聖訓一百題(第33)

 

仏ハ人天ノ主、一切衆生ノ父母ナリ。而モ開導ノ師也。
父母ナレドモ、賤キ父母ハ主君ノ義ヲカネズ。
主君ナレドモ、父母ナラザレバ畏シキ辺モアリ。
父母・主君ナレドモ、師匠ナル事ハナシ。
諸仏ハ又世尊ニテマシマセパ主君ニテマシマセドモ、娑婆世界ニ出サセ給ハザ
レバ師匠ニアラズ、又、其中衆生・悉是吾子トモ名乗ラセ給ハズ。
釈迦仏独リ主師親ノ三義ヲカネ給ヘリ。                

(縮遺904頁)

 

 『祈祷抄』の中の一節の御文であるが、御文面について見ると六句に分けて見ねばならぬ。其は主師親の立て方を浅薄に考ふる時である。更に立ち入りて見ると、五段に見る事が出来る。否、必ず其様見なければならぬのである。

 先づ文面を六つに分けて見るとき、

 「仏ハ人天ノ主、一切衆生ノ父母ナリ。而モ開導ノ師ナリ」 と云ふ文は、仏陀に主師親の三徳有ることの惣文である。

 「父母ナレドモ、賤キ父母ハ主君ノ義ヲカネズ」 と云ふ文は、主師親の三徳は多くは一人に具有せざるもの、即ち三徳の別文の中に単親を明された分である。

 「主君ナレドモ、父母ナラザレバ畏シキ辺モアリ」 と云ふ文は、三徳別文の中の単主を明された分である。

 「父母・主君ナレドモ、師匠ナル事ハナシ」 と云ふ文は、三徳別文の中の単師を明された分である。

 「諸仏ハ又世尊ニテマシマセバ主君ニテマシマセドモ、婆婆世界ニ出サセ給ハザレバ師匠ニアラズ。又、其中衆生・悉是吾子トモ名乗ラセ給ハズ」 と云ふ文は、婆婆世界に出現し給へる釈迦牟尼仏以外の諸仏は、各々、其所縁の浄土に出現(西方浄土の阿弥陀仏、東方浄土の薬師仏のごとき)し給へるが故に、此世界には縁がないから、世尊人中尊と云ふ所から見ると主君のやうであるけれども、全く親でもなければ師匠でもないと云ふので、即ち諸仏の三徳不備を明されたる御文である。

 「釈迦仏独り主師親ノ三義ヲカネ給ヘリ」と云ふ御文は、印度の釈迦牟尼仏は、其国の開闢巳来、一般の人類から、世尊人中尊と尊敬せられたる大梵天王・帝釋天王を信伏させたので、先づ主君なり親なりの徳を得られた。其から又、其本分たる一切衆生の開導救済の徳に依って天人師等の尊号を得られて三徳円備したので、今の御文は釈尊に限り主師親の三義を兼有し給ふことを明かされたのであるが、此れが末法当今に至っては日蓮大聖人が吾等が為の主師親であると云ふ信念の根基となる御文であります。
 此れで先づ此御文相について、一往、六句に分けての説明がすみました。

 問ふ、今の御文の中で、了解しがたい御文句が幾所もありますが、御説明が願へませうか。

 答ふ、何でも御尋ねなさって差支ありません。

 問ふ、然らば「賎シキ父母」等と云ふことは、如何なものでせうか。

 答ふ、人類生活の等級程度に依りて父母の尊卑が自然に分れます。即ち貧富と賢愚との差に依りて貴賎が分れます。貧しき父母は子供に充分の衣食を与ふる事も出来ず、相応の教育をなす事も出来ない。親子互に労働して、漸く其日其日を送るやうの事ですから、親子の親しみはあるかも知れぬが、親の尊とさ有難さは少しもない。親に向って頭の下がるやうな事はない。毎日の生活に、尊とか敬とか礼とか云ふ事が行はれ難くい。斯る家庭の長には、少しも主君と云ふやうな意持ちが御互ひにしない。此を主君の義を兼ねずと仰せられた。

