聖訓一百題(第28)


                              堀 慈琳 謹講


飢ヘテ食ヲ願ヒ、渇シテ水ヲ慕ウガゴトク、恋ヒテ人ヲ見タキガゴトク、病ニ薬ヲ頼ムガゴトク、容貌ヨキ人紅白粉ヲ著ルガゴトク、法華経ニハ信心ヲイタサセ給へ。サナクシテハ後悔アルベシ云々。                   縮遺1844頁 『上野殿御返事』


 弘安2年卯月20日に、富士の上野の南条七郎次郎時光への賜はりでありますが、上野殿と云ふ南条殿と云ふ宛名にて下されし多くの御書は、多分、時光殿か其母尼御前でありまして、一つは女性であり、一は少青年であります辺からでもありますので、何れの賜はりの御書も、六つかしき法門は少くて、多くは信仰策励又は勧誘のもの計りで、600有余年を過した今日の吾等に取りても、一々身に当てはまるほど有難き御書ばかりであります。

 中にも、今の御文は追書の全文でありますが、一字もむだのない信行者に取って理解りよい大事な御教訓であります。

 文の表面は、少しも奇抜な所もなく、六つかしい所もないが、能く能く玩味すればするほど、ヒシと身に侵み入るやうです。殊に最後の「さなくしては後悔あるべし」と云ふ短文に千鈞の重みがありまして、寧ろ他の御文は「信心薄く弱くしては、峰の石の谷に落つるがごとく思召せ」とあるよりも、「一無間二無間十百無間は疑ひあるべからず」等と厳重の警告を御与へになってをるのよりも、或意味に於いて寧ろ厳しく通へます。

 尤も御本文の中にて、御自身の東条小松原の御難、腰越龍の口の大難とを御挙げになり、別して『法華経』の第五の巻を以て御面を擲ちし少輔房の暴虐を、逆縁として感激の杖として、

日蓮仏果を得んに争でか少輔房が恩を棄つべしや。何に況んや法華経の御恩の杖をや、かくの如く思ひつづけ候へば、感涙をさへがたし

 とまで、逆即是順、大慈棄つる所なき仏意をも細々と仰せになってをるのみならず、最後終焉の御約束まで遊ばされてある事は、此弘安2年の春には、日興上人、熱原の弘教、段々に成功に趣きて、反対徒の嫉妨絶頂に達し、何日何時、大法難の暴発せんとも限らぬ雲行の早くなれる時であるから、御自身の御法難から割り出して、門下の一同が大法難に遭遇したる時の意持、即ち自分に迫害の刀杖を加へた信仰的暴徒をも法華経の御為に許しつかはせよ、決して深く恨むな、彼等は其暴挙の為に逆縁となりて入信の時機を早むるであらう事を悦べよと、其となく、諷諭せられた形が見ゆるのは、其時に取りて特別の有難き御伏である。

 併し、何も彼も信心の根基が強固でなくっちや御話しにならんので、追て書には、殆んど初信者に、又幼稚に噛んで含めるやうに信心の姿を示されたのが、即ち今所掲の文である。

 今、此御文について蛇足の註釈を施して見れば、

 「飢へて食を願ひ、渇して水を慕う」と云ふ喩は、人間の生活の第一の要件は出来るだけ長生する事である。生きる為には食ふ事が必要である。衣食住なんどと云っても、如何な社会にも食ふ事は第一要件である。食ふ事を粗略にし忽緒にする者は、人間廃業の志しが萌した時である。食ふ為に飢渇を凌ぐ為には、凡百の物を放下っても悔ひないのである。平生の平和の社界には、米一升何十銭、饂飩一杯何銭と高下を争って居ても、非常の場合、殊に先年の大震災地の如きは一杯の飯、一切れのパンも宝玉にだも易ず大事にするのである。此時の食物を得んとて、血眼に必死になって努力する形が、其侭求道に来れば良い。其うすれば、必ず道を得られ力を得る事になる。けれども、信心を捜し道を求むる声ばかり徒に大きくして、其意が真剣でないものには、中々仏は得られぬ。一日二日三日と食事に離れて餓死をする計りになってをる人の一切のパンを求め、一杯の飯を乞ふ必死の意趣が、其侭信心に来なければならぬ。其れで肉体の色法の人間生活の第一要件たる食と水とをもって来て御譬喩となされたのである。

 「病に薬を頼むがごとく」と云ふ譬えは、病気は生の中断である。大病は無論の事、少病でも生々活発の邪魔になる。放下とけば、其為に生を断ち切る事にもなる。器官に故障が起りて、平生の活動が出来ぬ不快ばかりでない。其処で、其故障たる病気を治すには、薬養が必要である。平素は、薬は万能でない、特攻薬なんかあるものでないと考へて居ても、いざとなれば売薬にでも、又、理もなき民間のあて薬にまで頼るのが、生を欲する人情である。何うしてでも一日も長く生きて居たいのである。其為に薬を求むる。其如く宗教を求むれば善い。此薬は古くなって効力が消滅してる。此薬は此病気には適応せぬ等と、薬を求むると共に、薬の選択に意を注ぐやうに、宗教を求むると共に、宗教の高低邪悪正善等と撰び上げて自分等に適するものを求めて下されば善いのである。

 「恋ひて人を見たきが如く」と云ふのは、恋愛は社会団結の楔子である。人にして互に恋しがり、なつかしがる気分が無くなれば、何となく潤ひのないガサガサした乾燥無味の木石同然の社界となり、争闘の機、乖離の時を頻繁にする。恋ひしなつかしの情が多いほど、此の争闘と乖離との機会を少なくする。恋愛の至熱は、夫婦を形づくり、又形づくるべき男女間にある。

 「惚れて通へば千里も一里」、「惚れた慾目でアバタもエクボ」と俗に云ってる。恋は盲目と云ふ事は事実である。社会を円くし、種族を繁殖せしむる自然の方法となってをる。男女間の恋愛意外の恋愛は次第に淡くなる。「二つ文字片の角もじすぐな文字ゆがみ文字とぞ君はおぼゆる」と云ふ上品な御消息は、至って浄潔であるが淡白である。今は千里も一里、九十九夜の深草少将の熱度を求道に取るべきである。達磨に遇へる慧可の断劈も本家の面目を見んとする至恋の至りである。宗祖大聖に遇へる阿仏房の雪の夜こめての塚原詣でも本仏に見へんとする熱情の至りであることを、吾等は常に深く胸中に銘すべきである。

 「容貌好き人紅白粉を著くるがごとく」と云ふのは、食・薬・恋に今一歩立ち越えた姿を示されたのである。食・薬等は如何な粗荒な人生にも、即、野蛮人の生活にも必要であるが、此が満足(食衣等足るとき)すれば、其処に荘厳美の必要が起りてくる。天然の雪の肌にも白粉を塗りて、更に層一層の白色美を作りあぐる。震ひ著きたくなる朱の唇にも紅をさして一段の色を増す。此の紅脂と白粉とが天然美を荘る唯一の物件であるごとく、人間野性の誕徳・仁義が如何に美麗しく具はりて居りても、信仰帰仏と云ふ超越世間の神秘の荘厳がなければ奥行の深い深い人徳と仰がれない。天然美人に紅粉の化粧が必要なるやうに、人生に信心の必要ありと仰せらるるのが、南条家には老女も少女もあったからの念註であったらうと思はれます。

 願くは此等の大訓を、吾人必須の要件として、初信は此を策励の鞭とし、後信の人は反省の鑑として座右を離さぬやうに願ひます。


                             『大日蓮』大正14年5月号
   

 

 

 

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