法 話(第15話)

寂莫道人


古ノ賢人ノ常ノ言ニ、水至テ清ケレバ魚住ム事ナシ。人至テ覧ケレバ友ナシトイヘドモ、天ノ加護シ給フ所ナリ。

 

 とは、宗祖大聖の『垂迹法門』中に仰せられし一節である。

 道人は、常に此御文を硬生活の福音と信じ奉ってをる。但し世間通例の教へ草にては、「水清魚不住」といふ孔夫子の金言は消極的道徳に使ひこなしてあるから、目的にも手段にも陰にも陽にも徹頭徹尾此の考へであると、飛んだ堕落生活に陥いり、随従軽薄阿諛迎合曲学阿世、はては無理想不見識、遂には世出不二権実一如本迹一致の大謗法罪に陥るに至るので、其第一歩は謙遜隠忍等の鰐極道徳を踏み違へたる事である。恐るべき事ではないか。其の消極的道徳の迎合阿世の金言に、

 

郷に入りては郷に従へ

泣く子と地頭には勝てぬ

御無理御尤も

人と屏風は曲がらねば立たぬ

水清ければ魚住まず

 此等の軟語消極語は数限りなく製造せられて、我国の人心を支配するの金言となってをる。

 此等の軟語を処世一時の方便手段に使用すれば、交際の円滑を来たし、自他の調和が出来るが、若し此を一時の手段とせずして、一にも二にも此の金言を目的として進んだ日には、生命なき理想なき権威なき軟生活に陥いりて、個人としては一人一家の独尊なる幸福を失し、国家としては独立の意義を失して隣邦の乗ずる所となり、遂に哀れ墓なき保護国とも属国とも成り行くのであるが、敢て這般の金言の罪ばかりではない。金言は死物である。此を悪用するも活用するも人々にある。人の天性は、動もすれば硬軟の性分に僻して云為する傾きがあるので、其梶を取りて妥当の道に導くのは教育家・宗教家の本分であれば、大に注意すべき事であらう。

 おうけなき事ぢゃが自分の経験の事実の迹を、少し御話して見やうと思ふ。

 私は、少年時代に何日となしに、絹介不覇、独立自尊の気風が内心に深く染みこんでいたが、自分の境遇は此を逞する事が出来ぬので、煩悶に堪へなかった。家を捨てゝ僧侶となった動機は外にあるけれども、此性分が根拠をなしてをる。そこで出家の当時には、触向対面見聞覚知何一として癪の種ならぬはない。此れが自然に言語動作に顕はれて出る。其の癇癪球は時と場合とを撰ばず、破裂し易き可導性の僧侶なり信徒なりの頭に破裂する。但し不導性の僧俗の頭では成るべく破裂せぬので、今日まで兎も角も僧侶の生活を続けて、御本仏の御慈悲に抱かれて居るのかも知れぬが、或る大徳が、当時、私の癇癪玉を静める為に投ぜられた薬が、即ち「水清魚不住」の清涼剤、否な軟化薬であった。大徳の訓辞は反覆丁寧であった。宗門の俗流に与同することが、僧侶生活の第一義かの如く聞ゑた。此は御論旨よりも言ひ廻しが老練巧妙であるから、出家してからまだ日浅き私の新しき粗らき頭脳には強く印象せられて、幾分我が折れたやうな塩梅になったが、後より考ふれば、其大徳は謙遜隠忍の軟生活を目的とせよの意味にて、私の狷介自尊の鋭気を摧かれしか。又は、処世上或点までは他と調和の必要あるより、斯る場合には軟交際を方便とせよとの意味にて訓へられしかは、考へ出すことも不可能ぢゃが、熟ら其の仁の御性格行動の有様を追想すると、物に付け事に触れ円転滑脱の風はありしも、毅然として自家の面目を骨張するの風は見るべくもなかった。豪毅なる男性的の気分が少くて、優柔なる女性的の風があった。其も優柔の骨に酒脱の皮を張ったやうな風であったが、何れ徹底したる軟生活にもあらで、一生不遇に過されしは、何とも御気の毒の次第である。

