29 互いに師弟

 提婆達多といえば、生涯釈尊を怨みねたみ、修行僧団を引っかき回し、仏様を傷つけ、まじめに修行する僧尼を殺害するなど、いわゆる三逆罪を犯した大悪人として名が通っている。

 だが『提婆達多品』において釈尊は、その提婆達多を実は過去自分が修行をしていたときの師であると説いている。

 すなわち釈尊は過去世国王であった時、懸命に大法を求めていた。時に一人の仙人が来て妙法を説く。王はいたく感動しその仙人のために薪をこり菜を摘んで給仕をし、修行をすることによって成仏することができた。そしてその法を説いた師、阿私仙人こそ今の提婆達多であるというのである。

 日蓮大聖人は『上野殿御返事』に次のように仰せである。

爰に日蓮思うやふ、提婆品を案ずるに提婆は釈迦如来の昔の師也。昔の師は今の弟子なり。今の弟子はむかしの師なり。古今能所不二にして法華経の深意をあらわす。

 それにしても法華経は、あんな極悪の提婆達多を、なぜこともあろうに釈尊の昔の師であったなどといったのであろう。そして大聖人は何なる理由でこのことに注目されたのであろう。もとより「深意」と仰せられるのだから、いろいろな意がそこにはあるのだろう。

 だが、私はその「深意」を探るカギとして次の二つの大聖人のお手紙に注目したい。双方流罪地佐渡からの書状である。

 1つは『開目抄』をあらわされた直後の文永9年4月、富木殿に宛てられた書状の

但し、生涯もとより思い切て候。今に翻返ること無く其の上又遺恨無し、諸の悪人は又善知識なり。(『富木殿御返事』)

というお言葉である。

 われわれはどうしても自分に害を与える者は、単なる敵としかとらえられない。いやうっかりすると自分を本当に思ってくれての助言にすら腹を立てる。凡夫であればそれも致し方ない。だが、すこしでもべ夕ーにいきようと思えば、耳に逆らうアドバイスは勿論のこと、害を与える者をすら自分を鍛えてくれる善知識と思えるように努力をせよ、と法華経は説くのである。大聖人は法華経の行者であるからそれを実践された。われわれもその端くれならばその努力はしなければなるまい。

 2つ目は、その2ヶ月後に弁殿日昭にあてられた書伏の

惣じてはこれよりぐしていたらん人には、よりて法門御聴聞有るべし、互いに師弟たらんか。(『弁殿御消息』)

との御文である。

 この時大聖人門下は師弟ともに厳しい状況にあった。その危機を乗り越え、師弟ともに成仏を期するためには、誰が上だ彼が下だなどといってはいられない。お互いが師となり弟子となり、信頼の中で一致協力してことにあたらなければならないのである。門下でもっとも上位にいる日昭に、このように指示されているところに大聖人の強いお気持ちが表れているように思う。

 それに引き替えわれわれの日常はどうにも情けない。男が偉い、いや女が偉いとくだらぬ綱引きに精を出す。おまえはオレの後輩だ、オレは社長だ文句があっかとアワを飛ばしていばりたがる。いったいそれが何になるのだろう。

 自巳主張ばかりして互いにいがみあっていたのでは、恨みの山が築かれるばかり。お互いが相手の存在を認めあって、手を取り合えば未熟者同士でも何かを成じることができるというものだ。

 もとより信頼を築くことは難しい。ことに自分を敵視するものとの信頼など、ほとんど絶望的である。だが法華経や大聖人はあえてそれを行なえといわれる。

 釈尊は提婆達多を師とすらいわれ、大聖人はご自身や門下を弾圧する平左衛門尉を、善知識といわれるのである。平和という言葉を絵空ごとにせぬためには、この法華経精神による他はない。

 

 

 

 

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