法 話(第4話)

信 乗 坊


虎ウソブケハ大風フク、龍ギンスレバ雲ヲコル。野兎ノウソプキヽ驢馬ノイバウルニ風フカズ、雲ヲコル事ナシ。


 とは建治3年に、宗祖大聖人より、上野殿に賜ひたる御消息中の御文である。

文の当面は、大人行には大影響あり、小人行には小影響あることを示されてある。他の御妙判に

 「雨の猛きを見て龍の大なるを知り、蓮の大なるを見て池の深きを知る」といふ語を引き給ふのと粗同様の意味であるが、此は末法に大聖人出でゝ、仏説の如く猛然と正法を弘通すれぱ、必ず前代になき大難忽に起ると云ふ例に使用し給ふのである。法華経の行者の逆化折伏が上に来るべき大難の有様である。

 去れぱ鎌倉時代の、天台・真言・禅・浄・諸宗の大僧たちが、『法華経』を説の如く行ぜりといふも、読誦せりといふも、講演せりといふも、其等は決して、龍吟にあらず、虎嘯にあらず、野干鳴である、野兎の嘯き、驢馬の嘶きである。順にも逆にも、天下の風雲を喚起する力がない。これを次下に、

「愚者ガ法華経ヲヨミ、賢者ガ義ヲ談スル時ハ、国モサワガズ、事モヲコラズ。聖人出現シテ、仏ノゴトク法華経ヲ談ゼン時、一国モサワギ、在世ニスギタル大難ヲコルベシトミエテ候」

と仰せられてある。

 然らぱ、一国の与論を逆にも順にも喚び起す所の大々宗教家は誰であらう。救世の本仏は誰何であらう。大風を吹かすべき虎は、大雲を起すべき龍は、何云ふ人であらう。宗祖大聖人でなくて、誰であらう。『法華経』の鳳詔に応じて「我亦為世父」の行を為せるものは、法然にあらず、親鸞にあらず、栄西にあらず、道元にあらず、はた良観にあらず、道隆にあらずして、当世日本国に日蓮一人なるべしとの聖言深く味識すべしである。

 然れども、本書には謙下して、

「今、日蓮ハ賢人ニモアラズ、マシテ聖人ハオモヒモヨラズ、天下第一ノ擘人僻人ニテ候ガ、但経文計ニハアヒテ候ヤウナレパ、大難来り候ヘパ父母ノイキカヘラセ給テ候ヨリモ、憎キモノゝ事ニアフヨリモウレシク候也」

 とのたまふ。艱苦を忍容するは、深く頼る所があるからである。大難を感謝するは、本仏救世の大慈の発露にあらずや。本仏の虎嘯ぶいて、念仏無間・禅天魔の折伏となるや。東条左衛門の小松原の太刀風烈しく吹き、伊東流罪の大風吹きたるではないか。大聖の龍吟じて、律国賊、真言亡国の_語となるや、龍の口の御難、佐渡が島の雪責、忽に黒雲の起こるが如きではないか

 そこで、宗祖を虎嘯龍吟とすれぱ、宗祖已後の弟子檀那は、兎叫馬嘶となるわけぢゃ。何となれぱ、少数の末弟を除くの外は、逆他の大難を受けた仁もない、順化の渇仰を得たのもない。其れでは甚だ残念だと思ふてか、自信不相応の内怯外強の剛折をなして、世間を激発せしめ、強いて大難を招いて、大に強らかった僧俗もある。現今にも或は如此の人あらずとは云はれまい。但し、法難は時代の風潮と行人の気質とに依るもので、強ちに法難に遭ふうたる者のみが、平素強盛の信仰ありしとは云はれぬが、薄信、怯儒、臆病は論外である。要は僧俗共に内信外行相応して、内怯外強の悪風なく、終生一貫の強盛心なるべきであるは無論ぢゃが、どうかすると「虎の威を借る狐」と云ふ諺に陥いる行人があるとの事、是は少々感心仕らぬ。

 宗祖が虎ならぱ、己れも猛虎大咒となりて一声山月高とまで満天下を摺伏せしめずとも、せめて修養を積んで小虎位になりて、自分の力で狐や兎位は睨み殺す程になられたい。其れも面倒だとありて狐のままで、いつも虎殿を引ぱり出し、其前に大威張りをして居るやうでは甚だ怪しからぬ。宗祖の威は、偽らざる献身的の信行に依りて借り得べきである。いや真誠の信行には大聖の威霊を受用し得るのである。内に確固たる信念成立せずして、何か名聞の上からやたらに強がりの言動を為す手合には、決して宗祖の威霊は移り給はぬのである。虎をだしにかつぎ廻はる狐には、いざと云ふ場合、虎どのの助けは得られぬのである。のみならず本仏の自然の御罰を受くる時もある。次下の御書に、

「日蓮が弟子ニ少輔房卜申シ能登房トイヒ名越ノ尼ナント申セシ物ドモハ、慾フカク心臆病ニ愚痴ニシテ、而モ智者トナノリシヤツパラナリシカパ、事ノヲコリシ時タヨリヲニテ、多クノ人ヲオトセシナリ

とある。此等は虎の威を仮りて、己れの威福を逞うする狐の行人であつた。別して大進房などと云ふ大智者学匠の御弟子は、熱原の法難に裏切して遂に馬から落ちて死んだ。現罰恐るべしである。

 然るに此書を賜はった上野殿、即ち南条七郎次郎平時光殿は、青年ながらも、あっぱれの堅実の信者であった。狐の行者ではなかった。此書にも、

「サルニテハ殿ハ法華経ノ行者ニ似サセ給ヘリトウケ給ハレパ」

と讃め玉ひ、駿河の国の人々の信仰は、殿によりて維持せらるゝとまで奨励し給ふ。興師と師弟の契り濃かにして、富士門徒の大棟梁、大石寺の開基となられて、乱れんとする宗祖の御大法を富嶽の下に安らけく継ぎ留られた大勲の御仁であるが、青年より其御気風は顕れてゐた。

 されぱ末世の僧俗は、虎の威を仮る狐を学ぱずして、小くとも虎となるべし龍ともなるべしぢゃ、小日蓮となるべしぢゃ。狂気せる信仰にあらずして、充実せる信仰が自然に体外に溢ふれて、遠近を感化することを力むべしぢゃ。向上せる道念が任運に露はれて、大方を浄化することを念とすべしぢゃ。此れで影響がまだ少しとは思はゞ、大智者大学匠となりて、法義宣揚の光を六合に放つも亦可なりぢゃ。

 充実せる信仰、向上せる道念、堅実なる行体、明晰なる言論、熱誠なる法演、是を以てしても社会に反応なくんぱ時非なりと歎ずべきであるが、決してそんな筈はない。現時の日蓮各宗五千の教師ありて、社会に反響少きは、中に法脈の正閏正傍、法義の錯謬、本尊の雑乱、種々の悪縁由あるに依るとするも、亦必ずしも信仰行体言論、其尽すべき最善、最真、最美を極めないからであらうと思ふ。

 此等の最高の努力を尽したる上に始めて顕はるゝ法難は、逆化の淳乎たるものにして、本仏の御賞歎を受けても疾ましくなからう。宗祖御滅後の大虎嘯、大龍吟であらうと思ふ。此に次ぎては小虎嘯、小龍吟も、亦其機に応ずべしである。狐借威流野干鳴は断じて不可であると思ふ。(完)

 

 『自然鳴』大正三年一月号

 

 

 

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