聖訓一百題(第39)

                              堀 日亨謹講

 

されば法は、必ず国を鑑みて弘むべし。彼国によかりし法なれば、必ず此国にもよかるべしとは思ふべからず

(縮遺521頁。『南条書』)

 文永元年の南条七郎への御消息の一節であるが、全文は六項に分かれていて、終が第六項には小松原の御自身の刀杖難を中心にして、七郎(七郎次郎時光の父)の念仏の余習をサッパリと捨てて法華の信仰に驀進せらるべく御勧めなされてある。

 前の五項は教、機、時、国、教法流布の前後を分説せられてある(猶、425頁の『教機時国抄』と大同である。併せ拝せらるべし)が、要するに法華の勧信の前提である。今、掲所の御文は文面の如く、其第4の国の段の結文であって、其国の宗教は其国其国の総てに適合すべきものを用ゆべきである。如何なる大国でも富国でも外国の法は、直に取って我国の法とはならぬのである。

 往古で云へば、隣国の支那の或は唐或は宋或は元明清、何れの時代でも吾国より数十倍の大国であり富国であり強国であり、又時には善美の国であったから、事大主義の人から見れば直に支那に行はるゝ教法を以て吾国の教法と為したい考へが充分に涌くので、総てを支那流に為ると云ふ風であった。

 現代でも猶、此の気風が一般に有るやうである。吾国が世界屈指の強国となってをるから、敢て事大主義を以って英に米に膝を屈して、彼の文物宗教惣てを模倣し憧憬すると云ふ必要もあるまいが、滔々たる世間の軽薄者流には鼻持のならぬ程、猛烈な欧米文物崇拝者が多い。

 物質文明形態上の家屋・衣服・食料の上ばかりでない。果ては個人の名称までも然りである。パパ(父)ママ(母)の如きが、強ちに欧化主義の影響のみでないと云ふ弁護もあるやうであるが、深く沁みてゐる思想がないとは云へぬ。

 往古の訳経三蔵の中には、印度崇拝の僧が多かったけれども、成るべくは支那等の土音土語に訳して印度の原語を使用せぬやうに注意したもので、止むを得ぬ言語名称は五種不翻の一隅に止めたものだ。

 然るに現今は何ぞや。堂々たる慣用の国語等があるにも拘はらず、万事に付いて外国語で名称せざれば流行せぬ様になってきた。外国では却って日本研究熱が向上して、日本語も従って用いらるゝと云ふに反して、吾国では益す外国語が流行する。此は相互の交通和融の上から自然に混和する風潮と計り済まして居られぬのでは無からうか。

 此等の潮流に棹さしてか、軽薄且つ尖端を切る芸人者流にはセブンとかアチャコとか、又は本名をボカしてターキーとかトミーとか呼び呼ばれてゐる風も見ゆる。此を時代のナンセンスに計り片付けてよからうか。若し夫れ此等が急速に宗教界を侵して、仏教僧侶の如き従来支那流に名称して居たのぢやからして、日本固有の名称で差支なからうと云ふ事で、クマイ(熊井)、タツザウ(竜象)と云ふ坊さんが出来たらどんなもんだらう。

 固より明治になってから僅60余年で、僧名の上に俗人同様に姓氏を被らせて、何の某で少しも怪しまぬ現代であるから、名だけを更に松平と云はうが竹二と云はうが、甚しきは源左衛門と云はうが、差支ないではないか。或時代には僧は法外の民と自尊して居たものが、国家の法律と云ひながら悦んで編戸氏と成了したものだ。

 ドーセ五十歩百歩だ。サンチャン、ミッチャンの愛称を延ばしてサンキュー、ミツキーの変体蕃語になるやうな事にならぬとは限るまい。クハバラクハバラではあるが、併し無益な杞憂は止めたほうが良いと叱る人もあらうが、又、此の御文は国法としての宗教の事のみを仰せになってをるのに、埓外に進出して些細の風俗にまで御金言を拡充するのは冒涜の甚しきものと御咎めもあらうが、強ちに宗教と云ふものは民俗の上層に超越したものではあるまい。無関係のものでもあるまい。民俗を良導し、浄化すべき作用を有すべきものであらう。

