法 話(第2話)


    信 乗 坊

第一の人


 となりたい。日本第一の人となりたい。世界第一の人となりたい。否是非とも成らざるべからずである。世界一でなくても、日本一でもよい。鎌倉時代からか、日本第一といふ言語が流行りだした。日本一の御手柄日本一の功の者、果ては目師の御消息にすら、日本一の大くのき(薪材)と云ふのがある。薪材でも日本一は有難い。但し日本一の大たわけなんどは真平御免蒙むる。人格の上に於ての日本一、謹厳乃木大将の如く、寛厚大西郷の如く、軍功に於いての日本一の誉れは、重厚東郷大将の上にふさわしく、軈て世界一とも云はれやう。あらゆるの日本一を兼ね給ふは、現世の大明神たりし明治天皇陛下でおはさう。併し是れは企て及ぶべきでない。

 古来、一人と申せば直に天皇陛下の御事で、一の人と申せば太政大臣の事ぢゃと申す事である。一人の御位は平親王将門にならざる限りは、企て思ふべきでないが、一の人は今日誰でもなれる。山本権の兵衛殿の総理大臣 (昔の太政大臣) より桂太郎殿の同じく、曰く西園寺、曰く伊藤、曰く山県、曰く松方、曰く何、曰く某と、僅か四十余年の間に十指を屈して猶余りある位で、中に一向光栄でない有難くなく息はれた一の人が多い様で、竹帛に垂れて、千歳の末に芳名かんばしく残る御仁は、はてどふであらうか。はてはて困った者ぢや。

 農業、工業、商業、文芸家、教育家、宗教家、軍人、官吏、政治家と国民の業務数々なる中で、今後は何ういふ風になるか知らぬが、当節まではどうしても政治家が国民翹望の第一位を占めて居る。名誉の焦点富貴の中枢である。おっと富の点は割引せにやなるまい。

 去りながら第一の人総理大臣は華かであるが短命である。広く空間を占めて、法身は全日本に亘りてあるが、時間は甚だ短かく、報・応の功徳は殆んど零である。一時にぱっと広がる現在を持っているが、悠久な過去も長遠な未来も持たぬ。墓なき者である。

 此の点は政治家斗りぢゃない。軍人尚然り、文芸家然り、工芸家然り、農業家然り、商業家甚だ然りである。ロスチャイルド、カーネギーの富は何日まで残るであらうか。三井・三菱の栄華は何時まで続くであらうか。万竜の矯名は何日の事なりしやら。羽左衛門も追つけ薬罐あたまになるであらう。レセップスの大名は蘇士の運河の利用せらるゝ限りであらう。汽車、電車、飛行機、飛行船と移り行く末までは覚束ない。近松・西鶴・馬琴・種彦の盛名は、逍遥・紅葉・露伴・漱石と推移するにあらずや。ゲーテー、セクスピアー推して知るべしぢゃ。

 吾人の小児の時は、神功皇后、武内、義経、弁慶に甚だ権威があったが、壇の浦の八艘飛びの海戦と、どうやらネルソンのトラファルガルや、東郷の日本海に持って行かれそうである。不義の富貴ならずとも、現在一端の名誉は第一第二も浮べる雲である。甚だ厭世論じみるけれども、既往の事実が然か証明しておるぢゃないか。

 又、少々立入りて考ふれば、物質上の事業よりも心霊上の事業が比較上永き未来を持つ、即ち金銭よりも智恵、智恵よりも徳行の方が末永く続く事も事実ぢゃ。物質上の功労は短いが高き人格と伴えば比較的永久に存続する事を得るも此の理でござらう。