 富貴にもあり賢者でもある親には万事について尊敬の念が起る。親しみ有る親なれども、主人の様に畏敬せにゃならぬと、思ふこともある。此時は父母に主君の義があるのである。

 問ふ、「主君ナレドモ、父母ナラザレバ畏シキ辺モアリ」 と云ふ事は、如何なものでせうか。

 答ふ、父母は親しきものであり、主君は畏きものであると云ふ事は自然である。此自然を更に人為に依りて百般の秩序を立つる。礼儀作法を厳格にして君臣の階級を明かにする。住居から衣服から食物から言語までも区別を付けて、明らかに見分のつくやうに定むる。其処に主君は尊とく、臣下は卑しい事になる。

 但し、此上下の階級ある所は表面の事で、内心では隔てのない親しみあると云ふでなくては上下の和合は出来ぬものである。其は上に立つ主人に慈悲あり仁愛ありて、下々を慈くしむの念が強く、下にある臣下には主人を尊び敬うの念があるから、上下和楽が出来るが、臣下に不遜不逞の者が出来ると、又、上に威力を以って此を圧伏しやうとする暴君が出来る。暴君とまで行かずとも、可なりに権威を振ふ主人がある。其は実に臣下から見ると畏い恐ろしい人である。

 其処で下々を治めて行く上に、大概は主人は乏しき内徳(仁愛)を権威で補って行くから、主君は一般に畏ろしい者としてある時代が長く続く。宗祖大聖人の鎌倉時代は無論の事で、徳川時代でも「親卜主人ハ無理ナルモノト思へ」 と云ふ庭訓を垂れた賢人があった位である。

 然るに明治・大正の今日にも、猶、此旧思想に槌がってをる人々が多いので、各所に時々暴君的の失敗があるのは、慨かはしい事である。

 世間の階級制度の煩雑より可成超越すべき宗教界にすら、東西共に此弊害が流れ亘る。数代の羅馬法王の暴虐は余りに周知の事である。仏教界にすら、時々暴君が出ると云ふ事を聞く。是亦畏ろしい事ではあるが、上下の何れかヾ意得違ひしたのが原因で、自然に馴致せられた悪風と思ふ。尊厳と暴虐とは一歩の差から来る。信順と不遜とも亦然りである。大に意して世出の和楽を計らねばならぬ。

 問ふ、「父母・主君ナレドモ、師匠ナル事ハナシ」 と云ふのは、如何な意味でしやうか。

 答ふ、人を教導するには、其れ相応の智徳を備へて居ねばならぬ。博識智弁ばかりでは教化の効が顕れぬ。師匠と云ふものには、学識と徳行と慈念とが備はらねばならぬ。親として子を教ゆるに、比学徳を欠けば成功せぬ。主君として臣下を教ゆるにも亦然りである。共に親は余りに親愛に過ぐるので、子供が馬鹿にしたがる。師厳道尊と云ふ事が尤もの事である。世間でも、博学篤行の士で人の子を多数教え導びく人でも、自分の子の教育は他人に託する事が有り勝である。其に主君は余り尊厳にすぐるので、子供が畏がる。仁徳の君でも教導は覚束ない事がある。此の愛と厳との弊に居らずして、中和の地位に立つのは師匠である。其して適度に愛と厳とを使ひ得る便宜がある。

 問ふ、親となり主君となるのは、世間にも表面動かすべからざる其約束が現在する事と思ひますが、師弟子と云ふものは、但、其習ひ教ゆると云ふ少期間のものでせうか。

 答ふ、師弟の約束は、表面は寸時の様に思はれますが、内面では三世に継続して長時間のものです。経文にも 「在々諸仏土に常に師と倶に生ぜん」 と説かれてある位で、師弟の関係は縁ではありません。尤も此は仏教上の事ですが、世間の学問でも少しは此に准ずるやうに思はれます。

