興門教學の思想的展開の一考察

 

 ――教學の本質を中心として――


                  執 行 海 秀


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 興門教學というのは、日蓮聖人の直弟である日興の門流の教學を意味するが、その中でも特に、富士大石寺派の教學を指す場合が多い。したがって、それは日蓮正宗の教學を中心とするものである。いまこれを教學史の立場から見れば、日蓮教學の一分化であり、その展開にすぎないのである。しかしこれを、日蓮正宗の宗學史の立場からすれば、それは日蓮教學の本義を解明するものとして、取扱われるであろう。ところで、いま本論においては、かゝる宗學史的立場を離れて、教學史的立場から、興門教學の展開を考察してみたい。

 興門教學は自らは、日蓮教學の正統をもつて任じ、日蓮聖人の真意を傅うるものとする。けれどもこれを客観的に、教學史的立場から考察すれば、それは日蓮教學の領域を逸脱して、独自の教學を形成したものである。すなわち、興門の教學は、佛教の本義を解明しようとする、佛教内における一つの宗派としての教學ではない。いわば、それは佛教そのものを批判し、これを否定することによって、新たな一つの宗教をうち立てようと試みている。

 日蓮聖人は、後世、日蓮宗の派祖と仰がれているが、聖人自らは、一宗一派の祖をもって任じたのでなく、佛教思想の混乱を正して、その本義を明らかにしようと努めたのである。つまり「釈尊出世の本懐」を究明し、これを弘めることをもって、自己の使命とした。聖人は、天台の権実判に基づいて、法華経以外のすべての佛教は、法華経の教えに導びく、方便の門であると信じた。したがって、釈尊滅後に弘められた佛教各宗の教えも、それはすべて、法華一乗に帰入すべきものであって、いわば、法華経流布の「序」であると見倣したのである。

 ところでこゝで問題となるのは、天台、傅教等によって弘められたいわゆる、天台法華宗の思想について、聖人はどのような態度をとったかということである、それは大體、佐渡以前では、法華経以外の諸経典による諸宗と、法華経に基づく天台宗との、いわゆる権実判に立脚しているのであって、天台附順の立場がとられている。しかるに、佐渡時代より後は、天台宗もなお、法華経の一部である迹門分を弘めるものであって、法華経の真髄ともいうべき、本門分の実義が弘め残されている、という見解に立つのである。

 そして迹門分の法華経は、なお佛意末儘の教であり、本門分の法華経こそ、釈尊隨自意の教で、これによって初めて、法華経の実義が明らかにされるものというのである。天台は、法華経に本迹の相違を分つのであるが、迹門の理を體とし、本門の事を用と見倣し、この迹門中心の法華経に立脚したというのである。そして聖人自らは、迹門の理をもって佛意未儘と見倣し、法華経の理を、本門の事に見出し、本門中心の法華経観こそ、法華経の真意を得たものと解したのである。

 したがって、法華経を本迹二門に分った場合、天台は法華一経の理體を、前半の迹門にとるのに對し、聖人は後半の本門にとったのである。そしてこの本迹判の進退によって、同じく法華経を所依の宗としながら、迹門宗と本門宗、つまり台當の区別を分つのである。かくして、約宗判の根拠として、法華一経を迹門分と、本門分のニ経に分つのであるが、一宗所依の経典としては、共に本迹二門を採用するのであって、法華経そのものに、二経の別が存するのではない。つまり法華経における本迹観の相違によって、台當二宗を分別するのである。

 

 

 2

 しかるに、興門の教學においては、法華経の教法としての本迹に本的質な相違を認めず、本迹共に迹門と下し、これを所依とするのが、天台法華宗であるという。そして、釈尊の法華経の根元に、根本の法華経を認め、この法華経を所依とするのが、日蓮法華宗であると見做すのである。すなわち釈尊所説の法華経はかって本因の種子を植えた本己有善の機のため、その本因を育成せしめる脱盆の法である。これに對して、日蓮聖人所弘の法華経は、本末有善の機のため、直ちに久遠の本法を有りのまゝに下種するもので、久遠の妙法そのものであり、久遠本佛の自内證の法であるというのである。

 かくして、釈尊の法華経は、化他のために説かれた隨他の教であり、日蓮聖人の法華経は、久遠本佛が自行成就のために、行ぜられた本因行そのもので、隨自意の法であるとし、両者の間に、教観を分ったのである。したがって興門によれば、日蓮聖人の法華経は、釈尊所説の法華経を弘めるものでなく、また行法としての題目も、それは法華経思想を根底とし、基調とするものではない。日蓮聖人所弘の本門の題目は、法華経には、本門においてもなお文底に秘して傅えなかったところの、久遠元初の本因妙そのものであると、主張する。

