(1) 六巻抄

 

日蓮本仏論は最も富士門徒の特徴を示す法門で且これまで全く学界に紹介されなかったものだから、上来若干の紹介を行って来たが、古来伝へられて来た法門を組織化した学匠として、寛師の所説を一見しておくことは大切なことであらう。師の著書で一番有名でもあり且まとまりの良いのは六巻抄だから、これを要約して紹介しておく。要集では宗義部之三、学全では第四巻に収めてある。

六巻抄は三重秘伝、文底秘沈、依義判文、末法相応、当流行事、当流三衣の六巻で、うち末法相応抄は読誦、造像の上下に分れてゐる。全部漢文で書かれ、対合衆は門徒の人達である。両巻血脈が血脈抄の名で縦横に引用されてゐることは保田我師、要山辰師と変らないから、両巻血脈を所依としない五老門徒の人達に見せるのを目的とした。宣伝乃至対破の書ではないことが察せられる。そのうち末法相応抄のみは要山辰師の読誦造像二論義に対する破折の意を以て書かれたことが巻頭に記されてゐる。三重秘伝抄には啓蒙日講師に対する破文があるが、これは特に講師説対破の目的で作られたといふ程の事ではなく、著迹の序に一当り当ったといふ位のものである。

三重秘伝抄は正徳三年に思ひ立って享保十年まで掛ってゐるが、他の五抄は皆享保十年で、首巻の完成と共に一気に全巻を完成したものと思はれる。その文章は簡にして要を得たもので、引用は相当広範囲に亘ってゐるが、特徴とすべきものは両巻血脈の多い事であり、且観心釈的論法が有る事は内外の学者にとっては、ひどく難解なものとなる原因といへよう。これもとより内内に示すものとして述作された書として当然であり、従来本書の批判を内外から試みた学者が、とかく無視した為に見当を誤った原因でもある。

 

 

@      三重秘伝抄

富士家独特の教相学たる三重秘伝を説いて後五巻の法門を起す起首分である。三重秘伝とは寿重文底秘沈の事の一念三千を明す法門だから、その依文として開目抄の文を分析する。

標  一念三千の法門は

釈  但法華経の――権実相対

本門寿重品の――本迹相対

文の底にしづめたり――種脱相対

結  竜樹天親知てしかもいまだひろいいださず――正法未払

   但我が天台智者のみこれをいだけり――像法在懐

この種脱相対は太田抄(稟権抄)に、

464)法華経与爾前引向判勝劣浅深当分跨節の事有三様日蓮が法門は第三の法門也 世間粗如夢一二をば申ども第三不申侯(艮1648)

とある「第三の法門」であって、之を図解すれば、次の如くである。

 

 

台家の三種教相の前二を束ねて一とし、第三を当家の第二教相とし、当家独自の第三教相として種脱を立てる。その依文は十法界事の、

465迹門大教起爾前大教亡本門大教起迹門爾前亡観心大教起本迹爾前共亡艮291)

によって爾前迹門本門観心と従浅至深する「四重興廃」と、観心本尊鈔の彼脱化種と本因妙抄玄七ノ三、百六箇下種三種教相だ。本師は書名のみを出してみるが、今ここでは具文を紹介する。

466三四重浅深一面有名四重一名体無常義爾前諸経諸宗也二体実名假迹門始覚無常三名体倶実本門本覚常住四名体不思議是観心直達南無妙法蓮華経也湛然云雖脱在現具騰本種云云

次躰四重者一三諦隔歴体爾前権教也二理性円融体迹門十四品也三三千本有体本門十四品也四自性不思議体我内証寿量品事行一念三千也

次宗心即具三干是即末法純円結要付属妙法也云云

次用四重者一神通幻化用今経已前所明仏菩薩出假利生事二普賢色身用即於二一身中具十界事也亘本迹一代五時三無作常住用有証道八相無作自在事也四一心化用或説已身等也

次教四重者一但顕隔理教権小二教即実理教迹門三自性会中教応仏本門也四一心法界教寿量品文底法門自受用報身如来真実本門久遠一念之南無妙法蓮華経雖脱在現具騰本種勝劣是也(要相6)

