聖訓一百題(第41)


                          堀 日亨 謹講

 

金は焼けば弥よ色まさり、剣は磨げば弥よ利くなる。法華経の功徳は讃むれば弥よ功徳まさる。二十八品は正しき事は僅かなり、讃むる言こそ多く候へと思食すべし。

              (縮遺1433頁 『妙密上人女房御返事』)

 

 鎌倉に在る妙密上人夫婦の懇志に答へて、『法華経』の尊重を仰せらるるのである。絶待に尊厳なる人法は、逆に此を誹謗しても決して壊れ傷つくものでない。猪の金山を摺るが如く、益す光彩陸離たるものであって、釈尊の九横の大難に於ける、宗祖の四箇度の洪難に於ける、却って仏果を増進し、霊格を向上せしむる楷梯となってをる。此は傷つけられ易い人格の上でであるが、法格の上には云へば尚更の事である。若し此を順境の上で讃歎褒美するときは、仏徳も法徳も、弥よ尊高の度を増すのである。

 戒、定、慧、解脱、知見の小乗的の五分法身の丈六の釈迦牟尼仏が、門下の弟子檀那の信敬の度の向上に従って、一里十里の勝応身と進展し、次いで他受用報身の身光無限の大身となり、自受用報身の智光無辺の勝身と成らるるも、機根の進展に応ぜられたる仏陀の神通変化である。爰に能化の仏身の功徳も広大円満となると同時に、所化の弟子檀那の功徳も、此と同じく進むのである。現在に於いて如意満足の生活が出来し一家の上に於ひても、延びて一国の上に於いても、常寂光の極楽世界が出現するのである。

 今、譬喩に御使用になってをる刀剣の方は其侭であるが、黄金の方に蛇足を加へて見ると、「金は焼けば弥よ色まさり」と仰せになるのは、現今の冶金法では無い。即ち電解法とか、青化法とかの方法から来るのでない。原始的の灰吹法のやうな方法が、鎌倉時代の冶金法であったらう。砂金として純に出ずる物は格別の面倒は無からうが、銀や銅や稀に蒼鉛や鉄やを含むものを灰吹にして、軽金属等の不純物を吹き払ふと云ふやうな事をして、黄金色を善くするのを、「焼く」と云はれたものであらう。

 現代では、金が王水にのみ溶解し、銅や銀が硝酸や塩酸等の強き酸類に溶解する位な知識は一般に在るから、純金ならぬ、22、20、18、16等の不純金は、硝酸等に浸せば不純物が溶け去りて純金が残るやうに素人では思はるる。此辺が即ち700年前の鎌倉時代の、一般の冶金知識と合致するやうに見ゆる。

 黄金の譬喩より法華の法に転じてくると、此大法輪には、本迹二門二十八品共に法理法義は余り並べてない。戒行で云へば、580具等の戒目が何一つ挙げてない。定で云へば、如何なる三昧の名相すらない。慧で云へば、何等の般若の名義も出でをらぬ。此等の惣ては戒・定・慧共に、爾前の諸経に尽くされてある。

 其名目を総轄統理するのが、法華の建前である。法華の法理は、爾前経の各説細目の統一であるから、妙法蓮華経の大法と、久遠の如来の人格に結帰する計りであるから、茲に「二十八品は正しき事は僅かなり」と仰せられてある。

 多くある賞讃、嘆徳の二十八品に溢れる能所の辞は、法華の人法の絶待性を明瞭にする計りである。賞讃も、嘆徳も、相対性では信が徹底せぬ、円満せぬ。『法華経』は『華厳経』と比べては、円融と隔歴との区別があるとか、普賢と行布と、又、理と事との差別があるとか云ってるのでは、猶、相対的に『法華』が或る点では『華厳、般若』等に勝るると云ふ位であるから、充分に徹底的に法華の絶尊が顕はれぬのである。

 其れで、讃めて讃めて、褒め尽くすとき、其賞歎に絶対の功徳を持つ。金が焼かれて不純物が吹き飛んで、黄金色の鮮やかになるやうに、法華の人法が賞嘆行の為に、不純の信を払ひ落として、絶対に尊極となるのである。

 此等を、吾曹は、信仰し奉る久遠本因の人法の独尊に転寄せしめて考へたい。大聖人の真金は、其本質の上から、即ち仏意の辺から云ふときは不変であり不動であるべきであるけれども、示同凡夫、和光同塵の所、即ち機情の感見では、一難を経、一苦を透るに随って金は弥よ光るのである。剣は弥よ鋭利になりて、元品の無明をも切り払はるるのである。弟子檀那の信行が増信する時、一難一関迫り来るのである。各段の難関を透徹するとき、仏日弥よ輝き信行益す徹底するのである。

 御滅後の吾曹が心境、又然りである。相対的浅薄の信行の境界には、絶尊の大聖人は未現前である。英傑の御祖師様、烈日の日蓮様、慈愛の涙を垂れて下さる御僧様は、如何なる初心の信行者も感見する、久遠元初の自受用報身如来とは如何なる御体であるか。数度の御説法で、彷彿としてをる位であるが、確然たる認識は容易でない。況んや法本尊の上では猶更の事である。漫然と法華経の有難き事だけは確実に印象せられて居ても、其御題目が漠然として、「序品」や「寿量品」の間を彷徨して居たり、本因と本果の辺を逍遥したり、其が又本尊となり曼荼羅となると、弥よ到著すべき所に安居するまでは中々の事である。

 願くば、絶待金剛信に安息の御方は微動だもしないやうに、未だ到着し得ない人々は信念を緩めぬやうに、努力せられん事を申上げてをきます。


                            『大日蓮』昭和11年4月号

 

 

 

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