりで貞観政要でも読んで徳を積むことを考えてみてはどうであろう。徳を積むことが如何に貴重な事かということを習うのである。水島もこの上に徳が備われれば鬼に金棒である。大いに徳を殖えることを心掛けてもらいたい。
 宗門は本来徳化第一と思っているが、現状は少々徳薄の感じである。首脳陣も徳については今一歩という処が残されているようである。強引な折伏をする前にまず徳を養うことを心掛けてもらいたい。徳さえ充分に蓄えてあれば悪口雑言の必要は更にないものと思う。世の移り変りと共に、現在のような折伏方式はやがて後退の時が来るかもしれない。まず時に順応することを考えておかなければならない。世界広布が完了するまでもつような折伏方式を考えておくのも、強ちに無駄なことでもあるまいと思う。無言で教化折伏の出来る人であってほしいものである。漢皇三尺の剣坐にして天下を制するような折伏をしてもらいたいものである。今そのような御尊師が何人居るであろうか。狂った狂った狂いに狂った、歌の文句になってもよさそうな語である。それ程狂っているのである。
 吾れ守文の徒とならんというような篤志家は出ないものであろうか。日蓮が法門の根元になるものを捉えてこれを具現し、更に後世に伝えていく処に守文の意義がある。日蓮を宗祖と仰ぐなら、その定められたものを、いかに忠実に守り伝えるかという処に意味がある。唯授一人の意義もまたそこに真実があるのではないかと思う。そのために己心の法門を明らめなければならない。それが守文の徒のやるべき仕事であると思う。唯授一人が本尊書写口伝に根本があるのもそのためかもしれない。己心に出現する本仏や本因の本尊を、いかに忠実に受け伝えるかということである。これは己心の法門の極意の処である。それはそのまま衆生の成道につながるからである。それが今では死後の成道になっている。そして仏法もまた仏教と変ったのである。これでは守文とはいえないであろう。以上は貞観政要の意による処であるが、宗祖もまたここの処は丹念に読まれているのではないかと思う。
 天台教学をそのまま頂くのは守文とはいえない。況んや爾前経をそのまま頂くのは顛動した守文であり、徒らに文を守る徒である。これは今の要ではない。日蓮は決して今のような現世利益は説いていない。現世利益とは現世成道が根本になっているものと思う。死後の成道をとれば未来成道である。現世利益が宗教の範疇でないというのは、成道に関係がないためであろう。これは古くから常に混雑しているようである。そして宗教には常にこれに近付こうとする一面を持っているようにも見える。むしろ離すために努力していなければならないのが大石寺の法門である。本来混雑し易いものを持っているのである。
 貞観政要では、建設も困難であるけれども、守成は更にむづかしいことを述べている。そのような中で中興ということが重んぜられているのであろう。中興とは中途での国興しであり国固めの意味を持っているようである。若し迹門から抜け切ることが出来れば、阿部さんは間違いなく中興の英主となるであろう。また明治教学を守ることも守文である。開目抄や本尊抄等の重要な御書の意を守るか、明治教学を守るかによって、守文の意も真反対に出るであろう。さし当って何れかに取り決めることが今の肝要である。山田や水島のような守文の徒は闇者に近いようである。真の守文の徒、即ち明者の守文の徒は出てこないものであろうか。
 世俗の中に育った主師親の三徳と仏教の戒定恵と羅什訳の法華経に含まれた中国思想が、貞観政要を通して更に消化され、鎌倉に現われたのが、日蓮が唱える仏法である。主師親は三徳として、戒定恵は三学として取り上げられている処に意義があると思う。そして三秘も取要抄のものは使われず、三大秘法抄の三秘のみが使われている。これは他門でも使われているものであり、何となし四明流の香が漂っているように思われるだけに、使い道が多いのかもしれないが、結果としては迹門に居ることを証明するような羽目になった。それは取要抄の三秘とは本質的に違っていたためであろう。
 戒旦として建立された正本堂も三大秘法抄によるものであり、本山に戒旦を建立するという像法方式になった。本尊も題目も像法と出るのは当然のことであり、三秘何れも像法に収まったようである。どこかで時について計算違いがあったのであろう。そのために迹門について異様な執着を持っているのである。これでは到底守文といえる境界ではない。それが一言にまとめられて、己心の法門は邪義と決まったのであろう。
 その頃己心の戒旦は邪義というのもあったようである。いうまでもなく末法に入って戒旦を建造することが真実正義という意味であるが、それは、末法に入って戒旦を建立することは虎を市に放つごとしという真蹟を真向から邪義と決めつけることであって、到底末弟として口にし筆にするような事ではないと思う。それが堂々と大日蓮に掲載されているのである。水島教学の極位する処、そこまで来ているのである。そこには反省といえるようなものは、かけらも見当らない。宗祖日蓮に対する真向うからの挑戦である。
 これでは何としてもその良識を疑わざるを得ない。真蹟のない三大秘法抄をもって真蹟現存の御書を破砕するからである。それ程狂っているのである。それが反って当方が狂いに狂ったと映るのであるから分らないのである。最初の取り決めの処に問題があるのであろう。若し誤りが分れば速やかに訂正すべきである。それが聖人君子である。水島にはまだまだ遥かな隔りがあるようである。これでは一生入妙覚も誠に覚束ないといわなければならない。
 現在は専ら明治教学に依っているが、鎌倉でどのような作業が行われたのか、どのような法門であったのか、そのような事に付いては一向に無関心であり、むしろ避けようとしているのではないかとさえ見える。そのような処には誤りはあっても向上はない。良薬口に苦しとか、常に悪口をもって返してくるのである。徒らに明治教学に固執するよりは、一挙に鎌倉に還ることである。そして改めて出直す時である。同じ視点に立っていつまで周囲を見廻してみても決して視野が開けるわけでもない。まず居を移さなければならない、天台学の暗記はもっと先のことで好い。とも角仏法を知らなければならない。その所在の処も知らなければならない。口に仏法を唱えながら、どこで説かれているかさえ分らないでは、そこから真実の出る筈もない。反対は大いに歓迎する処ではあるけれども、気を付けなければ宗祖に真向から反対するようにもなり、否定するようなことにもなる恐れもある。特に気を付けて反対してもらいたい。
 正信会ではあくまで明治教学を守るということであるが、それは日辰教学や身延や国柱会教学を守ることであり、これでは永代迹門を離れることは出来ないであろう。そして要法寺や身延派の前では永世頭は上らないであろう。まして応仏世界に居りながら本仏を称えるなら、その矛盾を凌がなければならない。明治教学に依りながら本仏を称えることはこの上もない矛盾である。迹仏世界に迹仏と本仏が同時に存在することは、容易なことで凌ぐことは出来ないであろう。これをどのようにして凌ぎ切るつもりであろうか。今の正信会の技倆で自信をもってやり切ることが出来るであろうか。恐らく時局法義研鑽委員会をもってしても出来ないのではなかろうか。ここは常に他門から攻撃を懸けられている処である。後から入り込んで正座を得ることは容易なことではない。どのようにして正当化するのであろうか。難問中の難問である。信心以外には解決方法は見当らないであろう。正信会教学陣の腕の見せ処である。
 忠孝が芽生えてくるのも鎌倉の始め頃であろうし、興師の「御書は和字たるべし」というのもこの頃芽生えてくるであろう。和国的な独自の考え方の芽生えである。日蓮にも忠孝は大きな役割を持っているようであり、太平記でも正成・正行の忠孝も何か大きな役割を持っているように思われる。或は民族意識の高揚に役立っているかもしれないし、苦難からの立上がりに役立っているかもしれない。従義流は逆の読みをもって貞観政要を民衆に振り向けているかもしれない。これによって民衆は末法の重圧から逃れる方法を見出したようにも見える。その意味で貞観政要は大きな役割を果しているように思われる。
 後白河法皇も貞観政要を通して民衆と共に苦難を分け合い、その乗り越えてゆく様を見て我が悦びとする中で、他力本願の彌陀信仰のみでなく、自分では観音信仰も可成り強かったのではなかろうか。法勝寺の御八講の記録からしても観音信仰は強くなっているように見える。東大寺宗性の写本の意にはそのように思わせるものが多い。熊野信仰の中にも現世に普陀落の浄土を求められているように見える。そして東大寺が再建された時を契機として普陀落信仰が大きく浮び上り、毘盧遮那仏も文殊と観音の側面援助の中に末法に出現することが出来た。その末法出現の再誕祝が「奈良の御水取り」として今に祝福を続けているのではないかと思う。この水は観音のみが領知する普陀落の水のように思われる。大石寺の御華水にも滅後末法の祝福の意味を持っている一面があるが、これは上行の方が濃いであろう。
 後白河法皇が色々な信仰を持っているように解説されている向きもあるが、それは民衆に末法の苦難を脱がれさせるための手段なのかもしれない。ここにも貞観政要が生かされているような一面が見える。梁塵秘抄にもその苦難を乗り越えた民衆の喜びが秘められているようである。そして民衆とその悦びを分ち合おうとした処に梁塵秘抄編集の真意があるのかもしれない。この秘抄にはその悦びが底流に充ち溢れているのを感じさせるものがある。これは上行でなく観音に出た従義流の一つの流れかもしれない。太宗皇帝が百姓に向けた徳は、後白河法皇によって苦難に喘ぐ末法の衆生に向けられたものである。この頃法然は多念をもって浄土信仰を確立したけれども、間もなく親鸞は一念を唱え始めた。恐らく民衆の総意がそのような方角を指し示したのであろう。その後日蓮によって唱題が始まった。その間中、貞観政要の徳は流れ続けていたであろう。
 見るに心の澄むものは、社毀れて禰宜もなく、祝なき、野中の堂の又破れたる子産まぬ式部の老いの果て「岩波書店シリーズ23古典を読む 梁塵秘抄397頁」後白河法皇は民衆の立上がりに共鳴されているようである。梁塵については秘抄に詳しいので改めていう必要はないが、今試みに大字典を引くと、梁塵とは「うつばりのちり、梁塵を動すは、歌声の善きを賞していう」となっている。この意味であれば秘抄は本因にあたり、梁塵は本果を表わしている。或はこれを通して法皇の因果共時の悟りの境界を示されているかもしれない。歌詞を集めたものの間の不思議な一法が示されているかもしれない。
 遊女を院に住まわせて今様の師と仰ぐことは、当時としては全く破天荒のことであるが、今様を通してみた時、そこには法皇も遊女の現の姿も即時に消滅し、そこに己心の世界が開けるなら、そこは純円一実平等無差別の世界であり、老若男女も貴賎老少もない境界である。梁塵秘抄はそのような中に出来ているように思われる。若しこれが宗教的感覚をもって解される時は親鸞はそこに彌陀を見るであろうし、日蓮ならそこに本尊を見るであろう。
 梁塵秘抄は今様を通して純円一実境界をそこに見出しているのであろう。従義流の考え方も当時は既に完成の時が近付いているのであろう。そして民衆も反応を見せて立上がっていることは秘抄の今様全体についていえるのではなかろうか。特に今引用した「見るに心の澄むものは」には、それを濃厚に伺うことができる。それは彌陀信仰によって立上がったものではなく、己心の世界による立上がりであると思う。秘抄の中には、民衆の立上がりについては可成り克明に記録されているのではないかと思う。恐らくはこの秘抄は、己心の世界を除いては伺いがたいのではなかろうか。この法門は親鸞の滅後更に調子を上げて日蓮に至り、開目抄述作の時期に最高潮に達するのではなかろうか。
 前に引用の文について私見を申し述べるなら、「社毀れて禰宜もなく、祝なき野中の堂の又破れたる」は、無常というべきか、一切空というべきか、神も天上してしまっては頼るものもない。「子産まぬ式部の老いの果て」もあとしばらくすれば残るものも消えてゆくであろう、毀れた社もそのうちに姿を消して後には何も残らない。それを刹那とよみ己心と見た時、そこに己心の法門による立上がりが待っている。それが自力の法門である。自力は根強く拡がっているように見える。太平記が花園天皇の四十九回忌を終った処で中華無為として太平を謳歌したのと、手法は全く同じである。
 「見るに心の澄むもの」とは己心の法門の境界から見た澄心である。彌陀浄土の一つの表わし方であろう。これをもって常に一つ一つの苦難を乗り越えてゆくのである。見るだけで心が澄むのは時が異なっているのである。無常の手前と彼方の時が刹那に具現されて己心の法門の世界が開ける。そこに大石寺法門は建立されているのであるが、今はどうやら無常世界に己心の法門を建立しようとしているように見える。それは日蓮正宗の宗義であり、伝統法義もそこに建立されているようである。それだけに俗臭がこまやかなのであろう。後白河法皇はこの今様から純円一実の境界を見出だされたものかもしれないし、そのような中で常に庶民に徳を施されていたのかもしれない。これは徳化の一分である。
 著者加藤周一氏は引用の今様の解説の中で、「壊れた神社は廃墟に近いけれども、木造の建物だからあまり古いものではあるまい。それを何らかの意味で評価する態度が、平安時代の日本にあったとは、考え難い」というが、反ってその源流は既に伝教の時に始まり、智証の頃にはかなり進行し、末法に入った以後は専らこの研究は盛んになり、後白河法皇の頃には最盛期に入っているのではないかと思われる。それが日蓮を経て太平記となり、世直しにつながって開花しているのではないかと思う。これは己心の法門の世界である。
 「心の澄む」というのも釈尊や高僧の悟りではなく、これは愚悪の凡夫の悟りである。それが本仏の悟りなのかもしれない。語は同じでも内容的には天地の相違がある。一般には悟りといえば天の悟りを取り、吾々は理屈ぬきで地の悟りをとる。その地の悟りの盛りが後白河法皇の頃ではないかと思っているのである。そこは見方の相違ということである。梁塵秘抄を民衆の悟りの境界の集積されたものと見るのは思い過しであろうか。
 秘抄の中には民衆の思想の動きもかなり鮮明に記録されているのではなかろうか。しかし、現在の読み方では民衆は顔を見せないかもしれない。民衆が顏を見せるような読みを見付けることから始めなければならない。現在では秘抄も日蓮の御書も太平記も、その意味では全く手付かずの状態で残されているようである。若しこれらのものが読みとれるなら、民衆の思想的な成長の跡も伺えるようなことにもなるかもしれない。生資料としては日蓮の真蹟も大量に含まれているのである。今大石寺では、あらゆる悪口雑言をもってこれを拒もうとしているのである。
 大石寺ではその基本になるものが山法山規として意味不明のまま事行として残されているのであるが、今はそれさえ消え始める兆しを見せている。これが消滅してしまえば、その手掛かりはいよいよ困難になるであろう。それが目前に迫っているのである。宗門は、山法山規は一切分らないということで不明の別語に使っているようである。今はこのような形で古いものを抹殺しようとしているのかもしれない。これなら一言で間に合うであろう。そして明治教学にしがみ付こうとしているのであろうが、それでは日辰教学までであって、主師への道は閉ざされる。宗祖へ帰るような事は思いもよらぬことである。それよりから一挙に開目抄等の五大部へ帰り、そこから出直すことである。そこには本仏も大聖人も仏法も、それぞれ整束しているが、明治教学や日辰には、それを理解出来るようなものは、何ものも用意されていないであろう。そのような処から、つい己心の法門は邪義とも出、三世常住の肉身本仏とも出るのである。
 既に己心の戒旦は邪義と出ているのであるから、己心の本尊も邪義、己心の題目も邪義としなければ片手落ちになる。これも文証も持たず唯邪義とだけで、御本仏日蓮大聖人の仏法では二十一世紀には通用しないであろう。既に民衆は疑問を持ち始めているのである。これを得心せしめるためには開目抄等の五大部の現文によらなければならない。己心の法門が邪義と思えるのは、これを読んでいない証拠である。次上の語は御書にはない、阡陌の字はない程度では、一見ともいえない。恐らく己心の二字も見当らなかったのであろう。
 己心の本尊を論ぜよという出題も、邪義と決めることを期待してのことであろう。しかし今のように本尊が正本堂に収まり本果と決まってしまえば本因の本尊を取り巻く山法山規も無用化したので、昨年は既に打ち消されたのである。そうなれば御宝蔵も客殿も御影堂も、その本来の意義は、山法山規と共に打ち消されたであろう。これらのものは己心の本尊と不可分であるが、本果と変れば、その関連は完全に断絶しているであろう。本尊も一つ一つ剥がされているように見える。やがて新法義をもって荘厳することであろう。本尊も亦孤独を強いられているのであろう。全ては阿部さんの心内にありということであろうか。やがて色相荘厳の本尊が出現するようなことになるかもしれない。本仏は既に肉身をもって荘厳を終っているのである。本尊も続いて肉身化ということにならなければよいが、明日のことは分らない。天にも地にも分らない。唯阿部さんのみがよくこれを知っているということであろうか。その間も休まず日は西に月は東に進んでいるのである。
 己心の本尊について論ぜよという論題が邪義と決めることを求めているのか、正義と決めることを求めているのか、知るよしもないことであるが、若し邪義を求めているのであれば、開目抄や本尊抄は真向から否定しなければならないことになる。それは宗祖や大石寺法門の否定にもつながるかもしれない。寛師も有師も道師も、論者の前には否定されるような事にもなるのである。これは大変な罪作りである。恐らくこのような事も考えられているのではなかろうか。若し己心の本尊が邪義と出るようなことでもあれば、吾々は何もいうことはない。あとは宗祖に任すのみである。しかし、己心の法門を邪義と決めることは大増上慢を遥かに凌いでいるものである。時の赴く処、やがてそのような処に落ち付くのかもしれない。そろそろ反撃態勢も整ったのであろう。
 己心の法門も現在の日本の民衆を基盤とした処に意義がある。平重盛の忠孝が記録されるのも鎌倉の始め頃であるが、その陰に貞観政要の力があるかもしれない。興師の「御書は和字たるべし」というのは鎌倉末であるし、日蓮には忠孝は大きな働きを持っている。太平記でも忠孝は大きな役割を果しているようである。その忠孝が次の思想の形成に大きな働きをもってくる。太平記の著者といわれている小島法師の名前も異様であるが、たかが東海の小島の宿なし坊主といえば自嘲気味ともとれる。しかし、この人は従義流の教養は多分に持っているのであろう。それだけに貞観政要もよく消化した処で使われているようである。民衆を取り出すためには貞観政要は不可欠のもののようである。このような人等が丹念に新しい思想を植え付けて廻っているのであろう。四明流には、民衆が先行するようなものは持ち合わせていないようである。この点両流には極端な相違を持っている。
 今の大石寺は四明流に依っているが宗祖は専ら従義流に依っているのである。今は専ら四明流の教学に依って運営されているが、これを正とする時、他は即時に逆も逆真反対ということになるのである。それが宗祖の説であっても即時に邪魔となる不思議な魔力を備えているのである。魔説というのもこのような中で起きているのである。「正しい宗教と信仰」でも、ふんだんに使われている方法である。それによって常に自の正を保っているのである。これも己心の法門の変形した一つの姿なのかもしれない。室町の頃には四明流の盛んになる時であるが、四明流によりながら己心の法門によって天台に優位を称えようとするとき、ついそれが独善となって現われる。今も同じような状況の中で独善は盛んである。これ亦己心の法門の変形したものである。
 忠孝は己心の法門が生れる時には関係があるようであるが再び忠孝と結合した時大和魂となるのかもしれない。己心の法門では肉身は遮断されているが、大和魂では己心が肉身と交替するように思われる。そのために悲壮感が現われるのであろう。己心の法門は世直しと出た時には実に大らかである。世直しとは民衆が自力をもって刹那に彌勒の世を迎えたことである。己心の法門の目指す処はこの辺りにあるのかもしれない。
 徳川の終りには世直しはあったけれども、明治には己心の法門が消え戒定恵の三学が失われたために、外から見れば世直しのようではあるけれども、真実の世直しに至らなかった。そして今日を迎えたのである。今度こそは民衆自身の力をもって己心の世直しをする時であろう。一人一人の立上がりである。大石寺法門でいえば刹那成道の境界である。己心の上であれば刹那に肉身も世の煩わしさも即時に遮断出来るからである。生きるためには最も間違いのない最も簡便な方法であり、そこに心の安らぎを求める方法である。常に身につけておいて有効に使える方法のように思われる。そこに本仏も本尊もあるのであるが、今は別立して宗教と表わされている。そのために逆に現われているのである。四明流によって宗教化されている。それが現在の大石寺法門であり、そのために自他共に分らないのかもしれない。飛躍部分が多すぎるのである。信心の部分が多すぎるのである。今こそ己心の法門をもって修正する時ではないかと思う。
 今の大石寺法門では、いつの間にか肉身が蘇ったために複雑になっているのである。肉身が蘇ったために自受用報身が題目をあげることも平気で考えられるし、己心の法門が邪義とも思えるのである。しかし己心の法門がなければ、自受用報身は現われることは出来ないかもしれない。そのあたりも複雑である。肉身の方に自受用報身がくっつくのは差支えないようではあるが、今は自受用報身の方に肉身がくっついたために複雑になっているのかもしれない。そのために報身如来が題目をあげるようなことになったのであろう。
 報身如来が肉身を見せたのは七百年の間には全く聞いたことのない説である。文証は何によっているのであろうか。肉身と報身のくっつきがアベコベになったために珍妙な説が現われたものと思う。それでも、その後はこのような説は全く影をひそめたようである。まずはめでたしめでたし。もしかしたら己心を邪義と決めたためにこのようなことになったのかもしれない懸念もある。亦世直しの根元になっているのも自受用報身如来であるが、題目を上げる自受用報身とは違っているようである。前の報身は、民衆が自力で立上る時には必ず力を貸すようであるが、この如来はあまり金は好まぬようで、その点今の世には不向きなようである。そのためか、今は応仏に引き継がれているようである。滅多なことにお目にかかれない自受用報身如来の唱題の姿を絵像木像に止めて、後世のためにその姿を伝えてはどんなものであろう。阿部さんの霊感の深さを示すには格好なものと思われる。世間ならそれだけで一宗建立の価値は充分備わっていると思う。
 四十九回忌を終って五十年、天皇と生れた身が一切空に帰した処で中華無為とは、太平記も心憎い程の発想である。一切無差別の世界を現じているのである。それはいうまでもなく報仏如来の領知する処であり、純円一実の境界でもあれば刹那でもある。また仏法世界でもある。四十巻の記録はこの境界を呼び起すためのものであった。南北朝の動乱も純円一実の境界の前には動乱の意義もほんの手段に過ぎなかったのである。生きて五十年死んで五十年、〆て百年を刹那に捉えた処はどう見ても己心の法門である。その己心の法門の中にあって四十九ケ年の世上の動乱はほんの刹那の出来事である。これを理として世直しは起きているようである。上の理を事に行じた時、そこに彌勒の世を迎えることが出来たのである。民衆はこのようにして南北朝の動乱をも越えて彌勒の世を迎えた処は、どう見ても生活の智恵である。
 発端の後醍醐天皇が関所を通過する米を抑えて廉売したのも史実とはずれているようであるが、これは天皇の仁徳を表わすのが目的ではないかと思われる。貞観政要的な発想である。全体を通じて引用文として引かれているものと、その意をとっているものと、可成りな量があるように思う。何れ一々に引き出してみたいと思っているが、貞観政要とは大いに関係をもっているように思われる。逆次に読まれているとすれば、まず出てくるのは民衆である。帝王の座についている民衆である。これがこの四十巻の主である。日蓮の発想と全く同じではないかと思われる。四十巻は己心の上の刹那の所作である。そして彌勒の世を迎えるのである。若し南北朝の動乱がなかったなら、世直しはなかったかもしれない。
 世直しとは愚悪の凡夫のみの世界を迎えることである。貴賎老少老若男女の差別のない平等無差別の世界を迎えることである。それを自力をもって迎えたのが世直しである。その影の力が貞観政要ではないかと思う。日蓮の思想の中でも大きな働きを示しているようである。梁塵秘抄にもそれを見ることが出来るのは、従義流がこれによっているためであろう。民衆の立上がりの気配が見えるのは己心の法門と貞観政要による処が大きいと思う。これも一度は丹念に拾いたいと思っている。太平記と共に己心の法門が内在しているだけに読みとりにくいのではないかと思う。平安・鎌倉・南北朝の従義のものの極少の中では特に貴重な資料ではないかと思う。
 従義流は始めから民衆の側にあって、最後まで宗教としては一宗を建立するようなことはなかったが、四明流は宗教としては立ったけれども、民衆とは常に離れていたようである。そこに両者の性格の相違がある。大石寺も今となっては、四明流と離れることは出来なかったようである。今後とも古伝の法門とは益々離れゆくことと思う。これで己心の法門を邪義と決めるようなことでもあれば、再び立ち直るような事はないであろう。一日も早く論文の結果を見たいものでる。今では殆ど従義流の行迹は忘れられているようであるが、民衆思想を高揚した行迹は高く評価されなければならないと思う。五十六億七千万歳を刹那につづめて衆生の己心に収めた処は実に見事である。その陰にある報仏如来の大きな作きも、従義流と共に殆どあるかなしかの状態ではないかと思う。大石寺でも今は専ら応仏に依っているようである。
 太平記の最後の、中華無為は彌勒の世の到来を表わしているのであろう。その故に天下太平なのである。また世直し思想には長寿を持っている。いつの世でも民衆の居る限り彌勒の世は即時に迎えることが出来るからである。また浦島太郎の話にも長寿を持っているであろう。土産の玉手箱の中身は竜の頷下の珠、即ち己心の一念三千の珠であった。即ち寿量文底の己心の一念三千の珠であった。約束の秘密が蓋を開けると同時に破れて一条の白煙と化したのである。もしも約束が守られて居れば、浦島太郎は今も生きているかもしれない。
 大石寺でも御宝蔵の秘密は守り切れなかったのではなかろうか。これは中々厄介な問題である。宗門ではどのように思っているのであろうか。応仏の元に立ち還って、尚且つ守り切っているといえるであろうか。浦島太郎が蓋を開けたのは人間の弱い処である。約束は昔も今も守りにくいものである。また竜樹や文殊の資料は以前に挙げたように思う。諸竜のことは六巻抄の第六にも袈裟の功徳の処で挙げられている。浦島太郎は約束を守れなかったために若さを保つことが出来なかった。若さとは正月の若水と同じく永遠の若さである。これはいうまでもなく長寿である。海の底とは寿量海の底である。浦島太郎は折角もらった長寿の珠を、地上の煩悩に災いされて失ってしまったのである。この話も亦従義流の辺りから出たものと思われる。
 今の大石寺法門の中で果して長寿を保っているといえるであろうか。久遠の寿命は己心の法門の上にのみ保ち得るものである。大石寺の法門は長寿の上に成り立っているものである。寿命と生命とは本来異質のものである。寿もいのち生命もいのちではあるが、混同させないことが肝要である。今の世は万円札にたらふくしているが、次に求めるのは三百才も五百才も生きたいという欲望かもしれない。徐福教なら人は寄ってくるかもしれない。最早、現世利益では手遅れである。将来は長寿の処へ人気が集まるかもしれない。長寿宗も好いかもしれない。このあたりに未萌を求めてみてはどうであろう。
 老子は胎内八十年といわれるが、これを五倍すれば四百才であり、随分の長命である。八十年は釈尊の一代である。釈尊と交替するのであろう。入滅即誕生である。面白い発想である。武内宿禰は百六十才、釈尊の倍である。或は如来寿量品の十倍に当るかもしれない。これまた長命である。しかし阿部さんの本仏論には、折角三世常住を出しながら肝心の長寿が欠けている。今一工夫いる処ではなかろうか。宗教的な雰囲気が抜けているように見える。そのためか人を引きつける力が見当らない。一寸噴飯物である。明星池からニュッと顏を出す本仏も折角発想を示したものの長寿が見当らない。肝心の本仏がソッポを向いていまったのではなかろうか。共に己心を失っていた処での発想であるだけに、長寿にはつながらかったようである。
 御両人共当方をヤユしたつもりであろうが、反って本仏を愚弄した感じが表に出ているのみである。これでは折角のヤユも反って我が身に立ち返ったように見える。所持の仏法の貧困さは残る所なく露呈したようである。恐らく今に至るまで一人の賛成者も出なかったのではなかろうか。ヤユは只文字の上の優越感のみに終り、結果的には益々苦しい立場に追い込まれたであろう。今少し程度の高い処でヤユしてもらいたいものである。寧ろ本仏の怒りに触れ、そのために口を閉じる羽目になったのではなかろうか。若し三世超過であれば肉身の必要も、池の中から顏見せする必要もなかったであろう。そこに仏法的な教養の程を見たいと思う。
 突き出した槍の引っ込みが付かなければ、既に槍のケラ首は飛んでいるのである。一度ケラ首の有無をたしかめてもらいたい。昔から槍術は、突き出した槍が即時に引っ込められるまでは他流試合は出来ないようになっている。宝蔵院流の槍術でも学んでみてはどうであろう。槍もヤユと突き出した処が最高であったが、それは現実世界における一片の愉悦に終ったようである。ここは仏法的な境界からのヤユが必要なのである。ケラ首のない槍をいくら振り立ててみても意味のない事である。これらについては、一々に結末を付けた上で新手の槍を繰り出してもらいたい。そうでなければ反って自己矛盾に撞着するであろう。  

 正信会報三十六号巻頭言及び論説について
 何となし甚深なものを持っているようではあるが、深く蔵されているために真実の処は分らない。その中で第三者という語は些か気掛りである。あまりにも抽象的であるために、主旨が徹底しないきらいがある。明治教学を守ることが決まった後でもあり、第三者が筆者であることは、従来のいきさつから容易に考えられる処である。また折伏に反対しているとも宣伝しているようであり、今後は宗門の沈黙のあとを引き受けて、更めて当方へ鉾先を向けてくるものと推測している。しかし、今は明治教学を守るというより、報仏を守る時ではないかと思う。明治教学に報仏が見えない処は最大の泣き処である。
 「御本仏日蓮大聖人の仏法」と称しても明治教学にはこれを裏付けるものは何ものもない。それらは六巻抄や主師以前、宗祖の処に曾つてあったものによって裏付けする以外に方法はない。現在は殆ど断絶状態である。そして今は開目抄や本尊抄等でも、それらについてはあまり触れていないようである。そして只語のみが伝わっているのである。要法寺日辰を受けて本果を根本とし、身延系の国柱会教学によって基礎が出来ている。そして肝心のものは殆ど語が残っているのみであり、報仏が姿を消してはこれを裏付けするものは何一つない。そのような中で、明治教学は出来上がっているようである。
 法門である以上、その出生について裏付けが必要である。それがないために大地に居るべき本仏が虚空を目指すようになるのである。大地に在ってこそ民衆も救われるはずである。それが民衆を捨ておいて虚空に上ることは、昭和の神天上法門である。これではいつ諌暁八幡抄の鉄槌が下るかもしれない。本仏は虚空に上がっても、そこには救済の対象となるべき民衆は居ない処である。本仏には速刻大地に帰着して、そこに根を下して頂かなければならない。それでなければ民衆は救われない。民衆が悪ければ衆生でもよい。諌暁八幡抄や神天上法門が何を言わんとしているのか、考え直して反省の資に供してみてはどのようなものであろう。それは自分等が天上していないかという反省である。
 諌暁八幡抄には救うべき衆生を捨てて省みないことについて、諸宗を痛烈に風刺しているのではないかと思われる節がある。その意味では宗門も正信会もお叱りを受ける資格は具わっているようである。法門でいえば報仏を捨てて応仏に依ることと同じ意味である。救うべき衆生を捨てたということについて批難しているのが諌暁八幡抄や神天上法門のねらいではなかろうか。報仏から応仏に移ったことはその意を最もよく表わしている。その意味で明治教学は居心地がよいのかもしれない。その意味では「古都税」の寺院と同じようなものを持っている。この寺院を大声叱咤する正信会寺院はないのであろうか。それが出来なければまず自分を叱ることである。
 宗祖は衆生の救済を抛棄することについては異様な関心を持っているように見える。「京なめり」の語にも、それでは衆生は救われないというものが陰されているように思われる。しかし七百年たてば、これが正義となり、これに反対するのが邪義ということに変ってきたようである。東春のいわく、良薬は口に苦し云々という処か。「日蓮が一人の苦」という語も、このような中で理解すべきものではなかろうか。
 報仏から応仏への移り変りが法門を替えてゆくのであろう。そのような中で明治教学の線も打ち出されているのではないかと思う。しかし、そこには民衆の離反が待っているかもしれない。そして独善という順序であることは、古今にその例の多い処である。今の考え方には、多分に独善につながってゆくものが備わっているようである。京なめりには応仏に替ってゆく意味を持っている。今は応仏死守の処に宗義が建立されているが、これについては七百年前、既にこれを予測して厳命がなされているのである。今はそれさえ黙殺しているように見える。そこに世の移り変わりのきびしさがあろうというものである。報仏もまた浮世の波にもまれているということであろうか。
 さて第三者であるが、今は法門に付いては両者全同ということは分る。それでは何故切ったり切られたりするのであろうか。しかし、このような事に介入する意志は毛頭もない。この第三者は民衆と報仏との間に居るのである。宗門と正信会の間に分け入ろうというわけではない。応仏信奉者同志の間に分け入ろうというような事は全く考えていない。吾々は民衆と報身如来の間に分け入ろうとしているのである。この点は誤解のないようにしてもらいたい。主役はあくまで民衆と報仏であると考えている。折伏も本仏を唱えるのであれば報仏の側に立った折伏をすべきであるが、今のように口に本仏を唱えながら応仏世界の折伏では、筋が通らないから反対しているまでである。報仏世界の折伏に反対する理由は毛頭も持ち合せていない。その意味の折伏は是非励んでもらいたいと思う。
 色々と風の便りが飛び交う中で、巻頭言には何か気掛りなものがあるようではあるが、これ以上気にしないことにしておきたいと思うが、序ながら「親しき仲にも礼儀あり」ということをもって後輩を誡めているが、「衣食足りて礼節を知る」ということもある。まず先輩の側から、親しき仲にも礼儀ありと思い起さしめる徳を施した方がよいように思われる。徳化は上から下に向うもの、宗祖は常に徳化方式によっているようである。しかし応仏によれば要求は上から下に向うようになるのは必至である。
 親しき仲にも礼儀ありには、何となく孔孟的なものがあるようである。また「野人礼にならわず」ということもある。愚悪の凡夫は作られた礼には捉われず、無差別ということであろうか。これらは礼について三様の表現を示したもの何れが最も宗義に近いであろうか。宗門は師弟一箇と出るべき処を師弟各別と読んでいるが、これは内にあるものが自づと表に滲み出たものであろう。第三者という語がどのような意味を持っているのか。第三者には一向に分らない。ただ内に秘められたものが数多いであろうことだけは想像することが出来る。しかし孔孟的な礼節からは法門は発展しない。それを乗り越えた一切無差別の処が法門の領域である。そこにもまた「親しき仲にも礼儀あり」という境界もある。ここは「竹に上下の節」あるごとき境界である。いずれを指しているかは周辺の雰囲気が決めることである。巻頭言と論説が一箇すれば、必ず下化衆生的なものを持ち出すであろう。一人を盟主とする統制方式である。何としてもこの巻頭言と論説は意味深重である。
 開目抄では「礼楽等を教えて、内典わたらば戒定恵をしりやすからしめんがため、王臣を教えて尊卑をさだめ、父母をおしえてかうのたかきことをしらしめ、師匠を教えて帰依をしらしむ。妙楽大師云く、仏教の流化実に茲による。礼学前に馳せて真道後に啓く等云云。天台云く、金光明経に云く、一切世間の所有の善論は皆この経に因る。若し深く世法を識るは即ち是れ仏法なり等云云。止観に云く、我れ三聖を遣わし、かの真丹を化す等云云」等と示されている。以上の中の礼には先輩後輩の礼儀を厳重に守るようには示されていない。結論はむしろ無差別に収まるのではなかろうか。礼楽等を教えての文は、礼学前に馳せて真道後に啓くの文を解説されたものであり、ここに仏法が初めて出てくるのではないかと思われるが、啓蒙や文段にも委悉にはされていない。そこで私見をめぐらすことにした。何回か繰り返してみたいと思う。
 礼楽は共に俗世にあるものであるが、礼は世の秩序を保ち、楽は人の心を和める用きを持っている。礼は硬の如く楽は軟の如く、その硬軟の中間に戒定恵があるのであろうか。その戒定恵をしらしめんがために、まず礼楽を教える中に王臣・父母・師匠が説かれる。その教えるとは礼楽を教えることである。王臣等は、即ち主師親であり、尊卑をさだめ、かうのたかきこと、帰依の三が三徳であろうと思われる。これは魂魄の上に考え合せるもの、そこに己心の一念三千法門が成り立っているように思われる。これが真道ということのようである。
 三学や三徳は民衆の一人々々が本来持合せているもの、それを魂魄の上に一箇せしめた時、己心の一念三千法門が成じるのではなかろうか。三学は硬く三徳は軟かい。その硬軟の中間に礼楽をもって結ばれているようでもある。もしそうであれば、仏法は硬からず軟かからずということにもなる。また中道の意味を持っていることにもなる。このような意味では、巻頭言の礼儀は少し固苦しそうに思われる。以上は自分でも一向に分らない処、名案があれば御教示賜りたい。また、深く世法を知るは仏法なりとは、世法は浅く仏法は深いということで、ただ違う処は浅深のみという意である。始めの主師親も世法と仏法の浅深を表わされたものであり、その深法の処が仏法であり、これを己心の一念三千法門という。世法も仏法も共に世法にあり、世法に仏教が受持されて仏法となっているようである。若し世法のままであれば盲目であり、仏法となった処が開目ということであろう。
 開目抄に説かれた礼は仏法を明らめんがためのものであるが、巻頭言の礼は世法に限定された礼である。今も手付かずになっている仏法家の礼を明らめられると、大いに後輩を益する処があるのではなかろうか。師、弟子を糾すでは仏法家の礼とはいえない。法門とは全く無関係の故である。師、弟子を糾すでは「信の一字」も本因の本尊も共に求めることは出来ない。そこには信頼の生じる余地がないからである。しかし今の法門の立て方では師、弟子を糾すことがふさわしいようである。親しき仲にも礼儀ありでは、長幼その序を正しうする功徳はあっても、「信の一字」につながるようなことはないであろう。仏法を捨ておいて礼節のみを要求するのは世俗一片の俗談でしかない。若し世俗の上で見るのであれば、主師親の三徳の上に読み、己心の法門を見出した上で、尚余力があれば再び世俗に立還った処で改めて読み直すべきものではないかと思う。
 主師親の三徳も、戒定恵の三学も、己心の法門も一切を差しおいて礼儀のみを論ずるのは、どのようなものであろうか。仏法では貴賎上下老若男女の差別を付ける必要のない純円一実の境界にあり、礼儀も礼節も無差別の境界を求め出すために必要なものであるが、今は差別を付けるため礼儀が必要なようである。今は僧階も数え切れない程であるが、寛師の頃は能化と所化のみであったようである。法門が己心を離れた途端に僧階が増えるようである。
 明治教学は主師親も戒定恵も己心の法門もない処にあるようであるが、最も大きな影響を与えていると思われる国柱会や身延派にもこれらのものは除かれているようである。そのような中で明治教学は成長しているのである。身延の場合は発端から四明流によっているので教学的に無理はないが、大石寺のように始め三百年間は従義流により、後に四明流に変った処ではどうしても無理がある。そして明治以降は更に複雑になっているのである。四明と従義の相反する教義が同時に存在しているのである。しかし、今は明治教学をあくまで守り抜こうというのであるから、当分は精算することは出来ないであろう。従義流による仏法を守るためには四明流の仏教から抜け出なければならないし、迹門を守るためには本仏は捨てなければならない。彼是している間に本尊だけは本果に収まったようであるが、本仏と迹門とは最後まで残ったようである。しばらくは共存以外によい方法は見つからないであろう。報仏は本仏へ、応仏は迹門へとつながっているのである。しかし、応仏と報仏二人の教主が一宗の中に存在することは、何としても異様である。
 宗門は己心の法門を邪義と決め、正信会は明治教学を守るということは、正信会も己心の法門を邪義と決めた上でのことであろう。そのために自然と礼儀に準じているものと思われる。是非改めなければならない処である。その前に仏法という語と、それを支える時とを確認しなければならない。時の確認がなければ、自然と迹門に堕ちることは必至である。その時とは滅後末法の時である。その時を外れては、仏法は存在しないであろう。
 己心の法門は本因の本尊と同じく純円一実の境界にあるものであるから、もとより貴賎老少老若男女をいう必要のない境界である。勿論年齢差に拘る必要のない境界である。ここは異体同心の境界でもあり、僧俗一致ともいうことが出来る。異体同心の時には年齢差をいう必要はないように思う。若し年齢に差別があれば異体異心である。しかし純円一実の境界では、老少も老若も差別は付けないことになっているが、巻頭言では差別をとっていることは異体同心の境界ではなさそうである。巻頭言と論説と相矛盾しているのではなかろうか。
 巻頭言のようであれば、一人でも年長者があれば、一切自由な発言は出来ないことになる。つまり発言は一宗一人に限るということになり、本因の本尊の境界に逆行することにもなり、一切の自由は封じられることにもなるのではなかろうか。これでは今の世間にも逆行することにもなるし、世間即仏法とも遠遠いものになる。大石寺では諌暁は許されていたように思うが、その時は年齢差は除外されるのではなかろうか。一切の自由を奪った中には、純円一実の境界はあり得ないであろう。
 本因の本尊とは、一切の自由を認めている証左といえるのではなかろうか。年齢差にこだわることは、実は、他処もんが何をいうかということなのかもしれないと、私かに考えているのである。敵は案外本能寺にあるということなのかもしれない。このように見ていると、巻頭言にも論説にも、何となく悲壮感を思わせるものがある。緊迫しているさまは手に取るようである。そして己心の法門の大らかさは全く影をひそめてきた。
 応仏世界にあって、しかも報仏世界にのみ具現するものを施そうとした処に根本の誤算があったのである。時が違っていたのであるが、未だに気が付いていないと見える。つまり自分のみを正とした上での動きである。そのために自然と衆生不在の方向に進むのである。一億玉砕は無駄である。速やかに開目抄や本尊抄に帰らなければならない。そして時を定めて報仏のもとに馳せ参ずべきである。
 明治教学を死守しようとしても、それ以前への連絡は付きにくい。恐らく明治を遡ることは出来ないのではないかと思う。無理をすれば要法寺日辰か身延派の処に帰るような羽目になるかもしれない。まずは法門の筋目を立てなければならない。どこに帰るかということを決めなければならない。そのために時を決めなければならないのである。今は明治教学が宗祖の考えを上廻っている時、教学的な下剋上の時が来ているのである。信心教学といわれるものの中には、目前の事のみに心を奪われるものを持っているようにも見える。そこに独善が待っているのである。信心教学が若し信の教学であれば宗祖に通じるであろうが、それは報仏でなければ考えられない処である。何れにしても報仏か応仏か、まず差し当って何れか一仏に決める処から始めなければならない。今となって両手に花では、共々失うおそれが多分にあるといわなければならない。
 信心教学という意味がまた不可解である。口に御本仏日蓮大聖人の仏法を唱えることが信心教学なのか。現実には教学そのものは混沌としているために、教学面からこれを裏付けることは出来ないようである。しかし、いくら調子を上げてみても実が伴わなければ乱調子という外はない。礼楽の楽が失われたためではなかろうか。礼のみが先走っては真道は中々開かないかもしれない。真道が開かなければ本仏も本因の本尊も出現することは出来ない。異体同心の境界が開けるわけでもないが、信心教学にはそこの処を即時に解決するものが備わっているようである。他宗門の不審もまたここに集中しているのではなかろうか。己心の法門から己心が失われ、迹門に立還って応仏を教主と仰いだ中で、この混乱が起きているのではないかと思われる。語は仏法であるが運営された結果は仏教のようである。つまり衆生不在の仏法である。宗門は後退し、今は正信会が代って今の法門を具現しようとしているのであろう。
 二十世紀もいよいよ終末を迎えている。次の二十一世紀は民衆主役の中にあってこそ宗教も思想も存在し得るのではなかろうか。二十世紀では信心教学も何とか通用したが、今度はそうはゆかないかもしれない。開目抄以来七百余年、未だ己心の法門が具現された時はない。今度こそ己心の法門の発興の時である。己心の法門は本より民衆と同座している処に始まっているが、今は遥か高い処にあって別坐を構えている。ここで大きく違っているのである。己心の法門では、素材を与えて思惟を求めているのに対し、現在は全てを与えるために思惟の余地はない。依らしむべしというのが根底になっている。
 一口に明治教学といっても、われわれのいうのは明治に限定する意味を持っているが、今正信会のいう明治教学は戦後更に発展したものを含めて明治教学と称しているようである。基本的には明治であっても、感覚的には大きな相違を持っているのではないかと思う。下化衆生的な発想は最も都合の好い方法ではあるけれども、真実は逆に諸宗共困惑の体と見受けられる処は共々に抛棄ということであろうか。このまま二十一世紀になって衆生救済を唱えてみても、どこまでついて来てくれるであろうか、大いに疑問がある。正信会も昔の夢を断つのは一日も早い方が好い。そして民衆自身が自力をもって立上がれる方法を研究し伝授することである。これが最も緊急を要する課題ではないかと思う。それにも拘らず、ますます己心の法門を認めない方向に進みつつあるように思われる。
 次の時がどのように開けてゆくのか、まずその時を決めなければならない。宗門も共々に己心の法門を消すことのみを考えていて、それでよいのであろうか。今のような世上では民衆がまず立上がっていることは、既に過去の歴史の示す処である。南北朝の頃には、民衆の立上がりのためには、門下はそれ程役立ってはいなかったようである。むしろ反対路線に進んでいたように思われる。即ち、下化衆生方式に進んで行ったようである。日蓮門下では殊に強かったであろう。独善もそのような中で起っているのであろう。己心からの転換の故である。そして民衆自身が自力をもって立上がったのが世直しである。今また同じような時を迎えているようである。
 やがて民衆が自分自身の力で立上る時が来ているように思われる。宗門の下化衆生方式も局限に来たということである。今正是其時である。既に民衆は動き初めているようにさえ見える。それ故に宗門も正信会も背水の陣を布こうとしているのではなかろうか。悲壮感が感ぜられるのもそのためではなかろうか。民衆が独自の路線で立上がった以後は、仏教からの分派は全く絶えている。即ち仏法が出たために下化衆生方式による分派の必要のない時が到来したのであろう。そして門下は何れも仏教に馳せ参じて、仏法はいよいよその影をひそめたのである。
 その仏教も次第に教化能力は低下している時、今度はどうも民衆自身が自分の救済に立上るように思えてならない。しかもその時はいよいよ迫っているのではないかと思われる。宗門も匙を投げたようでもある。これでは自分自身が立上る以外に方法はない。そのために己心の法門が用意されているのである。それによれば本仏も本因の本尊も自力をもって得られるのである。欲しい時に、いつどこでも得られる。その秘術がこの法門には秘められているのである。そのために滅後末法の時や己心の法門が必要なのであるが、今はこれを消すことにのみ意欲を燃やしているようである。
 さて、論説には正信会結成の目標である学会の本尊模刻の謗法行為の追求を再確認しているが、以前にも書いたように、宗門の解釈は模刻を謗法とする必要のない処に立てられているようである。何となし宗門にかわされた形である。この問題に付いては当時トップ会談で解決済のように聞いている。若し不審があるのであれば、何故その時に進言しなかったのであろうか。進言しなかったことは、その解決に付いて不審がなかったためではなかろうか。一旦解決したものを掘り起すことは、反って御先師に不審を投げかけることにもなりはしないであろうか。
 水島のヤユによると、明星池に浮ぶのは宗祖ということであり、大日蓮に公表された通りである。そして本尊書写や唯授一人に関連する客殿の本尊は映らないことになっている。これは本尊書写勝手次第という意味をもっているように思われる。明星池には客殿の奥深くまします(本因の)本尊が映り、これに日興が墨を流すと本尊と現われる、即ち文字と現われる立前になっていたようであるが、今は本尊も本果となり常住と変ったので、そのような必要がなくなったものと思われる。本尊も一度現われたら常住不変に永遠であるために、丑寅勤行の度毎に現れる必要もなくなった。宗義の変化がこのように変えたものであろうが、この池に唯授一人の大事が含まれていた事は気が付いていなかったようである。これは水島が一世一代の大失策であった。しかし大日蓮に堂々と載せられている所は、宗門の公式な見解であろう。
 正信会の本尊模刻謗法は明星池に客殿の本尊が映っていた時の話であると思う。宗門の公式見解がこのように変っては話にならないのではなかろうか。宗門が公式に訂正を表明した後でなければ、話は軌道に乗ってこないのではなかろうか。教学部長によると、当方をヤユしているということであるが、ここは正信会がヤユされているようにも思われる。誰がヤユされているのか。水島なのか、教学部長なのか、正信会なのか、ヤユされていないのは当方だけのようである。
 本尊書写についての規定は本因の本尊に限られているように見える。本尊の模刻と本因の本尊を本果と決めることと、何れが謗法であろうか。更に己心の法門を邪義と決めることは更に大なるものがある。己心の法門を邪義と決めては、本仏も本尊も出現する期はないであろう。本仏や本尊の出現は一回限りでよいということであろうか。これでは本果の形をとってくるのも止むを得ないことである。しかし、刹那成道によって現われる本尊は一回限りとはいかないであろう。刹那々々に現われるのが本因の本尊である。今は刹那も常住も同じに考えられているのであろうか。これは由々しき一大事である。心も己心も同じという筆法である。
 肉身を切り離すことは己心の第一条件であるが、肉身と同居して居れば心である。しかもそれが同じという解釈である処に混乱があるのは当然である。そこで既に切り離されているものが再生する。そこに三世常住の肉身本仏が登場するのである。これはその再生による混乱であり、最早法門といえる境界ではない。それが今の宗門の大勢を占めているのである。
 毎朝本仏が池底から顔を出すのも混乱の一例であり、大石寺の己心の法門とは遥かに離れたものである。このあたりは本来一切無差別であるが、ここは必ず差別の必要な処である。このように肝心の処では必ず逆に出ているのである。これをアベコベという。そして心も己心も同等に扱われるために、心の時に己心が現われ、己心と出るべき時に心と表われるために差別と出るのであるが、無差別は肉身を切り離した時にのみあるものである。その差別から師弟差別となり、年齢差別となって表に現われるのである。そして純円一実の境界から大きく後退するのである。
 その肉身を切り離した処は魂魄世界であり、報身如来はここを主宰しているのである。処が今は、肉身を切り離すこともなく、応仏が担当している処に不可解なものが内在しているのである。それが無意識の中でこのようになっているだけに複雑なのである。そして肉身と己心が同居しているのが現在の詐らざる考え方である。ここの処は、必ず切り別ける努力をしなければならない処である。仏法と仏教の混乱もここに生じているようであり、他宗が理解を示さないのもここに本源がある。理に超絶する方法に誤りがあるように思われる。そのあたりに信心教学の発生する下地があるようである。
 信心教学という語は自力をもって、理によって説明出来ないつらさを秘めているのではないかと思う。どう見ても信心に教学の必要はないと思う。信心と教学とは本来時を異にしているのではなかろうか。現実には、己心と心と肉身とが入り乱れての混戦状態ではないかという感を受ける。これについて、正信会はどのように対処する心構えであろうか、或は全く考えていないのであろうか。しかし、いつまでも捨て置けるような、ささやかな問題でもなさそうである。巻頭言や論説とは視野を変えて考えるべきものではないかと思う。
 本尊模刻謗法問題を取り上げてみても相手は一向に反響を示さない、信者も無関心である。そのような中で何故この問題を取り上げるのであろうか。本山に対してこれ以外に一切異心のないことを表明しようとしているのであろうか。法門的には全く本山と同じであることがいいたいのであろうか。このような問題は、問答と同じように即問即答を本義とするものではなかろうか。況んや本山側は、ヤユをもって解決しているようにも見える。これでは待てど暮せど反響は返って来ないかもしれない。とも角も、本尊模刻謗法以外に異心のないことは理解出来そうである。
 他の悪のみをいうことは、法華経でも亦憎む処ではなかろうか。目前の善悪を如何にして乗り越えるか、それは只魂魄によって切り替えることのみで善悪を超絶することが出来るのである。そこに己心の法門の世界が開けるのである。現世の霊山浄土とはそのような境界を指すのではなかろうか。それが実は本時の娑婆世界のような気がしてならない。それこそ純円一実の境界、一切無差別の世界であり、これを本尊という名のもとに明されたのが、本尊抄の「本尊の為体」なのではなかろうか。しかし、巻頭言や論説には、純円一実の境界には遥かな距離を感じさせるものがある。これはその人に内蔵された徳の多少による処であろう。
 今改めて本尊模刻謗法を取り上げるなら、本仏を三世常住の肉身本仏と決め、本尊を本果と決めたことを何故謗法といわないのであろうか。諌暁八幡抄によれば、戒定恵の三学を含めない法華経を唱えることが謗法となっている。これは衆生の救済につながらないからである。そのために本果と決めることは謗法でないといえないようである。本尊抄には本果の本尊は説かれていない。本時の娑婆世界に出現するのは本因の本尊である。これを本果と読むのは謗法ではなかろうか。どのようにして断りもなく本果に切り替えるのであろうか。その理由はいかにも薄弱である。理を超絶した処に本果の本尊が考えられているように思われる。このようなことは謗法に当らないのであろうか。
 本因の本尊は一念三千の珠として各々一人々々頸に懸け与えられているものである。即ち総与が建前になっているのである。それが楠板の本尊となった時、本果の本尊に固定した時、模刻謗法ということも起きるのである。若し本因の本尊であれば姿がないのが正であり、姿のある方が従であるが、今は逆である。逆になった時に謗法という考えも起ってくるのである。その時同じく謗法であっても、その規模が如何に違うかということを考えてみなければならない。今は本果の本尊として、正境と考えているけれども、その成り立ちからすれば決して信仰の対象として与えられたものではなく、この本尊によって己心に秘められた自らの正境を呼び起こし、それに依って自力をもって起ち上ることを教えられているものである。そしてそれによって本仏も本因の本尊も顕現することが出来るのである。
 本尊を信仰の対象とし拝み且つ題目を上げることは迹仏的な処を一歩も出ていない。その本因の本尊や本仏が本来として民衆の一人々々に備っていることは、開目抄の初文其の他、本尊抄末文其の他に委しく説かれている処である。これらのものが全て本果の立場から読まれているために真実が出にくくなっているのである。本因の立場をもって読まなければならない。一宗を建立している宗門から、これを本因で読むことは色々と障礙があろうことは察することが出来る。宗門は本果により、衆生は本因から読むのが最も好い方法かもしれない。若し衆生が本果で読めば必ず逆に逆にと出るであろう。宗門は仏教から、衆生は仏法からというのが最も無難な処ではなかろうか。そして今より遥かに高い教養或は徳を備えるなら兌協も指導も十分可能なのではなかろうか。
 本仏や本尊は必ず自力によって獲得するのが建前である。それが現世成道・現世利益といわれるものである。末寺の住職が衆生の成道を担当掌握しているというような事は、御書では曾つて御目にかかることの出来ない処である。これは己心の法門が誤って仏教によって運営される時にこのように出てくるもので、末寺の授戒がこのように誤解されているように思われるが、或る種の本仏的なものが介在しているようで、この次は末寺の住職が更に一歩本仏に近付くことになるであろう。師弟一箇の処にあるべき本仏が宗祖一人となり、それが大石寺住職から更に末寺住職に移りつつあるようにも思われるものがある。理即の凡夫が何の修行ももたず仏になるのとは、全く別口のようである。全く未だ類例のない新方式のようである。それが仏に代るものであるだけに異様である。そのような考えが今成長しているのである。
 法門は文底を唱えながら実は文上にあり、折伏は文上に限るというような中での折伏に反対していることを了解して頂きたい。法門と折伏は同じ時にあってこそ、その意義もあろうというものである。今はその法の乱れを正す時であると思う。折伏に反対していると批難する前に、法門を仏法の処に返すべきである。そして折伏にも二あることを知るべきである。
 さて、大石寺の今の法門には、常人の常識ではどうしても理解出来ないものがあることは周知の通りであるが、ここ二三年更に混迷の度を増してきているのが実情である。いよいよ根本になる柱が失われたために、その速度を早めたのではないかと思う。己心の法門がそれである。そのくせ依然として本仏も本尊も仏法も、その語だけは残っているのであるから、その意味するものが変ってくるのは当然の事である。そして結局は仏法にもあらず仏教にもあらざる処、即ち独自の道を開拓して納まったようである。
 本来の法門は一筋通っているので、冷静に見れば他宗の人も理解出来ると思われるが、近代のもの、特にここ数年のものについては、どこでどうなっているのか全く雲をつかむようである。色々なものが、二重三重にも五重或はそれ以上にこんがらがっているので、実際にこれを探りあてることは容易でない。それだけに他宗の人は一見一聞して分るようなものではない。それ程難信難解である。そのような中で信心教学が大きく働いていて、つぎつぎに新しいものが誕生しているようである。この部分は特に解りにくいのである。それを選別するために、開目抄や本尊抄等の重要な御書にその基準を求めるために、探りを入れようとしているのであるが、これまた容易なことではない。
 今は元の法門が消えて、色々のものが混然とした処で、その上に法門が立てられている。そのために流動的になっている。そのために、己心の法門では肉身はまず除かれている筈のものが、反って三世常住の肉身本仏などとなって出るのである。そのような飛躍・反動が内蔵されて、新しいものが飛び出してくるのである。一口に肉身と称しても、そこには煩悩のわずらわしさを含めて世間も含まれているであろう。その時極端に肉身にしがみついた新しい考えが飛び出してくる。そのようにして出来たものが、最近は急に殖えて来たようである。そのためにますます難解の度を加えているのである。若しかしたら、このあたりで奇蹟につながるのかもしれない。しかし奇蹟は、むしろ宗教誕生の前夜にあるべきもの、それが後手に廻っては前後顛倒である。以上は一例であるが、それが変幻自在に行われるのであるから分りにくいのである。そして最高の命題である民衆救済から、ますます離れてゆくのではないかと思う。
 沈黙の間に一度反省会でも開いてみてはどうであろう。世間では反省であるが、仏法では立還るというような扱いを受けているようである。法門的にも仏法の原点に立還り、御書もその原点に立還る時である。そこに還滅がある。いつまで流転を繰り返してみても、それは唯混迷を増すのみである。その原点とは主師親の三徳の処にあるのではないかと思う。そこから戒定恵も己心の法門も、世間の法の中にあって活躍する、それが仏法ではないかと思う。しかしそのような意味で解釈されたものは、御書の注釈書にも見当らず、研究されたものもないのではないかと思う。ここで頼りになるのは開目抄等の諸御書のみである。
 第一に主師親がどのように働いているかということを知らなければならない。これは一旦立ち入ると必ず仏法と出るものであるから、仏教を立てるために極力避けて来たのではないかと思うが、三師伝では一見戒定恵と見えるけれども、実には主師親が主になっているのかもしれない。そこを根本の拠点として仏法が展開するのであって、そこは完全に世間の中である。しかし今のように仏教に還帰すれば主師親は即時に仏法とともに消えてゆくであろう。今はそのような時である。
 仏教によれば主師親も戒定恵も己心の法門も、自然と消されてゆくのは必至であることは、現在を見れば、何よりもよくこれを証明しているのである。仏教が世間に出て仏法となるためには必ず通過しなければならない第一の関門が主師親の三徳のようであり、これが見えた処を開目というのではないかと思う。宗門も正信会も共々に仲よく開目してもらいたいところである。
 大石寺には大きな浄波璃鏡があって、そこを通せば他宗のものも即時に自宗の教学となる不思議な鏡であるが、未消化の故に次第に複雑化して、そのために収拾出来なくなっている嫌いがある。そこで追いつめられると法王府の奥から「不相伝の輩・不信の輩」めがと声がかかってくるのである。しかし最近は専ら「不信の輩」のみに統一されているようである。その時は已に貝は蓋を閉じているのである。そのために後は一切通じないのである。勿論そこは常に勝利のみの世界である。そこでは首をきり、切られた者が手を握りあっているのではないかと思わせる気配さえあるのであるから、どうも分らない。全て密室の中の出来事である。そうなれば昨日の敵は今日の友である、全くの別世界である。
 水島論文に追いつめられて援けを求めるのかと思えば、追いつめると「アノ野郎余計なことをして迷惑している」というのであるから、いよいよ分らない。常に自を優位にのみ置いているために、このような考えが平気で出るのであろう。世上ではそのような事は通用しないのであるが、全く無関係の処に居るようである。凡俗には全く考え及ばぬ世界なのである。そのような中で常に自は正となっているのである。
 最初の一撃で宗門が一ぺんに泡を食った時、若し自分等がこれを食ったら一溜りもないという被害妄想的な考えから、今度は逆に廻っていたのではないかと思われる。自は常に最高位にあるために、そこには感謝の気持ちは毛頭も持ち合せていない。それでは、いつかは行きつまるのは当り前の事である。本仏的な感覚がそのようにさせるのか、これまた分らないことである。これについては苦い経験を持ち合わせているのであるから、今更驚くにも当らないことである。このような事も、自は正、他は必ず邪という中で進められているのである。明治教学が事に現われた姿なのかもしれない。
 明治教学にあって中心的役割を果しているのが仏教概観ではないかと思われるが、今この図から本仏や本因の本尊を求めることは不可能であるが、それは信心教学によれば、即時に本仏や本尊も出現するようである。信心教学とはそれ程不思議な教学である処は打出の小槌のようである。この小槌とは実は己心の一念三千の珠なのかもしれない。探れば探る程いくらでも出てくる処は、己心の一念三千の珠とそっくりである。この打出の小槌は何となし南北朝の頃から室町期の初めに出てきてもよさそうな発想である。この己心の一念三千の珠には大人にも子供にも夢を与えずにおかないようなものを持っているようである。この夢がやがて民衆の立上る原動力になるのであろうか。
 この打出の小槌は人に夢と幸福をもたらす作きを持っているのである。これは地獄の鬼とは別個なものである。悪というよりは強さを持っている鬼であり、実は渡来の鬼なのかもしれない。仏教の鬼とは別種なもののようである。その渡来の鬼とは神道の鬼であり、魂魄なのである。いいかえれば常夜の神であり、先祖神でもあり、常に長寿と幸福をもたらす神である。南北朝のころ、地下へ潜った従義流の僧等によって合体が策せられたのかもしれない。これも世直しには関係がありそうである。
 鬼には色々なものがある。死して護国の鬼になるというのは、宗門は血相をかえるけれども、護国の神ともいわれるもので、何れも魂魄をさしている。この時に己心の一念三千がこのような作きを示しても、決して不思議なことではない。山田や水島などは、差し当って我れ死して護宗の鬼とならんという処であろう。護法の鬼というためには些か障りがあるようである。
 民衆救済の念願を持ちながら、一念三千の珠をもって地下に潜った従義流の僧等が何をやったかということについては、一向に研究されているようなことは聞いていない。只中古天台として消し去ろうとしているのみである。この人等の動きが捉えられるなら、それだけ中世の宗教や思想の真実が少しでも明らかになることであろう。太平記もそのような人等を外し、己心の一念三千を捨てては考えられない。楠正成の旗印といわれている「非理法権天」の語にしても、歴史家の処では読みも意味もはっきりとは理解されていないようである。
 四明流は理の法により、従義流は非理の法に依っている。大石寺で天台を理の法門というのがそれであり、これに対して自を事の法門という。しかし非理の法の語は伝わっていない。開目抄上末(新定七八二)に「況滅度後ノシルシニ闘諍トナルベキ故非理ヲ前トシ」とある。非理ヲ前トシを新定で非は理を前としと読んでいるのは編集者の誤りで、謹んで訂正しておきたい。非理という語は仏教全書等にも散見している。理の法門からは衆生の現世成道を求めることは出来ないが、非理の法からはこれを求めることが出来る。即ち大石寺が事の法門というのと同じである。
 従義流で読めば、非理の法は天を権とす(即ち地が実となる)であり、四明流で読めば、理の法は天を権とするに非ず(即ち天を実とし地を権とする)となる。従義は仮諦読みであり、四明流は空諦読みであり、これに中諦読みを加えて三諦読みという。民衆を主体とするためには仮諦読みによらなければならない。この時は報仏が教主となるのである。しかし、今の大石寺は迹門にあり、応仏を教主と仰ぎ、四明を天台の正統と称しており、宗祖の依った従義流については邪義と決めているが、四明流からは、本仏や本因の本尊、また仏法を求めることは出来ない。これらの語を使ってみても、その出生を求めることは出来ない。そのためにこれらについて裏付けすることは不可能である。このようなことに付いては、余り考えないのであろうか。
 応仏を称えながら本仏を唱えるようなことがあってよいのであろうか。この仏教概観の陰に信心教学の本拠があるようであり、ここは信心以外には一切通用しない処である。世間的な常識は一切通用しない不思議な世界である。今そこに閉じこもって秘策を練っているのであろう。ここまで来た時、急に正信会が登場して明治教学を守るということになったのである。首を切ったことも切られたことも、一切恩讎の彼方に消えて、明治教学を守ることに一致点を見出だしたのである。つまり痴話喧嘩も終ったようである。勿論第三者の入る余地等あろう筈もない。その印に本尊模刻謗法を取り出してきたのであろうか。とも角元の鞘に納まったのであろう。そのように想像しておくことにする。
 信心教学そのものは実に不可解なものであるが、その彼方に鎌倉頃のものが、気の付かないまま、そっくり残されているように見える。これからは極力これを探ることに専念したい。教学については既に不動のものが完成しているのであるから、余程のことがない限り改めることもないであろう。
 今の教義からは、本仏も本尊も二度(ふたたび)顕現する必要もなくなっている。即ち正本堂が建立された事で目標も達成し、すべて完了したようである。残る処は世界中一人残らず折伏し、大石寺を盟主とした折伏に向って邁進するという基本方針の中で護法局も発足し、宗門側も今秘策を練っているのであろう。正信会もこれに同調することで一致点を見出だしたのであろう。出発に際し、まず本仏と本因の本尊の出生を明らかにすべきである。本果の本尊をもっての世界広布、恐らくは無理であろう。夢は大きい程よい。大いに夢をふくらましてもらいたい。
 とも角貴重な資料は今も眠ったままであるが、次の二十一世紀は世直しの時かもしれない。その時こそ己心の法門の出番である。次の時代はいよいよ御利益のみでは通用しないように思われる。宗門は今の教義をそのまま押し通す方針と拝見した。信心教学というのは、全て完了した意味を持っているようでもある。これ以上宗義を研究する必要がないという意味をもっており、完成した教学を推進するために信心教学が必要になってきたのであろう。
 信心教学という語は他に類例がないので、辞書によってその意を知ることは出来ない。また定義付けもなされていないので、適当に想像する外、名案も浮んでこない。しかし正信会にも、何となくあわただしさを感じさせるものがあるようである。そこへ巻頭言や論説が持ち出されては考えるなという方が無理である。そして時局法義研鑽委員会でも布教叢書3が漸く完了し、信心教学の指針もはっきりしてきて、正に両者準備万端整った処、いよいよこれから世界広布に旅立とうということであろう。七つの洋を乗り越えるための旅立ち、誠にお目出たい限りである。大石寺を盟主とする世界広布は明治以来の夢である。今その夢が正に開かんとする時、誠にお目出度い限りである。
 「正しい宗教と信仰」という一冊は、大石寺信心教学の在り方を秘めて甚深であるが、いかにも低俗そのものである。十数人の専門家の智慧を集め三年の日子を費して完成したものとしては、実に意外であった。この辺りに案外真実があるのかもしれない。しかし、これからの民衆が、二十一世紀の民衆がこのようなものに群り集まって来ると思うのは、少し甘すぎるのではなかろうか。未来へ向って更に夢を伸ばして行く処に宗教の宗教たる所以があるのではなかろうか。その未萌が分れば聖人である。未だ萌えざる処は未来である。それが莫大に分れば大聖人である。さてさて委員会や正信会で何人(なんびと)が聖人といえるであろう。
 信心教学の極意の処を一冊にまとめた「正しい宗教と信仰」は、何年先の見通しを付けているのであろうか。一見した処、既に過ぎ去った過去の夢物語ではないかという感じを抱かせるものさえある。この一冊を持って世界広布の夢がかなうなら、これはお目出度い限りである。委員会を組織し、二三年を掛けてやるのであれば、今少し見ごたえのあるものは出来なかったのであろうか。この程度では、これからに人々は、話にのってはくれないように思う。一見釘付けにするような奥行のあるようなものは出来なかったのであろうか。これは飽くまで蓄の問題である。
 委員の蓄の程は、残る処なく伺える処は、実にほほえましい限りである。しかし慾をいえば、今一つ深みの欲しい処である。中には今まで低俗なという意味で使って攻め道具としていたものを取り上げて、逆に他を低俗というために使っているものも可成りある。これは今回の急変であり、或る意味では大きな後退であるが、それを消化もせずにシッペ返しに使うのは、余り智恵のあるやり方ではない。一見目につく程数多く使われているように見える。悪口雑言を吐きながら、実質的には敗北を認めざるを得なかった。それがこのような形で現われたのであろう。或る面では、今まで他宗からいわれてきた事、当方が言い続けてきた事も無条件でいれざるを得なかったのである。この取り上げ方といい、沈黙といい、完全敗北とでもいえる程のものである。
 これだけの字数の中で、折伏を目指しながら邪宗という語が目に付かないことは、未だ曾つてないことである。正しい、よこしまという語が一回あったが、これは他宗を指しているものではない。よほど紳士的である。そこまで成長してきた事は、今回の成果の一つである。仔細に見れば邪宗の語もあるかもしれないが、今の処は見当らない。正しいという語も日蓮正宗を含めていることは分るが、これは世間の通例であるから格別取り上げる必要もないことである。これなら他宗も話に乗ってくれるかもしれない。内容的に教義的には今少し努力の欲しい処である。重い腰を今漸くあげ始めたということである。その意味では、「正しい宗教と信仰」は評価してもようと思う。次の仕事は教義の整理であり前進であるが、これは漸悟よりは頓悟方式を望みたい。邪宗の語を一挙に消した方式である。これがなければ独善と孤独に根を下す外はない。
 「正しい宗教と信仰」では独善も漸く影をひそめようとしている気配が見える。これは独り正宗のみならず、宗教界全体の悦びでもある。更に前に倍した努力を重ねてもらいたい。今の処はかすかによい兆しが見え始めたというだけで、未だ海のものとも山のものとも決めかねるものであることは、いうまでもないことである。要はこれからの努力次第である。常に姿勢の制御を続けてもらいたい。今度は時局という感じからは離れようとしている前向姿勢であるようには見える。水島らが持ち続けてきた悲壮感もすっかり影をひそめているように思えるのは大きな収穫であると思う。
 そして今度は宗門に替って正信会が明治教学と悲壮感を受け継ごうとしているように見える。そこに巻頭言や論説の出る下地があるが、成功するかどうか、甚だ疑問の多い処である。いう処の異体同心は本来己心にあるもの、己心においては一であるが、若しこれを外に出せば、別々の体を持ちながら心は一ということになる。そのために一人のものが己心に成りかわって頂点に立つと、その下に一統した形をとり異体同心となる。即ち統制型となる。このような異体同心を目指しているのではないかと思われる。これが巻頭言と論説ではなかろうか。しかし、これでは一から多にゆくものであり、一人でも多くの信者、一寺でも多くの末寺と、常に多に意欲を燃やすようになり、己心の法門に逆行するようになる。これは従来の線であり、「正しい宗教と信仰」の願う処とは逆に進むようになり、今の宗門には逆行するようになる。宗門は前に正信会は後にと、逆行の形をとるようになり、これでは正信会には勝ち目は少いであろう。
 今は高低浅深ではない。姿勢が問題である。論説の異体同心は差別の上に立っているということになり、本尊抄に説かれた本尊にも背くことにもなる。これでは、バトンを受け取った正信会の知恵が劣っているということになる。何れが是何れが非ということであろうか。宗門には既に明治教学から抜け出ようとしているのではないかというものを感じさせるものがある。苦労の成果ということではなかろうか。
 今では水島も正信会も、考え方については大差はないようである。今までは邪宗といえば即時に自分が本仏になれたのかもしれないが、今度は邪宗の語を弁明の項目以外には使っていないようである。それだけ成長したのであろう。余程慎重になっているようである。唯正しい宗教というだけでは一向に要領を得ない。何がどのように正しいのか、今一歩立入って説明があれば尚分り易いと思う。も少し力強さがあってもよいのではなかろうか。また生命論も急速に減ってきたようである。何となし陰では時が大きく動いていることを思わせるものがある。水島一人が両刀を使い分けしているとばかりは思えない処がある。水島調は全く影をひそめてしまった感じである。時は知らぬ間にしのびよっているようである。
 さて、異体同心も己心にあれば本尊そのものの姿であるが、世間に出て、全員一致ともなれば一億総動員となるようなものを持っている。昔はそこから戦争へ突っぱしったのである。つまり唱えたものの処へ権力が集中するのである。僧俗一致にも又同じようなものを持っているであろう。これらを己心に収めて、長い間延引になっている本因の本尊を再確認する時である。その上で正信会独自の本尊を取り定むべきであるが、あわただしさを感じさせるのは、本果の本尊のもとに帰ろうとしているためであろうか。今は何となく己心の法門でない異体同心を求めているのではなかろうか。
 巻頭言等は、その主張が隠せるだけ隠してあるため、なかなかその内容がつかみにくい嫌いがある。また巻頭言が三十才という年齢にこだわるのは何故であろうか。三年たてば三十三才になるのは吾々でも分る。五十年たてば八十才である。その時一人でも年長者が居れば発言出来ないのであれば極端な差別である。このような極端な年齢差は、己心の法門では求めることは出来ない。法を迹門に立てているために年齢の差別が重要な位置を占めるのであろうか。若し絶対服従を求めているとすれば、異体同心と大いに関係があると思う。これでは法門の研鑽も意見も述べることも出来ない。そのような処に発展があるとも思えない。それは独善であり、独裁である。己心の法門が世俗に出た最も悪い一面である。今となって何故このような事を強要するのであろうか。
 「三つ違えば十年経っても三つ違いです」とは何とも不可解である。平僧では年齢の差別により、宗門では法主によるということであるが、これも権力構造の一部になっているのであろうか。本因の本尊は貴賎老少老若男女一切無差別の処に建立されているが、今は専ら差別を強調するのは、どのような理由によるのであろうか。本尊を本果と定めたためであろうか。宗祖の教と真反対に出ているのはいかにも不可解である。或は第三者に何か関連を持っているのであろうか。年齢差を持ち出す裏には絶対服従が控えているのではなかろうか。譬が深すぎてその意を解しかねるのは玉に瑕である。今少し程度を下げてもらわないと、折角の名案もその効果をあげることは出来ない。
 仏法で平等無差別で説かれたものは、仏教や世俗に出ると極端な差別を生じるものである。同じく立上るなら己心の法門をもって立上がってもらいたい。今こそ滅後末法の時をもって立上る時である。開目抄や本尊抄の原点に立ち帰るべきである。何れの出生かそれさえ分明に出来ない本仏や本因の本尊では迫力も伴わないし、長続きするわけにはゆかないであろう。その本源を宇宙の生命に求めることも、信仰としては可能なのかもしれないけれども、仏法を立てるならもう一重立ち入って本因に意を注ぐべきである。宇宙の生命では少し抽象的であり、法門とするには今一つ具体化が欲しいようであり、現状では本仏も本尊も最後は虚空為座へ収まるように思われるが、それは既に迹仏の領域である。結局は迹仏世界に本仏が誕生して、その座を独占するような形をとるようなことになるのではなかろうか。
 「正しい宗教と信仰」も、基本線は「生命論」によっているものと思われるけれども、も一つ絞り込まなければ仏法との間に連絡がつかない。仏法がその力を出せば生命論は大地に下りてくるが、今はまだ生命論が力をもっているために、本仏や本尊が最後究竟の処は虚空に上る。そして空中から声が下ってくるようなことになる。これでは本仏の天上である。民衆を捨ておいて本仏のみが天上することになる。そこで自然と三世に亘る成道ということになり、三世常住の肉身本仏などということにもなるのである。ここはまずそのような宇宙生命論から脱皮しなければ、本仏が大地に誕生することは出来ないと思う。
 法門では本仏や本尊は大地の上に誕生しているのであるが、それを説明している間に、いつのまにか虚空に誕生しているのである。そこに何かが抜けている。どこかで狂っているということのようである。本仏や本尊が大地に座を占められるような理が必要である。理を失って事のみが先行すれば、自然と虚空に上るのである。そのために大地に止めるための理が必要である。それは天台の理ではない。事の中の理である。それが失われたために大地に居るべきものが虚空に上るのである。それは今の最大の難点である。
 生命論には大石寺法門にはつながらない生命を持っているようである。また天台理の法門とも違っているようにも見える。ここは開目抄や本尊抄に示された処に本仏や本尊の寿命を求めるべきであろう。「正しい宗教と信仰」諸師も再考を要する処ではなかろうか。大地から虚空に移る処に空白部分があるように思われる。これを埋めなければ、本仏は常に虚空を志向するであろう。そこに仏法の秘術があると思う。それがはっきりしなければ、本仏は限りなく殖えてゆくかもしれない。
 巻頭言や論説にも既に本仏を虚空に上げててもよいようなものは備わっているようである。これは大石寺法門では常に警戒しなければならない部分である。開目抄では後世本仏について混乱が起きることを予想して、そのようなことのないように細かく明示されている。その基本にあるものが初め一二頁の処に出ているようである。その辺の処をくり返しくり返し検討する必要があると思う。民衆は本仏が大地の上に立ち返ることをのみ願っているのである。
 「正しい宗教と信仰」と山田後退と、万更無関係とはいえないであろうが、折角発想の転換を計るのであれば、生命論を基盤とする事は考え直した方が好いように思う。そこには虚空と大地との距離を強化する恐れがあるかもしれない。それでは主師親の三徳や戒定恵の三学とも離れ、己心の法門が邪義と思える方角に進むようなことになるかもしれない。まず避けた方が賢明なように思われる。明治教学には、奥深い処にそのようなものを内蔵している恐れもある。大いに警戒しなければ「正しい宗教と信仰」の線も立ち所に崩れることもある。折角芽吹いたものであれば大切に育ててもらいたい。これを契機として大きく転換することを期待したい。
 以前にも記したように、改めて神天上法門や諌暁八幡抄の意義を考え直してもらいたい。この法門は苦しみ悩んでいる衆生を捨ておいて、自分等だけが安穏な道を求めようとするものについての警告と受けとめたい。今や既にその限界が来ているのではなかろうか。水島が向う気の強さをもってしても、乗り切れなかった現実である。謙虚に受けとめなければならない。それが今与えられた唯一の道ではないかと思う。心そこにあらざれば見れども見えずということもある。心がそこによれば開目抄も見直せる時が必ずあるのであろう。
 三世も個々に受けとめるのではなく、超過の上に受持を持って現在に刹那に受けとめなければならない。三世各別では在世の範疇を一歩も出るものではない。受持がなければ超過することも出来ない。今は仏法の上にあるべき受持は、失われているのではなかろうか。受持がなければ己心の法門も成り立たないであろう。己心の法門を邪義ということは受持が失われているためではないかと思う。
 尚これは余談であるが、宗祖に「仰せられた」といい、釈尊には「いうている」というような表現も如何なものであろうか。腹の中にあるから出たということであろうか。しかし、あまり感心した人聞きのよい使い方ではないと思う。これ又、受持が忘れられている証拠ではなかろうか。しかしこの書には明治教学からの脱皮を目指しているのではないかと思われるものは、かすかに持っているのではないかと思う。この点は正信会とは大いに異っている。
 巻頭言も論説も、明治教学を死守しようとする悲壮感がひしひしと伝わってくるのは異様である。宗門にも守ろうとする一団と脱皮しようとする一団と、二つの流れが動き初めているような気がするが、真実が分る筈もないのが現実である。何れにしても、まだまだ雲の彼方の話である。教学部長の立場にあるものが、己心の法門をヤユの彼方に消し去ろうとしたのは一世一代の大失態であった。その後ヤユの件はどのようになっているのであろうか。是非後日譚を聞きたいと思う。
 「心も己心も同じだ、心にしろ」という処から出発しているのであるが、同じならわざわざ己心を取り上げる必要はない。同じだということは自分等に同じと映ったのみである。別物ということが分るまで、何故開目抄や本尊抄を読まないのであろうか。心は仏教にもあれば世俗にもあり、共に肉身とのつながりを持っているが、己心は仏法・魂魄に限られて居り、刹那に成ずるものであり、心のように肉体のある限り常住にあるものとは違っている。今は同じという考えの中で仏教の中に仏法が同居しているようである。それであるから、時には心、時には己心と出るし、心と己心が混沌としてくるのである。そしてまた仏教との区別も付きにくくなるのである。今その混沌とした処に本仏や本尊が建立されているために、肝心の時が押えられるのである。
 仏教往復八千度という中で、何れが本か分らなくなっているのが現実である。そのためにまず時を切り分けなければならないのである。心も己心も同じだ、心にしろということは、たしかに仏教概観からはそのようなものは間違いなく考えられるであろう。そこから己心の法門が邪義とも考えられることにもなるのであろう。勝れたものを本尊としなければならない処が、反って不安定なものを本尊としなければならない羽目になっているのである。
 滅後末法の本尊と指定されたものを在世と決めても、それは勝れた本尊ということは出来ない。このように決めることによって、滅後末法も本尊としての威力は失われ、無意識の中に仏法から仏教に移り、迹門の本尊となっているのである。そして民衆主役から自動的に釈尊に移っているが、言葉だけは仏法のものも残っている。その結果として迹仏の処に仏法が出ている。そこへ生命論の生命が大きく働いて出るのである。そのために益々分らないものになっているようである。
 心と仏教とは同じ時の場合もある。そこへ生命が働くと心が異状な形を表わしてくる。そのような中で心と己心の区別が付きにくくなるのかもしれない。そこで心も己心も同じだ、心にしろということになるのであろう。そこには因果の混乱がある。本因本果の関係は御宝蔵と御影堂の処に示されている通りで、これを超えると仏法を保ちにくくなるが、今は御宝蔵と御影堂との間の関係は失われて、正本堂に移されたけれども、結果は正本堂の本尊のみとなったような表示である。どうやら本因が行方不明になったようである。ここに法門の混乱が如実に出たのである。そして本尊は本果に、本仏は虚空にということになっているのではないかと思う。
 明治以来一仏出現という語に日蓮本仏出現という意味をもたせて使われているようであるが、一仏出現は、本来は釈尊得悟以前を無仏の世とし、得悟によって一仏出現となっている。梁塵秘抄に「仏は元は凡夫なり」というのがそれである。本仏日蓮の出現は、愚悪の凡夫の世としてこの無仏の世とし、受持によって仏法を立て、仏教の外に即ち世俗の中に無仏の世を見、その無仏の世に一仏即ち本仏が出現するようである。これを一仏出現というために紛らわしいものになっているのである。本仏の世と迹仏の世、仏法と仏教の世がはっきりと区別されないために紛らわしいものになり、迹仏世界に更に新しく本仏日蓮が出現するために、迹仏が既に在る処へ更に今一人の一仏が出現する。そして迹仏世界に二仏が出現するような形になっているのである。これは仏法と仏教とを確実に区別しておかなければ、反って不審を持たれる原因になるのである。
 本仏が出現するのは仏法の世であり、迹仏が出現するのは仏教の世であることを、まず確認しておかなければならない。この作業を怠っているのである。この本仏出現の処が滅後末法の世界である。そのために時の確認が必要なのであるが、今は未確認のために迹仏世界に本仏が出現するようなことになっている。これが混乱のそもそもの始めになっているのである。「正しい宗教と信仰」も、次にはその作業にかかってもらいたい。
 釈尊の得悟以前の世界を師弟子共に愚悪の凡夫ということでそこに仏法を立てるなら、そこに一仏も出現することが出来るが、時が混乱すれば、一の世界に二仏同時に出現することになる。今はこのような最悪の事態にいるのである。そのような中で仏法の一仏は師弟一箇の処を指し、それが御本仏日蓮大聖人の真実の姿である。これは魂魄の上に成じた己心の法門の本仏であり、このために報仏を教主と立てるのであるが、今は応仏と立てているために、釈尊の領域を侵す形になっているのである。報仏のみによれば思想と出る可能性が強い。そこで宗教を名乗るために応仏の形式をとると、いつの間にか教主が応仏となってくるのである。今は大半は応仏に頼っているようである。
 応報二仏の竝座はどのようにしてでも避けなければならない。そのために仏法の時と処を確認しなければならないのである。明治教学は、この応報二仏竝座の処に立てられているようである。「正しい宗教」を唱えるためには、まず一仏に絞らなければならない。それによって始めてその資格も整うであろう。その一仏とは報仏であることはいうまでもないことである。これが今与えられた最大の課題であると思う。二仏竝座の中で「正しい宗教と信仰」を唱えられても、吾々は疑いを消すことは出来ない。このままでは民衆に先を越される恐れも充分あるし、いつまでも宗教家の夢ばかり叶えてくれないかもしれない。正信会もいよいよ決断を下す時が来ているようであるが、ここの処は本山側に一歩先んじられた格好である。
 明治教学も本仏と本尊とが確認されるなら、大きく変貌するであろう。尤もこれがはっきりした時には、明治教学という理由の大半は失せるかもしれない。要は本仏と本尊の取り極め方である。今の民衆はどっかりと大地に根ざした本仏や本尊を求めているのである。それを知ることも知時なのかもしれない。そこに己心の法門は芽生えるのである。世間が己心の法門を強く求めているとき、大石寺が邪義と決めても何の効果も上らないであろう。宗教が世間に遅れては何の意味もないことである。冷静に明治教学を研究する時が来ているように思う。今は明治教学を守るために最後の勇を鼓しているようではあるが、時はこれを許すことはしないであろう。
 唯口に寿量文底を唱えるばかりでなく、それが何処を指しているのか、どのような意味をもっているのか、その辺を子細に探らなければならないであろう。それを探った上で寿量文底に帰るべきである。そこは間違いなく本仏の所住の処であると思う。本因妙抄の終りにも「寿量品文底の大事という秘法如何」という項目がある。これは一時富士宗学要集の二本線の中に入れられそうな時もあったが、辛うじて線引きは免れたのである。この後の説明の部分はどのように解されているのか、中々難解なように思われる。これなど最も読み返さなければならない処ではなかろうか。「余行に亘さず直達正観する」とはどのように現代語訳したらよいのであろうか。学の在る処を披露してもらいたい。
 まず寿量文底がわからなければ、法門を語ることは出来ないであろう。寿量文底を只信心のみで解することは、恐らくは出来ないのではなかろうか。そこにあるであろう己心の法門を邪義と決めたのでは、寿量文底を探ることも出来ないであろう。これは少し軽率すぎたようである。これでは寿量文底を鉄の扉で覆うたようなものである。余りに用心が過ぎたのである。
 前の「寿量品文底の大事という秘法如何」に二本線が入ったのは大正の末、立正大学の科外講義の始まる直前のことである。二本線で一度消されたことは、先方の攻勢を予想した上のことであったと思うが、さすがにこれは消しかねたのか、最後に復活したのである。今これについて他門に答えるだけの用意があるであろうか。若しなければ後世の加筆として二本線を加えておくべきである。この項目と何等変りのない己心の法門は既に邪義と決められているからである。しかし、その時依然として本仏が存在していることは、何としても不可解である。解釈が付かなければ、厄介な項目である。しかし、堂々と仏法を名乗って出るためには欠くことの出来ないもののように思われる。時局法義研鑽委員会の正式な解釈を是非拝見したいものである。
 寿量品文底大事も口唱のみで一向に事行ではないようである。その不分明な処が専ら信心という教学に依って解決されているのであるから、真実とは言えないのである。明治教学を唱える前に、この寿量品文底大事から探りを入れてみるのも、一つの方法であると思う。この寿量品文底大事もその本処を言えば主師親の三徳であることは、いうまでもない処である。若しこれが理解出来れば狂学も珍説も邪説も魔説も即時に消滅する時である。
 現代の字書にあるものは全て出揃っているようである。寿量品文底や己心の法門を消すことは、この上もない増上慢ではなかろうか。学はいらないという中で必ず必要な処で学が消えたために、あわてて天台学に学を求めたために、時の違いが混乱に導いた。それがために行き詰まりを生じたのである。再びこのような愚の繰り返しはしてもらいたくないと思う。今の御時勢では、寿量品文底大事も邪義・珍説の中で抹消されてゆくのかもしれない。
 信心教学には、寿量品文底大事は始めから抹消されているのではなかろうか。学がいらないとは、学した後に不用のものを捨て去ることを意味しているのである。そのような処で意味のとり損じがあったのではなかろうか。学がいらないとは、僧侶に充分な学があれば、信者に向って胸を張って学はいらないと言える処であるが、僧侶がこれを実行したために、逆に信者が学に励むようになったのである。そしてその学が宗内に入って日蓮正宗伝統法義ともなったのであろう。それが教学の混乱に拍車をかけたのではなかろうか。そしてその陰で「生命」が大きな働きをしているようである。
 今のような考えの中では明治教学以外は全部邪義となるであろう。そして本仏も迹仏世界に出生してこそ真実ということになるようである。他宗では迹仏世界に本仏が出ては困惑するであろうし、このような事は絶対に許さないであろう。そこに独善と孤独が待っているのである。人には分らない、自分には尚更分らないでは困りものである。せめて正信会にはそのような世界から速やかに脱却してもらいたいと思う。それが出来るような境界にいるからである。宗門でさえ二年四ケ月しか持(たも)てなかったのである。宗門が投げ出した後、どこまで持てるであろうか。
 正信会報三十六号の二十五頁以下には日辰のものが引かれているが、戒定恵や己心の法門は一向に見当らない。また文底も出ていない。どう見ても迹門である。三十五号にも日辰のものが載せられているが、これ又大いに参考になるものである。これが明治に受けつがれ、更に国柱会を受け、更に身延教学も受け入れられて新しく富士教学が解釈され、そこに明治教学が出来上がったのである。そのような中で取要抄の戒定恵・三秘が三大秘法抄の三秘と入れ替ったようである。ここに出来上がっているのが日蓮正宗伝統法義であるが、これは戦後更に異状発展をして、現在の教学となっているのである。この伝統は百年を限っているのである。
 これに対して吾々のいう伝統は七百年以前の処に伝統を見ようとしているのである。同じく伝統といっても、自は七百年、他は百年である。自は寿量文底、他は寿量文底をいいながら実は文上をとっている相違がある。そのために不軽菩薩も、仏法の処にあるべきものが仏教に出ているのである。文底にあるものは世俗にありながら己心の上に出るのであるが、宗門では文上によるために結局は像法に出るのである。「日蓮紹継不軽跡」の不軽は必ず仏法の処で解すべきものであるが、水島教学では像法の処で考えられている。これは時の混乱である。時を誤っては一向に反撥にはならないが、自分では自信満々であるからいよいよ始末が悪い。始めから時がなかったために在滅が混乱しているのである。
 無時か非時か。非時といえば十二時、即ち昼食を指している。午前六時の仏菩薩の食時、午後六時の諸天善神の食時、それ以外は非時である。人の食時は非時である十二時に決まっていたようであるが、二食になり、三食になった現在は午前十時と午後三時が非時であり、これが八ツ時であるから、この時に食べるものをおやつという。これは人間本位に決められたものである。水島教学も仏菩薩から本仏へ、本仏から人間へという考え方が強いようである。現在の人間の考えを基本として仏菩薩を計ろうとしているようにも見える。そして今は人間が供養を受けるようになっているのではないかと思う。
 月日がたつに従って混乱は色々な形で出るものであるが、己心の上に、仏法の上に出たものがいつの間にか迹仏世界に還ると、仏法の上にあるべきものが、そのまま仏教の上に現ずる。そして信心が己心の法門になり変って本仏や本尊が現ずるのである。その信心は、実は「信の一字」であったようである。宗祖の時は信の一字をもって本尊を得たのであるが、今は信心の二字をもって本尊を得るということに変ってきているのである。今不信の輩と称して一人悦に入っているのは、実は不信心の輩というべき処である。
 本仏のいのちという時にも、本来は本仏の寿命と充てるべきものが本仏の生命と充てられると即時に生命論の生命となるが、この三何れもいのちではあっても、内容的には大いに異っており、しかも寿命が生命論の生命と入り替ってくる。ここに言葉の魔術がある。不思議なことである。不信の輩といえば自分は刹那に本仏の座につけるようになっているのかもしれない。しかし、この刹那はあくまで虚像であることに注意してもらいたい。信心気のないものには、いかにも神がかり的に見えるものである。このような独善境界にあって本仏は自由に誕生するのである。
 日辰や国柱会、身延教学の影響下で教学は大きく変貌したが、更に生命論の生命も大きな影響を与えているのかもしれない。「正しい宗教と信仰」にも生命論の生命は大きな力を持っているのではないかと思う。性格が違うのであるから、丸ごと受け入れるのはこの上ない危険なことであるが、今では撰別出来ない処まで来ているのではなかろうか。これらの混雑した教学からの脱出が、今与えられた大きな課題である。無差別の寿命と有差別の生命と、このようなものの撰別も亦捨ておくわけにもゆかないであろう。これらの作業が終った時、始めて純円一実の境界に到達出来るのである。
 宗門も正信会も共に一丸となって明治教学を守ろうとしているのか、宗門は後退して正信会のみが守ろうとしているのか、真実の程は知る由もないが、それ以前に純円一実の境界を求得しなければならない。明治教学から無差別世界を求めることは、殆ど不可能に近いのではないかと思う。二十一世紀の宗教は、無差別世界から立上るようになるかもしれない。己心の法門により、民衆主役の中で民衆自身の力によって立上るようになるのかもしれない。その時には、大石寺はまず己心の法門を披露しなければならないが、現状では中々出来るようにも思えないのである。
 釈尊も立上がりは愚悪の凡夫であったが、そこから修行を経て一仏出現ということになったのである。民衆もまた愚悪の凡夫から立上るようになっているのが己心の法門である。貴族的な仏教からの立上がりは、中々困難なのではないかと思う。今のような夢はまず自ら捨てることである。いつまでも夢中の権果にしがみつくことは、さらさらあるまいと思う。自分を救うことよりは、衆生を救うことを考えなければならないのが目下の急務である。
 宗門も正信会も教学的には全同のように思う。若しそうであれば本尊を持ち、擯出した側に勝目があるのは分り切ったことである。擯出を受けた時には当然その中に本尊は入っているであろう。しかも独自の本尊については未だ現われない。止むを得ず従前からのものを拝んでいるのであろうが、これに付いては阿部さんの特別許可が必要であると思う。何か思惑があって故意に決めないのか、或は気が付かないのか、不可解なことである。或はこのような事について無関心なのであろうか。何を措いても独自の本尊を取り決めることから始めなければならない。大勢の僧侶を擁し信者を抱えて、しかも独自の本尊がないということは、常識では考えられない処である。何としても良識の程を疑わざるを得ない処である。本尊模刻謗法をもって本尊に代えるつもりであろうか。
 折角頸に懸けてもらっている総与の本尊を何故確認しようとしないのであろうか。或は不信の故にこの本尊が認め難いのであろうか。この本尊こそ真実総与の本尊であり、本因の本尊である。これは書写の必要もない、ただ心に確認するでけで事は足りるのである。これ程容易なことはないと思う。これであれば信の一字をもって宗祖の得た本尊は、そのまま載けるのである。その本尊とは師弟一箇の処にあるからである。戒旦の本尊のみを夢みても、それは阿部さんによって完全に信仰することは遮断されているのである。本来として頸に懸けられたものを確認することについて、本山側は彼是いうこともないと思う。何故これが決められないのであろう。
 宗教団体としての自覚があるならまず本尊を決めなければならない。今は既に擯出の身であってみれば、本山の決めた規制とは全く無関係の処におかれているのである。それを未だにその規縛の中に身を置こうとしているのは何の故であろうか。自分では擯出されても頸はつながっていると考えているためであろうか、この辺の処は、吾々には一向に解し兼ねる処である。数年を経て未だに決めかねていることは全く異状という外はない。
 今異体同心を持ち出してみても、依るべき本尊がなければ無意味なことではなかろうか。今のような異体同心は本尊には程遠いもののように思われる。異体同心のみ主張されると独裁につながる恐れもある。このような時に生命と寿命が混同するのではなかろうか。このような処では自由な思考や行動はすべて規制されるかもしれない。そのようなことの起らないために、まず本尊を取り決めなければならない。
 今信仰している本尊は擯出される以前に授与されたものであり、信奉者ということが条件になっているが、それを今も一方的に信奉するのは不合理と思われる。この点はどのようになっているのであろうか。それよりか総与の本尊を自由に頂く方が、より合法的ではなかろうか。これは書写以前の本尊のことである。擯出になれば本果の本尊とは縁が切れたのであるから、総与の本尊を頂く以外に方法はないのではなかろうか。思い切ってやってみてはどうであろうか。いつまでも本尊なしでやってゆけるものでもない。信仰団体としては、たとえ宗教法人でなくても、本尊だけは定めなければならないと思う。
 本山も本因の本尊については一応抛棄の状態である。つい近頃まで守られてきた本尊を、今になって抛棄する理由はどこにも見当らない。宗祖の定めた本因の本尊を知るために、まず開目抄や本尊抄の読み直しから始めてもらいたい。そして本尊に対する迷いをまず止めてもらいたい。いきってはいたけれども、山田や水島等は、これらの御書を読んだ形跡は全く見当らないのである。本尊も定めずに二十一世紀を迎えるようなことは始めから考えない方がよい。今の段階では、高裁によって淡い夢を断たれた感じである。今度こそ本尊を取り定めて再出発すべき時ではなかろうか。本山でさえ明治教学的なものから、表面的には脱却しようと努力しているように見える。既に今の世上は、貝の蓋をしたまま罷り通るようなことは、出来にくくなっているのではないかと思う。今のような考えは、世間は素直には通してくれないかもしれない。第三者にも五分の理を持っていることを知らなければならない。我武者羅に排除することは、反ってマイナス面が強いのではなかろうか。
 明治教学の見直しを逼られているのである。そして本仏のいのちにしても、必ず寿命でなければ文底寿量品にはつながらない。生命では肉身に煩わされる恐れが多分にある。そのために目前には利につながっても、長寿を失う恐れもある。寿命は魂魄の処、己心の法門の上にあるもの、生命では肉身を遮断することが出来ないものを持っている。そのために今は生命をもって寿命に換えようとした結果に悩まされているように見える。この生命とは生命論の生命である。これは本来西洋流であり、その威力によって東洋流の寿命が分解されつつあるようにも思われる。これが己心を邪義とする処まで進行してきたのではなかろうか。この生命からは、恐らくは本尊は出ないと思う。本因の本尊につながるのは、必ず文底寿量品の寿命でなければならない。「正しい宗教と信仰」で、最も気掛りな部分は生命の処である。思い切って生命の切り替えをしなければならない処である。
 巻頭言にしても論説にしても、この生命がにじみ出ている。そこに悲壮感があるのかもしれない。この生命には日本魂と一箇するような素地を持っているように思われる処がある。「我れ往かん」という処であろうか。これは独善的なものにも通じるものを持っている。これを抑えるのが寿命である。生命には文底寿量のようないのちは、どうも見当らない。そのために生命から本仏や本尊が求めにくいのではなかろうか。
 静かな無限のいのちは寿命に限るようである。その点明治教学にも、己心の法門を斥うようなものは備わっているようである。即ち一億玉砕的精神である。これは己心の法門から己心が抜け、戒定恵や主師親の三徳が失われた時、そのような方角に進むのである。己心を邪義と決めることは、宗門に玉砕的精神が充溢してきた証拠なのかもしれない。非常に危険なことであり、必ず避けなければならない処である。正信会にもそのようなものがほのかに感じられるようである。ここの処はまず本因の本尊を取り決めることによって、その被害から遁れなければならない処である。これまた目下の急務である。巻頭言や論説もこのような面に指導力を発揮するなら、大いに敬意を表してみたいと思う。異体同心も、生命の上に考えられているなら、あまり敬服すべきことではないと思う。ここは論説師の再考をわずらわしたい処である。
 今信者の流れは既に本因の本尊を求める方向に動きつつあるようである。一歩先んじていなければ、われ船筏とならんということにはゆかないのではなかろうか。指導者は常に先んじる処に意義を見出だすべきである。その指導力に期待したいと思う。求められても与えることが出来なければ困りものである。夢のみを追うている間に、時はどんどん流れているのである。宗教は必ず未来を追い求めなければならない。宗教者が過去の夢を追い求めている時に、信者は既に未来を求めている。これでは指導にはつながらないのも無理もない処である。そこに大きなズレが出ているのである。これはアベコベである。
 二十一世紀を目前にし早々に眼を開くべき時である。諸宗もまた過去の夢を追い求めている向きが多いように思われる時、せめて正信会はフリーの立場で大いに未来に向けて夢を拡げてもらいたいと思う。仏教もここまできて物質文明に先を越されたようである。正信会はまずその沈滞ムードから立上がってもらいたい。折角擯出されたものを、これを取り上げない法はない。何故ここで魂魄佐渡に到るという度胸が出ないのであろうか。何とも解し兼ねる処である。心の豊かさを求めようとしている今の民衆に、宗教家が後から追いかけることは大変なことである。それでも尚やらなければならないのである。
 明治百年の文化は最後に仏教を狙ったようである。根廻しも充分に出来ているのであるから、これをしりぞけることは容易なことではない。それでもやらなければならない。そこに己心の法門が必要なのである。法門の全てをここにおいている大石寺でさえ邪義という程正しいものである。恐ろしさのあまり、つい口をついて出たのがこの邪義である。それ程正義なのである。これを邪義と決めてしまえば大石寺には法門は皆無である。本仏といい戒旦の本尊というも無に等しいものである。それでも邪義といわなければならない程強い力を持っているのである。
 どこからどうしてそのような語が出たのか、とても正気の沙汰とは思えない。己心の法門が邪義であるなら御書もまた邪義である。本仏も三世常住の肉身本仏のみが正義ということであるが、これでは信者も中々ついて行けないのではなかろうか。三世常住の肉身本仏論では、最早宗教の中に止まることさえ困難なのではなかろうか。これでは再び宗教の軌道に乗せることも大変である。仏法は既に遠い彼方に押しやられて、ただ語のみが残っている状態である。正信会もまた殆ど全同ということであろう。
 唱え始めて七ケ年、返ってきたのは悪口雑言のみであった。宗門の現在の教学の深さの程は残る処なく頂くことが出来た。今は本因の本尊を本果と変えることも終ったようである。これではいつか信者に見破られるであろう。今世上では、民衆は真剣に宗教を求めているのであるが、宗教家は一向になんの反応も示さないのである。そのような中で宗教離れもどんどん進んでいるようである。
 二千年三千年前のものを示しても無駄である。そこに随方毘尼の意義がある。開目抄等もその時代へ向けるための随方毘尼による成果である。そこに根の深さがあったようであるが、己心の法門を邪義と称してみても、三世常住の肉身本仏論を出してみても一向に根無し草である。これでは何の威力にもつながらないのは当り前のことである。文証なくんば邪義という外はない。全く出たとこ勝負であった。押し進めたいなら文証を示すべきである。文証も示さずに気勢を上げるのを虚勢という。お分りでしょうか。
 自受用報身が題目を上げるような文証がどこにあるのであろうか。これは天下第一の珍説である。自受用報身と肉身本仏が寄ると、このようなことになるかもしれない。これも寿量文底の寿命が世俗と合体した結果、生命の方へ寿命が引き入れられた混乱の結果のようである。寿命はあくまで肉身が排除されているのである。そこへ生命が肉身を持ち込むために、このような古今未曾有の妙説珍説が登場したようである。時節の混乱の中にのみ生ずるものである。この説も一回限りの短命であった。再び出てこなかった。いのちの捉え方に誤算があったようである。このような説は後世いつまでも残ってゆくことであろう。寿命と生命では同じ命であっても、真反対の働きを持っているが、今の阿部さんの珍説は、何れも生命の上に発展しているものと拝見した。一日も早く寿量文底の長寿の処に立ち返ってもらいたいばかりである。報身如来の直々の唱題とは前代未聞の珍説である。いつの日か再び登場することであろう。
 今民衆が宗教を求めようとしているのは心の安心である。しかしこのような珍説には、今の民衆は中々話に乗ってくれない。止むを得ず宗教を見捨てて自分の心に安心を求めようとしているのである。事がなければよいが、事が起るとそれでは乗り切れない。そこに宗教が必要なのである。そこで宗教になりかわってその感覚を殖えつけていったのが仏法であり、己心の法門であった。そして自力の尊さを教えたのであった。今やその必要な時を目前に迎えようとしているときこれを邪義という事は、ただ恐ろしいから虚勢を張っているまでである。何れその威力に圧倒されるであろう。水島の威勢をもってしても、遂に後のない処まで引き下ったようである。正信会も己心の法門について本山に救援の手を差し延べてみてはどうであろう。そのためにも本因の本尊を取り決めるべきである。
 七百年を過ぎて始めて己心の法門が邪義と決められたことは、何物にも代えがたい大きな意義をもっている。長い間伝えられ唱えられた寿の長遠も既に宗門の手によって打ち切られたのである。そこに生命の働きがあったものか、いかにも短命である。それでも時には長寿を唱えているようであるが、裏付け一つ持たない説である。実は故意にそのように読んだのである。宗祖の夢も水島のために、あえなく踏みにじられたのである。世俗にあるべき寿量文底が仏教に立ち還った時、思わぬ短寿と出たのである。これでは読む者のあやまりという外はない。今こそ世俗に寿量文底を返さなければならない時である。滅後末法に返してこそ久遠の長寿もあろうというものである。このような大事の決定について、正信会からはついぞ反論がなかったことは、正信会にも一向に異論のないためであろう。
 根本をいえば仏法と仏教との混乱である。そのために寿量文底が迹門の処で考えられ、そこに本仏や本因の本尊が考えられているのである。これでは邪はむしろ我が方にある。受持の意義も本の意義は忘れ果てられている。受持は仏教を離れるため、仏法を建立するために必要であり、仏教に帰ったのであれば最早受持の必要はない。受持は刹那の所作である。そこに仏法は建立され、そこを称して寿量文底ともいわれるのである。そして言葉を替えるなら、そこが本時の娑婆世界である。いうまでもなく己心の法門の領する処である。ここが寿量文底といわれる世界である。
 「本尊の為体」とはそこに出現すべき本因の本尊の姿であって、そこは決して迹門ではない。しかし今では宗門も迹門と読みとったようである。これは仏法が仏教の処に立ち帰ったために、このような事になったので、そのために理屈ぬきで本因の本尊が迹門に出現するようなことにもなった。これが本果の本尊である。時の混乱がこのような結果を生んだのである。寿の長遠は刹那にあるべきものであるが、刹那が消えたために短寿と現われたのである。御本仏日蓮大聖人と唱えただけでは、寿の長遠を取り返すことは出来ないのである。今では迹門に立ち帰ったために、本仏や本因の本尊の裏付けはない。今度あわてて天台学に応援を求めたために、己心の法門を邪義という羽目になったのである。
 今居る処は応仏世界である。これが分っているのであろうか。明治教学は応仏を法華の教主と定めているのである。応仏と報仏の混乱の中で明治教学は立てられているのである。応仏に立ち帰っては報仏が出る筈もない。しかも自受用報身から本仏や本尊が出現するのが山田のいう日蓮正宗伝統法義である。この根本になるのが仏教概観であると思う。これは或る時期他宗から追及を受け、それを避けるために、己心の法門も本仏・本尊も戒定恵も除外され、報仏を避けて応仏一本に絞った上で作成されているもののようであり、或る兌協の上に出来ているのではないかと思われるが、その後これが根本のものとしての扱いを受け、そこに明治教学が出来上がったのではないかと思う。そこで己心の法門に関わるものは表に出ていない。それがやがて二重構造になったように思われる。己心の法門に付いては完全に除かれているのである。
 その後時が移ると応仏の処には本仏は出ないと責められることにもなるのである。これが進行して信心教学というようなことがいわれるようになったのかもしれない。そして報仏については、専ら信心の上に解されるようになり、次第に裏付けも乏しくなったのではなかろうか。しかし今ではこれが正常なものと解されているように思われる。伝統法義の故里はここに置かれている。それだけにこの図には犯すべからざる程のものを備えているのである。そして信心によって全く図にないものが現われ、それを信じないものは不信の輩と罵られるようである。そこに明治教学の不思議さがある。一旦消されたものが、何の予告もなしに復活するのである。そしてその陰で異状発展する一面ももっているのである。
 己心の法門を邪義などといわず、真正面から取り組むべきである。邪義といいながら本仏も報身如来なども、また仏法なども殆ど使っているのであるからいよいよ分らないのである。これでは他宗の信用を落す以外、あまり効果は上らないであろう。他宗のものは図に現われたことのみを論じ、宗門は図にないことのみを論じているのである。これが現実のようである。これでは他宗のものが理解出来ないのは当然である。己心を邪義といいながら、己心によってのみ現われる本仏を根本とする水島法門の筋が通らない理由もそこにあるのである。
 御本仏日蓮大聖人の仏法など、己心の法門を除いて説明してみるとよい。己心の法門を除いてどのようにしてこれが説明出来るのか。このような語を応仏のもとでどのように消釈するのか。まずこの難問を解決すべきである。矛盾を矛盾と思わない時にのみ通用する語である。その辺りの整理が必要である。これではどう見ても公正とはいえない。名は体を表わさず、常に不公正なのは玉に瑕である。しかし、己心の法門を邪義と決めては、宗祖との連絡は全く断絶せざるを得ないであろう。それを陰でつないでいるのが信心なのかもしれない。これは全く秘密部分なのである。
 宗内のみでは通用しても、一旦疑問を投げかけられると全く答が返せないのが現実である。そこで出るのが悪口雑言なのである。これは根底になるものが何一つないという証である。そのような不明朗なものは一切捨てることである。そしてどこにでも通用するようなものを求めてもらいたいと思う。そのようなものを捨てる度胸があれば、そこには必ず新しい世界も開けるであろう。そして必ず本因の世界が待っているのである。そこに本仏の長寿を求めてもらいたい。明星池に肉身をしつらえても、それは本仏の寿命とすることは出来ない。反ってお脳の程を疑われるだけのことである。
 宗祖も本果を捨てることによって本因を得ることが出来た。そこに開目抄は出来ているのである。いつまでも本果に執着していては開目抄の述作もなければ、己心の法門もなかったかもしれない。その意味で開目抄や本尊抄その他の所謂重要御書を読み直さなければならない。それが今の第一の責務である。但し己心の法門が邪義と思える間は読んでも無駄なことである。四明を天台の正統と仰いでいる間は読まない方がよいであろう。宗祖は従義流を基盤としていることを忘れないことである。
 四明流に依れば真反対に出るから注意が肝要である。山田が逆も逆真反対というのはそれである。真反対の方が正であるが、自分を正と決めるために、相手方が真反対になるのである。己心の法門を正とすれば、自分等は邪・真反対であるが、自分等を正とするために己心の法門を邪と決める至極単純な方法に依っているのである。己心の法門を邪義と決めることは本因に対する訣別であり、本果転向の意志表示である。この公言によって改めて本因の処に現じている本仏や本因の本尊の間に新たな矛盾が現じたのである。次にはこの矛盾との戦いである。先行きの程はゆるりと拝見ということにしたい。余は公正なお手際を期待するまでである。己心の法門を邪義と決めることは、時局法義研鑽委員会の綿密な討議によった結果であるから、信用しないわけにはゆかないであろう。この決定によって大石寺法門は根底から変ったのである。今後は全てこの矛盾との戦いである。
 宗門では民衆という語を極端に斥っているようであるが、真意の程は分らない。民衆仏教が悪ければ貴族仏教でもよい。仏法の意味が分ればそれでよい。同じ意味に使っているのである。今のあり方からすれば貴族仏教というのが近いようであるが、貴族仏教を名乗るには些か憚りがあるかもしれない。世間に出て、民衆を基盤にそこに仏教を持ち出した処で仏法は建立されているので、仏教の中に仏法が建立されているのとは根本的に違いがある。本来は仏教の語は遠慮しなければならない処である。主師親の三徳も戒定恵の三学も己心の法門も、世間にある集団した民衆の個々に備えているものである。厳密にいえば衆生ではない。もし衆生の語を使うのであれば、始めから仏教と仏法を厳重に区別しておかなければならないのであるが、今は全くその区別がなされていないから紛らわしいのである。
 事行の法門というのも、民衆が無意識の中で実行している処に名を得ているのである。そのために仏法に限って使われているのである。歩く道中において歩くことについて学をしている者はない。無意識で歩く中に既に学は備わっている。それを学はいらない、行だけでよいというのである。しかし歩く以前に用意のための学は必ず必要である。それが信心ということで抛棄されているのである。これを捨てるための学と称しているのである。しかし、今は学はいらないという事で始めから捨ててかかっているために蓄が不足しているのである。
 また法門の上で学はいらないといえば超過の意味を持っている。自宗は超過の法門によっていることの表示にもなる。仏法には仏教の学そのものは通用しないともとれる。しかし、捨てるためには仏教に属する学は必ず必要である。学はいらないといっても色々な場合がある。それを終始一貫して学を捨てては救いがない。法門の上においてのみ学はいらないと解するのが最も無難なように思われる。
 己心の法門を説明するために出来た語が、現実問題として考えられたために、予想もつかぬような真反対の処に現われ、それが足を引張っている。それだけに気が付かず根が深いのである。あらゆる悪口雑言をもってしても押えきれず、逆効果と出たのは解釈の深さが違っていたのである。捨てるための学の必要があることに気が付いていなかったためである。天台学を見ても自宗に何もなかったために取捨選択することが出来なかったのである。その結果として応仏を教主としている結果のみが表面に出たのである。
 己心の法門が邪義であれば、六巻抄は冒頭から邪義で固められている。読む前の準備段階で邪義と決めているのであるから、それに依ることが出来なかった。但し、文段抄は読む前に己心の法門を決めておかないと、迹門と出る危険は充分にあることは、今度皆さんの証明ずみである。この時は六巻抄から読まないと、思わぬ不覚を取ることは既に経験した通りである。その時の誤算が口を閉じさせたのである。再びこのような愚は繰り返さないことである。
 法門で学がいらないというのを現場へ持ち込んだ処に思わぬ誤算があった。このような処にも文上と文底とは真反対の時を持っているのである。逆も逆真反対というのは、真反対の処を正と立てているための誤である。それ程狂っているのである。そこから見れば宗祖も有師も寛師もみんな狂っている。そして教学部長一人が正しいという処に根本が立てられている。他は皆邪宗というのもそのような考えから始まっているのである。狂っているのは教学部長であったのかもしれない。正しい自信があるなら最後まで主張すべきである。それも出来ず一回限りで引いたのは正しくなかったことを自ら証明したまでである。教学部長の勇み足という処であった。
 異体同心が純円一実を離れて別立すると極端な差別を要求するのと似た処がある。法門は無差別と出るのであるが、現場では極端な差別と出る。その間には理もいらない、学もいらないということであるが、それが次の現実世界では学はいらないとなっている。その時真反対になるのである。正邪についてもそのようなものがあるのは、結局感覚の相違ということであろう。そして自を正と決めた時、そこに生命が割り込んで寿命と入れ替ることもあるかもしれない。そこで秘密であるべきものが顕呂となって新しい息吹となるのではないかと思う。長寿から短寿とはなるが、現実にはそこから新しい力が生れるのである。このあたりに生命論の領域があるように思われる。法門の上に学はいらないのが、教学の上に学が入らないと出、そこへ新しく生命が割りこんできたのであるから、防ぐすべもなかったのであろう。そこに今の明治教学が出来ているのである。
 明治教学は超過を標榜しているけれども、前後共に超過することは出来なかった。結局は時の誤りのために逆に出たのである。逆も逆真反対という中に自分では超過と思った中で出ている語であると思う。つまりは、これを裏付ける教学がなかったのである。そのためにこの語が空しいものになったのである。その空しさ空虚さが、やがて虚空へ上がっていった時、逆も逆真反対が具現するのである。そして大地の上にあるべき本仏は、虚空住在と現われるのである。そこであわてて大地の本仏を見ようとして出るのが三世常住の肉身本仏論という順序となっているようである。しかし、これは最早、法門の領域ではない。今もこのような処に本仏が考えられているのであろう。そして報仏が題目を口唱するようなことにもなるのである。この報仏は肉身を基盤としている証拠である。
 宗祖を本仏とする時は必ず肉身が除外されているが、今は肉身が本仏の条件になっている。その長い歴史の中から、止むに止まれず、つい三世常住の肉身本仏が現われたのである。何となしいきつく処までいったという感じである。絵像・木像にもこれ程までの考えはないのではなかろうか。随分思い切った珍説である。この本仏は生身の生命を持っているのであろうが、己心の本仏の寿命は魂魄の上にあるものである。これが時の混乱の上に生身に現じたのである。肉身を除外して魂魄の上に出た本仏が再び肉身に現じたことは、許されざる逆転であるが、今の法主はこの逆を正と定めたのである。そしてこれ以外は総べて逆となり邪となるのである。正宗では法主の言は絶対であるから、これに背く輩はすべて邪輩であり、不信の輩となり、肉身本仏を信ずるもののみが有信となるのである。水島はその有信第一号である。
 事行の法門という語は仏法の語であり、仏教に帰る以前のものとして考えなければならないが、今はそのような時についての感覚は皆無である。このように仏法に限って使われる語ではっきりと区別されていないものが、まだまだあるのではなかろうか。自分に分らないものは至極簡単に増上慢と片付けられるけれども、古い語には真実があるかもしれない。今は消すことのみに力を注いでいるようである。古いものは今の考え方からすれば邪魔になるかもしれない。無理からぬ事である。今の宗門では目に見えないものは一切認めないという処に基本を置いているのであるから尚更である。法門は目に見えない処に真実がある。
 幼稚園の子が、自分の事は自分でしましょうというのも、法門の立場からいえば、本来何もかも承知の上で事行に表わしているということになる。小さいから何も分っていないというのは、いらぬ大人のお節介であり、独善である。大らかさは子供の処にある。それを子供の処に捉えようとする処に法門の世界があるが、今は大人の立場から見るようになりつつあるようであるが、これは理の法門である。この辺りに真実の理解を向けると参考になると思う。
 子供が何もかも知り尽した上で表に表わさない処は秘密蔵である。この子供の世界が本因の世界である。これに対して大人はものを知りすぎている。ふだん学はいらないといいながら、必要に逼られた時には、前後の見境もなく取り入れるために、仏法を捨てて仏教に取り付くようなことにもなるが、結局は仏法にもあらず仏教にもあらずというような事になるのである。その結果、今行詰りが来たのである。どのようにして抜け出すつもりであろうか、これは容易ならざることである。
 さてさて何れの道を歩もうとしているのであろうか。退屈凌ぎに唐詩訓解という本を読んでいた処が、面白いものが見付かったので紹介することにする。その序論に禅家の語を引いている中に「禅家者流には乗に小大あり、宗に南北あり、道に邪正あり。学者は須らく最上乗に従い、正法眼を具し、第一義を悟るべし。小乗禅・声聞・辟支果の乗のごときは皆正に非るなり」という語がある。日蓮正宗では自は正、他は全て邪宗と決めているが、これは「道に邪正あり」というように、仏法によるを正、仏教によるを邪と決めているように思われる。今のように他宗をいきなり邪宗というのは少し違っているようである。これに対して正宗の正邪の分け方には、何となし御下劣さを持っているように思われる。今の引用の文は多少参考になるのではなかろうか。
 今の正宗が仏法をとっているのか仏教によっているのか、それをはっきりさせた上で正邪を定めるなら、少しは筋が立つのではなかろうか。殊に法門の立て方についていうのであれば、まず仏法であることをはっきりさせなければならない。今のままでは、若し問い返された時には返事に窮するような事にもなるかもしれない。只何となく邪宗では、決して自分を高い処におく事にはならないであろう。独善の中で正邪を決めることは、最も警戒しなければならない。
 必要以上に強烈な言葉を使えば、反って宗門の品格を下げるような事にもなり兼ねない。山田や水島にしても、言葉の強烈な割合に成果は上がらなかったようであった。今少し内容の強さが必要であったのである。阿部さんや水島・山田が好んで使う言葉ほどお下劣なものは、世間ではめったに聞くこともない程のものである。主師親の三徳でもあれば違ってくるであろうが、それもありそうにもない。これでは徳化というわけにもゆかないであろう。
 力による折伏が全てであるが、いつまで通用することであろうか。徳化は慈悲に通じるものであるが、慈悲がなければ信頼は起らない。そこに不協和音の起る要因がある。正信会の折伏も又同様である。力による折伏は或る期間は通用しても、いつまでもは通用しないようである。今からでも徳化方式に切り替えるべきであると思う。そのために学を励んで徳を蓄えなければならない。学はいらないと反り返ってみても民衆の反撥を買うのみではなかろうか。あまりにも自分を高位に置いたために、既に反撥が起きているように見える。そのような中で自分を本仏に近付けようとしているのではないかと思われるような処さえある。
 結局は虚空に上ることは出来なかったようである。師弟各別の解釈はそのような中で出来上がっていったのであろう。そして信者との間に大きな隔たりが出来たのである。今は徳化のみが残された唯一の方法であるが、その施すべき徳は一向に持ち合せがない。そこに悲劇が待っていたのである。徳化の準備としては学に勝るものはない。その学は既に宗義として捨てているのであるから尚更始末が悪い。数万の一切の書を読んでいるという人もあるというが、それは夢物語である。徳に替えられないでは無駄なことである。とに角、今からでも徳につながるような学をすることである。それのみが唯一つの頼みの綱である。
 今となって力をもって衆生を押えつけようとしても押え切れるものではない。まず徳をもってする以外に好い術はないであろう。信者に智恵を付けるなといっても、世上はそのような事は許さないであろう。況んや二十一世紀になって、いつまでも信者を愚か者にしておくことは出来る筈もない。そこに大きな計算違いがある。自分一人のみを賢者に、信者は永遠に愚者では、信者は浮ばれない。師弟各別がそのような考えを推進せしめるのであろうが、それは己心の法門がそのまま世俗に出た外相一辺の解釈である。法門は必ずそのようなものは通さないであろう。そこには一片の救済もないからである。このような考えを起こす事こそ、既に行き詰っていることを示しているのである。
 いつまでも過去の世上一片の夢を追うてみても、再び夢は返ってこない。既に泡沫に同じているからである。それよりか宗教として未来を求めるべきである。そこには未完成の境界がある。そこに真実を求めることこそ宗教家の得分である。己心の法門は常に未来に向けて夢を拡げている処にその好さがある。それにも拘らず今は過去の夢のみを求めているのである。これでは法門の上の行き詰りは打開出来そうにもない。唯、信者に取り残されるばかりであろう。力量を越えた折伏による拡大政策には自ら限界がある。軍部があれ程の拡大政策にも限界があったのである。今は力を蓄える時である。そして、余力が出来た時に、余れば弟子旦那へということになっているのである。その意味で今は折伏の時ではないと思う。これも折伏に反対する理由の一つである。
 「学はいらない」方式は既に限界を越えている。次は学のいる方式をもって二十一世紀に対処してみてはどうであろう。そこには新しく道が開けるかもしれない。実はそれは故(もと)の道であった。これを刹那に収めることが出来れば、己心の法門である。まずは主師親の三徳を捉えることが仏法に通ずる要諦であると思う。過去の夢のみを追うてみても、そこには仏法はないであろう。仏法は常に現世の刹那の処にあるのを知らなければならない。そこに今の行手が開けてゆくのである。蓄のない折伏は反って吾が身を責めるようになるかもしれない。まず学に励んでもらいたい。その手始めにあるのが主師親の三徳である。その解明から始めてみることである。
 開目の第一が主師親の三徳にあることは、既に開目抄に示されている通りであるが、何故かこの辺りの糾明は、古来一向になされていないようである。若しこれを探れば、そこには仏教がなり立ちにくいものがあるのかもしれない。そのために殊更避けているのかもしれない。仏法に依れば最高に重要なものであるが、今は仏教に根を下しているために敬遠するようなことになっているのではなかろうか。若しこれを消せば、仏法の住処は自らぼやけてくるであろう。そこにねらいがあるのかもしれない。今までそれをやってきて遂に行き詰ったのである。次の二十一世紀はまずここから始めてみるべきではなかろうか。民衆が主役となるためには必ずその必要がある。鎌倉の時、その必要にせまられて冒頭におかれた語である。必ず無駄な語はおかれていないのである。
 民衆救済はこの一語の中に秘められているのではなかろうか。いつまでも信者を愚者として止めておけというのは、丹念に貞観政要を写した宗祖の意に背反するものである。民を富ましてこそ国家が安泰だという貞観政要は徳化が根本になっている。今はそれとは反対の処に目標が付けられているのであろうか。しかし、いつまでも信者を抑えていては、宗門に発展はない。もし発展があるとすれば、それは僧侶のみのことであり、真の発展ではない。それではやがて衰滅の道をたどるようなことにもなるかもしれない。
 唯一時の欲望の所産という外はない。そのためにヤッキになっているのではなかろうか。血相変えて愚説を押しつぶそうとするのも、その辺に真実があるかもしれない。その辺は宗門も正信会も、全く意見の相違はなさそうである。これでは衆生は救われない。救われるのは僧侶のみということになれば、これこそアベコベである。教義の裏付けを持つ上でのアベコベである処に問題の深刻さがある。そのために主師親の三徳を取り上げているのであるが、中々絞りこめないので困っているのである。
 今では主師親の三徳も戒定恵の三学も己心の法門も消されている中で、依然として仏法の語のみ残されている。その残されたものから、何かにつけて最高最尊を出し、それが一人々々の僧侶の上に現われているのではないかと見える処もある。法門の上では、愚悪の凡夫は己心にあっては時に本仏であり本尊にもなり得るがこれについては一切触れない、そして世間並みな愚悪の解釈を衆生に強制して愚か者を居置こうとしているようである。法門では最高であっても現世では最低である。その最低の処にいつまでも居置こうというのである。これも御書から文証を求めることは出来ないと思う。
 己心の法門は、それをどこに置くかによって最高とも最低とも出るのである。それだけに飽くまで慎重でなければならないのである。今はその肝心の慎重さに事欠けているようである。いつまでも信者に智恵を付けず、愚か者に仕立てようとする者から見れば、吾々はまず極悪人の随一ということになるであろう。そのような中で、今の正信会の前途に、それ程の光明があるとも見えない。いつまで信者が無智で居てくれるであろうか。宗祖の意によれば、信者が知恵を身に付けた時こそ真実の広宣流布といえる時ではないかと思われるが、これも根拠をどこに置くかで真反対に出るであろう。信者を根本とするか自分の欲望を根本にするかということである。今それを決める最後の時が迫ってきているようである。時なる哉というべきか。
 阿部さんと水島・山田は終始一貫して悪口雑言方式をとってきたが、そこにはあせりがある。これも信者に知恵を付けるな方式の中で、自然とそのような方向に進んだのであろう。その点では、両者は奇妙に一致しているものと見える。開目抄は始めも終りも三徳によっているにも拘らず、阿部さん総指揮の悪口雑言方式にはそれが欠けているし、正信会にもまた、それ程徳が具わっているようにも見えないのは、心細い限りである。開目抄の三徳は終に無視されているのである。
 徳は仏法の根本におかれているようであり、滅後末法の慈悲はその徳からにじみ出るものである。しかも今はそれがないために力に頼ろうとすることは前にもいう通りである。正信会報にもその力の誇示が目に付くようである。これでは慈悲は中々伝わらないであろう。己心の法門では、このような力は最も斥う処であるが、今は力のみが頼りという状態である。折伏も亦力に依ろうとしているのである。開目抄や本尊抄には、このようなものは一切見当らない。
 己心の法門では主発点において金力や権力は除外されているのであるが、今は専らこの二つを頼りにしているように見える処は、己心の法門が既に失われているためであろう。己心の法門を邪義と決めた罪障が表に現われたためであろう。金力や権力に頼るのは世間では常であるが、今は宗門が同じ境界に立ち至っているのである。これまたアベコベである。時の混乱がこのような結果を生んだのである。己心を邪義と決めたために滅後末法が消え、速刻在世末法と出たためである。今は滅後末法を指して逆も逆真反対と呼んでいるのである。
 生きながら刹那に生死を超過するのは己心の法門であるが、武士道精神は死をもって報国を期するものであり、必死である。即ち特攻隊精神である。そこに悲壮感も自ら生じてくるのである。何れも己心の法門から生れたものであるが、武士道精神では後から肉身が復活するのである。そのために悲壮感が伴うが、今の大石寺法門にはこれに近いものをもっており、本来のものにはこれがない。それは刹那に生死を超過しているためである。その意味では今の考え方では生死を脱しているとはいえない。それが金力や権力に強力につながってくるのであろう。己心を邪義と決めたための罪障であってみれば、脱れることも出来ないようである。その内に精算する時が来るかもしれない。しばらくは時を待つべきのみ。待っていれば、いつの日か亦生死を超過する日があるかもしれない。
 本山では己心の法門を邪義ときめ、本尊を本果ときめてでも待っていることは出来るが、正信会では事情が違っている。本山から擯出された以上、無縁になっているのであるから、どうしても独自の本尊を取り定めなければならない。大勢の信者に対して独自の本尊を明示し、信仰の中心になるものを示す責任がある。本尊はと問われて他人のものを指すことも出来ないであろう。自家のものを示さなければならない。
 擯出されて六年も経てば、本尊を考えるのは当然である。何故それが出来ないのであろうか。自分達はそれでよいとしても、信者には迷惑な話である。折角題目を上げても、そこには本山側の鉄の扉が厳重に張り廻されて、とても題目の声は届きそうにもない状態である。本山に鉄の扉を除いてもらうか、自分等の手で本尊を取り決めるか、二つに一つしか道はない。現実は大分逼迫しているように思われるが、一向に対策が立てられているような情報が入らないのは何故であろうか。内情は、はたで見る程でもないのであろうか。或は内々拝してよろしいと許しが下りているのであろうか。こればかりは許しもないのに勝手に拝むことは出来ないと思う。
 昔は頸の座に坐っただけで頸は飛んだのであるが、今は頸は飛んでも付いている。これは所持している法門の相違である。昔は魂魄佐渡に到って魂魄が開目抄を書いた。即ちここでは肉身は既に除外されているのである。これは開目抄が魂魄の上に出来た己心の法門であるという意を示されているのである。しかし己心の法門を邪義と決めては開目抄は無意味なものの扱いである。次上や阡陌が御書にないという者は、勿論読んではいないと思う。しかし、開目抄から己心の法門を抜き去ることは、余程狂った狂った、狂いに狂ったものの所行であると思う。あまり人聞きのよい話ではない。魂魄の上に成じた己心の法門には、今も日蓮は生きているが、それは肉身とは無関係である。今は久遠の長寿を持った日蓮は消されて、肉身を持った日蓮のみが生きている、それが三世常住の本仏日蓮である。これでも他宗のものは理解を示してくれるであろうか。どのように評価するのであろうか。
 己心の法門と三世常住の肉身本仏と、前は大らかであり、後は悲壮感をもっている。軍部も悲壮感の中に終り、国柱会も悲壮感をもって戦ってきたのである。古い処では室町の一揆もその中で戦ってきたが、何れも久遠の長寿は保てなかったように見える。己心の法門に依って立ったものが、己心と肉身とが入れ替ったために悲壮感の中に長寿を失ったように思われる。法華経の場合は、世間はこれを独善というが、日本魂(武士道精神)としては同じものが国民性として保持されている。また阿部さんの処に悲壮感はあるが、今は変貌が過ぎて悪口雑言が精一杯の処と見える。法門との板ばさみの中で悲壮感が表に出せないのかもしれない。
 大石寺が真実に法門を伝えているのであれば、宗内はもとより、学会の悲壮感は抑えられる筈であるが、宗門が己心を忘れたために、自他共に抑え切れなくなっているようである。悲壮感はよく見ると、表に出すようなものではないのかもしれない。若し内蔵出来るなら即時に迫力となって表われるであろうが、表に出たために悲壮感となったものであろう。己心は邪義というのもその表われである。これなど玉砕的なものさえ持っているだけに危険なものがある。いえば真向から宗祖に立ち向うことになるが、勢の赴く処止めることが出来ない。前後不覚の中で、ついに口を割って出たものと思う。若し軍国主義のもとであるなら美談であるが、己心の法門を立てる宗門にあっては、真向から宗祖に挑戦するようなことになったのであるから悲劇である。武士道でいえば散った処であるが、これでは短命そのものである。己心が消されているためにこのように出たのであるから、これでは美談ということも出来ない。そのために口を閉じる羽目になったのである。
 明治教学には国柱会伝来のものが備わっているのであるが、これは大石寺法門とは真反対に出る危険がある。己心の法門を邪義と決めたことと、三世常住の肉身本仏など最も好い例である。これ程のものは、一度いい出せば引っ込めることも出来ないであろうし、若しそのまま残せば末代までの瑕瑾である。多分に玉砕的なものを持っているといわなければならない。若し学があれば、このようなものは表に現われるようなことはなかったかもしれない。何れも宗祖の法門を否定し愚弄したものであると思う。
 三世常住の肉身本仏では釈尊からの受持も見えない。これでは仏教とは全く無縁になるが、現在仏教に居りながら、これを否定するようにもなる。これはどのように解釈するのであろうか。しかしこのような形で仏教を否定しては仏語を使うわけにもゆかない、追いつめられて天台教学に頼ることも出来ない、天台宗は仏教の中の一派であるからである。思い付いて威勢よく取り出してみても、色々な難問を抱えているようである。これは増上慢とか魔説とだけでは、簡単には逃げ切れないと思う。狂った狂った、狂いに狂ったとやってみても、解決出来るものとは生来が違っている。そのために宗門も遂に口を閉じたのである。
 仏法は初めから肉身を除外し、魂魄の上に成り立っているのであるから悲壮感の入り込む余地が見当らない。殊に刹那ということも大きな働きになっているようであるが、今は刹那も魂魄も己心の法門も、皆共々に失われている。そこへ割り込んできたのが悲壮感である。そのために今では悲壮感が正常なように思われているように見える。しかし今は金を介在しての悲壮感ではないかとさえ思わせるものがある。時局という語もそのような中で使われているように見えるが、最後はいかにもアッケなかった。山田や水島の一死報国的な叫声も、それ程の効果を上げることもなく終ったようである。未だにその虚脱感から抜け切れないでいるのであろうか。その後は一向に消息は明らかでない。しかし、それは近代の教義の解釈が今回のように表われたので、決して山田や水島等の罪ではない。むしろそれが見抜けなかった処が問題なのである。
 日蓮宗が一般に独善といわれる中にも悲壮感と紙一重のものがある。宗門の重畳した悲壮感も、もし己心の法門を取り返すなら、それは即時に消滅するであろう。正信会も頸を切られた時法門に切り替えて、魂魄佐渡に到るということが出来ておれば、即時に切り返しは出来ていたであろうが、その一声を遂に聞くことは出来なかった。それが喜びにひたれず、悲しみにつなげていったのであろう。苦を楽に切り替えることが出来なかったのである。苦は文上にあり楽は文底にある。そこに己心の法門の働く場もあろうというものである。考え直すということがあるが、考えることは文上であり、考え直した処は文底である。文上文底は常に生活の中にあるものである。
 学はいらないということを文上でよみ過ぎたために、今そのつけが廻ってきているのである。自宗の法門が自らの力で答えられないようになってくると、教学も信者へ任せ切りにしなければならない。学はいらないという語をいい調子に利用されたような感じである。長い年季が入っているために、簡単には取り返せない。そのようなものが今の宗門を取り巻いているのである。そこで一つ攻め立てると信者に依存するか天台学によるかということになる。その時天台学を選んだのであるが、これも学はいらないと決めた後遺症なのかもしれない。
 教学は信者の掌握下にあると見たのはひが目であろうか。教学は僧侶が守るべきものであるが、今は充分には守り切れないようである。学はいらないという語を文底で読み直すことは出来ないのであろうか。信者が教学を手掛ける必要のない程僧侶は学に励むべしとは読めないであろうか。今までも教学については信者が主導権を持っていたようであるが、信者が主導権を持てば信者が強くなるのは理の当然である。あまり信者に教学の依存はしないことである。正信会が明治教学を守ろうとする中には、何となし眼を閉じて悲壮感の中に飛びこんでゆくようなものを感じさせる。しかし、それは一向に信者に幸を与えるものでないことは、半世紀前を振り返ってみれば理解出来ることである。今それを正信会が繰り返そうとしているのは、余り賢明な方法とはいえない。
 もう一度己心の法門に立ち返ることは出来ないのであろうか。そのようなことを期待しながら、主師親の三徳をも探っているのであるが、答は逆に出てくるのではないかとさえ思われる。宗門から返ってきたのは悪口雑言のみであった。天は何れに采配を上げるであろうか。天とは天道であり天徳であり主徳である。法門の源流はそこに起っているのである。開目抄はそこに始められている。そこに主師親の三徳も主付けられているようであるが、今は宗門も正信会も、それとは無関係の処にいるようである。明治教学にも主師親の三徳は見当りそうもない。誠に口惜しい限りである。
 口では仏法を唱えてはいるが、運営は全て仏教によっているのが現実である。そのために応報二仏が一世界に同時に在るのである。応か報か、必ず一仏に決めなければならない。応報二仏の並座は許される筈もないことである。その並座の処に色々な予想もつかないようなことが起ってくるのであろう。今の正信会の立場からすれば、これの整理はそれ程の難事ではないのではないかと思われる。己心を外れた処に二仏並座が現われているのであるから、己心の法門をとれば報仏一仏になり、本仏も本因の本尊も、何の障りもなく、出現を迎えることが出来るが、二仏並座では本仏も本尊も、共に出現することは不可能である。それでいて中々己心の法門に定められないのが現実である。
 まず己心の法門と取り定めなければ、開目抄は読めないであろう。引用も切り文的な引用が多いのもそのためであるが、悪いことは皆当方へ押し付けようとしているが、切り文についての批難は自分達の経験ずみのように思われる。誠に小児的な発想である。このようにして常に自分を好い子の座に居えようとしているのである。そのような姑息な手段はやめて、堂々と大手門から打って出てもらいたいものである。常々他門から大石寺を批判した時の語が、今は専ら当方向けに使われているようであるが、責任の転嫁というべきか。そのような中で仏教化は進行しているのである。いかにも此経難持である。文底の意をもって見るべき語である。
 現実には開目抄や本尊抄は読みづらい処が多いと思う。己心を除いているために、仏法を説かれている処も文上迹門と受けとめなければならない。己心についても、始めから除いている他門から責められると、あわててこれを取り除かなければならない。何とも忙がしい事である。迹仏世界に立ち帰るためには己心の法門を切り捨てなければならない。しかも相手を避けて本仏は称えなければならないというのが実情である。そのような中で本仏や本因の本尊の出生がぼやけてきているのである。そのために時には暴走も起るのである。三世常住の肉身本仏も或は暴走の所産なのかもしれない。
 三世常住は迹門であるが本仏は文底本門である。中の肉身も迹門の中に考えるべきであろう。しかもこれが寿量文底に出現した本仏と考えられているのであり、到底常識では考え及びも付かないものが忽然と現われるのである。このために他宗も中々理解を示さないのである。このようなことを改めるためにも、まず己心の法門によらなければならない。そうでなければ常に追われて席の暖まる暇もないような事になるのは、多分に経験済みではないかと思う。相手に合せて改めると、今度はその矛盾を突かれる。そのような事が繰り返されてきたのではなかろうか。そのようにして溜ったものを当方へ振り向けて、独り悦に入っているのであるが、これでは一向に根本的な解決方法とはいえない。
 今までを振り返ってみても、法門に法った反論は一度もなかったようである。このような中で使われた引用文は全て切り文的ということになる。そして己心の法門を現わすために使われたものを迹門のために使うことは、切り文の最たるものである。ここまで行きつまると、宗門も正信会も思い切って抜本的な対策を講じなければ、この危機を乗り越えることは至難のわざである。若し仏法がはっきりと捉えられるなら、仏法を仏教と解したための矛盾からは脱れることが出来る。まず始めに仏法を取り決めなければならない。ここまでくれば開目抄から始める以外に方法はないであろう。
 最早、悲壮感のみでは抜け切れない処まできているのである。六巻抄は、第一行から最後まで己心の法門として出来ているものであるが、二年四ケ月の間に引用されたのは僅かに二、三回であった。それも切り文的な扱いであった。己心の法門を邪義と決めては全く無用の長物である。いつの日にか亦六巻抄の読まれる日がくることであろうか。
 開目抄は主師親の三徳がとかれているが、開目の意味もこの中に明かされていると思われる。録内啓蒙では、この発端の辺は殆ど手付かずの状態である。何れの注釈書も同様ではないかと思う。これは仏教を立てるためには最も都合の悪い部分であり、他門下では何れも四明流に依っているために、この部分については殊更解釈されなかったと思う。ただ従義流によった大石寺のみがこれらの発端の文によったのみであった。それも室町の終りまでであった。近代になっては一向に触れていないようである。己心を邪義とするのと大いに関係があるようである。今は仏法の裏付けになるものを消す者ほど高く評価されているようである。全く逆も逆真反対そのものである。その山田も僅か二、三回のみであった。その秘密がこの発端のあたりに秘められているのである。
 諸橋大辞典には天地人の三徳はあるが主師親の三徳はない。主師親については釈籤に細しく載っているようである。この両者をもって独自に主師親の三徳が造られたのかもしれない。妙楽の考えと中国の古くからあるものと一つになって、仏法としての基本をここに求められ、そこに仏法が建立されたものである。主に対しては臣、師にたいしては弟、親に対しては子、世間にあっては根本になっているものであり、仏法もまたこれを根本として、そこに仏教や法華の受持を持ちこむことによって建立されている。主師親が主役である。その主師親を主役とする中で、特に三徳が取り上げられるのである。
 主師親のみでは世間の煩わしさもある。これを肉身として切り捨てて魂魄の上に刹那に仏法が成じている。その後、肉身が復活しているのが大和魂であり武士道である。姿を持たない三徳が愚悪の凡夫に移った処で仏法が成じているのである。三徳と魂魄とは同じ扱いの中にあるもののようである。この三徳を愚悪の凡夫の上に設定するために貞観政要が大きな役割を持っているようにも見える。太平記でも貞観政要は大きな役割をもっているようであるが、これも一向に表には現わされていない処は共通したものを持っている。民衆を主座にのせるための方法なのかもしれない。
 貞観政要を学んで自分が帝王の座に付こうということではなく、愚悪の凡夫をその座に付けるのが目的であった。民衆の所持する三徳を帝王の座に付ける、それを尊敬すべきものという表現をもって表わされているのである。仏法はここから始まるのである。そのために貞観政要が使われているように思われる。これは従義流が共通してもっているのかもしれない。太平記と同じ扱いをしている処は興を引かれるものがある。そこに己心の一念三千の法門が開けるのであるが、太平記もそのような中で四十巻が出来ているが、そのまま己心の法門の解説書である。その中華の処は目前の彌勒浄土である。次に出るのが事行の世直し思想である。
 世間の立場から見て思想であるが、仏教の側から見れば仏法である。日蓮の考えも世直し思想と全く共通したものを持っている。世直しとは民衆自身が自力によって独自の世界を作ることである。そこには刹那に彌勒の世を迎えるなら黄金うずまく世である。無差別の民衆のみの世界である。そのような世界は魂魄の上には即時に具現することが出来る。それが己心の一念三千法門なのである。そこでは数十年の戦乱も即時に消滅させることも出来る。これこそ生きながらの極楽図である。そこに己心の法門・世直しの意義もあれば貞観政要の世も具現しようというものである。この己心の法門によって民衆の夢は即時にかなえられるのである。しかし、万円札の乱舞する世には差別のみがあって太平の世はありそうもない。そのような処にいじめの世が出現するのかもしれない。己心の法門に出る太平は、ここで真反対と出るのは万円札の故なのかもしれない。何れ太平記も読み直してみたいと思っている。
 貞観政要の夢は現世に太宗の手をもって尭舜の世を具現することにあったが、己心の法門はそれを更に愚悪の凡夫のみの世に具現することにあったようである。大石寺が現世の浄土というのはその意味である。つまり大石寺はそのような彌勒浄土が具現し、同時に成道することによって霊山浄土でもあるという意味を持っているのである。そのような中にあっては、在世の戒旦はどうも不似合のようである。己心に建築物による戒旦は収まりそうにもない。これは寿量文底法門の領知する処ではない。ここに時の混乱がある。一方は黄金うずまく処、他は万円札の乱舞する処、現ナマであるかないかということのみが違っているのである。
 世間と出世間が同時に現われるなら、両雄並び立たず、世間が勝ちを占める道理である。応報二仏についていえば応仏が勝ったのである。それが今現前しているのである。開目抄は世間にありながら、しかも己心の法門を立てているのである。しかし、今は世間にありながら己心を認めないのであるから報仏の住処がないとうより報仏が出現出来る状態ではない。しかもそこで本仏や仏法が唱えられているのであるから、これでは応仏絶対有利である。受持以前の処である。今の明治教学はこのような処に根本をおいているようである。そのために本因の本尊や本仏の証明が出来ないのである。
 或る時忽然として自受用報身の名は出てくるけれども、これを裏付けするものはない。その自受用報身から本仏や本尊が出現することは山田説の通りであるが、肝心の報仏については何の裏付けをも持たないのである。これでは本仏や本尊が出現したとはいえない。今の報仏とはそのようなものである。これを明らかにするために主師親の三徳があり戒定恵があり、その上に己心の法門があるのであるが、このようなものについては一切認めない強引さである。
 己心の法門の折伏は徳化によるものと思われるが、今のように折伏が迹門に移ると、肉身に立ち返ったような面をもっているだけに折伏も肉体の上に強引さを見せるようになり、徳化が後退するのである。そのために折伏が独善的になり、目前の現実世界にむけて世界制覇的な折伏となり、一閻浮提が現在の世界に変るのである。徳化のときは一閻浮提であり己心にあるものであるが、そこの早変りは気が付いていないようである。
 恐らく世界広布ということは永遠にあり得ないことであろう。若しこれが己心の上に考えられるなら、そこには一人々々の人格の完成はあるであろう。大石寺法門には、今のような世界広布を見出だすことは、恐らくは出来ないのではなかろうか。若し阿部さん一代にこれを達成するのであれば、一年十億の折伏が必要であるが、護法会発足以来どれだけの折伏が出来たであろうか。御本仏日蓮大聖人の仏法というなら、その仏法の折伏を行じるべきである。折伏は迹仏所説の法華経に限るというのでは、筋が通っているとは言えない。
 現状は法華経の受持を唱えているが、それは迹門の受持であり、仏法家の受持ではない。仏法ではその上に貞観政要を通して中国上代の五帝あたりからの徳化を根本として受持し、民衆にまず徳化を以ってすれば、そこから信頼心を返してくる。そこに信の一字も成り立つものであるが、今の宗門にどれだけの施すべき徳の用意が備わっているであろうか。今は迹門方式によるが故に法華経を受持するのであるが、開目抄では久遠実成と二乗作仏に限られている。そして己心の一念三千の上に法門は建立されているのである。その中で貞観政要の徳化が大きく働いているのである。そして世法の中で大きく働きを起すのである。己心の法門が出来上がってゆくなかで、貞観政要の働きを見逃すわけにはゆかないであろう。
 大石寺法門の中で最も要求されているのは、内に秘められた徳化力であるが、法主自ら陣頭に立っての悪口雑言方式は徳化といえるようなものではない。何はともあれ、今は法主自ら主師親の三徳の処に立ち返ってそこに仏法を見出だす時である。もしそのような事が出来るなら、その進退は全て独一であり、本仏の所作であるが、若しこれが出来なければ、それは独善といわざるを得ない。その独一はお互いの信頼感による処であり、そこに信の一字をもって得たりという本尊も成り立つのである。それが真実の世界広布である。迹門に法を立てながら広布をとなえてみても、世俗への通路は塞がれているのである。
 大石寺のいう処の広宣流布は、必ず仏法の上にあるべきものである。そのために本因の本尊の確認が必要である。これは必ず主師親の三徳の処に出るべきものであるが、今は主師親の三徳も戒定恵の三学も己心の法門も、全てを抛って迹門に還帰し、そこで己心の法門に出来たものを持ち出している。そこに許されざる時の混乱がある。それが独善となって表にあらわれるのである。そして極端な差別のみが表に出て、反って我が足を引っぱるようなことにもなるのである。そこに今の行詰りの原拠があるのである。迹門にあっていくら折伏を行じても、主師親の三徳の処に立てられた文底本門とは益々距離をあけるばかりである。広宣流布を現世に具現するためには、それを行じる者に徳が必要なのである。その徳さえ備わっておれば、坐らにして広宣流布も可能なのである。
 開目抄の発端は仏法に必要な根本的なものが示されている。そのために時を知らなければならない。仏法は時に依るべしとは、発端に立ち返って読まなければならないものである。時がきまれば、処も位置付けも自ら備わるものである。今の宗門のように、根本を応仏世界におきながら、口の上にのみ本仏を唱えてみても、折伏を完了することは困難な事であろう。それは己心の法門が強力にこれを拒んでいるからである。
 主師親の三徳は、己心の法門を説くためには必ず必要なのである。そこに本仏も本因の本尊も成じる。その故に尊敬すべきものといわれているのである。いくら折伏をしてみても広宣流布を唱えても、到底今いうような広宣流布の日があるようには思えない。既に宗祖の処でその条件は厳重に定められているのである。正信会の面々もまず徳を積むことを考えなければならない。折伏は必ず徳をもってその成果を見るべきものである。漢皇三尺の剣、坐にして天下を制する程の徳が必要である。そのような僧が何人いるであろうか。その徳を養うために学もいれば修行もいる。今は何によってこれを充足しているのであろうか。
 世界広布という語を聞くことが多いが、これは世界各国残らずという意味と思われる。つまり法華経で説かれた国が全て現実世界の国家と考えられているように見えるが、そこには色々な国があるようである。国柱会の国の柱も「我れ日本の柱とならん」という語を、強烈な国家意識の中で捉えて国柱の語が出来ているように思われるが、大石寺もまたこの線によっているのであろう。しかし、国という語には幅を持っているようである。時には国家が表に立っているような時でも、内に一閻浮提という国を秘めている場合もあるようである。立正安国論や守護国家論の国などは、むしろ一閻浮提の国が遥かに勝っていることは、守護国界章と同じである。
 己心の法門を説く人の国は、簡単に国家とのみ考えるのは早計である。今は民衆不在の中で国家とのみ考えているようである。殊に開目抄では民衆の己心の中に画かれた国を除くことは出来ないであろうが、今の大石寺では他の教学と共に国柱会教学の影響下にあり、同じ系譜にある軍部の基本理念も手伝って、大和魂的な考え方が根本になり、遂に己心の法門を邪義といえる程にもなっているのである。しかし、このような事が罷り通ると思えるなら、「開目抄・観心本尊抄に現われた己心の一念三千法門の邪義を破す」とでも題して、堂々と己心の法門を破責すべきである。それなら大量の賛同者も出るかもしれない。是か非か、大日蓮別巻で論ずべきである。
 己心があるかないかで、国に対する考えは真反対に出るであろう。今の国に対する考えは本来の大石寺法門から出た考えではない。それが廻り廻って自己中心になってゆくのである。現在事に現われているのは、この辺に収まっていたものであるが、長い歴史の中でここに収まったのである。それでこそ大日蓮に己心の法門を邪義ということが載せられるのである。あまりにも無条件に他門に同調した結果が、遂にこのように表われたのである。己心が邪義であるかどうか、自信ももたずに思い付きでこのような事を口にしては信者が迷惑である。堂々と大日蓮をもって破責すべきである。だんまりを決め込むのはいかにも卑怯であると思う。
 註経に信解品の国王大臣の註釈として文句六が引かれ、国王者一切漸頓諸経、無不稱所詮之為経王(以下略)。その次には記の六も引かれている。また仁王経や金光明経等の国についても考え直してもらいたい。法門が己心に立てられているのであるから、そこに時を定めて見直さなければならないことはいうまでもないことである。法門の立て方の違う処のものを無雑作に持ちこむことは、只時の混乱を招く以外何物でもない。
 「我れ日本の柱とならん」でも、己心の上に読むか、国家を頭に画いて読むかでは結果は随分開いてくる。今は、或る時は国家意識を強く画いてこれを読み、或る時は己心の上に考えられたものによって読む。昔でいえば反体制ととられるようなこともある。二つの相異った解釈が、何れも強く行われているように思う。このために論に一貫性を欠くようなこともあるのである。
 国立戒旦でも、国を日本国家と考えたために混乱が起っているのであって、若しこれが一閻浮提の国立であれば何も問題はなかったのであるが。明治教学の国は国家を指しており、そこへ最高最尊の己心の本尊を現世へ返して大石寺がその盟主となって複雑になっているのである。今も護法局のどこかには、その痕迹が夢となって残っているように思われる。そこら辺りに世界広布も考えられているのであろう。まず己心の上に国を考えなければならない時である。
 今まで見た大日蓮の論調にも、まだまだ明治教学的な国家は濃厚に残っているようにお見受けした。これをどのように扱うかという事も、今の大きな課題の一つのように思われる。このまま己心の法門を取り入れることは最も危険なことといわなければならない。また正信会はあくまで明治教学を守るようであるが、時の流れは必ずしも有利には流れていないのではないかと思う。これを押し切って進むことは、これ又容易ならぬ苦難が待っているのではなかろうか。いつの場合でも、大石寺法門では主師親の三徳を離れて国を考えることは出来ないように思う。しかし、明治教学ではこの三徳は始めから除外されているのであるから、己心の法門による大らかさは、一向に持ち合せていないのが特徴である。
 国の字を辞書のみに頼って見ても、己心の上に出る国までは解釈していないであろう。陰で働いている貞観政要を考えなければ、結論を出すことは出来ない。陰にあって貞観政要は、平安朝以後大きな思想的な影響をもたらしているのではないかと思う。殊に末法突入以後は影響を与えているであろう。日蓮や太平記もその中にあったであろうし、梁塵秘抄の考えも、これは除けないように思う。何れも従義流に関わりがあるようである。何れも民衆を基本としている処は、帝王学を逆次に読んでいる。そして最後太平記を事に行じた処で民衆は帝王の座につくのである。それが世直しである。
 五十六億七千万歳を刹那に縮めて彌勒の世を具現したのは己心の法門であるが、その根本は貞観政要にあるかもしれない。この己心の法門は戦乱の世を即時に中華無為の世界に切りかえる力を持っているのである。その中にあって大きな役割をしているのが主師親の三徳である。その三徳が逆次の読みの中で民衆を刹那に帝王の座に居えているのではないかと思う。順次では中々そのような時は廻ってこないが、逆次なら最短距離に居るのである。
 世直し思想でも陰で働いているのは貞観政要のように思われる。即ち逆次の貞観政要の読みの中に末法の民衆救済の極理を見出だした、それが己心の法門であり、時をいえば滅後末法の時であり、それを説いたのが開目抄である。今二十世紀の終末を迎えた諸宗が民衆の救済を抛つかに見える時、丁度鎌倉中期と同じような状態にある時、来世紀の救済を諸宗に求められるかどうか、甚だ疑わしい処がある。その時には民衆はどうしても自力をもって自身を救わなければならない宿命をもっている。その時、力になってくれるのがこの己心の法門であるように思う。今まで拾い出しただけでも十分自力の成道は出来ると思う。余は事行に任せるだけでよい。
 逆次の読みには本来として立ち上がれるようなものを持っている。功徳は根に集まるといわれているのも、釈尊の一切の功徳は根によっている。その根の処に上行は居しているのである。そこから新しい気は吸い上げられる。その様が上行であり、それは民衆の集団した力なのかもしれない。そのような民衆の力が木の根に集中した時、大木もまた育ってゆくのである。それは集結した民衆の偉大な力を表わしているようであるが、虚空の上行、虚空の本仏には根の偉大さを見出だすことは出来ない。そのような中で、迹仏を枝葉に譬えるのではなかろうか。これはものの譬である。これが従義流の基本的な考えではなかろうか。同趣一根も同じ考えの中にあるように思われる。しかしながら、今の大石寺の考え方からすれば、枝葉の頂点を最高と見ているようである。そのために、ややもすれば本仏が虚空に上ろうとするのである。
 滅後末法では根こそ始まりであり、一切の功徳は根に立ち返るのである。その根こそ法門の根元になっているのであるが、今は枝葉こそ根本というのであろうか。これは迹門の立て方のようである。この時は衆生は根本に居るのであるが、滅後末法即ち仏法では、民衆は大地の底にいる上行の処に集まっているようである。在世では大地の上に限り、滅後は大地の底に限られている。そこで話が逆も逆真反対ということになるのであるが、今の宗門の考え方からいえば、地上は異様に繁ったが、肝心の根の部分は誠に不安定ということである。その大地の底が寿量文底といわれ、仏法といわれているようである。そこで大地の上の話をそのまま大地の底の事に当てはめることは出来ないのである。
 成道は大地の底にある筈のものが、今はいつの間にか大地の上に移動しているようである。色々なものが常に大地の上を目指して移動しているようである。そこには在滅の混乱がある。そこでまず滅後末法という時を確認しなければならない。その処を開目抄は説かれているのであるが、現状は時に関しては全く無関心である。その開目抄の根元になっているのが主師親の三徳である。話はここから始まっているのである。今一度根元の処をじっくりと確かめるべきである。六巻抄の同趣一根も、このような意味をもって引用され解説されているのではなかろうか。明治教学にはこのような処は始めから除外されているのではなかろうか。
 今は一切の感情を除いて、法門の立場から明治教学を見直す時であるが、それよりか一挙に宗祖に帰れば、色々な煩わしさもない。それの方が余程近道ではないかと思う。明治教学では利害得失も伴って、是非を求めることは出来ないのではなかろうか。正信会には、教学面から宗祖に直結させる自信をもっているのであろうか。遡るにしても主師の処の関を乗り越えることはむづかしいかもしれない。それ以前には一々文々についていえば解明の問題も控えている。正信会がどこまでの解明力を発揮することが出来るであろうか。篤と拝見したいものである。正信会もこれ以上本尊の取決(とりきめ)を遷延することは出来ないであろうが、己心の法門には全く興味の持ち合せはないようである。
 宗祖は貞観政要に得たものを、そっくり民衆に渡している。それが徳化ではないかと思う。そして師弟相寄った信頼感の上に本尊を成ぜられている。それが本因の本尊であり、そこに帰依を含んでいる。しかし、今は師弟相寄った処、信頼感の上に成じる本尊は認めない。宗祖が本仏として授与することだけしか認めていないのであるから、始めから師弟各別になっている。即ち迹門の形をとっているのである。これでは師弟子の法門とはいえない。そこで本尊も対境となり、与えられた本尊に対して題目を上げるような形をとっているのであるから、現世の成道は失われ、死後の成道に移ることになる。
 本仏も師弟相寄った処に成ずるのであるが、今の本仏は生れながらの本仏であり、三世の長寿を持っている。そこで三世常住の肉身本仏と解されるのであるが、実は永遠につづく衆生の上に師弟を見、そこに常に現世の成道がある処に永遠の寿命を見るのであろう。その点生命論の生命に永遠の寿命を求めることは無理がある。それが三世常住の肉身本仏を求める根源になっているが、次々につづく衆生を刹那に捉えるなら、衆生の生命は無限である。己心の法門を捨てては、本仏の永遠の寿命を求めることは出来ない。
 本仏を一人に固定すると、次第に迹仏に近付いてゆくであろう。そして次第に寿量文上に立ち返るような事になると、現世の成道とも遠ざかるような事にもなる。そして本仏が遥か高い処から衆生に対するようになると、完全な師弟各別である。何れを取上げてみても、今は殆ど迹仏とそれ程の区別もなく、自力による本仏の出現もなく、本因の本尊の顕現もなくなっている。同時に現世の成道もなくなっているのである。信者を統制するには好都合ではあるが、己心の法門では考えられない処である。殆ど在世末法方式になっているのである。この現在の状態を持続するためには明治教学は最も好都合であるが、衆生の現世成道は再び帰ることはないであろう。
 現状では仏法を名乗れるようなものは、何物も見当らない。これでは、その根源を開目抄や本尊抄に求めることは不可能である。今の在り方からすれば、これらの御書は最も都合の悪いものである。そのために余り立ち入って読まれないのであろうか。ここらでまず仏法によるか仏教によるかを決めなければならないが、明治教学に依れば口には仏法を唱え、事には仏教となるのは止むを得ない処である。教学そのものが、そのような立て方になっているためである。しかし仏教と仏法の併用は、どうしても不明朗さを脱れることは出来ない。挙げればきりがないが、明治教学を守り抜くことは、己心の法門を守る以上に困難な事ではないかと思う。整理すれば己心の法門になるが、このままでは明治教学を守ることは困難な事のように思われる。この法門では僧侶だけが救われるようになっているのかもしれない。これでは永遠に続くものとは思われない。今最後の考え直すべき時が来ているのではなかろうか。
 今は帰依といえば本尊であるが、開目抄では師を教えて帰依をしらしめることになっている。その師に帰依するとは師徳に帰依することであり、人徳に帰依する意味のように思われる。己心に師を求めて本尊を見出だしてそこに帰依すれば、天下太平である。民衆に対しても、徳は必ず先に施すべきものである。太宗皇帝は百姓に対して先に徳を施したために、百姓はその徳に対して信頼をもって応えたのである。太宗に百姓が帰依したのであるが、それを己心の上に現じたのが己心の法門である。
 師弟共に愚悪の凡夫の処にこの法門を具現すれば己心の法門である。折伏教化共に徳化である。それは、そのまま僧侶と信者の間にも具現すべきものであるが、今は僧と俗との距離が出来すぎている。そこに仏法から仏教への転化があり、反って救うべき者が救われる立場になり、色々と秘策を練られるとき、法門も暴走を起すことにもなる。基本線は常に仏法に居なければならない。
 明治教学では仏教概論に明らかなように、仏法らしきものは全て消され、只仏教のみが図示されていて、今の在り方の基本路線は出来上がっているのである。この線を進める限り信者には救いはありえないかもしれない。これを主師親の三徳や戒定恵の三学に返し、そこに己心の法門を建立しようというのである。そして、そこに本仏や本因の本尊を建立するなら、それはいうまでもなく自力の成道である。しかし、今の立て方には自力の成道は全く影をひそめ、只僧の俗欲を充足するだけになっている。これでは、あるのは詐りのみということにもなりかねない。仏教に法を立てるなら、宜しく仏法の語は避けるべきである。そのような中で益々信心が強調されるのであるが、そこには詐りを隠そうというようなものはないであろうか。二十一世紀の宗教として立ち上るためには、まずそのあたりの整理をしなければならない。
 大石寺法門は、昔のように僅かな信者に支えれれている時にのみ真実の法門が持てるようになっているのである。そして僧階も阿闍梨号のみであったが、今は僧階が増えたために、その僧階の縁に牽かれて次の詐りが出るのであろう。仏教の立て方からすれば、能化と所化で事が足りるようになっている。これが、仏法が外相に出た時の限界である。今では文字通り「学はいらない」を事に行じながら、二十年も経てば、恵心僧都を乗り越えるような僧階に至れるようになっている。年月さえ経てば恵心僧都を上廻るのは至極簡単なのである。これは今の慈悲の現われであろうか。これと同時に法門も内容は捨ておいて外相一辺に落ちてゆくのである。それが今の詐らざる姿である。
 滅後七百年、一度主師親の三徳の故里に立ち返って考え直してみる時ではなかろうか。必ずしも現状は、先が明るいとはいえないであろう。内に蓄がなければ、自分の偉さを現わすために態度をもってするようになる。「とやら」などもそのような意味を持っているのである。つまり空威張りの一言である。この一言には今の宗門の泣き処を多分に秘めている処、いかにも独善的である。自ら中身の空しいことを表明している処は誠に妙の至れるものである。蓄さえあれば、このような語を使う必要は更になかったのであるが、それだけ追い詰められた姿が如実に現われている。突嗟に返す法門が出なかったためであろう。詐りのない苦難の現われである。筋を外れては独善も通用するには至らなかったのである。あとは本処に帰るのが唯一の道ということである。
 信者に対して宗門はまず徳を施さなければならないが、二年四ケ月を振り返ってみて、施すべき徳は皆無に近いのではないかと思う。貞観政要でも読んで徳の施し方でも研究するとよい。現状では時局時局とあおり立ててみても、信者はそのような悲壮感には乗ってくれなかったのである。旗印に誤りがあったのである。まずそれを自得しなければならない。時局法義研鑽委員会も解散して仏法研鑽委員会でも作らなければ、目まぐるしく動く時にはついて行けないであろう。明治教学は歴史的な遺産として、仏法の外で伝えていった方が無難なように思われる。これは委員会の中で研究していくべきものであると思う。それは過去の業蹟をたたえるためであって、決して未来につながるようなものではない。分離した上で研究すべきものと思う。
 民衆不在のものでは、どうしても次の世紀には通用しないかもしれない。京都の仏教会も古都税のために、信者不在の中で論議している処は独善の姿であり、私の利のみが先行している処は大石寺とそれ程変りはない。明治以来の西洋思想と最後の物質文明の威力の中で、伝統の東洋思想は危機に陥いっているのである。しかし、このような中から再び立ち上ることは出来ないかもしれない。立ち上がりは必ず民衆に限るのは古今東西の歴史の示す処である。その民衆の活力源に使われたのが貞観政要のように思われる。日蓮の仏法もそうであるし、南北朝の世直しも同様である。これは太平記が筋書きを造っている。その根底になるものが貞観政要であることは、その巻を繙けば自ら明らかである。
 徳川の終りにもまた世直しが現われて明治維新を作っている。次の立ち上がりも、万円札を積んでみても成功は覚束ない。もう一度貞観政要の登場が必要なように思われる。そうして刹那に万円札を己心に収めて彌勒の金に切り替えることである。即ち彌勒の世を迎えて世直しの前祝いをすることである。そこには必ず立ち上がりも可能ではないかと思われるが、宗教家はどこまでも抑えることのみに専念しているようである。これでは民衆が独自に立ち上る以外に方法はないであろう。
 下化衆生的な宗教者側からの立ち上がりは、恐らくは在り得ないであろう。そのような意味では、大石寺は最も近い処に居るのであるが、正信会は更に好条件を備えているように思われるが、現在の情報下では、その権利は抛棄したのではないかと思われる。貴族仏教的な雰囲気からの立ち上がりは、恐らくは不可能ではないかと思う。宗門は何をおいても夢を捨てるために、まず立ち上るべきである。振り返ってみても、仏法が表に出たのは精々二回位ではなかろうか。その第三回目の時を今迎えようとしているのである。
 繰り返しいうように、大石寺は自力による成道を唱えているのであるから、末寺の僧が成道を担当しているなどとは以っての外の話である。釈尊の成道以前の処を愚悪の凡夫として世法の処に取り出し、そこに釈尊を受持することによって、釈尊と同じような成道を遂げるようになっている。そのために受持が重要視されるのである。受持即観心もそのような意を含んでいる。滅後末法の成道とはその故に刹那に限るのである。しかし、今は迹門に移っているために成道も諸宗と同様になり、肝心の自力による成道は消えたのである。その不安定な中で末寺の僧が成道を担当しているという説も出るのである。この一事を見ても、法門がいかに混乱しているかが分る。
 自力の成道こそ次の世紀に必要なのである。これを失っては仏法を唱える意義も大半失せるのではなかろうか。受持即持戒とは修行を表わしているものである。現在はそのようなものは完全に失われているが、痕跡として法門の上には残されている。それが次の時代に必要なのであるが、今は極端な程信者も他力にすがろうとしているように見える。今取り出しておかなければ、この法門は永遠に消えるかもしれない。それ程狂っているのである。
 救済とは自らを救うことであるがこの語を取り上げる時、釈尊の救済が表に出るのである。大石寺で救済とは衆生自身が自力をもって自身を救うことであり、自力をもって本仏や本因の本尊を見出だすことである。この一語を見ても反対に出ているのは、法門の立て方が違うためである。この違い目を知るためにまず時を知らなければならないのである。
 釈尊の修行から成道に到るひたむきな姿をそのまま受持しようという処にこの法門は立てられて居り、その方法を授けるために僧侶は手伝い役をしているのであるが、今はそれは忘れて本仏の座に近付こうとしているのではなかろうか。しかし、今は宗門も法門的には大分行き詰ってきているようである。四十余年未顕真実ということであろうか。若しそうであるとすれば、その真実とはどのようなものであろうか。誠に興味尽きないものがある。
 むかしむかし、浦島太郎が竜宮からもらってきた玉手箱には何が入っていたであろう。それはいうまでもなく己心の一念三千の宝珠である。それを眼でたしかめようとしたために白煙と化したのである。本来秘密に属する故である。それは竜の頷下の珠であったかもしれない。浦島さんは秘密を秘密としてしまっておくことが出来なかったようである。この話は、時が変れば一条の白煙となって空の中へ帰ってゆくように出来ている。その空の処に現在の世間がある。これも太平記と一脈相通じるものを持っているようである。このようなものを世間に流布し、それによって民衆を煩わしさから脱却させようとしている処は、仏教ではなく、仏法のようである。
 民衆が自分で立ち上ることの出来る方法を伝授して廻ったのは、地下に潜った従義流を信奉した僧侶の集団のように思われる。民衆はこれによって刹那に彌勒の世を迎えて、現世の煩わしさから脱却出来るのである。これは民衆の手で具現出来る宗教的な感覚を備えた高度な方法であると思う。法華の思想はこのような姿をもって民衆の中に侵透していったので、法華信仰として発展したものとは別系統のものであり、従義流のものは始めから思想として発展しながら、常に安心を与えるようなものをもっているが、宗教としてきたのは四明流に属するものであり、これは宗教として法華信仰につながっている違いがある。そして従義流の仏法は深く内部に喰いこんでいったが、これは初めから秘密の中に終始するものであり、その痕跡も残さないために、表面的には完全に忘れられている。それが時あって表面に表われた時、世直しといわれるのである。
 太平記にしても、最後の中華無為を己心の一念三千と捉えなければ、その意を知ることは出来ないであろう。このような考えは、末法に入った以後、梁塵秘抄の頃には基本的な考えは出来ているものと思われる。その根元の処に貞観政要が居えられている。これを逆次に読むことによってその功徳は根に返り、民衆の処に返るのではないかと思う。その大地の底にいるのが滅後末法の上行であり、民衆もまたそこにいる。どうも地上にいる民衆ではなさそうであり、地徳の処に民衆は根を下しているようである。その民衆を地上に見れば衆生であり、仏教の領域であるが、地下にあれば仏法の世界である。
 仏法は地下に居る民衆が主徳と地徳を兼ね備え、本来の人徳の上に天地人の三徳即ち主師親の三徳を兼ね備えている。これを功徳が根に収まるというのであるが、迹門以前は地上のことであるから、天地人の三徳即ち主師親の三徳は各別に働くので、実際には主師親の三徳は未だ表面には出ていないが、地下にあっては天地人の三徳が主師親の三徳と交替している。開目抄はそこから始まっているのである。そして報恩抄は師徳を説きながらそれが地徳に収まってゆくことを示されている。仏法は地徳の処に展開するものであるが、今は誤って話を全て地上に返しているために混乱が起っているようである。功徳が根に収まる処をよく熟読翫味する必要がある。今は功徳が地上に寄っていると読んだ処に計算違いがある。そのために自然と地上に出て迹門に収まったのであろう。
 報恩抄は仏法の在処を示すのが大きな目的になっているようにも見える。開目抄・本尊抄・撰時抄・報恩抄・取要抄、各々説く処は違ってはいるが、まとめると仏法に収まるようである。改めて読み直してもらいたいと思う。皆さんの読みは、いかにも浅そうである。それでは仏法が出そうにもない。仏法の出るような処は、何れも除かれ、特に浅く読むことに心掛けているようである。御書五大部読み方研鑽委員会でも発足させて、真剣に研究してみてはどうであろう。少しは役立つこともあるかもしれない。そのような読みについては、他には説かれていないであろうから、独自のものを出すのには好都合であると思う。
 大勢が己心の法門に向けて発進しようとしている時、正信会は改めて明治教学への復帰を目指しているように聞いているが、少々遅れ型ということではなかろうか。もし真実明治教学を信奉するなら、詳細にこれを分析してからの方がよい。感情のみを先に立てて叫んでみても、始めから己心を認めないでは宗祖との間に連絡は付かない。それでは只私の意見に過ぎない。己心の法門を説かれたものから引用してみても全くの切り文である。明治教学がどのような中で組み立てられているか、それをまず研究する必要がある。それについての私の意見は前から申し述べている通りである。
 暫定的なものとして見るならそれなりの意味はあっても、これを根本として一宗を建立するためには、色々思わぬ障礙があると思う。一宗建立のためにはそれを整理しなければならない。現状をこのまま推進すれば仏教を主力に、時々仏法を唱えるという二本立てになるが、それは宗祖の最も斥う処ではないかと思う。真っ向から宗祖に立ち向っても、それでは勝ち目はない。何としても仏法を表に出すべきであるが、現状では根本になっている寿量文底の所在がはっきりしていない。そして久遠名字の妙法も不明である。報仏もはっきりと捉えられていない。そして久遠の寿命も何となしぼやけている。それらのために本仏も本尊も分明には出来ないようである。
 これらのものを一言に集めてみれば、それは己心の法門である。これにそっぽを向いているのが根本原因になっているようである。この重病を癒やすためには根本的な治療が必要であるが、そのような意欲は一向に見当らない。そのような処で明治教学を守るということのみに専念しているのである。これでは守り通すことが出来るかどうか甚だ疑わしいものがある。守るためにはまず守れるような体制に持ってゆかなければならない。それには一切触れず、ただ守ろうという事だけのようである。そこに推進力が不足する懸念が多分にあるといわなければならない。本山は現実の厳しさの中でこの難問は既に解決したかに見えるが、正信会にはそのような厳しさに遭遇することがなかった故か、一向に天下太平のように見受けられる。そこに判断の甘さがあるようである。それが今となっては遅れの根源になったのであろう。
 浦島太郎も玉手箱の己心の一念三千の珠のように白煙と化せしめないことが肝要である。浦島太郎も遂に玉手箱の中身は見ずじまいになったのである。後の後悔先に立たずとはこのようなことをいうのであろう。山田や水島の玉手箱は既に白煙と化したことであろう。しかもこの白煙は人の目に見えない処が妙である。「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起し、五字の内にこの珠をつつみ、末代幼稚の頸にかけさしめ給う」と。折角の玉手箱、白煙と化せしめないことが肝要である。この仏とは宗祖でも釈尊でもなさそうである。さてどの仏と決めているのであろうか。
 この文については、近代は全く省みられていないようであるが、丑寅勤行とは大いに関連があるのではないかと思う。或はここに出る仏は、師弟相寄った処に出る本仏即ち徳の至極した処に出る本仏ではなかろうか。主師親の三徳の功徳の根に集まった姿なのかもしれない。それは上行菩薩でもよいし、そこに寄り集まった衆生でも民衆でもよい。そこに己心の上に成じた法門がある。そこには師弟一箇した処の本仏がある。その本仏が予め懸けおかれたものかもしれない。師弟一箇の上に成じる本仏や本因の本尊は本来その身に具備しているということを前提として、このように表現されたのが真実ではないかと思うが、今のように師弟各別となってしまえば、この文の解釈は出来ないであろう。そのときは宗祖本仏が懸けおかれたということになるであろうが、それでは時間的には前後してしっくりとはいかないであろう。結局は主師親の三徳の上の所作ということになり、根に集まった功徳、即ち上行菩薩のもと師弟一箇した処にこの己心の一念三千があるという意味をもって、このように表現されたものとはいえないであろうか。
 「四大菩薩のこの人を守護したまわんこと、太公周公の成王を摂扶し、四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり」というのも、四大菩薩のもとに成じた師弟一箇の上の本仏を指しているように思われる。それが色々にいい廻されているように見える。そしてここには貞観政要の徳化の意味ももっているようである。逆次によめば衆生の上に現われた徳化ということも出来る。これは仏教の外にある仏法世界における主師親の三徳の功用を示されているのではないかとも思われる。ここに徳化の意味をもっていることは間違いないであろう。兎も角この二つの引用文を現代語訳することはむづかしい業である。是非御教示願いたいと思う。現状はあまり法門とは密接な関係があるようには思えない。何かが抜けているのではなろうか。
 徳化のみが通用する世界にあって、出るのは悪口雑言のみである。現実にはそれ程逆に出ている。つまり己心の法門が悪口雑言と現じているのである。己心の法門を悪口雑言をもって吹っとばせというのは、あまりにもお行儀が悪すぎる。も少し品格を上げることを心掛けた方がようのではなかろうか。そのために己心の法門の甚深な処を探る必要がある。悪口雑言が何の威力にもつながらなかったことは既に経験ずみである。再びこのような愚は繰り返さないようにしてもらいたいと思う。皆さんも、もっと修行を積んで悪口雑言の必要のないようにしてもらいたい。己心の法門を深く探れば、知らず識らずの間に自ら徳が備わってくるのではなかろうか。
 日蓮といえば、他宗では血の気の多い荒法師のような解釈をしている人も多いと思うが、それは末弟が己心の処を捨ておいて文上ばかりにたよったものが、他宗に反映したのではないかと思う。若し己心の処を読めば、日蓮は真に静かな人のようである。今の宗祖の性格は長い年月の中で、文上のみに頼り切った門弟が作り上げたのではないかと思う。
 仏法にある日蓮像は一向に表に出ることはなかった。そして宗教家日蓮のみが表に出ているのであるが、御本人は「一宗の元祖でもなければ何れの末葉でもない」といわれている処は、どうも思想家として見た方がよさそうである。ここには静かな日蓮像が現われる。ここでは肉身が除かれている故であろうが、一宗の元祖となると肉身を除くわけにはゆかない。他宗との諍論の中で日蓮像が次第に変貌してくるのではないかと思う。
 何れも弟子が決める日蓮像である。さて、二十一世紀の日蓮像は何れに決まるであろうか、今度は民衆の願望を無視することは出来ないかもしれないと思う。今の万円札の乱舞する中から脱出するのは己心の法門に及ぶものはなさそうであるが、又これを取り上げるのは民衆なのかもしれない。あくまでこの法門は民衆の手に帰すのではないかと思われる。本来宗教としては成り立たない処に真実があるようである。
 終始悪口雑言に明け暮れする中にあって、宗門に主師親の三徳を備えているとは思えない。その三徳を一に収めるためにも貞観政要を読まなければならない。それも必ず逆次に読まなければならない。若しこれが出来るなら、必ず徳は取り返せるであろうが、現状を見る限り、これ亦不可能なようである。さてさて、何れへ落ち付く事になるのであろうか、前途は誠に予断を許さないものがある。
 この貞観政要の逆次の読みをもって法華を解するなら、そこには民衆に対する慈悲の在り方も見出だせるであろう。その慈悲とは下化衆生的な意味ではなく、民衆に自力による成道の方法を示すことにある。しかし、今は殆ど自力を宗門から伺うことは出来ない状態であることは、即ち本来の意味の慈悲が失われていることである。即ち自力による成道が全く失われているのである。今の法門の立て方がそのようになっているのである。まずこれを正常な処に返さなければならない。これが今差し当っての問題である。目の先だけで振り廻してみても、それ程の効果は現われないことはいうまでもないことである。
 「正しい宗教と信仰」でも、何をもって正しい宗教とするのか、これまた厄介な問題である。正しい宗教とは実は仏法であるといえば、最早仏教ではないかもしれない。今は己心の法門を除いた処で正しい宗教と称しているように見える。詳しいことは次をまつ以外にない。正しい宗教は事をもって示さなければならないものである。
 まだまだ「正しい宗教と信仰」には陰された部分が多いようであるから、このまま信用するわけにはゆかないようであるが、何かの理由で方向を替えようとしていることだけは汲まなければならないと思う。急激に動きはじめていることは事実であろう。昔はわたましに経を忘れたということもあるが、今度こそは法を忘れないようにしてもらいたい。今はその法は影をひそめて独善の法のみが独走しているかに見える。
 前に引用した文も迹門に変ってはその意味を捉えることも困難ではないかと思われる。そのためにこの文は解釈されにくいのではなかろうか。受けとめる時には、ここから逆次に読むとよい。そしてまず己心の法門を取り決めなければならない。若しそこに丑寅勤行の根源を定めて逆次に読むなら、それ以前の文は全て丑寅勤行については理の上の裏付けになるものである。一見しただけでは功徳は返ってこないであろう。法主の言葉は綸言のごとしといい習わされている中で、三世常住の肉身本仏論がどのように扱われるか、己心の法門を邪義と決めたことも法主承引の上に大日蓮に載せられたものであろう。これらがどのように扱われるのであろうか。しばらく注視したいと思う。
 この文に出る四菩薩も、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土の上のことであるから、当然己心の上に考えるべきものであるが、今は迹門の上に考えられているのではなかろうか。しかし、これを迹門に考えることは単なる私見に過ぎない。そのような事は、その周辺の文からは許されるべきではない。それが本時の娑婆世界とは関係なく本尊は本果と現じたのは今回の水島教学の成果であった。そして開目抄や本尊抄に説かれた仏法を否定する結果が出たのである。つまり迹門への復帰の意志表示をしたに止まった。
 己心を認めず、迹門復帰を決めた中で、本尊抄の末文はますます難解の度を加えてきたであろう。これでは久遠名字の妙法も事の一念三千も、そして報身如来も、いよいよ出番がなくなったであろう。これが時局法義研鑽委員会の成果である。さて本仏や本尊はどこからどのようにして出現するのであろうか。しかし、本尊抄の最後の文は、丑寅勤行に直接関連しているものとして、重要な意味を持っているように思われる。それは、客殿の奥深くまします本尊の出現直前のものを含んでいるのであるが、今の解釈の中では事行の法門も何となく影が薄れた感じである。迹門に居りながらの丑寅勤行とはどのような意味を持っているのであろうか。
 迹門と勤行によって現われる本仏と本因の本尊とは、どのようにして関連付けられるのであろうか。迹門に法を立てながらの丑寅勤行ほど無意味なものはあるまい。そこには本因の本尊もまた認めていないのである。また成王・恵帝とは一念三千の珠を頸に懸けてもらっている衆生であり、太公・周公・四皓等は四大菩薩に譬えられているが、ここでは民衆自身が帝王の座に居えられているようである。これは貞観政要を逆次に読んだ処である。その根本の処が定であり本尊である。
 民衆を帝王の座に居えて貞観の治を再現しようというのが開目抄の根源になっているようである。民衆自身の自覚・自立を促がしているものが、自行・自力という語の使い方の中で仏教的な雰囲気を持ち出してくるのではなかろうか。しかし、今では自力という語は全く聞くこともなくなっている。強力な指導という中で消えていったのであろう。仏法と仏教の差違はそのような処にも出ているのである。開目抄や本尊抄から強力な指導というような事は伺い知ることが出来ない。仏法で説かれたものを仏教で説いた時、仏教から仏法をみれば逆も逆真反対ということになるのである。
 本尊抄の末文には、一宗建立の考えとは似ても付かぬ大きな発想があるように思われる。そこに民衆思想の源流を見るべきであると思う。強盛な法華の行者ではあっても、今一般に考えられているものとは大分違っているようである。迹門の立場から考えられている法華の行者は凡そ見当違いのようである。今は仏教の中にあって己心の法門を成じるようになっているが、仏法は世間にあるもので、魂魄は刹那に世間を遮断して己心の法門を成じるものである。しかし今は迹門で考えられているために魂魄も必要がないし、己心の法門も実際には表れないのである。その私的な理解の上から己心の法門を邪義と決めたように思われる。
 宗祖が苦心の法門も、水島の前に出ては一言のもとに邪義と決め付けられたのである。これこそ増上慢の見本であると思う。それを蔽いかくすように阿部さんも水島も共々に、当方を増上慢と称しているのは、いつに変らぬ常套手段である。「正しい宗教と信仰」でもふんだんに使っている方法である。これだけは常に一貫している処である。むしろ法門にこのような一貫性が必要なのである。法門の解釈の誤りが自分を最高位においた時、自分以外の者は増上慢に見えるようになる。
 今の宗門では己心の法門は最も恐ろしいもの、それは矛盾を突きつけられて返事が出来なかったためで、逆にいえば今まで己心の法門が開目抄や本尊抄に説かれているとは夢にも思っていなかったのである。そのために開目抄や本尊抄をいきなり邪義と決めこんだのである。これでは只自分の無智の程を天下に公表したまでである。他を増上慢として消し去ろうというのは、いかにも幼稚な方法である。若しこの時反省があれば、それは前進につながるものであるが、現状は後退以外に名案はなさそうである。己心の法門を邪義ときめるなら、本仏も本因の本尊も日蓮大聖人の下種仏法も六巻抄も化儀抄も三師伝も全て邪義になる。邪義こそ正義ということになる。
 自分の考え以外は全て邪義ということになれば、最早、独善そのものである。宗祖の法門といえども阿部さんの允可がなければ流布することは出来ないことになる。何となしそのような空気が宗内を包んでいるようである。そこに行き詰まりがきているのである。受持もなければ修行もない。勿論持戒もない。そのような中でいきなり世界最高の宗教の法主と出るのである。その意味で世界宗教界の盟主という線が出るのである。そして他は全て邪義と決められるのである。そして最前線に立って、法門の矛盾を突かれると悪口雑言をもって粉砕を計るのである。これではその手に乗るわけにはゆかない。
 真実自説が正説正義であるなら、まず小手始めに開目抄や本尊抄を存分に破折した後にしてもらいたい。本仏や本因の本尊を己心の法門以外から顕現出来る自信が出来た以後にしてもらいたい。口の先で邪義と唱えても、結局自分が自分を追い詰めるようなことになる処は自業自得である。水島がだんまりを決めこんだのも、自分が自分の口を封じたのみである。
 文底とは寿量海中の甚深の意を持っているようであるが、今の文底法門は海辺の沙浜ほどの深さである。そのために悪口雑言ではどうしても甚深の処が出ないのである。そのあせりが亦矛盾となって現われるのである。阿部さんの主張と「正しい宗教と信仰」とは、極端に矛盾するものを持っている。何となし他に対する迎合方式が表立っているのが目に立つように思う。その間の矛盾の調整はやらないのであろうか。も少し深みが欲しい処である。
 己心の法門が邪義であれば、宗義は迹門に立てられているのであろう。その立処を公表すべきである。或る時は文底、或る時は文上では相手も致しかねる。どこに法門を建立しているのか、内容がどのようなものか、新日蓮正宗要義を公表してもらいたいと思う。口に最高の宗教を唱えるなら、宗義もまた最高最深秘の処に定めなければならない。今はそれが一向に皆無なのである。只、夢物語のようである。その最高と称する宗義は二年半足らず大日蓮に載せられたのが全部のように思われる。甚深の程も実に測り易くなっている。浅いから深いという筆法のようである。これについては余す処なく発表されている通りである。
 その深さとは実は他宗門の成果そのものであったのであった。己心の法門を邪義と決めると利用価値の多いものであり、自ら努力する必要もないだけに至極便利なものである。しかし、この受持には相手の「時」に捲き込まれる恐れがあることは最も警戒しなければならない処である。そしてこの受持には、持戒も観心も含まれていない処が己心の法門との違う処である。今は己心の法門が邪義となっているのであるから持戒がない。戒も持たずに成道することは大石寺法門では許されていないが、今は無戒のまま成道するようになっているようである。
 末法無戒は在世の末法に限るようであり、滅後末法には成道を控えているために有戒のようである。その戒を授けるのが御授戒であり、法華本門の戒とは受持即持戒といわれているように受持が根本になっているのであろう。時を決めなければ、末法無戒と法華本門の戒とは必ずかち合うであろう。しかし、今は己心の法門は認めないのであるから、末寺での授戒も無戒を授けることになっているかもしれない。何としてもこの辺りは不明朗なようである。しかし、成道に戒の必要な事は釈尊以来厳重に決まっていることである。末法無戒とは、成道とは関係のない処でいわれているものである。末寺の授戒は、末法の有戒を示しているのである。宗門では「法華本門の戒」についてどのように考えているのであろうか。己心の法門では生きながらの成道のために法華本門の戒は必要であるが、今は迹門に法門を立てているために生きながらの成道は失せている。そのために自然と戒の必要がなくなったのであろうか。一向に不可解な処である。
 死後の成道は他宗の領知する処であるが、近代は大分混乱しているようである。そして何の抵抗もなく、専ら成道は死後に決まっているようであるが、大石寺では丑寅勤行に現わされているように生きながらの刹那成道をとっているのであるが、今は死後の成道が本番になっているように見える。現実に阿部さんは何れの成道をとっているのであろうか、二つとも同時に認めるのであろうか、或は御都合次第で都合のよい方を自由に選択するようになっているのであろうか。これまた不可解である。この混乱も根本は在滅の混乱によっているのであろう。
 又、先の戒も同じく在滅の混乱が根本になっている。在世の末法と、正像末を受持した滅後末法との混乱が根本になっている。即ち無戒は在世にあり、有戒は滅後末法にあるもの、まずこの時の混乱を防がなければならない。迹門に居りながら、法華本門の戒を持つや否やということは、凡そ意味のないことである。他門でも同じことがいわれているようであるが、法華本門の戒をどのように決めているのか、一寸気掛かりである。しかしこの語は、滅後末法に限る唱え言のようである。始めから在世をとっている他門下には、それ程意味があるようにも思えない。どのような解釈が付けられているのであろうか。
 宗祖の肉身を三世常住の本仏と立てる阿部法門では師弟子の法門も邪義ということであろう。阿部さんから見れば己心の法門も邪義、師弟子の法門も邪義、この意味からすれば六巻抄も邪義ということになる。つまり阿部さんの考え以外のものは全て邪義ということのようである。そのようにして世界最高の宗教の法主であり総貫主ということになるのであろう。しかし世界とは閻浮の世界であるが、今は専ら現在の世界を指している。その最高の総貫主といえば世界宗教界を牛耳るその盟主である。そして全ての宗教を傘下に収めようということである。以前これを表に出した時に一斉に反撃を受けたのである。法門の立て方の中には、今もこのような考えは流れていることであろう。己心の法門がそのまま現実世界に表われたためで、法門と現実の見境がつかないためである。
 明治では常に大石寺が盟主であるという考えが強かったようで、これは今も昔ながらに受けつがれているようである。それがいかにも大時代的な感じを与えるのである。そのような中で「不信の輩」とか「とやら」というような語が異様に珍重されるのである。己心の法門と現実との混乱が一宗建立という結果を呼んだのであろう。その間に異様な飛躍がある。仏法がそのまま仏教と現われている。そこに独善の要素を含んでいるのである。
 魂魄の上に成じた法門が仏教に返った途端に、現実の中で肉身が復活する時、混乱が出るのである。そのような中で肉身が復活する時、混乱が出るのである。そのような中で独善と悲壮感が同居しているように見える。実を伴わない弱味もそのような処から出ているのであろう。これまた時の混乱の故である。今の正宗教学はこのような混乱の総合された処に建立されているのである。立ち上るためにはまずこの混乱を整理しなければならないように思われるが、これが意外に困難なものを持っているように思われる。
 「正しい宗教と信仰」の中にも、根本の難点は何等整理されず、元のままのように見える。回を重ねる間に、これがどこまで整理されるかということが残された問題である。表面的には責任転嫁のみが目に立つようである。外相のみを変えようとすれば、却って足元が浮いて見えるものである。ここまで踏み切ったのであれば、続いて足元を固めるべきであると思う。しばらくその推移を見守るより外に方法はないであろう。
 開目抄を始め諸御書には数限りなく経文経釈が引かれているが、何れも受持して仏法に出るための用意のものであって、決して仏教に止まるために引かれているものではないが、事実は経の処に止まっているように見える。これでは言葉とは裏腹に文の上に止まっているのである。そして今は迹門に法門を立てているのである。文底はどこかに置き忘れたのであろう。そのために肝心の法門がすっきりと出ないのである。そのあせりが悪口雑言と出ているように見える。しかし、いくら悪口雑言を並べてみても増上慢と声をからして叫んでみても寿量文底は返ってきてくれない。事行以外には術のないことである。殆ど一回限りで終るのも何かが狂っているからである。ここは黙々と事行に示すのが最も良策のようである。
 悪口雑言は法門ではないから、使えば使う程逆に出るのである。いつまでも繰り返すことは、余り賢明な方法とはいえない。ここは理屈抜きで己心の法門を取り返すべきである。この己心の法門は、南北朝の時代には世直しと出るものである。これは民衆のみが相寄って立ち上がり、五十六億七千万歳を刹那に縮めて黄金渦巻く彌勒の世を迎えているのである。己心の法門を余す処なく具現している処は魂魄世界である。そして常に底辺にうごめいてきた者が最高位に居したのである。この理を説いたのが太平記であり、その最後の中華無為の処は彌勒の世を指している。これを具現したのが世直しで、只違う処は理事のみである。
 己心の法門を最も忠実に伝えたのは世直しのようである。実はその処をいえば世俗であり、そこに仏法世界を現じているのである。これに対して日本魂といわれるものは己心と肉身が入りかわるようになっている。そのために悲壮感が出るのであろう。今の正宗教義に悲壮感があるのも肉身に由来する処があるのである。世直しは実に明るく大らかである。己心の法門とはこれこそ真実の姿である。それにも拘らず今の宗門には常に悲壮感が漂っているのである。考え直さなければならない処である。
 己心の法門をまともに持って立った世直しには、宗教としては成り立ちにくいものを持っている。それは己心の法門のためである。従義流のねらいもここにあるのであろう。この民衆が最高位に立つことは、従義流の大きな目標の一つである。日蓮にも太平記にも、陰で貞観政要が使われているように思われるし、梁塵秘抄の頃に一般化していたのではなかろうか。貞観政要を逆次に読むのである。そうすれば百姓の処に太宗の徳が集まり最低であるが故に、逆になれば最上位である。貴族を主とするか民衆を主とするか、何れを主とするかの相違である。その民衆を主とすることに定めたのが従義流である。己心の法門もそのような中で出来ているのである。
 大石寺がこの法門を伝えたのは初め三百年と寛師の頃の五十年のみであった。今も山法山規として伝わってはいるが、それが解釈不明瞭であることは、昨年だったか、総監の言明通りであって、今ではこれをとり出す道も絶えたようである。そこでかすかに残された山法山規から己心の法門を取り出し、それをもって開目抄や本尊抄等の五大部へ当てはめようとしているのである。若し都合の悪いことがあれば、それだけ考え方が変ってきているのである。探り方に誤りがなければ、隠れた法門は可成り出てくるのではないかと思う。今はそれが恐ろしさに悪口雑言を繰り返しているのである。
 南北朝に現われた世直しも徳川の終りには顏を出している。その後は一向に顔を見せないが、今又その用意を整えているのではないかと思う。亦己心の法門の出番を迎えているように思えてならない。以上且らく重複したが御容赦願いたい。また巻を改めて拾うことにしたいと思う。
 今は日蓮門下は四明流の影響下にあってそれぞれ一宗を建立しており、大石寺もまた去年水島の言明のように四明を正統と仰いでいるようである。天台宗では四明を正統としてこれにより、従義流を邪流と決めているようである。現状では宗祖と仰ぎながら、その従義流を本流とする考え方は完全に絶えたようであり、己心の法門を公然と邪義と叫ぶようになり終ったのである。そうして一宗の元祖でないといわれる日蓮を宗祖と仰いで四明流によって一宗を建立しているのである。従義流に己心の法門が正か邪か、探れるものなら探ってみたいと思う。悪口も亦協力してもらっているものと理解している。
 今大石寺では己心の法門を邪義と決めているが、己心を失われると独善と出るのは必至である。天文法乱以前には既に己心が失われて独善と出ているのである。その結果は京都を追われ、旧地に帰るために根こそぎ法門を改めさせられ、散々の敗北であった。その時の功労者日辰の法門は間もなく大石寺に入り、以後百年間続いたのであった。以来、本果の法門に変ったのである。そして明治以後再び復活するようになり、今に続いているのである。化儀の折伏、法体の折伏は日辰の説であった。近代は折伏といえば専らこれに限っていたのである。筆者がいい出すまで、今から六、七年前までは大石寺法門として、寛師の説として、通用していたのであった。本因が本果となり、己心が失われて外相一辺倒になったための混乱であった。時の混乱である。
 七年前こちらから己心の法門を切り出すまでは夢にもなかった法門である。さすがの宗門も顛動したのであろう。直ぐに返事は出なかったようである。三、四年過ぎてやっと出たのが己心の法門は邪義ということであった。それでもまだ開目抄や本尊抄にあることは気が付かなかったようであった。そして主師親も戒定恵も全く意識の外に置かれていたのではないかと思われる。何れも皆初耳ではなかったのではなかろうか。そのために出るものは悪口のみであった。今の天台学者のもののみを取り出してきたけれども、これは時が違い過ぎたのである。それさえ分っていなかったようである。
 今となって遂に悪口の声さえも涸れ果てたようである。大いに又の日を期待したいものである。しかし、現実には黙って一日も早く訂正することである。総与であるから、御取上げは御自由である。仏教によって一宗を建立しても、法門の立て方からして、己心まで捨てることは出来ないと思う。己心には秘密の意味を持っている。この己心の収まっている処が秘密蔵であり、これを別に御宝蔵といい、ここに本因の本尊が収まっているのである。それが今は本因から本果へ移ったように見える。法門の立て方からすれば、本因を内蔵しながら本果を唱えなければならないのであるが、天台教学をもって明治教学を証明しようとした時、つい本果と証明してしまったのである。今は何をおいても法門の立て直しをする時である。現状では裏付けも出来ないのではなかろうか。
 水島が喜んで引いた天台教学は、本尊抄の初文から欲聞具足道等の一連の文の終るまで、即ち本時の娑婆世界の直前までに裏返されて、全て文底に切り替えられている。天台大師の文であれば文底をとることも出来るが、観心の基礎的研究の引用文ではそれも出来ない。時をいえば今も像法転時の時によっているのであろう。折角の研究ではあるが、これをもって大石寺の観心の裏付けには不向きである。あまりにも時が違い過ぎるようである。そのために本因の本尊を本果と決める結果になったのである。文の上の観心は今の用に立たないものと知ってもらいたい。
 時を無視した観心の研究は今の用には立たないものである。本尊抄の半量ほどの文をもって切りかえられているのに何故気が付かないのであろう。今はここの文底を認めず、本時の娑婆世界に出る本尊を専ら迹門に出現したものと読んでいるが、これは全くの私見である。ここの己心を文上にとるなら、この間の長い作業は無用のことである。ここで文底を出しておけば、先で釈迦・多宝を脇士となしと読むことも出来るし、その先で丑寅勤行の裏付けや一閻浮提総与の裏付けを求めることも出来る。文底で読む処は文底で読んでおかないと、思わぬ障碍に出喰わすこともある。昔から文底で読まれている処は、昔の読みに従った方がよい。この卒論は結局は本果の本尊としているものと見ざるを得ない。それが優秀論文なのである。時の混乱もこれ以上のものを求めることは出来ないであろう。天台法門を根本として審査したことがこのような結果を導き出したものと思われる。  