 問ふ、師弟の関係が重大な因縁としますれば、従って師の徳は広大なるものでせうか。

 答ふ、師匠の功徳は広大なるものであります。『法華経』 にも種々と其徳の広大なる事をあげて、弟子の報恩謝徳の容易ならぬ事を云ってあります。尤も文の上は釈迦牟尼仏の事ですが、此を久遠の釈迦仏に直しますと非常に重大となり、末法の宗祖大聖人に移して見ると又更に広大なものとなります。

 其門葉に列りて、一小弟子を持つ者の徳も大なるものですが、十百千の大弟子を持つ者の徳は計るべからずであります。仮令、在家のお方でも、幾何の信者の先達となり、其講員を指導して行く方は中々の大徳でありますが、功徳の広大なるだけ又罪過も広大なるべきです。

 一信徒の罪過は、一先達一講頭の指導の行き届かぬ過失であります。一小弟子の罪過は師僧の過ちであります。大師小師、大坊主小坊主、又は講頭先達たるもの、仮りにも人の師となるものは、宗祖・開山の大慈大悲を必死と念頭に充てゝ一僧一侶の誤解非行なきやうに意がけ、自らは顕冥の仏罰を蒙らぬやうにして、積功累徳して師徳を山嶽の高さに積むべく念願すべき事と思はれます。(未完)

 


                               『大日蓮』大正15年3月号


 聖訓一百題 (第三十三回) の続き


堀 日亨 謹講

 

 私は、三月の初旬に改名を致しました。其は旧名を廃したのではない。世間公界に用ゆる権利義務の付帯する通称が、「宗制寺法」 と云ふ僧侶の法律の定めに依って、名を変更したのであります。尤も戸籍役場の台帳の名が変更せられて、今後は永久に日亨と云ふ名を公私ともに用ひねばならぬ事になりました。

 併し、旧名の慈琳と云ふ名は剃頭の小師たる広謙房日成師が初夢の嘉瑞に依りて付けられ、日亨と云ふ諱は大師範日霑上人が御付けになつたもので、共に私にとっては思ひ出深き称呼であります。

 雪仙だの、水鑑だの、恵日だのと云ふのは、寧ろ私自身に撰んだと云ふやうなものでありますから、何でもよいやうなものでござります。

 但し、法階が進んで通称が変更したから、従って人物も人格も向上したかどうか、私には一向分明りません。一年一年と老衰の境に下りて、白髪が増へる、気力が衰へる、役には立たなくなる、此等の事は確実でござりますが、信仰の向上、人格の昇進は保証は出来ませぬ。慈琳が日亨と改名しても、矢張り旧の慈琳の価値しかありませぬ事は確実であります。

 此について、御一同の道俗諸氏に、私が衷心から御願ひがあります。今此を一つ書き付けて見ます。

一、従来の僧俗御一同が、信念の表象を有形物で奉納なさるゝとき、即ち本山への御あげものは、特に法主上人の御身に付く物に重きを置かるゝ様に見えます。美麗なる袈裟とか、法衣とか白無垢とかの衣類より、珍しき貴き菓子果実等の食料品より、手廻の小道具までが、他に比較して不平均に見えます。現に、私の慈琳時代には、法衣一枚御上げ下さる御方もなかったが、日亨となってから、俄に何を差上げやう彼を献じやうとの仰せを聞きますが、私は其を受用する徳がありませうか、汗顔の次第であります。

 今後幾年か、此の平愚的羊僧が、猊座を辱しむる事もなく、月を追い年を積むに従って、何等かの功徳を宗門に建つる事が出来たなら、其上には如何なる上等珍貴の衣食を納めても苦しくない処の人天の応供の資格が具備しませうが、先づ今の処では凡僧唖羊僧で徒に獅子座を穢すのみでありますから、無上の御供養は仏天に憚かり先師・先聖に恐れ入って受くる事が出来ませぬ。其れ計りでなく、信施濫受の罪に依りて未来の悪果が恐ろしう御座ります。其れで、私に下さるものは、左の範囲に限りてをきたい。

