第10章 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか

 

 

世界的な高齢化によって、国家には年金や保健医療についての国民との約束を果たす余裕がなくなってくる。が、市場経済の一定の導入による効率化など「改革」の打つ手はまだある。

 

 

 2007年に襲った金融危機と、それに続く大不況で、国家の重荷が増えつづけてきた。支出が膨れあがる一方で税収は減少していることが、記録的な財政赤字と公的債務の急増につながっているのだ。これは人口構成の高齢化に伴って起こることの前触れにすぎないのかもしれない。2050年の国家に関する悪夢のごとき未来像、それは旧社会の増えゆく公的負担と取っ組み合ううちに、みずからの重みで倒れ臥す巨獣の姿だ。

 しかし、もうひとつの未来像に描かれるのは、先見の明ある改革によって、より適応力に優れた国家が生まれることだ。その改革は、高齢化が最も財政を脅かす二分野、すなわち年金と保健医療分野における徴税額の上昇に歯止めをかけるというものだ。政府はこういう分野での責任を一部放棄することになるが、別の領域において、中でも知識経済の促進と長期の就労期間の維持において、より多くの責任を引き受けることになる。2050年の国家は、より適応力に優れると同時に、より賢明でもあるだろう。

 どちらの未来像が現実となるかは、政治だけでなく経済にも左右されるだろう。私益を守ろうとする自分本位な老齢の有権者たちのせいで、必須の改革が阻まれるという論もある。しかし、過負荷に陥った国家は経済を危険にさらすだろうし、そうなって得をする者など誰もいない。とすると、悪夢はそのまま続き、少なからぬ恐怖が付け加えられていくことになる。

 

 

高齢化による国家財政の悪化は世界的現象である

 政府がなんらかの手を打たなければ、人口構成の変化はまず間違いなく財政破綻をもたらすだろう。

 この高齢化の進行には、ふたつの原因がある。ひとつめが、寿命の継続的な延び。ふたつめが、戦後の出生率の乱高下の影響があとになって生じていることであり、そのせいで総人口における老齢者の数が膨らむと同時に成人の若年層の割合が減少していることだ。ベビーブーム世代の退職に伴って、年金、介護、保健医療関係の支出が容赦なく増加すること、そして余分な費用を支払う労働者の数が相対的に少なくなることが懸念される。

 財政への悪影響の可能性は、恐るべきものだ。国家予算という観点では、アメリカの人口統計上の見通しは、他の多くの先進諸国、とりわけ超高齢化社会の日本とイタリアより明るい。それなのに、米議会予算局(CBO)は2010年に暗澹たる予測を立てた。今後数年問に行なわれそうな政策についての妥当な仮定のもと、歳入が対GDP比の長期平均値のあたりを推移すると想定したものだっだ。それによると、アメリカの連邦債務は、2010年に対GDP比約60ハーセント(すでに第2次世界大戦直後以来の最高値)だっだのが、早くも2035年の時点で、持続不能な185パーセントに跳ね上がるだろうと予言したのだ(編集部注:ちなみに日本の国家債務残高は財務省によれば2012年現在で対GDP比129パーセントである)。お先真っ暗の展望のおもな要因は、老齢者向け医療保険制度”メディケア゛と貧困者向け医療扶助制度”メディケイド”という二大制度を通じての、保健医療支出の急増だ。年金(社会保障制度”ソーシャル・セキュリティ) への出費の高額化は、さほど顕著ではない。

 信用格付け機関(スタンダード&プァーズ)(S&P)社の、先進約30力国に関する2050年までの予測も同様に陰影だ(図10.1参照)。

 

 そこには、2020年から激化する高齢化が予算を圧迫することが示されている。典型的な先進国の場合、高齢化関連の公的支出は、2010年から2050年のあいたに対GDP比で約10パーセント増えるたろう。アメリカの例で言うと、年金はその10ハーセントのうちの3ハーセントと、副次的な役割を果だす。元凶は保健医療関連の支出で、増加率の半分を占めつつ、長期介護の費用でさらに1.3パーセントを上乗せする。税収が変わらないままと仮定すると、大赤字が定着し、政府の純債務(すなわち、総債務から流動金融資産を差し引いたもの)が、2010年の対GDP比65八−セントから2050年の時点で329パーセントまで膨張するので、代表的なソブリン債券はごみくずと化してしまうだろう。