 本 尊
 本尊とは帰依の対境として信仰の上にのみ考えられているようであるが、宗門の側からいえば、信者を一にまとめるために、上意下達的なものとして利用されている面も強いようである。下化衆生方式の発展したもので、特に信心ということが強調される。しかし、本尊抄では何回読み直してみても、そのようなものは見当らない。本尊抄では仏法の上に成じるものであり、対境とするのは仏教として一宗建立以後に属する。そのために本尊抄では対境としての本尊が現れないように思う。本尊抄で説かれるのは本因の本尊であり、対境としての本尊は本果であるから、これについては説かれていないのである。己心の法門が説かれるために本因に限られているのである。
 本因と本果の二つの本尊を立てるのは他宗他門には例のないことではないかと思う。そして本因の本尊の説明が出来なくくなると遂に本果に吸収されてゆくようである。今は大石寺でも本果一本に収まり、本因の本尊という語も漸く消えたようである。正本堂が出来て板本尊が移され、姿がないために板本尊に吸収されていったのではないかと思うが、法門が本因に立てられているために色々と複雑なものが内在しているのではなかろうか。
 その第一が丑寅勤行である。勤行によって現れる本尊が予め示されているので、信仰の対象として現わされているものではないが、実際には信仰の対象となっている。その本尊が正本堂に移ったために、残った本因の本尊の正体が分りにくくなっているようである。丑寅勤行が行われている処をみると本因の本尊を認めているようでもあるけれども、実際にどのようになっているのか全く分らない。本因の本尊という意味もなかなか捉えにくいようでもある。そのような中で板本尊のみが大きく浮んでくるのである。
 丑寅勤行を何れの本尊の前で行じているのか是非知りたいと思う。そのようなことは考えないことにして、今は只信心のみが強調され、それが功徳・御利益に絞られたのではないかと思う。あわてて教学を始めた時、時を誤ったために天台教学の時に毒されて本因の本尊が消えて本果一本になったのである。それまでは、語としては本因の本尊は残っていたのである。それも去年までのことである。結局は時の責苦に遭ったのである。
 学はいらないといっている間は、本因の本尊の名義だけは残っていたのである。信者に智恵を付けるなというような発想も似たようなものをもっている。御書は衆生の豊かさを見て自分の豊かさを知る方針は、貞観政要と似ているが、衆生をいつまでも愚者にして、自分のみを智者にしようというのは宗祖の方針には見当らないようであるが、今はこれとは反対に、中央集権的な統制に終始している中で、信者に智恵を付けるなということも、つい口を割って出る。これも末期症状の一つなのかもしれない。
 愚悪の凡夫とは釈尊成道以前の処を指しているので、それは愚かな無智の者でもなければ、わるいものでもない。それが何かの間違いで愚かな者、悪者となるのは、我心がこれを決めるのである。本仏は何の汚れもない、生れながらの凡夫の中に見出だされるのかもしれない。これを愚悪の凡夫と捉えるので、それは最高位におかれている。そこに受持をもってすれば、刹那に資格も具備して成道することが出来る。それが仏法の成道である。題目修行という修行も受持の上の修行である。修行の後に成道があるのではなく、修行は受持と同じ意味に使われているのではなかろうか。しかし今は迹門に法を立てているために、成道のために修行が必須条件になっているかもしれない。ここには微妙に前後の相違があるように見える。
 今の僧侶には、自分一人のみ虚空に上りたいというようなものがあるのではなかろうか。もしそのようなものがあれば、それこそ神天上法門である。それでは大地の上に一人残された衆生には救いがない。天の御気色も宗祖の顔色も、いささか荒れ気味のように思われる。貞観政要の逆次の読みは、愚悪の凡夫を帝王の座に居えたようである。日蓮が法門はここから始まっているのであるが、今の末弟はそれを又逆次に読んだ。それが今の法門の根底になっているのである。そのために逆が逆となり真反対に出たのであり、結局もとに帰ったために迹門と出たのである。日蓮の発想は完全に打ち消されたのである。
 行き詰まりの真の本源は、そこに根ざしているようである。そのために本因の本尊も本果と決められたのである。そのあいだ七百年が費やされたのである。このまま本果に落ちつくのか、再び本因を目指すのか、今重大な岐路に立っているのである。始めは仏が中心であり、これを右尊左卑といい、中は衆生が中心であり、これを左尊右卑という表現を用いられた。さて終は僧侶中心となったようであるが、尊卑はどのように配分、どのように名付けられるのであろうか。僧尊衆卑では穏当を欠くようである。迹門に帰って法を立ててみても、右尊左卑ともいいかねる、そうかといって左尊右卑でもない。何れとも名付けようのない処へ出たのが今の法門の立て方である。今の法門がそれ程紛らわしいものを持っている証拠ではなかろうか。
 本尊も本果と決めてみても、素直には収まりにくい。未だに本因に立てられたものが強く働いているために、ここにも何か割り切れないものは依然として残されているのである。何れに定めるか、このまま押し通すか、これは意外に厄介な問題のように思われる。宗門側によるか正信会によるか、或は極く小人数によるか、誰かが本因の本尊を守りながら時のくるのを待たなければならないのではなかろうか。現状では、宗門にも正信会にもそのようなものがあるようには思われない。そこを一縷の夢に托して主師親の三徳を取り上げているのであるが、宗門の風あたりは、親の仇に対するよりも強いようである。
 宗門がいくら智恵を絞って天台学を求めても、本因の本尊を裏付けるようなものは、恐らくは出てこないであろう。水島程の智者がやってみても、遂に本因に至ることは出来なかったのである。そして結果は本因にもあらず、本果にもあらざる処へ落ち付いたのである。そこで亦新しい問題が起きているのである。とも角、ここは主師親の三徳の余沢を受けるに越したことはない。しかしその選択が御自由であることはいうまでもないことである。狂学と思われ、魔説と思っている間は、本因の本尊に立ち帰ることは出来ないであろう。今の混乱の原因の一つは、僧侶が智者になろうと意欲を燃やした処にあるのかもしれない。師弟共に愚悪の凡夫であることを忘れたためである。
 親鸞のいう悪人も愚悪の凡夫の意味の悪人であるが、浄土経に依るために悪人の説明が立ち入りにくかったのではなかろうか。現今の説明を見ても、何となし悪いというものが暗に含まれているのではないかと思われるが、善人即ち二乗に対する語であって、善悪の意味を持っているものではない。それは只の愚悪の凡夫であり衆生に過ぎないものである。これらもその淵源は従義流によって起っているのである。また善人・悪人は智者・覚者に対するものであって、現世において善人と悪人とを対比しているものではない。
 愚悪の凡夫は智者・覚者に対するものである。その基準のきめ方によって悪人は色々に変ってゆくものである。善人すらなお成仏す、況んや悪人をや、親鸞はすごいというのは、受けとめる方が、現世において善人と悪人を対比して考えている場合が多いのではなかろうか。愚悪の凡夫の場合でも愚者悪者となると大分状況は違ってくるであろう。覚者に対すれば愚悪はそれほどの意味をもっているようにも思えない。単なる修飾語ほどのもののように思われる。出来るだけその状況の中に解さなければならない。
 己心の法門に出来た語が、これが失われる時、世間に出て善人悪人のみが解されているような感じが強く出ているようであるが、これは最も避けなければならない処である。時の混乱がある処は、日蓮門下と共通したものをもっているように見える。己心に法門を立てている処の宿命であろう。いつまでも民衆を愚か者扱いをしている間にソッポを向かれるようなことになるかもしれない。この愚か者は己心の法門に居ることを知らなければならない。
 ここまで来て尚且つ過去に執着の夢を拡げようとしている処に誤算があるようである。既に精算の時期は終ろうとしているのである。一日も早く民衆と共に一船に乗ってもらいたい。宗門は民衆の語を極端に斥っているが、広宣流布の対象になるのは全て民衆であり、一閻浮提総与の語も専ら民衆であるが、今は正宗のみしか考えていないために斥うのである。大いに眼を開いてその違い目を知るべきである。現状以上の混乱は危険ではないかと思う。
 時の混乱の恐ろしさは宗義に矛盾の出ることである。しかも宗教にはそれを正統化するようなものをもっている。そこに信心が利用されるのである。そして当家は信心の宗旨であるといわれて既に百年の年月を経過しているのである。その信心も時の混乱の中で起きているように見える。そして、その前に他に対して教学の遅れがあったようである。そのために余計に深刻に、表に出てきているようである。それを小手先きのみで修正しようとしたのが時局法義研鑽委員会であったが、どうやら逆目に出たようである。
 天台学では修正のきかない処に法門は建立されているのであるが、それさえ気が付いていなかったのではないかと思う。今その抜本的な修正に役立つのではないかと思って、開目抄や本尊抄への復帰と叫んでいるのであるが、一向に反響はなさそうである。しかもそこは今の信心教学は通用しない処ではないかと思う。しかもそこに帰る以外に好い方法もなさそうに思われる。二十世紀は、それらを修正するために終末を迎えているのではないかと思う。その上でのびのびと二十一世紀を迎えてもらいたい。そのために仏法を基盤とした本尊を取り決めるべきである。その本尊とは御宝蔵と客殿と御影堂の三堂の上に示されている通りである。
 本山に戒旦堂を建立することこそ像法的である。そこに納められた本尊が像法と現われるのは当然過ぎる程のことである。その本源が判然としないために、今尚その混乱は続いているのである。追いつめられた時、その時を時局と受けとめた時、異様な悲壮感が出た、それは既に在世であったのである。そこは天台教学をもってしては乗り切れない別世界であったのである。悪口雑言のみをもってしても通用することのない己心の法門の世界である。世界宗教界の最高位の居るつもりであろう阿部さんの考えでは及びもつかない別世界なのである。仏教に根を下ろしていては到底たどりつくことの出来ない別世界なのである。
 本因の本尊には仏法に通じるものをもっているが、本果と決まれば迹門に固定するので、肝心の仏法とは自動的に縁が切れるようになっている。これが計算の内に入っていなかったのである。仏法は、その源は仏教にあっても、最早、信仰信心の上に解せられるべきものではなく、寧ろ信頼信念を根本として解すべきものではないかと思う。信の一字をもって得たりという本尊は仏法の本尊を指している。それを今は迹門の上に解しているまでである。そのために魂の通じない処があるのであろう。今は専ら信仰信心の信の上に解しているようである。これはいうまでもなく在滅の時の誤りである。
 「己心も心も同じだ、心にしろ」というのは、言いかえれば仏法も仏教も同じだ、仏教にしろと同じような意味である。それが認識の大勢である。己心は肉身が除外されているが、心には未だ肉身が具わっているのである。これがまた時の混乱である。そのあせりが悪口雑言と出ているのである。現実には言明通り両者の区別は全く付いていない。今信者が求めているのは仏法の本尊ではないかと思う。そこへ宗門は只管仏教の上の本尊を押し付けようとしているのである。御書も大半は仏法について示されているのであるが、それらが全て仏教として解されているのではないかと思う。開目抄の初文の辺りも、そのような中で、解釈の上で除外されているのであろう。そのために色々と矛盾に出喰わしているのであるが、既に信者はそれに気付いたのである。そこに時局の二字の必要があったのであろうが、折角ながらそれは逆に出たようである。
 仏法で説かれた本尊を仏教とするためには、時を逆に切り替えなければならない。そこに思わぬ障礙が出たのである。切り替えのために天台学に頼ったのも失敗の一つである。当時の富士学林の論題の意図もそこにあったが、出題者の頭もその一点に集中していたのである。わたましに法を忘るる者ありという処か。仏法家が法を忘れては大変であるが、現実はそのようになっていたようである。追いつめられ前後不覚の中にあのような課題が出され、一方では時局法義研鑽委員会も作り、強引に護法局が活動を起こそうとしたように見えるが、結果的には何れも失敗に帰したようである。明日の見通しがついていなかったためのように思われる。只目前の事のみに終始した結果が表われたのみである。
 本尊とは、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土即ち己心の上に出現するもので、今の状態からいえば、三災も離れず四劫を出でざる処、迹仏世界に出現したようである。そこに許され難い誤算があったようである。そのために応対の道中で一方的に口を閉じざるを得ない羽目になったのである。昔はすべて仏法のみであったが、今は逆も逆全て仏教になり切っているのである。今はこの本尊を何としてでも本因に返さなければならない時である。まずこれから始めなければならない時である。宗門が返そうとしないなら、せめて正信会だけでも返すべきであるが、一向にそのような気配の見えないのは、いかにも不思議なことである。己心を邪義と決めた宗門に同調するにしても明言する必要があると思う。
 本因に依るか本果に依るか、何れをとるにしても独自の本尊を決める時が来ているのである。今の本尊はどうみても阿部さんの掌握下にあるものであり、これを拝むためには特別許可が必要である。若し内々に許可が出ているかどうか、これは吾々には分らないことである。宗門もここまで来ては簡単には切り替えも出来ないであろうが、その点は正信会では簡単に出来ることである。本尊がきまれば信者もまた落ち付くことであろう。本尊も決めかねては宗教団体と称するにも憚りがあるのではなかろうか。大いなる決意を期待したい処である。そして開目抄や本尊抄に帰るべきであると思う。明治教学に執着しては、本因の本尊に立ち帰ることは困難の業である。開目抄や本尊抄に立ち帰ることが出来るなら、他宗の教学に惑わされる必要も自ら消滅するであろう。そして己心の法門から邪義の汚名を取り除いてもらいたいと思う。  

 擯出の事
 経の文には數々見擯出とあり、御書にも常に使われている語であるが、現実には一人の権力者がその権力を示し、その座を安定さすために反対者を追い払うためには最も都合の好い文である。二百人からの者を一挙に追放擯出した例は古今余りその例を見ないのではなかろうか。処が阿部さんはそれをやってのけたのであるが、結果は安定には至らなかった。反って不安定が根を下したのではないかと思われるのは何故であろうか。結局は慈悲心のなさを証明したに止まったようである。度し難きものを度してこそ慈悲といわれるものである。これはあまり見上げた方法ではなかったようである。
 日本の仏教史上でも管長自ら二百人のものを擯出したことは他に例を見ないことかもしれない。本尊は純円一実の処、全くの平等無差別の処にあるが、事に示された処は極端な不平等であり、何とも理解しかねるものがある。己心をすてたために不平等と出たのであろうか。総与という平等の慈悲とは似てもつかないものである。文底を捨てて文上迹門に立ち返ったために、平等がそのまま不平等と出たのであろうか。自は必ず正、他は必ず邪という原則はここでも生かされている。統制第一義ということであろう。自らに反するものは一切許さないということである。筆者も昔同じような意味合いの中で実際の経験を持っている。その「時」は己心といえども邪義と切り捨てるようなものを持っている処は、歪められた武士道精神というものさえ見えるようである。
 法門の立て方が今度の擯出と関係を持っているようである。日蓮正宗伝統法義では擯出と出るのであろう。そして世界広布の時は只管平等を唱えるのである。護法局情報は一向に途絶えているので分らないが、世界広布は平等を目差して着々と進行していることと思う。ところで伝統法義の平等観は外相一辺倒のようであり、己心の平等観は魂魄の上に立てられている。そのために己心の平等が、いきなり不平等と出て、しかも文上の立場から平等と称する誤りが出ているようであり、そこに同じ平等でも洋の東西が出ているのではないかと思われる。称える場所が始めから違っているのである。伝統法義には多分にそのようなものを持っているように思われる。根本の立て方が違うために話し合いの出来ない処である。そこで相手方を邪と決めてかかるのである。この意味では幼児的な発想に近いものを持っているようである。
 己心の話を全て外相に持ち出すのは西洋流の発想に近い処があるのではなかろうか。百年の年月を経てゆく間に大半外相に出ているのではなかろうか。そこで己心の法門が邪義となるのである。これは寿量文底にあるべきものは消え尽くしたという意味をもっているのではなかろうか。西洋流な学問に深入りしている間に、知らず識らず己心の法門が姿を消していったということのように思われるが、容易ならぬ大事である。特に大石寺の場合は、この被害をもろに受けているようである。まずこれを取り返す算段をしなければならない。大石寺法門と日蓮正宗伝統法義の違い目はこのような処に起っているのではないかと思われる。これは明治教学の大きな功罪である。今一度繰り返してみることにする。
 寿量文底の法門は既に文上迹門に移って応仏世界に変っている。即ち己心から心に変り魂魄から肉身に移っているので、平等無差別はそのまま迹門に移るが、既に魂魄から肉身に変りながら、依然として平等無差別であるが、実際には肉身となっているために不平等差別である。どうもそれに気が付かぬらしい。そこに摩訶不思議なものがある。魔術のようなものである。そこで己心も心も同じだというのも無理からぬ処であるが、現われた処は真反対に出ているのである。そのような中で己心が心に変っても、別段おかしいとも思わないのである。そこは信心によってあまり深くは考えないのであろう。そして無理もなく己心が心に、文底が文上になるのである。そして信心をもって信じているのである。そこに東洋的なものと西洋流なものとの相違があるのであろう。
 既に明治において出来上がっている処へ、更に戦後西洋流なものが再び入り込んできて拍車をかけているのであろう。山田がいう逆も逆真反対というのは、真実そのように思い込んでいるのであろう。そして自分の決めた心は正、己心は邪と出るのである。そのようにして交替するのであろう。そしておかしいと思えない程信心が働いているのである。今即刻改めなければならないのは、この処である。他人にはこの処が奇妙に目に付くのである。他人はこれを飛躍と見るであろう。そして報仏から応仏に移っているのである。余は応仏が働くのである。
 久遠元初や五百塵点の当初も、応仏世界にあって何の不審も起らないようになっているのである。完全に時もまた入れ替わり、滅後末法から在世像法になっているのである。その替わり目がはっきりしていないために、応仏世界に本仏が出ても何の不審も起らないのである。何とも不思議な法門である。このような中で己心の法門は消えてゆくのであろう。そのためにここで東洋的な考え方にまとめなければならない。そのためにも、一度開目抄や本尊抄へ帰る必要がある。明治教学に執着している限り、この修正は不可能であるし、己心が復活することもあり得ないと思う。以上のように見てゆくと、それらの根源は迹門と決めた処、応仏に変った処にあるように思う。まずここの処から訂正しなければならない。尤もここの処が解決すれば余は万事事済みとなるであろう。只寿量文底から文上に帰る時に、どのような理が付けられているのか、或は理屈抜きで帰ったのか、これはなかなか分りにくい処である。
 正信会では川澄の奴が折伏を斥っているということが言われているが、前にも書いたように文底法門の上の折伏を斥っているわけではない。本仏を立てながらしかも迹門に居り、折伏を文上においているのがおかしいということで、何か誤解があるのではないかと思われる。文底即ち仏法に居て文上に居るものを折伏して、文底に入れるのはそれなりに理が通るが、迹門に居りながら他の迹門に居るものを自宗に引き入れるのは、只勢力争い、信者の取り合いに過ぎない。仏法に引き入れる処に一つの信念もあれば法門もあるものである。
 大石寺法門の立場からいえば、文上に居る者を文底に引き入れる処に主眼がおかれているようである。そのためにまず自分が文底に移らなければならない。文上に居りながら、文上に引き入れてもそれ程正しい信仰とも、それによって救われるともいえないのではなかろうか。「正しい宗教と信仰」も、根本のその問題は元のままにして迹門に居り、そこに引き入れるための折伏弘教となっている。これでは筋が通っているとはいえない。
 「正しい宗教と信仰」とは寿量文底の処を指しているのである。このような事がいえるように、まず自宗の姿勢を正すことを先行させなければならない。その事の方が余程重大である。これでなければ、折伏について御書の裏付けを求めることは出来ないように思う。その時には法華経も戒定恵を含んでいることが条件である。それを含んでいることは己心の法門を持っていることが先決条件である。それは衆生の成道につながるからである。戒定恵を持たない法華経をもっての折伏にどれ程の意味があるのであろうか。これは諌暁八幡抄を読めば直ちに了解出来ると思う。その折伏の時に始めて理が通じるのである。その裏付けになるものが開目抄等の五大部には特に詳細に説かれているのである。
 折伏は仏法に居ることを条件に説かれているのであるから、まずわが身をそこにおかなければならない。迹仏の元に居りながらの折伏は、その意義がないから反対しているのである。「正しい宗教」もそれを基準としなければ、正しいということが不安定である。それは今言われている信仰とは異っているのかもしれない。仏法は一人が単位であり、仏教は多が基本になっている。今は多を更に増やすために折伏が使われているのであろう。その辺りの整理をすることが差し当っての問題である。信念に近い信仰か、信心そのままの信仰か、随分浅深はあるように思う。
 己心の法門を邪義といいながらの折伏にどれ程の意義があるというのであろうか。正しい宗教、正しい信仰の根本になっているのは仏法であり、己心の法門であるということをお忘れなく。護法局は己心の法門を邪義と決めた上での護法であるから、戒定恵の三学や主師親の三徳が除かれていることは分る。護法とは迹門文上の折伏ということであると考えてよいと思う。又、正信会の折伏も大同小異ではないかと思う。双方共に寿量文底の処に折伏の真意義があることを知ってもらいたい。
 現実世界を超過した処に立てられた法門を、そのまま現実世界に置きかえて伝統法義が始まるのである。そこに物質文明に毒される要因がある。ともかくも根本は宜しく現代を超過する処にあるという処であろう。これがなかなかの難問である。己心の法門を捨てて現代を超過することは困難である。その故に超過し易からしめんがために己心の法門は残されたのであるが、今はその意を捉えかねてこれを邪義と決めたのである。現代を超過する必要は更に感じないのであろう。そのために物質文明に巻きこまれているのである。
 宗教家が現代を超過することは釈尊の時から必要なことであるが、今は現代に巻きこまれることが宗教家の資格になっているのであろう。古都税の京都の諸寺院もまた現代を超越することは出来なかった。宗教家としてどのようにこれを判ずべきであろうか。同じく共に生きながら、しかも現代を超越してこそ民衆への救済もあるのではなかろうか。慈悲もまたそのような処に起り得るものと思う。物質文明の先端に立つことは、宗教家として最も恥ずべきことと思われる。
 己心の法門を邪義ときめた処は法華経の現代っ子版である。そこからいじめも出るのかもしれない。子供のいじめは法華経の擯出である。法華は魂魄に法門を建立することによって、即時に現代の煩わしさも肉身をも超越出来るのであるが、今は肉身こそ真実となっているのである。そのために魂魄の上に成じた本仏に、わざわざ肉身を附与するのが、阿部さんの極意の法門である。法主の一言に、今の大石寺では肉身本仏一色になりきっているのである。肉身本仏では目で視る最高の処虚空に処るのは当然である。そして法主も僧侶も皆虚空を目指しているようである。法主と僧侶の神天上法門である。これで宗祖や二祖が黙視することが出来るであろうか。今に第二の諌暁八幡抄が下ることは必至である。法主や僧侶が虚空に上るから民衆は大地の上にあって苦しんでいるのである。
 阿部さんが現代を超越しかねていることは、肉身本仏論がよく証明している。つい、うっかり口を割って出たのであろう。法主ともなれば、ついうっかり出た時に最高のものが出て当然であるが、肉身本仏論をもって最高と仰ぐようなことは、誰一人賛成するものはいないのである。これをもって法門の中に入れることも、あまりにも憚りが多過ぎるようである。最高の基準が違っていたのである。自受用報身の唱題とは、実は宗祖の肉声の題目といいたかったのかもしれない。いかにも発想的にはつながりを持っているようであるが、このような肉身・肉声がどのような甚深の秘法であるか、到底不信の輩の能く理解出来る処ではない。
 金・金・金で固まり切った宗門にも、今もって日蓮が慈悲は常に平等に降りそそいでいるであろうか。己心を邪義と決めることは、その慈悲を拒むことに外ならない。それでも慈悲の雨は降りそそいでいるのである。その慈悲は、受けとるもよかろう、受けとらないのもよかろう。受不受は自由である。とも角、己心の法門は邪義と決まっているのである。その降りそそぐ慈悲を受けとめる唯一の方法は仏法を知ることである。そのために時を知ることが必要なのである。そこに本仏も本尊もあり成道も出来るのである。それが大石寺法門である。それは一宗建立の上に説かれるものとは、根本的に時が違うのである。己心の法門に対して一宗建立は肉身の世界に帰るに等しいものがある。日蓮は何れの宗の元祖にもあらずといわれたことは、大いに味あわなければならないものである。特に擯出などということになると、いかにも血腥ささがある。
 度し難きものを度す処に日蓮一人の苦もあるのであろうが、度しがたきは切って捨てろでは、慈悲があるともいえないであろう。この日蓮を鎌倉に生れた日蓮と受けとめるよりは、師弟子の法門に成じた本仏の苦と受けとめるなら、師弟子共々にその苦を味わうことにもなるし、その苦を受けとめ、乗り越えた姿である。一つの苦を分ち合うのは世間でいえば隣人愛である。それが時には本仏なのかもしれない。
 不軽菩薩は所見の人にこれを見るというように、本仏とは一人の特定した人物を考えるものではないかもしれない。そのような不軽菩薩を日蓮紹継不軽跡といわれているのではなかろうか。この不軽は用であるから、これを体と替えるなら、それは上行であり本仏である。その上行とは師弟一箇に成じた本仏そのものである。即ち不軽も上行も共に定まった菩薩形は持っていないのである。不軽は悪口雑言や擯出を受けたものは即座に不軽と現われるのである。共に文底法門では特定の菩薩形を持っていないように見える。即ち事行の上に判じるようになっているのが真実のように思われる。
 日蓮一人の苦は諌暁八幡抄や産湯記にある語であり、産湯記は報身如来の誕生を祝福しているが、これを日蓮という肉身を持ったものの誕生と読むと複雑なことになる。今は生身の誕生と読んでいるのではないかと思う。魂魄の上に誕生すべきものが、生身として誕生したために、複雑なものにしているように見える。報身として魂魄の上に限るべきである。三世常住の肉身本仏論も、産湯記を肉身と読んでいるのであろうが、この記は専ら仏法にあるべきものであり、時の混乱の中で三世常住の肉身本仏論と大いに関連をもっているように見える。
 三世常住は、受持についていえば三世超過であるが、三世常住とはどのような意味であろうか。生れる以前の肉身を何をもって証明するのであろうか。また未来に生れる肉身をどのようにして現世に示すのであろうか。魂魄と肉身の混乱がこのように奇妙な説を出したのではなかろうか。本仏にもあらず、生身の日蓮にもあらず、鬼籍に入るべきものであろうか、一向に理解しがたいものがある。何れにしても、大石寺法門とは全く無縁のものである。時局法義研鑽委員会は史伝書として見ているのであろうか。しかし、己心を邪義と決めては読みようのないものである。
 本仏は本来最低位にあるものであるが、仏教に立ち帰ると最高位に出る。本仏は低位に自分は高位にということである。しかし文底にあっては、現実の擯出はあり得ないと思われるが、法門を迹門に立てているために擯出が起きたのであろう。統制違反のための大量首切りである。血の粛清である。このようなことは回避するのが文底の在り方ではなかろうか。貞観政要の太宗なら、真っ先に反省する処ではないかと思う。文底では現世の煩わしさを回避するために隠遁ということがある。それが己心の法門である。道師の諌暁八幡抄の裏書に「隠遁の思いあり」というのは、この二を持っていると思う。
 文底の擯出は、むしろ自らを擯出するようなものを持っている。そして自力をもって立ち上るのである。同じ擯出であっても、実際には大分違っている。宗祖は身延に隠遁し、自力をもって再び現世に救済を垂れたのである。文上還帰の上になされたものとは、遥かな相違があるようである。文上の擯出は実にじめじめしたものである。ない話を作って強引に擯出するためにそのようになるのであろう。筆者も昔そのような擯出の経験がある。これは明らかに世俗の上の擯出だけに陰湿なものを持っている。今もその余気が残っているような感じである。水島が最後の弁に怨念と書いていたのも良心を恥じてのことと思われる。擯出がわが身に立ち返った姿である。
 宗門では羅什訳に限るということであるが、今のような方法で解釈するならそれ程の必要はないようである。中国では国が変り皇帝が変る毎に、前の者は次の侫者によって流罪死罪に処せられている者が非常に多い。羅什訳を漢訳して今のような法華経にした謝霊運もその例に洩れるものではない。それらの人等は学もあり徳も備わった人が多いが、常に詩作に耽り詩を吟じながら世の煩わしさから逃れている処は、己心の法門を地でゆくものである。そして自力をもって世俗を避けて生きてゆくのである。
 日蓮門下の不受不施講門宗(派祖は啓蒙日講)では、徳川時代の不受不施禁止の間は、勉学の間は受不施寺に居り、二十歳過ぎると隠居して不受不施活動に入っていたが、これも変形した隠遁方式であった。世の中には無理をしてでも表面をかざるものもあれば、吾々のように終生貧乏暮しをしているものもある。主師に至る三百年間は貧乏暮しの中で、法門だけは確実に守り抜かれたようであったが、今は真に王侯の暮しである。さて中身の方はどのようになっているのであろうか。必ずしも王侯というような法門があるようにも思えない。何れをとるべきであろうか。答はいうまでもなく決まっていると思う。
 そして寿量文底の大半が文上に切り替えられているが、その理由は全く不明である。その中で信心教学といわれるものが大きく働いており、東洋思想から西洋思想への転換も見逃すことは出来ないであろう。徐々に変ってゆくために殆ど気付かずにいる場合が多いのではないかと思われる。そして、時に当って自分のみを正当化してゆくようなものを持っている、それが信心という名のもとに合法化されてゆくのである。これは法門的には最も弱い処である。そして法門は常に平等無差別を唱えており、現実には極端な不平等のみが表に出て、己心の法門を邪義とすることが、平気で公言出来る処まできたのである。そこに悪口雑言の終局が待っていたのであった。
 自分では同じような事は他門でも経験したこともある。そして昔宗門から受けた擯出と同じようなものは生れ故郷でも経験しており、そこでも悪口雑言はつきまとっており、宗門の場合も長い間続いていたようであるが、今回の悪口は別口である。宗門のやり口と世間が同じであることは、宗門の智恵も世間並みということである。その程度の処で今度も悪口が出ていたのであろう。これでは法華を修行した意味も無に等しいものである。
 大石寺の仕事をしたということで、創価学会に入ったとして今まで部落が総動員していじめてきたのであるが、最後に擯出され、それでも飽き足らず今居る処まで擯出しようとした。ここを出れば又跡を追うであろうから一撃をくわした処当人が死に、その他に病人が出たり、所を追われたり、加害者の方が被害者となり、あとはてんやわんやで一応黙ってしまったようで、しばらく静かになっている。水島が黙ったのと大体同じ時期であった。己心の法門の一撃に屈したのである。部落の連中も弱いからいじめろということであったらしいが、弱い者が強かったのである。
 今の宗門の威力をもってしても、いじめ切ることは出来なかったのである。何れも陰でいじめるのが特徴である。宗門の場合は法門の解釈の上に出ているのもであり、文底法門が文上に出た時、事行として擯出と現われるようである。そこで反っていじめが正当化されるようである。いじめは必ず露骨な方法をとる、悪口も一方法なのかもしれない。部落の場合でも、一人の人間が権力の座をねらった時から始まったようである。権力といってもささやかなものであるが、それは封建時代からの名残りであって、今も岡山市の中で、そのような世界は残っているのである。この意味では大石寺にも封建時代の名残りは、伝統法義という名の下で編成替えされ、受け継がれているようである。
 僅か百人二百人の者を抑えてそれによって天下を取ったと同じ夢が具現化される。当人にとっては世界制覇と同じ意味をもっているのであろう。日蓮正宗の世界広布の夢とそれ程の変りもないようである。始めはこちらの命のある限り追いつめるつもりであったかもしれないが、実行班長の急死で頓座したようである。いかにもじめじめした方法であるが、今はだんだん我が身に立ち帰ろうとしているように見える。批難材料を次々に創作することも、大石寺で昔経験したのと同じ方法をとっているのはよく似ている処がある。それをもって自分の座を固めようとしたのであったが、今となっては最後の一人にその座を崩されたようである。現在は静寂そのものであるが、次をねらっているかもしれないが、再び擯出することは、恐らくは出来ないのではないかと思う。
 戦後、急に百姓に金が廻り出した以後の出来事である。みんなが偉くなり過ぎたのである。そこに思いもよらぬ独善が現じたのである。これも遠い昔を訪れるなら、己心の法門に始まっているのかもしれない。そして集団の力をもって事に当ろうとするのも一つの特性なのかもしれない。そして事がばれると、みんな知らぬ存ぜぬで逃げ廻って、みんな好い子になろうとしている。そして誰一人責任を取ろうとするものもない。結局は烏合の衆である。弱いと見れば凄い団結力を発揮し、強いと見れば早々と逃げる。どうみても烏合の衆である。長い封建時代を生き延びた中で、自然と身に付けた方法・智恵なのであろうか。
 中央に信のかたまりが抜けているのである。その信が本尊という語をもって表わされるのである。これが主師親の三徳という処から説き起されている。世間へ出れば信念であるが、仏法にあっては本尊といわれるもの、そこに仏教とは自ら違ったものがある。勝手が悪ければ直ぐ引っこめるのは、信念があるとはいえないであろう。己心の法門は邪義というのが正しいのであれば、早々に引っこめる事もあるまい。三世常住の肉身本仏が正しいのであれば、一回限りでやめる必要はないと思う。結局は信念が始めから不足していたのではなかろうか。信念のないものがいくら寄ってみても、それは烏合の衆でしかない。
 宗教は信の一字をもって中央に居えなければならないものである。況んや仏法に信の一字を欠くことが出来る筈もない。若しこれが不足するなら、それは単なる烏合の衆という外はない。開目抄等の五大部は、特にその辺に重点をおいて説かれているのではなかろうか。信の一字をもった者は千人万人よっても一人であるが、信の一字をもたないものは、数はいくらあっても烏合の衆ということではなかろうか。本尊抄の副状には、そのようなものを含んでいるようにも思われる。
 威勢よく己心の法門を邪義と決めれば、立ち処に宿縁や宿業にとり付かれるであろう。今水島も宿業に振り廻されているのではないかと思う。悪縁宿縁に引き廻されては心の静まる時もないであろう。高座に上って己心の法門を邪義と決めて宗祖の法門をこき下ろす必要はない筈である。前世の因縁によって、選ばれて己心を邪義と決めたのであろう。思えば業の深いことである。若し己心の法門によれば宿業も宿縁も更に見当らないのである。
 水島法門には常に中央集権的なものが背後に動いているようであるが、筆者が今郷里で憎しみを受けているのは、一人の権力志望者の下に馳せ参じなかったためである。いくら悪口を唱えても、その傘下に馳せ参じるようなことは全くあり得ないことである。それは反って敵愾心を起さしめる効果しかないことを知っておいてもらいたい。そのように反撥出来るのも己心の法門の故である。この法門の上にその時々によって適当に利用させてもらうことにしておきたいと思う。
 己心の法門が邪義ということは、いつの頃始まったのであろう。水島発言以前には全く聞いたことのないものである。少くとも主師の処まで帰れば邪義という必要はない。勿論寛師については六巻抄に示された通りである。平僧の分斉として己心の法門を邪義と決めることは、これこそ増上慢であり魔説であると思うが、これについては宗門側には何の意志表示もなかったことは勿論賛成しているためであろう。しかし、これを邪義といい切った処は水島一生の不作であった。これでは宗祖も慈悲の施しようもないであろう。
 今は世を挙げて過去の追憶の盛んな時である。学問も世間も、そして宗教もそうであるが、中でも大石寺では殊に濃厚なようである。宗教が過去にのみ夢を馳せることは凡そ無用なことである。夢は必ず未来へ向けるべきものである。聖人とは未萌についていわれるものであり、この語の中には未来を含んでいるが、上人にはむしろ過去につながる面が強いようである。親鸞や日蓮に聖人の文字が使われるのも、未来を知るというものが含まれているように思われる。若し仏教によれば上人の方がふさわしいようであるが、仏法の場合には聖人に限るものと思われる。それは衆生の未来の成道を予知する意味において重要な意味をもっているのではないかと思う。
 釈尊の過去も現在も未来も受持によって一挙に超越した処に現在がある。それは仏法の現在である。それが己心の法門の世界であり、魂魄世界でもある。そこはまた主師親の三徳の世界でもある。本仏も本尊もそこを住処としているのである。その魂魄の世界にあって首を切ったり切られたりということはどうも分らない。何はともあれ、そのようなことのない魂魄の世界に還帰してもらいたい。大石寺を現世の寂光土というのは魂魄の世界を指しているのである。そこには現世において刹那成道があるから寂光土なのである。己心に法門を立てているという別語である。
 迹門に法門を立てては、現世の寂光土ということは出来ない。現在の成道は既に死後に移っているからである。その証拠に塔婆供養も盛んになっている。これが何よりの証拠である。大石寺を現世の寂光土というようなことは遠い昔がたりになり終っているのである。中国の隠遁者等は、既に三千年も五千年も昔からそのような処に住み慣わしているのである。これと貞観政要が大きく働いて己心の法門を作っているのかもしれない。
 己心の法門では始めから国家も肉身も除外した処に建立されているが、いつの間にか国家に密着するようになると日蓮像も大きく変ってくるのである。そしてやがて一宗の元祖が誕生するのである。これは思想家から宗教家への変貌である。道師の「隠遁の思あり」というのも己心の法門をさしているのであろう。その中心にあるのが本因の本尊であり、御宝蔵に収まって秘密の意を伝えてきているのであるが、伝統法義では顕呂の辺をとっているようである。そして本来の秘密甚深の処は惜しげもなく邪義として切り捨てられているのである。最早ここまでくれば寿量文底といえるようなものではない。
 顕呂の辺に本因の本尊を見ようとして天台学を研究した成果が、本尊を本果と定めたのである。根本の時が誤っていたのである。ここまでくれば、小手先だけで乗り切ることも出来ないであろう。本尊が本果ときまれば戒旦も題目もまた本果である。戒旦も像法ときまれば、真蹟とかち合うようなことはないが、世界広布にはつながらないように思われる。これは本因即ち滅後末法が条件のようである。護法局も出来て数年を経ているけれども、一向に折伏成果の情報は入ってこない処をみると、未だに活動は始まってはいないのであろうか。本尊も本果となれば一閻浮提総与の意義は無意味なものになるであろう。
 口を閉じたことは事をもって秘密であったことを示しているのである。この秘密を己心と受け止める必要があったのである。伝統法義主も口を閉じて一年余を経過したが一向に前進の気配はない。邪義主もまた沈黙を守っているが、春は万物皆萌える時である。皆さんは何故萌えないのであろうか。そろそろ強烈な一撃があるころではなかろうか。委員会も時局法義の研鑽成果は上がらないのであろうか。せめて本仏や本尊だけでもその秘密である所以を承知し、信者にもよく周知せしめる必要があるのではなかろうか。文字の上にのみ解決を求めるのは「学はいらない」という宗門の持論にも反することになる。事に解決を求めるべきではなかろうか。
 文字のみに頼れば、既に経験したように迹仏世界に帰るような事にもなる。それは受持がないからかもしれない。若し受持があれば仏法世界にも出られるし、安心してそこに居ることも出来るが、受持がないために、時に釈尊を無用の長物視するようなことにもなる。いよいよ困れば爾前迹門に頼るような事もする。これらも受持がないのが根本になっているためではなかろうか。受持即持戒、受持即観心というが、成道には必ず受持が必要なようである。仏法に受持を忘れることは、わたましに妻を忘れ桀紂が身を忘れ、冨木さんが経を忘れた以上である。仏法に受持を忘れては成道がないことになる。仏法は受持によって始まっているのである。今こそ受持を再確認すべき時である。受持は山田や水島にも謙虚さを与えるであろう。受持は既に開目抄の冒頭の処に収められているようであり、開目抄そのものが受持から開けているように思われる。
 己心の法門を邪義といえるのは受持がないためである。釈尊からの受持も宗祖からの受持もなければ、最早仏法とはいえないであろう。水島法門はそのような位置にあるように思われる。威張りながら天台教学にたどりついた時に大きな落し穴があったのである。五十七年度から掘り下げられている大穴は、這い上るにしても容易なことではあるまい。自業自得ということである。己心の法門を邪義と決めることは、日蓮が法門一切を抹殺することである。そこに伝統法義の必要があったのであろうが、これも長くは続かなかったようである。
 今は新しく第三の法門に構想を馳せているのであろうか。目下の処は法門的には空白状態のように思われるが、現実にどのような法門をもって宗を支えているのであろうか。己心の法門は邪義ということで自ら切って捨て、伝統法義もたたかれて捨てざるを得なくなった今、どのような法門が宗を支えているのであろうか。或は現代の天台学者の研究成果をもって代用しているのであろうか。他処ごとながら気掛かりなことではある。伝統法義は一見威勢はよかったが、五月の鯉の吹き流し、一向に中身がなかった。そのために信者からの反撃もなかったようである。事実は反って不信の輩の見解に寄る気配を見せ始めているのではなかろうか。
 既に時は移ろいを見せつつあるようである。一日も早く方向転換して本来の大石寺法門に探りを入れる処ではなかろうか。仏法を立てる大石寺では必ず時に敏感でなければならない。時に対する敏感さの中には、案外未来に通じるものを持っているのかもしれない。時を忘れて爾前迹門の教学のみを暗記することは危険である。時がはっきりすれば不用なものは捨てることも出来る。それによって始めて蓄も出来るのである。時さえ確認しておれば、己心の法門を邪義と決めることも、伝統法義を唱え出すことも、その必要は全くなかったということであったかもしれない。
 七百余年の伝統をもつ己心の法門を捨てて天台法門にたどりついたということは、それだけ法門について定見がなかったということである。天台教学から新しい法門を求める力があるとも思えない。反って自宗の法門を崩されるのみである。結果はそのように出たのである。そのために更に混乱に拍車をかけたのである。それが唯一の収穫であった。そのために今に沈黙が続いているのである。沈黙を続けていることは、未だに立直りが出来ていないことの表われである。見通しはもっているのであろうか。
 山田・水島程度の教学をもって立直るというようことは恐らくはあり得ないのではなかろうか。教学の筋が違っているように見える。自信を持っている程、現実には威力がないように思われる。教学そのものの再検が必要である。所持する処の教学が、大石寺法門と余りにも離れすぎている。これでは教学もその真力を発揮することは出来ない。反って逆効果を生むこともある。二年四ケ月無定見そのものであった。そして常に他宗を気にしていたようであった。
 「正しい宗教と信仰」でも専ら他の攻勢のみを気にしているようである。そのために独自の境地が開拓出来ないのである。それは反って相手に口実を与えるようなことにもなるものである。そのような中で、常に弱い者へ矛先を向けようとしているのである。そのために掛け声程効果があらわれないのである。現代流な文献学をもってしては、三世超過の法門を崩すことは出来なかった。時を超えることが出来なかったのである。それが分れば「己心の法門は邪義」というような暴論は早々に撤回すべきである。それがなければ、いくら二重三重に高座をしつらえてみても、右手を振り上げてみても効果を上げることは出来ないであろう。
 時局法義という時局とは時を局ることである。軍国時代に好んで使われたものをもって何故迹門に局るのであろうか。いかにも悲壮感が充ち溢れている。何故文上に局るのであろうか。最も理解出来ない処である。体質的に似た所があるために好んで移入されたのであろう。わざわざ文の上に居を占めて文底に対そうというのである。文上こそ真実と考えているのであろう。文上優位と考えるために時局の二字が必要であったのであろう。言葉の魔術である。このような魔術に魅せられるような体質を既に備えているのである。それが明治教学を通して入ってきているのである。
 御書には常々数々見擯出とか悪口罵詈等の語が使われているが、宗祖は受ける立場にあり、阿部さんは与える立場にある。これは阿部さんが偉いからであろう。或は文上文底の相違がこのように現われるのかもしれない。これで見ると宗祖は常に弱者の立場に居るように見える。阿部さんも常に貞観政要でも読んで法主の徳を備えてもらいたいと思う。そして部下の諫言を求めるような主徳を備えてもらいたいと思う。  

 神本仏迹か仏本神迹か
 仏法を立てる時は神本仏迹と出るようであるし、仏教では仏本神迹と出る。今は仏教に依るために仏本神迹と出ているようである。明治教学では当然仏本神迹と出るようになっている。主師以前は神本仏迹と出ているのであろう。宗祖の処では神本仏迹でないと意味の通じにくい処が多いように思う。応仏のもとに法を立てれば仏本神迹となるのは当然のことである。若し主師親をとればそれを所持しているのは日本の民衆であり、世俗に居るものであるから、そこに建立された仏法であれば当然神本仏迹である。
 仏法によるか仏教によるか、それによって神本仏迹ともなれば仏本神迹ともなるのである。時が決めることである。「仏教概観」では仏本神迹と出るようになっていて、今もそのまま踏襲されている。ここでも宗祖とは反対に出ているのである。六巻抄では終始一貫して己心の上に説かれているので当然神本仏迹と考えざるを得ない。そして発端から室町の終りまでは神本仏迹であるが、徳川以降は寛師の前後を除いて仏本神迹に変っているように思われる。今は専ら他宗に同調しているので仏本神迹となっているのである。今の仏法は宗祖のいう仏法ではなく、釈尊仏法に近いものをもっているのである。日蓮仏法は諌暁八幡抄に明らかにされているが、そこからは仏本神迹は出ないであろう。
 今いう処の日蓮仏法は釈迦仏法・日蓮仏法と並べて考えなければならないものがある。日蓮のみのものではない。仏教の中で考えなければならない。どこかに飛躍した部分が蔵されているようである。迹仏世界にありながら独自の仏法である日蓮仏法を称えることは出来ないと思う。これは本来報仏世界にある故である。今は唯時を除いた処で語られているのである。これでは他宗には通じないであろう。法門としては筋が通っていない。時によらない仏法は、恐らくは成り立たないであろう。受持を忘れているようである。仏法の仏の字は受持を示しているものであろう。
 明治教学を根本とすれば迹仏の仏法が或る時突然開目抄の仏法と、何の予告もなしに入り替るのである。今の仏法にはそのようなものを持っている。そして開目抄の仏法については一向に明かされないのである。どのようにして現じたのか、どこにあるのか、何れの時にあるのか何一つ分らないのである。そしていつの間にか御本仏日蓮大聖人の仏法となっているのである。その辺の処はもっともっと明かさなければならないと思う。それらは四明流からは求められないものばかりである。日蓮仏法を唱えながら仏本神迹をとれば、日蓮仏法は釈尊仏法に等しいものと解さなければならない。しかも事実釈尊の仏法とは全く異った処で使われているのである。この辺りに特に不明朗な処がある。
 最近は本因の本尊については辟けたようであるけれども、本仏は姿をかくすわけにもゆかないであろう。この辺りはどのように考えているのであろうか。これは教相以前の処である。台家は後廻しになっても、まず当家の筋を立てなければならない。この本仏の問題も大きなものを抱えているように思う。悪口で簡単に片付けるわけにいかない大きな矛盾を持っているのではないかと思う。覚醒運動も信心の上にのみ考えず、根本の問題について自らの覚醒を促がすようにしてみてはどうであろう。それは信心ではなく、信の一字に通じるであろう。又、信心の覚醒にもつながるであろう。
 御書は和字たるべしという和の字に神本仏迹を含んでいるようである。梵漢和と東に漸れるのは仏教であり、和漢梵となれば仏法である。仏法は坐らにして梵に帰ろうというのである。それがいつの間にか仏本神迹に変ったのである。それは他宗との交流が深くなった極く近代のことである。教主を応仏と決めた時、自動的にこのようになったのである。
 諌暁八幡抄では仏本神迹を神本仏迹に切り替えられようとしているように思われる。和国の主張も高まってくる時、釈尊を本地とする八幡大菩薩から八幡大神へ、そして応身天皇と、三段構えの中で釈尊が迹に八幡大神が本となるのである。これは開目抄・本尊抄の意を改めて強調されたのではなかろうか。この時梵漢和が逆次に和漢梵となり、仏教が仏法に変るのである。この仏法も今は仏教と変ったように思われる。そして再び仏本神迹に帰ったのである。何れの文証に依ってこのように替えたのであろうか。文証なくんば邪義とは水島御尊師の言である。ここは公正な扱いを求めたいと思う。人には文証を求め自分には示さないでは不公正である。
 開目抄は法華文上から文底への切り替えが主眼であり、本尊抄では釈尊から上行への切り替え、右から左への切り替えが主目的のようである。諌暁八幡抄を加えて三抄三様の切り替えを示されているが、内容的には何等異なるものではない。それほど慎重に扱われているのである。それが時の切り替えなのであるが、このようにして現わされた文底も、その苦心のあとは殆ど忘れられているのではなかろうか。
 時については悪口の対象外になっているのか、今まで何の反響もなかった。何れの御書も無時と決めた上で読んでいるのであろうか。それでは出るべきものも出ないであろう。本尊抄の本時の娑婆世界の次の本尊の為体も、時を除いたために本のままに迹門の上に解されているようである。若しそこで時の交替が確認されるなら、必ず文底と出なければならない処である。しかし今は専ら在世末法によっているようである。そのために上行出現と文底とが今一つぴったりこないのではなかろうか。しかし、ここでその儀式が除外されるなら、上行の世の訪れは、恐らくあり得ないであろう。本尊の為体はその切り替えの処、即ち授受の状態を図式されるためのものであり、これは在世から滅後への交替の儀式でもある。亦交替がなければ本仏も出現することは出来ないであろう。本因の本尊もまた顕現することもあり得ないであろう。
 本尊抄では釈尊から上行への授受が示されるのであるが、その上に印度の右尊左卑から日本の左尊右卑への交替も含まれている。釈尊・天皇は南面であるがここでは北面の武士をとる。即ち貴種から庶民への交替である。地上の樹木を釈尊に譬えるなら、上行は地下の根である。地上の功徳は地下の根に集まる。即ち上行が当主となって釈尊と交替する。これが隠居法門である。今も客殿の中に山法山規として残されている。座配を見れば、大石寺が文底に法門を立てていることは分るようになっている。それが山法山規であり、事に行ずれば理の説明は必要ない。そして今も昔ながらに伝えられているのである。
 本尊の為体の処を事行によって示されているのであるが、今はそれとは関係なく、釈迦牟尼仏から釈尊の眷属上行等への交替は行われているようでもあり、行われていないようでもある。今は大体において行われていない迹門と解釈し、本尊も本果と解釈しているようである。折角残されているものであるから、山法山規として確認した方が、法門の解釈の上にも役立つのではなかろうか。山法山規は分らないものでは、御先師方に申し訳も立つまいと思う。この意味が分れば本尊を本果と決めることもなかったと思う。これは邪義・魔説に入るのであろうか。まつ毛の近きと天の青きはこれを見ずという処か。
 この隠居法門に示されたのは本因の本尊であって決して本果の本尊ではない。これが客殿の奥深くまします本因の本尊である。この本尊が明星池に映るのであって、明星池の底から肉身本仏がニュッと顏見せするようなものは客殿には存在していないようである。二年四ケ月に亘る研鑽の結果は右尊左卑に収まったようであるが、些か研鑽不足の感がある。そして或る時は釈尊、或る時は上行と二重構造になっているようである。そして結局は仏本神迹の処に落ち付いたようである。そのような中で悪口雑言は続けられてきたのである。
 本尊抄に「不軽菩薩は所見の人に仏身を見る」とあるが、所見はしょげんと読むとあらわれるの意であり、見は現と同じ意である。不軽菩薩は本来姿がない。若しその姿を見たければ、悪口雑言を受けたもの、数々見擯出を受けた者を見ればよい、その者の姿が不軽菩薩であるという意味である。他の仏菩薩のような固有の姿はないという意味である。日蓮紹継不軽跡も数々見擯出、悪口雑言を根底において考えれば分り易いと思う。そして不軽は用、上行は体ということで上行に収まるようになっている。
 上行も本よりその姿はない。姿のないものが再誕することはない。話はここから始まっているのであろう。数々見擯出、悪口雑言がなければ、その姿を見ることは出来ないのである。山田も水島も阿部さんも、不軽菩薩の姿を見せるために悪口等を繰り返しているとは誠に奇特なことである。この文に誘われて亦悪口をやれば、不軽菩薩をあらわした功徳は我が身に立ち帰るであろう。そして中間が省略されると上行日蓮が再誕ということになる。これは読む者の読み方一つによって決まることであり、上行日蓮は必ず誤りと決め込む事も出来ないと思う。そこは昔と今とは読む者の蓄の程が違っているのである。
 消されたものを再現しなければ、上行日蓮は再誕することもなければ上行後身の日蓮の出現もあり得ないであろう。しかし近来はこのようなことは殆ど消えたようである。他門から小突かれたことは殆ど整理されている。他との摩擦を避けようとする跡は歴然たるものがある。仏法から仏教に移ったのも、己心を邪義とすることも、本因の本尊が消されたことも、全て他をはばかった結果ではないかと思う。
 「正しい宗教と信仰」でも文面では可成り整理の意図は表に出されているようである。しかし、これは決して内から滲み出たものではない。そこに警戒の必要があるのである。いきなり己心を消してしまえば簡単なようではあるが、反って複雑な結果を残したようである。この後始末は山田や水島の技倆の到底及ぶ処ではない。も少し慎重さの欲しい処である。あまりにも激動が続いているようである。小手先の修正でなく、抜本的な修正の必要な時である。
 不軽菩薩は所見の人に仏身を見るとは、不軽菩薩は常住に等しい程である。今の宗門は不軽菩薩出現担当のようである。当分種切れになるようなこともあるまい。そのために「本尊の為体」を絵像木像にする必要はないかもしれない。中央の妙法蓮華経は師弟子の法門の姿である。功徳が根に聚った姿である。また隠居法門の極意でもある。主と臣の間、親と子の間、師と弟の間、そして主と師と親の間、それをつなぐのが信であり信頼である。その信が法門となり本尊と現われるのではないかと思う。それが信の一字である。
 中央の妙法五字は師の処に主親の功徳の収まった姿であり、師弟の姿そのものであり、これを師弟子の法門とも隠居法門ともいうようになっているのではなかろうか。これを、大木の育ったのは大地の底にある根の功徳であるというのが、功徳は根に収まると表現されているように思われる。このようなものが集まって師弟子の法門という語が出来ているのではなかろうか。しかし、今は全てに差別が先行しているために、師、弟子を正(糾)すというようなことが通用するのであるが、そこには遺憾ながら功徳が根に聚まるような法門的なものは、かけらも伺うことは出来ない。全て文上一辺に収まり、そこから差別法門が出ているようである。
 師、弟子を糾(正)すのは、自分を最高位において他を傘下に集めて統制するには最も都合のよい方法である。中央集権的である。それは最後には僧が信者を糾(正)すことにもなるのである。そこには師弟子の法門のような大らかさは全く失われてくる。そしてこの師弟子の法門は、がっちりと大地の底に根を下して後に芽吹くのであるが、今の大石寺法門は根張りが不十分なのか、常にぐらついているようである。師弟一箇の処にある南無妙法蓮華経が師弟各別と解されるなら、安定を欠くようになるのも止むを得ないであろう。そして中央の題目もまた安定した解釈があるのかどうか伺い知ることの出来ないものである。
 本尊は軽々しく論ずるものではないといっている間に、肝心の処が次第に薄れてきているような感じである。本果を確認しては本尊も安定を迎えることは出来ないのかもしれない。昔明星池に映った本尊は、今はどこに影を映しているのであろうか。今の時は池に姿を映す必要はなくなったのであろうか。それでは長寿の確認も困難になるかもしれない。勿論己心の法門は消え、時の交替もなくなり、鏡の御影の意味も消えては、左右も亦混乱を起すであろう。
 山法山規は分らない。折角事に行じながらその意義もつかめないでは無いに等しいものである。理は分らない、事に行じながらそれも自覚出来ない。それでは何をもって本尊と知るのであろうか。只信心のみがこれを知るということであろうか。信の一字をもって成り立っていた師弟子の法門は、今は信心によって本尊を建立し、師弟子の法門も成り立っているのであろうか。凡愚の及ぶことの出来ない甚深の聖域である。そこには開目抄や本尊抄の根源になっている己心の法門をも邪義と決める異様な力を備えているのである。どうしてそのような力が湧いてくるのであろうか、最も解しがたい処である。とも角そこには本仏日蓮を遥かに凌ぐような強力な力を備えているのである。
 亦、釈迦多宝を脇士となしという読みについて他から異論があるという事も聞いたことがあるが、そのためには本時を迹時と読み替えなければならない。迹門にあっては釈迦多宝を脇士とするのは不都合であるが、本尊の出現している処は滅後末法の世を迎えているのであるから、既に受持も終り己心の上に仏法世界を成じている。そこに本尊は出現しているのである。本尊抄の流れからこれを迹門と見ることは出来ないであろう。
 また釈迦牟尼仏と釈尊を同じ時に並べ、釈尊の眷属の四菩薩を釈迦牟尼仏の眷属とすることも出来ないであろう。それでは文上迹門と文底本門との時が混乱を生じることになる。時の混乱、即ち仏法に出ている本因の本尊をもって仏教の本果の本尊とすることは出来ないであろう。ここでは本時の娑婆世界即ち己心の法門の上の娑婆世界を指しているのである。ここの処を大石寺では隠居法門として伝えているのである。
 釈迦牟尼仏から釈尊の眷属への交替を忘れては本尊は出現しないであろう。これをもって迹門文上に出現した本尊とすることは出来ない相談である。それを確認した上で改めて迹門に考えるのは別問題である。若しこの本尊を迹門に出現したと考えるなら、本尊の為体以後は解釈は付かないであろう。発端からの本尊抄の流れを再検すべきであると思う。この流れにそむいた解釈は頂くわけにはゆかない。
 今では宗門も何となく迹門を考えているのではなかろうか。そのために本尊を本果と決める羽目に立ち至ったように思われる。若し迹門と決めるなら隠居法門は成り立たないであろう。また本仏も口にすることは出来ない、仏法や下種仏法を唱えることも出来ないであろう。そこは最早や御本仏日蓮大聖人の住処とはいえないからである。早々に左尊右卑も元に返さなかればならない。
 今は時節の混乱時代である。大石寺では、他門では想像もつかない矛盾に遭遇するのである。あせればあせる程その矛盾はますます拡大するのである。今のような混乱の時には、左と思ってやれば右と出る、前と思ってやれば後と出る。破折したと思ってやれば賛同と出る。全てが自らの意図した処とは逆に出るのである。既にそのような逆転が始まっているのではなかろうか。これを止めるためには仏法に帰る以外に方法はないであろう。既に時は逆転を始めたのである。これは悪口雑言位では止めることは出来ないであろう。たかが不信の輩一人位と思っても、今の時の流れを止めることは出来ないであろう。火に油を注ぐのは最も愚かな方法であることを知らなければならない。
 今の混乱を救うのは、時を除いては出来ない事と思う。護法局も折伏を始める前にこれらの鎮静化を計らなければならない。時をも弁えず天台教学のみに意欲を燃やしたことが、却って油の役割を演じたのであろう。天台学はやってみたけれども、プラスになったものは一としてなかったようである。まず事を始める前に冷静に時を考えなければならない。己心の法門はそのようなものを持っているのである。己心の本尊を破折しようと思ってやれば、また再び愚を繰り返すような事になるかもしれない。ここの処は慎重に構えてやってもらいたい。猪突は禁物である。どのように己心の本尊が破せるか、これは天下の見物である。ここの処は、時局法義研鑽委員会を改めて、己心の法門研究会でも発足させた方が賢明なように思われる。是非再考を煩わしたい処である。時局という語をもって悲壮感をあおったけれども、結果はどうやら逆に出たように見える。何れにしても宗門が己心の法門を邪義と決めたことは一生の不覚であった。
 目前にある隠居座を山法山規と見ることも出来ず、山法山規は分らないということであるが、立居振舞の中に今も多く残されているのではなかろうか。客殿に坐っただけでも左尊右卑の法門を身をもって行じているのである。本仏の振舞という程、特に客殿の中に山法山規が充満しているのではないかと思う。それ程法門は衆生の体内体外に充ち溢れているのであろうが、今は法門の立て方が変ったために、そこに在りながら分らなくなったのであろう。しかし、これが分るためには己心の法門を信じる以外には方法はないであろう。
 そして神本仏迹も知らず識らず身をもって行じてきたのであるが、今のように迹門に立ち帰ってみれば仏本神迹に変るのは何の造作もいらないことである。以前は全てが自受用報身如来のもとにあったけれども、今は本仏や本尊を求める時にのみ報身如来は出たが、その他については一切出番がなかった。それ程変ってきているのである。状況からいえば絵像・木像がいつ出来てもおかしくないようなことになっているのである。それでも絵像・木像を禁じる処は自受用報身の聖域として残っているが、次第にその領域は狭められているようである。
 開目抄や本尊抄、諌暁八幡抄その他の重要な御書は全て神本仏迹である。仏法を根底としているもの全てそのようになっていると思う。しかし今は仏教に変ったために仏本神迹となっている。全く逆になっているのである。アベコベである。その順を目して逆というのである。今はそのような雰囲気になってきているのである。逆も逆真反対というのがそれである。仏教から仏法へ、仏本神迹から神本仏迹へ、そして世間にあって新しい思想を育ててきたのが仏法である。今はこの面の研究が出来ていないために、思想の発展の迹を伺うことも出来ないのである。その根本資料ともいうべき大石寺の山法山規事行の法門も、最近は急激に薄れてきたようである。それを知るための従義流関係の資料は殆ど皆無に近い状態ではないかと思う。そのような中で、事行の法門は最高に貴重な資料ではないかと思われる。
 扶桑記も諌暁八幡抄に引かれたもののみが残っているのであるが、これも従義流で出来たものではあるが、後に四明流によって消されたのではないかと思う。従義流は、今は中古天台といわれて斥われ者になっているが、伝教には近いものを持っているように思われる。従義流については、実は何も分らないのが本音であって、ただ御書を通して知るのが精一杯である。また天台では中古天台といわれているけれども、これもそれ程明きらめられているわけでもないようで、結局は分っていることだけが分っているのであろう。
 興風の第五号には大黒喜道師の労作として台当異目が載せられているが、「台」は行師の写本を写した永師の肝心要義集であるが、それが後の所謂中古天台によるか四明流によるかでも、又「当」が全面的に四明流を受け入れた以後か以前かでも違ってくる。そこでは肝心要義集は比較的古い時代のものであり、永師の時代には主師以前に書かれたものも、口伝えのものも、まだまだ残っていたのではないかと思う。それによって台当を決めたことは内容的にも信頼がおけるのではないかと思う。一口に台当と称しても種々な考え方によっているものがあるから複雑である。根本を従義流によっているものと四明流によっているものとでは、台も当も同一に論じることは出来ない。
 今の宗門が若し台当異目をやれば「台」は現在の天台教学がそのまま出るであろう。そして「当」は更に複雑になってくるであろう。結局は台当異目にはならないかもしれないのではないかと思われる。日蓮正宗伝統法義とやらいうのが最もよくこれを証明している。これが日蓮正宗要義を指しているのかどうかということも分らない。明治百年以後に出来たものを指しているようにも思われるが詳細については知るよしもない。若しかしたら二、三年前に出来たものかもしれない。そのような中で日蓮正宗伝統法義の語が使われているのである。簡単に五十ケ条にでもまとめてみてはどうであろう。それならば委員会も引き際を飾れるかもしれない。夏の夜空の花火のように威勢よく華やかではあったけれども、跡に何も残らないでは後からの研究も検討も出来ないから、是非まとめて後代に残してもらいたい。そうでもしないと、委員会の成果は何一つ残らないということになる。是非手掛けてもらいたい。
 末法に入り百年近くたって始めて法然の手により仏教に依る救いが始まったのであるが、日蓮が出るまでには更に百年の年月がたっている。この時は仏教のみではなかった。法然の時は中国で整束された浄土教をそのまま日本に布教する方式であったが、日蓮の時は仏教のみではなかった。現在の風俗習慣の中に後から割りこんでゆくものとして、神道との融合をはかっているように思われるが、浄土経にはその下地がなかったために仏教としての布教が始まったのかもしれないが、法華経は既に漢訳の時に充分中国の古い思想は盛り込まれていた。そして別に漢籍としても渡ってきて新しい思想も既に出来上がりつつあった。日蓮の場合は法華の布教のみでなく、事前に思想的に消化されているのではないかと思う。当時は従義流による盛り上がりも整いつつあるときであった。それを己心の上に魂魄の上に捉えたのではないかと思われる。そのような中で神本仏迹も自然に出来上がっていったのではなかろうか。
 滅入り込んでゆく末法思想から悦びを見出だして立ち上がってゆく末法への転換は、既に鎌倉へ入って間もなく始まったのか、或は平安末期には可成り進行していたのかもしれない。梁塵秘抄にも民衆の立ち上がりの様は色々と見えるようである。そのような、梁の塵にも等しい民衆の動きを秘めた処に梁塵秘抄の意義があるのかもしれない。ここには貴族の動きについては記録されていないけれども、梁塵の動きについては事詳細に記されているかもしれない。次の機会には是非一つでも二つでも拾い上げてみたいと思う。
 梁塵とは歌声に応じて動き始めた民衆そのものを称しているのかもしれない。後白河法皇は敏感にそのようなものを感得していたのであろう。それは法然・親鸞を経て、日蓮に至って百余年後確実に捉えたのである。法皇は百年を遥かに過ぎた後の世を心に浮べながら、後世のために記録として残された。それが梁塵秘抄であろう。未萌を知っていたということである。即ち法皇もまた末法の転換期における先覚者であったが、あまり先が見え過ぎて、先を急いだ処に鹿ケ谷の失敗があったのかもしれない。そして二百年後には梁塵は一々に立ち上がった処は世直しである。平安末に既に刹那にこれを感得されていたのではなかろうか。どうもこれは己心の法門の領域のようである。若し宗教の側から見れば信仰的には絞りが足りないということになる。これは見方の相違である。
 俊寛僧都は従義の流れを汲んでいるのではなかろうか。しかし今の宗門は従義流でないということを表明するのにヤッキになっており、四明を天台の正統と仰ぎ、全面的に四明流になり切ったようである。しかし、これでは折角ながら本尊も本仏も永遠に出現することはあり得ない。それ自体本仏や本尊の抛棄である。本仏や本尊を見捨ててまで逃げることはないであろう。これは今の宗門の技倆をもってしては、四明流から本尊を取り出すことは出来ない中での出来事であるだけに、問題は後に残される。今は本尊の取捨存廃を巡って大混乱に陥いっているのが現実である。四明流からどのようにして本尊を見出だすつもりであろうか。もし出来なければこれらは即時に抛棄しなければならないであろう。
 今まで本尊抄に決められた本尊を捨てたためしはない。七百年後始めて大石寺に依って問題として取り上げられたのである。早々にその方法を公表しなければならない責務があると思う。本尊抄に代わるものを作らなければ事は落ち付かないであろう。恐らく従義流から逃げきることは出来ないであろう。明星池から三世常住の肉身本仏が毎夜顔を見せるのも、そのような中での一コマであったのかもしれない。己心を邪義と決めて解決出来るような簡単なものではない。見通しが甘すぎたようである。
 観心の基礎的研究の中には、一向に本仏や本尊を伺うことは出来なかった。それは観心が違っているためである。改めて研究をやり直す必要がある。逃げ切ることも出来ず、結果は本仏本尊を否定したに止まったのみで、この問題のみが後に残されたのである。あまり優秀な発想とはいえなかった。水島のいう観心は本尊につながらない観心である。同じく止観第五等の諸文を使ったものは幾つかあるが、本尊抄の初文と同じ文を使っている杉生流の口伝では本尊につながっていない。途中の扱いが違うのである。本尊抄とは基礎研究の方法・方向が違っているのである。
 本尊を見出だすためには少し御脳の方が不足しているようである。努力もまた不足しているようである。五十七年度の卒業論文に全力を使い果したためか、一つ的を外れると中々立ち直りはむづかしいように見える。今度は己心の本尊に全てをかけているのであろうか。一つ間違えば本仏も本尊も破棄するようなことになるかもしれない。ここの処は余程慎重にやってもらいたい。そろそろ論文の発表も近づいているようである。自ら本仏や本尊を破棄してかかっては、折伏もまた捨てなければならない。
 観心の基礎的研究の失敗が折伏を止めているのであろうか。その失敗とは途中で迹門から文底本門に切り換える作業が抜けているのである。一挙に追い詰める筈のものが反って封じ込められる羽目になったのである。その反省会議は終ったのであろうか。四明流さえ取り上げれば他宗は即刻仲間に入れてくれると思うのは少し考えが甘すぎたようである。
 今の水島の技倆をもって己心の法門を邪義と決め、本因の本尊を破棄することは容易な業ではないであろう。それでいて尚且つ止められないのは唯悲壮感のみという事であろうか、特攻隊精神ということであろうか、一見似ている面はあるが、大石寺法門とは違っている。観心の基礎的研究では本果の本尊も求め得られないであろう。若し独一をとれば悲壮感にはつながらないであろう。しかし独善に近いものを持っているのである。そのために宗祖との間に隔たりを作ってきたのではなかろうか。
 宗門もここまで変ってくれば、色々な矛盾に出会うであろうが、恐らくは解決出来にくい問題のみではないかと思う。水島の強気をもってしても解決出来ないもののみではないかと思う。それをどのようにして凌いでゆくか、それは明日の課題である。観心の基礎的研究では紙幅の本尊を見出だすことは困難であろう。いよいよ本果時代の幕明けである。次の教義と仏本神迹とは不即不離の関係にあり、公然と仏教に帰れば流転の幕明けでもある。いよいよ還滅ともお別れである。次は流転門の中にあって、どのようにして本仏を求め本因の本尊を求めるかということである。月氏に仏法が渡るべき夢はあえなく崩れ去ったようである。
 「日蓮は一宗の元祖にもあらず、何れの宗の末葉にもあらず」ということは、思想的な救済が目標ではなかったかと思われる。そのため神本仏迹も取り上げたのではなかろうか。今では専ら一宗の元祖とのみ考えられている。これは最も好都合であるためであろう。しかし、今目前の状態は鎌倉当時そのままである。仏教は何れも救済を抛棄した状況である。物質文明の前には仏教も救いの手を引かざるを得なくなったのであろう。現実は最も好くこれを証明している。大石寺でもどうやらお手上げのようである。さて二十一世紀の救済はどのようになるのであろうか。結局は自力をもって自分を救う以外に好い方法はないであろう。折角仏教に帰ったのであれば、仏教として衆生の救済を考え直さなければならない処である。
 とも角、今のような方法では次の二十一世紀には通用しないかもしれない。ただ有難い、信心しなさい、信心すれば御利益があるでは衆生もなかなかついて来てはくれないであろう。ここで一工夫も二工夫もいる処である。そうかといってよい智恵が出るわけでもあるまい。思い切って己心の法門に帰る以外によい方法はないのではなかろうか。神本仏迹は大地に根ざした方法である。仏法に帰れば即刻神本仏迹である。そして開目抄や本尊抄に根本をおいて立ち上るのが最もよい方法と思われる。
 己心の法門は日本国の民衆を基盤に建立されている処に意義がある。印度に己心の法門がないから邪義というのであれば、大きな見当違いである。仏法はあくまで日本を祖国として建立されているものである。それでこそ、仏法が月氏に帰るべき瑞相などと使われるのである。仏教の東漸は印度から、仏法は日本からというのは、昔から決められているのである。
 昔は大石寺では注連縄を張って正月を祝ったことが宗学要集に載っているが、今ならもっての外の大謗法である。それ程変ってきているのである。これは大石寺は表であるためで、北山本門寺は裏であるから注連縄は張らないという。表とは正式の意味である。注連縄を張るのが正式であることは神本仏迹の意である。北山は略式であるから、学問所であるから仏本神迹でもよいという意味かもしれない。法門は神本仏迹の処に立てられている証拠である。主師の時までは伝えられてきたことであろう。その後は京なめりになったものと思われる。
 台家一本に絞られるなら、それは仏本神迹も充分理解出来る。教相が重点的に扱われると仏本神迹になるのは避けがたい処である。そのために己心の法門を用意して始めなければならないのである。教相一本になれば談義のみに集中して宗祖とは益々遠ざかるであろうことは、既に経験ずみの通りである。注連縄・談義共に充分山法山規の内容は備えているのである。あまり身近にあり過ぎて山法山規は分らないのかもしれない。雖近而不見の故であろうか、教義が変ったために最も遠ざかった故であろうか。己心の法門に臀を向けていては見えないのも無理からぬことである。まずは正対する努力が肝要である。
 己心の法門を邪義と決め、仏教に根を下ろした処から見れば「狂いに狂った狂った狂った」ことになる。若し己心の法門に正対して考えるなら「狂いに狂った狂った狂った」のは阿部さんということになる。これはアベコベになる。しかし日蓮の門弟を名乗るためには、まず己心の法門を確認しなければならない。これではお話しにならないのも当然である。宗門の悪口をいうというのも同じである。何れが悪口を言っているのか、まず基準になるものをきめなければならない。心の赴くままに悪口と称してみても、第三者は賛成してくれない。それは独善方式によるからである。独善も漸く最高潮に達したようである。そのうち、川澄が己心の法門を邪義と言っているということになるかもしれない。既に「正しい宗教と信仰」では悪いことは全て他宗に押しつけているのであるが、これでは他宗も話し相手にはなってくれない。反って追い込まれる恐れがあるであろう。
 己心の法門を邪義と決めて一挙に追い込もうとしたようであるが、結局追い込まれたのは自分達であった。文字通りアベコベ法門である。今度は己心の本尊を邪義と決めて追いこもうというつもりであろうか、これは余り感心した方法ではない。日蓮といえども、己心の法門を邪義と決めつけられ、悪口されたのでは黙っているわけにはゆかないであろう。宗祖を敵に廻したのは阿部さんの一生の不覚であった。それでも常に自分を正と決めて他を邪と判じるのである。それ以外に前後左右の分別も出来憎くなっているのではなかろうか。
 仏本神迹ではいくら力んでみても「本尊の為体」は出現しない。この本尊は仏法の上にのみ出現するものである。その故に神本仏迹が不可欠なのである。この本尊の現ずる前には既に時の交替が行われている。そこに受持の必要があり、まずそこで魂魄に変り神に変っているのであるが、今は魂魄は認めず、代りに釈尊をすえているが、それも釈迦牟尼仏のような感じである。そのために本尊が本果と現われ迹門となっているのである。
 その神(たましい)が八幡大神となれば本であり、八幡大菩薩となれば迹である。釈尊を本として日本に垂迹した八幡大菩薩が八幡大神となり、更に応神天皇となった時、神本仏迹が成じるので、扶桑記はそのようになっている。応身は応神と現われたのである。そして日本は応神が本であるし、その周辺にある民衆もまた本である。そこに仏法は建立されているのである。また応神天皇の寿は八十歳、武内宿彌は百八十歳、これまた寿量品に関連がありそうである。
 伝教や日蓮のいう国は必ずしも国家のみを指しているものでもない。法門では民衆の一人々々の処に国を見ているようである。それが閻浮国家であり、それが適当にからみ合って国が出来るのではないかと思う。その国を権力者の側からよめば国家と出る。これは多数の信者を一点に寄せ集めるために、統制のためには最も都合のよいものである。一宗建立以後はこの方法によっているようである。この方法は、大石寺では己心の法門の上に利用されているのであるが、今は己心の法門が邪義となったために独走気味になっているようである。そのために統制が強化されているのである。
 そして神本仏迹で出来たものがそのまま仏本神迹として使われている。そして大地の上に居るべきものが次第に虚空を目指すようになってきているのである。これでは功徳が根に止まるとはいえないであろう。結局大地の上に残された衆生と虚空の本仏の間の隔たりも次第に拡がっていっているのである。師弟各別であれば、師は虚空に弟子は大地にというのは止むを得ないことである。
 己心の法門は必ず師弟一箇の処に成り立っているのである。師弟各別となれば必ず相手に対して常に威厳を見せなければならないが、師弟一箇であれば殊更差別を付けて威張る必要はない。水島なども力以上に振舞ったために間が抜けたのである。これでは本仏の振舞とはいえない。不信の輩・とやらなども、そのために作られた専用語であったが、それ程の効果はなかったようである。師弟各別では純円一実ともいえない。本尊とは関係のない処に法門を立てているようである。もし師弟一ケであれば純円一実でもあれば一切平等無差別でもある。
 もともと大地の上にあって民衆と共に居る筈であった八幡大神は天上したが、今は本仏もまた次第に虚空を目指し、僧も又これに続こうとしている気配である。これで民衆はどのようにして救われるのであろうか。これは今様神天上法門であるが、今は仏本神迹と立てているのであるから、昔のように神天上という必要はなさそうである。現状では、神天上法門も分りにくくなったのではないかと思う。これは神本仏迹でないと理解出来にくいのかもしれない。
 諌暁八幡抄は民衆を捨ておいて天上した八幡大神を諌暁しているのであるが、阿部さんを諌暁する篤志家は居ないのであろうか。またこの抄には民衆を捨ておいて自分一人隠遁した貴族仏教家を風刺する意味を含んでいるのかもしれない。道師の「隠遁の思いあり」というのも、内に大地に踏み止まって民衆と共に苦労を重ねようというようなものを含んでいるのかもしれない。そのために今も宗門の意志とは真反対の山法山規が残されているのである。それは末弟の意志をもって消すことの出来ないものがある。そして知らず識らずこれを行じているのである。
 そのために知と行とが逆に真反対に出るのである。矛盾もまたそこに起るのである。常に現在の宗義とは真反対の行動に出ている。そのためにそれを証明することも出来ないのである。只客殿でその座についただけで左尊右卑の隠居法門は僧俗によって行ぜられており、知らぬは宗門の首脳部だけということになる。信者は行じることが知ることにもなっているのである。このようにいえば阿部さんは増上慢というであろうが、それは自分の知っていなければならないことを知らないと公表したまでで、これはあまり自慢になることではない。むしろ恥じなければならない処である。
 本尊抄では虚空の釈迦牟尼仏から大地の底の上行への授受がある。仏は迹仏から本仏への交替である。そして仏は成道以前に立ち帰る。そこに愚悪の凡夫の世界があるし、また滅後末法の初心もある。即ち末法の始めである。それが本因の境界である。それを確認するために受持が必要なのである。その受持の上に仏法は成り立っている。それが本仏境界なのである。しかし今の宗門は迹仏境界に居るので、未だ受持の儀式は行っていないようである。
 若し受持して居れば迹門に居る筈はない。しかし明治教学は応仏を指しているようである。仏教概観はよくこれを示している。迹仏によるか本仏によるか、これだけは一つに決めなければならない。或る時は本仏、或る時は迹仏、また時あっては双方では、やがて破滅につながる可能性を多分に持っているといわなければならない。本尊も宗に帰する処は純円一実に限らなければならない。己心の法門に二頭三頭は許されないであろう。
 今の本仏は迹仏境界に居るために釈尊を踏み越えなければならないのである。そこは地上の境界であり、功徳が根に集まる以前の処である。本仏境界は功徳が根に集まった処から開けるようになっているのである。これは明らかに時節の混乱である。そのために他領を侵さなければならないのである。そこに水島教学の泣くに泣かれぬ悲劇があったのである。再びあのような過ちは繰り返してもらいたくない。
 己心の上に滅後末法を立てなければ受持も不可能なのではなかろうか。本仏はその境界にあるものである。そのために一宗建立が困難なのではなかろうか。坊号までとか阿闍梨号までというのは、末法初心の限界を示されていて、それが守られていたのは主師までであった。それが昌師以後は坊号寺号と阿闍梨号と院号とが共存して現在に至っているのであるが、これは兌協とはいえないであろう。
 坊号と阿闍梨号とは仏教との兌協線の限界を示されているものと思う。この中には所化もって同体なりの意は充分含まれているのではなかろうか。しかし、今は異体を確認した上で同心を考えているようである。同体であれば同心を取り上げる必要はない。ここに己心と心の違い目があるようにも見える。己心と心が同じとは出てこないように思う。それでも宗門は同じと立てるのであろうか。この違い目は専ら時に依って起っているのであろう。若し時を除けば己心も心も同じということになるかもしれない。宗門の時に対する偽りのない根本的な考え方が表わされているようである。
 同体が異体に変った中で従義流から四明流への移行があるかもしれない。大石寺で異体同心が出てくるのは、それ程古い話ではなさそうに思うが、他門では室町初頭には表われているように思う。教義と深い関係があるのではなかろうか。正信会は専ら異体同心に依っているようである。
 正信会が急に明治教学を守ると切り出した中で、陰でどのような交渉があったのか、それは今の用ではないが、明治教学を守るために必要な事項は正信会報三十六号の巻頭言と論説とに尽くされているのであろう。その中に己心も心も同じだ心にしろというものが基盤になっているとすれば、それは己心の法門を邪義と決めるのと五十歩百歩という処であろう。あくまで己心の法門を切り捨てよという処に目標が置かれていると考えざるを得ない。
 法門的には宗門と全く異なる処はないようである。長い物には巻かれろ方式なら、始めから首を切られる必要はなかったのではなかろうか。折角首を切られた時、何故魂魄佐渡に到ると一言出なかったのであろうか。恐らくは煩悩が強力にこれを拒絶したためであろうが、法門はその煩悩が働く直前に切り去るようになっているのであろう。そこに手抜かりがあったようにも思われる。結局は仏教にありながら本仏を唱えなければならない。それは正信会の持って生れた定業である。
 明治までは帰れても、もし遡れば国柱会か身延か日辰教学以外に帰ることは出来ないであろう。道師や興師に帰れる筈もない。只帰ろうとしても教学が許さないであろう。そして本仏を立てれば神本仏迹であるし、迹仏を立てれば仏本神迹と出る。この融合もまた厄介なものである。そこへ更に西洋思想が大きく割り込んで考え方を替え、益々複雑なものにしているのである。何れにしても、明治教学から現在に至り、不知不識のなかに事行に移している法門に連絡を求めることは最も危険なことといわなければならない。
 外相一辺の中で西洋思想を取り入れることは出来ない。今その失敗が表に出てきたのであろう。七百年前には本来同質のものが、魂魄の上に融合されたのであるから、今の先例にはならない。そこに出来たのが日蓮法門であったが、今は己心の法門も既に打ち捨てられ、日本魂も打ち消され、信の一字も見当らない。信頼感もまた失われて自我のみが育ってきた中でいじめも起っているようである。大石寺でも己心にあるべきものが、自我に変った処で宗義の再編成が行われているようなことはないであろうか。
 今の本仏日蓮は虚空を目指しているように見える。昔、八幡を諌暁した日蓮が虚空を目指すことは顛倒の最たるものである。どうしてこのようなことになったのか。それ程法門が変動を起しているのである。そのような法門を起した者には諌暁が必要になってきているのであるが、ここまできても諌暁しようという篤志家は出ないのであろうか。正信会は本仏天上派なのであろうか、巻頭言及び論説は上行天上の事前工作なのであろうか、何とも解し難い処である。そして自分等も亦追い上ろうとしているのであろうか。なれぬ手付きで天上すれば、久米の仙人の二の舞を演ずるようなことになるかもしれない。凡僧の天上はあまり見上げたものではない。
 己心の法門は門下では受け入れられず、反って南北朝では民衆がこれをもって立ち上がった。それが世直し思想である。どうもこの法門は宗教として不向きなようである。この法門によって立ち上がった民衆の処には金は寄らなかったが、寄ったのは彌勒の金のみであった。若し少しでも法門が狂えば金の方から寄ってくるのであろう。
 弘安三年諌暁八幡抄を著述される前に、何回か京なめりといわれていることは、いかに己心の法門の保ちがたいかということを表わしているものと思う。開目抄が著わされ数年後には放置出来ない程四明流が侵透してきたのであろう。そのために諌暁八幡抄を著して己心の法門の意義を説明されたのではないかと思う。そして滅後間もなく四明流が大勢を支配するようになったのではなかろうか。それが「天台沙門」というような形で伝えられているのであろう。結局四明流によるか従義流によるかの問題のようであり、従義流を伝えたのは大石寺のみであった。そして僅かに仏法という言葉が残っているのみという状態なのである。
 昔は天台沙門と称して謗法ということであるが、今は己心の法門を邪義と称するようになった。これは何といえば好いのであろうか。他宗他門には己心の法門を邪義と称した話は未だ聞かないが、謗法よりは一段罪は重いように思われる。邪義といいながら本仏や本尊、下種仏法などという語は依然として使っているのである。若し真実であるなら、その心の法門からこれを求めて公表すべきであるが、自受用報身も久遠名字の妙法も事の一念三千も、これを心の法門から求めることは出来ないであろう。そして心の法門については、未だに具体的に明らかにはしていないであろう。己心の法門は邪義であるけれども心からは出せない。人の目につかないところでクシャクシャとやっている。これでは魔術的である。これについて予防線を張って魔説とやっているのであろうか。
 一宗建立の根本になる法門であれば、本仏も本因の本尊も下種仏法も、自受用報身も久遠名字の妙法も事の一念三千も、全て筋を通してその出生を内外に向って心の法門によって出ていることを公表しなければならない。それが明らかに出来ないことは無いに等しいものである。御本仏日蓮大聖人の仏法では宗義の部分が不足しているようである。これを充分に説明し証明出来て始めてそこに宗義が建立されているといえるものである。十一字のみで法体とすることは出来ないであろう。
 四明流の立て方には、大聖人も本仏も仏法も求め出すことは出来ないであろう。何れも迹仏世界にあっては求めることの出来ないものばかりである。このような処では己心と心との混同は許されないであろう。今は理の尽き果てた処で強引に乗り切ろうとしているけれども、どうやら失敗に終ったようである。改めて心の立場を明らかにして仏法や本仏本尊の出生を明瞭にすべきである。これらのものを口先きのみで適当に胡麻化すことは出来ないであろう。事は宗義の根本に触れるものであるからである。心とはどのようなものか、己心と比較しながら同異点を明らかにする必要があると思う。
 宗祖が次々に己心の一念三千、我等が己心と数多く使われているものを一方的に、己心も心も同じだというのは、少し無謀に過ぎると思う。同じという理由を説明して筋を通さなければ、単なる私言である。数年の間一向に明かさなかったのは、実は明かせないのではなかろうか。今はそのように理解している。そして己心は遂に邪義といわれるまでになった。そうなれば心も邪義である。これでは自壊である。破綻を公表したのである。
 己心を邪義と決めても、邪義の二字以外には何もないのであろう。己心も心も邪義なら、本仏や本尊を正義とするためには、それに代わるものを示さなければならない。それが出来なければ承服することは出来ない。信者もまた承服しないであろう。とも角、邪義であるなら信頼の出来る文証をもって証明すべきである。文証がなければ邪偽となるのは必至である。あとに本尊や本仏が控えているだけに厄介である。責任のある処をもって示してもらいたい。
 室町を終ると早々に要法寺日辰教学が入り、九代百年の間続き、寛師の前後を僅かに除いただけで又復活したであろう。そして化儀もまたどんどん入ってきたことは明治以降も同様ではないかと思う。そのような中で固有の化儀との間に混雑を起し、表面的に山法山規と交替し、或いは山法山規が分りにくくなったのではないかと思う。若し心を日辰流とすれば、己心が口に出しにくくなって長い年月を経ている。今も続いているそのような雰囲気の中でつい邪義と出たのであろう。これは詐りのない心情である。その点は理解することが出来る。
 そして己心の法門は主師以前と寛師の前後を除いて表に出ることもなく、遂に大石寺において邪義として葬り去ろうとしているのである。結局己心の法門を全面的に守ったのは世直し思想に限られているようであるが、これは宗教に発展するようなことはなかった。そのために己心の法門が守れたのであろう。それ程難持なのである。今となって宗門も正義と言い直すことも出来ないであろう。西洋思想や物質文明の中では、どうしても育ちにくいものを持っているようである。その根元が隠遁にあるためであろう。万円札を斥って徳のみを要求するのもそのためである。どうもアベコベになっているようである。そのために己心の法門とはしっくりしないものがあるようである。その点、心には組し易いものを持っているように見える。そのために信用されているのであろう。意のままに動いてくれるためであろう。
 しかし世上は既に己心の法門を求めて動きはじめているように思われる。今まで先端をいったものは既に遅れ方になりつつあるということではなかろうか。そろそろ未来へ眼を向けるべき時が来ているようである。未来とは彌勒の世を指しているかもしれない。己心の法門では特に彌勒を欠くことは出来ないと思う。
 今のように法華迹門をとりながら本仏によると文上文底、仏教仏法同時に存在することになる。これは明らかに二重構造であり、一つの国に二王が同時に出ることになり、仏本神迹と神本仏迹もまた同時である。そして時には無仏の世界ということも言われているが、これは在世末法について釈尊滅後から五十六億七千万歳の間、即ち次に彌勒出現までの間、それが無仏の世であるが、迹門をとり釈尊をとりながら無仏の世をとるのも少し気掛かりな処である。しかし、己心の法門では即時に受けとめることが出来るから、これは一向差支えないようである。
 無仏の世をとったときの釈尊はどのように解したらよいのであろうか。しかし、このような事は昔から余り立ち入らないようになっているのかもしれない。しかし、本仏と迹仏だけは区別した方がよい。これまた余り考えないことになっているのであろうか、不信の輩には分りかねる処である。仏教概観は仏本神迹であるが、開目抄や本尊抄、諌暁八幡抄は神本仏迹である。両刀使いは不明朗である。整理した方が無難なのではなかろうか。
 本尊抄の「欲聞具足道」のあと「本時の娑婆世界」があり続いて「本尊の為体」となるが、今はこの本尊を迹門の上に見ているのである。しかし全体の流れからいえばどうしても無理がある。文初からここに至るまでは寿量文底を出すためのものであり、漸くここに至って文底が現われたのである。当然本時も本尊も文底に考えなければならないが、それは信仰の上にのみ考えられているために仏法に必要な時は始めから考えられていないようである。そのために発端の「時」は、これを終っても迹門の時にいるのである。そのために本尊が迹門の時に現われるのである。これは仏法と仏教の時の混乱の故である。
 大石寺は三百年間は仏法により、徳川に入ってからは百年間は仏教により寛師の前後は仏法により、そのあと亦仏教に帰り今に至っているのである。そのために仏法に対する時の感覚が失われているのであるが、今はその中で四苦八苦しているのである。当方が言うまでは仏法の時は考えていなかったようである。未だに時は、はっきり捉えていないようである。今、時の混乱の中で返すべき言葉を失っているのであろう。時を局るなら仏法の時に局らなければならない。それを仏教の時に局ったために行き詰まったのである。
 今の本仏は専ら人のみが先行しているけれども、本の本仏は法の上に建立されている。根本は主師親の三徳に始まっている。己心の上に建立された本仏が、いつの間にか法から人へ移ったのである。そのような中で三世常住の肉身本仏も出るのである。読み直してみてもよく分らない。それ程不可解なものである。本時を迹時と読んでいる故なのである。
 諌暁八幡抄に扶桑記を引いて「六宗七宗日本国に渡りて、八幡大菩薩の御前にして経を講ずる人々その数を知らず。又法華経を読誦する人も争でか無からん。又八幡大菩薩の御宝殿の傍には神宮寺と号して法華経等の一切経を講ずる堂、大師より已前にこれあり。その時定んで仏法を聴聞し給いぬらん。何んぞこの御袈裟・衣をば進らせ給わざりけるやらん。当に知るべし、伝教大師已前は法華経の文字のみ読みけれども、その義はいまだ顕われざりけるか」(新定二二〇一)。八幡大菩薩の希望されるのは戒定恵を含めた法華経であり、これのない法華経には一切興味を示されなかったのである。日蓮が唱える題目も同じく戒定恵を含んでいるのである。いくら命がけで唱えても、これのないものはその意味がない。戒定恵がなければ衆生の救済につながらないからである。仏教の上の題目ではなく、仏法の上の題目に限るということなのである。
 門下でも弘安三年には捨て置けない程仏教的な色彩が濃厚になってきているのである。そのために開目抄や本尊抄に含めた戒定恵を再確認して示されたのである。既に「京なめり」も始まって数年たっていて、仏法から仏教へ、本因から本果へ移る気配が見えていた時機であったので、厳重な指示を与えられたものと思われるが、結局滅後すぐ四明流に替わっていったようである。これでは「三諦の未顕を悲しむ」ようなことにもなり兼ねないし、諌暁八幡抄の御深意に背くことにもなる。現在では研鑽の結果は、本仏は専ら応仏世界に根を下ろしたようであるが、大石寺始まって以来の大椿事である。
 今は応仏をとることに決まり、明治教学を根本とすることに必至になっている。これでは本仏も本因の本尊も共に出生も住処も失う羽目に至るであろう。それでも明治教学は絶対守るというのである。悲壮感そのものである。特攻隊精神であるが、お見事とは義理にも申し上げるわけにはゆかない。明治教学では応仏が教主になっているのであるから、あらゆる面で矛盾を避けることは出来ないであろう。そして本尊抄の本尊は応仏世界に出現したものと読んでいるのである。今は応仏の夢は限りなく拡がっているようである。いつまでそこに居れるのであろうか。いよいよ報応二仏何れかに決める時も迫りつつあるということではなかろうか。
 或る人は、神本仏迹は卜部兼倶の天台一実神道に始まるというが、実際には扶桑記のような考えが一旦消され、その後改めて現われたのが一実神道ではないかと思われる。その間は既に二百年近くも経っているのではなかろうか。諌暁八幡抄引用の扶桑記は、現在全文は残っていない。引用の文が全部であると聞いている。
 一実とは一乗要決の純円一実より出ているものであろう。その故に神本仏迹と出るのである。この神本も神(たましい)であり魂魄である処はどうも従義流の流れを汲んでいるのであろう。この一実が更に「実」となって徳川期の宗派神道を開いているように思う。何れも皆実(まこと)を根本としている。即ち純円一実に発していることは容易に理解することが出来る。殆どまことを根本においているように見える。
 八幡大神の処でも、神は正直の頭に宿るということになっている。正直とはまことの意である。日本で特別に発展したものであろう。やはり八幡大神が中心であろうか。正直を中に神と人とも合一すれば天皇と臣下も一体となることも出来る。そして忠君愛国とも発展してゆくものであるが、戦後はとんと無沙汰になっている。正直の処には人と人との和合も可能である。そこに相互に信を生じる。その信を根本とすることには大いに意義があると思うが、今はこの信も正直も不足している。信頼感のなさがいじめにも通じるのかもしれない。目前の対策と同時に、忠君愛国に代わるものとして信頼とか正直とかいう辺りに何物かがひそんでいる。それを引き出す時なのではなかろうか。
 本尊は信の処に建てられている。和国が建立されるのも、この辺りに根元を置いているのではなかろうか。忠孝は貞観政要でも大きく扱われているし仏法でも重要な役割を果しているようである。己心を通してどんどん根を下ろしていったようであったが、今はどうやら休止のような状態である。正直は誠実ともなる。共にまことである。このようにしてみると、和国とはまことの上に建立された国なのかもしれない。
 仁徳天皇が高殿から民の竈を御覧になった処は仁でもあれば徳でもあるが、民の側を見ればまことであろうし、応神天皇もまた正直であり聖徳太子の和とはまことによって生ずるもの、国初めの辺は何れもまことを根本とされているように見える。そこに自然と信頼感も出合うのであろう。これは今のいじめ対策にも通じるものを持っているのではなかろうか。
 日蓮の仏法も後世の神道も根本はまことにあるように思われるが、今の大石寺の日蓮正宗伝統法義からまことを見出だすことは、恐らくは不可能に近いのではなかろうか。宗教的というよりは仏法的な感覚を多分に持ったまことは世俗の中にあって発展しているのである。二十一世紀でもまた、まことが根本におかれるようなことになるであろう。実とか信とかいってみても、信もまたまことである。まことに深いつながりを持っているのである。そのような中で宗門のみは実の列から離れようとしているのではないかと思われる。まことに心細い限りである。
 恵心僧都が純円一実を定めてから既に九百年の年月を経ているのである。しかも今に脈々と生きている。実に不思議な寿命である。日蓮によって本尊と現わされたのもそれであり、事行を伴って国民性の中に生きつづけているのである。この点では恵心は第一の先覚者である。神は正直の頭に宿るというのもまことを説かれているのであろう。
 魂魄もいつわりのない処はまことである。後の宗派神道には多分にこの辺のものを含んでいるであろう。これがまず八幡大神とつながり、応神天皇とも八幡大菩薩ともつながっているのである。神は正直の頭に宿る。その神とは八幡大神である。それ程親しみを持っているのである。仏教日本化の第一は八幡大菩薩である。日蓮という名前の消えた中で、日蓮の教えは案外な処で生きているのかもしれない。己心の法門は日蓮宗を名乗る門下では育たなかったけれども、世直し思想の中では全面的に受けとめられたなどもその例である。大石寺では、それを守るどころか邪義とまでいい切っているのである。
 主師親の三徳も戒定恵の三学も、つまる処魂魄にある。そこに本仏も本因の本尊も出現する。それが成道でもあれば仏法でもある。これが事の一念三千でもあれば己心の法門でもある。これらの根本になっているのが受持である。受持即持戒という戒は戒定恵の戒のみを指すものではない。三学を含んでいるであろう。そのために受持即観心という。観心とは、本仏を獲(え)、本因の本尊を得て成道を遂げることであろう。
 礼学前に馳せて真道後に啓くとは、礼楽とは世間に行われるものであり、或いは受持と同じものなのかもしれない。それによって真道即ち仏法が啓けることを意味しているのではないかとも思われる。受持は釈尊の説かれたもの一切を己心に受け持つことである。これは、素直ささえあれば愚悪の凡夫でも即刻実行出来ることである。己心の法門とはこれらのものを全て総括しているように思われる。
 受持には前来のものを捨てる意味を持っているかもしれない。そして改めて受持するのである。そこには個々の仏教の理の教義はいらない、ただ事の法門のみが全てであるという意味のように思われるが、水島は思わず天台理の法門にのみ執着したために仏法に到ることが出来ず、成道を遂げることが出来なかった。即ち受持即観心の時が来なかったということである。末代愚悪の凡夫のためには、ちとむづかし過ぎたようである。
 肝心の受持を実行することが出来なかったのである。あのような理の法門が理解出来るものは末法の愚悪の凡夫の中には居なかったのである。末法の愚悪の凡夫のためには、受持のみで間に合うようなことを考えた方がよかったようである。気取りすぎたために時を踏みはずしたように思われる。時の宜しきに適わなかったということであろう。結果的には天台像法法門の受持に終ったようである。
 世間即仏法は己心の法門において始めて具備することが出来るものである。大聖人という仏法は己心の法門の上において始めて刹那に具現出来るものである。これを師弟子の法門という。これは師弟相寄って始めて仏法の極意の処を具現出来るために名付けられたものである。即ち戒定恵の至極した故に名付けられたものであろう。
 在世の釈尊と菩薩や声聞縁覚との関係は、滅後では久遠実成・二乗作仏として受持されて師弟子の法門となり、そこに衆生の成道は具現されているのである。しかし、迹仏世界にあっては、このような受持は一向にあり得ないであろう。仏教にあっては今のような受持は無意味なものである。これに意味を持たせるためには、仏法という時を確認することが不可欠の条件であることを忘れないようにしてもらいたい。三秘にしても本仏にしても、その前の段階での三学の受持が必要なようである。
 昔は和魂漢才といわれたが、今は漢が西洋に替わって、しかも和魂漢才の差別も薄れて漢魂のように見える。そして四明流の教学をもって漢魂として、西洋流の思想をもって運営する洋才となり、名は日蓮大聖人の仏法であるけれども、実にはこのような新和魂漢才が登場している。これが今の水島教学である。その漢才の部分で大きな比重を占めているのが生命論の生命である。この生命が西洋的なものを即時に本仏の生命に切り替えて新しく御本仏日蓮大聖人の仏法を創造するものを持っているように見える。そこには本来の寿量文底の寿命を思わせる感じを与えるものを持っているのである。今水島のいう本仏はこのようなものかもしれない。
 四明を正統と仰いだ処で漢魂洋才と替わったのである。そのために本仏について行き詰りがきたのである。つまり俗身の凡夫に切り替わったのである。その時救うものが救われる側に廻ったようにも見える。そのために本仏も十分に救済を施すことも出来ない。そして只の愚悪の凡夫が救済の側に立ったのである。その間に受持がなかった。即ち受持がなかったために修行もなければ持戒もなかった。しかもそれが本仏となる。そのような中で交替が行われるのではなかろうか。
 水島の漢才は専ら四明流の現代的な研究の受持である。そこに新しい和魂が出現しているのである。そしてそれが洋才をもって運営されると、前後を忘れて歓喜のみが湧き立ってくるのである。そして御本仏日蓮大聖人の仏法も、その語のみが残ってくるのである。ここまで来れば、どうみても己心の法門はあり得ないのは無理からぬ処である。本仏の生命を生命論の生命をもって割り切ろうとした無理があったのであろう。そこには洋の東西も違えば和漢の相違もある。これは相違の世界であった。無差別ではなかったのである。
 無修行の者が本仏の座についてもその座を持ち難いのは当然である。そこに水島教学の終末があったのである。そして真実の本仏は別個な処にあることを証明したのであった。そして己心の法門が邪義と思えることは、自分が迹門に居ることの何よりの証拠である。そこからは仏本神迹が現われて神本仏迹を蔽っているのである。一宗建立のためには仏教を離れることは出来ない。そのために反って宗派神道や世直しの処に真実の己心の法門が伝えられ守られてゆくのかもしれない。しかし今どのように案を練ってみても、迹仏世界に居ては、本仏や本因の本尊を求めることは出来ないであろう。
 四明を天台の正統と仰ぎということは教義的な破綻である。七百年来そのような発言は未だ一度もなかったことである。今、日蓮正宗の僧侶が始めて発表したのである。即ち天台宗の下座に自分の座をしつらえたのである。今後は、天台教義に反するものは失格となる危険もある。自らその門を狭めるようになった意義は大きいであろう。自ら恭順の意を表した処に大きな意義を持っているのである。  

