聖訓一百題(29)  

堀慈琳謹講

問云、末代初心行者制止何者乎。  

答曰、制止檀戒等五度一向令称南無妙法蓮華経為一念信解初随喜之気分也。是即比経本意也。  

疑云、此義未見聞。驚心迷耳。明引証文請苦示之。  

答曰、経云不須為我復起塔寺及作僧坊以四事供養衆僧。此経文明初心行者制止檀戒我等五度文也。  

縮遺1540頁『四信五品抄』

 

 此御文は通称の『四信五品抄』の一節である。『四信五品抄』と云ふけれども、四信五品では漫然として、此抄の題号には通せぬ。御親書の端に、富木日常が「末代法華ノ行者ノ位並用心ノ書也」と書き加へられたのが、実に要を尽してをる。更に別名を造るなら「名字信行抄」」とでもしたら簡明で良からうに、四信五品なんてダラシのない愚名を立ったものである。内容の的確に吾人の行相を示されたる万人必読の御書の名実を誤まらしむる愚題と云はねばならぬと思ふは如何。

併し、此は道草を喰った形である。本引文に直接関係のある事でない。今、此御文を故に引くことは、惣べて御書などを、浅薄に読む人に得てあることで、

我為メニ復塔寺ヲ起テ僧坊ヲ作リ四事ヲ以テ衆僧ヲ供養スベカラズ

との「分別功徳品」の経文を見て、直に現時吾等の信心修行には寺塔もいらぬ、僧侶もいらぬと、浅識することが、間々ある事を聞いてをる。そこで何云ふ場合には寺塔・僧侶が必要である、何云ふ場合には寺塔・僧侶が無用であると云ふ事を、云って見たいと思ふので、『法華経』の中から、斯う云ふ込み入った両面の御文を二、三(今の御文とともに)引き来って説明を加ふる事にしやう。

 尤も単純に何等の混雑もない寺廟を起てよ、泥木銅の仏像をも造れと云ふ小善成仏的の経文は沢山あるが、此は余りに理り能いから此処には引き出さぬ事にします。

薬王、在々処々ニ、若ハ説キ、若ハ読ミ、若ハ誦シ、若ハ書キ、若ハ経巻所住ノ処ニハ、皆、応ニ七宝ノ塔ヲ起テテ極メテ高広厳飾ナラシムベシ。復タ舎利ヲ安クベカラズ。所以ハ如何ン、此中ニハ、巳ニ如来ノ全身有マス」   「法師品」

 此の「法師品」の経文は、宗門では能く引用する事であるが、多くは転用的の形ちでありて、理を尽してないかも知れぬ。此経文を手取り早く云へば、

「塔は立派に起てろ、舎利即ち仏の身骨などは置いてはならぬ、法華経が即ち仏の全身であるから、法華経だに安いてあるなら仏骨なんどは置いてはならぬ。」

と云ふ事になる。

 此塔と云ふのは印度では多くは石や煉瓦で積みあげた記念塔の事である。普通は生所、成道、説法、涅槃の四所を云ってをる。藍毘尼の大塔は誕生の所である。仏陀伽耶のは成道の所である。逝多林のは説法の所である。沙羅林のは涅槃の所である。此等の大塔は石造、又は煉瓦造で、広大なものがあるから、法敵も全壊することが出来ず、或は付近の山を崩して埋めてしまったのを、又堀り出してるのもある。兎も角、二千年後の今日まで現存してをる。仏法は其地に無くなっても、塔だけは残ってる。此処に印度宗教の特異が見ゆる。支那に来ると、石造、瓦造の雁塔は多くあるが、印度ほどのドッシリした横広いものはない。寧ろ高い物許りであるから、古くなるほど危険である。

 日本に来ると、塔と云へば、殆んど二重・三重・五重、皆、木造である。石造のものは最小で、云ふに足らぬ。大事に金をかけて保護しないと、二千年なんどの長持は覚東ない。推古式とも奈良式とも云ってをる法隆寺の塔は、中々の金喰ひものである。何しろ日本の仏法が大災厄でも受けたら、何も形は残らぬ事になる恐れがある。木造ぢゃがら、小規模ぢゃからである。何に其んな心配が入るものか、木でも何でも仏徳の存在する限りは金剛不壊ぢゃ、よし罷り間違へば精神を残してをくから安心なものぢや、焼けたり壌はれたりする物質なんどは何でも良いと云ふのは何んなものであらう。