十法界事は佐前の御書で四重興廃の標文しか示されてないが、ここに至ってその内容が明かにされる。若し本因妙抄を偽書とするならば、聖人は四重興廃の提出しつ放しをしたことにたり、此事為不可である。次に百六箇は脱益三種教相の文と照合せねばわかりにくいから、本師は引用しないがこれも併せてお目にかける。

467脱益三種教相本迹 二種迹無開会 一種本有開会也 一種開顕二種不開会 所従春属教相也(要相22)

これは台家の教相を所従と下し、前二種を束ねて迹無開会とし、本迹の教相のみを開顕の教相とし、次の下種教相の下拵えをするものである。前二種を不開会とするのは共に、迹門の所説で開近顕遠以前の所説だからである。

468下種三種教相本迹 二種迹門一種本門 本門教相教相主君 二種二十八品 一種題目也 題目観心上教相也(要相31)

二種は二十八品とあるから、台家の第三教相もこの中に入れられてある。この論法は本因妙抄玄義七に、

469一代応仏寿量為迹

止観第一に、

470脱益法華本迹共迹

とあるのと同じだ。通行の御書には勿論顕説されてないが、

471日蓮は広略を捨てて肝要を好む所誦上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字也(法華取要抄 艮1043)

472今末法に入ぬれば徐経も法華経もせんなし但南無妙法蓮華経なるべし(法要書1717)

とあるのがこの密説に当る。

※要集旧版は「本門ノ教相ハ教相ハ主君」とあるが、学本創価本共に「教相ハ教相ノ」に作る。要本のは誤写と見るべきだ。

種脱相対も下種三種教相も、御書に名目はあるが両巻血脈を除いて詳説は無い。両巻血脈を偽書と考へる学者が寛師説を己義法門だとするのはその(誤った)大前提からは当然の帰結だが、それでは種脱相対と第三教相は何かと、筋の通った説明をするのでなければ日蓮教学としては落第だ.。

本師は論を十門に分ってゐるが、今のは第二門だ。第六門に至って当時盛だった本迹論を扱ひ、二十八品本迹の台家通用の当分教相の上に立って啓蒙日議師の説を与奪両釈を以て批判する。即ち与釈は本迹を法体一致約行勝劣とし、奪釈再往は久成顕本の勝劣を立てる。

第七門は文底の語につき古来の諸説を列挙した後、本因妙抄を引いて久遠名字の妙法これなりとし、当体義鈔、総勘文鈔を傍証とする。本師は引用せぬが百六箇抄にもこれと同じ説が有る。

第八門に三種の一念三千が示される。之を図解すれば、

 

 

文証は をあげ、本迹二門の差は大なりと雖も文底に望めては竹膜の如しとする本師独特の釈を示す。

※この釈は観心本尊妙文段にも、又次巻文底秘沈抄にも出る。

事と名ける所以は人法躰一なる為で有るとし、依文に御義口伝 本尊七箇相承を引き、本尊報恩両鈔にも是有りと示す。

本抄に所誦三重秘伝とは下種三種教相の事で、末法所依の本法とは一部八巻の本門では無く、寿量文底の下種即脱名字の題目たることを論ずるものであって、下種本法の総論となる。

 

A      底秘沈抄

これは下種本法の各論で先づ法華取要抄を以て三秘の名目を出し、本尊は信行門の施設なりと論じて、法、人、人法体一の三種の本尊を説く。

法本尊は「事の一念三千無作本有の南無妙法蓮華経の御本尊」で文底独一本門の事の一念三千なりと立てる。同じ本門本尊と言っても、他門徒の法本尊とは名同体異である。

人本尊を論じては、

473人本尊とは即ち是れ久遠元初自受用報身再誕末法下種主師親本因妙の教主大慈大悲之南無日蓮大聖人是也(要義三139)

ここでいよいよ日蓮本仏論が正説される。

先づ上行再誕の諸門通同の説を挙げて、正論なれども外用浅近と斥け、内証深秘は、本地自受用身、垂迹上行、顕本日蓮なりとし、その証拠として、

474日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ此は魂醜佐土の国にいたりて(開目抄 824)