 法華経の行者日蓮
 「又この袈裟は法華経第一と説かん人こそかけまいらせ給うべきに、伝教大師の後は第一の座主義真和尚、法華最第一の人なればかけさせ給う事その謂われあり。第二の座主円澄大師は伝教大師御弟子なれども、又弘法大師の弟子也。すこし謗法ににたり。この袈裟の人にはあらず。第三の座主円仁慈覚大師は、名は伝教大師の御弟子なれども、心は弘法大師の弟子、大日経第一法華経第二の人也。この袈裟は一向にかけがたし。設いかけたりとも法華経の行者にはあらず」(新定二二〇三)。前に引いた新定二二〇一の扶桑記の文では、伝教大師の唱えた法華経は戒定恵を含めたものである故に八幡大神も感動され、手づから袈裟を下されたのであり、これが法華経の行者の第一条件である。第二には最第一である。そして仏法に居ることもその条件であるが、今は迹門に居りながら題目を唱えても法華経の行者といわれている。
 迹門に居りながら題目を唱えることは戒定恵のない題目を唱えるために謗法にあたるようである。念仏も禅も真言も律も、すべて法華経は唱えるけれども、戒定恵を含めていないために謗法なのである。諌暁八幡抄の意によれば、皆さんの唱える題目のようである。特にこれは大石寺についていえることである。
 本仏や本因の本尊では文底を称しながら、題目のみ迹門の題目を唱えるのは、どのようなものであろうか。己心の法門が邪義であれば、唱える題目に戒定恵を含めているとは思えない。法華経の行者は、いやがってもいやがっても衆生の口に一念三千の珠を押し込めることになっているが、これもそのような気配は一向に見当らない。その点では無資格のようである。しかし一念三千は己心の法門の中にあるものであるから、己心が邪義であれば一念三千も邪義ということになる。これでは法華経の行者の条件を満たすものは何一つ見当らない。この時は何をもって法華経の行者と決めるのであろうか。
 今は己心の法門を奨めると魔説・増上慢といわれる始末である。誠に解しがたい処である。魔説というのは次に続く語のない最後の時に使う語である。以後の言葉を断ったようである。文証をもって己心の法門が何故魔説なのか、それを証明する責任がある。阿部さんの技倆をもって存分に開目抄や本尊抄その他の御書を魔説と説明してもらいたい。自分にかなわなければ魔説珍説をもって片付けようというのは余りにも無責任な遣り方である。
 己心を持たない題目には戒定恵の三学は含まれていない。これでは化他に亘るともいえないであろう。当流行事鈔の一言摂尽の題目は、自行化他に亘る題目を示され、且つこれをもって日々に行じていることを明らめられている。それの根元をいえば客殿において知らず識らずの間に行じられているのが大石寺の行事である。そのために無意識の中で成道も遂げている。それが隠居法門ではないかと思うが、命がけで唱える題目には、自行のみに限定される恐れがあるのではなかろうか。自行のみをもって法華経の行者とはいえないように思う。寿量文底の場は自行化他に亘る題目を唱えることに限られている。それは戒定恵の三学を含めているからである。そこに行者の意義を見出だすべきである。迹門に法を立てながら法華経の行者の意義を明らめることは、殆ど不可能に近いのではなかろうか。  

 仏前法後資料
 法前仏後については反撥がないので、仏前法後の資料を提供することにする。釈子要覧中(大正蔵五四―二八六中)に、「仏法の前後、報恩経に云く、仏は法をもって師とし、仏は法より生ず。法はこれ仏母、仏は法に依って住す。三宝の中において、何んぞ法をもって初とせざるや。仏の言わく、法はこれ仏の師といえども、しかも仏にあわずんば弘まらず。所謂道は人に由って弘まる。この故に仏は先、法は後なり。右法宝訖んぬ」と。今はこのような意味で仏前法後を立てているのであろう。仏教に立ち帰った時は大いに利用価値があるが、大石寺法門とは真反対である。それは仏法によっているためである。観心の基礎的研究の結果は、遺憾ながら仏前法後と出た。即ち釈子要覧と同じに出たのである。この書は御書や註法華経には一度も使われていないと思う。周書異記についても、後世に使われる仏祖統紀は使われず、古今仏道論衡が使われるために、仏滅年に異同が生じるのである。極力宗祖の使われたものによらなければならないのは常識であると思う。  

 堕獄ということ
 或る情報によると、川澄の書いたものを読むと堕獄すると宣伝されているようで、事実正信会方面で読まれるのは極く限られているようである。己心の法門を奨めるものを読むと堕獄するということは、正信会が己心の法門を邪義と決めているためであろうか。門下を称しながら開目抄や本尊抄を始め、その他の御書で説かれる己心の法門を何故邪義と決めるのであろうか。宗門でも「観心の基礎的研究」を発表し、更にこれに附随して色々の発表をしているのであるから、正信会も己心の法門をすすめるものを読むと何故堕獄するのか、それについて大いに意見を発表してもらいたい。ただ堕獄のみでは責任のある意見とは言えないと思う。是非その理由を正信会報をもって明らかにしてもらいたい。
 己心の法門を唱える者が堕獄するようであれば、日蓮は堕獄第一号である。日蓮堕獄論を発表してもらいたい。堕獄とは一体具体的にどのような事を指しているのか。明治教学を信奉する自分達に都合の悪い時に堕獄と称するのか。明治教学には仏教を根本としているようであるから、己心の一念三千法門は表立っては使えない。本仏も本因の本尊も表立ってはその出生も明かすことは出来ない処にあるのではなかろうか。即ち仏法を否定し、己心の法門を認めない方針のもとに立っているようである。そのために己心の法門を邪義と称するのである。これでは御本仏日蓮大聖人の仏法も、あるのは掛け声ばかりである。それは空に等しいものである。
 己心の法門を認めないことは、本仏日蓮を認めないことと何等変りはない。仏教に返っていながら、しかも時には仏法を称える二本立てになったいるのが現実のようである。これでは筋は通らないであろう。いう処の地獄とはどこに考えているのであろうか。正信会は明治教学を守るということであるから、大体において仏教にいることは間違いのない処であろう。迹仏世界にあるということは、仏法でないから、地獄も十界互具以前の処で考えているのであろうか。己心の法門も不賛成であれば、地獄は迹仏世界で考えられていることは間違いのない処である。
 今信仰している本尊では、地獄はどのように扱われているのであろうか。その地獄の扱いから見て本尊との間に矛盾はおきないのであろうか。本尊は成立当時、地獄は十界互具している筈であるが、今地獄のみ各別に扱う矛盾をどのようにして解決するのであろうか。堕獄で乗り切るためには、本尊も時に否定も止むを得ないということであろうか。己心の法門を否定すれば、ここからも本尊否定は出てくるであろう。色々の難問を控えているようである。
 堕獄をいう前に、責任の所在を決めてから口にしてもらいたい。もし仏教にいるのであれば、本因に限って顕現される本尊を本果と定めて信仰する理由は稀薄といわざるを得ない。若し本果の処に本尊が顕現されているなら、これも明らかに証明しなければならない。水島の観心の基礎的研究に頼っても、これでは充分に証明されているとはいえない。そこは正信会の技倆をもって証明しなければならない。これも正信会にとっては意外な難問かもしれない。
 宗門と同じ教学路線をとるのであれば、宗門に成りかわって、難問を一々に解決しなければならないであろう。地獄一つにしても、すっきりと解決した上で使ってもらいたい。ただ堕獄のみでは、反って自らの教学を混乱に導くのみではなかろうか。仏法によるのか仏教をとるのか、それから決めるのがものの順序というものである。真実堕獄を考えていては、本尊を拝む資格に欠けるようなことになるかもしれない。何はともあれ、まず時を決めなければならない。その上で堕獄を沙汰してもらいたいと思う。
 地獄の別立と己心の法門とは同時には存在しない。しかし死後の成道をとっている処を見ると、地獄は別立する可能性が強く、業も因縁も再び生き返ってくると、ますます仏教の線は復活するであろう。そして仏法は語のみが残るようなことになるかもしれない。しかし、明治教学での仏教と仏法との兌協は、どう見ても成功しているとはいえないようである。そして今は西洋流な考え方が更に強く入って三者が混然としているように思われる。今にしてこれを整理しないと悔を後に残すようなことになる恐れがあるのではなかろうか。これは必ず堕獄のみに限ったものではないかもしれない。
 今こそ仏法に帰一する時ではないかと思う。地獄が生々しく存在するのは受持以前のことである。受持した時に既に個々のものは全て消えているのである。そして己心の法門が主師親の三徳や戒定恵の三学の上に新しく出現するものと思われる。それが今は再び受持以前に復帰しようとする気配が感じられるのである。これなど第一に整理しなければならない問題ではないかと思われる。御本仏とか仏法といいながら、それらの現われるような雰囲気は更に見当らないのが現実である。
 瞋るは地獄ということがあるが、川澄に対する瞋心がつい地獄に堕ちると出たのであろうか。瞋るは地獄とは十界互具に限られているが、この堕獄は十界互具とは完全に離れているようである。或いは瞋りが過ぎて失本心と出たのであろうか。地獄が抜けては十界互具は成り立たないし、本尊が顕現されるようなこともない。さてその本尊とはどこに成り立っているのであろうか。或いは互いに無関係なのであろうか。
 地獄と出れば心と出るの常識ではなかろうか。地獄が別立するのは当然である。そのような中で今は仏教を立てているのであろうか。仏界が別立したために地獄界も後に別立したのであろうか。今の立て方からすれば、仏界の別立が先行しているのではないかと思う。何れにしても十界互具でないことは十分に分かるものがある。そのような中で自然に堕獄と出たのであろう。
 まず爾前迹門の辺りを抜けきっていないことは間違いのない処、寿量文底には遥かな距離を持っているようである。堕獄の一語には、正信会の考え方在り方を最もよく表わしているように思われる。仏教への執着が自然とこのように表われたものであろう。本尊を拝みながら、しかもその本因部分については認めない、本果についてのみ拝むというようなことが出来るのであろうか。不信の輩には何としても理解出来かねる処である。況んや己心の法門を認めずして本尊を拝することにどれだけの意義があるのであろうか。
 本因では本尊が出来上るまでに意義を持っているのであり、宗祖以来伝えられてきた意義もまたそこにあるし、法門もまたそこに置かれているものと思う。それが今となっては本因については一切認めない、論じないということになったのである。これは仏教をとった自然の成り行きが本果のみを認めるようになったのであろう。本因を認めるためには、改めて仏法を認める処から始める以外に好い思案はないであろう。仏教に依っている限り、本果を離れることは出来ないであろう。今後ますます本果に密着してゆくことであろう  

 末法無戒
 大石寺では末法無戒ということがいわれているが、一方では御授戒の時には「法華本門の戒を持つや否や」ともいわれている。一寸異様に感じられるが、在世の末法は無戒により、滅後の末法は有戒という意味であるが、今は時を除いているために異様に感じられるのである。受持によって始まる滅後末法即ち仏法では、成道のために戒が必要なのである。これを受持即持戒という。法華本門の戒を持つや否やということは受持するや否やということである。釈尊の仏教を受持することが持戒であり、法華本門の戒が別にあるわけではない。これがはっきりしないために梵網戒を持ち出している向きもあるが、もし梵網戒をとれば像法の戒であるために時の混乱を生じることになり、末法の戒には不向きである。
 仏法では釈尊の説かれた処を受持することが持戒となっており、持戒が終れば客殿に至って受持即観心となり成道を遂げることが出来る。これが刹那成道である。若し受持がなければ成道に差し障りが出るのである。この受持の中には修行も含まれていることであろう。この無戒と有戒については一向に明かされていないようである。仏教と仏法の区別が付いていないためであろう。今は末法有戒については一切触れていないようである。
 今参考のため与咸の註を引くと、「云く、白衣は無戒なり。王の水土を食するに皆輸税(しゅぜい)あり。出家は税せず。良とに戒行のためなりと」(続蔵1−59−4−317上)この註者は像法の人であり、白衣について無戒と称しているが、滅後末法では師弟共に愚悪の凡夫の故に、白衣について末法無戒といわれるのであろうか。在世末法の無戒は自ら別である。  

 依法不依人
 報恩抄に涅槃経の「依法不依人」の文を引いて、「依法と申は一切経、不依人と申は仏を除き奉て外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸人師なり」と註されているが、実際には法華経と宗祖は別格に置かれている。これは止むを得ないことである。しかし、依法と申すは一切経とは言っても、実際にこれを解釈し運営するのは宗祖であるが、問題は直接これを解釈するものの考えに左右されることが大きいし、宗祖以後の人の解釈も大きく響くであろう。自他門を越えて影響がある。そのために仏法から仏教に帰るようなこともあり、その意味を誤ると反って他門の御先師の解釈によるようなことになることもある。そのようなことのないように、少しでも忠実に伝えるための学が必要であるが、現状は余り好い方角へ向いているとはいえない。
 同じく久遠元初といい、五百塵点の当初といいながら、どこまで上代の意が伝えられているかといえば、真にお寒い限りである。自分では久遠元初と思っていても久遠実成を一歩も出ていない場合もある。そのために久遠元初の名のもとに久遠実成が伝えられると、結局それはどっち付かずのものになる。しかし、これを色も変わらぬ寿量品というように元のまま伝えることは殆ど不可能である。そこに受持のむつかしさがある。
 日辰教学にしても明治以降百年間、日辰教学について疑問を抱かれたことは殆どなかったのではなかろうか。その間に遂に本因から本果となり、それが本尊の解釈の上に現われたのである。今気が付いてみても、これを本の姿に帰すことは容易なことではない。これを元に帰すまいとして血相を変えて反って反対しているのは、実は宗門当局である。元へ返すまいとして親の敵のように振舞っているのである。そして文上に居りながら文底を称してはいるが、本尊は本果に収まったようである。文上は本果に文底は本因に収まるべきものと思われるが、結局このような中で本因のみが消えたようである。一番の根本になる本因が消えたのである。文底が一歩立入って次の行動に移るのは本因に始まるのであるが、その本因が消えたのである。
 本因には原動力になるようなものを備えているように思われる。そのためか、本因には、行きづまった処で開拓するようなものを備えているのではないかと思う。それが己心の法門である。その己心の法門には常に自力をもってその道を開くようなものを備えているように思われる。本来事に根ざしているようであるが、本果には行きづまった時、自力をもって開拓するようなものを備えているかどうか、甚だ疑わざるを得ない。今流行の西洋流の学問も或いはこれに属するかもしれない。多分に本果的なものを備えているように思われる。そのような中で、今となって大石寺が本因を失ったことは大変なことである。
 本尊にしても本因をとれば本尊が出来上る直前の処にその真実があり、これが刹那成道ということで衆生の成道につながっているのである。若し本果をとれば刹那成道も消えれば衆生の成道も失われ、善人成道と交替する。これでは開目抄の二ケの大事も必要はない。衆生が生きながらの現世成道は本因による刹那成道に限られているのである。宗門を挙げて本果に走ったことは刹那成道の道を永遠に閉じることと何等変りはない。それほどの大事である。本尊も既に本果と定められたようである。改めて本因の意義を考え直してみてはどうであろう。
 衆生の成道は本因に限ることを改めて考え直してみる必要があるのではなかろうか。本果ともなれば、衆生の成道は来世に限るであろう。これでは宗祖日蓮以前へ帰ることになり、宗祖の、衆生の現世成道或いは現世利益の夢は消え果てるであろう。現世利益を万円札を積み重ねることで考えるか、彌勒の黄金で考えるか、若し万円札で考えるなら、それは一挙に世俗に飛び出すことになり、そこは最早や仏法世界とは無縁の処である。刹那成道とは全く無縁の境界である。このようなことは、本因の処に定められた山法山規を逆行するものである。そして文底法門が逆行すれば、まず消えるのは衆生の成道である。
 観心を像法迹門に立てればそこは本果の世界であり、法門もまた理の法門となる。それは常々皆さんのこき下ろしている通りである。今は自ら好き好んでそこに飛び込んで行ったのである。どうして吾々がこれを引き止めることが出来ようか。今は専らこれをもって正義と決めていることは、既に大日蓮や富士学報に詳細である。これに対して己心の法門即ち本因を説く処のものは全て邪義と決められたのである。これは話が横に外れてしまったけれども、解釈する者の考え一つによって如何に横道にそれるかという一例である。水島が人の役割を果した時に、このような結論に進んだのであろうか、或いは陰で推進しているものがあったのであろうか。少なくとも水島論文を見る限りでは、本因は潔く捨てて本果に移ったことは間違いのない処であろう。そしてこれは宗門の最高決定と見て差し支えないと思う。
 依法の法は第一には一切経であり第二は法華経であり、第三は久遠名字の妙法ということであり、これに対する人は自受用報身如来ということになるであろう。第三の法も自受用報身も、共に己心の上に考えなければならないものであるが、いうまでもなく本因に属するものである。さて今のように本果をとるようになった時、久遠名字の妙法も自受用報身も本果の処に求めなければならない。久遠名字の妙法が本果であったということになれば、久遠実成の領域になる。そこに本仏を求めることは出来ない。またそこに自受用報身を求めるなら、それは題目を口唱する自受用報身ということになるかもしれない。本仏は久遠名字の妙法が本因である時に限って求め得られるのではなかろうか。しかし現状は、久遠名字の妙法も自受用報身も本果以外には考えられない。どのような秘計をもって、そこから本仏や本因の本尊を求め出しているのであろうか。
 山田説では本仏は出ているし、本因の本尊も出ているようには思われるけれども、それを本因とたしかめるすべはない。また別に本因と現じた本尊を即時に本果と解する早業が行われているのかもしれない。色々と複雑な作業が陰で行われているようである。二年半前も今も同じく本果によっている処は間違いないと思う。しかし本仏や本因の本尊を求めるためには、いかにも時が不安定である。そしてその本尊は遂に本果と決められたのであるから、本仏も亦当然本果と決まったものと解される。そのためか本仏については、本因本果についれは触れないことになっているようである。即ち時を超越した処に出現しているのである。
 この報恩抄の文もそのまま読めば一切経が法であり、仏は釈尊一仏に限られるが、この文も古来文底として読まれているのであろうが、今は己心の法門が邪義となったために一切経を法とし、釈尊を仏と限らなければならない。つまり在世末法をとらざるを得なくなったのである。他宗門と同じ時に法門を立てると、ますます本仏は立てにくくなるであろう。文底法門もいよいよ自らの手でその幕を閉じたのである。滅後末法から在世末法への後退である。
 水島教学によれば己心の法門は邪義であるから仏法をいう必要はない。勿論受持の必要もない。教主も応仏を立てるのであるから釈迦一仏かと思うと実はそうではない。時に本仏を立てる処は教主は報仏のようでもある。応報二仏並座である。第三の教主というべきか。これは古今未曾有の珍説である。文上文底どのように使い分けられるであろうか。己心の法門を邪義と決めながら報仏に寄る処はどのような理に依るのであろう。報仏なくしては本仏を求め出すことは出来ないであろう。報仏なくして本仏を求め出すことは魔術説というべきであろうか。いつか破綻の日を迎えるような事になるかもしれない。しばらく本仏の語は使わない方が無難なのではなかろうか。
 本尊抄の「本時の娑婆世界」を応仏世界とみるか報仏世界とするか、まずこれを決めなければならない。しかし応仏世界に本仏が出現することはできないであろう。そこで文上をとるのか文底によるのか、それを決めなければならない。ここは本仏や本因の本尊の出現に大いに関係のある処であるが、今は何となく迹門に読んでいるものと思われる。そのために本果の本尊と解しているのであろう。まず時を決めなければならない。若しそれが出来なければ、狂説邪説魔説何れかに堕ちるようなことになるかもしれない。今度はこの三説を超過した処で大いに論じてもらいたい。
 己心の法門は三説超過の処にあるものと思う。これらの三説はただ悪口雑言のみであった。次はこれを超過した処で論じてもらいたいと思う。現状では己心の法門に立ち返ることは思いもよらぬことであるが、必ずいつかは帰らなければならないであろう。内々その時の用意をしておいた方が賢明なように思われる。
 己心の法門を邪義と決めた日蓮正宗に久遠の長寿があるようには思えない。厳しく反省すべきである。三世常住の肉身本仏はどうみても短寿である。己心の法門の長寿を捨ててわざわざ三世常住の肉身本仏を取る必要はないように思う。この本仏、果して報仏なのか応仏なのか一向に明らかでない。恐らく明らかにすることは出来ないであろう。
 依法不依人の依法を一切経と示されているが、ここで文底をとれば法華経であるが、これは一応のことであり、再往よく見れば寿量文底である。ここに久遠名字の妙法もあれば己心の法門もある。それを邪義と決めては寿量文底はないに等しいものである。ここに迷いの根源がある。この寿量文底が廻り廻ってやがて行きついた処が文上迹門であったのである。これでは未だ落ち着いたともいえないであろう。  

 不信の輩
 戦後四十年今もってこのような言葉を使って独善に耽っている。「とやら」も同様であるが、最近はとんとお目にかかる事もなく、誠に淋しい思いをしているが、「正しい宗教と信仰」を見ると、そのような気配は一向に感じられない。いかにも紳士然としている。これは日蓮正宗の隠された一面である。このような語を使うことによって刹那に本仏の座に付けるのであれば大いに使ってもらうことである。しかし「正しい宗教と信仰」には曾つての威勢のよさは何処にも見当らない。他宗を恐れているのであろうか。終結を考えているようにも思えない。どこに真実があるのか一向に不得要領である。
 他宗を意識していることは間違いのない処であろう。このようなお下劣な言葉は、世界最高の宗教に籍にある御尊師方の使うものではない。悪口雑言と共にあまり人聞きのよいものではない。このような言葉は先に使った方が負けている証拠である。しかし院達をもって不信の輩というのはどのような気持であったであろうか。他人に対して院達をもってするというのは、どのような感覚によるのであろうか。或いは当人の目には触れないという前提なのであろうか。他宗門ではあまり例はないのではなかろうか。不思議な感覚である。
 平常の用語化しているために平気で使われるのである。邪宗という語も本来は内部の専用語であった。何となし軍国調であるし、使う方も三軍を叱咤しているような気持ちになるのかもしれない。明治教学が既にそのようなものを備えているのである。いまだに非常の場合には軍国調が出てくるのである。教学の中に備わっているものがたまたま出てくるので、それ程気に掛らないようである。変形した己心の法門のあらわれであろう。世界最高とか世界の盟主などという語も同じ系譜に入るものである。しかし今は肝心の己心の法門が失われているために己心にあるべきものが現実世界に現われるのである。しかしこのようなものも世の移り変りと共に、何となく先細りのような状態である。
 今回は最後の夢を託して不信の輩とやったけれども、結果はあまり思わしくなかったようである。戦後四十年も過ぎて、このような語が通用すると思ったのは大きな誤算であった。「とやら」も、いかに現実離れしているかという証明にはなるようである。このような語が法門の中に混然一体となっているのが日蓮正宗の教義なのである。そして強いものには弱く、弱い者には強く、恫喝的な響きを持たせるのではないかと思う。これは長い経験からそのような結論を得たのである。
 これも己心の法門に始まったものではあるけれども、己心が消えて肉身が復活した時、このように変形するのかもしれない。そこには己心に故里をもつ正義感も働いているようである。ここにも復活した肉身が働いているように見えるが、実はそこに正義感が起っているのかもしれない。日本魂もやくざも侠客も、その故里はどうも己心の処にあるように思えてならない。それが次第に分化しながら発展していったものではなかろうか。
 不信の輩・とやらその他の悪口にも、法門的には戴き兼ねるようなものばかりであるが、現に世界最高の宗教を自称しながら、しかも上にあげたようなものが同時に存在しているのである。今度の場合は一発勝負をねらった恫喝の失敗が逆に追い込まれる直接原因になったのではないかと思う。しかし、結果的には自分が自分を追いつめるようになった。それは恐らくは肉身復活によるものであろう。若し魂魄の上に行われたものであれば、もっともっと大らかに出てきたであろう。
 現世利益とは魂魄の働きの上についていわれているのではないかと思う。それが魂魄を離れて復活した肉身の上に現世利益を論じているのが常識になっているようである。本来の現世利益には釈尊の説かれた三世を己心に収め、そこに新しく仏法の世界を成じ、そこを現世として成道を見ようとしている。これは飽くまで魂魄世界のことであるが、今の解釈は肉身の上にこれを解している。そこに現なまが登場する下地があるのである。
 魂魄の上に出来た現世利益を、肉身の上にのみ解しても、平安・鎌倉期の現世利益は理解することは出来ないのではなかろうか。宗教家も宗教学者も、そのような誤解をもっているようなことはないであろうか。己心の法門を邪義と決めた日蓮正宗伝統法義で利やくが利えきに変るのは当然のことである。そこには魂魄から肉身への交替が行われているからである。そして全て左が右と現われるのである。そして右こそ正常と考えられるようになってゆくのである。往生要集の極楽浄土も、一乗要決から立ち返って読めば純円一実の境界即ち魂魄世界の所作である。貴族社会では順次に読み、民衆は逆次に見るのは昔からの定めである。しかし往生要集も順次に見ては、民衆には益々縁遠いものになってゆくであろう。伝統法義主も一度民衆の立場にたち返って己心の法門を読み返すゆとりを持ってほしいものである。そこには新しい世界も必ず開けるであろう。
 肉身の上に、己心の上に出来たものを具現しようとしても、一時の愉悦はあっても必ず行きつまるものである。藤原道長程の栄華でもそれ程長続きはしなかったのである。伝統法義主の処にも、既にその翳りが見えているのではなかろうか。そのあせりが悪口雑言となって出ているのではないかと思われる。分れば速やかに魂魄を取り返すことである。そこには必ず救いは待っているであろう。伝統法義主一人のみが先に救われたのでは民衆に救いはない。とも角ここに至っては、己心の法門を取り返す以外によい方法はないであろう。それこそ真実の伝統法義である。これこそ現代版捨身飼虎である。己心を取ることによって肉身を捨てることである。そうすれば自らも救われ他も救われるであろう。
 肉身のみに執着すれば流転は必至である。肉身を捨てて一日も早くその流転を止めてもらいたい。そのために己心の法門を取り返さなければならないのである。そして雪中に記すといわれるような清浄世界に立ち返ってもらいたいものである。己心を邪義と決めるために作られたような時局法義研鑽委員会は、それ以外には何の働きも示さなかった。あれ程威勢のよかった水島も、今はどこにどうして御座るやら、一向に消息不明である。己心の法門を正義と決める秘策でも練っているのであろうか。
 不信の輩というのは、己心の法門を信じない宗門の人が己心の法門を信じる者を攻める時の語である。宗祖の己心の法門から見れば、信こそ不信であり、不信こそ信である。文字通りアベコベである。これは言葉の魔術である。これもその性格の一面なのかもしれない。しかしよく考えてみれば、この一言には宗祖を詈っているのではないかと思わせるものがある。それは、己心の法門を邪義と詈っているせいかもしれない。このような語は、時の決め方によって真反対に出る恐れがあるので、予じめ時を厳重に定めて使ってもらった方がよい。時を誤ると意外な混乱を起すこともあれば、宗祖を向うに廻さなければならない羽目になることもある。宗祖を向こうに廻して己心は邪義とやってみても、所詮勝てるわけのものではない。悲壮感そのものである。
 不信の輩といわれた者が信を呼び起してくれるかどうか、これは甚だ疑問がある。普通なら不信をつのらせる方が多いのではないかと思う。しかし、独善のためには格好な言葉であろう。独善だけは間違いなく得られたようである。宗門が真実仏法によっているのであれば、不信の輩などという語を使う必要はないと思う。総与の精神にも反するようである。仏教により迹仏世界にいるからして信・不信が問題になるのである。
 仏法に帰り己心の法門をもって宗を建立するなら、わざわざ信不信を分ける必要は更にないと思う。不信の輩などという語は独善の中でのみ成り立つものである。決して称えたものの教養を高くするようなものではない。只お下劣さのみを深めるものである。このような語を使うよりは、主師親の三徳によって相互の信頼を増した方が余程賢明である。信不信の不信は仏教の処にあるもの、主師親の三徳の信の一字は本因の本尊を現ずることが出来るが、信不信の信にはそのような力はない。「信の一字をもって得たり」という信は仏法の信を表わしているのであるが、今仏教の処にこれを見ているのは大きな誤りである。
 今は仏法という語が盛んに使われているけれども、根本が応仏世界にあるために釈尊の仏法との区別が付きにくいようである。そして応仏世界において「日蓮大聖人の仏法」を唱えるために境目がはっきりしないようである。仏法を主張するためには、まず応報二仏をはっきり区別しなければならない。これは今の最大の難問である。信の混乱と応報二仏の混乱も互いに無関係とはいえないであろう。そして混乱は常に低い方に流れてゆくようである。混乱のない処に純円一実は置かれているのである。
 信の一字は互いの信頼の中に出来ているが、不信の輩という立て方には自分一人が常に正であり強者であり、他は皆邪、弱者という立て方のように見える。即ち独裁者流である。しかし、このような事は永遠には続かないであろう。弱者の中からは必ず次の強者が出るのである。師を教えて帰依を知らしむという辺りを味わってもらいたい。不信の輩といわれたものは必ず帰依の心は起さないであろう。信の一字は帰依の処に始めて成り立つものではなかろうか。その故に定の処に信の一字をもって本尊が建立されるのである。定もまた互いの信頼の処に成り立つもののようである。
 主は戒、師は定、親は恵、三徳は三学でもある。その間を結んでいるのが信頼であり、その信頼の上に社会も成り立っているのであろう。その故に信をもって根本とし、そこに本尊を居えるのであろう。その師の処、信の処が世間即仏法の接触点ともなっているように思われる。社会は相互の信頼の上に成り立っていることを示されているものであろう。世間は差別の上に立った師弟や長幼の序のみをもって保てるものではない。そこは信頼に限るようである。本因の本尊はその処の機微を示されているのではなかろうか。そこへゆくと、今の不信の輩の語には、ただ信頼を毀すようなもののみしか見当らないように思われる。
 信頼の処には差別の必要はないようである。仏法とは信頼の上に成り立っており、そこには一切の差別もまた必要がないようである。しかし、今は仏教に立ち帰った故か、師弟にも差別や世俗の礼儀のみが要求されているようである。そこは信の一字の上に出現する本尊の境界とは凡そ懸け離れた処にあるようである。そして師弟子の法門も極端な差別の中でのみ考えられているようである。このような法門は全て三徳の上に考えるようになっているようであるが、今はこの本尊に示された三徳や信頼についての教えは一向に守られておらず、ただ信仰の対象としての本尊のみが考えられているようである。これは仏教に立ち帰ったための故であろうか。そのために本因であるべき本尊が本果と決まったのである。そして仏教に立ち帰って応仏を教主と仰ぐようになったのである。仏教には始めから差別をもっているのである。  

 跋
 第三巻の見直しを終った処で新聞を見ると(六十一年四月二十三日付)読売新聞の朝刊に、中国にもいじめがあるという見出しがあり、日本青少年研究会の調査したものであった。そして今も父兄と教師の間に信頼があるということであった。さすがに年季が入っているだけに、文化大革命にもつぶされずに、今に信頼を伝えていることに驚いた。日本では戦後直ぐに信頼は見失ったようである。信頼があればジメジメしたいじめは起らないかもしれない。中国には生徒と師との間、生徒同志の間には今も昔ながらに残っていることであろう。これでは日本のいじめと同日に論ずるわけにはいかない。これはそれ程悪質化していないしるしである。
 日本の場合はまず信頼を取り返すことが大変である。日蓮によると信頼の処は帰依を知らしむと表現されており、主を戒、師を定、親を恵として、そこに三徳を見、戒定恵を見、師の処にまとめている。その師の処に信の一字をもって本尊とまとめているのである。社会生活の場にこれを見れば信頼であり、一人についていえば信念である。中国ではその信の一字は今も三千年五千年前と同じように健在なのである。これは必ず立ち上るであろう。そこへいくと日本では信頼を取り返すまでが骨である。そのような方法をもって、これを取り返すか、これについて智恵を巡らすことから始めなければならない。現場で起きた事についての対策のみでは、この急場はのりきれないであろう。
 主師親各の間の信頼を取り返すことが出来た時はじめて主師親の三徳ということが出来る。師の徳を中心に一に収まってゆくのが原則のように思われる。日蓮はその意をもって師の処に帰依を見、本尊を求めているのではないかと思う。「信の一字」はそのような意味を持っているのではないかと思う。教育の現場でもまず参考にする必要があると思う。己心の法門はそこを出発点としているのである。信頼は眼をもってたしかめることは出来ない。飽くまで秘密蔵に属するものである。仏法と仏教の接点はここにあるのかもしれない。中国の古い思想と日本の上代の思想の接点も又そこにあって新しい日本の思想を創造する原動力になっていたのが信頼なのかもしれない。貞観政要はそのような意味で日本の思想の形成の上に使われていたのではないかと思う。それを最も大きく扱ったのが従義流のようである。これを逆次に読めば必ずまず民衆が出てくるようになっており、決して宗門の希望するような衆生は出て来ない処が妙である。
 大石寺もまた信の一字から再検を始める時ではないかと思う。信の一字の処、信頼の処に己心の法門の故里があるのである。今の宗門に、相互にどれだけの信頼をもっているのであろうか。人を不信の輩といえば相手も不信の輩というであろう。自他の間は不信をもって出来ているのであろうか。
  昭和六十一年六月十三日    川 澄  勲

 

 

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 大石寺法門(三)


 
目  次
 
不開門
 
熱原の愚痴の者共
 
悪口雑言
 
以信代恵
 
一閻浮提総与
 
久遠名字の妙法
 
一言摂尽の題目
 
口唱の題目
 
大杉山有明寺
 
客殿
 
客殿の奥深く安置の本尊
 
逆次の読み
 
儒内外
 
久成の定恵
 
楠板の本尊
 
本尊抄の末文
 
本仏
 
神天上法門
 
下種仏法
 
末法の御本仏日蓮大聖人
 
不信の輩
 
御影堂
 
流転門・還滅門
 
弟子分・宗旨分
 
五百塵点の当初
 
久遠元初
 
鬼門
 
(客殿)
 
(逆次の読み)
 
久遠名字の妙法と事の一念三千
 
法前仏後
 
謗法
 
本尊七ケ相伝
 
明星直見の本尊
 
咄い哉智公
 
塔婆供養
 
本尊(欲聞具足道等文)
 
本尊の遥拝と直拝
 
本因修行
 
本時
 
本仏の寿命
 
本仏の振舞
 
末寺
 
末法の行者
 
末法万年の化導
 
巧於難問答
 
狂学
 
鏡像円融
 
広宣流布
 
悪人成仏
 
三祖一体  

 

 不開門
 可成り以前に書いたように思うが、思い出して再録することにした。ここに表わされた広宣流布は古伝そのままであると思う。やはり山法山規として見るべきものと思われる。そのために事行が強い割合に、その本来の意義はそれ程明らかには示されていない。しかも今に事行の上には絶えることなく受け継がれているのである。己心の法門がそのまま事行に表わされた広宣流布の姿である。門を開けば完了である。五々百歳広宣流布完了の姿である。滅後末法であるから、始が根本であり、終りは常に始に集まっているのである。これが経の上にのみ考えられる時は、終の方に始が上ってゆき、完了は終に求められるようになる。
 宗門や正信会の広宣流布は経の上の広宣流布、即ち文の上の広宣流布であるが、不開門に示されているものは己心の上の刹那の広宣流布である。文の底の広宣流布である。天台の五々百歳遠霑妙道のみに頼りすぎると、文上に出る恐れが多分にあるが、依義判文抄では始めに三学を明されているので、その後の遠霑妙道は己心の上に考えるべきものである。それを今では見捨てて文の上に、迹門の処に考えているのである。そのために戒定恵もうすれ、己心の法門を邪義と定めた上で、広宣流布を文の上にのみ持ち出しているのである。これは明らかに時の混乱である。己心から己心の外への逆転である。既に大勢が法から教に移っているのである。そのために教の眼をもってすれば、法が反って狂と映るのかもしれない。詐りのない心境のあらわれである。
 半年分をまとめて、始めに広宣流布完了の宣言であるが、本来は刹那の広宣流布の姿であり、これは明らかに仏法の上にあるものである。それを事行の法門として建築物をもって表わされたまでである。要はその中味である。若し建築物にのみ執着すれば「逆も逆」ということである。今では反って迷惑しているのではなかろうか。そのために今の門はやや西寄りになっているが、以前は客殿から辰巳にあたる処にあったようである。これは閻浮提を目指しているためである。
 宗を挙げて迹門の広宣流布をとなえてみても、己心の広宣流布は昔ながらに古い伝統を示しているのである。何れを選ぶべきか、考える程のことはあるまい。わざわざ山法山規を持ち出して、自分等にも分らない、お前達に分る筈がないということもあるまい。これでは、宗門の法門の本源がわからないという無智の程を公開したまでのことである。分るまで探ってゆくことこそ、末弟のやらなければならないことである。それ程簡単に抛棄するような筋合いのものではない。何か勘違いしているのではなかろうか。考え方が迹門に遷れば、不開門も法門的には無意味なものになるのは止むを得ないことである。これまた時の移り変りである。宗門は常に時の浮動の中に左右されているようである。このようなことの無いように山法山規と事行の法門は用意されているのである。
 不開門が開けば即刻一閻浮提の内は広令流布ということであるが、今は一向に無関心である。即時完了である。己心の法門による故に刹那に完了するのであるが、今は一人一人を折伏した上で完了ということに決まっている。これは経の文の上そのままであるから、仏法とは異った方式によっているのである。そのような中で三分の一ということも考えられた時代もあったが、それにしても十数億とは大変な数である。正信会ではどのような数字を立てているのであろうか、是非知りたい処である。
 今の立て方には多分に宗教的な匂いがあるが、本来は法の上に立てられているので、現在の立て方からすれば、宗門も正信会も教に移っていると見るべきであろう。教前法後即ち仏前法後に移っていると考えざるを得ない。即ち仏法から仏教へ移っているということなのである。時の混乱の結果は、何の抵抗もなく法から教へと移行するようになっているようである。これについては水島説が最もよくこれを表わしている。
 時をもって建立せられた日蓮が法門は、今や時のないのが大きな特徴になっているのである。随分の変りようである。法を確認された上で教が働くなら仏法興隆ということであるが、教のみの先行をもって仏法興隆ということは出来ないであろう。法をもって宗を立っているからには、法の確認こそ仏法興隆というべきである。一度不開門の意義を考え直してみる時ではなかろうか。

 熱原の愚痴の者共
 愚痴の者共とは愚悪の凡夫であり、本仏の資格を備えているが、近来は三烈士の語が専ら使われていた。勇ましさはあるが本仏とは異なったものを持っている。この三烈士が戒壇の本尊と一箇して説かれていた。魂魄や己心とは別な雰囲気を使っていたのであろう。その後十月十二日の処刑が四月八日と改められ、また十月十二日になっていたが、今は十月十五日に改められた。しかし究竟中の究竟の本尊説が出ると、何となし十月十二日説の復帰を思わせるものがある。これが現在の説と思われる。どうも熱原の愚痴の者共も落付かないし、本尊もまたそわそわしている感じである。やはり戒壇の本尊への連絡の仕方に問題があるようである。
 処刑され頸が飛んだ故に戒壇の本尊となったのでは、本尊としてはちと物騒であるし、仏法の己心の本尊としては少し無理が目に立つようである。これでは同じく頸の座に上っても、本尊になるためには頸が飛ばなければならない。頸が飛ばなければ本尊になる資格がないということにもなり、開目抄などに示された本尊とは全く別なものになるし、丑寅勤行に顕われる本尊とも異り、古伝の法門とは遊離したものになる。これは反って他から誤解を招くことにもなりかねない。
 究竟中の究竟の本尊とはどのような意味をもって称え始めたのであろうか。そこには真蹟の意味を内蔵しているようにも思われる。これについては、大正以来可成り苦境に追い込まれている筈であるが、相手方を完全に屈服させる理が整備されたというのであろうか。少し軽々し過ぎるのではなかろうか。二三年前肉身本仏論が専らであったが、今は熱原三烈士本尊論が復活しようとしているのであろうか。本仏も本尊も、どうも落ち付かないようである。そのような中で常に落ちついているのは、事行の法門として丑寅勤行に顕現される本仏本尊のみである。これは愚痴の者共の上に顕現されるので、必らずしも宗祖一人に限るものではない。その辺に何か都合の悪いことでもあるのであろうか。
 三世常住の肉身本仏論といい、究竟中の究竟の本尊といい、どうも落ちつきのないのは気掛りである。しかも、どちらも開目抄や本尊抄等の本仏や本尊でないことは尚更気掛りでならない。陰で何が考えられているのであろうか。今振り返ってみて、山田や水島が血相かえて悪口雑言をやった時は、必らず当方のいい分が異様に真実に触れた時のようである。それ程先生方が真実の法門を斥う理由がどこにあるのであろうか。あまりにも正直過ぎたようである。いかにもゆとりのなさが、反って人にものを考えさせるのである。これはあまり賢明な方法ではなかった。そのために即答も出来ず、長い時間の必要があったようである。しかし、今度はさすがの水島も矢種が尽きたか、折伏と広宣流布に向って振り切り発車を決めたようである。
 何れが先であったか忘れたが、究竟中の究竟の本尊説にもお目にかかることが出来た。何ともあわただしい次第である。さてこの広宣流布の完了はいつの予定であろうか。しかしながら、それ以前に本尊そのものをはっきりさせなければならない。或は究竟中の究竟の本尊がそれに当るとすれば、その本尊とは熱原の三烈士ということになる。広宣流布と三烈士とはそれ程緊密な連絡があるのであろうか。
 水島程の強の者も、一人の不信の輩の折伏は遂にあきらめざるを得なかったようである。途中で止める位なら、秘蔵のものを与える前にやめておくことであった。与えるだけ与えておいて投げ出すのは賢明な方法とはいえないであろう。関連の御書は愚痴の者としての扱いであるが、究竟中の究竟の本尊は頸を切られることが条件である。内容的には雲泥の差があるが、今再び愚痴の者から三烈士への切り替えが行われた処で、折伏と広宣流布への出発ということであろう。寛師の語もよく味わった方がよい。  

 悪口雑言
 ここ数年のものをまとめてみると、只悪口雑言の一語に尽きる。逆にいえば戒定恵や仏法を破すためのものとしか思えない。しかし終りを全うすることが出来なかったのはその壁の厚さであった。少し技倆不足である。金口嫡々の相承も戒定恵の下では成り立たないであろう。開目とは戒定恵を見出だした処から始まっており、これが全ての根元になっている。そこに己心の法門も建立されているのであるが、これを一言に邪義とやったまでは大した威勢であったが、結果は至極簡単にはね返されたにも拘らず、最後の弁に至っても、まだ一片の反省もない傲慢さである。反って自分の方が傲慢ではないか。
 宗学の専門家が悪口のみに終始し、自ら先んじて手を引いたのは何としても敗戦である。既に緒戦から負けているのである。悪口と雑言以外施す術がないのであろう。逃げ乍らの悪口はいかにもみじめである。若しも先生方が優勢であれば悪口の必要はなかったと思う。現在どのような教義を立てようとも、本来のものの追求は必らず捨てるべきではなかった。邪偽・邪説・珍説などといい、狂学と称えて来た対照は、実は己心の法門であった。いくら水島が宗門随一の学匠であっても、己心の法門を邪義ときめこんでは勝ち目がないのは当然である。そのために僅か二十八回の短命に終ったのである。
 己心の法門が宗祖の直説であるとは知らなかったのであろうか。知って居ればこのような無恥な語は出なかったであろう。宗門人が誰一人留めなかったのも不可解である。若し邪義の一言に恐れをなして引っ込んでいたなら、すでに開目抄や本尊抄は大石寺の御書から抹殺されていたかもしれない。幸いにして今の処は何とか残されているようである。そして己心の法門も反って復活したのではないかと思う。災転じて福となったのである。己心を消して、何をもって根元とするつもりであろうか。邪義説はまたいつの日か復活を目指して出てくるかもしれない。それにしても、少し目の付け処が狂っていたということであろう。
 己心の法門が消されるようなことでもあれば、それは大石寺の終末の日である。静かに反省するのも無駄なことではあるまい。反省は逆次の読みに通じるものではあるが、今のように文上を読むためには格別必要なものではない。ただし、古い法門は逆次の読みを除いては求めることは出来ない。己心の法門や逆次の読みを除いては、どうしても新義建立に向わざるを得ないであろう。己心を邪義と決めることこそ真実の邪義である。しかし今は文底から文上へ、迹門から爾前へと逆次に読んでいるが、これは法門の上の逆次の読みとは関係のないことである。これは悪口雑言のもたらした逆次の読みであり、今の宗門は現在の天台学に宗学の基盤を求めようとしている。その現われが観心である。
 観心の基礎的研究は全て天台学者のものの集録のように思われる。心は既にそこに移りつつあるのである。文底本門から文上迹門への移動が既に始まっているのである。そのような中で広宣流布も迹門に立てられているのである。しかしこの観心の基礎的研究から戒定恵や本仏、また本因の本尊は出ないであろうとは思うけれども、今では既にその必要はなくなっているようである。戒定恵もきまらないまま引用文を引くために、反ってそれに振り廻されて、果ては時さえ失ったのである。手を引いた処で、悪口の必要のない法門の根源でも探って見ることにしてみてはどうであろう。

 以信代恵
 今の宗門の考え方からすれば、信心によって戒壇の本尊を得たということになるが、宗祖にはあてはまらないであろう。この信の一字とは主師親の上に考えなければならないと思う。その信心は信者専用語であるが、時には宗義に昇格するようなこともある。全く無差別である。施す側と施される側と、時には無差別になることもある。師弟にしても無と有の二様の立て方がある中で、無差別であるべき法門が有差別となっているのは法と教との混乱である。法は本因にあり教は本果にある。その混乱によって逆に出るようなこともある。
 純円一実の処は戒定恵でもあれば己心の境地でもあり、一切無差別であるが、一旦口から外に出れば貴賎老少老若男女は即時に有差別と考えられるむずかしさがある。日蓮正宗伝統法義や水島教義は信心以外では考えにくい。そのためか、無差別である筈のものが有差別と出る。また師弟にしても本来無差別であるものが、始めから有差別のみの処で考えられているのである。しかし、以信代恵は無差別の境界で考えたいものである。  

 一閻浮提総与
 この語は本来、開目抄や本尊抄に関わる語である。即ち本因の上に解さなければならないものであるが、今は専ら本果の上に解されているのである。戒壇の本尊を真蹟ときめた上で一閻浮提総与とするために混乱が起るのである。真蹟といわない頃には何事もなかったものが、大正になって真蹟と決めた処から混乱が起きているのである。
 真蹟となれば門下一般に関わりを持ってくるのは当然であるが、本は一般民衆に対して信不信には関わりなく総与といわれたものであり、本尊の性格を説明された程のものであるが、本果となり、対告衆が決まれば状況が一変するのは当然のことである。今また敗北の腹いせをそれへ向けようとしているとすれば、以っての外の愚案である。究竟中の究竟の本尊もその意味をもっているのかもしれない。次ぎ次ぎに寄り集っているのではなかろうか。既に内堀が埋められていることを知らなければならない。意外と逆効果が出るようなことになるかもしれない。
 信不信以前の処即ち本因の処で出来たものが、一宗建立以後本果の立場から真蹟ということになって一閻浮提総与となった時に混乱が始まっているのである。己心の法門は邪義ときまり、戒旦堂として始まった正本堂も出来ているし、折伏と広宣流布も宗義として本決りとなって護法局も出来て一年半が来た。そこへ究竟中の究竟の本尊も顏を出したということで、大体必要なものは出揃ったようであるが、護法局だけは一向に動いているようには思えないのは気掛りである。その内に動くつもりなのかもしれない。何れにしても危険な状態を迎えていることは確かではあるが、肝心の気合は今一つ乗って来ないようである。未だ時が動かないのであろう。いつになったら時が熱するのであろうか。
 一閻浮提総与の語が一宗建立以前の処で受けとめられるなら、何の不都合もないが、滅後末法六百年を過ぎて急に真蹟となり、同時に日蓮正宗も発足した。その直後に問題がこじれたのである。真蹟をもって遺命があれば、他門下は日蓮正宗の下に集まらなければならない。そこで始まったのが真偽問題であったが、これは元より有利な筈はない。
 今究竟中の究竟の本尊を中心に何が考えられているのであろうか。久遠名字の妙法と事の一念三千による本仏や本尊も出終っているし、正本堂も出来ているのであるから、残る処は護法局の活動開始のみである。戒定恵と無縁になった三秘にどこまで力があるか、阿部さんの思惑通りに事が運ぶかどうか、とくと拝見したいものである。戒定恵を根本とすれば末寺数や信者数にこだわる必要はないが、今は数字の増える事をもって仏法興隆と考えている。それは仏教興隆である。内をとるか外をとるかの相違である。
 御本仏日蓮大聖人などという語は、仏法に限られているものと思っていたが、今は迹仏世界にあって使われている。本尊もまた迹仏世界において解されており、そこに色々と複雑な問題が起るのである。本仏世界に起きたものは、どこまでも本仏世界に限るのが原則であるにも拘らず、殆どが迹仏世界のみで解釈され運営されているのである。そこから問題は起っているのである。案外このようなことには無関心のようである。これでは仏法に立ち返ることも、戒定恵を根本とすることも容易なことではない。そして自分でも分らないいらいらが、自然に悪口となって口を衝いて出ているのである。ただ戒定恵さえ根本とすれば悪口は即時に退散するであろう。あわてて天台のものを学んでみても、ただ時の混乱のみが待ち受けているのみで、既に経験した通りである。その時の混乱があえなく敗戦と表われたので、ここは素直に受けとめなければならない。たまには人の好意も謙虚に受け入れた方がよい。
 本仏や本因の本尊を称えながら戒定恵や己心を捨てることは殆ど自殺行為に等しいものである。まず開目抄を読むことである。そこには「次上」も「阡陌」も共にある。一度見ておけば日本語にないとか御書にないとかいう必要はない。そこで法門の出生をたしかめなければならない。そのようにすれば、自然と悪口も雑言も影をひそめるであろう。そのようにすれば、狂った狂った、狂いに狂ったとか、狂学などという必要は消滅するであろう。何はともあれ、釈尊の因行果徳を頂くことである。この因行果徳とは仏法の処において受持するものであることに注意してもらいたい。阿部さんを先立ちとし、教学部長を後に従えての狂騒は、あまり体裁のよいものではない。  

 久遠名字の妙法
 この語はよく聞く語ではあるが、その本処については案外分っていないのかもしれない。そして事の一念三千との間に本仏や本尊を出生しているのである。その出生については、仏法でも仏教でも関係がないのかもしれない。ここでは己心が邪義の故か、始めから除かれている。そうなれば戒定恵もまた除かれているであろう。二ケ年半の間一度も戒定恵の語にはお目にかかることもなかった。始めからなかったためであろう。今では久遠実成の延長線上遥か彼方に久遠名字の妙法を考えられているのであろうか。そうなれば事の一念三千もまた迹仏世界にあることになる。久遠元初が久遠実成の彼方にあるなら、本仏も本尊も共に迹仏世界の出生である。
 日蓮正宗要義の久遠元初の解釈によれば、久遠名字の妙法も事の一念三千も、本仏も本尊も成道も、何れも迹仏世界を一歩も出ているものではない。このうち、成道のみははっきりと迹仏世界にあるように見える。即ち死後の成道によっているためである。その他も仏法がそれ程はっきり確認されているわけでもないから、まずは迹仏世界ということではなかろうか。何となしはっきりしていないようである。本仏世界というよりは迹仏世界の方が遥かに濃厚である。差しあたっては久遠元初のある処に見なければならない。
 一言でいえば迹仏世界である。そこを本仏世界と見ているだけのことである。まずこれをはっきりしなければ、久遠名字の妙法を本仏世界の出生ときめることはできない。山田もこの語を使う前に、その時を決めるべきであったが、仏法の時は一向に決められていなかったのである。これは先生一代の不覚であった。時の混乱の中に使われた弱さがあったのである。そのために本仏や本尊が仏法と仏教の間を往返するのである。
 戒定恵・己心に次いで、まず確認しなければならないのが久遠名字の妙法と事の一念三千であるが、何れもその出生は明らかでない。これも現状では久遠元初と同じく迹仏世界の出生と思われる。これをはっきり決めなければ、山田の論文も意味がない。結局はその本仏や本尊に足を引っぱられた格好である。また仏法の語も仏法のようでもあれば仏教のようでもあり、折角大聖人の仏法といいながら、それが迹仏世界を指しているのでは、全く意味のないことであり、反って混乱の基になるばかりである。
 民衆の一人一人が持っている筈のものが、己心を取りあげることによって一人に集中すると、そこに新しい教義を生じ、やがて下化衆生の形を取るようになる。それでは仏法とはいいにくい。時の誤りが反って極端な差別を生じているが、それでも仏法を称しているのである。無差別から有差別への交替である。真実仏法を称えるなら、一人一人の手元へ己心を返さなければならない。それでこそ大聖人の仏法といえるのである。これは一宗建立以前の時のことである。
 一宗建立以後に仏法方式を持続することは、殆ど不可能のように見える。そのような中で或る種の権力のお先棒をかついで悪口雑言を繰り返してきた。それは他人は全て邪と決めた上での出来事である。本人からすれば、案外ほめているつもりなのかもしれない。先生方によって見せつけられたものは、何とも理解しがたい処である。吾々はこれを異状体質と考えているのである。
 今度二年半の苦心の末に布教叢書が出来、これをもって新しく折伏と広宣流布に立ち上るようであるが、今度も要法寺日辰の化儀の折伏・法体の折伏をもって旗印にすることであろう。その旗印、どこまで威力を発揮するのであろうか、これはみものである。時局法義研鑽委員会をわざわざ発足させての編集であるから、さぞ立派なものが出来たことであろう。川澄の破折は完全に失敗に終った今、大いに世間への折伏に張り切ったもらいたい。仏法の広宣流布は発足同時完了であるが、新広宣流布は、いつを期とも定めない発足である。一人残らず折伏し終った処で完了である。大いに励んでもらいたい。これは容易な事ではない、思い切って「一閻浮提総与・広宣流布完了」とやってみてはどうであろう。しかしながら在世の広宣流布は容易なことではない。この広宣流布によって宗門も仏法から仏教への後退、文底から文上への還帰を公表することになる。これは何物にも増して大きなものを持っている。それは宗義の大変革であるからである。
 六巻抄の警告にもかかわらず、要法寺の辰師流は今も根強く受け継がれているように思われる。しかも一方では辰師を下しながら御本仏日蓮大聖人というのであるから、水島の本心がどこにあるのか一向に分らない。拾い上げてみても、法門的に宗祖にどれだけのつながりを持っているのか不明である。むしろ辰師へのつながりの方が強いのではないかと思われる。水島も、久遠名字の妙法をよく探って後、御本仏日蓮大聖人の語を使うとよい。言葉のみをもって最高の讃辞を呈するのは慇懃無礼である。また辰師には久遠名字の妙法は見当らないかもしれないことを注意しておくことにする。  

 一言摂尽の題目
 数限りなく口唱する題目を逆次に読めば一言摂尽である。唱えた処はただ五字七字の妙法である。口唱は文上のごとく一言摂尽は文底のごとくである。これは六巻抄の第五の終りに出る語であり、前から見ればこの一言摂尽のところに収まっており、依義判文抄からいえば久遠名字の妙法ともいえるようである。そして第六では三衣となり宗開三と開いて戒定恵の三学に収まっているということも出来る。つまりは戒定恵の三学から出ているものと見てよいと思う。定をとれば本尊である。まず己心の法門に属しているものであり、事の一念三千と久遠名字の妙法とが一箇すれば本仏となり、人法一箇すれば本尊ともなることは、山田が説のごとくである。しかし、外典を摂入して戒定恵を顕わし、そこで己心の法門として顕われたとき、本仏とも本尊とも成道ともいわれるようである。
 日乾本によれば、文の底に沈めた一念三千となっているが、録内では文の底に秘して沈めた一念三千となっている。秘の字がある方が深さがあるようである。即ち秘の字の中に、沈めたものが再び寿量海中から浮び上がることを含めているようにも思われる。昆明池の大魚が献じた珠は水中に秘して沈められたものであり、そして夜中に秘かに献じたものであった。珠の字は水中から現じたものに使われているようである。
 六巻抄はこの文を初めに置いて、この珠が顕われてくる状況を説かれているように思われる。愚悪の凡夫の胸間に秘められた久遠名字の妙法と事の一念三千が顕われ、それが戒定恵を通して宗開三となり、三祖一体となって師となり、道師以下の歴代が共に弟子となる師弟子の法門を表わされている処は、三師伝と何等異っていない。
 一言摂尽の題目が事に表われた処に師弟子の法門といえるものがある。本果をとれば宗祖本仏の姿ともなるが、本因をとれば愚悪の凡夫の本仏・本尊・成道の姿ということが出来る。即ち事に現わされた生仏一如の姿ということも出来るが、今は一宗建立のためか権威付けのためか、次第に本因の愚悪の凡夫が消されて、宗祖は生れながらの本仏、しかも三世常住の肉身本仏ということになっているが、開目抄によれば、初めの本仏は愚悪の凡夫のようである。これが今の本仏との相違である。
 久遠名字の妙法の中に愚悪の凡夫が含まれているのは明らかである。それが本果に移ってゆく道程で凡夫が消されて、宗祖一人が本仏となってゆくようである。当家三衣抄の序の部分には、特に愚悪の部分が強調されているようである。久遠名字の妙法の、久遠名字の四字には愚悪の凡夫の意は明らかなように思われる(久遠名字の妙法の項参照)。本仏は愚悪の凡夫の己心に住しているように思われるが、今は本仏が宗祖一人に決まっているので、その辺がはっきりしないようである。
 愚悪の凡夫に本仏や本尊を見出だした処が戒定恵であり、仏法であるが、今は本仏が宗祖一人に決まると同時に本果となり、迹門に移っているような感じが強い。これは時節の混乱の中で、愚悪の凡夫の本仏が守り切れなかったためであろうか。山田や水島の説からしても、本仏は迹仏世界に移っているように見える。一宗建立すれば自然の成りゆきということであろう。御両名の苦難に満ちた悪口雑言からは、一向に迫力を感じさせるものがない。それが最終回と称している敗戦の弁であった。ここまでくれば、水島といえども手を拱く以外には名案は浮かばないであろう。
 本仏日蓮は、信仰対照とする前に、一人の愚悪の凡夫として見直す必要があるようである。日本国の主師父母として尊敬の対照として見直すべきではなかろうか。遥か虚空の彼方におき、久遠実成の遥か彼方の元初におき、信仰のみをもって本仏と仰ぐようにはなっていないように見える。むしろ主であり師であり父母であるところにあって親しみ敬うようにするのが本義ではなかろうか。これは根本の姿勢を示されているものと思う。
 諸宗の元祖のように虚空に押し上げられるような事のないように、日蓮は常に民衆と共に居りたいという念願が、日蓮は日本国の諸人に主師父母なりと結ばれたのではなかろうか。最初は主師親であるが、もう一つ親しみをもって主師父母とされたのではなかろうか。これを押し切って、一宗の元祖として本仏とたたえ、虚空に押し上げるのはどのようなものであろうか。しかし、一宗の元祖ともなれば、虚空に押し上げられるのは人情の然らしめるところである。宗祖は最もこれを斥われているように思えてならない。尊敬を根本とし、信の誠を尽すのが最良の方法ではなかろうか。今では尊敬すべき主師父母は共に地を掃った感じである。
 一言摂尽の題目は師弟共々に唱えた題目によるものと思うが、今は唯一人のものになり切っているようである。そして宗義は次第に口唱の題目に移りつつあるように見える。このような中で広宣流布に向わんとしているのである。  

 口唱の題目
 一言摂尽の題目が文底であれば、口唱の題目は文上にあたる。前が本因であれば後は本果にあたるものである。この一言摂尽を永く文底に止めるためには、その意義をはっきりつかまなければならない。今のようでは、折角の一言摂尽の題目も、文底と文上の間を常に往復しなければならないが、これはまた仏法と仏教との間の往復であり、所詮は仏教の処に落ち付く可能性も多分にある。そして仏教にあって仏法を唱えるようなこともある。それが現実の姿ではないかと思う。水島は仏教の処、即ち迹門に落ち付くのが大きな目標のように見えたが、結果はあまり思わしくなかったようで、そのために中途で投げ出したのであろう。現在既に仏教に居るのであるから、その裏付けが欲しかったのであろうが、それは無理である。
 仏教にあって仏法を唱えれば仏法そのものが不安定になり、法門が不安定になるのも当然である。これは時を失ったものの行くべき道である。山田や水島の説はその典型的なものである。他から疎んぜられる根本はそこにあるのである。つまり、自宗のよって立つ処の根源が分らなくなっているのである。仏法を語るためには、何をおいても時を確認しなければならないことは、開目抄の末文及び撰時抄に明らかである。時を失うことは宗祖に対する不信の表われともいうべきであろう。時を失えば即刻仏教になるのは仏法のきびしさである。
 時を失ったために久遠実成の遥か彼方に元初を考えなければならないのである。これは正宗要義の示す処である。そして迹仏世界に本仏が出現するようなことにもなる。それが今の現実のすがたである。これをもって娑婆往復八千度とすましているわけにもゆかないであろう。これが時節の混乱ではなかろうか。ここまで来て山田・水島が急に口を閉じざるを得なくなったのも、元はといえば日辰の時節の混乱を受け継いでいる故であろう。滅後七百年目の京なめりは四百年来のものである。それ程根ざしが深いのである。今となってこの深渕から抜け出ることは殆ど不可能に近いように思われる。
 再度の広宣流布には色々ときびしいものがあるようである。民衆が何を求めているかということでも、予め研究しておいた方がよいのではなかろうか。八百万が千六百万になっても、数十億人の広宣流布は容易なことではない。もし即時に可能な方法といえば己心の法門の上に刹那に完了することである。このためにはまず己心を取り返さなければならないが、これは恐らくは出来ないのではなかろうか。今先生方にその勇気があるようには思えない。現状は時の赴くままに広宣流布をやる以外によい方法もあるまい。やっていると云うことに意義を見出だすのも一つの方法である。
 三大秘法のみによる広宣流布は迹門流である。いつ完了するというわけでもあるまい。とも角やることに意義を見出だす以外に名案は浮ばないであろう。化儀の折伏、法体の折伏も辰師のものを寛師のものと読み誤ったもの、今後の広宣流布も日辰流に名案があるかもしれない。宗を挙げて日辰研究を始めるのも亦一つの方法である。また寛師のものと読んで化儀の折伏、法体の折伏に出るのであろうか。肝心の大石寺法門は何一つない出船である。筆者はこれを無謀と称したい。
 法門の上の広宣流布は、今に山法山規と思われるものの上に残されているが、これらは全て己心の上の広布であり、末法の始めといわれるごとく、まず始に完了である。刹那の広布である。法門の立て方もここ二、三年示されたごとくであれば、刹那の広宣流布を斥っていることもよく分るが、これらは本来大石寺法門の広宣流布とは相容れないものであることを、改めて認識しておくべきである。  

 大杉山有明寺
 大杉山も有明寺も共に不可解な語であるが、何となし法門の極意の処はここに寄っているように思われる。以前に書いたものと重複するかも知れないが、敢えて再考してみることにする。大杉も有明も共に明星に関係があるようにみえるが、戌亥の方角にあたっており、丑寅とは違っている。「戌亥の方から水流れ、辰巳の方へ流れ去るかかるいみじき処」を選んでいるようでもある。
 御華水には逆さ杉もある。これは地下から出る明星を受ける用意であろう。その地下から出る水とは上行を意味しているようで、辰巳の方へ流れ去る水の流れ絶えざるさまは、日蓮が慈悲広大を表わすというように、流れの絶えることのない小川である。そして途中客殿の西北にあたって明星池があり、丑寅勤行によって現われた本尊はここに浮かび、これに墨を流すと本尊と現われるということである。客殿の奥深くまします本尊が、姿を現わす処である。そして余れば弟子旦那へと、東南へ流れて閻浮提に向うようになっている。
 丑寅から未申に向う線は仏教では諸仏成道の線であるが、戌亥から辰巳に向う線は、大石寺で交錯しているが、これは仏法における成道の線ではないかと思う。行く先は一閻浮提であり、戌亥からは上行日蓮が向っているようである。そして閻浮の衆生と師弟成道をとげるのが大石寺ということを示しているようである。引用の御書には、このようなものを含んでいるのではないかと思う。諸仏成道の線と閻浮の衆生の成道の線と出会う処、そのかかるいみじき処、それが客殿であり、時に明星池ということになっているように思われる。
 身延は宗祖九ケ年の行苦をつまれた処、それは有明寺の洞窟に通じるのかも知れない。先に引用の御書は身延の情景を写されたもので、大石寺に襲蔵されているものである。洞窟から御華水に通じる地下は上行所住の処であろう。そして御華水に出れば逆さ杉があるのは明星を表わしているのであろう。そして余った水は辰巳へ向って流れ去るのである。大杉から逆さ杉に至る間に日蓮と上行と明星が考えられていることは、間違いないと思う。また御華水は毎朝汲み上げられて、客殿の御前机の水となるが、これは本因の本尊の長寿を祝福しているものと思われる。辰巳に流れ去った水は一閻浮提に至り、縁があれば御影堂に参るのである。
 このようにして見れば、大杉山有明寺は衆生の成道には欠くことの出来ない重要なものを持っている。有師の造られた寺も、大体辰巳にあるようである。これまたこの水と関係があるように思われる。御影堂に参って縁の結ばれた衆生は、更に末寺に至って戒を授かり、準備万端整って大聖人の客人として客殿に来たり、丑寅勤行に参加して成道を遂げ、自行自力によって本尊・本仏を顕現することが出来るのである。その時授戒を担当しているのが末寺であり、ここでは滅後末法にふさわしい戒を授けている。
 末寺は戒旦である。昔から既に戒旦は建立済みであり、御書に抵触するような戒旦ではない。今新しく戒旦のつもりで造られた正本堂では、未だ授戒した話は聞かない。戒は昔ながらに末寺の担当する処である。戒については戒の項を参照せられたいが、その戒とは開目抄と思われる。これは戒定恵の戒であり、宗祖であり、本仏である故である。
 今新しく戒旦が出来ても、正本堂は御宝蔵や客殿また戒旦堂を兼ねるわけにはゆかないであろう。これは法門の立て方に因んだ戒旦堂は昔から末寺が行って来ているのである。三大秘法抄や本門心底抄とは、本来として法門の立て方が違っている。末寺こそ戒旦として最もふさわしいものである。三大秘法抄では衆生成道につながらない難点があるようである。
 戌亥から辰巳に至る線が縦なら、丑寅から未申に至る線は横である。その交る処に大石寺がある。大石寺には昔から大石寺を現世の霊山といわれている。衆生の成道があるためであるが、今のように死後の成道が強くなれば現世の霊山と称してよいかどうか。現世の霊山とは専ら山法山規による処であろう。諸仏の成道は在世のこと、滅後ともなれば衆生の成道がこれに替る。その時戒旦となるのが末寺である。正本堂を若し戒旦とするなら迹門のような戒旦となる恐れがある。本寺において戒を授けるのは像法の時代に行われた型式である。戒の内容もまた異って来るようになる。師弟相寄って一箇の成道を遂げるためには末寺の戒旦が最も筋が通っているよに思われる。増上慢ということで切り捨てる前に、一考を煩わしたいと思う。
 今の日蓮正宗では戌亥から辰巳に至る滅後成道の線は使いにくいと思われる。この線は滅後末法に限るようであるが、在世末法では、まだまだ諸仏成道の線の方が近いようである。滅後末法の今は戌亥から辰巳に至る線が中心になっており、末法の慈悲もまたこの線によって流れているのである。また本仏や本尊の長寿もその線に沿うて表わされている。客殿の中だけ見れば丑寅の線がとられているようにも見えるが、外の御華水からの流れは戌亥が中心になっているようである。
 時局法義研鑽委員会は目前の事のみに追われ、爾前迹門を引くことのみに忙しく、誤ったてかせのためにがんじがらめに縛られて自立を失っているようで、事行の法門とは益々離れていっているように見える。そのために、口には仏法を称えながら、事実は仏教を一歩も出ていないというのが現実である。信心のみでは解決出来なかったようである。そのような中で広宣流布へ再出発である。結局は法門の上の折伏広宣流布は抛棄されたのである。そして悪口雑言のみが委員会の成果として後代に遺される羽目になったのである。一夜番の汲む水も時たま考えて見る必要もあると思う。伝統法義は口にするのみで、その内容までは明らかには出来ないであろう。そして悪口雑言も古伝の法門を消すためのものであったが、結局は無駄な努力であったようである。そして最後に化儀の折伏・法体の折伏に帰り着いたのであった。これが委員会の唯一の収穫であった。
 今一度落ち付いて、大杉山のあたりから眺め直せば、上行・不軽も師弟も、そこには古い姿が残っているかもしれないが、今はそれを探り出す方法さえ見失っているのであろう。山法山規には、悪口雑言は入っていない。とも角仏法を取り定められた上代に帰るべきである。大杉山あたりから水の流れ去るあたりは、山法山規の宝庫である。近代化しない仏法に帰るのが目下の急務である。伝統法義を唱えたから即刻仏法が復活するものでもない。仏教にもあらず仏法にもあらざる大石寺法門があるわけもない。何をおいても、まず仏法そのものの究明をしなければならない。それは時局法義研鑽委員会には、以っての外の難題と思われる。如来滅後五五百歳即ち滅後末法の始の本尊の真意義もここにあり、これが己心の本尊であり観心の本尊でもあれば本因の本尊でもある。その己心を抹殺し、観心を天台化し、本因を本果としては、この本尊も有名無実といわなければならない。そこには伝統がある。委員会はそれを消すためにヤッキになっているのである。
 水島優秀論文からは、とても滅後末法の本尊を求めることは出来ないであろう。あの論文からは、どう見ても像法転時の本尊が精一杯と思われる。とても滅後末法の始めの観心ではない。滅後末法の始めの観心の本尊とは己心の本尊である。その己心は既に邪義として切り捨てられているのである。この本尊は三秘の本尊ではなく、戒定恵の定にあたる本尊である。そこには時の違い目がある。悪口雑言を繰り返している間に、いよいよ時の違い、時の誤りがはっきり出てしまったのである。これは委員会諸公の一生の不覚であった。
 今の本尊はいつの間にか本因から本果に替っているように見える。それは三大秘法抄による処なのかもしれない。これに対して、本尊抄では戒定恵による本因の本尊の顕現が主目的である。今となってはそこに大きな違い目が出たのである。己心を邪義と決めたことが最大の原因である。己心を邪義と決めることに、あまりにも力が入り過ぎたのである。まず己心は邪義とある真蹟を求め出した上で破折すべきであった。今となっては引っ込みも付かないであろう。己心が消されるなら本仏世界の本果は即刻迹仏世界の本果の本尊となる。今の本尊はそこで解釈されているものと思われる。たまには本因の本尊ということはあっても、それは遠い昔の夢物語に過ぎない。それが不安定につながっているのである。
 何はさておいても、まず本尊の安定から始めなければならない。当方を崩すために時を消し己心を邪義と決めたけれども、それは意外な方面に発展して反って我が身に振り返って来たのである。それが本尊の不安定を招く羽目にもなったのである。「仏法は時によるべし」とも、「仏法を学せん法はまず時を習うべし」ともいわれている。それを初手から誤っていたのでは、仏法の道も遥かなりといわざるを得ない。まず、何が仏法かという処から始めなければならない。山田・水島もそこから出直しである。
 大杉山から御華水、明星池を中心にした処は、大石寺法門の中核をなす処であるにも拘らず、今ではこの解明は殆ど不可能な状態のように思われる。それというのも、三学から三秘に移ったのが事の始まりのようである。それというのも時が違って来たからである。しかし、今の様子では三学への復帰は困難なように見える。つまりはこのまま三秘へ定着するであろう。三学を離れては、宗義はますます動くであろう。そしていよいよ不可解なものになってゆくことであろう。しかし、これは新義建立にもつながるようなものを持っているだけに厄介である。戦い終って心置きなく三秘の一筋に進むことが出来るようにはなったが、三秘のみをもって文底を唱えることは、恐らくは出来ないことではなかろうか。  

 客 殿
 この呼称は仏法を立てる大石寺独特のものであって、他宗には全く見ない処である。古くから衆生は大聖人のお客様と言い伝えられている。宗祖との間に仏法の上の主客の意を持っているのである。他宗の客殿をそのまま仏法の上に解されている。丁度末寺が通常の意はそのままに、別に戒旦の意を持っているのと同じである。これによって仏法に居ることを明しているのであろう。主師の遺された図には嫡子分・客座と示されたものがある。客の字には相通じるものがあるように見える。これが三秘によるようになると、そこには師弟上下の差別がはっきり出て来るが、これは仏法としては大きな後退といわなければならない。
 戒定恵は無差別をとり、三秘は有差別をとる。それがやがて法主本仏論にまで発展してゆくようである。久遠名字の妙法と事の一念三千によって顕われる本仏は、人法一箇すれば本尊と顕われる。法主本仏は人法一箇して法主本尊論に発展するようなものを秘めているのではなかろうか。最近では戒定恵を耳にするような事もなくなり、専ら三秘一色である。戒定恵から離れた三秘一色である。そこに新しい問題を孕んでいるのである。水島も常に自分が高位に居ることを忘れるような事はなかった。そのために反って宙に浮いて敗戦を決定付けたのであった。空中からいくら声を掛けられても、吾々には一向に関係のないことである。水島も一度大地に下りて来るとよい。そして戒定恵を理解すると好い。今では衆生が大聖人の客人であるといえば、必らずこの不相伝の輩めがとお叱りを被ることであろう。それ程三秘一色なのである。
 今は全て正本堂中心に法門が運営されているのであろうが、正本堂が出来るまでは全てが客殿中心であった。客殿の西北には明星池があり、その北には本尊書写室もあった。御華水の水は流れて明星池に入り、更に客殿の北側を通って理境坊の裏を流れていたが、古くは鬼門の処を参道に出て、両側を南下して閻浮提に注いでいたということである。現在の水は明星池を通ることもなく、六壷の南から南に流れ去って、明星池や閻浮提とは全く関係がなくなっている。これでは最早日蓮が慈悲を表わす水ではなくなった。それ程変っているのである。これは客殿について意義があるので、正本堂では水の流れも何の意味もないことであろう。水も今では心得たもので、客殿の西の方を南に流れ去っている。これは時の流れである。閻浮の衆生とは関係のない流れと変っているのである。秘密であったために必要であった水の流れや明星池も、今は本尊が顕露になったためにその必要がなくなったということであろう。
 明星池も今は空しくその迹のみが残っているのである。正本堂は顕露の故に恐らくは作られていないと思う。或は広宣流布完了の故に取り去られたと解すべきであろうか。丑寅勤行も明星池がなくなり、水の流れがなくなると、随分と意味が変ってくると思う。客殿の客の意味もなくなるであろう。これまた顕露の故である。今では丑寅勤行によって現じた本尊は水に映る必要もなくなったようである。客殿の奥深くまします本尊もその意義が変っていったのであろう。宗義の変貌はここまで大きく響いているのである。秘密であった当時作られた本尊書写や金口嫡々の相承も、明星池がなくなってはその威力は衰えざるを得ないであろう。今では殆ど去年の暦と化しつつあるようにさえ思われる。
 本尊が顕露になって十三年、それを裏付ける教義は既に整束された事であろう。秘密であった時のものは最早時代遅れである。密と顕と、それは全てに真反対に出るものである。十分に転換がなされたであろうか。そのような中で、広宣流布は明らかに切り換えられているものの一つである。しかし会通は恐らくは出来ないのではなかろうか。これは大きな課題である。これのみは明らかに文上と思われる。文上と文底と、広宣流布一つみてもなかなかの難問である。このような場合の二重構造は、他宗に対して異様な誤解を与え、いらぬ刺戟を与えるようなことになるのではなかろうか。これなどは、はっきりと文底が証明出来るなら、他宗とは無関係な処で解決出来るものである。
 一閻浮提総与にしても、文上に持ち出してはどうにも解決出来ない問題である。ことが文底で決まっているだけに両存は不可能である。一つを変えるなら全部根本からやり直さなければならない。このような事は、考えて見ても必らず中途半端に終って、あとは黙り込むのが落ちである。そして陰で不相伝の輩・不信の輩を繰り返しながら孤独の道を歩むことになるのであろう。
 今山田や水島も陰で不信の輩を、寝ても覚めても繰り返していることであろう。これが宿命である。本尊も既に顕露になったのであるから、教義も出来るだけこれに随うべきである。ここが教学部長の腕の見せ処である。己心の法門を狂学と切り捨てられる日蓮正宗要義に替るものを作ってもらいたい。世界の広宣流布を目指すなら、教義もガラス張りの中に置いてもらいたい。狂学の語が出た時の周辺には、既に現代の天台教学が迫っていたようである。
 布教叢書という本が新しく出来、これをもっていよいよ折伏と広宣流布に乗り出すのであるが、柳の下にいつも鰌がいるわけではない。三秘の中の本尊と題目は既に建立され、残る戒旦も十三年前建立され、これによって漸く文の上の三秘が出揃った。本山に三秘が出揃った処は、どう見ても像法の顕現である。これは戒旦から逆次に見た処である。久成の定恵とは久遠実成であり、迹仏世界を指している。久遠元初に法を立て、仏法を称える大石寺としては、あってはならない事である。これは仏法と仏教の混乱になるからである。開目抄や本尊抄等は明らかに仏法に依って居り、仏教は既に摂入ずみであり、七百余年を経て再び仏教の世を迎えた事は、明らかに仏法の抛棄である。既に仏法が建立されているとき、今さら像法転時ともいえないであろうが、顕われた現実を事行の法門とすれば、どうしても仏法を抛棄しなければならない。これでは本仏の語も使えないであろう。
 己心の法門を邪義と決めたが、これは開目抄や本尊抄の否定にも等しいものである。時の混乱は、滅後末法を捨てなければならない処まで来ているのである。衆生の成道も既に現世から未来へ移されており、本尊も本仏も解釈の上から見れば、滅後末法とは離れた処に立てられている。そして戒定恵も「久成の定恵」として仏教に建立されており、広宣流布もまた文上迹門に移されており、今は只最後の断が残されているのみである。
 戒定恵が表に表われる時は仏法の世であり、本仏の盛んな時であるが、今は再び仏日が西に沈んだのである。これこそ時節の大混乱である。本仏が西山に沈んだ時、遺耀とは迹仏を表わすのであろうか。これらについて、時局法義研鑽委員会はどのような見解をもっているのであろうか。これこそ委員会のすぐ手掛けなければならない問題である。ここも亦教学部長の腕の振い処である。
 宗祖の戒定恵は仏法に限られているようであり、開目抄では外典に仏教を摂入された処で仏法を建立されているが、今は戒定恵の上に現われた成道本尊本仏と広宣流布は迹仏世界に返されているように見える。この上仏法を唱えてみても、それを裏付けるものは見当らないのが、偽りのない現実の姿である。今は、実には仏法と仏教のはざまに立っているという事ではなかろうか。何れ左するか右するか決めなければならない時が来るであろう。今その重大な岐路に立っているのである。
 委員会の業蹟は、只仏教へ帰結するためのものであったという印象のみが残されている。次には、これを如何にして逆転させるかということである。一日も早く仏法に帰ることを願うばかりである。時局の二字を捨てて、早々に作業に取りかかってもらいたい。これのみが宗祖への唯一の奉公であり、報恩であることを進言しておくことにする。宗祖が開目されたのは戒定恵であり仏法による処であると思う。それを抛棄して報恩謝徳では一向に筋が通らないであろう。これをどのように始末をするつもりであろうか。
 客殿は、どのように見ても戒定恵の上に出来ているものであり、この辺は事の法門そのものである。全て仏法の上に表わされているのである。それを何の理由もなしに仏教に切りかえてみても、そこにあるのは、只法門的な破綻のみである。それにも拘らず、現状は客殿黙殺の道をたどっているようである。それはそのまま仏法抛棄につながるものである。正本堂には本尊書写や唯授一人等の相伝につながるものは一向に見当らない。これらは客殿を離れては一向にその意義はないものである。それでも狂いに狂っているのであろうか、狂学なのであろうか。教学部長はどのように考えているのであろうか。一度位は反省してもよいのではなかろうか。
 戒定恵により己心の法門によろうとするのが何故狂学なのか、子細に文証を示してもらいたいものである。このような時に自分で勝手に決めておいて、文証も理由も示さずして、いきなり他を邪と決めるのは宗門独自のやり方であるが、そのような独善方式は、次第に世間からは疎んぜられるのみである。今までは通用して来たとしても、今後も通用するとは保證は出来ないであろう。これらは短期間に限って通用した三秘方式であると思う。そのような三秘偏重方式の時代は既に終ったのではないかと思われる。再び客殿が事行の法門の場として、その力を発揮出来るのは何時の日であろうか。
 諌暁八幡抄の裏書にある道師の「隠遁の思あり」の語も、戒定恵と解してよいと思う。その法門の事行の場が客殿である。ここでまず考えなければならないことは、何故道師が諌暁八幡抄を撰ばれたかということである。既にお歴々は充分承知の事とは思うけれども、念のために申し上げるなら、諌暁八幡抄は、その文面からして戒定恵によっていることを考えなければならない。新定二二〇〇に扶桑記の文が引かれているが、今まで宇佐八幡宮の社前で法華経は唱えられて来たが、伝教の唱える法華経は他に異なっているので、八幡の神は自ら宝殿を開いて袈裟を取り出し、伝教に授けられた。その前代に異なる法華経とは、二乗作仏と戒定恵を引かえた久遠名字の妙法を指しているものと思う。宗祖ままたこれを受け継いでいるのであって、文の上の妙法を指しているのではない。
 開目抄に、日蓮云く、日本に仏法わたりてすでに七百年、但伝教大師一人計り法華経を読めりと申すをば諸人これを用いず(中略)日蓮が強義経文には符合せり等とあり、新定二二〇二に委しく記されている。道師もまたこの久遠名字の妙法を指されているのであって、三秘の題目や文の上の題目でないことは明らかである。そのためにわざわざ諌暁八幡抄を撰ばれたのではないかと思う。
 道師の裏書は久遠名字の妙法によっていることを表示されたものと解される。これによって大石寺が久遠名字の妙法によることが確認されたものと思う。今その妙法がどのように理解されているのであろうか。ここ二、三年を振り返って見て、それが果して久遠名字の妙法であるかどうかということになると、甚だ疑わざるを得ないのである。「真言は国をほろぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は国賊」とあるのは、久遠名字の妙法を居えることによって二乗作仏も戒定恵の働きにより民衆の成道につながり、始めて真意義が顕われるのである。
 諌暁八幡抄は戒定恵を見出だすことによって、その真実が顕われるし、客殿も戒定恵が事行にあらわされた処にその意義があると思う。そこに衆生の成道・本尊・本仏も顕現されてきたのである。が、今の客殿にそのようなものが残されているのであろうか、殆どあるかなしかというのが実状のようではないかと思われる。若しそこに残っているとすれば、それは山法山規による処である。今の宗門は、山法山規をもって分らないという意味に使っているのではないかと思われる節もあるが、それはあまり知恵のある考え方ではない。
 師である主と弟子である客とが相対する処、そこにおいて本仏を成じ、また本尊と現われ、また成道とも云われるのである。客殿とは事を事に行ずる処であるが、今は師弟が差別の中で考えられており、それは仏法以前のそのままの姿であるために、いまだ戒定恵とは現われていない。そのために客殿から成道が消えたように見える。即ち師は生れながらの本仏であるから成道はいらない。そこには成道のための修行はいらない。弟子の成道は死後と決められて現世の成道は消えている。つまり師弟共に客殿の現世の成道は完全に消されているのである。大石寺でいう成道は専ら仏法の上に立てられているのであるが、今は宗義の根本が迹門の仏教に移動したために、愚悪の凡夫の現世の成道が消え、迹門の処に成道が遷されているが、宗門ではそのために成道そのものの意義が非常にぼやけて、結局は何ということなしに死後の成道にたどり付いたという感じであって、これは仏法の成道から完全に離れた姿である。しかし法門の上では迹門の成道・仏教の成道は一切説かれていない。今宗門はまず死後の成道について、その定義付けをしなければならない責務がある。
 今盛んな塔婆供養も、戒定恵や仏法による大石寺の教義には、何ともなじみ憎いものがあるようである。報恩抄に塔婆供養のことが書かれていない、二天門の北側での東北へ向っての勤行にも塔婆供養はなく、自我偈三返のみである。仏教の塔婆供養は、仏法では自我偈三返に替ったとしか思えない。以上の両例は資料としては十二分の力を持っている。宗門が敢えてこの資料を退けて、裏付けのない塔婆供養を盛んにするのは、これらの資料に勝さる強力なものがあるのであろうか、仏法と塔婆供養、どのようにして連絡付けられるのであろうか。塔婆供養は仏法を仏教に替えるような力を持っているように思う。仏法の報恩は自我偈により、仏教の報恩は塔婆供養によるというのが、報恩抄や二天門の北の盆供養に示された原則ということではなかろうか。
 今の正本堂は、必らずしも仏法に定められた成道や本尊・本仏を成ずるものではない。戒旦は昔から末寺が代行している。これが仏法に許された戒旦であり、本寺に戒旦を建立する事は仏法では採られていない。御書もまた虎を市に放つがごとしと禁じられている。これは本寺の戒旦の建立についてである。師弟一箇の成道には末寺の戒旦が最高のようである。そのために古来戒旦とも知らずこれが行われて来ているのである。
 建立以後十三年、只の一回も授戒が行われた事のない戒旦、それが正本堂なのである。本寺の戒旦には中央集権的なものがある。そのために仏法が強力に拒み続けているのであろう。この仏法とは、いうまでもなく山法山規である。本山の授戒は宗旨の形態を替える恐れがあるために拒んでいるのであろう。山法山規とは山の霊であり、大日蓮華山の山霊である。その山霊が廻文を廻して拒んでいる処は、北山移文に全く同じである。山霊はあくまで古法を守ろうとしているのである。今改めて山霊である山法山規を見直さなければならない時が来ているのである。
 客殿の滅後末法の時に対し、正本堂は、その顕われた処からみても像法のような時を持っている。時について懸かに隔りがある。これを同時に扱う処に問題があるのである。これは川澄狂学ということだけで解決するようなものではない。もっともっと、問題の本質である仏法の時に付いて考えなければならない。それが今差し当っての為すべき事ではなかろうか。邪義だ珍説だなどと悪口の言いにげは児戯に等しいもの、一度は時に付いて考え直してもらいたい。それが責任ある立場に居るものの取るべき態度ではないかと思う。このような悪口は当方には全く関係のないもの、反って結果は云い出したものの処へ集積するようになっているものであり、既にそれが表に現われ始めているので、そのために水島敗戦の弁も出たのである。例えば罪障とでもいうべきものであろうか。
 阿部さんも即座には考えても、川澄という名前が出ない程頭の中が混乱しているものと拝見した。今さら増上慢と称してみても頽勢が挽回出来るものではないこと位は承知しておいてもらいたい。名前を忘れて思い出せないのは、最初であればそれなりに有効であったかもしれない。本を末に付け末を本とするのを本末顛倒という。俗にこれをアベコベともいうのである。そのような中で、時がなかったということは確実につかましてもらった。これは職人芸にお株を奪われた形である。そして改めて得た時は、どうやら爾前迹門の時であったようである。これを明らかにしたのが二ケ年半の唯一の成果であったことは、水島が最後の弁にも明らかである。布教叢書による迹門の広宣流布もこれを明らかにしているのである。
 水島・山田等が二年半がかりで明した処は戒定恵不在による時の混乱であった。欲しい処を残らず明した処は実にお見事であった。そして像法転時へ収まった処で二十八回を迎えて終末となった。これが大日蓮誌上に発表されたのであるから、現宗門の代表的な教学であることは間違いのない処である。これらの意見が果して宗祖の允可を得られるかどうか、これは今後に控えた最大の課題である。そのためにはまず宗祖の考えの根元が像法転時に立てられていることを証明しなければならない。
 観心の基礎的研究は見事な失敗であった。これは悪口雑言で片付けられないだけに一段と厄介である。これは時局法義研鑽委員会が自ら取り出したものでもある。このまま捨てておけば教義の依って来る処は天台を一歩も離れることは出来ないし、そうなれば宗祖の教えからは一日一日離れることは決定的である。宗祖を向うに廻してどのような成算があるのであろうか。黙り込んだ中で宗義教学が益々混沌としてくるのは必至であるといわなければならない。  

 客殿の奥深く安置の本尊
 今はこのように解されているようであるが、直々に伺った時は「客殿の奥深くまします本尊」ということであった。これが正本堂安置の本尊を意識すると、客殿の奥深く安置の本尊と変ってくるのである。頭の中に画かれたものによって受けとめ方がこの様に変って来るのである。これでは本因の本尊ということも出来ない。奥深くとは本来は客殿の中を指しているが、御宝蔵が別に建立された処でみると一見外のように見えるが、ここでは御宝蔵は客殿の中と考えるべきである。これは山法山規の上にあるものであるが、今は楠板をもって考えられている。既に姿のない本尊が消えているためであろう。現在は正本堂建立を想起してこのように解釈しているのであろう。もし戒定恵の上に考えるなら、己心の本尊としてその現実の姿を求める必要はなかったであろう。戒定恵や己心を失ったためにこのように出たので、止むを得ないことである。
 「日達上人の仰せ」が誰の解釈か知らないが、仰せは先述の通りである。正本堂建設委員会で建立が決定された翌日日達上人に客殿の奥深くを客殿の中に限るように申し上げた処、実は昨日決まったということであったが、むしろ当方の意見に耳を傾けられたように思われたが、奥深くを外と決めたのはその時のことであった。丑寅勤行によって顕現される本尊は当然客殿の中に限られていることは、いうまでもないことである。当時境外地であった処を、奥深くとは考えられなかったから申し上げたまでである。そして、そのまま大石寺を退散したのであった。
 職人芸と罵りながら一言半句の返答も出来ず、不信の輩といい乍ら、僅か一人の折伏さえ叶わなかった。それが水島の成果である。そしてすごすごと敗戦を迎えたのでは、御尊師の面目も丸つぶれである。これでは信者衆への申し開きも出来ないであろう。況んや霊山浄土へ参詣した節、何と申し上げるつもりであろうか。たかが職人芸位、一言で封じこめてもおかしくない。それが散々の為体とは、何とも御気の毒であった。せめて一言位は返事があってよかったのではないかと思う。陰ででも大いに不信の輩を繰り返して憂さを発散してもらいたい。次の機会には一言で破砕するようなものをもってやってもらいたい。それが宗祖へのせめてもの報恩である。下劣な職人に一言の返しもなく完敗したとは、後々末長く語り草になるであろう。宗門を代表する学匠としては、余り格好のよいことではない。一片の反省があって然るべきである  

 逆次の読み
 逆次の読みは、反省の語を仏教に摂入して出来たもので、仏法の専用語と思われる。即ち戒定恵の処に出来ている語である。順次に読むのは仏教のものであり、逆次に読むのは仏法に限るということであろう。現在は殆ど仏教化のためか、逆次の読みは全く忘れられたように見える。特に最近は爾前迹門の諸宗のものを、そのまま引くことが盛んであり、そのために異様な時の混乱に出くわしたようである。そのため仏法のよさはどんどん消されていったのである。
 文底も、語のみ残って真実が失われつつあるようであり、次第に文上が勢力を増したようである。仏法が次第に仏教に移っている証拠である。このような事も戒定恵が失われたのが直接原因になっているように見える。これらのものが若し取り返せるなら、逆次の読みもまた復活する時である。山田や水島説が危かったのは、その説が専ら文上に限定されていたためである。今後は文の底を読むように心掛けてもらいたい。
 己心の法門を邪義と考えられるのも、戒定恵や己心を失っているためである。どうやら行き着く処までいった感じである。ここらで反省もし、逆次の読みも取り返すべきである。只他宗のものを読むだけでは、混乱を増すばかりである。水島・山田説が的を外れていたのは時の混乱のためであった。迫力が伴わなかったのもその為であった。大いに反省して捲土重来を期してもらいたい処である。この点のみは一貫していたが、肝心の法門は一向に一貫したものがなかったのは遺憾な事であった。返す言葉もなく一方的に追いつめられて、投げ出したあとからボソボソモソモソやっても何の意味もないことである。
 不信の輩に一方的に追いつめられては、御尊師の面目も立つまいと思う。信者が安心して信心出来るようにするためには、絶え間ない法門の研鑽の必要がある。結局は悪口を繰り返したのみであったが、悪口は法門でも教学でもないことは心得ておいてもらいたい。それが分れば明日の前進につながるようなことがあるかも知れない。ただそれのみを期待することにしておく。とに角仏法に立ち帰ることである。像法に居りながらの悪口雑言は無用である。  

 儒内外
 仏法家の習学すべきものとして、開目抄の始めにあげられているものであるが、第一が儒教である。委しくは儒教や老荘其の他の中国のものを指している。これに内典を摂入するのであるが、外がどこまで含まれているかについては、吾々の理解のほかである。第二が内典である。孔孟や老荘及び史書等の三千余巻は、仏法を立てるためには必らず必要なものである。五千七千の経巻を寿量品にまとめてみても、儒の三千巻がなければ仏法は成り立たない。
 寿量文底という語はよく使われるが、仏法と同じように、それがどこにあるのか、どのようにして出来てゆくのかということは一向に理解されていないように思われる。寿量文底といえば、只それだけが全部のように思われる。そして時がはっきりしないために、文底にもあらず文上にもあらず、結局文上を思わせるような処で使われ、引いた文証は文の上のものを一歩も出ていない。そして迹門にありながら文底寿量品を論じるような事になって、論旨が徹底しない羽目になった処で、一人孤独を楽しむというのが今までの経験のように思われる。これは文底の時が確認出来ないための結果である。
 寿量文底は外典がなければ現われないが、どうやらそれは忘れ果てられているのであろう。そのような中で今も寿量文底が語られているのである。今はそのために迹門から爾前に落ち付こうとしている。二年半の成果はよくこれを表わしている。結局は時が混乱したために前後不覚になったということである。そのために口を閉じざるを得なくなったのである。仏法の語はあっても肝心の時が不明なのである。若しはっきりしなければ、迹門の仏教の中で混乱を起すこともあり得るであろう。しかし、いくら声を大にしてみてもそこに戒定恵が表われるわけでもない。つまりは戒定恵も仏法もない処で仏法を語るのであるから異状なのである。それは己心を邪義と決めたことが、最もよくこれを表わしている。そのために威勢よく己心を邪義と決めた水島ノートは二年半は保てなかったのである。根のない処で仏法や寿量文底を唱えてみても、一向に根を生ずる日はないであろう。
 戒定恵や己心、仏法を求めるためにはまず儒内外を習学すべしとは宗祖の指示である。儒内の原典だけで既に一万巻である。全部でどれ程の数になるのであろう。委員会でどれだけ研鑽の実をあげているのであろう。是非伺いたい処である。外典三千余巻、これも三回よめば万巻である。その上で御書を繙くのが順序のように思われる。これは開目抄に入る前の作業である。百間随筆では外典に入れるわけにはゆかないことを知ってもらいたい。委員全員で三十巻も読んでいることもあるまい。三巻も怪しいかもしれない。これでは千分の一である。外典の一巻も繙かないで仏法が語れるのであろうか、何とも不可解である。「習学すべし」を習学する必要はないと読みとっているのであろうか。そのような中で仏法の意義は日一日と薄れていっているようである。

 久成の定恵
 三位日順の本門心底抄にある語で、三大秘法抄と或る関連をもっているのではないかと思う。正本堂建立については、両抄とも大きな依拠になっている。「久成の定恵已に実現しぬ、末法の戒旦豈立たざらんや」のように記憶しているが、違っておれば訂正してもらいたい。三大秘法抄の三秘は、取要抄の三秘と時が違っているので、どうしても迹門に出るようになっている。戒定恵を除いた三秘であり、四明流によって解されているために文上に出るのであろう。仏教の処に仏法の三秘が出ているのである。そのためにこれを依拠とすると、自然に文上に出て来るのである。像法の戒旦と同じように本寺に戒旦が出来るようになっている。これを宗祖は禁められているのである。
 本寺に出来た戒旦は主として僧になるための戒旦であり、戒を受けたものはどうしてもその傘下に入り易い。昔は勢力を扶植するために戒旦が利用されたように思われる。それを宗祖は斥っているのである。基本的な考えが像法にあるために、自然と像法の戒旦を選ぶようになったので、末法の戒旦は既に建立ずみで、今も戒旦として働いているのである。只それに気付かなかったまでである。
 仏教の戒旦がすたれて末法の戒旦は建立済みなのである。そこに戒旦が建立されてみても像法の戒は終っているために、戒旦として働いた事は建立以後一度もなかった。しかも滅後末法の戒旦は常にその機能を発揮している。阿部さんも気が付かない処での事である。そこに在滅の戒の違いがあるのである。阿部さんはこれをも増上慢と称するであろう。これは気が付かないのが迂闊のように思われる。とも角出来たのは、久遠実成の定恵と同列の戒旦であることは間違いのない事であるが、時は既に移って像法の戒旦の必要はなくなっているのである。そのために正本堂で授戒が行われないのである。
 昔戒旦堂で行われた授戒は、本来として六壷で行われていて来ていたのである。今でも意味合いからすれば六壷の領知する処である。教学部で何故これが分らないのか、何とも不可解な処である。像法の戒は末法には通じないことを如実に表わしている処は、時のきびしさという外はない。この現実を注視しなければならない。
 増上慢といい怨嫉と称しても、時の厳しさに抗し切れないであろう。始まりの頃周辺が騒がしかったのは、戒の異りについて警告を発し、好意のなかでその誤りを止めて呉れたのであった。若し、他門が黙って見すごしていたなら、戒について飛んでもない過ちを冒す処であった。何を措いても感謝しなければならない処である。邪宗どころか最高の善知識であったのである。危機一髪の処で阻止して呉れた功は大いに感謝しなければならない処である。
 邪宗こそ真実の味方であった。それとも知らず邪宗と称しているのは自分等であり、味方として誤りを直前で阻止してくれたのは他宗門であった。その他宗に在り方は、実は山法山規・事行の法門そのままである。大石寺極意の法門を示し乍ら、直前で阻止してくれたのであった。理由も示さない処は山法山規の在り方である。山法山規や事行の法門は世間にはどこにもありふれたものである。それを捉えて法門の最深秘処に居えているのである。ここらに大石寺法門の真実があるのではないかと思われる。怨嫉はむしろ宗門側にあるようである。
 捉え方によれば怨嫉は即時に大らかなものになる、その大らかさが文底法門の身上である。一閻浮提総与もこれと同じであって、文底でよめば実に大らかであるが、誤って文上でよめば到底他宗のいれようのないものと現われる。内容的には寸分の変りのないものである。常に文底で読めるように準備しておくことこそ肝要である。それが今求められている修行なのではなかろうか。文底法門には高座から見下して説明するようなものは一向に見当らないようである。このあたりに水島御尊師の誤算もあるのかもしれない。内容さえあれば、わざわざ高座を高くする必要はない。それが仏法の示す処であると思う。それにも拘らず水島御尊師の高座は特に高いようである。
 とも角も、虎を市に放つごとしといわれた宗祖の御遺命に背かずに終ったのは他宗の恩恵であった。もしこれがなければ宗祖違背の大罪を犯す処であったが、十三年経って戒旦の作きのないことは、勿怪の幸といわなければならない。改めて滅後末法の戒旦は末寺であることを知らなければならない。阿部さんが増上慢と称するのは御自由である。若し正本堂が戒旦ということになれば、それは像法の戒旦である。己心が邪義であるなら末寺を戒旦としては認められないであろう。色々と矛盾が重なってくる中で、法華本門の戒を持つや否やとか御授戒といい乍ら、あれは戒ではないといわなければならない。これ亦厄介な問題である。
 改めて三大秘法抄も検討しなければならない。久成の定恵と久遠元初の定恵の混同があってはならないのである。この両者の時の混乱から事が始まっていることを、まず知らなければならない。久成をとることと己心を邪義とすることと、結果は迹仏世界と何等変りはない。そのような中で観心の基礎的研究が優秀論文と認められることも、至極当然の成り行きである。しかし水島の企画は、どうやら失敗に終ったようである。
 戒定恵は迹仏世界にもあれば本仏世界にもあるが、開目抄のは本仏世界のものである。現在どこに考えられているのか、開目抄や本尊抄にはないということなのか、現実には本仏世界の戒定恵は全く認めていないように見える。そのくせ本仏を称えているのである。諌暁八幡抄でも戒定恵は本仏世界に立てられている。何れを見ても滅後末法に立てられているのであるが、正本堂建立について急に在世に替えられているのは、どのような理由によるのであろうか。或は在世像法の戒旦建立のためであろうか。どうも分らない処である。
 水島ノートの最終回には、大石寺の信者になって題目を上げておれば功徳を受けて金が出来たのにということが載せられていたが、これでは諸宗も一人前には扱って呉れないであろう。御尊師と仰がれる人がその程度なのである。これでは宗教家としては失格ではなかろうか。信心したから金が儲かった、憎い奴が死んだから、交通事故にあったから功徳だというのはどうも戴けない。一日も早く脱皮することである。
 魂魄佐渡に至るとは俗身を遮断すると同時に俗事をも遮断することであるが、今は反って俗身俗事にしがみついている感じである。口に仏法といい、本仏日蓮大聖人といいながらしがみついているのである。金が儲かったから功徳があったといっても、世間の人々は中々追随して呉れない。世間はそれ程進んで来ているのである。今は金が儲かったから功徳があったと叫んでみても、信者さえ顔をそむける時勢になっているのである。まして完敗した相手にこのような言葉を投げかけてみても、勝利に切りかわるような御利益はあるまい。
 自宗の法門について僧侶が不信の輩である職人に追い込められて、悪口雑言のみをもって答える程無慚なことはない。無学の故がわかれば大いに学に励んで、法義をもって打ち勝つべきである。何時何処でも相手を折伏出来る者こそ学匠であり、これを巧於難問答の行者というのである。追いつめられて、あわてて他宗のものを読みはじめてみても、問答は既に終っているのである。昔から問答は即問即答である。三年も過ぎて答えが返って来るようでは、とても問答とはいえない。御尊師以って如何となすか。
 仏教には或は御利益もあるかもしれないが、自行自力を誇る仏法に御利益がある筈もない。何故御利益や功徳があるのか、まずは足元を見直すべきである。それこそ仏法を仏教の中において考えている証拠である。これが時の混乱である。自力にあるべきものが他力の中で考えられている。それも極端な他力の中で考えられているようである。或は威しのようなものが反って時を誤ったために他力と現われたのか、自行自力は言葉の上にあっても、現実に他力一本に絞られて、それが威しの力を発揮しているようである。
 山田教学では、戒定恵の失われた三秘から三学を見ているようである。久成から元初を見ているのである。元初に出来たものを久成に下しているのである。今はそれさえ意識の内にはなくなっているのである。そこで逆も逆、真反対と見えるのである。山田はそのような教学の中だけで育って来たので、批判力が失われている。つまりすなおなのである。そのために天台のものを見ても無批判に受け入れられるのである。一つには内容的に批判する基準を持ち合せていない。そのために異様な時の混乱の中で自滅したようである。今度は冷静な批判力が出来てからにした方が好い。
 山田には始めから戒定恵などなかったのである。そして追求されて始めて教学のないことに気が付き、三年がかりで天台や中村仏教語大辞典で速成勉強をしている間に、ついうっかりと、擒になってしまったということのようである。今度はそこから脱れるのが大変であるが、是非それだけは実行してもらいたい。戒定恵は始めからなくなっており、わずかに仏教の中にあって仏法や本仏などの語が残っているのみである。
 開目抄では外典に仏教を摂入して戒定恵を見出だしたのであるが、伝統法義では戒定恵を消した三秘をとり、これを仏教に摂入して新しい解釈を付けたような形になっている。そのために迹門との区別が付きにくくなっているのである。三秘も四明流の天台学によって色付けされているのではないかと思う。それだけに天台学とはいつでも一つになれるようになっている。それが日蓮正宗伝統法義である。しかし時には戒定恵が三秘の中で働くまぎらわしさも持っているのである。本仏も久遠名字の妙法と事の一念三千から現わされるが、久遠名字の妙法などは、その出生が明らかにされていない。そのために本仏も本尊も不安定な処を持っているのである。つまり戒定恵と己心が表に出ていないのが根元になっているのである。
 久遠名字の妙法と事の一念三千があるのみであり、それだけが伝統法義なのかもしれない。戒定恵や己心は一切認めていないようである。それがやがて三世常住の肉身本仏を誘い出してくるようにも思われる。思い付けば速刻伝統法義となるような下地を持っているのである。そして直ちに正義となる仕組みのようである。法門として肝心な処については一切触れないのも大きな特徴である。そのような中で仏法から仏教への転化が行われるのかもしれない。
 とも角仏法を安定させるためには、戒定恵と己心を確認する処から始めなければならない。時の確認が必要なのである。しかし、今は時を失って仏教の処にいるのであるから、格別に時を必要としないことを根本としているのである。時がないために久成の定恵も、それ程の区別を立てる必要はなくなっているのである。しかし、元初の定恵は戒と別立するようなことはあるまい。しかし、三学が若し仏教へ移るなら、そこでは各別になることはあり得るであろう。時さえはっきりしておれば仏教へ移るようなことはない。それだけに久成の定恵には異様な響きを持っているのである。
 久遠実成と久遠元初が混乱している処へ、更に戒定恵が加わったために、仏法と仏教との混乱がいよいよ深まっている。明治以来区別はなかったものと思う。一見区別は付いているようで区別がなかった。それが受け継がれて日蓮正宗要義でも、久遠実成の延長線上に元初を見ているのである。これでは迹仏世界を一歩も出ているものではない。若しかすると実成が元初の彼方に出る可能性もある。これは同じ時でも、迹仏世界での時であって、仏法と仏教との間の時とは各別である。
 仏法の時が確認されていない正宗要義の久遠元初は、仏法の元初とは自ら別である。つまり仏法の元初は未確認ということである。水島教学もまたこのような混乱の中から一歩も抜け出ていないので、仏法の道は遥かに遠いといわなければならない。そのために法論には至らなかったのである。自分の処でもはっきり区別が付いていないのであるから、他宗から見て分らないのは当然のことである。仏法で出来たものは仏法で解釈を付すべきである。それが全く区別が付いていないことは、山田・水島教学には一目瞭然である。行き詰りはそこから始まっているのである。それを只悪口雑言のみをもって抜け切ろうとしたために行き詰ったのである。一片の反省があっても然るべきであるのに、それさえないのである。
 御両人のいう処は、結局数の殖えた事と功徳によって金が入ったということが全部であって、とても仏法の領域に入れるようなものではない。今は宗門あげてその中で踊らされているようである。それこそ迷惑法門であり蝙蝠法門である。水島の敗退の弁を見ても、いかに法門不在であるかという虚しさのみが紙面にあふれている。常に一貫して来たのは仏教以前の話しである。これをもって仏法と称しているようにも見える。しかし、これは戒定恵や己心不在のものであり、これをもって仏法ということは出来ない。
 いま差し当って問題は、いかにして戒定恵などを取り返すかいうことに尽きる。しかし、今となって仏法に帰ることは容易なことではない。いつまでも信心をしたら金が儲かったから功徳だ御利益だということのみが全部であっては、開目抄の原点に立ち帰るようなことは、殆ど不可能ではなかろうか。五年六年を振り返ってみても、開目抄の戒定恵には一度も御目にかかれなかった。そして観心も四明流の観心によって結論付けられた。それが成果であったのである。仏法と称しながら、それが仏教であることにさえ気が付いていないのである。そのことを、自らの手で明了にした。これをもって罪障消滅の一端と見ることにしておく。低俗というより外にいいようのない処である。
 戒定恵を忘れた仏法などというものは、開目抄からは到底想像することさえ出来ないものである。しかし、開目抄の仏法は宗教的な雰囲気は非常に稀薄である。そこに仏法の語のみが取り出される可能性があるようでもある。そして急速に仏教化する。全く逆方向をとるようになったのではなかろうか。ここで戒定恵がまず失われるのである。そして外典に仏教を摂入して出来た仏法が再び仏教に立返ってそこに新しい仏法が出来るように思われる。その時己心の法門が消えるのである。吾々のいう仏法は始のものであり、宗門がいう処は後のものを指している。そこに相容れることの出来ないものがあるので、むしろ思想として見直すべきではないかというのは、本の仏法についてである。これがはっきりとすれば、次の仏法の修正もまた可能になるかもしれない。
 現状では、仏法も本尊も成道も殆ど消滅同然の状態ではないかと思う。若し、思想として取り返すなら、必らず復活は出来ると思う。そして仏法の中に宗教分としておけば、仏法は本のままに保つことは出来るかもしれない。天台の智恵によって分が気掛りであれば、現状のままにすればよい。仏法では宗旨分として客殿、宗教分として御影堂の立て別けは初めからあったものである。漢光類聚の解説に心を奪われる必要はないと思う。しかし天台学者の説に絶対服従を誓っている向きは各別である。
 今のように、自分も分らない、他宗も分らないでは困りものである。そこに登場するのが信心である。この信心は、通常の信心とは別な存在である。それだけにこの信心も亦不可解なのであるが、これが亦異様な働きを持っており、時には二つを収めた信心の場合もあるので、いよいよ複雑である。この語もまた大石寺独自の語であるが、大体は明治以降に出来たものと想像しておる。その信心のない者が不信の輩といわれるが、これは主として他宗の者に対して使われる語であり、これによって自分が異様な高位に駆け上れるものを持っているようである。これは他宗の者に対する時は、必らず陰で使われる語である。その時の宗門人は全て有徳の御尊師である。
 筆者は、第一回目は院達をもって堂々と不信の輩といわれた光栄に浴しているが、このようなことは例外であって、殆ど他宗に対する場合は陰に向いて使われる語である。しかし、実際には、この院達も宗内向けであったのかもしれない。たまたま、こちらの眼に映ったまでのことである。専ら貝が蓋を閉じた時に使われる特殊用語である。又自ら視野を狭める時には大いに有効であるが、反って孤立化する恐れもある。そのようなものを秘めている特殊用語である。追いつめられた時には常に使われて来た語である。それと同時に狂っているとか狂学という語も使われるが、これも自分達の最も弱い処を突かれた時に出る語であるから、その弱点を知るためには、反って利用価値の多い語である。最後の方は久成の定恵とは無関係になったことをお佗びすることにする。

 楠板の本尊
 今想像すれば、三大秘法惣在の本尊として、三大秘法抄を根本として見た文底秘沈抄によっているのではないかと思う。処が文底秘沈抄はその文中にあるように戒定恵が根本になった三秘であり、取要抄による三秘であるが、三大秘法抄によった三秘には戒定恵が除外されている。そのため表に顕われた三秘となり、本因にあるべき一閻浮提総与が現世に出るようなことになって混乱を起したのである。日蓮正宗発足の時、真蹟と決定して公式に決まった。そのために本果となり、御宝蔵の本尊と交替したのである。結局は考えの中に戒定恵があるかないかの違いが事のはじまりである。
 文底秘沈抄には戒定恵の三秘であることが明記してあるが、見過ごされたのであろう。そのために今に三大秘法抄の三秘によっているようである。そこには国柱会教学の影響が大きかった事は容易に想像出来る。その辺で戒定恵が消えてゆく可能性がある。そこの処が文底秘沈抄との違い目である。そのために、衆生の側に立つべきものが宗祖本仏によっていったものと思われる。そこで急に中央集権的な雰囲気がもり上ったのであろう。
 信仰の根本の方向が変わったのであるが、今となって、このまま明治教学を守り続けるべきか、開目抄に帰るべきか、大きな岐路に立たされたのであるが、宗門も正信会も、あくまで明治教学を守ろうということでは、お互いに意見は一致しているようである。結局は、戒定恵のもとにある三大秘法によるか、戒定恵をもたない三秘によるかということである。戒定恵がなければ、どうしても衆生不在になりやすい。そしてこの法門の性格として、法主本仏論も出やすくなるようであるが、その中には紙一重で法主本尊論も引かえているように見える。一人に集中するのを防いでいるのが戒定恵である。
 
本因の本尊が確実に守られている間は、富士五山の分裂は出来ないようであるが、本果で解されるとこれを防ぐものがない。本果を宗制宗規で定めた時、大石寺と五山とが別れているのである。これは只感情によるものではなく、本因であるべきものが本果に変ったためである。本果は数を喜ぶし、本因は一を尊ぶためである。本尊抄の副状は一を選ばれているのである。今の本果は大正の初めより今一つ進行していることに注意しなければならない。今こそ戒定恵の必要な時である。水島が後退したのもまた戒定恵を持たなかったためである。
 今の宗門には、戒定恵は全く影をひそめたようである。宗門と正信会が争ってはいるが、それは戒定恵を持たないための争いである。若しこれが取り返されるなら、争いは速刻収まるのではないかと思う。それは法の力用による処である。戒定恵を忘れた処で争っては、宗祖も何れに采配を上げるわけにもゆかない、益々困惑の体と拝見した。しかし、今となって簡単にこれが取り返せないのが宿命ということなのかもしれない。
 六巻抄は第一行からして戒定恵であり、第二も戒定恵による三秘、第三は発端から戒定恵、第四第五も第六もまた戒定恵の上に論じられているのであるが、戒定恵が抜けたために第六などは全く取り付く島がなかったのである。そして只三衣を説かれているということで始めから抛棄されたような形になり、法門的には全く利用価値はなかったのである。今の阿部さんはこれを踏襲しているのであろう。そのために山法山規も理解出来ないのではないかと思われる。戒定恵を外して理解出来ないのは無理もないことである。山法山規とは戒定恵そのものなのかもしれない。
 六巻抄は何となし三秘を説かれているという受けとめ方ではなかろうか。しかし、三秘ではないので山田水島両先生方も遂に利用することもなく、終始一貫して引用は文段抄のみであった。そのために折角引用しながら結論にはつながらなかったのである。内容に立ち入って六巻抄が引用出来るような学に励んでもらいたい。あまりにも手の内を見せ過ぎであった。とも角もみんな相寄って戒定恵を取り返すことである。そして「己心の法門は邪義」も、一日も早く撤回することが何より先決である。
 文段抄のみによったことは、先生方の眼に組し易しと映ったためであろうが、それだけ相手を屈伏せしめる事にはつながらなかったようである。それは一重に文段抄の性格によるところである。結局先生方の見当違いということに終ったようである。文段抄では戦い切れなかったのである。 と同時に、六巻抄に対する読みの浅さも残りなく
露呈してしまった。それが唯一の収穫であったとは皮肉である。これなら、宗門をあげて委員会を組織する必要はなかったように思う。

 依義判文抄は発端のあたりに三学が出ているので、そこは除いて、以下を三秘をもって読んでいるようであり、終りの宗旨の三箇、宗教の五箇も、正宗要義によれば、他門のものによる三秘によって読んでいるようで、つまり戒定恵不在の中で読んでいるのである。本来三学をもって読むべきものが、最初から三秘をもって読まれたために、その誤を自覚出来なかったようであった。そして三秘について他に誇る程度で終っているのである。つまる処法門としては十分とはいえないように思われる。そのために今回も利用出来なかったのであろう。方向違いということに終っているのかもしれない。すべて戒定恵不在がもたらした結果である。
 宗教の五箇も仏法によるのと仏教で解するのとでは天地の相違が出るが、今は一旦仏教として読まれたものが時に仏法の中へ現われることもあり、それが混乱に拍車をかけているような処もある。三番目にある時は全体の中央にあり、五番目の教法流布前後は教前法後であり、教とは仏を表わしている。仏の教は像法に流布し、末法は教法流布とは一応であるが、滅後末法は法前仏後である。法と人との一箇は法人一箇というべきであるが、今人法一箇というのは在世の考え方である。それがやがて在世に帰るきっかけになるのではなかろうか。
 大石寺法門は法前仏後の処に成り立っている。それは外典に仏教が摂入されて仏法が出来る処に根本がおかれているものであり、開目抄の考え方である。宗旨の三箇は前に宗教の五箇が後におかれているのは法前仏後の姿である。宗旨・宗教と並べられた時に既にこの意味が表わされている。今は法前仏後には反対のように思われる。唯理由は他宗他門がとらないということのみである。
 仏法は法前仏後によって立てられているので、自ら戒定恵が現われるが、仏前法後では戒定恵は現われない。今は仏前法後によっているのである。そのために三学倶伝名曰妙法にはつながらない。三秘にもつながりに無理がある。そこに飛躍が要求されるのである。もともと三秘は、三学を離れては成り立ちにくいものを持っているためかもしれない。御宝蔵の三秘は戒定恵と不即不離であり、それが正本堂になると、三学の影が急に薄らいだように思われる。これは意外に大きな難点なのかもしれない。
 法前仏後に反対している処を見ると、仏前法後によっていることは間違いあるまい。これは自宗の法門を無視した考え方で、身延方の教学に頭が上らない証拠である。しかし仏前法後では本仏の出るようなことはない。そのくせ、本仏は依然として存在しているのであるから、必らず飛躍が要求されるのであり、それが信心という形をとる場合もある。そこに他宗門の理解を越えたものが表われるのである。それが今の宗学の弱さであるが、二三年来の委員会の試案は失敗に終ったようで、大石寺流なもののうち、よいものから失われてゆき、殆ど同化に近づいたように思われる。教学的には、最早他宗のものを抜くことは出来ないであろう。特に二三年間の進行は目立っている。これは間違いない収穫であった。しかし、あまり宗教の五箇に力が入り過ぎると時が失われる恐れがある。
 正宗要義の解釈は身延のものによっていたように思うが、記憶の違いだったであろうか。ここ数年は仏前法後に絞っているが、それ以前もそうである。正宗要義は特に身延流により、委員会は今の天台の解釈によって、教義全般も考えられている。そこには宗義を守るというよりは、反撃を受けた時の対策のほうが先行しているのではなかろうか。そこに遮二無二悪口雑言をもってでも口を封じる必要にせまられている。そのために本来の宗義がゆがめられてゆくのである。そしてますます説明のつかないものになってゆくのである。時局法義研鑽とは他宗の攻撃を予想した上で当方の口を封じるのがその真意義ではなかったかと思うが、予期した処は尽く成功せず、反ってその教学の深さの程を露呈したのみに終ったようである。結局は教学の混乱のみが残ったということのようである。そのような事は、本仏や本尊を除いた上でやることである。それでなければ成功は覚束ないであろう。
 悪口のみをもって成功させようとは、少し考えが甘過ぎたようである。よその教義を拝借すれば混乱がのこるのは当然である。根本は時が狂ったためである。狂った狂った、狂学だというのは、自分等は正しい、狂っているのは川澄だけということを、身延派などに聞いてもらうのが真実の目的であったのかも知れない。しかし阿部さんが先頭に立っての悪口は、誠に狂態そのものとしか思えない。被害者意識があのように言わせたのかもしれない。そのように善意に解釈することにしておく。
 しかし結果としては、仏法や戒定恵そして己心との間に、大きな溝が出来たことは間違いない事実である。今後はいよいよ溝が深まってゆくであろう。そして教学の移入もまた盛んになる事であろう。それが今後に残された課題である。仏前法後をとれば到底身延教学や天台教学に及ぶべくもない。そして本来の大石寺法門との間には、いよいよ溝が深まるばかりである。今は矛盾が極限にまで来ている。そこで出るのは溜息ばかり、それが悪口となり雑言となっているのである。
 ここまで悪口を重ねてきては、今さら己心は正義だ、戒定恵によらないものは邪義だというわけにもゆかないであろう。そうなれば身延教学に合流するのが最も近道である。戒定恵や己心を立てながら、仏前法後の教学によれば、最も苦しい立場になるのは本仏と本尊である。宗旨の三箇や宗教の五箇で大きく身延教学に近付いているのではなかろうか。それも、仏法や戒定恵の意義が薄れたことが根元になっているのではなかろうか。
 仏法か仏教か、何れか一つを選ばなければならない。そこでは兌協はゆるされないであろう。言い換えれば、思想に絞るか宗教によるか、現実には一宗建立しているのであるから、今の教学から再び仏法に帰るためには、容易ならぬ困難を覚悟しなければならない。本仏や本因の本尊は本質的には、仏法以外には通用しにくいようなものを持っているようである。このあたりを繰り返し、考えて見る必要があるのではなかろうか。己心を邪義と決めたことは、本仏や本因の本尊を否定したのと何等変りはない。大いに反省しなければならない処である。
 戒定恵から出たものを知るためには、まず戒定恵を知らなければならない。これが分れば仏法によるべきか仏教によるべきか、その行手も自ら判然とするであろう。しかし、今は戒定恵や己心を奨めるものを狂っているという処を見ると、殆ど帰る意志はないものとお見受けした。これが今の哀しい現実である。功徳を持ち出す前に、もう一度反省しなければならない処である。
 楠板は仏教でいえば金や石と同じく永遠の長寿を表している。これも世俗にたった仏法の表現方法なのかもしれない。木で一代、地下に埋れて金にならば又一代、木或は金のみではなく、楠は木又は金のように一代限りではない処を捉えているものと思われる。それがいつの間にかその真実が消えて、宗祖の肉体を表現する方法に考えるようになったが、これは少々筋が違っているようである。
 初め肉身を遮断した処で己心の法門も表われたものが、いつの間にか肉身こそ真実ということになった。それが楠板肉身論議である。今はこれ以外は邪義という説も見える。どうも理解することは困難である。これでは一閻浮提総与が理解出来ることもあるまい。何をおいても明解な理解に帰ることが先決である。明星池から毎朝宗祖の肉身本仏が顔を出す御時勢である。吾々には理解出来ないことばかりである。ここに強力に信心が要求される理由があるようである。今少し聞いている側に理解出来る話にしてもらいたい。このような本仏の論では、世間も理解に苦しむのは当然である。それで分らなければ不信の輩というのである。何となし虚空の彼方の物語めいた処がある。
 自分の考えもはっきり説明が出来ない。その彼方にあるものを信じない奴は不信の輩だというのであるから、いよいよ分らない。水島極意の処はそのあたりにあるようである。自分のわからないものが他人に分る筈もない。何となし幼児的な発想めいている処は奇妙至極である。阡陌の二字は御書にないといい、次上の語は日本語にはないという。それらの語が見付かるまで開目抄や本尊抄を読んでみるとよい。ないというのは読んでいない何よりの証拠である。御書も読まないで御書にないとは、ちと度が過ぎているようである。開目抄や本尊抄を一度も読んだこともない御尊師の話にはどうも乗り憎い。話は御書を読んでからにしてもらいたい。
 本尊は軽々しく論ずるものでないということを書いていたものがあるが、これは本尊の真義が分らなくなった以後、この様なことがいわれるようになったのではなかろうか。実際に仏法に立てられたものとは、解説は随分違っている。そして宗教の意味での本尊になり切っているようで、そのために、次第に本果に根差して、本因の本尊の意義は殆ど失われているようである。水島が一閻浮提総与の説明をしていたことがあったが、これでは軽々しく論ずるなということはよくわかる。若し他門の目に止まれば、一挙に粉砕せられたであろう。過去の経験からそのような語が自然と生じたもので、多分に他を意識した苦い経験の上に生じたものと理解しておく。しかし他門の人々は、決して大石寺の人等の説と誤解するようなこともあるまい、その点は安心してもらいたい。今では既に本果に落ち付こうとしているが、果して落ちつけるかどうか、興味のある処である。
 水島ノートから仏法の本尊を見出だすことは殆ど困難である。論ずる必要はない、信心しなさい、信心すれば必らず功徳がある、御利益があるということである。これで戒壇の本尊というのである。誠にお寒い限りである。功徳については水島説は一貫して居ったことは認めておく。これは文底についてである。明了に答えることが出来ない中で、いつの間にか軽々しく論ずるものでないという処へ落ちついた智恵の表われであろう。これは仏法そのものが説明出来なくなったためにこのような処へ自然に収まったのである。根本をいえば仏法の時が失われた処から始まっているのである。水島の一閻浮提総与の説明からは、以上のように判ずる以外、理解のしようがない。
 一度重々しくその真実の意義を説明して、他宗門の誤解を解いておくべきではなかろうか。ただ不相伝の輩、不信の輩のみでは説明充分とは義理にもいえない。つまりは孤独の道につながる危険もあるというものである。特に今の時は唯一言をもって不信の輩を屈伏せしめるものが必要な時である。それが最後に逃げながら、やれ職人芸だ怨嫉だ増上慢だと称してみても、それは決して答にはなっていない。そり反るのは自分一人のみであり、これを独善というのである。今水島は、改めて独善と孤独へ向って、大きく一歩踏み出したようである。
 ただありがたい本尊だから信心しなさい、必らず功徳がある御利益がある金が儲かるでは、今の世の中にはそれ程反響はないかもしれない。もっともっと高度の宗教に向って意欲を磨く時であろう。それでなければ折伏の成功は覚束ないと思う。今の民衆は過去の宗教については、それ程欲求しているようにも見えない。やはり開目抄に示された仏法こそ今の民衆の求めているものではないかと思う。心に安心を与える高度なものを用意しなければならない。水島説の深さの程度では、恐らくは民衆は横へ向いて見向きもしてくれないであろう。そこに水島教学の終末が逼りつつあるのである。
 若し仏法本来の意味からすれば、本尊は軽々しく論ずるものではない、それは山法山規により、事行の法門で充分その意は達しているからである。しかし宗教の立場からいえば尊厳味を増すためともいえるであろうが、今は遥かに状況が変っている。最低の処で軽々しく論ずるなというから異様なのである。このような語は軽々しく使うものではない。本来の仏法の処に住した時始めて使うべき語である。些か時を誤っているようである。自分を反省した上で、もしその資格が認められた時には大いに使ってもらいたい。徳をもって折伏するだけの用意が常に必要なのである。宗祖は貞観政要からそのようなものを読みとられたのではかろうか。
 しかし現在の状況から、本尊は軽々しく論ずるものでないということは、最も理解しやすい語である。とも角も無言の折伏、徳化の施せるような蓄えを備えることが肝要である。楠板の本尊が宗祖の肉身であるというためには遥かな蓄えが必要である。そのようにすれば受けとめる方がそのように受けとめるかもしれない。無言でそのように受けとめられる程、まず自らを磨くことこそ肝要である。人にばかり一方的に押しつけるのは、あまり適切な方法ではない。まずは折伏を口にする必要のない程自らを磨くことである。仏法の本因の本尊はそれを示しているのではなかろうか、これが徳化の極地である。  

