第14章   現実となるシュンペーターの理論

 

 

これからのビジネス界では、創造的破壊の嵐が――おもにいい方向ヘ――いっそう猛威を振るう。

予想もしないような技術革新は、これまでのビジネス環境を一変させることに。

 

 

 20世紀半ばのハーバード大学の基準に照らしても、ヨーゼフ・シュンペーターはいささか時代遅れの人物だった。車の運転を覚えようとせず、飛行機には近づかず、なにしろ渋々何かを試すことは一切なくて、ケンブリッジとボストンを結ぶ地下鉄に乗ることも拒んだ。完璧な紳士であることにこだわって、毎朝の身支度に1時間を費やした。写真複写機やカーボン紙など、最新式の道具にはいらだちを抑えきれず、代表作である『資本主義・社会主義・民主主義』では、原稿を複写もとらずに、郵便で出版社に送った。

 とはいえ、この傲慢なところと、オーストリア・ハンガリー帝国の旧弊なところを併せ持った変人も、20世紀が産出した社会変化を精確に予言したことでは、誰にも引けを取らない。シュンペーターにとっての資本主義とは、何よりも、”創造的破壊が放つ不断の強風”だった。この強風は、絶えることなく古いやりかたを吹き飛ばして、新しいやりかたと入れ替える。シェンペーターの考えによれば、起業家とは破壊的イノベーションの実践者であり、いち早く未来に目を向けて、その予想図を実現可能な事業へと変換する人々を指す。またシェンペーターは、歴史は加速していると主張した。古いやりかたが捨てられる速度は増していく。変化は一貫性を失っていく。実業界の人々は自分の行動基盤が消えたことに繰り返し気づかされるだろう、と。

 シェンペーターの説は、没年となった1950年に続く統制資本主義の時代には、無視されることが多かった。この時代は強大な論敵ジョン・メイナード・ケインズの説が大手を振り、J・K・ガルブレイスを始めとするケインズの弟子たちが、経済はひと握りの巨大企業の筋書きによって動くと主張していた。しかし、今やシェンペーターは、カール・マルクス(資本主義の嵐の終わりとともに共産主義の静けさが訪れると予言した)やマックス・ヴェーパー(歴史はかってないほど合理的で官僚的で予言可能なものになりつつあると考えた)などよりも、深く遠く先を見通した予言者として、正当に評価されている。だからこそ、ローレンス・サマーズ――ビル・クリントンの下で財務長官を、パラク・オパマの下で首席経済顧問を務めた人物――も、シェンペーターが21世紀で最も重要なエコノミストになる可能性はじゅうぶんにある、と論じたのだ。

 われわれが並はずれた乱気流の時世に生きていることは、言うまでもない。続々と出版されるビジネス書の題名を見るだけで、それがわかる。”もっと速く”、”不透明な”、”制御不能”、”粉砕”、”早送り”、″思考の速度”、”目を覚ませ”、……。しかし、シェンペーターは、この乱気流の中にもそれなりの理屈が隠されていると説く。起業家は一時的に競合相手の優位に立てるようなイノベーションを繰り返し創造している。そういうイノベーションが経済に打撃の波を送り込むと、競合相手は新たなビジネスの環境に順応すべく努め、制度や組織は新たな現実に順応すべく懸命になる。改善された生産性の価値は限りなく変動する。

 

 

破壊のスピードは高まつている

 ビジネス界の人々が、今以上の荒れ模様はありえないと考えたとしても、それはもっともなことだろう。ビジネス界は、科学技術のイノベーションとグローパルな統合という強力な組み合わせが次々と繰り出す衝撃を目の当たりにしてきたのだ。イノベーション史上で最も速く普及したインターネットは、ビジネスのルールをかってないほど複雑に改変し、何10億もの人々が瞬時に連絡し合える環境を整え、情報産業の姿を変えて、製品を無料で配布しながら首尾よく何10億ドルも稼ぐグーグルのような企業を創り出した。