475三世の諸仏の成道はねうしのをわりとらのきざみの成道也(上野書1843)

とあるのを保田我師が本尊抄見聞に、

476凡夫の魂塊にあらず久遠名字の本仏の魂醜也(要疏一332)

と釈したのを引き、

477竜ノ口に日蓮が命をとどめをく事は法華経の御故なれば寂光土ともいうべき歟(四条書690)

を、寂光土は自受用土なるが故に土を以て仏身を示したものと論じ、次に通行の御遺文を離れて相伝の「釈尊久遠名字即」

(478)不渡余行法華経本迹 義理同上直達法華本門唱釈迦迹也」今「日蓮」修行ハ久遠名字振舞芥爾許不違也(百六箇 様相29

(「」内は本師引用せず)

「久遠元初唯我独尊者日蓮是也」及び三位順師の「日蓮聖人を久遠元初の自受用身」を、「註要抄」の名で引用する。そして天台伝教にも内証釈尊一体の法門あり、本門行者豈此深義なからんやと示す。

次に聖人自ら末法主師親徳位に約して内証の仏位を説かれた御書多し(之は前に私が若干引用してある)と略説し

て産湯相承の、

479日蓮天上天下一切衆生主君也父母化師匠也今久遠下種寿量品云今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子而今此処多諸患難唯我一人能為救護云三世常恒日蓮今此三界主也(要相46)

を出す。

御書を略して相伝を引くのは本書の門内に示すを主とした事を自ら示してみる。譬喩品の御文を下種寿量といふの「二十八品悉南無妙法蓮華経」(御義口伝)の意である。偽作者にこんな離れ業ができるものではない。譬喩品と書いておけば無事に済むべき文章だ。

次に本因妙教主の依文として百六箇抄冒頭の序文と本文下種教主の文をあげ、釈尊は熟脱の教主、蓮祖は下種の教主と本仏種脱の両用を示し、大慈大悲の文を開目抄の忍難慈勝 報恩抄の慈曠流布の文に依って立て、南無日蓮大聖人といふ理由は聖人の自称、且仏の別号たりとし、

480南無日蓮聖人(撰時鈔 艮1241)

481日本第一の大人(同)

482日蓮一閻浮提第一聖人也(聖人知三世事1337)

483世尊をば大人と申(開目鈔755)

484仏世尊は実語の人故に聖人大人と号(同)

485慧日大聖尊(方便品)

等を引き、日蓮大菩薩とよぶ事は浅識誘法なりと斥ける。

斯くして示された人法二箇の本尊は名異体同にして人法は体一である。諸経論に説かれる法勝人劣の仏は迹仏に約したもので本地真仏は之に与らず、

486)若経巻所住之処此中已有如来全身(法師品)

487)持此経考則持仏身(普賢経)

488)持法即持仏身(文句十)

等を引き、自受用即一念三千の文多数を挙げ、仏の真身は荘厳身にあらずと諭ずる為に、

489)我以相厳身光明照世間無量衆所尊為説実相印(方便品)

は、文句四、弘決六、教時義等に「仏を信用して説法を信受させる為の荘厳である」と釈してある。全剛般若経に

は「三十二相を以て仏なりとするなら転論聖王も亦仏だといふことになる」などと挙げ、台家相伝を引いて、

490)他宗権門の意は紫金妙体に瓔珞細輭の上服を着し威儀具足せる仏を以て仏果と為す。一家円実の意は、此の如き仏果は旦く機の前に面形を着けたる化法なるが故に夫だ無常を免れず。此上に本地無作三身を以て真実の仏果と為す。其の無作三身亦何物ぞ只十界三千万法常住の躰と為す。山家に云く一念三千即自受用身 (明匠口決)

