神獣がつかさどっていた「法」

 

 阿辻哲次


あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。

大学に勤めていた時、法学部の学生から、「法」が《水》と《去》でできているのは、法律で悪を水に流してしまうということなのか、と質問されたことがある。面白い解釈だが、しかし「法」はもともと灋という非常に複雑な字形で書かれており、《水》と《去》だけでは説明がつかない。

この「灋」の右側は、《廌》という文字の下に《去》を配置した形になっている。《廌》(音読みはチまたはタイ)は「解廌(かいち)」(または「解豸」)という、天が瑞祥(ずいしょう)として地上に出現させる想像上の一角獣で、この神秘的な動物には物事の当否や善悪を判断できる能力が備わっていて、その能力で裁判の判決を下したという。

古代社会では人間の理性による認識と判断で物事を処理するのではなく、なんらかの方法で超自然的存在の力を借り、それを中心として社会が運営されていた。裁判においても同じように、私たちの常識とはまったくことなった方法で判決が下された。現代からは想像もできない「神明裁判」(神意によって判決を下す審判)に使われたのが、想像上の一角獣である解廌だった。

ただし解廌は神獣だから、実際にそんな動物がいたわけではない。それはあくまでも伝説で、大昔には法廷に連れてこられた解廌が正邪を判断し、ウソをついている人間をツノで突いた、と信じられていた。このとき解廌に突かれた方が敗訴するわけで、敗訴した人間は川に流し去られた。だから「法」の本来の字形である「灋廌」では、《水》(=川)の右側に《廌》と《去》がある、というわけだ。

古代中国で信じられていた法という概念は、「水」と「神獣」と「去る」という三つの要素で作られていたのだが、「灋」があまりにも難しい字形なので、のちに《廌》の部分を削って、右側を《去》だけにした。それがいまの「法」という漢字である。そう考えれば、法律で悪を水に流すのが「法」だと解釈するのも、まんざらまちがいではないといえよう。

 

 

 

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