法 話(第7話)

信乗坊

相構相構テ、心ノ師トハナルトモ心ヲ師トスベカラフト仏ハ記シ給シナリ  

 

とは宗祖大聖人、清澄の義浄房への御返事の末文である。「仏は記し給ひし」と仰せあるは、此文が『涅槃経』の「師子吼菩薩品」にあるからである。本文には、かうあ

寧ロ当二少シク聞キテ多ク義味ヲ解スベシ。多ク聞キテ義ニ於テ了ラザルコトヲ願ハザレ。願クハ心ノ師トナリテ、心ヲ師トセザレ。身口意業悪ト交ハラザレ  

と、かやうの御文句が前にも後にも連続してある。『涅槃経』の当面の意は、菩提の進退につきての事なれば、若し人々散漫の心を以て仏菩薩等の御説法を聴聞するときは、何程座数を重ねても聴聞の歩みを繁くしても、多聞不了で却て退菩提の因縁となる。故に説法聴聞の時は、決定心を以て熱心に説僧の意を聞き分けねばならぬ。しみじみと意に深く味ははねばならぬ。此を少聞多解とて、少しばかり聞きても、たんと意の中に理解せよと云ふことで、かうするのが菩提に進むの方法ちゃと示されてある。

 一体、人の心は散漫とて、境界を遂ふて散りみだれるものぢゃ。桜の花の風に任せて水の上にも草の上にも散りはつるやう、浮気なもの、移気なものである。説法を聞きても、自分等のくだらぬ考にはまる所だけを大事そうに、楽しみにして、意にだきしめて、中々に一々の説話を道に進むことの手段とはせぬ。修養向上の方倶とはせぬ。怪しからぬ事ぢや。

 古語にも、意馬心猿と申して、意は暴れ馬のやうに騒ぎ、心は山猿のやうに狂ふて、常に散乱の方面にのみ向ふ。この散乱の方面に向ふことが、多く悪事を敢てすることになるから、閑居摂心とて静にして心を取り摂めよと云ってある。取り摂めてない所の意馬心猿を師として、真心の命ずるままに動作すれば、とんだ事ばかりしでかす。些末なる国家の法律に触れて、警察署、裁判所、監獄署の御用を多くする人々は、心の師とならずして、心を師とする輩ぢゃ。

 章安大師は、心師の御文を注解して、前心に悪を起したるに後心がうかと之に乗るのは、心を師とするつまらぬ人である。前心が悪を起きうとしても、後心がドッコイならぬと、比を抱き止めて悪事をさせぬのは、是は心の師となる見上げた人である、と云はれてある。

 古歌にも「意ヨリ心マヨハス意ナレ、意ニ心ココロニルスナ」と。是は心を両様に区別して諌しめてある。一は、落着いた心、悟の心である。二は、がやがやと動く意、迷いが意である。意馬心猿の手綱をしっかりと操縦せよと云ふことぢゃ。

 そこで『涅槃経』の「如来性品」の御文には、  

諸仏ノ師トスル所ハ、所謂、法ナリ  

とあり、又は、  

法ハ心ノ師トナリ、深浅自在ナリ  

とある。手綱をしめる騎手は、法に即した心でなけりゃならぬ。

 巳上は、「心の師とはなるとも心を師とせざれ」と云ふ『涅槃経』の当面の解釈である。菩提に進むには散漫心ではいかぬ。悪心を起こしてはならぬと云ふ事に帰着する。

 但し、宗祖の御引用の御意味は、そんな浅墓な事でない。もっと深い深い深秘の所に御適用になってをる。『義浄房御書』(縮遺966頁)の前後を見れば、容易に解かることぢやが、茲に聊か蛇足を加ふる事としやう。

 先づ、この義浄房といふ僧は、清澄寺の道善房の弟子で、宗祖の法兄である、「報恩抄」の中にも、  

但シ各々二人(浄顕房、義浄房=堀師ノ私注)ハ、日蓮ガ幼少ノ師匠ニテオハシマス。 乃至、日蓮ガ景信二アダマレテ清澄山ヲ出シニ、ヲヒテシノビ出ラレタリシハ、天下第一ノ 法華経ノ奉公ナリ。後生ハ疑ヒオボスベカラズ  

と仰せられてある如く、始は法兄として行作物読の師匠となられ、中頃は宗祖が永年、北嶺南都の修学を了しての博学弁才に敬服して、身を以て清澄山に於ける御大難を御救ひ申し、後には身は天台の末流清澄寺の一坊に住職しながら、心は全く宗祖に帰服して本門の行者となられた。其深き因縁ある義浄房である。

 御書の各所に、浄顕房・義浄房と並べて御記しになる浄顕房は、宗祖の御肉兄にて、又、御法兄であるといふ古伝である。道善御房がなくなられた後の清澄一山は、即ち御肉兄の浄顕房が主職せられたと云ふことぢゃて、内弟なり幼少の教へ子なり、現在の師範なりといふ。

 不思議な深緑の為に大いに宗祖の御味方となられたであらうが、其以前は中々そうは参らなかった。大山の事なれば多勢の住僧がある。道善御房すらも強くは宗祖に帰依せぬ。まして住僧には反対の徒のみ多い。御書の中にも道義、円智、実城等と不信の僧を数々挙げ給へども、篤信の僧の名は浄顕・義浄の外に見えず。