と論じ、重ねて本果をもなほ化儀化法の四教八教を説く迹中化他の応仏で本地自受用とは言べない。本因は本果に勝ると論断する。

本師はここでも台家の釈を引くが、台家のは唯本果に四教八教あり、法身了因報応生因説に止まり本地自受用の注脚には不足してみる。これはむしろ当然で寿量文底の法門が台家に説かれてゐたなら上行所伝法門ではなく、薬玉亦受の法門になってしまふ。この辺は相伝にあらざれば知り難き日蓮宗独自の法門で、如何に法華宗の名を具にするからといって、台家に有るべき法門ではないのだ。前の明匠口決にしても台家の法門を依用する為に引用したのではなく、台家の文を利用して文底法門を説く本因妙抄と同じ手口である。台家では十界三千万法常住の躰を以て自受用身とするが、当家では文底南無妙法蓮華経の本法を説く仏の発見に依って、素法身に近い台家の「自受用身」を現実に生きて働く自受用身たる凡夫身の仏として取上げ直したのだ。

その仏が人の本尊であるから、

491久遠元初自受用身全是一念三千故名事一念三千本尊也可秘々々(要義三)

と断じて法仏一体の本尊を述成して次の戒壇篇を起す。

戒壇は通途に論ぜられる事理両壇の立分けを略して直に国立事壇を説く所は富士門徒らしい行き方だ。そして事壇建立の在所は富士であるべき事を、

一に日本第一の名山なるが故に

二に王城の鬼門に当るが故に、

三に又の名を大日蓮華山と言ふが故に、

の三箇の理証と、本門寺額、身延相承 門徒存知 本因妙口決 の文証に依って論じ、身延の御廟中心説を以て砕身の舎利なりと下し、本門戒壇本尊と末法総貫首の在所なるが故に富士を本山と仰ぐべしと結する。

題目は、本門本尊を信じて唱題行をする。信行具足の題目が本尊題目である。唯唱題さへすれば何を本尊にしても良い、信あらば行なくとも良いといふのではないと、当体義抄、本因妙抄《信心強盛から凡身即仏身也まで》に依って論じ、報恩抄の五字は一部の肝心といふ意を二類四種に分けて分別する。即ち、

 

ここでも本門の題目といふのは本門十四品とか本門寿量とかいふのは文に約しての一往の説で、再往本意は本門寿量文底下種が家の題目なりとなって、寿量品文底大事が引用される。

 

 

B      依義判文抄

これは三大秘法の文証を示すのに、文底の義を以て文上を判ずる、跨節の論法を以てする。開目抄には三秘を文底秘沈と言はれたのに、撰時抄には

492仏滅後に迦葉阿難――天台伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり(艮1216)

と言はれたのは、相承の法門を以て見れば文義顕然であるから義を以て文を判ずる事ができるが、相承を以て見ぬ時は文底秘沈なることを言はれたものであるとし、三秘顕説の文として、法師品に二、宝塔品の此経難時、寿両品に天台の釈とも五、神力品の別付、法華文句一の十を示す。今寿量品の内一箇を挙げて他の九を倒す。

 

 

次に宗教の五義(五綱教判)を説くが、これも富士の特徴と言ふべきものである。

(1) 教

三重秘伝抄に述べられたと同じ。

(2) 機

構索抄を引ひて正像には過去下種在世結縁の者が有るが末法には両者共に衰微し、下種本未有善の直機のみ残るとする。

大判は諸派と同じだが、在世の聞法下種を認めない。其の理由として、在世に下種あらば僅か二千年の後にそれが尽く得脱する筈だしといふ与の説と、熟脱に下種なしといふ奪の説を立て、本末有善の機は熟脱の仏を供養しても下種をされる為の結縁となるにすぎぬと、脱仏供養成仏を否定する。

(3) 時

末法を流布の本時とするのは通説の如し。但し能流の本法は三大秘法と定め、言外に一部乃至本門、八品、一品二半等ではないと限定する。

(4) 国

日本を本門三秘流布根本の妙国とする。

一に日本とは日天子の如くに諸の幽冥を破る文底独一本門の法、所弘の国たることを示す。

二に能弘の人、日蓮の本国たる故に、

三に日は三秘、本は三秘流布の根本たる故に、

聖人出世以前にこの名有るは霊瑞感応の致す所なりと論じ、マカダ国を不害国と言ふ故例を引く。

日本を以て本国土妙とする説は田中智学居士が盛んに唱導したが、これも文証はあげてゐない。本師この説あるは自得の如くにも見られるが、三時弘経次第の存在を見る時、或は相伝法門の公表かとも思はれる。

