12 即是道場

 

 ここに一人の深い挫折の人がいたとしよう。いや仮定の話としても他人様では申し訳がない。もし私が数限りない罪を犯し、不運不幸がつみ重なって、もうにっちもさっちもいかぬ状態であったとして、「今世で救われることはあきらめよ。だが救われないのはお前ばかりではない。この世に真の善人などいはしないのだ。総てのものが今世においては救われないのだ」といわれたら、それはどんなにか心強かろうと思う。なまなかな励ましなど通用せぬ程に打ちのめされた者には、これも一つの救いの道なのかもしれない。

 だが、それにしてもこれでいいのかとも思う。身に宛てるなどといっても、所詮仮定の話だからこんな悠長なことをいっていられるのかもしれない。だがやはり、この世やわが身を全否定することには理屈でなく心の底の何かが拒絶するのである。

 事実は小説より奇なりという。頭の中では到底描きえぬ程の悪夢が起こるのがこの世である。だがどんな不幸の極限にあろうと、どんな劣悪の状態にあろうと、息をする限りこの世や自分に一点の光を見出したいと願うのもまた人間の本性である。

 鎌倉時代、うち続く天変や飢饉疫病、はては戦、強盗に、人々はあえぎ苦しんだ。この世に希望を失なった人々は「この世ではもはや誰も救われない。阿弥陀様におすがりして、独楽世界に生れ変って幸せになろう」と語りかける浄土教にすがった。だがこのような、皆が現実に絶望し、この世を放棄して西方極楽世界を夢見る中、大聖人は敢然とこう仰せられた。

抑も地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経文もあり、或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候。(『十字御書』)

 今と違って、海のはて地のはてが全く異次元と考えられ、西の海に沈む黄金色の太陽を見ては浄土を思い、地の底には幾重にも地獄の層が重かっていると心底信じられた時代に、こう語られているのである。

 勿論大聖人ご自身も、霊山への往詣や未来成道を述べられる。だが私は、ご自身に一分このような思想がありながら、あえてこの世わが身を強調されていることに、かえって重さを感ずるのである。

 これは三世を肯定するか否か、異次元を肯定するか否かなどという問題ではない。かつて釈尊が出現する以前、バラモン教は盛んにこの種の議論を行なっていた。だが釈尊はこのような議論は不毛の論であるとして、この種の質問には一切答えなかったという。仏教は本来、人間がこの世でいかに正しく生きるかを問題にしているのであって、けしてとっぴな空論ではないのである。

 悲惨な現実から目をそむけたい。そんな一心から仏法の本道から離れていく人々に、大聖人は心から叫ばずにはいられなかったのであろう。

讐へば石の中に火あり、珠の中に財のあるがごとし。我等凡夫はまつげ(睫)のちかきと虚空のとをきとは見候事なし。我等が、心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ。

 ――それが自分を押しつぶしてしまう程の現実であっても、正面に見すえようじゃないか。そして、わが心の中にはその苦境を乗り越える力、仏の力があることを信じようではないか。変哲もない石の中に火があり、珠の中に財があるように、と。

 この世を離れて浄土などありげしない。苦しいことがあればこの世を道場と思うべし。

もし園中においても、若しは林中においても、若しは樹下においても、若しは僧坊においても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在ても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆当に塔を起てて供養すべし。所以はいかん、まさに知るべし。是の処は即ち是れ道場なり。(『神力品』)

 もし心の内の光を信じることができるなら、その人にとっては園林山野はおろか、職場でも学校でも家でも、牢獄の中さえも道場なのである。

 

 

 

 

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