 S&P社のぞっとするような筋書きは、先進経済国に限っだ話ではない。BRICSの4つの新興経済国(ブラジル、ロシア、インド、中国)のうち、2ヵ国は痛手を被らないだろうが、ブラジルとロシアでは高齢化関連の支出が対GDP比12.5ハーセントの割合で跳ね上がると予測している。それとは対照的に、高齢化関連の支出はインドではほとんど増えず、中国も対GDP比2.5ハーセントの増大にとどまるとしている。

 が、S&P社の中国に関する予測は、同国の人口構成の急速な高齢化を考えると楽観的すぎるかもしれない。中国の2000年の中位数年齢は29.7歳で、アメリカの35.3歳より5歳以上低かった。しかし、早くも2020年には標準的な中国人は標準的なアメリカ人より年上になり、2050年の時点で中国人の中位数年齢は、アメリカの40歳に対し、48.7歳に達するだろう。中国は破竹の勢いで成長してきたかもしれないが、生活水準はいまだ西欧に後れを取っている。従って、中国や出生率が落ち込んでいる途上国は、豊かになる前に高齢化する危険性がある。

 

 

社会保障費の増大が国家の予算を変える

 増すばかりの支出と、上昇傾向に乏しい歳入のあいだの開き――すなわち、高齢化による財政損失の本質――があるときに危ぶまれるのは、保健医療と福祉に予算を食いつぶされて、国家が安全保障のような中核的な機能をなおざりにし始めることだ。これは、年齢構成の移り変わりが実際に進行する以前から起こっている。例えば、イギリスでは防衛に関する公的支出額は、つい最近の1980年代後期には保健医療に関する公的支出額に近く、前者が対GDP比4.2パーセント、後者が4.6パーセントだった。その20年後、国民保健サービス(NHs)の費用が対GDP比8.5ハーセントを占めていたのに対し、防衛費は2.5ハーセントに減少していた。ロンドン・スクール・オブーエコノミクスの公的支出の専門家、トニー・トラヴァーズが述べているように「NHSは防衛費を飲み込んだばかりか、残りの予算の大半をも食い尽くさんばかりに見える」。

 行き着くところまで行くと、貪欲すぎる国家は転覆する。つまり、過度の債務を負うことで財政力が損なわれてしまう。納税者への課税がいっそう過酷になると、商業が弱体化し、民間資本が流出し、対外信用が低下し、国家も経済といっしょに衰える。力ーメン・ラインハートとケネス・ロゴフが、中世以来の財政上の愚行を綴った共著『国家は破綻する――金融危機の800年』の中で言っている。

 確かに民間債務は多くの危機において主要な役割を果たすものの、本書で検討する多様な財政危機全般の一元的な問題は、はるかに高い頻度で政府債務である。

 

 

改革で、財政は改善する

 財政はほんとうに、こういう事態に陥るほかないのだろうか? 将来を考えるときには、過去を振り返ることも有効だ。政府支出の現在の対GDP比を1世紀前のそれと比較してみると、厳然たる上方軌道にあると結論づけられるかもしれない。しかし、ふたつの時点を比べるだけでは、数値に欺かれやすい。その1世紀のあいだ、各政府は支出の制御が利かなくなりかねないときは、それを抑制しうることを実証してきた(224ページの囲み記事と、

図10.2を参照。

膨張していくばかりの国家に関する予測は、たとえやりくりしきれなくなっても以前のままの制度が続くという大ざっぱな仮定の上に立っている。しかし、寿命がどんどん延びても通常65歳という一定の年齢で公的年金を受給できると定めた戒律があるわけではないし、納税者が基礎年金より多くのものを提供することを、年金受給者が憲法上の権利として当てにできるわけでもない。国家はみずからの義務を定義し直して、未来の出費を抑えることができる。国家はそれを、機先を制しての、あるいは必要に迫られての改革を通じて行なうだろう。納税者に対する年金と保健医療への出資の要請を制限するために、なんらかの形で新しい取り決めがなされるだろう。

 ソブリン債危機は一般に新興の発展途上国で発生してきたが、最近はユーロ圈の歴史ある国々の一部を苦しめており、危機のあいだに断行される改革が、深刻な時期に講じられる手立てを示している。ギリシャは年金制度にどれだけの贅肉が蓄積され、そぎ落とされうるかを例証している。OECDの予測では、ギリシャの年金負担が2010年の対GDP比11.6パーセントというすでに高い値から、2050年時点で24パーセントに倍増することが示された。2010年のギリシャの救済措置に続く緊急手術は、さらなる上昇率を2.5パーセントポイントに抑えることで、増加分の大半を取り去るだろう。

