(2) 六巻鈔の批判

 

既に迹べたやうに、六巻鈔は中、所々他の学者に対して評破を加へた部分が有るが、それを以て本書を対破の書といふことはできない。例せば辰師は末法相応鈔の序にもあるやうに160年前の人であり、啓蒙講師も元禄11年寂で、本書を始めたのが正徳3年だから講師に翻意を求める意も無かったわけだ。又通行の御書を引用するのを省略して相伝を引用する事が多いのも、富士の法門を整理して門徒に示す事が目的だったことを推定する材料になる。

次に寛師の思想が富士門の正統ではないといふ山川博士の議論はどうであらうか。

先づ《460》の延山子の立論に就いて考へて見よう。たしかに寛師は因勝果劣種本脱迹論を主張して居る。そしてこれは宗門の上古には無く、順応教師を橋渡しとして寛師に至って大成したと見るのが延山子の主張である。そして寛師以前に「時機による相対的な種脱勝劣説」を唱へたとする人物は、日有、日精の両師であり両巻血脈も亦これであるとするが、その何れの著書によるかは示してないし、両巻血脈についても細説してない。もっともこの書も単称日蓮宗の門内にのみ示すのが目的であらうから、本式の学術書のやうに出典を明示せよと言ふ方が酷かも知れない。

しかし、有師の著は要集に化儀鈔を収めるのみ(これも述記。)家中鈔有師伝には他の著作も有ったと伝へるが実体は伝へてない。精師の著として同鈔伝へる者は皆史乗、文献批判の類である。化儀鈔は申す迄も無く、化儀の書であって、化法を説くのは従となる。さういふ書を以て化法を正説する六巻鈔と対比するのは無理ではなからうか。

とはいふものの、化儀鈔には寛師程ズバリとしな論法ではないが明らかに種本脱迹と見られる部分がある。

(501)本迹とは身に約し位に約するなり、仏身に於て因果の身在す故に本因妙の身は本、本果の身より迹の方へ取るなり(本果身から先は迹に属せしむの意か)夫とは修一円因感一円果の自身自行の成道なれども既に成道と云ふ故に断惑証理の迹の方へ取るなり――華厳の成道と云ふも迹の成道なり故に今日花厳阿含方等般若法華の五時の法輪、法花経の本迹も皆迹仏の説教なる故に本迹ともに迹なり 今日の寿量品と云も迹中の寿量なり。

さて本門は如何と云ふに久遠の遠本本因妙の所なり、夫とは下種の本なり、下種とは一文不通の信ばかりなる所受持の一行の本なり、夫とは信の所は種なり心円に初て信の種を下す所が本門なり、是を智慧解了を以てそだつる所は迹なり――脱し終れば名字初心の一文不通の凡位の信にかへるなり(要相信112)

なるほど有師は一品二半は在世の機の所用、滅後は種の題目とか、在世正宗の機に対する釈迦は名字初心の感見に及ばざる故に釈迦の因行を本尊とす、これ日蓮聖人といふやうな、時と機に依って種脱を分つやうな発表も有るが、一往当分再往跨節の論理を知らなければ法華宗の法門を学んだとは言ひ難からう。法華本門の釈尊を迹とし、本因妙を本とするのは本質的な勝劣論だ。化儀鈔は檀家の指導にも言及した書だから、六巻鈔のやうな鋭い論法ばかりでは無いのが当然である。いはんや、

(502)当家の本尊は日蓮聖人に限り奉るべし――滅後の宗旨なる故に、未断惑の導師を本尊とするなり(相信91)

と、機の前の本因主義を主張するやうに見えながらも色相荘厳の釈尊を廃して、

(503)只十界所図の日蓮聖人の遊ばされたる所の所図の本尊を用ふべきなり相信100)

と、妙曼即日蓮の人法体一を論じて居る所は本質的勝劣を踏へなければ出て来ない論法である。

両巻血脈に至っては専ら寛師の依文とする所であって、これを以て機の前に於ける相対勝劣とは益々以て言ひ難い。寿量文上の釈尊を応仏昇進の自受用とし、更に単に応仏とのみ論ずるのはこれ亦徹底した本因主義である。

種脱法門は御書にも多くは出て来ない秘要の法門である。従って宗門の古代に之に言及する所が少いのも亦当然ではあるが、間々無問自説される場合が有る。他とへば三位順師の表白文に、

(504)一閻浮提未曾有大曼茶羅所在ノ釈迦多宝十方三世諸仏上行無辺行普賢文珠等諸薩錘身子目連等諸聖梵帝日月四天竜王等刹女番神等天照八幡等正像之四依竜樹天親天台伝教等別而本尊総体之日蓮聖人(学ニ340)