(5) 教法流布の前後

構索抄を引いて迹本二門の流通と肝要の法未弘を示す。

最後に寿量品及神力品を五義の証文として引用する。

 

 

 

C      末法相応鈔

これは広蔵辰師の読誦論批判として書かれただけに、先づ辰師の読誦論と同じ形で、

(493)末法初心行者許一経論誦否答不可許(要義三254)

と前提し、

一に 正業の題目を妨ぐる故。として四信五品鈔を挙げ、

二に 末法は折伏の時なる故。と不軽品及記の「不読誦」 聖人知三世事の「紹継不軽」 五人所破鈔の「不専一部読誦」を出し

三に 多く此経の謂を知らざるが故。と一代大意を三重秘伝と併挙する。

次に辰師の説を破する遮難分は現証文証の二部に分れる。

(494)一に現証は、辰師が聖人身延在山の時

九年間所読誦法華経一部触手限黒白分色

と言ふのに、対して、天目日向問答記を引ひて

(495)大聖人一期行法本迹也毎日勤行方使寿量両品也御臨終時亦復爾也(要義三3354)

叉、身延山御書に「妙輿論談要文誦持」種々御振舞御書に「眼には止観法華――口には題目」とあるではないか。手にされたとだけなら御説法の為かとも考へうる。たとへ聖人が一部読誦なさったとしても、聖人ならば然るべし。我々を聖人と同等に見られるか。と破し、叉辰師が重須に聖人自筆の妙経を襲蔵し、生御影の前に八軸の安置あり、代師の石経あり、書写即読誦なりと言ふに対し、御自筆の経は大石にも有り、御暇の時、滅後に残す為にお書きになった御経はむしろ化他の義有って、五種法師中の自行の書写では無い。代師は迷乱の為に擯出されなさったと、代師が迹門得道論をしなのに引掛けて、暗に石経は末法の正行にあらずと示す。

文に文証。辰師は転重軽受 真間供養鈔 法蓮鈔等を引ひたが、本師は

イ 転重軽受鈔は竜□佐渡の法難を身読と言はれたので口業読誦ではない、

ロ 造仏は一縁の為で本意ではないから、開眼にも正則を用ひない、

ハ 法蓮の五部転読は念仏者に比べて正業なりとほめられたのだと反論する。

一部読誦可否の論は源日蓮聖人の四信五品鈔及不軽品の御文を如何に解釈するかで起って来る。そして両師ともこれに言及して来るから、先づその依文を紹介しよう。

(496)五品之初二三品仏正制止戒定二法一向限慧一分慧叉不堪以信代慧信一字為詮――信慧因名字即位也―問云末代初心行者制止何物乎答日制止檀戒等五度一向合令稱二南無妙法蓮華経為一念信解 初随喜之気分是則此経本意也―文句九云初心畏縁所紛動妨修正業直専持此経即上供養廃事 存理所益弘多此釈云縁者五度也初心者兼行五度妨二正業信也―云直専持此経者非亘一経専持題目不雑余文尚不許一経読誦何況五度云廃事存理者捨戒等事専題目理云々云所益弘多者初心者諸行与題目竝行所益全失云云(四信五品鈔 艮1539)

最初威音応如来既已減度正法滅後於二像法中―有一菩薩比丘名二常不軽一是比丘不専読誦経典但行礼拝(不軽品)

辰師は、

一 「不雑餘文」の文に就き、題目の外餘文を交へずとならば方便寿量二要品を読む大石の行儀も誤りだとする。(学八463)

二 不軽に読誦行あり、文句十に不軽の読誦は了因仏性なりといふ。(学八465)

三 不軽折伏行に縁して五人所破鈔を引き、四悉の取捨は時に従ふべし、逆縁下種には但唱五字不読一部、順縁の門弟には一部読誦。(学八467)

四 今経中読誦を勧奨したまふ文多し。(学八473)

