36 生活の中に――法華経精神が光彩を放つとき

 

今年(平成8年)は宮沢賢治の生誕百年にあたり、故郷の花巻を始め全国いたるところで様々な催しが行われ、映画もいくつか上映された。賢治に関する本はどのくらいでたのか把握不能である。賢治人気は異常なほどだ。なまなかの作家、作品では最い年月を乗り越えられない。年を経て、いや年を経るごとに人々に愛されるというのは、すごいことである。

 だがその一方で、ある新聞にのっていた賢治の教え子の言葉が、妙に心に響く。

先生はホントにすばらしい人だった。あくまでも暖かく時に厳しく、散歩の折の陶酔したようなゆたかな顔、なにかがひらめいたときにほっほーといって飛び上がる姿、すべてが魅力的だった。だが、先生はけっして雲の上の人ではなかった。

 イベントを組む者に悪気があるわけがない。過去の者を語る場合、多少大袈裟になるのもありかちなことだ。だが、宮沢賢治という人が、遥か天空に祭り上げられて、現実生活から離れていくことには、払拭しがたき抵抗を感ずる。なまの賢治の姿を知る教え子の、「けっ
して雲の上の人ではなかった。」という言葉は貴重である。

宗教の立場からもいろいろな賢治像が語られている。だがこれも、もし彼を法華経宣揚の功労者として見ようというならば、彼の本当の姿を見失うであろうし、その作品の評価も、信仰が先行していたのでは価値は半減するであろう。

 彼が法華経や日蓮大聖人を精神の支柱にしていたことは明らかである。だが彼は法華経の精神を文学において表現しようとしたのでもなければ、まして宣楊しようとしたのではなかろう。

 彼にはまず目の前に展開する現実生活があった。そこにある様々な現実問題に誠意を持ってあたり、そして思い悩むとき、法華経や日蓮大聖人は彼に語りかけ、そして支えてくれたのである。彼はその精神を支えとして、実際に日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩いたのである。そこには当然思い違いや失敗もあったであろう。どろどろとした現実の中であれば、美しい事ばかりがあったわけでもあるまい。ただ、彼が誠意を持っておろおろ歩くことを法華経から学び、そのように行動することにつとめたことだけは事実であろう。そしてその精神や行動が、ペンを伝わって文字となった時、他ならぬ彼の作品が生まれたのである。

 彼が尊敬し指標とした日蓮大聖人は、行動の人であった。勿論理念を軽く見られたわけではない。それどころか教相(理論)をしっかりと押さえ大切にされている。だが、弘安2年、自ら本懐を遂げたと仰せられた、あの思想的クライマックスを迎えるにいたる経緯を拝せば、それが本代悪世と必死になって格闘される中で、成熟されたものであることを知るのである。

 熱原の法華衆の行動にしても、その原動力は単に信仰的信念ばかりでなく、現実生活の中にある、不正や欺瞞に対する義憤・正義感が必ずや介在していたに違いない。そして不軽菩薩や大聖人の実践の姿こそが、彼等の行動の規範となり、また心強い支えともなったことであろう。

 法華経の精神は単なる理想や理屈では、結局の所わからないのではなかろうか。現実の生活の中でこそ、光彩を放つ教えなのである。

 

 

 

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