本尊抄の末文
 「法華を識るものは世法を得べきか。一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起し、妙法五字の袋の内にこの珠をつつみ、末代幼稚の頸にかけさしめ給う」と。「外典を仏法の初門となす」処を逆次に取り上げられた語である。世法を得べきかとは「王臣を教えて尊卑をさだめ、父母を教えて孝の高きを知らしめ、師匠を教えて帰依をしらしむ」。「天台言く、金光明経に言く、一切世間の所有の善論皆この経に因る。若し深く世法を識れば即ちこれ仏法なり等云云」等の開目抄の文と同義である。開目抄では始めにあり、本尊抄では最後になっており、説き方、捉え方が反対になっているのみである。
 開目抄では始めに忠孝や師弟の道を説き畢って戒定恵を得、仏法を建立する事を目的としているに対し、本尊抄では最後にこれらの意をもって結ばれている。即ち本尊抄はこの文以前に戒定恵が説かれているものと解してようと思う。戒定恵によって説き起すか、戒定恵をもって結するかの違いである。或は戒と定の相違であろうか。そして取要抄に恵が説かれて戒定恵が整束するのである。これに撰時抄や報恩抄等を加えて十大部という考え方も出てくるのであろう。何れも世間の中へ仏教を取り入れることが基本になっている。忠孝とか師に対する帰依などがあげられ、これらを仏法の初門として、これに仏教がはたらくと戒定恵が取り出され、そこに仏法が誕生するのである。
 忠・孝、師恩を知ることは主師親の三徳を尊敬することを知ることである。世間の主師親と仏教と一箇すれば、釈尊であり、仏法と一箇する時は主師父母となって日蓮となっている。その日蓮とは仏法の上の日蓮である故に、己心の法門として受けとめることがより自然である。これが一宗を建立すると、どうしても宗祖の肉身の上にのみ考えられるようになるように思われる。これらの意味からしても、仏法の処は思想の面からの解釈を主とすることの方が、よりふさわしいようである。
 昔の大石寺では正月にはシメナワ飾があったようであるが、今では大謗法ということになる。これも思想的なものから再び仏教に帰ったと考えるための資料である。戒定恵の処にあり、仏法を根本とすれば、今の考え方とは真反対に出るようである、そうなれば、逆も逆、真反対という山田が論法こそ逆も逆、真反対そのものであることに思いを致すべきである。それほど現実は顛倒しているのである。それ程仏法から離れているようである。
 山田や水島の説はいかにも最低位に居るものとしか思えない。それが最低位であるから最高位なのである。これで他宗他門には一向に理解出来ないのである。その根本をいえば戒定恵と三秘が分離され、三秘の上に仏法の語が考えられる処でこの顛倒が始まっている。それが理解をはばんでいるのである。つまり一言でいえば京なめりの成果である。宗祖は京なめりは最も斥っているのである。御書を読むときには京なめりは笑って居るけれども、ここまできては笑って過ごすわけにもゆかないであろう。事はそれ程深刻なのである。その京なめりには一向無関心なのであるから不思議である。水島はその教学が京なめりとも気が付いていないのであろう。事実はその京なめりをも遥かに乗越えているということであろうか。
 一念三千を識らざる者等とは、一念三千とは己心の一念三千であるが、今は己心の法門は邪義と決まっているのであるから複雑である。己心の法門が邪義となっては、本尊抄を読むための基準が失われる、寸尺がなくなるのであるから、あとは自分の考えの赴くまま自由自在に解釈応用が出来るのである。それだけに危険と同居しているのである。しかし己心を邪義としては、何をもって仏法を決めるのであろうか。己心があっての仏法である。己心を捨てた処には恐らくは仏法は在り得ないであろう。
 己心を邪義と決められては、本仏もタジタジという処ではなかろうか。とても大慈悲を下されるようなこともあるまい。折角頸に懸けて頂きながら、その大慈悲を受けないとは、どのように理解したらよいのであろうか。こと更これを受けとめないのは、どのような理由によるのであろうか。是非委細を拝聴したいものである。
 妙法五字を口に唱えれば即時に己心の一念三千を受得出来るようになっているものを、何故己心のみを打ち捨てるのであろうか。口唱の題目を一言に収めるなら、そのまま久遠名字の妙法も事の一念三千も得られ、本仏・本尊・成道も得られるのであるのに、何故これを抛棄するのであろうか。本仏もない本尊もないでは日蓮正宗は成り立たないと思う。何をもって己心に替えるのであろうか。
 己心のない一念三千とはどのようなものであろうか。これでは十如是も十界互具も本尊や本仏にはなり得ないのではなかろうか。三秘によるために己心の必要がないとでもいうのであろうか、或は天から降ってくるか、地から湧くとでもいうのであろうか、とんと分り兼ねる処である。これでは丑寅勤行も、やがてその必要はなくなるであろう。
 己心の一念三千の珠は文殊菩薩が海中からひろいだした珠である。これが寿量文底の宝珠である。己心の法門を邪義という向きは、この文の底の一念三千の珠を拒もうというのである。これでは開目抄も本尊抄も無用である。己心の法門を捨てては仏法などありようもない。それで他宗の法門に意慾を燃やすのであろう。己心の外にある仏法とはどのようなものであろうか。己心の上に建立された大石寺法門と己心を捨てた日蓮正宗の法義と、これを同一に扱うことは出来ない。全く異質なものである。宗門では己心の必要のない本仏や本尊の取得について、何か秘密のルートでも持っているのであろうか。
 丑寅勤行によれば、本仏や本尊は常にその度毎に得られるようであるが、今では宗祖のとき一回限りと決められているということで、刹那成道も消滅の様子である。宗義そのものが根底からくつがえされたように思われる。正宗要義は己心とは全く縁のない処に立てられているようである。一体仏法なのか仏教なのか、それさえ分らなくなっているのが現実である。
 一念三千を識らざる者等とは、末法の愚悪の凡夫は皆知らないものばかりである。生れながらにして頸にかけてもらっていながら、知らないものばかりである。宗祖が強引に題目を唱えよといわれることは、頸にかけられた一念三千の珠をしらしめんがためである。懸けた仏も、唱えよと教える宗祖も共に慈悲による処である。それによって自然と戒定恵も現われる。そして身に備わった一念三千の珠を識ることが出来る。その識る方法と功徳を説かれたのが本尊抄である。
 その本尊抄の結論の部分であるが、この文もあまり読まれていないのではないかと思う。己心とないから心でもよいという一念三千で好いのであろうか。本尊抄で一念三千といえば己心に決まっている。そうなればこの部分も邪義ということになる。それでこの末文の部分は特に読まないのであろうか。この本尊は戒定恵のうちでは定にあたるものである。今はこの本尊から更に戒旦・本尊・題目の三が分れる。その本尊をとっている。戒壇の本尊はそのような解釈になっているようである。
 定の本尊が本因の本尊であり、本尊抄はこの本尊を説かれる。そして頸にかけられた一念三千の本尊もまた同じである。丑寅勤行に現われるのはこの本尊である。己心の一念三千から現われるものであって、己心を邪義と決めては本尊と現われるようなことはない。そこで今は三大秘法抄から本尊が出現し、それを戒壇の本尊と崇めているのであろう。
 本尊抄の一念三千を己心と読まないことが通用するのであろうか。これ程までに己心を説かれる本尊抄は邪義の随一ということであろうか。己心を邪義ときめるために、特に本尊抄の末文は読めないのであろう。一閻浮提総与の解釈も、己心を邪義ときめ、この末文を除いて解釈しようとしても、それは出来ない相談である。そのために他門下から痛烈に責められても、答えることが出来なかったのであろう。水島はそのまま受けついでいるのであるから、その答えは宗外には通用しないであろう。
 今宗門がいう本尊は専ら信仰の対照として御利益の要求される本尊であるために、本尊抄に説かれたものとは大幅に変っている。そしてこの本因の本尊を切り捨てるために己心を邪義と決めた本尊の解釈が、成功しているかどうかについては甚だ疑問がある。何れが誤っているか、誤っている方に罪障が表われるであろう。教義が三学から三秘へ、仏法から仏教へと後退したために、本尊もまた本因から本果へと変っていったのであろう。
 今のように本果の本尊になり、刹那に本尊や本仏の出現の必要がなくなると明星池の必要もなくなる。そして客殿の本尊を池に写して文字に表わす必要もなくなる。何故ならば、本果の本尊は始めから文字をもって表わされている故である。このようになれば、唯授一人の相承も訂正しなければならない。池がなくなれば、本尊書写の相伝の必要もなくなるからである。そうなれば本尊書写勝手次第となる。水島のような平僧が本尊書写をしても自由である。勇気を出して本尊書写の展覧会でもやれば、折伏効果もあるかもしれない。今はまことに激変前夜ということであろう、しかし三学の本尊を三秘に解釈替えすることは、最も慎まなければならないことである。
 水島の一閻浮提総与の本尊の解釈も、その総与が、本尊を真蹟と決めたことについては触れていなかったようである。真蹟と決めたために問題がこじれたのであるから、真蹟と決める前と後とにわけて総与の解釈をした方がよかったと思う。ただ一閻浮提総与のみでは意味がない。真蹟と決める以前には、それ程の問題にはならなかったのである。しかし、いくら力んでみても、己心を捨ててはこの解釈が出来ないことは、始めから知っておいた方がよい。いくら智恵を巡らしてみても出来るようなことではない。あまり気が利きすぎると必らず間が抜けることに注意することである。
 理については真に整然としているけれども、法門については抜けている処が玉にきずである。理は無用である、まず法門の筋を通すことこそ肝要である。その筋を通すために時が必要なのである。悪口雑言をする隙があれば、まずこの辺りについて少し考えて見るとよい。天台にはこのあたりの解釈はない。いくら拾い集めてみても、只混乱を増すばかりである。
 自宗の本尊の解釈位は確立しておくべきである。それが出来ないから悪口態をつかなければならないのである。悪口態は法門ではない。二十八回のうち、追いつめられたものについては只の一度の返答もなかった。見当違いのことばかりではヤユとも受けとめかねる。半年に一度でも押えるものがあればヤユされていると思ってもよいが、それさえなかったのである。只品性の御下劣さのみが大日蓮の片隅に残されたのみであった。
 職人芸とさげすんでみても、それだけが答では、とても他宗の学匠には答えることも出来ないであろう。何れにしても二年四ケ月、その所持の教学は残る処なく明らかにされた。それは偽りのない成果であるとは、誠に淋しい限りである。虚を衝かれて七年目、体制の立て直しの出来ないまま遂に敗退の止むなきに至った。職人芸といい乍らの敗退では後味も悪いであろう。だまっておればそれで済んだものを、なまじ相手になったばかりに、ないと分ったものの後仕末をしなければならない羽目になった。いろはから始めてもらいたい。
 本尊抄の最後の「四大菩薩」も、今の雰囲気では造立した方がよさそうである。一閻浮提の衆生の頭の数程造立するとよい。己心を邪義と決めれば、造立をさまたげるものはあるまい。迹仏世界に帰れば造像を阻止するものは何物もない。そのうち不造像堕獄説が出るようになるかもしれない。己心の法門がなくなれば造像勝手次第である。己心を邪義と切って捨てるまではよかったが、造像勝手次第が待ち受けているとは御存じなかったのであろうか。この仕末をどう付けるつもりであろうか。
 要法寺教学が入って四百年、いつでも四菩薩の造立の下地はあったのであろう。今は急速に他宗他門の教学が雑然と入って来た。四菩薩の造立はいつ出来てもよさそうに思われる。果して造像堕獄なのかどうか、これは中々厄介な問題である。造像は三秘から、堕獄は戒定恵からということではなかろうか。一難去って又一難、己心を邪義と決めるのは至極簡単であったが、造像の理論付けは中々厄介である。いきなり四菩薩造立抄ともいかないであろう。時局法義研鑽委員会には降って湧いたような難問である。解散は当分出来ないであろう。これこそ時局の語に最もふさわしい問題である。
 造像か堕獄か、昭和の大論義と相成るかもしれない。宗祖の裁定は何れに下るであろうか。これは裁判沙汰にはならない、宗祖の直裁である。成り行きは横目でじっくり拝見したいものである。選りすぐった教学陣で、名案と出るか迷案となるか、これは一見の価値は充分あると思う。不造像となれば再び己心を取り返さなければならない。造像となれば仏法や本仏・本尊は捨てなければならない。己心も心も同じだ、心にしろというように、不造像も造像も同じだ、造像にしろというわけにもゆかないのであろう。ここは院達をもって明了に布達しなければならない。造像を阻止して来たのは己心であり仏法であり戒定恵の三学であった。己心がなくなれば余の二も同時に消滅する。そうなれば造像は自由である。
 久遠元初も既に迹仏世界にあるのであるから、現状では己心も仏法も戒定恵も迹仏世界で考えられていたともいえる。そのために己心を捨てるのに抵抗がなかったのかもしれない。開目抄にあれ程明了に示されている戒定恵や仏法が、いつの間にか仏教に帰っていたのである。久遠元初や五百塵点の当初が迹仏世界に考えられていることは、正宗要義に明了である。既に準備は出来ているのである。それが自然と表に現われて己心は邪義となったのかもしれない。改めて正宗要義を見直してもらいたい。己心もなくなり、迹仏世界に帰れば造像が最も順当である。そこは応仏世界であり、報仏を唱えても、それは応仏世界の報身であって、これは本仏にはなりにくいのではなかろうか。
 大石寺の報身如来は報中論三の報仏である。そのために己心が必要なのであるが、己心を捨てるなら、自動的に応仏世界に後退するのは当然である。これから見ても、現在の宗門が応仏世界にいることは動かし難い処である。既にそこは本仏の住しがたい処である。このようなことも、改めて対処の方法を考え直さなければならない問題である。これ又容易ならざる難問である。これらは、とっくに解決されていなければならないものであった。ただ職人芸だの増上慢だのいって見た処で解決するものではない。阿部さんも正宗要義では明らかに久遠元初を迹仏世界に見ているのであるから、仏法と仏教のけじめを付けなければならないと思う。
 現状では、仏法は仏教の中で考えられているのである。そこに時の混乱が生じている。まずこれを立て別けることから始めなければならない。このようにして見れば、悪口に明け暮れている隙はありようにもないのが実状である。度が過ぎると我が身に立ち返ってくることを知っておいてもらいたい。正宗要義は時の混乱を余す処なく明了に示しているのである。開目抄や本尊抄は時の混乱の起らないように、これを明示されているのである。しかし、現実には、その部分は読まれていなかったように思われる。
 迹仏で捉えられた現在の時の考え方の中では、恐らくは仏法も本仏も本因の本尊も在り得ないものと思われる。己心が生きておれば多少の連絡はあっても、邪義と決まれば完全に遮断されるから、以前とは状況が変って来るであろう。己心と造不の問題は密着しているものであるから、自分の好みで解決することは出来ない。気が付かなくても法門は自動的に動いている。それが表に出ようとしているのである。但し、新義建立の場合は別である。
 迹仏世界に本仏が出、本因の本尊が出るためには必らず文証がなければならない。文証もなく迹仏世界に本仏が出現するのは邪偽といわなければならない。水島御尊師はそのように示している。まず自分によくいい聞かせることである。これは下剋上方式につながる恐れもある。正宗要義は迹仏世界に本仏が出現することが基本になっている。それが見る者をして異様に感じさせるのである。そして仏法と仏教との間を万遍なく往返しているのが今の宗義と思われる。今の急務はその時を何れか一に決めなければならない時である。
 水島説に至っては始めから時の区別はなかったようであるが、それは宗門の考え方が表われたものと受けとめている。この整理こそ今差し当っての大きな課題である。その時の感覚の鈍った処から仏法も薄れつつあれば造像可能な状態になりつつあるのである。そして本尊もまた像法に、本仏もまた像法に移動しているように思われる。これらは自分達の意識の外での作動である。僅かな心の動きが、既に大きく集積しつつあるように思われる。仏教に大勢を移しながら仏法を称えることは、反って他宗に異様な感じを与えるのみではなかろうか。
 宗義を一筋通すことが、今の最大の急務であると思う。悪口のみで乗り越えられる時期は過去になっているのである。宗祖も興師も「東春云く、良薬は口に苦し」と引かれている。苦言は頭に痛いかもしれないが、これを悪口をもって返すのは最も愚な方法であることを知ってもらいたい。文底本門が文上迹門に変れば、造像も必至といわなければならないであろう。今の状態からすれば、寧ろ造像した方が似合わしいように思われる。それ程法門は伸びているのである。もし不造をとるなら、その時には資料が必要である。四百年前造不の問題があった時も、今と似たような状態であったのではなかろうか。雰囲気としては造像間近の処に近付いているのではないかと思う。二ケ年半の間に知らず識らず逃げこんでいったようである。とも角も最後の決断を待つことにする。
 本尊抄末文は、前来の文から見て仏法の世界に属するものであり、形相は既に消えてそのはたらきがこれに変っているものと思う。仏法にまで仏教の時の形相が持ちこまれることはあるまいと思う。釈尊の因行果徳は、仏教では不軽上行の相をとるが、仏法では因行果徳と変るものと思う。もし仏法にまでその形相が持ち込まれたのではその区別が付きにくくなる。しかし、今ではその形相を迎える体制が整いつつあるのかもしれない。
 報恩にしても仏教では塔婆供養により、仏法では自我偈三返というのが古来のしきたりである。同じ語でも両者には明らかな区別がある。もし同じでよいのであれば仏法はますます混乱するであろう。本尊抄は四士に限っているので、一尊四士の四士とは各別であるから一尊四士の文証に使えないということは明了である。時の違いを確認しなければならない。
 大石寺が今に本因の本尊の語を残しているのも上代の名残りの一つである。今は独立した三秘によっているために、本尊抄とは次第に疎遠になっているように見える。委員会も改めてこの末文の研究を手掛けなければならない。この文には、御本尊に向って題目を上げれば必らず功徳がある御利益があるということは一向に示されていない。このようなことは何れの文証によるのであろうか、子細に示してもらいたい。文証がなければ邪偽ということになる。是非共文証を示してもらいたい。  

 本 仏
 本因の本尊と共に他宗に対して、又自宗に対して最も説明出来にくいものの随一である。今では殆ど本仏の語のみがあるような状態である。更に成道もまた説明しにくいものであるが、何れも戒定恵に始まるものである。つまり仏法が分りにくいということである。それほど現実に現われた戒定恵は難解なのである。そのために個々についてはあまり研究されるものはないようである。そこで専ら信仰の立場のみで解決されているのではないかと思う。そして何れも現在は仏教にあると見るのが最も近いようである。即ち迹門である。これは久遠元初や五百塵点の当初が法華経の上でのみ考えられていることにも依るのである。何となく法華迹門の上にあるような感じである。仏法もまた仏教の中で考えられているようである。仏法の時の確認を怠ったために、自然と仏教の時に引き入れられたためであろう。
 自分に理解出来ないことをいわれると、即時に邪義珍説などと返すのである。信心以外には考えないようになっているためであろう。そのために、動き始めると予想も付かない方向に向う可能性もある。戒定恵から少しずれた独善の故かもしれない。独一も独善も共に戒定恵に始まっているが、真実は独一にある。これまた難持である。今はその独一の影が次第にうすれ、独善のみが盛んである。独一は仏法にあるが、独善が仏教に止まれるかどうか、疑わしい処である。
 今、本仏がどこで考えられているのであろうか、仏法なのか仏教なのか、独一なのか独善なのか、最も気掛りな処である。この本仏はついつい独善に迎えられ易い一面がある。平僧といえども本仏境界に至れるのは専ら独善による故である。仏法も独一も、その周辺をとりまいているのは共に世俗であるために、その捉え方次第では即刻仏教とも独善ともなる。それも知らない間のことであるだけ厄介である。その極意の処が時なのである。仏法は時に依る処、これに対して独一には仏法の時の中にあるということのみであるが、独善は特に時を必要としないだけに、誰れでもすぐ本仏になれるのである。このような本仏は常に宗内を横行しているのであろう。そのくせ本の本仏については、「御本仏日蓮大聖人」が殆ど全部ではないかと思われる程である。余は信心まかせということであろう。これは信仰についての宗祖であり本仏である。これは結論をいそいだ結果が招いたのではなかろうか。それよりか、他宗の者にいかに理解し得心してもらうか、今はそれを考える時ではないかと思う。
 本仏も本尊も共に説明しにくいもののようである。今のように時がずれてくると、ますます分りにくくなるであろう。時さえ確認して元に返せば、それ程むづかしいものではないと思う。もし本仏が説明出来るなら、本尊も成道も、それほど説明出来にくい程のものではないと思われる。何をおいても、まず本仏の研究に取りくむべきであろう。しかし、この時は目にうつらないだけに厄介であるが、鶏は生れ乍らにしてその時を心得ているから、時計はなくとも、時が来れば必らずその時を告げるのである。春が来れば必らず春草が芽ぶき、夏になれば夏草が生じ、炎天下でも生きぬく。草は各々その時を心得ているのである。仏法の時は鶏や雑草の方が遥かに高い処で心得ているのである。撰時抄では、時が分らなければ鶏に聞けということであろうか。
 さて、本仏はどのように、どこに始まっているのであろうか、御本仏日蓮大聖人という語は常に数限りなく見聞くが、その出生などについては全く聞かされることはない。本仏とは鎌倉へ生れた日蓮が、途端に久遠実成の釈尊の遥か遠い彼方、即ち元初に生れたのだ、信心しなさいということが全部である。信じなさい、これを信じない奴は不信の輩であるということである。
 正宗要義もこの説であるが、迹仏世界では最遠の処が久遠実成であるから、そこに本仏が割りこんでも、実成を乗り越えることは出来ないように思う。若しそこに他から元初が割りこめば、実成の手前に繰り入れられる可能性が多い。実成を越えてその彼方に元初を見るようなことは、迹門では認めないのではないか。何となれば、実成は最長最遠の処を実成とたてるのが迹門の立て方であるから、正宗要義のように迹仏世界に帰れば、それに従わなければならない。本は元初であっても、後退してそこに帰れば、そこの約束事には従わなければならない。実成の手前に帰るのが精一杯であると思う。
 迹仏世界に帰り乍ら本仏を称し、実成の彼方に出るのは約束違反であり、下尅上である。本仏は別世界にあってこそ元初も成り立っているのである。そこを仏法という。そこに受持も生きるというものである。迹仏世界にあってその彼方に元初を立てるなら、受持の必要もなければ、迹仏もそのような事は一切認めないであろう。そのような、理を外れた強引さは、仏法を立て、時をまず決めるなら毛頭も必要のない処である。
 若し久遠元初を立てるなら、時をもってその世界に住することから始めなければならない。そのために開目抄は時を定め、受持をもって戒定恵の処に仏法を立てるのである。このような意味からしても、正宗要義の元初は大きな誤りを犯しているといわなければならない。これでは超過の法門ということは出来ない。ただ越階である。階段を下から一挙に十階二十階を越えることは出来ない。そのために別世界が建設されるのである。
 現世の時を超えることは、昔から壷中の乾坤といわれているのもそうであるし、浦島太郎もその例である。これは新しい時をまず作ることから始まっているのである。その浦島でも再び現在の時に従わなければならなかったのである。元初も実成の世界に帰ればその時に従わなければならない。その時に別世界の時は白煙となり空に帰するのである。そのために時を定め時に依ることが厳重に制定されているのである。
 世界が違えば時が違う。その時を無視した正宗要義の元初の説は、仏法には入れにくいものである。未だ時を得たとはいえないものである。この時のために異様な混乱を招いているともいえる。それは「仏法は時に依るべし」という立場から見た故であるが、要義の時はルール違反のそしりは免がれることは出来ないであろう。従って、そこは元初ともいえなければ、本仏が出現出来るような境界ではない。つまり実成の世界、迹仏境界であるからである。但し信心境界の本仏については不信の輩が云云するものではないことを申添えておく。
 何れにしても、正宗要義の説の処に本仏の誕生を迎えることは至難の業という外はない。一言でいえば時の混乱のため、未だ久遠元初といえる世界が成じていないのである。つまり、久遠名字の妙法や事の一念三千の出揃う境界には至っていないのである。何はさておき、その境界作りが必要なのである。その意味では、山田の本仏も本尊も境界作りが皆無の処に出現している。そのために本仏や本尊が常に浮動し、衆生の本仏や成道が失われるのである。それは、始めから宗祖一人を本仏と決めている処から始まっている故である。
 時がきまれば、自然と衆生の本仏から事が始まるようになっている。これに依れば必らず本仏も本尊も安定するであろう。それが開目抄や本尊抄に示されている処である。元初といいながら、実には迹仏世界を一歩も出ていない処に本仏や本尊を考えることは、それ地体大きな無理をもっているといわなければならない。山田説は、まずその雰囲気作りから始めなければならない。そのためにまず時を決めなければならないのである。素直に出ないから悪口も出ようというものである。格別怨念でもない。増上慢等という前に、本仏位はすっきりと出すべきではなかろうか。そうなれば格別うらみつらみや悪口雑言は、氷のごとく解けるのであろう。
 山田も、信心教学には一日も早く訣別することである。それが今差し当っての課題であると思う。その信心教学には衆生の本仏や本尊や成道は一切認めていないし、愚悪の凡夫も、その認め方は半分程度である。これでは本仏が出れないのも無理からぬことである。そして衆生のみにその犠牲を強いているように見える。山田教学はそのような処に成り立っているのであろう。宗祖は自ら主師父母なりといわれている。その父母が健在の間にこのような悪い癖は直しておいた方が好い。師弟子の法門と特定されている以上、師のみをもって本仏と定めることは出来ないであろう。衆生不在では愚悪の凡夫の成道も在り得ない。逆次に読む処、衆生の成道が本尊本仏に先行しているものと思われるが、山田説では本仏本尊のみであり成道は消されている。逆次でなければ本尊も本仏も出現しない。そのためにまず衆生の成道が必要なのである。それを認めなければ仏法の本尊本仏は出現しないように思われる。
 山田説は逆も逆、真反対の故に、肝心の事行の法門までには至らず、精々事の処で本仏本尊を求めようとしているが、事行の処でなければ出現とはいえないのは常識である。若し事行の可能性がなければ、理である。その理と事の中頃で本仏や本尊を求めようというのが山田法門ということであろうか。何れにしても未だ本仏の出現出来るようなものは具わっていない。そこへ早々の出現であるから驚かざるを得ないのである。これも信心教学の功用ということであろうか。但し、この教学は一切他宗には通用しない特質を持っている。そして宗内にも次第に通用しにくくなりつつあるようにさえ見える。一宗挙げて力を振り絞って見たけれども二ケ年半しかもたなかったのもその故である。
 民衆の支持を失い宗祖の支援を失ったために、二ケ年半で手を引かざるを得なくなったと解すべきではなかろうか。これは諌暁八幡抄の扶桑記の文に依って判じたもので、同じ題目でも題目が違っているために宗祖の支援がなくなったのではなかろうか。宗祖の望まれているのは戒定恵の上に立った題目であったので、自然と戒定恵の題目を称する方へ支援が廻ってきたということではなかろうか。信心教学も迹門に根を下さないように心掛けなければならない。
 さて、本仏の語についてまず考えなければならないことは、釈尊が生れて成道するまでの間を本と立てれば、成道以後は迹となる。即ち成道以前を本仏と立て、成道以後を迹仏と立てる。このような考えがあったのではなかろうか。そしてその本仏は愚悪の凡夫であるから、宗祖も愚悪の凡夫を称する。これが本仏といわれる根本になっているとすれば、格別おかしいことではない。迹仏の因行果徳を受持して世間に出れば対告衆は専ら民衆のみである。二乗までは善人であるから迹仏にまかせ、残った凡夫のみが救いの対照になる。救う方も救われる方も共に愚悪の凡夫であり刹那に限って成道出来るので、これが終れば只の凡夫である。そこで成道も救済も本仏も本尊も、其の他全てが右から左に変ってくる、これが左尊右卑である。釈尊は南面で右尊左卑であるが、向い合った上行等は釈尊の左が上座となり、右が下座となる。これを左尊右卑という。
 釈尊は南面である。本尊抄に説かれる本時の娑婆世界に現ずる本尊は、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏と多宝仏に対して、釈尊の脇士の上行等の四菩薩の眷属として続いているのである。ここには釈迦牟尼仏から釈尊への交替も含んでいる。そこに受持が必要なのであろう。この釈尊は寿量の釈尊であり、上行等の四菩薩は寿量文底を表わしているように見える。即ち時が変ったのである。右尊左卑から左尊右卑に交替したのである。この釈尊は「寿量の仏」を表わしているのである。僅かの間に、次々に時が変っていることを捉えなければならない。そして本時の娑婆世界が現ずる、これが己心の世界である。即ち戒定恵を通して現じた民衆の世界である。その直前の戒定恵を忘れ、己心の世界は邪義と称しては、久遠名字の妙法も出る筈はない。そして久遠元初は迹仏世界で考えているのであるから、そこに自受用報身が出る筈もない。そこに出るのは応仏に限る、即ち法華の教主を知らず識らず応仏と定めているのである。
 法華の教主を報身と定めるのは大石寺法門であるが、日蓮正宗伝統法義は応身と定めているのである。そのために未だ文底に至っていないので、己心の必要は全くない処に居る、そのためにこれを邪義と決めて憚らないのである。正信会も法華の教主を応身と定めているのであろう。これでは日蓮本仏はいよいよ裏付を失ってしまうことになる。そこで解決するのは信心以外に求めることは出来ないのである。
 久遠元初を実成の遥か彼方に想定することは、結果的には迹仏世界を一歩も出ることは出来なくなるのである。開目抄や本尊抄には、どこを探してみてもそのようなものを見出だすことは出来ない。何を根拠に迹仏世界に久遠元初や五百塵点の当初を持ち込むのであろうか、吾々には何としても理解出来ない処である。この故に不信の輩といわれるのであろう。信心に頼りすぎたために、反って迹門を抜け出ることが出来ないのである。悪口をいう隙があれば抜け出る方法でも考えるべきではなかろうか。そこを抜け出なければ、寿量文底や仏法を語る資格は備わっていないといわなければならないことは、今さらいうまでもないことである。山田や水島は一日も早く迹仏世界を抜け出なければならない。迹門に居って己心を見れば仏法にあるが故に邪義とも見えるのである。己心を法門として捉えるためには戒定恵を捉えなければならない。
 仏法の世界に居ないから己心も邪義と見えるのである。心は仏教にもあれば外道にもある。何れの心に住しているのであろうか。しかし、心は仏法にないことだけは、誤りはないと思う。若し外典にあれば世間も仏法も同じということになるし、内典にあれば迹門も仏教も仏法と同じということになる。これまた時の混乱の中でのみ同じといえるのである。今、時の混乱のみを追うているのも、そのあたりに根元があるのであろうか。時の混乱のみを生き甲斐にしているように思われる。今の本仏は時についてはあまり考えないのか、迹仏世界にでも平気で登場しているようである。それが大石寺法門を不可解なものにしているのである。

 神天上法門
 興師には「神天上勘文」があるが中々理解しにくいので、これは宗門に委ねたい。御書には神天上は何回か出ているので、今はこれについて、その皮相のみを考えて見ることにする。一宗建立された上で日蓮主義が強調されると、日蓮は法華至上主義で、これは神道を否定する者であるという解釈から、その面については軍部から圧力がかけられた。大石寺もまたその被害者の一人であった。その時神本仏迹論も取り上げられたのであったが、その時は辛うじて、それによって生き延びた感じである。これは富士宗学要集にも載せられているが、日蓮を法華至上主義者と見るのも、神本仏迹論が立てられるのも、共に八幡大菩薩の解釈による処、その受けとめ方による処である。
 明治以後軍国主義が成長する時期には、日蓮主義は不可欠な面を持っていたようであるが、成長を終った時期には法華経主義は神国主義に替えざるを得なくなった。そして詰の段階で日蓮主義は国の基礎を危くするものというような判断が下されたのではなかろうか。その時弾圧の方向に替ったのであろう。利用価値がなくなったのである。その詰めの段階で被害者の立場に立たされたのであった。以前は神号として中央に天照太神、両側に春日大明神・八幡大菩薩の掛軸が祀られていたが、これは神仏習合時代の名残りである。実際にはそのような中で千年の年月を経て来ているのである。それが一方だけにかたよると他が被害を受けるようになる。たまたまそのような事があったのである。
 八幡大菩薩の本地は釈迦如来、日本は垂迹の地であるが、その八幡神は応神天皇であるということで、反って本を表わし、釈迦如来が迹になる。始めは仏教の中で考えられたもの、次は日本という国土の上に考えたもの、つまり世俗を踏まえて考えられたものであり、これは仏法の領域である。そのような中で時が失われ、仏法が成り立たなくなったために、被害が廻って来たのである。その時は今に失われているようで、次の被害が既に迫っているという感じがする。前は他力によるものであったが、今度は自力によるというような感じがするだけに尚更厄介である。事が極る前に対策を立てて置いた方がよいように思う。しかし、八幡大菩薩がどのような意味を持っているのであろうか。大石寺には諌暁八幡抄も襲蔵されているのであるだけに、神天上法門も宗義に大いに関係があるように思うが、近代は反って敬遠され気味になっているのではなかろうか。被害者意識とも思われるものがある。
 神天上法門には仏教の日本化を目指しているようなものが強く表われている。平安期の一般化は仏教として迹門の上の日本化であったが、日蓮が目指したのは文底への切りかえであった。これを同日に扱うわけにはゆかない。日興が「御書は和字たるべし」というのも、よくこれを表わしている。開目抄も本尊抄も諌暁八幡抄も戒定恵が根本になっている。伝教の「三学倶伝名曰妙法」に始まる法華文底の日本化運動の一環であるが、これも日蓮から大石寺に伝わったが、室町の終りにはこれも消えたような感じである。つまり戒定恵は一応消えたようである。そして再び迹門に復帰して迹門流なものが始まったのである。基本的には今もこれが受けつがれている。これが日蓮正宗伝統法義の根本になっている。そのために法義の中に戒定恵や己心が見当らないのである。変形した迹門という感じである。そして結果的には本仏も、衆生を離れて宗祖一人に集められて新たな権力を作っているようである。これは戒定恵が失われると同時に、本仏が衆生や民衆の手から離れたのである。元来神天上法門は法華至上主義といえるようなものではなく、法華を通じ戒定恵を透して日本民族主義を盛り上げようというようなものがあったのではないかと思う。
 戒定恵は法華を民衆のものに切り替える特技を持っているようであるが、もしこれが失われると、反って衆生や民衆を掌握する方角に向うようなものを持っている。今の大石寺のあり方から見て、戒定恵が健在であるとは思えないことは、既に事行をもって証明している通りである。そこに信心教学の必要が生じてくるのであるが、それが時に教学といわれると不可解になる。今の宗門の教学はこれを指しているのである。そこには自由な発展も許されていることは、山田や水島の教学がよくこれを証明している。本人だけに通じる特種な教学である。そこには常に飛躍が待ち構えているのである。
 思想家日蓮を打ち出すためには戒定恵は不可欠であるが、今は門下一般に戒定恵は除外されているのではないかと思う。これを持ち出せば、民衆思想の強調者としての日蓮は出てくるが、宗教としては都合の悪い面が多くなる。そのために何れの門下も戒定恵は敬遠する傾向にあるのではないかと思う。大石寺では内秘の処本因の本尊の坐す御宝蔵には戒定恵は強く感じられるものがあるが、今の正本堂では殆ど皆無というのも不思議なことである。
 日蓮には一見強く法華経を説き、広宣流布を願っているように見えるし、自らも法華経の行者と名のっている。いかにもそれは狂信的なものに受けとめられやすいが、それをそのまま文上に受けとめるなら、いかにも其の通りであるが、そこに、戒定恵が登場すると、法華は即刻世間の中に入って、法華経としての固有の姿が失われ、世間の法を主とした中に隠れてしまう、それが仏法である。
 世間の民衆一人々々の中に己心の一念三千を見、本仏本尊を見出だす、それが広宣流布である。即ち法華経の信者を増やすのが広宣流布とは思えないが、現在は一宗建立という条件のもとに考えられているために、このようなことに定義付けられ、専ら自宗の信者を増やすことが、広宣流布ということになっている。そして同じ日蓮門下で信者の取り合いが行われ、正宗内部でも、正信会内部でも亦同じことが繰り返されているようである。それが広宣流布という美名に隠れて行われるに至っては実に言語道断である。それが現実の姿である。これらは全て戒定恵不在の中で行われることである。もしこれに戒定恵が登場すれば、途端に一人が単位になる。ここが思想への変り路になっているのではなかろうか。
 日蓮が希う処は一人々々に戒定恵を知らしめんがための思想運動と見るのが妥当ではなかろうか。それだけに、戒定恵は宗教としては不適当なように見える。特に開目抄や本尊抄などには、どう見ても宗教の部分は見当らない。この面から見れば、己心の上に論じられる処は実に大らかであるが、一旦宗教家として見られる時は、極端に頑な者に解されるのである。これは左にあるべきものが、そのまま世間に出るために右の世界に表われるためである。つまり宗教とすることに既に誤りがあるのではなかろうか。
 他の迷惑をも省みず、自分の事だけしか考えずに強行するのも左を右と誤ったためかもしれない。戒定恵の中にあれば独一であるべきものが、世間に出れば途端に独善となるのも、この理に依る処であろう。独善には人の性格を変えるようなものさえ備えているように思われる。日蓮宗が闘争的といわれるのも戒定恵を失ったためと思えば、案外理解される処がある。一度戒定恵を備えた原点に立ち返って考え直してみれば必らず静かな日蓮像が浮び上がるであろう。
 大石寺法門が戒定恵を根本として己心に法門を建立し、刹那に成道を見ているのも、仏法を称するのも、今とは全く逆な処にあるように思われるが、一宗建立が強く打ち出されたために、今では己心の法門さえ邪義となったのである。戒定恵を失い己心を邪義としては、仏法が成り立たないことはいうまでもない。そのような処に本仏や本尊があるわけもない。既に宗義はそこまで来ているのである。
 己心の戒旦が邪義であれば取要抄に説かれる戒旦は邪義であるし、宗祖が説かれた処は、水島教学から見れば悉く邪義に堕在することになる。これは水島本仏出現前夜のようでもある。そして正義として出来た戒旦は本寺に建立され、しかも十三年間一度も戒旦の用にはたたなかった。これは像法の戒旦であったためである。その間、戒旦の働きは、昔ながら末寺が完遂して来ているのである。そして広宣流布もまた、今改めて像法の広宣流布に乗り出そうとしている、これこそ正義というのであるから益々分らない。
 滅後末法の時に出来た法門を、時を誤れば、何れを見ても像法に出ている。既に九百年以上のずれが出来ているのである。これこそ正義だというのであるからわからないのである。滅後末法の時とは仏法の時である。戒定恵や己心の上に出来ている、それを邪義ときめるのであるから、像法へ逆転するのは当然である。その像法を滅後末法とでも思っているのであろうか。誠に夢物語のようである。一日も早く夢から抜け出ないと、救は帰って来ないであろう。己心を失うと夢中の槿果に根を下す恐れがある。御用心召されよ。今は宗を挙げて像法に立ち返ろうとしているようにさえ見える。正宗要義の久遠元初は迹門に立てられているが、このようなことはあまり考えないのであろうか。
 仏法と信じながら仏教に元初を立てている処は、仏法の時に付いては全く無関心と思われる。それは事に己心を否定している姿である。若しこのように己心を否定するなら八幡大菩薩や日本国の諸神は天上するかもしれない。日本の世間を中心として忠孝を見た場合は神をもって根本とするであろうし、その国の民を中心とするのは当然である。戒定恵はそこを指していると見てよいと思う。その点迹門では日本の民衆ではない。その迹門を根本とすれば神が天上すると見るのは当然である。そこに戒定恵を根本とする意を見るべきであろう。
 和国を根本とする意は戒定恵に始まっているものと思われるが、今のように像法・迹門とすれば中国が根本になる。これを日蓮は最も斥っているように見える。そこに神天上法門の意義がある。これを意をもって解したのが神本仏迹論かもしれない。そのように見れば、今の意はそれについての反動ともとれるし、反って中国をもって本とする処へ収まるなら、宗祖の斥った処へ収まることにもなる。日蓮の説は和国であるが、それは日本国の諸人であって、権力国家に意慾を燃やしているのではないが、僅かの解釈の相違から、権力国家のみが捉えられると、日蓮が大忠臣となることもあり得る。それは戒定恵の有無の問題であると思う。何れまた開目抄や本尊抄の文を引きながら、改めて考え直すつもりである。
 扶桑記の宇佐八幡の神は、迹門の法華経については一向に感激されなかったのである。この意をもって見れば、文上の法華経を唱えることは謗法ということになっているようである。日蓮が法華経とは戒定恵の上に立てられるものに限っている。所謂文底の法華経であり、仏法の上に唱える法華経こそ真実となっているように思われる。今は自分では文底と思ってはいるが、これを証明するものは全て迹門のように思われる。これでは反って謗法となるのではなかろうか。
 四箇の名言も、表面の理由とは別に、文の底では戒定恵でない法華経について、いわれているのではなかろうか。今は法華経を信じないものは勿論のこと、自分の考えに反対するものも謗法不信の輩と決めているようである。そして結局は自分等が謗法を捨て己心を捨てると、逆にこれを唱えるものが謗法不信の輩となる、これも独善の一分ということであろう。謗法は戒定恵の法華経を正とする処を根本として決められているように思われる。その意味では日蓮正宗も謗法といわなければならない。自宗のみは常に正、他は必らず邪と定めるのは、少しせっかち過ぎるのではなかろうか。
 現在の正宗には、すでに戒定恵も失われ、己心を邪義と決めたのであるから、他宗を邪宗と決めるようなものは既に失われていると判ぜざるを得ない。他宗を邪宗と決めるのは、どのような基準に依っているのであろうか。是非公開してもらいたい処である。只戒旦の本尊を信じないというだけでは、いかにも浅薄そのものである。もっともっと重々しい理屈を付けた方がよいように思う。
 仏法の処に出来た語が迹仏世界で運営されているのが現実であり、宗門も正信会も仲よく理屈抜きでここに根を下しているのである。宗義の根本については全同である。そのために十大部は特に使いにくいようである。十大部から戒定恵と己心を取り除いたら、殆どその意義は半減するであろう。名は御書であっても、解釈の根源になるものは要法寺日辰の考え方であり、それが根本となって伝統法義と称するものが出来ているのである。ここには戒定恵と己心の法門は除外されているものと思う。曾つて仏法で出来た部分はすべてこの考え方の中で迹仏世界にあって解釈され運営されているのが実状である。これが日蓮正宗の伝統法義の不可解な根本になっているのである。造られた処と解釈された処と時が違っているのである。
 久遠元初も五百塵点の当初もまた迹仏世界にあって、いかにも文底のような処を表わすこともある。そのために御書を真反対に解釈することも行われているようである。そしていきなり久遠名字の妙法と事の一念三千の十三字をもって本仏を現わし、これに人法一箇の四字を加えて本尊を出現せしめるのである。この久遠名字の妙法や事の一念三千が、仏法にあるのか仏教にあるのか、これは一切不明である。この時戒定恵や己心には一切触れないので、恐らくは迹仏世界に出現しているものと思う。それを何のことわりもなしに仏法の世界に持ちこむのであるから、いよいよ分らないのである。それが信心教学なのである。


 下種仏法
 この語もよく使われる割に、どこまで理解されているのか、解説されているものを見たことがないので判じ兼ねている。何を指して下種というのであろうか、種とは何であろうか、不信の輩には一向に分らない。今假りに私見をいえば、仏法と大きな関連を持っているのではないかと思う。若しそうであるとすれば、その中心にあるのは戒定恵でなければならない。下種することは仏法の大きな作きである。衆生に本仏・本尊・成仏の因があることを教えることは下種である。宗祖は衆生から戒定恵を見出だすことによって、これらの三が衆生に備わっていることを教え、更に自力によって獲得する方法を教える、それが丑寅勤行である。下種仏法といわれる様に下種と仏法とは捉え方の相違であって、内容的にはそれほど変りのあるものとは思えない。仏法の中では最も大きな作きのように思われる。
 法華経の二の大事は久遠元初と二乗作仏である。これを外典に摂入して戒定恵を確認したところから仏法は始まる。その時既に久遠実成と二乗作仏の固有の姿は消えているのである。妙楽に具騰本種という語があるが、これはどのような意味であろうか。若し本を釈尊の成道以前に見るなら、それは愚悪の凡夫である。これを外典という世俗に移せば衆生は師弟共に愚悪の凡夫である。その処に釈尊の因行果徳の二法を受持するなら、愚悪の凡夫である衆生は即時に自力をもって成道することも本仏や本尊を獲得することも可能である。これは戒定恵を見出だすことによって始まる。これが末寺で行われる授戒であろう。即ち戒定恵を見出だすことがそのまま成道につながる。これが仏法の中の根本義になっているように思われる。これを言葉を換えて下種というのではないかと思う。
 今は本仏日蓮大聖人が下種することになっているが、これは仏法の中での仏教による故である。一宗建立以後自然にこのようなことに収まったのであろう。師弟の違いはあっても共に愚悪の凡夫であるから、本仏といえば共に本仏である。これは仏法本来の立場からいう処である。この段階で誰が下種するのかといえば、それは天なのかもしれない。その天とは最も身近かに充満している天帝・天道などというような天なのかもしれない。それが一宗建立以後は日蓮が本仏となり、下種するように変って来るのであろう。とも角、外典と仏教の出合いの処に本仏は居るように思われる。それが師弟一箇の処かもしれない。その本仏が後には日蓮本仏になるのであろう。そして勤行では弟子の処にも表われるけれども、これは格別取り上げられないようである。衆生の成道は刹那に限り、しかも次第に忘れられてゆくようになり、本仏は日蓮本仏と固定してゆくのである。とも角、仏法の中では下種は大きな作きである。
 衆生が釈尊の因行果徳の二法を受持すれば即時に刹那に成道することも出来れば本仏本尊を具現することが出来る。これらは何れも体内に湧現するのであろう。それが丑寅勤行と呼ばれているものである。客殿の奥深くまします本尊とは、師弟の体内に湧現した本尊を指しているように思われる。そのように見れば、客殿の奥深くとは、その体内を指すのかもしれない。しかしこれは甚深にして、不信の輩のよく伺い知る処ではない。
 開目抄については、宗教色の弱い方と強い方と二つの場合を考えなければならない。山田は二重構造と斥うけれども殆ど二重でないと説明出来ないのは、必らずしも大石寺に限ったわけでもあるまい。山田説がとても一重とは思えないが、二重では少いというのであれば、自説は何重をとっているか、或は変幻自在をとっているとでもいうのであろうか。若し一重に限れば、宗教としてはその作きを表わすことは出来ないであろう。大石寺の御尊師ともあろう者が、二重構造などとは、言うこと地体異様ではないか。重層の多い程甚深なのではなかろうか。それが宗教なのである。さてより重要なのは弱い方であるが、今は殆ど省られていない。そして、今は専ら強い方に限られている。その弱い方は思想的なものが強いが、昔からその一面については殆ど触れられたこともなかったのではないかと思う。そのために開目の二字もあまり詳かにされなかったように思われる。
 なにを称して開目というのか、今に明らかではないようである。本来ならそのようなものは、大石寺には伝えられていてもよいと思われるが、今は一向に何も伝わっていない。これは途中で宗教一本に絞られたためであろう。そして仏法関係でも、その語だけが残って、それが宗教色一本の処で作きを示す時、宗教の常識にないものが表われるが、それの説明が出来ないために、殆ど感情的な説明以外には方法がなかった。そうなれば相手方も只目くじらを立てるのみで、自の方も陰に回って不相伝の輩、不信の輩を繰り返すのみであった。開目抄へ分け入ることも出来なかった。大石寺でも仏法を唱えながら、時を確認出来ないために宗教の中に立ち返り、仏法の意義も分らない、下種の意味もつかめない、そのまま宗教の上で使われてきたようである。仏法で出来たものは、まず思想の上で確認しなければ、他宗他門との融合はあり得ないのではないかと思う。
 開目抄は本来宗教として立てられたものでないから、宗教に同調した場合には、どうしても大石寺が不利になる。しかも大石寺が仏法として残しているものの中には、色々なものを包含している。即ち宗教では解釈出来ないものを含んでいるように思われ、宗教の面では割り切れないものがある。今堀りあてたと思っているのは、案外真実ではないかもしれない。
 最も近い時代のものとして一番信用出来るのは三師伝なのかもしれない。近代の解釈に同調するために職人芸だとか増上慢などと言っておる向きがあるけれども、これでは仏法からも仏教からも離れるようになるかもしれない。その前に久遠元初や五百塵点の当初を迹門においていることを反省しなければならない。根本を迹門におき乍ら文底本門に法を立てることは殆ど不可能ではないかと思う。文上と文底との混乱の中で本門を立てることは出来ないであろう。増上慢とは仏法を棄てるための逃げ口上に過ぎない。これが委員会最後の評議決定なのであろうか。
 御本仏日蓮大聖人という語も宗祖一人と見るべきか、師弟一箇の処に見るべきか。今は宗教として専ら前によっているが、仏法を立てるなら師弟一箇の処に見なければならない。ここに下種は成じるのである。世法の中に下種もあれば仏法もあるということである。それが、若し本仏が迹門に立てられるなら、世法も下種も仏法も同時に消えなければならないと思う。それにも拘らず依然として下種も仏法も健在なのである。そこで語のみを残して内容のみは全面的に替えなければならないのである。これは許されざる二重構造である。悪口雑言のみをもって宗義の根本を入れ替えることは出来ないと思う。
 広宣流布の切り替えも成功しているとは思われない。しかし、今の教学からは、何の抵抗もなく迹門に出るようになっているのである。本迹超過の故であると理解しておく。しかし北山移文のように道中で廻文を付けられては大変である。宗教の一面のみによる事は節を枉げることである。道中気を付けることである。山主の廻文には恐ろしいものがある。若し筋を通すなら、山主も廻文までは付けないであろう。水島もここまで頑張って手を引いては、それこそ手持無沙汰であろう。このままでは小人閑居して不善をなす恐れもある。その前に優秀な頭脳を生かして下種仏法でも考え直してみてはどうであろう。  

 末法の御本仏日蓮大聖人
 末法とは滅後末法であり、己心の上に立てられた時であるが、在世の末法と混乱する恐れがある。今は或は在世をとっているかも知れない。日蓮大聖人というのも滅後末法即ち仏法に限られているが、今は在世で考えられているかも知れない。在世は仏、滅後末法は本仏という。
 在世末法は無仏の世であり、今は混乱のために末法に本仏が出現することもある。時に一仏出現と使われることもあるが、これは釈尊の成道以前を本とたてたとき、成道によって初めて無仏の世界に一仏が出現する、この如く、成道以前の愚悪の凡夫の世を現世に移す時、それは己心の上にのみ出現する滅後末法の時に、釈尊が迹門の時、仏として出現したように本仏が出現する。これを一仏出現といわれているようである。その一仏とは師弟一箇した処の一仏である。
 本仏の本は釈尊の成道以前を本と立て、成道以後の仏とを一つにして本仏という。その本仏が滅後末法に出現する意味であるが、今は宗義をもって己心を否定したのであるから、現在の宗義の上には本仏は出現することは不可能である。これは己心を邪義と決めた罪障とでもいうべきか。今の末弟は本仏出現の場を奪い取ったのである。
 大聖人の大は一大事因縁出現於世の大であり、報身如来を表わすということであるが、今は久遠元初を迹仏世界に立てておるので、大では都合が悪いのではなかろうか。法華の教主は元のまま応身をとっているように見える。或は応報両教主を同時に立てるというのか。どうも報身の教主は認めていないように見える。もし報身と立てるなら、久遠元初を迹仏世界から切り離さなければならない。これは正宗要義の書き替えから始めなければならない。己心の法門も正義としなければならない。今すぐ本仏日蓮大聖人が元に復えるのは大変なことである。とも角現在は否定したものだけは確実に残っているということである。
 己心の否定はどうやら勇み足ということであろう。しかし勇み足といえども土俵外に出たのである。水島先生如何でせうか。一仏は大橋さんがよく使うが、その説明は上のようでは如何でせうか。これも序に伺いたいと思う。別に解釈があるなら是非御教示願いたい。迹仏から本仏への替り目に時が省略されているために、理解出来なかったもので、二重三重に時が省略されている。無仏の世界に一仏といわれると、不信の輩には即時に理解することは困難である。この様な語は使う時に註を入れてもらいたいと思う。
 さて末法の御本仏は説明語のように見えるが、今は固有名詞のように使われている。大聖人の大は報身如来を表わし、聖人はセイジンであるが、仏教が摂入されてショウニンになっている処は、この三字は仏法の意を充分に表わしている。末法の御本仏日蓮大聖人には仏法の姿をよく表わしており、内に報身如来を持っている。即ち法華の教主は報身如来という意味をよく表わしているが、今は元初を迹仏世界に立てているために、応仏を教主と立てているように思われる。いつの頃から応身を教主と立てるようになったのか、これでは下剋上といわれても致し方もあるまいと思う。これも時の混乱のなせる業である。気が付いておれば訂正することもあったと思うが、今に訂正していない処を見ると気が付いていないのであろう。
 末法の御本仏日蓮大聖人を称えるためには、何をおいても滅後末法の時を確認しなければならない。それにも拘らず今は無時の処で称えているのであるから異様な感を受けるのである。元初を迹仏世界に立てながら末法の御本仏日蓮大聖人の語を使うのは遠慮した方がよいのではなかろうか。前もって時の整理が必要であるが、時の混乱については一向に無関心のように思われる。追いつめられて答に詰ると不信の輩と出るのも、元はといえば時の混乱による処である。それも大僧都というような高僧が平気で使うのであるから驚きである。昔の恵心僧都は権僧都の位であった。

 不信の輩
 世界最高の宗教を自称する日蓮正宗の、大僧都というような途方もない高僧が、一人ならず二人ならず、或はもっと高位のお方が平気で使うのである。他宗門では合掌礼も行われている中で、遥か虚空の彼方から「不信の輩」と声高に叫ぶのであるから、何とも異様である。急追を受けて返答に窮した時には、つい口を衝いて出るようである。追求を受けて常に返答の出来る用意のないことを表わしている、最も不名誉な語である。ことの始まりは「時」に依る処であり、御書にも不信の輩というような語には御目に掛った事もない。出処は何れであろうか。宗祖でさえ民衆への報恩を説かれている中で、他人に不信の輩とは恐れ入った次第である。七百年の伝統を誇るなら、まずその宗の品性を高めてもらいたい。これまた時の混乱が起した思わぬ顛倒の一例である。
 やからというのは家族が一般に使われているが、先生方のは奴族かもしれない。まずは独善の極地である。この語を現代に生かしているのは、大石寺位かも知れない。このような語は真実に仏法に生きているなら、決して必要のない語である。筋をはずれた時にのみ使い易い語である。戒定恵や己心が健在であれば、恥づかしくて使えない語である。これらの語が戒定恵が失われている何よりの証拠である。仏法を立てながら仏教に居るために、その真実を表わせない、その心のもやもやが、思わずこのような語になって出るのであろう。観心の基礎的研究をやって見ても大石寺法門はすっきりとは出ない。そのもやもやから、つい不信の輩と出るのであろう。時の混乱を解消すれば、このような不名誉なお下劣な語は、使わなくてもすむのである。或る意味では宗門のストレス解消に使われているのかもしれない。妙薬は仏法の時を知ることである。まずは開目抄を読んで時を知ることである。開目抄の末文に云く、仏法は時に依るべしと。そして撰時抄を読んでその時を知ることである。飲むも可、飲まざるも可、撰定は御勝手次第である。  

 御影堂
 今はひっそり閑としているようであるが、この御影堂は、御宝蔵が内証を表わすのに対して、外相を表わしている。御宝蔵と対になって本尊の働きを表わしている。本尊が外に働く時、それを万年救護をもって表わすのであるが、正本堂が出来た以後は、御宝蔵と共に誠に森閑としているが、戒旦として建立された正本堂は、この二つの働きを備えているわけでもない、そして戒旦の働きをするわけでもない。どのようにその働きを表明すればよいのであろうか。不信の輩には一向に理解出来ない処である。仏法を表わす二堂が森閑とすることは仏法の寂れたことである。御影堂がさびれることは、閻浮の衆生の結縁の場が失われることである。二堂の現状は仏法の衰微を表わしているようである。仏法の真実が次第に失われつつあるということであろう。
 御影堂は右尊左卑、客殿は左尊右卑、御宝蔵も左尊右卑となっている。理屈抜きで実行されている処は山法山規ということであろう。正本堂は右尊左卑か左尊右卑か、何れになっているのであろうか。本因の本尊は御宝蔵に、万年救護の本尊は御影堂にということであったが、正本堂はこれを一堂にあつめて、どのように表わしているのであろうか。或は広宣流布完了の故に二重の扱いの必要がなくなったのであろうか。
 本尊が御宝蔵から外に出ることは広宣流布の意味を持っているであろう。それならば三堂一時に建立すべきである。建立の時の文証にはこの文も引かれている筈である。しかしこの文は北山本門寺で出来たもののようであり、もともと大石寺には関係のないものであったが、これを文証として建立されてみれば、今更無関係とはいえないであろう。資料の読みが浅かったということであろう。御影堂の本尊を中心に富士五山が結束していたのは昔のことであった。五本山は万年救護の本尊である。それを掌握しているのが御宝蔵である。二ケ年半の成果は正本堂の裏付けは出来なかったように思われる。今から裏付けは出来ないのも無理はない。
 法門の上では御宝蔵・客殿・御影堂は一線につながるが、正本堂は違っているようである。建立の裏付けになったものが何れも仏法の上に建立されていないために、一線につながらないのである。一見仏法と見えるようではあるが、廻り廻って日辰教学を根本とし、明治教学を経て遥かに仏法とは異なる処へ出てしまったのである。しかも仏法の語が使われるために違いが分らない。そして新解釈の中で仏法を離れ、知らず識らず仏教に帰っている。五百塵点の当初や久遠元初が好例である。これははっきりと迹仏世界に帰っていることを証明している。また広宣流布も迹門流である。その裏付けのために天台教義や爾前経を探ったようであったが、正本堂の裏付けにはならなかった。これは見事な失敗であった。裏付けのないことを確認しただけが収穫であった。無駄な努力であった。そうなれば速やかに仏法に帰るのが最も早道である。
 新教義を作り上げるには少々お脳に不足があるようにお見受けした。今のような世上では、仏法に止ることも困難であるが、仏法を捨ててすっきりと仏教に出ることは尚更困難である。今のように仏教に出た時に独善といわれるのであるが、今は独善以上である。以前はよく世界最高の宗教を自称したが、誰れもこれを認めるものはなかった。ただその語だけが全部であった。丁度日蓮正宗伝統法義に似た処がある。今いう処の本仏や本尊に、どれだけ仏法の本仏や本尊が受けつがれているであろうか。静かに考え直して見る時である。この移動の跡が、御宝蔵・客殿・御影堂の処に現われているのである。法門は今もここにあって閑かにひっそりと守られているのである。一度静かに御影堂の作きを考え直してみてはどうであろう。
 大石寺の客殿は、東北から西南に至る諸仏成道の線と、西北から東南に至る愚悪の凡夫の成道の線と交る処、即ち仏法の上の諸仏成道の処、この故に現世の寂光土といわれるのである。今は正本堂に移ってはいるが、このような作きまでは移すことは出来なかったようである。御宝蔵には今も本因の本尊は健在のようである。正本堂に本尊を送るためには法門の用意が必要であるが、どうもそれがなされていなかったようで、そのために依然として本因の本尊は元のままのように思われる。どこに手ぬかりがあったのであろうか。御影堂は閻浮の衆生の縁を結ぶ処であるが、今はそのような機能は全く封じられているのである。
 此経難持は今も仏法の上に受け継がれているようである。文の上の語が文の底でどのように現われるかを慥かめてみるのも一興であろう。戒定恵の上に考え直して見るとき、その姿は現ずるのである。此経難持という程受けとめ方は常に移動を続けているのである。文字もない仏法が移動するのは当然である。そこで考え出されたのが、山法山規と事行の法門ではなかろうか。山法山規は一度きまれば人力をもって替えることは出来ないように思われる。しかし、この二年半の作業は、結果から見て成功したとはいえないようである。

 流転門・還滅門
 これは反撃の第一声であったが、ここですでに勝敗はきまっていた。当方も時を誤っていることを確認したのであった。それが分らなかったために延々と続けたのである。当方で使ったのは仏法での事、それを爾前のあたりから得々と説き起したために仏法の時に至らなかった。所詮は時の争であった。仏法に時があるとは気付いていなかったのである。開目抄で次上や阡陌を見ていない位であるから、時も見ていない、戒定恵も己心も始めから知らなかったのかもしれない。そのために堂々と爾前のものが引用出来たのである。それでも今は仏法に時があることは分ったであろうか。委員会は始と終には「仏法は時に依るべし」と「仏法を学せん法はまず時を知るべし」の二文を三唱するとよい。時も知らないで探ることが、いかに無駄なことであることはよく分ったことであろう。
 その語を仏教語大辞典や天台の研究書で知って、これなら一言で粉砕出来ると勇み立ってみたけれども全く効果がなかった。それは時を忘れていたためである。つまり仏法には通じなかったのである。これで一度に手の内を読み取られたのである。力んだ割に効果がなかったのは時を知らなかったためである。この時については最後まで取り返す努力はしなかったようである。これが敗因の第一である。吾々とても、語義が分らなければ辞書を引く位のことは知っておる。要はその語が仏法でどのような意味をもって使われているかということであり、それが分らなければ、語義は始めから知らない方がよい。反ってそのために自の法門を狂わせることの方が恐ろしいのである。辞書や諸学者の著書の縁にひかれて、仏法離れが行われたのに気が付かなかったのであろうか。
 時は眼に見えない処で動いているのである。仏法の時はなおさらである。この流転門・還滅門は如実に時のきびしさを示したのである。それを振り切るために悪口のみということであったけれども、仏法の時には一向に通用しなかった。法に酬いるに暴をもってしたのであるから、行きつく先は始めから定まっていたのである。辞書に依るのはよいが、いつまでもそれに執着してはいけない。不用なものは速やかに捨てることである。そこに飛躍が待っているのである。それが出来なければ再び仏教に帰ることであるが、その時仏教が素直に受け入れてくれるかどうかは別問題である

 弟子分・宗旨分
 これも反撃第一声の時のものである。これは現在の天台学者の成果によるものであろう。自信満々の割には成果は上らなかったのは時のせいであった。いかにも華麗そのものであった。しかも僅か二三回のみで、早々に手を引かざるを得なかった。引き際もまた鮮かであった。教学の深さの程を一度に露呈してしまったのである。教学部長はどのように反省しているのであろうか。久しぶりに真実学のある処を見せてもらいたいものである。一宗の教学部長ともなれば宗門独自の教学の蓄はあって然るべきではなかろうか。
 この素材はただ外相一片のみの引用であった。若しこれを研究した人が天台宗の人であれば、像法転時に居る人であるし、所謂中古天台の人等も本拠をそこにおき乍ら、研究のために滅後末法を称えているのである。しかし、大石寺は宗を滅後末法にたててこれを研究し、更にそれを事に行じているのである。その時からしても研究をそのまま受けいれることは非常識である。
 像法家のものをもって、そのまま仏法を批判しようというのである。そこに予測もしない混乱が待っていたのである。それさえ気が付いていないようである。このような事が教学部長から発表され、堂々と大日蓮誌上に載せられているのである。仏法の時が分って居れば、このような事が出来る筈もない。再びこのような事のないように仏法の時を強調しているのであるが、どこまで理解したのか一切不明である。今の処確かめる術のない梨のつぶてである。
 天台学ばかり勉強せずに、少しは開目抄や本尊抄を読めば、時が分るかもしれない。そうすれば、法門がどこに立てられているか、仏法の時がどのようなものであるかということも、自然と理解出来るであろう。仏法に居り仏法を語っている以上、仏法の語義位はしっていなければならない。虚を衝かれて夢中でしがみついたのが漢光類聚の研究成果であったが、そこに時の伏勢があるとは知らなかったようである。
 己心を邪義というのも狂学というのも、事の起りは仏法の時を忘れていることに始まっているのである。今更仏法の時など取り返せるかというなら、それは御自由である。しかし、今度の行き詰りは専ら時の混乱による処であることだけは承知しておいてもらいたい。天台学の暗記をする前に、仏法の時を学ぶべきである。仏法は時に依るべしという。時を忘れた処に果して仏法があるかどうか、甚だ疑わざるを得ない処である。いくら天台学を学んでみても、仏法の時までは教えてくれないであろう。そこは感違いしないことである。
 同じく滅後末法を論じても、像法の立場から読むのと、仏教の立場から読むのとでは真反対に出る恐れがある。逆も逆である。これをもって仏法を理解しようとしているのであろう。そのために矛盾に追いこまれているのである。そして知らず識らず天台に引きこまれるのである。天台のものも極力仏法の眼をもって読みとれるよう、平常からの蓄が肝要である。己心を邪義と決めれば仏法はあり得ない。追いつめられて邪義と切り返すのは邪義に等しいものである。そのために仏法や本仏・本尊・成道をすてることは最も愚な方法である。あまりにも代償が多すぎる。静かに考え直してみることである。
 水島の強気をもってしても、御書十大部を切って捨てることは容易なことではあるまい。己心を邪義ということは、これに劣らぬ程のものである。何れを不信の輩というべきか、読む人の判断に任せたい。己心の法門を邪義と決めて公言し、それで宗祖に忠といえるであろうか。己心を認めなければ本仏や本尊が顕現されることもあるまいと思うが、別な方法をもって顕現する方法があるのであろうか。もしそうなれば吾々の関知する処ではない。  

 五百塵点の当初
 これは久遠元初と同じく、常に五百塵点や久遠実成の延長線上に考えられていることは、正宗要義に示されている通りである。そこは何れも迹仏世界であり迹門の領域である。五百塵点や久遠実成は迹門の最長最遠の処である。もしそこに当初や元初が割り込めば、その延長線上に出ることは許さないであろう。結局は五百塵点の範囲内に当初を見なければならないし、元初もまた同様である。そこが迹門の領域であることを忘れてはならないと思う。
 この要義の考え方は迹門を一歩も出ていない。そのくせ、迹門にあり乍ら本仏を唱え本因の本尊を称えるのであるから、他宗が承知しないのである。それなどは時の混乱の最たるものである。未だ本仏や本因の本尊の出現する境界には至っていないのである。何故このような事が罷り通るのであろうか。吾々は不信の故に理解出来ないのである。
 迹仏世界において本仏世界を立てようという、これほど危険な考えはない。久遠元初や五百塵点の当初、久遠名字の妙法が本仏世界即ち仏法に立てられていることは御存知ないのであろうか。不審の向きは日蓮正宗要義を繙いてもらいたい。この様な混乱の中で三世常住の肉身本仏論も出てくるのである。若し仏法の世界が確認され、戒定恵や己心がはっきりすれば、このような混乱は即時に解消するのであるが、水島は己心の法門を邪義と称しているのであるから、そう簡単には撤回出来ないであろう。これではいつまでたっても五百塵点との区別が付かず、迹門から抜け出すことも出来ないであろう。
 本来の五百塵点と、その彼方に考える五百塵点の当初と、仏法の五百塵点の当初と、前の二は迹門である、後の一は仏法にある。これは複雑である。大石寺は現在迹門の五百塵点の当初をとっているのである。仏教に配すべきか仏法とすべきか、これまた厄介な問題である。この時の混乱は、今度の場合も終始一貫して続いており、今も本のままになっているのである。何れ右か左か決めなければならないであろう。開目抄にあれ程分り易く書かれているものが何故分らないのであろうか。どうみても迹仏世界に持ち込む理由は毛頭も見当らないが、信心がこのように最終決定をするのであろうか、何とも理解し兼ねる処である。この五百塵点の当初と久遠元初とがすっきりと説明出来れば、他宗との付き合いもやり易くなるように思われる。
 宗門は何故迹仏世界が離れられないのであろうか。これがすっきりとしなければ仏法を唱えることも出来なければ、御本仏日蓮大聖人を称えてみても、その所住すらはっきりしない。そして法門全体がぼやけてくるのである。その根本になるのが戒定恵であり魂魄であり己心であり仏法である。外典の中に、仏教から得た二乗作仏と久遠実成を摂じ入れる時、戒定恵が知り易くなるという。その戒定恵の処に久遠元初もあれば久遠名字の妙法もある。そして、その他一切の法門もそこに集約され、そこを基点として開けるのである。そして戒定恵が見付かれば仏法の世界も開けるのである。五百塵点の当初も亦そこにある。そこは刹那に受けとめるべき処である。
 若し一年一年を積み重ねてゆくなら、それは五百塵点であるが、当初もまたその上に一年一年を積み重ねてゆくであろうか、正宗要義はこの線上で説かれているのである。近代の考え方が要義にまとめられている。このために仏法がそのような長年月の上に考えられて、仏教との間に時の混乱を生じ、反って己心や刹那を否定する処まで追い込まれたのである。これをみても、時を決めなければ仏法があり得ないということも分ると思う。自分等の考え及ばない処は全て邪義ということで片付けようということであるが、そこはすでに仏法でも仏教でもない無時の世界なのかもしれない。
 仏法を学せん法は、まず時を知ることから始めなければならない。その時のない処で今も仏法を称しているようである。これでは大石寺法門とはいえない。所詮は時の混乱による処である。これは、開目抄をよく読む以外に鎮静の方法は見当らないであろう。仏法は現在考えられているものとは、真反対の処にあるようである。
 委員会の諸公も、本仏や本尊から特別に莫大な御利益を頂いているのであるから、せめて仏法の時と五百塵点の時との差別、久遠実成と久遠元初の違い目位はまず知ることである。これが仏法を知ることである。御利益の頂きっぱなしは不知恩になるかもしれない。そのような中で己心の法門を邪義と決めるようなことにもなる。若し己心が邪義ということになれば、大石寺法門は一切成り立たないであろうが、今は賛成している向きの方が多いように思われる。とも角、五百塵点と当初との混乱は大きいようである。これが時の混乱を決定付けているのである。久遠実成と元初の混乱も同様である。その混乱の中で山田や水島の名調子があったのであるが、反って宗門の底の程を明らかにしたに過ぎなかった。これだけ内部を晒け出しては、中々次が続けにくいであろう。
 悪口雑言も大いに歓迎する処である。若し先取りせられて口惜しければ、仏法は邪義だ、五百塵点の当初も久遠元初も邪義だ、三世常住の肉身本仏日蓮大聖人だけあればよいとやればよい。しかし、それは最早仏法でもなければ宗教でもない。それも出来ないなら、本仏や本尊の住処位ははっきりさせた方がよい。委員会も、一つ位は立ち直るための資料を取り上げるべきである。何一つ成果を得ずして解散消滅するわけにはゆかないと思う。せめて仏法だけでも、その所住だけでも明らかにすれば、自然と五百塵点と当初との区別も出来るであろう。この区別が出来ることが仏法の初門ということであろう。  

 久遠元初
 実成は釈尊に限り、元初は仏法についていうことは、五百塵点と当初との関係のごとくであるが、今は専ら久遠実成の延長線上に考えられている。そのために迹仏世界との区別が付かない。それが混乱の根元になっているのである。最近は特にそれを強化した。時法研も時と仏法との関係でも研究すればよかったが、目前のみに眼を奪われたために結果は逆に出たのである。これでは時報險である。時の報ずることは險しとでも読むか。
 元初には自受用報身があり、仏法では本仏と立てる、即ち仏法の教主である。本仏や本因の本尊の住処を主宰する教主である。本来の大石寺法門はここに立てられているが、今の日蓮正宗では久遠実成の延長線上に元初を立てているので迹門から脱することが出来ない。即ち根本は迹門になっているのである。時の確認が出来ないために仏法の世界に至ることが出来ない。しかも其処にあって仏法を唱えている。そのために他宗が承知しないのである。そこで陰へ向いて、不相伝の輩・不信の輩を唱えるのであって、これは単なる自己満足であり、決して筋が通っているようなものではない。今度も勝手が悪くなると不信の輩を繰り返して来たが、戦はその度毎に常に不利な方へ展開していったのである。迹門に居ることに気が付かなかったためである。それでも尚広宣流布に示しているように、迹門に執着しているのである。
 何故仏法に帰ろうとしないのであろうか。そこには、久遠元初が仏法に決められなかったのが根本原因になって、時の混乱が始まっているためであり、即ち迹門を本門と感違いして、迹門にありながら本仏や本因の本尊を唱えているのである。これでは無時といわざるを得ない。つまり仏法が確認されていない。これがそのまま法門の混乱に続いているのである。
 学はいらない、当宗は信のみでよい、信心の宗旨であるという中で信心のみが大きく取り上げられ、学が異様にさげすまれた結果が、宗旨が建立されている仏法が分らなくなったのである。今その報いが廻って来たのである。そして信者のお株を奪うように宗門が信心のみに住するようになったのであるが、宗を支える学がなければ宗門が持ちがたいのは当然である。そして迹門に根を下しながら仏法を唱えるようなことになったのであう。そこには何となく独善的なものが働いているように思われる。
 七百年の伝統は学なしで支え切れるようなものではない。常に捨てるための学が必要なのである。これを捨てることによって仏法世界に安住も出来ようというものである。信にも行にも既に学は含まれている。その学を再現しながら、それを捨てることによって仏法に安住することは困難になってくるのである。そして久遠実成と久遠元初も区別が付かなくなると大変なことになる。そしてあわてて爾前迹門の学をやれば、それは本来読んで捨てるべきものであるにも拘らず、それに執着した結果は口を閉じざるを得なくなったのである。
 学がいらないなら、最後まで学を取るべきではない。それが急に変節したために、速成の学がわが身を逼めることにもなったのである。そこにはやってよい学とやってはいけない学が逆に出たために、混乱の渦に巻きこまれたのである。そして爾前迹門との時の混乱に巻きこまれたのである。それは、捨てた方が必要で、とった方の学を捨てるべきであったのである。学の勘違いということである。必要のない学をやったために失仏法が更に拍車をかけたのである。
 学問は他宗のものを読めばよいというものではない。当家が分ってから台家を学べというのは、仏法が分ってから台家の理を学べということで、仏法の筋目も分らず実成を学べば反って当家をさげすむようにもなる。そのような中で己心は邪義という一声も上がるのかもしれない。元初には、捨てたために実成の学は表向きは残っていないのである。内心では常に捨てるための学が必要なのである。それが「巧於難問答」という中に秘められているのである。山田や水島のやったことは、とても巧於難問答といえるようなものではなかった。そこに許されざる誤算があったのである。元々学問の在り方が違っているのである。それをも知らず天台学にかじりついたために我が身を迫める羽目になったのである。
 学問は他宗のものを読んで暗記すればよいというものではない。他宗には千年もそれ以上のものを受けつぎながら、一人で五十年六十年やって来た人はいくらでも居る。その中で頭のよさを誇って見ても一年や二年ではお話にもなるまい。要はその中からいかにその成果をよりぬくかということである。その見本が題目である。常々その裏付けになる学問もやらないで、あわてて始めたためにその被害を受けたのである。それを防ぐために時を撰んであるのである。そこには自ら定められた方法も具わっている。僅か一年二年読んで見ても、どうにもなるものではない。勉強方法を考え直す方がよい。学はいらないといいながら、切羽つまって他宗のものを読んだのでは、あまり御利益につながらなかったようである。反撃をするならまず時を学することから始めなければならない。いくら頭のよさを誇ってみても、時がなければどうにもならない。そして時を正して後に始めてもらいたい。
 宗祖を本仏ときめるのは宗門であっても、魂魄を外し己心をすてては本仏は在り得ない。そこには久遠元初もなければ久遠名字の妙法もない。己心を捨てるから肉身本仏が登場するのである。魂魄佐渡に至るという、その魂魄の処に久遠元初があるので、決して久遠実成の延長線上にあるものではない。それはどこまで延ばしてみても久遠実成に替りはない。ここに執着している間は決して久遠元初もなければ本仏も本尊も現われるものではない。最高の讃辞を呈する前に出現出来る雰囲気作りが肝要である。しかし、己心の法門を邪義と決めている間は決して本仏は出現しないであろう。
 法華の教主が応身か報身かということは古来の諍いであるが、大石寺では報身をとっている。その報身を現わすためには久遠元初は必らず不可欠であるし、己心もなくてはならないものである。それにも拘らず己心が邪義と決まったのである。一体本仏はどこに出現するのであろうか。久遠実成の処、応仏昇進の自受用身として出現するつもりであろうか。これでは大石寺法門は一切成り立たないであろう。二年半の結果からみて自受用報身は認めていないようである。つまり口には自受用報身を唱えながら、実には応仏昇進の自受用報身をとっているのである。これが分ったことは何よりの収穫であった。報身から応身に変ったのである。山田、水島教学はこれを明らかにした処に意義がある。
 釈尊の現世は八十年、これに対して日蓮の現世は六十年の前に久遠元初以来、後に未来永々の年月を加えて肉体常住である。これは自分の頭以外に証明することは出来ない。その長い期間現世であり、過去も未来も抹消されている。これは仏教にはない分け方である。何れの教の分け方であろう。これも人は容易に賛成しないであろう。何れにしても三世常住の肉身本仏論は前古未曾有の新説であり、吾々の常識を根底から覆えすものである。他宗の学者は何というであろうか。仏教でない処に新教を目指しているのであろうか。或は夢は虚空に向って無限に拡がっているのであろうか、不信の輩には到底信じられない処である。
 魂魄の中にどうして実在の人や実年数を数えるのであろうか、或は大宇宙に無限に拡がる虚像なのであろうか。今、本仏はこのような境地を開拓しているのであろうか。しかしよく見れば、これはあくまで幻想の世界のようであるとすれば刹那に収まるのかもしれない。しかしこの中に、どうも久遠元初が見当りそうにもないのは気掛りな処である。開目抄による限り仏法は大地を一歩も離れていないようである。竜の口に頸を切られた後の魂魄は足をもって大地を踏んでいる。久遠元初もまた大地の上にあるようである。仏法を宇宙の裏(うち)に考えるのは自由であるが、宗門としては開目抄の制約を超えることは出来ないと思う。
 法主の言葉は汗のごとし。軽々に引っ込めることは出来ない。是非その語義を明らかにしてもらいたい。都合のよい時は、法主の言葉は絶対であると、常々他人にまで押し付けようとしているのであるから、その甚深の処を明らかにしてもらいたい。しかし今は、昔妙楽大師が、宇宙の大霊は本仏ではないといった大霊を、本仏とするような機運が次第に濃厚になりつつあるのではなかろうか。とすれば三世常住の肉身本仏論があってもよさそうな気がしないでもない。何はともあれ、久遠元初は、久遠実成の遥か彼方の虚空に見られているようなことはないのであろうか。これまた最も気掛りな処である。

 鬼 門
 丑寅から未申に至る線は諸仏成道の処、丑寅を鬼門といい、表門であり、未申にあるのが裏鬼門、略して裏門という。以前は客殿前の広場から出る処にあったが、今は真南に移されている。これに対して戌亥から辰巳に至る感じはない。お華水から離れているため戌亥から辰巳に至る感じはない。お華水から寺中を流れて東南(辰巳)に至れば閻浮提がある。以前は裏門を出ると境外地になっていた。昔の恩信坊は裏門を出た処にあった。今の恩信坊はその旧跡を再興したものである。裏門は霊山に通じる意味を持っているのであろう。
 鬼門は以前は朝日門といわれていたが、これは俗称である。朝日は午前六時であり、丑寅は午前三時、三時間のずれがある。ここは丑寅に重点を置いて考えなければならない。御影堂も或は意味では客殿の東南にあってもよいように思われる。丑寅から未申に至る線と戌亥から辰巳に至る線の交る処にあるのが客殿であり、衆生成道の処、この故に現世の寂光土といわれている。平常は鬼門が通用門のようになっている。  

 客 殿
ここは他宗並みの意味でなく、最も厳粛な宗教行事の行われる、大石寺独自の場である。定められた仏法を事に行ずることによって、約定通りの成道を得、自行によって本仏本尊を得る処である。成道も自行であり、何れも自力によって得られるものである。これが丑寅勤行である。正本堂は他力に替っているように見える。客とは衆生のこと、これに対する主を嫡子分という。これは三祖一体の中では目師の担当する処である。主師の客殿図に示されている。三祖一体の処を師とし、これに対して道師は弟子である。三祖一体は、根本は戒定恵の三学であるが、別に主師親の三徳も考えなければならないと思う。法門は大体この客殿を中心にしているのであろう。御宝蔵はその秘密甚深の処を別立したもの、御宝蔵・客殿・御影堂で三堂を形成しているように思われる。
 戒旦・天王・垂迹の三堂は本来大石寺のものと異っているようである。何となく像法めいた処がある。そして第一に衆生成道が欠けている。また本仏・本尊が自行自力によって現われる処とも見えない。本寺に戒旦を建立する処も像法が濃いようである。末法の戒旦は末寺の担当の方が似つかはしいし、本来も成道に関しては等分に担当しているが、本寺に戒旦が出来ると中央集権的になり、本末の差が極端に付けられ、平等無差別の線から後退することになる。そして、末法に入って戒旦を建立すれば虎を市に放つがごとしの誡にも背くことになる。若し戒旦とすれば、本寺に建立されるなら、像法の戒旦というのが最も収まりの好い処であろう。末法の戒旦は末寺であるが、実は法華堂の方が正しいのかも知れない。これなら名字初心の表示ともいうことも出来る。客殿の中の配置は何れそのまま正本堂に移されているであろうとは思うけれども、本尊が秘密であったものが顕露となれば大きく意味も変るであろう。
 客殿は丑寅勤行を中心に出来たものと思われるが、正本堂では本仏も本尊も顕われた事が前提になっているので意味は大きく替わっているので、その配置図や所作も替えなければならないのではなかろうか。今まで客殿で左尊右卑であったものは、正本堂では右尊左卑となるであろう。全ての面で反対にならなければ筋が通りにくいと思う。この応対は中々厄介なのではなかろうか。丑寅勤行は今も行われているようであるが、一方の正本堂では同じ座配の中で、本尊顕露の意味の勤行が行われているのである。夜(朝)は還滅門により昼は流転門の行事である。同じく仏法の中の行事であっても、どこかに多少に区別があってもよいのではなかろうか。
 客殿は自行自力によって成道や本尊・本仏を顕現する仏法の上の行事であり、正本堂は開扉すれば常住に在る本尊を拝することが出来るようになっている。仏法でいえば広宣流布完了以後の在り方であるが、法門は末法の始めを指してをり、自行自力をって顕現する処に意義を見ているのである。既に顕現している本尊を開扉して顕現というのとでは随分違って来る。仏法と仏教の差ほどのものが出ているのではなかろうか。丑寅勤行には御魂迎えの行事のようなものがあるが、正本堂は常住に坐す本尊に仕える行事のように思われる。本尊も、客殿では本因であり正本堂では本果である。何れを見ても大きな相違がある。宗教色の薄いものと濃いものとの違いもある。これを同じ座配で行じてよいものであろうか。
 丑寅勤行もその意味は忘れられ、ほんとうに知っているのは山法山規だけなのかもしれない。そのような中で事行の法門は続けられているのである。そして間違いなくその意義が伝えられてゆく。それこそ山法山規の姿なのであろう。口には日蓮大聖人の仏法とやかましく称えてはいるが、ほんとにそれが伝えられているのは、山法山規と丑寅勤行なのかもしれない。ここでは己心は邪義ということは一切通用しないであろう。目に映る処はどんどん替えられるけれども、目には見えない山法山規まで替えるわけにはゆかない処が妙である。今は己心の法門さえ邪義という処まで来ているのである。その内仏法も邪義、仏法の時も邪義ということになるのではなかろうか。先取りせられた腹いせに、ついそのような事になるかもしれない。終りには日蓮大聖人の正本堂安置の戒旦の本尊だけでよいということになるかもしれない。それでも山法山規は昔ながらに残ってゆくであろう。
 昔から客殿は左尊右卑、御影堂は右尊左卑といわれるのは、御影堂の外相に対して客殿は水鏡の御影の姿をとっている。御影の右上座に対して水鏡の御影は左上座である。これが己心の本尊である。己心の法門が邪義ときまった今、同時に水鏡の御影も邪義、左尊右卑も邪義ときまっていることであろう。宗祖が称える己心が邪義であれば、宗義は悉く邪義である。そうなれば、己心の最極の処であって見ればこれも邪義の難は免れがたいであろう。  

 逆次の読み
 法華取要抄(聖一六八)に、方便品より人記品に至るまでの八品に二意あり。上より下に向って次第にこれを読めば、第一は菩薩第二は二乗第三は凡夫なり。安楽行より勧持、提婆、宝塔、法師と逆次にこれを読めば、滅後の衆生をもって本となす。在世の衆生は傍なり。滅後をもってこれを論ずれば、正法一千年像法一千年は傍なり。末法をもって正となす。末法の中には日蓮をもって正となすなりと。順次に読めば凡夫は第三であるが逆次に読めば凡夫は第一であり、逆次の読みでは在世の衆生は傍、滅後の衆生は正であり、滅後をもって論ずれば末法は正、末法に中には日蓮をもって正とするということである。滅後末法の立場から、即ち仏法から見る見方であり、己心の法門である。日蓮をもって正となすとは、日蓮が建立した処の己心の法門であろう。宗祖のみが本仏であるというのは少し飛躍があり過ぎるように思われる。
 本尊抄副状の、三人四人同座する勿れというのは、実は一を単位とする法門の相貌を表わした語なのかも知れない。しかし、今は多をもって喜びとするのでこのような語は通じないかもしれない。法門そのものの考えが変わったためである。末寺も多、信者も多、又御利益も多ということである。即ち流転形そのままであり、仏法とは凡そ真反対の方角に向いている。仏教にそのようなものを持っているのであろう。仏教として出たために左が右になった結果であるが、開目抄や本尊抄等の五大部からは、そのような考えは見当らない。それは文の上の或る一面を捉えて拡大したためではなかろうか。その捉え方によって宗派が別れてゆくのである。日蓮門下に分派が多いのも、一面には説かれた処の真実がつかみにくいということが根本になっているように思われる。それ程ねらいの程が捉えにくいのである。
 仏法として見るか仏教とするか、思想と見るか宗教と見るか。今は宗教として見られているが、これは寧ろ日蓮像を小さく頑ななものにする恐れがあるのではないかと思う。法華経を異様に強調されているために、法華の行者としての日蓮のみが強く打ち出されたのかもしれない。清澄で題目を唱え始めてよりといわれても、それが一宗建立が目標であったかどうかは知るよしもない。後の弟子が一宗建立と読んだのが真実なのかもしれない。
 仏法が一旦仏教で解されるなら、それは止めもなく発展するかもしれない。そして末寺も多、信者も多、御利益も多ということになって夢は発展するのである。今はそのようなことをもって宗勢の興盛と考えているのである。しかし、これは近代の考えであって室町期の終る頃までは仏法的な考え方が遥かに強かったようである。今それの反省をする時が来ているように思われる。
 仏法の発展は法門の発展であって御利益とは関係ないものであるから、どうしても貧と同座するようになるが、これが一旦仏教に出ると極端に貧を斥い貪に住するようになる。これが凡俗の弱みである。ここに仏法の真実があるのではなかろうか。しかし、ここまで来て今さら仏法に帰るわけにもゆかない。あとは成り行きに任せる外、よい術もないのかもしれない。
 逆次によって建立された仏法が、今は順次に逆転したのである。その逆次の処を見ると「逆も逆、真反対」ということになるのである。何れの御書によって順次に立帰ったのであろうか。順次をとれば仏法が仏教に帰るのは当然である。久遠元初が久遠実成の処で考えられるのもそのためである。これは順次をとるものの宿命である。既に迹門に居りながら曾つての仏教に話が出るのであるから、他宗が理解を示さないのである。一度逆次の原点に帰らなければ収拾出来ないのではなかろうか。
 本尊抄の副状を見ても一が根本になっていることは分ると思うが、しかしここも読み方で三人四人の同座はいけないが、三百万四百万の同座は宗祖も御満悦だろうと読む人もあるかもしれない。これは人各の読み方による処である。その一の処に戒定恵もあれば久遠名字の妙法も己心の法門もある。今はその一が失われたために仏法の影が薄くなったのである。多をとればそこは仏教の世界である。そこにあって依然として仏法といい、仏法で出来た語はそのまま使われるのであるから、仏法なのか仏教なのか、その判断に迷うのである。そのような中で己心は邪義といわれているのである。しかしこの副状はどう見ても戒定恵や己心、また仏法を表わされているとしか思えない。
 本尊抄一巻を読む時の心得をこの一言に示されたのが、この副状ということであろう。しかし、宗門では、この副状についてはあまり関心は持っていないように思われる。これも己心の法門を離れているためであろうか。今さら仏教へ帰ったことは公言も出来ないと思うが、己心を邪義とした事は大日蓮にも公表ずみである。何をもってこれに替えるのであろうか、一向に替手は示されない。
 己心を捨てることは事の一念三千法門を捨てることでもあり、久遠名字の妙法を捨てることでもある。己心によって表わされているものを、己心のみを捨ててその語はそのまま使っているのであろうか。それでは働の伴わない理に過ぎない。それなら迹門に帰っても使うことは出来る。しかし、仏法として使うためには必らず時が必要であるから、このようなことは出来ないと思う。ここでも忍者方式が生かされているのであろうか。
 久遠名字の妙法と事の一念三千は、その出生はいわないことになっているのであろう。しかし、時が明らかでなければ、本仏や本因の本尊の出現にはつながらない。そこにあったから持って来たということは出来ない。仏法であるか仏教であるか、その時は必らず明さなければならない。己心を捨てることはその時を失うことである。増上慢ということで乗り切ることは必らず後に災いを残すであろう。
 要義も一方では己心を認めておりながら、久遠元初を迹門に立てている。元初から見れば己心の法門は捨てた形になっている。要義は既に己心を抛棄しているのが真実と思わざるを得ない。しかも久遠元初を迹門に立てたものによっているのであるから、久遠名字の妙法や事の一念三千も当然迹門に考えているのであろう。これは日蓮正宗要義の示す処であり、山田説の裏付けになるものでもあれば、本仏も本尊も迹門の処に出生していることは間違いのない処、要義の証明している処である。このように見れば、要義と山田・水島説は一致しているが、遺憾ながら開目抄や本尊抄の裏付けを取り付けることが出来ないことである。これは言わない建前になっているのであろうか。これまた不信の輩には分らない処である。法主絶対論の後日譚ということであろう。正信会も教学的には宗門と変りはないようであるが、このような問題については阿部教学と全同なのであろうか。
 広宣流布も迹門形をとるためには、久遠元初も迹門に立てる必要があるのは当然のことである。そして己心の法門もまた邪義ときめているのであろう。しかしこの教学は正宗要義の教学であり、何故か時の法主日達上人はこれに允可をされていない。多い中にはその理由を知っている人もあるかも知れない。校正の時には臨席されて居りながら、いよいよ出版してみれば允可がなかったのである。何故允可されなかったのであろうか。或は久遠元初について不審があったのかもしれないと自分では今考えておる。五百塵点の延長線上に久遠元初を考えることについて疑問を抱かれたのかもしれないと。今の処外には見廻してみてもそれらしい大きな問題は見当らない。久遠元初を迹門に見ることについて允可を見合せられたと考えても無理はないように思う。正信会は阿部教学について疑問は起きないのであろう。そのために広宣流布も自然と迹門に落付いたものと思われる。
 今は逆次の読みもあまり信用されていない。そして自分が順次の処にあって正と立てれば、他は皆邪となるのである。今は己心の法門を捨てることが正であり、これを持つことが邪といわれる御時勢であって、逆次の読みも信用を失っているのではないかと思われる。しかし逆次の読みがなければ衆生の成道もないし、本仏日蓮大聖人が出現することもないが、今は逆次己心とは別な世界で本仏や本尊が出現することになったのであろうか。成道は早々と死後に移されているように見える。
 僅か一語のことで法門は根本的に変って来るものである。正信会も、せめて本仏や本尊がすっきりと出れるような法門の訂正を宗門に申しでてみてはどうであろう。法門が全同では大義名分が明らかであるとはいえない。正信会という語も仏法の処に立てられてこそ意義があるが、若し上のような迹門に立てられた久遠元初にあれば、正信会とはいいにくいのではなかろうか。宗門のように、自分達は全て正信、他は悉く邪信ではちと大人気ないように思う。
 逆次の読みの処に正信会も建立してもらいたいものである。逆次に読まなければ戒定恵を見出すことも出来ないであろうし、仏法もまたあり得ない。また久遠名字の妙法を確認することも出来ない。そこに立てられた信こそ正信であると思う。本仏も本尊も既に顕現ずみということで、共々に関心は持たないのであろうか。それでは根本的に仏法とは立て方が違ってくる。即ち宗体の転化である。これは頂けないと思う。
 最初引用の文は、滅後末法を取り出すために逆次の読みが取り上げられ、内に在世末法の衆生を秘めながら、滅後末法の衆生の救済が大きく取り上げられている。この滅後末法の衆生とは、今の民衆であり、仏法の世界における衆生である。釈尊の因行果徳の二法を受持することによって滅後末法の衆生を救済する、そこに大きな目標があるように見える。信不信に拘りのない救済である。日蓮宗が現世的といわれるのは一宗の衆生の救済でない処に、その意義があるように思う。しかし今は全て信不信を根本にしている。そのために日蓮正宗の信者以外は一切救済の対照にしていないのである。これでは祖意とは真反対に出ているのである。  

 久遠名字の妙法と事の一念三千
 山田論文では、この二つについては何の説明もなく、いきなり持ち出されるなり本仏が現じ、人法一箇して本尊が顕わされるのである。本仏や本尊が顕現する前に、久遠名字の妙法や事の一念三千がどのようにして出生するのか、どこに出生するのか、その解説が必要である。そうでなければ全く雲を掴む様である。いかにも空中から降って湧いたようである。これでは疑問を押しかくして信用する以外に方法はない。そのような事は不信の輩に通用するわけではない。
 もともとこの論文は不信の輩を対照にしたものであるから、是非前段の解説が必要である。その出処が己心の法門であるから説明しなかったのか。しかし、己心が邪義ときまれば、久遠名字の妙法や事の一念三千が存在する筈もない。いきなり取り出されたのでは、仏法か仏教か、それさえ判断出来ない。今は己心とは関係なく、最高の扱を受けているが、これでは滅後末法の衆生との関係が断絶した後に、本仏や本尊が顕現されることになる。しかも己心の法門が生きていた時と同じ働きをすることになる。ない筈のものが、ある時と同じ働きをする不思議さである。これでは己心は簡単に消せる筈であるが、これは最早法門の世界ではない。己心も久遠名字の妙法も事の一念三千も、そのように扱ってよいものであろうか。消した者と使っているものとは別人ということであろうか。これでは行きあたりばったりで、いうことがとんと信用出来ない。他宗の者もこれでは信用しないであろう。己心の法門が消えた後の本仏や本尊は、その出生の始からして衆生とは無縁になっているのである。そのような中で戒旦の本尊に新解釈が付せられたのであろうか、本尊は今正本堂に収まっているのである。
 若し戒定恵や己心、仏法と無関係のものであれば、山田説はそのまま通用するであろう。しかしここは厳重な理が必要である。今このような中で本仏や本尊の性格が替えられているのであろうか。今度の後退も、実にはこの辺りに理由があったのかもしれない。ここは少々気勢を上げた位では乗り越えられなかったのかも知れない。つまり今の法門の矛盾の出処としては最も大きな部分である。邪義・珍説・狂学などというのも、実はここの防衛にあったのかもしれない。一方では川澄の書いたものを読めば地獄に堕ちると宣伝している向きもあるように聞いている。それらの根源がここにあるのかもしれないが、信心のみをもって乗り越えることは出来ないであろう。

 法前仏後
 法が前か仏が前かという時、大石寺は法前仏後をとっているが現在は仏前法後によっている。釈尊の時は仏前法後である。宗教としては最も自然な形である。一宗建立したために自然に仏前法後の形をとるようになったのであろう。その代償として宗義も法前仏後から仏前法後の形をとるようになったのである。大聖人の仏法というとき、どうしても仏前法後の感じが強い。大聖人が、法が強いか人が強いかということも関係があるが、一宗建立しているために人が強いのは止むを得ないことである。今は本仏という語が大きく出たためである。それを警戒して俗世に法を立てている。そこにいるのが愚悪の凡夫であり、師弟をもって構成されている。しかし、いつの間にか、師のみが本仏としてその座を外したのである。つまり本仏が愚悪の凡夫の座から抜け出した感じである。そして残った弟子の本仏は依然として法前仏後の形をとっている。
 本仏は本(もと)成道以前の釈尊をいい、これに対して成道以後を迹仏とたてているように思われる。この時成道以前は愚悪の凡夫である。それを俗世に法を立てた時、そこに移している。その時師弟共に本仏である。今の本仏は迹仏世界において、久遠実成の遥か彼方に本仏を見ているようで、今の本仏論はそこに立てられているが、本来は世俗の処に仏教を摂入した時、そこに戒定恵を見、仏法を建立し、そこに久遠元初が立てられるのである。本仏は師弟共にそこを住処としている。そのために常に法前仏後である。この語は古今仏道論衡にあったように記憶している。
 
民衆仏教を立てるためには法前仏後に限るが今は何故か仏前法後をとっているようである。そのためか今は民衆仏教の語を斥っている。これを別に仏法といわれている。しかし、民衆仏教の語を斥うことは、貴族仏教を意識しているためであろうか。民衆から仏になるのは釈尊も同じであるが、大石寺でいう仏法は民衆の座から一歩も動かない立前であり、そこに師弟がいるのである。仏法の語は今も残ってはいるが、今は極く狭い範囲に限られて使われているが、恐らく元の意味は消えていることであろうと思う。
 大聖人の仏法という語はよく耳にする処である。一宗建立以前は師弟共に本仏であるが、以後には師一人のみが本仏となる。そこが仏前法後の替り目である。一宗建立がなければ俗世の中に仏法を建立し、師弟共にそこに住しているのである。これを元にまま持つためには、日蓮を思想家として捉えるのが最もよい方法ではないかと思う。一宗建立以後でも、この線が強ければ、元もままの姿を持てるかもしれないが、今は宗祖は生まれながらにして本仏であるが、仏法の時の本仏ではなく、釈尊以上の力をもった本仏ということになっている。最低に居る筈のものが最高位に上ったのである。これでは宗祖の意志とは真反対である。そして三世常住の肉身本仏論までできて来るのであるが、これでは褒めているのかけなしているのか一向に分らない。そこまで来ているのである。どうやらゆきつく処まで行った感じである。
 今は師弟差別を建前としているが、本来は師弟無差別である。そこに仏法の面目があるが、今は世俗の師弟をとって各別であり、差別をとっている。そして仏法は僅かに語の上に痕跡を残しているのみである。若し間違いなく残っているとすれば、山法山規と事行の法門の内容位のものであろう。仏法はそれ程貴重な文化遺産である。もしこれが思想として究明されるなら、それは単に一宗の悦びのみには止まらないであろう。そこには仏法が目指す処の広宣流布は必らずあると思う。  

 謗 法
 法華経を信じないものにいう語、諌暁八幡抄では、法華経とは戒定恵の三学の上に建立されたものに限られている。即ち「扶桑記(新定二二〇〇)に云く、又伝教大師八幡大菩薩のおんために神宮寺において自ら法華経を講ず。乃ち聞き竟って大神託宣すらく、我れ法音を聞かずして久しく歳年を歴る。幸に和尚に値遇して正教を聞くことを得たり。兼ねて我がために種々の功徳を修す。至誠随喜す。何んぞ徳を謝するに足らん。兼ねて我に所持の法衣ありと。即ち託宣の主、自ら宝殿を開いて手づから紫の袈裟一つ紫の衣一つを捧げ、和尚に奉上す。大悲力の故に幸に納受を垂れたまえと。この時に禰宜・祝等各歎異して云く、元来かくのごときの奇事を見ず聞かざる哉。この大神、施したまう所の法衣は、今山王院に在りと云云」又(二二〇一)、「又此の大菩薩は、伝教大師已前には加水の法華経を服してをわしましけれども」と。又(二二〇一)、「又八幡大菩薩の御宝殿の傍には、神宮寺と号して法華経等の一切経を講ずる堂、大師より已前にこれあり。その時定んで仏法を聴聞し給いぬらん。何ぞ今始めて、我れ法音を聞かずして久しく歳年を歴る等と託宣したまうべきや。幾くの人々か法華経一切経を講じたまいけるに、何ぞこの御袈裟・衣をば進らせ給わざりけるやらん。当に知るべし、伝教大師已前は法華経の文字のみ読みけれども、その義はいまだ顕われざりけるか」と。
 右の引用文を見ると、伝教大師の法華経が、いかにも他に殊なっていることが分る。それが戒定恵の三学を含めた経である。八幡大菩薩が感動されたのもそのためである。つまり滅後末法の衆生を主とした法華経に感動されたのであって、迹門の法華経ではなかった。日本国を主とした法華経に感動されたのである。八幡大菩薩と応神天皇があるじとして、日本を領有しているという意味を含んでいる。ここで日本が主役に躍り出るのである。
 八幡大菩薩は大神であり、また応神天皇でもある。そこに三即一も示されている。本地の釈尊と垂迹に八幡大菩薩と本迹の位置が交替している。そしてそのまま神となり天皇と同じということになっている。その本迹交替の意義は大きいと思う。日本的なものの出生である。そこに日蓮の思想的な役割を見なければならない。仏教から仏法への交替である。伝教もこれは意識された上で、学生式問答を書かれていたのであろう。所謂和魂漢才である。既に伝教の時にはその様な、日本的な思想の芽生えがあった。それを日蓮が継承したのである。それが大きく浮び上がってくるのが鎌倉の中頃である。既成宗教は未だに困惑し切っている時代であった。
 「法華経の行者」をそのまま文上に読むべきか、或は文の底を読むべきか。ここには大きな別れ道がある。今は宗門も只文字通り忠実に読んでいるのであるが、ここには多分に再考の余地が残されているようである。戒定恵があり仏法とあっては、大いに考え直さなければならないのではなかろうか。「真言は国を亡ぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は国賊」とあげてあるが、何れの宗も法華経は唱えているであろう。それにも拘らずこのように云われることは、唱える法華経に戒定恵を含まれていないことを指摘されているのではなかろうか。これを謗法といわれているように思われる。
 謗法の基準は戒定恵を含んでいるかどうかに掛っているようである。法華経を唱えないものは勿論謗法に含まれているであろうが、むしろ唱え乍ら含んでいない処を指しているように思われる。今の宗門に唱える題目には戒定恵は見当たらないとすれば、そのままでは謗法に当るかもしれない。これは宗祖の所判に従う処である。己心を邪義というからには、そこに戒定恵を含めているとはいえないのであろう。これでは他宗他門と何等変る処はない。
 水島御尊師の題目に戒定恵を含んでいなければ、宗祖の所判によれば謗法の題目を上げていることになる。これでは、真言・念仏・禅・律とも、唱える処の題目ではそれ程変りはないと思う。それとも初めから戒定恵や己心を含んでいるというのであろうか。これは御利益ばかりでは解決出来ないであろう。況んや僧俗共に御利益のみでは、いかがなものであろうか。
 謗法も後には他宗謗法の輩というようなことになって、法華経を唱えないことが謗法になり、更に日蓮門下は全て謗法となり、日蓮正宗の僧侶に背くものはすべて謗法になる。そして自分に従わないものも謗法ということになる。そのときには肝心の戒定恵や己心は反って邪義になっているのである。これではいくら声を大にしても説得力にはつながらないであろうと思われる。一口に謗法とはいい乍ら色んなものが雑居しているのである。謗法とはこのように複雑なものである。
 謗法とは、最初には戒定恵を含めていない法華経を唱えることが謗法と決められているようであるが、まずこれを銘記しなければならない。水島御尊師よ、己心は邪義といい乍ら唱える題目はこれこそ大謗法ではなかろうか。どうも不信の輩には分らないことばかりである。不信とは日蓮正宗の戒旦の本尊に手を合わさない、題目を唱えないものにいう語であって見れば尚更である。題目は他門下も唱えている。正宗は戒定恵も己心もない題目を唱えている。それで尚且つ謗法でないなら、まずその理由を明かさなければならない。戒旦の本尊に向うことだけが理由であるなら、その本尊に向えばなぜ謗法でないのか、その理由を明さなければならないが、それは出来ないであろう。ただ私的感情のみでは、その理由にはならないと思う。水島論理の収まる処はその辺りではなかろうか。これでは、とても他門下や他宗を謗法ときめつける理由にはならないであろう。
 戒定恵を含んでいない法華経を唱えることを謗法とする陰には、日本を主とする、日本国の末法の民衆を主体とするというような考えが根本になっているということは見逃せないと思う。丁度その頃、この様な考えが起りつつあるようにも思われる。民族主義というか、そのようなものが芽生えつつあるのではなかろうか。或は末法を越えてゆく道中で自然に芽生えて来たものではなかろうか。これが次の南北朝の頃民衆思想として抬頭してくるのであるが、これに先鞭を付けたのが日蓮ということかもしれない。釈尊の教を民衆に移して以後には、仏教からの新しい分派は終ったのが何よりの証拠である。後に日蓮宗として分派はしたけれども、ここは一宗建立よりも思想を植え付けた方が遥かに大きいのではなかろうか。
 中国にも従義の流れには一宗建立はなかったし、日蓮にも一宗建立の意図があったかどうか疑わしい処もある。恐らく従義流には一宗建立にはつながりにくいものをもっているのではなかろうか。四明が叡山の主座を占めた以後は、従義の教学は関東を中心に研鑽は続けられたが、全て内密の研究であった。それが思想として南北朝期の民衆思想を作り上げたのではなかろうか。日蓮も註法華経や御書等にも、四明流と思われるものや証真については一回の引用もない処を見ると、どうしても従義流に近いものと思われる。それが伝教の一乗成仏と戒定恵の三学につながってゆくように思われる。つまり伝教や日蓮の考え方は、本来は宗教には不向きな考えなのかもしれない。そのために後には間もなく宗教として立ちゆくように改められたのである。伝教の本来の考えが研究されにくいように、日蓮本来のものも、宗教の立場からでは立ち入りにくいものを持っている。そこに思想として見なければならないものがあるのではないかと思う。
 法華経の行者日蓮は迹門にいるものではない。それは思想家として仏教の外に居ることに注意しなければならない。その仏教の外とは仏法である。世俗の処に仏教を摂入していることに留意すべきである。そこには法華経によって始まった思想は充分に育つような地盤は備わっているのである。仏教家としての日蓮には研究すれば必らず限界がある。それを越えることは宗教の立場からは出来ないものがある。そのために宗学が押えられている面もある。宗教がこれを押えるためである。本来目指す処が違っているということかもしれない。日本では伝教、或は恵心、中国では従義等の処にも本来宗教としては成り立ちにくいものが内在していたのではないかと思う。
 従義をとるべきか四明によるべきかについても、末法に入って以後長い諍いであったが、結局四明流が叡山の主流に着いて落ち付き、従義流は地下にもぐったのである。そして民衆が地下から頭をもたげて来るのは次の時代であった。それは今に続いているが、大石寺では絶えて既に四百年の年月を経ているのである。今になってこれを復活することは思いもよらぬことであろう。そこで出て来るのが悪口雑言である。これが出るためには、そこに永い年月の裏付けがあるのである。そして出るべくして出たのである。そこに永い年輪が必要であったのであろう。
 滅後七百年、山田、水島が出て悪口雑言を蒔き散らかすことは、宗祖には既に承知の上であったのであろう。それが聖人の聖人たる所以である。今いう処の謗法は随分横道に外れているようである。これは教義そのものが根本的に変ったためであろう。日蓮が目指すものをまともに受けたのは民衆のようである。そして黙々とこれを伝えているのである。このように見ると、宗教として受けとめることに無理があったのかもしれない。
 道師が根本として示されたものは、今は跡形もなくなって、己心は邪義という処まで来たのである。戒定恵が消えれば仏法を名乗る意義もなくなり、己心も法門としての威力を失うのは当然である。そのような中で今異様に天台学に意慾を燃やして来たのが二ケ年半であったが、これはどうやら頭打ちのようである。次はどこに意慾を燃やすのであろうか、明日の事は分らない。
 民衆が世直し思想として受けとめたのは、戒定恵を根本とした己心の法門であった。それは民衆が続くかぎり、この思想もまた続くであろう。そこには無限の長寿もある。寿量文底とは案外このようなものなのかもしれない。寿量文底の主は民衆であることは開目抄にも示されているようにも見える。そこは師弟共に愚悪の凡夫というのが原則であり、一人の統率者もあってはいけない処のようであるが、宗教ともなれば必らず一人の中心にすわる者を要求するようになる。それが大石寺では本仏である。その意味では本仏は師弟一箇の処に刹那に出現するのが原則であるが、本仏が常住となると、己心も刹那も邪魔になってくるのであろう。宗義が変ったために己心の法門の必要がなくなった。既に己心の必要がない処で宗義の根本は出来上がっているのであろう。そのような中で、今は己心の法門は最も目障りな存在になっているのであろう。
 武士道精神などといわれているものも、外典の忠を根本としてそこに仏教を摂入すれば出来るように思われる。そこには戒定恵や己心の法門は不可欠のようである。死を見ること帰するがごとしというのも、現世に死を見るのであろう。生死が別世界にあっては考えられない処である。中国の外典に仏教を摂入することによって、新らしく日本的なものが生じるのである。その原則は既に開目抄に示されたものと全く同じである。この極意の処をもって新らしい思想を作り上げるのは民衆の智恵である。開目抄等の真実は反って世間の中では生かされているようである。
 武士道精神には、誰も宗教を名乗るものも出て来ないようである。開目抄などは、もともと一宗の元祖として発想されたものでないというのが真実のようである。仏法には祖はいらないが、仏教となれば必らず元祖も派祖も必要になってくるのは、武士道に元祖を名乗る者がないのは思想である故である。これが武道・弓道となれば必らず元祖がある。茶にしても花にしても同じである。西洋でも元祖カント二代カントなどとはいわないようである。日蓮は一宗の元祖でないというのは宗教として受けとめるべきでないという意味をもっているのであろうが、事実は反対に出たのである。仏法は思想であるから元祖の必要がないということであろう。
 大石寺でも一閻浮提総与とか本因の本尊から見た日蓮、開目抄や本尊抄も、仏法の立場から見れば実に大らかであるが、日蓮正宗となると、日蓮像は急にこせこせと頑になってくる。それは仏法で受けとめるべきものを、誤って仏教と受けとめたためであろう。自分を正、他を邪ときめてかかる処など最極の処である。開目抄なども、思想として捉えるなら、もっと大らかな処で流布するであろうし、現に思想の面からいえば充分に流布しているようにも見える。それは見方の相違である。水島先生程の学者が何故氣付かないのであろうか。誠に不思議千万な事である。
 仏法に帰れば謗法の考えも随分変ってくるであろう。南北朝から室町にかけては仏教の上の謗法の盛んな時であるが、今は大石寺のみに謗法が盛んであることは、大いに考えなければならない処である。或は仏教以上のものが陰で動いているためなのかもしれない。その正体は一体何物であろうか。
 日蓮が宗も親鸞が宗も、己心に本仏を立ていることは同じであるが、親鸞には戒定恵が未だ表にあらわされていないようである。そして日蓮は戒定恵から事が始まって己心の本仏を立てているように見える。日蓮のは仏法であるが、親鸞には仏法とはいえないものがある。そして弥陀も強い。やはり仏前法後の感じをもっている。己心に弥陀を唱えても本仏には至らなかったのかも知れない。まだ仏教世界が強かったのであろう。思想としては今一歩という処が残されていたのではなかろうか。
 しかし蓮如によった本仏エネルギーの爆発は、今もその時の信者は宗門についているが、大石寺にはついにこのような爆発は起きなかった。三鳥派の時も異流義の時もまた創価学会の時も、何れも宗門との間に起きたものではなかった。そのために信者はそれぞれ三鳥派・異流義・創価学会の処に収まったのである。あれ程本仏を唱えながら、信者との間になぜ爆発が起きなかったのか不思議な事である。三鳥派の時は三鳥派に、異流義の時はそれぞれに信者は収まり、蓮如に時のように、そのまま本寺につながらなかったのが特徴である。
 大石寺では、仏法を唱えるために爆発によって集まった民衆は、本寺には付けなかったのか、或は本寺には爆発する必要がなかったのか、そこに仏法を立てる大石寺と、蓮如との違い目があるのかもしれない。三鳥派も異流義も学会も、何れも仏法に至る直前で爆発を起していることは、本来仏法を立てていない真宗で、本寺と信者の間で爆発したのと、一脉相通じるものがある。あの場合、親鸞の処で明らさまに仏法が建立されてをれば、あのような爆発は起きていなかったかもしれない。そうなれば大石寺の場合は本仏がこれを拒んだということにもなる。
 爆発は仏法の直前で起きるのかもしれない。この前後(蓮如の場合)には日蓮門下との間には謗法思想が高揚した時期であった。法華が独善的な謗法思想を高揚される時である。即ち最終的に独一から独善に移った時期なのであろう。大石寺のいう謗法は独一であり、戒定恵を含んでいない法華経を唱えることを指しているようであるが、今は独善の処に謗法を立てているように見える。それだけ宗教化が進んで来たということであろう。  

 本尊七ケ相承
 一、十界互具の事義如何。
この相承は、根本を仏法におき乍ら、僅かに仏教を加味しようという中で出来たもののようで、殆ど仏法に近いように思われる。十界互具が理から事に移る時の事の意義を示されたもので、これが行ぜられる時に、事行の法門といわれる。一は仏界で久遠実成を示し、二は菩薩界、即ち「二には上行等の四大菩薩界なり。経に云く、一名上行等云云。地涌千界乃至真浄大法等云云」。これは不信の輩にはよく分らない。宗門には解釈は既にきまっていると思うが、山田水島教学にも示しがないので今私見をのべてみたい。この辺りは本尊抄にあるもので、経から仏法に出る直前のもののようである。

 上行等の四大菩薩とは真浄大法の上に考えられているもの、地涌の菩薩が大地の上に出現した処に法門の場を居えて考えられているようで、決して虚空の中の話ではない。そして然我実成仏も大法が大地の上と決まれば、自然と大地の上に収まる。その収まった処に久遠元初が現われる仕組みになっているようである。そこに受持があって間断することを拒いでいるように見える。つまり大地の上が受持の場である。ここが久遠実成と外典との接触の場であり、開目抄でも十界互具の上に、そのまま具現する立場がとられているようである。当然本尊抄もこの意味をとらえているであろう。
 「経に云く、地涌千界乃至真浄大法等云云。此れ即ち菩薩所具の十界なり」とは本尊抄の文である。この真浄大法とは久遠名字の妙法と同じものであり、これが上行所伝の法即ち妙法五字ということではなかろうか。宗門の定める妙法はどこに見るのであろうか。今更そのようなものを示す必要はない。始めから決まっているではないか、この不信の輩めという御託宣が天から降って来そうである。しかし、二ケ年半の間、そこの処については一向に御指示がなかった。空中の授受か、大地の上の授受か、是非お示しに預りたい。
 本尊抄では方便品の文を引いて九界所具の仏界を明し、次に寿量品の文によって仏界所具の九界を明されている。この方便品の文によって真浄大法が久遠名字の妙法と顕われるのではなかろうか。法師品に云く、難信難解と。上の真浄大法の処に、本因の久遠名字の妙法が立てられ、そこに一切の法がある。しかし今は己心の法門は邪義ときまっているので、どのようにして久遠名字の妙法や十界互具を捉えるのであろうか。これは事の一念三千を捉える前に必要なことではなかろうか。
 己心の法門を邪義ときめて上行菩薩をどのようにして現世に迎えるのであろうか。恐らくは不可能なことではなかろうか。しかも信心教学では理屈ぬきで上行は日蓮と再誕するのである。その前に仏法のことを考えるべきではなかろうか。信心教学とは、中間を省略して結論へ直結する特権を持っているようである。それだけに不信の輩には理解出来ない処が多いのである。「二門悉く昔と反する故に難信難解」の処へ、信心を根本とすれば、昔の難信難解は即時に解決することはいうまでもない。その信の処が、他から見れば容易ならざる飛躍なのである。これが正宗教学の不可解な処である。時の流れはこれ以上不可解のまま放置することは出来ない処まで来ているのである。
 本尊七ケ相承は応仏の上の沙汰ということであるから、ここでは報仏の上に現われなければならない。ここで左右が異なり、滅後末法の衆生が主役になる。若しその時己心の法門がなければ、滅後末法の仏法の時は働きを起すことは出来ないであろう。もとより上行日蓮の出番が来る筈もない。しかもまず第一番に上行日蓮が出るのであるから全く理屈抜きである。これが第一の飛躍である。
 二門悉く昔と相反すとは本迹二門は昔のままではない。相反するとは昔の右は今の左、昔の左は今の右という意味である。これは釈迦・多宝に対して上行等の四菩薩が向き合っている姿であり、昔は釈迦・多宝であり、今は上行等の四菩薩が主役になっていることをいう。右尊左卑、左尊右卑はこの処を解説されているのである。このような処に飛躍があってはいよいよ難解になる。
 宗門では、昔の久遠実成の彼方に今の久遠元初を置くのであるから、昔も今も相同じである。これでは正宗要義の説く処は、二門悉く昔と相反する文に相反するのではなかろうか。迹仏世界も本仏世界も全同ということになる。これでは時の必要もない。増上慢や怨嫉というだけでは解決出来ないように思われる。二門等の文は別な解釈があるのであろうか。相反すとあるのを相同じと読むのは文底読みなのであろうか。どうも理解することが出来ない。
 鎌倉に生れた日蓮が迹門に帰り、久遠実成の釈尊を只肉身のみをもって乗り越えようということは、実に常識を逸した無謀極まる発想である。思想として出来た仏法を、仏教として、宗教として見たための誤算である。他門下は出発点から仏教としているので、その点では混乱はないが、大石寺の場合は、三百年間仏法を持ち続けて来た後の転換であったために、それについて十分の手当てが出来なかった。そのまま明治を経て現代に至っても、依然として仏法の痕跡だけは残っている。それが今災いしているのである。仏法によるか仏教によるか、今その整理を逼られているのである。
 現状では仏法を口にすることは、益々混乱を深めるばかりであることを自覚しなければならない。同じく仏教の語は使ってあっても、例えば成道でも、仏教のものをそのまま持ちこめば、どうしても死後の塔婆供養まで帰ってゆくし、本仏といえば釈尊を越えて考えるようになる。そこは頭を切り替えて、仏法の場合、成道がどのように現われるかをまず考えてみなければならない。生きて成道といえば菩薩をそのまま当てはめなければならない。本仏といえば釈尊を乗り越えなければならない。つまり仏教が世間に摂入された時、仏教固有の姿は消えていることに注意しなければならない。
 そして世俗を根本として、仏教を内に秘めて仏法は成りたっている。そのために御宝蔵という形も必要であり、本尊も本因に限られるのであるが、今は正本堂には本果の本尊があり、元のような秘密もなくなり、仏教と同じ姿を取るようになったのである。これがはっきり表に出たのが宗制宗規である。これを事に表わしたのが正本堂である。つまりこれによって、仏教としての形が整備されたのであって、仏教を内に秘めたものが顕露となったのである。そのために、刹那も己心も必要がなくなり、本仏も本尊も常住に在るのが基本になったのである。次第に仏教の形を整えて来たのである。そこで供養一つ見ても、報恩抄や二天門の北の盆供養にはない塔婆供養が大きく浮び上って殆ど仏教化し、仏教と仏法の供養が同時に行われているのである。何れか一つにした方が反ってすっきりするのではなかろうか。
 宗教として生き抜くためには仏教一本に絞った方が筋が通るようであるが、二本立ては反って弱さが表に出るのではなかろうか。この二重構造は頭が二つであるだけに危険であるが、山田指摘の二重構造はもと一頭であり、方法論として二重であることに注意してもらいたい。二頭は必らず避けなければならない。今その問題に直面しているように思われる。
 当方は信不信には関わりなく仏法を見ようとしているし、宗門は今異様に宗教に仏教に意慾を燃やしている処は、どうもアベコベのように思えてならない。思想の中に僅かに宗教を加味してきたのが上代の在り方であったように思われる。何れにしても一本に絞った方がすっきりするであろう。信心のみが強調されるのも、頭の中でその整理がつかない表われではなかろうか。しかし思想としてみるなら、そこには寿量文底の長寿は間違いなく伝えられている。鎌倉の時も今の時も己心の上では同時である。
 天台の理の法門は仏教の中のこと、日蓮の事の法門は世間に出た上での事、そこに理事の区分があるように思われる。只理の上で理事を分けただけでは理解出来にくいのではなかろうか。時局法義研鑽委員会が天台教義に力を得て反撃を始めたのも、其の間の苦悩の姿を如実に表わしているが、結局理事を時を外して読んだ処に誤算があったように思われる。仏教の理をそのまま仏法の処に持ちこんだ処に破綻が待っていたのである。どうやら三年先が見通せなかったということのようである。三年先の未萌が分らなければ、山田水島も聖人としては失格である。
 信の一字は仏法の上では理解出来るが、不信の輩には仏教ではどうしても理解できない。しかし立場をかえてみれば、仏法不信の輩ということも在ってもよいように思われる。仏法か仏教か、誠に世間は騒々しいことである。ここは山田水島の英知をもって越えてもらわなければならない。しかし後退は無言で、越えかねたことを自ら証明したのである。しばらく問題は内秘の処で燻り続けることであろう。仏教の中にあって、己心の法門を除いて日蓮が五百塵点や久遠実成の釈尊を乗り越える方法を見出さなければならない。その上で仏教に切り替えるのが最も無難な方法である。どうやら順序を誤ったようである。
 理屈抜きでいきなり釈尊を乗り越えて、予は本仏であるぞよと宣言するのは、どうも頂けない。若し別世界に出現するなら、このような下尅上方式をとる必要もない。そこに受持をもって釈尊の因行・果徳の二法を頂いて世間に出るなら、釈尊を踏みこえる必要はない。仏法はそれを明らかにしているのであるが、現状は時の混乱がもたらしたものである。しかしここ二年半はますます爾前迹門に意慾を燃やして来たが、得た処は只時の混乱のみであった。退いた処で静かに、仏法に帰るべきか、捨てるべきかを沈思熟考してもらいたい。それが今とるべき唯一最良の方法であると思う。
 愚悪の凡夫を自称する日蓮が、いきなり釈尊を乗り越えることは出来ない。それならば仏法に出ればよいものを、迹門に立還ったために難問に出くわしたのである。そこで困じ果てた揚句に考え出されたのが、生れながらの三世常住肉身本仏論なのかもしれない。しかしこれは仏法にも仏教にも通じるものではない。それよりか、仏教に帰ったことの非を認めるべきである。ここまで来れば、「御相承である、御法主上人の御言葉に誤りはない、不相伝の輩が」ということでは逃げきれない処まで来ているのである。
 今の法門は本仏を出現させる力を失って、信心のみがよく本仏を出現せしめるのである。法主も僧も俗も等しく信心のみである。そこに無理がある。信心は法門に先行するものではなく、これが正常に運営された時に始めてその意義もあるものである。信心のみが法門の難問を解決すること地体変形そのものである。信心のみによって解決すれば、その方向を見失うことは当然ある筈である。
 古伝の法門が若し正常に理解されるなら、法義の決定権を信心に委ねる必要はさらさらないと思う。既に水島教学では古伝の仏法の理解は出来ない処まで来ているように見える。信心は教義が充分に理解された以後にあるべきものである。信心と悪口雑言のみでは宗教は成り立たないであろう。この本尊七ケ相伝には信心のみでは解決されない仏法的な要素を多分に持っているものと思われる。そこには案外本尊抄の真実も伝えられているようにも見える。それだけに現在では理解しにくい面が多いのではなかろうか。


 明星直見の本尊
 これは本尊七ケ相伝の第七、四項目にあるもの、明星池に映った本尊とは水鏡の御影である。水島では肉身の日蓮がニュッと顏を見せる処である。法主の三世常住に肉身本仏論は、委員会を代表する水島によって、このように証明したのであろう。これこそ苦肉の策というべきか。法主の言葉に誤りのないことを証明したつもりであろうとは、ちとお粗末である。これで三世常住の肉身本仏論は委員会を代表する水島によって証明され裏付けされた。これによって、この三世常住の肉身本仏論も法門として公式に登場したのである。
 水島説も、よく見れば三世常住の肉身本仏論であることに変りはない。師弟一箇してこの法門を証明した処にその意義がある。しかし、この本仏に何故にこのように執着するのであろうか、解しがたい処である。本尊は遂に肉身本仏日蓮をもって解釈されるようになったのであるが、これをもって七百年の伝統を誇れるつもりであろうか。どうも吾々には解らないことばかりである。
 所謂中古天台では、池に映るのは明星であるが、大石寺では本尊であり、今の大石寺では肉身の日蓮本仏が池中から顔を出すように三様になっている。天台の明星杉は丑寅にあるが、大石寺では戌亥にある逆さ杉である。これは大地の底から現われる明星を受けとめるためであろうが、そこに御華水がある。そこから東南に流れて明星池に至り、その東南に客殿があり、西北には本尊書写室がある。
 水島説では肉身の本仏が浮ぶが、法門では客殿の奥深くまします本尊が映り、これに日興が墨を流すと本尊と現われることになって居り、ここに本尊書写の相伝がある。しかし水島の明星口伝は本仏の出現であり、本仏と本尊が同一なのかどうかは不明であるが、いつの間にか本尊を本仏にすりかえている処は許しがたい。このようなことは御尊師と仰がれる人のすることではない。いかにもお人柄がしのばれる処である。しかし本尊を本仏にすりかえるのは、人法一箇を抜き去った結果であろうか。そうであれば、これに人法一箇を加えるなら、即時に肉身本尊が出ることにもなる。肉身本尊と肉身を除いてある己心の本尊と何故同一なのであろうか。生身の本仏・本尊はどこかで聞いたような記憶がある。まことには本尊といわなければならない処なのか。
 水島御尊師が信ずるのは、肉身本尊なのであろうか。肉身本尊と肉身本仏とは同一なのであろうか。山田説ではただ人法一箇があるかないかだけで本仏と本尊とが相違しているのみである。何れにしても水島説では、池の底から顔を見せるのは肉身本仏であるが、これは相伝によるのか、或は夢想によるのか、未だ曾つて見聞したことのない珍説であり、これでは本尊書写の口伝は台なしである。水島相承による新説である。これで本尊書写の相承が消されたことは間違いのない処であり、そのために予め明星池は除かれているのであろう。明星池に楠板の本尊が浮ぶ筈がないという処からの新発想であろう。この様な説を出すためには、それこそ文証が必要であるが、文証を示さないのは常套手段である。
 一応池の面に浮ぶ本尊は抹殺されたので、今後は本尊書写勝手次第ということになった。これで本尊書写についての謗法も無罪放免である。宗門からもこれについては一向に取り消されていない処を見ると、正式に法門になったものであろう。今後は、明星池に浮ぶのは、客殿の奥深くまします本尊ではなく、宗祖の肉身本仏と改められた。これは三世常住の肉身本仏ということであろう。しかし、本は己心の一念三千の宝珠であり、水の底から浮ぶことは無限の長寿を表わしていた。その宝珠とは寿量海中の意味を持っていたものであり、師弟一箇の己心の一念三千が本尊に替る処を示されたものである。
 台家の明星は天の明星が直接池に映り、大石寺の明星は池の底から現われる。これが本因の本尊であり、水鏡の御影でもあるが、今は己心は邪義となり、台家に立返ってこのようなものは消されていったのである。そして衆生の成道も消されたのである。これが水島時局法義研鑽委員の業績である。新定第一巻の巻頭に載せられているのが「水鏡」の御影である。正本堂安置の本尊を強く打ち出すための犠牲ということであろうか。己心の法門を邪義と決めたのも同じ理由によったものであろう。水鏡の御影というも本因の本尊というも、これでは一向に御利益にはつながらない故であろう。
 今は公式に宗門の機関として発足した時局法義研鑽委員会によって、次々に法門が新旧交替している時であり、五十七年度の富士学報には教義の天台化を行っているような印象を与えるものがある。宗義教義の激動期ということであろう。このような中で、次第に仏法から仏教へ、文底から文上への作業が続けられているようである。その動きを一貫して示しているのが水島ノートである。それによって委員会で何が論議せられたかも知ることが出来る。しかし、これからの日蓮正宗伝統法義とやら称するものが、どこまで発興するかということになると、これは未知数である。
 しかし、今は過渡期であるから、仏法と仏教、文底と文上とが雑然として未整理のままであるが、これは将来はますます混乱して来るのではないかと思う。これらの動きが、正本堂を中心として動いているのではないかと思われる。そのために、次第に像法化が目についてくる。本尊も明星直見や本因の本尊から戒旦の本尊を切り離そうとしているようにも受けとめられる。そのために宗祖の生身が毎朝顔を見せるのである。本尊から一言をもって本仏へ切り替え、明星直見の本尊は、いとも鮮かに抹殺されたのである。戒旦の本尊さえあれば、本因の本尊はいらないということであろうが、本尊抄から本果の本尊を求めることは、恐らく出来ないのではなかろうか。
 水島は人には文証を要求するが、肝心の法門に関しては決して文証を示さないくせがある。なかなかのくせ者である。しかし、功を急ぐためか、少し手の内が見えすぎるきらいがあるのは玉に瑕である。宗祖が生身を見せたのでは己心はいらないし戒定恵もいらない。それが本尊につながるわけでもない。既に戒旦の本尊は新解釈が出来上っているのである。
 生身を見せた処でヤユしているのであれば大きな心得違いであるが、教学部長が最初ヤユと称したのは既成方針を押し通して正本堂と戒旦の本尊の裏付けをして、日蓮正宗伝統法義を作るつもりであったのであろうか。若しそうであれば、持ち出したものは悉く崩されて、皆無の処で広宣流布へ再出発ということになった。ヤユしたつもりが、反ってヤユされた結果を得たようである。二ヶ年半、一向にヤユした処は見当らない。只残ったのは混乱のみということのようである。あまり結論を急ぎすぎたため、手の内を見せすぎたためであろう。このような事は極秘のところでやるものである。
 三世常住の肉身本仏論や、自受用報身が唱題するのも、明星池の底から宗祖が素顔を見せるのも、すべてヤユの中の出来事であったのであろうか。そう見れば、五十七年度の富士学報は、天台教学を全面的に取り入れようとする姿勢が明了に表われている。しかしこれもヤユには至らなかったようで、反って自分達が窮地に陥っただけが唯一の収穫のように思われる。一言でいえば、正本堂と戒旦の本尊の教学的な裏付けを急ぎ過ぎて、教義が像法を目指していることだけは残ったのである。
 ヤユすることも叶わず、像法的な教学のみが残ったのである。これが唯一の教学部長の業蹟であった。しかしこのような日蓮正宗伝統法義は一向に戒旦の本尊の威力を増すものではなかった。問題は後へ後へ尾を引くことであろう。一として成功したものはなかったようである。何れも大日蓮や富士学報には記録されているものであるから、後世の研究家を楽しませることだけは間違いのない処である。これこそ彌愉である。
 その時の教学部長の挨拶は、誠に歓喜に満ち溢れたものであった。既に心では成功を祝福していたのであろうが、このような祝福は成功を勝ち取った後にするのが常識である。飛んだ狸の皮算用ということである。計画通り成功して、布教叢書をもって再び広宣流布に出発するのであれば、まことにお目出たい話であるが、山田や水島の結果はあまり成功したとは義理にもいえないであろう。一旦決めた教義を、また元に返すことも出来ないであろうが、さて、どう収まりが付くのであろうか。
 水島が教学部長とコンビを組んで、こともあろうに本因の本尊をヤユしたのが運の尽きであった。あれから急に落ち目になったようである。どう見ても、これは相手が悪かった。戒旦の本尊のためとはいえ、これはちと度が過ぎたようである。明星池に現われる本因の本尊までヤユする必要は、毛頭もなかったのである。とも角も、前後不覚ということであったようである。
 最初院達をもって、大上段から「不信の輩」とやったのも、大失敗であった。こちらは、大日蓮を通して常にこれを目にする境界にあることを計算に入れていなかったのである。また山法山規は、これ又弱すぎて反って逆効果のようであった。前後とも成功したとは思えない。次はどのようなものが出るであろうか。しばらく楽しみにして待っていることにする。何はともあれ、水島も本因の本尊をヤユしたのは一代の失策であった。少しあわて過ぎたのか、功を急ぎすぎたようである。九思に一言ということもある。あまりあわてる必要はなかったのである。今になって取り返しのつかないことになったように思う。
 水島がヤユした本尊は愚悪の凡夫が師弟一箇したものである。これを本尊と現わすのは日興であり、題目と示すのは日目である。今は用を離れて体のみが強く出ている。しかもそれらを含めて、宗祖一人のみが本仏として強く出されているのである。本来は目にうつるのは用のみであったものが、今は逆に体のみが強く出ているのである。日蓮紹継不軽跡も、用が強く出ている例である。それが滅後末法では因行と表わされる。しかし今は魂魄である処に肉身があらわれる。それが三世常住の肉身本仏であり、明星池の生身の宗祖である。魂魄の世界に何故肉身が出るのか。これは魂魄佐渡に至るという己心の世界を抹殺したためという外はない。この魂魄を振り切って像法に立ち還ろうとしているのである。そのために明星池の本因の本尊をヤユしたのであった。その罪障の到る処、ついに水島も口を閉じざるを得なくなったのである。
 水島に時が見当らないのも、像法に帰っているために、始めから滅後末法の時には気が付いていなかったのである。時もなく滅後末法も気が付かなかったために、明星池の本因の本尊もヤユすることが出来たのである。知らないということは、水島や山田にとっては最高の強みであった。そのために四明を正統と仰いで、天台教学の援けを借りることも出来たのである。そして筋書き通り進めて行く間に、どこでどうなったのか、遂に敗戦の弁を書かざるを得なくなったのである。余は事行に移して折伏と広宣流布に専念してもらいたい。但し、化儀の折伏、法体の折伏は寛師の説でなかった事だけは忘れないようにしてもらいたい。これは寛師を誣ゆるものである。
 折伏を推進せしめた根本は要法寺日辰教学による処、当然広宣流布もまたそこにあり、今また上代からの己心の広宣流布を振り切って、日辰教学による折伏と広宣流布に踏み出そうとしているのである。それが決まったのは、今回は三年前であった。そして阿部さんが先頭に立って悪口雑言戦を展開したのであったが、それは全て開目抄や本尊抄・取要抄その他の十大部御書に対する真向からの挑戦であった。教学的には天台教学をもってこれを破折したようである。その中で戒定恵や己心の法門を捨て、仏法をも捨てて迹門に帰ろうとしたのであった。
 それが最もよく表われているのが五十七年度の富士学報であった。これは全面的に天台教学によっていることを明かにしているのである。最終的に方針も固められて、阿部さんや教学部長が自ら先頭に立って指揮をとり、山田水島が代表格でこれに続いたのであった。それは只方程式にあてはめるだけの仕事であった。その間に知らず識らず、宗祖の極意の処を捨て去ったのであったが、日辰流の広宣流布がはっきり成果を表わしたわけでもなかった。
 正本堂を裏付けし広宣流布を正当化するためには、どうしても四明流の天台教学が必要であり、それによって、内々像法に帰らざるを得なかった。そのためには、久遠元初も五百塵点の当初も像法へ収め、迹仏世界で釈尊の遥か彼方に日蓮を持ってゆく必要があった。即ち迹仏世界の中に本仏世界を考え、ここで開目抄の仏法世界と大きく遊離したのであった。そして今渾身の力を振り絞って最後の孤塁を守ろうとしたのであったが、遂に開目抄の壁を乗り越えることも出来ず、理に行き詰ったまま、強引に広宣流布に向ったのである。理も持たず、只強引な前進である。何となし一死報国という感じである。
 正宗要義の大事もまた中心は久遠元初を迹門においている処である。外にはそれらしいものも見当らないが、当時宗門を代表する宗学書として編集された日蓮正宗要義に、時の法主の序文がなかった事は異状である。或は迹門に久遠元初を考え、宗祖をそこに持ちこんだ処に不審があって、允可をされなかったのかもしれない。結局発行者は宗務院となった。これは正宗要義の内容にふれる問題である。しかし、今は強引にその線を推進しているようであるが、果して宗祖の允可を得られるかどうか、興味のある処である。
 現状は仏法を振り切っての前進と見える。しかし声は前進と聞えてはいるが、前進しているのか後退しているのか、詳細は知るよしもない。宗祖の旗印を捨てての前進の処に問題が残されているのである。戒定恵や己心を捨てては仏法はあり得ない。その仏法による前進が今始まっているのである。これを前進というべきか後退というべきか、これは観る者の決めることである。文底本門の仏法によるか、文上迹門の仏法によるか、今宗門が択んだのは文上迹門のようであるが、これを裏付けるようなものは、少くとも開目抄や本尊抄等の十大部には、見出だすことは出来ないであろう。
 学はいらない。信心だけでよいという中での前進開始のようである。特攻隊精神ということであろうか。これは戒定恵のない処が目に立つようであるが、元は仏法・己心の法門と大いに関係があるように思われる。山田などは特攻隊精神の実行者のように思われるが、若し己心の法門を持ち戒定恵をわきまえてをれば、あのような犠牲にあうこともなかったのではなかろうか。とも角、与えられた仕事は、○の中に決められた文字を入れることであった。その中で水島は最も努力した最後の一人であった。しかし、明治教学については、正信会も宗門に負けないように努力しているようである。
 一度開目抄や本尊抄を冷静に見直してもらいたい。そして教学の基礎を迹門におくべきかどうかを判断すべきであると思う。天台によるべきか宗祖によるべきか、案外このような事さえ決まっていないのではなかろうか。今は天台教学を基盤とすることこそ正義であり、宗祖のよろうとするものは、全て邪義ということになっている。
 阿部さんが、狂った狂った狂いに狂ったという対照は戒定恵であり己心であることを思い起さなければならない。これが教学部長がいう処の狂学である。それはいうまでもなく開目抄の戒定恵であり、己心の法門であり、また仏法であり。そして阿部さんがいう処もまた仏法であり、実に紛らわしい限りである。この明治教学が、今となってどこまで持ちこたえられるであろうか。最後の努力を振り絞って戦ってもらいたい。宗祖の法門にどこまで勝っているか、試みてもらいたいものである。山田教学はあまり短兵急であったために生命が短かかったのである。あまりにも底が見え透いていたのであった。
 阿部教学も又久遠元初を迹門に立てていては、威張る理由にはなるまい。まずここから訂正を初めなければお話しにはなるまいと思う。迹門に本拠を置きながら、そこで滅後末法の仏法を語って、何の矛盾も感じないのであろうか。迹門には、正宗のいうような本仏は存在し得ない処である。それがいかにも在るように思われるのが信心である。これは不思議な信心であり、むしろ魔法の世界にあるべきものではなかろうか。
 正宗要義は明らかに迹仏世界に久遠元初を見、本仏を考えているのである。これが今の混乱の第一歩である。正本堂も戒旦の本尊も広宣流布も、天台教学によってこれを証明しようと努力して来たが、現状ではあまり成功したとも云えないように思う。山田や水島も、どうやら中途で抛棄したように見える。つまり意慾は燃やしては見たが成功を見ることはなかった。先に手を引いたのは水島であり、宗門であった。これは先に手を引いた方が敗れたのである。これも本因の本尊をヤユしたためであろう。これはいうまでもなく誹謗の第一位にあるもの、宗祖への誹謗第一に位するものである。しかし、迹門に本仏や本因の本尊が出現することは、御書や上代の法門には全く未だ聞かざる処である。そのために本因の本尊もヤユの対照になったのであろう。そして己心の本尊が肉身本仏に切り替えられているのである。これでは、時局法義研鑽委員会がいくら智恵を絞ってみても、我見以外には文証は出ないであろう。文底も文上も同じだ。文上にしろという処が落ち付く処であろう。
 今になって迹門に法門を立てるなら、宗祖は開目抄や本尊抄を著作する必要はなかったであろう。仏法に法門を立てるのと、仏教・迹門に法門を立てのと、何故同じなのであろう。唯授一人の御法主上人には文上文底の区別を立てる必要はないのであろうか。仏法に立てられた本仏と、三世常住の肉身本仏と、何故同じなのであろうか。この肉身本仏は仏法にあるのか仏教なのか、或は仏教も離れた処にあるのか、是非所住の処を明してもらいたい。今本仏といえば、当然この本仏を指しているであろう。  

 咄い哉智公
 「得一が云く、咄いかな智公、汝はこれ誰が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根をもって覆面舌の所説の教時を謗ず等云云。」これは本尊抄に引かれているもので、この前には清涼国師・恵苑法師・了洪、次いで弘法大師となっている。中でも得一のものは山田や水島に劣らぬ威勢のよさを持っている。何れ兄たりがたく弟たりがたいものであるが、今は何を悟ったのか誠に森閑としている。既に山田は正月以後音信不通であり、水島も九月が最後であった。悪口雑言にかえてどれだけの収穫があったのであろうか。それどころか実にはマイナス面のみが今後の負担になって残るのではなかろうか。
 この得一の言は誠に今の宗門を彷彿させるものがある。今これを使ってもおかしくないものである。伝教の己心の法門に初めから圧倒されているようである。この文を一言にまとめるなら、それこそ「己心の法門は邪義」となるであろう。水島の発想も、得一の言にヒントを得たのであろうか。この時の得一の「時」は像法の「時」であり、伝教の時は滅後末法の時である。その時の違いがこのような語を発せしめたのであろう。今の宗門と吾々との時の違いと全く同じである。そして宗門はただ悪口のみを蒔きちらしているのである。千年前も発想については全く同じことである。しかし、得一の学には水島といえども到底及びもつかないことであろう。
 口にいくら邪義と唱えて見ても、己心の法門は一向邪義にはなって呉れなかった。そこに時の厳しさがあったのである。ここは、滅後末法の時に乗るのが最も上策のように思う。得一は既に滅後末法の時に負けているのである。本尊抄もこの故にとり上げられたのであろう。伝教には唐都を踏む必要は更になかったのである。現実の時を、己心の時が上回ったのである。今、昔と同じことを繰り返すのも愚な話である。千年経てば一歩位の前進があってもよいと思うが、時については少し遅れているのではなかろうか。まず何を措いても時を取り返すことである。
 二乗作仏と戒定恵をもって諍った伝教には、滅後末法の時が備わっていたのである。末法太有近とは、伝教は既に滅後末法の時にいたのである。奈良仏教の立場から、時の切り替えが出来なかったのも、今の宗門と全く同じである。そこで出たのが悪口雑言である。千年を隔てて見ても一向に進展がないのは奇妙である。山田水島も始めから時に負けていたのである。その故に悪口雑言のみが出たのである。歴史は常に同じことを繰り返している。この引用文は、戦う前に時がなければ何の威力にもならないものであることを誡められているのである。時の法主たりといえども、時を外れては戦にはならないであろう。この引用文は時の大切な事を教えられているのである。

 塔婆供養
 一年に日蓮正宗の塔婆を建立する量は、恐らくは諸宗の総量にも劣らぬ程の量ではないかと思う。仏法に宗を立てながら、何故塔婆供養の必要があるのであろうか。何とも解しがたい処である。その師の墓前に報恩抄を読ませに弟子を遣わせられた時も、墓前においては身延においても塔婆供養をされた事は書かれていない。若し今のようであれば、必らず塔婆供養の事は書かれていなければならない筈である。仏法では塔婆供養のかわりに自我偈三返というのが原則になっているのではなかろうか。
 今塔婆供養が盛んなことは、教義そのものが文上に立ち返っているためのように思われる。今も二天門の北で盆に供養をする時には、塔婆を立てることもなく、ただ自我偈三返のようで、これは報恩抄のままに、御先師の供養が行われているのである。同じく師の供養であっても、仏教の場合は塔婆供養により、仏法では自我偈三返というのが、きまりになっているのではないかと思われる。この事に行ぜられている処が山法山規であろう。昔ながら理由もなしに、盆が来れば同じことが繰り返されているのである。
 今は塔婆供養が必要なような教義に変ったために、これが盛んになったのであろう。若し、自我偈の上に更に塔婆供養の必要があれば報恩抄にも示されているであろうし、盆の供養にも建立されていたことと思う。二天門の北では塔婆は立てないのが原則になっている。これが古い供養型式であるように思われる。外典に仏教をとり入れて仏法か建立されるとき、自我偈を三返唱えることが塔婆供養に替えられたのではないかと思う。そこに仏教との区別を立てられているのであろう。今塔婆供養が異様に盛んになったのは教義そのものが迹門に帰ったためであろう。二天門の北の盆供養については、御先師の墓は、昔筆者が掘り出すまでは、その意味もわからずに、しかも絶えることなく続けられて来ていたのであった。今の塔婆供養は仏教との区別が付かなくなったためと思えてならない。
 阡陌陟記を読むと地獄におちるというのも、何となし仏教的な匂が濃厚である。これは十界互具以前の雰囲気が強い。これでは、仏法には遥かな道程があるといわなければならない。ここの整理もまた急務である。山法山規をもって分らないという譬喩に使わないで、古伝が事行の法門として間違いなく実行されているという意味にとれば、本来の意味も大きく現われるであろう。何事につけても、一重立入って解釈するのが仏法家の常識のように思われる。一重立入るとは、文底に入り仏法に入ることである。  