○衣類等は、安直な毛織物、毛斯類、木綿類に限る。高価な絹布は止めてください。つまり私の着用した御下がりを、所化小僧が憚りなく受用し得らるゝものにしてほしい。

○調度類の惣べては、安直にして丈夫向のもの、即ち実用一点張りを主としたい。

○食物等は成るべく普通のもの (中流生活以下の) を御上げなされたい。珍しき物や、高価なものは一切法度たるべし。殊に羊嚢・饅頭等の生菓子、砂糖量の多い物は衛生にも良からざれば、寧ろ禁物にしてほしい。

 斯様に申し上ぐると、折角の供仏の志を折く事になる。信仰の善芽を萎まする事にもなる。「白鳥の恩を黒鳥に報じ、聖僧の恩を凡僧に報ぜよ」との宗祖大聖人の御仰せを用ひしめぬ事にもなる。何も貴僧に献上するのではない。御本仏大聖人に献上する積もりでをる物を、御辞退するのは、却って宜しからぬ事であると云はるゝであらう。御尤もの事であるが、私一代は私の愚衷を徹さして頂きたい。

 其で猶、供仏報恩の御意趣が晴れぬなら、願はくば私物でなくて公物にして献上せられたい。其は何であるか。

一、仏具である。

一、器具である。

 仏具としては、上は御堂より下諸堂の荘厳具を始として、諸式が余り麁末である様に思ふ。勿体ない事である。毎日奉仕する私として恐れ入る次第である。私共は襤褸を下げて御本尊様は壮麗に御祭りしたいものである。現在の堂宇も決して理想的ではないけれども、此は少額の費用では何ともならぬ。仏具の完成なら多額を要せぬ。又、御前机、御経机、或は何々と、幾部にも切り離して献上が出来る。必ず一人一気と云ふ訳ではないから都合がよい。但し、此は各位が思ひ思ひに御献上になっては統一がつかぬで、諸堂を仏壇屋の店の様にしては困る。何れも本山へ御相談の上にせられたい。此迄の仏具の献上に、此傾向があつて、随分、無益になってをる物が多い。

 其から又、器具である。此には本山専用の物もあるが、多くは御参詣の御客待遇に使用する物が多い。如何に御信仰からの御登山じゃと云っても、麁末な器で麁浪な待遇を受けて満足せらるゝ御方が幾人あらう。本山でも注意するは勿論の事であるが、行届くまでには容易ならぬ資力と日子がかゝる。御一同が思ひ付の物を本山に相談して御上げになれば、造作もなく御自身も意持がよい。此に均霑する他の信友も満足される事で、相互奉仕の思ひも届く事になる。

 併し、従来も斯る事が無かったと云ふ訳ではないが、私に尽してくださる分を此方に廻はされたいと念願するのである。

 巳上は、別に各位にお願ひすべき事を、本題の改名に因んで長々と申上げて、貴重の誌面を塞ぎたる事を、幾重にも御詫びするのであります。

 問ふ、本題の御文を、六句に分けて講ぜられた事も、其中の主師親の扱ひぶりも了解しましたが、比等は浅薄な扱ひ方で、更に立ち入ると五段に分けて見る事が出来ると仰せになった。其五段と云ふのは如何なもので御座りませうか。

 答ふ、六句の見方は、仏は印度の釈迦牟尼仏で、国は婆婆世界で、少し漠とした所がありまして、日本では、此主師親は如何に扱ふやと云ふ事は、此御文には少しも見へてをりませぬ。即ち末法の国と仏とが明確に示されてをりませぬ。其所で此御文の底心を探ぐりて、現実に適合せしめての解釈を付けねばなりませぬ。其に五段の順序が自然に立つべきであります。