 要するに興門の教學は、顕教としての、釈尊の教説に根拠を置くのでなく、むしろ釈尊の教説の依って基づく、根元としての密教の世界を認め、これを久遠元初の世界と見倣すのである。そしてこの久遠元初の世界を本門とし、釈尊の教説はすべて、その垂釈の法門であると見るのである。つまり今番出世の釈尊の法華経は、久遠下種の法を脱せしめる脱益にすぎないのであって、その法華経に下種の力用を認めない。しかも在世の法華経による得脱も、それは過去久遠下種の功によるのである。しかるに久遠下種を得た衆生は、佛在世を中心とし、その滅後、正像二千年にて尽き、末法に人っては、すべて下種なき本未有善の機となるので、在世の法華経によって、得脱せしめることはできないというのである。

 日蓮聖人が法華経の優越性を強調されたのは、権実判の立場から、法華経によって、在世の衆生が、真の得脱を成すことができたことを明らかにしようとされたがためである。在世の法華経は、久遠下釈尊の機に説かれたがために、得脱の益を具えることができたのである。しかし今日、末法の本未有善の機にとっては、在世のまゝの法華経では、脱益の法となることはできない。そこで権実判は、在世顕説の者を中心とする教判であって、天台の教判に依られたものにすぎないのである。末法においては、爾前の釈尊による権教が無益であるばかりでなぐ、実教としての法華経をも、自法隠没として、否定せられるのであって、ただ本門の下種としての題目のみが、存在意義を有するというのである。

 そしてしかも、その久遠下種の題目は、存世脱益の中には含まれていないのであって、それは、日蓮聖人の己證によって、久遠の本佛より直ちに相承を受けたもので在世の釈尊とは何等のかゝわりのない法であると見るのである、すなわち日蓮聖人の法華経である題目は、在世の釈尊と、法華経をむしろ迹として、久遠の佛とその法に直結するが故に、釈尊を迹佛とし、日蓮聖人を本佛と仰ぐのである。

 したがって興門によれば、日蓮聖人の佛教は、他の一般の佛教諸宗のように、釈尊の佛教を中心として展開した布衍佛教と本質を異にする。それは印度に起源を発するものでなく、末法の初め、日本において初めて提唱された、日本独自の佛法であり、しかもそれは、久遠の本源に基づく、元初の佛法であると見倣すのである。

 

 

 3

 日蓮聖人は釈尊の佛法の真意を、法華経の本門の教説に見出し、これこそ久遠の本法であり、末法救済の要法であるとした、そして釈尊己證の本意を開顕した当體に、久遠の本佛を仰ぎ、その本意に直参することのできる本化にして、初めて釈尊の本意を弘めることができるものと信じたのである。聖人にあつては、法華釈によつて、釈尊の本意を捉え、その本意を弘めることを自己の使命とした。したがつて、釈尊の法と異なる、自己内鑑の法を弘めようとするものではない。釈尊の自内證の法は、法華釈の本門の教説に餘すところなく説示されているという信念に立脚し、法華釈こそ、迹に即する本門の教えである、脱にしてしかも、その脱によく種を内含するものと見る。

 本迹、種脱は、法華釈の本質を闡明し、その立場から、権実判を徹底せしめるものである。そこでそれは、法華釈そのものを、法華釈以外の立場から批判せんとするものでない。むしろ法華釈の本質の立場から、本門の開顕を示さざる単な迹教としての諸釈、種を内含せざる爾前の諸釈を批判するもので、爾前教は「種を知らざる脱」として否定されている。かくして聖人は、釈尊の己證を説いたという法華釈の本門の教説を、末法の教法とし、これによつて、本門の三大秘法を設けて、行法を定めたのである。すなわち聖人自ら、本門の教主釈尊に帰依し、その法に信順したのであつて、このような僧仰の在り方を示したのが、いわゆる日蓮聖人の教えであつたのである。

 しかるに興門においては、日蓮聖人のかゝる信仰の内容や在り方を捨てて、日蓮聖人を擁して佛教への反旗を翻えし、佛教から濁立したのである。したがつて、それは日蓮聖人の信じ、教えられた佛教ではなく、日興門流一派によつて信じられた、独自の日蓮信仰に他かならないのである。いわば日蓮聖人の信仰と、その教えに信順するのでなく、それは、興門自らの信仰によつて、日蓮聖人そのものを信仰化したのである。