等の論を立ててゐるので本師も之に対して、

一 題目正行二品助行の文証(月水鈔等)を踏へて

正業――専持題目不雑餘文、

助行――不許一経読誦何況五度、

と分段して拝すべし。

二 辰師に五失あり、として、不軽の読誦は威音上仏より多劫の後、雲自在王仏の時なり、聖人の不軽を論じ給ふは唯威音上像法の不軽にして、雲自在王仏会下初住の不軽は今の所談に非ず等言ふ。

三 取捨得宣不可一向とは末法に折伏を取るのが宣しきを得るといふことだ。順縁の者は弟子になるといふ御書は有るが、順縁には一部読誦といふ文は無い。

四 今経に勧奨しなまふ「読誦」とは唱題であることは、天台大師の語、報恩鈔の文に明かである。読誦の文に泥んで意を失ってはならぬ。

と破する。なほこの外に「不等読誦」の文法に就いて妙楽大師は「不専は専の対である」と言ひ、正法華には「不肯読誦」と訳してあると指摘してゐるのは注目に値する。

そして

一 受持の一行のみで成仏するから(御義口伝)五種を行ずる要なし、

二 受持の一行に五種を具す(法師功徳品)

三 末法に五種修行を具足する事能はず

の三段に読誦の不要と不可能を論じ、翻って

一 此の経の謂を知り、

二 正業を碍げず、

三 折伏を碍げない、

といふ三事相応の人ならば一部読誦然るべしと与へ、末法には斯る人無かるべしと奪ふ。更に化他の正意は題目に在るが、助証に於ては一切経に通達すべしと、一部読諦を遮するのは修行門にあって習学門に無いことを断って終る。

下の造仏論の書き出しは前の読誦論と同形で本文の論法も前と同じく、先づ理証として、色相荘厳仏の本尊にならぬことを論じて、

一 熟脱の教主なる故に、

二 三徳の縁薄きが故に、

三 人法の勝劣あるが故に、

の三故を挙げ、次に文証として法師品の、

(497)若経巻所住之処皆応レ起レ塔不レ須三復安二舎利一所以考何此申已有二始来全身一

の有名な全身舎利の御文を台釈と共に挙げ、本尊問答鈔 門徒存知 を出し、餘の文証を略す。これは遮難で用ひるからそれに譲ったのである。

遮難段も前の如く辰師説を一々論駁してみるが、これに出てくる辰師説は、

一 法華題目鈔に

(498)法華経八巻一巻一品或は題目、堪へならん人は釈迦多宝の画像彫像、十方の諸仏普賢等取意(艮340)

とあるから、二尊四士を法華経の左右に造立すべし

二 真間供養鈔 四条釈迦仏鈔 目眼女造立鈔 等の実例あり

三 観心本尊鈔の「仏像し」は色法像なり

四 報恩鈔の本門教主釈尊を、大聖人の御事なりとすれば名字却の凡僧を中央にして左右に両尊を安置する事になって不可なり

五 本尊は久遠元初自受用身にして、但本果に限って本因に亘らず

六 若報身に因位あらば五十二位中何処に本果の報身を立てんや

七 日興師に造仏制止の文無し

等が挙げられ、之に対して寛師は、

一 これは佐前の御書である。且本御書には四大士に言及して屠られぬのに何故二尊四士と言ふや、

二 在世の造像は

一 に一宗弘通の始なる故に用捨あり

二 一国釈尊に背く時に造立せるを嘉賞し賜ふ容与の御筆なり

三 聖人の感見の前には一体仏も自受用なり

故に一機の前の一体仏造立なるに御褒美の言あり

三 観心本尊鈔の大旨は大曼茶羅を説き給ふ、大旨を忘れて文節に、拘泥しては意を失ふ。妙曼は文底下種の自受用にして人本尊の義ある故に仏像と言ひ、自受用とは日蓮聖人の御事なる故に出現と言ふ。仏像の語は本絵に限らず、