 先づ、第一に、主師親三徳は諸仏に有れども、惣在ではない事。

 第二に、主師親三徳は釈尊にのみ惣在する事。

此の二段は、六句分釈の上に、巳に明かに示されたるものである。

 第三に、印度にては主師親三徳総在と云ひ得べきが、日本にも爾か云ひ得べきやの事。

 第四に、日本の現状から云へば、或は寧ろ三徳鼎立的にならざれば不都合ならずやの事。

 第五に、王仏冥合の理想は三徳惣在の上には不都合であって、三徳鼎立に好適なるにあらずやの事。
比の三段は、祖文に見へざれども、推判を加へたのである。

 五段の要目はざっと此通りでありますが、委しき所は御尋ね次第といたしませう。

 問ふ、第一段、第二段は前の六句で分明ってをりますから、第三段の日印比較とも云ふべき辺から伺ひませう。印度の主師親と、日本の主師親の扱ひが如何様に異なるかを明細にお聞かせください。

 答ふ、先づ印度の主師親の起源は、大梵天王であります。印度人の多数が信ずる世界創造者は、全く大梵天王でありますから、此に主師親の三徳を持って行きます。世界を造ったのも、人類を造ったのも、人類の治めやう、言語の使ひやう、総ての世界の動植物の生活、又は物質の変化は、皆、悉く大梵天王の掌中にあるので、後世の国々の人類の師匠となり、教導となるものは、婆羅門族と云つて、始め大梵天の頭から生れた上等種族であります。後世の国々を支 配すべき軍人となり、政治家となり、国王将軍たるものは刹帝利族と云って大梵天の胸より生れた中等種族であります。其下等の人類も、皆、梵天の下体部から出生したとしてある。

 造物主として親であり、又、支配者として主であり、開導者として師である。此三者を事実の上に一身に兼ねる者は、印度の梵である。
 日本の創世記には造者神が見ゆるから、其を主とし、親とするとしても、師と云ふべき事は如何であらう。殊に其云ふ信仰も思想も、一般には普及してをらぬ。

 此が印度と日本との民族の思想が根本的に違ってゐる処である。印度の梵の三徳具有思想を、仏陀に転化したのが『法華経』の 「今此三界」 の御文である。(一百題の第18を見よ)

 茲に釈迦牟尼仏は梵天に代りて、三徳具有の権能者となられた。此れを宗祖大聖が率直に、世尊は成道の時に大梵や魔王の支配せる婆婆世界を奪ひ取られたと云ふやうに書かれた。

 又、「今此三界」の御文が、印度にて絶待に信ぜられて宜いのには、此外にも理由がある。其は十六の大国、五百の中国、十千の小国が散在して統一を見ることが少い。其統一時代を金・銀・銅・鉄の四輪王出現の時と空想せられて居る位であるから、若し教法を四種族に尊敬せらるゝ大偉人出現せば、大中小の国界は単なる政治上の意味のみで、教界は大中小の国界を超越して無限大を呈するので、其法主の威望は益々広大にして、国王等の比肩すべきでない。茲に天人師の仏陀に、世尊の尊号が生くるのである。三徳が仏陀の一身に実現するのである。

 此例は、支那にも日本にも実現すべきでない。此は教界よりも政界が広ろ過ぎるからである。支那では仏法と王法との区別を明らかに規定して、仏法は精神的形而上的で内を治むるもの、王法は肉体的形而下的で外を治むるものとした事がある位で、まだ其外に内を治むる精神的の同類が道教の如きものが幾個もあるから、支那の仏教では主師親三徳兼備は云はれもせず、実現もしなかった。

 日本でも粗其通りであつて、皇威と仏日と並んで輝く事になってをるのが、仏教渡来巳来一千三百有余年の事実である。今後、如何様に政界と教界とが進展するかは未知数であるが、現在では三徳具有者は教界から出でやうはないとも見るべきである。(未完)


  『大日蓮』大正15年4月号



 問ふ、第三段の日印比較と云ふ処で、序に支那の国情も日本と同等で、印度とは大に趣を異にするから、主師親惣別事理の上に於いて意義が変って来るべきである事を伺ひましたが、更に進んで第四段の日本の現状からは、三徳鼎立でなければ不都合ではないかと云ふ事を、委しく聞かせてください。