 そのインターネットを推進力に、あるプロセスがここ数10年にわたって物質的経済の隅々にまで行き渡った。そのプロセスがグローバリゼーション、すなわち、古参のゴリアテの地位を脅かす現代のダヴィデだ。ウィキリークスのジュリアン・アサンジが、BBCやニューヨーク・タイムズなど、メディア界の”巨人”たちを出し抜いた手並みを見てみるといい。また、辺境の地にある企業が、あなたの家を訪ねてドアをたたけるようにもなった。ニュージーランドを拠点に独創的なソフトウェアを扱うポノコは、あなたのアイデアを製品に変えたうえで、世界のどこであれ、あなたの顧客宛てに配送してくれる。

 それではまだ不足だというように、各資本市場はこの乱気流を増大させている。金融機関はかってないほどに力を持ち、どこにでも口をはさむ(投資家は飽かず企業に成果を求める)。そして、これまで以上の不確実性を持ち込もうと――いわば”ブラック・スワン”(訳注:「はじめに」を参照)の群れ全体を解き放とうと――している。2007〜08年、往々にして不透明な金融機関が不可解な証券をトレードしていた問題は、”実在”の企業を根底から揺るがし、何100万という人々を失業へと追いやった。

 このような事態が生んだ結果の中で最も目につくのは、事業体の平均寿命が急激に低下したことだ。1965〜81年までは、『フォーチェン』誌が選ぶ500社のリストのうち、毎年平均で24社が脱落していた。1982〜2006年には脱落組が40社に増えている。そればかりか、この大変動はビジネスモデルの根本的な変化ももたらした。事業体は、堅固な城からネットワークーシステム内の交換台へと、変わり身を強いられてきた。ごく単純にいえば、社外の人材に働きかけて製品用のアイデアを出させるということだ。プロクター&ギャンブルは、アイデアの50パーセント超を社外から調達する。すでにもっと先へと進んだ他企業は、”コラボ型の消費”を導入した。ネットブリッグスとジップカーは、それぞれ娯楽と車のレンタルで市場に革命をもたらした。カウチサーフィンは、寝椅子を余らせている人々と、それを使う権利を買いたい人々を結びつけた。フリッカーとツイッターとリナックスは、数1000人、場合によっては数100万人が共有する労作の成果を取り込み、それを利用してオンライン・コミュニティを創りあげるのに専念している。

 この乱気流は、これから数年で加速度的に激しさを増すだろう。インターネット革命は光速並みの速さに移行しつつある。グーグルは標準的なブロードバンドの100倍超の速さで機能する超高速ネットワークを試行中。シスコの発表によれば、同社の最新型ルーターは、アメリカ議会図書館3棟の全蔵書を1秒強で送信できるという。フェイスブックは3億5000万人のユーザーを惹きつけるのに5年かかった(2009年12月)が、のちにその2倍を超すユーザーを獲得した(2011年8月時点で8億人)。

 しかも、グローパリーゼーションは、終幕より序幕に近い段階にある。スペインのIESEビジネス・スクールで教授を務めるパンカジ・ゲマワットの指摘によると、今のところ国外直接投資(FDI)は全固定投資のわずか9パーセント、国境をまたぐインターネット通信は全インターネット通信の約20パーセントを占めるにすぎない。世界の新興市場は、熱心なグローパリゼーション支持者も呆れるほどの速度で成長し続けてきた。新興市場が総GDPに占める割合は、1990年の20パーセントから現在の約50ハーセントまで上昇している。しかし、くどいようだが、われわれはまだこの大変革が巻き起こす乱気流の序幕しか目にしていない。これは、世界機関に構造変化を迫る新興諸国による乱気流であり、頑強な住民が未来に関する発言権の拡大を迫るような、政治的抗議による乱気流でもある。

 2011年に発生した”アラブの春”を見て気づかされるのは、数多くの新興市場が、形骸化して機能不全に陥った政治体制に苦しんでいる、ということだ。

 