の如く、多宝拉座の寿量釈尊を日蓮聖人の体中に摂する如きは明かに因本果迹の談道であるが同じ順師が日順血脈に聖人の上行後身を述べながら本因下種は説いてない。これは三国伝法次第を語るものだから、その法体にまでは筆を及ぼさなかった為だ。

次に康暦二年の奥書のある下條眼師の五人所破鈔見聞には、

(505)威音上仏と釈迦牟尼とは迹弘也不軽日蓮本仏也 威音上仏と釈迦仏とは三十二相八十種好の無常の仏陀不軽と上行とは唯名字初信の常住の本仏也(要疏一6)

(506)釈尊上行互為主伴一身他身他身一身迹面本裏水面迹裏御振舞(同8)

と言ふ。前のは因本果迹、後のは種脱一双で意地悪くアラ探しをする人には喰違ふやうに見えるかも知れないが、後のは時機に応じての六感の化、前のは法体に約しての仏位を論じたもので、眼師もやはり寛師と同じ線だ。

保田要師の六人立義草案は天文6年本永寺某師の奥書がある。これには百六箇鈔下種十三《248》を引いて、

(507)本迹と者聖人の御上にも本迹あるべし、其故ハ久遠本地の信心名字の御尊形久遠のままなる処ハ本されども人界に一界品玉ふ方は迹也(要疏一113)

(508)本化上行の再誕久遠名字の本地の本尊日蓮聖人(同119)

(509)未曾有の大曼茶羅末法の本尊也 其本尊と者聖人の御事也南無妙法蓮花経日蓮判と主付玉ふて釈迦多宝四菩薩梵天帝釈等は皆本尊より品玉ふ所開化(同120)

これを日蓮本仏論で無いと言ふならば何であらうか、寛師の三重秘伝に就いても既に要師が相当はっきり説いてゐて、

(510)迹門は本門の依義判文と者此本門は一品二半の脱益の本門也さて真実の依文判義考本門に限れりと者聖人側独歩の久遠名字の本地の本門也(同127)

本門に脱種今日久遠の異あることを言ってゐる。

保田も我師となると一層歩を進めている。

(511)末代要中要正中正たる本法下種南無妙法蓮華経 本門下種主師親 久遠常住本因妙名字即釈尊直御出現有一切衆生心田本因鈔本種子蒔時分也―於当宗任高祖御定判者於寿量品文上底有之 文上有因果謂久遠我実成仏果也我本行菩薩因也是則今日脱益釈尊其弟子上行也――文底者我実成仏五百塵点師弟等妙二覚脱形なれば久遠今日共迹也謂在世釈尊上行也権実約智約数迂廻転入機前やすらひ也是本果云迹中本本云脱云也さて我本行菩薩菩薩云底心本因妙名字本仏事也是末法師弟也謂日蓮日興也久遠末法共本也 本迹約身約位本門直行機ため也(申状見聞)

(512)入本尊分座沙汰時塔中釈迦多宝題目日蓮妙境妙智より果後方便出時脱形也―不動―愛染―皆是日蓮垂迹也(同146)

未断惑の祖師を仏といふのは何故か、

(513)在世与末法断惑姿各別也諸経与二本門又別也然間餘経断惑者本門時未断惑也餘経未断惑本門断惑也ー是末法不断而断断惑也煩悩即菩提生死即涅槃是也 熟脱仏菩薩尚不値下種本法聖人者元品無明叵断神力品可思之(同147)

この思想は御義寿量品の一にも通じる。

(514)惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の儘を此の品の極理と心得可きなり(日90)

そして熟脱の仏も下種の仏の前には未だ惑者だとする。非常に激しい下種絶対論である。我師の観心本尊鈔抜書にはまた妙曼の座配を論じてかう言ってゐる。

(515)中央に南無妙法蓮華経日蓮判と主付玉へり、脱仏の釈迦多宝、別躰の地涌等は脇士也、万法総持の南無妙法蓮華経日蓮躰具十界聖衆と見る処が観心本尊也(要疏一33)

そして脱益の法仏が末法に用のない事を、

(516)於末法本未有善の機は直機也未下種せざれば可熟方便なし熟益無れば可脱等妙二覚も無由 在世脱益の釈迦は非下種の本尊争か彼一品二半に執せんや(同288)

と、論旨明快に説明してみる。

観心本尊鈔五重三段部の種脱三段(文底三段)に流通り文が無いことは従来研究者の頭を悩ました所だが、

我師はここで注目すべき見解を発表してゐる。

(517)上の一品二半寿量の序正流通の時流通の沙汰無之脱益の寿量品在世正宗にて終る故也、上行付属の下種の妙法蓮華経流通なれば也。―序も正宗も流通も只観心本尊迄也(同288)