 尤も日本仏教の建物は、何宗と云はず、印度の塔の意味は至って少い。仮令、五重・三重のが間々ありとしても、極少数であり貧弱である。建物の大部分は、僧侶の住所と信徒の集合所の為めである。報恩紀念の意味は至って薄い。釈尊の四大塔に準ずる物が、宗祖大聖人の四所(誕生、成道、説法、涅槃)に建ってるであらうか、あらうけれども貧弱で御話しにならぬ。興師・目師の其があらうか、此は又それ以上に御話にならぬ。けれども其が末徒の先聖追慕の意が欠けてるからと云ふ理ではないが、意に関りても手が届かぬ形である。

 寺院毎に三師の大塔を設くる古式は、此精神から来てゐるぢゃらうが、テト貧弱である。本山のすら御丈二丈に過ぎぬ。末寺のは一丈に過ぎぬ位では心細いこと夥しい。今回〔注;大正14年〕、本山では常唱堂の大修理の為に、堂を石之坊に移して、旁た開山上人説法石の杜を荘厳しやうと企てられたのは、此等の精神に叶った結構の事であると思ふ。

一体、石造紀念物の貧弱なのは、日本の国風で仕方がないと云はるるけれども、近年は全くソウばかりでもない。中には頭抜けたのがある。京都の鳥辺山の西大谷の墓所内に、田中某の拾万円の塔がある。約20年前(明治40年)に建ったと云ふから、今では20万30万にも価しやう。其が純印度式の円塔で、一字だも彫付けてない事が最も尊くもあり、異様にもあるのである。けれども其塔の前に立つとき、決して悪い気持はせぬ、清浄さである。

 此れは余談であるが、今後、三師塔を新設せらるるお寺方は、此様式に就いて一考を頻はしたい。塔の型式、周囲の装置について、贅余物の観念起らぬやうにしたいものではないか。紀念報恩の情操が、端的に涌き出づる程の物にしたいものである。然でなかったなら、全く大塔造立の意義が消滅してしまう。

 講話を元に還して見る時、「法師品」の塔と云ふのは、必ずしも仏陀の四所八所を指したものでないやうに見ゆる。此等の文に史的考察を加ふる時、或は仏滅後『法華経』流布の事にすべきである。『法華経』を説くところ、読むところ、書くところ、苟しくも『法華経』の存在する所には、大塔を立てて高顕表旌する必要がある。其処を信行者の礼拝供養の場所とすべきである。其又大塔の中には、他の大塔に能くある佛骨中の一支分を宝瓶に入れて安置する必要はない。其舎利は一指一分の砕けであって、仏陀の全骨の百千分の一にも当らぬ位の物である。仮令、印度の各国に散布する骨片を悉く集めても、生身の砕片をまとめたに過ぎぬ。今、此の『法華経』は生身を越へ、生身を包蓋する法身の全身であるから、この完全な舎利即『法華経』を安置する所に、砕骨なんどの不完全な物を置いてはならぬとして、経巻其物を珍重せられた経文である。

 宗祖大聖人は、比を権実対判の上に抜き来って真実の『法華経』の面前には、決して弥陀・薬師等の方便の仏像は安置してならぬと、仰せになったのである。

 此御経文は、塔寺を立てろ立つるなの議論には縁遠いやうに見ゆるが、決して然うでない。有用を掲げ無用を抑へられた精神は、何れも同一であることに注意すべきである。

『大日蓮』大正14年6月号

 

 「分別功徳品」の中に、『法華経』の「寿量品」に説き給へる仏寿長遠の妙説を拝聴して、信行し奉る人々の階級に、現在の四信と云ふ四つの階級と、滅後の五品と云ふ五つの品等のある事を委しく説かれてある。

 現在の四信と云ふ方は、今の所用でない。滅後の五品と云ふのが入用である。此は釈迦仏入滅後の法華経修学の指南であるから、直接に吾人の入用である。

 五品と云ふのは、一に、直に随喜の心を起すもの。二に、其上に更に自ら受持・読誦するもの。三に、其上に他を勧めて受持・読誦せしむるもの。四に、其上に兼て六度を行ずるもの。五に、其上に正しく六度を行ずるもの。此れ五品がある。

 其中の二等と三等とを明かす下に、「塔を建てたり、寺を立てたり、坊を作りたり、又、僧僧に衣食の供養などは為ないでよい」と云ふ御文がある。本題所引の文、即ち『四信五品抄』にある御文は、二等の第二読誦品の下にある文である。要しく引いて延べ書きにすれば、左の通りになる。

