聖訓一百題(第26)



    堀 慈琳謹講


汝舎利弗 尚於此経 以信得入 況余声聞 其余声聞 信仏語故 随順此経 非心己智分     『法華経』「譬喩品」偈


 此の御経文には難文句が無いけれども、深大の意義が籠められてゐる。先づ「以信得入」と云ふ文句と、「随順此経」と云ふ文句と、「非己智分」と云ふ文句は、決して忽諸にすべきでない。まだ此の前の句に、「斯法華経為深智説 浅識聞之迷惑不解」と云ふのがある。其中の「浅識迷惑」等と云ふのが、即ち次下の十四誹誹謗の中の浅識誇誹謗の依拠である。深智の為には法華経を説くべし浅識の為には法華経を説くべからずと云ふ一節は、所引の二句と次上の六句と、都合八句百二十八字に懸りてをる。

 浅識の為には法華経を解くべからずと云ふのは、仏の深智に共鳴する事が出来ぬので却って仏智を迂遠とか無用とか云ふ凡夫並の浅智恵を斥けられたのである。卵を見て時夜を欲したり、沙上にでも楼閣を急造せんとする猿智恵の者共には、真実の法華の大道は御歯に合はぬ。聖人君子の大道は、利にのみ走りて義を知らざる普通の小人には用なきものである如くである。

 浅識と云ふに就きては一口に云ひ尽せぬ、無智文盲とは少し違ふ。博く世俗を学ぶの人とも註してある。其れは浮世の物質上に関する学者達である。現今で云へぱ、理学、工学、医学、商学等の学士・博士、又は其と同等已上の達識方で、其専門以外の修身信仰等につきては、更に充分の造詣なき物質生活偏重の人達とも云はるゝ。此人等には信仰を談じ宗教を語っても無益であると云ふ事になる。今一つ上りて考へて見ると、仮令、宗教家達であっても、但其に依って衣食すると云ふやうな商売坊主や職業牧師には談じても解らぬと云ふ事になる。此は大義妙理を信解する程の、淳信正智が欠けてをる。仮令、幾分信解しても、職業と生活には替へられぬので、止むを得ず解らぬふりをする。甚しきは、逆に取って反撃すると云ふ為体である。

 法華の迫害は宗祖の昔から今に至るまで、此手合の直接間接の行為から来るものほど烈しくなる。されぱ此等の職業宗教家も浅識の中に入るべきであらう。寧ろ浅識の上乗なる者であらうが、浅識謗法はまだまだ広く一般に亘るべきではあるまいか。

 現今、僧俗一同、自己に直接の利益を与へざる限り、又は利益を与ふべき見込なき限りは、何人も鞠躬如として偉人の前に伏し義人の前に泣き、真実の前に身命財を擲って悔なきものあらんやである。よし通俗の認むる真実正義には信順随喜するものありても、少しく超越したる大人大道には絶無であらう。爰に於て経文の深智と信と順と云ふ事の必要を思ふや切なりである。無智を去り浅識を捨てゝ深智(如来智)を得るには、信と順とが無けれぱならぬ。妙法を信じ如来に順ふ淳撲の気質に返らねぱ、浅識より一歩も深智に進めぬのである。役にも立たぬ智識に拘束せしれ、世智弁聯のために、赤裸々に成り切る事が出来ぬ。己を虚して赤裸々になりてこそ、仏如来の深智の深き懐中に飛び込む事が出来る。

 数万人の御弟子の中で、智恵第一と呼ぱれた高才逸足の代表者たる舎利弗尊者に対して、仏は何と云はれた。汝、舎利弗よ、法華経に入りて不退の菩薩の位を得て今後如何なる魔縁に遇ふとも、決して退転する事のないやうに成ったは全く信心の力のみである。汝、舎利弗ばかりでない。其余の羅漢達も、仏陀の語を信じて此経に順ふたのは、汝等の智恵の作用では決してないぞと云はれた。信順の力用は斯くの如く一足に仏陀に飛んで行く。信順の妙用は刹那に仏陀の久遠劫来の御苦労に依って獲られた深智を握ることが出来る。信順の機の前には説くべからずと閉鎖せられた如来大慈の門が開ける。信順の機の前には仏法常住である。正・像・末の変移なく常に春陽三月の好季節である。仏種を断じ如来を傷しむるは浅識謗法の徒である。仏種を成長し如来を常住せしむるは信順の徒である。さり乍ら真実の信順の徒は、至って寂々寥々たるものである。