しかし前に日蓮聖人の仏位に就いて本師の文《476》を引用した寛師は、ここでは同意してゐない。即ち観心本尊鈔文段下に於て、

(518)文底下種三段者正宗如前久遠元初唯密正法以為正宗惣以一代五十餘年諸経十方三世微塵経々並八宗章疏或属序分或属流通謂彼体外辺以為序分彼体内辺以属流通也(要疏二102)

 ※唯密正法は本因妙鈔にあり「我内証の寿量品」(本尊鈔943)と同義であることがその少し前に論ぜられてゐる。

と我師の意余って論法を誤った所を修正してゐる。そして曽谷書の「八宗の章疏留学」を文証とする。我師は潤達に結論だけ述べて文証を引くのを梢略する傾向が有るが、寛師は随分飛躍しな論法をとると思はれる時でも引証を忘れない。我師の思想が寛師の思想を起したと通常の思想史の定石からは考へたい所だが、寛師の説は極めて相承書と密着して進められてゐるので、寛師の独自発明の法門を六巻鈔の中からほり出す事は困難である。もっともこれは我師の場合でもあてはまる事で、准、両師が従来あまり声を大にして論ぜられなかったことを詳説し、特に保田の要我両師が陳呉と為り、寛師が漢帝の旗を翻したので諸門徒をびっくりさせたといふ位の事は考へて良い。何にしても、山川博士の言はれるやうな「下種仏」思想は足利時代頃から発展して来て寛師に依って大成されたといふのは無理だらう。既に見た如く寛師や我師が盛んに引用する両巻血脈はたしかに相伝法門の一部であり、一致流諸師が解釈に苦しんだ報恩鈔の本尊や本尊鈔の文底三段が我師や寛師に依って活釈されてゐる所から見ても、これが日蓮聖人の法門の正当な解釈だと言って差支無い。唯それが上古に秘蔵されて門外にあまり伝はらなかったものが、自然任運のうちに公開されたので、直接相承をうけなかった門徒からは却って逆に異端視されたのも亦やむを得まい。

唯、寛師説のうちで日本国と法華経の契合を論じたものは、他の部分と比較して文証が少い。しかし是も産湯相承には相当詳説された事で、又保田我師の申状見聞に十七箇条に分けて論ぜられてゐるものである。日蓮聖人が国家諌暁に極度の努力を用ひられなのも、この法門を理解しないで論じては、徒に権力を追求した猟官運動であらうと、日蓮宗の法門を知らないで日蓮伝を書く歴史家の犯し易い課を訂正するのに困難を感じるのではあるまいか。

日蓮聖人は清澄山主の候補にも登り、愛染堂の別当にも擬せられ乍ら其を斥けてゐる。さういふ人が今更請用を望む為に国諌をしなのではない筈、又政府の力を布教に利用したいなら、先づ始に若干の官職を得てから其を足場に拡げて行くこと、後年の二位僧都什師、大覚大僧正等の如くする方が順当である。其をしないで唯ひた押しに武家政権に迫ったのは夙に言はれるやうに毒鼓の縁を結ばしめるのが主目的であったとするならば、実質的に無力であった京師に天奏したのは法華の信謗を問うだけでなく、他に重大な理由が有ったにちがひない。其が本国土法門だ。法華有縁国の王に在すが故に、結縁を新にする為に天奏されたのではないか。たとへ今御受用が無くても、天奏に依って本国土妙を叩発することは能化本因妙の当然の力用であらう。

寛師の所論が師の発明法門ではなく、富士の伝燈線上に在ることは解ったとして、最後に残る問題は本仏は本因本果の何れかといふことである。百六箇鈔によれば、

(519)脱益十鈔本迹 本果妙本 九妙迹也在世与天台機上理也 仏本因妙為本所化本果妙ヲ本ト思ヘリ(学ニ17)

霊山脇益の御説法に於ては機の前に面形を着けて本果妙を本と示されたが、内証は本因妙を本とする。然るに所化は本果妙を本と迷ぶのである。

下種十妙実体本近迹 日蓮本因妙為本餘為迹也是真実本因本果法門他也

日蓮は本因を本とするのが真実の法門である。この線では本果妙を本とするは完全に誤となる。しかし百六箇鈔を偽書だと思ひこんでゐる人に対してはいくら言っても水掛論になるだらう。それだから前以て原典批判をしておいたのだが、それさへ受付けぬとあらば致し方無い。さうなればもはや信仰そのもので科学の気分も入る余地はない。

 

