第19章 距離は死に、位置が重要になる

 

 

テクノロジーが距離を葬った。通信費は限りなく無料に近づき、さまざまなソフトウェアで人はこれまで以上につながるようになり、"どこにいるか"がかつてないほど重要になる。

 

 

 わたしたちは"距離の死"を目撃しているのだろうか? フランセス・ケアンクロスは『エコノミスト』誌編集主任だった1997年、上梓した著書『距離の死』の中でそう問いかけている。彼女の結論はこうだ。

通信費の決定因子である距離の死は、来世紀前半の際立って重要な社会形成力になるだろう。その力は、おぼろげにしか想像できないやりかたで、どの場所でどんな仕事に就くかという個人の決断と、国および主権についての概念、国際貿易のパターンを変える。

 当時アメリカ第2の長距離電話会社MCIが固定客向けに、母の日の無料通話サービスを行なったことを高く評価し、ケアンクロスは将来のどこかの時点で、毎日あらゆる場所が母の日になると予言した。

 

 

通話は安い

 多くの者にとって、ケアンクロスの言う未来はすでに実現している。スカイプやグーグルトークなどインターネットサービスのおかげだ。デスクトップ機やノートパソコンやスマートフォンにソフトウェアをダウンロードすることで、同じプログラムを持つ相手とは無料でしゃべり放題になる。普通の固定電話回線や携帯電話との通話料金も限りなくただに近い(2011年6月現在、スカイプならイギリスからアメリカに電話をかけても通話料は1分間わずか2セント)。固定電話で話すほうが好きな者にとっても、通話は極端に安くなった。ケアンクロスの著書が出版された当時、合衆国と経済協力開発機構(OECD)内の他国とのピーク時における1分間の平均通話料金は81セントもしたのだ。

 安価な音声通話は端緒に過ぎない。テクノロジーの預言者たちは、ドイツ帝国郵政省が初めて公共画像電話サービスを開始した1936年以来ずっと、映像通信の勝利を予告してきた。今、それが実現しようとしている。例えばユーザーどうしは無料で動画通話ができるスカイプでは、2010年の上半期にユーザーがスカイプを利用した総時間950億分の40パーセントを動画通話が占めた。

 スカイプやグーグル、アップルのiチャットが提供する動画通話は、自宅にいるおばあちゃんをにっこりさせるにはじゅうぶんかもしれないが、現時点の画質と信頼性は、職場の通信手段として、直接顔を合わせる会議に取って代われるほどではない。そこで、シスコ、ヒューレツト・パッカードなど数社が、”テレプレゼンス”を開発した。特設のスタジオに絶妙に配されたカメラとマイクによって、別々の場所にいるユーザーどうしが文字どおり目と目を合わせ、また音声は、話し手が映し出された大画面モニターの方向から聞こえてくるようになっている。高速ネットワークと優れたデータ圧縮技術が瞬時の通信を可能にし、参加者は会議が始まって数分後には、全員が一室にいるように思い始める。

 そういうスタジオの利用には、まだまだ経費がかさむ。しかし、価格が下がってくると、企業世界ではこの種の通信がたちまちあたりまえのものになるだろう。今後数10年のあいだに出張回数は大きく減少すると思われるが、そのかわりに夜更かしをしたり早起きをしたりして、タイムゾーンが異なる同僚とのテレプレゼンス会議に出席しなければならなくなる。

 最終的にテレプレゼンス技術はおそらく、今よりさらに大型化、薄型化が進んだテレビ受像機に組み込まれてリビングルームへ進出していくだろう。新たな使い道を考え出すのは消費者だ。すでに親戚と映像通話で”スカイプディナー”を楽しんでいる家族がある。常時通話状態にして、キッチンのディスプレーを相手先の家への窓にしているユーザーもいる。どちらの慣行も、未来の持つ可能性を示している。未来の家では、居室が映像壁面に囲まれ、遠く離れた別の場所とヴァーチャルに隣接することになるだろう。

 

 

