特別報告

 中山間地域における無住寺院の実態と檀信徒の対応

 

   −広島県北部寺院調査の中間報告−
                                     中 條 暁 仁

 

1.はじめに――研究の経緯と調査の手法――

 現代宗教研究所では平成30(2018)年3月の第114定期宗会で示された宗務総長の施政方針を受けて、平成30年度から過疎地域における寺院のあり方を考えることを目的に調査研究に着手している。この研究は、過疎地域が近い将来の我が国が直面する人口減少と高齢社会化を先取りした地域であるという認識の下に進められるものであり、過疎地域に限定されない問題認識でもある。

 平成30年度研究では、過疎化が逸早く進行した広島県の中国山地において、檀信徒が減少し専任住職がいない寺院を対象に、代務住職と檀信徒に対して、「訪問面接法」とよばれる調査手法を採用し、現地調査を実施した。現地調査を行うことにより、統計データでは明らかにできない寺院や地域社会の実情を確認し。関係者から聞き取ることによりオリジナルなデータ(情報)を得ることが可能となる。具体的な調査は、寺院用と檀信徒用の2種類の面接調査票を用いて調査者が対象者を訪問し、話を聞き取りながら調査票に記入していった。

寺院調査では、代務住職を対象とし、現宗研(主任、所員や嘱託(中條)等)関係者によりヒアリングを実施した。本宗教師が聞き取りを行うことで、調査票の項目に限らず、より詳細に実情の聞き取りを行うことが可能となった。

一方、檀信徒を対象とする調査は、寺院調査とは異なり、調査者が教師であると檀信徒が萎縮・遠慮して回答を躊躇してしまうことが想定されること、また調査対象者数が多いことから、現宗研関係者に加えて筆者の研究室に所属する静岡大学の学生に参加を求め、聞き取り調査にあたった。

この調査に参加した静岡大学の学生は、地元静岡県を中心に小学校や中学校、高等学校の教員を志望する学生であり、教育学部で農山村研究を修める専門性の高い学生でもある。ゆえに、農山村に対する知識・理解を有し、調査に対して真摯に取り組むことのできる学生であるため、今回の調査者にふさわしいと判断した。実際に、檀信徒世帯対象者の年代は60〜80歳代が中心となるため、孫世代にあたる学生が聞き取り調査を実施することで、より率直な回答を得る一助となった。

 

2.我が国における過疎地域の現状

まず、我が国における過疎地域の現状について述べておく。我が国において「過疎」現象が顕在化したのは、1960年代のことである。現在に至るまで過疎は解消するどころか拡大傾向を示し、50〜70%の人口減少を経験した地域も存在する。

過疎地域はいわゆる「過疎法」とよばれる法律(現行法は「過疎地域自立促進特別措置法」で2019年までの時限法)によって、当該自治体の人口や財政の状態などに基づいて指定されている。現在の過疎地域の面積は、国土の57.3%を超えているのに対して、人口はわずかに8.8%にすぎない。今日では離島や半島など、ほとんどの農山漁村が過疎地域となっている。平地が少なく、大都市から遠隔な農業条件や生活条件の不利な地域が多いことも特徴である。

また、コミュニティの最小単位である集落では人口が小規模・高齢化し、地域活動が維持できない集落や住民のいない集落が現れている。国土交通省の調査によれば、2016年時点で高齢化率が50%以上の集落は、全国の過疎地域全75662集落中、15568集落(全体比20.6%)に上る。これらの集落では地域活動を単独で維持することは困難とされ、このうち今後10年以内に無居住化する集落は四国地方を中心に570集落(全体比0.8%)、いずれ無居住化すると長期的に予測される集落は3044集落(全体比4.0%)あるとされている。

 こうした過疎地域における人口変動は、高度経済成長期に農山村から工業地域がある太平洋ベルト諸都市への大規模な人口流出から始まった。これは「金の卵」とよばれた中卒者による集団就職に始まり、その後地元に残った世帯員もそれに引きずられるように都市へ移住するという現象が現れ、人口が急速かつ大量に流出していった。メディアの普及により便利で快適な都市的生活様式が農山村にも浸透し、それまで自給的生活に満足してきた人々が現金収入の獲得に奔走したためである。その結果、農山村では生活機能や社会機能の低下が進み、居住の維持が困難な状況が生まれた。ただし、農山村における人口減少の形態には東日本と西日本とで様相が異なる。過疎あるいは人口減少にも地域差が存在し、全国一律ではないということに注意が必要である。

【図1】は西南日本の代表例として島根県を、東北日本のそれとして秋田県を取り上げ、人口の増減率を比較した。これによれば、高度経済成長期において西南日本では主要な労働市場である阪神、瀬戸内、北九州などの工業地域が比較的近い距離にあるため、1963年の豪雪被害(38豪雪)ともあいまって、他の世帯員がすべて転出する「挙家離村」や老親を残して若年層の域外流出が多くみられた。これに対して東北日本では、三世代同居という直系家族志向が維持されて「出稼ぎ」が多く、西日本ほど極端な人口流出には見舞われなかった。そのため、東日本では世帯員数が徐々に減少していく傾向をとった。なお、近年は人口の自然減が進行しており、高齢化が進む東北日本の減少幅が西南日本のそれを上回っていることが特徴となっている。

このように、農山村では1960年代から人口の急減により社会機能の維持が困難な状況に陥った。しかし、当時はこうした状況を表現する用語が存在せず、1966年に経済審議会地域部会の中間報告において初めて「過疎」という語が登場した。そして、政府は1970年に最初の過疎法となる「過疎地域対策緊急措置法」を制定し、過疎という言葉は社会的に認知されるようになった。この過疎法の特徴は、人口減少率と財政方指数がある基準を満たせばどの市町村も平等に過疎地域として認定され、道路や学校、病院、生活必要施設などの整備が公共投資として進められた。

