法 話(第14話)

 

自惟孤露 無復恃怙

寂 莫 道 人


 本仏の宝前に跪いて御慈光を拝受せんとするには、「自惟孤露、無復恃怙」 の条件が必要である。絶待権威の前に従順なるには赤裸々でなくてはならぬ。些の権威を矜持することを許るさぬ。

 倣岸なるものには、横柄なるものには世間の同情すら集らぬ。侃々諤々の論弁を以て一歩も他に下ることなき議員さんでも、選挙運動の時には蛆虫視する雑小にすら孤露無復恃怙と叫んで、其の同情を買ふべく、幾千戸にも幾度にも叩頭せにやならぬ。倣然門戸に呶号して 「己は腹がへってるぞ」と食を求むる乞食があったが、更におもらひがなかった。「をちぶれて袖に涙のかゝるとき、人の意の奥ぞ知らるゝ」とは云へども、人の袖にすがる資格を得るには、先づ身体が壮健で肥腴で清潔ではいかぬ。衣服が美麗で且つ清新ではいかぬ。身は痩せ衰ろへ髪はをどろの如く湯あみせざる臭気も必要だ。着物はぼろぼろでなくちゃ乞食の資格はない。其迄でなくとも、無資無産の赤裸でなくては人の袖にはすがられぬ。人の心の奥に潜む義侠心も慈善心も飛び出すに由がない。身体は壮健、財産は豊富、品行は方正、知識は高邁、欲望は清逸、此んな事ばかりなら聖者出現の必要がない。北倶盧洲には仏陀の出世がないとは此の事であらう。

 けれども幸か不幸か、社界には過不及な手合ばかりで、独立自治のできぬものは少くない。

 1日1月1年といふ短日月の間はどうやらかうやら、唯我独尊ですませる事もあらうが、30年40年一生涯の内には、必ず他の厄介にならねば治まりが着かぬ事がある。中には一世一代の御願ひぢゃなどゝ年々歳々薄っぺらな舌をたゝく人もあるので、偽はりの孤露無復恃怙に誰れが同情の涙を注がうぞ。

 仏の顔も三度とは、能く云ったものだ。虚偽の相対的信仰を以て仏の慈悲を釣らうとしても駄目なこっちゃが、何物かを傲岸矜持して、敢て聖者仏陀に跪かぬ独尊者流も亦禍なるかなである。阿闍世王は提婆達多の進めたる或物を矜持して、釈尊に跪づかずして悪瘡に苦しまれた。提婆の懐ける或物は遂に提婆をして地隙に陥りて死なしめた。檀弥羅王の抱ける王者の権威は獅子尊者を殺して、自らも亦殃を受けた。クレオパトラは容色絶待矜持で斃れてまで止まなかった。コンスタンチヌス大帝はカイザルの権威を矜持する為に、あらゆるの非道を敢てしたので、死に際に耶蘇の僧に洗礼を拒まれた。ジュリアンの熱烈なるヘレニズムも、ガリラヤ人には克てなかった。中江篤介の抱ける無神無霊論は雲照律師を退けた。

 平の左衛門頼綱や北条時宗等は、其の懐ける為政者の権威と、禅・念仏者の勧めたる或物とで、宗祖大聖の立正安国を冷笑した。いや迫害した。刀杖を加へた。寒と雪と食で責めたが、己れの為政者の権威と己れの或信仰とが傷つくのみで、一寒僧を何ともする事が出来なかったので、稍其の非を知ることになったが、遂に己の懐ける権威と迷信とは放棄するに忍びなかった。宗祖大聖に絶待信を呈することが出来なかったが、50余年の後には乃祖の植ゑ来った幸ひも家門もめちやめちやになくなった。
 己れのあらゆる雑物を抛って聖者に絶待服従を為すことは容易ならぬ事である。大概は信仰の上にも、一半を本仏に奉りて一半を自己が矜持する傾きがある。二心である。宗祖の斥ひ給ふ所である。

 婦人が男子に従ひながら猶容色を恃怙とし、又は容色を尊特として却て男子を従はせんとしてをる。男子が強健を矜りて随処に蛮風を発揮するのもある。集りては軍国の驕りである強兵の恃である、智者が智を恃み、弁士が弁を恃み、学者が学識を、富者が財宝を、貴族が爵位を、文芸家が其芸術を恃みて、専心熱注せる時、色、強、智、弁、識、財、爵、術其ものに越す権威あることなきも亦禍ひである。願くば眼光を拡大して色と富と強と智と弁と識と財と爵と術とを凝視したらどうぢや。果して終生の権威を保つものなりや。悠久の権威であらうか。何れが最高の権威であらうか。至上の権威であらうか。

 思ひ早く成りて、色を捨て富を地ち術を忘れて、本仏の慈光の下に絶待信順を捧ぐるとき、却て色増し財健かに芸進むであらう。よし又、色衰ろへ富候むき識荒むに至りて、始て悔悟して仏陀に走るも、猶却て衰頽せんとする其物を防止するを得べきである。身を捨てゝ浮ぶ瀬もあると云ふことは、此辺の意味でがなあらう。

 我執は大我に入ることができぬが、無我はよく大我に達する事を得る。自ら孤露にて復恃怙とする所なしと惟ふに至っては、失本心の子等も毒薬を吐き尽くした処で亦無我の心に住したやうなもので、妙法蓮華経の是好良薬の大我を服することが出来るのである。此の赤裸無我の処が入信の教訣である。又、成事の秘訣である。

 目下其緒に就きをる日蓮各宗の統合問題も、つまる所は此の考の如何に依りて成敗の結果を見るであらう。若し多数宗が勢力を恃まば、少数宗は却て反撥するであらう。少数宗が或物を侍めば、多数宗は不快に思ふであらう。教義を決するにも制度を定むるにも、私に就きては些の依怙もなく、全く赤裸弧露の昔に還るとき、統合成就の好果を結ぶであらうと恩はるゝ。(完)



                          『自然鳴』大正四年四月号

 

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