個人の速力と永久運動

 距離を消滅させるもうひとつの方法は、超高速で移動することだ。フィリアス・フォッグ(訳注:ジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』の主人公)は世界を一周するのに80日かかった。未来のフォッグには、スーパーカーから高速列車および超音速ジェット機まで、広い選択肢がある。コンコルドが飛ぶことはもうないかもしれないが、現在、少なくとも一社が”超音速ビジネス用ジェット機”を開発中で、完成すればその飛行機は最高速マッハ1.6、乗客をニューヨークからパリまでおよそ4時間で運ぶ。

 速くなっているのは人々の移動手段の最高速度ばかりではない。”個人速力”(Doppirという名のソーシャルネットワークサービスで認知度の上がった概念。ユーザーの移動距離をもとに算出する平均速度のこと)の平均値もそうだ。空の旅を例に取ろう。世界の有償乗客マイル(同一飛行機に搭乗した運賃払い乗客数に航行距離を乗じたもの)は、1970年以来9倍になった。あるいは自動車の場合、裕福な国の住民100人あたりの自動車保有台数は50台に近づきつつある。1990年の中国の路上には、わずか550万台の自動車しか走つていなかったが、今では9000万台以上か走つている。

 この傾向は続くだろうか? ある程度まで行くと、向かい風が吹いてくるはずだ。より速くより安く電子情報が移動できるなら、移動しなければならない原子の数は少なくなる。テレビ会議が増えると、出張予算は削減されることになる。自動車台数がこのまま増加すれば、環境に恐ろしい結果を招かずにおかない。ある計算によると、中国のひとりあたり自動車保有台数がアメリカ並みに達したら、中国の全車両か排出する二酸化炭素量は、今日、世界の全車両から生じる二酸化炭素の量の倍になるという――たとえ燃料消費量が平均を下回ってもだ。

 そういう懸念を考慮すると、2050年の人々の移動速度は(誰かかスタートレック式テレポーテーションを発明しない限り)、2012年からたいして速くなっていないかもしれない。それでも、ほかのさまざまな面で生活速度は上がりつづけるだろう。スマートフォンその他のモバイル技術のおかげで人々は、絶えずつながったまま移動しているはずだ。デジタル遊牧民の時代へようこそ。

 

 

モバイルミラクル

 音声通話の低価格化と映像通信の質の向上が継続することで、明らかに人と人の距離は縮まるが、ほんとうの意味で人と人を結びつけるのはモバイル技術だ。「多くの人が携帯電話を、財布か腕時計のようにあまり意識しないで持ち歩くだろう」と、ケアンクロスは書いている。富裕国では何年も前からそうなっている。ほとんどの先進国が今や、人口をはるかに上回る台数の携帯電話を保有している。そして貧困国でも驚くべき速さで、携帯電話はおなじみの機器になりつつある(図19.1、19.2参照)。

 

 このモバイルミラクルが可能になったのは、プロセッサとその他の電子部品がどんどん安く、どんどん高性能になってきたからだ。これからもその動きは変わらない。簡単な携帯電話なら、今や10ドル以下で手に入る。携帯電話の通話は、貧困国の多くの者にとっても手ごろな値段になった。インドでは1分の通話が1セントもしない。

 モバイル技術は、世界から取り残された者を国際的な主流に引き寄せるだけではない。市場を効率化するツールにもなって、先進国とのあいだにあるインフラストラクチャーの大きな格差を、貧困国が一気に埋めることを可能にする。例えば、収穫物をいつどこに売ればいちばん得かを電話で知ることができるなら、農園主にとって貧弱な道路網の不利はうんと小さくなる。世界銀行によると、典型的な発展途上国で100人あたりの携帯電話台数が10台増えれば、GDP成長率を0.8ポイント押し上げる効果があるという。

 もうひとつ強力なツールとして、テキストメッセージで現金を移動させるモバイルマネーが挙げられる。そういうサービスで最も成功した一例が、2007年にケニアで始まったMIPESAだ。4年後には、人口3800万人の国で1200万人以上のユーザー数を誇るまでに発展した。今やこのサービスは給料や請求書、寄付の支払いにも利用され、携帯端末一台で買えないものはないと言っていい。