 但し、私は軟生活様の秘訣を受けて、大に軟化し俗化し己れ遁世の当初一念を忘却して、魚肉も取る女色も近ける、柄になき御世辞滑稽随分たわけた真似もしたが、どうも其う云ふ事に満足する事も安停することも出来ぬ。動ともすれば孤独に帰る狷介に帰る独尊に帰る硬生活に帰る簡易生活に帰りたがるので、徹底した軟生活に安んずる事も中々出来ぬ。決定した硬生活で押し通すことも出来ぬが、結局、自己本性に僻する。即ち、私には硬生活が適するやうであるから、殊に、

「トイヘドモ天ノ加護シ給フ所ナリ」

との末文が、いとも尊く拝せらるゝ。「水清魚不住」 の語は、至清至善の生活をしてると有象無象の邪人ども悪人どもに煙たがられるぞ、多数の人に嫌はれるぞといふ事である。

 大概な時代には、善人は少なく、悪人は多い。清浄の者は稀にして、不浄の者は充満してる。己れに違ふものを忌むのは善悪共に通有性になってをる。まして嫉善の機根は末世に充満するものである。此語を仏法に翻案するときは、純善純浄の本門の大法の中には、無宗教家、外教家、普通仏教家、似非日蓮宗徒等、嫉善謗法の邪念あるものは、近づく事ができぬ、住むことができぬと云うことになる。「人至賢無友」と云ふのを仏法に翻案すれば、大聖達人は和光同塵すといへども多数の凡俗の帰嚮する処とならぬ。向下して本性を忘却するほどしなけりゃ、ひといたつてナん王ればともなし安んじて悪凡俗どもが道の友として近づいてくれぬ。意細い不安な事である。

 併しながら通俗の人々から疎外せられ怨嫉せられ迫害せられて、患難不安の中に辛うじて世を送るとも、正法をだに厳持せば遂には邪は正に勝たず。終極の勝利は清浄人、聖賢人、正法行者に帰して安穏なる事を得る。此は諸天善神等の悪を忌みて善に与みする者が、顕に冥に正義者を保護するからである。

 敢て独尊者流硬生活者が、他の庇護を仰ぐなんどの卑屈の思あるべきでないが、正義に報ふる正当の加護と思へば決して疾ましくはない。

 されば第一に積極的に正義を主張して少しも迫害苦厄を恐れぬ大勇猛信を持つ者は、陰に陽に、一直線に強盛に正義を主張するが善い。決して他人の云為を顧慮すべきでない。諸天の加護、仏祖の冥加は日々夜々に下るであらう。

 第二に、己の身心の弱点を顧みて大勇猛なることが出来ぬものは、硬軟の次第を付けてみたらよかろう。

 即ち世間法としては忠孝両道は何事を置きても第一義として積極的に奉行すること、其巳下の第二義の人道は時と場合とに依り加減あること。即ち有りふれた消極的道徳を行ふても差支なし。

 仏法としては、本尊仏に対する信仰箇条は、何事を置きても第一義として厳格に奉行する事。其巳下の信行作法は、四悉の配立其宜に従うて差支なきことと意得たら、可なり円滑に処世の法を得るであらう。

 第三には、若し亦其れも此れも面倒である。一層浮世は暗みぢゃと云ふ自暴自棄昔流は耽溺するなり暴逆するなり勝手に無間の苦道を開くも、亦、一大法界の波瀾となりて、世界を荘厳するであらう。可愛相だが仕方がない。

 要するに、道義上の強者は、力めて第一の義を取られたい。此が御本仏の御冥慮に尤も叶ふ者であらう。中者は、第二の義を取りて紆余曲折羊腸たる人道を歩むもよからう。道義上の弱者・廃頸者は、第三の義を履みて、永却無間の中にて、強く反省後悔するより外に仕方があるまい。(完)

 


『自然鳴』大正四年十二月号

 

 

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