聖訓一首題(第35)


堀 日亨 謹講

 

   衆ニ三毒有リ卜示シ、又邪見ノ相ヲ現ズ、我ガ弟子是ノ如ク、方便シテ衆生ヲ度ス。     『法華経 五百弟子授記品』

 

 此御経文は『開目抄』等にも引用なされてある。此文の意は、離欲の行者、断煩悩の聖者でも習気と云って猶煩悩の余残がある。香に薫ぜられた移り香が何日までも残るやうなものである。此習気の煩悩が又却って度生の方便となることがある。此文に「三毒有リト示シ」と云はれたのが其れである。

 三毒とは貧慾と瞋恚と愚痴の三つの精神作用で、此れが惣ての迷ひ煩悩の真先に差出る猛烈な迷ひであって、人類の智徳を壊る事が頗る多いので、毒の名が与へられてある。

 僧衆の中で、此三毒を沢山に所有する代表者は難陀と舎利弗と提婆達多で、次での如く貪瞋癡を持って居るが、但し此は猛烈な特徴のある代表者と云ふべき御弟子方であって、其外の人々にも三毒ある事は無論の事であり、又、三毒互具も当然の事である。貪欲の人に瞋恚や愚痴が付属し、瞋恚性の人に貪欲と愚痴とが付き纏うてゐる事も有り勝である。

 且又、凡夫には此三毒が多く並頭に起るもので、同時同所に並び起る事が多いが、其中でも貪欲ほどの背高はなしと云って貪欲が最も強いのが、生活苦物質慾に悩んでをる苦界の常態である。

 此迷ひが最も始末にをへぬのであるほど、此を浄化すれば、善用すれば、最も貴重な慾望となるものである。一家を富まして潤ほして和楽団欒の快き生活を送る要素が此に存する。一国を富国強兵にして、内政外交に少しの弛るみなく、教育に財政に些の欠減なき極楽国土を実現するの要素も此に存するのであるが、加減は中々六つかしい。調節が面倒なもので、其方法を過まてば一家の破産、国家の滅亡を来たす。

 加之、仏教者・信仰者、即ち精神的より国民を解脱に平安に導かうとする者には、三慾は固より大毒であるが、相応の断欲の苦行精錬の僧衆で一通りの煩悩を断滅した体の人でも、意識の隅の方や奥の方には、猶、亡されもれの残党がある。手近く云へば、御互が勇猛精進して精神折伏をして、意思懇意傾向を切り払ふ修養が幾何年か継続して、先づ自他共に此なら尊むべき人格者が出来上ったと確認するやうになっても、其人に必ず幾箇かの善からぬ癖が残ってをるものである。此は40年・50年の努力位では歯が立たぬ。死ぬまでは癖が残る。此は手近な例であるが、人間巳上に苦楽を嘗め尽してゐる阿羅勝たちにも、習気と云うて拭いきれぬ断ち切れぬ悪癖が存在する。

 但し、聖者方では、此悪癖がさまで自他の妨害にならぬ。否、寧ろ此悪特徴を以て他の人々を道に引き入るゝ方便とする事が出来るので、御経文にも特に示すと云ふ文字を使用してあるくらいであるが、凡夫人の用捨なき敬しいまゝな三毒濫用では自他の損害甚だしい事になるから、御互に充分の警戒を加ふる必要がある。

 其方法は、勇猛に信心に進みて、仏力・法力に依りて其神秘の妙用の為に斯の如き三毒の起る間なきやうにするが第一である。又、自己で節制の出来る人があるなら、其を他の善き方に転換もし、又は圧抑するも差支ないと、アツサリと片付けてしまうては御話の効用が薄いから、今、此には、三毒中の貪と癡を除いて、中央の瞋だけについて、少し委しく御話しをしませう。

 先づ瞋恚の煩悩と云ふのは、普通の念とか怒とか憤とかと共通する「イカリ、ヲコル」 ことである。古語に「腹アシキ人」、現代に「チウッパラ」の人である。我が目前に顕はるゝ境遇が、自分の気に向かねば用捨なく御機嫌を損ねる事である。

 違順の境界と云って、自分に都合のわるいのと都合のよいのとに安忍が出来ぬ。特に都合のわるい嫌な境遇に触れて、目を怒からして血色を励まして忿々とをこる。少し修養のある人は、目色には著しく長く顕れぬまでも、先づ劈頭第一にサット何等かの影がさす。大に修養を積んだ人でも、心内には穏ならぬ波動が起るものである。其人々の特有の瞋恚の程度相応に、其に接する他の人々が不快なり恐怖なりを感ずるものである。其不快なり恐怖なりを懐かしむるほど、瞋恚の人は天然に罪悪を有つ。

 併し、世の中は神経病患者の集合、ヒステリックの衆団である。徒らに人の精神を読み、人の顔色を見い見い話を進退する時代であるからと云っても、御互様とばかりは云へぬ。猛烈な憤怒の特徴ある人は、常時に他の弱き神経家を威嚇する、恐怖せしむると云ふ罪を作るものであるから、此なからしむる様に、特別の修練を要する事になるのである。

 経の三毒の中の瞋の代表者が舎利弗尊者であるから、身子の事に付いて1、2を挙げて見やう。舎利弗即ち身子は、所謂、智恵第一であって、他の諸能も亦備った人であり、長老大迦葉尊者の次に上座を占めた人である。