 本 尊
 本尊抄(新定九六六)(聖一五三)に「具足の道を聞かんと欲す等云云。(中略)吉蔵の疏に云く、沙とは翻じて具足となす。天台大師の云く、薩とは梵語なり。此には妙と翻ず等云云。私に会通を加えれば本文をけがすが如し。爾りといえども、文の心は、釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う。(中略)今本時の娑婆世界は、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化もって同体なり。これ即ち己心の三千具足三種世間なり。迹門十四品には未だこれを説かず法華経の内においても時機未熟の故か、この本門の肝心南無妙法蓮華経の五字においては、仏なお文殊・薬王等にもこれを付属したまわず、何に況んやその已下をや。ただ地涌千界を召して、八品を説いてこれを付属し給う。その本尊のていたらく、本時の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・彌勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化他方の大小の諸菩薩は、万民の大地に処して雲閣月卿を見るがごとし。十方の諸仏大地の上に処し給う。迹仏迹土を表するが故なり。かくのごとき本尊は、在世五十余年にこれなし。八年の間ただ八品に限る」と。以上の文について、寛師の文段抄も他門下のものも見ず、専ら私見をもって述べたいと思う。宗門に悪口を期待しての用意のためである。私見であるから大いに下してもらいたい。元よりこの文にようなものが吾々ごときに分る筈もないので、大いに修正を加えるなり、根底から改めるなり、存分に振舞ってもらいたい。
 開目抄上に終りには、欲聞具足道の文は諸天竜神等その数恒沙のごとしから引かれているが、大経に云く、薩とは具足の義に名づく等云云以下大同小異であるが、開目抄の方が大体において委しいようである。両抄を見られたい。大経に云く等の文は、欲聞具足道の文を明らめるために引かれ、前の文を承けて、ここで大きく展開してをり、下では早々に宝塔品が引かれている。六巻抄の依義判文抄では宝塔品の前に法師品が二回引かれている。ここで依義判文抄は欲聞具足道の文を省かれているように見えるが、その代り戒定恵の三学から始まっていることに注意したい。
 この欲聞具足道に始まった文は、宝塔品から寿量品、そして神力品・嘱累品に至り、それより欲聞具足道の文に帰り、更に十如実相の文から外典の忠孝に至って戒定恵を見出だして法となっているようであり、ここで一応仏教から離れるようになってをり、そこに己心の法門も現われ、久遠元初も久遠名字の妙法も現われるようになっている。その久遠名字の妙法が引用の最初にある妙法蓮華経の五字である。そしてこれが釈尊の因行果徳の二法が極位したところでもある。ここは日蓮が釈尊の因行果徳の二法を受持して仏教を離れ、新しく世俗の中に仏法を建立する処であり、これをもって仏教の中に入れるのは些か無理があるように思われる。
 日蓮は一宗の元祖にもあらず、何れの宗の末葉にもあらずといわれるのも、誠に御尤もと頷ける処である。しかし、今は仏教を名乗ってをり、左にあるべき思想が、仏教として右に出たのである。本来左にあるべきものが右に出たのであるから、大らかであるべき己心の法門が異様にせせこましくなったのである。今の動きからみても、何となし仏教の中には落付きにくいように思われる面もあるが、再び仏法に帰ることは容易ならぬことである。そこは最早功徳や御利益の通用する世界ではないからである。
 己心が異様に仏教の中で取り上げられた時、それがつい御利益と出たのかもしれない。仏法は功徳や御利益とは凡そ縁のない世界のようである。そして正常な仏法の己心については、今大石寺では邪義と決定しているのである。しかし、開目抄や本尊抄等の御書は、まず己心から、始めて衆生の成道を引き出し、そこに現世の成道を見ているので、同じく成道とはいい乍ら、仏教の成道とは全く趣が違っている。既に世俗の中で見ているのである。しかも、仏法として世俗の中で成長したものが、仏教として扱われ、更に迹門に根を下しているのが現実である。仏教を離れて一度原点に帰らなければ仏法の真実はつかみにくいであろう。
 現在のあり方からすれば、己心が邪義と見えるようになっていることは、宗門が自ら己心の法門を邪義と決めたことが、最もよく証明している。己心があっては今のような宗義はなりたたないのである。若し正常に運営されているのであれば、宗門が自ら邪義と打ち出す必要はないと思う。思わず真情が吐露されたということである。これは宗門が自ら現実の在り方を批判したものとも受け止めるべきものである。戒定恵を忘れ己心を邪義と決めたものは最早仏法とはいえない。
 諌暁八幡抄に引かれた扶桑記や前後の文も、戒定恵があるから八幡大神も感動されたのである。それ以前に一向感動を示さなかったのは、文の上の法華経であった故である。日蓮が唱える法華経とは、伝教のごとく戒定恵を含めた法華経になっている。これ以外は謗法である。つまり民衆不在の法華経は意味がないということである。今の法華経はこれに相当るものである。折角邪義と決めたのではあるが、何れが邪義か一度反省する必要があるように思われる。ここは宗門も正信会も共々に反省しなければならないと思う。
 最初引用の文は戒定恵を出し、己心を引きだすためのものである。大経や無依無得大乗四論玄義記以下の一連の引用の文も、仏教から仏法への切り替え点にあたるもの、これによって始めて衆生成道へ踏みだす処である。即ち文底への入り口である。開目抄でも本尊抄でも同じ働きをしているようである。ここで戒定恵や己心が大きく浮び上ってくるのである。そこで開目抄上の最末の文が出るのである。「いまだ一代の肝心たる一念三千の大綱、骨髄たる二乗作仏・久遠実成等をいまだ聞かずと領解せり」と。
 そして下の宝塔品に至り、寿量品から神力品・嘱累品に至ってそれより再び方便品に帰る。その時もとの欲聞具足道に帰って二乗作仏をとり、十如実相から一念三千の玉を拾い出して、外典の忠孝の処に出て、戒定恵を見出だし、そして魂魄の中に収めた時、今宗門が邪義と決めた己心の法門が出来上るので、本仏や本尊や成道が出、仏法となるのはその直後であるが、今はそれとは関係なく、始めから本仏も本尊も既に出現済みである。そこで宗体そのものが変ってくるのである。開目抄や本尊抄はそれらを見出すのが目的である。本因とはここの処を指しているが、本仏・本尊から始めるのは、どう見ても本果である。
 本果をとったために自然と天台教義に援軍を求めるようになった。根本は仏法の時が確認されなかったための混乱であった。そのために自覚することが出来なかったのである。それが水島ほどの向う気の強いものが、ボソボソモソモソ敗戦の弁を書かざるを得なくなった根本原因である。仏法の時を知る以外、恐らくは立ち上ることは出来ないであろう。ここで、開目抄や本尊抄が、宗教として説き出されていないことを確認しなければならない。
 釈尊の因行果徳の二法を受持した処からいえば仏法であるが、仏教の外に居るものが日蓮を中心にしてみれば思想である。仏法というも思想というも何等変るものではない。強いていえば仏教的な感覚とでもいうべきものであろうか。たまたまNHKの教育テレビが十一月十二日夜十時の放送で筆者の己心の法門を取り上げ、翌朝も再放送していたようであるが、わざわざ十二・十三の中間を取り出したことは、法門が然らしめたもの、そこに法門の真実が遺憾なく現わされているということである。
 放送局が、十二・十三の意味を知ってこの日を取りきめたわけでも無いと思う。誠に奇妙な一致といわなければならない。それも六十年十一月十二日十三日であることを思い起さなければならない。今も十二・十三は生きているようである。既にそのような兆しが見え始めているということであろうか。己心を邪義と取り上げた面々、如何でせうか。これは市民大学講座の一こまである。世間は、そのような中から何を求めようとしているのであろうか。己心を邪義と決めた正宗教義でなかったことを思い合わしてもらいたい。
 既に民衆の心が動いていることを察知してもらいたい。六十年といい、十一月といい、十二・十三日といい、己心の法門を唱えるには、すべて条件は出揃っているのである。明年は六十一年、これまた六十と六十一の中間である。水島先生も若い身空で今から早々と黙りこまず、大いに反撃をもって酬いる時である。素直に民衆の声を受けとめるべき時である。今既成宗教は次第に救う力が薄れて来た、そうかといってこれに代る強力な新らしい宗教も中々誕生しそうにもない。しかし民衆は宗教的な救いを求めているのである。そのような時に、水島先生ほどの人が、今から老け込む理由は毛頭もないと思う。是非々々、宗祖になり替って民衆の救済に立ち上ってもらいたい。邪義などといわず、己心をもって立ち上ってもらいたい。冒頭の引用文は己心出現前夜の文であることに意を留めてもらいたい。大聖人の末弟なら、せめて三年先の未萌位は察知してもらいたいと思う。既に時は過ぎ去ろうとしているのである。今さら京なめりに意慾を燃やしてみても全く意義のない事である。
 本尊抄では大経等の文を引き畢ってすぐ宝塔品があり、続いて寿量品があり、その後すぐ、「今本時の娑婆世界」の文に続いているのである。この本時とは滅後末法即ち己心の上に成じた時であり、これに対して在世は迹時である。これはこのまま本仏・迹仏となるもので、既に本迹が入りかわってをり、釈尊が迹仏となっていることを表わされている。時による本迹の交替を示されたものであり、そこには既に仏法が建立されてをり、仏法を本としたとき仏教が迹になって居り、法前仏後を示されているのである。
 本時の娑婆世界とは滅後末法の魂魄の上に建立された己心の法門をさし、仏法世界を表わされているのである。ここは師弟共に愚悪の凡夫である。宗門が若しここで釈尊を本と立てるなら、それは仏前法後であり、在世をとっていることになる。それでは仏教から仏法への交替を認めないことになり、大石寺法門は成り立たないであろう。大経等の文は時の替ることを予め報知している、本尊抄の中でも最も重要な時の交替を示されているのである。
 そして次の「本尊の為体」へつながる、それが滅後末法の本因の本尊であり、在世には現われることのない本尊であるが、一般には在滅は余り考えないことにしているのではなかろうか。そして滅後という考えが極端に薄れて、紙幅の本尊に結ばれている。これは己心の法門の上にのみ現われるものであるが、己心を外して考えられているのが実状のようである。仏法の上に、外典の忠孝の処に現ずる筈のものが、反って仏教の中に現じているようになっている。
 宗教として立てるためには仏法は都合が悪い処が多い。そこで戒定恵や己心の法門、魂魄や仏法を除いて、仏教の中で考えている処に大きな時の混乱があるようである。これらのものは、理屈抜きで乗り越えられているが、これによって在世末法に出てくるが、開目抄や本尊抄とは大きく離れて来るように見える。つまり釈尊の領域の中に滅後末法の本尊として現じているが、在滅の混乱をのがれることは出来ない。受持は仏法を立てるために必要なものであり、在世に止まるものにはそれ程必要はない。
 そして迹仏世界に出る筈のない本尊が、仏法へ移ることなく、そのまま迹仏世界に出現する。そのために戒定恵や己心の法門を避けなければならない。そして経の上の本迹についてのみ論ぜられているのであるが、本尊抄でいえば、この引用文の辺りで切り替え作業が行われている。これをそのまま仏法とし、本因の本尊として受けとめてきたのは大石寺の本因の本尊であるが、理の上では殆ど消えかかってをり、外に出た戒旦の本尊はどうやら仏法というよりは迹仏世界に出た本尊という感じとなり、今では一致派の解釈と殆ど変りのない処におかれているようである。一致派の解釈も、この引用文のあたりに時の混乱を持っているように思われる。
 欲聞具足道以下この引用文に至る間が何となし、除外して解釈され、そのために文の上に、この本尊が現われているように思われる。そこに本因の本尊と正本堂の本尊との違いがあり、次第に拡がりつつあるようである。次第に一致派の本尊に近付いていっているようである。一致派でも、ここの処の切り替えは行われていない。
 開目抄上末の欲聞具足道以下の文の処も同様に、仏教から仏法へ出るための作業は除かれている。そのために仏法に出ることが出来なかったのである。ここの処が昔の大石寺法門と今の正宗教義や一致派教義との相違点である。水島教義に時が見当らなかったのも、両抄のこの部分は特別に除外しているのであろう。或は次上は日本語にはないという位であるから、開目抄や本尊抄は始めから読んでいないのかもしれない。このために仏法へたどりつけず、反って一致流に堕したのであろう。時局法義研鑽委員会も、時局の名のもとに、この部分については除いているのであろう。
 ここが両抄とも文上から文底に移る処であるが、今は或る意図のもとに、故意に除外した感じであり、そのために仏法に乗ることが出来ず、只仏法の語のみが残り、反ってその実が失われているのであろう。兎も角も、ここが仏教と仏法、文上と文底の別れ道であることは間違いない処であると思う。ここが自称伝統法義の新出発点と見て差支えないと思う。この点については正信会教学も大差ないであろう。
 仏教の三世を現世に集め、仏法として取り出されたものが、今は現在よりは過去・未来に重点が移っているようにさえ見える。しかしよく見れば現世の中味が、世から金に変ってをり、そこへ過去未来が再びよっているような処もある変貌ぶりである。それもその出発点はこの引用文の辺りにあるのかもしれない。これを無事に越えるなら、以後は仏法世界であることは間違いはないが、現在の境界では、ここは乗りこえていないのではなかろうか。そしてここを乗り越えなければ、「本尊の為体」は迹門として解釈されるであろうし、若し乗り越えることが出来れば、その本尊は本因の本尊と現われる。しかし、仏法の上にのみ現われる本尊が、若し迹仏世界に現ずるなら、大きな混乱であることは間違いのない処である。
 元よりこの文以下は仏法の上に論じられているものであるが、若しここで迹仏世界にこの本尊が出現すれば、以下の文は全て迹仏世界で考えなければならない。そのために、終りに近付くほど解釈が不明朗になり、仏法としての働きが現われにくくなって来るし、副状の「三人四人同座する勿れ」が一人として捉えられず、反って、三百人四百人、三万人四万人と夢は無限に拡がって世界中広宣流布ということにもなるが、副状は一を示されているように思われる。これは己心の表示であり、即ち仏法を表わされている。そのような中で霊山浄土も現世において、師弟一箇の処に考えられるのである。若しこれが経の上に考えられるなら、それは迹仏世界を一歩も出るものではない。それが最も糢糊としている処である。そのために仏法と仏教との間の往返が、常に止まる処を知らないという状態である。しかし、必らず仏法の処へ落ちつかなければならないものである。
 以前阿部さんが四十五字の法体を持ち出して、川澄が宣伝していたように言うてをったことがあったが、この四十五字の法体は、阿部さんの最も得意とする処で、何回か講説を受けているが、急にすりかえて当方へ押し付けようとした魂胆がどこにあったのか、これは甚深にして解る筈もないが、阿部さんが特に得意とする処であった。それを思い出したように何故押し付けようとするのであろうか。長い間信じてきた事が気になり出して、大石寺の法主は絶対誤りがないということから、人に押し付けようとしたのが、いかにも子供っぽさくて愛敬がある。そうであれば、大石寺で法体とは何を指していうのであろうか、是非御教示願いたいものである。
 法主の語には絶対誤りはないといっても、己心に一切の法門を建立している宗祖と、己心は邪義という阿部さんの語と同じだ、信心しろといわれて、何人の人等がこれを信用するであろうか。これではどんな信心深い人でも疑問を持つであろう。そうなれば余計に信心のみが強調される。それがお寺離れにつながっているように思われる。そこに脱皮が要求されているのである。あまり信心のみを要求すると、反って逆効果が出ているようである。迹門ばかりに根を下さず、少しは仏法の研鑽に励む委員会でも作って見てはどうであろう。今はそのための脱皮の必要に迫られているのであるが、まだまだ夢は醒したくないのであろうか。何とも解しがたい処である。
 優秀頭脳を結集して時局法義研鑽委員会を新らしく作り、どのような成果があったというのか。第一に挙げられるのは、己心の法門を邪義と決め、己心の戒壇を邪義と決めたことである。これは一言をもって戒定恵や己心の法門を捨て、仏法や久遠名字の妙法、そして更に本仏・本尊・成道等一切の古伝の法門を抛棄することを意味するものである。それほどのものを一言に摂尽した技倆は実に見上げたものである。そして天台教義の直輸入をやってのけたのであるが、結局は三年にも見たない夢であった。それによってその教義に移ることになった。そして正本堂も内容に合せて像法と決め、本尊も迹門とすることに成功して、安心して広宣流布に向って進む準備が出来た。何れも落ち付いた先は像法であった。そのために滅後末法に立てられた己心の法門を切り捨てたのである。そして計画通り成功した処で、最後仏法の時に打ちのめされたのである。これこそ宗祖の鉄槌といわなければならない。
 正義という宗祖を立てるべきか、現法主の「邪義」の決定に従うべきか。現在も猶邪義の線は押し進められているのである。そして何れの方も黙々と無言の行に入ったように思われる。一応は川澄黙殺ということであろう。しかし、追いつめられ、逃げ場を失なってからの黙殺は敗退に等しいものである。ここは初心に返って大いに論破してもらいたいと思う。数量をもって大いに論じ、破折の実を挙げてもらいたい。それこそ一旦こうと決めた宗祖の法門に対する報恩ではなかろうか。
 外相に立って見れば、色も変わらぬ寿量品の本尊は、ただ報恩によってのみ持たれる、これも山法山規の一分ではなかろうか。これは事行の法門に乗っているためであるが、水島の己心をもって邪義とする誤は、一言でこの長寿を破し去るものと思う。もしそうでないというのであれば、己心の法門を邪義として破し去ることが何故報恩にあたるのか、まず文証を示すべきである。文証なくんば邪義である。報恩抄も戒定恵・己心の法門の上に建立された報恩の一分を示されたものである。戒定恵や己心の法門を通しての報恩のみが仏法の報恩である。己心を外れたものは、それこそ似て非なるものである。
 己心の法門の上の師弟は無差別であるが、それを世間並みの師弟で解すれば、師は必らず上位に居すものである。現在は、師弟は有差別のみによっているようである。黙々と、今山田水島御両処は何を考えているのであろうか。しかし、仏法の時を外れては、末法の慈悲は平等であっても、宗祖も慈悲から除外しなければならないであろう。山田水島は自らその慈悲を受ける権利を抛棄したものと思われる。これは仏法の上の此経難持である。
 仏法の教えを法華迹門の上で持とうとしているのは今の宗門であり、次は法華文底にあって、定められた仏法の時に在って仏法を守ろうとするもの、この二は日蓮を宗祖と仰ぐ集団であるが、この外に仏法を思想として、仏教の埒外にあって見ようというもの、これは第三の集団である。川澄はその一人である。これは信仰でないから、本来は宗祖の必要のない集団である。根本大師門人日蓮というのは思想の上の系譜である。日蓮は一宗の元祖でもない、何れの宗の末葉でもないというのは、思想家としての日蓮を明されたものであろうし、一面では仏教が元祖を称することが、反って本筋を外れることを警戒されているようにも思われる。そうなれば思想家として捉えることが、最も忠実な方法・考え方のように思われる。ここでは元祖と仰ぐ必要がないからである。
 思想家と見れば、仏教のように差別を持ち出す必要もなければ、時空も又簡単に乗り越えられる利点がある。己心の法門が魂魄の上に論じられていることは、始めから思想の働きを示しているのであろう。時空を超えて説かれるのは仏法の特徴である。仏の字はあってもそれは出生を示しているのみである。そこで己心の法門は、元は仏教から出て居っても、今は思想の領域にあると見るのが順当のようである。そのために、これをもって一宗を建立すれば迹門に帰り易くなる。
 仏法のみで一宗建立することは殆ど不可能なように思われる。そして一宗建立すれば左であるべきものが即時に右に現われるのである。つまり、仏法や己心の法門を忠実に守るためには、思想としてみる以外に方法はないように思われる。それをはっきり決めてかからなければ、迹門から爾前へ堕ちてゆくのは必至である。そこに工夫が必要なのである。日蓮の教には宗教の部分は非常に稀薄なように思われる。それが専ら宗教一本に絞られているために、その捉え方によって次々に宗派が生れているのである。その反対に思想としての面が強ければ、一宗建立は出来にくいであろう。それが最初から宗教家としての日蓮像のみが捉えられているために、それを遥かに勝る思想家として日蓮像が捉えられにくかったのではないかと思う。
 若し思想家として見るなら、その意味では御書という名の資料は、真蹟の現存しているものだけでも尨大なものである。全く手付かずの生資料である。そして註法華経も思想的な面から見ることが出来れば、その恩恵は莫大であると思う。新らしく思想をまとめるためのものが集められているように思われるものが多い。これも必らず手掛けなければならぬものの一つである。しかし、これらは今の宗門が最も斥う処であろうと思う。
 大経等の文を引き畢って宝塔品・寿量品を説き、「寿量品に云く、然るに我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫なり等云云。」続いて「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。経に云く、我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず、復上の数に倍せり等云云。我等が己心の菩薩等なり。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり。例せば太公・周公旦等は周武の臣下成王幼稚の眷属、武内の大臣は神功皇后の棟梁仁徳王子の臣下なるがごとし。上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩なり。妙楽大師云く、当に知るべし、身土一念の三千なり。故に成道の時、この本理に称いて、一身一念法界に遍し等云云」と。
 この文には己心の菩薩が二回、己心の釈尊が二回あるが、何れも「我等が」が上に冠してある。阿部さんを始め水島山田等は、全くこれを認めていないものと見える。若しこれを認めなければ、この文は邪義ということになるが、それでは、次の「本時の娑婆世界」の文、並びに「その本尊の為体」の文は何れも「我等が己心の釈尊」及び「我等が己心の菩薩」の上に出来上ってをり、その前の「欲聞具足道」の文に始まっているものであり、全て己心の法門に切り替えられてをり、その作業をするのが大経等の文である。
 己心が邪義であれば、四十五字の法体が在るわけでもない。「釈尊の脇士上行等の四菩薩等」の釈尊は我等が己心の釈尊であり、脇士以下は我等が己心の菩薩とされていても、今は一切己心は認めないのであるから、今引用の文の前の寿量品の文以下は無意味であるし、最後の結文に至るまで、己心を認めなければ、ないに等しいもの、現在の日蓮正宗教学とは全く無関係である。これらの文に関係がないとすれば、戒旦の本尊は何の文証も持たず、忽然と出現したのであろうか。
 先の「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」は己心を表わしてをり、「釈尊」以下も己心を表わしている。即ち愚悪の凡夫の己心に現われた本尊の為体を表わされているので、それは戒定恵の中での所作である。これは開目抄の、外典の忠孝の処に仏教を摂入して戒定恵を確認して仏法を建立するのと、全く同じ考えである。本尊抄のこれらの文から己心を抜き去ることは、戒定恵を取り去るのと同じであり、元よりそのような処を仏法ということは出来ない。戒旦の本尊が戒定恵も己心も久遠名字の妙法もない処で出現する筈もない。どこで、どのようにして出現したのであろうか。あのような貌はこの部分以外ではあるようにも思われない。しかも眼前に現われているのであるから不思議である。
 我等が己心とは宗祖一人でもあるまい。我等とは師弟を表わしてをり、その師弟一箇の上に現じたのがあの本尊の相貌であるが、実際には師一人の頭の中に浮んだということであろうか。しかし、本尊は師弟一箇の己心の上に現じることは、絶対条件であるが、戒定恵と己心がなければ、本尊の姿はなり立たないであろうことは、この辺りの本尊抄では動かせない処である。
 己心を除いてあのような本尊が出来ることは、本尊抄には一向に説かれていない。或は別に独自の甚深秘密の本尊口伝があるとでもいうのであろうか。少なくとも現在の考えのような中で、今の本尊の姿を求めることは出来ない。もし釈尊の脇士以下の文を己心と認めないのであれば迹仏世界に近い処があるから、少し無理をすれば一尊四士の方が適当なように思われる。己心にあれば本の姿は消えるが、己心に入らなければ元の姿が必要になってくる。現在では一尊四士の変形したような処が最も近いようである。
 今はここの処で己心に入っていない他門の教学が移入されているためであろうか。これでは、時には本因の本尊とも称している戒旦の本尊の解説は出来ていない。これを罷り越すことの出来るのは、信心以外にはなさそうである。説明が出来ないために信心に持ちこんでいるのであろう。それにしても、これ程明了に示されているものを、何故これに従わないのであろうか。
 己心の上行菩薩等も、宗祖の文によれば、邪義という外はないであろう。しかし、戒旦の本尊が内外に向って堂々と説明出来ないことは、どのように受けとめればよいのであろうか。所詮、己心を邪義と決めている間は、本尊抄からその意義を求めることは出来ないであろう。しかも大勢の信者が御開扉によってこれを拝しているのである。何としても自分等では説明の出来ない本尊を拝ませているのである。己心を邪義と決めたのであれば、戒旦の本尊を邪義と、何故いえないのであろうか。このあたりの解釈は殆ど他門譲りのものではなかろうか。
 宗門が知らず識らず迹門化してゆくのは、この辺りの解釈が根元になっているようである。何れにしても、己心を認めなければ、迹門化を脱れられないであろうし、事行の法門も山法山規も、ますます分らないものになってゆくのを止めることは出来ないであろう。せめて本仏と本尊位は、堂々と胸を張って説明してもらいたいものである。しかも時局法義研鑽委員が己心を邪義と発表しているのである。本尊抄のこれらの文は明了に己心によって出来たことを示されている。
 己心を捨てて尚その本尊が在り得るとでも思っているのであろうか。己心を捨てることは、本仏や本因の本尊を捨てることと何等変りはない筈であるが、若し己心を捨てて同じ本尊が顕現されるなら、まずその文証を挙げなければならない。しかし、いくら研鑽しても、そのような文証を求め出すことは出来ないであろう。己心を邪義と決めた時、戒旦の本尊は何が本源となっているのであろうか。どうしても己心の外で出来ていることを証明しなければならない。時局法義研鑽委員会はその責任を負わなければならない。只信心しなさいでは説明とはいえないであろう。己心を邪義と決めるのは至極簡単なことではあるけれども、言い放しは無責任である。
 長い間己心の本尊として信じて来たものが、理由もなしに己心は邪義と決められては、信者の迷惑である。何を信じてよいのか、何が真実なのか、必らず信者はその真実を求めるであろう。その時信心しなさいでは回答にはならないであろう。この故に無責任というのである。もともと、仏法そのものが、はっきりしないためにこのようなことになったのであろう。口には仏法といい文底と称していても一向に分っていないのではなかろうか。今は己心を邪義と決めた後も相変らず使っているのである。始めから己心がなかったのかもしれない。そこへ始めから己心を出されたので、ついうっかりと己心は邪義と出たのかもしれない。突嗟に返事が出なかったためであろう。
 「今本時の娑婆世界は」等の文は、仏法の住処を明されたものである。三災も四劫も関係のない世界は、時空を超えた己心の世界以外にはない。但し受持のうちには三災も四劫も含まれていることはいうまでも無いことである。今は刹那に成じた魂魄の上の話である。そこに常住の浄土を見るのであるが、己心を邪義とすれば、この文は空に帰するであろう。本時とは迹時に対する語であり、迹時とは迹仏世界を指す。これに対して本時とは己心の上に成じた本仏世界を指しているのであるが、己心が邪義ともなれば、当然本時は消滅するであろう。これまた己心を捨てては説明出来ない処であるが、迹仏世界で三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土を見出だすことは出来ないであろう。己心を捨ててこのような境界を求めることは出来ない。若し己心を捨て、このような境界を捨てるようなことになれば、本尊もまた出現の場を失うであろう。
 「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」とは迹仏世界であり、釈尊の脇士以下は向い合っている姿である。釈迦牟尼仏は右尊左卑、上行以下は左尊右卑である。共に我等が己心にあるものであるが、己心が邪義となれば、この本尊の為体は即時に消滅するであろうが、戒旦の本尊はそれとは関係なく存在するということである。本尊は己心の法門があってもなくても存在するというのが、今の考え方ではないかと思う。これは飛躍が過ぎているようである。
 己心がなければ本尊の相貌は在り得ないものが己心がなくとも同じように存在するという建前になっているのである。しかし厳密にいえば、己心の法門の現われる以前であれば、当然迹仏世界のまま、絵像木像を本尊にしなければならない筈であるが、今は己心は捨てても、己心の上に現わされた本尊は存在しているのである。これは他門下でもそこのあたりは詮じないことになっているのであろうか。
 七十数年以前、己心の法門について攻め立てられたのは宗門自身であったが、今は己心を邪義ときめて、己心を立てる吾々を攻める立場に立った早業は二年半前のことであるが、これはあまり成功したとはいえないようである。これは己心を邪義ときめた事が、全て我が身に振りかかって来たためである。これも長い被害妄想の末の出来ごとかもしれない。これも以前水島が使った、中古天台の阿流ではないかといわれたそれをそのまま当方へ振り向けたのと同じやり方である。常に自分はいい子でありたいという処から出る発想と思われる。智恵の使い方としては、少し程度が低すぎるのではなかろうか。いつも同じ手を使ってをれば、一手打てば最後の手まで読みとられる恐れがある。
 新定九六二の始に、「教主釈尊(自之堅固秘之)三惑已断仏也」とあり、これより堅固にこれを秘すと聖典では読んであるが、秘すと読めば宗祖自身が秘すといいながら書いては「秘す」にはならない。ここは命令形で「秘せよ」と読むべきではないかと思う。ここにいう教主釈尊は三惑已断の仏であり、この事をよく胸の中にたたみこんでおいて「我等凡夫之令住己心」の時の釈尊と混乱しないようにと注意されているようである。
 若しこの釈尊にのみ執着すれば結果は迹門に出て文上に収まるが、若しこれから始まる己心の釈尊を取れば文底となる。ここが在滅の別れ目であるから、次に出る己心の釈尊と混乱することのないように、三惑已断の教主釈尊をよく胸の中にたたみこんでおけという意味の「秘せよ」ではないかと思う。それにも拘らず、水島は胸を張って己心は邪義とやったのであるから、三惑已断の釈尊の力に引かれて爾前迹門に帰る羽目になったのである。二人の釈尊が出るので注意を喚起されているのであるが、己心の釈尊を認めないものが、文の上の釈尊に収まるのは当然である。
 このあと欲聞具足道等の文が出るのは九六六頁であり、本時の娑婆世界の文が出るのは九六七頁の終りである。このあと己心の本尊が明されるのである。水島は聖旨に背いて堅固にこれを秘さなかったために時の混乱の被害を受けたのであれば、自業自得という外はないであろう。或は文上に出るために、ここに眼を付けたのであろうか。結果は文上に立帰ったことは間違いのない処である。そこは本因の本尊や本仏の住処ではないから、本尊は自然に迹門に出ることになる。本因に立てられたものは後退する外はない。そして新しい意味の戒旦の本尊が出現して、像法の戒旦の本尊となる。そこで新しく本尊について在滅の混乱が浮び上ってくるのである。
 戒旦とするなら像法でなければならない、本尊もそれを支える教義も像法であるのは当然の要求である。護法局の発想によって踏み出した正本堂や戒旦の本尊は、教義的には像法の処に収まり、そこにあっての広宣流布も発足したようである。文底にあるべきものが、今漸く文上像法に安住の処を見出だしたようである。ここに水島教学のねらいがあったのであろう。しかし、そこは仏法といえるような境界でないことだけは自覚しておかなければならないであろうが、もし自覚すれば罪悪観につながるかもしれないが、現状では安住しているのではないかと思う。
 早急に仏法境界に出来た法門の整理をしなければならない。これが今与えられた最大の課題である。時の混乱に始まる矛盾の整理が必要なのである。以上拾い出した引用文は、文底家には必らず注意して読まなければならない処である。又よく注意して読めば必らず仏法に出るようになっているのである。しかも今水島は像法に在りながら仏法を名乗ろうとしている。そこに閉口が待っていたのである。謙虚に法門の時の厳しさの裁きを受けるべきである。
 水島によって己心の法門は邪義だと一言のもとに破し去られたことは、日蓮には最大のショックであったかもしれない。これが認められなければ仏法の世、上行の世は来ないであろうし、民衆は上からの圧力から抜けきることは出来なかったであろうが、今水島は、古い権力支配の態勢に返そうとしているのであろうか。仏教はあくまで釈尊に限り、上行による仏法の建立は一切認めないというのが基本方針のようである。教学面からはそのように出るのであるが、そのくせ信仰信心教学では、日蓮以外は一切認めないのであるから分らない。
 何れもはっきりした時をもっていない。肝心の仏法は皆無であり、それを裏付けるものは現代の天台学者であり、他門下の教学であり、一向に消釈されていないのであるから、どうみても像法へ収まるのである。これでは一向に仏法にはつながらない。そのためか、正本堂も戒旦の本尊も広宣流布も、教学面では像法へ収まっている。つまり信仰信心とは似ても似つかない処へ出ているのである。そのために口を閉じる羽目になったのではないかと思う。ここをどのように乗り越えるか、当面の難問である。もし出来なければ、その矛盾に倒されることもあるかもしれない。今は矛盾が口を封じたということではなかろうか。当家を捨て置いて台家に走るものの宿命という外はない。
 水島教学では己心の仏界にある釈尊も、己心の菩薩界にある上行等の四菩薩も、其の他己心の十界は一切認めず、ただ本仏日蓮のみを認めようというのである。そして戒旦の本尊には己心は一切認めず、そこに現われた姿のみを認めようとする中で、結果は像法の本尊として認めるようなことになったようである。それが或る時己心の本尊と同じ状態で現われる時、それを己心といわず、信心という語をもって現わすのではないかと思う。本仏もまたその信心の上に現わされているようにも思われる。それだけに複雑なのである。解釈が常に浮動しているのも、そこに原因があるのかもしれない。
 天台教学をもって裏付けられた本尊は仏法にいう処の本尊とは別箇のものである。今の解釈による限り、本因の本尊が現われるようなことはないであろう。何はともあれ、仏法の時を決めることから始めなければならない。これが今の急務である。しかし、己心を邪義とする限り、仏法の時は現われるようなことはないであろう。その時登場するのが信心である。このあたりの難問はこの信心以外には解決出来ない。今これを假に超過の信心と名付ける。この超過の信心によって出来たものは、他宗には一切理解することは出来ないので、このような信心は法門の処に返し、信心も本来の信心に返すべきである。この超過の信心が独善を生んでゆくのである。
 仏法の時を決めることが出来れば、本尊も必らずすっきりと現われることであろう。それは本時の娑婆世界を確認出来るからである。己心を認めない今の宗門には、本時の娑婆世界を捉えることは出来ないことは勿論、そこに現われる本尊もまた見ることは出来ない。そこで働くのが超過の信心である。そして本仏日蓮がいきなり登場するのである。ここでは己心も必要はないようである。勿論仏法の時の必要もない。そこで超過の信心が働くのである。そのような処では、不相伝の輩、不信の輩という語も通用するようになっているようであるが、そこに孤独が待っているのである。そして今は、大地の上の本時の娑婆世界は次第に虚空に上っているようである。
 虚空は本仏の住処ではないが、今は殆ど足は大地から離れているようである。言い換えれば法門が次第に迹門化しつつあるということである。時局法義研鑽委員会は、それについては大きな足跡を残したようである。そして虚空を目指して手を延ばしている間に、足が大地から離れたことに気が付かなかったということであろう。今こそ本時の娑婆世界を、我が足をもって踏みしずめなければならない。その時始めて宗門安泰の時もくるであろう。それが真実の広宣流布ではなかろうか。
 委員会の面々は、この本時の娑婆世界をどこに見ようとしているのであろうか。己心を邪義と決めてどこに求めようとしているのであろうか。己心を否定しては、本時の娑婆世界も本尊の為体も、共に単なる理の法門でしかないということではなかろうか。委員会の成果からすれば、その目標は本尊を理の法門化するところにあったようである。これらは大日蓮にも荒方記録されている処であり、将来分析する篤志家も現われることであろう。
 「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字をもって、閻浮の衆生に授与せしめ給う」(聖一五八)、「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起し、妙法五字の袋の内にこの珠をつつみ、末代幼稚の頸にかけさしめ給う」と。この二文は一閻浮提総与と解して差支えないように思われる。これは本因の本尊の処で解さなければならないものであるにも拘らず、本果の本尊で解され、しかも真蹟ということであったために混乱したのである。本来は文字の表われていない本因の本尊のことであるが、つい力が入りすぎて混乱したのである。
 この一閻浮提総与は元より正宗の信者のみを対照にしたものではない。信不信の外のことである。それが一宗に限定され真蹟となったために思わぬ混乱に巻きこまれたのである。時の誤りが事の始まりである。本尊抄の意をそのまま文字に顕わしたものであり、あくまで本因の本尊として受けとめるべきものであり、決して顕露にすべきものではなかった。それが顕露になったときに問題がこじれたのである。本尊を本因というのと、真蹟と称し正嫡というのとは、互いに相矛盾するものがある。前は一般民衆を対告衆とし、後は本果であり、自宗のみを対照とする故に、前をもってきめられたものがそのまま後に向うと、色々と矛盾に出くわすことになる。
 己心の法門として本因に現わされたものが、何の修正もなく自宗のみを対照として顕露の形をとっているのが日蓮正宗伝統法義であり、今は益々顕露の方向に進んでいるのである。己心のみに限定され、内秘に居たものが、そのまま顕露に変ったのであるから大変なのである。今は宗門がまず己心を邪義と決めながら、そこに出来たものが、そのまま表に出ている処に狂いがある。その狂いから当方を見ると狂いに狂ったということになるのである。しかも帰るべき己心の故里は失われているのが現実である。その時、常に自らを正とし、他をまず邪と決めるのである。
 殊に仏教に本因・本尊があるように大石寺法門にもこれをもっている。その時仏法の本因が失われると、仏法の本果と仏教の本果の区別が付きにくくなり、仏法にのみある本仏や本尊が仏教の本果の処で働きを起そうとする。今の混乱の根本はここに起因しているのである。そのために、自分にもそれが分らない、他人には尚更分らないというのが実状である。つまり無仏法、無法なのである。そのための混乱が起きているのである。若し仏法の時が厳重に守られているなら、このような混乱が起る筈もないが、今は完璧にその法が失われているのである。そのために自が正であれば他は邪であり、他が正であれば必らず自は邪となるのである。全く宿命とでもいうことであろうか。それが現実の姿なのであるが、中々修正の方向には向う気配はない。
 今は基本的には仏法の本因本果は失われているようにさえ見える。そのような中で他宗のものを引用すれば、そのまま固有の時が自宗の上に現われて時の混雑が起きるのである。ここは自分が時を確認する以外、全く救いはないように思われる。是非やらなければならない処である。時を決めなければ、本尊も何れの本因本果をとるか、法門を立てるにしても文底文上の区別が立てられない。そのために自由にその間を往返することにもなるのである。如何に狂っているかということは、水島ノートは忠実にこれを記録しているので、その動きの跡も明らかなように思われる。その混乱が二十八回以上続けることを拒んだのである。仏法がこれを拒んだのである。

 本尊の遥拝と直拝
 遥拝は丑寅勤行に限られ、仏法に則った厳粛な儀式の上にあるもので、本仏も本尊も成道も、これによって始めて顕われるもの、山法山規の随一であると思われる。即ち事行の法門の随一でもある。この中には明らかに秘密の意味を持っている。法門の相貌を如実に現わしているのである。本仏や本尊が自力に依って現ずることは成道そのものであり、また広宣流布完了でもある。己心の法門としての広宣流布完了である。知る知らぬとは関係なく祝福は続けて来ているのであるが、今は大勢は直拝に遷った。そのために広宣流布も直拝と別々のような感じを受けるようになって、二段構えに本番が移り、自然と、同時という処から離れ各別の処に収まったために、広宣流布が成道と離れるようになったようである。迹門では別扱いになっている。つまり文上の儀式に変ったのである。法門の立て方がそのように変った証拠である。
 法門は、宗門義の立て方によって何のことわりもなく替えられてゆくのである。そこから逆に見れば、宗義が変ったことがはっきり分る。そして今は直拝のみが興盛しているのであるが、昔は、直拝は従の立場に置かれていて、一年のうちにも直拝は一度か二度という程度ではなかったのではないかと思うが、今は全く逆である。それだけに本来の意義である遥拝が弱くなり、薄れて来たのである。現在の宗義の要求に答えているということである。そして広宣流布の意義が大きく交替した陰に、法門が仏法から仏教へ移りつつあることを示しているように思われる。そこで広宣流布は専ら迹門流に移ったのである。法門そのものが変化を起している現われである。
 昔は一回の御開扉には、当代・隠居・塔中と、それぞれの供養も莫大であったから、一人で御開扉を受けることは容易な事ではなかったが、今は大勢で受けるのであるから、その点では格安であるが、これは直接法門の上の行事ではなく、信仰が主体になっているのである。遥拝は本因の如く、直拝は本果のごとく、また秘密と顕露の差別も持っているのである。
 今直拝のみが盛んなことは、信仰形態が変ったことを示すものであり、あまり好い傾向とは云えないであろう。信仰形態と宗義とは必らず密着しているものである。しかもその先後は分らないが、今は信仰信心が新らしい形態を産み、宗義を作っているのではなかろうか。何となし原始的な形を持っているように思われる。
 日蓮門下では一般に大石寺も含めて宗義が先行しているようであるが、今の宗門では信心が先行しているように思われるのは、何となし気掛りな処である。見方による相違ということであろうか。遥拝では、宗祖の竜の口の頸の座から池上に終るまでの行苦を刹那に収めて行じているであろうが、今では本因の行が稀薄になってゆくと同時に、本仏・本尊・成道等が自行から忘れられつつあるようである。そして師弟一箇の法門が次第に各別になっている。
 阿部さんが真先に師弟各別を打ち出し、それを裏付けるように、三世常住の肉身本仏論を持ち出したのであるが、これはどうみても成功したとはいえない。反って自分を窮地に追いつめるようになったとしか思えない。これで宗教の中に居れるかどうか大いに疑わざるを得ない。明星池の底から宗祖が毎朝生身を見せる等というのも、全く同じ趣向である。これが今の宗門を代表する本仏論の考え方である。これでも宗教といえるであろうか。只筋の通らない奇蹟のみを追い求めているとしか思えない。そのような中で遥拝の解釈にも反対していたようである。或は遥拝に絶対反対のなかで三世常住の肉身本仏論も出たのかもしれない。一寸低俗過ぎるようである。
 長寿が求めたいなら己心の上に求めるべきである。己心を邪義と決めては、本仏や本尊の長寿は永遠に在り得ないであろう。どのような方法で奇蹟を求めても、それは宗教本来の姿からますます遠ざかる許りである。長遠を求めるなら、必らず仏法の上に、己心の法門に求めるべきである。刹那であるが故に長寿である。本因の本尊も刹那であるが故に長寿なのである。これらは全て遥拝の処にあるべきものであるが、今は己心の法門を邪義と決めているのであるから、本仏や本尊の長寿は殆ど不可能事である。
 己心が邪義というのも信心の上から出ているのであろうが、これは取り返しの付かない大失言であった。阿部さんは刹那の外に本仏や本尊が出現するとでも信じているのであろうか。折角丑寅勤行をやっているのであれば、その勤行を信じるべきではなかろうか。信心が勤行否定の処に立てられているなら、その勤行は無駄なことである。改めて遥拝の意義を考え直してもらいたい。御宝蔵の本尊は本因であり内秘である。その故に遥拝であるが、今正本堂の本尊は顕露である。顕露であるが故に直拝を喜ぶのであろう。そしてこれを裏付けるために天台教学に援けを求めたのである。本尊が顕露になった故に、天台教義が必要になったのである。
 信心が教義を変えたのである。これは信心ではない超過の信心である。これは宗義を作り出す信心であり、他宗他門にその例を見ないように思われる。そのような中で己心は邪義ということも起ったのであるが、あくまでこれは守り続けようとしているであろう。そのような中で丑寅勤行は依然として続けられているのである。全くの二重構造である。一方は山法山規であり、他方は信心教学である。遥拝直拝も、仏法の上で考えられていないことだけは間違いない処であろう。これもまた根本は時の混乱ということであろう。  

 本因修行
本因妙抄の最後には本因妙の行者日蓮という文字があるが、近代は表面から消されたようである。或は一時他門から攻撃を受けたために遠慮しているのではないかと思う。それ程遠い頃のことではない。最近は目に付かなくなってきたようである。以前に突かれたものは、大分整理されているように見える。己心もその内に入っているのかもしれない。今はその整理期に入っているのである。つまり後遺症なのである。殆ど重要な語に限っているようである。それだけ戦々兢々としているということであろう。その余波がこちらへ廻って悪口雑言と現われているのかもしれない。本仏は本因の行者と大いに関係があるように思われるが、本因の行者は消えているようであるし、本尊からも本因の文字は殆ど消えているようである。そして正本堂の本尊のように本果の本尊と替ってゆくのである。やはり後遺症と見るのが最も近いのではなかろうか。
 本因も己心も充分に説明も出来なくなった時に、そのような語のみ取り上げられていることは、宗門としては最も恐ろしいことである。若し他から追求を受けたときにどうすればよいか、そればかり頭にこびりついたのではなかろうか。そのような中で、それは川澄という少し狂ったのが言っているのだ。宗門は全く関係のないことであるということが底流にあって、二年半以前に悪口が始まったのではないかという懸念もある。
 それほど他宗のことが気にかかっているのであるから、本因や己心はそれ程簡単に取り返すことはないかもしれない。しかし、他宗は筋さえ通せば、今恐れている程心配することはないと思う。筋を通していない処について追求して来たまでである。その辺は考え違いしないことである。本因も己心も、開目抄や本尊抄だけでも充分説明して余りあるものがある。安心して即刻取り返してもらいたい。そして安心して本来の法門に立ち返ってもらいたいと思う。
 己心を捨て本因を棄てては、大石寺法門は一切成り立たない。第一本仏や本尊が成り立たない。今すでにその出処が明らめられない処まできているのもそのためである。そのような中で三世常住の肉身本仏論も登場すれば、本因の本尊も影が薄らいでゆくのである。事は緊急を要する問題なのである。今になって貝の蓋を閉じて見ても手遅れである。最早、蓋を閉じて解決出来る時は過ぎ去っていることを知れなければならない。
 水島がいくら己心の法門は邪義だとやってみても本仏や本尊が色を増すこともない。あまり心得違いはやらない方がよい。今になって己心を捨てて何があるというのであろうか。しかし僧侶が御利益に預るには、或は己心はない方がようのかもしれない。要はどこに基準を置くかということである。
 本因妙の行者と云う語がどのような意味を持っているのであろうか。少くとも仏法を守るためには必らず必要なもののように思われる。本因妙の行者日蓮とは、いい換えれば「日蓮紹継不軽跡」なのかもしれない。これを意訳した時、本因妙の行者日蓮が誕生するのかもしれない。このようになれば、この日蓮とは己心の上に誕生した日蓮ということになり、既に俗身を去ったものであり、魂魄の上に考えなければならない。即ち仏法世界に生れた日蓮ということになる。そこは専ら本因を主体とし本因を修行する境界である。しかしこの意を忘れては、本因修行も本因妙の行者日蓮も考えられないであろう。堅樹日好も本因妙の行者と称していた様であるけれども、これは仏法世界に居たとは思われない。
 これが近代身延から小突かれた時には、その境界になかったので、只逃げの一手の中で消えていったのではないかと思う。既に仏法世界、魂魄世界から退散していたのであった。ここは魂魄の上に不軽日蓮を考えるべきであると思う。即ち本時の娑婆世界の上にのみ通用する語ではないかと思う。時を外れて通用する語ではない。本因修行も魂魄世界にあってのみ通用する語であろう。丑寅勤行もこれは明らかに本因修行の場であると思われる。  

 本 時
 迹時に対する語、本尊抄に「本時の娑婆世界は三災を離れ」等と使われて居り、仏法の時を指している。しかし大石寺では確認を怠っているようで、現在はここからすっきりと仏法の時がつかめていない。そのために己心が邪義となるのであるが、ここは「我等が己心」の集中している処、その前の欲聞具足道に始まった文上から文底への切り替えも終って、いよいよ文底即ち仏法の境界に入り、これから啓けてゆこうとする発端の処である。全て己心の境界において書かれている。
 本時とは仏法の時を指している。しかし、ここは一致派でもはっきりしていないのか、仏法には関わりなく仏教即ち法華文上に居り、勝劣派も同様に法華文上に居るようである。仏法と仏教、文底と文上、勝劣と一致と別れるのも、案外ここの処かもしれない。欲聞具足道に始まった仏法への切り替えが確認されないために起ったことである。何れの門下もこの切り替えについては無関心のように思われる。そのためにこの本尊の出現した境界がはっきりしていないようで、これを確認する以前の論議は無駄なことである。それが確認されないために文底本因から文上像法の間を往返するようなことになり、一向に本尊が安定しないのである。
 他門下でも、これ程仏法がはっきり出され、一読文底己心と思われるものが、それには無関係に文上に解されているのである。ここでも己心の上に表わされていることは確認されていない。そのために次の「本尊の為体」が文上で解されるのである。ここは欲聞具足道以下の働きを把握しなければならない。若しここで仏法の、己心の上に表わされたことが確認されるなら、この本尊が迹門で理解されることはあり得ない筈であるが、迹門に出たために解釈が以後途切れて、最後結文まで続かなかったのではなかろうか。迹門には、このような本尊が現われないことは、本尊抄の「本時」の前後に最も明了に示されている。つまりは、ここで仏法の時がつかめなかったということである。
 「本尊の為体」が迹門に出現することは、恐らくあり得ないであろう。これは許されざる飛躍である。今の大石寺が久遠実成の彼方、即ち迹仏世界に久遠元初を見、本仏と立て、本因の本尊を顕現しようとするのと、それほどの異りはないかもしれない。混乱の本源地は案外この「本時」の周辺にあるのかもしれない。門下相寄って、ここの処で仏法や己心の再確認をすることは出来ないのであろうか。若し再確認されるなら、「本尊の為体」からは恐らく本因の本尊が顕現されるであろう。しかし、これは宗体を替えるようなことになるかもしれない大難題であるかもしれない。さて、どう采配が振られるであろうか。まず手始めに戒定恵を確認することである。そして仏法の時を見出だすことである。「時」が失われた中でこのような混乱が起きているのではなかろうか。  

 本仏の寿命
 本仏の寿命は己心の上に刹那の処に見られているので、世間の眼をもってすれば、ないに等しいものであるが、その処に無限の生命を見るのである。それに堪えかねて出たのが三世常住の肉身本仏論であった。見当違いも誠に至れり尽せりという感じである。本仏の寿命は三世超過であるが、三世常住は己心の法門の領域ではない。超過と出るべき処が誤って常住と出たのであろうが、己心を邪義と決めたために目前に姿を現わしたのであろう。何としても初歩的なミスである。
 仏法を外れたために、常住と出たのであるが、少々の訂正では収拾は付かないように思われる。仏法と世俗の混乱である。その「時」の混乱がこのような前代未聞の珍説を生んだのである。肉身を遮断した己心の上に成じた本仏の寿命を、肉身の上に考えたための誤りであって、何ともお粗末なことである。未だかつて例のない珍説である。それにしても思い切った珍説を出したものである。他宗は一度で底の底まで見抜いたことであろう。釈尊でも現世は八十年である。
 現世とは肉身の続く間であるが、それが過去遠々から未来永々まで肉身が続くのであれば現世一世である。これでは過去も未来も入る余地がない。これでは現世の定義付けを変えなければならない。三世超過であれば己心の上に充分考えられるが、三世常住の肉身本仏はどのような世界に存在するのであろうか、その所住の処さえ明らかにすることは出来ない。これでは阿部さんの発言といえども法門ということは出来ない。綸言汗のごとき法主の発言、どのように収まるのであろうか。取りあえず仏法を確認することから始めるのが一番の良策である。この説法から本仏の寿命を見出すことが出来なかったのは、返す返すも遺憾なことであった。
 本仏の寿命は本来刹那の上に長寿を見ているのではないかと思う。そのために魂魄や己心の法門が必要なのである。宗祖一人を本仏としたのではその生命が続かない。六十年以上延ばすわけにはゆかない。一人の衆生の己心に本仏を見れば、それは三世に亘って無限である。その衆生の本仏がその師日蓮の己心の本仏と師弟一箇すれば、本仏の寿命は無限である。そこに本仏日蓮が誕生するのであるが、阿部説では弟子を認めないために六十年しかない日蓮の寿命を無限に延ばそうとしたための椿事であった。このような事は法門の世界では考えられないことである。そのためにあえなく討死と相成ったのである。師弟も差別一本では法門には成り得ないものである。
 恵心の純円一実の無差別の境界こそ必要である。それが戒定恵なのである。本尊抄もまた純円一実は取り上げられている。根本は戒定恵におかれ、そこに己心の本尊即ち本因の本尊が立てられている。その故に本因の本尊は長寿を持っているのであるが、正本堂の本尊のように本果をとれば、そこに長寿があるかどうか、甚だ疑わしいと思う。師弟子の法門は本仏の寿命を保つために必要なのである。
 信不信を超過した処に本尊抄では本尊の寿命をみている。その意を遷したのが御宝蔵の本因の本尊であり、それを板に彫ったのが戒旦の本尊であるが、今のような形で外に出てしまえば、御宝蔵の本因の本尊との、そうした関係がなくなったようである。そのために新らしく天台教義をもって裏付けしようとしたのであろう。若し本因の本尊の裏付けするのであれば、本尊抄が使われた筈であるが、しかし天台教義をもって本因の本尊を裏付けしようとすれば、像法と出るのは当然であるが、あのような本尊の出現は、必らず滅後末法に限られている。そのために今回も優秀な頭脳をもってしても成功することが出来なかったのではないかと思う。
 つまり本仏の寿命の無限を証明することが出来なかった。それは時を誤ったのが根本のように思われるが、己心を邪義と決めたために、自然に本仏の長寿を証明することが出来なくなったのである。即ち日蓮正宗で本仏の寿命を証明することが出来なくなった事を内外に発表した。それが三世常住の肉身本仏論なのである。吾々はそこに大きな意義を見たいと思う。今も御本仏の寿命ということはよく聞く語ではあるが、実際にはその六字だけが全部なのである。それほど証明が付かなくなっているのである。しかし見方を替えるなら、この本仏の寿命という語の中には、重要な法門は全て含まれている程のものであるように思われる。
 久遠元初を久遠実成の遥か彼方に持ってゆこうとしたのも、本仏の寿命に大いに関りのものであるし、そこには当然久遠名字の妙法も含まれている筈であるが、これも完全に失敗である。迹仏世界では、久遠実成は最長最遠の処を指しているのであるから、その彼方に元初を持ってゆくような事は絶対に許されないであろう。そこに見る元初は依然として迹仏世界を一歩も出るものではない。しかも己心は認めない、戒定恵も認めないでは、元初のおちつく先もないというのが実状である。これでは本仏の住処が決まらないのは当然である。何はさておいても本仏の住処を決め、寿命を安定させることである。
 久遠名字の妙法と事の一念三千によって本仏や本尊を求めることは出来たとしても、それが迹仏世界に顕現されたのでは無意味である。迹仏世界はそのような本仏や本尊の出現する処ではない。つまり自分がそのように思うだけのことである。本来として出現するような状況には置かれていないのである。現状ではそのような状況ではないということである。そのような中で長寿を求めるようなことは、尚更無理である。このあたりで法門そのものを考え直すべきではなかろうか。法門は、増上慢だの職人芸などと悪口を重ねて見ても整備されるものではないことを、まず知らなければならない。
 宗祖一人を本仏と決めることは至極簡単ではあるけれども、その代償として本仏・本尊の寿命が失われたのでは、あまりにも失われたもが大きすぎる。宗祖一人を本仏と決めるのは信心であり、寿命は法門の担当する処である。そのために寿命が失われた処で、三世常住の肉身本仏論が出たのであるが、これは全く法門とは関係のないものである。明星池の底から七百年過ぎて本仏日蓮が顔を見せるなど、全く愚の骨頂である。これらは魂魄の上にあるべき本仏の否定であり、自受用報身が題目を唱えるのも、肉身本仏日蓮の上では考えられることであるが、開目抄や本尊抄では一切考えられない処である。己心の法門を捨て、日蓮一人が本仏と考えられた時にのみ通用するものであり、信心教学の極地と承知したが、これは本来の本仏と同日に論ずべきものではないが、日蓮正宗の法主である阿部さんは、以上のように公式見解を発表しているのである。
 おかしいといえば魔説であるといい増上慢というのであるが、何れが魔説であろうか。自説以外は全て魔説であり邪説という意と思われる。しかし、このような説を正説と信じる人があるのであろうか。このような中で、魂魄の上に建立された本仏を否定していることは動かし難い処であろう。どう見てもこれは仏法の所説ではないことは間違いのない処である。魂魄の上に刹那に成じる本仏の寿命もまた魔説の内に組み入れられたようであるが、肉身は必らず生命に限りがある。そのためにまず肉身を遮断し、しかる後に本仏は説かれているが、今は肉身の上に説かれる本仏のみが正説と極められたのである。ここは法主自らこの説の裏付けを後代に遺すべきである。そして刹那に肉身を遮断して魂魄の上に成じた本仏は今日以後廃して、肉身の上に現じた本仏こそ真実であることを明らかにすべきであろう。
 しかし、この本仏論は宗祖一人を本仏と決めたところに無理がある。一人の肉体を五十六億七千万才まで延ばすことも出来ないであろう。そして三世をそのまま生かそうとした処は迹門の辺が濃厚であり、法門の三世超過には遥かな隔たりがある。久遠元初を迹仏世界に見ているために、迹門の絆に強く引かれているように見える。そのくせ迹門にそのまま根を下すことも出来ないであろう。基本的には今の正宗教学に通じるものを持っているようである。
 結果としては、本仏の寿命を不安定にしたことは間違いないと思う。時局法義研鑽委員会も、このまま捨て置くことは出来ないであろうし、ここまで来て本仏の寿命を見捨てるわけにもゆかないと思う。毎朝々々の勤行も本仏や本尊の長寿を祝福しているように思っていたが、その解釈も既に新らしい方向に向きつつあるように思われる。この新生命論はどのように落ちつくのであろうか。

 本仏の振舞
 これも今は数少い仏法の名残りの一つである。本仏が宗祖一人に固定してくると分りにくくなってくるが、ここには本仏の原型を止めている。この本仏は、御授戒を終って客殿に来た衆生の立居振舞はすべて本仏の振舞であるが、今のように宗祖一人に本仏が限られて来ると、分りにくい語である。師弟共に本仏であった趣を止めている。そこには丑寅勤行を背景に持っているであろう。ただの参拝客というだけのものでもなさそうである。
 このような語は、解釈が変ってくると消える可能性を持っている。今では仏法の語としては古典に属するものであろう。宗祖一人ではそれ程の感興も沸かない語である。目で確かめたいなら仏法を再確認することである。法主一人に本仏の振舞を見ようとするよりは、師弟相寄った処に見れば、丑寅勤行も更に解り易くなるであろう。

 末 寺
 ここでは戒旦として立てられた正本堂とは関係なく、昔も今も変ることなく御授戒が行われている処を見ると、末法の戒旦即ち事の戒旦と考えてよいと思う。丑寅勤行のうち授戒を担当している。授戒を受けることによって勤行に参加する資格を得るのである。法華本門の戒がどのような意味かも分らず、只口写しに唱えるのみであっても、山法山規の上では充分にその意は達しているのである。その意味が消えても差し支えのないようになっている。それが事行の法門である。
 末法無戒を唱え乍ら、何の障りもなく末法有戒も充分通用するのである。前は在世であり、後は滅後である。時の切り分けが出来なければ矛盾に出くわすことになる。今はそのような事は何も考えないことになっているのであろう。しかし法門の立処を明確にしておくに越したことはない。末法有戒の戒とは、道師の三師伝の扱いから見て開目抄と考えるべきであろう。即ち戒定恵の戒であり、本仏ともなれば宗祖にも当てはめられる、その戒を持つや否やということである。これによって客人として客殿に至り丑寅勤行に参加することも出来る。
 世間並みな末寺というよりは、師弟の意が更に強いように思われる。つまり授戒を通して師弟子の法門が示されているのであろう。その意味で寺号を名乗るのは本寺のみであったようで、他宗の末寺とは違ったものを持っているのであろう。むしろ塔中のような意味を持っているように思われる。この戒の意味などは、他宗のものでは一向に参考にするものがない。そのために意味不明になったものであろう。
 精師の時は一時御影堂に本尊を遷されたが、末寺の戒は同じであったのであろう。しかし内に戒旦堂の意味は充分持っていたことであろうが、いつの間にか御宝蔵に蔵されたのである。いままた戒旦堂は建立されたけれども、今度は天王堂と垂迹堂は建立されたようには聞かない。滅後末法に法を立てる大石寺には、末寺が戒旦の作きをしているのである。滅後末法には戒旦建立は必要がないということを末寺が事をもって示しているのである。何をおいてもこれを正視しなければならない。  

 末法の行者
 戒定恵を含めた題目を唱える滅後末法の行者の意味であり、題目を唱える前に戒定恵を確認する必要がある。己心を邪義と決めて唱える題目はこれに相当しないように思われる。水島が唱える題目には戒定恵を含めているとはいえないであろう。戒定恵を含めた題目から本仏や本因の本尊も顕現され、成道もある。戒定恵を含めた題目が絶対條件になっていることは、諌暁八幡抄の扶桑記の引用にも明らかである。これが滅後末法の題目である。
 己心を邪義とすることは、戒定恵を邪義と決めることと同じである。それでは本仏も本尊も現われないであろうし、衆生の成道がある筈もない。また現われる本尊は本因の本尊ともいわれるので、その末法の行者とは本因妙の行者と同じ意味であるが、今は他から異論があって返答に窮したためか、最近はとんと使われない。殆ど死語化しているようである。この末法は滅後末法の意であり、決して在世末法の意味ではない。己心の上に考えなければならない。仏法において不軽の跡を紹継した日蓮と考えるべきである。行によって経の上の体を表わすのは仏法のあり方である。
 絵像木像を斥うのも仏法の故であるから、今の在り方からすれば、別にこれを斥う理由はないように思われる。今は何をもって絵像を斥っているのであろうか。法華の行者とは悪口罵詈せられ、数々見擯出の目にあり、流罪死罪にあうのが条件のようであるが、悪口罵詈する立場にある皆さんには、法華の行者の資格があるようにも思えない。  

 末法万年の化導
 御影堂の担当するところ、外相を表わしている。これは内証を担当する御宝蔵の本尊に対するものであり、体用の関係にあるものである。御宝蔵を還滅門とすれば、御影堂は流転門をとっている。今は正本堂が出来たために、共にそのお株を奪われたように見えるが、御宝蔵・御影堂共に仏法に則って出来ているのである。御影堂の本尊は特に万年救護の本尊という。この本尊は御宝蔵の本尊の作きの内、特に末法万年の化導の意を表わしたものである。御宝蔵の本因の本尊に対しては本果の意味を持っているが、これは仏法の上の本因本果である。昔から御宝蔵と客殿は左尊右卑、御影堂は右尊左卑といわれ、座配もそのようになっているが、今の正本堂はどのような座配になっているのであろうか。その在り方から見て右尊左卑を取るのが順当なように思われる。万年救護の本尊の化導の対照は閻浮の衆生である。  

 巧於難問答
 難問答を巧にするためには常に学問に励まなければならない。そして学んだものを捨てる用意が必要である。それによって飛躍も得られるものであるが、一夜漬では捨てるべきものは何一つない。宗祖も三十三年間に学んだものを捨てることによって、仏教から仏法へ飛躍することが出来たのである。この語も、学んだものをいかに捨てるかということを教えているのである。宗祖も捨てることがなければ仏教から抜け出ることは出来なかったであろう。
 他宗他門のものを学んで捨てることが出来なければ、その宗に閉じこめられるのは当然である。捨てるための学問に常々心掛けることを示されているのである。捨てるとは不要なものを捨てる意である。特に大石寺のように仏法をとる処では、諸宗の学問をしてこれを捨てることが肝要であることは、宗祖の示された通りである。それが学はいらないとして始めから学をさげすんだために、まさかの時に捨てるものがなかったのである。これでは難問答に勝てるわけもない。事が始まってから、それも何年もたって探り始めても、間に合わないのは当り前の事である。巧於難問答の意をよく知ることである。
 今度の問答が巧であったとは義理にもいえない。この意をもって平常から学問を怠るでないぞと誡められている語である。信心と行のみでは問答にはならないことは分ったと思う。明日のため大いに学問に励むことにしてもらいたい。「久保川論文を破す」に倍して、後を続けてほしかった。争うなら平常心をもってすべきであるのに、あまりに気負い過ぎたために悪口が先に立ったのである。あわてて寄せ集めてみても、それは蓄にはならないことは経験済の通りである。巧於難問答は目師の徳であり、同時に後来のものを誡められた語である。味うべき語であると思う。  

 狂 学
 文底が家の学の筋を外れた処を指摘されて、つい口を衝いて出た悲鳴ともいえる語である。しかも教学部長の口から出ているのである。おまけに法主は、狂った、狂った、狂いに狂ったというのであるからどうにも頂けない。それも己心の法門を邪義と決めた上での事である。すぐあとには開目抄もあれば本尊抄もある。それを知ってか知らずか、己心を唱えるものを狂った狂った、狂学だと思えるのが今の宗門である。何故己心を唱えるのが狂っているのであろうか。本仏も本尊も、仏法も下種も、己心がなければ何一つ出る筈もない。これらのものを狂った、狂学だというなら、今の宗門に何があるというのであろうか。自らこれを捨ててしまえば、宗門は法門的には壊滅同然である。
 七百年を支えて来たのも己心であり戒定恵である。それを狂学として、何を正常な教学とするのであろうか。他宗のものは即刻正常な判断を下して呉れるであろう。その正常な教学とは、他門他宗の教学の下で仏法を唱え本仏を語るのをいうのであろうか。久遠元初も五百塵点の当初も既に迹仏世界に遷されている。そこで仏法や本仏を唱えるのが正当教学と考えているのであろうか。迹門に根本をおくなら、仏法や本仏等は引込めるべきである。現状では文底・文上何れが根底になっているのか、宗義の立処がはっきりしない。
 他門の攻勢を恐れて狂学と唱えても、それは逆効果である。上代から伝えられたものを些かの狂いもなく唱えてこそ正常といえるのであろう。取るか捨てるか、己心の法門には兌協は在り得ないであろう。それが出来ると思うのは信心教学なのかもしれない。これは信心の下に造られた教学であるから、そこには或る種の兌協を持っているのかもしれない。一挙に天台教学を直輸入しようとしたのも、誤った兌協による処であろうが、これは見事に失敗したようである。再びそのようなことは考えない方がよい。そのような隙があれば、独自の古伝の教学を探り当てた方が賢明である。
 大勢の僧衆を前に己心の法門を狂ったと声を大にしても、賛成する者ばかりは居ないであろう。それよりか久遠元初を仏法の処に取り返した方が余程賢明である。壇上から狂学といえば、こちらのいい分が即時に狂学になるというようなことは、少くとも大人の考えることではない。そのような語は、発する前に再三再四考え直すべきである。この語が己心の法門を否定していることは明らかである。取り返しのつかない大事であることには気が付いていないのであろう。或は始めから己心はなかったのかもしれない。それでこそ狂学といえるのであろう。この狂学の語は何回出たのであろうか。一回限りではほんの思い付きである。何れも一回二回しか続いていない。敲かれては又次を出すのはいかにも浅薄である。
 水島ノートの二十八回はよく続いた方である。文底が家の教学を考え直さなければならない時が来ているようである。このノートも一向にヤユの効果はなかったようである。それでもヤユしていると思えるのは独善の賜である。それはとも角として、この狂学の語の中には、必らず自分の言うことは正しいというものが根底にあるように見える。これが独善である。邪宗という語も狂学という語も、何れもそこから出ているのである。これでいい足りなければ魔である。とうとう最後には魔と出た処で終着駅を迎えたようである。  

 鏡像円融
 もと天台の語であるが、大石寺法門にも大きな影響を与えている。この法門は本迹の交替の処に大きな意義がある。鏡に映った像は、本の像があるから鏡に映るのであるが、映ったあとは映像が本となり、本の像が迹になる。若し水に映せば水鏡の御影といわれる。人の像は右尊左卑、水鏡の御影は左尊右卑であり、これをうけて御影堂は右尊左卑をとり、客殿及び御宝蔵は左尊右卑による。
 御影の胎内には古くは絵像が入って居り、客殿及び御宝蔵はその絵像によっている。その絵像とは新定御書の巻頭の水鏡の御影である。これによれば、己心の法門は左尊右卑ということになる。明星池に映った本尊もまた水鏡の御影である。その御影のおさまる御宝蔵は胎内でもあり、時に体内ともいわれる意味がある。門下にはいくつかの水鏡の御影があり、真宗にもあるが、その他の宗には聞かない。真宗と日蓮宗に限られているのは、宗の立て方による処であろう。
 この水鏡の御影はいうまでもなく魂魄であり、ここに己心の法門が建立せられているのである。その水鏡の処に本仏・本尊の永遠の生命即ち寿命を見るとき、水の処に寿量海中の己心の一念三千の珠を見出だすのである。この水鏡の御影が本、もとの影を写した人が迹になり、ここで本迹の交替が行われ、水鏡の御影は肉身を遮断した貌、これに五大を付すと人になるということである。ここで己心を邪義と決めては本仏や本尊は永遠に出現することもない。しかし現在は出現済のものによるために、自然に自行自力が消え、反って天台教学にその裏付を求めている。そのために知らず識らず宗旨そのものが替り、思いもよらぬ処に走ったのである。大きく大石寺法門を逸脱したのもそのためである。しかし己心の法門を捨てた以上、本処に帰ることは不可能であろう。
 仏教から仏法へ移行するためには、必らず本迹の交替が必要なようである。開目抄の最後に「仏法は時に依るべし」とあるのも、本迹の交替が行われている意であるし、本尊抄も亦同様であるが、今の立て方の中には、この交替が確認されないために、仏法から逆に仏教に帰り、そこで仏法を名乗っている。その状況を子細にしたのが、二ケ年半の成果であった。一度静かに振り返って見ることである。
 この水鏡の御影が、御影像から外に出るのは室町期後半のようである。これは宗義そのものが大きく変ったしるしである。今また宗義的には大きな変動期にあるようである。それだけに、水鏡の御影にはあまり感動はないことであろう。時がそのように変っているのである。今は反って水鏡を立てることが邪義になっているのである。つまり脱仏法である。昔熊沢藩山が真昼の岡山城下を提灯を燈して去ったのも逆を諷したものであろう。逆も逆、真反対というのは宗門のことのようである。そのような中で、山田も水島も沈黙の道を選んだのである。逆の処にいることに気が付いたためであろうか。  

 広宣流布
 「薬王品に云く、後の五百歳閻浮提において広宣流布せん」(新定九七四頁)と。「天台大師記して云く、後の五百歳遠く妙道に沾わん」と。「妙楽記して云く、末法の初冥利なきにあらず」と。「伝教大師云く、正像やや過ぎ已って末法太だ近きにあり等云云」(以上新定九七五頁)と。経のまま読めば在世末法であり、今の宗門や正信会はこれによって広宣流布を立てて居るが、法を仏法に立てて居れば文底己心に読みとらなければ、文の上には本仏や本因の本尊は現われない。滅後末法に読むのは当然である。依義判文抄でも戒定恵が初めに出ているので、この文のみ文上に読むようなことはなされていない。第四第五に本因の本尊や本仏が出るのは、戒定恵により仏法によっている証拠である。
 或る時には仏法により、或る時には仏教によったのでは、時が混乱して筋が通らない。法を仏法に立てている以上、文底己心に読むのは当然であるが、今は己心を邪義と決めたので文上に読むことになっているようである。それなら本仏や本因の本尊を捨てて迹門に帰るべきである。しかし己心を邪義と決める位であるから、本尊は何とか迹門に切り替えたようであるが、残る処は本仏のみである。これを捨てれば文上迹門に広宣流布を見ても差支えないであろう。成道は既に死後に切り替えられている。
 本仏は文底に本尊と成道は文上にでは仏法に法を立てているとはいえないであろう。(現実には本仏は迹門に立てられている)。天台の学を持ち込む前に、まず仏法を整備しなければならない。仏法を立てるためには、まず時を知らなければならない。今は時のない処に仏法を立て、本仏や本因の本尊を唱えているが、凡そそのようなことはあり得ない事である。そのために久遠元初が迹仏世界に出るのである。
 文底の広宣流布は、不開門や丑寅勤行のように完了が同時であるが、今は広宣流布が不明である。それは文上を取っているためである。五十六億七千万歳先の完了では気が遠くなりそうである。広宣流布は仏法の上に、即ち滅後末法に立てなければ意味がない。これでは滅後と在世と、同時に広宣流布が行われていることになる。
 今のように久遠元初が迹仏世界に考えられると、同時に在るべき久遠名字の妙法や事の一念三千も迹仏世界に考えなければならない。そうなれば、そこに出る本仏も本因の本尊もまた迹仏世界に出現したことになる。これは本来迹仏世界に居る宗は困惑するであろうし、このような事は絶対に許さないであろう。しかし、正宗要義と山田説とによれば、必らずこのようになる筈である。これに対してどのような対策を立てているのであろうか。これは大きな難点である。元初や本仏・本尊が迹仏世界にあれば、広宣流布が迹仏世界に考えられてよいかもしれない。しかしそれが文上のものであれば、それは許されないであろう。委員会も改めて篤と検討すべきである。既に広宣流布は始まっているのであるから急がなければならない。
 久遠名字の妙法とは、恐らくは上行所伝の妙法であろうが、これも己心を外しては、手にすることは出来ないであろう。久遠元初を迹仏世界においただけでも、色々な難問を提供しているようである。自分では文底をとったつもりで仏法とか大聖人とか本仏とか称しても一向に文底でない。迹仏世界は上のようなものの所住の処ではない。そのような処から自然に独善になってゆくのである。
 魔というのは本仏境界に自分を置いた時に出る語であろうか。増上慢にしても怨念にしても同じようなものを持っているように思える。手前をいくら文底を称してみても、その基点に至ってみれば迹門であったという事である。大石寺の孤立化の根源はそこにあるようである。仏教概観の久遠元初はそのような処にあり、要義の元初もまたこれを踏襲していることが分る。このために本仏も仏法も不明朗になっているものと思う。それが極限に至った時、自然と魔説などという語が出てくるのである。そしていつの間にか体質化して来る。既にそこに百年近い年月を経ているのである。
 何を措いても、この久遠元初をまず久遠実成から切り離さなければならない。その時を決めなければ、久遠元初は現われないであろう。それがはっきりしない処に、不相伝の輩、不信の輩などという語が出るのである。時の混乱がそのような異様な語を必要としているのである。仏法の時は、まず信不信の外にあることを知らなければならない。不相伝は一閻浮提総与を否定するようなことにもなりかねない。一閻浮提総与は仏法の処にあるもの、不相伝は仏教の時を離れた処の時を思わせるものがある。久遠実成の処にあって元初を称えるなら、称える方に弱味がある。これは時の混乱による処である。教相教義は後廻しでよい。まずこの時を仏法に据えることが、今の第一の課題であると思う。
 悪口雑言も時の混乱の中から自然ににじみ出て来ているのである。まず始めに時を決めようといわれている時を除いて法門を立てること地体無理がある。仏法に時がなければ変幻自在は当然のことである。不信の輩というのは、反って自分等が仏法の時に対して不信の輩であることを表明しているのみである。これが文底の読み方である。信不信のない処へ向けてこのような語を使えば、その人が、どのような時にいるかということも自然に分るものである。或る時はそれをもって無時と解する場合もある。
 信心の持ち合わせはないけれども、折角の御尊師方の御言葉を無にしないように、常に仏法の時を規準にして拝見していることを申し上げておくことにする。広宣流布が仏法の時を外れ、仏教の時の上に動いていることは奇妙に一致している。思わず知らず文の上に出ているのであるから、自分で気が付くようなことではない。そして次第に双方の時から外れて深みにはまりこんでゆくのであろう。  

 悪人成仏
 文の上の広宣流布をとる時、衆生の成道はどのようになるのであろうか。吾々に委しいことが分る筈もないが、開目抄で二乗作仏と久遠実成を文底に持ちこまれていることは、法華経には衆生の成道は説かれていないということのようである。そこで文の上をとれば成道はどうしても死後になる。そうなれば本仏・本尊と成道が各別になる。これでは宗祖の願望とは真反対に出ることになる。生き乍らの成道こそ大きな願望であった、そのために二乗作仏が必要であったのであろう。
 二乗は善人である。その永不成仏の二乗は法華に至って漸く成道するが、これは生きながらの成道である。それを滅後末法に仏法を立て、そこに愚悪の凡夫の生きながらの成道が考えられるのである。文上をとれば生きながらの成道は二乗に限る。そこに文底という仏法の必要がある。これは愚悪の凡夫のみが対照であり、釈尊成道以前に置かれているようであるが、二乗は成道以後にあるので善人成仏となる。親鸞が善人すらなを成仏すというのは二乗作仏を指しているが、浄土経では出ない処であり、ここは内々に法華によったものである。そして悪人成仏も本因にあたる部分は説明されていない。そして、善人すらなを成仏す、況んや悪人をやとなるので、吾々は隠された前段の本因にあたる部分が分らないが、今この部分がどのように説明されているのであろうか。
 当時関東方面には、四明流とは別な、民衆成道が盛んになって来たのではなかろうか。一念義はそのような民衆の欲求の中に生れているようで、親鸞の教えは本来仏法の立場にあるものである。これに対して日蓮が法華の立場からそれを明したのが開目抄であり、そこには本因の部分のみが詳細にされているのである。善人すらなを成仏すでは結論だけしか出ないので、これも信心によって理解するのが身近かな方法なのかもしれない。己心の弥陀や唯心の浄土も同様であるが依経の制約によって立ち入ることが出来なかったのであろう。覚如の時は四明流に影響されたのか、急に京風に変っていったようである。
 親鸞や日蓮のような考えは、本来その人一代に限るのかもしれない。思想的な面が強いためであろうか。これは仏法的である。元祖・二祖・三祖が表に出る頃は仏教的な方向に進んでいる時であるが、大石寺のみが仏法を残し、室町の終りまで続いたが、その後大きく崩れたのである。真宗では唯円の跡はどのようになったのであろうか。或は時代の新しい動きの中で消えていったのかもしれない。日蓮門下も宗教として一派を興している時、覚如も宗教として踏みきろうとしたのかもしれない。己心の弥陀では一宗を立てることは困難であったのかもしれない。従義から四明への転換が行われていることは間違いのない処であろう。
 この悪人とは今いう処の悪人ではなく、愚悪の凡夫であり、根本は釈尊の成道以前の凡夫身をさしており、仏のもとにあたる。これを愚悪の凡夫の仏法の時に別立して常の凡夫にあてて本仏といわれているように思われる。その故に師弟共に愚悪の凡夫であるが、後には師のみが本仏になり弟子は本仏の座から外され、刹那成道によって現われる本仏が、一人となったために生れながらの本仏というように変ってくる。今大石寺の本仏は生れながらの本仏から更に三世常住の肉身本仏ということになっているのである。
 この愚悪の凡夫と親鸞のいう悪人とは同じであり、善人とは法華経の二乗作仏の二乗を善人と称しているのであろう。しかし、これは世間でいう善人ではなく、二乗に限られているようである。その点親鸞には法華に近いものを持っているようである。この悪人善人は世間の善悪に解されやすいものを持っている。開目抄では善人悪人は委しく説明されている。その善人成仏を、仏法を立てることによって愚悪の凡夫の生き乍らの成道に切り替えられている。
 善人成道は法華経の文の上のことであり、愚悪の凡夫の成道は文の底であり、この故に己心の法門が必要なのであるが、己心を邪義と決めては衆生の成道は成り立たないであろう。その時戒定恵によって純円一実の処、無差別を立てることが必らず必要なようである。親鸞では、直接には一乗要決を使われているものと思われる。只表立って法華経が使えなかったために、戒定恵を明らさまに出せなかったのではないかと思う。門下が仏教に替る時期と覚如とは大凡同じ時であり、そこに時の流れが感じられる。
 親鸞は浄土経によるために戒定恵を内秘せざるを得なかったのは痛い処のように思われる。悪人成仏がもてはやされても本の法華経を表に出すことが出来ず、浄土経をもとにしては経の上での会通が出来ず、いきなり世間の悪人につなげて考えるような処があるのではなかろうか。そこで分らないまま共鳴を得ているような処もある。  

 三祖一体
 三祖とはいうまでもなく宗祖・開山・三祖であり、三師伝では三祖を師とし、自らを弟子として、戒定恵をもって師弟子の法門を表わされているものと思う。その三祖を戒定恵に当てられているので、一箇すれば三学を表わしているように思われる。即ち宗の根元になるものを三祖一体と示されている、師弟子の法門もまた同様なのである。また師弟子をもって上行不軽を表わされているようでもある。若しそうであれば体用と見ることも出来るし、釈尊の因行果徳の二法を表わされているともいうことが出来る。
 己心の法門はこの三祖一体をもって残る処なく具足しているということであるが、今は只伝記とのみ見ているので、以上のものは出ないようである。また開目抄を戒、本尊抄を定、取要抄を恵と当て、戒を宗祖に当てて本仏、定を二祖に当てて本尊、恵を三祖に当てて成道と見ることも出来る。三祖一体とは山法山規の内に含められているようでもある。そのためにその意は詳細に示されていないのであろう。
 六巻抄では三衣を当ててその甚深の処を解説されているようであるけれども、只三衣とのみ読んだために法門にも至らず、殆ど読まれることもなく置かれているようである。伝記としては今一歩という処があるけれども、法門書としては完璧ということが出来るが、このような意見を阿部さんは職人芸といい、増上慢ともいい、また魔説とも称している。少し心を落ち付けて読み直してみてはどうであろう。御尊師方は只これを伝記と読むだけの芸であるが、それは文上家の読み方ではなかろうか。何故これ程のものを文上のみをもって読むのであろうか、全く理解に苦しむ処である。
 もし三師伝の如くであれば、六巻抄の三衣抄のごとく、そのまま事行の法門である丑寅勤行につながるものである。魔説などといわず、今少し深い処を読むことにしてみてはどうであろう。そうすれば久遠元初も迹仏世界に持ち込む必要もなくなると思う。しかし、上の師弟子の法門は、孔孟の師弟子では差別が表に出て法門とはならない。あくまで戒定恵の上に立てられた法門としての師弟子であることを忘れては無意味である。
 また三祖一体には三光即ち日月星辰も含まれて、大きな働きをしている。明星口伝などもそれである。日月星辰が一箇した処が明星である。道師の三師伝には誠に甚深の法門を引かえているようである。文底法門は浅く読んでは出にくいようである。これは以外に大きな難点であった。それがために口を閉じなければならない羽目になったのである。恥ずかしがることもない、誰に遠慮することもいらない。大いに甚深の処を読んでもらいたい。
   昭和六十一年七月七日発行

 

   

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 大石寺法門(四)


 目 次
 
一念三千の法門
 
山法山規
 
互為主伴
 
広宣流布
 
己心の法門
 
山法山規
 
己心と心は同じという事と本果の本尊
 
本尊抄の釈迦・多宝十方諸仏等の文
 
法流布
 
戒旦の本尊  

 

 一念三千の法門
 「一念三千は但法華経の本門寿量品の文の底に秘ししずめたまへり。竜樹・天親ハ知ってしかもいまだひろめたまはず。但我が天台智者のみこれを懐けり。一念三千は十界互具よりことはじまれり」と。この開目抄の文は六巻抄で詳細に説かれており、これを本源として、大石寺法門が委しく説かれているが、今の考えと相反するものか、六巻抄は全く研究されていないようである。
 己心の法門も戒定恵も主師親も隠居法門も丑寅勤行も師弟子の法門も、衆生の成道も久遠元初の自受用身も、また三大秘法も今は迹門文上に解してはいるが、この文に依って説かれるものは本因に属するものである。出るべきものが出ていない処は、それだけ六巻抄が理解されていないためであろう。今は邪義と決まっている己心の法門や、そこに含まれる一切の根源はこの文に含まれているようである。大石寺法門の根源の扱いである。
 今の伝統法義ではその様なものが明らかにされていない。伝統を称することの出来る根源になるものは一向明らかでない。只漠然と伝統を称しているのみである。そこに伝統法義の短命な理由がある。僅か一二回の生命であったようで、今どのようになっているのか、一向に消息不明である。水島が説を伝統法義としても僅か二十八回限りであった。いかにも短命である。今少し長寿といえるような処を目指してもらいたい。
 二年四ケ月では何としても長寿と称することは出来ない。寿量品は寿の長遠を説くためにあることを思い返してもらいたい。これから見ても、いう処に伝統法義が長寿を持っていない処は間違いのない処であろう。一語を捉えたために万語を失するのは、余り賢明な方法ではない。慎重に事を運ぶべきである。余りにも無計画であった。今どのような研鑽をしているのであろうか。そろそろ成果もまとまる頃ではなかろうか。
 一念三千とか十界互具という語は経文にはないが読めないのであろうか。一念三千は十界互具より始まれりとは今引用の文にあるが、本尊抄では十界互具については委しく説かれている。何れも己心の上に説かれている。そのためにはこれからも邪義の内に入りそうである。これらを除いて、本尊抄はどのように展開出来るのであろうか。己心の法門を邪義と決めることは本尊抄の展開を阻むことである。己心の法門とこの二を除いては、本尊抄も動きはとれないであろう。狙いは正しく適中しているようである。己心の法門とこの二を押えては大石寺法門も動くことは出来ない。これは少し度が過ぎたようである。自縄自縛ということであろう。今の御両所もその余波を受けたのか、全く停止状態のように見える。
 法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈められた一念三千の法門は、己心でなければひろめいだすことは出来ない。これが己心の法門といわれる所以である。それが邪義では一念三千の法門をひろめいだすことは出来ない。それでは本仏も本因の本尊も永遠に現われるようなことはない。開目抄や本尊抄其の他の御書を説き出された意味は全くない。宗門や水島は何を思って己心の法門を邪義といい、教学部長は狂学と称するのであろうか。全く狂気の沙汰である。御書の文をもって堂々と証明すべきである。水島程の学匠といえども、それは出来ないであろう。誤りが分かれば早々に取り消すべきではないか。
 己心の法門を邪義とすることは、興師以来の大石寺法門を邪義と決めることであると同時に、日蓮が法門を悉く邪義と破し去ることである。宗祖も開山も三祖も、七百年後の末弟にさんざんに破し去られたのでは穏やかではないであろう。己心の法門を邪義と決めては大石寺には古伝の法門は皆無である。今は何れの宗から移入したものによっているのであろうか。それは法門のすりかえである。邪義に代る正義の法門を明確にする責任があるであろう。ことには頬かむりの出来る時と出来ない時がある。ここまで来ては頬かむりで罷り通るわけにもゆかないのではなかろうか。上は宗祖開山に対し、下は信者に対し、その宗義の依って来たる処を明らかにする責任があると思う。
 寿量品の文の底に秘して沈めた一念三千に依って衆生が成道出来るなら、衆生の続く限り寿の長遠を証明出来るであろうが、二ヶ年と四ヶ月では、とても長寿といえるようなものではない。己心の法門は捨てても長寿の夢は今も残っているのではなかろうか。久遠実成と二乗作仏によってこの長寿は導き出されるのであろう。そのために二ヶの大事といわれるのであろう。この二が衆生が本来備えている一念三千と合するのである。しかし今では、次第に怪しげになって来ているようである。
 一閻浮提総与には本来備えているという意をもっているが、本果の本尊ともなれば、本来備えていないように変わってくる。本因の本尊とは末代幼稚の頸にかけさしめたもうた一念三千の珠である。本果の本尊は一見本尊と分かるような姿をとっているのであるが、本因の本尊とは姿のないのが原則である。
 一念三千の珠を凡眼をもって捉えることは出来ない。その秘密の姿を納めているのが秘密蔵であり、御宝蔵なのである。本因の本尊にも秘密蔵の意味は充分持っているであろうが、本果の本尊にはそのようなものは含まれていない。従って今授与されている本尊には本因に関わるものは含まれていない。戒定恵を含んでいない。そこに本因の時と、本果と決めた以後では大きな相違がある。
 つまり本果の本尊に一念三千の珠が含まれているようには、本尊抄には説かれていない。そこで大きく意味が異なって来るのである。改めて本果の本尊に一念三千の珠が含まれている解釈を見出ださなければならない。この珠がなければ本尊の意味が変ってくるであろう。衆生の成道も亦即刻消えるであろう。これでは絵像木像の本尊と何等変わりはない。他宗の本尊と違っているのはその珠を含んでいるためであるが、それは本因の本尊に限っているのは本尊抄に示されている通りである。まずそれを本果へ移さなければならない。
 本尊を本果と決めることは、己心の一念三千の珠との絶縁を意味している。今本果と決めることによって、一重立ち入った処で新しい難問が出たようであるが、己心の法門も邪義であり、本果となれば、その本尊に一念三千の珠が含まれていないことは間違いのない処であろう。それでは本尊抄の本尊のみを取り上げて、その内容については全く異なった理を附与していることになる。これはどのように解してよいのであろうか。
 つい数年前まで本因の本尊の語は使われていたものが急に本果となったのでは、他門の本尊と同日に論じることは出来ない。宗門では発端から本因の本尊に依っているのであるから、今これを改めるなら、まずその理由を鮮明にした後にしなければならない。それでは六巻抄は専ら邪義を説かれているということになる。
 六巻抄がいかに邪義であるか、これも鮮明にしなければならない。本尊抄や開目抄についても頬かむりで逃げ切ることは出来ないであろう。これらの問題を解決してからでないと、邪義ということは通用しないであろう。結局は新しく難問を背おいこんだのみであった。これなら始めから邪義などと気勢を挙げない方がよかったのである。水島御尊師もとんだものを背おいこんだものである。
 しかし、己心の一念三千法門が邪義と決まれば大変なことになる。三大秘法もその中にはいるであろうが、戒旦として出発した正本堂もその中に含めなければならないであろう。これはどのように扱われているのであろうか。己心の法門は邪義だとやった時、本尊や正本堂が含まれていたのでは、水島の面目も丸潰れということではなかろうか。どのようにして泳ぎ抜けるつもりであろうか。これは降って湧いたような難問である。
 さて、己心の法門を邪義と決めて応仏を教主と仰げばいうまでもなく文上迹門である。文底は消えたことであろう。本仏も文上から求めることは出来ないし、仏法も求めることは出来ない。そこは応仏世界であり在世末法である。即ち仏教の世界である。そこでは種脱相対の必要のない処であり、権実・本迹の二つの相対のみで、一念三千を持たない内外・大小の二つの相対と二つずつである。
 種脱相対が消えては下種仏法の語も使いにくくなる。本尊をたとえ本果と決めても本迹相対の処で本尊を求めることは出来ない。次々に予想も付かない変革が起きる。また日蓮正宗要義も己心の法門や種脱相対を除外し、本仏や本尊に関しても全面的に改変しなければならない。今まで発表されたものについてでも改変する必要がある。威勢よく発表したまではよかったけれども、後始末が大変である。
 大日蓮によると山法山規は全く不明ということであるが、宗務院が公式に発表したことであるから間違いはあるまい。若し在ったものが不明になったとすれば、受持されなかったということである。山法山規は己心の法門と密接な関係を持っているが、今となってはその必要もなくなったのであろう。
 「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸刎ねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて」と。これは魂魄の上に法門が立てらえているしるしである。己心の法門はここに立てられるのである。これが滅後末法である。俗身は既に除外されている。滅後は釈尊のみに限らず、自らも滅後に入るのである。しかし、今は日蓮については滅後は認めていないようである。肉身の三世常住とは鎌倉に生まれた日蓮は今も生きているという意味であろうが、どのように理解すればよいのか、到底凡智の及ぶ処ではない。
 滅後を立てるためにはまず三世を超過しなければならないと思うが、三世常住では現世を超過する必要はない。三世が即ち現世であるからである。三世を超過するために受持が重要な位置を占めるのではないかと思う。そして受持には釈尊からのものと日蓮からのものとの二つがある。今は山法山規が受持されていないことは宗務院の公表の通りである。己心の法門は受持されていないどころか邪義と決めつけられている現実である。これでは山法山規が受持されているともいえないであろう。
 受持には過去に密着するものを持っている。その故に超過である。過去に密着しながらこれを超過する、そして現在をも超過するのは魂魄に限る、そこに肉身をも超過することが出来るのである。そのような処に久遠の寿命がある。これが寿量文底といわれるものであろう。これによって法華経寿量品を一気に超過することが出来るのである。そこに久遠元初があり、また戒定恵もあれば主師親もあり、忠もあれば孝もある。それが信の一字にまとめられるのである。
 忠は孝に摂入せられ、孝は天よりも高く地よりも厚である。これらは魂魄の上に考えられているものである。このようにしてみれば体の根源は孝にあり、用の収まる処は信なのかもしれない。この体、用を離れず、用、体を離れざる処に本因があり、久遠元初があり、久遠は戒、名字は定、妙法は恵と読めば戒定恵も亦備わっているようである。その用(はたらき)を自受用報身というのであろう。これらは地の厚き処に収まっているのかもしれない。地の徳である。これを大地の底ともいい、その徳を上行に譬えるのかもしれない。そしてその用きを不軽というのではなかろうか。このように見れば体用も上行不軽も共に大地の底を本拠としているようである。
 不軽は軽からざる故に大地の底を本拠とし、時に大地の上に出るのかもしれない。若し軽であれば虚空に住在するであろう。上行が虚空に住在しないのは専ら不軽の故ではなかろうか。上行は本尊となっても常に衆生と共に居り、孝もまたそこを本拠としているのである。この不軽も上行もその真実所住の処は衆生の魂魄の処であろう。そこに己心の一念三千がある。しかし眼で確かめなければ承知しない向きには、孝も上行不軽も不向きであるといわなければならない。
 宗門は上行不軽については独自にその姿を眼で確かめる方法をもっているのであろうか、これは否定していないようである。不軽菩薩は所見の人にこれを見るといわれている。眼で確かめないと邪義という者のあることを予想されていたのであろう。しかし、己心の法門まで邪義といわれているとは予想されてはいなかったのであろう。
 孝は百行の本ということがあるが、開目抄では孝が根本に置かれており、己心の法門も仏法も孝から出生しているが、今は仏教によっているためにこれとは無関係の処におかれている。そのために己心の法門が邪義と見えるのかもしれない。孝を離れては己心の法門は出ないのではなかろうか。孝を離れることは世間と遊離することである。今は己心の法門が邪義であるけれども、そこから出た本仏や三秘は邪義とはいわない。どのような内規によっているのであろうか。しかし孝を離れることは世間即仏法にも悖ることにもなる。これでは仏法も成り立ち難いであろう。中々前途多難といわなければならない。
 孝を離れた処でいきって見ても、開目抄に説かれる孝に背いては、宗祖に孝ということは出来ない。孝を否定することは日蓮が法門に対する根本的な否定ということも出来る。己心の一念三千法門が十如是に始まることは開目抄に説かれる処であり、且つ本尊抄では更に詳細にされるのであるが、これにも亦背くことになる。本尊抄の根本も孝に置かれている。また撰時抄・報恩抄・取要抄其の他の御書も亦例外ではない。
 主師親から始まって一切は孝に収まり、一代聖教も法華経を内典の孝経としてここに収め、双方共孝に収まった処で、そこに仏法を見出されているのである。その間にあって重要な役割をしているのが受持である。そこに仏法が成り立っているのである。その受持には仏教と中国伝来思想とが含まれてをり、今では更に日蓮からの受持と、三の受持をもって宗門は成り立っている筈であるが、現実はどのようになっているのであろうか。現在は応仏世界に帰っているので、その受持の必要はなくなっているであろう。
 己心の法門を否定する伝統法義は、孝においてどのような関連を持っているのであろうか。三師伝も六巻抄も共に開目抄の一念三千から始まっているので、主師親と戒定恵と孝を含んでいることはいうまでもない処である。当家三衣抄は資具篇ではないここは明らかに以上の三が説かれている。そのために当流行事抄を受けて丑寅勤行という形の中で衆生の現世成道が具現するようになっているようである。
 三衣の文字に引かれて資具篇とは、些か浅すぎるようである。三衣を説くためであれば、己心の一念三千や三秘、また戒定恵から説き起こす必要はないであろう。これでは泰山鳴動鼠一匹という処か、一向に衆生の現世成道にはつながらないようである。折角の成道の裏付けを切り捨ててしまっては、衆生には救いはないであろう。その孝の処に主師親も戒定恵も己心の法門も収まっているのである。そこが師の処であり、そこにあって信の一字の上になり立っているのが師弟子の法門である。師、弟子を糾すとはその用きの一端を示したに過ぎないものである。
 師弟子の法門とは本因の本尊と殆ど変わりはないであろう。この法門の根本になるのは信であり信頼である。これが大石寺法門の根本になるものであるが、伝統法義では何を根本としているのであろうか。仏法と仏教では同日に論じるわけにはゆかないかもしれない。総てが真反対に出るからである。本因と本果では止むを得ないことである。
 時局法義研鑽委員会の成果の最大なものは本尊を本果と極めたことであった。本因では問題にはならないが、本果ともなればまた真偽問題が再燃するかもしれない。真といえば総与もまた厄介である。既に万年講も何かいい始めているようである。時局法義研鑽委員会も厄介な問題を招き寄せたものである。あまり先の見通しがあったとはいえないようである。内からの混乱は殊更厄介である。そろそろ自己矛盾との戦が始まったということであろうか。今さら本尊を偽筆ということも出来ないであろう。本果と立てている間はいつまでも続くのかもしれない。
 丑寅勤行によって得た本尊は本因といい伝えられて来たが、今は本果と改められたように見えるが、本尊は既存のものに限られているように見える。勤行による本尊がどのような扱いを受けているのか一切不明である。そのために本尊に対して戒場も予め用意する必要があるのであろう。それが正本堂である。戒も亦別立する必要があるかもしれない。
 若し本因であれば客殿で充分である。そこに主客・師弟相寄り本尊を成じることが出来る。その時の中央の題目は一言摂尽の題目であるが、今は略挙経題玄収一部の題目が近いように思われる。これでは功徳が根に止まっているとも言えないであろう。その証拠に釈迦牟尼仏・多宝仏と上行の交替は未だ行われていない、迹門そのままである。故に本果と証しているのである。そして題目にも戒定恵も見当らない。宗門の自証は信用しないわけにはゆかないであろう。しかし、これを本尊抄をもって証明することは可成り困難なようである。
 四天王が守っている中は本時の娑婆世界であるが、今は本果をとっているので迹時の娑婆世界とでもいうのであろうか。迹時であれば戒旦の別立も当然あってよいであろう。但し本尊抄によれば本時の娑婆世界以外には読めないであろう。己心の上に建立されたものであるからである。本尊抄の前半は本因即ち仏法を導き出すために専ら使われているようである。このような中で本果即ち仏教の本尊を求めることは、恐らくは出来ないであろう。衆生の現世成道も未だしという処である。
 本時の娑婆世界とは己心の法門の領域であり、文底といわれる処であるが、今は仮時の迹門本果をとっているのであるから本尊の出るような娑婆世界はあり得ないであろう。そのための文証として本時の娑婆世界等の文を使うことは出来ない。又時局法義研鑽委員会の権威をもってしても、「本時の娑婆世界」直前の己心の文字を消すことは出来ない。しかも本尊を本果とするためにはこれを消さなければならない。結局これらの文では本果の本尊ということはかんがえられない処である。それを強引に迹門に見ようとしているのである。そのために本仏や自受用報身がこれに続かないのである。結局私の意見という外はない。そこに沈黙の真意があるのであろう。仮時と本時の混乱である。
 客殿では衆生の動きをもって本仏の振舞ということが出来るが、正本堂ではそれはいえない。このような語も早晩消えゆくことであろう。迹門への後退は法門の上に徐々に或は急激に変化をもたらすであろう。「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸刎ねられぬ。これは魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中に記して有縁の弟子へおくればおそろしくておそろしからず、みん人いかにおじぬらん」と。

 山法山規
 己心の法門、己心の一念三千、本因本果の法門、隠居法門、師弟子の法門、大聖人、下種仏法、仏法等と色々にいわれているけれども、内容的にそれ程の相違はないのではないかと思う。本因というも久遠名字の妙法というも、ただ異なる処は捉え方の相違、広狭による処ではないかと思う。結局は己心の法門である。これでは義理にも分るとはいえないであろう。
 一を邪義といえば余は全部邪義ということになる。それだけに厄介である。大聖人や下種仏法が邪義でないとするためには、己心の法門に関係のないことを証明しなければならないが、これは少々無理なようである。そして山法山規は総て事行に移されているようであるから、内から見ればこれも亦己心の法門である。これを事行の法門というが、それは天台を理とするに対するものであり、自宗からいえば事中の理という処である。
 御影堂を本果とするのは因中の果であるが、正本堂は因が曖昧なように思われる。これを因中の果というためには、宗門がまず本因と決めなければならない。そうすれば御宝蔵が本因を表わしていることになるが、観心が天台の理によって証明されるなら、戒旦の本尊を本果として決めたものと解さざるを得ない。そのために御影堂の本果の理も失なわれ、御宝蔵も本因本果の理から外れるであろう。
 本尊は本果として正本堂にあるのであるから自然と本因は失われていると見なければならない。事行を根本とする宗門であるから、戒旦の本尊が迹中の果となれば、御宝蔵が迹中の因となっていることは必至である。つまり伝えられて来た本因は消えたのである。宗門自身が証明したのであるから間違いはないであろう。同時に己心の法門も邪義と映るようになった。これが迹中の因果に移った何よりの証拠である。これでは山法山規は無関係である。
 己心の法門が事行に移った処を総括して山法山規といわれて来たもので、元より箇条書になったものではない。そして法門が文底から文上に移る間に自然と消滅していったのであろう。しかも殆どは昔乍らに行われているのであるが、肝心の本因が失なわれては、その存在価値がなくなるのは当然のことである。形骸のみが残っているという程のものである。
 己心の法門を邪義と決めたことは、次第にその影響を拡げてくる。ここまできては予防することも出来ないであろう。成り行きに任せる以外は方法もないということであろうか。己心の法門を根本とするのも、これを邪義とするのも、共に唯授一人の中の所作である処は、いかにも摩訶不思議である。
 唯授一人とは頸に懸けられた一念三千の珠、一閻浮提総与と同じく本因の本尊にかかわるもの、唯授一人は本仏から法主へ、一つは本因の本尊へ、今一つは衆生の成道へと分かれてはいるが、本来一つのものではないかと思われる。その根本の処にあるのが己心の法門である。頸に懸けられた一念三千の珠はそれを指しているものであろう。これはそのまま唯授一人である。それが本仏、本尊、衆生の成道と分化して一つのものが三の働きを表わす、これが本来の成道ということではなかろうか。
 信の一字・信頼はこの境界を指して本尊と称しているのである。それが唯授一人となると異様な権威を含むようになるが、その出生からいえば、本尊抄の末文の解釈のあり方なのかもしれない。或は外相に出たためであろうか。中古天台直輸入というようなものではない。このようにしてみると、唯授一人とは己心の法門そのもののようにも思われる。宗門は今己心の法門を邪義と決めた時、唯授一人はどのようになるのであろうか。或は唯授一人の出生について何か外に名案があるのであろうか。
 衆生の成道のみを目指したものが極端に法主一人のみの処によってくるようなことがないともいえないであろう。その陰に本因から本果への移行があることは否めない。本因に法を立てているために、他宗にはない極端な出方をしたのかもしれない。今またこれを繰り返している中で、本因は殆ど影をひそめたようである。唯授一人が強調された中でこのように出たのかもしれない。明治以後は一層唯授一人が強く出てをるが、陰で本果が強くなっているようで、今その極限が来たのであろう。
 等しく頸に懸け与えられた一念三千の珠が唯授一人に変ってゆくのに、それほどの困難はないのかもしれない。そのような中で衆生の現世成道の夢は崩れ果てたようである。つまりは仏法世界の夢は終わったのである。これを復原するためには、まず本因を取り返す処から始めなければならないが、宗門は恐らくは必死にこれを拒むことであろう。本因は始により本果は終による。そして本果は専ら差別によるのである。名字初心は常に本因無差別世界にその本拠をおいている処に意義があるが、今では名字初心も遠い過去の語り草になり切っているようである。
 長い間本因を伝えて来た大石寺も、一旦本果がはいると総てが真反対に出る。本尊抄で本果が隠居して出来た法門は、今度は本因が隠居して本尊抄以前のような本果の世を迎えたのである。釈尊の眷属上行等の四菩薩が隠居し釈迦多宝の世を迎えたのであるが、使われる語は依然として本因時代のものがそのまま残っているのである。それで複雑になっているのである。
 つまり因果並用時代である。そのために言う方も分からなければ、聞いている方は尚更分からないのである。そこに時局法義の語が生かされ、法義の研鑽が行われているのである。やっていることは本因の法門を本果に切り替えるのが主目的のようである。しかし今振り返って見て、そこで出来た法門は尽く失敗と出たのではないかと思う。その最高位にあるのが己心の法門を邪義と決めたことであり、これによって開目抄や本尊抄の法門は根底から覆えされたのである。
 今度の隠居法門は逆も逆真反対になっているが、宗門はこれによって法門を立てているのである。これは迹門に還元した隠居法門であって、従来事に行じられている客殿の隠居法門とは真反対に立つものであり、既に正本堂ではこの新隠居法門に依っているのであろうと想像している。
 今の理からいえば、客殿の猊座は向かって右でなければならない。現在は左尊右卑になっているのである。そうでないと或る時は右尊左卑、或る時は左尊右卑と混乱するであろう。特に理事の間に一貫性を欠くことになる。それでは法門というにも憚りがあるであろう。現状では、本仏は本因にあり、三秘は本果に収まっているようである。三秘の本因は遂に守り切れなかったようである。これは基本姿勢に問題があるためではなかろうか。時局法義研鑽委員会でこの左尊右卑がどこまで理解されているのであろうか。
 「老子上偃武第三十一」に、「君子居りては則ち左を貴び、兵を用うるときは則ち右を尊ぶ」とか、「吉事には左を貴び、凶事には右を貴ぶ」などということもある。案外このようなものを内に秘めて、六巻抄に左尊右卑右尊左卑がとりあげられているのではなかろうか。但し甚深の処は分かるはずもない。それはとも角として、現在は右尊左卑に立ち返っているのである。即ち六巻抄によれば迹仏世界の座配によっているのである。
 時局という語義が自然に右尊左卑に赴かしめたということであろうか。左尊右卑は臨戦体勢には不向きなようである。時局は非常時局の意味を含んでいるのであろう。一人の権力を守るために自然とこのように収まってゆくのであろう。解釈は常に動いてゆくものである。本仏も今は専ら日蓮一人に決まっているが、元は愚悪の凡夫であった。それが今は衆生は消えて日蓮一人に収まっている。これは陰で解釈が動いているためである。そして権力者が作られてゆくのである。唯授一人もそのようなものをもっているのではなかろうか。そして次第に貴族仏教化してゆくのであろう。
 老子徳経下淳風第五十七に、「正を以て国を治め」という語があるが、久遠成院日親には「正法治国論」があり、発想について何程かの関連はないであろうか。立正安国論はどうであろう。この国は一人の民衆についてかんがえられないこともない。参考にはなっているように思われる。それが直接老子を参考にされたものか、妙楽や従義の辺から始まっているのか、それは宗学者の領域であるが、一見何程かの関係はありそうである。どのような処から始まっているにしても、宗門に老荘的な発想が強いことは分る。その民衆的なものが極端に貴族化されている可能性はある。それが教義を分かりにくくしているのであるが、ここ数年は最後の大変りをした感じである。やるべきものはやったという安心感の中で今沈黙を続けているということであろうか。この淳風篇は今の御時勢には特に興味を引かれるものがある。
 因果倶時とは本因本果倶時であるが、衆生を本因とすれば日蓮は本果である。理即の凡夫と名字即の凡夫は共に愚悪の凡夫である。その師弟一箇の処を因果倶時とも師弟因果とも師弟子の法門ともいわれているが、いつの間にか師弟各別となり、師・弟子を糾すということが平気でいわれるようになる。師弟因果倶時の時は夢にも考えられなかった事である。老子のいう民衆もまた逆に解されるなら、宗門自身の性格を貴族化するであろう。原点に立返って読まなければ意味のないことである。委しくは老子の解説書を熟読してもらいたい。但し身を高座に処くなら、始めから読まない方がよい。ものが逆に映るからである。
 現在は本因が消えて本果一本となり、本因で出来たものが本果で働くようになっているのである。その本になっているのが要法寺日辰の教学である。これは専ら本果を根本としているので、これが導入されると同時に因果が逆に出たのである。それが今漸く結果が表われたのであるが、それが気付かない程深く浸透しているのである。そして本果の処へ本因が表われるために、他門には例のないようなものが出る。そしてそこに貴族仏教的なものを醸し出してくるのである。本因本果の混合体という感じであり、純円一実とは凡そ縁遠いものとなって出ているのである。そこへ更に西洋的なものが入り込んで考え方を複雑にしているのである。その様な中で山法山規も己心の法門の中にあって棚上げされたのかもしれない。
 山法山規は本果の法門とは馴染み難いものを持っているようである。隠居法門も今度は本因が隠居して本果の世となり逆に出たのである。このような陰の働きは気の付かないことが多いようである。本尊抄の副状は本因を先とする指示のように思われるが、今日は本果を先に立てているために利用することが出来ないのではなかろうか。本尊抄が本果を説かれたと見るのは自由であるが、それでは「本尊の為体」以下及び副状の解釈はつかないであろう。混乱の根源はそこに始まっているようである。
 副状を見れば本文が本因を説かれていることは歴然としているように思う。副状はそれを再確認されているのである。それが丑寅勤行となり、隠居法門となって事行に移されているのである。今はそれさえ本因の彼方に消え去っているように思われる。仏法は本因にあり、仏教は本果の上に立てられているというのが原則であるが、今はそれが崩れたのである。そして己心も心も同じだというように、仏法も仏教も同じだ、仏教に帰れという処へ落ち着いているようである。その飛躍の中にあって罪悪感も起きないのであろう。
 大石寺法門の根元になるのは本因であると思われるが最も不明なのも本因のようである。そして遂に宗門自らの手をもって切り捨てる処まで来ているのであるが、本仏も本尊も久遠元初も、其の他一切の法門は因果倶時の処にあるのではないかと思う。老子はそこに道を見、徳を視ているようである。大石寺法門からいえば本因の処である。己心の法門はそこに立てられているのである。大きく見れば仏法であるかもしれないが、その中にあってまず働きを起こしたとき、これが宗旨・宗教と表われる。これは働きについて名付けられているように見える。しかし本因は一切の万法を具えているようである。それが仏教と妥協を起こしたとき、まず出るのが宗旨・宗教なのかもしれない。依義判文抄によればそのように思われるが、主師親については、そこでは説かれていない。ここは戒定恵に限られている。

