富士大石寺派教學の特質

執  行  海  秀

 1

 富士大石寺派の教學は日蓮聖人の直弟で、六老僧の第三位に数えられている白蓮日興(1246〜1333)を派祖と仰ぎ、富士の大石寺を本山とする一派の教學である。もともと日興の流れを汲む門流は、總括して興門派と称していたが、明治33年(1900)大石寺一派は興門派中より独立して富士派と称し、大正2年(1913)日蓮正宗と改称して今日に至っている。

 そして大石寺派が日蓮正宗と称するのは、日蓮門下中、大石寺派のみ日蓮の正統思想を継承せるものであって、他門は勿論のこと、同じ興門中に於ても、石山一派を除いてはみな日蓮の真意を汲まざる邪流であり、邪教であると見做すのに由来する。すなわち大石寺派の主張によれば、派祖の日興は日蓮聖人より正嫡の血派相承を受け、更に身延山の後董を譲られたのである。ところで聖人滅後日興は僧の五老僧と思想信仰を異にし、特に身延の大檀那波木井実長の謗法問題を繞つてその對立は尖鋭化した。そして遂に日蓮聖人の七回忌を機として身延を離山し、富士の大石寺に據ってここに他門不共の法憧を掲げたというのである。

 かくして唯授一人の正嫡相承と、石山独自の秘伝教學を誇張するのであるが、それらを根拠づけるものとして、弘安5年9月の身延に於ける付法相承と、同年10月の池上に於ける身延別當相承の、いわゆる二箇相承を挙げ、教學上の根本聖典としては、本因妙抄、百六箇相承、産湯相承、御本尊七箇大事、壽量品文底大事等を数え、なかんづく、本因妙抄と百六箇の両相承はこれを「両巻血派書」と称している。

 ところでこれらの資料が文献の上に現われるのは、室町中期に属するのであって、それは日蓮聖人滅後15・60年の頃に當るのである。したがって派祖日興を初め、その直弟並に原始興門教學の中には、かかる資料に基づく思想は見出せない。今日、大石寺派教學の特質をなすものとしては、教判に於ける種脱勝劣論の問題、本尊に於ける宗祖本佛論の問題、並に板曼荼羅本奪の問題、題目に於ける本因下種論の問題、戒壇に於ける富士戒壇論の問題等である。

 

 

2

 種脱勝劣論とは下種の教を根本の法とし、脱益の教を枝末の法と見做して、その間に勝劣取捨を論ずるのである。そしてその根底をなすものは、脱益の果は下種の因に基づくものであるという、因勝果劣の思想に他ならない。すなわち大石寺派の主張によれば、釈尊の法華経は調機入熟の本已有善の機のため脱益の法として説かれたものであり、日蓮聖人の弘めた法華経は、本未有善の機のため、直ちに久遠の本法を有りのままに下種したものである。

 したがって前者が、化他のために教として説かれたのに對し、後者は久遠本佛が自行成就のために行ぜられた因行そのもので、いわば隨自意の法である。釈尊の法華経は、かつて久遠に本因の下種を植えた木巳有善の機のため、その本因を現成せしめんがための補助的役割として説かれたものである。故に在世の衆生の得脱は、その法華経そのものの力に依ったのでなく、それは過去久遠下種の法が、釈尊の法華経を縁として薫発したのであって、つまり得脱の益は本有下種の功に婦せらるべきであるというのである。

 そしていま末法は下種なき本未有善の機であるから、下種の本法そのものを下種すべきある、脱益の法華経の如く、下種的生命を具えることの出来ないものでは、今日の本未有善の機を救うことは出来ないとして法華経に下種と脱益の二種を立て、その間に本質的な相違を論ずるのである。かくして釈尊の法華経はなお隨他の教であり、日蓮聖人の法華経こそ、隨自、根本の久遠の法そのものであるとし、前者は後者の根本法より、隨他のために迹教として説かれたものに過ぎないと見做している。

 故に大石寺派に於ては、久遠の本法のみを本門とし、種とし、釈尊所説の法華経を挙げて迹とし、脱として、その間に本迹の勝劣、種脱の勝劣を論ずる。したがって諸経王第一と称せられる法華経も、久遠の根本法に對すればなお方便の教である。日蓮聖人が法華経を真実の教といい、最勝と強調したのは、釈尊一代佛教中に於ける権実判の立場からいったものである。もし種脱判を基盤として本迹の相對を論ずれば、釈尊所説の全佛教はいうに及ばず、法華経をも過去のものとして否定せられるべきで、釈尊の佛法は正像二千年を名残りとして、隠没すべき運命にあるというのである。

 ところで大石寺派のかかる見解は、釈尊所説の法華経の本門に於て、初めて本迹が一如し、種脱が一具したることを見失なったものである。日蓮聖人の場合は、法華経こそ迹に即する本門の教であり、脱にしてしかもその脱によく種を内合するものであると見られている。したがって種脱は法華経そのものの本質を闡明するものであって、これによって法華経そのものを批判せんとするのではない。それは寧ろこの法華経の本質の立場から、種を内含せざる爾前の教を批判せんとするもので、爾前教は謂ゆる「種を知らざる脱」なるが故に真の脱益に非ずと否定せられているところである。したがって本尊妙の四種三段判に於ては、釈尊所説の法華経本門の正宗分を以て、それは単に本門段の正宗たるのみにあらずして、全佛教乃至三世十方微塵の経経の正宗分であるとし、自餘の一切はその序に過ぎないと論ずる。しかるに大石寺派の教學に於ては、本門の正宗もなお脱益の分域として、この脱益の法華経以外に根本下種の法華経を求め、これを文底の法華経と称し、これによって脱益の法を否定せんとするのである。そしてかかる種脱判の思想を根底とするところから、釈尊脱佛、日蓮本佛論の主張が生じているのである。