 ギリシャの手厚すぎる年金制度は、極端な例だった。ほかの国々は(現在の納税者が現在の年金の資金を出す)賦課方式の年金制度における未来の費用の抑制に、長く努めてきた。改革の第1波では、年金給付が賃金スライド制から、より上昇率の緩やかな物価スライド制に切り換えられた。第2波では、年金給付額を退職時の平均余命と関連づけることで、平均余命の延びに沿った年金制度の気前のよさが民間年金と同様に減じられている。

 改革全体の主眼は、労働者に対する年金受給者の割合が高齢化で増大する際に、給付金を制限することで、年金の掛金率の上昇を食い止めることにある。2050年の国家は、老齢者の貧窮を防ぐための最低給付額の保障に力を注ぐだろう。恵まれた人たちは、自分で私的な蓄えから不足分を補うことを期待される。オーストラリアはすでに長期にわたり、そういう方針をとってきた。税金でまかなわれる同国の年金制度は”富裕度検査”を伴っており、人口のざっと20パーセントの富裕層を給付対象からはずしつつ、私的年金のための積立も義務づけている。ドイツなどほかの国々では、気前のよさが低下していく賦課方式の年金制度を埋め合わせるための、自発的な預貯金を促進すべく、税制上の優遇措置がとられている。

 政府はというと、公的年金の支給開始年齢(SPA)の引き上げを始めており、そのことが働きっづけよという社会的シグナルに、また金銭上の誘因になっている。例えば、イギリスでは女性の受給開始年齢が2010年の60歳から、2018年までに―現在の男性の受給開始年齢である―65歳に上がっていく。その後、2020年までに男女とも66歳に、2028年までに67歳に引き上げられる。代替策、特に長期的な効果の見込める代替策として、SPAと平均余命との関連づけがある。デンマークは、2020年代に受給開始年齢を65歳から67歳に引き上げたあと、この政策を取る予定だ。

 こういう新しい改革案で、ベビーブーム世代は、その親たちが享受した年金より乏しい年金しか受け取れないことになる。しかし、それによってベビーブーム世代の退職に伴う一回限りの財政膨張は緩和されるのだ。

 もはや定年後の期間が、ずっと延び続けることもなくなるだろう。全般的に見て、改革はまだじゅうぶん進んではいないが、正しい方向をめざしている。

 

 

希望をいだかせる歴史上の実例

 1970年代後期に、ヨ―ロッパを始めとする先進国で、かなり早期の財政崩壊が予見された。福祉支出に関する戦後数10年をもとにした単純な推定によるとそう予測されたのだ。とりわけデンマ―クの情勢が悲惨で、同国の大ざっぱに定義された社会保障支出は、1950年の対GDP比9パ―セントから、1971年の20パ―セント、1980年の33パ―セントに上昇することが予測された。しがし、その持続不可能な流れは逆転することになる。記録に残る限り最大規模の財政再建を強行したおかげで、1986年の時点で社会保障費は対GDP比26パ―セントまで下がっていたのだ。全体的に見て、1970年代後期は富裕先進国における福祉支出が最高水位を記録した時代だった。

 あるいは1995年まで戻って、フィンランドとスウェ―デンの苦悩を再検討してみよう。この2ヵ国では、国内の金融秩序の崩壊による経済破綻のせいで、1990年代初期に債務が急増していた。両国が2007〜09年の金融危機においても低債務で頭角を現すとは、当時いったい誰が予期しただろうか。IMFの予測によれば、両国の経済が大不況で手ひどい打撃を受けたにもかかわらず、2012年にはフィンランドの債務は対GDP比50パ―セント、スウェ―デンは33パ―セントに留まる見込みだ。2009年には、フィンランドのGDPは8パ―セント、スウェ―デンは5パ―セント減少したのである

 

 

医療分野に市場経済を導入する

 しかし、たとえ2050年の国家が年金の費用を抑制できても、保健医療予算の制御という課題は、人口構成が高齢化するといよいよ手に負えなくなるように見える。65歳以上の平均医療支出は、それより若い成人の支出の3〜4倍にのぼる。例えば、イギリスでは85歳を超える老人にかかるNHS(国民保健サービス)の費用は、16〜44歳の6倍だ。人口に占める老人の割合が上がると、必ず支出が急増するように思える。こういう予測はあまりに頻繁になされるせいで社会通念になっているが、その根拠となる悲観的な3段論法は疑わしいものだ。

 老年者の治療費がかさむのは、年老いているからというより死亡しやすいからだ。生涯医療費を詳しく見てみると、そのかなりの部分が年齢にかかわらず晩年あたりに生じている。もっと言うと、非常に高齢の人たちの医療費は、若者や中年よりむしろ低い傾向にある。長生きをするほど、こういう終末期の経費が実質的に先延ばしされるわけだ。