 竜樹菩薩の造られた『大智度論』の二の巻に出でゝるのに、或時の一会に、仏子の羅睺羅尊者に釈迦牟尼仏が、此大衆の中で誰人が上座であるかと尋ねられたのに、羅験羅は直に和尚舎利弗であると云った。釈尊は、其和尚舎利弗は曽って不浄食を喰ったと云はれた。其を舎利弗が伝聞して、含める食物を吐き出して、今日より決して人の食事に請待することは御断りぢゃと宣言した。此は師の説を怒ったのである。そこで信者の波斯匿王や須達多長者等が、舎利弗の所に来て、尊者は何故に私共の食事の請待を受けてくださらぬ。尊敬する尊者に供養を断はられては、私共は功徳の積み所がないと口説いた。其で舎利弗が云はるゝ様は、野僧が勝手で受けぬのではない。大師の仏世尊が舎利弗は不浄食を受けたから善くないと羅膀羅に云はれたと聞いたから、貴卿等の特別請待は不浄になるから受けませぬと、断然と供養を拒んだ。王と長者とは其足で直に釈尊の所に此事を訴へて、何卒、仏世尊の御力で、舎利弗を説いて、私共の供養を快よく受くるやうに為てくだされと願ふたが、釈尊は、イヤ其は叶ふまい。彼は強情であるから、我の云ふ事も聞くまい。彼の本生は毒蛇であって、斯云ふ事があった。或る時代に、一の国王があった。毒蛇に噛まれて、疼痛に堪へんで死ぬばかりになった。多勢の医者が評議して、此毒は自分の力では何することも出来ぬ。其毒蛇を招いて、其に毒を吸ひ取らするより外に方法がないと云ふ事に決定して、遂に其毒蛇を呼んで来た。医者達が此に談判した。貴様がかんでで毒を残したので国王が瀕死の状態に陥られてるから、早速吸ひ取って元の通りに為ろ。若し其が否なら、茲に火を懸けてある薪の中に入って焼け死ねと厳談をした。毒蛇が考へた。一旦吐き出した毒を元のやうにすう嗽ひ還へせやう、生命なんか如何でもよいと、直に火の中に焼け死んでしまった。斯様な宿因縁を持つ舎利弗であるから、諭して聞くものでないと、仏が云はれた。此も即ち不浄食を喰ふと噂せられたのがシヤクに障って瞋恚を起したからである。此瞋煩悩が内心に深く喰い入ってをるから、一挙一動にも、容貌にも、何となく温和な所が出でぬのであらう。

 同じ『大論』 の11に、『阿婆檀那経』を引いてある。其は釈迦仏の祇園精舎に在らせし時の哺時に、舎利弗を連れて経行せられた。其処に鷹に逐はれた鳩が、釈尊の影に飛んで来て、安心して鳴き止んだが、舎利弗の影が其鳩の上に覆ふと、鳩が戦懐え恐れて鳴き出した。そこで舎利弗が云ふのに、仏様も私も共に三毒が無いのに、仏様の影では鳩が安心し、私の影では鳩が恐怖るゝのは何の理由であらうと聞いた。仏は、卿には三毒はなくとも、其習気が残ってをるからであると云はれた。無心な者ほど、無智な者ほど却って相手の性分を直感する。嬰児は決してトゲトゲしい子供嫌の人には笑顔を見せぬやうなものである。

 宗祖大聖の大信者に四条左衛門尉頼基と云ふ人があった。此人は瞋煩悩の強き人で、剛直の人で、単純な人であった。此人に対する大聖の御親切は勿体ない程である。殊に腹あしき人、怒っポイ性分に対して御慈訓は行届いたものである。

 崇峻天皇の事例を引かれて、献上の猪の眼を突き通して何日かは朕が嫌ひな奴を此通りに成敗してやるとの瞋りの御声を伝聞して、兼ねて恐怖して居た悪臣の蘇我の馬子が自衛の為に殺逆を謀り奉った。

 怒りの言動は其当人に取りては快よきものである。嫌ひな奴、又は悪い奴と思ふものを散々にヤリコメたる、殊に公衆の前なんどで赤恥をかゝせてやったなんどは、言論にても行為にても、何とも云へぬ千金にも替へがたき快味があると云ふことがあるから、此を受くる方の者は、其痛快さに引替へ、痛恨止む方なく、眼を以て眼に酬ひ、歯を以て歯に酬ふ、論争格闘が行はるゝ。其結果が、負けた方が遺恨骨髄に徹する事になる。論争格闘は其実力が悟角であり、又、爾か思ふ所にあるが、若し相手が迚も反抗するだけの能力なきもの、又は其場を耐忍し通すほどの人でも、多分は恨が残さるゝ。或は隠険な復仇策が行はるゝ。此等の事が、個人にも国家にも、永久に遣る事がある。其禍害の起源は、単に瞋意の煩悩からである。慎まねばならぬ。

 能く話に出る印度国の某所に、一貧家があつて、其の姑と婦とが例の通り伸が悪い。姑が二六時中に婦をいぢめる。婦が御飯を炊くのを見て、姑が付いて無理を云ふ。婦は姑に反抗が出来ぬから、其側にある羊に当り燃杭を打ちつくる。能くある事だ。茶碗に当り、火箸に当るなら事は大きくならぬが、羊の毛に火が着いたからタマラぬ。羊が苦しんで藁小屋に転々する。積藁に羊の毛の火が移る。風が出る。小屋が焼ける。近所に広がる。町を焼き尽して、王宮の象部屋にまで及ぶ。象がアバレ出して、燐国の田畠を荒らす。此が原因で、其国と国とが数十年の交戦となりしとの事。原因は馬鹿々々しい程の瞋恚の小なるものであるが、長い各国の歴史には此程の事は数々ある。
 宗教界の出来事にも、此に類した事が無いとは云へぬ。現在にも起滅しある事件で、此に類する事があるやうに思ふ。瞋恚には貪慾を伴ない、愚痴を連れるのほど執拗である。いや貪慾から来る瞋恚は、別して怖るべきものであると思ふ。


                            『大日蓮』大正15年8月号

 

 

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