本 尊 観 私 見

 

 

勝呂 信静

 

 前に、私は久遠実成の釈尊を、曼茶羅、あるいは法華経と対比いたしまして、久遠実成の釈尊の概念がわかりにくいと申したことがあります。それで今日はそれを中心として考えを述べたいと思います。この場合、曼茶羅と法華経を直ちに同一視してよいかどうかは問題でありましょうけれども、一応いわゆる法本尊として連絡があるとしますとこの問題は、実は日蓮聖人の時代の思想を背景として考えていくやり方と、今日の時点に於ける思想を背景にして考えるのとでは大分違うと思いますが、今日は第一の点を中心にして考えてみたいと思います。

 まず、日蓮聖人の時代思想という事を考えてみますと、今日、我々は久遠実成釈尊の観念は日蓮宗独自のものであるという意味で、これは非常にはっきりした観念であるときめてかかっておりますが、果して日蓮聖人の時代に於いてそうであったか。久速実成の釈迦というのは実は天台以来のものでありまして、日蓮聖人以前からあり、当時普遍的と申しますか、一般的な思想であったと私は思います。だから親鸞は久遠実成の阿弥陀仏というように、この久遠実成の本仏の内容を阿弥陀仏と規定した。天台密教ではこれは大日如来であるとしてその内容を限定したわけです。

 このような時代の思想状況に対応させてみると、日蓮聖人が久速の釈尊と言われたのは、ただそういっただけではこれは一般的な思想を述べたまでであって、それだけでは聖人の独自の意味が、はっきりしていないと思うのであります。私か久速釈尊の概念が明瞭でない、わかりにくいといったのは実はこういう意味からです。それではこの久遠釈尊に対する日蓮聖人独自の意味は何であったかといいますと、それはつまり曼荼羅に表わされていると私は思うのです。

 曼荼羅はそれ自体、象徴的に図示されたものですから、その全体の意味を隅から隅まで解釈するという事の場介には、色々異論の余地があるとは思いますが、基本的にはこの思想は「観心本尊抄」に説かれているとしますと、これは釈尊が在世の時に法華経の中の八品に於て、自分が久遠実成であるとの悟りを明らかにされた。その悟りの内容を五字の題目に要約して、上行等の菩薩に付属し、この菩薩が末法に出現して、この本門の題目を弘めるという事を表明しているというふうに思えます。ここで本尊というのはこの中の釈尊をいうのであるか、つまり、応身の釈尊であるのか。あるいはこの応身の釈尊が表わした久遠の本仏、つまり、本師をいうのであるか。あるいはこの本師または応身の釈尊が上行等の菩薩に題目を付属するということの全体をさすのかと申しますと、私はこの最後の場介であると思います。

 つまり、釈尊が本尊、本師が本尊というのではなくて、この本師釈尊が眷属をつれてこの題目を上行等の菩薩に付属するという全体の姿を、もっと明確にいえば、この全体の姿において表わされている思想的意味が本尊な訳で、その中、釈迦だけが本尊という意味ではないと思います。そこで、この久遠実成の釈尊というものと曼茶羅の関係を考えてみますと、久成釈尊の概念はすでに述べたように既成の思想である。この既成の思想に対する独自の意味が曼荼羅に表われている。曼茶羅には「仏滅後二千二百二十余年未曾有の大漫荼羅」であるといわれているように、これは日蓮聖人の時点に於いて始めて現わされた思想であると思われる。既成の思想は形式化された概念つまり教相として与えられているものである。これに対して曼荼羅は日蓮聖人の主体に即しての既成の教相に対する理解であって、このような主体に即する理解を観心といたしますならば、久遠実成の釈尊とは教相門の釈尊であり、曼茶羅が観心門の本尊であるということになります。

 そして、教相門の本尊がいわば一般概念的であるのに対して、曼荼羅の方が日蓮聖人独自である、そういう意味で特殊的である、つまり本化別頭だということになる。教相門の方を強調する事は一般化の方向を強めるが、同時に独自性を抹消することになる。逆に曼茶羅を強調する事は、日蓮聖人の独自性・特殊性を強調するが、一般性の方が逆に欠けていくというような相関々係があるというようにも思われるのであります。