 医療支出に関するこの分析は、2050年の患者たちが2050年の国家を立ちゆかなくさせるわけではないことを示唆している。ベビーブーム世代がやがて死亡するので、医療支出は今後20年で確実に上昇するだろう。しかし、理語上は、ベビーブーム世代がもっと小さな年金受給者世代に入れ替わるとともに、医療支出の急増は収まっていくはずだ。

 実際には、ベビーブーム世代は親たちに比べて、最善の医療を強く要求しそうなので、高齢化のせいで保健医療予算が”死亡までの年数”モデルからの推定より上がるかもしれない。しかし、その主力は医療費を押し上げ続ける多数の影響のひとつにすぎないだろう。21世紀中期の国家は、21世紀初期の国家を悩ませている問題を解決しなくてはならない。すなわち、保健医療支出の容赦ない増大だが、それは人口構成の高齢化には関係がなく、技術の進歩と非効率な医療市場の所産なのだ。

 打開策のひとつは、個人が定額自己負担を通じてもっと私財を提供することだろう。この手の改革は、貧困者や慢性病患者への免除措置も含め、慎重に案出されなくてはならない。しかし、優先すべきは保健医療における選択と競争の拡大だ。IMFのある研究から、市場メカニズムの強化こそが保健医療支出の過度の伸びを抑制する最重要手段であることがわかっている。

 オランダは、この方針に関するひとつのひな形を提示している。おもに(80パーセント)公的資金でまかなわれる予算内でやりくりするため、同国の2006年の刷新的な改革は、保健医療における”管理された競争”の枠組みを創り出した。

 規制のない市場では、医療保険業者は若く健康な人を加入者に選び、老人や慢性病患者を排除するだろう。オランダは保険業者に年齢、性別、健康状態に関わりなく全希望者を加入させることを求めつつ、国家予算から加入者のリスクに応じた補助金を出すことで、この問題を解決している。保険業者は初期医療に携わる病院や一般医に、治療の費用や質を交渉する。加入者は保険業者を乗り替えたり、医療を必要とするときに医療サービスの供給者を選んだりすることができる。政府は医療の質に関する責任と、医療の利用しやすさと費用の手頃さを保証する責任を負いつづける。特筆すべきは、誰もが基本的な医療保険を講入するために定額保険料を支払うとともに、国家が子どもの保険料を負担し、貧しい人たちを援助していることだ。 ”まねをすることは、最も真心のこもった賛辞である”ということわざがある。その実例として、金欠状態のアイルランドは保険制度の現代化への取り組みの中で、2011年に第一党に選ばれた統一アイルランド党が”非常に効率的なオランダ・モデル”と呼ぶ改革をめざしている保健医療に市場の主力を導入する場合は、情報技術の利用によって大幅な効率性の向上をはからなければならない。医療部門は、ほかの産業に比べて情報技術の導入が大幅に立ち後れている。アメリカの"メディケア"を含め、保健医療ではむだと非効率性があまりに広域に及んでいるので、さらなる財源がなくとも、こうした効率化によって著しい改善が達成されうると数々の研究が結論づけてきた。パラク・オパマ政権の行政管理予算局の元局長、ピーター・オルザグは、アメリカの老齢者のための制度における大規模な経費削減の促進に、技術革新が役立つだろうと確信している。

 

 

官民連携によって効率性をあげる

 年金と保険双方において、こういう改革は官民連携(PPP)の新たな形をとるだろうが、それは国家と企業というより国家と国民の連携となる。連携を支える原理もまた異なるだろう。PPPという方策は、新しい病院や道路のような公共領域の投資の初期費用を民間部門に負担させることで、健全な財政を腐敗させてしまうことがあまりに多く、その後何10年もかけて納税者が初期費用を返済しなくてはいけなかった。年金や保険の分野で始まりつつある合同事業は従来とは異なり、政府側の財政上の無理をやめさせることを狙いとするだろう。

 こうして先進国は、歳出に上限を課す新しい官民契約を通じて、国家そのものと、国家が奉仕する人々を救うことができる。

 開発途上経済国に関して言えば、こういう新しい官民契約へと一足飛びに進むことで、豊かになる前に老齢化することにまつわる心配をいくらか払拭できる。例えば、年金ではひとたび賦課方式が一定期間行なわれると、積立方式への転換がむずかしい。つまり、現在の年金受給者への支払いに賃金労働者からの歳入を使うやりかたを、労働者の積立金でまかなうやりかたに転じる際の、納税者の”二重の負担”問題だ。しかし、特にラテンアメリカの開発途上国は、かなり容易にそういう措置をとることができている。

