法 話(第11話)

                                信 乗 坊

但、正直ニシテ少欲知足タラン信コソ、真実ノ僧ナルベケレ。

                       (『曽谷抄』、縮遺1515頁)

 「正直」と「少欲」と「知足」と「真実僧」とは、大なる意義を有する文字であるが、其実軽々に取扱はれておる。軽々でもかまはぬ、常茶飯事として実行せられてをればよいが、どうかすると正直だの少欲だのと云ふことが、使ひふるしの壊れ道具のやうに、物置の暗い暗い隅の方につきこまれて、人生の無用物のやうに厄介視してをられる傾きがあると、愚直の信乗房の眼に映ずるで、一寸、御祖師様の金言をかつぎ出して、不正直な大慾な不逞な当世に向って宣戦発布をしたいと思ふ。

 正直とは何ぞや。 当世子嘲けりて曰く、大馬鹿三太郎の代名辞ぢゃ。      

 少欲知足とは何ぞや。 当世子罵て曰く、意気地なしの骨頂ぢゃ。

 真実僧とは何ぞや。 当世子笑て曰く、木像杜口入の愚僧どもぢゃ。             

 此は何たる悪魔の夭語ぞや。凡そ一身を誤るものも此底の語ぢゃ。一家を破るも、一国を亡すも、皆這般の心得違ひからぢゃ。愚僧が云はんでも知れた事ぢゃが、暫らく大人なしく聞かしゃい。

 正直とは、邪曲の反対であろう。少欲とは、五欲を少なくすることで、眼に色を見、耳に声を聞き、鼻に香を嗅ぎ、舌に味ひ、身に触れる五感の欲情を恣に貧らぬ事で、最少限の生活の必要に五欲を止むる事ぢゃ。其の最少の限界を、其身其身にとりて過不及なく適度に受用するのが即ち足ることを知る知足であるが、此の正直と少欲知足を個人主義に小く取って、正直とは自分の愚を守る謙遜的道徳機、少欲知足とは自分の劣れる智力と微かなる労力とに甘んずる縮少的生活法と見たらば、其れこそ当世子の罵倒に値ひする大馬鹿三太郎、意気地なしの骨頂ぢゃが、其は小人愚人の誤解である。

 其誤解に乗じて、悪辣なる才気を振りまはし、五欲を恣に婬虐亨楽の度を極めてはならぬ。

 正直は自分を守ると共に杜会を救ふの徳ぢゃ。決して孤独のものでない。大正直の結晶は明王ぢゃ、神様ぢゃ、仏様ぢゃ。大馬鹿三太郎では決してない。三椀の飯、一椀の汁、一盤の菜、其身を養ふに足れば、其れが味に於ける少欲知足の基ぢゃ。食膳方丈山海野里の珍を集め、百千年の古酒を召すなどは無用の贅沢ぢや。眼の好む色彩、耳の好む音楽以て然り。ましてや糟糠の妻は旧るく汚たなしとて新しき温柔を求むるなどは、触に於ける言語道断の放辣ぢや。

 併し自分の境遇と自分の努力とが、知らず計らず巨万の宮を積むに至ては、少欲知足の欲情では受用し尽せぬから、少欲知足者でも知らず知らず身代相応の贅沢を尽くし、唐の大和の珍木を集め珠玉を磨き黄金を鏤めたる殿造り、北海の熊掌、南海の燕巣、野母のからすみ、越前の雲丹、池田伊丹の酒はものかは、といふやうになりても、杜会は羨望の眼を側だてるも敢て悪口も云はぬ。自分では生甲斐のあるものと思うてござる。但し、これが人生終局の目的だの成功だのと恩ふやうではけしからぬ事ぢや。なぜ元の少欲知足に帰りて、其余の得分をば杜会に提供せざる。百万の財産ならば一万を自身に受用して、九十九万は国家の有用に供ぜぬ。社界の多数をして其利に頼らしめぬ、身勝手の少欲知足はだめだ。ついつい邪曲の道に陥る。

 そこで、少欲知足には必ず正直が主とならねばならぬ。正直に引き廻はされたる少欲知足ならねばならぬ。一言に此を言ひ直せば、

 五欲的には少欲知足であって(個人的には)

 浄行的には大欲無厭であってほしい(国家的には)

 浄行の大慾無厭とは何ぞや。身勝手の五欲的個人的にあらず、社界の為め国家の為め宗門の為には、其の浄業発展の上に寸を得たら尺、尺を得たら丈と厭くことなしに勇猛精進せねばならぬ。併し其の大慾無厭の根底は、必ず個人の少欲知足によるのぢゃ。然るに当世は之に反対してる。個人的に身勝手の為には、大に大欲無厭を発揮して、仕事は多勢で御馳走は独りで、狡兎尽きて良狗煮られ、一将功成りて万骨枯るといふ有様ぢゃから、一言せざるを得ぬではないか。

 をっと、油が過ぎて横に走った。肝心の宗祖の御文は僧分の心得の事ぢゃないか。尤も其れは曽谷入道法蓮といふ在家の沙弥僧へ下さったのぢゃが、心持は在家も出家も違ひはあるべきでない。   

 正直と少欲知足とは、個人も国家も世界も男も女も青年も老年も僧も俗も、一同一夜も離るべからざる教訓である。教訓が薫化となり体現となりたる無味無臭無言無作の行体であらねばならぬ。

 其に此の訓言が、弟子檀那の各方に繰返されずして、半俗半僧の曽谷殿にたった一返仰せられたのも無意味に看過してはならぬ。徳川幕府三百年の制度に抑圧せられて、公家.武家.国主・城主・荘主・村長の侭の入道沙弥は殆んどなくなり、商買しながら其利益を活命の種として布教する売僧もなくなり、一向宗の民家同然の道場の坊主までが、宗籍を有する立派な今日に馴致せし表面美・裏面醜の今日の教界は考へものぢや。沙弥もよからう入道もよからう。有名なる某居士が、当今末世には沙門僧の義なし、在世の優婆塞のみと云って、自ら優婆塞を以て高潔にしてるのは、どんなものであらうか。或は入道沙弥も尊ときものではなかろうか。

真実僧といはるるのも、唖羊僧より無羞僧より有羞僧より真実僧と順序する。断煩悩・断無明の菩薩大僧を云ふにはあらずして、末世相応の不断煩悩・不離五欲の名字無智の僧も、正直に少欲知足の不断の行体に依りて真実僧と云はるるのであらう。此辺は宗祖自らを仰せられるる様でも、むしろ曽谷法蓮房、間接には後世の吾々愚僧どもを、又々間々接には当今在俗の身にして、随喜展転随カ演説の勲功多きものを准法せしむべきであれば、大に有意義の御文であらうと思ふ。

 又、宗門の要路に立ち、行政に布教に学事に噴々の名を専にする僧侶のみが真実僧でもなからう。津々浦々、片田舎、奥山寺に蟄居する名もなき、所謂、当世子の木像杜口入の愚僧の中にも、隠れたる真実僧があらうと思ふ。有差、正直、少欲知足を現行して、鍬柄を握りながらも、田夫野人を善導して、一村一里の依止となれる真実僧は数々あらうと思ふ。此隠れたる真実僧に基る宗門にしあれば、又尊とき木像におはさずや。(未完)

                               『自然鳴』大正3年10月号

 

 

 

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