四 報恩鈔の文諸家の説ありと雖も、

一 種脱を混済して脱益の仏を本尊とす

二 釈尊の語を色相荘厳仏に。限定すれば二重になる

三 大聖人即曼茶羅なり、聖人の外に別に金色の仏菩薩が有るにあらず

四 聖人の本地自受用身を抑へて名字凡夫の前相に執し、三徳の大恩を忘る

五 聖人は本因妙の教主なるに之を本尊とすることを拒む

等14目の誤あり、本門教主釈尊とは人法体一の大曼茶羅なり

五 久遠元初とは但本因名字に限り、本因初住にすら通せず

(238)久遠元初直行本迹 名字本因妙ハ本種ナレバ本門也(要相27)

(499)本門付属本迹 久遠名字ノ時受ル所ノ妙法ハ本上行等ハ迹也(同31)

本師の引用は僅に二つだが百六箇に久遠元初を名字即位とする文は甚だ多いので省略されなものであろう。

辰師の「元初本果説」は台家の釈を用ひて富士門徒通依の両巻血脈に説く元初名字本因説を破らうとするのだからその出発点に於て無理が有る。辰師は文底法門までも台家に文証を求めようとして、久遠元初名字報身と云ふ事が台家に証文無しと退けてゐるが、それこそ正像未払上行所伝の法だる所以であるとする寛師の破に当る。日蓮聖人が度々台家の釈や相伝を引かれなのは、文を借りて義をあらはす為であって、証権をそこに求められなものではない。上行は薬王の助言を必要としないのが神力品の教相だ。

六 「五十二位」は附順権教の談であって法華とは無関係である。「名字即の位で即身成仏するから円頓の教には位の次第は無い」

七 興師に造仏制止の説あり

辰師は言及して居ないやうだが、寛師は別に人法体一の依文として新しく宝軽法重事を紹介してゐる。又、久遠元初の仏身が本因本果の何れに属するかが根本的な論題だから、辰師が重ねて、

(500)准是本果報身如来事也(学八455)

と本果説を主張するに対して、本果仏は常に四教五味の説法をなさるから今日霊山御出現の釈尊と同じく応仏昇進自受用である。しかし今日の本果は本の久遠元初の本果に劣るーーこれは辰師も結論は同じーー今日の本果は迹因門を開いて本果門を顕す故に劣り、本の本果は釈の本果を開いて本の本因独一本門を顕すから勝る。と、因本果迹を強調する。そして造像を可とするならナゼ興師は造立せられなかったか、興師順師代師等が広布の時には造像しても良いと言はれなともみえるお筆のあるのは、広布の時によせて当時の造像を抑止されなものである。と結ぶ。

 

 

D      当流行事鈔

これは読経唱題の修行を説いてゐる。先づ方便品を読む理由を説明するのに五人所破鈔を引いて所破借文の両義を立て、この両義は一体の両面である。方便品所詮の法門は未開迹の覆蔵教(観心本尊鈔)だから所破となるが、能詮の文は十如実相開三顕一で、これを寿量品の体内に摂すれば真実の法だから方便品の文を借りて寿量の義をあらはすのだ。所破の為といふなら爾前経を読んでも良いではないかといふ天目の義は、既に天台が破失しな爾前を読む必要は無く、爾前には実相開顕の文が無いから借文の義を成せぬ。寿量の意を以て方便品を読むので、寿量品から離れな方便品を読むのではない。

寿量品まな所破所用の二義がある。即ち文上脱益を破し文底下種を用ひる。之を借文と言はないのは、寿量品の文底に.種本の義を沈むること、方便品の但一念三千の文のみ有って義無きに同じでないからである。保田で両品共所破と言ふのは一義を挙げなだけで完全でない。諸門徒が二要品以外の読誦をするのは聖人の古風を仰がず、自分発明の新義を立てるものである。

唱題とは末法三宝に対する信行である。法華一部を法主、釈迦多宝両尊を仏宝、上行等を僧宝とする諸流の義は在世三宝で末法に通せぬ。末法下種の三宝とは本門大本尊が法主、仏宝は大聖人、僧宝は結要伝受の日興上人である。文底寿量品は能説の経、所詮の法体は妙法五字である。具体何物ぞとなれば、本門大本尊であり、即蓮祖大聖人である。と、妙法五字は法仏一如の本法なり且仏名であると示す。