 この国家と国民との新しい協力関係の一部として、国家自体に徹底的な総点検の必要があるだろう。まず国家は、公務員への賃金の払いすぎをやめなくてはならない。過払いは往々にして過度の所得というより、潤沢すぎる年金を通じて行なわれる。公共部門が被雇用者の待遇の一部に好条件の年金を含めてはいけない理由などないが、総経費の認識のために、年金の明細がきちんと明らかにされなくてはならない。

 効率性を上げることもきわめて重大となろう。技術上の進歩と規模の経済が生産性の継続的な向上につながる産業界とは対照的に、特に公共部門の労働集約的サービスの効率性を上げる余地は、ずっと限られているように思われてきた。指摘した経済学者の名にちなんで”ボーモルのコスト病”と呼ばれる現象においては、公務員給与が経済全体の賃金に沿ってあまねく上昇するとともに、非効率性のせいで公共部門の単位労働費用が民間部門に比例して上がっていく。ボーモルとウィリアム・ボーエンが記したように、例えばモーツァルトの弦楽五重奏を演奏するには、いまだに五人の演奏家を同じ時間だけ要するが、演奏家たちの賃金は18世紀後期から急騰してきている。

 しかし、ウィリアム・ボーモルが1960年代中期に独自の診断を下して以降、多くの要因が変化してきた。スタンフォード大学の経済学者ヴィクター・フュックスが指摘するように、クラシック音楽の演奏家たちの生産性は、世界じゅうの何千万もの人が演奏を耳にすることができる録音版という手段に支援されている。公共部門での情報技術の向上は、税額計算から年金給付に至るまで、公共行政の数々の側面の効率性を上げるためのすばらしい潜在力を有する。成果払いなどの、民間機関を巻き込んだ新しい奨励制も有効だ。例えば、人々を福祉から就労へ導いたり、犯罪者の再犯を減らしたりする計画の請負業者に、成果に応じた報酬を与えることなどだ。

 未来の国家は効率化を図るだけでなく、より高い歳入を得るための成長戦略が必要だ。そのための方策のひとつが、労働者の意欲を減退させる労働諸税をやめて、環境税、資産課税、広範囲にわたる消費税へ移行することだ。各種の規制による負担を軽減するという方策もあるだろう。金融や食品の基準のように、規制が不可欠であることも多い。しかし、規制とは実質的に、商業のコストを上昇させる隠れ税でもあるので、絶えずむだを取り払う必要がある。

 2050年の国家の投資は、成長を促進するのに民間部門からの供給が不足しているものに限定される。基礎科学への援助は言うまでもないが、応用研究開発を支援する場合もある。また政府がハイテク事業を支援するために、独立系のベンチャー・キャピタル・ファンドに投資することもありうる。

 人口構成の高齢化につれ、若者より老人にお金をかけることを好むような政治的偏向が生じるだろう。しかし、賢明な国家ならその逆を行く。なぜなら、実際にはそれが万人を支援するための最善の方策だからだ。成長は何よりも、より熟練した労働人口を有することから生まれる。その人的資本の土台は間違いなく教育なので、国家は学童にかかる費用を肩代わりし、大学生にかかる費用を一部負担し、貧困層の成人が新しい技術を磨くのを手助けする。

 未来の賢明な国家は、優れた司令官のごとく、より周到に予算上の緊急事態に備えるだろう。2008年の金融危機からの主要な教訓のひとつが、政府借入金の急増の余地を残すために債務を低く保つような、戦略的な財政備蓄の確保の必要性だった。未来の国庫は、例えば気候変動に伴う極端な気象現象による災害に備えての自然災害税など、多数の財源を持つことを要求される。財務上の規則だけでは、財政の手堅い管理の保証には足りない。よりよい方策は、スウェーデンに2007年に設けられた財政諮問会議、あるいはイギリスに2010年に導入された予算責任局のような、独立した公的な監視役を創設することだろう。

  2050年の国家の姿は、それまでの数10年の政治によって決定する。老齢の有権者が政治的影響力の高まりに乗じて勝手なまねをするという、悲観的な見かたもある。もしそうなれば、悪夢のごとき未来像が現実のものとなろう。しかし、投票は私益のみを目的とするものではないし、老齢者は常に子孫と未来に心を配るだろう。改革がなぜ必要なのかを政治家が説明できれば、2050年の国家はより機動力のある、適応性に富んだものとなるだろう。

 

 

 

 

 


 

第10章のまとめ

 

 

 

 

 

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