 

技術革新による様々な市場の変化

 製造業界では、これから数10年のうちに、大量生産の登場以来、最大の革命が起こるだろう。大量生産は、巨大な組織と膨大な数の人々の集合体から成る世界を創りあげた。例えば、ヘンリー・フォードが創設したリバー・ルージュ工場は10万人の作業員を雇い、床面積は1600万平方フィートの広さを誇った。これからの製造業は、3Dプリント、つまり”積層造形”によって、裏表と上下が逆転する。裏表の逆転とは、3Dプリントが減法でなく加法で製品を作ることを指す。つまり、材料から塊を取り去ったり削ぎ落としたりせず、一度に一層ずつ材料を積み上げて作る。上下の逆転とは、3Dプリントを使えば、一個の製品を作るのと同じくらい安価に1000個の製品が作れるということだ。これは、美術工芸運動を唱えたウィリアム・モリスたちを始め、大量製産に批判的な面々の理想にかなり近い世界を創る一助となるだろう。夢のような平和のもと、自立した工芸家たちが全盛をきわめる世界だ。そこでは、ごく辺鄙な場所にある小規模な製造業者も、グローバル市場にサービスを提供することができる。そして一般の人々は、既製品を買わずに、自分でデザインした独自の製品を”プリント”できるようになるだろう。

 ほかにも3つのイノベーションが、過激な変化という感覚を増幅し、世界経済に波紋を広げていく。第1に、”モノのインターネット化”により、物体に組み込まれた何百万というセンサー経由で、人と物体が交信し合えるようになるだろう。冷蔵庫が食料を追加注文し、ワイングラスが飲み過ぎを警告し、薬瓶が薬の服用を勧めてくれる。第2に、多数のSF作家によって描かれた世界が遠からず現実のものとなり、人間がやりたがらない作業、例えば、原子力発電所の清掃などのきつくて汚くて危険な作業や、家事などの型にはまった作業が増えても、口ボットが引き受けてくれるだろう。10年くらいのうちに、高齢者や障害者のための個人用ロボットが1万ドル程度の手ごろな価格で入手可能になるはずだ。そして第3に、このロボットたちに電子秘書という形の仲間ができて、われわれの前に次々と現われる情報を整理し、われわれの予定表を管理して、ミーティングの段取りをつけたり、出張の予定を立てたりしてくれる。

 このイノベーションの大波は、民間セクターはもちろん、公共セクターにも広がるだろう。というのも、政府は税金をもっと活用しようと努め、国民(納税者)は民間で手に入るのと同レベルの公共サービスを求めるからだ。インターネットによって共同作業のコストが大幅に削減され、公共セクターが民間さえしのぐほどの根本的な変革を遂げるのは、ほぼ間違いない。国家機関は官僚帝国から”基地”へと自己変革を遂げ、ボランティア団体や民間の事業所や積極的な市民たちと手を取り合うことになるだろう。学校が日々コンピューターを使って基礎となる授業を配信すれば、教師は個々の生徒と過ごす時間を増やせる。医師はインターネット経由で患者の容態を観察し、異変を見つけた場合は患者に連絡して手術を受けさせる。大学は人気のある講義や最先端の講座を擁する”銀行”と提携できるようになる。このような改革は――例えば、学者や医師たちが既得権益を守ろうとして抵抗する、など――専門職の組合との激しい軋棒を生じさせるだろうが、政府は、公共セクターの生産性向上を求める主力から逃れられないだろう。

