15 病によりて仏になる

 

 大江光氏の音楽を聴いた。ぜひ一度と思い続けていた「Mのレクイエム」が心にしみた。

 氏は今年(平成5年)30才。作家大江健三郎氏の子息である。生まれながらに知能に障害を持つ。小さな頃から音に敏感であったそうで、20才の頃、ピアノの練習をする内、ひょんなことから曲を作ることを覚える。勿論先生や両親のなみなみならぬ努力あってのことだが。

 曲らしきものが作れるようになって1年程たった頃、この世に生を受けて以来ずっとお世話になってきた、医師森安信雄氏が亡くなる。その時森安先生の鎮魂のために作られたのが
「Mのレクイエム」である。いや、作られたというより悲しみとの格闘の中から生み出されたというべきだろう。

 両親が弔問から帰ると彼は石のように硬直して、マンジリともしない。それは何もかもを拒絶するかの如き姿であったという。ベッドに寝かせても、それは少しも変らない。そしてその夜、それまでにない大きな癲癇の発作を起すのである。純粋さ一途さ、加えて体の弱さが、彼を一気に谷底につき落したのだろう。だが、発作を境に彼は心身共の回復をみせはじめる。発作の回復と歩を合せて、石のように固くなっていた体が次第にほぐれてくる。発作が完全におさまった翌日は、日がな音楽に聴きいる。曲こそもの悲しいショパンの葬送行進曲ではあったけれども。そしてその翌日、彼は作曲をはじめるのである。

 我が子と心を一つにレながら、ことの始終を見守った父は語る。

恢復ということは、病気によってマイナスの状態になって、それからゼロの状態に戻ってくるだけじゃなくて、そこからすこし上に向かって進んでいくものが人間にとってあるというふうに、私は子供の経験を通じて考えています。

 人はそれが心的なものであれ、肉体的なものであれ、大きな苦難をかかえた時、それにもだえ苦しむ。ショック、拒絶、混乱をくり返しながら、愚かにもだえ苦しむ。だが、苦しみながらも現実を受け入れ、ひとたび回復への努力がなされはしめたなら、元の自分にはなかった大切なプラスアルファーをつかむものらしい。いやそれは苦を経なければつかむことができぬものなのだ。「Mのレクイエム」は、苦難を乗り越えて生みだされた大切なプラスアルファーなのである。

  『寿量品』に「良医の譬」が説かれている。

 良医である父が、重い病に苦しむわが子等に良薬を与えようとする。多くの子はそれを服して病が癒えるのだが、病によって本心を失った子がどうしても薬を飲もうとしない。そこで父は一計を案じ、自分は死期が近くなったので旅に出るぞと家を出て、旅先で自分の死んだことをその子に知らせるのである。子供は知らせを聞いて大いに歎き悲しむ。だが、そのショックによって本心を取り戻し、父の遺し置いた良薬を服し、病を癒すことができたという話である。

 また日蓮大聖人は『妙心尼御前御返事』に、

このやよいは仏の御はからいか、そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり。

と仰せられている。

 妙心尼のご主人が重い病に臥している。当人はもとより妙心尼も病の前に立往生している。大聖人様どうしたらよいでしようかと、尼はゆれる心を吐露されたのだろうか。大聖人はこの夫婦の心情を深く包みこまれつつ、諭される。「この苦難を夫婦手を取りあって南無妙法蓮華経と心から唱えて乗り越えなされ、この度真の道心を起しなされ」と。

 程なく夫は亡くなられた。だが二人は病と闘いながら、すばらしい何物かをつかんだに違いない。それはその後の大聖人の尼へのご消息にうかがうことができる。身は滅びても苦難の中につかんだ何か。その何かこそを妙法といい、成仏というのではなかろうか。

 

 

 

 

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