寺院は人生の道しるべ

 

 私たち正信会の僧侶・信徒は、信仰者として、大聖人の教えのままに生きていこうと願っています。名聞名利にとらわれず、真実の人生をめざして仏法を求めているのです。

 ところで最近では、寺院というと「葬儀や法事などをおこなう儀礼的な場所」であると思いこんでいる人がいます。私たちの生活とはあまり関係ない寺院ならば、必要ないと主張する人たちもいます。
そこでは、寺院が本来的に「修行の道場」であることまで否定されてしまいます。また、寺院を否定することによってしか、自分たちの正当性を主張できない在家集団があることも悲しい現実です。

 もとより、正信会では儀式や法事を、たんに儀礼的なものとは考えていません。むしろそのような儀式の場においても、人間が正しく生きる道を求め、ともに人生の荒波を乗り越えていこうと確認する積極的な意義を見いだしています。
正信会では、僧侶も信徒も、ともに法華経の方便品・寿量品のお経を読み、「南無妙法蓮華経」のお題目を朝夕唱えます。
 法華経は、すべての人たちが本来は平等であると説いています。その平等観に立って、僧侶は僧侶としての大聖人の教えにもとづいて修行し、信徒は信徒として、それぞれの生活のなかで大聖人の教えを生かしていこうと努力するのです。

 正信会の寺院・布教所は僧侶と信徒が互いの役目を認めあいながら、ともに「南無妙法蓮華経」の教えをいただいて、人間としてよりよく生きていくことを確認する場でもあるのです。

 

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