 このモバイル革命の次の波がすでに富裕国で起こっており、それはやがて発展途上国にも広がっていくだろう。そこにはスマートフォンやタッチスクリーンを備えたワイヤレス・ハンドヘルドコンピューター、タブレットコンピューターが含まれる。これら新しいモバイル機器のうちの最先端のものは、10年前のノートパソコンより性能が高い。

 しかしスマートフォンとタブレットを強力なツールにするのは、それが持つ驚くほど高い演算能力ではなく、そこに搭載された”アプリ”だ。アプリとはダウンロードして手に入れるアプリケーションのことで、最近では”クラウドコンピエーティング”、つまりデータセンターからインターネット経由で配信されるデジタルサービスに接続していることが多い。代表的な例が地図アプリだ。ほとんどのスマートフォンが人工衛星を利用した全地球位置発見システムGPSを利用して自分の位置を確認し、それからアプリが必要な地図をダウンロードして現在地を示す。

 2007年にアップルのiPhoneが世に出てからわずか4年のうちに、そのようなアプリの数はゲームから情報サービス、電子書籍リーダーまで合わせ、すでに数10万を数えるようになった。ユーザーはたいてい指一本で、あらゆる種類の情報にアクセスできる。しかし中には、文字どおり物理的距離を克服する必要を捨て去ったアプリもある。個人だろうがグループだろうが常時つながっていられるのだ。

 そういう”グループメッセージング”サービスで最も人気の高いのがブラック・ベリー・メッセンジャー(BBM)で、これはカナダのRIM(リサーチ・イン・モーション)社製のスマートフォン、その名もブラックベリーに搭載されている。ユーザーはグループを作り、グループ内の他のメンバーにメッセージを送る。メッセージには画像を挿入するこどもでき、料金は無料で、通常2秒しないうちに世界じゅうの相手に届く。BBMを始めとするこういうサービスが開始される前は、同様の交流を持つために人は物理的に集まらなければならなかった。

 BBMは欧米諸国、とりわけメールの送受信にまだ高額の利用料を払わなければならない国で、10代の若者に非常に人気がある(2011年夏、イギリスの各都市で若者の何人かが暴動を指示するのにBBMを使ったことがわかった)。しかし多くの発展途上国でもユーザー数を急激に伸ばしているのは、サービスを利用することで、集会の自由を制限する法律を回避できるからでもある。現実社会では政府は比較的簡単に、国民に集会を開かせないようにすることができる。3人以上が集うことを禁じるのは、独裁主義体制維持のためによく使われる手だ。仮想空間でそういう禁止令を施行するのは、現実の世界よりはるかにむずかしい。

 今後数10年のあいだに、こういうサービスはますます増えて消費者を引きつけ、より緊密な通信網が作られていくだろう。通信インフラが拡大され、”リアルタイム”なヴァーチャルサービスを求めて激増する需要に応えるはずだ。

 

 

しかし、だからこそ位置が重要になる

 わたしたちの住むこの世界は、日増しに”常時接続”の度を強めている。そこは人が絶えずつながり、多くの意味で距離がかっての重要性を失った世界だ。しかし、距離が死ぬと奇妙なことが起こる。人と物の物理的な位置が、いくつかの点でかってない重要性を持つようになるのだ。

 今後数年のあいだに開発されそうな新しい通信サービスを例に取ろう。その中で最も創意に富んだものの多くが、ユーザーの今いる場所、つまり、現に目にしている街路や車を走らせている道路、目的地の町などをもとに、きわめて利便性の高い情報を提供する機能を売りものにするだろう。そういう”拡張現実”は、距離を消滅させるというよりむしろサービスに取り込むことで、現実世界と仮想世界を結びつける。

 あるいは通信ネットワークそのものを取り上げよう。確かに通信は際限なく速く、安くなってきている。しかし、それにつれて、少なくともある種のアプリケーションでは、ネットワークの物理的な位置がより重要になる。例えば、オンライングーム会社は、どこにデータセンターを置けばユーザーへのレスポンス時間を可能なかぎり短くできるかで、懸命に知恵を絞る。

