20 明星

 

 明星を見た。明けの明星を見た。大聖人以来富士門においては、明星は法義的に重要な意味を持っており、それなりに興味を持っていたのだが、うかつにもわが目でまじまじと見だのは、はじめてのことであった。

 午前4時、夜明け真近かの東天に、ただ一つ、異常なまでに輝く明星。私はそれまで曰月星辰といえば、曰と月はまさにあの太陽と月であるのは当然として、星辰とは満天の星達位に思っていたのだが、そうではなく、まさにこの星こそが星辰なのだと合点した。

 明星をまのあたりにしてからは妙にあの輝きが頭から離れず2・3それに関する本をあたってみたのだが、その正体が少しずつ解ってくると、いまさらながら本当に何も知らなかフたのだなと思い知らされた。

 これが金星であることは知っていた。金星は地球より太陽に近い。つまり太陽を中心として、地球より内側にあるから、地球から見ると常に太陽の近くにあってそのまわりを廻って見える。なる程、それで曰の出、曰の入りにだけ見えて、夜空には絶対にあらわれない訳々のだ。

 しかし晴れていれば、夕方と明け方にはいつも輝いているかといえばそうではないらしい。太陽のまわりを廻っているのだから、その位置によって月のような満ち欠けがある。じゃあ満ちてる時が一番明るいかといえば、全く逆だという。満ちている時は太陽の向う側にあり、地球との距離が一番離れる。欠けている時は太陽のこちら側にいるので、地球との距離が近くなり、明るく輝くという訳だ。ほぼ太陽の近くにいるのだが、このように複雑な動きを見せ、なんでも584日を周期に同じ位置に戻るらしい。少しばかりだが、認識を新たにして明星に関する御文や儀式を見直せば、やはり違った味わいがある。

 大聖人は『上野殿御返事』に、

自他の生死はしらねども、御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならずむかいにまいり候べし。三世の諸仏の成道は子丑のをわり寅のきざみの成道なり。

と仰せである。

 昔、日の替り目は丑寅の刻つまり午前3時であり、仏教的にはこの時を陰陽生死の中間といった。漆黒の間は陰であり死であり迷であり、月がそれを象徴する。日中は陽であり生であり悟であって太陽がその象徴である。そしてその明暗、陰陽、生死、迷悟の中間である丑寅の一点は明星が象徴する。

 釈尊は長い苦行を止め、菩提樹の下二洙い冥想に入り、明星乱ずるの時ごこと大悟されたという。釈尊ばかりでない。三世の諸仏は昔から皆丑寅の刻に成道を遂げたのだと大聖人は仰せられる。

 やや白ばんだかと思われる東天に、あくまでも潔く輝く明星、その清冽な空気に包まれれば、理屈を越えてなる程と思う。

 またわが大石寺門流においては、古来本山において丑寅勤行が修されている。諸仏が成道するという、陰陽生死の中間、明星出ずるの丑寅の刻に、朝一番のお水を本尊に供え、貫主が一切衆生の生死不二、迷悟一如の凡夫の成道を願う、うるわしき伝灯である。

 もっとも、われわれは必ずしも午前3時という時刻や明星そのものにこだわる必要はない。むしろ、そこに示された生死不こ、迷悟不二の理を、日々の生活の中で生かすことが大切である。

 われわれは様々なことに思い悩む。心身に痛打をあびれば、もだえ苦しむ。そしてできることならそのように迷い苦しかことのない悟りの境地を得たいと願う。しかし凡夫であればそれも叶うまい。

 だが、苦しみの中から渾身の力をふりしぼって、「さあ頑張るぞ、南無妙法蓮華経」と立ち上がるその刹那、迷悟の中間に、心の中に明星は明々と輝くのではあるまいか。そして人生の終り、生から死に向う生死の中間に大聖人は必ずむかえに来て下さると仰せられる。お互い臨終がいつかはわからない。いつ何時であったとしても、その臨終正念の時がまた明星出ずるの時である。

 

 

 

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