法 話(第1話)

信乗坊

他山の石

 

 以て我玉を磨くべしと云ふことがある。

 我山に出づる無価の宝珠も、他の山に出づる石を以て磨けば光沢を増すとのことである。下世話にくだけば、人の振り見て我振り直せとの事ぢゃ。

 我が日の本の御国振りが水際立ちて立派ぢゃからと云ふたとて、支那や印度や西洋各国の人々の行為の中に、一つも真似ふ事はないとは云へなからう。西国立志伝の中にも吾人の目標とすべき者が多々ある。支那の烈女伝や、忠臣義士の伝記は猶更の事、尭舜・文武の政治は云はずもがな、廿四孝の美談は隣国の事ながら、古来久しく我国一般の思想を支配して家庭の必要話柄となって居だてはないか。

 近時思潮の変遷極りなく、寄ては返す片男波のまにまに、それ「ノラ」だそれ「マグダ」だと、あらぬ風にあこがれて、醒めたる女がやたらに飛出し、姫御前のあられもなき腕まくり、演壇に鶯説を振ひて恋愛の神聖は物かは性慾の自由までも叫ばんずる。果ては女だてらの女郎買遊び、斯う覚めすぎては手が著けられん。高襟男も三舎を避けて閉口頓首の至りぢゃが。此は西洋の悪風で我国の悪徳をあをり立てたもの、他山の石で自山の瓦礫を起したもの、やくたいもない事ぢゃ。長大嘆息の事ぢゃ。

まあ吾人は旧いと云はれても、囚はれてると云はれても、廿四孝や郭巨の釜堀の方が何となく安全だと思ふ。西鶴が『本朝二十不孝』を書いた貞享年度比には、そろそろ仁義忠孝の道も、旧いとか乙でないとか云ふ風潮があったかも知れぬ。道義の治倫落は一朝一夕に起るものではない。自然に上下に浸潤して風俗を作り上げた上は、中々積杵でも動かぬものとなる。寒心すべきの事ぢや。

さりながら其は浮た社会文芸一面の思潮ぢや。堅実なる宗教道徳の上に何等の影響も受けぬと威張っても、中々そうはまいらぬ。頃日の宗教の権威のなき事移しいものぢゃ。尤も数百年前から神仏の威験なしと云ふ事を云ふてあるから、此れは商人方が毎年々々実は今年は不景気でござい支刊といふ、一.種のご挨拶と同然で不景気の風を食った者が言ひ出せば、不景気を知らぬ福々満々の者までも、御付合に昨年よりも一層甚うございまして店などでは等と裏判をする、夫れと同じ事。昔しから今に至る迄、神仏の威霊に接しない輩が、宗教や権威を恐れ畏こまぬのみで、多数の者は左様でないかも知れぬが、当節のみはどんなに宗教家が慾目で、細密な統計比較をなしても、種々の点に於て宗教の権威が地に落ち、神仏の威厳が減退すると云ふ事は事実ちゃ。一口に云へば仏教界の末法ぢゃないか、当然の事ぢゃ。型式の仏像経巻あるのみで、実行も覚束なければ、御利益もない時代だのに、宗教家が何ぢや彼ぢやと、渣滓になってる仏像経巻に、色をつけて胡麻化してる。其胡麻化しが上手ちゃがら、御化粧のしかたがうまいから、其れ美顔術クリームおしろひで生地の黒いのも蕎麦かすも隠れ、隆鼻術で鼻も高くなり醜婦が美人と早変り。此様に一方に本尊仏を飾り立てて、又一方の信行の意得は至れり尽せりの注意を以て護り立てて行くから、疾くに末法に無くなるべき邪法悪法が無くなる所が益益盛んになる仏教界の不思議ぢゃ。局外に立ちて見れば、阿弥陀さん、観音さん、薬師さん、大師さん、アーメン、タスケタマヘ、に何等の権威を見付からぬ訳ぢやが、当局の者は迷ふて、其中に入れば五里霧中ぢゃ、一心不乱ぢゃ、一生懸命ぢゃ。御気毒な訳ぢゃ。