 其で御書にも、此の国の下に、孝の国、不孝の国、瞋恚の国、愚癡の国、殺生の国、偸盗の国、米穀の国、粟の国、寒国、熱国、貧国、富国、中国、辺国、大国、小国、小乗仏教国、大乗仏教国等を楊げてあるから、此中には幾分、時と機とが併挙せられてあると見てもよい。

 尤も此等を国と云ふ下に要約すると、国体、国教、国法、国勢、国風、国土と云ふやうに分類すべきかも知れぬ。対して貧富・中辺・大小等は国勢で、考・不孝等は国風で、小乗・大乗仏教は国教に当るのである。国体の事は宗教の五箇の中には仰せにならぬが、他の御状中には散見してある。此は国体と云ふやうな文字及び思想が、当時には格別必要でなかったからであらう。

 兎も角、五箇の第二の機と第三の時と云ふものは、第四の国を離れて存在するものでない。竪に云ふ時の時間、即ち過去に久遠に未来に永遠に無始無終なる其間の或時間が、此に云はるる第三の時である。其時に当る横に広き国土中の或国が、此に云はるる第四の国である。其れから其時其国に生れあてる人民の思潮が即ち第二の機であるから、国を云ふ時総てに亘りて其国の人民の思潮即ち機までも合称する事もあり得るのである。

 其人民の時代に相応する約法、即ち相互に約束した法律規約と云ふやうな国法とも云ふべきものも国の下で解説するが便りあるが、蓋し本文に云ふ法とは形而下の時時に変更すべき法律ではない。或る長き時代中は動かせぬ教法である、宗教である。

 若し此が一国に一箇と定まる時は国教と云ふ事になる。其宗教が他国にて頗る済世利民的であったとしても、例せば新旧の基督教は欧米各国の文明を助長したとか開発したとかと云ふ事が、仮令確実であっても、日本の済世利民になるとは云へぬ。日本の国体と国法と国風に適合せぬ宗教であって見れば、益無きのみでない、却って大害となる。

 仏教の中の浄土宗・禅宗等が支那で教跡赫々であっても、将して日本を真実利益する事は出来ぬ。此等の外教が且らく日本の国風を鑑みて其固有の宗体を露出せずに、成るべく日本的にカモフラジーしても、中心が日本に成りきれない限りは、何日かは馬脚を露はすやうな事になる。尤も此は其々の宗教者の見識に依りて、害毒の大小・早晩はある。宗教至上主義でなく、自己の宗旨を以て社会教育の一小機関と隠忍してをれば害も少いが、利民も覚束ない。

 然らずして国権と平行しやうと云ふやうな大理想があって見れば、仮令、大本教のやうに喧伝せらるる大不敬がなくとも、随時随処に禍が起るは当然の事である。大聖人が第四の此国の下に第五の教法流布の前後を鑑みる緊密の条件を提出せられてあるのは、此等の御斟酌である。此の大観察なくして、但表面に浮影散動する機運に任せて、単に流れ能き方にのみ船をやるは商人の狭滑さである。

 寒国に栴檀を売りに行くも愚であるが、此を焼いて炭として売るのは無上の大馬鹿である。落ち著かかぬ現代人のナンセンス心理を掴んで、無智もゴザレ慾張りゴザレ、何でも彼でも入り易き門戸を開いて宣教するのは、利慾一点張りの商人すら恥づべき事である。

 大聖人の五箇の考察は、聖人のみの特有でない、建前でない。如何なる宗教家も首肯すべき条件である。更に此を国教国法の上層機構と見るべきものにのみ応用ぜずして、些末な国風にまで拡充して、一般の娯楽機関ぢやからとて余りに破格な事は何とかしてやらさぬやうにしては如何なものであらうか。民間にても、為政者にても、又、風教に関係ある人達が其気になれば、撲滅にも予防にも方法の立たぬ事はあるまいと思ふ。

 而しながら先年、前文相がパパママの称呼を排斥せられた寸話にすら、或方面に反感的の批判ありしやうであるから、容易ならぬ事のやうにも見ゆるが、吾教団の有志の方々には、単に上層なる大聖の教判の方にのみ此の御文を高く差し上げて、民間の風俗には無関係であるとせずに、高山の水は幽谷に下る的の大慈地に住して念頭にかけて慾しいものである。

 

                             『大日蓮』昭和11年2月号

 

 

 

 

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