 このことは、あたかもキリスト教におけるキリスト自身の信仰と、キリスト教徒のいだく、キリスト信仰との関係に類似するものがある。もともと、キリスト教は、キリスト自身の信仰を告白し、これを教えとして伝えたものである。しかるにその教徒に至つては、その教えの内容よりは、キリストそのものを紳格化して、キリスト信仰へと傾むき、信仰そのものの内容に変革を来したのである。すなわちキリスト自身は、旧約聖書が、神の啓示であることを明らかにし、旧約聖書の教えに、従がわねばならないと説いたのであつて、旧約聖書の教えこそ、キリストの信仰を支える糧であつた。

 ところで、その門弟においては、キリストの信じた旧約聖書よりも、キリストの言動を拵える新約聖書が、重視されるようになつた。旧約聖書では、律法を完全に守つた人が、その正しい行為によつて、神から義とされ、報償が與えられたとされている。しかるにキリストの弟子、ポーロにおいては 「人の義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただキリストイエスを信じる信仰による」というのである。これは人が神によつて義とされるのは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によつてのみ、可能であると主張するものである。

 つまり律法によつて、われわれは罪あることを知らされたのである。けれどもその罪は自が義(自力)では到底救うことはできない。それはただ、キリストの贖罪によつて、義とされるというのであつて、キリストが救世主として、信仰の對象とされたのである。もともと旧約聖書の旧約の意は、神がイスラエル民族になされた旧い契約の義であつて、それは律法を守ることによつて、救いが與えられることを説き、更にメシヤ出現を予言したものである。これに對し、新約聖書は、神の予言によつて、メシヤが出現し、その予言が成就された書であると見倣されている。そこで新約聖書の立場から、旧約聖書を見るのが、キリスト教本来の態度でなければならない。しかるにキリスト教の中には、キリストによる贖罪観に重点を置くのあまり、旧約は既に迹去のものとして却ぞけ、新約のみを重視する一派があるといわれている。キリスト教における、かゝる傾向に着目して、いま興門一派の日蓮聖人の信仰に對する変革を考察するに、その軌を一にするものがあることは、興味ある問題であろうと思われる。

 

 

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 日蓮聖人は、法華経に本迹二門を分ち、釈尊滅後、正像二千年の間は、権教や迹門の立場に立つ法華経は弘められたが、本門の立場から見た真の法華経は、まだ弘め残されている。ところで実はこれこそ経尊己證の法であつて、末法濁悪の人びとを救済し得るものとした。そこでこゝに、迹化付嘱と、本化付嘱の別を分ち、釈尊滅後、正像二千年を過ぎ、釈尊の説かれた一切の教道が、その効を失なつた時、法華経の実義が、本化の菩薩によつて弘められ、これによつて一切の人びとが救われるというのである。しかもその本化の菩薩は、釈尊の本弟子でその化導を扶けるため、末法の初めにこの世界に出現する使徒であるとされている。したがつて聖人にあつては、本化の菩薩はあくまで、本佛釈尊の弟子なのである。

 ところで興門においては、この師弟の開係を逆転せしめている。すなわち釈尊在世の時を中心として見る時は、釈尊が師である、本化の菩経は弟子としての開係を示しているが、しかし久遠本地と、末法の時には、却つて本化の菩薩が師であり、佛としての釈尊はその弟子であると見るのである。いまその理由について、興門の初期教学を開拓した、日教、日有、日要、日我等の説を窺かつてみよう。

 日教の「穆作抄」には、釈尊は在世常時の、しかも釈尊に縁のあつた人びとのみの師であつた。しかるに、上行菩経は三世諸佛の師であり、殊に末法の人びとにとつて、有縁の師である。「上行菩経は、釈尊の本果抄の成道の御唱へ無き本因妙の時の師匠にて御座す。其れの菩薩界の常修常詮の菩薩なり。我本行菩経道の本因妙の師匠は有るべからず」といい、本因行によつて、本果は得られたものであるから、本因を生命とする上行菩経こそ、すべての佛果の根本である。そしてこの菩薩道が無くては、佛果は有り得ないので、末法未断の凡夫にとつては、佛を師とするのでなく、菩薩をもつて師とすべきであると見倣している。