 答ふ、我国太古の国情、或は神話に属する事かも知れんが、天地、国土、人類、草木の創造が惣べて神々の作用で出来上ったので、後に天照大御神の御子孫が顕界の主として政治・法律・兵馬等の現実界の事を掌り給ふ。即ち主師親の中の主君の御徳と申上ぐるべき事である。此に対して、素盞鳴の命の子孫、即ち大国主の命巳来冥界の事を掌らる。出雲の大社に鎮座せらるゝのが其で、人類が死んでから残ってをる御魂の支配者であれば、云はば宗教家の根本家であるとも見へるが、其程絶待のものではない。神別の中から天津兒屋根命が瓊瓊杵尊に陪して神と人との仲介者となられて、中臣家の祖先である。此子孫が長く祭祀を主られた。

 祭政一致時代より祭政分離の後までも、此家が天神地祇に奉仕する者であるから、或は此方が宗教界精神界の支配者と云はれて仏教の三徳の師徳を持つ者のやうにも見ゆるが、此亦絶待的のものでなく、師徳だけも全具でない。それが我国の太古から上古にかけて、政治、宗教等の原始的の時代では、三徳の明晰なる分界は出来ぬ。寧ろ漠然ではあるが、代々の神々、代々の天皇に三徳があらせらるゝとも見るべきである。即ち諾・冊の二尊より始めて国土を造り、人類を作り、万物を作られて、此を支配する主徳を神々の惣本家即ち皇室に帰するのは当然な事である。共に皇別の直接の御本家であり、神別の御本家でもあるから、親の御家柄とも云へる。情は父子の如く、義は君臣の如くと云って、我国の皇室と人民とを見てゐることは、此辺から云へば当然過ぎる程である。

 但し、蕃別即ち外国からの帰化人は大和民族の血は引いてをらぬが、二代三代の末には、外の婚交で同和する事となる。故に親の徳を皇家に帰する事は当然である。

 但し、師の徳計りは少々持込まれぬ。明治天皇のやうな完全神とも国民一般が称讃へ奉る御方には主師親の御義を付し奉りたいが、其れとて宗教の至上の師徳の尊号は奉れぬ。又々、皇室を御親と崇め奉る事も義立であって、現実に御産み下さつて御養育くださった親ではない。

 師匠としても、技芸から、文教から、宗教まで種々の階段に、種々の現実の師匠が入用である。其れで厳格に云ふと三徳は三徳其々に鼎立すべきである。主君は必ずしも親にならぬ、師匠にならぬ。師匠は必ずしも主君でない、親でない。親は必ずしも主君でない、師匠にもならぬ。此が本題の六文の中の第二・第三・第四に仰せになってをる、現実の主師親各別の御文に顕れてる通りである。

 但し、第五の文の 「諸仏は三徳を具有し給はず」 の意と、第六の文の 「釈迦仏のみ三徳の義を兼ね給へり」 の意に少々背致するやに見らるゝかも知れぬが、宗祖も明らかに三義と仰せられてある。義立であることは勿論の事である。『報恩抄』 の三徳の御文を見ても分明なる事である。三徳鼎立して、其一々に軽重等級あることも事実である。其も主徳と師徳の上での差配で親徳には格別の差はない。強いて云へば、生みの実父母と養父母と義父母と継父母との区別ある位であるが、主徳には大分ある、現今の我国の制度では、真実に主君と崇むべきものは、聖上陛下の外にはあるまい。

 けれども歴史上の旧慣が取れず、封建時代の余習として天皇陛下の下に太政大臣以下の公卿百官があり、共に仕へる諸司は殆んど其上官なり家長なりを主君としてをる。天下の実権を握れる徳川将軍の下に、旗下八万騎があり、三百有余の譜代外様の大小名がありて、期国々城々では比等が封内の惣てに無限の権威を持ちて主君と仰がれて来た。