 

 

3

 すなわち法華経の文上教相の上から見れば、在世の衆生のためには釈尊が本佛として、脱益の機に對し、脱益の法を説かれたことになる。しかしそれはどこまでも佛の在世を中心とし、脱益の機を對象としたものである。そしてその釈尊は衆生に脱益を輿えたところのいわゆる化導成辨の脱佛であるから、末法に於ける下種の機に對して、下種益を輿えるところの佛とはなり得ない。脱益は下種を根本とするので、釈尊の成道は本因の菩薩行の結果に他ならない。すなわち本果脱益の佛の根本は、本因行の菩薩であるから、壽量品の文底下種の立場から見れば、文上壽量の果上の佛の本地は、本因の上行菩薩こそ本佛であると見做している。

 このように釈尊の因行と、それによって成就せられた果徳とを区別して、果徳は因行によるが故に因行を本とし、果徳を迹とする見方から、上行菩薩の垂迹としての日蓮聖人を本佛と見るのである。釈尊の時代はその在世を中心とし、正像二千年を最後として終りを告げたのである。そこで本法萬年の闇を照すのは、上行菩薩の日蓮聖人に倹たねばならない。日蓮聖人こそ、末法に於ける主師親三徳有縁の救済主である。既に脱佛として、教化の力用を失った釈尊を、今日持ち出すことは全く無益であり、時代錯誤であるというのである。

 ところでかかる本佛観は、日蓮聖人の本佛観の真義を解せざるところに由来する。日蓮聖人によれば、壽量品に於ける本果は単に文上五百塵点有始の佛ではない。それはこの塵点有始に即して無始久遠本果の顯本が明かにせられたものと見る。富士派の如くきは壽量文上の久遠の佛を塵点有始の佛と見做し、果上の佛に無始久遠の佛を認めずして、これを直ちに本因妙の顯本と解しているのである。しかし日蓮聖人の思想には、このような考え方は見出せない。

 もっとも本因妙抄等の興門相傳の秘書には、かかる思想が見出せるが、聖人の確実なる遺文による限り、末法出現の上行菩薩は、久遠本佛の本化とし、その使徒として、本佛釈尊の法を末法に弘めるものとせられている。したがって壽量品所願の久遠賓成の釈尊を以て、本因本果具足の無始常住不滅の本佛とし、これを絶對帰依の對象として本尊とする。故にそれは単に在世の本尊であるばかりでなく、末法の本尊でなければならないと見られている。かように久遠賓成の釈尊そのものを、無始常住の本佛とするのであって、有限的な脱佛と見るのではない。

 ここに於て本尊観に於ても、既に一言した如く、日蓮聖人はその久遠の本佛を以て本尊とするのであるが、大石寺派は却って日蓮聖人そのものを本尊の本体とするのである。そしてその日蓮聖人の悟りの世界を圖示したのが曼荼羅であるとて、曼荼羅本尊を強調するのであるが、曼荼羅の中に於ても、とりわけ大石寺所蔵の板曼荼羅をもって閻浮總輿の戒壇本尊であるというのである。

 大石寺派の主張によれば、日蓮聖人は大石寺を以て本門戒の地となし、その戒壇の本尊として總輿の板曼荼羅を日興に輿えられたのであるといい、一般に輿えられた曼荼羅の如きは一機一縁に輿えられたものに過ぎないので、これをもって絶對唯一の本尊とすることはできない。大石寺の地こそ選ばれた戒壇の地であって、いわば全世界の中心となるべきメッカの地であり、その所蔵の戒壇本尊こそ、全人類の渇仰すべき唯一絶對の本尊であると見做している。

 しかしかかる大石寺派の主張は、中古より生した一種の相傳に過ぎないのであって、もとより史賓とするととは出来ない。またたとい、大石寺所蔵の板曼荼羅が真筆であるとしても、それは今日現存している百数十餘の真筆曼荼羅中の一つに過ぎないのであって、大石寺所蔵のもののみに特殊の存在意義があるとは思われない。板曼荼羅を戒壇本尊とする主張は、大石寺一派の特色であるが、日蓮聖人の真意に於ては、曼荼羅そのものを本尊とするのでなく、寧ろ曼荼羅によって顕わされるところの久遠の本佛釈尊を本尊とするのである。

 日蓮聖人の曼荼羅は、本尊の実態を圖示したものでなく、釈尊が妙法蓮華経を説示せられた時の八品虚空會上の儀相を圖示せられたものである。大石寺派はその本尊の実体の唯一絶對性を見失った、ただ本尊の形相としての特定の板曼荼羅そのものに唯一絶對を認めんとするのであって、いわば一種の咒物崇拝に堕しでいるのである。

 今日、新興宗教の形態をとって勃興し来った創價學會なるものは、その教義信條に於ては、大石寺派教學の流れを汲むものであって、いわば大石寺派に於ける在家の外廓団体に他ならないのである。

 

 

 

もどる