 新興世界ではイノペーションが大きな渦を巻くだろう。高度成長経済が、肉体労働はもとより、頭脳労働をめぐって富裕世界に挑むからだ。新興世界の巨大企業は、かってないほど洗練された物を生産するようになる。富裕世界の企業は、新興国の頭脳を利用するため、そして、自社工場と成長市場との距離を縮めるために、業務をこれまで以上に新興国へ移動させる。その結果、16世紀(商業革命)以降は西洋の独占下にあった企業活動が、グローバルに広がっていく。新興経済の”突破型”イノペーションは、どんどん数を増やしていくだろう。中国はすでに”モノのインターネット化゛、つまり、製品にセンサーを組み込むことについては世界一の地位に立ちつつある。ケニアは”モバイル・マネー” 携帯電話を利用した支払い)の分野で世界の先頭を走っている。概してアジア諸国は、ビデオ・ゲームに関して世界を牽引している。

 新興世界は、新種のイノベーション、いわゆる”倹約イノベーション”の先導役も務めるだろう。その駆動力は、製品コストを段階的に10パーセント削るというような発想ではなく、一足飛びに90パーセント削りたいという強い願いだ。すでにいくつか、実現した例もある。夕夕の2200ドル自動車、ゼネラル・エレクトリックの400ドル心電計、ゴドレジ&ボイスの70ドル冷蔵庫”リトル・クール”などだ。しかし、スラム街の生活に革命をもたらす300ドル住宅から、安価な遺伝子組み換え食品に至るまで、はるかに規模の大きい製品の開発も進んでいる。これらのイノベーションは、貪しい世界はもちろん、富裕世界の生活をも変えるはずだ。新興世界の国々は、富裕世界にコスト削減や製品価値の向上、あるいは廃業を余儀なくさせるような製品を続々と生産するだろうし、その業務はますます多方面に向かうことになるだだろう。

 新興市場は、福祉の実践について創造的な発案をすることでも、世界をリードするだろう。すでにインドの起業家たちは、大量生産の手法を医療に応用している。デヴィ・シェッティはバンガロールに特化型の病院を創設し、専門化と規模の経済性(この病院では週に600件の手術が行なわれる)を組み合わせて、サービスの質をまったく落とさずに、心臓手術の費用を大幅に削減した。ライフスプリングは、私立病院における出産費用を、対象となる妊婦の数を増やすことで40ドルまで下げた。世界最大の眼科医院チェーンであるアラヴィンドは、年間およそ20万件の眼科手術を行なうにあたり、文字どおり”流れ作業”方式を採用している。4台の手術台を並べ、2名の医師が隣り合った台で手術を行なう。最初の手術が終わったときには、すでに2番目の手術の準備ができている。電話代行業者によって設立されたメキシコの会社、メディカルホームは、電話を主軸にして医療従事者の再編成を行なった。6000人の医師から成るネットワークと顧客とを電話で結びつけ、その代金を通常の電話代に5ドル上乗せするだけでまかなったのだ。これで60パーセント超のケースが通話のみで解決し、残りの約40パーセントのケースでは、顧客がただちに会社の嘱託医に診察を受けている。

 

 

新興モデル

新興世界は、旧来の公開会社――この法人形態は19世紀半ばに創案され、20世紀のほぼ全時期にわたって、それまでの形態を一掃した――による支配に挑むだろう。すでに途上国では、政府系企業(国の援助に与りながら外国へも自由に進出する)や、高度に多様化された企業など、新しい法人形態が生まれている。さらに、株式非公開の私会社と慈善団体との連携や、欧米の多国籍企業と新興市場の多国籍企業との連携など、新しい多様な形態がもつと登場してきても不思議はないだろう。

 さらに、新興世界は、上品にいえば”発展の不均等”――遅滞の海に囲まれた現代の孤島という状態――に取り組むうえで、新たなビジネスモデルを産出し続けるだろう。インフォシスやウィプロなど、インドのソフトウェア会社は、トヨタの製造システムを、絶えず改善を重視するその姿勢とともに採り入れて、ソフトウェアの開発に活かした。利豊(リー&フォン)を始めとする中国の企業は、まず製品を作ってから顧客を探すより、顧客の注文に応じて迅速に製品を作ることに秀でている。言い換えれば、昔ながらのオーダーメイド式モデルを大量生産の時代に適応させているということだ。