 それで、一口に久遠実成の釈尊、久成釈尊と申しますが今いった点から考えていきますと、その内容、御遺文に現われたこの釈尊の概念の内容はもう少し細かく考えてみる必要があるのではないかと思います。私は、御遺文に表わされた釈尊というものは二通りに分けてみる必要があると思います。第一は教主釈尊という言い方でありまして、佐前・佐後を通じて一貫して出てまいります。第二は「本門の釈尊」あるいは「寿量品の釈尊」というような表現で、釈尊という言葉の上に「本門の」あるいは、「寿量品の」という限定詞がついている。この用例は佐後に出るものかと思われます。第一の教主釈尊は、法華経の教主であることを表わすのでありましょうから、つまり般若経の教主の釈尊でもないし、阿合経の教主の釈尊でもない。言い換えれば、法華経を象徴する釈尊であって、法華経が土台となってその上に成立する釈尊の観念という事がいえると思います。

 だから、日蓮聖人は法華経が能生(生ずるもの)で、釈迦が所生(生ぜられたもの)である。法華経が主で釈尊が従であるという事を度々いわれております。又、日蓮聖人が信者にあてられた手紙の中には、法華経、あるいは釈迦牟尼仏の御宝前に供養しなさいというような事がしばしば出てきますが、そういうお手紙中で、法華経が出ている場合と釈迦仏が出ている場合と、どちらが多いかを比較してみますと(もちろん両方がならべあげられていることも多い)釈迦仏よりも法華経の方が多い訳で、これはやはり法華経が主となって、この法華経信仰の土台の上に釈迦信仰が成立しているということがいえると思います。

 次の「本門の釈尊」あるいは「寿量品の釈尊」という場合ですが、これは、つまり本門思想を表現する釈尊という訳でありまして、この本門あるいは寿量品というのは教相を表わす。従って、これは先に述べました教相門の本尊という事に相当する訳であります。教相というのは思想を表明するが、直接的に人格を表明したものではないという点において、これは法的なもの、つまり法本尊であります。

一般にこの教相門の本尊を、釈尊という点から人格的なもの、つまり人本尊であると見る事が普通の事のようでありますけれども、その内容から考えるとこれは人本尊ではなくて法本尊というべきでありましょう。つまりこの意味では曼茶羅と同じ事になる。これに対して先の教主釈尊という方がむしろ人格的、人本尊的であるという事ができると思います。もっとも、佐後になりますと、この人本尊的な「教主釈尊」に、法本尊的な「本門の釈尊」とがほとんど同様の意味に使われ、つまり、両方が統一されておる訳です。この二つのものが統一されたのが佐後でありますが、佐後の特色は、前述のように釈尊を本門思想を表わす釈尊として明らかにしたのですから、この内容は法格的なものであり、そういう意味では結局曼茶羅と同じ意味であるとそう見るべきではないかと私は思っております。

 これに関係して、一尊四士のことを論じなければなりませんが、普通一尊四士は、単なる釈迦だけでは近成の釈迦か、久遠の釈迦かわからないので、四士を加えることによって、これが久成である事を表わすというふうに解釈されておりますが、これは私は御遺文にはあまり根拠がないと思っております。一尊四士は「観心本尊抄」あるいは「四菩薩造立抄」等にのべられている訳ですが、これは末法の世に四菩薩が出現して、妙法五字を弘めるという事を表わしているというのであって、これは結局、曼荼羅の意味する所と同じであると思う。極言すると一尊四士というのは釈迦の方に重点があるのではなくして、四菩薩の方に、題目を弘める四菩薩の方に意味の重点があるというふうに私には思われる。それで、この一尊四士を人本尊として久遠釈尊と直結して、曼荼羅と区別して議論を展開するというのはあまり適当でないと思っております。

 以上申しましたように、日蓮聖人自体にとりまして、いわゆる既成教義としての久遠実成の釈尊に対しまして、その内容の意味を表わした曼荼羅の方が具体的である、少なくとも日蓮聖人の思想に即してはそういう事がいえるのではないか、と思うのであります。しかし、これにつきまして問題になるのは、日蓮聖人の御遺文には始めから教主釈尊に対して熱烈なる信仰があります。つまり主師親三徳の釈迦という事をいわれているのであって、このかぎり人本尊が中心のように見える。これをどう理解するかという事であります。

