yamucha如是我聞

 

 

阡陌陟記等の執筆に於いて

 

「手が勝手に書いたにじゃ」

 

「法門書は教科書を見たり小説を読むようなやりかたでは何物も取り出すことは出来ない」

 

 

 

 

 

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