 其実は天皇陛下の有せらる〜日本国の人民の生殺与奪、其他あらゆるの大権を徳川将軍に依託せられた。徳川政府は又比を数百の大名に分属せしめた。比の如くに順々に、主君の代官が出来て来る。大名の下に各種の代理者がありて、主君権の一部を行使して、庶民の頭を権柄で押へ付くる。庶民も亦比に習ふて一期半期の雇夫までも奴隷扱ひにする。資本家と労働者との間に、地主と小作人との間にまで、主従の関係らしきものが出来る。一切平等無差別たるべき仏教より出発した日本の各仏教は、何日か知らず貴族仏教となりて、濫りに僧階を差別して、殆んど俗権と同等に其宗の長者・貫首が振舞った。其を又有難きものとして、愚俗・庸僧が随喜した。

 此等の武陵桃源の夢は疾くに覚めねばならぬに、今に春眠暁を覚えざるの僧俗がありて、社界と同一歩調がとれぬ処が多いと云ふこと。いや、其一般の社界なるものも、寧ろ善良な温順な人々に主従関係を濫りに固執して有難がってる類が多く、自覚したらしい形式を取る人々に、寧ろ反逆な暴悪な人々があるとの事は、過渡時代に得てあるべき不順調で困った事である。
 兎も角、現今の我国でも、主人の等級は多々ある事は事実相違ない事であるから、相待的に各種の軽重を立つべき事である。

 師徳についても、公にしては小学・中学・大学の教師を始め、各般の技芸学校の教師、其から私にしては、各種の職業の親方、御師匠さん、此等が皆分々に師徳を持ってをる。其学間、其技芸の一々に高下の等級が師にあるが、宗教と科学が分立したり、芸術が至上であったり、宗教が終点であったり、此等の説に纏まりがついて、宗教至上と定まれば、師徳の頂上で絶待なるものは宗教家にあることになるが、其宗教の中にも、諸外教と仏教と神道、仏教の中にも各教団の区別を次第して見頂上を定めて、其処に師徳の絶待を置かねばならぬ。其様に師徳にも亦、主徳と同じく軽重次第がある。

 但し、主徳の帰着は、我国にては確然として天皇陛下に定まってをる事は、日月よりも明白な事実であるけれども、師徳の所帰は各仏教では釈迦牟尼仏と定むるらしい。比が弥々日蓮大聖人であると云ふ事に決定するのは、広宣流布の暁を待たねばならぬ。其迄は我等が信念の上にのみ然か定められぬのは頗る残念な観である。

 以上の理合を、一口に纏めてみると、

 主徳は国家に在り。吾皇室が其れであるが、或は師徳・親徳を兼ねらるゝ事もある。

 師徳は宗教に在り。正法の法主が其れであるが、或は主徳・親徳の義を具ふる事もある。

 親徳は家庭に在り。実父母が其れであるが、或は師徳・主徳を兼ぬる者もある。

 先づ此れ位に抽象的に云ってをいたら、何れの方面にも(仏教外は暫く置く)異論はあるまいと思ふが、扨て実際に所帰を定むるとなると大問題となるが、併し大問題とならねば真実には埒が明かぬものである。即ち、
  主徳は吾皇室の天皇
  師徳は吾正法の日蓮大聖人

親徳は生みの父母

で、比が交互に表裏隠顕となつて、表面には鼎立してをるものである。

 問ふ、三徳鼎立の現実なること、軽重等級のあることは何ひましたが、要するに政教の関係は如何様になるべきものでありませう。現代の如く政治は国家的に統一せられて居ても、宗教は外教、神道・仏教、其中に主義信仰を異にする百有余団体の雑然たる有様で差支へないものでせうか、伺ひたうござります。

 又、三徳鼎立と云ふことは、現代の国情を云はれただけで、此が将来の理想として差支へないものでありませうか。序に此も伺ひます。

答ふ、此は前号に五段に分けておきました最後の五段目の「王仏冥合の理想は三徳惣在の上には不都合であって、三徳鼎立に好適なるにあらずや」と云ふ条下で、二つの御問題も解決しやうと思ふ。