 互為主伴
 大石寺では互為主伴という語が使われているが、どのような意味で使われているのか知らないが、開目抄や本尊抄を知る助けになるようであるから、明治書院の新釈漢文大系本の「老子・荘子」の釈文を拝借することにする。百五十七頁のものである。「造仏主がいるようだが、その姿は見あたらない。人の心情を動かせるのは、甚だはっきりしているが、形が見えない。実体があるのだが、形がないのだ。(さてわれわれのからだに例を取って考えて見よう。)われわれのからだには、百骸・九竅・六臓がすべて具わっているが、われわれはそのうちどれに愛情を示すというのだろう。きみはすべてに愛情を示すのか、それとも差別を設けるのか。(いずれにしても)それらはすべて臣妾のように仕えてくれるだろうか。臣妾たちは、互いに治めあえないのだろうか。それとも、交互に主君となり臣下となりあうものなのだろうか。実は真君なるものがあるのである。しかし、この真君なるものは、その本来の姿で求められようと求められまいと、その真価には増減がない。」以上は若有真宰而特不得其朕の項の全釈である。この釈文から見て、互為主伴が出てもよさそうであるし、その中に全文がはいっていてもよさそうである。また何となし主師親の解釈にも役立ちそうにも思われたので、敢えて全文を引いてみた。ただ互為主伴や主師親のみでは取り付きにくいようである。このようなものがあると法門として、その深い処を伺うことが出来るのではなかろうか。自分ではそのように考えているのである。
 従義流はその原拠を老荘におき、四明流は孔孟によるということは考えられないであろうか。従義流が宗教として成り立たなかった理由もその辺りにあるのではなかろうか。日蓮の教えも宗教として成り立ったのは、専ら四明流によった処にあるようであり、最終的には大石寺も従義流を捨てざるを得なくなった。それは宗教的欲求が強くなったことを証明しているのである。そのために開目抄や本尊抄とも離れざるを得なくなったのである。
 本因の処は、老荘からは容易に伺い易いものがあるように思われるが、今の宗門からは既に本因も消されたのが現実であり、それはごく最近のことである。今そのような激動が起こっているのである。ここ数年来の成果は余り好ましいものではなかったようである。今改めて反省する時ではなかろうか。
 本尊抄の本尊を本果の姿として所謂紙幅の本尊として受けとめるのは日蓮も示されている処であるが、大石寺はこれとは別に事行の法門として受けとめる考え方を伝えている。実はこれが真実の受けとめ方かもしれない。板本尊は假のものとして本因の処に真実を見ようとしている。そこに事行の強調される意味がある。本地難思境智冥合はそのような事行の刹那に具現されるのではなかろうか。
 このような境界は理をもって理解することも出来ない、勿論眼をもって確かめられる境界ではない。そこに仏法があり、己心の法門がある。そのような境界が呼び起こされるなら、それは人法一箇の境界である。このような処に大聖人もあれば戒旦の本尊も出現するのではないかと思う。
 それが今では理のみが先行し、予め理をもって設定するために自然と理が先に事が後になり、前後不覚になって事理の区別がつかなくなり、結局理が先行することになる。そして最後は理にありながら事をもって称するようになるのではなかろうか。そして本尊も本果となり終るのであろう。そして終には本果の本尊こそ絶対だということになる。ただ丑寅勤行のみは意味不明ではあるが、元のままの事行の法門の姿を伝えている。その意味不明の処に山法山規があるようにも思われる。
 そして本因の二字の処に或る種の魔力があって、この二字を唱えることによって即時に本因境界におることが出来る。そのような処を本地難思境智冥合といわれているのであって、理をもって知ることの出来ない境界を指している。この故に事行が重んぜられるのであるが、今は世と共に理と眼をもって説明出来る境界に結論を求めるような方角に収まりつつあるようである。
 本尊抄の本尊とは丑寅勤行による以外、理解の方法はなかったのかもしれない。いうまでもなくそれは我が身に体得することである。そこから本尊境界は我が身に湧現する。つまり大聖人の己心と我が身の己心と同じというのも、そのような境界を表わしているのであろう。その受けとめ方を誤れば、凡身が何の修行もなく本仏となることもある。そのような危険とすれすれの処に大石寺法門は成り立っているのである。そのような中で、本果に移ることは最も警戒を要する処である。そこでは特に刹那が根本になっているのである。師弟一箇した刹那は凡夫もまた本仏であるが、次の刹那は唯の凡夫である。それを自分だけ特別に永遠に本仏の座に居りたいと願うのは凡夫の浅ましさである。
 事を事に行ずる等という語は仏法専用語である。理をもってする前にまず仏法語と受けとめるべきである。時局法義研鑽の結果はどんどん仏法の姿は消えつつあるようである。大聖人という語も理をもって定義付けしている間に仏法を離れて、今度は事行をもってしても分からなくなり、結局は鎌倉に生れた日蓮が生れながらにして本仏という処に収まったのであるが、それは最早本仏境界でもなければ仏法といえるようなものでもない。しかし現実にはそこに本仏を見、仏法を考えているようである。
 六巻抄でも理の上に説かれているけれども、実にはその彼方に結論はおかれているのである。説かれたものをそのまま結論と思えば、思わぬ結果を招くようなこともあるかもしれない。事行の法門との間に或る距離をおかれているようである。それが今はさらにその理を天台法門によって補をうとする傾向にある。観心など最も好い例である。そのような中で一日一日迹門化が進んでいるのである。
 文証なくんば邪偽と思って他宗他門のものを引いてくれば、結果は本因が本果と現われる。現代の文献学方式は大石寺法門には通用しない。その結果の時を本因に切り替える力がなければ使うべきではない。それが追いつめられて血路を天台教学に求めたのが五十七年度の富士学報である。ここで行き詰ったのである。しかもそれに一向に気付かない処が奇妙である。
 根本にあたる本因を説かれているのは老荘であり、文選であり、貞観政要である。その上に隠遁方式が求め出されているのである。貞観政要は特に逆次の読みの中にその力を発揮しているようである。これが根本となって仏法という考えがまとめられてゆくのではないかと思う。これに対してあくまで仏教のみを伝えようとしたものと、日蓮門下が二流に分かれたのであるが、今となっては大石寺もまた仏教一本に絞ったようである。そのような中で本因と本果の矛盾に追いこまれたのである。仏法と仏教との矛盾である。
 とも角天台学をやる隙があれば漢籍でも読み且つ考えることである。そこには立ち上れるものを持っている。これは中国のみでなく、日本でも伝教以後、又末法突入以後真剣に取りくまれ、その苦難を乗り越えた経験をもっているのであるが、明治に入った西洋哲学にはその持ち合せがなかった。その結果が今表に現われたのである。ここは漢籍から改めて何者かを取り出さなければ救いを求めることはむづかしいかもしれない。仏法を助けるものは漢籍のようである。
 他宗他門の教学では益々混沌として来るであろう。まず本因の時と本果の時をしらなければならない。天台の本因本果は、いくら読み返してみても仏法の時は教えてくれないであろう。それは既に体験した通りである。時が違っているということは、本来異質なのかもしれない。日蓮の処は如何にして仏教を抜け出るかということに苦労があったように思われるし、今は如何にして仏教に還るかということに苦労しているようである。時の流れの中で揉まれているのであろう。
 天台で観心といえば本因に当るであろうが、それを無条件で頂いた結果は戒旦の本尊を本果と表わしたのである。そこに仏法と仏教の違い目がある。そこの処をはっきりと区別出来るなら天台教義は使えるであろうが、現状では天台に頼ることは危険なことである。施開廃の三はともに迹を捨てらるべしという処を大いに味わはなければならない処である。
 施開廃の三はともに迹は捨つべからずでは本迹迷乱である。これで仏法が出ないのは当然といわなければならない。今では施開廃の三も既に遠い彼方に押しやられているのであろう。今も解釈不明のままに忘れられているのである。今は施迹の分は迹門は捨つべからずの方向に同調している。その故に本迹迷乱というのである。
 このような中で本尊抄とはアベコベに、本因が隠居して本果が表面に表われた。それが今の隠居法門である。これでは本尊が本果と表われるのも止むを得ないことである。今の丑寅勤行はこれを背景に行じられているのであろう。これでは衆生の現世成道につながるようなことはあるまい。丑寅勤行の時は、本尊は本因と厳しく定められているようである。
 仏教にあっては、衆生の現世成道は始めから認められていない。そのために二ケの大事を受持して仏法に出、そこに本因をとるのである。法華経によってみても、現世成道の有資格者は二乗までである。そのために仏法を立てて、そこにおいて受持するのである。そして本果と本因の交替も行なわれるのである。それが本尊抄の本尊の為体の処に示されているのであるが、今はこれを更に裏返した隠居法門になっているのである。今昔の隠居法門の相違である。これでは山法山規が分からないのも当り前である。
 己心の法門もここでは真反対に使われているのである。これでは本来の己心の法門は逆であるから、邪義とも映るのであろう。その己心の法門とはどのようなものかといえば実体はない。実に混沌としたものである。それが次第に一念三千として姿を現わしてくる。そのために本因といわれるのが最もふさわしいのかもしれない。例えば老子の道とか徳とかいわれるものかもしれない。
 道が体であれば徳は用である。この二は人間が本来として備えているものである。本因が姿を見せないのもその故かもしれない。そこに信があり、本因の本尊といわれるものかもしれない。そのような中で説き出されているのが開目抄や本尊抄ではないかと思われる。どうも古事記の序文のような処がある。神話的な発想であって、最後までその正体は現われないが一念三千となり、己心の法門となり本因の本尊となれば、それなりの姿を持っているようにも思われる。それが仏法なのではなかろうか。
 それが仏教となれば本尊も或る姿をもって現われるし、理もそれなりに具えられてくるが、仏法では理の代りに事行と出るのである。そして化の法も徳化となって、これまた眼をもって確かめることは出来ない。不言実行という処である。始めから宗教として考えられているようには思えない。それを宗教として見るためには一々に理を整え、その姿を現わさなければならない。そこに大きな無理がある。滅後七百年、改めて考え直す時が来ているのではないかと思う。
 宗教としての見方に付いては限界が来ているのではないだろうか。再び衆生の、民衆の救済のみに絞って考える時ではなかろうか。今度は仏教的な救済ではなく、仏法的な救済である。今の民衆はそれを求めようとしているのではなかろうか。それをどのような方法をもってするか。それは今後の課題ではあるが、そのようなものについては開目抄等の五大部に明らかにされていると思う。要はその取り上げ方である。差し当ってのものとしては山法山規方式であるが、仏教として受けとめることは禁物である。これは必らず失敗するであろう。仏法の左は、仏教では必らず右と出るからである。
 七百年後には、大石寺法門は真反対に出ているのである。仏法では衆生一人々々が主体であるが、仏教では一人が中心になって多数の衆生を一にまとめなければならない。そのために下化衆生的になり統制方式によることになる。今は旧仏教も新興宗教も強力にこの方法に依っているようである。しかし衆生或は民衆はこれについては大きな不審を持っているようである。民衆一人々々が中心になってやれる仏法方式こそ次の時代の民衆に応えれれる唯一の方法ではなかろうか。号令がないと動けないという中で民衆はそれについて既に抵抗を起こし始めているようである。それは仏法方式を自覚して来ているのである。
 大石寺は本来思惟を身上にして来ているようであるが、これは仏法によるためであろう。仏法とは世間の中にあって仏教的な教養或は感覚を生かそうとする処に真実があるのかもしれない。ともかくも世間は既にそのように動き始めているのではなかろうか。一舟に乗り遅れない心掛けが肝要である。それが今になって反って統制方式が教化されているように見えるのはどうみても逆行である。世間は既にそっぽを向きつつある時である。その世間とは衆生のいる処である。その衆生は日蓮本仏の半分を担当しているのが大石寺の法門の立て方である。
 本尊抄の副状も只集団の中へ信仰の指針として送られたものではなく、生活の指針としてその根本になる信の一字即ち信頼について示されたものであろう。それが根本におかれて今まで本因の本尊といわれて来たので、これは生活信条の根本になるものであろう。それが今では生活と離れ、只信仰のみが根本になっている。仏法から仏教への転向の結果がこのように変えたのである。
 長い間本因の本尊と伝えられたことは仏法の本尊という意をもっているのであろう。それが副状で再確認されているのではないかと思う。そして隠居法門となり丑寅勤行となって事行に遷されている。これまた仏法の意を強調されているのである。若しこれが理をもって受けとめられるなら本果の本尊である。
 今は本迹迷乱して天台の観心を根本と仰いだために、文底の観心を文上と解したために本果の本尊と現われた。施迹の分は迹は捨つべからずということであろうか。結果は遺憾ながら本迹迷乱と出た。さてどのような始末になるのであろうか。昭和の本迹迷乱という処である。長い間文上にありながら文底を称していたものが、今結論となって現われたのである。本因の意は完全に失われたのである。それ程本尊抄で説かれた観心は不可解なものを持っているのである。
 今の解釈は仏教による観心であり、本尊抄の観心は仏法の上の観心である。宗門に仏法の観心が失なわれているために、このような結果が出たのである。まずは大いに反省して仏法の時を取り返さなければ、この本迹迷乱を治めることは出来ないであろう。そのためには今の教学を捨てて、まず二ケの大事を受持する処から始めなければならない。それが立直るための唯一の方法である。それによって始めて本因に立ち帰ることも出来るのである。
 天台の観心を取り上げて何故日蓮の観心を打ち捨てるのであろうか。これは因果の混乱である。本尊が迹門と出れば題目も戒旦も迹門に現われるであろう。それは仏教の上の三秘と出るのである。そのためにまず仏法の時を確認することが要求されるのである。今はそれを無視したための結果が眼前に現われたのである。
 戒旦も文上の戒旦として建築物をもって証明しているのであるが、末寺は既に末法の戒旦としての機能は充分発揮しているのである。その末法の戒旦とは師弟相寄った処の中間に建立されているように思われる。丑寅勤行も師弟相寄った中間の戒旦において行じられているように見える。
 師弟子の法門というのは、その意味において戒・定・恵の三を具備しているように見える。そこから本仏も本尊も成道も現われる。本仏とは仏法の専用語であり、他の二も同様である。本仏を仏教の中で考えるなら明らかに不都合であるが、この三は仏法の中で考えることが条件であるが、現状は自他共に仏教の上にのみ考えているようである。
 師弟の中間に戒を見れば、その功を師に推るなら師が戒と見られてもそれ程不都合ではない。三師伝から見ても師日蓮が戒、日興が定、日目が恵と当てられるのは自然のようである。その戒から本仏が出生すれば、師弟共に本仏であり、やがてそれが時あって師一人に収まることもあり得るであろう。しかし本仏が終始一貫して師のみに固定すると改めて不都合が生じることも又あり得るであろう。
 とも角日蓮が戒として根本におかれるなら、それは人の立場からである。そして人法一箇した処に南無妙法蓮華経を定めることは、何等の不都合もないと思う。それを己心に受けとめるなら、いうまでもなく衆生の現世成道の姿でもある。その時、戒も定も恵も仏法にあることを忘れることは出来ないであろう。
 しかし今の宗門の戒定恵の三学は殆ど仏教の上にのみ考えれれているように見える。それは事に表わした処が明了にこれを示している。これは今更詭弁をもって逃げ切ることは出来ないであろう。逆次に論じている故である。事に表わしたものに付いて論じているからである。智者が揚げ足を取られたのである。取ったのは愚悪の凡夫であった。揚げ足を取られないためにはまず仏法と仏教の切り分けをしておかなければならない。そして文上と文底、本門と迹門、本因と本果を区別しておかなければならない。今程はこれらのものが混乱を起こしていることは未だ曾つてない処である。
 「正しい宗教と信仰」も仏法には関係のないもののようである。これは始めから仏教のみを認めて居るものであり、その中で仏法の語も使われている。明らかに混乱を示しているのである。手始めには仏法と仏教の区別をつけなければ、本迹迷乱を遁れることも困難ではないかと思う。何れも法門としては入門のあたりに属するものであり、初心ともいうべきものである。今の本迹迷乱は長い年月を掛けた上でここまで来ている、それだけに簡単に抜け出ることは困難なのではなかろうか。
 己心の法門が邪義と思える程迷乱は進行しているのである。そして本尊は専ら信仰の対照として考えられ、仏法として本尊抄に説かれた処は完全に失なわれている。これは総て他門の影響によるものであることはいうまでもない処である。若しこれを排除することが出来るなら、本迹迷乱から脱れることも出来るであろう。何れにしても自他の法門の整理即ち仏法と仏教との区別をはっきりさけなければならない。
 この本尊は信の一字をもって得たりという。それに心を加えて今は信心をもって本尊を得たという解釈になっている。開目抄や本尊抄は信と信頼については説かれているが、信心について説かれているかどうか、未だにそのような箇所にお目にかかることは出来ない。その信頼が孝の一字に収まっているのであろう。外典三千余巻の所詮は孝の処に収まっているのであろう。そして一切経もまた法華経という孝の処に収まっているようである。その孝から仏法は出発しているのである。
 開目抄等の五大部十大部といわれる御書も、根本は孝の処におかれているのである。その孝の至極した処に己心の法門があり、そこから信の一字をもって本尊は出生しているのである。信心一本とならないために一度は師弟を呼び起こし、信頼を知らなければならない。本因の本尊は信頼の中に出生してるようである。或は信頼そのものなのかもしれない。時局法義研鑽委員諸公にも、その信頼の処を今一歩追求してもらいたいと思う。ここの処は仏法の立場から信を考え直してもらいたい処である。
 己心の法門を邪義ということは、とりもなをさず仏法不信の謂である。仏法については不信の輩は反対に出るようである。これでは宗祖に対して不孝の譏りはまぬがれることは出来ないであろう。今の世上も信の一字や信頼感は極端に薄れているようである。世俗の信頼感の中に本尊が建立されているのが大石寺の本尊の特徴であるが、仏法が仏教と交替すると同時に本因は本果と成った。仏法を抛棄した証である。宗門自身がそれを明確にした処に重大な意義をもっているのである。元は世俗と密着した処に立てられたものであり、常住であったが、今は世俗と全く離れてしまった。これでは常在霊鷲山とも現世の霊山ともいうことは出来ない。事行から全く離れたのである。常在霊鷲山などは世俗の中に本尊が出現する意味をもっているのであろう。
 戌亥の刻に頸を刎ねられたことも魂魄佐土に至ったことも、戌亥とは西北である。大石寺では丑寅を戌亥にかえている。世俗の中の清浄な世界を指しているのかもしれない。その清浄世界に本仏も本因の本尊も出現する。その故に現世の霊山浄土といわれる。それはいうまでもなく己心の浄土であり、本時の娑婆世界ということであろう。即ち仏法世界を指しているのである。本尊抄に示される処、文上迹門には全く考えられない境界である。その世界を自力をもって具現することが出来るのが丑寅勤行である。その時師弟の中間に戒旦が出現するようになっている。
 仏法をとれば戒旦は必らず師弟相寄った中間に建立され、そこに本仏も本尊も出現し、成道もまたそこに具現するのであろう。本仏も本尊も成道も、仏法と仏教の兌協の中に出現するようなことはあり得ないであろう。仏教に身をおいては、仏法を説かれた本尊抄は一切使えない。それは切り文的になるからである。文証として使うためには、まず仏法と決めることが条件である。
 丑寅の成道とは現世成道であり、それが又現世利益でもある。このように見れば丑寅勤行には開目抄や本尊抄等の諸御書に説かれた処は残らず事に行じている意味をもっているようであるが、今の宗門は山法山規は分からないということで、このようなことも総て分からないということで捨てるのであろうか。丑寅勤行は山法山規の中では最も重要な意味を持っているように思われる。
 山法山規が分からないという中には本仏も本因の本尊も成道等も全て分らないという中に含まれていることになる。これはどのように解釈すればよいのであろう。しかし今では丑寅勤行もなんのために行われているのか、この意味も既に分からないために本尊は本果となり、成道も死後に置き替えられたのであろう。そして本仏もまたその出生の処は不明のようである。
 現世に成道がなくなれば本来の現世成道が消えて新解釈によって現世成道が考えられるのは当然といわなければならない。そして自力も消えて専ら他力のみを頼るようなことにもなる。そして際限もなく落ちてゆくのであろう。時は世につれ世は時につれ法門もどんどん変っているようである。
 従義は自力により四明流は他力に、前は現世の成道により後は死後の成道による。現在従義流に関わる資料は非常に少ないし、研究されたものもまた希である。而も四明流の立場から見るものに限られている。始めから異端的な眼をもって研究されたものが多いのではないかと思う。これは改めて冷静な立場からの研究が欲しい処である。
 一旦仏教に帰って既に七百年を経過しているものを、再び仏法に立帰ることは殆ど不可能に近いのではないかと思われるけれども、ここはどうしても仏法としての日蓮研究をやり直さなければならない。仏教の立場からの研究は既に行きつまっている。これ以上道が開けることもあるまい。しかし日蓮が仏法といわれている仏法についての研究は全く手付かずの状態である。そこには必らず民衆の救われる道がある。それは仏が衆生に慈悲をもって救済するのではなく、民衆が自分の力をもって自分を救う方法が秘められていると思う。それを一言にまとめて自力の成道といわれている。
 本来生れながらにして天から与えられているものを、仏教の修行を借りながら、参考にしながら、あくまで自力をもってそれを見出そうとする、そこに真の修行を見ようとしているのである。そこに受持が重要な意義をもって来るのである。それが開目抄の二ケの大事である。この久遠実成と二乗作仏を受持する外は総て自力の修行である。そこに成道を求めようとしているようである。そこに隠遁流の考えが多分にあるようである。
 身延入山はむしろ自力の修行即ち仏法の修行に入ったことを示されているのではないかと思う。道師が諌暁八幡抄の裏書きに「隠遁の思あり」といわれたのも仏法を目指したものと解したい。それが何とか室町の終りまで続いたのである。この間は名字初心の立場もまた守られて来たのであるが、徳川に入った以後は大体において仏教の立場をとってきたようである。水鏡の御影が御影像からから外に出るのもその時機である。この頃己心の法門の威力が失なわれる時機である。仏法から仏教に変っていく時機でもある。そのために新旧の教学が鉢合せをするのである。不受不施の日奥と身延派の対論もそのような意味をもっている。そのような中で大石寺は仏法から仏教に移ってゆくのである。
 第一回は滅後すぐ仏法から仏教に移っていると思われるけれども、何れも記録として残されていないようである。そのような中で仏法を伝えて来たのは大石寺のみであったように思う。再び仏法に立ち帰る時を迎えて、反って仏教を確認し、己心の法門を捨てることを声明したのであった。それは教学そのものが仏教になり切っていたのである。仏法と仏教のはざまに立って遂に仏教に移ったのである。日蓮が説いた仏法への訣別である。左は即時に右に変るので、眼でたしかめることは出来ない。今その混乱が始まっているが、自覚出来るのは暫く後のことであろう。
 総監が山法山規は分からないと声明したのも仏教へ変るための準備であったのかもしれない。しかし内面に立ち入ってまでこれを抹消することは恐らく不可能であろう。仏教に変わるためには仏法の側にある山法山規は消さなければならないが、法門の立て方からして、これを消しさることは出来ないのではないかと思う。今既にその相尅が始まっているようである。ここはどうも山法山規に采配が上るように思えてならない。山法山規は仏法にあり、宗制宗規は仏教によるということであろう。宗祖は仏法に、宗門即ち末弟は仏教に、互いに相反する方角に進みつつあるようである。尚仏法には宗祖の必要はないが、ここは便宜のために使ったものである。
 昔から人法一箇という語があるが、人とは一体誰れを指しているのであろうか、法とは仏教の中の法であろうか、世間の法即ち天の定めた法を指しているのであろうか。人とは釈尊なのか日蓮なのか、或は民衆なのか。それによって法もまた変ってくるであろう。今改めてこれを定めなければならない時を迎えているようである。仏法をとれば人とは愚悪の凡夫に収まるのが最も穏当なようである。そして法も天の法となれば民衆が既に持って生まれた法ということになる。そこに案外本因もあるかもしれない。それは老荘のいう道のごときものである。それが愚悪の凡夫の本来所持している法であり、最終的にはそこに人法一箇を考えるべきではないかと思う。仏法とはそのような処にあるものではなかろうか。
 仏教と決めた時、人と法を具体的にどう取り決めるかということも疎かには出来ない問題ではないかと思う。仏教の中にあり乍ら日蓮を人と決めることは出来ないであろう。もし仏法にあれば愚悪の凡夫である日蓮には無理はないが、仏教であればどうしても一度は釈尊を踏みこえなければならない。これは無理である。そうかといって今の立て方から釈尊を人と立てることも出来ないであろう。これも簡単には解決出来ないかもしれない。
 宗門では人・法についてどのように取り決めているのであろうか。仏法で取り決めたものは、仏教に変わってはそのままは通じないであろう。また仏教ともなれば久遠名字の妙法もまた使うことは出来ないであろう。法もまた意外に厄介である。仏教のとき、仏法から適当に撰り出して使うようなことは、あってはならないことである。そこは時によって選別しなければならない。是非人法に付いて具体的に御教示願いたいと思う。
 内に秘められたものは変わっても、今も昔ながらに丑寅勤行は行なわれている。勤行が終れば成道であるが、今はそれとは関係なく死後の成道をとっているが、それでも勤行は行なわれている。開目抄や本尊抄に説かれた処が、そのまま事に行じられているのであろう。根本は己心の一念三千法門は邪義と決まっても、勤行はその決定とは関係なく行なわれているのである。邪義と決まれば勤行も無意味のように思うが、それについては全く無関心である処が面白い。子丑の刻に頸刎ねられて魂魄の上に考え、行じられている。そして子丑の終り寅の初めの諸仏の成道を受持して、二箇の大事をも受持して衆生の現世成道のための勤行が行われているのである。これが己心の一念三千法門である。
 丑寅から未申に至る線は諸仏の成道に限り、衆生の成道は実際には戌亥から辰巳に至る線に依っている。その辰巳は閻浮提に当っている。その双方の線の交錯した処が現世の霊山ということになっている。それが大石寺であり客殿であり、更に詳すれば師弟相寄ったその中間ということである。そこで衆生の現世成道が具現されるのである。これらは総て仏法の上の行事であるから、仏教に変った今の教学では何一つ解釈されないであろう。
 しかも理は消えても事は昔ながらに行じられている。法門的にはこれでその意は充分に達したことになっているようで、その点詢に大らかである。その大らかさが仏法の徴なのである。宗門が若し仏法に立ち帰る日が来れば、少しは大らかになるであろう。しかし成道も死後に限られており、本尊も懸け奉って拝むことが条件になっているが、開目抄や本尊抄では本尊を求め出す処に意義があるようである。そこが仏法と仏教の違い目である。本因が失なわれると自然と仏教の本尊に同じるのである。本尊を本因に保つためには必らず仏法に依らなければならない。
 古くは本因の語は仏法の意味をもっていたようであるが、今では天台の本因本果と区別がなくなっているようである。そしてどんどん迹門化してゆくのである。御宝蔵の本因の本尊は仏法の意による処、御影堂の万年救護の本尊は仏法の上の本果を表わしていたものであるが、今では正本堂の本尊は本果と理論付けられているようである。仏法を立てるためにはまず本因の本尊を確認しなければならない。
 今では本尊抄に説かれた本尊は仏教の上に解されているようである。これでは「本尊の為体」に示された本尊と「頸に懸けさせ給う」た一念三千の珠とは全く無関係になるであろう。本因の本尊と伝えられて来たものは、恐らくは頸に懸けさせ給うた本尊を指していたものであろう。これは唯授一人の本因の本尊ということが出来る。即ちこれこそ一閻浮提総与の本尊である。丑寅勤行も隠居法門も本因の上に成り立っているものであるが、今のように本因の影が薄くなると、その切替作業は容易なことではない。事行に表わされたものを根底からかえなければならない。
 己心の法門は魂魄の上に成り立っているものであるが、これが威力を発揮するためには仏法によらなければならない。これが仏教になると熱原の愚痴の者どもも現実に頸を刎ねられたように考えられる。そのために複雑になっているのである。ここは仏法の上に考えなければならない。今は魂魄から肉身へ移った。その陰に仏法から仏教へ移っているのである。肉身へ移ると悲壮感も出てくるようになる。若し魂魄がはっきり捉えられて居れば悲壮感は出る必要はなかったであろう。肉身へ移れば本因の本尊はその意義を失なうことになる。
 以前使われていた熱原三烈士という語も、今は殆ど耳にするような事もない。それは世間が受け入れないようになったためであろう。そして戒旦の本尊との密着もなくなったようである。そうかといって魂魄に収まったというわけでもない。さて、どのように解されているのであろうか、一向に明らかでない。しかし、日蓮を大忠臣とする処まではゆかなかったけれども本仏として異常発展したのも反動というか、国柱会の影響があったように思う。とも角も本仏を己心の法門の処に帰さなければならない。そして師弟の上に帰せば本仏も正常な働きを示すようになるであろう。
 まず己心の法門を取り返さなければならない。そのためには何をおいても仏法の原点に帰ることである。その発端が主師親であり戒定恵である。そこにおいて二箇の大事が受持されることによって仏法が始まるように見える。そのために方便品の欲聞具足道が働くようである。その具足道とは本因であり、己心の一念三千であり、そこから衆生の現世成道は動き始めるようである。
 開目抄の時は一念三千の名義と二箇の大事と仏法が示される程度のようであるが本尊抄では本因の本尊として衆生の現世成道に振り向けられるようであり、己心の法門の働きも明了に示され、最後に頸に懸けさせ給うた本尊として具足道を明らかにされている。その意をもって戒旦の本尊といわれ、一閻浮提総与ともいわれているようであるが、今の解釈は具足道とは些か外れているようである。
 道とは老荘のように本来持って生れているというような意味を持っている。これを本因と称しているように思う。いい換えれば仏法でもある。仏法とはそのような処に建立されているのではないかと思う。戒定恵も亦そのような処に設定されているのであろう。これまた仏法の上で解すべきものである。
 伝教の学生式問答を六巻抄の第三依義判文抄の冒頭に引かれたのも多分に仏法の意を持っているのであろう。そして開目抄や諌暁八幡抄の戒定恵も仏法を外れては考えられないし、三師伝の構想も多分にそこにおかれているようである。その戒の処に師弟を立て、その師弟相寄った中間に戒旦を見た処が滅後末法の真実の戒旦ではないかと思う。水島は己心の戒旦を邪義というけれども、ここでは昔ながらに法門の上では衆生の現世成道は繰り返されているのである。これが丑寅勤行ともいわれる刹那成道である。
 事を事に行じる中で成道は具現されている。これは仏法による処である。事を事に行じるとは仏法を表明している。これが真実滅後末法の戒旦である。仏教の上に建立せられた戒旦である筈の正本堂では、未だ一度も授戒は行われた例がない。これは仏法が仏教と表わされたためであり、時の混乱によるためである。
 滅後末法とは己心の上にあるべきもの、その己心の上に具現する戒旦とは師弟子の中間に建立されるものである。常々具現して居りながら、何故これを否定するのであろうか。これ全く仏法不信の故である。仏法について不信の輩とは水島等を指すべきである。仏教についていえば信の御尊師も、本来の大石寺が仏法をとって居れば不信の輩ということになる。
 戒旦の御本尊とは仏法をとっていることを表明しているものである。御本仏日蓮大聖人も仏法に居ることを明示しているのである。それを捨ておいて、仏教の立場から不信の輩と称してみても、それは犬の遠吠程の威力もない。それよりか、何ををいてもまず仏法に帰ることである。仏教に居りながら仏法を称してみても、それは必らず首尾一貫しないであろう。仏教に居りながら不信の輩を称することは最も無駄な一例である。
 速やかに仏法の故里、本因に立ち返ってもらいたいと思う。具足道とはその辺りを大きく指してをり、本時の娑婆世界もまたそのような処に考えられているのであろう。具足道とは、一言でいえば己心の一念三千法門所住の処である。これをもって本因の語が殊更使われているのであるが、今は迹門に本拠を移したために、本因本果も天台のものが直輸入され、仏法の意をもった本因が抹殺されたのである。所謂天台ずりといわれるものである。
 無意識の中で本因が仏法から仏教に変っている。そのような中で仏法である己心の法門が邪義ともいわれるのである。他門下に押されている中で天台に移っていったことは分かっていないのである。そして本来の仏法の上に建立されたものは仏教に置きかえられて「日蓮正宗伝統法義」とやらいうものが作られているのである。そこから色々な矛盾が生じているのである。すべて仏法と仏教の時の混乱の故である。結果からいえば迹の処に顕本していたのである。
 施開廃の三ともに迹が捨て切れなかったためである。迹門にいるために己心の法門も本因も仏法も目障りになったため、或は邪義といい或は捨てるようになったのである。そのような中で山法山規もその意を失なってしまったのである。理は総て迹門により、事行のみが意味不明のまま辛うじて仏法の名残りを止めているのが現実である。いくら声を枯らして増上慢と叫んでみても現実はますます厳しいものになってゆくであろう。
 開目抄にも本尊抄にも欲聞具足道とそれに関連の文は引かれているのである。具足道の正体を探ることも、あながち無駄なことではないと思う。具足道について時局法義研鑽委員会はどのような解釈をもっているのであろうか。少なくともこの文から衆生の成道が開けていっていることは間違いのない処であろう。まずここに注意を集中すべきであると思う。具足の道とは一体何を指しているのであろう。
 六巻抄で説かれているのはいうまでもなく具足の道である。それは開目抄や本尊抄をそのまま受けとめている故である。これが大石寺法門の全部である。その具足の道即ち衆生の現世成道そのものである。その中にあって本仏や本因の本尊が考えられているのである。その点では日蓮正宗伝統法義では衆生の現世成道や本因の本尊が見当らない処は具足道というには遥かな距りがあるようである。即ち具足道に非ざる法といわなければならない。仏法無縁の故である。
 具足道が己心の一念三千法門であることは、開目抄や本尊抄に示された処で明らかであるが、今はこの己心の法門を邪義といえる処まで来ているのである。しかも意味不明のまま昔ながらに事行の法門として行じられている不思議さである。意味不明が幸いしているということである。そのような中で意味を替えることもなく伝えているのである。若し意味が分かるものであれば既に迹門に切りかえられて何の利用価値もないものに成り下がっているであろう。意味不明のために昔のままのものが今に温存されて来たのである。学はいらないといい伝え守られてきたことの勝利であった。
 魂魄佐土に至るといわれているけれども、今は殆ど魂魄は忘れられているようである。自受用身が唱題するのも肉身と交替しているためである。本仏も魂魄の上にのみ出現するのであろう。師弟の魂魄相寄ったその中間に本尊も本仏も出現し、成道もある。これは肉身の相寄った処ではない。無差別世界は魂魄に限るようである。丑寅勤行は魂魄の上の行事である。衆生の現世成道とは魂魄の上に限られているのであるが、今は肉身が先行するために死後の成道となっているのである。
 今は本因の本尊を認めないようであるが、これでは格別開目抄や本尊抄の必要はない。そして己心の法門を捨てたために自然と本果の本尊をとるようになったのである。迹門をとり、仏教によったために自然とこのようになったのである。宗務院が山法山規は分からないと胸を張って公表しても、事行の法門は分かっている処で事に行じている。これが大石寺法門の面白い処である。
 阿部説では自受用身が大きな声を張り上げても、事行の法門では魂魄の上の所作となっているであろう。肉身三世常住説も、己心の法門ではこのような説は一切認めないであろう。阿部説は己心の法門とは関係のない処で説かれているようである。己心の法門に関係のない相伝と、大いに関係をもっているものとが二本立てになっているのである。
 己心の法門を邪義と決めることによって日蓮との関係は断たれ、諸宗の教義を綜合した新仏教が誕生したのである。そして本仏の肉身三世常住とか自受用身の唱題などという珍説妙説が飛び出してくるのであるが、一方では昔ながらの仏法も珍説とは関係なく伝えられている。それが事行の法門である。これは恵心にも智証にも伝教にも通じるものを持っている。そのような中で仏法にあたる部分に、カント説と交替している処はないであろうか。とも角も現在の教義は色々と複雑にからみ合っているようである。そして本来の意味を失なった仏法の専用語が他宗の仏教の意をもって解されているのが大部分ではないかと思う。仏法を説いた日蓮が法門を仏教と読み替える技はどうやら失敗に帰したのではないかと思われる。そして刹那々々に出現する本仏も本尊も成道も完全に常住となり切ったのである。
 三世常住の肉身本仏は出るべくして出たものであり、これは最早仏法境界ではない。また仏教といえるようなものでもない。さて何れに属すであろうか。或は新仏法の誕生ということであろうか。只不可解の一語に尽きるようである。この本仏には奇蹟はあるけれども甚深なものは一向に見当たらないようである。しかも、その本仏は其後一向に耳に触れないようである。其後はどのようになっているのであろうか。誕生と同時に消滅したのであろうか。全く消息不明である。詢に泡沫の如き本仏である。夢幻の如き本仏である。学はいらない、信心だけでよい、行だけでよいというのが、そのように出たのである。
 学はいらないとは理はいらない、事を事に行ずればよいというのが仏法の本来のあり方であるが、学はいらない学問はしない方がよいということでは法門が孤立する。今はそのような処へ結果が出たのである。あまりにも考え方が安易であったようである。自業自得果ということである。学がいらないという処へ安座しすぎたために本仏や本尊が迹門化し仏教化したのである。学はいらないの意味の取り違えが今のような結果を招いたのである。しかし仏法の側からいえば、些かのゆがみもなく元のまま伝わっているようである。
 学はいらないを学問をする必要はないと決めたのは、決めた者の誤りであったのである。仏教をとるなら、他宗以上の学はいる筈である。学がいらないとは仏法の専用語であったのである。結局は仏法と仏教の時の混乱が今のような結果を招いたのである。仏法では学はいらないということは、仏教では学はいるということである。仏法は左、仏教は右に立てられている。その辺に感違いがあったのであろう。
 山法山規は仏法の側にあるもの、宗制宗規は仏教の側にあるものである。その辺の立て分けが必要である。時を誤っていては、山法山規が分からないのも御尤もなことである。現実はそれ程仏教に根を下しているのである。山法山規は事行の法門に組み込まれ、既に実行済みである。分かりたければ仏法をとり返すことである。山法山規は本来成文化しないように出来ているのである。特に客殿にはその大部分が残されているのではないかと思う。当流行事抄ではその事を明かされているようである。永師のころには口伝えに残っていたものもあったであろう。永師の写本肝心要義集の書き入れからそれを伺うことが出来る。台当異目も明了に示されている。仏法の立場からの書き入れであろう。しかし仏教の立場からは理解出来にくいものが多いのではないかと思う。
 山法山規は分からないと投げ出す前に、一度は知るための努力をすべきではなかろうか。化儀抄は仏法の立場から書かれたものであるが、仏教に根を下した今の眼をもってしては、殆ど理解出来にくいであろうと思う。山法山規を拾ってみても全く己心の法門そのもののようであり、己心の法門を邪義と決めてしまえばその必要のないものである。それ程法門が変ってきているのである。総監は宗制宗規を守ることが定められた職掌である。
 本尊抄の副状の末文「乞願歴一見來輩師弟共詣霊山浄土拝見三仏顏貌」について以前にも一度私見を書いたけれども黙殺されたようである。よく見るとこの文はそのまま客殿で事に行じられているようである。丑寅勤行はこの文を行じているのではなかろうか。この文も己心の上に説かれたもので、そのまま自力をもって本仏や本尊を求め成道を遂げるのである。つまり霊山浄土に参詣して三仏の顏貌を拝見するのと全く同じことを事に行じているのである。どう見てもこの文をそのまま行じているようである。この副状は色々と山法山規となっているのではないかと思われる。
 本尊抄は開目抄以上に山法山規として、また事行の法門としての扱いをされているものが多いように思われる。総て衆生成道に深い関連を持っているようである。大石寺を現世の霊山浄土といい伝えて来たことは、現世成道即ち仏法をとっているということ以外に、この副状の文を具現しているという意味も含められているであろう。師弟一箇の成道を表わしているものであるが、今のように迹門となっては、全く無意味なものになり切っている。目前に事に行じながら、それとも思えぬようになっているのである。ここから文底に立ち帰ることは殆ど不可能な事ではないかと思う。文底は語の上にのみ残されて、事としてこれを裏付けるものは何一つないようである。
 今は現状を守ることのみに汲々としているが急速に後退を余儀なくされているように思われる。これはいうまでもなく法の厳しさである。迹門がそこに足を止めさせているのであろう。爾前から迹門へ、迹門から本門へ、そして法門は文底に根を下しているのであるが、今一挙に文上迹門に根を下そうとしているのである。そのための混乱が起こっているのである。ここはどうしても自力をもって仏法に還帰しなければならない処である。今それだけの勇猛心を持っているかどうか、誠に心細い限りである。
 一応仏教語も使われて衆生が対象のようには見えるこれども、説かれた処は仏法であり、世俗の民衆が対象になっているのである。今一番必要な時になって民衆と離れてしまったようである。まず何ををいても宗門自身が仏法に立ち帰らなければ、反って民衆から置き去りになるようなことになるかもしれない。民衆の心はそれ程激しく動いているようである。一宗の元祖でない日蓮を捉えて、そこから再出発すべきであると思う。一宗の元祖でないということは仏教を説いたのではなく、仏法を説いたという意味である。
 次の七百年を仏法を探ってみるのが順序ではなかろうか。このまま仏教として研究を進めてみても、これ以上の発展があるかどうか疑問を持たざるを得ない。折角仏法を説かれているものであれば、仏法として研究を進めてみてはどうであろう。発端に迹門に切り換えた処に無理がある。迹門の受持は二箇の大事、即ち久遠実成と二乗作仏に尽きているのではなかろうか。最初標榜されている仏法については全く手つかずのままになっているのである。
 大石寺も今は他門に同じて己心の法門を邪義といい狂学と称する処まで来ているのである。これは折角決められた衆生の成道を一言で奪い去ったものである。何れの御書によってこのような説を唱えるのであろうか。大いに反省してもらいたい処である。更にこのような珍説の出処を聞きたいものである。時の法主といえども、恐らくは其の出処をあげることは出来ないであろう。衆生の成道は必らず仏法において説かれているものである。それが日蓮が法門の特徴なのである。
 大石寺客殿には宗門の最も斥っている仏法が昔乍らに残され、事行の法門として意味不明のまま実行され、時に仏教と解されて矛盾が続行されている。それが師弟子の法門であり、仏法では無差別であるが、今は仏教の上に解されているために総て差別と出ているのである。その矛盾も次第に表面に出て、そこから行き詰りが始まっているのである。
 これは開目抄や本尊抄等の重要な御書に真反対の立場をとっているだけに、打開の方法は容易に見出だせないようである。そこに今の苦難の本源がある。そのために本仏や本因の本尊、成道が素直に受けとめられない本源がある。阿部さんの唯授一人の威力をもってしても乗りこえられない理由もまたそこにある。現状は明らかに抛棄の状態である。仏法の抛棄であるだけに事は重大なのである。衆生の現世成道の一点に集中した仏法の抛棄であるだけに重大なのである。これは開目抄や本尊抄等の重要な諸御書を逆次に読まなければ今のような結論は導き出せない。
 唯授一人は仏法の上に立てられているものである。それが何時どのようにして仏教の上に解されるようになったのか、仏法は左にあり、仏教は右にあるもの、隠居法門は左尊右卑を指し示しているが、今は左尊右卑を根本としているのである。これさえ気が付いていないのであろう。これは仏教によっている故である。そのような中で左尊右卑の丑寅勤行は依然として行じられているのである。そのために結果が真反対に出ているのである。そのために日蓮正宗伝統法義は逆も逆真反対に出ている。
 それを、仏法を逆も逆真反対と称しているのが山田説なのである。本心でこのように思っているのであろう。それ程狂っているのであるが、それを正と定めて当方を邪としているのである。今は宗義が仏教をもって根本としているための狂いである。そして自分の悪いことはすべて他に押付けて、自分を常に正義の座に据えようという魂胆である。あまりにも浅すぎるようである。山田説はそのような処に建立されているのである。そのために二三回しかもたなかったのである。それは宗祖から中止命令をくったためであろう。
 民衆が所持している唯授一人は本来として所持している本因の唯授一人であり、仏法によるものである。これは受持し確認すればよい。その儀式が丑寅勤行ではないかと思われる。最高最尊の儀式である。実には山法山規もここに集約されるといえる程のものであるが、それさえ分明には分りかねるようになっているのである。そして本仏も本尊も成道も全く関係のない処で考えられているようである。それが今の伝統法義なのである。
 唯授一人も仏教の上に考えられているために権力や威厳を示すために使われているようであるが、本尊抄から裏付けをとることは出来ない弱みを持っているのである。四皓が景帝を守ったように四菩薩に守られた衆生が唯授一人の主であることは、本尊抄に示されている処である。従者のごとくであった上行等の四菩薩が遥か高位に立ち、主君の如くであった衆生が最低下の処に位置することは、どのような理由によるのであろうか。最も解しがたい処である。或は仏法をそのまま仏教と読んだために依る処であろうか。是非委細の処を知りたいと思う。これでは本尊抄が忠実に読まれているとはいえないであろう。
 いきなり上行等の四菩薩等を最高位に押し上げる前に、何故このように示されたのか、まずその理由を詳細にする必要があると思う。何の理由もなしに、このような扱をされることはあり得ないからである。このようにして見ると、少くとも衆生の唯授一人は本尊抄の裏付けを持っているようである。仏法の上の裏付けを持っているのである。また師弟子の法門や丑寅勤行では事を持って証明されているものと思われる。
 今は師、弟子を糾すと読み、差別を表に現わしている。その第一の理由は教義が仏教に移り文上迹門によるようになったためである。そして或る飛躍の中で最低が最高となり、最高が最低になったのであろう。正邪が入れ替るのと同じ考え方ではなかろうか。既に沈黙以来一ケ年、水島法門がどのように発展していったのか、最も興味のある処である。或は布教叢書4の仕上に力を注いでいるのであろうか、一向に消息不明である。或は亦天台教学の後塵を拝することに余念がないのかも知れない。何はともあれ仏教から一日も早く脱出しなければならない。
 仏教では、己心の一念三千法門の理はあっても事或は事行はない。本尊抄はこれを事に切り替えるために半量を費やされているのである。事に切り替えなければ衆生の現世成道につながらない。そのための苦心の跡が欲聞具足道と一連の引用文の中に秘められているのであるが、今の宗門は一向に無関心のようである。そのために衆生の成道や本因の本尊や本仏の説明部分が失われたのである。これは悪口雑言をもって取り返せるものとは本来異なっているようである。全て仏法に属するものである。
 狂学といい魔説といい、増上慢と称してきたものは全て衆生の現世成道に通じるものである。そのためにこれらのものが現実に失われたのである。今必要なのは、如何にしてこれを取り返すかとくことだけである。これを取り返さなければ、仏法を口にする資格はないといわなければならない。昔は中国において法を失し、今は大石寺において法を失したのである。
 日蓮は決して仏教を説かれたものではない。仏法を説き起された処に未曾有の本尊の意義もあるのである。本因を主とした本因本果の法門である。本果を主とした本因本果の法門、不思議の一法は中古天台でも説かれているのであるが、はっきりと仏法へ出られなかったために衆生の現世成道に通じなかったようである。その中で果から因への交替即ち隠居法門の処がすっきりと渡り切れなかったのではなかろうか。
 本尊抄でも、「本尊の為体」以後、終りに至るまで、そのための教化作業を行われ、最後衆生の現世成道にぴったりとくっつけられている。前半は衆生の現世成道を説き起し、後半はそれを衆生のものとしてぴったりと理論付けている。それが観心の本尊という名のもとに行われている。これが若し迹門と読まれ、仏教の立場から読まれるなら、日蓮の苦心も水泡に帰せざるを得ないであろう。
 今の宗門は何故か仏教の立場から読むことにのみ汲々としているようであるが、大分行き詰ってきている。道を開くためにはまず仏法の立場をとらなければならない。仏法で書かれたものは仏法で読まなければならない。それが今与えられた唯一の方法であり道である。日蓮相手に邪義だの狂説だの云ってみても被害を受けるのは自分達に限ることを知らなければならない。仏法を引き出そうとしたものを、天台教学をもって粉砕しようと思ったのが抑も誤りのもとであった。天台教学が仏教にあることを御存じなかったのであろう。
 己心の法門を邪義の一語をもって一挙に粉砕出来ると思ったのは、いかにも浅墓であった。道師も有師も寛師も、何れも仏法の上で説かれているのである。そのために現在利用価値がない。六巻抄も仏教の立場から持ち出したことがあったけれども、常に反撥を受け、今もその被害は残っているのである。そのために利用することが出来ないのである。
 寛師の意図とは真反対に出ているために、反って相手方に乗じられているのである。その読みについては、又攻め立てられるようなことがあるかもしれない。その前に仏法をもって読み改めて、その被害を避けなければならない。これ又今差し当ってやらなければならない大きな課題であると思う。今までの考え方では只被害を増すばかりである。隠れて悪口雑言をやって見ても、今の教学では相手方には通じないであろう。そのためには己心の法門を正義と確認し、仏法を根本として法門を立てなければならない。そして魂魄の上に法門を建立する用意が必要である。
 本尊抄を無視して差別の上に本尊を建立しても今の用には立たないことを知らなければならない。しかし、今の教義は差別を必要としている。それは文上迹門に依っているためである。即ち仏教に根拠をおいていることを知らなければならない。しかし、差別を捨てて純円一実によれなければ本因の本尊を求めることは出来ないであろう。この本因の本尊こそ仏法の上に建立されているものである。これは必らず本尊抄の観心によらなければならない。天台の観心は必らず本果の本尊が出ることは既に経験済みの通りである。そしてこの本因の本尊はそのまま当流行事となり、丑寅勤行として事に行じられているのである。ここに師弟を通して理と事が一箇した処に衆生の現世成道が具現する。これが自力の成道といわれるものである。
 今の宗門の成道は専ら他力に依る処である。他力成道ならわざわざ丑寅勤行をやる必要はないであろう。これでは本仏も本尊も仏法をも離れて既存のものに頼るのが最もよい方法である。別語をもってすれば新隠居法門ともいえる。本果と本因の交替である。この三は不即不離の関係にあるが、今は各別になっている。そのために本仏や本因の本尊も現われることもなく衆生成道も求めることが出来ない。それは仏教によるために自ら消えていったのである。その根本をいえば己心の法門を邪義と決めた故であろう。丑寅勤行も己心の上にあってこそその意義もあるものであるが、己心を外しては全く無意義をいわなければならない。いうまでもなく宗門始まって以来の大椿事である。
 本尊は本果となり衆生成道は死後と決められた今、この二つを離れて果して本仏が成り立つや否や、大いに疑わしい処である。己心の法門そのものである山法山規は既に宗務院によって黙殺乃至無視されているのである。己心の法門については殆ど皆無の状態に置かれているのである。用意万端整っているという状態である。ただ残っているのは本仏と仏法の二語位のものであろうか。しかしこれも己心の法門が邪義と決まっては、それ程意義があるともいえないであろう。しかし己心の法門を失っては、一閻浮提総与にしても、頸に懸け置かれた一念三千の珠についても、恐らくは解決不可能であると思う。一閻浮提総与を真蹟をもって戒旦の本尊に書き置かれたのでは尚更厄介な問題である。いつ再燃するようになるかもしれない無氣味なものをもっているようにも思われる。宗門も予め用意をしておいた方がよいようである。
 「二千二百二十余年未有此之心」というこの本尊抄の真意とは、己心の一念三千による衆生の現世成道をさしているのではなかろうか。それが本因の本尊と云い伝えられてきたものではなかろうか。誤りがあれば大いに反撥してもらいたい。宗門ではどのように決めているのであろうか。これまた是非伺いたいものである。語は異なっても寿量品の文の底に秘めた一念三千の法門もこれと全く同じものではなかろうか。それが頸に懸けられた本尊でもある。何れも等しく衆生の現世成道を指し示されているように思われる。
 文底秘沈とは衆生の現世成道を指しているのであろう。しかし今は文底秘沈も格別必要な語とも思われない。それはいうまでもなく衆生の現世成道が失われている故である。或は他門に同調して取り止めたのであろうか。今は文底とか寿量文底などという語は使わないようにしているのではないかと思う。これも他門から何度かいわれたことがあったように思う。このようにして肝心なものは他の圧力のもとで次々に消えていっているのではないかと思う。
 本尊は軽々しく論ずべきでないという前に、己心の法門を邪義などと軽々しく発表すべきでないと何故いわないのであろうか。責任のある立場にある者は何故これを差し止めなかったのであろうか。何故今まで放置しているのであろうか。本尊は軽々しく論ずべきでないといいながら、今となって何故本果と決めたのであろうか。これらは宗義として公式に決定したものとして受けとめておく。
 己心は邪義ということも大日蓮に発表されているのである。しかもその決定は法主直属の時局法義研鑽委員会委員の発表である。己心は邪義であっても、そこから出た本因の本尊を本果とすれば邪義でなくなるのであろうか。本尊は己心の法門とは関係のないものであろうか。阿部さん授与の本尊は本果の本尊であるが故に邪義ではないと決められているのであろうか。平僧が己心の法門を邪義と決めることは出来ないであろう。どこで決まったのであろうか。
 宗祖が真実正義と決めたものを、どうして邪義と決めることが出来るのであろうか。何とも不思議な決定である。己心の法門といえば日蓮が法門として、又仏法として大石寺法門としても全部であると思う。それが邪義となっては大変なことである。仏法も邪義、日蓮が法門も邪義、大石寺法門も邪義となる。何が正義であろう。自分の考え以外は全部邪義となれば水島本仏誕生である。これは法主の遥か上位に位するものである。
 山法山規は分らない、当家は信心の宗旨であるから学はいらないというようなことは、恐らくは明治以後、本来の意義を変えて使われて来たものである。学はいらない、信心の宗旨ということは仏法についていわれ、山法山規についていわれてきたものであろう。それが現実に学はいらないということが実行されたために混乱が起きたのである。
 己心の法門は理をもっても説明出来ない。出来るのは事行のみという処が些か摺り替えられて安易な処で結論付けられたための混乱ではないかと思う。しかし今は本来のものに返すための努力はなされていないようである。そのような中で天台理の法門に援軍を求めたのであるが、準備不充分のためにその被害を受ける破目になったのである。
 仏法の時の用意がなかったのである。理のみで乗り越えられないことの貴重な体験であった。このような愚は再び繰り返さないことである。平常天台は理の法門といい乍ら、その理の法門をまともに受持しようとした処に誤算があったのである。まずは理事の区別を身に付ける処から始めてもらいたい。
 学はいらないとは現実に学問を拒否しているのではない。只法門の表現方法なのである。仏法を表わしているのみである。それ程甚深であるということが逆に学問をする必要はないと受けとめられた処に問題がひそんでいたのである。他宗他門の攻勢を避け兼ねた中で、ついこのような方向に進んでいったのではなかろうか。当時はそれでも内面的には己心は守られたようであったが、今は遂に内に秘めた己心の法門を先ず邪義と決めてしまったのである。己心の法門を打ち捨てた処で、学はいらないということのみが残ったのである。結果はそのように出たのである。さてどのような対策が用意されているのであろうか。
 己心の法門を守るために考え出された「学はいらない」等ということも現実に利用されたために反って己心の法門を抛棄するような破目になったのである。そこに解釈のむづかしさがある。このような場合にはどうも出てはいけない側に出るようになっているのかもしれない。そして「己心の法門は邪義」という八字は日蓮が法門の一切を刹那に破し去る威力をもっているのである。この八字を秘めて山法山規は分からないといえば、それは何とか通用したかもしれないが、これが先に出てしまってはどうにも救いがないということである。
 今となっては、己心の法門は自力をもって破壊し終ったようである。さて次は何をもって立ち上るつもりであろうか。仏法を立て乍ら仏法の時が抜けていたのが最大の根源であった。これが学匠の計算違いであった。改めて仏法は時によるべしという語を味わってもらいたい。開目抄や本尊抄を一度でも読んでおけば、このような誤算もなければ、次上の語や阡陌の語が御書にないという必要もなかったのである。御書を読んでいないということを如実に表わしているのである。これは何としても水島学匠の一生の不作であった。
 四明流を天台の正統と仰ぐことは、大石寺では七百年来未曾有のことである。このような中で己心の法門が復活するようなことは永遠にあり得ないであろう。同時に衆生の現世成道もまた永遠にありえないことであろう。これはいうまでもなく宗義の根本的な変革であり、新義建立であり、仏教への復帰である。ここで必要なのは、己心の法門こそ真実だという度胸である。邪義という悪夢は去年の暦と共にきれいさっぱり切り捨てるべきである。そこには再び救いが蘇るようなことがあると思う。
 仏滅後二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅を邪義として軽く一蹴することは、余り見上げた方法とはいえないであろう。これは水島が一生の不覚であった。宗祖といえども軽く一蹴されては黙って見過ごすわけにもゆかないであろう。文字をもって邪義と示したのは水島が第一号である。若し何事もなければ御本仏の慈悲といわなければならない。己心の法門を邪義と決めては、そこから出た本尊も邪義となるのは必至である。これをどのように摺り抜けるか、これは教学部長の担当する処であろう。御両処の明解を期待したい処である。本因は邪義、本果は正義ということであろうか、問題は今後に持ち越されるであろう。
 本因の本尊には開目抄や本尊抄に充分な裏付けをもっていることに注意してもらいたい処である。これを押し切って邪義と決めることは容易なことではない。隠居法門も丑寅勤行も戒旦の本尊も、何れも己心の法門に関りをもっている。これらを邪義と決めれば、大石寺法門の古い処は殆ど邪義に堕することになる。阿部さんもこれを承知の上で丑寅勤行を行じているのであろうか。邪義と決めながら勤行をやり題目を命がけで上げてみても、功徳が返ってくるようなことはないと思う。これでも己心の法門は邪義であろうか。
 己心の法門が邪義であれば、大石寺法門はないに等しいものである。そして要法寺日辰や八品派・身延派、今の天台教学のみが正義となる。そして固有の、古伝の大石寺法門は己心に立てられているために尽く邪義ということになる。これでも尚己心の法門は邪義ということであろうか。開目抄を始め十大部の御書も其の他のものも、大半は邪義ということになる。そのような力が水島のどこに潜んでいるのであろうか。しかもそのような事が堂々と罷り通っているのである。これは日蓮本仏を遥かに越える新本仏である。
 他門には己心の法門を邪義としたものには未だ眼福に接した事はない。水島説が初見である。一宗建立の価値は十分あるように思われる堂々たる意見である。これ程の意見をたてるのについて、一つとして御書の中から文証を上げていない。門下を名乗りながら文証一つ示さずに邪義と決めることが出来るのであろうか。これは抹殺に等しいものである。
 中国では五千年の後にも信頼は生きているようであるが、大石寺では信の一字をもって得たりという信は信心に固定して、肝心の信頼は七百年後には奇麗さっぱりと消え去ったようである。これなどは不信の輩といえないであろうか。信心は宗教の中にのみあるもの、信頼は仏法にも世間にも共通するもの、この意味でも宗教に収まっているのであろう。しかし本因の本尊は人が社会生活をする中で最も大切なものを、宗教に准らえて示されたもの、仏法の根幹をなすものである。この故に本尊の名義を假りて示されている。即ちそれは信頼を明示されているのである。今は仏教と混同して考えられているようである。そして仏法が次第に薄れて来ているのである。
 信の一字をもって得たりということは仏法の意を示されているのである。日蓮の思想の根源は信頼におかれているのであろう。この信頼は宗教の本尊以上に、遥かに変ることなく続いてゆくものではなかろうか。人と人との触れ合いの中における信頼感には恐らく永遠の生命を持っているであろう。久遠の長寿である。そのようなものを示されているのではなかろうか。しかしこれでは御布施には通じにくい難点がある。そのために次第に仏教に転化するのかもしれない。これは中々拒み切れないようである。
 仏法を根本として著わされたものを仏教として読むことは、初めから困難が付きまとっているであろう。宗祖の教えといっても、実は仏法の教えである。それが仏教とのみ解されている処に複雑なものが生じる要因があるというのが現実である。山田が逆も逆真反対となじるのは、仏法を仏教と解してこれを正義と立てているためにそのような論理がなり立っているのである。最初入信の時に教えられたままになっているために、それが逆になっていることに氣が付いていないのである。詢に氣の毒な仕合せである。そこから見れば当方が逆も逆真反対に見える、それほど程度が低いのである。
 己心の法門が邪義と思えるような雰囲気の中に居るのである。そのために己心の文字は一切目に触れない境界に居る。それを正常と考えているのが水島法門である。入信当初そのままである。今の真実は仏法を仏教と考えることが正義となっているのである。
 久遠実成は本果に限り、久遠元初は本因に限る。元初は愚悪の凡夫の領する処、そこに自受用報身もいるのである。本仏は愚悪の凡夫の師弟の処に居るのであるが、今は本仏は宗祖一人に限り、衆生はその座から外されている。その出生は師弟相寄った処に限られている。本仏には戒の要素を多分に持っているように思われる。
 師弟子の法門とは戒定恵を意味しているように思われる。しかし日蓮が本仏に固定してくると戒の意味が後退して来るのは何故であろうか。或は仏教化のためではなかろうか。そして本仏の常住が自受用報身の上に考えられた時、自受用報身の唱題が言葉になって出てくるようにも思われる。やはり根本は時に混乱があるようで、混乱もいよいよ極限に来ているようである。それだけにますます信心の必要が生じてくるのである。その代償として師弟の間に生じる戒や戒旦はいよいよ本来のものは影が薄れてきたようである。
 山田・水島等の信心は仏法を仏教と信じ切っている信心である。日蓮正宗伝統法義はそのような信心の上にのみ、よく建立することが出来るものである。そして仏法を逆も逆真反対と見、己心の法門を邪義と考えることが出来る不可思議な魔法力を持っているのである。不思議信心力というべきである。しかし、天台教学にもこれを裏付けるようなものは、求めることは出来ないであろう。魔説と称している向きもあるようであるが、仏法として説き出されたものを仏教と解する方が余程魔説ではなかろうか。
 仏法を仏法と解するのが何故魔説といえるのであろうか。魔説といえば即刻相手の説が魔説になるわけのものではない。若し仏法を称えることが魔説なら宗祖に談じ込むべきである。これは相手が違っているようである。結局山田・水島教学では始めから仏法を説かれているようなことは夢にも考えていなかったのであろう。明治教学は終始仏教の上に立てられていたのである。そこに大きな誤算があったのである。若し仏法が分っておれば、不信の輩などという語は始めから必要はなかったのである。
 仏教の信心を根本にしていることは歴然たるものがある。仏法は信心信仰の外に置かれているのである。元はといえば、仏法を仏教と読み誤った処から事が起っているのである。一閻浮提総与の語は仏法を充分意識した上で信不信の外について総与されているのである。即ち生れ乍らにして戒旦の本尊と同じものを具備している意味をもっているのであろう。若し戒旦の本尊を信じても仏法の本尊を信じないものは、これこそ不信の輩というべきであろう。仏教は、大石寺では根本には置かれていないようである。
 信不信をいうなら必らず仏法に限るべきである。仏教の処で威勢よく不信の輩とやってみても、その人の法門の程を露呈するまでのこと、全く無意味なことである。それはたとえ院達をもってしても同じことであって、一向に其の効果は現われなかったようである。それはいうまでもなく仏教によっていたためである。それは宗門自身が仏法によって法門を立っているということを知らなかったことを如実に表わしたまでである。そのために威勢のよさに比べて効果が上らなかったのである。些か疝気筋ということであった。宗祖の考えは仏法にあることを改めて確認してもらいたい処である。
 信の一字をもって得たりということは、社会生活をする上において如何に信頼が貴重であるかということを表わされているものと思う。若し仏教であれば本尊にあたるものである。仏法を説きながら本尊を表わすことは仏教の信仰対照としての本尊ではない。その本尊に等しいという意味である。仏教と解されて既に七百年の年月を経ているのである。今更仏法に帰れるかということになるかもしれないが、やはり帰らなければ色々と矛盾にも出食わすであろう。
 戦後忠孝が消えて四十年を経ている。今一番必要なものは信頼であると思う。忠の復活については色々と問題があるかもしれないが、せめて孝と信頼位は復活してもようのではなかろうか。人が生活し乍ら互いに信頼を持たない程危険なことはない。宗門に若し信頼が根本になってをれば首を切ったり切られたりすることもなかったのではなかろうか。一日も早く仏法を復活して信頼を根本とした仏法を建ててもらいたい。その時差し迫って必要なものは信頼である。何れの国にも信頼の欲しい時である。中国では今も信頼は生きているようである。
 七百年前日蓮は中国思想の中から孝と信を取り出して仏法を立てているのである。それは今最も必要なものである。そこには明らかに久遠の長寿を持っている。今後も尚その生命を持ち続けるであろう。処が宗門では一向に守られていないようである。己心の法門も亦守られていない。不思議なことである。小動物でも刹那に敵味方を分別する力を持っている。それは根本は信頼による処である。本能的に信不信は持っているのである。そのような信を取り出して、仏法ではこれを本尊と名付けられている。
 本尊を得たりということは、本来具えているものを確認した意味であろう。これを自力の成道という。それは仏の成道というよりは、むしろ老荘の道に近いものを持っているようである。その道を一念三千法門とも本尊とも名付けられているようであるが、現状は仏法の意を除外して仏教によってのみ解されているのである。
 仏法では本因の本尊といい、仏教では本果の本尊という。本果は仏の領する処、久遠実成はここにあり、本因は愚悪の凡夫の領する処、実成に対して久遠元初といい、自受用報身はここを領してをり、ここに本仏を見るのである。本は本因の意を持ってをり、若し仏教の中で本果の仏に対して本仏を称えるなら不都合な感じを与えるものがある。若し同じ世界で本仏を持ち出すなら下剋上的な感じを与えることにもなる。そのために仏法という愚悪の凡夫のみの世界をまず確認した後に持ち出さなければならない。
 今は使う側に混乱があり、攻める側にもこれを訂正して攻める用意に欠けているように思われる節がある。ただ迹仏に対して本仏を不都合というに止まっているように見える。双方共に本仏の意味が充分理解されていないのではないかと思う。「二箇の大事」が生かされていない。そのため無修行の凡夫が本仏とは不都合ということにもなれば、中古天台と同じだという批難も生じるのである。この「二箇の大事」は仏教から仏法に出るための重要な鍵であるが、双方共無関心ではないかと思う。そのために仏法で説かれたものを仏教の中で論じ合っているために一向に解決する日がないのである。
 「二箇の大事」を受持した上で争うべきものである。仏教の中にあって仏法を論じることはいかにも無駄なことである。化儀抄を理解するためには、まず仏法の場に自らを移さなければならない。明治以来六巻抄のために常に攻撃を受けているようであるが、これは攻める側も攻められる側も仏教に居るためであった。若し大石寺が仏法に法を建立していることが分ってをれば攻撃を受ける必要ななかったのである。明治教学が仏教に居たのが事の始まりである。自ら反省しなければならない処である。
 今も仏教に居て仏法を称えるために一人のよそもんが攻め切れないのである。詮じつめれば時の混乱ということである。「不信の輩」も仏法の前には何の威力にも続がらなかったのである。「仏法を学せん法はまず時を知るべし」である。これに背いて勝利を得ようというような事は始めから考えない方がよい。
 近頃はあまり使われないが、不相伝の輩というという語も仏法を確認した上で使うべきである。本尊抄によれば一念三千について、本尊について、三秘については愚悪の凡夫は全て相伝済みである。仏法については相伝済みである。不相伝の輩には仏教的な意味合いを多分に持っているために、他門に対しては通用しにくいものがある。これも時の混乱というべきである。
 滅後七百年最高に時の混乱に居る時節である。仏法を立てるためにはまず時を知ることから始めなければならない。そこに始めて仏法を語る資格が出来るのである。仏教に法を立てながら仏法を攻撃してみても、何の威力にも続がらないことは既に経験済みである。仏法を確認すれば即刻救われるであろう。開目抄や本尊抄等の重要な御書は、今も昔ながらに仏法を説かれているのである。若し仏教の立場から読めば、益々混乱を起すのみである。
 まず仏法を知ることが今の唯一の肝要である。仏教の立場から攻め立てられても何の痛痒も受けないであろう。被害は常に攻める側に立ち返るようになっているのである。仏法家に仏法が理解出来ないことは、何としても最高の悲劇である。天台教学の暗誦をする前に、まず仏法の依って来たる処を知るべきである。時の確認がなければ、恐らくは本仏も本因の本尊も出現することはないであろうし、衆生の成道も永遠にあり得ないであろう。時を知ることのみがよくこれを解決するようになっているのである。
 早く一言摂尽の題目に帰るべきである。一言摂尽の題目とは仏法の表示である。仏教に居れば必らず口唱の題目である。一言摂尽とは久遠名字の妙法を示している。そこに久遠元初もあれば、本因初住もある。まず仏法と受け止めるべきであろう。口唱の題目とは仏教に居ることの表示、文上迹門に居ることを指しているのである。当流行事抄は最後に仏法に依って論じた事を確認し、当流行事とは仏法であることを示されている。その故に久遠元初の自受用身も本仏も本因の本尊も衆生の成道も具現するのである。題目をもって仏法と仏教の差別を論じられていることを知らなければならない。
 丑寅勤行が仏法の上の行事であり、衆生の成道につながることを示されていることは、六巻抄第一行の発端である衆生成道について行事即ち事を事に行ずる丑寅勤行の意義を明らかにされたもので、口唱の題目の上に成り立っていないことを示されているのであるが、今は文上迹門の口唱の題目の処で丑寅勤行が行われている。それは命掛けの題目という語が、最もよくその意を表わしている。これは仏教の上の題目である。しかし本仏や本因の本尊や衆生の成道は仏法の上に、一言摂尽の題目の上に具現するようになっているのである。
 当流行事抄は仏法をもって最後を結ばれているのである。命掛けの題目は多分に仏教的な雰囲気を持っているように思われてならない。それは阿部さんの仏教によって培われた人徳がそのようなものを発散しているのであろうか。当流行事抄は特に己心の法門が強く出ているようである処は、教学部長の眼をもってみれば狂学であろうし、水島教学からすれば邪義の結集であろう。それだけ仏法の線が強い。それらが客殿で行じられていたのであったが、今はそれらのものは殆ど影を潜めてしまったようである。そして仏法の失われた中でひっそりと事行のみが繰り返されているために、当流行事抄も亦無関心の中におかれているようである。
 理を失って只事のみがひっそりと行ぜられているのが現実である。そのために本仏も本因の本尊も衆生の成道も、何一つ裏付けを持たないのである。その裏付けとは己心の一念三千法門である。己心の法門が邪義といわれることは仏法も失って仏教に変ったためであり、明治以来でも既に百年に余る年月を経ているのである。そして今も他の教義の移入に余念がないために益々仏教に根を下しているのである。このような中でいよいよ深みにはまり込んでいる。いつの日か又この泥沼から這い上る日があるであろうか。
 時局法義研鑽委員会とは仏教に深入りするための専門委員会の役割を持っているようである。ここで己心の法門も邪義の烙印を押されたのであろう。しかもこれは阿部さん直属機関のようである。仏法離れについての専門委員会という処である。師弟子の法門も、師、弟子を糾すでは信頼は起りにくいように思う。師弟無差別に寄ってこそ信頼も起り得るものであるが、師弟を各別に立てる今は互いの信頼を起すことが出来ないのも、元はといえば仏法を仏教と受けとめた処に根本の原因があるのかもしれない。それ程病源は深いようである。それを防ぐためにはまず師がその秘密蔵の中に徳を蓄えることが必要である。その師徳をもって無言に教化をすることは、大石寺法門の中でも大きな役割をもっている。
 日蓮の法門は徳化であるように思う。今はその代りを空威張りが代行しているように見える。仏法にあれば徳化であるが、誤って仏教に出れば空威張りとなっているように見える。定められた時は必らず守らなければならないものである。水島御尊師にも徳による教化があって欲しいものである。皆さんには総じて仏法の徳化という面は不足しているのではないかと思う。仏法家では徳化が出来る程の学が必要である。これが巧於難問答の示す処ではないかと思う。
 仏法に対して仏教で答えたのでは応答ともいえないであろう。本来なら他宗以上に学の必要な処である。教学部長に徳化力の備えがあれば水島に己心の法門を邪義といわしめる必要はなかったのかもしれない。阿部さんも法主絶対という地位に居りながら、一方で悪口雑言集団の総指揮をとっていては師徳を備えているとは言えない。そこへゆくと宗祖の師徳は阿部さんや水島の悪口雑言を無言ならしめるような力を持っているようである。今少し師徳の涵養に気を配ってもらいたい処である。
 初心に帰れということをよく聞くこともあるし、又見ることもあるが、その初心とはどのような意味か、或はどこを指しているのか、宗門の正しい意見を知りたいと思う。一歩立ち入った処で法門的な裏付けの欲しい処である。山法山規といわれるものもそのような意味を持っているのではなかろうか。大きく取れば本因もそのように思われるし、魂魄もまた原点といえるであろう。また久遠元初もそのように云えるであろう。
 本果をとれば妙覚は最極の処であり、本因によれば名字を初心として、妙覚を受持することによって名字の処に持ち込めば本因本果倶時に相即する処、因果倶時である。名字妙覚の時、名字の処を指して名字初心というのではなかろうか。そのように考えるなら本因の処に名字初心を見ることが出来る。仏法はそこに始まっているのである。愚悪の凡夫所住の処である。そこは魂魄世界であり、己心の一念三千所住の処でもある。愚悪の凡夫は二箇の大事を受持することによって名字妙覚を具備することが出来る。そのような境界は刹那に限る。これが大石寺のいう成道の姿ではないかと思う。
 受持によって無修行の難を免れることが出来る。これが凡夫の自行ではないかと思う。受持即持戒、受持即観心といわれる中には十分に修行を持っているであろう。その故に愚悪の凡夫にも成道があるのであろう。ここでは名字が初心であり、成道が名字の処にある。名字の初心に帰れとは、愚悪の凡夫であることを確認せよ、つまり凡夫は凡夫らしくということを含めているようにも思われる。
 一言摂尽の題目には本因本果の二つの題目を供えているようである。この一言摂尽の題目には既に名字初心を含めているのであろう。それは愚悪の凡夫のために用意されているものである。即ち久遠元初に通じるものを持っている。そのために自受用報身もここを住所と定めているのであろう。名字初心とはここを指しているように思われる。そしてここにおいて愚悪の凡夫も刹那に成道することが出来る。これが刹那成道であり、これを事に行じているのが丑寅勤行であると思う。それを取り巻いて山法山規があるように思われる。
 宗制宗規の眼をもって山法山規を目で確かめようとしても見ることが出来ないのは、もともと現の姿がない故である。所詮は己心の上に建立されているものであろう。そのために客殿に充満しているのであるが、己心を邪義と決めるなら山法山規は即時に消滅するであろう。この語は案外己心の法門の別語となっているようにも思われる。是非共本迹迷乱は避けなければならない処である。
 山法山規が知りたければ、己心を正義と決めた上で客殿において本因の事を事に行ずることが最も身近な方法ではないかと思う。只分からないでは申し分けも立たないのではなかろうか。己心の法門を邪義と決めたことは、迹門に法を立てているのと同じ意味である。或る時は文底により或る時は文上迹門によったのでは、山田のいう蝙蝠法門であり二重構造である。これでは本迹迷乱の恐れを多分に持っているといわなければならないであろう。
 仏教に根拠を置き乍ら本仏を唱え仏法を称えることも亦蝙蝠法門といわなければならないであろう。仏法を称えるなら一貫して仏法を称えなければならない。今思い起して見ても山田教学には一貫性の持ち合せがなかったようである。その点では水島教学にも共通したものがある。建武の昔から本迹迷乱とは縁が切れないようである。
 名字初心の原点は己心の法門にあるように思われるが、今となっては、邪義と決めた己心の法門をもって原点と決めることも出来ないであろう。己心の法門を邪義ということは至極簡単なことではあるが、既にその被害は拡がりつつあるように思われるが格別それと感じるようなこともないのであろうか。
 日蓮正宗伝統法義をもって開目抄や本尊抄に連絡付けることは困難ではあるが、その点大石寺法門では簡単である。その中に自然と山法山規も含まれているのではないかと思う。まずその発掘をやって見る努力が必要である。そこには上代からの法門が秘められているのである。それが大石寺法門である。伝統法義の場合はうっかりすると他門教学になり替る危険を持っているかもしれない。これが最も警戒を要する処である。今は殆どその様な状態の中に根を下しているのではなかろうか。
 今の世間は宗教も政党も押し並べて平和の花盛りであるが、何となし信の一字が欠けているように見える。若し真の平和であれば信の一字を具えていると思う。そこには真の平等無差別があるが、もしそれがなければ不平等有差別と出るのではなかろうか。信と平等無差別とは常に不即不離の関係にあると思う。そこに己心の法門も存在しているのである。伝統法義は差別であり不平等のように見える。そこには始めから己心の法門を相容れないものが存在しているように見える。そこから自然と己心の法門が邪義と出るのであろう。
 伝統法義では自らは必らず正、他は必らず邪と決まっているようである。ここから差別や不平等が出るのである。不信の輩とやらも亦極端な差別を表わしている。これは仏法で説かれたものを仏教と解したための差別である。師、弟子を糾すというのもその一例である。今の肝要はまず信を取り返すことであると思う。いきなり悪口雑言を浴びせられては義理にも信頼感を起すわけにゆかない。そのようなことのないように内に徳を蓄えることが必要なのである。教学部長も率先して蓄徳した上で教化本部長を兼ねてもらいたい。徳はいくら積んでも量が多すぎるようなことはないから、大いに積んでもらいたい。その徳とは本因に属する故である。
 内証甚深の処に真実の救いはあるものである。外相一辺倒は皆さんの示した処、既に内外共に行き詰りが迫って来ているのではないかと思われる。一般にも行き詰っているかに見える二十一世紀の打開と救済は、大石寺が先鋒に立って徳化をもって推進してもらいたいと思う。大村教化推進本部長は最も適役ではないかと思う。教学部長は己心の法門を邪義と決め付けて粉砕するような事をせず、また独学というような事をいわないで己心の法門をもって民衆の救済を具現してもらいたいものと思う。
 己心の法門が逆転を始めると中々人の知恵をもって止めることも出来ないかもしれない。今既に思わぬ障りが起きつつあるようである。山田は逆も逆真反対というけれども、既に逆転は予想も付かないことが山内の丑寅の角で起りつつあるように耳にしてをる。山田や水島のような徳薄の面々に徳化の重要なことを教えてもらいたい。そして中国三千年五千年の所詮である信の一字を根本とするように諭してもらいたい。そして自らもこれを身に付けることである。
 外典三千余巻の所詮は忠孝であると記されている。そしてその忠はまた孝に収まる。そこから信の一字は出生しているのではないかと思う。今は専ら信心信仰の信に限られているが、開目抄の信は信頼の信である。開目抄のみに限らず、五大部十大部といわれる御書は全てこの信を根本に置かれているのではないかと思う。本来なら宗門全体が信の一字に収まっているべきではないかと思う。しかし今一番に宗門から斥われているのは信の一字ではないかと思う。せめて人が信頼出来る信でけは残しておいてもらいたいと思う。日蓮正宗も一宗を建立しているのであれば、信の一字位は残してをいてもらいたい。
 広宣流布も亦信の上の広布を目指してもらいたい。信の一字は奇妙に人に心の豊かさを与えるものである。信を取り返すことが出来れば宗祖に孝であるし、広宣流布も今少し潤いが出てくるのではないかと思う。若し信頼の中で広宣流布が具現するなら、それは天下太平である。昔の世直しは、その根本をいえば民衆同士の信の一字の盛り上りが根本になっているのではなかろうか。今の平和運動にどれだけ信頼が内蔵されているであろうか。信を失った処には真実の平和はあり得ないかもしれない。まず宗門に信頼を取り返してもらいたい。広宣流布とは信の一字の上にのみあり得るのではなかろうか。
 信さえあれば殊更平和を口にすることもあるまいと思う。今は信のない処に平和を求めようとする、そこに無理があるのではないかと思う。信があれば本尊ともなれば本仏ともなり成道とも表われる。見方によれば平和ということも出来る。人に対して不信の輩というが、その人こそ人が信頼出来ないことを表わしている。そして自分一人のみが最高位にあって唯我独尊を称えたいのではないかと思われる。
 信の一字をもって得たのは信仰対照としての本尊ではないかもしれない。信の一字こそ人が社会生活を遂げるためには仏教の本尊に劣らぬ程重要なものである。それを本尊という名を假りて表わされたのではなかろうか。今の世間は平和を口にしなければならない程不信が充満しているのであろう。今の世の中は無駄と知り乍らでも平和を口にしていなければ息がつまりそうなということであろうか。それ程不信が充満しているのであろう。
 息づまるような不信の中で南北朝の世直しは起ったのかもしれない。その時頼りになるのは自分だけであった。そして己心の法門をもって民衆は自らの力をもってこの苦難を乗り越えたのであった。それが世直しである。自らの力をもって民衆だけの世界を築いたのであった。いくら待っても救いの手は延びてこなかったのである。そこに己心の法門の威力があった。今又同じような世を迎えている時、他の力のみを待っていても中々救いの手は延びてこないのかもしれない。
 自分のことは自分でしませう。案外名字初心はそのような処にあるのかもしれない。幼稚園の子供は、そのような事は本来として事に備えているのであろうが、大人になると本性は次第に掩われて来るようである。そこに本因を確認する必要が生じて来るのである。名字初心も本因も共に原点といえるものである。反省はその原点に立ち帰ることを指しているようである。娑婆往復八千度というような語も似たようなものを内在しているのかもしれない。
 師弟子の法門とは己心の法門の謂いである。それが若し師、弟子を糾すとなれば仏法から仏教に移ることになる。即ち別世界で考えられるようになる。そこでは差別が根本になっている。本因は無差別の処に根本を立てている。そこを本因と名付けられるが、今はその原点が常に浮動している感じである。そして遂に本因を見失ってしまったようである。これでは名字初心を捉えることも困難という外はない。しかも仏法の中に求めるべきものを仏教に求めようとしているように見えるが、これではいつまで待ってもこれを求め出すことは不可能である。今程仏教に執着していては永遠に名字初心を求めることは出来ないであろう。それでも仏法に切り替えることは出来ないのであろうか。
 衆生成道も本因の本尊も本仏も皆名字初心の処に立てられているようである。ここが法門の故里になっているのである。そこはいうまでもなく己心の法門そのものである。惜しげもなく邪義と決めたために法門の故里が一瞬の煙と化したのである。浦島太郎のように、ここは時の基準が違っているのである。仏法も時の確認がないために仏教の時によっているようである。ここに大きな誤算があったようである。
 今の正本堂は取要抄によるべきものが誤って三大秘法抄による戒旦として建立されたのである。そのために衆生現世成道に最も必要な戒定恵の三学が見当らないのである。もともと衆生の現世成道にはつながらないような仕組みになっているのである。六巻抄では第二の文底秘沈抄の三秘が取要抄であることは、第三にこれを示されている。そして発端の一念三千にも後々の一念三千にも通じるようになっているが、今は連絡を付けるにも肝心の己心の一念三千が邪義と決められているために全く連絡が絶えて、開目抄にも本尊抄にも取要抄其の他にも連絡不能になっているのが現実である。名字初心を失っては宗祖の原点に帰ることも出来ないであろう。最要不可欠のものを切り捨てるとは宗門の度胸も見上げたものである。そのために天雨は頭を冷したのではなかろうか、冷静に受けとめるべきであろう。
 「この法門は師弟子をただし」とは師弟子をただすことは己心の法門の根本的な心得を示されたもので、勿論法門として解さなければならない。それを孔孟的な師弟を頭に画いて考えてみても仏法にはつながらない。孔孟を通して現実世界に出るか、仏教即ち文上迹門に出るのがおちである。折角仏法を説こうとされているものを迹門や世間にあって受けとめては己心の法門にはつながってゆかない。世間の道徳教育的成果しか出ない。そのような事は仏法家の考えることではない。それは世間一般の道徳教育家の担当する処である。仏法で説かれたものを道徳教育に格下げするのは本末転倒である。今はこのようなことが案外多いのではなかろうか。
 この教誡はまず仏法という時を確認した上で考えなければならないものである。師弟子の法門とは仏法であり、己心の一念三千法門である。これを仏教の上で考えても本尊にも本仏にも衆生の現世成道にも通じるようなことはない。これを失わないために仏法の時を知ることがまず必要なのである。況んや社会道徳の上に考えてみても宗教に通じるようなことはありえないと思う。仏法は社会道徳ではない。これを仏法と考えるなら極端な独善となるのは必至である。社会道徳として考えるなら専門の人等に任せた方がよい。
 仏法と社会道徳とが初めから混乱しているように思われる。そのような中で師、弟子を糾すと読まれているのである。これでは理屈抜きで独善と出るであろう。そしてそのまま権力につなげられるであろう。仏法は平等無差別が条件である。この基本線が失われているのではなかろうか。これを訂正することも今の大きな課題の一つである。そのような混乱が故意に不用意の中に案外多いのではなかろうか。
 社会道徳は真道が啓くための方便の領域にあるものである。真道が啓いた後に登場すると反って混乱を増す恐れがある。自他の領域をまず区別した上で事を進めなければならない。少くとも師、弟子を糾す処は仏法の境界ではない。即ち純円一実の境界ではない。そのような処は本仏や本因の本尊の出現し得る境界ではないし、勿論衆生の現世成道があるわけでもない。師弟子の法門のような境界は仏法にのみありうるものである。時の混乱を気を付けなければならない。
 純円一実の境界、本性として持っている己心の境界、そこはつまり広宣流布の境界ということが出来るであろう。護法局も発足以来未だ大量の広宣流布情報ははいらない。まず己心の上に広宣流布を完了した上で一人残らずの広宣流布に出るべきであうと思う。世界中一人残らず一本では完了は恐らくはあり得ないであろう。己心の法門は仏法である。一人残らずは仏教にあるもの。適当な使い分けが必要である。  

 広宣流布
 撰時抄に、「法華経の第七に云く、我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、閻浮提に於て断絶せしむることなかれ等」とあり、委しく説かれている。これを迹門として受けとめるなら今云われている広宣流布観は正しいが、撰時抄は開目抄によって説き出された仏法について、それを決めるために仏法の時を明すのが目的であるから、読む者がまず時を決めなければならない。それが仏法の時であり、己心の一念三千法門の時である。
 撰時抄も亦己心の法門を説くために、特に時に付いて説かれているのであるが、それを無視して迹門のみを取り上げることは仏法家のやり方ではない。そのために仏法の時が糢糊としてくるのである。そして結果として法華文上迹門で仏法が論じられるようにもなるのである。この経の背景をまず考えなければならない。六巻抄でも仏法の上に戒定恵の上に説かれていることを意識しないと文上迹門に出るであろう。
 現実にはそのようなものが重なって仏法は殆ど仏教として迹門に置きかえて考えられ、仏法は語として残されているのみという状態である。現実はそこまで来ているのである。そして仏法を持ち出すと珍説・魔説・狂学・邪説などという語が返ってくるのである。既に仏法がそのように批難されるような時が来ているのである。文字通り末法濁乱の世である。そして文上の語そのままに考えるのが正説・正義となっているのである。時についての濁乱である。
 仏法とか仏法の時とかいうことは、当方がいい出すまでは長い間宗門から完全に姿を消していたようである。その混乱のために突嗟に返事が出来なかったのであろう。仏法から時を抜き去れば迹門となるのは必至である。速刻迹仏世界に復帰することになる。そのような中で長い年月を経て来ているのである。しかし珍説等の語は何回もは使われなかったようである。目下は仏法と仏教の間の往返を繰り返して止まる処をしらないということではなかろうか。一日も早く仏法に落ちついてもらいたいものである。
 引用の法華の文を文上迹門に使うことに異論はないが、文底に法門を立てている大石寺としては仏法で読むべきである。後五百歳もこのまま解すれば在世末法を脱することは出来ないであろう。しかし今はこれを文底としているのではなかろうか。つまり文上というも文底というも時をいえば同じ文上である。そこが紛らわしい処である。時には文底により時には文上をとるのである。所詮文上では衆生の成道にはつながらないようである。不用意の中で自然とそこに収まっている。己心の法門ということは出来ない。そのために本因の本尊も明かされず、本果に成り終ったのである。つまり仏法に至ることは出来なかったのである。そのために本仏でさえその出所を確認することが出来ないのである。
 本仏とは師弟共に愚悪の凡夫である。その相寄った処にあるべきもの、本果の仏についていえば因位にあたるもの、愚悪の凡夫はそこを本因と立てるのである。そして本因の処に二箇の大事の受持によってそこに三秘が建立されている。それが確認出来るならそこに衆生の成道も完了することが出来る。それが刹那成道である。本果の仏の因位の処に成道を立てるのである。己心の法門を邪義とする今、果して本因の成道を称えることが出来るかどうか、甚だ疑わしい処である。愚悪の凡夫が本果の成道を称えることは出来ない。今はここの処はどのように立て別けられているのであろうか。本果の処に果して己心の本尊が出来るかどうか、これも意外な難問かもしれない。本尊抄では、ここは極力避けているように思われる。
 二箇の大事の受持もなく、本果の仏の領域に、天台宗の観心説をもって本因にしろ本果にしろ本尊の顕現を考えてよいのであろうか。本尊抄は本因の本尊と出ているようである。今では迹仏に依る処のようであり、本仏には全く関係のない処である。しかも極く最近まで、二三年前までは本因の本尊と伝えて来ているのである。最近本果の仏と何か話合いが出来たのであろうか。何とも不可思議なことである。その秘密は必らず公開しなければならない処である。それがなければ他宗他門は出生の疑問を消すことは出来ないであろう。
 宗祖が己心の法門によってのみ出されたものを、己心の法門を邪義と決め除外して何故本尊の顕現を迎えることが出来るのであろうか。このような時には時は必らずなくしては叶わぬものである。わざわざ法主直属の委員会まで発足させたのであるから、その辺は特に念入りに理を尽してもらいたいものである。何の裏付けももたず思い付きのみで本仏や本尊が出て来たのでは宗門の信用にも関わる問題である。このようなことは他から求められることを待つ必要は更にいらない処である。
 大石寺では文底に法門を立てるのであるが、その文底とはどこにあり、何を指しているのであろうか、これもまず明らかにしなければならない処である。即ち寿量文底とは己心の一念三千の法門を指し、且つ衆生の現世成道を目指しているようである。本仏も本因の本尊もそこに出生するものであり、衆生の現世成道もまたそこにあるべきものである。しかし今は己心の法門が邪義と決められたのであるが、これに代わるものは未だに明らかにされてはいない。法門に関しては空白期間ということになっている。このような空白は一日も早く埋めなければならない。
 己心の戒旦は邪義としたのが抑もの初めであったが、ここまで来てみると、己心の戒旦の方が正義であったようである。これなら雨に見舞われるようなこともなかったと思う。雨の度にテンヤワンヤでは唱題も落付かないであろう。己心の戒旦は雨風の外に超然としているのである。この戒旦は仏法の戒旦ではなかったようである。
 「正しい宗教と信仰」が示すように仏教とは離れることが出来ないようである。宗教という事を先に定めている処は妙である。何故仏法ということが出来ないのであろうか。ここで宗教といえば文上迹門と決まっている。時局法義研鑽委員会は仏教を根本として設けられているのであろう。日蓮は開目抄や本尊抄によれば仏法を根本とされている。これ程はっきりしているものを何故仏教即ち文上迹門をとるのであろうか、最も理解に苦しむ処である。迹門を根本として、時々仏法にもよることがあるということであろうか。或は仏法と仏教の区別が付いていないということであろうか。仏法が意識の上にないから「正しい宗教」と出たのであろうと思う。
 十五年にも満たないで雨公害とは大いに考え直さなければならないのではなかろうか。己心の戒旦であれば現実に公害を受ける必要はなかったのである。邪義主はどのように考えているのであろうか。若し仏法であれば己心の戒旦で十分にその意は足りている筈である。仏教臭が濃厚なために己心の戒旦をとることが出来なかったのである。
 己心の戒旦を邪義というような事を考えないで、一日も早く己心の戒旦に寄ってもらいたいものである。そして速やかに仏法に安心の処を見出だしてもらいたいと思う。教学部にも共々に反省を促したいと思う。宗祖の定めたものを邪義と決めて見ても所詮は無駄な抵抗という外はない。己心を邪義と決めた中には本仏も本尊も含んでいることを忘れないようにしてもらいたい。
 唱える題目は假に文底と定められていても、その道中では既に文上であり迹門と顕われる、そして仏教と出ているのである。そのような中で極端に題目の数のみが要求される。その姿は既に本果の領域にある。それは略挙経題玄収一部の題目であって、迹門を意味しているように見える。それは宗教の世界である。「正しい宗教と信仰」は詐りなく仏教に居ることを如実に表明している。
 日蓮が仏法とは仏法を指しているのである。その表示が一言摂尽という貌で表明される。即ち一言摂尽の題目とは仏法の表示である。それを無視して数のみを数えるのは仏法家の領域ではない。今はそれ程仏教化しているのである。仏法家は仏法をとることに意義があるのである。しかし乍ら現状は数のみを頼る仏教方式も行き詰っているようである。打開は定められた仏法による以外、立ち上りの方法はないであろう。それでも仏法に帰れないのは仏教の魅力による処であろう。
 仏法を称えるためには仏法家独自の広宣流布の定義付けが必要である。それを迹門そのままにとっては、結果が迹門と出るのは当然である。そのために題目も好んで迹門をとるのである。迹門一色である。そのために文上と文底、仏教と仏法の混乱が複雑になっているのである。今のように仏教をとるのであれば、教学も他宗を遥かに凌いでおかなければならない。学がいらないと反り返っていては後にひっくり返るだけである。何れの宗からの疑問にも即刻理を尽して応答しなければならない。それが出来て初めて学はいらないといえるものである。
 今は学がいらないということを世俗の中で捉えようとして失敗したのであろう。仏法と仏教と世俗の三の中で、仏法で説かれたものが世俗の処で受けとめられている。そのために逆も逆真反対に出たのであるが、今はその逆こそ正義と定めている。これが伝統法義の根本におかれているようである。これを逆と気付いた時こそ日蓮正宗伝統法義の救われる日である。今は一宗の中で仏法と仏教の二つの広布が対立して矛盾を起こしているのである。
 仏法の広布の姿は不開門に示されている通りで、それはそのまま丑寅勤行として長い間事に行じられているのであって、それは一々にその理を知る必要なないようになっているのである。事行の法門として既に完了済みであり、元より他に向って云々する必要のないものである。これは仏法の領域である。今はそれが消え失せて専ら理の処に事行の法門が現われているのである。しかもそれに気付いていない奇妙さである。しかし、今の大石寺法門即ち教学の実力をもってしては、とても他宗他門に対抗出来るようなものでないことはいうまでもないことである。
 文上の広布は信者をあおり立てるためには好都合なもののようであるが、大石寺では仏法として一旦己心に収められているのであるが。今は専ら表でのみ考えられているのである。そこでおかしいといえば、あいつは広宣流布に反対していると出るのである。仏法を称えるなら広布もまた仏法で考えるべきであるというのがこちらの云い分である。経文を時を外して切り文的に使うことは警戒しなければならない処である。切り文が誤りであることは阿部さんも充分承知のことと思う。知った事は即刻実行してもらいたい。知って早速当方の批難に向けるのはあまり賢明な方法ではない。
 開目抄や本尊抄が仏法を説いている処は動かせない処であるが、これを仏教と読めば、中の引用文はそのまま仏教として使われる。そのような中で広布も仏教の上に使われるようになったのであろう。文底秘沈抄でも、三秘をどこで読むかによって仏法とも仏教とも表われるのである。そして現在は仏教で読んだ結果が表に出て矛盾を起そうとしているかに見える。取要抄の意をもって読めば仏法と出るが、三大秘法抄では仏教と出るようである。しかも今は三大秘法抄から読まれているために三秘各別となり、戒定恵が失われているのである。それが戒旦建立説となり、正本堂が建設されたのである。
 三大秘法抄によれば、どうしても戒旦を建立しなければならないようになっているのである。三大秘法抄に仏法と戒定恵を欠いているために、それによって建立された正本堂即ち戒旦にはそれらのものを欠いているのではないかと思われる。そして仏法とは関係のない戒が本となり、仏法による己心の戒旦が反って邪義となることになったのである。つまり開目抄や本尊抄によらなかったのであろう。その眼をもってすれば仏法を消し、己心の法門を邪義とすることは一言のもとに決まることである。
 そして最近知ったことは、仏法にあるべき主師親の三徳や戒定恵が仏法も仏教も離れて世俗の上に語られていることである。主師親等が社会道徳の処で解釈されていることである。これはますます仏法離れを助ける役割を果しているであろう。そのようなことは魂魄の上では語られないもの、どうしても生々しい煩悩世界が必要である。これを通して仏教とつながっていくようにも思われる。そこに平和を考えているのかもしれない。
 仏教と社会道徳とつなげられると、つい新しい仏教という感じが浮んでくるのかもしれない。平和は闘争に明けくれる現実世界が必要であるが、仏法は己心の法門として煩悩や現実世界に関しては始めから除外しているのである。人でも動物でも自分以外の者が居れば争いが起るかもしれない。平和は唱える処に意義がある。平和を唱えること自体争いの始ではなかろうか。仏法はこれを唱える必要のない理想世界に本拠をおいているのである。
 狭い地球に五十億の人間がひしめき合って争いがなければ奇蹟である。それが霊山浄土である。仏法は即時にそのような世界を現世に顕現しようというのである。それが己心の法門である。人間が生きながら、しかも平和を求めることは現実世界にはあり得ないことであると思う。そのような処に宗教が必要になってくるのであるが、ここまでくれば宗教では救い切れなくなったのではなかろうか。次は仏法なのかもしれない。天の理に背かぬように、しかも自分が自分を救うということであろう。人を救っていると必要以上に発展することがある。そこには救いは失われる。人と人との関係を信の一字に収め、それを己心に観ずる時、己心の法門は開けてゆくようである。
 今度宗門が発した第一声は不信の輩という語であった。異様な権威を示そうとしているのである。仏法七百年を誇る大石寺の第一声が不信とは恐ろしいことである。世間は不信の輩のみの集団している処である。そこに遥か彼方の虚空から不信の輩とやって、早々に傘下に馳せ参じるようなものは一人もいないのである。これは仏法を唱えながら一宗を建立して仏教に掩われたためであろう。そのために肝心の仏法の真実が失われたのである。そこで日蓮は一宗の元祖でないと心に決められているのであるが、その末弟は元祖と決め込んだのであった。同時に仏法を唱えるべきものが仏教を唱えるようになった。そこで左右が交替し本因が本果と交替せざるを得なくなった。そこに言葉にならない矛盾が伏在しているのである。
 現在は仏法の時とは全く関係のない仏教の時の上に運営されている。そのために広宣流布も仏教の上にのみ考えられているのである。滅後であるべきものが在世の処で運営されている。そこに在滅の混乱がある、在世では迹門をそのままに、滅後では魂魄の上に受けとめられている違いがある。今は応仏を教主と仰ぎ、文上迹門に法門を立てていて仏法などは始めから考えられていないのである。そして迹門に在りながら文底を唱える矛盾に出喰わすのである。他宗には特に目に障る処である。魂魄を除外したために自然と本果に依る結果を招いたのである。それらが重なった己心の法門をも邪義と決めざるを得なくなったのである。
 一を誤れば次ぎ次ぎに誤を引き起すものである。そして本仏や本因の本尊を求め出す術さえ失ったのである。そして本仏と本尊とが別扱いされるようになっているように思われる。大日蓮に発表された処によると既に分離されているようである。そのくせ御本仏日蓮大聖人の仏法などと称えてはいるが、現実には一語一語については証明することも困難になっているのではないかと思う。これらは総て仏法によって出生しているためである。仏教をもってしては証明不可能な語である。時の混乱による処である。仏法という一語でさえも仏法によらなければ証明出来ないのである。
 仏法は報仏の領域であるが、今は応仏を教主と仰いでいるために報仏の出番がない。日蓮正宗要義はそのような中におかれているのである。そのために久遠元初は応仏領域のようでもあり、報仏領域のようでもあるが、時を決めなければ応報二仏は同時に出現することは出来ない。しかも大勢を支配しているのは応仏のようである。そのような中で強引に報仏を証明しようとして考えられたのが三世常住の肉身本仏論であるが、これでは本仏の久遠の長寿は証明されていない。現世一世の証明のみである。また自受用報身も時を外れて現世に出ようとすると声高らかに唱題行を表明するようになるが、これも肉身本仏論の一環である。頂きにくいもの計りである。
 仏教にいるために自受用報身が正常に作動することが出来ないのである。何れも応仏に無縁のものである。これは正宗要義が根本として応仏を教主と仰いでいるからである。一代応仏の域を引かえたる方は理の上の法相と決まっているが、今はここに事行を見ようとしているのである。仏は本果にあり、衆生は本因に成道を見る。しかもこれは二ケの大事の受持と刹那成道に限っているが、今は本果の仏の処に成道を見ようとしているのである。
 本因修行とは二ケの大事の受持の行と事を事に行ずることとの二つの修行である。本果は仏に限り、衆生は空いている本因に修行を見、成道を見ようとしているのである。今は何となし本果に修行を見ようとしているが、これでは仏の領域を侵すようになる。衆生には本果の修行はあってはならない処であると思う。仏法では厳重に区別せられているようであるが、今は本因の行者とか、本因修行というようなことは余り耳にすることはない。それだけ教義そのものが変って来たのである。本果の成道は、衆生に若しありとすれば死後の成道に限られるのであろう。
 衆生が現世成道出来るのは、仏法にあって本因修行をすることに限られているようであるが、仏教にあっては本因はないようである。しかし現世の本果の成道は許されていない。題目をいくら上げてみても現世成道の道は閉ぢられている。衆生には死後の成道以外には道は開かれていない。始めから現世成道の特権は抛棄しているようである。死後に成道を遂げるのであれば二ケの大事の受持の必要はない。
 天台・伝教に慈悲は劣らないというのは、衆生の現世成道に付いての自信の程を示されたものであろうが、今の宗門はこれ程自信満々の慈悲さえ辞退して、しかも御本仏の慈悲と称しているが、どのようなものを指しているのであろうか。ここは御本人の自信のあるものを受けるのが順序なのではなかろうか。本果の世界には衆生の現世成道はないことになっているようである。折角の御慈悲は頂いた方がよいのではなかろうか。生き乍ら成道する必要がないから特権を抛棄したのであろうか。
 仏教を守るために最も邪魔になるのは己心の法門であり、これについては長い間他門から攻め立てられて来たが、ここまで来て遂に邪義と決め、己心の戒旦も邪義と決めてしまった。これでは開目抄や本尊抄を読んでみても無意味である。己心の法門も守り切れず遂に落城と相成ったのである。そして三大秘法抄による戒旦を建立したが、これも天雨の災いする処となった。己心の戒旦であればこのような患いはなかったのである。この天雨は等雨法雨ではなかったようである。
 己心の法門は邪義といいながら、丑寅勤行は行われてをり、客殿の座配も左尊右卑のまま隠居法門を表わしてをり、邪義と決めてみても、今も正義の時代と同じ勤行が行われている。これでは丑寅勤行や隠居法門が邪義といわれないのが不思議である。この二は何故己心の法門から外すのであろうか。これでは本仏も戒旦の本尊も仏法も何れも邪義、開目抄や本尊抄等の十大部等の御書もみんな邪義である。山内悉く邪義ということになる。そして三世常住の肉身本仏論や報身如来の唱題行のみは正義ということになる。正本堂も正義である。正本堂では上行菩薩も出現しにくいように思われるが出現しているのであろうか。上行も不軽も共に邪義に入っているのであろうか。これでは今の日蓮正宗は自ら邪義と決めたもののみによって組成されていることになる。正宗要義も可成りな部分は邪義によって出来ている。
 因果倶時は本果を受持することによって、衆生本来の本因と合体し一箇した時にいわれる語のようであるが、受持もなくなり本因修行も消えては、因果倶時は成り立ちにくくなるであろう。在世末法による今は当然因果別時である。山法山規も己心の法門と全同のようであるが、これは邪義ともいいかねて忘れて分らないことに決められたようである。
 魂魄佐渡に至るとは仏法建立の宣言であるが、一宗建立の宣言は真蹟には見当らない。また本時の娑婆世界は現実の娑婆世界と解され、そのまま迹門につなげ、魂魄世界とは考えられていないようである。そして魂魄に現われるべきものは総て迹門に置きかえられている。今それらの矛盾が急激に頭をもたげようとしているのである。
 熱原の愚痴の者共が三烈士となり、頸が飛んでしまった処で戒旦の本尊と連絡付けられたのは明治の頃であったが、結果はあまり好くなかった。処刑日も次々に変えられていった。結局本因の本尊を本果と証明するようになった。もともと魂魄の上に考えるべきものを肉身の上に考えたのがそもそも間違いの発端であった。本果と決めてこれで落ちつくであろうか。結局本因に収まらなければ真実落ち付いたとは言えないであろう。まだまだ時間がかかりそうである。あまりにも周辺に紛動され過ぎているようである。
 大石寺法門は魂魄の上に成り立ってをり、伝統法義では魂魄の外に法を立てているのである。そこで同じものが両様に解されるのである。そして矛盾は一日一日拡がりつつあるようである。戒旦の本尊が右尊左卑ときまれば座配や立居振舞もすべて切りかえなければ、奉仕の意味は成り立たないであろう。従来左右ははっきりしていなかったのであろう。本果と決まればそれにふさわしい方法によるべきである。これは山法山規の中では重要な部分を占めているものと思う。これを正すことによって始めて己心の法門を事行に示すことが出来るのである。これが明らかでなければ、本時の娑婆世界や本尊の為体を事行に示すことは出来ないであろう。
 左尊右卑は仏法入門第一歩である。若しこれが決まらなければ早速時の混乱を招くであろう。文上文底の区別を立てるためにも是非やらなければならない処である。これはいうまでもなく仏法と仏教の混乱である。六巻抄では特にここの処は明確にされているのである。しかし、遺憾ながらここの処は一向に理解されていないように見える。そして今は仏教に根を下していることさえ気が付いていないようである。山法山規では特に重要な意味を持っているように見える。
 客殿の丑寅勤行では欠くことの出来ない大きな意味を持っているようであるが、山法山規は元よりのこと、時も次第に忘れられつつあるようである。それ程仏教に根を下したということであろう。六巻抄以後、僅か六七十年前後で殆んど忘れられてしまったのであろう。仏教では時は必要のないものである、仏教専用の時では各宗共通のもので間に合うので独自のものの必要がないからである。山法山規は仏法を立てるためには不可欠のものである。若し分らなければ文上迹門に落ち付くことになるであろう。現状は最も手近かな見本である。一度迹門に堕ちこむと、再びそこから抜け出ることは困難である。
 寿量文底の世界も遠い昔話になってしまったように思われる。大石寺に寿量文底の蘇るのはいつの日であろうか。そして文上迹門を死守するために悪口雑言を吐いている間に、己心の法門を邪義と決め、狂学と決め、珍説・魔説・増上慢などとあらゆる悪たれをついたが、それらは総て日蓮が己心の法門に集中する悪口であった。このような語は文底法門を抹消するための悪言であった。それは文上迹門を守り、他門の傘下に割り込むために外ならない。そこで日蓮から冷水を頭のてっぺんから浴びせられたのである。
 己心の法門も大地の底の本所に立ち返ったのである。本の寂光の都に還ったのである。本仏も寂光の都で当分静養ということであろう。文上迹門を守ることに夢中になっている間についこのような結果を招いたのである。今度は他門から矛盾点を衝かれるかもしれない。すべて自業自得果である。次第に矛盾が山積みして来るであろう。
 山法山規を分らないとして抹消しようとしても、事行の法門となり切っていることには気が付かなかったのであろうか。既に邪義と決めた己心の法門全体が山法山規という感じである。その故に邪義として抛棄したために山法山規が分らなくなった。そこで捨て置くことも出来ず冷水を浴びせられたということであろう。これは昭和の諌暁八幡抄である。その根本をいえば戒定恵ではないかと思われる。第二の諌暁八幡抄である。それを事行に示されたのである。
 上行菩薩が大地の底の寂光の都に帰れば文上迹門の世である。上行が寂光の都に還帰すれば本仏もしばらく休業ということである。いよいよ迹仏世界を迎えたのである。この時本尊が本果と現われるのは当然である。事の始まりは己心の法門を邪義と決めた処から始まっているのである。源はいよいよ遠い処にあるようである。己心の法門を邪義とすることが、いつまで続けられるであろうか。しかし、この語の中に末法否定の意が含まれていることは明らかである。
 滅後末法を否定したものが、つい在世の末法をも否定するような結果を招いたのであろう。そのような処には久遠の長寿もまたあり得ないであろう。その用意として久遠元初は予め久遠実成の処に収められていたのであろう。どうやら本仏の寿命と迹仏の寿命の交替は終ったようである。寿命において因が隠居して果と交替しての隠居法門である。本尊抄の本尊の為体は果から因に向うための隠居法門であったが、今度は因が隠居して果が表に出るための隠居法門であり、全くアベコベである。
 仏法であるべきものが仏教と変ったために、このような隠居法門となったものと思われる。全体がそのような変革の中で進められているものと思われる。或る面からいえば、台當両家の区別違目がはっきりしていないためにこのような結果が出たものと思われる。仏法を仏教と解したための結果そのように顕われたので、自ら替えたわけでもないし、そこにはあまり罪悪感も起らないのであろう。そのような中でどんどん左が右に切り変えられているようである。
 今はそのような激変の中に置かれているのが現実のようである。そして自らの誤り狂いをそっくりそのまま川澄が誤っている狂っているとして天下太平を唱えているように見える。そのときは己心の法門の極少部分が利用されているようである。そのために自は必らず完全無欠と出るのである。そして自の誤りを総て押し付けて理解出来ない処をもって増上慢と出ているようである。自分の理解出来ない事をいう者は総て増上慢の中へ入れるのである。
 多方面で既に逆転は始まっているようである。己心の法門が邪義ということと、山法山規が分らないということと、殆ど同じ次元にあるようである。山法山規が分れば行く手も定まるであろうし、広宣流布も文上によるべきか文底に依るべきか自ら定まることであろう。つまりは時に依る処である。仏法を称えながら時がないのは、船に羅針盤がないのと何等変りはない。結局は暴走にゆく以外に名案はないということになる。仏法を立てるためには必らず時を定めなければならない。
 仏法は時に依るべしということを改めてかみしめてもらいたい。そうでなければ暴走を止めることは出来ないであろう。仏法を称えながら広宣流布や折伏を文上迹門に表わそうとすることは暴走というべきであろう。独善もまた暴走の一分である。正信会の折伏に反対しているのもその故である。まず仏法の時を決めることから始めなければならない。即ち自らの姿勢を正すことから始めなければならない。
 山法山規を失った広宣流布程危険なものはない。仏法の時が失われるなら中古天台と区別は付きにくいかもしれない。それを失えば中古天台の阿流といわれても返す言葉はないであろう。今の天台宗に仏法の時がないのは当然である。双方共時のない処で見ているのである。違い目といえば時のみである。その時は目で確かめることは出来ない。結局事行に示す以外に好い方法はないのかもしれない。その方法である山法山規が分らないでは説明することも出来ないであろう。水島の鋭眼をもってしても遂に仏法の時を見ることは出来なかったのである。それ程見ることは至難の業である。
 どこかに「因果倶時不思議の一法これあり」という語があったように思うが、思議すべからざる一法こそ仏法なのではなかろうか。本因の中には後に本果として仏果を成ずるものをもっているという意味で本因を御宝蔵、本果については御影堂というように区別されているようであるが、御影堂に御宝蔵の意義を含んでいるかというと、それ程明らさまにはされていない。これは仏法にあって、本因の立場にあって始めて因果倶時といえるのではなかろうか。
 本因の行者日蓮の語は衆生の現世成道という限られた処で本果の成道を持っている。そのために予め久遠実成と二乗作仏が用意されているようで、本因の行者には必らず本果の成道が待っているというものではないように思う。大石寺法門としては最も重要な部分であるが、明治以後他門の攻撃に堪えかねて現在は切り捨てられたようである。本因の語は極力斥っているようである。これらは山法山規にも入っているのであろうし、又事行の法門にも繰り込まれているのであろうが、他門に不都合な部分は常に切り捨てさせられているのではないかと思う。そして結局は迹門に移っていったようである。そして日蓮正宗伝統法義が成り立っているのである。それは己心の法門の受難史でもある。そして先方の都合の悪い処はどんどん改めさせられたようである。
 今は己心の法門が邪義と公言出来る処まできているのである。学は要らないと言って来た蓄積の成果なのかもしれない。そして本尊も因果倶時でもなければ不思議の一法でもない、只ありふれた本果の本尊となり終ったようである。若し同じ語が他で使われていても相手方の時を究めずして攻め立てることは無謀である。同じく一念三千であっても天台との違い目は本尊抄に明されている通りである。仏教として見るか仏法としてみるか、そこに根本的な相違がある。
 山法山規や隠居法門などという語は仏法に居ることを示している。不思議の一法などとは魂魄の上に考えられた己心の法門を指しているであろう。それを細かく規定するためには山法山規も必要であるが、山法山規が不明では基準が立てられない。不思議の一法がどこで説かれているかによって内容も大いに変ってくるであろう。しかし今ははっきりした仏法の時がなくなり無差別になりつつあるためにプラスにはならないかも知れないが、事実は既に他宗との劃一化が進んでいるようである。これは現在の不思議な一法である。
 古い処を見ると、台当異目の場合、衆生の成道に関わるものが多いように思われる。四明流では衆生成道は始めから除外されているように思う。従義流も一応は衆生成道をとっているけれども、最後は迹門であるために抛棄せざるを得ないようである。理においては衆生の現世成道はあっても結局は理に終るようである。事に成道があるとはいえないのが実状である。その点は、大石寺は事行の上にこれを具現するようになっている違い目がある。法門的には他に異るものを持っているのである。
 従義流では衆生成道は後になる程薄れてゆくようである。そのような中で上行の役割りは大きいであろう。その上行を魂魄の上で受けとめているのは大石寺であるが、一般には法華経の文の上の迹門をそのまま受けとめているように見える。上行が大地の上で受けとめられている。そのあたりで衆生と離れ現世成道の時後退するように思われる。大地の上に出ては上行活躍の場は失われるようである。功徳は根に止まっていない。それが上行活躍の場を抑えるのであろう。
 不軽の行を現世で行ってもそれは本因修行とはいえない。始めから時が違っている。法華経でも一世代前の不軽が出ているようである。そこに魂魄の必要があるのではなかろうか。しかし若し使うのであれば御書の制約を厳重に守らなければならない。日蓮紹継不軽跡には多分に魂魄が働いているのではないかと思われる処がある。これによって事の法門ということも出来るのが現状では理の法門と別段に変りは見当らない。天台理の法門と区別があるようにも思えない。前に衆生成道が消されたために、そのような感じを与えているのであろうか。これでは事を事に行ずるとか、事行の法門などという語も使うことにも憚りがあるであろう。
 次々に独自の語は消えてゆくようである。迹門に変った最後の決定付けをしている時期である。これが完了すれば再び寿量文底に帰ることは出来ないかもしれない。今急速に進行しつつあるようである。しかしこのようなことは殆ど自殺行為に等しいものではなかろうか。大石寺では昔から衆生の現世成道が大きく扱われてきたが、今は衆生成道をめぐって、昔、他宗門との間に起きていたものが、自宗の内で起っている。そのような中で案外他宗のこととして簡単に片付けられるようなことがあるかもしれない。今は次第にこれを裏付けるものは消されているようである。
 滅後七百年、いよいよ衆生の成道について考え直す時が来ているようである。これが次の世の立ち上りに役立つようなことになるかもしれない。衆生の現世成道を捉えることは日蓮が法門即ち仏法の原点に立ち返ることである。今は仏教により文上迹門によったために最大の問題である衆生の現世成道が消えていったのである。そして爾前迹門と同じ死後の成道に変ったのである。今は衆生の現世成道をとるかとらないか最後の時期ではないかと思われる。
 己心の法門を邪義と決めては衆生の現世成道があるわけはない。衆生成道を完全抛棄したことを意味しているのである。そして結果として上代の法門とは逆も逆真反対に出ているのである。今宗門は新義建立に向って勇ましく邁進しているようである。即ち己心の法門にあらざる全くの新義建立である。恐らく文上迹門に建立されるのであろう。衆生成道をもたない、己心の法門でもない、仏法に依っているわけでもない、新義とは何を根本の旗印にするつもりであろうか。
 爾前迹門と同じ成道を遂げることは謗法にあたる恐れはないか。謗法としてむしろ警戒の第一条におかなければならないものではなかろうか。継命161号に立正安国論の精神という論文が載っているが、これによれば謗法厳誡にそむくことになる。しかし安国論には仏法や本因の本尊や衆生の成道の気配は見えない。この謗法厳誠が開目抄になると己心の一念三千も現われ主師親や三学も、また以上の三も、次第に表面に出る気配が濃厚になってくる。ここで謗法が大きく発展して一念三千となり衆生の現世成道と発展する。それを説き出すために安国論の謗法厳誡があるので、衆生成道については未だにその気配さえ伺うことは出来ない。全抄が開目抄や本尊抄などの序論になっている感じである。
 立正安国論は開目抄や本尊抄から逆次に読んで始めてその結論に至ることが出来るのではないかと思う。本仏や本尊や衆生の成道が己心の一念三千の上に現われて、始めてその結論といえるのではなかろうか。しかし、これは見る者の見方次第である。逆次に読んだ時初めて安国論精神が明らかになるのではなかろうか。
 こちらで明治教学と称しているものと、宗門側の日蓮正宗伝統法義とは大体同じものである。目の前を変えるために呼称を替えたまでである。しかし一両年の間には急に変ってきているのではないかと思う。現実には日蓮正宗要義とは大分違っているであろう。改版正宗要義が必要になっているのではなかろうか。
 本来は法は無尽蔵である。これを御宝蔵ということで表わし、本因をとっている。今は無尽蔵とはいえない。汲めばすぐ尽きる処は空谷の石原である。山田が空谷の井は一度汲みあげてからは水は湧いてこないようである。伝統法義も底が見えたのであろう。師弟子の法門には汲めども尽きぬようなものをもっているようである。本因の本尊といい客殿の奥深くまします本尊とはそのようなものを表わしているのであるが、今は本果の本尊をもって表わしたために底が浅くなったのである。
 師弟の魂魄の上に出現する本尊は無尽蔵の意をもっている。これが実は因果倶時不思議の一法なのであろう。この法が映るのが明星池である。池に映じたものは本因の本尊であり、墨を流した処は本果の本尊である。今は本果の本尊のみとなったので、この本尊から書写が行われている。その辺に元に比べると多少の相違が出ているようである。  

 己心の法門
 己心も心も同じだ、心にしろというのが反撃の第一声であったが、当時三四回見ただけで、今は同じでないことが分ったのか引っ込めてしまったようである。今も同じであれば攻め道具に使うであろうが、これについては何の音沙汰もない。違うことだけは分ったのかも知れない。時々己心とはどのようなものかと定義付けを求められることがあるが、若しこれが説明出来れば本仏日蓮大聖人である。
 論理学の論理を進めてゆくと、時に同じと思える時があるのかもしれない。それをも少し進めると分らなくなる。その思惟を絶した彼方にあるのが己心のような気がする。その前段で、つい心の中に己心があるように思われる時、若しそれを強引に押し出すなら己心が心に食われる恐れがある。
 この西洋学が己心を食ったのは明治の頃ではなかったであろうか。その頃は強引に己心をもって押し切ることが出来なかったのかもしれない。大石寺までも当時既に被害をうけたのか、その名残が今になって己心を邪義と云い切らしめたのであろうが、開目抄や本尊抄まで消すことは出来なかった。今も己心の文字は依然として残っているのである。これは始めから論理の外に置かれていたのである。
 悪口は尽したけれども己心の法門は相変わらず健在である。西洋学に心酔した結果が簡単に消せるように思えただけであった。宗門からも一向に消えた気配は感ぜられない。今の行き詰りはそのあたりから始まっているようにさえ見える。一人々々が各具備しているもの、そのように簡単に消せるものではない。そこに誤算があったようである。宗門から己心の法門の消える日は宗門壊滅の日である。それでも邪義と決めて消すことにのみ専念しているのである。
 己心の法門から本仏や戒旦や本因の本尊や、衆生の現世成道が出ていることには全く気が付いていなかったためであろうか。或は新来の西洋学の被害ということであろうか。最も警戒しなければならない処である。気の付かない処で大きな被害を残したものである。今もそれは消え去ってはいないようである。こちらは己心の法門は邪義と一喝を受けても何の痛痒も感じるようなことはない。その点心配御無用である。一日も早く己心の法門こそ正義だと決めてもらいたい。一日遅ければ遅い程損である。
 今は魂魄も認めたくないかもしれないが、己心の法門は魂魄の上に現われているのではないかと思う。これ以外には説明出来ないかもしれない。死後空中に浮遊する人魂ではない。その魂魄を住処としているのが己心の法門である。理をもって説明出来るものでもなければ貌をもって示せるものでもない。只信のみがこれを捉えることが出来るようである。しかし信心の信をもってしては捉え難いようである。この故に不可思議なのである。
 本因の本尊も己心の法門であるだけに理をもって理解することは出来ない。眼をもって見ることもできない。成道にしてもそうである。何れも思惟を尽した彼方にあるものである。そこにあるのが道であり、天の授与した法であり、それが具足の道である。それが一念三千ともなるのは開目抄であり本尊抄である。一念三千は本来天から授かって一切の万法を具えているのであろう。何れも本来として備わっている。老荘の道にはそのような意をもっているように思われる。
 己心の一念三千法門には一切の万法を備えている。純円一実の境界もまた同じような意味を持っているのではなかろうか。己心の一念三千法門の実在を示すのは魂魄以外に方法はないという中でこれを取り上げたのではなかろうか。眼をもってし、理をもってしては実在を証明することが出来ない。そのような方法では証明出来ない時、そこに登場したのが魂魄である。そこには天の精気が常住しているということのようである。これは西洋流の学問とは始めから異なった世界のようである。
 そこに民衆を見、一切衆生を見るのであろう。そこは五十六億七千万歳を刹那に縮めることも出来るのである。そこに仏法の時がある。これは通常の時間とは別系統のものである。己心の法門は仏法の時の中におかれているように見える。仏法を知るためには、まず仏法独自の時を知らなければならない。これは東洋独自の時なのかもしれない。何れにしても常人の思惟の範囲でないことは間違いないと思う。
 結局己心とは言葉に出して答えるようなものでないということであろう。己心は西洋では育たなかったのかも知れない。西洋流の学問に心酔するといかにも己心の法門が邪義と思われるのであろう。西洋流な教義がそのように言わせたのであろう。とも角、己心の法門を理をもって知ろうというような大それた考えは起さないことである。行住坐臥に行じているのであるから、それで充分なのである。己心の法門の極意もまたそこにあるようである。これが事行の法門である。事行こそ最高の理解の方法である。不言実行などという語も非常に近いものをもっているのではないかと思う。
 己心によって現われたものは原則として一切凡眼には映らないが、今は凡眼に映らなければ承知しないという変りようである。このような考えが何から来たのか、大石寺法門では眼に映らないのは当り前のことであるが、今のような考え方を作るのは教学そのものにもあるが、それ以上に西洋流な学問が入りくんで文上迹門の教学に更に眼に見えるということを強制するのであろう。その現実的な考えが大石寺法門を極端に変えていったのであろう。ここまできて本の己心の法門に帰れるや否や大きな疑問がある。
 師弟子の法門も眼に映らないということで、似てもつかない社会道徳の中に持ち出して師、弟子を正すと解するのは言語道断である。これなら眼にも見えるし、大きな声を出して威張ることも出来る。社会道徳の中に持ち出して考えれば周辺も賛成しやすいのかもしれない。そして主師親も社会道徳の中で説明されるなら理解しやすいであろう。そのような中でついつい己心の法門は巧まずして消されてゆくのであろう。明治以来の学校教育の中で何の抵抗もなく己心の法門は影をひそめてゆくのであろう。
 滅後七百年、大石寺でも本因から本果への交代も終ったような感じである。信の一字も信頼から信心に交代したようである。宗門は信頼の信を捨てることにのみ専念しているが、これまた大きな問題である。師、弟子を糾すのみでは師弟の間に、今のような世間では尚更信頼は育たないであろう。色々な面で仏法家と世間との交代は急速に行われつつあるようである。
 主師親の三徳の処に信の一字の根元は存在しているのではないかと思う。仏法を立てるために、仏教的なものを取得する際、戒定恵の処に信の一字を見るのではなかろうか。今二十一世紀を目前にして信の一字の最も必要な時であるが、宗門は直前になって捨てることにのみ努力しているかに見える。どうみてもアベコベである。
 信の一字は主師親にも戒定恵にもあることは世俗に充満していて、これによって社会生活は成り立っているともいえるものである。この信も眼をもって確かめることは出来ない。専ら事行に依ってのみ知ることが出来るものである。これがやがて学はいらない行だけでよい、或は信心だけでよいとまとめられるのかもしれない。それ程信は社会の隅々にまで遍満しているのである。その姿を「この本尊は信の一字をもって得たり」と表わされているのである。それが後には、この本尊は信心をもって境智冥合し体得することが出来るというように三段構えで仏法から仏教的な信心に移動してゆくのであるが、今その限界の処に立っているのである。
 信は信頼、信実、信念などとつながってゆくもので、信心、信仰はむしろ特殊なつながり方である。しかし、そのつながり方はいかにも強烈である。信は第一には仏法の上にはっきりと解しておかなければならないものであるが、今は仏教に変ったために仏教的な雰囲気の中でのみ考えられ、仏法の仏教化のための大きな役割りを果たしているようである。百八十度の転換ということである。そして仏法は仏教の上に表わされて独善的なものを作り上げてゆくのではないかと思う。社会道徳的といっても儒教的というよりは忠君愛国的なものが強いようである。大石寺法門の根源は「まこと」にあるようではあるが、悪口雑言から「まこと」を引き出すことは、まことに至難の業である。そこには痕跡すら残っていないのである。

 山法山規
 宗務院でもはっきり分らないものを、吾々が彼是いう筋合はない。しかし分らないという前に、も一度考え直す必要はないであろうか。己心の法門とどのような関係にあるのか、或は己心の法門そのものなのか、己心の法門の別号なのか、色々と疑問がある。己心の法門を山法山規と呼ばれてもおかしくないものを多分に備えているようでもある。或は宗学が変ったために消さざるを得なくなったのか、己心の法門に非常に近いものをもっているのではないかと思わせるものがある。しかし宗務院が分からないと公言する裏には何かがあるに違いない。本来秘密に属するものであろうことは容易に想像することは出来る。
 己心の法門は大日蓮華山の法でもあれば規でもある。その山法山規なら己心の法門そのものであるかとは分る。何れ法門に関わるものであろう。これは秘密蔵に収めるなら本因の本尊でもよい、一切の万法でもよい。山内は総てこの法門の充満している処でもあれば、この法門を事に行じている処でもある。それが丑寅勤行であっても隠居法門であっても何等違和感もない。一切の法門の総名を山法山規と称して伝えて来たのではなかろうか。
 近代は己心の法門も丑寅勤行も隠居法門にしても、それぞれのものが持っている筈のものは何となく消えている感じである。何かによって山法山規は分らないということになったのは事に行ずれば殊更その理を知る必要がないということであれば、学はいらない、理はいらないと同じ意味である。今も昔ながら事行は法門として残されているのである。やはり己心の法門と解釈するのがもっとも無難な方法ではなかろうか。宗制宗規とは別格におくために分らないということになっているようにも思われる。只邪義と決めるのとは余りにも離れ過ぎているようである。邪義と決めては引っ込みもつかないが、反って山法山規に救いがあるのではなかろうか。
 一言で邪義ときめこんでは開目抄や本尊抄と真向から対立しなければならない。これではどう見ても勝ち目はない。ちと暴走気味である。そのために不本意ながら口を封じられたのであろうか、既に一ケ年を経過したが一向に立ち上がる気配はない。論理学の被害を受けたのかもしれない。ここは山法山規に救いを求めるのが最も手近かな誤りのない方法ではなかろうか。黙り込んでしまうことは、あまりよい現証ともいえない。しかし分らないということであれば無瑕でそのまま残っていることは確かである。調子に乗ったとはいいながら、己心の法門を一言のもとに邪義と決めつけたのは取り返しの付かない失敗であった。何一つ裏付けのない中での公言は大した度胸である。しかし教学の程はいささか低すぎたと云わなければならない。
 己心も心も同じだ、心にしろという発想は何から起こっているのであろうか。或は論理学に始まっているのであろうか。その根源はどうあろうとも、邪義と決めたものはその責任を遁れることは出来ないであろう。そのような学問に飛びこんだのが迂闊であったのである。邪義といい切る前に何故口が閉じられなかったのであろう。何とも不思議なことである。到底凡智の理解出来るような事ではない。困じ果てて次の打ち手がなくなって、つい感情の赴くまま、口から飛び出したということであろうか。結果的には仏法を仏教の処に格下げしたようである。
 しかし、己心の法門を邪義とするだけでは新仏法建立には資料不足である。裏付け一つもたないでこのような大事を発表することは、何としても時機尚早であった。水島の一喝位では日蓮は眉毛一本動かしてはくれないであろう。せめて眉毛の一本でも動かすようなものを用意して破すべきであった。開目抄や本尊抄の存在はあまりにも大きすぎたようである。御本仏日蓮大聖人の仏法というだけではどうする事も出来ないであろう。今の程度の技倆では新仏法の建立は無理である。もっともっと両抄の研究を積み重ねなければならない。己心の法門を上廻るようなものが用意が出来てからにした方がよい。
 西洋流の学問と仏法の出合いは明治に既に苦い経験を持っているがどうみても敗北のようである。そして仏法が要法寺日辰、八品日隆や国柱会、身延等の教学に食われて大勢が仏教に代り、只仏法は語のみが辛うじて残ったという状態であった。今も双方が雑然と存在しているのである。今水島が己心は邪義だと決めた背景には、再び明治教学の復活の狙いが動きはじめているのかもしれない。今まで威勢よくやったけれどもその裏付け教学は見当らなかったのである。何かがあって、それを中心として時局法義の研究が続けられて来たもののようである。明治教学を更に一歩進めようとしているのであろう。
 己心の法門を邪義ときめた処をみると次は心の法門を取り出し、これを根本とするのではないかと思う。己心も心も同じだという心を根本とした法門が建立されるであろうと想像している。心を根底とすれば仏教に依ることになる、爾前ともいかないであろう。結局はそのままに迹門に落ちつくことになるものと思われる。つまり迹門の処に西洋諸学を根底とした新仏法が建立され、三者不和合の上に新仏法が運営される。現在の水島教学には多分にそれを思わせるものがある。しかも、これが衆生不在の中に建立されるために新本尊が顕現されることはないかもしれない。本仏もまた同様である。これらは止むを得ず従来のものによるであろう。そうなればその出生を明らかにすることは出来ない。
 水島新教学は既に失敗に終ったのではないかと思われる。さて次はどのように開拓するであろうか。しかし根本の教学路線を変える処まではゆけないであろうと思う。いつまでこの低迷を続けるつもりであろうか。ここを抜けきることは殆ど不可能のように思われる。どのような成算を持っているのであろうか。ここばかりは水島一流の強気一点張りでは乗り切れないかもしれない。天の冷水をもっと素直に受け止めるべきではなかろうか。
 水島教学は、必らずしも仏法路線に忠実とはいえない。宗門も仏法という語は盛んに使っているけれども、仏法という語義がどこまで理解されているのか一向に明らかでない。開目抄や本尊抄を除いた処で考えられているように見える。まず独自の努力の中でその語義をとり出さなければならない。仏教を仏法と称してみてもそれでは仏法世界には入ることは出来ない。それをどのようにして突破するか、これは今与えられた最大の課題である。仏教を立てながら仏法と称してみても、それは一向に威力にはつながらない。反って矛盾を引き起すのみである。それでは法論にはならないであろう。まずこの辺りの整理から始めなければならない。
 山法山規は分らないということであるが、明治になって仏教に変って仏法から離れたために分らなくなったのであろうか。仏法を立てるためには山法山規は必らず必要であるが、仏教に変ると格別必要なものではない。百年の年月が次第に忘れさせたということであろう。山法山規は殆ど事行として行じているので、理を忘れても別に差支えのあるものでもなさそうである。しかし、今のように仏教に大勢がうつると、混乱除去のためには山法山規は是非欲しいものである。正邪の判断をするために必要なのである。
 山法山規を取り返すことには反対であろう。若し取り返すなら、己心の法門を邪義といえないかもしれないからである。しかし仏教により乍ら仏法と称していつまで続くであろうか、ここは今の宗門の最も弱い処である。仏法なら仏法一本に絞った方が好い。若し仏法一本になれば、己心の法門を邪義といえることは自然と解消するであろう。二本立ては教学の弱さの故であろう。
 己心の法門を守るためには飽くまで法門は純粋でなければならない。況んや西洋の学問をもって強化することは殆ど不可能な事ではなかろうか。己心も心も同じだ、心にしろという考えも開目抄や本尊抄からそのような論理を見出すことは不可能である。己心については西洋の学問には始めからないのかもしれない。少し西洋の学問に依り過ぎた成果ではないかと思う。そこから見れば案外簡単に己心も邪義といえるのかもしれない。
 御書のある限り一言で邪義と極めつけることは出来ないであろう。そうかといって己心の法門を上廻るような宗義を作ることは今の教学陣では不可能である。論理学から本仏を見出すことは尚更困難である。迹門以上にむづかしいと思う。己心の法門を邪義と極めるのが増上慢か、これを真実と決めるのが増上慢か、これ位の判断がつかないのであろうか。自分の意見に背く者は全て増上慢ということであろうか。阿部さんが増上慢と称しても日蓮は軽々しくその話には乗ってこないであろう。  

 己心と心は同じという事と本果の本尊
 気掛りなのでまた拾うことにした。目障りな向きは見過してもらいたい。己心と心が何故同じなのか理由は示されていなかったように思う。しかし、本尊抄では明らかに数回我等が己心という語が続けさまに使われている。文証に引かれたのは天台大師の己心であるが、欲聞具足道の次の大経等の引用の終った処で我等が己心と出ているのである。天台の己心に対して相違があるからわざわざ「我等が」と冠せられたのであろう。それを己心も心も同じとは思い切ってよくいえたものである。
 心と己心と我等が己心と、この三は本尊抄では区別は置かれているであろう。釈尊と天台と日蓮の区別があるかもしれない。仏教では釈尊と天台の理の法門と日蓮の事の法門と即ち仏教と仏法と、理と事との区別は付けられている。己心も同じでは大石寺法門は成り立たないかもしれない。それが確認されないために次第に仏教化し世俗化が進んでいるのではなかろうか。
 謗法といわれているものは仏教と仏法の間にあるようである。そして第二は世法と仏法の間である。前後の仏教と世法は心と解し、中間の仏法について特に我等が己心といわれているように思われる。若し心も己心も同じということになって日蓮が法門が成り立つかどうか、この判断は開目抄や本尊抄等の諸御書によらなければならない。これを新来の論理学等に依って判定することは専断に当たるように思う。
 西洋流のものになければ切り捨てることも出来るし、いきなり心の中へ繰り入れることもできるが繊細な処は消されてゆくかもしれない。そして己心も心もおなじと出たのである。区別があるから日蓮が法門は成り立っているのであるが、これを同じと判断しては日蓮が法門はあり得ないであろう。末弟の手をもって切り捨てようというのである。大へんな度胸である。
 今は西洋学や他宗門の教学が混然として、その中から大石寺固有のものは殆ど発見することは困難である。殆ど解体は終ったかに見える。今改めて西洋流の学問が這入ろうとしているようである。判断も西洋流により、しかもそこにないものは第一段階で切り捨てられる恐れもある。その上で適当に判断を加えられる、西洋流なものが根本の基準に置かれる斬り捨て御免である。今遅ればせながらそのような風潮が進入しつつあるとはいえないであろうか。このような中で、七百年前の法門を守り続けることは殆ど不可能なのかも知れない。
 日蓮が法門に対して百年、二百年位ををいて時々攻勢の波が襲うているようである。己心の法門もその内、遠い昔話の中に閉ぢこめられるかもしれない。宗門自身が己心の法門は邪義といい、己心も心も同じだ、心にしろという御時勢である。己心の法門を消すことのみに全力を集中しているようである。時局法義研鑽委員会もその専門委員会である。しかし、己心の法門の解消された時は大石寺の消滅する日である。自らその一翼をかっているということであろうか。
 己心も心も同じだ、心にしろということについては、宗門の最高位にいる二人は既に賛成済みである。余は時を待つのみということであろう。これでは本仏も本尊も心の上に建立されたことになり、その文証を求めることは一切不可能になるであろう。これによって本仏と本尊はまず解消されるであろう。それでは本仏日蓮大聖人も使うことも出来なくなるであろう。
 己心の法門が消えては大石寺法門も頼るものがない。今は僅かに残った語のみが頼りということである。そのような中に己心の語が置かれているようである。宗門の最高首脳部の処では既に心に切り替えられているように思われる。誠に危険千万な事ではある。山田や水島はその下で己心の法門を邪義として抹殺の急先鋒に立っていたのである。邪義ということは今もそのまま残されている。これも大きな業跡というべきであろうか。しかも現在は沈黙を守っているが、次にどのような名案を持ち出してくるのであろうか。邪義の語を残したのは唯一の戦果であった。富士学林の天台学研究成果も一環作業の中にあるものであろうか。しかし、計畫は密なるをもって吉しとする。山田も水島も少し明しすぎた嫌いがある。も少し密に事を運んだ方がよかったようである。
 長い間本因の本尊ということが云われて来たが、多分に己心の意味を持っている。仏に対して衆生の処に現じた本尊の意味を持っている。即ち己心の本尊であり、ここに法門の立処も示されているのである。己心も心も同じといい、己心は邪義となり、遂に本尊を本果と決めてしまった。いかにも急激な変化である。何故このように変化したのか反省があったのであろうか。その陰に教義の変化があったのであろう。それが論理学の影響ではないかと思う。
 西洋学には上のようなものをもっているのであろう。明治にも大きな影響をうけて居り、島地大等師も既に指摘している通り、己心の法門を食う恐れがある。今またそれをもろに受けたのである。あまりにも不用意であった。このようなことは二度と繰り返さないことである。恐らくは相手方の教義の立て方が根本の処で変っているのであろう。己心の法門を邪義と決める前に気が付かなければならない処である。今からでは少々手遅れということであろう。教義の変化は敏感に表に出てくるものである。七百年伝来の本因の本尊でさえ本果と改める程の力を持っているのである。何故こうも易々とその話に乗るのであろうか。
 己心も心も同じということは仏法も仏教も同じだ本因も本果も同じだ文上も文底も同じだ釈尊も日蓮も同じだということである。そのために思わぬ結果が出たのである。宗門のような専門家揃いの処で何故これが読みとれなかったのであろう。自分等の決めた結果には従わないわけにはゆかないであろう。一言でいえば読みの浅さということである。今の天台の観心を正統と仰いだ研究成果が、本因の本尊を本果の本尊と改めたのである。本果となれば再び真偽問題も起るかもしれない。それに対する用意は既に整っているのであろうか。
 本因の本尊は本尊抄の「本尊の為体」から来ているものであろうが、若し本果ということになれば、本時の娑婆世界のあたり以後を迹門と読まなければならない。そして本尊を迹門に証明付けなければならない。これは本尊抄による限り不可能ではないかと思う。特に本尊抄の後半は事行の法門として深いつながりを持っているだけに、うっかり切れば法門の矛盾に崩される恐れもある。これは容易な問題ではない。何れにしても大きな難問が待っているのである。一部はこの巻の初めにも出しておいたので読んでもらいたい。
 当時本尊抄や副状は読んでいなかったのではないかと思う。若し読んでをれば迹門とは出なかったであろう。わざわざ現代の天台の学者に教えられるまでもなく、観心の本尊抄は真蹟は未だに残されているのである。何故日蓮の観心に依らないのであろうか。どこかに不都合な処でもあるのであろうか。天台のものに依れば本果と出るのは当然である。しかも観心の本尊は必らず本門に限られている。それでは何か都合の悪いことがあるのであろうか。
 御宝蔵の本因の本尊に対して本果の本尊とは御影堂の万年救護の本尊を指している。己心の本尊についての本因本果の分け方によるものである。万年救護の本尊は滅後末法の中の本果であり、今度決めた処は在世の本果である。始めから在滅の相違を持っているのである。総てが現代の天台学者のものであれば本果となるのは当然である。時については一向に無関心であった。そのために在世の本果と出たのである。それは本尊抄の観心を無視したための結果である。
 末弟であれば観心は必らず本尊抄による筈であるが、何故天台の観心に限ったのであろうか。その観心では衆生の成道にも本仏にも本因の本尊にもつながるような事はない。これらのものを天台の観心から求めることは全く不可能なことである。何故天台の観心に頼ろうとしたのであろうか。これは水島の一世一代の不覚であった。教学部も何故天台教学の観心によるものを優秀論文と決めたのであろうか。教学部も同じ処でものを考えているのであろうか。
 教学部も衆生の成道や本因の本尊や本仏につながる観心を避ける必要があるのであろうか。或は本尊抄の観心を避けなければならない理由が何かあるのであろうか。衆生の成道とは愚悪の凡夫の現世成道である。これがなければ本仏も現われることもないであろう。日蓮の観心は仏法の上の観心であるが、天台のものは仏教の上の観心である。そこに大きな時の違いがある。その時の混乱が本果と出たのであるが、実際には本果の本尊、即ち二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅は出現するようなことはあり得ないであろう。そうであれば、わざわざ天台の観心に頼る必要もなかったのである。
 本尊や成道につながらないから、これを理の法門というのである。水島優秀論文の観心は衆生の成道や本因の本尊につながらず、仮空の本果の本尊につながるから優秀なのかもしれない。この状況から察する処、己心の法門は可成り消されているのではないかと思う。これでは己心の本尊が邪義と映るのも当然といわなければならない。仏教の観心では宗祖本仏も語ることも出来ない。下種仏法を論ずることも出来ないであろう。水島の観心は未だ理を脱してはいないようである。本因に限って出現する本尊を本果の処で信仰することに偽りはないであろうか。本因の本尊は本因の処にをいて信仰するのが最も正常な在り方ではなかろうか。
 行きつく処までいって黙り込んだものと思っていたが、それは論理学を取り入れたための行き詰りであったようである。考え方の基本になるものだけに、その開拓は中々困難な事ではなかろうか。このままでは仏法も邪義という処までゆくかもしれない。消えた処を見ると本因の本尊も既に邪義の仲間入りしているのかもしれない。とも角、ここで本尊抄によれば本尊の出現は仏法の上に、己心の上に出現していることを確認しなければならない。
 仏教の上に己心の本尊を求めることは空に等しいものである。それではやがて本尊が消えるようなことになるかもしれない。論理学には己心も仏法も説かれていないからである。論理学に依ったものと思われる頃から、以前にはなかったような大変革が起り、遂に己心の法門は邪義という処まで来ているのである。これは本仏も本尊も成道も、また三秘も共々に否定するものである。やがて表面に表われる時が来るかもしれない。既に在滅の時も消えているようである。
 大村教学では己心の法門は狂学と称しているのである。日蓮が法門は狂学に繰り入れられているようである。己心の法門を邪義とするのと、それ程の変りもないようである。このようにして見ると、論理学は仏法の大敵のようである。三年前反撃に出た時、何故あのように出たのか、その理由は一切不明であったが、今はじめてそのなぞが解けた。しかし現在は可成り進行しているのではないかと思う。
 「狂った狂った狂いに狂った」のも、依って来た処は論理学なのかも知れない。「狂学」も「己心は邪義」とうのも、その出生は同じ処かもしれない。何れも本仏や本尊、衆生の現世成道等、切り捨てるようなものを備えているように見える。僅か数年間の進行としては誠に驚異に価するものがある。今も沈黙の中でどんどん進行を続けているものと思う。己心の法門は西洋の学問には異様に弱い一面を持っているようである。これについて沈黙の間に反省しているのか進行を続けているのか甚深にして一向に伺い知ることは出来ないものがある。そのうち又ばくだん発言があるかもしれない。論理学の足跡だけは大きく残ったようである。
 己心の法門を邪義と決めたままでは動きもとれないであろう。何をもって拭い去るつもりであろうか。己心も心も同じだ心にしろという処から、己心の法門を邪義と決めるまで、僅か数年しか要していないのである。得度以来三十余年を経てようやく出来上った己心の法門も、消す時には僅か数年で事足りるのである。水島の一方的な宣言によって己心の法門は刹那に水泡に帰したのである。これをどのように受けとめるべきか。不信の輩には一向に理解することは出来ない。
 あくまで仏法と仏教の区別はたてなければならないが、仏教の中に本仏を求めようとする水島理論はまず時を抹殺しているのである。それが学林の卒論の基礎になっているのである。その論理の上で己心の法門も邪義と映じたのであろう。その発表と沈黙に入ったのは、それ程時間的な距離はなかったようである。何かの思惑があって延ばされていたのであろうか。水島論文に時の混乱があるのは、実は出題者の持っている混乱がそのまま表に表われたためなのかもしれない。
 本尊抄が発端から本時の娑婆世界に至るまで長い時間をかけてゆっくりと裏返すための作業も、きれいさっぱりと黙殺されて出来ているのが水島論文である。そこで刹那に時は抹殺されているのである。実にお見事な度胸である。時を消してしまえば、あとはそれ程抵抗は感じないのであろう。昔は四明流により、今は論理学によってこのような作業が陰で行われているのではないかと思う。そして仏法も次第に変貌を遂げているのであろう。今となってこれを本に返すことは容易なことではない。いつの日がきたら仏法に帰れるのであろうか。
 カントによっている時代には己心も心も同じだ、心にしろというように己心を否定していると思わせるものも、己心を邪義ということもなかったが、一擧にそのようなものが出た背景には多分に論理学があるのかもしれない。カントは外から、論理学はその利用の仕方によっては一擧に内部に喰い入っていくものをもっているのであろう。それだけ危険である。このようなものに無批判に飛び込んだのはいかにも迂濶であった。これを切り捨てることは容易なことではない。意外な難作業なのかも知れない。初心に返る以上に難しいのかもしれない。
 早々に除去作業に取りかからなければならない。捨ておいてはどんどん内部に浸透するようなことになるかもしれない。振り返ってみて、ここ数年の水島教学がそれを基盤にしていたことは、まず誤りのない処であろう。発端から大僧正も小僧正も飛びこんでいるだけに尚更厄介である。この水島教学が本因の本尊を本果に替え、己心の法門を邪義ときめた元兇なのかもしれない。宗門には特別優秀な頭脳をもった人も次々に引かえている処に、これは何とも迂闊なことであった。さてこの跡仕末どのように付くであろうか。
 本因の本尊も消え、本仏が失われては、いよいよ衆生の現世成道とも訣別である。水島教学はそれを裏付けたのであった。ここまでくれば、あらゆる面から矛盾が出る。それが一年もの間、口を閉ぢざるを得なくなった直接原因ではなかろうか。観心の基礎的研究はここに成果を表したようである。仏法によって起った語は、仏教の立場からは説明し尽すことは出来ない。仏教家からいえば最も耳障りな語である。将来必らずその矛盾は突かれるであろう。口を閉ぢただけでは収まりにくいようなものを残したようである。結局は開目抄や本尊抄の読みの浅さということであろう。
 撰時抄も時を除いて読めば迹門と出るかもしれない。そのために「仏法は時に依るべし」ということになっているのであるが、水島教学の仏法は始めから時を必要としない仏法に依っている。そこに根本的な違いがあるのである。この成果は本尊の真偽にも発展してゆく可能性をもっているようにも思われる。観心の基礎的研究の遺産である。仏教と仏法の二筋路をかけることは、むづかしいように思われる。
 撰時抄を読むためにはまず「仏法は時に依るべし」という文をしっかり頭の中に入れて読まなければならない。この文の題号の時は仏法の時を示しているのである。若しそれを外して読めば迹門と出るかもしれない。即ち仏教と出る恐れは十分にある。あまり文字のみにこだわりすぎるのは危険である。時とは滅後末法の時を指していることにくれぐれも注意しなければならない。若し誤れば必らず逆に出るであろう。この抄は愚悪の凡夫が現世成道出来る時を定めているのである。その時が定まらなければ凡夫の成道はあり得ない。水島教学は仏教の時と定めているのである。
 撰時抄で色々な引用が行われ譬喩が示されているのも、所詮は愚悪の凡夫を現世に成道を得せしめんがためである。それが集約され事行に示されたのが丑寅勤行である。その衆生の現世成道が根底から覆されては何のための丑寅勤行か分からない。今はそのような中で勤行が行われているのである。その意義をもっと明確にしなければならない。これでは山法山規が分らないのも無理からぬ事である。
 山法山規が分からないということは本仏も本尊も衆生成道も分からないことと同義ではなかろうか。そのような中で己心の法門も邪義と決められてゆくのであろう。このようなことは近代の西洋の学問の影響下に起っているのであろう。昔も今もこれらについては殆ど無防備の状態の中におかれているのである。時を確認する以外、よい方法はないかもしれない。そして理を事に行じないように注意することが肝要ではないかと思う。理の法門をとり仏教により乍ら事に行じることは最も危険なことといわなければならない。その天台理の法門と論理学の理と、或る共通点をもっているのではないかと思われる。その点大いに注意を要する処である。既に相当の被害は浸透しているようである。己心の法門が邪義と思えるほど浸透しているのである。
 時局法義研鑽委員会も改めて法義を再検すべき時が来ているのではなかろうか。時局法義とは一体何を指していたのか現われたものを一所に寄せ集めてみれば、己心の法門は邪義ということがその中心課題であったのではないかと思われる。結果からみてその辺りが濃厚なのではないかと思われる。何が中心課題であったのか、どのような成果を得たのか、一応の発表があってもよいのではなかろうか。護法局の発足もまた大いに関係があるようにも思われる。己心の戒旦は邪義といい、続けて己心の法門は邪義と発表された。これも大きな主目的であったような気がする。
 己心の戒旦が邪義であれば、己心の本尊も己心の題目も邪義となる。これでは「本尊の為体」即ち我等が己心の本尊も邪義と決まる、その中央の題目も邪義と決まりそうである。三秘何れも邪義となり、三大秘法抄に説かれた三秘のみが真実正義となるであろう。そして取要抄に説かれた戒定恵の上の三秘は反って邪義に堕すようなことになるかもしれない。若し戒定恵を失った三秘は謗法に墜ちるであろう。これこそ正義だと決められるのであろうか。これらのものを一筋通すために委員会は発足したのであろうか。三年以上経っていると思われるが一向に成果は出てこないようである。そろそろ成果をまとめてもよい時ではなかろうか。護法局もまた一向に活躍しているような情報は入らないようである。一度位成果を発表して次の励みにしてみてはどうであろう。
 法華経の行者日蓮を文上迹門の行者と読んでいるのか、或は文底本門の行者と読んでいるのか、文底本門を意識せずに読めば迹門の行者と読めるであろう。しかし撰時抄が仏法の時を説かれているものとして読めば文底本門の行者という意は自ら理解出来るであろう。法華文上の行者と文底の行者では、その意味は雲泥の差が出てくる。開目抄や本尊抄との関連の中で読まなければ意味がない。仏法の行者日蓮と読まなければならない処である。それでないと、いうような本仏の慈悲の出ることはないであろう。自分一人の修行のためにのみ題目を上げているのであれば御本仏日蓮大聖人というには少し不足があるであろう。
 「日蓮紹継不軽跡」の日蓮も仏法者日蓮として解釈され信奉されて来たのであろうと思う。今となって急に迹門の行者日蓮と解して見ても只矛盾につぶされるまでである。己心の法門の上に仏法として受けとめるべきである。今迹門に変って日蓮を迹門の行者としてみても、伝統の法門を根こそぎ切り捨てることは出来ないであろう。他門の追求に困じ果てて迹門に変って見ても全部切りかえることは出来ない。若しそのようなことをすれば、反って自滅の危険が多分に現われるであろう。
 論理学を根本とし、これをもって仏法を改編することは最も危険なことである。そのやり方で最近仏法がどんどん改まっていったのであろうか。己心も心も同じだというような考えはもともとはなかった。見聞の外に属するものであるが、何故そのような説が起きたかといえば論理学が最も近いようである。始めから違う扱いになっている。
 開目抄や本尊抄、又撰時抄などの御書はその違いを論じ乍ら己心を取り出し、そして仏法を論じられているのである。これは又日蓮が法門の最も特異な処でもある。己心が心ということは、或る考えの中では成り立つのかもしれない。一見した処でも己心は仏法に、心は仏教にともいえるし、仏法は日蓮、心は釈尊ともいえる。そのような中で己心は心から出たものであるから、或る見方をすれば刹那には同じということが出来るのかもしれない。しかし己心が独立して考えられるようになった以後に心も己心も同じということは出来ないであろう。この話にはどこか飛躍をもっているようである。その飛躍は禁物である。それがなければ心を優位とは立てられない。これは強引に己心を消すために思い付いたものかもしれない。しかし、少なくとも大僧正といわれ小僧正といわれるような人の考えることではないと思う。
 若し己心の法門が消されるなら、日蓮本仏は即刻消えるであろうし、本因の本尊も衆生の現世成道も消えざるを得ないであろうが、そのあと遂に己心の法門は邪義と決まったのである。戒定恵の三学も、そこから出た三秘も消されて、戒定恵を持たない三秘と入れ替ったようである。己心も心も同じだ、心にしろといい出して三年計り後のことである。それ程急であったのである。
 結局心と己心は内容的には全く異っていたのである。そして心が己心を食ったのである。しかし心では仏法は成り立たないし、本仏も本尊も出るようなことはない。本果の本尊でさえ顕現されるようなことはないであろう。それが己心を邪義と決めた唯一の成果であった。元はといえば己心も心も同じと決めた処に出ているのであるが、心と己心は同じものではなかったのである。しかし、あまり急激であったため仏教に絞り込まれる羽目になったのである。このような中で仏法は消されていったのである。仏教の中に仏法は吸収されて終ったのである。唱えられ始めて漸く七百余年の後ということである。誠に事は重大である。論理学に己心の法門即ち仏法が食われたということであろうか。日蓮が己心の法門も邪義に堕在せしめられたのである。
 一往己心も心も同じだ、心にしろという者の勝利に終わったようである。同時に仏法もまた消えていったことであろう。問題は全て今後に残された貌である。この段階では、己心の法門を主張したものの敗北に終ったようである。さて己心の法門を邪義といい、狂説といい、魔説ということがいつまで通用するか、それは今後に残された問題である。己心の法門を一言のもとに切り捨てた処は鮮かであったが、さて何が残ったということであろうか。それは時局法義研鑽委員会諸公の研鑽の成果である。その記録は永く宗門に伝えられてゆくことになるであろう。
 己心の法門の根元が魂魄に置かれていることは開目抄に説かれている通りである。ここで戒が示されているように見える。それが本尊抄で本尊という貌をもつ根元であることを重ねて示される。それは本来として衆生が一人残らず生れ乍らにして持っているものであると示されるのである。そして撰時抄はそれについて時を示されている。即ち仏法の時である。
 滅後末法の時であるが、今は在世末法と読んでいるようである。ここで仏法が仏教に近付く下地が造られるのかもしれない。そして本尊も殆ど仏教と同じ扱いになる。本果の本尊としての扱いである。今までは本因の本尊という中に昔の面影を止めていたが、今は本因は遂に消えたようである。そして半公然と本果が表に立ったように見える。それだけ教義の根本が変ったのである。しかしながら現状は水島論理学派の教学も頭打ちの状態から中々立ち上がれないように見える。方向転換の必要に逼られているのではないかと思う。
 己心も心も同じだ、心にしろでは些か宗祖に対して愚弄気味ではなかろうか。況んや己心の法門を邪義とはちと度が過ぎたようである。開目抄や本尊抄を否定し、己心の法を真向から否定しては大石寺法門は何一つ成りたたないであろう。それが堂々と大日蓮に掲載されたのである。又それが時局法義研鑽委員会の鋭意研鑽の結果であっては尚更異状である。己心の法門は論理学派の対照にはなりにくいものであったのであろう。
 水島教学は論理学を基盤にしたもののようであったが、どうやらこれは大失敗に終ったようである。又新天台学を見付けた上で己心の法門の破敗と闘ってもらいたい。今の処はその誤りを認めて沈黙中のようである。余り長引くと敗北自認と判ぜざるを得ないことを申添えておく。しかし、少々のことでは己心の法門を切り捨てることは出来ないであろう。性根を据えて挑戦することである。そのためには己心の法門の生成の辺りを研究することから始めなければならないであろう。
 己心と心とは同じでないという処に御相承の根本は置かれているものと思っていたが、結局無言でそれを証明した処で結論が出たようである。御相承主自らこれを証明した処は、まずは目出たし目出たしという処である。己心と心と同じなら格別仏法と仏教の区別を立てる必要もない。御相承を立てる必要もない筈である。それがつい同じと思えたのは魔の所為であったのかもしれない。いかにも異状である。六七年かかったけれども、同じでなかったということが宗門の手で理解出来たことは何よりお目出たい限りである。これで宗祖も安心されたことであろう。己心と心と別であることが分れば、今度は己心を邪義と決めたことの撤回である。さてどのように結末が付けられるであろうか。これは少し気骨の折れることであろうが、すっきりと片付けてもらいたいものである。
 魂魄は己心に密着しているが、心は肉身に強いつながりを持っているように見える。そのような中で己心が肉身に密着するようなことがあるかもしれない。これは危険である。そして遂に肉身と密着するような事にでもなれば自受用報身が声高に題目を上げるような事にもなる。このような発想も、実は論理学に事が始まっているのかもしれない。未だ曾ってない奇想天外の発想である。本仏は必らず肉身を隔離した処に出現しているようである。しかし今は堂々と迹仏世界に本仏が出現するのである。そこに何者かが発想の裏に秘められているのであろう。色々なものが複雑に混在しているようである。
 自受用身の唱題は時の混乱によるものであるが、その背景に何かあるのであろうか。今最先端をゆく発想ではないかと思う。自受用報身如来が上げる題目とは略挙経題玄収一部の題目であろうか、これは未決ではないかと思う。文底寿量品の題目は唱題には不向きなようである。結局自受用報身が迹門の題目を声高らかに上げているということであろう。これでは他門下でも中々賛成はしてくれないであろう。そこにはどう見ても本迹迷乱が引かえているようである。文上文底というべきか文の上に本迹迷乱か。これは意外に厄介なものをもっているのではなかろうか。若し論理学に事が始まっているなら、それは内外迷乱ということにもなる。これは一段と厄介なものである。何れにしても時の整理を要する処である。
 今は論理学と仏法との混乱の中で本因本果の区別も付かなくなりつつある時、本因をいきなり本果と読めば、あとは本果の時がそのまま通用する。そのために即刻矛盾が現われるのである。仏法と仏教との混乱である。両雄並び立たず、結局仏法が被害を受けるようになっているようである。己心と心が同じという自信があるなら、即刻心に統一するなら、大半の教学は他宗他門のものはそのまま利用出来ることになる。それの方が余程好都合である。
 己心と心は同じと称しても、御書には心の一念三千の語はかつて使われていない。しかし心の一念三千からは本仏も本尊も顕われない。しかも今となっては本仏や本尊を捨てるわけにもいかない。結局は仏法に顕われたものを利用する外はないであろう。所詮は仏法にもあらず、仏教にもあらざる処に落ち付くのが落ちである。己心も心も同じだ、心にしろということで一擧に粉砕をねらったのであったであろうが、事実はそれ程簡単ではなかった。況んやその発想が論理学であったとすれば、問題はいつまでも後を引くであろう。論理学は仏法ではなかったのである。どうやらその被害をうけたのは宗門のようである。
 水島山田教学は心の一念三千を根本としているようである。そこから本仏と本尊を顕出しているようである。山田説がはっきりしなかったのはその故であったのであろう。論理学から本仏を顕わし本尊を顕わしていたのであった。それで漸く事の次第を理解することが出来た。しかし論理学をもって日蓮が法門を消そうというような大それた考えは起さない方が賢明なように思う。
 己心を邪義と決めたことは、宗門は心の法門を正義と決めているのであろう。何とも異なことである。しかし心の一念三千とは御書には使われていない語である。二年半大日蓮では異様なものに御目にかかって来たが、これらは全て心の一念三千の上に新発想されたもの許りであったようである。自受用報身の唱題も、心の一念三千の上の発想であれば、何となし分るような気がしないでもない。新仏法ということで理解することにしてをく。正常な処では到底理解出来るようなものではない。
 今も伝統法義では心の一念三千を根本としているのであろうか。しかしこの法門では本仏も本尊も必らずどこからか移入しなければならないであろう。この法門には自力によってこれらのものを求めることが出来ないのが最大の難点である。己心には備えていることは御書に証明済みであるが、心では御書に証明を求めることは出来ない弱みがある。その点でも己心と同列に扱うことは出来ない。己心は魂魄によるが心にはそれがない。これは大きな相違点である。到底比較出来るようなものではない。況んや同じといえるようなものではないことは明白である。
 己心の一念三千法門は大石寺法門の根本になるものであるが、心の一念三千は日蓮正宗伝統法義に限っている。若し本仏や本尊を顕わす力があるなら、その理を明らかにすべきである。結論だけ表わしても信用することは出来ない。特にこのような未見今見の語については出来るだけその詳細を明らかにする必要がある。己心も心も同じだ、心にしろではあまりにも無責任である。何故同じなのか、その理を明了に示さなければならない。それが出来なければ今からでも引っ込めるべきである。
 開目抄や本尊抄に説かれた己心の一念三千法門が邪義であるなら、まず御書の破責から始めるのが順序である。只邪義とだけいい出して見ても、それは余りにも無責任なやり方である。何を理由に本尊抄の己心の法門を邪義と決めたのか、そこを明了にしなければならない。まずそれに代るものを提示すべきである。思い付きだけでこのようなことをいい出されては諸人の迷惑である。これこそ迷惑法門である。
 今急に四明教学に頼ってみても、そこでは本仏も本尊も求めることは出来ない。他宗から攻めたてられては本因をすてて本果にうつり、四明を正統と仰いだのでは、そこには本仏を求めることは出来ない。反って矛盾を突かれることになりはしないか。自宗の根本の法門を他宗の鼻息を伺っては訂正していたのでは落付くことも出来ないであろう。せめて本仏や本尊位は独自の定められたものを守り抜くべきではなかろうか。
 今の世間は独自のものを育ててゆく時である。独自のものによらなければ真の立ち上りは出来ないであろう。些か同調が度を過ぎているようである。調子を合せすぎて反って乱調子気味である。独自のものを捨てて他宗のものを取り入れることは屈服を意味しているようにも見える。そして宗義の一貫性を欠くようにもなる。先方のいわれるままに宗義を替えるのはどうも頂けない。
 本因の本尊は仏法を、本果の本尊は仏教を表わしている。仏法から仏教への転向はどのような理由によるのであろうか。純一無雑とは凡そかけ離れた方角に進みつつあるように見える。近来は常に安易な方向を求めているようである。己心も心も同じなどといわず、定められた己心の法門を守ることこそ純一無雑の道なのではなかろうか。そこに本仏もあれば本因の本尊の顕現もあり、衆生の現世成道もあろうというものである。
 純一無雑と純円一実と、それ程距離があるとも思われない。己心の法門の故里はそこにある。そこに一念三千法門がある。それが具足道である。本因の本尊はそこから生じている。これは開目抄も本尊抄も全く同じである。両抄は心の一念三千を指しているとはいえない。己心の法門を邪義とするのは、以っての外の愚論である。仏法離れはやがて仏教離れとなる恐れを多分に持っているであろう。大石寺法門はどこに行こうとしているのであろうか。まずしっかりと本因の本尊を捉えて、その浮動を止めることから始めなければならない。これこそ今の第一の肝要である。
 心の一念三千を極限まで絞り込んだ時に己心の法門が生じる。そこに仏法がある。そこに唯授一人の意義がある。唯授一人は恐らくは権力の表徴ではないと思う。今、心の処に還元したのはどのような意図に依るのであろうか。純円一実とはその絞り込んだ処を指しているのである。絞りを元に返すことは只ぼやけるのみである。そこに何を求めようとしているのであろうか。
 時局法義研鑽委員会も、絞りを元に返した処でその目的を達成したものか、目下は肩の荷を下して沈黙中であるが、今の大衆は、むしろ絞り切ることを求めているように思われる。その点は民衆の意図とは反対に出たのではなかろうか。いずれにしても、その側面援護をしたのは新来の西洋の学問であったようで、明治の時も今度も、その影響は大きかったけれども、何れもあまりよい方角ではなかったようである。
 今度は特に論理学の或る発想が大きかったのかもしれない。それが沈黙を早めたのではないかと思う。これはその捉え方次第で己心の力を奪い去るようなものを持っているようである。その内、次の影響が表面に出るようなことになるかもしれない。今からその対策委員会でも組織して用意をしておくことである。目下の処は己心に限っているのであるが、やがて本仏や本尊、そして成道の処に顕著に出るようなことになるかもしれない。それ以上の予測は出来ない。
 明治の時にも己心の法門は影響を受けていたようである。今またその愚を繰り返しているのであるが、明治の時は本因の本尊も本仏も衆生の成道も、その名義だけでも残されていたが、その点では今回の方が遥かに大きな影響を受けたのではないかと思う。宗門はこのような事については余り関心は持たないのであろうか。己心の法門には本来西洋の学問とは相容れないものを持っているのではないかと思われる。今その影響下に置かれていることは間違いのない現実の問題であることに注目してもらいたい。
 日蓮が己心に限ると決めたものを、己心も心も同じだ、心にしろと言ってみても、それを裏付けるものは御書には何一つない。どこからそのような説が出たのか私見そのものである。根底から覆えすような説には必らず確かな文証が必要である。遥か元を尋ねる時は心から出ているといえないことはない。しかし、日蓮正宗の根源は己心に絞り切った処から始まっているのである。それを心と置きかえてみても、それは私の見解に過ぎない。文証がなければ邪偽である。これをもって人を魔といい狂ということは出来ない。真実己心も心も同じと思えるなら、お気の毒という外はない。
 心から出ているのは迹仏であり本果の本尊であり二乗作仏である。それを何の理由も示さずに本仏にかえ、本因の本尊とし、衆生現世成道にかえることは出来ないであろう。真実同じならその理由を明白にすべきである。若しそれが出来なければ早々に引っ込めるべきである。心から衆生の現世成道が出せないから、わざわざ己心を取り出されているのである。何故それを勝手に心と同じと決めるのであろうか。結局は己心の法門を捨てろといいたいのであろうが、これは少し度が過ぎているようである。しかし、現在の宗門の根本の法門が心から出ていることだけは理解できる。そのために本来のものとは雲泥の差が出ているのである。
 今は己心も心も同じでという中で、心を目指して刻々に変転を遂げつつあるのであろう。一体どこまでいったら落ち付くのであろうか。己心の法門を邪義と決めたことは、心に落ち付いたことを表わしているのであろう。心の一念三千に法門が立てられているとすれば、不可解なものも亦理解することも可能となるであろう。それが現在の日蓮正宗伝統法義である。