何ニ況ヤ、之ヲ読誦シ受持セン者ヲヤ。斯人ハ則チ為レ如来ヲ頂戴シタテマツルナリ。阿逸多、是善男子善女人ハ、我為ニ、復塔寺ヲ起テ及ビ僧坊ヲ作リ四事ヲ以テ衆僧ヲ供養スルコトヲ須ヒザレ。所以ハ何ン、是善男子善女人ノ是経典ヲ受持シ読誦セン者ハ、為レ已ニ塔ヲ起テ僧坊ヲ造立シ衆僧ヲ供養スルナリ

 此から下にまだ七十字あるが、必要でないから省略する。

 今卒爾に文の侭に解して見ると、第一品の初随喜が已に深信解の相と見られてある。深信解と云ふのは、娑婆即寂光、常在霊鷲山の浄土の妙相を実感する底の殊勝さである。其に況して第二品の受持読誦品級の信行者に於いてをやである。其第二級の人々は、日々夜々に仏如来と離るる事なく、御滅後であっても其人の頂には仏如来が宿ってゐらるるのであるから、他人が飲食衣服等の四事供養を僧侶に捧げたり、寺を造り塔を起てたりするやうに為んでもよい事になる。此経文を受持し読誦する事が、即ち堂塔を起て僧侶を供養する事となると仰せらるる様に見ゆるのである。

 此を又、天台大師・妙楽大師の註釈に従って見ると、法華経と云ふ経文は法身の舎利であるから、此前には焼けた骨節等を安く石瓦の塔は無用である(前号、「法師品」の文を見られよ)。

 『法華』の経文は第一義の僧である、理想の僧侶であるから、此前には仏から法が出て、法から僧が出る、即ち別体相従の僧を供養するには及ばぬと云ふ事になる。又、此第二品の初心には、其当面の受持読誦に幕進すればよい。傍目をふらす、道草を喰はずに専心にすれば好い。塔を起てたり、寺坊を作ったり、僧侶を供養したりするのは側目であり道草であるから、却って正行の受持読誦を妨ぐる事になるので、此を禁ぜられたが、正行の受持読誦に熟練してくると、側目もつかい、道草も喰って差支へない。否、この側目道草と云はるる造塔供養の事業が却って理の正行を助長する事になるほどに、漸々に理の正行の数を減しても事実の造塔供僧六度等の諸行を励まねばならぬのが、滅後の五品の次第であると云ふやうになってをる。

 次に、三等の第三品の文を延べ書きにすれば、左の通りになる。

 「如来ノ滅後ニ、若シ受持シ読誦シ、他人ノ為ニ説キ、若シバ自ラモ書キ、若シハ人ヲシテモ書カシメ、経巻ヲ供養スルコト有ランモノハ、復塔寺ヲ起テ及ビ僧坊ヲ造リ衆僧ヲ供養スルコトヲ須ヒザレ

 此は又、次上に長文があるが、同意味であるから省略する。

 比級も前級と同じく、全く同義である。そうして天台は、此等の挙げたる事実を功徳格量と註釈せられた。仏寿長遠の功徳ある法華経を、受持読誦する者の功徳の莫大なる事を示されたのである。一品一句の読誦でも、無量の立塔・造寺・供僧の功徳に匹敵すと云ふ意味であると示された。法華経受持読誦の前には、立塔・造寺・供僧の必要はないと云はれたのでは全然無い。

 宗祖大聖入の御引用も、全く然りである。其して御題目を唱ふる前には、十戒とか、二百五十戒とか、四禅とか、八定とか、種々の六度万行は却って妨げとなると強調ぜられたのである。此等の抑揚止顕は、教家の常方便であるけれども、其主体を認めずして、陰影ばかりを捉ふる時、其人は計らず教害を被むる。事実だか虚談だか知らぬが、達磨大師が梁の武帝に面謁せしとき、武帝が造寺・供僧の数を誇りがに語ったのを、達磨が一蹴し去って無功徳と喝破した事の。某禅師が某居士の熱求に応じて、一茎の草を樹てて造寺了と愚膜を決した話の如き。低級な信行者が、浅薄に聞くと、丹霞焼仏已上に教毒を被りて、初信の善芽を折く事になる。

輓近、経論研究の声が随所に起ってある。結構な事であるが、善き指導者・案内者を須ちて行はれたい。三人寄れば文殊の智恵なんどの痩我慢は危険である。群盲、象を模すの愚に陥るはまだしも、徒に邪見を増長しては取り返しの何かぬ事となる事もあるから御考へ下さい。とは云ふものの、仰信淳美の人々のみに依る会談には何等の杞憂もいらぬ理である。

