聖訓一百題(第18)


                               堀 慈琳謹講


 今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受 (『法華経譬喩品』偈文)

 汝等若能 信受是語 一切皆当得成仏道 是乗微妙 清浄第一 於諸世間 為無有上  (同上)

 若人不縁信 毀謗語此経 則断一切世間仏種 (同上)

 其人命終 入阿鼻獄 具足一劫 劫尽更生 如是展転 至無数劫地獄出 当堕畜生  (同上)
 


 此に掲げた御経文は「讐喩品」の偈文の中の、要文三箇所である。

 此れだけの御文を、古来、御法則文として特別に扱ってをる。左京日教(要法寺より帰入せる有師の弟子なり)の、『類聚翰集私』には、開山日興上人は毎に此文を講ぜられたのに、其講演中に新しき聴衆が来ると、幾度も繰り返して、「今此三界」の文を読み聞かせて御説法があった。其理由をば「まだ聞かぬ人の為には、杜鵑、幾度鳴くも初音なりけり」と云ふ歌を引いて、説明せられたと云ふてある。

 総て御法門は何様に限らず、聞いた事の無い人の為には、杜鵑の初音同然で、至って珍しき事であるが、別して「今此三界」の御文は、仏の法報応の三身と主師親の三徳とを説かれた御文であるから、日本のみならず、支那・印度の仏法中、特に有難き要文として、初の八句を暗記するのである。

 唐の善無畏三蔵と云へば、印度より遙々渡り来った高貴の僧であるが、此人が曽て頓死した時、数多の獄卒が来て、鉄の縄を七筋かけて閻魔王宮に引ぱったから、御手の物の印呪又は真言で、此縄を切らうとしたが何しても解けぬ。漸くに『法華経』の此の「今此三界」の要文を思ひ出して、此文を唱へて、早速に獄卒の鉄の縄が切れたと云ふ事である。

 日本の比叡山では、皇帝御即位の御潅頂に、此文を書して宝冠の中に入れ奉ったと云ふ事である。

 宗祖の御書にも『今此三界合文』(縮遺401頁)と云ふのがある。此には、
 「経云、我亦世父。経云、今此三界皆是我有(国主也、報身也)。
 其中衆生悉是吾子(親父也、法身也)。
 而今此処多諸患難、唯我一人、能為救護(導師也、応身也)。」
とも亦、

「今此三界皆是我有
   ┏ 外道 天尊 居色界頂三目八譬魔醯首羅天・毘紐天・大梵天王
 主━┃
   ┗ 儒家 世尊 三皇・五帝・三王

    龍逢・比于報主恩者

 唯我一人能為救護
   ┏ 儒家 四聖等
 師━┃
   ┗ 外道 三仙・六師

    釈迦菩薩・常啼菩薩報師恩者


 其中衆生悉是吾子
   ┏ 儒家 父母六親、父方伯父・伯母、母方伯父・伯母・兄姉
 親ー┃
   ┗ 外道 一切衆生父母大梵天・毘紐天
    重華・西伯・丁蘭孝養者、三皇已前不知父母、人皆同禽獣」

等の要文が載ってをる。
  「今此三界」と云ふのは、総体の上に被むるのである。今此三界(欲界・色界・無色界)と云ふ竪に高く横に広き、吾等の肉身では窮むる事の出来ぬ世界の総てを所有する義が仏陀にあるから、此が三界の衆生の総てを、唯一人でもって救ひ護って迷はぬやうにするから、これが三界の師である。三界の生物の総てを、吾子同様に慈くしむから、此が三界の親である。

 通例の三徳は、主君は主徳、親父は親徳、師匠は師徳で、一人一徳で三徳兼備は無い。仮令、有りても、三世三界の広遠に亘ることは無い。多く一世一国のである。其も親が師を兼ねだり、主が親を兼れたりする位である。無限に広い長い意味に於ての三徳兼備は、仏陀一人に限る者である。

 此の仏陀と云ふは、一時一人なりや、一時多人なりやと云ふ時、一時に二仏有ることなし。一時一仏であると云ふのが通論であるけれども、他の仏国土に別仏ある事を妨げず、一ときに数仏の出づる様な事になりて、主師親の三徳が局限せらるる事になる。此は『法華経』已前に説かれた方便経の説相で、阿弥陀仏でも薬師仏でも大日如来でも、皆其々が主師親の三徳の義を持つ事になる。此を『法華経』の「寿量品」で、本地本主の顕本仏の御手に取り上げてしまはれたので、弥陀も薬師も大日も皆三徳の所有主でなくなった。本仏に許されなけりや一時でも仏陀と公称する事が出来ぬ形となられた。