 本尊抄の釈迦・多宝十方諸仏等の文
 「釈迦多宝十方諸仏我仏界也。紹継其跡受得其功徳。須臾聞之即得究竟阿耨多羅三藐三菩提是也。寿量品云、然我実成仏已来無量無辺百千万億那由他劫云云。我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也。経云、我本行菩薩道所成寿命今猶未尽、復倍上数等云云。我等己心菩薩等也。地涌千界菩薩己心釈尊眷属也。」(新定九六七)我が仏界なりとは我等が己心の仏界也と解してようのではないかと思う。その跡を紹継してその功徳を受得すとは、釈迦・多宝・十方の諸仏の跡を紹継してその功徳を受得することは受持の意味を現わしている。それによって仏法世界を開拓することである。
 受持によって始めて仏法世界を立てることが出来、それによって始めて仏教世界を抜け出ることも出来る。そこで仏教の時と仏法の時が分れるのであるが、今はその肝心の仏法の時が確認されていないのである。そのために迹門を抜け切ることが出来ないのであるが、現実には仏教を捨てないことに執念を燃やしているのである。受持即持戒も受持即観心も根本はここにある。その受持とは久遠実成と二乗作仏である。そこに始めて衆生の現世成道が現われる。これが寿量文底といわれているように思われる。
 久遠実成は本果にあり、これに対して本因を取ったとき、そこに久遠元初が現われる。久遠元初には本因本果が倶に備わっている。これが因果倶時といわれる法門である。これを本来として具えているのが具足道であり、一人の衆生に具わっているとするのが己心の一念三千法門ではないかと思う。
 今引用の文は具足道を明すための発端の文であり、最初の天台の己心の一念三千法門が、一人々々の衆生にも具備されていることを明されてゆくのである。ここの処には次々に我等が己心の文字が使われている。我等とは愚悪の凡夫の謂である。二ケの大事の受持によって、天台の己心の一念三千が愚悪の凡夫の上に展開する処である。その雰囲気が本時の娑婆世界であり、ここに仏法世界が開けてゆくのである。具足道を明すための最初の文であり、ここからまず本尊が明されるが、更に細分されて三秘が明されるのは取要抄に譲られているように思われる。その間に撰時抄や報恩抄を説くことによって時と処とが明されているように見える。撰時抄は仏法の時、報恩抄は仏法の処を明されているようである。
 六巻抄では第二文底秘沈抄で三秘を明され、第三依義判文抄では撰時抄によって戒定恵を現わしながら時を決めているのではないかと思う。これは三重秘伝抄の末文撰時抄云云の文を受けているのであり、宗教の時を傍証とし乍ら宗旨即ち仏法が展開しているように見える。この第三は戒にあたるものではないかと思う。そして第四末法相応抄が定であれば、第五当流行事抄は恵に相当するものであり、第六に至って更に戒定恵として、本来愚悪の凡夫に備わっているものとして説かれ、丑寅勤行につながってゆくのではないかと思う。
 これで戒定恵は都合三回説かれ乍ら、自然に三秘が明されるが、実はこれは具足道のように思われる。それが丑寅勤行として理屈抜きで伝えられて来ているのである。これが事行の法門である。それが実は愚悪の凡夫の現世成道の姿ではないかと思う。そこでよく見れば本尊抄の全文は行事として事に行じられて来ているのである。それが丑寅勤行そのものなのであるが、今の宗門では具足道をどのように解しているのであろうか。
 本果をとっては具足道は解することは出来ないのではないかと思われる。己心の一念三千法門とは具足道を明し、愚悪の凡夫の現世成道を明す処に主眼が置かれているようである。それを重ね重ね、返す返す教えてゆくのが法華経の行者ということではなかろうか。自分一人が朝から夕まで題目を上げている行者とは自ら別問題である。今はその己心の一念三千法門も邪義として消滅させられたようである。
 文底法門の世界にも、世間と同じく有為転変は等しく具わっているということであれば、最早仏法世界であるとはいえないであろう。今の宗門はそのような方角に向けて進みつつあるのであろうか。開目抄や本尊抄も方向をかえて読んでみる必要があるのではなかろうか。己心の法門を解体するような方法は避けなければならないことは、いうまでもないことである。己心も心も同じだ、心にしろというのは己心の法門の解体に最も近い処にあるように見える。西洋の学問には特にそのようなものを具えているようである。
 己心の法門に具わったものを世間の道徳の中に持ち出して考えることも孔孟の教に近付くことであり、これも理の故に己心の法門の解体に役立つことになるかもしれない。そのために仏法の「時」の必要が強調されるのであろう。今は仏法と世間のはざまにあって、即しきれない処に新しい迷乱が芽生えつつあるということではなかろうか。新本迹迷乱というべきか。己心の法門が邪義と思えるのもその表われなのかもしれない。アチラものに弱い一面である。
 本尊の中央の題目は受持の姿を表わしたものである。これが具足道であり、己心の一念三千の貌であり、実は生れながらに備わっているものであるが、今は本尊として文字に表わされたものを受持しているようであるが、本来は文字に表わされる前の本因に限られていたが、今は本果としての本尊を受持しているのである。
 己心の法門を邪義ときめて心の一念三千を立てた時、最早鎌倉に生れた日蓮は本仏としての資格は失なわれていると見なければならない。そうなれば最初に論理学を説き始めた人を祖師とし本仏と仰がなければならない。本仏や宗祖が変るのは当然のことである。今度は己心の法門に反対の立場にある人が宗祖となり、本仏とならなければ宗門も落ち付かないであろう。若しそれが決まらなければ、最初に邪義と決めた水島宗祖、水島本仏に落ち付くべきであろうか。日蓮大聖人と称しても、己心の法門を認めなければ日蓮本仏では落ち付かないであろう。一日も早く本仏を決めなければならない。
 次々に法門の考えは変っているが、受持即観心の場合、観心を四明のものをとるのが今は正常になっているが、若しそうなれば観心は日蓮から自動的に移り新教義が出来上ることになる。今の教義も四明を正統と仰いだ処に根底を置かれるようになってくると、本来の観心によるものとは真反対に出るようになってくる。左にあるべきものは右となるのである。二乗の成道は認めても衆生の成道は認めないという結果が出る。これは大変である。今の教義はそのように立てられているのである。
 己心の法門を邪義と決めて四明を正統と仰いで受持した中で観心の基礎も考えられているのである。これでは日蓮が法門ということも出来ないであろう。四明を天台の正統と仰ぐことは、日蓮を傍流とした証拠である。天台迹門の一念三千を正統と仰ぐこととそれ程大差はないであろう。そこに狙いがあるのかも知れない。これも日蓮が仏法を迹門化するための涙ぐましい努力の表われということであろう。それが論理学的発想による水島教学である。結局八ケ年に止まったようである。その間に出来たものは「正しい宗教と信仰」一冊のみであった。いくら優秀な頭脳をもってしても迹門の一念三千から本仏や本因の本尊を求めることは出来ないし、衆生の現世成道を得ることは出来なかった。そこに破綻の原因があったのである。己心の法門はそれ程簡単に消せるようなものではなかったようである。
 須臾(中略)是也までは衆生の成道を指しているのではないかと思う。即ち受持即観心である。これを見ても受持がいかに重要な役割を果しているかが分るが、今はその大半は忘れられているのではないかと思う。これは既に山法山規として事に行じられているのであろう。重要なもの程分りにくくなっているのは事行に入っているためであろう。法門は最終的には行ずることに意味があるからである。理として理解する必要はないということかもしれない。これは法門そのものがそのようになっているためである。これが山法山規や事行の法門の基本的な考え方ではなかろうか。それが或る時突然、学はいらない、信心だけでいいんだというように変っていくのではないかと思う。同じことをいい乍ら内容的には全く真反対に出ているのである。そこに己心の法門のむづかしさがある。これまた時の誤りということである。
 近代西洋学が渡来以後、反って迹門になじみやすくなったのではなかろうか。そのような中で現世利益である現世の民衆成道が死後の成道に変り己心の法門の大きな特徴が消されてしまって死後の成道となり、他宗と全く同じことになった。己心の或る部分が解体されたためである。それは現世利益のようである。展びた面もあるかわりに己心の法門は可成り被害を受けているのである。今度は自分の目前でそれが展開したので辛うじてこれに気付くことが出来た。
 近代教育にはいつでも己心が消せるような準備が出来ているのである。そのような中で大勢のものが集団して己心の法門を守ることは不可能である。これが守れるのは一人に限るということである。今目前で己心の法門は次々に消されていったのであるが、消した方には一向に罪の意識はわかないのが特質である。何がどのようにして消されたのか、それが分っただけでも拾いものである。これは近い将来必らず恢復するものと信じている。明治では己心の法門も本因の本尊もまだまだ名義の上には完全に残っていたのであるが、今度はそれさえ消されてしまったのである。
 法主が先頭に立って悪口をやったのも、実には西洋学の故なのである。これが後段の阿部教学であり、前段は正宗要義に表われた教学である。法主以前には己心の法門も見えるが、登座以後は間もなく消されてゆくことになる。己心の法門があるのは登座已前ということである。法主からでさえ己心の法門を奪い去るすさまじさである。再びこのような被害を受けないようにしてもらいたいと思う。僅か数年の間の出来事である。
 己心の法門に関する限り凄い近代化が進んでいるようであるが、このようなことは実はあってはならないことなのである。己心の法門が一瞬にして狂学と思われるようなすさまじさを持っているのである。これでも尚且つ近代的な西洋学に限るというなら、それは他処もんの入り込む余地のない処である。それらの学に心を移した時既に己心の法門は消されているのである。
 西洋の学問の盛行の中で学匠は名聞名利を追うている様は、沙石集の記述の如くである。今は或る意味では当時の頓世流のものを持ち合せているのではなかろうか。今は僧から世間へ、世に遁れるようなものをもっているようにさえ思われる。頓世者も真反対である。山田教学は今も偉力を発揮しているのか、一向にその消息をしることは出来ない。山田教学の生い立ちも急転直下理解することが出来たのは不思議な因縁というべきか。同じくならも少し深くかくしておいた方がよかったようである。
 己心の法門は流転の世から衆生が自力をもって立ち上がれる方法である。それを何故邪義と決めるのであろうか。時局法義研鑽委員会もそれを決めるために数年の研鑽を重ねたのであろうが、余りといえば脆かったようである。余り新来の洋学には力を入れない方がよかったようである。これを教訓として今後の研鑽に励んでもらいたい。始めから当方には関係のないものであるから、被害の方は水島が一身に受けたようである。何ともお気の毒な次第であった。己心の法門を邪義と決めれば宗祖日蓮を相手にしなければならないことが、何故分らなかったのであろうか。宗祖相手に一戦交えようというのは悲壮感そのものである。
 衆生の自力成道の方法を探り出してこそ胸を張って末弟といえると思う。現状では師弟共に霊山浄土に往詣して三仏の顏貌を拝すること等思いもよらぬことである。この語も死後の成道と解しているのであろうが、己心の法門の上に説かれているものであるから、当然現世成道の上に受けとめるべきものである。その成道は己心の法門を受持していることのみが条件である。若し己心の法門が失われていると成道料金が必要になるようである。それは最早日蓮が法門とはいえないであろう。
 ここ二年半、宗門は己心の法門を消すためにあらゆる方法をとって来たが、根こそぎ消し去ることは出来なかったようである。その悲壮な記録は全文大日蓮に記載ずみである。後世の研究資料として珍重されることであろう。己心の法門がどのように喰われてゆくか、生々しい記録である故である。大日蓮の長期の記載はどうみても宗門の公式見解と思わせるに充分なものである。即ち論理学による説をとってその代償に己心の法門を邪義と決めたことが大日蓮に記録されていることは奇妙至極といわなければならない。
 論理学を根本として心に宗旨を建立した時、己心の法門が傍系に廻り、更に邪義となったもので、鎌倉以後始めて心の一念三千法門に本仏を求め本尊を建立したために、自然と本因から本果となったもので、移動は無理なしに行われたものであろう。これで宗義全体が論理学的発想に包まれることになった。僅か一両年の間の大革命であった。そして御書に何一つ裏付けのない心の一念三千という法門が建立された。そして宗門が沈黙を守るようになるまで数年間であった。今も黙々として心の一念三千法門を守り続けているのであろう。これでは再び衆生の現世成道の日が蘇るようなことがあるようには思われない。永遠に沈黙は守り続けられるであろう。
 己心の法門を邪義と決めたことは宗門の誤りであったことを公表陳謝する以外救いはないであろう。衆生救済の前にまず宗門が救われなければならない。余りにも考えが甘すぎたようである。目下の沈黙は放心状態と評すべきであろう。心の一念三千については不思議に一箇したようである。狂学と称し魔説と決めようとしたけれども信者衆は話に乗ってくれなかったようである。珍説邪説の側は依然として己心の法門を守っているのである。右往左往しているのは心の法門をとった宗門のみという処である。しかし置き土産だけは大きかったようである。一日も早くこの処置をしなければならないであろう。既に足元に火が付いている。飛んだ火の粉だけは消さなければならないであろう。
 師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顏貌を拝せんとは本尊抄の副状の文であるが、古来事行の法門として丑寅勤行として事に行ぜられて来ているもののようである。山法山規として実行ずみである。師、弟子を糾すとやってみても行じているのは師弟子の法門である。思い出したように師弟子の法門を否定しようとしても既に実行ずみなのである。そう簡単には否定出来なかったようである。師、弟子を糾すというような考えも、近代的な西洋学の影響による処が大きいようである。師弟各別の中で権力主義が強調されているのであろうか、或は弱い者いじめを内在しているのであろうか、どう見ても平等無差別とはいえないようである。平等無差別も己心の法門の目指す処も、一つの理想世界なのかもしれない。
 今は心の法門と決まっているので、そこから先は不信の輩には関係のない処である。不信の輩とは己心の法門を邪義ときめた者どものみのいえる境界である。今、上代には全く関係のない新義が建立されたのであるが、三年目には早くも行き詰りが来たようである。この難関を突破するためにはまず今の沈黙を破らなければならないが、本尊抄の壁はあまりにも厚すぎるようである。今後はこの新義をもって開目抄や本尊抄其の他の御書全部を逆次に読まなければならない。そのような処からどこまで裏付けを取り付けることが出来るであろうか。その期になって「余は一宗の元祖でない」と打ち捨てられた時、どうするつもりであろうか。これは天下の一大事である。相手が宗祖であっては訓諭というわけにもゆかないであろうし、院達をもって不信の輩ときめつけるわけにもゆかないであろう。そこは反ってアベコベに決めつけられるようなことになるかもしれない。これはなかなかの難関である。前もって鋒を収めるのが賢明な方法かもしれない。
 次に寿量品の然我実成仏の文は、応仏では久遠実成であるが、これを己心に受けとめた時、そこに本因の境界が開け仏法世界を成ずることが出来る。久遠元初はそこに開けるのである。五百塵点乃至所顕の乃至がそれを表わしているものと思う。その乃至の処で時が代って仏教から仏法へ移っているのである。しかし、今のように応仏を教主と仰ぐためには乃至の必要はない。そこは実成の延長線上にあるために永遠に元初の世はこないであろう。久遠元初を迎えなければ本仏日蓮もでなければ本因の本尊の現ずるようなこともない。そして衆生も亦永遠に成道する期はないであろう。折角の二ケの大事も全く利用価値のないものとなる。
 仏法世界が来なければ仏法の時を云々する必要はない。永遠に迹仏世界であるからである。今の法門はそのようなところに立てられているのであるが、最近のように論理学方式が導入されては全く五里霧中ということである。そのために方向を見失って一語を発することも出来なくなったのではないかと思う。
 ここ七八年来の混乱は全く論理学方式の導入による処である。これでは永遠に自受用報身を迎えることも出来なければ、本仏日蓮を求めることも出来ないであろう。必要な法門は全てストップしたようである。それは全て新方式による新法門のなせる業である。気が付くのは一日でも早い方がようように思う。一日一日深部に喰い込んでゆくであろう。
 今、乃至所顕は一向に働いていないようである。そして応仏世界に突如として本仏が出、仏法世界が出現するのであるが、一向に空中に浮いているような感じである。大地に根差していないために上行が出にくいのではないかと思われる。己心の法門を邪義と決めている間は自受用報身や上行菩薩の出現するようなことはあり得ないであろう。
 「経云、我本行菩薩道、所成寿命今猶未尽、復倍上数等云云。我等己心菩薩等也。地涌千界菩薩己心釈尊眷属也」即ち上行等の四菩薩が出るためには己心の法門が必須条件であるが、今のように明らさまに己心の法門を罵っては四菩薩も出番がないであろう。上行の必要がないから己心の法門を邪義と決めたのであろう。この菩薩も我等が己心にあるものである。釈尊も亦我等が己心にあるものである。若しこれらが邪義であれば何をもって上行等を求めることが出来るのであろう。
 今の教学からは本仏も本因の本尊も求めることは出来ないであろう。恐らく論理学と仏法をつなげることは出来ないであろう。そこには仏法や仏教につながるようなものは何一つ持ち合わせていないであろう。そのためにどこからか持ちこまなければならない。そしてかつてのものが持ちこまれるのである。このような本仏等には自受用報身の必要もない。自受用報身も声高らかに唱題修行をするようなことが平気で唱えられるのである。現在はそこまで乱れているのである。これも論理学に心が動いた後のことである。最近は特に乱調子である。
 三世常住の肉身本仏論も論理学の力用による処かもしれない。自受用身の唱題修行と三世常住の肉身本仏論を境に、今は取りあえず落付いたようではあるが、次に何が出るか全く予想もつかないというのが実状である。奇想天外のものがいつ飛び出すか分らない不安のみは続いているようである。その発想源は案外論理学の導入にあるのではないかと思う。今は唯小康状態というだけの事である。己心の法門を認めなければ上行はあり得ない。
 大地の底とは己心のことである。己心に始めて出現する菩薩であるから弥勒菩薩から見れば未見今見である。仏法に至って始めて出現する意味であろう。その菩薩出現のために功徳が根に止る必要がある。そこでは二ケの大事の受持も終っている。そしてそこは既に仏法も成じて四菩薩出現の時の用意も出来ているのである。今の宗義では未見も今見も共にその時をもっていないようである。論理学には始めから時はもっていない。受持も行われないでは仏法は表われない。結局元のままの迹門にいるのであり、そのために迹仏を教主と仰ぎ、極く内密に報仏をどこからか請来してくるのであろうが、そのあたりは実に不明朗である。未見今見のうちでは未見の領域である。しかしこれらの事については御尊師方は一向無関心のようである。そのために混乱が生じているのである。繰り返しいうが、己心を認めなければ上行出現の期は永遠に来ないであろう。そして上行日蓮ということも出来ない。初発心の菩薩とは己心の世界の開けたことを意味している。即ち仏法世界の開けたことを表わしているように思われる。
 先に引用の文から見ても、迹仏世界に上行が出現したとはいえないが、今は己心の世界即ち仏法世界を認めないために、昔仏法世界に出たものが総て迹仏世界に集中しているのである。全く無時という外はない。受持がないのが時の混乱の根元になっているようである。受持によって始めて己心の上に仏法世界が成り立つのであり、そこに初めて上行が出現することが出来るが、今は文上と文底と四菩薩は二組存在する形をとっている。そして或る時は文上、或る時は文底と、一人の上行が両様に使い分けられているのである。これは一口にまとめなければならない。本迹両刀使いは法門を不明朗にするのみである。
 己心も心も同じという考えは時の混乱の最たるものである。このような考えの中では本尊抄を信用することは出来ない。その時切り文が必要なのである。そこで阿部さんは予防線を張っていたのであろう。己心を認めなければ本尊抄からの引用は悉く切り文となるからである。この引用文は我等が己心の菩薩等也、地涌千界の菩薩等は己心の釈尊の眷属也と決められている。阿部さんといえども、この取り定めを打ち捨てるわけにはいかないであろう。
 経にあるものを迹門で考えることは不都合であっても己心の上に考えるなら差支えないであろう。時を考えるなら再誕も別に批難するには当らないようである。むしろ迹門に考えることこそおかしいのではないか。時の混乱による批難のように思われる。但し道師は上行の後身日蓮とされている。この引用の文はどう見ても己心の上に考えられているものである。寿量品の文の底に限られている。それを己心を外して何故経の上に、迹門にのみ考えるのであろう。どうも僭越のように思われる。この点はどのように考えているのであろうか。
 今の宗門では己心の法門を認めないので、上行の出現も経の文をそのままとるのであろう。そしてこれとは別に認めていない筈の己心の上にもまた上行の出現を認めているようで、実際に法門の上で活躍しているのはこの上行である。そして認めている方の上行は、法門的には全く活躍の場はないようである。何とも奇妙な上行である。経の上に出る上行であるから出現であるが、己心に出る上行は時が替っているので再誕の方がよいようにも思われる。上行二本立てとは一寸異様である。何とか一人にすることは出来ないのであろうか。
 他宗に押されて同調することもあるまい。独自の上行が何故立てられないのであろうか。本尊抄の解釈は己心に限られている。何故勝手に迹門に改めるのであろうか。再誕とは己心の法門に再誕するのではなかろうか。同じ上行が一には文底、二には文上、三には文上・文底と三様に受けとめられているようである。大石寺でも上代には本尊抄と同じく己心の上にのみ限られていたようである。これも四明流によったために迹門となり、それに押されて自然に文上・文底両用をとるようになったのであろう。それだけ他の教学の影響を受けているのである。
 文上に依る処では文底はいかにも不都合に聞えるのかもしれない。しかし本尊抄では間違いのないように重ね重ねダメを押されている。これを振り切って迹門をとることはいかにも無理なようである。しかし、上行等が迹門に真実出ているのであれば弥勒菩薩は知っている筈である。未見今見とは迹門には出ていないことを表わしている。まず己心の法門の処に始めて現われるように思われる。
 上行等の出現は滅後末法に限るようである。亦「本尊の為体」の中の「釈尊の脇士上行等の四菩薩」は己心の釈尊の眷属と同意義であるし、またその前の「釈迦牟尼仏・多宝仏」と亦我が己心の仏界として説かれているのである。これらの己心が総て外されて解釈されているのが現実である。そして文上に解されているのである。それでは本尊抄に忠実とはいえないであろう。この釈迦牟尼仏等の文は己心の上に説かれているもので、これを己心に受けとめる時、受持があるが、今は肝心の受持がない。そのために依然として仏教に居るまま、仏法に変る時がない。
 「時に依るべし」といわれている時は迹門のままである。仏法は始めから黙殺されて居りながら、しかも仏法を名乗っている。そこに時の混乱がある。これでは本仏も出られないし、本因の本尊の顕現されることもない。本因とは己心に受持した処であり、今は受持がないから自然と本果と現われる。これは己心に受持していない証拠であるが、しかも語は仏法の時の語がそのまま残されている。そのためにこれらの裏付けが出来ないのである。
 無雑作に他のものを移入すると益々混乱を深めることになる。それが今度のように天台の観心に頼らざるを得なくなった直接原因である。己心を斥う四明流の観心を正統と仰いでは仏法が保たれる筈もない。これは本尊抄の発端のみを取ってあとを切り捨てるやり方である。それらの文は当時課題として扱われた文であり、杉生流の枕草紙も同様であり、その部分は別に楷書をもって記されているのである。課題の文を結論として扱うために混乱が生じたのであろう。この文はいくつか用例は今も残されているようである。今の扱い方では本論も結論も見当らない。
 肝心の日蓮極意の部分は邪義として切り捨てられて課題部分のみが誤って結論の扱いを受けている。そのために天台の観心が大きく扱われ理と表われ本果となるのである。初歩的なミスにしても少し度を外しているようである。肝心の観心に属する己心の部分は初めから切り捨てられたのが水島の優秀卒業論文である。審査したものも大体同じ程度の処にいるのであろう。常々理の法門と称しているものを、この卒論に限って事と認めたのである。そこに予想もつかない混乱を招いたのである。今も誤っているとは考えてはいないのであろう。理事の区別が出来ていないのである。
 五十七年度からこの方針にかえ、一挙に己心の法門の粉砕を考えたのであろうが計画は見事に外れたようである。根本の処が誤っていたのである。五十七年度から今年まで足掛け四ケ年まるまる三ケ年である。去年の九月が最後であったようであるが、その後はどのような教学によっているのであろうか、一度責任のある処を発表してはどうであろう。これも己心の法門を邪義と定めるための作業の一つということであろうが、これ程にしても己心を邪義とする裏付けはとれなかったようで、計画した端から崩れているようである。
 大日蓮掲載の山田の分も水島の分も、何れも結論には至らなかったようで、成功したものは一として見当らないのが実状である。己心の法門を邪義と定めることが如何にむづかしいかということを証明したに止まったようである。その故の沈黙である。しかし沈黙したから一切が水に流れたというわけでもない。その記録は永遠に残ってゆくであろう。今どのような計画が進められているのであろうか。日暮れて途遠しということのようである。
 「釈迦多宝」等の文は、発端から長い間かかっていよいよ迹門から己心の法門に移る処であり、いよいよ滅後末法の世を迎える処である。この境目に受持が必要なのである。そして欲聞具足道の具足道を明かされる処である。その具足道とは己心の一念三千であるが、己心の法門を邪義とするなら、この文以下は総て邪義となる。本尊抄の半量以上は邪義を説かれていることになる。そしてこれに続いて本時の娑婆世界が、続いて本尊の為体が明かされるが、何れも己心の法門である。つまり本尊もまた邪義ということになる。即ち本因の戒旦の本尊は邪義ということで、今は本果と取り決められたようである。己心を説かれた本尊抄は邪義、水島一人正義を立つということであろうか。
 大石記で道師は施開廃共に迹は捨てらるべしというのが正義であったが、今は捨つべからずというのが正義ということになった。遂に一廻りしたようである。これは全く時の混乱の故である。これは新版本迹迷乱ということであろうか。中味は一転回しているようである。前は施開廃共に迹を捨てることが正義であり、今は迹によることが正義になっているのである。これでは正義を辞書に依って調べても真実に理解することは出来ないであろう。それ程複雑なのである。
 今の水島教学では、欲聞具足道が難解ではないかと思う。何をもって具足道と定めているのであろうか。教学部ではどのように決めているのであろうか。恐らく己心の一念三千法門を指しているのであろう。今はその己心の一念三千法門は既に邪義として決定ずみなのである。つまり天台迹門の一念三千法門の上に正義を建立しているのである。これが日蓮正宗伝統法義である。しかもこの伝統法義は己心の法門を邪義と決めた上に建立されているのが大きな特徴である。十年以前には、はっきりと己心の法門を邪義とは決めていなかった。そこに大きな相違がある。
 己心の法門を邪義と決めれば最早日蓮が法門ではない。全くの新義建立である。それが今の伝統法義と称するものである。これが案外中味のないのが玉に瑾である。古来欲聞具足道の辺りはあまり手を触れていないように思われる。滅後すぐ四明流に変ったために文底に触れにくかったためであろう。今水島教学は四明流を正統と仰ぐために、この文には触れられない筈である。それが一挙に己心の法門は邪義と出たので、七百年来の他門のもやもやを一挙に爆発させたような感じである。大石寺では跡の仕末に困るが、他門は一斉に拍手を送ってくれたことであろう。それ程教義が一致派化しているのである。しかし、あまりそり反るようなことではないと思う。
 大石寺としては、改めて欲聞具足道の周辺を中心に見直さなければならない時である。このあたりは殆ど山法山規として、事行の法門として特に緊密な関係にあるようである。ここをよく読めば己心の法門を邪義といった事が、いかに誤っていたかということもよく分ることと思う。開目抄も本尊抄も欲聞具足道の処で大きく転換している処はどちらも文上迹門から文底本門へ切り換えられる処であり、従来ここを除外していたために文底への切替えが出来ず、常に迹門にあったのであろう。そのために己心の法門も文底も、そして又仏法も取りあげられることもなかった。そして宗教家として仏教家としてのみの扱いをして来たようである。
 大石寺も明治以来その攻勢に抗し切れず次第に迹門化して来たのである。そして遂に己心の法門を邪義という処まできたのである。今は専ら己心の法門を消すことにのみ意慾を燃やしているようである。宗を挙げても己心の法門を抹殺することは出来ないであろう。それでも止められないようである。とも角ここには一念三千と己心の法門が集結しているようであるが、一向に注目されていない。若しここが読まれて居ればいまのように邪義というようなことはなかったであろう。
 衆生の現世成道の秘密も本仏も本因の本尊も総てここに秘められているのである。日蓮が法門はすべてそこに秘められているのである。それ程重要な処が何故読まれていなかったのであろうか。やはり何かの意図が秘せられていたためであろう。今それを取り上げられて返事が出なかった、そのために邪義と出るより外に術がなかったのであろう。平常から今少し立ち入って研究しておくべきであった。
 己心の法門を邪義ということは、これより外に答える術がないということである。これ程恥かしい答は又とないであろう。あれ程続けざまに数多く出ている本尊抄の己心の文字を宗門人は誰一人読んでいなかったのである。そして己心の一念三千法門によって仏法も成り立ち本仏も現われ、本因の本尊も顕現されていることを知らなかったとは驚きである。いわれてもまだ読んでいないのではなかろうか。
 本尊抄だけでも読んでおけば、己心と心が同じなどとはいう必要もなかったであろう。許されざる手抜かりである。ここで仏法に切替えられなければ本因の本尊の現われるようなことはないであろう。日蓮が仏法はここに始めて成り立つもので、歴史的な意味をもっている。ここを境に仏教と仏法の時が分れるもので、前来にも成功した例もなく今に至る迄誰一人成功していないのである。これによって始めて民衆が自力をもって成道出来る民衆仏教即ち仏法が出来上がったのである。その方法が今は門弟によって邪義の烙印を押されたのである。しかもその復帰を主張するものに、狂った狂った狂いに狂った、狂学、邪説、珍説、魔説、とあらゆる悪言を叫ぶのである。一度でも開目抄や本尊抄を読めば何れが狂っているか自ずと氷解するであろう。今読まなければ再び読む日はないであろう。
 今年度の学林の成果はどうなったであろう。是非拝見したいと思う。一人や二人は己心の文字を読んだ人もあるかもしれない。学林の結果によって己心に鞍替えするつもりであろうか。あまりにも他宗他門に気を配り過ぎている。内部の雑音も亦多すぎるようである。唯授一人の相承は、己心の法門を邪義とするようなことはないと思う。そして己心の法門には久遠の長寿を持っている。何によって遠寿を称するのか、その意義を把握してもらいたい。己心の法門を邪義と決めては、永遠に宗門に遠寿は還らないであろう。何を捨てをいても長寿を取り返さなければならない時である。この者に対して悪口をもって酬いる理由は全くないものと思う。
 悪口をいう暇があれば反省すべきである。一年の沈黙の間、どれだけ反省が出来たであろうか。新しい目標に向かって前進を始めてもらいたい。己心を消すために心も同じだ、心にしろと心の一念三千にまとめたようであるが、それは決して成功とはいえなかった。己心と心は始めから違っているのである。その違い目を確認した時、日蓮が仏法は成り立っているのである。心に帰れば仏法は自滅するのは必然のことである。宗門自ら自滅を望んで己心の法門を邪義と決め、心の一念三千に帰ろうとしたのであろうか。何とも解し難い処である。
 押され押されて他宗門に同調して迹門に転向しても常に矛盾と戦わなければならない。借用したその宗の教義まで乗り越えることは出来ない。遂にはその宗の虜になってしまうのである。天台には己心をもっていないので、日蓮を破責するためには好都合ではあるが、常々御本仏日蓮大聖人の仏法を破責する羽目になったのである。今少し考えて事を始めた方がよかったようである。事が始まってからでは手遅れである。御本仏と仰ぎながらこれを破責することは下尅上の最も甚だしいものである。これで責め勝てるわけでもあるまいと思う。少し甘過ぎたようである。 天台一宗にしてもその宗義を越えることは不可能である。今の宗門の学匠の技倆をもって諸宗に亘って乗り越えるなどとは以ての外である。結局は諸宗の頭を越えることは出来ないであろう。調子計り上げても所詮は無理な話である。まずそこに限界を見なければならない。
 自身、余は一宗の元祖でもなければ何れの宗の末葉でもないといわれ、開目抄や本尊抄には一向に一宗の建立を目標にされているようなものは見当らない。今一宗と読まれているものは仏法建立である。只これを読み誤っているだけのことであり、そのために仏法建立については全く省られなかったので、大石寺だけが辛うじて仏法を伝えて来たに過ぎなかったが、そこは多勢に無勢、遂に落城の浮き目にあったのである。そして自ら己心の法門は邪義という処まで落ちこんだのである。今一番己心の法門の必要な時を迎えてこのていたらくである。これではどうにも手の施しようもないという処である。日蓮研究も既に終ったようである。只残されたのは仏法家として思想家としての日蓮像については全く手付かずのまま残されているのであるから、今後は門下力を合わせてこの方面の研究に専念し、七百年の空白をうずめてもらいたい。それならば手付かずの資料が山積しているのである。
 現在の宗教家としての日蓮研究は大体行き詰っているのではないかと思う。現在までの成果をもって二十一世紀を迎えることは容易なことではない。若し今まで除かれていた日蓮像が浮び上るなら、案外新しい道が開けるかもしれない。世間も生のままの己心の法門を求めようとしているように思われる。一宗建立しているのではないから、お気に召した処にはどんどん使ってもらえばよい。そして各々自分等の意見の中で発展させればよいと思う。それこそ法の広宣流布ではなかろうか。即ち法流布である。一宗建立すればそうもゆかないであろう。しかし己心の法門はどこまでも自由に延びることが出来るであろう。広宣流布は必らず教流布によるべしという御指示は出ていないようである。思想であれば格別国境はいらない。日本にも現に外国から色々な思想が入って自由に使っているのである。己心の法門がお気に召した向きにはどんどん使ってもらうべきである。そのような大らかな広宣流布でありたいものである。そこは思想の分野である。宗教ではそうもゆかないのは当然である。
 宗教に限る広宣流布という考えは開目抄や本尊抄には見当たらないであろう。そこは一閻浮提総与に限るであろう。これなら興味のないものは横へ向けばよい。格別批難するにも当らないであろう。それは取り上げるのは相手方が主役であるからである。しかも法門の教えるように自由に自行によることが出来るためである。法流布をとれば大らかであるが、一旦宗教ともなれば急にがりがりしてくるのである。難点は今のように金が入らないことである。
 広宣流布はまず法流布を目指すべきであると思う。一宗の元祖でないという日蓮に教流布が目標であったとしても、どうもしっくりしないものがある。金の話はしばらく忘れて法流布に専念する時ではなかろうか。そして自由に各利用方法を考えて二十一世紀を乗り越えてもらえば、それでよいのではなかろうか。そうもいかないという向きは一宗建立して教流布に専念すればよい。そこは吾々の立ち入る筋合いではない。
 七百年間宗教に閉ぢこめられた日蓮義は可成りかたくななものになっているようである。本尊を説かれた観心本尊抄は一閻浮提総与の処に結論を持ちこまれているようである。生れながらにして本尊は持って生まれているというのが結論のようである。信者になった者には本尊を授与し、不信の輩には授与しないという意味とは思われない。そこが仏法と仏教の違い目である。ここの処は信不信には関係なく授与されているのである。しかし莫大な授与料が入らないのは玉に瑾である。日蓮に従えばそのようになるのである。
 一閻浮提総与は一切無料授与であることに注意してもらいたい。長い間カントの説には御厄介になったけれども使用料を届けた話もない。無断使用のようである。己心の法門も無断無料使用でよいように思う。これこそ世間様への報恩であり、一切衆生への報恩である。日本人のみが一切衆生ではない。本因の本尊とは一切衆生への報恩という意も強いのではなかろうか。
 一閻浮提総与であると同時に唯授一人でもある。これが本果の本尊ともなれば大分状況も変ってくるかもしれない。個別指導的なものは薄れ、反って総与風に変ってゆくように思われる。とも角報恩という考えは全く影を潜めるであろう。しかし、本尊抄に説かれる本尊はあくまで本因であり、決して本果の本尊ではない。それが最近は本果の本尊と決まったようである。これは宗体そのものの変化であるだけに重大な問題を孕んでいるようである。それだけに簡単にはすまされないものがある。
 本因で小突かれたから本果にしようというようなものでもないと思う。少くとも宗義の中枢部にあるものであるだけに、他に迎合する必要はないものである。宗義を定めるために周辺を見廻し、気を配る必要は更にないものと思う。そのような中で遂に己心は邪義と決められたのである。これは総て他の都合が悪いためであって、自宗には何一つプラスになるものもないことである。己心を邪義と決めては恐らくは宗義を立てることは出来ないであろう。殆ど壊滅に近い状態ではなかろうか。それにしてもよく思い切っていえたものである。実に恐るべき度胸である。
 己心の法門に追いつめられて、天台理の一念三千をもって本仏を捨て本因の本尊を捨て、衆生の現世成道をもかなぐり捨てて逃げ切ろうとたくらんだのが、そもそも誤算の始まりであった。そのために己心の法門を捨てることが出来たのである。今、その捨てる以前の法門と捨てた以後の法門との間に相剋が起こっているのである。開目抄や本尊抄を一度でも読んでおけばこのようなことは避けられたのではないかと思う。
 己心と心と違っていることに何故気付かなかったのであろうか。三重秘伝抄でも理の一念三千と事の一念三千の区別は丁寧に示されてをり、平常は口にしている処であるが、非常の時に役立たなかったのでは知っていることにはならないであろう。そのために肝心の古伝の法門は一切投げ捨てられる羽目になったのである。今一歩の理解が身についていなかったようである。事を事に行ずることがなかったのである。今後は事行というようなことは自然と消滅することであろう。しかし、理を事に行じても、事を事に行じたとはいえないであろう。これは山法山規とは凡そかけ離れたものである。
 今の宗門は心の一念三千を根本義としているのであろうが、これでは本尊抄の本尊を戴くことは出来ない。心の一念三千が天台理の一念三千であれば欲聞具足道以前に属するもの、未だ日蓮独自の本尊が顕わされていない。即ち迹門に属するもの、これを持って日蓮の本尊ということは出来ないが、従来信仰の対照としての本尊は多分に宗教味を持ってをり、迹門的な解釈が黙認されてきているのであるが、これは己心と心とを別個におき乍ら黙認してきたものであり、己心と心を同じとするのとは雲泥の相違がある。これには己心を知りながら心をもって代行しようするのと、己心を心に近付けて解釈しようとするのと、同日に論ずるわけにはゆかないであろう。
 己心を心に近付けようとするのは、余り敬服するような考え方ではない。宗門の最高首脳部が口を揃えて讃美しても、これに付き従うものはいないであろう。この辺り、大分誤算があったようである。裏付けのないものは邪義に等しいものである。同じであるなら開目抄や本尊抄をもって裏付けなければならない。しかし両抄には己心と心が同じとはどのように見ても出てこないであろう。或は本尊抄の発端の文と本尊の為体の文をつないで中間を省略すれば同じということが出来るかもしれないが、勝手に中間を省略することも容易に出来ることでもない。さて、どのようにして証明するつもりであろうか。八ケ年計り未だに同じという理由は発表されたようには思われない。或はこっそり撤回したのか、これも一向定かではない。
 吾々は年期の入った宗門人とは違って、日蓮が法門をそれ程頑ななものには考えていない。何れの国の人がどのように使うのも自由であると考えている。そのために従来の解釈については極力ふれない方針である。只願う処は開目抄や本尊抄の方針に忠実に、且つ大らかであいたいと願っている。強引に自宗に入信を強要し折伏するのも広宣流布であるし、大らかな法流布に持ちこむのも同じく広宣流布である。只違う処は仏教によるか仏法に依るかの異りのみである。日本にもアメリカにも既に共鳴の動きはあるものと確信している。日蓮の広宣流布の狙いも案外このような処にあったのではないかと自負しているものである。しかしここの方法は全く銭にならない処であるだけに滅後七百年今もそのまま残されているのである。次の二十一世紀こそ、そのような法流布の必要な時ではなかろうか。
 法前仏後というのも仏法流布が前、仏教流布が後という方が理解し易いのではないかと思う。魂魄の上に成じた法門は始めから銭には無縁のように思われる。実は大石寺は始めから三百年の間は、そのような仏法を伝えて来たものである。最初から仏教として来た他門下には、そこの処が中々理解しにくいようである。自説を守るために反って大石寺法門を批難しているように見える。今振り出しに帰って日蓮が法門を仏法とするか仏教と見るか、そこに問題点が寄っているようである。七百年の年月を経て、今仏法に帰ることも容易なことではない。しかし日蓮が仏教を目指していたのかどうか、改めて考え直さなければならない時が来ているのである。
 今の世上は昔ながらの仏教家で押し通すことも、これまた容易なことではないように思う。肉体を遮断して魂魄の上に成じた法門に肉身が復活するような事でもあると、急に金々々となるようである。己心の法門が一度崩れると急に金々々となる、こうなれば元の魂魄に返ることは殆ど不可能なようである。しかし魂魄を守り続けることは容易な事ではない。今の大石寺法門は既に肉身と入れ替っている。そのために己心の法門を親の敵のようにきらっているのである。今のように金が渦まけば己心の法門も亦居りにくいであろう。
 時局法義研鑽委員会の研鑽の要点をまとめて発表しているのが水島ノ−トであるとすれば己心の法門を邪義とすることは委員会の発表に等しいものである。金々々、万円札の乱舞する中で、まず犠牲になったのが己心の法門であった。この中には本仏も本尊も衆生の成道も亦仏法も含まれているのである。それを何の惜しげもなく捨て去ったのである。これだけ捨てては、あとに何が残っているのであろうか。この中には自受用報身も含まれている筈である。しかし、高声に唱題する自受用報身がどのような性格を備えているのか、それは一向無案内である。これは知らぬ他国の自受用報身なのかもしれない。この自受用身は己心の法門の嫌いな報身如来のようにも思われる。しかしこの法門を捨てては霊山浄土へ参詣して師弟共に三仏の顏貌を拝見する等とは思いもよらぬ事である。むしろ宗祖に一喝をくらった阿部さんの顏貌を拝見したいものである。日蓮の御気色いよいよ厳しくなりて候ぞ。
 色も変らぬ筈の寿量品も、今は色の変り果てた寿量品になり切っているようである。金に色褪せた寿量品というべきであろうか。色褪せたとは久遠の長寿を失った寿量品のことである。これに対して、色も変らぬ寿量品とは久遠の長寿を表わしているのであろう。しかし論理学による心には己心と違って、久遠の長寿が欠けている。何をもってこれを補うのであろう。ただし己心には初めから長寿は用意されている。これが最も大きな相違点である。
 金の方から飛びついてくる金口嫡々の相承と、金の方から尻尾を巻いて逃げる相承と二通りあるのかもしれない。衆生が総与されている金口嫡々の相承は無料の唯授一人の相承であり、みんな等しく賜与されているのである。これは御下附料を必要としないものである。これが真実の色も変らぬ寿量品の本尊なのかもしれない。そして今一つの本尊については莫大な御下附料を必要とするものである。宗祖の時の御下附料はいくら位の定まりであったであろうか。当時は法流布が主で、教流布は従ではなかったかと思うが、今は教流布のみであり、やがて法流布の時が来るのではなかろうか。
 時は既に移りつつあるような気がする。自然の時の推移の中で名字初心に帰ろうとしているのではなかろうか。これは色も変らぬ寿量品の領域であり、常に新鮮である。これこそ法流布のしるしではないかと思う。即ち己心の領域である。一閻浮提総与もこの領域にあるもののように思われる。これは魂魄の上に刹那に現ずることの出来る己心の法門の領域である。
 己心も心も同じという御託宣ではあるが、己心は魂魄に限り、心は魂魄を必要としない。これを同日に論じることは出来ないであろう。同じなら己の字を冠する必要はない。違うから委しく説かれているのである。それを無視して同じとは些か僭越ではなかろうか。宗祖の定めには必らず従わなければならないものである。己心は長寿を持っているが、同じという心の一念三千は殆どその影は失われたようである。十年にも満たなければ長寿ともいえないであろう。若し心に宗門が建立されるなら、十年もたないということにもなる。己心に建立されているから今まで、もっているのである。
 己心と心とは、寿の有無長短が異なっているのである。これを同じとする珍説は一回限りで終ったようである。己心の法門を狂学とする説も二度とその姿を現わすようなことはなかった。特に最近の珍説には一回限りというのが圧倒的に多かったようである。心の一念三千の上に出ただけに余計に不安定だったのであろう。その中で己心を邪義とする説は実に珍中の珍というべきものである。出たのは一回限りであったけれども今もその余残は燻り続けているように思う。
 邪義、珍説、狂学などというのも総て一回限りという短寿であった。総て心の一念三千の処にのみ表われたもののようである。今は一向にそのような説にお目にかかるようなことはない。既に時は一過したのであろうか。このような時は目で確めることの出来ないものである。最近は心も己心の中に吸収されてしまったのか一向に静かになったようである。或は名字初心に帰ったということであろうか。今少し深い処から掘り起こしてもらいたいと思う。
 初期の頃戒旦を中心に本尊・題目を左右に配した本尊図の発想らしきものが一回大日蓮に載っていたように記憶しているが、これも己心も心も同じという構想の中で己心を消すための発想の一つであったのであろうが、其の後の消息は一向不明であり、不成功に終ったのであろうか、これは特に護法局を中心にしたものであろうか。次々に新しい発想を練っていたであろうことだけは分るが、根本は己心を消すための作業の一つであったのであろう。
 今は万策尽きたのか、名案の発表も途絶えたようである。今から思えば、その頃は可成り活気を呈していたようであるが、一として成功したものはなかったようである。或は己心の法門を邪義とするための前夜の作業であったのか、各々意欲を燃やしていたことであろうと思われる。しかし、今は全く嵐のあとの静けさである。今振り返って見た時、結局は夢物語に終ったようである。夢を食って生きてゆけるのは獏位のものである。夏草やつわものどもがゆめの跡か。己心の法門を消すために色々の努力があったようであったが、結局何れも成功しなかったようである。
 論理学には過去を消すようなものをもっているのではなかろうか。故里が消されてゆくように見える。これでは寂光の都の夢を結ぶようなことも出来にくい、長寿を求めるにも無理がある。己心の法門とは真反対の立場に立っているように見える。現在を中心に過去を解体しながら明日に向かうというようなものを持っているのではなかろうか。己心の法門に対しても、これを分解しながら抹消してゆくようなものをもっているのではなかろうか。結局振り返った時何も残っていない。只論理学のみが残っているということになる。
 過去を尊ぶのは日本人の美点であるが、戦後は忠君愛国とか忠孝などというものは表向き消され、残ったものは学校教育を通して西洋流な学問によって好いものは次々に解体抹殺されてゆき、次第に薄れていった時、大人にも子供にもいじめが起きている。
今大石寺にも西洋流な学問が侵入しようとしている。何とも危険極まる話である。僅か八ケ年間でまず己心の法門も消される寸前である。振り返ってみても宗門人はこれを消すことに異様な意欲を燃やしているようである。一旦宗内に入れば、この学問を消し去ることは中々厄介な問題ではないかと思う。僅か八年間で己心の法門を消す力を持っているのである。この現実を正視しなければならない。その内本仏も消されるかもしれない。本尊も既に本因部分は消されたように見える。論理学と己心の法門とは本来相容れないものをもっているようである。今の勢いでは己心の法門が完全に食いつぶされるのに、それ程時間はいらないかもしれない。本尊の根本である信も食われているかもしれない。
 世間でも信頼感は次第に薄れているようである。その根本の処は大分食いつぶされているように思われる。これらも西洋の学問が教育に取り入れられたための影響ではないかと思う。その辺りに根源があるようである。特に己心の法門とは始めから相容れないものがある。大石寺法門としては全く迎えざる客である筈である。解体するにそれ程の時間はかからないかもしれない。中国の学問や思想によって長年月をかけて作り上げられた日本人の美徳美点も、僅か四十年間で殆ど解体し尽くされたようである。そこへ金が加擔して新しい教養を作りつつある時、大石寺も新教義に向かって既に発足したのであろうか。どのようなものが出来上るか、今は全く予断することは出来ないのが実状である。このような解体は大きな足跡として長く残されてゆくであろう。
 今の大石寺には、これを拒む術は持ち合わせていないであろう。鋭い攻勢の矢面に立たされているようである。八年間を振り返ってみれば、どのような力をもっているか一目瞭然たるものがある。今となってこれを排除することは容易なことではない。宗門も既に可成りな被害を受けているのではないかと思う。学問そのものが力をもっているだけに厄介である。いじめにしても本来の固有のものが解体された後に起こっているだけに厄介である。若し出来れば元のように基礎作りからやらなければならない処である。現場だけの対策だけでは、この難問を乗り越えることは困難である。
 今は教育そのものが古いものを解体するような処に目標ををかれているのではないかと思う。その中で教育を受けたものがそれを身に付けているのは当然のことである。そこにいじめの問題の深さがあるのではなかろうか。大石寺のように古い教学をもっている処では特にその被害を受け易いような状態にをかれているようである。己心は邪義といい出したものも、既に目的を達して沈黙を守っているのかもしれない。宗義の根本になる己心の法門に対して邪義とさけぶとは、全く狂気の沙汰である。どこに本心があるというのであろうか。宗門も浮かれてばかりをらずに、静かに魂魄について考え直す時ではなかろうか。あまり論理学方式に深入りすることは、反って宗門の基盤をゆるがすようなことになりはしないか。大いに反省する時が来ているのではないかと思う。
 阿部さんは宗門や学会の悪口を言ってをる、増上慢のやからめがというかもしれないけれども、敢えて苦言を呈しているのである。阿部さんがいくら力を入れてみても、崩しこそすれ、論理学をもって一宗を建立するようなことは、殆ど不可能ではないかと思う。学問そのものが分解するような力をもっているのである。己心の法門の解体位朝飯前である。己心の法門を作り上げるようなものは始めから持ち合わせていないのである。本因も既に分解されているであろう。本仏などというものは始めから持ち合せていない。これもいつ分解解体せられるかもしれない。しかし阿部さんの教学には、これを拒むようなものは始めから持ち合わせてはいないであろう。それなら予防するに越したことはない。その期に及んで論理学に向かって不信の輩と叫んでみても手遅れである。人に憎しみをかける前に一度反省するに越したことはない。
 時局法義研鑽委員会は、己心の法門を邪義ときめたことについて、その法理の裏付けの研鑽が目的であったのかもしれない。しかし、己心の法門を邪義と決めた業蹟はいつまでも残ることであろう。今度は己心の法門正義復活委員会を発足して早々に活動を開始することである。これが目下の大緊要事である。己心を邪義と決定すれば、法門は邪義として動いていることであろう。これは目をもって確かめられないだけに厄介である。しかし、そのような方角に法門が動くことは恐らくは必至である。既に動き始めている気配を感じないのではなかろうか。本仏は既に反省を逼っているのでないかということをひしひしと感じさせるものがある。それでも論理学を胸に抱いて温めているのであろうか。それは奇特な事である。
 今の法門は魂魄を離れ、己心とは無関係の処に建立されている心の一念三千を根本としているのであるが、どのようにして本仏や本尊が顕われるのか一切不明である。唯授一人もまた心の一念三千の上に考えられているようである。これでは天台の金口嫡々の相承と何等変りのない迹門の唯授一人の相承である。色々な法門も天台から移入されたままのものが殆どであり、別に一宗建立する理由は非常に希薄になっているように見える。そしてどんどん脱皮しているのであり、今新義建立の前夜というあわただしさである。同じ脱皮なら己心の法門に出てもらいたい処である。
 法を主とすれば自ら己心の法門に出るであろうが、心の一念三千を根本とすれば、迹門を脱することは出来ないであろう。これでは迹門の上の教流布であり、経そのままの広宣流布をねらうのも無理からぬことである。護法局の狙う処もまた経そのままの広宣流布である。万一それが実現するような事があっても、それは仏法の広布とは別個の問題である。開目抄や本尊抄の目指す処とは別問題である。
 護法局は既に迹門の上に建立されている。当時宗門は迹門に固まっていたのであろう。そして己心を邪義ときめて大日蓮に掲載したのもその直後であったように思う。己心も心も同じだ、心にしろという既定方針通り心の一念三千をもって新義建立されたのもその時期であったであろう。当時のものを振り返ってみて、いかにも歓喜に満ち溢れているようである。その歓喜は三年と続かなかったのである。これが現実であった。心の一念三千の上に新しい観心を立て、それによって新しい教義を建立しての再出発であったのであるが、その歓びは三年と続かなかった。それ程根底が浅かったのである。恐らく今は逆も逆、悲歎のどん底に打ち沈んでいるのではないかと想像している。己心を捨てての新義建立はそのように生やさしいものではないようである。日蓮が法門とは全く関係のない新義建立だけに殊更難事業である。
 今のように己心の法門を真向から邪義と決めては本時の娑婆世界にも本尊の為体にもつながることは出来ないであろう。この双方に通じなければどこから本尊を持ちこむのであろう。本果から本尊を求めることはできない。本尊抄とは関係のない処から求めざるを得ない。本尊抄の本尊とは関係のない処から求めなければならない。折角説かれている本尊抄から本尊を求めることが出来ないという異状に遭遇することにもなる。また折角本果の本尊ときめても、これさえ求めることは出来ない。これも異状である。何故本因の本尊と決められないのであろうか。日蓮の本尊を切り捨ててしまって尚本果の本尊が顕現されていることは、本果の本尊は阿部さんが私に顕現した本尊即ち迹門の本尊ということになる。寿量文底と定められた本尊を文上迹門に出現せしめる事は、いかに阿部さんといえども出来ないのではないかと思う。
 三災を離れ、四劫を出でたる常住の浄土をどのようにして求めるのであろうか。ここの常住の浄土は己心に限定されているようである。これをどのようにして心に限定するのであろう。その心の背景があるとすれば、その常住の浄土は急速に消される。そこは論理学が特技を発揮するであろう。常住の浄土を消すこと位至極簡単である。そして本時の娑婆世界にあるべき常住の浄土が心の一念三千の上に考えられるようになり、論理学と心とに支えられて虚空に常住の浄土を求めるようになると、最早それは己心の常住の浄土とは似てもつかぬものになり、反って己心の常住の浄土が邪義となるのである。
 最近妙に本仏を虚空に押し上げようとしているものが目についていたが、それは東洋と西洋の二つの心の働きであったようである。それが日蓮が法門の根底になっている己心の法門を消したためであったのであろう。今の宗門の口から己心の法門こそ正義だということはいえないであろう。次第に己心の法門を邪義とすることが正義となるために、それ程の時間の必要はないであろう。己心も心も同じだといい始めてから、僅か三年で己心の法門は邪義の烙印を押されているのである。
 七百年守り続けられてきたものは、己心も心も同じという処をとれば刹那であり、その刹那の間に七百年間の伝統は、法主自らの手によって奇麗さっぱりと切り捨てられたのである。何がどうなっているのか、不信の輩には一向に見当もつかない処である。大日蓮の巻頭をかざった、己心も心も同じだ心にしろという語は、七百年の伝統を誇った仏法家の敗戦宣言の文である。以来己心の法門の復活の兆しは一向に見えそうにもないという中で、只沈黙を守っている以外、手の施しようがないということのようである。 
 すべて新来の論理学による被害であることは一目瞭然としている。それでも尚且つしがみつこうとしているのである。醜女の深情が断ち切れないということであろうか。何故教化出来ないのであろうか。どうも常に教化される立場に置かれているように見えるのは、何に起因しているのであろうか、その本因を探ってみてはどうであろう。
 常に逆次に読む必要は日蓮が法門では必須の条件のようである。逆次の読みでないとこの苦難は抜け切れないであろう。逆次とはアベコベと同義であろうと思う。己心の法門を邪義と決めた上で御本仏日蓮大聖人の仏法を称えること、天下の矛盾の最たるものである。そのような語が安心して称えられないような雰囲気作りが必要である。そのために己心の法門を取り返さなければならないが、今はそのような努力は、宗を挙げて何一つなされていないようである。そして臍を上に向けて天下太平楽を祝福しているということであろうか。さてさて、この太平がいつまで続くのであろうか。果敢ない夢に終るようなことはないであろうか。
 この法門には理中の理という処が強いようである。理の法門は古来最も斥われているものの一つである。その最極の処にはまりこんでしまったようである。どのようにしてここを抜け出すつもりであろうか。これは今与えられた最大の課題である。
 今のように心も己心も同じと思われている間は、本時の娑婆世界に到達することは思いもよらぬことである。そこに到達することが出来なければ本尊の顕現するような事もあり得ない。それにも拘らず本尊を唱えることは多分に似て非なるものをもっているものと思う。今はそのうちで特に迹門の本尊をもって本因の本尊の意を表わそうとしているのである。そのあたりに大いに反省の余地があると思う。
 すっきりと本因の本尊を称えるべきである。そのために己心の法門を取り返さなければならないのである。そして本時の娑婆世界を手中にしなければならない。しかもそこにあるべき常住の浄土は常に解体の危機にさらされている。それを狙っているのが論理学ではないかと思う。己心も既に邪義と決めているのであるが、これさえ現実には消されているということは全く考えてもいないであろう。
 この学問は次々に古いものを消してゆく特技を持っているのではなかろうか。これでは久遠実成も元初も中々根を下しては呉れないであろう。七百年前の日蓮が法門でさえ確実に消されていっているであろう。これは数年前を振り返って見れば白眼をもって確かめることが出来る。その間にどれだけのものが消されていったか、一度見直す必要があるように思う。そして反省の資に供してもらいたい。
 虚空ばかり見つめていないで、たまには足下を見ることも忘れないようにしてもらいたい。功徳は足下に集まるということである。今まで頭で歩いていたことを知る必要があるようである。上行は虚空には居なかった筈である。大地の底に上行が居ることが分かれば、そこには無限に開ける世界が待っているであろう。広宣流布はそこにあるべきものであると思う。そこに法流布の世界がある。己心の法門もまたここを目指していることを知らなければならないが、その道は既に自力をもって塞いでしまっているのである。時局法義研鑽委員会の最大目標もまたそこに向けられていたようである。そして目標通り遂にその道を閉ぢてしまったのである。これはどうしても再び自力をもって開かなければならないであろう。そのためには己心の法門を正義と決める以外に名案はないであろう。
 いつまでも今の方針の中で研鑽を続ける限り、いつしか元ぐる消滅することは只時を待つべきのみといわざるを得ないと思う。そこに水島教学の危険があるように思われる。己心を消して日蓮大聖人の仏法と称しても、それは水島の私の説に過ぎない。それを大聖人の仏法として押し付けるのは飛んでもない僭越行為である。今はそのようなことが白昼公然と行われているのである。
 今は本時の娑婆世界の本時をどのように考えているのであろうか。その直前の文から、これが己心の上に魂魄の上に建立されているものと思われるが、己心を認めなければ本時の娑婆世界はありえないであろう。また宝塔も本時の娑婆世界の上に出ることになっているが、本時の娑婆世界がなければ、宝塔も出にくいのではなかろうか。宝塔のみ迹門に出て空に出るのはどのようなものであろうか。これでは己心と迹門が思い思いに出現していることになる。また上行等の四菩薩も我等が己心の釈尊の眷属ということになっているが、この上行等の四菩薩を迹門とするためにはこれらの文を総て抹殺しなければならない。つまり本尊抄を離れた処でなければ迹門に建立することは不可能である。
 宗門の考えは本尊抄を黙殺した処に建立しているのであろうか。これでは宗門の私の建立ということになる。これでは日蓮を宗名に冠するには憚りがあるのではなかろうか。これをもって正しい宗教とはいえないのではなかろうか。己心の法門に帰ることを主張すれば増上慢というが、勝手に己心を捨てて迹門に法門を建立するのは正義なのであろうか。己心の法門を邪義というのは正義なのであろうか。何れが増上慢か、三世常住の宗祖に直にお伺いを立ててみてはどうであろう。直々伺いを立てるのが最も確実である。
 本時の娑婆世界の周辺は、本因の本尊を出すためには最も重要な処であるが、今は全く黙殺するのであろうか、そのようにすれば迹門の上に本尊を求めることは出来るであろう。或は発端の天台の文と本尊の為体とを直結して迹門の本尊を求める方法である。まずこの二つの方法以外には迹門にこの本尊を求める方法はないように思う。わざわざ天台の観心と異なりを取り出されているものを黙殺し、天台の観心を取り出してみても、仏滅後二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅を顕現することは出来ないであろう。このような方法を今になって取り出すことは、全く宗祖に対する不信の表示という外はない。示された処の本尊に対する不信の表示と判ぜざるを得ない。そして宗祖の示された観心を信用することなく、天台の観心によって本尊を求めようとしているのである。
 二千二百二十余年未曾有の中には天台も伝教も入っている筈である。若し天台の観心の本尊が顕現されるなら未曾有の文字は使われなかったであろう。全く新しい観心によったために始めて観心の本尊が顕現された。それが本因の本尊である。それを信用することなく、わざわざ天台の観心を求めて本尊を求めることは不信の故の所作ではないかと思われる。しかし求め出したのは本果の本尊であり、姿のみ宗祖のものを借用しているのである。借用について許可があったとは思えない。恐らく無断借用ではなかろうか。
 未曾有の三字の中には、迹門には出ないという意味もあるであろうし、曾つて天台には顕現されていないという意味も含んでいるであろう。少なくとも未曾有の三字は反古同然の扱いをしているようである。とも角未曾有の三字には無関心のようである。結局本尊抄の観心には全く関係のない観心から本尊を求めているのである。このようなものは不信の輩ではなく、不遜の輩というべきではなかろうか。どこに仏滅後二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅を顕現する力を秘めているのであろうか。若し新開顕ならその年から逆算して本尊に脇書すべきである。
 若し新開顕ならその理を明かさなければならない。そして堂々と仏滅後二千二百二十余年の脇書も替えなければならない。観心の基礎的研究にそのようなものが明かされているとは思えない。本尊はそのまま使って、いかにも新開顕と思わせようとするのは、いささか卑劣である。或は己心の本尊を抹殺し、心の本尊とすり替えるためにとった方法であったのであろうか。宗祖に対しては明らかに反抗を示していることは間違いのない処であり、門下では只の一度もこのような方法をとられたことはなかったであろう。これこそ未曾有の方法である。これは反抗ではなく反逆というべきであろう。
 己心も心も同じであることを証明しようとしたのであろう。勿論末弟として取るべき道ではなかったようである。これは論理学がこのような方法をとらせたのかもしれない。常識では到底考えられないことである。今振り返って見ると、五十七年度の学林の卒論は、己心と心が同じであることを証明し、宗門から己心の法門を追放するための成果であったということが出来るようである。しかし未だに己心の法門は健在である。即ち己心の法門の解体乃至抹殺は、どうやら不成功に終ったようである。
 法主の直属機関として発足した時局法義研鑽委員会の目的は、仏滅後二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅也と自信満々の中に定められた己心の上に建立された本因の本尊を、己心を捨てて心の上に建立されたものと定めるのが目的であったようであった。表面的には一応成功したかに見えたが、結果はあまりよくなかったようである。心の一念三千の上に建立されたものであれば迹門であるが、迹門には出るようなこともあるまい。若し迹門に建立するのであれば新義建立である。そのような勝手な振舞は絶対に許されないであろう。
 勝手に抹殺し、勝手に建立するようなことは許される筈もない。お叱りは覚悟しておいた方がよい。心の上に建立されたものと決めればその目的は達成したことになる。しかし本尊のすり替えはあまり人聞きのよいことではない。そのかげで教学部長は、本尊については論ずべきでないとやっているのである。これは門下では未曾有の大作業である。己心を心にすることなどやるべき事ではないということではなかろうか。ばれてしまっては何ともまずいことである。これでは悪口もままならぬのも無理もない。沈黙したことは不成功を表しているのであろう。
 己心と心が同じとは全く迂闊という外はない。これは阿部さんの指揮下に行われたようである。委員がどのようなメンバ−か知らない。教学部長は正委員という発表であった。そうすれば正委員一人と補助委員何人かで組織されているのか、他に未発表の正委員がいるのか、吾々には分からないことである。また法主自ら委員長をやっているのか、別に委員長がいるのか、これも分からない。一切秘密のようである。これは強引に突破してもあとが大変である。
 宗祖は勝手に心に切りかえることなど絶対に許さないであろう。宗義の根本をかえる事になるからである。おそらく前後不覚の中で行われたことであろう。結局は論理学に踊らされたということであろう。おまけに己心の法門を喰われ本因の本尊を失ったことは確実な処、そして己心を邪義と決めたことは最大の成果であった。さてこれは将来どのように収まるであろうか。天下の見物である。しかし己心の法門を勝手に心と決めること、誠に前代未聞に属することである。他宗の聞こえもいかがなものであろう。
 それにしても論理学という学問は恐ろしい力を持っているものである。水島・山田の優秀論文とやらいう卒論を作らせたのも論理学であったし、己心の法門を邪義といわせたのもこの学問であった。そして日蓮正宗伝統法義を作らしめたのもこの学問であった。何れも今日目前の出来事であった。これでは大石寺法門も日ならずして解体されるようなことになるかもしれない。恐ろしいことである。また御両名を宗門随一の学匠としたのも亦この学問のせいであったようである。
 あれ程花やかであった狂演会も、一嵐終ればまことに静かなものである。只残ったものは空しさのみということであろうか。再び虚空を目指すことであろう。但し本仏は大地の底に在ることだけはお忘れないように。ここに故里があるのである。大地の底の故里は忘れ果てた。虚空に上って見れば本仏は一向に見当らない。そこに次の展開が始まるのかもしれない。それは逆転といった方が適当なのかもしれない。
 本尊を本果と決めれば本尊は本果の働きを示すであろう。これは無気味である。本果の本尊でどこまで説得力があるか、既に万年講も動いているという噂もしきりである。本果の本尊でどこまで対応出来るであろうか。当方が本因を奨めたことに対して逆次に本果と決めたのである。これは余程自信を持ってしたことであろう。しかし、そこにはっきりした根底は見当らない。それだけ危険を持っているといわなければならない。しばらくお手並み拝見という外はない。己心の法門を邪義と切り捨てては宗祖の応援を求めることは出来ない。どこまで戦いおおせることが出来るであろうか。
 本因を捨てることは仏法を捨てることである。日蓮大聖人の仏法とは最早や無縁になっているのである。いよいよ独立の境界に立って新義建立と出ているのである。既に委しく大日蓮に発表済みである。本因に帰り仏法を取り返すためには、まずこれを自力をもって破責し破棄しなければならない。現状では日蓮大聖人の仏法などといっても、一語としてこれを証明することは出来ないであろう。今少し現実を厳しく捉えるべきである。
 宗祖も道師も有師もまた寛師も、上代は総て本因を根本としているのである。これらの諸師も今の理念からいえば総て邪師ということになり、正師は自分一人ということになるであろう。天下の岡ッ引俺一人ということであろうか。己心の法門をとり本因によることが何故邪義なのか、理由も示さずに宗祖や上代の諸師を邪義邪師ときめこむことは少し度が過ぎているのではなかろうか。これも論理学のなせる業なのであろうか。明治の文明開化の中で本来の法門が見失われ、今にそれが受けつがれて、宗祖以来の己心の法門を邪義ときめてしまった。
 西洋の学問を無雑作に取り入れた時の混乱は今に受けつがれ、そこから限りなく矛盾が発っているのであるが、これに対して何等対応策も講じられていない。依然として文明開化に酔いしれているのである。今回は第二次の文明開化の波が打ちよせて来ているのである。前後とも根本になる己心の法門は確実に狙われ、且つ失われたのである。皆西洋の学問による処である。まず足を大地に付けることから始めなければならない。いくら水島が気勢を上げてみても己心の法門を崩すことは出来なかった。それ程の厳しさを持っているのである。
 己心の法門は理を知る前にまず事に行ずることである。これが上代から取り定められている処であり、本因の行であり、名字妙覚のための修行である。言い換えるなら受持である。本果をとる宗門から攻められて本因を守り切ることも出来ず、遂に抛棄する羽目になった。結局は本因を失ったために仏法が守ることも出来ず、己心の法門さえ邪義と映ずるようになった。七百年来未曾有の大事である。今最も宗門の衰微した時である。法を失われては法流布もありえない。
 今、法を取り返さなければ再び返る日はないかもしれない。そのような時、時局法義研鑽委員会は、いかにして己心の法門を邪義と決めるか、どのようにして捨去するか、それのみの研鑚に時を費やして来たのであるが、反って自分等のための責め道具になり終ったようである。肝心の自宗の根源になるものについて集中攻撃をして来たのである。しかも不孝にしてそれは一応成功したのである。それが今の沈黙の根源になっているのである。これでは宗祖といえども慈悲を垂れるわけにもゆかないであろう。そこで今強力に反省を求めようとしているのである。それが慈悲である。開目抄や本尊抄を捨ててまで法門をゆがめる理由は毛頭もないと思う。
 明治にしても現在にしても根源になる己心の法門が確実に失われているようである。そこへ文明開化の波にのって他宗他門の教学が押し寄せたのであった。同じことを繰り返しているようである。つまりは無防備によるためである。そして二回目には遂に自ら己心の法門は邪義といい切ってしまったのである。そのようなことが堂々と公表出来るような境界になっているのである。そして何の抵抗もなく己心の法門は捨て去られたのである。それ程の罪悪感もなくなっているのであろう。
 今は己心の法門を邪義というものこそ勇士である。そして己心の法門を守ろうというものは総て邪信の徒であり謗法の輩ということになっている。それ程狂っているのである。そして七百年を経て総てが消え去ろうとしているのである。今が最後の時期ではないかと思う。出来るなら再現し、記録したいと思う。日蓮正宗の現在のあり方からして、これを取り上げ、反省の資料に使うようなことはあるまい。その道は既に塞がれているのである。これが使えるのは正宗以外、或は仏教以外の処ではないかと思う。現状は原点に帰ることは必らず拒むであろう。それ程頑なになっている、そして人の意見を入れる余裕もない、このままどんどん進んでいくであろう。
 己心の法門を邪義としたことは盲目同然である。そしてそのまま前へ進むのであろう。法門の上からは自他の区別が付きそうにもない。そのまま猪突を続けようとしているのである。どうも船頭が多すぎる中で、あまりにも船主の力が弱すぎるようである。丘を越えて船を山の頂上に押し上げてしまうかもしれない。しかし、ここまで来ても己心の法門を取り返すことは出来ないようである。己心に立てられた仏法が世俗に出て、しかも仏教と出た時に左が右になり、そこに独善が出来上る。そして常に自分のみが正であり、他は一切邪という処にきて暴走が始まるのである。ここまできて制止がきくようにも見えない。このまま進む以外に、止まる方法もないようである。船主の意志をもって方向を訂正することも出来ない処まで来ているのである。
 勢いの赴く処その行く手は予想は付かない。それよりか今に片隅に残されているものから上代の名残りを一つでも引き出すことの方が遥かに賢明かもしれない。宗門自身には最早無用の長物化しているのである。その遺跡は他では既に絶えているものが多い。一つでも発掘して、宗外で利用出来るものがあれば大いに利用してもらいたいと思う。さてさて、一人どこへ進もうとしているのであろうか。仏法を守ることのみが唯一の身上である。それが守れなければ仏教世界は出発点において無縁になっているのであるが、今は仏法と無縁になることのみを願っているように見える。
 本仏も本尊も題目も衆生の現世成道も、始めから仏教の処では考えられていないのである。それがどういう風の吹き廻しか、仏法を捨てて仏教の中でのみ生きようとしているように見える。そこからみれば逆も逆、真反対という説も亦成り立つようである。今一度威勢のよい山田調でたたきつけられたいと念願している。二ケ年も沈黙を守って居れば新構想もまとまっていると思う。その片鱗でも見せられるなら光栄である。黙殺は最大の敵である。ああでもよい、こうでもよい、何か一言でも仰せかけ願いたいものである。
 水島・山田の業績を振り返って見て、法門の根源である己心の法門と本仏や本因の本尊の抛棄とを最終目標に活動していたものと思われる。なかなか勇気のある活動家である。見事な特攻隊精神である。それは抛棄のみが目標であって、それに代わるものの提示は一向になかった。それでは宗門の破壊のみが目標であったような印象を与えるものである。自分の属している宗門の破壊のみを狙っていたということでは、どうにも理解しにくいものがある。目標の付け方が誤っていたのか、戦の進め方がまずかったのか、所期の目的を達したようにも思えない。己心の法門を邪義と決めたことのみが残ったのでは、永劫に救いがあるとはいえない。しかもそれのみが唯一の成果となったのである。戦の進め方のまずさがそのような結果をもたらしたのである。大いに反省してもらはなければならない。
 一宗を建立し末弟を称しながら、しかも日蓮が法門の根本にあたるものを徹底的に破し去ろうというのである。世俗の師弟にも類稀なやり方である。不成功に終るのも理の当然といわなければならない。己心の法門を否定して宗を持続させることは、残された道は新義建立しかない。何を根本として日蓮が末弟を称するのか、その新義を明らかにしなければならない。またその前に己心の法門を邪義とする理由も明かさなければならない。只邪義というだけでは世間には通用しないであろう。一宗を名乗り乍ら、その宗祖の説を覆えすことは無謀な言動といわざるを得ない。このような考えが根底になっているために黙さざるを得なかったのである。戦い半ばで沈黙を一年間も続けていることは明らかに敗北である。そろそろ終戦宣言する時が来ているということである。その中色々と矛盾が山積することは必至である。決断は一日も早い方がよい。己心の法門を邪義と決めたように即決即断に限るであろう。
 今の核廃絶にしても流転門にあり乍ら本果にあり乍らこれを論じてみても廃絶の結論には至らない。まず本因に眼を転じるべきである。今の己心の問題も本因として捉えることが先決である。本果に身を処きながら結論を求めようとすることなど、まず考えない方がよい。今の状態を救うためには本因を捉える以外に方法はないであろう。それを、本果に居り乍ら口火を切ったために筋の通らない悪口に終始し、果ては黙りこまざるを得なくなったのである。阿部さんが急先鋒に立って己心の法門を否定しては、宗祖の末弟と称することを公言することも出来ない。あまり体裁のよいことでもない。その故に本因の本尊を本果と変えざるを得なくなくなったのである。再び本因に立ち返る以外救われる方法はないであろう。核廃絶も本因にあってこれを論じるなら成功することもあるであろう。但しそこは己心の法門の領域である。
 さて、御相承は己心の法門から出ているとのみ思っていたが、阿部さんが率先して己心も心も同じだ、心にしろといい、己心の法門は邪義だというものの先に立って悪口雑言をやることは、阿部さんも己心の法門を邪義と思っているからであろう。法主自ら己心の法門を邪義と考えては困るようなことになるのではなかろうか。御相承は何を根底として成り立っているのであろうか。そのような事はいわないことになっているのであろうか。
 宗門にも信の一字が備わってをれば首を切ることもなかったであろうが、当時既に信の一字は失われていたのであろう。その直前に論理学的発想が一時盛んになり、己心が消えて心が登場していたのではないかと思う。信の一字はそれ以前に信心に切り替えられていたようで、そのためにお互いに信頼感がなくなっていたのであろう。それが自然と表に表われたために首切りが始まったのではなかろうか。若し信の一字がよく検討されていたなら、首切りの必要はなかったのかもしれない。何となし法門の蓄積の度合いが分かりそうである。
 今の大石寺は心の一念三千に依って法門を立てているのであろう。これでは本尊も本因には依りにくいであろう。そのような中で自然に本果に収まったのであろう。日蓮正宗伝統法義は間違いなく心の一念三千を根本としているのであろう。その心とは何を指しているのであろうか。これでは文上迹門を離れることが出来ないのは無理からぬことである。己心の法門によってのみ出生する本仏をどのようにして説明するのであろうか。心の一念三千に依っては、事行の法門は無意味である。これでは法門の一切は無に帰する恐れが十分に備わっている。事行の法門と関係がなくなれば天台理の法門と何等変りはない。口には天台は理の法門と下しながら、今になって理の法門に鞍替えしたのはどのような理由に依るのであろうか。己心の法門から心の法門に変ることは容易なことではない。このために本尊抄とは全く縁が切れてしまうであろう。
 一閻浮提総与の脇書も己心の法門から出ているのである。これは心の法門から出るようなものではない。これも早々に削り落さなければ、本尊が偽りを表明していることになるのではなかろうか。本因の本尊が本果に切り替えられたことには劣らぬ程のものである。偽りのない処が本尊の身上ではなかろうか。さて、戒旦の本尊が本因の本尊といわれて来た理由は、この脇書は本尊抄の末文に依っている。それが本因を表わしているが、心の一念三千の法門には始めから一閻浮提総与というようなものは持っていない筈である。本因の本尊を本果の本尊と信じさせるのは偽りの第二である。本尊抄から見て仏滅後二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅は己心の法門から出生していることは動かせない処である。これを心の法門の上に出生したものとし、本因の本尊として伝えられたものを今になって急に本果の本尊とすることも亦偽りといわなければならない。これは偽りの第三である。本尊とは偽りのないものをもって本尊とするのではなかろうか。本果の本尊と決まれば真実の未曾有の本尊は本尊抄を根底としているものに限るであろう。
 本果の本尊をもって未曾有の本尊とすることは、少なくとも大石寺法門では通用しないであろう。近代は真蹟とするために本果の本尊といわれてきているようであるが、今度の場合はどのような理由に依ったのであろうか。或は西洋流な学問に依ったために自然とそのように決めざるを得なかったのであろうか。心も己心も同じとした処からそこまで発展したのであろうか。大正の時とは状況は全く別なようである。少なくとも大正の説によったとはいえない。本尊の内容など軽々しくなすべきでないように思う。教学部では本尊そのものについては成程軽々しく論じてはいないようであるが、結果としてはそれ以上なものがでているように思われる。本尊は論じさえしなければ、どのようにその貌をかえても差支えないということであろうか。これではあまりにも紛らわしいように思われる。
 本因を本果に変えることは法体を変えることになるのではなかろうか。そうなれば古来定められた処を誹謗することにもなる。これは大謗法である。法花経を信心しないのを謗法というように聞いていたが、むしろ文底の法門を信じないのが謗法であり、それが後に文上に移ったのではないかと思う。文底の己心の法門即ち一念三千は本来持って生れ、身に備わっているものであり、我が身に備わっているものを信用しないのが謗法ではないかと思われる。それが何となく文上に固定したような感じであるが、これはアベコベである。文底を信じる者が謗法である。文底を信じない者こそ謗法ではないかと思う。本因を信じないものこそ謗法というべきである。
 己心の一念三千法門を信じない者こそ謗法ではないかと思う。しかし、今は己心の法門を信じるもの、本因の本尊を信じるものが謗法になっているようである。何故このようにぐらぐら変るのであろうか。吾々は本因の本尊を信じない者こそ大謗法であると信じている。今は己心の法門を信じるのは謗法で、天台の心の一念三千を信じる者は謗法とはいわれないのである。常に自分が謗法にならないように考えられている処は、中々芸はこまかいようである。水島説では、四明流を正当と仰がないものは謗法と決まっているかも知れない。謗法の基準も刻々に変っているようにも思われる。或は自分のいう事を信じない者は総て謗法と決っているのであろうか。謗法の輩はむしろ宗内にいるのではなかろうか。
 安国論、八幡抄、各異なっているけれども、中でも己心の法門を謗るのは、謗法の最たるものではなかろうか。それは日蓮が法門を根底から揺るがすからである。恐らく日蓮宗の謗法の発端はここに出発しているのではなかろうか。このような形で門下では己心の法門や本因の意は事行に移されているのであろう。気の付かない処で実行して第一の謗法を遁れようとしているのであるが、今は真向から己心の法門を邪義と否定し、本因を公然と消し去ろうとしているのである。他門の場合は古い時代に行われているだけに少し深みを持っているようである。表立って己心や本因が認めにくいために隠れて苦労をしているのではなかろうか。反って結果的には最も守っている筈の大石寺が謗法を犯すようになった。これは個人的なものではなく、宗を挙げての行動であるだけに許されがたいように思われる。
 謗法も時代によって色々と姿を替えてゆくようである。己心の法門を邪義と決めた時、そこを根元とするものを口にし、或は本尊を拝むことも謗法といわれる恐れはないであろうか。本因の本尊を拝むことも謗法となるが、これは今の宗門が私に決めたこと、むしろ本因の本尊を本果と決めることは遥かに大きな謗法ではないかと思われる。しかし、今の宗門では、己心の法門を何の理由もなしに心の法門と決めることを、謗法とは考えないのであろうか。むしろ邪義はそこにあるのではなかろうか。吾々はもっての外の大謗法ではないかと思う。特に本尊抄は己心と心の違い目を明らめるために出来ているようである。これを無視して己心も心も同じだというのは謗法中の大謗法ではないかと考えざるを得ない。かつてそれは大日蓮の巻頭言にも載せられたこともある。
 己心の法門を否定することは、本仏と仰いでいる日蓮の根元のあたりを総て否定することに通じているのではないかと思う。しかも、今はそれこそ正義ということになっているようである。これでは分からないのが当り前である。勿論宗門も謗法の罪を犯そうとしてやっているわけでもないと思うが、たとえ無意識に行われたものであっても、これは許されるようなものではないのではないかと思う。まして完全無欠の筈の御法主上人が一役買っていては尚更厄介である。綸言汗の如しと譬えられていては、いよいよ訂正もきかない。このまま突っ走る以外に方法はない。二重も三重も慎重さの欲しい処である。
 あまりにも安易に西洋の学問を取り入れ過ぎたのが事の始まりになり、己心の法門を邪義という処まで追い込まれてしまったのである。あまりにもお粗末である。出してしまえば世俗である。そこには九思一言が生かされてもよいのではないかと思う。近代は法主は最高位に置かれたために綸言汗のごとしとも譬えられているのであるが、今度のように己心を邪義と決め、己心も心も同じとしたものが訂正がきかないとすれば大変なことになる。このまま進むならそれは破滅の道につながるものである。色々と訂正を必要としていることは山積しているのである。
 誤りがあって訂正もきかなければ、作られた権威付けも崩れざるを得ないであろう。ここはいつでも訂正のきくように、「綸言汗のごとし」などと大時代的な語をすてて世俗の民衆の中に飛び込んでいった方が遥かに賢明なように思う。そのようにしてこそ徳化も真実に生きてこようというものである。徳が光を増すのは世俗の中に下りた時に限るようである。無言で教化出来るような徳の欲しい処である。黙っていても自受用報身の題目の声と思わせるのは徳の至極した処である。しかし報身如来が声高に題目を上げては最早法門の領域ではない。
 何回でも何十回でも訂正のきく者は気楽である。ないがましかな気が楽な、とは金と権力のないものについていわれているのである。これは庶民の最高の特権である。そこに日蓮の考えの根底が置かれている。本仏もまたそこを住処としている。それが大地の底と表現されているのである。しかも本仏は次第に虚空を目指し始めているように思われるのである。考え方の根本が動き始めているのである。そこに危険が待っているのである。己心の一念三千法門とは持って生れた底下を指しているのであろうが、己心の法門を邪義とすることは、足が大地から離れようとしている意味をもっている。法主はもともと果位の処に立てられているのではないかと思う。
 師弟の法門は、本果の師の立場から見れば因果別時であり、師、弟子を糾すということになるが、そこは特別に因果倶時の処に法門は立てられているのである。弟子の立場から、因果倶時の立場からよめば師弟子の法門である。お互いに本因の立場に立ちながら「ただす」のが師弟子の法門である。そこには肉身を離れた平等の境界即ち魂魄の世界のように思われるが、師、弟子を糾すでは不平等であり、肉身を離れてはいないようである。大石寺法門の中にあって肉身のみについて説くために異様に感じるのである。時の混乱が異様さを感じさせるのであるが、師、弟子を糾すといっている向きではそれは正常なのであるが、たまには愚悪の凡夫の立返る日があってもよいのではなかろうか。
 同じく本尊といわれても仏教の中で捉えられるなら本果をとるし、仏法で捉えられるなら本因をとることになる。それが一宗を建立すれば仏法を称えながら本果が要求されるようになる。そのために仏法の本尊を捨てて仏教の本尊を取るようになる。そこに第一の矛盾が始まるのである。そこで急激に仏教方式に変ってゆくようになる。ここで仏法に止まることは殆ど不可能なようである。そこに仏法家のむづかしさがある。そしていつのまにか仏教に根を下すようになり、そこで仏法に出来たものが仏教に表わされるようになると、独善に進むような事にもなるのである。
 今の世上の中にあって仏法がいかに持ちがたいかということは宗門が事に示している通りである。これは全く矛盾との戦そのものである。宗門もその戦に破れたのである。そして最後は仏教の前にあえなく落城と相成ったのである。仏法を立てるか仏教によるか、ここには兌協点は恐らくは見当らないのではなかろうか。何となく仏教の前にシャッポを脱いだ感じである。そのもやもやを当方へぶちまけている感じである。そのやり方がいかにもセッカチであった。そこに失敗の原因があった。そして自分の失敗を常に人に押し付けようとしているのである。そのための汚なさが常に目障りなのである。
 仏法にあっては世間が本因を忘れることは考えられないし、世間にあって考えては本果は考えられない。世間即仏法について因果倶時の法門は立てられているのであろう。首切りはどうも因果の処で行われているようである。信の一字が抜けていたのである。その信の一字は、本尊にあっては本因部分を担当しているのではないかと思う。若し世間にあれば集団の根源を担当するものであり、拝するための本尊が考えられるのは、いうまでもなく一宗建立以後のことである。興師がこの師弟子の法門は、といわれたものを法門を除いて、師、弟子と読むことは本果に根を下して師弟別個の処に法門を立てているためである。本因の教示が本果と表われたのである。己心の法門が真反対に出たのである

 

 法流布
 いいかえれば思想である。思想には国境はないが、教流布ともなれば色々と困難を伴うであろう。宗教の立場に立って教義が先行するからである。経そのままに世界中一人残らず正宗の信者ということが目標になれば色々と面倒な問題も起きるであろう。カントにしても使う場合に一々カント家の許可もいらなければ使ったから使用料も御供養もいらないが、宗教ということになればそうもいかない。日蓮の己心の法門も一閻浮提総与であるから、総て無料ということである。むしろそれに反して御供養料を請求する方がおかしい。これこそ特別許可が必要である。戒旦の本尊も無料という表示であるにも拘らず色々な形で御供養が要求されているようである。今は専ら御供養になることのみに力を入れているようである。これでは、余は一宗の元祖でもなければ、何れの宗の末葉でもないといわれた趣意に背くものである。宜しく一閻浮提総与の精神を尊重すべきであると思う。
 本尊抄の末文や戒旦の本尊は無料授与を表明されているのに、授与が現実となれば特別高額の授与料が要求されるようになるのは何故であろうか。これは本尊抄の趣意に背いているのではないかと思う。己心の法門では本尊授与は無料が建前となっている。そこで心の法門に切り替えようとしているのであろうか。とも角宗教として仏教としては心の法門の方がすっきりするようである。今となって無料授与は堪えがたいことと思う。しかし、己心の法門であれば自分で確認するなら無料で事足りることと思う。その理由は本尊抄に明らかにされている通りである。
 無料であるべきものが何故特別高額になるのか、これは仏法では到底説明出来るものではない。そのような中で自然と心の法門に転じてゆくのであろうか。これは何としても仏教の弱みである。逆も逆、真反対ということは、ここでも具現されている。今無料を主張すれば反ってそれを逆も逆というであろう。しかもこれが正義と立てられるのである。差し当って乃至所顕とでも解すべきものであろうか。このような事が考えられるのは不信の輩の特権である。無料授与ということは生れながらにして本来持っている、具備しているということである。要はそれを確認し、的確にこれを磨くこと卞和の璞玉のごとくであれということである。そこに修行が必要なのである。その前提になるのが受持である。この趣旨は六巻抄では三衣抄で説かれている処である。
 三衣を身に付けていることは卞和の璞玉のごとくである。磨けば三秘もあれば成道も求得出来るということのようである。これが自力の成道である。即ち本因の成道とはこのような処を指しているのであろうが、今は仏教に転向したために自力は次第に他力と現れているようである。時の移り変りである。仏法から仏教へと時が変ったのである。これから見ても仏法にあれば自然と自力に収まるのであろう。自力の状態を守り続けるということはいかにも困難ということのようである。
 大石寺が明治以来、特にカントから受けた恩恵は実に計りしれないものがあるが今に受け得であって只の一度もカント家に御供養を献じた話は聞かない。毎年一兆円ずつでも墓前に捧げてもよいのではないかと思うが一向に受けっぱなしであるし、御先方でもそのような要求はしない。実に大らかである。日蓮の考えも思想としてこのような大らかさがあってもよいと思う。それは世間様への御恩報じである。白烏の恩を黒烏に報じることにならないであろうか。受けた恩はどこかへ報恩をした方がよいと思う。報恩抄という御書もある。受けっぱなしでは報恩には当らないであろうと思う。それどころか今は手前味噌の処でのみ使われているようである。
 ここらで一度報恩の念を起こし思想として世間様への報恩に供してはどうであろう。今の世上では宗教として報恩することは非常に困難が多いのではなかろうか。その点では本来の仏法での報恩は出来易いのではないかと思う。宗教では取り込みのみに追われる恐れが多い。仏法の上の広布をもって報恩することも、今のような世上では大いに意義があるのではなかろうか。日蓮が仏法は本来そのように出来ているのではなかろうか。宗教としては大きな限界が来ているのではないかと思う。
 文上迹門の広宣流布も、ここ数年を省みて前進があったようにも思えない。折角護法局という大規模な構想は練られたけれども一向に活動した話は耳に入らない。格別活動していないから情報は入らないのではなかろうか。このような時は寿量文底の法流布に限るであろう。山田水島両御尊師も黙り込むことなく、大いにその英才ぶりを発揮してもらいたいと思う。それも又世間様への報恩の一分であると思う。まだ吾々と違って、だんまりを極め込んで老け込む程でもないと思う。大いに論陣を張ってもらいたい計りである。
 カントは思想であるために殆ど法流布は終っているようにも思われる。その恩恵に感謝する必要のない程の広宣流布は終っているのである。このような広宣流布はカントによって具現されているのである。大いに参考にすべきではないかと思う。ここには、大石寺の広宣流布をば遥かに凌ぐ数字をもっているようである。只それを口に出していわないだけのことである。思想の立場からの広宣流布は充分に達成しているのである。仏法の広宣流布も殆どこれと変らないのではないかと思う。仏教の広宣流布とは自ら別である。
 大石寺が従来唱えて来たのは文底の広布であり、仏法の広布なのである。日蓮は仏教の広布を仏法の広布と受けとめていたのではなかろうか。その点今の広布はあまりにも経に忠実すぎるようである。仏法の広布であれば、その可能性は十分あり得ると思う。そこは読み方の問題である。経の文そのままで広宣流布の可能性のないことは、当時既に読みとった上で仏法の上に実現を計られていたのかもしれない。
 撰時抄に、法華経の第七に云わく、我が滅度の後、後の五百歳に中に広宣流布して等の文を引かれていることは滅後末法の広宣流布の時を示されている。引用は経文であるけれども、目指す処は己心の法門の世界であり、六巻抄も同様である。これが大白法流布の時であり、広布の時としてこれを指摘されているのである。これをわざわざ経に返して読むのは、時を無視するも甚だしいものである。六巻抄も前後の関係から滅後末法の時と読まなければならないものである。
 法門が迹門を一歩も出ていないために、広布が自ら経に固着してしまったもので、時の混乱による処であるが、上代は不開門が示すように滅後末法の広布を示しているのであるが、今は時の混乱のために文上の広布を目指しているのであり、読みの浅さがこのような読みをさせたのであろう。文上に広布を限定することは、大石寺には曾つて例のない処であり、これは近代の解釈による処である。現在の世界中の人等とは仏法では全く考えられない処である。阿部さんが経の上にのみ執着する処は文上迹門を一歩も離れていない処であり、これをもって日蓮が法門と決めることは時の混乱という外、解しようもない処である。
 近代は広布といえば文上に限られている。護法局もそこに建立されているようである。即ち文上の広布を目指して建立されているのである。そのため活動を起すことができないのであろう。も少し撰時抄を深くよまなければ、時を捉えることは出来ないと思う。その意図する処を理解することなく、その引用文のみを取り上げ、その時をわざわざ外すことは、毛頭もその必要はないと思う。これ程の重要な時を外して読むことは、いかにも深い意図の程が隠されているようで興味深いものがある。
 この撰時抄はすべて仏法の時を説かれているものであり、引用の文は何れも己心の時、即ち滅後末法を明めるためのものである。これをそれぞれ固有の時に帰して読むことは、いかにも無駄な努力といわなければならない。増上慢という前に繰り返し読んでもらいたいものである。これ程懇切丁寧に仏法の時を説かれたものは他にはない。これをよくよめば文上文底を誤ることも、仏法と仏教を混乱することもなければ、己心の法門を邪義とすることもない筈である。
 己心を心と同じとよむのも所詮は時の混乱による誤りである。皆さんも寄ったときには「仏法は時に依るべし」と唱和してはどうであろう。時の混乱の中で攻撃しても、一向に威力にはつながらないであろう。今度の一連のものも己心と心の時の違い目が理解されていない処から始まっているのである。そのために山田や水島が気勢をあげた割に威力にもつながらず、結局はジリ貧に終ったのである。黙然の間、大いに撰時抄によって時を学してもらいたい。いくら天台学に励んでみても、時がなければ無駄な努力である。己心も心も同じと思えた時に勝負は決まっていたのである。
 今は仏法の語は使っていても、仏法と仏教の区別は失われていて殆どのものが仏教によって解釈され、仏法を称えながら実には仏教の中に根を下しているが、己心も心も同じという考えの中には、多分に西洋流な考えが働いているようである。若しこれが地に着けば、大石寺法門は更に大きく展開することであろう。そのような中にあって仏法を求めることは不可能になってくることであろう。己心を邪義と決めたこともこの西洋流な学問と無関係とはいえないであろう。あまり深入りすると次々にこの手を食うことは必至である。随分気を付けることである。
 本尊抄の副状に、「設い他見に及ぶとも三人四人座を並べてこれを読むこと勿れ」というのも一人の己心に付いて書いている、大勢のための信仰の対照として書いたものではないという意味かもしれない。本文から見ても一人の己心に付いて書かれていることは間違いのない処である。本文が魂魄の上に書かれているのであれば、この副状も亦魂魄の上に読まなければならない。しかし、今は本文も信仰の対照として、しかも迹門の上に説かれているという解釈のようであるから、どうしても宗教色が濃厚になってくるようである。しかし、一人の己心の上について論じられているものとすれば、信仰の対照として受けとめるよりは、理想として受けとめた方が遥かに勝っているようである。信仰の対照として受けとめるにしても、傍として極少部分でよいのではないかと思う。
 正としては飽くまで思想として受けとめるべきものと思う。これにつながるのが法流布である。しかし、宗教ともなれば教流布が先に立つようになる。教流布では一人でも多くの信者を必要とするためにどうしても無理が出来る。これは最も警戒しなければならない処である。今アメリカの国会図書館やニュ−ヨ−クの公立図書館が買い上げてくれるのは法流布の一分である。それをどのように受けとめるか、どのように利用するかということは先方の御自由である。しかし、これが若し宗教であれば色々な条件が付くかもしれない。それは宗教によるためである。その点は思想には全くその必要はない。こちらからいえば一閻浮提総与である。
 己心の法門には思想と全く等しい大らかさを持っている。その己心の法門が一旦誤って宗教と解される時は異様にガリガリしたものになり、独善になる。法華経で説かれたものを己心に受けとめるなら文底であるが、誤って文上迹門と受けとめるなら、文底のつもりで文上の広布を取り上げるようになり、思わぬ混乱に陥ることにもなる。今の護法局は文上に建立されてをり、その矛盾が前進をはばんでいるように見える。そして法流布をとらなければならない広宣流布が文上に出るのである。今その矛盾に悩まされているように見える。既に文上文底の混乱が起っているのである。
 大石寺で唯授一人と使えば己心の一念三千の上に受けとめるべきで、本尊抄末文の「頸に懸けさせ給うた一念三千」は唯授一人であり、一つのものを共同で授与されたものではない。これが文上に出ると法主一人に限るということにもなる。受けとめる時の用意によって現われるものが色々と変化してくるのである。唯授一人とは己心の本尊の働きに付いての別名なのかもしれない。今は専ら法主の別名のように使われている。それは文上に解されたためかもしれない。そこには自ら権威を生じてくるようである。これではあまりにも外相一辺の感じである。時の貫主を指すか一人の衆生をさすか、専ら受けとめ方による処である。
 法主とは本来は己心の法門の主という意味ではないかと思う。そこに師弟がある。その師弟相寄った処にも法門の主がある。それが権威をもって外相に移ると一人の貫主に決まるのであろう。己心の一念三千については師弟平等に持っている筈である。それが次の瞬間極端な差別となって現われる。その時が中々捉えにくいのである。その間に微妙な飛躍があるためであろう。そしてやがて貫主の処に根を下すのであろう。弟子を本因、師を本果ととれば本因本果の法門ともいわれ、また師弟子の法門ともいわれる。これが己心の法門と思われるものであるが、今はこれらは総て己心の法門である。
 邪義と決めた己心の法門には多分に唯授一人の法主も含まれているであろう。これも邪義の内に入れるのであろうか。これは極秘のうちに特別扱いになっているのであろうか。己心の法門とだけでは何が含まれているのか甚だ分りにくいものがある。幅の広いものであるだけに邪義とだけでは不充分である。自ら邪義と決めた時にその範囲を示すべきであった。これは水島先生の手抜かりがあったように思う。法は無尽蔵である。あまり簡単に切り捨ててしまうと、後から何が出てくるかもしれない。
 己心の法門と論理学とは本来異質なものであるから、論理学をもって己心の法門を割り切ることは最も警戒しなければならない処である。水島先生程の人が少し軽率すぎた嫌いがあったのではなかろうか。今一つ慎重さの欲しい処である。それもほんの一瞬にして日蓮が法門は一切切り捨ててしまったのである。本仏や本因の本尊や衆生の現世成道をどのようにして、何によって再建するのであろうか。切り捨てた以上、再建の発表は必らずしなければならない。これが宗務当局の差し逼ってしなければならない問題である。
 己心に代る法門を何に求めようとしているのであろうか。日蓮正宗伝統法義ということで、知らない間に繰り入れようとしているのであろうか。根本の処を切り捨てただけに再建は殊更厄介である。具体的な発表がなければ、本尊も本仏も衆生の成道もないと見なければならない。これらは総て西洋流な学問を無雑作にとり入れたための被害である。このような学問の中にあっては全く再建は不可能といわなければならない。何れにしても根本になるものを取り定めなければならない。これからが時局法義の研鑽の必要な時である。
 今までは七百年の伝統ある己心の法門を切り捨てるのが仕事であったが、これからは一日も早く己心の法門に代るものを造り出すのがその仕事になった。これは容易ならぬ仕事である。それに堪え得る頭脳を持ち合わせているのであろうか。大いに研鑽を続けてもらいたい処である。衆生の現世成道はすべてその双肩にかかっているのである。一旦邪義と切り捨てたものをもって根本とすることも出来ないであろう。さて、何を根本として宗義を立てようというのであろうか。一宗建立のためには必らず絞り切った根本になるものをまず決めなければならない。ここが水島山田の腕の見せ処である。腕の程とくと拝見したいものである。
 大石寺では古くから法前仏後がとられて来たが、近代は仏前法後に変っているようである。本尊抄では法を弘めたのは仏であるが、これは仏道論衡などが根本にあるのであろう。御書にも散見している。近代は宗門は折伏をしないが、学会は折伏するから優位にあるというような考えがあったように聞いている。これは法を弘めることに重点を置いた考え方で、釈子要覧による考え方であるが、この書は御書には未だ見当らない。室町期以後に使われるものであり、四明に変った以後に限られている。
 仏は法を弘める故に仏が先行するのである。大石寺は法が先行しているのは本仏によるためであろうか。法が持たれているから布教が出来るという考え方である。これは法前仏後である。法を主体とする本仏をとる大石寺は法前仏後であり、本因も同じ意味をもっているが、近代は仏前法後方式である。それ自体迹門によっている証拠である。釈尊を表に立てるために仏前法後方式をとるのであろうが、大石寺法門の立て方とは逆である。仏前法後方式によれば迹門によるのが最もふさわしい様である。今は他門の影響をうけて仏前法後方式が大石寺にも浸透しているのであろう。時が移り変っているのである。今の法主は仏前法後に近いのではないかと思う。それだけ迹門の影響を受けているということであろうか。
 他門がとり上げていないだけに、己心の法門も目に障っていたのであろう。それがたまたま追いつめられた中で、つい邪義と口を割って出たまでのことであろうが、事が事だけに出てしまえば弁解の余地のない程厄介なものである。これは先に口にした方が負けである。それを水島が先に口にしたのである。これでは絶対に勝ち目はない。引っ込めなければ絶対不利である。それを先に口にしたのは何としても迂濶という外はない。さてこの仕末、どのように付けるつもりであろうか。根本の処に大きな抜かりがあるようである。
 一閻浮提総与が真蹟と解され、日蓮の教えはすべて大石寺が総括して受けて、唯授一人となると外相一辺倒となり、法門とは無関係となると、対他宗関係がきびしくなるのは当然である。一閻浮提総与は本尊抄の末文の意によるものであり、頸にかけられた一念三千の珠であり、一人の衆生について唯授一人である。この末文と副状の文から一閻浮提総与と唯授一人は充分理解出来るが、これが或る意図の中で再編されたために攻撃材料に使われたものであり、解釈した側に落度があったようである。
 総与も唯授一人も一人々々の衆生が受けているのである。大石寺法主のみが唯授一人をうけ、一閻浮提総与を総て任されていることになると面倒である。そして自宗のみ正宗であり、他は皆邪宗であるとなれば尚更である。しかも何一つ裏付けがないということになれば邪義と思われるのは当然のことである。あれやこれやの手違いで、受けて蒙る身の恥辱ということに相成ったのであろう。
 これらの語は本尊の未来の姿を本尊抄に説かれているものが一語にまとめられたものと思われる。今のようであると、他門下は何一つ受けとっていないようなことになる。これは穏やかではない。外相一辺の受けとめ方が反って孤立に導いたようである。ことは己心の法門を仏教の立場で受けとめた処に始まっているようである。多分に独善的なものを持っているようである。仏法として素直に受けとめるなら、決してこのような摩擦はなかった筈である。本来平等無差別の処を説かれているものである。
 今の世上は、宗教といへども差別のみでは立ち行かなくなりつつあるように思われる。仏法家こそまず無差別に帰るべきであるにも拘らず、今は逆に差別の方向に進みつつあるようにさえ思われるのは何の故であろうか。法門の解釈が狂っているためであろうか。本来のものが急速に薄れ、他宗他門のものが次第に浸透しつつあるようである。
 滅後末法を堅持すれば同時に名字初心の堅持である。一人の上に説かれた境界そのものである。これが滅後末法であると思う。大石寺のみがよく伝え、よく受けとめているというのは遠い昔語りである。宗をあげて、それがどのようなものかということを反省する時が来ているようである。それがなくなったために論理学流な法門も割込んでくるのであろう。宗門が歓迎するために入り易いのである。色々なものが他門から入ってくるのも、所詮は自宗の法門がはっきりしないためである。
 文底法門と称しても今はその面影が残っているともいえない。今は迹門の方が遥かに多いのである。そして遂に己心の法門を邪義と公言して恥ぢない処まで来ているのである。恐らくこれは論理学の影響下に、或は論理学的発想の中でここまで急激に来たものであろう。これは一切の法門を抹殺したものと何等変りはない。そこまで来ているのである。そのために己心の法門を奨める者が狂人に見え、それが狂学と映り、果ては狂った狂った狂いに狂ったとなるのである。もうこれ以上の悪口はないということであろう。
 七百年伝えて来た己心の法門が何故邪義なのか。まずそれを明らめなければならない。このような処は最も理を尽さなければならない処である。理屈抜きで狂いに狂ったといわれてみても、吾々はそれに従うことは出来ない。その前に開目抄や本尊抄がいかに狂っているかということに論理を尽すべきである。それもしないで狂った狂ったといわれてみても、吾々は暑さの加減位にしか受けとめることは出来ない。筋を通さなければ法門ということは出来ないであろう。
 己心の法門が邪義であるかどうか、一度冷静に再検してもらいたいと思う。己心の法門を捨て去っては迹に何者も残らないということを充分承知した上で再検してもらいたいものである。気勢のみを上げることは法門の最も忌む処である。冷静さこそ何者にも代え難い財宝であると思う。しかし今振り返ってみて冷静さというようなものは一向に見当らないのは、返す返す遺憾なことである。多少なりとも冷静さの持ち合わせがあれば、己心の法門を邪義、狂学などというようなことはなかったのではないかと思う。口から出てしまっては取り返すことも困難である。
 本尊抄は仏法を説かれているのであるから左を主として説かれているが、それが或る時突然右となり、本因から本果に変ったのである。そのために左右のけじめがつかなくなったのである。そして仏法であったものが急に仏教となったのである。東が西になり、西が東になり、そのまま現在に至っているのではないかと思う。未だにその跡仕末がついていないのである。そのために次が這入り易かったのであろう。しかし、論理学的発想をとり入れたことは阿部さんの千慮の一失であったようである。今後においてどのように展開するのであろうか。迹門でも一度入ってくれば中々除去出来るものではない。今後のことは意外に厄介なものをもっているであろう。そのうちじっくりと根を下すようなことになるかもしれない。
 本来本因の処で説かれたものは本因をもって解すべきであるが、今は本果をもって解されている場合が殆どであり、それが正常と解されている。つまりアベコベに出ているのであるが、案外気が付いていないのではなかろうか。その混乱のために余計に理解しにくいのである。本因に始まったものは殆ど理解の他に置かれているのではないかと思う。唯授一人・一閻浮提総与なども、古い処では山法山規として充分に取り入れられていたのではないかと思う。この語は宗門独自の解釈の中で使われていることも充分考えられる処である。
 山法山規は分らないといっている中でどんどん消えていっているのではなかろうか。分らないといっている間に、自宗向け専用のものが案外他宗向けに変っているものもあるようである。文底から文上に移った時、大きな変化があったかもしれない。分らないといえば、それに代るものは即刻這入って来るであろう。そうして益々自他の区別が付かなくなるのであろう。古い山法山規は、今の宗門には都合の悪いもの計りになっているかもしれない。
 魂魄の上に立てられた法門は本来秘密に属するものであるが、実はそこで衆生の成道が説かれているように見える。そしてその理をかくして事行の法門として隠居法門、丑寅勤行、或は因果倶時などとその理を説明することなく衆生の成道につながるように仕組まれている。そのために衆生現世成道が一向に表から分らないのである。そして秘密の根源である本因の本尊もその理を知ることなく遂に葬り去られて本果と入り代ったようである。このようなことは、長い間に可成りな量に上るのではなかろうか。これはほんの一例である。これで衆生現世成道の重要な部分は今目前で消えていったのである。そして次第に他宗との区別もなくなっているのである。そして魂魄もまたそのような中で消されているのではないかと思われる。
 戒旦の本尊の魂魄もまた熱原三烈士と交替したのは既に明治の終りころである。このようなことは意外に重要な法門の中に多いのではなかろうか。このような事はまだまだ続けられるであろう。そして遂に衆生の現世成道は本果に移ったと同時に消滅して、他宗並みの死後の成道に変わり果てたのである。僅かな解釈のあり方が意外に大きな結果をもたらしているようである。死後の成道をとるのであれば、格別日蓮が法門の必要はなかったであろうし、開目抄や本尊抄、撰時抄や報恩抄の述作は始めから必要はなかったのである。
 今は次々に消してゆくことに執念を燃やしているようにさえ見える。何とも解し兼ねる処といわなければならない。衆生成道も本因から本果へ、本尊も本因から本果へ、己心の法門も本因から本果へ、何れも本果へ収まったようである。そして教義全般もそれ以前に本果へ移っている。そのために格別抵抗を感じないのかもしれない。宗門からいえばすべて順調に事が運んでいるのである。しかし横から見て順調に進んでいるといえるようなものではない。
 徹底的に行きつまるまで、それ程時間を必要とはしないかもしれない。そのような道を選んでいるのである。今の状況では、この道から遁れることは出来ないようになっているのかもしれない。宿命とでもいうべきであろうか。いかにも厳しい道ではある。歪められた己心の法門による処ではなかろうか。これでは己心の法門が正常に運営されているものとは思われない。既に行き詰っているのである。水島等の気勢を上げた処は最後の仕上げの時期であったが、完成をまたず全員口を閉ぢてしまったのは、気の付かない処でストップがかかっているのであろう。
 とも角今度は、現在の天台教学を根本として己心の法門を切り捨てた上で徹底的に法門の再編成を狙っているのであろう。天台教学即ち四明流を正統と仰いだ上での再出発であることは言明通りである。若しそれを実行に移すなら本仏や戒壇を捨てなければならない。今無言の中でその作業が進められているのであろう。その基底部でこれを統轄しているのは論理学的発想なのかもしれない。その完成の暁には御書も三師伝も化儀抄も六巻抄も徹底的に排撃される時であると思う。それは己心の法門の必要のない世界である。その構想がどこまで成功するか、難中の難事といわなければならない。
 新義による一宗建立の法門的な整備にどれだけの自信を持っているのであろうか。法門の性格は真反対であるから、もとのものは使いものにならないであろうし。己心の法門を捨ててしまえば、宗義の建立は他宗の、特に天台宗の専門家に一切を委任するのが最も近道である。本尊抄でいえば序論の辺りへ帰るのであるから、天台宗の専門家に任すのが最も間違いのない方法である。
 山田や水島がこれから天台学を始めるのでは今世紀の使いものにはならないであろう。天台宗を基礎として始める時、「何者をもって本尊とすべきや」という疑問がまず起きるであろう。仏滅後二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅は出現以前であるから、これをもって本尊と取り定めることは出来ない。形を似せて内容の全く異るものであれば脇書を替えなければならない。形を似せ脇書もそのままであれば盗作の恐れもある。それは己心を邪義と決めている故である。
 己心の法門を否定しては脇書通りの本尊は出現しない。しかもこの本尊は迹門の処に出現する筈もない。若し迹門にこれを出現させるためには最大の飛躍が必要である。己心の法門を邪義と決めた上で、己心の法門にのみ出現する本因の本尊を、どのようにして本果の本尊として出現させるのか。まずこの問題を解決しなければならない。宗門の教学陣はどのような自信を持っているのであろうか。これこそ差し逼った時局法義委員会の最大の課題にすべきものである。
 今も阿部さんが書写して居る本尊は本因の本尊として出現したものであり、己心の法門を正義としていた時代のものであり、この法門を邪義と決めて尚且つ書写を続けることは本尊を冒涜することになりはしないか。本尊書写の時に限って瞬間的に極く内々で己心の法門を正義ときめるのであろうか。甚深の処は一向に不明朗である。内証甚深の処は不信の輩の到底伺い知ることの出来ないものである。
 己心の法門を邪義と発表することは至極簡単であるが、後に残されたものは意外に厄介なようである。本尊書写のためにはまずこれらの問題を解決しておかなければ、いつか我が身に逼まるようなことになる恐れがないとはいえない。水島は邪義といえばそれで終るけれども、あとは阿部さんの方へ全部かかって来るであろう。時局委員会の面々はどのように解決しているのであろうか。最も簡単な方法は宗門が責任を取って正式に己心の法門を邪義と決めたことを抛棄する声明を発表することである。沈黙して居れば帳消しになるような問題ではない。いつまでも残ってゆくであろう。
 新教学の発想による被害は既に大きく現われようとしているのである。今後は悪口雑言も通用しなくなるのであろう。しばらく静観ということか。本尊と成道が同時という扱いになっているだけに面倒なのかもしれない。本尊というも成道というも、実は同じものであったのである。それが今になって絡んで来たのである。宗門はそのことに気付いていないようである。そのために一挙に結論にまでいってしまったのである。今から本に返すのは困難なようであるが、このまま進むことも出来ないであろう。進むべきか退くべきか、今その岐路に立っているようである。
 取りあえず己心を邪義と決めたことが誤りであったことを院達をもって表明することから始めるとよい。日蓮が衆生の成道を決めたものを邪義ときめることは真向からの背反である。これは穏かではない。ことは文底から文上へ、仏法から仏教へ転向した処から始まっているのである。このあたりに徹底的な反省の必要があるようである。そのように仏教へ転向せしめた教義をまず探りあてなければならない。自作自演による被害ということであろうか。改めて仏法を確認する以外に救いはないかもしれない。文底に立ち返ることである。
 衆生の現世成道を認めるか認めないかの問題である。打ち切ってしまわれては日蓮も黙っていることは出来ないであろう。既にその兆しも見え始めているようである。どのように対応するつもりであろうか。宗体の根本がゆれ動いているのである。どのように対応するつもりであろうか。追いつめられて眼前のみを囲うのは最も愚な方法である。長い間このような方法をもって対応した蓄積がたまって来ているのである。今こそそのような姑息な手段から脱皮する時なのである。天台教学に頼ったのも誤った方法の一つの表われであったが、反って抜きさしならぬ深みへはまったのである。将来へ希望の持てる方法を選んでもらいたい。
 天台学によって心の一念三千につながる事が出来ても、決して前進につながるものではない。どうみても日蓮の観心を捨てて天台に頼る必要は見当らない。何故天台の観心を取り出そうとしたのか一向に理解出来ない処である。いつまで繰り返してみても決して道の開けるような事はない。ここは発想の問題である。反撥したつもりで追い込まれる程無駄な事はない。それだけ平常から仏法や己心の法門から離れているのである。今度は論理学を離れて発想の転換を計ってもらいたい。そして目標を見失わないように攻撃を加えてもらいたい。
 先に引いた釈迦・多宝・十方諸仏等の引用文を繰り返し読んでもらいたい。そして己心の二字をしっかり味わってもらいたい。恐らくこのような文は一度も読んだことはなかったのではないかと思う。開目抄や本尊抄を読んだことがないから己心が邪義と思えたのであろう。その点では皆さんは全く同じ程度のようである。今度は宗門打ち揃って天下に公表したのである。若し誰れかが一度でもこのような文を読んでいたなら、己心の法門を邪義ということもなかったであろう。返すがえすも残念なことであった。
 己心の法門が邪義といえるようでは、法門的な破綻といわざるを得ない。阿部さんも教学部長も二ケ年半はこれを認めてきているのである。そして八ケ年間は己心も心も同じと考えていたのである。可成り深部に浸透していることと思われる。論理学的発想は可成り強力に浸透しているのではないかと思う。口には御本仏日蓮大聖人といいながら、己心の法門は一切認めないというのであるから、何とも異様なことである。最初から矛盾のみが横行しているのである。どうみても純一無雑とも純円一実ともいえるようなものではない。何はさておいてもこの辺りの整理が必要である。今程法義の混雑していることは、過去においては例のない事ではないかと思う。
 振り返ってみると、ここ八年間色々な新説が登場した。己心も心も同じとする説、己心を邪義とする説、三世常住の肉身本仏という説、明星池の底から毎朝肉身本仏が顔見せする説、戒壇を中央に、向って右に本尊、左に題目を配置する説、思い付いては新説を持ち出したのであろう。しかも一回限り二度と出てこないのが特徴であった。これも目下は何一つ出てこない。一切沈黙の状態である。誠に泡沫のごとく、出ては消え、消えては出、あわただしい限りであった。
 新説競艶会のごとくであったが、何一つ跡に残るものがなかったのも一つの特徴であった。そのようにがやがやそわそわさせるのは総て論理学的発想に由来しているのではないかと思う。そのような中で己心の法門が消され、本仏が消され、本因の本尊が消され、衆生の現世成道が消され、水鏡の御影の新意義も消され本尊書写口伝も消され、殆ど重要なものは軒並みに被害を受けて消されていったようである。いつの日か復活することがるのかどうか、あすのことは分らない。それが現実の姿である。今の唯授一人の相承が何から来ているのか、これも全く見当も付かない。そのような中で新説は更に増えることであろう。
 どうやら論理学的発想に踊らされていたようである。その後どのようになっているのか、重い沈黙の中で一向消息不明であるが、現われた新説は何れそのまま根を下して、後世手の付けられない法門として残っていくことであろう。拾えばまだまだ大きなものもあるであろう。一瞬の出来事としてはあまりにも足跡が大きかった。長い時の混乱の結果がこのようなものを生み出したのであろう。さてこの結末をどう付けるか、あまりにも問題が大きすぎるようである。差し当って時局法義研鑽跡始末委員会を作って研究しなければならないであろう。短期間にしては如何にも大きな足跡である。どのように対処するのであろうか。
 大日蓮に発表されたものは意外に大きな問題のようである。いかにも狂ったという感じである。今は踊り疲れたのか、詢に静寂そのものである。中でも水島山田はその代表格である。今となっては御書の第一巻に載せられている水鏡の御影も、遠い昔語りの中に消え去ったことであろう。山法山規はこのようにして消えてゆくのである。今少し自宗の法門がはっきり捉えられていたなら、このような新説花盛りには至らなかったであろう。今からでもよい。本来の法門に眼を向けなければならないと思う。
 新説の洪水ではどうにも救いようがない。大分気を付けないと、今後ますます新説は増えてくるかもしれない。どのようにしてこれを防ぐか、これは今後の大きな課題になるかもしれない。いう所の日蓮正宗伝統法義と称するものも、大部分は新説をもって固められている。これは教学的にはやや古く見えるが、それだけ多分に仏教的な雰囲気をもっており、新説もまた可成りあるのではないかと思う。
 深い検討も加えられず、次々に無雑作につくられるものだけに細心の注意を拂いながら検討しなければならないと思う。日蓮正宗伝統法義といわれているだけに、既に法門になり切っているものもあるであろう。このようにして、法門はどんどん解釈が改められているようである。日蓮正宗伝統法義とはいかにも紛らわしい処を狙ったものであるが、最も古い処でも大正以降である。しかし実際にはここ二三年以来の新伝統法義があるかもしれないのでよく注意しなければならない。或は山田製の伝統法義があるかもしれないのである。
 水島の不軽菩薩も御書の不軽ではない、経に返されている処があるように思われる。この点に注意しなければならない。つまり時を外れたものが出ているようである。このような事が平気で行われるのである。一旦抹殺した後に再登場するためである。これは山田にも共通したものがあるのは新発想によっているためであろう。ここは随分警戒を要する処である。そして己心の法門によるものと違って奇想天外の発想を持っているのである。それは自分の意志通りに出るためなのかもしれない。自由な一面を持っているためなのかもしれない。
 思いつくままに発展してゆくことは危険なことである。そして遂に多少なりとも深みにたどり付くことが出来なかった。しかし、消してゆく特性は充分発揮したようであったが、最後までまとまりはつかなかったようであり、ただ踊りに明け暮れたのみであり、迷惑法門そのものであった。しかし狂わせた或る部分は後々に伝わって、思わぬ処が開花に至るような事になるかもしれない。今既に収拾が付かなくなっているのではなかろうか。この山田法門は今もお下劣さのみは、かすかに記憶の底に残っている。
 山田水島法門では、さすがの他門の学匠も、大石寺法門の判定については、間違いなく迷い惑ったことであろう。そして反って匙を投げたことであろう。しかし底の深さのみは間違いなく知り尽したことであろう。慌てた三年足らずの成果としては止むを得ない処ではあるが、崩した或る部分は後代に受け継がれるようなことになるかもしれない。
 ここ数年来急激に理由もなく崩れ去ったものを、どのようにでもして復活しなければならない。頭の中が改造されているだけに、結果を求めることは殆ど不可能に近いことなのかもしれない。差し当っては、新発想と絶縁することが第一歩である。あまりにも安易に取り入れたようである。そして己心の法門を邪義と決めたことは、いつまでもそのしこりを残し続けるであろう。また自らの本来の教学を狂学と称したことも、その業跡は永遠に残ってゆくであろう。教学部長も以って瞑すべきか。
 真冬の明星池の氷を割って生身の自受用身が姿を見せる処もまた天下の奇観である。これらは総て新発想による教学的成果である。そして生身の自受用身が声高らかに唱題行を事に示す処が最高頂ということであろう。これ程急発展する教学は最も危険なものを内蔵しているものといわなければならない。これをどのように処理することが出来るか、これまた今後に残された最大の課題といわなければならない。以上のようなものが次々に出てくること自体既に教学的破綻である。今すぐ手がけなければならない緊急課題であると思う。
 今のように根本を仏教の処に立てながら古い大石寺法門を唱えると、どうしても所謂中古天台という印象が強くなる。迹が捨て切れないためである。他門はそのように見えるであろう。いい換えれば受持が抜けているのである。そのために仏法と仏教が混雑して分りにくくなるのである。左右の区別が立たなくなるのである。しかも居る処は開迹顕本に近いように見える。そこが混乱の場である。いうまでもなく仏法と仏教の時の混乱である。新発想はますますそこの処を混乱せしめるであろう。己心と心の違い目は、ここにも明了に出ているのである。
 己心も心も同じとは仏法も仏教も同じということになる。仏法から時を抜きされば仏教とそれ程の区別はなくなるであろう。しかし現実には区別があるから開目抄や撰時抄も説かれ、また本尊抄も説かれているのである。心も己心も同じならこの様なものを説く必要はなかったであろう。しかし事実は甚だ違っているのである。それが今は同じと見える処まで落ちこんでいるのである。全く日蓮の存在意義は認めないということであろう。いうまでもなく己心と心を同じと見れば即時に仏法は消滅するであろう。これでは御本仏日蓮大聖人の仏法も即刻引っこめなければならない筈であるが、今に依然として使っているのである。そのような中で仏法と仏教の混乱を生じ、最後は仏法が消されてゆくのである。
 今は仏法を消すために専ら努力しているようである。そして消し切った処で新しい混乱が始まりつつあるのであるが、それには一向に無関心のようである。そして大日蓮の巻頭に己心も心も同じだ、心にしろと出るのである。日蓮を捨てて釈尊に帰れということと同じ意味にとれる。その己心はやがて邪義の烙印を押されるのである。そのような中で、今も日蓮大聖人の仏法は唱え続けられているのである。何としても最高の自己矛盾である。
 近代の日蓮正宗伝統法義にはあまりにも仏教的な要素が多過ぎる。殆ど右尊左卑である。それが摂取不充分のために時々飽和状態になる。攻め立てられて他門のものを無批判に受け入れている中で仏教的なものが充満してくるのであろう。本来は受持によっているために一応仏法の処に消化されているのであろうが、今は未消化のままである。そのために問題を後に残すようである。根本は二ケの大事が忘れられた処に帰結するのではなかろうか。最初に受持がなければ、後になって強引に迹仏を乗り越えなければならない。今はこれが大きな比重を持っているのではないかと思う。そこへもって最近のように論理学的発想が割り込んでくると、何のなす術もなく即時に崩されるのである。これは大きな教訓である。これ程弱い面を持っているのである。
 僅かの間に殆ど根絶し尽くされる程の被害を受けたのである。まるで白昼夢とでもいうべきものであるが、それを被害とも思えないのであろう。その後に何が残されたか、これが問題なのである。今は夢中で取り入れているけれども、後の処に問題は持ち越されているであろう。これは仏教以上に厄介なものである。どのように考えているのであろうか。その夢中に出たのが三世常住の本仏論であるように思われる。既に足は大地を離れているのではなかろうか。
 若し新発想が排除出来なければ、大石寺法門は根底から崩れるような事になるかもしれない。日蓮正宗伝統法義はそれを多分に取り入れた上に成り立っているように思えてならない。山田でもこれを具体的に挙げることは出来ないであろう。仏法・仏教以外の要素が割込んでいるのである。「正しい宗教と信仰」でもカントの生命論は生きているようである。それらのものが綜合された上に日蓮正宗伝統法義は成り立っているように思われる。この中で最も力を失っているのが仏法ではないかと思う。伝統法義も複雑なものを具えているようである。そして世間と仲好く論理学的発想の被害を受け始めているようである。
 八年前といえば戦後三十年である。子供のいじめの表面に出はじめた時期である。時を同じうして宗門でもいじめが始まっている処は世間即仏法である。等しくいじめが出始めた。そのきっかけを作ったのが論理学的発想である。最初己心も心も同じだといわれた時、それが何によっているのか全く見当もつかなかったのである。それが今漸くその発生源を捉えることが出来たのである。その間八ヶ年を要したのである。
 戦後四十年、アメリカでは遥かにこれを凌ぐ学問は発展していることであろうが、いま正宗では論理学の風が吹きまくっているのである。これは正信会にも意外な影響を与えているであろうことは容易に想像することが出来る。当時「久保川論文を破す」の中にも、或はそのようなものが取り入れられる兆しがあったのかも知れない。その新入りの雰囲気に呑まれて正信会の面々も意表を突かれて答に窮したのかもしれない。とすれば緒戦ではそれなりに効果をあげたのかもしれないが、あまりにも短寿であったのが玉に疵であった。八ヶ年もたなかったのである。これでは失格もまた止むを得ない処である。あまりにも短寿であった。これはその撰定を誤ったということである。次には長寿を持ったものに依ってもらいたい。せめて八十年、八百年の寿命を目指してもらいたいと思う。
 大石寺では今論理学の大風の最中であるけれども、この風も漸く終りが近付いて来ているように思われる。しかしこの風の跡仕末は意外に厄介なのかもしれない。既に当人自身が風の影響を受けているからである。正邪を見る眼を失っているからである。今どこまで本心が残っているであろうか。一旦失った己心の法門が正義として立ち返る日が再びあるであろうか。これは最も興味を引かれる処である。
 僅か八年間のことではあるけれども、可成り心身の奥深く食い込んでいるかもしれない。このようなことは、それ程簡単に拭い去れるものではないかもしれない。若しそれが出来なければ、再び本のごとく仏法に立返ることは困難なことかもしれない。吾々の関心も亦そこにあるのである。最近の珍説、邪義、魔説、狂学などと言ったものは尽く己心の法門であり、仏法にあるべきものである。それ程今は宗門が仏法と遠ざかっているのである。しかし、仏法は時のない処にはあり得ない。そのためにわざわざ撰時抄は仏法の時を説かれているのである。今は時が消えたために語のみが残っているのである。
 現世成道が死後の成道に変ったのも仏教によっているためである。今では仏法よりは遥かに仏教に縁深くなっているのである。そのために本仏もまた不安定なものをもっているのである。そして本尊も亦仏法と仏教の間を往返するようになっているようである。それが今の現実である。そのような処へ更に論理学的発想が割込んで来たのであるから、いよいよ分らなくなったのである。そして衆生の現世成道もいつとはなしに死後の成道に変ったのである。
 結局は他宗他門のように新成顕本の壁が乗り超えられなかったのである。開目抄や本尊抄ではこの難問はすでに解決されているのに、後の者で何故解決されないのか。不勉強の故か不信の故か、受持について不充分ということであろうか。どこかに抜かりがあるためであろう。大石寺では室町期までは解決されていたようであるが、その跡急に行き詰まったのである。急に宗学が変ったためであろう。家中抄では道師と伝えられる大石記の、施開廃の三ともに迹は捨てられるべしというのは、意味不明のまま全面的に抛棄されている。そして現在までそのままになっているようで、つまり新成顕本の壁が乗り超えられなかったために現世成道を捨てて未来成道へ切り換えざるを得なかったのである。
 日蓮の解決済みのことが今になって解決出来ないとは何とも頂きかねることである。しかも四百年以来のことである。その四百年間にそれ程教学が大きく変貌しているのであるが、今に元に帰そうという動きは一向に見当らない。どうやら迹門の方が居心地がよいということであろうか。その点では他門も中古天台も全く変りはない。迹は捨てられるべしを迹は捨つべからずと読んでいるためであり、本迹迷乱といわざるを得ない。興師の三周忌にも本迹迷乱があり、今また本迹迷乱とは、本末究竟ということであろうか。衆生の現世成道は文底本門にあり、今は未来成道の文上であり、この処についての本迹迷乱である。宗門は本迹迷乱とは考えないのであろうか。この迷乱の中では衆生の現世成道は永遠にありえないであろう。まず整備しなければならない処であるが、現世成道など始めからなかったものと考えているのであろうか。
 日蓮一生の最大の目標であった衆生の現世成道は、今は奇麗さっぱりと忘れ果てられているようである。それ程教学が狂っているのである。狂いすぎて狂っているという感覚もなくなったのであろう。それは仏法にあるべきものが仏教に移ったためである。時が消えたために仏法と仏教の見境がつかなくなっているのである。これこそ狂いに狂った、狂った狂ったのである。己心の法門に帰ろうということは決まったとも見えないのである。文上に根を下すことこそ狂っているのである。これまた時の混乱がそのように思わせるのである。これが時の恐ろしさである。
 未来成道に付いては、法門的な裏付けは何一つないのであろう。日蓮が法門とは別世界のものであるが故である。衆生の現世成道は、日蓮が法門以外には解決されていないのではないかと思う。その根元になる己心の法門は、今はあえなく邪義と決めつけられているのである。そして決めつけた側は未解決を表明している新成顕本グル−プに仲間入りしているのである。これではいつまで待っても晴れて衆生の現世成道の日を迎えることはない。ないことに向って努力しているのである。何とも不可解な努力である。
 今の宗義は現世成道を拒むように仕組まれているのである。衆生の成道は現世に限るというものは日蓮独自の発想である。そのために時を決め己心の法門を打ち立てたのであり、そして仏教を抜け切るために、前もって二ケの大事を撰定されているのであるが、今はすべて幣履のごとく打ち捨てて省られないのが現実であるが、時たま衆生成道という声を聞くこともあるようであるが、これらのものを捨てては無用の語であり、無意味な語である。
 この衆生の成道を捨てたために開目抄や本尊抄が読めない、読みとれないのである。次上の語や阡陌の二字が御書にないとは最も好くこれを表わしている。読んでいないから目に映らないのである。それでいて高座へも上っているのである。この語も使ったのは一回限りで、二度と使うようなことはなかった。あとは只落ちるのみであった。すでに新発想の御先棒を担いでいたのである。そして衆生の現世成道や己心の法門を消すために四苦八苦していたのであろう。そして法門の基本線が崩れ去った処でいじめが起きた。それが二百人の大量首切り事件であった。そしてこの新発想は切られた側へも根強く浸透していったように思われる。殆ど双方共自分では気付かない間に進行していったようである。
 いまの子供のいじめも、その根源が分らない前に進行しているのである。気付いた時には手の付けようがないというのがこの新発想なのかもしれない。これまた双方とも気が付いていないようである。大石寺では法門の中ではまだまだ進行してゆくのであろう。己心の法門を邪義と思わせる力を持って解体作業を進めるようなものを内に秘めているようである。それが理の恐ろしさである。そのために長い間理の法門は排除されて来たのであったが、今は完全に理の法門の、しかも新旧の双方の虜になったようである。宗門も少し配慮が足りなかったようである。
 新発想は戦後三十年、日本人の美徳とされて来たものの解体作業は殆ど成功裡に終った。そこで起きたのが子供のいじめである。その時は、これを拒むようなものは何物も残っていなかったのである。あれよあれよと騒いでいる中でどんどん進んでいるようである。そのようなものは今は社会全般に浸透しているのである。筆者も戦後以来今も変ることなく経験している。それが弱い者いじめである。たまたまその解体作業の経験を身をもって体験してそれに気付いたので宗門に警告しているのである。受けとめるかどうかは御自由である。
 今は警告しているものが狂人と見えているようである。世間でもいつか再検しなければならない時が来るであろう。目前の対策で効果の上らないのは分り切ったことである。学校教育そのものが、そのような中に組み立てられているのである。しばらくは子供のいじめも続くことであろう。筆者も亦そのいじめから遁れられないことは覚悟している。その中でいじめの構造の一つの型を見付けたので宗門に警告しているのである。子供のいじめが何から起っているかということは当事者でも分っていないのではなかろうか。
 人間が長い間積み重ねて来たものがここ三十年計りで崩れ去ったのである。その後に起ったのがいじめである。世間のいじめが一見子供のまねをしているように見えるのも、実は元は一つで只違う処は子供がやるか大人がやるかの違いのみであるからで、いじめに関する限り、大人と子供の区別はなく、等しく幼稚である。まずは童心に帰ったということである。その弱者の中にあってこのような貴重な体験をさせてもらったことは感謝しなければならないと思っている。これが分れば格別あわてることもない。もっともっと体験を積んでゆきたいと思っている。
 論理学的発想は、意外な程の力をもって社会の中に浸透していっているように思われる。しかし、これを止め矯正するのも教育者の仕事であれば一日も早く気付いた方が仕事はやり易いかもしれない。子供のいじめも大人のいじめも全く同じであるということは、それ程大人の考えが幼稚ということであろう。出来るだけ早めの方が訂正の効果は上りやすいことであろう。今経験しているいじめも底が浅いだけにすぐに底が割れるようである。やっている側が幼稚なことを表わしている。ばれることはあまり気にしないのかもしれない。それだけ浅い処で行われているのである。
 宗門のやり方でも、やる下からばれているようである。若し文底であればそれ程簡単に割れる筈のないものが、意外に簡単に割り切れるのは、文上のみに頼っているためかもしれない。初めから文底文上の区別がついていないのである。時が違っているので、時を探ればすぐ分ることである。それを自信満々にやるのであるから、やる後からばれていっているのである。法門はもっともっと甚深な処で計画した方がよいようである。一度切り出せば三十年や五十年訂正の必要ないものこそ甚深ということが出来る。一回限りでは世間のいじめと何等異る処はない。子供と何等異る処はない。これでは仏法には遥かに遠い距りがあるといわなければならない。
 今は一見底の底まで分るようなのが法門なのかもしれない。それでは団地のいじめと何等変る処はない。変形した世間即仏法ということであろうか。法門から甚深の秘密などというものは完全に除かれたようである。そして語として僅かにその痕跡を止めているのみである。そして甚深なものはどんどん消されて新らしく変貌を遂げつつあるというのが実情のようである。
 時局法義研鑽という、いかにも尤もらしい語を表看板にした委員会は己心の法門を邪義と決めた後の地ならしをしていたのであろうが、これを理論付けることは恐らくは成功しなかったであろう。本因の本尊を本果と改めることは出来ても、本仏を消し去ることには苦慮するであろう。どのようにして無力化するか、これも一つの課題ではないかと思う。大地の底に居る筈の本仏が虚空を目指すのも、そのような中での一方法なのかもしれない。
 仏教にあって本仏を立てるなら、必らず他宗の批難は集中するであろう。これもそれ程簡単に乗り超えられるようにも思えない。これも本因や己心の法門のように、いつか姿を消すようなことになるかもしれない。他宗の圧力下でどんどん改められてゆく運命にあるのであろうか。これも根底に欠けるものがあるためであろう。二十世紀の終末を迎えて本仏も本尊も成道も遂に行き詰ったのである。
 化儀の折伏、法体の折伏も捨てる気になればいつでも捨てられることは経験ずみである。己心は邪義ということも捨てる気にさえなればいつでも切り捨てられるものである。僅か三年足らずのことにそれほど面子を立てることもあるまい。思い切ってすてれば成道も本仏も本尊も早速手中に帰ってくるのである。これを手中にすることの方が遥かに賢明である。そして安心して明日を迎えてもらいたいものである。ここまでくれば、開目抄や本尊抄の処に帰る以外に方法はないであろう。いくら力んでみても己心の法門を捨てた処に本仏や本因の本尊が顕われるわけでもない。思い切って帰ることである。開目抄や本尊抄、そしてそれを説かれた人をも捨てて、尚それを上廻るようなものが、己心の法門を邪義とすれば蘇ってくるのであろうか。
 今、世間では新人類という語にもお目にかかることがある。どのような意味か全く分らないが、その前に短期間のいじめ時代を経た後の世代を指しているように思われる。あきらめの時代とでもいうのであろうか。仏のように悟ったわけでもない。何となく空漠とした年代とでもいうべきか。はっきりと自分自身が捉えがたい時代ではないかと思われる。新人類という語には、人の冷やかさのみを感じさせるものがある。この世代の若者等には己心の法門は最も格好なものではないかと思う。宗門人も己心の法門の現代的研究でもやってみてはどうであろう。この世代は下化衆生的なものには反撥を感じているであろう。今までのような宗教にはついて来ては呉れないであろう。不信を先立てているに違いない。

 戒旦の本尊
 予定の頁数に満たなかったので取りあえずこの項目をもってその不足を補うことにした。所謂楠板の本尊といわれているもので、大石寺の信仰の中心になっているものであるが、本来の意義については可成り失われその信仰の面について新しい解釈が付けられているのではないかと思う。本来の意義を思い切って意訳したような解釈ではないかと思われる。それも明治以後のことが特に目立つようである。
 六巻抄には上代の意義は十分伝わっているようであるが、寛師以後明治に至る空白期間が大きかったようである。その間に失われたものが復活するひまもなく明治を迎えたために対応が後手に廻って、今に至るまで十分な復活は遂に行なわれなかったようである。そこへ新解釈も割り込んで複雑にしたのではないかと思われる。更に今回は論理学的発想による新解釈が割り込んで来て、反って被害を受けたのではないかと思うが、宗門では更に被害者意識は持っていないのではないかと思う。
 もともと筋の通った解釈がなかったために簡単に割り込めたのではなかろうか。これは宗門側に問題がありそうである。そして向う先が見えなくなった処で沈黙を続けている。一年間沈思黙想の行いは続いている。そろそろ行も終りが近付いているのではなかろうか。解釈がうわついている感じである。少し法門の線を外れているのではないかと思う。そこで増上慢といわれるのも厭わず私見を書き記すことにした。本来の意義を求めることが出来るなら少しは落付きを取返すことが出来るかもしれない。そのための私案である。
 戒壇は直接には文底秘沈抄の三秘の解釈について、本来なら法華取要抄をもって解すべき処を三大秘法抄によったのではないかと思う。そのために戒定恵の三学が抜け三秘が各別となり、その戒壇が別立して戒壇建立となり、やがて今の正本堂となったのであるが、若し取要抄によってをれば建築物の必要もなく、己心の戒壇に落付いていたのではないかと思う。三大秘法抄には三学の持ち合せがないのではなかろうか。そのために解釈が大きく変ったようである。そして三学が抜けたために衆生の現世成道から大きく後退したのであろう。
 開目抄や本尊抄等も六巻抄も衆生の現世成道が根本におかれていることは何等変りはない。これは日蓮以来の不動のものとして受け継がれて来ているのであるが、今は三大秘法抄によったためにその辺に大きな狂いが出ているようである。そしてその根源になる己心の法門でさえ邪義ということに決められたのである。戒壇の本尊とは己心の法門そのものである。この法門を捨てては戒壇の本尊の解釈は恐らくは出来ないであろう。
 己心の法門を邪義と決めては本仏も本尊も題目も衆生の現世成道も恐らくありえないであろう。これらを一切抛棄してまで己心の法門を邪義ときめなければならない理由はどこにあるのであろう。これは開目抄や本尊抄等の重要な御書との訣別を意味しているのである。いい換えれば日蓮が法門の全面的抛棄につながるものである。それはまた戒壇の本尊の抛棄の意味をも持っているものである。
 三大秘法抄によって戒壇建立に踏み切ったものの完成の時には他門の異見によって止むを得ず不本意乍ら正本堂という処へ落ち付いたようである。文底秘沈抄は取要抄をもって解すべきものであった。六巻抄の第一行には衆生の現世成道また戒定恵によるべきことはその中に十分含められているのである。そして第三依義判文抄には戒定恵の三学を示されている。ここから逆次に第一の初行まで読み返せば必らず戒壇が己心の法門に依るべきことは当然出て来たのであろうと思う。しかし現実には三大秘法抄が押し切ったのであろう。
 その正本堂も早くも大修理が行われているということである。若し己心の戒壇であればこのような大修理の必要はなかったであろう。外相に出過ぎたようである。結局は戒壇も己心に収まらなければ真の安定は望めないのかもしれない。今のような時戒壇の本来の意義を探ることも満更無意義なことではないかもしれない。己心の法門は興師は師弟子の法門といわれている。即ち師弟因果の法門といわれるもので、客殿で既に事に行じられている事行の法門であるが、今はこの師弟子の法門も事行の法門から離れた処即ち師弟各別の処で解釈するのが正釈となっているようである。随分の変りようである。
 戒壇ということになるとつい建築物を考えるようになるが元は師弟相寄った中間に戒場は自然と出現したものではないかと思われる。それが師弟子の法門の戒場であり戒壇ではないかと思う。それは事行の中にあるものである。それがやがて像法の戒壇に発展してゆくのではなかろうか。これは飽くまで師弟子の法門の上で、己心の法門として考えなければならないものであるが、三大秘法抄の戒壇を想起すれば自然に像法の戒壇に近付いてゆくのかもしれない。取要抄の戒壇ではそのようなことは起らないであろう。文底秘沈抄を何をもって考えるか、これはその前段の問題であるが、今は三大秘法抄をもって考えるのが常識のようである。そこに時の移り変りがある。寛師の考えは取要抄にあるようである。
 三大秘法抄によった処には明治という時代背景を考えなければならないと思う。それが止まる処を知らず国立戒壇と発展して最後正本堂に収まったのであるが元は師弟相寄った中間に建立された姿のない戒壇であったのである。そこに顕現されるのが本因の戒壇の本尊であり本仏であり、同時に衆生の現世成道の姿でもある。これは総て己心の上にのみ考えられるものである。そしてやがて本仏も本尊も戒壇も成道も己心を離れた処で考えられるようになった時、各別になり次いで発展して考えられるのである。ただ生れが己心の法門というだけのことである。己心とは全く別個な処で考えられるのである。己心の法門として考えなければその真実は捉えにくいことはいうまでもない処である。
 己心の上には国立戒壇など夢にも考えられない処であるが、夢が無限に拡がったということである。異状発展である。影も形もない己心の戒壇が国立戒壇まで発展してゆくことは誠に夢のごとくである。ここでは国そのものも異状に発展しているようである。始めから己心に法門を立てている大石寺で何故国立というような国の意義をもっているものを導入したのか何とも不可解な処である。これから見ると明治初年にも己心の法門は可成り薄れていたのではないかと思われる。そのために国立戒壇も何の抵抗をも受けることなく己心の法門の極地である本因の本尊と一箇することが出来たのであろう。
 国立の国は仏法でもなければ仏教でもなく、全く世俗にあるべきものである。これをきっかけに大石寺法門も次第に仏教との区別が付きにくくなったのではなかろうか。そして次第に俗臭が強くなってますます混沌として来ているようである。純粋な仏法を抜き出すことは困難な状態におかれているようである。仏法と世間と仏法と仏教と互いに相似点をもっているのである。特に最近はますます区別が付きにくくなっているようである。それだけ宗門の発言力が弱まっているということである。戒壇も仏法の戒壇から仏教に移っているのである。そして己心の仏法でいう戒壇は殆ど失われているようである。
 戒壇の意が違ってくればそこに顕現する本尊も異った意をもってくるであろうし、本仏の意義もまた異ってくるであろう。そして成道も現世成道から急速に死後の成道に変ってゆくのである。しかし信仰を不動にするためには戒壇の本尊の解釈をまず不動のものに取り決めなければならない。これは今差し逼った問題であると思う。黙ってをれば本因で通るものをわざわざ本果と決めた真意は最も理解しにくい処である。ここでいよいよ沈黙に入ったのである。二の句が絶えたのであろう。自ら好んで飛び込んだ道である。このまま沈黙を続けることは完全な敗北を表明するものである。それでも続けるのであろうか。そろそろ次の立ち上りを策してはどうであろう。ここは宗門の決断のみに限る処である。
 思い切って名字初心に帰ることは出来ないのであろうか、水島の奮起を望みたい処である。この行き詰りは必らず打開しなければならない。その時、事行の法門は大いに救いの手を差しのべてくれるのではなかろうか、名字初心に帰ることと、それを事行に表わすこと、そこからは必らず立ち上ることも出来ることと思われる。一の実践は百の理にまさるものである。戒壇の本尊には己心の法門と戒定恵の三学は既に備わっている。この五字を唱えるだけで成道の条件は満たされるように思われる。それをも弁えず、これを理解しようともせず、わざわざ成道を死後に移しているのである。
 改めて戒壇の本尊という五字について考え直してもらいたいと思う。阿部さんは増上慢というかもしれない。それをいう前に秘められていそうなものは一応拾い上げて見てはどうであろう。増上慢というのは負け惜しみという感じが強い。それをいう前に予め出してをいた方が利口な手ではなかろうか。いつまでも秘めていては出す時がなくなってしまう。秘して示さないのは温存中のこのである。今では戒壇の本尊が語に戒定恵の三学が秘められていることは夢にも考えていないのであろう。
 近代の混乱の始まりは専ら熱原三烈士の導入以後のことである。そして富士山頂上に国立戒壇建立と発展したようであるがこれも頓挫して大石寺に建立として残っていたものが再燃して始まったのが今は正本堂と収まったのであるが色々と紆余曲折があった。そして行き掛り上、つい真蹟ということになったのである。それから亦混乱が始まったのである。真蹟をもって一閻浮提総与として日興に授与されて大石寺が格護しているとなれば大変である。そして弥四郎国重についても宗門でも色々と研究されたようであるけれどもあまり名案は見付からなかったのであるが、今本果の本尊と決まれば真偽問題が再燃するようなことにもなるかもしれない。
 もっと法門の上の整理を急ぐ必要がある。陰で無相伝の輩といって見ても解決には程遠い話である。一閻浮提総与も法門専用語として一重立ち入った処でその真義を確認しておかなければならない。今は一閻浮提を現在の世界各国全部という考えがあるようであるが、これも飽くまで己心の法門として確認しておかなければならないものであるが、今では己心から外れているだけに厄介である。一から出直す必要があるようである。この辺りは可成り崩れが目に立つようである。そこに戒壇の本尊の意義の再検を要する理由があるのである。
 拝めば御利益があるだけでは二十一世紀には通用しないかもしれない。所謂新人類の心を捉え、振り向かすだけのものが必要である。この新人類といわれる若者等は論理学的発想の被害者なのかもしれない。これは先輩であり経験者である。これは下手から教えをこうておいた方が賢明かもしれない。宗門も今に新人類の仲間入りしなければならないようなことになるかもしれない。論理学等の諸学による被害者同盟組織の一員としてである。その意味では新人類と最も近い関係にあるのではなかろうか。これはあまり自慢の出来る話でもなさそうである。秘すべし、秘すべし。ここ百年間のことを改めて振り返って再検しなければならない時が来ているようである。最も緊急を要する問題ではないかと思う。敢えて提唱するものである。
 重ねていう、古くから名字初心とか本因修行とか、本因の行者とかいうことがいわれているがどうもその意味はこれ又はっきりしていないようである。それというのも戒壇の本尊という語の真意がはっきり捉えられないために消える方角に向きつつあるのではないかと思う。今では信仰の対照としての楠板の本尊のみが大きく浮び上って来て反って本来のものが薄れたのではないかと思われる。宗義の根本がこの戒壇の本尊の五字に収まっていると思えば少しは考え方も変ってくるのではないかと思う。戒壇の本尊には名字初心も本因修行も本因の行者もすべて収まっていることは明らかである。今はそれを確かめる方法が失われたために本因が失われようとしているのである。
 名字初心等の語は戒壇の本尊の意義を含めているように思われる。名字初心に帰れとは戒壇の本尊出生の本源に帰れ即ち戒壇の本尊と同じ状態になれという意味を持っているであろう。久遠名字の妙法の原点という意味である。戒壇の本尊とはそこに建立せられているものである。ここは本因にあたる処であり、修行もそこに因果倶時を見、師弟も亦そこに考えられているものであろう。師とは本果を指し、弟とは本因をもって示すようになっているのであろう。興師のこの師弟子の法門という語はその辺りで解すべきではなかろうか。戒壇の本尊も名字初心も本因も、終局的には同じ意味である。
 本因では只のび上るために専ら修行が要求されるが、今は本果の修行として口唱の題目が限りなく要求されているが、それは戒壇の本尊とは関係のない真反対の修行になっているようである。戒壇の本尊のためには本因こそ唯一の修行なのである。命がけの唱題は本因修行に対して本果をもって酬(こた)えているのであろう。同じくなら本因修行をもって酬えるべきではなかろうか。戒壇の本尊とは一切の法門が本因に集中していることを示しているようであるが、今の宗門が最も斥い恐れているのは本因のようである。現状は大体本果に集められたようである。
 御相承も戒壇の本尊を離れて本果の処に根本を置かれているのであろう。宗務院が分らない山法山規も実は本因の処にあるものである。それは本果で読もうとするために分らないのであろう。若し宗門が本因に帰るなら山法山規は即刻理解出来るであろう。時を違えては分らないのも当然のことである。早く山法山規が分るようになってもらいたいと思う。
 今では本因の行者日蓮も本果の行者日蓮と理解されていることであろう。そのために己心の法門が邪義と思われるのである。これは因果の時の相違である。本果の中にあって立直ることは殆ど不可能のように思われる。立直りや成長は必らず本因に限ることを教えているのが戒壇の本尊ではなかろうか。世間も亦立上がりは本因に限るようである。世直しは本因による立ち上りである。世直しは本因による立ち上がりを教えているようである。
 久遠元初は本因の中心部を指しているようである。そこが立ち上がりのための原点になっているのであろう。久遠元初や本因が事に示されたのが戒壇の本尊のようである。その意味では大いに受持は必要であるが、本因や元初の処は一向に受持されていなかったようである。それが今の混乱の遠因になっているのではなかろうか。身延に小突かれて自然と戒壇の本尊から元初や本因を除いた結果が表われたようである。罪はむしろ宗門側にあるのではなかろうか。そして題目も次第に本果の処に固まっていったようである。その陰で迹門に落ち付いたのが唯一の成果であった。そのための矛盾が表に出ようとしているのである。そこでどうしても文底本門と文上迹門との区別を鮮明にする必要に迫られているのである。
 文選二十三の王仲宣が文叔良に贈る詩の中に、君子敬始慎爾所主(君子は始めを敬しむ、爾の主とする所を慎めよ)という句がある。面白そうなので抜いてみた。味わってもらいたい。始めを敬しむとは名字初心を敬しむとはとれないであろうか、そして主とする所の本因を慎しむ、即ち名字初心や本因を慎しむことは戒壇の本尊の受持と受けとめられないであろうか。戒壇の本尊の根元が名字初心と本因を確認し受持する意に通じないであろうか。一にまとめれば己心の法門である。この本尊を受持することは己心の法門を受持することである。戒壇の本尊はそのようなものの受持を求められているのではなかろうか。
 戒壇の本尊が己心の法門の上に出来ていることは動かせないであろうが、これを邪義と決めることはこの本尊の受持を拒否するようになるのではないかと思われるが、何かこれを拒ぐ好い理由でもあるのであろうか。今は戒壇の本尊と己心の法門とは無関係なのであろうか、それなら己心の法門を邪義と決めるのは御自由である。とも角仏法の発端が名字初心にあり本因にあることは動かせないであろう。この二つは本尊とは別な処にをいて本尊の本来の意義を明らかにしているのではないかと思う。これは深い配慮の中でなされているのではなかろうか。
 元初とは混沌としたこの世の草創の処を指しているかもしれない。現世の始まりである。この元初とはどろどろの世界である。戒壇の本尊は仏法の極理を示されたものを信仰の対照としているために、仏教を立てる他門家から見れば堪え難いものがある。そのために常に小突かれて来ているのである。仏法の極理が仏教と同列におかれたために始まっているので、これでは始めをつつしんでいるとはいえない。災いはそこから始まっているのである。これは仏法に立ち帰るのが最も好い方法であろう。現状では他門と同化するまで攻めたてるであろう。とも角宗教として出生しているのでないということを自覚するのが先決条件である。
 大石寺の仏法は生きて現世に成道を遂げるようになっているし、他門は死んで成道するような仕組みになっているのである。その違い目が分らなければ、他門は追求の手は止めないであろう。仏法は究極は孝に収まり仏教もまた孝に収まった時始めてその一致点が見出だせるようである。名字初心をその孝の処に見ることは出来ないであろうか。その孝の処に元初もあれば本因もあるということではなかろうか。孝の処で久遠実成も久遠元初の中に含まれているのではなかろうか。本因から本果へ、元初から実成へということは全く無意味なことである。これらを大きく包んでいるのが己心の法門であるが、今はこれを邪義として切って捨てたのである。
 真宗では己心の弥陀をとっている処は大石寺と似ているようであるが、真宗では死後の浄土として西方浄土をとっている。大石寺とでは現世成道によるために本時の娑婆世界を浄土と立てている違いがある。これは根本的な違い目である。そして報恩抄も現世成道をとる証として大きな役割を果しているのではなかろうか。別に報恩がとり上げられていない真宗では死後の成道をとっているようである。宗義として現世成道をとったのは日蓮に始まる処である。これで始めて仏法も成り立ったのである。
 昭和六十一年十一月七日発行 

 

 

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 大石寺法門(五)


 
六巻抄の読み方についての異見
 
仏法(日蓮宗)
 
受持即観心
 
仏法
 
法華を小乗とよんでいる証
 
六巻抄について
 
三惑
 
一言摂尽の題目
 
三大秘法
 
本尊・本法・本仏
 
文底秘沈
 
己心の国立戒壇
 
真(まこと)の大乗修行
 
煩悩即菩提・生死即涅槃
 
空仮中の三諦・三諦読み
 
三諦
 
当家三衣
 
本法及び本尊
 
本仏
 
三徳・三惑
 
末法の観心
 
戒壇建立  

 