 投資銀行やその他の金融機関にコンピューターシステムを構築する業者は、位置の問題に過敏なまでの神経を使わなくてはならない。高頻度取引で競争相手に100万分の1秒後れを取ると、年間では数1000万ドル単位の利益が失われるかもしれないからだ。「今やわたしたちのなかで、光ファイパーケーブルを光が1フィート伝うのにどれぐらい時間がかかるか、知らない者はない」アメリカのある大手取引所の最高技術責任者は言う。金が生み出されるかぎり、このデジタル版ウサギとカメの競走は続くだろう。

 もっと重要なのは、どこからでもログインできる(当然、仕事もこなせる)となると、住む場所をかなり自由に選べるということだ。つまり、都心に住むことにこだわらなくてもよくなる。しかし、それによって他の推進力、特に、人はうまの合う者どうしで群れたがるという事実が作用するようになる。とりわけアメリカの社会科学者で都市生活語研究家リチャード・フロリダが分類した”クリエイティブ・クラス”(その大部分を占めるのが、高い技能を持つ知的職業人)は今や、勤める会社の本拠地よりむしろ自分が魅力を感じる場所でのびのびと暮らせるようになっている。この推進力が今後どう展開していくかにもよるが、より安価でより優れた通信インフラストラクチャーは、じつは人と人とを近づけるもので、引き離すものではないのかもしれない。

 そのうえ、データ網によってフラット化した世界では、人と人を引き離してきたさまざまなこと、とりわけ文化的な違いが以前より目立つようになり、重要になった。数年前、複数の大手ソフトウェア企業が、インドなど人件費の安い外国にプログラミンず業務を移転した。そういう動きは今なお続いているが、分業という発想自体、しだいに先見性に富むものになってきている。商品開発は今後もどんどん細分化し、その中の特定の職務は、文化面および規制面で最も条件のよい場所で行なわれるようになるだろう。例えば、ドイツの最大手ソフトウェア会社SAPは、革新的なユーザーインターフェイスやマーケティング戦略作りに関する業務を、両分野で並ぶもののないカリフォルニアのハイテク地域、シリコンバレーの研究施設に託す策を採っている。また、インドはソフトウェア開発の人材が豊富で、最新のプログラミング言語とプログラミングツールの扱いに長けており、だからSAPの新製品の多くはインドでプログラムが書かれる。そして、思考の厳格さで知られるドイツの開発業者が、SAPのエンタープライズ・アプリケーションのビジネスルールと統合アーキテクチャー作りに重点的に取り組んでいる。

 最後に、電子通信は人と人を近づけるのではなく、新たな方法で人を孤立させつつあるという証拠がぞろいはじめている。少なくともアメリカでは、人々は他者としゃべることに興味を失いつつあるようだ。市場調査会社ニールセンによると、携帯電話の加入者が自分の端末で話す時間は、2007年からの4年間で、1ヵ月あたり100分以上短縮され、700分(着信を含む)になった。また、業界団体CTTIA(セルラー通信インターネット協会)の調査から、同時期に1回の平均通話時間が3分8秒から1分40秒に急落したことがわかる。

 もっと興味深い (もしかすると、もっと気がかりな)のは、ティーンエイジャーたちが友人と時間を過ごそうとせず、オンラインで、それも多くの場合、世界最大のソーシャルネットワークであるフェイスブックで他人と関わるようになっていることだ。科学者の中には、この種の活動が人間の脳を変化させ、長期の関係を築くことより短期のやり取りに重点が置かれるようになると主張する者もいる。今、わたしたちが依存しているデジタル機器は、すでにわたしたちの脳を書き変えはじめている、と二コラス・カーが『ネット・パカ』の中で書いている。カーが主に心配するのは”ハイパーメディア”――クリッキング、スキッピング、スキミング――が思考、特に作業記憶と深部記憶に与える影響だ。デジタル技術が、真の知性の基盤である長期記憶の統合を妨げている証拠がある、とカーは言う。ハイパーメディアも人間関係に似たような影響を及ぼすかもしれない。

 あなたが同意しようがしまいが、そういう問題に関して白熱した議論が闘わされるだろう。そのうち、デジタル通信は非人間的であるという結論に達した”非接続”族なる集団が現われ、みずから、電気コードを抜く、示威行動を見せたとしても、驚くには当たらない。