 然らば、其本地本仏は何仏であるかと云ふとき、五百塵点劫已前の久遠に実成せる釈迦牟尼仏と云ふ事になるけれども、久遠劫の見透しの付かぬ凡夫には理想であり抽象である。事実には、具体的にはと云ふとき、二千余年の昔し、印度出現の其事を自白せられた崔曇悉達の釈迦牟尼仏が其れであらねばならぬ。理想の上で抽象的になら、誰でも各々本仏と云へやう。弘法大師を待って寿量品の本仏は弥陀覚王であると云はする迄もない。親鸞上人に和讃させて「久遠実成阿弥陀仏、釈迦牟尼仏と示現して」と云はする迄もない。五仏道同平等一如の理観の上からは、甲僧も乙僧も、権兵衛も八兵衛も内証本仏である。僅少な体験に誇りて自画自讃する近代の自称神仏は、皆久遠の本仏と云ふ資格があると云へよう。

 但し、道統をたどり血脈を繋けて来るとき、彼等には僅少の法水も通って居ながった事が明白るであらう。過去なき未来なき現在寸時の浮雲の如き妄想に過ぎぬ。本無今有も影が薄いのである。妄想誇大の本仏は無論のこと、弥陀本仏でも、寿量品の本仏の前には其名称を撤回すべきである。

 然れば、現代に寿量品の本仏とは何人なりや。

 二千有余年、印度の昔を其侭我国に持って来て、崔曇悉達を本仏と云ふべきであらうか。仮令、其としても、本仏と本法と相応せぬ。悉達の釈迦は「神力品」で隠居してから一切世に出られぬ。

 今の生きた法華経は、七百年前、我国で始めて弘められた日蓮大聖人の物である。「神力品」、「勧持品」、「不軽品」道統血脈少しも紊れぬ釈迦本仏の後継者である。現代三徳の持主は此人である。

 御弟子方の深く信に入りし者は此を信じて居た。兎も角も御門下の各派が殆んど一般に三百余年間も法主日蓮大聖人と尊敬して居たが、対他の時には幾分の加減があって、其が段々に本仏の色彩を暈したり、塗り替へたりして、遂には全然の菩薩位まで引き下ろす事になり、其本仏には、久遠実成釈迦牟尼仏とて天台与同の理想仏を持ち出す事になった。

 仮令、其れが一大円仏であっても、自受用報身仏であっても、法身仏であっても、応身仏であっても、其は日蓮大聖人の尊号で無かった。其信行の内容実質は純日蓮主義であっても、世界の機嫌を顧みてか、又は其信の至らぬのが、公然と日蓮本仏と云ふを憚りて釈迦本仏
と云つてをり、偶に日蓮本仏と云ふ700年の正統家に向つて外道呼ばはりを為す輩計り充満してる。此は今に始つだ事でない。開山日興上人が、身延離山の時に原殿へ送られた状に、
「身延沢ヲ罷り出テ候事、面目ナサ本意ナサ申シ尽シ難ク候ヘドモ、打チ還シ案ジ候ヘバ、何処ニテモ聖人ノ御義ヲ相継ギ進セテ世二立テ候(ン事=ソ詮ニテ候へ。サリトモト思ヒ奉ルニ御弟子悉ク師敵対セラレ候ヌ。日興一人本師ノ正義ヲ存ジテ、本懐ヲ遂ゲ奉り候ベキ仁二相当テ覚工候ヘバ、本意忘ルゝコト無ク候」

 宗祖の御入滅後七年の正応元年に既に此通りである。尤も師敵対の箇条は様々に変化して居ても逆路伽耶陀は同一である。其日興上人数十通の御状の中に本主として帰敬すべき御文句に、釈迦仏だの、円仏だのと云ふ文字を一所も使用して無い。法華経、法華聖人、御影の宝前とばかりである。一つ斯う云ふ特例がある。

 「御神馬一疋用途三貫文進セシメ給フノ御状。法主聖人御神殿へ備へ進セ奉り候了」
                                 (『弁阿闍梨御返事』)
 此は宗祖を神扱ひにしてある。主師親三徳の上から敢て怪しむべき事でないと思ふ。

 何うか、主師親の「譬喩品」の文を空虚ならしめないで、ご開山上人常に宗祖の御身の上に、この三徳の「今此三界」の文を講じ給へる如くに、各門下一統に行はれん事の佳き日を待つのである。(完)

                             『大日蓮』大正十二年六月号

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