巻頭言
不必要な寺は消える
現代宗教研究所長 三 原 正 資
令和2年(2020)の身延山御年頭会に参列した。今年は約150年ぶりに「延年の舞」がもよおされ、壮重な雅楽の音と華麗な舞に、しばし時のたつことを忘れた。空は青く澄みわたり、どっしりと横たわる鷹取山を背に赤い五重塔がひきたつ。暖冬の影響か、南アルプスの峰々にはほとんど雪はない。
寺院調査のため、そのふもとの寺々を訪ねたのは去年のことだった。御年頭会が終わり帰ろうとすると、そのとき案内をしていただいた寺々の代務住職から「今日もお寺には多くの檀信徒が集まってますよ」と声をかけられた。
東京へと帰った数日後、丸の内にある三菱1号館美術館へいった。印象派・後期印象派のやわらかな色調を楽しみ、ショップに入ると一冊の本をもとめた。原田マハさんの『デトロイト美術館の奇跡』(新潮文庫 令和2年)である。カバーに本の内容がまとあられてあった。
ピカソやゴッホ、マティスにモネ、そしてセザンヌ。市美術館の珠玉のコレクションに、売却の危機が訪れた。
市の財政破綻のためだった。守るべきは市民の生活か、それとも市民の誇りか。
市美術館を救ったものは何だったのか。人口減少に悩むお寺の再生のヒントがないだろうか。
実話をもとにした物語は、セザンヌの傑作〈マダム・セザンヌ〉を愛する人々の動きを中心に展開する。
その一人がデトロイト美術館、通称DIA(Detroit Institute of arts)のキュレーター、ジェフリー・マクノイドだった。
生まれ育ったサンフランシスコを離れて、デトロイトに移住することに抵抗がなかったといえば嘘になる。が、DIAはジェフリーにとって特別な美術館だった。自分のこの先の人生を捧げてもかまわないと思うほど、特別な美術館。彼は強くまっすぐにそう信じていた。
彼がなぜそこまでDIAに思い入れがあったかといえば、DIAには彼が大学時代から研究し続けているポール・セザンヌが自分の妻を描いた肖像画――《マダム・セザンヌ》があるからだった。
この作品を見るたあに、ジェフリーは何度もデトロイトを訪問した。
なぜ、檀信徒は何度もお寺へ参るのか。それは、その人にとって大切なものがお寺にあるからではないか。自動車産業が衰退し不況に苦しむ市民にとって、それでも大切なDIAとは何だったのか。
「多くのデトロイト市民、いや、この国の大勢の人々がそう感じているはずです。そして・・・危機に直面しているDIAに、手を貸したいと願っているはずです。なぜなら・・・DIAのコレクションは『高額な美術品』じゃない。私たちみんなの『友だち』だから」
助けたいのです。――友を。
檀信徒にとって、助けたい、DIAのようなお寺とは何か。
鵜飼秀徳氏は『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(文春新書 2018)の中で次のように述べている。
地域にとって必要な寺は残り、不必要な寺はなくなる。これは世の常である。
江戸時代、寺院の数は人口3000万人に対し、9万ヵ寺もあった。それが廃仏毀釈によって、わずか数年間で4万5000ヵ寺にまで半減した。それが現在、7万7000力寺(人口1億3000万人)にまで戻してきている。厳しい言い方をすれば、復興が叶わなかった寺院は、そもそも社会にとって「不必要な」寺院であったのかもしれない。(略)実は、「寺が消える」という点においては、かっての廃仏毀釈と、現在の寺院を取り巻く状況とはさほど変わらない。私はとくに都会人によく見られる”僧侶に対する反発”は、「第二の廃仏毀釈」の前兆現象とみている。
”僧侶に対する反発”とは何か。本書には「復興が叶わなかった」社会にとって「不必要な」寺院の実態が述べられているが、そのありようはすでに僧侶とかお寺とはいえないものであった。ほろびるべくしてほろびたとしか言えないようである。
ところで、哲学者であり評論家でもある内田樹氏が「AERA」(2019・7・22)に、「里山に開いた『ひとり図書館』身銭を切っても守りたい書物文化」と題して、次のように述べている。
吉野の山中に私設図書館を開設した若い友人がいる。自宅を開放して、閲覧、貸し出しをしている。毎年数100人が他県からも来館するそうである。
人ロ1700人の彼の村には書店がない。文化的な拠点としての「書物のある空間」が必要だと考えて開放した志を私は壮とするものである。(略)「最後の一人になっても書物文化を守りたい」と願う人たちは身銭を切ってもそうすることを私は教えられた。
この私設図書館を運営する青水真兵氏
確かにぼくは「人文系私設図書館ルチヤ・リプロ」をやってますけど、これで飯を食ってるわけじゃない。生活のために障害者の方の就労支援をしています。(『彼岸の図書館』 夕書房 2019)
と語る。「書店」が消えるように「寺」が消えても、仏教や寺が必要だと考える人は、同じように、「身銭を切って」も「お寺」を開設するのではないか。そもそも「お寺」はそのようにして生まれたのである。
昨年(令和元)秋、東北教区教化研究会議出席のために秋田市に行った私は、秋田駅のスターバックスで新聞「秋田さきがけ」(10月3日)に、つぎのような記事を見つけた。
阿仁合に古書店開業へ
北秋田市の秋田内陸線阿仁合駅前に来月、古書店「阿仁合の本やさん」がオープンする。同地区に移住した長谷川拓郎さん(40)=写真・映像作家=が仕掛け人となり、ガソリンスタンドだった空き店舗の改修に取り組んでいる。阿仁合地域にまつわる本や一般の小説、絵本などをそろえる予定で、「地元の人から外国人観光客まで、幅広い人たちが訪れる店にしたい」と話している。
長谷川さんは「身銭を切って」「地域の歴史や文化に触れられる場」を作った。
ところで、「即是道場」といわれるように、あなたがそこに立っているだけで「お寺」になることもあるのではないか。
反日デモにわくソウル市の街頭で、桑原功一さん(35)は、
FREE HUGS FOR PEACE あるいは GIVE ME A HUG
と英語と韓国語で書いた一枚のハネルを置いて両腕を水平に上げて通行人の前に立った。最初はとまどった韓国市民だが、老若男女を問わず、一人、また一人と、ハグをもとめて来た。それだけのことなのに、そこに幸せな空間が広がり、多くの人を幸せにしていた。まさに、現代の〈但行礼拝〉ではなかろうか。(令和2年1月13日放送 NHK「ひとモノガタリ」)
ところでDIAは、市民の、もっとも「気の合う友人」《マダム・セザンヌ》を守ろうとした人びとの寄付金によって再生したのである。
同じように、人びとにとって必要なお寺は存続するのではなかろうか。