 滅後五品の第二品と第三品とには造塔供僧を否定せられたかの様に見ゆる文句が、前の通りであるけれども、第四品と第五品とになると、兼行六度、正行六度で種々の功徳事業が差支へなく、寧ろ必要になってをる。第四品の下では兼行である為か、布施、持戒、忍辱等の六度の名目だけに止るが、第五品の下では明かに起塔・造坊.供僧の事を賛美してある。文に、

若シ人是教ヲ読誦シ受持シ、他人ノ為ニ説キ、若ハ自モ書キ、若ハ人ヲシテモ書カシメ、復能ク塔ヲ起テ、及ビ僧坊ヲ造リ、声聞ノ衆僧ヲ供養シ讃歎シ、又他人ノ為ニ種々ノ因縁ヲ以テ義ニ随テ此法華経ヲ解説シ

等とある。此下は持戒、忍辱の五度の相であるから省略するが、最後には、

阿逸多、是ノ善男子善女人ノ若ハ坐シ、若ハ立チ、若ハ経行セン処、此中ニハ便チ応ニ塔 ヲ建ツベシ、一切ノ天・人、皆、応ニ供養スルコト仏ノ塔ノ如クスベシ

とあるので、造塔供僧の禁止はホンの一時の方便である。初入信を受持読誦に精進せしめん為に事業を抑へた形で、其実は初信の受持読誦でも、無量の造塔供僧に匹敵する程の功徳を持ってをると掲げられたのである故に滅後五品の信行者の所にも、比を記念表旋する為に仏の四所八所の大塔の如く、礼拝供養して良いと仰せられてある程である。

 然るに現代思潮の漂蕩激しく徒に上すべりのみして、堅実の所に止まる事が出来にくいのは、、或は一時的の風潮でもあらうが、引いては我宗門に影響せぬとも限らない。前号の(『大日蓮』大正14年6月号)の巻頭語に、顕本宗の本尊問題の批判が出てをる。委曲明細何等かの落着を見るか、見ないかは、吾人には見当が何かぬが、日蓮宗徒として見ても、信行者として見ても、口筆に出すに堪べぬ乱暴を平気で云為せらるるのは残念だが、根底は中々深き遠き事である。

此を又、清水梁山さんが「日蓮聖人には定まった本尊と云ふものはなかった。一尊四士、と云ふも、随他意である。唱ふる御題目が主で、其も胸中にある。大石寺では板本尊云々、此に至ると話もおしまいぢゃ」と云ふやうな風に、顕本宗より起った本尊論を大掴みにコナしてあるが、此等も矢張り旧き議論であらう。

 理想が空想に堕ちて、三大秘法の隠顕推移を眼中に置かぬ荒量の験論であるが、恐らく短話では一本人の意も尽されぬ事であらうに、其短話の中にも間違った事実が沢山あるので、トント御話しにならぬ。此とて矢張り本題の筋道と同じ所を行ってるやうである。某所は日蓮教団中に普遍してをりそうに見ゆる思潮、本尊は方便であるから板でも紙でも人形でも何でもよい、題目だに力強く唱ふればよい、題目が真実だ、斯も口唱の題目は方便だ、口があるから借りるまでだ、口が無ければ眼でクシャクシヤだと仰せになるかも知れぬ。真実の題目は胸中に在りだと明確には云はれまいが、マー此処が落ちであらうと推察する。

此所に天台一流より脱化し得ぬ悲しさが見える本化の事観が全く普通の観念観法と逆戻する。此れに解行なき観念観法のダラシナサは、本尊を嫌ふ、堂宇を嫌ふ、僧儀を嫌ふ事になり、此から出発して次第に、日蓮味が薄くなりて、否定日蓮主義の釈迦主義、果ては釈迦主義の順世外道にまで逆戻るでは無からうか。此れでは言語道断ぢやが、事実は常に如是人を作り出しつつあるでは無からうか。

他門に随法行張りの観念屋多きに対して、自門に随信行張りの信行家が多いのは、宗風の然らしむる所と云ふも、現実打破の暴状なき安心である。固着でも固定でも、日蓮味を失はぬ所を多とせねばならぬ。

 牛の歩みの遅々たるも行くべき所には到着する。顛覆奔逸の禍なき確実さを思ぶべきである。寺院無用、僧侶賛物等の此等の激語は考ふれば、時弊を浄むる一般の清涼剤にならぬ事はないが、再往考ふれば、此語の調剤が甚だ六つかしくて、徒に風教に害毒を流すのみであることを恐れて、敢て此講をなしたのであるが、猶、他題の中に於いて、委曲の補足を為す者へであります。

『大日蓮』大正14年7月号

 

 

 

 

 

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