聖訓一百題(第42)

 

                            堀 日亨 謹講

謗法の妻子眷属をば連々教化すべし。上代は三年を限りて教化して、叶はずば中を違ふべしと候けれども、末代なる故に人の機も下機をなれば、五年も十年も教化して、彼の謗法の処を折伏して、同ぜざる時は正法の信に失がなし。折伏せざる時は同罪たる条、分明なり云々。

(日有上人『化儀抄』第52条)

 

 日有上人御条目の中の、当時の実情に即して信徒に対しての御教誠であるから、或は400年後の現代には適応せぬものかも知れぬ。併し、大体は動かぬ鉄則である。加減は、其家に依り、又人にも依り、其場合にも依るべきである。

「中を違ふ」と仰せらる、即ち現代にも使用する仲違ひ、又は不仲と云ふ語に幾分の寛厳はある、義絶、絶交、甚しきは勘当(父子の間)と云ふのは、今は法律の用語とは成りてない。禁治産なんどと云ふ法律語は適用が狭いのである。又、信仰を為ないから離縁することを得るの法文も無いやうである。

 400余年後の現代では、当時の仲違、絶交、離縁と云ふ事が公けには適用せられぬで、私事に属する事になるやうであるが、縦令、私事としても其が裁判法律にかゝらぬ事もあるまいが、一般の常識として各教各宗共に信仰第一主義でないから、問題に扱はれぬやうである。現代の然う云ふ時では、仲違ひに権威がないから、折伏の方法、誡訓の方法に万全を尽くさねばならぬが、先づ首となるものは主人公の信仰である。主人の即ち教訓する折伏する主体が、健全なる熱烈なる真正なる信仰を持たずして、妻子眷属に厳粛なる信仰を求むるのは少々無理である。

 但し、人々の機根の種々相の上で、即ち信の宿殖甚大なる者は如何なる少縁をも動機として宿善を薫発せしむる事が出来るから、微温の薄信の御座なり御体裁の主人の勧信にも拘らず、立派な信心の芽が萌え出つるけれども、かれは主人の神力から来たのではない。故に若し無宿善の妻子に対しては、何等の権威もないのである。

 併し、全く宿善なき者にっいては、如何に主人が強信であっても信力を起さしむる事は不可能であるけれども、結縁にしても下種にしても、主動者の力は強きこと正しき事を要するのであり、又、恒久的不断的であるべきである。

 折伏の手加減、或は寛るく或は厳しく或は発作的に折に触れて、或は二六時中間断なく連々に教誡することは、其主人の信仰より出発したる智能の応用に依るが、此う云ふ事は知識の僧分に聞き、先信の同行に相談して万全を期すべきであらうと思ふ。

 巳上は教導に廻はる側の方で、主人役の心得であるが、教化せらるゝ折伏せらるゝ方の種々相をも酌量すべきである。如何しても信仰の入らぬ謗法者の側にも精神的にも行動的にも自然に寛厳がある。又、一時の発作の緩急がある、恒久不変の謗法がある。

 但し、此は例外であって、現代では、多くは精神的に内在的に不信の執拗性を持ちながら、行動的表面的には微温ながら些少の通り一遍の信心ぶりを示している利根者・要領者が多い。殊に謗法より縁組せる妻女養子等の怜悧なる善き人、温順なる好き人に、此類が多い。此は一般世間が、信仰を第一義とかさずして第二義第三義に下して社交的の要具、頑固なる老人への奉仕としての考えが多いから、能い加減に浮薄追従に取扱ってをる影響である。

 恐らく日本仏教の中で信仰第一義の宗門は、浄土真宗即ち今の本願寺や専修寺等の一向宗と、其正反対の法義に立脚する日蓮各宗であるが、何れも何れも現代では多大なる教団ほど信仰第一主義でない。700年の惰力の尻で漸く膨大なる本末を支へているので、信仰巳外の工作で糊塗して居るのであるから御話にならぬ。其他のものは、如何に其数が多大であらうが、外界の権勢に追従し、時々代々に変化する権門を追うて、浮秤の如き但し如才なき迎合阿付で御茶を濁してをる。現代では財閥が各人の希望する権勢であるから、敢て其番犬と云はれても病ましく思はぬ程度に厚顔となってをる。

 此等の風潮の中に生長して来た若き人達に、毅然たる信仰第一主義を強ひる事は困難である。より善き生活を貪らんと欲する、又、青春の甘き夢をのみ憧憬して飽くことを知らぬ者に、生活に超へ現代を放るゝ事を言って聞かしても何の反応も無いのである。

 其を永久不変に根気よく折を捕へ時を狙って、潜在せる仏性を開発すべく努むるのは容易ならぬものである。男性女性共に聡敏なる善良(社交的に)なる青年を、生みの親としても舅としても、信の道に入るゝ事は容易でない。

 此条目に仰せられた、「上代は三年限り」「当代は十年も」教訓して信心にならずば中を違ふべし、即ち勘当すべし離縁すべしと有師は仰せられたが、現代では10年は20年にも30年にも一生涯(老父の)勘当も離縁も出来ずに、一面自己の法悦の裏に此教化苦の不快な苦杯を嘗め尽くさねばならぬが、此に於いて大に反省せらるゝのは、此は自己の御本仏に対する信念が満足でないか欠陥があるのではないか、又は、倅ヤ娘や嫁に対して親としての真実に深い深い慈悲が欠けて居るのではなからうか、よし可愛がるとしても子供達から有り難く思はれん為のみの愛ではなかったらうかと云ふやうに、自分を顧みる事は決して悪い事ではない。又、教訓の方法、言辞に過不及があって当を得ない事があったでは無からうかと顧みるのは、大いに教化の方法を進むる階梯である。

 兎も角、内心に強靭なる謗法を持ち言動に信心づらを為す者の教導は容易でない。又、信心顔をせざれども強盛に反抗せぬ温良な青年の、即ち強く訓誠すれば其場だけは涙を垂らして詫びる的の教化は、次ぎに容易でない。一生の仕事である。

 其れと比ぶると、偽りの社交的に染まぬ生一本の剛気なキカン坊の教化は、成効・破裂共にアッサリしてゐる。此とて当世では時縁が熟せねば、我が生みの子でも自由にならぬ事もある。

 「此の道や行く人稀に秋の暮」古き俳聖の絶叫、亦、宗門の信仰難を道破してをる。『涅槃経』の正法の受者は爪上の土、又は12の小石との御懺言の通り、世界悉檀の利益を受くる事の少き教団の正義の信仰は、少し骨が折れる。社交的な遊戯的な享楽的な多数の無益有害の信仰は逸楽であるが、御互に時々刻々に正法の範囲を拡げて良国浄土を作り、今少し気楽に信行し得るやうに努力すべきである。

 去り乍ら家族中の謗法を征服し折伏し終りて、漸く一家の主人としての信行の義務を尽し終りたる時の気持は、何とも法悦極まるものである。其巳来、一家が信行に勇進し、表裏の別ち無く円満に、殊に其れが日々の生活業務に一層の活気を呈して、世出両道の満足、黄金世界寂光浄家を創建する愉悦は、先づ以て大満足たるべきであるが、更に其信力を以て無限大に他方面に正法領を拡張するの法悦は無上のものであること、各の体得せられてある処、更に饒筆を労するに及ばぬ事である。


                            『大日蓮』昭和11年5月号

 

 

 

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