 此御書の文永十年頃は、宗祖は佐渡御流罪中でもあり、清澄には謗徒多くして、天台宗を冠りての内得信仰には、義浄房も具さに辛苦を誉められた事であらうと思はるる。今も昔しも変らぬ事ぢやが、世間や親類に気を兼ねての内得信仰の辛さ、親は子に、子は親に、夫は妻に、妻は夫に気兼ねの家内不一致の信仰の苦しさ、一通りや二通りぢゃない。

 別して殺伐なる鎌倉時代に、不信無道の悪地頭・東条景信を控ヘたる義浄房の御苦心は、今よりもさこそと思ひやらるる。大概な者は信仰を退転するか、さもなければ其山を離れて信仰の便宜を得るやうにする。岩本実相寺の数十塔中僧中に、身命を賭して踏み止たのは、日興上人の外に、日時、日源、日位の数輩に過ぎぬ。熱原滝泉寺の中でも、行智、静印、蓮海、頼円等は始より不信、又は中頃退転の僧である。日禅は所信を曲げざるが故に離散し、日弁、日秀の二上のみ住房を追放せられ乍らも、猶、寺中に仮寓して弘法を止められなかった末が、終に熱原の大法難を引き起こした。

 かういふ次第ぢやから、義浄房・浄顕房の立場は中々の大困難である。其大困難を切抜ける決心を宗祖は此御書に示されてある。其はどういふ事であるか「一心欲見佛、不自惜身命」の「自我偈」の二句である。

 どうせ人間は一度は死なねばならぬ。何なる方法を以ても死といふ事は免ぬ。秦の始皇帝の如く、漢の武帝の如く、其外六朝唐宋の中の天子達のやうに、如何に長生不死の薬を、各方に求めても、金丹を服しても、不死どころぢゃない。百歳二百歳までも覚束ない。寿命の惜しさは、現在の快楽情慾の思ひ切りが悪るい為に、此の世にも、彼の世にも、生き変り死に変り清らかな死に方をしないで、いやいやながら止むを得ずヲサラバとなる。そんな事ぢゃで、ロクな人間にも生れてこぬ。病身となるも、貧賎となるも、愚癡となるも、謗法となるも、皆過去の死にかたが善くないからだ。今度こそは犬死をすまい、社界の為に死したい、国家の為に死したい、大菩薩として世界の為に死にたい。妙法の為には一命を捧げたい。臭き頭を以て香しき法華経と取替たいと決心して、序に過去遠々の罪障をも償うて、緒麗さっぱりした清浄妙法身を得なければならぬと、御教訓になったのが即ち此の御状である。故に議題の文の次下に、  

法華経ノ御為ニ身ヲモ捨テ、命ヲモ惜マザレト強盛ニ申セシハ是也  

と仰せあそばし、又上には、  

寿量品の自我偈に云く、一心欲見仏不自惜身命云々。日蓮が己心の仏界を此文に依て顕す也。其故は、寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就する事、此経文なり。可秘可秘  

と仰せらる。

 文の意は、日蓮が末法の法華経の行者として、上行菩薩出現の前駆として、上行菩薩の当身として、末世名字の本仏として顕はるる、其己心の仏界は、何を以て磨き出すかと云ふに、其は決して内外窮尽の学識ではない。楽説無頓の弁才ではない。建宗巳来、悪戦苦闘の不惜身命に依るぞと厳に仰せられて、末世の大法たる本門の本尊も、本門の戒壇も、本門の題目も、全く不自惜身命の文を実践する上に成就したのであると御厳訓なされて、呉々も法華経の為には身命・財を惜しまぬやうにと、此御書ばかりではない。僧分ばかりではない、在家にも・尼にも、女にも、随時随処に仰下されであります。

そこで前に振り返って、『涅槃経』の御文の心の扱ひ方を見ると、宗祖の一心欲見仏の心の扱ひとは、大いに相違があると思はるる。章安の『疏』には、「唯善悪心」と解釈してある。

文の面ては、多聞と多解とに当ててあるやうに見ゆる。併ししながら善悪の頂上は、善は仏徳に帰し、悪は地獄に帰するのである。

 況「涅槃経」の文の元意は、菩提の進退により、不退心即ち菩提に進むものなれば、此不退勇猛の心は、取りも直さず、「一心欲見仏不自信身命」である。退心即散乱心、怯弱心臆病心である。「日蓮が弟子ハ臆病ニテハ叶フベカラズ」と仰せある。『涅槃経』の「諸仏諸師所謂法也」とある。即ち妙法に即する宗祖の御心、かの御心を我れ等の散乱心の師範として一生懸命に憑み奉るべきである。こう云ふことちやで、決して宗祖の御引用は『涅槃経』の私意と少しも相違せぬ。寧ろ甚深秘奥に取り扱はれてあるのではないか。末法辱世の我れ等の身には、一層親味に痛切に感ずるのである。いや是非とも、必死に念頭に懸けて忘するべからざる、ありがたき御金言である。

『自然鳴』大正3年4月号

 

 

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