 規模の経済性に新しいバージョンを追加した企業もある。従業員に工場やオフィスで働く(場合によっては都心に引越す)ことを求めず、現代的なテクノロジー、特に携帯電話を利用して、人口のまばらな地域に雇用をもたらすというやりかただ。例えば、栄養不良の児童を対象にした強化食品の製造業者であるフランスのニュートリストは、アフリカの地域フランチャイズ――その多くは村を拠点とする――に製造を委託している。

 

 

創造的破壊の恩恵をうける

 この乱気流は、労働人口の女性化、フレックス制の普及、平均寿命の延びなど、仕事の世界を作り変えている長期のトレントを助長することになる。旧来のキャリアが完全に消えることはないだろう。会社側は、核となる社員、つまり、若いときに入社して出世をめざす社員を雇い続けるはずだ。とはいえ、総じてキャリアは複雑化していく。会社は、境界の曖昧な大きな領域に取り囲まれる。その領域を構成するのは契約社員で、当然そういう社員たちは、自分の労働力を複数の異なる雇用者に売るだろう。

 大勢の人間が、複雑なキャリアを迫い求めるようになる。すでにフェミニストたちは、女性がフルタイム労働を離れて出産し、子どもの成長に合わせて職場へ復帰することを、”側道”と”本道”という造語で表現している。”側道”と”本道”の使い分けは、平均寿命の延びと、自発的な休暇(特別研究休暇など)と本意ではない休暇(転職の合間)がもっと一般的になるにつれ、男性のあいだにも広まるだろう。ロンドン・ビジネス・スクールのリンダ・グラットン教授によれば、われわれは、出世階段というイメージを捨てて、”上昇するペル型曲線の連続、あるいは釣鐘曲線――エネルギーと資源の蓄積が伸びを示し、次に平坦になり、結局はまた伸びを示すもの――の連続、というイメージを採り入れるべきだという。

 この創造的破壊に、われわれはどう対処することになるだろう? それを利用して、日々の生活の質を向上させることができるのだろうか? それとも、創造的破壊がわれわれの社会を粉砕し、生活の質を劣化させるのか? たいていの企業にとって、これからの数10年で大問題となるのは、いかに競合相手と同等の速度でイノベーションを行なうかということだろう。しかし、数を増し続ける普通の人々にとって大問題となるのは、そういうイノベーションがもたらす社会的・心理的な衝撃にどう対処するかだろう。

 すでにいくつかの状況下で、緊張が生まれている。IQの高いエリートたちは、優位を拡大しつつある。さまざまな分野の頭脳労働者たち――銀行家のみならず、コンサルタントや外科医――が、国民所得に占める割合をさらに大きくしようとしているのだ。そして、IQの高いエリートの中でも、知的な花形タイプが、目立たない脇役タイプの同僚よりさらに優位を占めている。これはトレンドの主流たるアメリカにかぎらず、産業界全域に当てはまることで、日本やドイツなど、アメリカより共同体主義的な風潮のある国でも見受けられる現象だ。

 多くの頭脳労働者たちが、自分の肥大化した給与に沿って、肥大化した職務に就いている。彼らはこれまでになく難解な知識体系を駆使して青年時代を過ごし、長時間労働に従事してキャリアを積む。この主力は、知識が進展するにつれて、もっばら大きくなるばかりだろう。しかし、それとともに、脇役タイプの同僚たちにのしかかる労働の負荷も増え続ける。グローバリゼーションとインターネットの結合によって、労働が場所を問わない激務となったからだ。夕食どきや週末が、世界の遠隔地とのEメール授受と電話会議で消えてしまうこともある。通信費が下がり続け、労働がグローバルな供給網によって分散されるに従って、情報過多に伴う問題は悪化の一途をたどるだろう。