 宗祖大聖が「法華本門の直機」と云はれた淳信の弟子檀那は、当時、何人あったらう。其又、末世の吾等が、純一無雑にして大法と本仏とに信順の命を捧げ得る事は稀有の幸福と感佩せにやならぬ。

 併しながら此等の信順は、仏陀なり宗祖なりが、救済の方便として人民に信順せよと強要するのであらうか。例せぱ、或る国家主義者が、単に忠君愛国を人民に強要するが如き事ありとしての行為に同一であらうか、と云ふ疑問は自然に生ずべきである。外国には能く此の適例がある。

 国乱れて国主の威信全く地に堕ち、万民離反して、国家正に風前の小燈たる時に当りて、鼎の軽重は疾くに試験済にも拘はらず、各種の法令を出して国民の帰依を強要する如きは、余りに適例でないけれども、其程にならない前、又は卑族者、非人格者が偶然得たる機会に乗じて人民に君臨し、徳を以て治めずして、法を以て威圧する時の手段に人民に恭順を強要する如きも、此例になるであらうか。

 此等は、国家其自身が尊厳であるべき、国主其自身が博愛仁慈であるべきである。此時忠君を教へ、愛国を教ゆれぱ、水の低きに流るゝが如く行はるゝ。即ち徳の流行する置郵して命を伝ふるより速やかである。某国家主義者が云って、皇帝自ら国家に忠実ならざれぱ、人民をして国家になり皇帝になり、忠実を捧げしむる事は不可能であると。此は一理ある事と思はるゝ。

 此の論法から来れぱ、現今我国で、上総理大臣より下府県の小官吏に至るまで、兎角人民に衷心より尊敬せられざる風習があるのは、強に一時の官尊民卑の反動思想から来たものとも思はれぬ。階級打破の運動から来たとも思はれぬ。有司百官、其自身の上国家に対する皇帝に対する忠実に足らざる所があるでは無からうか。下人民に対する親切が欠けてをるのから来だのでは無からうか。

 古来の美はしき家族制度が、段々に紊れて個人主義に傾き勝なるのは、家族の我侭から来た計りでなく、家長自身が其家に対しての忠実が欠けたり、家族に対しての慈愛が薄かったりするから起るのであらう。

 然るを、有司百官が、頻りに人民に恭順を強要したり、主人が漫りに家族に従順を要求したりしても、大した効能は顕はれまい。茲に於いて、暴君・暴主人・暴百官が出来るやうになれぱ万事休すである。

 翻って此世俗の状態より、宗教界、殊に仏教界を見るに、猶此轍に異ならない。信順が要求なしに自然に行はるゝ時は、何れの宗教も栄ふるのである。強要するに、猶成らざれぱ刑罰を以て之に臨むに至っては、羅馬加特力教の大も分裂縮小せざるを得ざる悲境に陥いったのは好例である。

 師厳道尊は、教家の必須、殊に本宗に取りて便りある文字である。法本尊の尊厳と人本尊の無上愛とは一目も息む事なきものである。法の絶対的真善、人の五大尊極あれぱこそ、自ら無限の信順が湧き出づるのである。知りても、知らずしても、自ら南無せざるを得ぬのである。敢て信順随喜を強要せらるゝのではない。導師の大慈悲は、導師への信順を余儀なくせしめらる。師僧の学徳には、弟子が否でも信伏せざるを得ぬ。住職の寺に対しての忠実には、檀家が帰依せざるを得ぬ。講頭の確信努力には、講員自ら信伏せざるを得ぬ。敢て各般の手段に訴へて帰依信伏を強要するものではない。若し強要し、百方して此を繋ぐに至っては、最早、其々の末路である。万事休せんとするのである。

 けれども、世には、常に反を好むの徒が断へぬ。逆路加耶陀の徒は尽きぬ。小き家庭内の反抗者より大なる国家の叛逆者に至るまで、小き天の邪鬼より大なる賢相・主安石に至るまで、反常識の者が断へぬ。小にしては一家を紊して日々不安不快の生活を為さしめ、大にしては国家を危殆に陥らしむる。蓋し反動思想は幾何の進展を助くるが、反抗行為は直接に団体を危くする。宗教界亦然りである。各宗教の歴史、殊に宗門の歴史も此に依る悲惨事を数々語ってをる。此が広布の大願を余儀なく妨害する。

 自体尊厳の特質を有する我国家には、上下深く留意する所あって早く世界に光被するやうに、宗体尊特無上の吾宗門にも、尊厳と信順とが、常に無理なる状態を現ぜずして、早く広布の大望を成就せしめ給へと衷心から祈り奉るべきである。

 


                         『大日蓮』大正十四年三月号

 

 

 

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