tami如是我聞

 

 

はじめて伺った時、玄関脇に石造りの布袋様が出迎えてくれたことを、鮮明に思い出すものです。

客間にはたぶん弥勒菩薩と思われる像が一体ありました。テーブルには明の時代の玉で作られた灰皿まんぱんでありました。煎茶の接待を受け、口の渇きが潤ったものでした。

事を事に行ずる、開目抄千回まで読んだ記憶があるが後は...でした、いかほど読まれたのでしょうか?

その時先生から、宗門の僧侶はおそらく通しで読まれた事がないのではないかと言われた事も鮮明に記憶しております。

「さっせよ」と「つまびらか」では天地雲泥の差が出るも無理からぬことかと思います。  

私が勝手に想像するに春秋戦国時代の老子が、この混乱の続く法門、現代の世直しに外典より出現されたのかと思いたくなるものです。 

先生は誠に宗教分から離れたところから物事の判断をされているものかと思います。 

その中で大聖人はとにかくでかい、桁違いに大きいと言う事でした。一般的には質量の大きい小さいですが、なかみの立派なる事のようでありますが、想像ができません。 

川澄先生の大きさは、内典外典あわせて一万巻読破、文房四法、煎茶、絵画、古物骨董、古文書解読その他諸々どれをとっても超一流あまりにも大き過ぎです。 

優れた旅人はその跡残さずと言う言葉がありますが、川澄先生はまさにその方かと思います。 

臥龍そのものではありませんか。

 

 

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