 一方に創造的破壊の必要性を、もう一方に適度な生活への要請を置いて、この二者のあいだに持続可能なバランスを保つことが、これからの40年間における大きな課題のひとつとなる。それが目新しい成長産業の登場につながるだろう。 IT企業は、みずから創り出した情報過多の状況に対処すべく、すぐれたアイデアを数多く生み出すだろう。目先の利く人々は”自己管理”にいっそう努力を傾けて、自分たちのキャリアの激変と、生活の単調さが生む圧力をうまく扱う方法を学んでいく。教育産業界の起業家は、知識の向上を望む中年齢層と、哲学者や作家などの第二のキャリアを望む高年齢層を目にして、そこに巨大な市場があることに思い至るはずだ。”フリー・エージェント”たちは、孤独から逃れると同時に安心を買うため、あらゆる種類のネットワークや協会を創設するだろう。すでにフリーランスの人々は、技能と知識を更新し続ける手段として、ローリング(弁護士)、セルモ(医師)、ニェードクス(歯科医)、エイチネット(社会科学者)など、”ネット上の協会”を設立し始めている。フリーランスの人々に行き場を提供するため、オフィス施設――サンドボックス・スイーツやシチズン・スペースなど、さまざまな呼び名が付いた拠点――の建設を始めた起業家もいる。

 このような数々の進歩は、勢いを伴って寄り集まるので、もっと大規模でもっと意外なものに集約されても不思議はない。例えば、中世のギルドのようなものが復活することも考えられる。これから数年のうちに起こる大きな論争のひとつは、ギルドの本質に関わるものだろう。そのギルドは、今日の学者や医療関係者の組合と同じく、クローズドーショップ制(訳注:職業別組合の組合員だけが企業に採用される制度)を採用するのだろうか? それとも、友好的な集まりとなって、すぺての参加希望者が技能の更新と健全な社会関係を維持できるよう支援するのだろうか?

 バランスを保つための努力は、この嵐と衝動(シュトクルム・ウント・ドランク)の下で、それなりの継続性も生み出し続けるだろう。生き残った企業は、見ればそれとわかる姿をしている。そういう企業は、力のある経済組織というだけでなく、他人との協調を求める人間の欲望をある程度満たしているはずだ(”company”[企業]、という言葉はふたつのラテン語"cum"と"pane"に由来し、「ともに食事をする」という意味がある)。だからこそ、たとえおたくの巣窟として名高く、並はずれて気まぐれな傾向のあるテクノロジーの分野でも、一匹狼ではなく、パートナー同士が創設する企業がかなりの数にのぼるかもしれない。

 以上に述べた変化はどれも、敗北より勝利をもたらすことのほうが多い。それを覚えておくのも大事なことだろう。シェンペーターの"創造的破壊"という言葉が魅力的なのは、現代経済の発展する過程をうまく表現しているように思えるからだ。しかし、この言葉は、多くの意味で人を惑わせる。創造的破壊は、壊すより創ることのほうがはるかに多い。例えば、電子書籍は、紙の本に取って代わるのではなく、紙の本に足りない部分を補うものだ。

 かつてシュンペーターは、こう述べている。

女主エリザベス[T世]は絹の靴下を持っていた。一般に、資本家の功績というのは、女主にもっと絹の靴下を供給することではなく、それを女子工員たちの手が届く場所に――着実に労力を減らした見返りとして――持ち込んだことにある。資本家のやりかたは、偶然ではなく機械の恩恵によって、少しずつ大衆の生活の水準を引き上げる。

 2050年までには、これまでになく大勢の人々が、姿を変えた絹の靴下、つまり、画面に触れるだけで世界じゅうの本が届くタブレット型コンピューターや、今は致命的とされる病気を抑える奇跡の薬品、そして、これまで考えもつかなかったさまざまな驚異のテクノロジーを入手しているだろう。創造的破壊の嵐は、われわれをよりよい場所へと吹き飛ばそうとしているのだ。

 

 

 

 

 


 

     第14章のまとめ

 

 

 

 

 

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