僧宝の與師に主付けて説かれてゐるが、《128》の意によれば代々の法主にも被るものであり、且これを仏宝に亘らせて見ることもできる結局この末法三宝は一体の三名といひ得るであらう。

日蓮聖人を仏宝とするに就いて再び日蓮本仏論が説かれる。先づ日蓮本仏論は聖人を上行なりとする法門を遮するものでなく、其から今一段立入っな相承の法門であると冒頭して、

一 種脱勝劣故。諌廃八幡鈔《84》を引いて、

一 に日月の勝劣をあげて、国名、順逆、長短の三義を立て、二に種脱勝劣をあげて不治謗法と不軽逆化を対比する。

二 行位全同故。《88》聖人と久遠名字の本仏とを較べる

三 本因妙教主故。《243》ここで寛師の引用するのは辰師が《379》に全く反対の結論を出す為に引用しなのと同文である。辰師はそこで「下種法華とは本因妙の題目で、それを修行して童形の釈迦が観行相似と昇進して初任に登っな所が本行菩薩道、本果に昇りつめな所を自受用報身といふのだ」と説明しなが、本師は前分を従本垂迹、後分を発迹顕本とし、顕本の後は自受用即日蓮とする

四 文証分明故《105》

五 現証顕然故《474》文底秘沈鈔再説

五箇條をあげてゐる。文底秘沈鈔の再説と見ても良いが、第三項で同じ文証を引きながら辰師と反対の結論を出してゐるのは面白い。

 

  

E      当流三衣鈔

富士門徒の服制を論ずる。僧が素絹五條を用ひる理由として、

一 末法下位を表す、

二 末法折伏行を表す

の二を挙げ、衣に薄墨を用ひる理証を示して、

一 名字即を表す

二 他宗の綾羅青黄等を用ひて、俗子の愛敬を求むるに簡異す

三 順縁の者を集り易からしめ、逆縁の者に瞋を起さしめて毒鼓の縁と為す

四 富土門徒なる自覚を促す

の四を出し、その証拠として、

一 重須生御影(日蓮聖人研究第一巻口絵山川智応)

二 造初御影(犬石寺蔵)

三 鏡御影(鷲巣 鷲山寺蔵)

の三箇御影をあげる。もっとも彫像は後年色を塗りかへる事もありうるし、香の煙で変色しても文句は言へない。

日蓮聖人研究第二巻に天正十三年采色の文書を紹介してゐる

四 御書類聚に大聖人薄墨袈裟真間に在りと、

五 四菩薩造立鈔。薄墨衣、同色袈裟(艮1854)

六 阿仏房鈔。絹染袈裟(艮1952)

これは絹染とあるだけだから証拠として弱い、前と関連させて本師は薄墨だらうと推定してみるが、

七 興師二十六箇条。衣の墨を黒くしてはならぬ(要類299)

右の七箇条のうち、特に証拠力の強いものは第五と第七であらう。更に本師は、直綴は法服の変化だから、既に法服を着ないのだから直綴も用ひるべきではない、裳附衣は伝教大師の御相伝を慈覚大師が用ひなものである。従って用ひて何等差支無いと、外相天台(法華宗内証仏法血脈)の風を見せ、黒衣は実は藍染で、染める時沢山の虫を殺すし、大法鼓経には黒衣謗法とあり、仏制に違す。紫衣等は俗情にこびるものである。等と論じ、当家は大衣中衣を用ひないが、袈裟、衣、珠数を以て三衣とする。袈裟に白色を用ひる時もあるがこれは、

一 理即を示し

二 蓮姐御用ひ有り

三 泥色(薄墨)衣の上に白袈裟をかけて泥中白蓮華に警ふ、等と言ひ、摩耶経大集経法域尽経等の白衣法滅とぼ月氏の俗人が白衣だった事に依るもので日本では白衣が却って浴衣に簡異すべき正服なりと会通し、進んで白色は大白法流布をあらはすと白衣に建設的な意義を与へ、最後に三衣の功徳を説いて終る。

 

 

 

 

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