 本仏は本果荘厳身を迹とし本因無尊形身を本とするとは、実に仏教界の常識を破った大断案である。この関係を見易からしめる為に図を副べておく。この法門あるが為に本尊は大曼茶羅でなければならなかったのだ。釈尊の尊形を置けば本果に親しく本因が示せない。日蓮聖人の木像を置いなのでは本地自受用身が隠れる。そこで本地自受用を南無妙法蓮華経であらはし、日蓮御判に名字即仏本因妙教主を示して相映発して常説法教化無作三身が本尊となり、所具の十界がその左右に勧請される。若し脱益の釈尊を本尊とするならば脱益には三大秘法を説かれないから、修行も当然一部読諦五種の妙行を修せねばならず、それでは四信五品鈔も法華取要鈔もあだ言となって、行者は日蓮が門家と自称することはできなくなる。

  さてそれでは日蓮聖人が脱仏となり、当住の法主の所に下種の顕益が有るといふ法門は如何であらうか。先づ問題の類聚翰集私を今一度良く読んでみよう。「」の申は先に引用されな分である。

本尊に於て下種脱益の不同有るを皆本尊に迷ふ。釈迦は在世の正機の為の御本尊なりけるが復至他国して遣使還合有るの上は脱益の師と下種の師匠と有て入滅したまヘゼも別付属有て正像末の中に「末法の本尊は日蓮聖人にて御座なり

然るに日蓮聖人御人滅有るとき補処を定む、其次其次に仏法相属して当代の法主の所に本尊の体有るべきなり」此法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世しなまふ故に、生身の聖人。値遇結縁して師弟相対の題目を同声に唱へ奉り信心異他なく尋便来帰咸使見之す 何ぞ末代の我等三十二相八十種好の仏に値び奉るべき 当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ(要義一351)

六人立義破立鈔私記は如何、

(521)仏の信と(日蓮)聖人の信と一致符契する時一仏境涯無二尊號法界一体也――血脈不乱行弟代々上人は如日蓮聖人御本尊也――「当寺ノ聖人は日蓮聖人也」(要疏一53)

当住は日蓮聖人と一体、日蓮聖人は釈尊と一体、別のものではなく、皆これ本地自受用身の垂迹とするのが左京教師の説だ。脱仏といふのは荘厳身で文上法華を演説なさる時の仏身で本地自受用身の迹用とされるものである。凡夫身の日蓮聖人を脱仏とする法門などは出たくても出る余地は無いのである。

同じ日教師の穆作鈔には、

(522)在世滅後共に導師は唯我一人なり(要義一75)

と言ってゐる。これは文底自受用身を一人とし、在世には脱益の導師、末法には下種の導師として出現なさっなといぶもので、熟脱には然燈大通等と説いても釈迦一仏、下種には日蓮一人と定め、其を更に文底の一仏に結帰する意で、釈迦上行互為主伴の化導を説いてゐる。宗祖脱仏説なンといふものは教師を誤解すること甚しいものである。

以上の如く、六巻鈔は日蓮宗の正統法門ではないとする山川博士の説は、ある前提を置いた時にのみ正当性を主張することができる。前提とは両巻血脈等の口伝相承は日蓮聖人自身のものでなく、途中で発生した法門であるといふ博士の口伝中間成立説が正しいといふ仮定である。

この仮定が一部は正しいことは既に見た通りで、現存の口伝に御書が引用されたり、末師が自分の意見を述べてゐる部分や、後世の事情をあげてゐるものなどは確に中間成立のものだが、そればかりで聖人自身の口伝が無いとなったら、日蓮宗の法門は三秘の詳説が無く、俗士に送られた観心本尊鈔、三大秘法鈔、開目鈔などが根本聖典となるといふ矛盾を生じることにもなる。

これは宗教史家の陥り易い所だ。教学を知らないで宗教史を論ずると凡俗史になり易く、知って調べれば贔屓の引倒しになっなり、自分の教学の枠に入らない所をバッサリやってしまふ危険が有る。一仏一世界といふ原則の上に立った上で、本果荘厳身以外に仏を見ようとしないなら、本因妙の本仏なンといふ説は二仏を認める事になって不可だが、先刻の図や教師の説でも見られるやうに、本地自受用の一仏が或は瓔珞細輭の上腿を着て本果身を示し、或は捨文逃逝の悪機の前に垢 廉弊の本因身を示し(信解品)た所で、一仏六或(寿量品)の化と思へば何でもない。

  科学は平凡化の学だ。それだから凡夫本仏などいふ説を紹介するのはいささか気のさすことだが、史料がさういふ思想が富士門徒に存在し、且それが日蓮自身の説と認められる事を言ってゐる以上、内容が平凡でなくてもそっぽを向いてゐては歴史を学ぶ考の役がつとまらない。大体大乗仏教といふものが抑々物凄く大きな物差をもってみるものだ。それを大風呂敷と見るか、仏の実語と見るかは、史家の知った話ではない。

 

 

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