 先づ三徳鼎立は、決して永住性を帯ぶべきものでない。三徳鼎立に見ゆるけれども隠然には、精々纏まりがついてをるやうでもある。但し、完全ではないから、到る処に不都合が起り、為政者の苦労絶えぬこと、又、一百有余の宗教団体を、為政者が取締る現今の制度は煩瑣に過ぎて、弘教善導の能率も挙らざることが事実である。

 爰に日蓮大聖の叫ばれた王仏冥合の実現を望むや、頗る急なるものありと云はねばならぬ。国家と宗教と一致する事は、空想として排斥すべきものでない。祭政一致は原始思想とのみ云ふべきでない。原始野蛮の時代にも祭政一致あるべきであるが、文明進歩の時代にも政教一致あるべきである。其内質は兎に角、形式に百段の相違あるべきであれば、王仏冥合の現実が、民衆政治や平等権を妨ぐるものでない。羅昏教の二、三の悪例を顧慮するには及ばぬ事である。真実の王仏冥合は、恐らく有史以来の各国の政教史に完全な実例はあるまい。
 吾曹日蓮大聖の末流として、此御理想の下に生息する者は、政治上の誠意と、信仰上の至誠より出発して、徐ろに周密の画策を為すべきである。然らざれば空想に堕する事となる。

 但し、我国家は益す皇威の発揚が顕実になるとしても、各宗教の統一は中々覚束ないやうに見え、前途遼遠に見ゆるは、吾曹凡智の浅見であらう。

 時は冥々の間にも迫り来る。時機を逸せぬやう、堅実の準備に勇しみたい。俄に大事に当りて、周章狼狽の愚を演じたくないのである。比が吾曹一同の常願行であらねばならぬ。

 問ふ、王法は日々に栄え、仏法は未だ纏まらず。纏まりたる上に王仏冥合が実現する時に当りて、主師親の三徳惣在は、国王の上にあるものであらうか、法王の上にあるものであらうか、御尋ねします。

 答ふ、比が具体的の三徳総具が云へぬ処です。前から御話した通り、主徳を表にする皇室と師徳を表にする宗門とが合体するのですから、何れも絶待的に惣在を標榜する事とは出来ませぬ。すれば衝突になる。但し、宗門に云ふ三徳総在は義立であって、師徳が表で現実で、主親の二は裏に具へてある義立である事に、注意せられたい。

 問ふ、主徳と師徳との王仏冥合となると、親徳を除外するやうになりますまいか。

 答ふ、親徳は、人情に於いて最も親しいものであります、比を特別に表出せずとも、国家社界の存在する限りは廃棄せられたり、等閑せられたりするものでない。「忠も又孝の家より出づ」と云はるゝ大聖の御語は永久に廃るものでない。仏法も王法も、恐らく孝子親徳崇重に地盤を置かぬものはない。此の一般的地盤の上に主・師の二徳が立つのであるから、王仏と限る時は、無論、主・師であるから、親徳は自然主徳の中に混合するものと御覧ください。此が最も我国家の有する可能性であると思ふ。

 問ふ、巳上、六文五段の御説明を纏めて考へますと、一向深妙な道理が見えませぬ。何れも当然すぎ、寧ろ現実すぎる程平凡な談道であるやうで御座りますが、其様思っても差支へないでせうか。

 答ふ、御会得の通り平凡です。珍奇は一つもありませぬ。併し確実です。但し、御文の 「釈迦仏独り主師親ノ三義ヲカネ給ヘリ」 の義意を能く能く味ひくださって、此上に 『関目抄』 の主節親の帰着する所、『報恩抄』の 「日蓮が慈悲広大ならば」等の御文を併せ味ひて、宗祖大聖に帰く様に信仰を運ぶ事を忘れぬやうに、呉々も願ひます。(完)

 


                                『大日蓮』大正15年5月号

 

 

 

 

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