 この主師親三徳の釈尊は日蓮聖人の実感でありますが、このような実感的信仰は聖人の主体に即したものでありますけれども、しかしそういう聖人の主体的なものといえども、当時の社会の客観的な条件、即ち歴史的背景をもった信仰思想の流れとは無関係ではなく、むしろそういう客観的な条件の上に日蓮聖人の信仰体験、ひいて言えばその本尊観というものが成立していると私は思います。

 この客観的条件としての信仰の歴史的流れというのには二つの面があって、一つは民間の間に於ける信仰の流れであり、もう一つは比叡山、天台の教学の流れであります。前者、一般庶民の信仰の流れについていいますと、奈良以来二つのものがあって、一つは法華経信仰であり、一つは阿弥陀信仰であります。これについて民間における釈尊信仰というものが、歴史的に見てどれだけ具体化されたものであったかという事は、実は私よく解らないのですが、釈尊信仰というものがまとまった信仰潮流としてなかったといっては言い過ぎでありましょうが、少なくとも法華経信仰は阿弥陀信仰に対すればこれはそう明確なものではなかったのではないかと思われる。

 こういう状況の中で日蓮聖人が主師親三徳の釈尊を強調されて、その人格に対する信仰を確立されたことは、たしかに独自でありますが、これは実は一方では阿弥陀仏に対比、対決してそれを克服するという意味に於て、釈尊、主師親三徳の釈尊という事をいわれているように思われるのです。つまり過去の伝統的な信仰潮流と否定的にかかわって出て来た面がある。だから、歴史的に見ると日蓮聖人における主師親三徳の教主釈尊というのは、阿弥陀仏信仰を対極としてそれを克服する、あるいはこれを媒介として明確にされた釈尊の信仰であるという性格をもっているといえる。こういう点において、これは民衆を基盤にした信仰であるといえるようであります。

 これに対して比叡山の天台教学を背景にした聖人の釈尊観は本門の釈尊という事であります。即ち過去の天台教学を迹門思想とし、この迹門思想と対決しそれを超えるものとしての本門である。既成の天台教学を意味する迹門と対決し、この迹門を媒介として、これを越えるものとして本門の本尊という事なのであります。このような民衆の信仰と比叡山の天台教学を背景にした二つの立場が日蓮聖人において一つに統一されたといえると思います。

 日蓮聖人につきまして、民間における法華信仰の系列、つまり持経者という流れに地盤を置くと見るか、あるいは比叡山の天台の流れに地盤を置くと見るかということによって、非常に解釈の違った点が出てくるかもしれませんが私は日蓮聖人の本質的基盤というのは、民間一般庶民の社会にあった、いいかえれば民衆の法華経信仰が基盤であったと思います。そういう意味に於てやはり一般庶民にとっては、法華経という方が実感的、具体的にわかるので、久遠実成という教学、哲学的内容を持ったものはわかりにくいものでなかっただろうかと推察できるのであります。そういう要素をも合めて、日蓮聖人は自分の思想を展開されているのではないかという気がするのであります。

 この事は、法華経の本文についてもいえると思うのですが、法華経では見宝塔品の所で、宝塔が出現すると釈尊がその中に入って多宝如来とならばれて、いわゆる二仏妓される。そしてこの多宝如来は釈尊の教説は真実であると証明され、宝塔の中の釈尊は大衆に向って、自分はやがて入滅するだろうから法華経を汝らに付属して流布させようと思うといわれる。すると、涌出品に於て、地下から多数の地涌の菩薩が出現してきますが、これが大衆の唱導師であって、仏滅後の未来に法華経を流布する任務をもっておる訳です。それから又、釈尊が久遠の本仏であるという事が明らかにされて、神力品で付属をする。この付属について別付属か、総付属かという問題がありますが、とにかく上行等の菩薩が未来に現われて、この法華経を弘めるのであります。

 そうしますと、この未来、末世の我々にとって具体的に示されてあるものは、実は久遠の釈尊の精神を現わしたところの、いわば釈尊の代りとしての法華経である。いわば形而上的な久遠の精神よりも、具体的な形体としての法華経の方が我々にとって身近であるという事が、法華経の本文そのものの趣旨からもうかがえるようである。したがってこの経の一句一偶も受持すれば成仏するという法華経の信仰というものが説かれる。これは久遠実成の釈尊に対する信仰と別ではないけれども、我々衆生にとって身近なものは法華経であり、その法華経の奥にあるのが釈尊であるという思想の構造があるように思われるのです。

