16 まず臨終を習え

 

 生あるものは必ず死をむかえる。だが、人間程死を恐れるものはいない。犯人は知恵である。知恵ある故に妄想をかきたて、恐怖心を増幅する。他の生物にとって死とは、おそらく自然の摂理以外のかにものでもないだろう。そういう意味ではひとり人間のみが、死をことさら問題にし、克服しなければならぬめんどうな動物といえなくもない。

 さて、仏教でも死は人間の根本的苦痛――生老病死の四苦――の一つとして位置づけている。かの釈尊の出家の動機が、この四苦の克服であったといわれるぐらいであるから、仏教の根本課題といってもよいだろう。

 仏教ではこの世のすべての事々物々は、単なる現象、仮りの姿であって、本来的には無であると説く。だから自分すらも本当は自分でなく、無我だというのである。そうなると当然生もなければ死もない。それが解らずに生きたといっては喜び、死んだといっては悲しむのを生死に迷うといい、修練によってその迷いから遁れることを生死を離れるという。

 だが、急に生も死もないなどといわれても、正直ピンとこない。ピンとこないどころかとりつくシマがない。しかし心配することはない。そんなボンクラの為に大聖人の仏法はあるのだ。

夫以みれば日蓮幼少の時より仏法を学び侯しが念願すらく、人の寿は無常なり、出る気は入る気を待つ事々し、風の前の露尚譬にあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若さも、定め無き習いなり、されば先づ収終の事を習うて後に他事を習うべし……。

(『妙法尼御前御返事』)

 大聖人は死というものを、まず素直にわが日の前に置けと仰せである。実はそれだけで、もう半分以上は解決なのである。

 人は死を恐れる故に、死から目をそむけようとする。ことに現代社会は病や死を一般から隔離しようと努め、『四』という数字さえ嫌う。だがそれがいけない。暗がりのかかしと同じで、しっかり見つめようとしないから余計に恐ろしいのである。だいいち、必ず来る死を無視して責任のある生を送ることが出来ようか。死を意識してこそ如何に生きるかを決定することができる。そして人は生きたようにしか死ねないのである。

   ◇   ◇   ◇

 ここに毎日死を見つめながら生きる一人の青年がいる。栗原征史君、20才。筋ジストロフィという難病と闘かっている。昨年(平成4年)小学校6年頃から自分の思いを綴り続けた「栗チャン新聞」が一冊の本となった。2才で難柄の宣告を受けて以来、母と二人三脚で必死に生きる彼が、テレビニュースで自分の病気は20才位までしか生きられぬことを知ったのは15才の時。その時から死は、彼にとってすべての前提となる。こんな体になぜ生んだと母に泣いてどなりつけたり、その母の介護に心から感謝したり、死の恐怖に一晩中震えたり、苦労の末アマチュア社線の国家試験に合格して小躍りしたり、そんな真剣な泣き笑いの日々ご死を見つめながらの生活の中で彼はこう語るようになるのである。

ぼくはこの手紙を読んで(同じ筋ジスであった友人が亡くなり、そのお母さんが激励の手紙をくれた)自分はいったい何を考えているんだと反省した。いつまで生きられるのかとか、どうやって生きようかとか、みみっちいことを考えるのはやめよう。死ぬまで生きて、命のたいせつさを書きつづける。燃焼し切って死んでいければそれで十分だ。生を得た瞬間から、生物はすべて死に向かって生きる・人間もまた死ぬために生まれてきたのだ。だから生きているその時々が貴重なのだ……。目標をもとう。目標のない人は尊敬できない。人間であることを捨てているんだもの。ぼくはこの病気になって良かったと思える死をむかえたい。

 死を受け入れた時に人間は、かくも強く美しく生きることができるのである。当然ここに至るまでには死との格闘があったのだが。

生さておわしき時は生の仏、今は死の仏、生死共に仏なり。(『上野殿後家尼御返事』)

 生の成仏があってこそ、死の成仏があるのである。

 

 

 

 

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