38 貧すれば貪するか――貧しい故に優しい人々

 

 人間、単純に云えば確かに食う物がないときよりも、目の前にご馳走が並んでいた方が豊かな心持ちになる。腹が減って何も食べる物がないというのは不安であるし、さもしい気持ちを起こしかねぬとは正直思う。そこで「貧すれば貪す」というような言葉が生まれたのだろう。しかし、そんなに単純に片づけられることなのだろうか。

 津軽三味線の巨匠高橋竹山は、「アリラン」を弾き語りする前に必ず次のような口上を述べるという。

農閑期の寒いときに、家々をまわり門前で三味線を弾く。それは辛いことでございます。殊に戦時中、北海道で吹雪く中を、あっちでこの非常時にと罵倒され、こっちであざけりの笑いを受けながら歩いたときの辛さは言葉になりません。しかし、そんなとき私に、こっちへ来て火にあたっていけ、何も食べていないのか、何もないがこれでも食べろ、とわずかな自分の食べ物を分けてくれた人達がいたのです。お礼にと三味線を弾くとその人達は、うまいもんだな、俺達も歌っていいかと皆でアリランを歌うのです。私はあの時の恩を一生忘れない。その思いを込めてこの歌を私は歌うのです。

 竹山をやさしく受け入れたのは、当時朝鮮から強制的に連れてこられ、辛い就労を強いられていた朝鮮人労働者達である。当時日本はずべての者が貧していた。しかし、その誰よりも彼らは貧していたのである。その彼等が何故わずかな自分の食を、見ず知らずのみすぼらしい者に分け与えることができたのか。わかったような解説じみたことを云ってば、その方達に申し訳がない。しかしあえて一つだけ云わせていただけば、貧する者が必ずしも貪するのではない。否、貧ずるが故に人の痛みを知り、心からやさしくなれることがあるということである。

 逆に豊かになった現在の日本で、中でも生活は上のクラスに属ずる筈の政治家や官僚達が、人の目をごまかして、札束を追っかけ回す姿はどうだろう。「貪する」とはまさにこのことである。

 10年以上は経つだろうか、「ブッシュマン」という映画があった。アフリカの未だ文明の及ばぬ、貧しいが平和な一族の物語。ある時軽飛行機からコーラの空き瓶が投げ捨てられ、その村に落ちてきた。初めは皆がおっかなびっくり遠巻きに見ていたのだが、そのうちに水を入れたり、豆などを搗くにも都合がよいので、取り合いになってケンカが絶えなくなってしまう。そこで酋長はこのような平和を乱ず物は、地の果てに捨ててこようと旅に出て、さまざまな文明に出会う。あくせくとした争いの絶えない社会を身をもって体験した酋長は、ますますその意を強くし旅を続け、地の果てと思われる大きな滝に瓶を投げ捨てる、というような内容だったと思う。

 日蓮大聖人は「貪ぼるは餓鬼」(『観心本尊抄』)と仰せである。今日の社会はその構造が「貪ぼり」を前提として成り立つ「餓鬼社会」である。それは、畜生といわれる動物達の比ではない。まさに畜生に劣るのである。

 人は物質的に貧したからといって必ずしも貪しない。右の事柄がそれを証明している。要ずるに物質的な貧富に関係なく、心が浅ましく貧したときに、限りなく貪して行くものなのである。

 

 

 

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