 一応これで話を終りたいと思うのでありますけれども、なお今日の時点に於ける本尊の問題という事を考えてみますと、本尊観に於ては、いわゆる一尊四士、あるいは釈尊というものの人本尊と、曼茶羅の法本尊とが対比されて、人本尊の方を中心にして、曼茶羅よりも、人格的な久成釈尊の方が我々にとって具体的であると主張するもののようであります。つまり、そこには具体的な人格というものがあって、その具体的な人格の内容が我々に感化を与えて我々を規制する。また我々の立場からいえば人格的なものであるから、我々の信仰の対象として具体的に把握できるのである。これに対して曼荼羅本尊は、抽象的、理的なもの抽象的なものであるから、これを具体化するときにはいろいろな解釈をあてはめることができる。のみならずこれは己心本尊で、自分が本尊であるという事になり、極めて恣意的な本尊観がここから発生する余地がある。こういう曼荼羅本尊を中心とした恣意的な本尊観を規制する意味において、人本尊、釈尊本尊という事を重視するという意図がどこかにあるように感ぜられるのであります。

 こういう考えは、今日的教団の状況から当然要請さるべきであるかもしれませんし、長い間の本尊論義からの一つの方向であるかもしれません。またそれはそれなりに普遍性妥当性をもつだろうと思いますが、同時にこの問題は、もし日蓮聖人の本尊観の成立した条件と、今日の条件というものとの間に一致しない点があるとするならば、その一致しない点を克服するだけの準備が必要ではないかと感ぜられる訳です。

 そういう点て1、2述べてみますと、ひとつは具体的な人格をもった人本尊の釈迦ということになりますと、これは今日的な発想からすれば、当然歴史上の釈迦であって、その歴史上の釈迦の本地本体が久成釈尊であるということになるわけです。で、これは「日蓮宗宗義大綱」におきましても「本門の本尊は、伽耶成道の釈尊が寿量品でみづから久遠実成の如来である事を開顕された仏である」と説明されております。つまり、「伽耶成道の釈尊が」といって 「が」という主語を表わす″てにをは″をつけている。つまり主語、主体は歴史的ないわば応身の釈迦であり、この応身の釈迦が内容において本門、久遠の如来である事を示したもので、いわば応身顕本ということになっているようであります。ところが、日蓮聖人の本尊観の基をなす本門の概念は、つまり「爾前を打ち破って法門を表わし、迹門を打ち破って本門を表わす」というようないわゆる相対判的な点が非常に強いわけです。つまり今日の考えでは、歴史的な釈尊、応身に主体を置くことの方が我々にとって具体的に感じられる。たしかにその通りでありましょう。けれども、日蓮聖人の場合には歴史的人格を越えた本門本仏の方に立って、応身迹仏というものを本門の中に統一して考える。こういう方向の違いがあるように思われます。

 それから、もうひとつは、これは今日すでに言われている事でありましょうが、どうも曼荼羅の位置づけ、曼荼羅の意義という事がはっきりしないようであります。で、これは同じく「宗義大綱」においても、曼荼羅という所が二箇所に出ておる。ひとつは「釈迦の悟りの南無妙法蓮華経に諸仏諸尊が帰依する境界に図示したもの」が曼荼羅で、もうひとつは「霊山往詣の境界を図示したもの」が曼荼羅だと二箇所に分けてありますが、二箇所に分けてあるという事は、それでは曼荼羅自体の説明は何であるか、二箇所に分けたのは、3ヶ所、4ヶ所にも分けて説明できるのではないかと疑いを生ずるような気もするのです。しかし、日蓮聖人のひとつの立場として、非常に歴史的な意識が強いという点から申しますと、歴史的教祖としての釈尊を本尊として選びとる。非歴史的存在の阿弥陀仏や、大日如来は本尊ではないというのは当然ひとつの必然性があると思うわけです。その場合にこの歴史上の釈尊というのが、今日の原始仏教から、小乗・大乗と発達した、そういう実証的な歴史をふまえた歴史的な釈迦であるか、それとも、日蓮聖人の歴史観というのは、そういう実証性をむしろ超越したような歴史的な意味のものであるかというようなことは、私もよく解りませんけれども、今後の課題として研究すべきもののように思うのです。

 

 本論文は現代宗教研究所での定例研究会の発表を筆記したものです。―文責 研究部―

 

 

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