 されば遠き未来を有する心霊上の事業は何であらうか。文学も哲学も教育も其仲間であらうが、篩ひ上げて物質の気を抜けば宗教が霊的事業として残らう。其の宗教にも箇体に取はなして見たら寿命の長短があらう。過去の本命に短かきものは未来の活動力が永くは続くまい。摩西や基督や馬吠麦が四千や五千の昔に根抵を置くやうでは、源浅ければ流れ短しで、行先が案じられる。雨後の筍の様に泥地の浮草の様に、近年ぞろぞろとふゑた日本神道なるものの大部分も、是れ巳上の無価値のものであらう。はるか後世の史上から眺めたら何日出でゝ何日消えるやら神出鬼没の観があるであらう。

 仏教の中でも、五劫思惟十劫成道の阿弥陀様では頼りない。そこで親鸞さんが久遠実成の衣を無断に『法華経の寿量品』から借りて来て阿弥陀さんの上にはふりとかけて、久遠実成の阿弥陀仏でございときても、まだまだ寿量品屋の売品で代価は五百塵点円であるとの符牒がありありと肩の処にぶら下がりてをる。是では何にもならぬ。西本願寺の頃日の騒ぎ斗りぢゃない。一向一面浄土の落日観ではなうて、孤城落日の愁を催す時迫れりと思はるゝ。其の外、御薬師さんでも地蔵さんでも観音さんでも、不動さんでも、大日さんでも、印度から借りて来て、縁もゆかりもなき、我国に植ゑ付たものは、永くは残るまい。奇体な形や不思議な姿をとらへては、何々の象徴でございと、勿体ぶりでも追っ付くまい。観音さん斗りは時と処で様々に名が変りて行く。六観音や七観音は昔の事。尻くらい観音は其体あるにあらずだが、馬頭観音 (六観音の中) が道端に立番してる所から思ひ付て、馬車観音といふのが某所に立てゝあつた。不日、汽車観音、電車観音、自動車観音が出来て、現代式を発揮するであらう。

 あゝ、是は第一の人が第一の法を持出す途中で、とんだ道草を食ふて済まなかった。此処らで一寸一服しやう。  (嗣出)


                                『自然鳴』大正二年五月号


 第一の人 (接五月号)


は、第一の法を持たざるべからず。第一の法を保有するから第一の人と尊敬せらるゝのである。

 手近い話で、人格の上で云ふて見やう。高き徳行と広き才智と強い意志とを具へて居る人でなけれねば、何れの国何れの人類に於ても尊敬を払うはれぬ。

 其の徳と智と意との比較は何で見る。分量の上から云へば時間と空間とで量かる。品性の上から云へば善と悪とで区別する。高き徳行とは、過ぎ去りし年何万年来のものなりや、移り行く先は何千年の末まで其徳の潤ふやを量るは時間的謝量である。広き才智とは、どの位な広さか、東京市丈けを覆ふ広さか、日本中部を満つる程の才能か、又は日本全国に亘るほどの、東洋に鳴りひゞく程の、五大洲を包有する程の大知能か。此辺の事を測量するのが空間的測量である。

 其に又、山賊、海賊、博徒、遊人の中にも其頭目となる者には、其相応の徳行がなければ同類を糾合する事が出来ぬ。卓越したる智能を有したればこそ、確固たる意志を有したればこそ「ジコマ」も大名を博したではないか。されば品性の上より此等は非理非人情の邪悪と擯斥せねばならぬ。そうして純善なる徳行才能を求むべきである。其上に、自然は分量の多少により品性の高下に依りて、第一人とも第二の人とも第三の人とも定まるのである。或は徳行の点は第一であっても才智や意志の揃はぬ人もあらう。徳行と強意の欠けたる大才人小智者は其処等にごろごろと掃き棄てられぬ程ある。富豪の人、嬌名の人、容貌の人、何ぼ天下一でも真面目に品隲するの価値あらんやだ。そこで此の徳行の結晶となるものは、仏家の応身如来に過ぎたるはなしぢゃ。日本一どころぢゃない世界一どころぢやない。凡夫未見の法界第一ぢゃ。才智の焦点は何であらう、仏家の報身如来ぢゃ。何でぢゃと云ふに、時間の上より云へば、過去一万年十万年どころぢゃない、未来五百年千年ぢゃない。空間の上から云へば、印度・日本・支那等と限られて居ぬ。其長い時間と広き世界との間に積功累徳せられた研学窮理せられた結果が、三身円満の仏世尊ぢゃ。然も品性から見ても、純善純浄の終極なる大慈悲心を根本として出現於世せられたのである。此に比等すべき第一人が外にあらうや。

