31 広宣流布とは

 

 「覇権主義」という言葉がある。だが辞書にはない。きわめて今流の言葉なのだろう。

 およそ人間の歴史は覇権争いの歴史であったといえるだろう。小さな部族同士の争いから、社会が大きくなるにしたがって国や民族間の大きな争いになり、しまいには地球を舞台に、やれ自由主義だ社会主義だ民族主義だと、イデオロギーを引っばり出して覇権争いをしている。

 宗教も同じである。いや宗教こそがそれらの争いを複雑にし、また宗教自身が、時代を超えて争いを続けてきた覇権主義の張本なのだ。

 だが彼らにも大義名分はある。彼らは云うであろう。世の中に争いが絶えず不幸が渦巻くのは、正しいもののもとに統一されないからだと。だから邪なる相手を駆逐するのだと。彼らの言い分は一見一理も二理もあるように思える。

 だが、その大義名分によってどれだけ悲惨な争いがくり返されて来たことか。大事の前の小事だなどと開き直るなかれ。小事をくり返しているうちに、地球全体のそれこそ一大事になりつつあるではないか。オウム真理教を馬鹿にする資格など、彼らにはないのである。

 仏教はヒンズー教に追われ、イスラム教に駆逐された歴史を持つ。これまではそれが、仏教が惰弱である故と見られてきた傾向があるが、私はその歴史こそ仏教のすばらしさであり、人間の持つ良心の証であると見る。

 では我々はどうか。特に近来広宣流布の名のもとに、彼ら覇権主義者とそう変わりのないことをしてきたように思う。それは法華経や日蓮大聖人の教えに叶ったことなのだろうか。

 確かに法華経には、この経が広宣流布することが説かれている。大聖人も法華経広宣流布の為に生涯をかけられた。だが、その広宣流布とは、今日云われるような覇権主義的なものだったのだろうか。

 大聖人は『聖人知三世事』に

  日蓮は不軽の跡を紹継す

と仰せられているように、生涯不軽菩薩の但行礼拝をご自身の折伏行の手本とされている。

そして『顕仏未来記』には

例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩、我深敬等の二十四字を以て、彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し。

と仰せられている。不軽菩薩の但行礼拝は必ずしも人々に受け入れられなかった。しかし石を投げられても、杖で打たれても不軽菩薩は懸命に相手を社拝し続けた。そこには相手をねじ伏せようなどという、覇権主義的考えは微塵も見られない。

 同じく正義を主張したとしても、それが相手の存在を否定し、駆逐しようというのであれば、それはもう正義でもなんでもない。平和にしよう仲良くしようと云って、それを受け入れないからとケンカをしていたんではどうしようもないではないか。

 不軽菩薩はたとえ拒絶され危害を加えられても、あくまでその人の良心を信じて淡々と正義を主張された。そして大聖人はそこに広宣流布の姿を見られているのである。

 大聖人はとかく勇壮なイメージをもって語られる。確かにそういう面はあったであろう。

だが、その人生が常に石を投げられる側にいたことは、誰の目にも明らかである。それは大聖人にとって不本意なことだったろうか。そうではあるまい。不本意であったなら「不軽の跡を紹継す」などといわれる筈がないではないか。

 人類は今、覇権主義がもたらす醜い争いによって、多くの問題を抱え込んでいる。やがて取り返しのつかぬことになるだろう。

 それが「自分は絶対的に正しい」「正しいものは広まらなければならない」「広めるには相手を駆逐しなはればならない」という論理によってなされているとすれぱ、そのこと自体を根底的に考え直さなけれぱなるまい。

 法華経・大聖人の教えはその指標足りうると私は思う。

 

 

 

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