これにより政府や過疎地域を抱える地方自治体では、治山治水や道路改良等の公共事業を通して建設雇用を創出し、また交通インフラの整備や工場誘致等を実施するなどして過疎対策に腐心した。しかし、2000年以降におけるグローバリゼーションの進展や緊縮財政に基づく構造改革は、外部依存型の過疎地域の経済に動揺を引き起こすと同時に、「平成の大合併」という大きな地域再編の波をもたらし、2002年4月に3128あった市町村は2018年末には1724にまで減少している。

 

3.調査対象地域における寺院の現状

 このような過疎地域が直面する諸課題は、これまで地域社会とともにあった寺院にいかなる作用をもたらしているのかを簡潔に述べたい。

まず【表1】は筆者が過疎地域における寺院問題を整理したものである。これによると、寺院問題は第1段階の「檀家数の減少」、第2段階の「寺院の無住化」、第3段階の「廃寺化」のプロセスをたどると想定できる。

第1段階は、寺院が檀家家族の域外への転出や地域社会の人口や世帯数の小規模・高齢化に伴う寺檀関係の消滅と檀家数の消滅に直面する時期である。第2段階は、寺院の無住化で、檀家数の減少により生計を支えられなくなって寺族の一部が域外に転出、住職後継者も不在になったりする。また、堂宇や庫裏も放置される事態となる。第3段階は堂宇や庫裏が倒壊しはじめ、境内が荒廃するいわゆる「青空寺院」と化する状態である。

現在の過疎地域では、第1段階と第2段階にある寺院が相当数に上ると推測される。とりわけ、専任住職が不在となっている寺院は、檀家数の減少プロセスの所産として生じた寺院に位置づけられると同時に、それらの事態に対する住職後継者や寺族の対応を「不在」という形で明確にとらえることができる対象といえる。

そこで、現宗研では平成20(2018)年度研究として過疎化が逸早く進行した広島県の中国山地において、特に同県三次市および庄原市を対象に、専任住職が不在となった寺院の代務住職と檀信徒に対するヒアリング調査を実施した。

中国山地は浄土真宗本願寺派を中心とする「真宗地帯」として知られているが、本宗の信仰も山陰と山陽を結ぶ街道沿いや役場が所在する中心集落などに展開している。対象となった寺院は11ヶ寺で、そのうち7ヶ寺で檀家数が減少して専任住職が不在となっており、近隣寺院4ヶ寺の専任住職が支えていた。

檀信徒に対して専任住職がいない寺院の存続について質問したところ、ほとんどの人々が存続を希望していることが明らかとなった。現在、寺院を直接支える檀信徒の高齢化が進んでいるが、調査では寺院を維持しようとする動きを観察することができた。例えば、代務住職が高齢でかつ本務寺院から遠距離のためになかなか通えない寺院では、8月の施餓鬼会や春秋の彼岸会で檀家総代が読経の音声を流して導師を勤めるなどして菩提寺での年中行事を守っている例もあった。

また、都会に転出した子どもによる寺檀関係の継承や仏事への関与、あるいは墓の継承に関する老親の意向も聞き取ったところ、子どもの多くが実家への帰省が容易な中国地方の中心都市である広島市に居住しているため、それらを継承させる意向を示していた。ただ、ここで示されたのは老親が寺院との関係を現役で維持している例であり、この世代がいなくなった際に寺檀関係の持続可能性を左右するのは都会に転出した子どもたちであるため、寺院側には彼らとの積極的な関係構築が必要とされてくるだろう。

さらに、専任の住職が不在になった背景を分析するために、前住職の子弟たちの現在についても尋ねた。子弟たちの多くは、住職を継承することなく僧侶以外の職に従事している場合が多かった。得度はしたものの教師資格を取得していない人が多いことから、早い段階で住職継承の意思を持っていなかったことが示唆される。この要因には、檀信徒の減少により自らの生活を維持するために兼職しようとするも、当該地域の労働市場が縮小して適当な職が見つからないことや住職との兼職が制限されている職種もあること、一方で寺族内での信仰継承のあり方も要因になっていることが窺えた。これから教師人口の高齢化と減少がさらに進むことが予想され、とりわけ過疎地域では住職後継者の確保が喫緊の課題になっていることがわかる。

 

4.おわりに

今後の過疎地域では、最も多くの人口を占める「団塊の世代」の縮小に見舞われ、住民の価値観の変化に直面することが考えられている。この世代は、伝統行事や草刈りなどの地域活動を面倒だけれども何とか遂行する、地域社会の結東を維持してきた人々である。しかし、向こう10年でこの人口は減少し、こうした価値観は変化を余儀なくされる。同時にこのことは、地域の伝統的存在である寺院を支える人々の減少を意味する。最近の研究では、人口増加を見込むことが困難なため「関係人口」とよばれる過疎地域とご縁をとり結ぶ人々をいかに増やしていくかが課題とされている。寺院は転出した檀信徒や都会育ちの孫世代など、関係人口を取り結ぶ役割を有しており、社会的にも重要なファクターといえるだろう。

現在、過疎地域の人々が直面している諸課題、取り組んでいるさまざまな試みは、近い将来都会の人々も向き合わなくてはならないことを意識しておかなければならない。これは地域社会に寄り添ってきた寺院も同様であることを指摘しておきたい。

 

 

 

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