 此の第一人の持ち給ふところの法は何物ぢゃ。応身の所帰、報身の根本となるべきものは何ぢゃ。諸経中王最為第一の『法華経』である。仏世尊は、法華経を愛念護持して三界第一三世第一の人となられた。此の大慈悲の点に於て三界万民の親たるの義も生ずる、主たる義も生ずる、才智の点に於ては師たるの義も生じて、三徳大恩を有せらるゝ事となる。其根本は何ぞや、三世永不滅の聖典たる妙法華経である。されば仏世尊に倣って法華経を正直に受け持つ人は、三界第一の人である。『薬王品』の説の有無には拘はらぬ。されど仏世尊はなくなられてから二千余年になる末法当時には、上行菩薩が出現して更に法華経を弘通する主人公となりて、末世の人々に妙法蓮華経を授くべしと仏世尊が言ひのこされた。(未完)


                            『自然鳴』大正二年七月号


 第一の人 (接前号)


 其の上行菩薩は何人ぢゃ。其れは外ではない。六百余年前末法の始めに法華経を色読体行せられて、身口意共に法華の現体と顕れ給ひし日蓮大聖人である。今、少し信力の眼を明かにして見るときは御内証は久遠名字の御本仏である、常住不滅の三徳大恩教主である。爰に至れば第一の人とは別して此の日蓮大聖人である。日本国のみならず世界のあらん限りのである。時節の続かん限りのである。

 併し、惣じては日蓮大聖の御教によりて本因下種の題目を受持信行するものも、亦第一の人たる事を得るのである。吾等無智無徳の凡夫でもぢゃが、惣別の区別を濫してはならぬ。

 惣の中に種々の別ある事を知らねばならぬ。別の中の特別を弁へねばならぬ。仏世尊の数千の弟子方は、何れも『法華経』に来りて第一の人たるを得たるも、曽て『阿含経』の中には数十名の特能者を挙げられたる外、『法華経』には十大弟子を指された。頭陀第一が大迦葉波で、智恵第一が舎利弗尊者で、神通第一が目捷連尊者と云ふ様に、別しての特長が説いてある。

 日蓮大聖人の御門下の中にも、種々の特能を具へた人があった。後人が六老僧に一々能書をつけた。「給仕第一の日朗」 「筆芸第一の日興」 なぞと、如何にも着眼の低い又狭い只一部特長を指したのであらうが、後人の批評は兎に角、宗祖の御眼よりは、済々多士たる中の別しての第一人達と見られるから、六老特選があったのであらう。其余の御弟子方の中にも、老僧待遇を受けぬ下輩にも立派な第一の人になったらうが、又、第一の人たる名を得べくして其の実なき三位房・大進坊等の如き師敵対の者もあつた。

 惣別の分別は中々面倒なものだ。併しながら純信精行をのみ目的として第一人者と御本仏の冥鑑に預らば、僧俗共に必ずしも老少を云はんや、階級を云はんや、資格を云はんやである。仮令、僧正なんと云ったって、其れ是の階級が第一の人とはなるまい。権僧権大何々、信徒の何頭何々、推して知るべしぢゃ。

 併し、階級其の自らが正直に品性才能の天秤とならん事は何人も望む所なれども、何日でも中々そうは揃ふまい。然しながら、僧正の位に居て僧正の智徳を備へ僧正の事業を為したらんは、是こそ仏祖に恥ぢざる第一の人であらう。僧正でなくとも僧都でなくとも訓導ぢゃらうが沙弥ぢゃらうが、其の身分以上の智徳を備へ僧正巳上の功績があったならば御遠慮なしに第一の人となるであらう。