 そこで同書には「末代は教のみ有つて行證なし、下根末代なり。教は信のみにして解なし……末法は師弟共に信の宗旨なり……其の信は釈尊より以来の唯我一人の御付嘱を糸乱れず、修行ある聖人を信受し奉る所の信心成就せば、師檀共に事の行成立すべし……一分の悟りなき時分に悟りがほして、少智を以つて事を疑ひ、新義を常世に立てゝ聖人の佛法を猥し、私曲を副へ、三時弘釈を知らずして、智者と我が身を思つて人を済度すべきや。當家には秋毫計りも私なし、高祖より日興の御相傅の通り、添削なく修行あるなり……三毒等分の悪人が、三衣を帚したる計りにて人を救ふ事、末法にはなきなり。」と論じている。

 これは末代凡夫の成彿は、彿の教えを聞き、自力の行證によつて得られるのではない。久遠の者、久しく業を修せられた上行菩経の修行に依つて救われるのであつて、その菩薩が末法には、末代の凡夫を救うため、日蓮聖人として示現されたのである。そこでわれわれは、たゞ日蓮聖人を信受し奉る信によつてのみ、成佛が得られるというのである。

 なおまた彼は、釈尊と日蓮聖人を、所具と能具の開係で論じている。「日蓮聖人の體内所具の釈迦多宝十方三世諸佛菩薩と唱ふ也、能具所具を知らず造り顕す時、導師に迷惑すれば、信が二頭に亘る也、只日蓮聖人を信じ奉れば、釈迦多宝上行一切の佛を信ずる徳有り」といい、能具の日蓮聖人を信ずることに依つて、釈迦多賓等を信ずることになるが、それも、日蓮聖人所具の釈迦多宝を信ずるものであるというのである。

 一方、大石寺日有の説によれば「當宗には断惑證理の在世正宗の機に對する所の釈迦をば、本尊には安置せざるなり。其の故は、未断惑の機にして六即の中には、名字初心に建立する所の宗なるが故に、地住以上の機に對する所の釈尊をば、名字初心の感見には及ばざるか故に、釈尊の因行を本尊とするなり。其の故に我れらが高祖日蓮聖人にて在す也。」と述べている。すなわち本果の釈尊は、未断惑の凡夫のためには、直ちに信仰の對象とはならない。そこで釈尊の因行を本尊とて、釈尊の説いた壽量品は、久遠の法を抜きだしたぬけがらであると、いうのである。

 次いて日我に至つては「地涌の菩薩は過去遠々より、教主釈尊の支分眷属たる。其の上何ぞ始めたる授記の如く、今経
の本門神力品の真諦の大法を給はれとは望み玉ふ。答う、此の事難勢なり。雖爾、権実を導く道理なり、迹化の菩薩乃至二乗人天等を導く故に、其の近機に同じて、此の如く振舞玉ふ也・・・日我云く・・・人の法を所望あるに非ず久達下種の要法を釈尊に預け置いて、三五の下種の者を今日脱せらる・・・久遠の我が法たる下種の因、妙法を取返し玉ふなり」といい、付嘱の形成をとるのは、脱益の機を誘引せんがためであつて、実際は自己の法を取戻すにすぎないと、論じている。

 かくして、釈尊在世の法華経と日蓮聖人所弘の法華経とに、本迹、種脱を論じ、その間に勝劣を分つのである。そして釈尊の法華経を迹門とし、日蓮聖人の題目を本門とするところから、釈尊を迹佛とし、日蓮聖人を本佛とする。これは釈尊の法華経に、本門を認めず、また下種を許さないがためである。

 これを要するに、日蓮聖人自身の信仰においては、釈尊と、その教えの法華経に帰依し、自らはその使徒として、釈尊の法を弘めることを使命とした。しかしただその間、天台法華宗の思想と区別し、また法華経の本質を究明するため、本迹、種睨を分つのであるか、興門の如く、法華経の外に、本門の下種を求めんとするのではない。しかるに興門の教學では、あたかも彼のキリスト教徒の一派が神の使徒としてのキリストを、神そのものとして仰ぐ、キリスト信仰へと変質せしめた如く、本師釈尊の使徒としての日蓮聖人の信仰を、日蓮本佛論の信仰へと愛質せしめたのである。

 こゝにそれは、日蓮聖人自身の信仰と、その教えに帰依するというよりは、日蓮聖人を救済主として、その救いにあづかるという、信仰へと展換したのである。したがつて、日蓮聖人の遺文こそ「滅後末代利益の法華経」であり、釈尊所説の法華経は、末法無益の経典として斥ぞけるに至つたのである。

 

 

 

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