 つまり、距離の死は数々の意想外の結果をもたらすということだ。通信費と、ある情報を世界の端から端へ動かすのに要する時間という観点からすると、距離は今や、富裕国ではおおむね過去の遺物であり、貧困国でも急速にそうなりつつある。しかし、いくつかの意味では、物理的な位置の重要性がこれから増していくだろう。そして技術が、人と人とのあいだに新しいタイプの距離を創り出すかもしれない。その距離を克服するには、発想力と創意工夫の次なる波が必要になる。

 

 

ハリー・ポッターの魔法写真が現実に

 写っている人物が動いて話す。そんな写真を楽しめるのは、ごく最近までハリー・ポッターとその仲間の架空の魔法使いたちに限られていた。が、2011年前半、イギリスのテクノロジー企業オートノミー社(その年のうちに米国のコンピューターメーカー、ヒューレット・パッカード社に買収される)が提供するサービス”オーラズマ”のおかげで。そういう写真が現実世界の普通人たちの手に入るようになった。ユーザーが自分のスマートフォンにアプリケーションをダウンロードすると、端末が対象を認識し、周辺の関連情報を画面に表示する。そのスマートフォンを、例えばスイスのテニス選手ロジャー・フェデラーの写真に向けたら、フェデラーが勝った最新の試合の動画が再生されるのだ。

 オーラズマは”拡張現実”と呼ばれるものの興味深い一例だ。しかし、それはまた、今後数10年にわたって人類が世界にどう関わるかを示してもいる。仮想世界と現実世界の距離は縮まるだろう。場合によっては、両者はひとつに溶け合うだろう。

 脳波コントローラーは、すでに仮想と現実の収斂を達成しつつある。人類が機械の奴隷として仮想世界に閉じ込められる映画『マトリックス』の脳波コントローラーほど――まだ――洗練されてはいないものの、そういう機器は、医療、市場調査、エンターテインメントなど多岐にわたる分野で実用化されている。

 しかし、研究者たちはさらにその先を行き、人間の頭に直接、脳波センサーを埋め込むことを考えている。インテルの科学者は、ユーザーが考えるだけでコンピューターを操作できるチップを開発中だ。キーボードもマウスも必要がなくなる。他社の開発陣は、人間の頭に小型携帯電話を仕込むことを企てている。もしかすると数10年のうちに、新生児は母親の胎内を出た直後にチップを埋め込まれ、識別番号を兼ねた固有のテレコムナンバーを与えられたうえで世の中に送り出されることになるかもしれない。どういう形にしろ、スマートフォンは将来、持ち主の体内センサーが発したデータを送受信するようになりそうだ(医療は明らがにその恩恵を被る)。そして、2050年までに、携帯電話のバッテリーは運動エネルギーを利用できるようになり、切れる心配がなくなるだろう。

 また、コンタクトレンズはディスプレーと化し、人々は映画『ターミネーター』でアーノルド・シュワルツェネッガーの演じた主人公のように、視野内に重ね合わされた字幕データ付きで世界を見るようになる。シアトルのワシントン大学研究チームはすでに、発光ダイオードを1本搭載し、ワイヤレスで操作するコンタクトレンズを制作した。今後、ダイオードの数が増えていくことは間違いない。

 心待ちにされているのが、汎用即時超広帯域通信だ。ノートパソコンの窓やスマートフォンの画面を通して見える今日の分断型データ世界は、やがて現実世界に重ね合わされることだろう。

 あらゆるものが、他のあらゆるものやあらゆる人に接続したら、どうなるだろう? すべてのナットやボルト、書籍や絵や映画、写真、ビデオなどが、それぞれ独自のインターネットアドレスを持つようになるかもしれない。そういう世界では、人は自宅もしくは仮想3D世界で、あらゆるところがら集めてきた知識を利用して自学自習できる。オックスフォードやケンブリッジ、アイヴィーリーグがあらゆる人に門戸を開くだろう。

 つまり、2050年の普通人は、仮想と現実の境界が劇的にあいまいになった世界に生きている可能性がある。そのとき、人は、人類とコンピューターの全地球的混成ネットワークの節点となるだろう。

 

 

 

 

 


 

第19章のまとめ

 

 

 

 

 

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