 御信者の方々もそうだ。講役員方が其の肩書相当に立派にやって行かれて信者の模範と仰がれ給ふは、美事に第一の人といはれてよい。肩書きだけで効なき人は奮励一番を要する。講役員でなく平信者でも女人でも、受持堅固随力展転の切なる人は、何で平凡の講役員に劣らうや。

 何は兎もあれ、慾気充溢茶気満々たる現実世界の有象無象盲目千人共に、学者だ弁士だ大徳だと言れて、好い気になりて虚名の第一人を羸ち得たらんより、御本仏の昭々たる御冥慮に叶はゞ盲目千人に何とくさゝれても少しも差支ない訳のものであるまいか。

 斯う思ふて見ると、虚名の身分階級ならどうでもよい。いっそ僧正返上(遍昭)と出かけたらどうぢゃろうか。鳴呼、宗門行政が何ぢゃ、内外の学識が何ぢゃ、什宝財産が何ぢゃ、信念徳行に伴はざる行政や学識や財産は、烏をどしに過ぎぬ計りでない闘闘諍言訟の種を招く行政に伴ふ選挙の弊害、朋党比周の悪計のみ深くなる。学識に伴ふ自由討究、益す信仰の芽をへしをる。財産に伴ふ我利我利盲者が寺の財産に迄爪を立つる。是れでは仏天三宝の御罰を受けて無間地獄へ真逆様ぢゃ。是れもよからう、堕於悪道の第一の人ぢやてハハー……。

 吾人の先輩を彼是れ云ふては済まぬけれども、棺を覆て定まる世間並の評ぢゃで許してもらいたい。慧命院は、行政趣味のある覇気満々の人で敵もあったが味方も多かった。山桜の旦那と云はるゝ程で中々賑やかな人であったが、間口の広い割に奥行は至ってなかった。法乗院は、学歴もある人で深謀遠慮のふりをする、腹芸が過ぎて不遇に終られた。最も意志丈は強固であって、間口も広くも狭くも見え奥行もあるやうにも無いやうにも見えて、疑問の人であった。広布院は、さほどの学識もなく腹芸もなく行政の趣味もなく平凡な人で、別して僧界に重んぜられず不遇に客死せられた。間口も狭く奥行もなきやうであったが、変なものぢや、御三人の中では何となく何物かを宗門に残されたやうである。されば奥行のなき様に見えたのは凡眼であったに違ひない。広布院の光りが残りしのは、信仰の光り教化の光りであった。此れが生前には平常は御人格に埋もれてあったのだらう。此う云ふ処が信仰の人の悦ぶべきではあるまいか。坊さんらしき坊さん信者らしき信者の段々乏しくなる時代、思ひ出さずには居られない。

 要するに、宗門の上より第一の人と云ふは信行如法の人である。自行化他円満の人である。

 時間的に長く空間的に広く品性的に善良なる第一の人とならねばならぬ。

 終りに、第一の人たる事を得るの順序を書いて見やう。

一には、未だ第一の人たらざるに、己れは第一の人たりと自慢するもの。恐らく当世に多かるべし。

二には、未だ第一の人となる能はぎるを知りて、勇猛精進するものゝ頼しき事共なり。

三には、巳に第一の人たるを得たれども、自らは此を知らずして、勇猛精進の道程にあるものゝ、弥よ頼もし。此の人の福徳果報計るべからざるなり。

四には、第一の人たるを得たるも、自らは勿論何人も之を認めざるなり。

(此の三と四とは、当時第一の人たることを得る人の境界なるべし)。

五には、巳に第一の人たるを自覚するなり。

六には、巳に第一の人たるを他人も認めて無上の尊敬を払ふなり。

   比の五と六との境界は、吾人の上には来たらざるべし。よし万一ありとも望むべきにあらず。


(完)


『自然鳴』大正二年八月号

 

 

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