 六巻抄の読み方についての異見
 明治以後あれ程自信をもって書かれた六巻抄も全くの御難続きである。六巻抄がどのような意図のもとに著わされ、また近代どのように読みとられているか、吾々の最も興味ある処である。今も文底秘沈抄といい本因という語も使われている。六巻抄第一行にあるのが寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門であり三師伝の発端と同様である。その文底秘沈の語が文底秘沈抄に使われているために第二を文底秘沈抄と考えられて結果的には三大秘法抄が文底秘沈の意をもって考えられるようになった。三秘抄では本果が出る、本因であるべきものが本果と出る。
 現状は文の底に秘して沈めた己心の一念三千は既に宗門をして邪義と決められていることは大日蓮に発表されている通りである。本果は本因と出て己心の一念三千法門も邪義ということになり、そこから三学も出てくれば本法も本仏もいつ邪義となるかもしれない。その本法から出ているのが三学ではないか、戒壇も題目も本尊も本仏もまたその邪義から出生する筈である。このようなことをどのように考えているのであろうか。文底秘沈の語は複雑である。それも魂魄の上に考えることもなく、専ら肉身の処で考えられている。久遠元初の出ない秘密もそこにあるのであろうか。魂魄によらなければ長寿を求めることは出来ない。
 今は本果をとっているために本果の処で実成が出るようである。そのくせ盛んに本因を唱えている、本仏や戒壇の本尊をこのように邪義という己心の法門からその出生を証明しなければならない。そのような器用なことが出来るであろうか。些か他宗の言い分にふり廻されている感じで、肝心の処で自宗の重要な部分が消されている感じである。今では他に向かって本因とは云えないようである。己心の法門を邪義ときめることは三祖や道師とも離れることである。文底秘沈の語を改めて文の底から考え直す時ではなかろうか。現状では本仏も本尊も題目も切り込み勝手次第である。まことに無防備状態である。
 三大秘法抄について改めて考え直してもらいたい。本因をとり乍らこの抄のために宗義の根本が本果と出るのである。そして因果の混乱が自然に生じるのである。今はその混乱が被害を与えているのではないかと思う。只不信の輩という信ではその被害から遁れることは出来ない。六巻抄の読み損じがそのようなかたちで出たのではなかろうか。発端の文に第二文底秘沈抄では三秘各別として三秘を明かし第三依義判文抄に至って三秘即一の上にこれを明かされている、第二では三秘抄は三秘各別を明かすためにこれを利用されているに過ぎないようである。それが宗義の深秘を明かされたものと考えられたので意外に大きい影響を与えたのではなかろうか。
 今でも文底秘沈抄の名前を聞いたのみでも重要な宗義の秘密を持っているものと考えられている。そして本果の法門が重要な扱いを受けているのである。そして肝心の依義判文抄はそれ程にも扱われないようである。そのすき間に他門の教義が入りこんでくるのである。本果が強く入りこんで殆んど本因や本因妙の語は使えない程である。そして本因妙抄もだんだんすみに追いつめられた感じである。他門の独壇場という感じである。大いに奮起してもらいたいものである。今の教学陣をもって他門をふるえ上らすことは出来ないであろう。落ち着いて寛師の意のある処を探り出さなければならない。
 当家三衣抄とは宗門人一人一人が身につけている文底秘沈の己心の法門という意味である。そのために不可欠なものが師弟子の法門である。師弟子のある処必らず受持がある、師弟受持の間に戒壇も存在しようというものである。成道は師弟子の間にあることを教えられているのである。今は受持も文底秘沈の法門も他門に遠慮してむしろ疎んぜられ気味である。そして本果や久遠実成が尊重せられているのではなかろうか。
 自宗の極意の法門こそいよいよ疎んぜられている御時勢である。いよいよこれから二十一世紀を迎える時が来て今疎んぜられては困りものである。これから秘蔵の己心の法門を取り出してこの二十世紀を超えなければならない。今さら邪義と逃げては困りものである。これから十ヶ年余り二十世紀を超えるまでは必要な己心の一念三千、過去の歴史をみても、時代の替り目の処では己心の法門は常に大きな力を発揮している。今世紀を超える処も是非ともそれにあやかりたいものである。キリスト教でもこれを超えることは大事業である。
 科学の力をもってしては只行きづまりを招いたのみでこれを払うことは出来ない。その意味でここの処は洋の東西を問わず宗教を頼もうとしているのであろう。原爆を中にすえてみても鎮静剤にはなりそうもない。そしてお互いに手さぐりの状態である。そのような中にあって己心の法門のみは優秀である。邪義などと云っている間に逆鱗にふれない心得が肝要である。この法門目にふれないだけに厄介である。目にふれないものこそ真実と叫ぶ度胸はないものであろうか。但し宇宙の大霊は本尊ではないことはお忘れなく、本果に走れば大霊をとる恐れがある。そのために古来きびしく本果をいましめているのであろう。
 今は他門の目がきびしく本因を持ちにくい。そして本果が盛んである。大いに警戒を要する処である。本果に居りながら而も本因を称するようなことにもなる。あまりにも他門の教学が強すぎる。己心の法門を公然と邪義と称し、文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門を認めまいとするのも他門の恐ろしさからである。文底秘沈の法門をみとめないなら本尊を換えた後に公言すべきである。肝心の法門は文底秘沈本因妙の処に出来ているもの。もともと魂魄の上に出来ているもの。これを生々しく認めるのは無理である。
 法教院は文底法門を主張するための己心の成果である。建築物としてでなく法門として根を下した建て方を待ちたいものである。所詮法教院は本因を基盤として建立せられるべきもの。十階建ての十間四面の建築物をもってしても安定は困難であろう。要は本因部分の確立が大切である。十間四面の六壺にもその辺の配慮が不足しているようである。落ち付くまで繰り返すことは流転である。それは本果を立てるものの宿命である。それを還滅におさめるのが本因が家のやるべきことである。本因を本果と解してみても落ち付く筈のものでもない。本因本果の中間にあるのが不思議の一法である。これは魂魄の上でなければ捉えがたいもの、いつの日が来ればその不思議の一法を自家のものとすることが出来るのであろう。「鶏がうとうて夜ば長し」という処か、夜が明ければ一巻の終りである。
 「師弟共に仏道を成ぜん」という。まず師が先に仏道を成じる、それを見て弟子も成じる、これは師弟同時の成道ではない。師の成道を受持して弟子もまた成道する、そこに霊山浄土が眼前に具現する。これらはすべて魂魄の上に論じられているものである。これが本時の娑婆世界ではなかろうか。それを娑婆世界と見れば、娑婆即寂光である。生き乍らこのような浄土を具現出来るのは己心の法門であるが故である。今この娑婆世界は己心の法門であれば即刻現世の苦難を乗り超えることが出来る。その法が世間に流布すれば現世の寂光土である。
 己心の法門を邪義とすることは、金もほしい寂光土にもをりたいという、いかにも欲望が強すぎる。己心の世界ならその慾望を生き乍ら一つ一つ捨てることが出来る。それが修行である。金を積み重ねることは修行ではない。本尊は客殿の奥深く収め奉るべしという。さて今はどのように奥深い処に収まっているであろうか。そのうち本尊移動がまた始まるであろう。己心の寂光におさまるまでは常に移動を繰り返すであろう。己心の法門こそ真実だということになるまで移動はくり返されるであろう。
 大日蓮をもって己心の法門は邪義と発表することは余程度胸のいることである。今はその邪義の権化を本尊と仰いでいるのである。本尊抄もまた邪義の一言をもって消し去られるものであろうか。次の世紀を救うものはこの邪義こそ真実と読みとるべきである。宗門にそこから真実をとり出す偉大なお方はいないのであろうか。折角法教院を立てたのであるから真実の一つ位引き出してもよいのではないか。決して遠慮するには当らない。それは一紙半紙でもよい。
 寿量文底とは本果に向けて動く直前の処、ここを寿量文底という。寿量文底の処にある己心の一念三千法門に根本を立てる。それを認めない今、戒壇の本尊はどのようにして成り立っているのであろう。他門の攻めの恐ろしさに予め逃げようとしているのであろう。法然の浄土宗は魂魄の処、己心の法門の上に来世の彌陀が活躍しているようにも見える。流石に浄土宗の人等は己心の法を邪義とは切って捨てない処は日蓮正宗の御僧侶よりえらい。切って捨てなければあとはどのようにでも展開するものである。邪義と切り捨てられては何と続けようもない。
 御授戒の時、常に持つや否やとダメをおされていることを考えないのであろうか。それは師がダメをおしているのである。宗門では認めないけれども事行の法門としては根を下しているのである。受持即持戒受持即観心という、持戒も観心も師弟の法門の上に成り立っていることを御存じないのであろうか。受持がなければ戒も本尊も成り立たない。
 文底秘沈抄ということで反って不用意に三秘抄のとりこになったようである。しかし学生式問答は師弟子の法門の上に成り立っている。第二・第三にはそのようなものが始めから用意されているのである。末弟がどのように解釈しようとも法門は成り立つように事行に示されているのである。解釈の上では三秘抄に強く引かれたようである。学生式は本因に、三秘抄は本果に赴くようになっている。文上を一挙に本果に走ったようである。その裏付けになったのが西洋学を根本としてふくれた他門の教学である。今となっては完全にこれにしてやられたようである。ここは己心の法門こそ真実と声を大にする以外に救いはないようである。
 大日蓮が己心の法門を邪義と決めたことは明治以来の成果と吾々は受けとめている。魂魄を否定し文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門を否定している。これは日蓮が法門の全面的な否定に通じるものをもっているのではなかろうか。今はこれらの法門を除いた処で新しく大石寺法門を新建立しようとしているのであろうか。せめて古来の伝統の法門が守れるだけの学が必要である。学がいらないというのは法門の解釈が複雑にからんでいるのではなかろうか。
 法義長久のために文底秘沈抄を考え直す必要があるように思う。そして本因の立場から文底秘沈の語を改めて考え直さなければならない。この文の働きによって三大秘法抄の三学が著者の意図したものでない処で解釈されて三秘を宗義と無関係の処で解釈されている。大いに次の世紀のために研究を要する処である。今までの解答は二十世紀で失敗に終ったようである。今度本因本果を軌道にのせた上に考え直してもらいたい。因果が混乱して考えられるなら逆に出る恐れもあり被害が我が身にせまる恐れがある。現在そのようなことが起っているのではなかろうか。己心の法門を邪義として斥っているためではなかろうか。
 まず学生式問答のいう三秘を静かに考えるべきである。同じく三秘でも第二と第三では求められているものが自然と異ってくるのではなかろうか。今求められているのは文底秘沈抄に出る三秘ではない。依義判文抄の三秘を求めるようにしてもらいたい。文の底に秘沈せられた三秘こそ必要なのである。依義判文抄に示された三秘と文底秘沈抄の三秘とが解釈の道中に入りかわっているように今もそのまま教わっているようである。そこの処の矛盾を他宗から小突かれて来ている。そのために右往左往しながら応対に急がしくその度に法門が新らしく決まって来ているのである。
 法門的には本果の上に発展している。本果の法門をとっている今は他門との間にそれ程の変化は見当らない。即ち文上文底各別、今は周辺の眼もきびしく文底法門は安心してとれないようである。文底を称する川澄とはわれわれは関係ないということを他宗門の人に示して今のきびしさを乗りこえようというのである。
 平安の始め末法に入って以後往生要集によって民衆も色々と滅後死後の事についてはなやまされてきたが法然が浄土宗を唱え死後彌陀の来迎ということで広くこの考えに引き入れられたようである。法然にも後五百歳広令流布という法華経五百品の考えが強かったのではなかろうか。あれ程死後に悩んだ民衆の心を無言で捉えたことは実に不思議である。何一つこれらの悩みを鎮静さすものを書いていないのである。書かないでそれにふれないで効を上げることは最も上々である。これも魂魄の上に展開した彌陀浄土ではなかったであろうか。魂魄の捉え方について日蓮正宗も浄土宗に大いに学ぶべきである。
 日蓮のといた己心の法門、文底法門を口を極めてののしるのは下の下である。浄土宗では滅後末法の法門を事に行じているように見える。ここでは己心の法門を邪義とは唱えていない。祖師と唱え乍ら、その唱えた処を邪義とは以ての外である。魂魄の法門はどこにどう収まったのであろうか。これでは祖師に見放されるかもしれない。師の説いた処をどう間違っても正義と伝えるのが師弟の道である。邪義ということはそこに信頼感が存在しない証拠である。そのために自然と師弟の道と信頼感が法門の上から消えつつあるのであろうか。これはもっての外の大事である。
 一度法然の背景にある法門を考えてみるのも無駄なことではあるまい。よいことがあれば取ってもって参考にすべきである。一向一揆の辺には多分に広宣流布的なものをもっている。後の日蓮宗の場合のように西洋学の影響を受けていないだけに危険が少ないようである。東洋的な広宣方法の一つの考え方を残しているのではなかろうか。日蓮宗の広布方式は失敗に帰したように見える。これは日蓮門下の来世紀に入るために乗り越えなければならない道である。今から準備を始めてもそれ程早いとはいえない。準備は整ったであろうか。浄土宗では祖師の説を宇宙の大霊に持ちこまずにすんでいるようで恂に重畳である。早々に学ぶべきである。
 一旦邪義と称したものを改めて正義ということも出来まい。己心の法門を邪義ときめては飽くまで本因の教主のたたきは止まないであろう。それは世間の如く互いに信頼感のなさから始まっているものである。今さら文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門こそ真実だといえる度胸が必要なのである。何ををいても師に対する不信感を拭うことである。今さらのように因果の混乱のあとがこたえるようである。師説を邪義と公言することは最も遠慮すべきことである。それだけに水島先生も追いつめられていたということであろう。一日も早く本因妙の教義を手中にすることである。これが今差し当っての大いなる課題である。
 己心の法門を邪義と称し乍ら戒壇の本尊との間をどのように調整するつもりであろうか。至難中の至難な業である。理の上では相当にむづかしい問題である。中において因果が混乱しているために結果が逆に出る処が厄介である。浄土宗の場合はこの因果の混乱をもっていないだけにやりやすいのかもしれない。この因果の処に蓮華師弟因果を備えている。この因果が世間の因果と絡んで複雑になっている。そこに理屈抜きで受けとめなければならない受持の世界が開けるのかもしれない。これは余程運営に気を付けなければならない。それだけ受持に威力があるのである。それが無条件で信心と混同するのではなかろうか。解釈は時代により時によってどんどん変っている。法門は実に千変万化である。後から追えば常に振り廻される恐れがある。あくまで法力は強い。これを侮るべからず。
 寿量文上に仏の寿命即ち久遠実成を見れば衆生の寿命は文の底に見なければならない。今アベさんは久遠実成を説く、これでは元初の日蓮本仏の座す処がない。本仏日蓮の寿命とは一切衆生の総寿命である。これは元初から久成までの範囲である。今最も必要な衆生の寿の長遠は宗門の教義の上でどうなっているのか。迹仏の寿の前後は衆生の寿の領域である。過去遠々は本因から、未来洋々は迹仏世界から受けついでいる、その側(かたわら)・衆生の長寿世界である。未来への長寿は今から定めおかなければならない。それが成道である。
 因果倶時の中で生き乍ら成道しようとするのが日蓮の慈悲ではないかと思う。これは十界互具のように生き乍らたしかめておくのが最も確実である。そして水の流れの流れ絶えざるがごとく本尊七ケ口伝に水の流れ絶えざるは日蓮が慈悲広大を表わすと、それは御華水から流れている水路である。これが事行に表わされた姿である。今は古え程本尊七ケ口伝も威力を持っていないのであろう。この口伝によって本尊抄の文が生き乍ら十界互具を体験することができる。生き乍ら体験しているものに死後の供養が何故必要なのであろうか。地獄苦餓鬼道苦畜生苦は生きて体験ずみであり、仏と同様の成仏も生きている間に体験することになっているが、今はこれらの文の意義は認めないのであろうか。本尊抄のこれらの文を改めてよく読み直した方がよい。
 地獄苦餓鬼道苦畜生苦も程々に生き乍ら体験をした上で成道する仕組になっている。明星口伝も生き乍らの体験を示している。そのような部分をとり出せば本仏である。また時には本尊でもある。本仏日蓮大聖人とはその部分を人格化したものである。特に魂魄の上の所作と思われるものが強い。そのような部分は他からの圧力に堪えかねて予め除外しているのではなかろうか。そして混成教学が出来上るのである。今は文の底に秘して沈めた部分については極力除外することに努力しているようである。今後は魂魄や文底法門が復活しないと乗り越えがたいのではなかろうか。そのあたりに一工夫いる処である。
 今後十二年程本果の法門の中で経過することは容易なことではない。己心の法門をもって自力によって罷り過ぎたいものである。ここまで来て今さら宝物を抛棄する理由も見あたらない。他のものまで取りあつめて修行のかてとし必要な向きに渡すべきである。今別に仏法を考えると必ず抵抗があると思う。この仏法では本果の釈尊を去らなければならない。本門も文字に表すとすれば右のようなことになるのであろう。日蓮大聖人の語もまた分らないものの一つである。これが宗門人の持って生れた宿命というものである。その反面に智をはたらかすべきではなかろうか。ここまで来て己心の法門を投げすてるのはいかがなものであろう。
 今さら私腹をふくらまして何かわせんと申し上げたい処。意欲を燃やして造立した十間四面の六壺もやがて無用の時が来るであろう。所詮このツボは六壺である。六壺は法主の私の対面所として使われてきたものである。今となっては六壺の機能も発揮することも出来ないであろう。六壺はもとのままムツボとして使うのが最もよいことである。自らの力を誇示することはやがて抹殺されることである。法門は常に文の底にある。人の陰におることを示されているようである。あまり大きく出ないことである。筆者は打たれたいため出しゃばっているのである。おくみとり下さい。
 これから十二三年末法総決算の時である。その取りきめ方次第では伝統法義はいつ飛ぶか判らない。まだまだ莫大な上代の資料は未解決のまま残されている。解決される見通しがあるかどうか、それは分らない。天台関係の御宝蔵にはまだまだ眠っているものの方がはるかに多くあるようである。追っつけ解読不能になることは必至である。先輩の書き残されたものを後輩のために活字として出す責任があるのではなかろうか。一度読めなくなった時、それを元のようによめる時を迎えることは容易なことではない。色々の法門が不明なまま埋もれているようである。吾々の処は掘り起すことに意義を感じているのである。
 六巻抄では寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千を解説しながら頸にかけてもらって出生しているその珠の解説をされている。題目のみ拾っても一貫している。それが三秘抄を重要御書と解したために状況が替ったようである。これは解釈したものの誤りではなかろうか。頸にかけられた一念三千の珠が当家の三衣ということのように思われる。戒壇本尊題目の三秘は題目の中に説かれた如くであり、三秘抄によって説かれるものと違っているように見える。当然これらは無条件で本因におさまるべきもの、本果におさまるものは文の底の三秘ではない。本果の三秘と出ては迹仏の領域である。何ををいても本因をとり出さなければ本仏境界とはいえない。改めて三秘抄を使ってよいかどうか再検すべきである。
 三秘抄は本果の家に属するものではなかろうか。この抄は必らず文底秘沈抄とは無関係である。法教院教学建立の第一の手始めにこの抄の是非について検討してもらいたい。第一に本因の眼をもって検討すべきである。本果の衣が厚く大分困惑しているように見える。衣は薄い程尊いのである。法教院教学研究の第一歩には格好の題材ではなかろうか。考えた挙句出る本果ではない、最初出だしから本因でなければ意味がない。本果では本因につながらない。速やかに本果への執着は捨てることである。本因は詮じた挙句出るものではない。今本因はどこに影を潜めたのであろうか。
 文底秘沈抄に使われるべき文は伝教の学生式問答である。これこそ師弟子の法門を説かれたもの、次の世紀には必ず必要なものである。鎌倉以来八百年持つや否やと事に行じているのはそれを忘れないためである。何を持てというのかそれが判らないでは困る。これも法教院の研究課題として充分価値のあるものでる。法教院も当分は課題に不足することもあるまい。大いに張り切ってもらいたい。滅後末法万年を目指してもらいたい。続々と成果を発表して誤れるものを指導修正してもらいたい。
 三秘抄では本果をとるので文底秘沈の文とかち合うが、学生式問答ではその点安心出来ると思う。何故三秘抄と連絡がついたのか研究しておくことである。まず法華経寿量品の文の底から己心の一念三千法門を見いだし、これを正義と読む努力が必要である。あまり金にうかれている間は文底秘沈の三秘は見出しにくいかもしれない。今は文底秘沈抄以前の処で考えてもらいたい。あらわれ出でたる明智光秀はあらわれる以前に意義があることをお忘れなく。明智光秀が出ては終りである。秘すべし、秘すべし。
 三秘抄ではあまりにもすけすけである。学生式問答ではあまりにも深すぎて見え難いのであろうか。六巻抄などが始めから一見理解出来るように出来ている筈もない。あまりにも気易く取り組み過ぎたのではなかろうか。その代償に文底秘沈の己心の一念三千法門を投げ捨てては少し代償が大き過ぎるように思う。文の上の三秘をとったために反って肝心の文の底の三秘をすてる羽目になったのではなかろうか。
 本果をとなえ乍ら文底三秘を掌握することは最も至難の業である。これは今後の大きな課題である。本果の三秘と本因の三秘とを取り違えないように。今は他の攻めが強いために本果の理をもって本因の理に代えるようなことはないか。その間に三秘抄があるように思う。本因の語が使えないつらさがある。そこで本果の理をもって代用するのである。その間に三秘が説明されることもある。そこをつけ入れられて本因とか本因妙などという語が次々に消えている。堪えがたい処である。
 今こそ因果の法門を確立する絶好の機会ではなかろうか。因果の法門とは世間の因果であり、また師弟因果の意をもっている。これが蓮華因果の法門といわれる。その因果は常に正常に運営されなければならない。大日蓮華山とは蓮華因果即ち師弟因果の法門を根本としている意味ではないかと思う。それを入信の度毎に確認する儀式が御授戒である。それさえ何の意味でなされているのか全く消滅して、ただ事行のみが残っているのである。そこに示されているものは受持である。その受持も文底深秘の処とは大分離れたようにみえる。
 大日蓮華とは真言の大日蓮華の意味ではない、お間違いなく。師弟因果を根本としている宗旨であることを示しているのである。持ち奉るとは本来持っていることを確認しているのであろう。文の底の己心の一念三千法門を確認するための儀式である。今は権力確認のために行われている斥いはないか。次第に儀式の本義が失なわれていくようである。蓮華とは師弟を表わす。これをもって山号としてるのである。真言帰伏を意味しているものではない。山号の由来が奈辺にあるのか常に考えておいてもらいたい。
 大日蓮華山とは富士の火口に師弟子の法門を読みとったのである。今の法門の考え方では富士の火口から師弟子の法門と受持をよみとることは不可能であろう。今とは深さにおいて遥かな異なりをもっているのである。そのような部分については是非共受持してもらいたいものである。今は受持を邪義ときめているかもしれない。今は何となく受持しないことを美徳と心得ているのではなかろうか。これは不信の輩には分からない秘事である。その時は本果の法門の中に本因が登場する、周辺にはそれを裏付けするものは何ものもない。天上天下唯我独尊の境界である。
 明治の時は唯我独尊の境界の中で文の底の己心の法門が解釈され、そこで三秘抄の三秘が唯我独尊境界の中で、文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門の如くに解された本果の境界の中で本因が解され、本因の法門が本果の中で解された。広宣流布も本果の中で解された、そこに後五百歳広令流布が解され、自らを最高位におき、他を最低位においた広布方式がなり立っている。そこには解釈の上に飛躍があるが、その広宣流布は遂に成功するようなことはなかった。軍部のとった広宣流布もこれに近いものであまり敬服に値する方法ではなかった。
 もし、自己を最高位におく時に肉身を除き魂魄の上にこれらが行われたなら、それは成功していたであろう。その時の滅後末法がもし魂魄の上に考えられていたものであれば、それは今必ず成功していることであろう。魂魄佐渡に至るとは、それは必ず魂魄の上に考えられるべきものである。三秘の広宣流布は魂魄の上にある状況を説かれているものである。これが本果の上に解される時は失敗しているようである。文明開化はそれを世上の中で考え易いような仕組になっている。この時は決して他の事は考えない独善方式によっている。それは必ずその罪の報いは立ち帰っていくのであろう。それが因果応報である。
 明治の文化の中の広宣流布方式は何れも失敗に帰しているようで、どうもそれは因果の混乱によっているのではないかと思う。六巻抄に示された方法の中で脱却しなければならない。そこは慾望の成り立たない処である。開目抄の境界はそのような処から出発しなければならない。若し開目が正しければ次の本尊抄の黎明が待っているのである。そこにあるのが戒壇の本尊であり題目である。六巻抄のとかれている順序を解明してもらいたい。そのために改めて本尊抄の文段上を逐一丹念に読んでもらえるなら六巻抄の目指すものは自ら明白である。
 二十世紀の物質文明の中で読まれた六巻抄の解釈は成功したともいえないようである。改めて魂魄の中で読み直すべきである。明治の時のよみは金・金・金と権力の上によみとられ、その両者のみが残ったようである。二十一世紀はこれを魂魄の上で読みとるなら必ず成功するであろう。但し欲望を起すことは禁物である。それであればその広布は成功するであろう。六巻抄はそれを指示されているのではなかろうか。よくよく吟味すべきである。
 従来の六巻抄の解釈は決して充分とはいえないと思う。若し魂魄の上に読み返されるなら二十一世紀には必ず必要なものである。是非新生法教院の課題に取り上げてもらいたいものである。蓮華因果、法教は因果の区別を立てた後にあるべきもの、果中の理は本因が家に役立つものではない。法教は文底秘沈抄にあるものではない。それは必ず第三依義判文抄にあることに留意してもらいたい。第二文底秘沈抄にはない処に注意してもらいたい。その出処が肝要である。
 前回の宗門側の反撃を見た時吾々はその行きつまりを感じた。自宗の法門が他門のものを入れ過ぎたために萎縮して展開が出来なくなったためである。自縄自縛というかたちである。法門的な矛盾がそのような結果をもたらしたのである。水島程の学匠が其の後一向に沈黙を守っているのは何故であろうか。吾々は今も文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門を固執している。言い分があれば本尊抄か開目抄に定められたものを反撃すべきである。一度きりで自説を捨てるのは法華の行者らしくもない。新しく88年の解釈を確立してもらいたい。
 宗開三祖の裏付けを持たないと法門的には弱い。現状は自信喪失という処であろうか。それが悪口を言わしめているのではなかろうか。法教院の教授陣を統率するためにも六巻抄を89年に通用するように新らしく解釈を確立してもらいたい。根本になるものがないと他の攻めが防ぎきれない。三大秘法抄を異様にとり上げた弱さが今も跡を引いているようである。現実は他の攻めを受けやすいように出来ている。自家の解釈の上の矛盾を整理しなければならない。それが目下の急務である。以前水島が黙したのもその故である。それに何故気付かないのであろうか。

 仏法(日蓮宗)
 仏法といわれているものを少しでも正しく理解してもらうために仏法辞典を輯録することにした。分り易いものは仏教小辞典(日蓮正宗)と宮崎英修師の日蓮辞典を拝借することにした。それ以外の辞典は利用していない。其の他の辞典にありそうなものはそれにゆずることにした。かねてから書きたいと考えていたのが「仏法」である。これ程分らない語はない。御本仏日蓮大聖人の仏法は不明な語の代表格である。宗門人は他に説明は出来なくても自分等のみは信心ということで理解しているのである。それが分らなければ不信の輩ということで、自らを最高の座にすえるのである。文字にしては絶対に分らない処である。文の底の己心の一念三千法門もそれに類するものである。答の代りに不信の輩、邪義などという語が返ってくる不思議さである。
 今度思い切って念のため「仏法」をとりあげることにした。一言了解出来るように説明してもらいたい。日蓮宗辞典(二二六頁)にのっているので全文をここに写すことにする。日蓮正宗仏教小辞典では遂に仏法の解説されたものを発見することは出来なかった。そこで宮崎辞典から仏法の項を全文拝借することにした。これは日蓮宗のもので日蓮正宗のものは後に別に考えることにした。このままでは誤解の恐れもあるので正宗のものは後の仏法を見られたい。
 「 (1)仏の説いた教法をいう。仏教。これに八万四千の法門があるという。(2)仏の証得の法をいう。三法妙の一。法界の真理。真理の実体は、唯仏と仏のみが乃し能く究尽する境界で、他は伺い知ることができない。日蓮は、仏教の中で仏の証得の法を明かすのは随自意教たる法華経だけであると述べ、その証得の法を『内証の寿量品』『寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字』であると示す。(3)仏の知っている法をいう。一切の諸法。『涅槃経』では、『一切世間の外道の教書は皆是れ仏説にして外道の法に非ず』と説き、世間の法を開会して仏法と見なす。法華経法師功徳品では、『若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも皆正法に順ぜん』と説き、俗諦を開会する。日蓮は『観心本尊抄』で、『天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得べきか』と述べ、法華経の所説に従う。」以上二二六頁下段。
 さすがに学者の説、理路整然としている。大石寺のいう仏法までは解説されていない。強いて私見を申上げるなら、これは本果の立場にいる人の説、大石寺の仏法は本因の部分を指しているのではなかろうか。仏の成道の基になった本因の法をさしているように思う。成道はその結果である。本果に法を立てる処ではその結果を本果ということになる。大石寺ではその根源になる法を本因と立てている。一切の根源をそこに立てる。それがはっきりしないためにやや宇宙の大霊という感じをうける。それと離れて別なものと意識しなければならない。弱いと他の影響を受けやすい。今は本因よりは本果が強い。強いて言い張ると自我のみが強くなる。それに更に慾が加わると厄介である。それを清浄に保つために魂魄が必要なのである。
 今の本因は裏付けのないもののようである。結局は本果本因両用ということになっている。そのために旗色があまり鮮明でない。本因の法門を最後まで純粋に保つことは至難の業である。これでは本因本果因果倶時不思議の一法を称することは出来ない。その一法から種々の法が出生しているのである。因果の運営もそこからくるってくるかもしれない。これを因果の混乱と称している。あくまで因果の運営は純粋でなければならない。それでなければ文の底の己心の一念三千は持てない。昔の軍部の広宣流布方式はこの混乱の中から生じたものかもしれない。不思議の一法ではなかったかもしれない。そこに難があったのである。
 自を頂点とした広宣流布は成功しにくいようである。国も文の底に秘し沈めた己心の国土ではなかった。戒壇も自を頂上においたものは成功しがたい。法門としては師弟の間に自ら生じる戒壇をとる。私を頂上においた戒壇は大乗の戒壇とはいえない。それはどうしても建造物をもってその威儀を示そうとする。十間四面の六壺も亦それに類するものである。正本堂も三大秘法抄の中から出た解釈であったが、これも十間四面の六壺は建造物の話ではない。いよいよ師弟の間の戒壇をとればこれこそ真の大乗戒壇であり、建造物の必要はない。三秘抄の戒壇は建造物を指しているのでこの抄による限り戒壇は三回四回と続くであろう。
 大乗戒壇は授戒を目的とするものではない。師弟相寄った時自然と建立され受持の儀式が行われるものである。今は本果をとっているために戒壇も奈良の戒壇に対して建造物による大乗戒壇を考えているようである。伝教は江北の法華経のよみ(漢音)を、呉音をもって一挙に乗りこえたようであり、大分規模が違っている。一歩一歩踏み重ねては奈良仏教は越え難いであろう。法華経の読みも奈良の読みが強かったようである。大分の覚悟がなければ奈良の法華経は越えがたいであろう。結局仏と云えば釈尊に帰るようである。
 宗義は今本果に立てられている、そこで旗色が不鮮明なのである。これが法門の上では最も弱い処である。そこで集めては持つや否やと駄目押しをしているのである。これ程にしても持ちがたいのである。今はその儀式も唱え言の威儀も全く消え去っているのである。しかも正本堂でも十間四面の六壺も持つや否やと唱える処ではない。未だ一度もこれを唱えた事を聞かない。次々に新らしく重ねてみても無駄なことである。
 本来は師弟相寄るのみで事は足りるのである。そこに伝教の奈良仏教を斥った意義がある。今は逆に斥われる恐れが十分備わっている状態である。真実は師弟出合って、つつがなきかといえばそれで授戒も完了している仕組みになっている。今文明の世ではその仕組みも次第に複雑になっているように見える。ここは本来の簡素な処に返すべきではなかろうか。師弟子の法門は人の眼を驚かすような建造物も不要なようである。必要なのは本来所持している文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門と師弟の法門のみで事足りるように見える。
 今は因果の混乱が色々複雑にしているようである。二十一世紀は素に帰るべき時ではなかろうか。天の命に帰すべき時である。是非皆様で時を失なわないように。その時を自らの手で捉えてもらいたい。これを自らの手で捉えるのは庶民の特権である。建造物をもって戒壇を与えられたのは上代のこと、奈良仏教での事である。滅後末法の世を迎えて何故正像と同じ形式をとるのであろうか。滅後末法を迎えた世では文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門によることになっていることをお忘れなく。仏法も本法も本仏も皆文の底にあるのではなかろうか。このあたりを一語にまとめて本因と称するのではなかろうか。
 天正の終り頃から文底の語や本因の語は殊に斥われている。それは今も続いている。大石寺法門の古い処はすべてその中に包みかくされているようである。今も文底の語は安心して使えない。そのような中で己心の法門は自ら邪義と公言する程になっているのである。滅後末法に至って己心の法門を封じられては行をすることも出来ない。これは最高の弱みである。滅後末法は滅後とは文底の時である。文上による向きは在世をとるべきである。開目とは己心の一念三千法門をとらえることである。これによって三秘も自然に自家のものとなろうというものである。
 仏滅後二千二百二十余年という今は滅後末法第五の五百歳の時である。これらの文字を見乍ら何故正像の時に執着するのであろうか。この文字をよく見れば何れの時を使うべきか自ら明らかな筈である。宗門も本果によっている処を見るとこの本尊の脇書の時はみとめていないようである。眼を開いて本尊の脇書をよく見るべきである。今は時に迷っているのではなかろうか。水島先生も何れの時をとっているのであろうか。鎌倉時代の脇書も今の世では通用しないのであろうか。法教院教学は何れの時をとるのであろうか。早目に何れの時によるのか定めて公表してもらいたい。
 究竟中の究竟の本尊の脇書は認めないのであろうか。今は己心の一念三千法門も邪義であり認められていない。この本尊が魂魄の処に、滅後末法の二百二十余年という時に出現しているようであり、寛師は諸御書に二千二百二十余年とある由を記されている。御尊師は気がつかなくても戒壇の本尊の脇書に気がつかないことはあるまい。それでは滅後末法の本尊は成り立たない。脇書からみても戒壇の本尊が滅後末法に出ていることはわかる。本尊のある処滅後末法をみとめないわけにはいかないであろう。
 滅後末法にある本尊とは己心の一念三千法門によって出生したもの。文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門とは本尊のようである。今は己心の本尊は邪義ということにきまっている。これは滅後末法を否定することになりはしないか。大日蓮はあまりにも簡単に邪義に堕せしめている。これはそこに至る処に押し込められているためであろう。若し宗門が滅後末法をとっているなら己心の法門を否定するようなことはない。戒壇の本尊即ちいう処の究竟中の究竟の本尊とは滅後末法の時にのみ出現することの出来るものである。
 六巻抄の立て方について知るために本尊抄文段上を一読すれば六巻抄の法門のとり方も自ら理解出来ると思う。己心の一念三千法門を否定することは三大秘法抄の読みすぎである。三秘抄の三秘を文底秘沈抄と読んだための被害ではなかろうか。六巻抄ではそのように指示されていない。三秘抄となるものは三秘抄を文底秘沈抄の意をもって解している。文底秘沈の部分は既に大日蓮は邪義と否定し去っている。何故そのようになったのか、その故を探る必要がある。戒壇の本尊に関わりのある部分も否定しているのではないか。案外三秘抄はそのような危険なものを内蔵しているのではないか。六巻抄と共に再検を要する問題である。眼を見開いて滅後末法の部分は否定しないことである。少しく六巻抄のよみが迂闊ではなかったであろうか。自らの読みの浅さが今のような結果を招いたのである。
 文底秘沈に関わりをもっているのは学生式問答である。三秘抄は既に中味が切りかえられている恐れはないか。三秘抄には一旦外相に表われた三秘の様ではあっても、学生式問答のような生のまま秘められているものではない。三秘抄では本因を本果と読み定める処ではないであろうか。三秘抄は滅後末法の中で論じられているものではない。三秘抄を文底秘沈抄とあまりにも簡単に決めている、文底秘沈は解釈するものがそのように解したのみで、御書にも六巻抄にもそのようにしてよい理は見当らない。若し依義判文抄を通すならそこには文底秘沈の三秘も滅後末法の処に自然に浮び上ったであろう。今の教学でいくらあせっても久遠元初が出ないのはここらに無理があるからである。改めて穿鑿すべきである。自宗が否定すれば他もここを攻めてくるであろう。
 依義判文抄引用の学生式問答には本来として文底を持っている。法教院の法教も学生式問答にその文底秘沈を探って用意しておくべきである。学生式問答は伝教大師が文の底に秘して沈めたものを用意しているのであろう。法教院の院号に関わりのあるものを子細に探って用意しておくべきである。三秘抄は、始めから文底秘沈とよんだのは極く近代のことである。そのために他門からの攻めをうけるようになったのではなかろうか。このあたりは今のうちに整理しておいた方がよい。法門の出処を明らかにすべきである。
 天の気のない処からは三秘は出てこない。まず久遠元初を設定しなければならない。学生式問答には呉音からくる文底法門を持っているのではなかろうか。呉音よみから来ているものは近代中古天台と称して宗門にもこれを斥っている向きもある。もしもそのようなことになれば本因も無用となり文底秘沈の法門はあり得ないのではなかろうか。
 戒壇とは師弟の間、即本因本果の中間にあり得るもののようである。建造物によるものは戒壇としては使われたことがないことを想起すべきである。それは師、弟子を正す体の師弟ではない。いう処の蓮は師弟のある処に存在しているものである。師弟相寄れば自ら大乗の戒壇は即時に無料で建立されているものと知るべきである。師、弟子を正す体のものは師弟とはいわない。そこに師弟の法門を建立すれば必ず破綻が来るであろう。師弟子の道が正常に持たれるなら天は必らず成道の妙義を授与するのである。

 受持即観心(教学小辞典)
 「受持とは法華経法師品第十に説かれた五種妙行(受持・読・誦・解説・書写)の一つであるが、正像末における意義はそれぞれ異なり、特に末法今時いおいては受持の一行のみが、最も大切である。すなわち三大秘法の御本尊を受持する一行によって、成仏を決定するのである。法華経法師品第十以下〜二六一・二六四・二六五迄参照。」この受持を事行に示しているのが師弟子の法門である。
 受持とは凡眼をもってしては確かめがたいものである。師弟が成り立てば受持が成立している。そこには自ら観心がある。それが本尊ということなのであろう。弟子がなければ師の観心がないということであろうか。即ち本尊は師弟子の中間に存在し得るものである。師弟共に霊山浄土を期すというのは後の末弟のために師弟子の法門を残されたものである。それは決してむさぼりを示されたものではない。これによれば成道は師弟相寄ることによって事が足りるようである。今は大分解釈が世と共に変化しているのが実情である。
 一幅の紙面に霊山成道の姿を示したのが本尊である。この紙面には戒壇も本尊も題目も図示されている。これは本因で解すべきもの。そしてこの図面を本果と解するなら忽ち因果の混乱を生じることになる。このような混乱を整理してもらいたい処である。今はこれを文底と解されている処はないであろうか。以上の三秘が姿を表わす以前の処が三秘である。これを即本果と解することのないように。この一幅の本尊とは即ち蓮華浄土で、これを必要に応じて己心中に出現せしめることが出来る。観心本尊抄ではその本尊が説かれているのである。これが文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門による本尊である。大日蓮ではこれを邪義と否定し認めようとしないのである。
 今丁度盆であるが生き乍ら十界互具も体験ずみである。その人は死後地獄には堕ちないのではなかろうか。眼の黒い間に体験しておくのである。生き乍ら貧に苦しむのは餓鬼道体験のためである。生きて貪ると死んで貧苦に責められないであろうか。貪りのためには法門はどうしても曲げなければならない。
 第三依義判文抄では受持即観心とか師弟子の法門の中の受持等についてどのように秘して沈められているか、それをどのように取り出すか、その秘法を種々に示されているのであろう。これは悪しく利用すれば我が身に被害をもたらすであろう。文底秘沈抄は依義判文抄とは全く違っているようである。三秘抄は文底秘沈抄として解すべきものではない。師弟の受持は第三でなければ出ないであろう。定められた通りによむべきである。
 六巻抄は僅かの読み誤りから本果の法門が表に出て宗門を表しているようである。文底にあたる部分の本因、本仏、本法、それらのものが備わっている処が本地であり、本時の娑婆世界である。そこは本果の法門の入り得ない処である。そこは魂魄の上に即時に成じることの出来る己心の世界である。そこはそれ程広い地域を必要としない。このような中にあって師弟の間に受持の世界が生じる。そこに戒壇が生じ、本尊も生じる。それこそ一言摂尽の題目である。その題目とは師弟因果の上に生じた題目そのものである。師弟因果の中間にあるものである。
 明治以来西洋学が割り込んで不可解になったようである。重要なもの程説明が出来ないのが現実のようである。六巻抄が何を説かれているのか現実には一言では現わし難いであろう。大石寺法門も亦同様である。これこそむしろ世間相である。今目前に法華浄土を見出だせば天下泰平である。即刻それを具現できるのは魂魄世界に限るようである。
 怒れば足元は即刻地獄の業火も燃え上るのである。そのこみ上げてくる怒りを抑えることの出来る人は聖人である。世俗の中にあってそのような火の手をあげないようにする処に末法の修行のむづかしさがある。そのような修行の完成するのは刹那に限る。長時間これを求めることは出来ない。うれしければ声をあげるのは凡俗の故である。
 凡俗はかなしい時にうれしいといつわりをいうことは出来ない。梁塵秘抄に仏も元は凡夫なりという歌がある。違いといえば着ている衣の異なりのみである。この考えから裸形の仏像が盛んになるのは鎌倉の時代である。その体を本因と立てる、修行によって得る処をもって本果と立てる。これを唱えた人は渡来人だったと思う。その人等の手によって台密が発生するのは鎌倉初期である。
 未解読の生資料は莫大にある。今にして読んでおかないと今に解読不能になるのではなかろうか。俗世の文書でないだけに今の状況では受持して行こうという篤志家は次第に数が減ってきている。解読不能目前である。宗門人は比較的無関心である。一度道が絶えては再度の復活は容易なことではない。宗門の資料は宗内で解釈すべきではなかろうか。
 今は不必要に金がダブヅイテ修行の邪魔になっているようである。伝教大師の頃は今のように潤沢ではなかったであろう。修行者に金は無用である。修行者も最後は金に捻ぢふせられたようである。いつの日が来たら着実に修行者が解釈に励む日が来るであろう。この中の思想には漢呉音の消長を知る資料も含まれていると思う。自分でも一代貧のドン底にアエギ乍らやってみたがも早限界が来たようである。余は天台宗の若手の奮起を望みたい。
 一生をかけて精々この程度である。各宗でも各々限界が来ているのではないかと思う。世間一般の古文書とは違った処があるので宗教界が一致して取り組まなければならない問題である。自信をもって自宗の古文書がよめる宗門は極く限られた数ではなかろうか。まことにお寒いことである。彼れ是している間に先達っての高野山の宿坊のように焼失しては研究も出来ないであろう。詢に惜しい限りである。

 仏 法
 前に記した六巻抄の読み損じは、その被害を今も受けついでいる。そこでは本因が本果となり、釈尊本仏と云うべき処がそれは出来ない。強引に元の本因を使っている。そこに因果の混乱が起る。今はその混乱の結果を受けているために色々な矛盾を起している。本因とは言えない、本果とは尚更言えない。そのような中で、法教がはっきりしない。肝心の仏法の説明が困難である。
 日蓮大聖人の仏法の説明が最も不明朗なのである。これは本果では理解出来ない。本仏がいつの間にか本果の仏に収まり易い。本因を出せばたたかれる。しかしその本因にあるのが本法であり、本仏である。本尊もまたそこから出生する。その世界が仏滅後二千二百二十余年の滅後末法の己心の一念三千の世界である。その魂魄世界に仏法があるようである。そこが師弟因果の蓮華世界であり、本因本果の中間因果倶時の不思議の一法であり、本仏はそこに出生するものである。
 本因を捨てては仏法の故里はあり得ない。今は本果の処に故里を求めようとしているのではないか。そして、ますます本因と遠ざかるのである。そこに居るのが衆生であり、寿の長遠も亦そこを本拠としている。寿量品の文の底とは衆生の己心を指しているのではなかろうか。そこは金の成る木の生えている処ではない。今その辺に混乱があるのではなかろうか。それを整理すれば、そこにあるのが霊山浄土である。そこは師弟因果の極談の処である。
 そのために師弟子の法門を取り返さなければならない。それが目下の急務である。それらは全て本因世界に属するものである。つまり、われらが己心中にあるものである。それは二千二百二十余年の脇書の如くで、その本尊は常に我等が己心に常住するものである。この故にこれを常住御本尊という。これは本因に限ることを事に示されたものである。時をいえば滅後末法の時である。人をいえば衆生である。そして本時の娑婆世界はそこに明示されている。若しそこが確認出来ればそこは本因世界であり、本法・本仏・本尊の所住の処である。そこが常寂の故里である。
 今はどこを故里と決めているのであろうか。本尊抄ではその故里を明されているのである。衆生の己心の中に常住の浄土のあることを示されたのである。今の法門の立て方の中に常住の浄土が有り得るであろうか。常住本尊の意味も次第に薄らいでいるようで、案外脇書は読まれていないのではなかろうか。常住の意味をよくかみしめることである。そこには邪義という己心の一念三千が明示されている。
 常住を否定して本尊に向かってもそれは無駄である。それも亦当流行事の一分ではなかろうか。当家三衣は又それを含んでいるのである。己心の法門はあまり捨てる努力をしないのが賢明な方法である。己心の法門を否定しながら、その本尊に向かうことは無意義である。同じ向かうなら、その意義を確認して向かうべきである。六巻抄はそのようなことを説かれている。因果の混乱の中で読んでは我が身の責め道具になるかもしれない。己心の法門を邪義と思い乍ら読まないことである。己心の法門を邪義とする第二声は中々続かないようである。
 常住本尊とはわが己心の一念三千の本尊が常住していることを教えている。それを待つことを誓いながら何故己心の一念三千法門を邪義といえるのであろうか。その神経のほどは到底吾人の理解出来るようなものではない。三大秘法抄を子細に点検すべきではなかろうか。邪義などという語は因果の混乱の中で始めて言うことの出来る語である。三大秘法抄は文底秘沈抄ではなかったことを確認すれば、因果の混乱も自然と収まるであろう。そこに説かれたものは本果の立場から読まれたもので、そのために本果の法門が文底法門として常住したのである。それを改めて原点に返して読み直さなければならない。このままでは戒壇の本尊を自から邪義と称するのと同じである。
 本果をとりながら戒壇の本尊は口にすべきではない。まず時節の混乱を正した上で末法適時の本尊を定めるべきである。末法適時は本果の処にはない。その末法適時とは本尊の脇書にある二千二百二十余年がこれを表示している。これこそ魂魄世界の表示である。そこには第五の五百歳の残されたものがある。それが一幅の本尊として示されたものである。それが今邪義という己心の一念三千法門である。そこでは滅後末法の衆生の夢は永遠に広がるのである。総じていえばそこは本因世界である。今或る人はこれを本果の世界と解しているようである。それは読みの浅さというものである。
 己心の法門を抹殺しても余り手柄にはならないであろう。しかも一旦消した己心の法門から本仏や本尊を出現せしめている。つまり、それらの故里にあたる部分は既に抹消ずみなのである。文底秘沈の己心の法門は抹消して完成をとっている。しかし、そこに現われた仏を以て釈尊を凌ぐことは出来ない。そこは実成の世界である。そこを元初と呼んでいる誤りのためにいくら元初を求めても元初が出てくれない。一度本尊抄文段を読んでもらいたい。
 三大秘法抄は実成の領域にある。三学を説いている今はそこから三学倶伝の本法や本仏・本尊を取っている。その三学は否定ずみである。大石寺の宗義が出ているのは学生式問答である。三大秘法抄には文底秘沈の部分は初めからない。それは伝教説に反対する処から出ているように思う。そしてどこかで釈尊をたたくようなことになる。そこからは伝教・日蓮説に反対するものが出る。身延説の根本はそこにあるのではなかろうか。そこは他門の領域であるそれを自分のものと称している矛盾がある。何故それに気付かないのであろうか。そこにはいう処の本仏は出ない。
 明治百年を捨てて六巻抄の本意に帰る時ではなかろうか。今のままではいつ足元をすくわれるかもしれない。あとから気がついては手遅れである。未萌を知るを聖人という。アベさんも未萌を知る聖人であって欲しいものである。一日も早く寂光の故里を見出だしてもらいたい。そこは師弟ともに仏道を成ぜんといわれている処である。そこに本時の娑婆世界があるようである。そこに建立されているのが大石寺教学である。それを現時の娑婆世界に引き下して考えているようなことはなかろうか。水島説の根元はここに置かれているように思われてならない。今最も要求されているのはこの整理である。
 寂光の都を見出だしてもらいたい。そうでないと師説を支離滅裂にする恐れがある。末法適時の本尊とは必ずそこにあるものである。「客殿の奥深く」とはそのような寂光の都をさしているのではなかろうか。そこが己心にあるべき常寂の都なのである。若し現世にありとすれば、そこは魂魄世界である。今は魂魄世界は認めないのであろうか。今の宗門の説からはこの寂光の故里は出ないであろう。不受不施の日奥も最後訣別の時の詩には明らかにこの故里を読んでいる。室町期の終りまでは残っていたのであろうか。
 今の宗門は六巻抄第二文底秘沈抄を重要視しているが、重要な法義が取り出されるのは第三である。若し第二から取り出されているとすれば、それは根なし草である。そこは迹仏世界である。本仏世界が説かれているのは第三である。第二では迹仏世界を説かれているのではないか。全くの本迹の混乱である。
 宗門では寂光の都をどこにどのように取り定めているのであろうか。娑婆即寂光は浄土宗の死後即時に彌陀の御来迎という処に軍配が上るのではなかろうか。そこは云うまでもなく弥勒浄土であり、それを認めることが即ち世直しである。その故に死を喜びをもって迎えることが出来るのである。死を見ること帰するが如しというのもこの世直しに属するものではなかろうか。浄土宗にも帰するがごときものを持っている。
 日本魂の中でも世直しは充分生かされている。世直し思想は生活の中に充分生かされている。この世直しは世間にあって活性化の役割を充分果しているようである。その根源になるのが文の底に秘して沈めた己心の一念三千である。一向一揆もそのような中にあったものであろう。世直し思想の一つの現われである。今色々と活性化が叫ばれている時、この己心の一念三千法門や世直しは大いに利用価値があるのではないかと思う。昔の人は別世界から娑婆世界をながめる菩提心にゆとりがあったようである。そのゆとりを我がものとしてもらいたい。これは時代に合わせていつでも出来ることである。そこには即刻滅後末法の世が開けるのである。
 文の底に秘して沈めた己心の一念三千は世間にあっては充分にその力を発揮しているようである。それは宗門側に利用されるべきものではない。その時には逆に世直しが出るであろう。世直しは天然自然の中で吾々の気付かないうちに行われているようである。世直しは急激であってはならない。静かに潮の押し寄せるがごとくにあってほしいものである。若し己心の一念三千を金集めのために使う時は必ず逆に出るであろう。
 民衆が集団行動の上に現じたものを世間では世直しというが、真実の世直しは表に出ることなく確実に行われるもので、それこそ世間即仏法といえるものである。その中で当家三衣抄の初文の左伝云、の文を読み直すべきである。この文は左伝にはないのかもしれない。この左伝の文は何れから引かれたか、深草元政の出版した僧祇律から引かれたものが、元政の木版本には載せられていたように思う。それ以後この文は色々に利用されているようである。その本は当時のものが大石寺に残されている。委しくは研究せられたい。左伝云の文、その出処を教えられたい。左伝云の文は不受不施の関係でも見たことがある。よく使われる文であるが、それらは元政本出版以後のことであろうか。是非篤学者にお願いしたい。当時元政出版のものに今一種のものがある。何れであったか、今は全く記憶がない。  

 法華を小乗と読んでいる証
 世界の総人口の三分の一、舎衛三億説、これは一人一人を拾っている証拠である。これは三秘即一で説かれたものを各別で読み、根本になる己心の一念三千法門を否定しているために打って一丸となってくれない。大乗をもって説かれた法華を小乗としているためである。現在三秘は別立して説かれている。戒壇も別立すれば小乗的と云わざるを得ない。本尊も大乗の本尊としては説明出来かねている。よほど六巻抄に忠実でないと題目を三秘即一の処で読むことは困難である。
 文の底に秘して沈めた己心の一念三千を否定する今、法華を大乗をもって捉えることは殆んど不可能である。現在の時を遮断する工夫が欠けているようである。現代を超過した時始めて大乗の時を迎えることが出来る。中央の題目も脇書きの時が実現した時始めて大乗の題目が出現することを示されている。三秘抄のもとに文底秘沈の三秘があると考えたのは大きな誤算であった。水の底にはついに都を見出だすことはなかった。現世に文の底に秘して沈めた己心の一念三千を見出だして、自らそれを発見することである。それは必ず第三の依義判文抄から出るものである。第二に根本を置いて滅後末法を捉えることは不可能である。一旦大乗で読まれた己心の上の三秘を再び立ち返って小乗的な雰囲気の処から読み返した為に小乗から抜けきれないのである。
 後の五百歳の時の捉え方は必ず魂魄の上に捕えなければ、必ず後になって吾が身を責めるものと成るであろう。脇書の二千二百二十余年をどのように捉えるかということである。若しこれを魂魄の上に捉えられるなら己心の法門は必ず有り得るものと思う。滅後末法の外で捉えようとしたために返って取り逃したようである。それは三大秘法抄の功罪である。三秘抄によって逆転が始まっているのであろう。いつの日が来たら止まるであろう。法門の上にも流転と還滅とは常に両存しているのである。それを止める方法は、ただ脇書きの力に頼る外はない。
 流転は自らの力によって止める以外に良い方法はない。三秘抄を捨てて学生式問答によれば即刻大乗の時を迎えることが出来る。今のように三秘抄に頼っていては、脇書きの時を具現することは有り得ないであろう。それを迎えるのは一人一人の努力である。一人がこれを悟れば広宣流布である。二人三人とこれを求めるのは無駄なことである。脇書も一人が単位のように見える。信者がそれを持ち寄って展観した例はない。折角大乗の戒壇を示されたものを小乗と受けとめたのは自分達であった。これは我が身の不運である。元来己心の上に受けとめるべきもの。それならば場所もいらない。今大乗の戒壇のつもりで作られた正本堂は小乗の戒壇なのかもしれない。それの裏付けは文底秘沈抄であった。今からでも遅くはない、三秘抄を除くことが出来れば、己心の三秘の受持は可能である。
 今、受持している授与の本尊もまた三秘である。それは脇書き通り滅後末法の三秘である。それは大乗戒壇として示されたものである。その本尊こそ滅後末法の本尊である。その題目こそは滅後末法の一言摂尽の題目である。本来として己心に存在する三大秘法である。それを示されたことこそ御慈悲と受けとめるべきである。それを拒んでいるのが文底秘沈抄の三大秘法なのかもしれない。そこで既に示されたものを受持することが必要なのである。
 既に示された三衣として受持している三秘を確認することを教えられたのが当家三衣抄である。この抄は吾々に必要はない、僧侶のみのために説かれたものということであった。それはもっての外の狭い了見である。あまりにも文底秘沈抄によりすぎたためである。この抄は常住坐臥にも衆生の胸に畳み置くべき秘曲である。頸に掛けさしめ賜うた己心の一念三千の賜物である。有り難さを改めて噛みしめてもらいたいものである。それは本尊抄の一文の解釈である。
 本尊抄の一々文々を頸に掛けて居り乍ら、それさえ気付かず当家三衣抄として取り上げられても尚捨てようとする。このような不孝が許されてよいものであろうか。そこに文の解釈の難しさがある。左伝に云わく、の内容も既に受持しているものである。無形のものの受持・確認が今必要なことである。せっかく授与されたものを気が付かないとは全くお粗末である。念を押されてもなお気付かない。気付けば現世成道につながるものである。それを取り巻いて本尊七ケ口伝がある。上代の人の読みの深さである。
 当家三衣抄に気付かなければ死後の成道ということになる。せっかく説き出されているものは全て受けとめるべきではなかろうか。これらは全て文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門である。今はそれを公然と邪義と称して憚らない始末である。その己心の一念三千法門の極談の処に本仏があり本法がある。それが三秘である。それを因果の混乱の処で外に取り出したのが三秘抄である。この抄は決して文底秘沈の一念三千法門につながるものではない。返って他から責めを受けたのみである。そのために宗義が根本からゆすぶられたのである。若し第三の依義判文抄に依れば、決してそのようなことはなかったであろう。今まで他の責めを受けた殆んどは三秘抄に依るものである。そこから一致派化して行くのである。
 三大秘法抄そのものの構成を研究すべきである。悪しくすればこの抄は命取りになるかもしれない。この抄では三師伝にはつながらない。三祖一体につながるのは依義判文抄からである。そして、六巻の抄悉く衆生一人一人が持って生れているものについての話と思われる。誤りであれば改められたい。吾が身に三秘が備わっていることが分れば、それは成道につながるものである。滅後末法の成道の在り方を改めて考え直すべき時ではないか。
 六巻抄末の当家三衣抄の意見を水島は一言で邪義と切り捨てるであろうか。因果の混乱から宗門は本因を捨てて本果を取っている。孔孟の教を取っているのであろう。若し孫子に依るようなことがあれば危険である。法教学院には権威のある教学を示してもらいたい。今は己心の法門を捨てるために衆生救済のための法が守り切れない。本果を取れば元初も出ない。実成に居して己心の一念三千法門を邪義として久遠元初の自受用身を打ち捨てて、応仏世界にあって報仏を唱える。全ては時の混乱の中で進められているようである。
 本法をはっきりさせなければ自受用報身の出現がない。そのような処に本仏は出現することは出来ない。まず、法をはっきりさせ本仏日蓮の出現を約束しなければならない。三大秘法抄からは本仏は出現しないが迹仏は出現するであろう。それを本仏と称さなければならない。法教学院は迹仏世界に活躍するつもりであろうか。まず己心の法門を正義として冒頭に掲げなければならない。
己心の法門を邪義としては本仏も出現しない。本尊の出現もあやふやである。今のように本果を根本としては明治以来の如く本因を本果をもって叩かれるであろう。
 二十一世紀を迎えるためには本因を取り返さなければならない。本果の処には衆生の成道は有り得ない。本法や本仏や本尊、及び三秘即一の題目は本因の領域に属するものである。三秘抄を文底秘沈抄と読み誤っている間は本因を手にすることは困難である。三秘抄を捨てて速やかに学生式問答に帰らなければならない。そこから再出発である。
 正宗聖典(九七〇頁)当家三衣抄に云く「嗚呼後世日日三たび身を省みよと云云。」三秘抄を文底秘沈抄と誤ったために本因が消えた。このままでは三師伝のように三祖一体は出ないであろう。三師伝では己心の一念三千から三祖一体が出ている。決して己心の一念三千法門の外から出ていない。これを邪義とすれば三祖各別である。それでは三師伝の主旨は成り立たない。三秘抄では決して三秘即一は説かれていない。今こそは三秘抄と六巻抄を離して考えるべである。この時節の混乱の中で他宗他門から攻め立てられている。この混乱には多分に三鳥派的要素を持っているのではないか。改めて三秘抄の分析が必要な時が来ているのである。
 まず、滅後末法の到来を確認しなければならない。授与の本尊の脇書きを再確認して、滅後末法に居ることを知るべきである。本尊授与はそのために行われているのである。その時を確認すれば他の二は即時に出現するのである。もっと滅後末法を大切にしなければならない。そこでは己心の上の一閻浮提総与は行なわれている。己心の法門を邪義と見る向きは、それを認めようとしない。
 「持ち奉る」とは己心の一念三千法門を受持することである。それは師弟子の法門の中で行われている行事である。事行の法門とは、このようなものを称するのであろうか。そこに末法相応の本尊の出現があるようで、それは秘密の中で絶えることなく行なわれ受け継がれているようである。それが師弟子の法門といわれるものである。法教院では己心の法門を今も否定しているのであろうか。己心の一念三千法門を認めない法教院教学は何物をもって根本としているのであろうか。法教は何れから出現したものであろうか。己心の法門を捨てた今その出現を明らめることはまず出来ないであろう。
 捨てる時の水島教学は中々威勢はよいが、あとがよくない。それは当然である。六巻抄は本尊抄の三秘を明らめているのであるが、三秘抄のために因果の混乱を起して真実がつかめないようである。肝心の処で取り逃がしているようである。三秘抄を除いて考えることである。三秘抄のために他から攻められて本因を捨てる羽目になったようである。三秘抄と絶縁することが目下の急務である。現状では本尊の出処を確認することは不可能なようである。この難問を解決しなければ、二十一世紀を迎えることが出来ない故である。水島説の延長線上には本尊の出現は有り得ないであろう。そこには受持が必要である。
 水島説は宗門を代表した説と思われるが、三秘を法教院はまず明かしてもらいたい。色も変らぬ寿量品ということがあるが、今は色の変り果てた寿量品である。頸に掛けさしめたもうた己心の一念三千法門こそ、色も変らぬ寿量品の正体である。これは受持することによって本因を伝えるもののようである。今はそれを受け継ぐべき本因が必要なのである。受持本因こそ今の肝要なのである。己心の一念三千法門を邪義と決める宗門は法をどこに求めるのであろうか。その法を師として釈尊も成道した。その法が本因である。そこで成道は成果であるからこれを本果という。また釈尊を本果の仏という。
 本仏日蓮とは法そのものを指しているのではないであろうか。文の底に秘して沈めた己心の一念三千を邪義と決めている。その邪義こそ本法であり、本仏日蓮なのである。本法が決まらなければ本仏が決まらない。何をおいても本仏日蓮大聖人を決めなければならない。他宗の圧力によって本因が語れない。そしていつの間にか本果に取りかえている。そこに知らぬ間に因果の混乱が起きている。ここから次の問題が起きている。ここは何としても本来の姿に立ち帰るべきである。本因を確認することが初心に帰ることである。そこに文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門がある。そこに寂光の故里があることを改めて確かめてもらいたい。
 寂光の都の主が本仏日蓮である。それは魂魄の主である。その魂魄に肉身が雑ってくるので複雑になるのである。本仏日蓮は魂魄の上にのみ考えられているものである。妙楽によると、宇宙の大霊は本仏に非ずと云うことであるが、今の本仏日蓮から肉身部分を取り除いてもらいたいと思う。即ちこれこそ文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門である。
 本法をはっきり決めなければ、本仏がはっきりしない。本法・本仏をはっきり決めた上で本仏論を展開してもらいたい。己心の一念三千法門が邪義であれば本仏も本法も邪義となる。その法から出たものは全て邪義ということになる。これでは自ら破綻宣言をしたことになる。そこから出た広宣流布方式もまた邪義ということになる。従来の説の中に邪義的な要素が含まれているのではなかろうか。
 宗門として最も重要な己心の法門がはっきりしない。しかも大日蓮によれば文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門は邪義ということである。そこから出た本尊も戒壇も題目も本尊抄も亦邪義ということで簡単に切り捨てられるであろうか。そして本因も捨て本果によっているのが現実である。これはすべて三大秘法抄を文底秘沈抄と解したための結果である。三大秘法抄では只三秘各別を説くために引かれたものであり、それを引き倒して三秘抄を最重要の文底秘沈抄と解したための誤算である。そして前に列挙したような結果が出たのである。よろしく三秘抄こそ切り捨てるべきである。
 明治以来両抄をくっつけて考えたために思わぬ被害を受けた。ここで切り離して文底秘沈抄を考え直してみてはどうであろう。そうすれば、そこには救いがあるかもしれない。三秘抄には文底秘沈といえるようなものはいささかも見当らない。三秘抄から本仏や本尊が出るわけもない。まず本仏を求めるべきである。三秘抄を信頼して以来百年、結局は混乱を得たのみであった。今こそ改めて出直すべき時である。己心の法門を邪義とはあまりにも人が好すぎるようである。己心の一念三千法門を邪義と称して本仏や三秘を得ることができるであろうか。


 六巻抄について
 今総じて六巻抄を見ることにする。まず第一には初めに開目抄の文が引かれている。三重秘伝抄、開目抄上に曰わく、「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈めたまえり、竜樹・天親は知って而も未だ弘めたまわず、但我が天台智者のみこれを懐けり等云云」と。以上は三重秘伝抄の初文である。文底秘沈抄の初文これを略す。文底秘沈抄に三大秘法の項あり、その解釈の中で三大秘法抄と連絡したのであろう。今は専ら日蓮の肉身を取り出して云云せられているが、この肉身とは俗身であり、実には一念三千即自受用身の身である。それを肉身と感得した処から問題がこじれているようである。それは時をいえば二千二百二十余年即ち滅後末法の時である。本尊はこの時を目指して授与されている。これを俗身と考えた処から複雑になっているようである。三大秘法の解釈について俗身がよみがえったのであろう。三大秘法抄を読んで行く間に自受用身即一念三千の法が俗身と変化したのであろう。
 一念三千即自受用身は決して俗身を指すものではない。人法体一の語の解釈の中で一念三千即自受用身が俗身となったもので、そこに時節の混乱がある。その自受用身は久遠元初の自受用身である。これは、その慈悲について名付けられたもので、決して俗身の割り込む余地のないものである。これは本因に属するものである。今は余り上げすぎて俗身を無差別としているが、本は本因妙のように見える。今は因果が混乱して本果の処で解されている。そのために本因の己心の一念三千法門が却って攻撃されているようである。その間に三大秘法抄の力が働いているように見える。
 己心の一念三千は日蓮の慈悲ということであるが、その慈悲さえ時を誤れば邪義と云われるようである。これは凡身がそのまま本果の仏身となりかわったからである。本因を捨てた罪障の現われである。滅後末法の世には、一念三千即自受用身の処で考えなければならない。その正体こそは、文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門であり、仏はこの法を師として成道を遂げたのである。その法は底下の凡夫に限って所持するものである。凡夫はその法を頸にかけて頂いて、生れているのである。それは本因世界のことである。
 この抄では三大秘法が別してあげられているのであるが、始め解釈された時に三大秘法抄によって解されたために意外な混乱を生じたのであろう。今二十一世紀を迎えるに当り根本的に修正を加えるべき時である。本因によらなければ久遠元初の自受用身は出現しない。その故に己心の法門さえ邪義と公表出来るのである。これは時節の混乱の恐ろしさである。このような混乱の中では永遠に久遠元初の自受用身は現われないであろう。
 法教院は本因を根本とすることを公表すべきである。他門に攻められて本因や本因妙が守りきれないようでは困る。そのような処に本仏は出現しないであろう。学生式問答は本因を根本としているのではなかろうか。本因がなければ弥勒浄土は出現しない。これらは魂魄の上に考えられたものである。諸仏は衆生所持の己心の一念三千法門を本所として成道を遂げたのである。その法を取れば衆生は諸仏の師である。
 開目抄も本尊抄も魂魄の上の論議である。この愚悪の凡夫は生れ乍らにして三衣を身に着けている。これを当家の三衣という。三衣を身に着ければ、その身もまた三衣にふさわしいものに転身することが出来る。その時三衣や三秘が必要なのである。今はいつまでも俗身にこだわっているように見える。そこで慾望が断ち切れないのである。速やかに本因世界に居を移すべきである。
 開目抄や本尊抄をどのように捉えるか、六巻抄はそれを細かく指示しているのである。文の底に秘して沈めた滅後末法によるべき法門を教えているのである。それらは全て常住坐臥に吾々凡夫の世界にも備わっている。その要領は当家三衣抄の左伝云くの如く、世間のあらゆる必要な法が全て具備している。即ち世間即仏法である。この文の中に仏法が備わっているのであろう。
 仏法とて世間を離れて別に有るわけでもない。それらは全て吾れ等が愚悪の凡夫の己心に備わっている。若し、それが分れば悟りの境界である。迷悟共々に仲よく手を引き合っているのが凡夫である。刹那半偈の成道という。悟ればわれらもその刹那のみは仏と同じである。そのために本尊抄では十界互具を説かれるのである。そこの処を昔から本尊七ケ口伝と云われている。
 それは刹那に捉えられなければならない。捉えられなければ迷いである。捉えるならそれは悟りである。迷悟全く隣り合わせである。そこで悟れば聖人、迷えば凡夫である。如何なる高僧といえども些かも慾があれば悟りの境界に至ることは出来ない。その点愚悪の貧老は常に悟りと同居しているのである。水島も己心の法門を邪義とはいい得べきでない。お叱りを受ける前に訂正をしておくとよい。叱られないように気を付けることである。
 文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門とは本仏そのものであり、また、本法であり、時には本尊であり、戒壇であり、題目でもある。そのような重要なものを邪義とはよく云えたものである。これは本仏を否定する語でもある。僅かな読み方の相違がこのような言葉を使わしめたのであろう。思えば恐ろしいことである。恐るべし、慎むべし。これも因果の混乱の故に起ったことと思われる。少しく読み方を深めてもらいたい。寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門の語を抹消した例はあるが、これを邪義と決め付けた度胸は未だその例を見ない。これでは師弟子の道を全うしているとは云えない。師弟子の法門とは受持に極まっているようである。これも一向に守られることもなく、常に師を乗り超えているように見える。因果の混乱の故ではなかろうか。  

 三 惑
 日蓮正宗教学小辞典に「三惑」の項があるので、一応拝借することにする。「三惑」三惑とは見思惑、塵沙惑、無明惑のこと。開目抄上(一八八頁)に、「元品の無明の根本猶を、かたぶけ給へり。況んや見思枝葉の麁惑をや」と三惑の名をあげられている。釈迦仏法においては、苦しみの原因は煩悩にあるゆえに、煩悩を完全に滅すれば一切の苦悩は消滅し、ただちに成仏の境地を得ることができると説いている。この煩悩の数は八万四千あるが、性質のうえから大別すると界内見思の惑、界外化導障塵沙惑、中道障無明惑という三惑に分れる。(一代聖教大意三九三ページ)
 第一に見思の惑とは三界六道の苦果を招く惑であり、さらに分けて見惑と思惑とする。見惑は事物の道理に迷う惑で、また十使があり、五利使(身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見)と五鈍使(貪・瞋・痴・慢・疑)で、さらに三界の四諦にあてて八十八使となる。思惑は倶生惑といって、生まれると同時についてくる煩悩、欲界に貪・瞋・痴・慢、無色界に貪・痴・慢とあてて八十一品とする。第二に塵沙の惑とは、二乗や菩薩が修行の過程で、小果に執着し、空理に執着し、あるいは化導の障りとなる等の惑で、その数が無量のところから塵沙惑と呼び、大乗の菩薩だけがよくこの惑を断破することができる。第三に無明惑とは中道法性を障える一切の生死煩悩の根本であり、別教には十二品・円教には四十二品を立てている。四十二品のうち最後の無明惑を元品の無明といい、これを断じ尽せば仏になれる。以上の三惑は釈迦仏法において浅きより深きにいたる立て分けであるが、末法の今日においては根本の惑はただ一つである。すなわち三大秘法の大御本尊を信じない者が元品の無明であり、信じ奉るときには無量の惑がたちまち断破して、煩悩即菩提・生死即涅槃は開覚するのである。」(十九〜二〇頁)  

 一言摂尽の題目
 以上写すのみで迷いの淵に沈みそうである。このようなことは、滅後末法の衆生に出来ることではない。以上の理いよいよ闇夜の星の如くであり、到底数え切れるものではない。そこで、これを一言に摂じ尽くしたのが、題目である。いう処の三大秘法の大御本尊とはその題目である。それは本因において一切を断尽することが出来る。今のように本果をとっては一切を断尽することは不可能ではなかろうか。そこに一工夫いりそうである。
 この三大秘法、三秘抄による限り得心のいく説明は困難である。速やかに本果を捨てて、本因に帰すべきである。即ち魂魄に依らなければ悟りの彼岸に達することは出来ない。三大秘法や本仏の語が読んで分るようにしてもらいたいものである。以上の題目にどれだけの法門が摂尽されているのであろうか。三大秘法抄からは師弟子の法門は出てこない。それを得るために学生式問答が必要である。
 「信じ奉る」を「信じ奉(うけたまわ)る」と読めば受持が出るかもしれない。奉は当時「うけたまわる」と読まれたものである。三大秘法は信受即ち信頼と受持の処に出るもののようである。今の立て方には一言摂尽の題目は有り得ないかもしれない。そこに不協和音が生じるのである。今の立て方では題目の処に一切諸法が摂じ尽されていない。己心の一念三千法門を真実と信じ奉った時に始めて一言摂尽の題目は有り得るのである。
 六巻抄の題目の中心になるのは寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門である。それを邪義としては永遠に一言摂尽の題目は有り得ないであろう。今の立て方では釈尊本果の一言摂尽の題目というべきである。これはあくまで本果の領域に属するものである。功徳のあるのは本因の題目である。本果の題目はいくら数を唱えて見ても、本尊の脇書の如く、第五の五百歳の初、滅後末法の始めの題目とはいえない。その時は寿量品の文の底に秘して沈められた己心の一念三千法門の極意である一言摂尽の題目に限るようである。そのつもりでの本果の題目修行は無駄である。己心の一念三千法門こそ真実であると言い直すべきである。

 三大秘法
 三大秘法について脇書に背かないような定義付けを示してもらいたい。最高最尊というのは本因に限るようである。本果をもって滅後に配することは時節の混乱というべきである。時を云えば滅後末法の時である。今は滅後末法については無関心のようである。戒壇の本尊の三秘は六巻抄の如くであれば本尊抄に説かれている処の三秘である。三秘を三大秘法抄に求めたために在世の末法をとるようになった。即ち今は本仏を本果に求めようとしている。
 本因によれば滅後に求められるものを、本果によったために在世をとらざるを得なかったのである。そこに在滅の混乱を生じている。本因にあれば滅後末法と出るべきものを、本果によったために、在世末法と出た。そこで他の攻めを受ける。そして法門としても筋が通らない。そこを他から叩かれる。そしてあわてて引っ込める。そのために法門として一貫性を欠くようなことになる。他門も今となっては本果が保ち切れなくなっているのではなかろうか。その時堂々の進軍が出来るのは本因の法門に限るようである。
 本果によれば釈尊を超えなければ成道出来ない。それを鎌倉の日蓮は京なめりと称していた。その頃に京は本因の法門に替り、本果に衆生の成道を定めようとしていた。文応の頃である。京なめりとは叡山が本果の成道に替った頃ではなかろうか。本因を守るべきか、本果によるべきか、天下騒然として日蓮門下は二分して都の風も本果に替っていった時機ではないかと思う。その頃三秘を本果の上に解したのが三秘抄ではないかと思う。或は京なめりの成果といえるかもしれない。一方では一向一揆に引かれて法華一揆の頭をもたげる時機である。しかもそれが天文法乱にもつながって、法滅の時を迎えようというのである。若し当時法華一揆があったとすれば、因果の混乱の上にあったものであり、多分に異流義的である。

 本尊・本法・本仏
 滅後末法の本尊等の三秘を称えた本尊抄も時の流れの中で、本果の眼をもって解されたのである。その暴走のあと、寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門も本尊も半ば強制撤去せざるを得なかったのである。今二十一世紀を目前にして、この法門こそ民衆自身の立ち上りのために不可欠である。この法門は何回となく俗世のきびしい試練に耐えた古強者であり、経験者である。今度もその経験を元として、一同して正常な道を進んでもらいたいと思う。猪突は禁物である。立ち上りは必ず本因からしてもらいたい。本果による立ち上りは必ず瓦解の恐れがある。瓦のごとく砕けることを瓦解という。今の宗門の本果の辺、京なめりのおもむきはないであろうか。今度は滅後末法である。時をよく見極めておいてもらいたい。
 本尊の解釈に時節の混乱はないか、静かに反省を要する時である。今度は六巻抄の戒めを守ってもらいたい。衆生とその持つ本因を旗印として進んでもらいたい。本果は自らの力で滅するかもしれない。結果的には最も避けなければならない本果の成道に堕ちながら、本因成道を唱え、本仏日蓮を称している。本果の法門には日蓮本仏は在り得ない。京なめりの処に堕ちたのである。そこから、己心の法門を見れば邪義となるのであろう。八百年前なら一言のもとに京なめりと決めつけられる処である。そこは久遠実成の世界であっていくら元初を称えてみても、そのようなものは存在しない世界である。そこから見れば中古天台と見えるのかもしれない。即ち法教院説もまた中古天台説と云わなければならない。法教院もそこの処をはきりしておかないと、またそこを叩かれるであろう。
 法門はどこまでも筋を立てなければならない。そのために上代の諸師は命を張って来ているのである。本仏日蓮が云云出来るような処に身をおいてもらいたい。只感情をもって邪義ということは無用である。本仏や本尊はその邪義の処に限って出現しているのである。本果の処には本仏は出現しない。そこは本果の世界である。そのような処にあって元初は考えない方がよい。己心の法門を邪義と称し乍ら法教院教授として元初を説くことの苦しさも分るような気がする。今こそ本因に立ち返って法門を整備する時である。自らを黒といい、それをまた赤と称して見ても誰れも付いて来て呉れるようなことはない。今度こそ真実の五百歳の来るべき時である。今度こそ自解仏乗を成じてもらいたい。
 頸にかけさせたもうた珠を自らの手で確認することこそ最高の成道である。これは久遠元初に限られている。久遠実成は通じない。衆生の己心の奥深く秘められている、己心の一念三千法門を取り出すことは勝手次第のようである。二千二百二十余年の脇書に心を止めることである。在世の本尊とは凡そ無意味なものである。これは滅後末法に捉えてこそ、その意義もあろうと云うものである。
 六巻抄を力として「本尊」の文を再考すべき時である。悪しく解すれば、反って我が身に被害を及ぼすものである。そのような被害を受けないためにも、六巻抄の文意を正しく解さなければならない。本尊抄の解すべき方向を知るべきである。そのためにも即刻本果を捨てなければならない。師弟相寄って本因を守ることこそ肝要である。そこには信を生じる師弟子の法門の場である。
 今は余りにも安易に本果に寄り過ぎているようである。本果の法門では二十一世紀に至る黒闇を通り抜けることは困難である。今こそ師弟の本因本果の必要な時である。そこには蓮華因果も自ら生じる。また世間の因果もある。因果の上に世間即仏法がある。それが師弟子の法門のようにも見える。それらの因果が事行に生かされた処を解しているのが当流行事抄である。題目はそこに生じている。それが、一言摂尽の題目である。
 十界互具とは師弟因果・蓮華因果の処にあるもののようである。因果の中間にある一法は決して本果ではない。お間違いのないように。その一法の処にあるのが、本法である。諸仏はこの法を師として成道を遂げたのである。三秘もまたそこを住処としているのである。今は三秘や本仏を本果に求めようとしているのではないか。それは出来ない相談である。もし因果の混乱が有れば、宇宙の大霊にたどりつくようなことになるかもしれない。
 本果の道は危険であることを呉々も申し上げておくことにする。本果にあって法を立て乍ら本仏を称えることは大きな矛盾である。そのようなものを整備するのが教学部の仕事である。今止まっては二十一世紀を渡ることは出来ない。京なめり法門では鎌倉以来成功していないようである。行きつまりを承知の上で、今において、何故本果に猪突しなければならないのか。静かな思惟こそ、今最も必要なものである。思惟をどこかに置き忘れたのであろうか。
 今滅後末法の世を迎え、本果の法門は無用である。法教は本因境界にあるべきものである。本果の法教は先行き明るいとはいえない。在世の法教こそ速やかに捨てるべきである。時節の混乱の中での出陣は進みにくいであろう。在世脱益の処にあっての法教からは、滅後末法の衆生を導くようなものは有り得ない。必ず間違えないように法を立てなければならない。本果の法をもってする愚説は立ち上がれないものと知ってもらいたい。
 今の宗門は明治以来百年、大分本果なれをしているようである。本仏日蓮もまた本果の処には決して出現し得ないものである。今は在世の法教をもって二十一世紀へ乗り超えようとしている。そのために法教院を建てたのであろう。この法教院とは本因の上に考え直すべきである。在世の法教をもって乗りこえられるようなことはあり得ない。本因をもって示されている法門を本果をもって現わせば必ず他門は攻めてくるであろう。法教院は前もってそれについての予防線を張っておかなければならない。本因・本果双方の教義を用意しておかなければならない。それが出来なければ本因一本に切り換えるべきである。悪しくすれば法教院の狙う所とは逆に出るかもしれない。本因を明らめることこそ今の肝要である。
 邪義と決めた己心の一念三千法門こそ真実であると大日蓮に発表する度胸が必要である。己心の一念三千法門が邪義であるなら日蓮が教えは悉く邪教ということになる。それでは各門下も一宗を建立することも出来ない。大勢力によって一宗を建立することは出来ない。自分一人のみが元祖という建前になる。口に宗祖といい、元祖と唱え乍ら、それを認めないやり方は穏やかでない。因果の混乱の中にそのような矛盾が出るのではなかろうか。
 本因が家に本果を主とするような矛盾にたたかれないように気を配らなければならない。それは魂魄によることによって妨げるのではなかろうか。邪義と称しながら、御本仏日蓮大聖人といい、戒壇の本尊及題目等の三秘をとる。本仏は必ず本果の処には出現しないものである。時を外れて出現すれば、他は必ず狙い打ちにするであろう。前もって用意しておかなければならない。今は因果双方への答を用意しなければならない。今の教学陣でどこまで応対が出来るであろうか。
 今までは因果の混乱の上に追いつめられてをり、その成果が教学として残っている。そしてこれを上代のものによって裏付ける事が困難なのが現実である。裏付けのある教学に立ち帰らなければならない。次の滅後末法を迎えるために必ずその整理を急がなければならない。そのために襟を正さなければならない時が来ているのである。襟を正すとは法門の因果を正すことである。混乱とは迹仏と本仏とのけじめをつけかねている処である。
 因果が混乱すれば必ず迹仏が現われる。本仏とは本因から現ずるもの、目下の処本仏もその座を追われぎみである。今は迹仏を何となく本仏と称しているのではないかと思われる。他宗他門に対して、いかにも簡単に本因を明け渡している。因のない処に果は現われない。本因であるべき処に本果が現われて本仏を唱える。これを因果の混乱と称しているのである。そのために久遠元初が説明出来ない。その元初の処に衆生が居り、本法はそこに座をしめ、本仏はそこから出現するのである。それをまず取り決めなければ、出るものは迹仏に限るであろう。
 今は教学を深めることは他門の教学を強く取り入れることで、自門の古えの教学即ち師弟子の法門と益々離れることである。今は下して見れば、それは本仏についてであり、中々本仏について他を得心せしめるようなものは出てこない。これでは今の世を乗り切れない。滅後末法には今唱えている在世の法門は恐らくは通用しないであろう。在滅の差別のない法門でなければ次の滅後末法の世は迎えられないであろう。現状では本仏に思いきり責められる覚悟が必要である。滅後末法の時は臍を上に向けているのみでは、やってこない。もっともっと苦しまなければならない。そのために独自の教学の開拓が必要なのである。他門の教学を暗記することは、やってはならないことである。あまり安易な方法は取らないことである。
 六巻抄では頸にかけさせ給うた己心の一念三千の珠をまず最初にかかげ、最後はこれを当家三衣と結ばれている。そのけじめが観念文のようである。六巻抄の観念文と宗門の観念文とは違っている処がある。これまた法の立場から再検の必要があるように思う。今は法前仏後であるべき処が仏前法後と出ているという。これまた因果の混乱がそのような処に出たようである。仏前法後では大石寺法門は成り立たない。今は教前法後というべきか。教が先に立てば迹仏と出るのは止むを得ない。このことでも六巻抄とは逆に出ているようである。ああいえばこういうでは困る。  

 文底秘沈
 一筋通すことである。今の状態で法門の筋を通すことは出来ない相談である。問題は三大秘法抄を文底秘沈抄に密接に連絡を付けたための誤算である。文底秘沈とは寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千である。三大秘法抄の珠は決して、頸にかけられた一念三千の珠ではない。珠が間違っていたのである。今邪義という己心の一念三千の珠を改めて確認することである。その珠の確認を怠った罪障が種々な形で出るかもしれない。随分とお気を付け遊ばせ。文底秘沈抄と三秘抄とが内面的に混乱を生じているために、それが結果として観念文に現われたのであろうか。
 教前法後と立て乍ら、法教院とはどのようなものであろう。看板に偽りはないであろうか。迹仏を先とするなら教法院がふさわしいように思われる。教前法後の中ではいつの日か衆生成道は打ち消されるであろう。それでは滅後末法の宗とはいえない。今の状態でやれば六巻抄とは必ず逆に出るであろう。そこに姿勢を正す必要に迫られているのである。在るときには鬼気迫ると表現されるようなものである。水島先生の奮闘を切望したい処である。
 今の最要は文底秘沈抄の解釈から三秘抄を取り除くことから始めなければならない。三大秘法抄は宗学にはあまりプラスにはなっていないようである。ここで説かれる題目は第五の一言摂尽の題目にも本尊の中央の題目にも通じない。それを力んで一つだと解しても無駄なことで、ただ矛盾を深めるのみである。このために迹仏と離れ難いのであろう。悪縁というべきか。まずこの整理から始めてもらいたい。口先で気勢をあげてみたが、その割には成果が出なかったようである。眼を広く大きく配るべきである。迹仏と縁が切れるまでは、本仏は口に上せないことである。
 在世末法を取り乍ら本仏を得ることは許されざる矛盾である。今こそ本仏の出番である。法前仏後を取って安心して本仏の出現を願う時である。既に第五の五百歳も終りに近付いているのである。そこは迹仏の出現の世ではない。在滅や本迹の混乱は忽ち我が身に逼ってくる恐れがあるから随分気を付けなければならない。今既に被害が我が身に逼っているということではなかろうか。
在滅の立て別けをはっきりすべき時が来ているのである。時は必ず捉えなければならない。
 今は三大秘法抄を文底秘沈抄として最高の御書としての扱いをするために法門そのものの解釈に大きな誤算を生じたようである。本尊も殆んど他門と区別がない。題目は先にいう如くである。解釈の中でがっちり迹門の中に収まったようである。そのために本門であるべきものが迹門となっている。結局そこで消えたのは文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門のみである。これが爾後の法門に大きな影響をあたえている。これの復帰が今の大問題である。既に宗門では邪義とまで決めているのである。これでは何が邪義か正義かその区別さえ立てにくい。己心の一念三千法門のみは正義と云い直してもらいたい。本仏も本尊も戒壇も題目も全てが邪義となっては根本にすべきものがない。その時自らが本仏になり、宇宙の大霊を本仏と仰ぐようになるかもしれない。これは肉身が断ち切れず魂魄に依れないためである。  

 己心の国立戒壇
 魂魄に依らなければ宇宙の大霊や自己本仏につながるかもしれない。この法門は中央に最高になるものを置きたがる癖がある。国立戒壇を立て、その中央に座せば法主本仏である。会長が若しそこに座れば会長本仏となるのは必至である。昔、軍部はその中央に座し世界の諸国をその座下に集めようとしたが、悉く失敗に終ったようである。今のアメリカのやり方の中にも国立戒壇論的な発想を持っているように思えてならない。これは自己を中央に据えているように思われる。
 国立戒壇方式は因果の混乱の上に生じているためか最後は瓦解しているように見える。富士の頂上の富士戒壇説以来この戒壇はまだ成功していないのは何故であろうか。六壺はどのような大きなものであっても戒壇とは云えない。世界の人々に同時に授戒するためには正本堂ではいかにも狭すぎる。師弟の間に建立される大乗戒壇には大きさのない利点がある。戒壇問題もいつになったら解決するのか、まことに百年河清をまつごとくである。六壺は本尊を収める処ではない。十間四面の新しい堂が出来れば、そこに本尊を祭るのが順序ではなかろうか。分らない事である。
 国立戒壇論が出て既に百年であるが、中々この壇は出来そうにもない。ここらで己心の国立戒壇を建立してはどうであろう。そして滅後末法と第五の五百歳を再確認してはどうであろう。それは捉え方の問題である。そのためにまず国の定義付けを固めなければならない。その国とは衆生己心の国土世間の国でもよい。これならば本工事の必要はない。己心の上にある国土に建立するのであれば届け出もいらない。即刻即時の大乗戒壇建立も可能である。不可能な異論の多い戒壇に何故こだわるのであろうか。壇を立てて大乗戒壇を標榜して建立することは困難な事業である。
 立正安国論以来いまだにこれはという国の定義付けは現われない。守護国家論の国も何れの国も権力国家の国を表明しているものはない。鎮護国家の国も守護国界章の国も同様である。まず国を安定させる事が先決である。法華経については未だに奈良時代の鎮護国家的な考えから一歩も前進していないようである。それだけ世上に遅れているのである。仁王経も法華経も同じ時代に同じ地域で出来ているとすれば、仁王経の文の底に秘沈せられているのは何であろうか。双方共に同じようなものが含まれているのではなかろうか。何れの国も権力国家を思わせるように使われている。それはそのまま国を権力国家の国に特定して考える事は無駄である。
 権力国家意識をもった立正安国が五五百歳の上に考えられる時、或は国立戒壇論が成り立つのかもしれない。一人が頂点に立って最高権力を行使する想定の上に成り立つのであろう。国の考えが本因から本果に移っているのである。国に対する考えが本因に助長し、そのまま本果に使われた時因果の混乱を起してくる。一人が頂点に立って本果の処で本因を使うなら至極便利な方法である。これは或期間はやれるけれども、最終的には失敗するようで、その時は止めることが出来ず、自壊に向いて進むようである。法華一揆などもその一例である。一言でいえば因果の混乱ではないかと思う。法華の信者が短気者扱いをせられる根本は因果の混乱にある。本因を消して衆生への救済がない。これがなければ宗教としては失格である。
 社会の底辺にうごめく民衆の救済こそ宗教本来の仕事である。只漠然と天の父を指せば、それはやがて宇宙の大霊に身を委ねるようなことになるかもしれない。それでは救われるのは自分一人ということになる。そのために肉身を外して魂魄に限定するのである。この開目抄にお示しの魂魄なかなか守られないようである。この次の五百にはこの方式によるべきものと思われる。明治の文明開化でこの方式は根本から崩れたようで、西洋式の文明開化は二十世紀と共に終末が近付いているようである。この文明は原爆を作って我が首をジリジリしめることで終りをつける処におさまりそうである。これは自らの手で結末を付けるためには余程の勇気がいるようである。困じ果てた揚句、東西何れともなく手を握ろうとしている。ここで必要なのが信頼感である。

 真の大乗修行
 どこまで他が信頼出来るか。ここで必要なのが大乗的見地である。今の大石寺法門にも肝心のそれが失なわれているようである。小乗化の極限に混乱が来ている。ここまできて一方的に他を信頼出来る常々の修行が必要である。内々いくら他の譲歩後退を待っても相手は一歩も引かない。積み重ねた文明開化を捨てることこそ救いである。小乗を大乗に包含すれば、そこには救いが待っている。他の譲歩をのみ求めても話は進展しない。まず自らが小乗を捨てて、大乗に飛び込むことである。
まず己利を考えないことである。己心の一念三千法門はそれを教えているように見える。金に対する慾望を捨てない限り本仏は決して吾々の味方はしてくれないであろう。結論の直前まできて徹底的に叩かれるのが、この法門の特徴である。本仏に叱られるのを警戒することである。明治教学もお叱りを受ける方角に歩んでいるのではなかろうか。ドンチャン騒ぎは本仏の好む処ではない。本仏の御気色は些か怒りの色が見えているように思う。
 二十一世紀を迎えるためにも、因果の混乱は必ず防がなければならない処である。明治の文明開化の修正期が来ているのである。己心の一念三千法門や、日蓮が法門も悪しくこれを行えば、どのような害毒を流すかもしれない。要は運営の方法による処である。滅私奉公にいう私とは私利私欲である。私を捨てることが出来るなら世間様への御恩報じも出来ようというものである。この法門にはまずまず我が腹を肥やせとは出ていないようである。今は世間も一斉に慾望蜂起である。あまりそれが盛行すれば天はこれを断つかもしれない。それを止めるのが宗教家の仕事なのではなかろうか。
 滅後末法の吾等が己心の本仏も己心を外れてはその威力を発揮することは出来ない。宗門ではあくまで己心は認めない方針であろうか。伺いたいものである。それは事行に表われた処をもって知ることが出来る。己心を外れて慾望の淵に沈淪することは無駄なことである。今の外からの一斉攻撃は生き乍ら十界互具を体験しているのであろうか。本来ならそこに本仏や本尊になるものが有るのかもしれない。本尊七ケ口伝の事行の上の体験である。生きて体験しておけば、死後の体験は無用である。その貴重な体験の中に生き乍ら、本尊・本仏を身に付けることが出来るのである。それは小乗脱皮のための貴重な修行である。これこそ真の大乗修行というべきではなかろうか。尊むべし。尊むべし。
 現世にはどこにどのような貴重な修行の場があるかもしれない。それを捉えることの出来る人は賢人であり、聖人といえるのかもしれない。市井の中にあっての修行こそ真実の修行である。小乗修行の中から聖者が出たのは在世のことである。それは今の滅後末法の世には通用しない。真実の高位高官は市井の中に居るのである。これを無冠の大夫という。これは何れの冠位にも向く者である。これは必ずしも庶民のまけ惜しみばかりでもない。仏ももとは凡夫なりという体のものである。修行の場はどこにでもある。常に庶民に修行を求められているということではなかろうか。

 煩悩即菩提・生死即涅槃
 煩悩即菩提・生死即涅槃と開覚するのである。無明も亦無明即涅槃と開覚するのか。凡俗はそれ程簡単に即の一字を以て開覚することは出来ない。もしそれが出来るとすれば、それは魂魄世界に限るであろう。以上のことは、魂魄世界に於て己心の一念三千によれば生死を断って開覚することが出来る。
 魂魄を認めず己心の法門を邪義としては、凡俗は生死・煩悩・無明を断つことは出来ない。今生に生き乍ら生死を断じ、煩悩を断つ境界を楽しもうというのであろうか。今の状態では三惑を断つことは出来ない。生死の中に在り乍ら涅槃に入り仏と同じ覚りを開くことは出来ない。信もまた生死煩悩を遁れることは出来ない。
 魂魄によれば煩悩・生死・無明を断ずることができる。己心の一念三千法門は寿量品の文の底にあり、これならば容易に三惑を断つことも出来る。信は生死あってのことである。無疑曰信のみでは生死を断ずることは出来ない。今いう所の信心はこの信によっているのであろう。無疑曰信のみでは生死を超越することは出来ないのではないか。
 無疑曰信も生死の中の所作である。生き乍ら生死を断ずることは魂魄に限るようである。小辞典では、煩悩即菩提・生死即涅槃といい乍ら何れも成功しているものとはいえない。生死の中に居り乍ら、生死を断じていると称している。そこにいつわりがある。そのような所から不信の輩という語もでるのである。信不信は生死の上にあるべきもの、信心は師弟子の法門として考えた方がよい。そこで信頼感を取り返した方が賢明ではなかろうか。
 無疑曰信、悪しくすれば盲目信心に通じるものはないであろうか。思惟とは凡そ裏腹のものである。無疑等の四字には思惟を忘れさせるものがある。この四字の上に安坐して、明治以来、学はいらないと云う処にかたまって学力低下の片棒をかついてきたのではなかろうか。信行学から学が抜けたのはこの四字による処である。他門に劣らぬような教学を達成してもらいたい許りである。
 全ては疑うこと、疑問を持つことによってのみ前進がある。これを拒めば、あるのは後退のみである。この四字は本因の中で使われて、あまりよい方角へは走っていない。学力不振につながってはいないか。よくよく足元を見きわめることである。学に励み乍ら、ついて行けないのが現実である。六巻抄でも読み返して、その真実を求め出してもらいたい。そこには宗門でいう無疑曰信の意は出ていないようである。
 疑いのなくなるまで追求して始めて無疑曰信ということが出来る。今は信を出す方角が違っているようである。そのために、疑いのみが山積したのである。疑いを起すような学が必要なのであり、疑いを起さない学は始めから必要がない。もしそのような学があれば、文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門を確認すべきである。これなくして本仏や本尊を求めることは出来ない相談である。
 信には俗身がつきまといやすい。これを断ずるために、魂魄佐渡に至るという。その魂魄は佐渡の雪中の雲に清められた魂魄である。肉身があれば慾望が伴う。その故に魂魄のみを取り上げるのである。今は如何にも俗臭が強く、俗臭紛々としている。慎みを要する処であると思う。二十世紀から二十一世紀へ渡る瀬戸際である。師弟共に魂魄によってもらいたいと思う。
 慾望をもってしては、どうしても弟子への救済がなくなるように思われる。弟子への救いは己心の一念三千に限るようで、それも魂魄ときめられているのではないかと思われる。この法門があるが故に十界互具はなり立っている。その上に三秘も師弟子の中間に出現するのである。師は本果、弟子は本因という立て方である。
 今はいきなり弟子をもって師と称しているように見える。そこに因果の混乱、師弟の混乱がある。今はこれを根本として種々な混乱が次から次へと起きている。まず、因果の混乱、師弟の混乱、また師弟子の混乱もある。そして因を果とする混乱がある。これが次の混乱を招く本になっているようである。因果の混乱は本迹の混乱を起す。そして本因であるべき処が急ぎ迹仏に取りかえられる。本仏とあるべき処を迹仏とおいている処はないであろうか。

 空仮中の三諦、三諦読み
 教学小辞典に委しく出ている、二十頁を見られたい。それによれば「三諦の諦は審諦すなわち『つまびらか』または『あきらか』という意味で、十分に実相を見ることである。仏の悟りの真実の理をいう。仮とは一切の万法が、おのおのが仮りに因縁によって和合している皮相の面のみをいう。たとえば、咲いている花の姿のみを見ればこれは仮である。いつ散ってしまうかもわからない、仮和合の状態である。空とは万法の一切の性分のことで、有とも無とも確定出来ない。有無の二道以外の冥伏された状態、しかも一刹那をとらえれば、このどちらかに固定している不思議な実在である。花が芽ぐみ、色とりどりの花を咲かせるその性分、また大宇宙の運行等がこれである。」以上はすべて文の底から滲み出たものである。これを本仏の振舞といわれているのではなかろうか。以上は魂魄世界の不思議のようである。「この二面を備えて、しかも動かすことのできない厳然たる本質、これが中諦である。花が枯れても咲いても、その草木自体の本質には変わりはないのである。この三が即十如実相であり、法・報・応の三身である。図示すれば、相『応身如来・仮諦』、性『報身如来・空諦』、体『法身如来・中諦』、さらに日蓮大聖人の御書によって解説することとする。一念三千法門(四一二頁)云云。」以上、三諦の解説は読めば読む程にまことに難解である。これまで写したけれども、一向に判る処はなかった。これを一読して理解出来る人は相当な学者である。これを一読、理解出来る信者が居るのであろうか。恐らくそれは信の一字をもって理解するのであろう。理屈抜きで天台教学を無疑曰信しなければ本尊本仏等は証明出来ないであろう。そこに無疑曰信の必要がある。今は以上のものも導入されているのである。以上で本仏本尊等を理解するようにしたいと思っている。皆さん、おわかりでせうか。

 三 諦
 宮崎辞典(八十七頁)から拝借引用する。「空諦・仮諦・中諦のこと。諦は真実不虚の義で仏の説く真理のこと。その真理に三面あることから三諦という。天台教学ですべての存在がそのままで諸法実相の真理を明かす三面として空・仮・中三諦を説く。空諦(真諦・無諦)とはすべての存在は実体はなく空無のものであるとする。仮諦(俗諦・有諦)とはすべての存在は空であるが縁によって仮に生じ存在するものであるとする。中諦(中道第一義諦)とはすべての存在は一面的に考えられるような空・仮を超えた絶対のものでその本体は言語や思慮を超越したものであるとする。これに別教で説く隔歴三諦と円教で説く円融三諦の二種がある。隔歴三諦とは三諦が各個独立した真理として考えられ、空仮二諦(現象)と中諦(本体)は各別にして一致せず、前二者は劣り後者はすぐれるとする。円融三諦とは相互に個別的でなく一諦のうちに三諦を具えて三者が別なく融け合っており、いわゆる即空・即仮・即中の三諦であるとする。この三諦の真理を観ずるのが三観である。」寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千、これが不思議の実在であり、三諦・三身を表示するものかもしれない。それに時間と空間を与えているのが己心の一念三千法門なのかもしれない。これを認めなければ戒壇も本尊もまた題目も有り得ないかもしれない。それらを総合して戒壇の本尊といわれている。今は身延教学が入り込んだために戒壇の本尊も本仏も久遠元初の自受用身も思うように説明出来ないようである。
 三師伝も六巻抄も冒頭は寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千である。この文によって、己心の一念三千法門を根本として出来ているのが本尊抄のように見える。今はこの文は除かれている。本尊抄はこの文を解されたものである。宗門では己心の一念三千法門を邪義と定めている。三大秘法はこの文の底から出ているのである。京なめりの攻めによって、あえなく捨棄したのである。それを滅後末法のものと要約せられたのが本尊の脇書きである。それを在世の扱いをするために複雑になっているのである。
 三師伝・六巻抄も冒頭に寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門の文をかかげ、その点開目抄や本尊抄に共通したものを持っているようである。これが上代の共通した考えではなかろうか。今は天台の攻めに奇麗さっぱり打ち捨てたのである。これではこの意味が出ないのも当然である。一日も早く旧に帰さなければならない。この本尊抄の文こそ、二十一世紀を救済する金文字である。それを確実に取り返すのが今の宗門人の責務である。
 文底秘沈抄も依義判文抄も三重秘伝抄も末法相応抄も当流行事抄も、当家三衣抄もこの寿量品の文の底の文を除いては有り得ないかもしれない。他が除いたから自らも除くでは上代の法門に連絡が付かない。それでは日興門徒を名乗ることにも憚りがあるのではなかろうか。やればやる程、他門の法門に近付くのである。このままでは、京なめりとお叱りを受けるかもしれない。この文を捨てる時、寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千の世界が中古天台と思えるのである。戒壇の本尊に関しては文の上には書かれていない。只文の底にあるのみである。そこに民衆・衆生の世界を見る。今の法門の立て方では衆生の出番がない。それでは衆生の成道がない。そこで死後の成道を求めるのであろう。そこで成仏を応仏に頼るのである。
 仏教小辞典では十如実相について一念三千法門によって説明しているが、そのまま日蓮が法門として頂いてよいものかどうか、三大秘法抄にも色々な問題を含んでいるのではなかろうか。そのまま分り易く頂けると思われるものは案外京なめり風なものを選別する必要があるのではなかろうか。御書であるから気易くは飛び込みにくいのではなかろうか。京なめりとはどのようなものを指していたのか、その基準を知らなければならない。色々と先輩は苦慮せられているが、未だその相違を表示せられたものはない。今の一念三千法門には少しづつそのようなものが混じっている恐れはないであろうか。
 今は金がだぶづいたせいか自らを空諦に比し易くなっている。高座に置くためには空諦がよい。そしてその位置を最高位に置くと自然にその悟りを空諦に仮諦を遠ざけるようになる。そこにも自然に因果の混乱も起きるようである。そして遥か高位に虚空に身を置いて声を下すようになる。空中声ありということである。その慈悲は庶民はそれを受けるような仕組にはなっていない。空仮共にその慈悲を受けることが出来ない。衆生はそのような処に置かれている。その衆生をどのように救うかという大きな課題には宗を上げて取り組むべきである。学問することによって、身を高貴に置くようになる。蓋し魂魄の上に置いて考えるなら、文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門を忘れるようなこともなく、そこには師弟共々に救われる道を見出だしたであろう。今は師の道のみに意慾を燃やしているようである。
 己心の一念三千法門は必ず師弟の中に受けとめるべきものである。師のみとなれば信頼感がなくなる。また受持も消える。一方的に師が高処から下り、位することになる。そのためにはどうしても智慧を仏に比した方が都合がよい。その智慧を空諦に比するようになる。自然に応身如来の振舞に近付けるようになる。そのようなことのないように寛師は御書の中から貧賤に身を処せられた例をいくつか引き出されている。これは法も身も貧賤に置いて始めてその真実を発することが出来る故であろう。

 当家三衣抄
 わざわざ下司に生れたものが高貴を装う必要は更にない。生れたままで充分である。仮諦の外にわざわざ高貴の姿を写す必要はない。今は常に空諦の智に比そうとしている。あまりよい習わしではない。仮諦によってこそ、その真実は発揮出来るものである。そのために常に身を貧賤において苦しめる必要がある。その最低位の処に本法があり、そこに本仏が居るのである。この本仏は高位は最も嫌いなのである。
 今は高貴な高位の本仏即ち報身如来が考えられているようである。当家の三衣を身にまとったものが報身如来ではなかろうか。その三衣とは寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門である。身を貧賤におくことによってこの珠はいつでも自由に手にすることが出来る。そのために特別な山林修行の必要はなく、唱題の中に修行も繰り入れられているようである。そのための修行の場はいくらでも身近かな処にある。そこが大小乗の修行の相違である。そして修行は常に師弟共々になされている。
 行住坐臥に修行はあるものである。霊山浄土での修行は不断に師弟共々になされているのである。世も全て滅後末法であり、不断に三衣を身にまとって霊山浄土の修行をしているのである。荒行をもって身を苦しめるのは小乗行に近いようで、法華の示す処は大乗行である。大石寺では昔から、寒行や回峰行は行われていない。明治以降、小乗行に意欲を見せている。門下一般に大小乗取りまぜである。これは純粋な処が尊いのである。
 当家三衣抄では衣ている三衣の高貴さを説いている。身を高貴においては応身の三衣は手中にすることは出来ない。その三衣を身につけていることを説いている。それが当家三衣抄である。その抄の意義はあまりはっり捉えられていなかったのではないか。身は裸形であっても三衣が高貴なのである。これを頸に懸けて頂いているので凡俗は高貴なのである。如何に高貴かということは冒頭の左伝に云く、に示された通りである。これは高貴の見本のようなものである。
 裸形の仏像が出来るのは鎌倉の頃である。その如来の衣を身にまとって生れているのが衆生である。それを知らせようとしたのが開目抄であり、本尊抄であり、六巻抄である。案外真意は通じなかったようである。滅後末法の二十一世紀迄に間に合えばそれでよかったのであろうか。二十一世紀では身を以って受持してもらいたい。当家三衣抄ではそのことも併せて説かれているようである。あまり身近にあって気付かない向きもあるように思われる。平常着のままで、いつどこでも出来る師弟の修行、そこに師弟共々の成道もあろうというものである。本尊抄の副状は平常着のままの修行のあり方を示されたものであり、そこに滅後末法の修行があろうというものである。
 成道のための戒場の必要のないのが滅後末法の修行である。心の一角にその師があれば成道も成り立とうというものである。そのために十間四面の六壺の必要は更にないものである。それだけ今は京なめりの度も加わっているのである。平常着の三衣を身につけた師弟があれば大乗戒壇は即刻己心の上に建立することは可能である。それこそ真実の滅後末法の戒壇といえるものではなかろうか。
 滅後末法の世に何故小乗方式の戒壇を求めるのであろうか。本尊抄の副状は上のような戒壇を示されたのではなかろうか。そこには閻浮第一の戒壇も何の苦もなく簡単に建立可能である。滅後末法のために莫大な資材の要求はされていない。己心の戒壇なら何の届けもいらない。法を師として成道を遂げることを示されたのではなかろうか。今は法を師とする成道はどうなったのであろう。百間四面の戒壇の建立も自由である。一旦建造されたものは己心に収めることは出来ない。建築以前であれば国立戒壇ということも出来る。先ず滅後末法の時の国を誤らないことである。建築以後の変更は面倒である。
 明治以来国立戒壇が出来ないのは解釈の面に問題があるのではなかろうか。建築物による国立戒壇は恐らくは滅後末法の世には無用ではなかろうか。国立戒壇の国は小乗の国を意識しているのではないか。まず国立戒壇のために国を判定しなければならない。室町期には権力国家を意識していたようで、これは他宗他門の影響によるものであろう。副状による師弟成道のための戒壇は恐らくは戒場の必要のない魂魄による寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千の上の三秘ではないかと思う。
 頸にかけさしめたもうた一念三千の珠とは三秘であるが、正本堂の建立はそれを否定することになりはしないか。当家三衣抄はその戒壇を明示されているのである。何故それが理解できないのであろうか。それこそ末法相応の本尊である。それが六巻抄に説かれた題目である。それは水島が邪義という処のものである。邪義と思い乍ら万遍唱えても功徳はないかもしれない。
 少しでも本尊抄に解釈を近付けることである。奈良方式の解釈でないと承伏出来ないのかもしれない。法教院教学はまず、本尊抄によるべきである。副状専門の研究所を建立してもよいのではないか。いまは離すことにのみ専念しているようである。古はこの副状を根本として宗を建立していたのではなかろうか。今は六巻抄の解釈は逆に逆に出ているようである。それこそ京なめりである。十間四面の六壺では最早極く内々という意味もなくなる。ツボはもと宮廷の梨壺その他の五壺の意味を持っている。その六壺にいるのが女房。宗門ではここを担当しているのが御仲居である。坪は土地の広さを示す単位、今は壺の意味も消えて坪に移りつつある。
 客殿には紫宸殿の意味を持たせてをり、清涼殿の意味をもっている。また客殿はお会式のお供えの大根(おおね)の意味もあるが、この意味も既に失なわれているのであろう。それでは大根(おおね)がゆるぐようなことはないか。法門はいつまでも古いままを持たせてもらいたいものである。少し因師の要解集でも読むことである。
 短大と四年制大学を同時に開校して絶えざる教学の復活を計ってはどうであろう。滅後末法の衆生の救済を一紙に認められたのが戒壇の本尊である。それを身に付けているとの意義を六巻抄に解説されている。その意を以って理解すべきである。副状が要約されたもの、それが戒壇の本尊と理解することも出来る。それが分らない処に今古の教学の違い目がある。大いに学に励んでもらいたい。
 世間を見廻して論を立てるべきである。滅後末法の世に六壺という国立戒壇の夢は速やかに捨てるべきである。己心の上の建立なら、いつどこでも即刻建造可能である。国立戒壇にも時節の混乱があったようである。若し貧に身をおいて三衣を確認出来るなら、応身如来の出現もまた可能である。その応身如来こそ滅後末法の長闇を照らすべき本である。他門では頸にかけられた三衣はあまり大きく取り上げていない。そこでどうしても迹仏に頼るようになるのではなかろうか。
 今程金がダブヅいてくると衆生に対し仏に対する感謝の気持が薄らいで来る。報恩が根本である。日蓮には報恩抄がある。これは己心の法門を締め括るものではなかろうか。報恩から始まっているのである。それは身を低位においておるから出来るのではなかろうか。今の宗義には報恩が出ないかもしれない。宗門でも師弟共に今少し報恩の気持を取り返して見てはどうであろう。そこには新しい前進があるかもしれない。
 今の行きつまり処を切り開く工夫が必要ではなかろうか。滅後末法の時、待っていても道が開けるものではない。金がふりそそいでくると、そこに感謝をまず先にかかげなければならない。今では次第に薄れているようである。今の世間には報恩謝徳ということは余り考えられていないようである。世が末になると人の気も荒むもの。全て報恩謝徳の考えが必要ではないかと思う。今は滅後末法も第五の五百歳も終りが来ているようである。法華経は滅後末法の後五百歳のために選択されたようである。滅後末法の今法華経の出番が来ているのである。
 文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門とは法を指しているのではなかろうか。滅後末法の世に戒壇の大きさを競う必要はない。空諦をとれば釈尊の仏法を唱えている間に京なめりが戒壇の大なるものを要求したのであろう。それは小乗の戒壇に等しいものである。三学も知らぬ間に小乗化したのであろう。国立戒壇を称している間に滅後末法の戒壇として小乗方式の戒壇が想定されたのであろう。
 滅後末法の戒壇とは大乗戒壇でなければならない。本尊抄に示された戒壇とは師弟の間に建立された戒壇ではないかと思う。それが三大秘法抄を最要と考えている間に小乗方式に移行したのである。その建立なるものは法を師として師弟の成道を遂げるなら戒壇は自ら建立されるものである。本尊抄に示された三秘、それは滅後末法にふさわしい、師弟成道の間に示される一言摂尽の題目である。三大秘法抄を根本にしたために三秘に変革が起きたようである。

 本法及び本尊(日蓮辞典二七〇頁)
 「久遠釈尊根本の教法。妙法蓮華経。久遠釈尊が単独に所有された智としての教法ではなく、釈尊の悲として、我等との関わりの中に所有する観心の教法。釈尊の因行果徳を具足する妙法蓮華経の五字は、単なる教えとしてあるのではなく、南無妙法蓮華経の七字においてのみ五字自身を実現する。すなわち、久遠釈尊の悲の願行の中で、『我等』の五字の受持は必然的な要請としてあるのであり、ここにおいて、衆生の存在意義と価値が確立することになる。このような五字七字の観心としての教法は久遠釈尊の根本道法であり、これを本法と称する。」これまで写して見たが、すっきりと頭の中に入らない人に消化して話すことは出来ない。これらの文をこのまま見せて理解してもらう以外に方法はない。もっとやさしく学のないものに一読理解出来るものが欲しいものである。吾々はこれを一読理解出来る教義は持ち合わせていない。
 滅後末法の世となれば、むづかしい理は学者の専用物となり、世をあげて愚悪の凡夫のみの充満する世となるのは必至である。ここに云う本法・本尊は久遠実成に釈尊の関わりの仏である。その仏が師事した法とは何なるものであろう。久遠元初の法は認められないのであろうか。日蓮といえども凡俗と同じく、己心の一念三千の法を頸にかけてもらって生れている筈である。釈尊もまた、その法を師として仏に成り給うたのではなかろうか。もしこれを認めるなら、本因を認めなければならない。そのために久遠実成の仏にのみ限定するのであろうか。文の底に秘して沈めた己心の一念三千が認められないために、引用のような結論が出るのであろうか。寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門を認めるか、認めないかの問題である。
 開目抄には寿量品の文の底に秘して沈めての文があったことは録内御書の示す通りである。これを無かったとする乾本を認めたいために引用のような意見が出たのであろうか。これでは頸にかけさせ給うた一念三千の珠の落ち付きが悪い。この珠を本因と決め、本法としてそこから本尊等の三秘を求めてはどうであろう。この珠なら久遠の釈尊以前から授与されていると見てよいと思う。それを認めないのは京なめりではなかろうか。
 頸にかけ与えられた珠こそ本法であり、三秘でなければならない。認めないのは新しく勢力を張った教団の持つ教義。鎌倉末には盛んになり、京なめりと云われるものは頸にかけられた珠を認めない集団の教義。これが次第に天台の中に食い込んで、伝教の教を駆逐するようになる。これらが後の闘争の中心になる。古いものを残そうとする大石寺と新しいものを入れようとする日蓮宗との争いがそこに展開する。
 今も日蓮宗では開目抄の文の底の文を認めない。それを認めようとする大石寺は久遠元初を立てる。日蓮宗は久遠実成を取るので、そこに本因本果の異りが出ているようである。本尊抄の文も亦開目抄の文につながりを持っている。その珠が三大秘法抄として別立した時、それに飛び込んだのは、久遠実成を取る本果の集団ではなかったであろうか。この時代を境に伝教の教が次第に薄らいで行くようである。丁度台密の盛んな頃である。山家本が読み下しにくくなるのもこの頃である。
 鎌倉文応頃には「京なめり」という語も使われている。根本大師門人としての教が守りにくくなった時ではなかろうか。本果の釈尊が大きく浮び上がって来る時期である。日蓮にも門下から自説に背くものも出始める頃である。「背きおわんぬ」と歎ぜざるを得なかった時代である。時の流れの中に新しい法門が興っているようである。大きな変動期である。門下が思い思いに発展する時期である。
 そのような中で伝統法門として師弟子の法門を守ろうとしたのが日興門流であったようであるが、後には他の集中攻撃を受けるようになる。遂に久遠元初の本法は本因と共に守れなかったようである。今も法門的には不必要になっているようである。時にはちぢめて見る必要があるのではなかろうか。今まで苦難の時を超えてきたものが真実の本法であり、久遠元初の一念三千法門であったようである。この法門は魂魄の上に立てられたもの。肉身との俗縁の薄いものである。今二十一世紀を目前にして法門も復古の時を迎えているのではなかろうか。
 明治では己心の一念三千法門がまとまらず、西洋の学によって異様に脹れ上がり、広宣流布的な発想も起り色々な学問の悪い影響を受けたようである。古の京なめりである。ここは東洋学をもって明らめる処ではなかろうか。それによって鎌倉の昔に帰ることは出来ないであろうか。明治教学の華やかさも今は凋落の時を迎えている。徒らに明治に固執しても新しい発展はないであろう。今重大な転換期が来ているようである。
 明治は只仇花のようなものであった。今一つ根本的な発展がほしい処である。法門としてどれだけの成果をあげているであろうか。今その精算期を迎えているのである。精算して法門的にどれだけのものが残ったか。世間様に対してどれだけのものを残したと云えるであろうか。世界広布はあまりよい夢ではなかった。只の悪夢であった。そして徒らに夢のあとのみが残っているのである。いつの日が来たら夏草の夢の跡が消えることであろう。
 己心の外に発展した己心の法門には華やかな一面はあったようであるが、実が乏しかったように思う。二十一世紀は残りを取って実として未来の己心の法門として発展すべき年ではないかと思う。改めて文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門を再確認すべき時が来ているのである。威勢のよかった日蓮宗にどれだけのものが残っているであろうか。若しなければ、これを再確認しなければならない。滅後末法にふさわしい己心の一念三千法門の最も必要な時でもある。
 受持のためには、まず予め金は辞退しておくべきである。先に金を受けとめて、後から法門を頂くことは中々困難なようである。法門のみを受持出来る力のある人は極めて稀なようである。そこに師を求め選ぶむづかしさがある。しばらくは雑音を遠ざけるむづかしさがある。今振り返って見て、末法に突入し弥勒の己心の滅後末法の世を迎えて以来それほど師と迎える程に行の足りた人は稀である。そこで自らの己心に師にふさわしい人を求めるのである。これが最も誤りのない方法ではないかと思う。その用意のために魂魄佐渡に至るとか、寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門など、それこそ珠玉の文があるのである。しかし、今はそれらの文でさえ既に狙われているのである。
 滅後末法の時、最もふさわしい物を選び出さなければならない。在世正法の法門では滅後末法の世にはむづかしいように思う。この師弟子の法門がどこまで守り続けられるか、そこにあるのは持つことのむづかしさである。難語によってのみ持ち続けられるものではない。愚悪の凡夫でも受持出来るように至極簡単になっているのが受持である。まず受持することによって妙法五字の珠の受持もまた可能である。これは受持可能というよりは、本来として持って生れた己心の一念三千の珠を確認すれば事足りるのである。しかし受持の間に師弟共に一切の慾望を持ちこむことは不可能である。
 愚悪の凡夫が成道を遂げるためには先ず、師を選ぶことが肝要である。その師は生れた時に三秘として頸にかけ与えられている己心の一念三千法門である。他から移入するのではない。今はこの法門を邪義と決めて認めないのである。認めないものを師と仰ぎ、定められた三秘は認めない。そこに新義を建立しているようである。本因も本法も認めない。三秘が混乱して因果が定まらない。このために蓮華因果に取りつけないようである。この混乱どこまで続くであろうか。

 本仏(日蓮辞典二七〇頁)
 「本門の教主釈尊。法華経本門寿量品の仏。法華経寿量品の開近顕遠・発迹顕本によって、三世十方の諸仏を能く統一する久遠実成の仏が示される。仏の久遠開顕は爾前迹門の因果を打ち破り、本門十界の因果を明かすことを意味している。こうして顕示された釈尊の本因本果の功能は、受持を媒介として衆生に譲与される。『観心本尊抄』ではこれを、凡心に本門の釈尊を具すことをもって示し、本門の釈尊による衆生救済の実現とする。このような衆生との関わりの中に、教主としての真実性がある。」この本仏はつまり久遠実成の仏であることにかわりはない。
 この本仏は何となく若々しい。日蓮本仏に対抗するためにとっさに考えられたもののようで、まだ落ち着きがない。これは只久遠実成を本仏と名付けたまでで、大石寺では今は押されてこの説を取り入れているのであろう。共に久成の仏である。本果である。これでは只久成の仏を本仏の座に据えたまでである。寿量品の文の上に示された通りで、法華経寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千とは無関係である。
 この本仏論はどうも分らない。これは日蓮本仏を斬るためのもののようであり、それ程迫力がない。この説の新本仏は本尊抄とそれ程の関わりを持っていないようである。文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門を認めた後にすれば、本仏は本因を示すであろう。そうなれば因果の区別ははっきり出るであろう。この新本仏論はいかにも苦しそうである。頸に懸けさせ給うた己心の一念三千の珠は一向に威力を発揮しない。因果各別では衆生成道にはつながらないようである。本尊抄に示された、師弟共に仏道を成ぜんの文はどこで生かされるのであろうか。これでは因果倶時の日も遥かなようである。
 本因本果を崩しては霊山浄土における師弟一箇の成道があるとも思われない。師弟共に仏道を成ぜんといわれた師弟相寄って共に仏道を守る方法を見出だしてはどうでしょう。師は本果の妙法を弟子は本因の妙法を、師弟相寄って仏道を成じるとは本因本果を各別に扱うのではなく、一箇のものとして扱えばそこにも成道がある。しかし、この本仏論では因果倶時を認めていない。因果各別では蓮華も生じない。成道は因果各別の処で因は因のみにより、果は果のみによって成道する、植物方式による成道なのであろうか。これが実に不思議の一法と云うべきである。
 因果の双本仏はいつ合体一箇するのであろうか。因果の仏はいつまでたっても別体仏であろうか。因果を具備しなければ仏として完全とは云えない。日蓮本仏を崩すために、釈尊も衆生を取り返すことも出来ず、未だに本来の仏にはなり切っていない。本仏は本因本果の仏を具備していることが条件ではないかと思う。この本果の本仏の元では霊山成道は出来ないであろう。
 寿量品の文の底を認めなければ、本尊抄の解釈は出来ないのではなかろうか。釈尊は本因の本法を以って修行し、しかる後に仏道を成じたのか、釈尊の成じた本法とはどのようなものであろうか。長い修行を終った本果の釈尊に対しては本因修行はそれ程プラスにはならなかったのではなかろうか。そのような修行なら始めからする必要はないように思われるが如何でしょう。プラスにならない修行なら始めから止めた方がよいように思われる。
 本因の釈尊と本果の釈尊はいつ一体となるのであろうか。両本仏は後になる程一箇しにくいであろう。因果各別の釈迦本仏はあまり聞いたことがない。釈尊本仏が因果双体仏であるという文字には未だお目にかかったことがない。この仏は本因の処で因果一体と見た方が無難なようである。本因の釈尊の本仏論はどこかすっきりしないようである。何となし速成の感じがするのは気掛りであるが、今は可なり功を奏しているのではなかろうか。本因の釈尊の智慧は何を縁に仏に成り給うたのであろうか。智慧があって成道を得た、その智慧身が本仏であるとは、これも分りにくい。
 衆生は頸に懸けられた法によって修行し成道を遂げたのではなかろうか。頸に懸けさせ給うた法とは自らも釈尊もまた頸に懸けさしめ給うているものであろう。その三秘を総じて三大秘法といい、本法といい、本仏もそこから出生する。その三秘から戒壇が出、本尊が出、総じて一言摂尽の題目という、その法を魂魄の処に求める。これは天の法である。これを私するのは良くない。この天の法は智慧に法を求めるよりは筋がよい。
 智慧に根本の法を求めると行きつまるのではなかろうか。釈尊の智慧でなく、天の命を根源とし、ここに本因をおいている。釈尊の成道と雖も、天の命に対しては本果である。釈尊の智慧によれば、それに凡俗の便乗する恐れはないであろうか。そのために魂魄と御指定になっている。ここでは成道した釈尊の現実を捉えている。
 開目抄や本尊抄では智慧身には触れていないように見える。何故それを智慧と指定するのであろうか。智慧の有り過ぎのように思われる。智慧身は常に報身如来をもって抑えられている。明らさまに釈尊の智慧身とはどのようなものであろうか。三身のうち何れであろうか。根本の智慧とは応身、法身のほか、また報身如来であろうか。その智慧身とは報身か応身か何れであろうか。久遠において実成した如来身は三身のうち何れであろうか。
 根本の智慧身とは報身如来を指しているのであろうか。この如来は魂魄の上に考えられたものである。寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門を認めないでいう処の智慧は捉えがたいのではなかろうか。この如来は応身に代りたい気持ちを持っているのではなかろうか。あまり慾気のない方がよい。応報を兼ねるのは分りにくくなるかもしれない。
 因が果を兼ねていては紛れやすくなる。因果倶時とは自ら別である。今は果が因を兼ねているような処はないであろうか。次第に因果の区別が付けにくくなったように思われる。又或る時は本因であり、或る時は本果であったりすることはなかろうか。手の届かない根本の智慧身のあたりを報身如来といい、本因と名付けてはどうであろう。ここは結論の場ではない。出発点なのである。ここは自他共にはっきりしていないようである。
 先に不動の本因を決めてはどうなのであろう。或る時は本因、或る時は本果という、不安定なものでは困る。はっきりしていないのが愚悪の凡夫なのである。それを落ち付けるような根本の法門が欲しいものである。滅後八百年、今に本尊抄の解釈が安定しているとは云えない状態である。つまり、根本の解釈が安定していないということであろうか。甲論乙駁、いつの日がきたら統一されるのであろう。以上、本法とは久遠実成の仏を指している。結局は大石寺の本仏に対抗するために考えられたもの、これによって自らの迹仏を本仏として本法の処に立てられた本仏を下すための用意と見える。
 大石寺の本仏は魂魄の処に建立されたもののようである。寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門であるが、久遠実成の仏を本仏とするとはっきり書かれたものがない。ここでいう己心の一念三千法門即ち本因の本仏を下し、本果の仏をいきなり本仏ときめる。これは殆んど個人感情のごときものである。ここで因果が真反対になる。魂魄の上に考えられた法門とも思えない。このために理において色々と無理が出る。因果は逆に本迹もまた逆である。ああいえばこういう、こういえばああいうということになり収拾がつかなくなるように見える。
 一つ本果を持ち出して本因とすれば、それは限りなく広がるもののようである。根本の理とは、どのようなものであろうか。その理の設定によって本法、本仏の理は無限に広がるものであろう。西洋学を取り入れた理の法門も今は自然に廃止の時を迎えたようである。大石寺でも遂に西洋流を取り入れた理の法門に究極を求めているのではないか。双方共に似たような処に結論を持ち寄っているようである。共に応仏によっているのではないかと見える。改めるなら早い方がよい。これでは到底三宝に到達出来ないのではないか。
 本尊抄や開目抄から改めて三宝を取り決めて二十一世紀という滅後末法を迎える用意をしなければならない。戒壇の本尊は滅後末法の用意に示されたものである。そこで脇書が重要になってくる。今も二十一世紀も滅後末法、第五の五百歳の終った時である。まず時をしらなければならない。その時については撰時抄に説かれている。
 まず具足の道を発見することから始めなければならない。この本仏の考え方は今、徐々に大石寺にも入りつつあるのではないか。今いう処の因果の法は因果具足の法でもない。即ち混乱具足の法である。それらを見て蓮華の法と感じられるようなものではない。呉音で読んだ時に自づから現ずる因果倶時不思議の一法とは遥かに隔たり、像法のもので因を果と果を本因と読んだまでのものである。これを具足道と呼ぶことは出来ないと思う。六巻抄の解体は本尊抄の解体につながるかもしれない。
 まず欲聞具足道の具足道の正体を見出だしてもらいたい。具足道の処に成道の因は秘められているのではなかろうか。双方共に今の論理はあまり展開しないのではないか。題目まで話は乗ってくれないであろう。理を誹謗し乍ら行きついた処は理の法門であったようで、共に滅後末法の世に受け入れられる理論とも思えない。具足道の法は寿量品の文の底に秘められていると信じた方がよいように思う。この法を否定するのはあまり良くない新義ではなかろうか。
 この文の底に秘められた中に本法もあり、法仏もあり、三秘も必ず秘められているのではなかろうか。それはいうまでもなく、師弟一箇の処にあるべき我が己心である。これらが邪義と思える間は容易に見出だすことは出来ないであろう。逆を順といい、順を逆と称しても因果がくつがえるものでもない。順逆を正すことは、世間にあっても不可欠のものである。順を逆といい、逆を順と称してもいつまでも通用するものではない。
 具足の道を称して妙法というのではなかろうか。その高くして求めがたいこと富士の頂上の蓮華の如く師弟子の法門とはそれ程求めがたいものである。師弟があれば自づからその間に事行の法門として現われるもの、理をもってしては現われがたく、消えがたいもののようである。自行の法門とは必ず師弟の間にあるもののようである。たとい師弟の道は絶えるとも必ず自行の上には残るものである。
 滅後末法の悪世でも必ず法として伝わることを承知の上で師弟子の法門を定めおかれたものであろう。計りがたい秘事である。本来として頸に懸けおかれたものと、この師弟子の法門によって己心の法は伝えられ、伝わるものである。邪義ということとは関係なく、己心の法門と師弟子の法門は伝播するであろう。法は無限である。水島が邪義と称したので却って呼び水になったようである。そしてますます開目抄や本尊抄は光ってきているようである。しかし今の開目抄や本尊抄の理解は次第に京なめりの方向に進んでいるのではなかろうか。
 二十一世紀の末法は即時に第五の五百歳の終った処に出るのではなかろうか。今度は究竟中の究竟の本尊の脇書は二千二百二十余年ともいくまい。いささか修正を加える必要があるのではなかろうか。既に三千年に満ちる時なのである。第六の五百歳には経の裏付けがない。今改めて開目抄や本尊抄を再検すべき時が来ているのではなかろうか。残る十年余の間になさなければならないことである。今末法の世が到来しているのである。いよいよ末法の世が逼って来れば北海に迫り来る霧よりは今一つ厳しいかもしれない。まず本法をこのようなものと取り決めなければならない。それを決めなければならない。それを決めた上で対策も取り決めるべきである。宗門人総動員しても充分な人数とはいえない。
 要は頭の中味である。本尊開顕の時二千二百二十余年と余裕をもって示されているのである。それがたまたま二千二百二十余年が宗祖御入滅の後、七百余年を経て、三千年が目前に迫ってきたのである。それは七百余年の間に準備しておくべきものであった。今、その中に含まれている用意のものを示してもらいたい。三千年に満ちた時、余の字に含まれたものがなければ「余」の字は消さなければならない。三千年の間をすべて本果と解して本因を消すのであろうか。本因のためには余の字は必要なようである。三千年ともなれば状況が少し変るかもしれない。脇書をかえる時には誤りでないことについて説明が必要である。これは信心のみでは得心いかないと思う。年度変りの処の説明が必要である。
 本仏の終りの部分は直接宮崎日蓮辞典によられたい。九〇頁以下である。この理によれば攻め立てられることもないと思う。ただし、宗祖や上代の諸師や六巻抄師の責めを如何せん。いよいよ滅後末法のその時が来て、まず知らなければならない時が目前に迫ったのである。その三千年の日のために六巻抄の解明が必要なようで、これこそ全て滅後末法の凡夫のための金字塔である。しかし、解説は皆さんお好みでないように見える。自分等のためには混乱することの方が待たれるのであろうか。そこには愚悪の凡夫への救済は有り得ないかもしれない。そこから先は止むを得ず自解仏乗である。師弟子の法門は本来自解仏乗のように出来ているのではなかろうか。日蓮本仏を打ち消すために釈迦本仏が出たのであろう。
 梁塵秘抄に「仏も本は凡夫なり」という歌がある。その時代から本仏は凡夫と決まっている。その凡夫は己心の一念三千法門である。仏はその法を師として成仏された、その法が本法である。その本法所持の者こそ本仏ということではなかろうか。日蓮という俗身を思い浮べるためについ、己心の一念三千法門を切りすてるようになる。日蓮とは俗身ではない。俗身とは思いすぎのようである。魂魄の上に考えるなら、法そのものである。それが捉え方によって応身ともなれば報身ともなる。時に法身ともなるのである。
 大石寺でいう本仏日蓮とは己心の一念三千法門に限っている。その故に本尊抄では十界互具を説かれ、そこから本尊に信を生じている。仏の如き日蓮を考えては決して本仏は浮ばないであろう。反って俗体化するのみである。そこから強制せられて、己心の一念三千法門を邪義と決めるのであろう。その本仏を形に表わしたのが戒壇の本尊である。これこそ真実の題目である。今は形に重きを置いて楠板の本尊という。これが戒壇であり、本尊であり、題目である。この故にこれを三秘総在の本尊という。
 今激変の時期であり、他門の教学に大きくゆすられているようである。一日も早く上代のもの、本来のものを取り返さなければならない。他門のものはどこかで矛盾に遭遇するであろう。その度に常に大幅に修正を受けているのである。そこで今最も他に向かって説明出来にくいのが本仏、本尊、本法であり、戒壇である。そのうめ合わせに使われるのが信心である。
 師弟の法門であれば、信は自ら生じ、必要に応じて大乗戒壇は即時に建立されるようになっている。建造物による戒壇の建立はどうしても小乗的な感じを与える。昔から末寺では法華堂のまま大乗戒壇は考えられ、法門的には一向に差支えなかったようである。頸に懸けさせ給うた一念三千の珠の意味が、今程薄らいだことは未だ曾つてないことである。今は師弟の間に自ら生じる信を信心として解釈をしている、そしてその上に信心では説明出来かねる。本尊・本仏・題目をこの信心の処で押し付けようとしている。ここに反省があってよいのではないかと思う。
 今こそ法門の復古の最要な時である。他門から取り入れたものを精算すべき時である。今となって釈尊の俗身を求めて、それを本仏とするようなことは児戯に等しいものではなかろうか。それよりもその俗身の上に法華経寿量品の文の底の己心の一念三千法門を求めることの方が遥かに勝っているのではなかろうか。その方法は本尊抄にも示されている処である。釈尊の俗形に本仏を求める方法は本尊抄には示されていない。同じなら本尊抄に示された方法によりたいものである。

 三徳・三惑
 三惑(日蓮辞典九五頁)「見思惑・塵沙惑・無明惑の三種の煩悩。見思惑には見惑(辺見・邪見等)と思惑(貪・瞋・痴等)の二惑があり、三界六道の苦果を招き、そこから逃れることはできない。塵沙惑は化導障ともいい、菩薩が教化する際の事智の障をいう。無明惑は中道障ともいい、中道実相の法性を惑わす理智の障をいう。特に、煩悩悪業の根源を元品の無明(根本無明)と呼ぶ。日蓮は三惑中、この元品の無明についてしばしば言及する。→無明」
 三徳(同九五頁)「法身・般若・解脱の三徳と主・師・親の三徳とがある。(1)一般に仏教で三徳というと、『涅槃経』に説く法身・般若・解脱の仏に具わる徳相をいう。仏の常住不滅の本体を法身といい、それを悟る仏の智慧を般若といい、法身と般若とが一つとなり、煩悩から自由になることを解脱という。(2)日蓮がたえず力説しているものに、主・師・親の三徳がある。法華経譬喩品の『今此三界皆是我有』云云の経文に由来して立てられた法門で、主徳とは衆生を守護するはたらき、師徳とは衆生を導き教化するはたらき、親徳とは衆生を慈愛するはたらきで、この三徳が具備していることを衆生済度の仏の条件とし、これを具足しているのは釈尊一仏であるとする。日蓮は仏徳を表示するこの三徳を、自己の宗教的体験と自覚が深まるにしたがい、法華経の行者である自己にも具備しているとする。『開目抄』で日蓮が日本の柱(主)、日本の眼目(師)、日本の大船(親)であることを誓っているのがそれである。この意味で主・師・親の三徳の呼称は、日蓮独自の用法といえる。」
 以上は日蓮辞典にあるもの、そのままである。主・師・親の三徳具備ということの上で、それが魂魄の上に発想された受持即観心なのかもしれない。そこにあるのが信心なのかもしれない。その信心がいきなり無縁の者に本尊に対する信心を強制するのは、その信心の内容の説明不足の為のようである。受持によって自らも主・師・親三徳具足の仏となることが出来る。それが魂魄世界ということではなかろうか。今は説明不足を信心の語をもって強圧的に解決しようとしているのが実状である。教学小辞典の三徳は二五四頁にある。在滅の末法を厳重に区別して読み直すことが肝要である。  

 末法の観心(教学小辞典二六〇頁)
 「観心とは自己の生命の実体を見つめて、幸福を証得することである。ゆえに末法においては御本尊を信じて修行する以外にない。これを我が己心に観じて受持すれば、我が身即、主・師・親具足の本尊ということになる。観心本尊抄(二四〇頁)にいわく『出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり』とて明鏡に向かって自具の十界・百界千如・一念三千を観るべきことをお示しになっている。ここに明鏡とは大御本尊であることはいうまでもない。」(同二六一頁)以下委しい引用がある。この解説の文は読めば読むほど分らない。
 己心に観じる己心とは俗身の上に考えるべきものではない。俗身の上におのれの心を観ずれば、慾心が伴うかもしれない。その慾心の起らないように、魂魄の上に考えるのである。俗身からわが心を取り出せば慾が出るのは当然である。そこを強引に信心というのである。その己心とは、只のおのれの心即ち己心ではない。即ち釈尊と同じ境界を指しているのであろう。そこで、それを法華経寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千というが、今は観心のこの語は認めない。その己心を信心の上に限って認めて、信心をもって浄化するのである。
 今は文の底に秘して沈めた己心の一念三千を認めない。正宗ではこれを邪義という。俗身・俗心のまま最高最尊の座に就くのである。天上天下唯我独尊である。そして衆生を信心の名のもとにその傘下に寄せ集めようというのである。その間に本地の本因と果地の本因とがすり替えられる。因果の混乱が行われるのである。
 戒壇にしても戒壇の名のもとに大小乗の混乱がある。奈良の戒壇は出来上った処は小乗戒壇である。その理をもって滅後末法に壇を建立すれば小乗戒壇と見ざるを得ない。そして、小乗の戒律をそのまま押し付けようというのである。そのような混乱のないように本尊抄では予防線が張られているのである。又小乗戒壇を授ける必要のないように戒は師弟の間に戒が置かれているように見える。即ち受持即持戒でもある。
 師弟の関係を認めるなら戒壇の建立の必要はない。本来の戒は消えて、新しい戒が登場しているのである。そして次第に因果の混乱が始まるのである。今は本因は消されているようである。本果の処にある因に打ち消されたのである。滅後末法を立てるために改めて本地の本因が必要になっているのである。今こそ因果の混乱の区別を立てる必要に迫られているのである。

 戒壇建立(教学小辞典二四〇頁)
 「文底秘沈抄に『霊山浄土に似たらん最勝の地とは、まさにこの富士山なるべし、ゆえに富士山において本門の戒壇これを建立すべきなり』とある。」これによって富士戒壇説が立てられたのである。この本門の戒壇とは師弟相寄った処に即時に建立される戒壇なのかもしれない。その戒壇とは依義判文抄に説かれる処かもしれない。発端の寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門がこのような貌で明されるのである。ここで滅後末法の無形の戒壇に切り替えられるようである。
 明治の時、この戒壇から富士頂上の戒壇が発想されたのであろう。それは発想の自由である。今もそれは受け継がれている。そこには世界制覇の夢がつきまとっているようである。そして戒壇は小乗方式をとっている中で大乗をとる師弟子の戒壇は何故か影が薄まっているように見える。真実の戒壇は己心の上に建立すべきものである。戒壇については在滅の差別がつきにくいようである。己心の外に己心を観じてそこに戒壇を建立しているのではなかろうか。
 題目にも在滅の混乱が行なわれているのではなかろうか。目に見えないだけに在滅は特に混乱しやすいようである。既に戒壇題目も上のごとくである。本尊はどうであろうか。滅後末法の三秘とは魂魄の中に三つ秘められているべきものではなかろうか。この三秘何れも安定しにくいもののようである。三秘何れも信心の名のもとに己心の外に出ているようである。
 近代は滅後末法の話しがあまりにも表に出すぎているようである。今は滅後末法の話を表沙汰に扱うときのようである。元の秘密に帰るべき時が徐々に来ているのではなかろうか。表沙汰になるということは在世に帰ることである。在世に帰そうとする姿こそ末法の姿というべきか、案外地獄相なのかもしれない。その複雑な十界の形相の彼方に極楽相があるということを本尊抄は説かれているのではなかろうか。
 本尊抄の文の底に秘められた処に真実の己心の一念三千の本尊があることを教えられている。滅後末法の本尊は頸に懸けさしめ給うた己心の一念三千法門ということであろう。六巻抄は当家三衣抄において、それを説かれている。それは必ず貧の処に展開するもののようである。本法とは頸にかけさしめ給うた処の法門である。これこそ滅後末法の闇を救うべき光なのである。その彼方に竜女成道もあるようである。これはあくまで眼に映じない世界のこと、魂魄世界の出来事である。即ち法華経寿量品の文の底に秘して沈められた世界での出来事である。
 滅後八百年本尊抄の真実は中々掴みにくいようである。後の五百歳は既に始まっているのであろう。その中で我が身一人が天下太平を唱えるのは無理である。滅後末法と思えば日本中に霊山霊地悉く戒壇建立の聖地である。滅後末法の霊地と見れば大日蓮華山は滅後末法の摩黎山である。そこには即刻有徳王・覚徳比丘の乃往の如きは即時に具現せられる。これは、あくまで滅後末法の上の話である。これを現実世界に考えようとした処に無理がある。在滅の混乱である。三大秘法抄は時の混乱を起さないように使わなければならない。近代はこの三大秘法抄を在世のつもりで使っていたのではなかろうか。有徳王のことは、はるか乃往のことである。少々時間的なずれがあったのではなかろうか。時節の混乱も大きかったようである。
 軍部の広宣流布も時の混乱の中に自らも被害を受け他にも被害を与えたようである。今は殆んど跡形もなく消え去ろうとしているが、ここにも在滅の混乱が有ったのである。西洋流学の直訳の中で起きた事であろう。魂魄の中に消化することがなかったためである。消化不良の結果であろう。余り深入りしないことである。西洋学には余り立ち入らない方がよいようである。結局は自らが被害を受けるようになるかもしれない。随分気を付けた方がよい。三大秘法抄には被害を受けている方が多いのではないか。時節と因果の混乱の中では殊更である。三大秘法抄には今まで随分振り回されてきたようである。
 御書の上代の解釈については興師以来の古いものもあり、他にない古い姿のものが残されている。時代が下るにしたがって独自のものが消えてゆき、今は殆んど宗門から消え去ろうとしている。六巻抄には上代のものが多く残されているが、これも明治になってから総攻撃を受け、あえなく崩れ去ろうとしている。例えば受持にしても、今は師弟子の法門の消えた受持であり、師弟子の法門の代りに信心によって強圧的に受持せしめようとしている。
 末寺の授戒の時には持つや否やとこれを伝えているが、信ずるや否やとは受けつがれていないようである。持つや否やと今も受けつがれているのである。師弟相寄った中には三秘は正しく受けつがれているのである。ここでは師弟は平等であるが、信心の中にあっては、師は強く釈尊であり、弟子は弱い、即ち不平等のようである。客殿も師弟相寄った中に平等に己心の一念三千があることを示している。その己心の一念三千について三秘はあるようである。
 人の智慧は次第に平等を盛んにし、これを平等と称している。平和は師弟の間にあるもの。それを文底秘沈抄は説かれる。今は三秘抄を文底秘沈抄と解しているために、三秘が本尊抄で説かれたものとは異なっている。これを正常に取り上げなければ、その被害は吾が身吾が宗に迫っている。立ち上がるための唯一の秘密はこの本尊抄の文の底に秘められている。それを明かそうとした文底秘沈抄の今の解釈は逆の意味に出たようで、本果の成道にたどり到いた。今となってはどのようにして、この本果の法門から抜け出ることが出来るであろうか。常住を願うためには雰囲気を作り、常に用意しておかなければならない。題目を説かれた如くのものを常住にするためには、頸にかけられた衆生のごとくであらなければならない。そのようなものが抜けているのではなかろうか。
 釈尊の寿量品に対して、衆生はその本のようである。釈尊は衆生を本法として修行を遂げて本果の仏となっているように見える。仏ももとは凡夫なりというのもその意をもっている。今はこれを避けようとしている。そして、平和にあらざるものを平等と称しているようである。
 三秘とは師弟相寄った平等な中にあることを示しているのであろう。その奥深い処に戒壇の本尊も納められているようであるが、今は己心の奥深くまします本尊という趣きは消えたように思う。客殿の奥深くという語は残されているが、未だ正本堂の奥深く納め奉るべしという語は出来ないようである。寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千は師弟の間に確認されるものではなかろうか。
 今の三堂とは何れの堂であろうか。三堂一時に建立とは何れの三堂を指しているのであろうか。客殿の奥深く納め奉るべしという本尊の意義が変ったのであろうか。昔はその本尊とは戒壇の本尊を指していたように思われるが、寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門も世と共に徐々に変りつつあるように見える。法華経寿量品を色をも変えず持つことは誠に至難の業である。文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門も今は大分色が変ったようである。これも浮世と時節には勝てなかったようである。
 色も替らぬ寿量品とは長寿を示しているのであろう。一人一人の衆生の己心の一念三千法門による処、無限の長寿と久遠の長寿を示しているのではなかろうか。今は久遠実成の証明は出来ても元初の証明は付けられないようである。それだけ法門が変ったということである。今後は次第に上代の法門の証明は困難になるように思う。今からでも寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門としてこの文を復元してもらいたいと思う。
 大石寺の板本尊もその扱い方から専ら攻撃の矢面に立っている。防禦一本である。要はその中味を復活せしめることである。この本尊の教える処全く滅後末法そのものである。今が滅後末法の世であること、その末法の世に対することを教えているのが本尊抄のようである。
 戒壇とは滅後末法の戒壇であるが、今は本果の釈尊をとるために戒壇も自然と在世の戒壇と現われているように見える。本尊も題目も在世のものを指しているのであろう。それらは興師や道師等上代の方々の指したものとは随分違っている。そこに現われるのは滅後末法の師弟子の法門の処に現れるものであり、釈尊についても既に滅後末法である。その時の三秘を説かれたもの、それが本尊抄である。今は在世の釈尊について三秘を取っている。そこに在滅の混乱がある。これは門下一般に云えることのようである。
 一口に題目といっても、在世正法の題目は滅後末法の題目と同日に論ずるわけにはいかない。戒壇にしても在世の戒壇、即ち建築物による小乗方式の戒壇に落ち着いている。今また六壺も小乗方式の戒壇に落ち着こうとしている。そして三秘の解釈も大きく替ろうとしている。滅後末法にふさわしい三秘でなければならない。必ず強く求められるであろう。そのために寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門を認めなければならない。本仏はその上に立った三秘を要求されているのである。本尊抄も六巻抄もそれを説かれているのである。頸に懸けさしめ給うた三秘を説かれている。その故に常に本仏と同居しているのである。今は迹仏による故に、仏の依って修行した本法が出ないのである。
 仏は何れの法によって修行したのであろうか。その法を所持しているのが衆生なのではなかろうか。衆生はその本法と俗体とを併せ持っている。その法を師として修行する、これが師弟子の法門である。本法を持っているが故に滅後末法の衆生は自然と修行によって成道出来る。それが師弟子の法門である。戒壇もその間に自づから出現するものである。
 迹仏によるが故に三秘も在世方式を取るようになる。まず、これから精算して二十一世紀を心清々しく迎えてもらいたいものである。その時の用意のために本尊抄は説き置かれたものである。詳師に渡された時の寛師の言葉の真実はそこにあったのではなかろうか。その辺りは未だに各門下も未整理のように見える。それを整理した処で二十一世紀を迎えてもらいたいものである。各三衣は身に付けているのである。二千二百二十余年が三千年と満ずるのはいつの日であろうか。それは衆生の処で満ずべきであろうか。その時こそ広宣流布の日である。衆生成道の日である。  平成元年一月八日発行   かわすみ

 

 

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