9 折伏について

 数回前に不軽菩薩のことを書いて以来、チョクチョク再登場を願って、その精神を述べてきた。

 今改めて要約すると次のようになろうか。

1、どんな人間にも必ずすばらしいところがあり、そこを見ていこう。

2、そうした積み重ねによって、真の信頼関係を築いていこう。

3、あらゆる困難を乗り・越えて信頼を築く信念を持とう。

 この不軽菩薩の礼拝行こそ、妙法蓮華径の意であると大聖人は仰せなのだが、今回は、更にそれが本宗伝灯の折伏行であることについて述べようと思う。

 天台・妙楽等の釈や日蓮大聖人の御書によれば、折伏には2つのタイプがある。1つは『涅槃経』に説かれるもの。『涅槃経』には、正法をまず国主に付せ、国主は武力をもってしても謗徒をくじき、正法に帰依せしめよと説く。また、財を求める者にはそれを与え、おごる者には僕となり、おろか者には強圧的に、そして誹謗の者には武力をもってしてもこの正法を流布せよと説く。これが「涅槃経の折伏」である。

 もう1つは『不軽品』に説かれる折伏。かの不軽菩薩の但行礼拝である。

 同じ折伏でも、その意は天地の差がある。決定的な違いは、前者は逆縁を認めず、後者がそれを認める点であろう。

 大聖人はご化導の初期、おもに「涅槃経の折伏」を念頭におかれていたことは、『守護国家論』などに明らかである。そして『立正安国論』の上呈。だが国主はこれを拒絶し、伊豆流罪、さらに竜ノロの首の座、佐渡流罪に及ぶのである。

 国主の拒絶が決定的になったこの時、大聖人に大きな思想的展開があったことは、ご自身後に述懐されるところである。その心中をつづられた『開目抄』に折伏について次のように述べられる。

夫れ摂受折伏と申す法門は水火のごとし。火は水をいとう。水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう。折伏の者は摂受をかなしむ。無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす、安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす、常不軽品のごとし。

 『涅槃経』の折伏は、国主の拒絶によって一応ストップした。だが見方を変えれば、ご自身の歩まれた道は、そのまま法華経の『勧持品』『不軽品』に説かれる逆縁世界での忍難弘教=折伏の姿そのものではないか。

 このご文の導入部には、折伏正意の証として、天台、妙楽、章安の釈が引かれている。そこでは摂受を『安楽行品』に、折伏を『涅槃経』に配している(法華経に折伏の意ありと認めはしているが)。

 その引文から続くかぎり、折伏は「涅槃経のごとし」とされるのが自然である。それをあえて「常不軽品のごとし」とされたのである。

 勿論、それが徹底されるのは、ずっと後ではあるけれども、ここにその切りかえの基点があることは間違いあるまい。

 爾来、富士門流は不軽菩薩の行をもって折伏としてきた。大石寺9世日有上人は、『化儀抄』や聞書などの処々に、その精神を述べられている。また12世日院上人は、京都で、教義を改変し権力に妥協して隆盛をほこる要法寺日辰が、大石寺との通用をはかってきたのに対し、

縦ひ此の如くに山林に斗藪し万人に対せずとも、義理に違背これ無くんば折伏の題目となり、晋く諸人に対する談義なれども、広の修行は摂受の行相となるべきか。是則ち大聖の仰せ云云。

と、毅然と日辰の非を諭された。

 今日、日蓮正宗宗門が多くの問題をかかえ、四分五裂してあい争うのは、折伏の本義を失なったが故と、私は思う。人数をたのみ、権力をふりかざすなど、不軽菩薩のどこにみられよう。不軽菩薩の折伏精神がよみがえらぬ限り、宗門の蘇生はなかろうし、みにくい骨肉の争いは続くだろう。そしてわれわれにとってもそれは、けっして対岸の火ではない。

 

 

 

 

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