去りながら、彼等の信行の意得護持の熱心に至りては、他山の石として大いに取るべき所があらうと思ふ。仮令宗門が末法応時の妙法五字の大宝珠を持ってゐても、念々刹々に之を磨きて光輝を閻浮に放たしむるの努力がなくては、宝の持ち腐れであらう。卞和の壁、衣裡の宝珠何目まで、楚王を待ち、旧友を待つべきや。

末法当時のオーソリチーとして、一般の宗教の悉く信伏随従すべき訳ぢやとすまして居ても其は中々の事ぢや。悪事は自然に逆言のぢゃから大に努力せねば成功せぬが、善事は自然ぢゃから怠慢けて居ても棚から牡丹餅は落ちて来るものぢやとは少々心得違であらふ。

 そこで爰に他山の石として、一の実話をしやう。

 或る裕福な真宗の寺に年此の娘があった。両親が世出両道にかけて円満な人であったので、其娘さんも其感化で中々見上た意志の人となった。加ふるに容貌も中々であったから、網の目から手の出づる程貰ひ手があった。帯に短かし襷に長しの中に、やっと相応の縁談がまとまったが、一年立っても二年立ても、輿入れをさせぬ。仲人が度々嫁入を催促しても支度が出来ぬ準備が出来ぬで通す。箪笥長持衣裳万端に困るやうな貧寺ではない。仲人も訳が分らず、ぢれにぢれて、最後の厳談を申込むと、矢張り仕度が出来上らずとの事。いや其仕度とは箪笥長持で御座らぬ。実は親として恥かしき事だから是まで御話申さなんだが、娘が充分に信仰の安心を得て居らぬ、其家であるから型ばかりの信心修行は、幼少の時から致させます。殊に柔順なる女子の事ですから、面と向かって親の言付に逆らひ、如来様に背く様な事は御座りませんが、意から出づる充分の金剛信は獲得してをりませぬ。此の侭に膝下に置きますれぱ、たいした心得違もありますまいが、一端他家に遣わしますればどうなる事やら、親として殊に如来の御弟子として不安心の至り、万一心得違があれば誠に仏様に相済ぬ事ちゃがら、先年より此の辺の処に苦心致して、種々に教養もなし試験もなしたが、頃日になりて漸く大丈夫と見定めが付きましたで、何時でも御辞次第遣はす事で御座りませう。親として一端の慈愛に溺れて此迄に充分の信心の仕度をさせてをかなかったのは、誠に外聞の悪いこと、如来様に対しても相済ぬ事で御座れば、つい御話も申さなんだので御心配をかけて恐れ入ると云ふたと云ふ話があります。

仮令其の信ずる所の法仏は邪でも非でも、信ずる意得がしかく殊勝であるから、法燈相続が出来るのみならず、門徒の繁盛を来たすのであらうと思びます。

宗門の僧俗一同に、外を折破すると同時に、内を堅むると云ふ事に意を擢き、法燈相続に重きを置き、自分の家は祖先より何百年何十代信仰を継続してる、何等の重役を勤めると云ふ事を、仏海唯一の誉れとして、代々の人信行に於て祖先の名を汚さざらん事を必死と念頭に置き、他の信徒よりも成るべく信仰の旧き家旧き人を、仮令財産家たらずとも、才能家たらずとも、唯信仰が旧ひと云ふ事を以て、尊敬の目標としたならば、自然に法燈相続が出来易くて、門徒倍増の基と成るうと思ひます。邪法邪義時機後の宗門すら方法手段でやり通す事ちゃがら、まして時機に叶ひ御本仏の御冥慮に叶ひ諸天善神の擁護を受くべき宗門に於ておやである。(完)

『自然鳴』大正二年四月号

 

 

 

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